とほほの日々

The days of pains and regrets: from 1 Jan 2000



6月30日

あめがぼしょぼしょ降り続けるので、道衣がぜんぜん乾かない。一年ぶりのVIAのパフォーマンスだけれど、着てゆく道衣がないので、いちばん湿り気のすくない洗濯物をしかたなく選び出す。

VIAというのは、スタンフォード大学の学生さんたちがアジアでやる教育実習みたいなものらしい。その学生諸君が、アジア諸国に実習にでかけるまえに、日本で「アジア文化圏への導入」の機会をお持ちになる。

そこで関学とうちの大学で、この方たちに「日本の伝統文化」をお見せするといううるわしい習慣が定着しているのである。

以前は能楽部の舞囃子や茶道部のティーセレモニーなどもあったのだが、今年は、華道部のフラワーアレンジメントのワークショップと箏曲部の演奏と合気道部の演武の三つだけである。

プログラムがさびしいせいで時間が余った、というので、杖や居合の演武も見せることにした。

合気道の演武をしたあとで、「あとふたつほど出し物があるんですけど。見たいですか?」と訊ねたら、学生さんたちはみんな「イエー」と答えてくれた。フレンドリーなオーディエンスである。

体育館に移動して、私が居合を五本ほど抜いて、学生さんたちに杖の制定型を着杖から乱合まで12本演武していただく。

杖をお見せしたのはVIAでははじめて。いつも付き添いで来るスタンフォードの先生、「いやー杖はじめて見せて頂きましたが、毎年出し物がふえて、がんばってますね」(というようなこと)を英語で言ってくださった。(たぶん、そうだと思う。)いつもにこにこと挨拶してくれる、とてもハートウォーミングな方である。

演武は合気道も、杖道もなかなか堂々たるものであった。リハーサルもしないで、いきなり演武をしても、ちゃんとそれなりのものをみせてくれる。やはりみんな十分な場数を踏んできた、ということであろう。

私はなぜか武道がからむと英語をはなすのが苦痛でなくなる、という傾向がある。

武道以外のことで英語をはなすと、ぼろぼろつっかえてしまうが、こと武道の話になるとなぜか流暢になる。

それは、言葉の切れ目の「えーと」が、「あ、英語でなんていうんだっけ、思い出せない。わーどーしよー」ではなく「私が言いたいことが君に理解できるだろうか、ちょっと素人さんには、むずかしい話なんだけどね」という「余裕の沈黙」というものになるからである。

同じ沈黙が「言葉が出てこないバカそうなな間」ではなく、「言葉をゆっくり選んでいる賢そうな間」に変じるのである。

この「間」に相手が畏怖と好奇心にあふれたまなざしで私をみつめていたりすると、私の英語会話能力は一気に飛躍的に向上するのである。

つねづね申し上げているのであるが、外国語コミュニケーションを可能にするのは、なによりもまず「話すものに対する聞く側の敬意」である。聞く気のない対話相手に対して心の思いを伝えることは、同国人に対してさえきわめて困難である。まして外国語においておや。

私のフランス語がめちゃめちゃなのは、あの国では、私の話すフランス語に深く傾聴するという態度を示す人間にほとんど出会う機会がないからである。

かの国で私が出会うフランス人たちは、なぜか私が話す内容にはほとんど関心を示さず、ただ私の口にするフランス語の発音と文法の間違いだけに関心を集中させているように思われる。(マクドナルドのねえちゃんからして、私の「マックシェイク」の発音を直すのである。発音が直せるということは聞き取れたということだろうが、だったら黙って「マックシェイク」を出さんかい)

いやな国である。

その点、英語はよい。なにしろアメリカ国内に英語が話せないアメリカ国民がごまんといるのである。

いちいち文法の間違いなんか直していたら、コミュニケーションなんか成立しっこない。

だから私のように駿台予備校の英作文教科書の例文のままのような英語を話してもノープロブレムなのである。

竹信くんの話では、He is an oyster of a man.(彼は牡蠣のように寡黙な男である)という表現をいまだに日本の中年男性は英語国民とのコミュニケーションで頻用しているそうである。(Japan Quarterly の副編集長であるアメリカ人は、なぜ多くの日本人がこのような古めかしい雅語的メタファーを知っているのだと、久しく疑問におもっていたそうである。昭和のベストセラー参考書「新新英文解釈」の最初の文例だったんですよ。実は)

で、話は飛ぶけれど、いまの人間関係でいちばん欠けているものは何か、ということがこのあいだ議論になった。

「愛」じゃないですか、と学生さんの一人が言った。

甘いね。

「愛」なんか売るほどあるよ。

欠けているのはね、「敬意」なのである。

「敬意」というのは、「自分とは別のもの」に対する畏怖と、理解不可能であることへの涼しい諦念と、それにもかかわらずコミュニケーションの回路を維持しておきたいと願う欲望のおりなす、とてもデリケートなこころのあり方である。

「敬意」のあるところにしか対話は成り立たない。

「愛」というのをしばしばひとは「親しさ」と勘違いする。

そして「親しさ」は実にしばしば「敬意の欠如」として表現される。

だから「愛」があるのに、「対話」が成り立たないという関係が増殖するのである。

おじさんたちがいちばん切実に求めているのは、「愛」ではない。「敬意」である。


6月28日

大学院の演習で高橋哲哉の『戦後責任論』を扱っているというはなしを先週書いたけれど、今週もその続き。

いろいろ論じているうちに、やはりかなり深い問題をはらんだテクストである、ということになった。

理由はいろいろあるけれど、加藤典洋をして「鳥肌が立つ」と言わしめたものは何か、ということが今回の読解で少し分かった。

いま、「従軍慰安婦問題」というものがある。

これを高橋は、アジアの民衆が、植民地支配と戦後責任の回避によってぬくぬくと肥え太ってきた日本人のひとりである「自分につきつけられた問いかけ」というふうに受け止め、それに誠意をもって回答することが「応答責任」 (responsibility) である、と考える。

回答が適切であったかどうか、それは「問いかけるもの」が決定する。(たとえ、一生懸命「答えた」としても、「努力が足りない」とか「反省が足りない」という査定をされる可能性は残る。)

これはかなりストレスフルな社会的なポジションのとりかたである。

もちろん、そういうストレスフルな立場をとることを避けられない場合が人生にはしばしばある。

そのきつさは何かに似ている。

一番似ているのは、そう。「受験」である。

「受験生」というのは、「設問があって、それに回答すると、その適否を誰かが採点してくれる」という「原信憑」のうえに構築された人間のあり方のことである。

広義での「受験生」は学校だけにいるわけではない。

企業における勤務考課(「来月の売り上げ目標をいかにして達成するか?」)も、文壇における文芸批評も(「真に新しい文学とはなにか?」)、ある意味では「受験生」的エートスの培養地である。

マルクス主義がドミナントな知的態度であった時代には、あらゆる社会問題に対して「階級的に正しい回答」というものがあるという信憑が共有されていた。査定は「どの回答がいちばん革命的か」というしかたでなされた。

大学生だった私は、つい先日まで「誰がいちばん偏差値が高いか」を競っていたメガネの受験生たちがわずか数ヶ月で、「誰がいちばん革命的か」を競うようになり、それに本人たちがまったく違和感を感じていないことにいらだちを覚えた。

私は高校生のころに「内田、その高校生らしくない態度は何だ」と教師に査定されることが大嫌いだった。だから、もちろん大学生になっても「内田、そのプチブル的生活態度は何だ」と党派の兄ちゃんに査定されるのも大嫌いだった。

おい、革命するんじゃないのかよ。

参考書の代わりにマルクスを読んで、学ランの代わりにメットにタオルで、模試の代わりにデモに行って、偏差値の代わりに「革命性」を競うんじゃ、まるで高校の時と同じじゃないか。

「革命性なんてものを誰かに査定されるのは、おいらまっぴらだよ」と言ったら、高校を放逐されたのと同じように、私は党派政治の世界からも放逐されてしまった。

もちろん、当然のように党派の兄ちゃんたちはそれから二年もすると、みんな坊ちゃん刈りにして一流企業に就職していった。

きっと面接では素晴らしく好感のもてる応答をしたのだろう。

なにしろ「査定される」ことが大好きな連中なんだから。

世の中には査定されるのが好きな人がいる。

とくに、「いい点をとる」ことに慣れている人、「いい点をとること」ができる人は、査定されることを厭わない傾向がある。

私は「査定」されるのが大嫌いである。

それは私の回答がいつもひどい点しかつけられなかったからではない。

誰かが「適正に採点してくれる」ということを私は信じていないからである。

何を隠そう、私は受験生としてはすばらしく要領がよかった。

現代国語の問題などでは、瞬時のうちに出題者が「どういう答を書いて欲しいか」を読み当てて、すらすらすいすいと心にもないことを書いて満点をとることができた。

17歳くらいのこどもに下心を読まれる出題者のことを「バカだ」と私は思っていた。

当然、「バカ」が出題する教科ほど私は高い点数をとった。

要するに、「査定」型の知力トレーニングというのは、「どういう答えをすれば、だれがどういうふうに喜ぶか」を見透かせるようなタイプの知性の涵養に役立つだけだ、ということを私は学んだのである。(しかし、バカにはできないもので、結婚生活から営業活動まで、世の中のほとんどの場面は実はこのタイプの知性だけでやり過ごせるのだということまでは高校生の私には考えが及ばなかった。)

とまあ、そういう屈折した(というほどでもないけど)子ども時代を送ったせいで、私は「設問と回答」形式で考えたり、私の回答を誰かに「査定」されることを想像しただけで「鳥肌が立つ」ようになった。(だから結婚生活にも失敗したし、サラリーマンとしてもろくな仕事ができなかったし、研究者としての業績はどれも「評価になじまない」ものばかりだった。)

