とほほの日々

The days of pains and regrets: from 1 Jan 2000



3月29日

フロイトの読書会で『精神分析入門』を読む。

なんでいまさら、とお思いでしょうが、近年の女子学生の「基礎知識」はほとんど壊滅的な状態にある。学生の60%は私の中学二年生時の読書量に及ばないという「知的荒廃」が進行中なのである。

マルクスもフロイトもフッサールもニーチェもデカルトもサルトルも・・・読んでない。そのわりには「ジェンダー」だとか「ポストモダン」だとか「ファロス」だとかいうことは小耳にはさんでいる。

もちろんそういうものを読むことも必要であろう。私はべつに柄谷行人やテリー・イーグルトンを読むなといっているのではない。

ただ、それよりももっと効率的な読書があるよ、といっているにすぎない。

ラカンをよむひまがあったらフロイトを読む。アルチュセールを読むひまがあったらマルクスを読む。デリダをよむひまがあったらデカルトを読む。その方が、時間がかからず、ものごとの本質にたどり着くことができる。

「賢い人は話が早い」から。

というわけで「古典に親しむ」読書会では今後マルクス、フッサール、ニーチェなどを読んでゆく予定。参加希望者はどなたでもどうぞ。

 

昨日の朝日新聞の学芸欄に読売新聞社主の勤労動員されていた高校生時代の読書リストが出ていた。カント、デカルト、パスカル、ダンテ、ゲーテ、西田、和辻などを読みまくっている。批評家がこれを評して、むかしの高校生はたくさん本を読んでいて偉いという風に書いていた。

けれども、これだけ読んだあげくが「ナベツネ」である。

本なんか読んでもひとは賢くならないという峻厳な歴史的事実の前に私たちはうなだれるほかはない。


3月27日

昨日、26日に多田宏先生の合気道植芝道場入門50周年記念祝賀会が東京の吉祥寺第一ホテルであった。道主植芝守央先生、本部の有川師範、藤田師範、イタリアの藤本師範らのご来賓を迎えて、多田塾門下生400人が集まり、平安の間は床が抜けそうであった。

わが自由が丘道場の先輩である山田博信、亀井格一、窪田育弘の諸師範を筆頭に、私が兄事した笹本猛、百瀬和輝、今崎正敏、岡田康太郎、小野寺親らの先輩諸氏、同期の清水良真、小堀秋両君はじめ広瀬良三、大田正史、浅井雅史、今井良晴、芥正幸、西田誠一・・・と自由が丘道場の畳の垢をともになめた懐かしい顔が一堂に会した。早稲田大学合気道会、東大気錬会の諸君とも久闊を叙した。

多田先生の会らしく、出てきてスピーチされる中にひとりとして偉ぶったり、かっこつけたりするひとがいない。全員が多田先生に対する深い尊敬と親しみをそれぞれの言葉にして語ってくれた。

参会者全員が主賓を心から敬愛している場だけで感じることのできる、格調高く、しかしとてもフレンドリーなパーティだった。

多田先生のお話の最後で、「自分はまだ小学生くらいだと思っていたら、もう七十になってしまったよ」とおっしゃられたときは満座爆笑だったけれど、ほんとうに多田先生としてはそういう実感なのだろうと思う。迷うことなく、迂回を知らずに一直線に武道を究めてきた人だけが語りうる言葉だろうと思う。

この師匠についてきてよかった、心から感じた一日だった。

本学からは林佳奈、江口さやかの新旧主将と、角田紘子(杖道会主将)の幹部三人と、札幌から田口亮子さんが出席。(しかし、田口さんはおおはばに遅刻して閉会30分前に飛び込んできた。こまったやつだ。でも二次会で、亀井先輩や小堀さんにたっぷり「説教」をしていただけたので、大喜びで帰っていった。よかったね。)

 

そのあと相模原の実家に帰って、老両親のご尊顔を拝してご挨拶。朝早起きだったので、ビールを呑んだらもうろうとしてきたので、9時にふとんにもぐりこんで『ビューティフル・ライフ』の最終回で木村君といっしょにうるうると涙をこぼしながら寝てしまう。

月曜日は夕方からお稽古なので、8時起き。お父上は知人の葬儀とかで喪服を着ている。

その葬儀の連絡の電話が日曜の晩にあった。そのときの両親の会話。

父「・・・はあ、そうですか、はい、承知しました。じゃ、明日10時半にお迎えに来ていただけるんですね。では、さようなら、またあした」(がちゃんと受話器を置く)「おい・・・Xさんのお母さんがなくなったそうだよ」

母「あら、よかったじゃない。」

父「うん、ぼけてたからな。寝付かれでもしたらXさんもたまらんだろ」

母「ほんとによかったわね。Xさんもほっとしたでしょ」

私は両親のこの会話を聞いて、仰天した。

「ねえ、お母さん。あのさ、ボケた老母が死んで、こどもがほっとするというのはわかるけどさ、そういうときって『まあ、こういっちゃ何だけど』とか『ここだけの話、正直なところね』とかそういう『まえふり』があってから、ようやく『死んで、ほっとしてるんじゃないの』というふうに続くもんじゃないの?いきなり『あらよかったわね』はいくらなんでも、あんまりじゃありませんか」

しかし母は私のささやかな抗議を歯牙にもかけなかった。

「あら、私は正直もんだというので、まわりから信頼されているのよ。内田さんは、絶対嘘つかないって」

そらそうでしょうよ。

ともあれ、私はなぜ自分が少年期より、多くの知友に「内田って、ほんとににべもない性格だな」といわれてきたのか、その理由を不意に理解したのであった。

同時に、この家庭環境で育った私が「二枚舌」とか「ほんねとたてまえ」の使い分けなどの高等技能の習得にそれ以後長い歳月を要したのも無理からぬことであると思う。(そして、人間は、努力によって獲得した能力については、これを最大限活用したいと切望するものなのである。)


