とほほの日々

The days of pains and regrets: from 1 Jan 2000



9月28日

『ユダヤ・イスラエル文化研究』に寄稿する原稿50枚を二日で書き上げる。

といっても、夏休みに書き散らしたレヴィナス論の山のような原稿(もう収拾がつかなくなっている)の第一章「レヴィナスと出会いの経験」100枚をばっさり半分に切って、論文一本にしたのである。

その前は「レヴィナスとフェミニズム」と題したカオスの山からショシャーナ・フェルマンについて書いた部分だけ抜き出して、『ためらいの倫理学』の書評の差し替え原稿に使った。

こうやって原稿のカオスの山にちょっとずつ分節線を引いて、論文を小出しにして、リボンをかけて包装すると、なんとなく「一丁上がり」という感じになる。

イリガライの悪口だけで100枚書いたが、これも「リュス・イリガライを駁す」とか題して独立した論文にするという手もある。

こうやって小売りした「小論文」をあとでまとめて「レヴィナス論」にすると、一粒で二度美味しいことになる。

「お奉行さま、さすがの悪知恵でございますな」

「ふふふ越後屋、資源リサイクルといってくれよ」

「バカとはさみは使いよう、ということでございますな」

「・・・」

 

昨夜は私の生誕50周年記念小宴会があった。

割烹小川主人の渾身の手料理を難波江先生、三杉先生、飯田先生とで堪能しようというわけである。

シャンペン、日本酒、ワインとごくごく頂きつつ、百合根と大原木長芋から始まるフルコースを食べ散らかす。メインは「土瓶蒸し」と「戻り鰹」。秋の京料理を心ゆくまで味わった。

教師が四人集まると、話は勢いの赴くところ同僚の悪口となる。ナバエさんはひとの愚劣さに触れると深い悲しみのうちに沈んで彼自身が傷ついてしまうタイプなので、惜しむらくは、その鋭利な知性を他人の悪口のために使わない。

というわけで、哀しみのナバエちゃんをわきにおいて、残る三人がもてる悪口雑言の語彙を競うかたちになった。口火を切るのが私、声が大きいのは飯田先生、舌鋒鋭いのは三杉先生。まことに、美味しい料理とお酒をいただきつつ、いない人間の悪口をいうのは無上の愉楽である。(と、鈴木晶先生もホームページできっぱり断言しておられた。)

そこに割烹亭主も料理を終えて乱入。国立の大学院の授業料が高すぎるといって夜空に怒りの咆吼が響いた。しかし、非人称の制度への悪口は、いまいちエッジがきかない。やはり悪口は固有名じゃないとねえ。

せっかく同学科の教員がおでましになったので、「ブルー・オクトーバー回避作戦」への協力をお願いする。「おさわがせパネラーズ」「極楽スキーの会」「合気道会」とさまざまなセクションでの遊び相手のみなさんであるから、私が消耗していっしょに遊ぶ元気がなくなることをたいへんに危惧してくれて、快くご協力の誓約をして頂いた。もつべきものは友である。

 


9月26日

「ブルー・マンデー」というのがあるが、新学期が近づいてきて、私は「ブルー・オクトーバー」状態である。

ああ、仕事がしたくない。

うちでごろごろ本を読んで、原稿を書くだけの生活があとせめて3週間続いてくれないだろうか。このままでは、未消化の仕事を山のように残したまま、また息も絶え絶えのルーティンが始まり、「冬休み」が来るのを指折り数えて、それを頼りに生きる日々に突入である。

10月にはまた不安なことがある。

大学の役職者の改選期なのである。

私は年齢的に言ってそろそろ「やばい」年頃である。

繰り返し書いているように、本学の役職者は「責任だけがあって権限がない。」という哀しいポストである。月額わずかばかりの手当の代償に信じられないほどの仕事を背負い込むことになる。もちろん在職中にはペーパーの執筆はおろか、研究書を読むことさえままならない。

うっかり大過無く役職をこなすと再選されて、四年間、中間管理職の悲哀を舐め尽くすことになるのである。

多くの先輩たちが、在職中に健康を損ね、頭髪を失い、老眼の度が進み、人間不信に陥り、推敲を重ねた議案が空論に翻弄されて廃案になり、がっくり肩を落として暗い廊下を歩み去って行く姿を何度となく私は見てきた。

その「危険な年齢」に私は踏み込みつつある。

当然、心ある人は何とかこの職務を誰かに押しつけようと躍起になる。

自分に票が来そうだという予感を持つ人は、自分がいかに健康を害しており、いかに家庭が破綻しており、いかに重要な研究に押しつぶされているのかを必死に周囲にアピールする。

それだけでは足りないので、「あの人なんか、いいんじゃないかな。若いけれど、見識もあるし、腕力もあるし。うん、そうだよ。世代交代だよ。どんどん若い人にやってもらおうじゃないの」というふうに必死になって後進世代に「パス」を送ろうとする。

というわけでこの時期の大学は「けなし合い」ならぬ「ほめ合い」の言説が殺気立って飛び交っているのである。

私はさいわい「何があってもウチダにだけは権力を与えるな」という適切な人物鑑定眼を備えた同僚に恵まれているおかげで、「ポスト押しつけレース」では比較的安全な地位にいる。しかし油断は許されない。

「だめ押し」のためには、セクハラ疑惑が飛び交うとか、公金横領の噂が流れるとか、「決め」の一発が欲しいところである。

おお、そうだ「合気道部の合宿で暴力教師に体罰疑惑」というのはどうだろう。

D館前で大きな声で

「まったくウチダも鬼だよねー」

「そーよそーよあいつサディストだよ、海老沢センパイなんて肩の骨はずされたんだよ」

「うっそーやだー、溝口さんも右目殴られて眼帯してたし」

「タキ先輩なんか播但道で車の窓から放り出されて全身骨折で重体らしいよ」

どうかね部員諸君、先生の「ブルー・オクトーバー回避作戦」に協力してくれんか。

 


9月25日

22日から24日まで合気道の合宿で恒例の神鍋高原に行ってきた。

今回の参加者は35名(ゲストに東大気錬会OBの高雄君、早大合気道会OBの武藤君も参加)。合気道会史上最大の参加者となり、畳も90畳敷き。北は札幌から、西は広島から、遠路ぞくぞくとOGたちも参加してくれた。

創部10周年記念の「部旗」も完成。体育館の壁に麗々しく「神戸女学院大学合気道部」の紺の旗が掲げられ、なんとなく「体育会的」な気分。

稽古時間も、前回から朝稽古(合気杖)、夕稽古(杖道)がふえたので、一日7時間半というハードスケジュールである。そのあいだにはエンドレス宴会を挟んでいるので、江口主将などは、二晩で数時間しか寝てないようであるが、みんなほいほいと笑いながら稽古をしている。まったくタフな連中である。

疲れがピークのはずの二日目の晩も、明け方まで廊下で大騒ぎしている。もう朝なのかしらとおもって時計を見たら、3時半。朝食のときにお会いした同宿のおじさんたちがげっそりした顔をしていた。申し訳ないことをした。というわけで次回合宿からは、世間さまをはばかって、「消灯12時」とすることに決定。

今回の審査では初心者が8名5級になり、初段に4名が入段した。飯田祐子先生、吉永真理子さん、久保直子さん、八十利恵さんおめでとう。いよいよ黒帯。後進の指導にもいま以上に心がけて下さい。

それから、発作的に独断で「のれん分け」を「三段の昇段資格」条件とすることに決定しました。

今後、神戸女学院合気道会では、「合気道会以外の道場で指導員をつとめること」を三段昇段の条件に加えます。(もちろん四段以上についても同様)初心者指導は上達のための捷径。「切れる子供のための合気道教室」でも「セクハラおやじ呪殺行合気道」でも「セッション・コミュニケーションで心身を癒す合気道セラピー」なんでもよろしい。回数や指導形態についてもとくに定めません。とにかく、自分がアレンジして運営する道場で、自分がつくったプログラムで指導をすること。自分が術技についての最終責任をもつ場で人に教えるのは、武道の熟達において、欠かすことのできない修行です。初段以上の方も機会があれば、できるだけ指導に当たるように心がけて下さい。

