五月の鯉の吹きなが思想家の冒険

Les aventures d'un penseur sans fond: depuis janvier 2003



2月26日

今日、ホームページを開いて「あれ、デザインが変わったな」とお気づきになったあなた。

そうです。永久芸術監督が1年半にわたる闘病生活から社会復帰してきたのです。

フジイよかったなあ(涙)

ところで、いきなり新連載はじまっちゃったので、またデザイン直しておいてね(人使いの荒いもと指導教官)

 

今日(28日)から新連載が始まる。

ドクター佐藤の「そこが問題では内科医」。

去年の秋に高砂のコミュニティカレッジで講演したときに、最近の医学部の学生は医療に必要なコミュニケーション能力を欠いているという阪大医学部の先生のお話をマクラに振ったことがあった。

「まっくた最近の医学生などというのは、ろくなもんではないようで・・・『おい熊さん、どうしたい?』『あ、大家さん、どうもこうもねえや』・・・」

1時間の講演のあとひとりの白面の青年が手を挙げて、「私、いま先生のお話にありました阪大医学部のものですが・・・」と名乗られた。

ウチダはそのままドブを這って逃げようかと思った。

まことに忘れがたい出会いである。

その青年医師はいまや「武闘系街レヴィ派」(三人もいるんだよん)の新星として、また「合気道会のホームドクター」として人々に重用(重宝)されているのである。

 

芦屋川カレッジというところから講演を頼まれていた。

頼まれたのは去年の秋であるから、「芦屋でやるのか、ふーん」と思っていたが、引越してきたら、講演会場の芦屋市民センターは新居の隣の建物であった。(わが家から徒歩30秒)

職住近接というのはまことに楽ちんである。(石川先生のように「車中...の人となる」という時間がないのがあるいは私の語ることにいまいち「深み」が不足していることの大きな理由かもしれないが)

『身体感受性とコミュニケーション』というお題でお話をさせていただく。

企画したのは秋山さんというたいへんに手際のよい女性である。

私のところに仕事の話を持ち込む女性たちを総合すると、全体に「めっぽう話の早い女性」が多い。

私はほとんど病的な「イラチ」であるが、そのせっかちウチダをして「話が早いなあ・・・」と感服させるのであるから、彼女たちの話の早さは尋常ではない。

ウチダは「話の早い人」が好きである。

「話の早い人」というのは総じて自説に固執しない。

相手の出方を見て、ただちに作戦を変更する。

臨機応変である。

要するに「コミュニケーション感度がいい」「スキャンする力が高い」ということである。

そういう人たちと仕事をすると、仕事そのものがどんなものであっても、仕事までの「やりとり」がテンポがよいのですでに愉快である。

この一年半ほど、いろいろな人と仕事をしてきたけれど、総じて女性の方が「臨機応変」力が高いというのがウチダの体験的データである。

それは言い換えると、「当初予定していた企画が、計画のままタイムスケジュール通りに達成される」ということよりも、「当初予定していた企画とは、なんだかずいぶん違うものが出てきちゃったけど、ま、いっか。これも、面白そうだし」とような態度でかの女性たちがビジネスに取り組まれているからではないかと私は思う。

講演のときに「差し入れ」がある。

東灘区の接骨医の方からである。(ご本人は診療があるので、残念ながらお見えになれなかった)

添えられた手紙を読むと、私の『寝ながら・・・』を「恩師」から薦められて読み始めたら「虜になってしまい」、私の本を買い揃えて、「必要と思われる患者さん」に「配っている」という何とも奇特な方である。

この短いテクストのうちには、不思議なことがいろいろ書いてあるが、もっとも不思議なのは、いったい、どのような基準でウチダ本を投与する患者を選択しており、またいかなる治療効果を期待されて、そのような贈与行動をこの方は取られているのか、ということである。

なにしろ「接骨」である。

私の本を読むと、関節の痛みが寛解するとか、骨の付きがよくなるとかいうことがあるのであろうか。

そういうことをも含めて一度会ってお話がしたい方である。

この方の診療所名は「三軸自在研究所」というのである。

車で国道二号線を通る方なら、岡本の「いのしし高原ラーメン」の西側にこの看板を見た記憶があるであろう。

「三軸自在」とは何であるか?

私は久しくそれが疑問であった。

それが氷解する日も近い。(氷解したらご報告しますね)

 

ヤマハVINOが届いたのでさっそく乗ってみる。

たいへん快適である。

まだバイクの癖が抜けないので、坂道にかかったときにシフトダウンするつもりで左手のブレーキを思い切り引いてから、がごんと左足で床を踏みしめて、「ああああシフトレバーがない」と絶叫いたりしているが、それもおいおい調整されてゆくであろう。

2ストなので、がんがん走る。2号線を走ったら、あっという間に60キロ。

なんだ、インプレッサより速いじゃないか。(というのも、私は楠町で「ねずみ取り」に引っかかって12000円取られて以来、つねに50キロ以下でしか走行しないからである)

 

そのVINOにうちまたがって組合主催の「学習会」へ。

先般、学院から03年度からの大幅賃金カットの通告があった。

人件費抑制が適切な経営判断の中で決定されるのであるなら、労働者である私は特段の不満はない。Yes,sir である。

「賃金の多寡よりまず雇用の確保」というのは、子どもにでも分かる算術だからである。

大学が潰れたのでは話にならない。

人件費を抑制して浮いた原資をアクティヴィティの高い教育研究部門や、ブランドイメージの向上の期待できるプロジェクトに重点的に集中投資するというのであれば、私は何の異論もない。

それこそ大学サバイバルの唯一の策だと私は思っている。だから、その方向でいろいろと具体案をご提言してきてもいるのである。

しかるに今般の人件費削減案からは、そのようなグランドデザインが「何一つ」透けて見えない。

人件費をカットして、それを「建物を手直して、あとは貯金する」のだそうである。

意味の分からない行動である。

いま大学は浮沈をかけた「危急存亡の秋」である。

2009年までが勝負どきなのである。

そのあいだに「何をするか」で生き残る大学と潰れる大学が選別される。

その時期に人件費を削減して、大学の教育研究の活動性を殺いで、何をするのか。

聞けば、中庭の歩道の修理と、(誰も住んでおらず、受験生はおろか在学生さえその存在を知らない)キャンパス奥にある陋屋の補修に投じるのだそうである。

いったい、理事会は何を考えているのであろうか。

学習会では、かなり激しい意見が出された。(と他人ごとみたいに書いてはフェアではないな。私が申し上げたのである。)

全学が一丸となって危機に対処すべき時に、財務内容についての情報開示を怠り、大学再建のグランドデザインを示さず、一方的に賃金カットを通告しても、それを全教職員が粛々と受け容れると学院執行部は予想していたのであろうか。

そのような楽観的な労使関係への見通しは、いったい、どのようなデータに基づいて、どのような経営戦略に即して可能となったなのであろう?

私にはうまく想像ができない。

制度改革に本気で乗り出す気なら、「制度改革の喫緊であること」を年来主張してきた教職員たちとの意見交換と合意形成の場を確保し、そこをケルンとして、全学的な改革機運を組織化するのが「ローコスト・ハイパフォーマンス」の定法であろう。

たしかに意見のすりあわせや合意形成を抜きにして、一方的に上意下達で改革が成し遂げられるものであるなら、それがいちばんコストが安い。

しかし、「上からの決定」はそれに対する「下からの信認」に担保されなければ、何の実効性もない。

だから、上意下達システムを効率的に運用したい場合は、まず合法的なしかたで「全権委任」的な信認をとりつけておかなければならない。

私たちはたしかに大学が危機的な状況にあるという「認識」は(一般論としては)共有したけれど、それに対する施策の起案実行について、理事会に「一任」した覚えはない。

むしろ、11月の全学研修会で確認されたのは、「ひとつひとつ合意形成を積み重ねながら大胆な改革を実行する」という手続き上のルールではなかっただろうか。

執行部が改革を急ぐ気持ちを私は理解できる。

むしろ「遅きに失している」と思っている。

しかし、それにもかかわらず、ほんとうに急ぐなら、なぜ「全学的な合意が得られるはずのないやり方」を選択するのだろうか?

つねづね申し上げていることだが、「話を早くする」ことと、「話を簡単にする」ことは別の水準に属することである。

経験的に言って、話を簡単にすることによっては、必ずしも話は早くならない。

むしろ、話を複雑にしたままにすることによって、話が早くなるということが多々ある。

というか、ほとんどの場合がそうだと断言してもいいくらいである。

紛糾する会議をすぐ終わらせようと思ったら、「採決する」よりも、「継続審議」を宣言する方がよい。

意見の一致を見ない答申案を起案するときは「両論併記」するのがよい。

それでは何も決まらないではないか、といきりたつ方は「時間」というファクターを勘定に入れるのを忘れている。

ほとんどの「対案」や「両論」は一定時間が経過すると、いずれが「適切」であるかおのずから「歴史の審級」において明らかになる。(この点においてウチダは頑迷なまでにマルクス主義者である)

場合によっては会議の翌日に列席者の全員が「あ、あっちが正しかったんだ」ということに気づくということが起こる。

翌日まで24時間徹夜で議論していてもおそらく達しえない合意が「とりあえず両論併記して一晩寝かせておいた」だけで自然形成されちゃった、ということがありうるのである。

だから、ほんとうに話を早くしたいときには、「いくつかのオプションを並行して『生かして』おきながら、どんどんことを進める」という戦術がしばしば奏功するのである。

私はこれが「民主主義」の起源にある人間理解であると考えている。(その意味でウチダは頑迷なまでに民主主義者である。)

「いくつかのオプションを並行して生かしながら、ことを先へ進める」ために「合意形成システム」がある。

その意味で、「合意」というのは「メタ決定」ということができる。

「ある決定について合意する」ことは「合意することについて合意した」ことを権源としている。

私たちは「合意することについて合意した」。

私は11月の研修会の意義をそう理解している。

「具体的ないくつかの案件について合意した」わけではない。

ことの順逆を狂わせてはいけない。


2月25日

「特色ある大学教育支援プログラム」アプライのための対策検討委員会(とかなんとかいう長い名前の委員会)が朝からあって、学長以下、お歴々が揃う。

私は自己評価委員長として「並び大名」の末席に連なる。

学長からこのプログラムが本学の生き残りにどういう意味があるのかについてブリーフィングがあったあと、「では、あとの実務的なことはウチダ先生を委員長とするワーキンググループにお願いすることにします」とご指名される。

このご指名にはもちろん理由がある。

私が人も知る「官僚的作文の名手」だからである。

それは私があらゆる問題について(とりわけ自分がよく知らない問題について)きっぱりと断言する癖があるということと人格の深い部分において通じているのではないかと思われるが、もちろんそのようなことは会議の席では申し上げられない。

ともあれ、上司からの指示には、およそいかなる無理難題であろうとも、 Yes sir. No excuse, sir と答えるのが「サラリーマン」であるウチダの基本的態度であるので、恭謙に学長からの業務命令を拝命する。

私のことを何かというとすぐに人に反抗する人間であると思っている方がおられるようであるが、それはたいへんな間違いである。

かつて私を「部下」として用いた方は共通する印象として「ウチダくんは、どんな仕事を頼んでも、いやな顔をしないね」と語っている。(これは嘘のようだが、ほんとうの話である。残念ながら、私を「部下」として使った経験のある方の数があまりに少ないために、この話には信憑性がないだけである)


2月24日

下川正謡会の新年会がよほど心理的プレッシャーになっていたのか、終わったとたんにタガが緩んで、10時間爆睡してしまった。ふとんが床に落ちていたので、よほど寝ながら暴れたのであろう。

ご存知のとおり、寝相が悪いというのは健康によろしいことである。

寝ながら身体の歪みが自律的に補正されているからである。

寝返りが打てないと人間は「床ずれ」というものになる。

どうして、静止している人間の身体に穴があくのか、常人には理解の難しいところであろうが、それは身体が硬直して、微細な震動(呼吸や循環にともなう)だけしか運動がないということになると、いわば「大根が大根おろしの上でこきざみに震えている」状態になるわけだからなのである。

シーツの繊維の肌理と人間の皮膚が一日中「すりすりすりすり」とこすれ合うのである。

想像するだに恐ろしいことであるが、これによってあっという間に皮膚は破れ、骨まで見える穴があき、患部が壊死してしまうのである。

それを防ぐために、人間はごろごろと寝返りを打つ。

よほど昨夜はリラックスして眠れたらしく、豪快にふとんがベッドから転げ落ちており、マクラはあらぬ彼方に消え、パジャマは頭の上にまでまくり上がっていた。

目が醒めると、頭がすっきり。

そんなにプレッシャーがあるなら、能楽なんて止めたらいいじゃないか、という賢しらなことを言う人があるやもしれない。

まことに人間心理を知らぬ妄言と言わざるを得ない。

プレッシャーが定期的にあるからこそ、それがクリアーされるたびに、このような豪快な「レイド・バック」が訪れるのである。

 

昨日の新聞に「パワハラ」という新語が紹介されていた。

「パワハラ」とは何であるか。

朝日新聞家庭欄によれば、「職務権限を背景にした職場のいやがらせ」を「パワーハラスメント」と呼ぶことを提唱しているコンサルタント会社や心理学者などがいるそうである。

どういう事例を「パワハラ」とよぶかというと、

「『報告が気に入らない』と、同僚たちの前で怒鳴られたり、無視されたりといった嫌がらせを受け続けている」

「すぐ目の前の席の上司が、ちょっとした指示でも、すべてメールで出してくる。口もききたくない、ということか・・・ひどい」

「仕事が終わって帰ろうとすると、『上司が残っているのにもう帰るのか』と叱られ、飲み会では『何で先に帰るんだ』と怒鳴られる」

「仕事のずさんさが目に余り、所長に指摘したところ、『新参者が生意気だ』と怒られ、雑用ばかりさせられたり、達成できないような仕事量を振られたり」

「リストラのあおりで、仕事量が五年で二、三倍に増えた。それを達成できないからと無能よばわりされ続けている」

列挙されていたのは以上のような事例である。

これが「パワハラ」だそうである。

私はこの記事を読んで、しばらく虚空に目を泳がせた。

「・・・・それが、何か問題でも?」

誰でも分かることだが、このような症候発生には「前段」がある。

管理能力のない上司のもとで働くというのは、たしかにストレスフルなことであろう。

私にもそれは理解できる。

では、転職されればよいではないか。

職業選択の自由は憲法第22条の規定する国民の基本的権利である。

誰も転職を止めることはできない。

なぜ、しないのか?

