五月の鯉の吹きなが思想家の冒険

Les aventures d'un penseur sans fond: depuis janvier 2003



11月28日(つづき)

アナグラムのことを書いたあとに、ソシュールのアナグラム論についての言及がジョナサン・カラーの『ソシュール』(岩波ライブラリー)に収録されていることを思い出したので、引っ張り出して読んでみる。

カラーによると、晩年のソシュールはアナグラムについて膨大な研究ノートを記して、ラテン詩人たちがその詩句のうちに固有名のアナグラムを意図的に隠し入れた、という仮説の吟味に当てた。

例えば、ルクレティウスの『物性について』の冒頭13行はヴィーナスに対する呼びかけの詩句であるが、その中にソシュールはAphrodite(これはヴィーナスのギリシャ語名)のアナグラム三つを発見した・

これは意図的なのか、偶然なのか。

ソシュールはそこではたと困惑してしまった。

というのは、もしアナグラムが修辞法の一部であるとするならば、古典の詩論の中に一つくらいは「アナグラムによる修辞的効果」についての言及があるはずなのだが、ソシュールの強記博覧をもっても、アナグラムの詩学について書かれた文献は一つも発見できなかったからである。

結果的にソシュールはこれが意図的な修辞的仕掛けなのか、それとも無意識的な音韻選択の結果なのかを決定することができず、その仮説の公刊を断念したのである。

カラーは(まあ、このひとはたいへん理知的な人であるから当然だけれど)、アナグラムというのは「あるキーワードが無意識の中に残存して、後続の語の選択を決定するときにバイアスをかける」という分析的な解釈をして、それにとどめている。

 

カラーがあげているのは例えば、ボードレールのこんな詩句である。

Je sentis ma gorge serree par la main terrible de l'hysterie. (私は喉がヒステリーの恐ろしい手で締め付けられるのを感じた)

sentis のis と terrible の terri をつなげて読むとisterri となり、これはhysterie と同音となる。フランス語では h は発音されないからね。

 

もう一つ挙げているはホプキンズの詩句。

As kingfishers catche fire, dragonflies draw flame

As tumbled over rim in roundy wells

Stones ring; like each tucked string telles, each hung bell's

Bow swung finds tongues to fling out broad its name.

(カワセミが燃え上がり、トンボが炎を引き寄せ/丸い井戸のへりを超えて転がる/石が鳴り響くように、つままれた弦が響くように、つられた鐘の胴が揺れておのが名を告げるように)

ここにカラーは二行にわたって散乱している k /r/i/s/t(=Christ:キリスト) の音と、最終行の fl/ame と最初の行の flame(炎)の対応をアナグラムの例としてあげている。

そして、

「察するに詩人は豊かな木魂式の音声の織りなしを欲して、変綴(アナグラム)を創り出すこととなったのである。」

と結論している。

なるほど。

 

しかし、ここには、詩人が意図しなかった組み合わせで文字列を入れ替えて、そこに宿命的なメッセージを読んでしまう読者の側の欲望についての言及が何もない(私たちが問題にしているのは、そのことである)。

カラーは書き手に修辞的意図があったのか、それは無意識の効果なのかだけを論じていて、読み手の無意識の積極的な参加については何も書いていない。

それでよろしいのであろうか。

それにいちばん問題なのは、カラーが挙げているのはすでに存在する文字と同じ文字が散らばりながらも「正しい語順で並んでいる」事例だけだということである。

「トマト・ソース」の看板を描いたひとは、そこに「トーマス・マン」のアナグラムを読み出す読者のいることを想定していないし、「後楽園」の名をつけた江戸時代の作庭家は、20世紀の終わりにそれを「うんこくらえ」と読む批評家が出現することを予期していないし、TV欄の文字列を決めるプロデューサーはそこに「合気会二段」のようなでたらめな語順でアナグラムを読み出す人のあることを想像だにしていない。

カラーにおいて自明の前提は、「時間は過去から未来にむけて不可逆的に流れており、人間は書かれた文字をその順番に読んでおり、メッセージは書き手から発信されて読み手に受信される」という信憑である。

ほんとうに私たちはそんなふうに文字を読んでいると断定してよろしいのであろうか。

ウチダはちょっと、ちがうんではないのと思う。

時間はときどき未来から過去にむけて逆流し、私たちはしばしば文字を逆に読む。

そのような「揺れ戻し」というか、時間の「しゃっくり」のようなものを私たちは現に頻繁に経験している。

人間は「いろいろなことができる」生物である。

その可能性を押し広げるようなデタラメ解釈の方が、ウチダは好きである。

 

カラーはアナグラムへの固着をソシュールのロゴス中心主義からの離脱の欲望の徴候と解釈している。

これはその通りであるとウチダも思うが、夫子ご自身の解釈を無意識なロゴス中心主義が繋縛している可能性についても、もう少し吟味されたほうがよかったのではないか。


11月28日

以前読んだ北杜夫のエッセイの中にこんな話があった。

大学生のころ、北杜夫はトーマス・マンに熱中して、『ブデンブローク家の人々』や『魔の山』を耽読していた。

ある日、田舎の駅に降り立ったとき、突然「ぎくり」とした。

「ぎくり」とした理由が分からないので、辺りを見回したら、酒屋のところに「トマト・ソース」という看板の文字が読めた。

というお話である。

これは人間のアナグラム解読能力がどれほど高いかを示す逸話である。

「トマト・ソース」には「ト」、「−」、「マ」、「ス」、「・」、「マ」、「ソ」の6文字がちゃんと含まれている。(「ン」と「ソ」を読み違えるというところが、じつにリアルである)。

 

フェルディナン・ド・ソシュールは晩年に『一般言語学講義』で論じた記号学に対する関心をまったく失ってしまい、ラテン期の詩人たちのアナグラム解読に熱中した。

ソシュールの研究者は多いけれど、ソシュールのアナグラム理論を主題的に研究したものをウチダは(丸山圭三郎先生のソシュール評伝をのぞくと)、読んだ記憶がない。外国語の文献にはあるのかもしれないが、日本語で書かれたものを寡聞にして他に知らないのである(誰か知っていたら教えてください)。

 

アナグラムというのは、一続きの文字列のうちに同じ文字を構成要素とする別の文字列を読みとることである。

そこに人々はその語の「隠された第二の意味」や「宿命」を読みとった。

よく知られた例にナイチンゲールのアナグラムというのがある。

Florence Nithingale の綴り順を変えると

Flit on, cheering angel 「軽やかに飛べ、慰めの天使よ」

になる。

よくできた話である。

 

アナグラムの天才というと小田嶋隆である。

オダジマ先生は高校生のときに「後楽園」のアナグラムが「うんこくらえ」であることを発見したことを契機にこの道に進まれたのであるが、それ以後も重要な著書の重要な知見はほぼ例外なしにアナグラムによって得られた啓示に基づいている。

デビュー作『我が心はICにあらず』から、『仏の顔もサンドバッグ』、『日本問題外論』、『かくかく市価時価』にいたるオダジマ先生の著書のタイトルはほとんどすべて「駄洒落」になっており、かつその駄洒落は批評的なダブルミーニングを持っている。

 

アナグラムには、主題研究や構造分析と違って、固定した読みの水準というものがない。

どの文字をどういう順番に拾って並べ換えるのか、その選択に通常の意味でのリテラシーは関与しない。

だって、リテラシーというのは「書かれた文字列」を読解する能力であって、「書かれていない文字列」をつくりだす能力のことを指す言葉ではないからである。

しかるに、アナグラムにおいて行われているのは

(1)目の前にある文字を時系列順に読まずに、同時に読み、

(2)それを可能な限りランダムに組み合わせて

(3)その中から意味の通る可能性のあるものを列挙し

(4)そのうち、とくに強い含意をもつものを選び出す

という仕事である。

これを、通常の意味でのリテラシーが発動するより「前に」済ませているのである。

「トマト・ソース」を「読んで」から、「あ、これって『トーマス・マン』と文字の構成要素が似ているな」と思ったのであれば、決して「ぎくり」とはしない。

北杜夫は「トマト・ソース」の文字を「見た」だけで、まだ「読んで」はいないのである。

それは風景の中のひとつの「図像」として、リテラシーの及ぶ領域のはるか後景に、ぼわんと漂っていたにすぎない。

にもかかわらず、北杜夫の中のアナグラム読解能力は瞬間的にその図像記憶を解析し、「チェック!キミにとって重要なメッセージが風景のなかに隠されていたぞ」という「警鐘」を鳴らしたのである。

その警鐘に反応して北杜夫は「ぎくり」としたのである。

このアナグラム解読こそ、「身体が読む」という機制の典型的な事例ではないかと私はひそかに考えているのである。

 

というようなことを私がつらつら書いているのは、今朝のTV欄を読んで「ぎくり」としたせいである。

元の文字列を採録するので、私がそこからどんな文字列を読み出して「ぎくり」としたのかを当ててください。

「ちちんぷいぷい 冬の

日本海の珍味?海の幸

を丸ごと味わう生中継

▽美容健康にこだわる

人々が集まる会とは?

▽百貨店気合ニュース

手頃な値段で買える

本格的な一人鍋特集

▽芸能ダレ」

角アナウンサーが司会するこの番組では一昨日、甲野善紀先生を特集して紹介していた。だから私が「ちちんぷいぷい」というタイトルを見た瞬間に、甲野先生のことを思いだすのは当然の反応である。

私はこのところ武道論を書きながら、甲野先生と自分の武道理解はどの辺で接近して、どのへんが分岐するのだろうということをずっと考えていた。

「甲野先生と私を結びつけるもの」と「甲野先生と私を隔てるもの」を考えてたら、その文字が見えた。

私がこのタイトルから一瞬のうちに読み出して「ぎくり」とした文字列は

「合気会二段」

というアナグラムだった。

「合気会二段」はおそらく甲野先生と私が「ふたりとも一時的に持っていたことのあるもの」である。

甲野先生は二段か三段のころに合気会を離れて、ご自身の松聲館を立てられた。そして、松聲館を固定的な師弟関係を持たない修業のための場とされたのである(その武術稽古研究会も先般解散されたことは記憶に新しい)。

つまり、私と甲野先生の際だった違いは「師弟関係」についての評価において顕著である、ということをこのアナグラムは示唆していたのである(たぶん)。

 

アナグラムとしてどんな文字列を読み出すかということは、読み手のそのときの無意識的な関心事と深くかかわっている。

アナグラムを読み出すことは「自分の潜在的な関心」を再発見することである。

だから、そこに自分だけにかかわり、自分ひとりにとってしか意味を持たないよう宿命的なメッセージが読みとられることがあったとしても、それは驚くに当たらないのである。


11月26日

オフだけれど仕事は山のよう。

急ぎのものから片づける。

まずは『ミーツ』のフリーター論。締め切りまでまだ一日あるけれど、江さんが「はやく見せて」というので、とりあえず送稿。

洋泉社の武道ムック用の原稿の書き直し。

さくさくと30枚書き直す(はやいなー)

