五月の鯉の吹きなが思想家の冒険

Les aventures d'un penseur sans fond: depuis janvier 2003



8月31日

三宅安道先生のご案内で、信州の池上六朗先生をお訪ねする。

池上先生には、7月末の芦屋での三軸修正法講習会でお会いして以来であるが、またゆっくりとお話をうかがう機会を楽しみに待っていたのである。

昼過ぎの新幹線で三宅先生とご一緒に新大阪発。名古屋で中央線に乗り換えて木曽の山の中を松本へ。松本駅には、先生とそもそも最初に池上先生にウチダ本をご紹介下さった最上浩さんがお迎えに来て下さっている。そのまま車で白馬村へ。池上先生がご愛用のプチホテル Bas Breau に投宿。

このホテルは自家製の野菜を使ったフレンチで有名なところだそうである。

さっそく池上先生の奥様もまじえて、生ビールで乾杯。そのままルイ・ジャドに突入。

お肉や魚も美味しいけれど、野菜がほんとうに美味しい!

身体の芯まで届くような「生命感」がある。取りたて野菜って、ほんとうに「生きている」ということがよく分かる。

生き物をこうやってばりばり食べて、なんと人間とは罪深い存在なのであろうと改悛しつつ「おいしいおいしい」と野菜を食べる。

 

座談の中心ははじめてお会いする最上さん。

池上先生のご紹介が「彼はね、皇族とやくざの親分と両方を診ている、めずらしい人です」というものであった。

さっそく御所の中でどんなふうに人々は暮らしているのか、日本最大のやくざ組織の一つであるS会の総長というのがどんな人物であるかといったきわめて興味深い論件についてのインサイドレポートが語られた。

最上さんがやくざの生態にたいへんお詳しいのは、ご自身の「現役」時代に池上先生の門を叩き、何年か修業されたあと、総長に「堅気になりたいのですが・・」と申し出られたところ、最上さんの技術を高く買われていた総長が「指つき」での退職を許可してくれたという経緯があるからなのである。さらにその前歴は「赤ヘル」というまことにシクスティーズにしてストリート・ファイティング・キッズ的な青春を送られた波瀾万丈の方なのであった。

このような方の辱知の栄を賜り、抱腹絶倒の内輪話を伺うというのは、なかなかふつうに大学の教師をしているとかなわぬことである。これも三軸自在の効用。

今回は池上先生との対談本の打ち合わせを少ししておこうと思って伺ったのであるが、最上さんの話があまりに面白かったので、こちらの仕事の話は、「では、そういうことで、よろしく」というだけで終わってしまった。

池上先生の『カラダ・ランドフォール−三軸修正法の基礎』は版元の柏樹社がなくなってしまい、今は絶版状態なのだが、今度BABに版元を移して再版されることになった。その「推薦文」を池上先生から頼まれる。たいへん光栄なお仕事であるので、喜んでお引き受けする。

最上さんの座談こそそのまま出版したいくらいなのだが、皇室とやくざのインサイドストーリーでは命がいくつあっても本にはできない。食後のウイスキーなど喫しながら、「ここだけの話」で「おおおおお」と盛り上がるしかないのである。

深更に及ぶまでわいわい呑んでいたので、翌朝はサバ目。

それでも美味しい朝御飯をいただいているうちにまた元気になってきて、お昼近くまで歓談。そのあと雨の中を松本に戻り、アルプスを望む涼しい診療所で、三宅先生ともども池上先生に治療を受ける。

池上先生ご夫妻のご案内で松本駅近くのフレンチへ。ここでまた日の高いうちから生ビールにベネチアワインを頂きながら、サーモン、フォアグラ、ラムなどを爆食する。

四食、おなかがはちきれるほどごちそうになり、持ちきれぬほどお土産をいただいて家路につく。

ご歓待下さった池上先生、奥様、最上先生、そして「プロデューサー」の三宅先生、どうも愉快な休日を過ごさせて頂きまして、ありがとうございました。今度は10月に赤ワインを手土産に鴨を食べにいきます。


8月28日

大学の研究室に行って、ホームページを更新。

家のG4と研究室のG3が行き違いになっているので、ホームページの体裁がいまいちまとまらないけれど、なんとかたまったテクストをアップする。

ばたばたと芦屋に戻って、今日はM新聞社の編集者とお仕事の話。

もとより新しい仕事を受ける余裕はないのであるが、もう仕事を断っても受けても、「できるものはできるし、できないものはできない」という涼しい解脱の境地に達しているので、のんきなものである。

今回は珍しく『おとぼけ映画批評』の単行本化の企画である。

『おとぼけ映画批評』は私の最も愛するテクストなのであるが、これまで提案したすべての出版社が「映画批評は、ちょっと・・・」とリジェクトされ続けてきたのである。

先方に使えそうなテクストを選んでもらって、ちょこちょこと書き足せばよろしいというのであれば、私としては願ってもないことである。

ついでに出版社未定で進行中の他の企画を売り込む。

昨日、突発的に新企画は旧友平川克美君とのインターネット往復書簡『東京ストリート・ファイティング・キッズ』(仮題ね)を思いつく。

D書房さん、これ私の(永遠に書けそうもない)「自伝エッセイ」より原稿ができる可能性高いですよ。これに替えません?

中央公論の秋の号の表紙が甲野先生なので、そのキャプションの原稿800字を書く。こういう仕事は楽しい。

『ミーツ』と『キネマ旬報』のゲラが出たので、その校正。『ミーツ』の担当編集者はいつのまにか、私のゼミの聴講生の「だいはくりょく」君に交替している。『ミーツ』の江編集長にうちの教室でスカウトされたらしい。何をするのもすばやい江さんである。校正のついでに、『ミーツ』連載中の「続・街場の現代思想」の六回目の原稿を書く。

原稿書きの隙を縫って床屋に行って、髪の毛を思い切り短くカットしてもらう。

ウチダ家は遺伝的に毛が濃いはずなのだが、最近地肌が透けて見えるほど毛が細くなってきた。年だから仕方がない。でも、どうせなら、これまで半世紀ろくに太陽に当たっていない地肌にたっぷり陽光を浴びせてあげようと、かりかりに短くする。

帰ってからレヴィナス論の続きを書く。

「レヴィナス/ラカン論」という構想で始めた原稿であるが、とてもじゃないけど、この二人をまとめて論じるには1000枚あっても足りないことに気がついて、ラカン、フロイト、ハイデガー、フッサールの四人を参照しつつレヴィナスを解釈するという方向に方向転換。

これならあと二週間くらいでなんとか目鼻がつきそうである。やれやれ。

この一週間ほどはずっとレヴィナスのアナクロニックな時間論について書いている。

三日前のK−1のムサシ選手との短い対話の中で、「やっぱり、そうか」と何かが腑に落ちたのである。なにが「そうか」なのかは、まだうまく言葉にならないけれど。

仕事を終えて、みなさんオススメの韓国映画『猟奇的な彼女』を見る。

これぞ、純愛映画の「王道」。

どきどき、わくわく、にこにこ、しくしくさせながら、何のケレンもなく、「予定調和のためのすれ違い」という永遠のワンパターンをみごとに踏襲している。

ウチダは、「永遠のワンパターン」には原則的にどんなものでも好意的であるが、これほどスマートな「ワンパターン」は珍しい。

女の子は『ティファニーで朝食を』でヘプバーンが演じたホリー・ゴライトリーのキャラに近く、こういう「少女版ファム・ファタル」は少しでも俗な感じがすると一瞬で興醒めなんだけれど、チョン・ジヒョンは俗っぽさと透明さのバランスが絶妙。

ふりまわされておろおろするチャ・テヒョン君も実にかわいい。

韓国映画はレベル高いなあ。必見。


8月26日

25日の夜は三宅先生のご招待で、ふたたび芦屋ベリーニへ。我が家から徒歩30秒の絶好のロケーションであるので、ほいほいとでかける。

本日のご会食のお相手は先般より三宅先生が「ぜひ一度会ってみてください」とご懇請のKー1のムサシ選手。それにプロゴルファーテスト挑戦中の若いゴルファーお二人と夙川学院のコーチという組み合わせである。いかなる戦略的企図のもとにこのようなメンバーが組まれたのかは余人の推し量ることのできぬことであるが、それぞれに大恩ある主治医のご招待で美味なるフレンチが頂けるのであるから患者としてもご指示に逆らうことは思いも寄らぬのである。

K−1のムサシ選手は、190近い身長で、体重は100キロ。しかし、実に繊細で気配りの細やかな好青年であった。考えてみれば当然である。

「間合い」をはかるのが専門なのであるから、コミュニケーション能力が高いのは当然だ。

私のような格闘技に無知な人間にも実に懇切にK−1の「見方」を教えてくれた。

私が興味があったのは、K−1のようなはげしいフィジカルな接触のある場面で身体感受性はどうなるのかということであった。

ある程度痛覚を殺しておかないと、痛みには耐えられない。

しかし、身体感受性を最大化しておかないと、相手から送られる微細な身体信号には反応できない。

身体感受性がとぎすまされていたら、当然痛みもそれだけ鋭いはずである、この矛盾を格闘家はどうクリアーするのか?

