五月の鯉の吹きなが思想家の冒険

Les aventures d'un penseur sans fond: depuis janvier 2003



4月29日

ダイヤリーを開くと今日の欄は「まっしろ」である。

何の予定もない一日。

さっそく締め切りを三月のばしてもらった洋泉社の原稿整理を始める。

新規の書き下ろしは数十枚ほどで、あとはウェブ日記やあちこちのメディアに寄稿した「ありもの」のコンピレーションである。

日記の方は洋泉社の渡邊さんがもうセレクトし終わっているので、それに手を入れるだけである。

ハードディスクから過去二年間の単発原稿を掻き集めてきて、コピー&ペーストして、とりあえず60枚分の「ありもの」原稿をまとめる。

ついでに、「江口寿史現象」と題する世代論を20枚ほど書く。

これに最近のウェブ日記に書いたものからいくつかピックアップして、「あとがき」を書けば、「一丁上がり」である。

「一丁上がり」はよいのであるが、ここまでのところを通して読んでみると、『ため倫』や『おじ的』に比べて、何となく文体の感じが違う。

どこか「雑」な感じがする。

特にメディアに書いたものが「雑」なのである。

ウェブ日記にばりばりアップロードした文章の方が「テクストの目が」詰まっていて、原稿料をもらって書いている文章の方が「スカスカ」というのはどういうことであろう。

たぶん、日記に書くときは、どこに着地するかあてもなく書いているからだろう。

枚数制限もないし、時間制限もない。だから、どれほど変な方向に逸脱していっても、別に誰からも文句はでない。誰かに読んでもらうためというよりは、自分の考えをまとめるために書いている。優先的に配慮しているのは「私の書き物を批評的に読む私自身」というヴァーチャルな視座である。

しかし、寄稿したものというのは、とりあえず読者に気分よく読んでもらうということを前提にしているので、そういうコアな視座は営業上取ることができない。

一テクスト一主題で、最初に立てた論題について、結論めいたものを書かないといけない。

売文的原稿では「結論のようなもの」をとってつけたように付して「着地」するということになる。

しかし、つねづね申し上げているように、ほんとうに重要な問題については、軽々に「結論」を出すべきではないのである。

にもかかわらず「結論」めいたことをむりやり書いてしまうので、なんとなく「軽い」印象を残すのである。

というわけで昨日、自分の書いたものを通読した反省点として、今後は「結論のようなもの」はあまり書かないことにした。

落語のオチや短編小説と同じで、話は「不意に途切れる」というかたちで終わるのがよろしいようである。(ぶち)

 

夕方になったので、仕事を終えて、お風呂に入り、三杉先生からもらったワインを啜りながらパスタを茹でる。

三宅先生のご忠告に従って、五日前から一日一食(朝昼抜き)というダイエットをしている。

この朝昼抜きダイエットというのは、なかなかよくできたシステムであると思う。

ダイエットの最大の欠陥は、「会食」というのが私たちにとってたいへん重要な社会的活動の一部だということを軽視している点にある。

「ダイエットしているから・・・」という理由で、ディナーや宴会のときにサラダを囓って水を飲んでいるような人間と、鯨飲馬食している人間のあいだには、愉快なコミュニケーションは成立しにくい。

これは経験的にたしかである。

私は26、7歳のころ、けっこうストリクトな「玄米正食」というものを実践していた。

おかげでぐっとスリムな身体になったのはよいのだが、他人といっしょにレストランや居酒屋に入るということができなくなった。

人の食べているものが「食べ物」に見えないのである。

文字通り「ゴミ」を喰っているようにしか見えない。

付き合いで口にしても化学調味料の刺激で吐き気がしてくる。

そうなると、「どうして、こんなゴミみたいなもの食べるんだよ、やめなよ」といういわずもがなのことを口にしてしまう。

ご承知のとおり、人間というのは、自分が美味しいと思って食べているものを他人に批判されると非常に傷つく。

こうして、私は健康とスレンダーなボディの代償として、一人また一人と友人を失っていったのである。

一日、私は沈思黙考し、わが身一人の健康長命と友情とどちらが優先するかを比較考量した。

そして、ダイエットを止めたのである。

 

「夕食だけダイエット」の利点は、何よりもダイエットと社交活動が背馳しない、ということである。

「ねえ、どっかで朝飯(昼飯)食わない?」というオッファーに対しては「あ、オレ、飯はいいわ・・・ま、コーヒーだけつきあうかな」と言っても、別に相手は気にしない。

むしろ食べる気がないのに、レストランまでついて来て、話し相手になってくれるなんて、「いい奴」だな、と思ってくれたりする。

ところが、「どっかで夕飯食わない?」というオッファーに同じ対応をすると、これは角が立つ。

いっしょにレストランに入って、あちらがぱくぱく食べているときに、こちらが黙って「ペリエ」なんか呑んでいると、なんだか「見下されている」ような印象を相手が抱いてしまうものなのである。

なぜか夕食の場合は、「食欲がないのに、つきあってくれて、いい奴だな」とは絶対に思って貰えない。

だから、夕食はばりばり食べてもよい、という条件は社交的な意味でたいへんありがたい。

これが利点の第一。

 

利点の二つめはストレスがたまらないことである。

朝昼食べて夜食べないというダイエットだと、お昼を食べたあとは寝るまで空腹を抱える他ない。すると午後はずっと不機嫌ということになりかねない。

しかし、夕食だけダイエットだと、お昼過ぎにぐうぐうお腹が減ってきても(もちろん激しい空腹感が襲ってくる)、「じゃあ、今日はちょっと早めに晩御飯にしようかな・・・」と決めれば済む。

すると、もう頭の中は夕食のことでいっぱい。カツカレーとかチャーシュー麺とかをがつがつとむさぼり食う自分の姿を想像して、しみじみ幸福な気分になれるのである。

というわけで、このダイエット方式はかつてなくうまくゆきそうな気がする。

問題はもう五日目なのに、体重がまったく減らないことである。

 

という愚痴をこぼしたら三宅先生がもう少ししたら代謝システムが変化して、「ぐん」と痩せ始めますよ、とうれしい予言をしてくれる。

ついでに、「頭の良くなるサプリメント」と「疲労を感じないサプリメント」を頂く。(実にいろいろなものを下さる先生である。)

せめてのご恩返しに三軸自在研究所の宣伝をして差し上げたいのであるが、一日150人から患者が殺到して、三宅先生必死なので、これ以上患者をふやすわけにもゆかない。

先生から「来月東京に行く機会があったら、ボブ・サップといっしょに飯食いませんか」というお誘いを頂いた(三宅先生はK-1の専属トレーナーなのである)。

しかし、ボブ・サップと私のあいだにどのような共通の話題があるというのであろうか。


4月27日

自己評価委員会の中間報告書を書き上げる。

毎日そんな書類仕事ばかりである。

つねづね申し上げているように、こういう書類を書くのが私は嫌いではない。むしろ、「好き」である。

どういう性向のしからしむるところであるのか、本人にもよく分からない。

表面的には冷然とした文章に伏流する「悪意」とか、論理的な文章にからみつく「妄想」とか、そういう「隠し味」が好きなのかも知れない。

すらすらすいすいと書き上がったので、家をお掃除して、宴会の準備をする。

今日はゼミ生三人(“とほほ五年生”のマスモトとロペのナガモトとSEのニシオカ)がご飯を食べに来る。

四月に社会人となった二人がどんな様子か、ちょっと楽しみである。

海鮮サラダ、チーズ(三宅先生とブタさんから大量に頂いた)、白ワイン、カルボナーラ(これは麺の選択に失敗)でお迎えする。

話題は当然、「恋愛と結婚」である。

女の子たちとおしゃべりをしていると、話題は必ず最後はここに行き着く。

感心するのは、この問題については彼女たちの観察が実に緻密なことと飽くなき分析癖を有していることである。

この点で若い男性諸君は遠く及ばない。

男同士の「恋愛と結婚話」というのは、うまくいっているときは「へへへ」と薄笑いするだけだし、まずくなると「がるる」とやけ酒を呑んで荒れるだけ。観察とも分析ともまったく無縁のきわめて非知性的なイベントなのである。

だから、かなり親しい友だちでも、男友だちから恋愛・結婚のご相談やら「ここだけの打ち明け話」というものをうかがったことがない。

男が相手だと、だいたいいきなり「お、オレ、今度結婚するから」とか「ああ、別れたよ、あれとは・・・ま、その話はやめようや」というような感じで、問答無用。(でも、座に女性が一人いると執拗に食い下がって、結局男もあれこれの経緯をしゃべらされるてばりばり分析されちゃうんだけどね)

あの探求心にはほんとうに感心する。

ほんとに。


4月25日

教育トップ100校WGの第二回ミーティング。

まだ文部科学省、大学基準協会からのお達しがないし、アプリケーション・フォームも分からないけれど、何を焦点にして申請を行うかについての合意だけはきちんとしておかないといけないので、もう一度ミーティング。

「新しい時代の教養教育のあり方について」という大学審議会の答申書の読み合わせを行い、文部科学省の「採点基準」をチェックする。

基本的に、この「トップ100校」というのは、日本の大学における「教養教育の再構築」を「促進」するための「ニンジン」である、ということを確認する。

つまり「トップ100校」というのは、各大学における教養教育の「アチーヴメント」を査定する「認知型」のプロジェクトではなく、研究拠点校に選定された少数の例外を除いた全国の大学に向かって「教養教育重視大学へシフトせよ」と命じる「遂行型」のプロジェクトなのである。

文部科学省の「教養教育シフト」の基本的な考え方は一見すると、文句のつけようがない。

特に、「身体知」や「型」の有効性に言及した部分や、伝統文化への配慮と異文化コミュニケーションを接続するロジックなどには、私だってけっこう感心してしまった。

なかなかやるな、と私は思った。

大学審議会が提言している「新しい時代に求められる教養教育」とは次の五点に集約される。

(1) 自己を社会関係の中で位置づける能力

(2) 他者、異文化への理解とコミュニケーション能力

(3) 科学技術の万能への懐疑/効率や利潤より倫理性を優先する態度

(4) すべての知的活動の基盤となる国語力

(5) 礼儀作法など「型」から入る「修養的教養」の再評価

「なかなかやるな」と思ったのは、基本的な構図がちゃんと「ポストモダン」してるからである。

ここには「日本人としての国民的教養」のようなものを実体として語る視点はもうない。

日本人に日本人性があるとすれば、それは他の社会集団との差異の網目のどの結節点に位置するか、という相対性の中でしか示されない。

しかし、だからといって文部科学省がポストモダン的な個のモナド化や「大きな物語」の消滅を受け容れるはずがない。

次にはこう書いてある。

「グローバル化が進む中で、他者や異文化、更にはその背景にある宗教を理解することの重要性が一層高まるなど、世界的拡がりを持つ教養が求められている。そのためには、幾多の歳月を掛けて育まれてきた我が国の伝統や文化、歴史等に対する理解を深めるとともに、異なる国や地域の伝統や文化を理解し、互いに尊重し合うことのできる資質・態度を身につける必要がある。」

これは実に巧妙なレトリックだ。

「他者理解」や「異文化理解」が必要であること、これに異論のある人はいない。

しかし、ここでいう「他者」とは何のことか・・・と思うと、それは要するに「宗教」を背景として構築され、「伝統や、文化、歴史等」を共有する「集団」のことなのである。ウェストファリア的な枠組み内的な「国民国家」および(国家を形成してはいないが)宗教・文化・言語などによって統合されている民族集団なのである。

「異教、異文化、異言語、異習俗を尊重しましょう」という命題はそのままくるりと反転して、それゆえにこそ、「我が国固有の宗教、文化、言語、習俗を尊重しましょう」という命題に着地する。

この文言における「他者」とか「互い」という言葉の基本単位は「民族集団」であり、「個人」ではない。「他者の他者性の尊重」はそのまま「我が国の固有性の尊重」の布石になっているのである。

これしてを私は「巧妙なレトリック」だと申し上げたのである。

自己を社会関係の中で位置づけるマッピングの能力も、他者とのコミュニケーション能力も、倫理性も、ことばの力も、修養的身体知も、私はいずれも大切なものだと思う。しかし、そのときに「関係」とか「差異」とか「他者」とか「言語」をになう主体が「個人」なのか「集団」なのか、その見極めは思いがけなく大切なことである。

そう考えて読み直すと、この答申書においては、実に巧妙なしかたで「集団」の水準の出来事と「個人」の水準の出来事が輻輳している。

例えば教養の第一定義はこうだ。

「新しい時代を生きるための教養として、社会とのかかわりの中で自己を位置づけ律してゆく力や、自ら社会秩序を作りだしてゆく力が不可欠である。主体性ある人間として向上心や志を持って生き、より良い新しい時代の創造に向かって行動することができる力、他者の立場に立って考えることができる想像力がこれからの教養の重要な要素である。」

みごとな作文だ。これに異議のある人はいないだろう。

けれども、この文中の「人間」を「国家」に置き換えて読んでみるとどうなるだろう。この文は次のように書き換えられる。

「新しい時代を生きるための教養として、国際社会とのかかわりの中で自己を位置づけ律してゆく力や、自ら国際秩序を作りだしてゆく力が不可欠である。主体性ある国家として向上心や志を持って生き、より良い新しい時代の創造に向かって行動することができる力、他国の立場に立って考えることができる想像力がこれからの教養の重要な要素である。」

そう、この作文の中で「個人」のありうべき姿として描かれているものは、実は「国民国家としてのニッポン」のありうべき姿とみごとに相同的なのである。

平和憲法によって「蚊帳の外」に置かれている状態から脱却し、国際社会の中で、「ふつうの国」として自律し、想像力を発揮して他国(おそらくアメリカ)の立場に立って、国際新秩序を形成すべくばりばり行動する主体的な国家。

ここで言われる「新しい時代の教養」の定義は、「主体的国家であること」「固有の伝統文化・歴史を尊重すること」「国語を大切にすること」「修養で品格を磨くこと」という、「ずいぶん古い教養」の定義を寸分変わらないことが分かる。(第三条の「科学技術の万能を懐疑せよ」を「西洋の物質文明に対する東洋の精神文明」という対比に置き換えると、もうほとんど「日本浪漫派」だ)

