五月の鯉の吹きなが思想家の冒険

Les aventures d'un penseur sans fond: depuis janvier 2003



10月30日

学祭初日。

ふつうの週日なので、演武会のお客さんは身内ばかり。

というわけで、ふだんの稽古みたいな感じで、気楽にやらせていただく。

みんな、なかなかよい出来である。

とくに一年生がたいへんによろしい。

「色物」担当の四年生も、どうやら「一夜漬け」でだいぶ勉強をしてきたようである。感心感心。

明日は本番、がんばりましょう。

 

長井さん(旧姓谷口なをさん)がご令息をともなって遊びにくる。

母親によく似た美少年である。

さっそく畳の上で合気道のてほどきをする。

ウッキーを二度呼吸投げで宙に浮かせると、たいへんご機嫌がよろしくなった。

合気道愉しいでしょ? 四つになったら、芦屋のかなぴょんの道場に通うんだぜ。

 

朝から稽古と演武でけっこう気分よく汗をかいたあと、夕方から「財務説明会」。

学院の会計をみている監査法人から公認会計士を呼んで、「学校会計の特殊性」についてレクチャーをしてもらう、という趣旨の集まりである。

なぜ、このようなレクチャーが行われるかというと、要するに、「大学生き残りの戦略」についての私どもがさまざまな提言をするのを、どうやら経営サイドは「基本金」とか「減価償却」とかいう言葉の意味を私たちが「知らない」せいだとお考えだったからのようである。

だから、「大学の会計は企業の会計とは違うのだよ」「有価証券とかはね、時価でカウントしないんだよ」「減価償却が50%を越したということは、校舎がボロボロで緊急に立て替えが必要だってことなのね」というようなことを噛んで含めるようにご説明いただく。

なんと、先方は私たちが財務内容をまるで知らないということを前提にして、これまで交渉に臨まれていたのである。

ならば、私たちの言い分に十分に耳を貸していただけなかったのは、まことに理にかなったことである。

 

私たちが前提にしているのは、18歳人口が205万人から120万人にまで減るという人口統計学的事実である。

市場の劇的なシュリンク、総需要の減少という「人類社会未経験」のゾーンに私たちはいま踏み込んでいる。

それにどう対応するか、そのためには全学のリソースを結集して明確なヴィジョンを立てなければならない、という話をこちらはしているのである。

「減価償却」というのは、「前にあった建物と同じ建物を新築する」ということを自明の前提とした概念である。

それは「右肩上がりの時代」においては自明のことであっただろう。

ビジネスというのは、いつだって「成長するか、つぶれる」かの二者択一であり、「ほっこり縮んでゆく」というようなビジネスモデルを真剣に考えた経営者はこれまでいない。

しかし、単純計算で、あと30年で日本の大学の40%が消滅するというマーケット・クラッシュの局面において、「成長」というモデルを「自明」のものとすることは不可能なのである。

もちろん、このあとさらに本学が志願者数をふやし、キャンパスの規模を拡大し、日本有数の経営優良校になる、という可能性はゼロではない。

だが、その可能性を最大化する実践的方法を提言するためには、シンクタンクを一つ丸抱えにするか、現在の専任教職員全員がそのためだけに年間全労働時間を投じるくらいの人的リソースの集中が必要だろう。

私たちにはそんな余裕はない。

だから、それはさしあたり「自明の前提」には採用することのできない仮定であると私は申し上げているのである。

 

danger とrisk は違う。

リスクは統制可能であり、デインジャーは統制不能である。

リスク・マネジメントというのは「既知の危険」をどうヘッジするかについてのマニュアルである。

デインジャーというのは、「未知の危険」であり、マニュアルがなく、マネジメントができないものを指す。

デインジャーをどう「ヘッジ可能なリスク」にまで引き下げるか、そのことを私たちは急務と考えているのだけれど、大学の「危機」というときに、私たちがすれ違ってしまうのは、たぶん「危機」という言葉の意味を私たちが共有できていないせいなのであろう。


10月30日

昨日は芦屋川カレッジで二度目の講義。

演題は「話はそんなに簡単でよろしいのであろうか?」

80人ほどのシルバー世代の芦屋市民のみなさまのご機嫌を伺う。

午前中は総文の同僚である川村先生が国際関係について論じてくださったので、ウチダはそのあとを承けて「人口減少社会におけるほっこり人生」について熱弁をふるう。

ご婦人の聴衆がたいへんうれしそうに笑ってくださっていたのが印象的であった。

私の話はどうも中高年のご婦人に受けがよいようである。

おそらく私は本質的に「おばさん的思考」の人らしい(お、次の晶文社の本はこれでいこう。「おばさん的思考」)

「おじさん的」にも「おばさん的」にも自由に思考できる人間ということになると、コワモテの構築主義者のオトガメも逃れられそうだし。

 

講演のあと、勢いがついたので、白水社の「ふらんす」のために「レヴィナス論」10枚を書く。

さらさら。

「神戸のクラーク坂をのぼりつめたところにジャック・メイヨールというワインバーがあった(いまはもうない)。」

という書き出しにしたら、すいすいと筆がすすむ。

「ふらんす」編集部が求めているものとはだいぶ趣が違ってしまったが、まあ、交通事故に遭ったと思って。

 

昨日から土佐弘之先生に送っていただいた『安全保障という逆説』(青土社)を読む。

土佐先生はかつての神戸女学院総文の同僚の国際関係論学者である。

土佐先生の文章は明晰であるだけでなく、なんともいえないグルーヴ感がある。

16ビートの国際関係論である。

一つの命題を語りつつ、その命題が準拠しているフレームそのものを同じセンテンスの中で批判の射程に繰り込む、というような芸当は凡人のよくなしうるところではない。

驚嘆すべき批評的知性。

 

本日は法遊会の講演。二日続きの噺家稼業である。

こちらは合気道部のキシダくんのバイト先の法円坂法律事務所の主催のイベントである。

キシダくんがお世話になっているオツトメ先とあっては、「親代わり」の師匠としては仁義を欠くわけにはゆかない。

聴衆は大阪の企業経営者を中心にしたみなさま。

ふだんのウチダの聴衆とはいささか勝手が違うが、この機会に「神戸女学院大学の卒業生をぜひともご採用下さい」と営業活動をかねて、現在の日本の高等教育が置かれている危機的状況と、日本社会の明日についての所見を申し上げる。

講演はなかなか好評で、「別の経営者セミナーでも、今日の話を」というオッファーを二つ頂く。

へいへい、神戸女学院大学の宣伝をさせていただけるのでしたら、どちらなりとも参上いたしますですはいとご返事する。

私の原稿の上がりが遅いといらだっているエディター諸君は私がこのような地道な営業活動に邁進していることをおそらくはご存じないのである。

高校に行って大学の宣伝をしたり、サラリーマンはたいへんなんすよ。ほんと。

 

ぱたぱたと走って大学に駆けつけ、IT秘書のイワモトくんが研究室のパソコン3台を新しい大学のシステムに合うようにセッティングしてくださっているのを激励し(ありがとね、今度ステーキハウス国分の神戸牛ごちそうしますから)、大学院委員会を走り抜け、暮れなずむ文学館で明日から大学祭演武会のリハーサルのチェック。

私の留守のあいだに一年生がどんどん上手になっているのに、ちょっと感動。

しきりはすべてウッキー任せ。

どうもありがとね。

このお礼はいずれステーキハウスで(というわけですから国分さん、ひとつよろしく)

へろへろと家に帰り、「焼きうどん」を食しつつ、平川君から届いた「東京ファイティング・キッズ」を読む。

平川君の文章もドライブがかかってきて、論じる主題もぐいっと焦点が合ってきた。

いいなー、この感じ。

ううう、燃えるぜ。

明日は大学祭。

ウチダははじめての「説明演武」に挑む。

別に他意はない。

単に「時間があまりそう」なので、ばんばん投げていると疲れちゃうから、ネタでしのぐのである。


10月28日

風邪はだいぶよくなってきた。

関係各方面からお見舞いのお言葉や品々を賜りましたこと、この場を借りて篤く御礼申し上げます。

 

月曜はフランス語、ゼミ、杖道。火曜日はゼミ二つと会議が一つ。

なかなか悩ましい議題である。

日本の大学がこれからどうなるのか、まったく見当がつかないので、それぞれの大学の経営者は必死で想像力を駆使している。

ぜひ頭を振り絞って頂きたいものだと、被雇用者の立場からはお願いしたい。

しかし、雇用確保を最優先したい我々労働者には、経営者の知的資質について「心配する」権利がある。

「前代未聞の状況」に際会したときに、いちばん役に立たないのは、それを「既知に還元する」かたちでしか理解しようとしない頭脳である。

大学経営者の中に、大学危機を、企業の経営危機と同じ感覚で考えている人々は少なくない。

「はなしは簡単じゃないか。支出を削る、収入を増やす。それだけのことだ」

それで済めば誰も困らない。

問題は大学というところは18歳から22歳までの諸君を主たるマーケットとしており、その18歳人口が92年をピークにして激減し、2050年にはその半分以下にまで下がると予測されているということである。

学生をどんどん取る、ということは同業他社の市場からの組織的な撤収がなければありえない。

しかし、どこもそう簡単には市場から撤退するわけにはゆかないであろう。おそらくこれから10年間は死にものぐるいの「生き残り戦」が展開することになる。

近代日本において、これは誰も経験したことのない事態である。

 

国立社会保障・人口問題研究所が今年1月に公開した「日本の将来推計人口」によると、我が国の人口は2006年にピークを打って、以後減少に転じ、2050年には9200万人にまで減少する。

2002年の12700万人から3500万人減るのである。

それは同時に65歳以上人口の激増と、生産年齢(15−64歳)の激減をも意味している。

いまメディアが論じているのは年金や介護の問題だが、それ以上に深刻なのは、実質的な人口減がもたらす「総需要の減少」である。

しかし、これを正面から論じているエコノミストも政治家もほとんどいない。

だって、日本人がというより、これって人類が経験したことのない事態だからだ。

経済学は「人口増加・モノ不足」を基調とする人類社会をベースに構築されてきた。

人口増・総需要の一方的増大をどうまかなうか、ということが「経世済民の学」としての経済学に求められていた問いである。

だから、人口減による総需要の減少にどう対処するかという経済学も政治学も存在しないのは当然である。

 

我が国はおそらく開闢以来以上続いてきた持続的な人口増加社会から人口減少社会へという歴史的な転換点に立っている。

そのような歴史的転換を経験した人間はいまの日本社会のどこにもいない。

こういう前代未聞のときに、「既知のデータ」を金科玉条にする「前例踏襲型小役人」はまったく役に立たない。同じく、過去のビジネスモデル(特にアメリカモデル)をありがたがる経営マインドもまったく役に立たないことに変わりはない。(アメリカは先進国では例外的な人口増加社会であるから、大学存立の基礎条件が日本とまったく違う)

私たちは「まったく新しい大学作り」という岐路に立っているわけである。

いかなる「成功の前例も存在しない」問いを前にしているわけである。

こういうときは、とりあえず頭をクールダウンして、手に入る限りのデータを吟味し、とりうるあらゆる「手」をシミュレートして、そのひとつひとつのコストとリスクについて考える計量的知性が必要である。

この点について、本学理事会を含めて本学の全構成員が私と同意見であることを私は信じて疑わない。

とりあえず「小役人」と「グローバリスト」に用はない、ということについてはご異論はありませんよね。


10月26日

げっほげほげほ。げひー。

うー。今年の風邪はしつこいぜ。

熱も下がったし、鼻水もとまったが、咳だけ止まらない。

というようなことを毎日書いて、ちょうど1週間になる。

しかし熱はわざわざ体温をあげて体内のウィルスを殺害しているのであるし、鼻水やら痰やらは侵入者と差し違えた白血球の亡骸であるし、咳だって、体内に侵入せんとする異物をがんばって気管支くんが痙攣しつつ押し戻しているのであるから、これみな身体が私の命を守護せんと元気に活動してくださっている証拠なのである。

鼻水とてゆめおろそかにはしてはならぬのである。

病気になるのは生きている徴。

ちんとかんで、合掌してゴミ箱へ。

ありがたやありがたや。

でもはでもでもあのこのでもは、でもでもでもと言うばかり。(@守屋浩)

というフレーズにご唱和頂けるかたがこのホームページの読者にいくたりおられることであろうか。(ウッキーは知ってたりするんだよな。「自動車ショー歌」をフルコーラスうたえちゃう人だから)

 

しかし、最近のCMソングは古い。

このあいだTV見てたら、「ザ・バンド」と「バーズ」が続けて流れたので、おどろいた。

CMプランナーなんかは30代かせいぜい40代であろう。リアルタイムで聴いているはずがない。

どこであんな50代のおじさんおばさん向きの楽曲を探し出してくるのであろう。

胸がきゅんきゅんしてきたので、アマゾンで「昔の音楽」を買い求める。

アントニオ・カルロス・ジョビンとジョアン・ジルベルトを購入。

このところアマゾンで買ったアイテムというと、「小津安二郎全作品」「黒沢明ボックス」「石原裕次郎ボックス」、キャロル・キング、スティーヴ・ローレンスにアントニオ・カルロス・ジョビン。