私はそれをムサシ選手にうかがってみた。

ムサシ選手の回答は、ある意味で私の予想通りであり同時に予想を超えるものであった。

それは「相手の攻撃を受けている時間」と「相手を攻撃している時間」は別の時間流であって、「相手を攻撃している時間」(それは未来の出来事である)が選手にとっては「現在」で、「打たれている今」は「過去」に分離されている、ということである。

だから、自分がどこにどんネ種類の打撃を受けて、どれほどのダメージがあったかということははっきりと「記憶」されてはいるのだが、それはもう「リアリティ」を持たないのである。それより「まだ放っていない突きや蹴り」が遂行されて相手がリングにダウンしている「未来」に「現在」を同調させてしまい、「未来」をリアルに生きることで、「先の先」を取るのである。

これはラカンが「前未来形で生きられる私」と呼び、レヴィナス老師が「離−時」(dia-chronie) あるいは「アナクロニズム」(反−時間)と名づけたプロセスに通じるものである。

そ、そうだったのか。レヴィナスの洞見はK−1にも生きていたのか、と深く納得したのであった。

格闘技は奥が深い。

ぜひ次の大阪の試合には三宅先生のおともをして、リングサイドでムサシ選手の応援をしたいものである。

 

翌日は早起きして東京へ。

甲野善紀先生の「アシスタント」のお仕事である。

「アシスタント」ではあるが、連続数十分甲野先生の技のお相手をさせていただくわけであるから、見方を換えて言えば、「個人レッスン」でもある。

甲野先生の講習会は合気道会で何度もやっているが、私はあたふたと走り回るばかりの主催者であるので、先生に技をかけてもらうのはせいぜい数分程度にすぎない。まったくお相手ができないときだってある。

7月のリブロの対談のときも、聴衆のみなさんはわざをかけてもらっていたが、私はアルマーニのスーツが破れちゃ困るし、このあとの対談のまとめをどうしようか頭を悩ましていたので、ついに甲野先生にさわらずじまいであった。

先週、お電話でお話をしていたときに、「今度、あるところで技を見せることになっているのだけれど、受け手が足りなくて・・・」とこぼしておられたので、やりますやりますわたしでよければ使って下さいと立候補したのである。

おかげでたっぷり個人レッスンを受けさせていただくことができた。

聴衆は、晶文社の安藤さん、新潮社の足立さんはじめ、各出版社の「甲野番」編集者たち。

 

約5時間にわたる演武ののち、渋谷の「モンスーン」にて、甲野先生の「期間限定秘書」大出さん、本日の受けをとった防衛大学校で体育を教えておられる入江先生、松聲館門人の剣道家野村さんと打ち上げ宴会。

またまた談論風発、話頭は奇をきわめて転々。

この話題はそのうち晶文社から出版予定の甲野先生と私の「ヴァーチャル対談本・教育論」に採録されるはずである。これもお楽しみに。

今週末は信州の三軸修正法の池上先生のところに遊びに行くことになっている。

7月からあと、毎週のように斯界の達人たちとお会いする。どうしてこんなことになってしまったのか、ウチダにはなんだか訳が分からない。

とにかく、眼がくるくる回るような驚きの日々である。ふう。


8月21日

共同通信に深作欣二本の書評を書いたら、つぎはキネマ旬報から『踊る大捜査線 The Movie 2』の映画評を頼まれる。

なんか「映画評論家」になったみたいだ。

『踊る大捜査線』はブロックバスター的なヒットで、すでに興行収入日本映画歴代二位の『もののけ姫』を抜いたそうである(歴代一位は『千と千尋』)。

どうして「あんな映画」がそんなにヒットするのか、その理由が判らないというキネ旬編集部からの依頼を受けて、「映画探偵」ウチダ(高橋源一郎の「文学探偵」のひそみにならって)が、その秘密を探り当てようという趣旨である。

 映画を見るのが大好き、映画批評を書くのも大好きなウチダであるが、「映画批評を書くことが主たる目的で映画を見た」のは、考えてみると生まれてはじめてのことである。

これはあんまりよくないね。

せっかく一日の仕事を終えて夜の三宮に繰り出したのに、「お仕事の続き」気分が消えない。映画が始まる前のあの「わくわく感」がない。

映画評については『キネマ旬報』来月号をご覧下さい。

タイトルだけで、中身の見当がつくでしょうけど。

「哀しみの平成無責任男」

 

21日も終日お仕事。レヴィナス論も第三章にはいって、いよいよ佳境を迎えた。

「自分が何を書いているのか、本人にもよく判らない状態」である。

読まされる方はたまったものではないだろうが、本人はこの「ゲートの開いた状態」を経験するためにこそ学者をやっているのであるから、ご勘弁願わねばならない。

 

「とほほ」のさっちゃんが卒論の相談に来たので、竹園ホテルの二階でお茶する。

現代日本人の言語運用能力低下について書きたいのだそうである。

 言語運用能力の低下は、言語的コミュニケーションの水準でおきている問題ではなく、それ以前の、非言語コミュニケーションの水準での「文脈のみきわめ」の能力低下の結果ではないか、という話をする。

「ことばの意味」は通じているはずなのだが、「とんちんかん」な対応をする人がどんどん増えている。

そういえば、このあいだの「ユダヤ文化論」の講義でも、すごいことがあった。

私が反ユダヤ主義者のさまざまな妄説を紹介して、「こんなふうな歪んだ世界観がホロコーストの前提にはあったんだよ」という話をしたのであるが、驚くべきことに、数名の学生が「ウチダ先生は『ユダヤ人が世界を支配している』と言ってますが、それは間違っています」というようなコメントをレポートに書いてきた。

あのね、私がそう言ってるんじゃないの。

『ユダヤ人が世界を支配している』と言っている人がいる、と申し上げたのである。

ところが、この学生たちにはどこまでが「私の地声」で、どこから「私が引用している他人の言葉」かの見極めがつかないのである。

その「段差」は他人の言葉を引用するときの「発声の変化」に反応できれば分かるはずである。

それができない子どもたちが増えている。

文脈の変化というのは、いまの「発声の変化」に見られるように、言語記号によってではなく、身体信号(音調、まなざし、表情、姿勢など)によって示される。(言語学ではこれを「モード特定信号」mode identifying signals と呼ぶ)

その身体信号の読み取り能力があきらかに今の子どもたちは落ちている。

おそらく遠因は三砂ちづるさんが指摘していたように、幼児期の母子関係にもあるのだろう。

子どもが泣いたりぐずったり震えたり熱を出したりというのは身体信号である。

その信号に母親が敏感に反応して、子どもの「いいたいこと」を察知してくれると、子どものコミュニケーションへの信頼は深まる。

逆に、いくら信号を送っても反応が得られなかった子どもは、コミュニケーションの達成経験が得られず、コミュニケーションの可能性に対して閉ざされてしまい、他人から送られる身体信号にも反応しなくなる。

そういう子どもはやがて「あらゆるメッセージを組織的に誤読する」ようになる。

そして、ゆっくりと、でも確実にコミュニケーションのネットワークから排除されてゆくことになるのである。

そういう人が増えて、もう30代にまで及んでいる。

困った時代である。

 

ドクター佐藤が芦屋市民となる。

わが家から歩いて5分のところに引越してこられたのである。

ホームドクターが徒歩五分のところにいるというのはたいへんに心強いことである。

さっそく歓迎の宴ということで、三宮の蓮で上海料理をいただく。

「海鮮おこげ」と「セロリと百合根のいためもの」がたいへん美味しい。

帰りにRE−SETに寄って、シャンペンなどを頂きつつ清談。

国分さん、橘さんも集まってきたので、「出版記念パーティ」の打ち合わせをする。

洋泉社の『子どもは判ってくれない』の出版に合わせてやりましょう、ということになる。

しかし、なんといっても、RE−SETは定員29名である。立食にするとしてもまず40名が限界。人数制限をしなければ、とても入れない。

楽しみにしていた読者の方々には申し訳ないけれど、今回は招待者だけの「内輪のパーティ」になりそうである。ごめんね。 


8月19日

三軸自在の三宅先生ご夫妻に三宮の「伏見」というお寿司屋でごちそうになる。
患者が治療者にごちそうになるというのは順逆の筋目の狂った話であるが、私は三宅先生にふだんから「ああしなさい、こうしなさい」と言われ慣れているので、「では寿司屋に行きましょう」と命令されると、「は、はい」と反射的についていってしまうのである。
たいへんに美味しいお寿司屋さん。とくに「焼き穴子を海苔で巻いたの」が絶品であった。

高知からバスで来たるんちゃんを三宮駅前で拾って、るんちゃんのお友だちといっしょにRE−SETへ。11時の大阪発の夜行バスでお二人は東京に帰るので、そのあいまに晩御飯をごちそうする約束だったのである。るんちゃんたちにはピザやパスタやキッシュを食べていただき、三宅先生と私はさらにシャンペン、白ワインなどごくごく呑む。
ここのお勘定は私が・・・と思っていたら、目にも止まらぬすばやさで三宅先生の奥様に払われ、娘たちの晩御飯までごちそうになってしまった。

三宅先生は池上六朗先生と私の「対談本」の企画があって、今回のご会食はその打ち合わせだったそうである。
このところ「対談本の打ち合わせ」と称して、ぱくぱく美味しいものを食べる機会が続いている。
三宅先生ごちそうさま!

