Les aventures d'un penseur sans fond: depuis janvier 2003
3月31日
大学院聴講生の面接。
今年から男子も聴講可能になったということを先般からホームページで告知していたが、その宣伝の効あってか、15名の聴講希望者が詰めかけた。(「詰めかけた」とは大仰な、とおっしゃる方がおられるかも知れないが、本学の大学院比較文化学専攻は博士前期が一学年五名、後期が二名というこぢんまりした所帯、四月現在前期後期合わせた在学生総数が十名である)
たぶん奇特な方が二、三人見えるだろうとは思っていたがこれほどとは。
一人10分間でも二時間半か・・・といっしょに面接を担当した研究科委員長の山田先生はがっくりしていたが、実際には3時間半も要してしまった。(最後までお待たせしたみなさんすみませんでした)
長くなったのも当然で、聴講希望者の話がみんな面白くて、つい引き込まれて「いや、それでね、ぼくが思うには・・・」と一人ずつと話し込んでしまったからなのである。
それにしても多士済々、よくこれだけ色々な領域からいろいろなタイプの方が集まったものである。
「日本一ダンジリアス」な編集長、武闘派内科医、美容院チェーン経営者、元トライアスロン競技者の社長、住宅建材研究者、広告業界のキャリアウーマン、元関学のアメフト者いま新聞社員、司法試験浪人、元マンガ編集者、元製薬会社エグゼクティヴ、公立中学校の国語の先生・・・「お墓の研究者」である日文研のミヤタケが「ふつう」に見えたというのだからその多彩ぶりに諸君も驚くであろう。(ミヤタケを見たことがない人には分かりにくい比較であるが)
ともかく、この諸氏が四月から火曜五限に結集して、「日本の没落」について論じるのである。どれほど活気ある議論が展開することになるのか、考えただけで胸ときめくものがある。(はたして私に発言する時間は残されるのであろうか)
たまたまこの演習は(院生の登録者が少ないと寂しいからという理由で)深い考えもなく学部の「現代日本論」とも合同開講にしてしまったので、学生院生社会人入り乱れてのバトル演習となる。偶然登録してしまった学部の学生は父親ほどの年齢のおじさんたちの激論に巻き込まれてさぞや肝を潰すことになるであろう。
しかし、それは同時に「おじさん」たちにとっても「異物」との困難な、そして愉快なコミュニケーションの経験になると私は思う。
面接が終わったと研究室でぱたぱた仕事をしていたら、山本先生が遊びに来る。
二次手続きが終わってみたら、歩留まり計算が外れて、なんだかやたらたくさん学生が入学することになってしまったということをお聞きする。
もちろん、歩留まり計算が外れて、学生がぜんぜん来なかったというよりはずっと歓迎すべき事態なのではあるが、学生が増えすぎると、困ることも多い。
基礎ゼミのクラスも急遽増設しなければならないかも知れないし、だいたいロッカーとか足りなくなるんじゃないかな。
でも、いちばん困るのは、学生数が確保されると(毎年必ずそうなのだが)、制度改革、機構改革への意欲がいっぺんにしぼんでしまうことである。
「なんだ、これまで通りで、学生集まるんじゃないの・・・じゃ、別にいいんじゃない?機構改革とかカリキュラム改革とか急がなくても。ま、とりあえず現状維持つうことで?」
というだらけた気分があっというまに教職員間に横溢してしまうのである。
機構改革制度改革というのは「体力があるときにやる」のが基本である。
財政的体力がまだあるときには何もしないで、学生が激減してからあわてたって間に合うわけないのである。
しかし、入学者数を知れば、教職員間に安堵の気持ちと同時に、気の緩みがいつのまにか浸透することは誰にも止められない。
困るんだけれど、これが制度改革の根源的矛盾なのである。
「この制度ではダメだ」ということが実証されないと制度改革は進まない。
すると、制度改革の急務であることを主張する人間は、無意識のうちに「制度がダメであること」、つまり自分の属する組織が次々と機能不全を起こし、瓦解してゆくことを願望するようになる。
場合によっては、進んで機能不全や組織の瓦解を仕掛けるようになる。
逆に、「この制度でいいじゃん、現状維持で」と思っている人は、改革派の必死の努力によって制度が「なんとか持っている」ということをまるっと無視して、「だから改革なんて必要ないんだよ」といって(それなしでは現状維持さえ果たしえなかった)改革の努力を妨害しはじめる。
組織をなんとか改善しようと思う人は、組織が目に見えて破綻することをひそかに望み、組織を結果的に破壊する人は、組織が健全に機能していることを喜ぶ。
世の中というのはなんとも面倒な仕掛けになっている。
そのあと上野先生も遊びに来て、同じ話になる。
上野先生は今日が最後で、四月一日から晴れて一年間のサバティカルである。(そういえば、山本先生も四月から「16年ぶりの役職からの解放」を喜んでおられた)
明日からお休みだというのに、上野先生はそれでも心配顔で、「大丈夫かなあ・・ゼミちゃんと開けるのかなあ・・・非常勤講師を今から急いで探した方がいいんじゃないか?」と気を揉んでいる。
「大丈夫ですよ、なんとかなりますって」と励まして、送り出す。
まことに責任感の強い方である。
夕方から体育館で杖の稽古。
誰も来ないので、二時間一人稽古をする。
まずたっぷり居合の形を遣ってから杖を十二本何度か繰り返し通して、最後に合気杖二の杖の組杖(日曜に研修会で2004年度ヴァージョンを習ってきた)をおさらいする。
あっというまに時間が経つ。
家にかえってメールと手紙に返信。母、兄と法事のことで電話で相談。
鶴岡の宗傳寺のお墓の管理を従兄から私たち兄弟に移すという「渋い」話で小津安二郎的な会話を愉しむ。
「でね、雄ちゃんがね、タカオのお墓のほうがあっちが持つから、鶴岡のほうはこっちでどうかって言うんだ」
「お墓二つともじゃ雄ちゃんもご苦労だからね。鶴岡はうちで持とうよ」
「いいかい、それで、話まとめて」
「ああ、いいよ。こんどの戒名の方は兄貴と折半でいいのかな」
「うん、半分出しとくれ。でも、一昨年いっといてよかったね、鶴岡」
「ああ、結局、あれが最後の家族旅行になったものね。オヤジさんも喜んでたし」
「ああ、いい功徳をしたよ」
(以下延々と『秋刀魚の味』的会話が続く)
ハードディスクの底からちょっと古いエッセイが出てきた。
イラク侵攻のことに触れている。なかなか予測がよく当たっているので、採録。
さよならアメリカ
なんとなくアメリカという国が「おしまい」になりそうな気がする。
「気がする」、というだけでべつにデータ的な根拠があるわけではない。
しかし、世界歴史を徴すれば、あらゆる世界帝国はつねに興隆期があり、全盛期があり、退潮期があり、静かに歴史のうねりの中に消えていった。例外は一つもない。
世界に覇を唱えたすべての帝国は没落した。ローマ帝国も、アレキサンダー大帝の帝国も、モンゴル帝国も、オスマントルコ帝国も、大英帝国も、その版図はいっとき世界を覆ったが、いまは見る影もない。スペインもポルトガルもオランダもかつては世界の海を支配したが、いまはサッカー情報くらいでしか私たちの日常生活にはかかわらない。
だからアメリカも遠からず「滅びる」だろう。
「滅びる」といってもべつに革命が起こるとか、国家が解体するというようなドラスティックなことが起こるわけではない。
ただ、経済が低迷し、文化的発信力が衰え、科学も芸術も精彩を欠き、国際社会での信用が失われ、その発言に誰も真剣に耳を傾けなくなる、というだけのことである。
あらゆる国は必ずそういう「年回り」が訪れる。
人間と同じで、国にも「年齢」があるのだ。
アメリカは「老齢」を迎えた。これは間違いない。
ジョージ・ブッシュというような統治者が選ばれるということは、国民のあいだに「まあ、大統領なんて誰がやってもいいんだからさ、あんまり偉そな理想とか語らないで、とりあえず、話が分かりやすいやつがいいわな」というようなだらけた気分が蔓延しているということを意味している。こういう発想法はすでにして「もうろく」の徴候である。
最近のアメリカの外交を見ていると、おのずから醸し出される威厳に人々が服すというより、すぐに「オレを誰だと思ってるんだ!」と怒鳴り出すので、それがうるさいから人々がしぶしぶ「はいはい」と言うことを聞いているような印象がする。
この「オレを誰だと思ってるんだ」症候群は、私たちの回りでも、停年退職後の官僚やサラリーマンに顕著に見られるものであるが、それまでごく自然に享受していた社会的敬意が失われてゆき、「身の丈にあった敬意」しか受けられなくなったことに対する苛立ちの表現であり、これまた「ボケ」の最初の徴候として知られている。
ハリウッド映画も「同じ話」の繰り返しになってきたし、アメリカのトップ企業のCEOたちも、小判のはいった瓶を縁の下に埋めて、それをどうやって盗まれないようにしようかどきどきしている「水屋の富」みたいにけちくさいものになってきた。
外交、内政、経済、文化、どれをとってもいまのアメリカには如実に「ボケ」の徴候が見えてきた。
だから遠からずアメリカも「おしまい」であろうと私は推察するのである。
考えて見れば、アメリカが超大国になったのはそれほど昔のことではない。第一次世界大戦のとき、戦乱で荒廃しはてたヨーロッパから、生産拠点も金融センターも芸術・学術・娯楽のセンターも争って安全を求めてアメリカに逃げ出した。そういう巡り合わせでアメリカはスーパーパワーになった。アメリカはヨーロッパの諸大国が戦争しているときに二度とも「遅れて」参戦した。そのあいだにヨーロッパ諸国の経済は回復不能なまでのダメージを受け、アメリカはそのタイムラグに大儲けし、政治的キャスティングボートを握ることができた。
第二次世界大戦のときも、結局戦災にあったのは真珠湾だけ。アメリカ本土は無傷のまま戦後を迎えた。
その一方、東アジアには、イギリスからの独立をめざすインド、オランダからの独立をめざすインドネシア、アメリカからの独立をめざすフィリピン、それに加えて、対独協力のヴィシー政権(つまり日本の同盟国)が支配するインドシナを加えた巨大な政治圏ができつつあった。だが、帝国地主義的野望に血迷った日本はアジア友邦と同盟する代わりに、その植民地化をめざし、収拾できないほどに戦線を拡大し、勝ち目のない太平洋戦争にのめりこんでアメリカに大敗した。
いわば、ヨーロッパ諸国と日本の「オウンゴール」で、アメリカのもとに世界を支配する力が転がり込んできたのである。
いまさら言ってもせんかたないが、1930年代の日本には植民地戦争以外にいくつもの政治的オプションがあった。
国内の軍国主義とテロリズムが抑制できていれば、為政者に世界戦略への洞察と外交センスさえあれば、そのとき日本は世界最強国の一角を占める開闢以来のワンチャンスに遭遇していたのである。そうしたらいまごろ日本語は国連の公用語の一つになっていたであろう。
まあ、過ぎたことを悔やんでもしかたがない。
とにかく、そんなふうにして「たまたま」アメリカは世界の超大国になった。
そこには歴史的必然性などというものはない。戦況のわずかな違いによっては(もしもDデイ当日にロンメル元帥がノルマンディーにとどまっていて防衛戦の指揮を執っていたら、あるいはもしもヒトラーが暗殺されていたら)、ドイツ第三帝国があのまま世界に覇を唱えていたかもしれない。『高い塔の男』の描くように、あるいは『秋刀魚の味』で加東大介がつぶやくように、「もしも日本がアメリカに勝っていたら・・・」という仮定だって、まったく無根拠なものではなかったのである。
歴史は無数の「もしも」の集積である。
しかし、ある国が勃興するときには「おもいがけない偶然」が関与することが必要だが、その国が滅びるときには別に偶然も悪運も関与しない。自らすすんで粛々と滅びの道を進むのである。それは人間と同じである。男女が「たまたま」出会ってセックスしたので、「たまたま」私たちは生まれたのであるから、私たちの誕生には必然性はないが、私たちが死ぬこと、これは確実である。
アメリカがどういうふうに滅びて行くのか、私にはまだそのシナリオはよく分からない。しかし、もしいわれるように来春にイラク侵攻作戦をアメリカが国連や国際社会の制止をふりきって単独で実行することでもあれば、おそらく未来の歴史の教科書は「このころからアメリカの国際的な政治的影響力はしだいに低下してゆき、国内での社会的な混乱もあって、往年の国威はもう二度と回復することがありませんでした」と記すことになるだろう。
1960−70年代のベトナム戦争のときもアメリカは危機的だったが、「ベトナム反戦運動」というものがあり、公民権運動、ヒッピー・ムーヴメント、ロックミュージックなどの「対抗文化」がかろうじてアメリカを支えた。
いまのアメリカにそのような国民的な規模の「対抗的な支え」は存在しない。
「出てこいフセイン、ビン・ラディン、出てくりゃ地獄に逆落とし」というような下品な歌をロックシンガーやオペラ歌手に歌わせながら、アメリカは私たちには結末が熟知されたあの「いつかきた道」を歩んでゆくことになるのである。合掌。
3月30日
懇親会でひさしぶりに佐々木さんらと痛飲後、学士会館に戻って爆睡。
すっかり春めいた学士会館の談話室で、同期会らしい八十翁がひたすら病気の話と昔話に興じるのを聴きながら、シグマリオンでばしばし原稿を書く。
昼過ぎに出立して、若松町の合気会本部道場の多田塾研修会へ。
山田先輩、坪井先輩、今崎先輩らと久闊を叙しているところへ狩野さん、工藤君、ユリさん、内古閑くんも登場。「佳奈ちゃんは?」と訊くと、芦屋に戻っている由。私の留守にお稽古に来ていたのだ。入れ違い。
東大、早稲田の現役ばりばりの諸君とお稽古をしてひさしぶりに大汗をかく。
多田先生に内古閑君かなぴょんの結婚式のお礼を申し上げる。(でも私が先生に「その節はありがとうございました」とお礼をいうのも、考えてみると妙な具合である)
多田先生には五月は広島の講習会、国際気の錬磨、全日本と毎週お会いできる。
先生を見送ってから、新宿に出て、気錬会の内古閑君、工藤君、川阪君、新主将の井上君、早稲田OBの宮内君ら「多田塾研修会の帰りに生ビールを飲む会」の面々と美味しいビールを飲む。
店に入って椅子に座ったとたんに工藤君があのまったく邪気の感じられない笑顔で、「ウチダ先生、夢の印税生活はいかがですか?」と振ってくる。
さすが気錬会。実用性の高い稽古をしている。
こうもみごとに先手をとられた以上じたばたしても始まらない。
「おお、もうがっぽがっぽ入ってきて笑いがとまりまへんわ」とやけっぱちの返答をする。
その瞬間に全員の目に静かな「あ、ラッキー」の色が浮かぶ。
カードの使える店でよかった。
今年は五月祭が六月になってしまったので、残念ながら私は恒例の五月祭演武会にはお邪魔できない(その日は『船弁慶』を舞っているのである)。すると、せっかく神戸から大挙して上京するんだから三大学合同稽古をやりましょうか、というありがたいお申し出があった。やりましょうやりましょうということになる。
三大学合同稽古は久しぶりのことである。実現すると嬉しい。
すっかりいい機嫌になって、再び新幹線で爆睡しながら帰神。
3月29日
東京の「中山読書会」(中山眞彦先生主宰)が「今月の一冊」に拙著『女は何を欲望するか?』をおとり上げになり、ついては著者を読んで「査問」しようという企画が出て、上京。
読書会に呼ばれて、査問されるというような危うい場所にのこのこ出かけるほど脇の甘い人間でウチダはないのであるが、お呼び下さったのがかつて「都立大学のイメルダ・マルコス」と異名をとった一橋大学の佐々木先生であるので、否も応もない。
佐々木先生にはウチダは院生のころからまるで頭が上がらないのである。(もっとも佐々木先生に頭があがる人間はわれわれの業界にはいないが)
傍若無人のウチダであるが、局地的には頭が上がらない先輩たちがいる。ご参会の西川直子先生、赤羽研三先生なども、その例外的少数の業界人であるので、本日のウチダは全般的に腰が低い(ええ!あれで「腰が低かったの!」と本日はじめてお目にかかった先生方は思われたであろうが、そうです、あれが私が「腰の低い」ときの状態なんです)