完全に幼児退行している。

 

見ているビデオはこの3週間「キムタク全仕事」。

「HERO」見て、「Good Luck!」見て、「Beautyful Life」見て、いまは「ロング・バケーション」である。(見始めると、やめられない)

そういえば、キムタクドラマ関連音楽には絶対ナイアガラーがまじってるな。

山下達郎(Ride on time !)に大瀧詠一(「Love generation」のテーマ曲は18年ぶりのシングル「幸せな結末」。「ロンバケ」というタイトルだって、ぜったいそうだよね)だもの。

ということは、私ひとりが幼児退行しているわけではなく、メディアの一部に強固なる「幼児退行ケルン」が存在しているということである。

いずれゴールデンタイムの番組のテーマにキャロル・キングやが使われるのも時間の問題であろう。

ニール・セダカのLaughter in the rain なんかキムタクドラマのタイトルバックに使ったら、これ以上ないくらい「ぴたり」の曲想である。

 

キムタクくんと織田裕二くんは私がひそかに「平成の佐田啓二」と見込んでいる方々である。

小津先生がご存命であられたら、必ずや「笠智衆の孫娘に岡惚れしているちょっと弱気な同僚役」に起用したであろ。

小津先生なきために世界的名声を得る機会を逸されたことを私は彼らのために惜しむのである。

 

「不眠日記」のオガワくんが必死で『子連れ狼・三途の川の乳母車』を探していて、私に貸したまま帰ってこないのだが・・・と詰問されたので、書棚をごそごそ探したら、奥の方から出てきた。

まことにあいすまぬことである。

返す前にもう一度見る。

ウェイン町山先生によると、勝新太郎製作・三隅研次監督・若山富三郎主演の『乳母車』はアメリカでは「あの」ロジャー・コーマンが配給元になり、C級映画として大ブレークし、以後のいわゆる「スプラッタ」映画というジャンルはこれにインスパイアされて出現したものであるという。(今封切りのタランティーノの『キル・ビル』も『乳母車』オマージュ作品だそうである)。

勝新太郎は香港映画とハリウッド映画に決定的影響を与えたまことにレアな日本映画人なのである。

『乳母車』は手は飛ぶ、足は飛ぶ、耳は飛ぶ、もう全編、解剖学実習状態というすばらしい映画である。

これがいまTSUTAYAでは入手がむずかしいというのは日本映画にとってまことに悲しむべきことと言わねばならない。東宝はただちにDVD化をご検討願いたい。

 

勝プロつながりで、北野武のベネチア映画祭での大賞受賞をことほぎつつ、オリジナル『座頭市物語』を見る。これも三隅研次。

じつによい映画である。

子母澤寛の原作は20頁ほどの短編であるが、これに『天保水滸伝』をからめて、あれだけの尺に引き延ばした三隅の手腕はみごとなものである。

天知茂の平手造酒もまことにはまり役。

二人がため池で二度目に出会って、「どうだ、今日は供養に一献くみかわさんか」というあたりのやりとりはほんとうに渋い。

 

飯岡助五郎と笹川繁蔵の「大利根の決闘」は1849年天保15年の事件。明治維新に先立つこと19年。

ということは、シリーズのどこかで『座頭市対沖田総司』とか『座頭市、廃刀令破り』とか『座頭市、西南戦争100人斬り』とかあってもまるでおかしくないのであるが、実際にはシリーズが進むにつれて時代は逆行したようである。

『座頭市海を渡る』というのは、座頭市が高杉晋作かなんかといっしょに上海にでも行く話かと思っていたが、そうではなかった。(四国にゆくだけなの)

そういう意味では、ほとんどの場合歴史の流れは物語の流れより速いのである。

 

この物語と歴史のタイムラグに偏愛をしめしたのが、かのサム・ペキンパーであった。

『砂漠の流れ者』(どうでもいいけど、ひどいタイトルだなあ。原題はThe Ballad of cable Hogue)も『ワイルドバンチ』も「西部劇」と「現代」が地続きであることの痛々しさを正面から描いた名画である。

『砂漠の流れ者』のラストシーンは主人公の伝説的ガンマンが、西部の街に最初に走ってきた「自動車」に轢かれて死んじゃうというまことにスパイシーなものであった。

なぜか日本には「時代劇」と「現代劇」の「あわい」を描くことにこだわった映画作家のあることを知らない。

北野武の『座頭市』がどういう映画か未見なので知らないけれど、実年齢からするとぼちぼち座頭市も明治維新にでくわしている頃合いである。もし、そういう時代設定であったら、「さすが北野武!日本のペキンパ!」というところだけれど、どうなんだろ。

というわけで、今日は勝新版の『座頭市凶状旅』を見ることにする。

ちゃんと持ってるのよ。これが。

 

なことを書いているうちに、土日にあった身体運動文化学会のことを書くスペースがなくなってしまった。

土曜のシンポジウムがめちゃめちゃ面白かったのである。

高橋和子(身体きづき)・近藤洋子(民俗舞踊)・三上賀代(明るい暗黒舞踏)・岩下徹(BUTOH系ダンスセラピスト)

というまったくどういう展開になるか分からないで集めたパネリストの関心がぐいぐいと一点に収斂する。

さすが小林昌廣先生の采配がおみごとでありました。

このシンポジウムはあまりに面白かったので、本になりそうである。ぜひお楽しみに。

 

と、いうことは、また一冊仕事がふえたっつーことか・・・

難波江さんとの共著『現代思想のパフォーマンス』も光文社新書で増補改訂再版ということになったし。

と、いうことは、あと二冊仕事がふえたっつーことか。

 

あ、もう考えるのやめて、座頭市見て寝よ。


10月24日

げっほ、げほ。げほげほ。

まことに今年の風邪はひつこいのー。

ドクターにもらったお薬を処方を無視してがぶがぶ飲んだら、熱と鼻水は収まったのであるが、咳がまだ止まらない。

げほげほ。

それでも三日ぶりにスーツを着て、大学へ出勤する。

 

出勤前にメールをひらくと、かなり面倒な問題が持ち上がっている。

もちろん大学の体面にかかわる問題なので、私ごときがここで縷々書きつづるわけにはゆかない。

しかし、本学の経営方針を決定されている方々は、いったいどのような情報と論理的根拠に基づいて、本学の経営方針をご決定遊ばされているのか、またその決定過程についての説明責任ということについてどんなふうにお考えなのであるか、ウチダには理解が及ばない。

たぶん、ウチダごときが理解するのは不可能なほどに深遠なご思案があるのであろう。

 

研究科委員会。

ここでもいささか面倒な問題が持ち上がっている。

もちろんコンフィデンシャルな問題なので、私ごときがここで縷々書きつづるわけにはゆかないのである。

ただ、「どっと」疲労感が出てくるタイプの問題である、と記しておくにとどめたい。

 

研究所総会。

イラチのシミチュー研究所長の「はえーはなしが」的議事進行により、瞬間的に総会が終わる。

私は多くの「イラチ」をこれまで見てきて、私自身をひそかに「日本一のイラチ男」と自負していたのであるが、シミチュー先生のあることを失念していた。世間は広い。

総会後の研究発表ではイネの遺伝子操作で医薬を生産するという今日的な主題のお話を伺う。

内容については失念したが(するなよ)、ひとつだけ断言できることがある。

パワーポイントを効果的に使用するためには室内の照度を下げる必要があり、室内照明が暗くなると、発表内容のクオリティにかかわらず、人間の知解能力は有意な低下を示す、ということである。

 

カミュ研究会。

本町のラ・ロシェルで、ひさしぶりに三野先生はじめとするカミュ研のみなさまの尊顔を拝する。

このところ学会をさぼり続けなので、お会いするのは3年ぶりくらいである。

久闊を叙すまでもなく、笑顔の三野先生から滞納している学会費二年分を徴収される。

「ためらいの倫理学」の初出は、この研究会発行の『カミュ研究第四号』であった。

ああいうことを好き勝手に書かせてくれる、まことに風通しのよい学会なのである。

ひさしぶりに同業のみなさまと談論風発。

しかし、話題は「国公立の専任教員6年間で25%削減」とか「非常勤講師の全員解雇」とか、恐ろしい話が主体であった。

日本の大学の未聞の地殻変動が始まりつつある。

いまから5年後に、日本の大学がどんなふうになっているか、正確に見通している人はたぶんどこにもいない。


10月22日

げほげほげほ。

まだ風邪がなおらない。

ドクター佐藤からお薬をたくさんいただく。

それを飲んで寝る。

 

思潮社から『現代詩手帖』の「高橋源一郎特集」が届く。

私の高橋源一郎論は、吉本隆明、三浦雅士につづいて、三番目に掲載されていた。

高校一年のときに『自立の思想的拠点』を耽読してから苦節(どこが)40年、ついにヨシモトタカアキと同じ雑誌で並んで(ないけど)掲載される日がウチダにも訪れたのである。

この感動は、高校一年のときに『自立の思想的拠点』を耽読して、そのまま勢いあまって校門から飛び出したことのある人間にしか分からないであろう。

思えば、私の思想と文体に決定的なすり込みを果たしたのは、吉本隆明なのである。

まあ、私たちの世代はみんなそうなんだけど。

「経験的に言って」とか「このスコラ的美文をわかりやすく書き換えると」とかいうワーディングは16歳のときに刷り込まれたまま、抜けなくなってしまった。(さすがに「私(たち)」は恥ずかしくなって途中で止めたけれど)。

私たちの世代に文体上、最初に決定的な影響を及ぼしたのは誰がなんといっても、吉本隆明である。

そのあとに「哲学派」は廣松渉に、「文学派」は蓮實重彦に、「サブカル派」は橋本治、椎名誠、糸井重里・・・などにあらたなアイドルを求めて離散していったのである。(古い話だなー)

 

それにしても、あれから40年経って思うのは、吉本隆明が私たちの世代に及ぼした影響の深さである。

ある意味で、この「自立の思想家」をほとんど唯一の思想的観測定点にして、私たちの世代はずっと仕事をしてきた。

まるでヨシモト的でない仕事をしている人たちも「ヨシモトがやってないことをやろう」という仕方で、吉本隆明の影響からは逃れることができなかったのである。

それからあと、今日にいたるまで、私たちはヨシモトに相当するランドマーク的な思想と文体の「モデル」を見いだすことがなかった。

 

ひさしぶりに読んだ吉本隆明の文章はすらすら読めた。

「高橋源一郎特集」では、この吉本隆明と谷川俊太郎のところがいちばん刺激的であり、書き手の世代が下がるにつれて話がせこくなっていった。

困ったものである。


10月21日

風邪を引いた。

土曜の午後から、鼻水がずるずる出ていたが、月曜の杖道のお稽古のときに、咳が出てきて、稽古の終わるころには熱まで出てきた。

あわてて風邪薬を買って家にもどり、午後9時に就寝。

午前11時半まで爆睡。

汗でぬれたパジャマを着替えて、熱は下がったが、咳はとまらない。

雨なので休講したいが、当日休講では、遠路はるばるやってくるゼミの学生院生たちに申し訳がたたない。(スズキ先生なんか浜松から来るんだから)

ぜいぜい言いながら登校。

本日の学部のゼミは「ストレスと家庭」。大学院のゼミは「資本主義の終焉と再生」である。

 

学部のゼミ出席者のうち「結婚して幸福な家庭が築ける」と信じているもの、8名中2名。

「父親がいないと家内が平穏」というもの7名。

「母と仲良し」というもの、全員。

どうも、彼女たちに「結婚なんかしてもろくなことはないよ」という考え方を刷り込んでいるのは母たちのようである。

もちろん、彼女たちとて仕事から帰ってきたとき誰かに「ぎうっ」と抱きしめられて、ほっこりしたい、という人間的な欲求はある。

でも、その相手は偕老同穴を誓った配偶者ではない。

「取り替え」を前提としたテンポラリー・パートナーなのである。

ううむ。

 

資本主義の方はなかなか刺激的な議論となった。

大学でこういう話をするときに、感じるのは「ビジネスの経験」の有無が、人間の社会観に大きな影響を与える、ということである。

当然にも、学生院生のあいだに(OL経験者やバイトをしたことのあるものはいくらもいるが)ビジネス経験者は絶無である。

だから、彼女たちが資本主義を論じるときの視点は「消費者」および「賃金労働者」に限定されており、「経営者」(いまの文脈でいうと「資本家」)という視点が構造的に欠落している。