19日は終日原稿書き。
レヴィナスの「他者/死者論」の目鼻がついたところで、(予想されていたことではあるが)時間論にはいりこむ。
ハイデガー存在論において主体は「死に向かう存在可能性」として、時間の流れの中では一方向的に考想されている。
だが、実際に私たちは「死に向かう存在可能性」であると同時に、「死んだ後の私」という想像的視座から逆走する時間流の中でおのれを捉えてもいる。
この後者の時間の流れ方を仮に「霊的時間」というふうに術語化すると、レヴィナスの言う「霊性」や「聖性」というものがある種の時間意識の展開であることが知られるのである。

「無限」とか「他者」と呼ばれるものが「一度も現在になったことのない過去」に出来するとされるのは、考えて見れば当たり前で、「無限」や「他者」が「私の死んだ後の私」の棲まう次元に属するものだからなのである。
しかし、この「私が死んだ後の私」というは決して悖理ではない。
喩え話を一つ。
ラカンのゼウキシスとパラシウスの話だ。
ゼウキシスとパラシオスという二人の画家がどちらがより写実的に絵を描けるか、その技術を競うことになった。まずゼウキシスが本物そっくりの葡萄を描いた。その絵はあまりに写実的だったので、鳥が飛んできて、絵の葡萄を啄もうとしたほどだった。
出来映えに満足したゼウキシスは勢い込んで、「さあ、君の番だ」とパラシオスを振り返る。
ところが、パラシオスが壁に描いた絵には覆いがかかっている。そこでゼウキシスは「その覆いをはやく取りたまえ」と言う。そこで勝負は終わってしまった。
なぜなら、パラシオスは壁の上に「覆いの絵」を描いていたからである。
この寓話の教訓は何か。ラカンはこう書く。
「パラシオスの例が明らかにしていることは、人間を騙そうとするなら、示されるべきものは覆いとしての絵画、つまりその向こう側を見させるような何かでなければならない、ということである」(「分析と真理、あるいは無意識の閉鎖」、『精神分析の四基本概念』)
絵は見かけであり、この見かけこそが見かけを見かけたらしめている当のものである、ラカンはそう書いている。
これが私たちの現存在のあり方である。
私たちはいわばパラシオスが壁に描いた「覆いの絵」なのである。
私たちは「何かをその輪郭通りに覆っているもの」として、その「何か」の代理表象である。
代理表象なのだが、この「何かをその輪郭通りに覆う」という「覆いの絵」の機能は、ほかのどんな「絵」によっても代行されえない。
つまり、他のどの絵をもってしても、「隠された絵」は覆い切れないという点において、「覆いの絵」はかけがえのない、唯一無二のものなのである。この「覆いの絵」の自己同一性は、そのようにしてそれが「隠された絵」の代替不能の「身代わり」である、という点に存しているのであるが、その「隠された絵」は実はどこにもないのである。
これが私たちの現存在の本質構造である。
「死んだ後の私」というのは、私の人生にエンドマークが出たあと、「棺を蓋したその後」、つまり私の人生の「決算表」が算定され、私の人生の意味のすべてが決定したそのあとの「私」のことである。
それが「隠された絵」である。
生きている私はそれを「覆う絵」である。
「今生きている私」の自己同一性と代替不可能性は「死んだ後の私」によって担保されているのである。
私はまだ死んでいないが、ある意味ですでに死んでいる。
これが私たちの現存在の根源的様態であり、私たちの時間意識の構造なのである。
というような話がこれから展開するのである。
なにしろ、私はもう死んでいるのであるから、ややもすると死者とか他者とか霊とかが「よ!」と挨拶しながらぞろぞろ出てくるのも話の流れからして避けがたいのである。
なかなか面白そうでしょ?


8月17日

小雨がぱらぱら降る肌寒い一日。
朝から原稿書き。
レヴィナス/ラカン論第二章「死者」(端的な題名だな)を書き継ぐ。

もう全体の75%くらいは書き上がったのだが、まだ25%ほどについては断片的な考想だけがあって、その「つながり」が見えない。
こういうふうに「ヒントを示す断片的な事実」だけが散在していて、それらを統合する図式が「まだ見えないけど、もうすぐ見えそう」なときが研究者としてはいちばんはらはらどきどきして、愉しい時間である。

八月中には仕上がり、年内には出版できるだろう。
『レヴィナスと愛の現象学』に続く、ウチダのライフワーク第二弾である(ライフワークなどというものをそんなに軽々に出してよいのか、というご疑念もあろうが、よろしいのである。「これを出したら、あとは余生」というような「お手軽ライフワーク」設定じゃないと、なかなか仕事は終わらないものなのである)

前作よりぐっとディープであるから、「レヴィナスを読んだことがない人」は残念ながら、読者に想定されていない。
一度手に取って、あまりの難解さにはらりと手から本を取り落とし、「それにつけても、いったいどうしてこんなにむずかしいことを書くのだ、この人は・・・」と絶句したことのある人だけが対象である。
そういう人に「なぜ、あなたは本をはらりと落としたのか」、その理由を教えて進ぜよう、という本である。そして、まさに「はらりと落とした」ことによって、あなたは「想像界から象徴界へ踏み進んだのだ」のである。よかったね。

というわけなので、やはり『全体性と無限』であるとか『存在するとは別の仕方で』とか『エクリ』とか『セミネール』などをとりあえず買ってですね、「げえ、ぜんぜんワカラン」という「ワカラン」体験をされてからでないと、私の本の「ありがたみ」もワカランのです。

午後になったので、芦屋駅前でイワモト君を拾って大学研究室へ。
イワモト君は7月に芦屋の道場に入門された岡本在住のSEの方であり、ウチダの「パソコン屋はなぜおらんの!」という悲鳴をききつけて、ウチダのPC環境の全面的な再構築とメンテ無償ご奉仕を申し出てくれた奇特な方である。

彼の構想によれば、ウチダの研究室の二台のPC、自宅の三台(デスクトップとノートとシグマリオン)のすべてはデータ共有できるように繋がれ,ADSL導入、仕事用のウィンドウズマシンは最新鋭機器に買い換え、G4はOS10をインストールしてヴァージョンアップ、ホームページ制作も自宅から・・・とめくるめく夢のPC環境が整備されるらしい。
私は何もしないで、ただぼんやり指をくわえて眺めて、お金だけはいはいと出せばよいのである。
ありがたいことである。

研究室のメーラーを早速修理していただく。
メーラーがいかれたG3は私の記憶では4年ほど前に購入した「新品」なのであるが、イワモト君は一見するや「おおお、まだこんなものが!」とまるで骨董屋の店頭で昭和30年代の氷冷蔵庫でも発見したように感動していた。
ことPCに関しては、時間は他の家電の10倍の速さで流れているようである。

2時間ほどでさくさくと修理が終わり、イワモト君を岡本にお送りして、鍼へ。
ぷちぷちと背中や頸椎に鍼を刺して貰っているうちによだれを垂らして爆睡。
甦って帰宅してから、ラカンとフロイトを読む。

論文を書いてテンションが上がっているときに読むと、ふだんの読書ではおそらく見落とすような細部に気づくことがよくある。
その点が「一般読者」と「学者」の本の読み方のいちばん大きな違いである。
ふつうの読者は心に触れるフレーズに出会って、「なるほど」と深く感嘆することはあっても、引用にどんぴしゃのキーフレーズに出会って「やったー!」と飛び回って喜ぶということはあまりない。
これは道ばたを歩いていて、札束のぎっしり詰まった財布を拾ったような気分のものである。調子がよいときは、一日に三回くらい「財布を拾う」こともある。そういうときは、ほんとうにうれしい。

9時まで仕事をしてから『仁義なき戦い・代理戦争』を見る。
一昨日、深作欣二のインタビューを読んだので、また見たくなってしまったのである。DVD全五作が揃っているので、いつでも見られる。もうほとんど台詞も覚えてしまった。
「明石組と五寸でやれるんは神和会しかありゃせんので」

小林旭の天才性に感動しつつ、名越先生原作の『殺し屋1』がアマゾンで届いたので、四冊抱えてベッドに転がりこむ。おおお、これはあまり寝しなに読む本じゃないなあ。とまらなくなっちゃったよ。


8月16日

鈴木晶先生、名越康文先生との「暴走トーク」のために雨の中を上京。
帝国ホテルのラウンジで、軽く「ジャブ」の応酬のあと、フレンチレストラン Les Saveurs の個室に移動して、フルコースをいただきながら、本格的なトークに入る。

晶文社の安藤さんの腹案では「映画についての鼎談」だったのであるが、精神分析の専門家と「関西最強」の精神科医を揃えておいて映画の話で収まるはずもない。
たちまち話頭は奇をきわめてとどまるところを知らず、という状態になる。
全員が熱中した話題は「死と身体性」。
さすがに、ね。
そんなことになるのではないかと予測していたのである(嘘)。

私たちはふつう時間を「現在から未来に」流れるものとして図式化する。
しかし、しばしば時間は「未来から現在を回想する」という仕方で感知されることがある。

私たちは実際はこの二つの時間意識を持っている。
「ご縁」とか「既視感」とか「セレンディピティ」というのは、第二の時間意識に「乗った」ときに生じる感覚である。

人間を自由にし、また不安にするのは第一の時間意識である。
人間に宿命を感じさせ、深い安堵を与えるのは第二の時間意識である。

memento mori は「死を思え」と訳されるが、動詞 memini は「思う」と「思い出す」の両義がある。
だから、この成句の「お前が死んだときのことを思い出せ」とも読めるのである。
とすると、この成句の語り手は、「私が死んだあと」にこの言葉を「私」に向けて語っていることになる。

