The days of pains and regrets: from 1 Jan 2000
2月29日
週末は「新コース」のカリキュラムつくりで忙しかった。
アイディアを考えるのには時間はかからないのだけれど、いろいろな人から電話やファックスやメールでどんどんアイディアが寄せられるので、それを交通整理するのに、けっこう時間がかかってしまった。
今日、これから新コースのメンバーで集まって議論するので、そのための原案つくりなのだが、なんだかずいぶんかっこよいものができてしまった。(アイディアだけだけどね)
これなら「お客」が呼べるかもしれない。
志願者のことを「お客さま」というふうに私は考えている。大学の教育内容は(設備やサービスとかもふくめてだけれど)私たちが提供する「商品」である。
適正な対価で質の良い商品を提供する「正直商売」がビジネスの本道である。このことは誰でも分かる。
しかし、それだけではビジネスについての説明とはいえない。「なぜ私たちはビジネスをするのか?」というもっと根本的な問いへの答えになっていないからだ。
平川君はこれについて以前非常に面白い文章を寄せてくれた。
平川君によると、ビジネスの場でいきかっているのは商品・サービスと対価であるかに見えるが、それは仮象にすぎない。彼の言葉をそのまま引用しよう。
”お客と「わたし」の関係は、この「たてまえ」という概念上のインターフェースを境界として向き合っている。境界の向こう側に良く見えない「本音」がある。こちらがわにも相手に見せてはいない「本音」がある。この関係をもう半歩ひねってみれば、商品や、トークを媒介にしてお互いの本音が沈黙のコミュニケートをしている光景が見えるはずである。
売る人と買う人という擬似的な人間関係を、それがあくまでも擬似的な関係であるとしりつつそれを演じる。
この演じ方の中にお互いの「生身」を仮託し、信頼とか誠実といった「本音」を見せ合う。
そんなとき、「神」であるお客はどんな表情をするのだ ろうか。わたしは経験的に知っているのだが、だぶん「にやり」とするのである。
「にやり」の意味は、「お主、なかなかやるな」である。
ビジネス上のコミュニケーションは、「たてまえ」というインターフェース上にユニフォーム、敬語、ビジネスツールといったメタファーを使って営まれるゲームだ。参加資格は、ゲームのルールを守れること、ルールを理解できること、大人であること。 これは、案外複雑で高度なヘビーなゲームなのである。 大人はつらいのである。”(「一回ひねり」)
ビジネスも教育も本質的には同じゲームを演じていると私は思う。
平川君が言うとおり、それは「コミュニケーション」という名のゲームである。
意志疎通とか、価値の循環とかではなく、もっと根元的な意味におけるコミュニケーション。「遊戯」としてのコミュニケーション、それなしでは生きている意味がなくなってしまうようなコミュニケーション。
何かを贈る。何かが返ってくる。また贈り返す。また返ってくる・・・その往還そのものに深い愉悦を感じるという点に人間の人間性はあるという洞見を私はレヴィ=ストロースから教わった。
教育ビジネスはレヴィ=ストロース的な意味での根元的コミュニケーションである。
ビジネスである以上、商品(教育プログラム)と対価(学費)のバランスのよい往還が果たされねばならない。しかし、それだけではない。
教育的コミュニケーションである以上「情報と知見」の贈り物に対しては「学費」ではなく、「レスペクト」の反対給付がなされねばならない。
大事なのはこちらの方である。
大学が「死ぬ」ときとは学費が入らなくなるときではない。(商品のコストを下げれば、なんとか食いつなげる。)
そうではなく、私たちからの「贈りもの」に対して「レスペクト」の反対給付がなされなくなったときに大学は死ぬ。だから、私たちは「対価」として学生たちから「レスペクト」が返ってくるような商品を提供しなくてはならない。
日本近代史上でもっとも「成功した」学校は松下村塾だけれど、この学校にはもちろん授業料なんてありはしなかった。
2月25日
ISDNがようやくつながった。やれやれ。
フジイ君に電話をしたらちゃんと出てきた。さっそく窮状を訴えるが、さすがのフジイ君も「つながんないんだよお」というだけでは打つ手を思いつけない。
「いっそプロバイダごと換えたらいいんじゃないですか?」
という大胆なプランをご提起頂いた。
「どのプロバイダがいいかな」
とたずねたら
「どこでもいいですよ。お手元のパソコン雑誌に広告載ってるし、CD−ROMがついてて、そのまま接続までできちゃうところもありますよ」
「お手元のって・・・うちにパソコン雑誌なんてないもん」
「一冊も?」
「うん。そういうの読まないから」
「先生って・・・(絶句)そういう人でしたよね」
コンビニまで行って雑誌買うのもめんどくさいのでaptivaにプレインストールしてあるMSNにつないじゃおう(マイクロソフトのプロバイダに接続なんかしたら師匠からもフジイからも死ぬほど叱られるだろうなと怯えつつ)と勝手にパソコンをいじりまわしたが、これもつながらない。そうこうしているうちにinfoweb(@nifty) のサービスにようやく電話がつながった。サービスのお姉さんに窮状を訴え、その指示通りに設定をやりなおす。
そしたらつながった。
でも、途中でMSNなんかを途中までインストールしたので、作動環境がめちゃめちゃ不安定である。メーラーがへろへろしている。
困った。しかし、もうめんどくさいから、これでいいや。
師匠に「整理整頓」してもらおう。師匠よろしくね。
フジイありがとね。
***************************************************************
松下君からのメールによると『映画は死んだ』はようやくぱらぱらと書評に取り上げられてきているようである。
『美術手帖』の今月号と『PREMIEREプレミア日本版』の今月号の書評欄で、割りに大きなスペースで紹介されていてけっこう好意的な批評となっているそうである。
さっそくコンビニで立ち読み。おお、なんだかほめて書いてあるではないか。
考えてみると、自分が書いた本(翻訳ではなくて)を見ず知らずの他人が批評するのを読むというのはこれがはじめての経験である。けっこうどきどきしてしまった。
松下君からさらに続報。
「昨日の夜、CSでビデオ紹介の番組を見ていたら、「PREMIERE映画書籍紹介」というコーナーがあり、われわれの本も紹介されていました。
映画誌のPREMIEREと連動したコーナーのようです。
番組は、JスカイB720チャンネル「カミングスーンTV」の『VIP・新着ビデオ紹介』
いなほ書房の星田氏のところに照会があったのもこれだと思います。
この番組は二日に一回位の割合で放映されていますので、来月21日のPREMIERE の次号の発売までこの内容が続くはずです。」
Jスカイなんたらかんたらが見られる人は見て下さい。
2月24日
ISDNを導入した。
NTTの電話営業のおばちゃんの誘いにのって、インターネットしているあいだにかかってきた電話にも出られるし、インターネットの作動環境がよくなるし、電話代もおやすくなりまっせ、という甘言を信じて「じゃ、買う」と答えてしまった。
ISDNの何であるかも知らずに、こういう決定をしてしまうところが私の粗忽なところである。
さっそくNTTのおばちゃんがやってきて、モジュラーにアダプターをつないで、「はい、さよなら」と帰ろうとする。
あのインターネットの接続は?
