Tomorrow never knows what wind will take me away: from 1 Jan 2002
1月31日
文学部の入試がある。
せんだっては、志願者が少ないと書いたけれど、その後、どんどん志願者が増え、わが総合文化学科は志願者650人、昨年比137%という「劇的な」志願者増を果たした。
18歳人口の減少期に志願者数が増える、というのはたいへん喜ばしいことである。
これはうまくすると「収穫逓増法則に乗った」ということを意味している。
何度かすでにこの日記でも触れたけれど、この世には「収穫逓増の法則」別名「ポジティヴ・フィードバックの法則」というものがある。
要するに「金をもっている人間のところに金は集まり、勝つ人間は勝ち続ける」傾向のことである。
有名な事例では「クワーティの原理」というものがある。
QWERTY と書く。
この文字、どこかで見たことがあるような気がするでしょ?
当然である。
だって、いまこの瞬間、それにあなたの左手指先が触れているからである。
キーボードの第一列は左からQ,W,E,R,T,Yである。
この配列を決めたのはひとりの技師である。
それまでタイプライターの文字配列はでたらめであった。メーカーごとに配列が違っていたのである。
ある技師が、この配列を採用した。
この配列だと「打ちやすい」からではない。「打ちにくい」からである。
この配列だと指の動きが「遅くなる」のである。
タイプライターというのはキーを押すと、アームが伸びてインクリボンを叩いて、紙に印字するというメカニズムだが、タイピストがキーを速く打ち過ぎると、すぐにアームが絡んでしまうのである。
それを防ぐために、この技師はわざと「キータッチが遅くなる」配列を考えたのである。
その結果、タイピストたちのあいだでこの機械が人気になった。
当時のタイプライターのメジャーなメーカーであったレミントンがこれに目を付けて、「あ、じゃ、うちもつぎの新製品から、配列はQWERTYにすっか。その方が売れそうだし」となんとなく決めた。
その瞬間に実質的な「世界標準」が制定されたのである。
この配列に慣れたタイピストたちは、同じ配列の機種を使いたがり、わずかな期間のうちに、あらゆるタイプライターはこの配列に統一されたのである。
これが「ポジティヴ・フィードバックの法則」である。
つまり、同じような性能のものが横一列でならんでいる場合、ごくわずかな利点があるものがその分だけ頻繁に選択され、そのわずかな入力の差が、短期的に劇的な出力の差となり、結果的に、市場を独占してしまう傾向を言うのである。
株式市場における投資家の動きなどがこの典型である。
受験市場における受験生の動向も、ある意味では投資家の動向に似ている。
同じような大学が横一線で並んでいる場合、ごくわずかでも利点があるものは「同じ受験料払うなら、じゃ、ま、こっちにしとく?(駅から近いし・入学金が一万円安いし・キャンパスがきれいだし・試験場でちょっと親切にされたし・昨日の新聞に卒業生が出てたし・・・」)というしかたで、とりわけ強い動機づけなしに選択される。
しかし、この選択が短期間に反復されると、劇的な差異を生み出すのである。
あらゆる商品において、商品そのものの実質的な差以上に、市場の選択の落差は大きい。
それは消費者が「きまぐれ」なのではなく、「そういうもの」なのである。
だから、同業他社との競合においては「抜きん出て」高いクオリティを示す必要はない。
他の条件がほとんど同一であれば、「ワンポイント、よい」という程度で、市場占有率で圧倒的勝利を収めることもありうるのである。
これを逆に言えば、他の条件がほとんど同じなのに、わずかな立ち後れによって、劇的な敗北を喫することもありうる、ということである。
繰り返すが、商品を選ぶとき、大多数の消費者が選ぶのは、「この点ではきわだってすぐれているが、このへんはきわだって落ちる」ような商品ではない。「ほかの商品とほとんど差がないが、このへんがちょっとだけ勝ってる」商品である。(自分がスーパーで競合商品のなかから一品を選ぶときの選択基準を思い出せばすぐ分かる)
総合文化学科の志願者動向をウチダ的に分析すると、この増加傾向は、本学科があきらかに「ポジティヴ・フィードバック」の第一段階に進んだことを暗示している。
このままのペースで「ほかとほとんど同じだけど、このへんがちょっとだけいい」という程度の教育サービスの充実を手堅く進めて行けば、総合文化学科の未来は明るい、と私は思う。
1月30日
『ガチンコ』について、『ミーツ』のTV批評欄の記事をとりあげたら、江さんからも編集の青山さんからもすぐにメールが来て、編集部で問題になっていると教えられた。
江さんが「シロートのウチダせんせに突っ込まれたら、あかんやないか!」と若い編集者たちに檄を飛ばしている風景が想像される。
悪いことをしてしまった。
うかつなことを書くものではない。
私は南典子さんを批判しているのではない。(「かちんと来た」というのはほんとうだけど)
他の人の目には「卑しい」ものと見えるTV番組に、どうして私(や「オーディナリーな視聴者たち」)は「わくわく」しちゃうのだろう、ということの理由を考えてみたかっただけなのである。
「TV虎の穴」は毎号楽しみに読んでいるので、これからも「オーディナリーな視聴者のいやがること」をどんどん書いて欲しいと願っている。(そういう趣旨のコラムなんだし。)
そういうえばこの日記もそうか。
深夜定期便的に甲野先生からお電話がある。
名越先生が『ためらいの倫理学』を読んで、その感想をホームページに載せているから、読んでごらんなさい、というご案内である。
あの本ももう出してから一年近くなるし、中身を書いたのはもっと前(古いのは6、7年前)だから、本についてコメントされると、なんだか卒業後何年かしてからの同窓会で高校の同級生の女の子に「あたしね、高校のころ、ウチダくんのこと、実は好きだったんだよ」と告白されたような気分である。
うれしいんだけど、ちょっと「時間差」がある。
『レヴィナスと愛の現象学』もばりばり書いていたのは去年の春休みと夏休みだから、もうずいぶん前だ。
時間がたつと、自分の本でずいぶん「距離」が出てきて、自分が書いたはずのものを読みながら、「何が言いたいんだろ、この人?」と思うことがよくある。
すると、思わず、のめり込むように読んでしまう。
その「自分自身に対する奇妙な距離感」が私はわりと好きである。
私がやたらにものを書くのは、おそらくそのせいである。
一昨日の夜「明石家電視台」で明石家さんまが、「自分の家では自分の出るTV番組ばかり観ているので、いっしょにいる女の子に嫌われる」と語っていたが、私はさんまの気持がなんとなくわかる。
『ヘルプ!』の中でジョン・レノンも書棚にずらりと自分の書いた本(全部同じ本)を並べて、それに読みふけっていたが、私はジョン・レノンの気持がなんとなくわかる。
さんまもジョンもべつに「ナルシスト」ではない。
むしろ、自分を突き放し、冷たい目で観ることのできるタイプの人間だと私は思う。
そういうタイプの精神にとって、自分自身の作品は、「自己観察のための情報源」である。
人間はどういう嘘をつくか、どうやって人を騙すか、どうやって欲望を隠すか、どうやってトラウマを言語化するか・・・人間一般についての汎通的理解を手に入れるもっとも有効な方法のひとつは、自分で書いたもの、自分でしゃべったことを距離を置いて回顧することだ。
私は私を観察するのが好きである。
ヘーゲルは『精神現象学』の冒頭に、自己意識が自我を基礎づけると書いているけれど、それは「自分の出ている番組を観ている明石家さんまが明石家さんまを基礎づけている」というのとたぶん同じことだ。
で、どうして自己意識なんていうものがあるかというと、それはヘーゲルも書いてない。
しかし、やっぱりそれが「楽しい」からでしょ。
人間がそれ以外の理由で何かに夢中になるということはないから。
1月29日
書くのはこれで二度目なので、「話がくどいぜ」と叱られそうだが、話がくどいのは年寄りの癖である。
私はもう年寄りなので、言わせていただく。
28日の朝日新聞の「天声人語」で、外務省のNGO問題に関連して、またもやカミュについての誤った言及がなされている。
さすが外務省というべきか、『これはもうカミュの世界』という言まで飛び出したそうだ。カミュといえば『異邦人』などで知られるフランスの作家で、戦後大流行した不条理の哲学の旗手だった。口走った事務次官は、そういえばその世代か。
カミュの『シジフォスの神話』を思い浮かべる。ギリシャ神話を題材にした随筆だ。最も狡猾な知恵者といわれたシジフォスが地獄に落とされ、刑罰を受ける。大石を山頂まで押し上げる刑である。その大石はもう一歩のところで必ず転げ落ちる。最初からやり直しだ。これを永遠に続けなければならない。
たとえばカミュは不条理をそのように描いた。アフガン復興会議での非政府組織(NGO)参加拒否問題をめぐるごたごたでは、確かにシジフォスのような『徒労感』におそわれる。
世界の多くのカミュ研究者が、『異邦人』における「不条理」概念の倫理性と、シジフォスの「希望」について、過去30年間語ってきたことは、あいかわらずここでも一顧だにされていない。
あいかわらず「カミュ=不条理=わけわからん」という涙がでそうなほどお粗末な図式が罷り通っている。