高橋哲哉の戦後責任論に、私はこの「査定」になじんだ知性のようなものを感じてしまった。

それについて書く。

応答責任ということについて高橋はこう書いている。

「すべての人間関係の基礎には言葉による呼びかけと応答の関係があると考えられます。(・・・)あらゆる社会、あらゆる人間関係の基礎には、人と人が共存し共生してゆくための最低限の信頼関係として、呼びかけを聞いたら応答するという一種の『約束』があることになります。(・・・)応答可能性としての責任とは、私が自分だけの孤独の世界、絶対的な孤立から脱して、他者との関係に入っていく唯一のあり方だといってもいいのではないか。」

この部分に私はまったく異論がない。おっしゃるとおりだと思う。

ただし、私がここで「呼びかけ」というときに考えているのは、純然たる「よびかけ」(「やっほー」というような)であって、「査問」とか「召喚」とかいうような法制的なニュアンスはない。

しかし、高橋にとっての「呼びかけ」はどうもそういうフレンドリーな感じのものではないようである。それはむしろ誤答を許さない「口頭試問」に似ている。

彼に聞こえるのは「戦争とか、飢餓とか、貧困とか、難民問題とか、そのほか世界中で苦しんでいる人々の叫びや呻きや呟き」であり、「90年代になって続々と名乗り出てきたアジアの被害者たちの証言」であり、「元『従軍慰安婦』をはじめとするアジアの被害者たちの訴え」であり、それは具体的には「『慰安婦』問題の刑事上の責任者を処罰せよという告発状」というかたちをとって、「(戦争犯罪の)刑事責任を果たすように、つまり裁きに服するように呼びかけられており、日本政府はそうした人たちの刑事責任を追求する、つまり彼らを裁くように呼びかけられている。そして日本国民はその裁きを実現すべく努力するよう呼びかけられている」ことに収斂してゆく。

高橋がそのような呼びかけを選択的に聞きることは高橋の感受性の問題であって、私はそれについては別に異存はない。

誰だって、あらゆる呼びかけに等分に応答することはできない。

当然にもそこには選択があり、優先順位があり、可聴音域には個人差がある。

耳を澄ますと「南極のペンギンの悲鳴」を聴き取ってしまうひともいるだろうし、「熱帯雨林の痛み」を感受するひともいるだろう。私のように「日本のとほほなおじさんたちの泣き言」を選択的にきいてしまう人もいるだろう。

そのようにしてい、ひとはそれぞれ自分の聞き得た呼びかけにそれぞれの仕方で答えるほかない。

これは原理的には個人的なセンリビリティの問題であると私は思う。

しかし、高橋が自分の聞いた呼びかけは例外的に「日本人」全員が聞き取るべきものである、と言っている点については簡単には同意できない。

高橋はこう書く。

「補償問題を含む法的責任の問題こそが、日本の戦後責任にかんして、日本人が『日本人として』引き受けるべき政治的責任のもっとも明瞭な部分につながっているからです。日本人が日本人として引き受けるべき、引き受けざるを得ない政治的責任です。」

これは政治的なひとつの私見である。

私は高橋のこの私見にはじゅうぶんな論拠があると思う。にもかかわらず、これが「日本人として」引き受けなければいけない政治責任である、というふうに「一般化された当為」として語られると、私はその議論を受け入れることができない。

いかなる呼びかけを聞くのか、それは聞き取る側の感受性の個人差にかかわっている。

高橋自身も同じテクストのなかで、呼びかけの聞き取りが選択的なものであることを認めている。

「一方には『英霊の声なき声をきけ』という靖国派の呼びかけもあるわけですが、どの呼びかけに、どのように応えるのか、それが私たちの自由に属する選択、判断なのです」

と、たしかに高橋は書いている。

「アジアの民衆の声には耳をふさいで、英霊の声なんかばかり聞いて、なんてひどい人なんだ」と怒る権利は高橋をふくめて誰にでもある。

しかし、いかに愚劣であろうとも、そのような政治的な選択、判断は、そのひとの「自由に属する」。私たちはそれを(いやいやでも)尊重しなければならないと私は思う。

しかし、高橋はそのような「政治的に誤りうる自由」を認めてくれない。

「在日朝鮮人(韓国籍)の作家徐京植氏は、『日本人としての政治責任』から逃れようとする日本人に対して、こう述べています。日本人が日本人としての政治的責任から逃れられるとすれば、それはそのひとが『長年の植民地支配によってもたらされた既得権と日常生活における〈国民〉としての特権を放棄し、今すぐパスポートを引き裂いて自発的に難民となる気概を示したときだけ』である。とても鋭い批判です。」

ちょっと、待ってほしい。これは「鋭い批判」などというものではない。

これは「恫喝」である。

「日本人としての政治的責任」というのはきわめて範囲のひろいものであり、さまざまなかたちがある。徐さんが「日本人は私のいうとおりのしかたで政治的責任をとるべきだ」と考えるのは、彼の自由であり、それを公言するのは彼の神聖なる権利である。

しかし、徐さんの意見に「全日本人が聴従すべきである」であるというのは高橋の私見にすぎない。「なるほど、その通りだ」と思う人もいるだろうし、「ちょっと、それは・・・」という人もいるだろう。

たとえば、アメリカ人で共和党支持者のジョン・スミスさん(イリノイ州、オーロラ在住、43歳)は、「日本人としての政治的責任」のとりかたとは、アジアにおけるアメリカの軍事的・政治的・経済的権益を死守することであると考えているかも知れない。(「戦後55年、日本のあんたらがビジネスに精出しているあいだ、汚れ仕事はぜんぶわいらがやったんやないか。朝鮮半島で、インドシナで、うちとこの若いもんぎょーさん死んどるねん。その血であがなったおたくとこの戦後の繁栄やろが。おう。少しは感謝つうものをしてみせるのが人の道いうもんちゃうか」)

この場合、徐さんとスミスさん(仮名)のそれぞれが迫る「日本人としての政治的責任の取り方」のうちのどちらを優先的に聞くのが「より正しい」のかは、日本人ひとりひとりの自由な判断に委ねられているし、委ねられるべきだと私は思う。

私たちはある意味で日々の行動(あるいは非行動)を通じて、「日本人としての政治的責任」にかかわる決定を下し続けている。それは義務であるだけでなく、憲法で保証された私たちの基本的な権利でもある。

それらのさまざまな政治的責任のとりかたのうち、ある特定のかたちに賛同できないものは、「パスポートを裂け」「難民になれ」というのは、「おれの意見を聞けないやつは非国民だ」というのと論理的には同型の恫喝である。

もちろん「恫喝」という形式で「真理」が語られることだってあるかもしれない。(私は一度も経験したことはないが、ひろい世界だ、いろんなことがあるだろう。)

しかし、少なくとも、誰かを説得するためには、こういう語法はあまり使わない方がいいと私は思う。

繰り返し言うように、私は高橋の政治的意見に「賛成」である。私が反対しているのは、その立場を語るときの語法についてである。

政治的意見を述べるときは、「説得」するか、「罵倒」するか、どちらかの語法を選ぶのがいい、と私は思っている。

「説得」というのは、めざす政治的成果を獲得するために、自分の言葉を捨てても「他者」の価値観や経験の仕方のうちに身をすり寄せていくことである。

「罵倒」というのは個人的な好悪の感情の発露であり、真偽や適否を論ずる水準ではない。「バカというやつがバカなんだよ」という小学生の真理が語っているとおり、罵倒は普遍的妥当性をあらかじめ断念しており、その断念(「どーせ、おじさんの繰り言なんですけどねー」)を経由してはじめてその戦闘性を獲得する。

私は政治的言説は、このどちらかに徹すべきだというふうに考えている。

政治について「真理の審級」「当為の語法」では語らない方がいい、と私は思う。

同じように、ある政治的「問題」についての個々人の「回答」を誰かが(誰なんだろう、いったい?)「査定」してくれる、(「点が低い」ときは「パスポートを破れ」というような叱責が飛んでくる)という発想法はとらないほうがいいと私は思う。

それは査定の基準が間違っているからではない。(徐さんのいうことは筋が通っている)

そうではなくて、このような査定は最終的に二種類の人間しか生み出さないからである。

それは「採点者の意図を汲んで、喜びそうな答えを書くずるこいやつ」と、どんな回答を書いてもぺけをつけられて返ってくるので、ついに怒り狂って「もう、やめや!」と机をひっくり返す無法者である。

この二種類の人間はどちらも世の中を住み易くしてくれるタイプの人間たちではない。

まとまりのない話ですまない。

おわり。


6月26日

ジャック・ダニエルズのロックグラスを片手に、カウチポテト状態で総選挙の開票速報のTVを見ながら梅雨の一夜を過ごす。

私はTVというものをほとんど見ないのであるが、開票速報は大好きである。

私が投票に行くのは、この開票速報をより楽しむためである。(どうせ競馬見るなら、馬券を買ったほうが楽しめるからね。)

ということは、面白い開票速報番組を作る局は、それだけで投票率の向上に、ひいては民主主義の活性化に寄与しているということになる。TVもあまりバカにしたものでもない。

東京にいるころは知らなかったが、関西のTVでは、東京の制作局でやっているプログラムを中断して、近畿の開票速報をローカル局のアナウンサーとローカルな政治評論家がやっている。これはびっくり。

だって、つまらないんだもの。

どうせ全国ネットしているわけじゃないんだから、思いきって「ここだけの話ですけど」的な内幕トークで出演者大笑い、というならともかく、ただセットがちゃちで、まとめ方の手際が悪く、分析がせこい、というだけの番組である。

それに近畿のことばかり放送しているので、全国の開票結果がどういう動向になっているのか全然分からない。

プロ野球日本シリーズの決勝の実況を中断して、草野球の中継を入れているような感じである。

ぜひやめてほしい。

あちこちザッピングしたが、やはり久米宏と田原総一朗のテレビ朝日のが面白かった。

田原総一朗は性格の格悪さに磨きがかかってきて、昨日も次々と政治家たちを本気で怒らせていた。(不破哲三はほとんど目に殺意を浮かべていた。)

頭ごなしに相手をはねつける口調ばかりではなく、相手が何かを理路整然と語りだして、「さ、ここから本題に」という瞬間に話の腰を折って、「あ、もういいや。次行きます」と水を差すタイミングが絶妙。ひどいときには中継の画像を「あ、回線が死んだようです」でブチっと切ってしまう。(あれは田原総一朗の手元にスイッチがあるのではないだろうか。)