合宿からの帰途、恒例の「うさ餅」を大量購入し、「コスモ石油のゴジラ」を愛で、さらに朝来町SAで「黒豆ソフト」を食す。これは美味しい。

帰ってきたら、さすがにけっこう疲れてしまったので、そのままベッドへはいずる。ぐー。


9月21日

フジイ君のことを「たれぱんだ」状態と形容したら、ご本人から抗議のメールがきた。

「フジイです。たれぱんだちゃいます。ぶりぶり。奴らは好んでたれているのです。フジイの生活態度を表現するなら『彼女は前のめりに倒れた。そしてそのまま寝てしまった』が適切です。志は高く。」

ごめんね。フジイ君、君の志の高さへの配慮が足りなくて。

暑さ寒さも彼岸まで、というがまだ暑い。ベランダで洗濯物を干していたら背中が灼ける。今年は異常気象のようである。あるいは地球温暖化が進行して、北極海の氷が溶けだしているのかも知れない。

どうせなら地球寒冷化が進行してばりばりに凍り付くよりは、温暖化が進行して、「全世界バリ島状態」というようなものになって、全人類ふやけてゆくとういのが滅びのプロセスとしては快適な気もする。水位が上がってそこらじゅう水びたしの「ウォーター・ワールド」状態(あるいは椎名誠、『武装島田倉庫』状態)というのも、全地球砂漠化よりは気持よさそうである。

その場合は、「えら呼吸」できる人が生き延びて、次代を担ってくれることになる。

ここはやはり、「えら呼吸できる人」を早急に探し出して(やはりアマゾン河周辺にいるでしょう、これは)、彼らを「未来人」として保護育成し、彼らに人類の文化を後代に伝える任務を託す、というプロジェクトの立ち上げが急務なのではあるまいか。私もかなうことなら「半魚人」となって、世界の海をすらすらすいすいと泳いで余生を過ごしたい。

余生と言えば、私はまもなく知命を迎えるわけであるが、耳順をもって「引退」と心に決めている。

大学の定年は65歳なのであるが、選択定年制というのがあって、60歳になったら退職してもよいのである。

やりたいことがたくさんあって、いまは体力勝負で同時並行にあれこれこなしているけれど、60歳ともなると、それもきつかろうと思う。優先順位の高いものだけ残すということになると、やはり武道と執筆、ということになる。

その場合は、朝から夕方まで机にむかってばりばり仕事をして、夕方からお稽古をして、お風呂で汗を流して、ビールを飲んで、バカ映画を見て、ミステリーを読みつつ寝る、という「至福の夏休み」が以後全期間にわたって展開されるわけである。

「毎日が日曜日」というのはやや切ない語感があるが、「毎日が夏休み」というのは「エンドレス・サマー」とか「オール・サマー・ロング」とか脳天気なビーチボーイズ・サウンドが聴こえてきそうでナイスではありませんか。

問題はそれでご飯が食べられるか、ということだけである。

ビジネス・カフェ・ジャパンの株が店頭公開されて一夜にしてスーパーリッチマンになれば、その問題は解決されるし、『ためらいの倫理学』が100万部売れた場合も同様である。

お金があると、お金を稼がずにすむのでたいへんありがたい。

引退時期を設定しておくと、もう一つよいことがある。

それは「カウントダウン」される時間のかけがえのなさが身にしみて感じられる、ということである。

私たちはつい時間はいくらでもあり、過ちはいくらでも取り返しがつくと思っている。

そのせいで、私たちはつい言わなくてもいいことをいい、しなくてもいいことをして、人を傷つけ、自分を傷つける。

これが、余生あとわずかの人に対しては、人間ずいぶん優しくなれるものである。

そうでしょ?死の床にいる人間に向かって「おまえさ、生き方変えろよ、いい死に方しねえぞ」とか説教するバカいないでしょ?

残り時間が少ない人間関係においてひとはたいへん他者に寛容になれるのである。

しかるに、この場合の「残り時間が少ない」という「少ない」は実はきわめて主観的な尺度で決められるのである。半年でも「少ない」だし、見方によっては10年だって「少ない」である。

というところで賢明な諸君はもうお分かりだろう。

私は「私とすごす時間はもうあと数えるほどしかないのだよ」ということを執拗にアピールすることを通じて、世間のみなさまから思う存分甘やかして頂きたい、とかように申し上げているのである。

私は若いときは「若いときくらい、好きなことさせてくれよ」といって好きなことをし、年を取ったら「もうすぐ死ぬんだから、好きなことさせてくれよ」といって好きなことをする、という、たいへん自分本位な生き方をしてきているのであるが、これに周囲の人々がなんとなく納得してしまうのが大笑いである。

だが、これは決して冗談で申し上げているのではない。

うちの親子はあと半年で「解散」である。18歳の春を期して、娘は私の知らない世界へ旅立つ。あとは22歳まで仕送りをして、それで親としての私の仕事はぜんぶ終わりである。娘の荷物は22歳までにすべて送り出し、私は方丈の草庵に移り住む。

というわけで私たちはいま「カウントダウン」を過ごしているわけであるが、この次第に少なくなってゆく、ともに過ごす日々のかけがえのなさ、というのは、いわく言い難く滋味深いものである。

私は残り半年を期して、「文句を言うのを止めた」。

もう朝寝坊しようが、夜更かししようが、夜中にギターをかき鳴らそうが、すべてにこやかに「赦す」ことにしたのである。

半年しかない親子の時間である。説教やふくれっ面や気まずい沈黙のようなものをそこに入り込ませたくない。

そう決めたら、あら不思議、これまで「むかっ」ときた娘の不行跡(というほどでもないが)がまったく気にならなくなったのである。それどころか「ふふ、ほほえましいぜ」というふうな余裕さえ私にはある。

学校のある日に午頃起きてきて、ぼわっとしている娘に、にこやかに「おはよう、朝御飯たべる?」と笑いかけることの心の温かさ。さすがの娘も気持ち悪がってばたばたと学校へ行ってしまったが。

先方も私がどうやら絶対に文句を言わないことにした、ということにうすうす気づいたようで、不思議なことに、ずいぶん対応が優しく丁寧になってきた。

というわけで、いま内田家は、かつてなく静かな、笑い声と優しい言葉が行き交う「TVのホームドラマの理想の家庭」のようなものになりつつある。

「カウントダウンの効用」かくのごとし。


9月19日

人間の身体はたいへんに順応性が高く、とくに睡眠時間については、その傾向が強い。毎日6時間しか寝ないひとは、6時間で十分寝足りており、逆に一日10時間寝ないと寝た気にならないひとというのもいる。私は最近、11時半就寝、9時半起床という、一日10時間睡眠のひとである。

たくさん寝る点のよいことは、あまりお酒を飲まないですむということである。(私は夕食の準備中から飲み始めるので、夕食が早くて、寝るのが遅いと、うっかりすると5時間くらい飲み続け、ということがある。)

たくさん寝る点の悪いところは、一日がすごく短い、ということである。昨日も、起きてから、朝御飯を食べて、掃除をして、洗濯をして、郵便物の整理をして、『猩々』と『巴』のおさらいをして、ふと時計をみたら、もう3時だった。レヴィナスの原稿を一行もかかないうちに、次のお稽古の時間が迫っている。なんだか悲しい。

しかたがないので行きの車の中で、論文の続きを考える。しかし、やはり、ある程度以上複雑な論理の流れは、紙に書かないと構成できない。紙に書くか、あるいは誰かを相手に話すか、どちらかでないとダメである。

