The days of pains and regrets: from 1 Jan 2000
12月31日
20世紀最後の日となった。
自分が生きて21世紀を迎えることになろうとは、16歳のころには思いもしなかったが、まったく先のことは分からないものである。
「2001年宇宙の旅」とか「2001年ナイアガラの旅」といったフレーズにリアリティがあったのは、基本的に「2001年なんて来るはずない」という暗黙の了解があったからである。
いまの10代の少年たちの多くは1999年7月に「世界は滅びる」と30%くらいは思っていたそうである。
去年のいまごろは2000年問題というのが世間を騒がせていたが、そもそも「2000年問題」が起こったのは、コンピュータのプログラムを作っている連中が「2000年は来ない」と思っていたからである。
その黙示録的7月も過ぎて、世界が破滅するはずの2000年もなにごともなく迎え、あれよあれよといううちに新世紀になってしまった。
まったく困ったものである。
人間はありもしない未来を期待してい生きている、というふうに思っていたが、案外そうではなくて、人間は「未来なんかない」と思いこんで、今日の退屈や苦痛に耐えてきたのだということが分かった。
なるほど。
「おれたちに明日はない」というのは絶望の言葉ではなく、希望の言葉だったのである。「明日なき暴走」というのは、「明日がない」ことにしないと暴走できないからこしらえた言い訳だったのである。
これからさき、「明日ある人生」をどうやって私たちは生きて行くのであろうか。
朝食を終えて、新聞のTV欄をみたら、あたまがくらくらしてきた。
地上波というメディアはその歴史的使命を終えたような感じがする。
一昨日、次郎君のうちに遊びに行ったら、インターネットのフランスのTVニュースを見せてくれた。インターネット常時接続なのでBGM代わりに流しているそうである。
すでにオン・デマンドでニュースでも音楽でも映像でも好きなものをゲットできるようになった。
だとしたら、今後地上波TVに残されたものは何だろう?
たぶん、「ほかのメディアではくだらなすぎて放映できないもの」とCMだけだろう。
そういうふうにTV欄を見ると、たしかに番組のほとんどは「ほかのメディアではくだらなすぎて放映できないもの」のようである。
いま、私の周囲でTV業界に行きたいと言う学生はほとんどいない。
それでも「行きたい」という人は、いま放映しているような「ほかのメディアではくだらなすぎて放映できないもの」とCMが大好きなのであろうから、この傾向は今後加速度的に進行するはずである。
もしかすると、このさきTVは「実話系週刊誌」的なうろんなメディアとして、「そういうものが好き」な人(TVフリークスたち。「え、おまえ、TVなんか見てんの?すげー、ディープじゃん」的な)の支持を集めて、それなりの安定と収益を確保するのかもしれない。
よく、わからない。
今年の紅白歌合戦の番組を眺めて計算したが、出場56団体のうち、「私が知らない曲」が46曲、「アーティストの名前さえ知らない曲」がうち21曲だった。
これはびっくり。
いったい、いつのまにかの国民的行事がこんなに「ディープ」になってしまったのであろう。
たしか、1980年代のなかばごろまで、私は出場者の全員の名前を知っていたし、曲も半分は知っていた。
無理もない。
なにしろ、SMAPが出場10回なのである。
出場10回といったら、私が中学生のころの「春日八郎」とか「三橋美智也」の貫禄である。
SMAPが「春日八郎」である時代に、それよりもっと古い曲を聴かせろと私はいっているのである。昭和35年の紅白で松井須磨子に「カチューシャの歌」を歌わせろと文句を言っているおやじとほぼ同じスタンスに私はいるわけである。
つまり紅白歌合戦自体が変わったのではなく、私が老いたのである。
私がいちばん最近買ったCDは竹内まりやの『souvenir』である。(その前に買ったのはエルヴィスの『Rock'n'roll』であり、その前はサザンの『海のYeah!』である。)
これはおそらく私が中学生の頃における「李香蘭・全ヒット集」とか「バタやん・マドロス歌謡絶唱」とか「広沢虎造・東海遊侠伝」というようなものとほぼ等しい「時代物」と考えてよいであろう。(なんていうと竹内まりやさんや桑田ケースケさんには申し訳ないすけど)
で、勝手なことを申し上げますが、私が見たい「おじさんのための紅白歌合戦」の出場者を発表させていただきます。
はっぴいえんど・シュガーベイブ・YMO・サザン・ユーミン・RCサクセション・井上陽水・よしだ・たくろう・竹内まりや・大貫妙子・薬師丸ひろ子・矢野顕子・矢沢永吉・岡林信康・クレージーキャッツ
なんていうラインナップです。司会は大橋巨泉と青島幸男。
誰か企画して下さい。
12月26日
今年は煤払いに合気道部員+オガワ亭主人=9名の参加を頂いたせいで、あっというまに大掃除が終わって、家中ぴかぴかになってしまった。
ほんとうは夕方までやって、それから街に繰り出してみんなにご飯を奢って上げようと思っていたのであるが、人海戦術の甲斐あって、二時ころには終わってしまった。
そのあと、みんな宴会残りのケーキやカクテルバーなんかで「ほっこり」しはじめ、私が捨てようとしていた文庫本などを読み出しので、私もすっかりだらけてきて、はやくお風呂にはいって髪洗ってさっぱりした服に着替えてビール飲みたくなったので、そのまま解散してしまった。
去年はお礼に「シャンティ」のインド料理を奢って上げたのであるが、期待していた諸君ごめんね。
しかし、みんなのおかげで今年は順調に年末雑事が片づいた。
ウッキー、佳奈ちゃん、おいちゃん、クー、江口さん、澤さん、ごんちゃん、山田さん、小川さん、みなさんどうもありがとう。(ウッキー、期待の鴨鍋食べ損なってしまいましたね。鴨は私が昨日ひとりで水菜、豆腐、こんにゃくといっしょにお鍋にして「スマスマ」を見ながら食べてしまいました。めちゃ美味しかった。)
あとは年賀状を250枚書いて、宴会を二つこなすだけである。
一つは28日の「極楽スキーの会・チーム変わり者・グループ岡田山の良心・ジェンダー研究会」共催の大忘年会である。これはオガワ亭主人の懐石フルコース(会費・時価)である。ワインも三杉、ナバエ先生あたりが「ボディーのしっかりした、ブルゴーニュの、ふふふの赤」などをご持参下さるはずである。
当日の「垂涎めにう」をお知らせしましょう。
前菜 柚釜いくらと銀杏の卸し合え
八寸 九条葱と赤貝の芥子酢味噌あえ
(五種盛) 百合根最中
丸十和え
生麩盛り合わせ
林檎カン
造り さごしのきずし
河豚の皮の湯引き
旬の魚
吸い物 海老真蒸
焼き物 銀鱈の味噌漬け
煮物 聖護院大根
海老芋の揚げ煮
南瓜
あん肝の湯葉巻き
蓬麩
蒸し物 蕪蒸し
御飯物 むかご御飯
香の物
以上。美味しそうだね。この美食をほおばりつつ、神戸女学院の明日について語り合おうという趣向である。
二つ目の宴会は年末恒例「仏文関係者忘年会」。
今年はJIRO先生のお宅にお願いした。(さすがにあまり宴会が続くとウチダもマンション近隣の「世間の目」というものが痛いのである。)
それで「公務」はぜんぶ終わり。あとは映画を見て、本を読んで、レヴィナス論を書いて過ごす楽しい冬休みである。
なお、ウチダは年始挨拶に1月1日から5日まで東京に行っておりますので、年内の日記の更新はこれでおしまい。(このホームページは大学の研究室のマックで作っているので、うちからは更新できないのであります。近況につきましては、ホームページの「メッセージボード」をご覧下さい。)
では皆さん、楽しい新世紀をお迎え下さい。
12月25日
世間はクリスマスである。
私は娘がはやばやと東京へ去り、合気道の納会も、恒例のすす払いも終了し、美しく静まり返った家で、お仕事三昧、読書三昧、音楽三昧、美食三昧の日々である。
むかしはクリスマスには女の子とデートをしていた。
私はそういうときにはちゃんとしたレストランで食事をして、それなりのプレゼントをさし上げて、タクシーでおうちまで送るという「女の子からすれば、たいへん好都合な男」であった。
そのせいか、私は若い頃、けっこうもてた。
奢ってくれて、貢いでくれて、呼べば飛んできて、不要なときはほっておいても怒らない、しかも別れてもあとくされがなくて、学校やバイト先で会ってもにこにこしている。
女の子にしてみれば理想的に「好都合な男」なんだもの。
これでもてないはずがない。
しかし、このように達観するまでにはいろいろと苦難もあったのである。
高校生のころまでは「とにかくしつこくつきまとう」のが愛情表現だと思っていた。
しかし、どういうわけか、しつこくつきまとって好きだ好きだ好きだとわめきちらすと、すべての女の子は走って逃げてしまうのである。
これはまずい。
こういうときに発想の切り替えが早いのが私の取り柄である。
私は問いを反転したのである。
どのようなガールフレンドを私は理想としているか?
