とほほの日々

The days of pains and regrets: from 1 Jan 2000



8月30日

朝刊を見ていたら竹信悦夫君の近著の宣伝が出ていた。題して『英字新聞がどんどん読めるようになる』。

竹信君はこのあいだまで朝日イブニングニュースのデスクをしていた(いまは『Japan Quarterly』の編集長)ので、こういうのはお手の物である。

そこで問題。これはキャンプのときに竹信君に出されたもの。1題を除いて私は正解できた。

次の英語は最近話題になった言葉の英訳です。さて、もとの日本語は?

(1) Divine Nation

(2) Falun Gong

(3) Fixed Sumo Bout

(4) Foot Cult

(5) Human Genome

(6) John Paul

(7) Natural Legs

(8) Sympathy Budget

 

私ができなかったのは(2)。これは難しいよね。中国語だということは分かったんだけれど。(正解は法輪功)

意外に考え込んでしまったのは(1)。アウグスティヌスがどうして最近話題になったのか・・・としばらく悩んでしまった。(「神の国」)

あとの答は:

(3)「八百長」(4)足裏診断カルト(法の華)(5)ヒトゲノム(6)ヨハネス・パウロ(教皇)(7)なま足(8)思いやり予算

できた?

8月29日

久しぶりに三宮に出てお買い物。改装して大きくなったセンター街のジュンク堂で、道元の『正法眼蔵』と町田康の『くっすん大黒』と村上春樹の『そうだ村上さんに聞いてみよう』を買う。(変な取り合わせ)

10年前に町田町蔵の『壊色』を小川さんからご恵与たまわったのであるが、私は石井聡互の『爆裂都市』で戸井十月さんの弟役で出てきた町蔵君の印象が強すぎて、「なんだかわけのわからないことを言う人」(って、そういう役なんだから仕方ないんだけど)だろうと思い込んでいて、敬して遠ざけていたのである。

私と同じく「読まず嫌い」だった小田嶋隆が町田康を一読してホームページで絶賛していたので、早速購入。

おお、これは面白い。

なんて、「健康」なんだろう。なんて「明晰」なんだろう。

大阪弁のグルーヴ感は『水虫魂』や『エロ事師たち』のころの野坂昭如にたしかによく似ている。でも野坂の終わりなき文章がある種の「粘着性」をもっていたのに対し、町田の文章には気持ちのよい「アーティキュレーション」がある。読んでいて、風通しがいい。

町田の小説の登場人物たちはすごく「健全」である。

なにが「健全」かっていうのは難しいけれど、だまし取ったお金をきちんと二人で等分するところとか、「うどんゆで」には阿吽の呼吸が大事だとか、フライドチキンに並ぶときは「フォーク並び」がいいよとか、死者の家に行ったらまずお焼香とか、「ものごとの優先順位」についての感覚が非常に健全なのである。

現代文学を読んでいてうんざりするのは、「こんなやつが本当にそばにいたらたまらんだろうな」というような人間ばかり出てくる(それもたいてい「私」で)ことだ。

町田の小説の登場人物たちは、「こんな人が本当にいたら、ともだちになりたい」というような感じがする。

逆に「こんな人がいたら、たまらん」というようなタイプの人間の描写がほんとうにリアル。その「厭さ」にもすごく共感してしまう。

「厭な奴」についての感覚が近い、というのはすごく気分がいい。

グルーヴ感といい、視線のアーシーさといい、現代文学ではすごくレアな経験だ。

私はまえに「とほほの系譜」というものについて書いたことがある。

社会システムの不調(不公平とか、ノンモラルとか)を「誰かのせい」にしないで、自分自身がろくでもない人間であることもまたそのシステムの不調の一因である、という「従犯感覚」をもつ知性のありかたを「とほほの心」と呼んだのである。

その系譜を私は成島柳北、夏目漱石から、内田百間、深沢七郎、田中小実昌、赤瀬川原平、小田嶋隆、とたどったのだが、町田康もこの輝かしい系譜にぜひ書き加えたいと思う。早速他の本も買わないとね。

8月25日

るん、帰る。

「や」

「よ、お帰り・・・ご飯食べてきた?」

「うん・・・『梁山泊』とってくれた?」

「最終回とりそこなった、ごめんね。あした再放送だから」

「ま、いいよ」

「・・・・寝るね。またね」

「・・・・おやすみ」

静かな親子。

8月24日

ショシャーナ・フェルマン『女が読むとき、女が書くとき』を読む。

フェルマンさんは私が尊敬する数少ないフェミニスト理論家である。

「レヴィナスとフェミニズム」という章を書くので、レヴィナスのテクスト理論とフェミニストのテクスト理論がどう違うのかを照合するために読んでいる。

フェルマンさんはこう書いている。

これまで私たちが読まされてきたすべてのテクストは、男性の書き手、男性の主人公、男性の読者という三重の拘束によって、男性中心的に編成されてきた。だから、「書く」人は(それが男であろうと女であろうと)否応なしに男性中心主義的なエクリチュールを採用することを強いられており、「読む」人は男性中心主義的な読みの技法の習熟を強いられてきている。

なるほど。

では問題。

その場合、どうやって脱−男性中心主義的な読みというものが成り立つのであろうか?

フェルマンさんはこう問うている。

「『我々の内に埋めこまれている男性的精神を追い払う』ことが必要であることは私も認めているし、この主張を推奨したいとも思っている。しかし、そうは言っても、私たち自身、男性的な精神をすでに内包していて、社会に送り出されるときには、知らず知らずのうちに『男として読む』ようにと訓練されてしまっているのではあるまいか?テクストを支配しているのは男性主人公なので、その男性中心的な見方に自己を同一化するようと、私たちは訓練されて来た。男性主人公の見解が、世界全体を見る基準であると、私たちは思いこまされて来たのである。こんな状態で、男性的精神を追い払えと言われても、一体どこから追い出せというのだろうか?」

おっしゃるとおり。

子どもの時から男性中心的なエクリチュールの中で生き、そのエクリチュールによって自分の経験を解釈し、自分の内面を言語化することに慣れきった女性は、あらためてどのようにして「女として」読むことを実践できるのだろう?

この困難な問いに、フェルマンさんはきわめて適切な回答を与えている。

それは「テクストを読む」という行為そのものに内在する「危険」に有り金を賭けろ、というものである。

ふつう私たちはテクストを読むとき、「自分が読みたいもの」だけを読んでいる。

怠慢な読み手である私たちは、意味の分からないところは読み飛ばし、自分の手持ちの知性的・感性的枠組みで理解・共感できるものだけを拾い読みし、それで終わりにして本を閉じることができる。

しかし、本を閉じたあとも、「意味の分からないところを読み飛ばした」ことへの「疚しさ」はかすかな痛みとして残る。

なぜ私はある言葉、あるパラグラフを「読み飛ばし」、ある思考に対して目を閉じたのか?