マルクスをはじめあらゆる経済学者の著作には「労働者」と「消費者」の視点はあるが、「資本家」の視点はない。

そこで資本家は「ひたすら利潤の増大を追求するもの」というきわめて単純な定義でくくられている。

しかし、現実の資本家は、現実の消費者や労働者と同じく、「生身の人間」であり、単なる記号ではない。

彼らの行動にはしばしば「利潤の増大」以外のヒューマンファクターがおおきく関与している。

ご存じの通り、商法の改正によって、現在株式会社の創立には一円もお金がかからない。

つまり、実定的な生産手段など所有しなくても、ケータイ1本パソコン1台あれば、誰でも「起業家」になれる時代である。

「誰でも資本家」のその時代であるにもかかわらず、「資本家」とはどうふるまうべきものか、ということについての学的考察だけが抜け落ちている。

あるのは「カルロス・ゴーン経営を語る」とか「ユダヤ大富豪の秘密」とか、そんな「成功譚」ばかりだ。

資本家は産業資本段階であろうとポスト資本主義社会であろうと、利潤の追求「だけ」をしているわけではない。

それは『ベニスの商人』のころから変わらない。

それを捨象して、「資本家とは利潤を追求するものである」というふうに雑にくくるから、そういう理説を聞かされて育った人々は「自分が資本家だったら、どうふるまうか?」という問いを決して自分に向けないようになるのである。

おかげで、社会主義国の実験が証明したように、マルクス主義者に企業経営をやらせると、彼らは全員が「公共の福利」より「私利私欲」に走ることになった。

だって、しかたがないよね。

資本家というのはワルモノだ、と子どもの頃から教科書で教わっているんだから。

自分が資本家になったら、ワルモノになるほかないではないか。

社会主義経済が崩壊して、資本主義になったのは、システムのせいではなく、人間理解の不足のせいだと私は思っている。

「資本家はどうふるまうのが政治的に適切なのか?」という問いを左翼の学者たちは真剣に考えない。

それは「自分が資本家だったら、どうふるまうか?」という想像的な問いを自分に向けたことがないからだ。

でも、資本主義社会を現に生きている私たちにとって、それはとてもたいせつな想像力の使い方だとウチダは思う。


10月19日

徳島から増田聡くんご夫妻が来神。

『ため倫』読者のみなさんはご案内のとおり、増田くんは私が「世に出る」きっかけをつくった恩人である。

彼がそのホームページで私のホームページにリンクを張り、「こういう大人に私はなりたい」という名コピーを付すことがなければ、冬弓舎の内浦さんが私のホームページを覗いて、これをまとめて本にするというような破天荒なアイディアを抱くこともなかったのである。

私が今日あるのは、ひとえにこの少壮の音楽学者の推挽のおかげである。ありがたいので、夜寝るときも足は徳島の方には向けず、和歌山の方に傾けてるくらいである。

 

その増田くんご夫妻が神戸に遊びに来てくれたので、さっそく「グリルミヤコ」へご案内する。

「源平のお寿司」と「ステーキハウス国分のステーキ」とどれがいいですか、と事前にお訊ねしたところ、ご令室の希望で「テールシチューが食べたい」ということになったのである。

国分さん、ごめんね。悪気はないの。

二次会でRe-Set に行くと、『ミーツ』の青山さんと溝口さん、先日の朝カルにおいでいただいた森川さんらが集まっている。

ご挨拶をしているうちに、兄ちゃんに率いられて、焼き肉を食べに行っていたドクター佐藤、”大迫力”、うちのゼミのケンマ君、そのともだちのゴトーさんらが合流。

わいわい騒いでいるうちに、岸和田から長駆、江さんが帰ってきて、たちまちバーは「街レヴィ派総決起集会」状態となる。

徳島で無聊を託っている増田くんは、ひさしぶりにエンジン全開状態で、音楽批評の今日について熱弁をふるっていた。

これをそのまま『ミーツ』に載せてくれると面白いんだけどね。

12時となったので、全員の分を奢ってくれた「ふとっぱら」兄ちゃんに一同最敬礼して、ドクターとともに芦屋に帰る。

 

起きるとひさしぶりに何の用事もない快晴の日曜である。

セイデンから電話があって、ビデオが修理できずに戻ってきたという。

いきしにTSUTAYAに行って、「そういうわけでビデオテープは取り出せませんでした」と申し上げると、「切れていてもテープがもどってくれば、保証の範囲なので無料ですが、テープが戻ってこないと『紛失』ということで定価の80%、13000円ほど頂くことになります」と言う。

おいおい、待ってくれよ。

テープ入れたら、ビデオが壊れちゃって、修理に17400円かかるっていうから、それなら新品買う方がよっぽどやすいから、修理せず廃棄にしたのに、そのテープが戻ってこないから13000円払え?

それはないでしょ。

ビデオ一台壊して、新品のビデオに16800円払って、その上、テープの損金が13000円?

「じゃあさ、テープが入ったまま壊れたビデオデッキごと持ってくるから、それなら文句ないでしょ」

と、セイデンまで壊れたデッキを取りに行くと、デッキは破滅していたが、中のテープは取り出してくれていた。

そのテープをもってまたまたTSUTAYAに行き、カウンターで修理工場のコメントをひらいて読むと、「このテープを入れると、デッキが壊れます」と書いてある。

おおい、もしかして、うちのデッキ壊したの、このテープの方じゃないの?

だとしたら、こっちは、この腐れテープのせいで、デッキを壊され、新品を買わされ、その上賠償金まで払わされそうになったということだぜ。

なろー。責任者出てこい。

というような大事件を引き起こした「腐れテープ」が、なんと浅野忠信主演の『殺し屋1』だったんですよー。名越先生ってば。呪い、送ってません?

 

帰ってきてから、全開で岩波の「セックスワーク論」の原稿を書きとばす。

このあいだの朝カルの「その場おもいつき」でだいたいの方向が決まったので、それを原稿に直してゆく。

無事に40枚書き上げる。

やれやれ終わった。

しかし、いろいろな人の悪口を書いてしまったので、これでまたウチダの世間がいちだんと狭くなる。

セックス系の論件について書く人には、傾向として「粘着型」の論客が多いので、この方々を全員敵に回したウチダとしては、この先、マンションの暗い廊下などでは人影におびえなければならないのである。

でも、なんでセックスについての持論なんか本に書いて世に問うのか、私にはその気持ちがよく分からない(と、こうやってまた敵をふやしている)。

例によって、私の結論は「セックスのことなんか、あれこれしゃべるの、もう止めない?」というたいへん退嬰的なものである。

フーコーも言っているように、性について人々が語る理由はひとつしかない。

それは「性について語りたい」からである。

どうして「語りたい」のか、その理由をご本人たちは誰も知らない(もちろん、性的言説生産装置の部品になってるからなんだけどさ)。

私は誰のものであれ、気づかぬうちに何かの「装置」の一部になるなんてまっぴらごめんである。

「気づかぬうちにイデオロギー装置の一部になる」くらいなら、「自前のイデオロギー装置を構築してしみじみしている」方がずっとましである。

というわけで、たいへんに「しみじみとした」文章を書く。

 

ついでに3週間もあいだをあけてしまった「東京ファイティングキッズ」の続きを書いて、さっそくアップする。

平川君、続きよろしく。

さて、増田夫妻のおみやげの「うどん」でも食べるとするか。


10月18日

理事長と面談。

松沢先生はたいへんにお忙しい方なので、面会を申し込んでから10日くらいあとにようやく45分だけお時間を頂く。

自己評価委員長として、教員評価システム、契約教員制度、理事会改革、職員の勤務考課システムなどについて、忌憚ないことを申し上げ、理事長からも忌憚ないご意見を承る。

もちろん内容はとってもコンフィデンシャルであるので、このようなところに縷々書き記すことはできない。

理事長は「やるときは、がんがんやる」という「断行」型の気質であり、「日本一のイラチ男」であるウチダとは、その点で通じるところが多い。

ただ、ご着任以来の「断行」プロジェクトの中には、事前の「根回し」というか、「瀬踏み」というか、「手当て」というか、そういう面倒な仕事にややご配慮を欠いていたために、実現に至らなかったものがある。

私はそれを惜しむのである。

いま理事長が構想しているプランは原理的には「大学のアクティヴィティを高めて、知的センターとしての求心力を回復する」というものであり、戦略的には「それしかない」とウチダも思う。

なんとかそれらの実現のために、理事長のお手伝いをしたいものだと思っている。

喫緊の問題は理事長の戦略的展望何を教職員の過半が「よく知らない」ということである。

理事長と教職員のあいだのコミュニケーションのチャンネルを制度的に担保するために何をなすべきか、ということを考えながら院長室をあとにする。

 

昨日はNTT出版のお二人の編集者と歓談。

また仕事のオッファーがある。

26冊目の企画である。

「返せる範囲の借金にはリアリティがあるが、返せる範囲を超えるともうどうでもよくなる」という原則にしたがって、「わははは」と笑って快諾する。

でも「アメリカン・グローバリズムの終焉」というお題はなかなか刺激的なプランであるので、来年はこれを主題にして大学院のゼミをやってみようかしらと考える。

 

洋泉社からは「武道論」の原稿依頼。これは30枚ということでお受けする。

 

龍谷大学の社会学部学会というところからシンポジウムの出席依頼。

「身体の歌を聴け」というかっこいいタイトルで、司会は先般お世話になった亀山先生。パネリストは岩下徹さんと甲野善紀先生と私というラインナップである。

岩下さんとは先般京都造形芸術大学のシンポでコバヤシ先生のご周旋でご一緒したし、来週の身体運動文化学会では本学にお越し頂くことになっている(私はシンポジウムの裏方である。司会はまたまたコバヤシ先生)。

甲野先生とはたぶんその前に少なくとも一度はお会いするような気がするので、「今日の話は昨日の続き」的シンポジウムとなることは必至である。

まことに「ご縁の風は向こうから吹いてくる」もののようである。

というわけで、11月は19日が朝日カルチャーセンター、20日がこのシンポジウム、21日が資生堂でのWord Friday(対談のお相手は鈴木晶先生)と三日続きでしゃべくりまくることになっているのである。

おしゃべりは私の場合、知的活動というよりは合気道のお稽古にも通じる身体的活動であるので、こういうのはまったく苦にならない。

 

風雲三宅坂劇場につづいて、新店子の「Q伝ミカのOL武芸帳」が新連載開始。

店子になるのはウチダが「いいよ」と言えば、どなたでも自由である。その点ではそこらの長屋と同じである。

条件は一つだけ、「タイトルおよび装丁はウチダが決める」ということである。

今回のも最初は「阿Q外伝」にしようと思ったのであるが、「意味わかりません」と言われそうなので、今回のものに落ち着いた。まあ、それでも意味わかんないけど。


10月16日

朝日カルチャーセンターの連続講演の第一回目。

この講演は上には12月までの三回分しか載っていないが、その後、もう3回「追加公演」されることになった。

ロックバンドの「追加公演」の場合は、おなじレパートリーを繰り返せばよろしいのであるが、私のような商売の場合はそうもゆかない。

あと三回分新ネタをおろさないとならないのである。

うう、めんどうだぜ。

その概要も出してくださいというので、適当に「身体と記号」「身体と倫理」「死の儀礼」というタイトルだけ付けてお渡しする。もちろん内容は未定。

 

昨日の第一回は60人ほどお客さんが集まった。

ウッキー、岩部さん、川崎さんという「ゼミ組」が来ているので、ぎょっとする。

というのは、おとといのゼミでしゃべった「自尊感情」についての話をマクラに振ろうと思っていたのであるが、三人もいたのではその術が使えないからである。

この講演の録音は前回の東京の朝日カルチャーでの「ケアをひらく」シリーズのものとつなげて、医学書院から本にすることになっているので、「ワルモノ編集者」である白石さんが来ている。

白石さんが来ているので八月に東京でした話も使えない。(実際にはかなり使い回しをしてしまったけれど)

別に誰かがネタ帳をつけていて、「それ昨日出たよ」と注意されるわけでもないのであるが、二日続けて同じ話をするのはなんだか気恥ずかしい。

そこでそういうえば、この同じ朝日カルチャーの教室でちょうど二年前の10月にはじめて甲野善紀先生にお目にかかった・・・という話をマクラにする。

そのとき甲野先生は土気色の顔色で、ほとんど病人のようなありさまであったのだが、その理由をのちにご本人から聞くと、驚くなかれ、先生は国東半島の山奥で・・・

というホラーな話をとっかかりにして、「瘴気」というものはほんとうに存在する、というところから話が始まった。

 

今回は今月末締め切りの「セックスワーク論」がなかなかまとまらないので、それにけりをつけるために、「未加工」の材料だけ並べて、講演しながら考えることにする。

論脈が破綻すると、次の言葉がでてこなくて講壇で「絶句」というリスクもある代わりに、聴衆の反応がよいと、思考にドライブがかかって、ひとりでこりこりパソコンに向かっているときには思いつかなかったようなアイディアがわき出てくることもある。

ダメもとでしゃべりだしたら、しゃべっているうちに、どうして私が上野千鶴子や宮台真司の売春容認論に納得がゆかないのかが分かってきた。

うまい具合に「身体知」とは何か、についてのイントロダクション的なお話がひとまとまりついたところでお時間となった。

 

お見えになったみなさんに玄関でぺこぺことご挨拶をする(小劇場の役者みたいだな)