こちらの都合のいいときにはいつでも遊んでくれるが、こちらの行動には不干渉で、こまめにプレゼントをくれて、気持ちがさめたらあっさり身を引いてくれて、そのあと会ってもにこにこしてくれる女の子、それこそ私が求めるその人であることは贅言を要さない。
なんだ、それを逆にすればいいんじゃないか。
私は目からウロコが落ちた。
私がしてほしいことを相手にしてあげればよいのである。
20歳くらいのときにエリック・シーガルという人の『ラブストーリー』という恋愛小説とその映画化が大ヒットしたことがあった。
前にも書いたことがあるが、そのときのキャッチフレーズが
Love is never to say sorry.
というのである。
これを配給会社は「愛とは後悔しないこと」と訳した。
「愛とは後悔しないこと」では、「とにかく後先考えずに情熱に身を任せて突っ走れ」というふうに誰でも理解するだろう。
しかし、意味はまったく違うのである。
この台詞は、身分違いの貧家の娘と結婚した息子を勘当にした大富豪の父親が、夭逝したその娘の葬儀のときに数年ぶりにあった息子に、お悔やみとともに、「I'm sorry」と言うのに対して、息子が顔も見ずに返す言葉なのである。
「もし、あなたが私を愛していたのであれば、あとになって『すまぬ』などと言うような行為をするはずがない。つまり、あなたは息子である私を昔もいまも愛してなどいないのである」という、これは絶縁の言葉なのである。
「愛」というのは、あとで「ごめん」といわねばならないような仕儀に立ち入らないように、一瞬たりとも気を緩めないほどにはりつめた対人関係のことである、ということを私はこのとき学んで、「おおお」と目からウロコを落としたのである。
「愛する」とういうのは「相手の努力で私が快適になる」ような人間関係のことではなく、「私の努力で相手が快適になる」ような人間関係のことなのである。
ところがこれを逆にとっている人が多い。
「愛」が好きな人たちは、もっぱら「自分にとっては快楽であるが、相手にとっては迷惑なこと」を選択的に相手にむかってする傾向にある。そればかりか、その迷惑に相手が耐えることを「愛のあかし」などと呼ぶのである。
困ったものである。
12月22日
田口ランディの『コンセント』と『アンテナ』を続けて読んだ。
ちょっと前に鈴木晶先生もこの二冊を続けて読んでいて、感想文を「電悩日記」に掲載されていた。(たぶん同じころに本を買って、同じ頃に読んでいたのであろう。あまりにそういうことが多いのでもう驚かなくなった。)
その鈴木先生の解釈がたいへん面白かったので、それをご紹介しよう。
「先日、田口ランディの本をたてつづけに2冊読んだ、と書いたが、2冊とも要するに「二つの死」の話であった。
これはラカンが書いている(セミネールだから「話している」?)ことで、ジジェクが明快に解説していることだが、人間には生物学的な死と象徴的な死とがある。前者については、あらためて説明する必要はないだろう。後者は、わかりやすくいえば、自分がある人間の死を受け入れる、ということである。そのために人間は葬式というものをやる。象徴的にも死んだ人間を、昔は「成仏した」と言っていた。
この発想は西洋でも同じらしい。いちばんわかりやすい例はデミ・ムーア主演の『ゴースト』とうい映画だろう。デミ・ムーアの夫は暴漢に刺されて死んでしまうが、妻を愛するあまり、「成仏」できない。最後に、天から降ってきた光のなかへと消えていく。『シックス・センス』も同じような発想にもとづいている。成仏できない死者を、地縛霊と呼んでいるが、これはつまり生物学的には死んでいるが、象徴的には死んでいない死者のことである。典型的なのがゾンビだ。バレエの世界にも『ジゼル』に出てくるヴィリという有名な例=霊がある。
人間は二度死ななくてはならないのである。二度死ななかった者は「たたり」をもたらす。
キューブラー=ロスは重要なことを書いている。死に瀕している病人に対して、嘘をついて「きっとよくなるから頑張って」と言ってはいけないというのである。そう言われて、快復を信じたまま死んでしまうと、その人は死への準備ができていないために、この世に「やり残しの仕事」をおいていってしまうことになる。幸せな死とは、やり残した仕事を片付け、死を受け入れる準備ができている人の死なのだ、とキューブラー=ロスはいっている。」
私は鈴木先生とまったく同意見である。
ひとの解釈を読んだあとで「同意見」と言っても、「なんだ、まねっこじゃん」といわれそうであるが、同意見なものはしかたがない。
人間は二度死ななければならない。
生物学的な死つまり死者にとっての死と「喪の作業」つまり生者にとっての死のふたつである。
「喪」を経由しない死者は死んでいるが生きている。
「喪」を拒否された死者が生き続け、その「祟り」を怖れた人々が、「喪」を拒否した親族を殺して決着をつける、という話がある。ホラー映画みたいだけれど、カミュの『異邦人』というのはそういう話である。
田口ランディの小説はふたつとも近親者が「死んでいるが死んでいない」状態をどうやって「喪」の作業にまで持ち込むかをドラマの緯糸にした、「祟り」を鎮める物語である。
ただし、『コンセント』はわりと古典的な服喪の物語であり、読後にある種の清涼感をもたらすが、『アンテナ』はそれに比べてひどく後味が悪かった。なんとなく「祟り」が払拭され切っていないような気がする。(「あかないドア」はどうなるのか、「ボタ山のアンテナ」は何を意味しているのか、「霊の通路」って何なんだ、妹を殺したのはほんとうは「誰」なんだろう・・・)
田口ランディというのはかなり戦略的な作家のように思えるから、同じ主題、同じ結構で二つの作品を書くということはたぶんないだろう。
この「後味の悪さ」は『コンセント』で解決されたはずの「死者の弔い」が決して「十分ではなかった」という底なしの「オープンエンド」を暗示しているのかも知れない。
うう、やだやだ。こわいよお。
というわけで、「こわいものみたさ」の人には『アンテナ』、オススメです。(私はひどく悪い夢をみてしまった。)
「正しい死者の弔い方」を主題にすえた物語が最近何となく多いような気がする。
『取り替え子』も、『シックスセンス』も、『敗戦後論』も、『河原のアパラ』(町田康)も、テーマは「どうやって成仏しない死者を成仏させるか」という焦眉の急務について書いている。
どうしてなんだろう。
12月21日
最近どうも武道の稽古が楽しい。
いつもだいたい楽しいのであるが、このところ無性に楽しい。
一年生相手のワークショップでは、基本的な動きだけを教えているのだが、非常に面白い。私が面白がっているのが学生たちにも伝染するらしく、みんななんだか夢中になって稽古している。
合気道部のお稽古ではさらにヒートアップ。いろいろなアイディアが次々と湧いてきて、「ああ、そうだったのか。そ、そうだったのか」と(ちょっと危ない)「ひとりうなずき」状態が続いている。
定期的にこういうことがある。ある「ステージ」をクリアーして、次の「ステージ」に切り替わるときである。
そういうときはちょうど、ジグソーパズルの90%くらいが埋まった状態と似ていて、残ったピースが吸い寄せられるように「かちり」と空隙を埋めてゆく。あるいは「神経衰弱」のおわりのころにも似ている。裏返しのカードが「全部見える」ような段階って、あるでしょ。
あれに似た感じである。
「浮き身」を遣うと上体が「無拍子」になりやすい、ということはこれまでも理屈では分かっていたのであるが、それを具体的な稽古プログラムとして構成する仕方が分からなかった。
それが杖道の稽古をすることで見えてきた。
杖の形稽古では、基礎的な段階で「浮き身」を遣わせる。それができないと「その先へはすすめない」ような基本の技法的課題として膝の遣い方をみっちり仕込むのである。
どうして、このような日常的には決してしないような膝の遣い方が「杖術の基本」なのか。どうして合気道では、そのような課題を要求しないのか。そのことを考えているうちに、合気道の基本の形もじつはすべて「浮き身」の膝を要求しているのではないか、それを単に私が見落としてきたのではないか、という疑念が湧いてきた。
そうやって考えてみると、四方投げも入り身投げも小手返しも、全部「浮き身」がどこかに瞬間的に入る。入れなくてもそれらのわざはできるのだが、入れると技の質ががらりと変わる。
技の「つや」のようなものが出てくるのである。
それが不意に分かった。
「つや」といってもエステティックな意味ではなく、「動作におけるなめらかな肌理」のようなものである。つまり、動作のあいだに切れ目がなく、動きに固定的な支点がなく、ある動作が完了する前に、それとまったく方向が違い、運動性を異にする動作がもう始まっている、というような場合、取りと受けのあいだに「ぬるり」とした、なんというか「怪しいもの」が出現するのである。