3月23日

ポストモダニストの悪口を書いたはいいが、なんとなく気持が片づかない。

私は岡真理の『記憶/物語』を批判して次のように書いた。

「ポストモダニズムはほとんど「語り口」のことだけを中心的な論件にしてきたはずなのに、なぜ自分たちの『語り口』の問題だけは構造的に見落とし続けるのだろう。(・・・) 岡自身、自分がどういう言葉遣いによってそのような思想を語っているかについてもう少し敏感にならなくてはならないと私は思う。」

ある命題を語る言葉遣いそのものが命題を否認していることがある。あるメッセージを伝えるメディアそのものがメッセージを否認していることがある。(私がひとに過ちを指摘されて謝るときの「すまない」という言葉遣いがそうだ。グレゴリー・ベイトソンはこれを「ダブル・バインド」と名づけた。)

私はそれと同質のものを岡の文体に感じて、「息苦しい」と文句をつけた。

けれども、この文句の付け方は、どこかで聞いたことがある。

どこで聞いたんだろうと考えていたら、思い出した。

これはジャック・デリダが1967年の「暴力と形而上学」という長大なレヴィナス論で、レヴィナス先生に致命的と思われた批判を浴びせかけたときのくちぶりをそのままなぞっているのだ。

デリダの批判は「レヴィナスの言葉遣いそのものがレヴィナスの思想を裏切っている」という言い方でなされた。

デリダのレヴィナス批判はだいたい次のようにまとめられる。

「ひとは、おのれの哲学的源泉と断絶したと思いこんでいるまさにそのときに、自分が超克しようとしている当の概念、比喩、思考習慣に寄りかかってしまう。レヴィナスもまた最終的には彼が廃棄しようと目指してきたものの正しさを確証して終わることになる。だから、レヴィナスは彼の最大の仮想敵であるヘーゲルやハイデガーにきわめて近い。彼自身がそうありたいと望んでいるよりはるかに。それも、彼がヘーゲルやハイデガーに一見するともっともラディカルなしかたで対立しているように見えるそのときに。レヴィナスが先駆者たちあらがって語り始めるや否や、レヴィナスは彼らの正しさを確証してしまうのである。」

これは反論することの非常にむずかしい批判である。

私たちは思想内容をいくら批判されてもこたえないが、思想をかたる言葉遣いを批判されるとひとことも返せなくなる。(おそらく、「文体」が、バルトに言わせれば、生物学的に刻印された私たちの宿命、私たちの「牢獄」だからである。)

「言葉遣い」についての批判に反論しようとするとき、私たちは自分が準備した反論のひとことひとことが批判の正しさを確証するような仕方でしか(つまり、その「パターン」をすっかり見透かされてしまった語法によってしか)語られ得ないということに気づくからである。

才能のある論争家はこのことを直観的に知っている。例えばサルトルがそうだ。サルトルはモーリアック、メルロー=ポンティ、カミュと、論敵たちの「言葉遣い」をあげつらって、彼らを次々と失語症に追い込んでいった。

デリダも天才的な論争家なので、これを熟知していた。そして、その「ひとの言葉遣いにひそむ裏切りの要素のえぐり出し」という戦略そのものを一個の「体系」にしてしまったのである。ものすごく乱暴に言えば、それが1970年以後、人文科学の世界での「最強の論争用ウエポン」となった「デコンストラクション」なるものである。

私は自分でも気がつかないうちにデリダの「ウエポン」を拝借して、ひとの言葉遣いのあげあしとりをしていたのである。

これは致命的だ。誰だって、次のような批判をすぐ思いつくからである。

「『語り口』だけを問題にしてきたポストモダニストがなぜ自分の『語り口』についてはこれほど無反省的でいられるのだろう」という「語り口」そのものがポストモダニスト固有のものであることにどうして内田は無反省的でいられるのだろう。

そしてこの批判もまた「・・・と語るX氏は、そう語っている自分自身が内田と同じ批判の論法を繰り返していることにどうして無反省的でいられるのだろう」というふうにいくらでも続けることができる。

これではブランショ的な無限後退だ。

「おれは自分の背中を見られるぜ」

「そういうおまえの背中を俺は見ているよ」

「というおまえの背中を俺は・・・」

うんざりだ。

止めよう。

岡さん、おいらが悪かった。「うほほいブックレビュー」で書いた悪口のことは忘れてください。

「あなたに届く言葉を語れるだろうか」というような脅迫的な構文で「教化と馴致」の語法を語っていたのはおいら自身だったのかもしれない。

すまない。(この「すまない」には反省の気持がこもっている。)


3月19日

卒業式、追いコン、謝恩会、と年度末最後の行事が一通り終わった。帝国ホテルでの謝恩会の帰りの阪急電車の中で清水先生とおしゃべりしながら

「今日からちょっとだけ春休みですね」とため息をつく。

「これで、やっと仕事ができますね」

当たり前のことだけれど、私たちは学者なので、研究をしているときがいちばんしあわせである。

教室でインプロヴィゼーションの絶頂に達したり、同僚のみなさんと大学教育のあり方について真剣な議論を交わすのもそれなりに充実した時間ではあるけれど、やはりいちばんしみじみとしあわせを感じるのは、山のように積み上げた参考文献を読み倒しながら、キーボードをばしばし打って論文を書いているときである。

学者が論文を一本書くというのは、大工さんが家を一軒建てるとか、画家が作品を一点仕上げるとかいうのと同じような達成感がある(と思う、家を建てたことも油絵を描いたこともないから想像だけど)。

