話は分かったみなまで言うな -Je te comprends bien; il n'y a pas a raconter en detail: depuis janvier 2004



1月31日

前期入試が終わったところで、私大の志願状況がだいたい分かってきた。

まだメディアでは報道されていないが、「すごいこと」になっている。

03年度には私学の3割近くが定員割れを起こしているが、間違いなく04年度はそれがさらに加速することになるだろう。

それは「市場から退場」せざるを得ない大学の名前がはっきりするということだ。

こういう場合の情報開示は遂行的なものである。「危ない大学」というラベルを貼られると、来年の受験生はその大学をいっそう敬遠するようになるから、アナウンスメントは中立的なものではありえない。それはほとんど暴力的な情報開示である。

しかし、それでも情報は開示されなければならない。

 

手元の私学志願者速報は29日段階の数値で、まだ後期入試をほとんどの大学が残しており、志願者総数はそれですこし底上げされるだろうが、そこに「前年度並み」数値を入れて計算しても、それでも「すごいこと」に変わりはない。

18歳人口は前年比5%減である。自然減の95%がベースになる。そこからさらにこのあと加算される後期入試志願者分を考慮すると、今の段階で前年比90%程度であれば、「前年並み」ということになる。

しかし、「前年並み」という大学はほとんど存在しない。

一握りの私学がなんとか平年並みを維持し、残りは惨憺たるありさまである。

私が見た中でいちばん破滅的な数値は前年比24.5%(大阪薬科大)

大阪学院大(30.4%)、京都嵯峨芸術大学(31.5%)、大阪商業大(48.3%)、帝塚山大(53.5%)、大阪産業大(56.0%)、京都精華大(57.2%)、などもかなり厳しい数字である。

それでも数値を公開しているだけ良心的である。志願者数を公開していない大学も少なくないのである。

関西の私学名門校である関西学院、関西、立命館、同志社の四大学はそれぞれ前年比が81.4%、77.0%、91.4%、91.1%

立命館と同志社はおそらく「前年並み」をキープできるだろう。関西学院、関大は厳しい。

 

阪神間の四年生女子大は二極分化が進行した。

武庫川女子大(93.8%)と本学(101.9%)をのぞくと前年並みを確保できる大学はなさそうである。

神戸親和女子大(78.6%)、甲南女子大(60.3%)、神戸松蔭女子学院(60.9%)などは危険水域に入っている。

本学の競合校である京都女子大は95.3%、同志社女子大は99.4% 

つまり関西の女子大では、京都女子大、同志社女子大、武庫川女子大、そして本学の四校がさしあたり「サバイバルゲーム」の「勝ち残り」として市場に選ばれた、というふうにこのデータは読むことができる。

 

戦後日本の社会システムの多くはすでに制度疲労の限界に達している。

政治システムも官僚システムも金融も地方自治もマスメディアも、もちろん教育もそうだ。

大学教育システムは「このままでは破綻する」ということがもう15年前から分かっていた。

しかし、そのために何かしなければならないということに学内合意を得て、主体的に実行した大学は非常に少なかった。

当り前だけれど、そのときトップにいる人間というのはあと数年で停年退職する教職員である。

彼らの在任期間中にはまだ問題は前景化しない。

うかつに新しいプロジェクトを立てると、学内に波風が立つし、リスクも高い。

そんなリスクを取るよりは、何もしないで停年を迎え、満額の退職金をもらって、次のトップに問題を先送りする方が、彼らからしてみれば合理的である。

日本の経営者の非常に多くがそのような「合理的な考え」方をしてきた。

その「合理的思考」の結果、たくさんの金融機関が破綻し、無数の企業が倒産した。

同じことが大学についても起こる、というだけのことである。

 

繰り返し言うように、18歳人口は1992年から2011年までに40%減る。

それは40%の大学は市場から退場しなければならないということを意味している。

ほんとうなら、すべての大学が40%ずつシュリンクする、というのがいちばん合理的な解決なのだが、そういうことにはならない。

はっきりと二極分化が起こり、「消える大学」と「残る大学」が非情に選別される。

どこが「消える」のかは今年の数値からほぼ予測がつく。気の毒だけれど、世の中というのはそういうものである。

大学もようやく「世間並み」になるというだけのことである。

これから先多くの大学区の教職員が職を失って路頭に迷うことになる。

そのような運命に彼らを導いたのは、「合理的な思考」をして「逃げ切り」に成功した過去15年間の大学経営のトップたちである。そのことだけは覚えておいた方がいい。

その人々の責任はいまさら問いようがない。

私たちにできるのは、「合理的な思考をする人間」はしばしば彼が得たベネフィットの数十倍数百倍のコストを後代に残すという経験則を骨身にしみて味わうことだ。

自分の今のベネフィットをキープすることよりも、後代がかかえこむコストを削減し、リスクを最小化するために「今から」努力を始めることの方が、長いスパンではより「合理的」である。だから、まだ努力する時間的余裕があるうちに、ただちに「後代のための努力」を始めなければならない。

そういうふうに発想を切り換えることができた大学だけがこのさき生き残れる。

まだサバイバルゲームは始まったばかりである。


1月30日

いま評判の酒井順子『負け犬の遠吠え』を読む。

たいへん面白い。

じつに「クール」である。

「クール」というのは、ウチダ的定義によれば、自分の立ち位置をかなり「上空」から見下ろせる知性のあり方である。

これまで女性の論客には「ホット」な方が多かった。

それは「女であること」の被害者的・被抑圧者的な位置を動かず、そこから発言するという戦略上の要請のしからしむるところであったのだから、しかたがない。

しかたがないけれど、同じ位置にずっと腰を据えて、同じ定型的な言葉づかいでしゃべっていられると、聞く方はだんだん飽きてくる。

フェミニズムはすでにその思想史的使命を終えつつあると私は思うが、それは別にフェミニズムの理論的瑕疵が満天下に明らかになったからでも、フェミニズムの歴史的過誤が異論の余地なく証明されたからでもなく、「そういう言葉づかいで社会と自分の関係を説明するしかた」にみんなが飽きてしまったからである。

気の毒だがそういうものである。

同様に、私の頻用する「大人になれば分かる」とか「経験的にそうなんだから仕方がない」というような語法も、いまは多少の物珍しさもあって通用しているが、いずれ飽きられて弊履のごとく棄てられることはまぬかれない。

そういうものなんだか仕方がない。

文句を言っても始まらない。

 

ともかく、酒井さんは現代女性を論じる新しい立ち位置を発見した。

それは誰にも肩入れしないし、誰をも仮想敵に想定しないし、自己正当化も(ちょっとはするけれど)控えめな、少し「遠距離」から現代女性をみつめるまなざしである。

このまなざしは「好奇心」にあふれている。

未知の事象を定型に回収して、「しょせんは***にすぎない」というふうに決めつけて終わりにするより、不思議がったり、驚いたり、ああでもないこうでもないと思案したりすることの方が「楽しい」、だから「楽しいことをする」というリラックスした構えが一貫している。

私が感心したのは、「30代、未婚、子ナシ」の「負け犬」に対置するに、「既婚、子アリ」の「勝ち犬」をもってしたことである。

この用語の選択には(本には書かれていないけれど)深い含意がある。

メディアは「負け犬」「勝ち犬」という区別に着目して、「勝ち負け」関係に論点を絞っているが、酒井さんのオリジナリティはここにあえて「犬」という貶下的な名詞を配したことにあるとウチダは思う。

勝とうが負けようが、年齢だとか既婚未婚だとか子どもがいるいないで人間の価値を判定できると思っているひとは、「人間」ではなく「犬」だ、そう酒井さんは言い放っているのである(言ってないけど、私にはそう読めた)。

これは実に過激なご発言である(言ってないけど)。

 

ここで採用されている「負け犬」と「勝ち犬」の二分法は一時期はやった「勝ち組」と「負け組」の二分法に本質的なところで通じている。

以前、平川くんがきっぱりと言い切っていたように「『勝ち組になりたい』とか『負け組にはなりたくない』というようなワーディングでビジネスを語る人間とはビジネスをやらない。だって使い物にならないから」というのが「大人の常識」というものである。

まして結婚や育児はどう考えても「勝ち負け」という枠組みで論じられるべきものではない。

「結婚したら勝ち」とか「子どもができたら勝ち」というような判定にはどのような実定的根拠もない。

私が知る限り、偕老同穴のちぎりを守って、夫に変わらぬ敬意と愛情を抱いている妻などというものはもうほとんど「絶滅寸前種」であり、既婚者の5%にも満たないであろう。

95%の妻は夫に飽きているか失望しているか憎んでいるか忘れているかのいずれかである。

育児も同様。

妊娠は苦しく、出産は痛く(いずれもしたことがないから想像であるが)、育児は苦役である。

子どもはびいびい泣きわめき、うんこしっこを垂れ流し、ごみを拾い食いし、風呂でおぼれ、どぶにはまり、猫を囓り、縁側から転げ落ちる。

そのようなものに24時間拘束されることのどこが「勝ち」なのか。

育児とは、はっきり言って「エンドレスの不快」である。

育児を「幸福な経験」であると断言できるのは、その方がこの「エンドレスの不快」を「エンドレスの愉悦」と読み替えるという詐術に成功したからであって、育児行為そのもののうちに万人が実感できる「愉悦」などは存在しない。

 

「勝ち負け」という区分は何の実定的基礎づけもない幻想である。

しかし、実定的基礎づけのない幻想であることは幻想が社会的に機能することを少しも妨げない。

幻想はきちんと幻想を再生産するからである。

この「勝ち負け」幻想は「私よりいい思いをしている人がいる」という幻想を再生産する。

「いい思いをしている人の仲間に私が入れないのは、○○のせいである」(○○には「トラウマ」「権力」「抑圧」「私の真価を理解できない人々」「私に不釣り合いなパートナー」「あふれる知性」「豊かな教養」などなど好きな言葉を入れてよい)

自分の現在の「不幸」を他罰的な文脈で説明してしまう思考、それが「勝ち負け」幻想が再生産し続けるものである。

そして、この「ここより他の場所」「ここより他の時間」に、「ここにいる私とは別の私」があり、そこにたどりつくことを「外部にある何ものか」が妨害しているという話形で自己規定する人々のことを酒井さんはおそらく「犬」と呼んだのである(私ならもう少し控えめに「子ども」と呼ぶが)。

子どもはまだ「人間」ではない。

「人間(Mensch)になれ」というのは、ビリー・ワイルダーの『アパートの鍵貸します』で主人公のジャック・レモンの隣人のユダヤ人の医師が、都会的で享楽的な生活のなかでぐずぐずと壊れてゆく主人公に対して告げることばである。

「人間になれ」

『負け犬の遠吠え』が読者に暗に告げているのはそのことばのようにウチダには思えた。


1月29日

学歴詐称の古賀代議士がすさまじいバッシングに遭っている。

朝日新聞は朝刊の天声人語でも夕刊のコラムでも社説でも学歴詐称をなじっている。

しかし、そんなにたいしたことなんだろうか?

市民として許せないと青筋立てるほどの大罪なのであろうか?

経歴詐称、とくに学歴詐称というのは、この社会ではほとんど日常的に行われている。

当たり前すぎて、メディアが報じないだけである。

 

教育機関・資格認定機関に対して学歴を偽ることはできない。企業や官庁の新卒採用の場合でも学歴を偽ることはできない。

しかしその二つ以外のほとんどすべての機会において学歴詐称は可能である。

そして、現に実に多くの人間が学歴を詐称して暮らしている。

 

日本の大学は入学時の偏差値によって序列化されており、そこで何を学んだかということはまじめには問われない。

だから、私たちの社会では、「東大中退」の人間が、なにげなく「あ、大学はいちおう東大です」というふうに自己紹介することに本人も別に疚しさを感じないし、あとで中退ということが分かっても、それによって社会的評価が一変するということも起こらない。

しかし、中退者が「あ、大学はいちおう東大です」と言明することは、厳密に言えば、学歴詐称である。

「入った大学」と「出た大学」の境界線がこんなふうにグレーであるがゆえに、「受験した大学」や「入学したかった大学」もなんとなく、「あ、いちおうワセダ(を受けました/に入学できるくらいの偏差値はあったんですけど)です・・」というふうにぽろりと口に出る、ということが起こってしまうのである。

そして、「まあ、今日会ってそのまま分かれてしまうゆきずり相手だし、ばれるわけないよな・・・」というようなどうでもいい局面で一度学歴詐称した人間は、あまりの学歴詐称の簡単さに一驚を喫することになる。

「おいおいなんだよ、学歴って言いたい放題なのか?」

そして、これが「癖になる」のである。

コンビニやビデオ屋でバイトするときに、「卒業証明書と成績証明の提出」を求められるようなことはない。社員を途中採用で取る中小企業でも、まず履歴書の記載を裏付ける文書を要求することはない。

学歴詐称が行われても、特段の実害がないからだ。

「あれ、ヤマダくんて、ワセダなの?」

「おう、でも、大学にはぜんぜん行かないでバンドばっかやってたけどな・・」

「へえ、ワセダなんだ。ふうん。頭いいんだ」

「あのさ、エミちゃん、こんどいっしょに飲み行かない?」

的な展開になると「たいへんに困る」というひとはヤマダとエミちゃんの周囲にはとりあえずいない。

エミちゃんがそのうちヤマダを家に連れて行って、母親に

「ね、こちらヤマダくん。ちょっとカルっぽいけど、ワセダなんだよお」

というようなことになるとヤマダももう引っ込みがつかないのであり、場合によってはそのまま結婚式で仲人の「新郎のヤマダくんはワセダ大学を優秀な成績で卒業され・・・」という紹介に頬を赤らめつつ聴き入るというようなことも人生には少なくないのである。

そんなふうにして、

「まあ、入ろうと思えば入れないこともなかった大学なんだから、『入った』といって過言でないよな」

というような言い訳を自分に向けて繰り返しているうちに、まことに不思議なことであるが、本人も自分の嘘を信じ始めてしまうのである。

そんなふうにして学歴詐称してきた人間はこの世に多い。

みなさんが想像している数十倍いるとお考え頂いて大きくは逸すまい。

あなたがつきあっている彼氏がもしあなたを実家の「おかん」に会わせようとせず、「オレのことはボビーって呼んでくれ」というようなことを口走る男であれば、彼が口にする学歴はまず90%の確率で詐称と考えて間違いない。

 

どうしてこんなに学歴詐称が多いのか。

理由は意外なことに、学歴詐称は「手間さえ惜しまなければ、誰にでも真偽が判定できる」からである。

大学の学生課か教務課に電話をすれば、(面倒がられるであろうが)必ず真偽は判明する。

そしてここに人間の陥りやすい思いこみがあるのだが、そうであるがゆえに「電話一本で調べがつくことについて、嘘をつくはずがない」という推論をしてしまうのである。

 

そしてもうひとつ。

私たちの社会では、自分の出た大学についてぺらぺらと自慢話をする人間より、自分の出た大学については大学名を言うだけで、そこで何をしたのかについては「いやあ、べつに・・」とその話題を切り上げたがる人間の方に「好感を覚える」傾向がある。

学歴詐称者に共通するのは、そこで過ごした大学生活やそこで得た知識や技能について詳細を語りたがらないということである(当たり前だね)。しかし、これは大学が一流校であればあるほどむしろ「謙遜」の徴として理解される。

「ヤマダってUCLAらしいけど、英語できますって顔してないよね」

「そうそう、このあいだも外人の客来たときも店長におっつけて自分はモップで床掃除してたし」

「ヤマダのそーゆーとこ好きだぜ、オレは」

というふうに逆効果を呼んでしまうのである。

 

そのようなさまざまな要因の複合効果として、日本社会では非常に多くの男性が、その事実を上司にも同僚にも妻にも子にも知られぬまま、学歴詐称をして暮らしている。

しかし、私には彼らを責めようとは思わない。

「入ろうと思えば入れないこともなかった大学なんだから、『入った』といって過言でないよな」というエクスキュースに私もまたなんとなくうなずいてしまうからである。

たしかにそうだよなと思う。

学歴なんか「その程度のもの」という扱いでよろしいのではないか。

ひとびとは人間ひとりひとりの知見や技量を自力ではかる自信がないから、学歴を参照しようとする。

だが、本当のところを言えば、相手の人品骨柄を鑑定するとき、学歴なんか情報としてほとんど無価値なのである。

だから、学歴なんかどうだっていいじゃないかと私は思う。

朝日新聞の逆上ぶりを見て思うのは、「ああ、この記事を書いているひとたちって、自分の学歴をすごく重く見ているんだろうな」ということである。

この学歴がなかったら、今の地位にはたどりつけなかったと信じているからこそ、他人の学歴詐称を「権利侵害」みたいに感じるんだろうなと思ってしまうのである。

 

