Les aventures d'un penseur sans fond: depuis janvier 2003
5月30日
トップ100校WGの第三回ミーティング。
話の早い方ばかりなので、たいへんに重大なる問題を論じた会議だったのであるが、1時間でぱぱぱと終わる。
会議はこうでなくっちゃね。
つねづね申し上げているように、私は「会議を早く終わらせる能力」を高く評価する人間である。
「会議を早く終わらせる能力」は、次のようなファクターから構成されている。
(1) 何が重要な論点で、何が二次的か、その優先順位が分かっている
(2) 自分の意見を簡潔に表現できる
(3) 他人が「何が言いたいのか」をすばやく察知できる
(4) 異論との調整のために自説をためらわず放棄できる
意外に思われるかも知れないが、一番得難いファクターは(1)なのである。
(2)からあとは、その派生現象にすぎない。
重要な論点が何かを分かっている人は、そこだけ「押さえて」おけば、あとはどうでもよろしいので、全体に発言が少なく、二次的問題についてはしばしば意見さえ述べない。
大事なことだけ確認しておいて、「あとはじゃあ、世話役さんに一任つうことで」と言いながら腰を浮かせる・・・というのが会議をあっというまに終わらせるこつである。
会議を長引かせるのはその逆のタイプの人間である。
このタイプの人は「意見をとりまとめる」ことよりも、議論のプロセスで「自分が知的であること」をショウオフすることの方をつねに優先させる。
「自分が知的であることをショウオフする」時間はいくら続いても長く感じないのは人性の自然であるから、いきおい彼らが発言をはじめると会議はどんどん長くなる。
大学というのは「知的であること」に、少なくとも「知的に見えること」に過剰な価値を見出す人々がダマになって暮らしているところであるからして、どのような会議もややもすると長引く傾向がある。
かかる趨勢を憂える人々がいる。
これを「定刻主義者」と称する。
定刻主義者とは、会議を定刻に始め、定刻に終わらせることに「無上の喜び」を見出す人間の謂である。
わが総合文化学科の学科長F庄先生は自他共に認める「定刻主義者」であるので、科別教授会はたいへんにすばやく進行する。
その私がさらなる会議時間短縮案としてご提案したいのは「発言時間タイマー」である。
会議の予定時間を出席者数で除すると「この会議において許される一人当たり発言時間」が得られる。
それをタイマーにセットする。
一人当たりの発言時間合計がその割り当てを超えたらタイマーが「ブー」と鳴る。
鳴ったらもう発言は許されない。さらに発言を続けたければ、自分と同意見の誰かにバトンタッチするか、誰かから「残り時間のあるタイマー」を譲り受けなければならない。
重大な案件のときなど、ブラックマーケットで「時間」が売り買いされ、「残り時間タイマー」の闇価格が高騰したり、なかなかスリリングな展開が期待できるのである。
5月29日
午前中ぱたぱたと洋泉社の原稿を書く。
6月末が締め切りなのであるが、6月中にどれほどの量の書き物をしなければならないのか想像しただけで頭がくらくらしてくるので、できるうちにやってしまう。
洋泉社の本は『ため倫』や『おじ的』と同じく、ホームページ日記のアンソロジーであるので、本来は何もしないうちに本ができるはずであるが、もちろんそのようなことはありえない。
終わりなき加筆修正をしているうちにずるずると本が長くなって行く。
『ため倫』文庫版のキックも入る。
これは高橋源一郎さんが「解説」をお書き下さることになっているので、そろそろ「まえがき」と追加分を書かないといけない。
これが8月に出る予定であるので、それですでに今年は5冊刊行ということになる。
8ヶ月で5冊というのはどう考えても異常である。
しかるに、さらに7社の編集者が「今年中に原稿を渡して頂きたい。できれば今年中に刊行したい」というご無体なる要請を私に向けておられるのである。
それはいかがなものか、と私は思う。
この場を借りてぜひ編集者の皆さんに申し上げたいが、このように年間10冊近いペースでウチダが本を出したら、読者諸氏は必ずやウチダに「飽きる」と私は思う。
ウチダの書き物にもっとも好意的な読者であるウチダ自身でさえぼちぼち自分のものを読むのに飽きているくらいであるから、読む方のあいだにはすでに「膨満感」がたちこめ始めているに違いない。
営業的に考えても、年間2冊せいぜい3冊というのがリーズナブルなペースである。
それ以上の頻度で本を出すことは決してみなさまにとってもお得なことではないと私は思う。今年はもう2冊本が出ている。このあととりあえず4冊出る。それだけで6冊。「キック」を真に受けて夜を日に継いで原稿を書き飛ばしたらあとさらに何冊出るか分からない。
でも、考えても頂きたい。
そんなに私の本が売れるだろうか。
一年間に6冊も本を出す人間のものを誰が律儀に6冊全部買うであろうか。
私なら買わない。
「はよ書け」とせっついている編集者の皆さんは、自社刊行のご本のことしか念頭にないようであるが、そんなことでよろしいのであろうか。
御社刊の本とほとんど内容に変わらない本が、じゃかすか他社からも出るのである。
みなさまはそれと知らずに「墓穴を掘っている」と私は思う。
ウチダの脳裏にはありありと想像がうかぶ。
みなさまが返本在庫の山をかかえて途方に暮れている姿が。営業会議での上司の怒声が。
「だから、オレはダメだって言ったんだよ。それをキミが『今が旬ですから』とかなんとか言って反対を押し切って、無理押ししたんじゃないか。何が旬だよ。サバの生き腐れみたいなしょーもない本を他社と同時に出しちゃって・・・。んなもんが売れるわけないじゃないか。オレは知らないからね。全部、キミの責任だからね。辞表書き給え、辞表!」
せっかく私に仕事の口をお世話くださった大恩ある編集者の方々の前にこのような悲惨な運命が待ち受けていることを熟知していながら、それをあえて看過することは不肖ウチダにはできない。
ウチダはそこまで非人情な人間ではない。
編集者のみなさんには、ぜひ大過なきサラリーマン人生を全うしていただき、満額の退職金を手に入れていただいて、悠々たる余生をお過ごし願いたい。それがウチダにできるささやかな恩返しである。
というわけなので、ウチダは本日を期して拙速を自制し、
皆様方がそれぞれに心秘かに設定しておられる締め切りなるものをすべて忘却の彼方に捨て置くことにした。
いや、お気持ちは分かる。
お気持ちは分かるけれどこれは、決して私利私欲から申し上げているのではない。「あなたご自身のため」なのである。
編集者諸氏のご海容を乞う次第である。
むろん男ウチダは約束は守る。
書くとお約束した原稿は必ず「いつか」お渡しする。
それが「いつ」になるかは God only knows というだけの話で。
5月28日
忙しいオフの日。
まず朝一で下川先生のところのお稽古。これが最後の稽古となる。
この期に及んで、型の間違いを二カ所も指摘されてしまった。(ひえー)
いつのまにか「慣れ」で最初に教わったのと違う動きをしていたのである。
剣呑剣呑。
大汗をかいてから、帰り道にE阪歯科へ。
人工歯根を植えて、抜いた前歯の補修がいちおう終了。
歯根を固めるためにセメントをばりばりつけているので、うまく歯の根が合わず、しゃべると「ふがふが」感が残る。
あと二ヶ月この状態で、歯根が安定したら、もとの歯茎に戻るらしい。
やれやれ、これで肉をばりばり食べられる。
家に戻って紋付きの点検、袴の補修、長襦袢への半襟付けなど「針仕事」をする。
初夏の日差しの差し込む居間でキャロル・キングの60年代ヒットソングを聴きながらいそいそと針仕事をしていると、しみじみ「幸せ」を感じる。こういう「感じ」が分かる中年男性というのは、あまりいないのであろうが。
原稿依頼がばたばたと届く。
岩波書店から「岩波応用倫理学講座」への寄稿依頼。白水社から「現代思想の12人」のレヴィナスの項の執筆依頼。第三文明社からインタビュー依頼などなど。
岩波からはファックス、郵便につづいて電話もかかってくる。
担当は『図書』の寄稿依頼をしてきた若い編集者である。
「ウチダに寄稿依頼をしたら『私は岩波には書かない』とけんもほろろに断られた」というとんでもない噂がまことしやかに岩波内部では流布していたそうである。この方は「だめもと」で連絡してきた勇気ある編集者なのである。
私の担当は金井淑子さん「性/愛」の巻の買売春と自己決定に関する項目だそうである。
アンチフェミニストを公称する私のところにお話がある、ということは、先方にはそれなりのお考えがあってのことであろうが、果たして何を書けばよろしいのであろうか。
買売春はいかんよ、と書いただけでは、あまり「応用倫理学」にならないし。
海鳥社の別府さんから『レヴィナスとラカン』はどうなりました、とお尋ねがくる。
どうなったんでしょうね。
へろへろになったので、三軸自在研究所で三宅先生にぐりぐりしてもらう。
「頭がよくなるサプリメントは効きましたか?」とお尋ねを受けるが、答えにくい問いである。
「効きませんでした」ではせっかく下さった三宅先生に失礼である。
かといって「効きました」というわけにもゆかないではないか。
5月27日
正謡会の申し合わせ。
早起きして湊川神社神能殿へ。
午後から授業があるので、朝一にお願いしている。
9時半に着くと、まだ下川先生お一人しか来ていない。
早速袴を付け、長刀を組み立てて、無人の能舞台で、一人で謡と唱歌をやりながら続けて三回リハーサル。
たちまち汗びっしょりとなる。
私一人でも、能舞台は能舞台である。
暗がりの客席に向かって朗々と謡い、ばんばーんと拍子を踏むと、能楽堂全体に響きが伝わり、たいへんに気分がよろしい。
時間となって、地謡、囃子方の先生方が舞台に揃う。ご挨拶して、即本番。
いつもひいひい焦っているうちに申し合わせは終わってしまうのであるが、舞囃子も三回目であるから、囃子に耳を傾ける余裕もちょっとは出てきた。
「ホオ、トン、ヤア、トン」という太鼓に合わせて「どっかーん」と拍子を踏む。
私の足拍子に合わせて地謡が「声をしるべに出船の・・・」とバリトンの四重唱が続く。
ううううう。気分がいいぜ。
拍子をどっかーんと踏んで、それに呼応して地謡囃子がごーっと煽ってくるときのシテ方の「気分のよさ」というのは、なかなかうまく表現できない。
「そのとき義経少しも騒がず」というところで、ちょっと足運びが早すぎて、「うつつの人に」で義経の前まで着いてしまい、「向こうがごとく言葉をかわし」のくだりを怖い顔をしたままワキ座の前で硬直するという無様を演じてしまった(太刀に間に合わないで「ひえー」と焦るよりは、早めに現場に着いて怖い顔をして義経を睨んでいる方がまだましと言えなくもないが)。
失敗はそこだけで、あとはけっこうたっぷり舞って、「揺られ流れて」で、ちゃんと「ドンドン」と拍子を踏んで、「後白波とぞなりにける」できっちり終わる。
いつもは怖い下川先生からも、「あそこ、早すぎたよ」とおっしゃっただけで「あとはよろしい」と言って頂いた。
ほっ。
あとは本番を待つばかりである。
願わくは、拍子を間違えませんように。囃子方の先生の頭を長刀でどづきませんように。
(拍子を間違えても観客の大半には分からないだろうが、長刀で囃子方をどづいたら、向こう一年は関西能楽界の「笑いネタ」である)
大学院の発表は浜松の鈴木先生の「学校教育の現場から」。
教育の現場が文部科学省の「猫の眼」的な学習指導要領の改訂にどれほど振り回されているか、それが実感された。
つねづね申し上げているように、私は文部科学省に対してそれほどには批判的ではない。基本的には彼らは善意であり、日本の教育を何とかしたいと必死でいる。文部科学省の通達を読めば、それは分かる。
問題は、文部科学省が社会の変化に即応して、教育制度を「改善」し、もって日本社会を「改善」する、ということの順番でものを考えていることである。
これはことの順逆が狂っている。
教育の現場にいるとわかるけれども、教育制度をいじってもそれによって子どもをコントロールすることはできない。