フェルマンさんはこの「選択的な無知」を「抵抗」と呼ぶ。

「読むという行為は、テクスト内に自分が期待していなかったことを見出してしまうという危険をともなう行為であり、読者としてはその危険に抵抗せずにはいられないのである。(・・・)自分自身のイデオロギーや先入観に固執するあまり(その人が狂信的愛国主義者であろうと、フェミニストであろうと)読むことにたいして抵抗するということは、どんな場合でも起こり得る。」

さすが、フェルマンさん、賢い。

フェルマンさんは自分がテクストを読むときに、二重のイデオロギー的装置が読みに対して「抵抗」として機能することに気づいている。

一つは先に述べたように、彼女自身が慣れ親しみ、それなしには読み書きすることができないまでになった男性中心主義的な語法である。

今一つは、そのような男性中心主義的言語運用は「ダメだ」から、女は女固有の言語運用でいきましょうというイリガライのようなイデオロギーである。

第一のイデオロギー的装置は彼女が読むものが男性中心主義的であることを隠蔽する。というのは彼女はそのときだけ擬制的に男性読者になっているわけだから、テクストが男性中心主義的なエクリチュールであってもぜんぜん気がつかないのである。(それは『ドラゴン怒りの鉄拳』を見ている私たちが擬制的にブルース・リーに同一化しているせいで、日本人ががんがん殺されて行くのを見てもまったく不快感を感じないのと似ている。)

第二の「フェミニスト」的イデオロギー装置は、彼女が「読むもの」に含まれる男性中心主義的なファクターを「暴露する」ことはできるが、読みつつある彼女自身を通して機能している男性中心主義的なシステムそのものを前景化させることができない。

いまさら言うまでもなく、システムに含まれているはずの主体が、システムの外に立つ客観的視座というものを仮説的に立てて、そこから議論を始めるというのは「論点先取」といってアリストテレス以来「やってはだめよ」ということになっている。

頭の悪いフェミニスト(イリガライとか)がしているように、「私は女だから男性中心主義的なシステムをシステム外から批判できる」という不当前提を立てると、「男性中心主義的」なシステムが男女を問わずあらゆる人々を無意識的に拘束しているという最初の前提そのものが崩れてしまう。

そもそも、そんなに簡単に意識化され、批判され得るようなシステムであれば、それは「システム」と呼ぶ価値さえないだろう。

つまり、容易に批判できた(つもりになっている)システムについては、誰も真剣にその構造や機能を考察しないようになるので、結果的に、そのシステムはいつまでも無傷で繁栄し続けるのである。

フェルマンさんはこのへんの難しさをよく分かっていらっしゃる。

だから、理想的な仕方でフェミニスト的な読み手とは、自分が読む「テクストの中」に男性中心主義的なファクターを「発見」する人ではなく、読みつつある「自分の中」で男性中心主義的な読みの装置が作動していることに気づく人である、という屈折した結論が導かれることになるのである。

あれ?じゃ、私はフェミニストなのか。

8月23日

「人を殺す経験がしたかった」との動機で愛知県で主婦を刺殺した十七歳の少年の精神鑑定書が明らかにされた。

鑑定書は犯行の動機を「殺人犯になってみたいという願いに基づく『殺人のための殺人』、『退屈からの殺人』」と指摘し、今回の殺人が「自己実現を求めた動機なき犯罪、典型的な『純粋殺人』と位置づけ」ているそうである。

なるほどね。

「純粋殺人」というような概念があるかどうか知らないけれど、言葉を作るのは鑑定医の自由である。

しかし、次のはちょっと聞き流せない。

「動機なき犯罪であることを説明する際、鑑定は、文豪カミュやサルトル、ドストエフスキーらに触れ、『彼らによって考えられてきた人間の不条理を示す事態としての犯罪』との考察を試みている。」(『朝日新聞』23日夕刊)

待ってよ、ちょっと。

鑑定書の全文を読んでいないで、片言隻語から推察するのはまずいけれど、引用文がもし正しいのであれば、ずいぶん杜撰な文学読解だと言わねばならない。

被疑者の方の弁護士はこれを「科学を装った文学的鑑定」と批判しているそうであるが、「文学的」という言葉をこういうふうにペジョラティフに使うことに対しても私はちょっとかちんと来たぞ。

私はいちおう文学研究でお給料を頂いている身であるので、でたらめな文学読解についても「文学=非科学的妄想」という俗見についても、異議を申し立てる義務がある。しかし、今回は俗見の方はとりあえず見逃してもいい。私の敬愛するアルベール・カミュの名をこういう文脈で出されたことに私はむっとしているのである。

「動機なき殺人」というのは文学史的には非常に有名な概念である。

これはアンドレ・ジッドの『法王庁の抜け穴』のニヒルな主人公ラフカディオ君がローマにゆく列車の中で変なおじさん(名前忘れた)をまったく無動機的に殺す衝撃的なエピソードを論じたときに語られた概念である。

ラフカディオ君がどうして殺人を犯すに至ったのか、読んだ当時、私はさっぱり分からなかった。(今読むと分かるかもしれないけれど、本が手元にない。なんでも棄てるものではないね)

しかし「不条理」という概念の通俗的理解と『異邦人』の海岸での殺人が「無動機的である」という俗見に対してこれまで文学研究の場で異論を唱え続けてきた私としては、「動機なき殺人・・・あ、『異邦人』ね」というような安易な連想を見過ごすことはできない。

「不条理」というのは、カミュ自身の考えによれば、正邪理非善悪の判断を下す超越的・汎通的な審級が存在しないときあってさえ、人はなお「適切に判断しうる」という痛々しい希望のことを言うのである。

カミュは「神」も「歴史の審判力」も信じられないときでさえ、人は正しく判断し、正しく生きうるということ「だけ」を生涯かけて書き続けたきたのである。

この少年はそのような倫理的緊張を生きたのだろうか?

鑑定によればこの少年は「仙人になり不老不死になりたい」という願望と「社会的に成功するという自己実現」の願望を抱いていたが、それが時間と労力がかかって大変そうなので、殺人犯になることを選んだそうである。

ほんとうだとすれば、この少年は「神」を信じており、社会的自己実現が幸福をもたらすと考えていながら、信仰を持って霊的に成長することや社会的な栄達を成就することが「めんどう」だから、「とりあえず人を殺す」という手軽なオプションを選んだことになる。

カミュが批判していたのは、「信仰を持って霊的に成長した」からこれでいいや、とか「社会的に自己実現できた」からこれでいいや、というようなブルジョワ的自己充足のはらんでいる暴力性である。そのような暴力性が閉鎖的で抑圧的な制度を生み出してきたことをカミュは批判したのである。

この殺人者はこの閉鎖的で抑圧的な制度の分泌する価値観(超自然的なものへのあこがれ、物質的栄達への欲望)をすこしも批判しているわけではない。むしろそのような通俗的な価値観にふかく浸かっている。そして、その価値観の枠内でもっとも安直な仕方で自己実現を求めたのである。

この殺人者とカミュの考想のあいだには一点の共通点もない。

どうしてこんな愚劣な少年が生まれたのか、それをぜひ説明したいという鑑定医の野心を私は理解できる。

しかし、説明したいなら自分でもよく理解できるている概念を使ってやってほしい。

「不条理」というようなよく知らない概念を使うべきではないし、カミュやサルトルやドストエフスキーの名をこのような愚劣な存在の合理化のために動員するのはぜひ自制して頂きたいと思う。

8月22日

ええ、うるさい。

昨日からマンションの「大規模改修工事」が始まった。

いま中庭のタイルをばりばり壊している。昨日からずっと騒音と振動に責められている。予定では9月15日まで続くそうである。このあと足場を組んで全戸のベランダと外壁を修理する。12月まで家の中が真っ暗になるらしい。

まったく余計なことをしてくれる。

ふつうのサラリーマンの場合、出勤したあとの時間に工事が始まり、帰宅する前に終わるから、工事の騒音を耳にする機会はないだろうが、私のように家で仕事をする人間には騒音が直撃である。ああ、うるさい。学校へ行って仕事しようかしら。気が狂いそうだ。

私のような賃貸住人にとってはマンションの改修工事などというものは迷惑以外のなにものでもない。

だいたいなんでこんな時期に改修工事をするのかその理由が分からない。べつにどこも壊れてないし、外観だってきれいなもんだと思うけどね。

おそらくオーナーたちが定期的に改修して不動産の資産価値を維持しようとしているのであろう。

しかしね、家とかそういうものは時が経つと壊れてしまうものなのよ。諸行無常。空しい抵抗はやめなさい。

家を買うとか、土地を所有するとか、そういうこと自体に私はまったく興味がない。

所有することは苦しみであると考えているからである。

家を持つということは、管理し、その保全のために気を遣わなければならないものが増えるというだけのことである。自分の家が雨漏りしたり壁に亀裂が走ったり床が抜けたりしたらまるで自分の身体が壊れたような苦しみを味わうのではないか。