これは典型的な第二の時間意識である。
この短い成句がこれほど長い間人口に膾炙したのは、多くの人がそこに同時に二つの意味を読んだからではないのか。

私たちは自分の生と死を二つの視点から眺めることができる。
「死ぬ前」の視点からと「死んだあと」の視点からである。

古代の人間はこの二つの視点を交互に行き来するような時間意識の切り替え方の技法を持っていたはずである。

そして、おそらく近代文明は、「死んだあとの視点から」現在をみつめる時間意識に切り替える技法を組織的に失ってしまったのである。
その結果、現代人はベタな「今・ここ・わたし」以外のどのような視座も持てなくなってしまった。

そして、私たちは未来から現在に向けてまっすぐ到来するような「ご縁」に感応する力を失い、同時に、希におとずれるわずかな時間意識の「ずれ」に驚倒して、「生きているのに、生きている実感がしない」とパニックに陥ってもしまうのである。

フーコーは、「時間を遡行する」ような歴史意識を持つことによって、「死んだ後の視点からいまの私をみつめる」技法を回復しようとしてその社会史の方法を錬成したのではないかと私は思う(そう言えば、音楽史において、フーコーと同じ技法を試みたのが『日本ポップス伝』の大瀧詠一なのであった。)

「彼らが私がそう語ることを禁じる」とセミネールで語ったとき、ラカンが「彼ら」という語で指したのは「死者たち」のことであった。

だとすれば、レヴィナスの「彼」という術語が指していたのも「死者」以外にはありえまい。

当然のことだが、「私が死んだあと」の視座に立つことのできる人間しか、「死者」のまなざしがみつめている「私」を見ることはできない。そして、「私が死んだあと」という立ち位置を取るためには、そのための技法を修練してゆく他ない。
そして、武道修業も、精神分析もそのような技法の一つなのである。

というようなことをみなさんと別れた後になってから思いつく。

雨の中を相模原の実家に戻り、母と兄ちゃんと歓談したのち、爆睡。
今朝は新横浜でるんちゃんと待ち合わせ、歓談しつつ、一緒に芦屋に戻る。
るんちゃんが爆睡しているあいだに、さくさくと『映画監督深作欣二』の書評を書き上げ、そのまま送信。
一風呂浴びてから、二人で晩御飯を食べに出かける。
すっかり物静かで内省的な女の子になってしまったるんちゃんと、音楽について仕事について友人の死の意味について、しみじみと語り合う。
一時間で書き上げた書評で稼いだアブク銭を山分けして、「はい、お小遣い」とお渡しして、JR芦屋駅頭にてお別れ。
るんちゃんはこのあと夜行バスで高知へ行くのである。
明後日の夜に三宮での再会を約す。ばいばい。
大人になった娘と語るというのはよいものである。


8月14日

じゃんじゃん雨が降る。
世界的な異常気象で、ヨーロッパは猛暑、日本は多雨で日照時間不足だそうである。
猛暑のせいで、ボルドーの白ワインが奇跡的に美味しいそうである。「2003年のボルドーの白」ね、ときちきちと頭にメモする。

私の仕事は雨が降ろうと槍が降ろうとぜんぜん関係がない。
こりこりとレヴィナス/ラカン論の原稿を書く。

第一章「テクスト・パフォーマンス」論が終わって、第二章「弔いのエクリチュール」に入る。
こちらも原型になるものはすでに春休みに100枚ほど書いてある。
アカデミック・ハイ状態で書いたものなので、いったい、どういう理路で書いているのか、自分で読み返してもよく分からない。
その頃、「何か」に取り憑かれて数日間で書いたものらしい(そのあと、新学期が始まってしまったので、途絶したのである)。

「存在するとは別の仕方」というのが、絶対的他者=死者と繋がるためのコミュニケーション・マナーのことだと主張したいらしい、ということまでは分かった。
また、なんでそんなことを思いついたのか、その筋道が思い出せない。
やれやれ。

しかし、謎、師弟、テクスト、対話、他者といった論件は第一章で、なかなかきれいにまとめられた。

このあと「他者とは死者/神のことであり、レヴィナス/ラカンの思想は詮ずるところ呪/祝の礼法なのである」という結論に帰着すると、全部が繋がって、たいへんにすっきりする。

レヴィナスもラカンも霊性について語ろうとしていることは間違いない。

しかし、死者/神というのは、当然ながら世界内には存在しない。
「死者/神は存在する」というふうに言ってしまうと、これはまるっと存在論である。
しかし、まさに〈ホロコースト〉を阻止しえなかった存在論を超克するためにこそ二人とも思索しているわけであるから、「死者/神は存在する」という言葉づかいは許されない。
だから、「死者/神は、存在するとは別の仕方で・・・」という、副詞だけがあって、その副詞を承ける動詞が欠如した構文でこの論件は書かれなければならないのである。

レヴィナスやラカンが分かりにくいのも道理である。
なにしろ、死者と神の話を、それを実詞としては決して名指さないという禁則を課して書いてるんだから。
論じている当の対象を名指すことを自らに禁じているエクリチュールが「何を言おうとしているのか」を「高校生にも分かる」ように書いてしまおうというのであるから、私の仕事が面倒なのも当たり前である。

しかし、これは完成したら、なかなかよい本になると思う。

共同通信社から深作欣二の本の書評を頼まれているが、これが500頁もある本で、なかなか読み進まない。(締め切りまであと4日しかない)

そうこうしているうちに、キネマ旬報社からは『踊る大捜査線・The Movie 2』についてのコメントを求めるファックスが来る。
映画論は私の「本業」の一部であるので、こういう仕事は「物書き廃業」を理由に断るわけにはゆかない。
私としても、「佐田啓二の後継者」とひそかに期待を寄せている織田裕二君のためであるから、一肌脱ぎたいのは山々なれど、まだ肝腎の映画を見ていない。(TV版と『The Movie』は二回ずつ見てるんだけど)
見てない映画のコメントは書けない。

明日はまた新幹線で東京。
今度は、鈴木晶先生、名越康文先生との暴走トークである。
まことに愉しそうな仕事であるが、それにしても、忙しいね。ふう。


8月12日

浜松の天龍中学の鈴木文夫先生のお招きで、同校の女子ソフトテニス部のみなさんに合気道の一日講習のために浜松まででかける。

曾良役は助手を勤めるウッキー。
私がどんなデタラメ話をしても、「ほおお」と感動してくれるので、ウッキーを相手にしていると、自分が賢い人間になったような錯覚に囚われる。「旅のおとも」には最適である。

浜松駅で鈴木先生と大坪先生お二人のお迎えを受けて、まずは中川屋の名物「うなぎとろろ茶漬け」を食べにゆく。
美味しい!
すっかり満足して、「もう、このまま神戸に帰っても、何の悔いもない」状態になる。

そうもゆかず、天龍中学体育館へ。
40人の真っ黒に日焼けした女子部員たちが元気な声で迎えてくれる。

2時間ちょっとの一日講習であるから、技術的なことはほとんど教えられない。
「世の中には、『よくわからない』ことがある」ということだけ分かって頂ければそれでよろしい。

ストレッチ、呼吸法、練功法をゆっくりやってから、「体軸」と「拍子」という二つの身体概念を中心に短いメニューを作る。
片手取り逆半身の「転換」と、「浮きをかけての入身」と、最後に少しだけ「入身投げ」。

「体軸」という身体感覚を理解してもらうのはなかなかむずかしい。
「浮きをかける」のもむずかしかったみたいである。

しかし、体術の要諦が身体信号の「読み合い」(多田先生が「気の感応」と呼んでおられるのはそのことである)にあり、それを「読む」身体的感受性の錬磨が「生き延びるための身体技法」であるということの道理はいくらかお分かり頂けたようである。

鈴木先生は先般浜松の寺田さんの門を叩かれた。寺田さんは自由が丘道場での大先輩わが兄弟子山田博信師範の愛弟子であるから、鈴木先生は私から見ると「兄弟子の孫弟子」に当たる。(ウッキーから見ると「従姉の子ども」である) これを機に、浜松のみなさんが寺田さんの門下に入って、多田塾門人がどんどん増えて行くことをぜひ祈りたいものである。

ひさしぶりにびっしょり汗をかいて、中学生諸君の「ありがとうございました!」という可愛い声に送られて天龍中学をあとにする。
少しは、お役に立てたかしら。

浜松城わきのホテルコンコルドに投宿。一風呂浴びてから、いよいよ浜松市の中学の先生方とのバトルトークである。
鈴木先生と共に明日の公立中等教育を担う錚々たる顔ぶれが揃い、とりあえず生ビールで乾杯。
それから12時過ぎまで、途中で河岸を替えて、5時間余の大宴会。

先生たちが一人一人、現場での問題を提起されて、それについて私が所見を語るというかたちで談論風発。

私たち大学の教師には、現場の中学の先生たち生の声を聴く機会はほとんどない。
文部科学省の腰の決まらない行政と、メディアの偏った煽りと、家庭教育の破綻のあいだでもがき苦しみながら、明日の日本を支える子どもたちをなんとか育てたいと願う現場の先生たちの真剣な声を聴く、実に貴重な経験であった。
こういう先生たちばかりだったら、日本の未来も明るい、とウチダは思う。