そのくせ、公明党の坂口政審会長の無知を満天下にあばきだすためには、「ふんふん、ほうほう、それで」といつまでも相づちを打ち続ける。(気の毒にこのひとは自分が「遊ばれている」ことに最後まで気がつかなかった。)

なんて、ひどいやつなんだ、と思いながら田原総一朗から眼が離せない。この人も「いい死に方」はしないだろう。

こういうTVの生放送に出ると、政治家の「器」というのは一発で分かってしまう。

恐ろしいものである。

何を聞かれても、てきぱきと答え、数字をぺらぺら並べる、頭のよい人というのはたしかにいる。

きつい突っ込みをされると、急にドスの利いた声で「なめた口きいたらあかんで、こら」と品の悪い反撃をかます、というようなあぶない芸当をこなす古狸もいる。

しかし、彼らが苦手なのは、「分かりません」とか「あ、ごめんなさい。それ知りませんでした」とか、「それはね、できませんよ。むりよ」とか正直に言うことである。

これはむずかしい。

何かができない、何かを知らないということを言明しつつ、なおかつ知的で、信頼にたる人間であることを印象づけるということはわりとむずかしい。

それは「頭は下げるが反省しない」というのとは違うのである。「きっちりわびを入れているのだが、それほど仕事ができないひとのように思えない。いや、いっそ正直で自己評価の客観的なひとではないか」と思わせるような厚みのある芸というのは、相当に器の大きいひとしかできない。

私たちが政治家に求めているのは、「・・・も・・・もやります」というお気楽な空手形ではなく、「・・・はできないけれど、・・・ならできます」というクールな限定なのである。(というようなことをフクオカ先生も言っていたな)

昨日出た中では、自民党の町村信孝というひとがなかなかよかった。

他の政治家たちが田原に「与えられた」スピーチチャンスに必死でとびついて自説を開陳して田原の意地悪な「ぷちん」で腰砕けにされているのに対して、この人だけは「いや、短い時間じゃきちんと言えないから、今日の所は黙ってますわ」と余裕の「とほほ顔」でやり過ごしていた。

田原みたいな性悪な人間を相手にしているときは、そのルールに乗らないで沈黙を保っているほうがかえって存在感を示す、ということに気付いている分だけ、町村はほかの政治家より賢そうだった。「次の次」を狙っている人らしいけれど、なるほど。それなりの「器」のようである。

というふうになかなか楽しい一夜でありました。 

 


6月23日

竹下登が死んだ。

朝日新聞は「調整型政治の終焉」みたいなことを書いていた。数の論理と利益誘導による多数派工作、金権政治・・・そういうもののシンボルのように扱われていた。あまりその死を悼むという論調ではなかった。

ま、そうだろう。

しかし、私はなぜか個人的にはこの人の語り口が好きだった。

「ま、・・・だわな」というあれである。

この人には政策というものがなかった。あるいはあるべき日本の未来についてのヴィジョンとか聞いたことがない。(なにしろ「ふるさと創生」だかんね)

しかし、この人は政治の根本というものを直観的に理解していたのではないかと私は思う。

「政治の根本」とは何か。

それは「多数派の形成」ということである。

私は「多数派の形成」をめざさないものを政治とは認めない。

既存の社会制度の全体を否定するような立場であれ、その立場への支持者をひとりずつふやしていって、ついには多数派を構築するところまで展望すべきである、と私は思う。

「突出したケルン」や「フォロワーなき前衛」のようなものは「政治的には」無意味である。それは思弁の運動、文芸の運動としては興味深いものではあるだろうけれど、私はそれを政治のカテゴリーにはカウントしない。

政治的なトピックについて語ること、ある種の政治的オプションをつよく主張するひとを私たちはうっかり「あ、政治的なひとなんだ」というふうに思ってしまう。

それはちがう。

政治的なトピックについて語りながら、ある政治的オプションの意義を語りながら、その言葉をつうじて決して「多数派の形成」を目指してはいない人間はたくさんいる。

じゃあ、その人たちは誰に向けて語っているのか。

「論敵」に向かってである。あるいは「論争」のレフェリングをしてくれる「同業者」に向かってである。

彼らが夢中になっているのは、ある狭い業界内における知的威信やヘゲモニーやヒエラルヒーを賭けた「内輪の争い」である。

そのような水準で競争に勝つことと、多数派を形成することはまるで別のことである。

 

70年代の政治党派はみんな「競争相手に勝つ」ことを政治と錯覚していた。

あのころの政治党派が間違っていたのは、「闘争を領導する党派」と「導かれる大衆」を二元化し、「党派」が複数並立していることが大衆闘争の立ち上げを妨げているのだから、自分以外の党派をぜんぶ「始末」してしまえば、一元的に「大衆」を統括できるようになる、と考えたことである。(とほほ)

「操作する側」と「操作される側」に人間たちをまず二分し、ついで「操作する側」における競争相手を排除することで、「操作する」権利を独占できるという彼らの考え方はまったく間違っていた。

たしかに競争相手に勝つと、一時的には小さなマーケット(**大学の自治会、というような)を占有することができる。しかし、この小さな専制党派に対して敬意や信頼をよせるものはそんな小さなマーケットにさえほとんど存在しなかった。

学生たちの多くは自治会を空洞化することで(「いまから学生大会?しらねえよ、バイトなんだよ、おれは」)党派の夜郎自大を嘲弄していたのである。

これらの「政治」党派の誤りは、最初に無自覚におのれを「操作する側」だと思いこんだところに始まる。

「操作するもの」は絶対に多数派形成に失敗する。

なぜなら、「大衆操作」においては、操作するものができるだけ「少ない」ほうが効率がいいからだ。

完全な上意下達の軍隊的指揮系統こそが「操作」の理想である。(いろいろな矛盾する指示がわけのわからない部署から出てきたんでは「操作」できないからね。)

操作が完璧であるためには、ピラミッドの頂点が「点」であることが必要だ。つまり、「操作する側」に立とうと望むものは、「おのれ以外の全員を潜在的な敵とみなす」発想をとるほかないのである。そうしないものは結局誰かにこき使われるだけである。

こうやってあらゆる「政治」党派は無限の分派闘争のうちに離散してゆくことになる。

この愚を避けるためには、出発点を変えるしかない。

「操作する側」と「される側」という二分割を断念して、「みんなでいっしょにやろうよ」というフィクションに賭けるのである。

「みんなでいっしょに」これが多数派形成、ということである。

多数派の形成というのは、競争に勝つことではない。むしろ競争を「しない」ことである。(だって、いちばん簡単な多数派形成工作は、当面のヘゲモニー争奪戦の「敵」と合体しちゃうことなんだから)

70年代のはじめころ、私がこの種の提案をすると、党派の兄ちゃんたちは、いつも「ずぶずぶの組織拡大路線」といってさんざんに批判してくれたものである。(うー、思い出してだんだん怒りがこみ上げてきた。)

私は自分を検証ぬきで「操作する側」に置き、他人をかってに「大衆」と呼んで怪しまない、党派の兄ちゃんたちの無神経にずいぶん腹を立てた記憶がある。おいらも君もみんな「大衆」ということでいいじゃないか。みんなバカさの程度はどうせ似たようなもんなんだから。

なんてことを言ったので、私はそういう世界からかなり暴力的な仕方で追い出されてしまい、そのごとんとご縁がなくなった。

で、はなしは戻るけれど、竹下さんという人は、「とにかくみんないっしょになろうよ」ということをおそらくは唯一の政治課題として生きた人ではないかと思う。「いっしょになって何をするのか?」ということはおそらく彼にとって二次的な問いにすぎなかったのだろう。

バカじゃないか、というひともいるだろう。だからだめなんだよ、何をするための同盟なんだよ。

いや、別に、何もないんだよ。ただ同盟したら、楽しいかなと思ってさ。だめかね。

だけどさ、そういうあなただって、結婚するときには「とにかくいっしょになろうよ」ということばかりしゃべっていて、「いかなる社会的課題を果たすために結婚するのか」というようなことはあまり話し合ってなかった、と私は思う。むしろ「結婚したら***なことをしよう」というような提案は相手を口説き落とすために必死で「構想」したものでしょ?

目標というのは、いつだって集団を形成するために「あとづけ」にされるものであって、あらかじめ存在する目標を実現するために集団が形成されるわけではないのだよ。

結婚と国政は違うよ、とあなたは言うかも知れない。

違わないね。

政治は多数派形成だということを忘れているから、「おじさん」たちは「妻-娘」連合軍にさんざんにいぢめられているのだよ。

三人いたらそこはもう社会集団。政治の本質はどのサイズの集団でも変わらないと私は思う。


6月20日

大学院の演習「日本文化論・論」は、歴史修正主義関係の文献をこれまでいろいろ読んできた。(ドイツの歴史家論争、ロベール・フォリソンの「ノン・ホロコースト」論、『マルコポーロ』廃刊の原因になった「ガス室はなかった」論、西尾幹二の『国民の歴史』、藤岡信勝の「自虐史観」批判、など)

その仕上げとして、高橋哲哉『戦後責任論』を取り上げた。

この中で高橋は「自由主義史観」を批判している。

そのロジックは平明だし、健全である。

にもかかわらず、私は「ちょっと違うんだけど・・・」という感触を払拭し切れなかった。

高橋は「南京虐殺」や「従軍慰安婦」についての「戦後責任」を私たち日本人が負うべきであることを主張している。

その主張は正しい。

けれども、ここで高橋は「真相の究明」ということと、「アジア民衆との信頼の回復」というふたつのことを一続きのみぶりとしてリンクさせて、「真相の究明」のあとにはじめて「信頼の回復」が成り立つと考えているように思われる。

それは違うのではないか、と私は思う。

「真相の究明」は半世紀以上前に起こった「歴史的事実」の当否の検証にかかわる議論である。

ほんとうは何が起こったのか、それを究明することはとても大事だ。けれども「ほんとうは何が起こったのか」を明らかにすることは原理的にはできない。

文書資料のあるものは散逸し、あるものは曖昧で一義的な「解釈」を許さない。証言の多くは主観的なバイアスがかかっている。

高橋も西尾も相手に対して、「資料を自分の利害に引き付けて読み、それぞれの都合によって、ある証言を真とし、ある証言を偽とするという恣意的な歴史解釈を行っている」という非難を応酬している。