ゼミのエッセイを読んで、赤ペンで感想を書き込む。

ものによっては、ネコマンガを書き加える。

どういう基準によって、ネコ入り感想とネコなしの感想が分岐されるのか、描いているウチダ本人にはよく分からない。

書き手とのあいだに、ある種の「共犯感覚」が生じたときに思わずネコマンガを描いてしまうのかも知れない。

だとすると、ネコマンガは「書き手と私の双方に共有された動物的間主観的境位」の記号だということになる。

なるほど。

「動物的間主観性」というのが、なかなかよろしい。

 

金曜日に「特色ある大学教育支援プログラム」(いわゆるCOL)の不採択反省会というものが開催される。

ウチダは文部科学省提出書類の最終文案を起案した責任者であるから、「なぜ不採択になったのか」について学長はじめとするみなさまにご説明するアカウンタビリティというものを負っている。

というわけで、採択された80校の申請書類抄録とそれに付された審査委員会からのコメントを熟読玩味すること3時間。

大学基準協会がいかなる大学教育を「望ましいもの」とみなしているのかの基本的な趨勢は知れた。

この機会に私と同じような「作文屋」という割に合わない仕事をおおせつかっている全国1200大学短大の同業のみなさまのために、ウチダの総括をご報告したいと思う(そっちで分かったことがあったら教えてくださいね)

で、結論。

大学基準協会の「期待される大学像」とは次のような条件を備えたものである。

(1) 地域社会における教育文化活動の拠点であり、かつ地域の行政や企業とも密接な連携を保持していること

(2) 実用性の高い技能職者の育成に教育リソースを集中していること

(3) 教育活動を学部学科単位ではなく、学部横断的な「センター」が直轄していること

(4) 学生との双方向的なコミュニケーションの回路が確保されており、教員が「市場からの評価」に対して即応する体制が整備されていること

(5) 大学のポリシーとシステムを一言で言い表すオリジナルでキャッチーなコピーを有すること

などである。

そのような大学だけが「生き残れる」であろう、と大学基準協会は「予言」しているわけである。

ただし、この予言は文部科学省の補助金配分ともリンクしているので、かなり遂行性の高い「予言」でもある。

 

たいへんに残念なことであるが、本学はこの五つの点すべてにおいて、他校に模倣されるべき「モデル」となるほどの成果を挙げていない。

以上の基準を是とするならば、不採択はいたしかたのない結論であると言えよう。

 

しかし、この査定にウチダはいささか不服である。

いいたかなけいど、採択事例のなかには「ど、どうして、こんなおバカなプロジェクトが・・・」というものが散見されたからである。

また一部にまじめに起案する気がないまま書かれたのに、どういうわけか採択されてしまったとおぼしき事案もある。

おそらく21世紀COEに採択されてばっちり予算もついたことだし、「教養教育なんか、ま、ウチはどーでもいいわけよ」という雰囲気が一部の(旧帝大系)国立大学では支配的なのであろう。

 

たしかに「ユビキタス環境の整備」とか「デジタルアジア連携」とか「競創的創造性育成科目」とか「アカデミックインターンシップとキャリアデザイニンターンシップの融合」とかいうような「かっこいい」プロジェクトに比べると、本学の「少人数教育」への取り組みは、あまりに「オーディナリー」であることは認めよう。

しかし、しかし、教育というのは、そんなにケレン味たっぷりのものなんじゃないとまずいんだろうか。

教師と学生が顔をつきあわせて、ぼそぼそと「んだからさー」と対話を続けるんじゃ、ダメなの?

個々の教師がそれぞれに工夫を凝らし、身銭を切って教育方法を開発する、というんじゃ、ダメなの?

 

ま、ダメなんだろうな。

今回のCOL関連のセミナーや説明会に出席して、私が骨身にしみたのは、文部科学省が大学教員の個々人の自発的努力というものを、もうほとんど信用していないという事実である。

そういう高等教育に対する全社会的な「不信感」が、これらの拠点校つくりや「オリジナル」な制度改革を動機づけている。

しかし、そのような根深い不信感をこのようなコンペで払拭できるのであろうか。

私は懐疑的である。

最終的に教育の質を担保するのは、教員ひとりひとりの「使命感」である。

使命感は制度的につくりあげることのできないものだ。

「大学はこのままじゃまずいよね。とりあえずオレひとりでもなんとかしなきゃ・・」と思う個別の主体的な決意が集積してはじめて制度は生きるものだ。

このコンペがそのような個々の教員の動機づけを励起するものになるのか、どうか。

私にはまだよく分からない。

しかし、それがとりあえず与えられた課題である以上、その課題をどのように本学の教育改革についての前向きの議論に結びつけるか、というふうに肯定的に問題を立てる他にない、とウチダは思う。

皮肉屋になってもはじまらない。

というわけで、愚痴はここまで。

 

ゼミ面接最終日。

トータル73名が面接にお越し頂いた。

受け容れ上限は15名である。

ウチダとしては希望者全員を取りたいのであるが、そうもゆかない。

うう、つらいところだぜ。

 

合気道のお稽古に中学部の3年生が大挙7名参加。

いったいどうしちゃったのかしらと思ったら、中高のクラブ活動が試験前で「おやすみ」になったので、遊びに来たのである。

この春に礼拝の時間に中高の生徒さんたちの前で、光岡先生の站椿功の話をして、「身体を割る」ことの重要性を説いたのであるが、それから半年して、ようやく「蒔いた種から芽が出た」らしい。

甲野先生がNHKのスタジオパークや昨日角さんのTV番組に出たこともきっと影響しているのだろう(甲野先生ありがとうございます!)。

10代の少女たちが「武道をやりたい」と思うようになったというのは、ともあれ、たいへんに結構なことである。

女学院の中高の生徒さんたちは、ある意味でたいへんに「トレンド感覚」にすぐれたみなさんであるからして、これはあるいは巨大な地殻変動の予兆なのかもしれない。

だとすると、そのうち「たいへんなこと」になりそうである。

わくわくするね。

 

さて、明日は教授会と反省会。週末は東京で池上六朗先生との「対談」である。

わくわくするね。

だいぶ疲れてきたので、池上先生と三宅先生にたっぷり治療して頂かなきゃ。


11月24日

ひさしぶりの「お休み」なので、家の掃除をして、冬に備えてホットカーペットを敷いて、アイロンかけをしてから、コーヒーを飲みながら原稿書き。

洋泉社の「武道論」を書いているつもりが、「身体と言語」という、ぜんぜん武道とは関係のない話に逸脱してしまった。

発語における身体の「検閲」とはどういうものか、というウチダ的にはたいへんに興味深い考察であるので、ぐいぐい書いているうちに、引用される事例がハイデガーとかレヴィナスとかジャン・ポーランとかモーリス・ブランショとか傾向的なものばかりになってしまった。

「そんな話、うちのムックに載せてどうすんです。『現代思想』じゃないんですから」

という洋泉社の渡邊さんの苦渋のうめきが聞こえてきそうである。

まことにごもっともである。

では、この原稿は1月17日に予定されている京大での研究発表のネタに回す、ということにして・・・

もう一度、最初から30枚書き直しである。

げ、仕事がまたふえちまった。

テーマは「未来の体感をどうやって言語を経由して他者の身体に転写するか?」というわりと実用的なものだったのであるが(どこが?)、「未来の体感」と「言語を経由」と「他者に転写」という三つのネタがどれも簡単には説明がつかない長い話なので、なかなか30枚にはまとまらないのである。

「300枚で書いてくれ」といわれたのであれば、ちょうどよいくらいの大ネタだったんだけどね。

ということは、これで本が一冊、ということか。

あれ?

そんなテーマの本の注文来てないや。

どうして私は注文の来ているものを書かないで、注文の来ないものばかり書くんだろう。

 

7時まで原稿を書いてから、ひとりで「キャベツともやしと豚肉の鍋」を作って、しみじみ食べる。

おいしい。

 

食後にAVライブラリーから借りたギャスパー・ノエの『カルネ』(Carne)と『カノン』(Seul contre tous)を見る。

豚肉で満腹状態で見始めるべき映画ではなかったようである。

そ、それにしても、救いのない映画である。

フランスの「レッドネック」というか「プア・ホワイト」というか、要するにLa France profonde と呼ばれる社会階層(無知で暴力的で利己的で排外主義的なボンクラたち)の出口のないバカさが活写されている。

歴史が教えるところでは、この階層が19世紀末から大戦間期にかけて、フランスにおける反ユダヤ主義とファシズムの培養基となった。

主人公の肉屋が勤務していた畜殺場、パリ郊外のラ・ヴィレットは、かのモレス侯爵の組織した「世界最初のファシスト武装集団」モレス盟友団(Mores et ses amis) の根拠地である。

侯爵はここの屠殺人たちに紫色のシャツとソンブレロをかぶせてパリの街路を行進させ、パリのブルジョワたちははそれをこわごわとみつめながら、そこに漂う血と暴力の匂いにひそかに魅了されたのである(モード史の教えるところでは、このシーズンにモレス侯爵が着こなした「ヘビー・デューティなアウトドア志向のサファリ・ジャケット」は「モレス」という名前を冠されて、パリのブルジョワたちにもてはやされたそうである)。

ギャスパー・ノエはおそらくそのような歴史的事実を踏まえて、「ひとはどうやってファシストになるのか?」という古くて新しい政治的主題に挑んでいるようにウチダには思われた。

 

こうなったら「毒を食らわば皿までも」と、松下正己くんご推奨の『アレックス』(Irreversible)に挑戦。

うーむ。

教訓としてはですね・・・

(1)深夜に地下道を歩くのは止めましょう

(2)鼻っ柱は強いが喧嘩は弱い友だちとアブナイところには行かないほうがいいね

(3)人生の重大な決断は、酒、ドラッグなどを吸飲していないときにしましょう

(4)あまり「セックスの話」ばかりしていると、罰があたりまっせ

というくらいが重要度の順でしょうか。

なに?

ウチダには「アートっつうものが分かってない」と?

