五月の鯉の吹きなが思想家の冒険

Les aventures d'un penseur sans fond: depuis janvier 2003



9月30日

My Birthday

ウチダもついに53歳となりました。(るんちゃんによると「ゴミの年」)

関係各方面からのさまざまなバースデイ・メッセージ&プレゼントに感謝致します。

これほど多くの方から贈り物とお祝いの言葉を頂いたのは、わが人生ではじめてであります。

みなさん、どうもありがとう。

大学院の演習に行ってドアを開けたら、「ハッピーバースデイ」の合唱でお迎えして頂いた。

教師を長くやっているが、教場で「ハッピーバースデイ」を歌って頂いたのははじめてのことである。

みなさん、どうもありがとう。

 

東京から「娘と母」がやってくる。

甲野先生と別件でお電話していて、「いま、東京から娘と母が来ているんです」と申し上げたら、電話の向こうが一瞬「しん」とする。

「あ、違います。娘と『娘の母』じゃなくて、『私の娘』と『私の母』です!」

とご説明する。

よけいな説明だったかしら。

るんちゃんと母とビールを飲み、「鯛のお刺身」「おひつまぶし」「柳川」などを頂く。

祖母と孫は、このあと三日ほど我が家に滞在される予定である。

母は三軸自在の三宅先生に膝の治療を受けるのがメインのご用事。るんちゃんは「幼なじみ」たちとの久闊を叙するご予定だそうである。

 

インプレッサを車検に出した。

一日車検で、さらっと戻ってくる。

走行すでに7万キロ。ぼちぼちBMWに買い換えようと思っているのであるが、インプレッサはこれまで一度も故障したこともなく、けなげにくいくいと走ってくれているので、あまり非人情なこともできない。

ステアリングを撫しつつ、「よしよし、もう二年くらい、いこか」と声をかけると、インプレッサは「くうん、くうん」とかわいい声で答えてくれる。

そーか、そーか。


9月29日

日曜日は下川正謡会の「歌仙会」。

歌仙会というのは本来、素謡・仕舞を36番やるものであるが、それほど長い番組ではない。

でも、10時半はじめで終わったら午後5時を回っていた。

私は「融」の仕舞・独吟、素謡「山姥」のワキ、素謡「鉢木」のワキツレ。地謡が「神歌」「梅」「邯鄲」「安宅」「野宮」そして「玄象」。

「玄象」(げんじょう)はウッキーの初仕舞である(「鶴亀」の独吟が初謡い)。

「獅子には文殊や召さるらん」から始まるこの仕舞を、能楽を習う人々はだいたい最初に舞うのである。

「ゲンジョー」という音だけ聞かされてお稽古していたので、おそらくウッキーはこの「玄象」が、『陰陽師』で安部晴明と源博雅が羅生門で鬼から取り返した琵琶の名器の名前だということは知らないかもしれないけど、実はそうなのだよ。

私だって、最初聞いたときは「ゲンジョー」というのは「三蔵法師」のことかしら、と思っていたんだから。

 

仕舞も謡も大過なく終わり、下川先生にも「仕舞、だいぶよくなりましたね」とお言葉を頂き、ほっとして帰宅。

他のことではあまりプレッシャーを感じないウチダであるが、能のイベントだけはどっと疲れる。そのまま死に寝。

 

月曜は「仕事始め」。

卒論中間発表会。12時半はじめで終わったら、日もとっぷり暮れた6時半。

今年のゼミ生は16名だとばかり思っていたが、よく数えてみたら17名いた。

長丁場であったが、みんなテーマが面白いので、わくわくしながら聞く。

個人的にはK満くんの「ワルモノと共生する方法」と、I田くんの「兵法」の研究の、「いったい、どこからそんなテーマがでてくるの?」的意外性に爆笑。

みんなそれぞれに、かなりよいものが書けそうな予感がする。

がんばってね。

発表後、14人連れで「民芸ふじや」に乱入。

一仕事終えた解放感で、わいわい大騒ぎする。

 

帰りの電車で、K満くんからご質問

「先生、後期の体育の授業の『マクラミチ』って、どんなことやるんですか?」

「?」

「いや、友達が、後期の体育何とろうか考えてて、『ウチダ先生のマクラミチって、面白そうだから取ろうかな』って言ってたから」

「あのね、あれは『枕道』じゃなくて、『杖道』なの」

これまでいろいろな読み違えを経験したが、「マクラミチ」はベスト3にいれてもいいね。

杖道の最初の授業はTAのウッキーにお任せした。(卒論の中間発表とのダブル・ブッキングを忘れていたことを合宿の帰りの車の中で思い出して、「ウッキー、あとは頼んだ!」とおしつけちゃったのである。)

そつのない弟子がいると、物忘れの多い教師はほんとに助かる。

ウッキーどうもありがとう。

よき師、よき友、よき弟子に恵まれて、ウチダはほんとうに幸せ者である(泣)


9月27日

桜台合気道クラブ創立10周年記念祝賀会。

 

桜台合気道クラブは自由が丘道場の先輩、今崎正敏師範の主宰される道場である。

今崎先輩は私とは学年は1コ違いであるが、武蔵工大合気道部のご出身であるので、キャリアは私より7年上となる。

先輩は温厚にして篤実、そして、たいへんスマートな方であり、私は自由が丘時代から親しく私淑してきた「人生の先輩」である。

 

今崎先輩とどれほど長い時間を稽古や稽古後の宴会やもろもろの会議やイベントでごいっしょしたかカウントできないが、その27年のご交遊の中で、私は一度として今崎先輩が怒ったところを見たことがない。誰かの責任をことあげしたり、言い訳をしたり、愚痴をこぼしたことも見たことがない。

先輩はいつも真っ黒い顔に機嫌のよい笑顔をたたえて、多田先生に仕え、先輩を立て、後輩を気遣い、お弟子たちを優しく指導してきた。

 

笹本猛先輩と、この今崎正敏先輩は私にとって「自由が丘道場の母性的部分」を代表する方々である(ということはもちろん、「父権的・抑圧的」パーツもちゃんと担当者がいるのである。O田さんとか、K堀さんとか、ウチダとか、ね)。

 

でも、ひとつの道場が40年余にわたって栄えるためには、今崎さんのような「許し、譲り、、包み、気遣い、慰める」人が絶対に必要なのである。

多田塾という道場がほかのどんな師範の系列道場と比べても親密な組織であるのは、「母性的部分」を担う先輩たちに傑物が揃っていたことが与って大きいと私は思っている。

 

私が今崎先輩から教えて頂いたことのうちで、いちばん印象深い言葉をご紹介しよう。

今崎先輩はミラノの行っている間に建築事務所でインテリアデザイナーの仕事をしながら多田先生のお手伝いをされていた。

「でもね、ウチダさん。イタリア人て、ときどき大きいのがいるの。190センチ、100キロなんていうのが。それががばっと両手で握ってこられると、なかなか技なんかかからないんだよね」

「ふむふむ」

「でもね、絶対に技がかかる秘密の方法があるんだよ」

「え、先輩!どうするんですか?」

「オトモダチになるの」

 

私はこの今崎先輩の言葉に虚を衝かれた。

合気道とはひとりひとりの蔵する命の力を最大化し、それを宇宙の摂理にかなうように正しく用いるための、総合的な「生き方の術」である。

多田先生は繰り返しそう教えておられる。

その原理に照らしたときに、今崎先輩の「オトモダチになるの」という戦略はこれ以上ない、「ベストの選択」というほかない。

 

「天下無敵」と言う。

その言葉を私たちは「どんな敵に出会っても、戦って勝つ」という意味であると因習的に理解している。

しかし「無敵」の本義は「敵がいない」ということなのである。

敵がいなければ、戦うも勝つ必要もない。

 

今崎先輩は言葉も十分に通じない異国の道場に身を投じたときに、瞬時にして、相手のうちに「この人とオトモダチになりたい。この人と気分よく合気道の技をかけあって、コミュニケーションしたい!」という欲望を点火することができたのである。

他者の欲望に点火する、というような芸当は、ただへらへらしていればできる、というものではない。

今崎先輩の腕を最初に握ったイタリア人は「けっ、日本から来たって、なんぼのもんじゃい」というようなアグレッシヴな気分でいたに違いない。

そのような攻撃的な気分を解除するためにはそのイタリア人(仮にウンベルトと呼ぼう)の心の中に次のような思考の流れが一秒間のあいだになければならない。

「なんぼのもんじゃ・・・あ・・・・やばい。こいつ、けっこう強いわ。うかつなこと仕掛けるときつい返し技来そうな気がするな・・・やだなー。こまったなあ。どうしよう。デル=ピエロもロベルトもこっち見てるしなあ。こまっちゃったな。あれ、この日本人、にこにこしてる。なんだか親切そうな感じだなあ。平気なのかなあ。こっちの技もきれいに受けてくれるみたいな感じがするなあ・・・とりあえずオトモダチになっちゃとこかな。とりあえずだけど」

というような思考の流れがウンベルトの中に存在したのではないか、とウチダは想像をたくましくするのである。

言うのは簡単であるが、「こういう気分」を見ず知らずの他者のうちに、出会い頭に醸成するというのは、たいへんに高度な技術なのであり、駆け出しの武道家のよくなしうることではない。

私は今崎先輩の「オトモダチ」戦略を聞いたときに、(それまでも、先輩の切れ味のよい技には深い敬意をいだいていたのであるが)「この先輩はホンモノだ」と深く確信したのである。

爾来、ウチダもまた「オトモダチ」戦略を全方面的に展開していることはご案内の通りである。

それは「なめんなよ」と「はいほー」という矛盾したメッセージを同時に発信することによってしか成就されない。

けっこう高度な技なのだよ、これが。

 

祝賀会の主賓はもちろん多田先生である。

乾杯の音頭は稲門合気道会の若林さん(早稲田大学合気道会の初代主将)。武蔵工大で今崎先輩と同期の関本部指導部師範からご挨拶を頂き、自由が丘の「大御所」亀井格一師範、多田塾の「官房長官」坪井威樹師範、北総の山田博信師範、武蔵工大合気道部初代主将、奈良県支部の窪田育弘師範という「多田塾四天王」がそれぞれに心のこもった挨拶をしてくださった。

来週は多田先生と成瀬師の「武道とヨーガ」トークがあり、再来週は多田塾合宿であるから、工藤くんはじめ、今日来たほとんどのメンバーとは三週連続で顔を合わせることになる。

多田先生ともけっこう長い時間お話できたし、ひさしぶりにかなぴょんとも会ったし、内古閑くんから新婚生活の様子もうかがったし、雑賀さん(少し痩せた?)、北澤さん(さらに痩せた?)、鍵和田くん、工藤くん、井上くんら気錬会の諸君とも久闊を叙すことができた。(ツッチーはこういう「道衣以外のものを来てひとが集まる場」には来ないらしい、残念ながら)。しかし、なぜか(うちの合宿でもここでも)「不在のツッチー」をめぐる話題は妙に盛り上がる。けだし人徳。

笹本さん、岡田さん、小野寺さん、小堀さん、浅井くん、西田くんら、自由が丘の旧友ともあえた。

日帰り横浜というタイトなスケジュールではあったが、たいへんに有意義な一日ではありました。

では、諸君、また来週!