教育制度が子どもの変化の「後追い」をしている限り、どれだけ俊敏に変化の「後を追って」も、教育制度は教化的には機能しない。
先日の気錬会との合同稽古でも再三申し上げたことであるが、状況をコントロールするためには「後を追う」のではなく、「後を追わせる」のでなければならない。(これも甲野善紀先生から学んだ貴重なる知見である)
体術と同じく、教育制度が子どもの「先手」を取るときに、はじめて子どもは教育制度の「後を追ってくる」。
明治時代からしばらくのあいだ日本の教育制度が効果的に機能していたのは、教育制度が「何を目指しているのか」を就学者たちもその親たちも、「よく分からなかった」からである。
「学校の先生がそうおっしゃるんだから、(よくわかんないけど)まあ、信じることにしよう」というようなあいまいな同意が明治以来の教育制度の教化的機能を担保してきたのである。
人間の身体で試すと分かるけれど、「相手が何をしようとしているのか、よく分からない」ときに、人間の身体は非常に柔らかく、敏感で、素直になる。(甲野先生はこれをいみじくも「センサーモード」と名づけた)
そして、その人間の心身がもっとも「開放的」になったこの状態こそが武道的には「咎めどころ」(つまり術者がいかようにも被術者を操作できる状態)なのである。
教育を受ける立場の人間のいるべきポジションとはまさに「ここ」である。
全身を耳にして、全身の皮膚感覚をもっとも敏感な状態にして、「これから何が起こるのか」をどきどき待望する状態。
その「開放」状態に子どもを置くこと、それこそ教育がもっとも効果的に機能するための条件である。
そして、そのような状態にある子どもは教師のみならず、あらゆる「未知」のものに敏感に反応し、それに対して開かれている。
子どもをこの「開放状態」に維持するためにも、教育者はつねに「先手」を取らなければならない。
「先生」の条件とは、一言で言えば「次に何を言うか、何をするか、弟子には予測がつかない人」のことである。
文部科学省の致命的な過ちは、「教師は可及的すみやかに子どもの変化にキャッチアップするべきである」だという誤った前提を採用したことにある。
話は逆である。
教育が機能するためには、(それは要するに「子どもの心身の感受性を最大化する」ということに尽きるのだが)、「子どもたちが全知全能をあげて、教師の変化にキャッチアップする」ようにするにはどうしたらよいのか、というところから話を始めなければならない。
私は今日の鈴木先生の話を聞いているうちに、「この人は教師としては相当に優秀な人であろう」と直感した。
それは鈴木さんが発表でも質疑応答でも、私たちに対して、「次に何を言うか、予測がつかない」という位置取りを一貫してキープしていたからである。
たぶんご本人はそれほどには自覚されていないと思うが、教育の現場で鈴木先生が体験的に習得されたこれこそが「教師」の機能的な立ち位置なのである。
かつては制度がそのような立ち位置を保証してくれていた。
今、そのような保証は存在しない。
だから、そのような微妙な位置取りができる感受性を備えているかどうか、そこにひとりひとりの教師のアチーブメントの成否はかかっているのである。
教師というのは実体ではなく機能である、というのが『「おじさん」的思考』の漱石論以来の私の基本的主張であるが、「どういう機能か」ということは、まだまだこれから詰めてゆかなければならない。
5月26日
三軸自在の三宅先生にご教示頂いた「朝昼抜きダイエット」が奏功しはじめ、体重が2.5キロ減った。
現在72.5キロ。
このペースでさらにスリム化が進むと6月中には予定の69キロに到達できそうである。いま腹回りがきつくて着られない夏のスーツが二着あるが、これが再利用可能となる。
30代以降で一番痩せていたのが89年の春で、このときは一気に7キロ減って67キロになり、ジーンズがずるずるとひきずり状態になり、ビルの間で風に吹かれるとよろけてしまった。
風に吹かれると「ああ」とかかぼそい悲鳴を上げてよろけるような蒲柳の質の人にもう一度戻りたい。
七月にウチダに会う予定の諸君、刮目してまみゆべし。諸君の知っているむちむちぷりん男ではなく、アルマーニのサマースーツをさらりとまとった細身の紳士に変身していることであろう。
文春新書の『寝ながら学べる構造主義』が9刷4万部になったと文春の嶋津さんからご連絡がある。
これは考えようによっては、大層な数である。
フランス現代思想のわかりやすい入門書を読みたがっていた人が数万人存在したということなのである。
知的不充足感を抱いていたこれだけの数の潜在的読者がいることを知って仕事をしている同業者がどれくらいいたのであろう。
自戒を込めて言うが、この読者層を掘り起こす努力を怠ってきたことについて、私たち学者はもっと反省しないといけないと私は思う。
日本の読者の知的ポテンシャルは想像されているよりずっと高い。
蒙昧主義のマスメディアと、独善的な知識人たちが、それを過少評価してきたのだ。
専門的な学術書ではないものを業界では「啓蒙書」と呼ぶ(そして、そういうものは研究業績としては一段評価が低い)。
私は「啓蒙」という言葉がよろしくないと思う。
「蒙を啓く」とは「バカにものの道理を教えてあげる」ということである。自らそう名乗るというのは、いささか読者に対して無礼ではないのか。
日本の知的書き手たちに欠けているのはインテリジェンスでもスマートネスでもなく、読者に対する適切な敬意であるのではないのだろうか。
「リーダー・フレンドリー」な学術書は散見されるけれども、「リーダー・レスペクトフリー」な学術書は少ない。
しかし、書き手が読者に敬意と愛情を抱いていないときに、読者が書物に敬意と愛情を抱いてくれるということがあるのだろうか。
敬意というのは、ほんらい相互的なものだと私は思う。
誤解している人がおおいが、私たちを見下す人間に対して私たちが(嫌悪や恐怖を抱くことはあっても)敬意を抱くということはありえない。
たとえば、レヴィナス老師の書くものはたいへん難しくて、その点においては、まるで「リーダー・フレンドリー」ではないけれども、老師が読者に要求する知的緊張は、読者の知的可能性を確信しているのなければあり得ないものだ。
老師の本を読んでいると、「読んでいて内容がまったく分からないけれど、書き手から敬意を示されていることだけは分かる」。
その逆に、「読んでも内容がさっぱり分からないけれど、書き手が読者を軽侮していることだけは分かる」テクストは世に氾濫している。
私たちはテクストに向き合うとき、その内容ではなく、そのテクストが読者に敬意を示しているかどうかを直感的に知ることができる。そして、それを基準に読むべきテクストとそうでないテクストを峻別する。
少なくとも私はそうしている。
私は読者に敬意を示すテクストしか読まない。
それは難易とは関係ない。
無内容な本でありながら読者を侮っている本もあるし、内容がすばらしく高度であるが読者に対して深い気遣いを示している本もある。
しばしば、自説の内容を読者に「理解」させることに性急な書き手が、「分かりやすく」書こうとするあまり、節度を失って、それと知らずに読者を「子ども」扱いしてしまうことがある。
でも、ほんとうに私たちの心に響くのは、「言葉の意味を理解する」ことではなく、書き手が読み手にむかって言葉を差し出すときのその「マナー」の真率さではないのだろうか。
「リーダー・レスペクトフリー」であること、それがものを書く人間すべてが深く心に刻むべきことだとウチダは思う。
5月25日
24日土曜日は合気道家の年に一度の「お祭り」である第41回全日本合気道演武大会。
神戸女学院合気道会は、ウッキー、溝口さん、かなぴょん、クー、おいちゃん、岸田さん、森川さん、ドクター佐藤の9名で参加。
私は会場が日比谷公会堂から日本武道館に移った最初の年1977年から演武大会に参加しており、今年が27回目となる。
最初の年は参加者が2000人と発表されたかに記憶しているが、今年は6700名の演武者が集まった(いまや世界84カ国、150万人が合気道をお稽古しているのである、すごいね)。この中で27回連続参加という「皆勤賞」の人はそれほど多くはいないはずである。
ウチダは一度始めたことはなかなかやめない、まことにしつこい性格であることがこの一事からも伺われる。
多田先生、道主の演武を続けて見て、すっかり気分が高揚したところで、演武会後恒例の九段会館屋上での多田塾ビアパーティ。
今年は国際気の錬磨の一週後なので、イタリア合気会、スイス合気会の諸君も多数ごいっしょである。
山田先輩、小堀さん、大田さんといった自由が丘道場の懐かしい面々と歓談。北総のパトリック・キアナン君が隣席だったので自己紹介。(前から「感じのいい人だなあ」と思っていたので、いつかお友だちになりたかったのである)
稲門のみなさん(梶浦さん拙著お買い上げありがとうございました!)気錬会の諸君とさらにわいわい歓談。イタリア合気会のみなさんが「フニクリフニクラ」を歌い、それに応じて早稲田の諸君が主将西尾君の音頭で「伝統芸」の『人生劇場』で座を盛り上げる。
ところが東大気錬会には「芸がない」。(神戸女学院も決して芸人には事欠かないのであるが、惜しむらくはビアガーデン向きの芸風ではないのでご遠慮させて頂いている)
工藤くんが「うう、口惜しい。ウチダ先生! 来年は芸で早稲田をあっと言わせてやりましょう」と力んでいたけれど、そんなこと私に言われてもね。
多田先生にご挨拶。
先日『私の身体は頭がいい』をお送りしていたので、本についてどうおっしゃるかどきどきしていたのである。(「ウチダ君、ああいう書き方はちょっと・・・」と言われたらどうしようと、内心非常に心配していたのである)
「あ、ウチダくん、本、ありがとう(にこっ)」
という先生の笑顔で拙著が多田先生的には「セーフ」だったことが知れた。ほっ。(あとで工藤くんに聞いたら、けっこう先生はあの本が気に入っていらしたようである。よかったー)
二次会は神田すずらん通りの居酒屋に気錬会の諸君と雪崩れ込み、痛飲清談。
翌25日は駒場で気錬会との合同稽古。
井上「王子」幸一主将が前半を指導し、私が後半を指導させて頂く。
せっかくの機会であるので、最近の武術的な「気づき」である「ファーストコンタクトにおける身体情報の最小化理論」(by courtesy of 甲野善紀先生)と「プレセッションを利用した三軸自在合気道」(by courtesy of 三宅安道先生)を「気の錬磨を主軸にすえた身体技法」としてご報告する。
気錬会の諸君はこういう「理屈っぽい合気道」が絶対好きだろうと予測していたのであるが、案の定、ファーストコンタクト時に「浮き」をかける呼吸法や、三軸自在入身投げや、接点最小化小手返しをたいへん熱心にお稽古されている。
受けは「気錬会の至宝」工藤俊亮三段にお願いする。
工藤くんはたいへんに気の感応がよいので、こちらのやりたいことが「ぴっ」と伝わって、まことに気分がよろしい。
ああ、愉しかった。
稽古後、気錬会の諸君とお昼をいっしょに食べて、渋谷駅で名残を惜しみつつお別れする。
今回の合同稽古を企画してくださった気錬会のみなさまに心からお礼申し上げます。もともと三月の「多田塾研修会のあとに生ビールを飲む会」でいきなり出た話だったんだけれど、気錬会の井上主将はじめみなさまの奔走のおかげで実に愉快なイベントになりました。また機会があったら早稲田もまじえてやりましょう。
5月22日
半オフの木曜日。
「半オフ」というのは授業が体育の「合気道」だけであり、それはそのままクラブの合気道の稽古に雪崩れ込んで行くからである。
合気道のお稽古を「仕事」と言ってはわが身にゼウスの雷撃が下るであろう。
体育の合気道の学生諸君はげらげら笑いながら「入身投げ」を稽古している。
なぜ「げらげら笑う」かというと、どうしてこういうふうに動くと相手がこういうふうに崩れるのか、その術理が分からないのに、相手が崩れてしまうからである。
人間は「どうしてこうなるのか、分からないこと」ができてしまうと、思わず笑ってしまうものである。