転職したいが、転職先がない?

ふーむ、なるほど。

というのは、ご本人には他社からヘッドハンティングがかかるような際だった技能も人脈もお持ちでない、ということになる。

だが、それは上司の責任だろうか?

転職したいが、家のローンの払いが残っていて、辞められないという方がいる。

しかし、「際だった能力のないサラリーマンは、イジメで部下を鬱病にするような管理能力の欠如したバカ上司のもとで働くことになる可能性が非常に高い」ということは誰でも知っている事実である。

どうして、そのような否定的状況が「自分の身にだけは決して起こらない」というような無根拠な楽観を抱くことが出来たのであろう?

いずれもご判断されたのはご本人であり、上司ではない。

そもそも、「管理能力のないバカ」が上司である会社とは、原理的には「管理能力のないバカ経営者」が経営している会社である。(「管理能力のある経営者」は「管理能力のないバカ」を重用しない)

通常、バカ経営者が経営している会社は、「バカ・オーラ」というものをはげしく発生しているので、観察力のある人は遠方からそれと察して回避行動をとることができる。

生存戦略上不可欠であるところの、このような「バカ回避行動」を取らなかった個体が、「バカの毒」に当たって苦しむのは、論理的必然のなせるわざであって、これは誰にも救うことができない。

「バカ回避行動」というのは、単純なことだ。

−自分自身の能力適性について、シビアな自己評価を行い、欠点の補正に子ども時代から取り組むこと

−快適な職場環境を確保するために必要な人間的資質(インテリジェンス、礼節、コミュニケーション能力、諧謔精神、批評性、フェアネスなど)の涵養に子ども時代から取り組むこと

−「バカ・オーラ」を感知できる身体感受性を高める訓練に子ども時代から取り組むこと

以上である。

新聞記事を徴する限り、「パワハラ」被害者というのは、このような「幼児期より取り組む」べき人間的課題をネグレクトしてきた方々ではないかという気がする。

お気の毒であるとは思うが、そうだとすれば、「身から出た錆」である。

むしろ問題は、このような「自業自得」的症候について、何らかの社会的責任を探し出して、本人たちを免罪しようとする論法にある。

私が困惑するのは、このような論法を採用すれば、あらゆる社会的不満は「ハラスメント」というカテゴリーに繰り込むことが可能となるからである。

同僚がいつも私より「高くセンスのよい服」を着ていて、私は被差別感を味わっているというのは「ファッション・ハラスメント」と呼ばれるであろう。

同級生がいつも私よりよい成績を取るので、私は屈辱感を味わっているというのは「スクール・ハラスメント」と呼ばれるであろう。

競争相手がいつも私よりよいパフォーマンスをするので、私は自己嫌悪に陥っているというのは「スポーツ・ハラスメント」と呼ばれるであろう。

新聞をひらくと、いつもいらいらする記事ばかり読まされるので、私は食欲不振であるというのは「メディア・ハラスメント」と呼ばれるであろう。

何かというとすぐにみんなが「ハラスメント、ハラスメント」と言い立てるので、うんざりしてきて不眠や頭痛に苦しんでいる(私のようなケースは)「ハラ・ハラ」と呼ばれるであろう。

結果的には、社会的能力が低く、非寛容で、狭量で、自己中心的な人間であればあるほど「ハラスメント」被害を受けやすいということになる。

そして、そのような被害者こそ優先的に救済されるべきである、ということになると、そのような社会では「社会的能力が高く、寛容で、器量が大きく、他者の利害に配慮する人間」であろうとする動機づけが損なわれることになる。

私は社会性の低さゆえに、心に傷を負った人間を救済することに反対しているのではない。そうではなくて、社会性の不足ゆえに心に傷を負った人間を救済するために、「人間は社会性を高めてゆくべきだ」という当為を犠牲にすることに反対しているのである。(わかりにくくて、すまない)

 

そう言えば中島らもがマリファナで捕まった話について何もコメントしてなかった。

別に私がコメントしなければならぬ義理もないのであるが、仮にも私にとっては「アイドル」の一人であるから、らもさんのために一言の「弁明」をせねば・・・と思ったのであるが、うまいことばが思いつかない。

私は軽度のアル中であり、軽度のニコチン中毒であり、重度の活字中毒であり、総じて「アディクト」について寛容さを求める立場にある。

あらゆるアディクトは個人的な選択の結果である。

自分の一部を損なうことによって、自分の一部を救うということはたしかにある。

それを責めてもしかたがない。だって、それが「ひどい話」だということは本人がいちばんよく知っているんだから。

人は自分のサイズに合わせて固有の不幸のかたちを選ぶ。

どうして、ある不幸のかたちを選び、違うかたちを選ばなかったのか、それは誰にも分からない。

たぶん、本人にも説明できない。

こういう「本人にも説明できない問題」については、人間の「弱さ」と「愚かさ」のあり方について熟知している小田嶋隆にラストワードを委ねたいと思う。

この問題についての、小田嶋隆のコメントの本旨は「私にはわからない。たぶん本人にだってわからないだろう」という一行に尽くされる。

「わからない」ということばをどういう文脈の、どのタイミングで切り出すか、ということに知的な有り金を賭けられる人を「知識人」と呼ぶのだと私は思う。

では、小田嶋先生お願いします。

 

2月9日

中島らも氏の逮捕(マリファナ&マジックマッシュルーム所持)について、元アル中のモノ書きとして、コメントしておくべきかもしれない。

別に放っておいてもかまわない……というよりも、依存症患者に対する適切な態度は、放置黙殺無視忘却以外に無いのだが、それはそれとして、何か一言あってしかるべきだと考えている人もあるでしょうから。

 

どんなコメントをするにしても、とにかく「生みの苦しみ」だの「創作のヒント」だのといった決まり文句は、この際、言いっこなし(実際、ワイドショーのコメンテーター諸氏は、「芸術家にはやはりそういう誘惑が」式のステレオタイプのもの言いをしていたし、タブロイド紙のまとめ方も同様だった)だと思う。

クスリはクスリ。酒は酒だ。

アーティストが吸ってもマリファナはマリファナだし、スーパーモデルの鼻がスニッフしてもシャブはシャブだ。

薬物依存やアルコールがらみの事件において、メディアが作家や文化人を特別扱いにする態度は、犯罪的ですらある。いい大人がジャンキーを甘やかしてはいけない。ずのぼせた高校生がボードレールに憧れるのとはわけが違うのだ。

作家の不品行を英雄視する類の幼稚なデカダンス趣味が、マスコミ関係者の精神の内奥に残存している事情は、彼らの多くが挫折した芸術青年である以上、いかんともしがたいのかもしれない。が、芸術家の懶惰や小説家の頽廃を美への耽溺や魂の純粋さに短絡するものの見方は、単にうすっぺらだというだけではなくて、現実に多くの若い愚かな魂を破滅に追いやっている。

破滅……という、この言葉の響きうっとりしている君。君に言っているのだよ、私は。

いいだろう。

破滅願望の持ち主である人間が、おのれの破滅を美化することは、ほかならぬ本人の破滅に免じて許してやることにする。

でも、メディアが破滅を美化してはいけない。

もってのほかだ。

とんでもない勘違いである。

 

「生みの苦しみ」についても一言だけ言っておく。

何かを作る時に苦しみを感じているような人間は、創作には向いていない。

というよりも、苦しんで作っているようなヤツは、要するに才能が無いのだからして、早々に創作から足を洗った方が良いのである。

 

中島氏にとって、創作は喜びであり、かつ救いであったはずだ。

彼の心に苦しみがあったのだとしたら、それは創作活動とは無縁の、おそらくは、酒や薬物にまつわるごたごたから生まれ出たものなのだと思う。

結局、薬物は苦しみからの出口ではなくて、入り口だったということだ。

 

では、なぜ中島らもは、あえて苦しみの入り口を求めたのかって?

私にはわからない。

たぶん、本人にだってわからないだろう。

酒にしてもマリファナにしても、それが気晴らしであったごく初期の段階を過ぎれば、同じものになるのだ。快楽物質は、ある段階を経過すると苦悩そのものになる。そういうことだ。

いや、そもそも快楽それ自体が、苦痛の先駆症状に過ぎないのかもしれない。

って、言い過ぎか。

言い過ぎだな。

訂正する。

快楽は苦痛の副作用である。

……というぐらいでどうだろう?

変態?

だな。

撤回しよう。


2月23日

下川正謡会新年会。

新年会といっても、べつにお社中のみなさんが集まって宴会をするわけではない。

6月の大会の「リハーサル」を兼ねて、いろいろとお稽古の発表をするのである。

最初の『神歌』から最後の舞囃子『船弁慶』までほとんど休みがない。

素謡『正尊』の後ツレ、独吟『船弁慶』、素謡『望月』、『景清』、『求塚』と仕舞『羽衣』の地謡。後の時間はビデオ係。

下川先生と能楽歴60年の帯刀さんと長谷川さんというお二人の兄弟子と一緒に地謡をさせていただく。

こういう方々といっしょに地謡をするというのがどういうことかというのは一般の方にはお分かりいただきにくいと思うが、強いて喩えるならば、エリック・クラプトンと前川清と桑田佳祐といっしょにWonderful tonight をハモるような気分のものである。

たいへんにグッドバイブレーションな経験であることはこれでご想像いただけるであろう。

朝の九時から午後六時まで、ずっと紋付き袴で舞台に上がったり降りたりしているわけであるから、心身の疲労は言語に絶するのであるが、最後の舞囃子『船弁慶』で無事に長刀で地謡のみなさんの頭をかち割るようなへまをせずに済ませて、とりあえず深い安堵のため息をついたのである。

下川正謡会の本番は6月1日(日曜日)、湊川神能殿である。

ウチダは「平知盛」の幽霊となって、長刀で義経と弁慶と渡り合うことになっているので、お暇な方はご笑覧下さい。

なぜ、こんなに忙しいときに能楽の稽古などに時間とエネルギーを割くのか、と疑問を持たれる方もおられるかも知れないが、私の学術的研究と武道の稽古と能楽の稽古はすべて帰するところ一つなのである。

「どこが」ということは一言では申し上げにくいが、そうなんだってば。

 

今朝、ぼわーっと起きてきて、コーンスープを啜りながら、寝ぼけ眼で新聞を拡げたら、「帰ってきてよ!ぼくたちの正しいおじさん」というタイトルと高橋源一郎の写真が目に入った。

「お、源ちゃん、今週はどんな本の紹介なのかな」と老眼鏡をかけなおして読み始めたら、これが私の『女は何を欲望するか』の書評であった。

こういうのは心臓に悪い。

考えてみたら、私は高橋源一郎とか小田嶋隆とか矢作俊彦とか村上春樹とか橋本治とか中島らもとか村上龍とか、私にとっての「アイドル」が私の本を読むというような事態はまったく想定していないでものを書いていたのであった。

そういう方々が私の本を読んだらどういう感想を持つだろうか、というようなことは私の貧しい想像の埒外である。

しかるに、何の心の準備もなく、新年会の会場に九時までに着かないとね、忘れ物ないかな、足袋忘れてないかな、謡本全部持ったかな、というようなことに気を取られつつ、カップスープを啜っているところで、いきなり高橋源一郎書くところの拙著の書評を読んだのである。

私がどれほど驚いたか、ご想像頂けるであろうか。

これは私がこれまで読んださまざまなウチダ本の書評のうちで、個人的にはもっとも「感動」したものであった。

この「感動」は、強いて言えば、エリック・クラプトンのところにチャック・ベリーから電話があって、「君のレコード買ったよ」と言われたような気分のものであると言えば、あるいはご想像頂けるかもしれない。

いや、私をクラプトンに喩えるのは、ちょっと尊大だな。

むしろ、カーナビーツのところにゾンビーズから電話があって、『好きさ!』買ったよ、と言われたような気分のものである、という方がより近いかもしれない。(それにしても喩えが古いな)

ま、とにかく。

私がその人の本を読んで、「なるほど! そ、そうだったのか」と思い、「それではワタクシも先賢の驥尾に付して・・・」と、ものを書くようになった当のご本人から「いまは内田さんの本をワープロの横に積んでおいて、頭がクリアじゃなくなってるなと思った時、それをめくり、その思考の美しい(スウィングの)軌跡を追い、乱れた自分のフォームをチェックしている」というような感想を頂いたのである。

