愛の説教日記 Look back with love

(From 24 July 1999)

30 Dec

あけましておめでとうございます。

みなさまにとって佳き一年でありますよう、お祈り致します。

さて、ひさしぶりにインデックスを更新いたしましょう。

 

12月30日(木)

昨日はひさしぶりの「まるオフ」の日だったので、三宮にお買い物に出かける。

コートを買う予定で大丸に行って、かねてから目を付けていたダンヒルのコートを探しに行ったら、もうなかった。他のコートは17万円とかそういう値段なのでパス。隣のアカスキュータムのコートもなかなかよいのだが、これも19万円とかいうので泣く泣くパス。

ぐるぐる回っていたら「パチモノ」のバーバリー(サンヨーだかオンワードだかがライセンス生産しているやつね)が安かったので、それを買う。7万円也。

暮れだが街には人が少ない。

ソニア・リキエル・オムの黒いセーターを買おうかなと試着したら、なんだかなよなよしたラインで気持悪いのでやめる。私はながねんの修業のせいで胸廻りが厚いので、フィットするものをきると「むちむち」した感じになって見た目気持が悪い。

帰りにセンター街でセールスのプルオーヴァー(¥3.980)と靴(¥12.000)を買う。靴は黒のスリップオン。安い靴だけれど、これがいちばん使いやすい。

靴を買って喜んでいたら、それまで履いていた靴(黒のスエード・ブーツ)の底がにわかにばりばりと剥がれた。脱いでみると完全に崩壊している。靴を買う瞬間まできちんと機能して、買ったとたんに壊れたのである。ああ、なんという「律儀な」靴であろうか。ブーツに合掌して、靴を履き替える。

街に出たついでで、本屋に立ち寄る。駸々堂に行って映画のコーナーに『映画は死んだ』が置かれていることを確認する。ここではベンヤミンの『複製技術時代の芸術』に両隣をはさまれておりました。

それから正月「おこたごろごろ本」をあつらえる。藤沢修平『用心棒日月抄』の続きとロバート・B・パーカーの『晩秋』。その他、「おこた用」に準備してあるのは、司馬遼太郎『翔ぶが如く』、村上龍『フィジカル・インテンシティII』。

「あまり大した本読んでないね」

とあなた今思いましたね。

それは間違いです。

私はそれ以外の時間はコリン・デイヴィスの『レヴィナス入門』を訳していて、いまは第一章「現象学」というところなので、フッサールの『デカルト的省察』を傍らに置きつつ、訳語の統一を試みているのであります。

「必当然的明証の特性とは、その必当然的明証においては、その明証において明証的に与えられた事実あるいは事態の存在が、単に一般に確実であるだけでなく、同時に批判的反省によって、そのような事実あるいは事態が存在しないということは絶対に考えられないものとしてあらわになる、ということ、したがって、必当然的明証は、およそ考え得るあらゆる疑いを根拠のないものとしてあらかじめ排除する、ということである。」

ふむふむなるほど、apodictic は「必当然的」と訳すのね、などとうなずきつつ「フランス人の哲学者がドイツ人の哲学者について述べたことを英語で解説したテクストを日本語にしている」わけですよ。お茶の時間には藤沢周平が読みたくなるのもわかるでしょ。

それにしても映画コーナーのハイテンションは目を見張るものがある。完全にそのコーナーだけが他から「浮いている」。音楽や写真のコーナーもそれなりに品揃えがいいのだが、映画のコーナーはなんだか凄いことになっていた。映画について書いた本てこんなに出ているのか、とびっくり。読みたい本、あまり手に取る気がしない本、学術書、タレント本、それらがごちゃごちゃ同居している。このブレードランナー的カオスは領域そのものの持つ活気を感じさせる。

うーむ、わしもこうしてはおれんのう、とやや上気しつつ御影に戻り、明日の「関西在住東京出身仏文学者友の会」の仕込みの買い物をする。毎年だいたい同じメニュー。「南仏風」。要するにパスタとサラダとパンとチーズでワインをごくごく呑むというお手軽コースである。

家に戻って「中華丼」を作ってぱくぱく食べる。材料はすべて「残り物」。われながら美味しい。この、もやしの火の通り方がなんとも微妙である。火を通しすぎるとへたったしまうし、通しがたりないと生だし。そのぎりぎりのところで「パリっと」した食感があって、かつ火が通っていて旨味が出ているというのが中華丼のもやしの正しいあり方なのであるが、今日のもやしはうまい。ぱくぱく。

そのままずるずるとこたつに移動してバカ本を読みつつ、ケーブル・テレビで『ダイハード3』を観る。ジェレミー・アイアンズはよいなあ。『運命の逆転』や『ダメージ』もよかったけれど、おバカな『ダイハード3』に出て「わーい、バカ映画の悪役だ。おいしい仕事だなあ」という感じがじつによい。(『ターミネイター』のシュワルツネガー、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のトム・クルーズ、『クイック・アンド・デッド』のランス・ヘンリクセン、『許されざる者』のリチャード・ハリス、『キャット・バルー』のリー・マーヴィン、みんなほんとうに楽しそうに「悪役」を演じている。)

さらにケーブル・テレビでは『ダイハード』もやるのだが、さすがに眠くなったので、ずるずるとベッドに移動して漱石の『二百十日』を一頁読んだら、深い眠りに落ちてしまった。ぐー。

27 Dec

しばらくホームページを更新しておりませんでした。どうも、さぼってすみません。学校がお休みになったので、毎日遊んでおりました。

12月25日(土)にめでたく合気道部・杖道会の納会も終わり、翌日は学生さん6人にお手伝いいただいて「煤払い」も無事終了。あとは年賀状を書いておしまい。

ことしは早手回しに年末の支度がすみましたが、これはるんちゃんがはやばやと東京に去ってしまったせいでしょう。(掃除も洗濯も炊事もまるでらくちんだ)

年末はおこたでごろごろしてバカ映画をみたり、藤沢周平の時代劇小説やミステリーの新刊を読んだりして、心静かに過ごす予定です。

それではみなさんよいお年を。ホームページは1月7日まで更新されません。近況は掲示板をごらん下さい。

     さよなら1999年

みなさんの紀元2000年がよいお年でありますようにお祈り申し上げます。

21 Dec

今日で授業はおしまい。V限の大学院で『コレクター』を見るだけ。わーい。

明日は年内授業打ち上げ記念宴会。お招きするのは、難波江、三杉、飯田、石川の四先生と、総研大の院生ふたり。また「よせばいいのに」フェミニズム論争に踏み込んで飯田先生や難波江先生にいぢめられるのかしら。

そういえば、先日新聞に「アカハラ」ということが出ていた。「アカデミック・ハラスメント」。上野千鶴子の造語だそうである。(あいかわらずはた迷惑なことを思いつくひとだ)

男性の大学教員がその権力を背景にして「わしにさからうと論文を通してやらんぞ、仕事も捜してやらんぞ」と女性の助手や院生をいぢめることを「アカハラ」というのだそうである。

私は男性の大学教員であり、その権力を背景にして、ねんがらねんじゅう、女性の学生や院生に説教をかましていぢめているが、これはやはり「アカハラ」になるのであろうか。

しかし説教をかますのは教育的指導のためである。「よちよち、いいこでちゅね」と甘やかしているだけでは、ぜんぜん教育にならないことは誰にでも分かる。

ろくでもない論文を書いてきたら、こんなものでは学位はだせんと言うだろうし、仕事がほしいといってきても、人に教えるのは十年はやいと回し蹴りをくらわすこともあるやもしれない。

それを相手が女性だからだというので「アカハラ」といわれたのでは私の立つ瀬がない。

いぢわるが純粋に教育的なものであれば「指導」であり、いぢわるに性的含意があれば「アカハラ」ということなのであろうか。

「性的含意」と言っても、別に「ふふふ、魚心あれば水心というではないか、越後屋」「あれー、ご無体なー」というふうに性的関係を取り結ぼうとかそういうのではなく、女性研究者の成績や業績の査定に男性研究者の場合とは違う基準をもちこむことを指すのだというかもしれないが、果たしてある研究者の評価に、そのひとの性別が「どの程度」影響しているか、ということが客観的に測定できるものであろうか。

現に、私たちはひとの業績を評価するときに、その人の人物と切り離して、仕事だけを見るということがなかなかできない。個人的なつきあいのなかで、すごく「いい人」の場合はどうしたってオープンハーテッドな読者になってしまうし、すごく「やなやつ」の場合は、どうしたってクリティカルな読者になってしまう。

指導教官が弟子の論文を査定するときに、教官の持論と反対の見解を述べていたり、むかし大衆団交の席で「くそじじい」と怒鳴られた過去を根に持ってたり、この間、酒席で「なんです先生、湯豆腐しか喰わんのですか。あ、もう歯が駄目なんだ。ははは、野生動物ならもうお疲れさんですね。はっはっは」と笑ったことを根に持っているとか・・さまざまな理由によって、指導教官の眼は曇る。

「私はつねに客観的である。嫌いな人間にたいしてさえ、評価は公平である」などというひとは相当面の皮のあついひとである。

研究業績の完全に客観的な評価などできやしない。

学術論文はひとつの「作品」である。その点では美術作品や音楽作品や映画などと変わらない。「すばらしい」というひともいれば「けっ。くだらねえ」というひともいる。それぞれの判断にはそれなりの理由はある。

だから、どの研究者も自分の業績は不当に低く査定されていると思っている。(「自分の業績は不当に高く評価されている」と思って恥じ入っている研究者というのに、私は一度も会ったことがない)

そのときに「まあ、誰でもだいたいそういうふうに感じるのよね。うぬぼれは人間の業だから」と思うひともいる。

「指導教官がおれを嫌っているからだ」というふうに思うひともいる。

「自分はあまりに時代を追い抜いてしまったので、ばかな指導教官には理解が及ばないのだ」と思いこんでいるひともいる(けっこう多い。これがいちばん多い。私がそうだ。)

なかには「私が女だからだ」という理由を思いつく人もいるだろう。

その推測はたぶんいくぶんかは当たっているが、理由の全部ではない。

こういう場合にほかの可能性を検討するよりさきに「私が女であるから私は不当に低く評価されているのだ」という推論に意識が集中してしまう知性というのは、学術的知性としてはあまり評価できない。

学術的知性というのは、正解を出す前に、考え得る限りの可能なオプションを思いつく力、既存の類推のフレームワークから大きく逸脱する力を重要なファクターとしている。

「女であること」が研究業績の評価に影響しているのは事実である。それは「体臭がきつい」とか「歯並びが悪い」とか「服の趣味が悪い」とか「酒の席で暴れる」とかいう、研究者の能力とはとりあえず直接関係のないことが研究業績の評価に影響するのと同じである。だから「性差が能力査定に影響している」ことは証明できる。

しかし、それが能力査定に際して査定者が考慮したもっとも大きいファクターであるかどうかは証明することができない。それ以外の条件が全部同じ「男性研究者」というものがいないと比較は成立しないからだ。そして「それ以外の条件が全部同じ」研究者なんて同性であれ、異性であれいるはずがないからだ。

どう考えても「アカハラ」認定は恣意的であることをまぬかれない。

もちろん、私はだから「アカハラ」なんて言うなと言っているわけではない。

どのような愚劣な理説であれ、それを開陳する資格は誰にでもある。私はただ、自分のまわりに女性であることが「自分の研究が不当に低く評価されていること」の主要な理由だと主張する女性研究者がいたら「あ、すげー頭の悪いひとなんだ」と心の奥で思うだけである。

20 Dec

ようやく風邪がなおった。

土曜日曜と13時間くらい眠って、少し「人間らしく」なる。

人間らしくなったので、早速机に向かって仕事を探す。

う・・・・仕事がない。全部終わってしまったのだ。

そこで街へ繰り出してわいわい遊べば私もより「人間らしく」なるのだろうが、そういうことは全然なくて、中根さんの「キック」を思い出して、おもむろにコリン・デイヴィスの『レヴィナス入門』の翻訳を始める。

お、これはおもしろい。(一度読んで、それで中根さんに勧めたのだけれど、内容を忘れていた。)

非常に共感するフレーズがあったのでご紹介しよう。

「レヴィナスの仕事については、すでにこれまで膨大な入門的あるいは専門的な研究書、研究論文が書かれてきた。しかし私が見るところ、レヴィナス思想についての専門的研究は、あまりにも多くのことを自明のこととしており、そのせいでレヴィナスのテクストが提起している読みの問題を、私たちに役立つような仕方で解明してくれているというよりは、問題そのものを再生産する傾向にある(ように、私のような読者には思える。)一方、入門的な書物はレヴィナスをやたらにありがたがることはないかわりに、レヴィナスの鍵となる概念の基本的な難解さを見落としがちである。」(Colin Davis, Levinas An Introduction, Polity Press, UK, 1996,p.4)

そうなのだ。どの領域でもそうだけれど、思想系の専門研究書は「あまりに多くを自明のこととしている」ために、その思想がじつはものすごくラディカルで生々しく非常識的な要素を含んでいることを忘れてしまう。

その一方で、入門書は誰にでも分かるように書こうとするために、なまじな論理的思考力では考想不可能な概念があるいうこと(まさにそういう概念を「思いついた」ところにその思想のオリジナリティがあるのだけれど)を見落としてしまう。

一方は「学会内部的常識」の、一方は「生活内部的常識」の、それぞれ虜囚である。

だいたい学術論文で「周知のように」という書き出しがあったら、その後に続くフレーズはそいつがうまく説明できないことで、それが何を意味するのか本人にも分かっていないことだと断じてまず間違いない。

「周知のように現実界は太古的イマーゴが跳梁する審級であり、言語でこれを語ることはできない。」なんて言う文を見たら、すかさず

「『現実界』って、おまえ、みてきたんかー」とつっこみをいれましょう。

「言語で語らんと、何で語るんじゃい、こら」

「『太古的イマーゴ』って、おまえ、『近代的イマーゴ』なんつうもんがあったら、出してみい」

おっと、つい言葉が乱れてしまいました。失礼。

つまりたいせつなのは、学会内部的であれ、生活世界内部的であれ、「ナントカ内部的」な常識をひきずっていたのでは、真にラディカルな思想には触れられないということである。

がるるがるる。

どうも思想的な話題になると、興奮してしまう。

ともあれ、そういうわけで昨日からばりばりとデイヴィスの翻訳をしている。本人が先行の研究書にきっちりいちゃもんつけているだけあって、よく書けている。だいたいワンフレーズ、が1.5行。これは学術論文としては例外的に歯切れの良い文章といわねばならない。

「早い話が」のコリン・デイヴィスの文章を「早い話が」の内田が訳すわけだから、出来あがる訳文は立川談志の落語みたいなエクリチュールになるのではないでしょうか。おおこれは楽しみだ。

本、買って。(まだ4頁しか訳してないけど)

お兄ちゃんから『映画は死んだ』の感想文が来る。

心温まるメールだったので、転載させて頂きます。

「たっちゃんの新刊受け取りさっそく読みました。読み始めたら止まらないほどおもしろい。(松下君のところは読み飛ばした。ごめんね、松下君。) That reminds me of a story. とてもスリリングな文章でほんと感心しました。 

たっちゃんはもっともっと本を出すべきです。 

ところで、本に付いていた手紙を後から読んで、ふと感じたのですが、つまり、毎日雑事に追われて云々、というところですが、ぼくも 全く同じように感じることがあります。ぼくの場合は部下の誰かにやらせればいい にですが、それができないし、しない。(今も事務所の入口のガラスのドアを磨き 上げたところです。) 

どうしてか? 

この回答はたっちゃんが自分で本に書いているじゃないか。

「自分の欲望のことはすっかり忘れてる」って。 

たっちゃんやぼ くは、一般的な労働者と異なり、ほとんど自分の好きなように生活してるわけで自分 以外の誰かにノルマを課せられているわけではない。 結果的に僕たちは、エンドレスに仕事をしているわけです。

そうでしょ?  

ところが、普通の人(ぼくたち)には、それは精神的に耐えられないわけです。 そこで、ドアを掃除していっちょあ がり、手紙を出していっちょあがり、というように生活のなかでひとつずつピリオド を打って、精神のバランスをとっているわけです。

「誰にでもできる仕事」に圧迫 されているのではなく、本業のエンドレスの仕事に圧迫されているため、それから一 時でも逃れるため、雑事をやっているのです。  

自分の欲望は見えない、とはよく 言ったもので、ぼくの疑問は、この一言で解消しました。 

やっぱり、たっちゃんよ り兄ちゃんのほうが2年分思考のレベルが高いみたい。

温泉には行きます。」

 

兄ちゃんのほうが二年ぶんおりこうさんみたいですね。それから兄ちゃん、松下君の文章も読んであげてくださいね。

 

17 Dec

研究発表&シンポジウム「身体のアートをめぐって」は盛況のうちに無事終了致しました。

ご参加いただいたみなさんありがとうございました。

発表いただいた田川とも子、小川順子のご両名。パネリストとして議論を盛り上げて下さった鬼木正道、小林昌廣、難波江和英、飯田祐子の諸先生。主催者として心からお礼申し上げます。

学生院生のみなさんには研究発表のプレゼンテーションの「見本」を見ていただく格好の機会になったと思います。あれほど面白い口頭発表はなかなか学会でも見られませんよ。

研究会後、懇親会参加者ご一堂はぞろぞろと門戸の居酒屋へ。15人くらいかと多寡をくくっていたら、なんと集まったのは24名。身動きもできないほどぎちぎちに詰めての宴会。

はじめてお会いするひともかなりいました。

海老ちゃん(合気道三代主将&難波江ゼミ出身、浜松から)、日比さん(商品劇場プロデューサー、ほんとは現代文学研究者)、土居さん(日文研、お墓の研究者)、野口さん(福岡からお越し頂きました。鬼木先生の弟弟子のプログラマー)、面白い話をいろいろとありがとうございました。

高木範子さん(難波江ゼミ)クリスマスカードありがとうございました。部屋に飾ってあります。でも部屋に来た人になんと説明したらよいのでしょうか。

「先生、これどなたですか?」

「いやー。ぼくもよく知らないの。この写真は指定された詩をよみながら眺めないといけないんだって」

「注文の多いクリスマスカードですね」

「インタラクティヴなカードということにしときましょう」

 

16 Dec

今日はいよいよ「身体のアートをめぐって」の本番である。

田川さんはメーテルになって登場するそうである。

鬼木先生の講演を聞くつもりで九州からわざわざ来た野口さんはさぞやぶったまげるだろう。

海老ちゃんや日比さんも今日は来てくれるそうである。賑やかになりそうだ。

いったいどういう展開になるのかぜんぜん見当が付かない。とりあえず、ポスターのキャッチコピーだけ書き出しておきましょう。

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身体的パフォーマンスが表現する「美しさ」と、身体操法の求める武術的な「冴え」。ふたつの身体のアートのめざすところは近くもあり、また微妙に異なってもいる。

「身体の美とは何か?」「動きの冴えとは何か?」「身体技法を批評する学的言語はありうるか?」この共通の主題をめぐって組織された共同研究体による最初の学術イベント。

怒濤のごとく押し寄せる「小林学派」。迎え撃つ批評理論の論客たちと孤高の武術家。火事場の論争に油を注がんとほくそ笑む邪悪な司会者。

トーク・バトルの炎は師走のキャンパスを焼き尽くす。豪華メンバーで送る今年最後のアカデミック・パフォーマンス。これを見ずにミレニアムの年を君は越せるか?