沈思黙考しているひとというのは、考え深げに見えるが、実はあまり何も考えていないで、思考が同じところをぐるぐる回っているだけのことが多い。

反対に、ぺらぺらしゃべっている人は、考えが浅げに見えるが、実は「自分がそんなことを考えているとは、思いもしなかったこと」を口にしつつ、前人未踏の思考の極北へ踏み込んでいることがある。(そうでない場合もある)

私が知る限り、「非常に賢い人」は例外なく「やたらにおしゃべり」であった。寡黙であるが、口を開けば珠玉の至言、というような人に私はまだ会ったことがない。

だいたい「本を書く」というようなこと自体「おしゃべり」の証拠である。

「おいら、言いたいことがあるんだよ。ね、聞いて、聞いて」というような切迫した「おしゃべり衝動」抜きに本など書けない。

ニーチェなんか最後には「私はなぜかくも賢いのか?」などいう題名で書いたほどである。これはある意味で「究極の題名」であって、要するに、もの書く人はみな結局はそう言っているのである。

ニーチェの不謹慎を嗤う人がいるが、私はそれは間違っていると思う。

この題名の不思議さは、これほどまでに賢いはずの人が、不特定多数のひとの「認知」を得ないと、どうしても「自分が賢い」ということを納得できなかった、という点にある。

「私はなぜかくも賢いのか?」と問わずにはいられないということは、凡庸なる読者に承認されなくては、ニーチェが自分の天才について確信が持てなかったということを意味している。

その他者への訴求と依存の切実さにおいて、黙って「おれは天才だかんね、ふふふ」と思っているひとより、じたばたしているニーチェの方が私は好きである。

名探偵オーギュスト・デュパンにしたって、相手の思考の流れを黙って全部読み当てておきながら、最後には「ねえ、ねえ知ってる。ぼくさ、君が何考えているか、全部分かっちゃったよ。すごいだろ。へへ」とネタばらしをして、相手のスタンディング・オベーションを要求している。

ホームズの「ははは、ワトソン君、まだ分からないのかね?」も同類である。ホームズがワトソン君を必要としているのは、ワトソン君の「ホームズ、君は天才だよ」の褒め言葉を定期的に服用していいないと、ぜんぜん「やる気」にならないからなのである。

私はすぐれた多くの友人を持っている。だが、その理由が、私が「よいしょのウチダ」と呼ばれるほどに褒め上手だからであることはあまり知られていない。

天才は非天才の絶賛によってぶいぶい元気になり、賢者は凡人の「よいしょ」によって、ますますその叡智に磨きを掛けるのである。

これを人類への貢献といわずして何と言いましょう。


9月18日

芸術監督のフジイ君が「いきなりやる気に」なって、どんどんウェブサイトがきれいになってゆく。フジイ君は人生の大半を「たれぱんだ」状態でつっぷしている人なのであるが、ときどき発作的に活動的になって、本を書いたり、芝居の演出をしたり、銀行に勤めたり、サッカー放送に熱狂したり、ホームページの更新をしたりするのである。今回の更新でフジイ君が生命エネルギーのどれくらいを費消してしまったのか、先生はちょっと心配だ。

オリンピックが始まったので、なんとなくTVを見る。衛星放送では朝から晩までオリンピック競技をやっている。

サッカーをやっていたので、何となく見る。なんだか若くてよく知らない人ばかりである。顔を知っているのはナカタ君とタカハラ君だけである。ミウラカズとかナカヤマゴンとかカマモトとかいうひとたちはもういなくなったのだろうか。

MFのナカムラシュンスケ君というひとのことはときどきフジイ君のホームページに出てくるので名前を知っていたが、なんだか「いじめられっ子の小学生」みたいな顔である。チャージして倒されると、なんだか「いじめられっ子」がべそをかいているみたいでかわいそうであるが、そのわりには他人にはきつい当たりをしたり、いやらしいボールを蹴ったりして、「いじめられっ子の逆襲」のようである。

南アフリカとの試合はなんだか押され気味のようだったが、いつのまにか勝ってしまった。試合はともかく、中継のアナウンサーがひどい。

ゴールが決まると「ごーーーる、ごるごるごるごるごる」(以下一分間続く)と絶叫するのである

まさかベルリン五輪の「前畑ガンバレ」の五百匹目の泥鰌を狙っているわけではないだろうが、中継で「ここぞ」というところで、アナウンサーが「わざと興奮して、取り乱す」臭い演技をやっているのは、肌に粟を生じる。

彼らはバカなのか、受けを狙っているか、どちらなのだろう。まあ、こんなことで「受ける」と思っているという意味で(その程度で視聴者が喜ぶとなめてかかっているという意味で)途方もなくバカと言う他ない。

あの中継を聞きたくないので、昨日のスロヴァキア戦は見なかった。

このバカアナウンサーを(船越というらしい)については小田嶋隆が筆誅を加えているので、放送を見て、私たちと怒りを共有した方はぜひ小田嶋のホームページで溜飲を下げて下さい。私は心が晴れ晴れとした。「自分と同じものを心の底から嫌っているひと」に出会うことのヨロコビはほんとうに深い。


9月17日

ホームページが私の知らないあいだにすごく美しくなっている。芸術監督のフジイ君が、夜中にこびとさんとなって、ちゃかちゃかつくってくれたのである。ありがたい。もつべきものは「師匠の仕事を軽減してくれる弟子」である。(おお、弟子諸君全員青ざめているね。ふふ。ひとつフジイ君をロールモデルとして弟子の諸君にもがんばってもらいたいものであることよ。)

『ためらいの倫理学』(仮題)はその後、鈴木晶先生が「帯文」のご執筆をご快諾いただき、さらに山本浩二画伯が『現代思想のパフォーマンス』にひきつづき装幀をご担当いただくことをご快諾。最強の布陣で出版にむけて着々と準備が進行中。11月中には店頭に並ぶことになるはず。また買って下さいね。

鈴木先生とは冬弓舎のホームページで往復書簡の連載を始める企画が進行中。「サイバー清談」(あるいは「インターネット宴会」)というようなものになるらしい。(楽しみだ)

日本一過激な医師、北之園先生からメールが来た。

非常に興味深い内容ですのでここに転載します。これは「引用」だから、コピーライトはいいよね?

「医師の役割はとかくただ治療行為によって心身の状態の異常な状態を正常化することにあると考えられがちであるけれども、そのことも実はあるプロセスと飛躍の省略された形であることを見失ってはならない。

では何が抜け落ちているのか。

患者は病院にくるとき単におまかせで自動的に症状を消去されることを機械的に望んでいるのではない。心身の異常な状態とは、ただ異常なのではなく自分自身で対処できない異常さということである。そうした危機的状況とはそれまでの自己修復可能なストーリーでは対処できないという意味で危機なのである。つまりそれまでの有効であったストーリーの破綻した状況からその修復を求めているのである。

しかしそれは正確に言えば修復ではなく、別のストーリー、それもその中にそれまでのストーリーの破綻を繰り込んだ新しいストーリーの新設を望んでいるのである。

生体はある環境では恒常性を維持できるが故に生体でありうる。それはその環境と自身を包摂した調節機構を内にストーリーとして保持していることを意味する。自身の対象化により自身が調節者としての役割も果たしている。ストーリーはその調節マニュアルともいえる。

しかし未知の事態がそれまでの環境を変動させたり、未知のうちに進行した自身の変化はその安定体系をうち破る、つまりそれまでの自分自身ではどうにもこうにもいかなくなったとき、病院の医師に受診するのである。

もっともそうした受診経験がストーリー化されたとき、病院は単に薬剤をもらったり、処置をされるだけのものになってしまうかもしれないが、それは既成の枠をみているだけのことにすぎない。