それが800万人の読者に「天声人語の教えてくれる日本人の常識」として伝播されてゆくさまをみると私もまた深い「徒労感」に襲われずにはいない。
カミュの「不条理」概念がどういうものかについての定義は天声人語子がひいている『シジフォスの神話』に詳しく書かれている。
決して分厚い本ではないし、翻訳も読みやすく、新潮文庫でどこでも買える。引用するなら、なぜその前に一度通読してみるくらいの手間を惜しむのだろう。読めば『シジフォスの神話』が「ギリシャ神話を題材にした随筆」ではなく、全編を「不条理」(absurde) という概念の精密な定義にあてた「哲学的試論」であることは誰にでも分かるはずだ。
「ほんとうに真剣にとりくむべき哲学的問題はただ一つしかない。それは自殺である。人生は生きるに値しないと判断すること、それは哲学の根本問題に答えることだ。それ以外のこと、世界には三つの界域があるとか、精神には九つのカテゴリーがあるとか、いや十二あるとかいうことはあだごとにすぎない。まず、答えることが必要だ。」
『シジフォスの神話』はこのフレーズから始まる。
この本は「ほんとうに真剣にとりくむべき哲学的問題」だけを扱った深い思索の書である。
カミュがこの哲学的試論(essai を天声人語子は「随筆」と訳しているが、essai は日本語でいう「随筆」ではない。「試論」とはある概念なり装置なりの有効性を「考量すること」である)で問うているのは、大戦間期の思想家たちに共有された「世界の無意義性」という所与の条件からどう脱出するかという問いである。
世界の無意義性というのは1930−40年代の独仏の青年知識人の強迫観念であった。
ハイデガーの「存在論的不安」、ヤスパースの「限界状況」、サルトルの「吐き気」、バタイユの「内的体験」、レヴィナスの「在る」、カミュの「不条理」・・・
これらは用語は異なるが、第一次世界大戦と大恐慌のなかで近代人があじわった世界を支える意味の安定的基盤−「聖なる天蓋」−の崩落経験をひとしく指示している。
『シジフォスの神話』でカミュは先行するキルケゴール、ハイデガー、ヤスパースの実存哲学を一刀両断に切り捨て、それが「世界の根源的無意義性」の覚知から出発しながら、じつにやすやすと「より上位の、より包括的で、超越的な救いの審級」にすり抜けてしまうことを言葉厳しく批判した。
彼らはたしかに「聖なる天蓋」の不在を告知する。しかし、それは単に「より包括的な天蓋」を要請するためのジェスチャーにすぎない。
カミュはそのような「天蓋再構築」の試みを「哲学的自殺」と呼んだ。
「これらの人々は自分たちが理性が崩壊した場所にいる、人間たちだけしかいない閉じられた世界にいるという不条理の経験から出発しながら、奇怪な論法によって、自分たちを押しつぶすものを神と崇め、自分たちから略奪するものののうちに希望の理由を見出そうとする。このような強いられた希望は本質的に宗教的である。」
キルケゴールの「絶望」は「真理に到達するために通り抜けられねばならぬ否定性」に他ならぬし、ヤスパースは「限界状況」を突破して「有限性を止揚する超在」に出会うし、ハイデガーは「存在忘却」から「聖なるものが出現する」本質の場所への「帰郷」を果たしてしまう。
彼らは皆「人間たちだけしかない閉じられた世界」からみごとに脱出してしまう。
カミュはその脱出を「自殺」と呼んだのである。
カミュは「救い」や「超越」や「究極的な意味」をきびしく自制する。
「人間たちだけしかいない閉じられたこの世界」においては、人間たちのあいだで意味の通じる言葉、人間たちが手に触れることの出来る価値にこだわって生きる他ない。カミュはごく平明な真理を語っているにすぎない。
たしかに、人間の知性には限界があり、私たちは自分の知性によって自分を基礎づけることができない。しかし、人間が不能であるという事実から、人間に存在の意味を「外部」からあるいは「天上」から賦与してくれる「絶対的な保証人」が存在する、ということは推論できない。
一切の天上的支援も奇跡的介入も抜きに、「人間が人間に対して約束したことは人間が守る」「人間が人間に対して犯した罪は人間が償う」というこれ以上は譲れない倫理性のうち、カミュは人間性の基礎づけの可能性を見出そうとしたのである。
「ひとは自分より上位にある存在に訴求することなしに生きることが可能か、それだけが私の関心事である。」
カミュは要するに自分のことは自分でけじめをつけ、神であれ歴史であれ、他人には「下駄を預けない」ような生き方をしましょう、と言っているのである。
このカミュのクリアカットな思考のどこにも「野上事務次官」や天声人語子が含意させようとしているような「なにがなんだかわからなくて、徒労感にさいなまれる」というようなべとついた情緒性や思考停止は存在しない。
この事務次官は自分の手で人間たちの世界での条理をわざわざごちゃごちゃに混乱させておいて、それによってある超越的審級(鈴木宗男の政治生命?外務省のメンツ?おのれ一身の保身?)を救済しようとしているようにしか私には見えない。
これは「哲学的自殺」というどころか、単なる「社会的自殺」である。
自分の責任を他人に押しつけ、下駄を脱ぎ捨てて逃げ出すような人物に、私は断じてカミュの名を口にしてもらいたくない。
山頂に岩を押し上げるシジフォスは人間的尺度を超えた「目的」というものを信じない人間の比喩である。
かりに、その旅程がどこに至りつかないものであっても、いま岩を押し上げている腕のきしみとじりじりと押し上がる岩の動きは「間違いない、てごたえのあるリアリティ」であり、カミュは自分はそれしか信じない、と言っているのである。
「主なきこの世界、それはシジフォスにとって不毛なものでも無価値なものでもない。この岩の砂礫の一粒一粒が、暗闇の中で岩と岩がきしみあって放つ金属の火花のひとつひとつが、それだけでひとつの世界をかたちづくっているのだ。山頂へ向かう戦いそれ自体が人間の心を豊かに満たしている。幸福なシジフォスの姿を思い浮かべなければならない。」
シジフォスは徒労感ともっとも無縁な存在である。シジフォスは現実とがっぷりと取り組み、いまここにある現実以外のほかの場所に「言い訳」を探さない。
その努力がどのような価値を地上にもたらしきたすのか、シジフォスは知らない。人間の壮絶な努力に対して、いかなる報償も約束されていないこと、その没論理性をカミュは「不条理」と名づけたのである。それは明晰さへの終わりない知的努力を賦活するための言葉であって、「なにがなんだかわかんない」というようなふざけた思考停止の呼び名では断じてない。
誰が読んでも『シジフォスの神話』にはそう書いてある。
それ以外の読み方はできない。
それ以外の解釈をしてはばからないということは想像を絶するほど頭が悪いか、読んでいないかどちらかである。
読んでいない本を読んだふりをするのは知的虚栄心のゆえで人間的なことであるので、私はとがめない。(私もよくやるし)
しかし、まじめに読んでいない本についての誤った情報をこれほど多くの読者のいる媒体で語ることはぜひ自制してほしいと思う。
1月28日
私はほとんどTVを観ない人間であるが、TOKIOの『ガチンコ』だけは例外的に見続けている。
『ガチンコ・ファイトクラブ』は第四期生がいよいよ来週プロテストという佳境に入ってきて、わくわくしているところである。
ところが『ミーツ』の今月号では、連載エッセイ「テレビ虎の穴」(南典子)で『ガチンコ』はかなり酷評されていた。
その部分を採録してみる。
「ボクサー志願の生徒を一般から募り、元世界チャンピオンがコーチ。プロボクサーへと育てるという内容。で、集まったボクサー志願の生徒(番組中では「ファイトクラブ生」と呼ばれる)ときたら、これが揃いも揃って、強面のヤンキー。もしくはチーマーみたいな人ばかり。番組的には、そこがウリなんだろうけど、なぜか全員が全員、コーチに反抗したり、仲間同士で喧嘩をしたりと、ふてぶてしい態度をとるから笑わせる。
この『ファイトクラブ』については、ヤラセ説が取りざたされたりしているが、ヤラセにしても単純すぎるのである。クラブ生がコーチに反抗。時には胸ぐらをつかみ殴りかかる。ボクシングなんて喧嘩とタカをくくっていた生徒がプロのボクサーとのスパーリングで打ちのめされ、本気でボクシングに目覚める。そして企画の最終目的、プロテストの段階では、狂犬のようだった不良達がスポーツマン・ボクサーへと変貌。拳を通じて成長という筋書き。今どき、この三流漫画のような展開。ドラマでもコントでももちろんなく、ドキュメントを主張しながら、こんなもんで視聴者を感動させようというその心根、実に卑しい。」
ずいぶんとてきびしい。
私は「ファイトクラブ」はけっこう気に入ってるので、こう酷評されるとちょっと「かちん」と来る。
そこでひとこと書かせてもらう。
私は「ほんとうの話」と「つくり話」を対立的なものとは考えない。
ドキュメントというのは「ほんとう」のことをありのままに映し出すものであり、ドラマやコントは「つくり話」だというのならば、「ファイトクラブ」のあざといTVドラマ的な劇的伏線やら感動的結末は「ドキュメント」を主張する権利はない、と言うのが南の論理である。