小林さん、三宅まさきさん(三宅安道先生のご令息である)、福原秀夫さんご夫妻、コバヤシさん、堀埜さん(去年はだんじりでお世話になっておきながら、お見逸れして失礼しました)、そのほか多数のみなさん、どうもありがとうございました。

講演後、白石さんと本願寺出版社の藤本さんと釈徹宗先生と夜の北新地に繰り出して痛飲。

藤本さんは本願寺の撮影を頼んだアラーキーに「肖像写真」を撮られてしまったそうである。

村上春樹が「知り合いの女の子が『あたし、じつはヌードになっちゃったの』と言うときって、ぜったいにもうその雑誌が手に入らない時期になってからなんだけど、それってないと思う」とどこかのエッセイに書いていたが、まったくそれってないと思う。


10月15日

掲示板に次のような書き込みがあった。

「194ページで「この『二度目の不戦条約』に調印してくれる国が日本に続かないのは国際平和のために悲しむべきことだ」とおっしゃていますが、西修『日本国憲法を考える』(文春新書)によると、何らかの平和主義条項を憲法に設定してる国は124ヶ国あり、また「国際紛争解決の手段としての戦争を放棄する」という、日本国憲法9条1項や不戦条約の内容とほぼ同じ条項を入れている国もイタリア、ハンガリー、フィリピンなど日本以外に7ヶ国あるそうです。」

寡聞にして、私は日本国憲法第九条とほぼ同じ条項を憲法に掲げている国が七つもあることを知らなかった。

このご指摘を奇貨として、さっそく西修の本を注文すると同時に、とりあえずインターネット上での彼の発言を拝読することにした。

一読して、私がそのような事実を知らなかったのもどうやらやむを得ないということが分かった。

西によれば、樋口陽一、小林直樹、佐藤功、はじめ「(そして比較的多くの憲法学者にも)共通にみられるのは、日本国憲法の平和主義に対する過大評価である。日本国憲法のみが世界で唯一の平和主義憲法であるかのような錯覚に陥っているのかもしれない。 」のである。(http://www.komazawa-u.ac.jp/~nishi/Nishi-text/Heiwa_cons1.htm

日本を代表する憲法学者たちの多くが「錯覚におちいっている」のであれば、その著書や論考を読み慣れてきた私が彼らと同じ「錯覚」に陥っていたのもやむをえないであろう。

しかし、私は憲法学者たちが、彼らの本業のそもそも核心的な論件であるはずの「憲法9条の成立過程に対する認識不足」と「比較憲法的視点の欠如」を病んでいるとする西の指摘をそのまま受け容れることには若干の抵抗を覚えるのである。

 

私はイタリアやハンガリーやフィリピンが「平和憲法」を有しているということを今の今まで知らなかった。

むしろ、なぜ私はこの事実を知らずにきたのか、ということの方に私は興味がある(私はだいたいそういう考え方をする人間である)。

どうして、私は無知だったのか?

理由はすぐわかる。

それは平和憲法があるためにイタリアやハンガリーやフィリピンにおいて、国際紛争や自衛力にかかわる国内議論に鋭い対立があり、それが内政や外交政策に深く関与している、という事実を伝える情報に私が接してこなかったからである。

イタリアの軍事行動について私の記憶に鮮明なのは、ニューヨークのテロのあとの米国のアフガニスタン攻撃で、ベルルスコーニ首相が同時テロ発生後ただちに軍事報復作戦に参加する意向を表明して、米英軍への基地提供とイタリア軍派遣の方針を明らかにしたことである。イタリアは2,700人の兵員とヘリ空母ガリバルディなど海軍艦艇4隻、戦闘機、攻撃ヘリコプター、輸送機などの派遣を決定し、国会で圧倒的多数の承認を得たし、国内最大野党の左翼民主党(旧共産党多数派)も、中道左派連合の大半もこれに同調した。

ハンガリーの平和憲法についても、私はその現実的意義についてもほとんど何も知るところがない。知っているのは、その国が集団自衛権と共同防衛体制を標榜するワルシャワ条約機構の加盟国であり、ソ連という覇権国家の「衛星国」として、ひさしく外交・軍事的選択について主権を制限された国であったということだけである。(戦後、憲法改正が38回なされたことも、さきほど知った)

フィリピンについて私たちが知っているのは、19世紀末にアメリカの植民地となり、ついで日本の傀儡政権が置かれた時期も「亡命政権」はアメリカにあり、1944年のその独立は「アメリカ議会」で「独立法案」として決議された事実上アメリカの「属国」であったということ。朝鮮戦争、ヴェトナム戦争での米軍の前線基地であったこと。マルコス独裁時代は戒厳令下にあり、改正憲法は正式の国民投票なしに公布されたこと、それがマルコス長期政権を支えたこと、などである。

いずれの国についても、それらの「平和憲法国家」において、日本と類比できるような水準で、平和憲法をめぐる政治的・理論的論争がホットに展開したという報道を私はかつて目にしたことがない。

イタリアやハンガリーやフィリピンにおける憲法論争についてほとんど報じられてこなかったという事実を説明するためには、妥当な理由を私は二つつしか思いつかない。

一つは「平和憲法は日本固有のものである」と思いなす我が国の憲法学者およびメディア関係者が他国の平和憲法関連ニュースを組織的に遮断していた、ということである(私自身がそのような報道から無意識的に目をそらしていた、という可能性もある)。

いま一つは、平和条項をそれらの国の人々が「空文にすぎない」と思っていたので、どの国でもたいした論争がこれまでなかったということである。

私は第二の解釈の方が蓋然性が高いと思う。

 

「日本だけでなく、イタリアにもハンガリーにもフィリピンにも平和憲法はある。そんなことを知らないほど無知な人間に九条について議論する資格があるのだろうか」という疑念を呈する人がもしいるとしたら(いそうだね)、私としては、「イタリアやハンガリーやフィリピンにおける平和憲法をめぐる戦後60年間の議論と、それによるそれぞれの国の外交防衛政策の変遷について、まずあなたが知っている歴史的事実を教えていただきたい。もし可能であれば、その中のどの歴史的事実が日本国憲法第九条第二項の廃絶が喫緊の政治的オプションであるという政治的判断を基礎づけるのかも併せてお教え願いたい」と申し上げたいと思う。

もし、それらの国の中に憲法第九条第二項に類する規定を持っていたためにいちじるしく国益を損ない、ついには「滅びた国」があるという場合には、私もそれらの事例を「他山の石」とすることにやぶさかではない。

そうではないとしたら、いったい「平和憲法国家が他にもある」という指摘は何のために例示されたのか?

 

西はこう書いている。

「世界にいまや世界に、190以上の国家が存在する。成典化憲法を有している国家は、180を超える。結論から先にいえば、これら180以上の成典化憲法中、平和主義といえる条項を包含している国の憲法は、148におよぶ。このことは、わが国の安全保障や国際貢献の方策を考える際に、日本国憲法の特異性をもちだすことはできないことを示しているといえよう。 」

だが、世界に平和主義を国是としている国が148あるという事実と、過去1世紀の戦争の歴史を比較すれば、「平和主義を空文として憲法条文に掲げること」には「何の意味もない」ということを何よりも雄弁に語っているだろう。

だから憲法問題の核心は条文の文言そのものにではなく、その文言のそれぞれの国における解釈の仕方にある、というのがこの事実から推論できるただ一つのことである。

 

私は日本の憲法条項に「特異性」があるとは思っていない。(本でも書いたとおり、九条は1928年の不戦条約の文言をほとんどそのまま再録したものであり、世界の「常識」である)。

特異なのは、日本がその「常識的な憲法」を「特異な仕方で運用してきた」そのマナーである。

日本は戦後58年間、その憲法を理論的なよりどころとして、海外において国軍が一人の外国人も殺していない希有の国であり続けている。

この「特異な」歴史的事実に着目することの方が、「不戦条約にならって平和憲法をもつ国は148もあるのだから、日本は特異な国ではない」という事実を強調することよりも議論を深めるに値するのではないか、と私は思うのである。

 

平和憲法をもっている国はいくらもある、という客観的事実の指摘のあとにはどのような政治的主張が続くのだろう。

「日本とおなじく平和主義を掲げる仲間の国が世界に147もあるのだから、心を強くもって第九条を護持しましょう」という主張はおそらく続くまい。

むしろそれは「日本も他の147の国と同じように、平和憲法を空文化して、『ふつうの国』になるべきである」という主張にいささかの論拠を提供することになるであろう。

私はそのような政治的判断には与さない。

私が述べているのは、いつものとおり、きわめてビジネスマインデッドなことである。

「ふつうの国」になることによって得るものと失うものと、このまま「ふつうじゃない国」でいることによって得るものと失うものについて、クールに計算すると、どちらが「お得か」ということを、みんなで考えましょう。ただそれだけである。

「特異な」憲法解釈を維持する方が我が国の国益にかなうと私は考えている。

その点で、私は教条的な護憲派ではない。

憲法九条第二項を廃し、第一項だけをほかの147の国と同じように「空文として読む」ことによって、日本国民がこのさきたいへんハッピーになれる、という展望について私を説得できるひとがいれば、私はただちに憲法改正に賛成するであろう。

残念ながら、今のところ、九条廃絶のメリットについて私を納得させてくれた人はまだひとりもいない。


10月14日

多田塾合宿より帰る。

毎年同じ事を書いているけれど、三日間山の中にこもって稽古をして、ご飯を食べて、寝て・・・というシンプルな暮らしをしていると、心身がたいへんに軽快になる。

多田塾合宿の稽古メニューはしだいに「合気道の稽古」という枠では収まらない内容になってきた。

体術の稽古時間は全体の2割程度、ほとんどの時間は(五月の「国際気の錬磨」と同じく)気の錬磨と杖の稽古に割かれた。

その体術も杖術も、気の錬磨の進度を「測定」するための、いわば心身の能力をはかる度量衡として用いられているように私には思われた。

投げたり、極めたり、抑えたり・・・という術は、術として独立して存在するのではなく、ひとりの人間のあり方がどれくらい宇宙の成り立ちに整合しているのか、かたわらにいる他者と交通できているか、その alignment の「適切さ」を測定するために、その「めやす」として体系化されているようである。

だからこそ、植芝先生は術のひとつひとつに「形」としての名前をつけられず、稽古のときに二度と同じ技を遣わなかったのかも知れない。

そんなことを考える。

 

今回の稽古で印象に残った多田先生の言葉のひとつは「隙をつくるな」。

「隙」には物理的な隙と、心理的な隙がある。

身体のあり方としては「両足が揃っている状態」、心理的には「対象に囚われている」ことを指す。

たぶん本質的にこの二つは同じ意味なのだと思う。

現象学では、対象に意識が囚われている状態からの離脱を「かっこにいれる」(判断停止)と名付けた。

このとき、視線はたしかに対象を認識してはいるのだが、その存在信憑は「かっこにいれられている」。くまなく看取されてはいるのだが、そのリアルさは減殺されている。

対象を観察はしているが、囚われてはいない知覚のあり方を、多田先生は「隙のない状態」と形容されたが、これはフッサールが「エポケー」と名付けた意識の構えに通じるものがあるように私には思われた。

 

甲野善紀先生が松聲館武術稽古研究会の解散を決意された、ということが「随感録」に書かれている。

組織を維持するということが、ある種の「囚われ」を不可避的に帯同することに対する配慮と、もうひとつの理由は「武術家」という肩書きに限定されずに、全人的な生き方を教える仕事にかかわりたいというお考えがあるように思われた。

甲野先生のことばをそのまま書き写すと、

「場所と道具があれば、鉈や木の枝をどう捌いて薪や焚き付けを作るか、あるいは槌と火箸(ヤットコ)を使って、鍛冶はどうやって鉄を叩いて造形しているのか、といった事など、人間として本来最も基本的な生活技術の実演や講習を行ない、ナマ身ひとつで自然と向き合えるだけの基本技術を学んでもらう事なども考えている。」

最初に甲野先生とお会いした一昨年の10月に、すでに甲野先生は、自然に触れ、自然の中で生きてゆく能力の開発を怠ってきた学校教育と学問のあり方を(先生にしては例外的に)つよい口調で批判されていた。

おそらくこのあと甲野先生は身体技法の専門家という狭い枠にとどまらず、人間が環境と調和して生きてゆくため必要な本質的な「生きるための技術」(さらには「死ぬための作法」)というより汎用性の高いテーマを追ってゆくことになるのであろうと私は思う。

卓越した武術家は、鋭敏な気の感応力によって、常人には感知できない時代の変動の予兆を感知する卓越した「預言者」でもある。

おそらく甲野先生の「三脈」は「ここにとどまってはならない」と告知したのであろう。

多田先生の「気の錬磨シフト」も甲野先生の「松聲館解散」も、あるいは私たちの時代が「ある段階」を終えつつあるという時代の根源的な変化の先駆的な予兆なのかもしれない。

 