初めて医師に罹ったとき、それまでの経過を問診しながら病歴が形成される。病歴は単に時間を追ったそれまでの患者の症状や体験の集積ではなく、また医師の観点からの疾患に至るストーリーの形成でもない。これは対話によってそれまでの患者のストーリーを検証し、欠落点や誤謬を指摘し、解体し、新たな要素を付け足し、新たな解釈で新たな意味を付け直し、そうして再構成あるいは新設する共同のシナリオ制作なのである。これができたとき、同時に診察された患者の現在の症状や状態に診断というラベルが貼付される。合理的にも非合理的にも、また納得的にも非納得的にもストーリーと現在の状態がプロセスとして説明されて、そこから今後の対処法つまり治療方針が提示されるのであるが、その内容は新たなストーリーの延長上にあるのは当然である。薬剤も処置もそうした治療方法のほんの一角を構成する物でしかないことも言うまでもない。

このとき患者は医師と作ったストーリーを受け入れることで、実は再度自身に対する調節者の地位を取り戻し、自身が自身の医師に復権しようとしているのである。それも以前よりも一段水準の高い、あるいは地平の広がった立場である。この新たなストーリーを承認し、それを自身のものとして採用し、操作調節マニュアルに取り入れることは、ストーリーを拡大させるだけでなく、立体的にみればそこに医師を取り込み、自分が医師になることだから、与えられた薬剤を使用もできるし、提示された処置をも受けられるのである。つまり病院の医師を受け入れるとは自分がその立場に立っているという一瞬の転位も意味しているのである。

これを医師の立場からいえば、患者に対して医師は自分をストーリーと共に分与しているのである。対処法がわかれば患者は特別に医師を必要とせずに自分で投薬なり処置なり自律的にできるはずである。自分ができなくても家族にしてもらえるはずである。しかし現実には「資格」「設備・機械・道具」「材料・薬剤」などを独占していることで医師は自分の社会的地位・役割を維持しているだけのことである。実質的には、その「医学的専門知識」とその「適応法」を一度患者に付与してしまえば、もう医師は必要ないことになってしまう。

それが代償交換として診察料を受け取ることの本当の根拠であるのは、単に付与するのではなく、新たな医師ソフトを患者の内にコピーしセットアップして、可動状態のストーリーとして機能開始させるることで説得力を持つものなのだ。そして実はこのとき医師はさらに別の立場にシフトしているのである。

しかしながらこの一連のプロセスに無自覚な医師がそして患者が急増している。患者は無意識でもまだ救済されうるが、医師がそうであるとき患者は不全な扱いを受けたために治療を十全に受けたことにならず、もちろん治療は完了もせず、症状が偶然改善したとしても、そうでなければなおさら不満を増大させることとなる。ここで起こっている事態は自分が自分の調節者としての立場に戻ることができなかったこと、つまり新しいストーリーを作りえなかったことなのである。

治癒するも治癒しないも実はそれほど大きな問題ではない。

常に治療可能な疾患もそうでない疾患もあるのが現実であり、治療方法がないものほどストーリーが必要であるのだ。医師は匙を投げてはならないのはあらゆる意味で当然である。

しかし現実は進行している。新しい別次元の医師・病院ストーリーが既に作られてしまっている。病院に行っても、待たされるだけ待たされて、ろくでもない医師のいいかげんな診察を手短に受けられるだけで、訳の分からない検査を受けさせられ、やたら大量の薬剤を投与されるか、リスクの高い手術や処置をされるだけ、へたをすると長期に入院させられ、ミスや事故にもあうことがあり、時には命をおとすこともある、だから病院には近寄りたくない、でも我慢できないときは、少しでもましな医師、病院を探しまわって、何軒か訪ね歩くことにならざるをえない・・・生まれてから死ぬまで医療で損なわれ続けるのだと。

恐らく医師や厚生省、保健所のおめでたいコマーシャルを鵜呑みにしている従順な人間は年々減少してずいぶんと少なくなってしまっただろう。そういう人は幸せかもしれない。しかし砂上の楼閣はいつ崩れ去っても不思議でない。医療ミスは頻発している。そしてまともな対策はとられていない。いつ巻き込まれるか、交通事故と同様、いやもっと恐ろしいものであるだろう。」

フロイトが転移について語ったことは、それ以外の医療の領域においてもひとしく有効である、というのがドクター北之園のご意見のようでした。ラカンはバカ映画の解釈のみならず医療の現場でも実効的であるようです。


9月15日

中村さんというライターの方にインタビューを受ける。

「男の家事」というテーマである。

中村さんは「男ももっと家事をして、自立を果たそう」というあたりを結論に予想していたようであるが、私の話は例によって、あちらへ飛びこちらへ流れ、奇を極めて、結論は「家族解体」に落ち着いた。

家族というのはたまたま十数年だけ共生するテンポラリーなユニットにすぎない。そのわずかな時間だけの共生ということの意味をよく理解すれば、家族のメンバーたちはもっとお互いに敬意をもって接するはずであるし、家庭の中に公共的な空間につながる回路がもっと深く通い、そこが「風通しのよい」場になるはずである。

家族の成員たちが、おたがいが何を考えているか、何をしているのかを知らないことはすこしも悪いことではない。むしろ「知らないままに受け容れる」というかたちで家族の愛情の深さは表現されるべきではないだろうか。

と、自説をぶいぶい語る。

そのあと梅田で、93年卒のゼミ生「デプレッション三人娘」と梅田でご会食をする。

みな、今年は三十路。むかしはきゃぴきゃぴの女子大生であったが、いろいろと人生の辛酸をなめた甲斐あって、立派にご成長されて、頼もしいかぎりである。

老師の知命を祝って、「椅子クッション+まくら」と「ゴルチエのネクタイ」を贈って下さった。どうもありがとう。

梅田のレストランでばりばりご飯をたべ、くいくいお酒を飲んでいるうちに、いつのまにか話題は「結婚話」。みなさん、なかなかご縁がないようである。(ひとりはご縁があったのだが、途中でご縁がなくなってしまった。うーむ)

「ぜーたくを言ってはいかん。男なんて、みんな結婚しちゃえば似たようなものなんだから、手近なので我慢しなさい」といつもの説教をする。

しかし、価値観が同じでなきゃやだとか、私の仕事に理解がなきゃやだとか、食べるものの好みが一緒でなきゃやだとか、いろいろ贅沢なことを言う。

そんな都合のよいのが「手近」にいるわけない。

それだけ条件の揃った相手が欲しければ、よほど気合いを入れてボーイハントしなければならない。というか(カノウ姉妹のように)ボーイハントを人生の目標に生活設計をし直す覚悟がいる。

いまの生活のままで偶然の出会いを待つなら、条件についてはある程度眼をつむるしかない。

「結婚相手なんて、だれだっていーわ」というなげやりなスタンスこそが結婚生活の幸福(などというものがあるとすれば)の鍵なのだよ。ほんとに。

と、いくら老師がかきくどいても、若い諸君は猜疑の目をむけるのでありました。(「先生は、私たちに不幸な結婚をさせて、自分の仲間をふやそうとしているのではないかしら?」

そ、そんな。それは考えすぎだよ。「ポーの一族」じゃないんだから。ははは、はははは。


9月14日

げふ。また二日酔いだ。

ゆうべ調子に乗ってウオッカをかぱかぱ呑んだせいだな。

黒田鉄山先生の最新ビデオ「改・剣之巻」を見ていたら、興奮してしまって、「おお、すげー。おお、こ、これは、どうなっているのだ」と続けて2度も見てしまった。そのまま興奮さめやらず部屋で木刀を振り回す。

こうなったらいろいろ武道ビデオを見ようと思い立って、甲野善紀の「割れと浮き」を取り出して見ていたら、この春、大津の杖道大会の一回戦で当たって私が負けた相手の人が甲野先生の受けで出てきた。この人もけっこうな武道マニアだな。

そのビデオの中で、私が日頃、合気道の稽古で言っている「支点を消す」とか「正中線から身体を割る」ということを甲野先生がさかんに言っている。なるほど、私はこれを見て「刷り込み」をされて、それが合気道のときに口をついて出てきたわけであるのか。なるほど、これが「サブリミナル」か(ちがうような気もするけど)。

