とほほの日々

The days of pains and regrets: from 1 Jan 2000



4月28日

DNSの番号が変更になっていたのに知らないで使っていたのが、一週間前に機材の変更にともなって古い番号が使用不能になって、私のPCは学外に出られなくなっていたようでした。いま情報処理センターに訊いてきて、ちょいちょいといじったら治りました。

なんだ。もっと早く訊きにいけばよかった。

でも私ひとにものを訊くのが嫌いなんです。(ものを習うのは好きなのに)

街で道に迷ってもなかなか訊ねることが出来ない。

この性分はあるタイプの人間に共有されているらしく、小口のかっちゃんもひとにものを訊ねるのが大の苦手で、「訊くは一生の恥」と称して、あえて無知の哀しみを選ぶという男らしい人生を貫いている。見上げた態度である。

しかしとにかく「訊いてみたから分かったよ」

石川”うごうご”茂樹君からテープ三巻が届く。

今年の「新春放談」の一日目(私がエアチェックしそこねたやつ)など貴重な大瀧詠一先生のラジオ放送分のコピーと「うごうご・すぺしゃる」二巻である。

石川君は「GoGo Niagara」のラジオ関東の放送を全回分テープ録音しているというマニアックでオーセンティックな「ナイアガラー」。ナイアガラ・ワールドでは全国区的有名人である。

今を去る25年ほどまえ、アーバンのオフィスが道玄坂にあったころ、お昼ご飯を食べに表へ出たときに「石川君、大瀧詠一って知ってる?」とたずねたところ、彼が顔色を変えたことを思い出す。

私は『ゴーゴー・ナイアガラ』の「楽しい夜更かし」の「午前三時は宵の喉」というフレーズにうちのめされて以来の隠れ大瀧ファンであったのだが、私の音楽嗜好に対して多くを期待していなかった(当然だけど)石川君の驚きぶりは深かった。(よほど意外であったのだろう)

しかし、爾来25年余、私と石川君はふたりだけの「アーバン・大瀧詠一先生を称える会」のメンバーとして忠実なナイアガラー人生を送ってきたのである。(石川君がまめにエアチェックしたラジオ放送のコピーを聴かせていただく、という横着なファン活動ではありますが)

先日、NHK教育テレビで二夜連続で細野晴臣さんのインタビュー番組をやっていた。出演者のところに松本隆、松任谷由美、坂本龍一とならんで「大瀧詠一」の名があったので、おお、大瀧先生いよいよ満を持してTVに出られるのであろうかと胸をときめかせていたら、先生おひとりは「声だけの出演」であった。(さすが)

「うごうご・スペシャル」は「日本語題名がチャーミング」なポップス特集と石川君の「セルフ・リクエスト」。私的(わたしてき)には、「恋のハリキリボーイ」というのが題名としてはいちばん好きかな。セルフ・リクエストは「月光仮面の歌」から始まって「怪傑ハリマオ」「まぼろし探偵」と続く。車の中でいっしょに大合唱。

むかしのヒーローは「おじさん」で「よいひと」で、困っている人を「慰めて」、おまけに「親に心配かけまいと」黒マスクなんかつけていたのだということを改めて知った。

「親に心配かけまいと」だぜ。

すごい。

ラップとかやるひとに聴かせてやりたい。


4月27日

情報処理センターのサーバがいじわるをしているらしく、うちのマックから学外に出られない。

必然的にホームページの更新もできない。

いまみなさんがお読みになっているこの原稿は私が書いたのをメールで東京のフジイ芸術監督に転送して、それをフジイ君がアップロードする、というめんどくさいことをしているのである。

フジイ君ありがとね。いつも。

しかし、とりあえずメッセージの通路が確保されたので、ひと安心。なんとか来週中には復元したいと思います。

合気道、杖道の稽古予定も更新されないままですので、ここに書いておきます。

合気道稽古予定

4月29日(土)12:00−14:45 芦屋市青少年センター

5月10日(水)16:45−19:00 岡田山ロッジ

5月11日(木)同(自主稽古)      同

5月13(土)−14(日)広島県支部講習会(県立武道場)

5月17日(水)16:45−19:00 岡田山ロッジ

5月18日(木)同(自主稽古)      同

5月20日(土)12:00−16:45 芦屋市青少年センター

5月24日(水)16:45−19:00 岡田山ロッジ

5月27日(土)全日本合気道演武大会(日本武道館)

5月28日(日)東大五月祭演武会(東京大学七徳堂)

5月31日(水)16:45−19:00 岡田山ロッジ

杖道稽古予定

4月29日(土)14:00−17:00 大学体育館

(稽古修了後、鬼木先生宅にて正道会創立記念宴会)

5月 1日(月)17:00−20:00 大学体育館

5月 8日(月) 同5月15日(月) 同

5月20日(土)14:00−17:00 大学体育館

5月22日(月) 同

5月29日(月)は日程過密のため休日とします。

えーと、というわけで大事な用事が終わりました。

駄洒落シリーズの続きなんですけど

「もう、いいよ」

でも止まらないんす。

動物+フランス語シリーズ

(以下の駄洒落はフランス語知らないひとはぜんぜんおもしろくないという地域限定駄洒落です)

「犬が思案」

「猫が斜に構え」

「馬を縛る」

「鳥は象となかよし」

「羊は無頓着」

ちゃんちゃん。

 


4月26日

玉垣製麺所から「妻有蕎麦」が届く。

ぐふふふ。

玉垣製麺所の「妻有蕎麦」は日本一うまい。

私はこれからそれを食するのである。

ぐふふふふふ。

 