「映画は教訓を引き出すために見るもんじゃないぞ」と。

こうおっしゃるか。

いや、もっともですが、この映画を見て、「これからは真夜中にひとりで地下道を歩くのはやめよう」と思ったおかげで遭遇したかもしれないレイプを事前に回避することができた女性が世界に一人でもいれば、この映画は人類に「善きこと」を一つ贈ったとウチダは思うけどね。

アーティスティックでかっこいい映画であることより、そっちの方をウチダは評価する。

物語が人間の愚かさと邪悪さを描くことに少しでも意味があるとすれば、それは「人間の愚かさと邪悪さ」についての知見を広め、それを「どうやって回避するか」についてひとりひとりが真剣に考え始めることにある、とウチダは思う。

それが「物語」の人類学的な意味でもっとも起源的な機能なのではないのだろうか。

という点で、ギャスパー・ノエをウチダは高く評価するのである。

松下くんの評価軸とはぜんぜん違うけどさ。

ギャスパー・ノエくんは、さらに「人間の愚かさと邪悪さ」について深く追求するように。

カンヌでは地下道のレイプ・シーンで続々とジャーナリストが席を立って、抗議の意志を表示したそうであるが、そういう「良識ある」態度はモレス盟友団を見て見ぬふりをした1890年代のパリのブルジョワと変わらないぞ。


11月23日

ひさしぶりの合気道のお稽古。

いろいろ刺激的な出会いがあった後なので、新しい稽古プログラムをいくつか思いつき、さっそくみなさんを実験台にしてみる。

ふむふむ、なるほど。

 

夜は「死のロード」の無事終結を祝って、ご近所におすまいのドクターとイワモトくんをお招きして、会食。

ドクターの家のわきのベトナム料理を試みるはずだったのだが、混んでいたので、うちの近所のジャポネスク系レストランを探訪する。

これが「当たり」で、「ぶりかま」が絶品。

ボージョレヌーボーをぐいぐいのみながら、みんなで魚をせせる。

反応のたいへんよい聴き手が二人もそろっているので、ウチダの無駄話も奇をきわめてとどまるところを知らない。

ドクターの文才を称え、イワモトくんに「治療者になること」を厳命し、ワイン三本空にして本日の宴会はおしまい。

 

日曜は朝から『ミーツ』の原稿「フリーター論」を書く。

参考文献が何かないかなと思っていたら、ちょうど朝日の書評に山田久『賃金デフレ』(ちくま新書)という本が紹介してあったので、早速ジュンク堂でゲット。

ウチダは実はこの手のビジネス書を読むのがけっこう好きである。

「消費性向の上昇が賃金デフレのマイナスを相殺してくれる間に、いかにして産業構造転換を加速し経済活性化の道筋をつけるかが、日本経済にとっての最優先課題といえよう」というような味も素っ気もない文章を読むと、どきどきしてきちゃうのである。

すいすいと217頁を読み終えて、経営や労働問題にまったくのシロートである私の「ま、世の中えてしてそういうものだわな」的考えが、専門家である山田さんが無数のデータから引き出して力説する主張とほとんど同じであることに一驚を喫する。

私が大学の将来構想に際してこの三年ほど提唱してきているのは、「市場のシュリンクに連動するダウンサイジング」と「ニーズの変化に即応できる流動性の高い組織つくり」と「多様なキャリア・職能の持ち主を多様な条件で受け入れる雇用システム」と「穏やかな成果主義の導入によるインセンティヴの励起」といったものであったが、これって山田さんが「日本再生」の秘策として結論しているものとほとんどどこも変わらない(ただ一つの相違は、山田さんが「男女分業型家族モデルの崩壊=『男女共働社会』への移行」を積極的に押し進めるべきだと論じている点である。私の意見はご存じのとおり、それと少し違う)。

ウチダの「シロート考え」が専門家の苦肉の結論と同じであるということは「ま、世の中えてしてそういうもんだわな」的思考法がかなり有効であることを立証している。

というわけで、すっかり気をよくして、なぜメディアや行政は今になって「フリーターをやめて、定職につきなさい」キャンペーンを開始したのかについて、「だわな」的議論をすらすらと書く。

シロートであるウチダが見ても、この変貌の理由は一つしかない。

それは「ビンボーなフリーターは再生産しない」ことに人々が気づいたからである。

スキルもキャリアも年金もないまま孤独な老年を迎えるであろう数十年後のフリーターの身の上を行政が心配しはじめたのは、もちろん「孤独死なんて、かわいそう」というような温情にもとづいてではない。

貧窮のうちに孤独死する老年フリーターの五万や十万いたって、そんなことで涙をこぼす官僚なんて一人もいない。

彼らが青ざめ始めたのは、「孤独死するフリーター2000万人」というような統計的予測がなんとなく望見されてきたからである。

彼らの死を弔う「喪主」はそのときどこにもいない。

そう、「ビンボーなフリーター」たちは生涯を独身で終えるのである。

「そして、誰もいなくなった」状態へ向けて日本はダウンサイジングの急坂を転げ落ちてゆくのである。

おお、テリブル。

というわけで政府はなんとこの六月になってようやく重い腰を上げて、深刻化するフリーター問題に対処すべく「若者自立・挑戦戦略会議」(!)なる検討機関を立ち上げたのである。

「若者たちを子づくりに挑戦させるための戦略」を練ろうというわけである。

ま、気持ちはわかるけど、行政の方々もできたらネーミングにもう少しご配慮願えないものであろうか、というような話を書く。


11月22日

19日から「死のロード」が始まる。

初日は葺合高校で模擬授業90分。

聴衆は高校二年生30人。

彼らに高等教育の危機的状況、教養の崩壊、身体感受性の低下といった「こわい話」をする。

当今の高校生というものは教卓のこちら側にいる人間に向かってあまり表情豊かなリアクションをしてくれないものであるから、果たして私の話を面白がっているのか、退屈しているのか、なかなか判定できない。

しかし、ご紹介下さった先生のお話しでは現代国語の教材として、私の本からの抜粋をいくつかご利用下さったということであるから、このみなさんは私の「読者」なのではある。ウチダがどのような暴論を語る人間が熟知の上で、10校から大学教員が同じ時間帯にきている中で、私の模擬授業をご選択下さったわけであるから、決して興味がおありにならない、ということはないのであろう。

控え室まで送り迎えをしてくれた生徒代表のA光くんは、私の本を何冊か読んでおり、レヴィナスについても興味がある、ということを話してくれた。

「ぼくの話、面白かったかなあ」

となんとなく心細くてたずねたら、力一杯うなずいて

「すごく面白かったです!」

と言ってくれた(いい奴である)。

「ぼくも哲学やりたくなりました」

おお、そうですか。

「教養主義の崩壊」のなかにあって、最終戦線を死守すべく駆り出された「猫の手も借りたいときの猫の手」であるところの「教養なき教養主義者」ウチダも、かくのごとく教養主義のために一臂の力をお貸ししているわけである。

 

続いて、朝日カルチャーセンターの講演シリーズ第二弾「ひとはどうして知らないことについて判断できるのか?」

これは実は『レヴィナスとラカン』という本の第一章の主題なのである。

『鞍馬天狗』、『セミネール』『全体性と無限』『CATCH ME IF YOU CAN』などさまざまな素材を活用して、「詐欺師」と「賢者」をひとはどうやって見分けているのか、というたいへんに実践的な問題についてお話する。

 

名越先生が見えたので、さっそく講演前からわいわいとおしゃべりをする。

いよいよ名越先生との対談本『14歳の子どもを持つ親のために』(仮題ね)の制作が日程にのぼってきたのである。

まずは「少年A」の分析からはじめることになりそうである。

カウンセリングに当たった精神科医をひとり「つぶした」と言われる酒鬼薔薇くんの邪悪にして精緻なる物語世界を「邪悪なもの」の専門家である二人で解明しようというのである。

けっこう怖い企画ではあるが、思春期の問題行動を単に「親が悪い」「学校が悪い」「社会が悪い」で済ませているシンプルな精神には、世の中には「それ自体邪悪なもの」が存在するということがなかなかご理解頂けない。

しかし、「そういうもの」(レクター博士とか銀河帝国の皇帝みたいなピュアな邪悪さ)はまぎれもなく存在するのであり、私たちが武道や哲学を通じて構築しようとしているのはなによりも「そういうもの」に対する防衛ラインなのである(それから身を守り、そのようなものにおのれ自身が魅了されてしまうことから身を守り、かつそのようなものにおのれ自身がなってしまうことから身を守り)。

 

21日は龍谷大学瀬田キャンパスで社会学部学会主催のシンポジウム「身体の歌を聴こう」。

シンポジウムのお相手は甲野善紀先生、舞踏家の岩下徹さん、司会は去年「レヴィナスとラカン」の講演をプロデュースしてくださった龍谷大学の亀山佳明先生。

ほかのみなさんは互いに全員初対面であるが、ウチダは全員と顔見知り。だから、一人だけお気楽である。

小雨のけぶる瀬田キャンパスに白石さん守さんら旧知の松聲館門人のみなさんも登場(守さん、うどんと懐中時計のプレゼントありがとうございました)、客席には飯田先生やウッキーやドクターや岩本くんや赤星くんや「いつものみなさん」が揃う。

そうは言っても、「いつものみなさん」を相手にして、「いつもの話」をするのも曲がないので、必死になって「いつもと違う話」を絞り出さねばならない。

4時間以上にわたるマラソン・シンポジウムであったが、亀山先生のツボを抑えた手綱さばきと、岩下さんのダンス、甲野先生の「平蜘蛛」の妙技など、あっと驚くパフォーマンスのおかげで、たちまちおわってしまう。

そのあとの懇親会も次々と愉しい人々が登場して、まことに「濃い」一日ではありました。

龍谷大学のみなさん、楽しいイベントを企画して下さって、ほんとうにありがとうございました。

さすがに、一日甲野先生と岩下さんと過ごすと、その圧倒的な存在感に対応すべく、こちらも相当に気を張っていたらしく、帰り道のJR車中ではがばっと寝込んでしまう。這うようにして家にたどり着き、午後10時就寝。

死んだように10時間眠る。

 

21日は死のロード3日目。

まずは学士会館ロビーで『いきいき』誌の編集者にインタビューを受ける。

『いきいき』というのは、50代以上の女性読者のための「生き方」誌で、店頭販売していないのに実売23万部という不思議なメディアである。

かの日野原先生の爆発的ベストセラー『生き方上手』はこの雑誌から「火がついた」と言われており、『いきいき』の読者をゲットするとミリオンセラーに手が掛かるんですよウチダせんせー、というカドカワのヤマちゃんの懇請を受けてのインタビューである。

たしかに50代以上の女性層というのは、教養主義にとって「未知の鉱脈」である。

現在は、その日野原先生ほか瀬戸内先生、五木先生らが「出せばミリオン」的な市場寡占状態にある。だから、ヤマちゃん的にはウチダ本を「第二の『大河の一滴』」にと夢(夢だよ、ヤマちゃん)をふくらませているのである。