古賀代議士ははやく議員辞職した方がいいと私も思う。

でも、それは「学歴のような貴重な情報を私利私欲で汚した」からではない。

学歴のようなどうでもいい情報を「貴重な情報」だと信じ込んで学歴詐称したからである。これほど識見の低い人間に国政を委ねることに私は不安を覚える。

 

学歴偏重者と学歴詐称者はいずれも「学歴によって人間は判定される」という信憑において「精神の双生児」である。

そして、私はこの双生児のそっくりな顔つきをみるたび、なんだかげんなりした気分になるのである。


1月28日

引っ越しが決まったら、とたんに忙しい。

芦屋市役所に住民票を取りに行き、石井内科で定期検診、薬局で処方箋で薬を出してもらってから、銀行に自動引き落としの口座を開き、灘区役所に納税証明を取りに行き、ラポルテのパーキングの場所を決めてから、契約をすませ、その帰りに床屋に寄る。

爆睡。

帰ってからレヴィナスの翻訳の続き。

長大なローゼンツヴァイク論の途中まで。20年前に訳したときは、いったいレヴィナス先生が何を言いたいのかまったく分からなかった。

今はびしびしと骨身にしみる。

「愛を命じることは可能である。だが、愛を命じるのは愛である。」

こういうフレーズを読むと「お、お師匠さま・・・」とざわざわと鳥肌が立ってくる。

ざわざわしながら3時間で6頁訳す。

あと120頁。

このペースでじゃんじゃん訳してゆけば、春休み中には予定通り仕上がりそうである。

『困難な自由』が仕上がったときの安堵感は自分の本を書き上げたときの達成感とは比較にならぬであろう。

その日が愉しみである。

 

石井先生に「もっと痩せなさい」と注意される。

血圧も中性脂肪も痛風も、すべて肥満を解消すれば快癒しますと宣告される。

石井先生は「痩躯鶴のごとき」お方であるから、「巨躯天を衝く」三宅先生に言われるのとは違う意味で迫力がある。

よおし、痩せるぞ(と自分にかけ声をかけるのも何度目か・・・)

しかし、時分どきになるとおなかが「くうくう」と鳴り出す。

ううううう。腹減った。

Re-set の橘さんに教わった「野菜スープ減量法」に挑むことにする。

とかいいながら、「野菜だけじゃ、味しないしなあ・・・」などと言い訳しつつ、ベーコンや鶏肉を入れてしまう意志の弱いウチダなのであった。

 

『薬の知識』という業界紙から対談のオッファーがくる。

お相手は養老孟司先生。

『唯脳論』以来の養老ファンであるウチダとしては、ちょっとどきどきである。

池上先生、名越先生、三砂先生・・・と「医学系」の偉大な方々との対談仕事がぱたぱたと続いている。

「来だすと続くの法則」というものがあって、こういうのはなぜか続くものなのである。


1月27日

引っ越しが決まると、なんだかこの家が急に「いとおしく」なる。

騒音くらいのことでせっかくなじんだこの場を棄てるというのが、急に「申し訳ない」という気になるのが不思議である。

「ごめんね、君がキライになったわけじゃないんだよ」とフローリングをすりすりする。

 

午後はレヴィナスの翻訳。

ローゼンツヴァイクについての長い評伝をこりこりと訳す。

20年前には気がつかなかったけれど、レヴィナスという人は「死者に捧げるテクスト」を実にたくさん書いている。「ジャコブ・ゴルダン」もこの「ローゼンツヴァイク」もそうだ。

「全体性」という鍵概念は、この文脈でははっきりと「死者について語ることのできない語法」という定義を与えられている。

「全体性は死にいかなる意味を与えることもない。ひとりひとりはその固有の死を死ぬからだ。死は還元不能である。だから、還元する哲学から経験へ、還元不能なものへ立ち返らなければならない」(『困難な自由』262頁)

レヴィナスが選んだのは、死者「について」ではなく、死者「に代わって/死者のために」語る語法だった。

それをレヴィナスに強いたのはおそらく「生き残ったもの」の疚しさの感覚である。

ある人は死に、ある人は生き残る。その選別の基準を生き残ったものは知らない。

だから生き残ったものは「自分が生き残った理由」を「事後的に」構築してゆかなければならない。

死者にはできなくて、生者だけにできることは論理的には一つしかない。

「死者を弔うこと」である。

それは死を公的に認知したり、世界内部的な「出来事」に登録することではない。

そうではなくて、その死がどのような公的認知にもなじまず、どのような世界内部的な出来事にも同定できない、誰にも代替できず追体験できない唯一無二のものだと証言することである。

これはむずかしい仕事だ。

というのは、「どのような公的認知にもなじまず、どのような世界内部的な出来事にも同定できない、誰にも代替できず追体験できない唯一無二のものだと証言すること」が全体性の内部で「政治的に正しいふるまい」として認知されたとたんに、それはやはり死を既知に還元することになるからである。

『暴力と形而上学』でデリダがレヴィナスを「経験主義者」として論難したのは、このあたりの「ワキの甘さ」を衝いたのかもしれない。

でも、そういうふうにレヴィナスの試みを「既知に還元する」ことでデリダは得たものとは別のものを失ったような気もする。

「死者に代わって/死者のために」証言する人は必ず「受難」するということをレヴィナスはあえて書き落としたからである。

このレヴィナスの考想が『異邦人』でムルソーが母の死について語った言葉とは深いところで通じている。

「死者に代わって/死者のために」証言する人はその「報い」を受ける。

それは死者を襲ったものと同じ「不条理な暴力」をその身に引き受けるというかたちで訪れる。

レヴィナスはその「報い」を「義人の受難」という話形に改鋳することで、『異邦人』とは別の仕方で、なんとしてでも倫理性をこの世界に立ち上げようとしたのである。

なんという論理の隘路を老師はたどったのであろうか。

『困難な自由』の一行一行を訳すたびに、あらためてレヴィナス老師の偉大さに恐懼するウチダなのであった。

私はそんなことをぜんぜん分からないままに「あー、ぜんぜんわっかんねーよ。もうすこしわかるように書いてくんねーかな、このおっさんはよ」と悪態をつきながら20年前にこのテクストを訳していたのである。

お師匠さまー、ごめんなさーい(泣)。


1月26日

フランス語の試験をやって採点。あとはレポートを読んで、成績をつけて、それで後期はおしまいである。

今週のなかばから入試が始まる。

04年度入試の出願状況がわかった。

数字は悪くない。

全体では前年比124.5%。

ただし、これはF日程というのを新設して、試験回数が一回増えその累計の数字だから、受験者実数は前年と変わらない。(同じ人がF日程、A日程の二回受験したら「ふたり」と数えるからである)

それでも二回受験する人というのは「ぜひ神戸女学院に入学したい」というロイヤルティの高い人であるから、動機づけが強いので、入学後もよく勉強するし、クラブ活動なども元気にやってくれる。

こういう人がふえるのはうれしい。

総合文化学科は前年比なんと147.6%。

うちの学科だけが突出して志願者がふえている。

どうしてなのかよく理由が分からない。

「総文叢書」を出したり、シンポジウムをやったり、いろいろ積極的な活動をしていることが高校生にまで伝わっているとはちょっと考えにくいけれど、進路指導の先生たちのあいだに「総文は面白そうだよ」という印象がひろまりつつあるのかも知れない。

ともかく18歳人口が前年比5%減の中でこの数字は「大健闘」である。

 

うちのマンションの真ん前でマンションの建設工事が始まった。

もともと駐車場があったところで、うちの南側にひろびろと空き地があって、たいへん洗濯ものの乾きがよかった。

ところが、地主さんが破産したとかでそこが転売され、いきなり5階建てのマンションが建つことになったのである。

「いきなり」建ってくれるのであれば、こちらも日当たりが悪くなるくらいのことは我慢してもよいが、なんと建設工事に一年かかるというのである。

来年の1月まで一年間私の書斎の窓のすぐ前でぐわんぐわん建築工事をするというのである。

堪忍してほしい。

工事は午前9時から午後6時まで、というけれど、それはもろに私が書斎で仕事をしている時間である。

「どのような家に住むのかを判断するのは高度な身体感受性の証明である」などと豪語してきたが、さすがの私も「向かいの土地の大家さんの経済状態」までは把握できなかったのである。

しかたがないので、また引っ越しすることにする。

まだ1年住んでないのであるが、騒音とほこりに耐えてこのあと一年間過ごすことで蓄積するストレスを考えると、多少の出費は惜しむわけにはゆかない。

とりあえず静かに思索に没頭でき、快適に仕事ができる環境を整えることが、この商売では何よりも優先される。

さいわい、芦屋川沿いのマンションにいくつか空き室があるようなので、今日これから調査にでかけることにする。

春休み中にさっさと引っ越してしまうつもりである。

今年届いた年賀状の半数くらいは前の神戸市御影の住所あてのものが転送されてきた。今年の年賀状に「芦屋にひっこしました。住所録をご訂正ください」と書いたばかりであるが、またまた「ご訂正」を願わなくてはならない。

「ウチダはいったい何回引っ越しすれば気が済むのか!」とさぞやご憤慨の方もおありだろうが、私のせいじゃないもん。

 

と、書いた後にふらりと立ち上がって家探しに出かける。

今回の条件は「JR芦屋駅から平地を歩いて5分以内(これは母上からの絶対条件である)」「3LDK」「駐車場付き」「日当たり良好」「騒音なし」である。

さっそくいつものリージョンに行く。ここの営業の女性は女学院の卒業生なのでたいへんフレンドリーな応接をしてくれるのである。

候補物件を二つに絞って部屋を見に行き、大原町の物件に即決。

駅前のラポルテ東棟の5階。

コープとセイデンとモスバとミスドとジュンク堂が同じ建物の中にある(ないのはTSUTAYAだけ)という立地条件である。

JR芦屋駅から雨が降っても濡れずに家まで帰れる。

家賃はいまのところよりだいぶ高くなるけれど、ま、何とかなるでしょ。

ああ、また引っ越しか・・・めんどくさいよう。

結局、業平町にいたのは359日ということになる。

これは震災直後に仮住まいした武庫之荘に次ぐ「一カ所滞在期間」の最短記録である。

ちなみにウチダの引っ越し歴を書き出すと・・・

下丸子→小田急相模原→駒場寮→野沢→御茶ノ水→平間→自由が丘→九品仏→自由が丘→尾山台→上野毛→山手町→武庫之荘→山手町→御影→業平町→大原町

と17歳から数えて今回が16回目の引っ越しである。

通算で平均3.3年。20歳以後だけだと平均2年4ヶ月になる。

「趣味:引っ越し」と履歴書に書いてもいいくらいだな、これは。

 

前回、御影から芦屋に移るときに、ずいぶんものを棄てた。マンションの収納スペースが狭くて、荷物が入らなかったのである。

おかげで、今の家には机と椅子とベッドと本棚くらいしか家具らしいものはない。

あとは本とCDとDVDと衣類だけ。

新居はここよりかなり広くなるし、収納スペースもあるので、さらに「がらん」とした風情になるはずである。

そこで大丸百貨店の社員食堂でごはんを食べるOLをぼおっと眺めながら、こりこりと原稿を書くのである。

今度の引っ越しは2月11日(休日)の予定。

お手伝い下さる方は大歓迎。昼飯付き・宴会付きです!


1月23日

久しぶりの休日。

ビル・エヴァンスを聞きながら、のんびり朝ご飯を食べてから洗濯。

メール(30通!)にご返事を書いてから、合気道のお稽古にでかける。

ひさしぶりのお稽古なので、たくさん来ている。

身体を精密に使って、技の「冴え」を出すという多田先生の先回の研修会での教えをいろいろと工夫してみる。

剣の術理で体術を説明するということの意味が、稽古のあとにPちゃんと話しているうちに、ふとに腑に落ちる。

剣や杖を使うというのは、便利な道具を手の延長に持つ、ということではない。

剣や杖は「じゃま」なものである。

これは使ってみれば分かる。すごくじゃまくさい。

剣を使うためには、極端に言えば、手の関節を「もう一つ増やす」ような身体の使い方が必要になる。

剣を操るのは、おそらくそのような身体分節の緻密化の、剣が導入になるからではないのか、と考える。

光岡英稔先生が以前「ボクシングというのは拳を握っている分だけ、動きに制約がありますね」と漏らしていたの思い出した。

たしかにそうだ。

拳を握って腕を動かす場合と、指を伸ばして腕を動かす場合では、可動領域も動きの質も変わる。

わずか5センチばかりの長さの指を使うか使わないかという条件づけの違いで、肘も肩も首も背中も腰も、あらゆる部位の分節の仕方が変わる。

拳を握る方が使える関節の数が少なくなり、できる運動の種類が減るのである。

ボクシングの場合は、その分だけ動きの「速さ」や「強さ」という定量的な身体能力の査定が容易になり、だから「試合」や「判定」が成立するのかも知れない。

本田秀伸さんの見せたような「芸術的なディフェンス」がボクシングでは評価の対象にならないのはそのせいだろう。

本田さんはおそらく「ジャッジが見切れない」ような質の動きをしていたのである。

剣や杖を使うというのは、その逆の条件づけである。

使える関節を増やし、できる運動の種類を多くしないと、剣や杖は使えない。

だから「体術は剣の術理である」ということばを、「剣の術理」というものがまずあって、それを体術に「応用する」というふうに理解してはならない。

身体システムを変えないと剣は使えない。だから「剣が使える身体」というのは、体術的に一段階高い身体システムになっているということである。

剣を稽古するのは「剣が使える身体」になることそのものが最終の目的なのではない。

「剣が使える身体」は剣よりさらにもう一段条件づけのきびしい「何か」を使うための稽古の出発点になるからである。

無限に身体を緻密化し、同時に無限に身体の可動領域を拡大してゆくこの双方向のプロセスのうちに、人間存在を位置づけるという点におそらく武道の卓越性は存するのではないか。

というようなことを寒風の中バイクで家に帰る道筋考える。

 

文化資本について書いたら、若いひとたちからいろいろとメッセージを頂いた。

だいたいどなたも同じご意見で「文化資本の偏在による階層化社会」の到来は好ましくない、個人の努力がそのまま社会的な評価につながるような「民主的な社会」が望ましい、というご意見であった。

うれしいことである。

それで、よろしいのである。

そのようなメッセージを寄せてくれたのはいずれも「教養」においても「学歴」においても「人脈」においてもかなり恵まれた立場にいる若者たちである。

ごらんのとおり、自らが文化資本において優位にありながら(あるいはあるがゆえに)文化資本による社会の階層化に反対する、というところに「文化資本の逆説」は存するのである

それは美人が「顔がきれいということだけで私を判断してほしくない」と望み、大富豪が「金を欲しがって私の周りに集まってくる人間を見ると反吐が出る」と愚痴るのと構造的に似ている。

文化資本を潤沢に享受している人は、それを独占して、その多寡によって社会を階層化し、文化資本を持たない人間を見下すというようなことを構造的に禁じられている(そういう「さもしいまね」をしたくても「教養が邪魔をする」からである)。

文化資本はそういう意味で両義的なものである。

「社会上層にのしあがるための道具として教養を身につける」というようなふるまいはすでにして「非文化的」である、と私は書いた。

このような発想をする人間は、はじめから教養を「道具」としてしか考えていない。

彼が求めているのは「経済資本」や「権力」や「情報」や、総じて、世界内部的にいますでに「値札がついている」ものであり、文化資本はそれにいたるための技術的迂回にすぎない。

文化的なものそのものに彼は別に愛情も敬意もいだいてはいない。

しかし、そのように「踏み台」として文化資本を利用しようとするものは、決してほんとうに文化的な財を享受することはできないであろうし、文化資本を身体化した人間だけが発することのできる「オーラ」を放つこともないであろう。

そういう人間からは結局「俗物のにおい」しかしないからだ。

「文化資本の偏在によって階層化される社会」というのはだからそれ自体パラドックスなのである。

だって、そうでしょ。

「文化資本の偏在によって階層化される社会」というが出現したとすればそれは、要するに「アリヴィスト」たちが繁昌する社会である。

ところが「権力、財貨、情報にむらがる亡者たち」というものほど「文化」と無縁なものはない。

そこで「文化」と呼ばれて流通する財貨はもう本来的な定義からして「文化的」とは呼びがたいものとなる他ない。

そういうふうにして、「文化資本の偏在によって階層化される社会」もまた、またたくうちに諸行無常盛者必衰の理に呑み込まれてゆくのである・・・

結局、何を資本にしても社会はひとつところにとどまらないという点では変わらないのである。

 

