五月の鯉の吹きなが思想家の冒険

Les aventures d'un penseur sans fond: depuis janvier 2003



6月30日

夜遅くにるんちゃんから電話がかかってきて、「お父さん! 『第三文明』の中吊り広告に写真がでっかく出てるよ。あたし、恥ずかしいよ」ときびしく責められた。

すまない。

今月半ばに思い立って顔写真はもう世間に出さないと決めたのであるが、あの日のインタビューは「写真はダメ」という告知が伝わっていなくて、カメラマンが現場に来ていたのである。

仕事に来ているプロに向かって「写真はとっちゃダメ。君は帰りなさい」というような非人情かつ反社会的なことは常識あるサラリーマンであるウチダは口にできない(「タトゥー」とは違うの)。

しかたなく泣く泣く写真を撮られてしまったのである。

しかし、これが最後である。

もう二度と私の顔がメディアに出ることはないであろう。

次のインタビューは『B』という雑誌であるが、顔写真の代わりにネコマンガでOKしてもらった(なかなか度量のある雑誌である)。

これからは芦屋写真館でばっちり修正してもらった(本人に全然似てない)証明写真かネコマンガで我慢して頂く。それがいやならご縁がなかったということでご勘弁。

だって、世間に顔を知られることで私自身には何の益もないからである。

TSUTAYA の店員に「あ、あれウチダじゃない? このあいだ中吊り広告に出てた? 何借りってたの? え? 『岸和田少年愚連隊・カオルちゃん最強伝説』? 頭悪い学者だな」と言われたり、コープの店員に「ねえ、見た? いまのウチダよ。やあね289円のカツオの叩きにしようか298円のタコブツにしようか、五分も迷ってたわよ。ビンボくさい」というようなことを言われたくない。

あれは「私の身体はカツオを求めているのか、タコを求めているのか」を知るべく耳をそばだてて身体からのメッセージを聞き取っている姿なんだから、多少は時間がかかるもんなんだよ。(「カオルちゃん」については特に言うべきことはないが)


6月29日

オフなので『レヴィナスとラカン』の原稿をばりばり書く。

ばりばり書きすぎてはや400枚。

もちろん、まだまだ入り口のところで、他者=死者論の本題に入るのは、これからである。このまま書けば500枚は優に超えてしまうであろう。

もちろんそんな分厚い本を海鳥社が出してくれるはずもないので、これを半分近く削らなければならない。だから、多少とも『レヴィナスと愛の現象学』と内容的に重複するところはすべてカットということになる。

とはいえ、先に『レヴィナスと愛の現象学』を読まないと話が繋がらないというのでは、あまりに読者に対して失礼であるので、単独で読んでもすいすいと読めるような構成にしつらえなければならない。

いろいろ大変だ。

しかし、読めば読むほど、ラカンもレヴィナスもほとんど「同じこと」を言っていることが分かる。

だが、それでもときおり「違うこと」も言う。

この二人が口を揃えて「同じこと」を言っていれば、これはまず「賢者の洞見」と申し上げて差し支えあるまい。

にもかかわらず「違うこと」も言っているとしたら、それはそれぞれの知者の「個性」と申し上げて差し支えあるまい。

『セミネール』と『存在するとは別の仕方で』を並べて机の上に置いて繙読すると、あまりの知の深みに圧倒される。

すごい、ほんとに。

こういう本が日本語で読めるというのはまことにありがたいことである。

小出浩之さんほかの『セミネール』の訳者たちと合田正人さんのご苦労にはどれほどの感謝を示しても十分すぎるということはないであろう。

 

感動にふるえつつ、日が暮れたので元町に出かけて、別館牡丹園でタンメンと揚げワンタンとビールで腹ごしらえをしてからシネ・リーブルへ。

『沙羅双樹』を観る。

観客7名。

私は客の少ない映画に対しては好意的になる傾向があるので、この映画もたいへん愉しく観ることが出来た。

「バサラ祭り」の打ち合わせの場面などは、果たしてどこまでが「演技」でどこからが「真実」なのか、虚実の皮膜がおぼろげになる。

大林宣彦の「尾道三部作」にも通じる、「土地の霊力」を動員した映画作りだ。

「道」には不思議な力がある、ということを大林も河瀬も直感的に知っている。

すぐれたフィルムメーカーは多かれ少なかれ土着の巫者の資質を備えている。だから彼らは風の予感や空気の湿気や土の熱っぽさや雨の臭いをくっきりとした輪郭をもつ映像記号として感知し、それをフィルムに定着することができる。

そのことがこの映画を観ると分かる。


6月26日

昨日はVIAの演武会があった。

毎年恒例の行事であるが、これはアメリカのスタンフォード大学の学生たちの「アジア研修プログラム」の一環である。

スタンフォードでは、学生たちに1年間アジア諸国の学校で英語の先生をする「キャリア」プログラムを組んでいる。彼らが赴任地に到着する前に、中継地である日本で、関学と本学のESSが学生たちのためにウェルカムパーティをする。その折りに、本学では例年茶道部、華道部、能楽部、箏曲部、そして合気道部、杖道会が「伝統芸能」の一端をご披露することになっているのである。

体育の合気道の授業の最後の方を見ていただいてから、松田先生、ウッキー主将、森川副将、そして私が演武をする。(ウッキーはでずっぱりでへろへろだった。みなさんどうもご苦労さま)

そのあともう少し時間をいただき、体育館に移動して杖道形(着杖から乱留まで11本)をウッキー仕杖、私が打太刀でご披露する。

ついでにスタンフォードの学生諸君のアジア諸国での無事と破邪顕正を祈願して古流の居合を数本抜いてご奉納。

杖と居合の説明も演武のあとの質疑応答も英語でしたのであるが、武道の話題になるとなぜか英語がよどみなく出てくるというのがまことに不思議である(フランス語もそうだな)

とりあえずアメリカの学生さんたちはたいへんに興味深くご覧頂けたようで、暖かい拍手を賜った。

Have a good time in Japan!

そのまま稽古に突入。

本年度新入部員が六人参加。(うち本日入部が二名)

受け身もままならぬ新人ばかりだと通常は稽古になりにくいのであるが、こういう時こそ、上級者にも集中と工夫が必要な「気の感応」中心の稽古プログラムを組む。

新人が多い時期には、新人もすぐにかたちをまねするだけは出来るが、実は非常に奥が深くて上級者も簡単にはできない技を集中的にお稽古して頂くことにしている。

昨日やったのは「気の感応で導く入り身投げ」。

接触点を最小化することによって、受け身の身体がどのような「伸び」を示すようになるか、それを感じてもらう。

そのほか「拍子に乗る」「拍子を外す」「浮きをかける」といった、出来そうで出来ない身体運用(というよりは「感受性の研ぎ澄まし方」)をいろいろとやって頂く。

気分よく汗をかいて帰宅。

 

ビールを飲んでだらだらしていたら角川のY本くんから電話。

『ためらいの倫理学』に続いて、『「おじさん」的思考』『期間限定の思想』『女は何を欲望するか?』などの近著を文庫化したいというご要望である。

そんなこと言っても、みんな去年出たばかりの本であるから、そう簡単にはゆかない。

『私の身体は頭がいい』は文春文庫からすでに「予約」がはいったというホームページ日記の記事を読んでY本くんもちょっとあわてたようである(そんな予約が入っていたことを私自身はころっと忘れていたので、あぶなく角川と文春にダブルブッキングするところであった。何でもホームページ日記には書いておくものである)

洋泉社の説教本(タイトル変更!)が内容的には「おじ的」のラインなのだと言うと、それ「予約」させて下さいと「まだ出ていない本」の文庫化まで計画している。

ずいぶんと気の早い方である。

ウチダ自身は一冊でも多くの本が読者に読まれることを望むだけであるので、文庫化に反対する理由はないが、文庫化されると簡単に絶版になって、却って入手しにくくなるケースもあるらしい。