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ずいぶん派手なコピーである。あと数時間で開幕だ。

14 Dec

ずるずるげほげほ。

また風邪ひいちゃった。前回のだいたい同じ症状。(ATOKによれば「同じ猩々」。私の風雅な生活がかいま見えるですね)

一昨日は多田塾研修会、昨日は風邪で一日仰臥。ベッドでごろごろしながら京極夏彦を読む。「わはははは、ぼくは神だ」の榎木津礼二郎薔薇十字探偵の活躍に大笑い。探偵ものは数々あるが、これほど愉快な探偵は本邦初ではないか。推理しないで、犯人が分かってしまう、という設定がすごい。ホームズもポワロもデュパンもこれには勝てまい。

さらにごろごろとデレク・スミシー『コリン・マッケンジー物語』(柳下毅一郎訳、現代書館)を読む。

いやー。松下君の話の落ちがついてよかった。

おそらく膨大な数の「笑いネタ」が仕込んであるのだろうが、私が気がついたのはごくわずかである。

ひとつはコリン・マッケンジーの最初のトーキー映画(全編中国語の『戦士の季節』)の主人公名。

ウォン・フェイ・フォン。

香港バカ映画好きの私にこれは分かる。ウォン・フェイ・フォン(黄飛鴻)はリー・リンチェイの『ワンス・アポンナ・タイム・イン・チャイナ』の主人公、清朝末のカンフーの達人の名前である。

コリンが一緒にバカ映画をつくる「世界で一番不愉快なコメディアン」スタン・ウィルソン、別名「スタン・ザ・マン」はK1でおなじみのキックボクサー。(これはハイ・カルチャー系の知識人の盲点だな)

著者「デレク・スミシー」のお父さんが映画監督「アラン・スミシー」だというのは「訳者あとがき」の柳下毅一郎の「種明かし」サービス。

「アラン・スミシー」はハリウッド業界の隠語で、途中で監督がいやけがさして降板したり、編集段階でプロデューサーと大喧嘩したりして、監督がクレジットに名前を出すのを拒否した場合に使う偽名。この間TVで放映していたなんかのバカ映画の監督のところに麗々しく「アラン・スミシー」と新聞のテレビ欄に出ていた。それだけで札付きのバカ映画だということが分かる。誰かおおまじめに「アラン・スミシー特集」というのをやれば面白いのにね。

みんな『コリン・マッケンジー物語』を読んで、「あ、これはバカネタ!」というのを探して下さい。柳下毅一郎との勝負だから、なまはんかな映画知識では歯が立たないぞ。

 

12日は合気道本部道場で多田塾の研修会。

 集まった約50名ほどのうち、山田博信、坪井威樹の両先輩(ふたりとも私にとっては雲上人であるが)を除くと、なななんと私が最古キャリアの弟子である。来年の三月には多田先生の「本部道場入門50周年記念」のパーティがあるけれど、私は先生に遅れること四半世紀なので、そのパーティはそのまま私の「自由が丘道場入門25周年記念」でもある。

うたた感慨にたえぬものがあるです。

そうか、もう25年もやってるんだ。先輩たちのうちにはもう鬼籍に入られた方もいる。

あと何年かしたら、私も多田塾の「長老」とか「元老」とか言われるようになるのかしら。

その山田、坪井両先輩に稽古をつけて頂く。

ばしん、と投げられて、畳に頭をごんごんぶつけるけれど、こういう感じはものすごく久しぶりなので、懐かしくまた嬉しい。

師事すべき師があり、兄事すべき兄弟子がある、ということのありがたさが文字通り「身にしみる」。

ともあれ、半年ぶりの多田先生の稽古でぼろぼろになる。ふだん偉そうに腕を組んで「それは違うよ」とか教えているばかりなので、早稲田や東大気錬会の若者たちとやると息があがってしまう。技をかけている間はいいのだけれど、受け身をとると起きあがるのが面倒。

ロッカー・ルームでそうぼやいていたら、学生さんに「えー。ぼくたちは受け身をとってるほうが楽ですけど」と怪しまれた。

そうだった。私も昔は受け身はいくらとっても平気で、技を掛ける方が疲れた。

そういうもんなんだよね。

とにかく久しぶりに道衣がぐしょぐしょになるくらい汗をかいた。

 

札幌から田口亮子さんもやってくる。飛行機で来る。偉い。ほんとに偉いぞ。

『映画は死んだ』を買ってもらう。まいど。

1月の稽古始めには来てくれるそうです。

 

新幹線の中で江藤淳の『成熟と喪失』と『海舟余波』を読む。

『成熟と喪失』はそのむかし、1969年にお茶の水の茗渓堂書店で埴谷雄高の『永久革命者の悲哀』とどっちを買おうかなと迷った末に埴谷のほうを買ってしまって、それ以来30年間ご縁のなかった本である。(よく覚えてるなあ。そのころすごく貧乏だったから本の選択には全霊をあげて「いま自分が求めている本は何か」を真剣に考えていたのである。)

この選択はもちろんまったく間違っていなくて、18歳の私が読むべきは埴谷の方であって、江藤淳ではなかった。そして49歳になった今、江藤淳が一行一行水がしみ込むよう理解できる。(いま『永久革命者の悲哀』を読んでも一頁でやめてしまうかもしれない。だいたいATOKに言わせると『永久各目医者の悲哀』だもの。なんだよ「各目医者」ってのは)

江藤がわずかに触れている「赦しを軸とする母性原理を男性が体現すること」という主題が切実なものと感じられる。

私は「第三の新人」たちとは違って、男性が母性原理の体現者でもあるということに論理的には抵抗を感じない世代に属する。私はひとりで子供を育て、ご飯をつくり、洗濯物にアイロンをかけ、ベランダの観葉植物を育て、近所の奥さんたちとにこやかに挨拶をかわした。

過去11年間私は「母」であった。

それによってほんらい「父」である私が体現すべき「父性原理」はどうなってしまったのだろう。

分かったのは「母」になってみると、やはり「父」が必要だ、ということである。それを一人二役でこなすほど私は人間のスケールが大きくないので、私は自分の外部に「父」を求めた。

レヴィナス先生や多田先生はおそらく私が求めた「父」である。

その「父」たちにほとんど盲目的に「仕える」というかたちで、私は自分のなかに構造的に欠如している「父性」を補償したのかもしれない。

「第三の新人」と私の決定的な違いは私がきちんと「父」をみつけたということである。

私の「父」たちは「道統の継承」、「師への全幅の帰依」というかたちで「個を超えるもの」「普遍的なもの」に結びついている。私は師からそれを学んだ。

母性が「顔と顔をみつめあう」ような閉じられた関係であるとすれば、父性は「シリウスの高み」を共に仰ぎ見る視線の仰角を師弟が共有する「開かれた関係」であるのではないか。

などということを風邪のひきっぱなの微熱の頭で考えた。

げほげほ。

10 Dec

ああ・・・・

えーい。やめんか。

はい。もう愚痴りません。

とにかく1週間の「死のロード」が終わった。やまのような仕事を片づけた。(でもまだ山がたくさん残っているけど)

よく働いた。自分をほめてあげたい。

明日は合気道。日曜日は今年最後の多田塾研修会で日帰り東京行きである。身体はしんどいけれど、多田先生の稽古は半年ぶりである。

来週もがんばるぞ。わおー。

9 Dec

あああ忙しい。

「なんだ、昨日と同じだ。更新してないのか」

と思ったあなた。それは間違い。今日も「あああ、忙しい」なのだ。

人生を「更新したい」と切に望むものであります。

しかし、なんでもホームページには書いておくもので、私が「あああ忙しい」と叫んでいたら、東京の川崎さんという篤志家の哲学者のかたが「レヴィナスの翻訳手伝ってあげましょうか」と申し出てくれた。

なんでも言ってみるものである。

「誰かうちの暮れの大掃除手伝ってくれませんか」

「誰かるんちゃんといっしょに『くるり』のコンサート行ってくれませんか」

んーと、とりあえず困っているのはそれくらいだな。私の代わりに学部改組案を考えてくれとか、多田塾研修会に行ってくれとか、下川先生のところで謡の稽古してくれとか頼むわけにはいかないし。

昨日はオフなのに、昼からワーキンググループの会議。それからワーキンググループの答申案の起草。それから杖の稽古。会議関係の最後の電話連絡が終わったのが午前1時。あああ・・・と私がうめくのも分かるでしょ。

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さて、昨日に引き続き「るんちゃん」からのご連絡です。

「ね、ちゃんとホームページに載せてくれた?」

「うん、ばっちり」

「連絡くるかな・・・わくわく」

「・・・・・・」

るんよりみなさまへ:

「くるり」のチケットが一枚あまっているので、だれか買って。

¥3,550のところを特価¥3,500で売ります

「それじゃ、ぜんぜん特価じゃないじゃない。もっと値引きしなさい」

「えー。じゃ、¥3,000」

「・・・・」

8 Dec

ああああ忙しい。

なんだか私は「ああ、暑い」とか「ああ、疲れた」とか「ああ、忙しい」とかぜんたいに「ああ」関係で騒ぎすぎるきらいがあるな。

しかしほんとに忙しいのだ。

ホームページの更新なんかしている暇はないのだけれど、とりあえずご挨拶。

本を送るとお約束したひとたち、まだ郵送してません。ごめんなさい。郵便局に行く暇がないのです。

「うそだろ、郵便局にいく暇くらいあるでしょ」

といまあなた猜疑心をこめた目で私を見ましたね。

ほんとなの。切手をはって出すだけの手紙をもう一週間も持ち歩いているのです。

そうだ。忙しいのにホームページを更新しているのは「るんちゃん」に頼まれたことがあるからなのだ。

「くるり」のチケットが一枚あまっているので、だれか買って。

「¥3,550のところを特価¥3,500で売ります」

「それじゃ、ぜんぜん特価じゃないじゃない。もっと値引きしなさい」

「えー。じゃ、¥3,000」

「も、ひとこえ」

「・・・・」

 

日にち12月11日(土)18:00より IMPホール。

そんなのクラスメートに売ればいいじゃないかと言ったら、次の週から期末試験だからライブなんかいくひといるわけないじゃないとバカにされた。そういうあんたはなんなのよ。

欲しいひとはメールまたはFAX でご連絡下さい。

fwgh5997@mb.infoweb.ne.jp

fax 078-821-1457

チケットを買ってライブにゆくと「るんちゃん」が見られるぞ。見たらどうなるということもないですけど。

7 Dec

国文社の中根さんから「キック」が入る。

『困難な自由』の翻訳は80頁からさき一歩も進まず、こちらからオファーしたコリン・デイビスの『レヴィナス入門』の翻訳もオプション期間が切れるのに、一頁も訳していない。

「もう出来てます?」

「いえ、一頁も・・・」

「え?・・・(怒)」

「・・・・(哀)」

必死になっていいわけをして(だってほんとに忙しいんだよ)なんとか3月末締め切りということで言い逃れる。140頁ばかりの本だから休みがあれば1月でなんとかなるけれど、この調子だと2000年の2月3月ころはのんびり家で翻訳なんかしている情勢ではない。どうなるんだろう。ああ、たいへん。

昨日今日と「入試動向セミナー」と称して予備校関係者を招いて私学の壊滅的冬の時代をどう乗り越えるかについてレクチャーを拝聴する。昨日は進研アド、今日は大阪予備校。昨日のレクチャーはシンクタンクのプレゼンみたいな感じで、今日のはテキ屋のたたき売りの口上みたいだった。提示の仕方は違うが、「やばい」というのはひしひしと実感。

レクチャーのあと、松澤学長が「ダウンサイジング」についてご発言。経営が許す限り定員を削減し、経営規模を縮めて行くことが大学の教育水準を維持するいちばん当たり前の方法であるというのが予備校側のコメントだった。誰に訊いてもそう答えるだろう。

おそらく学長は「ダウンサイジング」に向けての学内的な合意形成のアトモスフィアーを醸成しようとしていると私は見た。学長がんばってください。

みなさん神戸女学院大学は変わります。「変化をおそれぬ」神戸女学院大学の捨て身のチャージを応援してね。

3 Dec

ああ、疲れた。

昨日(木曜)は朝の2限からワークショップ、3限・フランス語初級、4限・専攻ゼミ、5限・20世紀「戦争論の構造」。今朝は1限・語学ゼミ、2限・フランス語初級。昨日から連続6限ですがな。

これはしんどい。さすがに身体がぼろぼろになって「膏肓」(「こうこう」と読むのだよ)がきりきりと痛む。「病膏肓に入る」と昔からよく言うでしょ。膏肓が痛くなると、もうじき「お疲れさん」なのだ。

一番疲れたのが「20世紀」。1年生対象の講義科目なのだが、持ち時間が2回。180分のあいだに「戦争」についてひとまとまりのことを論じるのは容易なことではない。

クラウゼヴィッツから説き起こし、西谷修、多木浩二、加藤典洋、高橋哲哉と、話をすすめて、最後はレヴィナス先生の引用でフィニッシュを決めるはずだったが、時間切れで加藤典洋と村上春樹と大岡昇平の共通点について話しているところでゴング。

しかし、途中で「取り憑かれ」状態になったので、があがあしゃべっていたら最初のうちぐーすか眠っていた学生もみんな目を覚まして、不思議なものでもみるように、教壇で文学の使命とレイテ島の死者と地下鉄サリン事件について論じる私をみつめていた。があがあ。

国民国家=戦争機械=大衆社会を超克する契機はいずこにありや。があがあ。

あ、疲れた。

今日はアッセンブリー・アワーに講堂で、院長、学長ご臨席のもと、大島初江賞と女性学インスティチュートの優秀論文の授賞式があった。4人の受賞者のうち3人が私の「弟子」なのだ。(大島初江賞のごんちゃん、最優秀論文の古田君、優秀論文の梁木君)

私のことを遊んでばかりいるでたらめな教師だと思っている人がいるかもしれないけれど、それは大きな間違いである。私は教育にも(それなりに)情熱をかけているのである。

なお残る一人の受賞者岡田さんは難波江ゼミに進学予定の由。「おさわがせパネラーズ」のそこぢからを見たか。ふふふふ。

そのあと長く厳しい会議。死力(くらいしか残っていない)を振り絞って提案説明と質疑応答。私の提案がとりあえず了承されて、そのまま這って部屋に戻る。もはや歩く力も残っていない。

明日はイスラエル文化研究会の研究例会が本学である。私は当番幹事。朝から会場設営やポスター貼りをしたりお茶を入れたりしなくちゃいけないのだ。それもひとりで。夜は懇親会の幹事。とほほ。

日曜日は死に寝の予定。誰も私に電話をしてこないように。よろしくね。

30 Nov

ついてない日。

朝御飯のしたくをぼーっとしていたらぼろぼろとご飯を床にこぼしてしまった。あわてて拾い上げて手を洗ったらシンクから水が跳ねてパジャマがびしょびしょ。しまった、とあわてて床を拭いてまた手を洗ったらシンクから水が跳ねてパジャマがびしょびしょ(学習能力ゼロ)

健康保険証の期限が今日までなのにいくら捜しても保険証がみつからない。いつもきちんとしまってあるのに、そこにない。探しあぐねて一眠りして頭が冴えてから捜し直そうと、二度寝していたら、目が覚めたのが10時26分。大学で11時から面接の約束がある。

そこらじゅうのものにつまづいたらり、足をぶつけたりしながら必死で身支度をして学校へでかける。

今日は卒論の面接なのだが、一昨日メールできたドラフトを仕事にかまけて読んでいない。しかたがないので、信号待ちをしながら必死で読む。

廊下で20分も待たされた卒論の面接の二人に平謝りしながら面接。最初からへーこらしているので、説教の調子が出ない。頭もぼーっとしているので自分で何をしゃべっているのかよく分からない。(ごめんよ山中さん田中さん。でも二人ともきちんとした論文の体裁になっていたので、とりあえず安心)

昼休みになったのでご飯を買いに行ったら財布のなかに1500円しかない。昨日るんちゃんに定期代で25,000円もとられてしまったのでびんぼーだ。晩ご飯の買い物もできない。

ああ、どうしよう。まだ半日あるのに、このあとのどれほど恐ろしい出来事が私を待っているのだろう。どきどき

25 Nov

うっかり「腰が痛い」などと書いたら、マンチェスターや札幌から「お大事に」と掲示板に書き込みがあった。どうも、うかつなことを書いて、あっちこっちに心配をかけてしまった。ご心配おかけしてすみません。

私としては「サイバー壁新聞」にだらだらと愚痴やら泣き言やら私憤やらを書いているだけなのだけれど、筆が滑ると(キーが滑るとかな)思わぬところに困る人や心配する人や怒り出す人がでてくる。自戒せねば。

無名ゆえの特権というのがあって、紀要論文なんかにどれほど有名学者の悪口を書いても、だれからも異議申し立てがこないし、反論もされない。(来ても、難波江さんとか飯田さんくらいからだし)悲しいといえば悲しいが、お気楽と言えばお気楽である。

まえにいちど某出版社から本を出しましょう、というので原稿をもっていったら、私の書いたなかに板垣雄三という東大の先生のことを批判した箇所があって、「板垣先生はうちからも本を出しているので、これまずいから削ってもらえませんか」と言われたことがあった。びっくりしてそのまま逃げ帰ってしまった。出版社というのも不自由なものである。

さいわいこれから出る二冊の本で扱っているのは、ほとんど物故者ばかりであるから、何を書いても本人から文句をいわれる心配はない。

しかし、海外の有名人はいくら批判してもよいが、国内の二流三流の学者のことは批判してはいけないというのはなんだか倒錯している。学会発表なんかでもそうである。口頭発表は、「レヴィナス」とか「カミュ」とかえらいひとのことは呼び捨てにするくせに、業界のひとの学説を引用したりするときは「***先生がこのようにご指摘になっておられる」なんていうわざとらしい敬語を使うのである。そういうのって、なんだかかっこわるいぜと私は思う。