現に、それぞれが「信頼性のある」資料や証言とするものに基づいて、西尾や藤岡が再構成した「過去」と高橋が再構成している「過去」はまるで別のものになっている。

資料や証言の「妥当性」についての評価がそれぞれ違うのだから仕方がない。

どちらが「より説得力があるか」という比較は可能だ。

けれども、どちらが「真実か」を言うことは、たいへんにむずかしい。

だからこの種の議論はトリヴィアルな資料批判のおわりない「水掛け論」に終わる可能性が高い。(現にそうなっているように)

何年もかけて議論すれば、あるいは資料批判について両者のあいだで、ある程度の合意が成立するかもしれない。成立しないかもしれない。成立しなさそうな気がする。

私は別に歴史的過去の再構成についてシニックになっているわけではない。

そういう仕事は大切だ。

けれども「何よりもまず真相究明が果たされねばならない」というふうには考えない。

その理由を書く。ちょっと長いけど。

 

フロイトはヒステリー患者の18例の聞き取り調査の結果、彼女たちの多くが幼児期に性的な「虐待経験」を受けいているという「事実」を発見した。そして、勇躍、「ヒステリーの原因は幼児期の性的暴力のもたらした外傷である」という学説を発表した。

しかし、その直後から、フロイトは患者たちが告白した「過去」の信憑性を疑うようになった。それらの外傷は「事実」ではなく、「幻想」だったのではないか、とフロイトは考えるに至ったのである。

フロイトの偉いところは、「なんだ、事実じゃなかったのか」と放り出さずに、外傷経験の主体にとってはそのような経験が「事実」として生きられているということの重要性を、客観的な事実性とは「別の水準」で認知したところにある。

歴史的事実がどうであったかのかを過去にさかのぼって再構成することはたいへんに難しい。しかし、たとえば数十年間、幻想的な外傷経験を、ある人が「自分の経験として生きた」のであれば、その歴史的淵源は事実であるかどうか、ということは二次的な重要性しかもたない。

だって、その「傷」はまさにその人によってリアルに生きられてしまったからである。

そして、その幻想的な外傷によって現に神経症の症状が起きている以上、「そんな経験、あんた、してないんだよ」と言っても始まらない。

その外傷経験を言語化し、患者と分析家がそれを共有し、公共化し、「説明の文脈」のうちにきちんと収めることによって外傷が癒されるのであれば、極端な話、「事実」なんかどうだっていいじゃないか。

フロイトはそう考えた。私もそう考える。

 

私たちの人生の岐路に存在する「決定的経験」というものについて、その当事者がまったく異なる記憶を有していることがある。

私事で恐縮だが(って、ぜんぶ私事なんだけど)、私と平川克美君の「歴史的出会い」についての記憶は私と彼では全く違う。

その話しをしよう。

平川君によれば、私が彼の学校に転校してきた直後に、クラスのボスであった平川君が私を校舎裏によびだし(これはほんと)、「タイマン」勝負をして、私たちが引き分けて、その日から「五分の盃の兄弟分」というものになって、二人でクラスを仕切った、という話になっている。

私の記憶では、平川君は無慮10名近い「子分」を従えて登場した。ご本人はもちろん、ゴリマンとか(その名も恐ろしい)番格の子は出てこないで、いちばんちびだった三浦君を私にぶつけて、私がさんざんにうち負かされて半べそをかいているところで平川君が止めに入り、「なかなかいい根性をしているので、兄弟分にするぞ」と勝手に宣言したのである。(平川君の子分たちはこの「えこひいき」にびっくりしていた。)

話がまるで違う。

しかし、私と平川君の「公的歴史」は平川説を採用することになった。(私だってそのほうが他聞がよい。)

というわけで、平川君の「自己史」の転轍点には、事実としては存在しなかった「内田との歴史的タイマン」というものが燦然と輝いているのである。(私のひみつの自己史には「平川君の宿命的なえこひいき」というものが燦然と輝いている。)

しかし、そのような「運命的な出会い」の(それぞれの)「幻想」を私たちは40年近く「生きて」しまったのである。その果てに、私はビジネス・カフェ・ジャパンの株主というようなものになって、スーパーリッチな晩年というものを約束されているわけである。(て、これも幻想か)

じゃあ、本当はどうだったのだ。ということでその場にいたはずのゴリマン君や三浦君を呼び出して、1961年の9月の出来事について記憶を糺しても、彼らだって何も覚えてはいまい。覚えるほどの事件ではない。そんな出来事は小学校では毎日あったんだから。

それがたまたま記憶されたのは、その事件そのものの衝撃によってではなく、私と平川君が仲良くなった「あとに」、ぼくたちが最初に会ったのはどういうときだったっけ、という遡及的な問いが立ち上がったためである。だから、「そのあとに」仲良くなる、ということがなければ、二人ともその出来事について断片的記憶さえとどめていなかっただろう。

記憶というのは、その出来事「そのもの」の強度によって記憶されるのではない。

その出来事が「そのあとの」時間のなかでもつことになる「意味」の強度によって選択されるのである。

私たちは、それぞれにある記憶を選んだ。いずれの記憶がより事実に近いかを判定する権利は平川君にも私にもない。けれども、私たちはある出来事を「記憶する」という仕方でアドレッサンスの起点標識を打ち立てた。そして、その後、私たちは愉快な冒険の日々を共有することになった。その40年にわたる生活のリアリティは、歴史的事実がどうあれ、いまさら取り消すことはできない。

そういうものである。

アメリカでは「幼児期の性的虐待」について、カウンセリングの過程で「抑圧された記憶」が蘇り、両親や兄弟や親族を「性的虐待」で告訴する事件が相次いでいる。

これについて『抑圧された記憶の神話』という書物は、そのようにして思い出された記憶のかなりの部分がカウンセラーの誘導によって外部注入された「偽装された記憶」ではないか、という疑念を投げかけている。人間の記憶力を操作することは想像する以上に簡単なことなのである、と「偽装記憶」の専門家である著者は書いている。

 

話の深刻さはずいぶん違うけれど、戦争体験のような激烈な経験をしたひとの中には、その後の人生において、「他者の経験」を、あるいは「伝聞した経験」を、あるいは「幻視した経験」を、自分の経験としてリアルに「生きてしまった」ひとだっていたはずである。

私はそのひとがなんらかの利己的な目的で、自己や他人を「欺いている」とは思わない。

他者の記憶をあるいは幻視された記憶を取り込むというのは、「記憶の共同化」という聖なる作業であるからだ。

この「記憶の共同化」をつうじて、はじめて共同体というものは立ち上がる、と私は考えている。実際は経験したことのないカタストロフや、危機や、痛みや、恥辱を、「わがもの」として引き受けるような感受性が私たちには備わっている。

それは誰かを「騙す」ための装置ではなく、私たちが共同的に生きるための、他者と「折り合って」生きるための、とても重要な能力なのである。

戦争責任の問題について、もう一度立ち戻るけれど、おのれの戦争責任や目撃証言を「カムアウト」したひとたちのなかに、事実ではないことを語っている人はおそらく少なくない。

しかし、事実ではない経験を事実として記憶してしまったことは十分に根拠のあることなのだ、と私は思う。そのようにして個体から個体へと「伝達」してゆかねばならないような共同的経験というものが存在するのだ。

戦争経験で外傷を負ったひとびとは、そのような「経験の伝え手」であると私は思う。

そこで語られることについて「真相はどうなのだ」「証拠を見せろ」などといちゃもんをつける人たちは「厳密性」とか「客観性」とかいう名のもとに、ほんとうに聞き取るべき情報を聞き逃しているのではないだろうか。

フロイトのヒステリー患者がそうであったように、そのような「外傷の物語」をリアルに生きてしまったひとにとっては現に「外傷」は激しく痛むのである。ことの「真相」の究明は、その外傷を癒すこととは別の水準の問題である。

真相の究明をまってはじめて外傷経験の癒しが始まる、というふうに私は考えない。

私は歴史的事実の究明という「過去指向」の作業とは別に、信の回復という「未来指向」の作業があるべきだと思う。

信の回復とは、「外傷経験」が「何を言おうとしているのか」を聞き取るということである。

それは検察的な仕事ではなく、もっと忍耐強い、柔らかい仕事のように思う。

 

「真相の究明」は検察官の仕事だ。そして、検察官の仕事は「邪悪なるものと無垢の被害者の物語」を作り上げることである。

私は「戦後責任の引き受け」というのはそのような検察的な作業であってほしくない、と考えている。

その点において、私は高橋とずいぶんかけ違ってしまう。

私は「検察官」になりたくないのである。

高橋はおそらく自分に大義名分があって、相手を告発しているときでさえ、にこやかなほほえみをたやさないタイプの人間なのだろうと思う。(一度会ったことがあるけれど、そういう感じのひとである。)そういう自分に自信があればこそ、告発の言説を語り出すことを厭わないのだろう。

私は違う。

私は自分に大義名分があるときに、反論の余地のない証拠をならべて「被告」を告発するとき、自分がどれくらい残忍で、どれくらい権力的な野郎になり果てるか、熟知している。

まるでちがうよ、問題は「告発すること」ではなく、「他者からの審問を引き受けること」なんだ。「告発されることをいさぎよく受け入れる」ことができるかどうか、それが論じられているんじゃないかと反論するひとがいるかもしれない。

ちがうね。

「審問」というのは「誰から誰に」(「アジアの民衆」から「植民地主義的関係性を清算できていない日本人全員へ」)というような問題ではなく、言説の「形式」のことである。それは「ゲームのルール」である。

審問の言語を受け入れる者は、たとえ、「審問される側」においてそれを聞き取る場合でさえ、瞬間的に立場を変えて「審問する側」に反転できる。(岡真理が上野千鶴子にしたように)