9月25日

自己評価委員会。

学校が始まり、ぱたぱたと委員会が相次ぐ。

ほかの委員会はともかく、自己評価委員会は私が招集者であるので、ご多用なみなさまを集めておいて「今日は何の話なの?」というようなへらへらした態度をとることが許されない。

やむなく二ヶ月間まったく使用していなかった「自己評価委員長あたま」というものを作動させる。

すると驚いたことに、この委員会までに準備しておかなければならなかった書類が3点まだ未着手であることが判明した(ほんとうはなんとなく「そういう宿題があるのではないか・・・」という不安が夏休み中も兆していたのであるが、抑圧していたのである)。

必死になって「6月段階の脳の状態」を再生して、「そのころ考えていたこと」を解凍する。(6月以降は例の「トップ100校作文あたま」というものにシフトチェンジしていたので、「自己評価委員会あたま」は停止していたのである。不自由なものである)

ありがたいことに、ちゃんと解凍されて出てきたので、それをパソコンにばしばし打ち込んで会議資料を作成する。

教員評価システムは八月のセミナーで伺った早稲田、東海大、岐阜薬大のケーススタディからいろいろ学ぶところがあり、改善のアイディアが浮かんだので、それを提案させていただく。

ついでに理事会改革についての私案も提言させていただく。

契約教員・任期制についても提案する予定であったのだが、あまりに議題が多いのでこれは割愛。

 

「忙しいときには忙しいやつに仕事を頼め」という古諺があるが、これは他にも応用が効き、「はやく決裁したい事案があるときは、決裁を急ぐ事案を次々と提言する」というのも経験的にはなかなか有効である。

そういうふうに喫緊の議題が目白押しとなると、最初の方の案件についてぐじぐじ議論することが何となくきぜわしくなって、「じゃ、まあ、他に急ぎの案件もあることですし、この件はあれする、ということで・・」というわけのわかんない「まとめ」が雰囲気的には可能になるのである。

「とりあえずあれして」とか「それは、なにしときますから」とか「ま、みなさんそれぞれに、よく揉んでもらうということで」というのは、簡単には合意形成のならない複雑な問題を「処理」するときの便法である。

「あれして」おくと、その事案はしばらくぼんやり宙に浮いているうちに、なんとなく「風景」に同化し、いつのまにか「おでこのにきび」とか「めばちこ」とか「インプラントの前歯」とか「もののはずみで同棲しちゃった相手」などと同じように、「そういうものがある」ということに私たち自身がしだいに慣れてきてしまうのである。

不思議なもので、最初のうちはかなり違和感のある事案であっても、そうやって「あれして」おくうちに、「ま、あれも、なんだわな、そうそういつまでも、あれしておくままというのも、かっこつかんわな」というふうにシステムにビルトインされてゆくのである。

これはほんとうである。

ウチダは「患部特定・病巣摘出」型の問題解決を好まない。

むしろ、システムの「免疫力の向上・異物包摂機能の拡大」がいつのまにか問題の「非問題化」をもたらしきたす、という解決を好むのである。

これは社会理論としてもそれほど悪くないと私は考えている。

 

教員評価システムはいまの本学にとってある種の「異物」である。

私は大学というものを「ピュア」なシステムにしておくことがよいことだとは思わない。

あらゆる組織体は適度に「あいまい」で「でたらめ」であることを常態とする方が生存戦略上有利だからである。

私が教員評価システムを導入することに意義を感じているのは、別に斉一的な査定システムが必要だと思っているからではない(私がこの世でその有効性をもっとも信じていないものは「斉一的な査定システム」である)。

そうではなくて、それが本学の現在の「斉一的なシステム」に「乱数」を導入すると思うからである。

システムを活性化するためにもっとも有効なのは、実定的な「他のシステム」をそれに対置させることではない。

「乱数を発生する装置」をビルトインすることである。

 

委員会のあとは合気道のお稽古。

「邪道一級」の一年生五人がちゃんと来ている。

今日は「手」を教える。

武術は「足踏み・胴づくり・目付・足捌き・手捌き」と五段階の技術的階梯があるが、「手」はその中でもっとも精妙なものであり、なかなかこれを教えるところまでたどりつかない。

合宿でみんな結構からだの動きがよくなってきたので、今日は「ごほーび」に「手」を教える。

「おばけ・十円ちょうだい・空手チョップ」という手の変化による「入り身投げ」をしてみる。

みんなわいわい笑いながら稽古している。

 

スタンフォードに1年間留学していた飯田祐子先生が帰ってくる。

みんなで「おかえりなさーい」と唱和して、さっそく飯田先生に投げてもらう。

合気道の挨拶に言葉は要らない。

体の変化に応じ、呼吸に応じ、気の発動に応じる、という仕方でコミュニケーションはきちんと取れるのである。

よいね、合気道は。

 

さっそく稽古後、飯田先生とウッキーと三人で生ビールを飲みに行く。

飯田先生不在の一年間に女学院&合気道関連ワールドに頻繁に登場するようになった「江さん」「タチバナさん」「国分さん」「ドクター」「たにぐちさん」「だいはくりょく」「ナガミツ」「ミヤタケ」「マツムラ」などという人物について説明を求められるが、「ま、会えばわかるわな」。

飯田先生はぜんぜん変わっていない。

最後に「お見送り」の宴会を北野の「蓮」でしたけれど、なんだか、それが昨日のことのようである。

 

家にもどると光岡英稔先生からお電話がある。

光岡先生は8月の中国行きで、とうとう韓師範から王向斉意拳の「拝師」(中国語では「パイスー」と言うそうである)を許されたそうである。

おそらく光岡先生の意拳はこのさき米国と日本で21世紀の「コア武術」の一つとなるだろう。

再来週のWBA世界スーパーフライ級タイトルマッチを控える本田秀伸選手から光岡先生にぜひ観戦してくださいという伝言が届いたそうである。

4日の試合はリングサイドで三宅先生、光岡先生、K−1の角田さんと私の「四人組」が本田選手の応援をすることになる。(不思議なメンバーである)

三宅先生の腹案ではそのあといっしょに「ちゃんこ」を食べにゆく予定らしい。いったいこのメンバーでどんな話題が展開するのであろうか。わくわくするね。

光岡先生を取り巻く「時代の風」もだんだん加速してきているようである。

 

その翌日は多田先生と成瀬雅春師の「武道とヨーガ」のトークであるが、なんと、この会場には池上六朗先生も来られるのである。(光岡先生も時間があれば、ぜひ来て欲しいものである)

同一空間に多田宏・成瀬雅春・池上六朗という現代日本の「畸人」が集うわけである。(光岡先生も来られれば「四大畸人」だ)

この「濃さ」はすごいぞー。

この四人と個人的に面識があるのは、たぶんその会場で私ひとりなんだよね、これが。

この「歴史的出会い」の場に立ち会える人はほんとうにラッキーだと思う。


9月24日

金井淑子さんから『岩波・新哲学講義 共に生きる』の執筆箇所のコピーが送られてきたので読む。

金井さんは今度岩波書店から出す『応用倫理学講座』の「性/愛」の巻の編集責任者で、私はその巻に「セックスワーク」について書くことになっている、という話は前にしましたね。(10月末締め切りだから、そろそろ書き上げないといけない)

その金井さんの論文はなかなか刺激的な考想に富んでいて、私は立ったりすわったり腕を組んだり嘆息をしたりしつつ興味深く読んだ。

そのなかの一つの論点について、私なりに考えてみたいと思う。

別に反論というのではなく(私は金井さんの議論には何の異論もない)、ただ同一の論点について、私は金井さんとちょっと問題の立て方が違う。同じ建物を別の角度から見るようなものである。

金井さんの共生論は「新たな親密圏」というキーワードの一つとしている。

近代家族解体論はフェミニズムの基幹的主張だが、この解体論には「強者の思想」あるいは「would be 強者の思想」という側面がある。

経済的・精神的自立をめざすことを無条件に価値とする場合、自立能力のない家族メンバー(幼児、老人、障害者、病人)などは近代家族の解体過程で無保護・無権利状態ににおいやられることになる。

もちろん「そういう弱者の面倒は行政がみるべきだ」という考えかたもできるだろうが、行政はベッドや食事は提供できても、ひとりひとを抱きしめ、ひとりひとりに自尊感情や承認感覚を扶植することはできない。

このような弱者への配慮のためには、抑圧的な近代家庭に代わる保護と癒しの場がなくてはすまされないだろう。

たしかに近代家族は多くの点で抑圧と虐待の温床となっており、おそらく現時点では「家族によって傷つけられる」ことのマイナスの方が、「家族と共にあることによって癒される」ことのプラスを凌駕しているというのも悲しいかな事実である。

しかし、家族の中で深い傷を負い、自尊感情をはぐくむ機会を失ったものは、家族から離脱して浮遊するだけでは、少しも救われない。

「自尊感情を解体されたまま不安や嗜癖問題を抱えていることも少なくない彼らにとってこそ必要なのは、彼らの自尊感情を育む場であり、また自己回復のためのさまざまな物語であろう。さまざまな事情で家族と距離をとったり家庭を捨てざるをえなかった者たちの新しい居場所、自己解放の場、疑似家族空間ともいうべき場と関係性が、社会の中でさまざまなレベルでいま問われているというべきなのだ。」(77頁)

以上のような問題意識をふまえて金井さんは近代家族に代わるオルタナティヴな「親密圏」、共生の場を望見する。

私はこの理路には異論がない。

私は骨の髄までビジネスマインデッドな人間なので、どのような社会制度についても、「この制度は、いかなる人類学的起源を有するものか、これまでどのような歴史的使命を果たしてきたのか、現状では、どのような点で制度疲労や機能不全を起こしているか、どのへんを補正すれば使い延ばせるか、どのあたりのタイミングで修理を断念して『新品』に乗り換えるか」というふうな問いの立て方をする。

私がフェミニズムの議論で不満なのは、フェミニストが家族制度の「人類学的起源」「歴史的使命」にあまり興味を示さないということと、「補正と買い換えの損益分岐点」という計量的な問題を無視しがちなことである。

自動車やパソコンを買い換えるときには、「まだ使える」のか「もうダメ」かについて、けっこう真剣な計量的思考をされるはずの人々が、こと社会制度については、いきなり「廃絶」という革命主義的方針を好まれるのは、ウチダには理解しがたいことの一つである。

金井さんは「革命主義的フェミニスト」ではなく、制度の劇的なシフトによって一挙に公正で平等な社会を実現することを望む綱領的立場には懐疑的なまなざしを送っているように見受けられる。

金井さんが「とりこぼし」を恐れているのは、勇ましい家族解体論が見落としがちな、「家庭内弱者の救済」、「女性の身体性」、「子どもを育てる場における性的差異の意味」といった問題である。

金井さんはそのような言い方を慎重に避けているけれど、端的に言えばレヴィナスのいうところの「女性的なもの」、柔和さ、ぬくもり、癒し、受け容れ、寛容、慈愛、ふれあい、はじらい、慎み深さ・・・といった「贈与的ふるまい」の重要性からおそらく金井さんは目をそらすことができないのである。それがどれほど近代家族イデオロギーの中で手あかのついてしまった概念であったとしても、やはり親しみの場は、そのような「女性的ふるまい」抜きには成り立ち得ないだろう。