するとCD−ROM一枚をマニュアル二冊を投げてよこして「あとは自分でやってね」
おいおい、いちばん面倒なところを客にやらせるのかい。それが面倒だから、セットアップまでしてくれるの?と電話で確認したじゃないか。
しかたがないので、マニュアルをみながらこりこりと設定をする。
案の定、インターネットにはつながらない。ははは。
何度やってもだめなので、パソコン道の師匠である野崎次郎先生に救援をもとめる。
「えー。ISDNなんか入れちゃったの?だめだよ、NTTはパソコンの敵なんだから」といきなり叱られる。
電話回線を使用することがインターネット普及の最大の障害であるので、NTTをつぶさないと日本の通信状況の劇的好転は望めないというのが師匠のご託宣であった。
そうか、私はうかつにも師匠の戦略の足をひっぱる選択をしてしまったのね。すんません師匠。でも、とりあえず、つないで。
師匠は骨がらみのMacフリークであるので、うちのIBMをにくにくしげに一瞥し、マウスを操作しながらもずっと Windowsマシンの悪口を言い続ける。
しかし1時間半ほどトライしたところで師匠も「なんか、つながんないみたいね。わかんないや。あとはプロバイダのサポートに電話して、自分でやってね」とつれなく去ってしまわれた。
それが一昨日のことである。
ISDNはいぜんとして機能しない。
NTTのサポートに電話がつながったので、その指示通りにPCをチェックしたが、モデムのインストールには異常がない。
「あとはプロバイダのサポートにご相談ください、がちゃん」
そのプロバイダのサポートは50回電話したがいつもお話中。
それが昨日のことである。
今朝一番に電話したら、「その番号は使われいません。新しい番号は・・・」というので、さすがの infoweb もあまりの電話の多さに反省して、サポートの拡張を試みたのだな、よしよしと新番号に電話したら、「ただいまサービスセンターは拡張工事のため休業中です。」
電脳メディアとかいっても、トラブルがあると「電話」でケースバイケースの身の上相談という超アナログ的なトラブルシュートでしか対応ができない。
というわけで超アナログ的な解決方法として「フジイを呼び寄せる」というアイディアを(最近、インターネットにはまっている)るんさんが提案してくれた。
新幹線代を払っても、このいらいらが解決できるなら安いものだ。たまにはフジイの顔も見たいしね。うん、それはいい考えだ。万事金で解決(そのせいでビンボー)という私の生き方にもなじみがよい。
というわけでフジイ君はこのホームページを読んでいたら、電話ちょうだい。(なぜ私から電話しないかというと、フジイは主義として電話に出ない人なのだ。変わった人だなー。)
2月23日
家賃を払って、多田先生の記念祝賀会の会費を送金したら、貯金の残額が3万円しかない。今日が給料日なのに・・・
なんだか先月はずいぶんお金を使ってしまった。
まだまだ支払いが山のように残っているし、スキーにも行くので、今月はめちゃ貧乏だ。通帳の残高のところに累々と△が付いていると、なんだかせつなくなる。
そういうときは、アーバンの株が店頭公開されて厚い札束をへへへと弄んでいる自分の姿をイメージして乗り越えることにしている。
単なる現実逃避なのかもしれない。
しかし、私は「貧乏に強い」体質なので、こんなことではへこたれない。
貧困と貧乏はちょと違う。
小田嶋隆の定義によると「貧困」とは「ボンカレーを食べなければならないような生き方」のことであり、「貧乏」とは「ボンカレーを美味しいと思ってしまうような生き方」のことである。
私はボンカレーも「サッポロ一番みそラーメン」もモスバーガーの「ロースカツバーガー」もことごとく「美味しい」と思ってしまうのであるが、これはやはり生来「ビンボー」ということであろう。
まあよい。今月は豚肉ともやしが中心のめにうがドミナントになるであろうということにすぎぬ。(それに私は豚肉ももやし大好きなのだ)
合気道のお稽古に急いで学校に行ったら、某先生に呼び止められて、大学改革のことについていろいろお説教をされた。
この先生は「困った人」なのであるが、現在の大学をめぐる状況がさまざまな社会的ファクターの複合的な結果であるということがどうしても理解できず、誰か「悪意」をもっている人間が大学を滅ぼそうと画策しているというふうにしか考えられない。
そして、この方によると、すべては私の「陰謀」だということになるようである。
しかし、この陰謀説はやや論拠に弱いところがある。
「陰謀」という以上は、それによって私が「私利私欲」のために策動しているはずなのだが、改革によって私自身が眼に見えるような利益を得ないことがこの方にもぼんやりとは分かるらしいからである。
だって、改革によって私の労働は強化されるばかりだし、責任だけが増えて、権限とかお手当とかいうものはまるで増えないからである。
それに現に私が学長とか学科長とか教務部長とか研究科委員長とかを「傀儡」として「ふふふ」と背後から操っているのであれば、すでに私はこの大学の事実上の「支配者」ということではありませんか。それ以上の何を望むでしょう。
先方もそのへんがよく分からないらしい。
というわけで、私がフランス文学の講義をさぼって、楽ちんな比較文化の講義でお茶を濁そうそうとしているとか、仲良しの難波江さんと同じ学科になりたがっているとか、そういう私的動機がからんでいるという非難をご用意されていた。(しかし、そんなせこい理由で大学改革やろうとする人がいるだろうか?)