今から数年前にヤベッチとクーがまだ一年生で、西宮中央体育館で稽古をしていたころ、二人が稽古の間ずっとげらげら笑っていたことがあった。
「ええええ、どうしてええええ」と二人で笑い続けていた。
人間は自分の身体が蔵している未知の可能性に触れたとき、思わず笑ってしまうのである。
「稽古は愉快を以て旨とすべし」という合気道本部道場の道場訓が教えてくれるのは、身体的な発見の場ではみんな笑ってしまう、だからみんなが笑っている場所とは、きわめて効率的な身体訓練がなされている場だということである。
合気道の授業で以前私は「技」を教えようとしていた。
去年からそれはもう止めた。
「技」なんか教える必要はないのである。
教えるべきことがあるとすれば、それは「自分の身体にはとんでもないポテンシャルがひそんでいる」ということだけである。
それが知れれば、あとは別に合気道を専念修行する必要はない。
自分が「一番やりたいこと」にそのポテンシャルを集中すればよろしい。
合気道に教育的意義があるとすれば、学生諸君が合気道の稽古のあとに、「自分が一番やりたいこと」の「新しいやり方」を思いついて、後も振り返らずに走り去ることである。
合気道というのは、まさにそのための方法なんだからね。
かくいう私がなぜ30年近く合気道の稽古をやり続けているかというと、それは「合気道をやってみたら、自分がいちばんやりたいことが合気道であることに気づいた」からである。
それは言い換えれば、「自分のポテンシャルを最大化する方法」を学んだら、自分が一番したいことは「自分のポテンシャルを最大化すること」だということに気づいた、ということである。
合気道とは比喩的に言えば「微分」的なものである。
私は「微分」し続けたい。
合気道を研究に活かす、ビジネスに活かす、家庭生活に活かす・・・いろいろ「積分」の方法はあるだろうけれど、一番どきどきするのは、「合気道で得た知見を合気道に活かす」ことである。
私は「どきどきしたい」のである。
“どきどきさせて”(Please let me wonder) 欲しいのである。
自余のことはどうでもよろしい。
京都大学大学院卒のT君というODの青年が訪ねてくる。
若手のレヴィナシアンである。
彼の学術振興会の「受け入れ指導教員」というものに私がご指名されたので、研究計画などについて懇談する。
私ごときもののところに「レヴィナス研究のご指導を仰ぎたい」と言って若手研究者がやってくるご時世となったとは、うたた感慨に耐えないものがある。
今や、レヴィナス老師の名は、哲学の研究者にとって、その研究の先進性と学術性を担保する機能を果たしている。
けれども、果たして現今の哲学研究者が老師の叡智の底知れぬ深さをどれほど切実に「直感」されているのか、ウチダにはよく分からない。
読んで「分かる」箇所だけ引用して、読んでも「分からない」ところは「どうせ、たいした意味がないんだろう」と思って読まずに捨て置き、それで平気で「レヴィナス研究書」を書いている剛毅な哲学研究者も近年は散見される。
レヴィナスのテクストは、自分の手持ちの知的フレームワークを廃棄することなしにはほとんど一行とて理解できないように書かれている。
これは一種の「謎」として提示される。
私はこの「謎」をおのれの手持ちのフレームワークに収めて「理解する」という研究の道を断念して、この「謎」を「終わらない宿題」として引き受けるという「遂行的な読み」を選んだ。
私はいわばレヴィナス教に「入信」したわけである。
だが、この「入信」は私の主体的決断によるものではない。(そもそも「レヴィナス教の根本の教え」は人間は主体的決断によって主体性を基礎づけることはできない、というものである)
私は「気が付いたらすでに入信していた」のである。
それを主体的決断と呼ぶことが私にはためらわれる。
そんなアクロバシーができたのは、その前に私が多田先生に出会っていたからである。
私が多田先生から伺った、とても深遠でとても愉快なエピソードがある。
多田先生が早稲田の学生の頃、三週間の断食に高尾山に籠もったことがある。
その動機のは、ある人から断食をして「千里眼」になった行者がいるという話を聞いたことであった。
山から降りてきた先生からその話を聞いた多田先生のご父君は「宏は何でも信じちゃうからな」と苦笑されたという。
そんな昔話を多田先生自身からうかがったことがある。
多田先生の天才は、この「何でも信じる」ことのできる才能に潜んでいると私は思っている。
間違えないでほしいが、多田先生は「自分の理解を超えたことを信じる」ことのできる人である。
それは「自分の理解を超えたすべてのことを信じる人」というのとはまったく違う。
先生は、おのれの理解を超えるものについて、直感的に「信じられるもの」と「信じられないもの」を厳然と区別されているのである。
この判断力を持つためには間違いなく天才が必要だ。
現に多田先生は大学に入学された18の春に、あまたの武芸者たちの中から、過たず空手の船越義珍、合気道の植芝盛平、天風会の中村天風という、いまから回顧するとその当時考え得る最高の師に「同時に」師事している。
これを偶然と言うのはむずかしい。
今の大学一年生で、「よし、この四月から武道を始めよう」と決意して、いきなりこの三人のようなスーパー武道家を同時に発見し、同時に師事できるほどの卓越した「師匠眼」のあるものはおそらくいないだろう。
多田先生の「何でも信じる」知的開放性はこの天才的直感に裏打ちされてはじめて意味を持つのである。
それだけではない。
賢者たちは言葉は違っても「同じこと」を教えているはずだということも18歳の多田先生は直感せられていたのである。
だから、「最初の賢者」さえ選び間違えなければ、あとは「その賢者と同じことを言っている人」を直感的に発見してゆけば、次々と希代の賢者たちとご縁ができるはずなのである。
このような理解を絶したもののうちから、「信じられるもの」と「信じられないもの」を識別する「直感」の大切さを私は多田先生から学んだ。
だからレヴィナス老師のテクストをはじめて読んだときに、私は「この人は、多田先生と同じことを言っている)」と直感して、ためらわず老師の弟子となる道を選んだのである。(というのは今から考えると「そうかもしれない」という小賢しい後知恵であるけれど)
私が経験したのと同じ「入信」を若いレヴィナシアンに求めてよいものかどうか、私にはそれがよく分からない。
Tさんがレヴィナス老師の叡智に深いところで触れるためには、どこかで「命がけの跳躍」が必要だ。
しかし、私はそのやり方を「教える」ことがきない。それは「自得」されるしかないものだからだ。
そのためには、書物的に賢者と出会うより先に、「生身の賢者」に出会っておく必要があるように私には思われるのである。
生身の賢者を知らない人が、ヴァーチャルな賢者に知的有り金を賭けるのは困難だからである。
レヴィナスを「読める」かどうかは、学知の水準ではなく、むしろ生きる経験そのものの水準にかかわっている。
T君の生き方についてあれこれ指図するのは、「学振特別研究員の受け入れ先指導教員」の職務を遠く超えることである。
私は「がんばってね、T君」と遠くから手を振ることしかできない。
すべての若きレヴィナシアンの上に神の恵みがありますように。
5月21日
有事法制が国会を通過した。
去年はずいぶんと反対論がメディアをにぎわしたけれど、今年は民主党の対案との調整が成功して、国会議員の90%が賛成したので、反対運動もあまりぱっとは盛り上がらなかったようである。
有事法制については去年の今頃、共同通信に駄文を寄せた。法案そのものについての基本的な考えは一年経っても変わらない。お読みになっていない方もあるだろうから、この機会に再録しておく。
有事法案について
日本が外国の武装勢力に国土を蹂躙されたのは、最近が1945年の沖縄戦で、その前となるといきなり1274年と81年の元寇にまで遡る。局地的なものとしては、1863年の薩英戦争と、1864年の馬関戦争があるだけだ。
単純計算すると、わが国が「有事」を経験したのは「有史以来」四回。平均のインターバルは182年。二つの「象徴的な」攘夷の戦闘を除くと、平均インターバルは364年となる。 歴史にアベレージを持ち込むことには意味がないが、あえてその意味のないアベレージをとると、「次に日本が外国武装勢力に本格的に侵略される」のは2309年頃である。
モンゴル帝国は当時世界最強の武力を誇り、ロシア諸公を打ち破り、クリミア半島まで略奪した。薩英戦争の相手のイギリスは阿片戦争で清を屈服させ、下関で長州藩を打ち破ったフランス陸戦隊はインドシナを植民地化した勢いを駆っていた。英仏は19世紀を代表する帝国主義国家である。
とりあえず、以上が、私たちの持っている「外国の武装勢力による国土侵犯の歴史的経験」のデータである。
それを踏まえて、次の質問に答えていただきたい。
なぜ、2002年の今、「外国の武装勢力による国土侵犯」への備えが喫緊の政治的課題として浮上してくるのか、その世界史的・国際関係論的必然性について400字以内で述べなさい。
もちろん私はこのような難問には答えられない。そもそも一体、誰が答えることができるだろう。
もしいま国会で論じられている「有事」法案なるものが、幕末に高杉晋作や坂本龍馬なりが起案したものであるというのなら、私はその先見性を評価してもよい。しかし、いまは幕末の、帝国主義列強による植民地切り取りが平然と行われていた時代と隔たること遠い。
少し頭をクールダウンして考えてみよう。一体、誰が、何のために、どのような国際関係論的文脈によって、日本を武装侵略するというのであろう。
例えば、「アメリカ軍による日本侵略」は「有事」には算入されているのだろうか。その場合の対応について、自衛隊内部でこれまで真剣な戦略的なシミュレーションが行われたことがあっただろうか。
たぶんないと思う。
だって、そんなシミュレーションは「やろうとしても不可能」だからだ。シミュレーションをする人たち自身がアメリカの世界軍事戦略の「コマ」なんだから。
同じように、中国による侵略も、ロシアによる侵略も、日本政府の方々も自衛隊の方々も、誰も本気では考えていないはずだ。だって、もし中国やロシアが日本に侵略してくるということがあるとしたら(ないと思うが)、それは「アメリカと裏で話がついている」という場合以外にありえないからである。
つまり「有事」と言いつつ、この「有事」には、日本がほんとうに危機的な状況について、その可能性をあらかじめ排除しているのである。
というのは、日本がほんとうに危機的な状況とは、どこかの国が日本を侵略することについてアメリカがOKを与えた場合と、アメリカ自身が日本を侵略する場合の二つしかないからである。
しかるに、この「有事」法案は、アメリカ軍が日本国内に駐留して、日本の安全保障を完全にバックアップしてくれることと、国連主導の国際社会による制裁機能が効果的に機能していることを不可疑の前提に想定している。
ふつう私たちはそのような事況を「有事」とは呼ばない。
「無事」と呼ぶのである。
結論を述べる。
この有事法案に対して、私がまじめに取り合う気になれないのは、この法案を策定した人間も、反対している人間も、全員が、「ほんとうに日本の国家主権が危機的な状況」(それはとりあえず「アメリカを敵にして戦う」という状況以外にない)は「絶対来ない」ということを気楽に信じているからである。
だから、私はこれを「有事」法案ではなく、「無事」法案と呼びたいと思っている。
という文章を一年前に書いた。イラク戦争の後の今読み返してみても、そのまま使い回しできそうである。
「有事」法制に反対する人々は、これを契機に日本が「軍国主義化」するのではないか、というふうに論じているが、これはあまり説得力がないように思える。
繰り返し言うとおり、この「有事」法制なるものは、「アメリカの極東における政治的・軍事的プレザンスと米軍の日本国内駐留」を前提にしている。そして、自衛隊の軍備拡充と「有事」法制の整備を日本に勧めているのは、当のアメリカ政府なのである。
果たして、アメリカ政府は日本がかつての大日本帝国のような軍事大国になることを求めているであろうか?