まことにありがたいことである。

高橋源一郎さん(と敬称つけちゃうね)の書評は「我々には内田樹が、公正な査察官が必要なのだ。内田さん、カム・バック!」で終わっている。

私はどのような問題についてもかつて一度として「公正な査察官」であったことがないので、(卒論の成績査定の場合などはとくにその傾向が強い)この点については高橋さんはかなり勘違いをされているような気がするが、私は「他人から過大評価された場合には、静かに Go on と告げればよろしい」ということを(「親しき仲にもお世辞あり」という古諺とともに)先週、ヤベッチとおいちゃんに説教したばかりなので、あえて訂正の暴挙に出るような非礼は差し控えたいと思う。

それにしても「カム・バック!」には困った。

だって、来月からばんばん本が出るんだもん。

それもどちらかというと、「公正」というような形容詞とは限りなく無縁な、「ふつう、人間って、ここまでエラソーに断言するか?」というような、良識ある人々の眉を曇らせずにはいないものが雪崩打って出版されるのである。

あああ、困った。

高橋さん、怒るだろうなあ。

「げ、こんな奴の本をほめちゃったよ」と思われたらどうしよう。(思うな、絶対)

ああああああ、困った。


2月22日

先夜の北野のフレンチ宴会のときに、三宮駅からぷらぷら坂を上がる道すがら、葉柳先生がホームページ上で「論文職人」を自称したところ、いろいろご批判を頂いたという話をうかがった。

私は無精にもその日記を読んでいなかったので、「えー、それどういう話なのー」と手抜きの質問をしたのであるが、なかなか一言では言えないような複雑な話であるようなので、家に戻ってからさっそく葉柳先生のホームページを熟読させて頂いた。

まず葉柳先生の日記を拝見してみよう。

 

論文職人としてのワタシ 03/02/12(水)23:04:14

鳴門教育大のロック少年増田さんがHPに次のように書いている。

 

修論提出前の学生たちの推敲作業につきあって思うのだが、自分が人様に堂々と教育することができる「普遍的な」技能や知識というのは、唯一「学術論文の作法」だけであるようだ。その他、ロック史も分析美学もメディア論も所詮は「好きな人にとっては役に立つかもしれない、興味ない人にとってはどうでもよい」程度のトリヴィアルな知識に過ぎない。オレの大学教師としての存在意義なんてそんなもんだ…

 

私にとっても事情は同じである。私の主たる研究対象であるマックス・フリッシュなんて名前を知っている日本人はごくごく希であるし、今翻訳をやっているフリードリヒ・デュレンマットだって日本では全く無名といっても過言ではない。(ただし西欧、少なくともドイツ語圏では二人とも、日本における「龍と春樹」と同じくらいの知名度はある)。ナラトロジー研究にしても、興味のない人にとっては、論理の遊びに過ぎないかもしれないし、それどころか場合によっては、寝た子を起こす言説を生産する迷惑行為ですらあるかもしれない。

 

しかし、自分で言うのも何だが、私の論文指導は結構いい線をいっている。(これは必ずしも論文を書くのがうまいということではないが)。私がチョイチョイと論文のバランスを調整しただけで、それまで何を言いたいのかよくわからなかった学生諸君の論文が理路整然としたものに変容する。

これは別に難しい技術ではない。まず第一に、長きに亘った大学院生活の間、生活費を稼ぐために小論文関係のバイトをせっせとやったことで採点者の視点、つまり、どう書けば点数を稼げるのか、どんな書き方をすればボツにされるのかを見抜く眼差しが身に付いた。受験生の800字小論文を2分で斜め読みして、1分で添削方針を決め、5分で赤を入れコメントを書き込む、という技術をマスターしてしまったのだ。(時給に換算して約5000円の技術である)

(信じてもらえないだろうが、数年に及ぶ小論文指導の間、私の添削に対して苦情が来たことは一度もなかった。たいていの同僚は、「字が乱雑すぎる」とか「独りよがりな添削である」とか「受験生の心を傷つけるようなコメントはいけない」といった(いかにも私にも当てはまりそうな)クレームを付けられて、仕事を減らされたり、ひどい場合にはリストラされたりした)

第二に、人文系の大学院生、とりわけアメリカと中国以外の国のことをやっている院生の就職事情が急速に悪化したために、生き残るためには「レフェリー付きの学会誌に投稿しても決して落とされない論文作法」を身につける必要があった。私が学生たちに、「論文の脇を固めろ」とか「ディフェンシヴに書け」としつこく言っているのはこのときの経験に基づいている。

第三に、二回目の修論をドイツ語で書いたことが実に役に立った。正確に言えば、修士の学生にはドイツ語と日本語でできる限り同じ内容の論文を提出することが求められた。これを日本語換算で80000字くらいやると、どこか不明瞭なところのある日本語は決して正確には翻訳できない、ということが身にしみてわかってくる。そうすれば否応なく、普段からわかりやすい日本語を書くよう意識するようになる。と同時に、他人の書いた文章の不明瞭な点や、不正確な点が、「あ、ここは外国語に翻訳不可能だ!」という心の声とともに瞬時に浮かび上がってくるようになるのだ。

こうして私は論文職人になった。

私はこの「論文職人」という言葉にいささかなりともネガティヴなニュアンスを込めてはいない。先日我が家の電気配線を手直ししてくれた電気工事の技師の方といい、それにつづいてクロスの補修をしてくれた内装屋さんといい、「私がいくら時間をかけてもここまできれいには仕上がらない」と思わせる技術を持っている職人さんの仕事を眺めているのは実に気持ちがいい。話をしてみても皆さらに技量を磨くことになみなみならぬ関心を持っていて、こちらまで「がんばるぞ」という気持ちにさせられる。

 

増田さんは、「学術論文」に自らの能力を限定しているが、私たちの職人芸は、就職のためのエントリーシートの書き方とか、プレゼンテーション原稿の書き方とかにも応用できる。つまり社会で広く役立つ技術なのである。

今日、ゼミの三年生たち相手に「履歴書の書き方講座」をやったのもこの芸を少しは世のために役立てようと思ってのことである。

おそらく、こうした意味での「文章作法」は、大学という教育機関がその「商品」たる学生たちに身に付けさせておくべき「品質」であり、卒業証書はその「保証書」ととして授与すべきものであろう。

別の言い方をすれば、それに目を通した瞬間、私の右手が赤ボールペンを求めて動き始めるような卒論を大量に「生産」しているようなゼミ(そんなゼミはないと信じたいが)は、<ネグレクトという教育犯罪>を犯していることになるのだ。(この比喩いけば、セクハラは性的虐待だし、アカハラは暴力的虐待ということになろう。あ、そうか、学生を育てるのって、幼児を育てるのと同じなんだ。)

 

読者のみなさん教えてください 03/02/14(金)02:13:54

昨日の「論文職人」についての日記に対して、三人の読者の方から苦言をいただいた。

 

一つは、「本音にしろ韜晦にしろ、<自分にとっておもしろければそれでいい>といったスタンスや、<職人的技芸に満足している>のは研究者の甘えであって、もっと<確信的な挑発性・攻撃性を研究者にも期待したい>」というものであった。

 

あとの二つはほとんど同じ内容で、「学問というのは真理の探究であるから、それを職人仕事などと一緒にしてしまうのはいかがなものか」とまとめることができる。

立ち止まって考えるに価するのは無論、前者の方だ。

 

現時点での私のスタンスを、前者のメールへの返答として次のように書いた。

 

[……]とすると、研究者としての立場なのだが、残念ながら、増田さんの「好きな人にとっては役に立つかもしれない、興味ない人にとってはどうでもよい」という言葉と僕のスタンスはかなり近い。だって、「ホンウスバカゲロウの産卵方法の地域的偏差確認のための標本分類」とか、「マルクスとヴェーバーの著作の物語論的構造の比較」とか、「キルケゴールとカミュにおける<反抗>概念の神学論的差異の文献学的例証」といった研究があり、やっている当人は最高の知的興奮を感じており、かつ、それが学問の世界の問いの布置をほんのわずかだけど決定的に変えるということを確信しているとしても、さしあたりそういった研究に興味のない人たちにとっては単に重箱の隅をつついているだけの退屈なものにすぎないだろう。万人向けのエンタティメントじゃないんだから。

 

前にも書いたと思うが、研究者としての自分のスタンスを自分の語彙で言えば:

 

「まずもって自分がアカデミック・ハイを経験できること、それが他人にとってもおもしろいことであればもうけものだ」

 

同じことを若き上野は:

「私は自分がスッキリするためだけに学問をしている」

と言った。

 

そういう契機を持たない研究ならやらない方がましだ。

 

[……]

そして、武道にしろ詩にしろ、ある種の型を習得することによって初めて、身体ないし言語表現の創造的自由を実現できる。そのためには徹底的にディフェンスを学ぶ必要がある。学術論文という型もそういうものだと思う。世界中で発表される学術論文の99.5%はそういうものだ。だから、一見したところ地味で退屈だ。その99.5%のなかの0.1%くらいが、あるとき何らかの学問的コンテクストに置き換えられたとき、突然、異常なまでのインパクトを発揮するするんだと思う。[……]

結論からいうと、一見、地味で手堅く見える型の内部でみずからの可能性をぎりぎりまで探求するという研究の内部からしか、本当の挑発性とか攻撃性は出てこないと思う。

そういった意味での「挑発性や攻撃性」は、専門的なトレーニングを積んだ人間にしか認識することができない。一般人が飛び込み競技を見ても得点の違いがどうやって出てくるのかよくわからないのと同じだ。

だから、「核心的な挑発性・攻撃性」を圧倒的大多数の研究者に望んでもそれはない物ねだりだと思う。だいたい「挑発性」や「攻撃性」ってそれがあからさまなものであればあるほど「啓蒙性」とほとんど同義だろう。ある学問分野の広告塔として、そういった役回りを引き受ける人は必要かもしれないけれど、山口昌男にしろ、栗本慎一郎にしろ、上野千鶴子にしろ、池内紀にしろ、蓮實重彦にしろ、彼らの仕事の中で10年後に残るのは、広告塔になる前に書いていた、「地味で目立たないが手堅い論文」ばかりなんじゃないだろうか。(立花隆のようなアカデミック・ジャーナリストが挑発や攻撃や啓蒙を売りにしてくれる分には何の異論もないが・・・)

[……]

教育をきちんとやって、(ジャーナリスティックand/or啓蒙的な意味ではなく)学術的な意味できちんと手続きを踏んだ研究をやっている限りにおいて、何をやろうとそれは自由でしょう、と正直言って思う。ウスバカゲロウについてやろうが、革命の思想をおとぎ話として読み替えようが、神への反抗なのか超越への反抗なのかそれだけを問題にしようが、「反証可能性」さえ確保していれば、別に非難される謂われはない。

そうでないと、「役に立つ研究をやりなさい」という文部省や(一部の)企業経営者の言説と、「もっと挑発性や攻撃性を」という言説との間の差異も、メルクマールの違いだけで、発想の型それ自体は全く同じということになってしまうだろう。

こういう言い方って甘えなのか? 挑発性とか攻撃性とか、有用性とか実用性とかを前面に出して書く方が、圧倒的に知的負荷が小さいんだぜ。

 

飛び込みがマイナースポーツの地位に甘んじているのは、そのおもしろさを広く人々にアピールする努力を怠っているからだ、という批判が一定の妥当性を持っているのと同じように、ある学問が不人気だったりおもしろくないと見なされたりしていることの原因のかなりの部分は、その分野の研究者が、自分の感じているおもしろさを、他の人たちに伝える努力をしてこなかったことにある。私にだってそれくらいのことはわかっている。

しかし、単なるエンタティメントに堕すことなく、一定の水準の専門的知見を誰にもわかるように書くという技術は超高度なものであって、おそらく、長年にわたる地味で目立たない退屈な研究論文の積み重ねを土台に持つ必要がある。私自身の研究は、まだまだその土台のパーツをおおよそ作ったという段階であって、二三年の内に、(限られた専門的研究者以外には)超退屈な土台作り=博士論文執筆をやろうと計画しているに過ぎない。「挑発性や攻撃性」と研究としての水準を両立するのはまだまだ無理だ。

 

これって<甘え>なのだろうか。それが<甘え>だって言われたら、私の言う<二流の研究者>の大部分は、大甘ってことになってしまう。ああ、わからなくなってきた。

 

読者諸賢のご意見を請いたいと思います。

 

 

というのが葉柳先生の基幹的主張である。

私は葉柳先生の意見にほぼ100%賛成である。(「ほぼ」というのは、私が誤読している可能性が数%あるからだ。私はほとんどすべてのテクストについて組織的に誤読する人間である)

学術性を担保するものは何か、ということについては葉柳先生が書いているように、私もカール・ポパーの言う「反証可能性」ということに尽くされると思う。

「反証可能性」というのは、自分の学術的仮説の基礎になったデータを「追試可能」なものに限定することである。

例えば「神は存在する」というのは学術的仮説ではない。

それが「実証不能」だからではない。(「私は神の声を聞いた」という人は現にゴマンといる。)

そうではなくて、それが「反証不能」だからである。

だって、「世界のはじめ」や「宇宙の終わり」についての「追試可能」な実証的データなんか誰にも提出できないからである。

同じように「神は存在しない」というのも学術的仮説ではない。

これもまた「反証不能」だからである。(「お、そういうこと言うわけ、じゃ、神さんに今降りてきてもっておまえを稲妻で撃ち殺してもらうかんね。神さまー!」というような人間のジコチューな要請にほいほい答えてくださるような神さまはおられない)

『木曜スペシャル』や『TVタックル』で、早稲田の大槻教授が、ときどき「UFO」や「超能力」について、そんなものは「実証不能」であるから科学的ではないということを言っているが、これは大槻教授の「科学」の定義の方が間違っているのである。

UFOや超能力が学術的言明になじまないのは「実証不能」だからではなく、「反証不能」だからである。

反証不能なものは「学術的でない」というだけであって、そこからは神やUFOが「存在しない」という判断は演繹できない。

私自身は神やUFOや悪霊やエイリアンの存在を信じて疑わない人間の一人であるが、学術論文にはもちろんそういうことは書かない。

私が学術論文に書くとしたら、「神の存在を信じる」人の信仰形成に関与する社会的ファクターや、「神の存在を信じる」社会集団に固有の行動様式や思考傾向についてである。

そのような研究なら、神を信じる人間にも信じない人間にもひとしく「追試可能」である。

葉柳さんが「ディフェンス」ということばで言おうとしているのは、おそらくこの「追試可能のデータに学術的仮説の論拠を限定する節度」のことではないかと私は思う。

「ディフェンス」というのは、「コミュニケーションの可能性」を信じる人間しか試みないことである。

「節度」というのは、「他者」との対話の開かれを期待する人間にしか用のないものである。

だって、そうでしょ?