繰り返し申し上げているとおり、私は社会が階層化されることを望まない。

権力も財貨も名誉も地位も情報も私はべつに欲しくない。

しかし、それはあくまで私の個人的事情であるから、それをみなさんに強要するわけにはゆかない。

「社会が文化資本を基準に階層化されるのなら、それを利用して社会的上昇を果たしたい」というお考えを持つ方には「どうぞ、がんばってね」とは申し上げるほかない。

けれども、正直申し上げて、私はその動機に共感しているわけではない。

私が「がんばってね」と言うのは、その政治的帰結に興味があるからである。

だって、そうでしょ。

文化が「資本」になる聞くと、目端の利いたガキは「おっとこれからは教養で勝負だぜ」と算盤をはじく。「これからは読書量が出世のカギらしい」と聞かされれば、『世界文学全集』の読破を企て、ぐいぐい読み進む。ぐいぐい読み進むうちに、うっかりサドとかニーチェとかバタイユとかを読み出して、気がついたら出世なんかどうでもよくなってしまった・・・というような逆説は文化資本主義ならではの味わいである。

文化資本へのアクセスは、「文化を資本として利用しようとする発想そのもの」を懐疑させる

必ずそうなる。

そうでなければ、それはそもそも「文化」と呼ぶに値しない代物である。

私が「日本は文化資本の偏在によって階層化されるであろう」というようなアナウンスをするのは、このアナウンスに驚いてひとびとが文化資本の獲得にわれさきに雪崩打てば、(私の提唱する「一億総プチ文化資本家」構想とはそのようなものである)結果的に階層社会の出現を先送りできると信じるからである。

ややこしい戦略で申し訳ない。

若い人にはお分かりになりにくい理路であろうが、世の中そういうものなのである。

長く生きているとみなさんもいずれ分かります。

 

高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』の「解説」をようやく書き終わり、メールで講談社に送る。

ほっと一息。

寒いのでポトフを作る。

ワインを飲み、ポトフを啜り、チーズを囓る。

暖かい。

コッポラの『地獄の黙示録・完全版』をTSUTAYAから借りてきたので寝ころんで見る。

若き日のマーチン・シーンは、チャリ坊よりずっとかっこいい。

びっくりしたのは、17歳のニキビ面の水兵さん(サングラスかけてストーンズの『サティスファクション』で長い手足をひょろひょろさせて踊っていた子)の歯並びの悪さが気になってじっと見ていたら、どこか見覚えがある。

IMBDで検索したら、やっぱりローレンス・フィッシュバーンだった。

ハリソン・フォードが出ていることは知っていたけれど、モーフィアスも出てたのね。

完全版は25年前の劇場公開版よりずっとストーリーが熟していて、出来がいい。どうして79年にこのヴァージョンを公開しなかったのか理解できない。映画史的な影響も、社会的な影響もまるで違ったものになっていただろうに。


1月22日

21日午後1時から千里中央で「特色ある大学教育支援プログラム(COL)」のフォーラムが開かれた。

難波江先生と私は大学からの業務命令で出席。

2時間のパネルディスカッションを拝聴したあと、重い足取りで帰途につく。

足取りが重いのは、「日本の大学はダメになった・・・」という包括諦念によるのではなく、「日本には、こんなにがんばっている大学があるんだ(それにくらべてうちは・・・)」という個別的衝撃によるのである。

以下はウチダが学長に提出した報告書の末尾に書き加えた個人的コメントである。

 

12月のセミナーに続いて、COL関連のパネルディスカッションに二度出席したが、本学の不採択が「必然的」なものであることがはっきり分かった、という点では有意義な経験だった。

中で繰り返し指摘されているように、「メディアの大学批判と、実際に先駆的に教育改革を実践している大学の実体のあいだには乖離がある」。

私たちは自分が知っている範囲の二三の大学の実例とメディアを信じて「どこの大学もたいしたことはやっていない」という多寡のくくり方をどこかでしていたのではないかと思う。

そのような(本学を含む)マジョリティの怠慢とは別のところで、やはり着々と教育改革の努力について、全学的なコンセンサスを達成し、持てる教育的リソースを傾注して、新しいプログラムに取り組み、すでに成果を挙げてきた大学が日本全体で100校ほど存在していた。

「私たちはすでに大きく差をつけられている」という情報そのものが私たち教員のあいだで共有されていないということがいちばん深刻な問題だと私は思う。

いま本学で企てられている教育改革は、単に志願者減に対症療法的に対応して、「こうすれば志願者がふえるのではないか?」というような功利的な意図が先行し、それを教育理念と「つじつま合わせ」をするというかたちで進行している。

きびしい言い方をすれば、教育改革の「目的」は堂々たる理念なのであるが、「目標」は「志願者確保」という経営的なレベルにはりついている。

もちろんどの大学も「生き残り」をかけて教育改革に取り組んでいることに変わりはないのであるが、それでも採択事例には「四年間で学生をどこまで伸ばすか」というはっきりとした成果目標と「夢」があるように思われた。

本学の少人数教育はたしかに教育条件としては好ましいものであるけれど、それが四年間でどのような教育成果を達成するためのものかその目標値と査定方法を示せ、という工学的な問いかけを受けた場合に、私たちは返答に窮してしまう。

今回は採択を査定した側の委員の採択基準をうかがって、私が感じたのは、この採択プロセスが決定的に「教育工学的」な方法論で貫かれているということである。私たちのWGには教育工学的な配慮がほとんどなかった。この方法論に適合するかたちで申請を行わない限り、本学が採択される可能性は今後ともきわめて低いと思われる。

 

難波江さんもきびしいコメントをつけていた。冒頭のパラグラフだけご紹介する。

本学が「文科省のプロジェクトに乗ってどうするのだ」などと議論している間に、COL実施委員会の目的にむけて、なすべきことをなしている大学は、学内でのコンセンサスを取りつけ、それを組織全体で実行に移して、着実に教育改革で成果を上げている。しかもそうした大学は、私たちの予想を越えて、はるかに数多く存在しているのである。

 

まいど同じタームを使って語るのは曲がないのであるが、これもやはり「差を付けられている側が、そのことに気づかないうちに進行している二極分解」の一つの事例というべきかも知れない。

 

げっそりして阪急梅田に出て、アルマーニのスーツを「やけ買い」する。

その足で朝日カルチャーセンターの講演「身体と記号」。

どういうわけだか、最前列に本田秀伸さんが三宅将喜くんといっしょに来ている。

本田さんはこのあいだの小島英次−アレクサンドル・ムニョス戦の前に小島さんのトレーナーをつとめていたのであるが、そのときに身体の微細な操作をどのように記号的に表象するか、というたいへんディープな問題に直面された。

ウチダの講演にご臨席されたのは「身体を割る・時間を割る」という身体操作についてのご自身の理論を練り上げる上で、何かの参考になるのでは、とお考えになったからなのである。

それにしても、プロボクシングの世界ランカーが聴きに来てくださるとは・・・ウチダの身体論を「机上の空論」と評していた知識人諸君はゼウスの雷撃に打たれるであろう。

あとは本田さんに世界チャンプになっていただいて、ウチダ本の腰巻きに「世界チャンピオンも読んでます!」という広告を打てる日がくるのを待つばかりである。

最初は疲れてよれよれだったのだが、話しているうちに調子が出てきて、なんとか1時間半をのりきって、無事着地。

来月の「身体と倫理性」につなぐ理路がかすかに見えてくる。

講演のあとは恒例のプチ宴会。

本田さんとまさきくん、福原先生、山崎先生、中村先生の「三軸自在・三宅軍団」とウッキー、こばやん(街レヴィ派)、ワルモノ白石、スーパー藤本の総勢10名。

いつものMUSICAでビールとパスタで打ち上げる。

本田さんの話がやたら面白くて、みんな聴き入る。

やはり「フィールド」にいる人の語ることは知見の奥行きが深い。

 

22日

朝一で下川先生のお稽古。

お稽古中に「不眠日記」のオガワくんから電話が入り、無事日文研の博士論文口頭試問はパスした由、ヨロコビの声が届く。

オガワくんがこれほど屈託のない「ヨロコビの声」をあげたのは何年ぶりのことか・・・

口頭試問のあとどっと発熱したそうである。

おそらくこれから発熱、下痢、発汗などによって大量の老廃物が出て、そのあと生まれ変わったようなつるつる人間に変身するのであろう。

「不眠日記」も来月からは「小川順子の爆睡日記」にタイトル変更できるかもしれない。

なにはともあれよかった。おめでとう。

 

その足で梅田阪急へ。昨日「やけ買い」したラコステのシャツのサイズが合わなかったのでサイズ交換をしてもらう。ついでに新年会用に紺足袋と風呂敷を買い、「家具バーゲン」をしていたので、緑のムートン(?)を買う。

リビングの椅子が一つ壊れてしまったので、椅子を買いたかったのであるが、あまり気に入ったのがなかったし、基本的に家具をふやすのは主義に反するので、買わずに帰る。当面は、キャンプ用のデッキチェア(¥5000)で用を弁ずることにする。

家にもどって「東京ファイティングキッズ」の続きを書いているうちに時間となり、寒風の中、三宮にでかける。

NTT出版の三島くんが神戸に来たので、Re-set にご案内する約束をしていたのである。

はらごしらえに元町の「香港飲茶」に行く。

寒い。

レストランの中までしんしんと冷えていて、注文した料理もすぐに冷たくなる。

でも、美味しい。

今日はいちおう「仕事の打ち合わせ」ということなので、すべてNTTの奢りである。先月私がNTTに払った電話代がざっと7000円ほどである(安いなあ)が、その分を二軒で回収することにする。

飲茶を頂きながら、二人で日本の出版事情について悲憤慷慨する。

問題なのは、書き手の側に読者への「愛」と「敬意」が決定的に欠落していることである。

「サルにも分かる・・・」というようなタイトルの入門書は、どれほどわかりやすく書かれていても、その出発点に読者を見下す視線を含んでいる。

読者はそれに敏感に反応して、「やだなー」と思う。

結果的に、「読者はバカなんですから、あいつらにも分かるように、うーんとわかりやすく書いて下さいよ、センセー」というようなノリの本がふえればふえるほど、読者はその本が発する瘴気を感知して、書店から遠ざかり、結果的にますます本離れが進行し、文化資本の偏在が顕在化するのである。

読者を書物に呼び戻そうと思ったら、まず最初に「啓蒙」(「蒙を啓く」とは「ものがみえない人間のまぶたをこじあける」という意味である)という発想を棄てることである。

読者を「蒙昧」と前提するところで、すでにここには敬意のかけらもない。

誰がそのような本を進んで読むだろうか。

必要なのは「愛」と「敬意」である。

読者に対する愛と敬意さえあれば、内容的にどれほど複雑怪奇なものであっても、読者は必ず手に取ってくれて、身銭を切って読み込んでくれる。

私はそう信じている。

読者への愛と敬意がなくなったのはポストモダン以降だね、という話をしてさまざまな固有名詞をあげて、

「あれはバカですよ」

「やっぱり、そうですか。ぼくも前からそうじゃないかなと思っていたんですよ」

「ははは、バカです、あれは」

というような聞き捨てならないことを寒風にまぎれて言い募る。

そのままRe-set へ。

寒いのでお客さんは私たちのほかに二人だけ。橘さんと三人でしんみりと「文化資本の偏在」について語り合う。

橘さんの世界でも、「まるで話の通じないビジネスマンとの『バカの壁』」がけっこう深刻な問題として前景化しているそうである。

カフェとかレストランとかを経営して、それによって「有名」になったり、「リッチ」になったりして「勝ち組」に登録されることを人生の目的に掲げて恬として恥じない30−40代の人がやたら増えてきたそうである。

お店をやるというのは、そういうことではないのですけどね・・・と橘さんは翳りのある横顔を見せながらグラスをゆっくりと磨いていた。

そこに江さんが登場。NTTのウチダ本は『ミーツ』の「続・街場の現代思想」の単行本化なのである。

両者名刺交換ののち、ビジネストークをまじえつつ、「大阪における都市の祟り」などについて語る。

 

そういえば、前回のホームページでの文化資本問題についてあちこちから問い合わせがあった。

その中の代表的なご質問と私の回答をここに再録させて頂くことにする。

なお、問い合わせてきた方のプライヴァシーを配慮して、ここでは名前はあえて伏せさせていただき「K錬会のK野くん」とするにとどめておきたい。

 

1月21日のweb日記を拝読させていただいてちょっとお伺いしたいことができたので、メールを差し上げました。

実は僕は何年も前から、もっと教養を身に付けたいなぁと思っていて、そういう指針の下に日々行動していたのですが、21日の日記を見て「なるほど、そりゃそうだ」と思うと同時に「教養ある階層に入り込んでいくために頑張っていたのは、全部無駄だったのか!?」と気付き、どうすればいいのかわからなくなってしまったのです。

7日のweb日記で、「芸術作品についての鑑識眼が備わっているとか、ニューヨークとパリに別荘があるとか、数カ国語が読めるとか、能楽を嗜んでいるとか、武道の免許皆伝であるとか、そういう子どものころから文化資本を潤沢に享受してきた学生」と「成績以外には取り柄のない学生」に分類されていて、前者のどれにも該当しないしどうも自分は後者っぽいなぁ…と思ったところだけにショックでした。

それ以前にも、なんとなく外国の学生や偉人達の若かった頃と自分を比べてみてうーん、自分には教養が無いし、教養を育てる環境にもいないな…と感じてきたので、教養(=文化資本?)が足りないことは確実なのですが、いったいどうしたらいいんでしょう?

日記には、「教養が無ければ、そのことで自分の階層が決まっていることにそもそも気付かないから大丈夫」と書いてありましたが、「教養が無いことに気付いてしまった人がどうしたらいいのか」については書いていなかったので、ぜひ何かお話してください。

 

以下はこれに対する私からの回答である。

 

K野さま

メールありがとうございました。

お正月に多田先生のお宅で会えなかったので、「あれ、K野くんはどうしたの?」と聴いたのですが、みんな「あ、あの人は、あーゆー人ですから」といっておしまいでした。あれでK錬会では「説明」になっているようですね。K野くんのお人柄が偲ばれる逸話でした。

さて、お訊ねの件にお答えします。

そもそも「文化資本」というような操作概念を使ってこの問題を論じているのは、すべて「階層社会」の居心地の悪さに気づいて、この居心地の悪さのよってきたるところを考究しはじめた人々です。

そうですよね?

「潤沢に文化資本を享受している人」は「文化資本」というような概念を用いて自分のあり方を説明することがありません(それは「金持ち」の定義が「金のことを考えずに済む人」であるのと相同的です)。

逆に「まったく文化資本を欠落させている人」は、「『文化資本』て、何?それ、食えるの?」というような反応しかしませんから、彼らにとっても「文化資本」が主題化されることはありません。

つまり、文化資本を云々しているのは、「あ、そうか。私がこの社会になんとなく『入れてもらえない場所』があると感じているのは、文化資本が欠如しているせいなのか」という自己認識に達した人間だけなのです。

ブルジョワジーとプロレタリアートの中間に「プチブル」という階級がありますが、それと同じで、「文化資本の社会的機能」というようなことについてあれこれ考えている人間は(ブルデューも私も)、「プチ文化資本家」と規定するのがよいのではないかと思います。

K野くんも、「私には文化資本が足りないのではないか・・」という懐疑にとらわれた時点で、すでに「プチ文化資本家」の仲間入りです(おめでとう!)

私の長期的な戦略は、このような文化資本論の展開を通じて、「文化資本へのアクセス条件の緩和」「文化資本の獲得への社会的サポートの充実」を通じて、「文化的一億総中流化」を成し遂げることであります。

「一億総プチ文化資本家」です。

これこそが、一国の文化的成熟にとって最良最適の戦略であるとウチダは信じております。

文化資本の偏在による社会の階層化をなんとしても阻止したい、というのが私の願いであり、ぜひ、その微志をご理解いただき、K野くんにもご協力をお願いしたいと思います。

この先どうすればいいか、というお訊ねですが、多田塾は文化資本の「金脈」のような特権的な場ですから、多田先生についてゆき、門人師友と親しむ、ということでとりあえずは問題ないのではないでしょうか?