『女は・・・』はウチダ自身の自己評価ではあまり出来のよい本ではなく、(もっと時間をかけて書き直す余裕があれば、もう少しリファインされたものになったと思うのだが・・・径書房のO庭くんがせかすからさ・・・)。
本が出てから4ヶ月、朝日の高橋源一郎さんの書評をのぞくまったく何の反応もなかったので、「あ、お呼びでない」とおとなしく退場しようと思っていたのである。
意外なことに、佐々木先生は「ウチダくんの書いた中ではいちばんいいよ」と言って下さるし、読書会に来られた女性の研究者の方々からの評価もなかなかよかった。(これにはびっくり)
イリガライやフェッタリーが女性の文学語学研究者のあいだでも実はけっこう評判が悪かったということを今回はじめて知った。
それでも「このフェミニストって、ちょっと言ってることおかしくない?」ということを女性研究者としては言えない雰囲気というのが何となくあるらしい。
社会的リソースを「性間」で争奪しあっているという地政学的な基本構造がある以上、ここでフェミニストを批判することはいわば味方を背中から撃つような「感じ」がして、ためらわれるらしいのである。
だから、少なくとも知的な女性によるフェミニズム批判は「より厳密に、より根源的にフェミニスト的な立場」から以外のものは許容されないように私には見える。
その一方で、男性研究者によるフェミニズムへの言及は、「タイコモチ的」な「すりより」と頭ごなしの敵対か、そのいずれかであって、フェミニストの所説を祖述し紹介した上で、その理論的功績と瑕疵をあわせて吟味する、というスタイルを取る人はあまりいない。
そういう仕事をやはり誰かがやらないとまずいんじゃないかと私は思ってあの本を書いたのであるが、誰も相手にしてくれないので、「あら、そんなニーズはなかったのね」と頭を掻いて「こりゃまた失礼致しました」とずり下がったいたのである。
とにかく面白く読んで下さった上、「たいへんすっきりしました」と言って頂けたのは身に余る光栄である。
それでもなかなかきつい質問がびしびし飛んでくるので、結局、「その場で思いついた、とんでもない話」を縷々述べて批判をかわすという大技を使うことになった。
「その場で思いついたトンデモ話」というのは、世界を分節する二項対立の起源は「生者と死者」であり、それ以後のすべての二項対立はこの「幽明境を異にする他者の呪鎮」という起源の痕跡をとどめている、というものである。
人類学の教えるところでは、人類と他の霊長類を隔てる最初の境界線は、「葬礼を有する」ということである。旧石器時代に「死者と生者を区別する」ということを行ったのが、おそらく原−記号生成」、「原抑圧」だったのである。
それによってはじめて「象徴界」が出現した。
たぶん、葬礼がなされるまで、死者と生者は混在していたのである。それが「どういう状態」であるのか、人類である私たちはもう想像的にも追体験することはできないけれど。
ともかく、何十万年か前に、「生者と死者」は分割せねばならぬ、ということになった。
そして葬礼が営まれ、死者たちは「他者」というカテゴリーにくくり込まれたのである。
それはそこらの石や木と同じような「モノ」でありながら、にもかかわらず「もとは生者」という曖昧な存在である。彼らは呪謡や敬意や畏怖を生者に求める。
生者は死者を「モノ」のように扱いかつ「生者」のように扱わねばならない。ここにすべての「デジタル・ボーダー」がそれ以後帯びることになる宿命的な「ねじれ」が生じたのである。
以後私たちが採用することになるすべての二項対立は生者/死者の二項対立がはらんでいた根源的な「ねじれ」を再生産しつづけることになる。
発生的には生者/死者の二項対立につづく差異化が男性/女性である。
以後、大人/子ども、主人/奴隷、宗主国/植民地、健常者/異常者、常人/狂人、ブルジョワ/プロレタリア、ホワイト/カラード、帝国/属領、主体/他者・・・といった無数の「ヴァリエーション」が生者/死者のモデルを帰趨的に参照しつつ、構築されたいったのである。
だから、根源的差異は性差であるとする理説、性差やエロスを最終的な審級とする理説はどこかでつじつまが合わなくなるのは当然なのである。
イリガライは最終的な目標として性差を超えた究極的のエロス的「合一」をめざが、それがすべての死者が蘇って、生者と一つのカテゴリーに帰一するという「最後の審判」(あるいはエド・ウッドの『地獄の盆踊り』)の構図を下絵にしていることにイリガライご本人はたぶん気づいていない。
イリガライのうちにそういう構想が胚胎したのは、性差が死を模倣して形成されたからであって、その逆ではない。
人間にとってのもっとも根源的な「乗り越え不能」の断絶は性差ではなく、死なのである。というより、最も根源的な乗り越え不能の境界線を「死」のうちに見出すものを「人間」と呼称するのである。
だから、ジュディス・フェッタリーの、「アメリカ文学の目的は女性を死者として描くことだ」という主張は実はまったく正しいのである。
フェッタリーはそれを「男性中心主義」が人類の宿業だからであると説明しているが、それは話の順逆が反対で、あらゆるカテゴライズにおいて、「こっち側」の人間にとって、「あっち側」の人間は「死者」に類するものとして観念されるほかないのである。
というのも、「あっち側にある」という感覚そのものが死者のもたらす恐怖と魅惑を原型にして構成されているんだから。
だから、レヴィナスやラカンが「他者」と呼ぶものが起源的には「死者」を指すのは当たり前田のクラッカーなのである。
などということを話す。
こんなトンデモ話につきあってくれる人はいないだろうと思っていたら、意外やこの話が好評で、みんなわいわい議論を始める。
びっくりしたのは言語学者の藤田先生から、ジェンダー(文法的な意味での、性)が名詞を二分する先に、インド=ヨーロッパ祖語では、「生きているもの」(anime)と「生きていないもの」(inanime)の二分が存在したと教えていただいたこと。
つまり言語記号における世界分節では、ジェンダーによる差異化よりも生死による差異化が先行していたのである。
ウチダの口からでかませの「死は性よりも発生的には早く世界を分節した(だからレヴィナス先生のほうがイリガライより賢い)」という主張はこうして言語学的論拠を獲得したのである。
そういえば、フランス語初等文法を教えるときにどうしてフランス語では「継続相」と「完了相」のaspect の区別をうるさく言うのかよく分からず、「フランス人て不思議な世界観持ってますね」ですませていたのであるが、あれはそこにある事象が「アニメ/イナニメ」つまり「まだ生きているもの」なのか「もう死んでいるもの」であるのかをうるさく区別するインド=ヨーロッパ祖語の名残だったのである。
そういえば、『史記』に言う「六芸」とは礼・楽・射・御・書・数であるが、この君子の教養リベラルアーツの筆頭は「礼」すなわち「葬式のやり方」なのであり、「儒」の原義は白川静先生によれば、「葬礼専門」の巫祝なのである。
おお、すべての円環がいま音を立てて繋がった。
私がフェミニズムの理論を「なんか変だよなー」とつねづね思っていたのは、私が男性中心主義のセクシストであるから(だけ)ではなく、フェミニズムが「結果」と「原因」を取り違えていたからなのだ。
というわけでたいへん収穫の多い読書会でありました。
お手配頂きました早稲田大学の吉田裕先生はじめ、刺激的なご教示をたまわりました神田外国語大学の藤田先生、筑波大学の青柳先生に深くお礼申し上げます。おかげで本が一冊書けそうです。
3月27日
書き忘れていたけれど、24日に医学書院の白石さんという編集者と「ステーキハウス国分」と「バーO2」を梯子した。
医学書院というのは前に『看護学雑誌』のインタビューを若いお二人の編集者に受けた出版社である。
そのときは例によって、「知らないことについてもきっぱりと断言する」悪癖を発揮して、専門外のことについて好き放題のことを申し上げた。
企画自体が「医療のシロートさんに、長屋の大家さん的意見を聞いてみる」というものであったので、インタビューを読んでお怒りになられた方には申し訳ないが、そういうわけで、私の責任ではありません。
そのとき話の勢いで医学書院から本を出しませんかというオッファーがあった。まだ「営業期間内」だったので、何も考えずに「はいはい」とお受けしてしまったが、考えて見れば、私は医療についても看護についても介護についても福祉についても、まるで門外漢である。いったい、医学書院は私に何を書かせようというのであろうか、と一瞬考えたのだが、考えてもよく分からないことは深く考えない主義なので、そのまま失念していた。
しかし、私が失念しても、先方は失念しておられず、「キック」を入れに医学書院が誇る辣腕エディターである白石さんが登場されたのである。(白石さんはかの中井久夫先生をカンヅメにして原稿を取るという大仕事での来神のついで)
白石さんは大変に愉快痛快な方で、たちまち意気投合(という気分にさせるところがさすがプロ)。
ステーキハウス国分で医学書院のおごり、国分シェフのサーヴで、ヒレステーキを貪り食い、シェフ秘蔵のワインなどを鯨飲しているうちに、わはは書きます書きますどんとこいですわはは状態に誘導されてしまった。
ジャックが休業中なので、国分シェフのご案内で東門筋のバーO2で二次会。
ここで「ご禁制」のアブサンなど呑んでよい気分になっているところに街レヴィ派の諸君がどんどん乱入。ついに江さんもご登場。ここに東西のスーパーエディターが名刺交換。
そのあとどのような展開になったのかは酔眼朦朧として記憶にない。気がつけば午前二時。国分さんのフィアットに乗せてもらって高速を150キロくらいで飛ばして芦屋に送り届けて頂いた。
みなさんどうもありがとう。翌日は二日酔いで仕事になりませんでしたが。
今日はカナダから瀧川さんが帰ってきたので、しばし歓談(おみやげにスモークサーモンを頂きました。ごちそうさま)。もうすぐマスモトサチコさんも帰ってくるので、今年の四回のゼミはなんと16人。賑やかなゼミになりそうだ。
合気道のお稽古をして、お風呂に入って、ビールを呑んで、パスタを食べて、ワインを呑んで、これからおみやげのサーモンを囓りながら、『ツインピークス』全編踏破シリーズに入る。「四国でいちばんフレンドリーな呉服屋の若旦那」守さんのおかげで至福の毎晩。まだエピソード11。あと二週間は楽しめそうである。
あしたは久しぶりのオフ。今日はだらだらするぞー。
3月26日
西谷修・鵜飼哲・宇野邦一『アメリカ・宗教・戦争』を読む。
アメリカの政策決定や世論形成のプロセスは歴史的に形成された「病」の徴候であり、「グローバル」という形容詞が「アメリカン」の同義語であることは今や「常識」になりつつある。
どうして「こんなこと」になったのか、それについてきちんとした説明が聞きたいものだと思っていたが、この本ではアメリカにおける「宗教」のあり方からそれを説明している箇所が興味深かった。
一つは西谷によるアメリカにおける政教分離はヨーロッパのそれと違うという指摘。
「ヨーロッパの場合、宗教戦争がもとになっています。(・・・)信仰は基本的に個人の内面の問題、信念の問題として、それは問わずにおいて、政治は信仰の違う人も一緒に集まっていろいろ議論しましょう、ということになった。それが公共空間で、政治はそこに成り立つ。おおざっぱに言えば、そういう合意が宗教戦争以降のヨーロッパの政治空間を作り出して、その場合は信仰や信条を問わない。(・・・)ところが、アメリカの場合は、はじめから移民の動機が主として宗教的なものだった。つまり集まってきたひとたちは、信教の自由を求めて、強固に自分たちの宗教共同体を作ろうとした。信教の自由を求めることは、無信仰になることではなくて、むしろ信仰を追求するということですからね。(・・・)そうすると政治機構というものは、教会を全然排除しているのではなく、むしろそれを前提にしながら、あらゆる教会を平等に扱う。つまり特定の宗派を優遇しないということで、国家と教会の分離です。だから、政治機構体としては、唯一神によって正当化されることは最初から排除していない。むしろそれが前提になっている。」(31−2頁)
「アメリカは起源までたどれば、ヨーロッパ公法秩序から離脱するために建国し、その後ずっと独自路線を歩いてきた国です。一度も他者に浸透されることのない、むしろ自分のところが意味を受け入れ、移民たちによってできたことで、『ここにすでに多様な世界がある』という構造を内部として持っている国で、それが国家の行動をあらかじめ正当化する」(121頁)
要するに、アメリカという国はその成立の原点からして自閉し自己完結した「原理主義国家」であった、ということである。それがあの「閉じた一国性」を支えている。
つまり、国際社会の同意や賛同がなくても「神が我々にはついている」という信仰が全国民レベルで共有されている、というのが西谷の分析である。
これは私には深くうなずける指摘であった。
多様性を内部にあらかじめビルトインしておくと、いくらでも外部を踏みにじることが正当化されるという構造は、アメリカのみならず、あらゆる政治装置に妥当する洞見だろう(私が他人の悪口を言うときの論法もそういえば、そうだった)。
もう一つは、「受苦するものに正義がある」という発想法。これは鵜飼が主張している。
「9・11の凄まじさは、ブッシュが『我々は世界で最も悲惨な犠牲者だ』って大声で言って、この『被害者として万人に認めさせるものが最も強い』という論理はキリスト教から出てくるもので、ニーチェ的に言えば、これこそルサンチマンです。この構えをアメリカが取る以上は、ニーチェが考えている強者ではありえない。」(58頁)
「ワシントンのホロコースト博物館の入り口に、この博物館を訪れた黒人の少女の『これを見てしまったら、私たちが苦しんだなんてもう言えない』という言葉が展示されているそうです。要するに、誰が最も苦しんだかという競争が始まっていて、ユダヤ人のグループにはそれで黒人に勝つということに血道を上げている人々がいる。そのユダヤ人と一緒になって、『私たちこそ一番苦しんでいるんだ』とブッシュは言い、そのことをまた万人に承認させたいと思っている。(・・・)これはユダヤ教からじゃなくて、キリスト教からしか出てこない。」(66−7頁)
うーむ、なるほどね。
しかし、私にはこの鵜飼の説明はそれほど説得的には思えなかった。
一番迫害されたものが、一番正義に近い、という論理を「万人が認める」ということを多くのアメリカ人が期待しているというのは、ほんとうだろう。
しかし、「万人が承認する」という期待は、その価値観がアメリカ国外でも広くに共有されている場合にしか成立しない。
そして、現にそのような価値観は世界中で共有されている。
パレスチナでも、アフガニスタンでも、イラクでも、アメリカの「敵」たちは「一番迫害されたものが、一番正義に近い」というこのロジックをそのまま使っている。
というか、この「窮民革命論」(@太田竜)の最初のアイディアを言い出したのは『帝国主義』のレーニンだったはずだ(レーニンはそのロジックを使って、革命の主体を「ブルジョワ化したイギリスのプロレタリア」から「大英帝国に収奪されている植民地のプロレタリア」にシフトしてみせたのである)。
となると、このロジックがアメリカのオリジナルであるとか、キリスト教独特のものであるとかいう説明にはいささか無理がありそうな気がする。
最後の「これはユダヤ教じゃなくて、キリスト教からしか出てこない」というのもなんだかよく分からない。
ホロコースト博物館の建設を推進したのはおそらくユダヤ人たちだろうと思う。
そういうことをするのは「ユダヤ教的ではなくキリスト教的」な行為だというのは、どういう論拠によるのだろう。
アメリカのユダヤ人たち「キリスト教化」されている、ということなのだろうか。
何のために?