しかし、他人のものとはいえ夢はたいせつにしたいものであるので、にこにことインタビューにお答えする。

インタビューを1時間受けた(というよりは「小噺」を七つほどつないだ)あと、山本くんとタクシーで銀座へ。

銀座資生堂で鈴木晶さんとの対談である。

これはふたりでひさしぶりにわいわいおしゃべりをしているところを、聴衆のみなさまに「立ち聞き」(座り聞きだな)していただくというたいへんにカジュアルなイベントである(というふうに私は勝手に理解していたのであるが、資生堂サイドのもくろみはもっと教化的なものであったらしいということを事後的に知るも It's too late )。

控え室ではじめて鈴木先生のご令室の灰島かりさんにお目にかかる。

先生の日記を読んでいると、財政方面ならびにキッチン方面で専制的な家庭内支配を貫徹されている鉄血の独裁者のように描いてあるけれど、現実の灰島さんは「可憐」で「清楚」な文学少女が幸福に成熟したという感じの方である。

ウチダはもう大人であるので、この種の複数の証言の『藪の中』的な落差については、「ふふふ、世の中えてしてそういうもんだよね」と静かに受け流して、「真相を究明」というようないたずらな好奇心を抱いたりはしないのである。

灰島さんからはポール・ギャリコの『猫語の教科書』(ちくま文庫)の訳書をいただく。大島弓子のネコマンガ解説つき豪華版。どうもありがとうございました。

 

対談は鈴木先生ご用意の「よさこいソーラン」のビデオから始まる。

先日のポルトガルでの国際舞踊学会での発表をふまえて、「コピーのコピー」であるところのヴァーチャルな「ローカルな舞踏祭」がなぜいま遼原の火のごとく全国に燃え広がっているのか、鈴木先生から問題提起をしていただき、それをウチダがまぜっかえして『キル・ビル』論にひきずりこみ、以下議論は七転八倒話頭は転々奇を極めてよく要約することがかなわないのである。

2時間余の爆笑対談ののち、控え室で軽食。

軽食といっても資生堂パーラーからの仕出しのフレンチにボージョレヌーボー飲み放題というゴージャスさである。

ヤマちゃん晶文社の安藤さんなど旧知の編集者やお客さまたちも立ち混じっての宴会となり、お酒が入って鈴木先生も私もさらに舌がなめらかとなる。

「どうしてそういう面白い話をさっきしてくれなかったんですか」と資生堂のスタッフたちはうらめしげな顔をしていたけれど、世の中えてしてそういうものである。

大枚のギャラと資生堂グッズのおみやげをいただいて帰途に就く。

 

次は鎌倉の鈴木先生のお宅を高橋源一郎さんと急襲して(灰島さんは朝「ゴミ出し」のときによく高橋さんとご挨拶するそうである。ずいぶんお近いんですね)、シャンペンを飲み倒す計画を実行に移さなければならない。

これには高橋さんのご令嬢(先日『BRUTUS』の書評欄で『子どもは判ってくれない』を取り上げてくださった)橋本麻里さんもつとに参加の意思を表明している。

そういえば、講談社から高橋さんの『ジョン・レノン対火星人』文庫版の解説を頼まれたので、これも宴会をひらく口実になりそうである。

大島弓子先生のひそみにならって、一瞬「マンガで解説を書く」という手を考えるが、ウチダは人物画は右向きの横顔しか描けないので、それはかなわぬことなのである。

 

22日、死のロード最終日は東京から芦屋までの移動日。

お昼からの合気道のお稽古にゆかなければならないので、6時20分に起きて、東京駅までタクシーを飛ばす。なんだか週末にしてはずいぶん朝から人出があるなあと思っていたら、新幹線の指定席は6時55分時点で11時まで売り切れ。今日が三連休の初日であることを忘れていた。

先日の北新地も昨日の銀座もずいぶん賑わっていたし、今朝の東京駅は旅行客の山である。日本の不況もどうやら底を打ったようである。

新聞を拡げると、少年への性的虐待容疑でマイケル・ジャクソンが昨日逮捕(すぐに300万ドル積んで保釈)されたのに続いて、今日はフィル・スペクターがなんと殺人容疑で逮捕されていた。

マイケルのネバーランド幻想が相当に「病んでいる」ことは分かるけれど、あの脳天気なスペクターサウンドの底にかかる人間的暗部がひそんでいるとは・・・ロケンロールはまことに奥が深いのである。


11月19日

ロンドン在住の胡さんという台湾の方からメールがくる。

『疲れすぎて眠れぬ夜のために』を中国語訳して、台湾で出したいという企画を申し出られたのである。

「どーぞどーぞ」とご返事をする。

前に『ため倫』の韓国語訳を出したいというオッファーが韓国の出版社から来たことがあり、即「オッケー」とご返事したのであるが、その後音沙汰がない。

ウチダはアジア隣邦と仲良くしたいとつねづね願っており、そのためには外交や経済や安全保障のレベルでの「国益」のすりあわせのみならず、「グラスルーツ」における人間的親しみの醸成が不可欠であろうと考えている。

そのためにも、隣国のもの同士で「ふつうの生活感覚にもとづくふつうの意見」を交換しあうのは、建設的なことだろう。

メディアを経由して紹介される「民衆の意見」というのは、ほとんどが報道する側の主観がまじりこんでいる。

そうではない、固有名において発言し、その発言に責任をとることのできる「顔の見える」人間が言葉を交わしあうことが必要だとウチダは思う。

ぜひ、ウチダ本の中国語訳が世に出ますようにと念じる。

 

大学ではゼミ二つとゼミ面接。

ゼミ面接はすでに40名を面接したのだが、さらに30名も来てしまったので、予定していた面接時間ではとても面接しきれなくなって、急遽「追加公演」を二日増やす。

標準的には一人5分だが、長い人は15分から20分話しこむ。

総文の3年生の学生数は240名だから、4人に1人がウチダゼミの面接に来た勘定である。

学生のリサーチのためには貴重な機会ではあるのだが、それにしても疲れる。

 

ゼミは浜松の鈴木先生による「義務教育年限の短縮」と「高校以上の複々線化」という大胆なるご提言を拝聴する。

「問題行動を起こす生徒」のケアのために費やされる膨大な時間と税金と教員の心身の疲労、そしてルールを守って受講している他の生徒の学習権をどう保証するのか、ということについて現場の先生から悲痛な訴えを聞く。

問題を起こす生徒は家庭で傷つき、地域で傷つき、学校で傷つき、さまざまなトラウマを抱えた「被害者」なのであるから、これを排除するのではなく、むしろこの子たちの「救済」のために教育的リソースは優先的に投入されなくてはならない、というのが戦後一貫して支持されてきた教育原理である。

しかし、この原理はすでに制度的に支えきれないところまで矛盾を抱え込んでいる。

問題を起こす生徒に配慮するのは、それを放置したり排除したりすることによって将来的に生じる社会的な損害の方が、刻下の教育投資の負荷よりも大である、という判断に基づいてのことである。

問題行動それ自体に意味や価値があるからではない。

しかし、一部の知識人は、問題行動を、教育制度、家庭制度、あるいは父権制社会、資本主義などに対する「批判的な構え」というふうにプラス評価する傾向にある。

こういう「プラス評価」に子どもは大人が考えているよりはるかに敏感である。

子どもは「ペナルティがある」と思う行動は慎重に回避し、「エクスキュースが効く」と思う行動は図に乗ってやる。

そういうなかなかしたたかな生きものなのである。

「親が悪い」「社会が悪い」「学校が悪い」という他罰的な説明に対して、にこやかに耳を傾けてくれて、その告発の理路を支持するような言動をする人間が一定数いれば、子どもは必ずこのチープでシンプルな「物語」にとびつく。

だって、らくちんなんだから。

ここから始まる「チープでシンプルな物語のオーバードーズ」という「病気」は、ひとによっては死ぬまで続く。

すべての人間はなんらかの物語に依存しているから、そのこと自体は責められるべきではない。

しかし、自傷的・自己破壊的な言動を正当化するような「物語のオーバードーズ」はときに致命的な結果を招く。

そのことを危険性をアナウンスする人間があまりに少ない。

 

ゼミのあと、家にもどって翌日の朝日カルチャーセンターの講演資料をぱたぱたと作る。

お題は「人はなぜ知らないことについて判断できるのか?」

ほんとに、どうしてなんだろう。

 

それから三宮のリセットで江さんと『ミーツ』の来月号の「仕事特集」の打ち合わせ。

「フリーター」はどういう社会的機能を果たしているのか、彼らはどのような「マップ」を必要としているのか、ということが私に与えられたお題である。

「フリーター問題」については「フリーターが増えて困ったものだ」という沈痛な苦言と「フリーターという生き方はスバラシイ」という脳天気な主張の二つがある。

ごらんの通り、どちらも主観的なバイアスがかかった言明であり、フリーターがどのような歴史的文脈で出現してきて、どのような歴史的役割を担っており、日本の経済システムにどのようにビルトインされており、このあとの社会変動の中でどういう作用を担い、その後どういう地位を占めることになるのか、という「よい悪いは別としたところの、客観的なデータ」を共有するという姿勢がみられない。

やはり話は「客観的情勢分析」から始めないとまずいのではないか、というお話をする。

 

私はこれまで繰り返し書いている通り、日本のフリーターは世界的にみて最高水準の能力をもつ「低賃金労働者」であり、この200万人が日本経済の下支えをしていると評価している。

時給850円のマクドのバイトのお姉ちゃんが、仕込みから新人教育からデコレーションのプラニングまでこなし、時間外のサービス残業やサービス早出までいとわずにやっているという驚嘆すべき「忠誠心」の高さが、59円のハンバーガーというような商品価格を可能にしているということをメディアはほとんど報道しない。

コンビニで夜勤のお兄ちゃんは、レジの金をかっぱらって逃げることも、ともだちを呼んで、店の商品をぜんぶトラックに積み込んで夜逃げすることも考えないということを想定して採用されている。

そんな「前提」で見ず知らずの人を採用できるほど、就労者のクオリティと忠誠心があらかじめ保証されている社会が世界にいくつあるだろうか。

それを「ありがたいことだ」と思わずに、「フリーターはなくさなければいけない」と行政は主張している。

どうして?