いまから15年くらい前、東京にいたころ、ある出版社の社長さんから「日本一うまい蕎麦を分けて上げしょう」といって何把か頂いた。

家に帰って茹でて食べた。

う・ま・い。

歯ごたえが「ぷりん」としていて、なんとも爽やかな食感である。

すぐに袋に書いてある電話番号に電話をかけて「送って頂戴」と頼んでみた。

えらく頭の回転のはやい女性が電話の対応に出て、三日ほどでどんと宅急便が届いた。

振替用紙が同封してある。

「うーむ」と私は唸った。

先にお金を払い込んでもらってから品物を発送する、というのがいちげんのお客さん相手の商売では常識である。

玉垣製麺所は見ず知らずのお客にいきなりブツを送ってくる。

そのまま蕎麦を食い散らして、踏み倒して逃げたって、わずか数千円の回収に新潟から東京まで来るわけないから、逃げたもの勝ちである。

それほど悪意がないにしても、一口食べて

「あんま、うまくないね」

ということになると、振替用紙は冷蔵庫にマグネットで止められたまま、なんとなくそのまま黄ばんでゆく、ということだってありうるだろう。

しかるに玉垣製麺所は、「うちの蕎麦を食べて、ただちにお金を払いたいという気にならない客はいない」という圧倒的な自信を持って商品を送ってくる。

代金を踏み倒した客は、その代償に「このあと一生、玉垣製麺所の蕎麦を注文できないという」罪の刻印を負うのである。

それがどれほどの苦役が分かるかね、明智君。

一度、玉垣製麺所の蕎麦を食べたひとは間欠的に襲ってくる「あのつるつるぷりぷり蕎麦を食べたい」欲望から逃れることはできないのである。

今回もひさしぶりに電話をかけたら

「ああ、内田さん、せんだってまで尼崎にいらした方ですね」と言われてしまった。

そうか、私は震災後の武庫之荘の寓居でもお蕎麦をずるずる食べていたのか。

東京、芦屋、尼崎、神戸、と居所を転々としつつ、私は玉垣製麺所の蕎麦を注文し続けていたのである。

商売の基本は、これだ。

クオリティの高い商品を提供してブランドに生涯の忠誠を誓う二心なきコンシューマーをひとりずつ確保してゆくこと、クライアントと(バーチャルなんだけど)親密な信頼関係を構築すること、そして、クライアントに接する営業最前線に「頭の回転が早くて、フレンドリーなひと」を配すること。

商売の基本を私は玉垣製麺所に学んだ。

日本の「ものづくり」を支えているのはソニーやパナソニックばかりじゃないぞ。


4月25日

ウッキーとBBSで「駄洒落」について話しているうちに、頭の中が「駄洒落」で充満してきてしまった。

ジロドゥだかアヌイだかの戯曲で、登場人物たのうちの誰かがアレクサンドラン(12音節)でしゃべり出したら、それがみんなに伝染して最後に全員が古典詩の節回しで話し出すというエピソードがある。

同じことが日本語の場合もあって、七五調で話し出して、そのリズムに身体が合うと止まらなくなる。

「韻文で、話し出したら、止まらない」のである。

と言う話を庄司薫さんがどこかに書いていた。

駄洒落も同じような感染性がある。

一度言語回路が「駄洒落」モードになると、あらゆる単語について無意識的に同音異義語を探すようになる。

今日は、午前中から銀行にいったり、石井内科で血圧を測ってもらったり、合気会広島県支部に粗品を送ったり、とばたばたしていたのだが、そのあいだずっと頭の中では「人名駄洒落」が渦巻いていた。

こういうの。

アンナさんに命じられた今夜の晩御飯のメニューは?

「アンナ、カレー煮な」

ハーヴェイさんに編集者が原稿の催促の電話をかけてきました。催促の言葉は?

「ハーヴェイ、書いてる?」

うーむ。

かなり重症。


4月24日

土曜日はお稽古をふたつやったあと、ばたばたと六甲セミナーハウスへ。

上野先生とご一緒のフレッシュマン・キャンプ。

今年の総文一回生諸君と膝を突き合わせて語る貴重な機会である。

例年であれば、アルコール飲料を喫しつつ行うのであるが、今年からは全面禁酒となった。

去年、某学部のフレッシュマン・キャンプで学生たちが缶ビールを飲んだ。(そのこと自体はこっそりやればあまりとがめ立てる人はいない)

しかるに、そこを通りかかった教師たちに、学生たちがさらなる親交を求めて一献を差し上げたいと申し出たことからはなしはいささかややこしくなった。

教師たちも人の子、かわいい新入生から「冷たいのひとつどうです」と言われると、「じゃ、ちょっとだけね」となるのは勢いのしからしむるところである。

しかし、天網恢々(最近こればっかだな)そのような教育的配慮ゆえにやや遵法精神において問題のある行動が大学当局の知るところとなり、その席に加わった教員たちが全学教授会で「教育者として不適切な行動があった」と謝罪するという異例の事態となったのである。

私は正直に告白するが、これまで未成年の学生たちがアルコール飲料を喫しているのを咎めたことがない。私自身、喫煙は14歳から、お酒は19歳からのアディクトであるので、ひとに偉そうに意見できる立場ではないからである。自分のことを棚に上げて、ひとに意見するのはあまり気分のよいものではない。

しかし、ご禁制を破ったことが知れて、全学教授会で平伏させられたりするのはさらに気分がよくなさそうなので、今回はノン・アルコールのフレッシュマン・キャンプとなった。

キャンプのハイライトは上野先生が司会の「神戸女学院大学に、これだけはいわせてもらう」のお時間である。

20人の新入生たちに、「志願するときに、神戸女学院大学について、どんなイメージをもっていたか」「入学後2週間目での大学の印象はどうか」「大学に望む改善点は何か」をひとりずつ語ってもらう。

「歯に衣着せぬ」ヘビーな意見が続出した。

発言が集中したのは、職員がフレンドリーでないことと学生サービスの悪さに対してである。

システムが見えにくい、どういうルールで運営されているのか説明がない、情報の開示が不足、そして「初心者」のミスに対してシステムを弾力的に運用して救済するという配慮がない。

職員については、入学早々の学生をやたらに叱りつける点に不平が集中した。

期待して入学したのだが、いきなり冷水を浴びせられたようで、大学が嫌いになった、という発言を何人かが口にした。

これまでも一部セクションの「顧客サービス」の悪さについては繰り返し指摘されてきたが、ますます事態は悪化しているようである。

いくら教員がこれから高校回りで営業して顧客を開拓しても、せっかく入った学生たちが、地域や出身校で「神戸女学院て、めちゃ感じの悪い学校」と言って回れば、それでおしまいである。

良い評判が浸透するには何年も何十年もかかるが、悪評が伝播するには数ヶ月在れば足りる。

彼女たちの大学に対するロイヤルティの高さとプラス評価が、そのまま彼女たちの周囲の地域社会での「生きた広告塔」として機能する。当たり前のことである。

在学生に細やかな教育サービスが提供されていて、それは高額の学費に見合うだけの満足感を与えるものである、という「ユーザー」側の評価が定着していれば、受験生に対するパブリシティなんかほんとうは必要ないのである。

しかし、それでも彼女たちが「ま、大学なんて、どこだってこんなもんよ」というふうなあきらめ顔ではなく、本気で怒っていたのが私にはむしろ救いであった。

この怒りは貴重である。

「大学なんてつまらないから、どっかよそへ出よう」というのではなく、いまいるこの場所を快適で愉快な空間に作り変えたいという志向は貴重である。

そのような欲望を核としてはじめて大学は生命を得るのである。

彼女たちの言葉にきちんとこたえてゆかなければならないと私は思う。


4月20日

天網恢々疎にして漏らさず。

「せりか書房」の船橋さんという方に気楽に「レヴィナス論の書き下ろし、いいですよ。書きます」と請け負ったのがいまから数年前のこと。中沢新一さんと西谷修さんが編集委員のシリーズもの企画「20世紀の果実」のなかの一冊ということでご指名いただいたのだが、そのころはまだレヴィナス先生の『観念に到来する神について』の翻訳も終わっていなくて、中根さんからきついキックがばりばり入り、松下君との『映画は死んだ』プロジェクトも難波江さんとの『現代思想のパフォーマンス』プロジェクトも同時進行中だったので、レヴィナス論を書いている暇がない。