私は求めていないと思う。
アメリカが求めているのは、日本がこれから先も、政治的・軍事的に頤使できるアメリカの極東における「弱い味方」であり続けることである。
アメリカにとってもっとも好都合な「弱い味方」の政体は北朝鮮や旧イラクのような軍事独裁政権ではない。
なぜなら、イランやイラクやアフガニスタンの先例が示すとおり、「親米的な軍事独裁政権」は「反米的な軍事独裁政権」にいつ方針転換するか、まるで予測不能だからだ。
だから、アメリカが「弱い味方」である日本に望む「セカンドベスト」の選択は「国論がなかなか統一しないが、合意に至る民主的手続きは確保されており、そこそこの軍事力はあるが、職業軍人が政治権力に近づけないように構成された政体」である。
少なくとも私がアメリカ国民であれば、そう望む。
だから、アメリカが日本の軍国主義化を「望んでいる」ということはありえないと私は思う。
今般の「有事」法制は、小泉首相が自賛するように、「ペリー来航以来もっとも日米関係が良好な時期」に起案され、可決された。
その意味は「私たちは永遠にあなたの『弱い味方』であり続けます」という意思表示であると私は思っている。
この意思表示は、現在の日本政府がなしうるものの中ではもっとも現実的なオプションの一つである。そのことを私は認める。
それは、この「有事」法制に対しては、「情け無い」と自嘲する以外には、批判の方途が塞がれている、ということでもある(情け無いけど)。
というのは、この事大主義的「有事」法制に反対するロジックとして真実有効なものがあるとすれば、それは一つしかないからだ。
それは「ほんものの有事法制を起案すること」である。
日米安保条約を廃棄し、アメリカと互角で戦争ができるだけの核軍事力を持つ日本の将来構想を立ち上げるということである。
すくなくとも半世紀ほどは我が国のあらゆるリソースを「軍事」に集中することについて国論を統一するということである。
つまり「Lサイズの北朝鮮になる」という選択肢である。
だが、この構想に共感する国民は今の日本にほとんどいないだろう。
国際関係をものすごく単純化すると、日本には四つのオプションがある。
それはアメリカの「強い味方」になる/「弱い味方」になる/「弱い敵」になる/「強い敵」になる、の四つである。
日本は今第二のオプションを取っている。
ここから路線変更する場合、さしあたり現実性があるのは、隣接する二つだけである(今見たとおり「強い敵」になるというオプションは現実性が稀薄だからである)。
つまり「強い味方」になるか、「弱い敵」になるかの二つに一つである。
いわゆる「右」の方々は「強い味方」になることを望んでおり、「左」の方々は「弱い敵」になることをめざしている。
そして、その二つの張力が折り合った点が今の私たちのポジション、すなわち「弱い味方」の立ち位置なのである。
この立ち位置を日本は60年間かけて多少左右にぶれながらも一貫してきた。
私はこのポジションは国内外のすべてのファクターの「複合的効果」であると考えている。ことの良し悪しではなく、すべてのファクターを勘案したら、「結局、この場所しかないよな」という苦渋の結論なのである。
今回の「有事」法制を日本の保守政治家と官僚たちは「強」に向けて、一つだけ目盛りが動いたと評価しているのだろう。
だが、彼らのそういう動きそのものが、すべてアメリカの世界戦略の「コマ」通りであるということに彼らは自覚的ではない。
日本は「有事」法制によって(アメリカを仮想敵国とした「有事」を想定する政治的想像力を構造的に欠いているという)政策構想力の脆弱さを曝した。
それゆえ、「有事」法制の制定は「日本という国の救い難い弱さ」をアメリカに知らしめたという意味で、アメリカから見た場合、「弱」へ一つだけ目盛りが動いたとみなしてよい。
言い換えれば、主観的には「一目盛り分」だけ「強」に近づき、客観的には「一目盛り分」だけ「弱」に押し戻された。だから、プラマイトータルでは「もとの場所から一歩も動いていない」というのがことの総括として順当なところではないかと私は思っている。
あるいは、もしかすると、日本は「左右にじたばたすることによって、結果的に何もしないで済ませる」という政治戦略をもって21世紀の国際社会を生き延びることにしたのかも知れない。
考えようによっては、けっこう「高度」な政治的パフォーマンスだなあ。そういうの日本人て得意そうだし。
5月18日
「国際気の錬磨」に行って、すっかり心身がリフレッシュされて帰ってくる。
多田先生の「結界」の中で、多田塾門下の道友諸氏と過ごす時間は、時間の密度や流れ方がふだんと違う。
ここにいると、自分が「位置づけられている」ということが実感として分かる。
師がいて、先輩たちがいて、昔からの稽古仲間がいて、元気な後輩たちがいて、愉快な弟子たちがいて、それらのネットワークの一つの結節点としての私のポジションがちゃんとそこにはある。「オレがオレが」と自己主張しなくても、私がそこにいて、「繋ぎ」役をすることが求められている。
そのような「時空を貫くネットワークの中で位置づけられている」という感じがどれほど人を落ち着いた気持ちにしてくれるか。うまく言えない。
でも、「そういう場」は人間が愉快に生きて行くためには絶対に必要なものだと思う。
『私の身体は頭がいい』の序文で甲野先生が、「多田塾門人」という位置どりは私の邪悪さを自制するための一種の「檻」としても機能しているという洞見を語っておられた。(何でもお見通しである)
この「檻」は(私が「結界」という言葉で言っているのはこの「檻」のことだ)すごく「気持ちのよい檻」なのである。
「位置づけられる」ということは言葉を換えて言えば「縛られる」ということだ。
多田先生の門人であるということは、私にとって「孫悟空の金環」に等しい機能を果たしている。
孫悟空が三蔵法師に師従するのは、その金環が彼を制約することによって彼を「正しい場所にマップする」からである。
今回の「気の錬磨」合宿で、多田先生は「顕幽一如」という言葉の解釈にかなりの時間を割かれた。
私は長い間、この言葉の意味が分からなかった。
まあ、分からないよね。
若かったんだから。
でも、最近、おぼろげに分かってきた。
父が死んだあとに、「死ぬ」ということがどういうことかちょっと分かった気になった。
死んだ父はもう「眼に見えるもの」として「ここ」にはいない。
でも、「眼に見えないもの」として歴然と「ここ」にいる私の生き方に影響を与え、私の生き方を律している。
顕幽の境は「ある」けれど「ない」。「ない」けれど「ある」。
そういう仕方で、つまり「存在するとは別の仕方で」。
もしかして、レヴィナス老師の言われた「存在するとは別の仕方で」というのは「このこと」だったのかしら・・・
武道の稽古がひたすら焦点化するのは、この「存在するとは別の仕方で」という顕幽の境目における「ふるまい方」の「術」だったではあるまいか・・・
武道は「学」でも「論」でもなく、「術」である。
「学」や「論」はもっぱら知性の仕事である。
だが「術」は身体が参与しないと始まらない。
私は25歳のときに多田先生に入門し、30歳のときにレヴィナス老師に出会った。
どうしてこのお二人の達人に師事することに決めたのか、そのころは意味が分からなかった。いったい、二人の師匠たちのどこに共通点があるのか分からなかった。
それがようやく分かってきた。
私は「存在するとは別の仕方で」ふるまう「術」を学びたくて武道を稽古し、哲学書を読んできたのである。
だから、昼間はレヴィナス老師の翻訳をして、夕方になると合気道の稽古に日参していた30代の10年間、なんと私は(それと知らずに)たいへんに効率的な修行の日々を送っていたわけである。
うーむ、そうだったのか。知らなかった。
いつもスーパークールな新曜社の渦岡さんからちょっと弾んだ声で電話があって、
『私の身体は頭がいい』が重版になるというお知らせが届いた。初版3000部とはいえ5月15日初版発行で、19日に重版決定というのはけっこうなハイペースである。
全編のほとんどが多田先生と甲野先生からうかがった話を「請け売り」しただけという「虎の威を借りる狐」本である。
だが、そうは言っても「威を借りる」ことのできるほどの「虎」とすべての「狐」が出会えるわけではない。
「虎に出会える狐になるためのハウツー本」として読んで頂けているのであればうれしい。
これはけっこう大切なことだと思うよ。
5月17日
多田塾「国際気の錬磨」講習会のために代々木のオリンピック記念青少年総合センターに世界各国からの門人200名が集合。
本学からはウッキー、クー、おいちゃん、溝口さん、セトッチ、イクシマ君、森川さん、それにドクター佐藤と鹿児島からの梁川君と総務省出向中の石井君。かなぴょんは内古閑くんといっしょに気錬会から参加。
16日の科別教授会をこそっと抜け出して6時に新大阪で佐藤君と待ち合わせ。タケノコ弁当とビールとワインを買って乗車。電車が動き出すと同時に「かんぱーい」でそのまま宴会モードに突入。途中でシーバスを買い足して、ほろよいで東京着。原宿からタクシーで宿舎へ。受付で多田先生にお会いして瞬間的に酔いを醒ましてご挨拶。
坪井さん、スイスの菅原さん、気錬会の工藤くんたち、早稲田の西尾くんたちがてきぱきと仕事をしている。うやうやしカードキーをいただいて「では、おやすみなさい」と多田先生に一礼して宿舎に行く。
とはいえ、まだ午後10時、寝るにはちょっと早い。部屋に荷物を放り込んで「じゃ、軽く街に出ますか?」と早めについたウッキーとイクシマ君を誘って出ようとしたら気錬会の諸君がぞろぞろと廊下を歩いてくる。
「ウチダ先生、これからおでかけですか?」
と例によって工藤君にあの屈託のない笑顔でぴりしと先手を取られる。
「夢の印税生活、いかがです?」
そこまで先の先を取られては逃げ場もない。
「じゃ、今夜はおいらの奢りだ。五分後に下でね」と約束してエレベーターに向かったら、お部屋に入る多田先生とはちあわせ。先生が苦笑されている。一部始終を聞かれてしまったようである。しどろもどろにお休みのご挨拶をしてあわてて階下へ。
気錬会の工藤君、鍵和田君、豊田君、木野君、井上君と総勢9名で連れだってぞろぞろと1月「ラジオ深夜便」の打ち上げで行った渋谷のCAFE MONSOONへ。
サンミゲルやワインをくいくい飲んで、串焼き、カレー、ビーフンなどを貪り食い、清談。
明日が早いので、12時には切り上げておとなしく就寝。
今朝は8時起き。食堂にあがると多田先生がおひとりでご飯を食べているので、さっそくご一緒させていただく。
先生と天気のこととか、とりとめもないお話をして、朝からたいへん幸せな気分になる。
本日のお稽古は午前中が呼吸法と杖。午後が杖と気の錬磨、夕方から倍音声明。
声明のときには声を出しているうちに気持ちがよくなって、何度も短い睡眠に落ち込んでしまう。
辺りを見回すと、K野君は身体を半分に折って爆睡状態。Kなぴょんも気持ちよさそうにうつらうつらしている。隣のK藤君はと見ると、痙攣しながら適宜断片的睡眠をむさぼっている。(それぞれの名誉のために名前は伏せ字とさせていただきました)
そのあと記念撮影をして、部屋に戻る。
なんでも「早め」のウチダは速攻でシャワーを浴びると佐藤、梁川両君を拉致してレストランに一番乗り。とりあえず「生中」(残念ながら梁川君は持病の膵臓炎がよろしくなくて禁酒だそうである)
支度の早いウッキーとイクシマ君が来て、そのままレストラン終業の10時までわいわい騒ぐ。
講習会とは言いながら、設備はホテル並だし、レストランはあるし、友人たちはそこらじゅうを行き来しているし、まことに快適である。こういうことをいってはなんだけど、なんだかリゾート気分である。
5月15日
連日遅くまで起きているので、ネムイ。
一昨日は、阿波徳島のマスダくんと電話で遅くまで話し込んでしまった。
私的な問題なのでここでは触れることが出来ないので、そこから派生する「一般論」をひとつだけ。
私は他人を匿名で批判するという習慣を持たない。
だからといって、匿名で他人を批判することを「よろしくない」と思っているわけでもない。
私はしない、というだけのことである。
だから、匿名で他人を批判する人間は、「私とは言語の使い方の違うひと」である。
「言語の使い方の違うひと」と言語をもってコミュニケーションしようとするのは崇高な企てではあるが、たいへんに困難なことであり、少なくとも私の知的能力を超えている。
私は「できないことは、(できるようになると、すごく愉しそうだ、という予測が立たない限り)やらない」主義である。
世の中には自分とは言語の使い方の違うひととも広くコミュニケーションしようとする方がおられる。
特に若い方には、この理想主義的傾向が散見される。
もちろんそのような態度はたいへん「よいこと」である。
しかし「よいこと」だけれど、「とても疲れる」ことでもある。
あまり「疲れる」と日常生活に支障を来すこともあるので、「よいこと」も「ほどほど」がよろしいのではないかと私は愚考するのである。
言葉の通じない人と言葉を通わせることがどうしても必要な場面、生き延びるためにどうしても必要という場面に私たちは必ずいずれは出会う。
そのときのためにコミュニケーションのリソースは温存しておくといいよ、と私は若い方々に申し上げているのである。
コミュニケーションは使って減るもんじゃないだろ、と思っている方がおられるやもしれぬが、それは短見というものである。
コミュニケーションのリソースは相手を間違えて使うと致命的に「使い減り」がするものなである。(J・D・サリンジャーの孤独を見ると分かるとおり)
インターネットメールというのは、その人とコミュニケーションすることが「生産的」であるか「純粋な消耗」であるかを瞬時に判断することを私たちに求めるたいへんにタイトな場である。
でも、そういうタイトな経験を通じてこそ人間性を選別する能力はとぎすまされると私は思っている。
本ホームページの掲示板では、もちろん匿名による批判を書き込むことは自由である。私はどのような書き込みも削除しない方針である。
ただし、できうることならば心ある読者諸氏は、礼を失した書き込みに対しては「ジェントルな沈黙」をもって応じて頂きたいと思う。
