とほほの日々

The days of pains and regrets: from 1 Jan 2000



7月31日

お兄ちゃんから愉快なメールが来る。面白いのでそのまま採録しますね。

「兄ちゃんは最近無茶苦茶腹が立っていることがあります。 それは厚生省に対してですが、あまり腹が立つので言葉が出てこないくらいです。 今度会ったときに話しますが、兄ちゃんが怒り狂っている、ということを覚えておいて下さい。 そして今度会ったときに「何にそんなに怒ってるの?」と必ず聞いて下さい。(怒ってることをその時忘れてる可能性がありますから)」

お兄ちゃんは商社を経営している。医療関係のグッズが主力商品なのであるが、新しい医療器具を輸入しようとすると、厚生省がものすごい規制をかけてくる、ということを前からこぼしていた。高額の検査器具を買い入れ、専門の技師を雇い入れ、厚生省に何度も足を運んで、膨大な量の書類を提出しなければならない。

厚生省はそんな規制を必ずしも日本国民の健康を守るためにしているわけではない。(それなら兄ちゃんも怒りはしないだろう。)

厚生省がお兄ちゃんのような新規参入者を閉め出そうと「いやがらせ」をするは既存のメーカーや商社の既得権を守るためである。

新規参入者による市場の再編(って、要するに安くてクオリティの高いものを消費者が買えるようになる、ということなんだけど)を日本の役所は忌み嫌っている。それは許認可の手続きが非人間的に煩瑣で、市場に新規参入者がいないことが厚生省の役人たちにとって有利だからだ。

許認可申請が簡単になって、マーケットが流動化したら、定年後の厚生省の役人の「天下り」先がなくなってしまうからね。

たぶんお兄ちゃんは厚生省の役人のせこい省益主義と小役人のエゴイズムにものすごく頭に来ることがあったのだろう。(ふだんぜんぜん怒らない人だから)

今度、きかしてね。厚生省の悪口。おいら、ひとの悪口を言って盛り上がるのが人生の最大の喜びだからね。


7月30日

急に思い立って、昨日から毎朝「天声人語」の仏訳をすることにした。

読むだけで、フランス語をぜんぜん書いてないので、夏休みのあいだでもフランス語の作文の練習をしておこうと思って始めたのである。

30分くらいで済むだろうと思っていたのだが、これがけっこう時間がかかる。日常的な単語が分からないのは仕方がないとして(私は「ゴキブリ」とか「扇風機」とかそういう「ふつうの言葉」をぜんぜん知らない)分からないのが「日本人の書く文章」である。

たとえばこんなのはむずかしい。

「日本の医療、福祉制度は制度をつくる側に偏っている。制度とは、それに人を合わせるのではなく、介護を受ける人がそれまでの人生を大切にし、継続して生きるにはどんな方法があるかを自分で選択し決定し利用するものです。」

と、生活介護ネットワーク代表の西村美智代さんは語っている。

最初の文の「偏っている」も訳しにくいけれど、二つ目の文はもっとすごい。

「制度とは」が主語で始まり、その主語がいきなり「それに」と目的語になる。「介護を受ける人」が「それまでの人生を大切にし、継続して生きるにはどんな方法があるか」を「自分で選択し決定し」はなんとかなるとして、「利用する」の目的語が最初の主語の「制度」であるので、どういうふうに文を構成してよいのかぜんぜん見当がつかなくなる。

しかたがないので

「制度とは、その利用者の需要に応えることを本義とする。」

「介護を受ける人は、それまで生きた経験が尊重され、引き続き威厳ある生を継続していきたいと思っている。」

「その方法を見出すために、制度の提供するサービスをどう利用すべきかを決定する権利は利用者に属する。」

というふうに三つの文に分けたが、これは「意訳」というよりは「改竄」である。

西村さんに恨みはないが(こっちも好きでやってるんだから)、こういう言い方で「意味が分かる」と思って公的な場で発言しているとしたらやや不親切だし、これをそのまま、「熟読玩味すべき最近の発言」として掲載する朝日新聞もどうかと思う。

日本人は論理的に語らない、ということがよく言われる。

私はそういう「アメリカでは・・・」みたいな言いぐさは大嫌いだけれど、たしかにもう少し論理的に語る訓練が必要なひとたちがいるような気がする。

 

コンコルドが墜落して、フランス人のジャーナリストが「フランスが国策で巨額を投じて開発したけれど、国際的なマーケットでは誰も買い手がつかなかったもの」としてコンコルドの他に、高速増殖炉スーパーフェニックス、TGV、ミニテルを挙げていた。

ミニテル、懐かしい。

私は「ミニテル日本最初のユーザー」の一人である。

1985年頃、大学の研究室に三井情報開発という会社のDMが来た。よく分からないけれど、便利そうなので、電話して営業のひとにプレゼンをしてもらった。他の先生方はぜんぜん関心を示さなかったけれど、私は「これはよい」ということで、勝手に導入を決定した。三井の営業マンの話では、ミニテル導入を決めたのは東北大学の仏文に続いて都立大が二番目だったそうである。

月5000円の基本料金で端末がフィリップスのおもちゃみたいな機械でたしか5万円。

25000のデータベースが使えるというので、うれしくて毎日カチャカチャとキーボードを叩いていた。図書検索のALIRというデータベースとドクトラの論文の題目とレジュメが読めるTELETHESEというデータベースをよく使った。

でも私以外の人は誰も見向きもしなかった。どうしてなんだろ。面白いのにね。

そのうちインターネットの時代が来て、ある日「ミニテルのサービスは打ち切ります」という手紙が一通来て、終わってしまった。日本では5年くらいしかサービス期間がなかったのではないかしら。だから、その五年のあいだ、ついに私以外の「ミニテル愛用者」に出会うことがなかった。(ミニテル同士でメールのやりとりも出来たんだけど)

私は繰り返し言うようにメカにはまったく暗い人間であるけれど、今から思うと、こういうガジェットはけっこう好きだったのである。

そういえば、それと同じ頃、アーバンが導入したWANGというワープロも思い出深い。600万円もしたんだぜ。ワープロが。機械はデスク一つ分くらいあって、ディスプレイは黒いバックに緑の文字が2行くらい出るだけだったが、キー操作だけでテクストの直しがディスプレイ上で出来るのを見て感激した覚えがある。(それまでは一文字間違っていると、IBMの特殊なタイプライターをもっているタイピストの家までバイクで走っていって、一文字打ってもらって、それを糊で版下に貼ってたんだよね。)

仕事がら、私はたまたまアナログ時代からデジタル時代への過渡期をその先端的「ユーザー」として過ごしたわけである。

それなのに、いまでもエクセルは使えないし、国文社から送られてきた校正のファイルが解凍できなくて、「紙」を宅急便で送ってもらって赤ペンで校正している。

一時的に先端的でも長い人生ではあまり意味がないということであろうか。(本日の教訓)

 

午後から杖道の伝達講習会があるので、王子公園の体育館に行く。県下の杖道家のお歴々が集まって「杖道の2000年度仕様変更」について伝達を受けるのである。

分かりにくいだろうけれど、杖道とか居合では、「この技の理合はこうだから、動きはこうなる」ということについて毎年全剣連の「仕様」がちょっとずつ変わる。

不思議な現象である。

講師の先生のご報告によると中央講習会の席でも、デリケートな問題になると師範の先生たちのあいだで意見がまとまらず「ま、各自工夫をするように」という玉虫色の答申が出るのだそうである。

だったら、別に無理して統一する必要もないような気がするけれど。

その点、古流はよい。

師弟の口伝での伝授であるから、「私の師匠はこうおっしゃった」ということを心に秘めておけばいいのである。(門外不出だからね)

というわけで家に帰ってから、「師弟の口伝で叡智は伝授される」というテーマでレヴィナスのタルムード解釈についてどんどん原稿を書く。杖道のお稽古に行って、研究のアイディアを頂けるとはありがたいことである。「1のインプットで5のアウトプット」というアクロバシーが出来るのは、きっと私のこの「いたるところに教訓を見出す」能力によるのであろう。

ではさらなる教訓を求めてまた今夜もバカ映画を見ることにしよう。

しかし、昨日の夜の『メッセージ・イン・ナ・ボトル』はひどかったなあ。あの映画の教訓ってなんだろう。「あとから『しまった』と思うようなことはしないほうがいい」ということなのだろうか。うう、その程度のことのために2時間も映画を見たのか。くやしい。


7月28日

「マシン」と化して原稿を書き続ける。

三日間で50枚書いてしまった。

このペースで書けばたちまち本一冊書き上がる。(なかなかそうはいかないけれど)

朝の10時から夜の9時まで机に向かっていたのでほとんどひとと話をしていない。(郵便局の人に「これ、お願いします」と一言言ったのと、電話の営業で「マンション買いませんか?」というのに「いま両親とも留守です、ごめんね」と言っただけ。でも、いくら電話とはいえ、50歳の男にむかって「お父さんいる?」はねーだろ。)

「昼休み」に村上龍の新作『希望の国のエクソダス』を読む。

Ryu's Bar 以来、私は村上龍って実はすごく「いい人」だと思っている。書くものは喧嘩腰だけれど、実際に人に会っているときにはすごくデリケートな気配りのできるひとだった。この番組であまりにも「よいひと」の本性をあらわにしてしまったのを反省してか、その後めったにTVに出ない。

この人みたいなのを「真の愛国者」というのだと思う。日本を何とかしなければいけないと切実に思っているのがひしひしと伝わってくる。もちろん、それは屈折した批判としてしか表現されないんだけれど、そこには何か「過剰なもの」がある。(私は原則的に「過剰なもの」を支持する。)

この小説のクライマックスは不登校中学生たちのネットワークをたばねる「ポンちゃん」が国会の予算委員会に証人喚問されて、ネット中継で登場するところである。

「ポンちゃん」いわく。

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。」

ほんとにそうかもしれない、と私も思う。

私がいま中学生だったらほんとうに日本を捨てようと思うだろう。

私が16歳で高校を中退したとき、父親が私の将来を案じて「ドイツ留学」をオッファーしたことがあった。なぜドイツだったのかよく覚えていないが、たぶん向こうに父の知り合いがいたのだろう。私はそのオッファーを相手にしなかったけれど(だって「革命やろう」と思っていたんだから)。いまだったらかなり心が動くと思う。「日本になんかいてもしょうがない」といま高校生だったら思うに違いない。

あいにく、私はもう高校生ではなく、「このだめな日本」をこれほど「だめにした責任」というものがあって、それを捨てて逃げ出すことは許されない。

たぶん村上龍が日本語で小説を書き続けているのも、私と同じような「責任」を感じているからだと思う。

夕方仕事を終えて、頭の「クールダウン」にカート・ヴォネガットの『スラップスティック』を読む。「拡大家族」という言葉をよく聞くけれど、どういうことなのかこの本を読むまで知らなかった。