かくして歳月は経ち、その間、私は芦屋から御影に引っ越し、連絡先不明となってしまったのである。

編集者から何も言ってこない限り仕事はしないというのが物書きの基本的なスタンスであるので、音信不通のままころっと企画のことを忘れていたら、(冒頭にもどる)天網恢々、Sho'z Bar のご主人のところに船橋さんが翻訳の打ち合わせに行って、私の消息は編集者の知るところとなってしまったのでした。

うーん、やっぱり書かないとまずいかなあ・・・・と書いているところに当の船橋さんから電話がかかってきてしまった。

電話口で書きます書きますすぐにとりかかりますなあにいまひまなんですよはじめればもうあっというまに、と平謝り。

ふう、汗かいた。

しかし漫画家であれ作家であれ、私のような三流学者であれ、必ず編集者からの電話を恐怖するというのはどういうことか。

編集者から電話があってうれしかったということもないわけではない。

たとえば、院生のころ、最初に翻訳のトライアル原稿を送って、中根さんから「うーん・・・ま、いいか、使いましょう」という苦渋の決断の電話をいただいたときはうれしかった。

しかし、うれしかったのは、はじめの一回だけで、あとはつねに「まだ終わっていない仕事」についての督促を受けるだけである。

なぜそういうことになるのか。

もちろん、仕事はしたいのである。私の場合は100%自分から持ち込んだ企画なんだから、やりたい仕事に決まっている。ただ、やりたい仕事というのは私の「知的向上心」をはげしく刺激する仕事であり、それはつまり「私の知的レヴェルの低さ」をはげしく反省させる仕事というのに等しい。

やりたい仕事とは、すべてを忘れて、それに集中することを求める種類の仕事である。(はなうたまじりにホイホイできる仕事には私は熱情を感じることができない。だれでもそうか)

自分の無知と頭の悪さをはげしく反省しつつ、すべてを忘れて熱中するような仕事をするとなると、あわせて健全な市民生活(お稽古好きの主夫生活)を営むことはなかなかむずかしい。

やりたい、けど、できない。

やせたい、けど、食べたいと似ている。

体重計をみながら、「明日からはダイエットしよう」と誓っているときに電話がかかってきて「痩せた?」と訊かれるような感じ、といえば編集者からの電話というものの感触がご理解いただけるであろうか。


4月19日

三回生の「顔見せコンパ」。11人いる。(萩尾望都)

リクエストにより、めにうは中華。鶏の唐揚げ(というより「辛揚げ」)、マーボー豆腐、颱風ビーフン、焼き餃子。ビール、チューハイ、ライチー酒、杏のお酒、などをみなさんごくごくと飲む。

ほんとは山本浩二画伯から「ミラノで買ってきたおいしいチーズがあるので・・・」というゴージャスなディナーへのお誘いがあったのである。画伯の新作レシピ「三種の香草入り」パスタなど、垂涎のめにうであったのだが、顔見せコンパが先約だったので、泣く泣く断念。

朝、三杉先生に会ったらにんまり笑って「おいしかったわよーーーー」と声を伸ばされてしまった。

うう、くやしい。

私は朝から仕込みとお掃除、そのあと講義をふたつかましてから、走って家に帰って、11人+るんちゃん分のご飯を作って、お酒を出して、みなさんが帰ったあとに全部片づけをしていたのだ。その間に難波江さんと三杉さんは、美味しいものを食べていたのね。

うう、くやしい。

次の「ミラノの生ハムを食べる会」には絶対行くぞ。

しかし、顔見せコンパは、ばしばし仕切る「姐さん」のおかげで、楽しく盛り上がった。みんな終わり頃はファーストネーム私たちで呼び合うようになっていた。

今回は自分の快楽よりも教育的配慮を優先したということでじっと耐えよう。

 

大学院の演習の第一回。ノルテとハーバーマスの「歴史家論争」を取り上げる。

最初の発表者はウッキー。先週指名された後さかんに「むずかしい・・・」と肩を落としていたけれど、やはり難物だったらしく、うまくまとめられない。

しかたがないので、途中で割って入って、「だめだよ、そんなんじゃ。何言ってんだか、ぜんぜん分かんない」とばりばり叱りつけて、「あのね、この話はね」と私がひきとってまとめているうちに、だんだん気分が出てきて、結局私がひとりでがあがあしゃべっているうちに終わってしまった。

あまりにうるさくしゃべりまくったせいで、盗聴生の飯田先生が「ああ、私も言いたいことたくさんあったのに、何も言う暇がなかった」と苦しがっておられた。

先生すみません。来週からちゃんと「みんなで議論する」ふつうのゼミにしますから。

これからベルナール=アンリ・レヴィの『危険な純粋さ』、藤岡信勝の『汚辱の近現代史』、ロベール・フォリッソンの Memoire en Defense としばらくは歴史修正主義と原理主義について生々しい論争を取り上げる予定。

そういえば昨日の朝日の夕刊にどこかの大学の先生がベルナール=アンリ・レヴィのサルトル論の新刊を書評していた。その中で、Benny Levy は「べニー・レヴィ」と表記しているのに、Bernard-Henri Levy のことは「アンリレヴィ」というふうに何度も書いているのがすごく気になった。

あのね、この人は「ベルナール=アンリ」が名前で「レヴィ」が姓なの。

それはジャン=ポール・サルトルを「ポールサルトル」と呼ぶようなものである。

夏目漱石だって「目漱石」って呼ばれたら返事してくれないんじゃないかしら。

とか言って、さっき川村先生と話していて、うっかり「川本先生」と言ったら、川村先生のめがねの奥が「きらり」と光った。(『グレートレース』のトニー・カーティスみたいに)

ひとのことはいえないね。


4月17日

日曜は多田塾研修会で東京日帰り。

行きも帰りも新幹線車内でみじろぎもせず爆睡。そらそうだわ。

土曜日が昼から2時半まで合気道、3時半から5時まで杖道、6時半から8時まで仕舞のお稽古。そして日曜が午後2時から5時半まで合気道の研修会だもの。二日間にお稽古のべ時間が9時間。「若山爆睡」というようなしょーもないだじゃれが出てくるのもご海容願いたい。

お、駄洒落で思い出したが、「500ラカン」という駄洒落について先日、あるひとからコピーライトの確認を求められた。そのひとが言ったのが最初であるというのである。

「駄洒落のコピーライト」というのは初耳であった。

「電話急げ」とか「空き地に囲いができたってね、かっこいー」とか「はるまけ、どん」とかいうのも誰かがコピーライトをもっているのかもしれない。

しかし「駄洒落のコピーライト」という発想自体があまり「洒落んなってない」と私は思うぞ。

ともあれ「若山爆睡」しつつ東京大阪を行き来していると、「コールドスリープ」状態で、あっというまに1000キロ往復。ときどき薄目を開けて鈴木晶先生から送ってもらった『「精神分析入門」を読む』を読み、それを読み終わったので、漱石の「現代日本の開化」を読む。驚いたことに、鈴木晶先生と漱石先生は文体が酷似していた。どちらも「一般聴衆をあいてにした講演」から起こしたテクストだからかもしれないが、「噛んで含めるように」過激なことを言っていた。