しかし、ドキュメントとドラマ・コントを対立的なカテゴリーとしてとらえる、ということはTVについてはあまり意味があるようには思われない。TVでやってるものは、ぜんぶひとしなみに「TVでやってるもの」という包括的カテゴリーで処理していいのではないだろうか。
「今どき」TVで放映している「ドキュメント」や「ノン・フィクション」や「ストレート・ニュース」が「真実」を伝えていると思っている人はいない。
そこには必ず素材の「選択」が存在する。
ある事実を伝え、ある事実を伝えないこと、あるデータを採用し、別のデータを採用しないこと、ある図像を示し、別の図像を示さないこと。
そのような選択は、どのようなメディアが、どのような「真実」を伝える場合でも、不可避である。
そして、伝達される情報に「選択」がある限り、そこには必ず「物語」が入り込む。
「ドキュメンタリー」は、「ドキュメンタリー」という名前の「おはなし」である。
同じ事件を扱う場合でも、政治的立場のちがうディレクターが撮れば、かりにまったく同一の映像資料から番組をつくったとしても、その編集やナレーションのかけ方や司会者のコメントによって、そこで伝えられる「おはなし」はまったく違うものになっているだろう。
私はべつに報道の客観性についてシニックになっているわけではない。
そうではなくて、私たちがメディアに向かうときに検証すべきなのは、そこで伝えられる情報が「真実か虚偽か」ではなく(そんなことは視聴者には確かめようがない)「それを伝えることを通じて『このメディアは何を言いたいのか?』」という問いに照準させることだろうと思っているのである。
メディアが「伝えている事実」なるものはつねにある種の予断なり価値判断を込みで伝達されている。すべての情報はすでに誰かの価値判断によって「汚れている」。
しかし、現にそれを「伝えている」メディアが、「伝えている事実」に押し付けている「イデオロギー的バイアス」そのものは汚れていない。
情報を「汚している」価値判断そのものは、いわば「むきだし」のかたちで、その純正なリアリティとともに画面に露出している。
つまりTV的な虚構において、まっさらの真実なのは、逆説的なことだが、虚構を媒介にして視聴者に「何か」を信じさせようとしている作り手たちの「欲望」だけなのである。
だからもしTV番組を見て、そこになにほどかの真実を見ようと望むのなら、作り手の「欲望」にただしく焦点を合わせれば、それが「ドキュメンタリー」であるか「ドラマ」であるか「ヴァラエティ」であるか「報道番組」であるかといったカテゴリーの区分にはとくべつな意味はないのである。
いや、むしろ「ドキュメンタリー」や「ニュース」こそ、虚構性はドラマやコント以上かもしれないと私は思う。
それは単に作り手の側がイデオロギッシュに真実を編集している、というだけのことではない。
「撮されているもの」もまた、自発的に物語の形成に参加してしまうからだ。
ふつうの街行く人も、カメラを向けられたとたんに、伝え手が作ろうとしている「物語」の共犯者となって、その暗黙の期待に応えて、進んでその物語を「内側から」生きてしまう。これはごくありふれた人間的反応だ。
それは大阪のTVで街角インタビューを受ける「オバチャン」たちの予定調和的な反応を観れば分かる。あの人たちはマイクを向けられると、一瞬のうちに、「TVに映ってガハハと笑ってインタビュアーをどづく大阪のオバチャン」という「予定調和の型」のうちに飛び込んでみせる。
それを「ヤラセ」というか「真実」というか、その線引きはきわめて困難である。
それと同じことを『ガチンコ』のうちに見て、私は深い興味を抱くのである。
「ヤラセ」というのは、「だいたいこんな感じで収めたい」というプロデューサー側の希望を出演者たちが呑み込んで、その物語を「内在化」した場合に生じる、なかば虚構なかば現実であるような劇的事況のことである。
『ガチンコ』の出演者たちが選び取った役は、彼らの真実の人格ではない。(「がはは」と笑う大阪のオバチャンのように)
けれども、それは、その役を演じることに本人がある種の「自然さ」を感じているようなキャラクターである。
「おめーなんかに俺の気持ちがわかっかよお!」と絶叫するウメモトは内心では、「おれ、こういうセリフを、こういうキッカケで、こういう口調で、がーんと一度言ってみたかったんよね、前から」と思っている。(と思う)
だから、その口調は驚くほどなめらかで、彼らの身体の最深部から響くように聞こえる。
それは、それまでずっと家族の侮りに耐えてきた「お父さん」がある日いきなりちゃぶ台をひっくり返して、「てめーら、一家の主人をなめんじゃねーぞ」と腹の底から怒鳴ったときのそのせりふの「できあいの言葉を借りただけの嘘っぽさ」と「とんでもないリアリティ」の不思議な混じり合いに似ている。
あるいは『ガチンコ』はTVで衆人環視のもとに「サイコドラマ」をやっていると言えるのかも知れない。
出演者たちは、そこで「ふだんの自分」とは違う、「自分がそうでありたい人間」あるいは「自分がそうであったかも知れない」キャラクターを演じている。
当然、それによって、彼はそれまでとは違う社会的ネットワークの中に巻き込まれ、それまで気づかなかった自分の思いや、能力や、資質を「発見」する。
彼らが『ガチンコ』で発見しようとしているのは、彼らの「アナザーサイド」である。
それは(ほほえましいけど)「コミュニケーション能力が高くて、みんなからレスペクトされる好青年」としての「彼」である。
出演者のヤンキー諸君は、心ではそういう「好青年」になりたいのだが、そのきっかけがないのである。
彼らだって言いたいのだ。「おれも大人になんないといけないとおもってさ」
だけど、その台詞はいまの彼らを取り巻く環境の中では「敗北感」の吐露とともにしか語り出されることができない。(「まいったよ、おふくろに泣かれちゃてよ」とか「トモコが妊娠しちゃってさ、所帯持つっきゃねーかな、って」とか「しかたねーよ、親父、高血圧で倒れちゃったかんよ、店、俺がやんねーと」とか)
しかし、誇り高いヤンキーである彼らはできたら「かっこよく」大人へのテイクオフを果たしたい。
『ガチンコ』はその場を提供してくれるのである。
「国分に説教されるのはちょっとむかついたけどさ、タケハラさんにどづかれてみろよ、おめーら、一回。世界ミドル級のチャンプだぜ。世界チャンプにどづかれて、ぐらぐらした頭でさ、町内でぶいぶい鳴らしるくらいじゃイモだ、世界は広い、と思い知ったわけよ、おれも」
これならカッコつくじゃないか。
だから、この「ドキュメンタリー」を契機として、彼らは「よい子」への冒険的帰還を果たそうとしているのである。
作り手と出演者の利害がぴたりと一致しているのである。『ガチンコ』が成功しないはずはない。
ここで展開しているのは、よくできた「作り話」である。
しかし、その「作り話」を作り手と出演者たちは共犯的に「真実」に改鋳しようとしている。
それは誰か他人を騙すためではなく、彼ら自身を騙すためである。
それが「真実」であることを誰よりも彼ら自身が望んでいるからである。
この「作り話」を「真実」に改鋳しようとする若者たちの「欲望」の切なさが、私を『ガチンコ』に惹き付けるのである。
1月27日
ひさしぶりのまるオフの一日。
お洗濯をして、お掃除をして、それから「カナ姫」ご依頼の卒論(エリック・ロメール論なのだ)を仏訳するというお仕事にとりかかる。
今日までは比較的順調に来たのであるが、なかほどの「ロメールの言説の多様性」という章で、はたと歩みが止まってしまった。
意味が分からないのである。
意味の分からない日本語は、いかなウチダといえどもフランス語にすることはできぬ。
あなたは次の日本語を仏訳できるか?
「ところが、そうしたニュアンスは映画作品にとっては本質的なものであり、そのため、場合によっては、過去(ときには反復過去ですらありうる)の時制で展開する出来事に、言葉が発せられる時点で、観客を必然的に現在に連れ戻してしまう台詞を組み合わせることは、不都合を生ぜずにはおかないのである。」
ひとこと彼女のために弁明するならば、これはカナ姫の文章ではなく、彼女が別の本から引用している箇所である。
これ自体がフランス語からの翻訳なのである。
誰が訳したのかしらないが、まあ、ひどい訳文である。
おそらく原文は関係代名詞や現在分詞がこみいった構文であり、それをフランス語のあまりできない人が直訳してしまったのであろうが、この訳文から、オリジナルの「正しい」フランス語に遡及することは私には不可能である。
しかし、この手の一部引用箇所をのぞくと、カナ姫の日本語はなかなかロジカルかつリリカルであって、訳していて楽しい。
日本語で書かれたものを仏訳するというのは、その人の「思考の文法」を知る上でたいへん効果的な方法である。
なるほど、カナ姫はこういうふうに「推論」するのか、ということが分かる。(彼女の推論は、「図像的に類似しているものには本質的相同性がひそんでいる」という徹底的に形態学的な思考法に領されている。そういう人だったのか。)
私は日本語で論文を書くときは、つねにそれを英訳、仏訳するときの翻訳者にご苦労をかけないように、欧文的構文を用いて書いている。(だから私の書く物はどれも文が短い。「テクストには通常その『宛先』がある」とか。Un texte a sesdestinataires . ほら、訳すの簡単でしょ?)