しかし、黒田鉄山はすごい。構えた剣が切り込むところが「見えない」のである。

かなりゆっくり動いていても「見えない」。途中がなくて、いきなり形が「終わる」のである。

ファンタスティックである。

形稽古を正しくやっていれば、こういうことが実際にできるわけである。

この術理を合気道に活かすには、どうすればよいのであろうか、とあれこれ考えているうちについごくごくとウオッカを飲んでしまったのでありました。げふ。

今日もこれから宴会がある。今日はもとゼミ生「デプレッション三人娘」とのご会食である。鬱病の薬のはなしとか不眠症の苦しみとかで盛り上がるのであろう。楽しみだ。


9月13日

台風一過で秋晴れである。

そういえば、「子どもの頃、勘違いしていたことば」として都市伝説化しているものに「台風一家」と「月極駐車場」がある。(「台風一家」とは「台風はぞろぞろとやってくる」という意味だと思っていたひとがいる、という話。「月極駐車場」は「げっきょく」さんという人が全日本に駐車場のチェーンを展開している、と思っていたひとがいる、という話。ほんとうだろうか。)

私の最大の勘違いは「血の検査」である。

小学校二年生のとき、「明日は『血の検査』があります」という先生の告知があった。ところが私は風邪をひいて翌日学校を休んでしまった。翌々日学校に行ったら、「ウチダ君は昨日休んだので、ひとりで別室で『血の検査』をしてもらいます」と担任の先生が冷ややかに宣告した。

私は全身の肌に粟を生じた。

保健室のようなところに招じ入れられ、そこに座らされた。先生は、なんだかよく分からない紙のようなものを渡して、そこにいろいろと記入しろ、と命じて出ていった。私は隣室から聞こえてくる、押し殺したような教師たちの声に怯え、注射器がずぶりと腕に刺さる痛みを想像して冷や汗を流し続けた。

やがて時間になって教師が「はい、おしまい」と言って、苦痛の想像に疲れ果てた私を帰してくれた。

というわけで小学校時代、私のIQはなんだかめちゃくちゃな数値だったのである。

台風のせいで名古屋地方にずいぶん被害が出ている。

西枇杷島町というところが特に被害が大きい。

西枇杷島町は合気道部二代目主将、嵐裕美子さんのお住まいのあるところである。夕刊を読んで「おお、これは」と案じていたら、高橋奈王子さんが電話して向こうの様子を調べて、私にも知らせてくれた。

嵐さんのところはマンションなので、浸水の被害はないそうである。ライフラインも生きているので、ちゃんとご飯をたべて暮らしているらしい。自動車が冠水しそうになったので、高台に避難させただけですんだということである。

とりあえず、ほっとする。

「うちに浸水したらどうする?何もって逃げるの?」

とるんちゃんが夕食のトンカツをかじりながらたずねる。

御影の高台のマンションの6階に浸水するときは、近畿一帯は海の底である。ノアの洪水のような風景を思い浮かべる。預金通帳と実印をもって逃げても使い道がなさそうである。


9月12日

おお、暑い。この研究室は地獄だわ。室温30度、湿度100%。つねに外気温より数度高い。

いったいどういう設計になっているのか、夏は炎熱地獄、冬は寒冷地獄の部屋である。他の部屋もそうなのかしら。夏の間は、研究室のドアをあけた瞬間の「むわ」を想像しただけで、研究室へいく気が失せる。

台風が来ていて大雨警報でこどもの学校がお休みなのだが、その雨の中をずぶぬれになって学校に来る。会議と英語の特訓である。

英語の特訓というのは、大学院入試のために受験生たちに英語を教えているのである。

なんで私が英語の特訓をしているか、というと長い話になるのだが、志望校の「過去問」の英語を受験生たちはそれぞれ自分でやってきて、私のところに「これでいいのでしょうか?」と訊ねに来る。最初はひとりずつに赤ペンで添削をしてあげていたのであるが、そのうち人数がどんどんふえてきて、英語の添削だけでたまの休日が一日潰れるというような事態となり、もうめんどうだからまとめて「授業形態」でやります、ということになったのである。

大学4年生の中にはうっかりすると2年間英語を見たことがない、というような豪の者がいる。その人たちに英語を訳させると「あっ」と叫んで絶句するようなものすごいものができあがってくる。これを世間に出すのはちょっと恥ずかしいので、「どろなわ」と言われようと、なんと言われようと、やらないよりはましである。

私はほんとは英語なんか分からないのであるが、このところずっと英語のレヴィナス研究書ばかり読んでいたのと、竹信君から『英字新聞がどんどん読めるようになる』という本も贈っていただいたので、大丈夫なのである。

小田嶋隆の『ひとはなぜ学歴にこだわるのか』を読む。

学歴というのは珍しいテーマである。なぜ、ひとは学歴にこだわりながら、そのことを否定するのか、というややこしい問いを扱っている。

一般的に言えることは、学歴は「それをもつものにとっては無徴候的であり」、「それを欠いているものにとっては徴候的である」ということである。そして、メディアで発言している人間は圧倒的に高学歴者なので、学歴による差別は前景化しないのである。しかし学歴は小田嶋のいうように、現代日本社会で、たしかにおそらくもっとも強力な社会的な差別化指標記号であるだろう。

私は知らなかったが、スマップの番組で中居君が「シンゴ君は中卒だから」という発言をしたあと、テロップで「ただいま番組中で不適切な発言がありました」というお詫びがはいったそうである。「中卒」は差別用語だったのだ。誰がそんなことを認定したのであろう。フジテレビの局員がそんなことを決定してよいのだろうか。

サッチー・バッシングの最大の原因は「コロンビア大学卒」という学歴詐称に対するものである、と小田嶋は分析している。あの傲慢なくちぶりや、無知や、礼儀知らずを、視聴者たちはすべて「若いときにアメリカで学んだようなひとは、やはり違う」というふうに正当化し、泣く泣く受け容れてきたのである。そのような精神的拷問を自分に課して、それに耐えてきたことがまったく無駄な努力であったことを知って、人々は逆上しているのである。ひとびとが怒っているのは、サッチーに対してではなく、このような程度の低い人間に、詐称された学歴だけで恐れ入って、何となく気後れしていた自分自身の卑屈さに対してやり場のない怒りを感じているのである。という小田嶋の分析を私は正しいと思う。

私自身は高学歴のひとなので、学歴それ自体は私にとって差別化指標としてはほとんど機能していない。日比谷高校というところと東京大学というところとその後には「大学の先生たちの業界」というところを巡歴したせいで、「勉強ができる」ということと「頭がいい」ということはまったく別の知的資質である、ということを私は身をもって学習したからである。

確かに「頭がいいひと」のなかには「勉強ができるひと」が多く含まれる。とくに「非常に頭がいい人」はほぼ例外なしに「非常に勉強ができる」。しかし、その反対は真ではない。

そして、「勉強ができて、頭が悪い人間」というものがこの世にもたらす害悪は、それはもう、筆舌に尽くしがたいものなのである。

総じて、人間としていちばんかくありたい姿は「勉強ができなくても、頭のいい人間」である。そう、あなたのことですよ。ラッキー。(で、あと「勉強ができなくて、頭も悪い人間」というのが残っているんですけど、これについては、考えるだけで頭痛がしてくるので、話題にしなくていいですか?)