多田先生はこれを「甘み」という言葉で表現されたことがあった。
先生は呼吸法の鍛錬をつうじて、「技には甘みが出る」という言い方をされたが、私はまだその技法的なプログラムがうまく展望できない。しかし、身体技法的な「甘み」の出し方のひとつの手がかりが「運足」、とくに膝の遣い方と重心の遣い方にあることは分かった。
もちろん「膝の遣い方」が分かったというようなことで喜んでいるというのは「まだまだ」なのであるが、こうやって一つ一つ技法上の難題がきちんと定式化されてゆくというのは、とても楽しいのである。
技法上の難題が「解決された」ということが、ではない。「定式化」された、ということがである。
「これをクリアーすれば、その先へ進める」ということが「分かった」ということである。どういう稽古をすればいいのかが分かるということはとてもよいことである。
極端な話、できるできないは二次的な話である。技法上の課題とそれを攻略する道筋さえ分かれば、一月でいくか二十年かかる分からないけれど、いずれ必ずできるようになる。
というわけで20世紀の終わりにあたり、ウチダはいきなり武道に燃えているのである。
燃えつつ、甲野善紀さんの新作ビデオを拝見。
おおお、これは・・・私がやろうとしていることとなんだか似ているね。
ビデオの中で、甲野さんの動きの独特の「ぬるぬる感」をご本人はおもに腕と体幹の使い方で出しているというふうに説明されていたが、私には膝の遣い方が非常に巧妙であるように見えた。
いずれにせよ、肩や肘に支点を作らないという技法は甲野さんのビデオで教えてもらって、私自身この数年間工夫を重ねてきていることなので、体幹の遣い方についてもぜひ次の稽古に取り入れたいものである。
日本の体術の考え方は彼一人の出現によって大きく変わったと私は思う。その理由は技術的に卓越しているということだけではなく、(もちろんすごく「できる」人であるのだが)、甲野さんが、「自分が課題としているけれど、まだクリアーできていないこと」をむしろつよく意識しながら、現在の自分の「ポジション」を正確にレポートするという「情報開示」主義をとったことにある、と私は思う。
武道の流れを変えたのは、甲野さんともう一人黒田鉄山さんのこの「現在進行形で、技法の習熟過程を報告する」ディスクロージャーの原理である。
私はその点について、このお二人には深い敬意を払っているのである。
なんだか武道の話だけで終わってしまった。
20世紀のお稽古はあと一日だけ。何しようかな、いまから楽しみ。
12月20日
20世紀もあますところあと11日となってしまった。何か20世紀中にやり残したことはないだろうかとしみじみ考えたのであるが、これが「ひとつもない」のである。
われながらたいしたものである。
つまり、私は「したいこと」はsur le champ 「その場でただちに」やることにしているのであるが、そのスタンスが貫徹された、ということをこれは意味している。
後悔には二種類がある。
「何かをしてしまった後悔」と「何かをしなかった後悔」である。
ふつう「後悔」というとひとびとは前者を思い浮かべる。
「ああ、あんなことさえ言わなければ・・・」とか「あのとき、酒さえ呑んでいなければ・・」とか「あのとき、ふっと魔がさすことさえなければ・・・」とか、ね。
しかし、それで友人を失おうと、免停をくらおうと、セクハラ訴訟を起こされようと、先物取引で全財産を失おうと、それらの行為はまぎれもなく「その人自身の欲望」がかたちをとったことの結果である。
つい口が滑ってともだちをなくす人は、心の中ではその人のことをもとから「ともだち」とは思っていなかったのである。酒を飲んで理性を失った人は、「呑んだら理性を失う」ということが理性的に分かった上で酔っているのである。「魔がさして」一線を踏み越えてしまう人というのは、「踏み越えたい」から「踏み越えた」のであって、誰も彼にそれを強制したわけではない。
潜在的欲望をご本人同意のもとに顕在化した、というだけのことである。
私はそのようなものを「後悔」とは呼ばない。
私たちの心を長い時間をかけて酸のように浸食して、私たちを廃人に追い込むような種類の「後悔」とは、「何かをしなかった後悔」である。
かけがえのない時間、かけがえのないひと、かけがえのない出会いを「逸した」ことの後悔、「起こらなかった事件」についての後悔は、それが起こらなかったがゆえに、私たちの想像を際限なく挑発しつづける。
私は16歳のときに、そのことを学んだ。
「後悔、後に立たず」と同級生の「小口のかっちゃん」は私に言った。
なんと含蓄深い言葉であろう。(かっちゃんには「鉄腕アトムうちに打て」という金言もある。これはよく意味が分からない。)
私はかっちゃんのアドヴァイスを受け入れ、とりあえず「あとから考えて『やらなかったことを』後悔しそうなこと」をかたっぱしから「やる」ということを生きる上での基本方針に採用したのである。
「あとから考えて『やらなかったこと』を後悔しそうなこと」というのは、要するに「期間限定的」なオプションである。
例えば「高校中退」というようなことは高校生にしかできない。決断のためにはあまり熟慮している余裕というものがない。即断即決である。
私は高校生活を心から愉しんでいたのであるが、「高校中退は高校生のときにしかできない」ので、とりあえずやめてしまったのである。
しかし、私はそのことをまったく後悔していない。
高校中退で勢いのついた私は、その後も、「やりたいことは即実行」「Tomorrow never comes」をモットーに、あらゆる「やらなかった後悔」の芽をつぶしつつ、今日に至ったのである。
昨日、借りてきた『ガキ帝国』を見ていたら、ラストまぢかに、68年の大阪ミナミのまちで、趙方豪君が機動隊員になったむかしの不良仲間ポパイに「おう、なにしとんじゃ」と話しかけ、「逮捕すっぞ、こら」と返されて、いきなり機動隊員の隊列のまんなかではり倒す、という場面があった。
なんだかすごく懐かしい気がした。よく考えたら、同じことを私もやったことがあったのを思い出した。
1970年の12月、何のデモだったか忘れたけれど、銀座通りをデモしたことがあった。
もう街はクリスマス気分で、こちらの気分もぱっと盛り上がらず、私は適当なところで隊列を抜けて、デモ隊を規制する機動隊の列のさらに外側をたらたら歩いていた。
すると、機動隊の分隊長みたいな指揮棒をもったおっさんが、立ち止まってトランシーバーでデモ規制の指示を出していたのに、ぶつかった。そのおっさんは20歳の私の前にでかいケツを向けて、傲然と道を塞いでいた。
私にはこの無神経なケツが「国家権力」の象徴のように見えた。
私は「即断即決」で、会心のトゥキックを機動隊隊長のアスホールにめり込ませた。彼はそのまま1メートルほど宙を飛んで、顔から街路樹の根もとに突っ込んだ。
私はあまりの蹴りのあざやかな決まり方にわれながら驚いた。
まわりの機動隊員たちも何が起こったのか、しばらくあっけにとられていた。
私は数十人の機動隊員の囲みの真ん中で隊長のケツを蹴り飛ばしたのである。
隊長が起きあがって「そいつを逮捕しろ!」とどなって、私も隊員たちも我に返った。
私はそのあと生涯最高のスピードで銀座通りを駆け抜けた。
いちど、一人の隊員の手が私のコートのフードの部分にかかったが、さいわい、マグレガーのダッフルコートのフードは「取り外し自由」のボタンがついていたために、ボタンをぜんぶ飛ばして、フードだけを彼の手に残して、私は銀座四丁目のかどを有楽町方面に逃走しおおせたのであった。
30年前のいまごろのことである。
あのとき「即断即決でケツを蹴った」ことによって私はこういう人間になった。
「熟慮の上、蹴らなかった」場合、私がどのような人間にその後なったのかはうまく想像できない。
今の私よりたぶん「感じのいい人」になっていたとは思うけど、それは「私」ではない。
12月17日
土曜は杖道の稽古納め。
鬼木先生宅での納会に20名近くが雪崩れ込む。
私の主たる目的は鬼木家の二人の娘と遊ぶことである。
うちの娘はもう大きいので、だっこしたり頬ずりしたりすると「ぐー」で殴られかねない。しかし、定期的に「ふにゃふにゃしたもの」を抱きしめたくなるのは人間のサガというものである。
鬼木家の長女アキノちゃんは、幼児期に私が「ふふふ、私がパパだよ。顔がちょっと違うけどね、今日から私が君のパパなの」と死ぬほど脅かしたせいで、私の顔を見ると号泣するようになってしまった。もう記憶は薄らいだかと思うのだが、よほどトラウマが強かったらしく、私の顔を見ると「なんとなく直観的に怪しいやつ」という懐疑のマナザシを向けて近づいてこない。