ひさしぶりに三宅先生のところへ。

治療のあとベリーニへお誘い頂く。

今日は、本田秀伸さんご一家を招いているので、そのお相伴に与ったのである。

本田さんとは七月の光岡先生の講習会ではじめてお会いした。

たいへんに物腰の穏やかな端正なたたずまいの青年で、さすがに一流のアスリートは違うなあ、と感服していたのであるが、国技館での世界タイトル戦ではまったく印象の違う激しいファイターぶりを拝見した。

タイトルマッチはまことに残念な結果に終わったが、今日はその慰労会。

メンバーは三宅先生ご夫妻、本田さんご夫妻とご令息と私。

私は畑違いの人間であるが、どの世界の人でも一流の人の話というのは、汎用性の高い知見を含んでいるのである。

ムニョスのフックがどのような軸旋回運動で、その圧感はいかなる物理的条件に基礎づけられたものであり、それを回避するスウェイバックはどのような感覚によるものであるか、というような専門的なお話を「ふむふむ」と伺う。

本田さんのボクシング理論は実に緻密にして明晰である。

いずれボクシングを教える立場になったときに、その膝下から多くの俊英を育てることになるだろうけれど、今はそれより世界タイトルである。

次の世界戦は絶対勝って下さいね。

本田さんは合気道にも興味がおありとのこと。機会があったら、ぜひいっしょにお稽古したいものである。


10月10日

『ため倫』の増刷が決まった。初版が18000部、増刷は5000部。トータル23000部ということになる。

人文系の文庫本としてはかなりの売れ行きですと角川のヤマモトくんがうれしそうに電話してきた。

洋泉社の『子どもは判ってくれない』も順調に売れているそうである。

本がうれるのは、書いた人間にとってはまことにうれしいことである。

私の書くものはひさしく「読者は5人」とよばれる大学の紀要論文だけであった。

読者が少ないことの主なる問題点は、5人のうちの1人から「つまらん」と言われるとがっくりへこみ、1人から「面白い」と言われると増長するという、客観的評価の不正確さに存する。

読者の20%といえばたいそうな数字だが、実際は一人なのである。

昨日も書いたことであるが、このような少数の母集団を統計的な基礎に取ることは自分の歴史的・政治空間的なポジションを「マップ」する上で、ほとんど役に立たない。

読まれないことの難点は、自分が書いていることが、この時代、この社会においてどんな「機能」を果たしているのかについての適切な認識が得られない、ということにある。

逆に言えば、読まれることの利点は、自分が書いていること、考えていることが、この時代、この社会において、どんな役割を担っているのかについての、かなり近似的な認識を得られることにある。

例えば、私は高橋哲哉氏から「ネオソフト・ナショナリスト」という呼称を賜ったが、これはなかなか味のあるネーミングであって、『ため倫』のような本を出さないと、誰かが私の「社会的ポジション」をひとことで示唆してくれるというようなことは起こらない。

加えて、私は同世代の男性を読者に想定してものを書いてきたのだが、実際には30−40代の女性がわりとコアな読者層を形成していることが知られてきた。

これはまことに意外なことであり、その年代の女性が私の書くもののどこに共感されるのか、私にはいまだにうまく想像することができない。

しかし、私のホームページ日記をずっと「ウチダ・イツキ」という女性が書いているものと思って読んでいた方もいる。

ということは、この日記は「女もすなる」日記と思って読むと「そうも読める」エクリチュールで書かれている、ということである(ためしに「そう思って」読んでみてください)。

つまり、私の感性と文体のかなりの部分は「女性ジェンダー化」しているということである。

まあ、あれだけながく「主夫」をしてきたのだし、そもそもが「元少女」であるから、納得のできない話ではない。

私は「話をより複雑にすることによって、話の主導権を握る」ということを議論の基本戦略としているのであるが、これは考えてみたら、男女の口げんかにおける女性の常套手段であった。

おでかけ前に支度に手間取っている妻にむかって、「おい、はやくしろよ、もう時間ねーぞ、いっつもおせーんだからよー」というようなことをイラチ夫が言う。

彼の頭には「残り時間と移動に要する時間」の引き算しか行われていない。

しかるに、妻は「着物と半襟の色相が合わない」というようなことで深い絶望の淵にいたりする。

「ああ、もう、いっそ洋服でいこうかしら。あら、それだとメークも全部変えないといけないし!きー」

というようなことになっているので、夫はつい

「いーじゃん、どうだって。どうせ、誰もおまえが何着てきたかなんて、明日になれば覚えてないんだから」

という決して口にしてはならないことを言ってしまい、般若の形相となった妻をなんとか予定時間に予定の場所にまで移動させるために、そのあと25回くらい土下座しなければならない仕儀に立ち至るのである。

これはほんの一例であるが、(なかなかリアルな実例だな)ことほどさように、女性は話を複雑にすることでしばしば圧倒的に不利な状況を一転させることができるのである。

私は女性にこの戦略を学んだ。

そういう学習の仕方をする男性はたしかにあまりおられない。その点において、私の読者の中に「ウチダの発想法のなかには『女性的なもの』がある」と道破された女性たちが含まれているというのはありそうなことである。

と、まあ、こういうような自己定位は、どのような読者に読まれているかという基礎データが与えられないと決してなされないものなのであるからして、本が売れるということは、私にとって「おのれを知る」ためのたいへんに教化的な機会なのである。

というわけですから、ウチダがさらに自己省察を深め、周囲のみなさまがたにとってあまりはた迷惑でない人間へと人格陶冶を遂げることができるように、なお一層、拙著大量お買いあげ行動に邁進されんことを関係各位にお願いすることで私からの挨拶とさせていただきます。


10月9日

宝塚西高校から帰ってきたら、今度は県立葺合高校から「出前講義」の申し入れがあった。

ご指名での要請であるから、当然お受けする。

高校に行って、子どもたちに大学の先生の中には「こんな人」もいるということを告知するのは、悪いことではない。

私は大学に入る前に「大学の先生」というのを漠然と『わが青春に悔いなし』の大河内伝次郎みたいな人たちばかりだと思いこんでいた。

だから、入ってびっくりしてしまった。

彼らが学生をまるで「愛していない」からだ。

これは1970年入学という時代のせいかもしれないけれど、教師たちの半分は学生を恐れているか憎んでおり、残り半数は「おまえたちのことなんかに私はまるで興味がないんだからね」というしらけた顔を精一杯つくっていた。

その前にずいぶん学生にひどいめにあったのだろうから、それも仕方がないのかもしれないけれど、「大河内伝次郎」を期待していた新入生にとってはけっこう気分の萎える体験だった。

だから、私は教師として別に人にすぐれた点はないが、「学生に対してフレンドリーである」という点だけはいつも心がけている。

「フレンドリー」というのは、別に「ものわかりがいい」とか「やさしい」とか「好きなことをさせる」という意味ではない。

そうではなくて、相手にわかってほしいことをなるべく相手に理解できる言葉で、相手に届く語り口で語る、ということである。

パソコンのインターフェイスと同じである。

「ユーザー・フレンドリー」というのは、別に画面がきれいであるとか、演算が速いとかいうことではなくて(それもあるけど)、機械がユーザーが現になしつつあること、これからなすべきこと、決してしてはいけないことをリアルタイムできちんと伝達するということではないかと私は思う。

どれほど高性能なマシンであっても、「とりつく島がない」のではユーザーは泣くしかない。

ユーザーが「なすべきこと・してはいけないこと」を明確にわかりやすく指示し、ユーザーが「自分が今何をしているのか」ときちんと把握できるように「一望俯瞰的な視座」をそのつど提供すること、それが「フレンドリー」の内実だと私は思う。

学生に対するいちばん大切な知的サービスとは、「あなたはいまここにいて、この方向に向かっている」ということを知らせてあげることだ。

私はそれを「マップする」というふうに呼んでいる。

ハリウッド映画で見るアメリカの海兵隊では、新兵たちを訓練する鬼軍曹は、まず最初に彼らを「マップ」する。

「おまえらはゴミだ」

というのがどの映画でも軍曹の最初の言葉である。(『フルメタル・ジャケット』でも『ハートブレイク・リッジ』でもそうだった)

ずいぶんひどい言い方だが、新兵たちに「現在いる場所、なすべきこと、なしてはならないこと」を一言で印象づけるという点ではそれなり親切な情報提供であるとも言える。

できるだけ「大きな地図」の中に若い人をマップしてあげること、それが教師のいちばん大切な仕事だろうと私は思っている。

「君たちはリスクの多い場所をこれから通過することになる。気をつけるべきこと、なすべきこと、してはならないことを次に申し上げるから、よく記憶しておくように」

私が若い人に言う言葉は、だいたいいつもこんな感じだ。

私は彼らに無事に生き延びてもらいたいのである。

これからの時代を「無事に生き延びる」のは、それほど簡単なことではないから。


10月8日

兵庫県立宝塚西高校というところで「出張講義」をすることになった。

高校生のみなさんに神戸女学院大学を受験してくださいねとアピールする「営業活動」ではない。

聴衆の半分は男子である。

男子高校生に女学院の宣伝をしてもはじまらない。

そうではなくて、高校一年生のみなさんに大学とはどういうところかをお話しして進路選択の参考にしていただこうというのである。

うちの他に甲南、関学、武庫川女子大、神戸薬科大、大阪芸大、大阪外大など17校が来ている。

学科長からの業務命令を受けて、入試課長の荒木さんと連れだっていそいそと宝塚の山の中へ出かける。

与えられた論題は「文学部では何が学べるか?」。

進路選択にあたっての「ミスマッチ」を最小化するようにご指導頂きたい、いうことなのであるが、もちろん、そんな話はしない。

今日びの受験生はそのような悠長なことを考えている余裕はないからである。

今の高校生たちが受ける大学の中には在学中に「募集停止」になるところや卒業後「廃校」になるところが確実に含まれている。

18歳人口は1992年の205万人をピークに長期的に減り続け、今年が144万人。女性の合計特別出生率がこのペースで低下すれば(70年代まで2.1で推移していたが、2000年の出生率は1.36)21世紀なかばには100万を切り、80万人まで減るという予測もある。

同じ話を何度も繰り返すようであるが、子どもの数が60%減るということは、大学進学率が同率であれば、単純計算で半世紀後には60%の大学が不要になるということである。

今、日本には1200の大学短大があるが、そのうちの700校あまりが数十年後に廃校になる、というのが最も悲観的な予測である。

大学が適正なダウンサイジングを行ったり、地域と連携したり、生涯学習や社会人教育にシフトすれば、この数字はもう少し低めに抑えることができるだろう。

それでも、これからは、毎年いくつもの大学短大が募集停止、廃校に追い込まれることになるのは避けがたいのである。

 

そのような全般的状況の中で高校生諸君はどのように進路を決定したらよいのか?

率直に申し上げて、これまで進路指導の先生が依拠してきた進学データはほとんど使い物にならない。

というのは、そこにあるのは「これこれの偏差値であれば、これこれの大学のこれこれの学部に合格できる」という統計的資料だけで、「受かった後に、その大学が募集停止になったり、廃校になったりする可能性」についての経験的データは「まだ」存在しないからである。

志願者が殺到する大学は間違いなく「安全」である。しかし、倍率は高くなり、難関校となる。

逆に、誰でも入れる大学は「合格確実」ではあるが、将来的に消滅する可能性が高い。

となると、その中間の広大なるグレーゾーンに点在する中「自分が入れる大学」の中から「生き残る可能性の高い大学」をデータもガイドラインもない状態で選び出すという「前代未聞の大学選び」の試練が諸君を待ち受けていることになる。

 

参照できる判断枠組みのないところでなお決断を下さねばならないときに私たちは人生において何度か遭遇する。

諸君が受験のときに遭遇するのは、間違いなくその種類の最初の経験となるであろう。

そういう場合にどうやって判断を下すことができるか?