もちろん、そこには理由がある。

それについては再来月の『ミーツ』を読んでね。

 

さて、今日からいよいよ、「死のロード」である。

まずは葺合高校で高校生相手に「模擬授業」90分。

そのあと朝日カルチャーセンターで講演。

明日は龍谷大学で甲野先生、岩下先生とのシンポジウム(これは気楽)

明後日は銀座資生堂で鈴木晶先生と対談(これはもっと気楽、でも東京まで往復が大変だよん)

さあ、ウチダは生きて土曜日を迎えることができるであろうか。


11月15日

公募推薦入試の面接。

今回は前年度比32%増という志願者急増のために、ノンストップ3時間半50名面接というハードワークとなる。

面接試験のときに、うっかり「本学志望の動機は?」とか「高校時代での印象的な出来事は?」というような質問をすると大変なことになる。

たちまち、高校生諸君は『大学案内』のコピーをそのまま暗誦してきたようなストックフレーズを「呪文」のように唱え出すからである。(「高校時代の出来事」で、「文化祭で、さいしょはばらばらだったクラスがやがてまとまり、最後はみんなと力を合わせて一体となったときの感動は忘れられません」というのもこれまで100回くらい聞かされた。たぶん、高校の進路指導室常備の「面接想定問答集」の一番先に出ている例文なのであろう)。

恥ずかしげもなくできあいのストックフレーズを口にしておけば、世の中どうにか渡っていける、というような世間を舐めた態度をウチダは評価することができない。

高校の進路指導の教師も、少しは頭を使って考えて欲しい。

面接官は同じような問答を朝から数十回から繰り返して、すごく「疲れている」人たちなのである。

志願者との口頭試問を通じて、「心が和らぐ」とか「疲れたが癒される」とか「破顔一笑する」いうことをこそ切望しているのである。

そのような疲れ切った面接官に向かって、木で鼻をくくったような応接をすれば、面接官の「むかつき」度というものが一気に上昇する、ということがなぜ分からないのか。

 

私はそのストックフレーズの「コンテンツ」に文句を申し上げているのではない。

みなさんが、文化祭でのクラスの団結に感動したのも本当なのだろうし、本学の伝統ある校舎と緑の多いキャンパスに惹かれたのも真実なのであろう。

しかし、問題はそれが「伝わる言葉」で語られているかどうか、ということである。

 

ちょっと違う話をしよう。

私のいる研究棟から文学館へのゆるいスロープを上ってゆくと、ときどき右手の中高部の校舎から「ねえ、おねがい」「何を言ってるのよ」「だからさっきから言ってるじゃない」「だめよ、あなた、何もわかっちゃいないんだから」というような対話が聞こえてくる。

おお、中高の生徒諸君もなかなか元気にコミュニケーションを展開しているな・・・というふうに私は決して思わない。

だって、それは演劇部のお稽古なんだから。

校舎の中はスロープからは見えないし、そこでやりとりされている言葉は、ふつうの生徒諸君が日常やりとりしている種類のものである。

にもかかわらず、それが生徒諸君の「素の」対話であるのか、お芝居のお稽古であるのかは一秒で分かる。

日常の言葉と発声法が違うからである。音の響きが違うからである。

そこにはぜんぜんリアリティがない。

 

頭の中にあらかじめできあがって保存してあるストックフレーズを、きっかけが来ると「印字」して出しているときの人間の言葉は「すっきりしすぎている」せいで、「それ」と分かってしまう。

そこにはふだんしゃべるときのような「ためらい」も「前のめり」も「気まずい間」も「嘘くさいことを言うときだけ早口になる」ことも、そういう微細なトーンやピッチの変化がまったくぬぐい去られて、まるっと平板に流れてゆく。

そういう平板な口調は、言葉が「身体のフィルターを通過していない」ということをあらわにしてしまう。

言葉は身体というフィルターを通過すると、深みと陰影と立体感を帯びる。

それは身体が言葉に「抵抗する」からだ。

頭の中で「次のせりふ」を決めておいたのに、口がうまく動かない、ということはしばしばある。

それはそれがどこか「嘘くさい」と自分で思っている場合もあるし、そのフレーズに含まれる言葉のどれかに軽い「トラウマ」がある場合もあるし、単純に口腔の構造がその物理的音声を発生しにくいという場合もある。

 

言葉は身体というフィルターを通過させると独特の響きを獲得する、ということを知悉していた作家に太宰治がいる。

太宰の最晩年のエッセイ『如是我聞 四』は新潮社の編集者を深夜電報で呼びだして口述筆記させたものである。

太宰は編集者の前でコタツに入って、酒杯を含んだまま、「蚕が糸を吐く」ように、よどみなく最後まで口述したという。

ところが98年にこの口述筆記された『如是我聞 四』の「草稿」が発見された。

それは発表原稿とほとんど一言一句変わらなかった。

つまり、太宰はまず草稿を書き、それを暗記し、それを聴き手の前で暗誦してみせたのである。

どうして草稿があるのに、太宰はそれを渡さず、あえて口述筆記をさせたのか。

どうして、そんな手間暇をかけたのか?

おそらく太宰は「言葉は身体を通過することでしかある種の説得力を獲得できない」ということを知っていたのである。

 

言葉に対する「身体的検閲」とでもいうべきものが存在する。

それは、「嘘くさいことば」に「これは『嘘くさいことば』です」という刻印を押してしまうのである。

それはある種の「平板さ」、ある種の「無徴候性」という刻印である。

理路が整合的であり、文飾が華麗であるにもかかわらず、「読み飛ばしたくなる文章」というものがある。

あまりにもすべすべとなめらかであるせいで、読者はそこに足をとどめておくことができない。

身体は、「なめらかすぎる言葉」には「無徴候性」という負の刻印を押すことで、それを「読ませない」という仕方での復讐を果たすのである。

 

太宰は自分の文章を一言一句「とばし読み」させないために、あえて身体的検閲を自分に課した、と私は想像している。

すべての語から「無徴候的なめらかさ」を削ぎ落とし、ひとつひとつの語に凹凸や肌理や温度差リアリティを与えて、そうやって言葉が帯びた「ひっかかり」や「ねばつき」によって、言葉が深く強く長く読者の身体に「食い込む」ことを太宰は望んだのである。

それはボールにつばをはきかけて予測不能の回転を与えようとするスピットボールの禁じ手に少し似ている。

 

私は別に面接試験の志願者に太宰治のような言語能力を求めているわけではない。

そうではなくて、人と人がであうときに優先的に配慮されるべきなのは、言葉の「コンテンツ」ではなく、言葉を差し出す「マナー」だ、ということである。

太宰の文学がその現時性を失いながらもなお今日に読み継がれるのは、彼が自分の言葉が「深く強く長く読者の身体に食い込むことを望んだ」からである。

それと同じように、まとまりのある、つじつまのあったことをしゃべるのが勧奨されるのは、その方がそうでない場合より相手に届く確率が高いからである。

ことの順逆を間違えてはいけない。

よりたいせつなのは「言葉が届く」ということであり、「つじつまのあったことをしゃべる」ことではない。

今日の初等中等教育では「自分の意見をはっきり口にする」ということは推奨されているし、技術的な訓練もなされているようだけれど、残念ながら、「自分の意見」は「はっきりしているだけでは、聴き手に届かない」というもっとたいせつなことは教えられていないようである。

 

おとぼけ映画批評更新!

見てきたぜ『キル・ビル』


11月12日

午前中、下川先生のところでお稽古。

『融』の舞囃子を通しで最後まで舞う。

謡の詞章を忘れたり、道順が「あれ?」っとなったり、拍子が微妙にずれたりしたけれど、なんとか最後までたどりつく。

謡は『通小町』のシテの深草少将の亡霊。

日本一のイラチ男であるウチダと小野小町に騙されていそいそと百夜通う深草の少将ではキャラ的にあまりなじまないのであるが、「煩悩の犬」という点では深く通じるものがある。

わんわん。

 

大学では今週からゼミの面接というものが始まる。

学生さんたちに簡単にゼミの紹介をしてから、ひとりずつ面談をして、何を研究したいのか、何に興味があるのかを訊ねる。

ウチダ・ゼミの採択方針は「変な人」を取るということである。

変わった趣味、不思議な特技、ヘンテコなバイト経験などを持っている人をゼミに集めることにしている。

ゼミ生諸君は「山場の人」である私にとって貴重な情報源だからである。

「ええええ、この世にはそ、そんなことがあるの?」とか「ええええ、キミそんなこと考えてるの?」というような斬新なるネタを提供してくれるゼミ生はウチダの思考を活性化してくれるたいへんたいへんありがたい存在なのである(『ミーツ』の「街場の現代思想」のネタの過半はゼミ生提供であった)。

ゼミはウチダが何かを教える場であるというよりは、ウチダが何かを教わる場なのである。

古諺にいわく「大蛸に教えられ」(@大瀧詠一)。

ウチダを驚倒させる「転宅留守」(@ATOK14)の出現を待っているのである。

 

面接を終えて、ぱたぱたと合気道のお稽古へ。

先週から新人が相次いで登場。中学部の子たちが四人やってくる。

若い諸君はちゃんと「時代の風」を察知しているのである。

ご賢察の通り、21世紀はね、「武道の時代」なんだよ。

 

本日は諸手取り。

「手さばき」が今日のテーマ。

接触点においてもっとも効率的な手の動かし方について考究する。

甲野善紀先生に講習会で教えていただいた「幽霊の手」(と勝手に命名)と光岡英稔先生に教えていただいた「站椿功」の基本手の一つ。

いずれも肩胛骨を動かして、肘から内側に手を巻き込むような流れなのであるが、これが背筋や大腿筋と連接する、たいへんに有効な動きであることがだんだん分かってきたので、それを使っての入り身投げや呼吸投げを試みる。

おお、こ、これはすごい・・・

「邪道一級」の一年生たちがあっというまにこれをマスターして、ほいほいと投げてゆく。

恐るべし、スーパー一年生。


11月10日

「いいニュースと悪いニュースがある。どちらを先に聞きたい?」

というのはハリウッド映画で、悪い奴が捕まった主人公に脅しをかけるときの常套句だ。

「先に悪いニュースから」

というのもお決まりだ。

「おまえの家族はみんな死んでしまったよ(笑)。でも、いいニュースもある。すぐに家族に会える(爆笑)。」

なんてね。

 

まず「いいニュース」から。

2004年度の入試シーズンが始まったが、私の属する文学部総合文化学科はこれまでのAO、指定校推薦、公募制推薦の三つの入試で、いずれも20−30%近く前年度を上回る数の志願者を確保した。

今年度は18歳人口が前年度比で5%減なので、実数5%減でも「昨年並」なのであるから、純増というのは「大健闘」である。

総合文化学科というのは、要するに「あまり専門的な領域に特化しないで、いろいろなことをバランスよく学ぶリベラルアーツ学科」である。

「広く浅く」という難点もあるが、それは同時に「あらゆる領域に通じる汎用性の高い知的技法が習得できる」ということでもある。

まあ、いいとことわるいとこは背中合わせであるから、「どっちも」というわけにはゆかない。

ただ、21世紀日本という先の見えない時代においては、「現在ただいま市場で需要のある専門的な情報やスキル」を身につけるよりは、「いつ需要が発生するか分からないけれども、汎用性の高い知的なマナー」を身につけておくほうが、結果的にはクレバーな選択になるのではないかとウチダは思っている。

そういう「ファジーな」(これも死語だな、そろそろ)総合文化学科への志願者が増えているというのは、民主党への支持率の上昇ともシンクロするところの「別に何が、というのではない、あいまいな(失望を織り込み済みの)期待感」という現在の「時代的気分」とも同調することかもしれない。