というか、「審問の言語」以外では思考することも経験することもできなくなってしまうのである。

それは「勝ち負け」の言説や、「停滞と乗り越え」の言説や、「革命か反動か」の言説や、「健常と異常」の言説や、そういうものと同じである。

いちど、その言葉遣いで話し始めたら、あとはそれを繰り返すしかない。

それは、本人にとっても周りの誰にとっても不毛で悲しい営みだと私は思う。


6月19日

杖道の昇段審査が王子SCである。無事三名とも昇段。おめでとう。

これで去年秋の昇段者とあわせて初段が20人。(すごいね)

高原先生をはじめ杖道関係の先生方からしきりにねぎらいのお言葉を頂く。

期待に応えるだけのものをこれから示していきたいと思います。

京都の徳桝先生から、「内田さんの杖、鬼木先生に似てきましたね」と言っていただく。

え、どこが?とうわずって尋ねたら「声が」だって。うーむ。

そのうちに「鬼木先生の調子のわるいときに似ている」と言われるようになるとかなり本物である。

その日をめざしてがんばろう。

 

昨日は父の日。

ころっと忘れていたら、娘さんが「今日は父の日だから晩御飯つくってあげるよ」という泣けそうなフレーズ。

めにうは私のリクエストで「お蕎麦、冷や奴、サラダ、焼き鳥」。

連日の過労と稽古でくったり疲れてくーすか昼寝をしていたら、「晩御飯だよ」というノック。

ねぼけまなこで居間に出たら、ちゃんとご飯ができていた。

うれしーぜ。

 

とーちゃんを泣かせるのは、ほんとに「赤子の手を捻る」ように簡単である。

それに、これほどコスト・パフォーマンスのよい仕事はない。(私は昨日の晩御飯のお代に「ま、夏の服でも買いなさい」と三万円もお小遣いあげてしまった。)

 

父の日のよろこびについて、鈴木晶先生が「電悩日記」にしみじみと心にしみるお話を書いていたので、読みつつ、もらい泣き。

 


6月18日

「死のロード」が終わって生きて我が家に帰ってきた。

金曜の朝7時から、日曜の午前1時までずっとスーツにネクタイという格好だったので背中が凝った。

いろいろ興味深い発見の多い二日間だった。

 

ビジネス・カフェ・ジャパンのオープニング・セレモニーはホテル・ニューオータニの芙蓉の間というところでやったのだけれど、なんだかずいぶん大がかりなセレモニーだった。(マスコミが50社来たそうである。)

平川克美君が拍手を浴びつつ登壇、ビジネス・カフェがどういうコンセプトの事業であるのかを滔々と語ってくれた。私はビジネスのことはまったく分からないけれど、平川君のやろうとしていることが「金もうけ」ではなく、「まじめな遊び」である、ということはよく伝わってきた。

日米の元気な企業家たちを集めて、その「出会い」が可能にするビジネス・ゲームを「楽しむ」というのがビジネス・カフェの狙いのようである。

 

平川君はその昔いっしょに会社をやっているころ、やたらに社員をふやす人だった。

誰かに頼まれたり、「仕事下さい」と泣きつかれると、「ほいほい」と入れてしまうのである。(フジイとか)

あまり無計画に人を入れると人件費がたいへんだよ、という忠告をした人に、平川君が答えて曰く。

「いいんだよ。人を入れたら、彼らを食わせる分だけ新しい仕事を探せばいいんだから」

仕事がまずあって、それを適切に処理するために「人材」を運用する、という発想を彼はしない。

まず人がいる。で、その人にはたぶんその人にしか出来ない種類の仕事がある。それを探してやってもらう、という仕方で平川君はビジネスを拡大してきたのである。

 

ビジネス・カフェもそれと発想は一緒である。

まず「出会い」がある。その偶発的な出会いから何かが「起こる」かも知れない(起こらないかもしれないけど)。何か予想もしなかったことが起こったら面白いね、という考え方である。

 

セレモニーのあとはビジネス・カフェ「いちおし」のヴェンチャー企業のプレゼンテーションがあった。

「ウェブ上で3Dコンテンツを走らせるエンジン」を開発したグループとLINUX で従来の価格の30分の一の値段でスーパーコンピュータできます、というグループのプレゼンテーションを聞いた。

これがぜんぜん分からないんだけれど、すごく面白かった。

フリーOSであるリナックスが世界10万人のボランティアによって日進月歩(というか分進秒歩)を遂げ、ウインドウズOSを駆逐するのは時間の問題、というはなしにあらためてびっくり。

近代的な「ベネフィット追求型ビジネス」の感覚では対応できない段階に文明にはいったな、という感じがした。

 

交易の起源は「利潤の追求」ではない。(貨幣がないんだから)

「必要なものを交換しあった」という説明も成り立たない。(琥珀とか桜貝が「必要な物」であるはずがない。)

経済人類学の教えるところでは、とりあえずまず「交換」があった。

やたらに「交換」というものをしたがる生物であったという点でクロマニヨン人はネアンデルタール人と決定的に異なるらしい。

とにかく、どんどん交換をして、いろいろなものを物流の流れにのせて、ぐるぐる動くのが好きでしょうがないというのが現生人類の「業」なのである。

 

そういう点では、ビジネスシーンは「クロマニヨン帰り」を果たしつつあるように思われる。

ネット・ビジネスではあんまり必要性のないものがぶんぶん流通している。それどころか、ビジネスから利潤を獲ようということさえ考えないひとがでてきた。

いろいろな人や情報やスキルが出会って、そこで「新しいもの」が生まれること自体が楽しい、というクロマニヨン人型ビジネスマンが21世紀におけるドミナントな形態になるのだとしたら、ビル・ゲイツとウインドウズ王国の没落は「20世紀型ビジネス」の弔鐘をならしていることになるだろう。

 

会場でいろいろな人たちと名刺交換をする。

小学校の同級生、新井勉君と会う。38年ぶり。新井君は外務省の偉い人になっている。いろいろ昔話していて、「新井君、高校どこ行ったの」という質問をしたら、「日比谷」という答えが返ってきてびっくり。

高校で新井君を見た記憶がなかったからである。

私がいかに視野狭窄的な青春を送っていたかよく分かった。

 

会のあと、石川茂樹君、新井君と飲みに行き、石川君のディープでコアな音楽談義に耳を傾ける。

 

土曜日は早起きして大阪へ。

関西大学で身体運動文化学会の関西支部会があり、私はそこで発表をするのである。

関西大学というところにはじめて行った。

駅前から大学正門までずらりと「飯や」が並んでいる。壮観である。業種別にみるかぎり、関大生諸君は「うどん」を主食に暮らしているらしい。

 

身体文化一般を扱うという学会なので、スポーツ、武道、芸能、各種身体技法の研究者が集まっているというふれこみででかけたが、どうも雲行きがちがって、関西支部の会員の90%は大学の体育の先生であった。

私のような「文化系」の人間は少数派である。

 

私の発表は「武道は非中枢的な身体運用を追求する」というかなり思弁的な内容のものであったせいか、みなさんはなんとなく片づかない顔つきであった。

 

柔道の専門家の方からいろいろと質問があったが、話が噛み合わない。

試合をしたり勝ち負けを論じていると「絶対的な強さ」には到り得ないという考え方が納得できないようである。

まあ、「武道の目的は弱くなることである」というのが結論なんだから、柔道のひとからは、ちょっと困るよね。

 

スポーツとして武道をしている人からすると、「それって、スポーツとしての武道を否定することになりません?」という感じでむっとしたかもしれない。

怒らせたのであれば、申し訳ない。

でも、「スポーツとしての武道」はスポーツであって武道ではない、と私は思う。それは「護身術としての武道」や「健康法としての武道」が、それぞれ「護身術」であり、「健康法」であり、武道そのものではないのと同じ理由である。

 

雨の中、「ミラノの生ハム」とつぶやきつつ、へろへろになって武庫之荘の山本画伯宅へ。

今回はアレクサンダー・カルダーさんの「サーカス」ヴィデオを見ながら、生ハムおよび「三種の香草パスタ」と「トリュフのパスタ」を頂くという趣向である。

お客さまは、難波江さんと、画伯の友人たち、美大生のアシスタントたち。知らない人たちがほとんどだけれど、構わず座り込んで、どんどんワインを飲んで、パスタやサラダやチーズをどんどん食べ散らかしつつ、わいわいおしゃべりをする。

もう疲れ切っていたので、1時間くらいでお暇するはずが、12時近くまで食べ続けてしまった。(だって美味しいんだもん)

 

三杉先生は先約があって来られず、「私はく・や・し・い」のリフレーン付きのファックスを送ってくれた。それを見ながら、「わはは、パスタ美味しい、生ハム美味しい」と三杉先生が聞いたら泣き出しそうなことを言いつづける。

前回の「お・い・し・か・っ・た・わ・よー」の罰があたり、内田の怨念で生ハムが食べられなくなってしまったのでは、と三杉先生は書いておられたけれど、そんなことないすよ。ははは。はははははは。

 


6月15日

今週も週末がない。

明日は朝一で教育実習校訪問。何も1時間目からじゃなくてもいいのに・・・とぼやきつつ、宝塚の奥の方までいかなくてはいけない。ちょっとたいへん。

その足で、そのまま東京へ。ビジネス・カフェ・ジャパンの創立記念パーティがホテル・ニューオータニである。ビジネスマンのおじさんたちがごろごろいるパーティというのは出たことがないので、ちょっと興味がある。松下君や石川君も来ているはずなので、ビンボー株主同士すみっこのほうで小さくなっていよう。そのまま東京泊まり。

翌日は、朝一ソッコーで大阪まで戻って、その足で関西大学での身体運動文化学会へ。そこで発表をすませて、その足で、武庫之荘の山本浩二画伯のところでの「ミラノの生ハム」パーティへ。何かすごく貴重な映像を公開するので、アート関係のいろいろなひとが集まるらしい。よく分からないけれど、私は生ハムをたべにゆくのである。難波江先生や三杉先生もくるらしい。ということは美味しいワインのご相伴にあずかれるかも。