長い目で見て、ひとりでも多くの読者と出会えるのはどうすればよいのか。

私に知恵があるわけではない。

とりあえずウチダは何でも「ご縁」で済ますことにしている。

文庫化されたせいで読む人が増えればそれも「ご縁」、単行本として長期にわたって読み継がれることで読む人がふえればそれも「ご縁」。どちらに転ぶかは、それぞれの本が宿命的に刻印された「ご縁」の効果と考えることにしている。

増補改訂決定版『ためらいの倫理学』(オリジナルに四篇の新曲ボーナストラック付き)文庫本は高橋源一郎さんの「解説」を冠して八月下旬に発売である。買ってね。


6月25日

六月はしんどい。あと三週間で授業は終わるけれど、もう気息奄々である。

朝起きても、なんだかぼわんとしている。メバチコがなかなか治らず、左目の視野はほとんどふさがった状態。

9時過ぎに起きだして、レヴィナス論の原稿書き。

原稿を書いている間だけは、少しテンションが上がるけれど、一回休憩を入れると、もう机に向かう意欲がなくなって、ソファに這いずって、うつらうつら寝てしまう。

なんとか残存エネルギーを振り絞って、夕方から教育トップ100校の会議に大学へ。

いよいよトップ100校プロジェクトも詰めの段階に入ってきて、しなければいけない用事がますます増えてきた。

7月中はおそらくこの申請書類書きで終わってしまうだろう。

そのあいだに6日の東京の甲野先生との対談、12日のシンポジウム、19日の講習会など気合いを入れて臨まないといけないイベントが続く。

締切のある連載原稿が一つもないというのだけが救いである。

今週は木曜がVIAの演武会、金曜は会議が三つ、土曜は稽古の後、わが家で新歓コンパ。

これからしばらくはウチダが「どよん」とした顔をしていても、あまり気にしないで、そっとしておいて下さいね。


6月23日

フランス語とゼミと杖道のお稽古。

フランス語は一年生のクラスなのだが、なんだか非常に静かである。しんとした教室に私の声とノートを走るこりこりというシャープペンシルの音しかしない。

教室で私語というのものを聞いたことがない(みんなお互いに口をききたくないほど仲が悪いというのでなければよいのだが)。

ゼミの諸君は四年生だから就職活動の今がピークのはずだが、ぞろぞろ来ている。

おそらくはやばやと内定をもらったか、はやばやと就職を断念したのかどちらかなのであろう。

なんでも、こういうものは切り上げ時が肝腎である。

就職活動についてはつねづね「そんなのは、卒業したあとに考えることである」と学生には教えている。

在学中はとにかく勉強に専心する。

卒業したら、のんびり世の中を眺め、旅行などもし、旧友との久闊を叙し、師友と語らって、ゆっくり「今後の身の振り方」を考えればよろしい。

在学中であるにもかかわらず大学にろくに顔を出さず、汗水流して「勝ち組になりたい!」などとおめいて就職活動に奔走するなどというのは言語道断である。

そのような愚かしくも拙劣な判断で選ぶから、新卒の諸君の30%が就職後3年以内に離職してしまうのである(10年後まで見れば、女子学生の就職者の90%は最初の就職先を離れているであろう)。

これこそリソースの無駄遣いである。

なぜもっとじっくり腰を据えて「ほんとうに自分がやりたいこと」を考えないのか。

こういうことを知るためには時間が要るものである。

書を読み、友と語り、見知らぬ街を歩き、さまざまな職業の人々に出会い、さまざまな社会に触れて、はじめて「こんなことがしたいなあ」という欲望が輪郭を取ってくるのである。

大学卒業後少なくとも一年間は読書と散歩と清談の「沈潜と思索」の時間がある方がよいと私は思っている。

そのあいだはバイトとかリゾートでバカンスとか、そういう「セコい」ことをしてはならない。

『卒業』のダスティン・ホフマンも、『こゝろ』の「私」も、『虞美人草』の宗近君も、大学を卒業したあとは、そうやって「ぼんやり」するものと相場が決まっているのである。

親の方も長い目で見たら、適切な職を見出させるためには、大学生の子どもの尻を叩くべきではないということくらい分かってよいはずである。

大学四年間プラス「沈潜と思索」一年間=五年間をもって「大学修了」というふうに考えれば済むことである。

それによって、大学生活はどれほど穏やかなものになるであろう。

企業ももう新卒採用を止めなさい。

「一年以上の沈潜と思索」を採用の条件とするくらいの英断はできないのだろうか。(その方が絶対おもしろい若者が集まってくると思うけどね)


6月22日

志木合気会15周年記念演武会ならびに祝賀会。

志木合気会は故・樋浦直久師範が開設された道場である。樋浦さんの死後は門人の三輪明さんが「跡目」を継いで、樋浦さんとは自由が丘道場同門の明心会の亀井格一師範を迎えて稽古を続けられ、おおぜいの会員を擁する堂々たる道場をもり立てられている。

樋浦さんは多田先生の最古参の門人のおひとりであり、温顔篤実の古武士の風貌をたたえた実に温厚にして豪放な武道家であった。私はこの自由が丘道場の先輩が大好きであり、またよくかわいがっても頂いた。

樋浦さんのご葬儀には病気で欠礼してしまったので、今回は樋浦さんへの供養のつもりで志木合気会の演武会に出させて頂いた。

受けは気錬会の工藤俊亮三段にお願いする(こういう折りにちゃんと気心の知れた方に受けをお願いできるように、日頃同門の若手のみなさんとは「多田塾研修会の帰りに生ビールを呑む会」仲良くさせていただいているのである)

亀井師範に「ウチダくん、今日の演武、なかなかよかったよ」とほめて頂く。いつも五月祭で二日酔い演武をご披露しているので、おそらくそれよりは出来が良かったのである(受けの工藤くんも「いつもよりたくさん飛んで」くれたし)。

祝賀会では窪田、山田、亀井、坪井の先輩方にご挨拶し、笹本、今崎、小野寺、小堀、大田といった自由が丘道場の懐かしい顔のみなさんとも歓談できたし、多田先生とも長い時間ごいっしょできたし、まことに有意義にして愉快な一日であった。

でも、さすがに帰りの新幹線ではぐったり。次の上京は7月6日である。


6月21日

温情会で神戸ベイシェラトンホテルでフレンチのフルコースを食す。

温情会というのは(すごい名前だな)、神戸女学院の全教職員の懇親会である。給料天引きで積み立てたお金で、年二回大阪と神戸のホテルで歓談の一夕を楽しむイベントである。

ウチダは三年ほど前に委員長をやり、そのときは「金に糸目をつけずに、美味しいワインを出そう」ということで大盤振る舞いをしたのであるが、ときどきの委員長の社会観の違いを反映して、下戸の人が委員長になると、「のみものはビールとウーロン茶だけ」というようなこともあるし、美食に興味がない人が委員長になると開会後1時間で食べ物がなくなるというような痛ましい会になることもある。

今回の三浦委員長はたいへんに世事に通じた方で、超豪華フレンチに「こ、これは高いぞ」シャンペンも潤沢で、ウチダは松田先生、古庄先生、ワルモノ先生と中高部の愉快な先生方と同じテーブルでたいへん幸福な一夕を過ごすことができた。

美味しいものを食べると、幸せになる。

次に美味しいものを食べるのは7月23日の非常勤講師懇談会(たぶん和食)と25日の芦屋ベリーニのイタリアン(これは三軸自在の池上先生、三宅先生とのご会食である)、盛夏には鈴木晶先生と「はも」を食べる予定。

合気道の稽古にひさしぶりに国分シェフが顔を出す。橘さんとの新店舗開店で大忙しらしい。新しいお店の名前は「RE−SET」。7月11日オープンで、営業開始は14日の由。