研修会は爽やかな風の吹き抜ける本部道場に70名ほどの同門諸君が集まる。

呼吸法、足捌き、短刀取り、太刀取り、杖(一の杖、二の杖、和歌山の杖)とみっちりメニューをこなして、汗びっしょり。

稽古のあと多田先生にいろいろとご相談ごとがあり、ずいぶんお時間をとらせてしまった。そのまま先生のタクシーに便乗して大久保駅までご一緒する。駅のホームでにこにこ手を振る先生と坪井さんに最敬礼して楽しい一日が終わった。

今回も、山田、坪井両先輩に次いで、私が古手の三番目である。

しかし、けっこう身体の切れはいい。最近、だんだん切れがよくなってきた。

鬼木先生に膝の使い方、体軸の感じ方を厳しく注意されたのと、下川先生に腕の使い方、腰の据え方を仕込まれている成果がようやく出てきたのかも知れない。

三、四段のころより身体が軽く感じられる。とくに腕が柔らかく遣えるようになった。

80歳までは武道の修行は「うまくなる一方である」と昔先輩に言われた。このままあと30年進化を続けると、私も念願の「達人」というものになれるかもしれない。「達人」になると、その身体感覚はどのようになるのであろうか。わくわく。

鈴木晶先生お薦めの伊藤昇『スーパーボディを読む』。

おお、これは。おもしろい。

私が「そうじゃないかなあ」と思っていたことが「断言」してある。

「股関節でとらえる」というのが体感的にはいまいち分からないが、腕の使い方については、この間、私がいろいろ模索していることは正しかったようである。

さっそく鬼木先生にお見せしなくては。

 

大学時代のおともだちの松本順一君から愉快な葉書が届いた。

ちょっとご紹介しましょう。

「拝啓

年々歳々相似たる花々の咲きつどう季節を迎え、皆様にはますます御清祥のこととお慶び申しあげます。

さて私儀、千年紀末に知命の歳を得たことを契機に、本年三月末をもちまして、足かけ20年近くお世話になりました駿台予備校古文科講師の職を辞し、脱サラ以来四半世紀におよぶ塾・予備校教師の仕事から足を洗うことにしました。

今後は長らく教壇から見下ろしてきた「浪人」席に身を移し、両三年ばかりは「高等遊民」を気取りつつ、メール・ネットをはじめとする新知識のインプットにつとめながら新旧両世紀の去来を眺めてみたいと思っております。云々

追伸:当面するところ、経済的問題はかかえておりません。また、宗教的な結社その他の団体に加入する予定もありません。(四国遍路の旅に挑戦したいとは思っていますが)その点はどうかご心配なく。

葉桜や 風にふかれて 千年紀」

洒落た人ですね。


4月14日

というわけで「半ドン」の木曜はマクドで「チキンカツバーガー」と「てりやきマックバーガー」を食べ(どこが「お洒落なレストラン」なんだ)、本屋にも寄らず、家に帰ってお洗濯ものを干してから、木村敏の『人と人の間』を読みつつ昼寝をする。

こ、これはおもしろい。

こういう日本人論を読むといつも思うことは、私はつくづく日本人だ、ということである。ほんとに「典型的な日本人タイプ」というものがあるとすれば、それは私です。

ときどき、「ほらおれって日本人ばなれしてるじゃん、義理とか人情とかべたべたしたの好きじゃないし、ビジネスライクっていうの?なんでもぴしっと決めて行くのがおれのやり方なのよ、グローバル・リテラシーがわかってるっていうの?」というような頭がくらくらしそうなことをいうやつがいるけれど、私はだんぜんそういうのではないね。

かつて山本先生が私を評してただ一言「内田君の本質はナニワブシです」と断定したことがあるそうだが、それは正しい。

私は「甘えんぼう」であり、意見の対立点ではなく、合意点をさぐるのが好きで、原則を貫かずに、その場の勢いで「ま、いじゃないの、それで」ところころ言うことを変え、義理堅いけれどそれは自分が義理を通せば相手もきっと義理を返してくれるだろうと勝手に思いこんでいるだけで、だからな簡単にひとを不義理なやつだと恨んだり、おいらの気持ちがなぜわからんのだとひがんで泣いたりする。

それにつけても木村敏の「間柄」論を読んでいるうちにふと気付いたのだけれど、コギトを否定し、他者に曝露されている自己の「やましさ」を基底にして主体を構築する「日本人」のありかたって・・・これって、もしかして、お師匠さまの・・・・・(つづく)


4月13日

う、ううれしいな。

今日は半ドン。

二限だけで「おしまい」である。

むかし、アーバンは土曜が「半ドン」だった。

午前中だけ働いて、お昼ご飯のときはもう「週末」が始まっている。

他の会社は土曜が休みなので、午前中の仕事は「中仕事」。スーツじゃなくて、みんなジーンズにポロシャツみたいなカジュアルなかっこうで仕事をしている。

そしておひるでおしまいである。渋谷にいて、周りに仲間がいて、そして昼日中にいきなり自由になるのである。

「さあ、何して遊ぼうか」

という話になる。映画や芝居を見に行ったり、麻雀したり、バイクつらねてツーリングに行ったり、多摩川に野球をしにいったこともある。

日曜よりずっと楽しかった。

その「半ドン」が今期は木曜日。授業もないし、会議もないし、お稽古もない。

やっほー。

さ、これからバイクで花見をしながら帰って、途中どこかお洒落なレストランでお昼を食べて、それから本屋によって本買って、家に帰ってお洗濯しよ。


4月12日

いよいよ授業が始まった。

大学院は例の「日本文化論」論である。

泥縄でここしばらくそれに関連するいくつか本を読んだ。

青木保の『「日本文化論」の変容』が、日本文化論の歴史的な推移を概観する上でたいへん参考になった。

『菊と刀』を超える日本文化論がない、という評価には私も同感。

坂口安吾の『堕落論』が日本文化論のもっともラディカルなかたちである、という評価も私と同意見。(青木さんとはいろいろ意見が合って嬉しい。)

 

苦しみに耐えつつ西尾幹二の『国民の歴史』の後半も読んだ。

困った本である。

いくらデータを並べてみても、最初に設定しているフレームワーク(19世紀的な国家有機体説)そのものが歴史的な生成物であり、そのような「歴史的に構成された視座」から歴史を見ている限り、「そのフレームワークから見えるデータ」しか見えない、ということに西尾はあまりに無自覚すぎる。