論文を書いていると、しばしば時間を忘れる。

朝日を浴びて仕事を始めて、気がつくと窓の外に月がかかっている、ということだってある。

そのあいだ「どこかよそ」へ行っているのである。

自分の脳の中のある回路に入り込んでいるうちに、見知らぬ場所に出てしまう。

見たことのあるような知らないような不思議な風景なので、スケッチしたり、メモをとったりする。

するとあっちから知っているような知らないような「ひと」がやってくる。

「そのひと」と話し込む。

「そのひと」は私自身のようであり、見知らぬ人のようでもある。

「そのひと」は私が知らない不思議な術語や概念を使ってしゃべる。

でも、その言葉の意味は何となく分かる。

「そのひと」は私のことをよく知っている。

私が眼を背けてきた精神の暗部や記憶から消していたことを覚えていて、いろいろ教えてくれる。

そのことで私を責めるわけではない。

放蕩を重ねた果てに老境を迎えた人が、自分と同じ愚行を犯している年少者に応接するときのような、哀しく涼しい目で、私をみつめるだけである。

「そのひと」と話し込んでいるうちに長い時間が経つ。

そして我に返ると、あら不思議。

ディスプレイには数頁分の原稿が書き上がっているのである。

うまく言えないけれど、私にとって論文を書くというのは、だいたいこのような経験である。

それはたぶん自分の中に「私より多くを知っている賢者」というものを想定して、そのひとに私自身の知見の不足を指摘してもらう、という対話の運動を発生させることなのだろう。

知というのは実体ではない。運動である。

「知っていると想定されている主体」(sujet-suppose-savoir) を「私」の外部に想像的に構築する能力そのもののことである。

ラカンの言う「知っていると想定されている主体」というのはマンガによくある「馬の鼻先にぶらさげられたニンジン」のことである。

「ニンジン」は馬の首にくくりつけられた竿の先から糸でつるしてあるので、「馬」はぜったいに「ニンジン」には追いつけない。

でも「ニンジン」がある限り、「馬」は走る。

学者のしごとはこの「馬」よりはちょっとましである。

ときどき何かのはずみで「ニンジン」が揺れて、はしっこがバリッと囓りとれることがあるからである。

美味いんだな、これが。


3月20日

ロール・キャベツを作る。

なぜロール・キャベツを作るにいたったかについてはいろいろあるのだが、それはともかく。

はじめて作ってみたが、なかなか美味である。

キャベツ料理を思いついた理由のひとつは、先日の極楽スキーの会で「愛のキャベツ話」というのが盛り上がって、大笑いしたことである。

どういう話の流れだったか忘れてしまったけれど、最後の夜の宴会で、ワインなどをごくごく頂きながらみんなでおしゃべりしていたときに、私が自分の性格の悪さの証明として、こんな経験をしたことがあるというお話をした。

はたちを少し過ぎた頃、私は「美人ですごく性格の悪い女」とつきあっていた。(当時の私は「地味めだが性格のよいひと」と「ど派手だが性格の悪いひと」と交互に交際するという傾向があったのである。このときは後者)

私も性格のよくないひとなので、この関係はほとんど恒常的に熱いヘゲモニー闘争と冷戦状態の繰り返しということになって心の安まるひまがない。

そんなある日、私たちは例によってつまらぬことから言い合いをして、例によって彼女がドアをばたんと締めて帰ってしまった。

私はこういうときに後を追っても、ただ路上で口喧嘩を続けることにしかならないことを経験的に熟知していたので、そのままほおっておいた。

そして、言い合いでお腹がすいてしまったので、いそいそとエプロンをつけて「エースコックのワンタンメン」の作成にとりかかったのである。冷蔵庫をみるとしなびたキャベツが転がっている。これをラーメンに入れようと、取り出してまな板の上でとんとんと刻んでいたら、ドアが開いた。

彼女はなぜおまえは走り去る女の後を追って来ないのか、この薄情者と文句を言うためにわざわざ戻ってきたのである。

痴話喧嘩のあと、女が走り去った部屋に残された若い男が

夕焼けに見入る

煙草を吸う

ウイスキーをあおる

大音量でロックを聴く

詩を書く

などというのは彼女の美意識からすると許容できるというか、なかなか好ましい絵柄である。(それを見に来たわけだ)

しかるに、彼女がそこに見出したのは、エプロン男キャベツを刻むの絵柄だったのである。

ラーメンを食べるのは許せもしよう、しかし「キャベツを刻んで」いては許せまい。

こうして私たちの愛は終わったのである。

 

するとあろうことか、「キャベツが縁で愛が終わった」話をおふたりが続けたのである。

A先生は「キャベツのグラタン」を作って恋人と食卓を囲んでいたとき、ホワイトソース仕立てのグラタンに男がものもいわずに「お醤油」をじょーっとかけたのを見た瞬間に「愛が終わった」という悲しい話をしてくれた。

B先生は「ロールキャベツ」を作って恋人と食卓を囲んでいたとき、「君の作るロールキャベツは世界一だよ」という言葉を男が発するのを聞いた瞬間、「この男、美味しいものを食べたことがないのね」と知って「100年の恋いがさめた」という悲しい話をしてくれた。

しかし、この愛の終わりの遠因には「思わずお醤油をかけられてしまうグラタン」と「美味しいはずのないロールキャベツ」をつくって恋人に供した彼女たちのがわの料理人としての適性の問題も若干はかかわっているのではないかと思うのは私一人だろうか。(あ、ごめんなさい。ぶたないで)