むかし私のいとこの「やっちゃん」が東京でDCブランドをやっているとき、そのロゴマークの「Y」がまるごとイブ・サン=ローランのままであった。

「これ、文句言われないの?」とわたしがびっくりして訊ねたら、

「イブ・サン=ローランから『商売の邪魔だ』だといわれるようになったら一人前だよ」と笑っていた。

なるほど、そういう考え方もあるのか。

というわけで私は今後もホームページで内外の知的セレブリティたちを、「本人から文句を言ってくる」まで俎上にのせつづけるであろう。(文句いわれたらもちろん「ごめんなさい」とはいつくばりつつ、「なんだ、読んでやがんの」と笑いながら逃げ出すのである。)

24 Nov

風邪がなおったら、こんどは腰痛だ。

腰というのか、「右尻の内側」のほうというか、背中の下の裏側というか、何ともロケイトしにくい部位に、痛いというかしびれるというかかゆいというか、なんとも言い難い感覚があって、寝ているとぐりぐりする。起きるとおさまる。運動すると痛い。

なんだろ。ストレスだな、きっと。なんでも「ストレスのせいだ」と決めつけて問題の解決を先送りするのが、私のストレス解消法であるが、それってぜんぜん根本的な問題の解決にはならないのだ。

しかしとにかく休みが三日も続くので、この機会に一気に『戦争論の構造』のフィニッシュを決める。いろいろと関連する文献があるが、それを読むと面白くて、なかなか進まない。いま大岡昇平の『レイテ戦記』を読んでいる。これはすごい。

むかし大岡昇平と埴谷雄高の『ふたつの同時代史』という対談を読んで、彼らの戦時中の明晰でタフな生き方にずいぶん感心したことがあったのを思い出した。こういう硬骨のおじさんというのがいなくなってしまった。

西尾幹二の『国民の歴史』という本を北島先生が送ってくれた。「新しい歴史教科書を作る会」の西尾さんの本である。(北島先生って「そっち」の人だったのか。びっくり)

まえに藤岡信勝の本を二冊読んでうんざりした覚えがあるが、西尾さんはどうかしら。「つくる会」は小林よりのりを看板にして、なかなか気勢が上がっているようである。近代史のところだけとばし読みする。李朝朝鮮のことがめちゃくちゃ悪く書いてある。併合されて当然、という結論であった。うーむ。強気なおじさんだ。

ついでに『新ゴーマニズム宣言』の新刊が出ていたので読む。なんだかだんだん小林も党派的になってきた。大丈夫かあー、よしりん。おいら『東大一直線』以来のファンだんだけど、このままではちょっとやばいぞ。理由は分からないけれど、宮崎哲弥のことがずいぶん悪く書いてあったので、ちょっと気分がよくなる。

しかし浅田彰と柄谷行人の悪口だけは小林よしのりもかかないなあ。どうしてだろう。もしかすると、浅田とか柄谷とかって、すごくいい人なのかもしれない。だとすると私の人物眼もあまりあてにならない。ああ、心配。ほんとはどうなのかしら。ああ、気になる。

来週のイスラエル学会にそなえてソール・ベローも読む。あまり面白くない。どこか面白いのかしら。誰か教えて。

ついでに高橋哲哉も読む。ぜんぜん面白くない。西尾幹二のほうが面白い。これって、ちょっとまずいんじゃないかな。

どんどん酔っぱらってきたので、ついでに上野千鶴子も読んでしまう。ちょっとげろはきそうになってきたので、あわてて本を閉じる。やっぱ、このラインは駄目だなあ。しかし、これを克服しないと「おしゃれな大学知識人」の仲間にはいれないというしなあ、困ったなあ。

といいつつ諸星大二郎の『西遊妖猿伝』の13巻が出てたので、寝ながら読む。諸星大二郎は偉大だなあ。ちょっとコマが大きいのが気になるけど・・・

19 Nov

まだ風邪が治らない。

じゅるじゅるしていたら、図書館から電話があって、私が購入した高橋源一郎の『あだると』の配架について「内田先生はこの本がどんな内容だか分かって買ったのですか?」という問い合わせがきた。

『あだると』はAV業界に取材した爆笑小説で、『週刊女性』に連載されたのが初出というめでたい出自である。私が大笑いして買った本だから図書館のおばさまたちが目を剥いたとしても怪しむにたりない。

うちの図書館にはいま高橋源一郎の著作は一冊もない。そこで私が大量に今回高橋源一郎の単行本を購入した。

村上龍は6冊だけ、橋本治はエッセイだけ(『桃尻娘』も『窯変源氏物語』もない)、逆に村上春樹はエッセイは一冊も入っていない。椎名誠や中島らもに至ってはかげもかたちもない。これが本学の図書館の日本現代文学に対するスタンスである。

現代日本文学の先端的な仕事をキャッチアップすることに本学の図書館も教員たちも関心がないらしい。

しかたがないので畑違いの私なんかがほそぼそと現代文学を補充しようとすると、さっそく『あだると』では困ると言ってくる。

よろしい。セックスを主題にしたものはいかんという原理原則があったうえで「困る」と言ってくる以上は、当然ながら本学の図書館にはバタイユの『眼球譚』もマルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』もロレンスの『チャタレー夫人の恋人』もあってはならないはずである。

もちろん、ないんでしょうね。

『眼球譚』がよくて『あだると』が悪い文学的な根拠をどなたかが私に提示してくれたら、いさぎよく私は引っ込む。

私が高橋源一郎にこだわるのはいささか訳がある。

数年前、朝日新聞の文芸時評で高橋源一郎が有害図書、有害コミックを規制する「良識」的世論にかみついたことがあった。

「こうした漫画や写真を幼い時から見せられて育つと、どんな人間になるのだろう。文化の将来を考えて、そら恐ろしい気持ちにもなる。」という、いかにも朝日の社説らしい「常識的」見解に対して、高橋は次のように反論した。

このような意見を支えているのは「この世には豊かで芸術的な優れた作品がたくさんあり、それは保護されるべきだが、クズにはそんな特典を与えることはない」という文化における差別意識である。しかし「それは、おれの考えでは、表現がわからない人間が表現に関して持っているもっとも大きな妄想の一つなのだ。」

「人間が関与する表現の大半がクズであることは、統計など読まずじっさいその表現に接している人間ににとって自明のことなのだ。『貧しい』のは漫画だけではない。文化は『クズ』の集積そのものなのである。もし『表現の自由』というものがあるとするなら、それは『クズである自由』なのだ。それがわからないなら、文化について口出しすべきではないのである。」

けだし名言というべきであろう。

文化の成熟にとって大切なのは「包容力」である。あらゆる愚行、あらゆる「クズ」をにこやかに受け入れることのできる文化の中からしか、本当に「豊かで、優れた」表現は生まれない。優れた表現はそれに数万倍する「クズ」の滋養に支えられて生まれるのである。

勘違いしないでほしいが、私は高橋源一郎の文学作品は「クズ」だけど、図書館はそれを受け容れる度量を示せというような極左冒険主義的なことを主張しているわけではない。

高橋源一郎の作品は現代日本文学のひとつの極点であると信じているからこそおおくの学生に読んで欲しいと望んでいるのである。配架してください。おねがいします。

18 nov

なかなか風邪がなおらない。

昨日はオフのはずが、ゼミ面接の追加、人間科学部の第三者委員面接、杖の稽古、ACA(芦屋国際交流協会)の委員会と四つも用事があって、ふだんの日より疲れてしまった。

ゼミ面接はなんやかやと40名。一人一人に「志望動機と自己PR」なんかしゃべらせて、なんだか就職試験みたい。しかし、みんな言葉遣いが「貧しい」。

友達と話すときとは違う語法で話さなければならない場合というのがある。それは単に敬語をつかって話すという意味ではなく、友達と話すようにしては話せない主題というものがあるからなのだ。自分の学術的関心のむかっている領域とか興味のある現象などについては友達同士の親密な語法で話すほうがむしろ難しいということが彼女たちは分かっていない。

しかし彼女たちは一つしか語り方を知らない。友達と映画や音楽の話をするように話す。つまり断片的な印象を単語でばらばらと語り、それに対して「そうよねー、わかるわー」という相づちが来ることを期待している。

しかし、私はもちろんそんなことは言わずに、「もっと具体的に言うと?」とか「例えばどんな作品?」とか「それについてメディアで流通している情報のどこに君は不満を感じているの?」とか友達からはふつう返ってこないような種類の反問をぶつける。とたんに彼女たちは絶句してしまう。

メッセージが断片化していて、構造化されていない。ある主観的な印象をもつことはできる。(ときにはなかなかシャープな印象でさえある。)けれども惜しいかな、それを分析したり、深めたりするための「省察の言葉」が欠落している。

オースチンの用語を借りれば、彼女たちの用いる言語は過剰に communicative であり、cognitive な機能が弱い、ということだ。

それはたぶん読書経験の決定的な不足のゆえだろう。「語り言葉」で語れることのほかにこの世には「書き言葉」でしか語れないことがある。それは読書経験をつうじてしか培われないような言語なのだ。

読書をするということは「発音できないし、日常会話ではまず口にすることも耳にすることもないが、字だけは知っているような言葉」をたくさんつかって情報を得、思考するということである。いわば「書き言葉という外国語」を使う「バイリンガル」になるということである。

私は本を読んで「書き言葉」を習得することのほうが、ネイティヴについてコミュニカティヴな英語使いになることよりも知的には重要な教育だと思う。それをいまの学校教育はあまりに等閑視してはいないか。

おっと、こんなところで悲憤慷慨してもはじまらない。ゼミに来る諸君には厳しい修行の日々が待っておるから、楽しみにね。

もうひとつ、人間科学部の人事のために面接をする。とてもフレンドリーで、紳士的な方だった。

医学部の先生なのだが、いまの医学部教育の話になったら、いたく慨嘆されていた。高校で理科系の勉強ができたというだけの受験エリートたちがどんどん医学部にやってくる。しかし医師にとってまず必要な能力は患者とコミュニケーションをうちたて、心身にかかわる多様な情報を短時間のうちに獲得することである。それがまったくできない若い医師がどんどんふえている。患者に語りかけられず、患者から有意な情報を引き出せず、やむなく機械による検査をやたらにして数値化された情報をかき集めたが結局診断を下せないという無能な医師が量産されているそうである。

さまざまな経験を積んだ成熟した「大人」のひとこそ医師にならなければいけないのに・・・となげいておられた。なるほど。

文学部を出て営業マンをしてから医学部に入り直した、というような人の方が医師としては適性が高いのかもしれない。(ドクター北之園がそうである)うちのゼミを出て看護婦になったひともいた。これはなかなかいいかもしれない。誰か卒業生で医学部に行く人いないかな・・・おおそうだ、石橋君!君、ぴったりだよ。受験勉強のプロだし。医者向きのキャラクターのような気もするなあ。今からでも遅くはない、医学部を受けなさい。

というわけで(ああつかれた)杖のお稽古を途中で鬼木先生におあずけして、芦屋の委員会にでかける。(先生どうもすみませんでした)

なぜ芦屋市民でもない私がいまだに副委員長なんかをしているかというと、元人間科学部の五十嵐先生が委員長だからなのだ。五十嵐先生には95年のフランス語研修旅行のときにはローザンヌで、96年にはパリでまたまた学生ともども夕食とワインをご馳走になったという大恩があるので、お断りできないのである。

それに五十嵐先生はほんとうに「大人のおじさん」であって、そばにいると「大人のおじさんのそばにいることの安らかさ」というものをしみじみ感じてしまうのである。こういうことをいってもあまり分かってはもらえないでしょうけどね。そういうのってあるのよ。

17 nov

ゼミ二期生の井手由記子さんから本がとどいた。

『いつもありあまるほど』(コトバ ide, カタチ Tomoko Ishida, 郁朋社、¥1,000)

井手さんがテクストを書き、石田さんが絵を描く。女性ユニットの作品である。

井手さんは卒論に現代フランス哲学を選んだだけあって、テクストはなかなかに哲学的である。そこに底流しているのは、「あなたの言語の限界があなた世界の限界である」というウィトゲンシュタイン的な省察である。井手さんは詩人なので、そのことをもっと柔らかく、軽やかな語調で語る。

たとえばこんなふうに

「さがしていたものは もうここにある。今までの中に今日のこの中に。」

「なにがあっても

 なにもなくても

 いつでも

 どこでも

 ほしいだけ

 そしてそれ以上」

あるいは

「すべてがクリアーにならなくても大丈夫。

 不安に思うことがあっても

 それは僕を困らせるためのものじゃない。」

 

「僕」という男性のための一人称単数を使っているところから類推するに、井手さんは「自己表現」ではない、「だれのものでもないエクリチュール」をつかみかけているようである。

石田さんのシンプルで暖かいデッサンもテクストとよくなじんでいる。

ゼミ出身の文学者第一号、井手さんの今後の活躍に期待します。

16 Nov

訃報が届いた。

中学時代の恩師が癌で亡くなったのだ。

母親と中学の同級生から相次いで電話があって夕刊の死亡記事を見るように言われて、みたらひとりぽつねんと載っていた。

高橋渡(たかはし・わたる)日本詩人クラブ会長、調布学園短期大名誉教授、国文学、本名 中山渡。14日午前3時38分、リンパ節腫瘍のため東京世田谷区の病院で死去。76歳。75年、詩集『冬の蝶』で第8回日本詩人クラブ賞を受賞。

私にとっては中学の担任で国語の先生「中山先生」であるけれど、折口信夫門下の詩人、国文学者という別の貌を持っていて、その二重性が分泌するどこか怪しくまた危うい感じはこどもだった私にも感じ取れた。

「おれはこんなところでこんなことをしているはずじゃないんだ」といういらだちのようなものが穏やでスマートな外見からときおり透けて見えた。

おそらく「中山先生」がいちばん「自分らしく」あったのは詩作を通じてであったのだろう。

その詩は白骨にからんだ黒髪のように、知的な叙情性の隙間からなまなましい攻撃的な身体性が露出するもので、現代詩人としての斯界での評価は高かったけれど、私は「こんなのはぼくの知っている中山先生じゃない・・・」というかすかな悲しみを感じずにしか送っていただく詩集を読み通すことができなかった。

最後に送っていただいた詩集は開かれることなく、そのまま研究室の机の上に置かれている。

お礼状を書かなければいけないけれど、そのためにはあの老詩人が吐き出すなまなましい詩篇と、彼の病苦と、彼の抱え込んでいる深い孤独を追体験しなくてはならない。

読み終えて「ご高著拝受しました。ますますのご活躍を心からお慶び申し上げます」というような嘘くさい紋切り型で返信をすることがうしろめたかったので、ずるずると読書を先延ばしにしてしまっているうちに訃報が先に届いてしまった。

そういうものだ。後悔はあとからやってくる。

中山先生が私に与えた影響は少なくない。

その最大のものは「文学は人生を賭けるに値する」というあまり根拠のない思いこみである。

中山先生は中学生の私に何度か作文の宿題を出した。

私にだけ提出が義務づけられたへんてこな宿題である。それは「立たせる」とか「はり倒す」代わりに私の授業中の態度を罰するために出されたのだが、私は数枚の原稿用紙にその課題でふざけた作文を書いて提出し、そのまま何食わぬ顔で授業を受け続け、先生はまた授業中の私のささいな落ち度を咎めては、別の課題を出した。それが幾度か繰り返され、私はそのゲームを楽しんでいた。おそらく先生もそうだったと思う。

どんなことを書いたのかもう覚えていないが、最初の罰作文の題名だけ覚えている。「笑われものの駄々っ子」という題名である。

私はその課題で自分の幼年時代のできごとをくそまじめな文体で戯画化してみせた。

先生はそれを読んで破顔一笑した。

「ルールを遵守しつつ逸脱する」「従順なふりをして抵抗する」というテクニックを私はそのときに中山先生から学んだ。もちろん先生はそんなことを教えるつもりはなかったのだろうけれど。

中学生の私にとって中山先生は知識人としてのロールモデルであり、私はいかにも中学生的な過剰な敬意を先生に向けていた。

高校に入ってしばらくして私はささいないさかいで家を出た。その足で私は中山先生のお宅に行って、高校をやめて自活すると宣言した。先生ならそういう気持がわかってくれると思ったのである。

しかし先生の対応は私には意外なもので、まああまりお母さんを心配させるなよとうまくなだめられて家に連れ帰されてしまった。そして別れ際に親たちに「あまり叱らんでやってください」と言った。

先生はもちろん私のためを思ってそう言ったのだけれど、私はその瞬間に「ああ、このひととの師弟関係は終わったな」と思った。私は幼くも師弟関係は親子関係よりも深い魂の結びつきだと思っていたのである。

私は先生からかつてイエスが弟子たちに言ったような言葉を期待していた。

「わたしが来たのはこの地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。なぜならば、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。わたしよりも父や母を愛するものはわたしにふさわしいものではありません。またわたしよりも息子や娘を愛するものはわたしにふさわしいものではありません。」(マタイ伝10章34−37)

そのあと私は家を出て、高校をやめ、不良少年暮らしで心身をすり減らし、やがてまた屈辱的な和睦を申し出て家に戻り、大学に受かると同時に家を出て、また愚行のかぎりを尽くしたが、そのどの節目においてももう先生に相談することはしなかった。

それどころか40歳になって中学卒業25年目のクラス会までついに一度もお会いしなかった。

9年前のクラス会でお会いしたとき先生は大病のあとですっかり弱っていたけれど、私の手を握って目を潤ませた。

私と会わないあいだもずっと私に賀状を送り、詩集を送り、母に私の安否を問い合わせてくれた先生に私はあまりにも冷たい態度をとり続けたように思う。

けれどもそれは私にとっては中学生の私の中山先生に対するほとんど宗教的な畏敬の記憶を純粋なまま保つためには必要なものだったのである。

先生は私が研究者の道をすすみ、大学の教師になったことをとても喜んでいたと母に聞いた。先生の教え子たちの中で、私はいちばん反抗的なこどもであり、反抗しつつ結果的には文学研究という先生と同じ道に進んだ。その予定調和的な反抗を先生は自分の教育成果として笑って楽しんでいたのかもしれない。

先生は晩年になってカトリック信者となったので、葬儀は成城のカトリック教会で行われる。

                              1999年11月15日

15 Nov

土曜日は東大気錬会の諸君6名を迎えて合同稽古&我が家での宴会となりました。翌日に高砂での杖道講習会をひかえていたので、私はやや控えめにしていたのですが、やはり若い道友をむかえると血が騒ぎ、つい立ち上がって手をとってあれこれと技の理合いについて話をはじめたりしていると、時間を忘れて気が付くと午前1時半。おっとこれはたいへんと思ったら、鼻水ずるずるのどがひりひり、なんだか微熱も出てきた。あわててパブロンを飲んでそのままお客さまも学生さんも放り出して寝てしまう。

お客さまたちはそのまま一睡もせずに朝までご歓談していたようである。若いひとたちは元気だわ。

寝ぼけ頭で高砂へ。鬼木先生がなかなか来ない。どうしたのかしらと思ってたずねたら牡蠣を食べて当たって前夜からもどしたり下したりの苦しみだったそうで、青い顔。ひさしぶりの中村裕理さんは肋間神経痛が痛んで、形を遣っているうちに苦痛のあまり座り込んでしまう。かくいう私は風邪。というわけで大人三人はみんなぼろぼろ。元気がいいのは学生さんたちだけでした。高原先生は学生さんたちがいっぺんに十数名も受験するので上機嫌。ほかの先生たちからも「たくさん連れてきてくれてありがとね」とお礼を言われる。

さらに鼻水を垂らしながら帰宅。そのまま倒れて起きたら午前11時。17時間眠っていた。でもまだ風邪が治らない。じゅるじゅる。

12 Nov

疲れる一日でした。まず合気道のワークショップ、それから講義が一つ、ゼミが一つ、それから能のお稽古。身体を使ってものを教え、口をつかって語学を教え、眼をつかって映画を見て、それから身体を使ってものを習う、という全身使用の一日でした。

ああ、疲れた。

映画は秋枝さんの発表用の『ダークシティ』

これは『映画秘宝』で絶賛していただけあって、なかなかよくできた映画。秋枝さんはこれと『トゥルーマン・ショー』と『マトリックス』をねたにして、「ヴァーチャル・リアリティに生きることの積極性」というお話をするようである。

『マトリックス』は学会の後の飲み会でもひとしきり話題になっていたけれど、結論はあれこそ「絵にも描けない現実界」ということで一致した。(絵に描いてあるけど)

『マトリックス』の現実界の「イカ」と、『ダークシティ』の現実界の「エビ」のあいだにはなにか関係があるのだろうか?(むかし合気道会には「イカちゃん」と「海老ちゃん」というふたりの一年生がいたけれど、それとは関係ないのだろうか?)