別にそんな気づかいをしなくても、私の書く物が欧文訳される可能性なんかないのであるが、これは論理的な文章を書こうと思うときのたいせつな心構えの一つであると私は思う。
しかし、午後二時になってラグビー日本選手権の準決勝が始まってしまったので、ロメールの世界とはお別れ。
サントリー対トヨタ、神鋼対クボタの二試合をTV観戦。
トヨタはいい試合をしていたが、惜敗。
サントリーの100キロのナンバー8、斉藤くんの活躍が際だっていた。すごいぞ、彼は。来年の『筋肉番付』に出ないかな)。フォワードらしく愚直に進むかと思うと、スクラムハーフのように狡猾なプレーをする。まだ24歳。まちがいなく21世紀の日本代表の要のプレイヤーになるだろう。
神鋼の試合は大畑大介くんの目の醒めるような四連続トライで、社会人決勝のフラストレーションが一掃された。しかし、SOミラーを欠くと連続攻撃の精密さと意外性がいつもの神鋼ではない。サントリーとの決勝にミラー、元木は間に合うのか。ああ心配。
ラグビーが終わったころお友だちが遊びに来たので、いっしょにご飯を食べに神戸北野の「グリルみやこ」に出かける。ジャック・メイヨールの橘さんのオススメのキッチンである。
そこで「橘さんはいつも何頼むんですか?」と訊ねる。
茄子のマリネとタンシチューとハンバーグというのがお店の方のお答えであったので、さっそくそれを注文する。
美味しい。
美味しい物には、一口食べて「おおお」とうなる料理と、一口食べて「にっこり」する料理があるが、グリルみやこの味は後者である。
すっかり満足して、坂をのぼってジャック・メイヨールへ。
美味しい白ワインを啜りつつ、神戸の夜景を見下ろしながら、橘さんと清談。
ラグビー&ご飯&ワイン。
ひさしぶりにのんびりした日曜だった。
1月26日
The Contender を観て、「底意地の悪い映画やなー、さっすがゲイリー・オールドマン」と感心して、ぼちぼち寝よかと腰を上げたら電話。
もう夜中の12時である。
誰だろ、こんな時間に、と不審に思いつつ電話口に出ると「松聲館のコウノです」と低い声。
「あ、甲野先生!ども」
「まだ起きてましたね」
「ええ」
「ふふふ、ちょっと東京から気を飛ばしてみたら『まだ起きてる』という反応があったので、電話しました」
と、いきなりお茶目な甲野善紀先生である。
最近の先生の「気づき」といろいろな面白話を続々とお聞きする。
私一人で独占するのはもったいないようなバックステージ話の数々を「へえー」とか「ふほー」とか相づちをうちながら伺ったのであるが、いずれも「ここだけの話」なので、残念ながらホームページ上では教えて上げることができない。委細面談。
甲野先生は2月の末に大阪に来られるので、そのとき念願の名越康文先生にご紹介頂くことになった。ありがたいお話である。
先日神戸にいらした折りに「旅のお供に」と差し上げた『ためらいの倫理学』がお気に召したようで、冬弓舎の読者カードに感想を添えて二冊追加注文を頂いた。(内浦さん大喜び)
本はホームページの随感録でご紹介頂いた上、甲野先生のお知り合い5人に買って頂いたそうなので、営業活動へのご協力に謝意を表して、その二冊は冬弓舎から贈呈させて頂いた。
献本のついでに内浦さんが「ウチダ先生との対談を本にしたいんですけど」とさっそくアキンドと化してをオッファーしたら、甲野先生は「いいですね、やりましょう」かと乗り気になって下さった。
甲野先生が関西にお越しになったおりおりに、私が出かけていってわいわいしゃべって、それを内浦さんにテープ起こししてもらって本にするという気楽な企画である。
しかし、問題は何についてしゃべるか、である。
武道の話をするのが筋なのであるが、私が「わお、甲野先生のお話を聞いて、目からウロコが落ちました」というようなことばかり言ってると、合気道会のお弟子さまたちから「ウチダ先生って、ふだん威張ってるけど、けっこう頼りない武道家だったんだ」と失望の声があがる可能性もある。(「失うほどの威厳なんかはじめからなかったんだから、大丈夫ですよ、センセー」とお弟子さまたちから言って頂いても、あまりうれしくないし。)
ここは一つ、21世紀を生きる若者たちに、「日本の正しいおじさんたち」がきっぱり説教をかますというようなスタンスでいこうかしら、などと電話が終わってからいろいろ考える。
ともあれ、甲野善紀先生は私にしてみると、最も尊敬する同世代の武道家であり、かつなんとなく昔からの友だちみたいに「気楽」な感じのするお方であるので、(これは甲野先生の人徳のなせるわざであるが)楽しい仕事になりそうである。乞う、ご期待。
甲野先生に「片手両手取り」の技について、電話でいろいろためになるお話を聞いたので、それを試してみたくて、ひさしぶりの合気道の稽古はそれをすぐにやってみる。
昨日の話ですごく面白かったのは、「上半身を浮かして、下半身を沈めて相手を崩す」形と(これは随感録でも甲野先生が理合の説明を詳しくしている)、「四輪駆動の自動車の後輪ひとつだけが地面についていて、あとの三輪が空中で空転しているような感じで一教を遣う」形。
先生の言ったとおりに説明して、じゃ、ひとつやってみましょうと始めたら、いきなりみんなの技の質が変化して、なかなかすごいことになってしまった。
武道の稽古における「比喩」の重要性ということについて考えてしまった。
『レヴィナスと愛の現象学』について、鳴門の増田さんから「たとえ話」の使い方がとても巧妙である、というおほめの言葉を頂いたが、むずかしい哲学上の概念を理解して頂くためには、「お話」を一つするのがもっとも効果的である、というのが私の持論である。
どうやら、武道の技法についても似たようなことが言えそうである。
「四輪駆動」のたとえがあまりにうまく行ったので、そのあと「序破急」を効かせた入身投げのときに、「破」のプロセスで「ネスカフェ・ゴールドブレンドのCFでさ、『フリーズドライ製法』っていうのがあるじゃない。あの、ほらやかんから液体のコーヒーが流れてきて、それが瞬間冷凍されて砕け散ってネスカフェの瓶に収まるやつ。あの感じで、瞬間的に全身を破砕して支点を全部消して入身に入ってごらん」
というかなりわかりにくいたとえを使ったのであるが、さすが女学院の合気道会の諸君は私の「その場で思いつきメタファー」に慣れているのか、瞬時にそのイメージを察して、またまた動きの質的変化を示してくれた。
すっかりいい気分になって、今度は木曜の「励ます会」で小林先生にうかがった京舞の井上八千代さんの「おいど落として、踵上げて」という舞いの基本姿勢を言い表す言葉をそのまま内廻転三教に応用して、片足を猫足立ちにして斬りの冴えを出すというのをやってみる。これもうまくいった。
これは言い換えると、上半身を落として下半身を浮かせるわけであるから、術者の身体の内側に二種類の相反する運動が発生することになる。それが爆発的なエネルギーを生み出すというのが甲野先生のご説明であるから、ちゃんとその術理にはかなっている。
舞というのは静止状態の中にすさまじいエネルギーが渦巻いているところが身体の美として発現されるわけであり、その渦巻きを開放すれば激しい武術の技に結果するのである。
うーむ、これはこれは、と一人うなずきしつつ下川先生のお稽古へ。
舞囃子『養老』のハードなお稽古をぎっちり1時間。
いつになく先生が立ち上がって何度もみずから型を見せてくれる。
食い入るようにみつめるが、その静止状態の中の沸き立つようなエネルギーはすごい。
エネルギーの暴発を精密な型でぐいっと押し込めているようで、ゆるやかな動きの中に「山神」の野性的で超常的なパワーがくっきりと浮き出してくる。
すごいや。
舞も武道も帰するところは一つである。
ひさしぶりのダブル稽古で身体が熱い。
1月25日
ちょっと「へこんでる」小林昌廣先生を励まそうと「小林先生を励ます会」を企画した。
主催者は私と飯田先生。お客さまは小林先生と、当日飛び入りのウチダの旧友、美術史家の太田泰人くんである。
しかし、励ます必要があったのかどうか定かでないほど小林先生はハイテンションであった。
京舞の井上八千代さんと合同授業をされたことがよほど刺激的であったようで、その話を熱く熱く語っていた。
私は死ぬほどおしゃべりな人間であり、ほとんど相手に口をはさむ隙を与えない話術をして世渡りの道としているのだが、その私が「口をはさむ隙が見出せない」人がこの世に何人かいる。
小林先生とナバエちゃんとマスダくんと竹信くんと江さんである。(去年の小林先生の講演のときは、小林先生の話をきいたあと、ナバエちゃんと並んで呑んで、そのあとマスダくんをうちにお泊めしたので、その日いちにち私は「寡黙なひと」であった。)
いちどこの五人を一堂に集めてデスマッチをやってみたい。
単位時間内の発語音声数では小林先生とナバちゃんが譲らぬ勝負。迫力では圧倒的に江さん。ワンセンテンスの長さでは間違いなく増田くん。全員が過労で倒れたあともまだ「牛が涎を繰るように」終わりなくしゃべり続けているのは竹信くんであろう。
一方、神戸大学での美術史の集中講義に来た太田くんは、私の友人の中でもきわだって寡黙な人であり、「蛍雪友の会」の集まりになどでは一晩に二回くらい「くすっ」と笑うだけで、あとは静かにお酒を呑んでいる。