鵜飼のこの説明を聞いてアメリカのユダヤ人たちはどういうふうに思うだろうか、私にはうまく想像できないが、あまり「その通り!」という答えは返ってきそうもないような気がする。
鵜飼のロジックに「何だかついていけない」ものを感じた上で、改めて西谷の議論を読み返すと、この種の「原理主義」的思考というのも、やはり程度の差はあれ、世界中どこの国にもあるんじゃないかという気になってきた。(だって、「あらゆる政治装置に妥当する洞見」なんだから)
西谷がアメリカに対比しているヨーロッパの政教分離を支えた「公共空間」という概念そのものがヨーロッパだけに誕生した、歴史的にはむしろ「例外的」な事例だったということはないのだろうか。
つまり、この本でアメリカの特殊性を説明するために導き出された「キリスト教」的要因なるものは、原理的には、何だか「世界中どこにでもある」もののように思えてきたのである。
もちろん「世界中どこにでもあるもの」がアメリカにもあって、それが「アメリカの病」の一因であることはありうる。
しかし、ある病因がどうしてこの国ではこのようなかたちで発症し、別の国ではそのようには発症しなかったのか、ということをこれだけ説明するのはまだ無理がありそうだ。
ある病因がとりわけアメリカで発症したのには、アメリカ「だけの」理由がなければならない。
先ほど私は「程度の差はあれ」と書いたけれど、その「程度の差」を生み出したものは何か、という、もっと具体的で、微細なところにも視線を向けないと、その先にはなかなか進めない。
「アメリカの病」には実に多くの、ほとんど無数の複合的な素因があると思う。
それをひとつひとつ腑分けし、分析してゆくことは、とても個人の力量の及ぶところではない。何世代かの学者を動員して共同作業をしないとできないようなスケールの仕事だ。
私はこの十年くらいずっとハリウッド映画を分析的に見てきた。
そのときの分析を導く問いは「アメリカ人はどうして自分が欲望しているものを構造的に見落とすのか?」というものである。
もちろん、私のハリウッドバカ映画分析でアメリカの外交政策決定プロセスを説明できるわけではない。
しかし、こういう細々とした「雪かき仕事」みたいなものを大勢の人が、いろいろば領域で、こつこつと進めてゆくことでしか、「アメリカの病」にはアプローチできないのではないかという気がする。
とりあえず、みんなでがんばりましょう。
あの国を何とかしないと、ほんとに困るからね。
3月25日
角川書店の『疲れすぎて・・・』の再校ゲラを締め切りぎりぎりで送稿。ただちに晶文社の『映画の構造分析』の初校ゲラにとりかかる。するとチャイムがピンポンとなって宅急便で角川書店からゲラが送られてくる。おお、私の送ったゲラは時空をワープして三校になったのかと仰天していたら、『ため倫』の文庫版の初校ゲラであった。
と、ここまで書いて、ふと、ここまでの四行に五回登場する「ゲラ」という語に「違和感」を覚えてしまった。
「あれ?『ゲラ』なんていう言葉、この世にほんとうに存在するんだろうか?私の妄想が作り出した造語ではないか?」という例の「あれ」である。
こういう語への違和感というのは、ただちに私が生きている現実世界そのものが組織だった妄想ではないのか、という深刻な懐疑へとつながってゆく。
私はあわててPCにインストールされているSuper日本語大辞典を開いて「ゲラ」を検索すると、驚いたことにこれは英語だったのである。
知らなかったでしょ?皆さんも。
galley というのがほんとうの綴りなのである。
「ガレー船」のガレーである。(『ベン・ハー』でチャールトン・ヘストンが奴隷になって漕いでいたあれ)
これがどういう経緯で「ゲラ」になったかを手もとの「大修館Active Genius 」英和辞典で調べる。
(1) ガレー船:古代ギリシャ、ローマ時代や中世に地中海で軍船・商船として使われた大型帆船、奴隷や囚人に漕がせた。
(2) (艦船・飛行機の)調理室
(3) 《印》ゲラ(組み版を入れる) galley proofs ゲラ(校正)刷り
1の語義から2への転移は想像しやすい。
艦船の調理室は船愛の奥底にあり、狭いところに人間がひしめき、熱気がこもり、刃物が飛び交い、骨だの肉だのがごろごろしているわけだから、そこが「ガレー」とあだ名されるのはまことにもっともな連想である。
しかし、そこから3へ飛ぶ道筋がよく分からない。
文撰工や組版というものは今ではもうなかなかお目にかかる機会がないが、高校の雑誌部で雑誌を出していた頃は存在した。それは狭いボックスに活字がぎっしりと隙間なく詰め込まれたユニットであった。その「詰め詰め」感がガレー船を連想させるのかも知れない。
そういえば、フランス語のcliche 「クリシェ」(常套句)というのは、この活字の束のことである。なるほど、ゲラとクリシェは同じ一つの現象の二つの表現だったわけである。(クリシェの語源は「溶けた鉛を字母に流し込むときのオノマトペ」だそうである)
約十分間の辞書検索により、私は「ガリイ・プルーフス」というのが、「あれ」の本名だったことを発見し、「クリシェ」がオノマトペであることもLogos に教えてもらった。
私が妄想癖のある人間であり、しばしば深刻な現実乖離を経験するにもかかわらず、とりあえず凡庸なる一市民として日常生活を送っていられるのは、この「まめに辞書を引く」という習慣が深く与っている。
辞書を引くのが好きな作家というとすぐに名前が思い出されるのが村上春樹とホルヘ・ルイス・ボルヘスである。
ボルヘスは「贋の辞書」という恐怖譚のアイディアを終生手放さなかったが、それはボルヘスがどれほど「辞書を引いて、ある語の語義を確定する」という作業のもたらす「現実感回復効果」にすがって生きていたかをうかがわせる。(「贋の辞書」というのはボルヘスにとって、現実崩壊そのものの隠喩だったのである)
私はこれを「村上=ボルヘス効果」とこんにちただいま指称することにする。(もう誰かがとっくに特許申請しているかも知れないけど)
村上=ボルヘス効果についてご説明しよう。
辞書を引くことの効果は、「あらゆる語には起源がある」ということを教えてくれることである。
それは言い換えれば、人間の用いるあらゆる概念は、「あるとき、あるところで、誰かが言い出すまで、存在しなかった」ということである。
「ゲラ」という言葉のもとになった「ガリイ」が英語で3の語義を獲得することになるのは、グーテンベルク以降、すなわち15世紀よりあとのことであり、活版印刷がイギリスに輸入され、さらに「書き手自身による校正作業」がある種の「苦役」を連想させるようになって以降ということであるから、これは当然「職業的物書き」の出現以降ということになる。
文学史によるとイギリスにおける最初の本格的な物語はチョーサーの『カンタベリー物語』であるが、これは14世紀の話であるから、ジェフリー・チョーサー自身は「ゲラ」を校正した経験がないはずである。
最初の職業作家はサミュエル・リチャードソンあたりから始まる。おそらく18世紀中頃くらいに「げ、またゲラが届いたぜ」と言って赤ペンを手に「苦役」に励む物書きというものが登場したのであろう。
こういうふうに「ものごとの起源」があるということを確認すると、少なくとも私の場合は「現実乖離感」が寛解する。
というのは、現実の非現実感というのは、私の場合(たぶん多くの人も場合も似ていると思うが)、現実が「のっぺり」したものと見えることに由来するからである。
しかし、「辞書」は、あらゆる語も概念も、総じて現実を構成する「モノ」には起源があり、起源があるということはいずれ消え去るということも教えてくれる。
現実の非現実性、その「のっぺり感」は、経験的にはその「執拗さ」のうちに胚胎する。
現実のこの執拗さは、「あらゆるものには起源があり、だから終わりがある」という「辞書的」なものの介入によって緩和され、無害化する。
現実の空間を占める「モノ」たちのうち、あるものは昨日出現した新参者だし、あるものは十万年前から人類社会に居座っている。
そう考えると、現実は「のっぺりしたもの」であることを止めて、何となく「でこぼこしたもの」になる。その歴史的な厚みの差から「陰翳」が生じ、「ずれ」が生まれ、その「落差」や「背馳」からある種の「震動音」のようなものが聞こえてくる。
それは「深雪」と「新雪」のあいだに、亀裂が入って雪崩が起きるのにちょっと似ている。
現実を構成する「モノ」たちが「多起源的」であり、それぞれ異なる「余命」を刻印されている。それらは「たまたま」いま、この瞬間だけ奇跡的に出会って、私の眼前の現実を構成しているのである。
この「儚さ」を実感すると同時に、私の現実乖離感は拭ったように消え去る。
この「現実は、信じられているほどには『現実的』ではない」という確信を得ることによって、現実に親しみを感じ始めることを私は「辞書」の「村上=ボルヘス効果」と呼びたいと思う。
人間は「生まれ、死ぬ」ものにしか親しみを感じないということをこの作家たちは熟知していたのである。
3月23日
神鍋高原での恒例の合気道の春季合宿も無事終了。
岸田汐主将、二年間オツトメご苦労さまでした。
来期からはウッキー=森川=藤田体制である。
異例なことだが博士二年目のウッキーに01年度の副将に続いて、来期は主将をお願いすることになった。3年生が一人もいないし、4年生は全員就職活動なので仕方がない。
それにつけても就職活動を3年生の冬から始めるという悪習はいい加減に止めて欲しいものである。
『こゝろ』を読んでも『卒業』を見ても、主人公たちは、とりあえず大学を出るまでは先のことなんか何も考えていない。
先のことなんか何も考えないで、学問的興味の赴くままに勉強に没頭するというのが、ほんらい学生生活の正しい送り方のはずである。
何をそんな非現実的なことを、企業が求める「即戦力」を身につけなければ、生き残っていけやしない、と言う人がいるようだが、これはまことに現実をしらない人間の寝言と言わねばならない。
私が大学の教師を長年やってきて知ったことの一つは、「今、世の中ではこういう能力がもてはやされていて、それさえ身につければ一生安泰」というような「はやりの学知とスキル」についての情報について、就職希望学生は企業社会に致命的に遅れている、ということである。
だって、考えれば分かることだが、先端的な企業が社員にある種の知識や技能を求めている場合、「求めている」という情報がメディアを通じて一般社会に知られるまでにまず一年から五年のタイムラグがある。
それを見て、「おお、そういうものが売れるのか、では、うちの大学でも、そういうプログラムをつくろう」と新聞を読んだ大学人が思いつき、起案して学内合意をとりつけ、反対する教授会や理事会を説得し、施設を整え、備品を買い揃え、人事を起こして、大学案内に載せるまで、早くて二年、遅くて十年。
それを見て、「よし、この大学に行けば、将来安泰だ」と受験生の親が判断して、子供をせっついて勉強させて、無事大学に入り、出るまで早くて四年。
ご覧の通り、「企業社会が『今』求めている知識と技能」を身につけて、大学を卒業するのは「今」から早くて七年後、遅いと二十年後なのである。
だから就職希望学生が意気揚々と「私、これこれのことができるんです!」と威張ってみても、面接の担当者は「おいおい、また時代錯誤なのが来たぜ」と深いため息をつくだけなのである。
新入社員に求められているのは「そういうこと」ではない。
学生に求められている知的資質はごく単純なことである。
「他人とコミュニケーションがとれること」、ただそれだけである。
もちろん、人間であれば誰でも他人とコミュニケーションはとれる。
問題はその「範囲」の奥行きと拡がりだけである。
「バカ」と言われるのは、自分の同類(年齢が同じ、社会階層が同じ、価値観が同じ、語彙が同じ)としかコミュニケーションができない人間のことである。
「賢者」と言われるのは、対立者や異邦人や死者や必要があれば異星人ともコミュニケーションができる人のことである。
すべての知的能力は、「バカ」と「賢者」の間のどこかに位置づけられる。
「英語ができる」ことが評価されるのは、英語ができるとコミュニケーションできる範囲が広がるからである。「コンピュータができる」ことが評価されるのは、コンピュータが本質的にコミュニケーション・ツールだからだ。「敬語が使える」ことや「礼儀正しい」ことや「フレンドリー」であることや「聞き上手」であることや「服装に気配りしていること」や「アイコンタクトが適切」であることなどの「面接の着眼点」はすべて「コミュニケーション能力」だけに焦点化している。
どうしてコミュニケーション能力がそれほど厳密に査定されるかと言えば、会社に入ったあと、仕事を教わるときにコミュニケーション能力のない人間は、「自分の知らないことを学ぶ」ことができないからである。
しかるに、社会がその成員に求めるのは、その人に「その人が手持ちの能力では出来ないこと」をしてもらうことなのである。