ではますますのご活躍を祈念いたします。

 

ご返事を書きながら、どうしてこれまで私が『ため倫』や『寝な構』のような本を書いてきたのか、その理由が分かった(本を書いた後、何年もしてからその本を書いた理由が分かる、ということはあるのだ)。

私は文化資本の偏在による階層社会の出現をなんとしても阻止したい、と念じていたのである。

「一億総プチ文化人」というと聞こえは悪いが、私は結局、私が少年期、青年期を通じて過ごしてきた日本の「一億総中流時代」が社会のあり方としてはけっこう気に入っていたのだ。

機会平等が確保され、上昇志向のある人は好きなだけ上昇していただいて、あまりないひとはそこそこに、というふうにゆるやかに社会が階層化されていて、それぞれの個人的努力とアチーブメントが相関する社会。

私はそういうのが住みやすい社会だと思う。

いま私たちの社会は「住みにくい社会」に向かっている。

「努力しないでも、はじめから勝っている人が『総取り』する」というルールは社会秩序をいったんは紊乱するけれど、最終的には社会を鈍く停滞させ、人間を腐らせるだけである。

学校も家庭もメディアも市場も、そのことに気づいていないで、ひたすらその趨勢に荷担している。

私はそれにたいして「そういうのは、もうやめませんか」と申し上げているのである。

むかしのように、「努力した人間は報われる」というシンプルで民主的なルールに戻しましょう、と申し上げているのである。

親が無学でも、こどもが一生懸命勉強すれば、文化資本を豊かに享受できるようなルールに戻しましょうよ、と申し上げているのである。

そのための戦略が「一億総プチ文化資本家化」戦略である。

それではみなさん、スローガンにご唱和願います。

甦れ!戦後民主主義! Back to the Golden Fifties!


1月21日

「文化資本の偏在による社会の階層化」について昨日書いたが、なかなか容易には理解が得られにくい論件なので、もうすこしていねいに議論してみたい。

「文化資本」という概念をつかって社会理論を構築したのはご存じの通りピエール・ブルデューである。

どうしてフランスで「文化資本」ということばが社会理論の道具として有用であったかというと、それなりの歴史的事情がある。

フランスは「階層社会」だからである。

「階層(couche)」と「階級(classe)」は微妙に違う。

「階級」というのはマルクス主義の概念であり、「階級意識」の主体的獲得と同時に歴史的に登場する。

階級意識を持っていないと、社会的な地位がどこにあろうと、その人のふるまいは「階級的」にはならない。

例えば、経済的に収奪される社会の最下層にありながら、ナポレオン三世の独裁を熱狂的に支持したビンボー人は「ルンペン・プロレタリアート」と呼ばれて革命階級には算入されない。

それに対して「階層」というのは、主体的に獲得するものではなく、「気がついたら、身に付いていた文化的な資本」の差によって生じる社会的ヒエラルヒーのことである。

フランスは階級社会ではないけれど、文化資本の差によって超えがたい階層間の「壁」が存在する社会である。

かの地では、学校教育の場で教養の格差が顕在化し、「教養において卓越した社会階層」に(結果的に)政治権力や情報や経済資本が集中し、ヒエラルヒーが再生産され続けている。

ブルデューはそういう差別構造を見て、「結局、ものを言うのは金じゃなくて、教養の差なんだな」ということに思い至ったので、『ディスタンクシオン』(差別化)というようなタイトルの書物を書いたのである(たぶんね)。

文化資本という概念はフランスという特異な階層社会に固有の差別化状況を説明するための操作概念であったので、「一億総中流社会」日本ではそれほど定着しなかった。

しかし、日本もだんだん「フランス化」するんじゃないか、というのが私の予感である。

フランスという国はご存じのかたはすくないだろうが、「非識字率」が人口の16%という国である(日本には「字が読めない人」は人口の1%もいない)

フランスの小学校6年生の35%は「速読では文章の意味が取れない」。つまり、教科書を音読することはできるけれど、「いま呼んだところになんて書いてあったの?」という教師の質問には答えられない。

そういう国だからこそ、「コミュニケーションとは畢竟、『会話』のことである。文字なんか読めんでよろしい」というゆがんだ言語観が発達しているのであるが、それはまた別の話。

ところが、その一方で、フランスは少なくとも1980年代までは世界に冠絶する「文化的情報発信国」であった。

実存主義、構造人類学、社会史、心性史、記号論、象徴価値論、脱構築、ラカン派精神分析・・・など今日英米の大学において教科書的に教えられている人文社会系の学術のほとんどすべてはフランス産である。(もちろん文化資本論もそうだ)

一方に世界に文化的生産物を贈ることのできる社会階層が存在し、他方に文字も読めない社会階層が存在する。

それぞれが「分業」して、住むところも、出入りするところも、食べるものも、着るものも、つきあう人も、話題も、ぜんぜんクロスオーバーせず、「壁」の圧倒的な厚みゆえに、(ジュリアン・ソレル型の野心家以外)「下層」の人には「上層」に上昇しようという意欲さえない、というのが階層社会である。

日本はそういう社会ではなかった。

でもいま、そういう社会になりつつある。

日本が「フランス化している」と言っても、「え、そうなの?まあ、トレビアン」などと喜んでもらっては困る。

経済資本の差ではなく、文化資本の差によって階層化される社会というのは、非常に流動性の低い社会だからである。

そして、過度に流動性の低い社会は私たちにとって住みやすいとは思われないのである。

 

どうして文化資本主義の社会は流動性がなくなるのか、それについてご説明しよう。

「文化資本」(capital culturel)には、「身体化された文化資本」と「制度化された文化資本」がある。

「身体化された文化資本」とは、家庭環境、地域環境、学校教育をつうじて身に付いた教養、知識、技能、感性のことである。

家の書斎にあった万巻の書物を読破したとか、毎週家族で弦楽四重奏を楽しんだとか、家にしょっちゅう外国から友人が来るので英語フランス語中国語スワヒリ語などを幼児期から聞き覚えてしまったとか、家伝の武芸を仕込まれて十代で免許皆伝を得たとか、家のギャラリーでセザンヌや池大雅をみなれて育ったので「なんでも鑑定眼」が身に付いてしまった、などというのが「家庭環境」を通じて身体化された文化資本である。

「制度化された文化資本」というのは、学歴、資格、人脈のようなもののことである。「身体化している」とまではいえないけれど、かたちを持たず「持ち運び可能」なものであるから、火事になろうと焼けないし、津波が来ようと沈まない。

これがなぜ「文化資本」と呼ばれるのか。

経済学が教える「資本」の定義は「利潤を生み出すもの」である。

だから「貨幣」はそれだけでは「資本」ではない。

当たり前だね。退蔵されている貨幣はいかなる利潤も生み出さない。それは「運用」されなければならない。

産業資本主義の時代においては、資本家は貨幣によって生産手段を手に入れ、労働力の価値と労働生産物の価値とのあいだの差異(剰余価値)を利潤として獲得した。

ポスト産業資本主義の時代では、「新技術や新製品のたえざる開発によって未来の価格体系を先取りすることのできた革新的企業が、それと現在の市場で成立している価格体系との差異を媒介して利潤を生みだし続けている」(岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』)

要するにどこかに差異を生み出して、それを媒介にして交換が行われる限り、資本にとってはどんな差異でも差異でありさえすればよいのである。

でも、私たちは「資本」というと「製造機械」とか「先端テクノロジー」のようなものを思い浮かべる。

これはたしかに誰かが占有していれば、そこに利潤を生み続けるであろう。

しかし、機械は壊れるし、火事になれば焼けるし、地震があれば地面に呑み込まれるし、内戦が起きたら棄てて逃げないといけない。

先端テクノロジーが「先端的」である時間はそれほど長くない。いずれ誰かが「もっと先端的なテクノロジー」を開発すれば、ただのゴミとなる。

いずれも安定的に占有するのが困難なものである。

だからこそ、「諸行無常盛者必衰」すべては移ろいゆくのである。

経済資本についてはこれを独占しつづけることが困難なのであることはお分かり頂けるであろう。

しかし、文化資本はそうではない。

文化資本はむしろ不可逆的に、より狭隘な社会集団に排他的に蓄積される傾向にある。

というのは、生産手段である経済資本については「オレにもそれわけてくれよ」と言ってくる人がいるが、文化資本については、「オレにも教養と感受性をくれよ」と望む人はいないからである。

そんなこと言っても無理だからである。

文化資本は分割頒布できないんだから。

それは先程述べたように、「気がついたら、もう身に付いていた」ものであり、「気がついたら、身に付いていなかった」人は、もうどうしようもないのである。

「私は・・・になりたい」というような社会的自覚が生まれてきたときには、「もう文化資本が蓄積されていた人」と「文化資本がゼロだった人」のあいだに乗り越えがたい「壁」が構築されてしまう。

「え、そうなの? わ、たいへん。じゃ、うちの子はアメリカン・スクールに通わせてバイリンガルにして、ピアノのお稽古にいかせて、日舞とバレーと茶の湯と能楽と合気道も習わせることにしましょ。ね、あなたのお小遣い削るわよ。教育投資にあたし命をかけるわ」

勘違いしちゃダメだって、言ってるでしょ。

「文化資本を金で買う」というこの発想そのものが文化資本の価値に対する根本的な無理解を露呈しているんだから。

この人は「要するに金でしょ? 文化資本もってるとお金もちになれるんでしょ? だから先行投資をして文化資本を安いうちに買いだめすればいいんじゃない」と考えている。

でもね、「豊かな文化資本に浴した人」というのは、ひとことでいえば「教養を貨幣よりも当然のように上位に置く感性」の持ち主のことである。

「ほんとうにたいせつなものは金では買えない」という感性が「金で買える」はずがないでしょ?

文化資本について言えることは「それを身につけよう」という発想そのものが(つまり、資本を手にして社会階層を上昇しようという「欲望」そのものが)、(触れるものすべてを黄金に換えるミダス王のように)、触れるものすべてを「非文化的なもの」に変質させてしまうということである。

「文化資本を獲得するために努力する」というみぶりそのものが、文化資本の偏在によって階層化された社会では、「文化的プロレタリアート」への墜落を宿命づけるのである。

ひどい話だ。

「努力したら負け」というのが、このゲームのルールなんだから。

「努力しないで、はじめから勝っている人が『総取り』する」というのが文化資本主義社会の原理である。

ひどい話だと私も思う。

しかし、日本は確実にそうなりつつある。

でも、文化資本主義社会にもひとつだけ救いがある。

それは、この社会における「社会的弱者」は自分が「社会的弱者」であるのは主に「金がない」せいであって、「教養がない」せいでそうなっているということには気がつかないでいられるからである(教養がないから)。

とほほ。


1月20日

大学院最終日。

本学初の「男子聴講生」を受け容れて始まった大学院の演習も本日めでたく千秋楽を打ち上げることとなった。

この授業は掛け値なしに私の教師生活30年の中で「最高に愉しい」経験の一つであった。

それは、単にテーマが面白かったとか、参加者がフレンドリーであったとかいうことにはとどまらない。

いま、このメンバーで、こんなふうな展開でなければ、決して口にされなかったような「ことば」がそこで語られているという、「意味が生成する現場に立ち会っている」実感が私をわくわくさせたのである。

おそらく、同じ実感を多くの受講生が私といっしょに感じてくれたと思う。

最後の時間は「日本社会は文化資本の偏在によって階層化するか?」というテーマについて基調報告を私がさせていただいて、それからフリートークとなった。

最後の回ということで、渡邊さん、スーさん、江さん、ドクター佐藤、ナガミツくん、ミヤタケ、影浦くん、マツムラさん、岸さんら、これまでセッションをにぎわしてくれた論客たちが全員ひとこと(じゃないひともいたが)コメントをしてくれた。

それを聞きながら感じたのは、去年の春、演習の最初のころは、みんなある程度気負って「ひとこと申し上げますが・・」と肩肘はった語り方だったのが、1年経ったら、話し方がずいぶん変わったなあ、ということである。

みんな話し方が「やさしくなった」。

聴き方が「深くなった」。

自分の中にあらかじめストックされている「意見」をみんなに理解してもらうことよりも、みんなの注意深い聴き取りを「推力」にして、「自分の言いたいこと」を語りつつ発見するという投企的なふるまいに興味がしだいに移っていったように思える。

言い換えれば、みんなのコミュニケーションのみぶりが「外側に開く」というより、「内側に切り込む」ように変化してきたのである。

内省の機会を得るために発言を求めるというのは、「ディベート」とは無縁のふるまいである。しかし、コミュニケーションが生成の出来事そのものであるためには、「かねて用意のストックフレーズを繰り返す」のではなく、「いま、ここで、この聴き手を得なければ決して語られなかったはずのことばを語る」ことが目指されなければならない。

そのようなコミュニケーションを成り立たせるためには、語り手にはことばの力が、聴き手には笑みをともなった忍耐が必要だ。

わずか30週ほどの演習がこれだけ豊かなコミュニケーションの場となりえたのは、ひとえに受講したみなさんのスマートな知性と節度のおかげである。

みなさんどうもありがとう。来年は「アメリカ研究」です。みんな、また聴講に来てくださいね(涙)

この演習の「打ち上げ」はそのうちウチダ家でやります。例によって「一品持ち寄り宴会」です。

日程は浜松から来る鈴木さんのご都合に合わせます。日時が決まったらこのホームページで告知しますので、定期的にチェックを忘れずにね!。


1月18日

センター試験の二日目。今日は試験監督に動員される。

本学のような私学でもセンター入試によるの入学定員枠があるので、そのお返しとして会場提供をして、教職員が動員されるのである。

もちろん本学で受験する方々も、ほとんどは国公立大学(四月からは独立法人大学と呼称されるらしい。「ドクホーダイ」というのとなんだか「毒放題」みたいで語感があまりよろしくないけど)志望の方々なので、本学とはあまり関係がないのである。だが、まだ受験校を決めていない人の中は、本学の「日本一美しいキャンパス」を見てくらくらとなって志望校にお加え下さるケースもあるので、営業上、センター入試監督もあだやおそろかにはできないのである。

センター入試では何時何分に何を言うのかすべて決められており、決められていない台詞を口にすることは許されない。全国一斉に同じ時間に「ただいまより問題冊子を配布します」という同じ台詞をおそらくは数万人の教師が教壇で口にしているわけである。

天上から耳を澄ませると、「ただいまより・・」が「倍音」になって聞こえるかもしれない。

全国どの会場でもまったく同一の条件で試験がなされねばならない建前であるから、どのようなトラブルが発生しようとも、「臨機応変に対処する」ということは許されない。すべて規定通りに対処しなければならない。

したがって「こんなトラブルが起きたら、こう対処してください」というマニュアルが事前に配布されるのであるが、年々その「事例」の数がふえてきて、とても読み切れない量になってきた。

ぱらぱらとめくるうちに、「こんなことが私の会場でおきたらどうしよう・・・」というようなむずかしい事例を想像してしまう。

「受験票の写真と写真票の写真が違う」というような場合は本人と照合して「同一人物」であることが分かれば問題はないのだが、「受験票の写真と本人がぜんぜん似てない場合」というのはどうすればよろしいのか。

試験場で「かぶりもの」や「はちまき」をしている受験生はご本人に何か特別の理由がある場合には許可をしてもよいとされているが、「山高帽」や「烏帽子」を着用に及んだ場合はどう対処すればよろしいのか。

事例集にはなかったが、毎年困惑するのは「強烈な香水」をつけてくる受験生である。

試験監督でかたわらを通過してさえ頭がくらくらするほどである。隣り合わせた受験生の苦しみは筆舌に尽くしがたいものであろう。

このような対処事例を精緻化することにはいずれ限界があるのだから、いっそ「いろいろあるだろうけれど、不運は人生につきものだから、ま、我慢してね」ということで受験生諸君にはご海容願えないであろうか。

さいわい本学の試験会場ではなにごともなく無事に試験が終了した。ほっ。

昼に仕事がおわって、門戸厄神の参拝客の列をかきわけて家に戻り、ばたりと昼寝。

夕方起き出して、高橋源一郎さんの『ジョン・レノン対火星人』の解説の続きを書く。

さらさら。

八分ほど書き終わる。

締め切りまであと1週間。

ひさしぶりに餃子を作る。

キャベツ、にら、豚の挽肉に塩、胡椒、ごま油、オイスターソース、豆板醤、味噌、片栗粉を加えてこねこねする。

兄ちゃんにもらったチャールス・ロイドの Forest flower(モンタレーのジャズフェスのときの録音。キース・ジャレットの神懸かり的なピアノソロのあとに飛行機の爆音が入る、あの歴史的名演奏)を聴きながら、こねこねした具を餃子の皮で包む。

てんてけてって、てんてんてんてん、てん。とジャック・デジョネットのドラムソロが終わり、チャールス・ロイドのテーマが出てくるところの「間」で鳥肌が立つ。(66−67年に長い時間をジャズ喫茶で過ごしたひとならわかるはずだ、「あ、あそこね」。そ、あそこです)