「反撃を予測しないディフェンス」や「配慮すべき他者を想定しない節度」などというものはありえないんだから。

「学術性」というのは、端的に言えば「対話可能性」のことであり、それ以外の何ものでもない。

喩えて言えば、あるピッチャーが「すごい球」を投げるということを示すためには、マウンドからキャッチャーが捕球できる範囲に球を投げ込む、ということが必要である。

「おれはすごい球を投げるぜ」と言って、センター後方の観客席に170キロのストレートを投げ込んで客の脳天を砕いても、あまり評価されない。(業務上過失致死に問われるだけである)

バッターボックスにバッターが立っているときに、キャッチャーが捕球できる範囲に投げ込まないと、それが「どれくらいすごい」球なのかは誰にも分からない。

それと同じである。

学術研究というのは、それを査定する「共通の度量衡」を持っている人々とのコミュニケーションの中でしか成り立たない。

葉柳さんが言っている「論文職人」というのは、そのような「共通の度量衡」をきちんと見きわめることのたいせつさを強調したことばだろうと私は理解している。

その研究にどういう批評性や創造性を載せてゆくのか、というのは「その次」の問題である。

葉柳さんは「what」ではなく「how」がたいせつだと書いているけれど、それは私ふうに言い換えれば、「何を」書くかの前にまず「誰に向かって」、「誰のために」書くのかを考えることがたいせつだ、ということである。

そのような「コミュニケーションの限定」を経由してしか、「コミュニケーションの解錠」はありえないだろうと私は思う。

攻撃性や挑発性というものが成り立つためには、それらの言説を「攻撃的」であったり「挑発的」であったりすると判定する「共通の判断枠組み」を送り手と受け手を共有していることが前提となる。

しつこく野球の比喩を使えば、「挑発的な」ボールというのはキャッチャーミットに収まるようにコントロールされた、えぐるような内角のボールのことであって、キャッチャーミットの5m横を通るようなボールのことではない。

武道に限らず、あらゆる芸道において、修業は必ず「守破離」という段階を追う。

楷書が書けない人間には草書は書けない。

私たちが大学で教えているのは「守」の芸である。

誤解する人はいないと思うけれど、それは既存の知的秩序を守るためではない。

「守」の芸ができないものは「破」や「離」をなしえないからなのである。

定型を学ぶことには一つしか目的がない。それは定型を超えることである。


2月20日

旧友の浜田雄治くんが香港からやってくるというので、長駆、新宿まででかける。

浜田くんと会うのは10年ぶりくらいである。

30代で西武百貨店の事業本部長になった辣腕の浜田くんは、バブルの徒花、香港西武の幕引き役を任じられ以後香港に居着いて、City Super という店舗をばんばん展開している国際派ビジネスマンである。

篤学の西洋古典学徒であり、少年少女世界文学全集と「ひょっこりひょうたん島」をこよなく愛する温顔の少年が、生き馬の目を抜く香港華僑の上前をはねる悪逆無道のアキンドになるとは誰が予想したであろう。

人というのは分からぬものである。

ハマダくんを囲んでの時ならぬ新年会は伊藤“総務部長”の仕切りで、イワムロ“監査役室長”、モンタ“海外事業部長”、ツキウダ“営業部長”、ミズデ“渡世人”など旧日本進学教室の猛者たちが集まった。みなさまとも久保山くんの葬儀以来七年ぶりである。

ほんとうは澤田“工場長”も来るはずで、彼からISO9000の話をレクチャーしてもらうつもりであったが、澤田くんだけ急用で欠席。

それにしても、みなさん立派に出世された。あのバイト先にはまことに優秀な方々がビンボー学生として蟠踞しておられたのである。

そういえば野崎ジロー先生も、松本“隠士”順一くんも、先日研究室に来られたO井Y美子さんもみな日進のバイト仲間であった。

わいわいと歓談したのち、「明日もオツトメ」のみなさんを送ってから、新宿の「イーグル」で伊藤くんとハマダくんと旧45LIII9Dのミニクラス会。

ハマダくんは(故・新井啓右くんと竹信悦夫くんとともに)私が知るうちで、もっとも「地頭」(@ハヤナギ)のよい友人の一人である。

頭の良すぎる人の通弊として、この方たちは、自分で話を始めておいて、話の途中で自分の話に飽きてしまう。そこで、自分の話に自分で飽きないように、「自己突っ込み」というものを頻用するのである。そのうちもとの話よりも「突っ込み」の方が多くなって、何の話をしているのか誰にも分からなくなってしまうというのが彼らの言説のはらむ根本的難点なのである。

昨日は10年ぶりということもあって、ハマダ君のほとんど自虐的な「自己突っ込み」に合いの手を入れるタイミングを思い出せない。

話がさっぱり終わらないので、私は学士会館に宿をとっていたのであるが、そのままハマダ君の二俣川のご自宅に泊めてもらうことになる。タクシーの中でもしゃべり続け、ご自宅の二階で布団に入ってからも話し続け、払暁にようやく「あ、それロン」というラストワードが出て、無事に眠りに就く。

のそのそ起きだして、30年ぶりにハマダくんのご母堂にご挨拶して、朝御飯をごちそうになる。

「あら、ウチダくん、おひさしぶり。お元気?」とご母堂はまるで三日前にも泊まった息子の悪友に向かうようなご挨拶をなされる。

「やや、どうも、とんでもない時間にお邪魔しまして・・」とこちらも学生時代のような片づかない挨拶を返す。

ひとしきり歓談してから二俣川の駅まで北風に吹かれ、富士山を眺めつつハマダ君に送って貰う。話したいことはまだまだあるし、ハマダ君の切れ味のよい批評を聞きたい個人的な問いもたくさんある。別れが惜しい。

友だちというのはほんとうによいものである。

有朋自遠方来、不亦楽乎。

 

新幹線車中爆睡の人となり、芦屋に帰る。

顔を洗って、ただちに教授会とセクハラ研修会。

セクハラというのはいったい何なのであろうという根源的問いにとらわれる。

前にも書いたが、harasser の原義は猟犬が獲物を追い詰めて、もう逃げ切れないまで消耗させることである。

今日の講師である雪田弁護士の話でも、セクハラ被害者に共通するのは、「自分がどういう状況に追い詰められているのか、それを判断する力そのものが失われてしまうこと」だそうである。

なるほど。原義通りである。

「攻撃されている」とか「侮蔑されている」とか「陥れられている」とか、自分の置かれている局面に「名前」がつけられればなんとか対処のしようもある。

しかし「何が起きているのか分からない」とき、人間は打つ手を思いつかない。

そしてハラスメントというのはまさに「自分の身に何が起こっているのか、分からなくなってしまうような状況に至らしめること」なのである。

セクハラ被害者というのは「自分がセクハラ被害者であるかどうかよく分からない」という混乱の中に投げ込まれるというかたちで損なわれるわけである。

つまり、セクハラはふつうの犯罪よりも次数が一つ高い犯罪なのである。

それを「ふつうの犯罪」に同定しようとすると無理がくる。

セクハラ被害というのは、「あれはセクハラだったんだ」というかたちで事後的に第三者に「承認」されてはじめて「被害」として認知されるという構造をもっている。

だから「リアルタイムであなたは被害を受けていると感じていましたか?」という司法の実定的な問いの前に被害者が絶句するということが起こる。

それが「事件」であるのかないのかが事後的にしか判定できないこと、ある「文脈」の中におさまらない限り事件化しないこと、それがセクハラをむずかしいものにしている。

セクハラは「文脈依存型の犯罪」である。

文の最後に来る単語が何であるかによって、「そこで起きた出来事」の意味全体がまるごと読み替えられてしまうからである。

例えば、権力関係の中で、同意があったかどうか判然としない性的関係が持たれた場合でも、当事者たちがそのあと結婚したりしたすると、これをセクハラであると立証することはむずかしい。(「文」を途中で切れば、立派なセクハラ事件だ)

ふつう、「事件」というのは「もう起こってしまっている」。だから、殺人事件はつねに「死体の発見」から始まる。ところが、セクハラ事件の多くは、「それが『セクハラ事件』であったかどうかは、文の終わりが来るまで分からない」のである。

文脈依存的な出来事の意味を実定的に語るのはむずかしい。

『アリー・マクビール』というTVシリーズは「30代の女性の生き方」についてのドラマであるというふうに一般には解釈されているが、私はむしろ毎回の裁判のテーマがいつも気になる。

『アリー』のフィッシュ&ケイジ法律事務所が扱っている事件は「文脈依存的」事件ばかりだからである。

弁護士たちは毎回、その事件をそれぞれの「物語」の中に繰り込むために必死の弁論を展開する。そして、「より大きな物語」、よりカバリッジの広い物語の中に事件を繰り込むことに成功した方が勝ちを収める。

このTVシリーズではアリーの勝率がよい。

それは彼女が最終的に依拠するのが「真実の愛の物語」だからである。(陪審たちはこの物語が好きだ)

もう一人、法解釈はデタラメのリチャード・フィッシュ君も勝率はダントツである。彼が依拠するのは「金の物語」である(陪審たちはこの物語も好きだ)

「愛と金」

なるほど。

私が知る限りのセクハラ事件のすべてに共通するのは、男の側に「愛がない」ことと「金にシワイ」ことである。


2月19日

引越にまつわるさまざまな用事がまだ終わらない。

転入届け、印鑑登録、免許の住所変更、銀行口座の住所変更、ウォシュレットの取り付け工事、エアコンの取り付け工事、隣近所へのご挨拶(アンリ・シャルパンティエのプチガトーをお配りする)、収納グッズの購入、住所入りはんこ作成、名刺の作成、転居通知の印刷と発送(これがいちばんの大仕事であるが、まだやってない)

なかなか面倒なものではあるが、さすがに「引越19回」ともなると、こういうルーティンも慣れてきて、それほど苦にならない。

「引越が面倒になったら、人間終わりだ」というのは25歳くらいのときに天啓のごとく私の脳裏にひらめいた箴言である。

天啓のごとくひらめいたといっても、所詮は私が考えたことなのであるからして、いかなる一般性もなく、「引越がキライ」という方に死亡宣告を申し上げているわけではないので、どうか気にしないで下さい。(気にするか)

それでもなお天啓のよってきたるところを追尋するためには、「引越が面倒になる」状態というものを私がどう観念していたのかを列挙する必要があるだろう。

考えつくのは次のようなものである

(1)ものが増えて荷造りが面倒である(コレクションをしているひとはおおくこの傾向にある。それゆえ私はコレクションというものをいっさいしない)

(2)引っ越す金がない(これは前件と矛盾する。コレクションをやめれば引越資金くらいすぐにたまるであろう)

(3)地域のしがらみがあって抜けられない(こどもの学校のPTA会長をしている、地元選出の代議士をしている、町内に愛人を囲っている、いきつけの焼鳥屋から離れられない・・・などの理由が考えられる)

(4)いま住んでいるところがたいへん気に入っている(私はこれまで二カ所の例外を除いて、住んでいるところがたいへん気に入っていた。平間は隣の部屋との壁が3ミリくらいしかなく、お互いの話が丸聞こえであった。九品仏は枕元が共同便所で、毎朝、他人の排便音で目が覚めた)

どうもこうやって考えてみると、私は(平間と九品仏を除いては)「何か目的があって」引越をしているのではなく、引越それ自体が目的化していたようである。

やはりこれは「趣味の引越」あるいは「イデオロギーとしての引越」ないし「オブセッションとしての引越」というカテゴリーをあらたに設定しなければ説明できない。

私とおなじく趣味の引越マニアである村上春樹によると、引越は「全部チャラ」になるところがよいそうである。

私もまたおそらくはさまざまなものを「チャラ」にしようとしているのであろう。

 