たしかに状況が激変しているときに「すべてを説明できる単純な原理」を求めたく思うのは人情の常である。
フランス革命のあと、それまでの特権を奪われた貴族たちは、なぜこんなことが起こったのかどうしても理解できず、フランス革命そのものが「誰かの私利私欲のための陰謀」であると考えようとした。
そのときに「フランス革命の元凶」として実に多くの個人、団体がご指名の栄にあずかった。フリーメーソン、プロテスタント、イギリス政府、バヴァリアの啓明結社、聖堂騎士団、ユダヤ人などなど。
もっとも有名なのはエドゥアール・ドリュモンが『ユダヤ的フランス』で展開したロジックで、彼はその長大な書物の冒頭にこう書いた。
「フランス革命で利益を得たのは誰か?それこそがフランス革命を準備したものである。すべてはユダヤ人の利益に帰した。ということはフランス革命を画策したのはユダヤ人だということである。」
この愚劣なロジックをまともに受け取ったひとが当時のフランスには何十万人もおり、そのせいもあって、半世紀あと、彼のロジックはナチによる600万人のジェノサイドに結果したのである。
この「陰謀史観」を私は知的退廃のもっとも悪質なかたちだと思う。けれどもあまりにも多くの歴史的ファクターが錯綜しているときに「簡単な説明」にすがりつき知的負荷を軽減したがるのは、あまり知的でない人にとっては仕方がないことかなというふうにも思う。
でもさ、うちの大学の改革なんて、関係している人間が教員90人しかいないんだよ。
その人たちはみんな(少しずつ考え方は違うけど)「せめて自分がいる間は大学が潰れないでほしい」と必死に願っている。その願いを「私利私欲」というだろうか?
それらのファクターの複合的な効果の政治力学の中でいろいろなことが決まってくるなんてことは誰にだって分かる。
変数が最大で90しかないんだから、ちょっと頭使えば全体の政治的布置くらい分かると思う。
何で私一人の「陰謀」でぜんぶが動いているなんて思うんだろう。
それほどまでに知的負荷を軽減したいのだろうか。(たぶん)
それほどまでに頭が悪いのだろうか。(ひえー)
あるいはもしかするとほんとうにこの方が言うように、私はこの学園の「影の大番長」なのかもしれない。(本人も知らないうちに。やほー)
2月17日
日本文化学専攻の修論発表会。私が指導教官をしている院生はいないのだけれど、お招きいただいたので、見に行く。
だしものは、原田加代子さんの「河原操子-100年前の日本語教師」、西井久美子「賀茂家と宿曜師-暦家賀茂家と慶滋保胤を中心に-」、吉野華恵「近世日本における捨子の社会史」。楽しみにしていた大橋さんの「村上春樹論」はご本人が病気のため聴けなかった。
三人とも修士論文としては十分に厚みのある論考で、感心させられた。うちの若い衆(古田、古橋)は来年これくらいのレヴェルの研究発表をしてくれるだろうか、ちょっと焦ってきた。おいらが焦っても仕方がないのだが。
三つの発表のなかでは吉野さんの発表がいちばん刺激的だった。「捨子」というのはイタリア史の高橋友子先生のご専門だが、「子供を捨てる」というのは、単純に(生活が苦しいから育てられない)という経済的理由だけに発する行為ではなく、当然、「こども」という概念がそれぞれの時代にどのような幻想性を帯びていたのかに大きく依存している。
30年ほど前、アナール派のフィリップ・アリエスはその『子供の誕生』で、現在のような「こども」という概念(親によって養育、保護、教化されるべき十分に社会化されていない人格)が「おとな」とは峻別されるべきものとして確立したのが17-18世紀頃のことであるという仮説を提示して大きな議論を呼んだ。
当たり前のことだが、誕生した瞬間から死ぬまでのあいだの人間の身心の変化はまったくアナログ的なものであり、そこにデジタルな分節線を引くことは恣意的な記号化の行為であって、どういうふうに、いくつに分節するかは、それぞれの文化的集団がそれぞれの事情で、どのように決めてもよいのである。
もちろん生物学的に歴然とした身体的なメタモルフォーゼの徴候はある。
「自力で移動できる」「自力で捕食できる」「精通・初潮がある」「生殖能力がなくなる」「歯が抜ける」「自力移動ができなくなる」など、どの社会でもいちおうそれを基準にしてアナログな変化を分節している。
記号学的に言えば「こども」というポジティヴな項は存在せず、「こどもならざるもの」との示差性によってその概念はネガティヴに規定されるだけである。だから「捨て子」という営みによって「捨てられたもの」は実体的には0-3歳児であるわけだけれども、捨てる側がそれを「なにもの」と観念していたのかは、それぞれの時代、集団によって微妙に異なっていたと考えられる。
吉野さんの論考は、その「子供とは何か」という意識の変化の心性史に着眼していて、その点で私にはたいへん面白かった。
しかし、隣にいた上野先生はマルクス主義者なので、当然のように「心性史」というようなものが、生産関係、社会構造と相対的に独立して推移してゆくというアイディアを認めてくれない。捨て子を生み出した社会構造への分析が足りないと言うご指摘である。
そこで吉野さんを放り出して、上野先生とふたりで議論してしまった。
「心性とか性的幻想とかいうものは、社会構造や生産関係と直接的な因果関係はなく、多様なファクターの複合効果として出現するものですから、社会関係から『説明』しろというのはむりですよ」と抗議したのだが、「重層的な決定」というアイディアははねつけられてしまった。むきになって、「じゃあ先生はフーコーの仕事を認めないんですか?」と詰め寄ったら、「あんなもん、ふ」と鼻で笑われてしまった。