うちの餃子は「水餃子」であり、これを醤油、酢、豆板醤、ラー油で味付けして、つるつると「わんこそば」風に無限に食べ続けるのである。

無限とはゆかぬが46個食べたので、腹がはち切れそうになって止める。

し、しまった。ダイエット中だった。


1月17日

京大の研究会で発表。

仏文の吉田城くんが仕切る「フランス文学における身体の意識と表現」グループと人文研の若手研究者のみなさんが組織している「身体の近代」グループのジョイント研究会にお招き頂いたのである。

吉田くんは日比谷高校のときの同期生であり、1969年の入試のときは雪の中、故・新井啓右くんといっしょに京大を受けた。

吉田、新井両君は日比谷高校を代表する伝説的秀才であり、ウチダは「日比谷高校の恥」とまでいわれた不良高校生であったのだが、なぜかお二人は「旅のお供」に私を加えてくださったのである。

吉田くんはその年ちゃんと文学部に合格して、そのまままっすぐ「仏文研究者の王道」を粛々と歩まれ、日本のみならず世界的なプルースト研究の権威となられたことはみなさんご案内のとおりである。

ウチダは法学部を受けたが諸般の事情により無念の涙をのみ、もののはずみで「仏文研究者の渡世の裏街道」をよろよろと歩み、武道系レヴィナシアンというものになった。

同じ年に高橋源一郎さんも京大を受けて落ちちゃったのであるが、あの年に私も高橋さんも京大に受かっていれば、おそらくその後の新井くん吉田くんのアカデミックなプロモーションはそれほど「粛々」としたものにはならなかったであろう。(新井くんはその翌年に東大に移り、法学部助手のときに助教授昇任の直前に27歳で心不全で夭逝した。神さまは残酷なことをされるものである・・・)

京大の時計台を見ると、35年前に火炎瓶の飛び交う同じ正門前で、吉田くん新井くんと一緒に「明日の試験はだいじょうぶかね」と見つめ合ったことを思い出す。

その京大の人文研で、「超−身体論」という一席でご機嫌をうかがう。

いつもなら鼻歌まじりで小咄をふたつみっつ繋げて「おあとの支度がよろしいようで」で済ませるのであるが、研究会にゆくと石井洋二郎さんとか多賀茂さんとか大浦康介さんとかいう仏文業界のお歴々がずらりとおられて(行くまで知らなかった)ウチダも一瞬顔面蒼白となった。

聴衆は学生さんか院生さんばかりであろうと気楽に構えて、何を話すか何も決めずにふらふらいって、待ち合わせのカフェに20分前についたので、その20分間にネタを考えたのであるから、オーディエンスの顔ぶれを見てキモを潰すのも当然である。

それでも「高校のときのご学友」の仕切りであるから、あとの始末は吉田くんにおっかぶせて、小咄を七つ八つと繰り出して話をごちゃごちゃにしてデタラメ話を必死で打ち上げたのである。

「なんであんなものを呼んだのだ」というような(当然の)抗議があっても、それは人選を誤った吉田くんの咎であって、ウチダの一切あずかりしらぬことである。

あずかり知らぬことであるので、終われば気楽なもので、もうひとりの発表者である人文研の森本淳生さんの格調高いヴァレリー身体論の質疑応答では平気な顔で「ヴァレリーの運動性無意識というのは、あれですな。合気道の術理と深く通じるものがあるです。はい」などというコメントをさしはさんで、満座の白眼視もものかは。

京大はすっかりきれいになり、時計台にはなんとフレンチのレストランLa tour まで出店しており、そこで打ち上げの懇親会が持たれる。

ワインが入ってしまえばこっちのもの。

吉田教授の「ご学友」という不可侵の立場をいいことに前に言いたい放題、飲み放題。

碩学のみなさんも微醺を帯びるや「いや、ここだけの話・・」が縦横に飛び交い、まことに愉快な一夕であった。

京大では今年の夏に集中講義にもお招き頂いている。

ウチダのような半チクな学者がかりそめにも京都大学で教壇に立てるのは、ひとえにレヴィナス老師のご威光と多田宏先生の直門という「身体技法フィールドワーカー」の強みである。

「虎の威を借るラスカル」とはいいながら、あやまたず「虎」に師事した師匠眼の正しさだけは認めて頂かなくてはならない。

厳寒の京都をあとにしながら、あらためて師友のありがたさに合掌したウチダであった。

吉田くん、どうもありがとう。研究会のみなさん、お騒がせしました! また遊びましょう。


1月16日

委員会がひとつと教授会とまたそのあとプチ委員会。

うー、いそがしいぜ。

教授会では、来年前期のウチダの二年生の文献ゼミが定員に満たないので、そこに「すべての志望先を落ちた学生」を収容してはいかがかという怖ろしい「報告」がなされたので、「そ、それだけはごかんべん」と嘆願する。

私のゼミはわりと集客力の高いゼミなのであるが、二年生に限っては「原典講読」という古典的なゼミを開いた。

「日本文学作品(夏目漱石、太宰治、村上春樹、村上龍など)のフランス語訳を読んで、原典と仏訳の『ずれ』と誤訳をチェックしながら、日仏の比較文化的差異を検証する」というシラバスを書いたのであるが、学生さんたちは外国語があまりお好きでないらしく、「外国語文献の講読」を掲げたゼミはウチダのところだけでなく、ことごとく定員割れを来したのである。

フランス語の原典講読ゼミに「フランス語未修」の学生を配属されては、その学生さんも身の置き所がないだろうし、こちらも教えようようがない。

懇願の甲斐あって、今回に限り、志望した学生だけを受けれればよろしいというお裁きをしていただく。

ほっ。

しかし、もうこういう古典的なスタイルの「原書講読」で、言葉をひとつひとつピンセットでつまんでためつすがめつ賞味するといった風情の勉強は学生のみなさんのお気に召さないようである。

楽しいんだけどね。すごく。

専攻ゼミでは「好きなことをやってよろしい」ということで、学生諸君に好き放題暴走してもらっている。

それはそれでものすごく楽しいのであるが、やっぱり一つくらいは「こりこりテクストを読む」というゼミも持って、そういう勉強のしかたのなんともいえない「はんなりとした愉しさ」を学生諸君にも経験してもらいたいのであるが、むずかしいんだね、そのへんの呼吸をご理解いただくのは・・・

 

教授会の後半は「協議」。

自己評価委員会として各学科の委員にお願いした「理事会改革」「契約教員制度」についての「ご意見拝聴」の時間である。

当然のことながら、「いったいいかなる資格によって自己評価委員会がそのような議題を発議するのであるか」という質問がある。

正直に申し上げると、そんな資格は自己評価委員会には「ない」のである。

自己評価委員会は大学(法人組織も含む)のさまざまな問題点、改善点を「指摘」し、それについて「みなさんなんとかしたほうがいいですぜ」ということをご忠告申し上げる「ご忠告セクション」である。

議決権も執行権も何もないし、もちろん職員も予算もついていない。

「ご忠告」をするに際して情報収拾をまめにやるし、委員のメンバーが大学教職員だけでなく法人職員も含んでいるので、いろいろな部署の現状が報告される。

であるから、「ほかの大学はこんなことをしているみたいです」とか「文部科学省はこんなことを考えているみたいです」とか「理事会はこんなことを計画しているみたいです」という情報が何となく自己評価委員会には集まってくる。

そのような情報を開示して、「というわけですから、いかがです、なんとかしちゃ」ということをご発議させて頂くこともあるのである。

いわば、「好意」でやっているわけである。

とはいえ、「好意に基づく苦言」であれ、「苦言」であるには変わらず、「苦言」を呈されると、どなたも「いったい、何の資格があって、高みからものを言うんだい」というご不満がでるのは人情のしからしむるところである。

それはもっともである。

しかし、考えてもいただきたい。

理事会の改革についてのご提言などということは、当然ながら学内の正規の機関で発議することのできない種類の議案である。

なにしろ理事会はすべての正規の学内機関の最上位に位置する機関なんだから。

となれば、「いかなる問題についても、『これは問題だ』と思ったら、『これは問題ですぜ』と言うことを職務とする」自己評価委員会が「火中の栗を拾う」ほかないではないか。

自己評価委員会はその趣旨からして「火中の栗を拾い」「矢面に立ち」「憎まれ役を買って出る」ための委員会である。

だからこそ、「火中の栗を拾うのが趣味」とみなされているウチダのような人間がその委員に選出されたりするのである。

私がなりたがってなって職務ではない。(四年もやるんだよ、とほほ)

ともあれ、そういうわけで「なんとかしちゃ、いかがですか」ということをご提言させて頂く。

別に教授会でわしらの言うとおりに機関決定せよとか、そういうことを申し上げているのではない。

「みなさん、よく考えてね」と申し上げているだけである。

理事会は理事会で好きにやっていただいて結構、それぞれの学部学科はそれぞれのセクションでなんでも決めて結構、文部科学省にどう思われようと、大学基準教会にどう査定されようと結構、レッセフェールでいこうよ、ということであれば、そもそも自己点検、自己評価活動などというものはもとより不要のものである。

それでみなさんがハッピーであるなら、私も文句はない。

問題は、それではわれわれの先行きの雇用確保に不安がある、ということだけである。

 

契約教員制度についても、どういうふうにすればいいのか私に名案があるわけではない。

全国の大学でどんどん導入されているから、いずれそれが理事会の議事日程にのぼる可能性は高い。

人件費の抑制が前提条件としてあり、マーケットの劇的シュリンクがあり、その中で教育水準を高めに維持するための、ひとつのオプションとして契約教員制度は検討されてよいと私も思う。

ただ、その制度が出来上がる前に、みんなでよく考える時間を持つ方がいいと思う。

このままでは、ある日「契約教員制度についての規定が理事会で決定されました。導入されるかどうかは、それぞれの学部学科にお任せします」という一片の通達がトップダウンでおりてくる可能性がないとはいえない。

規定は作りました。適用するかどうかは教授会にお任せしますというかたちで規定をおろしてきた場合、手続き的には瑕疵がない。

そのときに「じゃ、うちはやります」「じゃ、うちも・・・」というふうにあちこちの学部学科が動き出して、「既成事実」に流されてゆくより先に、「そもそも、どういうふうな制度であれば、ベターなのか」について議論し、その議論の結果えられた学内合意を規定の策定に先立って理事会に伝えてゆくことは無駄ではないとウチダは思う。

私は理事会と敵対したいわけではない。

むしろ仲良く手を取って大学の繁栄のために協力しあいたいと心底思っている。

しかし、理事会はこのところ重大な決定について、事前に学内における受け容れ基盤のリサーチというか瀬踏みというか「根回し」というか、そういう「前・民主主義的」なめんどうな手順をパスして、「どん」とおろしてくる傾向にある。

それではなかなか所期の効果が得られない。

ウチダはそれを惜しむのである。

対話の場を確保し、その中で繰り返し提案を検証し、議論し、差し戻し、練り上げてゆくプロセスがたいせつであると思う。

たいせつなことは、「尻に火がついてから」ではなく、まだ時間が残されているときに、まだ頭がクールに働くときに、落ち着いた議論をすることである。

多少時間はかかるけれど、その方が最終的には「話がはやい」とウチダは経験的に信じている。

愚痴が多くてすまない。


1月15日

角川書店の編集のダテさんが芦屋まで来られた。

「カドカワのヤマちゃん」が別会社へ去ることになったので、その「引き継ぎ」のご挨拶である。

ヤマちゃんが何かに付け「20代のフリーター青年たちの困惑」に同情的であるので、「自分は高給取りのエリート編集者なのに、貧しい同世代を気遣ってるんだ(けっこういいやつだぜ)」と思っていたら、彼もまた非正規雇用のフリーター編集者だったのである(そういうことははやく言いたまえ)。

ま、それはさておき。

ダテさんと「おばさんの恐怖」について語り合う。

名越先生によれば、精神的にトラブルをかかえてくる思春期の患者の過半は、母親によって「病気にさせられている」そうである。

クライアント自身の何倍も「病んでいる」母親が娘を「この子、変なんです」とクリニックにひっぱってくる。

「変なのは、あんただ!」

と叫びたいのをぐっとこらえて、不幸な少年少女の救済に今日も名越先生は東奔西走せられているはずであるが、ここで問題になったのは、「どうして、母親は病んでいるのに発症しないか」ということである。

名越先生は考察を重ねた末に、「いわゆるおばちゃん」たちに共通するのは「情緒が未発達」ということを発見された。

「がはは」とばか笑いする「大阪のおばちゃん」たちは、ものごとに対してきわめて「断定的」であり、あらゆる「未知のことがら」を「慣れ親しんだ既知」に還元し、状況の変化に動じることが少ない。

これは生存戦略としては決して間違っていない。

しかし、「いかなる未知の状況に遭遇しても、驚かない」という「おばちゃん」の強さは、その裏でその病的な「情報遮断」に担保されている。

「都合の悪いことは耳に入らない」「見たくないものは目に入らない」「理解できないものはこの世に存在させない」という意図的な視野狭窄、感覚遮断によって、彼女たちの精神の安定は保たれている。

情緒というのは、微妙な感覚入力の変化に応じて、そのつど繊細に心身の反応を起こす能力のことである。

情緒の発達というのは、「脳のしわがふえる」とか「語彙がふえる」とかいうのと同じで、「表情の種類がふえる」というかたちで確認される。

私たちが「あいまいな顔」「かたづかない顔」「とまどった顔」をするのは、「今まさに、前代未聞の『情緒』があらたに分節され析出されようとしていること」の徴候なのである。

表情の多様性(あるいは発声の多様性)は、そのまま社会関係の多様性、コミュニケーションマナーの多様性、「他者性にたいする開放度の高さ」にリンクしている。

自閉的な精神疾患(とくに統合失調症の)きわだった特徴は「表情の少なさ」である。

しかるに、「おばちゃん」たちはなかなかカラフルな表情をしており、けたたましい音声を発しているように思えるが、注意深く聴くと、その「種類」が非常に少ないことが分かる。

名越先生はこれをして「情緒未発達」の徴候と診断されたのである。

「情緒」というのは思春期において(それを語る語彙と同時に)劇的に開花するものであり、それ以前の幼児には、(そもそも多様な社会的関係を展開する必要がないから)とりあえず不要のものである。

喜怒哀楽の四つの表情くらいで幼児はその用を便ずることができる。

表情の少ない「おばちゃん」は実は「幼児」なのである。

幼児のまま、思春期に情緒の発達を経験しないまま、学校に進み、恋愛をし、仕事に就き、結婚をし、子どもを産んでしまった人たちが「おばちゃん」なのである。

その「ゆるんだ」的外見に騙されて、私たちは彼女たちの鈍感さや無神経さを「加齢によるもの」と考えがちであるが、それは話が逆で、じつは、あの方々はぐんぐん「幼児化」されているのである。

というのは、身体的な加齢とともに、この「おばちゃん」たちは「若返り」をくわだてるからである。

「おばちゃん」たちの「若返り」戦略はほとんど例外なしに「欲望をさらにむき出しにする」「好き嫌いをきっぱりと表現する」「より利己的にふるまう」「節度をなくす」といった表現をとる。

「恥じらう」とか「言葉につまる」とか「つい気後れする」とか「遠慮がちになる」といったしかたで「若返り」をはかっている「おばちゃん」をウチダは寡聞にして見たことがない。

思い出せばどなたもお分かりだろうが、「若い」時期の特徴は、「心と体のバランスが取れず」「他人のちょっとした言葉の端に動揺してしまい」「季節の変化につい涙する」といった「情緒の富裕化プロセス」であり、「自分でも自分がどうなっているのか、どうしたいのか、よく分からない状態」のことである。

「もうあたし、誰にも遠慮しない。生きたいように生きるのよ、おほほほ」などという「若さ」は存在しない。

それは「若い」ではなく、「幼い」というのである。

だが、思春期を知らない「おばちゃん」たちは、「若返り」というとき、「幼児化」以外の選択肢を想起することができないのである。

「おばちゃん」の危険性は「若いということには価値がある」というメディアのアオリにのせられて、「成熟」ではなく「幼児退行」の道を全力で驀進していることにご自身がまったく気づいていないということに存する。

この深刻な事態について、警鐘を鳴らすひともまたほとんど存在しない。

ご存じのとおり、日本のフェミニストたちはこの「おばちゃん」たちに「よりエゴイスティックに」生きることをひたすら勧奨してきた。

母として、妻として、娘として、その「分をわきまえて」そのつどの表情や発声を換え、多様な社会関係に臨機応変に対応することを「父権制との結託」と一刀両断し、あらゆる場面で「私は欲望する」と自己主張し続ける人間になることを美徳とされてきた。