次女ハルカちゃんはまだ9ヶ月、「ふにゃふにゃ」の絶頂期である。膝にのせて、いっしょにケンタッキーのフライドポテトを食べているうちに、くーすか眠ってしまった。
なんてかわいいんだ。このままさらってしまおうかしら、と思うほどである。
しかし「寝る子は重い」ということわざどおり、両足がしびれてきたので、別れを惜しみつつ、母にパス。
飯田先生に「はやく子どもを生みなさい」とよけいなお世話なことを言う。「育児は私が手伝ってあげるから。」
言ってみてから、おお、これはよい考えだ。
私の周囲には「結婚はしたくないが、子どもは欲しい、でも一人で育児はたいへん・・・」という独身女性が少なくない。
そして、私は「誰の子であれ、ふにゃふにゃしたものをかわいがりたい」という男である。
ここに需給関係の一致というものが成立するのではあるまいか。
かの女性たちが次々と子どもを産んできて、「ウチダさん、お願いね」と私にパスして、仕事にでかけ。私がエプロン姿もかいがいしく、子どもたちにミルクをやり、おむつを替え、いっしょに「おかあさんといっしょ」を見たり、お昼寝したりして、4歳になったら合気道と杖道を教えるのである。ご要望があればフランス語だって教えてもいい。
国際的知性を育てる武道系託児所。すばらしい。
私自身の仕事はどうなるのか、という根本的難点はあるが、不肖ウチダとしてはぜひ独身主義の女性諸君の育児のお手伝いをさせていただきたいと、かように思うのであります。
12月16日
教授会のあいまに柄谷行人『NAM原理』を読む。
うーーーーむ。何だろうねえ、これは。
誰か教えて下さい。
私には意味がよく分からない。
読んでないひとのために簡単に簡単にいうと、これは21世紀の「共産党宣言」である。資本主義と国家制度を超克する組織論が書いてある。
そのキーコンセプトは地域通貨と生協とインターネットとくじ引きである、というのである。
私が「うーーーむ」と唸るのも分かるでしょ。
いや、これが例えば「COOPの未来」とかいう題名で愛宕山ミニコープのレジ脇においてあるパンフであれば、私も「おお、けっこう神戸のコープさんは過激だなあ」と感心して、「ねえ、ねえ、すごいよ神戸のコープは地域通貨を出して、共産主義革命をするみたいだよ」と大学の同僚たちに触れ回ることであろう。
しかし、柄谷行人が苦節40年マルクス主義思想を省察した帰結として、「賛助会員一口1000円以上」の「組織」つくりを提言とする、ということの意味が私にはいまひとつよく分からない。
柄谷がマルクスを研究して得た「未来像」は「要するにマルクスは国家によって協同組合を育成するのではなく、協同組合のアソシエーションが国家にとって代わるべきだといっているのである。そのとき、資本と国家は揚棄されるだろう。そして、そのような原理的考察以外は、彼は未来について何も語っていない。」(p.59)ということである。
協同組合とは、「資本制下で労働力を売らない」、「資本制生産物を買わない」人たちが、それでも生活できるための「受け皿」である、と柄谷は説明している。
「労働者=消費者にとって、『働かないこと』と『売らない』ことを可能にするためには、同時に、働いたり買うことができる受け皿がなければならない。それこそ、生産−消費協働組合に他ならない。」(p.36)
このような組織が全世界的なネットワークを形成したとき、資本主義と国家は揚棄されるであろう、と柄谷は予言する。そしてこれが現在可能な唯一の運動形態であり、かつ「現状を止揚する現実の運動を共産主義と名づけている」とマルクスが定義している以上、これこそが「共産主義」なのである。
困ってしまったなあ。
柄谷の言っていることは正しい。
正しいんだけれど、変である。(「正しいが変」ということってあるのだ。)
私には少なくとも二つ柄谷が言い落としていることがあると思う。
一つはこのような「原理的」な運動を唱道し、それに賛同している人間たちは、いまのころ全員が「資本制」と「国家」の受益者であり、それを「揚棄する」ことより、それがとりあえずしばらくは「順調に継続する」ことによって、より多く利益を得る、という逆説を生きている、ということである。
つまり、この「原理」という本が価格1200円で書籍流通の構造の中でベストセラーになり、運動に多くの学生市民が参加し、みんなが「ナムナム」と言い出し、「ナムにあらざれば知識人にあらず」的なムードが高まり、アソシエーショニストであることの「文化資本」が高騰し、「賛助会費」が(地域通貨じゃなくて、円で)NAM事務局の金庫を満たす、ということをとりあえず(不本意ながら)NAM運動は目指しているわけである。
つまり、NAM運動は、それが揚棄すべき資本制市場経済を「基盤」にして立ち上がるわけであり、そのシステムそのものが柄谷をはじめとするアソシエーショニストの諸君の消費生活を当面は支えて行くわけである。
しかし、そのような「ねじれ」はどこかで廃棄されねばならないだろう。
それは、いつ、どのような仕方でなされるのだろう?
「資本制生産物は買わない」ことを第一のスローガンに掲げる運動のファンドが(『原理』という)「資本制生産物」を資本制マーケットを流通させて、できるだけ多くの人に「買わせる」るという形態で獲得されるほかないという矛盾はどの段階で「揚棄」されるのであろう?
おそらく、協同組合が柄谷たちの消費生活を支えるだけの構成員数を抱えたときに、すべての「ねじれ」は解消されるのであろう。
しかし、「資本制生産物」を買わないで、なお日々を楽しく暮らすだけの「消費生活」を基礎づけるためには、衣食住の確保だけではすまされない。
消費生活には、映画館や娯楽小説や音楽CDやゴルフ場や能楽堂や居酒屋やハンバーガーショップやヨットハーバーやゲーセンなどなど、私たちがそこで消費行動を行っているサービスが含まれる。それらの過半を協同組合が提供していなくては、資本制市場からの「離陸」は果たせない。
でもそのためにはいったい何人くらいの組合員が必要なのだろう?
100万人くらいだろうか?
それくらいいれば、資本制市場と独立したかたちで生産と消費をまかなうことはできるかもしれない。
しかし、そこに至るまでの過程で、この運動は市場経済のメカニズムと国家の管理ときちんと折り合っていかなくてはならない。
そして、もし「資本制市場経済」と「国家システム」の下で、すくすくとNAMが育っていくのだとしたら、そのとき私たちは深甚な疑問に逢着することになる。
だったらどうして資本主義と国家を揚棄する必要があるの?
だって、君たちまさしく資本主義と国家というシステムの中で、みごとに共産主義組織を作り上げることができたじゃない?
ここで私の頭は混乱する。
自分がやりたいことをやらせてくれないシステムだから、このシステムを揚棄する、というのなら話は分かる。
自分がやりたいことを少しも邪魔しない(どころかときどきアシストしてさえくれる)システムをあえて揚棄することの意味は何なのだろう?
NAMは資本主義を禁じるが、資本主義はNAMを禁じない。
どちらが「正しいシステムか」と問われたら、私は答に窮する。
どちらが「でたらめなシステムか」と問われたら、私は迷わず「資本主義」と答える。
そして、正直言うと、私は「でたらめなシステム」がけっこう好きなのである。
もう一つ柄谷が見落としているのは「欲望」である。
仮にNAMの運動が順調にすすんで、1000万人程度の構成員を擁する巨大な生産−消費協同組合ができたとする。この組織はどのような「商品」を生産、流通、消費させる予定なのだろう。
後期資本主義社会の市場について私たちが学んだことの一つは、私たちは「必要がある」からものを買うのではなく、「欲しいから」買う、ということである。
私たちの「欲しい」という気持をかきたてるのは、商品の「使用価値」でも「交換価値」でもない。
用語の解説をここでさせていただきますが、「使用価値」というのは、モノ自体が「何かの役に立つ」という場合の価値である。(亀の子だわしは「フライパンを洗う」のに役に立つ。)
「交換価値」というのは、モノそれ自体の価値ではなく、需給関係によって生ずる価値である。(ゴムボートの使用価値(水に浮く)はどの市場においても同一であるが、「タイタニック号沈没間際」と「初秋の湘南海岸において」では交換価値が異なる。)
さて、資本制市場において私たちの欲望を喚起するのは商品の使用価値でも交換価値でもない。
それは商品の「象徴価値」である。
象徴価値をボードリヤールは「その商品がもつ社会的な差別化指標としての価値」と定義している。
分かり易く言い換えよう。
「ローレックス」と「スウオッチ」はどちらも計時能力という使用価値においてはほとんど優劣がない。しかし、一方は100万円、一方は9800円。「どちらが欲しい?」と尋ねれば、多くの人は「ローレックス」と答えるだろう。
どうして?