私だって西尾同様、彼とは別の「歴史的に構成された視座」から歴史を見ていることに変わりはない。しかし、自分には「限定的な視野から見えるデータ」しか見えていない、ということを私は知っている。

私も西尾もどちらも「イデオロギッシュ」であることに変わりはない。

違うのは、西尾は自分のことを「中立的、学問的だ」と思っているということであり、私は自分を「イデオロギッシュだ」と思っているということである。

自己評価の客観性において私は西尾に勝っている。

だからどうだっていうんだ、と西尾は反論するかも知れない。

別にどうもしない。

ただ、「自己評価の客観性が高い」という評価を得た方が、ひとを説得する(「騙す」でもいいけど)ときには有利だということである。

 

エルンスト・ノルテとユルゲン・ハーバーマスの歴史家論争も読んで同じことを思った。

ノルテは自分を客観的な歴史家だと思っている。

ハーバーマスは自分をイデオローグだと思っている。

ハーバーマスの方が自分の視野にバイアスをかけている政治性に敏感な分だけ、自分の書いていることが政治的文脈で「何を意味するか」をよく分かっている。

そういう人の方が「大人」だと私は思う。

そして、いっしょに集団的に何かするのなら、「大人」と組みたいと私は思う。

 

夏目漱石の文明論も読んだ。

つくづく凄い人だと思った。

これほどラディカルなことを語りながら、まるで横町のご隠居の「当たり前の説教」みたいに読者に思わせる話術の巧みさにおいて、漱石は日本近代史の誰よりも政治的な論客である。

『坊ちゃん』が痛烈な近代西欧批判論であることに気づいている読者はあまりいないだろう。

『二百十日』や『虞美人草』ではやや不消化なイデオロギー的本音が出てしまう漱石だけれどど、そういうのはみんなあまり読まないので、漱石の政治性はなかなか露出しないのである。

 

こういう大人の「わざ」を使えるひとがいなくなってしまった。

司馬遼太郎も『龍馬がゆく』だけで止めておいて、『坂の上の雲』なんか書かなければ、けっこういい線まで行ったかもしれないけど。

 

いまいちばん政治的な作家は村上春樹だと私は思うけれど、そういうふうに『ねじまき鳥クロニクル』を読む人はやっぱりあまりいないだろう。

 

ものを隠すときはいちばん目立つところに隠すのが決まりである。

ポウもラカンもそう言ってる。

政治というのは「最強の物語」なのだから、対抗するには「物語」をもってするしかない。

簡単な「話」だ。

 

遠方の友人からメールが来た。面白いので紹介しますね。

「貴兄のホームページを読んでいたら、高橋克典という名前が出てきたけど、この人ってトレンディードラマによくでてるひとでしょう。

だとすれば、直ぐ近所で金物屋をしながら、(冨士屋というのです)タバコ屋をしている高橋克爾という人の息子だ。昭和3年生まれ、72歳。たばこはここで買うのです。

忙しくて帰って来ませんよ、ここしばらく、と言っていました。俳優なんていうヤクザになってしまったと嘆いていました。

世の中狭いですね。」

ふーん、ほんとに、狭いですねえ。


4月10日

先回、私が「おばさん」なので、合気道部の部員たちが全員「おじさん」化したということをここに書いたら、部員たちからいろいろと質問が出た。(不思議にも、というか当然にもというか誰からも「抗議の声」がなかった。)

その中に「おじさん」とは何であるのか、ちゃんと定義してほしい、というものがあった。

よろしい、お答えしよう。

「おじさん」と「おばさん」というのはジェンダーの理念型である。

ジェンダーというのは文化的な擬制であって生物学的な性差にはかかわらない。

「男のおばさん」もいれば、「女のおじさん」もいる。

「男のおばさん」という理念型の最初のアイディアを出したのは、いまから15年くらいまえ、たしか浜田雄治君が竹信悦夫君を評して言った言葉であったかに記憶している。

浜田君も竹信君も知らない?

そうだろうね。

浜田君というのは「そういうことを言いそうなひと」で、竹信君というのは「そういうことを言われそうなひと」だということだけ知っていればとりあえずはよろしい。

「おばさん」は思想とかイデオロギーとか理念とか、そういうバーチャルなものにぜんぜんリアリティを感じず、快不快とか美味いまずいとか面白いつまらないとかいう「身体実感」を軸に世界経験を分節する体制のことである。

特徴は「にべもない」ということと「詮索好き」ということにあり、その点では学者向きのジェンダーとも言える。企業では営業ではなく総務とか人事部門向き。手仕事主体のアルチザン型。リーダーシップはまるでないが執念深く打たれ強い。

典型的キャラクターはみの・もんた。

「おじさん」はその逆。身体実感よりも概念主導型で、夢見がち。詩とかファイン・アートとかポール・オースターとかが好きである。

特徴は「定型的思考」を「定型的語り口」で反復することに強い快感を覚えるということである。

夏の夕方の風呂上がりにビールをのみつつ枝豆を食べてナイターで巨人戦を見るようなタイプがこれである。

これらのファクター(風呂とか枝豆とかは)それ自体はジェンダー・フリーなのであるが、これらの連合はある定型をなぞっており、その定型の模倣と反復のうちに快感を見出すのが「おじさん」である。

この人たちのうちには日経や東スポや司馬遼太郎やレイモンド・チャンドラーを愛読したりするものが多いが、そのもの自体を愛しているというよりは、そのようなものを愛している「みぶり」の定型性を愛しているのである。

したがって「おやじギャグ」と呼ばれるものは、切れ味のよいギャグの単発ではなく、泥臭いギャグの「百連発」というような反復のかたちをとる。

これは最初はぜんぜん面白くないのだが、反復回数がある閾値を超えると、痙攣的に笑えてくる。(阿片と同じである。)

典型的なキャラクターは内田百間。

一応これを典型事例として、それからの逸脱型として「少年」「少女」「人外境魔人」などがある。

本学合気道部の場合は女性の「おばさん」比率がきわめて低い。(約一名しか思いつかない。そう、あの人である。)

江口さやかさん、ごんちゃん、などが「少年」という少数派の異類に属しており、谷口なをさんが超レア・アイテムの「少女」である。「人外境魔人」はもちろん「魔法使い」の佳奈ちゃんである。

この分類方式のほうが「動物占い」より汎通性が高いと思うのだが、どうであろう


4月9日

昨日はえびちゃんの結婚披露パーティ。

おひるから桜満開の岡田山の同窓会館でノン・アルコールのパーティ。

そのあとどどどと内田家へ移動して、シャンペンで乾杯したのち、持ち寄り食品の山を攻略しつつ、はげしくアルカホリックな二次会。

難波江先生、飯田先生は残念ながら一次会のみ。(難波江先生は翌日の10キロ走出場のため、休養するのだそうである。)

二次会で新郎新婦をよそに大騒ぎしているのは案の定全員合気道関係者である。

えびちゃんのパートナーになる西君は大鶴義丹をちょっと甘くして高橋克典をまぶしたような目元涼しいボ・ギャルソン。ローランド屋さんでシンセの音を作っている先端的エンジニアで、ご自分でも何枚かテクノのレコード(アナログのシングル盤!)を出しているアーティストである。