家というものが「拡大自我」である以上、それは当然である。

しかし家とか車とかいうモノは手に入れたときがいちばんきれいで完全で、そのあと時間がたつにつれてどんどん劣化してゆく宿命にある。だから手に入れたあとは衰微するものへの不安といらだちがだけがつのってゆくのである。

私はだからできるだけモノを所有しないことにしている。

方丈の草庵にちゃぶ台一つパソコン一台。本が数冊。縁側の外には芦屋川。庭に老松と竹林。遠景の六甲の山並にススキ。借景を賞味しつつ友と月下に琴棋詩酒を楽しむだけで私は十分である。

そういう涼しい生活を私はしたい。

8月21日

朝日新聞のいしいひさいちの漫画『ののちゃん』でののちゃんが「ひえー、もう8月20日だよー」と悲鳴を上げていたが、私もいっしょに悲鳴を上げた。

ああ、どうしよう。あと数日でるんちゃんが帰ってくる。私の夢のバカンスはもう終わる。

まだ1月も休みがあるじゃないか、とあなたはいうだろう。

違うのだよ。

何度もいうようがだ、娘といっしょに暮らすということは、私の存在仕方そのものが「きちきちモード」にモード変換を強いられるということであって、このモード下にある限り、ひとはいかなる意味でも休息することができないのである。

「おーい、朝だぞー。ご飯だよー」とか寝ぼけた声を出すところから始まって、「もー、えーかげんに寝なさいよー。電気消してね、クーラーつけっぱなしはだめよ」まで、一日中ずっと私は「タイム・キーパー」の役を演じるのである。これ、つまんないの。

いまの私は、でれでれと朝寝をし、朝食後ただちに二度寝体制に入り、空腹で起きた昼食後、昼から呑んだビールのせいでぼおっと昼寝をし、空腹になって起きるとワインを呑みながらバカ映画を見て、そのままアイリッシュ・ウイスキーを啜りつつミステリーを読みつつ夜寝の体制にずるずる移行するというような生き方がオプションとして許されている。(許されているだけで実行に移すほどの度胸は私にはないが)

しかし、それが「オプションとして許されており」、私に根性さえあればそういうことをしたっていいんだよ、という潜在可能性が私の生活に大きな潤いを与えているのである。

しかし、その潜在可能性そのものが消えるということが(どうせ実現されない潜在可能性であったとしても)私を深い閉塞感のうちに沈めるのである。

しくしく。

下川先生のお仕舞いを見に、須磨までおでかけ。

海浜公園というのは、およそ薪能をやる場所としては不適切な場所である。後ろは国道二号線、前は(松林は素敵な借景なのだが)ヤンキーのお兄ちゃんたちがたむろする夜の海岸である。その兄ちゃんたちが海岸でかけているバカラップの音が漏れ聞こえてくる。『鞍馬天狗』で後ジテの大天狗が橋掛かりにでてきたところで花火が上がる。(これはグッドダイミングで思わず大笑い)。しかし『蝉丸』とか『隅田川』とかいう演目だと花火はまずいのではないだろうか。主催者に一考を期したい。

下川社中は私と小川さんしか来ていないようである。先生の『野守』に大拍手を送るという社中のおつとめをきちんと終えて、二人で三宮に出て生ビールを呑む。

話題はストレスフルな院生生活について。

私がいかにしてそのストレスフルな時代を乗り切ったかについて経験談を語る。

とにかく「そんなん、知らん」「そんな本、読んでない」「それ、誰?」「どーでもえーやん、そんなこと」というベタなガードで行くしかない、というのが私のアドヴァイス。

だいたい「みんなが知っていること」は知る努力を要さないと私は考えている。「みんなが知っていること」は「空気」のように伝播するので、勉強しなくても何となく「わかる」からいいのである。

したがって努力は「私が知りたいこと」を知ることだけに集中すればよろしい。だいたい「私が知りたいこと」は新聞とか雑誌とかには出ていないし、ふつうのおじさんたちはまず知らないことなので、いろいろと調べに工夫がいるのである。

そして、私が切実に知りたいことは、みんなが知らないことで、知る必要も感じていないことが主なので、調べがついたところで、人に話す機会というものがない。

したがって私は「***って知ってる?」というような質問を発することができないのである。

だから、対世間的には「何も知らないバカ」だと思われるリスクを負うことになるが、まあ、それはストレスを回避するコストとしては仕方がないわな、というのが私からのアドヴァイスである。

小川さんは私が手塩にかけた弟子であるので、その点、呑み込みがはやい。

「なんだ、そーなんですか。だから先生は・・・・」

「ははは、そーなんだよ。ははは」

とお気楽な師弟の笑い声は夜の三宮に響いたのであります。

8月20日

合気道部の「新人歓迎会」。

新入生は6月に歓迎会をしたが。その後、三人メンバーが増えたのである。

東大気錬会の三代主将の松岡さんが(北澤さんと入れ替わりで)司法修習生として先月から関西においでになっている。女学院大学OGの金子さんとそのお友だちの振角さんが先月から入門。それに、イタリアでの多田塾合宿を終えて強力にパワーアップした林佳奈さんの帰国報告会をかねての宴会でありました。めにうは「地中海風」。

大騒ぎのはて、5人がそのまま我が家に沈没。K川さんのセクハラおやじ呪殺行とKすさんの「告白」問題を中心に深更にいたるまで盛り上がる。いずれもK奈ちゃんマジックをつかえばたちまち解決するのであるが、四年生たちはまだ魔法を習得していないのでいろいろ苦労が多いのである。

しかたがないのでその場でただひとりの男である私が(ダボラをまじえつつ)「男の子はこれでイチコロ」の秘法伝授を行う。

みんな懸命にノートをとっている。なんていい子たちなんだろう。健闘を祈る。

8月19日

仕事をしないで一日無為に過ごすことに決める。机にむかっているとときりがないからね。

朝寝して、朝御飯を食べてから、また昼寝をして、のそのそ三宮へ繰り出して『ミッション・インポシブル2』を見て、家へ帰ってビールを呑んで鰻を食べて(これは合気道会からのお中元。みなさんごちそうさま)、ワインをのみながら『踊る大捜査線』の再放送見て(ビデオにタイマー録画しておいてたの)、『屍蘭』を読みながら寝る。

実に充実した「ごろごろ」の一日でありました。

しかし、さすがに二週間近くお稽古をしないで、ごろごろと三食食べて昼寝をしていたら、でぶになってしまった。今日から心を入れ替えて稽古に励まねば。

Japan Quarterly の武道論をメールで送る。竹信編集長から「OK」がでたので、これで一件落着。

ということで、レヴィナス論の第一章「レヴィナスとフェミニズム」の執筆にかかる。

序章「レヴィナスと〈出会い〉の経験」だけで100枚も書いてしまった。フェミニズム関係も書き出すと長くなりそうである。

このあとには「レヴィナスとポストモダン」「レヴィナスとラカン」「レヴィナスとサルトル」「レヴィナスとブーバー」などの大ネタが控えている。このペースで書くと軽く1000枚を超えてしまう。(そんな厚い本誰も買ってくれない)

どうしよう。困った。

この本の「つかみ」はこんなふうに始まる。

「これはレヴィナスの研究書ではない。なぜなら私はレヴィナスの研究者ではないからである。私はレヴィナスの崇拝者である。この本はすべてレヴィナス思想の擁護と顕彰に捧げられている。」

「私は***の専門家ではない」という限定をつけて書き出す人は多い。「私なりに読み進めてきて、世にいう専門家たちとは異なる感懐を持った。その思うところをここに記しておきたい」なんてね。