「拡大家族」、いいなあ。

そう言えば、村上龍の新作も一種の「拡大家族」の話である。21世紀の共同体はあるいは一種の「拡大家族」を造りだして行くことになるのかもしれない。

その『スラップスティック』にすごく気に入った言葉があった。

「わたしは愛をいくらか経験した。すくなくとも、経験したと思っている。もっとも、わたしがいちばん好きな愛は、『ありふれた親切』ということで、あっさり説明できそうだ。短い期間でも、非常に長い期間でもいい、わたしがだれかを大切に扱い、そして相手もわたしのことを大切に扱ってくれた、というようなこと。愛は必ずしもこれと関わりと持つとは限らない。」

私はカート・ヴォネガット・ジュニアに100%賛成である。

「ひとを大切に扱う」ということは簡単のようだけれど、とても、とてもむずかしい。

「ひとに親切にする」ことは「ひとを愛する」ことより簡単そうだけれど、たぶん、それよりむずかしい。

「ひとを愛する」ためにはあまり必要ではないけれど、「ひとに親切にする」ためには想像力と知性が必要だからだ。

そして、おそらくいまの日本社会にもっとも欠如しているのは、想像力と知性だ。


7月27日

インターネット・バンキングで家賃を払い込んだら、残額が4800円しかなかった。給料が出て一週間で4800円しか残っていないというのはいったいどういうことなのであろう。どこにもゆかず、家で本を読み、道場でお稽古をしているだけなのに、どうしてお金が飛ぶように失われるのであろう。よく分からない。

日本のサラリーマンの平均貯蓄額は750万円ほどだそうである。私の貯金の3倍である。どうやって貯めているのであろうか。想像もできない。

私は外食をしないし、当然、外でお酒を呑むこともほとんどない。競輪競馬パチンコ麻雀その他の遊興は一切やらない。バーもいかないし、お茶屋遊びもしない。食い道楽でもないし、着道楽でもない。収集品もないし、「これにだけは金を惜しまない」というような固着の対象もない。

それにもかかわらず平均的サラリーマンよりも貯金が少ないというのはどういうことなのであろうか。

あ、収入が少ないからか。(これは盲点だった)

なんだ。私は浪費家なんかじゃなくて、ただ貧乏なだけなんだ。

ほっと一安心。

 

昨日自分で書いたことを読み返しているうちに、数年前「三和総研」というシンクタンクがうちの大学の財政再建策を答申したバカなレポートのことを思い出した。

三和総研は調査費2000万円をかけておいて、そのレポートの中でたしかに真実であると思われるのは「この大学は財務内容がよろしくない」ということ指摘だけだった。(そんなことはみんな知っている。)

それ以外のレポート内容はまったくのスペキュレーションでたぶん三日くらいで書き殴ったようなものだった。

その中でもっとも愚劣な提案は、「この大学の校舎は老朽化し、キャンパスが汚いので、この土地を売り払って、三田あたりに近代的な校舎を建てたほうが学生が集まる」というものであった。

本学の「うりもの」は阪神間というロケーションと、ヴォーリズ設計の南欧修道院風校舎と「日本一きれいな」岡田山キャンパスである。アクセシビリティとか緑の深さというようなものはたしかに数値化しにくいものだが、これを「ゼロ」査定したのである。(ゼロどころか「こんな校舎は管理に金がかかるだけで、むしろあるだけマイナスですよ」と総研の主任研究員は私に言った)そのあと大震災があって、築70年の「ぼろ校舎」がびくともせず、70年代以降に建てられた「近代的」校舎が簡単に壊れてしまったのは記憶に新しい。

大学のどういう点が志願者にとってアピーリングであるか、というような基礎的なことについてこれほど勘違いしている人間が「大学の行くべき道を示しましょう」とは笑わせる。

実際、このレポートが読み上げられた大学教授会の席で、私は机を叩いて「なめんなよ、金返せ」と怒鳴ってしまった。(私はその年の組合の委員長だったので、総研の研究員のヒアリングを受けて、その手抜きな仕事ぶりには怒りが深かったのである。)

雛壇に並んだ研究員たちは蒼白になっていた。(世間知らずの大学の教師たちに「かみ砕いて世情についてお教えして進ぜよう」というような顔つきでこいつらは乗り込んできたのである。)

それと同じ頃、三和総研が香川県の沿岸地域一帯の工場の環境に与える影響についてのアセスメントを2000万円で請け負ったという新聞記事を読んだ。(限定的な項目についてではあれ)香川県一県についての調査と神戸女学院の財務内容についての調査が同額というのは、いくらなんでもあまりである。

私は大学というものを「世間」が心底「なめている」ということをそのときに知った。

そしてたしかに「なめられても」仕方がないくらいに「大学人」というのは世間知らずなのである。

その使いものにならないレポートを学院は2000万円で買った。

そのレポートに基づいてそれから3年くらい「財政再建委員会」というのが理事長の主宰で開かれていた。(私もメンバーだった)その委員会で使った「資料」は、結局経理課が作った学院の財務関係のデータだけだった。キャンパス移転、男女共学などを含む三和総研の「提言」は、ついに一回もまともに議論されることがなかった。

こういうのを「金をドブに捨てる」というのである。


7月26日

新聞を読んでいて「大学」という文字を見ると、条件反射的に目が行く。

今朝も二つの記事に目がいった。

そして深いため息をついた。

どうして大学のひとってこんなに頭が悪いんだろう。(いいたかないけどさ)

一つは青学の厚木キャンパス「放棄」のニュースである。

1980年代に都内の大学が続々と郊外に移転した。

表向きの理由は「キャンパスが手狭になったから」である。

確かに理工系の学部がとにかく空間を欲しがっていたのは事実である。

しかし、人文科学、社会科学系の学生や教員にとって郊外への移転には何もメリットがない。交通の便が悪くなるだけではない。山を切り開いたようなキャンパスの周囲には、本屋も映画館もジャズ喫茶も劇場も美術館も、何もない。(あるのはローソンと「村さ来」だけである。)

それでも大学側が移転にこだわったのは、その前の「学園紛争」に懲りたからである。

24時間学内学外者を問わず出入り自由の校舎が都心にあるということが全共闘運動を支えた強力なインフラであった。「お茶の水カルチェラタン」地区がそうであったように、そういう拠点には学生が湧き出すように何千人も集まり、機動隊が来ると、あっと言う間に「街の中」に消えてしまった。まさに「都会という大海」のアクセスの良さが学生運動には有利に作用していたのである。

だから、大学当局は同じ過ちを繰り返さないために、郊外に巨怪なキャンパスを造って大学を「社会」から隔離することにした。学生たちはIDカードのチェックを受けないと校舎に入れない。誰が何時から何時までどこにいたのかをコンピュータで集中管理できる。学外者がキャンパスを跳梁するというようなことはもうあり得ない。

策は功を奏して、社会から隔離された学生たちは政治に対する関心を急速に失っていった。

しかし、大学は大事なことを忘れていた。

受験生たちはいずれ「偏差値は高いけれど厚木や八王子にある大学」より「偏差値は低いけど渋谷とか六本木にすぐに出られる大学」のほうに高い市場価値をつけるに決まっているということである。

そんなこと誰だって分かる。

青山学院大学は厚木の山奥、最寄り駅からバスで40分というところにキャンパスを造ったために「厚木学院」大学と蔑称され、志願者の急減という悲惨な事態を招いた。学生党派の梁山泊の感があったお茶の水の中央大学はまるごと八王子に移転したせいで、都心にとどたまった隣の明治大学に人気で大きく水をあけられた。

そして、18歳人口激減のいまになって80年代に郊外に移転した大学の「都心回帰」が始まったのである。

青学は300億円を投じた厚木キャンパスを捨てることにした。(そしたら中等部の志願者がいきなり急増したそうである。)

早稲田、明治、法政、立教、日大、東洋大が都心に土地を購入して新キャンパスの増設をはじめている。

都心にある大学でないと受験生が集まらない。まして社会人対象の大学院や公開講座の場合はオフィスからのアクセスが悪いのは致命的だからである。

私が驚くのは、1980年代に大学の郊外移転が始まったときに、「都心から郊外に移ることで大学としての社会的機能のいくつかは致命的に損なわれる」ということを私のような助手風情でさえ予言できたのに、大学当局の誰一人それを真に受けなかったことである。

どうして当時の大学関係者たちこれほど明々白々な未来が予測できなかったのか、私にはどうしても理解できない。

もう一つの記事は東京医科歯科大学の歯学研究室が「カラ出張」で180万円を不正受領していたという事件である。

私の勤務していた大学の仏文研究室も「カラ出張」を組織的にやっていた。

助手になってすぐに、もうひとりの助手から「カラ出張の手順」を教わった。受領できる全額分の「インチキ旅行計画書」を書くという仕事である。

「これって、非合法なんじゃないですか?」と私がおずおず尋ねると、「どこの部署でもやってるよ」というお答えが返ってきた。

次の年に私が「カラ出張」の会計担当になったので、研究室会議の席で「カラ出張は止めましょう」と提言した。「やりたい人は自分で起票して自分のリスクでやってください。」

この提言ははげしいブーイングによって迎えられた。

カラ出張はかなり悪質な違法行為である。仮に大学のほかの部署でもやっていたにせよ、ばれたら懲戒免職であることにかわりはない。私は助手に採用されたばかりだったので、年間わずか数万円のお金のせいでそんなリスクを負うのはごめんであった。

誰かが新聞社に電話一本かければ「おしまい」である。先生方にしてみれば数十年営々として築いてきた学者としての地位も名声も一夜で無に帰すのである。

彼らがその程度の「損得勘定」もできないことに私は驚愕した。

新聞にときどき大学の「カラ出張」や「ヤミ給与」の記事がでる。これで免職になった人たちはきっと「みんなやってるのに、どうして私だけつかまるの?」と泣いているのだろう。

「みんながやっている」ということは愚行や非行のエクスキューズにはならない。

その程度のことも分からない大学教師がたくさんいるのである。

そういう人たちが高等教育を支えているのである。

ちょっと怖くなる。

家に帰ってきたら、鈴木晶先生からメール。来週「ダンスの甲子園」の審査員として

神戸においでになるそうである。ついにご尊顔を拝することになった。どきどき。


7月24日

今日はるんの誕生日である。18歳。

子どもが大きくなるのはほんとに早い。

十年前、二人で東京から芦屋に引っ越してきたときは知り合いが一人もおらず、着任一年目なので授業も週二日くらいしかなくて、友だちがまだできない小学校二年生のるんちゃんと昼過ぎから家でぼーっとしていた。

合気道のクラブもまだ始まっていないので、稽古は週に一回神戸支部に行くだけ。二月に一回くらい松田先生や鎌田先生から「ハイキング行かない?」というお誘いがあって、それだけが「社交」だった。

だから週末はほんとうに何もすることがなくて、ミニに乗って芦屋浜や六甲牧場に行ったり、おにぎりをつくって家の前の城山から東おたふく山の方まで歩いたり、ふたりでトランプやオセロをして過ごした。