さっそく内田の「異業種リサーチ」が始まる。(どうしてかしらないけど、とにかく「異業種」のひとから仕事の話を聞くのがすきなの、私)

小川さんも交えた長時間にわたる「聞き取り調査」によって、私は現在のローランドの開発戦略、コンピュータ支援作曲活動なるジャンルの存在、テクノ・ミュージックの細分化、デジタルとアナログの音楽性の差異、クラブのDJなどについて貴重な情報を仕入れることができた。

私はDJというと大瀧詠一のGoGoNiagaraとか、今晩は糸居五郎です、とか♪ジェット・ストリーーームとか、そういう音楽におしゃべりを乗せるという放送行為しか思いつかない旧世代の人間なのであるが、最近Cafe Opal の店主の日記をまめに読んでいるせいで、どうもDJというのが独立した「音楽活動」として認知されているということが分かってきた。

しかし、その場合、ただレコードを順番にかけるだけで、どうやって「オリジナリティ」とか「わざの冴え」とかいうものが差別化されるのかよく分からない。そのあたりのことを西君に詳しく教えてもらって、いろいろなわざがあり、わざを利かせるためには、いろいろ「仕掛け」があるということを知った。

従来の音楽活動というのは、「あっち」にアーティストがいて、「こっちに」にオーディエンスがいて、中間にはメディアとマーケットがある。

しかしどうやら昨今では、アーティストは単なる音楽的「素材」の提供者であって、DJというひとがその素材を加工して、1時間なり1時間半なりの、ひとつのトータル・コンセプトをもった楽曲ユニット(通常はダンサブルなもの)をつくって、それをオーディエンスに提供する、というやり方がある音楽ジャンルにおいては常態となっているようである。

つまり、アーティストが提供する楽曲を「まぐろ」とか「海苔」とか「コシヒカリ」とかそういう材料に見立てて、それをお客さんの前で「握って」みせる寿司職人みたいなものがDJなんですね、とお尋ねしたら、西君は困った顔をしていたけれど、まあそういうものとご理解願って大過ないでしょうというお答えであった。

これは音楽鑑賞態度としては、非常に大きな変化を意味していると私は思う。

私が60年代にポップミュージックを聞き始めた頃、レコードはシングルからLPアルバムに移行しつつあるときだった。(ドアーズのアルバム・デビューという衝撃的事件が1967年のことである)

アルバムというのは、A面の一曲目からB面の最後までがひとかたまりの単位であり、楽曲のみならず、アルバム・タイトル、ジャケット・デザイン、ライナーノーツまで含めてひとつのトータル・コンセプトによって律されており、私たちはそこになんらかのメッセージ性を読みとることを期待されていた。だから、アルバムから好きな曲だけ選び出して聴くというのは、どちらかと言えば、「邪道」であり、少なくとも、A面またはB面は一曲目に針を落としたら、最後まで通して聴かなければいけないという暗黙の了解が存在したのである。

DJという「メディア」(仲介者)はアーティストから、この「トータル・コンセプト」の決定権を奪い去ってしまう。

曲をどういう「コンテクスト」の中に位置づけるかをDJが決定するからである。

前後にどういう曲がおかれるかによってある曲の「価値」は劇的に変化する。ということは、DJというのは「一回限りのコンピレーション・アルバムのプロデューサー」だということである。

DJとは要するに「引用者」であり、そこで競われるのは「引用」のスマートさであり、「引用」の過激さだということになると、もうお分かりだろうが、これはロラン・バルトの「作者の死」のアイディアそのものである。

テクストには起源がない、宛先があるだけだ。テクストが生成するのは作家においてではなく、「引用の織物」としての読者においてである、とバルトは書いた。

私はバルトのいう「書き込む人(scripteur)」というアイディアがインターネット・テクストにおいて実現したと『現代思想のパフォーマンス』に書いたばかりだったが、西君からDJの話を聞いて、クラブ・ミュージックというものがそっくりまるごとバルト的な理想の具現化であることを知ったのである。

ここでもまた「クリエイト」する「アーティスト」ではなく、「素材」を加工し、配列し、組み替える「ブリコルール」が主人公なのである。

そして、この「主権」の移動は、これまで「クリエイション」とか「アート」とかよばれてきたもの、コピーライトを要求し、「起源」を僣称し、「作品」についての占有権を訴えてきた「アーティスト」たち自身が、じつは先行する「ありもの」の素材を加工し、配列しなおし、組み替えていたにすぎないという「起源の神話」そのものの虚構があらわにされたことをも意味している。

というわけで西君と話をしながら、昨日はいろいろなことに気がついてしまった。

異業種の人と話すのは、このようにたいへんに生産的な経験なのである。

また遊びに来てね。


4月6日

今年は大学院の比較文化論で「日本文化論」論をすることにしている。

日本文化論ではなく「日本文化論」論である。

政治単位としての国民国家と固有の国民文化というものが一体となっており、政治的国境線と文化的な断絶線が重なっていると信じて怪しまない、というのは、当然のことだけれど、近代イデオロギーの効果である。

もちろんそんなことはちょっと気の利いたひとはみんな知っている。

だから、「日本文化論」というような言説の立て方そのものが、あたかも「日本文化」なる固有の実体が存在するかのようなプロパガンダの実践そのもののであり、国民国家のアイデンティティを自明視する体制的思考なわけよ、というようなことを言う人がたくさんいる。

私はそれが間違いだと言っているわけではない。

ただ、いい年をしたおじさんやおばさんがそういうことをとくとくとしゃべっていると、なんとなく顔が赤くなってしまうよ、というだけのことである。そういうのは中学生くらいが言うと賢く見えるんだけどね。

イデオロギーはほとんどの場合、真理よりはるかに堅牢な現実的基盤の上に立っている。

第三帝国とかプロレタリア独裁とか文化大革命とか尊皇攘夷とか八紘一宇とか大学解体とか、そういうものはぜんぶただのイデオロギーである。にもかかわらず、そのような妄想、幻想が人を動かし、社会を揺るがし、歴史をすすめてきた。

イデオロギーにうまく乗った連中は権力や財貨を手に入れ、イデオロギーに抵抗したものたちは辱められ、奪われ、殺された。

国民国家にかかわるイデオロギーは歴史認識としても政治的指針としても多くの場合不適切であるが、それが不適切であることは、大衆的な支持を得て、政治的に現実化することをこれまで妨げなかった。

国民国家と国民文化にかかわるイデオロギーは、他者を辱め、奪い、殺す権利を手に入れる「チャンス」を提供するからである。

世の中には、自分には他者を辱め、奪い、殺す権利があたえられてよいはずなのに、与えられていないということに不満をもっているひとたちがうんざりするほどたくさんいる。この人たちにとってイデオロギーは「他人をこずきまわす」立場を手に入れるほとんど唯一の希望である。