ときどき、奇跡的に出来た会話の隙間に、意を決して「あのさ、おれ思うんだけど・・」と低く響く声で話をし始めることもあるのだが、竹信くんか浜田くんの暴力的な介入によって、そのフレーズが句点にまでたどりつくことはほとんどない。太田くんはそういうとき、不作法な友人たちを哀しげに眺めながら、ふたたび静かに酒杯に戻るのである。
したがって私は太田くんとは30年来のお付き合いなのであるが、いったい彼が何を考えているのか、いまでもよく知らないのである。
1月24日
やや旧聞に属するがうれしいニュースが一つ。
小田嶋隆先生のホームページが久しぶりに1月15日に更新された。
せんせーもっとまめに更新して下さいね。
これも三日ほど前だけど、植村さんという方から『時間の本性』と言う哲学書が送られてきた。
植村さん・・・しらないなあと思って見たら、中に手紙があって、驚くべきことが書いてあった。
なんと1970年駒場の文研で二、三回おしゃべりをしたことのある少年であった。
その後植村さんは哲学者になって大学の先生をしていたのである。
『レヴィナスと愛の現象学』をたまたまに手に取って、読んでみたら、懐かしくなってお手紙と著書を送ってくれたのである。
その手紙はだから「19歳のときのウチダくん」に宛てたものである。
「浅黒く精悍で(東大生にはめずらしいセクシーな感じのする)若者」だったと植村さんは私のことを記憶されているのである。(汗)
私はより写実的に描写するならば「青黒く、野蛮で(東大生には珍しく野卑な感じのする)若者」であったというのが衆目の一致するところである。植村さんのプルースト的reminiscence の中では私の青春像はかなり美化されているようである。
しかし、せっかくそのような偽造記憶が残存しているのであれば、べつに訂正するには及ぶまい。このホームページの読者諸君で私の実像を知らないみなさんは、植村さんの記述の方をぜひ記憶におとどめ願いたいと思う。
1月23日
暮れからすごい勢いで仕事をしていたら、さすがに背中がばりばりに凝ってしまった。
背中が鉄板のようである。
合気道のお稽古をして、二教や三教といった関節固め技をかけてもらうと凝りがほぐれるのであるが、冬休みがあけたと思ったら、試験中でお稽古は休み。
暮れから二回しか稽古していない。
背中も凝るはずである。
『いきなり始める構造主義』の原稿を書いている。
あと100枚ほど書き足す必要があるだけなので、気楽に書き始めたのだが、ラカンにつなげるためにアレクサンドル・コジェーヴの『ヘーゲル読解』を読み出したら、これを無視できなくなってしまって、それについて書き出したら、すごく長くなってしまった。
これは私が悪いのではなくコジェーヴが(ひいてはヘーゲルが)悪いのである。
ふつうの哲学的理説は話をある程度「はしょる」ことができる。(「人は誰でも死ぬけどさ、自分の死は自分では経験できないわけじゃん」とか「ここにサイコロがあるでしょ?裏側はみえないけど、裏があるってことは見えてなくても知ってるわけじゃん」とか「他人てさ、ほんとのとこ、何考えてるか分かんないじゃん」とかいう全体に「じゃん」系の説明が可能である。)
しかしコジェーヴ=ヘーゲルの場合はそういうふうに「なんとかじゃん」的に「はしょる」ことがむずかしい。
「人間とは自己意識である」から「ひとり奴隷だけが世界革命の主体である」までのロジックは「風が吹けば桶屋が儲かる」に類するものであり、ひとつリンクをはずすと、もう先へ進めない。
しかるに、フランスの戦後世代はまるごとこのコジェーヴのロジックに「かぶれた」のである。
コジェーヴの「結論」にではない。(それはマルクスを読んだひとはみんなもう知っている。)
そうではなく、コジェーヴが論理をすすめるときの「切り口」に選んだトピックに、である。
それは「他者の欲望」である。
思考は伝染しない。でも思考を語る「言葉遣い」は伝染する。
コジェーヴの「言葉遣い」がどういうふうにサルトルやラカンやレヴィナスに受け継がれたのか、それをちょっと書こうかなと思いたったら、前ふりがどんどん長くなってしまった。
こうなったら、このまま本一冊書いちゃおうかしら。
「失われたリンク:サルトル、レヴィナス、ラカン」
おお、これはいけそうだ。
1月21日
雨もようの日が二日続いたので、膝が痛い。
気圧が下がると膝がしくしく痛む。
まるでエイハブ船長か、ジョン・シルヴァー船長みたいだ。
痛風でびっこをひきひき歩くと、『小公子』のフォントルロイ伯爵みたいな気分になる。
物語の中に同病者を見出すのは、たいへん心安らぐことである。
西洋の作物では、だいたい主人公は上半身の病である。(頭痛とか胃痛とか歯痛とか)。
『地下生活者』にしてもマルテにしてもトニオ・クレーゲルにしてもロカンタンにしても、そうとうみじめな生活をしているが、腰が痛いとか、膝が痛いとか、尻が痛いなどいうことは口が裂けても言わない。腹痛どまりである。
その点やはり漱石はすごい。
『明暗』の津田くんなんか堂々たる痔持ちである。
物語はいきなり痔の手術をすると傷口から出血するから・・・という怖い話から始まるのである。
痔疾者でありつつ、恋愛ドラマの主人公でもありうる人物を造型したことによって、漱石は日本近代におけるのべ数千万におよぶ痔疾男性に「きみにだって痛む肛門を抑えつつ、恋を語る権利はあるんだよ」という福音をもたらしたのである。(私もその福音によって救われた一人である。)
夏目漱石はまことに行き届いた人である。
修論、卒論、レポートなどがどどどどどとやってくるので、それを片っ端から読み倒す。
面白いのもあるし、あまり面白くないのもある。しかし、さいわいなことに、「なんじゃこりゃー!」と引き裂くようなものはない。
名古屋大学からの映画論のレポートが面白かった。
どれほどデタラメなことを書けるか、そこが査定の基準であると宣言したので、みんな気合いを入れて「まゆつば」話を書いてくれた。
意外だったのは、いろいろな映画にジェンダーにかかわる抑圧を見た学生が多かったこと。それも男子学生からのレポートに多かった。
ふーむ。
「階級」という関数が映画解釈の中から完全に一掃されて、その代わりに「ジェンダー」が解釈の鍵になっている。
ちょっと一例をあげてみよう。次のは『シュリ』についての批評の結論部分。(分析そのものはとても面白かったレポート)
『シュリ』の物語構造に分析・解釈を加えることによって、この作品が非明示的には、現代韓国社会のポストモダン化の中に不可避に存在するジェンダーの問題について、男性中心社会がみせる回避的態度を表象するような構造を有していることを示した。
しかし、「キッシング・グラミー」の表象に見られるように、男女の交渉を絶っての共存は考え難い。北の原野から南の海へと抜ける、この作品のセグメンテーションが示すように、ジェンダーに関わる社会的秩序の変革は、男性中心社会の存続の中にあっても「女性」から「男性」へと絶えず提起されるであろう。
『シュリ』のみに限らず、近年の韓国映画全体を視野にいれて、個々の作品内部に顕われるジェンダー的表象を読解する試みは意義深いものであると思われる。それらの作業からえられる成果は当然、同様な社会状況にある日本社会でのジェンダー問題の考察に対しても貴重なパースペクティブを提供するだろう。
このレポートの中の「ジェンダー」という語を「階級」に書き換えて、「男性」を「ブルジョワジー」に、「女性」を「プロレタリア」に書き換えたら、どうなるだろう。
何となく、1970年頃の駒場の「映研」の連中が書いていたような映画批評と似たものになりそうな気がする。
人間の思考パターンというのは、なかなか変わらない。
デタラメに書くというのは、なかなかむずかしいものである。
1月19日
大学センター試験。
今年から本学もセンター試験の会場になったので、お仕事が増える。
500人ほど受験生がいる。別に本学を受験する方ではないのだが、志望校決定はセンター試験が終わって、自己採点したあと。ということは、本学にはじめて足を踏み入れた受験生は「おお、なんという美しいキャンパスであろう」と感動して、本学を志望校に入れる、という選択をする可能性がある。
「会場貸し」とはいえ、この受験生たちは潜在的なクライアントなのであるから、だいじにお迎えしなければならない。
しかし、眠いので、あまりフレンドリーな応接ができない。(試験監督のときに受験生に対してフレンドリーになるというのはけっこうむずかしい。マニュアルに書いてあること以外は口にしてはならないのである。
だって、そうでしょ。
うかつなことを試験監督者が教室で口にしたら、受験生のあいだに不公平が生じることになる。
「おお、六甲山が美しいですね。みなさん、ほら、六甲の照葉樹林が美しく紅葉しているではありませんか」などと朝のごあいさつをしたあと、問題用紙を開いたら「六甲山の植生は何か、つぎのうちから選べ:(1) 針葉樹林 (2) 照葉樹林 (3)熱帯雨林 (4)ツンドラ」などという問題が出ていた日には、その教室の受験生だけ全員正解である。(正解なの?)