あの1990年の春からの秋までは、今思うと私たち親子のこれまでいちばん静かな半年間だった。

その頃るんちゃん8歳。

あれから10年・・・・

るんちゃんは今日から東京である。ライブ活動やオフ会など忙しいスケジュールだそうである。彼女にとっても「最後の夏休み」なので、たっぷりとお小遣いを持たせて送り出す。

急に家の中が「がらん」とした感じで広くなる。

さっそくビートルズとエリック・クラプトンを聴きながら大掃除と部屋の模様替えとアイロンかけ。

コーヒーブレークでベランダから海を見る。

いよいよまる一ヶ月「私の夏休み」が始まる。

さあ働くぞ。


7月23日

あと一日で「私の夏休み」が始まる。

娘の夏休みは金曜日から始まっている。

朝日新聞のいしいひさいちの漫画が正しく指摘しているように、子どもの夏休みというのは同居の大人にとって「拷問」以外のなにものでもない。

朝ごはんを作るために起きなくていいのはありがたいが、ふだんは起こさないと起きない(起こしても起きない)娘が、なぜか夏休みになると早朝から目覚まし時計のけたたましい音とともに起き出して、MTVをばりばりかけて、FM放送を聞きながら、インターネットのBBSを読みながら大笑いしている。

かんべんしてほしい。

しかし、この苦しみも今日一日のことである。あと半年のことである。耐えよう。カウントダウンできる苦痛になら人間は耐えられる。

明日から私は「別人」となる。

まず家を徹底的に掃除する。(ふだんは掃除してでかけても、家に帰ってくるともうアナーキーな状態になっているので、掃除意欲がはなはだ減退するのである。)

観葉植物を買ってきて、ハイテックな空間を造型し、ゆっくりとコーヒーをのみつつ、朝から60年代ポップスとモーツアルトを聴く。(ふだんはあたまがくらくらしそうなテクノばかり聴かされているのだ)

机にむかって日が傾くまで「マシン」となって原稿製造にはげむ。(この夏に書き下ろしレヴィナス論を一気に書き上げることを決意。)

日が傾いたら、お稽古に行ってばりばり身体を動かす。

帰ってからビールをくいくい呑んで、バカ映画を見る。

本を読みつつ寝る。(後半部分はあまり「別人」になってないけど)

というところまで書いたら、後ろから娘が忍び寄ってきて内容を読まれてしまった。

(こういうところも夏休みの困ったところである。)

いま首を絞められつつキーボードだけを打ち続けている・・・・


7月22日

前期最後の教授会。

学長から2011年までの教員数17%削減案が提示される。

私は「ダウンサイジング」には賛成である。それ以外に取るべき道はないと思っている。

18歳人口が減少している以上、学生定員をそれにスライドして減らして、大学の規模も縮めて行くというのが、教育サービスのクオリティを維持するいちばん合理的な道である。

パイそのものが縮んでいるとき、満腹感を維持したければ、胃袋をそれに合わせて縮めるしかない。(もちろん「他人の取り分を横取りする」という手もあるが、自慢じゃないが、本学にはそのような甲斐性はない。)

本学は125年前に二人のアメリカ人宣教師によって建てられた学校である。あと125年後に、二人の宣教師を残して「ふっ」と消えるという「神戸女学院250年天寿説」を私は唱えているのであるが、「美しく滅びる」ということは困難であり、それゆえにやりがいのある仕事であると私は思う。(高島先生は「創造的縮小」という言葉を発明したが、けだし名言)

ダウンサイジングを大学の将来構想として全面的に打ち出した四年制の大学はまだ近隣にはない。(いずれいやでも縮小せざるを得ない大学は出てくるだろうが)

現在2600名を超えている学生を2000名程度まで縮減すると、学生一名あたりの教育サービスは(一人当たりの空間も、図書数も、PC台数も)すべて向上する。

教員一名あたりの学生数は変えない方針だそうだけれど、それでも一人あたり30名というのは、悪くない数字だと思う。

本学はこの20年、さまざまな面で近隣の大学に遅れをとってきた。情報インフラ整備も、国際交流も、カリキュラム改革も、学生の福利厚生施設も、すべての面で大きな、ときには致命的なほどのビハインドを負ってきた。

125年前にキリシタン禁令の高札がはずれると同時に上陸して宣教活動を開始した建学者たちの冒険的な「進取の精神」に比すと、旧例を墨守し、変化を恐れる気持は建学の精神と隔たること遠いと私は思う。

その「出遅れ」の神戸女学院が、「ダウンサイジング」において、はじめて「トップランナー」のポジションに立ったのである。

これは画期的なことだと思う。

ふつうの大学であれば、「合理化」には教授会や教職員組合が猛然と反対するところだが、本学の場合はそうならなかった。それは理事会に経営マインドが不足しているために、むしろ教職員の側に危機感が高かったからである。いまの労働条件を既得権としてそこにあぐらをかいて、賃上げや時短を要求していたら、大学そのものが消失しかねないということを労働者の側も痛切に理解しているのである。

本学理事会は借入金の返済計画だけで頭がいっぱいで、大学経営を積極的に展開してゆくような将来構想がない。事務方には情報や権限を占有して教授会をコントロールするような「事務官僚」もいない。そのせいで、教員が財務から営業まで慣れぬ問題にまであれこれ気を配らないといけないという「情けない」体質が今度の場合は思いがけなく有利に機能したということかもしれない。

この「たなぼた」的アドヴァンテージをどうやって最大限に活用するか、その方途をこれから考えて行かなくてはいけないと思う。

この提案に対して、私は二つだけ補足的な条件を付けさせてもらった。

一つは、教員の減員率が17%であるのに対して、職員の減員率が10%であるのを是正してくれ、という提案である。せめて同率にしてほしい。

「教員はあまりいないが、職員はたくさんいる」というような教育機関を作って何をする気なのか、私には理解できない。

逆なら分かる。

職員の仕事の相当部分を教員は代行できるからだ。(経理や施設管理は無理としても、教務、入試、広報、学生のケアーなどはできる)しかし、教員の主務(研究、教育)を職員は代行できない。

私が血も涙もない理事長であれば、職員を減らして、その仕事を教員にやらせる。(教員は残業がつかないから、365日24時間使い放題である。)

本学の職員の中には民間企業であればとうに馘首されているであろうほどにモラルの低いものがいる。これは残念ながら事実である。この事実を直視しないで「ダウンサイジング」の具体的な実現計画に踏み入ることは出来ない。

もう一つの提案は、教員の責任コマ数を5から6に増加し、併せて超過担当手当を減額せよ、というこれまた「教員をさらに収奪せよ」という提案である。

この「教員をさらにこき使え」という二つの付帯的提案に教授会で反対するひとはいなかった。(内心むっとしていたひとはいるだろうが、表だっての反論はなかった。)

これはかなり画期的なことである。

「なんで自分で自分の利益を損なうような提案をするんだ?」と不思議に思う人がいるかもしれないけれど、これはリストラ(「ダウンサイジング」というのは要するにリストラの雅語である)の流れの中で、大学教授会が学内的なイニシアティヴを握るための当然の布石なのである。とりあえず、これによって大学教授会は理事会に対して「先手」を打ったことになる。

これから先は学内では部署の統廃合による「生き残り」のバトルが始まる。

そのときに「うちはこれだけの減員を受け容れるが、仕事のクオリティは維持する」という部署と、「減員を受け容れない、減員したらクオリティが下がる」と言い立てる部署では、どちらの部署がより「使えない」のかは誰にでも分かってしまう。

そして、リストラというのは「使えない」(個人ではなく、部署そのもの)の「合理化」として遂行されるものなのである。


7月21日

96年卒の入谷さんの結婚披露宴(大阪ヴァージョン)が北新地のバー・ラウンジである。真夏の昼間にフォーマル・ウェアで北新地に集合するというのも参加者にはやや酷な趣向である。(暑かった)

結婚式は先週イギリスですませていて、披露宴を東京と大阪で二度やるのである。

社内結婚なので伊藤忠の若い諸君と女学院のOGたちが群れ集っている。次々と見知らぬ若い女性から「内田先生?」と声を掛けられるが、ほとんどアイデンティファイできないのでへらへら笑っている。

ゼミ生は4名参加:石森千恵、石橋敬子、仲谷桃子、増澤理奈(敬称略)石森さんは長駆島原から。ほんとにこういうことにはフットワークのよい人である。うちのゼミは宴会ごとには「い」のつく人の集まりがよいのであるが、「いとうさん」は今回欠席。(「いりたに」さんは新婦ご自身)寺田玲さんは東京の方に出るそうであるが、あとの諸君はどうしたのであろう。みんなー、元気かー。

入谷さんは元コーラス部部長なので、コーラス部の諸君のコーラスがある。ほんとにうまいものである。いまや部員急減で存亡の危機だそうだけれど、ぜひ持ち直してもらいたい。

とてもアットホームでよい感じのパーティでありました。ご多幸をお祈りします。

散会後、ゼミ生たちとリッツでお茶をする。みんなそろそろ三十路が近づいてきて、話題はひとしきり「結婚」のことになる。

「男にはいろいろ種類があるが、夫には一種類しかないから、誰と結婚しても同じである」というがの私の持論なので、あれこれ迷わず最初に「ご縁」があった人と結婚しちゃいなさいと意見する。

私も結婚というものをしたことがあるので分かるけれど、「夫」というのはほんとうに限定的な役割である。選択できるオプションとしては「優しい夫」と「えばる夫」の二種類しかなくて、後者はスクリーニングの段階でだいたいはねられてしまうので、結局一種類しか残らないのである。

男の底の抜け方、桁のはずれ方にはいろいろなかたちがあり、それなりにカラフルなのであるが、「男の優しさ」にはさしたるヴァリエーションがない。結婚記念日に(デビアスに騙されて)ダイヤモンドを贈ったり、誕生日に花を贈ったり、一度しか着なかったドレスのローンを払い続けたりするだけのことである。

しかし、妻たちは、その種の完全にカタログ化された「男の優しさ」というものを要求して止まない。

「だじゃれを間断なくかます」とか、「メニューの選択がすばやい」とか、「麻雀のまけっぷりがよい」とか、「わび方が堂に入っている」とか、「ためらわず金を貸す」とかいう男の世界では「美質」とされるところを見込んで結婚する女性は存在しない。

だから「妻に尽くす夫」「思いやりのある夫」はたくさんいるが、「愉快な夫」というものが出現してくる可能性は構造的にはあまりないのである。(『ライフ・イズ・ビューティフル』では「でまかせばかり言っている男」を面白がって結婚してくれる女性が出てくるが、あれは男性の願望であって、そんな奇特な女性はこの世に存在しない。)

それとは反対に、世の中には相手の女性が「わがままでエゴイストで浪費家で性格が悪い」からという理由で結婚してしまう男が少なからず存在する。(愚かにも「私が愛の力でなんとか真人間にしよう」というような神をも恐れぬ夢を抱いたりするので、死ぬような目に遭うのである。)