社会的ニーズがある以上、イデオロギーの追随者にむかって「君はイデオロギッシュだ」と言ってみても何にもならない。自分が信じている(ふりをしている)ものがフィクションであることを彼らだって(無意識的には)知っているからである。

だからイデオロギーにかかわる人間には三種類いることになる。

「イデオロギーを(無意識的に)利用しているひとびと」と「その人たちに向かって、高みから、『おまえはバカだ』と言っているひと」と「相手が『マトリックス』の中にいるなら、自分もそこに飛び込んで、そこで勝負を決めるしかないと思っているひと」である。

簡単に言えば「バカ」と「中学生」と「大人」の三種類である。

「日本文化論」を論じるとき、「日本文化は世界に冠絶してすばらしい」と声高に言い募っている人間は「バカ」である。

「日本文化というような固有の実体があると思っているのはバカだ」と言っている人間は、気の利いた中学生程度の賢さである。

「日本文化というような固有の実体があると思い込んでいる人間たちを何とかしないと厄介なことになるので、ここはひとつ口裏を合わせて、『そうですね、日本文化、大事にしたいですね』とにこにこしておいて、『よりましな幻想的構築物』を『おお、これこそ日本文化の神髄ですよねえ』と大仰に感心してみせて、ずりずりとモノをすり替えてゆく」というのが、ものの分かった「大人」のとるべき道である。

というわけで、私の「日本文化論」論は、日本文化についての言説をこの三種類にカテゴライズして、「バカの日本文化論」「気の利いた中学生の日本文化論」「ものの分かった大人の日本文化論」それぞれについて、その生成過程と構造を解明せんとするものなのである。

しかし、この仕事は簡単にはゆかない。というのは、「ものの分かった大人の日本文化論」と「バカの日本文化論」は字面だけを見ていると、けっこう識別しがたいからである。おまけに、「もののわかった大人の日本文化論」と政治党派の文化政策もシニスムという点ではかなり似た構造をもっている。

もちろんこれらをきちんと識別する手だてはあるのだが、長くなるので、今日はこれまで。

拝啓

桜のつぼみもふくらみ始め今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょう。

さて、神戸女学院大学合気道部第三代主将の海老澤邦子さんがこのたびめでたく華燭の典を挙げることになりました。つきましては、学生時代の友人たちのための披露宴を下記の要領で行います。来年創部10年を迎える合気道部草創期を支えた「えびちゃん」の慶事を賀すべく、合気道部関係者のみなさんに万障お繰り合わせの上ご来駕賜りますようご案内申し上げます。

 

とき:4月8日(土)12時〜15時(11時より受付)

ところ:神戸女学院大学同窓会館

会費:全員料理一品持ち寄り

 

神戸女学院大学合気道部顧問

                    内田 樹

 

〒657-0022 神戸市灘区土山町8-35-611

tel&fax:078−821−1457

fwgh5997@mb.infoweb.ne.jp

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3949/

*当日は午前11時から会場準備、午後4時まで片付けがありますので、現役部員の

諸君は全員お手伝いすること。よろしいね。

というわけで今年度冒頭を飾る合気道部の一大イベントのために、ホームページでこのように宣伝しております。

2001年4月で合気道部も創部10周年。それに備えて、いろいろと記念行事を予定していたのですが、「海老ちゃんの結婚披露宴」というかたちで前夜祭が始まることになったわけです。その他予定している記念イベントは

(1) 十周年記念大宴会

(2)歴代主将による十周年記念サイバー座談会(BBSでやる。もう局部的に始まっているけど)

(3) 「部旗」の作成

であります。

以外とつつましい。


4月4日

ああ、ついに学校が始まってしまった。

初日からいきなり教授会と文学部カリキュラム委員会。新年度は唐突にビジネスライクに始まった。

それと同時に春休みが終わって娘さんが東京から帰ってきた。

どがら、とドアの開く音がして、もしやとチャーハンを作る手を止めてこわごわと玄関を覗いたら、るんさんがどっこらしょと荷物をおろしているところだった。

晩ご飯食べた?

まだ。

お腹減ってる?

うん。

というわけでチャーハンは半分になってしまった。

そのままるんさんはMTVを見ながらMDを録音しながらけたたましく笑いつつインターネットでどこかのロックグループのホームページにばりばりと書き込みをしている。

あっという間に、あの静謐なリヴィングの空間は三種類の物音とるんさんの私物によって占拠され、私は書斎からも追い出された。

しかたがないのでベッドで『ロング・グッドバイ』を読む。

 

私は定期的に『グレード・ギャツビー』と『ロング・グッドバイ』を読み返す。

ギャツビー君はどこかテリー・レノックスに相貌が似ている。戦争で心に深い傷を負って、そのあと放蕩無頼の生活をおくるのだけれど、むかし愛した女性に対して過剰なまでに寛大であることと「礼儀正しい酔っぱらい」だという点が似ている。

彼らのことを考えると、ある種の人間はかなり堕落したあとでもなおディセンシーは失わずにいることができるということが分かる。

ハードボイルドというジャンルのほんとうの主人公は「タフでジェントルな探偵」ではなく、堕落してもなおディセンシーを失わない男なのではないだろうか。

村上春樹の小説にも繰り返しこのタイプの男たちが登場する。(鼠がそうだし、五反田君がそうだ。)

タフでありつづけるためには筋力が必要だ。ジェントルであるためには想像力が必要だ。

しかしディセントでありつづけるためには、どちらも要らない。

作家たちはおそらくこのタイプの人間が「物語を発生させる」装置だということを直観的に知っているのだろう。

現に、『ギャツビー』と『ロング・グッドバイ』と『羊をめぐる冒険』を続けて読むと分かるとおり、この非力だがディセントな酔っぱらいこそを周囲の人々を苦しめるすべてのトラブルの原因なのである。

ご賢察のとおり、どんなに酔っぱらっても礼儀正しいというのは私のわずかな美点の一つである。


4月2日

『現代思想のパフォーマンス』いよいよ刊行!