どんな美味しいワインとご飯が食べられるのであろうか、まことに楽しみなことである。(11日のオープンは翌日が佐藤学先生をお招きしてのシンポジウムがあるからあまり遅くまで騒ぐわけにゆかないのが、ちょっと残念)

合気道は新人が続々入会してきて、ずいぶん賑やかになっている。

話を聞くと、甲野先生のご本を読んで「武術の今日的意義に目覚めた」という方が実に多い。あきらかに甲野先生のおかげで日本武道界はゆるやかに盛運期に入っている。まことにその貢献を多としなければならない。先生どうもありがとうございます。

合気道のあと元町の大丸に行って、先回購入してサイズの小さかったワイシャツを交換してもらって、ついでにブルゾン、Tシャツ、ポロシャツなどを購入。

ぱくぱく食べても、ダイエットが奏功して、体重はついに70キロを切って、「夢の60台」に突入した。勢いがついたので、このまま痩せ続けて65キロまで落とすことにする。あと5キロ。

明日は志木合気会15周年でまた東京である。

忙しいね。


6月19日

蒸し暑い日々が続く。晴れ間がないので、洗濯物が風呂場の床にだんだんうずたかくたまってきた。天気に文句を言っても始まらないが、梅雨というのはじめじめして困ったものである。

体調もぱっとしないし、頭もぼわんと濁っている。机にむかってもまったく仕事をする気にならない。ずるずると床を這ってソファーに寝ころんでTVを見る。まったく面白くないので、二秒おきにザッピングする。

どうしてこれほどつまらない番組をこれだけの金と手間暇をかけて膨大なエネルギーを蕩尽しながら放映しているのか、私には日本のTV関係者とそのスポンサーたちの意図がまったく理解できない。

遅くとも十年後に民放TVは業態としては消滅するだろうと私は思っている。

TVの現場のことはあまりよく知らないが、「有用有意義な情報」を発見し、選択し、リファインしたかたちで伝達するという「メディア」の本来の使命を自覚している人間はほとんどいないように思われる。

たいした予算も手間暇もかけない番組でさえ、TV局の人間は出演者を「見下す」ポジションにいる。

妙に真剣な顔で機材をチェックしたり、スタッフ同士の打ち合わせに忙しく、いざ収録が始まっても、話の内容を「何も」聴いていないで、音声やライティングや残り時間のことばかり気にしている。

私が一回だけTVに出たとき、ディレクターもカメラマンもタイムキーパーも、みごとにひとりも私の話を聞いていなかった。

彼らは精一杯つまらなそうな顔をして、「オレはお前の話なんかに何の興味もないんだよ。オレに興味があるのは、TVカメラに技術的に破綻なく、決められた時間のあいだだけそこにあるものを映すということだけなんだから。そしてそのことの方がお前の話の何百倍も大切なことなんだよ」という無言のメッセージを全身から発していた。

だとすると、彼らがいじくっているものは「メディア」ではない。

それはTVという名の「物神」である。

だって、「現に伝えているもの」の内容より、「決められた時間分だけ『何か』を放映する」というルーティンの維持の方を優先的に配慮しているんだから。

彼らは自分たちが「何を」mediate するのかには興味がなく、自分たちがmedia「であること」がうれしくてしかたがないのだ。

とんねるずの「みなさんのおかげです」を見ていたら、石橋貴明も木梨憲武も(ちょい役の)ルー大柴も、全員が「出演者」ではなく、「番組制作者」の立場に立つことに固執していた。

彼らはカメラが向くたびに、自分たちには画面に何を映すのか、どういうふうに番組を仕切るかを「決定できる立場にいる」ということを繰り返しショウオフしていた。

おまけにプログラムは芸能人の年収当てクイズとフジTVの女子局アナと高原直泰の「くわずぎらい」対決。

これは実にポストモダン的なメディア状況であると言わねばならない。

このときTV画面に映し出されていたのは、「TV画面に映ることができる人間/あまり映ることができない人間」を差別化する権力はTVがこれを占有する、というメッセージ「そのもの」である。

いまやTVは「このTV番組においては誰が『映るものと映らないもの』を差別化する権力を持つのか、あなたには分かるか?」という問いを間断なく視聴者に向けて投げかけ、答えを促すことをその主務とするようになった。

末期的だ。

TVはいまや「TVに奉仕するメディア」でしかない。

そのようなメディアに集まってくる人々もおそらくは「他人に奉仕すること」より「自分に奉仕させる」ことを優先させるタイプの方々で占められていることであろう。

ある業種に「他人を、自分に奉仕させることが好きな人間」がダマになって集まる、ということがある。(バブル期の銀行、不動産、リゾート開発なんかがそうだ)

それはその業種「ごと」ゴミ箱に棄てられるために集まってくる、ということを歴史は教えている。

なんてことを書いたから、二度とTVから出演依頼は来ないな。(頼まれても、どうせ出ないけど)


6月18日

Y書房というところの編集者からメールが来て、仕事の打ち合わせをしたいという。

ところが、私はその出版社とどんな仕事の約束をしたのかまったく覚えていない。

その方のメールでは執筆予定リストの19番目にちゃんと名前があるそうだが、そのリストもいつどこに公開したものだか探しても見つからない。(ひどい話である)

いずれにせよ、先般宣言したように、ウチダはこのさき、「書きたいものから順番に、十分に時間をかけて書かせていただく」、という方針を貫くことにした。

もとがスカスカ頭から振り絞った必死の作物なのであるから、粗製濫造した日には読むに耐えぬものとなることは火を見るより明らかである。

とりあえず、2003年の残る半年は次のリストの(1)と(2)にしばらく集中する。(3と4は短いコラムだから大丈夫)

「そんなにのろのろされては困る」と言われても、こちらもこれ以上早書きするわけにはゆかない。

というわけで、今日のような失礼がないように、改めて執筆予定リストを掲載しておくことにする。「うちの分が抜けてます!」という編集者は至急ご連絡下さい。

(1) 国文社、『困難な自由』

(2) 海鳥社、『レヴィナスとラカン』

(3) 岩波書店、『応用倫理学講座』セックスワーク論

(4) 白水社、『レヴィナス』

(5) 未定、『街場の現代思想』

(6) 講談社メチエ 『道徳論』

(7) 文春新書、『レヴィナス入門』

(8) 文春新書、『ユダヤ文化論入門』

(9) 文藝春秋、『おじさんの系譜学』

(10) 新潮新書、『・・・』(題名、忘れた・・・)

(11) 晶文社、『邪悪なものの鎮め方』

(12) 本願寺出版社、『寝ながら学べる浄土真宗』

(13) ちくま新書、『葬制論』

(14) 角川書店、『性愛論』

(15) 柏書房、『おじさんの光』

(16)青春出版、『哲学のレッスン』

(17)講談社、『高校生のためのブックガイド』

(18)医学書院、『ケア本』

(20)世界思想社、『レヴィナスを学ぶ人のために』


6月18日

気候が悪いせいと、疲れがたまっているせいで体調不良。

6月って、毎年そうだけど。

月曜には発熱、火曜にはメバチコが出来て、水曜には肩がうずく。

寸暇を惜しんで、ひたすら眠るばかりである。

三軸自在の三宅先生のお見立てでは目の疲れで右半身がだいぶ歪んでいるようである。

右の膝が痛んで「運動禁止」を申し渡されたのが一昨年の三月、右の腰部に激痛が走って受け身が取れなくなったのが去年の8月。それから秋に右の鼻が炎症を起こし(まだ治らない)、先月右足首を捻挫して、先週右の上の歯茎が腫れて、昨日右肩が痛み出した。