イカやエビは「寸断された身体」の太古的なイマーゴのメタファーなのだろうか。

Shell Beach の「シェル」は彼らが閉じこめられている世界そのものが「貝殻」なんだよ、ということなのだろうか。

考えるとよく分からない。でも、『ダークシティ』の美術はギーガーなので街の様子が不必要までに「かっこいい」。なんとなく19世紀末ブタペストみたいな雰囲気である。(行ったことないけど)街全体が微妙に遠近が狂っていて『カリガリ博士』の悪夢を思わせる造形である。

ぜんぜん評判にならなかったけれど、すごくよい映画なので、みなさん『マトリックス』と一緒に見てください。

10 Nov

うちのパソコンが頓死。だいたいパソコンは頓死するもので、あまり長期入院のすえ薬石効なくみまかられるということはない。いきなり「メモリーのどこかにエラーが検出されましたので、マシンを止めます」という表示が出てフリーズしてしまった。止めるのはいいけど、どうやって動かすんだよお。

マシンを抱えてよろよろとキャンパスを歩いていたら、ちょうどおりよくあっちからイナハラのお兄ちゃんが来たので、そのままパス。「保証期間中じゃないんですか」と聞かれるが、保証書なんかどっかにいってしまったので(私はそういうものを瞬間的になくしてしまうことにかけてはほとんど天才といってよい)有償でいいからはやくなおしてね、とあずけてしまう。

まだ学校にMacとWindowsが一台ずつあるし、ノートパソコンも新品があるので、とりあえず仕事に支障はない。

なんでそんなに何台もパソコンもってるんですか、とよく聞かれるけれど、こういうときのためのフェールセイフなの。パソコンは私にとって原稿用紙とペンと辞書とデータベースと進行中と書き終えた原稿の束をひとまとめにしたものであるので、これがないと何もできない。

夕べはしかたがないのでニコラス・ケイジの『8mm』を見る。おおこれはなかなか。

9 Nov

来年度のゼミの募集がそろそろ始まる。ゼミどこいこうかな、ということでこのホームページを見ているひともいるかもしれないので、今回はまじめな話をします。

奉祝!女性学インスティチュート懸賞論文コンクールで内田ゼミからの応募者がワンツー・フィニッシュ!

電子図書館でご紹介の、古田明子さんの『セーラームーン』と梁木あゆ美さんの『男と女の間には』が本学女性学インスティチュートの論文コンクールで最優秀賞と優秀賞に選ばれました。主題がジェンダー論に限定されていたために、応募点数が少なかったようですが、それでも立派。二つの論文は『女性学評論』に掲載されます。

「内田さんのとこはアニメで卒論書かせちゃうんですか?」という冷たい批判の視線を浴びつつ、素材が何であれ、分析方法さえしっかりしていれば、その学術性は評価されてしかるべきである、と言い続けてきた私の基本的立場がご理解いただけた、ということで私はたいへんに喜んでおります。

来年の卒業生諸君もがんばってよいものを書いて下さいね。

8 Nov

学祭演武会は無事に終了いたしました。ご協力して下さった皆さんに心からお礼申し上げます。お忙しい中、招待演武にお越し頂いた東京大学気錬会のおふたり、家族総出で来て下さった鬼木先生、たくさんの差し入れをして下さったご家族のみなさん、ありがとうございました。松田先生と神原さんはほんとうに残念でした。お大事に。

 打ち上げは予想通りのバトルとなりました。おぼろげに、飯田先生と高雄さんとフェミニズムについてがやがや論じているわきで、鬼木先生が立ったり座ったりして、体軸のつかいかたについて講習し、ウッキーがるんにブレーンバスターをかけたりしているさまが断片的に記憶されております。翌日、「となりのみよちゃん」からめちゃくちゃうるさかったとお知らせ頂きました。そらそうでしょう。

食べたもの:「おでん」「豚汁」「きのこの炊き込みご飯」「ラザニア」「きのこのスパゲッティ」「バジリコのスパゲッティ」「お好み焼き」「なすのバリ島風味」「焼きそば」「シュークリーム」など。飲んだワイン11本。ウイスキーボトル半分。梅酒、泡盛各一本などでした。小川さんどうもご苦労さまでした。

その二日酔いの頭をかかえつつ私は機中のひととなり、四国松山の学会へ。とりあえず、その日はおとなしく『黒い家』などを読んで寝ましたが、翌日は昼前にさっそく佐々木滋子さんに捕捉され、その足でビール。午後の会を逃れて、ひとりで松山城、道後温泉本館、子規記念博物館と回る。道後温泉本館は『がんばっていきまっしょい』に出てきた、浴衣を着て、お茶をのむあれです。子規の若い頃の顔が「橋本治」に酷似していることも新たな発見でした。

温泉でいい気分になってふたたび学会会場の松山大学にもどり、北山研二、北村卓、西川直子のみなさんと道後温泉の「道後ビール」。懇親会にでかけるみなさんを送り出してから、佐々木さんとふたりでがんがん飲む。つまみも美味しいし、道後ビールはなかなかグッドでした。しかし学会というと佐々木さんとがんがん飲んで、最後べろべろふらふらになって、「なんだ、もう帰るの!いーじゃない、もう一軒いこ!内田くーん!」という佐々木さんの声が深夜の街にこだまするのを背にタクシーに乗り込む、というパターンをかれこれ20年くらい続けている。そして毎回、すさまじい二日酔いでもうしばらくお酒の顔もみたくないという状態でぼろぼろになって帰宅の途につくのである。そのパターンはことしも継承されたのでした。

今回はおまけに北山、北村のご両人と同宿だったので、佐々木さんと別れて宿にもどってからまた飲み直し。仏文学会の今後を憂い、マイク・マイヤーズの天才を称えつつ、奥道後の夜はしんしんとふけてゆくのでありました。翌日みなさんは車で尾道へ行かれるそうでしたが、ご無事だったでしょうか。きっと途中で何人かげろ吐いたことでしょう。

そしてまた例年通り、めちゃくちゃな二日酔いで機中のひととなり(来るときとおんなじだ)サバ眼で伊丹に降り立ち、そのまま我が家のベッドめざして直行したのでありました。そのまま死に寝、起きたら翌朝9時半でした。(14時間くらい寝てた)

こういう学会生活からはそろそろ足を洗うべきかもしれません。

4 nov

おかげさまで学祭は無事に進行中であります。

残念ながら、松田高志先生、神原麻理さんが風邪で発熱、出場できなくなりました。ご快癒をお祈りします。初日は岡貴美枝さんも風邪でダウンしていましたが、二日目の今日は蘇りました。

午前中はお客さんがぜんぜんいなかったですが(矢部君のお知り合いたちだけ)テレビのクルーが撮影にきたりしました。放映されるといいですね、飯田先生。

北澤さん、昨日はありがとうございました。高雄さん、アメリカから帰ったその足で演武をお願いしてしまってすみません。大丈夫ですか?

差し入れして下さいました、学生さんの親御さまたちにも篤く御礼申し上げます。

 

     神戸女学院合気道会演武会

とき:11月3日(水)・11月4日(木)午前10時半より12時 午後2時より3時半

ところ:神戸女学院大学文学館L-34教室

演武次第

両手取り自由技   松田高志(三段)

座技自由技     谷口なを(二段)

後ろ両肩取り基本技 江口さやか(一級)

肩取り基本技    岡貴美枝(一級)

横面打基本技    飯田祐子(二級)

正面打基本技    福田沙織(三級)

正面打基本技    小野寺有美子(五級)

片手取り基本技   林万里子(五級)

神道夢想流杖道形  江口さやか・角田紘子・福田彩・小野寺有美子

片手取り基本技   古橋右希(四級)

片手取り基本技   瀬戸久美子(一級)

諸手取り基本技   澤奈緒(一級)

後ろ両手取り基本技 立石美佳(一級)

後ろ両手取り基本技 吉永真理子(二級)

両手取り基本技   八十利恵(五級)

片手取り基本技   福田彩(三級)

中段突き基本技   角田紘子(一級)

諸手取り基本技   久保直子(一級)

合気杖       北川真優美・矢部智子・楠佳織・末松育美

肩取り面打自由技  矢部智子(初段)

後ろ両手取り自由技 末松育美(初段)

太刀取り自由技   北川真優美(初段)

諸手取り自由技   前川真紀子(初段)

二人掛け自由技   小濱弥生(初段)

短刀取り自由技   楠佳織(初段)

招待演武      北澤尚登(三段・東京大学気錬会OB)

          高雄啓三(二段・東京大学気錬会OB)

正面打ち自由技   溝口良子(二段)

杖取り自由技    林佳奈(初段)

両手取り自由技   宇野聖子(二段)

座技自由技     神原麻理(三段)

自由演武      内田 樹(六段)

 

すごいでしょ。この数。この人たちがみんな演武するのです。1時間半で終わるでしょうか。終わったあと、このひとたちがみんな打ち上げでうちに来るのです。うちに全員入るでしょうか。私の作る「おでん」は何分で消滅するでしょうか。(去年は「ねえ、美味しい?」とふりかえったらもうなかった)

ということがないように、今日は朝から「おでん」を二人で食べた。「これでもう思いのこすことはないよ」とるんが言っていた。「去年は、ほんとに一瞬の隙をつかれたからね」

29 Oct

96年度卒業生の石森君が長崎に帰郷するとて、別れの挨拶にくる。律儀なひとである。

3年半兼松でOLさんをしていたのだが、部署の統廃合を機に、はなやかな虚飾の都(というほどでもないが)を去って、水と空気のきれいな故郷に帰って、家業を手伝い親孝行のみちを邁進するのだろうである。

いまどき珍しい孝行娘である。あまりに言うことが偉いので「えらい」とほめてあげる。

こうなったら家業を継いで、親のめがねにかなった地元の好青年(浜田光夫)と見合いで結婚、半年アパート住まいののち、妊娠を機に自宅にもどり、「サザエさん」暮らしをするというところまで予定調和的に「昭和30年代日活青春映画」をやったらどうか、と勧める。けらけらわらっていたが、そういうのはこれからなかなかいいと先生は思うよ。いや、ほんとに。

96年度の卒業生たちは11月27日に福山で挙行されるK井K奈さんの結婚式に大挙して集合するようなので、そのまま現地で「同窓会」をすることになった。幹事はまたも石森嬢である。よろしくね。

会議が終わってD館をでてきたら、学長と会う。学長が笑いながら「ホームページ見ましたよ」と話しかけてきた。このあいだの「塾として生き延びるよりは、大学として死にたい」というのをお読みになったようである。

「大学として死ねるかしらね」

とぽつりとひとこと。

やっぱダウンサイジングですよ、それっきゃないすよお、と図書館のまえを歩きながら持説を語る。

時代はあきらかに「レトロ」に動いている。21世紀なかば、人口が減り、高齢化がすすみ、文化が爛熟し切り、そしてけっきょくみんなが漱石を読みながら謡曲をうなるような社会になるのである。海岸はふたたび白砂青松となり、空は澄み、山は深まり、ひとびとは草鞋で山道を歩きながら考えたりするようになる。工業団地は草ぼうぼうとなって狐狸の類が跳梁跋扈し、摩天楼は蝙蝠の巣窟となり、青白い月を見ながら遠吠えする狼の声に、ひとびとはひしと抱き合って闇を凝視するようになるのである。

いいなあ。そういうの。

27 Oct

葡萄漬けじゃない、武道漬けのヴァイオレットな毎日である。昨日の夜は杖道の稽古、そのあと深夜12時半まで電話で(ついさっき別れたばかりの)鬼木先生と武道談義。(先生は翌日朝から仕事なのに大丈夫なのであろうか)

そして今朝からはワークショップ『合気道』実践編。先週までは柳生宗矩の『兵法家伝書』や宮本武蔵の『五輪書』や沢庵禅師の『不動智神妙録』や『猫の妙術』、『荘子』からオイゲン・ヘリゲル、中島敦まで読み倒しつつ「居着き」と「無拍子」という武術的身体運用の基本概念について教室で講義。

われながらなかなか面白い講義であった。途中で「ハイ」になり、「ああ、いましゃべっていることをそのまま字にすれば論文が一本書けるのに・・・自分で自分の講義を聴講したい」という倒錯の世界に踏み込んでしまった。(おなじことを飯田先生もときどき授業中に経験するそうである。)

ともあれ今日からは実践である。道衣を着て、雪駄をちゃらちゃらいわせて道場に通う。これで学生は単位がもらえて、私はお鳥目がいただけるわけである。(午後も道衣を着て、道場にいって合気道を教えるのだが、こちらは単位もでないし、講師給もいただけない。不思議だ。)

ともあれ、ありがたいことである。夢のようである。

いかなる宿世の因縁によってこのようなありがたいことがわがみに起こるのであろうか。(よく考えてみたら前世の功徳ではなく、現世の松田高志先生のおかげでした。松田先生ありがとう!内田はしあわせものです。)

26 Oct

このところ毎週一回NOVAに通っている。150ポイント買ったのが、途中でどかんと9ヶ月も休んでしまったので、ごっそり残っていて、期限まであと4ヶ月。使い残すのがくやしいので、必死に通っている。

しかしずるこい商売ではある。ポイントを先払いさせおくシステムだが、買ったポイントを全部使い切っているクライアントがいったい何%いるのであろうか。おそらく二割程度ではないのか。

うちの甥(高校一年生)が親にねだってNOVAに通うことになった。買うポイント数が少ないと単価が高い。たくさん買うと劇的に単価は安くなる。当然、向こうはたくさん買わせようとする。甥も単価が安い方が得だからたくさん買えと親にせがむ。

しかし兄ちゃんはシビアなビジネスマンなので、単価は高いが最小ポイント数を購入した。(それでも十数万円)。案の定、甥は二回通って止めてしまったそうである。

すごい単価だ。ワンレッスン10万円。

先の見通しが立つ自分の炯眼を喜ぶべきか、ドブに捨てた金を悲しむべきか、兄ちゃんは途方に暮れていた。

そういうアマキンなクライアントでごっそり稼いでNOVAはめでたく一部上場である。

それはさておき、そういうワイルドなビジネスをしているせいか、NOVAにはときどきかわった先生がいる。

最近よく当たるのはヴェロニックという若い女の先生。(昔も同名の先生にあたったことがあるが、これがひどい女だった。うっかり名刺を渡したら、家にひっきりなしに電話をかけて愚痴をこぼす。なんでおいらが夜の夜中にフランス語の愚痴をきかなきゃいけないのさ。そのうちにだんだん妄想がひどくなってきて・・・けっこう『ミザリー』な思いをしたことがある。)

今度のヴェロニックはなかなか知的な美人で、パリのバンリューで移民たちにフランス語を教えていたという無着成恭「やまびこ学級」みたいな人である。

「バンリュー」というのを知っているかと訊くので、「よくは知らないがヴァンサン・カッセルの出た『憎しみ(La Haine)』という映画は見た。ああいうところ?」と答えたら「まさにあのロケ地の団地の学校」ということであった。それはワイルドだわ。

しかし根はいまどきレアな文学少女で、ロラン・バルトやアントナン・アルトーやウラジミール・ジャンケレヴィッチなどについて熱く語る。

今日は現代フランス文学が偉大さを失ってしまったことについて慨嘆していた。絶望について語ることが凡庸なしぐさである時代においては希望を語ることこそが困難であり偉大な仕事なのである。作家は憎しみや無力さや空虚さについてではなく、いまや力と希望について語る語法を発見しなければならない。おおこれではまるでニーチェではないか、しかし「ファシストにならないニーチェ」のうちこそ文学の未来はあるのではないか。

エグザクトマン、私もあなたと意見を分かち合うものである。しかし、それってもろモーリス・バレスだな。

25 Oct

昨日は下川正謡会の「反省会」。ウェスティン・ホテルで懐石をいただきつつ、下川先生の芸談に耳を傾ける。

先生の話はいつ聴いても面白い。芸にかかわる話は、どの分野でも面白いけれど、身体技法にかかわる芸の話は私にはいちだんと興味深かった。

「能楽と武道」の身体運用の共通性と違いについて、というのは私の今後の研究課題のひとつだけれど、合気道の多田先生、能楽の下川先生、杖道の鬼木先生とそれぞれの領域で傑出した師を得たことで、かなり実り豊かなものになりそうである。

こういう「現場もの」の研究は、先行研究らしいものはないし、そもそも「私がじっさいにやってみて身体で感じたこと」が第一次資料となるわけなので、誰にも反論できないという学術研究としては不敗の構造を持っている。(ATOKは「腐敗の構造」と変換しやがんの。うーむ。ワープロはあなどれんなあ)

23 Oct

今日はほんとうは大岡淳さんの商品劇場の関西進出の記念すべきイベントがあってそこにいくつもりでいたのだが、「隣の上野先生」からしこたま用事をいいつけられてしまった。授業をふたつすませたあと、これから会議→教授会→会議である。大岡さん、日比さん、行けなくてごめんよ。盛会を祈ります。