あるいは、試験監督が暗い顔で、「あ、みなさん、この教室、ちょうど大学キャンパスの北西でね、風水的にいうと最悪なんですわ。こんな教室の番号引き当てるなんて、みんな今年はもう合格はあきらめたほうがいいわ」などとまがまがしいことをつぶやいたりしたら、やはり点数に多少の影響は出るであろう。
というわけで、センターから送られてきたマニュアルをそのまま棒読みするだけなのである。
午後2時まで監督して、交替。
ああ、眠かった。
1月15日
一般入試の出願が始まった。
出足はあまりよくない。あまりよくないというか「すごくよくない」。
どの大学も同じだろうけれど、毎年着実に志願者が減少している。
18歳人口が激減しているのだから、当然である。
今年度の18歳人口は151万人。大学入学志願者がいちばん多かった1992年は205万人だから、10年間で54万人、26%減少した勘定になる。
すごい減り方だ。
去年、2001年の出生数は117万人。彼らが18歳のとき、2020年の志願者数は(進学率が今のまま推移するとすると)1992年の57%にしかならない。
文部省試算では、2009年に大学・短大志願者数と入学者数が71万人で一致し、ここに「大学全入時代」が到来すると予測されている。
もちろん、一流校には今後も進学志望者が集まって高い倍率を維持するはずだから、私立の大学・短大は2009年を待たず、どんどん定員割れが始まり、「下から」順番に潰れてゆくことになる。国公立の統廃合もますます加速するだろう。
学生の絶対数が減っているのに、大学の絶対数が減っていない。
だから、それを調整するために大学が潰れる。
市場原理からすれば、当たり前のことだ。
ただ、そう冷たく言わなくてもいいんじゃないかと思う。
市場は「大学生の総数を減らす」ことを求めているのであって、別に「大学の総数を減らす」ことを求めているわけではない。
全国の大学が人口減の比率にあわせて、歩調を合わせてスライド式に学生定員を減らしていけば、大学数は変わらず、一大学当たりの学生数だけが減る。
この選択肢が大学の社会的使命を考えると、日本の大学に残されたオプションの中ではベストのものだと私は思う。
一大学当たりの学生数が減ると、とりあえず学生一人当たりの教室面積も、一人当たりの図書冊数も、一人当たりのコンピュータ台数もすべて増える。これは教育環境は改善される。
「駅弁大学」などと悪口を言われたこともあるが、地方の大学が、地域の知的センターとして、地域の活性化を期待されて設立されたという歴史的事情も忘れてはならないと思う。
過疎地のように、地方の大学がどんどん潰れてゆき、大都市にだけ学術センターが集中するというのは、けっしてよいことではない。なくしてしまうよりは、大学の規模を縮小しても、教育研究活動を継続する方が地域社会にとっては有用である。
学生数は減らしてもよいが、大学の数はあまり減らさないほうがいい。
私はそういうふうに考える。
となると、方法は一つしかない。
そう、大学のダウンサイジングである。
それこそ大学が生き残るための合理的な唯一の選択肢である。私はそう思っている。
私が以前より力説しているのは、とにかく本学の入学定員を減らすということである。
現在本学の一学年の定員は517人。財政上の理由から、この約1.3倍の650人を受け容れている。
650というのは、1992年の、大学入学者希望数が史上最大であったときの数値を基準にした入学者数である。「大学志願者」という分母が縮んでいるのだから、同質の教育水準を維持し、同質の卒業生を送り出そうと望むなら、単純計算でも分母が縮んだのと同じ比率で本学の入学者もまた26%減になっていないといけない。
650 x 74% =481人
これが、2002年度の入学者の「適正数」である。
2020年には1992年の57%にまで18歳人口は減少しているから、単純計算で
650 x 57% =371人
つまりあと18年で、いまの学生数の半分程度まで減らすというのが「理想」なのである。
単に財政上の理由から、このまま650人をとり続けるということは、具体的には、教育達成目標をどんどんと下方修正して、ほんらいなら高等教育を受けるだけの知的資質を欠いた学生たちを受け入れてゆく、ということを意味している。
それは大学の社会的使命を忘れて、最後には市場の淘汰圧に押し流されて、125年の歴史の晩節を汚すような行き方だと私は思う。
むしろ、粛々とダウンサイジングを敢行して、「小さいけれど、クオリティの高い教育を続けている学校」という本来の女学院の教育機関としての「反時代的」ポジションを守り抜くことを私は提案しているのである。
学生定員を段階的に減員してゆき、数年以内に、入学者者数を517という定員にまで引き下げる。それでも18歳人口の減少率には追いつかない。
だから、定員そのものの減員が必要になる。
まだ定員そのものを一気に減員するという改革に踏み切っている大学はない。(なぜ思いつかないのか不思議である。)
定員が減れば、当たり前だけれど、本学に入るのは難しくなる。難しくなれば、モチヴェーションの高い学生しか来なくなる。モチヴェーションの高い学生が相手なら、教育してクオリティを上げるのは簡単である。クオリティの高い卒業生を輩出すれば、大学の教育機関としての声望は高まる。
簡単なロジックだ。
問題は学生納付金が減るということである。
インフラの整備や、教育サービスや研究のレヴェルは落とせない。削れるのは人件費だけである。
人件費を学生納付金の減少に応じて削ってゆくほかないだろう。給与のカットも必要だろうし、人員も減らすしかないだろう。
それは仕方がない。
教職員に給料を払うために大学はあるんじゃないからだ。
学生を教育するためにある。
学生の学ぶ機会をどのように確保するか、ということをなによりも優先的に考えるべきだろう。
手弁当でもこの大学で優秀な学生を相手に、本気の教育をしたいという人間だけが残ればいい。
125年前に最初に神戸に来た二人のミッショナリーが「何をしようとして」この学校を作ったのか、その原点に立ち返って考える時期だと私は思う。
1月14日
ベルギーの「カナ姫」から電話がある。
姫のお電話はだいたい「三太夫」への用事のお言いつけである。
今回のお言いつけは、「政府給費留学生の申請書類に必要なので、卒論をフランス語に訳してただちにベルギーへ送るように」というお仕事である。
「だって、ワタクシ、学業に忙しくて、そんなことしている暇ないんですもの」
おいらだってべつに暇ではないのだよ。
しかし、このあたりのネゴは所詮、人間的風格の差があって勝負にならない。
「ふふふ、先生、恩に着ますわ。このご恩、一生忘れませんわ。老後のお世話をしてもよろしくてよ。ほほほほほ」
あんたは竜崎麗香か。
そう言えば、カナ姫が在学中、最初に私に言いつけた用事は、ブザンソンの「バトー・ムシュ」のガイドの金髪兄ちゃんへの付け文の仏訳であった。
私はそのとき「あなたを一目見たその日から、恋の虜になりました」みたいな文章をフランス語にしてあげたのである。
ゼミの指導教員にそんなことを頼むゼミ生がいるだろうか。
大物だったな、昔から。
学生から次々とメールで卒論のファイナルが届く。
メールで細かくチェックを入れるシステムを導入してから、論文のクオリティは眼に見えて向上した。みんな、すごく面白い。
論文は2月になったら、ホームページ上で公開しますから、読んであげて下さい。
総文で叢書を出すことになった。
神戸女学院大学の総文の知名度を上げるのと、教員のアクティヴィティを刺激するのが目的である。
責任者はナバちゃん。私も言い出しっぺなので委員のひとりである。
いろいろと出版企画を考える。
最初に出るのはナバちゃんのアイディアで、『術語集』のようなもの。
教員全員が自分の専門分野での「現代文化のキーワード」をいくつか選んで解説をする、という趣向である。
勢いで私もいくつか企画を出す。
『濫読・夏目漱石』とか『おはなし・精神分析』とか『サルにも分かるナラトロジー』など。
企画したら書かないといけない。墓穴を掘っている。
甲野善紀先生のホームページの「随感録」に『ためらいの倫理学』のご感想が書かれていた。
面白く読んで頂けたようで、うれしい。
『縁の森』を読むと分かるけれど、甲野先生はとにかく意外な出会いに恵まれた「出会いの達人」である。どんどんと不思議な「ご縁」が出来て、それがネットワーク化してゆく。
その一方で、そうやってできた「ご縁」に決して拘泥しない。
必要なときに必要な人と出会うように、どこかで天の配剤がなされているというのが甲野先生のお考えのようである。
今回は講習会をきっかけに甲野先生と私のあいだに「ご縁」が出来た。
私にどういう流れの変化をもたらすために、この「ご縁」は到来したのか。
また私は甲野先生に「何を贈るために」出会ったのか。
きっと、あと何年かしたら分かるのだろう。
何だろう、いったい?
1月13日
土曜は鏡開き。
稽古のあと、わが家で一品持ち寄りの新年会。
私は「ぜんざい」を作って、御神酒を提供するだけ。食べ物はみなさんが凝った手作りの品々を持ってきてくれる。
東京から北澤さん、新婚早々の長井(旧姓・谷口)なをさん、神原麻理さん、高橋奈王子さんなどもひさしぶりに宴会に登場。修論疲れでぼろぼろにダウンしていたウッキーもむりやり電話で呼び出し。キリスト教文学会というところでホーリーな学会員の篤い信仰心に触れてへろへろになった飯田先生も「飲み直し」にやってきた。
話題の中心はなをさんの「新妻心得」。みんな真剣な顔で、熱い質疑応答が繰り広げられた。
ウチダも偉そうに結婚生活の心得を説教するのだが、誰も聞いてない。当たり前か。
日曜は一日頭がぼーっとしていて仕事にならないので、神戸製鋼とサントリーのラグビー社会人決勝をTV観戦。ごひいきの神戸が敗れて、悔しくてひとりじたばたする。
王者神鋼の黄金時代も終わりなのか・・・
私がラグビーを見始めたころは松尾雄治率いる新日鐵釜石の黄金時代。そのあと平尾、大八木、林、堀越、増保、ミラー、元木、大畑と神鋼の全盛期を楽しんだのであるが、その真紅のジャージーのスティーラーズも平均年齢30歳。平均年齢25歳のサントリーの圧倒的なスピードとフィットネスの前に撃沈されてしまった。神戸市民としてこの先何を楽しみに生きて行けばよいのだろう。甦れ神鋼。頼むぞ日本選手権は(泣)。
半泣きでアレクサンドル・コジェーヴの『ヘーゲル読解入門』を読む。