全体に発症が右に偏っているのであるが、鼻の炎症については三宅先生のご託宣では、鼻の軟骨が右に歪んでいるのが原因とのこと。

これは理由がはっきりしている。

忘れもしない1970年の9月、空手部の稽古(忘れもしない旧駒場第一体育館)で、A井というOBに殴られて鼻を折られたのである。

あ、思い出したらだんだん腹が立ってきたので書くことにする。

このA井というのは卒業してM物産に勤め始めた先輩である。新人サラリーマンのストレスがよほどたまっていたのか、しょっちゅう酔っては駒場寮にやってきて一年生イジメをしていた。

ときどき夜中に叩き起こされて道衣に着替えさせられ、「銀杏並木端から端まで順突き突っ込み」というような無法な稽古を強いられたり、のみたくもない酒を呑まされるので、寮生たちからは蛇蠍の如く忌み嫌われていた。

このA井がある夏の午後、稽古にやってきて、ビールと日本酒を差し入れた。

いくら稽古終了後とはいえ、昼日中、日向に置かれたぬるいビールと日本酒を「呑め」と言われて呑みたいはずがない。一年生たちはがまんして紙コップに注がれるぬるいビールを飲み下していたが、お酒をのめない一年生もいる(みんなまだ未成年なんだから)。

その一年生たちに向かって昼酒で赤く濁った目をしたA井が「先輩のつぐ酒が呑めんのか」としつこく睨み付けるのである。

私はこの男の下司な根性にほとほといやけがさしていたので、隣に坐って呑めない酒を手におろおろしていたK木君の紙コップを取り上げて彼に代わって飲み干し、そのまま床に置いてあった日本酒の瓶をつかんで、A井の紙コップにどくどくと注ぎ足し「おら、干せ」といつものA井の声色で凄んでみせた。

A井は蒼白になってそのままコップ酒を飲み干し、私をねめつけて「よし、組手をしよう」と言い出した。

先輩たちはなんとかとりなそうとしたけれど、私も頭に来ていたので、「はい、やりましょう」と言って立ち上がり、いきなりA井に蹴りを入れた。昼酒に酔って足元の定まらない新入生のへなちょこな蹴りをA井はあっさりかわし、右正拳を私の鼻面に叩き込んだ(A井は二段、私はまだ級外であった)。

私はその一発で失神してしまった。

先輩たちの「ウチダ、とんでもないことをしてくれたな・・・先輩に手を出したら、もう部にはおられんぞ」と私をかついで寮に戻るときの愁訴だけが断片的な記憶の中に残っている。

私は退部処分となり、数日後に駒場寮の空手部室から荷物をまとめて出ていった。そして、この世のあらゆる「体育会的なるもの」と無縁の人となったのである。

以来、私の鼻の軟骨は曲がったままである。

私が本学の合気道部を「文化系」クラブと称しているのはジョークでもなんでもない。A井に人格的に表象されるところの「体育会」的文化を死ぬまで許さないというウチダの決意の表れなのである。

鼻が詰まるくらいのことは我慢せねばならぬ。

今でも、東大気錬会の稽古で駒場の第一体育館を訪れるたびに私は十九歳の私を駆り立てた青黒い怒りを思い出す。

ウチダはほとんどのことを忘れてしまう人間であるが、ときどきたいへんに執念深い人間にもなる。


6月16日

14日(土)は朝日カルチャーセンターで信田先生との対談。

早起きして、新幹線で東京へ。学士会館に荷物を放り込んでから、新宿住友ビルへ。CCの担当のみなさん、信田先生におめにかかる。(CC的活動は、どこでもほとんど女性職員ばかりである。カルチャーセンターというのは企画者も受講生も主に女性であるところの文化活動なのだ)

信田先生とは初対面である。対談のお相手にご指名下さり、ウチダ本の好意的書評もしていただいているので、きちきちとご挨拶。

著書を拝読したら、信田先生と私は家族についてはほとんど同じ意見なので(「家庭というのは親密さを核にした求心的な共同体ではなく、『そこをいかに傷つき損なわれることなしに通過するか』が喫緊の問題であるような、無理解と非人情をサバイバルの手段とする、離心的な場である」)、対談といっても私は信田先生のご意見に「そうですそうです」とうなずくばかりである。

それだけでは芸がないので、最近の「気づき」であるところの「ご飯あなどるべからず」問題などについて一席。

家族についてはそこを「理想的な場」にしようと努力すべきではなく、「最悪の場」にしないことに持ちうるリソースを投ずるべきであるという結論に会場のみなさんもご同意下さったようである。

会場には甲野善紀先生、名越康文先生、フジイ、海老ちゃん@roland、各社の編集者(医学書院の白石さん、杉山さん、洋泉社の渡邊さん、角川のヤマちゃん、晶文社の篠田さん・・・)で満員御礼。

始まる前に、フジイが入口で呆然としていたので「どしたの?」と訊いたら「空席待ちだそうです」。

飛行機じゃないんだから。構わず全員押し込んでもらう。

対談のあとはインタビューが二つ。

『第三文明』と斎藤哲也さん。

斎藤さんは前にウェブ・マガジンの取材で女学院の合気道の稽古に来たことがある。そのあともあちこちでウチダ本の紹介をしてくれたたいへんありがたい「影の販促功労者」なのである。今度もそういうメディアの取材らしい(たぶん)。

いずれも近著を中心にして、ああいう本がいまどうして必要なのかについてお話する。

斎藤さんの方は『映画の構造分析』10冊お持ちになった。サイン本を「読者プレゼント」にするのだそうであるので、さっそくさらさらとネコマンガをかく。

1時間半も待たせてしまった甲野先生、名越先生、フジイ、海老ちゃんと連れだって新宿の街にご飯を食べにでかける。

今回はフジイの案内で本場のタイ料理。

ものすごい湿度と気温で、東京がバンコク化していた夜であったので、このチョイスは大正解。

トムヤムクン、海老フライ、春雨サラダ、グリーンカレーなどをビールで流し込みつつ貪り食い、名越先生の座談に笑い興じているうちに、なんだかみんなでタイ旅行をしているような気分になってきた。

フジイ、海老ちゃんは甲野、名越両先生を「生で」見られた上、その奇談を拝聴して、たいへんに感激していた。たしかにふつうのOL暮らしをしている限りでは決して聞くことのできない種類のお話ばかりである。また遊びにおいでね。

雨の中、学士会館に戻って、汗と雨でびちょびちょのスーツを脱ぎ捨て、お風呂に入ってウォークマンで志ん生を聴きながら早寝。

翌15日は11時に自由が丘の不二家書店でるんちゃんと待ち合わせ。

お昼はインドカレー(前夜はタイカレーだから、かぶらないのだ)。

食後は「お洒落なカフェ」に行って、歓談。るんちゃんにお仕事の様子などをうかがう。

別れ際に「父の日」のプレゼントとて「胡桃入りあんパン」を頂く。

ありがとね、るんちゃん。父ちゃん涙が出そうだったよ。

るんちゃんにハルクの前のバス停まで見送ってもらってから合気会本部道場で前期最後の多田塾研修会。

いつもの顔ぶれ(今崎先輩が「見学」だったので、この日ウチダは山田、坪井両先輩に引き続き「古参ベスト3」)内古閑ご夫妻も来ている。

すごい湿度と熱気で、呼吸法のときから全身から汗が滴り落ちる。

二年ぶりに膝も腰も痛くない(足首が捻挫してるけど)状態で研修会に出られた。どこにも痛みを感じずに受け身が取れる・・・(涙)この状態に戻れるとは思わなかった。

三宅先生に感謝である。

ぼろぼろになって稽古を終え、多田先生をお見送りしたあと、工藤くん、宮内くんら「多田塾研修会のあとに生ビールを呑む会」といつのも居酒屋へ。

みんな脱水状態なので、1.8リットル入りのピッチャーがあっというまに3杯空になる。

わいわい歓談しているうちに新幹線の最終が近づいてきたので、あわててみなさんとお別れしてばたばたと東京駅へ。

さらに車内でワインなどいただきつつおうちに帰る。

もりだくさんの東京ツァーでありました。

さすがに疲れが出たのか、月曜は朝から発熱。よろよろと休講の電話を入れて、あとはひたすら眠り続ける。

ずっと眠り続けて、起きたら火曜日の午前九時であった。

 