もう一度繰り返すが、私はこれが個人的教養について語られている限りは、特に異論がない。

しかし、個人の教養と、国家のふるまい方のあいだには水準の違いがあるということを忘れてもらっては困る。

国家や民族集団を「あたかも単一人格であるかのように」扱うのは、社会有機体説の論法だけれど、私はこの理説には利益より害毒の方が多いと考えている。

この教養定義は、「他者」を「他国家」「他民族」に検証抜きで同定しているという点から知れるとおり、個人の人格陶冶について語っているようでいて、国家論を語っている。あるいは国家と国民は(サイズが違うだけで)同型的な構築物であるという「イデオロギー」を語っている。

個人と国家の結びつきというのは、むずかしく複雑な問題だ。

乾坤一家であるとか八紘一宇であるとか「陛下の赤子」であるとか「家」や「家族」のアナロジーで国家を語ることがどれほど危険なことかは経験済みのはずである。

しかし、個人と国家をアナロジーでつなぐことも同じくらい危険なことである。私はそう思っている。

私は別に、「国家なんか関係ないよ、オレは個人として生きているんだから」というようなことを言っているわけではない。(「個人と国家」を気楽に分離できる人間と「個人と国家」を平然と同定する人間は、「個人と国家の関係は単純であるべきだ」と思っている点で同類である)

個人と国家の関係は単純なものではない。

それは曰く言い難く複雑で悩ましい。そこにはさまざまな種類の実利と幻想が絡み合っている。

だからそれについてはできるだけ丁寧に考え、ぼそぼそと語りたい、と私は思っている。

もう一つ言わせてもらえれば、一レヴィナシアンとしては、「他者」ということばが100%逆の意味で誤用されるのを見るのは哀しかった。

この文言の中で「他者」の他者性は、まさに「我が国」の不可侵性・永遠不変の固有性を基礎づけるためにのみ功利的に利用されているにすぎない。

「オレは君の妄想にケチをつけないから、その代わりに、オレが妄想に耽るのも放っておいてくれないか?」

「他者と共生する」というのは、そのようにシニックな態度のことではないと私は思うけど。


4月23日

トリノで「イッタリアーノ」な生活をしているブタさんこと96年卒のT田M子さんが、「ホーリーな」生活をしている94年卒のホーリーR子さんとともにご挨拶に登場。

なぜかこの二人は同じ会社で相次いでミュンヘン勤務となり、逃走するホーリーさんが新任のブタさんに事務の引き継ぎをしているうちに、ふたりともウチダゼミの卒業生ということが知れたというまことに不思議な因縁の人なのである。

その後ブタさんはミュンヘンで知り合ったイタリアーノとご結婚されてトリノ人となってしまわれ、今回の帰朝はその結婚のご報告。

96年卒は“るんるん”カナ姫、ガラス屋マキちゃん、夫婦別姓問題のカッキ的解決策を発見したイトーさん、島原の孝行娘イシモリ、中山手のマダム・バッシー、舞姫アキラさんなど、とにかくつわもの揃いの人々で、ウチダの生涯に忘れ得ぬ記憶を刻んだ皆さんばかりである。

ブタさんについては、ランカウイの森の中の怪しいレストランで「ゾンビー」という緑泥色のカクテルをぐいぐい呑んでいた場面がとりわけ印象深い。

ホーリーR子は卒論書くときにウチダの研究室にあったキャノワードを借り出し、卒業後引っ越すときに笑って粗大ゴミに出してしまった剛腕のキャリアウーマン。(注:本稿掲載後、ホーリーから訂正要求があり、あのワープロはその後も彼女の転居さきを共に転々とし、最後は芸大の学生に譲渡されたのだそうである。不思議な運命をたどったのね)

ともに神戸女学院のリベラルアーツ教育の成果を体現しているというにふさわしい怜悧にしてタフなみなさんである。

ひさしぶりの再会を祝し、早速学食にご案内して「なんでも好きなものを食べなさい」と旧師も豪毅なところをお見せする。(二人が注文したのは、「味噌ラーメン」170円と「親子丼」240円。まったく遠慮深い淑女たちである)。

ドンペリか、せめてモエ・エ・シャンドンくらいは・・・とメニューを探したのであるが、品切れだったようである。またこんどね。

さらに歓談しているところに講談社の編集者の方がおいでになってビジネストーク。

期間限定物書きとしては「もう新規注文はお受けしない」建前なのであるが、わざわざ東京から来られたとあっては、手ぶらでは帰せない。

「高校生のためのブックガイド−これだけは読んでおきたい20冊」という書き下ろし企画がまとまった。(なんだろう20冊って。これから考えよう)

バーター交換に、既発の「文庫化」をお願いする。

レヴィの『フランス・イデオロギー』と拙著『レヴィナスと愛の現象学』、『期間限定の思想』『女は何を欲望するか』など。

洋泉社から3月末締め切りの原稿を6月末までのばすから、ちゃんとやってねという電話が入る。

晶文社の安藤さんからは明日までに映画論のタイトル案を三つ四つ考えておくようにという電話。

角川書店からは文庫版『ため倫』の「あとがき」を高橋源一郎さんに頼んだらご快諾頂いたという連絡が入る。(高橋さん、ありがとう!)これも6月末までには増補版の原稿を書き上げないといけない。

しかし、こんなにたくさん仕事を引き受けてしまって、ほんとうにできるのであろうか。

頭がぐらぐらしてきたので、三軸自在研究所に行って三宅先生にぐりぐりしてもらう。

三宅先生は甲野先生の動きに驚き、あれほど速く動く人というのを見たことがありませんいやーよいものをみせていただいた眼福眼福と感動を新たにしておられた。

三軸自在に行くといつも「おみやげ」を下さるので、ウチダは恐縮しているのであるが、今日は「ダイエット」関連ものである。

三宅先生は「私はダイエットのプロです」と豪語しておられたが、体重90キロの人にそんなこと言われても・・・と、いまいち得心のゆかないウチダであったが、なんと三宅先生はその前は134キロあって、一年で50キロのダイエットに成功した(いまは軽くリバウンドして90キロ)という壮絶なダイエット実践者だったのである。(証拠写真も見せて頂いた)

三宅先生に「ウチダ先生の膝は私が治します」と断言して頂いたおりに、「どこまでもついて行くんだ、この人に」と決意したウチダは、「あと15キロ痩せさせてあげます」と断言して頂いたら、なんだかその気になってきた。

まずは「お酢」を頂く。

これをぐいぐい呑んで代謝をよくするのだそうである。

「ダマされたと思って呑んでごらんなさい」と三宅先生はおっしゃるが、それって人をダマすときの常套句じゃないですか、三宅先生ってば。


4月22日

院長理事長から人件費削減についての「説明会」がある。

二時間余にわたる「大衆団交」的なミーティングであったが、院長理事長の構想をクールかつクレバーに支援的に「説明」できる人が学院側に一人もいないということにうら哀しい思いがした。

学内合意形成のために働く「手足」がない状態で学院経営をしなければならない松澤先生が気の毒になってきた。(いまの「手足」は学内を真意はともかく、結果的には紛糾させる方向にしか働いていない。悪いけど)

人件費削減についての労使の原則合意はもうできているのである。(石川委員長もそう言っていたし)

だから、あとは情報公開をきちんやって、財務内容を「みんなに分かるように」説明して、希望のもてる将来構想を練り上げて、「そこをめざして、みんなでがんばりましょう」というふうにまとめれば、個々の施策についての学内の意思統一はそれほどむずかしい話ではないと思う。(みんなもそう思っているはずである)

大学の健全経営による雇用確保は教職員みんなの願いである。

同じ方向を向いていっしょにやりたいのに、なぜか「対立」だけが表面化してしまう。

切ないことである。

このあとの組合と常務委員会の話し合いが生産的な議論になってくれることを切望するばかりである。(石川せんせいがんばってね)

しかし、このような重大な経営問題について、教職員の意思表示のためにきちんと作動しているパイプが組合ばかりというのは問題だと思う。

大学教授会は総合文化学科からの「遺憾の意思表示」決議要請に対して、ずいぶんもっさりした対応だった。

あれでよいのであろうか。


4月21日

脈絡なく本を読む。

鹿島茂・井上章一『ぼくたち、Hを勉強しています』(朝日新聞社)に興味深いことが書いてあった。

「美貌の耐用年数」という微妙な問題についての井上先生のリサーチ(この人はほんとに変わったことを調べる人である)は次のようなものであった。

「女性の顔の価値はいくらなのか、それが裁判で争われた例があるのです。酔っぱらった客に殴られたホステスが裁判をしばしば起こします。アザが残ってしまって自分のホステスの仕事に差し支えるので、補償してくれという訴訟です。でも、60年代以前は全部却下になった。アザが残っても、酒をくんだり、喋ったりすることはできる。つまり、女の顔そのものは労働能力はない、と裁判所は判断していたんです。(・・・)

ところが、60年代から70年代かな、ホステスやモデルについては、それが認められるようになってきた。顔の労働能力を評価するようになったのです。

次に問題になるのは、美貌の耐用年数です。ホステスはそのルックスで何歳くらいまで高収入を得られるか、裁判所が判断するのです。それで、1973年に新潟地裁で、『ホステスがその容色をもって収入を確保することができるのは、三八歳を上限とする』という判決が出た。」

三八歳か・・・

女性の美貌の市場価値というのは、そのようにして歴史的に決められていたのである。知らなかった。

ところがもっと恐ろしいのは、次の文章。

「モデルのケースでは、『モデルの容姿のピークは一八歳から二五歳までで、以後漸次減退し、三五歳で消滅する』という判決が1983年に大阪地裁で出た」

「以後漸次減退」して、「消滅」って・・・美貌って、そういう「揮発性」のものらしい。

知ってました?

それが日本の判例の定めるところの美貌の「減価」の考え方みたいである。

しかし「消滅」はないよな。

これを承けて、鹿島教授がさらにアブナイ発言をする。

「鹿島:ぼくがこのあいだシミュレーションしてみたのだけれど、“32歳結婚説”というのが、今、女性のインテリ階級における一番一般的な趨勢じゃないかという気がする。(・・・)

なぜかというと、二二歳で大学を出るでしょう。大企業で三年お茶くみをやって、二五歳くらいでイヤになってしまう。そうするとなにかハクをつけたいというので外国に行って、もどってくると二八歳。いちおう、なんらかのキャリアがあるから、めでたく仕事に就いて、結婚のほうはどうしようどうしようと二九歳くらいまで迷って、とりあえずの機会は見送って次のチャンスを狙う。そうすると、自分に見合った年齢の独身男がだんだんいなくなるから、中年男と不倫とがでセックスの経験を積んで、三二歳で結婚するという例が多い。

井上:それはあいだに必ず中年男との不倫が入るのでしょうか。

鹿島:(キッパリ)入りますね。入らないはずがない。」

これを読んでちょっと「どき」っとした三十前後のインテリ女性はずいぶん多いのではないか。

統計では二二歳で企業に就職した女子学生たちの三割は三年以内に離職する。私の知る限りでも、新卒で入った会社に五年後に「まだ在職」という人は三割ほどしかいない。

そのあと、多くは「学校に入って資格をとる」か(鹿島先生ご指摘のように)「留学」する。

ただし、この留学は、たいていがそれまでの人間関係(特に母親との関係)をチャラにするためのものであって、向学心は副次的な動機である。

でも、留学から帰ってきても母親は相変わらずぴんぴんしているので、この「留学」はほとんどの場合「親離れの先延ばし」という意味しかない。

男女を問わず、いまの若者たちはそんなふうにして、「二十代の生き方」を先々まで「繰り延べする」ということにずいぶんとこだわりがあるように見受けられる。

それはどこかで「子どもである」ということと「若い」ということが混同されてしまっているからではないか。

親元から離れない、経済的に自立しない、資格を欲しがる、正社員にはなりたくない、縛られたくない、いつまでも学生でいたがる・・・というような傾向は、「子ども」でいれば、「若いまま」でいられるという幻想の効果ではないのだろうか。

しかし、改めて言うまでもないことだが、「子どもである」ということは、それ自体はたいへんに哀しいことである。(それは人からこずきまわされるだけで、誰からもレスペクトされない社会的ポジションのことなんだから)

「子どもである」ことはあまりに「哀しい」ので、それを補償するために、「若い」って素晴らしいよ」という「ことばのすり替え」をしたのである。

そんな嘘を真に受けて、「いつまでも若いままでいたい」と願う人は、他人からこずきまわされ、誰からもレスペクトされない「子ども」のポジションにみずから進んでしがみつくことになる。

困ったものである。

「若い」ということが価値ありとされるようになったのは、ほんのこの四十年ほどのことである。

私が子どものころ、昭和30年代が「若さ」の価値の急騰期だったのでよく覚えている。

日活映画を先頭にして、なんだか突然に「若いってスバラシイ」ということをこぞって人々が言い出したのである。

その前は、誰もそんなこと言わなかった。どちらかというと、みんな「早く大人になりたい」(@コニー・フランシス)と思っていたのである。

いま私たちの時代は再び「若さ」の価値が逓減する時期に入りつつあるように私には思える。

そんな時代に、「若さ」を確保するために社会的に不利なポジションにとどまり続けることを選んだ人々は、なんだか気の毒であると思う。

 

次に佐藤学『身体のダイアローグ』の中の谷川俊太郎との対談を読む。

この中で谷川がとても深いことを語っているので再録。

詩のことばが作品として成立しているかどうかは、ほどんど直感で判断するしかないんだけれど、ひとつには、そのことばが作者を離れて自立しているかどうか。そのように自立したことばというのは、書いた人間の騒がしさから離れて、たとえどんなに饒舌に書かれていても、ことば自身が静かになってそこに在る。

逆に、たった三行の詩でも、騒がしい詩というのはあります。詩というのは、いわば芸がないと成立しないもので、ほんとうは、芸があって、ことばが自立しているほうが、実際には他者にはよく伝わるはずなんです。『自分はこんなに苦しんでいるだ』ということをいうだけでは、意外に他者には伝わらないものです。

いま、だれもが『オレが、オレが』と自分を表現しようとしていることが、たぶん騒がしさのいちばんの源なんじゃないでしょうか。

じゃあ、騒がしくないことば、沈黙をどこかに秘めたことばとはどういうものかを考えたときに、それは個人に属しているものではなくて、もっと無名性のもの、集合的無意識のようなところから生まれてくるものだと、ぼくは思う。」