お待たせしました。出ましたよ。ついに。

『現代思想のパフォーマンス』(難波江和英/内田 樹・松柏社)¥3.300(ちょとたかい)

腰巻きに難波江さんいわく

「これはマニュアル本ではない。

ルネ・マグリットには『これはパイプではない』という有名な作品がある。

その前例にならって、本書の帯に『これはマニュアル本ではない』と書きつける。

この本を手に取り、なかを少しのぞいた読者が、『これはマニュアル本である』と思いこむ前に。」

かっこいいコピーだ。

でもこれは現代思想のマニュアル本としてもちゃんと使える。

マニュアル本でもあるし、思想書でもあるし、私と難波江さんのコール&レスポンスのアカペラ・コーラスでもあるし、山本浩二画伯の作品集として「鑑賞する」ことだってできる。

なんてお得なんだ。

さあ、諸君、ただちに書店に走れ。

 

3月31日から4月2日まで三日間、合気道の合宿。

場所はいつもの神鍋高原名色ホテル。もうここで6回目。

空気はきれいだし、体育館は近いし(宿の二階にある)、ご飯は美味しいし、お風呂は24時間入れるし、部屋は広いし、いくら騒いでもふだんは私たちだけしか宿泊者がいないので、騒ぎ放題である。(今回は県内の自転車部の高校生たちが土曜日から同宿。でも女学院合気道部の大迫力に気圧されてか影が薄い)

なにしろ総勢30人である。

91年の「湯の郷地獄の合宿」以来最高の参加者数。教職員だけで5人、東大気錬会OBがお二人、OGが二人(田口さんは北海道から有珠山の噴煙で遅れつつ飛行機で登場。札幌から神鍋高原まで1日の稽古のために!)

そして学生さんたちがざわざわ。

朝稽古で合気杖、昼間は合気道、夕方からは神道夢想流の杖という一日7時間稽古。

そのあいだに宴会。宴会が果てたあとになお昇段級審査の受審者たちは、廊下で有段者をつかまえて真夜中すぎまで「予想問題」を検討しつつばたばた稽古をしている。

タフな子たちである。

審査は無事全員合格して、全員わいわい騒ぎながらバスを揺らして帰っていった。

 

春の合宿は幹部交代の儀式がある。

合気道部第三期黄金時代を担った林佳奈さんが引退して、江口さやかさんが新主将。ついに第十代目である。

このところ歴代主将はさまざまな特技を持っている。

六代の宇野さんと七代の小国さんは凍り付くような「漫才」で宴会を盛り上げてくれた。

八代の小浜ちゃんは「麦チョコ空中捕食」を部の「無形文化財」として残してくれた。(今回も飯田先生はじめ部員諸君がこの伝統芸の習得と錬磨に多くの時間を割く心暖まる光景が見られた。)

九代の林さんはあの「佳奈ちゃんマジック」で、関係者するひとびとを「ふふふの佳奈ちゃんマジックワールド」にいざなう秘技を縦横に駆使し、その魔力の絶大な効果にこの一年間、部員一同はただ驚嘆するのみであった。感動のあまり内田は今後合気道部の稽古目標のひとつに「魔法の習得」という一項を新たに加えたほどである。(これはほんとの話)

十代主将の江口”パズー”さやかさんの特技は人も知る「おやじギャグ十連発」である。

つとに指摘されているように、合気道部は顧問の内田が本質において「おばさん」であり、助教の松田先生も(実は)「おばさん」なので、ジェンダー・バランスの当然の帰結として部員全員の「おじさん化」がはげしく進行している。

ビールをくいくいとあおりつつ「ぷはー、こりゃたまらんわ」とひたいを叩く、歯ブラシを口につっこんだまま廊下でわざの指導をする、湯上がりジャージー姿の首にタオルを巻いて登場するなど、年ごろの乙女たちとは思えぬ所業のかずかずに、今年度からはこの部員たちがくちぐちに「おやじギャグ」をかましまくる姿が加わることになるだろう。

今回は7名が初段になった。

新入生が道場見学に来る頃は、みんな黒帯。

ずいぶんと層が厚くなった。

これで新入部員が10人も入った日にはどうなるのであろう。

もう道場に入りきれない。

早急に大学の旧体育館を改築して、武道場を造っていただきたいものである。

贅沢はいわない。

ほんの百畳ほどの畳の道場に、ほんの百畳ほどの板の間がついているだけでいいのです。

 

多田先生によれば、「道場があるといいな」と強く念じていると、必ず思いは実現するそうである。現に多田先生はそうやって月窓寺道場を建てられたのである。

先生が庭でお風呂をつくっていると(すごいね)通りかかった散歩中のお坊さんが、不審におもって「何しているのです」と訊ねた。

「明日までにお風呂を建てるのです」と多田先生はお答えになった。

「なんでまた、あしたまでに」

「いや、明日からイタリアへいくので」

「なんでまたイタリアへ」

「合気道を教えに」

「なに、合気道」

というふうにとんとんと話が進んで、そのお坊さんが、「では私にご指南下さい。つきましては、うちの寺の庭にちょうどプレハブが一軒空いておりますので、それを道場にお使いになったらいかがです」というのが今日のあの「日本で一番立派な」といわれる月窓寺道場の始まりである。

かくいう私も必死に「道場がほしいほしい」と念じていたら、そこを通りかかった松田先生が「なにをしているのです」とお尋ねになるので「いや合気道を」「何、合気道。実は私も前から合気道がやりたくて・・・」というきっかけでいつのまにか岡田山ロッジの道場は出来たのである。

念じれば実現する。部員諸君は日夜はげしく祈るように。

 

三日間合気道をしてご飯をたべて宴会をしてお風呂にはいって寝ているだけという知的負荷のきわめて少ない生活をしていたので、家へ帰っても仕事にならない。リハビリのために貴志祐介の『ISOLA』を読む。

『黒い家』も怖かったが、これもぞくぞくしながら楽しく読んだ。

ところがなんと時代は1995年震災直後の西宮。主な舞台は武庫川沿いのなんとか学院高校と、「関西学院大学から東に三キロ」離れたところにある「西宮大学総合人間科学部」。

うーむ、これは。

そして主人公の美女とからむ謎の助教授は「身長180センチ、長髪、彫りの深い顔立ち、白衣着用、30代後半の認知心理学者」。お、こ、これってもしかして・・・

彼の身にいったい何が起こるのであろう。

というふうになかなか楽しめる一冊でした。神戸女学院大学の人間科学部の学生諸君は必読だ。

 

法政大学の鈴木晶先生のお洒落でおちゃめなホームページSho'z Bar に遊びに行く。

先生の「極私的リンク集」に「抱腹絶倒」と本ホームページが過分のお言葉とともにご紹介頂いていた。(それも「柄谷行人のホームページ」の次に。おっとと)

鈴木先生は「バレエの伝道師」、私は「武道の伝道師」とちょっと領域はずれるけれど、大学時代はふたりともバンドマン、卒業すると翻訳会社を創業、ハロルド・シェクター大好き(鈴木先生は私の愛読書『体内の蛇』の訳者そのひとなのだ)というあたりに「他人とは思えない」ものを感じる。

『精神分析入門』の読書会をしているという先日の記事を読まれて、鈴木先生は最新刊のご高著『精神分析入門を読む』を送って下さった。(鈴木先生ありがとうございました。でもその本ちゃんと自分で買ったのもってるんです。先生から頂いたものは愛蔵版として書棚に飾らせて頂きます。)

 

野崎”師匠”次郎先生もホームページを開設された。

これからばりばりテクストを書き込んでゆくご予定らしい。

現在では入手困難な野崎先生のフランス思想関係のレアアイテム論文も読めるぞ。

みんなで遊びに行きましょう。