しかし、「失望を織り込み済みの期待感」というのは、われながら言い得て妙だな。

ちゃんと五・七・五になってるし。

「あなたの、失望を織り込み済みの期待感にお応えする、総合文化学科!」

というのではコピーに・・・、ならないですよね。

 

いろいろなメディアから取材依頼が来る。

『子どもは判ってくれない』(洋泉社)の書評がぼちぼち出始めたので、それに関連しての取材である。

「世間にバカ面を知られたくないので、顔写真撮影はダメ」という条件を付けているので、そう申し上げると、「じゃあ、いいです」とふて腐れて断るメディアもある。

そういえば先日の『助産雑誌』のインタビューではうっかり顔写真を撮られてしまったな。

でも、『助産雑誌』に写真が載っても、それによって私の顔を知った人と私が接点を持つ機会は病院の産婦人科と助産院以外にはないので、これはノープロブレムなのである。

それにしても、どうして、紙媒体はあのように顔写真掲載に固執するのであろうか。

変な顔写真より、私が渾身で描くところのネコマンガの方が、ずっと私の社会的態度を雄弁に語っていると思うのであるが・・・(その点では顔写真に代えて、ネコマンガを掲載してくださった『BRIO』の決断は高く評価されてしかるべきであろう)。

 

大学院のゼミでは『ミーツ』の江編集長の「家族と消費」論が熱く展開される。

江さんのアイディアに触発されていろいろと思うことがあったので、この論件についての私の意見は『東京ファイティングキッズ』に書くことにする。

 

この大学院の演習はそれにしても実に面白い。

私のこの半年ほどの「新ネタ」はほとんどこの教室で仕込んだものであると言って過言でない。

思う存分お話しをさせていただき、それでお給料をいただき、その上、聴講のみなさまからのご教示で、本のネタまで頂戴できるのである。

来年のこの授業は「パックス・アメリカーナの終焉」という主題で一年間、アメリカの歴史、政治、文化を徹底的に検証し、21世紀の日米関係を展望する、という暴挙を試みるが、そこで仕込んだ豆知識をネタに本を一冊書いて、それをNTT出版から出してしまおうというとんでもないワルだくみなのである。

ぐふふふ。

お知恵を拝借した院生学生聴講生諸君には「打ち上げ」のときのビールを奢るから、ひとつそれでご勘弁を。

 

「悪いニュース」は特にありませんでした。ちゃん、ちゃん。


11月9日

学士会館がいっぱいだったので、御茶ノ水の東京ガーデンパレスに投宿。

ひさしぶりに御茶ノ水駅を降りて聖橋をわたる。

御茶ノ水は懐かしい場所である。

1967年の夏休みに私は御茶ノ水駅前の「純喫茶・田園」の3階の「同伴喫茶」(もう死語だな、これも)でボーイのバイトをしていた。

最近の若い方はご存じないだろうが、同伴喫茶というのは、新幹線の車内のように二人がけの席が一方向にむいて、ずらっと並んでおり、室内照明はあくまで暗く、前後左右でどのようなことがなされているのかが伺いしれないようにしつらえてあるのである。

私は別に同伴喫茶のボーイを志望したわけではなく、はじめはふつうの一般席でコーヒーなんか運んでいたのであるが、わりと段取りのよい子どもだったので、この「アブナイ空間」にコンバートされたのである。お客さんにしても、あぶらっこい中年男よりは、無邪気な(どこが?)子どもがトレイを持ってくるくる走り回っている方が気が散らないであろうというご配慮だったのではないかと推察される。

そこで二月ほどバイトをして、ちょっとげんなりした頃、お向かいのジャズ喫茶ニューポートで「カウンター募集」をしていたので、そちらに転職した。

もちろんカウンターの経験なんかまるでなかったのであるが、「経験あります」と嘘をこいて(当時からそういうやつだったのだ)採用された。

最初の日にマスターに「レモン切ってごらん」と言われてレモン一個とナイフを渡されたので、ずばずばとスライスしたら、「あのね、レモンは22枚に切るんだよ」と教えてもらった。

「君、経験ないんでしょ?」と言われたが「へへへ」と最高にフレンドリーな笑顔でごまかしたら(当時からそういうやつだったのだ)、マスターもにやにや笑って、それで済んだ。

そのあとも「ウイスキーの水割り作って」と言われて、適当にウイスキーと水をまぜて出したら、常連のお客さんが一口飲んでしみじみと「あのさ、俺、水っぽいウイスキーって飲んだことあるけど、ウイスキーっぽい水って飲むのはじめでだわ」と苦笑されたことがある。

でも寛大で寡黙なマスターはカウンターのはしっこでいつもにこにことパイプをくゆらすだけで、私はそこで三月ほど働かせてもらった。

私が「大人の男」の最大の美質は「こまかいことにがたがた言わずに、子どもをほったらかしにしてくれること」だということを学んだ最初の経験は、このニューポートのマスターからだったと思う(るんちゃんは生まれてはじめてのバイトとして、高円寺の無力無善寺というライブハウスで「こまかいことにがたがたいわない」マスターの下で一日中ロックを聴きながら慣れぬ手つきでカクテルなんか作っていたらしいが、親子揃ってやることがやっぱ似てるわ)。

1967年の秋から冬にかけて、私はここで毎日10時間くらいオーネット・コールマンやチャールス・ロイドやセシル・テイラーやチャーリー・ミンガスやソニー・ロリンズやマイルス・デヴィスを聴いて過ごした。

御茶ノ水「カルチェ・ラタン」は革命前夜の熱気を帯びており、ジャズは熱く、音がひとつひとつ「びしびし身体にしみこむような」(@村上春樹)時代であり、高校をやめてなんだか無限の未来を手に入れたような気分になっていた17歳の少年にとっては一日一日がはじけるように新鮮だった。

そのあと、1969年から70年までは御茶ノ水の駿台予備校に通っていた。

1971年の夏から翌年にかけては神田明神前の「小口のかっちゃん」の家にフジタくんやイタガキくんといっしょに暮らしていた。

そのあと、自由が丘の方に移ったあとも、73年から75年までは聖橋のバス停から東大病院行きのバスで大学まで通っていた。

というわけで、御茶ノ水は私にとって、たいへんにたいへんに懐かしい場所なのである。

 

その聖橋をわたって、神田明神に向かい、「かっちゃんの家」にゆく信号を左折して、東京ガーデンパレスに着く。

シャワーを浴びてから駅前にご飯を食べに行く。

「中国飯店」がまだ営業していたので、もやしそばとビールを頼む。

この中国飯店では今は亡き新井啓右くんともやしそばを食べたことがある。日比谷の先輩だった小西茂太くんにここでタンメンをおごってもらったこともあった。

30年経っても味は変わらない。

ちょっとセンチメンタルな気分になったので、ニューポートを探してみたが、もちろんもう存在しない。純喫茶田園もないし、埴谷雄高や吉本隆明の本を買った茗渓堂書店もない。

ホテルに帰って、ぱたりと寝る。

 

9日の朝は共同通信の取材。

甲野善紀先生の武術が今このように脚光を浴びたに至る歴史的文脈についての「解説」を求められる。

私は別に甲野先生から「スポークスマン」にご指名頂いたわけではないし、適任の方は他にいくらもおられるだろうが、取材に来てしまったものは仕方がない。

とりあえず甲野先生の立ち位置がこれまでの近代武道の歴史の中でどのようにオリジナルなものであるかについて、できる限りの説明を試みる。

取材の記者の方は「なるほど!」とえらく納得されていたが、私なんかが解説しちゃって大丈夫なのかしら。

甲野先生、間違っていたら、ごめんなさい!

 

取材を終えて、タクシーで本郷三丁目の医学書院へ。

鳥居くんがもう来ている。

鳥居くんは医学書院の新進エディターなのであるが、月窓寺道場に入門した私の弟弟子にあたるのでもはや身内である。

ふたりで「ツッチー」についての内輪の話題などで盛り上がっているうちに三砂先生が着物で登場。

三砂先生はこのところもうどこにゆくのも着物で、もちろんお勤めも着物。オフィスに二畳の畳をひいて、その上に「ちゃぶ台」をセットしてお仕事をしているそうである。

三砂先生って、過激。

そこに今回の主催者である『助産雑誌』の竹内さん入戸野さん、白石さん、晶文社の安藤さん、足立さんら一騎当千の辣腕エディター軍団、そしてスペシャル・オーディエンスのフジイ「永世芸術監督」も登場して、さっそく「お産トーク」開始。

のはずが、とりあえず着物の話と「宝塚」の話で盛り上がって、なかなかお産に話がゆきつかない。

でも三砂先生の話は、どんな話題でも、とにかくわくわくするほど面白いので、ゆきあたりばったりにおしゃべりを続ける。

 

私は人間の批評性を判断するときに、その人が自分の職業をどのように適切に「歴史的文脈」の中に位置づけることができるかを、ひとつの指標に採用している。

その上で申し上げるのだが、三砂先生ほど自分がしている仕事の「歴史的な意味、その可能性と限界」についてクリアーカットな言葉で語る人をこれまで会ったことがない(「疫学」というものについて私はほとんど何も知らなかったが、三砂先生に説明してもらったら、なんだかすべて分かったような気になったくらいである)。

勘違いしているひとが多いけれど、「自分のしている仕事はスバラシイ」と信じ込んでいる人間は、自分のしている仕事がどういうものであるかを適切に語ることができない。

もちろん、「自分のしている仕事はクダラナイ」と思っている人間はさらにできない。

自分のしている仕事には「可能性と限界」が同時にあり、それが「何か」をきちんと言葉にできる人だけが、その仕事から最大限の快楽と成果を同時に引き出すことができる人である。

その意味で、三砂先生はまことに希有の「プロの学者」であった。

白石さんのお骨折りで、このようなみごとな方と出会わせていただけたことはまことに幸運なことである。

 

三砂先生との対談は、一部が『助産雑誌』に掲載され、一部は医学書院から出るウチダの「ケア本」に採録される予定である。

晶文社も私と三砂先生の「対談本」というものを企画しているようであるが、これはもう私のほうからお願いしたいような仕事である。

漏れ聞くところでは、池上六朗先生と三砂先生の「遭遇イベント」の企画もひそかに進行中であるらしい。

実現するなら、ぜひウチダもその歴史的な遭遇の瞬間に立ち会わせて頂きたいものである。


11月8日

大阪ジュンク堂のカフェ・セミナー。

大阪ジュンク堂は日本最大の売り場面積の本屋さんであるが、ここは「立ち読み(座り読み)自由」という開放的な方針で本好きに知られているところである。

 