このような考想を、構築主義者たちは「女性性を実体化する本質主義」としてばっさり切り捨てるだろうが、私は自分自身が「近代家族」を一度は子どもとして、一度は親として営んだ経験から、また「武道の師弟関係」という疑似家族的な親密圏において「学問的な師弟関係」という競争的序列的な人間関係の中で負った心理的な傷を癒され自尊感情を回復できた経験から、「女性的なもの」は親しみの場の立ち上げのためには、なくてはすまされないということを確信している。

この三種類の「親密圏」において「女性的なもの」の機能を担ったのは、最初は母であり、二度目は「母」としてふるまう私自身であり、三度目は「師」であった。

「女性的なもの」はレヴィナスの言葉に従えば「存在論的カテゴリー」であり、経験的な性別にはかかわらない。

「女性的なもの」の本質は「無償の贈与」である。見返りを求めない贈り物のことである。

私は金井さんのいう「親密圏」はこの「無償の贈与」の原理に基礎づけられるものだろうと思う。

レヴィナスは「女性的なもの」の原像を「ツィムツム」(収縮)に見ている。

ユダヤ神秘主義の創造説話によると、神の最初の行動は「おのれ自身のうちに退去し、そこに空間を作った」ことである。つまり、神さまが席を立って、その空席を「はい、どうぞ」と被造物に贈ったことによって天地は始まったとユダヤ神秘主義は教えている。

おのれ自身のうちへの「ひきこもり」。日の当たる場所からの退去によって、被造物たちが温もりを得られる「場」を作り出したこと、それが神の最初のみぶりである。

レヴィナスはこの「女性的なもの=神的なもの」のうちに、人間性と社会性、つまり共生のチャンスを根源的に基礎づける「倫理の最初の一撃」を見いだした。

しかし、この「無償の贈与」という考想はいまのフェミニズムからずいぶん遠いものであるように私には思われる。

というのは、「私は無償で贈与する」という主体的な言明は倫理性と親密性を基礎づけるけれども、「あたなは無償で贈与すべきだ」という言明はいかなる倫理性も親密性も基礎づけることができないからである。

「あなたは私以上に倫理的であるべきだ」という言明ほど非倫理的なものはない。

近代家族制度が非倫理的であるのは、「女性的なもの」(許すこと、受け容れること、譲ること、与えること、引き下がることをその本旨とするような存在性格)をある社会的立場の個人に「自然に内在するもの」とみなしたり、「制度的に要求しうるもの」とみなしたことに理由がある。

「女性的なもの」は中立的な概念ではないし、他人に求めるものでもない。

それは経験的性差にかかわりなく、「私」が他者に先んじて引き受けるものである。

そのような根本的な自他の非対称性を前提とした倫理性の原理は、「差異の解消」や「完全な平等の実現」の原理とはなじまない。

どちらがいい悪いということではなく、「すれ違う」しかないということである。

私が金井さんの紹介する性差別と障害者差別、弱者差別についてのフェミニズムの諸理説を一瞥して感じたのは、すべての思想運動が「被収奪感」に基礎づけられているということである。

「ほんらい私に帰属すべき社会的リソースが私から制度的に収奪されており、誰かが不当に受益してる」という「被収奪感」が、すべての「マイノリティ」の権利要求の基本感情をなしている。

もちろん、社会的公正の実現、正義の成就は人間が人間的であるために必須のものである。

しかし、それは原理的に「喧嘩腰」で語られる他ない種類の要求である。

だから、「正義の実現」が「被収奪感を感じている私」を基体とする限り、それに基づいて構築されるいかなる社会理論も、この世界に「親密圏」を立ち上げることはできないだろうと私は思う。

金井さんの議論がどこか苦しいのは「正義の実現」と「親密圏の立ち上げ」を同時に遂行できるような理論的実践的水準を探り当てようと悪戦しているからであるように私には思われる。

悲しい話だが、正義の実現と無償の贈与は両立しない。

正義とは「奪われたものを奪い返す」ことを求め、無償での贈与は正義に悖ることとされる。

正義は赦すことを許さない。

人間の人間性は、おそらくこの「社会的リソースの公平な配分」と「非相称的な贈与」に引き裂かれてあるという根源的な矛盾のうちに存する。

収奪は収奪、贈与は贈与である。

この二つは論理的に同一次元には存在することができない。

それを両立させるのは、矛盾を矛盾として生き、引き裂かれてあることを存在の常態とするような人間の成熟だけであると私は思う。

 

武道の稽古をしていると、不思議なことがいろいろわかってくる。

術において相手の「虚を衝く」ということができるのは、相手と私の間に「親密性の場」が成立する場合だけだ、というのもその一つである。

私と他者が敵対的な個体にとどまっている限り、「術」はかからない。

私たちが稽古している「抜き」や「浮かし」や「聴勁」や「気の感応」といった術理は、まさしく自他の「親密圏」の創出のためのものである。

「先を取られる」と、私たちの身体は自動的に「先」を「追う」ようになる。

それは甲野先生の術語を借りれば「身体がセンサーモードにシフトする」ということであり、皮膚感覚の感受性が最大化し、筋肉がゆるやかに伸び、目が半眼に閉じ、呼吸が深くなり、相手を「受け容れる」体制になる、ということである。それはある種のエロス的な体感に近い。

武道はなんとこの擬制された自他の親密性を利用して、相手を制し、傷つけ、殺す術なのである。

「術がかかる」のは、私と他者が「ひとつ」になったときだけである。

相手が私の身体の一部になったとき、つまり私の手足のような、私自身の分かちがたい、親しみ深い一部になったときにのみ、活殺自在の術は遣うことができるのである。

家族やエロスの場が親密圏であると同時に壮絶な相克と権力性の場ともなるのは、おそらくこの背理が人間の宿命だからではないか。

ならば、この背理の理論的「解決」をではなく、その背理をどうやって「生き延びるか」という実践的マナーを吟味することの方が私たちにとってのより緊急な思想的課題ではないのか。

私はそんなふうに考えるのである。


9月23日

母校東京都立大学の英文科の博士課程の院生のかたからメールが届く。

都立大はなんだか大変なことになっているようである。

石原都知事による都立教育機関の改革が進んでいるらしいのだが、恐ろしいことは「らしい」という以上のことを大学関係者がほとんど知らないということである。

密室のうちで、大学教職員の半数のリストラを含む、改革構想が進行中である「らしい」。

アピールは

(1)このような不透明な仕方で、大学構成員の意見を顧慮せずに機構改革を進めることは民主主義に悖るということと、

(2)在学中の学生院生に対しては、入学時に「これこれしかじかの学習環境を保証する」という契約が成り立っているはずであるので、その条件を在学中に一方的に切り下げるのは契約違反である、ということ

の二点について都に抗議するものである。(http://toritsueibun.hp.infoseek.co.jp/

趣旨にご賛同のかたは署名に参加してほしい、ということであったので、次のような留保条件をつけて賛成の署名をした。

 

都立大学英文学会御中

アピール拝読しました。/P>

たいへんですね。

みなさんのご苦労はもとは言えば、私たちかつての都立大学教職員が、「こんなことをやっていたらいずれつぶれるなあ・・・」と思いながら、コストパフォーマンスを無視した放漫な大学経営を放置してきたことの歴史的責任の「つけ」を払わされていることにある思います。

今日の事態を招来した責任のなかばは、「私の在任中に事件化しなければ、いい」というふうに、大学の問題の自己点検自己改革を怠ってきたこれまでの大学構成員にもあることは否定できません。

その点を含めて、できればアピールにはひとことでも、大学サイドが「ここにいたるまで」事態を放置してきたこと、都当局からその政治的実力をゼロ査定されるほど「なめられた」教育機関に甘んじてきたことについての反省のことばが欲しかったと思います(とはいえ、それはみなさん現在の学生院生の責任ではまったくないのですが)

という個人的なとまどい込みで、学生院生の学習権を保証せよ、という堂々たる正論については共感のアピールに参加させていただきます。

神戸女学院大学文学部総合文化学科 内田 樹

 

国公立大学ではどこでも、人文科学系を集中的に縮小するリストラ計画が進行中である。

都立の場合は(噂を信じるならば)、英文学科の教員が39名から5名以下にまで削減されるらしい。(すごいね)

仏文は私のいたころ教員が13名いたが、英文と同じ比率で削減されたら一人か二人になってしまう。

私はこれをたいへん悲しむべきことだと思う。

経済的リターンに直結する「実学」を優先させ、人文科学を軽視する風潮を悲しむだけでなく、上にも書いたとおり、「こんなに浮き世離れしたことばかりやっていて、若い世代の知的好奇心を賦活するという長期的なマーケット育成を怠っていると、いずれ私たち自身が路頭に迷うことになるよ」ということをずっと申し上げてきたのに、学界関係者からほとんど一顧だにされなかった私自身の暗い見通しが当たったことを悲しむのである。

この専断的なリストラは都立大学だけの特殊な事例ではない。

遠からず、日本のほとんどの大学で始まることである。

そういうことにならないうちに「はやめに自己改革の手を打っておきましょう」ということを私は本学でも繰り返し申し上げているのである。


9月22日

合気道の合宿が無事終了。

13日の午後に関空を出てから、ようやく10日ぶりに家に落ち着く。

合宿は恒例の神鍋高原の名色高原ホテル新館。今年もわれわれの団体貸し切りである。

ここを合宿所に定めてすでに7年。年二回だから13回目になる。

今年は、主将ウッキーの趣味で「体育会系合宿」というコンセプトで実施された。

さすが体育会系だけあって、まことに万端遺漏のない、手際のよさであった。(ウッキーごくろうさま)

しかし、多くの諸君がその中にあって依然として「宴会系合宿」というコンセプトを死守されていたのもまたまことに頼もしい風景であったと言わねばならない。

 

合宿を毎年同じ場所でやると、今年は誰がいて、誰がいないのか、ということがよく分かる。

今年は矢部くんもかなぴょんもおいちゃんも飯田先生もえぐっちもゴンちゃんもいない。

北澤さんも高雄くんもいない。

その代わりにめったやらたらに元気な一年生が5人いる。

「芦屋系」と称されるたいへん熱心な「お兄さんとおじさんのデリケートな境界線上の諸君」もいる。

人は来たり、人は去る。

7年間全日程皆勤はついに私ひとりとなってしまった。

そういうものなのよね。

やがてあの元気な一年生たちも幹部となり、卒業式でおいおい泣きながら、後輩たちに「合気道部の伝統を受け継いでね」と檄を飛ばすようになるのであろう。

ううむ。

などとしみじみ思いつつ、朝来の黒豆ソフトを食べる。

鏡を見ると、ウチダもめっきり鬢の白髪が目立つようになった。

私があとここにこられるのも何回であろうか・・・と播但道の秋の青空を見上げながら考える。

 

合宿ではしばしば新しい段位発行団体が新設されるのであるが、雨後の竹の子のように叢生する泡沫団体の中にあって、なお今日に存続して盛名をとどめているのは、かなぴょんを「宗家」とする全魔連(全世界魔女連盟)と、えぐっちを「家元」とする全駄連(全日本駄洒落連合会)の二団体のみである。

今回は両家元とも不参加であったために、合宿で飛び交う「段位認定」の嵐が見られず、いささか寂しい思いをかこっていたのであるが、ここにその空隙を補填すべく、ウチダを家元とする新団体、宗教法人「邪道」が発足したことは近年まれなる慶事としなければならない。

「邪道」は日常の所作のなか、善男善女の心のうちにふと萌すよこしまなる言動に対して段級を認定するものであり、「作為なき悪意」、「汚れなき邪心」の人間的価値を顕彰することを本旨とするものである。