それにしても、中学生たちをまとめ上げ、浜松の心ある教員たちをぐいぐいと牽引されている鈴木先生のガッツと識見と志にウチダは改めて感動したのであった。

浜松のみなさん、どうもありがとうございました。
ウッキーも多忙の中、助手役ありがとう。
実に愉快で有意義な一日でありました。


8月11日

爆睡したので、歯の痛みは一段落したようである。
だいたい過労→免疫低下→炎症というきわめて合理的なサイクルで私の身体はへたるのである。
寝れば治る。

むくむくと起き上がって、猛然とレヴィナス論を書き進む。
ラカンの『セミネール』を読んでいるうちに、「ああああ、全部繋がった!」という(幸福な勘違いの)瞬間が到来する。
こんな短い助走でアカデミック・ハイが訪れるというのは珍しいケースであるが、霊感が降りて下さった以上遠慮する必要はない。
指の出しうる最高速度でキーボードを叩きまくる。

鉛筆に原稿用紙の時代はこうはゆかなかった。頭に浮かんだアイディアを原稿用紙に書き写そうにも、3、4時間もハイが続くと、もう腕の筋肉が持たない。肩がばりばりになって、最後は背中の筋肉痛でダウン、ということが多かった。

パソコンのおかげで、頭に浮かぶアイディアを筆記する速さは手書き時代の数倍早い。
それをカット&ペーストしてどんどん原稿にしてしまう。

海鳥社から出す予定の『レヴィナスとラカン』の草稿はすでに400枚を越した。もちろん、こんな分厚い本は出せない。しかし、アイディアはどうやらまだまだ湧き出てきそうである。どうすればよろしいのであろう。

今日の「ああああ」は「謎は同じ行為を二度すると生成する」というものであった。
こんなこといきなり言われてもワカランでしょうから、今日書いたところをちょっとだけペーストしておこう。(レヴィナスにもラカンにも全然興味ないひとは、読まないでいいですよ、もちろん)

この物語では同一の場面が二度繰り返される。黄石公がしてみせたように、ゲームが始まるためには必ず同じ動作がわずかな変化を伴って二度繰り返されねばならない。
そして、そのとき「何かが二度繰り返された」ことに気づき、そこに「隠されていて推理するしかない規則性」がひそんでいる信じた者が−ラカン風に言えば、想像界から象徴界に歩を進めた者、つまり「父」の審級を見上げる「子ども」の立ち位置を選んだ者が−「敗者」となるのである。
これで私たちはなぜデュパンが大臣を出し抜くことができたのか、その理由も同時に知ることになる。それはデュパンが大臣を二度訪問したからである。
なぜ二度なのか?
この「ゲームのルール」を知らない人は単純に、それはデュパンが「すり替えるための手紙」を用意したり、窓の外で騒ぎを起こす「エキストラ」の手配をしたりするために、準備の時間が必要だったからと考えてしまう。
でも、事実はそうではない。

ゲームに勝つためには、二度同じ行為を繰り返さないといけないのだ。
まさしく石公が張良にしたように。

現に、一度目のデュパンの訪問に大臣は何の興味も示さない。大臣が「これみよがしの無関心」と「ロマン派的な倦怠の色」をデュパンに誇示するのは、演技ではなく、ほんとうに興味がなかったからなのだ。デュパンは彼が毎日何十人となく執務室に迎え入れる無数の来客の一人にすぎない。

しかし、翌日再び来意が告げられたとき、大臣はデュパンの行為に「隠されていて推理するしかない規則性」があるのではないかと疑い始める。このときに大臣は「デュパンはそうすることによって、何をしようとしているのか?」という問いに取り憑かれたはずである。そして、デュパンが二度訪れたのは、まさに大臣のうちにその問いを起動するためなのである。

デュパンの大臣訪問と、石公の沓落としは構造的には同じ性質のものである。
それは、どちらも「何の意味もない」ということである。

もし、デュパンが最初の訪問のときに、いきなり手紙のすり替えを試みたとしたら、彼は間違いなく大臣にその意図を読まれて、ただちに取り押さえられていただろう。

デュパンが成功したのは、一度目の訪問を無意味なものとして遂行したからである。
一度目が無意味な訪問であったからこそ、二度目の同じく無意味な訪問を受けて、大臣のうちに、デュパンの無意味な行為の「隠された意味性」を読み出したいという欲望が発生したのである。

「この男のこの一見無意味な行為の背後には、どのような隠された意図があるのか?」
ひとたび「子どもの問い」を抱いたものは、その宿命として、「謎を追う者」、つまり「他者の欲望」に焦点を合わせる「弟子」=「子ども」の位置に進む。同時に、「子ども」によって「謎を蔵する者」に擬された者は、「師としての他者」=「大人」の位置に進む。

「子ども」と「大人」のあいだの関係はもう鏡像的ではない。

「子ども」はいくら自分の内面を覗き込んでも、そこに「大人」を他我として想像的に把持することを許すようないかなる有意なデータも見出すことができない。というのも、そもそもその人が「子ども」の欲望に点火したのは、どのような双数的=鏡像的な感情移入をもってしても、決してその「規則性」を捉え得ない人間として出現したからなのである。

そして、それはその人が何か深遠なことを語ったからでも、叡智あふれる行動をしたからでもない。その人は無意味な行為を、少しだけ差異を加えて二度繰り返しただけにすぎないのだ。

この辺が「おおお」の予告編である。
とにかく、それで私はどうして主がモーセに「二度」律法の石板を与えたのか、その理由が生まれて初めて腑に落ちたのである。
どうしてそういうことになるのか知りたい人は本を読んで下さい。
こういうことがあるから夏休みはいいよね。


8月10日

ひさしぶりに実家で一泊して、猛暑のなか午後の新幹線で帰宅。

読む本がなくなってしまったので、亡父の書斎で「夏の午後に新幹線で読む本」を探す。ヘミングウェイの『海流の中の島々』があったので、これを借りることにする。

最初に読んだのは駒場の頃だから、もう30年近く前になる。

そのころの私は飲酒の習慣がなかったし、パリの地理も知らなかったし、「ジョイスさん」が何ものかも知らずにただストーリーだけを追って読んでいた。

その後、仕事についても、離婚についても、父性愛についても、「クロズリー・ド・リラを出て、マロニエの長い並木道を歩いて、北の端の門からリュクサンブール公園に入り、オデオン広場の前の門から出て、横丁を二つ抜けるとブールヴァール・サンミシェル・・・」というパリの地理についても、いささか経験を積んだので、物語に深く入り込んでしまう。

ついでに美食と美酒についてもいささか経験を積んだので、お酒を呑む場面とご飯を食べる場面になると「ごくり」と生唾を呑み込んでしまう。

特に、鮫に襲われたあとのボートの上でのご飯が最高に美味しそうだった・・・。

もしあのとき新幹線の車内販売で「酢に漬け込んだ冷たいポテトサラダに、粗く挽いた黒胡椒をかけたの」と「ジン、ライム・ジュース、椰子の生汁、ぶっかき氷にアンゴスツラ・ビターズ、錆びたピンク色がほんのり出た」カクテルがあったら、私は間髪を容れず「おねーちゃん、ポテサラとジンライム」と叫んだであろう。

くらくらしながら芦屋に戻り、旅の汗を流す。

前夜から歯が痛み出したので、ナロンエースをがりがり囓りながら、『ギャング・オブ・ニューヨーク』を見る。

1840−60年頃のニューヨークを再現するために、ずいぶんお金をかけたそうであるが、オープンセットがそのわりには貧弱である。

それにレオナルド・ディカプリオはどうみても「いまどきの男の子」だし、キャメロン・ディアスはどうみても「いまどきの女の子」だ。

ダニエル・デイ=ルイスがひとりだけ「この世にこんな人間いるはずねーだろ」的キチガイ演技で浮きまくっていた。

ゲイリー・オールドマンといい、ウィレム・デフォーといい、デニス・ホッパーといい、クリストファー・ウォーケンといい、どんなゴミ映画に出るときでも目一杯「人外魔境人」になれる人はほんとうに偉いと思う。

1860年のニューヨークのワルモノはほんとうはディカプリオみたいじゃなくて、ダニエル・デイ=ルイスみたいだったんじゃないか・・・と一瞬私は思ってしまった。

その方がずっと素敵だ。

歯がいてーよーと泣きながらなので、蒸し暑い夜、なかなか寝つけない。


8月9日

台風の中を新幹線で東京へ。
朝日カルチャーセンターの「シリーズ・ケアをひらく」「身体からのメッセージを聴く」。
医学書院の白石さんの企画の講演シリーズである。

ウチダは介護とか医療とかいう業界とはまったく無縁の人間なのであるが、先般の三軸修正法の講演のときは接骨や整体の治療者が聴衆であったし、今回は助産婦さんや看護士のかたがたが多いとうかがっている。

総じて「臨床」の人とウチダは相性がよいようである。
「本は身体で読む」とか「テクストの身体性」とか「呪鎮としての歌」というような話は文学研究の同業者は誰も相手にしてくれないが、臨床家たちはそれぞれ「身に覚えがある」らしく、なかなかに反応がよろしい。