難波江さんとすれちがったら、先方も入試出題委員長と教務委員とあたらしくできる英語教育の検討委員会の委員長を兼務して忙殺されているところに締め切り間際の原稿があって「もうどうでもええけん」状態に煮詰まっていた。ふたりでともにいかなる宿世の因縁かしらと涙ぐみつつ「こんどまた飲もうね」と手を振って別れる。しかしふたりで協力して立ち上げたAVライブラリーが連日満員の盛況ときいて、ふたりともすこししあわせな気分になる。

『困ったひとたち』

その1)奈良の大峰山は修験道の霊山で、1300年にわたって女人禁制であったところに、この夏奈良の県教組のミリタントなフェミニストたちが、「性差別の習慣の見直し」を求めて女人結界をやぶって登山してしまって、お寺が困惑しているという新聞記事があった。

登ったのは「男女共生」のあり方を探求するひとたちで、「大峰山は国立公園で国民全体のものである。その神聖さは女性を排除する神聖さではない」と主張しているそうである。

新聞報道は断片的だから、ことの当否をこれだけから判断するのはむずかしいが、もしこのワーディングが正確であるとすれば、論理的にはかなりおかしい。

この人たちは大峰山が「神聖である」ということは認めているらしい。ただの山なんだからどんどん登ろうじゃないの。山の上にログハウスを建てて、冷たいビールのんでバーベキューでもしようじゃないの、というふうなことを言っているわけではない。

神聖であることは認めるけれど、女性を排除するような神聖さであることは認めない、とおっしゃっている。

しかし論理的には、神聖なんか知るかい、どんどん登っちゃえ、というよりこっちの方がおかしい。

信仰をもつ人が「聖なるもの」と畏怖している対象について、「このへんは『神聖』だけれど、このへんは『ふつう』でいいじゃないですか」というような適当な境界設定をする基準は何か。その権利はいかなるものであり、誰がそれを賦与するのか。

幻想的な価値に対するスタンスはふたつしかない。

「なにいってやがんだよ、ばか」

というか

「あ、そうですか。どうぞご勝手に。私はあっちでうどんでも食べてます」

だけである。

「おお、それはたしかに神聖ですわな。で、どうでしょ。それを半分捨てて、あと半分だけで我慢するっていうのでは」

というような半端な交渉ごとはこと幻想についてはありえない。

だから、この「男女共生」についてどうたらする委員会のひとたちは要するに「なにいってやがんだよ」と内心では思っているのである。

登山資格に男女差別があるとは言語道断、と思っているのである。うっそー、いまどき修験道なんて信じらーんない、ばかじゃない、と思っているのである。(口に出して言うといろいろさしさわりがあるので、言わないけど)

しかし修験道全体とことを構えるとなると大変だから(うっかり加持祈祷されて調伏されても困るし)信教の自由だから修験道に文句があるわけじゃないけど(ほんとはあるけど)、ただ、「どんな山にも」性差別はいけないわよおと言ってお茶を濁しているのである。

このひとたちのいう「女性を排除しない神聖さ」というのはどういうものなのであろう。

大峰山の神聖さは修験道が規定する神聖さである。その聖性は女性を不浄とする信仰体系の上に築かれている。それが女性を排除しないようになるべきだ、ということは修験道の信仰体系全体を見直せということだろう。

カトリックの女性神父を認めることは、教会の理論とシステムの全体の見直しを意味している。しかし、それは「私は神父になりたい」という信仰篤い女性信者がいるかぎりは検討するに値する論件だ。

「女人結界を認めないぞ」という言葉が「私は山伏になりたい」という女性修験道信者の口からでるのであれば、私はこれを論議すべきだと思う。女性に拓かれた修験道、女性山伏の受け容れについて論じても良いのではないかと思う。

しかし奈良教組のひとたちは山伏になりたいわけではない。女人結界の向こうに広がっている女性には触れることが禁じられた「聖なるもの」にぜひ近づきたいわけではない。国立公園の中の土地なんだから、女にもハイキングをさせろといっているだけである。

「性差別」というような大義名分さえ立てれば、かなり失礼なことをしても許される、という風潮が蔓延している。

繰り返し言うとおり、私は大義名分に文句はない。私がうんざりしているのは、その大義名分を利用して、ひとをどなりつけたり、空威張りをしたり、ひとのいやがることをやって気持ちをさかなでしたりする人間が組織的に産出されていることである。

そのようなひとびとは(本人たちが信じているのとは違って)「男女共生」の大義に賛同しているのではなく、「ひとをどなりつけることのできる立場」に群がってきているのである。

 

その2)防衛政務次官が辞任した。まったく情けない事件であった。日本の軍事戦略について責任あるポストについた政治家が国際関係を「強姦」というメタファーでしか語れないというのはどういうことなのだ。これは女性差別とかいう以前の政治への、軍事への、国家への、日本のためにこれまで戦って傷ついたすべての先人への冒涜の言葉である。

この男の考えによると、日本が隣国にいますぐ侵略しないのは、隣国の抵抗や国際的な制裁が怖いからだである。軍事的抵抗や国際世論や集団安全保障体制の制約さえなければ、「おれはやるぜ」と言っているのである。

彼は、前大戦の日本軍の海外進出は「強姦」であり、止める奴がいなければ「またやるぜ」と宣言しているのである。

なぜ日本遺族会はこの男を名誉毀損で訴えないのだろう。

こんなにも品性が下劣で、こんなにも頭が悪い人間に日本の軍事システムを任せなければならないほど日本の政治家というのは人材が払底しているのだろうか。

たぶんそうなのだろう。

ひどい話だ。

21 Oct

あんまりひんぱんにフリーズするので、Macのメモリーを128MBもふやした。ふやしたらどういうことになるのかよく分からないけれど、作業用のメモリーが4メガしかのこっていなかった状態から一気に132メガ使える状態になったわけである。

メモリーについては33倍リッチになった勘定である。

すごい。

どうすごにのかよく分からないけれど、とりあえずいまのところまだフリーズしていない。画面のプリントやインターネットの接続とかもはやくなるらしい。

一昨日は雷蔵研究家の小川さんにご案内していただいて伊藤大輔+市川雷蔵の『ジャン有馬の襲撃』という映画を梅田まで見に行く。

同じシリーズで『千々岩ミゲルの逆襲』とか『支倉常長バチカンに死す』とか、そういうのがあるのかしらと思っていたが、そういうのではないらしい。

でてくる「イベリア人」がしゃべっているのはスペイン語でもポルトガル語でもなく「エスペラント」であるという貴重な情報を小川さんにご教示いただいた。

「エスペラント」飛び交う大映映画。白塗りの根上淳。文語調の祈祷。雷蔵の大芝居。アジアはみな兄弟、打倒西欧帝国主義・・・

カルトだ。

昨日はオフ。気を取り直してお掃除とお洗濯。そのあと『戦争論』のノートつくり。しかし遅々として進まない。

こんなことをしていてはラカンの原稿もレヴィナスの原稿も間に合わない。

松下君からメールで、映画論の出版が12月1日になりそうだという連絡を受ける。なんとか年内出版には間に合うことになった。

やれやれ。

夕方から8時まで杖のお稽古。学生さんたちがばりばりお稽古している。みんな熱心である。

家に帰って昼に仕込んだ「とんじる」を食べる。我ながら美味い。すごく、美味い。「とんじる」屋が開業できそうである。ご飯も美味い。(コシヒカリの新米)

ちょっとだけ、しあわせな気分になる。

自分のつくる料理がいちばん美味しい。自分がいちばん食べたいものを、自分がいちばんたべたい味付けで、自分がいちばんおなかがへったときに食べるのだから、当たり前だけど。

しかし、こういう生き方にはかなり問題があるな。

どこが、といわれても困るけど。

19 Oct

語学の授業で「le Snob」という単語がでてきた。学生さんに訳させるとちゃんと「俗物」という訳語を答えてくれた。でも意味が分かっているのかしら。

「『俗物』ってどういう意味?」と訊いてみる。

「・・・平凡な人、ってことです」

「違うよ。『俗物』というのは、『自分は平凡な人じゃないと思いこんでいる平凡な人』のこと。『スノッブ』は『バナル』よりも程度が低いの」

みんな、ぽかんとしている。

ひとが凡庸である仕方にはかなり多様性がある。

Aさんの凡庸さとBさんの凡庸さのあいだには「増田屋のたぬきそば」と「マクドナルドのチーズバーガー」くらいの違いがある。

しかしひとが俗物であるしかたには、それほどの多様性はない。

仮に秋元康が経営しているレストランと林真理子が経営しているレストランがあるとすると(あるかどうかしらないけど)、そこでフレンチのコース(おまけにコースには LA JEUNE FILLE SOUS L'OMBRE DES FLEURS なんてばかな名前がついているんだ、これが)を食べた後にあなたが感じるであろう

「なんか高いばかりでちっともうまくねーな」

という印象はどちらのレストランでもほとんど見分けがたいものであろう。

俗物性というのはそういう「微分」的な定型性のことである。

 

おっと、そんな話をしたくてここに来たのではない。

面白い本をみつけた。アメリカの大学の先生たちが書いた本で『映画について考える-映画の見方、問い方、楽しみ方』(Thinking about movies, Watching, Questioning, Enjoying, Peter Lehman & William Luhr, 1999)

映画学科の一年生対象の「映画学入門」。こういうマニュアルを書かせるとアメリカの大学の先生はほんとにいい仕事をする。蓮實重彦とかエドガール・モランとかアンドレ・バザンとか読んでそういうのが映画学だと思っているひとには絶対書けない種類の本である。

アメリカの学者の本だから大事なことはぜんぶ最初の10頁に書いてある。そして、それがほんとうに「大事なこと」なんだ。彼らが序文に書いている問いはそのまま私自身の方法論的問いとワーディングまで同じである。

「映画のある見方が他の見方よりも適切である、ということはありうるのだろうか?映画を『誤読する』ということはありうるのだろうか?小説を原作にした映画が原作に『忠実である』と言うことは可能だろうか?ある映画を『お、これはブレーク・エドワーズの作品だな』というふうに見ることができるのはどういう意味においてなのだろう?フィルムの作者はその監督である、とどうして私たちは勝手に思いこんでいるのだろう?『ティファニーで朝食を』と『酒とバラの日々』と『ピンクパンサー』のブレーク・エドワーズ映画においては何が同じなのだろう?」

そしてこの本は説話構造、ジェンダー=セクシュアリティ=人種=階級、「作者」、スター、観客、文学と映画、といった映画学の中心的トピックを平明な言葉で解説してゆく。

本のねらいはこう説明されている。

「私たちは私たちなりの映画の見方をご披露する。それはこれらの映画が、あらゆる時代のあらゆる観客に対してもつ普遍的意味を学生に教えるためではない。そうではなくて、さまざまな批評的フレームワークを通してみると、映画がどんなふうに違った見え方をするかを示すことにある。」

健全だと思う。映画には正解もないし誤読もない。そこから引き出しうる知見のクオリティに違いがあるだけだ。

もしこの本がアメリカ映画学の標準的な知見を示して、映画学科の一年生がこれくらいのことを「常識」としているのだとしたら、アメリカ映画学の水準は相当に高いということになる。日本の社会学者なんかが片手間にやっている「オリエンタリズム映画批評」や「フェミニズム映画批評」は方法論に対する無自覚性において致命的なビハインドを負っている。

このあとどうなるのか(まだ最初の10頁しか読んでないから)楽しみである。読み終わったら、ブックレビューでご紹介します。

15 Oct

『週刊朝日』の今週号が「私大崩壊、二割定員割れ-あの名門美大、関西のボンボン大も・・・定員割れ」の記事を載せている。」

少子化などの影響で、今春の入学者数が定員に満たなかった私立大学は、全国で83校(約二割)短大ではすでに半数以上が定員割れを起こしている。

周知のように、18歳人口は1992年をピークに急坂を転げ落ちるように減少をつづけており、このままでは2008年頃に「大学全入」(志願者数と定員総数がイーブンになる)が起こる。

定員割れを起こしている大学の特徴は「地方」「単科」「女子」。とくに英文科、国文科は壊滅状態。どこでも指摘されているのが志願者の「実学志向」と「文学離れ」。本学のような、「非実学」系の地方・女子大にとっては多難な時代である。

福祉・看護関係、情報関係の学部に人気が集中というけれど、もちろんいまからその方向にシフトしても新設ラッシュの渦に巻き込まれて激しい競合にさらられるだけ。それに新学科、新学部をつくる財政的リソースは在来の学部学科をスクラップしなければ手に入らない。

「新しい学部をつくるために、いまいる教師はみんな大学を辞めましょう」というような自殺的提案を学科教授会がするはずもない。

そこで「発想の転換」というので朝日の記者が提案しているのは

「いままでは大学がもっている教育力や知識の蓄積は大学生だけに向けられていたのですが、これをもっと広く地域・社会に向けて発信してもいいんじゃないかと思います。(・・・)小学生の英語教育にしても、大学の先生が地域の子供たちに英語を教える教室をひらいてもいいわけです。(・・・)子供やお年寄りにパソコンを教える教室を開いてもいいと思います。小さくなるパイを大学同士で奪い合うばかりでなく、パイ自体を大きくしていく創意工夫が、これからの私学経営に求められることになるでしょう。」

おいおい、勘弁してくれよ。

それってむかし私たちがふざけて提案した「神戸女学院大学ホテル化計画」とほとんど同レヴェルじゃないか。(「神戸女学院大学ホテル」はチャペルで結婚式もできる)

大学が大学であることを辞めれば生き残れます、という提案でしょう。「英語塾」「パソコン教室」の看板を出せっていうのは。

大学が大学であることを辞めれば生き残れるというのは、大学としては死ね、ということである。

「パイ自体を大きくしていく」というけれど、「小学生の英語塾」や「こどもとお年寄りのパソコン教室」にくるひとたちは「パイ」ではない。

大学にとっての「パイ」はあくまで高等教育を受けようとして大学に進学してくる大学生である。(ごめんね「モノ」扱いして)

そのようなかたちで知的人的リソースを「ばら売り」しろ、というのは、「じゃあ、キャンパスの端っこ売って、そこに駐車場とマンション建てるから、教師のみなさんそこの管理人やってください」と言っているのと論理的には同じことである。

「大学生に英語教えられるなら、小学生にだって教えられるでしょ」というロジックを認めれば、なんだってOKである。「チョークもつ握力があるなら、シャベルで穴くらい掘れるでしょ」「教室の後ろまで声がとどくなら、キャバレーの呼び込みくらいできるでしょ」

ふざけてはいけないよ。おじさん怒るよ。

私たちは私たちにとっての「パイ」を確保するためにいろいろと創意工夫をこらしているのだ。

昨日も書いたように、私の結論は、「パイ」が奪い合いになるのなら、目標値を控えめに「じゃ、パイひときれだけ」と設定するほうが「よーい、どん」の「奪い合い」では目標値の達成が「パイ20切れ」のところより、はやく確実に仕事が終わるだろうというものである。

それは後ろ向きだ、というひとがいるかもしれない。けれど、私はダウンサイジングによるクオリティの維持が日本の大学の正しい滅び方である、という持説にいささかのこだわりがある。

「塾」になって生き延びるよりは、大学のまま死にたい、と私は思う。

14 Oct

おとといは「教員研修会」。大学冬の時代を神戸女学院大学はどう生き延びて行くか、というシビアな話題で盛り上がった。私の意見はわりと簡単。

(1)学生数を減らし、教職員数を減らし、とりあえず20年前くらいの規模の小さな大学に戻す。

(2)就職市場のニーズなどにあまりふりまわされず、建学の精神を踏まえた「リベラル・アーツ、少人数教育、キリスト教教育、国際人養成」という王道を粛々と歩む。

(3)優秀な学生にはどんどんプラスのインセンティヴを与えて(特待生、奨学金、留学など)同時に少数精鋭的にスパルタ教育を施し、いっぽう、大多数の「ふつうの学生」については、教育達成目標を大胆に下方修正し、水準に見合った技法とコンテンツの教育で「ごりごり」レヴェルアップさせる。つまり、「できる子」と「ふつうの子」のダブル・スタンダードでがんがんゆく。悪しき平等主義は、「できる子」を意気阻喪させ、「ふつうの子」を脱落させるだけである。

(4)日本の伝統文化の教育に資金的、人的リソースを投入する。(武道館をつくる、とか)

というものである。

大学をどんどん小さくしていって、あと125年後には二名の宣教師だけを残して「誰もいなくなった」というようなあり方が私としては非常に「美しい」滅び方だと思うのだが、いかがであろうか。

発想を「いかに生き延びるか」ではなく、「いかにきれいに滅びるか」にシフトしたほうが、面白いアイディアがどんどんでてきそうな気がするけれど・・・「死中に活」というではありませんか。

というようなことをがぶがぶ「呉春」をのみながら臨席にいた松澤学長に切々と申し上げたのであるが、学長はにこにこ笑うばかりであった。

しかし冗談ではなく、「ダウンサイジング」こそ日本のこれからの基本戦略である、と私は思う。

私もこれから年を追うごとに住む家族を減じ、家のサイズを縮め、書籍、家具、衣服を捨て、60歳くらいのときにはすがすがしい無一物となりたいものだと念じているのである。

「書を捨てよ。服も、家具も捨てよ。(椅子も捨てようね、平山さん)」(それで「街にでる」と「ホームレス」だから、街にはでないようにしましょう。)

12 Oct

なぜかいろいろ思いついてしまったので、今日はちょっとエッセイ調だ。

『私と能楽』

東京にいた40年間、能とは何のかかわりもなく過ごしてきたのに、女学院に来るなり学生たちに能や囃子を稽古しているひとがまわりに何人もいて、そのひとたちのお招きで、ぽつぽつと能楽というものを見に行くようになった。

最初はお義理で行っていたのだが、とにかく能のお囃子とお謡いを聴いているとよく眠れる。「謡の声からはアルファー波が出ているに違いない」と決めて、秋冬の週末になると昼寝に出かけた。

しかし、ふしぎなもので、そのうちに次第次第に眠っている時間が減ってきた。そして、見始めて三年目くらいのある日「舞台を見ている時間」と「眠っている時間」の比率が逆転。五年目くらいでついに能三番、最初から最後まで覚醒という驚くべき経験をした。

そのころになると、少しずつ能楽師や囃子方の個性や芸風も分かってきて、能楽論なども読むようになり、ちょっとした「能楽ファン」になる。

同じ頃、合気道の修業上、どうしても他芸を参考にしたくなり、居合道と杖道を稽古し始めたのだが、それらの基本となるはずの体の運用(単純に「歩く」「座る」「立つ」「回る」「手を挙げる」「手を回す」といったしぐさ)について、あらためて、「これでよいのだろうか」という疑問が兆してきた。