「邪道」の段級は申請手続きを要さず、単にウチダが「邪道初段!」というふうに、その言動を格付けすることによって、本人の同意抜きに自動的に授与される。

今回の合宿では「汚れなき悪意」を連発したウッキーに(とくに「タオルわざ」の鮮やかさへの評価が高く)「邪道三段」が授与された。

杖道の稽古中の傍若無人の態度に対してセトッチには「邪道二段」が、また森川副将への安眠妨害工作にたいして一年生全員に「邪道1級」が授与されたことも付け加えておきたい。

さらに邪道十段位、邪道師範号、邪王、邪帝、邪神など、さまざまな格付けを今後随時発行する予定であるので、会員諸君は今後とも鋭意ソフィスティケートされた「邪悪な言動」の錬磨にこれ勉めて頂きたいと思う。

 

なお、今回の合宿には三軸自在の三宅先生から「アクエリアス50本」の差し入れがあった。

2リットルのペットボトルにみんな名前を書いて「マイアクエリアス」をごくごく飲んでいた。

三宅先生ありがとうございました。

お礼の電話を入れたら、次の合宿は何を差し入れしましょうか、というおたずねがあった。

差し入れをほんとうにお願いしたいのは「三宅先生」である。

稽古のあとに全員「まぐろ」になって三宅先生に三軸修正をしてもらい、そのまま「がぴー」と寝込んでしまうのである。

うう、想像するだけで極楽だぜ。


9月18日

短いようで長いバカンスが終わる。

早起きして荷造り。迎えの車でKAHULUI AIRPORTへ。そそくさとアロハ航空に乗って、30分でホノルル。ここは待ち時間が長いのでビュッフェでアメリカ風朝御飯。こちらに来て一度も食べてないホットドッグをバドワイザーで流し込む。ホットドッグも大きいけれど、付け合わせのポテトの量がはんぱではない。こんなものを全部食べていたら、たいへんである。

現に、「たいへんなこと」になっている人が五人に一人はいる。

兄ちゃんによれば、これはハワイのみの現象ではなく(たしかにハワイは人をしてデブにせしめる要素に溢れていることは否定できないが)、ニューヨークやシカゴでも事情は変わらないそうである。

国民の健康を気遣って、喫煙をあれほど厳しく禁止するお国柄であれば、フライドポテトとポテトチップスを禁止する方がむしろ趣旨にはかなっているのではあるまいか。

いや、あの国のことだから、そのうちほんとうに「公共施設でのポテト摂食を禁じる禁イモ法」を実施するかもしれない。

ホノルル空港の免税店でおみやげを買っているうちに搭乗時刻となり、再び機上の人となる。関空まで7時間半。

ご飯を二度食べて、お昼寝をするあいだに着いてしまう。

結局、『魔の山』は読了に至らず、下巻に入ったところで旅が終わってしまった。まだ600頁もある。ハワイのビーチはドイツ文学にはあまり向かないことが今回経験的に了察せられた。

総括するにハワイにいちばん合う音楽は(当然のことながら)ハワイアンであり、志ん生のもたらす深い脱力感もハワイ向きであることが知られたのである(おそらくコートダジュールにはなじまないであろう)。今後ハワイに行かれる方の参考に資すれば幸いである。

今回のリゾートでの支払いは部屋にチャージしてチェックアウト時に精算したのであるが、全額兄ちゃんがカードで払ってくれた。

「あとで半分こしようね」と申し上げたのであるが、「まあ、ここは奢っておくわ」というたいそう太っ腹な対応をしていただいた。

スーパーリッチな兄を持つというのはまことにありがたいものである。

今回のハワイ旅行は、身に添わぬアブク銭のもたらす「カルマ」を落とすという宗教的目的もあったのであるが、あるいは兄上のカルマは私の比ではないかも知れず、ここは長幼の序を重んじ、兄上の霊的浄化に一歩を譲ることにしたのである。

わが身のカルマについては今後、秋のスーツ購入、新車購入などの蕩尽的消費活動によって補正を計りたいと思う。

家にもどると、メールが50通ほどたまっており、ファックスからは数メートルの仕事が垂れていた。

明日から合気道の合宿であり、それが終わると24日から大学が始まり、もう休む時間も原稿を書く時間もなくなる。

夏ももうおしまいである。


9月17日

9時半まで二人とも爆睡。

昨日少し日に灼きすぎたようである。海岸で昼寝している1時間、足を出していたので、両足が腫れ上がって痛いので、濡らしたタオルで冷やしながら寝る。

兄ちゃんは平均睡眠時間がふだん5,6時間。私は8時間から9時間、寝るときは10時間以上であるので、ここに両者の睡眠帯のタイムラグというものが生じる。

「よく寝るなー」と兄ちゃんは非難がましいまなざしで告げるけれど、いいじゃん、バカンスなんだからさ。

マウイでは午前中が海が穏やかで、午後になると西からの貿易風が強くなって波頭が白く立つ。だからシュノーケリングは昼前の方が安全である。岩に波でたたきつけられると、触れたところがすぱすぱ切れてしまうのである。

南側の岩場が水族館状態である。

「私が熱帯魚です!」とはげしく自己主張する小魚たちがぐいぐい泳いでいるので、その連中のあとを追っかけたり、波に身を任せてぽわんとしている。

ひとしきり泳いでから、サンシェードの下の寝椅子にごろんと横になって『魔の山』の続きを読む。ハンス・カストルプ君のいるダヴォスの山中は吹雪とクリスマスである。

「ハワイ生まれの哲学者」というのがいるかどうか私は寡聞にして知らないけれど、形而上学的思索にあまり適切でない風土というものがあることは確かである。

ハワイ大学に一年留学するのも悪くないような気がしてきた。


9月16日

8時半まで爆睡。

兄ちゃんは毎日早起きして、ジム通いをしているが、私はひたすら寝るだけ。

さすがに退屈らしく「いい加減に起きろ」と揺り起こされる。

いいじゃん。バカンスなんだからさ。

ルームサーヴィスでハワイアン・ブレックファースト。

卵とソーセージとハッシュドポテトとベーグル。けっこう量があるので、すでに腹一杯。ふだんであれば「おなかいっぱいなので、二度寝」に持ち込むところであるが、それは許されそうもない。

のろのろと死ぬほど快晴の海岸へ出て、チェアーを二つ並べて、日除けのテントを張ってもらう。

おお、これはよい加減だ。

というので、また寝てしまう。

爆睡しているところを起こされて、シュノーケリングをやろうという兄ちゃんの誘いに応じて、フィンをつけてシュノーケルを装備して、岩場に潜りに行く。

おおお、これは美しい。

砂浜にはまるで魚の影も見えなかったが、岩場は水族館状態。

しばらく陶然と水中に遊ぶ。

午後になると貿易風が強くなり、海が荒れてくるので、プールサイドに移動。

マウイの青空を眺めながら志ん生の『唐茄子屋政談』を聴く。

ハワイと志ん生はたいへんに相性がよろしいということは過日申し上げたが、特に『唐茄子屋政談』は若旦那が夏の日差しにあたって、「ああ、暑い」とよろける場面があるので、さらに実感がこもる。

こちらも、「ああ、暑い」と指を立てて、ココチチなどを注文してちうちう飲む。

太陽の下でうっかり二回も昼寝をしてしまったので、油断しているあいだに足が日に当たって腫れ上がってしまう。

ハワイの太陽をあなどってはならない。

しかし、白人の男女は日除けもないところで、裸体を陽光にさらして、ばりばりと灼きまくっている。あんなにめちゃくちゃに灼いて痛くないのであろうかと他人事ながら心配になる。

カウアイのプリンスヴィルから諸田さんご夫妻からファックスが届く。池上先生の関係者はみなさんご丁寧な方々である。

ご返事をこれまたファックスでお送りする。私たちはあと一日でバカンスが終わりだが、あちらはまだまだゆっくりお過ごしになられるようである。羨ましい。

夜は最初の日とおなじイタリアン。

日没を眺めながら、シャンペンとキャンティ。生ハムにイカフライにサラダにパスタ。

美味なり。

しかし、こんな生活を何週間も続けていたら、完全に痴呆化してしまいそうである。

兄ちゃんは何週間でもいける、と断言するが、私は三日が限界である。

すでに早く家に帰ってルーティンワークに戻りたくて仕方がない。

純粋な消費生活をエンジョイするには、まだまだひととしての修業が足りないのである。


9月15日

ハワイアン・バカンス三日目。爆睡して、目が覚めたら9時半。

兄ちゃんは、私にくらべると100倍くらい勤勉な人なので、睡眠時間はいつも5時間ほどだそうである(私は9時間から10時間寝る)。

私が寝ているあいだに、ジムに行ってフィットネスに励んでいる。

日差しがきついので、ベランダででれでれして朝食はルームサービスでチーズバーガーとオレンジジュース。

なんでも量が多いので、兄ちゃんと半分こ。

アメリカのハンバーガーはそんなに美味しくないと言うが、たしかに「国民的料理」であるわりには「おおお、さすがモスバとは違うわ!」的感動はない。

昼頃のそのそとプールサイドまで行って、一泳ぎ。そのまま兄弟揃って爆睡。

起きたり、寝たり、音楽を聴いたり、ココチチを飲んだりしながら、でれでれでしているうちに予定通りハワイアンサンセットの時刻となる。

人気のなくなったプールサイドで日没を眺めてから、SPAで兄上オススメのスウェーデン式オイルマッサージ。

よだれを垂らして爆睡しているあいだに全身もみほぐして頂いて、50分119ドル。

どこでもそうだが、外国貨幣というのは実感がないので、どんどん使ってしまう。

マッサージでよれよれになって帰る途中、ロゴショップによって、アロハを二枚買う。

一枚100ドル。

マッサージに比べるとなんだか安い感じがする。

今日のレストランは三軒目のSpago。

三軒の中ではいちばん高級らしく、私たち以外はちゃんとズボンを履いて靴も履いている。(兄ちゃんはジーンズ、私は半パン。ふたりともゴムゾーリ)

Bordeau のSauvignon blancで乾杯してから、アントレがSpicy TunaとPasta of the day。メインディッシュは Okapakapa(鯛らしき白身魚)とBig eye Tuna(マグロね)。いずれも絶品。

こんなふうに毎日毎日でれでれと貿易風に吹かれて昼寝して、美酒を呷り、美食三昧で天罰が当たらぬであろうかと一時的に反省もするのであるが、なにしろ私も兄ちゃんもこの数ヶ月ほとんど休みなしに働いているのである。たまにはいいよね。


9月14日

本格的なリゾートライフ第一日。

今回のハワイ旅行のテーマは「ひたすらだらだらする」である。

したがって観光とかオプショナル・ツァーであるとか買い物とか、そういうものにはいっさい見向きもしないで、ただ寝て、泳いで、飲んで、食べるのである。

この点については私たち兄弟は深く意思統一ができており、今回のバカンスでは「はやく・・・をしよう」とか「・・・しなければならない」というのはいっさい禁句である。

とにかくひとつひとつの動作を緩慢に行い、時間が無為に流れて行くこと、それ自体を果汁をストローでちゅうちゅう啜るように楽しもうではありませんかという趣旨なのである。