「判断を下すための客観的データがない場面で、なお適切な判断を下す」という背理の場で私たちが依拠しうるのは「直感」だけである。

「直感」とは、自分自身の身体が発する微弱な信号である。

身体が「こちらへ行きたい」ということをひそやかに告げるのである。

それは脳が提供する情報には必ずしも一致しない。というより、たいていの場合一致しない。

しかし、客観的な判断枠組みが機能しないときは、脳ではなく身体を信じた方がいい。

身体感受性の高い個体は自分のうちなる欲望を感知できる。

うちなる欲望が指し示す方位とは、諸君の蔵している秘められた知的・身体的なポテンシャルが開花する方向のことである。

それはせき止められた川の流れが、どこかで決壊してあふれ出すのと同じである。

あふれた川の水は必ず「下流」に向かう。

「欲望の方位を知る」とは、川の水にとって「下流はどちらか」を知るということと同じである。

欲望は「上流に遡行」したり、「水平移動」したりすることは決してない。

しかし、脳はしばしば誤って「上流」や「真横」を欲望の進むべき進路として指示することがある。

そんな方向に進んでも、何も起こらない。

だから、欲望については脳を信じない方がよい、と申し上げているのである。

脳が指示する主観的願望がたいていの場合誰かの願望の「模倣」にすぎない。それは諸君の欲望ではない。

自分が「何をしたいのか」を知る人間だけが、つまり「欲望の流れにとっての下流の方向」を知る人間だけが、判断において過たないのである。

 

もう一つたいせつなこと。

身体的直感が導く判断に無駄な仕事をさせないためには、自分のおかれている歴史的・空間的ポジションについての十分な情報を知っていることが必要だ。

例えば、今日、私が話したように、「今後、大学は淘汰の時代に入る」というような基礎的事実さえ知らない人間は、そもそも今後の大学選択において「直感」を作動させることが必要だということに気づかない。

「なんか、日本の教育って、やばくなっているような気がするなあ」

と感じるのは直感が正しく作動していることだが、そんなことは直感を使わなくても新聞をきちんと読んで、自分の頭で考える習慣があれば、誰にでも分かる(知性を使えば分かることに身体的リソースを用いてはならない。単価がぜんぜん違うんだから)。

広々とした視野をもった知性と、自分の欲望を感知できる身体的感受性、その二つがこれからの混迷の時代を生き延びるために諸君に必要なものだ。

健闘を祈る。

 

というような内容のものである。

これを30分ずつ二回やる。

高校生たちは「きょとん」とした顔をして聞いていた。

分かってくれたであろうか。

 

帰途、荒木入試課長と来年度入試の見通しその他についてシビアなお話をする。

来年度はまた18歳人口が5%ほど減る。その自然減以上に志願者減となれば、これは「危険信号」が点灯した、ということになる。

その場合は合格者数を絞り込んで、一気に大胆な「ダウンサイジング」に踏み切らねばならない。

マーケットがシュリンクする速度よりもダウンサイジングの速度が遅れたら、そのあとはもうひたすら合格点を下げて人数だけ揃える「滅びの道」しか残っていない。

今年もまた心臓がどきどきする入試の季節がやってきたのである。

 

さすがにぐったり疲れて阪急に乗っていたら、となりの女性が本を読んでいる。

ひょいと覗いたらアジサカコウジ画伯の懐かしい四コママンガが目に入った。

思わず、その見ず知らずの女性に向かって

「その本、おもしろいですか?」と訊ねてしまう。

その人がびっくりして本を取り落としたので、「あ、すみません、それ私が書いた本なんです」と説明する。

たいへん丁重な方で、「たいへんおもしろく読ませて頂いております。ホームページも読んでおります。愛読者です」とおっしゃって頂いた。

芦屋川までしばらくお話をする。

見知らぬ人が自分の書いた本を読んでいるのを見るというのはどういう気分のものであろうかと思っていたが、近似的に表現すると「見知らぬ人がるんちゃんの写真をしみじみと眺めている」感じであった。


10月7日

『ため倫』はあちこちで品切れらしい。

「買いに行ったけど、ないよ」というメールが何通か届いた。

朝日新聞に早川義夫さんが書評してくれたおかげで、売れ行き好調とうかがっていたが、まことにありがたいことである。

『子どもは判ってくれない』も読んだ方々からは「意外に面白かった」という講評を頂いてた。

おそらく、こんなペースでじゃかじゃか本を出している以上、そろそろ「つまらんぞ」という批判的リアクションをも用意して、頂門の一針をウチダに下さねば・・・と思って読んだら、「意外に」面白かったということではないかと拝察するのである。

自分で読んでも「意外に面白い」。

私自身も、こんなペースで本を出していると、(私ほど自分の書き物に好意的な読者が読んでも)なお「つまらん」本を出すことになるのではないかと内心危惧していたのであるが、なかなかそうならないところがまことにしぶとい人間である。

しかし、ありがたいことにこれを最後に当分本は出ない。

たぶん半年ほどは静かであるから、毎度献本を送り付けられて「げ、また来た」とうんざりされていた方々はご安心下さってよいのである。

よかったですね。

 

本日はゼミが二つ。ぽけっと座って人の話を聞いて、ときどき半畳を入れていればよいので、らくちんである。

3年生のゼミは「テレビゲーム」。

ゼミ生の半数が「テレビゲーム」耽溺派であり、半数が「はじめからあまり興味がない」および「このままでは人間としてダメになる・・」と離脱した人々である。

耽溺派の方々も「こんなことをしていたら人間としてダメになってしまう・・・」という思いを抱きつつ「ああ、それでもはまってしまう、弱い私」を愉しむというやや屈折した享受のされ方をなされているようである。

興味深かったのは、テレビゲームに耽溺していると、「セーブ」と「リセット」というやり方に身体が慣れてしまい、現実の人間関係においても、「あ、まずいこと言ってしまった・・」というような場面で、「リセット」しようとして、コントローラーに手を伸ばしそうになる、という話。

テレビゲームをご存じない方のために解説すると(といっても私も今日説明してもらって理解したのであるが)、RPGでは主人公が死んだりすると、ゲームオーバーになって最初からやり直しということになる。最初からやり直して、今やった画面までたどりつくためには膨大な時間がかかるので、ゲームがある程度までクリアされた段階で、「次にやり直すときはここから」という「足場」を確保することができるのである。これを「セーブ」と言う(らしい、よく知らないけど)。

この感じは私にも分かる。

先日の国技館でのボクシング観戦のとき、佐竹のKOシーンのあと、「いまのKOシーンがスローで再生される」のをしばらく待っていた。

「あ、これはテレビじゃないから、『ただいまのKOシーンをもう一度』ということはないのだ」ということに気づくまで2秒くらいかかった。

 

大学院のゼミは岩部さんの「地域共同体」の発表。

地域共同体の再生が21世紀における不可避の選択である、ということについてはみなさん合意形成ができているのだが、「どのように、いかなる共同体を立ち上げるのか?」ということになると、明確なヴィジョンはなかなか提示できない。

そこで不肖ウチダが地方分権のための理論モデルとして暴論「廃県置藩」をお話する。(このネタは何年か前にこのホームページでも書いたことがあるが、今回「天皇制」についての宿題エッセイの中で、聴講生の渡邊仁さんがほとんど同じ提案をされていたので、びっくり。同志がいるということは、これは案外いけるかも・・・)

廃県置藩は150年前の廃藩置県の逆ヴァージョンである。

現行の都道府県を270余の「藩」のサイズに戻してしまうのである。

藩制のよいところは、行政単位がほぼ「徒歩でなんとかいける」距離に収まってしまうこと。

すべての藩に「元首」がいて、その方たちがそれぞれに自由な政治的実験を行うわけなので、結果的に「名君」と「暗君」の差がはっきり出てくる。

それら「賢君」の中から「大老」を選出して、現在の総理大臣、外務大臣の職務をご担当いただくのである。

すべての藩には「武芸指南役」がいて、それぞれに一流を構えている。それらのうちから技量抜群にして人格高潔のサムライを選び出して、その方に日本の防衛庁長官を引き受けていただく。

「剣術と国防は違う」というような賢しらを言う人間がいるやもしれぬが、兵法というのは、ほんらい「平天下治国家」経世の戦略であり、だからこそ、戦国時代は「槍一本で大名」というコースが設定されていたのである。剣技の理法と国政の理法が同一のものでなければ、そのようなプロモーションができるはずがないではないか。

さらにすべての藩には「大目付」というものがいて、官僚の腐敗、政商の暗躍などをチェックしている。全国270人の大目付の方々のうち、清廉潔白にして辣腕剛直の士を選んで、これを国の法務大臣に叙するのである。

さらに各藩には「勘定奉行」というものがいるので、そのなかで経済利殖の才に抜きんでた方を抜擢して、これを国の財務大臣ほかの経済閣僚にご就任願う。

以下、それぞれの藩政において卓抜の才覚を現した賢人を登用して、これをもって日本国政府の閣僚とするのである。

いまのように「当選回数・派閥の席順」とか、「橋本派を懐柔するために」とか「次の選挙の顔ということで・・・」いうような愚かな基準で選ばれた閣僚とは人材の厚みがちがう。

野に遺賢あり。

ほんとうは「野に遺賢なし」というのが『書教』のオリジナル成句なのであるが、日本の場合は悲しいかな遺賢は野にあって官には愚物しかいない。

この遺賢に政治的手腕を発揮してもらうための奇策が廃県置藩、すなわち「大政奉還」ならぬ「小政奪還」なのである。

ほかにも廃県置藩にはいろいろとメリットがあるのだが、長くなるので割愛。

国名は「日本連邦」(@渡邊仁)とし、国旗は日の丸のままだが、国歌は『青い山脈』に変更。

さらに、沖縄と台湾を連邦国家として、ここに「南島連邦」を創設し、日本と中国の「ビザなし相互乗り入れ友邦」とするという国際関係論的ウルトラ秘策もご用意してあるのだが、話が長くなるし怒り狂う人もいそうなのでこれも割愛。

いずれも一夕の妄言ではあるが、幕末の志士や明治の青年たちがこよなく愛したこの種の奔放なる政治談義をする知的習慣がわが知識人たちの間に払底したことにウチダは一抹の悲しみを覚えるのである。

 

さらに本日は一つ思いついたことがあるので、それも書き添えておく。

世に「オッカムの剃刀」という言葉がある。

イギリスのスコラ哲学者オッカムが「存在は必要なく増加してはならない」として、事象を説明するときには必要最小の原理で語るべきであると主張した故事による言葉であることはみなさんご案内の通りである。

正しい思考を妨げる「無用のひげ」を剃り落とせ、ということでこれを「剃刀」という。

しかし、ウチダの経験によると、人間にかかわる事象においては、「必要最小の原理」だけでは話が簡単になりすぎるという弊がある。

話は簡単すぎるとかえって進まない。

むしろ、話は適当に複雑な方が「話は早い」のである。

そこで、必要最小の原理にさらにちょっとだけよけいな原理を書き加える。

『子どもは判ってくれない』に書いたように、「同罪刑法的思考」に「時間」というファクターを書き加えると、「原理は増えるが話の通りはよくなる」というのはその好個の一例である。

「オッカムの剃刀」での「剃り残しのひげ」がちょっとあったほうが人間のありようとしては具合がよろしい、ということで私はこのような考え方のことを爾後「ブラウンの剃刀」と命名することにしたのである。

「ブラウン」の由来はもうおわかりであろう。

「あの、通勤途中のお忙しいところ失礼します。これでもう一度ひげ剃ってもらえます?」

「あれ、まだけっこう剃り残しがあるもんですね」


10月6日

フランス語とゼミと体育と杖道のお稽古と四つ続く一週間でいちばんハードな月曜日である。

でも、一年生にフランス語を教えるのと、ゼミの口達者な四年生相手に負けじとほら話を吹きまくるのと、体育(杖道)で初心者に武道の基本的な身体技法を教えるのでは、脳の使用部位がぜんぜん違うので、別に疲れない。

杖道は先週、ゼミの卒論中間発表でTAのウッキーに代講をしてもらったので、生徒さんたちとお目にかかるのは今日がはじめてである。

杖を構えただけで、なかなかさまになっている人が何人かいる。

「杖であれ剣であれ、道具を使って稽古をするのは、道具を手にしても、ぜんぜん気にしないためである。杖はあるけど、ない。剣はあるけど、ない。杖や剣を手に持っていても持っていなくても、同じ動きができるようにするための負の条件づけとして道具はあるのである」

という話をいきなりするが、そういう話が「いきなり分かる」人もちゃんといる。

こういうのは運動神経や筋力とは何の関係もない。

ものごとの「常識」に「囚われない」心身の自由だけが、武道の稽古のうちに無限の快楽を見いだす機会を担保するのである。

 

体育のあとの杖道の稽古には合気道の「邪道1級」の一年生たち3名が新規に参加する。

みな、なかなか筋がよろしい。

「気の錬磨」のための一の杖の組杖までわずか1時間で全員がマスターする。

手順としてはこの「柔らかい杖」の遣い方をまず身につけて、身体が自由に動くようになってから、少し居合の稽古も入れて剣の扱いを覚えてもらい、それから全剣連の杖道形に入るつもりである。

この順序でやるのがなんとなく一番効率がよさそうである。

 

不思議な仕事が入る。

晶文社の安藤さんのご紹介で、松竹から電話があり、来月公開の『マトリックス3』の公式パンフにマトリックス論を書いて欲しいというご依頼である。

先般の『踊る大捜査線2』で映画評をするために映画をみると、愉しさが半減するので、ちょっと「やだなー」と思っていたのであるが、なんと!