しかし、もっとも壮烈なのは四番目のケースなのだが、これはあまりに壮絶な話だったので、全員の記憶に堅く封印されてしまったのだ。


3月16日

るんさんが春休みで東京へ行った。

「青春18切符」で東海道本線でとことこ住吉から横浜まで行くという。

なんで?と聞いたら、「若いんだから、苦労をしたい」のだそうである。

偉い。

あまり偉いのでたくさんお小遣いをあげて、五時起きで朝ご飯をつくって、雨の中を住吉まで車で送ってあげた。

「がんばって自立してね、父さん応援しているよ」

というのは何となくこどもを自立させるときの言いぐさではないようにも思うが気のせいだろうか。

平川君からビジネスカフェ・ジャパンの設立発起人になってというお知らせがきた。

さっそく100万円投資する。

これでサンノゼにできるインキュベーション会社の株主になったわけである。

アメリカのヴェンチャー・ビジネスに投資している日本人仏文学者は、おそら私ひとりであろう。

ふふふ。

別にこれでお金をもうけようというわけではない。

ともだちが世界をまたにかけてビジネスをしようというのである。

「がんばってね、おいら応援しているよ」という心意気である。

もちろん株式が店頭公開されて億万長者になるのはぜんぜんやぶさかではない。むしろ歓迎すべき事態であると言って過言ではないであろう。

 

るんさんがいなくなって、教授会もいちおう終わったので、今日からわずか二週間だけど春休みである。

猛然と仕事をする。

休みになるとほくほくして仕事をするというのはなんだか間違っているような気がするが気のせいだろうか。

滞っていたコリン・デイヴィスの『レヴィナス入門』をこりこりと訳す。

こりこりこりこり。

英語の本だけれど日本語みたいにすらすら読める。

デイヴィス君が言いたいことが実によく分かるからである。

レヴィナス先生について書かれたものを読んでいて「そうそう、そーなんですよ」というふうに相づちをうちたくなる本を読んだのはこれがはじめてである。

デイヴィス君がめちゃ賢いのか、それとも私とバカさの程度がぴったり同じなのかいずれかなのであろう。

私はなんだか後者のような気がする。

 

野崎"師匠"次郎君から『「敗戦後論」とポストモダニズム』が送られてきた。

さっそく読む。

面白い。師匠、なかなか気合いがはいっている。

なんと私の文章まで引用されているではないか。

ひとの論文に引用されている自分の文章を読むというのは変な気分である。

ちょっとどきどきする。

師匠の結論は私の『戦争論の構造』と通じるものがある。それは「誤りうることを引き受ける文学の力」を信じるという決断である。

「正しいこと」より大事なことがある。

それは私にも直観的に分かる。

でも、それが何かということはうまく言えない。

以前、上野千鶴子の書いたものについてどう思うか問われて

「正しいけれど、徳がない」

と言ったことを思い出した。

「徳」て何だろう。

レヴィナス先生には「徳」がある。

カミュにも「徳」がある。

たぶんそれは「自分を後にして、ひとを先にする」という大きな心の持ち方のことなのだろうけれど、そのような「大きな心」を持つためには、超人的な知性が必要だ。

「知性だけじゃだめなんだよ」ということを言い切れる哲学者の自己の知性に対する圧倒的な自負を指摘する人はあまりいない。

それは「お金じゃ買えないものもあるんですよ」という言葉をビンボー人が口にしてもあんまり説得力がないのと似ている。

う、自分で書いていて胸が痛んできた。このたとえは止めよう。

レヴィナス先生のお家の書斎にはあんまり本がなかった。

先生は「ぼくテレビがすきなの」とおっしゃって、大きな受像器がどーんと部屋のまん中においてあった。

20世紀を代表する哲学者になって、もう読むべき本がなくなってしまった知性から世界はどんなふうに見えるのだろう。

レヴィナス先生はフランスのテレビでフランスのヴァラエティー番組をみながら

「もう、バカなんだから。しかたないねえ」

と微笑まれていたのであろうか。

分からん。

「もう読むべき本がなくなってしまった知性」から見える世界の光景を想像するためにはボルヘス的想像力が必要だ。

うーむ。

想像できん。


3月15日

るんさんがレコードをずるずるとラックから引き出してる。

去年の暮れにクリスマス・プレゼントでコロンビアのちっちゃいレコードプレイヤーを買ってあげたのだが、それで聴くものを探しているらしい。最近の女子高校生のあいだではふるいアナログレコードを聴くのが先端的な音楽活動のようである。

「おお」

とるんの叫び声がする。

「お父さんのレコード・コレクションて渋いじゃない」

あれこれと選び出して床に並べている。

構わず仕事をしていたら、隣の部屋からとんでもない音がきこえてきた。

♪水の匂いが眩しい通りに/雨に憑かれたひとびとが行き交う

おいおいそれは「12月の雨の日」じゃないの、どこからそんなもの探してきたんだ。

「これいい曲だね」

「これはね、はっぴいえんどのデビューアルバム、通称『ゆでめん』に収録された彼らの初レコーディング曲で、ここから『日本語によるロック』が始まったという歴史的名曲なのだよ。しかし、なんでまたいまごろはっぴいえんどを・・・」

「いま音楽聴いている子はみんな、はっぴいえんど知ってるよ。」

「え゛―!!」

どうやら彼女たちのごひいきの当世のバンドのみなさんが「影響を受けた先人」とか「アマチュアのころコピーしたバンド」とか「カヴァーをしている曲」の中に細野晴臣、大瀧詠一、坂本龍一、井上陽水、忌野清志郎といった方々がおられるようである。「アイドルのアイドル」であるから、るんさん、崇敬の念をこめてレコードを押し戴いている。

るんさんが選び出して床に並べていたレコードは次の通り。

『ベスト・オブ・トラフィック/トラフィック』(これはジャケットがかっこいいからという理由で選んだとのこと。ひさしぶりにスティーヴィー・ウィンウッドの「ペーパー・サン」を聴いた)