「仕事ができる人」というのは「たっぷりと手持ちの知識や技能がある人」のことではなく、「自分が知らないことを学び、自分に出来ないことが出来るようになる能力がある人」のことなのである。
就職活動というのは、「そのこと」を学習し、実践する絶好の機会であるはずだが、「三月ウサギ」状態で額に青筋を立てて走り回っている学生たちから発信されるのは「うるせーな。こっちは尻に火がついてるんだから、横からガタガタ言うんじゃねーよ」というきわめて非コミュニカティヴなメッセージだけなのである。
これほどコミュニケーション感度の鈍い人間に社会人としての未来はあるのだろうか。
私は懐疑的である。
ま、それはさておき。
合宿は13名といささか小規模だが、内容の充実した愉快な三日間であった。
二日目が昇段昇級審査。
ドクター佐藤こと佐藤友亮さん、内田ゼミの四年生、合気道部では新人の生嶋裕子さん、KCの中学一年生森元愛ちゃんの三人が五級。生嶋、森元ご両人は晴れて「ザ・ハカマーズ」入りを果たした。
ウッキーは二段。もともとたいへんによくお稽古をする方であるが、何よりも上に書いた「知らないことを学ぶ」意欲の豊かな人である。
さらに精進するようにね。
3月19日
卒業式。
今年の合気道部の卒業生は院生二人だけである。(かなぴょんとヤベッチ)
快晴の卒業式日和。西宮の駅でヤベッチと一緒になったので、そのままふたりでおしゃべりをしながら登校。
よそさまから見たら「卒業式を迎える娘とその父親」というふうに見えるのであろうが、それにしても騒がしい父子であることよというふうに見えたであろう。
クー、おいちゃん、イクちゃんらが仕事を休んで同期の院生二人の卒業式に駆けつける。
三年生も8人全員揃ってお見送り。
矢部くんすでに涙腺がゆるみ始める。
内古閑くんはるばるも来ている。卒業式に「夫」が来ていたのは、たぶん昨日の卒業式でかなぴょんだけであろう。
赤星くんの姿が見えたという情報が流れたが、茶話会には姿をみせず。
私がメールで「よかったら卒業式にも顔を出して下さい」と書き送ったのであるが、そうとは知らない学生たちは、「赤星くんは実は女学院生に好きな人がいて、その卒業する姿を遠くから眺めるために来たので、わたしらに見つからないように、挨拶もせんと立ち去ったのではないか」などという噂が流れる。(私が流したのだが)
合気道部の二人に、江編集長のところで年季奉公をしているフルタくんも今年卒業なので(卒業にいたるまで、どれほどの険しい山を私たちは超えてきたことだろう・・・ねえ、フルタくん)その三人を囲んでの追いコンにみなさんぞろぞろとやってくる。
赤星くんもここで登場。途中からドクター佐藤も登場。セトッチも駆けつける。
週末の合宿には二人は参加できないので、恒例の「さよならセンパイミュージカル」は我が家のリビングで行われることになる。
矢部くんはティッシュ箱をかかえてスタンバイ。
しかし、「ありがとうセンパイ」という三年生のコーラスに耐えきれず爆泣。三年生も歌いながら号泣。
ウチダもついもらい泣き。
卒業式はこうでなくちゃね。
みなさんがお帰りになってから内古閑夫妻、ウッキー、フルタの「ふるふるンビ」(そういえば、残った四人は全員「姓に『古』の字が入る人たち」であった)でさらにおしゃべり。
そこに甲野先生からお電話。
先生に新曜社の武道本の「あとがき」をお願いしているので、その件の確認。
「ウッキー元気かって甲野先生が訊いてるよ」
「げんきでーす」
「佳奈ちゃん、ご結婚おめでとう、って甲野先生が言ってるよ」
「ありがとうございまーす」というような会話が行われる。
甲野先生は4月中旬に関西、四国、岡山と巡歴される予定だそうなので、4月17日をうちの講習会にして頂く。
というわけで、とりあえず4月17日午後3時頃から6時頃まで、岡田山ロッジにて甲野善紀先生の講演ならびに講習会を行います。学外の方で参加ご希望の方は私あてにご一報下さい。
3月17日
「教育トップ100校」必勝祈願委員会がある。
過去の文部省大学審議会関係の文書を読破し、「文部科学省は大学に何を望んでいるか?」という「出題者の意図」の探究に大学各学科から選抜された「子どもの頃、現国の模試でやたらに要領のよかった受験生たち」を結集する。
みんなで文部科学省発行の膨大な量の官僚的文章を眼光紙背に徹するまで読み抜いて、「正解」を探す。
その「正解」が本学の提供する教育プログラムに合致するかどうかというのはまた別の次元の問題であるが。
杖の稽古を終えて家に戻ると、四国の「史上最強の呉服屋の若旦那」守さんからお電話。
『ツインピークス』全巻のLDを所有されており、それをまとめてご貸与下さる由。
守さんて「史上最高にクライアント・フレンドリーな呉服屋の若旦那」である(私はただいま「いかり屋呉服店」に紋付きと長襦袢のお洗濯をお願いしているところなのである)。
まことに松聲館の門人の皆さんはどなたもお師匠さまに似て、人間の出来が深い。
「あれからどうなっちゃうんですか?」
という私の問いに、守さんは穏やかな笑みを浮かべつつ(電話だから見えないんだけど)
「セカンド・シリーズでは雰囲気ががらっと変わってしまうんですよね。なにしろ、ほら、デヴィッド・リンチだから、うふふ」
と私の感興をいやがうえにも昂進させるのであった。
ついでに「怪しいビデオ」もご恵与下さる由。
もちろん守さんがご恵投下さる「怪しいビデオ」は「そっち」系ではなく、「あっち」系の「妖しい」方面のブツである。
あああ、それも早く見たい。
四国丸亀方面に最敬礼。
葉柳先生が二ヶ月ぶりに「長崎通信」を送ってくれた。
先生はご自身の「葉柳第二研究室」を開設されてから、そちらにばんばん書いているので、なかなかうちのウェブ日記にはおはちがまわってこない。
今回のテーマは「ウチダは意地悪」ということと「シンクロニシティ」である。
前にも書いたことであるが、私は「頭」ではなく「身体」でものを考えている。
古諺に「女は子宮で考える」とか「オレの下半身に人格はない」とかいう深遠なものが散見されるが、これは一端の真実を衝いている。
私の場合、人格は頭脳に属し、知的活動は主に身体が担当している。
だから、やっぱり私の場合も「下半身には人格はない」のである。
私の頭脳は「けっこういい奴」である。
だから「頭脳」が統制している種類の人格的諸活動だけを徴するならば、ウチダはどちらかというと温良でコミュニカティヴな人間である。
しかし、惜しむらくは、ほとんどの知的活動は身体がこれを担当している。
そして、私の「身体」はたいへんに邪悪である。
他人を傷つけ、損ない、罵倒し、冷嘲し、ドブに蹴倒すようなことが、私の身体は「大好き」である。
私に害され、屈辱感に打ち震え、嗚咽し、涕泣する他者たちの姿を想像しただけで、心拍数が上がり、呼吸が早くなり、頬は紅潮し、お肌の色つやはよくなり、アドレナリンがばあんと分泌されてアクマのごときほほえみが満面を領するのである。
ひどい話である。
困ったことに、ウチダの頭は頭があまりよくない。
しかるに、ウチダの身体はたいへん頭がよい。
たいへんによい。
ウチダの頭をもってしては理解が届かぬことも、身体はすらすらすいすいと分かってしまうということがしばしば起こる。
例えば、レヴィナス先生のご本などは、ウチダのバカ頭をもってしては遠く理解が及ばない。ほとんど火星語で書かれた文献に等しい。
しかし、ウチダの賢い身体はそれを一読するや、ただちにその偉大さを了察して、「おい、この人に弟子入りしろ」と頭に命じるのである。
したがって、「ここ一番」という大事な場面になると、私はほとんど思考を停止して、身体から送られる「命令」に耳を傾ける「巫祝」状態になる。
だから、私が他人を批判する文章ははほぼ90%が「恐山のイタコ状態」になって書かれたものである。
繰り返し言うように、私の頭は善良なので、他人の理説をあげつらうようなことは得意ではないのである。しかし、身体はそれこそが本領である。
そして、ここからが本日の本題なのであるが、「恐山のイタコ状態」になっていると、「読んだことのない本」の内容が分かり、「会ったことのない人」の器量が値踏みできるというような芸当も出来てしまうのである。
今回、葉柳先生は、「なぜ読んだことのない本の内容をウチダは知っているかのように思考できるのか? そして、どうしてそういう思考をしているときのウチダは底意地が悪いのか?」という問いを立てられていたが、これはもちろん、シンクロニシティが発動するのは、ウチダの思考が邪悪化しているときだけだからである。
私が「物書き廃業」を宣言したのは、実はこのままばりばりと批評的なテクストを書き続けていると「人格交替」が起こってしまいそうだからだったのである。
ウチダも人の子。
金も欲しいが、「いい人」でもいたいのである。
3月15日
カリキュラム検討委員会で、「総文学生84人に聞きましたアンケート」の分析を行う。
アンケートの数値をどう読むかというのは、なかなかスリリングなことである。委員たちの意見は同一の数値についても、さまざまである。
「あなた自身は自分の基礎知識についてどういう評価をしていますか?」という設問に対して、84人中59人が「基礎知識に欠けているところもあるが、授業を受ける上では特に支障はない」、12人が「基礎知識に欠けているため、授業を理解できない」と回答した。
これをどう評価するか。
単純に、総文学生の85%は「基礎知識が欠けている」と読むのか。
委員会の結論はそうではない。
「自分に基礎知識が欠けているという自己評価ができるのは、『大学生である以上、これくらいの基礎知識が必要である』という達成目標が理解でき、それと自分の知識情報との落差が計測できた、ということである。そして『授業を受ける上では特に支障がない』ということは、その落差を授業を受けつつ『埋めている』という実感を得ているからである。これは教育が成功している、という数値である」
ものはいいようなのか、それともこれが正解なのか。
他の委員諸君も、なんとなく片づかない顔をしていた。
「政治経済についての知識が足りない」という回答をした学生が90%。
その足りない知識をどう補うかという質問には「新聞・本を熟読玩味することによって」と答えたのがそのうち91%。
なるほど。
しかるに「あなたは新聞の政治経済欄を読みますか?」という問いにYESと答えたのは全体の33%。
うーむ。
政治経済の知識の不足を実感していて、新聞・本を読んでそれを補填しようとしていて、それで、新聞の政治経済欄はお読みにならない?
うーむ。
先生にはよくわかんないよ。
自由記述では「政治経済関係の知識を与える授業を増やして欲しい」という回答がたくさんあった。
それって、自分で新聞を読まない学生さんたちが、授業で「新聞にはこんなことが書いてあるんだよ」と教えて欲しいということなのであろうか。
それって、「新聞読んでも、よくわかんないから」ということなのかな?
うーーーーむ。
困った。
困りつつ、温情会の会場である梅田の阪急インターナショナルへ向かうと、正門前でタクシーが横付けになり、中から院長秘書の黒瀬さんが「おいでおいで」をしている。
今日の温情会では院長の隣に坐りこんで、いろいろと耳に痛いご意見などを具申しようとしていたので、これは「飛んで火に入る夏の虫」状況である。
しかし、院長の温顔を見ると、「ご意見具申」の意欲は萎えて、たちまち「ヨイショのウチダ」と化し、教育トップ100校のWGについて「ウチダ先生、頼りにしてますよ。お願いしますね」と微笑みかけられると、「お任せ下さい。なあに、官僚的作文はウチダの本領でございますからして、大船に乗った気で」。
しかし、こういう全方位的八方美人外交を続けているといずれ天罰が下るな。
温情会では川村先生、岩田先生とやたらにまじめな話をする。
会が終わって、今日の幹事役の難波江先生とホテルのバーで軽く打ち上げ。
ナバちゃんと呑むのも久しぶりであるが、打てば響くというか、一を聞いて十を知るというか、コミュニケーションの実に楽な友人である。
難波江さんとももう十年のお付き合いになるが、なぜか一度として論争をしたことがない。彼も私もいろいろととんがった言動をする人間であるが、このトゲがお互いには決して向かわない。「刺さると痛そう」ということをお互いによく承知しているからかも知れない。
ふらふらと帰宅。
アマゾンで購入した『ツインピークス』ファーストシリーズ全編踏破の続き。
これがエピソード7のラストで、カイル・マクラクラン演じるクーパー捜査官がいきなり銃撃されたとことで「ぷつん」と終わってしまう。
そ、それはないでしょ。
エピソード8はどこなの?
ディスクはもう一枚あるが、これが「特典映像」で、話の続きじゃない。
そ、それはないでしょ。
クーパーさん、どうなっちゃうの? オードリーはお父ちゃんと売春宿で鉢合わせしてどうなっちゃうの? レオは死んだの? ジョシーとハンクはどういう契約交わしたの?
だいたいローラ・パーマーを殺したのは誰なの?