そして、ついに「能楽は600年前の日本人の身体運用のかたちをとどめいているはずだ」と思い至り、ここに武道上の探求心と能楽ファンのミーハー心理があわせてひとつとなったのである。

では能楽の所作と武道的な身体運用のあいだにはどのような関連があるのだろうか。

管見の及ぶ限り、能楽の身体技法と武道の関係を主題的に論じた研究のあるのを知らない。(もちろんどこかにはあるはずである。知っている人がいたら教えて下さい。「管見の及ぶ限り」って、別にえばっているわけではないのです。ほんとに「短見」にして「寡聞」のひとなの、私は)

しかし能楽が武家の技芸であった以上、武道と能楽の身体技法のあいだに深い内的な連関があることは自明である。

ただ、その場合に注意しなければならないことは、能を舞う武士にとって、武術的な身体運用は彼の「自然」であり、無意識的な日常の所作にすぎず、それに対して、能楽の動きは「技巧的に習得すべきもの」であった、ということである。

つまり能楽には、武術的な身体運用の常識からはずれた「不自然な動き」が含まれているはずのである。

例えば仕舞の最初と最後にとる座構えでは右膝を床について、左膝を立てる。これは武道の常識には反している。左腰に剣を差している以上、抜刀は通常右膝を立ててなされる。それゆえ帯刀しない武術の場合でもまずほとんどの場合、座構えは左足を後ろに引き、右膝は最後まで立てていつでも抜刀できる体勢を確保するのが「常識」である。能楽の構えはその「常識」に違反している。

これはあるいは、対座した場合、刀を右側に置き、すぐには抜刀できない状態で害意のないことを示す礼法と同じく、舞い手が害意を持っていないことを示す儀礼なのかもしれない。

となると、能楽の動きの中には、武術的に無効ないし不利な動きが(なんらかの配慮によって)意識的に組み込まれいている可能性がある。となると、それとしらずにそのような身体運用を有益であると思いこんで習得することは武道的には有害だということになる。

これが能楽を武道的に解釈するときのリスクである。

能楽の動きのなかには私たち現代人にとって異質の二種類の身体技法-「武術的」な動きと「非-武術的」な動き-が含まれている。

武道を志すものとしての私の仕事はそれゆえ、能楽の動きのうちの「武術的なもの」を発見し、その理合を理解することだけでなく、能楽固有の「非武術的なもの」が当時の武士たちにとってはなぜ困難であり、それは彼らにとって、いかなる技法上の課題を意味したのかを理解すること、この二つになる。

これはかなり困難な課題だが、なかなかにやりがいのある仕事である。この身体技法の解析が進めば、これまで簡単に「伝統的な日本人の身体運用」としてひとまとめにされてきたもののうち、真に武術的に有効なものと、純粋に審美的なものが分離できることになり、後者は「日本人にとって身体の美とは何か?」というきわめて興味深い問いへの貴重な情報となりうるからである。

今日は手始めなので、具体的な問題をひとつだけ論じたい。

和辻哲郎は能楽にも造詣が深く、鋭い分析を加えているが、和辻が文楽と能楽と歌舞伎を比較したなかに実に興味深い一節がある。

「人形使いが人形の構造そのものによって最も強く把握しているのは、首の動作である。特に首を左右に動かす動作である。これは人形使いの左手の手首によって最も繊細に実現せられる。それによつてうつむいた顔も仰向いた顔も霊妙な変化を受けることができる。ところが、この種の運動は『能』の動作において最も厳密に切り捨てられたものであった。とともに歌舞伎芝居がその様式の一つの特徴として取り入れたものであった。(・・・)あるいはまた肩の動作である。これもまた首の動作に関連して人形の構造そのものの中に重大な地位を占めている。人形使いはたとえば右肩をわずかに下げる動作によつて肢体全体に女らしい柔軟さを与えることができる。逆に言えば、肢体全体の動きが肩に集中しているのである。ところでこのように肩の動きによつて表情するということも『能』の動作が全然切り捨て去ったところである。とともに歌舞伎芝居が誇大化しつつ一つの様式に作り上げたものである。」(『文楽座の人形芝居』)

式楽としての能楽と大衆演劇としての歌舞伎の根本的な差異を知る上でこれは貴重な指摘であると私は思う。

能楽は人形浄瑠璃と歌舞伎が採用した動きの二つを「切り捨てて」いる。

これはどういうことか。

和辻は武術家ではないから、そういう方向に分析は向かわないが、いやしくも武道をたしなむものにとっては、首を左右に動かし「目付」を示すこと、動き出す前に肩に「起点」をつくることは禁忌とされている。目付はもっとも早い段階で相手に攻撃の意図を察知させ、肩の動きはその次の段階で運動の起点(「起こり」)を察知させる。武道では、「起こりを見せない」ということが最も基本的な技法的課題である。

とすれば、能が「切り捨て」、「歌舞伎」が拾い上げたものが何であったのかということ、能楽と歌舞伎のあいだの、めざすものそのものの違いが何であったか、ということもおのずと分かってくるのではないだろうか。

(つづく)(つづかないかもしれない)

8 Oct

ああ痛かった。

いろいろ各方面にご心配をおかけしましたが、なんとか腫れは引きました。

でも根本的に歯茎が痛んでいるので、テッテ的な治療が必要なようで、もしかすると奥歯を二本抜かれてしまうかもしれない。

「どうしてあなたこんなに歯茎が弱いのだろう・・・何か悪い遺伝でもあるのかな」

と以前通っていた歯医者さんも言っていた。従兄のつぐちゃん(はばら歯科)も同じことを言っていた。

黙っていたのだが、実は理由があるのである。

私の奥歯の歯茎が異常に痛んでいるのは、私がものすごい「歯ぎしり」男だからなのである。

私はふだんは温厚で人当たりの良い人間であるが(こら、誰じゃい、くすくす笑う奴は)そのような外面を取り繕っているせいで、生来の邪悪さが夜半に夢魔となって出現し、私の夢はしばしば内臓や血が飛び交うスプラッタとなる。(もちろん私は被害者ではなく、チェーンソーを振り回したり、鉈を誰かの頭に振り下ろしたり、日本刀で誰かの腹を断ち切ったり、もうめちゃくちゃな暴力をふるっているのである。)

全身血塗れとなって邪悪な哄笑とともに夢から覚めて、「や、おはよう」とにこにこ市民に変貌するのである。

おそらく、そのスプラッタのさなかに私はものすごい形相で手足を振り回し、歯ぎしりをしているものと推察される(歯ぎしりのすごさについては、幼少時より、家族や旅行の同宿者から悲痛な訴えをたびたび聴かされた。)

夢の中であれだけ多くの人を殺害しているのであるから、その怒りと憎悪が奥歯に非人間的な圧力を加えているのは怪しむに足りない。

しかし、これは私がふだん「いい人ぶっている」ことの代償であり、歯茎を救うためには、この偽善的態度をかなぐり捨て、邪悪で暴力的でエゴイスティックな私の「ダークサイド」に市民権を譲らねばならない。(そうすれば眠る私は天使のごときほほえみをうかべていることであろう。)

いわば「歯茎をあきらめますか、人間やめますか」という究極の選択を私は迫られているのである。

私はもちろん歯茎をあきらめる。

6 Oct

いてててて・・・

今度は歯茎が痛くなった。つぎつぎと故障が多いことである。

寝ているうちにどんどん腫れてきて、夜中に家中をはいまわって鎮痛剤を捜したが何もない。痛い痛いと頬を押さえながら朝を待つ。はいずるように近くの歯医者へ。

「おお、これはすごい。奥歯が二本、もう根本まで行ってますね。前のほうも危ないなあ。」

うう、春先から歯医者に定期検診に行かなくなってしまったので、そのつけが回ってきたか。

とりあえず応急処置をしてもらい、抗生物質を貰ってくる。まだ腫れは引かない。

寝ぼけ眼と痛む歯茎で今日はこれから卒論の中間発表会。打ち上げ宴会はパスするとして、途中で眠り込まないかと心配。

いてててて・・・

5 Oct

朝夕に秋の気配。青空に鰯雲。ようやく仕事をしようかいという気分になる。

今日から授業開始。あいかわらずフランス文化論は受講者が少ない。面白いことやってんだけどなあ。林佳奈さんがあまりに人数が少ないと聞いて、助っ人に来てくれた。どうもありがとう。今日はサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』を読んだ。来週は加藤典洋の『敗戦後論』を読む。いったいどこかフランス文化論なんだろう。

国民とはなにか、国家とはなにか、文化とはなにか、という根元的な問題を考えようという意欲的な授業なんだけど・・・・・

次は大学院の「映像記号論」である。こちらは受講者が大勢いて賑やかで楽しい。今日は『デーヴ』を見る。「バカ大統領」説話群のひとつである。それらの説話群がどのような無意識的欲望に対応しているのか、それらの物語がアメリカ人の政治的行動やメンタリティにどのような影響を及ぼしているのか、なかなか興味深い素材である。原田さんよろしくね。

4 Oct

1日によけいなことと書いたら、兄上からただちに訂正の申し入れがありました。慎んで訂正させて頂きます。

「お言葉ですが、あんちゃんはたっちゃんと食った飯代を会社の経費で落とすようなせこいことはしません。仕事でのお付き合い以外の飲み食いは会社と関係ないでしょ ?個人的に食って領収書もらって会社の経費で落とすようなせこい経営者はせこいビジネスしかできません。一応念のため。」

は、失礼申し上げました。「正直ビジネス」を貫いている兄上の琴線に触れたことを深くお詫び申し上げます。

なお、一般読者のかたがたに誤解があるといけませんから申し添えておきますが、私は両方の会社の株主(前者の役員)でありますので、会ってご飯を食べるときは「仕事のはなし」だって(たまには)してるのです。(「儲かってる?」程度ですけど・・・)

というわけで詫びつつ新学期が始まった。

始まったけれど今日はオフの日なので、お稽古ふたつだけ。(とはいえ、合気道部は私のオフの日に稽古日程を組んでいるので、私は毎日学校に来なければならない。)

オフとオン・デューティの日は服装が違う。オフはジーンズにTシャツ、サンダル履き。オンの日はスーツにネクタイ。しかし私の時間割を知らない人たちにはオンとオフの区別はできないから、単に「一日おきにだらしのない格好で学校に来る人」としか思われていないであろう。

昨日は夏休み最後の日曜日を惜しみつつ、久しぶりに三宮に出て映画を見る。評判の『マトリックス』。こ、これは・・・

さ、明日から仕事だ。がんばろ。

1 Oct

9月30日が誕生日だとホームページで宣伝したら、いろいろな方からgreeting をいただいた。「この年になったら、誕生日なんかうれしくないやい」と強がっていたけれど、やはり祝福の言葉はすなおにうれしい。この場を借りてあらためてお礼申し上げます。

お祝いに西北の並木屋にお寿司を食べにゆく。ぱくぱく食べて、ごくごく飲んで、お勘定。けっこう高いけど、まあそんなものかな、と思ってキャッシュで払おうとしたら、「領収書いりますか?」と訊かれた。そんなもんいらないよ。自分で自分の誕生祝いをしてるんだから。そしたらいきなり10000円安くなった。

そうか、お寿司やさんに来るおじさんたちの多くは領収書を請求しているけれど、あれは経費で落とすからきっとお寿司やさんも勘定を高めにつけてるんだね。

自分の食べるものくらい、自分で払えよな。おまーら。

とかいいながら、平川君や兄ちゃんとご飯をたべるときは、いつも「経費で落とすんでしょ、これ」といって社長に払わせているいけない私なのだ。ごめんね。

 

30 Sept

Happy birthday to me

ウディ・アレンの映画にそんなのがあったな。ダイアン・キートンがひとりでケーキに蝋燭を立てて「ハッピーバースデイ、ツーミー」と半べそをかきながら祝っているとサム・シェパードが遊びにきて、いろいろある、というような話だったが、私の場合は、ひとりで「ラ王こくみそ味」を食べているが誰も来ない。

この年になるともう誕生日もあまりうれしくない。

自分では忘れているのだが、だからといって他のひとからも忘れられていると、それはそれでなんとなく不愉快である。おじさんは扱いにくい。

でも合気道部の諸君からは素敵なカード(本)と「炭」とケーキをいただいたし、小川さんからは(じゃーん)ネクタイも頂いた。ありがとうみなさん。

「誕生日のお祝いに何が欲しい?」と訊ねられるといつも同じことを答える。

「才能」

「それはあげられないね」

「じゃ幸福」

「・・・もっとかたちあるもの、ないの?」

「靴のひも」(これは『若草物語』のパクリなんだけど、なぜか今年はほんとう。昨日の夜、デッキシューズの靴のひもが切れて、いま一番欲しいのは「靴のひも」なんだ。)

るんにも同じことを質問されるが、こちらの答えもいつも同じ。

「お父さん、何が欲しいの」

「愛」

29 Sept

だんだん夏休みが終わりに近づき、「新学期ブルー」になってくる。

「ああ、もう十月か、また仕事か・・はやく冬休みがこないかなあ・・・」と松田先生と愚痴っていたが、ふつうのサラリーマンが聴いたら怒り出すだろうな。

いや、でもけっこう忙しいんだよ。休み中も。合気道のお稽古や杖道のお稽古や仕舞のお稽古があって・・・

それって「趣味」でしょ?暇だからやるんでしょ、「趣味」って。

そうです。すみません。

このあいだ、「ああ、疲れた」とつぶやいたら、るんさんに聞き咎められて、「自分の好きであれこれやっておいて、疲れたはないでしょ。どれか止めればいいじゃないの。お稽古ごとを」と説教されてしまった。

正論なので、反論できない。

すみません。

 

今日の「おとぼけ映画批評」:『がんばっていきまっしょい』

28 Sept

恥ずかしながらNOVAに駅前留学してはや8年となる。もちろんフランス語を習っているのである。ときどき三宮のNOVAで女学院の学生に会う。(このあいだは古田君に会った。やほー)

「あ、先生、こんなところで何をしているんですか?」

「(「こんなところ」はないだろう。自分も来てるくせに)フランス語習いに来てんだよ」

「えー、うっそー、やだー、しんじられなーい」

だってフランス語すぐに忘れちゃうんだよ、私は。ときどきしゃべってないと。

だったら、学校のフランス人の先生と話せばいいじゃないですか。

話題がないんだよ。あの人たちとは。「こんちは、元気?じゃね」の他にあまり話すことがないんだよ。君だって、ただのクラスメートとはそれくらいしか話題がないだろ。同僚だって同じだよ。何年間もいて、ひとことも話したことのない先生だって同僚にいくらもいる。フランス人だからって話がはずむということはないのだよ。

今日の相手はコラ君という青年である。なかなか不思議なことを言う。前はマルセル・デュシャンの写真集をもってきて「どう思う」とたずねられた。かなりの豪華本であるから、きっとデュシャンの愛好者なのだろうと思って、シュールレアリスム美術の意義を私は大いに評価するものであるむねをたどたどしく述べる。20分ばかりひとをしゃべらせておいて、コラ君いわく「ぼく、デュシャンだいきらいなんですよね」

だったら何でデュシャンの本なんか持ってるんだよ。

「すごく嫌いなので、どうしてこんなに嫌いなのか知りたくなって・・・」

けっこう変人である。

今日はフランス語の俗語をもっと覚えろと説教される。

「教授は(私のことをそう呼ぶのである)難しいコトバはたくさん知ってるけど、簡単なコトバを知らないね。」

ぐさ。そうなのである。私は「ゴキブリ」とか「トンボ」とかいうフランス語を言えない。(覚えてもすぐ忘れる)花や木の名前もほとんど知らない。家具とか食器類とか家のなかにある物品名も言えない。

だから「冷蔵庫の中の野菜入れにあるトマトを湯煎して皮むきしてからキューリを輪切りにして、それとちぎったレタスをボールに入れて、そこにオリーブオイルとお酢と塩と胡椒で作ったドレッシングをかけて下さい」というようなことはまるで言えない。その代わりに「記号学的、人類学的方法を適用することによってこのテクストから私たちが引き出し得るであろうところの結論は言語的水準における意識的メッセージはイコノグラフィックな水準における無意識的な視覚イメージによって絶えず裏切られ続けるというものである」というようなことはすらすら言える。

おいらはそういうことを言いたいだけなんだから、俗語なんかいいよ、と弱々しく反論したが、教授はふつうのフランス語も知らないじゃないと、「それなら、メックって知ってる?フリックは?ゴスは?ナナは?」と畳みかけられた。

ふん。

27 Sept

合宿から帰ってきました。ああ、面白かった。

行きは、大嵐。自動車組は円山川の氾濫を恐れつつもけっこう気楽にうどんなどを食べつつドライブ。電車組は山陰線の不通に遭遇して大変な目にあったらしい。和田山で閉じこめられた学生さんたちは宿のマイクロバスで救出されたが、福知山で「先へ進むことも、もどることもできなくなった」松田先生は、6時45分に復旧するまで、7時間余を駅のホームで静かに読書をして過ごされたそうであります。ご苦労様でした。

今回は東大気錬会OBの高雄君が参加。北海道からは瀧さんも来て、たいへん賑やかな合宿となりました。合宿の詳細については「合気道部ホームページ」をご覧下さい。

行きの車中では瀧さんをあいてに、合宿では全員を相手に、帰りの車中はウッキーと林さんをあいてに、ずっと説教をしていたので、さいごはのどがかれてしまった。社のSAで飯田先生を相手に大相撲のビジネス優先主義について仮借ない批判を加えているうちに、ついに息絶える。

家に帰ると、漫研の女子高校生たちが大音量で音楽を聴いていた。先日の文化祭で漫研機関誌(定価200円)を1000円で買って上げたので、「ありがとうございました」とお礼を言われる。なになに。お金がないときはおじさんにいつでも言っておいで。

私の姿を見て、高校生たちはみな蜘蛛の子を散らすように逃げ帰ろうとするので、おみやげに「炭」を分けて上げる。(なぜ私が大量の「炭」をもって合宿から帰ってきたかについて知りたい方は、「合気道部ホームページ」をご覧下さい。)

駅まで送るついでに車中にある大量のお菓子類を分けて上げる。(これはすべて宴会の残り物)。ほんとうは部室でみんなが食べるはずのものなのであるが、管理費として一部を徴集させていただきました。

帰途、「もっこす」でラーメンを食べて(夕食をつくる元気がなくて)、家に帰って風呂にはいったらそのまままぶたが重くなってきて、午後7時に就寝。午前5時半まで10時間半爆睡。