掲示板に「誰からも返事がこない罵詈雑言」が「沈黙の檻」にかこまれて、ひとりぽつねんと残されているありさまから私たちは「下品さ」や「愚劣さ」がどういうものであるかをゆっくり鑑賞することができる。
これはある意味でとても貴重な知的情報のひとつであると私は信じている。
私が「ウチダはバカだ」という書き込みを削除しないのは、寛仁大度のゆえではない。(そんなわけがないじゃないですか)
掲示板を使って「バカの見本」をコレクションしているからである。(あ、こんなこと書いたから、またコレクションが増えちゃうかな)
5月14日
メバチコ手術に続いて歯の治療。
前歯がぼろぼろになっているので、ぶっこ抜いて人工歯根を入れるのである。
本日はまず根を抜くだけ。それでも70分に及ぶ大手術。
この年になると、歯を抜かれても瞼の裏をこじられても、あまり「びっくり」しない。
まあ、そういうものだよ、という涼しい諦観がだんだん身についてくるからである。
「なんで、オレの歯はこんなに悪いんだ、歯のバカヤロー」というふうには考えず、悪い歯なのに、よくここまで持ってくれた。ありがとね、という感謝の気持ちを抱くようになる。すると、あまり傷跡も痛まないものなのである。
歯みたいなものでも、できればちゃんと「成仏」してもらう方がいい。
歯のあとは三軸自在ぐりぐりと鍼。
一日中病院めぐりである。
編集者三人から電話が相次ぐ。
角川書店の『疲れすぎて・・』は順調な売れ行きだそうである。来週あたり重版がかかりそうですとヤマモトくんから弾んだ声が届く。
ね、だから、大丈夫だよって言ったでしょ。
今回はこれまで私の本を手に取ることの少なかった20代の女性にわりと売れているそうである。
ふむ。
晶文社の安藤さんからは『映画の構造分析』が来月なかばに出ますというお知らせと、甲野先生との次の仕事の打ち合わせ。
『映画の構造分析』は『北北西に進路を取れ』のプレーリーのシーンの写真を使った、ものすごくかっこいい装幀である。
山本浩二画伯の装幀とはだいぶ雰囲気が違う。
ああ、はやく手にとって見たい。
医学書院の白石さんからは朝日カルチャーセンターでの講演の打ち合わせと次の本の「キック」。
白石さんには申し訳ないけれど、「3月末」までに原稿を渡すという大嘘をこいてしまった洋泉社の原稿をまず書き上げないといけない。
海鳥社の『レヴィナス/ラカン』本も春休みに書き上げますと大嘘をついたし。
何よりも国文社の『困難な自由』の翻訳が遅れに遅れており、中根さんの温顔にもおそらく深い苦悩の縦皺が寄っているものと思われる。
というわけで、まずはこの三冊。
そのあいまに晶文社の「甲野先生本」とM島くんの「説教本」が入るし、本願寺出版社のキックも日に日にきつくなってきた・・・
どうして私がこんなにみんなから責められ、ゆえなき「罪悪感」に身をすくめねばならぬのであろう。なんだか理不尽。
泣きながらとりあえず『合気道探求』の原稿を書き上げて送信。
あと来月までに白水社から来た『ふらんす』のエッセイと内田百間先生の文庫版あとがきを書かないといけない。
なのに、6月21日まで、私には「週末」というものがない。
長い長い「死のロード」が明日から始まる。はたしてウチダは生きて夏休みを迎えることができるであろうか。
5月13日
5月11日12日と山形鶴岡の内田家の菩提寺である宗傳寺を母と兄とで父の一周忌に訪れる。
ちょうど2年前の同じ日に宗傳寺を父もまじえた四人で訪れ、「内田家累代之墓」に詣でた。そして、奇しくも去年の同じ5月12日父が死んだ。
だから今年の5月12日が一周忌納骨の日になる。
前回のお墓参りのときは、お寺には寄らずに、お墓だけさらっと掃除して帰ったけれど、今回は本堂で供養の法事をしてもらった。
法事の前に住職さんと庫裏でお話をする。
これまで会ったこともない見知らぬ鶴岡のお坊さんに内田家の先祖の話とか亡き伯父たちの逸事とかを聞くのは不思議な気分のものである。
お寺に隣接する大宝寺町が幕末に酒井家に仕えた新徴隊士たちの長屋のあった地所である。その角の一軒を指して、住職さんが「ここが内田さんの旧宅のあったところです」と教えてくれた。
明治初年に四代前の高祖父が暮らし始め、伯父たちが育った町並みを母と兄と三人でしばらく歩く。
前にも書いたけれど、こういうかたちで「血統」の中に自分を位置づけるということは、ある年齢に達するとたいせつなことのように思われてくる。
うまく言えないけれど、こういうかたちの「history - story」は人間が「死ぬ準備」をするために必要な「幻想」のような気がする。
ただ「気がする」というだけで、だからみんなも祖霊を正しく供養しろとかそういう遂行的教訓を引き出すつもりはない。
でも何か知らないけれど、遠い祖先の暮らした町並みを歩くと、気持ちが深いところで鎮まってくるのを感じる。
鶴岡の町は今年も静かで、人々は穏やかで、宿のご飯は美味しく、日本海の景色は美しく、母と兄と三人の短い旅行はとても楽しかった。
もともと仲の良い家族だったけれど、父が死んだあと、死んだ父が私たちを結びつけてくれたかのように、遺された三人は前よりもさらに仲良くなった。
死者は生者たちの生き方に深くかかわってくる。
その意味で、死者は死んでいるけれど、死ぬことを通じて生きているのだと思う。
本日の大学院は「一夫一婦制」のお話。
ぼちぼち賞味期限の切れかけた制度ではあるけれども、それに代わるものを私たちはまだみつけていない。
というのは、一夫一婦制を基礎づけている「偕老同穴」の「ロマンチック・ラブ」の幻想は、「それに代わる」と称する制度にも伏流しているからだ。
だってそうでしょ?
籍を入れないカップルであれ、ゲイ・カップルであれ、フォスター・ファミリーであれ、複婚制であれ、いずれも「終生変わらぬ愛」を依然として(実現の困難な)理想としていることに変わりはないのだから。
どういうメンバーが愛の構成単位であるべきかということについては考え方はばらばらでも、その関係ができうるかぎり永続的で確かなものであって欲しいという思いに変わりはない。
人間と人間のあいだの信頼や愛情の関係はできうる限り短期的で不安定な方がよいという考え方が支配的なイデオロギーにならない限り、「ロマンティック・ラブ」の幻想はこれからも社会的紐帯としての有用性を失わないだろうと私は思っている。
一夫一婦制がうまく機能しなくなっていることは事実だけれど、それはむしろ「ロマンティック・ラブ」という幻想が生き延びるために必要な「対価」の支払いを人々が惜しみながら、その「成果」だけを求めているからではないのだろうか。
私が「対価」というのは、自分のかたわらにいる人に対する敬意と配慮のことだ。
パートナーに対する敬意と配慮という「対価」を最小化しつつ、パートナーから引き出しうる快楽という「成果」だけを最大化しようとするのは、どだい無理な相談である。
必要なのは制度をいじることでも制度を死守することでもなく、どんな制度においても、きちんと「愛の対価」を支払うことだと私は思う。
懐手をしていても「愛」が手に入るような制度はどこにも存在しない。
逆に言えば、どんな制度のもとでも、手間を惜しまなければ、たいていのことは何とかなるものだ。
ほんとだよ。
ゼミのあと小走りに北浜まで出かける。
今夜は林先生主催の有朋塾で甲野先生の講習会がある。
7時の開会時間に駆け込む。
20人ほどの参会者だけれど、甲野先生との共著を出したばかりの多田容子さんや卓球のオリンピック選手や空手の高段者や京大の赤星君や関西棋院のプロ棋士たちなどコアなメンバーである。
今日の特別ゲストはWBC世界チャンピオンの徳山昌守さん。(これは三軸自在の三宅先生のコーディネイト。三宅先生は今日の午後甲野先生を正道会館にご案内して、K−1の選手諸君との出会いをセッティングしたのである。私も誘われたんだけど、授業があるからねー。うう、見たかったぜ)
甲野先生もボクシングの世界チャンプを前にして突きや体捌きの原理を教えようというのであるから一段と気合いが入っている。
徳山さんは「捻り」を入れてはいけないという甲野先生の術理とボクシングの身体運用の違いが気になるようで、何度も立ち会うのだけれど、甲野先生の起こりのない不思議な突きにちょっと当惑気味である。
でも、率直に甲野先生に疑問をぶつける徳山さんの態度はとてもジェントルで気分がよかった。さすがいま絶頂期の世界チャンプ。心も体も柔らかい。立ち姿も身のこなしも出処進退も実に端正である。
まったくエリアの違う身体技法の二人の天才の厳しいやりとりを目の前1メートルで拝見するというたいへん幸福な経験をした。
眼福眼福。
私はボクシングにはあまり興味のない人であるが、これから徳山さんを応援することに決めた。みんなも応援しようね。好青年だよ。
講習会のあと林先生と二人の青年棋士と玄米正食(美味!)のお店でご会食。
甲野先生とは7月に池袋のリブロで「対談・サイン会」というものをすることになっている。
その日程の打ち合わせと、晶文社から出す共著本の「ヴァーチャル対談」の進め方についてご相談する。これは例の『邪悪なものの鎮め方』(仮題ね)の続きである。なかなか出ないのでいらついている人もおられるようですが、そのうち出ますから、もうちょい待っててね。
甲野先生がお忙しくてなかなか対談の時間が取れないので、メールでやりとりしながら、それを対談形式にまとめることにする。
「霊の話」だけではなく、教育問題や宗教問題などいろいろなテーマを同時並行的に展開しましょうということで話が決まる。
楽しみなお仕事である。
5月8日
数日前から左目がごろごろして目やにがどろどろ出てくるので「メバチコ」かしらと思っていた。
「メバチコ」というのは関西の方の表現で、東京では「ものもらい」。
伊藤銀次くんの幻の名曲にちなんで、毎日目やにをほじくりながら「メバチコなんだからー」と歌っていたのであるが、寝ているあいだもぐりぐり痛んでしかたがないので、芦屋市民病院に行く。
眼科の先生に診て貰ったら「結膜結石」というご診断。
「そ、それはたいへんな病気なんでしょうか・・・」と青ざめると、「まぶたの裏側に無数の結石ができて、角膜をごりごり削っているのです」というオソロシイことをいわれる。「ただちに摘抉いたしましょう」
私は中学三年生のときに「トラホーム」というものになったことがある。
「トラホーム」もまぶたの裏側にぐりぐりができる病気なのだが、これは「学校伝染病」に指定されているので、罹患者は都立高校には入学が許されない。必死で受験勉強したのに眼病で落とされたのでは泣くに泣けない。しかたがないので、手術を受けることにした。
これが怖いの。
なにしろ麻酔注射を眼に打つのである。
針が眼球に向かって接近してくるのを「目の当たり」に見ることになるのである。眼をつぶることも、視線をそらすこともあいならない。
痛みはたいしたことはないのであるが、針がぐいぐいと眼に迫ってくるのをリアルタイムで拝見するのは『アンダルシアの犬』じゃないけど、たまらない。
左目をまず手術して、メスでごりごり突起を削る。血の涙を流していたら、「右目はまた明日」と医者がいう。
こんな思いは二度としたくないので、帰宅して母親に「どうだったの?」と訊かれても、「うん、もう終わった」と答えて、翌日は行かなかった。(お母さん、嘘をついてごめんなさい。ウチダがお母さんに嘘をついたのは、あれが最初で最後です。嘘ですけど。)
でも、もう高校入試なんてどうだっていいやと思うくらい怖かったのである。
さいわい、右目は手術しないうちに自然治癒してしまった。(左目も手術するほどのことはなかったのかも)
そのトラホーム・トラウマがあるので、「ただちに摘抉」と聞いて気が遠くなったのであるが、いい年をしたおじさんがドブ板を這ってずり逃げるわけにもゆかぬ。
覚悟を決めていたら、何と麻酔は注射じゃなくて目薬。目薬をぽたんと垂らして、いきなりぐりぐり。
なんだかずいぶんたくさん石が取れたようである。(ぜんぜん痛くなかった)
そのまま抗生物質の目薬をもらって4500円払って、「はい、おしまい」。
鈴木晶先生のお話では、痔の手術もいまでは日帰りだそうである。(20年前は一週間入院した。あまりの激痛に高校時代の悪友ドクタータカハシにモルヒネをばんばん打ってもらってしのいだのであるが、痛みがぶり返すたびに「タカハシくーん、あれ打って」とお願いしたら、「これ以上打つと中毒になっちゃうからダメ」とつれないことを言われたのである。)
科学技術の進歩には総じて懐疑的なウチダではあるが、医学の進歩が「痛みの軽減」を実現していることについては深甚の感謝をここに表したい。
医者の悪口は当分言いません。
ドクター佐藤もナイスガイなことだし。
5月7日
4日の未明に卒業生の辻田有規恵さんが亡くなった。
交通事故の被害者だそうである。
夜中に同期のホーリー玲子から電話があって知らされた。
かつての学生の訃報に接するのはつらいものである。
辻田君はまことにユニークな学生で、授業を担当したことはなかったのであるが、ホーリーやフジイや半田君たちの仲間なので、ときどきわが家の宴会にもやってきた。
92年か3年だか夏は、るんちゃんのベビーシッターのバイトで合気道部の合宿についてきてもらったことがある。
稽古が終わって帰ってくると、遠くからるんちゃんと辻田君のふたりが無言のまま海岸にしゃがみこんでいる姿が見えた。おふたりの発する妖しくも夏の海岸らしからぬオーラがそこにわだかまっていたのが印象に残っている。
二年ほど前、聴覚障害者のための支援の仕事をしているという話を、偶然キャンパスで会ったときに交わしたことがある。
「じゃ、がんばってね」と手を振ったのが最後になった。
辻田くんの魂の天上での平安を祈る。
6日の「現代日本論」ではドクター佐藤が「鬱病」についてレポートをしてくれる。
現役のお医者さんをレポーターに迎えてゼミをやるわけであるから、まことに心強い限りである。
鬱病については色々な「文化論的意味づけ」ができそうだが、私はデュルケームの『自殺論』以来の古典的解釈に従って、これを「自立の対価」だと考えている。
「羊水の中に漂っている胎児のような全的依存状態」アルタード・ステイツにある人は鬱にはならないだろう。
私は二度深刻な鬱を経験したので、「鬱にならない自立の方法」を学習した。
教えて欲しい?