うーむ。レヴィ=ストロースが『野生の思考』でサルトル派を木っ端微塵にしたとき、マルクス主義者たちは「構造主義はブルジョワ・イデオロギー最後の砦」であるとして、レヴィ=ストロースとかバルトとかフーコーとかラカンの頭上には、「ベトナムの水田、アンデスの高地、アフリカの砂漠」からヨーロッパに血路を拓いて攻め寄せるプロレタリアの怒りの鉄槌が下るであろうと告知したが、あの死刑宣告はまだ有効だったのだった。
マルクス主義者の志操堅固にはほんと頭が下がります。いや、ほんとに。いやみじゃなく。
そのあと院生諸君との「打ち上げ」に参加。上野先生とさらにデスマッチを繰り広げようと思っていたのだが、先生は風邪気味でリタイア。残念。
制止するひとが誰もいないので、院生を相手にひとり勝手に吹き上がる。昨日の主な主張は「研究者はすべからくフィールドワーカーたるべし」という説教。
フィールドというのは、私の勝手な定義によると、「一回的・再生不能なデータ」のことである。繰り返し同じデータにアクセスすることが構造的に不可能であるようなデータ群を私は一括して「フィールド」と呼んでいる。
したがって、研究対象が「消えもの」であるような研究はすべてフィールドワークである。
そして、研究のオリジナリティはやはり「消えもの」との「一期一会」のコンタクトから発生する確率が圧倒的に高いのである。
もちろん公開されたデータだけを利用してまったくオリジナルな研究をするひともいる。けれども、そのような人たちも、実はどこかにその研究テーマとは直接にはかかわらないけれども「フィールド」を持っているのである。(通常は「一期一会の師弟関係」というかたちで)
「移ろうもの」に対しての集中。いまが一度だけのチャンスで、それを逃したらそのあともう一生経験できないものと直面しているとき、私たちはそれを全身で享受し、すみずみまで記憶に刻み込もうとして全身全霊をあげて集中する。
そのような経験のあり方を私はフィールドワークと呼んでいるのである。
そのほかフェミニズム批判とか私の本来的「おばさん」性についてとか、いろいろ語ったようにも記憶しているが、ワインをごくごく飲んでいたので、あらかた忘れてしまった。
2月15日
2月15日。昨日はバレンタインデー。母の誕生日でもある。古希をだいぶ過ぎたが母は元気であろうか。(ひとこと電話くらいすればよいのだろうが、そういうことはしない。なにせ根が悪人だから)
バレンタインデーなので、いろいろと菓子類をもらう。今年の変わり種は「鶴屋吉信」の「ハート羊羹」と広島限定販売「もみじペロティ・チョコ」とアンプレッションの「チョコムース」。
この時期はいろいろな甘いものが食べられる。しかし、高価な生チョコや林さん手作りのチョコクッキー(美味しいの、これ)などはみるみるうちにるんの胃袋に収まっていった。
「ホワイトデーにお返しするんですか?」と隣のみよちゃんのお母さん(などと言っても誰も知らないでしょうけど)に訊かれたけれど、めんどくさいのお返しなしです。あしからず。ごめんね。
バレンタインデーとかホワイトデーとかいう儀礼を「菓子屋の陰謀」というふうにさかしらに批判する人がいるけれど、私はそうは思わない。
贈与論というのは文化人類学上の一大テーマである。ひとにものを贈るというのは、かなり根源的な人類学的営為である。
バタイユは『呪われた部分』で北米インディアンの「ポトラッチ」という贈与習慣を分析して、贈与の本質は「愛他的動機から有用なものを与える」ことではなく、「贈られる側を心理的に威圧すること」であるという興味深い結論を導いている。
ポトラッチの場合は、最初は毛布とか什器とかいう生活にとって有用なものを贈るのだが、受け取ったものはただちにそれよりも多くのものを返礼することが義務づけられている。
もらったら、もらった以上をお返しするのである。お返しをしないと相手 の財力や雅量に屈服したことになるからである。だから、もらったらすぐにそれ以上の贈り物を贈り返す。返礼を受け取ったものは、さらに返礼し返す。
それが繰り返されているうちに、贈るものがなくなってしまう。仕方がないので、贈り主は、相手の目の前で自分の漁船を壊したり、自分の住居を焼いたり、奴隷の喉を掻き切ったりするようになる。
こんなことをされても、贈られる方はぜんぜんうれしくないが、それが贈り物である以上、自分も自分の財産をどんどん壊さないといけない。
こうして「毟り合い」の果てに、双方ともぼろぼろになり、無一物となり、最初に「参った」といった方の「負け」で勝負は決するのである。
この事例から分かるように、贈与というのは、有用物を交換する経済行為というような合理的な目的のものではない。(ジャン・ボードリヤールが「象徴価値」と名づけた)「社会的な差別化をもたらす力」を生み出すのが贈与の本質なのである。
つまり贈与とははもらった方が「負け」という「勝負」なのである。
むかしから「贈り物には消えものを」という生活の知恵がある。
ひとからもらった贈り物がいつまでも実在しているということは、心理的負債感をいつまでも感じ続けるということであって、もらった方はあまり嬉しくない。だから、ひとにものを贈るときは「花」のようにすぐに無価値になるもの、「飲食物」のようにやがて消費されるもの、「陶磁器やガラス器」のようにいずれ砕けて消えるものを贈るのが正しい心配りとされるのである。
経験的に言って、信楽焼の狸の置物とか、東京タワーの文鎮などのような「いつまでも存在し続けるもの」を贈ってよこすやつにろくな奴はいないが、それは贈与による心理的威圧感を相手に対してできるだけ長く行使したいという彼らの欲望が剥き出しになっているからである。
今回のバレンタイン勝負は、チョコをもらったままお返しをしない私の「負け」である。