9月11日

ああ、よく寝た。

二日酔いをいいわけに、10日の午前零時から、午後四時半まで寝て、午後11時半にまた寝て、今朝の9時まで爆睡していた。なんと、33時間のうち26時間寝ていた勘定である。すごい。

三杉先生や小川さんが聞いたら羨ましくて涙をこぼすであろう。私も「眠気の素」というようなものが私の脳髄液から抽出できるのなら、錠剤にして分けて差し上げたいくらいである。

それだけ寝るとさっぱりして頭すっきりか、というと全然そういうことはなくて、さらに朦朧としていて、ほとんど思考力がない。仕方がないので、半分寝ながら、明日の会議資料の原稿を書いて英語の勉強会の下訳をする。

表では雨がざんざん降っている。

夏も終わりだ。

ああ、仕事したくない。学校行きたくない。このままずっと寝ていたい。

くー。


9月10日

壮絶な二日酔いで午後四時半まで倒れている。

昨日は飯田先生のお引っ越し祝いに夙川の新居をるんちゃんとともにお訪ねしたのである。美味しいご飯をいただき、『エースをねらえ』についてながながと「あらすじ解説」をしたり、「離婚すると、人を愛する能力に構造的な欠如が生じる」という深刻なお話を飯田先生と「そーよ、そーよ」とうなずきあったり、いろいろラディカルな議論を院生諸君とかわしていた記憶はあるのだが、どうも日本酒とシャンペンの取り合わせが悪かったのか、ひどいことになっている。

だいたい酔っぱらうと人間は適正な判断力というものを失い、「このへんでお酒をやめておこうかな」という素面であれば誰にでもできるはずの判断というものができなくなる。「ああ、酔ってしまった。ははは、もっと飲もう」というふうに坂道を転げ落ちるような飲み方をしてしまうので、その結果、「お酒をたくさん飲むと、お酒をさらにたくさん飲むようになる」というポジティヴ・フィードバック現象がここに生じるわけである。

まったく困ったものである。

こういうときには「汁気が多くて、塩味のものを大量に嚥下したい」という欲求が生じる。伊丹十三によると、二日酔いのときにいちばん美味しいのは「韓国料理の冷麺」だそうである。よく分かるが、食べに行くのがおおごとだし、自分で作るような意欲はさらにない。

しかたがないので、「お茶漬け」をどんぶり二杯食べる。これはお湯をわかすだけですむので簡単である。茄子の漬け物をおかずに午後の海の輝きにくらくらしながら、お茶漬けをさらさら食べる。なんとなく幸せな気分になり、そのままずるずるとベッドに這い戻る。

今日は謡のお稽古をし、舞囃子のおさらいをし、それから文部省に出す博士課程の原案の策定をする、といういろいろの非学問的なお仕事があったのであるが、何しろ、起きあがることもままならぬ。

汗をかいて気持悪いので、シーツを換えて、ついでにシャワーを浴びたついでにこれを書いているのであるが、書いているうちにまた眠気が襲ってきた。また寝ちゃお。

ああ、なんてすてきな日曜日。


9月7日

朝日新聞で高橋源一郎の連載小説が始まった。

『ゴースト』にはちょっとめげたけれど、『あだると』には腹を抱えて笑ったから、こんどは期待。出だしはわりと好調である。

さっきまでトイレの「置き本」に『タカハシさんの生活と意見』を置いていた。竹信君から『英字新聞がどんどん読めるようになる』を送ってもらったので、昨日からそれも持ち込んでいる。この二冊をならべたら、おお、これは異な。高橋源一郎と竹信悦夫のご両人は灘校からの旧友同士なのでありました。私の家のトイレで旧友再会である。

高橋さんの『虹の彼方に』(だったかな?)には「竹信悦夫」君が登場する。(小説に実名で登場する、というのは羨ましい限りである。)

アサヒ・イブニング・ニュースのデスクを竹信君がしているときには、高橋君は『こんな日本でよかったら』を連載していた。仲良きことは美しき哉。

ジョン・ウオーターズの『悪趣味映画作法』(柳下毅一郎訳)を読む。

冒頭の一節がすてきだ。

「ぼくにとって、悪趣味こそがエンターテイメントだ。ぼくの映画をみてゲロを吐く人がいたら、スタンディング・オベーションを受けたも同然だ。だけど、忘れちゃならない。いい悪趣味と悪い悪趣味は別物なのだ。人を不愉快にさせるなんて簡単だ。九十分間手足がばたばた切り落とされる映画を作ればいいが、そんなものは悪い悪趣味だし、スタイルも独創性もない。悪趣味を理解できるのは、いい趣味の持ち主だけだ。いい悪趣味は創造的におぞましく、なおかつ、特別にひねくれたユーモアの持ち主に受けなければならない。きわめて特殊なものなのだ。」

「ぼくは自分の映画に社会的に有用な価値がひとつもないのが自慢だ」という「ゲロの王子」(Prince of Puke) 「ゴミの教皇」(Pope of trash) の言やよし。

そのまま最後まで一気に読んでしまった。

成島柳北の『讀賣雑譚集』を読む。おや、ジョン・ウオーターズ先生のことが書いてあるぞ。

「世人皆風流風流と唱へ、此こそ風流なれ、彼は不風流なりと互に相争ふ。漁史試みに問はん、風流てふものは、何を以て主義となすかと。」

漁史柳北先生、風流人を称する四つのタイプを挙げる。その一が「悪趣味」のひと。

「世間、多くの風流人有り。其の一は、美服美食を以て俗となし、華屋高堂を以て凡となし、破帽垢衣して、故さらに灑掃せざるの室内に坐し、蚤虱と相した親しみ、欠けたる皿、剥げたる椀に飲食し、分からぬ語を吐き、つまらぬ句を綴りて、自ら風流なりと誇る者有り。これ不潔を以て風流の主義と為す者なり。」

その他、「奇才子を気取る者」「人間普通の事物を嫌ひ、人の好まざるを好む者」「奢侈を以て風流と為す者」などが漁史先生のまな板に乗せられる。

「此の四つの者は、此を真の風流人と称す可きか。漁史は失敬ながら、之を不風流と断定するの外無き也。」

おやおや、「世界一不潔な」映画を作り、良識を逆なでするウォーターズ先生は「不風流」(Bad bad taste)になってしまうのかしら。でも漁史先生、ちゃんとフィニッシュは決めている。

「然からば即ち、風流の主義は果たして何物ぞ。曰く、自由は即ち風流の主義なり。風流は自由より生ず。」

明治15年に『ピンク・フラミンゴ』を見たら、果たして成島柳北先生は笑い転げて『朝野新聞』に「天下の奇観」と評したであろうか。なんとなく好意的な批評をしそうな気がする。柳北先生も骨の髄まで「イカさん」だからね。

ビジネス・カフェ・ジャパンからメンバーズオンリーのインキュベーション・ビジネス情報誌が送られてくるので早速読む。

おや、平川克美君が書いている。中にすごくすてきな文章があった。ちょっと長いけど引用するぞ。

「自ら起業するといことにはきわめて個人的なモチベーションが含まれている。それは、誰かに命令されたくない、何かに帰属したくない、という内的なモチベーションである。(・・・)言い方を換えるなら、アントレプレナーとは、『大きなプール付きの家』や『最新のスポーツカー』や『札束』を手中にしたいという欲求が生み出す人ではなく(かれらは有能な会社員の素質をもっている)、むしろ何かをしたくない人、つまり何かに帰属したくないというネガティヴな欲求によって駆動された人々であるということを知っておく必要がある。(・・・)ここでの結論は、アントレプレナーとは、他人によって自らのプランを干渉されたくない人であり、最もインキュベーションされたくないタイプの人間であるということである。インキュベーション事業の一つの難しさは、最もインキュベーションされたくない人々をインキュベーションの対象とするということの中にある。」

この逆説は実に的確に事態の本質を捉えている。

投資先としてもっとも有望なヴェンチャー・ビジネスマンは「金なんていらねえよ、おれのことはほっといてくれよ」というタイプのアントレプレナーなのである。

さすが生き馬の眼を抜くシリコンバレーで大活躍しているだけあって、平川君の分析は冴え渡っている。

「何かをしたくない」「なんだか知らないけど、やなものはや」という微妙な感覚のあり方をフランス語では「se revolter」と言う。昨日書いた漱石先生や百間先生の「やだもん」とその本質は同一である。この「何かをしたくない」という抵抗感の名詞形が「revolte 」で、これを軸にして思想体系を構築しようと試みたのがアルベール・カミュなのである。