あああああ。
それは、あんまりだよ。
夜が明けるや夙川のTSUTAYAにまで走って『ツイン・ピークス』セカンドシリーズを探すが、影も形もない。
家にとって返してアマゾンで検索するが、VHSはすべて「在庫切れ」、DVDは「未発売」。
ああああああ、どうしたらいいんだ。
パラマウントさん、そりゃあ、ちょっと阿漕じゃないかい。
業務連絡:このホームページの読者の方で、『ツインピークス』のエピソード8以降のソフトをお持ちの方、言い値にて買い入れ・委細面談。
しかし、デヴィッド・リンチは癖になるな。
しかたがないので、アマゾンで『ローラ・パーマー最後の七日間』と『ブルーヴェルベット(無修正版)』を購入(VHSは持ってるんだけどさ)。(TSUTAYAで『ヒドゥン』を借りようかと思ったけれど、もう3回見てるし)
しかし、私は知らなかったけれど、『ツイン・ピークス』って、リチャード・ベイマーとラス・タンブリンが出てるんだよね。
はじめ Richard Beymer というクレジットを見たとき、「同じ名前の俳優がいるんだ・・・」と思っていて、全然気づかないで見ていたけれど、エピソード2でベンジャミン・ホーンが「にこっ」と笑ったとき、「お、おい、君、トニーじゃないの? え? リチャード・・・・ベイマー? 『あのリチャード・ベイマー』なの?」とパニックに陥る。
というのも、『ウェストサイド物語』を見たあと(1962年の夏休みだったなあ)、ジョージ・チャキリスのみならず、甘い二枚目のリチャード・ベイマーの「大きな口」がけっこう気に入っていた私はOne hand one heart を中学時代に愛唱していたのである。
ところが、たしか当時の『週間朝日』の映画評の中で、「リチャード・ベイマーは、『ウェストサイド物語』以後、作品に恵まれず、自殺した」という記事を読んだ記憶があるのである。
現に、それからあと40年間、私はかなり忠実なハリウッド映画ヴューアーであったにもかかわらず、一度としてスクリーンでリチャード・ベイマーに出会わなかった。
そして、その後も繰り返し『ウェストサイド物語』を見る度に、「リチャード・ベイマー、自殺しちゃったんだよね」と嘆息していたのである。
それが『ツインピークス』をごろごろ見ているうちに、「あれ???? この大口は? この人畜無害な笑顔は???」という「ありえない」想定にパニクったのである。
しかし、デヴィッド・リンチも不思議なキャスティングをする人である。
リチャード・ベイマーとラス・タンブリンを同じ作品に招くとは。
だって、トニーとリフだよ。
「死ぬときはいっしょだぜ、兄弟」の花田秀次郎と風間重吉だよ。
で、この二人が出会う場面がないの。(エピソード7までは、少なくとも)
どうなってしまうのであろうか。
おそらく、このあと、この二人には「ふかーい因縁がある」という展開になるはずである。(当然だよね。私がシナリオライターだったら、絶対そうする)
「やあトニー」
「お、リフ」
「ひさしぶりだね」
「ああ、あの高架下以来かな、あれは1960・・・」
「1961年だよ」
「あのときベルナルドに刺された傷は?」
「うん、まだ梅雨になるとじくじく痛むけどね、トニーは、どうしてたの?」
「うん、チコの一発が心臓にきちゃったからね。ま、あとが大変で。リフは、あれから医学部行ったの?」
「似合わないだろ? 東宝映画に出稼ぎに行ったり、ま、いろいろ苦労もあったけど。トニーは?」
「やっぱ金じゃん。世の中さ。で,ハーヴァードのビジネススクール夜間で出てさ(嘘)、逆玉でホテルのオーナーよ」
「お前、ワルくなったなあ」
「だって、マリアはあれからロバート・ワグナーと結婚しちゃうしさ。で死んじゃうだろ。ヨットで」
「そうそう、あれ気の毒だったよな」
「あれでもう、どうでもよくなっちゃってさ、ははは」
「ははは、でもさ、ツインピークスのガキどもってさ、ちょっと『ジェット団』ぽくない?ボビーとマイクがおれたちでさ、ジェームスとがベルナルドでレオがチコ?」
「あ、それありかも。二人とも髪黒いし、ちょっとアジア入ってるし」
「デヴィッド・リンチも『ウェストサイド』見て育ったってことだね」
「でも、このネタで笑えるやつって、1950年代だけだよね」
「そーだねー」(以下延々と続く)
3月14日
一昨日の朝日新聞、最後のe-メール時評に、「節税はいかがなものか」という一文を寄せた。
「税金を払うのは愛国心の至純なる表現である」というたいへんにまっとうな内容のものであったので、当然日本全国津々浦々から「お前は国税庁の回し者か!」というような罵倒メールが殺到するであろうと予期していたのであるが、二通「共感メール」が届いただけであった。ちょっと拍子抜け。
朝日新聞をご購読でない人のために、全文を再録する。
確定申告の季節になった。私の所得は給与と印税・原稿料だけで、必要経費はゼロであから、申告はたいへん簡単である。税金を払い終えると実にすがすがしい気分になる。
私はできるだけ多くの税金を納めて、国庫を豊かにすることが愛国心の発露の素朴なかたちであると信じている。だから、「節税」という言葉にはどうしてもなじむことができない。
「国益の確保」や「公共の福利」や「私権の制限」にはずいぶん熱心な政治家諸氏も、「国際社会への貢献」をめざす諸団体の方々も、こと「納税の義務」になると、とたんに熱意を失う。
なぜ愛国の至情や世界平和への祈願が納税義務の履行を動機づけないのか。おそらく、税金を国庫に託すより、使途を自己決定する方がより正しい選択がなされるという考え方が支配的になりつつあるからであろう。
しかし、その論法で「節税」が許されるのであれば、同じく他の「国民の義務」についてもひとしく減免が許されねば話の筋が通るまい。
憲法第26条に定める「子女に普通教育を受けさせる義務」については「節勉」が、第27条に定める「勤労の義務」については「節労」の追求が「自己決定」の原理に基づいて許されてよいはずである。
節労、節勉、節税。
できるだけ働かず、学ばず、納税しない。
それが国民の範例となるような国にどのような未来があるのか、私には想像が及ばないが。
繰り返し申し上げているように、私は「権力対私人」という二項対立図式を好まない。
「抑圧者対被抑圧者」も「強者対弱者」も「差別者と被差別者」も、どうも好きになれない。
このような善悪二元論は「子ども」にだけ許される思考法であって、いやしくも今ある社会システムの形成に「すでに参加してしまっている人間」が口にすべきことではないと思っているからである。
私は日本国のフルメンバーとしてさまざまの権利義務を仰せつかってすでに33年になる。
選挙権も被選挙権も与えられ、集会結社の自由も言論出版の自由も職業選択の自由も信教の自由も移動の自由も、すべて享受させて頂いた。
その上で「こんな日本」がある。
「こんな日本」にした責任の一部は私にあり、それゆえ私が「ひでえ世の中だな」という罵倒を口にするとき、その罵倒はそのまま私自身に帰ってくる。
したがって、私が「日本はろくな国じゃない」と言うときに、それは「批評」というよりは「自責」のことばなのである。
「困るじゃないか!」「すみません」という非難と謝罪を腹話術でやらないといけないのである。
そのことについては大方の国民はご納得頂けるだろうと思う。
問題は、この腹話術において、多くの方は「困るじゃないの!」という役ばかりやりたがって、「すみません」という役の引き受け手があまりいない、ということである。
私は「大人」というのは、こういうときに「誰もいないの? じゃ、ぼくがやるよ、その役」ということを言う人であると思っている。
私は先日の日記に、日本国憲法の定める三大義務「教育を受けさせる義務」「勤労の義務」「納税の義務」は「大人である義務」と同義であると書いた。
「大人」とは、「そういう人」のことである。
誰かがその役を引き受けないと話が始まらないような役を「じゃ、ぼくがやっときます」といって何気なく引き受けるような人、それが「大人」であると私は理解している。
このようなふるまいは「すべての国民は等しい権利を有し義務を負う」という前提からは導出できない。
許されているより多めに権利を行使する人がいるなら、誰かがその分の義務を抱え込まないと帳尻が合わない。そのときに、さらっと義務を多めに負う人、それが「大人」であり、それが日本国憲法が無言のうちに指示する日本国民の範例である。私はそう理解している。
私のところに来た二通のメールはいずれも「税金をできるだけ少なくしか払わないこと」が開明的で先進的な態度であるとする風潮を慨嘆したものであった。
「世論」のある傾向を代表するご意見ということで、ここに慎んでご紹介させていただく。
まず一通目はある自動車メーカーにお勤めの推理作家の方から
本日付の朝日新聞で内田先生の時評を拝読し、大いに敬服かつ共感しております。
自明の常識にもかかわらず、なかなか世に受け容れられていないのが残念ですが。
社会への貢献はどうあるべきかで、先日、他大学の某教授は「ボランティアこそ貢献の第一歩」と麗々しく書いており、小生は大いに怒ったものです。勤労と(その結果たる)納税こそがFIRSTにしてLASTではないか、と。
「自明の常識」が「なかなか世に受け容れられない」のはどうしてなのであろう。
それについては二通目のメールがヒントをくれる。
ちょうど私の自宅の前が国税局の駐車場の出入り口なので、申告の時期には交通整理の警備員がでて周辺があわただしくなる。国税局一番のお祭り騒ぎは何といっても3月のM商の集団がやってくる日である。それが今日。
とにかく集団で嫌がらせ申告しにやってくる。税務署も「M商の方こちら」って、外の吹きさらしのテーブルで受付をやっている。ちゃんと差別している。
毎年迷惑だけど見るのは楽しみである。
だいたい3月15日の数日前に、数百人いや千人こえるのか、大勢で列をなして申告にやってくる。国税局周辺の道路は機動隊がでてうちの前も有刺鉄線みたいな車止めが置かれ、バリケード封鎖される。右翼団体の街宣車が何台も嫌がらせの演説と軍歌を鳴らして、「国賊M商は日本の敵だ!」と、朝から午後3時くらいまでM商と警察と怒鳴りあっている。この日は警察官が立ち並ぶ厳戒態勢なので、知らない人は何事かって驚くのだけれど。年に一度の大騒ぎ見物はうちの恒例行事である。
M商というのはさる左翼政党に関連する団体であるかにうかがっている。
左翼の政治党派ができるだけ納税しないことをその支持者たちに指示するのは、革命党派としては当然のことであって怪しむに足りない。その一方で福祉や弱者救済のために多額の税金を国庫から支出することを彼らが政府に要求するのもまた至当のことである。
できるだけ払わず、できるだけ使わせる。
まさに革命党派はそうでなければならない。
私はその点については何の文句もない。
しかし、一点だけ気になることがあるので、お尋ねしたいと思う。
この戦略が奏功すれば、いずれ国庫はカラになり、日本政府は破産するであろう。
現政府が破産して倒壊し、晴れて国家権力を掌握したあとに、その党派の諸君はどうやって破綻した国家財政を再建するつもりなのであろう。
それについてお聞きしたいと思う。
すでに国庫はカラである。
それまでのブルジョワ政府の発行した国債はもちろん償還には及ばない。そんなものは紙屑である。買った方がバカなのである。かくして借金はチャラになった。
しかし、だからといって、革命政府発行の「人民ニッポン」新国債を買う人がいるだろうか?
私は懐疑的である。
では、とりあえずアメリカから借款?
うーん、ちょっと無理でしょ。なにしろ安保条約廃棄しちゃってるんだから。
ロシアも中国はどうか?