私に贈り物をした諸君は「勝った」のであるが、諸君の勝利の徴であり、私に心理的負債感をもたらすはずの菓子類はことごとくるんの皮下脂肪に転化してしまうので、勝利の効果はあまり持続しないのだ。(それとも、るんのまるまるとした身体をみるたびに私は負債感をひしひし感じることになるのだろうか・・・)
2月14日
土日は「大学院自己評価委員会」のレポートで潰れてしまった。
官僚的文体でこりこりと書いていたら、だんだん精神が官僚的になってきた。
私はもともと体質的には権力的で官僚的で警察的な人間である。
高校時代、予備校時代を通じて、つねに「志望学部」は法学部だった。そのころの予定では東大法学部を出て司法試験を受けて検事になるか、公務員試験を受けて警察官僚になるか、どちらかを漠然と考えていた。(中学時代から六法全書を読んでいると飽きないというわけのわからないこどもであった。)それがなぜ仏文学者もどきなどになってしまったのであろうか。
本人にもよく分からない。
出願書類に書くときになって、なぜか手が「文科III類」のところにまるをつけてしまった。どうして土壇場になって文学部に志望変更したのか。理由は不明。
あとになって、自分の官僚的な体質に対して、自己嫌悪のようなものを感じていたのかもしれないと思うようになった。文学研究でもしているぶんにはあまりひとさまに迷惑を及ぼすこともあるまいと思ったのかもしれない。
「私は権力をもつと非常に有害な人間になるであろう」
ということを、私はけっこう早い時期に気が付いた。
そういうわけで私は「非権力的」な道をそれからたどることになるわけだが、これは「反権力的」というのとは似て非なるものである。
「反権力的なひと」というのは、(ドクター北之園みたいに)根っから権力機構が嫌いな人である。だからどういう巡り合わせでも、必ず権力機構と衝突するようなポジションに位置することになる。
「非権力的なひと」というのは、実は根は権力好きなのである。びしっと指揮系統の整った組織で、ばりばりと実務をこなし、人々を数値のように扱うことをこよなく愛してしまうような気質なのである。うっかりしていると、ずるずると権力中枢に寄り添ってしまうような危ない傾向を持っており、そういう自分が嫌い、という「一回ひねり」のひとなのである。
したがって、自分のやるべきことを考えるときに、「いかによいことをするか」というふうに前向きには考えることができず、「いかに、あまり有害にならないようにするか」というふうに考えてしまうのである。
こういう人の場合は、自己制御や自己韜晦で力尽きてしまって、あまりちゃんと自己実現できない。
しかし、根が悪い人で、そういう自分をなんとかしようと努力している人、というのは思いの外多い。(本学の同僚にも少なからずいる。実名をあげるとさしさわりがあるが、「ちょっとかどがあるけれど、話してみるとけっこういい人」というふうな風評のひとはだいたいこのタイプである。ほら、あの人とか、あの人とか。)
そういう人たちが「非権力的なひとたち」という層を構成しており、これは日本社会の各部に棲息しているのだが、なにしろ根が悪い人たちなので、集まって徒党を組むとか、綱領を発表するとか、そういうことはしないのである。
2月11日
三連休で、おまけに娘は修学旅行。
夢の三日間。さあ、ばりばり仕事するぞ。
とはいえ、初日はいちおうお祝い気分で神戸観世会に行く。番組は能が『班女』と『須磨源氏』。どちらも初見である。
三島由紀夫の『近代能楽集』の「班女」はなんだかよく分からない話であったが、オリジナルはわりと単純なラブ・ストーリーである。美濃国野上の宿の遊女が、東に下る吉田少将と一夜の契りを交わしてのち、他の客をとらなくなったので、楼主に追い出されて、ひとびとに「班女」とあだ名される狂女となって・・・という話である。
「班女」というのは漢の成帝の官女の名。君寵の衰えたのを秋の扇に譬えて歌った『怨歌行』の作者だそうである。(いま百科事典で調べた。私のことを口からでまかせばかり言っている人間と思っている人がおるようだが、実は小学生のころから分からないことはすぐに辞典を引いて調べるこどもだったのである。)
その『班女』を、ワキ方(吉田少将)がもう少し若くてハンサムだと気分が出るのになあ、と思いつつ見る。
『須磨源氏』の方は始まる前にロビーで小鼓方の久田舜一郎先生に会ったので「あまり演じられないので私はじめて見る能なんですけど、どんなんですか」とたずねたら、「あまり演じられないだけあって、つまらない能です」というにべもないお答えであった。
不吉な予言はよく当たる。
しかし、私が今日見に行ったのは能ではなくて、お師匠さま下川宜長先生の仕舞である。
観世の家元が『東北(とうぼく)』を舞ったあとに下川先生の『国栖(くず)』。家元のすぐあとという出番なので、ぐっと気合いの入った、我が師匠ながら、ほれぼれする舞い姿だった。
しかし能楽の観客層のとどまるところを知らない高齢化はどうしたものであろう。
観客の男女比はおよそ女性8に対して男性2。平均年齢は男性がおそらく60代を超えている。女性は若いひともまじっているので、それよりはだいぶ下がるだろうが、最多年齢層で言えば、これもたぶん60代。
観客も演者も「おば(あ)さん」たちで支えられているのが、日本の能楽の実状である。
杉良太郎とか五木ひろしとかも同じ様な年齢の客層に支えられていて、ちゃんと仕事をしているわけであるから別に心配するには及ばないのかもしれないけれど。
しかし、どこかで若い男性が組織的に参入してくるような機会を設けないと、能楽の未来はかなり限定的なものになってしまうような気がする。
下川先生によると、男性の参入を妨げている最大の要因は「月謝の高さ」なのだそうである。(月額自体はそれほどでもないが、チケットノルマや、年に何度かある社中の会のお役料や諸経費は、たしかにかなり高い。私も最初に紋付き袴一式を新調してお仕舞で能舞台を踏んだときにはボーナスの半分がとこ消えた。)