いつも講演草稿は用意せず、その場での思いつきばかり話しているのであるが、それではあまりにも学術性に乏しかろうと、今回は「引用出典」をご用意して、「このように私と意見を同じくする方々がおられるのです」という論拠に引かせて頂くことにする。

「証人」としてお出まし願ったのは、佐藤学、谷川俊太郎、竹内敏晴、木田元、村上春樹、橋本治、マイケル・ギルモア、鷲田清一、白川静の諸先生方。

ほんとうはこれにモーリス・ブランショ、エマニュエル・レヴィナス両先生にお出まし願うとパーフェクトなのであるが、先生方を呼んでしまうと「他者」や「死者」や「霊」もぞろぞろついてきてしまい、その応接がたいへんであるので、今回は「そちら方面」は白川先生ひとりにご担当頂いて、割愛。

講演後、白石さんに三砂(みさご)ちづるさんをご紹介頂く。

数日前の朝日新聞の「ひと」の欄に出ていらしたので、ご記憶の方もあるだろうが、国立保健医療科学院応用疫学室長というお堅い仕事をされているが、最近は女性の妊娠育児にかかわる身体技法のリサーチをされているかたである。

明治の女性は月経血を「締めて」コントロールすることができたが、その身体技法が失われたという記事に一驚を喫した読者も多いと思う。現に、その記事が出たあと、出版社9社から「本を出しませんか」というオッファーが殺到したそうである。

晶文社のAさんが三砂さんに昨日お会いしたときに、私の話が出て、三砂さんがウチダ本の愛読者であることが知れ、「あら、明日ウチダさん、東京に来ますよ」ということでお連れ下さったのである。

名刺交換のあと、医学書院、晶文社のエディターさまたちと「秘書のフジイ」とみんなで打ち上げ宴会になだれ込む。

三砂さんのブラジルやインドネシアらポリネシアのセックスライフについてのフィールド話はもうめっぽう面白く、みんな「ほほほほほう」とのけぞるばかり。
自然分娩がいかに感動的で教育的な経験であるか、三砂さんに次々と事例を挙げて説かれているうちに、なんとフジイ君までがぽつりと「子ども産もうかな・・・」としみじみ言ったのにはびっくり。いそいそとノートをとりだして東京都内のオススメ「助産婦」さんのリストを控えていた。よいことである。

その三砂さんによると、女の人間的成長にとって出産こそは最高の機会である。(ただし自然分娩にかぎる)
自分が種の永遠のリンクの中のかけがえのない環として、無限の時間とつながっているという「絶頂体験」を経由した人間は、コミュニケーション能力や共感能力が劇的に進化するのだそうである。その結果、自然分娩経験者はその歓喜が忘れられず、繰り返し妊娠出産することを求めるようになる。

だから、いま行政が主導している「少子化」対策というようなものはまったくナンセンスなのである。
だって、それらの施策は妊娠出産育児というのは、女性の「自己実現」を損なうマイナス・ファクターであり、その「苦役」と「不利益」からどうやって女性の主体性と人権を擁護するか、というフレームワークで語られているからだ。

「苦役」の公正な分配と、金銭的・制度的「補償」によるその相殺、という枠組みで行政やフェミニストがこの問題をとらえている限り、少子化に歯止めがかかるはずはない。

三砂さんの提案するのは、「とりあえず産みなさい」ということである。
結婚とか仕事とか年齢とか、そんなのは女性が母になる条件としてはまるで二次的なことである。

父親は「産んだあと」で、養育能力のある適当な男をみつくろえばよろしい。
仕事だってキャリアだって、出産を経験して「劇的に進化した」女性にとっては、一人であるときよりはるかに可能性が広がる。生物学的父子関係なんかどうでもいいではないか。子どもを育てるということは男女誰にとってもきわめて幸福で教育的な経験なのであるから、「親類縁者、近所となりみんなでよってたかって育てればよろしい」というたいへんにクリアカットなお立場である。

日頃、めったなことでは驚かない「とっぴょうしもないこと」ウチダであるが、さすがに三砂先生の天馬空を行くがごとき爽快な発言には口をあけて聞き入るほかなかった。
たしかにおっしゃることのいくつかは腑に落ちる。

私が育児をしているときに、研究のために割ける時間が大幅に減少し、「無駄な本を読み、無駄なテーマを追う時間は一秒もない」というタイトな状況に追い込まれた。
するとどうなったかというと、書物の「背表紙」を一瞥しただけで、それが読むに値する本か、どうでもよい本かが言い当てられる能力が目覚めたのである。
他の研究者と会っても、聞く甲斐のある相手か時間の無駄かが一発で分かるようになった。

ちゃんと生物にはそういう「バイパス」形成能力が備わっているのである。

十数年間育児に忙殺され、寝食を忘れて一人書斎にこもるということが許されなかったおかげで、結果的におそらく私の学術的なセンサーの感度は高まり、アウトプットは現に増えた。

三砂先生も同じ経験を語っておられた。
日本に帰って、上の息子さんが「お弁当」をもって通学するようになったら、それまで研究に当てていた朝の時間が削られた。するとどうなったかというと、「コロッケを揚げたり、キャベツを刻んだりしながら、同時に研究テーマをさまざまな視点から熟慮する」能力が覚醒したのである。

そういうものなのである。

宴会打ち上げ後、晶文社と医学書院のスーパーエディターたちの「ボス交」が成立したらしく、それぞれ別テーマで二冊の三砂本の企画が起案され、知らない間に私の仕事がまたふえてしまったようである。

しかし、世の中にはまことに爽快な女性がいるものである。
三砂さんは20年近く海外で仕事をされてきて、ブラジルから日本に帰ってきてまだ3年に満たない。
先入観のないその眼で見たときに、日本の「常識」が「非常識」に見えるというのは、ことの道理である。
私たちがまさに彼女のような人の言葉を待望していたこの時期に、まるで「落下傘降下」するように三砂さんが日本のメディアに登場してきたことに、なんとなく宿命的なものをウチダは感じるのである。

佐藤先生、光岡先生、池上先生と続いた「ご縁シリーズ」、八月は一休みかしらと思っていたら、思いがけなく三砂先生とのご縁ができた。

来週は浜松で中学生をお相手に合気道講習会、中学の先生方との大討論会。そのあと名越康文・鈴木晶両先生との「暴走トーク」、再来週は高橋源一郎さんとのトークセッション「仕切り直し」が待っている。

今年の夏休みはまた例年になくホットな夏になりそうである。


8月7日

夏休みである。

手帳をひらくと、今日のところが「まっしろ」なのである。

一日、時計を見ることなく、原稿を書き、本を読み、調べものをしてよいのである。

あああああ。

これぞ至福の時間。

まず岩波の『応用倫理学講座』のためにセックスワーク論というのを書く。

セックスワークを「労働」として認知し、行政はセックスワークの現場における人権侵害からセックスワーカーを保護せよ、というのが、セックスワーク論の基幹的な主張である。

だが、何となく私には違和感がある。

セックスワーカーを調理師とか理髪師と同じような「特殊技術をもった労働者」というふうに位置づけることができるのだろうか?

ちょっと想像してみよう。

そうなると、まず売春労働者のナショナルセンターが立ち上げられる(これを要求しているセックスワーク論者は現に存在する)

当然、そのイニシアティヴのもとに売春者健康保険、売春者年金制度が整備される。

同業者の業界団体(「全日本売春者協会」)が出来る(監督官庁は厚生労働省?)。

都道府県別の業界団体もでき、そこが「統一価格表」を設定する。

労働者である以上、その術技のクオリティについての公的認証が必要だから「売春者資格試験」が始まる。

資格試験がある以上、当然ここに「専門学校」というものが出現する。

「1級合格者の80%は本校出身!」というようなコピーがコンビニで売っている『週刊セックスアルバイト情報』(もちろん版元はリクルート)の裏表紙を飾る・・・

なんとなく「変」な気がしてこないだろうか。

私はする。

こんなことは絶対に現実化するはずがないからだ。

だって、そうでしょ?

セックスって「技術」じゃないんだから。するのに「資格」なんか要らないんだから。

「技術」も「資格」もない人間がセックスしても誰も困らない。むしろ、売春者の低年齢化が示すように、「技術も資格もない」ことが売春市場では商品価値が高かったりする。

技術も資格も要せず、価格設定がきわめて恣意的であり、しばしば無償で供与されているサービスを「労働」と呼ぶことができるだろうか?

私はむずかしいと思う。

別に「労働」と呼んでもいいけれど、行政がこれを公的に管理・保護することは実質的に不可能ではないか。

別の場合を考えてみれば分かる。

家でご飯をつくったり、子どもの髪を切ったりする人は別に調理師免許や理容師資格を持っているわけではない。

しかし、いくら料理上手のお母さんでも、はさみ捌きのみごとなお父さんでも、「では」というので、看板を出して、近所の人にご飯をふるまったり、近所の人のヘアカットをして対価を要求することは許されない。

資格を持っていない人間が技術を売ることを法律が禁じているからだ。

プライヴェートではいくら技術を発揮しても構わない。でも「公衆の目にふれるような方法で、人を相手方となるように勧誘すること。広告その他これに類似する方法によって人を相手方となるように誘引すること」は許されないのである。

おや?