『リヴォルヴァー』(この変な人誰?というので「リンゴじゃない」といったら驚いていた。そういえばこのジャケットには隅っこのほうに小さくthe Beatles と書いてあるだけでクラウル・ヴーアマンのイラストで埋め尽くされている)

『パール/ジャニス・ジョプリン』(ジャニス・ジョプリンとジミヘンはいまの高校生にとっても依然として「神さま」であるらしい。ジム・モリソンはどうなっているのだろう)

『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー/YMO』(YMOはるんさんごひいきのテクノバンド、ポリシックスのアイドル。ひさしぶりに『ライディーン』を聴く。)

『浮気なぼくら/YMO』(♪君に胸キュン・・・うう、なつかしい)

『レトロスペクティヴ/バッフォロー・スプリングフィールド』(これはいったいどういう根拠で選んだの?いやー、なんか怪しいバンドだなーと思って。これ誰?若き日のニール・ヤングさまですがな。はっぴいえんどはこのバンドのコピーバンドとして出発したのだから、いわば『日本語のロック』の直系の祖先なんすよこれが。)

『ホテル・カリフォルニア/イーグルス』(この選択にはあんまり意外性はない)

『ディズレーリ・ギアーズ/クリーム』(Sunshine of your love のギター・リフを聴きながら「これいいね」。そうなのだよ、エリック・クラプトンといえば、これと『レイラ』で決まりだよ)

『ベスト・オブ・モンキーズ』(るんさんはこれがいちばん感動したようであった。「ステッピン・ストーン」をミシェルガンエレファントがカヴァーしたことでモンキーズの名はいちやく女子高校生のあいだに知られてそうであるが、肝心のモンキーズの音源は超レアである。こんなところにあったのね。お父さんて偉い!なんのなんの、ふ・ふ・ふ)

るんさんは気づいていないようだが、私のコレクションの自慢は『ナイアガラ・ムーン』以後の大瀧詠一のアナログをずらりと揃えていることである。『レッツ・オンド・アゲイン』なんか発売当日に買いに走ったのである。CDがどんどん再発されているとはいえ、大瀧詠一のアナログはものによっては何十万円という価格で取り引きされているらしいので、これは超お宝レア・アイテム。

ともあれ(80年代にはゴミ扱いであったが)今時の女子高生からすれば「宝の山」のようなレコード・コレクションるんさんは熱い尊敬の念をこめてみつめておりました。

「ねえ、これ家出るとき、もらっていい?」

「だ・め」


3月14日

科別教授会で2001年からの新カリキュラムが決まった。

11月に「全学再編構想」を提言してから、ずいぶん長い時間がかかり、構想自体もずいぶん縮んでしまったけれど、とにかく具体的な改革案にゴーサインが出た。スタートラインはずいぶんずるずると後ろに下げられたけれど、とにかく「あっちへ行こう」と最初に指さした方向に歩み出したことは間違いない。

よかった。

総文には「現代国際文化コース」が新設される。

「国際関係論、国際社会研究」を軸としたハード・サイエンスの領域

「地域史・地域文化研究」を軸とした実証的学問の領域

比較文化・現代思想研究を軸としたパフォーマティヴ・サイエンス(て何かしら?)の領域

国際社会でのコミュニケーション能力の開発をめざす「トランスカルチャー・コミュニケーション」の領域

世界各地域の歴史と文化についての深い知識と豊かな比較文化的知見を持ち、国際社会の構造と力学をクールに理解し、英語でばりばりコミュニケーションして、国際社会のさまざまなレヴェルで活躍する、そういうタフな学生を育てたい、というのが私たちの狙いである。

「タフな知性」というのは何年か前、難波江先生と呑んでいるときに、ふたりで「そうそう」と意気投合した概念である。わかりにくいので、ちょっと説明するね。

「知性」というと、「鋭利」とか「透徹した」とかいう形容詞がよくなじむ。しかし、じっさいにひとと仕事をしてみると分かるが、「切れ味のよい知性」にできる仕事はあまり多くない。

「切れ味のよい知性」は既存のものを批判したり、バカにしたり、鼻で嗤ったりするときには、すごく役に立つが、どっしり構えた鈍重な制度をじりじりと動かしたり、散乱している材料を取り集めて、とりあえず一時しのぎになるものをこしらえたりというような「ブリコラージュ・ワーク」にはぜんぜん向かない。

「け、くだらねえ。そんなことして何もなりゃしないよ。もっとラディカルでフォンダメンタルでリヴォリューショナリーじゃなきゃ意味ねんだよ」

というようなことを「切れ味の良い知性」のひとはよく口にする。

政治運動においてはこのような精神的傾向のことを「最大限綱領主義」と呼んだりする。

中途半端な改革なんてしないほうがまし、というようなことを言って、すごくかっこいいし、言うことはどきっとするほど過激である。ただ、過激すぎて、ぜんぜん実行される気遣いのない計画ばかり提案しているせいで、いつのまにか「箸一つ持ち上げられない」ほどに筋力が退化してしまう。

こういう知性はどちらかといえば「観賞用」の知性であって、「工作用」には使えない。

私たちが育てたいのは、「使える知性」「タフな知性」「骨格と筋肉がしっかりした知性」「工作する知性」である。

現実はどこでもつねに鈍重である。岩のように、砂のように、泥のように鈍重である。それを動かし、それで何かを作るためには「シャベル」のような、「斧」のような、「のこぎり」のような知的道具と、長時間続く単調な作業に耐えられる頑健な知的筋骨が必要である。

それは例えば論文を書くような作業においても同じである。

あるロジックでごりごり押して行く。するとそのロジックが「通らない」局面に出くわす。そのとき「あ、だめだ」とへたりこむ人と、「なんのなんの」と押し続ける人がいる。彼らを隔てるのは「タフネス」の差である。