おつかれさまでした。みなさん。

23 Sept

明日から日曜まで合気道部の合宿ですので、しばらくホームページは更新されません。「ブックレビュー」でも読んでて下さい。

合宿は例年通り、神鍋高原名色ホテル。今年はすごく暑いので、ちょっと心配。

札幌から瀧さんが登場。さっそく稽古。今年のはじめから稽古をしていない由。

「何の道でも、毎日こつこつ持続することが大事で、いっとき寝食を忘れて打ち込み、また違うことに打ち込む、というような修行の仕方では何をやってもものにならんぞ」と車の中で説教。逃げ場がないので、瀧さんは耳を押さえてのたうちまわっていた。

「ああ、先生やめてください。それは私自身がいちばん身にしみていることなんです」

「ばかもの。自分自身がいちばん身にしみていて、それだけはひとに言われたくないことを言うから説教になるのではないか」

と、さんざんにいぢめる。

ひとをいぢめた罰があたって、夜中に親指が痛み出す。痛風のいつもの発作箇所とは違う。とりあえず「冷えピタ」をぺたぺた貼って寝る。合宿のときに片足が遣えない状態であると困る。治して下さい、と必死に「合気道の神さま」に祈りを捧げる。

起きたら晴れ。今日はるんの高校の文化祭。漫研を見に来てくれというので、出かける。場所ふさぎな高校生がうじゃうじゃいる。文化祭というわりには「文化」が構造的に欠如しているので、漫研だけのぞいてソッコーで帰る。

あの閉鎖的空間で、高校生たちは自分たちが吐き出す「怒り」や「恨み」や「不安」をそのまままた呼吸するほかない。なんだか自分の排泄物を主食にしている生き物みたいで、かわいそうである。高校をやめた理由を思い出した。

19 Sept

湊川神社に下川先生の能を見にゆく。演目は『高砂八段之舞』。ほかに『羽衣』(上田貴弘)、『道成寺』(笠田昭雄)。狂言は『横座』(茂山千之丞)。大倉源次郎宗家の一調もあって、盛りだくさんのめにうでありました。(チケットも高いけど)

下川先生は神懸かり的に「神懸かり」の役を演じて、最後は完全に住吉の祭神になってしまっていた。やはりステージ・パフォーマーは「憑依能力」がある程度必要であることが分かる。合気道の多田先生も以前「武道家はすぐにトランスできる能力が必要だ」とおっしゃっておられた。武道も能楽も帰する所は一である。

というわけで今回は鬼木先生をご招待。小川さんはマーク・メリー君(日文研の研究員で「もののあはれ」の研究論文を書いていて日本人より日本の文化に詳しいニューヨーク州出身のナイスガイ)をご招待した。男子三人の平均身長が180cmちかくになる。(176cmの私がいちばんちび)坊主頭に片耳ピアスのアメリカ人と三白眼吊り目も怖い杖道家とバリ灼け男。小川さんは「ぬりかべ」三体に囲まれた「げげげの鬼太郎」状態。

帰途、元町の「ラム・ハノイ」で春巻き、唐揚げなどを食しつつ、アメリカと日本におけるイタリア文化のあり方について論じる。『ゴッドファーザー』がアメリカ男性にとってストックフレーズの宝庫であるという『ユーガットメール』のトム・ハンクス説の真義について、イタリア系アメリカ人であるマーク君から有益な情報の提供を受ける。鬼木先生からは鬼がなぜ角があって虎の皮のパンツをはいているか、なぜ桃太郎は「いぬ・さる・とり」を部下にしているのか、雷がなると「桑原」ととなえるのはなぜか、などについて「目うろこ」的な情報の提供を受ける。こういうハイ・ブラウな話をしながら、ごくごくと生ビールをのむ。痛風にビールと脂っけの多い食物はいけないのだが、げらげら笑っているうちに治ってしまったようだ。

家に帰って、でれでれと映画を見る。今日は「フェイク」(アル・パチーノ、ジョニー・デップ、マイケル・マドセン)なかなか面白かったが、とくに言うべきこともない。よくある映画であった。マイケル・マドセンは少し太りすぎだと思う。あんまりデブになると主役がこなくなっちゃうよ。ジョニー・デップは相変わらずチャーミングである。それにしてもジョニー・デップとレオナルド・ディカプリオが両方見られた『ギルバート・グレイプ』はあらためて美少年鑑賞趣味のひとにお薦めの逸品であります。ふたりともかわいいぞ。

 

元ゼミ生、小川順子さんの『歌行燈』論をアップロード。いずれ本学の『文化論輯』にも掲載されるけれど、ひとあしおさきにサイバー図書館で公開します。

16 Sept

大雨が降って秋が来た。

終日パソコンに向かってこりこり原稿を書く。「比較文化学専攻博士後期課程設置趣旨書」などというものを作文する。21世紀の学術の方向性や総文の教育理念について美辞麗句を書き連ねる。こういうものを書かせるとわれながらうまい。いくらでも書ける。電通に入っていたらよかった。

『現代思想のパフォーマンス』が出版社との調整がうまくいかなくて差し戻されてきた。翻訳部分が多すぎて版権をとるのがたいへんだから、「翻訳編」はカット。翻訳部分の解説というかたちで本文が書かれているので、全部書き直しである。

とほほ。

しかたなくバルトから書き直す。読み直すと気に入らないところがそこここにあるのでどんどん書き直す。どんどん書き直していたらあらかた終わってしまった。こういうものを書かせるとわれながらはやい。いくらでも書ける。学者になってよかった。

ごろごろしながら橋本治『宗教なんかこわくない』(だったかな)と林道義『フェミニズムの害悪』を読む。どちらもあまり面白くない。橋本治はもう少し文章をタイトにできないのかしら。無理か。

『ユー・ガット・メール』と『パーフェクト・カップル』を見る。

小田嶋隆が You've got mailがどうして「ユーヴ・ガット・メール」にならないのか、疑問を呈していた。たしかにこれでは現在完了の立場というものがない。それとも、半分ちょんぎれたhave なんかどうだっていいじゃん、とそういう過激な文法解釈をとるわけですかね、配給会社は。

ごろごろしていたら痛風の発作が起きた。いてて。

バリ島で昼からビールをのんで、プリン質の高いものをばりばり食べていたせいかしら。今日から粗食にしよう。

13 sept

バリハイ・メイ・コール・ユー エニ・ナイト・エニ・デイ

おっとうっかり、高一のときの合唱祭のときに歌わせられた『バリハイ』がでてきてしまったよ。あのときに指揮者の小柳君に「内田君、come to me をカムチューミーと発音するのは止めてね」と注意されて満座の冷笑を浴びたことを私は一生忘れないよ小柳君。

バリといえば『南太平洋』と『バリ島珍道中』とマーガレット・ミードと中島らもしか思いつかない私は平均的な日本のおじさんであるが、その平均的日本のおじさんにとってこの世の「極楽」とはバリ島であることをいま私は高らかに宣言させていただきましょう。

空はあくまで青く、海はあくまで青く、バナナ・マルガリータは甘く冷たく、ウォークマンから聞こえてくるビーチボーイズのAll summer long は悲しいほど脳天気。潮風になぶられながら、常夏の太陽を浴びつつ私がそこで何をしているかというと、もちろん「私のいちばん好きなこと」。

説教である。

学生をつれてのゼミ旅行の最大の快楽はこれです。

私は教師になるくらいであるから、何が好きと言ってこの世に説教ほど好きなものはない。まえにちんとすわって上目遣いに教師の顔色を窺う学生を一寸刻み五分試し猫がネズミをなぶるように、煙管を長火鉢にコツンと当てて、「なんだね、おまえさんて人は、え、人の道ってえものをどう考えているかってことだね。あたしが言いたいのは」なんて長い間をとりながらやっていると背筋に快感が・・・

まあ、それをバリ島のビーチでやるわけです。連れはご同輩の飯田先生と柏木妹さまを除けばみな私の「弟子筋」だ。説教ネタは山ほどある。るんるん。

というわけで、三日間思う存分学生ともと学生「を」遊んできました。

みな最後の日には「帰りたくないよー」と泣いておりました。そうかそうか、そんなに説教が楽しかったのか。よしよし、また連れてってあげるからね。

 

7 sept

内田ゼミさまご一行は明日より12日(日)まで、「バリ島」旅行でありますので、この頁はしばらく更新されません。あしからず。

参加者は(この夏、ばりばりの)飯田先生、三十路を前にちょっとけだるいヴァカンス気分二期生さまご一行(小川順子・簑田直子・マッキー下浦)、遠く九州から柏木”国営放送アナ”由佳&美帆さまご姉妹、別人化以後フットワーク向上のウッキー古橋と唯一のゼミ生ロコヒ竹原の9名であります。

なんだかよくわからない組み合わせではありますが、(ゼミ生が一人しか参加しないゼミ旅行っていうのが変)なんだか楽しそう。

私はプールサイドで聴くためのビーチボーイズのテープを作成中。もっていくのはウォークマンとサングラスと文庫本だけ。

では、みなさん行ってきます。やっほー。

 

2 sept

なんだか眠い。

夜更かしする私が悪いのだが、昨日は『ゴッドファーザー』をちょっとだけ見るつもりでいたのだけれど、止められない止まらない「えびせん」状態になって結局3時間見てしまった。

ジェームス・カーンもロバート・デュヴァルもみんな若い(毛がある)。マーロン・ブランドとアル・パチーノは変わらないなあ。(変人だからな)。ファミリーの人たち、テシオとクレメンサとルカ、全員「奇形」というのがよい。(テシオは初代朝潮によく似ている)

マーロン・ブランドとアル・パチーノの親子対話は『ディアボロス』のアル・パチーノとキアヌ・リーヴスの親子対話をちょっと彷彿させた。『ディアボロス』のアル・パチーノはそれだけ『ゴッドファーザー』のときのマーロン・ブランドに似てきたということだな。発声法からみぶりから。そうか、そういう芸風の継承関係があったのか。なるほど。ふむふむ。(一人で納得)

先月はなんだかお金がすごく出て行った月である。給料日直後なのに、すでに赤字になっている。車検、畳代、バリ島旅行、能関係・・このあとさらに出版の負担金と10月の能の会費がある・・・月給の二倍使っていれば、残るわけないわな。

どうしてお金がたまらないのだろう?

女学院にきたばかりのとき、私より若いある先生に「貯金いくらくらいありますか?」と聞いたら、即座に「内田さんの10倍はあります」と答えられたことがある。私の貯金額を知らないままに10倍、と断言されてしまったのが不思議である。よほど貧乏にみえたのであろうか。

どうしてお金がたまらないのだろう?ものを持たないで、どんどん捨てる、というすがすがしい無一物思想を唱道しているのに、どんどんお金がなくなるというのは不条理である。

どんどん捨てる分をどんどん買い足しているからではないか、という疑問もある。(パソコンも捨てまくっているし)

面倒くさいことはなんでも「金で解決」しようとするワイルドな姿勢がいけないのかもしれない。

こどもに向かって「勉強しなさい」というかわりに試験の点数が100点なら5000円、90点台なら3000円、という金で釣るような教育指導だし・・・(しかし毎回全教科百点とっても、それでも塾に通わせるより安い。知らないおじさんに払うくらいなら、娘にはらう方が私はいいけど)

お金を節約しようとすると、けっこう手間暇がかかる。時間を節約しようとするとお金がかかる。タイムとマネーは「ゼロサム」の関係にある。どちらを優先するかは、その人の好みの問題だと私は思う。

 

1 Sept

むすめさんが朝御飯のとき私の顔をまじまじとみながら

「お父さん、目が赤いよ。目の下にくまあるよ。顔色青いよ。どうしたの」

と心配してくれる。あんたが帰って来ちゃったからだよとも言えず、寝不足かもしれないねと答えておく。

ちゃんと8時になったら「行ってきます」と、とことこ学校へ出かけていった。その後ろ姿を見送りながら二度寝。

クロード・シモンを読んだけれど、ぜんぜん面白くないぜと石原裕次郎が愛人に文句を言っている夢を見る。どういう無意識の作用でこんな夢をみるのであろう。

ぼーっとしたまま机に向かって仕事をする。論文と著作関係の原稿が一通り片づいたので、レヴィナスの翻訳に戻る。『レオン・ブランシュヴィックの日記』という未訳のテクストをこりこり訳して行く。ところどころ分からないところがある。分からないのだけれど、それが「すごく深遠なことが書いてあるのだが、そのあまりの深遠さにフランス語が耐えきれず悲鳴を上げている」のだということには確信があるから、じっとテクストをみつめる。

百読意自ずから通ずというけれど、もちろんただ百回読んでも分からないものは分からない。

分かるためには、レヴィナス先生の思考回路に同調しなければならない。

そのためには、直前の文章を繰り返し繰り返し読む。そのうちに「この論脈であれば、次はどうしてもこういう言葉遣いの、こういう展開になるはずだ」という読み筋が浮かび上がってくる。それが見えてくると、あとは数行から数頁、ぱたぱたとすすむ。

しかし深遠すぎるテクストの場合は、読み筋の見通しが立つ区間が短く。思考回路に同調するために「イタコ」ゲームを日に何度もしなければならない。けっこう疲れる。

しかし他の人間ならともかくレヴィナス先生の「よりしろ」(「のりしろ」ちゃうで)となるのは、たいへんに光栄なことである。なによりもその間だけ自分がすこし賢くなったような気がしてくるのがうれしい。

原稿を書くのも楽しいけれど、やはり翻訳の快楽は他をもっては代え難い。

世の中には、つまらない人の翻訳や、見るからにくだらない本の翻訳をしているひとがいるが、あれはどういう気分のものなのであろう。自分がバカになった気がして気分が悪くはならないのであろうか。

私はむかしすごく頭の悪いミステリー作家のものを(貧乏だったのでしかたなく)訳したことがある。文章はひどいし、作家の頭の中の「からから」と音が聞こえるほどに中身のないものだったので、怒って全面的に書き直してしまった。(犯人も動機も殺人の方法も全部書き直してしまったのである。)そしたらすごく面白くなった。

出版社もいい加減なところだったので「面白いね、これ」と言ってそのまま出版して、それをどこかの局がラジオドラマにしてそのまま放送してしまった。

 

今週の業務連絡

(1)ゼミの第一期生井手由記子さんは絵本作家なのです。今度ご本が出ました。「いつもありあまるほど」(郁朋社)全国書店で発売中だそうです。買って上げてね。東京で絵本展「コトバとイロとカタチ 3」もやっています。9月13日から26日まで。場所は神宮前のbadsというギャラリーです。tel:03-5466-2110 東京在住の内田ゼミの卒業生は時間があったら行ってあげてね。

(2)「京都でいちばんお洒落なカフェ」cafe opal は、うちのゼミの第二期生、小川順子さんのお兄さんの「けんちゃん」が店主です。店主の妻トモコさんは私の能楽の姉弟子さまでもあります。http://member.nifty.ne.jp/cafe_opal  「店主の日記」は読み出すとやめられないぞ。京都にいったひとは、かならずお店に行ってあげて下さい。

(3)九月の末に、大学の女性学インスティチュート主宰の論文審査がある。在学生と今年の卒業生の書いたジェンダーに関する論文から優秀なものを選んで表彰、出版してくれるというけっこうな企画である。さっそく今年の卒業生のうち、梁木君と古田君の論文がジェンダーものなのでアプライすることにした。梁木君の論文もそういうわけで本人の許可が得られたので、電子図書館で公開することにした。古田君の「セーラームーン論」と併せて、ぜひご一読下さい。どっちもおもしろいぞ。

(4)在学生、卒業生でジェンダー論を書いて五万円欲しい人はさっそく応募してみよう。

 

31 August

大学に行ってまたいろいろと映画を借りる。

家に帰って見ようと思ったら、子供様がテレビの前にどっかと陣取ってMTVをご視聴あそばされていた。そのままずっと「どっか」が続き、夜の12時になったので、あきらめる。

しかたがないので、よこでワインを呑みながらクリフォード・ギアーツの本を読む。あまり面白くない。いらいらしてきたので、ギアーツの悪口を書くことにした。そしたら少しすっきりした。ギアーツさん、ごめんね。いつもより口調がきついのはチャンネル権を失った哀しみゆえなの。

 

松下君と電話で『映画は死んだ』の打ち合わせ。松下君はせっかくの夏休みなのに、歯茎にばい菌が入って口が腫れ上がって「50年代のホラー映画」のロン・チャニーみたいになっていて、どこにもでかけられないそうである。気の毒。私が再校の原稿にばりばりと書き足したせいで、索引に新しい映画の題名を書き加えることになってしまったと知って、激怒。病人を怒らせてしまった。書き加えてもらう映画は『秋刀魚の味』。

「何、その映画?」

「えーと、日本の映画なんですけど」

「知らないねえ」

「小津安二郎というひとの62年、松竹映画なんですけど」

「知らないねえ。誰、それ?」

すまない。私が悪かった。

 

夜、今度は難波江さんから電話。土曜日に上京するから最終原稿を揃えておくようにとのご指示。レヴィ=ストロースのところを少しだけ書き直す。(ギアーツを読んだせいで、レヴィ=ストロースが神聖不可侵であった時代が終わったことを知り、ちょっとしょんぼり。なんとなく「遺徳顕彰」ふうの文になってしまった。)

 

小川さんに教えて貰って「けんちゃん」のホームページを見にゆく。

「けんちゃん」は小川さんのお兄さんで、京都三条で「京都でいちばんお洒落なカフェ」cafe opal の店主さまである。ホームページを読むと、楽しそうに毎日を送っているようです。「けんちゃん」も私と同じ「サイバー壁新聞」派。おそらく小学生のころは「はったり新聞」とか「おとぼけ新聞」とかいう個人誌を刊行して社説から芸能欄までひとりで書き、朝早く頬をほてらせて小学校の教室の壁に張り出して、みんなが登校してくるのをどきどきしながら待ったタイプなのではないでしょうか。こういう書き手が数は少なくとも熱心な読者を得ることができるというのがこのメディアのおいしいところです。「けんちゃん」のホームページはhttp://member.nifty.ne.jp/cafe_opal  お店にも行ってあげて下さい。

私が毎日読みにゆくのは

(1)フジイの日記(おい、最近全然更新してないじゃない。生きてるかー)(勝手にリンクをはったりすると怒るから、URLはひみつ)

(2)石川君の日記(といってもレコード紹介。毎日一枚ずつ愛聴盤を紹介しているのである。それがえんえんと何年も続いている。いったい彼は何枚レコードをもっているのであろう)

(3)小田嶋隆の日記(これは本になっているものよりも圧倒的に毒が強い。というか、ぜったい活字にはならないだろうなあ)

(4)柳下毅一郎の日記(この人と町山智浩の映画批評ユニット、ファビュラス・バーカー・ボーイズのバカ映画批評はもう最高。)