翌日は、午から王子スポーツセンターで杖道会の諸君の昇段審査である。鬼木先生とともに、その付き添い。

というふうに金曜の朝から、日曜の夕方までスケジュールがきちきちに詰まっている。

しかし、これで5月なかばから始まった「週末のない日々」はとりあえずおしまい。

なんとか生きて月曜日を迎えたいものである。

というわけで、この頁は来週の火曜まで更新されません。みなさんさようなら。


6月14日

土曜日に身体運動文化学会で口頭発表をすることになっているのだが、その原稿ができない。

書けないのではない。

書きすぎてしまったのである。

20分に発表だから、400字詰め原稿用紙で20枚見当である。

書いたのを数えたらその3倍あった。

これを三分の一まで削らないといけない。

自分の原稿を削るのは、生まれた子どもを森に捨てに行くようで悲しい。

泣きながらとりあえず半分まで削った。

もう削るところがない。

困った。

 

中根さんからコリン・デイヴィスの「初校」のゲラが届く。

まだ翻訳が終わっていないのに初校が出るというのがすごい。

訳したそばからメールで送ったら、それをどんどん入力してページレイアウトまで済ませてくれるのである。

脚本が書き上がっていないのに芝居の幕が上がってしまい、袖で必死に本の最後を仕上げている井上ひさし(渋谷天外だったかしら)の気持になる。

あと10頁くらい残っているのだが、学会の草稿が片づかないので、どうにもならない。

困った。

 

2001年度からはじまる総合文化学科の現代国際文化コースの「履修モデル」をつくる。

月曜日の何時間めには何の授業をとって・・・というのである。

「基本形」というので、まず「外国語はイタリア語をとって、英語もちゃんとやって、ちょっとアジア関係を重点的に研究して、国際関係論とか比較文化論なんかも目配りして・・・体育は太極拳」という「ややアジア指向の全方位外交型」学生さんをイメージして時間割をつくる。

もう少しマニアックな履修モデルの方が面白いのだけれど、あまり変わったものを外に出すわけにはゆかない。

「どうかね」とウッキーに見せたが、「1限と5限には授業ないほうが学生はよろこびますよ」とか「週のなかほどに休みがあるのはいいですね」とか、休み時間の設定のことばかり言って、苦心の科目設定についてはコメントしてくれなかった。

 

大会後はじめての下川先生のお稽古にゆく。

基本のおさらいをして、中之舞を一回通して舞っておしまい。らくちんな稽古であった。

来年の会はどうしますと先生からのご下問がある。

「内田さんのほうに心の用意があれば、舞囃子をしてもらってもよいのですけど」

「心の用意」というのは「懐具合」の雅語である。

もちろん「心の用意」はつねにある。こういうときにぱっと遣うために毎日「みどりのたぬき」を食べて節約しているからね。

というわけで、来年の大会では「猩々」の舞囃子を披くことになった。(「披く」は「ひらく」と読む。業界用語なのでよく意味は知らないのだが、「デグリーが上がる」というようなことらしい。)

ともあれ、苦節(でもないけど)五年、ついにインストゥルメンタル・バンドを従えた「ミュージカル」パフォーマンスで舞台を踏むことになった。

みなさん、来年をお楽しみに。6月第一週の日曜日です。

 

教務部長の松田先生から「合気道を来年から体育の正課にしたらいかがですか」というオッファーがある。

ありがたいことである。

教務委員会で私のほうからの「開講嘆願」が承認されれば、「体育の正課なんだから・・・」というエクスキューズのもとに「同情するなら道場をくれ」(ン江口主将)キャンペーンが大々的に展開できる。旧体育館を改築していただいて、一階を「武道場」にする。畳部分が半分(60畳くらい)に板の間が半分。そこで合気道と杖道をお稽古するのである。

ああ、まるで夢のようだ。(夢なんだけど)

柏木さんから訂正メールがきました。

皆さま・・・。

先日6月15日放送予定とご連絡しました「生活ほっとモーニング」ですが、あさって14日(水)朝8時35分〜に変更になりました。

10分くらいのリポートです。

残念ながらスタジオでの出演はないので東京へは行きません。

昨日何とかナレーション入れも終わりました。

皆さんが柳川へ足を運びたくなるような気持ちになってくれればいいのですが・・・。

2年目のディレクターがなんとかがんばって作ったリポートです。

よかったら見てください。

なお、今月27日(火)。福岡発「ひるどき日本列島」にも出演します。

こちらは生中継です。初めての全中中継。緊張します。

あわせてご感想をお待ちしています。

柏木由佳

みんなで見ましょう。


6月13日

眠い。

11時にふとんに潜り込んで、10時に起きたのに、まだ眠い。(途中でもうろうとしながらるんちゃんに朝御飯をつくって「いってらっさい」と言った記憶はあるが、また寝てしまった。)

みみもとで神様が「もっと寝てていいよ」と言ってくれたら、「らりらろー」と言いながら、そのままいつまでも眠ってしまいそうである。

そうやって夕方ころのそのそ起き出して、ラーメンをずるずる食べて、バカ映画を見ながらワインをごくごく飲んで、ミステリーを読みながらまた寝てしまうというような一日がいつか私に訪れるのであろうか。

はやくこいこい夏休み。

 

二度寝ではいつも不思議な夢を見る。(前回記憶にのこっていたのは、ここにも書いたけれど、石原裕次郎が愛人に向かって「クロード・シモンを読んだけれど、つまらない」と愚痴をこぼしている夢だった。すごくリアルな夢だった。)

今回は、ガルシア・ロルカの死について深く考察している夢を見た。(たいした考察ではない。肛門に銃剣を刺されて死ぬというのは、死に方としてはかなりバッドだから、自分の身には起こって欲しくないと私が考えている、というだけの夢。)

いずれにしても私のエスが、わりと文学史に詳しくて、けっこう論理的に思考するひと(っていうのかな)であることは確かである。たしかにクロード・シモンはつまらないし、ロルカの死に方は痛そうである。


6月11日

新歓コンパが無事終了。

いろいろな事件があったので箇条書きにしておきます。

(1) 出席者新記録更新。従来のトータル33名を上回る37名を達成。瞬間最大客数は34名。

(2) 近隣から苦情。ベランダの戸をあけたまま大騒ぎしていたことで、近隣のみなさんから「あまりに非常識である」という苦情が寄せられました。平伏してお詫び申し上げます。これからはベランダ側の戸はあけちゃだめよ。

(3) 矢部君、迷子になる。門限がひときわきびしい矢部君は10時すぎにはやばやと撤収したが、徒歩で御影に行く途中で迷子になり、山の中に迷い込み、途中携帯電話で四回生たちが「回収」に出かけるさわぎになった。矢部君が御影駅に到着したのはうちを出てから1時間半後。これはうちから御影駅までの所要時間の新記録。

(4) 食料不足する。デンプン質を中心とする小川さんの力作「膨満感優先めにう」で攻めたにもかかわらず、焼きそば、冷麺、チャーハンなどはあっというまに消滅し、後半「私は何も食べてないぞ」というクレームがあちこちで口にされた。私はチャーハンが「ブラックホール」に呑み込まれて行く光景を一瞬見たような気がするが、あれは悪夢だったのだろうか。

(5) 「二人羽織」芸、完成をみる。飯田先生とウッキーの共同作業になる新たなお座敷芸「二人羽織一教」が西原さんの献身的な協力を得て完成をみた。おふたりは「二人羽織四方投げ」などさらに高度な技に挑戦中である。

おいでいただきましたみなさん、お疲れさまでした。

次回は北澤さんの送別会です。こんどは、あまり騒がずに静かに来し方ゆくすえを語りつつ北澤さんをお送りしましょう。


6月9日

昨日は恒例の「古典を読む会」である。

参加者はだんだんふえてきて。昨日は10人。

フロイトの『精神分析入門』を読むの第三回。第11講から15講までを読む。

「夢判断」のところである。

この部分には、「夢の作業」、「幼児性欲」、「エディプス・コンプレックス」と三つも大事なトピックが出てくる、本書のかんどころである。

私がとくに興味をもつのは「夢の作業」である。

よく知られているように(とかいって、知らない人もたくさんいるだろうから、説明しますけど)フロイトが「夢の作業」と名付けたのは、「濃縮」、「移動」、「(思考の視覚像への)置き換え」、そして「逆転」である。

濃縮というのは、複数のファクターをごっちゃにして数を減らす操作である。夢の場合であれば、現実のAさん、Bさん、Cさんという人物が一人の人間に「キマイラ」的に融合して登場する、ということがある。これが濃縮。

移動というのは、言いかえると「代理」である。あるものAを指示するときに、別のものBを指すことである。夢の場合は、ちょっと芸当が複雑で、BからAへの遡行が簡単にはできないように、工夫がしてある。つまり一種の「隠語」のようなものをつかって語るのだが、その「隠語」の語義はとりあえず秘密なのである。(それでは「隠語」にさえならないではないか、という怒りの声が聞こえるが、ほんとにそうだね。)

まあ、「ひねりすぎて、わかりにくい駄洒落」のようなものとお考え頂いて構わないだろう。分かる人は分かるし、分からない人には分からない。(考えてみると、フロイトは「洒落」の達人であった。これはレヴィナス先生のタルムード解釈もそうであるので、あるいはユダヤ人の民族的特技といってよいのかもしれない。)

「思考を視覚像に置き換える」というのは誰でも分かる。

この場合の思考から視覚像への転換もしばしば「だじゃれ」的な語の連想によってリンクされている。

さて、私たちがもっとも関心を寄せるのは、四つの目の、夢の中では「対立するふたつの項は入れ替え可能であり」、「対立するふたつのものが同一のもの」として表現される、という「逆転」の現象である。

フロイトはここで興味深い言語の両義性の例を挙げている。

太古の言語においては、強弱、明暗、大小というような対立が同一の語根によって表現されていた例が多い。例えば古代エジプト語の「ケン」は「大きい」と「小さい」の両方の意味をもつ。ラテン語のaltusは「高い」と「低い」を意味するし、sacer は「神聖な」と「呪われた」を意味する。英語のwithout は本来「・・・とともに」と「・・・ぬきで」の両方の意味をもっていた云々。