18日は『長崎通信』のハヤナギ先生とご友人の中橋誠さん友子さんのご夫妻と会食する。中橋ご夫妻とは初対面。

北野のフレンチレストランでシャブリなどを呑み、鴨など食す。たいそうたいそう美味である。

私はフランスではやむなくフランス料理を食すこともあるが、ほとんどはエイジアン・フードかファースト・フード、せいぜいイタリアンである。

フランスでフレンチのフルコースを食べるというのは、タイで「タイ風カレー」を食べたり、上海で「上海風焼きそば」を食べたりする場合と同じく、なんとなく「美味探求」というか「異文化理解」というか、若干肩にリキが入ってしまうのである。

しかるにウチダは飯を食うときはできるかぎりリラックスしていたい、その方がなんでも美味しく感じるという偏頗な人間である。

だから、進んでそういうところにはゆかない。できれば、毎日同じもの(納豆やラーメン)を食べて、心静かに過ごしていたい。

誤解して頂きたくないが、私が「美味探求」をしないのは、「肩に力が入るのがイヤ」だからではない。

そうではなくて、美味しいものを食べていると、その美味を味わい尽くすべく、どんどん「リラックスしてしまう」からである。

それは私本人にとってはたいそう快適なことなのであるが、私がリラックスしてしまうと、それによって損なわれる方々というのがおられるのである。

ドレスアップした人々が低い声で会話をかわし、銀器の音と、グラスの触れ合う音しかしないような高級レストランで、「ぐふふ、ぐふふ、これ、めちゃうめー」というような率直な感想を大声で告げ、さらにワインなどで酩酊するに及ぶや談論風発放歌高吟、レストランの静寂を台無しにしてしまうのは私です。

おのれのそのような性癖を熟知していればこそ、私は美味探求を久しく抑制してきたのである。

さいわい、同行のハヤナギ、中橋夫妻もまた私と同傾向の「美味しいものを食べると自制心を失う」タイプの方であり、あまりの美味しさに、全員どんどんリラックスしてしまうことになった。

不幸にも私たちの隣のテーブルについた若いカップルは、相手の声が聞き取ることもできず、高額を投じたデーであろうに、むなしいひとときを過ごされていたかのようである。まことにすまないことをした。

マダム中橋はカウボーイ映画を主題にした修士論文を書いているというお話をうかがったので、さっそくウチダは得意の「西部劇=ミソジニー論」を展開する。

マダムははじめのうちこそ、にこやかに社交的笑みをたたえて、うなずいていたが、私の思弁が良識の限界を越えて暴走しはじめるや、表情をこわばらせ、やにわにバッグからメモ用紙を取り出して、「ノートをとりながら」の会食となった。

私もながく教師をしているが、酔言をノートをとって頂いたのははじめてのことである。

いろいろと核心にふれたご質問を頂いたので、晶文社から近刊の『映画の構造分析』の原稿をデジタル情報でお送りすることを約束する。

私のおとぼけ映画解釈を学術論文に引用してくださる方がおられるとは、まことにうれしい限りである、

ジャックで二次会。中橋さんはまだ本務校がない若き哲学徒なのであるが、彼を囲んで「教員公募に落ち続けること」が私たちにどのようなトラウマをもたらすかについてのシビアな話題で盛り上がる。

自慢じゃないけど、私は助手時代に、あらゆる教員公募に8年間フルエントリーして、その全部に落ちた。

30戦30敗。

荒野の大学も、深山幽谷の大学も、一流大学も偏差値測定不能の四流大学も、畜産大学も工科大学も女子短大も、国立も府立も県立も私立も、すべての大学は私の採用を拒んだ。

こんにち私が学者でいられるのは、ほとんど「奇跡」なのである。

みなさんが帰られたあとジャックにて国分さんはじめ街レヴィ派のみなさんと、「グリルみやこ」の若旦那マーボーさんの「フランス・レストラン無頼渡世」物語を拝聴。

宮本常一の『忘れられた日本人』の「土佐源氏」のような、そのまま「聞き書き」を本にしたいような抱腹絶倒のお話であった。

ジャックの人々というのはまことに一筋縄ではゆかない。


2月17日

引越。

昨日のうちにあらかた荷物は積み出してあるので、搬出は簡単である。

ウッキー、森川直さん、佐藤友亮さんの三人が朝から来てくれる。

ぱたぱたと片づいて、10時前に出発。

快晴の引越日より。

芦屋に着くと、街レヴィ派の橘さん、国分さん、小林さんが、京都からは京大合気道部の赤星くん、うちの合気道会の溝口さんと田岡さんが来てくれる。一仕事してお昼ご飯をすませたころにゼミ生の近藤真季さんと京都の“自称弟子”宮武さんも参加。これだけの大人数だと仕事が早い。

シェフとソムリエは厨房にこもって、すべての台所用品をここを先途とぴかぴかに磨き上げる。(街レヴィ派のみなさんからは引越祝いに「チューリップ」までいただく)

聞くところでは、橘さんと国分さんは共同経営で「リストランテ・ジャック・メイヨール」(仮称)をこの春にはじめられるそうである。ヨーロッパの「カフェ」みたいなスタンドとボックス席のあるお店にしたい由。

新装ジャックの最初のイベントは「『疲れすぎて眠れぬ夜のために』の出版記念パーティである。

これまでウチダは「出版記念パーティ」というものをやったことがなかった。(だって、どうせいつもうちで宴会やってるメンバーなんだから)

しかるに、この一年ほど、いろいろな新しい読者とお知り合いになったが、この方たちをいきなり自宅の合気道宴会にやゼミ宴会にお呼びするというわけにもゆかない。

その結果「どーしてもウチダと宴会をしたい人たち」は合気道に入門するか、私のゼミ生になるか二者択一というきびしい選択を強いられたのである。(その無謀な選択の先陣を切ったのが、街レヴィ派の”哲学するソムリエ”橘さん、”哲学するシェフ”国分両氏、”哲学する内科医”佐藤さんらである)

しかし、合気道にはぜんぜん興味がないし、ゼミ生になるのもちょっと恥ずかしいという方もおられるであろう。

そういう方々のために「出版記念パーティ」というものをやってみようと思い立ったのである。

うちの宴会であれば一品持ち込み会費ただであるが、ジャックでやるとなるとそうもゆかない。

いずれ橘さん国分さんとご相談のうえ、本ホームページ上にて日時場所ドレスコードなどを告知するので、参加希望の方は見落とさないようにね。

閑話休題

みなさんのおかげで、あっというまに片づいて、なんだかやたらにきれいな家になってしまった。

午後五時に仕事が終わって、みんなでぞろぞろイカリに買い物に行く。今日は鉄板焼き。

ご飯の時間にかなぴょん、フジツカさん、マチコさん、吉永さんが合流。引越祝いに巨大な「さぼてん」の鉢をいただく。

さっそく宴会になるが、ここではじめて参加者の自己紹介が行われる。

宮武さんは「かなぴょん」とか「ウッキー」とかホームページ上有名人の実物を見て感動している。

「わあ、なまぴょんだ」

ウッキーは小林さんを実見して、「なんで、『私が株屋の美女です』って最初に自己紹介してくれなかったんですか」とむりなことを訊いている。

そんなこと自分では言えないだろが。

11時すぎまでわいわい騒いで、無事みなさんお帰りになる。こんどは駅が近くて便利である。

みなさんどうもありがとう。


2月16日

いよいよ明日引越。

クロネコヤマトの「らくらくパック」なので、前日のうちに搬出の方はほぼ終わってしまった。

明日の午前中に残った大物(冷蔵庫、テレビ、パソコン、ベッド)を運び出しておしまいである。

つまり、現在、私の家には冷蔵庫(すでにカラ)とテレビとホットカーペットとパソコンとベッドしかないのである。

がらんとした3LDKにこれだけ。

しかし、これが実にせいせいしていて気分がよろしい。

といっても、服と本以外のものはほとんど今日「廃棄処分」にしてもらってしまったので、明日からの生活も、これと大差ない。

今回は机二つ、椅子二つ、洋服ダンス二つをはじめとして家財の約3分の1を棄てた。

服と本も、過去二年着ていないすべての服とともに、二度と読まぬであろうすべての本(吉本隆明、大江健三郎、埴谷雄高、澁澤龍彦などわが60年代的蔵書)もまたこの二度の引越を通じて消え失せた。

「えー、そんなもったいない・・・」と思う方もおられるだろうが、読みたければ身銭を切って新刊を買いなさい。(いまはどの本だって新刊で読めるんだから。『永久革命者の悲哀』とか『工作者宣言』なんかはもう手には入らないだろうけど、若い方がいま読んでも「時期はずれ」の本である)

残ったのは繰り返し読む愛読書と古典と仕事関係だけ。

学生時代からの研究ノートもファイルもぜーんぶ棄てた。

パソコンもハードディスクごと二台棄てた。

実にさばさばしたものである。


2月11日

終日学生院生の書いた論文を読む。

学部の卒論は優秀論文審査用、修論は修論の口頭試問用。修論は四本もある。(面接は半日がかりである)

いずれもそれなりのクオリティのものなのではあるが、総じて「話がくどい」(人のことはあまり言えないが)。

「話がくどい」のは、ある意味ではしかたがないことだ。

論理の階梯を上がるときというのは、山に登る場合と同じく、螺旋状にくるくる回ってゆき、だんだん高度を稼ぐものなのであるから。

だから、「さっき見たような景色」「さっき読んだような論点」が繰り返し出てくる。螺旋状にくるくる上がるのだから、繰り返しは避けがたい。

しかし、それは論文を「書いているとき」のはなしであって、それを次に「推敲」するときには、そのあたりの反復描写はばっさり削除しなければならない。

論文は一度で書くものではない。

一度書いたものを、(じっさいに自分がたどったコースとは違う)直線コースに書き換えて、それでようやく「初稿」なのである。

論文の目的は、もとから頂上まで上がり、「そこからはこんなものが見えました」というレポートを行うことなのであるから、最短距離で登ってみせるのが「読者へのサービス」である。

律儀に自分の足跡通りに進む必要はない。

この「書き換え」作業の必要性が学生院生諸君にはまだなかなかご理解頂けていないようである。

「えー、だって、私これだけ苦労したんですよ。こんなに苦労しました、って書いちゃいけないんですか?」

書いちゃダメなの。

まるで何の苦労もなく、すらすらと「頂上まで来ました」というふうに、書き換えて上げないといけないの。

苦労したのは君ひとりの事情であって、その苦労を追体験する義理は誰にもないんだから。

君がそういうことを言うのは、「学術論文とは何のためのものか」という根本のところのみきわめがついていないからである。

学術論文は何のために書くのか?

この問いにきちんと答えられる研究者は多くない。

というのは、ほとんどの研究者は、「自分の研究業績を上げるため」に書いているからである。

修論を書く人は「修士号をとるために」書いているし、博論を書く人は「博士号をとるために」書いている。

つまり、レフェリーに「査定」されて、合格点を取り、何らかの「リターン」を求めて書いている。

だが、それは考え方がまるで間違っている。

論文というのは「贈り物」である。

私たちが先人から受け取った「贈り物」を次の世代にパスするものである。

私たちはゼロからの創造として学術論文を書き、その造物主的な偉業に対して学位や業績評価を対価として受け取るのではない。

私たちはすでに「贈り物」を受け取っているのである。

それを私たちは自分の身体と自分の知性を通して、次の世代に「パス」しようとする。

「パス」するとき、私たちはそこに「何か」を付け加えないといけない。

先人から贈られたものを、「そのまま」差し出すことはできないのだ。

それは rude なふるまいだからだ。

それは野原で摘んできたきれいな花を、そのまま人にあげるよりは、自分の持っている小さなリボンで花束にする方が「気持ちがこもっている」というのに似ている。

印刷した年賀状でも、すみっこに小さく「元気?」とペンで書き添えてあると、受け取った方がちょっとうれしくなるのと似ている。

学術論文というのは、この「リボン」や「元気?」と同じ人類学的機能を果たしている。

私が学術論文において書いていることは99%までが私が先人から教えてもらったことである。

残り1%が私の「リボン」である。

でも、わずか1%とはいえ、それはなくてはならぬものなのである。

それは学術論文が「贈り物」たらしめるために不可欠なのである。

野の花を摘んで「花束」にするときに、私はいろいろな気づかいをする。

ばらけないように、持ち運びしやすいように、花瓶に入れやすいように、挿したときに後ろの方に茎の長い花、手前に茎の短い花が来るように・・・

それが「リボン」の仕事であり、それが「学術性」ということである。

それは、「先人の知見」と「自分のオリジナルな意見」をきちんと分ける、ということでもある。

どこからどこまでが引用で、どこからどこまでが創見であるのかが分からないような不分明な書き方が学術論文で許されないのは、それでは「贈り物」にならないからである。

リボンがないと花は束ねられない。

どこまでが花でどこからリボンが分からないようなカオスは花束にはならない。

でも、いちばんたいせつなのは、その花束は自分の部屋に飾る物ではなく、「ひとにあげるもの」だということだ。

引用出典を明記せよ、ということを学生に繰り返し教えるのだが、なかなかその意味が分からないらしい。

巻末に「参考文献」というふうにまとめて列挙してあって、「あちこちからちょっとずつつまみ食い的に引用してます」と言って、しらっとしている。

あのね・・・君は「君の論文を読む人の身」になったことがある?