「私の選ぶベスト・フィジカル・パフォーマンス」に次々とメールがよせられているのでご紹介しよう。

 

まずはパリの小野さんから

内田 樹先生

こんにちは。大変ご無沙汰しております。

藤井麗子さんの1学年下で、上西ゼミだった小野佳奈子です。

先日、先生がホームページに書かれていた、「映画の中の人間の身体美」は、私も映画を見る時にいつも注目するポイントです。それで、ちょっとお便りしてみたいと思いました。

先生もすでにあげていらっしゃったハンフリー・ボガードと煙草。私も「カサブランカ」の中で、ボギーが左手で上着のポケットから平たい幅広の煙草入れを取り出し、そのまま片手でぱっと開いて、次の瞬間には右手で煙草を口に持っていった、あの鮮やかな一連の仕草が忘れられません。

ヒッチコックは、人が、特に女性が電話をかける仕草をとてもきれいに撮る映画作家ではないかと思っています。そんなにたくさん見ていませんが。(「サイコ」「裏窓」「鳥」「ダイヤルMをまわせ」「三十九夜」「la femme disparue(フランスで見たので、邦題がわかりません)」くらいです。)「ダイヤルMをまわせ」の中でグレース・ケリーが、受話器を耳に押し当てる仕草は、とても魅力的だと思います。(La femme disparue はおそらくthe Vanishing lady 『バルカン超特急』でありましょう・ウチダ)

「スター・ウォーズ」最新作の殺陣は、先生はどうご覧になりましたか? 私はなかなか決まってるなあと、うっとりしてしまったのですが。でも一般にチャンバラものはよく知らないので、もっといいのもたくさんあるかと思います。

リリアーニ・カヴァーニの「愛の嵐」の中で、シャーロット・ランプリングがジャムをむさぼり食べるところ。ランプリングとダーク・ボガードは、ナチスの残党につけねらわれてアパルトマンに閉じこもり、外に出ると殺されるのでだんだん食べ物がなくなってくるのですが、そのあたりで出てくるシーンです。手でイチゴジャムなんか食べて、それでこんなに美しいとは何事かとびっくりした覚えがあります。(名越先生も印象に残る身体運用として『座頭市』の勝新太郎の「おにぎりを食べるシーン」をオススメでした。手でものをむさぼり食べる場面というのは、どこか私たちの心の琴線に触れるのかも・ウチダ)

(シャーロット・ランプリングですが、最近フランソワ・オゾンのカンヌ出品作Swimmingpool を見ました。日本ではもう公開されたのでしょうか。結構面白かったです。「あれはあざとい」と思う人もあるかもしれませんが、私は、プールの水面に反射する光がなかなかきれいに撮れていて、さわやかな後味の良い作品だったと思います。)

結局なんだか月並みですが、とりあえずあげてみました。

それでは、先生もお忙しそうですが、どうぞくれぐれもお体には気をつけてください。

小野 佳奈子

はい、小野さんどうもありがとう。小野さんは今パリで博士論文の準備中の由。がんばってくださいね。


6月11日

やっほーのオフ日なので、「お買い物」&映画の一日。

三宮大丸でアルマーニの夏のスーツとシャツと靴とデッキシューズを購入。

私は年に二回(初夏と年末)しか買い物をしない無精な人間なので、ここを先途と買いまくる。

三軸自在の三宅先生のおかげで体重が4キロ減って胴回りもだいぶ涼しくなった。

(ふふふ、あと6キロ。65キロまで減量するぜい。刮目して見る可しわが痩身)

だから、上着を肩幅胸囲で合わせるとパンツの胴回りは5センチも縮めないといけないのさ。(「さ」ににじむ自慢)

映画は『マトリックス・リローデッド』(私は「あの手の映画」だけは映画館で見ることにしている)

もちろん事前にすべての映画評はシャットアウトして、あらすじもみどころもバックステージ情報も何も入れず「タブララサ」状態で見る。

やはりユエン・ウー・ピンのコレオグラフィーのすばらしさに尽きる。

「しなう身体」の美しさを堪能。

人間の身体って、ほんとうにきれいだなあ。

一瞬停止して、リアルスピードに戻る、という仕方で「しなう身体」を見たい、という素朴な欲望に「痒いところに手が届く」的に応じてくれるサーヴィス精神に感動。

ストーリーラインとか構造分析なんか、もうどうだっていいよ。

ウチダは「こういう映画」を断固支持する。

そして、この映画的愉悦の原点にあるのは香港カンフー映画(ブルース・リーの超常的身体能力とツイ・ハークのオタク的わくわく感)なんだよね。

『マトリックス』シリーズはおそらく中国でもロシアでもアフリカでも中近東でも、世界中で支持されると思う。テーマとかメッセージとかいう水準ではなくて、「人間の身体の動きの美しさ」に対する私たちすべてに共通する素朴な感動のゆえに。

ただ、それでも映画的技巧が可能にする高揚感は『燃えよドラゴン』におけるブルース・リーの動きや、『荒野の七人』で酒場のカウンターを飛び越すときのスティーヴ・マックイーンの飛翔のゆるやかさや、「起こりのない」立ち方をするジェームス・コバーンが与える感動には及ばない(スティーヴ・マックイーンとジェームス・コバーンはブルース・リーの「弟子」なんだ、そういえば)。

ベン・ジョンソンの乗馬術、三船敏郎の操剣術、フレッド・アステアの階段の降り方、ケーリー・グラントの服の脱ぎ方、アラン・ドロンの帽子の脱ぎ方、クラーク・ゲイブルのネクタイのゆるめ方、ハンフリー・ボガードの煙草の吸い方、菅原通斉の猪口の扱い方、佐田啓二の靴の脱ぎ方・・・そういう「身体操法の美」を体系的に研究する人っていないのだろうか(いるわけないよな)。

ならば私がやるしかないか。うーむ。これはライフワークになりそうだな。

『マトリックス・リローデッド』ではキアヌ・リーヴスの「キスの仕方」が一つの「芸」として前景化していたから、こういうアプローチって「あり」だな。やはり。

というわけで突発的に全国の映画ファンにご提案。

「私の選ぶベストパフォーマンス・身体操法編」。どの映画のどのシーンで、誰の身体の遣い方にあなたは「美的な完成」を見たか、お知らせ願いたい。(これはけっこうまじめな提案である。それを収集して「映画に見る身体的美」という論考をまとめようというのだ、私は)


6月10日

ゼミで「食べ物」の話をしたら、大学院は「家族」の話。

この二つの論件のあいだにはなかなか深い繋がりがあるような気がする。

「個食」ということばをしばらく前からときどき見かけるようになった。一人でご飯を食べることである(私もほとんどの場合「個食者」である)。

これと対になる概念は「会食」だろう。(「共食」でもいいんだけど、「ともぐい」と読まれると困るしね)

「会食」は共同体を基礎づけるもっとも基幹的な儀礼である。あらゆる集団は共同性の打ち固めのために、集団成員が集まり、食料と飲み物を分かち合うという儀礼を有している。会食儀礼を持たない共同体はおそらく存在しない。

個食者の増加と、家族の解体はだいたい同時並行して進行しているように思われる。

「そんなの当たり前じゃないか。家族がばらばらになったら、食事だってばらばらになるのは」と言う方もおられるであろう。

もちろんその順序でことが起きたのであるなら、その通りである。

しかし、私にはなんだかことの順逆が逆のような気がするのである。

「会食」の習慣が廃れたことによって、家族はゆっくり解体し始めたのではないか。

「会食」を空洞化した最初の契機は「TVみながらご飯」であると私は思う。

私はTVを見ながら(あるいはラジオを聴きながら、本を読みながら・・・)何であれおよそ「ながら」食事をすることを厳禁する家庭に育ったので、高校生のころ、友人の家で、家族全員がTVを見ながら食事をしている風景を見たときのショックは大きかった。