もちろんローレックスをはめていると、見た人が「わ、すげー」と驚くからである。
見た人の目に「興味と懐疑と畏怖」の表情が浮かぶからである。
ローレックスをはめている人は、このような高額の商品を彼に供与しうる「なんからの回路」(濡れ手で粟の金融商品とか「リッチなパパ」とかヤクザとか)にアクセスしているという事実がこの「興味と懐疑と畏怖」の感情を構成する。
それが「差別化」ということの内実である。
差別化とは、端的に言うと「ここから先はオレは行けるけど、あんたはダメ」と言うことである。
つまり、象徴価値をもつ商品とは、「それを通じて迂回的にしか表象されえないものの存在を暗示する商品」のことである。
「不可視のもの」を背後に蔵していることによってはじめてある商品は「象徴価値」を帯びるのである。
お分かりだろうか。
だから、ある社会において高い象徴価値を持つ商品とは、「不可視のもの」あるいは「外部」とのつながりを暗示する商品になるのである。
例えば、占領下の日本において象徴価値が高い商品は「キャデラック」や「ジッポ」や「レイバン」であった。それはその所有者がそれを誇示することによって「米軍」という「不可視の外部」とのコネクションを暗示することができたからである。
いま若者たちが例外的な欲望を示している対象は携帯電話である。すぐお分かりになるとおり、それはまさしく「見えない外部との連絡」の記号そのものである。つまり、携帯電話はいわば端的に象徴価値「だけ」で構成された商品なのである。
話を元に戻すと、人間がある限り(それがNAM社会であれ)、人々は必ず象徴価値を持つ商品を渇望する。
柄谷はNAMにはどのような秘密も、どのような権力も存在しない、と主張する。
NAM社会はその「外部」に「資本制市場」と「国家」を叩き出す。
だとすると、論理的に言うと、「NAM社会」においてもっとも高価な商品、その構成員が切望する商品は、「資本制市場と国家と秘密と権力へのアクセスを表象するモノ」だということになるだろう。つまり、「NAMの外部」と連絡を有することを記号的に表象するモノに人々は最高の価格をつけることになるだろう。
理性的な社会では「狂気」がもっとも欲望を昂進させる商品になる。「正しい社会」では「邪悪なもの」がもっとも欲望を昂進させる商品になる。
柄谷のような怜悧な理性がこのような単純な事実を見落とすはずはない。
柄谷が構想している未来社会において、柄谷は自分自身を「内部」と「外部」のインターフェイスに位置づけようとしている。彼は協同組合の運営という内部的な実務作業にはまったく関心を示さない。彼が興味を示しているのは、「資本制市場と国家」を「揚棄する」作業−つまり「邪悪なもの」とのインターフェイスだけである。
つまりこういうことだ。
柄谷は、いま資本制市場の「内部」において、「資本制を揚棄する」という本を書いて、彼自身が「外部」との回路であることを示してその象徴価値を高めることに成功した。そして、資本制市場と国家の「外部」である来るべき共産主義社会においては、資本制と国家の境界面で、その「センチネル」としてアソシエーショニストたちの欲望の焦点であり続けることを計画している。
つまり、柄谷の理想社会とは、柄谷自身がつねに「その社会においてもっとも欲望をそそる商品」であるような社会なのである。
おおお、なんと賢い人なのであろう。
大江健三郎の『取り替え子(チェンジリング)』を読む。
伊丹十三が謎めいた自殺をしたとき私は強い衝撃を受けた。
『ヨーロッパ退屈日記』以来、私は伊丹の書き物のファンである。
彼が岸田秀と共催していた『モノンクル』という短命な雑誌を私は1号から廃刊まで愛読していた。『お葬式』も『たんぽぽ』も『マルサの女』もロードショーで見た。
大江健三郎は私の高校生のときの知的アイドルである。
『持続する志』という分厚いエッセイ集を17歳の私はほとんど貪るように読んだ。
16歳のときに、あろうことか小説を書いたのは『セブンティーン』に触発されたからである。(1枚書いて、才能がないことに気づいて止めたけど)
あとにもさきにも私が「作品集」を揃えて買ったのは大江だけである。
そしてその作品の中で私がもっとも愛したのは『個人的な体験』と『日常生活の冒険』であった。後者は大江の松山時代からの親友であり、義兄である伊丹十三の印象的な肖像を描いたモデル小説である。
私は1970年代のどこかで(たぶん『洪水は我が魂に及び』を最後に)大江の忠実なフォロワーであることを止めた。
しかし、そのあとも、私は私の二人の「元アイドル」が深い絆で結ばれていることをいつも心頼もしいことだと思っていた。
『取り替え子』は大江健三郎による伊丹十三の「鎮魂」の歌である。
だから、伊丹の自死が大江をどのようにみごとに「総括」してくれるか、私は深い期待を寄せてこの本を読んだ。
残念ながら、大江の「鎮魂」の言葉では、少なくとも「私にとっての伊丹十三」の存在の意味は尽くされなかった。
伊丹十三という希有の知性について、大江に続いて、誰かがその「擁護と顕彰」の言葉を書かなければならないと私は思う。
けれども、かつての盟友であった岸田秀は回復不能の鬱のうちに沈んだままである。伊丹を深く愛した山口瞳はすでにない。
いったい、このあと誰が伊丹十三について、その恐るべき天才の全貌を語ってくれることになるのだろう。
12月15日
懸案のイベントが一つ終わったら、気がゆるんだらしく、風邪をひいてしまった。
朝いちに庶務課に電話して「げほげほ今日は風邪をひいたので休講掲示おねがいします」と伝言して、ベンザエースを呑んで、そのままふとんに潜り込んだ。
風邪のひきはじめに、悪寒のする身体で、あったかいふとんにくるまってマンガなんか読んでいると心底「しあわせ」な気分になる。
仕事をしなくても、自分に「いいわけ」をする必要がないからだ。
だって風邪なんだもん。
さっそく山岸涼子の『アラベスク』を読む。
『アラベスク』は15年くらいまえに読んだのであるが、離婚のときの財産分与で、『エースをねらえ』が私のところに来た代償に先方の所属に帰したのである。そのままに日々を過ごしてきたが、先般キーロフ・バレエ団の『白鳥』に度肝を抜かれたウチダとしては、バレエの勉強をやりなおすために『アラベスク』全四巻を新刊で買い揃えたのである。(なにしろ、ここから私はバレエについてのすべてを学んだのであるから)
読んでびっくり、なんとノンナはレニングラード・キーロフ・バレエ団のバレエ学校の生徒さんだったのである。知らなかった。
なつかしいユーリ・ミロノフ先生や、エディークに再会して、しあわせな2時間を過ごす。
『アラベスク』の前に、この3日ほど「寝る前の本」は山本鈴美香先生の『エースをねらえ』であった。(私は手塚治虫先生と長谷川町子先生とやまもと・すみか先生にはつい敬称をつけてしまうのである。)
『エースをねらえ』を読み返すのは10回目くらいであるが、ほんとうに完璧なマンガである。私は「師弟関係とは何か」について、武道の修行のあり方について、このマンガからすべてを学んだ。(なんでもマンガから学ぶやつである)
そして、全編にちりばめられた珠玉の言葉。
「藤堂、女の成長をさまたげるような愛し方をするな。」
私はこのフレーズを20代から何度心の中で繰り返したであろう。
「コーチ、私にも私のテニスを教えて下さい」
「俺はその言葉を七ヶ月待った」
というのもずーんとくるね。
「ひろみ、なんなの、その目は」
なぜか、このフレーズも忘れられない。
やまもと・すみか先生はその後懇望されてあまり気乗りしないまま『エースをねらえ・第二部』を書いたが、これは残念ながら一部の完成度には遠く及ばない。
その後、先生は故郷にかえって「教祖様」になってしまった。
その何年かのちに、ある出版社の編集者が三顧の礼をつくして先生のカムバックを願ったことがあった。執拗な依頼に折れた先生は数年のブランクののち、『エースをねらえ・第三部』の執筆にとりかかった。(このことは巷にはほとんど知る人がいない。私はあるマンガ誌編集者から「とっときの業界情報」として教えてもらったのである。)
そして、この『エースをねらえ』第三部の第一回目の原稿を手にした編集者は意気揚々と東京への帰路につき、山の手線で社に向かった。しかし、あろうことか、彼は突然の睡魔に襲われる。そして、自分の下りるべき駅のアナウンスを聞いて、はっと目覚め、電車から飛び降りたのである。かたわらのバッグに山本先生の原稿を残したまま。
こうして幻の『エースをねらえ』第三部は大都会の雑踏のなかに消え失せ、山本先生はその後、どの出版社からの懇請に対してももう二度と絵筆をとることがなかったのである。
マンガより面白いね。この話は。
12月13日
鳴門のロック少年・増田聡先生をお迎えしての学術講演会「ポピュラー音楽の学術的分析-テクスト批判からネットワーク分析へ」は盛会のうちに終わり、かねてお約束の一膳やでの「鴨鍋」に一同は雪崩れ込み、鯨飲馬食、談論風発のバトルの一夕が展開されたのであった。