君の論文の中に、非常に興味深いデータがあったとしよう。なんでもいいや、例えば、「心理学者である山田金太郎博士の最近の研究によれば・・・」というような文があるとする。

それをみて、「あれ。『山田金太郎』って、あの金チャンのことかな。あたしの初恋の・・・、金チャン、いまどうしてるんだろ?」と思った読者がいたとする。(花ちゃん、ね)

でも、君の論文では「参考文献」として30冊の本の題名がどたっと並べてあるだけだ。どの本のどの頁を読めば金チャンの知見や近著を知れるか、花ちゃんにはまるで分からない。

だから、参考文献リストにあった本を全部買うか借りるかして、一冊ずつはじめから終わりまで読むほかに調べる手だてがない。たぶん、その作業には数週間か数ヶ月かかるだろう。(おまけに、君が山田博士のコメントを読んだのは新聞記事かなんかで、それは参考文献にさえ挙がっていなかったりする)

こういうのって不親切だと思わないか?

君が脚注をつけて、引用出典の頁数を示しておけば、ほとんどその日のうちに金チャンの近況は花ちゃんの知るところとなる。

これだって花ちゃんへのささやかだけれど「贈り物」になるだろう?

そういうことだよ、学術性というのは。

それを科学の用語で言えば「追試可能性」というのだ。

君が使ったデータとそのまま同じものが「誰にでもすぐアクセスできるように」しておいてあげること。

それが苦労してデータを取ったひとが「あとから追試する研究者」のために贈ってあげることのできる最良のプレゼントの一つだ。

きちんと出典を明記するのも、説得力のある論証を行うのも、明晰判明な文体を心がけるのも、利用した学術ソースへのアクセシビリティを確保しておくのも、すべては「(贈り物をしてくれた)先人への感謝」と「(贈り物をしてあげる)読者への奉仕」のためなのだ。

論文は自分のために書くものじゃない。

だから、「私はこんなに勉強しました」とか「私はこんなに苦労しました」というようなことは学術論文に書くべきことではない。(そういうことは、ウェブ日記に書けばよろしい)

それは贈り物の手作りケーキに添えて、材料費のレシートとちらかった台所のポラロイド写真を差し出すようなものだ。

それがどれくらい「はしたない」ことかは君にでも分かるだろ。

それと同じだ。

学術論文で「話がくどい」というのは、そういう意味で「はしたない」ことなのだよ。

論文はどれほど苦労して書いたものであっても、あくまでスマートに、エレガントに、シンプルに、さりげなく読者へ向けて差し出さなければならない。

きれいなリボンをつけて、「元気?」というメモも添えてね。


2月10日

ティーダブを売り払う。

次の引越先にはバイクを置くだけのスペースがないというのがおもな理由であるが、それ以前に「ぼちぼちバイク人生の終わり」が来たということである。

TWは4年前に買って、走行距離は昨日見たら2626キロであった。

これは時速100キロで26時間走っただけの距離である。つまり、ふつうのツーリングなら四日で走破できる距離に達するのに四年かけたということだ。

二十五のときに免許を取ってから、ずっとバイクに乗っていた。

雨の日も風の日も台風の日も、近場でも遠くでも、ジーンズでもスーツでも、基本的に「移動」といえばバイクだった。

三十二のときに子どもがうまれたので、ホンダ・シティを買った。基本的には「家族用ヴィークル」であったから、自分ひとりで移動するときは(るんちゃんを保育園へ送り迎えするのも)依然としてバイクだった。

たぶん89年のクリスマスに(自分へのクリスマスプレゼントに)ローヴァー・ミニを買ったのがいけなかったのだ。

あれは完全に「私好み」の車であって、ぜんぜん「家族用ヴィークル」ではなかった。

まるでバイクに乗っているような気分にさせてくれる四輪車だった。

おまけに雨が降っても濡れないし、夏はクーラーも入るし、音楽だって聴ける。

これでは勝負にならない。

私はしだいに「四輪の人」となった。

でも、震災のときはGBが大活躍した。あのときはバイクの走行能力の高さに感動した。ほとんど半年間、カウボーイが馬に乗るように毎日GBに乗っていた。

震災のほとぼりのさめた97年にスバル・インプレッサWRXを買って、これが私のバイク人生にとって致命的となった。

WRXは四駆にターボでピレリのタイヤを履いていて、がるるがるる、ばごーんという音を立てて走るのである。

この車と比べると、GBクラブマンもTWももうあまり「ワイルド」な感じはしなかった。

かといって、レーサーレプリカやチョッパーはぜんぜん私の趣味ではない。

こうしてウチダは一日平均1・7キロしかバイクに乗らない男になっていったのである。

もうバイクを降りるべき時である。

ナカジマモータースのおっちゃんに、「とうとう原チャリですわ・・・」と自嘲的な笑いをうかべつつ、TWを下取りに出して、ブラックのヤマハvinoを発注した。(それでもなおも未練がましく、「2スト車の方が出足いいの?」などと聞きながら・・・原チャリに「出足」を求めて私は何をしようというのか?)

ヤマハDT125、ヤマハGX250、ホンダGL400、ヤマハXT250、ホンダGB250、ヤマハTW200・・・私のバイク人生は5対2で、ヤマハの勝ちで終わった。

RD50はバイク扱いなのに、vinoを数に入れないのは不公平だって?

私は両足を揃えて乗るような乗り物を「バイク」とは呼ばない。

あれは「原チャリ」という別ジャンルの乗り物なのである。(coopに大根買いに行くときなどにはたいそう便利だが)

しかし、「ワイルド」から「大根」へ、この執着するもののシフトは、私の中で何かが消えたことを暗示している。

こうしてウチダは新たな墓標を立てて、また一つ「青春」を葬ったのである。

さよならぼくのバイクたち。(涙)


2月10日

オフなので一日原稿書き。

身体運動文化学会会報に「研究の近況」1500字。

『映画の構造分析』の「まえがき」と「あとがき」を書く。

これで完了。メールで晶文社の安藤さんに送る。

2003年二冊目の本。

これで「二丁上がり」である。

勢いに乗じて、『非中枢的身体論』のまとめにかかる。一気にまとめて、「あとがき」を書いて、これもメールで新曜社の渦岡さんに送る。

これで「三丁上がり」。

年が明けてから1月半で3冊本を仕上げた勘定になる。

もちろん『身体論』のアンソロジーは古いのは8年前の論文を収録しているし、『映画論』も3年かかっているから、別に一月半で書き上げた訳ではない(そんなの不可能である)。

しかし、目の前が暗くなるほどの公私多端のさなかに一気に単行本を三冊「書き上げた」のはゆるぎなき事実である。

この点についてはわれながら「よくやった」と思う。

『疲れすぎて眠れぬ夜のために』はお気楽エッセイ集であるが、『映画の構造分析』は(趣味的記述も散見されるものの)いちおう学術的映画研究書であるし、『非中枢的身体論』は(一部にトンデモ知見も指摘されるものの)いちおう科学的な身体論集である。

このところ、「おじさんエッセイ」とか、「説教本」とか、そういうものばかり書いていたので、私が実は映画論と武道論の領域においても、地道な研究を孜孜として積み上げてきたことをご存知ない方も多いようであるが、ほんとうの私はそういう人なのである(「地道な」についてはご異議のある同僚もおられるであろうが)。

このあとは春休み中に海鳥社の『レヴィナスとラカン』と洋泉社の『時評本』(タイトル未定)を書き上げてしまう予定であるから、今年前半発行の五冊中の三冊が「学術書」であり、それも「哲学」「映画」「武道」と私の専門領域三つをちゃんと按分してあるのである。

なかなかできないことである。

残り二冊にしても、今から3月末までの6週間のあいだに、引越をし、下川正謡会の新年会で舞囃子と独吟と素謡と地謡をやり、芦屋市民センターで講演をし、文部科学省の「特色ある大学教育支援プログラム」のプロジェクトを起動させ、かなぴょんの結婚式でスピーチをし、総文シンポジウムで「教養の崩壊」について報告し、卒業式と卒業記念パーティに出た足で合気道の合宿に走り込み、早稲田大学まで赴いて『女は何を欲望するか』の読書会で袋叩きにされ、母を迎えて有馬温泉で親孝行させて頂く・・・という目の回りそうな日程の中で書き上げてしまおうというのである。

なかなかできないことである。

「ねえ、ウチダ、ヒマなんだろ?春休みで。あそぼーぜ」というような気楽なことを言ってこられる向きがたまにあるが、それは短見というものである。

さらに、そういう短見なオッファーに「おう、ヒマヒマ、めっちゃヒマ」と即答してしまう自分がコワイ。


2月8日

朝一で下川先生のところで能のお稽古。

23日の新年会に地謡がたくさんついているので、そのお稽古。

『神歌』!

内輪の会とはいえ、『翁』の地謡がつくということが能楽を嗜むものにとって、どれほど名誉なことであるか、余人には想像もできまい。だって、それは「ちりやたらりたらりら。たらりあがりららりとう」という日本伝来の呪祝のことばの「発声法」を相伝されたということなんだから。

それに『求塚』、『景清』、『望月』、『山姥』、『羽衣』。

『船弁慶』の独吟と、素謡『正尊』のツレ、そして自分の『船弁慶』の舞囃子があるから、新年会はほとんど休みなしである。

『船弁慶』の舞はだんだんと「ノリ」が分かってきた。

平知盛の死霊が取り憑くわけだから、能楽師も大変だ。

下川先生の話では、ある能楽師は60代で「老衰」で死んだそうである。(能を2000曲もやったので)。

生涯にシテをするのは1000曲が限界である、というのが下川先生の説である。

それ以上は身体がもたないという。

だろうと思う。だって、シテには死霊が憑依するんだから。(能というのは90%「そういう話」である)

ウチダ程度の素人でさえ、舞の稽古のさなかに、下川先生のあしらいが激しくなると軽いトランスに入ることがある。まして装束をつけ、面をつけ、地謡と囃子にあおられて能舞台を歩んでいれば、そりゃ「あっち」へ行くのは当たり前である。

それに「あっち」へ行けないような能楽師では見所に感動は与えられない。

多田先生は武道家は「トランスできる体質」でないと大成しないとおっしゃったことがある。

私も長期的に論文にのめりこんでいると「アカデミック・ハイ」になることがある。

鼻の奥が「つん」と焦げ臭くなって、「ターボ」がかかるのである。脳内の化学物質の組成に変化が起こって、瞬間的に「あ、すべてが分かった」という直感が訪れるのである。(もちろん瞬間的なことなので、そこで「分かった」ことを言語化する過程で、70%くらいの直感は消えてしまうが)

いいなあ能は、と思いながら、次は合気道。

石川先生からご紹介頂いた弁護士の方が見学に見える。

「どうですか」と感想をお聞きしたら、ぜひ入門したいというお答え。

ソムリエにシェフに医師に弁護士。学者はもとよりメインの会員であるからして、神戸女学院合気道会はしだいに異種格闘技状態になりつつある。

呼吸法、練功法に時間をかける。

多田先生が合気道はつきるところ呼吸法だとおっしゃっていることの意味が若い頃はぜんぜん分からなかった。

どうして技の稽古をしないで呼吸法ばっかりやるんだろうと、二十代のウチダは不満であった。

50を過ぎてようやく分かってきた。27年稽古してやっとおぼろげに分かってきた。

相手の身体を極めたり、固めたり、投げたり、突いたり、斬ったりするのは、「そういうこともできる」ということなのである。

「そういうこと」を標準的にしておくと、どれくらい気が練れたか、どれくらい発勁ができるかということを自分でチェックできるから、その指標として視認できるから、相手を投げ、極め、崩すのである。

呼吸法、練功法、推手、シラットなど、いろいろやってみる。

ほんとうに面白い。

能の謡の発声のときもヴァイブレーションを響かせて、身体と声を細かく割ってゆくということを考える。響きを意識して声を聴いていると、声の「肌理が立つ」というのがどういうことか分かる。

正しい謡とは、大きい声でもないし、綺麗な声でもない。

響く声、身体が共振するような声、聴いている人間が震え出すような声である。

美とは畢竟「肌理」のことである。

武もまた同じ。

なぜ私がレヴィナスを読み、合気道を稽古し、能楽を習っているのか、その理由がだんだん分かってきた。

それはみな同じものを目指しているのである。

すべては「コミュニケーション」の水準の出来事なのである。

「他者」という概念が人間的水準で意味を持つためには、「他者を聴く」ということが身体的にどういう経験かを知らなければならない。

私たちが稽古していることはすべて「他者から送られる響きを聴きとる」というただひとつのみぶりに集約されるのである。

それがどれほど困難であり、かつどれほど重要なことであるのか、私はようやく分かりつつあるような気がする。

長生きはするものである。

六甲のACTUSにカーテンを買いに行く。

なかなかゴージャスなインテリア屋さんである。システムキッチン一式500万円などというものを売っている。

世の中にはこういうものをキャベツを買うような感覚で買うひともいるのであろう。

「なるほどね、ここはそーゆーお客さんのためのお店なわけね」と、ややイラツキ気味にカーテン売場に向かう。

カーテン見本を見るが、ゼロの数がよく理解できない。

今度の新居は全部で5箇所に違うサイズのカーテンを新調しなければならないのであるが、「おお、これなんか、なかなかいいじゃないか」と手に取ったイタリア製のカーテン地の値札を見て計算してみると、40万円ほどかかる勘定である。

はらり、と手から落とす。

ややあって我に返って、メートル単価の安い見本コーナーへじりじりと移動。

既製品で窓一枚1万円という「納得のお値段」のものを見出す。

しかし、こんどの家の窓のサイズはかなりイレギュラーであり、店員さんに窓の寸法を見せるが既製品では合わないということ。オーダーカーテンになると値段がジャスト二倍になる。