そしてわしわしと押して行くと、はじめは鋼鉄のように頑強に見えた論理の難所がやがて「がらがら」と崩れ、目の前にぱっと展望が開けることがある。(ぜんぜん開かないこともある。どちらかといえば、そちらの場合の方が多いが)

これは知的にタフな人にしかできない。

そして私たちが世の中でしなければいけない仕事のほとんどは「わしわし」仕事なのである。


3月12日

極楽スキーの会恒例の野沢温泉スキー旅行もぶじに終わりました。

思えば、斑尾スキー場に鎌田先生から「内田さん、スキーやるなら来ない?」とお招き頂いたのがいまから9年前、その後、鎌田先生から幹事役を継承して、7シーズン。

「シーハイルの会」というその名もジャーマン・テイストな、ひたすら技術的向上をめざす禁欲的なスキー愛好者たちの団体を「極楽スキーの会」というその名もプレジャー・オリエンテッドでへなちょこな組織に改変し、温泉と宴会を主軸とする犯罪的な右傾化路線をひた走り、ついに紀元2000年を期して「シルバースキー道」なるブルジョワ的綱領を党内「シュナイダー左派」の切り捨てという暴挙をつうじて強行採決したのはこの私です。

その「シルバースキー道」綱領の主旨は、「やまびこ高速フォーリフト」や「長坂ゴンドラリフト」内での学習会を通じていまや徹底周知されつつあるわけですが、今回「心得」と題して、その思想的骨格がほぼ整備されたので、それをお伝えしたいと思います。

シルバー・スキー道心得は

ひとつ、「三十過ぎたらシルバースキー」

ひとつ、「向上心を持たない」

ひとつ、「上級者の甘言に乗らない」

ひとつ、「技術は道具でカバーする」

の法四章に集約されることになりました。

特に「向上心」こそは極楽スキーヤーにとって天敵とでもいうべきイデオロギー的偏向です。私たちはブルジョワ的な快楽を守り抜くためにも断固として、技術的向上心が心の隅に忍び込む危険に敏感でなくてはなりません。

「立てば這え、這えば歩めの親心」と申しますが、「ボーゲンが出来れば、次はクリスチャニア、シュテムができれば次はパラレル」、あるいは「やまびこが滑れればスカイライン、スカイラインが滑れれば次は牛首、シュナイダー」と欲望には際限がありません。この極左冒険主義への逸脱によってかつて不肖内田はスキーを折り、手首を斬り、ズボンを裂き、サングラスを割り、それと同時に、多くの知友からの信頼と愛を失ったのであります。

この「いつかきた道」を若いひとたちには二度とたどってほしくないという先人の苦い思いが、シルバースキー綱領にはこめられているのです。

しかし、この痛苦な反省をふみにじるような仕方で、U野先生を核とした「極左冒険主義的ケルン」が着々と形成されつつあることは会の今後に暗雲をなげかけているといわなくてはなりません。いまでこそ「やまびこ」に四苦八苦するU野先生ですが、その技術的向上心は目に余るものがあり、いずれシュテム・クリスチャニアを体得した暁には「シュナイダー制覇」を呼号して、党内反対派フラクションの形成に走ることは火を見るより明らかであります。

このシーズンオフには念願の「カーヴィング」の購入に踏み切る決意も熱いU野先生の暴走をとどめることができるでしょうか。

極楽スキーの会の主流派(穏健派)と反主流派(過激派)の覇権闘争はいま始まったところです。来年のレポートを心して待て。


3月7日

自分で書いたものをしみじみと読み返して、どこかで聴いたことのあるような説教だなあと思っていたら、やっぱり私が昨日ここに書いたのはまるごとレヴィナス先生の御説であった。

使用している語彙がぜんぜん違うので、一見するとまったく哲学的でも倫理的でもないことを説いているように思えるかも知れないけれど、(書いている本人も気がつかなかったが)これはまぎれもなくレヴィナス哲学の基本的な考想のひとつを祖述した言葉である。

ついに私は「自分の言葉で師匠の思想を言い換える」ところまで、師匠の哲学を内在化したということになる。

「レヴィナス学校」の中卒くらいの段階には達したということであろうか。

レヴィナス先生は「知解」を哲学の本義とする西洋形而上学の徹底的な批判者として登場し、「倫理」という古びた言葉に斬新な意味を与えたので、先生が「徹底的に知的な人」であるということを多くのひとは忘れている。

先生は徹底的に知的な考究の果てに、人間は「物語なしには生きられない」という悲痛で平凡な真理に到達した。そして、先生は「ユダヤ教」という「物語」を確信犯的に選ばれたのである。

それはハイデガーが彼の「カトリック信仰」を「存在」という価値中立的な哲学概念に言い換えたのとちょうど逆の行程を歩んだことを意味している。

レヴィナス先生は「実存」といういかにも illusion-free な哲学用語を「選ばれた民」というあらわにフィクティシャスな用語に言い換えた。

「私は『お話』をこれからします。この『お話』にはいろいろと深い教えがこめられています。みんな聴きながら自分で汲み取ってね。じゃ、話すよ」

というのがレヴィナス先生の哲学の基本的なスタイルである。(なんだか幼稚園みたいだけど)

「私はこれから『真実』を語る」というふうにはレヴィナス先生は決して始めない。私はこれをすごくフェアな態度だと思う。

徹底的に知的な人は、知性の徹底性についての根底的な疑惑にとりつかれる。それはプラトンからデカルト、フッサールまで、みんな同じである。

哲学者たちはそこで「必当然的明証性」(決して疑い得ないこと)というものを何とかして探し出して、とにかく知の身元保証をしようとしてきた。(デカルトの「コギト」やフッサールの「超越論的自我」とかいうのはそういう工作物である。)