こういうのはちょっと飽きたぞ私は。

かといって、私は「***の専門家である。諸君らドシロートには分かんだろうから、私が噛んで含めるように教えて進ぜよう。はい、お鳥目ちょうだい」などというのはあまり品がよろしくない。

むずかしいものである。

というわけで人文科学の分野では前代未聞の「自称弟子による師匠をひたすら讃える本」というのを書くことにした。

もちろん本人が気づかないうちにそういう本になってしまっているものはいくらもある。しかし本人がはじめからその気で書く学術書というのはあまりない。

「あまりない」ものが私は好きだ。それが自分の書く本であって、さえ。(倒置による強調)

8月18日

日比さんがお弟子さん一名をつれて来宅。

日比さんは日文研で武田泰淳の研究をしている若手の研究者。小川さんの一年先輩である。お弟子さんは阪大の一年生。(博士課程の院生でもう弟子をとっているというところが日比さんの偉いところである。)

若手の研究者のつねとして学界、論壇、文壇の旧弊陋習について激しく悲憤慷慨する。若者が憂国の熱弁を滔々と論じるのは実につきづきしいものである。

今のシステムを全部ひっくり返さなくちゃだめです、というような話は私のもっとも好むところであるが私は立場上そういうことを口にするわけには行かない(なにしろそのシステムから受益しているわけであるから)。したがって、若い方のラディカルな発言を聞いて溜飲を下げるのである。

このところ、内浦さん日比さんと続けて若い方とお話をして見て「カラタニ」というひとと「ハスミ」という人がこの世代にとってかなり規範的に(悪く言うと)抑圧的に機能していることが窺えた。

柄谷行人も蓮實重彦も、私にとっては規範的でも抑圧的でもない方々であるが(よく知らないので)、柄谷行人さんとは一回だけニアミスしたことがある。

1974年の五月祭のときに、五月祭運営委員のかわいい女の子が私のところにやってきてシンポジウムに学生代表のパネラーとして出席してくれないかと頼んできたのである。私は今も昔もお祭り騒ぎはだいすきなので、もちろん快諾した。

「で、ほかにどんな人がでるの?」

「カラタニコウジンさんです。いまうちの大学でカラタニさんと勝負できるのは私の見るところウチダさんだけですから」

「カラタニさん、て誰?それ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・あ、いいです。今の話はすべてなかったことに」

ということで私は人前でバカをさらさずにすんだのであるが、それにしてもいったいあの女の子は(見ず知らずのひとでしたが)いったい、なんで私に白羽の矢を立てたのか、いまだに謎である。

日比さんは「弟子持ち院生」であるだけでなく、『群像』に批評を書いたりする若手論客でもあり、私と違って「誰、それ?」とか「え、知らんもん、そんなの」とか「読んでないの、にゃん」とか言ってフケるわけにはゆかないので、いろいろ大変らしい。

若い人にはがんばってほしいものである。

8月16日

冬弓舎の内浦亨さんと初会見。

待ち合わせはいつものように梅田の紀伊国屋の哲学コーナー前。(ここと日本文学コーナー前がもっとも人が少ないのである。)

そこで自著を手にとってへらへらしている男(短髪、長身、ごつい)がいたら、それが私です、という目印をご連絡しておいた。

ところが哲学コーナーに『現代思想のパフォーマンス』が見当たらない。探してみたが私の名前が出ている本は『観念に到来する神について』だけしかない。しかし、『観念に到来する神について』を立ち読みながらへらへらするのはいろいろな意味で難しい。さいわい、哲学コーナーには私一人しかいなかったため、内浦さんはちゃんと私を見出してくれた。(『現代思想のパフォーマンス』は書棚の裏側「思想」のコーナーに3冊並んでいた。内浦さんはそこで空しく待っていたのである。)

さっそく名刺の交換などとすませつつ生ビールで乾杯。

内浦さんがどのような経緯で私のサイトにたどりついたかについて面白いお話を聞く。

阪大を出て鳴門教育大学の助手をしている音楽学研究者の増田さんという方のホームページのリンクでみつけたのだそうである。

その増田さんのリンクを訪れてみたら、そこに一行コメントがあって、「神戸女学院大教授、内田樹氏のサイト。敢えて言う、最も正しい世界への対し方がここにある。オレはこんな大人になりたいのである。」

こ、これは凄い。

「敢えて言う」というのに妙に説得力がある。これでは内浦さんならずとも思わず読んでしまうであろう。増田さんのこの一言がご縁で本が出ることになったのであるから、増田さんにはお礼の申し上げようもない。本が出たらお送りしますから住所教えて下さいね。(増田さんのサイトもめちゃ面白かったです。「お待兼」の対談には大笑い。)

ともあれお若い方から「こんな大人になりたい」と言われて内田はいまもーれつに感激しております。

そうやって増田さん経由で内浦さんは私のホームページにたどりつき、そこで「18歳で岸田秀、19歳で蓮實重彦に出会って以来の衝撃」を受け、「私の力でこの人の本を世に出そう」と決意されたのである。

わがことながら感動的なお話である。

今度、本になるのは、内浦さんがホームページの2メガバイトのテクストの山から拾い出してくれたのは23編。戦争論からカミュ論まで多種多様なテクストが含まれている。それを内浦さんが「戦争論/戦後責任論」「フェミニズム論/ジェンダー論」「物語論/他者論」の三つのテーマ別に配列してくれた。そう思って通して読むと、なんとなく、それらしく話のつじつまが合っている。

「売れるでしょうか?」

という私の気弱な問いに、内浦さんは「大丈夫です」と声を励ましていた。

内浦さんは数年間バイトでこつこつと稼いだ出版資金を一発勝負で私に賭けるわけである。売れなくては申し訳が立たない。みんな買って下さいね。一部と言わずに二部、三部。

題名は『ためらいの倫理学』と決定。

巻末のカミュ論の題名をそのまま使い回すことになったが、私の書き物すべてに共通する「決然たる不決断」「徹底的な中途半端性」という姿勢が表現されていて、これでよろしいのではないか、ということになった。

副題は内浦さんがつけてくれるそうである。どんなのがつくか楽しみである。

原稿のFDをお渡しして、これでこの本の仕事は一段落。

あとはコリン・デイヴィスの翻訳の校正を終わらせ、Japan Quarterlyに寄稿する武道論の書き直しをして、イスラエル文化研究会の原稿50枚を書き上げ、せりか書房のレヴィナス論を仕上げれば、今年の夏休みの仕事はとりあえず完了である。

大学の先生の夏休みはこのように過酷なスケジュールのもとに過ごされているのである。お昼ご飯のあとにくーすか昼寝をしたり、そのあと、カウチでごろ寝しながらBSでマルクス兄弟の映画を見たり、『踊る大捜査線』の再放送を見たりしているのはね、あれはちょっと休憩しているだけなの。

8月15日

終戦記念日。

この日になると、あの暑い日を思い出す。小学校の校庭に集められて聴いた雑音まじりの玉音放送。

「ああ、これで戦争が終わったんだ」という安堵感がゆっくり身体にひろがっていった。

みたいなことを言うと「へえー」とか感心する学生がいる。

まったく簡単に人の話を信じるなよ。

この人たちからすると、1950年生まれだろうと、1940年生まれだろうと、どっちも「ジュラ紀と白亜紀とどっちが前?」的太古に属するのであろう。何を言っても「あ、むかしはそうだったんですね」で済まされてしまう。

この分では「おれの子どもの頃って、まだ検非違使庁が町内にあってさ、万引きとかするとお白州で百たたきされたあとに、おでこに『犬』とか入れ墨されちゃうわけよ」くらいのことを言っても信じる学生がいるかもしれない。