200センチx100センチのカーテンが6000円なのに、200センチx101センチのカーテンは12000円。ああーわからないわからない(@高田渡)

すべてオーダーとなり、総計8万円。とりあえずは予算内である。

ついでにダイニングに敷くラグを買う。インド製のウールでこれが33000円。

今回の引越に際しては、書斎を一新することにした。すでに机と椅子を新調。これが18万円。飛行機のコックピットみたいな一度座ったら出られない椅子である。14日に納品される予定。

こんどの家は一番広く、一番日当たりがよく、一番使い勝手のよい空間を書斎に当てた、完全な「ビジネス・オリエンテッド・ハウス」である。

この書斎で、芦屋の空を眺めながら、ばりばりと「不良在庫」を処分してゆく予定である。

仕事から逃亡するための「娯楽の殿堂」コーナーは隣室の和室。

ここにはテレビ、ステレオ、小説、マンガ、DVD、CD、こたつなどを集中させ、村上春樹を読んだり、『秋刀魚の味』を見たり、志ん生を聴いたり、昼寝をしたり、ワインを呑んだりする。

残る北向き二室のうちの一室が寝室。一室は納戸。

だから「家」というよりは、「オフィス」に隣接して「昼間用休憩室」と「夜間用休憩室」が付け足してあるようなコンセプトである。

これほど「自分勝手な」空間設計をした家に住むのは25歳以来のことである。(そのときは、「オフィス」と「娯楽の殿堂」と「寝室」あわせて6畳一間であったが、それなりに快適だった)

ふつう、好きな間取りで家を設計すると、ほとんどのひとは一家団欒の場、娯楽の殿堂を家の中心に据えようとする。

しかし、いまの私には「一家団欒の場」はそこに一人しかいないことの空虚さばかりが感じられる。御影の家は、るんちゃんと二人暮らしを想定して間取りしたので、「一人しかいない居間」は広すぎてかえって居心地が悪い。

だから、一人でいても充足できる空間、むしろ一人でいないと機能しない空間であるところの書斎(厳密にはパソコン)を家の中心にしようと思い立ったのである。

今度の家は私にとって一種の「コクーン」(繭)である。

そこにこもって母胎回帰する予定なのであるが、なぜかこの羊水漂流的アルタード・ステイツはインターネットで世界と繋がっている。


2月6日

あまりに忙しくて、いろいろなことを忘れている。

まず緊急業務連絡。

ウチダは2月17日に引越します。神戸市灘区土山町から芦屋市業平町へ。

引越作業は午前9時くらいから午後3時くらいまでの予定。隣町への引越ですし、クロネコヤマトの『らくらくパック』ですからあまり仕事はありませんが、新居の設営や買い出しなどに多少の人手が欲しいところなので、当日お手すきのゼミ生、合気道部員、知人友人のうちで『手伝ってもいいよん』という篤志の方がおられましたら、ご一報下さい。

お手伝い頂きました方には引越終了後、新居にて粗餐進呈。(粗餐のみ参加希望という方も可)。

前回の芦屋から神戸への引越の際は、引越前の掃除の段階で、ベランダで私とヤベくんとクーが笑いすぎていきなり隣家からクレームを頂戴しましたけど・・・。こんどは笑わずにやりましょうね

と、これでOK。

大学に行って、たまった事務関係仕事をばたばたこなしていたら、ドアをほとほととノックする音が聞こえて、はいどうぞ、とご返事をしたら、ドアを押し開けて登場したのは、なんと「東矢口のO井さん」。

先般そのご母堂から「元気にしてますか?」という励ましのお手紙を頂いた当のお方である。

『「おじさん」的思考』所収「転向について」に「毛皮のコートを着た綺麗な青学の女の子」として登場された、その30年前のガールフレンドがいきなりのご登場である。

ややや、どうも。

神戸に所用で来られたので、大学まで足をのばされたのだそうである。

さすがに年相応のご貫禄になっておられたが、女子学生の頃の面影はそのままである。

澤田くん、伊藤くん、久保山くん、かっちゃん、植木くん、など旧知の人々の思い出話でしばし歓談。

O井さんは、別れた後も私のレヴィナス翻訳本をはじめ、拙著をお買い上げ頂き、「モトカレ」の行状を遠く微笑みつつ眺めておられたそうである。

私の自己史では、1973年頃というのは、学生運動から召還した時期で、未来のない自堕落な生活を送っていたような記憶しかないのだが、O井さんのご記憶では、私はけっこうまじめに読書などをしており、「おいら、いつかきっと学者になるぜ。そして娘を肩車してキャンパスに通うんだ」と将来の抱負などを遠い目をして語っていたそうである。

そうだったかなー。

るんちゃんの誕生までをも予見していたとすれば、私もなかなかの霊感少年である。

「私、毛皮のコートなんか持ってなかったのに、ウチダくんは私のことをそういうふうなイメージで見てたのね・・・」と記事の訂正を求められる。

そ、そうだったっけ。

まだお買いになっていないという『レヴィナスと愛の現象学』にネコマンガをさらさらとサインして献本、にこやかにお別れする。

 

「モトカノ」を見送ってから、ひさしぶりの合気道のお稽古。ほんとに久しぶりだ。

3週間ぶりくらいかなあ。

3月に結婚を控えたかなぴょんが来ている。かなぴょんとこんなふうに「当たり前のように」稽古ができるのもあと一月足らずだ。

学生たちは、いつもそこにいるような気がしているけれど、みんないずれキャンパスを去る日が来る。

蟹ツァーでわいわい騒いだ陽気なゼミ生たちも、四月からはみんな日本各地に散らばってしまう。

あのメンバーでもう一度大宴会ということはもう二度とできないかもしれない。

卒業式の季節なんだ。

しくしく。


2月5日

終日原稿書き。

まず岩波書店の『図書』の原稿9・5枚。「現代思想のセントバーナード犬」。

続いて『体育科教育』の原稿3・5枚。「武運の人」。

3時間で原稿料65,000円を稼いだ勘定であるが、滞納していたるんちゃんの平成14年度分の国民年金を東灘の社会保険事務所にまで払いに行ったので(66,500円)、本日の収支は1500円の赤字。

7日の教員研修会のための原案の直し。

さらに『レヴィナスとラカン』を書き続ける。

芦屋のマンションの鍵を受け取ったので、部屋にカーテンの寸法を取りに行く。

なかなか静かでよい部屋である。このまま家具を何も入れずに、机と本棚とベッドだけで暮らしたら、どれほどすっきりすることであろうか。

しかし、冷蔵庫や洗濯機はどうしても要るし、鍋釜もなくてはすまされぬ。テレビがないとDVDも見られないし、ステレオがないと音楽も聴けない。テーブルがないとご飯も食べられないし、こたつがないと冬は寒いし、ふとんがないと客も泊められない・・・なかなか「家具なし生活」というものは実現できないのである。

しかし、私も25歳のときに結婚するまでは、ベッド、机(宇田川てっちゃんに借りた)と椅子、ステレオ(丸井の月賦)、スチールの本棚二つ、洋服だんす(小津安二郎の『お早よう』にも出てくる、昭和30年代のすべての家にあった、5色引き出し付き)、こたつ、洗濯機(いずれも実家のお古)だけで暮らしていたはずである。

自動車もテレビもクーラーも冷蔵庫も電話も・・・みごとに何も持っていなかったが、少しも不自由した覚えがない。

それにくらべると、ずいぶん物持ちになったものである。(それでもクロネコヤマトの引越見積もりのお兄ちゃんは「いやー、家具少ないですねえ・・・これだけですか・・」と感嘆していたが)

「ものを殖やさない」

これを改めて今後の自戒のことばとしたい。


2月4日

自己評価委員会。13時より17時までの長丁場。

自己評価・自己点検。これは90年の大学設置基準の大綱化にともなって文部省から大学に「努力義務」として課せられたものである。

「努力義務」?

なんだろ、これは。

「ヴォランティア活動の義務化」「創造性の数値化」「革命性についての社会的合意」・・のようなものであろうか。

努力する義務ね。

「やりとげなくてもいいけど、やる姿勢だけはするように」というふうに理解させて頂いてよろしいのであろうか。

私はそれでもちろん構わない。

というわけで本日の自己評価委員会の議案は「教員評価システム」の原案策定である。

教員たちの「創造性」を「数値化」し、その「革命性」について「社会的承認」を与えようというスターリンも毛沢東も(たとえが古いなあ)泣いて喜ぶ知のデジタル化だ。

そういうことなら任しといて下さいと、文部官僚が読んだら喜んでいただけるに違いない原案を策定してご審議頂く。

私のそのシニスムを理解してくれる人もいるし、理解していただけない人もいる。

困るのは、私が意図的に「官僚的作文」として起案したこのシニックな教員評価システムで「高得点を取りたい」というふうに本気で考えている教員たちがいることである。

彼らは自分がその評価方式で高い点を取ることができるように算定方式を「改善」しようとする。

あのね、こういうシステムは「そんなものにはたいして意味がない」という前提に立たないと運用できないものなの。(「そんなもの」というのは、俸給とか身分とか予算配分のことである。研究業績や教育活動のことではないよ)

それはビジネスが「金にはたいして意味がない」という前提に立たないと成功しないのと同じである。

「たいして意味がない」ものだからこそシステムは操作可能であり、そこからベネフィットを引き出せる。それ自体に「意味がある」と思ったら、もう私たちはシステムの虜囚であり、システムが私たちからベネフィットを引き出すようになってしまう。

ともかくも、議事は進行、めでたく修正案を策定する。

これを7日の教員研修会でご提案させて頂くことになる。

おそらく教員の中には私をそのようなプラグマティックな査定方式の有効性の信奉者であると思う方々もおられることだろう。

「大学というのは知性の自由の最後の砦じゃないか。それを査定だの考課だのと・・・君は学者なのか、それとも文部科学省の走狗なのか!」

だから、ちゃいまんね。


2月3日

ゼミの卒業旅行とて、城崎温泉に「蟹ツァー」にでかける。

行き先はいつもの西村屋招月庭。参加者10名。JR宝塚駅に集合して、「遠足」気分でわいわ騒ぎながら2時間で雪の城崎へ。

こちらはうんざりするほど仕事を抱えているので、当然シグマリオン帯同。

学生たちを「放し飼い」にして、ひとり自室に籠もって、温泉に入る間もなく、まず『ミーツ』の原稿直し。引き続き、『レヴィナスとラカン』の原稿書き。

これほど興奮して原稿を書くのは久しぶりのことである。

なんと、レヴィナス先生はかつていかなる哲学者もなしとげたことがなく、なしとげようと企てたこともない人類史的力業−「すべての死者」の鎮魂−を、ひとことも宗教の用語法を用いずに、ひたすら哲学の術語を前言撤回し、宙吊りにし、抹消記号を付すという語法を駆使するだけで語り切ろうとしたのである。

さすが私が「お師匠さま」と仰ぎ見る方だけのことはある。

やることのスケールが大きい。

フッサール批判、ハイデガー批判、ブーバー批判、などというのは、先生のお仕事のほんの一面にすぎなかったのである。

頭の堅い講壇哲学者はレヴィナス先生の企ての法外さに想像が及ばず、むしろ街レヴィ派のような「ふつうの読者」にレヴィナス先生のスケールの大きさが直感されるという事情もこれで腑に落ちる。

腑に落ちたので、温泉に入り、ただちに「蟹を食す」というより「蟹と戦う」あるいは「蟹を殲滅する」という趣の蟹コースに突入する。

蟹酒、蟹のお造り、蟹の茶碗蒸し、茹で蟹、焼き蟹、揚げ蟹、蟹しゃぶ、蟹の炊き込みご飯。

われわれ10名だけでおよそ30尾ほどの蟹を殲滅した。

ホテル全体ではおそらく千余の、城崎温泉全体では数万からの蟹が一夜にしてひとびとの胃袋に収まったものと推察される。

このような「大量虐殺」を日々続けていては日本海の蟹の絶滅も時間の問題である。「ズワイガニ」「マツバガニ」などをワシントン条約の保護動物に指定しなくてよいのであろうか。

「蟹腹」となって沈没した一行はしばらくおとなしくキムタク・ドラマなどを観じていたが、やがて私の部屋に乱入してきて、横井さんと薬師神さんのバースデイパーティというものが執行される。

深更に及ぶと恒例の「告白タイム」となるので、こちらは「えええ、そ、そんなことって・・・」と驚きつつ、若者たちのラブライフについての社会学的リサーチを粛々と行う。

今回の発見は「元彼」(「もとかれ」と読んでね)というものが現在若い女性において、ラブライフのキーマン的存在になりつつあるという事実である。

これまで『ガチンコ晩餐会』や『ロンブーのガサ入れ』などの教化的な報道番組において、若いカップルの会話に「元彼女」「元彼」という語がひんぱんに出没することにウチダはささやかな疑問を感じていたのであるが、どうもこの「元彼」というのが最近の若い男性諸君にとってはたいへんにカンファタブルなポジションであるらしい。

責任はないが、まるっきりの他人ではない。距離があるだけに、彼女の考えていることがよく分かり、その嗜癖性癖はもとより熟知している。この「友だち以上、恋人未満」という中途半端なポジションを利用して、そこから最大限のベネフィットを引き出すということが最近の若い男性諸君のひとつの恋愛戦略らしい。