誰も食べ物を注視していない。全員が無言で、TVの画面をみつめており、たまに誰かが「石川さゆりも老けたわね」(@小田嶋隆)というようなコメントを小声でつぶやくのであるが、それに返答するものとていないのである。

「TVを見ながら会食」というのは、おそらく主観的的には「祭儀をしながら会食」「歌舞音曲を楽しみながら会食」という人類学的活動の「今日的表現」として了解されているのであろう。

しかし、根本的な違いがある。

それはTVの中にいる人間は家族の一員ではない、ということである。

だから、TVの中で歌ったり踊ったり説教をしたり祈りを捧げたりしている人間に「共感」することで、TVを見ている人間たちが一つに結びつくということは原理的に起こり得ない(起こり得るとしたら、家族全員が同じ宗教の信者であって、その「教祖様の説教」を見ている場合や、家族全員が同じ政治党派の活動家であって、その「党首さまの演説」を拝聴している場合に限られるであろう)

むしろ人々は、TVを見ている隣の人より、TVの中の人間とのあいだに、より強い「共感」を感じてしまう、ということはないのだろうか。

TVの中にいる人間は、家族の一員ではない。

しかし、石橋貴明はどう見ても隣でぼりぼりタクアンを囓っている父親よりも「オレの気持ちが分かっている」というふうに14歳の少年が感じることはとどめがたい。

TVは「外部へ通じる窓」であると同時に、家族の「会食」儀礼が集団統合的に機能することを根本的なところで阻害する装置であるに私には思われる。

会食がなぜ大切か。あるいは、どうして恋人同士はデートのときに「とりあえず、何か食べる」のか。

それは、会食が「愉しい」からではない。(ほとんどすべての場合がそうであるように、ここでも原因と結果を私たちは取り違えている)

そうではなくて、人間関係が愉しいと「ご飯が美味しい」からである。

私たちは「愉しい人間関係を取り結んでいる」という事実を身体的に確認するためにいっしょにご飯を食べるのである。

私たちは自分のかたわらにいる人間をほんとうは自分が愛しているのか愛していないのか、尊敬しているのかうんざりしているのか、畏怖しているのか嫌悪しているのか、「頭では」判定することができない。

それは身体の仕事である。

嫌いな人間と並んで食べていると、大好物のカツカレーも紙のような味しかしない。

だから、「大好物のカツカレーを食べても、紙のような味しかしない」ような気分にさせる相手は、あなたが今後できるかぎり関わりを避けるべき人物である。

あこがれの人と初デートをして、いっしょにご飯を食べていたら「食欲がまったくなくなった」という場合、その相手は「あなた向きではない」ということを「身体が」予言しているのである。

逆に、知り合って日も浅いのに、いっしょにご飯を食べていると何だかやたらに美味しく感じる人というのは、これから先もずっと愉快なご縁のある方である。

「いっしょにご飯を食べる」というのはリトマス試験紙のような検知装置である。

いっしょにご飯を食べていて、美味しければ、その関係はグッド。不味ければバッド。

まことに分かりやすい。

カップラーメンでも、「その人」といっしょに食べていると山海の珍味より美味と感じられたら、「その人」はあなたにとって大切な人なのである。満漢全席(古いたとえですまぬ)でも、「その人」といっしょに食べているとマクドの59円ハンバーガーよりまずい、という場合は、「その人」はあなたにとっていずれ無縁の人なのである。

だから、家族はいっしょにご飯を食べる。

いっしょに美味しいご飯を食べて共同体の絆を深めるためだけではない。

「そろそろ、この家も出て行く頃合いかな・・・」ということを察知する「飯のまずさ」という正確無比なる指標をチェックする、それが機会でもあるからだ。

いっしょにご飯を食べていて、「不味く感じたら」、それは「そろそろ、この場もお開き・・・」という予告信号である。

だから、人々は食事のときにTVを見る。

どうしてかって?

もちろん、ご飯の味を分からなくするためである。

自分が「いてはならない」場にいるという事実の認知を一日延ばしにするために、人々は見たくもないTVを凝視し、面白くもない新聞を読み、「オレ、飯いらね」と階段を駆け上がり、「ご飯、パス」と玄関から駆け出るのである。

そうやって人々は「ご飯が不味い」という事実から必死に目を背けているのである。

げにご飯軽んずべからず。


6月9日

夜更かし朝寝坊の癖がついてしまった。

もともと朝からゴキゲンで仕事をがんがんするけれど、日が傾くと、まるで仕事をする気がなくなってしまうタイプなので、こういうライフスタイルだと生産性があまりよろしくない。

朝御飯を食べる習慣をなくしたのも関与しているのかも知れない。

「ああ、お腹が減った、さあ、何を食べようかな・・」とはね起きる動機づけが失われたわけであるから、いきおい「起きる意欲」というものに若干の翳りがさすことは避けがたいのである。

コーヒーを呑みながらぼうっとした頭でとにかく仕事にかかる。

とりあえず洋泉社の原稿が書き上がる。

これにて「四冊目」。

この原稿は夜ワイン片手に書いた原稿を大量に含んでいるので、何を書いたのか私自身もよく覚えていない。ぱらぱらとスクロールしてみたが、書いた覚えのないような文章がたくさんあって、「ほうほう」と興味深く読む。

うーむ、なるほど。そういう考え方もありか・・・おや、これはまたずいぶんと大胆なことを・・・と自分の文章を読んで、ひとりでリアクションを入れる。

まだ題名を決めていない。『規矩と型な』は内容とだいぶずれてしまったので、不採用。(これと『墓石に、と彼女は言う』は駄洒落タイトルの中では出来がよいものであったので残念である)

すると文春の嶋津さんからお電話。

『私の身体は頭がいい』を文春文庫に入れたいのですが・・というオッファーである。

新曜社さえOKなら私に異存のあるはずもない。

ついでに『ユダヤ文化論』の原稿はいつごろいただけますかとにこやかなお声でお問い合わせ。

いつごろと言われても・・・

このあと洋泉社の『説教本』と角川の『ため倫増補改訂版』とジジェクの訳書と、あと三つ本が出るのである。

来週からはレヴィナスの『困難な自由』の翻訳と海鳥社の『レヴィナスとラカン』にとりかかり、岩波のセックスワーク論と白水社のレヴィナス論を書いて、甲野先生との対談本を仕上げる。

これらの仕事が順調に進んだ日には、うっかりすると年内にさらにもう一二冊は出てしまうかも知れない。

いくらなんでも出しすぎである。

天才大瀧詠一にして3年間にアルバム11枚なのに私は2年間に11冊である。

「まだ前に頂いた本を読み終えないうちに、次の本が届いてしまいました」という悲痛な声が献本のあてさきからすでに次々と寄せられているところに、また明日あたりその次の本が届いてしまうのである。

受け取った人々の笑いがこわばり、しだいに倦厭感といらだちが募り、やがてそれがウチダに対する憎しみに変わってゆくことは人情としてとどめがたいであろう。

しかし、だからといって、献本を差し上げることをこちらがご遠慮すればしたで、「なぜウチダくんはぼくのところに新刊を送ってこないのかね? 何かね、読みたきゃ自分で買え、と、こういうわけかね。ほほほ、ずいぶんウチダくんも偉くなったじゃないか。いや、ご立派なことで」というような事態を招来する危険もまったくないとは言えないのである。