プールサイドの天蓋つき寝椅子にでれっとなって、南国のいやがうえにも青い空をながめながらMDで志ん生の『五人廻し』を聴く。

あまり知られていないことであるが、ハワイでもバリでも、脱力系リゾートには志ん生がたいへんフィットする(合気道の合宿などにはフィットしないが)。

今回はのんびり本が読めるので、念願のトーマス・マンの『魔の山』を読破すべく持ってきたのであるが、スイスのサナトリウムでの緩慢なる療養生活とリゾートの生活ペースはなかなか相性がよいらしく数頁読むごとに深い眠りに誘われる。

海が静かなので、沖まで泳ぐ。

人間はもとが海洋生物であるせいか、海水に浸かっているとなんだか母胎回帰したようなふしぎな安堵感に包まれる。

朝昼兼用のターキー・クラブサンドとCoors だけで一日ごろごろする。

今夜はハワイアン料理。

ハワイアンというのは西洋料理と日本料理と中華料理のまじったなんとも懐かしい味のものである。

マグロのタコス、エビシューマイをアントレに頂き、カリフォルニア・ワインで鴨を囓る。(兄ちゃんは「極上ニューヨーク・ステーキ)

今宵も美味なり。

部屋にもどって星空を見ながらオールドパーを飲む。

向田邦子『父の詫び状』を読んで寝る。


9月13日

GO TO HAWAII STRAIGHT TO HAWAII

とビーチボーイズも歌っている夢のハワイにやってまいりました。

ハワイ、いいです。

13日午後9時、関空発。

下川先生のお稽古、合気道のお稽古を終わらせて、ぱたぱたと荷造りをして、リムジンバスで関空へ。

3階のレストランでとりあえず生ビールにパスタで旅立ちの祝い。

兄上と合流して、チェックインを済ませ、出国審査を終えてラウンジでるんるんとカンパリ・コン・ヴィノ・ブランコを作っていたら、おとなりから「あの、ウチダタツル先生では?」と声がかかる。ぎくっとして振り返ると、どこかで見たようなフレンドリーな笑顔。

聞けばなんと三軸修正法の芦屋の講習会に参加された池上先生のご門人の諸田英男さんとその奥様の陽子さん。私たちと同じ飛行機で諸田夫妻もハワイでのバカンスの由。

世間は狭いというか、私が進んで世間を狭くしているのか分からないけれど、旅は道連れである。池上先生とは前日三宅先生のところでお電話で話したばかりであるし、このハワイ旅行に持ち込みの唯一の仕事は池上先生の『カラダ・ランドフォール』の解説文である。

さっそくラウンジで諸田さんの兄上ともども三軸修正法で背骨の歪みを補正していただく。これで快適な空の旅が約束されたのである。

シャンペンを飲んでご飯を食べて、『マトリックス・リローデッド』を見ているうちに眠り込み、目が覚めるとホノルル。

カウアイに行かれるご夫妻とお別れして、われわれはアロハ航空(脱力系)でマウイへ。30分の飛行。迎えのお車でFour Seasons Resort in Wailea へ。

植民地主義的な(きわめて快適な)リゾートである。

レイ(お約束)をかけていただき、部屋に備え付けのCDで HAWAIAN STEEL をかけると「あのハワイアン」がぼよよんと部屋いっぱいに広がり、脱力がいっそう進行する。

午後4時、まだ日は高いので、とりあえず西からの貿易風が吹く海岸へ。

何年ぶりかで海の水に浸かる。

マウイの海水は透明で、たいへん気持ちがよろしい。

部屋にもどって日没までベランダで海を眺める。

リゾートにはレストランが三つあるので、とりあえずイタリアンへ行く。

海岸を見下ろすテラスでハワイアン・サンセットをみつめつつ、南国のお約束であるフローズン・ダイキリで始めて、ビーフのカルパッチォ、モッウァレラのサラダ、ムール貝のパスタなどを頂く。たいへんに美味しい。

時差ボケでいきなり眠くなり、8時半にベッドにもぐりこむが、途中で二度ほど目が覚める。

ハワイは乾いていて、風があって、虫がいないので、たいへんに寝心地がよい。


9月12日

明日から(もう今日だ)19日まで兄上と二人で「夏休み」のハワイ。

ハワイは初めて。

もともとあまり興味がなかったのだけれど、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』を読んでから、いちど「椰子の木陰でピナコラーダ」という休暇をやってみたくなった。

仕事は一通りかたをつけたので、池上先生のご本の「解説」を書く仕事だけ持って、あとは本を読んで、音楽を聴いて、泳いで、美味しいものを食べるだけの五日間である。(考えてみたら、この夏、何もしないでぼやっと休養した日というのは一日もなかったなあ)

というわけで20日までこのホームページは更新されません。

 

旧友野崎次郎くんの奥さん、川崎ヒロ子さんがしばらく前から入院していることを、さきほど次郎くんのホームページ日記で知った。

驚いて電話をしてみた。次郎くんは静かな声で事情を話してくれたけれど、けっこうシビアな状況のようである。

しばらくは闘病生活が続きそうだということである。

ヒロ子さん、がんばってね。次郎くんも看病疲れで倒れないように。

ご平癒をお祈りします。


9月11日

WTCへのテロから二年。アメリカによるアフガニスタン、イラクでの「テロリスト殲滅」が続いているが、アメリカの世界戦略はあきらかに破綻の方向に向かっているように思われる。

ネオコンのイデオロギッシュで単純な世界観と、ジョージ・ブッシュの愚鈍を批判していればとりあえず無難、という風潮が見られるけれど、問題はそのような「イデオロギッシュで単純な世界観」を持った人々が政権中枢にのぼりつめ、それほどに愚鈍な人物が大統領に選出されてしまうという事実から推して「アメリカというシステム」そのものが危機的段階に達したことに存する。

個々の政策が不適切であるという段階と、不適切な政策が組織的に選択されるという段階では、表層的には「同じこと」のようにしか見えないが、システムの「制度疲労」の度合いはずいぶんちがう。

ある社会システムの「劣化」の指標は、統計的データなんか見なくても、そこで「幅を利かせている人物類型」を抽出できればだいたい分かる、というのは私の経験則である。

昨日、夜のニュースでは「爆弾発言」をした石原慎太郎と、「とほほ顔」の亀井静香が繰り返し映っていた。

この人たちはいまの日本で「幅を利かせている人物」のある種の典型である。

石原慎太郎的発言は、政治家としては言った人間は多いが、市民としては決して口にしてはならないことばである。

「私の政治的意見に同調しない人間から政治的権利を奪うことに同意するかしないか」それがテロリストと市民(civis)を分かつ決定的な違いである。

私は私と政治的意見を異にする人間(例えば石原慎太郎)の政治的権利を尊重する。

私は「石原慎太郎から公民権を剥奪すべきだ」とか「メディアでの発言を自粛させるべきだ」とか「石原慎太郎のようなポピュリストは家に爆弾をしかけられても当然だ」いうふうには考えない。

それらはいずれもあってはならないことだ。

私は誰かが石原慎太郎の家に爆弾を投げ込もうと計画していたら「やめろ」と言って制止するだろう。

しかし、石原慎太郎はもし田中均の家の前でテロリストと遭遇したら、「それは当然の市民的権利だ」と言うつもりらしい。

それはないでしょう。

どのような政治的行動も自由であるべきだ、と私も思う。

ただし一つだけ条件がある。

それは、「その行動が他人の政治的行動の自由を毀損しない限りにおいて」ということである。

 

市民の定義はすでに何度もここで繰り返しているが、オルテガ=イ=ガセーの述べた「自分の反対者をふくめて、集団を代表できること」「弱い敵と共存することのできること」「自分と意見を異にする人間の政治的権利を擁護すること」に尽くされる。

この市民の定義こそ民主主義のもたらした最良の精神的価値であると私は思う。

しかし、その市民的民主主義の根幹を否定する人物が幅を利かせ、そのような人物の「盟友」と名乗る人物が日本の総理大臣になりたがっている。

「日本というシステム」の「劣化」はアメリカの比ではないのかもしれない。

 

「嫌煙運動」というのを私はアメリカン・グローバリズムによる文化的世界制覇の一環であると見ているが、なかなか同意してくれる人がいない。

今日の朝日新聞の家庭欄は大きくトップに「喫煙者、死亡率1.45倍」という見出しをかかげていた。

中を読んでみると、80年から99年までの19年間、9768人についての追跡調査をまとめた結果、そういう数値が得られたというのである。

だが、どうも記事の書き方が変である。

記事を再録してみよう。

「結果によると99年までの19年間で2011人が死亡していた。そのうち男性は1091人で、喫煙者は672人、全く吸わない人は177人だった(残りは喫煙をやめた人)。年齢差を考慮したうえで喫煙者が死亡する確率(10万人あたりの死者数)を計算すると1663人となり、全く吸わない人(1151人)の1・45倍だった。1日に41本以上吸うヘビースモーカーは1・58倍、たばこをやめた人は1・19倍にとどまった。女性の死亡者は920人。喫煙者の死亡率は1179人で、吸わない人の1・24倍だった。」

なんだか「変な書き方」だと思わなかっただろうか?

私は思った。

統計的な数字を使う際に、サンプルの実数、10万人あたりの死者数、その比率といった三種類の数値をわずか数行のうちに使い分け、さらに性別によって六種類の数値を出したりひっこめたりする手際がなんとなく「くさい」のである。

記事によると、喫煙者と非喫煙者の10万人あたり死者数の比は男性で1663人/1151人である。

1151で1163を割るとたしかに1.444830・・・という数字になるから、「1・45倍」であるのは間違いない。

しかし、その前にある「死者1091人で、喫煙者は672人、全く吸わない人は177人」だけ見ると、喫煙者は非喫煙者の3.78倍死んでいる。

どうして、このより「センセーショナルな数値」を見出しに使わなかったのだろう?

もちろん、それはこの数値が「無意味」だからだ。

仮に「喫煙者の死者672人」の全員が交通事故死で「非喫煙者の死者177人」が全員病死だったら、そこからは「喫煙は健康に悪い」ではなく「喫煙者は運が悪い」というデータしか得られないからだ。

年齢、死因さまざまの条件において、それ以外のすべての条件を一致させたあとでないと、死者数のうちの喫煙者と非喫煙者を比べた有意なデータは得られない。

だとすると、「男性は1091人で、喫煙者は672人、全く吸わない人は177人だった(残りは喫煙をやめた人)」という一行は統計学や疫学の専門家以外の一般読者にとっては「男性は1091人で、仏教徒が672人、キリスト教徒が177人(残りはそれ以外の宗派のひと)」と書いた場合と、統計数字としての無意味さは同じだったということになる。

疫学的には、年齢差や死因を考慮して統計処理するのだから、実数なんか「シロート」に示しても意味がない。そんなことはこの記事を書いた記者にも分かっていたはずである。

 

「女性の死亡者は920人。喫煙者の死亡率は1179人で、吸わない人の1・24倍だった」というのも怪しい文章だ。

どうして、その直前の文で「たばこをやめた人は1・19倍にとどまった」という筆法をここでは踏襲しないのであろう。

問題にしている数値は見出しにある「1・45倍」なんだから、当然ここも「吸わない人の1・24倍にとどまった」と書くべきではないのか?

それとも「1・19倍と1・24倍のあいだ」には乗り越えがたい決定的な統計的深淵がひろがっているのだろうか?