こと結婚に関しては男の愚かしさには程度の差しかない。

だから、諸君、誰と結婚しても基本的には同じなのである。


7月19日

今日で前期のお仕事は終わり。試験をひとつやって、ゼミの個人面談をひとりやって、それで前期の「おつとめ」完了である。娘は今週末から東京にいってしまって9月まで帰らない。

学校からも家庭からも解放されて、来週の月曜から秋風が吹き始める頃まで、私はパソコンとバイオメカノイド的に一体化した「夢のマキナ・アカデミカ」となるのでる。ああ、想像しただけで背筋に快感が走る。

しかし、つらつら思うに私ほど「おうちで机に向かっている」のが好きな人はあまりいないと思う。

今にして思うと子供のころからそうであった。

小学生のころから日曜日が大好きだったのだが、なぜ学校に行かない日がうれしいかというと、「うちでおもいっきり勉強ができる」からである。

日曜の朝、暖かい春の日差しを浴びて、うきうきした気分で机に向かって参考書やノートを取り出し、鉛筆をこりこり削って準備を整えている私の姿を家族のみなさんは不思議なものでも見るように遠巻きに眺めていた。

その体質はいまでもあまり変わっていない。

私はだいたいほとんど「外出」というものをしない。私のことを神経症的に多動的な人間だと思っている方が多いようだが、私は(東京にいたころから)三点間移動(自宅→大学→道場)のルーティンからほとんど一歩も出ない。

百間先生と同じで、食べるものも一度「これ」と決めると、ずっと同じものを食べ続ける。いそうするとだんだん「味が決まってきて」、何とも言えず美味しくなってくるのである。

このところ、朝はご飯とお豆腐のみそ汁と納豆と卵と漬け物。お昼は「みどりのたぬき」と「高菜のおにぎり」。(少し前までは、朝御飯が「玄米フレーク」とヨーグルト、果物。昼が学食のラーメン定食だった。)夜はさすがに変えるが、それでも20種類くらいのメニューをほぼレギュラーに回しているだけである。

だから関西に来て10年になるが、祇園祭も天神祭も葵祭も大文字の送り火も二月堂のお水取りも、とにかく、京都大阪奈良の「ツーリスティック・サイト」というところにまったく行ったことがない。

京都にはこの10年間に行ったのが10回くらいではないだろうか。(そのうちの4回はイスラエル文化研究会の研究例会に同志社女子大に行って帰っただけ)奈良は甥の「けんちゃん」の結婚式が春日大社であったので、それに行った一回だけ。大阪も梅田より南に行くのは、せいぜい大槻能楽堂までで、このあいだ「動物園前」まで足を伸ばしたのは例外的である。

一体何をしているのかというと、オフの日は朝から机に向かって本を読み、こりこりと書き物をしているのである。首が凝ってきたら道場に行ってばしばし稽古をして、お風呂で汗を流してからくいくいとビールを飲んで、カウチに寝ころんで白ワインなど啜りつつバカ映画を見るのである。どんな名所旧跡に行くより、家でこうしているほうが楽しい。

ときおり、愛と冒険、恋と革命とか、そういう浪漫的なものとこれほど無縁なままでいいのだろうかという疑念がよぎることもなくはないのであるが、いまのところは「アカデミック・ハイ」の脳内麻薬効果がもたらす「ささやかだけれど、確実な、快楽」にまさるものを私はほかに見出せないでいるのである。

しかし、明日は入谷さんの結婚披露パーティがあるので、梅田に繰り出すことになった。ゼミの卒業生諸君とひさしぶりにお会いできる。楽しみである。


7月15日

今日は武道の日。

お昼から2時半まで合気道。3時から5時まで杖道。

合気道は新人二人、島根県から同門の石井さんが参加してくれた。

試験期間中なので、学部の学生さんはお休みだけれど、それでも勉強の合間を縫ってけっこう来てくれて、にぎやかでした。

多田塾同門の方が、機会をみつけては遊びに来てくれる。

ありがたいことである。

全国各地の多田塾同門のみなさん、お近くにお立ち寄りの節は、ぜひお稽古に来て下さいね。いつでも大歓迎です。(て、よく「転居通知」に書いてありますけど、これは社交辞令ではなくてほんと)

新人は98年卒業の金子綾さんとそのお友達の振角さん。金子さんは97年のブザンソンの仏語研修のメンバー。その年は私の合気道の最初のフランス人弟子ブルーノ君に出会ったり、ベトナムからの留学生ビン君と知り合ったなかなか面白い研修だった。

汗だくのまま一人だけ大学の体育館に移動して、今度は「古流伝授」の特訓。

これまで杖道会で私たちが稽古しているのは、全剣連の制定形だけれど、これはもともと神道夢想流の形を普及のために修正したもので、理合が一部変わっているし、技術的に高度のものは省いてある。

古流を学ぶということは、これまでの制定形を学ぶのとはシステムが全く違う。

全剣連の形はいわば「パブリック・ドメイン」であり、杖をやりたい、という人には誰でもアクセス・フリーである。

古流の形はそれとは違う。

古流伝授は鬼木先生からの術技の私的な伝授であり、それは神道夢想流600年の伝統を師から個人として受け継ぐということである。

鬼木先生が稽古の時に語る言葉はすべて師の口伝であり、そこで伺った理合の説明は門外不見、親子兄弟と雖も口外すまじきものである。

伝授を受けていない人とは古流の稽古をすることはもちろんできない。

だから今日私たちがどんな稽古をしたのかもここに書くわけにはゆかないのである。

古流についてはだから解説書もないし、写真集もない。どういう理合でどういうふうに動くのかが分からない。

さいわいなことにヴィデオはある。表12本は乙藤先生と波止先生が演武をされているのがある。私はこれを繰り返し見てイメージトレーニングしてでかけたのであるが、動きが速すぎて、仕打が互いにほんとは「どこ」を打ったり切ったりしているのかがよくわからなかった。

だから稽古の時は必死。鬼木先生の理合の説明を一言も聞き漏らすわけにはゆかない。

大変でした。

はー、疲れた。

でもビール美味しかったです。

みんなもはやく古流やりましょう。


7月17日

ひさしぶりにまるオフの日が二日続いたので、ばりばりと翻訳を仕上げる。

コリン・デイヴィスの残りの脚注が終わって、校正をまとめてやる。

これは初稿のまままったく推敲していない原稿を中根さんに「ぼく、ちゃんと仕事してますよ」ということを証明するためにメールで送った「アリバイ」ものだったのだが、それを中根さんがあっという間にDTPで版を組んでしまって「初稿」がいきなり「初校」になってしまったものである。

したがって文章があまり練れていないし、リズムもよくない(ところがある)。

いじりだすときりがないので、それについてはほおかむりである。

不思議なもので、通読すると、けっこうノリのいい訳文のところと、なんとなくダレているところがある。原著は非常にタイトでスピーディな文体だったから、これは私のそのときどきの体調が文体に反映してしまったものであろうと推察される。

調子がいいと、原著者の思考の流れに同化できて、絶好調だと「その次」に何を言い出すかが予想できたりする。

調子が落ちると、同化がはかどらないので、論理の流れに「ドライブ感」がなくて、二回くらい読まないと何が言いたいのか分からない。これはよろしくない。

しかし、通読してみて思ったけれど、これは良い本である。

デイヴィスの本はこれまで私が読んだ中では間違いなくいちばん「冷静な」ひとによって書かれたレヴィナス論である。

デリダとイリガライによるレヴィナス批判に「かちん」と来たらしいのは私と同じだが、私のように「ぐやぢー」というふうに感情的にならず、クールに批判の掬すべきところをきちんと聞き取っている。(えらい)

特にレヴィナスのテクスト実践の分析は訳しながら、思わず「賢い・・・」とつぶやいてしまうほどクリアーカットであった。この分析はこれまでのどのレヴィナス論より説得力がある。

みなさん買って下さいね。

読んでいるうちに急に私もレヴィナス論が書きたくなってきて、いきなりばりばり書き出す。

どうやら「師弟関係」と「テクスト」と「女性論」について、「いいたいこと」が私の中にあるらしい。何が言いたいのか、まだ本人にも分からない。

レヴィナスの女性論は『全体性と無限』の「エロスの現象学」がイリガライによって「父権制的思考」と断罪されて以来、「レヴィナスの弱点」というふうに見なされてきている。この点については「ま、レヴィナス先生も、しょせんは男だってことだわな」という解釈が優位であるのだが、私はなんとなく釈然としない。いいたかないけどレヴィナス先生の思想のうちにイリガライ(ごとき)に批判される点があっていいはずがない。きっと深いお志があって、あのような「一見」父権主義的なお言葉を口にされているに違いないと私はくやし涙にくれているのである。

というわけでソーカルに「きわめつけのバカ」とイリガライが名指されたときは思わず拍手してしまった。(江戸の敵を長崎で)

ともかくこのレヴィナス論が書き上がると、私の「武道教育論」と「テクスト=映画記号論」と「ジェンダー論」のすべてがひとつのフレームワークにおさまる(本人にとっては)包括的な理説ができあがるのである。あるいは単に「バカが自己完結する」ということであるのかも知れず、予断は許されない。

オフなので、毎晩映画を見る。

『マトリックス』をDVDでもう一度見る。

二度見ても素晴らしい。

クローネンバーグの『クラッシュ』をまた見る。

二度見ても素晴らしい。

デボラ・アンガーが非常によろしい。ローレン・バコールとか、シャーリー・マクレーンとか「目と目のあいだが離れている」女優に私は幼少期から偏愛を示してきた。あのなんとなくとりとめのない空間に「ブラックホール」があって吸い込まれるような気がしてどきどきする。

AVライブラリーに『クラッシュ』のDVDを「寄贈です」ともっていったら「X-rated」なので一般公開できないのではないかと言われてしまった。そういえば「ナイン・ハーフ」も「アイズ・ワイド・シャット」も「子供には見せられない」というので隠してあるらしい。

しかしそれらがどういう基準で「こどもにみせられない映画」というふうに判定されているのか、私にはよく分からない。(だいたいうちの学生たちって「こども」なの?)『ナイン・ハーフ』という映画はみてないが、『アイズ・ワイド・シャット』も『クラッシュ』も「性的幻想とはどういうものか」ということを学習する上ではたいへんすぐれた教材であるように私には思えるのだが。

ブライアン・デ・パルマの『殺しのドレス』をまた見る。

性同一性障害者の殺人鬼というのは、いまだったらあまりにもポリティカリーにインコレクトだから上映禁止だろう。

しかし、「ポリティカリーにコレクトでない映画」ということで「こどもにみせない」ことにすると1980年代以前のハリウッド映画はぜんぶ上映禁止だな。(最後にキスシーンでハッピーエンドというのは全部「セクシスト」映画だからね)見られるのはスパイク・リーと陳凱歌とゴダールくらいかも。(アートフィルムは「ポリティカリーに何を言っているのか」さっぱり分からないので、こういう弾圧には強そうだ。)