遠く阿波徳島からお越しになって刺激的な講演をしてくださった増田さん、熱心に質疑に参加してくれたオーディエンスのみなさん、懇親会を盛り上げてくれたみなさん(とりわけフェミニズムをめぐる論争で増田さんの「痛快九州男児」論を引き出してくれた飯田先生)そしてあらゆる面で今回のイベントをささえてくれたユニット・パートナーの難波江和英先生、どうもありがとうございました。お礼申し上げます。
女子大の先生を十年もやっていると、「若い男の子」と出会う経験が構造的に欠落している。
うちの学生たちにとって私のような「おじさん」はとりあえず別世界の住人であって、成績の査定者という意味では「権力」的な存在ではあるが、まあ率直に言えば「別にどーでもえー」人である。
しかし、若い男の子にとっての「おじさん」はそれほど気楽な存在ではない。
「おじさん」が権力的であれば、その権力性が、「おじさん」が反権力的であれば、その反権力的ロマン主義が、「おじさん」が非権力的であれば、その「逃げ足」の遣い方が、それぞれつねに「規範的」に意識されるのである。
ここで「規範的に意識される」というのは、いろいろな意識のされ方がある。
いちばん単純なのは「そのどれかを選んでロールモデルにする」という仕方での規範化である。(これは要するに「権力化する」のプロセスである。)
一回ひねりは「そのどれにも従ってはならない。自分のオリジナルな規範を形成しなければならない」という規範化である。(これは「ロマン派的反権力化」のプロセスである。)
一回半ひねりは「そのような規範を意識すること自体がよろしくない。おいら、そんなもん知らないよ」という「見て見ぬ振り」的な規範化である。(これは「非権力化」のプロセスである。)
お分かりのように、どのようにふるまっても、後続世代は先行する規範のいずれかに回収されてしまうのである。
私たちの世代はとても単純でおめでたかったので、「反権力的にふるまう」ことがいずれ規範的で抑圧的に機能するというようなことを考えもしなかった。
大きくなって、そのことに気付き、「こりゃまずい」というので、「さかしらな権力装置にずるずるすりよって、インサイダーとなって権力を『バカ化』する」「非権力的」スタンスを私は採用した。とりあえず、「これでいこう」ということで安心して今日に至っているのである。
しかし、お若い方たちは、「はいそうですか」というわけにはゆかない。
非権力的なスタンスそのものが規範的に意識されれば、それはすぐに抑圧の装置として機能する。
「私はじゅうぶんに非権力的だろうか」という査定を通じて。
というわけで、オプションが出尽くした観のある時代で、若い人はどんなふうにスタイルを選び取って行くのであろうか、ということに私はちょっと興味があったのである。
増田さんと話していて私が驚いたのは、このような(私から見ると)きわめてストレスフルな条件が彼にとってはうまれついての「与件」であるので、ぜんぜん圧力を感じない、というお言葉であった。
「近代の子」ですから、と増田さんは軽やかに笑った。
そうか、大気圧が高い星に生まれてその大気圧に慣れた人は、地球人が「よくこんなプレッシャーに耐えられますね」と問いかけたら、かえってびっくりするだろう。
それと同じである。
近代的な意味での「オプションの限定」が与件であるような時代のこどもたちは、たぶん私たちが思いもよらない方法で「自由」と「快楽」を享受しているのである。
私が上に挙げたような「若い世代にはオプションがないんだよね」という状況説明を増田さんは不思議そうに聞いていた。
ブリコラージュというレヴィ=ストロースの言葉を何度か増田さんは使っていたけれど、これは「ありあわせのものを組み合わせて、道具を創り出す」技術のことである。
たぶん、「おじさん」たちの世代が作り上げたり壊したり無視したりしてきたさまざまの知的リソースの全体が彼の目には「再利用の可能性にあふれたガジェットのゴミの山」のように映っているのであろう。
「マルクス主義右翼かつ九州男児」という増田さんの自己規定はすべて「ありあわせ」の「反時代的な」「使い古されて意味が摩滅した」言葉から構成されているのだが、そのような見捨てられたリソースからも、組み合わせしだいでいくらでも「新しい道具」を創り出すことができる、ということを増田さんは確信しているようであった。
それは「ロックはつねに新しい。なぜなら、全く同じ曲を全く同じ仕方で演奏しても、それを聴く文脈が変化すれば、それはまったく違う音楽経験だからである」という増田さんの力強い断定に通じるものであるように私には思われた。
本日の教訓。(ありふれているけど)後生恐るべし。(でも頼もしい)
12月12日
いよいよ増田聡さんの講演会本番である。
鴨鍋の手配もすませ、ガードマンさんに「一見怪しい人がきてもそれはウチダの関係者ですから」と根回しをすませ、あとは増田さんの登場をまつばかりである。
講演会の詳細はデジカメ写真とともに、近日公開します。お楽しみに。
葉柳さんはでがけに「古い牛乳」をのんでおなかをこわしたそうである。はたして神戸までたどりつけるであろうか。鴨鍋と熱燗用意して待ってますからねー。
12月10日
土曜日は「身体技法」三本立て。
まず午前中竹内敏晴さんの講演(これを大学の公開講座でやっていた。人間科学部の池見先生がお呼びになったのである。一度お話を聞いてみたかった方なので、ありがたい企画でありました。)
お話は大変面白かった。
竹内さんの『ことばが劈かれるとき』という本を読んだのは10年くらい前のこと。
ことばがからだに「とどく」と、からだが「劈(ひら)く」、というワーディングにつよい衝撃を受けた。
竹内さんもまた「自分の言葉で」思索する人である。
お話のなかでは「体育座り」という膝を抱えて座る姿勢が子どもたちの間で「いちばん自然な姿勢」になりつつあるという指摘に胸を衝かれた。
つい先週の合気道のワークショップで二人の学生(一年生)が「体育座り」をして技の説明を聞いていた。ほかの学生たちは正座している。
こんなの見たのははじめたなので、私はびっくりした。
顔を見ると、二人とも熱心に私の説明を聞いている。それで「体育座り」が「けっ、正座なんかして聞いてられっか」という反抗的なポーズではなく、彼女たちなりの「恭順」のポーズだということが分かった。
誰がこんなことを教えたのだろう。
竹内さんによると、「体育座り」が日本の学校教育に導入されたのは1960年代のこと。約10年間で全国に広まったという。
その狙いは「手遊びをさせない」「隣のひととおしゃべりをさせない」「身動きをさせない」という児童生徒たちの身体の管理にあった、というのが竹内さんの解釈である。
自分の両手で膝を抱え込んで、背中を丸めているのである。この状態では胸で浅く呼吸することしかできない。もちろん声も出ない。
自分の身体で自分を縛り上げ、自分の手足を自分の「牢獄」に変えるためのポーズが「体育座り」なのである。
日本の学校教育はいったい子どもたちに何をしてきたのだろう。
「管理」は必ず身体を標的にする。
フーコーが言うとおりだ。
しかし、何という陰湿な管理の仕方だろう。
合気道を指導していて最近感じることの一つは、学生たちの「背中の意識」と「足裏の意識」の希薄さである。
武道の技の冴えを出すためには背中と足裏が決定的に重要である。
「表」の部分(相手にも自分にも見える身体部位)を「甘く」遣い、「裏」の部分(見えない部位)を「厳しく」遣うのは術技の基本原則である。
その背中と足裏のコントロールがうまくできない人が多い。(そういう私だってできないけれど)
足裏意識の希薄化については文化人類学者の近藤四郎さんの研究がある。(『ひ弱になる日本人の足』)
背中については知らないけれど、「体育座り」において、背中が彼女たちを閉じ込める「牢獄の壁」であり、同時に外の世界を遮断する「殻」として機能していることは間違いない。そのような身体部位に熱い血が通い、なめらかな筋肉が育つはずはない。
「体育座り」に象徴される、「隠微な身体管理」から彼女たちの身体を解き放ち、「からだを劈く」ために武道的な身体運用には何ができるのだろうか。
考えつつ合気道のお稽古へ。
身体を「融通無碍」に、自在に用いるということが何よりも大事なのだという単純な真理を思い知らされ、そのような稽古プログラムを工夫して、ふだんと違う動きを入れたわざをさせてみる。
すぐに出来る人もいるし、一度「刷り込んだ」身体図式に繰り返し戻ってしまうひともいる。
新しいわざがすぐにできる人はたぶん自分の身体図式から「離脱する」方法を少しずつ習得しはじめている。できない人は自分の身体図式に「とらえられている」度合いが強い。
合気道を稽古する目的の一つのは、厳密に言えば、武道的身体図式を「身につける」ことではない。
「型にはめる」ことを通じて、「型から逃れる」ことである。
「武道的身体運用」という「意識的に構成した型」に入り込むことで、「日常的身体図式」という「無意識的に私たちをとらえている型」から身を解き放つことである。
外国語をいくつも遣い分けることのできるひとは「日本語から英語へ」「英語からフランス語へ」とかんたんにシフトできる。そして使用言語がかわると、発声法が変わり、ジェスチャーが変わり、表情が変わり、さらには世界観や人間観まで変わる。
言語が変わるということは、世界分節の形式も変わるということだからである。