このジュンク堂にはウチダ本の愛読者の店員さんがいて、彼ら彼女らのひそかな暗躍によって、私の本はかの地においては、「えこひいき」的好待遇を得ているのである。

というわけで日頃のご恩を返すべく、講演兼サイン会というものにいそいそとでかける。

 

主宰は人文会。

人文会というのは売れない良質の人文図書を細々と出し続けている日本出版界の知性と教養の「最後の砦」のような業界団体である。(東大出版会、法政大学出版局、平凡社、未来社、紀伊国屋書店、晶文社、みすず書房、理想社、大月書店、春秋社などなど)

そのような「教養主義最後の砦」がウチダの講演会を企画してくださるということは、私のようなものを教養主義「祖国防衛戦」に動員せざるを得ないほどに、戦線の崩壊は深刻だ、ということなのであろう。

崩れ行く日本教養主義に一臂の力をお貸しすべく、「ひとはいかにして書物と出会うのか」というお話をする(つもりが、いつのまにかK−1の話になってしまったが・・・)

 

このところの私の思念を離れぬ主題である「未来の体感」をどうやって構築し、それをどうやって伝達してゆくか、という話を軸に70人ほどの聴衆を前に、1時間ほどおしゃべりをする。

江さん、ドクター佐藤、釈先生、藤本さん、青山さん、大迫力くん、影浦くん、おいちゃん母子など顔見知りがたくさん来て下さったので、たいへんフレンドリーな雰囲気であった。みなさん、おいそがしいなか、どうもありがとうございました。

 

講演中にときどき「決めのフレーズ」というのが頭に浮かぶのであるが、それを口にすると、聴衆の方々が鉛筆を取り出してさらさらとメモをする。

ちゃんと「聴かせどころ」というのは、先方もご承知なのである。

不思議なことに、この「聴かせどころ」は、「こういうことを言ってやろう」とあらかじめ下拵えしたフレーズではない。

準備していったフレーズは、そこそこかっこいいものであっても、聴衆は反応が悪い。

しかし、話の勢いで、その場で頭に浮かんだ「決めのフレーズ」には、ほとんど一斉に反応する。

それも、私がフレーズを語り終わるより速く、つまり「ウチダが何を言っているのか、まだ未決の段階」で、鉛筆が動き出すということがしばしば観察されるのである。

ということは、この方々は、命題のコンテンツに反応しているのではなく、かっこいいフレーズを思いついて、「おお、やったば」と喜んでいる私の微妙な身体信号に反応している、ということになるのではないか。

今回、そのような現象が散見されたということは、ウチダの身体信号発信能力がそれなりに向上しつつある、ということかも知れないし、ウチダ本の愛読者の方々は、さすがに身体信号受信能力が高い、ということなのかも知れない。

 

講演を終えて、ネコマンガを50くらい書いてサイン会もおしまい。

その足で、新幹線に飛び乗って、そのまま東京へ。

日曜は医学書院で三砂ちづるさんと「お産」をめぐる対談である。

車窓が暗くなってきたので、とりあえずビール。

たちまち睡魔に襲われる。ぐー。


11月7日

週末東京なので、不在者投票をすませておく。

私のいる芦屋の選挙区は土井たか子の地盤であり、小選挙区では久しく不敗を誇っている。

もういいかげん社民党でもないだろうとは思うのだが、それに代わる候補者がいない。

自民党か社民党か共産党かで改めて投票所で鉛筆をひねくりまわしながら思い迷う、というのはまことに「不毛の選択」である。

投票率が下がるのもむべなるかな。

もう少しいろいろな人が立候補してくれないものだろうか。

比例区は「政権交代の可能性」に一票を投じる。

 

急ぎの原稿というのがとりあえずないので、ひさしぶりにレヴィナスの『困難な自由』の翻訳を取り出す。

まだ220頁のところで停滞したままである。残り180頁。

「犬の名あるいは自然権」という題名のエッセイを訳す。

私の抄訳本には未掲載のものであるが、誰かが雑誌に翻訳を出したことがあるはずである。

レヴィナスがドイツの捕虜収容所にいたときのことを書いたレアなドキュメントである。

レヴィナスの思考は深く美しい。

 

内村鑑三について書いたものを読んだら、急に『ユダヤ文化論』(文春新書から出る予定)の「日猶同祖論」のところに書きたいことが思いついたので、さらさらと書き加える。

明治から大正にかけて日本のユダヤ研究を不思議な方向にひっぱっていった妄想的な日猶同祖論者たちはいずれも「キリスト者」で「アメリカ留学経験者」であった。

どうして、キリスト者がアメリカに留学すると、「日本人とユダヤ人は同じ世界史的使命を体している」という幻想に取り憑かれてしまうのか、その理由がなかなかわからなかったのだが、内村鑑三のことを調べたら、なんだか腑に落ちたのである。

どうやら、ペリー以来、日本人の「国際関係理解」は徹頭徹尾「アメリカ」という国に対する親和と反発というフレームワークの中でなされてきたようであり、おそらくは私自身の国際関係理解もまたその例に漏れないのである。

そのアメリカからもうすぐ帰ってくる川仁さんが長文のアメリカ文化論を書き送ってくれた。

ヘビーな内容なので、コメントはじっくり読んでから。

 

アマゾンからナンシー・シナトラのベスト盤が届く。

竹内まりあと大滝詠一のデュエットSomething stupid を聴いているうちに、ナンシー・シナトラが聴きたくなってしまったのである。

These boots are made for walkin' , You only live twice, Sugar Town, Summer Wine などなつかしい曲がぎっしり。

外盤なのでライナーが入っていないので邦題を思い出せない。

「007は二度死ぬ」と「サマー・ワイン」は覚えているけれど、「シュガー・タウン」は何だっけ?「恋のシュガー・タウン」だったかな?「シュガー・タウンは恋の街」だったかな?

1967年夏に唐十郎の状況劇場が新宿花園神社の赤テントで演じた『腰巻きお仙』の中で大久保鷹が歌っていたなあ・・・(話が古い)

These boots are made for walkin' の邦題は何だっけ?

石川くん覚えてる?

アマゾンのおかげで、こうしてウチダの音楽的退行現象はますます加速してゆく。


11月6日

終日原稿書き。午後より歯医者と三宅接骨院。

三宅先生に「ぼろぼろです」と言われる。

二週間ほど治療をさぼって、学祭や宴会や原稿書きばかりしていたのが災いしたようである。

身体がだいぶゆがんでいて、膝も痛み出したのである。

先生のおみたてでは、肝臓が疲れているのと、右太股後ろの筋肉疲労(そこの張りが膝に影響したのである)。

とりあえず二日間の「断酒」を命じられる。

しくしく。

夕食にビール抜きの「鰻丼」を食べる。(画竜点睛を欠くとはこのことか)

お酒をのまないとすることがないので、11時にはふとんにはいる。横になったとたんに反射的に寝てしまう。ぐー。

朝、7時にぱっちりと目が覚める。

することがないので、仕事を始める。

なんだか、こっちのほうが身体に悪そうな気がするんですけど、ミヤケせんせー。


11月5日

委員会一つ、ゼミ二つ。

三年生のゼミは「百円ショップ」。院のゼミは「宗教」。

「百円ショップ」というのは私はまったく訪れたことがないスポットなのであるが、学生諸君は全員がご愛用の由。

はじめから100円と価格を決め、その小売り価格でメーカーが商品開発をするのだそうである。

たしかに「コロンブスの卵」的な逆転の発想である。

「衝動買い」ができることと「他店にくらべてお買い得感のあるものをゲットしたときの達成感」も好感されている秘密のようである。

なるほど。

もう一つ、人件費が安いということも経営の秘訣であるらしい。

なにしろ、「どれでも100円」なのであるから、個数を数える指があれば、あとはそれに100円を乗ずればよいのである。簡単でいいね。

品出しやセキュリティもみんな時給900円のバイトがやるらしい。

 

そういうことができるのは日本だけである。

正社員がろくにいない店舗が時給900円のバイトだけで経営できるという事実は、日本の「フリーター」諸君の提供する労働力のクオリティの高さを証明している。

彼らは監督者がいないからといって商品を略奪したり、レジの金を盗んだりしない。そんなことは思いもつかないのである。

去年のゼミ生だったヨシオカ君はマクドで顧客とのトラブルシューティング以外のすべての仕事をやっていたそうである。

時給850円の女子大生がハンバーガーの仕入れから迷子の世話から新人研修までやってくれるのであるからこそ、59円でハンバーガーを売るというようなことも可能だったのである。

そういうことがいかにインターナショナルな基準からして特異なことであるか、ということはあまりアナウンスされない。

外国から来た人が驚くのは日本の「自動販売機」の多さである。

管理者が誰もいないところに自動販売機がわんさと置いてあるが、自動販売機を壊して商品を盗む人間も、金を取る人間も、まずみかけることがない。

フランスのコカコーラ自動販売機なんて、ほとんど「要塞」のような作りになっていて、トラックで略奪されないように太い鎖で二重三重に壁に縛り付けてあり、お金をいれてから商品を取り出すまでに鉄の扉を二つもこじあけないと手が届かない。

誰も見ていないところに商品とお金があれば、「遅かれ早かれ盗まれる」ということがかの地では「常識」に登録されているわけである。

日本はそういうことがない。このセキュリティの確かさが社会のインフラとして整備されているからこそ、100円で商品を売ることが可能になるのである。

日本の若い人はモラルが低いと言う人が多いが、それはずいぶん一面的な決めつけではないかとウチダは思う。

 

「宗教」の発表は渡邊さん。

これは論じることの難しい論件である。

社会現象や歴史的事実として語るのは簡単だが、「私にとっての宗教的なもの」という視点を立てると、語るのがむずかしい。

いずれ「インターネット持仏堂」でじっくり語りたいと思うが、学校教育における宗教性の組織的排除が「ホラー」によってトレードオフされているという事態は、あまり健全じゃないような気がする。

「霊的な健康」は21世紀のキーワードだとウチダは思う。

 

授業を終えて帰ろうとすると、山本画伯がお仕事で大学に来ていたので、いっしょに帰る。

画伯がイタリアの本屋から出す限定版の版画に私の文章を添えるというお仕事に誘っていただく。

『レヴィナスと愛の現象学』のなかから私が「これぞ」というのを一文を選んで、それを仏訳したものをさらにイタリア語訳するんだそうである。

なるほど。

画伯は来年ミラノの個展を開くことになったそうで、ご成功をことほぐべく、わが家にて「ほうれんそう豚肉鍋」というものを作っていただく。

美味である。

八海山を酌み交わしながら、深更に至るまでしみじみと清談。

 