「見てないんだけど、見てきたように書いてくれ」という非常にむずかしいご注文である。

なにしろ、ハリウッドから日本にまだ宣伝素材が何にも届いてないんだそうである。

フィルムはもちろん、スクリプトも、スチールも何もなくて、その段階で宣伝の準備だけはしなくてはならない。

そこで松竹宣伝部は「無から有を生み出す映画評論家」を探したあげくに、私のところにたどりついたのである。

「見てない映画の批評が書けそうなやつ」という条件で検索をかけて私を引き当てた松竹宣伝部の炯眼は多としなければならない(どこにも知恵者はいるものである)。

まことに残念ながら、私は見てない映画について、「それはおそらくこんな映画であろう」というようなデタラメならいくらでも書いて差し上げるが(映画館でパンフを買う人間はみんな映画をもう見終わっているので、私の「マトリックス3予言」を読んで大笑いしてくれるであろう)、「見てない映画の批評を『見てきたように書く』」という超高度なエクリチュールはまだ使いこなせないので(この機会にぜひ習得に励みたいものではあるが)泣く泣くお断りする。

まあ、考えてみれば、宣伝資料が揃っていて、試写会に映画評論家のみなさんをじゃかすかご招待できるような状況であれば、私ごときに公式パンフの原稿依頼が来るはずもないのである。はは。

しかし、おかげで『マトリックス3』を見る楽しみが倍加した。

うう、たのしみだぜ。

あ、そうだ。ホームページに封切り前に書いちゃえばいいんだ。

「『マトリックス・レヴォリューション』のラカン的読解」

「ネオはもちろんこの映画のラストシーンの示すとおりに、死なねばならぬ。これは物語の要求する構造的必然である。彼がモーフィアスの期待通り、The One すなわちすべての人々にとってのThe Other『大文字の他者』となった以上、彼が父の審級に定位され、世界に象徴秩序をもたらしきたすためには、『死せる父』となるほかはないことをすでにフロイトは予言していたではないか。すべてはことのはじめから明らかであったのだ。『マトリックス』とは現実界であり、そこに遊弋するイカ状の疑似生物は『寸断された身体』の太古的イマーゴに他ならず、母胎を暗示する『ザイオン』(蜜と乳の流れる約束の地!)はすべての人々が相克的鏡像である想像界であり、ネオはその死によって象徴界への『命がけの飛翔』を成就したのである」

なんてね。

見てない映画についてのこの予言が当たってしまうところがコワイんだな、これが。

 

そういえば先般書いた「記憶」をめぐる論争について、心理学者である人間科学部の島井先生がホームページでスマートなコメントをしてくれた。

ここに謹んで転載させて頂くことにする。(公開しているテクストだから、いいですよね、島井先生?)

 

前にも書いたことがあるが、アメリカでもそうなのだが、日本でも、精神分析やそれに関連する知識を得たいと思って、大学で勉強しようと思うのであれば、芸術論や思想史などを専門としている先生に教わるのがもっとも適切な選択肢だと思う。現在の心理学は、心理学が誕生した頃の19世紀のフロイトの素朴な時代とは、まったく異なるものになってしまったからだ。

最近、精神分析の入門書として書かれた「世界一わかりやすいフロイト教授の精神分析の本」の著者の鈴木晶先生は、「寝ながら学べる構造分析」を書いている(他にもたくさん書いておられるが)、この大学の内田樹先生のおともだちで(どうりでタイトルの感じも似ているけど)、たぶん芸術論の先生だと思う。

一方、心理学の人の中には、「フロイト先生のウソ」というタイトルの本を書いた人もいるらしいし、古典的なのは、心理学を専門にしている人間なら知らないとは言えない人物であるアイゼンクの「精神分析に別れを告げよう」という本で、1988年に出版されている(もう手に入らないかもしれないが)。世界的に見れば、アカデミックな心理学の主流は、精神分析にさよならを言ってしまったのである。

実習の授業の参考図書に挙げている「危ない精神分析」は、タイトルから見ると、同じように見えるが、内容は、記憶に関するものである。同じ参考図書に著書を挙げている、ぼくがファンのエリザベス・ロフタス先生が行なった社会的活動を紹介することを主な内容としている本である。

この本に関する感想を(時々読ませてもらっている)内田先生のホームページで拝見した。興味のある方は、そちらを見てほしいが、簡単に言ってしまうと、「にせの記憶」という問題が生じたのは、アメリカの精神科医やカウンセラーが、フロイトの言う「トラウマ」という意味を理解していないからで、内田先生は、どうして彼らが誤解するのかということに興味があるらしい。

ぼく自身は、フロイトがトラウマという概念をどうとらえているかという議論には興味はないが(時代によって変わっているようだし)、その一部分を拡大解釈したセラピーが社会的流行になることは、メンタルヘルスの問題として困ったことだと思っている。日本には無関係かというと、そのようなことはなく、「アダルトチルドレン」という本が溢れるほど本屋さんにあったのは、それほど昔ではない。

ロフタスを代表とする認知心理学が提起している問題は、フロイトがその起源になっており、現在もあいかわらず流布している「抑圧」という概念には科学的な根拠がないということである。記憶はアルバムではなく、私たちは、環境に適応していくために、どのような出来事もどんどんと忘れていく。そして、本当に大変な目にあった、あるいは、とてもうれしかった経験は忘れることがない。それは、今の自分の適応にとっても重要な資源であるからだ。

 

島井先生が「ファン」であるロフタスの本は私も共感をもって読んだし、「抑圧された記憶」理論がアブナイ思想だということについてもまったく同感であるけれど、「アカデミックな心理学の主流は、精神分析にさよならを言ってしまった」ので、いまごろフロイトだラカンだと言っているのは、「門外漢」だけだ、というふうに理解されそうな書き方をされると、それは「ちょっと待ってね」とあわてて言っておかないと大恩あるフロイト先生やラカン先生に会わせる顔がない。

人間の精神活動や欲望の構造について「アカデミックなアプローチ」と「非アカデミックなアプローチ」がある、というふうに私は思ったことがない。

哲学も文学も人類学も言語学も社会学も心理学も、およそ人間についての学はことごとく人間精神の活動と欲望の構造を解明したいという基本的な知的趨向に駆動されている。

文学研究や人類学のフィールドワークが人間の心理についての非アカデミックなアプローチであると私は思っていないし、もちろん島井先生もそうは思っていないはずである。

でも文学研究でも神話論でも説話論でも映画論でもどんな領域でも、およそ人間がアディクトしている「物語」の実に多くについてフロイトはその解釈可能性を拡げたと私は評価している。

私がフロイトの著作のうちとりわけ愛読しているのは、臨床医としての実証的な症例研究ではなく、『快感原則の彼岸』や『トーテムとタブー』や『モーセと一神教』のような、フロイト自身が「ここから先は純粋な思弁であるが・・・」というただし書きつきで書いている「暴走」する思考である。

「暴走」していることをフロイト自身が分かっていて、「じゃ、暴走します!」と宣言してからがーんとつっぱしるときの異常なドライブ感をウチダは深く愛している。(このへんは趣味の領域だけど)

心理学の領域では、あるいはフロイトと精神分析の理論はもうご用済みになってしまったのかもしれない。けれども、そのときに「ご用済み」にされた「フロイト主義者」たちは、ラカンがきびしく批判していたとおり、フロイトのことを実はあまり分かっていなかったんじゃないかと私は疑っている。

少なくとも「抑圧された記憶」理論のようにトラウマや抑圧を「存在的」に解釈するような粗雑な人間理解はフロイトとは無縁のものである。

島井先生が指摘されているとおり、フロイトがトラウマという概念をどうとらえていたかは永遠に決着のつきそうもない論件であるけれど、私はこの「終わりのない論争」から私たちはこれからも生産的な知見を汲み出しうると信じている。

それにつけてもラカンがもう少しわかりやすく書いてくれたら、ずいぶんいまの精神分析をめぐる知的付置は変わったんじゃないかとウチダは思う。

あんな書きようじゃ、「フロイトに還れ」って言われても、意味わかんないって、ふつう。


10月5日

 

4日は両国の国技館でトリプル世界タイトルマッチ。

母を新横浜まで送りがてら、本田秀伸さんの応援に駆けつける。

三宅先生から頂いた桝席のチケットを握っていそいそとはじめてのボクシング観戦。

ノンタイトルの佐竹正一vsリチャード・レイナ戦から見る。

二人きりの桝席で、光岡先生の専門的解説付きでボクシング観戦とは、これはまことにまことに贅沢なことである。

2ラウンドで佐竹の壮絶なワンパンチKO。館内がおおおおおとどよめく。

WBA世界バンタム級暫定王座決定戦はフルラウンドで戸高秀樹がレオ・ガメスに判定勝ち。

次が23戦23KOの不敗の王者アレクサンデル・ムニョス対わが本田選手。

試合の結果はみなさんご存じの通りであるが、館内の観客のほとんどは本田の勝利を確信していただけに、重苦しい沈黙が支配した。拍手もなければ、ブーイングもなかった。観客はほとんどこの結果を「黙殺」したのである。

光岡先生も「判定まで持ち込めば本田ですね」と予測していたし、私も本田さんの芸術的なディフェンスに感嘆していただけに、どうにも納得のゆかない判定であった。もし本田さんがチャンピオンで、ムニョスがチャレンジャーだったら、チャレンジャーにまったく仕事をさせなかった本田さんの勝ちだっただろう。

ボクシングというのは、なかなか割り切れないものである。

 

なんとなく重苦しい気分で、第三戦を見ずに国技館を出て、「本田にかける言葉がない・・・」という三宅先生と合流して新宿へ。

新宿のレストランで、前日まで本田さんの身体を診ていた池上先生、奥様、三軸の赤羽さん、立花さん、(私と池上先生の対談本の企画をしている)毎日新聞の中野さんと「残念会」。

光岡先生と池上先生はこれが初対面である。

二人の天才的な身体技法の術者が出会う「歴史的現場」に立ち会うことになる。

池上先生の醸し出すなんとも豊かで暖かい雰囲気に包まれて、光岡先生は意拳について熱く語り、池上先生は三軸の理法を説き、私はいいたいことをしゃべり、たちまち「わいわい宴会」状態。

さらに二次会に場所を変え、光岡先生は私を相手に最新の発勁技法を実験(例によって「むちうち」症状となるが、これは翌日池上先生の治療でことなきを得た)、池上先生は光岡先生に三軸治療を施術し、催眠術は飛び交う、みんなで站椿功を実習する・・・と午前1時半まで、静かなバーは「道場」状態となったのであった。

みんなすっかりハッピーになって新宿の池上先生の治療所近くのホテルに三宅先生、光岡先生と投宿。

とはいえ、光岡先生は3時間ほど滞在しただけで羽田に向かい、早朝、岡山に帰られた。

 

爆睡後、午前10時にせりか書房の船橋さんをホテルのロビーにお迎えする。

先日、「ぜひ会ってお話ししたいことがある」という電話をいただいた。

「あのー。電話じゃダメなんですか?」と聞いたが、「電話じゃできない話です」とおっしゃるので、「めんどくさい話だったらやだなー」と思っていたのである。(もしかすると、リュス・イリガライから名誉毀損の訴えでもあったのかしら・・・とか)

たしかに電話じゃできない話で、『レヴィナスと愛の現象学』の「印税」支払いであった。

せりか書房では伝統として、著者に現金を手渡すしきたりなのだそうである。

まことによい習慣である。

船橋さんを相手におしゃべりをしているうちに松下正己くんが登場。

松下君の新会社に私は出資することになっているので、定款などにぺこぺこと実印を押す。

私はこれまで「アーバン・トランスレーション」「フィード・コーポレーション」「ビジネスカフェ・ジャパン」の三社に出資している。

これらの株式はいずれ私の「スーパーリッチな老後」の財政的基盤を提供してくれることになっている。

定期預金に入れておくよりは、松下くんの経営手腕に期待するほうが愉しそうなので、新会社の株主になる。松下くん、がんばってね。

 

ビジネスライクな午前を終えて、ホテルに隣接する池上先生の治療所へ。

池上先生の驚嘆すべき妙技を拝見して、ただただ驚くばかり。

池上先生の『カラダ・ランドフォール』の「解説」にこれまでの私の理解した範囲での三軸の説明は記したのであるが、その説明をまるっと超えた世界が展開する。

この治療理論をいったいどう言語化すればよいのであろうか。

困ったなあ。

「解説」はもう書いてしまったから、いまさら書き直せない。

だいたい、800字書いてくれと出版社から頼まれたのに、興に乗って8000字も書いちゃったし・・・

というわけで、あの本の「解説」はあまり信用しないで、さらっと読み流してくださいね。

 

池上先生ご夫妻、三宅先生とつれだって、五反田の成瀬ヨーガ教室へ。

多田宏先生と成瀬雅春先生という身体技法の二人の達人の「歴史的出会い」に立ち会う(そういうことが二日続けて起こる、というのはどうやら私に「そういう場面に立ち会う」武運がいま集中的に「来ている」というなのであろう)。

おまけにその場にはもう一人の天才的身体技法術者である池上六朗先生もいたのである。関川夏央・谷口ジローの『坊ちゃんの時代』の東京駅頭のシーンではないが、いまこの場で「歴史的邂逅」が実現しているという事実の思想史的意義に私はひとりでわくわくしてしまったのである。

会場は多田塾関係者でごった返し。

亀井師範、坪井師範、今崎先輩、自由が丘の小野寺先輩、小堀さん、狩野さん、気錬会の北澤さん、工藤くん、鍵和田くん、月窓寺の小林さん、宮崎さん。(このへんの敬称の使い分けはけっこう微妙だなあ)