そのような自己主張は人間を成熟させる方向にほとんど効果がないということについての反省の弁を私は誰からも聞いたことがない。

ともあれ、「加齢によって、いっそう幼児退行が進んだこのおばちゃん」たちがちょうど思春期の少年少女の母親の年齢に当たる。

独善的で、他罰的で、利己的で、情緒未発達で、それでいて(というか、それゆえに)家庭内において独裁的な権力を行使しているこの「おばちゃん」によって「教育」された子どもたちがどうなるか、想像するまでもない。

今、この子どもたちの世代が「病んでいる」。

名越先生はTVのトーク番組に出てくる十代の少年少女をみていると怖くなるそうである。

彼らの平板な発声法、変化のない表情、自説に対する異常な固執、他人の意見に対する「それはもうわかっているんだよ」といわんばかりの作り笑い・・これらは二十年前であれば十分に「精神病の初期症状」と診断される徴候だそうである。

TV局の基準からして、「きっぱりとした意見を持つ、自己表現力にすぐれた子ども」がすでに専門家の診断によれば「病人」なのである。

まことに怖ろしい時代になったものである。


1月13日

大学が始まる(でも、すぐ終わる)。

2週間授業があって、そのあいだに卒論を読んで、それから期末試験。

採点をしてレポートを読んでいるうちに入試が始まる。

今年の入試はどうなるのであろうか。

まったく予断を許さない形勢である。

私は「このままでは本学は危機的状況に至るであろう」ということをつねづね申し上げている。

私はかなり冷静に状況判断をしているつもりであるが、それでも困ったことがある。

それは、おのれの予見の正しさを論証するために、いつしか「危機の到来」を無意識的に望むようになっているということである。

当然といえば当然である。

私の状況判断がたいへん適切なものであったことを証明する最良の方法は、「現実に危機が到来して、大学ががたがたになること」だからである。

私自身の「正しい状況判断をする人間であると思われたい」という欲望は、いつしか、いくつかのオプションのうち「本学にできるだけ志願者が集まらないような」結果が出るようなものを選択するように私を導きかねない。

「狼がきたぞ!」と叫ぶ「狼少年」が、誰にも相手にされないうちに、いつのまにか「狼」が襲来しやすいような条件づくりに精を出すようになるように。

人間というのは、そういう「哀しい生き物」である。

困ったものだが、そのことを認めよう。

というわけで、私は本学の本年度入試において、志願者が「殺到」して、教職員が「ほっと一安心」して、機構改革制度改革が停止して、「なんだ、いままでのやり方でいいんじゃないか」という現状肯定ムードが蔓延することと、志願者が「激減」して、全員パニックとなり、大学が生き延びるためになりふりかまわず変身する戦略を選び取ることと「どちらをあなたは望んでいるか」と問われると、正直なところ、返答に窮してしまうのである。

 

13日の大学院はナガミツくん担当の「外国人労働者」。

さすが社会学徒だけあって、よく資料に当たって、手堅い発表であった(前回、マツムラくんにびしっとつっこまれて壇上で絶句したときに比べると隔日の感がある。ナガミツくんもこの一年で立派に成長を遂げたのである)。

ウチダは外国人労働者問題については一家言あり、それを述べさせて頂いた。

もちろん、こういうリスキーな論件については、こんなところに私見をうかつに書くわけにはゆかない。

キーボードを叩けば何でもインターネットで読めると思ってはいけません。

身銭を切らないと参加できないコミュニケーションの場、その場にいかないと聞けない話というのは厳然と存在するのである。

 

授業のあとはお楽しみ、名越先生との「14歳を持つ親のために」対談。

森ノ宮のクリニックまで先生をお訪ねする。

すでに新潮社の三重さん、足立さん、お二人の編集者がみえている。

さっそくワインをいただきながらトークに突入。

ふたりで3時間、話しに話す。

「怖い話」をいろいろお聞きする。

どういうふうに怖いかは新潮新書が出るのを待ってね。

 

その中で「分をわきまえる」ということが死語になったね、という話題が出る。

「分をわきまえる」「身の程を知る」というのは、私たちが子どもの頃までは年長者の口からよくきいた言葉である。

このあいだ『父ありき』を見ていたら、父(笠智衆)が息子(佐野周二)にそう説教していた。

名言なので、再録する。

「どこでどんな仕事だっていい。いったん与えられた以上は、それを天職だと思わにゃいかん。不自由は言えん。

人間にはみな分がある。その分は誰だって守らにゃいかん。どこまでも尽くさにゃいかん。私情は許されんのだ。

やれるだけやんなさい。どこまでもやり遂げなさい。それでこそ分は守れる。

それは仕事だ。つらいこともある。

一苦一楽あり、錬磨し、錬極まって福をなすものはその福をはじめて久しだ。

つらいような仕事でなければやりがいはないぞ。それをやりとげてこそ、『その福久し』だ。

わがままはいかん。我を捨てにゃいかん。そんなのんきな気持ちでは仕事なんかできないよ。」

いまどきこんな説教をしたてくれる年長者はもうどこにもいない。

それを私は悲しむべきことだと思う。

私たちの周りには「分をわきまえる」ことのたいせつさを知らない人々ばかりになってしまった。

彼らは「ここではないどこか」に「自分にとって最適の仕事」が待っていると信じて転職を繰り返し、「このひとではない誰か」が「自分にとって究極のパートナー」だと信じて恋愛を繰り返し、「これではないなにか」が「いつか自分の欲望のすべてを満たす」と信じて「モノ」を買っては棄てる。

政治家も財界人もメディアもイデオローグもみんなが「自由に生き、我を張り、私情を全領域に貫徹し、つらい仕事からすぐ逃げ出すこと」を支援している。

もっと欲望を持て、もっと買え、もっと飽きろ、もっと棄てろ、もっと壊せ・・・と彼らは唱和する。

「分を知る」ことは、覇気も野心も欲望も向上心も棄てることであり、人間の尊厳を踏みにじることであり、社会関係の現状を肯定する退嬰主義に他ならないのである。

だが、この「身の程をわきまえるな」という命令は誰でもない資本主義の要請である。

そのことは誰も口を噤んで言わない。

 

「分をわきまえる」というのは、資本主義の暴走に対して、「ちょっと待って」と告げることであり、決して自己限定することでも、自己卑下することでもない。

それは、自分が right time right place におり、まさに自分以外の誰によっても代替されえないような責務を負って配置されている right person であるという「選び」の意識を持つことである。

社会の成員のひとりひとりがおのれの「分を知り」、自分に与えられた仕事に対して「選ばれてある」という責務の感覚を持っている社会は、たしかに大量生産、大量消費、大量廃棄という「資本主義の夢の国」にはらないだろう。

だが、そこに住む人々に、ささやかだが確実な幸福を約束してくれる。

そのことの大切さをアナウンスする人はもうどこにもいない。

 

ミネソタのヤベッチからメールが届く。

新年から連載の「ミネソタ日記」第一弾である。

矢部くんは、英文の卒業生で、合気道部の先々代の主将。かなぴょん、くー、おいちゃんらと「合気道部第三期黄金時代」を担った逸材である。今般思うところあって、「武者修行」の旅にアメリカ中西部へ出かけたのである。

ヤベッチの健筆に期待。


1月13日

 

締め切り直前となって、卒論がどかどか送られてくる。

内田ゼミでは、教員の最終チェックを受けずに無断で卒論を事務室に提出した学生は自動的に「落第」というきびしいルールを施行しているので、駆け込みで三日前あたりにどかどか来るのである。

こまったものである。

残り二日では「ここダメだから、ここを書き直し、ここは全部やり直し」とかいうきついことを申し上げられない。

一月ほどまえからドラフトをチェックしている学生のものはかなり完成度が上がったが、土壇場で来たものは、もう手の着けようがない。

みんな文章力は高いので、そこそこ読ませる。

ワープロで書いているから誤字脱字の類はほとんどない。

そういう点では、むかしの論文よりあるいは出来がよいのであるが、相変わらずの問題点が残る。

それは引用出典を示さないということである。

これについてはゼミで口が酸っぱくなるほど教えているはずなのであるが、今回も引用出典を一つも書いていない論文がいくつも出された。

なぜ、学術論文においては引用出典を明記しなければならないのか。

この場を借りてもう一度申し上げておく。

 

自然科学の論文の場合、「気がついたら、こんな結果がでてました」というような論文は誰も相手にしてくれない。

どういうデータを取って、どういう実験をしたのかが明記されなければ、話にならない。

それは「同一条件で、同一の実験をすれば、同一の結果が得られる」はずである、ということが学術性の前提になっているからである。

学術性を担保するのは「追試可能性」である

追試可能性が保証されている情報だけが「学術情報」と認定されるのである。

 

たしかに、社会科学や人文科学では自然科学と同じように「同一の実験」をするということはむずかしい。

しかし、できる限り「追試可能性」が確保されねばならないということは変わらない。

「私と同じ道筋をたどってくれば、きっと私と同じ結論になると思いますよ」

というのが人文科学におけるぎりぎりの「追試可能性」のあり方である。

そのためには「私のたどった道筋」をできうる限り明らかにすることが必要である。

そのための道しるべが「依拠した学術データ」なのである。

引用したデータを明記することによって、私たちはいわば「宝島への地図」を作って残すのである。

それを見て、あとから続く航海者もまた同じ「宝島」にたどりつけるように配慮するのである。

その根本にあるのは、「学術情報とは、後続世代への贈り物である」という考え方である。

 

世の中には、あとから続く研究者が、自分と同じ理路をたどることができないように、学術情報へのアクセスを妨害するようなタイプの学者もいないことはない。

こういう学者は「知」というものが「贈ることによってしか実りをもたらさない」という根本のところが分かっていない。

彼にとって、「知」というのは、「定期預金」とか「国債」のような、彼だけに占有的な利益をもたらすような退蔵可能な「財」として観念されているのであろう。

引用出典を示さないというのは、それと同じ理由で、「知的に非礼」なことである。

 

読者が自分と同じ理路をできるだけ快適にたどることができるように配慮すること。

それが論文を書くときのマナーのすべてである。

誤字や脱字をしないことも、適切な比喩を用いることも、段階を追って論理を進めてゆくことも、すべて「リーダー・フレンドリー」であるためのマナーである。

その中のもっともたいせつな配慮の一つが「引用出典を明記すること」なのである。

なぜか。

論文を書くのは「贈り物をすること」である。

私たちが贈り物をするときと同じように、重要なのは「私が何を贈りたいか」ではなく、「人は何を贈られたいか」を考えることである。

そんなことはどなたにも分かっているはずである。

その原理さえ分かっていれば、学術論文をどう書けばいいかということは、教えられなくても分かる。

私たちが贈り物をもらうとき、どんなものをもらったら嬉しいかを想像すればすむことだ。

高いものであれば嬉しいのか? 手に入れるのが困難なものであればうれしいのか?

違うよね。

贈る人が、その品物を選ぶために、長い時間をかけて、私たちが何を求めているのか熟慮した上で選ばれた贈り物は、その価格や希少性にかかわりなく私たちを感動させる。

学術論文も同じである。

学術論文の価値を決めるのは、そこに込められた「読者への愛」である。

「読者への愛」とは言い換えれば「読者の知性への信頼」のことである。

そして、ものを書く人間が読者の知性に対して示しうる最大の信頼の証は「あなたは私が依拠したのと同じ学術データに基づいて私を論駁する権利がある」ということを告げ、「私を論駁するための材料」を読者が使いやすいように整えて差し出すことなのである。

引用出典を明記するのは、そのためである。

それは、論じている私の「正しさ」を傍証するためのものではなく、「私が間違っている可能性」を読者にチェックしてもらうための措置なのである。

私が「引用出典を明記しろ」とうるさく言うのは、「そういうふうに決まっているから」ではない。

それが「読者に対する愛と敬意の表現」だからである。

諸君の健闘を祈る。


1月12日

成人の日。むかしは1月15日にフィックスであったが、いつの頃からか1月の第二月曜に固定され、おかげで三連休ということになった。

三連休はありがたい。今日もお休みだ。

宴会あけの昨日はさすがに頭がパーになっていて、むずかしいことは何も考えられないので、『晩春』を見て(いったい何回目であろうか・・・)、杉村春子と笠智衆の「そりゃ、食うよ」「そうかしら」「そりゃ食うよ」「そうかしら」「食うよ」というところでげらげらと床を転げ回って笑う。

どうして、こんなに可笑しいのであろうか。

チャンネルを換えたら『寅さん』をやっていて、笠智衆がここでも「御前様」で登場していた。

笠智衆は1904年生まれであるから、『晩春』の時(1949年)には45歳である。このとき役の年齢は56歳。

『東京物語』(1952年)のときは48歳であったが、80歳にしか見えなかった(名越先生によると、老人性のパーキンソン氏患者特有の身体の震えまで演じていたそうである)。

それから40年経ってもまだ『寅さん』で80歳の役をやっているのである。

まことに稀代の名優である。

 

つねづね申し上げているように、『晩春』の曽宮周吉教授は、私の若年からのロールモデルであった。

「いつか、あんなじじいになりたい」と強く念じていたのであるが、強く念じることは実現するというお師匠さまのお言葉通り、ちゃんと娘も巣立って、晴れて一人おぼつかない手つきでリンゴの皮をむく独居老人となった。

曽宮教授と違うところは、能楽鑑賞の度が過ぎて、仕舞や謡曲までうなるようになったということと、行きつけの店が「多喜川」ではなくRe-set であるということ(ついでに愛飲するのが熱燗ではなく、冷たい白ワインであること)、あとは相変わらず原稿書きに追われ、学内でもさしたる地位になく、友人と酌み交わしてはよしなき話に興じ、若い女の子が遊びに来るといそいそとご飯を作り、ときどき麻雀をやりたくなるが相手がいないという点もまるで変わらない。

できれば死ぬ前にるんちゃんの花嫁姿を見たいけれど(ついでに「婿どの」に長説教をかましたいが)、まあ、それはそれで先方のご事情もあることだし、あまり差し出がましいことは望むまい。

そのうち『父ありき』か『戸田家の兄妹』のお父さんみたいに、「ああ、いい気分だ」と言っているうちに酔生夢死の境でころんと死ねるはずである。

 

『晩春』を見てから、諸星大二郎の『西遊妖猿伝』を第一巻から読み返して寝る。

諸星大二郎の中国ものはまことにディープであるが、いったい孫悟空と玄奘法師はいつになったら天竺にたどりるけるのであろう。だいたい沙悟浄だってまだ出てこないのである。はたして私が死ぬ前に完結してもらえるのであろうか。諸星先生、他はいいから、『西遊妖猿伝』の続き書いてね。

一日だらけていたので、朝6時に目が覚める。

まだ真っ暗である。

コーヒーをいれて、レヴィナス『困難な自由』の翻訳にとりかかって、がしがし訳す。

がしがし。

老師のお言葉はまことにひとことひとことが叡智に満たされている。

本日のお言葉。

私たちの西欧の歴史学と歴史哲学は、征服者によって書かれ、勝利によって伝播された。だから、それはユマニスムの理念を告知しはするが、征服されたもの、犠牲に供されたもの、迫害されたものについては、まるでそのようなものには何の意味もないかのように、無視するのである。

西欧の歴史学と歴史哲学はたしかに暴力を告発はする。しかし、この歴史そのものが、この矛盾を意に介することなしに成就されたのである。なんと尊大なユマニスムだろうか。暴力の告発は、翻って別の暴力、別の傲慢を創始する危険がある。それが疎外であり、スターリン主義である。

「戦争に対する戦争」は戦争に対する疚しさなしに戦争を継続させる。

私たちの時代はたしかに非暴力の価値について、あらためてその理を説かれなくても、熟知している。しかし、ここにはおそらく受動性についての、卑劣さでないある種の弱さについての、他者に強いることの許されぬ種類の忍耐についての省察が欠如している。(「ジャコブ・ゴルダン」)

 