長崎の葉柳先生からひさしぶりの「長崎通信」が届く。

学生の知的資質をどう査定するのか、という深い問題をご提起されている。

武道を教えていると、人間の蔵している「資質」が査定のたいへんにむずかしいものだということがよく分かる。

一番顕著なのは、「さっぱり技が覚えられない人」の中にしばしば「大化け」する才能がひそんでいるということである。

『エースをねらえ!』の中で宗方コーチも同じことを述懐していたが、「どうして、これができないの?」という人はしばしば一般人とは「違う文法」で身体を動かしている。

その文法は、私たちが使っている身体文法よりもプリミティヴである場合もあるし、はるかに複雑な文法構造をもつ場合もある。

どちらにしても、「ある身体操作をその文法ではうまく翻訳できない」のである。

それが、なにかのきっかけで「変換規則」を発見するということが起こる。

そのときの「化け」方は感動的である。

そういうケースをいくつも見てきた。

「化ける」ことに失敗した人もいる。

それは私の査定が不適切だったからではない。

その人自身が自分に下した自己査定が不適切だったからである。

どれほど教師の査定が不適切でも、自分の才能を信じている人間は、それによって才能が枯渇することはないけれど、自分の「才能」に見切りをつけた人間の才能はそこで死ぬのである。


11月4日

イラクでの大規模戦闘終結宣言以後も小規模の戦闘が続き、国連現地本部や赤十字社までも爆弾テロの標的となっている中で、2日に米軍の大型輸送ヘリが地対空ミサイルに撃墜されて、米兵36人が死傷するという事件が起きた。

9月7日にはラムズフェルド国防長官がバクダッド国際空港を離陸した直後にミサイル攻撃がなされている。

厳戒態勢下にあってもゲリラの地対空ミサイルに対して、正規軍は打つ手がない現状のようである。

米軍は今回のイラク侵攻に際してまっさきに制空権を取り、バクダッドにご自慢の「ピンポイント爆撃」を加えた。

「制空権」とは誤解を招きやすい語である。

今回の一連の戦闘で、それが「空から攻撃する権利の占有」を意味しているだけで、「安全に航空する権利」を意味しないことが分かった。

その空域に政府はC130輸送機を派遣する予定である。

輸送機の航空高度はヘリより高いとかミサイル回避装置を装備しているし、「戦闘地域は飛ばない」と政府は弁明しているが、どんな輸送機だって空港に離着陸するときは高度を下げるし、旧イラク軍はまだ残存地対空ミサイル、ロシア製のSA7を1000基を保有するといわれている。

この中で派兵に踏み切るということは、政府は自衛隊員には「死んでもらう」という覚悟を決めているということである。

湾岸戦争のときに「血の貢献」をしなかったために「国際社会」(って要するにアメリカのことだけど)に侮られたというのがよほどトラウマになっているらしく、今回は多少は死んでもらわないと「かっこがつかない」というのが政府の本音であろう。

しかし、死者数が問題だ。

一人二人なら、それで反テロリストの愛国的排外的世論が沸騰して、政府に対する支持が高騰するということは大いにありうる。

しかし、二十人、三十人ということになると、そうはゆくまい。

アメリカには「ソマリア」の苦い経験がある。

このとき国連平和維持軍の先兵としてアメリカ海兵隊が上陸したが、ソマリアの内戦に巻き込まれ、結局死者30人を出して撤退することになった。これ以後、アメリカは「人道的介入」に際して、死者ゼロにするという原則に縛られることになった。それが地上戦に入る前に空爆で敵戦力を殲滅させる、というユーゴ、湾岸、アフガニスタン、イラクで採用された戦術であることはみなさまご案内の通りである。(しかし、ほんとによく戦争する国だよな)

当然、自衛官に30人もの死者が出れば、当然日本社会でも「ソマリア・シンドローム」が起こることが予想される。

死者の映像がもし日本のメディアで報道されると、それは1945年以来日本人がはじめて見る「戦死者」である。

その衝撃を予測するのはむずかしいが、おそらく、「人道的介入であろうと、国連平和維持活動であろうと、もう日本人の青年が死ぬのは見たくない!」という情緒的な厭戦機運が沸騰することになるだろう。

つまり、たいへんに皮肉なことであるが、イラクへの派兵に際して、今後、日本が「ふつうの国」になって自衛隊を米軍の同盟軍としてじゃんじゃん海外派兵させたがっている人は「自衛隊員が(愛国的機運が高まる程度に)死ぬこと」から利益を引き出し、アメリカの世界戦略への追随を嫌う人々は「自衛隊員が(厭戦気分が高まる程度に)死ぬこと」から利益を引き出すことができるのである。

つまり、いまの政治的決定プロセスとメディアを占有している人々は(無意識的に)自衛隊員が「死ぬ」ことを望んでいるのである。

違いは、「適正な死者数」をどの程度に設定するか、という計量的な問題だけである。

こういう人たちに送り出されて戦地にゆく自衛隊員はまことに切ないであろう。


11月3日

ひたすら眠る。正午に起きて、朝食後、ただちに二度寝。

二度寝後、「東京ファイティングキッズ」の原稿を書いているうちに激しい空腹に襲われ、ラーメンを食す。

ただちに三度寝。

起床後、うどんを食し、その後、『Love Generation』を見ながら、とろとろする。

キムタクドラマ全作品踏破計画もそろそろ飽きてきたが、これはなかなか面白い。

なんといっても主題歌がよい。

「髪をほどいた、君のしぐさが、泣いているようで、胸が騒ぐよ」

の「しぐさが」の「が」と「胸が」の「が」の音が、いまでは大滝詠一以外のどの歌手も出すことのできない美しい鼻濁音なのである。

とっかかりの一行目に大滝節の「指紋」ともいうべき鼻濁音をふたつ入れた大瀧師匠の戦略に、いままで気づかなかったとは、古手のナイアガラーとしては反省しなければならない。

 

反省ついでにCDをアマゾンで三枚購入。

竹内まりあの『Longtime favorites2』(大滝詠一とのデュエット「something stupid」と山下達郎とのデュエット「Walk right back」(ぼくの大好きなエヴァリーの曲)が収録。選曲いいね)

もうひとつは、ビーチボーイズの『Pet sounds』のDVD版(どんなステキな画像が・・・と期待したら、これはスカ。ビデオクリップの質において、ビーチボーイズはビートルズに遠く及ばなかった)。

『ペットサウンズ』をプロデュースしたとき、ブライアン・ウィルソンは弱冠23歳。

恐るべき才能だ。

それとSpencer Davis Group のベスト盤。

60年代のニール・ヤングとスティーヴィー・ウィンウッドの「泣き節」はそのころ十代だった人間にとってはちょっと切なくなる声なのだ。トラフィック時代のPaper Sun も好きだったなあ。

ウチダの音楽映画趣味はますます退行するばかりである。


11月2日

学祭無事終了。

二日目はウッキー母、かなぴょん母など「身内オーディエンス」のほか、田岡さん、えぐっち、岡さん、すみっち、コバヤシさんなど知人友人が多数お見えになる。

出演者も、くー、おいちゃん、せとっち、「芦屋系」石田さんに加えて、東大合気道気錬会の内古閑伸之くんにもご登場いただき、たいへんににぎやかな演武次第となる。

昨日に引き続き、一年生がたいへんにみごとな演武をしてくれた。

みなさん、よくお稽古されましたね。

ウッキーは7回出演(石田さんせとっち飯田先生の受け、杖道形の仕杖、合気杖、主将演武、師範演武の受け)、本人が持つ「同一演武会最多出場記録」を更新する。この記録はおそらく未来永劫に破られることがないであろう。

内古閑夫妻による演武は、最初たいへんに静かに始まったので、「おお、さすがのウチコガくんも、かなぴょんを相手にするときは、ちゃんと手加減してるんだ」と一同新郎の気遣いに涙したのであるが、演武が進むにつれて、ノブちゃんはしだいに目の焦点がずれた「トランス」状態となり、ばちこんばちこんと投げまくり、演武が3分を過ぎるころにはさしものかなぴょんの息も上がり、足ももつれだした。

そのとき一瞬、ウチコガくんの技が止まったので「おお、これで終わりか」と一同安堵のため息をついたところ、左手をさくっと額にあてて、「正面打ちのポーズ」。さらに1分近くかなぴょんは宙を舞い続けることになったのであった。

この椿事を記念して、今後、わが合気道部においては、演武中に「左手人差し指を額にさくっと当てる」ジェスチャーを「のぶちゃんのポーズ」と命名することとなった。

ウチダは「説明演武」というものに挑む。

しゃべりを入れると、休み休みなので、らくちんである。

一人で20分ほどおしゃべりしながら、気が向くと投げる。たいへん気分がよろしい。

 

さくさくと演武会の片づけを終えて、夕刻よりわが家にて恒例の「打ち上げ大宴会」。

風邪でお帰りの前川さん以外、関係者全員が参加。出場できなかったイワモトIT秘書、パウンド学会帰りの鵜野先生も途中から登場。

繰り返しシャンペンで乾杯。

ウッキーが「100%酩酊」状態となり、「邪道七段」の実力を遺憾なく発揮する。

ウチダはくーとおいちゃんを相手にして、例によって「恋愛と結婚」について長広舌をふるう。(私の話はだいたい「男なんて、みんな同じである」という説教と、「男のよしあしを見分けることが死活的に重要である」という説教を一年おきに繰り返すことになっている。この二人はもう数年まいど同じ「違う」話を聞いているので、免疫ができているが、うっかりどちらかだけ聴いて納得してしまった学生は不幸な末路をたどることになるであろう)。

5時から始まった宴会は深更にいたってまだ終わらない。結局、一年生たちはウッキー宅へ、せとっち、すみっちの「加古川組」はウチダ宅に沈没することになる。

長く愉快な一日でありました。

みなさんおつかれさまでした。来年も愉しく演武会ができるとよいね。

 

翌朝、アナーキーな状態にある台所を掃除していると「うどん」(これはフジタさんのおみやげと判明)、「コメと梅干しと海苔」(これは鵜野先生のおみやげと判明)、各種のケーキ、もなかなどがざくざくと出てくる。

「一人一品持ち寄り」宴会の問題点は、人々が「自分の持ち寄る一品」を宴会参加者にゆきわたるべくご用意される傾向にある、ということである。

いきおい、この宴会では「10人分のカレー」「15人分のコロッケ」「20人分のミートパイ」というようなものが食卓を埋め尽くすことになり、7時間食べ続けてもこれを一掃することが不可能となってしまったのである。

考えてもおわかりになるであろうが、全員が「自分が食べるだけの量」を持ち寄ってくれれば、その総和をもって頭数には「足りる」のである。

せっかく食材を持ってきたのに、食膳に供する機会を逸する人がでないように、次の宴会「納会」には「一人一品」の「一品」の量には十分なご配慮を頂くようにお願いしておきたい。

うどんとお米などはウチダ家の食材としてありがたく私物化させていただきました。ごちそうさま!