オフなので、娘としみじみ来し方行く末について対話する。

18で自立して東京へ行き、日本全国を放浪し、20までに漫画家としてデビューを果たし、ロックミュージシャンとしてもがんばりたいそうである。はたちまで仕送りすることを約束させられた。大学に行くことを考えたら安いものである。

私ほど恵まれた環境で育っているものはいないと娘に言われて、ほろり。

君、ほんとに親孝行ね。

夜が暑いので、るんちゃんから桑田乃梨子の漫画を大量に借り出して寝しなに読む。

『ぴんぽんファイヴ』の紅君とか『恐ろしくて言えない』の桐島君とか「何も考えていない少年」を造型する桑田の才能は素晴らしい。その「何も考えていない少年」に同化してくーすか眠る。


7月14日

葉柳君の「帰国祝いならびにN大学就職内定祝い」をやる。

葉柳君は以前女学院でドイツ語の非常勤をして頂いていた好青年である。

次郎先生のお引き合わせで在任中から仲良し宴会仲間であった。

97年からスイスに二年留学していたのだが、そのあいだに二児の父となってしまったというなかなか仕事のすばやいところもある。

しかし私や次郎君と懇意にしているだけあって、ドイツ文学の保守本流からは隔たるところ遠く、教員公募に落ちること24回(ってちゃんとご令室が数えていたんだって)。

「ふんだ。どーせぼくの研究なんてだれも評価してくれませんよ」

と厭世的になったときの横顔がちょっとチャーミングだったりしたのであるが、捨てる神あれば拾う神あり、某国立大学からポストのオッファーがあったので、最近はちょっとご機嫌がよろしい。でも毒舌ぶりは健在。葉柳君の鬱積したスイスの悪口を聞きながらモエ・エ・シャンドンで乾杯。次郎君ご夫妻のもってきてくれたスモークサーモンを食べ散らしつつワインをごくごく飲む。そのままわいわい騒いだのだが、たくさんワインを飲んだので、あとはおぼろである。(青江三奈も死んだね、そういえば。合掌)

新任地でのご活躍をお祈りします。


7月13日

一つずつ授業が終わり、だんだん夏休みが近づいてくる。

4年生、3年生の専攻ゼミが終わり、1年生の文法が今日試験で終わり、2,3年生の語ゼミが明日試験で終わり、大学院は一足お先に先週で終わり、あとは来週の水曜に1年生のフランス語の試験ひとつを残すばかりとなった。

今年は6コマしか担当がないからめっぽうらくちんである。(例年はこれにもう一つ専門の講義科目があり、リレー式講義がひとつあり、合気道のワークショップが始まると、最繁忙期は週9コマとなる。これはけっこうきつい。それに比べると今年は夢のようである。)

もっとも週6コマで夢だと騒いでいるのは私だけで、本学でも大半の教員たちは責任コマ数5コマをきっちりキープしている。

理由はよく分からないが、外国語の教員は平均よりプラス2コマが当然であるとされている。これも理由はよく分からないが、外国語の単位は通年で2単位、ほかの講義科目の半分なのである。

要するにフランス語を教えるのは専門の講義にくらべると「半分程度の労力でできる仕事」というふうに見なされているということである。

そういうものなのかな。

文部書の教員審査で翻訳が評価の対象外である、というのと通じる発想かも知れない。(以前から言っていることだけれど、ぺらぺらのペーパーのほうが、数年がかりで訳した千頁の本より「業績」として高く評価されるということの理由が私にはよく分からない。たいへんなんだよ、翻訳って。)

体育なんてもっとすごい。通年で1単位。半期だと0.5単位なのである。

合気道を来年から体育正課にしてもらうように教務委員会に嘆願しているのだが、これが承認されると私は来年から体育の先生も兼ねることになる。このばあいは「専門の講義の4分の1程度の労力でできるでしょ」という評価を受けていることになる。

なんとなく気持ちが片づかない。

私程度のフランス語の教師は関西地域だけで500人くらいいる。

しかし合気道指導者として私と同程度の能力をもっている人は関西地域にそんなにはいない。

そういう、わりとレアな特殊技能を発揮しているときに「内田さん、趣味が仕事になっていいですね。それで給料もらっちゃ、ずるいよ、ははは」とか言われると、なんか違うんだけど、という気分になる。

例えば、ある学科では偉い先生にならないと大学院を担当できない。

大学院の指導は大変だから、という理由である。

私はそうは思わない。私自身は大学院生相手の演習がいちばん楽である。

モチヴェーションがはっきりしていて、ちゃんと調べてくることを調べてきて、ちゃんと意見を発表し、ちゃんとディスカッションしてくれる人たち相手に私はただ半畳を入れたり、喧嘩を売ったり、揚げ足を取ったりしていればいいのである。

こんなのは博士課程を出たばかりの新米教師にだって出来そうである。

反対に、ぼおーっとした一年生を相手に、彼女たちに「頭を使う」というのはどういうことかを一から教える方がずっと困難だし、経験と熟練が必要だし、終わったあとの疲労感もはんぱではない。

にもかかわらず、教育実践の「困難さ」なんかお構いなしに、そこで扱われている学問的題材の「水準の高さ」だけを基準にして大学内の教育活動はランクづけされている。

要するに脳(専門)が一番偉くて、その次が口や耳(外国語)で、最後が手足(体育)、という序列を暗黙のうちに大学は採用しているのである。

こういうのって、なんか「近代的だね」と私は思う。

そういうときはちょっとだけ「ポストモダニストになったろかい」と思う。


7月12日

鈴木晶先生からサラ・コフマンの『女の謎』を頂く。

先生どんどんとご高著をお送り頂きまして、ありがとうございます。

鈴木先生はことしの年頭に「本を10冊出す」と宣言されたそうである。

すごい。

「月刊・鈴木」である。

私も10年くらい前、半年ほどのあいだに三冊翻訳を出した(というか、いろいろな時期にやっていた仕事がたまたままとめて「出た」だけなんだけど)ことがあり、そのときに西谷修さんから栄えある「月刊・内田」の称号を頂いたことがある。

私の場合の「月刊」は詐称だが、今年はそれでも例年よりはアウトプットが多い。

去年の暮れに松下君との共著、『映画は死んだ』。三月に難波江さんとの共著、『現代思想のパフォーマンス』と二冊出した。

来月にはコリン・デイヴィスの『レヴィナス序章』(仮題)が出る(予定)。

それに加えて、冬弓舎の内浦さんという奇特なエディターが、これまでホームページに書き散らした私のエッセイをまとめて本にしてくれるという泣けるオッファーをしてくれた。(なんて、いい人なんだろう)

これが出ると、1年間に4冊である。

「季刊・内田」だ。

それに、来年の6月までに専門単著を一冊書き下ろせという上野先生の厳命がある。

博士課程申請のために文部省の教員審査がある。私は博士号をもっていないので、専門単著がないと博士課程で指導できないのである。

だから、せりか書房のレヴィナス論をそれまでに仕上げなくてはいけない。

いろいろたいへんであるが、とにかく書けば本にして出して上げるという出版社があるだけでも夢のような話である。文句をいっては罰があたる。

しかし、ホームページには何でも書いておくものである。

リンクをたどってやってきた編集者が読んで「ほお、おもしろいから単行本にしましょう」というようなうまい話が転がっていないものかと夢想していたが、そういう話はやはり転がっているのである。

鈴木晶先生は「ホームページにタダであんなに書いてよいのだろうか」とご懸念されていたけれど、ご心配あらへん。そら、もとはきっちりとらさせてますさかい。イタチボリのアキンドでんがな。(って『パタリロ』読んでないひとには分かんないか。)

鈴木先生はふと気がつくと手がいつのまにか翻訳をしているという、私など足下にも及ばない「翻訳の鬼」だが、私との最大の違いは(出版点数もそうだが)、先生は、著者のレンジが広く、私は非常に狭い、ということである。

私はこれまでに12冊の翻訳を出しているが、その原著者の選択はきわめて限定的である。

全員「ユダヤ人の男性」なのである。

エマニュエル・レヴィナス、ノーマン・コーン、ベルナール=アンリ・レヴィ、ジェフリー・メールマン、サロモン・マルカ、アンドレ・ネエール、ロベール・アロン、ヴィクトル・マルカ。

レヴィとメールマン以外は全員「ホロコースト」の生き残りである

今回のコリン・デイヴィスが(おそらく)はじめての非ユダヤ人著者である。(本人に確認してないので断言はできないが、たぶん非ユダヤ人だろうと思う。)

これはかなり特異な選択だといわねばらない。

「あ、これ翻訳したい」という欲望に火を付ける本が、つねにそのような限定的な条件を課されているものだということに私自身は最近まで気がつかなかった。

ということは、私はこれまで女性の書いたテクストを翻訳したことが一度もないということである。(短いものでさえ)(鈴木先生はサラ・コフマンばかりでなく、エリザベス・キューブラー・ロスとかエリザベト・バダンテールとか、女性の書き物もばりばり訳している。)

これをして「ジェンダー・ブラインド」といわずして、何と呼ぶべきでありましょう。

でもちょっと言い訳をさせていただきたい。

翻訳をする、ということは、ある意味でそのひとに「憑依する」ことである。

そのひとの思考回路や感性に共振してゆくことなしには、文章のニュアンスはきちんと訳せない。

翻訳の名手でもある村上春樹は翻訳について、こう書いている。

「翻訳をやっていると、ときどき自分が透明人間みたいになって、文章という回路を通って、他人の(つまりそれを書いた人)の心の中や、頭の中に入っていくみたいな気持になることがあります。まるでだれもいない家の中にそっと入っていくみたいに。あるいはぼくは文章というものを通じて、他者とそういう関わりをもつことにすごく興味があるのかもしれないですね。」(『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』)

私はこの村上の感じがとてもよく分かる。

たぶん、それだからこそ「だれもいない(女の子の)家にそっと入っていく」ということに対してはすごくブレーキがかかっているんじゃないだろうか。

それは別に倫理的な意味での規制ではない。

「できれば見ずにすませたい」のである。

私が女性の書き手に「憑依した」ときに、私が半世紀にわたって培ってきて(そのまま墓場にもっていくつもりでいる)「女性についての幻想」が取り返しのつかないかたちで損なわれることになるような気がするのである。

私はべつに女性の魂の奥底には暴虐な「ワニマ」が住まっているとか、そういうことを恐れているのではない。(ワニマなんて怖くない)

私の逡巡は、私がおそらく「そこ」に何も見出さないだろうという予感によってもたらされているのである。


7月10日

『朝日』の夕刊に藤本義一がフリーターについて書いている。

現在、「フリーター」と称する人々は150万人。大卒の四人に一人、高卒の三人に一人が「フリーター」さんだそうである。

この趨勢を藤本は「現代の企業形態の本質を本能的に受け取った」若者たちのクールで批判的な生き方であり、「給与や時間に縛られるのは御免だと彼らは危険を察知する野性の小動物的な感覚で行動しているのである」、と称揚している。