そう。
そこで「教えて下さい」と言えれば、あなたはもう大丈夫。
「けっ、ウチダなんかにものかを教わる気はないね」というような人は鬱からの脱出なかなか前途遼遠なのである。
ゼミのあと26人という大集団で「顔合わせ宴会」というものに突入する。
年齢性別職業ごった煮のバトルロワイヤル状態である。
私たちの集団を見て「これは何の団体でしょう?」クイズで正解できる他人はいないであろう。(「商店街の寄り合い」あるいは「新興宗教の支部会」に雰囲気が近いかもしれない)
二次会は江さん佐藤さん江田さん渡邊さん、それにウッキーとつれだって三宮の「ゴスペル」へ。(先々週の「フライング宴会」は同じコースだったようである)
キャロル・キング、フランク・ウェス、グレン・ミラーなどと勝手なリクエストをする。
さすがに6時間飲み続けで酩酊。よろけながらも、帰途なお江田さんに説教するのは忘れない。
7日は舞囃子の「特訓」があるので、二日酔いでぼおっとしながら雨の中を湊川神社まで走る。
下川先生にがしがし怒られながら汗だくで能舞台を走り回っているうちに酔いが抜ける。
すっきりして帰宅。シャワーを浴びたら猛然と眠くなってきたのでまた出たばかりのベッドに戻って昼寝。
爆睡すること1時間半。P書店のM島さんと約束があったので、のろのろ起き出す。
芦屋駅前でお茶をしながら本の打ち合わせ。
「大人になる方法」みたいな企画の本はもう書きたくないので、もっと違うこと書かせて下さいよお、文学のこととか、と勝手なことを言う。
打ち合わせが終わってから三軸自在研究所でごりごりしてもらって、鍼でぷすぷすしてもらう。
全身完全弛緩状態になって帰宅。
前夜来10時間半も寝ているので、さすがにベッドにはいっても寝付けないだろうなあ・・・と思っているうちにたちまち爆睡。
5月5日
ゴールデンウィーク恒例の「美山町で山菜天麩羅を食べる会」。
去年はちょうどいまごろ父が危篤状態だったので、10年来の初夏の愉しみである、この山菜天麩羅を食べ損なってしまった。
今年はクスミ大兄に送っていただいた「万寿久保田」と風月堂の「神戸ブッセ」をおみやげにして二年ぶりに京都美山町のコバヤシ家にお邪魔する。
すかすかの舞鶴若狭道を疾駆し、新緑の綾部のワインディングロードを新しいタイヤにはきかえて絶好調のインプレッサWRXでぐいぐい走る。
むかしはるんちゃんもご一緒だったのであるが、この三年ほどはひとり旅である。
芦屋から3時間足らずで美山町の藁葺き屋根のコバヤシ家に到着。もう二十数年におつきあいになるコバヤシ家ではナオト氏とセツコ夫人と長女のスギちゃんが迎えてくれる。
さっそく万寿を頂きながら、コシアブラ、タラ、ワラビ、ウドなどの若芽を天麩羅にしていただいた揚げたてに藻塩を振ってばりばりと頂く。
美味である。絶佳である。
野草の生命がそのままダイレクトに消化吸収されているような「手応え」がある。
そのまま日本酒ワインなど痛飲しつつ深更まで清談。
翌日も台所に腰を据えて夕方近くまで終わりなきおしゃべりに耽る。
夕陽が山陰にかかりはじめるころに薫風ふきわたる新緑の里山を後にする。
リタイアしたら美山町に住もうかなとまじめに考える。
5月4日
『ボーイズ・ドント・クライ』を見て、性同一性障害について考える。
別に、性同一性障害について研究しようと思い立って見たわけではない。
クリストファー・ノーラン(『メメント』の監督)の『インソムニア』を見たら、ヒラリー・スワンクが出ていた。当今のハリウッド映画になかなかいない内省的で抑制の利いた美女で、「おお、これからご贔屓にしちゃお」と決めて、他の作品を探したら、『ボーイズ・ドント・クライ』があった(ヒラリー・スワンクはこの作品でアカデミー主演女優賞をもらっていたのである)。
IMDBによると、『ボーイズ・ドント・クライ』(どうでもいいけど、邦題付けてよ)のときのヒラリー・スワンクの出演料は3000ドル(日給75ドル)。撮影が始まる1ヶ月前から男性として生活して準備していたそうである。
そういえば、ドクター佐藤が「言いたい邦題で内科医」というコーナーを始めたので、まずはこの映画の邦題からアプライすることにしよう。
『ボーイズ・ドント・クライ』は『男の子はつらいよ・ネブラスカ旅情』
ついでに、『インソムニア』は『アラスカ騙し』(どうしてこういう邦題になるかは映画を見れば分かります)。
その前に見た『ブレイドII』は『恋しちゃならない吸血鬼』、『トリプルX』は『国際不良諜報員・悪いことならまかしとけ』、『スパイダー』は『蜘蛛女・騙したつもりがちょいと騙されて』、『ツインピークス』は『怪談・双子山』。
なんか、昭和30年代の東宝映画のテイストだけれど、これは私の映画的記憶の起源が「新田東映」と「鵜の木安楽座」にあるせいで仕方がないのである。
ま、とにかくヒラリー・スワンクの出る超低予算映画『男の子はつらいよ』を見た。
そして、いろいろ考えた。
監督脚本のキンバリー・パースは同名の映画を95年にも制作しているから、よほどこの主題にこだわりがあるのだろう。(IMDBによるとシカゴ大学の日本文学の学位を持っていて、カメラマンとして二年日本で仕事をしたことがあるそうである。名前だけだと分からないかも知れないけど、女性です)
映画を見てない人のために「あらすじ」を申し上げるならば、性同一性障害のティナ・ブランドンはネブラスカ州リンカーンという地方都市で展望のない生活を送っているが、ひょんなきっかけから田舎町の不良男女グループと仲良くなる。ブランドンを「ほっそりした男の子」だと信じているグループの少女の一人とブランドンは恋仲になるが、やがて彼の隠していた性は不良仲間の知るところとなり、性のボーダーを超えるものを「化け物」に区分して怪しまない人々によってブランドンは壮絶なレイプを受け、やがて殺害される、という救いのない「実話」である。
映画を見て何を考えたかというと、この性同一性障害の「少年」が命がけで固執した「男らしさ」と、「彼」の命取りになる「女らしさ」へのエロティックな固着の、それぞれの幻想のあまりの「貧しさ」についてである。
ニットシャツを着て、無精髭をはやして、ビールを瓶から直に呑んで、カントリーソングをカラオケで歌って、弱い者にはすぐ暴力を揮い、強いものにはへこへこし、仕事もせずに終日ごろごろしていて、自分はでたらめなことばかりしているくせに、他人の生き方にうるさく干渉する・・・そんなどこからみても最低の不良的「おっさん」たちにブランドンは全力をあげて「同一化」しようとする。
そういう「男」に「彼」はなりたいのだ。
だからブランドンがあこがれる少女も、「いかにもそういう男たちが好みそうな」タイプのケバい姉ちゃんである。
そういう「女」に「男」は欲望を抱くものだとブランドンは信じているからだ。
ブランドンの性意識は、ティナという少女が「男の子なら、こういう性意識を抱くにちがいない」と想像して、幻想的に構成した性意識である。
そのときティナが参照したのはアメリカ中西部のプアホワイト階層に固有の「ローカル」な性意識である。
それは、ある時代、ある地域においてのみ有意であり、それ以外の場所では汎通的に「男らしさ」としては認知されない一種の民族誌的奇習である。
そんなものに命がけで固着するというのは、まことに愚かなことである。
しかし、このまことに愚かなことのために命を失う主人公に、私は一掬の涙を禁じ得ないのである。
私がこの映画から学んだのは、こと性に関しては、私たちは自分がその中に産み落とされた「ローカルな幻想性」という「本籍地」から死ぬまで出られないという事実である。
ティナ・ブランドンが表象しているのは、私たち全員が例外なく「ローカルな性意識の虜囚」であるという事実である。
私がおのれの「男性性」を「乗り超え」たり、「否定」したり、「批評的にコメント」しようとするとき、そのつどつねに帰趨的に参照するのは、「1950年東京生まれの中産階級の男性に固有の『男らしさ』の原イメージ」である。
もちろん、その原イメージはイデオロギッシュな工作物にすぎない。
しかし、私には「それ」以外に性的ふるまいについて参照できるフレームワークを持たないである。
例えば「中世プロヴァンスの農民の性意識」とか「清朝末期の進士の性意識」のようなものをみずからの性的ふるまいについての参照枠として利用することは私には許されない。それぞれについて、どれほど詳細なデータを示されても、不可能である。
なぜなら、私とは違う時代、違う場所の男たちを律していたはずの「男らしさ」の幻想に私はどれほど想像力を発揮しても、切実なリアリティを感じることができないからである。
しかし、ティナ・ブランドンは解剖学的には女性でありながら、「ネブラスカ州のレッドネック男」の「男らしさ」には切実なリアリティを感じることができる。
そういうものなのである。
私たちが切実な性的リアリティを感じることができるのは、「自分と同じ性的幻想の牢獄に閉じ込められている囚人」たちについてだけである。
ブランドンは女性から男性への「越境」を試みた。
だが、「彼」が試みたのは、「20世紀末ネブラスカ州のプアホワイト階層」に固有の「女らしさの幻想」から「男らしさの幻想」への越境にすぎない。
その境界線以外に「リアル」な性的境界線はブランドンにとっては存在しなかったのである。
「性差の壁を超えて」というようなことを楽観的な口調で語る「ジェンダーフリー論者」がいるけれど、そういう人たちがあまり分かっていないのは、彼らが超えようとしているその壁は「獄舎の中の仕切り壁」でしかないということである。
こと性に関しては、私たちにできるのは、それぞれの「獄舎の内装の改装」だけであり、「獄舎の外」には決して出ることができないのである。
5月3日
憲法記念日なので、政治について考える。
私のホームページでホットなニューヨーク情報を伝えてくれている川仁さんの昨日の日記にネオコンの解説があって、とても興味深く読んだ。
読んでいる人も多いと思うけれど、話の都合があるので、そのまま再録。
「新保守主義 neoconservatism」についての入門的な読書をする。「新保守主義」というのは、ブッシュ政権で影響力を持っているといわれるイデオロギー。(ただ、一枚岩的な思想ではないらしい。)Vernon Van Dyke という人の書いた Ideology and Political Choice という本のNeoconservatism の章とか読んでみる。
うーむ、おもしろいな、これ。
アーヴィン・クリストルやノーマン・ボドレツといった新保守主義の論客たちが言っていることの説明を読んでみたんだけど、いろいろ考えさせられる。
この人たちの左翼批判は、なかなか鋭い部分があると私には感じられた。そもそも、この人たちは元左翼であり、60代以降に新保守主義に転向したんですね。あるとき自分の誤りに気がついて転向した人というのは、その反動から、過去の自分を思い出させるような考え方を徹底的に批判する傾向があるような気がするけど、この人たちの左翼批判もそんな感じなのかもしれない。でも、そういう人にかぎって、「過去の自分」に向かってシャドー・ボクシングしてしまう傾向もあるのかもしれない。ヴァン・ダイクが指摘しているように、「そんなリベラル、実際にどこにいるの?」と思わせるような、架空の敵を描いてしまうという。