であります。(1)と(2)は旧知のひとだが、(3)と(4)は私が敬愛するライターさまである。これに「けんちゃん」の日記が加わって毎日5カ所めぐりになった。これ以上ふえると一仕事だなあ。

 

30 August

子供さんが帰ってきた。なんだか物静かになっていた。

「ただいま」というなり、そのまま部屋にこもって音楽を聴いている。

「東京はどうだった?」

「いつもとおんなじ」

「みんな、元気だった?」

「うん」

「はんちゃんに会った?」

「ううん」

「じょおには?」

「いなかった」

これではとりつく島がない。

これが困るのね。娘が東京に行っているというのは、要するに「私のエクス・ワイフ」のところにご厄介になっているということなのだけれど、この人がむすめに及ぼす影響を私はあまり歓迎していない。

だっていまから何年か前に娘が突然「どうして離婚したの?」と訊ねたので、私もそのへんは大人だから

「お父さんにもいろいろと悪いところがあったし(本当はないけど、いちおう)、お母さんにも悪いところがあったし、・・・まあ両方の責任だと思うよ」

すると・・・

「へえ、この間、お母さんに聞いたら、全部お父さんが悪いって言ってたよ」

まったく、そういう女だったよ。

そういうひとのもとに3週間も預けて心配ではないか、とご心配するかたもあるかもしれなけれど、私はそうは思わない。じっくりつきあっていただいて、母親の「実相」に触れることが娘には必要だと私は思う。私のような脳天気でシンプルな精神のひとと一緒に暮らしていると人間としての「深み」というものが育ちませんからね。

その娘さんがのそっと部屋から出てきて

「あ、ジミ・ヘンのCD買ったの?」

父さんは60年代から音楽の趣味については一歩も進歩がないひとだからね。この夏買ったのはジミ・ヘンの『ウッドストック』(おいおい)とブライアン・ウィルソンの『だめな僕』(だめなのはあんたでしょ)のふたつだけ。むすめさんはむろんブライアン・ウィルソンには見向きもしない。

「ね、ジミ・ヘン貸して」

「いいよ」

「ね、父さん、ストーンズ持ってる?」

「うん。何枚かあるよ」

「ツェッペリンは?」

「IIがそこにあるでしょ」

「ザ・フーは?」

「ベスト盤だけどな」

「なんでも持ってるね」(尊敬のまなざし)

おいおい、どうしちまったんだよ。

そうか、夏の間に東京でバンドやるとかいってたけど、そこでバンド仲間から「ロックの古典」についてのうんちくを聞かされて、「基礎」の大事さを悟ったわけね。

それはよいことだよ。るんちゃん。父さんといっしょに『サマータイム・ブルース』を聴きましょう。

 

24 August

長い夏休みもあと3日で終わりである。大学は9月末まで休みだが、高校生の娘が東京から帰ってくるのである。別に娘がいようといまいと、あなたは休みなんでしょ、と気楽に言ってくれるけどね。そういうものではないのです。ひとりで起きて、ひとりでご飯作って、にこにこと「行ってきます」と頬を赤く染めてスキップしながら学校へ行ってくれるような娘であれば、何の苦労がありましょう。

人間がふたりいると、そこにはおのずと役割分担というものが発生する。「秩序紊乱者」と「秩序維持者」に担当が別れるのである。

娘はあらゆることを私が「だめ」という限界までやる。朝まで起きていて、夕方まで寝ていて、パジャマ姿のまま起きている間中テレビをみているか大音量で音楽を聴いているか漫画を読んでいるか昼寝をしている。(起きている間にひるねをしているというのは論理的には矛盾しているが、事実なのである)

私はそういうことを「してはいかん」と言っているのではありません。「ほどほどにね」というておるのです。しかし「ほどほどとはどの程度のことであろう」と自力で考えるのと「『だめ』と他人に言われるまでやる」のでは知的負荷がぜんぜん違う。当然、彼女はよりらくちんな方を選ぶことになり、私は一日何度となく「だめ」という言葉をいわなければならなくなる。

何がつらいといって、私のような人間が「体制護持」のために汲々としなくてはいけないというのがつらい。この家の秩序を「守る」側であることがはじめから決まっているのがつらい。もちろん私が「秩序紊乱者」になって、娘の給食費を競馬につぎこみ、三日も風呂に入らず、大酒を食らって吠えながら家のものを壊すような人間になれば、そのときは晴れて娘が「秩序維持者」になって、「お父さん、やめてえ!」という側になるのだろうが、それくらいやらないと役割の入れ替えにならないのである。

二人しかいない人間関係では「先手必勝」である。「私、悪い子の役!」って先に宣言されたらもう負けである。

というわけで、娘が帰ってくると、私はまた「負け」役を演じなければいけないのである。「しっかりものの、ちょっと愚痴っぽいお父さん」を演じなければいけないのである。おいら、この役もう飽きてんだよ。しくしく。

 

 

私が定期的に講読している刊行物は二つしかない。『映画秘宝』と『学士会報』である。

『学士会報』というのは学士会という旧帝大卒業生たちのクラブ会報なのだが、内容は過激である。つまり「体制側」のインサイダーで功成り名遂げたひとたちが「身内」を相手に何の遠慮もなく手柄話やら内幕暴露をするというなかなかコアな出版物なのである。面白いのはここいときどき寄稿する自然科学者の書くものである。自然科学には当然どの分野にも審査のある「ジャーナル」というものがある。ちゃんとした論文ならそれに書くべきなのだが、データが足りないとかテストの方法がずさんとか結論が過激すぎるとか「ジャーナル」にはリジェクトされそうなものが、ときどきぼろっと『会報』に出ることがある。それが楽しみで読んでいるのです。

ま、それはさておき、『映画秘宝』はいわゆる「鬼畜系」の映画評論誌で、ウエィン町山とガース柳下という(名前からもそれと知れる)バカ映画評論家が創刊した「バカの踏み絵」的な雑誌である。私お二人がイチオシの『エド・ウッド』と『ウェインズ・ワールド』にはげしく魂をゆさぶられてしまったので、以来かなり肩入れしてきたのであるが、最近、町山さんに続いて柳下さんも編集の一線から退いたらしく、がくんと過激さがパワーダウンして、ただ下品で排他的なマニア雑誌に堕しつつあるのが残念である。

『学士会報』と『映画秘宝』をじっくり読み比べると(そういうことをしている人はあまりいないであろうが)「体制」側の方が開放的で過激なのである。困ったものだ。

ひさりぶりに日記を更新。(これって「日記」だったのか)

うちのパソコンからはボードへの書き込みしかできないので、この5日間、毎日ばりばりボードに「意見」を書いてしまった。でもなんだか、だんだん自分の言ったことで「自縄自縛」になったような気がする。(「正論」を言うからいけないんだけど・・・つい)

ひさしぶりに学校のメールボックスをあけたら、残暑見舞いがたくさん来ていた。

そのうちのふたつをご紹介しますね。(勝手に転載してごめんね。でも心温まる文だったから、みんなにもちょっとその感じを分かち合ってもらおうと思ってさ)

ひとつは小学校以来の親友「ひらちゃん」から。「ひらちゃん」は何をしているのかよく分からない会社(私はその役員なんだけど)の社長さんです。

「残暑お見舞いありがとうございます。

今年は、シリコンバレーに会社なんかつくってしまい、日米を又にかけて、又裂け常態です。おかげさまで、ベイエリアに関しては観光ガイドができます。

http://www.business-cafe.com

覗いてみてください。ルーカスフィルムの技術部長や、Linuxを作ったリノスやAmazon.comの創立メンバーなどと親交を持ち、アメリカンビジネスのコツとツボを押さえたので、また客員教授で呼んでください。

バリ旅行とは、うらやましいね。

だけど、僕が行ったのは15年前だからたぶんまったく変わってしまっているのだろうね。あの頃は、クタビーチはヌーディストビーチで、おおきなおっぱいのオーストラリア美人が、ごろごろとまぐろのように浜に並んでいました。僕は空手着を着て、早朝マラソンをしたものです。(ばかだねぇ)

アーバンはいつもどおり元気で、シリコンバレーにもスタンフォードMBAを一人雇っています。もうじき、IPOしてお金回すからね。

内田研究室のHPは、ほとんど毎日チェック入れてます。とくに、アメリカ人メンタリティ批判はグッドです。

残暑厳しきおり、ご自愛を。」

どうもありがとう。ご活躍なによりです。また秋にでも講演しに来て下さい。

ところでIPOってなんのことですか、お金が回ってくるというのならきっといい話なんでしょうね。(わくわく)

 

次のお便りは、高校時代以来の親友「かっちゃん」から。「かっちゃん」は医大の先生です。

「オーーッ暑い。このあいだ樹君のホームページ見てたら夏休みだってんで、東京に来ても挨拶もない冷たい友達だ!なんて脳内温度2度上昇させながら逆上を必死にこらえてたら、そのころ私も夏休みで東京にいないのに気づいたんだ。途端に脳内温度3度下がって、みんな、それぞれ都合ってもんがあるのよね。なんて。人間て勝手なもんだね。昨日、帰ってきて、今日から仕事始めたんだけど、まだ、暑いから、もう少し夏休みとろうかななんて、休みぼけの虫が囁いています。

20年程前にバリに行ったよ。パリは数えられないぐらい行ったけど、バリは一度だけ。

暑かったなー。バテイーク着て、サングラスしてたら、ホテルでも、空港でも、レストランでも、だれも日本人だと信じてくれなかった。土産物屋にみんなで行ったら、お店の人が、私を現地のガイドと間違えて、ブランド製品が並んでる別室に案内して、好きなネクタイ持っていっていいよって言うから、エルメスのネクタイいただいた。

次の日、別のお店にいったけど、なんにもくれないので、店のもの何にも見ないでイスにすわってたら、店の人が、釣り銭なくなったから、両替 してくれだって。

ガメラン音楽とケチャックダンスのリズムは良かったね。

音楽、芝居、恋愛、健康食品、病気治療、哲学等みんな、何を尋ねてもラーマーヤナによればって現地ガイドは教えてくれるんだけど、いったい、ラーマヤナってなにが書いてあるんだろう。読んだら教えて下さい。

ジャワに行ったらコーランによれば、でした。コーランには何が書いてあるのか、ついでに教えて下さい。南米のポポロブーは以前、読んだ気がします。

あまり暑いので、バスでデンパサールからキンタマニと言う高地に行ったらとても涼しく、軽井沢のようでした。私たちはすっかりキンタマ山が好きになりました。

バリは暑いけれど、異文化の香りがたちこめててよかった。次はパプアニューギニアに行こうと誓ったけれど、まだ行って無い。樹君のバリ行がいい旅でありますようにお祈りします。」

貴重な情報提供をありがとう。かっちゃんの場合は、どこにいっても何十年もそこに暮らしている「そこの人」に見えるという「遊星からの物質X」体質だね。(高校のとき、そう思ったよ。一緒に入学したはずなのに、もうあきるほど高校生をしているような顔してたから)

ところで「南米のポポロブー」って何ですか。何が書いてあるのか、読んでいるなら教えて下さい。

 

12 August

うう、暑い。う、それほど暑くもないか。くせになってしまったのね。

お稽古をしたあと、ごろごろテレビを見ていたら、「ここが変だよ日本人」という外国人参加のディスカッション番組で戦争をテーマにして、いろんな国の人たちがみんな怖い顔をして、自分の意見に反対するよその国のひとたちを怒鳴り散らしていた。

自分と意見の違うひととどうやって意見をすり合わせるかということがコミュニケーションのだいじな基本である。その場合に大事なのは話の内容ではなく、発声法やみぶりにおいて、「フレンドリー」であることをはっきり示すことである。

どなりつけたり、凄んだりして、相手を黙らせることは、その語の本来の意味におけるコミュニケーションではないと私は思う。

戦争について語るのは、「戦争とは何か」という事実認知的な営みだけでなく、「どうやって戦争を阻止するか」という遂行的なしごとをも含んでいると思う。けれども多くの人は「どうやって戦争が起きたか」「誰が戦争を始めたのか」という遡行的な議論に終始してしまう。それも強い責任感と善意をもって。そして、そういうときの責任感や善意は、他人に対して攻撃的になることを妨げない。

過去を振り返っている限りは、ひとはいくらでも大声を出すことができる。けれども未来について語りあいたいのなら、できるだけ声は小さいほうがいいと私は思う。

 

 

うう、暑い。

朝起きてみると室温が30度。外気温より二度も高い。

うう、暑い。脳味噌がとろとろ溶けそうだ。

そんな中に電話がかかってきて、マンションを買えという。いまどき電話の話につられて、新宿に節税用マンションを買う人なんているのだろうか。

そういう電話はだいたい「内田さんですか?」というふうに切り出してくるので分かる。

私の知り合いなら声で分かるし、学生や同僚や編集者は必ず「内田先生ですか」と訊いてくる。

さて、知らない人の声で「内田さん?」と来た場合はまず90%営業電話である。そういうときはすばやく声を変える。ちょっと早口で元気のよい声にするのである。

「はい!そうです」

「・・・お父さんいる?」

「いま、出かけてます!」

「・・・お母さんは?」

「(悲しげに)・・・母は・・・おりません」

「あ、そ。」(ガチャリ)

声が高いので得をするのはこういう場合だけである。

とはいえ、世の中は広い。先日すごい電話があった。

(チリリン)「はい、内田です」

「主人ですか?」(野太い男の声)

「は?」

「主人ですか?」

「は?」

「主人ですか?」

「は?」

(ここでようやく、電話の相手が「ご主人ですか?」という質問をしようとしているらしいということに気がつく。しかし、相手が「魔法のランプの巨人」であって、私が「はい」と返事をしたとたんに「どろろん」と姿を現して「あなたが今日から私の主人です。なんなりとお言いつけを」というようなことが起こる可能性も絶無とはいえない。それはちょっと恐ろしいので)

「主人ですか?」

「ちがいます」

「あ、そ」(ガチャリ)

最近のこどもたちは電話のかけかたをしらないと言うけれど、こういうすごいおじさんもいるのである。

 

26 July

24日は合気道部・前期稽古終了おめでとう&ハッピーバースデイ宴会でありました。何がなんだか分からないくらいたくさん人がいて、全員と挨拶さえできなかった。林さんヴィデオ探して上げなくてごめんなさい。福岡さんチーズごちそうさま。おいしかったです。浦西さん、進路関係のお話途中でとぎれてすみません。飯田先生お仕事忙しいのにわざわざお越しいただきありがとうございました。北澤さん、うちのクラブうるさいでしょ。お誕生月のみなさん、あらためてハッピイバースデイ。ケーキ美味しかったでしょ。芦屋のブール・ミシェルのケーキです。

ようやくこれで宴会スケジュールは基本的に片づいた。(ふう)

7月は宴会多かったのです。非常勤講師懇談会のあと飯田先生、難波江先生、野崎次郎先生、藤井幸之助先生、それに国語学の安田先生(次の次の日に朝日新聞に写真入りで署名原稿書いていた。「あ、このひと、おととい横にいた兄ちゃんだ」)を迎撃。難波江vs藤井の「低音バトル」はなかなかの迫力。15日は小林先生と田川先生とマルコポーロで「コミケ」話で大笑い。18日は芦屋の国際交流協会で交換留学生の歓送迎会。20日は日文研のみなさん&怪しいパフォーマーたちが大挙乱入。24日は合気道宴会。ちょっと疲れた。

さ、心を入れ替えて、今日からアカデミックに生きるぞ。

まず『レヴィナスとラカン』という本を読むことにする。予想では「すごくつまらない」対「けっこうおもしろい」の確率が8:2。次に『イマージュ=映像の奇跡』というのを読む。これは私が仏文業界で畏敬する数少ない人(前田英樹さん)の本なので、大事に読む。それから『モンスター・ショー』。これはすでに半分読んだ。マニアックではあるが、恐怖というものの本質への洞察に欠けるようである。

これらについては、後日「うほほいブックレビュー」で書評をご覧下さい。

 

午後、県立芦屋高校でるんちゃんの担任と面接。

「お嬢さんは進路が・・・『漫画家。フリーター』とありますが?」

「は、どうもそのようで・・・・」

「成績・・・こんなんですけど。ご存じでした?」

「は、このあいだ見せてくれましたが・・・・や、これはすごい」

「遅刻が非常に多いんですけど、どういう生活されているんですか、失礼ですが」

「・・・・・」

しかし、私の父親が高校生のときに担任に絞られたのに比べたらこんなの鼻歌のようなものである。親孝行な娘だよ、あんたは。

 

暑いよ。こういうことをいくら言っても温度が下がるわけではないと知りつつ、言わせていただきます。

暑い。

しかし、暑いとか寒いとか疲れたとか、そういうことをいくら言っても状況は改善されない、と考えるのはやはり近視眼的な合理主義だといわねばならない。

実は、暑い、寒い、疲れた、などという叫びは事実認知的な言明ではなく、むしろ遂行的な「祈り」に近い。「何とかして下さい」と天にむかって祈願しているのである。

祈願する対象を持つということは、宇宙を統べる善なるものを信じるということである。これはすでに「救い」のモードに入っている。

黙って暑さに耐えるひとより、「暑いよお、なんとかしてよお」と悲嘆するひとのほうが神に近いのである。

どうでもいいけど、ヘルメットが黒いので、さわると火傷しそうである。おそらく頭部の体感温度は50度くらいになっているのではないか。熾天使が触れたのかもしれない。なんだか、くらくらしてきた。

ともかく、今日で前期終了である。めでたい。

夏休みだ。夏休みといっても休みではない。誤解してもらっては困る。

夏休みというのは私たちにとってはいちばん集中的に仕事をする時期である。どこにもいかなくていいので、朝から晩まで机に向かってこりこり本を読み、原稿を書く。中断なく7,8時間連続して机に向かうということが授業のあるふだんの日にはできない。しかし、これはたいへんに重要なことである。

というのは、思考が日常的な「素」の状態から、「テイク・オフ」するためには、一定時間の「ため」が必要だからである。これをバネにして「ぼよよん」と飛ぶのである。このときの思考回路の過熱ときな臭さは「ラリハイ」に近い。(私はこれを「アカデミック・ハイ」と呼んでいる)

「アカデミック・ハイ」はエンジンにターボがかかる状態に少し似ている。加速して、ぐんとGがかかってきて、「飛ぶ」のである。

2,3時間「ハイ」になったあと、脱力して暮れなずむ海を眺め、紫煙をくゆらしつつ、その日の最初の一杯を傾ける。アルコールとニコチンと脳内麻薬物質が織りなす至福の時間。脳細胞が「ちりちり」と音を立てて「溶けて」ゆく。これはやったひとにしか分からない。

すごく、いい。

やすいし、手軽だし、合法的だし、うまくるすとそれでお金までもらえる。お薦めの逸品です。(BGMには大瀧詠一の「座・読書」がよいと思います。)