一昨日実家で老両親が珍しくTVの歌番組をみていた。NHKの懐かしのメロディ番組である。

そこに並木路子や岡本敦郎といっしょにヴェンチャーズが出ていた。なるほど「リンゴの歌」と「パイプライン」は「同一ジャンル」の楽曲として現在はカテゴライズされているわけだ。

これを見た若い視聴者には、これらの歌手たちのあいだにどれほどの時代差があるかは分からないだろう。

と、書いてちょっと気になってきた。

ほんとうに私が思っているような「時代差」が存在するのだろうか。

というのは、私は1950年生まれであるが、1960年頃にはエルヴィスを聴いており、『お富さん』(@春日八郎)とか『達者でな』(@三橋美智也)とかいう同時代のヒット曲については、リアルタイムでラジオで聴いていたはずであるにもかかわらず、その当時からすでにずっと「昔の歌」だと思っていたからである。

つまりリアルタイムで聴いている楽曲のうち、私が選択的に「同時代の音楽」と決めつけて聴いているものと、「古い音楽」として耳を塞いでしまったもののあいだには擬似的な時間差が作り出されていた、ということである。

私は勝手にヴェンチャーズは「今の音楽」で、並木路子は「昔の音楽」だと思い込んでいただけで、実はこれらは同時代の音楽だったのである。

現に、レコード発売年は15年くらいしか違わない。1985年のポップスと2000年のポップスのあいだに「時代の差」があると私は思っていない。なのに「リンゴの歌」と「パイプライン」のあいだには半世紀くらいの間隔があると思っていたのである。

人間の時間意識というのはずいぶんと主観的なものなのだ。

鈴木晶先生の電悩日記に面白い記事があったので、転載しますね。

「余談ながら、新型のパソコンをほめて、自分のパソコンの悪口を言ったりすると、怒って動かなくなる、という話はよくきく。体調がわるいときにはパソコンの調子もわるくなる、という話もきく。「非科学的だ」と言われるかもしれないが、そういったことは現実に起きるのである。精神状態がぐちゃぐちゃになったときに、なんとハードディスクがクラッシュしてしまった、という友人がいる。マックの前でお祈りをしている人もよく見かけるが(「今度こそちゃんと起動して下さい!」)、祈りは概して通じるようである。」

私も鈴木先生同様に「機械だって人間だ」という信念を堅持している。

私がパソコンやプリンターのまえでお祈りをしている姿はしばしば目撃されているが、なぜお祈りするかというと、「祈りが概して通じる」からなのである。二礼二拍一礼ときちんと手順を踏んで、私は「プリンターさま、私がわるうございました。どうか動いて下さい。お願いします」と祈祷を捧げるのである。すると、さきほどまで身動きしなかったプリンターがことことと作動しだすのである。

私が「機械には心がある」と思うに至ったのはバイクに乗り出してからである。

私はご存じのようにメカに弱い。従ってバイクの「お手入れ」ということができない。(一度調子に乗ってタイヤやチェーンを外して掃除したあと、タイヤがはまらなくなってバイク屋までずるずる引きずっていったことがある。それ以来やらない。)

だからバイクのエンジンの調子が悪くなっても私にはできることがない。そこで私は祈るのである。祈るだけではない、バイクを「愛撫する」のである。(「磨く」とも言う)。バイクのタンクを磨き上げることとエンジンの性能のあいだには何のメカニカルな関係も存在しない、とあなたは思うであろう。これが違う。ぴかぴかに磨かれ、私の愛撫を受けたバイクはキーを回すと「くるるるる」と快調な音を出して復活するのである。

雨の日や夜のツーリングで道路のコンディションが悪いとき、私は信号待ちしながら優しくバイクに語りかける。「しっかり走ってね。おいらの命は君に預けているんだからさ」するとバイクは「くるるくるる」と律儀に応えるのである。

私がバイクを「ただの機械」だと思っていた間、私はしばしば転倒し、怪我をした。

私がバイクを「人間」だと思ってからあと、私は一度も、ただの一度も転倒したことがない。(すでに15年になろうとしている。)

横から飛び出してきたベンツにぶつけられてチェンジペダルが左足に突き刺さったときも、私の愛車GB250クラブマンは怪我人(私のこと)を載せたまま必死にバランスを取り、路肩に停止して、それから息絶えた。哀号。

無生物は生きている。(と言っているが本当だろうか@竹信悦夫)

8月14日

「法事」を終えて帰神(ってなかなか宗教的な語感でよろしいな)。

今年の久保山裕司メモリアル・キャンプの参加者は久保山みーちゃんと航君のご遺族+伊藤茂敏(某石油会社社史編纂室)+竹信悦夫(某高級英字誌編集長)+澤田潔(某フィルムメーカー・エグゼクティヴ)とご令息、それに私である。これに太田泰人(某美術館学芸員)と行方正佳(某銀行員)と濱田雄治(某香港商人)が加わると「東京大学蛍雪友の会」が揃うのであるが、連絡がつかなかったり、自己決定権を家人に奪われたりしていて、あとの三人は参加できなかった。

こういう集まりに来ることが出来るオジサンというのは、暇なわけではなく(現にみんなご多用中万障お繰り合わせの上のご参加である)、現実には「妻が(戸籍上ないし事実上)いない」ひとに偏るようである。

今年は例年になく天候に恵まれが。深夜に二度ほどぱらついた他はみごとな青空と星空であった。

湖水がきらめき、緑陰を透かして青空と男体山が見える。そこに無精ひげを生やしたオジサンたちがごろごろと朝から深夜まで「よしなしごと」を果てしなく語り続けるのである。

ときどきのそっと立ち上がってコーヒーを沸かし、ビールのプルリングを引き、ワインのコルクを開け、ご飯をつくり、昼寝をし、(竹信君が持ち込んだ)数字パズルに興じ、散歩しつつ、よくぞこれだけどうでもいい話題だけを選択的に語れるものだと感動したくなるほどに無駄な話を延々と続けるのである。

しかし、このいかなる功利的動機とも無縁な無駄話を自然の中で二日二晩継続することには、あきらかにリラクゼーション効果がある。

地面の上にじかに寝て、風呂にも入らず、顔も洗わずにテントからぬっと顔を出して、そのまま地べたにしゃがんでアルミの食器でずるずると豚汁を啜るような「難民キャンプ」状態がもたらす「ある種の人間としての尊厳の放棄」には言いしれぬ快感がある。

ずいぶん前から、もう年だし、雨露もきついから、キャンプはやめて温泉にでも行こうか、という提案が間欠的になされるのだが、ついに多数の賛同を得ることがない。

おそらく私たちは単純に「ほっこりする」ことや「自然を満喫する」ことを求めているのではなく、もっと積極的な「無為」の状態を求めているのであろう。

それは私たちと他のキャンパーたちのスタイルの違いで分かる。

よそのキャンパーたちは80%が核家族で来ている。彼らは隣のテントとしっかり境界線を仕切って、自分たちの「土地」に山のようなキャンピング・グッズを持ち込んでくる。4畳半くらいもある巨大テント、まばゆいばかりの照明、かさばるリビングセット、火力の強いガスコンロ。

彼らがキャンプサイトに大荷物を持ち込むのは、そこで「ふだんの生活と同じように暮らす」ためである。

どうしてふだんの生活と同じようなことを山の中にまで来てしたいのか、それが私にはよく理解できない。

この人たちは、わざわざキャンプ場までいつものメンバーで、いつものように暮らすために来ている。だから、さっぱり楽しそうではない。無言でもそもそとご飯を食べて、それがすむとすることがないので、(TVがないから)8時ころにはみんな寝てしまうのである。