また同一の意味を表すのに、順序を逆転するということも行われる。

Topf/Pot(壺)、Boat/Tub(船/たらい)など。

これはフランス語の「ヴェルラン」(逆さ言葉)もそうだ。例えば、laisse tomber (レス・トンベ)「ほっとけ」をlaisse beton(レス・ベトン)という類。そもそも「逆さ言葉」Verlan(ヴェルラン)自体が、「逆に」a l'envers (ア・ランヴェール)の「逆さ言葉」なのである。

ヴェルランは日本語にもたくさんある。とくにミュージシャンのあいだでよく使われている。「女」が「ナオン」、「ジャズ」が「ズージャ」、「めし」が「シーメ」の類である。(ジャズメンのヴェルランについては山下洋輔さんの愉快な研究がある。)

古代エジプト語から現代日本語までに見られるということは、この「逆さ言葉」が人類にとって「やめられないとまらない」系の言語表現であることがうかがえる。

フロイトの過激なところは、この「逆転」を夢の順序そのものに適用するところである。

「夢の中で諸要素の順序が全部あべこべになっているために、解釈をして意味を探り出すには、最後の要素を最初に、最初の要素を最後に取り上げなければならない夢があります。(・・・)夢の作業のこれらの特徴は、太古的なものと称してさしつかえないでしょう。そうした特徴は、古代の表現体系、言語および文字にも同じように認められます。」とフロイトは書いている。

私はフロイトの夢についての理論をまるごと「物語の理論」として読む、という野心的な計画をひさしく抱懐している。だって、「古代の表現体系」に妥当するものが、現代の表現体系意に妥当しないはずがないではないか。

簡単に言えば、物語をぜんぶ「ひっくり返して」読むのである。

物語というのはふつうシーケンシャルな時間の流れの中で「展開し」「進行する」というふうに私たちは因習的に語って怪しまないけれど、これがね。逆なのだよ。

まず結末があって、それによってすべての「記憶」が再編成され、「過去」が造形され、それを逆から私たちは読んでいるのである。

しかし、これは話し出すと長くなるので、続きはまた今度。

 

96年卒業の柏木さんからお知らせです。

「皆さま。

お元気ですか?

6月15日(木)。

朝8時35分〜NHK総合「生活ホットモーニング・あの町この町ぐるり旅」に出演>します。

柳川の町を旅してきました。

よかったら見て下さい。

感想もお待ちしています。

         柏木由佳」

だそうです。みんなで見ましょう。


6月8日

このところ、ゼミの発表がなかなか面白い。

うちのゼミは、学生さんが自由に研究テーマを選んできて、それについてみんなでわいわい議論するのであるが、なんだか私には思いもつかないような不思議なテーマをみんなみつけだしてくる。

先週のゼミ発表は川上さんの「マンガにみられる擬態語」についての研究であった。

擬態語というのは、ものごとの状態をあらわす言葉「にこにこ」とか「しとしと」とか「ぴかぴか」とかいうものである。

よく間違えられるけれど、擬態語は「擬音語」とは違う。

だって「にこにこ笑っている」ひとの顔のそばにいくら耳を近付けても「にこにこ」に類した音は発生していないからである。

「にこにこ」は「笑っている」という現実の出来事と、その笑いを見て「あ、にこにこしてる」と感じているひとのあいだの「交流」の効果として出現する語である。

「にこにこ」という擬態語は、笑いという身体現象の側にも、その笑いを眺めている観察者の側にも専一的には属していない。

その「あいだ」に出現する。

一方に物理的現実が粛々として存在し、一方に超越的視座からそれを眺める観察者が冷厳として存在する、という二元論的な世界観がドミナントな文化圏では、おそらく擬態語のようなものはあまり生まれてこないだろう。

日本語は擬音語、擬態語の語彙が非常に豊富であることで知られている。

それはたぶん私たちが二元論的なものの見方をみんなあまり得意ではなくて、「対象」と「主体」の「あいだ」に、いくぶんかは客観的事実あり、いくぶんかは主観的印象のしみ込んだどっちつかずの「世界の風景」を眺めることを好むせいなのかもしれない。

良く知られた話だけれど、「日本人は虫の音を左脳で聴く」といわれている。

左脳というのは、論理的思考を司る器官であり、音声としては言語音を聞き取る。自然音は「ノイズ」であるから、右脳で聴かれ、もちろん言語音としては認知されない。

そのはずなのに、なぜか日本人だけは左脳で虫の音やせせらぎの音や松籟を聴いて、そのまま感興に乗じて歌を詠んだりするのである。

かわった人たちである。

たぶんこの大脳生理学的事実は擬態語の多さと関係があると私は思う。

「マンガの擬態語」の発表では、アメコミでは「擬音語」(Pawwwwn! とかBang!とかZUUUUT!とか)はあるけれど、擬態語はほとんど見られず、ましてや「どきっ」とか「があーん」とか「うるうる」とかいう擬態語が20世紀フォックスのマークみたいに画面いっぱいに広がったりすることはない。

我が国のマンガにおける擬態語は背景の一部であると同時に心理描写であり、画であると同時に文字であり、台詞であると同時にト書きである。

つまり「ふきだし」に書かれている言語音と、画面に書かれているヴィジュアルなものが相互浸透しあっていて、その「あいだ」には厳密な境界線が存在しない、というのが我が国のマンガのきわだった特徴なのである。

擬態語は「言語音」と「自然音」の「あいだ」に存在する音声である。

それが豊かな語彙を形成しているということは日本文化を考察する上でたいへん重要な手がかりになると思うのであるが、どうであろう。

 

それに関連して思ったのだけれど、森首相が「神の国」とか「国体」とかぼろぼろ失言をして政治的失点を重ねているが、これをイデオロギー的な確信にもとづいた発言というふうにとらえるのはやはり適切ではないだろう。

ご本人が釈明しているように、これらの語はいずれもあまり害のない「普通名詞」であると同時に、ある歴史的文脈に置き直すと、特異な語義を帯びる「政治用語」である。

そのような特殊な術語だけを選択しているのであるとすると、彼がやろうとしている政治的パフォーマンスはなかなか高度なものだということになる。

つまりこれは「洒落」とか「掛詞」とかいうのとかなり近い言語表現なのである。

普通名詞として聴けば普通名詞に聞こえ、政治用語として聴けば政治用語に聞ける。どう聴くかは、オーディエンスにお任せである。その発言の効果は話者と聞き手の「あいだ」に、一回的に、パフォーマティヴに(つまり、どう「聞き込むか」という聞き手の主体的な関与に従って)出現する。

これはあまり内省的とは思われない政治家のパフォーマンスとしては、けっこう複雑な構造をもっている。

野党の政治家たちが「一義的なメッセージ」を送り出し、受けとめてもらうことを政治家の主たる仕事というふうに認識しているのに対して、自民党の政治家たちは(石原慎太郎なんかもふくめて)メッセージの多義性に政治的効果を賭けるという手法を本能的に選択している。

おそらく無意識なふるまいなのだろうけれど、それでもこれは自民党政治というものがいかに日本文化の深層に根をおろしているのか、それなりに日本文化の構造を理解しているのか、その知見の確かさをうかがわせるできごとではあると私は思う。


6月7日

最近、芦屋市のお母さんたちからよく電話がかかってくる。

青少年センターの「ガイド」のトップに「合気道多田塾」が出ているからである。(五十音順だからね)ほかに大東流系の古武道と気の研究会がある。

で、お母さんたちはある日市役所とかそういうところで、ふとこのパンフを手にとって

「あら、うちの子にも、なにか運動させようかしら。いっつもゲームばっかりしてて、ころころ太ってるから」

などと思われるのであろう。

すると「合気道」の文字が眼に飛び込んでくる。

「こ、これだ」

ということになって、早速電話がかかってくるのである(と想像していた。)

 

昨日もかかってきた。

稽古日や稽古の進め方について簡単にご説明したあと、「おいくつの方ですか?」と尋ねたら「四歳」ということである。

あのね、

四歳はちょっとむずかしい。

おじさんたちと一緒には稽古できない。

しかし、それでがちゃんと切るのもなんだか悪い。せっかくのご縁である。

「あの、つかぬことを伺いますが。なぜ、四歳のお子さんに合気道を習わせたいとお考えになったのですか?差し支えなければ、お聞きしてよろしいでしょうか。実は、同じ様なお電話をこのところ頻繁に受けるものですから・・・」

すると、このお母さんは、驚くべき(でもないか)事実をご教示下さった。

お母さんがおっしゃるには、就学年齢に達する前に「自分の身を守るだけの技術を身につけさせたい」というのである。

六歳で小学校に入ると、そこで子どもを待ち受けているのは「戦場」であり「カオス」であって、そこでは自分で自分を守り抜く以外に、身体も、プライドも、秩序も、誰も守ってくれない、ということをこのお母さんたちは「事実」として受けれているのである。

学校になんとかしろと頼むことも、地域社会を再建しましょう、とかそういう根本的な対策ももちろん必要なのだろうが、そのような迂遠な対策を待たずに「いじめ」や「恐喝」の現実は待ったなしで子どもたちに襲いかかってくる。

せめて「我が身をる」技術だけは身につけさせたい、という切ない親心である。

以前は「一流大学に進ませたい」という願望ゆえに就学前から子どもを学習塾に通わせる親が問題になったが、これはそれよりずっと深刻な事態である。

立身出世はかなり遠くバーチャルな目標である。しかし、知的にも制度的にも崩壊過程にある学校で、子どもたちを待ち受けている暴力とアナーキーはただちに直面せざるをえないリアルな現実である。

誰にも頼らず自分の身を守る能力のほうが、成績がどうこうとかスポーツがどうこうということよりもずっと切実に必要となっているのだ。

ワイルドな時代だ。

わかりました。すぐには無理ですが、なんとかご要望に応えられるように考えてみます。

と答えて電話を切った。

うーむ。

大学の教師なんかのんびりやっているときではないのかもしれない。

地域の子どもたちに武道と日本の伝統文化を伝えてゆくことがあるいは教育者としての急務なのかもしれない。

その方がむしろ私のような人間が「世間のお役に立てる」あり方なのかも知れない。

青少年センターに寄って調べたら、平日の昼間は柔道場がだいたい空いている。

時間割に余裕があれば(ないけど)、平日の昼間に「子どものための合気道教室」を開こうかと真剣に考える。(真剣になるなよー)