中高年のサラリーマンの中には「謡をやりたい」というひとはかなりいるのだが、みんなお小遣いが少ないので続けられない。(がんばって続けているサラリーマンも定年を迎えると奥さんに「禁止」されて泣く泣くやめて行くそうである。うう、哀しい日本人。)
私はさいわい「奥さん」などというやっかいな存在とはご縁がないので、お小遣いをばしばし使ってお稽古に励んでいる。
あと10年ごりごり稽古して、60歳になったら還暦祝で能を演じようという遠大な計画である。
演目の希望を言っていいなら、『土蜘蛛』で蜘蛛の糸をまきちらす蜘蛛の魔物のをやりたい。『小鍛冶』の小狐でもいい。とにかくあやしげな動物霊が取りついた「怪物」になって太鼓のビートに合わせて能舞台中を走り回るようなのをやりたい。『隅田川』とか『松風』とか「女の情念がどろどろ」ものは困る。(みんなだって私が小面をしてしゃらしゃら出てくるのなんか見たくないと思う。)
2月10日
紀伊国屋書店の人が来て、大学をめぐる状況についてレクチャーしてくれた。だいたい、分かっている話であるが、民間企業の人から「変化をおそれる組織は滅びます」ときっぱり断言されると、少しぞくぞくしてくる。
そのときに99年の出生数を質問されて誰も答えられなかった。(107万人だそうである。)
あと18年後の大学にとってのマーケットの大きさは今の段階ではっきりと分かっているわけである。(18年後のクライアント総数が分かっているなんていう業種はほかにないだろう。)
にもかかわらず、当の大学人がそんな基礎的なデータさえ把握していないで将来構想を議論しているということは、たしかに非常に恥ずかしいことである。
深く反省してしまった。
しかし、なぜ私たちは新生児の出生数というようなデータに鈍感であるのか。
しばらく考えているうちにその理由が分かった。うちの大学の教職員の過半数が「独身」であり、結婚していても子供がいないカップルが多いからである。
これはよく考えると変な話である。
かなり変な話である。
大学のクライアントは「こども」である。
にもかかわらず当の大学の教職員が「こどもの供給」にぜんぜん協力的でないのである。
いや、当人どころか学生に向かって「結婚するな」「こどもを産むな」というような思想を喧伝している教員さえいる。(現に私がそうであった。今は違うけど)
「結婚しないし、こどももうまない人たちがやっている大学」
これって、ユダヤ教徒の「ぶた饅屋」とか、日本野鳥の会直営焼鳥屋とか、禁酒連盟経営の居酒屋チェーンとかと同じような自家撞着を来してはいないか。
自分の商売そのものの成立基盤を本人が否定しているのである。
これ、まずいですよ。やっぱり。
ぶた饅屋をやる以上はユダヤ教から改宗したほうがいいし、ユダヤ教徒であり続けたいのならぶた饅屋以外の商売のほうがいいと私は思う。
2月10日
学科教授会があって、またまた学科再編について激論がかわされた。
諸先生、それぞれの視点から学科の、ひいては大学全体の将来を見通しての発言であるはずだが、なかなかまとまらない。
この数週間いろいろと議論を重ねてきて、議論を先に進めるのを妨害するファクターが二種類あることが分かった。
(1)何が起きているのかぜんぜん分かっていない人。
(2)何が起きているかは分かっているが、それを利己的な仕方で利用しようとする人。
(1)の人は組織もあらゆる生物と同様、「変化すること」を止めると死ぬ、という生物学的真理が分かっていない。
そういう基本的なことが分かっていないので、この人は「改革」について論じている場面で「議論そのものをやめろ」というかたちでしか議論にかかわってこない。すごくうるさくて、ほんとに迷惑である。
(2)の人は、「変化すること」の必要性は受け容れるが、それはぜひ「自分に」有利な仕方で展開してほしいと思っている。この人たちの言うことは一見するとなかなかクレヴァーであるが、やはり基本的なことが分かっていないので、合意形成には成功しない。
このスマートな人たちが忘れているのは、あらゆる集団において「自分がほしいものは、まずそれを他人に与えることによってしか手に入らない」という人類学的真理である。
何かを安定的なしかたで手に入れようと思ったら、まずそれを「贈与する」しかない。
それはレヴィ=ストロースなんか読まなくても、少しじっくり人間の行動を観察していれば誰にでも分かるはずである。
集団の成員たちが限定的な利益をゼロサム的に奪い合っていれば集団は必ず崩壊する。
何か得ようと望むものは、まず自分以外のひとにそれを贈らなければならない。そして、集団が健全に機能している限り、それは最初の贈り手のもとに必ず戻ってくる。
集団を成立させているのは「変化」であり、もっと身も蓋もなく言えば「循環」である。
大事なことは、まず「パス」を出すということである。
この人類学的真理を直観的に理解している人と、理解できない人がいる。
どうしてこんな簡単なことを理解できない人がいるのか、私にはうまく理解できない。
2月9日
先日の武道シンポジウムに東京から来てくれて平川克美君から武道論の原稿が届きましたので、さっそく掲載させて頂くことにしました。ごらんになりたい方は「ここ」をクリックして下さい。(目次のところでは『空手道は、どのように語られ得るのか』という題名で出ています。)なかなか気合いのはいった文章です。
平川君はむかし「現代詩人」でもあったのでもとから肌理の細かい言葉遣いをする人なのですが、そこに国際派ビジネスマンのボキャブラリーもからんできて、独特の言語空間が織りなされております。
それにつけも私の文体と(リズム感とか)すごく似てる、と思ってしまうのは私ひとりでしょうか?