まったく藤本さんというのも食えないおじさんである。

こういう記事を読んで「よーし、おいらもフリーターになろう」と思う大学生高校生が族生するのであろうか。

私はそれでぜんぜん構わない。

ただ、老婆心ながら、言わせてもらうけれど、フリーターの社会的機能はただ一つしかない。

藤本のような煮ても焼いても食えないおじさんがフリーター諸君にむかって「いいねえ、君たちの生き方は」とおだてるのは、その社会的機能を彼らに果たしてもらうことが、日本社会の「インサイダー」からして、システムの安定にとって死活的に重要だからである。

フリーターの社会的機能とは端的に「失業者の隠蔽」である。

日本はご存じのように先進諸国の中で、ほとんど奇跡的に失業率が低い。

これはどういうことか。今日はこれについて考察してみたい。

失業者とは、「自分は失業者だ」と思っている人のことである。

つまり「自分のような能力のある人間が当然得てよいはずの社会的地位や収入が得られない」ということで怒ったり恨んだり悲しんだりしているひと、これが失業者なのである。

自分のことを失業者だと思っていない(だから怒りも恨みも悲しみとも無縁の)人は、無収入であろうと、定職がなくても、「失業者」とは呼ばれない。

「失業問題」というのは、無収入のひとがいるとか定職がないひとがいる、とかいう「事実」レヴェルの問題ではない。ある社会的ポジションが「怒りや恨みや悲しみ」をドライブするということから派生する、どちらかといえば「幻想」レヴェルの問題である。

失業問題が深刻な社会問題であるのは、自分がしかるべき収入や社会的プレスティージを得られていないことを「自分の主体的選択の結果ではなく、社会システムの不公平の結果である」と思う人々が、「公正の回復」を求めることに起因するのである。

この場合の「公正の回復」はかならずしも合法的な手続きをとらない。というのも、法制システムそのものがこの不公正を生み出しているという考え方をしばしば彼らは採用するからである。

彼らは一般にあらゆるエスタブリッシュメントに対して不信感ないし敵意を抱く。

そのような不信感や敵意を社会の進化のたいへん生産的な契機であるとみなす社会理論がいくつも存在する。

そのような理論は、公共のものを破壊したり、私物化したりすることや、社会的ルールを無視することや、「不当に収奪されたものであり、来来自分に帰すべきもの」と彼らが観念するところのものを「奪還」することなどを正当化したりする。

こういう考え方をする人たちが一定数以上存在すると、社会システムの運営にはさまざまな「防衛的」コストがかかる。さらにそのような「奪還」型の社会理論が一定以上の支持者を得た場合には、社会システムそのものが瓦解することもありうる。

さいわいいまの日本には「社会システムそのものによって不当に収奪されている」という考え方をする人はあまりいない。

私たちはこの状態を「治安がいい」というふうに呼んでいる。

治安がいいというのは、要するに、お金がなくても、仕事がなくても、そのことを「世の中が間違っているからだ」というふうに解釈するひとが少ないということである。

たとえば、ホームレスなどになっているおじさんたちの多くは「ホームレスというのは、私が主体的に選んだ生き方である」というふうに説明している。あまり世の中のせいにしない。

「ホームレスというのがおれの生き様なわけよ。」

まったくありがたい人たちである。

フリーターのみなさんも、主観的には「これは自分が主体的に選んだ生き方だ」と信じている。だからどれほど雇用条件が不安定でも薄給でも、彼らは文句を言わない。

この人たちは仕事をやらせれば、ちゃんとこなす。(足し算もできれば、英語もしゃべれる、コンピュータなんかだっていじれる)

にもかかわらず非人間的な時給でも文句言わないし、定職を得られるように職業訓練をしろとか、学校に通わせろとか、生活を保証しろとか、住宅をつくって住まわせろとか、そういう要求をまるでしない。

この150万人の、そこそこ高学歴でそこそこ有能で、にもかかわらず低賃金で働いてくれて、仕事があるときだけ生産に従事し、仕事がないときは無職に甘んじ、そのうえ「労働組合」を作ることなんか想像だにしていない人たちが「バッファー」として機能してくれているおかげで、日本の失業率は世界的な高水準を保っており、社会治安を維持するためのコストは驚異的に安く上がっているのである。

これでもうお分かりだろうが、藤本のようなおじさんがフリーターという生き方をさかんにもちあげるのは、彼らがいまの日本社会にとってたいへん「好都合」な存在であり、にもかかわらず、どういうふうに「ありがたい」のか、その理由をご本人たちにはあまり知られたくないからである。

「失業率のバッファー」として効果的に機能している集団はほかにもある。

「専業主婦」と「大学生」である。

日本の専業主婦に誰もまじめに「高度の家事遂行能力」を求めないのも、日本の大学生に誰もまじめに「高度の知的能力」を求めないのも、フリーターをもちあげるのと理由は同じである。

日本社会が彼らに何よりもまず求めているのは、「自分が失業者であることに気がつかないでいること」だからである。

「家事をしない専業主婦」「勉強をしない大学生」「にこにこ顔のフリーター」これは日本だけに存在して、ほかのいかなある先進国にも存在しない社会集団である。

彼らこそ日本繁栄の「秘密兵器」、豊芦原瑞穂の国の「宝」なのである。


7月7日

S女子高校に「高校訪問」に行く。

進路指導の先生はとても感じのよいひとだった。

その先生から貴重なマーケットのなまの声を聞かせていただいた。

阪神間の女子大の凋落ぶりは劇的である。

甲南女子、神戸女子、山手女子、親和女子・・・みんなどこかの学科が予備校資料で「Fランク」にランクづけされている。

Fランクというのは、Free つまり「受ければ誰でも受かる」ということである。

どうしてFになったかということの理由はさまざまだが、決して教育内容に致命的な問題があるわけではない。単に「なんとなく人気がない」という気分的な現象なのである。

しかし、どんなヴァーチャルな理由からであれ、「Fランクされる」ということは経営を一気に傾けかねないほどのリアルなダメージである。

うちの大学もマーケットの動向が変化すれば、どの学科も「Fランク」の可能性がある。

これを食い止める方法は、単純なことだけれど、ひとつしかない。

どういう理由からであれ、「神戸女学院に行きたい」という思いをもった高校生を一定数(「一定数」でいいのだ)確保すること、それに尽きる。この学校は「なんだか私のためにある学校みたい」というふうに思ってくれる高校生を見出すことである。

でも、どうやって?

「営業」するしかないでしょう。

「大学教授、東奔西走す」という記事が今週の『週間朝日』の広告にあった。私大は民間企業であるから、営業活動をするのは当然である、と私は思う。マスコミが揶揄するような奇異なできごとではない。

私はもと営業マンであるから、こういう仕事には何の抵抗もないし、どちらかといえば好きな種類の仕事である。

24年前、翻訳会社を創業したときには定期的に仕事を流してくれるクライアントというのは一社もなかった。だから、全部営業で新規開発した。

毎朝営業会議をして、「重点地区」を決め、みんなで手分けしてあらゆるコネを頼りに東京のオフィス街を「絨毯爆撃」する。

足を棒にして会社から会社へ歩き回って、名刺をばらまき、米搗きバッタのようにへこへこしながら一日が暮れたが、それでも20社まわると、そのうちの1社は実験的に仕事を回してくれた。そのトライアルの仕事で期待通りのものを納品すれば、それ以後はコンスタントに仕事は入ってくる。

だから創業してから毎月売り上げは倍々で増えていった。

商品がよいものであれば、営業はけっこう楽しい仕事である。

そのとき営業の基本というのを経験的に学んだ。

要するに、「話をしているのが何となく愉快な」人間関係を構築するということである。

自分の会社がある取り引きでいくら儲かるというようなことは、現場の人間にとってはべつにそれほど現実感のあることではない。

むしろこの取り引きがうまくいくと、また「あの人」と会えるな、ということが楽しみで、取り引きの継続を願う、ということのほうが動機としては濃厚だったように記憶している。(それは自分が「クライアント」になってみるとすぐ分かる)

私たちが集めなければならないのは、とりあえず学科の指定校推薦枠の100人程度の高校生である。それは200の高校の進路指導の先生たちとフレンドリーな人間関係を構築すれば、それほど達成するのがむずかしい仕事ではない。5人の元気でオープンハーテッドな営業マンがいれば、1月でなんとかなる数字である。

私がみるところうちの学科には営業マンとしてかなり「できる」感じの先生がいる。

みんながんばりましょう。


7月6日

日本のこの時期は亜熱帯だ。

亜熱帯で知的営為をおこなうことは、亜寒帯で海水浴をするのと同じように無謀であり、人間の本性に背馳することであると私は思う。

あたまから水をかぶったように全身汗まみれとなってどろどろ歩いていると、自分が人間ではないなにものかに変化しつつあるような気がしてくる。

大脳皮質が活動を停滞させ、脳幹の奥の方の「ワニの脳」がうぐうぐとうごめきだしてくる。

夏は「ワニの季節」である。

この時期、私があらゆる約束を反古にし、期待をうらぎり、いるべき場所から遁走し、昼日中からビールをのんでビーチボーイズを聞くような「だめなワニ」に変容することについて、関係各位にあらかじめ警告を発しておきたい。

夏の間、あなたが出会っているのは私ではなく、私の「ワニムス」というものである。

ご存じのように「ワニムス」とはかのユングが人間の魂の奥底に見出した原始の心性のことである。「ワニムス」を(ときどき台所でワインなんかのみながらスパゲッティをゆでている)「ワニマ」と混同することはいやしくも精神分析の基礎知識を備えたものの犯してはならない誤りである。(「ワニマ」は私の場合、四季いつでもエプロンをしたとたんに出現する。)

ワニムスにむかってダイエットの必要を説いたり、禁煙をすすめたり、きみは締め切りというものをどーかんがえておるのかね、とか暴力はいかんよきみ、暴力はなどと諭しても無駄である。

ワニには超自我なんてないからである。

お、いいな「ワニに超自我はない」。

『猫に未来はない』に匹敵する名コピーかも。


7月5日

大学の非常勤講師懇談会。

朝鮮語の藤井幸之助先生、比較文化論の小林昌廣先生、表象文化論の田川とも子先生、日本語学の安田先生、それと飯田先生、野崎次郎君と私で二次会へ。

歌舞伎の話題を中心に、身体技法の伝承について、貴重なお話を小林先生から拝聴する。わいわい騒いでいるうちに12時ちかくになってしまったので、あわてて散会。

ワインとビールと紹興酒を集中的に飲んだので、起きたら暑さと二日酔いでくらくらする。

大学にたどりついたが、なまあくびばかりで授業をする気が起きない。ちょうど試験前で、きりのいいところだったので、お昼前に「はい、試験範囲はここまでだから、今日はここまで」といったら、学生たちは「きゃー、先生やさしー」と喜びの歓声をあげる。