6月5日

下川正謡会大会無事終了。

これで六月最大のイベントが終わった。

やれやれ。

ご多用中、ご来駕賜った皆さんには心からお礼申し上げます。

お花、ケーキ、ワイン、きんつばなどなどのプレゼントほんとうにありがとうございました。

 

私はむかしからこの種の季節ものセッションが大好きである。

文化祭とか合宿とかお正月とかスキーツアーとか演武会とか。毎年同じ日に決まったことをやるのだけれど、参加するひとがちょっとずつ変わってゆくイベントというのは、なんとなく「切なくて」いい。

おそらくそういうイベントが「時の移ろい」を感じさせるからだろう。

すべてのものには終わりが来る。それもたいてい唐突な仕方で。

にぎやかに騒いで、ぱっと終わって、あとには痕跡も残らない。

そういうあり方は、とても人間的だと、私は思う。


6月6日

小林昌廣先生のお弟子さんからメールがきて、「小林昌廣先生のオフィシャル・ホームページをつくったので見に来て下さい」というご案内があった。さっそくお尋ねする。

このお弟子さんは大阪芸大の学生さんであるが、「小林先生は完璧なお師匠さま」と深く帰依されており、ついにその偉大なお師匠さまの福音を世界に発信すべくホームページ開設とあいなったのである。

ホームページには小林先生のプロフィールや著作目録や「今日のお言葉」などのコーナーがあって、お弟子のみなさんの熱い思いが語られている。

うらやましい限りである。

私にも各種のお弟子たちは少なからずいて、このホームページをつくってくれたのだって、フジイ君なんだけど、私にかわって私の業績目録をつくってくれたり、「内田思想(そんなのないんだけど)世界に発信」してくれたりするお弟子さんはいない。

みんな私の研究室に乱入してきて、あれを買ってきて、これを直しといて、これに手を入れておいてね、この書類を明日までに英語にしてね、このメッセージをフランスに国際電話しておいてね(勘定は先生持ちで)、などと私に用事を言いつけて立ち去るばかりである。(あとでヨーカンくれたりするけど)

確かにそのような頼まれ仕事の過半は、学生さん本人の手には負えなかったり、また時間も費用もかかるが、私がやればちょちょいのちょいで済んでしまう類のものである。

それを思うと、「やだよ、自分でやんなよ」とは言いにくい。

それに、こういう「隙間」のサービスというのはほんらい私の得意とするところで(業界用語では「ニッチ・ビジネス」というのだそうである)、過去25年間、ビジネスでも本業でも、「隙間」で稼いで今日まで暮らしてきたのである。「便利屋さん」こそはご恩のあるビジネス・スタイルであり、いまさら「おいら便利屋じゃないやい」とか啖呵を切るのは天に唾するふるまいといわねばならない。

それに「先生のお仕事を代わってやってあげましょう」とお弟子に言われたって、よくよく考えると、頼む仕事もないし。(お風呂場の掃除くらいかね)

まあ、小林先生も「オフィシャル・ホームページ」なんかつくってもらったせいで、ただでさえ忙しいのに、それに加えて毎日「今日のお言葉」を書かなければいけなくなって、ほんとうはつらくて泣いているのかもしれない。

しかし鈴木晶先生といい、小林昌廣先生といい、死ぬほど忙しいひとにかぎって、ホームページなんか作ってますます身を削ってゆくのはどういう「業」の深さなのであろうか。

あ、鈴木先生「バレエの魔力」けらけら笑いながら読んでおります。読んだら、感想文書きます。(みんなも読みましょう。古田君も買いなさい。)


6月1日

半ドンなので、ソッコーで家に帰って、たまった洗濯ものを片づけ、掃除をして、アイロンかけをする。

家の中がきれいになると主夫としてはたいへん満足である。

青空と青い海を眺めながらコリン・デイヴィスの訳稿をこりこり続ける。

 

デイヴィス君とはほとんどの点で気が合うのだが、レヴィナス先生がデリダの批判を真摯に受け止めてその思想を深化させたというくだりだけがどうも納得できない。

たぶん思想史的事実としてはそうなのであろうし、そうするとレヴィナス思想の展開がクリアカットな図式になじむというのも間違いないのだろうけれど、なんだかそれではこっちの気持ちが片づかないのである。

 

私のレヴィナス思想理解は、「レヴィナス先生は完璧な思想家だ」という前提から出発している。

これは事実としては間違っている。

無謬で完璧な思想家なんているはずがない。

そんなことは誰に言われなくても、私自身が熟知している。

しかし、そういう危うい前提から始めないと先へ進めないということがある。

「お師匠さまはとにかく偉い」という信憑の形式が知性の怠惰を帰結するということももちろんあるだろう。

しかし、そういう「私」の理解を超えたパーフェクトなもの、を想定することでしか獲得できない知見というものもまた存在するのである。

このへんの見極めは非常にむずかしい。

 

私にとって緊急な仕事は、とりあえず自分に固有のフレームワークを壊すことである。

自分の枠を壊すためには、別の何かに「帰依」するというのが捷径である。

だからといって誰でもいいから通りすがりの人をつかまえて、とりあえず信心すればいいというものではない。

レヴィナス先生はフッサール、ハイデガーに師事したけれど、彼らを完璧な師とみなすことはなかった。

レヴィナス先生が「レヴィナス先生」になったのは、ラビ・シュシャーニという放浪の律法学者を見出して以後である。

その師から「タルムードにおいてはすべてがすでに思索し尽くされている」という壮大なフィクションを「学習」することで、レヴィナス先生はその殻を破り、先生自身が「師」となったのである。

物語の力は、物語を語り継ぐものと、それをさらに語り継ぐものの出会いを通じて爆発的に発揮される。

それは例えば植芝盛平先生と出口王仁三郎師のあいだに起きた出来事にも類比される。

このあたりのことをまだうまく表現できない。

 

答を求めて嘉納治五郎著作集・講道館柔道篇を読む。

いつ読んでもすごく面白い。

「柔道講義」を座右の書として読んでいる柔道家というのがいまどれくらいいるのか私は知らない。彼らはそこに書かれている嘉納先生が柔道の「現状」に向けて語ったほとんど悲痛な言葉をどう受け止めているのだろう。

 

嘉納先生は昭和5年ころに「精力善用国民体育」という形の体系を制定された。

体捌き、手捌き、突き、蹴りなどからなる単独動作、相対動作に十の組み手の形からなる体系である。組み手の形は合気道の形に少し似ている。

嘉納先生は、乱取りをする前に、まずこの基本の形を繰り返し行い、そののち乱取り、制定形をバランスよく習得することを力説している。とくに試合における勝敗にこだわる当時の講道館の風潮が身体ののびやかな運用を鈍磨させることに強い懸念を示していた。

乱取りは幕末のころ「請けの残り」という考え方から始まった、武道史的にはごく最近の訓練法である。

嘉納先生はたまたまこの「請けの残り」を重視した天神真楊流と起倒流を学ばれたので、はやくから乱取りの効用に着目されたのだが、それがごく近年の工夫であること、修業法としては形と相補的なものであり、乱取りだけでは柔道が成立しないことを「柔道講義」の全編で繰り返し主張している。

そして晩年に独力で「精力善用国民体育」という基本形の反復練習をすべての稽古の基礎にする新しい柔道稽古法を確立された。この思想と技法は現代柔道にどう継承されているだろう。そしてまた武道書として格調高く、かつ技法論としてもきわめて優れたこの「柔道講義」のような本が岩波文庫にも収録されていないのはいったいどうしてなのだろう。

いろいろ謎の多い書物である。

合気道部の諸君はできるだけ読んでおくことをお薦めします。

 

と悩みつつ、藤平光一先生の『気の確立−中村天風と植芝盛平』を読む。

塩田剛三先生も藤平光一先生も伝説的な合気道家であり、偉大な先達であることは誰しも認める。けれども、この方たちの書くものは(例えば嘉納先生のものを読み比べると)申し訳ないが「気品」において次元を異にしているといわざるを得ない。

こういうことを書くと、怒る人がいるかもしれないから、あまり言いたくないけれど、武道家が自分はどれほど強いか、どれほど高い境地に達したかということをとくとくと書くのは、私の審美的基準からするとかなり「恥ずかしい」ことである。

事実だからいいじゃないか、という方もいるだろう。

そう、事実だからいいんです。変な謙遜をする必要はない。

ただ、読んでいて私は恥ずかしかった、というだけのことである。

嘉納先生は自分がどれくらい「遣えるか」ということを一行も書いていなかった。

ただひたすら講道館柔道は「未完成である」ということだけを書き続けていた。

おそらく、柔道の完成に急で、自分の技量について語っている暇がなかったのだろう。

などといいながら、下川正謡会のお知らせ

下川正謡会大会

6月4日(日)午前九時半始メ

湊川神社神能殿(JR神戸駅下車たらたら歩くと徒歩3分、地下鉄高速神戸下車必死に走ると30秒)

麗春の候、時下ますますご清祥の段、お慶び申し上げます。

さて、恒例の下川正謡会大会が上記の通り開催されます。例年は10月の開催でしたが、今年から6月に繰り上がりました。

今回は素謡『小督』と仕舞『安宅』で四度目の能舞台を踏ませていただきます。

素謡の出番は朝9時半ですし、仕舞もへたっぴなので、私のことはご放念頂くとして、昼過ぎくらいにゆるゆるとお出でになって能『松風』、小川さんの舞囃子『天鼓』、下川先生の番外仕舞『藤戸』などをごらんになるのが賢明かと拝察します。

湊川神社の緑の葉陰で初夏の涼風になぶられつつ能楽鑑賞のひとときをすごされるのも、なかなかにシックな日曜日のあり方ではと愚考する次第です。

みなさまのご来駕を拝してお待ち申し上げます。