前に岩下徹さんがダンスにおける「表現」と「表出」の違いについて語ったときに、「オレはこう思う、こういうことを言いたい」という「表現」の身体はうすっぺらで、「表出」というのは、そういうものじゃなくて、それ以外にありえない決定的な軌跡を描いて自律的に動く身体のことだ、というふうに説明してくれたことがある。

岩下さんのダンスは「沈黙をどこかに秘めたダンス」だった。

その道を究めた人のことばは、どこかで通じている。


4月20日

ひさしぶりに何の用事もない日曜日。がんがん仕事をする。

まず本部の入江さんから頼まれた『合気道探求』の原稿を書く。

『合気道探求』に拙文を寄稿させていただけるとは光栄の限りである。

しかし、このようなコアなメディアにいまさら「合気道と私」というような感想文のようなものを書くわけにもゆかぬ。

いろいろ思案したあげく、木田元と村上春樹の話を書く。

1700字の原稿を書き終えて、次は私信を二通。

一通は博士後期課程に入学した院生さんの書いたレヴィナス論へのコメント。

レヴィナスはとてもむずかしい。とてもむずかしいから「うーん、むずかしくて、よくわかんないよお」というところから出発するのが正しいのである。

「分からないという方法」というのは橋本治先生の名著であるが、実は「分からない」から始めるというのが現象学という方法なのである。(橋本先生のこの本はまるごと「現象学入門」としても読むことができる)

レヴィナスは「分からない分からない」と言いながらごりごり進んでいった人であるからして、あとを追う私らも「分からない分からない」と言いながらごりごり追っかけてゆくというのが正しい読み方なのである。下手に「分かる」とあとがない。

というようなことを申し上げる。

次ぎに藤田知子先生に論文のお礼と感想を書き送る。

「性差と言語」という正面直球勝負の論考であり、たいへん面白く読んだ。

言語と性差について考える。

これは論じるのがむずかしい主題だ。

「言語は性化されている」という言い方には、「性化される以前の、非-性的言語」とか「非-性的世界を性的に分節する性的主体」というものが実体的に措定されてしまうリスクがある。

「非-性的世界」からどうやって「性的主体」が出現してくるのか?

私の知る限り、それについて説得力のある説明をしてくれた人は(レヴィナス以外には)いない。

レヴィナスを除くと、「性化されていない世界」とか「性化されていない言語」とか「性化されていない人間」というのを仮説的にではあれ想定して、それが「汚された」という無意識的な話型で言語におけるジェンダー問題を論じるのが、私たちの時代のこの問題についての「常識的」フレームワークである。

しかし、このフレームワークでよいのか。

「性差なき社会の実現」とか「性差発生以前の世界への帰還」というような神話的なイデオロギーがそこから繁殖してくる可能性はないのだろうか。

性を基礎づけるのは性である。

性差の起源は性差の「外部」にも、性差の「以前」にも存在しない。

性差は言語と同じだけ古く、だから人間と同じだけ古い。

性化されていない言語も、性化されていない人間も存在しない。

私はそのように考えている。

そこから言語の問題を考えると、ずいぶん違った展望が見えてくるような気がするけど。


4月19日

爆睡10時間。よく寝るなあ。

北枕で、北側がJRの線路であるというのが、この眠りの深さに何か関係があるのかも知れない。

JR芦屋駅は東西数キロにわたって直線なので、夜中に山陽本線の貨物列車が通過するとき、遥か遠くからかすかな線路の震動が始まり、ゆっくりクレッシェンドして、ごおおおおと頭の真北を通り抜けて、またゆっくり遠ざかって行く。それを夢うつつで聴いていると、どおんと深い眠りに入り込んで行く。

たぶん、この鉄路の振動というのがある種の安心感を与える効果があるのだろう。

(私は寝台車が大好きだし、阪急京都線でも新幹線でも坐ったとたんに爆睡してしまう)

 

「ボストンのお茶会」の高雄くんがビザの書き換えでひさしぶりに帰国。芦屋の稽古に顔を出してくれた。

一年半ぶりである。

稽古後、ロイホに集まって久闊を叙す。

MITでむずかしい研究をしているらしい。

気錬会の諸君はどうもむずかしい研究をしている人ばかりで、話題に窮するのが困りものである。フランス文学とか哲学とかやっている学生はいないのだろうか。意外に木野君がハイデガー研究者だというようなことはないのだろうか。(ないだろうな)

 

鍼に行ってぶちぶち鍼を刺してもらいつつ爆睡(どこでも寝るなあ)。

帰途、急速に空腹を感じ、「もっこす」にてチャーシュー麺と餃子を爆食。

木曜に三宅先生から「甲野先生くらい速く動きたいなら、あと15キロ体重を減らしなさい」と恐ろしいことを言われる。

あと15キロ減らしたら60キロである。

60キロといえば、中学生のころの体重である。

いまの身長で60キロになったら「磔刑のイエス」のような体型になってしまう。

たしかに、そこまで痩せれば、腹回りがきつくてぎりぎり着られなくなったスーツが二着ほど再利用可能になりはするが、逆に今着ている服は全部がばがばになってしまう。

しかし、そこまで言われたら、ウチダも男だ。

痩せてやろうじゃないの!(この台詞今から半年くらい前にも言ったような・・・)

しかし、とりあえずダイエットは「明日から」だ。


4月17日

甲野善紀先生の講習会。

甲野先生が女学院に来て下さるのもこれで5回目。

関西地区マネージャーである朝日新聞の石井さんマジック武術家白石さんら甲野先生ご一行に加えて、常連の京大合気道部の赤星くん、神戸大合気道部OBの中川さん、さらに今回は三軸自在研究所の三宅先生ご一門はじめ、ドクター佐藤や街レヴィのコバヤシさん、「聴講生」たちも参加、にぎやかかな稽古会となった。

今回から学外の方からは「課金」することにしたので、だいぶ臨時収入があった。これは甲野先生へのお礼と懇親会でのビール代・ワイン代に充当させて頂きましたことを慎んでご報告申し上げます。ごちそうさまでした。

講習会のあと我が家で懇親会をする予定であったが参加希望者があまりに多かったために、とても我が家には収容できず、急遽「いちぜんや」に変更。

しかし、いざ集合場所に行ってみると、なぜかぱらぱらとしか人がいない。

これくらいなら場所を借りるまでもない。急遽「いちぜんや」をキャンセルして、再び我が家へ方向転換。

このときいきなり人数が減ったのは、かなりの人数の方々がそのとき学内で迷子になっていたことがのちに判明。どうやら白石さんを「関係者」と見込んで、そのあとにぞろぞろついていったのが「敗因」らしい。(白石さんは「決して目的地に到達することができない」宿命のひとなのである)

そんなこととはつゆしらぬ甲野先生ご一行は途中で名越先生をJR芦屋駅でピックアップ。少人数でのほっこり宴会に突入した。一品持ち寄りを当てにして何も用意していなかったウチダが必死になってパスタをゆで、「ぶっかけ」うどんを作り、空腹者たちの急場をしのぐ。

名越先生と飲むのはひさしぶり。私らは二人とも「かすってる人」(@甲野善紀)たちなので、それが火打ち石となって、もうぼんぼん火の手が上がる。

そこにどこをどうさまよっていたのか白石さんが二時間遅れくらいで到着。

あちらでは甲野先生と赤星君がくんずほぐれつ術技の工夫に余念がないし、こちらでは白石さんがデジカメをぱちぱち光らせているし、私と名越先生は性格の悪さを最大化しつつ、あらゆる参会者に悪ふざけをしかけている。まことに騒がしくも愉快な宴会でありました。

最後に記憶に残っているのは「だいじょうぶでーす」とアイドル歌手のポーズを決めつつよろけて帰っていったイクシマの姿であるが、はたして彼女は無事に高砂市まで帰り着けたのであろうか。


4月16日

村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読む。

いま、この瞬間に日本中で、『キャッチャー』を読んでいる人間が何十万人かいると思うと、ふしぎな気がする。

文学作品を読んで、そういう「みんなとリアルタイムで享受している」というヴァーチャル同時代感覚を覚えるということって、ほとんどないからね。

すばらしい翻訳だ。

なにしろ村上春樹の「新作」を読んでいるとしか思えないんだから。

でも、ホールデンのニューヨークでの「地獄巡り」の、あのネガティヴなドライブ感は村上自身の作品にはちょっと見られない。

はじめはゆっくり、だんだん急坂を転げ落ちるように、ホールデンは狂ってゆく。

「狂ってゆく語り手」の一人称で書かれたテクストという小説の結構そのものは珍しいわけじゃないけど、これだけ主人公に共感してしまうとけっこうこの墜落感はコワイ。

そういえば、ディカプリオくんの『バスケット・ボール・ダイヤリーズ』は『キャッチャー』によく似ている。

でも、『バスケットボール』の主人公は「ドラッグ」と歪んだ家庭環境という外的要因のせいで崩れて行く。それに対してブルジョワのお坊っちゃんで、ハンサムで、知性的なホールデンは100%内的な理由で壊れてゆく。

どっちの壊れ方が怖いか、といったら、もちろんホールデンの方が怖いよね。

高校生だったウチダは「デリカシーの受難」という説話構造がキライだったので、(『トニオ・クレーゲル』とかさ)『キャッチャー』にもちょっとうんざりして、それっきりだったんだけれど、四十年たって読み返してみたら、これがみごとな「アメリカン・ホラー」だったんだよね。

いや、参った。(と、すでに文体が村上訳サリンジャーに影響されているんだな、これが)

 

NTTのInter communication という雑誌の取材があって、2時間ほど身体論についてのインタビューを受ける。

武道と文学と哲学は「生死の境界線」での「ふるまい方」を主題とする点が共通しているという説を語る。

「死ぬ」というのが「隣の家に行く」ような感じになること、それが武道においてはとてもたいせつなことだ。

それは必死に武道の稽古をして胆力を練ったから死をも恐れぬ精神に鍛え上がったということではない。(そんなことは残念ながら起こらない)

話は逆で、「生死のあわい」におけるふるまい方について集中的に探究する人間は、自分がどれくらいその「ふるまい方」に習熟したのかを武道を通じて「チェック」することができる、ということなのだ。

「死ぬ」というのが「ちょっと、隣の家に行くような」感じになることは子供にも起こる。

そういう子供はすごく危険な存在だ。(自分にとっても周囲にとっても)

だから、子供にはまず死を怖れさせる必要がある。

その教育の甲斐あって、私たちはみんな死を怖れるようになる。

でも、成熟のある段階に来たら、死とのかかわり方を「元に」戻さないといけない。

「元」というのは、死者は「そこにいる」という感覚を取り戻すことだ。

ある種のコミュニケーションマナーを介するならば死者と交感することができるという、人類の黎明期における「(その後抑圧された)常識」を回復することだ。

別にオカルトの話をしているわけではない。

これが「常識」なのだ。(ただし「その後抑圧された」)

その「常識」を教える社会制度はもう存在しない。

武道と文学と哲学はそのためのレアな回路だけれど、「そういうふうに」思って武道の稽古をしたり哲学書を訳したり小説を読んだりしている人は、もうあまりいない。

社会学者の書いたものが面白くないのは、あの人たちは「生きている人間」の世界にしか興味がないからだし、宗教家の書いたものが面白くないのは、あの人たちは平気で「あっち側」のことを実体めかして語るからだ。

「こっち」と「あっち」の「あわい」でどう心身を捌くか、ということを正しく主題化する人はほんとうに少ない。

私がエマニュエル・レヴィナスと村上春樹を「同じように」読むのは、そういう意味なんだけどね。


4月15日

週末に兄上が芦屋においでになった。

兄は昔から「日本を歩いて一周する」ことに理由の知れぬ固着を示しており、いまから30年くらい前に、ある日家からふらりと歩き始め「沖縄まで歩いて行く」(海の上は歩けないけど)と告げて西のほうに去っていったことがある。

そのときは御前崎まで行って、足が痛くなって挫折したかにうかがっているが、その後も「歩いて日本を踏破」という夢を棄てることができず、十年ほど前から、再びちょっとずつ歩いている。

つまり、ある年には「東京から保土ヶ谷まで」歩く。そして、保土ヶ谷から電車で家に戻る。

次の年は「保土ヶ谷から沼津まで」歩く。そして沼津から・・・

というふうにして毎回数十キロずつ歩きためて(これぞマイレージ)、とうとう今回大津まで辿り着かれたのである。

大津のプリンスホテルのスイートに泊まって、電車で神戸まで来て、神戸から芦屋までタクシーで来る。

次回は大津から京都まで歩き、今年の秋ごろには芦屋を経由して城崎へ抜け、さらに丹後半島へ回って、北陸道を北上、北の果てまで行かれる予定だそうである。(そのあとは、さらに歩を進めて世界一周をされるらしい)

兄は頭のよい人で、さらに(私と違って)性格も温良な方なので、私は深く敬愛しているのであるが、ほんとうは何を欲望している人であるのか、私にはよく分からない。

この「国見」にも、きっと何か私の理解の及ばぬ種類の象徴的な意味があるのだろう。

とりあえず国分さんのところに神戸牛を食べに行く。

ぱくぱく。

二人で神戸牛のステーキを三皿平らげ、国分シェフお薦めのプイイ・フュメをごくごく呑む。(当然兄上の奢り)。

肉は喩えようもなく美味しく、ワインはきりりと爽快である。

気分がいいね。


4月14日

村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が刊行されたので、さっそく買い求めにジュンク堂へ行こうとしたら、西宮北口の駅構内の書店にすでに山積みされていた。

すごいなあ。

一日で何十万部くらい売れたのであろう。

「初日売り上げ記録」で白水社史上最高をマークしたのではあるまいか。

村上訳の『ギャツビー』も満都の読者が待望しているものであるが、これはおそらく発売初日でミリオンセラーを記録するであろう。

活字離れとか言われているけれど、「いざとなったら文学くらい読むわよ」という潜在的な読者はこれだけ大量におられるのである。

その掘り起こしに成功していないのは、書く側の責任である。

「読者がバカだから」というような不毛な言い訳をするのは止めよう。

そりゃ、たしかに「バカ本」は山のように出ているし、それを買って読む読者もやまのようにいる。

しかし、読者だって、素晴らしい本だ、と思って読んでいるわけではない。

ろくでもない本だけど、ま、こんなんでも読むか・・・という醒めた気分で読んでいるのである(と思う)。

村上春樹訳『キャッチャー』の快挙によって、今後さまざまな「旧譜再販」ブームが起こる、とウチダは予測している。(すでにインターネット上では山形浩生さんの「杉田玄白プロジェクト」が始動しているが)