まことに八方ふさがりである。

書かなければ編集者が怒り、書けば読者が怒る。

書かなければ暇でしょうがないし、書けば忙しくてしようがない。

まことに世の中というのはうまくゆかないものである。


6月7日

公開講座「これで日本は大丈夫?」。

久しぶりの講演であるので、二三日前から、「何をしゃべろうかなあ・・・」と気にかかっていた。

何も考えずにごろごろしているうちに平川君が遊びに来た。

ふたりでわいわい騒いでいるうちに、「そうだよねー」と意見が合った話は、少なくとも私以外にもう一人同調者がいるわけである。そうであれば、私ひとりの妄説よりは共感していただける可能性が高い。

というわけで、ドラッカーの「好天型モデル」から「悪天候型モデル」へのシフトとか、「ポストバブル期」のビジネスであるとかいう、おとといの夜仕込んだ請け売りネタを「つかみ」に使わせて頂くことにした。

「同罪刑法的思考」に基づく戦争責任戦後責任「清算」論は無時間的モデルだから、そこに時間的ファクターを入れ込まないと、結果的にはナショナル・アイデンティティを強化するばかりである、というネタは(ずいぶん自信たっぷりにしゃべっていたが)、昨夜12時ころに洋泉社の原稿を書いている最中に思いついた新ネタである(どういう話か知りたい方は秋に出る洋泉社の本を買って下さい。これはけっこうごりごりの政論集)。

聴衆には江さんやドクター佐藤はじめ大学院の聴講生諸君がぞろぞろいらしているので、教室や宴会でしゃべったネタは使えない。結局「この二三日のあいだに思いついた未公開ネタ」をつないでゆくしかない。

まことに「綱渡り」的なパフォーマンスであるが、それでも、フレンドリーなオーディエンスであったので、気分よくしゃべることができた。

思いがけなく、中高年女性の聴衆が好意的なリアクションをしてくれる。

この世代の女性たちというのは、生活実感になじまないものは絶対信じないという点で、きわだってリアリスティックな批評者であるので、この層に受容されるということはたいへんにうれしいことである。

朝早くから岡田山に登って来て下さったみなさんに心から感謝します。どうもありがとうございました。

講演後、芦屋に移動して、合気道のお稽古。

暑い中、たくさんの人たちが来てくれる。

「浮き」をかけて、不安定な状態から自在に動くというこのところの術理をいろいろと試してみる。

大汗をかいて家に戻ってシャワーを浴びて、ただちに下川先生のところで能のお稽古。

先生と差し向かいでたっぷり2時間。

仕舞のおさらいと謡は『井筒』(よい曲である)。

来年の私の舞囃子は『融』と決まる。

「源融」というのは「光源氏」のモデルになった人である。

これまで「清経」とか「船弁慶」とかどろどろ修羅系のキャラが多かったウチダであるが、下川先生は来年は正統派ボ・ギャルソンであるところの「融」の役を振って下さった。

誤解している方が多いようだが、これこそがウチダの本来の「地」なのである。おそらくたいへん出来のよい舞台になるものと観ぜられる。

謡のバイブレーションで気分がよくなったところで家に戻って、ドクター佐藤の岩手土産の「冷麺」(美味なり)と部屋見舞いの「からすみ」(これまた美味なり)を食べながら白ワインを飲みつつ、『ブリジッド・ジョーンズの日記』を見る。

レニー・ゼルウィガー、ちょっと太めだけど、とっても可愛い。

『アメリ』の子やヒラリー・スワンクにどことなく通じる「軽いボケが入った」キャラクターである。

「女はかくあるべき」的なさまざまの定型から「微妙にずれて」しまっていて、ジェンダー的ニッチのどこにも、うまいいどころが見つからないよ・・・という感じでちょっとおろおろしている女の子というのがウチダは個人的には好きである。

本来文学は、こういう「ジェンダー・ニッチのはぐれもの」の当惑を描くことを得意としていたはずである。(『赤毛のアン』とか『若草物語』のジョーとか『ジェイン・エア』とか『嵐が丘』のキャサリンとか・・枚挙にいとまがない)

それに対して映画はこれまでむしろ積極的に「定型的な女性」を描いてきた。

定型をはずれていて、かつたいへん魅力的な女性像の造型に成功した映画作家(小津安二郎における原節子!のような)がどれほどいるだろう。

それが映画で成功しつつあるということは、「映画の文学化」というふうにまとめることができるのかも知れない。

一方、ヒュー・グラントは芸風をシフトして、「イギリス上流階級特産ダメ男」の様式的完成を見たようである。すばらしい。(そういえば、ルパート・グレイヴス@『眺めのいい部屋』はどうしたんだろう。「ダメ男」の未来を一瞬彼とダニエル・デイ・ルイスに託したこともあったんだけど・・・)

この味はアメリカの男優ではなかなか出せる人がいない。さすが大英帝国。


6月6日

平川克美くんが遊びに来る。

平川君は私のホームページではもうおなじみだが、私の小学校五年生からの親友であり、ついにご友誼をたまわること42年となった。

42年とはすごいね。

そのあいだ、いっしょに壁新聞を出し、同人誌を出し、ビジネスをし、武道の稽古をし(平川君は松濤館空手の最高段位五段を允可されている)、今でも顔をあわせるといつも「だいたい同じようなこと」を考えている。

私も平川君も(他人の話をあまり真剣に聞かないという点をのぞくと)温良で社交的な人物であるので、それぞれに「話の合う」人間は決して少なくないが、「同じことを考えている人間」というのはさすがにいない。

私と平川君はだいたいいつも同じことを考えている。

だから、私の書くことのかなりの部分は平川君から聞いた話であり、平川君が書くことのかなりの部分は私から聞いた話である。

ところが、私が「平川君から聞いた話」だとおもっていた話について確認を求めると、平川君は「そんなこと言ったかなあ」と天を仰ぐし、平川君が「私から聞いた話」だとおもっていることのうちには「言った覚えのないこと」が多数含まれている。

まあ、どっちがはじめに言ったとか、そういうことはどうでもいいよね。

前にも書いたけれど、私がコミュニケーションの可能性についてきわめて楽観的な人間であるのは、少年時代の早い時期に「言いたいことがすべて伝わる」親友というものに出会ってしまったことがおおきく関与している。

もし平川君に出会っていなければ私はもっとコミュニケーションの可能性について懐疑的な人間であったろうし、その分だけコミュニケーションに対する熱意の低い人間、コミュニケーション感度の悪い人間になっていただろう。

私がこれだけ「おしゃべり」な人間になったのは平川君に出会ったことが決定的に影響している。

だから当然にも平川君もまた「口からでまかせ」能力については私に一歩も引かないのである。

今回の来阪は、大阪駅北口の貨物駅跡地の再開発企画のためだそうである。

レストランとかブティックとか作ってもぜんぜん面白くないから、もっと文化的なものをやろうと思って、平川くんはスタンフォードかUCLAかどこかのセクションをひとつまるごと大阪に誘致する計画を練っているそうである。

大阪は外国人に対してたいへんフレンドリーな街であることは私も認めるが、平川君の構想のような「知のハブ」になりうるかどうかについてはよく分からない。

「なんやて、ハブの血? 吸うたろやないか」というようなボケをかますやつが絶対いるからね。

面白かったのは村上春樹の『1973年のピンボール』の話。

ご存じのかたもあるかと思うが、『ピンボール』の主人公「僕」とその友人は1970年代のはじめに大学を卒業したあと仕事がないので、渋谷の道玄坂に小さな翻訳会社を創設する。

『ピンボール』はそこで起こるちょっと不思議な出来事を点綴した物語なのであるが、1975年に平川くんと私が大学を出た後仕事がないので、渋谷の道玄坂に小さな翻訳会社を創業したとき、道玄坂に翻訳会社なんかうち一軒しかなかった。