「反抗」なんていう浪漫的な訳語をつけたので、みんな勘違いしているのだが、これは要するに「おれは、やだよ。え?理由なんかねえよ、やなもんはやなの」主義のことなのである。

さすがにこの考想の真の思想的射程の深さを理解した人間は当時のフランスの知的サークルの中にはひとりもいなかった。まあ、当たり前といえば当たり前だけど。

そういうわけなので、あれから40年、インキュベーション・ビジネス誌の記事についに同時代に理解者を得ることのできなかった『反抗的人間』の主題が朗々と語られるのを聴いて、私は感動を禁じ得なかったのであります。涙。


9月6日

うーむ困った。困じ果てた。

「レヴィナスとフェミニズム」と題した章が終わらないのである。すでに80枚を越したが、ようやく本題にはいったところである。これでは、イリガライ批判だけで100頁になってしまう。

このあと、さらにデリダ批判という大物が控えている。この相手のガードの堅さはイリガライの比ではない。デリダの論を攻略するとなると、その外堀を埋めるための土を山から掘り出すためのシャベルを購入するためにローソンでバイトをするところくらいから始めないといけない。だが、「私がローソンでバイトしている話」は読者には少しも面白くない、というのが難点である。

ああ、困った。

しかし、イリガライのレヴィナス批判は読めば読むほどめちゃくちゃである。

このような杜撰な批判が「定説」として罷り通り、「力強く、魅力的な批判」(@コリン・デイヴィス)とありがたがられるというのは、いったいどういうことなのであろう。(もちろんデイヴィスも「口先だけのお追従」を言っているにすぎない。それでも「お追従」を言わないと世間が許さないのである。)

おそらく英米圏の思想研究におけるフェミニズムの圧制は私たちの想像を上回るものなのであろう。

レヴィナスのような「フェミニズム?なんですか、それ?」と一言のもとに否定してしまう思想家(そんな剛胆な人はレヴィナスくらいしかいない)に対するフェミニストからの十字砲火に対して、あえて火の粉をかぶってもレヴィナス先生を擁護しようとするような奇特な研究者は絶無である。

しかし、ある思想的立場が「満場一致」で支持される、というのは健全ではない。

この風景は前にどこかで見たことがある。

1950年代のフランスにちょっと似ている。

そのとき、フランスではマルクス主義に反対することはほとんどそのまま「知識人としての死」を意味していた。思想史を徴する限り、あえてこのリスクを引き受けて「それでも、マルクス主義はだめ」と言い切ったのは、レイモン・アロンとアルベール・カミュくらいである。その結果、カミュは「村八分」にされ、レイモン・アロンは「右翼」扱いされてしまった。

レヴィ=ストロースとかラカンとか「クレヴァー」な人は、こういうときには何を言ってもバカをみるから、黙っていた。賢明ではあるだろうが、ちょっと、ずるこいのではないか、と私は思う。

支配的イデオロギーに帰依しない言論には「学術的中立性」さえ認められない。

しかし、それほどに支配的であったイデオロギーもいずれ別のもっと「ブランニュー」なイデオロギーにその覇権を譲って消えて行くことになるのは世の常である。諸行無常、盛者必衰。

というわけで、フェミニズムから「父権主義者の権化」と罵られているレヴィナス先生を擁護すべく私はただいま孤立無援の論陣を張っているのである。

話が長くなるのも仕方がない。

村上春樹は、支配的な思考に対して、個人は「イカになる」と「タコになる」かどちらかを選ばなければいけない、と書いている。

「イカ」とは「異化」であり、「ほかの人とは違うようになること」。「タコ」とは「他個」であり、「みんなと同じようにしていること」である。

レヴィナス先生は生涯を通じて「イカさん」であった。

ジャック・デリダがGREPHグループを通じて、学校教育における哲学教育の時間をもっとふやし、学習開始年齢をもっと下げようという提案をしたとき、フランスの哲学者は満場一致でこれを是とした。

レヴィナス先生はそれを一笑に付した。

「こどもは哲学なんか勉強せんでよろし」と先生は断言した。「哲学は大人のやるもんや。こどもは飴でも舐めとき」

なんて憎たらしいおっさんなんだろう。

私はこういうときのレヴィナス先生の「イカさん」ぶりが身が震えるほど好きである。

おまたせしました!コリン・デイヴィス『レヴィナス序説』本日発売!(国文社、¥2800)

これはお薦め。前に書いたように、「立川談志がしゃべっている」ような文体である。

「ま、なんだな、はええ話が」

哲学書がこのようなグルーヴ感のある文体を持つというのは希有のことである。

1200部しか刷ってないので、はやく注文しないとなくなるよ。


9月4日

一雨降ったら秋になった。

先週末、太宰府での杖道の流祖祭と全国大会出場のために、大学杖道会会員は大挙して九州へ下った。

さすが九州は遠い。午後3時からの流祖祭に間に合うつもりで朝7時に神戸を発ったのだが、30分遅刻してしまった。大荷物プラス5人乗り(飯田先生、ウッキー、佳奈ちゃん、セトッチ)で、さすがのインプレッサWRXもいまいち走りが重かった。

神道夢想流流祖を祀った夢想権之助神社は太宰府天満宮を少し上がった山腹の竈門(かまど)神社の境内にある。ちゃんと「神道夢想流杖道発祥の地」という大きな石碑も立っていた。

神事と奉納演武がある。奉納演武に出るつもりで行ったのだが、遅刻したので、拝見するだけ。深い森に囲まれた神社に100人ほどの杖道家が集まり、流祖に演武を奉納する。なかなか雅な催しである。

そこで鬼木先生と白井清蔵さんの演武を拝見する。

白井さんと鬼木先生はこれまでたびたび全国大会優勝を遂げてきた名コンビだが、鹿児島と兵庫に離れているので、大会の当日にしか顔を会わせる機会がない超テンポラリーなユニットである。だから、神社境内での奉納演武は大会前の唯一のリハーサル。会ったばかりの二人が一礼するや、猛然と斬り殺すような勢いで斬り付け、打ち込む。

他の組は、足場も悪いし、狭いので、抑え気味に演武しているのだが、鬼木白井組はいきなりトップスピード。このお二人はこういう形で「挨拶」をかわしているのだ、ということが私にも最近分かってきた。

終わったあと、ふたりは破顔一笑。少年のような笑顔に返る。私はこのコンビの大ファンであるので、今回もお二人のどちらか(できたら鬼木先生)が優勝してくれるように強く祈願する。

そのあと鬼木先生を囲んで夕食と激励会。鬼木先生は太宰府の人なので、待ち合わせ場所に実家からママチャリで登場する。「鬼木先生とママチャリ」という意外なヴィジュアルに一同驚く。(小野寺さんは早速カメラを取り出してそれを撮影)

長旅の疲れでビールが回り、はやめに宿に戻る。宿は太宰府の国民年金保養センターというところ。私は兵庫県の杖友会のみなさんと同室。

みなさん懇親会ですっかり下地が出来上がって宴会中である。朝が早かったのでこちらは眠いのだが、世間のお付き合いも大事であるので、ビールなどを頂く。

すると、あろうことか、そこには「おじさん」たちが蝟集していたのであった。

私はご存じの通り、大学と道場と家の三点循環生活であるので、「おじさん」たちとお付き合いする機会がきわめて少ない。遊び仲間は「女の子」か、「年のいった男の子」たちだけである。