これに呼応する私の「武道の科学」はいま執筆中。(忙しくてなかなか終わらないの)春休み中には仕上げて並べて掲載致します。
そういえば、武道シンポジウムのもうひとりのパネリストである鬼木正道先生のおたくは2月3日に無事に二番目のお嬢さんが誕生されました。おめでとうございます。
昨日はひさしぶりの「まるオフ」。
しこたま朝寝をしてから、しこたま昼飯を食べて、そのまま昼寝。
起きてから「大学院文学研究科」のための「点検評価」の文章というのをこりこり書く。
自分の学校をほめたりけなしたりする。
こういうのは「ほめる」か「けなす」かどちらかにスタンスが決まっていると仕事が楽なのだが、客観的、中立的な立場から、見るべき処をきちんと見る、ということになるとなかなか難しい。うちの大学にもそれなりによいところもあり、よくないところもある。
いろいろ書いていると、「よいところ」は組織が小さくて、小回りが利いて、教員と学生のコミュニケーションが比較的親密なところであり、「わるいところ」は機構がどろどろで、現場処理でなんでも片づけるので政策に組織性や一貫性がなく、基本的にその場しのぎという点である。
これは同じ現象の両面というほかない。一方だけを残して、他方をなくす、というわけにはゆかない。
まあなんでもそうなんだけどね。
2月7日
まだげほげほしているけれど、風邪は8割方治りました。
昨日の日曜日はほんとうに久しぶりの「休日」。貪るように眠り、たまった手紙類に返事を書き、たまった洗濯物にアイロンをかけ、エアコンのフィルターにたまったごみを掃除し、机の上にのしかからんばかりであった書類の山も半分ほど片づいた。
『現代思想のパフォーマンス』の初校が出たので、その校正。
われながら面白い。とくに「ラカン」の終わりの方は、けっこう思いつき的に書いたので、何を書いたのか忘れていた。校正しながら「ふむふむ。なに?おお、そうか・・・で、どうなるの?」とわくわくしながら読んでしまった。自分の原稿をわくわくしながら校正できるのだから、私はほんとに気楽なひとである。
ともあれ、一日仕事をして、ひさしぶりにゆっくり買い物をして、ひさしぶりにゆっくり晩ご飯を作った。(るんのリクエストで「ハンバーグ」)
ワインをのみながら台所で挽肉をこねこねしていると、「主婦のしやわせ」が身にしみてくる。ああ、ゆっくり主婦がしたい。(あたふた二週間走り回っているうちに観葉植物に水をやりわすれて、二本とも枯らしてしまった・・・。こういうところに「生活のすさみ」が出てしまうのよね、反省。)
今日はひさしぶりに下川先生のところのお稽古。先週風邪で休んでしまったので、今日はいちだんと稽古が厳しい。謡『小督』(「こごう」と読むのよ。小督の局と仲国のしみじみ話。私は仲国君)は無事パスしたが、仕舞と舞囃子『安宅』(「あたか」と読むの。弁慶の話。私は弁慶)はびしびし。歩き方がまるでなっていないそうである。人間五十年やってきてもぜんぜん「歩けてない」わけである。足裏の感覚や膝の使い方について下川先生にいろいろご注意を受ける。うーむ、身体技法は奥が深い。
2月4日
また会議。
でも今日の会議は「たのしい」会議。未来を語るためのミーティングだからである。
なんだかんだいっても「システムの組み替え」ということに私たちが夢中になるのは、そこには「レゴ」とかと同じような、一種の「積み木遊び」の要素があるからなのだろう。
風邪はだいぶ治ってきたけれど、まだ咳が止まらない。
風邪をひいていると、声が変な声になる。
むかし小学生の頃、私はかなりひどい「どもり」だった。ところが、風邪をひいて、声が「自分の声ではないみたい」になると、なぜか「どもり」がぴたりとおさまる、ということにあるとき気が付いた。
そのままぼけっと成長して、「どもり」もいつのまにか治って、ずいぶんおじさんになったあと、レヴィナス先生の『逃走について』というテクストを読んでいるときに、その理由が分かった。
私の「どもり」は「私が私であることの息苦しさ」に苦しみ、「私が私の声でしゃべっている不快さ」から一刻も早く逃れようと、している「逃走」のあえぎだったのだ。
だから、私の声が「他人の声」みたいに聞こえるあいだは、「私は私でしかない」という悲劇的状況を忘れることができて、つかのまの自由を味わっていたのである。
そう考えると、長じて、私が「どもり」でなくなったのは、自分でしゃべっている声はともかく、その内容が「ぜんぜん自分のものとは思えない」ようなことばかりしゃべるようになったからに違いない。
「ぜんぜん自分のものとは思えないようなこと」だけを選択的にしゃべり続けているうちに、私はひとから好かれるようになり、ときどきは尊敬さえされるようになった。
「どもり」も治ったし、いいことづくめなのだが、ときどき私のことを「うそつき」とかいって怒るひとがいるのが困る。
2月3日
発熱とホームページに書いたらいろいろなひとから見舞いのメールが届いた。
どうもありがとうございます。だいぶよくなりました。げほっ。
お見舞いメールのなかでいちばん感動したのは兄ちゃんからのメールでした。感動のあまりご紹介します。
「どんな案配ですか? あまりストレスためないようにね。 ぼくは他人に対して怒りを感じて、それを押さえるような場面がほとんどありません。 ぼくは会社で怒鳴ったりしたことはただの一度もありませんが、やっぱり社長さんなのでみんな気を使ってストレスためているんでしょうね。 社長っていうのはいいもんだ、と今感じています。 お大事に。」
自分の立っているポジションについて過小評価も過大評価もしていないという点に私は兄ちゃんの知性を感じたのです。それができないひとがぎょーーーーさんおんねん、兄ちゃん。