これはどこかで見たような・・・

そう、これは「売春防止法」の第五条、セックスワーク論者たちがその「即時廃絶」を求めている当の条文だ。

セックスワークを「労働」とみなし、それを「業界団体」が品質を管理すべき「特殊技能」であるとするなら、当然ながら「公式に資格を得た売春者」以外の売春行為を法律はこれを禁じなければならない。

そうですよね?

日曜大工でお父さんが犬小屋を作るのは構わない。

しかし、「大工やります。家一軒100万円から」というような看板を勝手に掲げて商売を始めると、当然ながら、建設業の業界団体がやってきて、「それはダメよ」と言ってくる。建築士資格ももっていない日曜大工に家を建てさせるわけにはゆかないからね。

セックスワークも、「特殊技術」として認可されるとなると、同じことなるはずである。

つまり、「職業的売春者」と「非職業的売春者」をはっきりと識別し、「プロの売春者」のみを公的保護の対象とし、「アマチュアの売春者」に対しては(日曜大工と同じように)、私的売春のみを許可し、「公衆の目にふれるような方法で、売春を勧誘する」ことはこれを禁じる他ない。

だって、もしプロアマすべての売春者を公的な管理の対象としたら、その数は数百万に及んでしまうからだ。

そうなったら、「売春省」という中央省庁を設置し、年間数千億円の国家予算を投じないととても仕事が追い付かない。

そのような社会政策に国民の多くはたぶん同意しないであろう。

となると、「セックスワーク」を公的に認知させようと望むのであれば、「適法なセックスワーク」と「違法なセックスワーク」を厳然と区別し、前者のみを保護の対象とし、後者を保護の範囲外に排除することに同意署名しなければならない。

プロの売春婦の身分を固定化し、そこから抜け出ることが本人にとって不利益になるようなシステムを作ること。

それって、一昔前の「女衒」の遣り口とどこが違うのであろう。

公娼制度の復活と、私娼に対する売春防止法第五条の厳正な運用、皮肉なことだが、これがセックスワーク論の「論理的帰結」であるように私には思われる。

(というようなことはもちろん岩波の本には書かないんだけどね)


8月6日

研究室のマックのメーラーが壊れたままなので、ホームページの更新はすべて永世芸術監督にアップしてもらっている。(フジイ君、ありがとね)

そういうだらけたことではいけないのであるが、ウチダはコンピュータのことは、ほんとに全然分からないのである。インターネットの設定をすることを考えただけで前日から食欲がなくなる。

コンピュータにかぎらず、およそ「メカ」はすべてダメである。

内燃機関の構造も理解できないし、カメラがなぜ写るかも分からないし、テレビがどうして見えるのかも分からないし、MDからなぜ音が出るのかも分からない。

それでも五十路を超えるまで生きてこられた。自動車バイクにも乗るし、デジカメも使っているし、テレビもちゃんと見ているし、音楽も聴いている。

分からなくても何とかなるのは、「専門家」がいて、セットアップやメンテを有料で引き受けてくれるからである。

しかるに、コンピュータだけが「セットアップやメンテの有料サービス」がない。

私はつねづね疑問に思うのであるが、なぜこのニッチビジネスに参入する人々たちがおられないのであろうか。

私は新しいPCを買って、ADSLに換えて、そのPCでホームページを作成するようにガッコのマックからデータを移動して、海外からホームページの更新ができるようにG4をセットアップしたいのであるが、この作業を私自身がやることを考えると、それに空費される時間を想像しただけで気が遠くなる。

ウチダには空費できる時間は一分とてない。

しかし、金ならある。

PCのお見立てから、すべての設定までやってくれる人がいたら、私は20万出す(もっと出してもいい)。

もちろん、こんな仕事はコンピュータが分かっている人にとっては「朝飯前」のことであろうから、「どうして、そんなことに20万も・・・」と絶句されるであろうが、それは私がレヴィナスのユダヤ教論を「朝飯前」にコーヒー片手に訳せるのと同じことで、「専門家にとってはたいした手間ではないが、できない人には永遠にできない」種類の仕事というのがあるのである。

しかるに、ことコンピュータになると「ある程度身銭を切ってコンピュータのことを習得しようとしない人間には参入してもらいたくない」ということを広言する人間が多い(というか、ほとんど全員がそう言う)。

私は「ほとんど全員がそう言う」ことは原則として信用しない。

なぜ、引越のあとテレビの設定をしてもらうために電気屋を呼ぶことはできるが、パソコンの設定のために「パソコン屋」を呼ぶことができないのか。

理由は考えれば分かる。

電気屋やガス屋という仕事がありうるのは、それぞれに実定的な技術の体系があるからである。

実定的な技術の体系がある、ということは、電気やガスについては、技術革新が基本的に「ロック・オン」した、ということである。基本原理はもう変わらないで、細部の調整しか残されていない。

コンピュータは「そうなること」を忌避しているのである。

ロックオンしようとすれば、できる。

ある程度の利便性はもう十分確保されている。いまやっているのは、不必要なまでの「速度」と「容量」の増大だけである。

光ファイバーだのなんだの言っているけれど、それで何がどうなるというのか。

パソコンのDVD で映画が見られる?

テレビで見ればいいじゃないか。

音楽がダウンロードできる?

CDくらい買ってやれよ。むこうもそれで生計立ててるんだから。

そんな「どうでもいいこと」のために、コンピュータ業界は必死で技術革新を続けて、そのせいで、「短期的に数十万円するマシンがゴミになる」ように業界全体が孜孜として努力しているのである。

いったい、どこの世界に消費者に大枚払って買わせたものをゴミにするため「だけ」に努力する業種があるだろうか?(マッキントッシュIIfxは90年発売時の価格は本体167万円だったが、その9年間の中古屋価格は1000円である)

たしかにコンピュータと自動車はある意味で資本主義の最後の砦だ。

いずれも高額商品が(まだ十分使えるのに)短期的に無価値になるように消費者の欲望を構造化することで成立している。

だが、高額で購入した商品がゴミになることを、消費者自身が嬉々として受け容れているというのは、冷静に考えればあきらかに「倒錯」である。

しかし、まさしくそのような「倒錯」の上に資本主義は成立しているのである。

電気屋と同じような業態での「パソコン屋」が存在しない理由はそこにある。

電話一本でライトバンで駆けつけてくれる、設定とメンテの「パソコン屋」が存在しないのは、そのような業態が安定的に営業できるためには、どこかでコンピュータの「無意味な進化」が停止し、技術のロック・オンがなされなければならないからである。

「あ、これね。よくある故障なんすよ」というふうに「パソコン屋」がくわえ煙草でだらだらパソコンをいじるというようなことが現出するためには、少なくともコンピュータの基本的な仕様変更が終了していなければならない。

それは言い換えれば、パソコンがテレビや洗濯機と同じような家電の一部になるということである。

だが、テレビや洗濯機を二年ごとに買い換える人間はいない。

だから「コンピュータを家電にしてはならない」というのがコンピュータ業界の統一意志なのである。

そのためには仕様変更をシステマティックに続けなければならない。そして、新製品を絶えず「ゴミ化」しなければならない(いまのパソコンは60年代にアポロ計画で宇宙船を月に飛ばしたときのNASAのコンピュータより演算能力が高いのである。そんな高性能が誰にとって必要なんだ?)

だが、どこかで、ぱたりとこの資本主義的倒錯へのリビドー備給が停止するときがくるだろうと私は思っている。

そのときにはじめて「パソコン屋」が登場して、「だんなさん、この98年もののAptivaまだあと五年は行けますよ。どうせワープロユースだけなんでしょ。OSだって、98で十分動きますってば・・ちょいちょいと、はい、おしまい。ま、お代は1000円も頂いとこかな」というような穏やかなパソコンライフが始まるのであろう。

その日が来るのも遠くないとウチダは信じている。

いずれにせよ、在京の芸術監督の指示に従って、ウチダのための個人的「パソコン屋」をやってくれる方(芦屋近隣にお住まいの方ね)を募集しております。仕事内容とギャラは上記の通り。夏休みのお小遣いに困っているオタクな青少年のオッファーを待っております。


8月5日

東大の副学長がカラ出張で辞任した。

日本学術振興会の科研費から3年間に支給された出張費900万円のうち500万円が実態のないカラ出張だった。

理由について、ご本人がこんな言い訳をしている。

科研費は単年度決算なので、その年度に支給された分は年度内に執行しなければならない。年度の初めにはまだお金が降りない。だから、「プール」する必要がある。

国の予算は全部そうである。

年度を越してお金を余らせることが許されない。

だから、その年度内に支給された予算が使い切れない場合は、年度末に「要らないモノを買って」予算の帳尻を合わせるか(これは合法)、年度途中に「カラ伝票」を切って(これは非合法)を金をプールしておくか、二つしか方法がない。

私が某公立大学の助手で、研究室の予算を管理していたときはこの二つをやっていた。

ある年の春休みに家で本を読んでいたら、大学の経理から電話がかかってきて、今年度ついた補助金をおたくの研究室だけまだ執行していない、なんとかしろと言ってきた。

別に研究室で申請した予算ではない。上からばらまかれてきたものである。

百万円以上の額がまるまる残っているという。

それをいつまでに使えばいいのか聞いたら、明日までだという。

そんなのムリだと言ったが、明日までに領収書を揃えておけとガチャンと電話を切られた。

しかたがないので新宿の専門書店に行って、これこれの事情なので、「100万ほどみつくろって」と頼んで、「棚ごと」本を買ってなんとかつじつまを合わせたことがある。

カラ出張も行われていた。

ほとんど全学科の全教職員がやっていたはずである。

なにしろ起票システムそのものがほとんどカラ出張を前提にした書式としか思えないものだった。領収書も、旅行計画書も、旅行報告書も何も要らない。ただ氏名と旅行先と旅行目的をずらずら書けば、現金が費目の上限までポンと支給されるのである。