おお、これは・・・ミケル・ボルク=ヤコブセンが『ラカンの思想』で、ラカンはコジェーヴの「ぱくりです」というのを聞いて、読み出したのだが、コジェーヴの用語法がレヴィナスの『全体性と無限』とあまりに似ているのにびっくり。
あ、そうだったのか。『全体性と無限』は「裏コジェーヴ」だったのか。フッサール批判ばかり意識して読んでいたけれど・・・老師はほんとうにいろいろなものを「ひっくり返し」ているなあ。
1月11日
何週間ぶりで目覚まし時計で眼をさます。
自然に眼があくまで眠り続けるという生活のあとに、ピピピで起きるというのはけっこうつらい。
私を眠りすぎだと言う人がいる。それは事実である。だが、私が自堕落な生き方をしているというのは事実ではない。
私は「爆睡健康法」というものを鋭意実践しているのである。
老父は90歳であり、ますます意気軒昂であるが、長寿と健康の秘密を「睡眠」と断言している。
父は壮年期以来ずっと夜は10時就寝、朝6時起き、最近はプラス昼寝、という生活を続けている。ほかにも身体によいことをいろいろしているが、(つねに自己中心的にものごとを考えるとか、好きなだけ酒を飲み、ぱかぱか煙草を喫するとか)やはり決め手は「終わりなき睡眠」にある、というのが老父のご意見である。
私はわが家の家風である「爆睡その他の健康法」を厳父の訓戒に従って実践しているのである。
13時間ほど爆睡すると、そのあと頭は高原の薫風のように透明に澄み切り、集中度が飛躍的な高まる。むずかしい本もすらすら理解できるし、原稿を書けばあら不思議いくらでも書けちゃうのである。
結果オーライ。たくさん寝た方が出力が高いんだから、これでよいのである。
昨夜は六時間しか寝てないので、眠くて眠くて、研究室でパソコンの画面を見ているうちにまぶたが重くなって、午後ずいぶん長い時間ソファーで昼寝してしまった。
木猫になったような気分である。
西宮警察署の副署長以下三名の警察官が研究室にご来訪。
2月1日の西宮警察での術科始め式に合気道のゲスト演武を頼まれたのだが、わざわざそのご挨拶に見えたのである。
合気道の普及になることであれば、手弁当でどこでもゆくが、ついでに地元の警察と仲良しになれる。得難い機会である。
去年暮れからカマちゃん、なをちゃんと、兵庫県警関係との縁組みが続いていて、今回はその流れでいうと「兵庫県警とご縁ができましたシリーズ」第三弾である。
こういうのにはほんとうに「流れ」というものがあるのである。
よい機会なので、K先生の中傷メール事件について、どう処理するべきかご相談する。
悪質な脅迫が続くようなら、生活安全課に「インターネット犯罪」の特別なセクションが最近出来たので、そこで取り扱いますから、いつでもご相談下さいという力強いご返事を頂いた。
というわけなので、K先生に中傷メールを送り続けているバカ学生はいずれ兵庫県警西宮警察署の生活安全課の刑事さんがドアをノックする日が来るから、留置所暮らしに備えて身支度をしておくように。日本の科学警察をなめたらいかんぞ。
ひさしぶりに合気道のお稽古。
KCの中学三年生5人が先日から参加している。
中高部にポスターを貼った甲斐があった。(ウッキーありがとう)
合気道会が迎えるはじめての中高部生徒である。
さすがにみんな身体が柔らかい。
これをきっかけに中高からどんどん入ってくれるといいのだが。
稽古が終わってソッコーで御影に戻り、夜は三宮で『ミーツ』の江さんと「街場の現代思想」の挿し絵四コマ漫画のアジサカ・コウジ画伯と会食。
今シーズン初「ふぐ」を食べ、「鰭酒」をごくごく頂く。美味しい。
ここは『ミーツ』の接待である。ご馳走様。
北野坂をのぼってローズガーデンの「ジャック・メイヨール」へ。
江さんの岸和田弁とアジサカさんの熊本弁とウチダの東京弁がはげしく入り交じるトライリンガル状態。話題は最初から最後まで「岸和田だんじり」と「レヴィナス」のことだけ、というふしぎな酔客である。
江さんにしてもアジサカさんにしても(アジサカさんは奥様がユダヤ女性で、「じいちゃん」は腕に数字の入れ墨が残るという強制収容所サヴァイヴァーというユダヤとは因縁浅からぬ方なのであるが)じつに深く、それぞれの生活経験の襞を掘り起こすような仕方でレヴィナスを読んでいる。
彼ら「市井のレヴィナシアン」たちの激しく強い「読み込み」(sollicitation)を通じて、レヴィナスの思想はこれから日本の精神的風土の中にしっかり根づいてゆくだろう。私の翻訳や解説がその作業の一助となるのならさいわいである。
卒論、修論のチェックで毎日何本もコピーを読む。
総じてレヴェルはけっこう高い。
しかし、論文を書くということの意味を「勘違い」している学生もいる。
「誰に宛てて」論文を書いているかが分からないような論文が散見される。
よい論文はちゃんと読み手のことを具体的に思い浮かべている。だから言葉がひとつひとつ具体的で、言いたいことがきちんと伝わってくる。
それに反して、なまじ学術性のようなものを意識して、定型的に書かれた論文になると、「誰が」「誰に宛てて」書いているのか、その具体性が希薄になる。
読んでいて、書き手の顔が見えてこない。読み手の顔も思い浮かばない。
いろいろと先行研究から引用はされているし、誰それの理説を取り上げて批判したり評価したりしているのだが、「何のために」そんなことをしているのか、「誰に」それを知らせたいのかが分からない。
学術論文というは「そういうふうに書くものだ」という先入観のせいで、テクスト全体から生気が失せ、無意味にいじけてしまっている。
基本を忘れてはいないだろうか。
ものを書くというのは、(挨拶をするのと同じで)、「言葉の贈り物」をすることだ。
正確なデータを提供することも、厳密で明快な論理性をこころがけるのも、誰のためでもない。「読者」への贈り物だ。
「私はこんなに勉強しました、えらいでしょ?」とか「私はこんなに物知りなんですよ、すごいでしょ?」なんていうメッセージは誰に対する贈り物にもならない。そんなメッセージをもらって喜ぶ人なんて、どこにもいない。
ものを書くときにいちばんたいせつなものは、愛だ。
自分が論じている対象への愛、読者への愛、論理への愛、知への愛、厳密さへの愛、物語への愛・・・
愛のないテクストはゴミだ。
でも、そのことを若い人たちにきちんとアナウンスする人があまりに少ない。
All you need is love.
ジョン・レノンだって、そう言ってるじゃないか。
1月8日
授業再開。
大学院は「猫の妙術」を読む。
「猫の妙術」は江戸時代の剣術の伝書中、澤庵の「不動智神妙録」と並んで、もっとも有名なものの一つである。短いけれど、実に巧妙な構成になっていて含蓄が深く、初心者が読んでもある程度修業した人間が読んでも、そのつど学ぶことが多い。
新潮文庫の『姿三四郎』の中に、矢野正五郎先生から借りて三四郎が読む場面があり、そこに全文掲載されている。
今回何度目かの読み直しで、「木猫」「木鶏」(@荘子)「木人」(@柳生宗矩)「かかし」(@澤庵)といった、一連の「ウッディー・アイテム」をなぜ伝書は武芸の至極の位とみなしてきたのか、その意味がほの見えてきた。
数年前、『木人花鳥』を書いているころは、これを単純に身体運用上の比喩と考えていたのであるが、やはりそれだけではない。
至極の位にある「木猫」について『猫の妙術』はこう記している。
「昔、我が隣郷に猫あり、終日眠り居て気勢なし。木にて作りたる猫の如し。人、その鼠を捕らえたるを見ず、然れども彼の猫至る処近辺に鼠なし。処を替えても然り。我れ行きてその故を問ふ。猫答へざるにあらず、答ふる所を知らざるなり。是を以て知る。知るものは言はず、言ふものは知らざるを。彼の猫は己を忘れ、物を忘れて物無きに帰す。神武にして殺さずと言ふものなり。」
これのもとネタは『荘子』にある。
闘鶏師紀昌の鍛えた闘鶏は、まるで木で作った鶏のようであったが、その影をみただけで、他の鶏たちは走って逃げ出した。
これを「神武不殺」という。
だが、これを「木猫」や「木鶏」の発する浩然闊達なる気の効果に圧倒されて、鼠や鶏たちが戦わずして逃げ去ったというふうに考えると、問題の本質を見損なうことになる。
だって、「それならがんばって浩然の気を養いましょう」と言うことになって、二段階前の「灰色老猫」段階に逆戻りだからである。
ここまで来て、稽古の段階が逆戻りするはずがない。
ということは、木で出来た猫は「気を発していない」と考えなければ話のつじつまが合わない。
気という言葉には無数の語義があるが、ここでは「変ずるもの」と解する。
「望気」という言葉があるように、変ずるものがあるときに、それは徴候化する。木猫は動かない。(縁側で寝ているだけである。)
木猫は変状しない。
木猫とは猫にして、猫に非ざるものである。
「これはどうも猫らしい」という示差的認知をかろうじて受けることのできるぎりぎりの記号性しかもたない猫。それが木猫である。
『トムとジェリー』が教えてくれるように、「対するもの」があるときにのみ「主体」は存立する。トムがいなければジェリーはいないし、ジェリーがいなければトムもいない。
「鼠を獲るものをネコ、蛇を獲るものをヘコ、鳥を獲るものをトコと名づける」という有名な猫の定義がある。ソシュールが読んだら膝を打って「一般言語学講義」の第二章第四節で記号の恣意性の喩えに使っただろう。
猫と鼠は同時的に生起する。
その存在の「厚み」や運動性やシステム内でのふるまいの影響力の大きさは、「それと差異化されている項」と完全にシンクロする。
木猫とは、猫的リアリティを極限まで削ぎ落とし、「ただの記号になった猫」のことである。だから、「ただの記号になった猫」のいる世界には「ただの記号になった鼠」しか存在できない。
木猫の近辺にも実は鼠はいるのである。
いるのだけれど、猫が縁側で寝ているので、鼠もまた床下で眠るしかないのである。
差異のシステムを活発に機能させているもの=気を不活性化させ、記号作用そのものを熱死させること、それが木猫の位である。
だからこそ木猫は神武不殺、天下無敵なのである。
だって、この世にあって殺すことの出来ないものはただ一つしかないからだ。
それは「すでに死んでいるもの」である。
他者と主体は同時的に生起する。
レヴィナス老師はそうおっしゃっておられた。
我あるが故に敵あり、我なければ敵なし、敵と言うは、もと対峙の名なり。
これは多田先生の教えである。
お師匠さまたちの言うことは帰する所つねに一である。
夜はゼミ三年生の「新年会」。
忘年会が流れたので、仕切直しである。参加者7名。