「おじさん」と「年のいった男の子」はどこがどう違うか、というのはなかなかむずかしいのであるが、めやすとしては、仲間同士でわいわいやるときに

(1) 敬語を使って話す

(2) プライヴァシーにかかわる話題をふらない

(3) 病気の話をしない

(4) シモネタをふらない

(5) 自慢話をしない

(6) 同じ話を二度しない

(7) 怒らない

(8) げろを吐かない

(9) トイレのスリッパを揃える

などである。これのどれかに抵触すると、私たちはただちに「おじさん」に区分されることになる。

ともあれ、ひさしぶりに炸裂する「おじさんパワー全開」に圧倒され、あたまがくらくらしてしまった。

世の中の若い女性に「おじさん」はあまり評判がよろしくないようであるが、私がもし「若い女性」であったら、たしかに敬して近づかないであろう。

へろへろになってようやくふとんにたどり着いたら、隣は私より先に「おじさんパワー」に圧倒されてダウンしていたT原先生。枕を並べて、先生の武道歴について静かにお話を聞く。

豪雨の中を大会会場の国士舘の体育館へ。

暑さと湿気と寝不足で「わしもーどーでもえーけんね」状態のところに、たちまち試合が始まる。

5月の大津大会は一回戦敗退という惨憺たる結果であったので、今大会の目標は「1回戦突破」である。打太刀は中村裕理さんにお願いする。

もうろうとして試合をしているうちに何となく勝ち進んで、ベスト8まで行ってしまった。すると人間、欲がでてくる。「おお次に勝つとベスト4か」、ちらりと対戦相手を見ると、変な髪型なので、何となくいけそうな気もする。

欲をかいたら、案の定、肩に力が入り、突きを外して負けてしまった。

鬼木先生はベスト8まで行ったところで白井さんと当たり、ユニットを一時解消して「潰し合い」。(残念ながら)白井さんが勝ち残る。白井−鬼木組は決勝まで進んだが惜しくも準優勝。

中村裕理さんの出た三段戦は今回いちばん面白かった。大津で初敗北を喫して捲土重来を期す宮田"憂い顔"勝一選手、ディフェンディング・チャンピオンの意地を見せたい野口"杖使い"晋祐選手、そこに広島の宮脇選手などが絡んで、見逃せない。結果的には宮田選手が優勝。しばらくは「もうどうにも止まらない」宮田黄金時代が続くことが予想される。裕理さんは野口さんに阻まれてベスト4ならず。

杖道会の諸君も前回とはうって変わって善戦。ウッキーが「ラッキー打太刀」であり、「ウッキーと組むと勝てるの法則」が発見された。初出場の段外の部で飯田先生がみごとベスト8入り。

というわけで、大津では角田さん以外全員緒戦敗退であったわが会も、今回は三部門でベスト8(鬼木先生も入れると4部門)入りという、発足4ヶ月目の会としては望外の好成績を収めた。

鬼木先生もお喜びで、前回は「大反省大会」だったが、今回は帰ってから「慰労会」をしてくれることになった。

やれやれ。遠く九州まで行った甲斐がありました。

帰りの車は飯田先生、ウッキーと三人。太宰府まで来たんだから、ということで天満宮にお参りして「学業成就」を祈願、梅ヶ枝餅を食べ、長駆神戸へ。帰りの車中はずっと「しりとり」。

5時間も「しりとり」をしていると、その人のボキャブラリーの偏りから、知的好奇心の分布図がほぼ分かる。飯田先生は「時代劇」に弱点があり、私は「現代芸能事情」に疎く、隙のない全方位的雑学で知られるウッキーは、実は「歴史」に大穴があることが発見された。

なお、「地名しりとり」で飯田先生が「ネアンデルタール」とお答えになったのを私が「却下」いたしましたが、これは私の誤りで、ネアンデルタール人は「ドイツ、デュッセルドルフ近郊のネアンデルタール峡谷」で発見された人骨のことでした。謹んで訂正させて頂きます。なお「マラリア」は、イタリア語の「マル」(悪い)「アリア」(空気)の合成語だそうですので、やっぱり「却下」です。


9月1日

夏が終わる。

「楽しいことなんて、何もない夏だった」と思わず呟いてしまったが、そんなことをいうと、いっしょに遊んで下さった皆様が「なんだよ、内田、あのときはケラケラ笑ってたくせに」と怒りのお言葉が飛んできそうなので、あわてて撤回する。

しかし「夏の終わり」というのは「ああ、楽しい夏だった」というような肯定的な過去回想にはなじまないのである。朝夕の気温が下がってくると、ふいに悲しくなって、「ああ、何もいいことがないうちに夏が終わってしまった」とつい呟いてしまうものなのである。

この夏、遊んだのは4日間だけ。(キャンプで3日、ごろごろした日が1日)あとは、毎日、机にむかってせっせと原稿を書いていた。

とにかく、よく仕事をした夏でありました。

おかげで、『レヴィナス序説』の翻訳が終わり(9月6日刊行)、武道論も書き上がり、冬弓舎の『ためらいの倫理学』が出来上がり、レヴィナス論も第二章まで進んだ。

レヴィナス論はいまイリガライの悪口を書いている。

書き出したら止まらない。しかし、「レヴィナス論」のつもりで買ったら、イリガライの悪口ばかり50頁も読まされては読者も困るだろう。どこかで止めねば。

第三章ではデリダの悪口を書く予定。これも止まらなくなる可能性がある。第四章ではサルトルの悪口。なんだか、全編「一度でもレヴィナス先生のことを悪く言った人間への仕返し」というような結構である。

しかし、人の悪口を書き出すとたちまちエクリチュールの絶頂に達するというのは、どういう邪悪な性格なのであろう。日頃、物静かな市民を偽装しているせいで抑圧された暴力衝動がここを先途と暴発するのであろうか。

まあ、イリガライやデリダが私の論文を読む可能性は絶無であるので、私が何を書いても本人は傷つかないからよいのである。

日本の研究者の書いたレヴィナス論についても書きたいことはいろいろあるのだが、これはご本人に読まれる確率が非常に高く、読んだご本人がものすごく厭な気分になることは必定であるし、私も学会会場などで会ったときに泡を食って逃げ出すのが面倒くさいので、ぐっと自粛しているのである。

「なにかね、君の書いたものを読まない人の悪口なら書くが、読まれる可能性のある人のことは書かない、というのが君の批評的態度なのかね」

「そうです」

「君の批評精神というのは、そんな程度のものなのか。身体をはってでも自分の意見を通す気概はないのかね」

「ありません。」

私は常日頃、かげで人の悪口は(死ぬほど)言うが、本人には絶対に言わないようにしている。

よく、「かげで言えば悪口だが、面と向かっていうと忠告になる」などと賢しらなことを言う人がいるが、そういうおためごかしを信じてはならない。

私は何度か試みたことがあるが、例外なしに相手は逆上し、社会関係に深刻な影響が出た。耳に痛い忠告を受け入れて、その人がみごとに人格改造を果たしたという例を私は寡聞にして知らない。

人間というのは(おお、すごい主語だ)自分の欠点については「まったく無自覚」と「きわめて自覚的」という二つの態度しかとらない。

たとえば、信じられないほど鈍感な人物は例外なしに自分のことをデリケートだと思っているので、「君、もう少しまわりに配慮したら」というような忠告はまったく的外れの誹謗としか思われないのである。

また、自分の欠点をつねにくよくよ悩んでいる人間にむかってその欠点を指摘することは、(自分がでぶであることを熟知しているけれどダイエットができない人間に「少しは痩せる努力しろよ」というのと同様)「それだけは言ってくれるな」と怒りの火に油を注ぐだけのことなのである。

それゆえ、私は決して人に向かってその欠点を指摘することはしない。かげできっちり悪口を言い、面と向かったときは「よいしょ」に励むのである。

そういう私に文句がある場合、そこで指摘される点は私にとって「まったくのいいがかり」か、「私が誰よりも苦しんでいること」のどちらかであるので、決して面と向かって私を批判してはなりません。文句を言いたい人は「内田のここが嫌い!」協会でもお作りになって、みんなで盛り上がって下さい。(わ、楽しそう。私も参加したいけど、だめか)