理由は簡単である。

そう書くと、読者は女性喫煙者の死者数が「1・24倍にとどまった」理由について考え出すからだ。

朝日の家庭欄はそれについては「考えて欲しくない」のである。

それを考え出したら誰だって「体に悪いのは喫煙そのものではなく、喫煙をストレス発散の手段として選択させるような生活態度全体(過労、不眠、長時間労働、長距離通勤、不公正な勤務考課、生活不安、ローン、家庭崩壊・・・)」という結論に達するに決まっているからだ。

それが導き出すのは、「喫煙は体に悪い」ではなく、いまの世の中では「男性であることは体に悪い」という結論である。

そして、それこそは「女性であることの社会的不利」を指摘し、男女共同参画社会の実現を一貫して要求してきた朝日新聞の家庭欄にとって許容しがたい結論なのである。

 

もちろん、私は嫌煙運動なんかやめてしまえ、というような過激なことを申し上げているのではない。

タバコが体に悪いことを私は認めるし、喫煙者がそばにいると気分が悪いという方々の人権も尊重したいと思っている。

しかし私が知る限り、すべてのひとは何らかの仕方で「命を縮めている」。

「命の縮め方」にはそれぞれの個性があり、それは「不幸」や「病」と同じくひとつの「作品」である、と私は考えている。

北朝鮮やイラクの独裁体制はそれぞれの国の人々が熟慮の末に選びとった彼らなりの「不幸のかたち」である。

そうやって滅びてゆくことを国民たちが選んだ以上、粛々と滅びてゆくのに任せるというのが、心ある大人の態度ではなかったのか、と私は思う。

嫌煙運動とジョージ・ブッシュに私は同じ「アメリカのにおい」をかぎとる。

それは人間に「正しい生き方」をさせることのほうが、人間が「誤る自由」を尊重することより優先させる思考である。

私はそういう人とは友達になりたくない。


9月10日

東京から帰って、そのまま仕事。

よく働くなあ。

中央公論の来月号の表紙が甲野先生なので、そのキャプションを800字。

来月の芦屋川カレッジでの講演のタイトルと二行広告の文案を考える。

似たような趣旨の講演をこの秋にあと数回やることになっているので、どれがどれだか分からない。きっとあちこちで同じ話をして「ウチダ、ぼけてんちゃうか」というご批判を浴びることは必至なのであるが、こっちだってそんなに次々新ネタはおろせない。

「なんだい、また『寝床』かい」

ま、そうおっしゃらずに。

BABジャパンから池上六朗先生の『カラダ・ランドフォール』が覆刻されることになったので、その「解説」800字を書く。

書きたいことがたくさんあるのだが、800字じゃ、ほとんど書けない。

自由が丘道場の荒井さんから標記のイベントのご案内がとどく。

業務命令以外でも在京の合気道会関係者は万障お繰り合わせの上、参加するように。

この顔合わせはまじですごいよ。

いわば、志ん生と文楽が『唐茄子屋政談』の前半後半を演じ分けるというか、ジョン・レノンとエルヴィス・プレスリーがDEVOTED TO YOU をハモるというか、一生に何度も見られるというもんじゃない。

私はさいわい前日に国技館である(光岡英稔先生に岡山で秘打特訓を受けて必勝を期す)勁本田選手の世界タイトル戦(わくわく)に、三宅先生のお供で上京中なので、すばやく参加申し込みをしたのである。


9月9日

満月の夜に、火星が大接近。なんだかロマンティックな夜空。

今日は東京で、念願の「高橋源一郎さんとご飯」の会である。

仕切り役は晶文社の安藤さん。表参道のスパイラル・カフェにて、高橋さんと、めっちゃキュートなそのご令嬢、橋本麻里さんとお会いする。(ライターである橋本さんBrutus の取材をかねていたので、カフェの分はマガジンハウスの「ご接待」。ただし取材の相手は私じゃなくて「お父さん」なので、私のシャンペンは「飲み逃げ」である。ごちそうさま)

安藤さんはここにるんちゃんも招いて「シングル・ファーザーズ&ドーターズ」のバトルトークというわけのわかんないイベントをひそかに妄想されていたようである(怖いことを考える人である)。

高橋源一郎さんは、私の旧友竹信悦夫くんの灘校時代の「ツレ」であり、私は大学時代の竹信くんの「ツレ」である。

同一人物の少年時代の「遊び相手」であったわけであるから、キャラ的にある種の共通性があることは蓋然性の高い推理なのであるが、会ってみるまでは、どんな方だか分からないよね。

もちろん、タカハシさんは想像通りの、想像以上に「タカハシさん」であった。

ウチダはデビュー以来の高橋さんのファンである。

その高橋さんに、朝日新聞で『女は何を欲望するか』の書評を書いて頂いた上に、『ため倫』にすてきな「解説」を書いて頂いた。

私は「お返し」(じゃないけど)に『現代詩手帖』の高橋源一郎特集に「史上最強の批評装置・タカハシさん」という一文を寄せさせて頂いたけれども、それではとても謝意を満たすには足りない。

というわけで安藤さんのご厚意に甘えて、晶文社の経費で高橋さんご父子をご接待するという暴挙に出たのである。

高橋さんと私は同学年、あの「ストリート・ファイティング・キッズ」の同窓生である。

この世代は、「えー、あのとき、君もあそこにいたの?」的な偶然の邂逅機会がたいへん多いので、「なんだなんだそーかそーか」で名刺交換の儀礼があらかた済んでしまうという点が便利なのである。

高橋さんは灘校、私は日比谷高校という進学校でいろいろとトラブルサムな少年時代を過ごし、69年の大雪の日に京大入試を受けて、奇しくも二人とも落ちちゃったのである。

高橋さんが落ちたのは数学のいちばん簡単な問題を考えすぎて、40点損したせいだということをうかがった。(私は大雪のせいで京阪電車が止まって、2時間遅刻して吹きさらしの廊下でがたがた震えながら受験したのである)。

もし、わずかな偶然の違いで、あの年に二人とも京大に受かっていたら、その後のそれぞれの人生はずいぶん変わったものになっていたような気がする。

3時間近く、青山のイタリアンレストランで歓談。

「ねえ、あれは、ほんとうはどういうことだったんですか?」というウチダの大好きなミーハー的「文壇裏話」をたっぷり聞かせて頂き、(とくに二人ともファンの矢作俊彦がなぜ文壇的にまったく評価されないのかについて、悲憤慷慨)たいへんに愉快な時を過ごしたのであった。

 

ここで神戸女学院の学生諸君にヨコロビのお知らせ!

高橋源一郎さんにダメもとで集中講義のお願いをしたら、なんと快諾して下さったのである。

来年の7月なら本学に来ていただけるそうである。

タカハシゲンイチロウさんに日本文学の集中講義をしてもらえるとは・・・学生諸君、よかったね。

何でも頼んでみるものである。

とはいえ、ウチダは独断で日本文学のカリキュラムを決定できるような立場にはないので、これから根回しというものをしなければならない。学部に適当な空きコマがなければ、大学院の比較文化学での開講ということになる。

何はともあれ、ありがたいことである。

次はぜひ鎌倉の高橋さん宅におじゃまして、ごいっしょに歩いて1分のところの鈴木晶先生宅を急襲し、鈴木先生の秘蔵のシャンペンを飲み倒し、手料理をごちそうになりましょう、と固く約束して表参道でお別れする。

本日たいへん印象に残った高橋先生のお言葉:

スタートはいつもフライング。

さすが日本を代表する文学者のお言葉は深遠だね。

 

学士会館で爆睡。

一夜明けて、モーニングコーヒーを飲みに秋葉原へ出勤途中の平川くんが立ち寄る。学士会館のカフェで久闊を叙したのち、本ホームページで近日より新連載の「東京ストリート・ファイティング・キッズ」の打ち合わせをする。

釈先生と「インターネット持仏堂」、晶文社では甲野善紀先生との「インターネット・ヴァーチャル対談」というものを進めているので、これで同時並行「三本連載」ということになる。

しかし、みなさん全然領域の違う方々なので、話題が「かぶる」ということはない。

平川君とは国際派ビジネスマンの眼から見た世界と日本社会について、鋭い切り込みを期待しているのである。

CB400Fで秋葉原方面に去る平川君とお別れ。

次は新宿で松下正己君と商談。

松下君はこんど独立してテクスタイドという出版社を神田神保町に起業する。

私はその「出資者」であるので、カレーなど食しつつ、事業計画や資金調達などについてご説明を拝聴する。

しかし、私も松下くんも、ビジネスにはあまり興味がないので、商談は適当に切り上げて、すぐに映画の話になる。

松下くんはギャスパー・ノエの『アレックス』がよいと熱弁をふるい、私は『踊る大捜査線 THE MOVIE 2』はあまりおもしろくなかったが、キムタクの『HERO』と『GOOD LUCK!』は面白かったという話をする。話は例によってさっぱりかみ合わない。デヴィッド・リンチは天才であるという点と、デヴィッド・クローネンバーグは気持ちが悪いという点と、『レッド・ドラゴン』はつまらないという点で、かろうじて意見の一致を見る。

仕事に帰る松下君と別れて、東京駅へ。新幹線で芦屋に戻る。

一日のあいだに「濃い人」三人と会っておしゃべりをしたので、さすがにちょっと疲れたのである。


9月7日

静かな一日。

『困難な自由』の翻訳を午後6時まで。予定よりずいぶん進んだ。

あまりに集中してやったので、肩がばりばりに凝る。

翻訳の困った点は、レヴィナス先生の叡智の文章に感動したあと、「それでは」と手を止めて、今度は自分のレヴィナス論に戻ると、そのあまりの「質的格差」に茫然自失してしまう、ということである。

私とレヴィナス先生のどこが違うか、というと傲慢な自問に思えるかもしれないが、人間の出来がまるで違うというようなことはひとさまから言われなくても分かってる。

いちばん決定的な違いは「使命感」の重みである。

レヴィナス先生は600万人の死者を背負って語っている。

それも単に戦争犠牲者を弔うというだけのことではない。

先生は前代未聞の「弔い方」によってこの死者たちを呪鎮するという仕事を引き受けた。

というのは、ホロコーストの死者たちにはどのような「できあいの呪鎮の作法」も無効であるということがレヴィナス先生には分かっていたからである。

第一次世界大戦は1300万人の死者を出した。

それ以前にヨーロッパの近代史が経験した最大の戦死者はナポレオン戦争のときのもので、1789年から1815年までの累計で40万人である。

それと比べるとき、わずか4年間で1300万人というのが、どれくらい桁外れの死者だったか想像できるはずだ。

そして、それに数倍する戦傷者がまわりにいたのである。

20世紀は整形外科が画期的に進歩した時代であったが、それは第一次世界大戦から帰還した戦傷者たちのあまりの物体的な「破壊」のされ方に人々が恐怖したからである。私はフランスの退役軍人たちの戦友会の記念写真を見たことがある。全員がフロックコートに山高帽の紳士たちなのだが、その半数以上が「人外魔境人」的相貌(夜道であったら、気の弱い人はそのまま卒倒しそうな「モンスター」)であった。