私の授業が早く終わるのが、そんなにうれしいのか。

先生もうれしいよ。

しかし、私がふまじめな教育者であると思われては困る。

教室の私語が多くて困りますと文句をこぼす先生が多いが、私の授業はたいへんに静かである。

ふだんは「かりかり」とノートする鉛筆の音しかしない。

なぜ、そのように静かであるのか、私にはよく理由がわからない。

あまりにたくさん板書するので、それを写すのに必死で私語をしているひまがないのかもしれない。とくに最近の子は字を書くのが遅いのか、「もう、消していい?」と聞くと、全員がぶるぶると首をふる。

毎回試験をするのも理由のひとつかもしれない。

いかにさわがしい学生も「はい試験です」というと沈黙する。条件反射のようなものである。

もちろん私の講義があまりに面白いので、固唾を呑んで聞き惚れているという可能性も完全には排除できない。


7月3日

ひさしぶりの日曜なので、フェルメール展の最終日に天王寺まで行く。

動物園前という地下鉄の駅で降りるのは生まれてはじめてである。

「ジャンジャン横丁」というところを経由して市立美術館へ行くのであるが、これは「美術館への道」というものとしてひとが想像しうる最後の光景である。(って英語的な表現だね)

 

ジャンジャン横丁→動物園→ホームレスのおじさんたちの日光浴→カラオケ大会という「地獄巡り」のはてにたどりついたら、「待ち時間3時間」というアナウンス。

そのままUターン。

大阪はディープだ。

 

梅田に出て、コンタクトを半年分買って、パンツとシャツを買って、本を二冊買って、鰻を食べて、ビールを飲んでうちにかえる。

メル・ギブソンの『陰謀のセオリー』をTVで見ながら、買ってきた『知の欺瞞』を読む。

なんと、映画より本のほうが面白い。CMになると本の続きを読むのだが、「ああ、CMが終わらないでくれ」と祈るようにして読む。終わり頃になるとCMがばんばん入るので、本がたくさん読めて嬉しい。(だったら本だけに集中すればいいのにね)

映画が終わったので、そのままオールドクロウを飲みながら、ごろごろと読み続ける。

ポストモダニストの悪口をここまで徹底的に書いた本はない。(『ポストモダニストは二度ベルを鳴らす』というのも毒の強い本だったけれど、それとも比較にならない)

ソファで涙をながして大笑い。

いーなー、これ。

原題はFashionable Nonsense、そのままでよかったのに、と私は思う。

著者はアラン・ソーカル、ジャン・ブリクモンのふたり、ご専門は数理物理学、量子力学など、私にはまったく理解できない世界のひとである。

そのソーカルが、1996年に、アメリカの人文社会科学の論文に(ほとんど無意味に)数学用語を使う例が多いのにうんざりして、アメリカのカルチュラル・スタディーズ誌 Social Text に「著名なフランスやアメリカの知識人たちが書いた、物理学や数学についての、ばかばかしいが残念ながら本物の引用を詰め込んだパロディー論文」を送りつけたのがことのはじまりである。

『境界を侵犯すること−量子重力の変形解釈学へ向けて』と題する「ばかげた文章とあからさまに意味をなさない表現があふれるばかりに詰め込まれた」論文を『ソーシャル・テクスト』はなんと受理し、掲載してしまった。

ひどい話だ。

もちろんソーカルがではない。

これまでポストモダンの知識人たちが自説を開陳するなかで使ってきた数学、物理学にかかわるまったく無意味な記述を「あらゆる科学は歴史的生成物にすぎず、仮想的な観測者は徹底的に脱中心化されなくてはならない」というポストモダンの常套句にコラージュしただけのおふざけ論文をそのまま掲載してしまった『ソーシャル・テクスト』のレフェリーたちの頭の悪さが、である。

このパロディにソーカルがコラージュした文章は、ドゥルーズ、デリダ、ガタリ、イリガライ、ラカン、ラトゥール、リオタール、セール、ヴィリリオから引用されたものである。

ここで、ソーカルが論証しようとしたのは、ポストモダンの思想家たちは論証において、しばしば数学や物理学の用語や数式を使う傾向にあるが、専門家から見ると、どう見てもその利用法は適切とは思えない、ということである。

理由は二つある。

一つは、それによって読者は何の利益も得ない、ということである。

もちろん数式を導入することによって、人文科学、社会科学のある理論が「分かり易く」なるのであれば、いくらでも導入すればよろしい。

しかし、例えばクリステヴァの詩的言語論やラカンの精神分析理論を読む読者の大半は、数学や物理学の専門家ではないし、専門的な教育も受けていない。

したがって、集中的な専門教育を受けないと基礎的理解にさえ届かないはずの位相幾何学や集合論や微分幾何の用語を説明に使ったおかげで読者の理解が飛躍的に進む、ということはほとんどありえない。

読者の理解を助けるためでなければ、彼らはなぜ数学用語を用いるのであろうか?

第二に、専門家から見ると、彼らは(ましな場合には)数学の入門教科書程度の知識を有しているが、(ほとんどの場合)自分たちが利用している概念をまったく理解していない。

自分が十分に理解できていない専門用語を彼らはなぜ用いるのであろうか?

謎は深まるばかりである。

このような知的態度は「科学を知らない読者を感服させ、さらには威圧しようとしているとしか考えられない」というソーカルの推理は十分に検討するに値する。

「いや、ラカンのトポロジーとか、クリステヴァの集合論とかは単なるメタファーなんだよ。専門的な意味で一義的に使っているわけじゃないんだから本気にとるなよ」という人がいるかも知れない。

しかし、その場合、メタファーを用いる目的は何なのだろう?

メタファーというのは「馴染みのない概念を馴染み深い概念と関連させることで説明する」ための技法であって、決して逆の状況では使わない。

もし物理学のセミナーで「場の量子理論」を説明するときに、デリダの「アポリア」の概念をメタファーとして使ったとしたら、セミナーの出席者はそんなメタファーがいまの説明のために妥当かどうか問う以前に「何言ってるか分からない」と泣き出すだろう。(しかし逆の場合は誰も泣き出さない。不思議だ。)

百歩譲って、メタファーとして科学の用語を使う効用があるとして、何も自分自身あやふやにしか理解していない概念をわざわざ使うことはない。

自分がよく理解している言葉を使うほうが、自分が理解できていない言葉を使うより、言いたいことを伝える上ではかなり有利だと思うが。

という、ソーカルたちの意見に私は全面的に賛成である。

 

ラカンの数学について著者たちは、あれは「お経」のようなものだ、と書いている。

それらの記述のほとんどは数学的にはナンセンスであり、重要な概念のいくつかは定義が間違ってる。

ラカンは別に数学の先生ではないし、読者も数学の授業を聞いているわけではないのだから、定義なんかどうでもいいのだろうが、これらの数学的概念とラカンの精神分析理論のあいだの「アナロジー」がなぜ成り立つのかについて、一言の説明もない、というのは困る。(と著者たちは言う。しかし、実を言って私はあまり困らなかった。私はむかしから数式がでるところは、どんな種類の本でも、全部飛ばして読むことにしているからである。)

しかし、とソーカルは最後にラカンに救いの手をさしのべている。

「彼が述べていることは、意味が通るときは、いつもがいつもでたらめというわけではない。」

ドゥルーズの場合も手厳しい。

あるフランス人の物理学徒が、大学卒業後、哲学に転向して、「深遠」と評判のドゥルーズを専攻することにした。ところが『差異と反復』の中にある解析学についての記述がまったく理解できない。

「彼のように解析学を何年も専門的に勉強した人間が、解析学について書かれているはずのテクストが理解できない」場合、その理由としていちばん蓋然性が高いのは、「おそらくそのテクストにはたいした意味がない」ということである。

ある主題について意味がないことを書く人間は、それ以外の主題についても意味がないことを書いている可能性が(そうでない場合よりも)高いのではないか、と著者たちは推理している。

なるほど。

そのソーカルたちの結論は次のようにたいへん常識的なものである。

(1) 自分が何を言っているのか分かっているのはいいことだ。

(2) 不明瞭なものすべてが深遠であるわけではない。

私はこの二点については、100%同意する。

とはいえ、私は人間の「バカになれる可能性」のうちにも人間の偉大さを見出す、という太っ腹な人間観の持ち主なので、これに若干の補足をしておきたい。

(1) 自分が何を言っているのか分かっていないときに、変に面白いことを言い出すひとがいる。

(2) 不明瞭である上に深遠であるものも(たまに)ある。

 

ラカンやデリダはけっして分かり易い思想家ではないし、分かり易く書くことにほとんど努力のあとを示さないが、「意味が通るところでは、ときどき何を言いたいのか分かることもある」し,たまに「変に面白いこと」を書くので、私はけっこう好きである。

ソーカルたちが心配しているほど読者はナイーブではないと私は思う。

みんな「分かんない分かんない」と言いながら結構そういう状況を楽しんでいるのではないだろうか。(『ソーシャル・テクスト』のレフェリーだってふざけ半分に掲載したのかもしれない。私がレフェリーだったら掲載するほうに一票入れたと思う。だって面白いんだもん。ソーカルのパロディー論文。)


7月2日

斉藤環の『戦闘美少女の精神分析』を読む。

セーラームーンとかナウシカとか綾波レイとかGS美神とかパトレイバーとかそういうものが好きで仕方がないひとたちの話である。

斉藤さんは精神科医で、彼自身ディープな「おたく」としての立場から「おたく」のみなさんの精神病理を暖かいまなざしで分析している。

これを読んでいまさらながらに分かったことは、私は「おたく」というものの対極にある人だということである。

それは、アニメとかマンガとかフィギュアとかコスプレとかに淫することがない、ということではない。(ふつうのおじさんはあまりそういうものには淫しない。)

そうではなく、私にはそもそも「淫するもの」がない、ということである。

斉藤さんはこの本の中で「おたく」と「マニア」の見分け方というものを提唱している。ちょっと引用してみる。

「このふたつの『共同体』の差異は、まず彼らが何を愛着の対象とするか、その選択の段階であきらかである。こころみに、それぞれの共同体が対象に選ぶジャンルを具体的に列挙してみよう。

−おたく的対象物

アニメ、TVゲーム(ギャルゲー中心)、ジュニア小説、声優アイドル、特撮、C級アイドル、同人誌、やおい、戦闘美少女。

−重複可能な対象物

鉄道、パソコン、映画、漫画、B級アイドル、SF、アメコミ、オカルト、ラジオライフ、警察もの、プラモデル、模型

−マニア的対象物

切手収集、書籍(ビブリオマニア)、オーディオ、カメラ、天体観測、バードウオッチング、昆虫採集、音楽全般、その他収集関係全般。」

 

この中に、私が「愛着」しているものは一つもない。

比較的「コレクト」しているものとしては、書籍と映画と音楽、というところだろうが、私はまずどのような意味でも「ビブリオマニア」ではない。

私は本をどんどん捨てるし、そもそも本をほとんど買わない。

鈴木晶先生は最盛期には一月100万円ペースで本を買ったそうであるが、私のこれまでの自己記録はたぶん一月3万円くらいである。

もちろんいまは研究費というものがあるので、どんどん買うけれど、「自分で買え」といわれたら、ほとんどを発注取り消しにしてしまうであろう。

鈴木先生のは自前である。すごい。

 