ヴァン・ダイクによると、新保守主義が批判するものの一つは、「平等主義egalitarianism」。「平等主義」と言っても、何が平等なのかといういう点で、その意味はまったく変わってしまう。例えば、「市民は法によって平等な保護を受ける」というのは、新保守主義者もとうぜん賛成なわけです。新保守主義者が反対なのは、「資産の再分配によって貧富の差をなくす」とか、「フェミニズムによってジェンダーの差異をなくす」とか、そういう強制的な「均質化」のことらしい。「自由競争したら格差ができてしまうのは当然であって、みんな違った生き方をすればいいじゃないか。必要なのは、みんなが同じになることじゃなくて、社会が全体として豊かになることだ。そうすれば、弱者にとってだって良い社会になるんだから」という主張らしい。私がこれだけ書くと穴だらけの議論に聞こえるだろうけど、とにかく、そういう「平等主義批判」というのが新保守主義にはあるらしい。
しかし、新保守主義は、いわゆる保守主義と違い、福祉国家を求める。「弱者を助けないような社会は、良い社会じゃない」と考えるのだ。クリストルは、 Two Cheers for Capitalism という本で、資本主義は他のシステムにくらべたら一番良いシステムなんだけど、絶対的な評価として、満点はあげられないと書いているそうだ。(英語ではThree Cheers が満点であり、資本主義には Two Cheers を与えるということ。)「個人が自律的で自由に考え行動できる資本主義は素晴らしいんだけど、そうするとどうしても自己中心的なことをする人たちが出てきてしまい、それが社会全体にとって良くない状況を作り出す。それが欠点だ」と考える。そこで、この資本主義の問題を是正するためには、弱者を助ける福祉のシステムだけではなく、「他人のことを思いやる道徳観」が不可欠になると考える。そして、クリストルによると、この道徳観は、近代的な合理主義では獲得できず、求められるのは一種の「ポストモダン」な価値観なのだということになる。ここで言う「ポストモダン」とは、価値の相対主義ではなく、宗教のように合理性を超えた絶対的な道徳心のことである。
私みたいな無知がこうやってまとめても、ウィルダフスキーやクリストルやポドレツが言いたいことさえ伝わらないと思うけど、何も知らなかった私には、この人たちが言っていることには興味深い指摘もあると思った。おもしろいので、政治思想についてもっと勉強してみたいと思った。しかし、上のようなクリストルの議論を読んで問題だと思うのは、やはり「超越的な道徳観(宗教)」の部分ではないか。その道徳観がどういう構造を持ったものなのかにもよると思うけど、クリストルが言うような新保守主義の道徳観は、「明瞭」すぎて恐ろしいと思う。クリストルやポドレツは、新保守主義はイデオロギーではないと言っているらしいが、そんな「道徳」を社会に押しつけたら、社会が「均質化」してしまうだろう。「経済のではなく、道徳の貧困と戦い、社会を道徳的に均質化することによって統合する」というのが、新保守主義の目指すところなのだろう。その裏には、必ず他者への抑圧があると思う。それが良い社会なのだろうか。
「新保守主義」というイデオロギーについては、それがジョージ・ブッシュの側近たちのあいだで支配的な政治思想であるということと、30年代のアメリカ左翼思想の「落とし子」である、ということしか私は知らなかったが、川仁さんの解説を読んで、知らないことをいろいろ教えてもらった。
川仁さんの指摘ではネオコンの特性は
(1) 元左翼「転向」組なので、リベラル派に対して近親憎悪的怨念を抱いている
(2) 平等主義を嫌い、自由競争による社会の多様化をめざしている
(3) 競争で脱落してゆく弱者に対する配慮は「宗教的道徳性」によって担保される
の三点に絞られる。
さすが「ネオ」というだけのことはある。
「多様性」と「倫理性」という「ポストモダン期において外すことのできない概念」がきっちりはめ込まれているからだ。
私は業界内的には「ネオソフト・ナショナリスト」に分類されているが、そうやって眺めてみると、たしかに私もまた「元左翼転向組」であり、「社会の多様化」を求めており、ある種の「倫理性」によって人間の行動を律すべきであることを説いている点において、ネオコンの主張とずいぶん「かぶっている」。
でも、ずいぶん温度差があるような気もする。
「かぶっているけど、違う」ということはある。
ここで、ちょっと言語学の用語を使ってご説明しよう。
語の「意味」には「語義」(signification) と「価値」(valeur) の二つの種類がある。
これはかのフェルディナン・ド・ソシュール先生が『一般言語学講義』で諄々と説かれた、大変重要な考想である。
「語義」というのは「語の辞書的意味」である。「価値」というのは「意味の厚みや幅」のことである。
例えば、フランス語では「羊」を指すのにmouton という語をもちいる。英語には「羊」を指す語は二つあり、「生きている羊」にはsheep、「食肉としての羊」にはmuttonを 当てる。私たちは平気で「英語のシープはフランス語ではムートンていうのだよ」というふうに同定して怪しまないが、sheep は「食肉加工された羊肉」という意味を含まないので、この二語は「語義はかぶっている」が、「それぞれの語の意味の厚みや奥行き(つまり「価値」)は違う」のである。
ソシュールがその言語学で「意味の差異」というときに主に問題にしていたのは「語義がかぶっている」ところではなく、語のあいだの意味の厚みの「ずれ」の方である。
というわけで、とりわけ「多様性」とか「倫理性」とか「他者性」というような、当今のイデオロギー的論戦における「決めのキーワード」を扱うときには、それぞれの言葉の使い手による意味の「ずれ」を意識しておくことがたいせつだろうと私は思っている。
(「他者といったら、まあ、他の人のことだわな」と書いたのはどこのどいつだ、というつっこみが入りそうであるが、ウチダのいうことは時と場合でころころ変わるのである)
私はネオコンの主張を根幹的なところでは承認するけれど、多様性と倫理性という術語を使うときの「語の価値」がずいぶん違うような気がする。
多様性の確保(つまりふるまい方の異なるさまざまな社会集団の混在)が社会システムの健全な機能のために必須であるという点について私はまったく異論はないが、それが自由競争によって確保されるという考え方に対して私は懐疑的だからである。
自由競争によってたしかに社会集団間には「壁」らしきものができる。
たとえば「成功者」と「失敗者」のあいだには、賃金、威信、権力、情報、資産、子女の学歴、趣味、教養などにおいて歴然とした「壁」ができる。
しかし、この「壁」は均質的な社会集団を「輪切り」にしている「垂直方向の壁」であって、社会を多様化する壁ではない。
社会集団間の「壁」には水平方向の壁と垂直方向の壁の二種類がある。
学生時代の友だちに久しぶりに会ってみたらヤングエグゼクティヴになってリムジンを乗り回しており、次にあったら、ホームレスになっていて100円玉をせびられ、また久しぶりに会ったら新興宗教の教祖になっていて、次にあったらパンパスでガウチョになっていて、次にあったらポリネシアで漁師をしていた・・・・というような種類の社会的立場の移動は社会に多様性をもたらすだろう。
しかし、ネオコンのみなさんが考えている多様性というのは、そういうものではなくて、「賃金、威信、権力、情報」という基本的な度量衡は共有した上での垂直的差別化のことであるように私には思われる。
私はそのような差別化はほんとうの意味での多様性を基礎づけないと考えている。
だって、栄枯盛衰盛者必滅は世の習いだからだ。
「年収の壁」はその語の定義からして、毎年更新される。
貨幣も威信も権力もただひたすら交換されるだけであり、そのようなものを価値として認知する人々のあいだに多様性が安定的に確保されるということは起こらない。
垂直方向の「壁」は社会を安定的な下位集団に細分化するためには、ほとんど役に立たない。
しかし、私たちの社会を安定的に秩序づけるのは、社会が価値観を異にする複数の下位集団に分凝していることである。
社会的リソースが限定的なものであり、社会成員が同一の度量衡で価値を認定していれば、必ず、暴力的な競合が発生する。
それを回避するために生物の世界には「エコロジカル・ニッチ」(生態学的地位)というものがあって、それぞれの種族が捕食や営巣のしかたを「ずらして」共生している。
もし、サバンナに「ライオンだけしかない」状況を考えれば、その生態系がどれほどすみやかに壊滅するかは誰にでも想像できるだろう。
しかし、全員が同じような欲望をもって生きている社会(グローバリズムというのは、それを理想とする思考のことである)というのは、全個体が同一の生態学的地位を占め、同一のものを捕食し、同一の場所に営巣し、同一のパターンで生殖するような単彩的な社会のことである。
それがどれほど危険な社会であるかは誰にでも分かる。
「全員が入れ替え可能であるような社会」、これは人類の生存戦略上きわめて危険な社会である。
だから社会は多様な下位集団に細分割しておかなければならない。
「壁」が機能しているとき、つまり「ニッチの壁」が乗り越え不能であるとき、社会は不活性的ではあるが、安定している。
しかし、それはある意味で「死んだ」社会である。
生物は変化を不可欠の栄養として生きている。
だから、エコロジカルな安定は構造的に構造的に破綻する。
社会秩序が乱れるのは、「壁」が崩れて、社会階層間の移動が激化するときである。(戦国時代の「下克上」とか、明治維新期とか)
よしあしは別として、これがことの原則である。
私たちはこの原則を踏まえた上で、「適度に活性的で、適度に安全な社会システム」を構想しなければならない。私はそういうふうに考えている。
「社会階層間の移動の全面的な自由」「社会的ボーダーの全廃」は、「社会階層間の移動の全面的禁止」や「社会的ボーダーの絶対的固定化」と同じように生物の本性に反している。
川仁さんの要約によると、「自由競争したら格差ができてしまうのは当然であって、みんな違った生き方をすればいいじゃないか」というのがネオコンの主張であるよう
だが、私はそんなことはありえないと思う。
自由競争から生まれるのは、「生き方の違い」ではなく、「同じ生き方の格差の違い」だけである。
格差だけがあって、価値観が同一の社会(例えば、全員が「金が欲しい」と思っていて、「金持ち」と「貧乏」のあいだに差別的な格差のある社会)は、生き方の多様性が確保されている社会ではない。それはおおもとの生き方は全員において均質化し、それぞれの量的格差だけが前景化する社会である。
そのような均質的社会は私たちの生存にとって危険な社会である。私はそう申し上げているのである。
それは単に希少財に多数の人間が殺到して、そこに競争的暴力が生じるというだけでない。成員たち全員がお互いを代替可能であると考える社会(「オレだって、いつかはトップに・・・」「あたしだってチャンスがあれば、アイドルに・・・」というようなことを全員が幻視する社会)では、個人の「かけがえのなさ」の市場価値がゼロになるからである。
勘違いしている人が多いが、人間の価値は、そのひとにどれほどの能力があるかで査定されているのではない。
その人の「替え」がどれほど得難いかを基準に査定されているのである。
現に、「リストラ」というのは「替えの効く社員」を切り捨て、「替えの効かない」社員を残すというかたちで進行する。どれほど有能な社員であっても、その人の担当している仕事が「もっと給料の安い人間によって代替可能」であれば、逡巡なく棄てられる。