死者たち、そしてある意味で人間としての尊厳を生きながら奪われた戦傷者たちの恨みを鎮めるために、大戦間期のヨーロッパの人々は必死になった。

無名戦士たちのための巨大な墓が作られ、戦死者、戦傷者たちは、「護国の英雄」として神話化された。

それはたしかにその1世紀前、ナポレオン戦争の戦死者たちを弔うときには効果的に機能した喪の儀礼であった。

だいたい、ヨーロッパの人々はそれしか呪鎮の作法を知らなかった。

だから、死者たちは国民国家の「国家的大義」という神話の中で「永遠に生きる」というかたちで弔われたのである。

その神話化は最悪の結果をもたらした。

わずか20年後に第一次世界大戦の死者数をさらに大幅に超える死者たちを世界は弔わねばならないことになったからである。

第二次世界大戦のあと、大戦間期にヨーロッパ諸国が採用した喪の儀礼は使い物にならないし、大戦間期に「喪の主体」の役割を引き受けた人間たちは、誰一人今後の儀礼の「喪主」になる資格はない、ということを痛切に実感していた人間は非常に少なかった。

ほとんどいなかった、と言ってもいいくらいだ。

レヴィナスやラカンは「喪主」であることを引き受けようとした例外的な人々である。

構造主義者たちが「主体の死」ということを言い出したとき、私たちにはその思想史的文脈が見えなかった。

彼らは「ヨーロッパ的主体には、第二次世界大戦の死者を弔う資格がない。ヨーロッパ的・近代的主体は喪の場から去れ」と告知していたのである。(聞いてびっくりだね)

構造主義は、彼らなりの「喪の儀礼」であったと今では思う。

レヴィナスの葬礼の仕方は構造主義者とも違う、まったくオリジナルなものであった。

これほど複雑な思想の理路が、平和な時代にのほほんと暮らしている私たちにそうそう簡単に分かるはずがない。

それを何とか理解しようと、肩を凝らして、四苦八苦しているのである。


9月6日

合気道のお稽古。

推手、転換しながら推手による気の感応のエクササイズ。拍子を合わせる動き、はずす動き。浮きをかける切り上げ。遊びを取っての呼吸法など、最近のテーマを集中的に稽古する。

先日の甲野先生との「個人レッスン」のおかげで、「遊びを取る」という感覚がようやく分かってきた。

お稽古後、イワモト・パソコン秘書による「ウチダ家PC環境改革計画」の第三日目に入る。

まずADSLを接続して、ルータを設置。私のパワーブックの中にAir Mac という怪しげな機械を臓器移植し、これによって家庭内無線LANというものがここに完成する。

つまり家の中のどこからでも無線でLANがつながるので、トイレでも風呂場でもベッドの中からでもパワーブックさえあれば、ADSLでお仕事ができるのである。さらにAir H" を装備してあるので、家の外ではPHSでデータの送受信ができる。

秘蔵の「うさこちゃん」のマウスパッドをおろして、さっそくばりばりとお仕事を始める。

このあとさらにメインとなるIBM Think Centre A50 のセッティングと、今使っているAptiva のnデータの移送。さらに研究室のPC環境の改善など仕事はまだ残っているのであるが、本日にて計画の中心的部分はクリアーされたのである。

イワモト秘書によると、これが完成すると、おそらく現在の人文科学研究者としては望みうる最高水準のPC環境が整うであろうということである。すごいね。

 

イワモトくんのご苦労をねぎらうため、「ご近所ドクター」とウッキーもお相伴に、四人でベリーニでご飯。

これで一ヶ月のあいだに三回ベリーニでご飯を食べたことになる。贅沢な話であるが、なにしろベリーニは「うちから一番近い飯屋」(歩いて30秒)なのであるから、その点はご配慮願わねばならない。

それに前の二回は三宅先生のおごりである。私も少し自分の分の「税金」を払わないとまずい。

ちょうど二日前に角川書店から『疲れすぎて・・・』の重版の印税が振り込まれたので、あぶく銭がもたらす「カルマ」を落とすべく、お若いみなさんに美味しいものを食べていただくことにしたのである。

 

ご存じのかたもあると思うが、お金には「カルマ」というものがもれなくおまけでついてくる。

これをカメに詰め込んで床下に退蔵したりするとどのような災禍に見舞われるかは、『水屋の富』などの人類学的資料に詳しいのでここでは繰り返さない。

その災禍を避けるためには「喜捨」あるいは「贈与」というものがなされる。

あぶく銭が入ってきたら、すみやかにこれを「喜捨」するのが人類学上の鉄則である。それゆえ、一般に不労所得を得た人たちは紀伊国屋文左衛門の前例にならって「大尽遊び」というものを行うわけである。

「大尽」という言葉を私は子供の頃「大臣」と間違えていたが、もちろんこれは政治権力とは何の関係もない。「大尽」とは「大いに蕩尽する」ことによって身に添わぬカルマを落とそうと試みる宗教的覚者のことなのである。

今日の社会の深刻な人類学的な問題の一つは、この「喜捨的蕩尽」の習慣が失われていることである。

 

能力主義社会というのは、所得が社会的能力の指標であるような社会のことである。そこでは、「所得の多い人間」は「社会的能力が高い人間」と同定される。

したがって能力主義社会においては、高い所得のあった人間が「これは身の丈に合わないあぶく銭である」というふうに自己申告することは、構造的に困難である。

だって、そうでしょ?

「あぶく銭」が発生するということは、勤務考課が適切に行われていないということであり、それは能力主義社会の能力査定が正確を欠いているということを意味するからである。それは「秩序紊乱的」「反社会的」な発言とみなされる。

「あぶく銭」や「不労所得」といった言葉は、能力主義を標榜する社会において決して口にされてはならない禁句なのである。

けれども、おのれの所得をおのれの能力の指標であると認識する人間には、自分が得ている収入は「ほんらい他者に帰属すべきものを私が不当に簒奪しているのではないか?」という疑念が兆すことがない。

現代人の過半は、むしろ自分の収入は自分の社会的能力よりも低く査定されており、ほんらい自分に帰属すべき収入が、「誰か」によって簒奪されている、と考える傾向にある。

この「被収奪感」を社会理論の基本にすえるという点ではマルクスも資本主義者もフェミニストもセクシストも原理主義者も帝国主義者も変わらない。

しかし、「被収奪感」を社会的行動の基盤とし、「私のものを返せ」というかたちで政治的要求を綱領化するのは実はとても危険なことだ。

でも、その危険を理解している人はほんとうに少ない。


9月6日

阪神が今日も勝った。

九回裏一死一点ビハインドで桧山が塁に出て、矢野に打席が回ってきた。

「ここで矢野がホームラン打つと逆転サヨナラだよな(なわけないけど)」と思っていたら、矢野がコキーンとバックスクリーンにホームランを打ち込んで、試合が終わってしまった。

阪神恐るべし。

ヒーローインタビューに答える矢野の顔を見ていたら、実によい顔をしている。

よい顔というか「古い顔」である。

昔の人の顔である。

昔というか、兵隊さんによくあった顔、戦前までの時代劇でよく見た顔である。(私もリアルタイムで見たわけじゃないけど、戦後昭和30年代までの戦争映画、時代劇映画では、よく見かけた顔である。その後スクリーンからは消えてしまった)

そう思って見ると、赤星も、八木も、桧山も、片岡も、金本も、今時の人にしては妙に「顔が古い」。

この人たちをキャスティングしたら井筒和幸監督で『独立愚連隊』がリメイクできそうな顔立ちである。

日本は何となく「回帰」しているのかもしれない。

阪神の優勝は、あとから回顧したとき、「今にして思えば、あれが日本社会の決定的な転換点だったよな」ということになるのではないか。

うーむ。そんな気がしてきた。

どういう転換をするのか、まるで想像がつかないんだけど。


9月5日

わがPC環境近代化計画は着々と進行中。

「絶版」のクラリスホームページをネットオークションでゲットして、G4に搭載。ようやく、これで我が家と研究室の両方からホームページの更新が可能な環境が整備されたのである。

「整備されたのである」などとひとごとのように言っているが、もちろんウチダ自身はこのようなハイレベルの作業にはまったく関知しておらず、すべては「パソコン秘書」イワモト君と「永世芸術監督」フジイのあいだで、私には理解の及ばぬテクノロジカルな会話が行われて、「蚊帳の外」で進行しているのである。

世に「適材適所」ということばがあり「餅は餅屋」あるいは「蛇の道は蛇」ということばもあるように、人にはそれぞれ得手不得手というものがある。

私はメカは苦手であるが、メカを利用するのは大好きである。

お金儲けは苦手であるが、お金を使うのは得意である。

ご飯をつくるのは面倒だが、ご飯を食べるのは少しも面倒に感じない。

そういうふうに、趣味趣向というのは人によってばらけているのであるから、「メカが得意で、お金儲けが上手で、ご飯作るのが好き」な人びととのネットワーク形成に成功すれば、五族共和、神仏習合、この世のハライソとなるのがことの条理なのである。

私の場合は「メカ得意」に秘書や監督や「師匠」がおり、「お金儲け」系には兄ちゃんとヒラカワ君があり、「ご飯」にはヤマモト画伯が控えていて、盤石の体制となっている。

世の中には「同類」とつるむのが好きな人と、私のように「異類との出会い」を求める人と、大きく二つのタイプに分かれる。

「同類」と癒合するのは、一見すると快適に思われるかもしれないが、それは短見である。

だって、同類との癒合というのは「メカが苦手で、金遣いが荒くて、ご飯を作らない」人間がダマになるということであり、その不便さと不快さは想像するだにたとえようもないのである。

「異類」との共生、symbiosis こそはレヴィナス先生がお説きになるように倫理的に正しいというだけでなく、生活実感としてたいへんに快適なものなのである。

 

レヴィナス『困難な自由』の翻訳をさくさくと進める。

一日二頁を日課としたのであるが、昨日は順調に4頁。今日から『困難な自由』中の白眉とも申すべき「神よりもなおトーラーを愛す」に入る。

これは涙なしには訳せない佳編。

次に岩波書店の「セックスワーク」論。

どんどん書いているうちに予定の40枚をかなりオーバーしてしまう。

私と同意見の方も多いと思うのであるが、なぜか性についての議論はそれ以外の問題よりも「党派的単純化」の傾向が強い。

たとえば、セックスワークをめぐる議論において、「女性が何を求めて春を売ろうとしているのか?」については社会学心理学政治学などを総動員してこれを分析せねばならないということについては、ほとんど全員が意見の一致を見ているにもかかわらず、「オヤジは何を求めて春を買うのか?」についてはどなたもほとんど一顧だにされていないのである。

これはなぜなのであろう?