さて、入学試験である。
げほげほしながら試験監督をし、採点をし、会議をし、そのあいだにもいろいろな先生と話をする。
全員にまんべんなく咳をまちきらしたので、あと二三日すると、大学の教職員の方々の過半は39度の熱にうなされることになるであろう。申し訳ない。
松澤学長から「いろいろ大変みたいですけど、がんばってください」と激励のお言葉を賜った。
「いや、もうだめですよ。先生のせっかくの構想を実現できずにすみません」と気弱くうなだれてしまう。
しかし、学長が私たちの改革の動きに期待をかけていてくれる限りは、なんとしてもその志には報いなければならない。人生意気ニ感ズ・・・燕雀安ゾ鴻鵠之志ヲ・・・といささか魏徴詩的な気分になる。まあ「燕雀」ご本人は何言われてるのか意味わかんないだろうけど。
しかし漢文化だって私たちにとっては半ば肉化したとはいえ、もとは大切な異文化リソースである。そういうものを軽んじておいてグローバル・コミュニケーションとか言われても困るぞ。
異文化コミュニケーションというととりあえず英語で口頭のコミュニケーションがこなせればよい、というふうに考える人が大学の教員にも少なくない。しかし、私はそういうふうには思わない。
漱石の最初の訳業は『方丈記』の英訳だった。
中江兆民はルソーの『民約論』を訳したとき、適切な訳語を求めるためにまず漢訳を作った。(だから清末の革命家たちは兆民の漢訳『民約論』で理論武装することができたのである。)
複数の文化圏を空間も時間もかかわりなく自在に闊歩し、それぞれの文化の精華を享受し批評しそれを素材に新たな作品を創り出すことのできるできる能力。こういう能力を私は「異文化コミュニケーション」能力と呼びたい。
それはTOEFLが何点とか、そういうのとはまるでレヴェルの違う話だ。
アジアの多くの国がTOEFLの平均点で日本を上回っていることが最近新聞に出ていた。
「え、あんな国より下?」
というような国がいくつもあった。
受験生の数が何桁も違うのだから、比較するのはあまり意味がないけれど、新聞が「日本における英語教育の欠陥」だけをあげつらって、触れようとしないのは、それらのアジアの国々の多くが第二次大戦後に自国の古来の文字を棄ててアルファベット表記に変えたという事実である。日本でも敗戦直後に同様の議論があったからどこかで聞いたことがあるだろうが、本気で「ローマ字」を公用の表記にしようとした人々や、公用語をフランス語にしようと運動した人びとがいたのである。よそのことを嗤えない。
公用語は日本語のままであっても、ひとたび表記をローマ字に変えたら、もうラテン文字系の言語に習熟する以外、ある程度以上の抽象度の知的コミュニケーションを他者と成立させる手段はない。高等教育はヨーロッパの言語で行う他ないだろうし、ペーパーだってそれで書くほかないだろう。
datte,anata, konna moji hyouki de kakareta bunshou wo naganagato yomemasuka?
私は耐えられません。私なら英語をやるよ。
そのようにして、それらの国々はTOEFLの点数を上げた。
おかげで、目端の利く連中は外国に出稼ぎに出て、そのうちの何人かはビジネスや学界や芸能界で成功した。
おお、なんて素敵にインターナショナルなんだ。英語ができると10億人とコミュニケーションできるんだ。
でもビジネス・チャンスの拡大と、それで潤う人々の快楽の代償に、それらの国々は、全国民から、組織的に、彼らの国の伝統的な文化にテクスト経由で出会うチャンスを奪ったのである。
これらの国では、祖父たちの代以前の文字文化は「考古学の対象」になったからである。
アジア諸国の英語教育の成功をほめたたえるのは結構。けれどもそれらの若者たちは、その代償に、それまでの「父祖の文字」で書かれたテクストへのアクセス機会を構造的に奪われたことを忘れてよいものだろうか。
それが彼らにとってそんなに素晴らしいことだったのだろうか。
私にはそうは思えない。
けれども、彼らはもうそんなものを読む気もないだろうし、一世代あとには全部忘れてしまうだろう。
けれど、「異文化コミュニケーション」とはそういうような、世界中の景色がぜんぶ同じになるような平板化のこととは違うはずだと私は思う。
エドガー・アラン・ポーとシャルル・ボードレールの出会い、尾崎翠とココ・シャネルの出会い、スラヴォイ・ジジェクとアルフレッド・ヒッチコックの出会い、村上春樹とティム・オブライエンの出会い・・・それぞれの集団的=歴史的課題を重く背負ったひとびとの出会いのようなものを異文化コミュニケーションと呼ぶのではないのだろうか。
ひとはその身に背負った「かけがえのないもの」を代償としてはじめて他者と出会うことになるのである。
そんなことは当たり前である。
「あなた自身の身に誇るべき何を負っているのか」いまの大学生にそう問うことはそれほど空しいことだろうか。
私はそうは思わない。
けれど、たしかに、いまの大学生には漱石や兆民や鴎外や荷風にあったものが決定的に欠けている。
知性ではない。(それもちょっと足りないけれど、もっと足りないものがある)
それは「矜持」である。
「矜持」ってなんて読むの?とつぶやいた君。
もう一度言うね。
そういうことを言ってきょとんとしている君に欠けているものは、「知性」ではなく「矜持」なのである。(「きょうじ」と読むのだよ)
自分が無知であることを恥じる心がある限り、知性は活動状態にある。
自分の無知を恥じる心を失ったときに、知性は死ぬ。
「矜持」とは「含羞」の「よそいき」の顔のことである。
「含羞」ってなんて読むの?って。
とほほ。