人間の市場価値は、この世に同じことのできる人間がn人いれば、n分の1になる。
そういうものなのである。
だから、人間的な敬意というのは、「この人以外の誰もこの人が担っている社会的機能を代わって担うことができない」という代替不能性の相互承認の上にしか成り立たない。
だが、競争社会というのは、全員の代替可能性を原理にしている社会である(だから「競争社会」は必ず「マニュアル社会」になる)。
そのような社会で、個の多様性やひとりひとりの「かけがえのなさ」への敬意がどうやって根づくだろうか。
もう一度最初の論件に戻るけれど、ネオコンの人々の考える「多様性」というのは、要するに、同一の価値観のもとでトップからボトムまで、ずらりと社会成員が「序列化」されているということである。
同じ尺度で定量的に査定されたものたちのあいだにあるのは「序列」と「階層」と「差別」と「羨望」だけであり、それは「多様性」と無縁のものだと私は思う。
もう一点、川仁さんも危惧を語っていたけれど、「宗教的道徳性」に担保された「他者への敬意」という考想の怪しさについても日本の話にからめてひとこと申し述べたい。
小学校六年生の通知表に「国」や「日本」を愛する気持ちがあるかどうかを「査定」する評価項目を取り入れた小学校がある。
02年度から新学習指導要領が始まり、「国を愛する心情」の育成が社会科の学年目標に掲げられたことに対応してのことである。
評価項目の文言は「我が国の歴史や伝統やを大切にし、国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚をもとうとする」。この評価項目についてABCの三段階評価を教員が行うのである。
私は人も知る「愛国者」であるが、この指導要領には開いた口が塞がらなかった。
「愛国心を教科目標に掲げて、教師が生徒の愛国度について査定を行う」とは、いったい文部官僚は何を考えているのか。
「愛国心」こそ、あらゆる人間的活動のうちで、もっとも定量的な査定になじまぬものだ。
だいたい「愛国心」とは何のことなのか。
私の定義によるならば、「愛国心」とは「国益の最大化を優先的に配慮する心的活動」である。それ以外にもっと「正しい」定義があるというなら言っていただきたい。
「国益」とは、端的にこの国民国家の全構成員の生命身体財産の効果的な保護と、人間的自由の保全のことである。
ここまではどなたも文句があるまい。
しかし、根本的な問題は、にもかかわらず、「国益」とは何かについての国民的合意というのは存在しない、ということである。
小沢一郎が「国益」と観じているところのものと、私が「国益」と考えているものとは、まるで違う。
小沢は「普通の国」になり、常備軍を持ち、核武装し、アメリカの軍事的なイーブンパートナーとなることが日本の市民たちにそれ以外のオプションよりも多くの利益をもたらすだろうと予測している。
私は逆に日本は「他を以ては代え難いユニークな国」を志向すべきであり、その代替不可能性によって国際社会における安全なニッチを見出すべきだと考えている。
しかし、だからといって、私は自分の国益予測が正しくて、小沢一郎のそれが間違っているとは思わない。
こういうのは個人によって違って当たり前なのである。
国益を守ろうという「総論」とについては全員一致しても、では具体的にどういう政治的オプションを採択するのが、国益を「最大化」するのかという「各論」に入ったとたんに、みんな考えが違ってしまう。
しかし、それが当然なのだ。
それぞれの国益についての考え方をする人々が多数派を獲得するために議論を展開するのが民主主義だと私は思っている。
それでは危機に際会したときに、話がさっぱり先に進まないからダメだ、国論はすみやかに統一されるべきであるというなら、誰かに「国益」を人格的に代表する独裁者になって頂くしかない。それなら挙国一致で国論はみごとに統一されるだろう。
だが、「賢い独裁者」は「愚昧な独裁者」が彼に続いて出現することを決して阻止しえないという事実を私たちは歴史を通じてうんざりするほど熟知しているはずである。
「国益観の多様性の保証」「言論による多数派形成の自由の保証」こそが民主主義の原点である。
その上で「愛国心」とは何かを考えるならば、それが「定量不可能」なものである、ということは誰にでも分かるはずである。
だって、自分がどういうふうにふるまうことが国益を最大化するのかは、小学校六年生にしたって、生徒ひとりひとり考えが違うはずだからである。
私は私なりに熱烈に国を愛している。
この国を何とかもっと住み易い国にしたいものだと毎日ない知恵を絞っている。それは子どものころから変わらない。
その私に向かってもし六年生のクラス担任教師が、「祝日に家の玄関に国旗を掲揚しない」とか「君が代を大きな声で歌わない」とか「伝統文化を軽視し、フランス人の本などを耽読している」というような理由で、「日本人としての自覚が足りない」とC査定を下したなら、私は口惜しくて涙を流すであろう。
逆にもし小学生が右翼の街宣者で校庭に乗り付け、戦闘服で国旗に敬礼して、「海ゆかば」を絶唱し、唱和しない同級生を殴り倒したら、教師たちは彼の「日本人としての自覚」の評点をAにするのだろうか?(それを拒むどのような理由を彼らは思いつけるだろう?)
愚かな話だ。
「日本人としての自覚」というようなものに外形的基準は存在しない。するはずがない。
それは一人一人の日本人のマインドセットであり、完全に個人の自由に属する。
それは算数の計算力とか歴史知識とか漢字のリテラシーというようなものとは、まったく別の水準の、誰も査定できないし、誰も査定すべきでない心的活動である。
「日本人としての自覚」や「愛国心」は、ただ、その言葉の解釈について立場を異にする人々との、対話的論争的コミュニケーションを通じて一人でも多くの同意者を獲得してゆこうとする知的努力によってしか検証しえない。私はそう思っている。
もしこのような査定を考え出した役人たちが、「日本人としての自覚」や「愛国心」は一義的なものであり、教科的に査定できると考えているとしたら、彼らこそもっとも深く我が国の国益を害し、伝統と文化を汚し、愛国心の健全な育成を阻害する人々であるだろう。
「愛国心」がマニュアルにもとづいて定量的に査定できると思っているような(国民国家の幻想性をなめきった)人間には国家や民族や宗教について語っていただきたくないとウチダは思う。
という話がどうネオコンの「宗教性」と「倫理性」の話につながるのかは、(もう大筋はお分かりになったでしょうが)長い話になるので、また今度。
5月2日
三宅先生に「前歯がぐらぐらなんですけど」と泣訴したら、「患者がふえると困るので歯科の看板を出していない」名医E先生をご紹介したいただく。
世の中は広く、そういう「会員制地下クラブ」みたいな歯科がちゃんと存在するのである。
三宅先生の「名医」つながりで、そういう「ふつうのひと」は決して踏み込むことのできないアンダーワールドにご案内頂けるわけである。
別に巨額の診療代を請求されるわけではない。(ちゃんと保険もきいて、980円)
前歯はもうダメだそうである。
他の歯ももうこのままでは全滅らしい。
「えええ」と泣き崩れると、「ま、それを治して進ぜようというのだよ」とさすが名医らしいことを言ってくださる。
とりあえずウォターピックの使用を命じられる。
デンタルケア用品は20年ほど前から兄ちゃんのエリアであるから、さっそく帰りの車から携帯で横浜の兄ちゃんの会社に電話を入れる。
「はい、フィードでございます」と対応に出た女子社員によると兄ちゃんはアメリカ出張中らしい。困ったな、と思っていたら、当該女子社員が「先生?」と訊く。おや、ミノタ君か。
ミノタ君は私のゼミの卒業生である。
世間さまには腰が低いが元ゼミ生には態度のでかいウチダは「ああ、ミノタくん、ならば君んとこで扱ってるウォーターピックのいっちゃん高いやつ、芦屋の方に送っておくように」と居丈高に命令する。
「請求書は社員家族割引でね」(しまった。私はフィードの株主だったんだ。「株主割引」って言えばよかった)
「なにかね、キミは。最近も会社を辞めたいとかぐちぐち言ってるそうじゃないか。ん? 世間なめとんとちゃうか」とさっそく車を運転しながら、携帯電話で説教を始める。
朝っぱらから仕事場でとった電話でゼミの旧師から説教されてはミノタ君もまことに気の毒なことではある。
学校にゆくといろいろとお仕事の連絡が入っている。
「朝日カルチャーセンターの**ですが、お電話を頂きましたそうで、ご用件は何でしょか? 折り返しご連絡下さい」という留守電が入っている。
電話をした覚えはないので、どういう連絡を入れたものか悩む。
「あのー、ボク電話してませんけど」という電話を入れるのかなあ。
筑摩書房から内田百間先生(「間」は門構えに「月」なのであるが、ワープロじゃ出ないんだよね)の文庫版全集の「あとがき」の依頼がくる。
内田百鬼園先生は母方の祖父の同郷同窓の先輩であり、ウチダ自身も「大学教師の亀鑑」として青年期よりひそかに私淑する偉人である。
同姓の著名人というと、百鬼園先生と内田裕也と内田魯庵と内田良平(黒龍会と「ハチのムサシ」)と内田隆三がいる。
何となく、同姓というのは、親しみを感じるものである。
そう言えば、内田隆三さんは神戸女学院の同僚で、その後東大の先生になったのであるが、隆三先生がいなくなったあと、とある出版社から私に原稿依頼があったことがある。
しばらく話していたのだが、どうも話が噛み合わない。
「あのー、もしかして、ウチダリュウゾウさんとお間違えじゃないですか? ぼく、ウチダタツルの方なんですけど・・・」と申し上げたときの、先方の慌てたこと。
「ええええ、そ、そんな滅相もない。ウチダタツル先生ですよね、ははは、そうですよね。そうです、そうですよ。まさに、そのウチダ先生に原稿お願いしてみようかな、なんて思っていたんですよ・・・あ、ちょっと別の電話が入りましたので、またのちほどに・・・」と電話を切られてしまった。(もちろん二度と電話はこなかった)
そんなに慌てなくてもよかったのに。
内田百鬼園先生の全集の「あとがき」を書かせて頂けるとは光栄至極であるので、喜んでお受けする。
医学書院の白石さんから本の企画ができましたというメールが来る。
さすが生き馬の目を抜くスーパー・エディター、仕事がすばやい。こちらが四の五の言わないうちにもう完全に手足がロックされた状態である。
晶文社の安藤さんから次の仕事の企画が届く。
「21時間デスマッチ対談」本(『邪悪なものの鎮め方』)と「ラジオ深夜便」の続きの対談第三弾を甲野先生とやってくださいというご提案である。
甲野先生とお話しさせて頂く機会を頂けるのは嬉しい限りであるが、甲野先生もめちゃくちゃに忙しい方であるので、時間が取れるかどうか心配である。
一昨日は小学館の「SAPIO」の取材があった。『「おじさん」的思考』と『機関限定の思想』の著者インタビューである。
販促活動には全面協力する方針なので、2時間ほどいろいろとおしゃべりをする。
しかし、去年の大晦日を以て「物書き廃業」を宣言したはずなのであるが、なんだか断れないオッファーが続く。(合気道家で『合気道探究』からの寄稿依頼を断れる人はいないし、『学士会報』は私の唯一の定期購読誌だし、安藤さんは「ははははは」と笑いながら当然のことのように次の仕事を入れてくるし・・・)
いったい私が心静かにレヴィナスの『困難な自由』の翻訳にとりかかれる日はいつ訪れるのであろう。(中根さん、ごめんなさい)