武道において「型を学ぶ」というのは、その意味では外国語を学ぶことによく似ている。
武道的な型を遣えるということは、いわば「日常的身体運用」と「武道的身体運用」の「バイリンガル」になる、ということである。
そのときに私たちは「私の身体」だと思いこんでいたものが一つの文化的装置にほかならないことに気がつく。私たちは「別の身体」で生きることもできるのである。
最後はキーロフ・バレエ。
鈴木晶先生の『バレエの魔力』を読んで遅咲きのバレエ・ファンとなったウチダは、今年を「バレエ元年」と定めた。
さっそく、元ゼミ生の現役バレリーナ、フルタ君に「私は今年からバレエを本格的にみることにした。ただちに『白鳥の湖』か『ジゼル』か『眠れる森の美女』か『コッペリア』か『くるみ割り人形』のいずれかの公演予定をチェックして」とご依頼。
なにごとも「先達」の弟子がいると便利である。
フルタ君が「12月にキーロフが来て『白鳥』をやりますが、これはオススメすよ」とご注進して下さったので、さっそくチケットをゲット。(S席15000円)
フルタ君、ウッキーとともに大阪フェスティバル・ホールへ。
キーロフについて鈴木先生は何て書いてたかなあ、まあいいや家に帰ってから調べてみよう、と思っていたら、隣のウッキーが「先生、プログラムに鈴木先生が書いてますよ」と教えてくれた。おお、さすが鈴木先生、先回りして私が大阪フェスティバルホールに来ることまでお見通しであったか。こういうのを「私のために書かれたテクスト」(@メル友交換日記)というのであろうか。
オデット姫はウリヤーナ・ロパートキナ。
バレエ通のフルタ君もご存じない方であったが、これがプログラムに「いまが絶頂期」と書いてあるのは嘘偽りなく、まあ、ものすごい踊り手であった。
すべて一流であるはずの他の舞踊手たちの「影が薄く」なるほどすごい。
バレエを見るのは始めてというウッキーと私(ベジャールとかピナ・バウシュとかモダンはけっこう見ているけれどクラシックははじめて)は、ただ口をあんぐり開けてその「人間とは思えない」身体運用に見惚れてしまった。
第二幕の「32回フェッテ」も、超絶技巧というより「もう30回くらい行きましょうか?」という余裕が感じられた。
しかし、なにより感動したのは、その四肢のまったく力みのないのびやかさである。
とくに背中の柔らかさ。
オデット姫は白鳥なので、翼がある。ほんとに二本の腕が白鳥の翼に見えるのである。肩胛骨が「がばっ」と開いて、腕が非人間的な角度に湾曲するのである。
ひごろ「肩胛骨をがばっと開いて」技を遣うように言い募っているだけに、(それが「斬り」の基本なのである)ウリヤーナ・ロパートキナの上体の柔らかさには感動。
この人に合気道をやらせたらどんなことになるのであろうか。
そして身体運用の「非中枢性」。
これについては私はまだバレエを見始めたところだし、実際にレッスンの場でどういう言葉で身体運用を説明しているのか知らないので、たしかなことは言えないが、私の目にはバレエこそ「非中枢的身体運用」の一つの極限であるように見えた。
「いやー眼福、眼福」とフルタ君のお薦めの適切さをたたえつつ一同満足感に酔いしれて帰路につく。
12月8日
というわけで、このホームページも開設してから苦節1年8ヶ月、ついにヴィジュアル・コンテンツを有するに至ったのであります。
感無量。
これもすべて「終身芸術監督」フジイ”こびとさん”レイコ君の献身的努力のおかげである。ありがとね。こんどはもうちょっと豪華なものをおごって上げるからね。
しかし、私がここに来て急にデジカメ小僧になったのは訳がある。
朝日の竹信君からの督促があったのも一因であるのだが、もう一つは最近オープンしたばかりの「石川先生のホームページ」がいきなり「くいだおれ人形に化ける石川先生」というおおわざを繰り出してヴィジュアル・デビューを果たしたからである。
仮にも1年有半のアドヴァンスがあり、5万になんなんとするアクセス数を誇るウチダのサイトが、後発の石川先生のホームページにヴィジュアル面で後れをとるということはにわかには受け容れがたい事態なのである。
4月に買ったまま放置されていたデジカメのマニュアルを私が泣く泣く手に取るに至ったには、そのようなルサンチマンによってつよく動機づけられていたのである。
強弱勝敗を論ずべからずと「武道論」で偉そうに書いてはいるが、ウチダの内面はかくのごとく意馬心猿状態なのである。(わんわん)
卒論シーズンなので、ゼミ生たちが次々とセカンドドラフトをもってやってくる。
もうほとんどできている人もいるし、半分くらいしか書けてない人もいる。
だいじょうぶかー。1月15日だぞー。
私はとりあえず「締め切り」のタイトな原稿はぜんぶ終わってしまったので、気楽な年末である。
しかし、「締め切り」が死語化した原稿は二つ残っている。
せりか書房の「レヴィナス論」と国文社の『困難な自由』の全面改訳である。これが終わらないと、講談社の「レヴィナス論」に手を着けるわけにはゆかない。
せりかのほうは半分ちょっとまでは仕上がっているのであるが、「レヴィナスとフェミニズム」の途中まで書いたところで夏休みが終わってしまい、そのままハードディスクのなかで「冬眠」状態にはいってしまった。これを3月までに書き上げて、なんとか船橋さんに手渡したいものである。
レヴィナス老師は確信犯的なアンチ・フェミニストであり、(さすが私が師匠に選んだだけのことはある)いまレヴィナスの「アンチ・フェミニズムの思想的射程」について肯定的なことを書くのは、日本の知的風土においては自殺行為にひとしい。
だが、この劣勢をなんとか挽回して、「フィクティシャスなジェンダー構造の延命にあえて与する」ことの哲学的意義について書かないといけないのである。
現在の思想状況において、反動的ではない仕方でアンチ・フェミニズムを語るのはやさしいことではない。
しかし、(レヴィナスを罵倒する)イリガライを読んでいると、その言説の抑圧のきつさに私はちょっとうんざりする。「・・・でなければならない」という禁止と当為の語法にぎちぎちに固めてでないと私たちは性について語ることができないのであろうか。
私は性というのは深いところまで「虚構」によって浸食された制度であると考えている。
レヴィナス老師は「自然な感情」というものに依拠しない性的関係を考想していた。
なぜ老師はイリガライ的なべたべたした「私とあなたの完全な癒合」ではなく、「嘘で固めた」性的関係を理想として提示したのであろうか。
私はそれについて答えを出したいと思っているのである。むずかしいけどね。
12月7日
デジカメで撮った写真をファイルで送るという「高度のコンピュータ・スキル」を身につけてしまったので(いばるほどのことではないが)「わはは」状態のまま、学内をデジカメをもってうろうろ歩く「デジカメ小僧」と化してしまった。
この写真をどんどんフジイ君におくると、フジイ君がぐいぐいとMacで加工してアップロードしてくれる手はずになっている。
「毎日一枚」送ってくれれば処理します、というフジイ君のことばをものかは、私はさっそく撮りまくった写真5枚を送ってしまったのでした。(私の研究室の写真と岡田山の風景と合気道ガールズ)
昨日送った私のバカ写真はホームページの「業績」頁にさっそくフジイ君が加工してアップしてくれました。ウチダの風貌を知りたい方はごらんください。
というわけで、これからはいろいろとイベントがある度にホームページ上で、その様子を見ることができるようになったわけであります。おお、これぞIT革命(なのか?)よくわかんないけど。
12月6日
Japan Quarterly 用の写真を竹信君のところに至急送るために、デジカメで撮った鬼木先生と私の演武写真をこれからパソコンに取り込みそれを添付ファイルにして送るということをしなければならないのであるが、私は周知のように「マニュアルが読めない」重篤な「マニュアル失読症」であるので、すでに半身がパニックである。
「デジカメninjaマニュアル」と「オリンパスCAMEDIA取扱説明書」合計397頁を前に私は深い無力感のうちに落ち込んでいる。
世の中にはこういうものを「すらすら」と読んでしまう人がいる。
楽譜を読むとたちまち頭の中で音楽が鳴り出すという人もいる。
私は「出題者の意図を見抜く」現代国語の問題文読解力だけは受験勉強で鍛えたのであるが、この能力はマニュアル執筆者の「出題の意図」の読解には役立たないようである。私に聞こえてくるのは「ふふふ、読んでもね、わからなやつには分からないんだよ」という忍び笑いだけである。
「デジタルカメラ付属のソフトを使用・パソコンにインストールされたお手持ちのデジタルカメラ専用ソフトウェアを使い、デジタルカメラと通信を行っていったんハードディスクに保存したファイルをデジカメninja に取り込みます」
って、あなた「デジタルカメラと通信を行う」って気楽に言うけど、主語がねーぞ、主語が。「誰が」デジタルカメラと通信を行うんだよ。おいらはデジカメと通信できるほどコミュニケーション能力高くねーぞ。