レヴィナス先生はそういう道をとらなかった。

先生は知の徹底性についての根底的な疑惑から先人たちがどのように逃れたを考察した。そして、次のような洞見を得た。

「知の徹底性への疑惑から逃れる仕方はいつも同じである。それは必当然的明証性という『物語』をつくりだすことである。あらゆる知はその反省の究極において『物語』を見出すのだが、見出したとたんにそれが自分で創り出した『物語』でしかないことを構造的に忘却する。」

だから西洋形而上学のこの限界を乗り越えるためには、ただひとつの身ぶりがあれば足りる。

それは自分が「知の極限」において出会うものは、自分が創り出した幻影であるという経験的事実「から」出発することである。

そして、「知の極限」に「その先」はない。

だから「出発する」ということは「戻ってくる」ということにほかならない。

徹底的に知的な人は徹底的に具体的な生活者となる。そこしか人間の生きる圏域はないということを知っているからである。

哲学者は「物語」の渦巻く俗世間に別の「物語」をたずさえて戻ってくる。

けれど、それは「どこかに真理という終点があるはずだ」という儚い希望を完全に切り捨てた、深い、底なしの、終わりのない「物語」である。

なぜ哲学者たちはそれでもなお「話し始める」のだろう。

筒井康隆であれば「サービス精神」というだろう。カミュなら「ノブレス・オブリージュ」というだろう。レヴィナス先生は「愛」というだろう。言葉は違うけれど、言いたいことは同じだと思う。

要するに「♪分かっちゃいるけど、やめられない」のである。

分かっていてもやめられないのは、彼らにおける「愛の過剰」のゆえである。いや「過剰であること」こそが「愛」の本質なのだから、これは同語反復だ。

お、すっかり長くなってしまった。

どうもレヴィナス先生遺徳顕彰事業にかかわるといきなり力が入ってしまう。今日の講義はこれでおしまい。「愛」についての講義の続きはまたこんど。


3月5日

平川君、「笑いネタ」をありがとう。

ご指摘のとおり、大学の人間は、あまり「世間」を知らない。

それが悪いといっているわけではない。べつに「世間」のことなんか知らなくても、健全な常識をもっていれば何も問題はない。「世間の常識」なるものだって、マジョリティに共有されている単なる幻想にすぎないのだから。

しかし、マジョリティに共有されている幻想には、それなりの歴史的必然はある。

先端的なビジネス−つまりみんなの好きな「クリエイティヴな仕事」-においては、いまや主流は「年俸制」の雇用契約であり、もちろん残業なんかない誰もカウントしてくれない。すべてはどんな結果を出しただけで判断される。

「結果はでなかったけれど、私としては一生懸命やったんです」というような主観的な判断は考課の対象外である。

それくらいのことは世間知らずの大学教師の私だって知っている。

大学がそのようなシステムをとることができないのは、「成果」(教育の成果つまり「どれほど優秀な学生を育てたか」と、研究の成果つまり「どれほど優れた研究をしたか」)が「年度末に売り上げとして数値化」できないからである。

真に優秀な教え子はたいてい「大器晩成」であるし、真に卓越した研究成果はほとんどの場合、リアルタイムでは誰にも評価されない。そもそも教員たちのすべてのしごとの成果を網羅的かつ客観的に判断できるレフェリングの機関が存在しない。(それだけのスタッフを抱え込んだら、そいつらに払う給料だけで大学は破産してしまう。)

しかたがないので、勤続年数だけを基準に「年功序列」で給与を支給しているのである。

「結果」ではなく、「過程」をだいじに評価してあげるのは「教育」の現場のはなしである。

子どもを育てるときには、一般的な達成基準をあらかじめ設定して、それに達しないと叱責するという「マイナス・カウント」査定は子どもの可能性の開花をしばしば妨げる。

だから、「ぼくはできるだけのことはしたんだよ」とべそをかきながらいいわけする子どものあたまを私はよしよしとなでてあげる。「もっと力をつけて、次はがんばろうね。」

「私として一生懸命やったんです」というエクスキューズが仕事のミスのいいわけとして有効であるのは、「教育されている過程にある」人間の場合だけである。それが仕事の上でも通用すとと思っている人は年齢はいくつであれ、要するに自分を「子ども」だと思っているのである。

もちろんいつかは、責任をとれるくらいに職能が高まり、「もう子どもではなくなる」日が来るのであろう。できれば彼女たちが定年退職される前にその日が来ることを私は切に願う。

 

BBSでは田口さんと2号がむずかしい議論をしている。

私にもよく主旨が分からない。まあ、ふたりとも私の弟子であるから、師匠に似て「言葉は多いが、言いたいことがよく分からない」という悪癖を継承してしまったのであろう。

ここでキーワードになっているのは「邪悪さ」ということである。『アミスタッド』の映画評のところでもしつこく書いたが、これは私の「物語」のキーワードである。

そのことをちょっと書いておきたい。

まず『映画は死んだ』の次の一節を読んでほしい。

ラカンの知見に従うならば、人間の無力さは、極限的には「おのれが無力である」という事実それ自体を受け容れることが出来ないというかたちをとる。そのとき、人間はおのれの無力を、自分の「外界」にあって「自分より強大なもの」の干渉の結果として説明しようとする。

「私の外部」にある「私より強大なるもの」が私の十全な自己認識や自己実現を妨害しているという「物語」を作り出すのである。「私」が弱いのではなく、「強大なる者」が強すぎるのだ。

そのようにして私の外部に神話的に作り出された「私の十全な自己認識と自己実現を抑止する強大なもの」のことを精神分析は「父」と呼ぶ。

「父」はそのようにして「私」の弱さをも含めて「私」をまるごと説明し、根拠づけてくれる神話的な機能である。

それを私たちは場合に応じて「神」と呼んだり、「絶対精神」と呼んだり、「超在」と呼んだり、「歴史を貫く鉄の法則」と呼んだりするのである。もちろん、それを「母なる超自我」と呼ぶことだってできる。