自動車を売るという場合、「自動車メーカーは何のために自動車を売るのであろうか?」という議論に人々が熱中し、「クライアントはどういう自動車を求めているのであろうか?」というマーケットリサーチが一顧だにされない、というのは考えにくいことである。

その非常識が買売春については通るということは、議論のどこかで「男性の性欲というのはたいへんに単純なものである」という前提が満場一致で採択されたことを意味している。

こういうイデオロギッシュな前提の上にすべての議論が展開する場合、それが真の意味でラディカルなものになる可能性は低い。

通常、イデオロギッシュな前提の上に立つ議論の結論は、ほとんどの場合「どうどうめぐり」の末に「現状肯定」に帰着するというのが私が経験から学んだことである。

私は忙しい人間なので、「どうどうめぐり」の末に現状肯定に帰着するというような議論につきあっている暇はない。

しかし、性に関する限り、あらゆる論件は「話せば話すだけ、同語反復になる」ように構造化されている。

性に関して、私が知る限りいちばんまっとうなことを言ったのはミシェル・フーコーである。

フーコーは近代における性をめぐるすべての言説はただ一つの機能しか持っていないことを道破した。

それは「性にかかわる言説を生産する装置、いよいよ多くの言説を生み出す装置」なのである。

性について語ることにはただ一つの目的しかない。それは「性についてさらに多くを語ること」を動機づけることである。

しかし、何かを書かねばならないので、こんなことを書いた。一部をご紹介しておこう。

 

 性の問題は「実践の水準」と「理論の水準」のあいだに架橋することが困難な論件の一つである。(貨幣の問題も、国家の問題もそうだ)。理論は理論、実践は実践である。そこは切り分けておいた方がいい。

 例えば、「貨幣は幻想だ」というのは理論的には真である。しかし、「貨幣は幻想だ」ということを書いた本の印税を貨幣で受け取ることを拒絶した学者のあることを私は寡聞にして知らない。「国家は幻想だ」というのは理論的には真である。しかし、「国家は幻想だ」という理説を講じるためにアメリカの大学に招聘されたとき、菊の紋章入りのパスポートを携行するのを拒否した学者のあることを私は寡聞にして知らない。

 私はそれを「よろしくない」と言っているのではない。「そういうものだ」と申し上げているのである。「理論的には正しくても、すぐに実践できないこと」はたくさんある。その「水準の違い」をわきまえて、議論をした方がそうでない場合よりも生産的だろう。

 セックスワーカーは現実に存在する。だが、「セックスワーカーは現実に存在する」がゆえに「何らかの歴史的使命を負っている」という主張には、「売春は不道徳である」がゆえに「セックスワーカーは存在してはならない」という主張に与することができないのと同じ理由で、私は与しない。現実に存在するものは、必ずしも理論的に正しいものばかりではないし、理論的に正しいものが必ずしも現実に存在するわけではない。「あってはならないはずのものが、ある」ときには、「どうも参りましたね」と困惑するというのは一つの有用な選択肢である。「困惑する」という態度は、それほど無意味なものではない。むしろ、「困惑している人間」は「すっきりしている人間」よりたいていの場合生産的な議論の対話者となりうるのである。

 「困惑」の一例は岩波書店の「女性学事典」の「セックスワーカー」の項の解説に見られる。

 「一般的にセックスワーカーという概念は自己決定に基づく売春の擁護に用いられることが多い。すなわち、売春を自由意志に基づくもの(自由売春)とそうではないもの(強制売春)とに分けて、前者の売春を行っている人たちをセックス・ワーカーと呼び、これらの人びとの売春する権利を認めるべきだとするような議論である。しかし、売春者の権利主張の力点は、このような自己決定や自由意志に基づく売春の肯定という点にではなく、売春者の自己決定権の尊重という点にあると考えられる。買春は男の本能である、性犯罪を防止するためにはセックス産業は必要であるなどと見なされ、社会自体が売春する女性たちを必要としている。すなわち、売春は社会的に必要とされ、源に労働として行われているのである。にもかかわらず、道徳的にも法的にも許されない行為と見なされ続け、売春を行う女性たちは差別され、さまざまな権利を奪われている。そのような差別に対する抵抗が、このことばには込められている。」

 どう読んでも分かりやすい文章とは言えない。それは「売春者の権利主張の力点は、このような自己決定や自由意志に基づく売春の肯定という点にではなく、売春者の自己決定権の尊重という点にあると考えられる」というセンテンスの意味が取りにくいからである。この文が言おうとしているのは、「自由売春を原理的に肯定すること」ということと「現に売春をしている人間の人権を擁護すること」は水準の違う問題だから別々に扱う方がよいということである(そう書けばいいのに)。

 「原理の問題」と「現実の問題」は別々に扱う方がいい。たしかに仕事はそれだけ面倒になるが、私はそういう考え方を支持する。例えば、「囚人の人権を守る」ということは「犯罪を肯定する」こととは水準の違う問題である。囚人が快適な衣食住の生活環境を保証されることを要求する人は、別にその犯罪行為が免罪されるべきだと主張しているわけではない。人権は人権、犯罪は犯罪である。それと同じように、売春は犯罪だが、売春者の人権は擁護されねばならないという立論はありうる。しかし、多くの人は話を簡単にしたがる。「売春は犯罪だから、売春者の人権は擁護の対象とならない」という厳密な法治主義の立場に立つか、「売春者の人権は擁護されねばならない。だから、売春は合法化されるべきである」という包括的人権主義の立場に立つか、どちらかを選びたがる。その方が「話が簡単」だからだ。しかし、「話が簡単」であるということは、それほどに優先順位の高い理論的要請であると私は考えない。現実が複雑なときに、むりやりこれを単純化してみせることには「知的負荷を軽減する」こと以外に得るところがないからである。

 私がこの小論で言いたいことは、ほとんど以上に尽きるのである。

 

なんだか、どんなテーマで書かせてもウチダの書くことは「ほとんど以上に尽きる」ようである。

しかし、こんな簡単な話がなかなか通らないとは、まことに面妖な世の中なのである。


9月2日

残暑が厳しい。表は35度もあるそうである。だから、冷房の利いた家から一歩も出ないで、ごろごろ本を読み、原稿を書いている。

世間の人々から見たら羨ましい生活に思われるであろうが、本人にしてみると曜日も何も関係なく、ひたすら調べものをして、原稿を書き続けて、それでもたまりにたまった仕事が全然減らない(むしろ増えてくる)という、不条理なる「シジフォス」的生活である。

 

レヴィナス論がようやく「終章」までたどりついた。

あともう「一ひねり」で着地できそうである。やれやれ。

これが終わったら、10月末締め切りの岩波のセックスワーク論の続きを書き上げないといけない。年内完成をめざしているレヴィナス『困難な自由』の翻訳はただいま192頁。ぼちぼち半分である。あと四ヶ月で220頁。毎朝、早起きして、朝御飯の前に2頁ずつ訳す、というような「ラジオ体操形式」でいけば、年内完成も夢ではない。うん、これがいいな。このやり方にしよう。

何があっても一日2頁レヴィナスを訳すこと。

これを本日より日課の第一に掲げることにしよう。


9月1日

八月も終わってしまった。

子どもたちは夏休みが終わって、今日から学校である。

気の毒に。

学校に行かなくていいと思うと、全身が幸福で脱力状態になる。

子どものころは、よくあんなに長い期間学校に通っていたものである。

今思い出したが、小学校一年生のときに、私はすでに学校に飽きていた。

うちの裏の神社の鳥居を抜けて、お寺の墓所の横の竹林を通って小学校への通学路があったのだが、(と書くと江戸時代みたいな風景が思い浮かぶだろうけれど、だいぶ違う)通学の途中、その墓所の横の竹の塀を傘のさきっぽでこんこんと叩きながら、

「あーあ、あと何年小学校に通わないといけないんだろう・・」と考えて「げ、あと6年だ」と思って、がっくり落ち込んだことを覚えている。

それからずいぶん経ってから、また同じ場所で、「あと何年この道を通うんだろう」と思ったら、まだ小学校二年生だったので、さらにがっくりしたことも思い出した。

別に学校が嫌いだったわけではない。

勉強は好きだったし、友だちとも仲良く遊んでいた。

でも、夏休みが来る前は、一月も前からわくわくしていたし、九月一日はほんとうにブルーだった。

そんなところに6歳から31歳まで25年間も通ったのである。そのあとは子どもが6歳から18歳まで、12年間、子どもを叩き起こして学校に通わせた。

「校」の原義は、木をX型に交差させ、それで手足を繋縛した枷のこと。そこから、対話すること、引き比べることの意味が出て、さらに「対話と査定を行う場」の意に転じたのである。

面倒なことをよくぞしたものである。

さいわい、私はもう学校に行かなくてもよいし、子どもを学校に行かせなくてもよい。

うれしいな、と。

のんびりと本を読み、原稿を書く。

 

レヴィナス論はついに「終章」にたどりついた。

「喪の主体」について論じてるついでに、柳田国男の「先祖の話」を読む。

「先祖の話」は柳田が昭和20年、第二次世界大戦が終わった直後に、戦争で死んだ人々たちの鎮魂のために、日本人は何をなすべきかを民俗学の立場から説いたものである。

そこで柳田が勧奨したのは、鎮魂碑を建てろとか、英霊を祀れとかいうことではなく、祖霊を祭る伝統的な祭式(要するに盆と正月の儀礼)を守って絶やすなという、ただそれだけのことだった。

この本を読むと、わずか60年前には、柳田が報告する驚くほど多様で豊かな祖霊のための祭りがあった。

そのほとんどは今の都市生活者には伝わっていない。

けれども、そのような儀礼なしに人間は生きて行けない。

私は父の死後、何となく父親の遺影と小さな骨壺を棚の上に置き、思いつくと線香を上げ、葉巻を供え、一日最初の一杯を呑むときに遺影と目が合うと、軽くコップを挙げて乾杯のみぶりをする。

柳田を読んだら、私は伝統的な「魂棚」の作法を無意識的になぞっていたらしい。

遺影に向かって「その日最初の一杯」を儀礼的に献じることを「ホカヒ」と言う。

「『常に酒を飲み茶を啜るに、皆其初を神に供ふる儀を為す。是をホカヒと謂ふ。古語なり。』(笈埃随筆)と誌しているが、同じ風習は現在なほ消えてしまはず、高千穂地方では敬神の念の強い人たちが、酒を飲む前に指の先で三べんほど、酒を空中に散らすことをホカフといふそうである。」(「先祖の話」)

これが「ホイト」(乞食)やさらには「ホトケ」の語源ではないかと柳田は思弁を逞しくしている。

そう言えば、関西には東京人の用いない「ホカス」という動詞がある。これの対概念は(これもまた関西固有の動詞)「ナオス」である。

「ホカス」は「棄てる」で、「ナオス」は「しまいこむ」である。

柳田は一座の神霊にのみ供御をすすめる儀礼を「マツリ」、不特定の共餐者に供御を与えることを「ホカヒ」と呼んで、これを区別するという仮説を立てている。

「是が或は我邦のマツリとホカヒとの差別では無いかと思ふ。尤もマツリにも直会といふ共餐者の例は有るが、是は賓客に対して亭主が相伴をする方に近い。誰とも知れぬ者や我仲間で無い者にまで分配せられるといふことは、食物の第一次の目的からは外へ出て居る。」

そこで柳田はホカヒを無縁仏、外精霊への儀礼ではないかと推理している。

 

それに触発されて、私も考えたのだが、もし「マツリ」と「ホカヒ」が対語であるなら、「ナオス」と「ホカス」にも同一の関係あるのかもしれない。

「しまい込むこと」と、「投げ捨てること」、おのれ一身とおのれ一族の繁栄のためにマツルことと、名もないすべての死者たちのためにホカフことのあいだには、みぶりは似ているけれど、霊的には大きな差がある。

柳田はこの失われた「ホカヒ」の儀礼のうちにわが国の伝統的な喪の儀礼の美質を見出しているようである。

 

みんなで宴会するときに、「では、乾杯!」ということを必ずやる。

ビールやワインを注がれて、全員にわたりきらないうちに一人で勝手に呑み出す人間は相当に非礼な人間だとみなされて、白眼視をまぬかれない。

それは、共餐の儀礼において、最初の一杯の最初の一滴は、その場をゆききする地霊たち、外精霊たちに捧げるために頭上に掲げなければならないという「ホカヒ」の儀礼を私たちがいまだに忠実に守っているからなのである。