みなさんがつまらなそうであったり、早く寝るのはいっこうに構わないのであるが、私たちは「非日常的キャンプ」に来たせいで異常にはしゃいでいるから、8時から寝るわけにはいかない。夜が更けるにつれ、ますます調子が出てきて、大爆笑を重ねていると、毎年近隣のキャンパーから「うるさい!何時だと思っているんだ」とどなりつけられる。(今年も怒られた)

まったくはた迷惑な連中である。

そんなに静かに寝たいなら、家に帰って、自分の寝室で寝なさい。

私たちのような二家族以上の合同キャンプという形態をしている人たちは、ほとんど見かけない。学校や職場の仲間同士のキャンプというのも少数派である。

「核家族」の天下である。

正直に言わせてもらうけれど、核家族で行動する人たちは周囲から見るとあまり感じが良くない。

夫婦ふたりとか親子ふたりとかいう単位で行動する人たちには、ある種の「開放性」があって、隣の人と気楽におしゃべりしたりするのだけれど、夫婦と子どもという単位になると、とたんに排他的な集団になってしまう。そこだけ自閉した空間がつくられてしまい、まわりは「他人」、他人は潜在的には「敵」、というようなバリアーが張られてしまう。

そのバリアーを外から感じるのも不愉快であるが、内側にいる閉塞感もずいぶん重苦しいのではないかと思う。

核家族というのはもはやその歴史的使命を終えた制度ではないのだろうか。(一夫一婦制もね)

8月8日

また新聞記事ネタで申し訳ないけど(家から出ないし、TVも見ないので、外界の情報は朝日新聞だけなのよ)

家庭欄の「お父さんの夏休み」というシリーズ記事の第一回目に不思議なことが書いてあった。

兵庫県姫路市の団地に住むお父さん(30)は、マックでHPをつくってそこに妻の悪口を書いているのだそうであるが、「ストレス発散に書いたエッセイが三年間で24回。三、四十代の男性に支持されて、百四十万回のアクセスを誇る人気ページとなった」そうである。

ほんとだろうか?

三年間に24回しか更新しない(6週間に1回ペースだな)素人さんのHPに140万のアクセスがあるというようなことがあるのだろうか。

私が訪れるHPでいちばんヒット数の多いのはハリウッド・スター・ゴシップ専門の「じごくみみ」であるが、これが51万。その次が「私のアイドル」小田嶋隆のサイトで31万。るんちゃんの「お気に入り」でチェックしたらいちばんヒット数が多いのが「くるりon web」で28万。

ということはこのお父さんは「くるり」の五倍人気者ということである。

24本のエッセイに140万のアクセスということはエッセイ1本あたり5万8千人の読者がいるということである。すごい。朝日新聞はなぜこのひとのエッセイ集を出版しないのであろう。

でもなんとなく朝日新聞のインターネット関連記事というのは信用できない。カウンターの故障なんじゃないの。(と書いたあと、「呉さんのホームページはめちゃ面白いですよ」というご通知を頂き、さっそく訪問してみる。おお、これは面白い。呉さんはMacフリークたちのあいだでは、すでに著名な方なのでした。私が訪問したときはすでに150万。すごい。1週間に10万アクセス。それでは呉さんも気合いがはいることだろう。)

と書いたあと、次の日の新聞に「ネットでネズミ講」の記事があった。それに関連して、あるホームページの主催者が「うちのBBS一日1500人のアクセスがあるので、書き込みの内容までは管理できません」とインタビューに答えていた。

一日1500人がBBSに書き込みをしていたのでは、たしかに朝から晩までスクロールし続けていても読み終えられないだろうが、1500というのはアクセス数であって、「書き込み数」ではない。管理上問題なのは「書き込み数」の方であって、アクセスなんか1日に15億あったって、サイトの管理に支障はない。(あるかな。分かんないや)

無意味なデータを出してひとをケムにまいておいて、関係のない結論に落とすというのは、なんとなく報道姿勢として「よくない」ような気がするよ、おいらは。

というところまで「クラリス・ホームページ」で書いて、アップロードしてから、ちゃんとアップロードできているかどうかをチェックしたら、自分で30000をゲットしてしまった。なんだか20000から30000までがずいぶん早かったような気がする。(4ヶ月くらいかな?)40000はいつごろだろう。一日100アクセスがあると年内にはいけそうである。

アクセス・カウンターがくるくると回って行くのはピンボールマシンのカウンターがガシャガシャ回るのと同じようになかなかうれしいものである。(いくらふえても腹の足しにならない、というところも同じだ。)

明日から、東京。東京といっても東京は通過するだけで、日光中禅寺湖で恒例の「久保山裕司メモリアル・キャンプ」を営むのである。

このキャンプは96年暮れに亡くなった私の大好きな友人が70年代に伊藤茂敏君ご夫妻とともに始めた季節行事。私は1985年ころから参加。(例によって、私はいちどはじめたことをやめないタイプなので、以来15年間皆勤)

久保山隊長の指導のもとに野営をして、ご飯を炊き、黄昏に見入りつつバーボンなどを啜り、夜の更けるまで清談に時を過ごすというたいそう風雅な行事である。

毎年必ず夜になると大雨になり、全員レインコートをまとって、ずぶずぶに濡れつつ、さらに執拗に清談する、というのもなかなかにつきづきしいものであった。(今年も台風が近づいているから、大雨になりそうだ。)

その雨中での酒盛りがあるいは遠因となったか、90年代のはじめに隊長は骨髄の病気で入院。以後、入退院を繰り返した。それでも夏になると、闘病の床から起きあがって、いっしょにキャンプに繰り出し、ふだんは控えていたお酒もちょっと過ごし気味で、そのときはほんとうに愉快そうだった。

その久保山君が亡くなったあと隊員たちは遺児の航君を隊長の後継に指名、彼が成人するまで、その後見をして「立派に隊長の跡目を継がせる」ことを死せる友人に約したのである。

というわけで、久保山ジュニアとみいちゃん(妻ね)を囲んで、私と伊藤君ご夫妻、澤田潔君親子、竹信悦夫君などが今年も集まる。ただ集まって、ごろごろして、ビールをのみながらたき火をして、ぼんやり暮れなずむ湖をみつめつつ、みんな大好きだった友人を偲ぶのである。

こうやって毎年私たちは「お盆」を過ごすのである。

というわけで、お盆が終わるまで、ホームページは更新されません。みなさんもよいバカンスをお過ごし下さい。

8月7日

下川正謡会の歌仙会が無事終了。

忙しい一日であった。素謡『草子洗小町』の「立衆」から始まって、素謡『殺生石』の地謡、『猩々』のお仕舞。素謡『盛久』の地謡、素謡『富士太鼓』のワキ、仕舞『熊野』、『花筺』、『菊慈童』の地謡、素謡『正尊』の地謡、自分の舞囃子。仕舞『野守』、『砧』、『山姥』の地謡、素謡『鞍馬天狗』の地謡・・・と私が舞台に出なかったのは素謡『藤戸』と『鉄輪』だけ。

下川先生は「歌仙会は修業の場です」とおっしゃっていた。たしかに一週間分くらいのお稽古をまとめてやった感じである。

その前日、先生には家の近くの焼肉屋で上ロースと生ビールをしこたまごちそうになった。これが翌日のスタミナ源をあらかじめ補給して下さったのだ、という師の深慮遠謀に気がついたのは会が終わったあと。

しかし、とにかく一日謡ってヴァイブレーションが全身に行き渡っているので、体調がたいへんによろしい。

舞囃子『猩々』の本番は来年の6月である。あと10ヶ月間、ひとつの舞囃子だけを稽古するのである。舞は奥が深い。

8月4日

鈴木晶先生のHP電悩日記に「神戸で内田樹先生に会う」の巻がアップロードされていた。

自分のことを書かれるのを読むのは、身も細るというか、身の置き所のない経験だが、その中で鈴木先生が「内田先生は『自分の頭でものを考える人』である」と書いて下さったのと、これから「ブレークする」という予言をして頂いたのに感激。嬉しいお言葉である。