先方も手元不如意だからむずかしいだろう。
多少融通してくれるとしても、借款の代償に軍事条約の締結と、同盟費の負担と、在日駐留軍基地の永久貸与くらいは要求してくるだろう。
それはちょっと困る。
となるとどうなるか。
税金しか手はないではないか。
「人民にできるだけ多く払わせ、できるだけ国庫から人民には支出をしない」ということが革命政府のとりあえず喫緊の財政方針となる他ない。
覇権主義的諸国家の内政干渉をはねつけるためには国家防衛が最優先だから、税金の過半はまず軍備(核武装だな当然。だって一番低コストなんだから)に使われなければならない。
残りは革命推進の原動力たる党官僚と公務員の給与にまず配分される。
なんだか「どこかで見たような風景」である。
「できるだけ税金を払わず、できるだけ国庫から支出させる」という思想は「できるだけ税金を払わせ、できるだけ国庫からは支出しない」政体を支えるイデオロギーと同質のものであるということを「節税」する人たちはたぶんご理解されていない。
「外部に邪悪なものがおり、それが私の自己実現をはばんでいる」というおのれのイノセンスを前提にして状況を理解する思考は、気が向けば、どこまでも「身内」を縮小することができるし、どこまでも「外部」を拡大することができる。
私はこういうものを「子どもの世界観」であると考えている。
もちろん「子ども」が悪いわけではない。
イノセンスはよいものである。
邪悪なものに対する激しい憎しみはしばしば大きなエネルギー源になる。
しかし、みんながみんな「子ども」では世の中は立ち行かない。
だから、ある程度はいてもかまわないし、いた方が愉しいけれど、あまり数が多くても困る。
できれば、ある程度以上の数の「大人」がいないとまずいのではないかと私は思っている。
私が申し上げているのは、「払える人はばりばり税金を払い、困っている人には国庫から惜しまず支出する」というような政体が「望ましい」ということ、ただそれだけのことである。
もちろんM商のみなさんが節税に腐心されるのは彼らの自由である。
けれども、彼らが「節約した」分の税金は誰かが肩代わりしなければならない。
私はだから、「君たちもきちきち税金を払い給え」というようなことは申し上げない。(「子ども」にそんなこと言っても仕方がない)
そうではなくて、「じゃあ、おじさんが代わりに多めに払っといて上げるね」と申し上げているのである。
世の中というのは不公平なものである。
しかし、「まったく不公平なんだよね、ははは」と笑ってすませる人間が一定数存在するからこそ、この「不公平な世の中」はそれでも人間にとって居住可能な空間になっているのである。
「責務は人より多めに引き受けなさい」ということを私はレヴィナス先生から教わった。
「税金は早めに払ったほうがいいですよ」ということは甲野善紀先生から教わった。
こういう方々がいるおかげで世界は住むに値する場になっているのだと私は思う。
3月12日
これまで共同歩調をとってきた英米のあいだに温度差が生じて、イラク攻撃をめぐる国際的な緊張が高まってきた。
イラクの保持する大量破壊兵器の廃棄期限を17日とした英米の決議案に対して、仏独露は査察継続を求め、中間派6カ国は45日の延長を求め・・・四分五裂の安保理だが、ここへ来て英国内の反戦世論の高まりで米英に亀裂が生じた。
英は中間派の取り込みのために決議案の修正を試みたが、アメリカはこれを無視した。
タイムズの世論調査では、「決議案なしでもイラク攻撃」に賛成の市民派アメリカで55%、イギリスで19%。この世論の温度差は大きい。すでに足元の労働党からもブレア首相退陣要求が出ており、閣内からも批判が噴出してきている。
どうなってしまうのか。
おおかたの予測ではアメリカは単独でもイラク攻撃に踏み切るだろう、というものである。
もちろん私は開戦には反対である。ぜひともアメリカには思いとどまっていただきたいと思う。
アメリカの暴虐に対して怒っているからではない。
アメリカに同情しているからである。
このまま戦争に突入したのでは、アメリカの人たちがあまりに「かわいそう」だからである。
しかし、どうしても「やりたい」というのなら、静かに肩をすくめて立ち去るしかないだろう。
その所以を以下に述べる。
アメリカがこのままイギリスさえも取り残して、単独でイラク攻撃に踏み切った場合、そのあとの国際社会はどうなるか。
もちろん戦闘レベルでは米軍が圧勝するだろう。フセインはどこかに亡命するかも知れない。(リビアかスーダンかロシアか)
しかし、フセインなきあとのイラクに親米の民主政権、成熟した市民社会が誕生するという可能性はきわめて不確かだ。たぶん国内は四分五裂の内戦状態になるだろう。
これだけ長期に渡る独裁政権だ、その「重石」が取れたあとに、どれほどの反動が来るか、想像ができない。おそらくすさまじい暴力の嵐が吹き荒れるだろう。
かの「文明国」フランスでさえ、第二次大戦末期、ドイツ軍の撤退後、「対独協力者」5000人が同胞の手で「粛清」された。イラクでどれほどの規模の「粛清」がなされるか、想像したくない。
イラク攻撃がなされれば、まず戦争でアメリカ人にイラク人が殺され、政権転覆後、内戦と粛清でイラク人がイラク人に殺され、国内の混乱に乗じて国境を侵犯してくる非友好的な隣国や少数民族との戦闘でイラク人と周辺の人々が殺され、それらの死者を「弔う」ためにアメリカとその同盟諸国およびありとあらゆる敵対諸国に対するテロ行為で各国の人々が殺される・・・ということだけが確かである。
おそらくこの戦争がどう転ぼうとも、このあと数年にわたって、アメリカ国内ではこれまでとは比較にならないほどの頻度で、市民を標的にした無差別テロ(爆弾テロ、ハイジャック、生物化学兵器の散布など)が「自爆的テロリスト」の手によってなされることになるだろう。
アメリカの「イスラエル化」が始まる、ということだ。
爆弾と銃声と悲鳴と泣き叫ぶ市民と怒り狂う政治家の声だけが繰り返しメディアで報じられるような国が、この先国際社会で指導的な知見を語るということはもうなくなるだろうし、経済活動は深刻な打撃を受けるだろうし、人々の胸を躍らせた「アメリカン・ドリーム」の呪力は失われるだろうし、投資家も、留学生も、科学者も、芸術家も、観光客もアメリカを離れるだろう。
私はブッシュがイラク攻撃を宣言した日に「アメリカの没落」、それも急速な没落が始まると予想している。
「悪い予想」はいつも当たる。
しかし、それはアメリカ国民が選んだ未来である。
人はそれぞれ身の丈に合った「自分だけの不幸のかたち」を選ぶ。
なぜ、「自分だけの幸福のかたち」ではなく「自分だけの不幸のかたち」なのか。
それは、幸福は単一のものに帰着するが、不幸のかたちは無限に多種多様だからだ。
人間は「幸福であること」よりも「ユニークであること」により多くの価値を見出すような生き物である。
だから、「ユニークな不幸のかたち」を求めて「平凡な幸福」(国際社会からの信頼と敬意、安定した経済体制、豊かな文化資源、平和な毎日・・・)を棄てるという選択をアメリカ国民がしようとするのであれば、それを止める権利は誰にもない。
それはイラクや北朝鮮についても同様である。
サダム・フセインや金正日は悪逆無道の独裁者であるが、そのような指導者を頂く政体はそれぞれの国民の合意の上に形成されたものであり、イラクや北朝鮮の現体制は、それぞれの国民がみずから選んだ「彼らだけの不幸のかたち」である。
それを「もっと、みんなが幸福になれるような、ふつうの制度に変えろ」というのは「余計なお世話」である。
そういうことを求める方が間違っているのである。
だって、「ふつうじゃ、いやだ」というのがかの国民諸君の「本音」なのだから。
みなさん、他の国とは「とにかく」違っていたいのである。
そして、「他の国より『幸福になる方向に』違う」ということはありえない。
だって、「幸福」というのは人類全般に共通する無徴候的なものだからだ。
だから、オリジナリティやユニークさの追求は必ず「より不幸になる方向」に向かう。
そして、不幸な国の人々は、その不幸に耐えるためには「私たちの国ほどユニークな国は世界史上にも存在しない!」という方向で自らを慰撫するしかないのである。
そうやって、「ユニークな国」は、さらに前代未聞の国家的実験を繰り返し、これまで人類が決して試みたことのないような「新奇」さを追求し、ひたすら「不幸」になってゆくのである。
アメリカはその道を進み出した。
それはイラクと北朝鮮が「進んできた道」と同じ道である。
私たちはこのあと「アメリカ帝国の没落」というスペクタキュラーな歴史的プロセスを砂かぶりで拝見することになるだろう。
なぜ、あらゆる帝国は自滅するのか?
それは「幸福であること」に人間は耐えられないからである。
退屈だから。
3月12日
山のようにたまった郵便物をかたっぱしから開封して、返事を書くものには返事を書き、棄てるものは棄てる。
旺文社から封筒が来ている。
何だろう、誰かから献本かしら・・と思って開くと、「入試問題集」への掲載許諾のお願いである。
なんと、私の知らぬまに『「おじさん」的思考』が今年二つの高校入試の問題に使用されたのであった。(東海高校と学芸大付属高校)
そういえば去年、予備校から二回模試出題の許諾申し入れがあった。
そして、実際に入試に二回出たということは、予備校関係者の「予想」が的中したということである。まことにプロというのはたいしたものである。(模試の方は大学入試だったかも知れないが)
東海高校というところは存じ上げないが、学芸大付属高校にはまんざら縁がないわけではない。(私は「学芸大付属中学の偽卒業生」として、付属中のスキー合宿に先輩面して1970年から73年まで参加したことがある)
しかし、入試問題に採用されると聞くと、実は内心忸怩たるものがある。
というのは、私はかつて『ためらいの倫理学』にこう書いたことがあるからである。
「何を隠そう、私は受験生としてはすばらしく要領がよかった。現代国語の問題などでは、瞬時のうちに出題者が『どういう答えを書いて欲しいか』を読み当て、すらすらすいすいと心にもないことを書いて満点をとることができた。そして、十七歳くらいの子どもに下心を読まれる出題者のことを『バカだ』と思っていた。当然、『バカ』が出題する教科ほど私は高い点数をとった。」
私の文章を読みながら、「けっ、バカが」と鼻息を吹かしながら、「すらすらすいすいと心にもないことを書いている」十五歳の受験生のことを想像すると、どきどきしてしまうのである。
天に向かって唾を吐くとはこのことである。
もちろん入試問題はむずかしくて私にはまったく答えが分からなかった。(問一)
【問一】
太線部での作者の韜晦は何を意味しているのか、正しいものを一つ選びなさい
1・出題委員の知性とセンスに対する敬意を表そうとしている。
2・入試問題が解けずに高校を落ちてしまった受験生を励まそうとしている。
3・テクストの書き手が賢いのでバカには解けないのだと言おうとしている。
4・しかし、「書き手が賢いのでバカには解けない」ということになると、今問題を解きつつある私は「バカ」だということになってしまう。こ、これは困った、という窮状への同情を求めている。
5・自分が書いたテクストが入試問題に出ると「いやー、全然できねんだよ、これが(笑)」と言うことになっている「物書きのお約束」に従っている。
狂歌の出典について、次々と情報が寄せられた。
本願寺の藤本さん、一橋の佐々木先生、どうもありがとうございました。
オリジナルは
「ほゝとぎす自由自在にきく里は 酒屋へ三里豆腐やへ二里」
作者は頭光(つむりのひかり)(1754−96)本名、岸宇右衛門。江戸天明期を代表する狂歌師。四方赤良(よものあから、こと太田蜀山人)門下の逸材で、宿屋飯盛(やどやのめしもり)とともに「四天王」と称せられた。
「ほゝとぎす」は天明狂歌を代表する名吟。
佐々木先生のご指摘によれば、
「『鎌倉三代記』7段目≪絹川村閑居≫の時姫の出の浄瑠璃の文句。北条時政[実は家康]の娘の時姫(実は千姫)は、恋人の三浦之介[実は木村重成―この当たりから完全に虚構の世界]の実家[母方]に押しかけ女房に来ていて、姫装束に角隠し(埃よけ)をして、豆腐を買って戻ってくるという設定での、花道の姫の出の浄瑠璃にこの文句があります。作者は、多分近松半二、初演は天明元年(1781)」
おそらくこのころ、この一句は江戸中の人たちが「ちょいと酒屋へ」とか「ねえ、お豆腐買ってきて」とかいうたびに愛唱されていたのあろう。
しかし、「本歌取り」が言うのもなんであるが、「ほゝとぎす自由自在にきく里は」よりも「ティファニーの角を曲がって三軒目」の方が個人的には好きだな。立体感があって。
あのね、ウチダくん。バカ言っちゃいけませんよ。
君のパロディは全部「空間的比喩」だけじゃない。ところがオリジナルはちゃんと「ほゝとぎす」という「夏の季語」と「音響」が入っているわけよ。
初夏ののどかな村里。青空に響くほととぎすの声。薫風になぶられる緑の木々・・・
そういう聴覚、触覚、味覚、嗅覚をぜんぶ動員させて味わえるところが名吟の名吟たる所以なわけよ。君の「ティファニー」に音がある? 香りがある? うん?
シロートは困るよな、これだから。
なーに、言ってんだか。「ティファニー」から音がしない? 季節感がない?
もう、やだなー。勉強ばっかしてるおじさんは。
あのね、「ティファニー」は季語なの。すでに。
いつのかって?