「檄辛キムチ鍋」を作る。「全員中腰状態」で、7000円分の白菜・豚肉・豆腐・しらたき・鶏ダンゴ・鴨肉・ニラ・えのきだけ・ラーメンなどが瞬く間に人々の腹中に消える。
よく食べるねー。
そのまま鍋を囲んでわいわいとおしゃべりをする。
「嘘をつくことの効用」「親不孝のススメ」「就職活動は卒業してから始めましょう」など持説を説く。親御さんが聞いたら青ざめるであろうが、仕方がない。これから先の時代を生き抜くためには、20世紀の「常識」はもう役に立たない。
10時半ごろみんなを帰して、あと片づけ。
夕刊をひろげたら、文化欄の「息抜きながら生き抜くための21世紀的動詞」の二回目に「ためらう」が取り上げられていた。私自身がファンであるところの加藤典洋さん、高橋源一郎さんといっしょにインタビューされるとはなんと光栄なことであろうか。
なになにと読んでみると、私が言った(らしい)ことが書いてある。
へえー、こんなことを私はしゃべったのか。
忘れていた。
結論は「ぼくはこれが好きなんだよ。好き嫌いに理屈はないの。だから、ほっといてね」というものであった。
これでは高校生のときとぜんぜん変わらない。私もまるで進歩のない男である。
1月7日
快晴。
明日からまた大学が始まる。お仕事は大好きなのであるが、本を読む時間と原稿を書く時間がなくなるのがつらい。
今日一日で、冬休みのあいだにしなければならなかった原稿書き以外の用事を全部片づけなければならない。
それに間に合わせるために、昨夜は遅くまでかかって『映画の構造分析』の原稿書き。背中がばりばりに凝ったが、夜の10時に脱稿。
ふう。
これで本年に入って二冊分の原稿が完成。すごいハイペース。
問題はこの原稿の企画がまだ編集会議を通っていないことである。
ゼミの三年生のU田さんからメールがきて、仕事が忙しくてなかなかゼミに出られなくてすみませんとお詫びがしたためてあった。
なんと年末に出したCDがオリコンチャート25位にチャートインしたので、「アイドル歌手」としてのお仕事に忙殺されているとのこと。
うちのゼミは代々変わったひとが多いが、在学中にオリコンチャートに入ったゼミ生ははじめてである。
1月5日
あきれてものも言えない老父以外全員騒がしい内田家湯治の旅が終わり、小田原駅頭で兄上親子と別れて神戸へ。
ユイスマンスの『彼方』を旅の間に読み終わる。
彫心鏤骨の名訳の田辺貞之助先生には申し訳ないが、まるでつまらない小説だった。
デ・ゼルミーがオーギュスト・デュパンみたいに、その恐るべき強記博覧をもって黒ミサ殺人事件を解決するのかと思っていたら、ぜんぜんそういう話ではなく、デ・ゼルミー以下の登場人物たちは、全員単なる「雑学を自慢するだけの雑学者」であった。バカだ、こいつら。
次にTrue love never runs smooth という言葉の典拠を探してシェークスピアの『真夏の夜の夢』を読む。(福田恒存先生の訳は「まことの愛がおだやかに実を結んだためしはない」でした。「縁は異なもの味なもの」という訳をつけた剛胆な翻訳者もあると聞くがほんとうだろうか。)
さすがにシェークスピアはユイスマンスの100倍面白い。(それにしても美内すずえ先生の『ガラスの仮面』における『真夏の夜の夢』解釈はみごとであった。シェークスピアの原作より面白いとは言わぬまでも、遜色がない。)
家にもどって、年賀状の返事を十枚ほど書いて、たまったメール32通に返信をするともう日が暮れた。
帰省中に書いた晶文社の原稿の決定版をメールで送る。
これで2002年度出版予定の最初の一冊が完成。
1月5日に「一丁上がり」というのはなかなか好調なペースである。あと6冊。
すると鈴木晶先生から『ヒッチコック/ラカン』の翻訳のキックが入りましたという怖いお知らせが届く。あと7冊か・・・
1月4日
平川くんと植木くんと小口のかっちゃんには会えずじまいであったが、まあ仕方がない。二日でそんなにたくさんの友だちに会うのは物理的に無理だ。
聞けば、小口のかっちゃんはいつのまにか某医科大学の理事長になってしまったそうである。むかしから「いつのまにか・・・」系の人物であったが、やることが相変わらずすばやい。
午後から両親に連れられて箱根湯元へ湯治にでかける。
夕方、兄上とユータが合流。大騒ぎ宴会となる。
ユータは無事に大検に合格。しかし、未来は霧の中。
若い人に説教するのは私の「本職」であるから、兄上の懇請を承けて、がんがん説教をかます。
ネットワークの結節点として他者とともに立ち上がる主体概念について懇切な解説を試みていたはずなのであるが、いつのまにか人体の急所にどのような打撃を加えると悶絶するかというような話になり、三教で兄上やユータをきりきり痛めつけて悪魔のような哄笑を轟かせていたところで記憶が・・・
1月3日
忙しい一日。
松下正己君に年始のご挨拶。
ご自宅は娘さんの成人式の祝い事で親戚がお集まりということで、外に呼び出してモスバーガーでコーヒーを呑みながら正月早々またまた映画の話。
株の店頭公開で一躍大富豪になる話がだんだん現実味を増してくる。来年の秋に私がジャガーに乗ってアルマーニのスーツで教室に登場してもみんなあまり驚かないように。
そのあと上野毛のエックス義母宅へ。
義母はもう80をだいぶ超えられているはずだが、まだまだお元気で独り暮らしをしている。義父の位牌にお焼香してから、義母とコーヒーを呑みながら「世間話」。
るんちゃんの後見をよろしくお願いしつつ、次は渋谷へ。
蛍雪友の会の新年会である。
だらけたおじさんばかりの会なので、集まったのはキャンプと同じ伊藤さん澤田さんと私の三人きり。
来年はもうちょっと本格的にやって漆間くんや松本くんにも声を掛けてみようかしら。
さっそく「和風居酒屋」にのたくり込んで、ぱくぱく食べ、ごくごく呑み、21世紀の日本はどうなるのであろうかと談論風発。
思い立ってみんなで西新宿の久保山家にお年賀に出かけて、位牌にお焼香。(今日は二度目だ。)みいちゃんにコーヒーを煎れてもらって、高校受験を控えた航くんを激励して、散会。
1月2日
多田塾新年会。
これで三年連続でお正月にお年賀にお伺いしている。
以前は隔年で原宿の「南国酒家」で多田塾新年会を開催していたのであるが、奥様が亡くなられたあとその催しも自粛されて寂しい正月が続いていた。しかし、門人の数は半端ではないから、それが全員で先生のお宅にお年賀に伺うというのは物理的に不可能である。
しかし、「みんなが入れるわけではないから、みんな行かない」というのもなんだか後ろ向きな発想である。「みんなが行くと迷惑だが、とりあえず私ひとりくらいなら行っても平気だね」というhappy-go-lucky な構えこそ私に相応しいではないか。
そう思って訪ねてみると、ちゃんとハッピー・ゴー・ラッキーな先客が赤い顔をして宴会をしているのである。
やっぱりね。
二日は「東大気錬会の日」ということで、私は気錬会OBではないが気錬会OBと親しくさせていただいており、(一OBにはホームページの一部をお貸ししているし)かつ同窓でもあるので、平気な顔で交ぜていただく。
坪井さんもいらしていて、工藤くん鍋野くん内古閑くんら新旧の気錬会の諸君と痛飲する。
エプロン姿もかいがいしい多田先生にワインやシャンペンをサービスして頂き、先生ご自慢の「鶏のお雑煮」も頂いて、わいわい6時間もおしゃべり。最高に楽しいお年賀でした。
来年は、神戸女学院の諸君も1月2日に吉祥寺の多田先生邸へ乱入しましょう。気錬会の諸君は紳士ばかりだから、きっと自分たちは寒空の庭で立っていても、女学生に席を譲ってくれるはずである。
1月1日
あけましておめでとうございます。
21世紀も二年目。公私ともに激動の予感がしますが、なんとか無事に切り抜けてゆきたいと思っています。
大晦日は夕刻までパソコンの前で身じろぎもせずに晶文社の「漱石論」を打ち続けていたので、注連飾りも鏡餅も全部忘れてしまった。
元旦の昼から東京に行くので、「おせち」も「お雑煮」もなし。
元旦は起きてコーヒーを飲んで、年賀状を眺めてから、そのまま机に向かって仕事。
「映画論」の続きをばりばり書く。
別に緊急を要する原稿ではないのだが、ラカンを使った「物語論」のアイディアをなんとかかたちにしたくて、手が止まらない。
午後1時まで書き続け、タクシーで駅へ。
あまりに空腹になったので新大阪で「年越しそば」をやり直し。ついでに昼酒を熱燗でいただく。よいねー、元旦の蕎麦屋でひるから燗酒というのは。
新横浜まで爆睡。
1月ぶりに実家に戻る。
父はあけて90歳であるが、このあいだよりずっと元気になっていて、『レヴィナスと愛の現象学』を読み終えるのに苦労したぞと苦笑いをしていた。
話があっちへいったり、こっちへいったりぐるぐる回ってないかと言われたので、ご賢察のとおりでございますと平伏する。
しかし明治生まれの父親が現象学とかタルムードとかあまり日頃ご縁のない論件のものを気合いを入れて読んでくれたかと思うと息子としてはこれほどうれしいことはない。次の本はもっと読みやすいですから、とわびを入れる。
いきおいで、今年は7冊本を出します、と両親に豪語する。
『いきなり始める構造主義』、『映画の構造分析』、『おじさんの系譜学』、『メル友交換日記』の四冊分はほぼ原稿ができあがっている。
レヴィナスの『困難な自由』の全訳改訂版と新曜社の『身体論』はたぶん夏休みに仕上がるはずである。後半まで勢いが持続すれば、講談社の新書版レヴィナス論もいけるかも知れない。少なくとも5冊、いけたら7冊。
鈴木晶先生は年頭に「今年は10冊本を出します」と宣言されるけれど、ウチダはちょっとうちわで7冊にしておく。
多田先生にお電話して明日の日程を確認。
二日は東大気錬会、早大合気道会の諸君とともに先生のお宅へお年賀である。(女学院の諸君も来年はいっしょに行きたいね)
また「天狗舞」をどぼどぼ入れた先生手作りの「鶏のお雑煮」をいただける。(うまいんだな、これが)
お年賀のときに飲むために自分用のワインは年末にちゃんとお歳暮で送ってあるが、それは飲まずに先生秘蔵のイタリアワインをどんどんいただくのである。
東大、早稲田の学生諸君はけっこう遠慮しているのだが、私や坪井さんは「年の功」というものがあるので、がんがんよいワインからのんじゃうのである。
齢知命を越してなお年頭にご挨拶できる老父と老師(これは師を敬う尊称ですからね、間違えないでね)がご健在であるということがどれほど希有なことか、若い皆さんには分からないかもしれないけれど、ほんとうにほんとうにすてきなことなのである。