「ブレーク」というのはどういうふうなことなのであろうか。

その昔レヴィナス先生の『タルムード四講話』の翻訳が「朝日読売毎日」三大紙書評欄制覇という偉業をなしとげたとき、「おお、これで私もメジャー入りか」と錯覚したことがあったけれど、あれは「レヴィナス先生」のご高名ゆえであって、別に私が偉いわけではない。

しかし、その余沢で、いくつかの書評紙や雑誌から寄稿を頼まれるようになった。ところが、これが「一回書くと、次の注文が来ない」のである。

私の文章は、ご存じのとおり、ひらかなが多く、改行が多い。白すぎて、紙面に「ぽっかり」穴が空いたようになってヴィジュアル的に具合が悪かったのかもしれない。

『現代思想』とかそういうメディアには私のような「サルにも分かる」書き方は好まれないのかもしれない。

それに聖書の引用で一回致命的な変換ミスをしたことがある。「私は塵であり、灰である」というところを「私は地理であり、灰である」とやってしまったのである。気がつかなかった私も悪いが、編集者も不注意だよね。いずれにせよ読者からはバカだと思われたに違いない。

ともかく、業界メジャー誌からの原稿依頼は1995年頃を境にして、ぱたりと絶えた。(マイナー誌からも、もちろん、ない。)

しかたがないのでHPで「健筆」をふるっている。

誰からも原稿依頼がないなら、自分で自分に原稿依頼をする、という自力更正のスタンスは、「誰も雇ってくれなかったので、自分で会社をつくった」25歳のときから変わることのない、私の基本姿勢である。

しかし、ここにきて、畏友松下正己、難波江和英のご両人が相次いで「本出すから、内田君も何か書きなさい」と私にオッファーしてくれた。私は紀要に書いてそのまま誰にも読まれぬまま退蔵されていた映画論の旧稿と、3年前の「フランス文化論」の講義ノートをぴぴっと直して「はい、原稿できました」と渡しただけ。編集者との交渉とかビジネスマネジメントは全部「畏友」の担当である。実にらくちんな仕事であったが、おかげで本が二冊出た。

そこに今度、冬弓舎の内浦さんという奇特なエディターさまが私のHPをふと訪れて、いかなる気の迷いか、バカエッセイを単行本にして出しましょうという話が降って来た。(ありがたいことである。合掌。)

これも「ありもの」の原稿のコンピレーションである。

いま、初校を直しているところなのであるが、本の題名が決まらない。

『Simple man, simple dream』というのがもとの題名なのであるが、これでは何の本だか分からない。内容は内浦さんが、私のHPに散乱する2メガバイトのゴミテクストの砂漠から拾い上げたジェンダー論、戦争論、ポストモダン批判、などの微量の商品化可能テクストである。

『私もいろいろ考えた』では誰も買ってくれそうもないしね。

この本をきっかけに鈴木先生の予言する「ブレーク」が始まるはずなので、題名にはちょっと凝ってみたい。

アイディアのある人はメール下さい。採用者にはできた本を一部贈呈します。

 

日本水連を提訴していた千葉すず選手に対してCASの裁定が下った。

この件について、私は事情をよく知らないけれど、報道が圧倒的に「千葉すず」支持であることはよく分かった。

今日の朝日新聞だと、千葉すずの涙をこらえる表情のアップが一面。涙眼にフォーカスを合わせて、顔半分はソフト・フォーカスというCMフォトみたいな仕上がりである。いっぽう、水連の古橋広之進会長はスポーツ面中央で、眉をしかめ、前歯をむき出して噛みつきそうな渋面をつくっている。

報道を徴するかぎり、私も千葉すず選手に同情的であるが、何もここまで差別することはないような気がする。千葉すずの泣き顔がフォトジェニックだから、というので一面に載せたのは理解できるけれど、古橋会長の写真からはほとんど朝日新聞の悪意しか感じられない。

記事そのものは公平たろうと意識しているが、「識者の意見」は水連批判ばかりだし、写真がこれでは、読んだ古橋会長の憤慨はいかばかりであろう。

べつに私は新聞は公平たるべし、なんて言っているのではない。

ただ、こういうふうな遠回しな「不公平」のやり方に何となくいまの「いじめ」の構造によく似たものを感じてしまうのである。

相手が傷つくようなことをしておいて、「私にはそんな気はありませんでした」と言い逃れることができるように逃げ道をつくっているのが「いじめ」の特徴である。

そういうメンタリティがいま日本中に蔓延している。

そして、天下の朝日新聞が、「いじめはやめましょう」とかいいながら、その紙面で堂々たる「いじめ」を行っている。

公正を装う不公正、中立性を装う党派性、そういうものがいちばん醜く、有害である。

千葉すず事件は、そういう日本の体質を批判していたはずではなかったのだろうか。

それを報道する新聞が、その体質を再生産してどうするつもりなのであろう。

8月3日

ついに「メル友」鈴木晶先生にお会いする。

鈴木先生は神戸でやっているダンス・コンテストの審査員として来神されたのである。

さっそく新神戸オリエンタルホテルにお出迎えに参上し、北野坂の「オールド・ホンコン・レストラン」でご会食、その後河岸を替えてバーでジャック・ダニエルズなどをいただきつつ、清談。

まさに「清談」というにふさわしい雅味あふるるひとときでありました。

いやー、楽しかった。5時間ほど二人でしゃべり続けていたけれど、その間に「うーん、ちょっとこれは意見が違うな」と思うことが一つもなかった。

女子高生の会話じゃないんだから、なんでも「そーよねー」というようなイージーな対応はしたくないのであるが、5時間のあいだ、私はずっと「そーそー、そーなんですよ。まさにそれこそ私が言いたかったことなんですよ」と忙しく頷き続けていたような気がする。

鈴木先生どうもありがとうございました。楽しかったです。

また飲みましょうね。

8月1日

朝日新聞の朝刊の「eメール時評」にイ・ヨンスクという一橋大学の先生がインターネットについてすごくつまらないことを書いていた。

こんな論理展開である。

「これまで少数の特権的な人たちだけが独占していた知識や情報が、今では簡単にネットを通じて得られるようになった。その意味ではインターネットはたしかに自由で開かれた空間である。」

しかし、「この開かれた空間がたちまち陰湿な暗闇に変わってしまうことがある。」

「インターネットのなかでは、ことばと人間の結びつきが断ち切られるためであろうか、だれのものでもない言葉だけが浮遊する。そのことばを発した現実の人間がだれかをつきとめることは、相当にむずかしい。そうなると、ことばのなかにひそんでいる暴力性だけが肥大化していくことになる。」

「また、不思議なことにインターネットは人々を幼児化させるらしい。普段は無口で慎重な人でも、なぜかネットのなかでは幼稚で子供っぽいおしゃべりをすることがある。」

「さらに困ったことには、明るい昼間の社会ではけっして口にできない赤裸々な表現や差別表現や中傷が大量に流出してくる。こんなときインターネットは、社会のなかで抑圧された欲望を噴出させるやみのチャンネルと化する。」

これはインターネットについての「左派的知識人」のきわだって定型的な口吻であり、私はこのような定型的なことばを繰り返して、なにごとか啓蒙的なことを言っている気分でいるひとにいささかうんざりしている。

この文章の前段はまず間違っている。

現在インターネットによってアクセスできる情報は決してこれまで「少数の特権的な人たちだけが独占していた知識や情報」ではない。

「独占されている情報」で、「独占しているひと」が公開する気のない情報には、これまでもこれからも、インターネットを使おうと何をしようとアクセスできない。

そして、社会の成り立ち方や世界の機能の仕方にかかわる枢要な情報のかなりの部分は依然として公開されていない。(JFKの暗殺についてのウォーレン委員会の報告書は80年間非公開であり、その膨大な資料は国立公文書館にいまでも「アナログ」のかたちで保存されている。ハッカーが逆立ちしてもアクセスできない。だって紙に書いてあるんだもん。)