他にも「じゃあ、『ドンキホーテ』を新訳で出したい」とか「『ボヴァリー夫人』を改訳したい」とか言い出す若い文学者が出てくるとよいのだが。

私自身は『異邦人』の新訳を出したいと思っている。

原文のあのぐいぐいしたグルーヴ感を日本語に載せてカミュを読んでみたい。

その『キャッチャー』を買ったら、おまけに村上春樹x柴田元幸の対談の載った「出版ダイジェスト」をもらった。

この中でとても重要なことを村上春樹は書いている。

極端なことを言ってしまえば、小説にとって意味性というのは、そんなに重要なものじゃないんですよ。大事なのは、意味性と意味性がどのように呼応し合うかということなんです。

音楽でいう「倍音」みたいなもので、その倍音は人間の耳には聞き取れないだけれど、何倍音までそこに込められているかということは、音楽の深さにとってものすごく大事なことなんです。(・・・)

温泉のお湯につかっていると身体が温まりやすいのと同じで、倍音の込められている音というのは身体に残るんです。フィジカルに。でも、それがなぜ残るかというのを言葉で説明するのはほとんど不可能に近いんです。

それが物語という機能の特徴なんですよね。

すぐれた物語というのは、人の心に入り込んできて、そこにしっかりと残るんだけど、それがすぐれていない物語と機能的に、構造的にどう違うのかというのは、ちょっと言葉では説明できない。

村上のこの発言の中の「小説」を「映画」に置き換えると、これは私が『映画の構造分析』で言おうとしていたこととほとんど変わらない。

すぐれた物語は「身体に効く」。

ほんとにそうなんだ。

「物語は身体に効く」だから、私たちは「物語を身体で読む」。

三浦雅士や橋本治や養老孟司も、それと同じことを別の言葉で伝えようとしている(たぶん)。

でも、それ以外には、身体と物語の関係をきちんと言語化しようとしている批評家はとても少ない。

まだ読んでいないけれど、この仕事を通じて、村上春樹は日本の文学(とくに批評のあり方に)に激しい衝撃を与えることになると思う。

それは前衛性とか政治意識とかエロスとか文体がどうたらとかいう水準のことではなく、物語を読むときの「読み手の構え」そのものを変えてしまうような一撃になるような気がする。

村上春樹は「翻訳」をした。

それは彼自身の言葉を使えば「他人の家の中にそっと忍び込むような」経験である。

同じ翻訳者として、この感じは私にはよく分かる。

それはいわば「自分の頭」をはずして、自分の身体の上に「他人の頭」を接ぎ木するような感じのする経験である。

自分の頭をもってしては他人の頭の中で起きていることを言語化することができない。

けれども、自分の身体を「他人の頭」に接続して、そこから送られる微弱な信号を身体的に感知し、別の記号体系に変換することはできる。

身体が聞き取っているのは、語や意味ではなく、ある種のヴァイブレーションである。

そのヴァイブレーションを言語的に分節するのが翻訳という経験である。

村上春樹は同時代の作家の中で例外的に大量かつ長期的に翻訳を行ってきた作家である。

おそらく、それによって彼は、物語が発信する、可聴音域を超えた「倍音」の響きを聞き取ることのできる身体感受性を洗練させていったのだと私は思う。


4月13日

「男女が性別にとらわれることなく、能力と個性を発揮できる社会の実現をめざす」男女共同参画社会基本法(99年制定)の理念にもとづいて、地方自治体は今条例作りを始めているところだが、全国の議会では「男らしさ女らしさ」の復権や「専業主婦」の尊重を盛り込むべきだという保守系の議員からの反論が続出して、条例制定が難航している。

具体的な施策として、公務員の何%は女性でなければならないというようなものが出てきたら抵抗はあるだろうと思ったけれど、文言をいじるだけの段階でこれだけ激しい反対が噴出するとは思わなかった。

これについて宮台真司は次のようなコメントを寄せている。

いま起きているスイングバック(揺れ戻し)は『新しい歴史教科書をつくる快』の動きと合わせて説明できる。東西冷戦の終結、バブル経済の崩壊を経て、援助交際、出会い系サイトの流行・・・これまで人々の行動を秩序づけてきた道徳や価値が共有されなくなり、年長者には日本社会が無規範な混乱状態(アノミー)に陥っているように見える。

従来の常識が通用しないから、そんな彼らの寂しさを埋めるのが国家や共同体、歴史、伝統といった『大いなるもの』だ。『家族の価値を見直せ』『男らしさ女らしさを否定するな』といったたぐいの主張は出るべくして出たもので、予想の範囲内。言論の世界では決着済みだ。(・・・)

私は宮台真司という人の書いたものを読んで共感したことが一度もない。

どうしてなのかしらないけれど、どこかで必ず違和感のあるフレーズに出くわすのである。

今日のコメントを読んで、その理由が少し分かった。

宮台は「分かっている人」なのである。

それが私が彼に共感できなかった理由だったのである。

宮台は「私には全部分かっている」という実に頼もしい断定をしてくれる。

「事態がこうなることは私には前から分かっていたのです。いまごろ騒いでいるのは頭の悪いやつだけですよ」

冷戦の終結も、バブルの崩壊も、性道徳の変化も、家庭の機能不全も、教育システムの荒廃も・・・宮台にとってはすべて読み込み済みの出来事なのである。それを見て、秩序の崩壊だアノミーだ末世だとあわて騒ぐのは時計の針を逆に回そうとしている愚物だけなのである。

実に明快だ。

宮台は「知っている」ということで自らの知的威信を基礎づけている。「知っている」ということが知的人間の基本的な語り口であるとたぶん思っている。

私はそういうふうに考えることができない。

「私には分からない」というのが、知性の基本的な構えであると私は思っているからである。

「私には分からない」「だから分かりたい」「だから調べる、考える」「なんだか分かったような気になった」「でも、なんだかますます分からなくなってきたような気もする・・・」と螺旋状態にぐるぐる回っているばかりで、どうにもあまりぱっとしないというのが知性のいちばん誠実な様態ではないかと私は思っている。

特に、いま宮台が問題にしている性差の問題について、私はほとんど何も知らない。

分かっているのは、

(1)それがたいへん複雑で分かりにくい問題であること

(2)この複雑で分かりにくい問題を「簡単で分かりやすい問題」だと勘違いする人々のもたらす害毒の方が、問題の複雑さからもたらされる害毒より大きいこと

この二点である。

「男は男らしくしろ、女は女らしくしろ、昔からそう決まってるんだ」というふうに性差の問題を単純化する人間は、ふつう性差の問題をいっそう紛糾させる方向にしか関与しない。

またその逆の「ジェンダーは、父権制イデオロギーの作り出した擬制にすぎない。よって廃絶すればよろしい」というふうに問題を別のしかたで単純化する人々も、問題をひたすら紛糾させるだけである点については前者に変わらない。

この二つのタイプの知性は、「性差というのは単純なものだ」という信憑において、精神の双生児である。

どうして、「性差の仕組みは単純だ」と彼らが思いこめるのか、その理由が私にはよく理解できない。

たぶん「世の中は実はたいへん単純で、私はその世の中の仕組みが理解できている」というふうに言い立てると人から「賢い人だ」と思われると思っているのだろう。(どうして、「人から『単純な奴だ』と思われる可能性」については吟味しないのだろう?)

「男女共同参画社会」とを提言する人々も、それに反対する人々も、「性差の仕組みは単純なものであり、私たちは性差の仕組みについて熟知している」という同じ前提に立っている。

その点では、頭のつくりがたいへんに単純な方々である。

私はそのような前提を共有しない。

私は性についてよく知らない知らないからだ。

私の意識は性化されており、「私の意識は性化されている」という当の言明そのものが「性化された意識」によって発されている以上、「私」も「意識」も「性化」も、およそこのセンテンスに含まれるすべての概念はすでに「性化」されている。

だから、そんな私に性差の仕組みがよく分かるはずがないのである。

かろうじて、それが非常に複雑怪奇なメカニズムであり、単純化してもあまりいいことはないんじゃないかしら、ということだけは分かる。

複雑な問題に接するときの基本のマナーは「できるだけ複雑さを温存し、単純化を自制する」ということである。そう私は考えている。

だから、性差の問題や親族制度の問題や喪の儀礼の問題について考えるときは、結論を急ぐまい、という自戒をつねに忘れないようにしている。

その自戒を確認した上で、「男女共同参画社会」という論件について、意見を申し述べたいと思う。

「性による社会的役割分担」がしばしばろくでもない結果を伴うことを私は認める。

しかし、「じゃあ、止めよう」というところに短絡するのはどうかと思う。

そもそも短絡できるものなのか。

「性による社会的役割分担」がなぜあるのか、ということを性的分業廃止論者たちは十分に吟味したのだろうか。

人類が共同体を作って暮らし始めて数十万年経つ。

その間に、どれほどの数の個体が生き死にしたか、数えられないけれど、人類学が教える限り、その中に「共同体」「歴史」「伝統」そして「性による社会的役割分担」をもたなかった社会集団は一つとして存在しない。

数十万年のあいだ、そんなふうにずっとあって、いまでも世界中であるものを「もう要らない」と言うには、それなりの論拠が必要だろう。

社会はつねに「より正しい方向」に進化しているのであるから、古いものは棄ててもよいのである、という単純な進歩史観だけでは説得力があるまい。

「共同体」や「歴史=起源についての物語」や「伝統」や「性差」のような社会制度が「なぜ」存在するようになったの、その起源を私たちは知らない。(とレヴィ=ストロースは書いている。私も同意見)

しかし、そのような社会制度を持った集団「だけ」が今に生き残っているという事実から推して、そのような制度には何か重大な意味があると考えた方がいい。

宮台によれば、そのような「大いなるもの」はもう要らないらしい。

どうして要らないかというと、とりあえずは、そういうものがあると「仕事」をする上で邪魔だからだ。(それ以外にどんな理由があるのか、誰か知っていたら教えて下さい)

「仕事」というのは要するに「高い賃金、高い社会的威信、大きな権力、多くの情報」というようなものを人間にもたらす「機会」のことである。

その「機会」を最大化すること、それが性的分業廃止論の目的である。

宮台の表現を借りて言えば、「賃金、威信、権力、情報」というのは「小さなもの」である。言い換えれば、「プライヴェート」なものである。もっとありていにいえば「ゼロサム」のもの、つまり、「誰かから奪い取らなければ、所有できないもの」である。

だって、そうでしょ。

「全員が高賃金である社会」などというものは存在するはずがない。

ある賃金が「高い」と感知されるのは、「低い賃金」で働いている人間が傍らにいる場合だけだからだ。

「全員が威信を有する社会」も「全員が権力を有する社会」もありえない。

威信や権力というのは「威信の前にひれ伏し、権力にすりよる」他者なしには成り立たないからだ。

「全員が多くの情報をもつ社会」もありえない。

情報とは「より多く持っている者」と「より少なく持つ者」のあいだの水位差のことだからだ。

つまり、「小さなもの」というのは、「『他の誰かがそれを持たない』ことによってしか所有することができないもの」のことである。

だから、それは実定的な財ではない。

幻想である。

いまの時代の流れは、社会的な財のうち、「大きなもの=みんなが共有するもの」を最小化し、「小さなもの=個人がゼロサム的に占有するもの」を最大化する方向に向かっている。

そういう方向に進むことを「進歩」であると多くの人は信じている(たぶん宮台も)

でも、私はそういうふうには考えない。

進歩することと単純化することは違う。

変化することと破壊することも違う。

人間というのは、とても複雑で精妙で、主に幻想を主食とする生き物だ。

その扱いはもっと慎重であるべきだと私は思う。

話を簡単にすることを急ぐ人はしばしば、話を簡単にしたせいで、話を収拾のつかない混乱のうちに陥れることになる。(つねづね申し上げていることだが、「話を早くする」ことと「話を単純にすること」はまったく違うことである)

それは「男女共同参画社会」論にもそのままあてはまるように私には思われる。

「男女共同参画社会」というフレームワークでものを考える人は、性的分業を結果的に強化することにしかならないからである。

考えれば誰にでも分かる。

このような議論の場では、「女性性とは何か?」「だいたい『男らしさ』とは何のことなのか?」「真に性的差異から解放されるとはどういうことか?」といった、決して合意に達するはずのない議論が終わりなく繰り返されるはずだからである。

そしてその議論の中で、おそらくもっとも頻繁に口にされるのは、「そういう発言をしているあなたは男性なのか女性なのか?」という問いかけであろう。

というのは、男性が「性的分業は廃絶すべきである」と主張した場合、それは「懺悔」と「権利放棄」の語法で語られねばならないし、女性が発言する場合は「告発」と「権利請求」の語法で語られねばならないからである。

同一の政治的主張を行うときに、性が違うと語法を変換しなければならないというルールを「前提」にしている限り、この政治的主張は繰り返されるたびに、制度としての性差は強化されることになる。

前にも書いたけれど、笑い話を一つ。

「学歴による差別を廃絶する会」というものがある。

会員たちは集まっては「学歴がいかに深く自分たちの人格形成に与り、社会的活動の不公平な評価に結びついてきたのか」を仔細に報告し合うのである。

ただし、学歴がその人の人格形成に与る仕方は人それぞれ違う。

「東大出」の人間が学歴によってスポイルされる仕方と、「中卒」の人間が学歴によって損なわれる仕方はまるで違うからだ。

だから、この会では全員がその人の学歴についてのコメントがどういう「文脈」で読まれるべきかを示すために、「最終学歴」を大書したプレートを胸に着用することを義務づけられている・・・・

「男女共同参画社会」は私にはこの話を思い出させる。

たぶん、この「参画社会」を論じる場では、ほかのどのような公共の空間よりも多く「男」「女」「性差」という語が口にされるだろう。

そして、男女共同参画社会への賛否を問わず、いずれの立場からも、「性差がどのように個人の人格形成に深く与っているか、どれほど決定的にそのひとの思考と感受性を規定しているか」が繰り返し繰り返し確認されることになるだろう。