うちのメンバーは、かなぴょん、ウッキー(二人とも「業務命令」を忠実に実行したのである。えらいぞ)、ドクター佐藤、溝口さん。

昨日からずっとごいっしょの毎日新聞の中野さん、医学書院の辣腕エディター白石さん、鳥居さん(彼は月窓寺に入門したので、私の弟弟子となったのである)杉本さん(この二人は『期間限定の思想』の最終章のインタビュアーたち)、文藝春秋の田中さん、『秘伝』の塩澤さん、と顔見知りの編集者たちもぞろぞろ来ている。

多田先生が道場以外の場所でお話しになるのはまことに珍しいことであるが、成瀬先生という希代の天才ヨギが対談相手ということで、先生もたいへんに愉しそうにお話しされていた。

多田先生、成瀬先生のお二人にそれぞれ長く師事している笹本猛先輩という、対談者二人の個性を熟知したスマートな司会者を得たことで、実に和気藹々とした、二人の天才のお互いに対する深いレスペクトが行間ににじんだ、すてきな一時間半の出来事ではありました。

終わったあと、聴衆たちの顔に浮かんだ幸福な表情は、この1時間半のあいだに耳にした珠玉の言葉がこのあと長い年月にわたってゆっくりそれぞれの「身にしみてゆく」であろうという予感を物語っているように私には思われた。

もちろんトークの内容は、私ごときがここで「要約」することのできない質のものである。

こればかりは身銭を払って来た人間だけの「特権」である。わはは。

 

五反田駅頭で石井さんとばったり会う。

本日は本部道場で昇段審査があって、イベントには参加できなかったのであるが、その「余塵」を嗅ぐべく駆けつけたのである。

石井さんは月窓寺の門人で、神戸女学院合気道会の客分で、おまけに(まったくの偶然から)池上先生と「同じマンションの同じ階」の住人であるから、そういう「ご縁の濃い人」と五反田駅頭で私たちが「ばったり会う」ことには別に何の不思議もないのである。

名古屋に帰るかなぴょんを送ってから、神戸組は新幹線で愉しく「プチ宴会」。

会うべき人とは会うべき時に必ず会うという「宿命」についてしみじみ考える。

それにしても、わずか48時間のうちに、光岡英稔、池上六朗、成瀬雅春、多田宏という「現代の畸人たち」と立て続けに会ってしまったこと、そしてその全員がほとんど「同じ事」を語っていたという事実の衝撃は浅からぬものがある。

もちろん、それを「同じ事」というふうに解釈するのは私自身のただいまの問題意識の「偏り」のなせるわざであるから、必ずしも汎通性のあることではないが、それにしても、ね。


10月3日

教員研修会。

授業評価アンケートの集計分析報告と、教員評価システムの第二案の趣旨説明。

どちらも、教員の「査定」にかかわる案件である。

繰り返し申し上げているように、私は他人に自分の知性や人格を査定されるのが大嫌いである。

その私が「査定」システムの精密化のために骨を折っているというのは、まことに皮肉な巡り合わせである。

しかし、ほんとうは皮肉でもなんでもなく、私が「査定システム」の導入に反対しないのは、人間の能力が適正に「査定されうる」ということを私が信じていないからである。

私が信じているのは、すべての査定は限定的で誤りの多いものだということと、査定というのはそのような限定と過誤「込み」ではじめて成り立つものだということである。

 

教員の中には、大学教員の知的資質は決して数値化されうるものではない。いかに精密な査定も主観的な偏りと過誤をまぬかれないであろうということを「反対」の論拠とされる方もいる。

まことにその通りである。

しかし、「人間の知的資質は決して数値化されうるものではない。いかに精密な査定も主観的な偏りと過誤をまぬかれないであろう」というその主張をもし貫徹されるならば、同時に「入学試験の廃止」と「学生の成績査定の廃止」もあわせて主張されるべきではあるまいか?

それとも、教師の知的資質は測定不能であるが、受験生や大学生の知的資質は測定可能であるとお考えなのであろうか?

 

大学教師の本務の一つは「他人の知的資質の一部を、その人の蔵する人間的豊かさや人格的卓越性を捨象して、シビアに査定すること」である。

「avoir の活用は覚えられないが、道でおばあさんの手を引いてあげていたから、フランス語100点!」

というようなわけにはまいらない。

学生がどれほど人格高潔でも、どれほど強記博覧でも、avoir の活用が覚えられないようでは、フランス語初級は落第点である。

私たちがそういうシビアな査定ができるのは、その前提に「フランス語なんかできようができまいが、それはその人間の知的資質とは関係ない」という見切りがあるからである。

 

受験生や学生については、そのようなシビアな「見切り」ができるのに、自分自身とその同僚たちについては、その「見切り」をためらうのはなぜか。

それは、彼らがどこかで「大学の教師としての能力適性」とその人の知的資質とのあいだに「リンクがある」と信じているからではないのか。

 

私はそういうふうには考えない。

私は教員一人一人の「本学教員としての能力適性」の査定は、その人の蔵する(無限の)知的ポテンシャルとは「切り離して」測定可能であると考えている。

査定が査定として機能するのは(受験生や大学生の場合と同じく)、それが「きわめて限定的な能力」の「きわめて不完全な査定」であるという「断念」が前提にあるからである。

企業において「勤務考課」というものが成立するのは、それが社員の能力を正確に査定しているからではなく、社員のごく部分的な能力をごく不完全にしか査定していないということを、査定する側もされる側も「わかっている」からである。

 

私が本学の教員評価システムにおいてめざしているのは、「適正な勤務考課による、完全能力主義社会」の実現ではない(当たり前である)。

私が勤務考課の導入について「別に、するんなら、したらいいんじゃない」とのんきに構えているのは、受験生を選抜するときに「不完全な入試問題」を課したり、学生に成績をつけるときに「全人的な資質とは無関係な定量的能力」を測定するときと同じ理屈である。

いかなる評価システムをもってしても、査定される人間の全人的資質を公正に査定することはできない。

しかし、部分的な能力についてなら、これを近似的に査定することは可能である。

現に、私たちは新任人事や昇任人事において、当該教員の「研究業績・教育活動・行政能力」について、「きわめて不完全な査定」を行っており、それを少しも怪しんでいない。

どうして「すばらしい研究業績を挙げつつあり」とか「教育に情熱を注ぎ」とか「学内役職を積極的に引き受け」といった主観的な推薦のことばだけを根拠に、その教員の身分や給与や予算配分を決定しておきながら、「具体的にどういうジャーナルに何本論文を書いたのか」「どれほどの数の学生を指導しており、学生からの授業評価はどうなのか」「いかなる学内役職を担当しているのか」ということを聞こうとすると「そのような不完全な査定に基づいて身分や給与を決定するのは、いかがなものか」と懐疑されるのか、そのあたりのことが私にはうまく理解できない。

査定が可能なのは、「完全な査定は不可能である」ということについての合意がある場合だけである。

そして、よく考えれば当たり前のことなのであるが、それゆえに、「査定の完全性を信じない」人間の行う査定は、「査定の完全性を信じる」人間の行う査定よりもつねに正確なのである。


10月1日

矢幡洋『危ない精神分析』を読む。

ジュディス・ルイス・ハーマンの『心的外傷と回復』に対する全面批判である。

ご存じの方も多いと思うが、1980−90年代にアメリカではカウンセラーの誘導によって「幼児期の性的虐待」の抑圧された記憶が「甦った」と主張する人々によって、多くの親たちが子どもに性的虐待で訴えられるという事件が相次いだ。

有名なのはジョージ・フランクリン事件。

これは父親が友人を強姦して殺害した記憶を衝撃のあまり抑圧していた女性が20年後にカウンセリングをうけているうちにその記憶が甦って、父親を殺人容疑で訴えた、という事件である。(一審有罪、二審で無罪)。

同時期に、多くの女性がカウンセリングによって「抑圧された記憶」が甦って、家族から性的虐待を受けた経験を告発して、当初、その多くが勝訴し、多くの父親が投獄された。

その後、これらの「甦った記憶」の多くがカウンセラーの誘導によって造られた「偽造記憶」であることが明らかになり、ハーマン派の「甦った記憶」理論は社会的断罪を受けることになった。

幼児期の抑圧された記憶がフラッシュバックするというのはヒッチコックの『マーニー』やウェルズの『市民ケーン』でおなじみの話形であるが、それをそのままクライアントに適用するというような荒技が駆使されるのは、たぶんアメリカだけである。

こういうことが起こるのは、(ひどい話だが)おそらくアメリカンの精神科医とカウンセラーの多くが「トラウマ」という概念を理解できていないからである。

アメリカ人はフロイトの「トラウマ」概念を宿命的に誤読する。

「トラウマ」というのは、被分析者(分析主体)によっては決して言語化できないが、その主体のパーソナリティ形成に決定的に関与しているような経験のことである。

つまり、トラウマというのは、「それが何であるか」を名指すことができない、ということによってはじめて「トラウマ」として機能するのである。

カウンセラーに「思い出せ、思い出せ」と煽られて、「あ、思い出しました!」というようなものはそもそも「トラウマ」とは呼ばれない。

そのあたりのことをおわかりでない方がアメリカには多いようである。

トラウマとは「パラシオスの絵」のようなものである。

「パラシオスの絵」をご存じない?

では、ご説明しましょう。

ゼウキシスとパラシオスという二人の画家が「どちらがより写実的な絵をかけるか」をめぐって腕を競ったことがある。

ゼウキシスは本物そっくりの葡萄の絵を壁に描いた。あまりに写実的であったので、空飛ぶ鳥がそれをついばみにきた。

ゼウキシスは自信満々にパラシオスを振り返った。

すると、パラシオスが壁に描いたの絵には覆いの布がかかっていて、絵が見えない。

「おい、パラシオス、もったいぶんじゃねーよ、はやく絵を見せろよ」

とゼウキシスがすごんだところで勝負がついた。

賢明な諸君にはもうおわかりだね。

そう、パラシオスは壁に「絵を覆っている布」の絵を描いたのだ。

ラカンがこの逸話から引き出した結論は次のようなものである。

「パラシオスの例が明らかにしていることは、人間を騙そうとするなら、示されるべきものは覆いとしての絵画、つまりその向こう側を見させるような何かでなくてはならない、ということです。(・・・)プラトンがまるで彼自身の活動と競合するものに対するかのように絵画に抗議するのは、絵は見かけであり、この見かけこそが見かけを見かけたらしめている当のものであることを我々に告げているからです。」(「絵とは何か」)

フロイトとラカンがあれほどの言葉を尽くして語りながら、アメリカの(多くの)精神科医がたぶんまったく理解できなかったのは、「トラウマ」とは「パラシオスの絵」だということである。

私たちにとってもっとも「リアル」に映現するものは、「リアルなものが現前することを抑圧している当のもの」である。

私たちには経験的に熟知されていることだが、そこに何もないときに、そこに何かがあると人に思わせるもっとも有効な方法は、「それを隠す」ことである。

抑圧があるとき、その抑圧の「下」には何もない。

すくなくとも、抑圧している当の分析主体が言語化できるようなものは何もない。

私たちに言えるのは、「抑圧している当の分析主体が決して言語化できない経験こそ分析主体にとってもっともリアルな経験である」という事実だけである。

というラカン派の「いろは」をハーマン派のセラピストは理解することができなかった。

彼らは「パラシオスの絵の下」には「現実」があると信じたのである。

私がむしろ興味をいだくのは、「どうしてアメリカの精神科医やセラピストはこのようなトラウマ概念を宿命的に誤読するのか?」という問題である。

間違いなく言えることの一つは、「セラピストは患者が治癒することより、治癒しないことからより多くの利益を得る」という冷厳な事実である。

ハーマン批判の先鋒であったロフタスの示したデータによると、「甦った記憶」セラピーを受けていた30名のうち、「セラピーの中で記憶が甦ったもの」24名。「甦った記憶」の最古の年代は平均「生後7ヶ月」。記憶が「甦ったあと」3年後にセラピー継続のもの30名(100%)。「記憶が甦る」以前に自傷行為のあったもの1名、「記憶が甦った」のちに自傷行為をするようになったもの20名(67%)。自殺願望については、「甦る以前」10%、「甦った以後」67%。「精神病院入院歴」は「甦る前」7%、「甦った後」37%。結婚していたものは「甦る前」77%、甦った後離婚したもの48%。「甦る前」に職業についていたもの83%、「甦った後」に職業についているもの10%。「甦る後」に家族との関係が疎遠になったもの100%。

このデータが示すのは、「幼児期の性的虐待の抑圧された記憶を甦らせること」によって、ほとんどのクライアントは得たものより失ったものの方が多かったということと、セラピストたちは失ったものより得たものが多かったということである。

私がアメリカのカウンセラーたちに対して聞いてみたいのは、「患者が永遠にセラピーを受け続けることによってカウンセラーが得ることのできる心理的優位と経済的利得が診断に及ぼす影響を最小化するために、カウンセラーは何をなすべきか?」という問いを、彼らがどれほど真剣に自分に向けているのだろうか、ということである。