私たちの「弱さ」は「より強いもの」が先行する物語を要請する。そうやって事後的にもたらされた「起源についての物語」が、私たちの「弱さ」を説明し、それに根拠を与え、それを正当化し、それを免罪してくれるのだ。

テクストを読むときには「底」を探してはならないとバルトは私たちを諌めた。それは、私たちが物語を語るとき、ほとんどつねに「私が立ち会うことができないほどの過去」に、「私が言及し切れないほどの巨大な輪郭をもつ存在」を作りだし、それによって「私のいま」を説明しようとすることを彼が知っていたからである。

偽りの起源を語ること、つまり「経歴詐称」こそが物語の本性なのである。だから、不用意に物語に踏み込めば、必ず私たちたちは「起源探し」のプロセスに絡めとられてしまう。

 

「増殖する物語」と題したこの短いテクストで私が言いたかったのは、物語を語るものはほとんど宿命的に自分の起源について嘘をつくということである。しかし、それは「真実の物語」がどこか別の所にあるという意味ではない。

嘘をつくこと、経歴を詐称すること、物語をそれと知らずに語ること、それは「何かを伝える」ための行為ではなく、何かを「知る」ための行為だからである。

これが私の主張のかんどころである。

私たちは何かを知ろうとしたら、それについての「物語」を語ることから始める他にやり方を知らない。

「自分」について知ろうと望むものは、「自分」についての「物語」を語ることになしには一歩も身動きできない。「私の真実」を知るためには「私についての物語」を紡ぎ出す作業から始めなければならない。「真実」は「物語」を経由してしか主題化されえない。

ある日、私は「邪悪さ」というキーワードで自分についての「物語」を編制してみようと思いついた。

そうすることで「私は善良である」という「物語」によって編制された自己史の文脈にはうまくおさまらない事実や「説明」できない経験を説明し、合理化することができるかもしれないと思ったからである。

ことは純粋に「知的」な探求にかかわっている。

私は自分が邪悪な人間であると「思っている」のではない。

そういう仮定で構築した「物語」のカヴァリッジはどれくらい広く、どれくらい深いか。私について説明できないままに残っていた「とげ」のような経験のどれを説明できて、どれが説明できないままに残るのか、ということを「知ろうとして」私は「嘘」をついているのである。

「真実」というのは、とりあえず手持ちの「物語」のうちでもっともカヴァリッジが広くて、原理が単純なもののことである。

お弟子さまたちが見落としているのは、私が「徹底的に知的な人間」であるという事実である。(ここでいう「知的」というのは、intelligent という意味ではなく、knowledge-oriented という意味である。)

「徹底的に知的な人間」というのは、自分が「ぜんぜん知的でない人間である」可能性について、またなぜその洞見が自分には構造的に欠如したのかの原因についてさえ、説明を求めてみもだえするようなタイプの人間のことである。

こういうタイプの人間はレアである。

私はそのレアな一人なのであるが、それは「内田の言ってること変だよ」とひんぱんに言われるので、自分がバカではないかという可能性について吟味する機会が人一倍多いからなのだ。


3月3日

春休みのはずなのだが、毎日毎日仕事があって学校に来ている。今週は、大学院入試と後期入試があってそのあいまに無数の会議がはめこまれている。今日は朝の10時から会議で、その間(資料作成のための)わずかの休憩をはさんで、午後7時まで4種類の会議。会議をしながらお昼ご飯。

あさっては下川正謡会の新年会(いまごろ新年会もないけどね)なのだが、ぜんぜん準備ができていない。紋付きや袴もお手入れもできていない。8日からははスキーだが、これまたまったく支度ができていない。家の中はぐちゃぐちゃに汚れていて、洗濯物はとりこんだまま床に展開しているし、台所にはうずたかくよごれものがたまっている。

本を読みたいとか映画が見たいとか贅沢を言っているわけではありません。

一日でいいから、ゆっくり家事をする日がほしい。

今日の朝一会議で問題になったのは、事務方の統制の問題である。

先日の入試のときにちょっとしたコピーのトラブルがあった。手落ち自体は「チェックが甘くて、すみません」とひとこと言えばすむことなのだが、責任者の職員が頑として謝らない。自分の責任ではない、とあくまで言い張る。バイトの子までが文句があるなら教師が自分でやれとか、仕上がりのいい仕事をもとめるなら外注しろとか言い立てる。

温厚で知られたM平先生が青ざめて「私は君たちを責めているのではない、こういうほつれめから組織の崩壊ははじまるのだから、お互いにもっと意識を高めようと言っているだけなのだ。なぜ、『そうですね』と言えないのか」と静かに説くのだが、ぜんぜん聞く耳持たない。

最後にその職員が声を荒立てて「私だってこれ以上働けないくらい働いているです。先月なんか残業25時間もしたんです」と言い出した。これには私も思わず腰を抜かした。

こ、これはすごい。残業25時間と言えば、2月は実働20日だから1日なんと1時間15分もの残業ではないか。本学の職員の終業時間4時半だから、毎日5時45分まで働いていたことになる。それは大変だ。帰途に太陽が見えない日もあったことだろう。

このような先進的な労働者意識のもちぬしである彼女たちには「業務命令」という概念が存在しない。上司の指示のうちのどれを受け入れ、どれを無視するかは、彼女たちの恣意に委ねられている。

素敵だ。マルクスが聞いたら涙をこぼして喜ぶことだろう。労働者の楽園、神戸女学院大学よ永遠なれ(なわけないか)。