そこでは「告発する女性」と「自己弁護/懺悔する男性」の「性的役割分業」がほかのどのような公的空間においてよりも強固に制度化されることであろう。

性差について言及するということは、どのような文脈においても、性差を制度的に強化する方向にしか作用しない。

これは私の経験的確信である。

もし実質的に性差を廃絶することをほんとうに望んでいるのなら、「性差については語らない」というのが、一番効果的な方法だろうと私は思う。(学歴の差別的効果を廃したと思ったら、「学歴について決して言及しない」というのが一番効果的であるように)。

しかし、私の意見に賛同してくれる人はほとんどいない。

もしかすると、人々は「性差の廃絶」を声高に論じるという仕方で「性差への関心を高め、性的分業体制を強化する」道を無意識的に選んでいるのかも知れない。

だとすると、宮台真司のような人こそ、人類学的叡智を無意識的に体現した、模範的人類なのかも知れない。


4月12日

バグダッドでの略奪の映像を見ながら、あるフランス人の言った言葉を思い出した。

彼によると、イスラム教徒はあまりに「正しく」「聖なる」存在であろうと渇望するために、結果的にそうなれないでいるという。

なるほど、そんな気もする。

イスラムの法はたいへんに厳しいものである。

原理主義的な国では、わずかな窃盗で腕を切断する、というような苛酷な刑がいまだに課されている。

それは「盗みをしてはならない」という戒律は人間社会の成立の基幹をなしている、と彼らが考えているからである。

これは正しい。

しかし、その戒律を徹底させるために、万引きを咎めて、腕を切り落とすというのは、「正し過ぎる」ようにも思われる。

というのは、その結果、この苛酷なペナルティへの「恐怖」に基礎づけられて、倫理的にふるまうことが「外から」強制されるという体制が出来上がるからである。

だが、倫理的にふるまうことの動機づけが、つねに「外部」から「恐怖」の情動をともなって到来するということが続くと、人間はどういうふうになってしまうだろう。

そのようなかたちでの「倫理化」になじんできた人間は、「恐怖の権力」が実定的に機能しているときには、ひたすら恭順のさまを示し、ひとたび「罰する機能」が停止するや、倫理的にふるまう外的な動機づけを失ってしまう、ということにはならないだろうか。

略奪の光景をTV画面で眺めながら、そんなことを考えた。

この人たちは「貧しい」から、久しく一部特権階級に「搾取されてきた」から、という理由でこの略奪を正当化することができるのだろうか、と考えた。

そういう「左翼的」なことを言う人もいるかもしれない。

私は違うと思う。

だって、画面を見る限り、彼らが官庁から運び出していたのは、ロッカーとか机とか冷蔵庫とか壺とか、まるで生活財として価値のなさそうなもの、バザールにもっていっても二束三文にしかならないようなガジェットばかりだったからだ。

彼らは階級的正義を執行すべく権力者の財産を奪還しているわけではない。(略奪されたのは特権階級が占有していた巨大な財産にくらべたら、ゴミみたいなものだ)

それどころか、彼らと同じように貧しい同胞の店さえ襲っている。

ということは、あの略奪は生活財確保のためのものではなく、フセイン大統領の銅像の引き倒し同様、「象徴的」なふるまいと解釈すべきだろう。

「腕を切る役人がいないなら、わしらもうがんがん窃盗するけんね」

彼らはそう叫んでいるのだと私は思う。

彼らはあの無価値なゴミのようなものを汗だくになって運びながら、天に向かって「私は神を恐れない」と宣言しているのである。

そして、自分たちがそのような涜神的なふるまいを記号的に実演していることに彼ら自身はおそらく気づいていない。

彼らはこれまであまりに長きにわたって「正しくふるまうこと」を強制されてきたために、「正しくふるまうこと」にたぶんうんざりしてしまったのだ。

その気分は何となく分かる。

私はイスラム教というもの知らないし、イスラム教徒の知り合いもいない。

しかし、書物やメディアで接する限り、イスラムの立場から発言する人にいつでもある種のかすかな「違和感」を覚える。

それは、彼らの言うことがいつも「やたらに正しい」ということである。

私の講読している朝日新聞にも最近アラブ諸国のジャーナリストがよく寄稿している。

それらひとつひとつはたいへん正しいことが書いてある。

誰ひとり反論できないような正しいことが書いてある。

その中に、「わしらがアホやけん、こげなアホな事態になってしもうたんや。他人責めてもしゃーないやんか。自分のケツは自分でふかな」というようなワイルドな口調のものを読んだ記憶が私にはない。

もちろん、私はそのような関西弁的セルフパロディが「正しい」と申し上げているのではない。

それは「正しくない」。

しかし、批評性というのは「正しさ」だけによっては担保されない。

それは「正しくないこと」を「正しくない」と知りつつ述べるという形でも示されることがある。

私の見るところ、かの社会では「正しくない言説」を涼しく許容するという知的習慣がないように見受けられる。

たとえば、ラシュディはアラーの出て来る風刺小説を書いただけでイスラム法廷で「死刑」を宣告されたし、その小説を訳した日本人学者は刺殺されてしまった。

その結果、私たちが今目にするイスラム教徒の言動は、「100%政治的に正しい言説」(通常「告発」と「憤激」というかたちを取る)と、「略奪行為とテロ」(これもまた通常「正義の執行」を看板に実行されている)に二極分解している。

その「中間」におそらくはひろがるはずの無限のグレーゾーン、「人間がひごろ営んでいる、あまり正しくないこと」を生々しく言語化する企てだけが、なぜか私たちの耳には届かない。

私が「イスラム」という言葉からイメージするのは、「神への絶対的帰依」と「暴力と無秩序」の二極に引き裂かれていながら、そのつどつねに「正しい」人々の像である。

二週間前のTVの画面では、撃ち落とされた米軍の無人偵察機を囲んだイラクの人々がスリッパでぺこぺこと機体を叩いて、愛国の至情を誇示していた。

一昨日の映像では、フセイン大統領の肖像画を囲んだイラクの人々がスリッパでぺこぺことフセインの顔を叩いて、愛国の至情を誇示していた。

この人たちは「別人」なのか「同一人物」なのか。

私には何だか「同一人物」に見える。

彼らは、つねに「正義」と共にある人々である。

私は「つねに正義と共にある人々」の頭の悪そうな顔を見るとだんだん気分が悪くなってくる。

その点で、この戦争の戦勝国と敗戦国の国民は私に同じ印象を与える。


4月11日

郵便受けを見ると、「神戸女学院大学」からお荷物が届いている。

げげ、また何か仕事を押しつけられたかと暗い気持ちで部屋に戻り、包みを開くと「御礼」とある。

私は神戸女学院大学からお給料を頂いている身分であるが、大学から「御礼」を頂く筋合いではない。

はて?

すると別便で大学の入試課からの封書があり、拝読すると、そこに「本学人間科学部の2003年度入試問題に著作の一部を使用させていただきましたが、そのような事情のために事前に許諾を得ることができませんでした。つきましては粗品を・・・」と書いてある。

なんと、本学の編入試験の問題に『「おじさん」的思考』の一章が使われていたのである。

私の脳裏にはただちに次のような光景が想起された。

人間科学部の入試出題委員のどなたかが入試出題を依頼されていたのを「ころっと」忘れていた。

「あの・・先生、今日が締め切りなんですけど・・・問題案を出してないのは先生だけで」

と出題委員長から研究室に電話がある。

げげ、これはまずいと思った某先生、電話がかかってくるときにちょうど読んでげらげら笑っていた研究所配布のウチダ本を見つめて。

「うーむ、これもご縁か」

とコピー機に駆け寄り・・・

まあ、人間科学部の先生方はウチダと違って「きちっと」した方ばかりであるから、そのようなことはなく、数十点の候補テクスト(丸山真男、小林秀雄などを含む)を数時間にわたって熟読玩味したのちに、

「これしか、ありませんな」

「そうですな、やはり、これしかないです」

とご英断を下されたというのが真相であろう。

ともあれ、敬愛するご同輩たちによって本学の入試問題にふさわしい見識と品格を備えたテクストとしてご選定頂いたということは不肖ウチダ身に余る光栄と言うほかない。

奇しくも本日の朝、旺文社からメールがあって、拙著の一部が日大文理学部の本年度入試問題に使われたので、来年度の「国語の参考書」に採録したいというお申し出があった。

学術論文の場合は「被引用回数」というのは、その論文のクオリティを測る一つの基準であるが、入試問題にたびたび引用されるというのは、どういう基準によるものなのであろうか。

私が考えるところの入試問題に用いられやすいテクストの基準は

(1) 何を言っているのか、一読しただけではよく分からない

(2) しかし、再読、三読すると「なるほど、そういうことって、あるよね」と高校生(中学生)にも得心がゆく

(3) しかも、ところどころに読みにくい漢語や、やや専門的な術語がさりげなく配されている

(4) くわえて、文章に文法上の間違い、誤字脱字などがない(ことを祈る)

(5) さらにくわえて、高校生や中学生が受験の前に読んでいる可能性が低い(とほほ)

ということではないかと愚考する次第である。

「天声人語」の入試出題頻度が高いという理由で朝日新聞の購読者が一定数確保されているという動かし難い事実がある以上、私の書き物が入試問題に頻出するということになると、全国の受験生たちが、「とりあえずウチダの本だけはおさえとくか」という功利的ご判断によって拙著をまとめてお買い上げになるという展開もあながち幻想とばかりは言い切れぬのであるから、角川書店のヤマモト君もあまり心配しないようにね。

 

本日は開講二日目。

基礎ゼミの初日である。

基礎ゼミというのは、前年のカリキュラム改革提言によって今年度から導入された一年生対象のゼミである。

目をきらきらさせて入学したばかり、大学に対する期待がまだしぼんでいない段階での新入生をチアーアップして四年間がんばり通す気合いを入れようというシステムである。

14名のゼミ生を迎える。

一応私の書いたシラバスを読んで、何番目かはしらないけれど、ここを志望して集まってきた諸君であるから、そこはかとなく「雰囲気」に共通するものがある。

こういうところに迷い込んで来てしまうというのは、すでにしてある「ご縁」パワーが働いているのである。

現に、これまでの「名簿順でクラス分け」された場合には見られなかったことであるが、自己紹介が済んだあとに、さっそくゼミ生同士が携帯の番号交換を始め、「次の授業何? あ、私と同じだ、じゃ、一緒に行きましょ」とたちまちネットワーク構築が行われる。

数十行のシラバスを読んだだけでも、何となく「肌合い」の近い人間が集まってくる、ということはある。(14名のうち3名が同じクラブ(軽音研)希望だったし。武道系(弓道、柔道)も二人。KC出身者も二人)

そういう感受性を高めるということは、とてもたいせつな教育的課題なのである。

 

昨日の合気道の最初の授業でも申し上げたことであるが、「ライオンと殴り合いをして勝つ」ための戦闘能力を付けるのはたいへん困難なことである。

「ライオンと鉢合わせしても、逃げられる」だけの走力を付けるのもそれに劣らず困難なことである。

しかし、「あのへんに何かヤバそうなものがいるみたい・・・」と感じて、はるか手前で進路を変更することのできる身体感受性を開発するのは、それほど困難ではない。

私が合気道の稽古を通じて教えようとしているのは、そのような種類の身体感受性の開発である。

信号を無視してつっぱしってくるトラックをはねかえすのは常人には不可能である。

トラックから瞬時に身をかわす反射神経の開発もかなり困難である。

しかし、青信号であっても、「何か気分が悪い」での、横断歩道に足をおろすことができないという気の感応力の開発はそれほど困難ではない。

トラブルに巻き込まれても、それをちゃんと処理できる社会的能力を身につけることはたいせつであろう。

しかし、それよりもトラブルに「巻き込まれない」能力を身につける方が簡単だし、はるかに安全である。

セクハラ・ガイドの説明をするときに同じことをお話しする。

セクハラガイドブックは、セクハラ事件が起きた「あとに」どう処理するかについて精緻なプロセスを定めている。

しかし、セクハラ事件に「巻き込まれない」ためのガイドは制度的には存在しない。

でも、よりたいせつなのはほんとうはそっちの方だと私は思う。

セクハラ野郎は「セクハラ・オーラ」を発している。

そういう奴には「近づかない」というのが兵法であり、表裏であり、武道の要諦である。

「そんなこと言っても、ゼミの先生なんだもん、近づかないわけにはいかないでしょ」というようなことを言ってはいけない。

そういう人をゼミの先生に選んでしまったということがすでに気の感応が悪い証左なのである。

ライオンの存在に1メートル手前で気づいても、遅すぎる。

1キロ手前でライオンに気づく感応力があれば、何も起こらない。

制度の安全性を過信する人間は、気の感応が落ちる。そして、あとになってから「システムの欠陥」を指摘する。

でも、いくら適切に欠陥を指摘しても、その欠陥によって身に受けたダメージは回復されない。

システムはいつでもクラッシュする。

どれほど堅牢に見えているシステムも必ずいつかはクラッシュする。

家庭も学校も企業も軍隊も宗派も党派も国家も、それどころか私たち自身の身体も思考もいつかは必ずクラッシュする。

だから「もうすぐクラッシュしそう」な徴候に対するセンサーの感度を最大化するための身体能力の開発が「教育」の最優先課題だと私は思っている。

けれども、ほとんどの教育者は「いまあるシステムの不易性」というありえない前提に立って、生きるスキルを教えようとする。

それは話が逆でしょう。

生きるためのスキルは、「私たちがいま立っている基盤は必ず崩壊する」という前提に立つことなしには身に付かない。

だから、武術のすべての形は「足元が崩れるとき」「バランスが失われるとき」「階調が乱れるとき」をどのように感知し、それをどう次のシステムの構築に繋げるかということ「だけ」を教えているのである。