などと泣きながら、とりあえずデジカメのカードに入っていた映像情報をFDアダプタをつかってハードに取り込み、デジカメ忍者で開くところまでは行った。
これをプリンタで印刷することもできた。
問題は、これをどうやってメールに載せるかだな。
マニュアルのどこにも「映像データを添付ファイルで送るには?」という項目がない。
めんどくさいから、もうこのコピー印刷をそのままファックスで送ってしまおうかしら。
しかし、写真をメールで送れるようになると、このあとフジイ君に私が撮りまっくったおバカな写真をどんどん送りつけて、それをホームページにアップロードしてもらって、「ホームページのヴィジュアル的ヴァージョンアップ」をはかることも可能となる。
私が真剣にほおずりして「へへへ」としているような写真とか、高雄君の腕を三教でひねり上げていぢめている絵柄とか小川さんのおでこに杖を突き刺している絵柄とか(小川さん失礼しました。いたかったね)ホームページのトップにのせると、私にたいする世間の人々の態度というものもおのずと変わってくるのではあるまいか。
おお、これはいい考えだ。
などとホームページに日記を書き散らしながらマニュアルを読みつつ、なんとか写真を添付ファイルにして竹信君に送るところまでたどり着いた。
あとは「写真のファイル開いたよ」という彼からの返信を待つばかりである。
おお、わずか二時間で私のコンピュータ・リテラシーは革命的な前進を遂げたようである。
わははは、わははは、わははははははは。
さっそくフジイ君にも私のバカ写真を送っておくことにしよう。フジイ君、あとはたのんだぞ。
12月5日
フジイ君が豆大福とカリントウをもって来る。
私が「あんこもの」に偏愛を示すということをまだ記憶していてくれたようだ。ありがたいことである。
氷雨の御影駅前「高杉」にて仏蘭西洋菓子と珈琲を喫しつつ久闊を叙す予定であったが、るんが乱入しているために、しみじみとした師弟の会話は二秒おきにるんの「下北沢」および「インディーズバンド」話題によって寸断される。
寸断された対話内容を継ぎ合わせると、フジイ君はかなり「社会化」を成就してきたようである。
彼女の口から「自分の生活している、という自信もできましたし」という言葉を聞こうとは・・・学生時代は「生活」実感にとぼしく、「自分が生きていることにリアリティが感じられない」フジイ君も三十路を前に「生活者」らしい厚みを備えたパーソナリティを構築しつつあるようである。老師の眼に涙、である。
短い会話だけでフジイ君は東京へ帰っていった。
るんがしみじみと「フジイって、ほんとにいいやつだね」
お父さんもそう思うよ。
マーチン・スコセッシの『救命士』を見る。
ニコラス・ケイジはよい。
デヴィッド・リンチの『ワイルド・アット・ハート』で「おお、これは誰だ。変な顔」と思って以後、偏愛している俳優のひとりである。
ニコラス・ケイジの映画では、『リーヴィング・ラスベガス』がよかった。
「ひたすらお酒を飲み続けて自殺する何となく感じのよい人」というむずかしい役である。
「ディセントな酔っぱらい」というのは秩序に最初の亀裂をもたらす「物語の進行役」である(テリー・レノックスやギャッビーがそうだ)という論を前にしたことがあるけれど、その意味で『リーヴィング・ラスベガス』は進行役だけがいて、主役のいない不思議な映画であった。映画の中心に巨大な「中空」があるようなあの映画の印象はそのせいだったのかもしれない。
ニコラス・ケイジはそういう「うつろな感じ」をいつもたたえている。
その「うつろな感じ」は「欠落感」というよりもむしろ「フレンドリーな感じ」として機能している。つまり、「誰かここに来て、ぼくのあなぼこを埋めてくれませんか?あ、べつに厭ならいいんですけど・・・」というようどこか遠慮したような痛々しさのようなものが漂っている。
『救命士』はそういうニコラス・ケイジの「持ち味」だけで2時間ひっぱった映画。
この人が演じると、どんな支離滅裂な行動もなんとなく説得力をもつようになる。
でもその俳優の力によりかかりすぎた映画だった。
マーチン・スコセッシの映画をもっと見たくなったので、『ラストワルツ』を引っぱり出す。
私の偏愛するバンド、ザ・バンドの解散コンサート(1976年)のドキュメンタリーである。ゲストがニール・ヤング、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、マディ・ウオーターズ、ジョニ・ミッチェル・・・
やはりニール・ヤングがこういう解散イベントもののときはいちばん光る。
「移ろい消えてゆくもの」への哀惜というのがニール・ヤングの音楽の根本にあるせいかもしれない。たしかにエリック・クラプトンががんがんギターを弾いても、あまり「しんみり」した気分にはならない。
ザ・バンドはボブ・ディランのバックバンドをしていたので、単に「バンドの兄ちゃんたち」という意味で「ザ・バンド」と呼ばれていたのがグループ名になったという全体に「なげやり」な態度のひとたちである。
ギターのロビー・ロバートソン以外全員の「わしら好きな音楽さえできれば、あとはどーでもええけん」的な反社会的演奏態度に私は好感をいだく。とくに私はドラマーのリヴォン・ヘルムのヴォーカルが大好きである。
リヴォン・ヘルムはこのカナダ人バンドのうちただ一人のアメリカ人、アーカンソーの田舎の人である。しかし、ロックのヴォーカルはやはりディープサウス特有のこの泥臭い「鼻声訛り」でないと味がでない。リヴォン・ヘルムがリード・ヴォーカルをとる『ライト・アズ・レイン』は実によろしい。(石川君が作ってくれたコンセプト・アルバム「雨の歌」のなかにもちゃんとこれは収録してある。)
泣きたくなったので、(って哀しいからじゃなくて、純粋に身体的要求として)、木下恵介の『二十四の瞳』を借りて見る。
始まって15分くらいで、子どもたちが「大石せんせー」とバスに駆け寄るところで、もう涙。
しかし、そのあとはぱたりと涙は絶えてしまった。
というのも、これはぜんぜん「師弟の美しく生産的な交流」を描いた映画ではなかったからである。
これが昭和29年度文部省特選映画ということが私には信じられない。文部省は何を考えていたのだろう。
だって、「学校にも教師にも人は救えない」というのがこの映画の主張なんだから。
大石先生の小学校は戦前には社会教育を「アカ」と恐れて放棄し、戦中には軍国教育を押し進め、厭戦気分を語る大石先生を退職に追い込む。
大石先生個人も善意のひとではあるが、徹底的に無力である。
貧困のために小学校なかばで売られる子どもを救うことができず、音楽学校に進みたがる子どもを抑圧する親の頑迷を弱々しく追認し、卒業した男子五人のうち三人が戦死し一人が戦傷で盲目となる事態にも、墓に香華を添える以外に何ひとつすることができない。
彼女の教育者としての一生は「教え子たちに何もしてやれなかった」という慚愧の念のうちに閉じられることになるだろう。
この無力な教師に対して教え子たちが送る「仰げば尊し」の歌は、日本の学校教育の無能に対する静かな怒りを込めた吐息のように私には聞こえた。
12月1日
20世紀もあますところ1月となってしまった。
べつに「今世紀中にすませておかないといけないこと」というのも思いつかないので、例年と同じ年末である。
今日は学科別集会で「武道の科学-非中枢的身体を求めて」と題して短い講演をした。
1月に武道シンポジウムでしたネタと、夏に関西大学の身体運動文化学会での発表ネタをこきまぜて、それに鬼木先生の古流の形と私が林佳奈さんをいぢめているビデオの絵柄をいれてちょうど40分。
競技化にともなう武道の変質、形稽古による武道の再生、という話であるのだが、みなさんからは「分かりやすかった」というご感想を頂いた。
かなり論理的には込み入った話であるので、そう言っていただけるのがいちばんうれしい。
オーディエンスはほとんどが合気道部と杖道会の部員たち。「業務命令」のひとことがきいたらしい。それでも、みんな熱心にノートをとりながら聞いていた。よい子たちである。
この発表の原稿はほぼそのまま次号の『論集』に掲載される。その前に完成原稿をホームページにはアップロードする予定。
そういえば、ご報告が遅れたが、先週末の教授会で、来年度から「合気道」が体育正課に採用されることになった。これで私は晴れて肩書きに「専門:フランス文学・体育」と書けることになった。
大学の体育正課に合気道が取り入れられている学校は日本ひろしといえども早稲田大学(富木流)と神戸女学院大学だけではないだろうか。21世紀に合気道はその科学性をひろく認知されることになるだろう、というのは多田先生の持論であるが、その一助となればさいわいである。
フジイ君が明日こちらにくるという電話があった。
あさってのお昼をいっしょに食べることになったので、るんが大喜びしている。
「わーいフジイだ、フジイだ」
るんはフジイ君が大好きである。
来年からは東京でフジイ君といっしょに「悪いこと」をいろいろしたいらしい。
「ほーほっほ、私には世間の常識とかお約束とかいうものはいっさい通用しないのよ」的な意味での「ディープ東京アンダーワールド」ガイド役を期待されているらしい。
フジイ君がなんだかきのどくである。すまぬのう。