12月だよ。
クリスマスの季語に決まってんじゃん。
音だって、あんだよ。ちゃんと。
「ティファニーの角を曲がって三軒目」の上の句で、「教養ある読者」はさ、頭の中にジヴァンシーのイブニングドレスにサングラスのオードリー・ヘップバーンの姿がばあんと浮かんでくるわけ。
で、寒いの。
朝早くだし、寝てないし、肩丸だしだから。
ああ、寒いなあ・・・はやく家にかえって、湯豆腐に熱燗で、あったまって、ごろごろ寝ちゃおっと・・・と思って角を曲がるとさ、きこえてくるわけ。どこからともなく。
ヘンリー・マンシーニの『ムーン・リバー』が。
はい、おあとの支度がよろしいようで。
3月10日
次々と送り込まれるゲラ校正に明け暮れる。
新曜社のゲラを直しているところに、大阪弁護士会の会報のロングインタビューのゲラが届く。来週には『映画の構造分析』のゲラが出ますと晶文社の安藤さんから電話がある。
朝日のeメール時評最終回の締め切りも明日。
医学書院と柏書房と本願寺出版社と洋泉社からキックが入る。(本願寺と洋泉社からのキックはかなり「きつめ」である)
NHKから「人間講座」という番組で現代思想の講座をどうかというオッファーが来る。
「新規受注はいたしません」とお断りする。
とても感じの良いオッファーのしかただったし、制作者の熱意も伝わってきたのであるが、いまの私には番組用のテキストを書いて、テレビに出る暇はない。自己評価委員会のレポート二種類と、総文シンポの原稿と、『トップ100校』のラフプランを今週中に仕上げないといけないし、四月からの授業の「仕込み」もまだ何もやっていない。レヴィナス論も春休みのあいだに書き上げないと、次はいつ取り組めるか、見当もつかない。
あああ、忙しい。
そこへリクルートの受験生雑誌のインタビューがあるので、ネクタイをきりりと締め上げて大学へでかける。
高校二年生のための進学案内号だそうである。
高校生に「神戸女学院大学に行きたい!」と思っていただけるように、「うちの大学は愉しいよ」と1時間必死にアピールする。
ああ、疲れた。
いったいどこが「春休み」なのであろう。
フジイ君が『おとぼけ映画批評』を更新してくれた。大変読みやすくなりましたので、お暇な方はご笑覧下さい。最近書いたのはデヴィッド・リンチ論です。
3月9日
「かなぴょん」こと林佳奈ちゃんと、東大気錬会の内古閑伸之くんの結婚式が東京會舘であった。
定宿の学士会館から青空寒風の皇居前をタクシーで式場へ。
早く着きすぎたけれど、内古閑君はもうロビーで友人たちと打ち合わせをしていた。
さっそくご挨拶して、ひとりでコーヒーを呑みつつ昨日の日記をシグマリオンでばしばし打つ。
ふと顔を上げると、硝子戸越しに、笑顔の多田先生が手を振っておられる。
先生も私と同じく気が早い。集合予定時刻の45分前にご到着である。
内古閑君といっしょに玄関前で最敬礼でお迎えする。
「いや、電車が遅れたりすると、あれだからね」と小声でつぶやいておられたけれど、多田先生も今日の結婚式にはけっこうワクワクされていて、つい早出をしてしまわれたのであろうと推察。
先生とふたりで静かなティールームでお茶する。
「先生、いい天気でよかったですね」
「うん、そうだね・・・風が冷たいけれどね」
「マラソンですかね、あれは」
「僕らはね、中学生の時に皇居のまわりを走らされたんだよ。今の九段高校だから。三宅坂下って、二重橋のまえを通って、最後が九段坂だろ。こっちは腹減ってるから、最後がきつくねて(笑)」
というような会話が静かに30分ほど交わされる。
多田先生とこういうふうに、何でもないような話をしているときが、弟子としては至福の時間である。
愛弟子かなぴょん結婚式の開始を待ちながら、恩師多田先生と東京會舘のティールームで小津安二郎的会話を静かに愉しむ。
よき師、よき弟子に恵まれたウチダの人生を凝縮するような「ワンカット」である。
ああ、なんという満ち足りた時間であろう。
結婚する二人を祝福するかのように、空は雲一つなく、皇居前の風景は先生がふと戦時中を思い出されたほどに(コアな小津ファンとして言えば『お茶漬けの味』の冒頭のシークエンスのように)、透明で静謐である。
時間となって、11階に上がる。
神戸女学院合気道会の諸君(ほぼ全員)、かなちゃんのお友だち(森君、秋枝君などその多くは私の教え子でもある)がばりばり着飾って集まっている。
雑賀君はじめとする東大気錬会の諸君も正装で続々登場。
なんだか「多田塾合宿」フォーマル版のような感じである。
るんちゃんもばりっとして登場。
一瞬、「どうして?」と不思議な感じがする。
この前神戸に来たときに三宮のそごうで結婚式用の靴を買ってあげて、「じゃ、次は結婚式会場でね」と別れたはずなのであるが、それでも多田先生と工藤君のあいだにるんちゃんの姿が見えると、その違和感に、「え、ど、どうしてるんちゃん、ここにいるの?」という錯乱状態になる。
結婚式の詳細については書いているともうきりがないから、割愛。
私は主賓としてスピーチをしたのであるが、なにしろ「この世でただひとり頭の上がらないお師匠さま」と「この世でただひとり私に面とむかって痛烈な罵倒を辞さない娘」の前でお話をするので、ふだんの調子が出ないで、ちょっと噛んでしまった。勘弁ね。
でも多田先生のお話はすばらしかったし、ヤベッチ、クー、おいちゃんトリオのフラダンスも笑えて泣けた。
とにかく愉快で気持ちのこもったとてもとてもすてきな結婚式でありました。
これほど多くの人に心のこもった祝福を受けたカップルを私はかつて見たことがない。
内古閑君、佳奈ちゃん、お幸せにね。
でも、この二人って、このあと箱根に骨休めに行ってから、気錬会の合宿に参加するんだそうである。新婚旅行の後半が合気道の合宿っていうのも、ほんとに珍しい人たちだよね。
恒例の「ブーケ・トス」ではウッキーが花束をゲット。
ほんとうはおいちゃんの手の中にすっぽり収まる角度だったんだけれど、ウッキーがすばやく反応して、横からキャッチ、日頃の鍛錬の違いを見せつけた。稽古が足りんぞ、おいちゃん。
3月8日
私の上京に合わせて、日比谷高校の級友諸君がクラス会を開いてくれた。
肝いりはいつもの藤田“永世幹事”直行くんであるが、彼の采配よろしきを得て、今回はひさしぶりに「1967年の日比谷高校ワースト四悪童」が一堂に会した。
1967年のワースト4というのは高橋規一くん、板垣恵一くん、逸見徹くん、そして私の四人である。
主観的にはそれほど悪いことをした意識はないのであるが、(「ワースト4」というのは制度的には「学年でビリから四人」という意味である)当時の級友たちの証言を徴するならば、私たちのせいで、級友たちは教場における集中をいちじるしく阻害され(そのために私たちの毒気の吸引範囲に座席を有していた藤田くん菅谷彰くんはじめ多くの級友は心ならずも浪人を余儀なくされた)、教師たちもその教育的情熱の過半を失い、それがために日比谷高校の凋落の遠因となったとされているほどに態度が悪かったらしいのである。
私ははやばやと高校二年で学校から追放されたが、残る三人は年季を全うされて、私なきあとも卒業まで孜孜としてその「反教育的活動」に専念せられた由である。
しかし、不思議なのは、当時教師たちから「日比谷高校の恥」あるいは「癌」などと告知されたこの悪童たちが、その後、神罰仏罰もゼウスの雷撃も受けることなく、さらに悪逆無道の限りを尽くし、それぞれに世にはびこっておられることである。
高橋くんはその後外科医となられ、いくつかの病院を経営されるかたわら、赤倉では滑降レースのコーチを勤め、デイトナでは自らのチームを率いてポルシェを疾駆させるスーパードクター、「西台のブラックジャック」として近隣の病める人々の深い敬意を集めている。
板垣くんはさまざまなニッチ・ビジネスを経験されたあと、映画編集者となり、宮崎駿映画の「予告編」制作者として、ほとんどすべての宮崎作品に参加されておられる。だから、『トトロ』や『千と千尋』などを見て、ぐすぐすと涙ぐんで最後のクレジットを眺めているたびにご高名を拝見して、「ああ、恵一くん、ジブリのお仕事してるんだ」と確認することができるのである。(今回はたいへんにお若い奥様をお連れになっていた)
逸見くんは某大手広告代理店の幹部となられた今も無法ぶりは十代のころとあまりお変わりがないようで、ジャックダニエルのグラスを傾け、紫煙に目を細めつつ、「ま、なんだな、最近のわけーもんは、世間をダマすテクつうもんがわかっとらんわな」などと神をも恐れぬ言葉を依然として発しておられた。
かの悪童たちがいずれも無事に知命を過ぎ、それぞれの業界で立派にお仕事をされているのを見て、心なごみつつ、名刺交換のときに目を細めて、「おい、ウチダの名刺、字が薄くて読めねーぞ」と老眼鏡を探すあたりに歳月の重みを感じるウチダなのではありました。
昨日の会には公務多用のために、“ボンクラの帝王”小口のかっちゃん(某医科大学理事長)と“お玉ヶ池最後の博徒”ユウイチくん(今井モータース社長)がお見えにならなかったのがまことに残念であった。
なお彼らの少年時代の初々しい面影を知りたい方は本ホームページの「非日常写真館」をご覧下さい。
3月7日
雨が続く。日曜日に干した洗濯物がまだ取り込めずに、ベランダでぐずぐずしている。
低気圧なので、ぼおっと起きだして、明日の日比谷のクラス会の連絡をナカイのタマちゃんに入れる。
タマちゃんは高校の同級生で、同業者である。(NHKのフランス語講座の先生だったから、業界的にはウチダの1000倍くらい有名人である)
タマちゃんは少し前まではお隣のK南女子大の先生だったけれど、数年前から東京のS百合女子大というところの仏文の先生になった。
「どう、元気にしてる?」
という挨拶もそこそこに、大学がもう大変でさ、という愚痴の応酬になる。
S百合女子大の仏文は定員120名だそうである。
それだけの定員を毎年確保するのはたしかに大変だろうと思う。これから2009年にかけて18歳人口が激減する中で、その定員を確保し、かつ教育内容を維持するのは絶望的に不可能だろう。
そもそも大学ではぜひフランス語とフランス文学を専攻したいと切望している受験生がいったい、今の日本に何人いるのであろうか。
1000人もいない、と私は思う。
東大の仏文でも、進学してくるのは毎年せいぜい数人だろう。以前、東大独文では進学者がゼロの年があった。仏文でも事情は変わるまい。
当然だと思う。
だって、いまどきの16歳や17歳の少年少女は「フランス」に何の興味もないのだから。
私が高校生の時代(1960年代の後半)に、「文学派」の子どもたちはサガンやサドやラディゲやランボーやニザンを読んでいた。「哲学派」はサルトルやカミュやメルロー=ポンティを読んでいた。「早熟派」の諸君はすでにブランショやデリダを読んでいた。「映画派」はゴダールやトリュフォーを見ていた。「音楽派」はジョニー・アリディやシルヴィ・バルタンやジャック・ルーシェを聴いていた。そこにどどどとレヴィ=ストロース、アルチュセール、バルト、ラカン、フーコーらが雪崩込んできたのである。
だから、その時代の高校生にとって「フランス語ができる」ということは、当今の「TOEICが900点」というのと同じくらいの知的ステイタスだったのである。
私が進学した73年の仏文科は一学年30名を越していた。文III全体で370人だから全人文科学系学生の10%近くが仏文科に進んだ勘定である。
いまは「そういう時代」ではない。
もちろんフランス文化自体は今でもそれなりの厚みを維持しているし、質の高い文化的生産物を送り出してはいる。(だいぶテンションは下がっていることは否めないが)
けれど、それを「直輸入一手販売」していたわが「仏文業界」はこの30年間、市場の確保やニーズの掘り起こしや新規商品の開発のために、まるで何もしてこなかったのである。
便々と過去の遺産にあぐらをかいて、重箱の隅をつつくようなマニアックな訓詁学を「手堅い研究業績」としてほめあげてきただけだ。
そして、フランスの文物を受容し消費し享受する成熟した知的マーケットそのものが消滅するさまを、ただ「ぼおっ」と眺めていたのである。
過去30年間、その仏文的教養を、日本社会の知的深化と成熟のために惜しまず注いだ仏文学者の名前を私たちは何人挙げることができるだろう。
ほとんどの仏文学者は「フランス文学」や「フランス思想」はたいへんにハイブラウなものであるから、「無学なものは敬して近づかないように」という排他的な視線をこの30年間あたりに投げかけ続けてきた。
彼らにとって批評の基準は「業界内的」なものに限定されており、彼らがその動向に配慮すべき「マーケット」には「大学教員ポストの配分にかかわる人々」しか含まれていなかった。
そういうふうにして、私たちの業界は、研究業績を「業界内部的な価値観」に基づいて判定されること以外には何も関心もない研究者を30年にわたって育成してきたのである。
彼らは「業界外部」というものが存在するということを考えたこともない。
だから、いずれ「業界外部」から、「そんな業界が存在するなんて、知らなかった」という告知がつきつけられることになる可能性についても考えたことがなかったのである。
どのような業界であれ、「新人」たちは「ウッドビー業界人」たる「業界外」の少年少女の中からリクルートされる。だから、参入してくる新人の質を上げようと思ったら、少年少女たちに「いつか仏文学者になりたい!」と思わせるような「外向きの」パフォーマンスを業界人はつねに心がけなければならないのである。
そんなのは、当たり前のことである。
「おじさん、強いんだね!」
「ふふふ、それほどでもないよ」
「どうしたら、そんなに強くなれるの?」
「それはね、坊や。合気道をしているからなんだよ」
「え、ぼくもやりたいよお! 教えて、おじさん!」
「まだちょっと早いかな、坊やには。大きくなったら、この道場に私を訊ねておいで(はい名刺)、じゃあね」
「おじさーん! ぼく必ず行くよお!」
というようなのが「新人リクルート」の基本である。
むずかしい話ではない。
しかし、仏文業界はその「基本」を忘れたまま30年を過ごしてきた。
そして、その結果、私たちに向かって「おじさーん、フランス文学教えてー!」と期待に身体をふるわせて叫ぶような少年少女が一人もいなくなってしまったのである。
新人が供給されなくなるということは、「仏文業界」そのものが消滅することを意味している。
これほど単純なことに30年間うちの業界のみなさんは誰も気づかなかったのである。
滅びて当然だと思う。
3月6日
確定申告に行く。
芦屋に引っ越してきたので、税務署まで原チャリで3分で行ける。並んでいる人もあまりいないので、納税もぐんと楽になり、ますます納税意欲が昂進してきた。
私の申告は早い。
なにしろ所得の費目が「給与」と「雑所得」の二種類しかなく、経費が「ゼロ」なのである。節税専門家のジロー先生が聞いたら、怒り出すであろうが、ほんとうに経費ゼロなのだからしかたがない。
私の仕事に要るのは書籍と映画ソフトだけである。それらはほとんど大学から支給される研究費でまかなえる。
エンターテインメント系の書籍と映画は自腹で買うが、これは純然たる「享楽」であって、もとより「経費」として計上すべきすじのものではない。
武道のお稽古もほとんど経費を要さない。
関連する支出の中では、東京の多田先生の講習会に参加するときの交通費講習料とか、能楽のお稽古で下川先生にお納めしているお月謝お役料とかが、「身体論研究のための資料収集ならびに専門的助言への謝金」に該当するかも知れないが、いくら私が図々しくても、多田先生に講習料をお納めするときに、「センセイ、確定申告のときに経費で落としますから、領収書下さい」とは言えない。
あとはパソコンや通信関連のものが経費と言えば経費と言えなくもないが、これとて仕事と遊びのあいだのボーダーは限りなくグレーである。
つまり、私はほとんど朝から晩まで個人的な愉しみに興じているわけであり、その「遊び」の余禄がときどき論文やら書物やらのかたちで「仕事」として物質化することはあるが、あの「愉しみのとき」をそのような「仕事」をなしとげるための先行的な投資である、というようなことは申し上げにくいのである。
というわけで、私は毎年すがすがしく「経費ゼロ」で申告しているわけである。
当然、所得税は多い。
しかし、納税は憲法第30条に定めるところの「国民の義務」である。
できるだけ多くの税金を国庫にお納めするのが「愛国心」の発露のもっとも素朴にして至純の形態であると私は信じている。