インターネットでアクセスできる情報は、これまでも「手間さえ惜しまなければ誰でも手に入れることができた」情報である。その「手間」が飛躍的に縮減された、というだけのことである。

こういうあまり意味のない「前ふり」に私が噛みつくのは、この中でまるで「情報を独占する少数の特権的な人々」が実体として存在していることが自明であるかのように書かれているからである。

「情報が公開されていない」ということと「情報が一部の特権集団に独占されている」ということはずいぶん意味が違う。

ある種の情報が公開されていないことは事実である。(例えば、私の私生活についての情報は公開されていない。みなさんが読んでいるのは私のつくった「おはなし」である)だからといって「情報が一部の特権集団に独占されている」というふうに私は考えない。

「情報を独占する少数の特権的な人々」というのがもし存在するとしたら、その人たちが「情報の独占」を通じて行う最初の仕事は「情報を独占している少数の特権的な人々が存在する」という情報の完全な消去のはずである。

しかし、彼らはそれに成功していない。(だって現にイ・ヨンスクさんがその「情報」を握っており、結果として800万人の朝日新聞読者も知っているからである。)

だとすると、「情報を独占しているとされる少数の特権的な人々」は、あまり効果的には情報を独占し得ていないということになる。

これは論理矛盾ではないだろうか?

もちろん、「情報を独占する少数の特権的な人々」が非常にクレヴァーである場合は、自分たちの存在をカモフラージュする最良のマヌーヴァーは、私がいましたような推論によって「そんな集団なんか存在しない」と人々に結論「させる」ことだ、と気がつくということはありうる。

その場合は、イ・ヨンスクさんは(自覚的であると否とを問わず)その「特権集団」のスポークスマンとして機能しており、そのプロパガンダ活動の一翼を担っていることになる。

さて、彼女はどちらなのであろう。「存在しない悪者を批判している」のだろうか「彼女自身が悪者の一味」なのであろうか。

まあ、「前ふり」のことはよろしい。

問題は、本論のところである。

私はインターネットでホームページを開いて一年半になる。アクセス数はそろそろ3万に近づいてきた。BBSもずっと公開している。

しかし、この「開かれた空間」が「たちまち陰湿な暗闇に変わった」という経験を私はしたことがない。

ホームページを開く前は、もしかすると、知らない人からすごく暴力的な書き込みとかされたら傷つくだろうな、という不安があった。しかし、まあ、そういうリスクを折り込んでやらないと、ホームページなんか開けない、と腹をくくったのである。

このホームページそのものはけっこう「暴力的」である。

私はいろいろな個人や制度の悪口をさんざん書いている。

当然、それをこころよく思わず、「てめー、でけー口きくんじゃねよ」みたいな品のないメールが来たりするかしらと思っていたけれど、これが過去一年半に「一度もない」。(「じゃあ、今日、おれがやってやるよ」とか決意しないで下さいね。おねがいね。)

「ことばのなかにひそんでいる暴力性だけが肥大化していく」ということは(ネットに限らず)文章で意見を表現しているかぎり、必ず起こる。

けれども、「暴力性だけ」が肥大化するとしたら、それにブレーキをかけるものがないとしたら、それは書き手と読み手のあいだに、「直接的な」コミュニケーションが存在していないからだと私は思う。

ネット上でのやりとりは「顔が見えない」から「直接的なコミュニケーションでない」というふうに私は考えない。

たとえ「顔が見えなくても」、メッセージの送り手が明確な「読者像」を持っており(私は持っている)、受け手の側に送り手の像がかなりはっきりと把持されている場合(私はそうなるように努力している)コミュニケーションは(その本質的な意味で)「顔と顔を向き合わせたもの」たりうると私は思う。

顔と顔が向き合っている限り、暴力性「だけが」肥大化するということは防げると私は信じている。(愛憎こもごも、というような事態はありうるだろうけれど)

もうひとつ、ネット・コミュニケーションでは、ある人が訪れるウェブ・サイトは訪れるその人自身の鏡だ、ということである。

その人の「お気に入り」「ブックマーク」はその人間の一面を実に端的な仕方で表している。

これについてはいつも明晰な小田嶋隆にかわって解説してもらおう。

「インターネットに関わり始めた人間は、ある意味で自分の内面を旅することになる。というのは、この世界が情報(つまり人間の脳味噌の中身を外部化したもの)だけで出来上がった世界だからだ。

つまり、あまねく広がった情報の海の中から自分に関心のあるものを取捨選択して行く過程は、自分の頭の中身を再確認する過程に他ならないのである。

私の場合、それは動物写真の収集であり、爬虫類情報の検索であり、ロックミュージックの歴史探訪であり、サッカーの試合結果の確認であり、あるいはそれらに関連する周辺情報の閲覧ということになる。つまり、これが私のアタマの中身なのである。

別の人間は、違う情報を集め、違う経路を歩き、違う関わり方でインターネットに臨む。

(・・・)

そりゃたしかにエロページしか見ない人もいる。

はじめっから最後までエロ一本槍の男もいる。

そういう人間にとっては、確かにインターネットは新種のエロネタに過ぎない。

が、世の中はそんな人間ばかりではないのである。

あなたのアタマの中身がエロオンリーだから、あんたのインターネットはエロしか映し出さないのだ。

『インターネットなんてつまらない』

と言っているあなた。つまらないのは、あなたの方ですよ。」(『パソコンは猿仕事』)

私はこの言葉をそのままイ・ヨンスクさんに転送したいと思う。

もし彼女にとってのインターネットが「普段は無口で慎重な」ひとが「幼稚で子どもっぽいおしゃべりをする」場であり、「明るい昼間の社会ではけっして口にできない赤裸々な差別表現や中傷が大量に流出」する場であるとしたら、それは彼女の中にある幼児性や暴力性にインターネットが感応しているのである。

そんなことはない、現に暴力的な言説が湧出しているサイトがやまのようにあるではないか、というのは反論にならない。

だって、私はそんなサイトに一度も出会ったことがないからだ。(何かの間違いで近づいてしまったときには「匂い」で分かるので、あとも見ずに逃げ出す。)

私にとって、そういう「感じの悪いサイト」というのは「肥溜め」と同じである。

「肥溜め」が臭いときに、「どうして肥溜めはこんなに臭いのだろう。どんな蛆が湧いているんだろう。何が腐臭を発しているのだろう」と好奇心にかられて首を突っ込むひとだけが悪臭を胸一杯に吸い込むのである。

「私は年中肥溜めにでくわす」という人は、単に「肥溜め」がありそうなところを選択的に歩いているということである。

インターネットが「社会の中で抑圧された欲望を噴出させるやみのチャンネルと化する」のは、「心の中に抑圧された欲望」のチャンネルを探してザッピングしている人の身に選択的に起こる出来事である。TVの場合と同じで、「やみのチャンネル」が見たくなければ、そのチャンネルにチューニングしなければいいのである。ある人にとって「インターネットがやみのチャンネル」であるのは、その人がそのようなチャンネルを選んでいることの結果であって原因ではない。

私にとってインターネットは「小学校6年のときに平川君とやっていた壁新聞の延長」である。だからそこには「抑圧された欲望」とか「やみ」とかは登場する余地がない。

インターネットというのは要するに「ヴァーチャルな世界」である。それがどういうふうに見えるかは、「現実の世界」がどういうふうに見えるかと同じで、見る人の視点によって決定されるのである。

世界のうちに「肥溜め」ばかりを見出す人は、要するに「肥溜め」が好きなのだと私は思う。