「卑劣さではない弱さ」の価値について、「他者に強いることの許されぬ種類の忍耐」の意味について、私たちの時代は歴史から何を学んできたのであろうか。

私たちはレヴィナスを今こそ読まねばならない。


1月10日

合気道会の「鏡開き」。

納会は平日だったので、集まりが悪かったが、今回は三連休の初日なので、どやどやとお稽古から人が集まる。

30人くらいお稽古に来たので、さすがに広い柔道場も手狭である。

鏡開きと聞きつけて、京都から赤星くんが「牛乳焼酎」という奇々怪々なのみものを二升かかえて登場。

国分さんも牛肉の差し入れをしてくれた(美味しかったです! にんにくと醤油とバターで炒めて頂きました)。

稽古終了後そのままわが家に集まって、古式に則り「ぜんざい」と御神酒を頂いてから宴会に突入。総勢20数名。

午後3時半から宴会が始まったので、日が暮れるころには全員「何を言っても爆笑の『わしどーでもえーけん』状態」となる。

そのうちなぜか「懐メロ大会」となり、ユーミンやサザンを聴いているうちにさらに「ディスコ大会」となり、ウチダの指導により全員参加の「ステップ学習会」が開かれる。

ダンスのステップは合気道の足捌きに通じるものがあり、これがすらすらすいすいとできないようでは、合気道もなかなか習得しがたいのである。

そのままわいわいとしゃべっているうちに深更にいたり、私は午前2時半においとましたが、7人はさらに歓を尽くして、わが家に沈没。

客用寝具が一人前しかないので、女子5人(かなぴょん、くー、おいちゃん、ウッキー、しおちゃん)はそこにかたまって暖をとり、男子ふたり(Pちゃんとドクター佐藤)はフローリングで臥したらしい(ドクターは私の家から歩いて五分のところにお住まいなのに、わが家の床に倒れていた。よほど去りがたかったのであろう)。

昼近くに起き出して、守さんからいただいた「讃岐うどん」12人前をたいらげ、さらにお茶をのみながらぐだぐだとしゃべり続け、結局、前日の稽古から数えて連続25時間遊んで散会。

むかし芦屋の山手町のころは、合気道の宴会のあと朝起きるとわが家に10人くらい学生がごろごろ寝ているということがしばしばあった。さすがにウチダも齢知命を過ぎて「徹夜の宴会」というのが体力的にきつくなり、終電まえに解散を宣言するようにしていたのであるが、昨日はまことに愉快な会であったので、ついつい夜更かしをしてしまった。

年末から続いた「宴会シリーズ」もこれでいちおう打ち止めである。

「空き瓶」を年末に出しそびれたので、この一ヶ月の間にわが家の宴会で開けたワインボトルがベランダに山積みしてあるが、そのままワイン屋が開けるほどの本数である。

よくぞ、これだけ飲んだものだ。

さ、明日から心を入れ替えて、仕事に邁進しよう。

でも、今日はもう眠いから寝ちゃうのだ。

 

IT秘書のイワモトくんが「シグマリオン3」を購入して、設定までしてくれたので、今日からシグマリオンは二世代目となった。

前の「シグマリオン2」はバックアップのバッテリーがなくなったという表示が出たので、芦屋のDOCOMOで「バックアップバッテリーちょうだい」と言ったら、「うちじゃ売ってないです。電気屋で買って下さい」といわれたので、不審に思いつつもセイデンで電池を替えたのであるが、そのうちデータが全部消えてしまった。

私が電気屋で替えたのはバックアップバッテリーではなく、「バックアップバッテリー交換時のバックアップ用電池」だったのである。

もちろん、メカのことを何も知らずにそういうことをする私も悪いが、仮にも自社製品の純正部品を買いに来た客に、「それはそこらの電気屋で売ってます」と返事をする芦屋のdocomoの兄ちゃんもいかがかと思うぞ。

ともあれ、シグマリオン2のデータは全部消えてしまったし、なんだか「あや」がついたので、この機会に(ドクターもご愛用の)シグマリオン3にヴァージョンアップすることにした。

シグマリオン3は4万円ほどのモバイルで重さも文庫本3冊分ほどしかないが、モバイルながらキーボードの両手打ちができるので、ノートパソコンと同じくらいの仕事ができる。

先代のシグマリオンもずいぶん活用した。『映画の構造分析』の半分くらいはホテルの部屋や駅の待合室や新幹線車内でシグマリオンに打ち込んだのである。

ポータブルな原稿書きツールとしてはこれにすぐるものはないであろう。

「はいお疲れさん」とシグマリオン2を「不燃ゴミ」のバケツに捨てようとしたら、イワモトくんがその袖をはっしと捉えて言うには「センセイ! これ、バッテリー替えれば、まだ使えるんですよ! 誰か欲しいひとにあげましょうよ」。

こんなもん欲しがる人がいるかね、と申し上げると、イワモトくんは例のごとく深くゆっくりうなずきながらこう言ったのである。

「ホームページの100万ヒット記念の景品にするのです」

ちなみに、イワモトくんが考えた「100万ヒット景品」案とは

 

100万ヒットピタリ賞 → 先生サイン入り新刊(100万記念ネコマンガ付き)

前後賞         → 先生愛用シグマリオン2(若干、あるいは相当のメンテナンス要)

              先生特製ドレッシング(クール宅急便にて)

前々後々賞       → 長屋の方から何か一品

              あるいは先生の家に溢れるお酒一本。

★当該件数にカウンタの画面をスクリーンショットで保存して(PCにはそういう機能があります)先生までメールを送っていただく。

せっかくの100万件ですから、お祭りもよろしいのではないでしょうか。

特にピタリ賞はファンの方としてはかなり嬉しいものだと思います。(一ファンとして、)

 

彼の予測によると、カウンターが100万の大台に乗るのは75日後だそうである。

でも、あれこれ梱包して宅急便で送るって、なんだかめんどくさそうだね。

「特製ドレッシング」なんていっても、酸っぱいだけだし。

(あ、「そういうこと」は全部秘書がやってくれるのか)。

うむ、任せた。よいように計らってくれ給え。


1月8日

高島進子先生の最終講義を聴きに大学へ行き、先生の「ビルドゥング」についての回想をお聴きする。

高島先生は「ぼくの好きな先生」(@忌野清志郎)である。

どういう点が好きなのか考えてみたら、高島先生は私と同じく「いらちの人」なのであった。

「いらちの人」は「諦念の人」でもある。

resignation は森鴎外が自らの性情について述べた形容であるが、それは「言葉は、決して『ほんとうに言いたいこと』には届かない。でも、それだからといって、『黙す』という選択を私はしない」というしかたで「自分が語る言葉」と「自分のほんとうに言いたいこと」の乖離を受け容れたひとのたたずまいを指す言葉である。

高島先生が65年の人生を35分で語りきるという「力業」に挑んでいるのをお聴きして、私はこの方は「諦念の人」であり、その「潔さ」に私はつよく惹かれていたのだということにいまさらながら気づいたのである。

神戸女学院からまたひとり、その最良の知的リソースが失われる。

高島先生、ながい間ご苦労さまでした。今後のご活躍を祈念いたします。

 

斎藤哲也くんから『使える新書』が送られてくる。

斎藤くんは何年か前に合気道の取材に来た編集者である。

とても感覚のいい人だった。

その後もウチダ本のプレゼンをいろいろなメディアで発信してくれた「営業上の恩人」である(googleで検索すると、このホームページの次に斎藤くんの「ウチダ・インタビュー」が出てくる。甲野先生、名越先生とのツーショットなど、けっこうレアなコンテンツが見られるのである)。

今回は『寝な構』をご紹介いただいたのであるが、そのコメントが秀逸であったので謹んで再録させて頂く。

内田樹氏は、天才的な批評眼の持ち主か、稀代の大ボラ吹きかのどちらかである。そうでなければ、フーコーやらラカンやらの難解な構造主義の知見にピタリとあてはまるたとえ話を次々と思いつくはずがない。おそらく可能性としては後者の確率が高い。

「稀代の大ボラ吹き」とあれば、読者は思わず「おお、どんな本か、読んでみようかしら」と思うに違いない。

まことにありがたいことである。

ご本と同時にご本人から年賀状も届いたので、ご返事に

「どうして判っちゃったの?」

と書き送る。

ま、誰でも判るか。


1月7日

終日お仕事。

卒論がどどどどメールで届き、それをどんどん読んで、コメントを付けて返送する。

16本読まないといけないのであるから大変である。

ハヤナギ先生は、右手に赤ペンでぐいぐいと訂正してしまうようだが、ウチダはそのようなパトスがないので、「このへんふくらませてね」とか「ここはなくてもいいよ」というようなヤワなコメントをちょろっと書くだけ。

でも、なかなか面白い。

ウチダゼミは「何でもあり」だが、なんといってもウチダとしては、文学作品を卒論テーマに選んでもらえるとうれしい。

今年は三島由紀夫、谷崎潤一郎、村上春樹、と三人が作家論を書いているのでウチダは幸せである。

どれも面白いが、多田くんの村上春樹論(村上作品に頻出する「井戸」のモチーフを扱ったもの)がとりわけ秀逸である。このネタはそのままお借りして私のレヴィナス論に流用させていただく予定。

最近の若いもんは文学作品を読まない、というようなことがメディアでは「常識」とされているが、こういう「メディアが自明視する常識」ほど当てにならないものはない。

最近の若い方々の特徴はあらゆる領域における「二極分化」である。

読まない人はもうまったく読まない。その代わり、読むひとは、がしがし読む。

私たちの世代までは「必読書リスト」をひとつひとつつぶしてゆくような「義務的読書」が励行された。そのために、「みんなが読んでいる本だから私も読まねば」という教養主義的平均化が果たされた。

いまの「読書家」は違う。

教養主義がほとんど崩壊した状況なので、「必読書リスト」なんて存在しないのだ。

だから、逆に読書家たちは節度なく読む。

「ふつう、そんなもの読まないぞ」

というようなものまで読む。

谷崎論を書いている井上くんは谷崎の全作品(さらには谷崎松子の書簡まで)を読破したようである。

そこまで読む人は、昔の文学少女にだって、あまりいなかった。

これと同じ傾向が、あらゆる知的領域でも生じつつあるのではないかとウチダは思う。

「文化資本の局在化」については、佐藤学先生も指摘されていた。

芸術作品についての鑑識眼が備わっているとか、ニューヨークとパリに別荘があるとか、数カ国語が読めるとか、能楽を嗜んでいるとか、武道の免許皆伝であるとか、そういう子どものころから文化資本を潤沢に享受してきた学生が一方におり、一方に、ひたすら塾通いで受験勉強だけしてきて成績以外には取り柄のない学生たちがいる。

そのような集団の歴然とした「文化的インフラ」の格差が、この十年くらいのあいだに東大で際だってきた、というのが佐藤先生のお話であった。

同じことはアスリートをみていても感じる。

一方に世界的水準の身体能力をもつアスリートが輩出しており、その一方で総体としての子どもの身体能力や身体感受性は目を覆わんばかりに劣化している。

日本人は「マジョリティ」のあとを追うことに懸命であるために、社会のおおきな地殻変動が「少数派」のあり方の変化から始まることを見落としがちである。

でも、実際に社会の地殻変動は起き始めている。

それはかつての「一億総中流」から「二極分解」への流れである。

実際には「総中流」といっても、「中流」には「限りなく上流に近いアッパーミドル」から「限りなくビンボー人に近いロウワー・ミドル」までを含まれていた。

そのように中産階級の定義が「グレー」だったのは、最終的に「上流」とか「中流」とかの差別化の指標となっていたのが「年収」だったからである。

年収は定義上毎年変わる。

栄耀栄華を謳歌していたバブリーな紳士が夜逃げして四畳半一間に逼塞するということは珍しいことではないし、昨日までコンビニで働いていた姉ちゃんが一夜にしてアイドルスターになるということだってなくはない。

しかし、現在進行中の「二極分解」の境界線は毎年更新される「年収」ではない。

境界線として機能するのは「文化資本の差」である。

年収は本人の努力でいくらでも変わるけれど、子どもの頃から浴びてきた文化資本の差は、二十歳すぎてからはもう「更新」できない。

そのような「成人して以後はキャッチアップ不能の指標に基づく階層差」がいま生まれつつある(ジェイ・ギャツビーが遭遇した「限界」である)。

近年の統計によると、中学2年生の平均読書時間は一日15分。一方テレビ、テレビゲームに費やす時間は2時間40分である。

自宅学習時間についても日本の子どもは(40%がゼロで)先進国最低である。

そのような子どもが「ほとんど」である一方、そうでないごく少数の子どもがいる。苅谷によれば、その差は母親の学歴と相関している。

東大の入学者における親の学歴と平均年収の増加は急カーブを描いていることはメディアも報じているが、そのことの歴史的意味はまだみんなよく分かっていない。

それは、そのような「ごく少数の子どもたち」は成長したあとも、「メンバーズオンリーの閉鎖集団」を作るだろうということである(だって「バカとは共通の話題がない」んだから仕方がない)。

私たちはいま「新しい階級社会」の出現を前にしているのである。

それは現在流布している「勝ち組」と「負け組」という身も蓋もない区分ではなく、「バカ組」と「利口組」というさらに身も蓋もない区分(「バカの壁」)によって隔てられた階級社会なのである。


1月6日

恒例の「ほそかわでふぐを食べる会」。

例年は年末の行事なのだが、去年は山本画伯が個展直前で、とてもふぐなど食している余裕がない、ということで年始めに開催の運びとなった。

集まったのは山本浩二・森永一衣ご夫妻と山本画伯のご母堂(神戸女学院の卒業生で、私の母と同年である)、そして画伯のご友人ナガタご夫妻。

「ほそかわ」のふぐはうまいです。

てっさ、焼きふぐ、揚げふぐ、てっちり、雑炊をむさぼりつつ、ひれ酒をくいくいと頂く。

ああああああ(恍惚の吐息)

ふぐというのは、あまり頻繁に食べるものではない。

年に一度か二度というくらいが「ふぐの祝祭性」を維持するにちょうどよい加減である。

寒風に吹きさらされつつ、満腹のおなかをゆすりながら帰途につく。

しかし、正月からこっちずっと美食続きで、ついに体重は76キロのすこし手前まで達してしまった。もう少し痩せないと新学期が始まってもスーツが入らない。

 

行きの地下鉄で佐藤忠男『小津安二郎の芸術』を読む。

年末に小津安二郎全作品DVDが届いたので、映画をみては、いろいろな人の書いた小津論の本をひもといている。

この名著を読むのは二度目。最初は石川くんに薦められて二十代の終わり頃に読んだのだから、もう大昔のことである。

佐藤の描く小津の肖像もたいへん魅力的であるが、その中にすてきな言葉があった。

昭和33年、『彼岸花』の撮影中に、小津、岩崎昶、飯田心美の鼎談が『キネマ旬報』で行われた。そのときの小津の言葉。

独特のカメラワークについて論じた中で、小津は「絶対にパンしない」と言ったあとにこう続けている。

「性に合わないんだ。ぼくの生活条件として、なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従うから、どうにもきらいなものはどうにもならないんだ。だから、これは不自然だということは百も承知で、しかもぼくは嫌いなんだ。そういうことはあるでしょう。嫌いなんだが、理屈にあわない。理屈にあわないんだが、嫌いだからやらない。こういう所からぼくの個性が出てくるので、ゆるがせにはできない。理屈にあわなくともぼくはそれをやる。」

「いやなものはいやだ」と言って芸術院会員への推薦を断ったのは私の敬愛する内田百間先生である。

その百間先生は文部省からの博士号を「いらないものはいらない」と断った師たる漱石の事績にならったのである。

というわけで「今週の名言」は天才小津安二郎の

なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う。

に決定。


1月5日

山本浩二画伯の個展のオープニング・パーティ。

画伯の個展は東京はモーリス画廊、大阪は番画廊とだいたい決まっている。

大作主義の画伯にはいささか狭いスペースだが、淀屋橋のほとりというロケーションはたいへんありがたい。

熱海から新幹線でもどって、たまった年賀状に返事を書いて、入れ替わりに東京へ帰るるんちゃんを送り出してから、ワインとチーズを片手に梅田に出る。

会場はすでに顔なじみの画伯の友人たちで立て込んでいる。

人々の隙間を縫って、とりあえず新作を拝見。

水墨画のような枯淡な画風のタブローが二点あり、左側の絵が気に入ったので、即購入。

私は実は山本浩二のかなり熱心なコレクターなのである。タブロー、版画、クロッキーといろいろ取りそろえており、わが家の装飾というのは山本くんの絵だけである。

画伯の没後、これらの絵画が高騰する予定であるので、その日のくるのを指折り数えて待っているのであるが、画伯は私の百倍くらい健康な人間なので、画商に「おおお、こ、これはすごいコレクションですな! 一財産ですぜ」と言われて「ふふふ、この日の来るのを待っていたのだよ」と頬をゆるめて笑うのは夢に終わりそうである。