しかるに「公共の福利」だの「国益の擁護」だの「私権の制限」だのということを声高におっしゃる方々のうちに、この「国民の義務」を軽視される方が散見されるのがウチダにはよく理解できないのである。
国際社会どうであるとか、構造改革がどうであるとか大言壮語する前に、政治家諸君はまず税金を払い給え。
話はそれからだ。
私は「愛国者」であるから、まずできるだけ多くの税金をすみやかにお納めするという素朴な義務の履行から国益に貢献したいと考えているのである。
去年はずいぶん仕事をしたような気がするが、計算してみたら、「雑所得」は450万円ほどであった。
そのうち10%が源泉でさっぴかれ、90万円が今回追徴され、自己破産者に200万円を騙し取られ、引越に200万円あまりかかったので、この一年の収支は「赤字」である。
結局、一年間身を粉にして働いて手元に残ったのは、アルマーニのスーツが二着と、アカスキュータムのコートが一着だけであった。
しかし、この「身を粉に」活動によって、今後久しくウチダの安定的収入源となるはずの数千人の「ウチダ本の定期購読者」という方々がゲットせられたのであるから、総じて、財政的にも「よい一年」であったと申し上げてよろしいであろう。
という前向きな総括を行って、税務署を後にし、その足で銀行の窓口に駆け込み、税金をお納めする。
ああ、国民の義務を果たしたあとは気持ちがいいなあ。
ところで、最近の若い人の中には憲法が国民の義務を定めているということをご存知ない方がおられるかに仄聞しているので、この機会に改めて、私たち日本国民の「義務」について確認をさせて頂きたい。
三大義務とは
(1)教育の義務「すべての国民は法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う」(憲法第26条)
(2)勤労の義務「すべての国民は勤労の権利を有し、義務を負う。」(憲法第27条)
(3)納税の義務「国民は法律の定めるところにより、納税の義務を負う。」(憲法第30条)
「保護すべき子女」がおり、「勤労しており」、かつ「納税している」もの。それが日本国憲法が想定している「日本国民」の原像である。
憲法は「大人」を相手に話をしている。
この法律が言う「日本国民」とは「大人」のことなのである。
「子ども」や「遊民」や「脱税者」は「日本国民」のフルメンバーとしては想定されていない。
つまり、この「国民の三大義務」を論理的に基礎づけているのは、「国民はすべからく大人でなければならない」という(条文化されざる)「大人である義務」なのである。
なんと、奥行きのある憲法ではないか。
「大人になれよ」
日本国憲法は無言のまま私たちにそう語りかけているのである。
というわけだから、確定申告がお済みでない諸君は、ただちに粛々と国民の義務を果たし、爽快な気分で税務署を後にしていただきたいとウチダは思う。
3月4日
今日はオフだろうと思っていたが、ダイヤリーを見たら後期入試であった。やれやれ。
春休みのはずなのだが、「何もない日」というのがまるでない。
毎日、あちこちかけずり回っている。
角川の初校ゲラを真っ赤にして送り返したと思ってほっとしていたら、すぐに新曜社のゲラが届いた。
おまけに枚数が足りないから、あと30頁分書き足してという注文付きである。
がーーーん。
たしか洋泉社の原稿も今月中にお渡ししますと約束してしまったような気がする。(気がするんじゃなくて、ほんとに約束したのだ。そのときは三月なんて三月になるまで来ないだろうと思っていたのであるが、ちゃんと二月が終わると三月は来るのである)
あああ。
本願寺方面からもきついキックが入ってきた。
あああああ。
しかし、私が今書いているのは海鳥社のレヴィナス論なのである。これにきっちりカタをつけないことには、次の仕事にはかかれない。
どうすればよいのであろうか。
よく分からない。
よく分からないので、とりあえず、ウィスキーを呑みながら、新曜社のゲラを直す。
たちまち酔眼朦朧となって、「休憩室」に倒れ込んで、デヴィッド・リンチの『ロスト・ハイウェイ』の続きを見る。
二度目なのに、なんでこんなに怖いんだ。(昨夜見てたんだけど、あまりに怖くて、途中で、何度もあたりを見回した。本棚の文庫本が「ばさっ」と倒れただけで「ひええええ」と跳び上がる。誰かがあのとき私の背中を「とん」と叩いたらおそらく心臓麻痺で即死していたであろう)
『ロストハイウェイ』の映画批評については、「おとぼけ映画批評」をご覧下さい。
映画を見終わって、井上雄彦の『バカボンド』の16巻をごろごろしながら読んでいたら、甲野善紀先生から電話がかかってきた。
先日の朝日新聞の記事が出たあと、甲野先生のホームページのカウンターがぐるぐる回りだして、とうとう一日3000ヒット(!)になってしまったそうである。
岩波の本もなんだかとんでもない売れ行きだそうである。
これはいったい、どのような社会的地殻変動の兆候なのであろうか、ということについて先生とお話しする。
甲野先生はつねづねご自身で言っておられるように、ほんらいはおそらく「裏の人」である。
メインストリームに対するアンチテーゼの鋭さが持ち味なのだが、そのような尖鋭な批評性が「朝日・岩波・NHK」的なメインストリーム・カルチャーによって「公認」されるということは、それだけ「表」のシステムにガタが来ているということなのかもしれませんね、という結論に落ち着く。
ある種の文化的な「パラダイム・シフト」が武術の蔵する術理の深みと普遍性をひとつの支点にして、いま進行しつつあるのかもしれない。
それが日本の伝統的な文化の適切な再評価と、それに基礎づけられた「まっとうな」社会の再構築にリンクするのであれば、(武道と能楽と大学教育への「レスペクト」の回復のために日々奔走しているウチダとしても)たいへんにうれしいことである。
そういうトレンドが生まれつつあるのだとしたら、ほんとうにうれしいことである。
話のついでに、新曜社の武道論の「あとがき」を甲野先生におねだりしたら、快諾して頂けた。
ただでさえ殺人的に忙しい甲野先生にまたまた原稿を頼んでしまって、まことに申し訳ないけれど、私の本も、あえて言えば、甲野先生を波頭とする巨大な怒濤のひとつの細波ではあるわけである。
だから、甲野先生が私の本の「あとがき」を書いて下さるのは、若旦那がへっぴり腰で売り歩いている「唐茄子」を、「おう、若えの、あすびが過ぎて勘当食って、唐茄子売ってるんだってね。そりゃあ、ご苦労なこった。景気づけに二つ三つ買ってやろうじゃないの」とお買いあげ下さる奇特なお客のようなご配慮なのである。(@『唐茄子屋政談』)(分かりにくい比喩ですまない)
佐藤友亮さんの「そこが問題では内科医?」の連載が始まり、そこにさらに江弘毅さんからも「連載」の原稿が送信されてきたので、今週二本目の新連載の始まりである。
「江弘毅の『街でいちばん”だんじり”なエディターの甘く危険な日々』というタイトルを恒例により勝手につける。
なんだかすごいことになってきた。
連載ウェブ日記はすでに私のホームページでは8本が掲載されているが、佐藤さん江さんで、ついに連載10本となった。
ちょうどよい機会であるから、なぜ、私がこのようなかたちでホームページをみなさんの連載エッセイに開放しているのか、その理由についてご説明したいと思う。
おそらく現在世界には数億からのウェブサイトが存在するであろうが、個人が提供しているものは、そのほとんどすべてが「ホームページ」という質のものである。
つまり「私的言説空間」である。
もちろん「公的言説空間」という名称で管理されている言説編制に「私」的なものを対抗させるのは生産的なことだ。
それは70年代にIBMのスーパーコンピュータにApple がパーソナル・コンピュータを対抗させたのと同一の文脈で理解できる。
それは「均質的なもの」の支配に対して「個別性・多様性」の市民権を要求することだ。
しかし、「個別性・多様性」の拠点であるべき「ホームページ」が私的言説空間として、「私」の均質性に充満しているとしたら、どうだろうか。
「私の日記」「私の経歴」「私の愛読書」「私の愛犬」「私の好きな音楽」・・・
「公的空間の均質性」に不快を感じる人が、自分の「私的空間」が均質的であることに何の不快も感じないというのは、なんとなく背理的であるような気が私にはする。
私は自分が「首尾一貫していること」にさえ不快を感じる人間である。
「自分が首尾一貫していることに不快を感じる人間である」ことの首尾一貫性に対してさえ不快を感じる人間である。
と、書いている語り口の常同性についてさえ不快を感じる人間である・・・(あ、もう止めよう。きりがないから)
というわけで。
私はわがホームページが「ウチダ的なもの」に充満することを是非とも避けたい。
だから、ホームページのデザインはフジイ芸術監督にお任せし、BBSには好き放題「ウチダの悪口」を書いていただいて、コンテンツのメインを「他人の日記」にしたのである。
もし私に個性というものがあるとしたら、それはせめて「自分の個性のようなものを固定的にはとらえたくないんだよ、オレはさ」的な「メタ個性」という水準に定位したいと思っている。
どっちにしても、「自分の常同性から逃れるみぶりの常同性」からは誰も逃れられないから、仕方がないんだけど、「その『不能性』に気づかないでやんのバカだね、ウチダは」と思われるのはヤなのである。
となると、自分のバカさを誰より先に指摘するしか手がないわけだ、これが。
で、それをひとりでやると、いま書いている文章のような自己言及のスパイラル的な「しょーもないもの」にしかならない。
これは書いている本人もうんざりするし、読む方だって、「ウチダよー、おめーは、そんなにまでして、人から『バカだ』と思われたくないわけ?」というため息まじりの半畳が入ることは必至であるから、これはウチダの美意識からしても是非とも避けたい事態である。
というところではじめて「他者」という問題に出会うわけである。
自分のバカさについて自己言及しなくても、バカだと思われずにすむ方法。
それは「他者」にことばを託すことである。
これがどういうわけか、「コロンブスの卵」だったのである。
というわけで、私は自分のホームページの「玄関」を「自分の日記」ではなく、「他者の日記」に譲るという妙手を思いついたのである。
つまり私のホームページをそっくり「シニフィアンにする」という手である。
むかし、パラシオスとゼウキシスが「どちらがより写実的に絵を描けるか」競ったことがある。
ゼウキシスは葡萄の絵を描いた。
それがあまりに写実的だったので、鳥が啄みに来た。
ゼウキシスは勝ち誇ってパラシオスを振り返った。
ところが壁に描かれたパラシオスの絵には覆いがかかっていて見えない。
「おい、覆いを取って、絵を見せろよ」
とゼウキシスが言った瞬間に勝負は決まった。
パラシオスは「覆いがかかって見えない絵」の絵を壁に描いていたのである。(おしまい)
何かを「意味ありげ」に見せるもっとも効果的な方法は「これには何の意味もない」と宣言することである。
少なくとも、そう宣言する人間はそこに欠落しているものが何であるかを知っているということをこの宣言は暗に告知するからである。
同じように、いかなる懐疑をもまぬかれる「シニフィエ」を基礎づけるための最良の方法は「すべてをシニフィアンにすること」なのである。
私の「パーソナル・アイデンティティ」というのが、このホームページを通じて私が到成しようとしているものである。
だとすれば、そのためにもっとも効果的な方法は、「私の中で他者が語ること」ではあるまいか。
なるほど、と私はラカンを読んで思った。
私たちが「象徴界」の住人であるというのは「そういうこと」である。
3月3日
そういえば右の鼻が詰まって久しい。去年の秋から鼻が通らない。どうしてなんだろう。
腹部の疼痛も一月ほど続いている。どうしてなんだろう。
背中の筋肉痛ももう半年を過ぎてまだ治らない。どうしてなんだろう。
その全部が同時に不調になると、さすがに夜中に苦しくて目が醒めることもある。
でお、ま、いいか、いますぐ死ぬわけじゃないだろうから(たぶん)、とふとんをかぶってまた寝てしまう。
この「ま、いいか」という諦めのよさが年を取ることのよいところである。
なにしろ体調が万全ということがこの10年くらい一日としてないのである。
体調が悪いのが常態なので、もう慣れちゃったのである。
病気でありながら平然と武道の稽古をし、能のお稽古に通い、ばんばん原稿を書き、がぶがぶ酒を呑んでいるわけである。
具合が悪くても、別に日常の活動に支障がないなら、それはもう「具合が悪い」とは言われない。
ただ、日常的に三重苦なので、もう一つ加わるとけっこうしんどい。(歯が痛いとか、微熱があるとかいうことになると、四重苦五重苦だから)
今日は雨が降って低気圧だったので、頭がどんより重く、当然古傷の膝も痛みだして、三・八重苦くらいである。
それでも早起きして、『学士会報』用の原稿を一本(12枚)書いて、能のお稽古に出かけて『鵺』のおさらいをして、『船弁慶』の舞働を見て頂く。
帰りに、四国の守さんに丸洗いしてもらうために紋付きを送り、ついでに東京のフジイに「快気祝」を送り、岩波書店から送ってもらった『女性学事典』のお礼状を書く。
マルちゃんの天ぷらそばを食べてからレヴィナス論の続きを書いているうちに時間になって大学へ行き、居合の稽古をして一汗かいてから、杖のお稽古。
帰りにTSUTAYAに『アリー』のDVDを返して、お風呂上がりにビールを呑みながら『ミーツ』を読んで(「街場の現代思想」もこれで最終回)、守さんに送っていただいた「うどん」を食べる。(美味しい!)
身体中あちこち痛んで具合はさっぱりだけれど、それでもよろよろ生きている人生はけっこう充実。
何日か前の新聞でサッカーの中山雅史さんが、毎朝起きるときは全身ぼろぼろに痛くて、ぐえーっとうめきながら起き出すんだけれど、それでもプレーをするときは「平気」という話をしていた。
トップアスリートというのは、「いつも絶好調」の人のことではなく、全身ぼろぼろでも「別に・・・」という感じでそれなりのパフォーマンスが出来る人のことらしい。
こっちはたとえ足腰が立たなくても、目が見えて、指が動けばとりあえずアキナイに支障はないというお気楽な渡世である。文句を言っては罰が当たる。
ワインを呑みながら『たけしのTVタックル』を見ていたら、イラク攻撃についてあれこれと議論をしている。
どういう議論が展開されているのか、よく分からない。(みんながなり立てて人の話を聞かないんだもん)
「国際社会でバカにされないために・・・」というのが出席者全員に共通の前提らしかったけれど、こういうような排他的なマナーでしか議論できないような人々が国際社会で誰かの敬意も得るということがありうるのだろうか。
私は懐疑的である。
鈴木晶先生が『朝まで生TV』を見て、なんだか厭世的になっておられたようだけれど、私も同感である。
戦争が近いときであればこそ、それにどう対応するかという政治的岐路にあるときだからこそ、自説はていねいに静かな声で語り、もっとも受け容れがたい異論に忍耐強く耳を傾けるという対話的マナーがふだん以上に意識的に採択されるべきではないのだろうか。
「危機に臨んだときに声がでかくなる奴には決してついてゆくな」というのは私が半世紀生きてきて確信を込めて言えることである。
しかし、そのような知見を共有する人たちは、ほとんどメディアには出てこない。
3月1日
かなぴょんの「追い出し稽古」。
大学一年生から合気道を始めて6年間。
実によくお稽古をした人であった。
ゼミでの卒論も博士前期課程での修士論文もどちらも武道論で、私がいずれも指導教員だったのである。
ウチダが手塩に掛けて育ててきたそのかなぴょんが、いよいよ来週結婚することになった。
神戸女学院合気道会の道友たちも大挙して上京する予定である。
かなぴょんの最後の稽古を祝い、わが家で小宴会。
リクエストされた「颱風カレー」と「水餃子」をご賞味頂く。
かなぴょんは「カレー」が食べられない人なのであるが、なぜか私の作る「激辛颱風カレー」だけは食べられる。
夜になってから稽古に出られなかったセトッチたちOGも参加。にぎやかなパーティとなった。
宴深更に及ぶと、例によって「霊」と「愛」と「武道」の話で盛り上がる。
11時ころにみなさんお帰りになり、ひとり静かにウィスキーなど呑みながら、『アリー』のセカンド・シリーズの続きを見る。
あいかわらず情緒的成熟のあとが見られないフィッシュ&ケイジ法律事務所の諸君である。
「おめーら、もう少し大人になれよ」
と小声で突っ込みを入れる。