4月10日

守さんから送って頂いたTV版『ツイン・ピークス』全29エピソード踏破の旅がようやく終わる。

パイロット版から『ローラ・パーマー最期の七日間』まですべて見るのにざっと3週間ほどかかってしまった。

残念ながら劇場版『ツインピークス』である『ローラ・パーマー最期の七日間』はぜんぜん面白くなかった。

だって、ララ・フリン・ボイル(ドナ)もシェリリン・フェン(オードリー)も出て来ないんだもん。メチェン・アミック(シェリー)もワンカットだけだし。この美少女三人がシーンが変わるごとにかわりばんこに出てくる、というのが『ツインピークス』のいちばん美味しいところなんだから。悪いけど、ローラ役のシェリル”しもぶくれ”リーひとりでは長尺は持たない。

さて、この長きにわたった「デヴィッド・リンチの旅」はもとをただせば、『マルホランド・ドライブ』を見て、『ロスト・ハイウェイ』の構造との相同性に気づいたウチダが、それならば『ツインピークス』も同一の構造を反復しているに違いないという仮説を立てたことに始まる。

まず私が一月ほど前にTV版『ツインピークス』未見の段階で立てた仮説というのをもう一度ご紹介しよう。

 

(前略)デヴィッド・リンチもまた観客がもっとも恐怖しするのは「物語全体を整序するような情報の不足」であることを熟知している(あらゆるパニックは、「情報が不足」しているときに、人々がつねに「最悪の場合」を想像してしまうことから始まる)。

リンチは観客をパニックに誘い入れるために、まず最初に映画の登場人物たちをパニックに誘い入れる。

推理小説がそうであるように、観客は(同じく「情報の不足」に苦しんでいる)「探偵」役の登場人物に焦点化し、彼の「情報への渇望」を導きの糸として、物語の中を同じ足取りで進んでゆく。

『ロスト・ハイウェイ』でも、『マルホランド・ドライブ』でも、ある中心的人物の「アイデンティフィケーション」が物語の縦糸であることは変わらない。そして、その「身元調べ」のクライマックスにおいて、「探偵役」の登場人物その人が「失踪」してしまうというサスペンスの構造も酷似している。

私はリンチのTVシリーズの『ツイン・ピークス』は未見なのだが、もしこの説話構造にリンチにかなり以前からこだわりがあるとしたら、当然『ツイン・ピークス』ではFBI捜査官のカイル・マクラクランが犯人探しの決定的瞬間に「失踪」するという話型が採用されていることだろう。(あ、ちょっと愉しみになってきた。今晩TSUTAYAに行って借りて来よう)

観客をある人物に同調して映画的物語の中に踏み込ませたあと、その人物を「消して」、物語の中をあてどなく浮遊させること。リンチが採用しているサスペンスの法則はおそらくそういうものだ。

 

太線で強調した点をご覧頂きたい。

ウチダの予言は正しかった。(ウチダの予言は「予言通りになっても、誰も喜ばないこと」については実によく的中するのである)

『ツインピークス』のエンディングについては賛否両論、「納得できない」というご意見も多かったかにうかがっているが、あれはこの「リンチ流サスペンス」の説話構造からすれば、必然的の結末であり、あれ以外の結末はありえないのである。

実際に、私自身、3週間のあいだに毎夜を共にするうちに、クーパー捜査官への親しみと信頼が日々深まり、ついには「彼がすべての謎を解いてくれるにちがいない」という「デヴィッド・リンチの世界においては決して起こり得ないこと」をいつのまにか期待し始めていた。

愚かであった。

当然にも、最後に自らが「予言通り」の結末を迎えて、ウチダはその衝撃に打ちのめされることとなった。

「怖い」

分かっていても「怖いもの」は怖い。

この不条理さには構造的一貫性があると分かっていても、不条理なものはやっぱり不条理なのである。

引き続きデヴィッド・リンチ踏破の旅は続く。

今夜は『イレイザーヘッド』、続いて『ブルーヴェルヴェット』、『砂の惑星』、『エレファントマン』といつまでもどこまでもリンチの悪夢の夜は続くのである。


4月9日

朝からごりごりと『ユダヤ文化論』のノートを作る。

悪い癖で、ノートと書き出すと止まらなくなってしまう。

すでに50枚を越した。もう長すぎて紀要には載せて貰えない。

「日本における反ユダヤ主義の歴史」という章を今書いているのであるが、まだ四王天延孝も「ふぐ計画」も出てこない。

どれほど長くなってしまうのか。

このあとフランスにおける反ユダヤ主義の起源や、シオニズムの話をはじめたら、どれほどの紙数を要するか、もう見当がつかない。

講義四回分のノートを作ればよいのだが・・・

ひさしぶりにノーマン・コーンの『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』(ダイナミックセラーズ)を取り出して引用してみる。

これは私の訳書であるが、なかなか訳文は悪くない。いまの私の文体よりもずっと「きりり」と引き締まっている。(原著そのものも明快なのだが、30代のウチダがいまよりもずっと「きりきり」した人だったせいもある)

続いてデヴィッド・グッドマン、宮澤正典の『ユダヤ人陰謀説』(講談社)を読む。

すると、本文中にコーンの本についての言及があったので注をめくると・・・

「近代フランス哲学を専門にしていて、エマニュエル・レヴィナスの著作を数編翻訳もしている内田樹が翻訳にあたったが、かれから直接聞いた話によれば、版元のダイナミックセラーズはそのホームページは『議定書』を支持する立場から書かれたものと思い込んで翻訳権をとったのだといった。そして内田の反対を押し切って『議定書』を巻末に収録した。」

さすが宮澤先生、内田本人が忘れていることまで、ちゃんとご記憶である。

宮澤先生はは日本イスラエル文化研究会の理事長であり、過去二十年間、この「反ユダヤ主義の生き字引」のような先生に私は深い学恩を蒙っているのである。

共著者のグッドマン先生はイリノイ大学の歴史学の先生。彼は「日本における反ユダヤ主義」研究(コアだなあ)の米国における第一人者である。私はこのグッドマン先生と青山でお茶したことがある。

「反ユダヤ主義」はウチダのもともとの「ホームグラウンド」であるから、ほぼエリア全域についての「マップ」が頭に入っていて、誰がどんなことをして、どの本のどのあたりに何が書いてあるのかということがだいたい分かる。

考えてみたら、私がちゃんとマップできている領域って、「これ」しかないんだ。

ユダヤ関連の論文もずいぶん書いたけれど、イス研(と略すのね)以外では、誰からも評価されなかった。

でも、ドリュモンとかモレス侯爵とかバレスとかモーラスとかいう極右の人たちのテクストをこりこりと読んできたおかげで、ティエリ・モーニエつながりでモーリス・ブランショの王党派イデオロギーというものの正体が知れて、それが「『文学はいかにして可能か?』のもう一つの読解可能性」というウチダの「出世作」に結実したわけであるから、あの古本繙読趣味もあながち無駄ではなかったのである。

今回、総文の現代国際文化コースでは新科目「ユダヤ文化論」を開講することになったのだが、それは総文には飯謙先生という旧約聖書学の専門家と三杉圭子先生というアメリカユダヤ人文学の専門家がおられるからなのである。

対象領域ばらばらながら、ユダヤの専門家が一学科に三人揃っているというのは非常にレアなことである。

そこで、総文を西日本における「ユダヤ学」の一大拠点にすることはできぬものか、という夢想的計画をある日ウチダは思いついたのである。

今期がその第一回目。三人の四回ずつのリレー講義である。

問題はこんなコアな科目を履修してくれる学生がいるかどうかである。

今日が初日である。

果たして教室には何人の学生が私を待っているのであろうか・・・

けっこう心配。

 

昨日はクラブ紹介。

杖道会は形を遣える在学生がいないので、私とウッキーが形を見せる。(着杖から物見まで)

ついでに居合の形もお見せする。(私の好きな「逆刀」と「颪」)

今年から杖道会では居合もはじめることにした。居合刀も三本買った。

というわけで、業務連絡:

杖道会はただいま会員募集中です。杖、剣の技法に興味のある方、いっしょに研究しましょう。合気道会の諸君は、杖と剣が使えないと体術がうまくならないから、月曜の稽古にも来るように。(まじだぜ)


4月8日

鈴木晶先生のホームページのトップページにはいつも、そのときどきの鈴木先生の政治的立場が簡明なるメッセージとともに記されているのであるが、今掲載中のは思わず爆笑。

「神奈川県知事選候補者、田嶋陽子さんの落選を心から望みます。」

鈴木先生は田嶋陽子さんのかつての同僚であり、神奈川県民なのである。

前に、一度「田嶋さんてどんな人?」とお訊ねしたら、印象的な言動の数々を教えて頂いた。

しかし、「落選を心から望まれる」ところまでになる、というのはなかなか常人の不徳の及ぶ境地ではない。その一事をしても田嶋女史の傑物なるを知ることができるのである。

 

米英軍がバグダッドに侵攻し、大統領宮殿が占拠されたと新聞は報じている。

「大統領宮殿」というのは、しかしなんだか形容矛盾のような気がする。

「官邸」っていうんじゃないの、ふつう?

米英の報道機関がサダム・フセインの独裁者ぶりを引き立たせるために「宮殿」の語をあえて誤用しているのか、それともほんとに「宮殿」を称していたのか。どっちだろう。

気になったのでインターネットでLiberation を読んでみたら、占領されたのはPalais presidentiel とあった。

おや、「大統領宮殿」でよいのか・・・いや、違うね。

フランス語のPalais はたしかに「宮殿」の意味もあるけれど、ふつうに「官邸」の意味でも使われる語である。

Palais de l'Elysee は「大統領官邸」、Palais du Luxembourg は「上院」、Palais Bourbon は「国民議会」。たしかにいずれもかつては王家の所有したシックな建物だけれども、「宮殿」というにはほど遠い。

フランス語のPalais と日本語の「宮殿」はかなり含意が違う。

シラク大統領が執務するPalais presidentiel を「大統領官邸」と訳す日本の新聞は、フセイン大統領の居所は「大統領宮殿」とおそらく無意識的に「誤訳」してる。

報道のイデオロギー性というのは、メッセージの水準ではなく、むしろ語の選択という、それより「一つ手前」の水準において露出するものなのである。

 

朝日新聞報道を読んでもう一つ気づくことは、その論調の微妙な変化である。

戦争が始まる前は情緒的な「戦争反対!」のトーンが支配的だったのに、開戦と同時に「戦争実況中継」であきらかにうわずりはじめ、そのあと「戦争長期化か?」という懐疑の段階になると、掌を返したようにラムズフェルドの悪口が満載され、思いがけなくバグダッド侵攻が早まると、「フセイン後の政権構想」についてのリアルポリティークの語法が幅を利かせてくる。

別に私はそれが「悪い」と申し上げているのではない。

マスメディアというのは、そもそもそういうものなんだから、それで結構なのである。

しかし、読む側としては、メディアが本質的には「現実を後追いする」だけであり、それにもかかわらず自らは「主体的に現実を変化させるべく働きかけている」と信じているというその「ずれ」を勘定に入れることを忘れてはならないと思う。


4月6日

快晴。隣の芦屋川畔は「さくら祭」でにぎやかである。

私は掃除、洗濯ののち、たまった大学関係の公文書をばりばり書く。

何度も書くが、私は官僚的なエクリチュールにまったく違和感を覚えない人間である。

出たばかりの『教員評価制度の導入と大学の活性化』という本(25.700円もするんだぜ)を読む。

そこには大学基準協会や文部科学省の人々が、私が去年自己評価委員会の「教員評価制度の導入の必要性」に書いたこととほとんど同じことを書いている。

別に私に先見の明があるわけではなく、「そういう思考法」に憑依されると、そういうものを書いてしまう体質なのである。

本学は教授会主導で教員評価制度導入を決めたのだが、これはどうやら日本の私学では希有の(おそらく最初の)事例らしい。

GPA制度の導入は日本の大学では四番目になる(たぶん)。

どの大学にも「こういう制度をいずれ導入しないとまずいよな」と思っている先生はたくさんおられるはずである。

それがなかなか実現しないのは、意思決定プロセスの煩雑さが大きな原因である。

(その点、うちの大学のようなコンパクトなサイズの大学は合意形成が簡単だ)。

しかし、いちばん大切なのは、やはり「合意をとりつける」ときのマナー。つまり「説得のしかた」であろうかと思う。

本学で教員評価システムの導入に原則合意が得られたのは、提案者である自己評価委員会が「これはベストの制度ではありません」ということをはっきりさせてから話を始めたからであろうと思う。

導入するとこういうメリットがあり、こういうデメリットがある。導入しないとこういうメリットがあり、こういうデメリットがあるということをごくごくリアルかつクールにご説明する。

「提案する私の言い分が正しいわけではなく、反対するあなたの言い分が間違っているわけでもない。問題は純粋に定量的な水準にある」ということをはっきりさせておくと、議論は「噛み合う」。

一度議論が「噛み合え」ば、あとはみなさんIQの高い教授会メンバーであるから、おのずと話は落ち着くところに落ち着くのである。

話が混乱するのは、提案者が「私の言うことは正しい、私に反対するものは間違っている」という前提を採用するからである。

これは合意形成を求める場では決して取ってはならない態度である。

「私は正しい」ということを主張することは、「私は間違っている可能性がある」ということを明言することより、多数派形成を試みる上での成功の確率が低いからである。

言い換えると、「私は負ける用意がある」という立場からの提案と、「私は負けるわけにはゆかない」という立場からの提案では、「負ける」可能性を勘定に入れている提案の方が、「勝つ」確率が高い、ということである。

まことに不思議なことだが、組織というのはその成員に「正しい判断を強いる」ことによってよりも、「誤りうる自由」を許容するときの方が、「正しい判断」に達する手間が少なくて済むのである。

多くの「正しい」改革案が頑強な抵抗に出会うのは、それが「正しい」がゆえに、反対者の「反対する自由」「懐疑する自由」を損なうからである。

あなたの「反対する自由」「懐疑する自由」はつねに尊重されるでありましょう(だって、こっちの言い分もそれほど「正しい」わけじゃないんだから)と告知してから始めると、議論はその「保証」だけでとりあえず友好的な雰囲気のものになる。

十分に友好的な雰囲気さえ確保できれば、あとは何とかなるものなのである。

つねづね申し上げていることであるが、合意形成においてたいせつなのは、「合意形成することは大切だよね」という合意をあらかじめ形成しておくことである。

「ある提案についての合意」と「合意することについての合意」は水準が違う。

「合意の合意」は一つ次数の高い合意である。

民主主義というのは「多数決」のことではない。

そうではなくて、「合意することについての合意」が成り立つということである。

「反対する自由」「抵抗する自由」「懐疑する自由」、そして、「誤った政治的判断をする自由」を承認すること。自説に反対する立場をおのれ自身と等権利的なものとみなすこと、それが民主主義である。

と私は思う。

民主主義の原理をぜひ貫徹していただきたいと思う。(えっと、誰に向かって書いているかは、お分かりですよね?)