おそらく教職員の中には、これを「給与の一部」と考えていたものもいただろう。

本俸を上げずに手取りをふやすために、適当な費目で現金を支給するということは労使間の「悪しき慣行」として(しばしば賃上げ要求に対する「妥協」の方策として)広く存在したものだからだ。

こういうふうにザルから水がもれるように日本の役人たちは長い間「税金」を垂れ流していたのである。

いまでもその体質はほとんど変わっていない。事情は省庁の外郭団体とか、公団とかいうところではもっとすさまじいのであろう。支給された予算を職員で山分けするためだけに存在する特殊法人も山のように存在するに違いない。

東大の副学長のように、それなりに本務もこなしている公務員でさえ、あれだけいい加減に予算を執行しているのである。だらけた公務員がどれほど税金をドブに棄て、懐にしまい込んでいるのか、想像を絶するものがある。

国家予算の相当額はそんなふうな仕方で「空費」されている。

しかし、私はここで深甚な疑問に逢着する。

なぜ、この無駄使いを取り締まることに行政はかくも不熱心なのであろうか。

あるいは、他のことではいろいろと教育にうるさい文句をつける経済界の方々が、こと「大学における税金の無駄遣い」については、なぜ一言の批判もなされないのか。

私に想像できる理由は一つしかない。

それは、「税金の無駄遣い」を「望ましい」と思っている方がそちら方面に多い、ということである。

考えれば分かる。

人は「自分の金」を使うときはシブチンだが、「他人の金」を使うときはたいへん気前がよくなる。

「カラ出張」で手に入れた数百万円は、本俸で頂く数百万円よりも、ずっと「乱費」されやすい。いかに悪逆非道の役人であっても、税金の上前をはねておいて、それをカメに退蔵して床下に埋めるということはしない。総檜造りの家を立て、ベンツに乗り、銀座で豪遊し、愛人にマンションを買い与える・・・という方向に彼の消費動向は宿命づけられている。

「濡れ手で粟」で手に入ったお金は、すみやかに社会に還元される。

これが「税金垂れ流し」のある種の経済効果なのである。

公務員を減らし「小さな政府」で健全な財政を・・という方向にほとんどの人が頭では同意しながらもイマイチ気分が乗らないのは、公務員が余るほどいて、「大きな政府」が信じられないような無駄遣いをする国家の方が、なんだかんだいっても消費活動は活発になるということをみんな知っているからである。

高速道路なんて作る必要がないということをみんな分かっていながら、とりあえずあれだけの数の政治家と官僚が必死になって赤字高速道路の建設を続けようとするのは、まさにそれが「無駄」だとわかっているからである。

「無駄なもの」に投じられたお金は、「有益なもの」に投じられたお金よりも、速く運動する。

これこそは(あまり知られていないことだが)経済活動の基本原則なのである。

「無駄なものに投じられたお金」は最後までそれと同質の「無駄なもの」に投じられ続ける。一方、「有益なものに投じられたお金」は、その後「有益なもの」以外の使途を避ける傾向にある。

「無駄な高速道路」を作るゼネコンは下請けに対する支払いでそれほどシビアな値切り方をしない。(だって、もともとが入るはずもなかった「あぶく銭」なんだから)

下請けの社長は、「あぶく銭」が入ったので、社員にボーナスを出し、自分は「ベンツ+愛人」方面に消費行動を加速させる。

社員は「けっ、誰も使わねえ高速道路を作ってボーナスもらっちまったぜ」と腐って、こんな悪銭身につけちゃ汚れるぜ、とばかりに不要不急の消費財に投じてしまうのである。

人間というのは、そういうものである。

現に、私は大学から貰った給料は「正当な対価」であるからけちけち預金しているが、出版社から振り込まれる印税は「あぶく銭」なので、アルマーニやらシャンペンやら色紋付などに投じて惜しまないのである。

「お金に色がついているわけではないし」と笑う人がいるが、それは短見というものである。

お金には色がついている。

「無益なものに投じられたお金」は、どこまでめぐりめぐっても無益な使われ方を求める。

正規の労働で得た賃金は退蔵され、不労所得はドブに棄てるように使われる。

前代未聞の不況下にある経済界産業界の方々が所得のありかたとしてどちらをより望ましいと思っているかは、考えるまでもない。

資本主義は構造的に公務員が腐敗することを要求する。

公務員が廉潔で、かつ資本主義が栄えるということはありえないのである。

私たちはそのどちらかを選ばなければならない。


8月4日

たまった用事をさくさくと片づける。お掃除、洗濯、アイロンかけ、あれこれのお礼状を書いて、洋泉社の再校を仕上げて宅急便で送り、それから大学へ行って成績をまとめて提出。

これにて、ようやく「前期の仕事」が終了。本日、午後四時をもって「夏休み」スタートである。

やれやれ。とにもかくにも生きて夏休みを迎えることができた。

さすがにここまでたまりにたまった疲れで、家に戻っても、頭がぼうっとして、動かない。

いまのうちに片づけておかないといけない原稿がいくつもあるので、帰るとすぐに机に向かうのだが、どうしたことか、一行も書けない。

ウチダは何も考えずに、ただ「霊感」の赴くままに、「お筆先」状態で原稿を書く人間であるので、憑依されないとただのボンクラである。

『ミーツ』の原稿も、調子がいいときは1時間足らずで書いてしまうのであるが、今取り組んでいる第六回目の原稿などはもう10時間くらい書いているが、ぜんぜん先へ進まない。

こういうこともある。

こういうときに限って、突発的な仕事が入ってくる。

ひとつひとつはたいした量ではないので断りにくいのだが、それでも資料を調べて、書いて、推敲して、ということになると、それだけで半日から三日は潰れてしまう。

先方は数ヶ月に一本のつもりで気楽に頼んでくるのであろうが、そういうのも「積もれば山」である。

指折り数えてみたら、「そういう仕事」をまじめにやっていると、それだけで一月半の夏休みはあらかた終わってしまう。

そんなことになってはレヴィナス老師にも国文社の中根さんにも会わせる顔がない。

なんだか、仕事をすればするほど不義理がふえ、私に対して腹を立てる人が増え、世間がどんどん狭くなってゆくような気がするのは私の錯覚であろうか。


8月3日

土曜はヤベッチの送別会。

ミネソタの州都セントポールという街に、二年間日本語教師のお仕事ででかけてしまうのである。

その壮図を祝して「うまのはなむけ」の一席を設けた。

シャンペンの乾杯から始まって、恒例のミュージカル版「お別れの歌」(ヤベッチ大泣き)、最後は全員で桑田佳祐の「希望の轍」を合唱して終わるという、初夏にふさわしい趣向のパーティであった。

矢部くん、元気でね。

 

翌日は例によって二日酔い。

昼過ぎまで寝ていて、ぼわっと起きだしてぬるいシャワーを浴びて人心地がついたところで、たまりにたまったレポートの採点。成績締め切りは5日であるが、前期が終わってからあと目の回るような忙しさでゆっくり机に向かってレポートを読む暇とてなかったのである。これを提出して、ようやく前期の仕事が終わる。

夕方に仕事を終えて、冷たいそばを啜ってぼわっとしていると花火が上がる。

芦屋の浜で花火を打ち上げているのである。

芦屋の花火を見るのは5年ぶりである。ベランダからもよく見えるが、エアコンの排気音でやや風情が殺がれるので、芦屋川の畔まで歩いて、涼風になぶられて橋の上から正面の花火を見る。

浴衣姿の人々がちらほらと夜空を見上げている。「橋に鈴なり」と言いたいところであるが、芦屋川の花火見物はまことに静かなものである。

本日をもって「節酒」を決める。

ガンマGTPも75で、別に内臓的には問題はないのであるが、さすがに寄る年波、飲んだ翌日に肝臓がフル回転してしまうと、頭にさっぱり血が回ってこない。

頭に血が回らないと商売にならない。

「禁酒」ということになると、社交上の差し障りがあるので、とりあえずは「節酒」である。

飲酒の問題点はつねづね申し上げているように、「そろそろ盃を置く加減かな」という「みきわめ」能力が酩酊と同時に消失してしまう点にある。

つまり、酩酊の本質というのは、「節度の喪失」ということにあり、それに尽きるのである。だから「節度をもって酩酊する」というのは、「死なないように殺す」というのに等しい論理矛盾なのである。

その論理矛盾にあえて挑むのが「節酒」という難事業である。

つまり「節度の喪失点」point of no return ぎりぎりの手前、ほんのり頬が紅潮した微醺(「びくん」と読むのだよ)というあたりで、さらりと杯を措いて、「これはちと、つい興にのって、過ごしましたようで・・・」と蹌踉と席を立つというようなのが、つきづきしくてよろしいのである。

こういうことができるようになると、男も一人前である。

ウチダもそろそろ五十路も半ば。いつまでも飲んだら最後「らりらりらー」というわけにはゆかないのである。