私は自分の家に同業者を呼ぶのがあまり好きではないのだが、それは彼らが私の書棚をみて仰天するからである。

「内田さん、本、これで全部?」

「うん」

「これだけ?」

「うん」

「どっかに隠してあるの?」

「ううん」

「ほんとに、これだけで論文書いてるの?」

「うん」

 

私はよく人々に「私は1のインプットで5のアウトプット」と言っているがそれは冗談ではないのである。

加藤周一は人も知る読書家で、「こんなに本ばかり読んでいては本を書くひまがない」と嘆いておられたが、私は「原稿ばかり書いているので、本を読んでいるひまがない」のである。

だから引用するときはけっこう大変なのである。「たぶんデリダはこんなことを言っているはずだが、さてどの本に書いているのかしら」というようにあてずっぽうで本をめくって「おお、びったしのがあった」というふうにして賢しらな引用をするのである。ずるこい。

まあ、そういうわけだから私のことを「学者の風上にもおけない」と思っている人は実はたいへんに正しいのである。ごめんね。

 

とにかく私はビブリオマニアではぜんぜんない。

大学生のころまでに読んでいた本でいま手元に残っている本はたぶん20冊くらいである。(あとは全部古本屋に売ったか、ゴミに出した。)その中にはいまにしておもうとずいぶん貴重な本もあったはずであるが、まあ仕方がない。本は重いしかさばるからね。

だからもちろん「全集」というものはひとつもない。(あ、ひとつだけあった。創元文庫の『エドガー・アラン・ポー小説全集』。これ文庫本で4冊だから)

 

映画もコレクションというようなものはない。「これは全部揃ってるぞ」とえばっているのは、「眠狂四郎全12巻だけであるが、これは私が買ったというより、小川さんが「買って」というので仕方なく揃えたのである。

ほかには小津安二郎のヴィデオが何本かあるが、「何本かある」という程度のものでとてもコレクションとは言えない。

それ以外は全部借り物である。

映画をダビングしたテープは芦屋から引っ越すときに重いからほとんど捨てた。

 

音楽関係もすごい。モーツアルトが5枚に矢沢永吉が2枚、竹内まりあが2枚にキリテ・カナワが1枚、キース・ジャレットの隣に安全地帯というような「大衆食堂」的な配列で貧しいCDが並んでいる。(これも見た人は「ふへ」と吐き捨てるような感想をのべるだけである。)(テープはけっこう充実しているが、これは石川茂樹君という偉大なコレクターが私のあまりに貧弱なリソースを哀れんで定期的に贈り物をしてくれるからである。)

 

その他、私がこれまで「コレクトした」ものは何もない。

小学生の頃、切手収集はアルバムが数頁うまったところで止めたし、アトムシールも5枚くらいたまったところで誰かにあげてしまった。「アイドルもの」というのはかつて一度も所有したことがない。

 

若いころは、「これではいかん」と思って、何かに「はまろう」と思ったこともあったが、結局何にも興味が持続せずに終わった。

 

とくに駄目なのはメカ系である。

男の子はカメラとかオーディオとかバイクとかコンピュータとか、そういうものに激しく淫する時期があるはずなのだが、私はついにそのような経験をしないままに老境を迎えようとしている。

 

私はいま「スバル・インプレッサWRX」というけっこうマニアックな車にのっているのだが、別にカー雑誌を読んで「おお、これだ」と選んだのではなく、たまたま車を買おうかしらと思っているときに、となりの床屋のモロタ君が「WRXのワゴン、最高っすよ」というのを聞いて、「ふーん」とそのまますばるのディーラーに行って「WRXのワゴン下さい」と買った。色は何がいいですか、というので、あるやつでいいですということでシルバーになった。

マニアックな味付けがしてあるエンジンらしいが、私はこれまで(買ってから4年間)一度もボンネットをひらいたことがない。

買ってから2年くらいして、ガソリンスタンドで「すみません、ボンネット開けて貰えますか?」と言われて、どのスイッチだかわからなくて、「すみません、ボンネットってどうやって開けるの?」と尋ねて仰天されたことがある。

 

パソコンも最初の98から数えてもう8台目くらいだけれど、全部壊してしまった。

別にあれこれカスタマイズして壊したのではなく、簡単なソフトのインストールを間違えて、作動不良になったのをそのまま捨ててしまうからである。

 

その私がインターネットでホームページをひらいているので、大学ではPCにうるさい人だと誤解されているのだから大笑いである。

私がPCや周辺機器のマニュアルを読まないのは、別にそういうプリンシプルを持っているからではなく、ほんとに「読めない」からである。読んでも一行も理解できないのである。ただのバカである。

 

この「はまらない」傾向は私のこれまでの生き方全般を領している。

 

大学でフランス文学科に行ったのは、「フランス語が好き」だからではなく、「フランス語ができなかった」からである。あまりにも教養のときの点が悪かったので、なんだか気が咎めて、いちおう大学出るまでに動詞の活用くらいちゃんと覚えておこう、と思って仏文科に行ったのである。(そんな理由で仏文学者になったやつはあまりいないと思う。)

 

合気道を始めたのもごろごろしていたらデブになってきたので、すこし運動しようかと家からいちばん近くにあった町道場に何も考えずに入門したのである。

さいわい、すばらしい師匠に出会ったおかげで25年も合気道を続けているが、これはすべて偉大な師匠とフレンドリーな先輩たちのおかげであって、私に武道を志す鉄の意志やひとなみすぐれた才能があったわけではぜんぜんない。(これは自信をもって断言できる。)

武道関係のホームページにいくつかリンクをはって頂いたので、あちこちのぞきにゆくが、そのコアな「はまり」方にはいつも驚かされる。私にはとうていまねのできないことである。

 

居合をはじめてしばらくして日本刀を買った。言われるままに150万円の江戸時代の刀を買ったのである。家に持ち帰って振り回したら、天井にぶつけて「ごり」という音がして、先端が2ミリくらいかけてしまっていた。

「あら」とそのままにしておいたら、しばらくして刀を見た人がびっくりしていた。

「どうしてこんないい刀を傷つけたままにしておくんですか」

「別にこれでひとを殺す訳じゃないから、いいの」

とほうったままにしてある。

こういうのは日本刀フリークの人が聞いたら怒りで血圧があがるだろう。

 

私が収集することにもっとも熱意がなかったものは「お金」であるが、不思議なことにというか当然にもというか、そのせいで私はお金で苦労したことがない。(だって要らないんだもん)

しかし、齢知命に至って、貯金が300万円、資産ゼロというのもあまりといえばあまりである。

 

と、まあかように私はこれまで半世紀、なにものにも「はまる」ことなく、あらゆる「コレクション」、あらゆる「マニア」、あらゆる「フェティッシュ」とまったく無縁な日々を送ってきたのでありました。

いわば「マニアック」になることを「マニアックなまでに」忌避してきた、ということが私の偏向ということでしょうか。


7月1日

おお、7月だ。あと少しで夏休み。

こんなことを書くと世間のひとびとは怒り狂うであろうが、7月末から10月まで私たち大学教員には夏休みというものがある。

しかし、誤解して頂いては困るが、この二ヶ月余を私たちは寝て過ごしているわけではない。(ちょっとはするけど)

基本的には学期のあいだにはできなかった「まとまった仕事」をこなすのである。

どこにもいかないで、毎日じっと家のなかで机に向かっていると、パソコンや文献と一体化してきて、バイオメカノイドというかマキナ・アカデミカというか「読書−思考−執筆−機械」のようなものに化身する。

よく「企業の歯車になんかなりたくない!」というようなことを叫ぶひとがいるが、どうしてそれがいやなのか、私にはよく分からない。

歯車、楽しいぞ。

私はかりこりとペーパーを産出していると、自分が「論文生産機械」の歯車になったようで、たいへんに気分がよい。

 

ふだん学期中は、機械になりたくても、頻繁に「人間に戻って」講義をしたり、会議に出たり、学生さんに卒論指導をしたり、悩み相談をしたりしなければいけない。そのつど声色を変え、立場を変え、意見を変え、価値観を変えるので、たいへん忙しい。

なぜ、そんなにころころ態度を変える必要があるか、訝しがるひとがいるかもしれない。

実は、それが私の仕事なのである。

大学での私の役目は、私の前に立っているひとが「何を言って欲しいのか」を聞き取って、それを本人になり代わって言ってあげるというものである。

なぜって・・・

だって、ふつう誰だって「自分が聞きたいこと」しか聞かないでしょう?

聞いてくれないことをしゃべっても時間と労力の無駄である。

どうせなら、聞いてにこにこしてもらうほうがおたがいに気持がいい。

他人の意見を自分の意見みたいにして語るのはけっこう楽しい。

ある学生には「人間の基本は自立だ。いますぐ家を出て自活しなさい」と説教し、その次に来た学生には「親のすねを囓るのは大事な親孝行だよ。いたわっておやりよ」と説教する。ある学生には「本なんか読まなくていいから自分で考えなさい」といい、別の学生には「自分の枠を超えるためには本読むしかないでしょう」と言う。

ときどき「先生、前とお話がちがうようですが」と怪訝な顔をする学生がいるが、それはね、君が成長したということなんだから、それくらいのことは我慢しなさい。

 

話は変わるが、「仕事ができない人」と「仕事ができる人」の区別というのをむかしサラリーマンのころに誰かに教わったことがある。(お兄ちゃんに聞いたのかもしれない)

「仕事ができない人」というのは、仕事をひとりで抱え込んでしまって、その人がいないと、その部分の仕事が完全にストップしてしまうように仕事を組織している人である。

こういう人はいつも「忙しい忙しい」と意味もなく走り回っており、みんなが帰ったあとに深夜まで残業したり、土日出勤したりして、あげくに「俺ひとりでうちのセクションの仕事全部しているのに、みんな『ありがとう』も言わずに定時に帰りやがんの」と居酒屋でぐちっていたりする。(私はどちらかというとこのタイプである)

「仕事ができる人」というのは、仕事をうまいぐあいにばらまいてあるので、その人がいなくても、とりあえず困らないようにしてある。一見するといつもあちこち歩き回っておしゃべりしたり、遊んだりしているように見えるが、実は絶妙にコーディネイトの糸をたぐっているのである。このひとがあまった時間に思いついた脳天気なプロジェクトが次の企業戦略の核になったりする。(平川君やお兄ちゃんはこのタイプ)

「つまり、いなくなると困るひとが仕事ができない人で、いなくても平気なひとが仕事ができる人、ということなんですね」

うーん、要約されるとちょっと困る。

だって「いなくても全然困らないが、いても何の役にも立たない人」というのも存在するからね。けっこう、たくさん。

しかし、いずれにしても、そのひとが抜けると仕事に致命的な影響が出るようにわざわざ自分の仕事を組織化しているやつはやっぱりバカである。

「そごう」の債権放棄の理由というのは、「そごうが潰れると社会的影響が大きいから」だそうである。これって「そごうはバカだ」と言っているのと同じだと私は思う。