4月5日

ゼミの卒業生小野田聡子さんの結婚式に呼ばれて神戸オークラホテルへ。

小野田さんは99年のご卒業。

ご父君はかつて女学院でフランス語の非常勤講師をしていただいたこともある詩人の小野田節夫先生。

聡子さんはお父上譲りのフランス語上手で、卒業後、関学の大学院で語学の研究を続けられたのであるが、今般、岡山大学の医局にいる整形外科医の三輪啓之さん(実に好青年)とご縁が整って華燭の典を迎えられたのである。

私のお隣は主賓で関学の仏文の中谷拓士先生。それに関学の院生たちと新婦の親戚の洒脱な紳士である柳川氏と気さくなご令室。ワインをごくごく飲みながら、愉快な会食のときを過ごした。

中谷先生からは19世紀のシャンフルーリーという文士についてのお話をご教示を頂き、たいへん勉強になった。(ウチダは異業種の人の話を聞くのが大好きなのである。でも、仏文学者と話していて「異業種の話」で興じたというのは、ちょっと問題かも)

いつもはふざけてばかりいるウチダであるが、今回はまじめな顔でご祝辞を申し上げる。

私の「結婚式におけるスピーチ」の理想型は『彼岸花』の佐分利信である。

「型どおり」のスピーチで、さざめくような静かな笑いのうちにきちっと締めるという技は、ある程度年を取らないと、格好がつかない。ウチダもだんだん年回りが近くなってきたので、理想に近づくべくさらに研鑽を積む所存である。

次は誰の結婚式に呼んでいただけるのであろうか。

新郎新婦はどうかお幸せに。


4月4日

入学式。桜満開なんだけれど、残念ながら雨。

私もこれで神戸女学院大学の入学式に列席すること14回目となった。

本学の入学式、卒業式はキリスト教の礼拝形式で行われ、パイプオルガンがおごそかに響いて、スピーチが一つ終わる度にみんなで立って讃美歌、学院歌、記念歌などを粛々と詠じて、あっというまに終わってしまう。

スマートなセレモニーである。

図書館で調べものをする。

「ノーベル賞受賞者中のユダヤ人比率」というのを調べているのである。

なかなか適当なデータが見つからない。

とりあえず1908年から1970年までのノーベル医学生理学賞の受賞者が25人というデータを使うことにする。

63年間に25人ということは「その年のノーベル医学生理学賞にユダヤ人が含まれている確率」が40%ということである。

1970年の世界のユダヤ人人口は1420万人。世界の総人口はざっと40億人。

人口比で約0.4%であるから、「標準的な民族集団」の100倍の比率でノーベル医学生理学賞の受賞者がいるということである。もちろん他の分野にもごろごろ受賞者がいる。ベルクソンもアインシュタインもサムエルソンもボーアもファインマンもみなユダヤ人である。

しかし、それで驚いてはいけない。

今回の調べもののもう一つはハリウッド映画のフィルムメーカー中におけるユダヤ人比率である。

知っている人も多いであろうが、ハリウッドの七大映画会社のうちユナイテッド・アーチストを除く6社はユダヤ人が創設したものなのである。(コロンビア、ユニヴァーサル、MGM、20世紀フォックス、ワーナー、パラマウント)

どうしてこういうことになったかについては長い話があるので略すが、驚くべきはユダヤ人の映画人の数だ。

まず監督は、と見ると。

エリック・フォン・シュトルハイム、ジョゼフ・スタンバーグ、ウィリアム・ワイラー、ビリー・ワイルダー、ジョン・フランケンハイマー、ロマン・ポランスキー、オットー・プレミンジャー、リチャード・ブルックス、スタンリー・クレイマー、ウィリアム・フリードキン、スティーヴン・スピルバーグ、ウディ・アレン

俳優だってすごいぞ。

チャーリー・チャプリン、マルクス兄弟、ケーリー・グラント、アル・ジョンソン、エドワード・G・ロビンソン、ロッド・スタイガー、ジーン・ハックマン、ピーター・フォーク、メル・ブルックス、ウォルター・マッソー、ダスティン・ホフマン、ポール・ニューマン、カーク&マイケル・ダグラス、リチャード・ドレイファス、トニー・カーティス、ジェフ・ゴールドブルム、ポーレット・ゴダード、バーバラ・ストレイザンド、ローレン・バコール・・・

結婚してユダヤ教徒になった人も入れるとマリリン・モンローもエリザベス・テイラーも「ユダヤ人」である。

ポップ・ミュージック畑は人が少ないが、『エンサイクロペディア・ジュダイカ』が「ユダヤ系ミュージシャン」として載せているのは、エルマー・バーンステイン、バート・バカラック、キャロル・キング、ビリー・ジョエル、ベット・ミドラー、バリー・マニロウ、そしてポール・サイモン&アート・ガーファンクル。

『卒業』はマイク・ニコルス(もちろんユダヤ系)監督がユダヤ人の青年俳優ダスティン・ホフマンを起用して、ユダヤ系デュオの音楽を全編に使った映画だったのだ。

なーるほど。

そういうどうでもいいことをこりこり調べていたら(でもこういう「どうでもいいこと」を調べるのはけっこう愉しいんだよね)、昨日パリから帰ってきたマスモトさんが登場したので、いっしょに昼飯を食べにゆく。

ご飯を食べてお茶を飲んでから雨の中を家に戻り、「ユダヤ文化論」の講義ノートを作る。(そのための調べものだったのだ)

ついでにコピーしてきた『ジュダイカ』の「JAPAN」の項目を読んでいたら、

「戦後日本において、ようやくユダヤ文化の学術的研究がその端緒についた、その先鞭をつけたのが、小林正之早稲田大学教授の主宰する日本イスラエル文化研究会である」という一文があるのを見てびっくり。

私はその日本イスラエル文化研究会の20年来の会員として久しく小林先生の薫陶を受け、いま、その学会の理事を相務めておるのだ。

なんと、それと知らずに、私は日本におけるユダヤ・イスラエル研究の「保守本流」だったのである。

百科事典というのも(辞書ともども)いろいろと知らないことを教えてくれるものである。

 

すると角川書店のヤマモト君から泣きの電話が入る。

山本浩二画伯の装幀のアイディアが角川の上の方の気に入らず、もめにもめて、あいだにはいったヤマモト君は苦渋の人なのである。

何とかデザインを変えて貰えませんかねえ。装幀のインパクトが違うと、売り上げが千部二千部違うんですよとヤマモト君は食い下がる。

いいじゃないか、千部二千部くらい。

だいたい、「どうだっていいじゃんか、そういう細かいことは」ということだけを書いている本なんだからさ。さらっと流そうよ、さらっと。

私の本は画伯との「合作」というコンセプトでやっていて、何冊か揃って平積みになると、そこでささやかな「山本浩二展覧会」が見られるようになる、という「大人の遊び」が仕掛けてあるんだから。

売り上げがどうたらとか野暮はいいっこなしにしようよ、ね。

 

そこへ新曜社からメール。

『私の身体は頭がいい』の「タイトル借用」につき、橋本治先生から許可が出たそうである。

橋本先生からのお葉書の文面は以下の通り。

 

「前略 お手紙を拝見しました。私としては一向にかまいません。件の一文は集英社新書の『「わからない」という方法』の一番最後に出て参ります。そんなことを入れていただけると宣伝になるので嬉しく存じます。内田先生にもよろしく。草々」

 

さすが橋本治大先生。かつて私が「橋本治共和国」の文部大臣に立候補した件などはご存知ないであろうが、「はたして私の本意が分かっているのかどうか、危ぶまれます」とかそういうことを言わないで、「はしもとせんせーい」と慕い来るファンの気持ちを汲んで下さるというのがまことに大人の風格である。

それと同時に甲野善紀先生の「序文」の原稿も送られてきた。

これがまた涙なしには読めないハートウォーミングな名文。

死ぬほど忙しい中、また健康状態も決して本調子でない中、これほど長いものを私の本のために書いて下さるとは。

こうのせんせーい。

偉大な先輩たちは、みな宏大な心をお持ちである。

「予告編」としてその冒頭部分のみご紹介しよう。

 

内田樹先生は頼藤先生(先年亡くなられた神戸女学院大学の教授で、精神科医として有名であった頼藤和寛先生の事)の知性をブルドーザーに搭載したような方ですね」とは、本書にも登場する私の畏友で精神科医の名越康文、名越クリニック院長の弁である。

「やっぱり、かすってますかね」と私。

「うーん、相当かすってますね。ちょっとそのかすり方が他に例がないほど変わってますけどね」と名越院長。「かすっている」とは、名越氏と私の間で時折使われる言葉だが、その意味を上手く翻訳する事は限りなく不可能に近い。直訳すれば、「只者ではない」「普通の人とは本質的に異なった反応をする人」ということであるが、その異なりようにもいろいろあって、「うーん、これは一本参ったな」と、その違いに感嘆する場合もあれば、「もうこの人にはちょっと近寄りたくないな」という、いささか辟易とする場合まで含まれるからである。

そして、そのいずれの場合も我々は「かすっている」と表現する事が多い。しかも、この際の微妙な弁別は、その「かすっている」という言葉の声音やアクセントを僅かに変化させることで表現しているから、これはもう何ともこれ以上説明出来ない。

さて、内田先生に対して我々が「かすっている」と言う場合、どういう思いと感情を込めているかは、読者各位のご想像にお任せするが、「かすっている」という言葉が、とにかく常人にあらざる人に対して発せられるという事さえ御理解いただけたら、我々が内田樹先生を「かすっている人」と断じる事に対しては、本書を始め今までの内田先生の著作やホームページを御覧になった方々の多くは納得されると思う。

 

名越先生はかつて私の顔をまじまじと見ながら、「狂い過ぎている人は発症しないんですよ、ははは」と笑ったので、私もつられて「名越先生たら、ははははは」と笑い、二人でいつまでも「はははははははは」と笑い続けたことがある。

それを微笑みながら見つめていた甲野先生はおそらくそのときに「(二人とも)かすってるなあ」という感懐を抱かれたのであろう。(たぶん)


4月3日

というわけで、早速「三軸自在合気道」を実験してみる。

まず天地投げ。

天地に切り分けるところで回転がかかるわけだから、その回転の軸を後ろにちょいと押すと、回転方向90度先に相手の身体がプレセッションで旋回してゆくので、それをかさにかかってさらに旋回させると、ぽてっと、倒れる。

なるほど。

この「相手が旋回するところをかさにかかって、さらに旋回させる」というのがミソなわけだ。

バイクが右にリーンして右コーナーを抜けようとしているときに、後ろからひょいと手を伸ばして、アクセル全開にしてやるような感じ、と考えればよろしい。

先方が自らそっちに行きたがっている方向にガツンと加速してあげるわけである。

これはご無体な。

次に入身投げ。

これは昨日書いた術理の通りにはゆかなかった。

入身に入って相手に回転運動を起こさせ、その回転軸を押す、というところまではよいのであるが、そのあとの旋回の方向が微妙である。

例えば、こちらが右半身で入身に入った場合、相手は右回転を始める。

それを後傾させると、原理的には私から離れるように旋回するはずである。

相手の左後方にすり抜けてさらにその旋回を加速しつつ下に落とすという(山口師範ふうの)入身投げなら術理に合うのだが、相手の右側にとどまったまま、という条件だと術理が違ってくる。

これについては宿題ということにする(答えの分かった人はご教示下さい)。

次に四方投げ。

表は術理通り。

裏の場合、相手の身体は回転をしない。

ということは、ほんとうは裏技の方がかかりにくいはずである。

にもかかわらず初心者は裏の方がはやくうまくなるし、私がやっても裏の方がきれいに決まることが多い。

これはにまた別のファクターが関与しているのであろう。

これも宿題。

次に一教。

これは裏も表も術理通り。

裏の場合は、とくにみごとだ。

右半身で入身に入り、右回転を与えつつ、後傾させる。当然相手の身体は90度ずれて私の手もとに旋回しつつ飛び込んでくる。それをさらに加速させつつ上から抑え込んじゃうのだ。

武道の型というのが、実に精緻な物理学的人間工学的理論に基づいて構成されたものであることをしみじみと納得。合気道は奥が深い。

というわけで、昨日今日と合気道を知らない人には全然面白くない話を書いてしまって申し訳ない。

しかし、ここで一般論に展開すると、やはり「型」というのは一種の「謎」として与えられている、という私の持論につながるのである。

「謎」であるかぎり、それは「テクスト」と同じである。

私たちはテクストを読む。

その読みは読み手に固有のものであり、読み手個人の来歴、語彙、教養、人種、性別、階級、幼児体験、トラウマ、セクシュアリティ、定期預金の残高、空腹度、飲酒習慣喫煙習慣の有無、直近の読書体験などにおおきく左右される。

同じテクストから同じ意味を読み出す読者は二人といない。

一人の読者でさえ、同じテクストから、読む度に違う意味を読み出す。

武道における「型」はテクストと同じく、ひとつの「謎」である。

それにはどのような解釈理論を当てはめることもできる。

そして、その解釈から読み出される「型の意味」はほとんど毎回違ってくる。

しかし、どのような解釈も、その「謎」の蔵するすべての意味を網羅したと揚言することは許されない。

テクストの場合と同じく、「型」についても「正しい解釈」というものは存在しない。

あるのは「貧しい解釈」と「豊かな解釈」だけだ。

「貧しい解釈」は「そこで行き止まり」というものである。

「豊かな解釈」というのは、そこから無数の「宿題」が出てくるような解釈である。

私は武道の「型」について、さまざまな解釈仮説を立てる。

武道のよいところは、「見当違いの」解釈をすると技が「かからなくなる」という実践的な検算が可能だということである。(文学ではそうはゆかない。どんな解釈をしようとも、「読んでつまらなくなった」ということはあっても、「字が読めなくなった」ということはない)。