いきおいその結果、「元彼」は「今彼女」と「元彼女」と同時並行的にお付き合いすることになるので、「今彼女」としてはけっこうやきもきするのであるが、その「今彼女」も実は「今彼」の目を盗んで「元彼」にその「やきもき」の相談をもちかけたりしているのである。ああ、ややこし。

ウチダの見るところ、同じ現象は『アリー・マクビール』にも見ることができる。

ご存知のひとはご存知、ご存知ない方は当然まるでご存じないであろうが、アリーとビリーとジョージアって、「モノカノ」「モトカレ」「イマカノ」のトライアングルなのである。アリーには次々と求愛者が訪れるのであるが、それらはことごとく周囲の干渉によって破綻し、結局「モトカレ」ビリーがわりと「美味しいとこどり」しており、それを咎めるものとていないのである。

私の少年時代に「モトカレ」などという社会的立場は公認されておらなかった。

もしそのようなものがあれば、私は当然「練達のモトカレ男」というようなものになっていたであろう。惜しいことをした。


2月1日

京大会館にて作田啓一先生や龍谷大学の亀山佳明先生らが主宰される研究会「分身の会」主宰で講演をする。お題は「レヴィナスとラカン−彼らはどうしてあのように分かりにくく書くのか?」

二日前に突如天啓を受けて、『存在するとは別の仕方で』の新しい読解アイディアを得たので、忘れないうちに、それを講じる。

たいへんオープンハーテッドなオーディエンスであったので、勢いにまかせてがんがんしゃべる。

しかし用意した原稿は150枚。そのまま読み上げても2時間半。与えられた時間はマックス1時間半ということで、ラカンのところは大幅にはしょり。

『存在するとは別の仕方で』の新解釈とは、レヴィナスの「他者」とは「死者たち」のことである、という解釈。

われながらなかなかユニークな解釈なので、「イントロ」だけ「予告編」でご紹介しておこう。全文は海鳥社刊『レヴィナスとラカン』でね。

 

 レヴィナスは1930年にフランスに帰化し、39年にはフランス軍に軍事通訳として応召され、開戦後すぐに捕虜となりました。このときレヴィナスはフランス軍兵士として捕虜になったためにウィーン条約に保護され、ユダヤ人でありながら、強制収容所に送られることをまぬかれました。しかし、その間に、レヴィナスがリトアニアに残してきた家族のほとんどはナチスによって殺され、パリに残した妻もユダヤ人狩りに追われていました(危地にあったそのレヴィナス夫人を救ったのは学生時代からの親友モーリス・ブランショです)。

 レヴィナスはユダヤ人捕虜部隊に編制されましたが、他のフランス人捕虜と待遇が違ったわけではありません。ウィーン協定の下で、レヴィナスは「ユダヤ人」であるより先に「フランス軍兵士」として認定されたのです。

 同じフランスのユダヤ人市民が、「フランス人であるより先にユダヤ人として」認定されることでドランシーの国内収容所からアウシュヴィッツやダッハウに送られていたときに、レヴィナスだけは「兵士」であったために、生き延びるチャンスを得たのです。近親者や同胞たち迫害に苦しんでいるときに、エマニュエル・レヴィナスは「フランス人」として身の安全を確保したのでした。そして、収容所でレヴィナスは彼の近親者や同胞たちがどのような運命をたどりつつあるのかを知ることなく、ありあまる余暇を『実存から実存者へ』の執筆と読書に当てていました(そして、そのときレヴィナスが読んでいたのは、聖書でもタルムードでもなく、プルーストとヘーゲルだったのです)。

 この捕虜経験は、(本人はもちろんそういうことは書いていませんが)、死者たちに対する「生き残ったものの疚しさ」を拭いがたい仕方でレヴィナスに刷り込み、レヴィナスの思索とエクリチュールに宿命的な「ねじれ」を呼び込んだのではないかと私は想像します。

 レヴィナスは、ユダヤ人としての彼のアイデンティティを(否認はしないまでも)示差的に有意ではないと判定した「権力」のアイデンティフィケーションのおかげで生き延びることができました。〈ホロコースト〉を、そのような「恣意的な身元認定」のせいで生き延び得たという自己史的な事実をどう受け止めるか。これは戦後のレヴィナスの思索の起点となったと私は考えます。

 自分は生き延びたという現実がある以上、イノセントな告発者として、他の被迫害者と唱和して、ナチスドイツやヴィシー政府の鬼畜の所業を糾弾するということにレヴィナスはためらいを覚えたはずです。現に、戦後のフランスに吹き荒れた対独協力者の粛清についても、レジスタンスについても、レヴィナスは発言を自制しています。この沈黙にはもちろんレヴィナスの個人的な節度の感覚も働いていたのでしょうが、それと同時に、被害者としてあるいは勝利者として発言することを彼に「許さない」死者たちの切迫を感じ取っていたからではないでしょうか。

 こういう立場に立ち尽くしたものは、いったいどのようにしてこの経験を言語化することができるでしょうか。被害者でありながら、加害者であるかのような負い目を死者たちに対しては感じずにいられないはないものが取りうる語法とはどのようなものとなるでしょうか。

 レヴィナスが「前言撤回の語法」を駆使したことについては前章で述べたとおりです。それはたしかにタルムードにおけるマハロケットの伝統を汲んで、それを哲学的なエクリチュールに応用したものであるという説明で、ある程度は話が通るのです。ですが、それだけではないような気が私にはするのです。

 アイデンティティを否定するみぶりそのものをアイデンティティの基礎づけとするような主体性、それはハノーヴァーの捕虜収容所におけるレヴィナスその人の主体性のあり方ではなかったでしょうか。レヴィナスは死者たちに対して、生き延びたものとしての自責と、死者たちを鎮魂する使命とをふたつながらに重く感じていたということはなかったのでしょうか。 

 そのような仮定を立てると、戦後のレヴィナスの軌跡がある程度説明できるように思われてもきます。ユダヤ人青年たちのための教育事業への献身、東欧のユダヤ人社会の消滅とともに危殆に瀕したタルムード学の継承、ナチズムへの共感を公言した旧師ハイデガーに対する徹底的な批判、こういったレヴィナスの事績は、彼が「生き残ったユダヤ人としての勤め」ということを強く意識していたことを伺わせます。少なくとも、フッサールの『イデーン』とハイデガーの『存在と時間』の哲学史的意義を説くことに知的努力を集中させていた戦前のレヴィナスにはほとんど感知できなかった「ユダヤ人としての使命感」のようなものを私たちは戦後のレヴィナスには顕著に見出すことができるように思われます。

 生者はつねに死者たちに敬意と畏怖を、疚しさと義務感を同時に覚えます。

 「あなたたちはもうここにはいない。しかし、私はあなたの声を聴き取るためにいつも耳を傾けており、あなたを迎えるためにつねにわが家の扉を開いている」というのは生者が死者に向かって語る「鎮魂の祈り」のことばの基本です。注意深い読者は、このことばづかいがレヴィナスの他者論とほとんど同じものであることにお気づきになるはずです。

 レヴィナスは繰り返し「他者」とは「寡婦、孤児、異邦人」であると言います。私たちはこのことばをふつうは「弱者」「貧者」「保護なき人々」、「被抑圧者」、「被差別者」、「被迫害者」、「プロレタリアート」・・・と、総じて無権利状態にあり、私たちが支援の手を差し伸べるのを待望しているある種の「社会的立場」というふうに「存在的に」解釈しています。たしかに、「他者」はそのような人々を優先的に指称しています。しかし、「それだけ」で尽くされてはいないはずです。レヴィナスが「他者」ということばを使うとき、そこには「死者たち」も含まれているのではないでしょうか。保護なき「寡婦、孤児、異邦人」について語るときに、レヴィナスの念頭にあったのは、具体的にはアウシュヴィッツの、ダッハウのユダヤ人たちのことだったのではないでしょうか。

 以下に「他者」をめぐるポワリエとの対談を採録してみます。レヴィナスのことばの中の「他者」を「アウシュヴィッツの死者たち」と読み換えて読んでみると、私たちはそこに哲学的な他者論以上の「祈り」に似たことばを読みとることができはしないでしょうか。

 

 「ポワリエ:他者に対する、他者の身代わりとしての有責性は、具体的にはどのような行為として実現されることになるのでしょうか?

 レヴィナス:他者はそのあらゆる物質的窮状を通じて私にかかわってきます。ときには他者に食料を与えることが、ときには服を着せることが問題になります。それが聖書の言っていることです。

 飢えているものには食べ物を与えなさい。裸で行くものには服を着せなさい、渇いているものには水を飲ませなさい。身を寄せる場所のない者には宿を貸しなさい。人間の物質的側面、物質的生活、それが他者について、私が配慮すべきことなのです。

 他者について、私にとって深い意味のあることなのです。それが私の『聖性』にかかわることなのです。

 これまでたびたび引用したマタイ伝の二五章の対話を思い出して下さい。

 『おまえたちは私を追い出し、私を狩り立てた。』

 『いつ私たちがあなたを追い出し、狩り立てたことがあるでしょう?』

 『おまえたちが貧しい者たちに食べ物をあげることを拒み、貧しいものたちを追い払い、彼らに見向きもしなかったときに!』

 他者に対して、私は食べること、飲むことから始まる有責性を負っているのです。いわば私が追い出した他者は私が追い出した神に等しいのです。(・・・) 過失を犯していないにもかかわらず、罪の意識を抱くこと!私は他者を知るより先に、存在しなかった過去のあるときに、他者にかかわりを持ってしまっていたのです。」 Levinas/Porie, Emmanule Levinas, Babel, 1996, p.114

 

 もちろんレヴィナス自身はアウシュヴィッツで死んでいった「寡婦、孤児、異邦人」に何の責任があるわけでもありません。彼自身、同じ暴力の被害者だったのですから。彼は「潔白」です。それにもかかわらず、レヴィナスは彼らの死に責任を感じずにはいられません。レヴィナスが戦時捕虜として読書と(キリスト教徒の)友愛の機会に恵まれた、比較的耐えやすい収容所生活を送っているあいだに、彼の同胞たちは無惨な死を経験していたのですから。

 そう考えると、レヴィナスが「過失を犯していないにもかかわらず、罪の意識を抱き、他者を知るより先に、他者にかかわりを持ってしまっていた」と書くときの理路は決して思弁的なものではないことが分かります。

 とくに注意して読んで欲しいのはこの一節です。「私が追い出した他者は私が追い出した神に等しいのです」。

 レヴィナスが物質的かかわりを持つことができなないまま非業の死を遂げた人々がいます。その死者をレヴィナスは「追われた神」(un Dieu chasse) に等しいと感じます。

 他者は「寡婦、孤児、異邦人」であり、同時に「神」でもあります。「死者」たちと「神」はまったく別のカテゴリーに属するようですが、実は「私」に拭うことのできない有責感をもたらすという点では同じものなのです。

 「私」はかつて彼らを「追い出した」のです。もちろん、犯意があったわけではありません。けれども、それとは知らずに「私」は彼らに手を差し伸べることを忘れていたのです。「私」はそのような悲惨さを「彼ら」が経験していることを知りませんでしたし、「私」に具体的に「彼ら」を救出する手だてがあったわけでもありません。「私」の側には「彼ら」の受難について何ら咎められるような事情はないのです。にもかかわらず、「彼ら」が飢え、渇き、裸で荒野をさまようことを余儀なくされたと知ったときに、自責の念に苛まれるのです。

 「私」は「彼ら」の追放に荷担したわけではありません。「私」には責任がないのです。しかし、それにもかかわらず、「彼ら」の受難に「私」は「関係ない」ということができないのです。

 「『私には関係がない』と言うことができない」(non-indifference)、これがレヴィナスの有責性の構造ではないかと私には思われます。フィリップ・ネモとの対談で、レヴィナスははっきりこう言っています。

 

 「私は私が受けた迫害についてさえ有責です。ただ有責なのは私ひとりです!私の『近親者たち』、私の『民族』、彼らはすでにして他者たちです。だから彼らのために私は正義を要請するのです。」Levinas, Ethique et infini, Fayard, 1982, p.95

  

 「私が受けた迫害」(les persecutions que je subis) についてさえ私は有責であるということばは、これまでレヴィナスの倫理のほとんど法外なまでの愛他主義を表すことばとして解釈されてきました。しかし、「同じ迫害」を受けながら、ハノーヴァーの収容所とアウシュヴィッツの収容所のあいだに存在した隔絶について、「死者たち」と「生き残ったもの」のあいだに存在した隔絶についてのレヴィナス自身が味わったであろう身をよじるような自責について考えるなら、「私が受けた迫害についても私は有責である」というレヴィナスのことばは、決して思弁的に導出されたものではなく、身体の奥底から絞り出されるように溢れてきたことばとして読むほかないのではないでしょうか。そうでなければ、「有責なのは私ひとりです!」(Mais seulment moi!) ということばの悲痛さは理解できないでしょう。

 

以上、「予告編」終わり。

このあと、「存在するとは別の仕方で」(autrement qu'etre) とは実は「死者を鎮魂するための必然の語法」であった、という「レヴィナス哲学=鎮魂祈念論」へとどどどと流れてゆくのである。

書いている当人がいうのは何だけれど、これは「カッキ的」なレヴィナス論である。管見の及ぶ限り、「他者」についても「彼」についても「第三者」についても「住まい」についても、ウチダはこれほど明快にしてかつ説得力あふれるレヴィナス解釈を読んだことがない。(まだ書いてないんだけど)

刮目して待つべし。