どうして、村上春樹の小説世界と私たちの現実のあいだに「シンクロニシティ」が生じてしまったのか。

理由はうまく言えないが、「こういうこと」ってあると私は思う。

村上春樹が小説を執筆したのは、私たちが仕事をはじめたよりかなり後のことだけれど、別にアーバン・トランスレーションをモデルにして書いたわけではないと思う。(平川君はあちこちで「あれはアーバンがモデルなんでしょ?」と訊かれたそうだけど)

平川君と私がわいわいおしゃべりをしたときの「思い」というか「響き」のようなものが、非時間的な次元をぼんやりと浮遊していて、それを村上春樹の作家的想像力のアンテナが受信した、というふうに考える方がずっとすてきだ。

というようなことをシャンペンを呑みながらおしゃべりする。

遠方より来る友と酌み交わす時間はほんとうに豊かである。


6月4日

昨夜は演習のあと、院生諸君と軽くビールを飲むつもりが、ウッキーにアスパラを持ってきた「株屋の美女」小林女史、(院生たちに熱狂的ファンを獲得した)ドクター佐藤、さらには仕事帰りの江編集長までもが参加されて、「プチ宴会」のはずが「怒濤の宴会」となってしまった。

お酒を飲むときはつねに「今日はほどほどにしておこう」という決意とともに飲み始めるのであるが、盃を重ねるにつれて、そのような決意は必ずやあとかたもなくかき消えてしまうのである。

酔っぱらうときの最初の徴候が「酔っぱらうことについての自制の念」の消滅であるというのが飲酒という習慣の最大の難点なのであるが、寡聞にして古来この難問を解いた人のあることを知らない。

というわけで、よろよろ起床する。

本来であれば、オフの水曜日には早朝からきちきちと明窓浄机に端座して、締切の近い原稿をかたはしから書き上げる予定であったのであるが、脳がぼわんとしているので仕事にならない。

パソコンを立ち上げるとメールが27通来ている。そのうち早急の返信を要するもの9通に返信をしたためるとすでに日は中天にかかっている。

二日酔いのときは「大量の液体を含む食物」を身体が欲するので、とりあえずおそばを食べる。

おそばを食べたら眠くなってきたので、ベッドに戻って昼寝。

一時間の昼寝を終えるとさすがに頭がだいぶまともに機能し始めたので、筑摩書房から頼まれている内田百鬼園先生の文庫版集成の「あとがき」のためにゲラを読む。

実に面白い。

わくわくしながら読み進むうちに三宅先生とのお約束の刻限となる。

今日は大阪の曲直部クリニックで膝のレントゲンを撮って貰う約束である。

三宅先生運転の車で本町へ。

レントゲンを見ると右膝の半月板の損傷はほとんど消えている。嚢腫もない。

「膝は問題ないですね。もうどんな運動をされても大丈夫です」と曲直部先生に太鼓判を押して貰う。

やれやれありがたや。これで来年からは極楽スキーに復帰できる。

二年前に右膝を痛めたときには、外科医から「もう一生運動をしてはいけません」と宣告されたのであるが、曲直部先生のご診断では、医者の禁止命令を無視して合気の稽古を続けていたせいで、膝への負担を減らすために腿の筋肉が発達したのがかえってよかったのかもしれません、ということであった。

もちろん、直接の理由は三宅先生の三軸修正法の劇的効果である。

三宅先生にお礼を申し上げつつ芦屋まで送っていただく。

まことに「会うべき人」に「会うべきとき」に会えたわけである。

もとはと言えば『寝ながら学べる構造主義』という本を書いたことから始まった三宅先生とのご縁である。そのもとは文春の嶋津さんという名編集者に出会ったことであるし、そのもとは内浦さんが『ためらいの倫理学』を本にしてくれたことであるし、そのもとは増田聡さんがホームページで私の文章を「絶賛」してくれたことにある。

そのさらにもとを辿れば、インターネットの発明やパソコンの発明・・・ということになるわけで、無数の「ご縁」の糸がよりあわさって今日ただいまウチダの膝は回復したのである。

まことにありがたいことである。

感謝の揉み手をしつつ帰宅し、サラダと刺身で夕食を済ませ、阪神の勝利をTVで確認してから、ウィスキー片手に百鬼園先生の「あとがき」をさらさらと書く。

大好きな作家をほめまくる文章を書くというのはまことに愉快である。

それで原稿料が頂けるのであるから、物書き商売もなかなか止められない。


6月1日

下川正謡会大会無事終了。

無事と言うのはちょっとはばかれるけれど。

素謡『正尊』のツレではじめて裃をつけて舞台に出た。

世に「カミシモつけて」という語法が存在するように、裃を付けるとがちがちに緊張してしまうのである(裃付けてやるのは「重習い」という特殊な曲だけなのである。ウチダははじめて)。

というわけで、素謡で舞台を踏むのは6回目なのだが、はじめて終わったあとに足が死ぬほど痺れて、立ったところでこけてしまった。

つねづね下川先生に「足が痺れたときには、感覚が戻るまで立ち上がってはいけない」とうるさいほど注意されていたのであるが、「もう大丈夫だろう」と思って立ち上がったら、ふらついてしまった。

ごき。

げげげ足首を捻挫してしまった。

こんなどじを下川先生に知れたら死ぬほど怒られる。

4時間後に舞囃子『船弁慶』がある。

一年間稽古してきた舞囃子を足首の捻挫ごときで棒に振るわけにはゆかない。

人目を忍んで、近所の薬局に行って冷却スプレーとバンテリンを購入。患部にじゃかじゃか投薬する。

あとは私の「トカゲの生命力」に頼るしかない。

神さま仏さま、私の足首10分間だけ動かして下さい。

朝一番で湊川神社に参拝して「無事に舞囃子ができますように」と必死で祈願した甲斐あって、本番前に嘘のように痛みが引く。

課題の拍子も、下の舞台で一人でお稽古していたときに太鼓の三島元太郎先生がにこにこ笑ってやってきて、「こっちも思い切り大きな声で『ほおお』って言ってあげるから、そのあと『トン』で『ドーン』ね」と何度もリハーサルしてくれた。

なんとご懇篤な方であろうか。

出番前は藤谷音彌先生がすごくフレンドリーに話しかけてくれる(藤谷先生は街レヴィ派総帥橘真さんのお友だちなのだ)ので、すっかりリラックスする。

素知らぬ顔で本番の舞台を踏む。

おそらくアドレナリンが「ばーん」と出たのであろう。舞台の上ではまったく痛みがない。

やれ、ありがたや。

「何だ、治ってたんじゃないか」と思ってへらへら楽屋に戻ったら、いきなりぐきぐき痛み出した。痛いよー(しくしく)。

猛省。

「ここ一番」というときに一瞬の油断のせいで万全のコンディションで場に臨めないような状態になるとは、武道家として恥ずべきことである。

深く反省。

懇親会で帯刀先輩から「私も昔、足の痺れで舞台でよろけたことがあって、それ以来、決して痺れを侮らないようになった」という貴重なご教示を頂く。

私も二度とやりません。

という反省の多い一日であったが、実に多くのみなさまに来ていただいた。

遠く丸亀からお越し頂き(お部屋見舞いありがとうございました)守さん(怪しいビデオありがとうございました。さっそく拝見)、遠く滋賀からお越し頂き(お部屋見舞いありがとうございました)鵜野先生、遠くオーストリアから来ていただいた(わけじゃないと思うけど)デヴリン先生、朝一番から来てくれた神吉くん(デートはうまくいきました?)、おひさしぶりの橘さん(ジャックはいつ開店ですか?)、『ミーツ』の青山さん、いつもすいませんドクター佐藤はじめ街レヴィ派のみなさま、毎年どうもの平山さん溝口さん、また明後日ねの渡邊さん大迫さん角田さんそしてミヤタケ&ウッキー、ゼミ生の見満さん&お母上、そのほかご挨拶の機会がなかった方々もおられると思いますけれど、みなさんほんとうにありがとうございました。

また来年も湊川神社でお会いしましょう!