その分だけ武道における「型の解釈」の方がシビアだということである。

「三軸自在合気道」ではいくつかの型については、きっちりと技がかかった。

今まで以上にうまくかかったものもある(天地投げがそうだ)。

しかし、うまくゆかなかったものもある。

理由としては、私の三軸自在理論についての理解が浅いということと(当然である。本を一冊読んだだけなんだから)、あるいは三軸自在的解釈だけではうまく説明できないファクターが合気道には含まれているということの二つの可能性がある。

これが私の得た本日の「宿題」である。

そして、この二つの「宿題」はどちらも、私にとっては、気分が高揚する種類の「わからなさ」を湛えているのである。

 

東京の朝日カルチャーセンターからお電話。

「ケアをひらく」というシリーズの講座で一席講じることになった。(これは医学書院の白石さんのプロデュース)

何を話していただけますか、というご質問なので、「八月ごろに自分が何を考えているのか予想できませんので、わかりません」とお答えする。(ひどい講師である)

6月には同じ東京の朝日CCで家族問題で信田先生と対談。10月からは月一で大阪の朝日CCで三回連続の講義をやることになっている。

「物書き」を止めたので、寄稿依頼はぱたりとなくなったが、その代わり「講演」の依頼がふえた。(たしか『期間限定の思想』の「あとがき」には「時評エッセイ講演コメントの類は打ち止め」と明記したはずなのであるが・・・)

「センセイにひとつ軽く笑いをとっていただいて、客寄せに・・・」というようなふにゃらけたオッファーであればただちにお断りをするのであるが、どれもたいへんにまじめな企画であるので、お断りできない。

それに講演はメディアに書くよりずっと気が楽である。

「ウチダの話を聞きたい」と思った人がスポットで受講料を払って聞きに来られるのである。

だから、「そんな話が聞きたかったんじゃない、金返せ」というようなことを言われる筋ではない。

「私が提供するはずのないものを求めてこの場に来たという、あなた自身の身体感受性の低さが今のあなたを損なっているおおもとなのである。たしか今日の講演は『そういう話』だったのだが・・・何かご異論でも?」


4月2日

というわけで、早速頂いた池上六朗さんの『カラダ・ランドフォール』(柏樹社、1999年)を読むことにする。

「ランドフォール」というのは航海用語で「陸が見えたぞー」という意味。

この「陸が見えたぞー」をそのまま地名にしたのが Montevideo だそうである。むかしの水夫というのはラテン語もできたんだね(こういう「豆知識」を与えてくれる本、私大好きである)。

池上さんは元航海士なので、比喩の多くが海洋的である。ちょうどいま寝しなにスティーヴンソンの『宝島』を読んでいるので(「75人で海には出たが、帰ってきたのはただひとり。ヨ・ホ・ホ」)、帆船の専門用語がなんとなくしっくりくる。

読み進むと、これはまた驚くべき本である。

三軸修正法の原理は、「プレセッション」つまり「軸旋回」運動にある。

ウチダは高校一年のときには地学の授業が理解できず、二年になったら物理の授業がわかんなくてなって、そのまま泣きながら高校をフけてしまったバカ高校生なので、こういう話はすべて「初耳」である。

諸賢は先刻ご承知であろうが、私は知らなかったんだから、まあ聞き給え。

十円玉を転がすと、くるくるまわって途中でぱたりと倒れる。

そのとき右の方に曲がると必ず右の面を下にして倒れ、左の方に曲がると必ず左の面を下にして倒れる。

経験的には「あたりまえ」のことであるが、理由を述べよといわれても、ウチダには分からない。

コマを回す場合も同じ。

勢いのよいうちは安定しているが、勢いがなくなると軸がふらふらしてくる。

右回りに回っているコマの軸は右回りに頭を回しながら倒れる。左はその逆。

理由は不明。

しかし、回転体が状態を変えるときには法則があることは私にも推察ができる。

いかなる法則であるか。

コマの場合、右回りに回っているとき、軸をぐいと向こう側に押すと、軸は向こう側には倒れず、右側に倒れそうになる。右に押すと、手前に倒れそうになる。手前に押すと・・・

もうお分かりだね。

コマを倒そうとすると、コマは「倒そうとする方向よりも回転方向90度先に倒れようとする」のである。

これが軸旋回。

回転方向の異なる二つの軸まわりの回転が同時に起こると、その回転体は最も安定した向きに旋回しようとする。

自転車やバイクのコーナリングもそれと同じだ。

車輪は車軸を中心に回転しながら、前方にも回転している。これを右に曲げるためには、右側にリーンしなければならない。リーンしないで、ハンドルだけ右に曲げるとバイクはこける。

タイヤを右側から見ると、右にリーンするということは、右回転している車軸を上から下に押すということである。すると、倒れる方向はその方向と90度ずれるからタイヤは右に旋回することになる。

繰り返し言うように、経験的には当たり前のことなのだが、そういわれると不思議な気分がする。

さらに「初耳」なのは私たちは地球上にいるので、私たちの身体にも軸旋回は働いている、ということである。

地球は地軸を中心にして自転しながら、太陽のまわりを公転している(それくらいはウチダにも分かる)。

だから、北半球にいる私たちは「ただ直立しているだけで、北の方にカラダが曲げやすくなり、南半球では、南の方にカラダが曲げやすくなるという現象」(103頁)が起こる。

そ、そんなの「初耳」です。

人間の身体も微細な粒子でできているわけだから、当然軸旋回の影響を受ける。

例えば、その場でくるくると右回転をしてみて、そのあと体軸をうしろにそらせると、身体は左に曲がりやすくなる。(外側から見ると、コマと同じである。体軸を「コマの軸」と考えると、「うしろにそらせる」は正面から見ると「向こう側に押す」だから、「私にとっての左」は正面からの観察者からみて「右」になる)

おお、プレセッションだ。

ほんまかいな。

で、さっそく本のとおりに実験してみる。

あら−、不思議だ。

書いてあるとおりになっちゃった。

その他、池上さんの本には「身体は微細な粒子から出来ている」とか「傍らにある物体のちょっとした位置変化によってニュートン・ポテンシャル場における力学的布置が変化するので、人間の軸旋回は影響を受ける」というようなことが書いてある。

これは甲野先生の言われる「身体を割ることのたいせつさ」や、多田先生の言われる「すべての運動の基本は粒子の微震動であり、その微妙な変化に反応するのが気の感応である」という理説にどんぴしゃりと当てはまる。

うーむこれは。

また宿題がふえてしまった。

もちろん、このプレセッション原理を明日の合気道の稽古にどうやって取り入れるかという宿題である。

柔軟体操に応用できるのは誰にでも分かる。

例えば、柔軟で右屈するときに、まず立って右回転でくるくる回ってから(早稲田大学合気道会の伝統芸「タイムマシン」のあれだね)、そののち前傾してから右屈すれば身体はびよーんと曲がるはずなのである。(後傾すれば、左に曲がる)。

しかし、それだけでは芸がない。

例えば、入身投げではどうなるか。

右半身で入身に入って、相手の身体を右回転させて崩しながら、後ろにそらせると・・・相手の身体はプレセッションの原理によって、技を掛けている私から離れるように、私から見て右側倒れ込む。

おお、その通りだ。

そこで、さらに相手の背後に進み、回転運動を継続しつつ、後方への反らしをきつくすると、旋回運動はさらに強まり、自ら掘った墓穴のうちに右旋回しつつ埋没してゆくのである。

おおお、これは凄い。

これまで多くの合気道家が入身投げの術理を説明してくれたが、これほど理にかなった説明ははじめてである。

大先生があれほど入身投げを好まれたのは、この複雑な軸旋回運動の妙諦を知ることがそれだけ常人には困難だったからではないのか。

では、四方投げ表はどうか。

右半身で相手の右手を取って切り上げると、相手の体軸は左回転を始める。

かつ相手の身体はうしろに反るから、プレセッションの原理によって相手の身体は90度ずれて、技を掛けている私の方に倒れて旋回を続けようとする。

で、そこをくぐり抜けて、さらに回転を続け、反らしを強めると・・・旋回運動はさらに強まり、自ら床にまっすぐ倒れ込んでゆく・・・ではないか。

なんと。これもどんぴしゃりではないか。

では、一教は?

右半身で相手の右手を取って一教をかける。

相手の身体は左回転を始める。そして、相手の体軸は向こう側に押されるから、当然プレセッション原理によって、相手の身体は90度左側に倒れ込もうとする。

そこで肘を極め、脇の下に蹴り込み、さらに左への倒れ込みを加速すると・・・おおお、これもまたぴったりだ。

なんと。

合気道の基本技三種はすべて軸旋回運動の「旋回運動強化の原理」によって説明可能だったのである。

驚いたなー、もう。

もちろんこのようなことは合気道の身体運用のコンピュータ解析をしている気錬会の工藤君なんかにはとうに熟知されていたことなのであろうが、ウチダは今日はじめて知ったのだ。

こんなことなら高校中退するんじゃなかったぜ。

そういえば、研修会の稽古の時に多田先生がつねに「技のできる人が南側にゆくように」と指示されるのは、そのせいかもしれない。

だって、北半球にいるわれわれは「北にむかって身体が倒れやすい」のだから、取りが南から北に向けて攻め、受けを北に向けて倒し込むというのは、まことに地球物理学の法則にかなった位置どりなのである。

古来より、野試合にあたっては「太陽を背にせよ」ということが基本である。

これを多くの時代劇小説は「太陽の光が目に眩しくて、相手が怯む」というふうに説明しているが、そればかりではなかったのだ。

われわれは北半球の住人だったということなのだ。

ことほどさように武道というのは奥の深いものなのである。

というわけで、合気道会の諸君はウチダの今後の「三軸自在合気道」の展開を刮目して待つべし。


4月1日

お招きによって三軸自在研究所の三宅安道先生をお訪ねする。

「三軸自在」とは何であるかという長年の疑問がいま氷解するのである。

どきどき。

診療を待つ人でごったがえす受付で、「あのー、今日お訪ねするってお約束したウチダなんですけど」とおずおず自己紹介すると、診療室から、蓬髪巨躯の三宅先生が「がははは、や、どうも、とうとうお目にかかれましたね!」とどんどんと床を揺らしながら登場。

ウチダは体躯で人に圧倒されるということはあまりないが、三宅先生は(主観的には)見上げるような大男。

ウチダは早口で人に圧倒されることはあまりないが(例外はコバヤシ先生くらい)、三宅先生は単位時間内に私の三倍しゃべる。

あっというまに診療室に拉致されて、あっというまに「うーむ、踵を結ぶラインと仙骨を結ぶラインがずれていますね・・・」から始まる怒濤のような解剖学用語の嵐の中で、ところどころ理解できた範囲では、私の身体は右側に大きく湾曲しており、膝の膿腫も右背中の筋肉痛もすべてはこの身体の軸の歪みを補正するための私自身の筋肉の必死の努力の副産物であるらしい。

たちまち診療台に転がされて全身をぐるんぐるんにされる。

たいへん気持ちがよい。

頸椎の右側に突起があるのをただちに発見され、「触ってごらんなさい」と言われる。そこに腫れたような突起があり、仕事を詰めてやるとそこが熱をもってきて頭痛が始まるのは二十年前からの宿痾であるが、三宅先生は、「仕事をするとここが腫れて頭痛がするでしょ?」と言い当てるや、「では」と言って、あっというまにその突起を「消して」しまった。

こ、これは魔術か。

十五分ほどの診療のあと、「おお、だいぶまっすぐになりましたな。先生の膝は私が治して差し上げます」ときっぱりと断言してくださった。

三宅先生はあのK-1の主治医なのである。(佐竹も角田も先生のクライアントなのだ)。

まったく思いもよらぬところに、思いもよらぬ人が私の病を治すために出現してきたことになる。

ご縁というのはまことに不可思議なものである。

三軸修正法というのは池上六朗という航海士兼ヒーラーの方が「船荷のバランスをとる技法」を人体に応用して体系化されたものらしい。(本を頂いたのでこれから研究)

その池上先生が私の『寝ながら学べる構造主義』を一読して、「これは使える」と看破されてさっそく百冊(!)購入されたばかりか、それをお弟子の方々に配ると同時に「各自10冊ずつ買うように」と厳命され、「一回読んで、面白かった頁に折り目をつけておいて、二冊目にも折り目をつけておいて、三冊目にも・・・(以下略)10冊すべてで違う頁に折り目がついたことを確認するように」というとんでもない読書法を指示されたのだそうである。

文藝春秋の嶋津さんもまさかこのようなハードコアな販促活動を展開している読者がいたことは存じ上げないであろう。

ともかく、その池上先生のお弟子であり、三軸修正法の実践者であり、阪大医学部ほかで画期的な共同研究を展開していて、年間11000人の患者を治癒されている、「摂津本山の赤ひげ」のような方が私を治癒されるべく雷鳴とともに来臨されたのである。

今日の訪問の主旨は池上先生が7月に芦屋で行う講習会にゲスト講演者として2時間「学ぶとは」というテーマで話すというオッファーにご返事するためである。

講演するにも「三軸修正法」の何であるかを存じ上げないのでは話にならないので、百聞は一見に如かず、膝を診てもらいがてら保険証持参でうかがったのである。(お代を払おうとしたら「わはは、今日は診療協力ということで」無料の上、本を三冊頂いてしまった)

三宅先生のお話では、当日の聴衆は全員私の本の(強制的)読者だそうである。(そんな集まりはジャックの「街レヴィ派総決起集会」くらいしか経験がない)

そうと聞いては、参上しないわけにはゆかない。

しかし、繰り返し言うが、「ご縁」というのは不思議なものである。

池上先生、三宅先生が私に興味を持たれたのが、私の書いた身体論の本ではなく(まだ出てないから当然だけど)、『寝な構』によってというのがまことに不思議である。

いったいあの本のどこに興味を持たれたのであろう。

近々三宅先生とはお食事をするというお約束をしたので、そのときにじっくりうかがうことにしよう。

なんだか狐につままれたような感じで、いきなり軽快になった身体でほいほいスキップしながら家路につく。

甲野先生は整体の野口裕之先生という専属ヒーラーがいる。

三宅先生はあるいは私のために出現した「宿命的ヒーラー」なのかも知れない。(おお、ラッキー)

本というのは出してみるものである。

というのが本日のささやかな教訓。