しかし、つらつらおもんみるに、兄ちゃんの会社や平川君の会社の株式や山本浩二の絵など、私はけっこう「宝くじ」を所有している。

これらの「宝くじ」のどれかが「当たったら」どうしようかな、と空想するのが私の趣味の一つである。

とりあえず、芦屋に百坪ほどの土地を買って、道場を建てる。

道場は平屋の和風建築で、畳が50畳に三間四方の板の間がついていて、畳は見所、板の間はそのまま稽古舞台に使えるようになっている。

板の間の横に渡り廊下があって、それを橋懸かりに見立てる。当然庭には松。

渡り廊下の向こうに和室が二つ三つある。私の書斎と居室である。

廊下がぐるりと三方を周りを囲んでいて、障子を開け放つと、全部吹き通しになる。

当然、生活様式も和風となり、私はそこで着物を着て、長火鉢によりかかって、庭の梅の木の鶯や築山にかかる月などを眺めてひねもす沈思黙考してすごすのである。

なんと、気分がよろしそうではありませんか。

土地代に5億。建ものに3億ほどかかるし、舞台の背後の老松の絵とか、調度の民具とか、ひねもすのたりの大島紬とか、いろいろかかりがあるので、とりあえず10億ほどは必要である。

そんなことを夢見心地で考えながら画伯の作品をゲット。

そのあと、楠山さんご夫妻、尾中さん、塚脇さん、藤井さんなど、年に一度会う山本画伯のおともだちとともに、新御堂筋の「亀寿司中店」へ雪崩れ込む。

ここのお寿司はたいへんに美味である。

中トロ、バッテラ、鰻、穴子、烏賊、蛸、鰯、鉄火巻、かんぴょう巻などをむさぼり食い、日本酒をくいくいのむ。

芸術的感興を満たされ、談論風発、美味を満喫し、まことにしあわせな新年の行事である。

みなさんとお会いするのは、年に一度、この機会だけなので、「それではまた来年お会いしましょう、よいお年を」と挨拶をかわして、お別れする。

 

朝日新聞の川崎さんという方から「『おだじまん』が再開しましたよ」というお知らせメールが届いた(まことにご親切な方である)。

http://www.wanet.ne.jp/~odajima/diary/top.html

2003年はほとんど更新されなかかった小田嶋隆先生のウェブ日記がお正月からまた読めるようになったのである。

古手のオダジマファンにとっては、まことにうれしい「お年玉」である。


1月5日

大晦日からの日々を振り返ると

12月31日:一日、お仕事。夜半より恒例の春日神社の『翁』へ。帰途、芦屋神社で初詣。おみくじは「大吉」。

 

1月1日:年賀状返礼ののち、天気がよいので、とりあえず洗濯。その後、どたばたと荷造りして相模原へ。母、兄ちゃんにご挨拶して、るんちゃんにお年玉。

 

1月2日:上野毛のエックス義母宅にるんちゃんと共にお年賀。

自由が丘で平川くん、石川くんと会って、新年のご挨拶。平川君とは今年「東京ファイティングキッズ」の他に、もう一つなんか仕掛ける予定。

石川くんも、ここらで人生に区切りをつけて、新機軸展開の由。キーワードは「ミッション」。

国際情勢の来し方行く末について論じるが、あまり明るい展望が得られず、暗い顔になる。

去年は松下正己くんも独立したし、われらが青春のアーバン・トランスレーションはゆるやかに回想の彼方に消えつつある。

 

1月3日:恒例の多田先生宅新年会にドクター佐藤とともにお伺い。

東大気錬会の諸君、自由が丘の笹本先輩、大田さんと痛飲。

多田先生の手作り「天狗舞どぼどぼ入り、鶏のお雑煮」やお煮しめを頂きつつ、キャンティの1.5リットルボトルをぐいぐい飲む。飲み過ぎて、小田急で眠って乗り過ごす。目が覚めると「湘南台」。

湘南台って、どこ?

なんだか江ノ島の近くまで来てしまったらしい。

 

1月4日:恒例の「家族そろって温泉旅行」に、熱海に来る。相模湾をみおろす絶景のロケーションで、露天風呂につかっては、おしゃべりして、美食を堪能する。

次回は、「みんなそろって麻雀旅行」というものを計画。兄ちゃん、平川くん、石川くんと温泉につかってわいわい麻雀をしようということになる。麻雀というのは毛沢東時代の大陸では「老人以外はしちゃダメ」ということになっていたようだが、私たちももうそろそろ「隠居、余生」の時節である。余生というのは「あとはもう死ぬだけなんだから、すきなことやらせてくれよ」という言い訳が通るので、ぐっと人生のオプションが広がってたいへんに使い勝手のよろしいものなのである。

鈴木晶先生も年頭にきっぱりと「隠居宣言」をなされていたことだし、今年はみなそろって「わしら、隠居ですけ、ま、ひとつおめこぼしを」路線を突っ走ることにする。


1月5日

立場上詳細は申し上げられないので、以下に述べるのは一般論である。

どうやら国立大学は独法化をにらんで、「綱紀粛正」路線に突き進んでいるらしい。

しかし、「大学教員としての倫理規範」のようなものを掲げて、舌禍筆禍事件をきっかけにして逸脱者をどんどん排除してゆくような粛正路線を歩んでゆくと、最終的には「沈香も焚かず、屁もひらず」的なサラリーマン教員だけで大学が埋まってしまうことにはならないのであろうか。

私なども、インターネットのホームページにしばしば大学のあり方についての批判を書き連ねているし、自身の生活態度もまた諸人の範とするにはほど遠いが、それについて理事長学長から「こまるよ、ウチダくん、ああいうこと書かれちゃ」と譴責を受けるというようなことは、これまでのところ起きていない。

制度の健全を保つのは、なによりも「情報公開」である。

大学というのは公共性の高い機関であり、それゆえに、大学がどのような歴史的文脈のうちに位置づけられており、どのような可能性とどのような限界を持っているかについてひろく情報公開をすすめ、同意を求め、批判を受け容れることは大学人の「社会的責務」のひとつである、と私は考えている。

たしかに自分の勤務する大学について批判的に言及するということが、大学に不利益をもたらす場合もある。

しかし、組織内に批判的な発言の場が確保せられている、ということは最終的には大学の知的威信にとって、プラスに作用すると私は考えている。

教職員全員が学長の合図ひとつで、異口同音に同じスローガンを繰り返す大学よりも、学内において教育理念や組織問題について侃々諤々の議論が沸騰している大学の方が、大学のあり方としては健全ではないだろうか。

立場上知り得た情報についても、どこまで批判的文脈に乗せるかという「さじ加減」はことは個々の大学人の良識に委ねるべきことであると私は思う。

特に、それが問題の多い事実を開示することによって、組織の問題点を改善せんとするという方向性をもっているものである限り、内部からの情報公開に対しては、できるかぎりこれをモラルサポートする、というのが組織人としての筋目ではないのか。

 

前年のCOL(特色のある大学教育支援プログラム)において文部科学省がはっきりしめした方針は、大学の「市場開放」方針である。

大学の淘汰を市場に委ねるという基本方針に私は反対しない。

しかし、市場開放政策への組織的対応として、「学長をトップとする上意下達組織の整備と、大学教授会からの人事権・予算権の剥奪」がリコメンドされる、ということになると話が違う。

トップダウンで機能する組織もあるし、トップダウンでは機能しない組織もある。

営利企業がトップダウンシステムを取るのは、市場のリアクションが早いから、トップの判断の成否がただちに検証されるからである。

経営判断の組織的責任が明らかであれば、失敗成功の原因発見と問題点改善がすぐに行われる。

しかし、大学はそういう短期的に反応するマーケットを相手にしているわけではない。

短期的に言えば、大学にとっての「市場」とは(入り口における)志願者と(出口における)就職先であるが、志願者数が多いとか、就職率がよい、とかいうことだけで、ただちにその大学の教育の「質」について判定することはできない。

ある年、志願者が減ったとか、就職率が落ちたという「市場の短期的反応」だけで、教育理念や手法が「間違っていた」と結論することはむずかしい(某大学はある年に志願者が前年度より急増したが、それは最寄り駅が「特急停車駅」になったせいであった)。

大学教育ではさまざまな教育理念、教育手法をもった教員たちがそれぞれ自分の信じる仕方で学生を育て上げる。その無数の教育的介入の複合効果として「最終製品」ができあがる。

「この学生は私の製品である。この作品の出来がよいのは、私の教育理念と手法が正しかったからである」といばって主張できるような教職員は大学にはいない。同じように、教育が仮に失敗して、ろくでもない卒業生しか送り出すことができなかったとしても、それを「私の責任である」と言って引き取る権利をもつ人間もいない。

理事会の経営判断がまったく間違っていた場合でも、個々の教職員が必死の努力で、その組織的な欠陥を補って、最終的に「すぐれたアウトプット」を達成するということがありえる。逆に教員はスカばかりだが、経営判断が絶妙で、優秀な学生がひきもきらず集まるという学校だってあるだろう。

大学というシステムはあまりに複合的なファクターが絡み合い、そのアウトプットの査定も、プロセスの統制も、なかなか一元的にはなされえない場なのである。

この点がマーケットの反応がすべてを決定するレンジの短い企業活動と大学のようなレンジの長い教育活動の決定的な違いである。

その差異を大学の企業化を推進せんとする人々はご理解頂けているのであろうか。

ウチダはそれが心配なのである。

 

教員がビジネスマインドをもつことは少しも悪いことではない。

しかし、いまの独法化の流れは、なんとなく、上司にごまをすり、付和雷同し、大勢に順応し、トップの命令に一斉に首をふる「イエスマン」の集団を作り上げようとしているように私には見える。

現在の支配的価値観に同意する人間たちだけを残し、それを懐疑したり、それに異議をさしはさむ人間たちを根絶やしにするような仕方でこの先国公立大学の再編が進むとすると、それは日本の知的未来に遠からず致命的な影響をもたらすことになるのではないか。

そこまで心配するのは心配のしすぎであろうか。


1月1日

あけましておめでとうございます。

顧みれば、まことにいろいろなことのあった一年間であった。

ほんらいであれば年末におこなうべきであるが、一日遅れで、元旦に2003年の「重大ニュース」の総括を行いたい。

1.いろいろな人と出会った。

あれ、一つで終わってしまった。

でも、ほんとうに多くの卓越した人々に辱知の栄を賜り、ただ驚嘆しているうちに一年が終わってしまったのである。

去年はじめてお目にかかって、私の思想や行動に強い影響を及ぼすことになったみなさん、と言えば。(文中ゴシック体は2003年にはじめて出会った方)

まず指を屈すべきは、その後私のなくてはならぬ主治医となった三宅安道先生。

三宅先生のお導きで、私は池上六朗先生という希代のヒーラーにお目にかかり、池上先生の三軸自在の思想はウチダの世界観と身体観に決定的な影響を及ぼすことになった。

三軸とのかかわりでは、赤羽恵さんはじめ何人もの治療者の方と知り合うことができたが、いちばん印象的だったのはうちのゼミのケンマちゃんの卒論に「M氏」として登場する「平成の残侠」最上浩さん。

「ワルモノ・エディター」白石正明さんと会ったのも去年である。辣腕エディターは「赤子の手をひねる」ようにウチダを否も応もなくケア本企画にまきこんだのであるが、その白石さんと晶文社の足立恵美さんがなぜか私を三砂ちづる先生の出会いをセッティングして下さった。

三砂先生の「お産の話」は人間が「人間になりはじめる」のが、私たちが想像している以上に「前に」遡るということを教えてくれた。

三砂先生のお話と私がこの一年ほどずっと考えていた「死の儀礼」の論件(人間が「人間であることを止める」のは、私たちが想像しているよりずっと「先」であるという考想)と併せると、「人間のエリアは人間が思っているよりずっと広い」という新しい考え方に結びつきそうな気がする。

毎日新聞の中野葉子さんとは、「もう新規の仕事はできませんから、仕事の話ぬきで、ただおしゃべりするだけなら」という条件をつけて夏に芦屋でお会いしたのであるが、私のおしゃべりから池上先生と三砂先生がただものではないことを察知するや、たちまち池上本、三砂本の企画をばりばりと立ててしまった。私はそのおかげで池上先生とごいっしょに本を出せることになったのであるから、「おしゃべり」の効用を侮ることはできない。

そして、どきどきのファーストコンタクトは、晶文社の安藤聡さんにセッティングしていただいた高橋源一郎さんとの出会い。

きっかけは高橋さんが朝日新聞の書評でウチダ本を評してくれたこと。さっそく角川書店の山本浩貴くんが『ため倫』文庫版の解説を高橋さんに頼んでご快諾いただき、一方私は『現代詩手帖』の「高橋源一郎特集」に批評家論を寄稿し、講談社から出る『ジョン・レノン対火星人』の文庫の解説を書くことになる。その間、高橋さんは、”メル友”鈴木晶先生のご近所に引っ越してこられたし、旧友竹信悦夫くんの高校時代のツレが高橋さんであり、大学時代のツレが私なのであるから、もとより深いご縁があったのである。今年は神戸女学院大学の集中講義にお越し頂くことになっている。まことに楽しみなことである。

インターネット持仏堂の釈徹宗先生とお会いしたのも去年の夏のことである。それまでも釈先生からはご本を頂いたり、メールのやりとりはしていたのであるが、温顔に知性と魂の清らかさがにじむ学僧と共著で本を出すという野心的企画がぐいぐいと進行することになったのは、本願寺出版社の「スーパー・エディター」藤本真美さんの圧倒的な迫力のせいである。

忘れがたい印象を私に残した人というと、三宅先生にご紹介いただいた二人のトップアスリート、K−1の武蔵さんと、プロボクシングの本田秀伸さんの名前を落とすことができない。そういえば、お二人とも、芦屋川のイタリアン・レストラン「ベリーニ」でぱくぱくご飯を食べながら、お話を聞いたのである。美味しかったなあ、ベリーニ。

橘さんと国分さんが初夏に三宮駅前に開いたRe-setでは新しくいろいろな方々とお会いしたし、講演やシンポジウムも去年はずいぶんたくさんやったので、そのつど企画の方々(朝日カルチャーセンターの河原さん、カウンセラーの信田さよ子さんとの対談をアレンジしてくれた米山さん、芦屋川カレッジの秋山さん、龍谷大学の亀山佳明先生、お世話になりました)とも聴衆の方々とも新しいご縁ができた。

でも、個人的には、去年いちばん楽しめたのは、大学院にどどどと登場された男子(おじさん)聴講生のみなさんとの交友である。

”ダンジリアス・エディター”の江弘毅さんと”ご近所川ドクター”佐藤友亮さんは一昨年登場なので、「去年の出会い」には含まれないが、新たに川崎さん渡邊さん光安さん谷口さん、ナガミツくん(おふたりとも、いつのまにか合気道にも入門された)、影浦くんだいはくりょく君(いつのまにか『ミーツ』のウチダ担当)、長崎通信の葉柳先生の弟子である須田くんらが登場。

とりわけ、”浜松のスーさん”こと鈴木さんには「うなとろ茶漬け」をおごってもらった上、勤務先の天竜中学の女子テニス部員への合気道指導の機会をご提供いただき、さらに浜松の中学の先生がたとのバトルトーク懇談会というイベントまで企画して頂いた。その折りの合気道講習がどうやらお気に召されたか、鈴木さんは、多田塾同門の浜松の寺田さんのところに入門して、私の「兄弟子(山田博信師範)のお弟子さんのお弟子さん」(「姪の子ども」って、親族名称ではなんというのであろう)というものになったのである(鈴木先生の「スーさんの悶絶うなとろ日記(仮題)」は新年より本ホームページで新連載だ)。

大学院の聴講生のみなさんとまさかこれほど「濃い」おつきあいになるとは思わなかった。

合気道部の”スーパー一年生”とウチダゼミの”変人”新入生たちはじめ教室で出会ったすべての学生たちをこのリストの最後に付け加えないといけない。

おっと、もうひとり、この半年のあいだ、ウチダがいちばんお世話になった新人の名を忘れるところであった。

そう、「痩せて不健康そうなサラリーマン」と私がうっかり書いてしまったために、そのヴァーチャル・パーソナリティに回復不能のダメージを負ってしまったIT秘書イワモト・トクトクくんである。イワモトくんは「痩せて不健康そうなサラリーマン」というよりは「細身で翳りある青年」ということにこの場を借りてご訂正させて頂きたい。

このほかにも、多くのありがたいご縁を新たに賜った。ひとりひとりの名を挙げることはできないけれど、年頭にあたって、旧年中のご厚情に深謝するとともに、2004年の倍旧のご友誼を賜ることができますよう、拝してご挨拶を申し上げる次第である。

みなさん、ことしもよろしくね。