明日は明日の風とともに去りぬ

Tomorrow never knows what wind will take me away: from 1 Jan 2002



2月28日

大学院入試。

大学院の春季試験だが、比較文化学専攻博士前期課程は志願者ゼロ!

新しくできた博士後期課程は定員二名に対して志願者二名。

学部の方は堅調であったが、大学院は困ったことになった。(秋季で前期課程は3名確保してはいるが・・・)

さっそく入試部長もまじえて、五名の研究科委員で対策を協議する。

私の読みでは、学部教育の水準低下を承けて、20年前ほどの学部専門教育レベルの教育は博士前期課程が担うほかなく、向学心のある学生たちの大学院志向は強まる、というものであったが、あえなく空振り。

カリキュラムにも工夫を凝らしたし・・・いったい、なぜ?

とりあえずたしかな原因の一つは「不況」である。

内田ゼミからはほぼ毎年2、3名の大学院進学者がいる。今年も例年通り12名卒業生がいるが、他大学含めて進学予定者はゼロ。

就職が決まっていなくて、勉強が好きそうな子たちには、秋頃から「院に進んだら?」と声をかけたのであるが、返ってくる答えはみな同じで「親にきいたら、もうこれ以上学費出せないって・・・」

親御さんも大変なのである。

いろいろと提案がなされたが、

(1) やはり、大学院学費の大胆な値下げ

(2) 院への男子の受け入れ:すでに多くの女子大が大学院に限っての男子受け入れに踏み切っている。(私の演習にも他大学の院生からの聴講希望の問い合わせがときどきある。日本の人文系の大学院で「武道技法論」で博士課程まで行けるところなんてたぶんうちしかないからね。)それに、うちの専攻は日本史・日本文学・日本語学・日本文化論を柱の一つとしており、海外からの留学生を惹き付けられるのはこの領域だけである。(日本に英文学を学びにくる留学生はいない。)この領域には男女を問わず海外の日本文化研究者をぜひ迎え入れたい。

(3) パブリシティの展開:比較文化論的観点からの「日本文化研究」という、本専攻が特化している学術領域には十分なニーズがあるはずだが、その掘り起こしが不十分である。教員たちはあらゆるメディアを通じてそれぞれの研究活動を発信してゆくことが必要だ。

(4) 学部学生を大学院での教育活動(研究会、読書会、修論発表会などなど)に積極的に巻き込んで行く。

などが、委員たちから提言された。できることからどんどん実施してゆくつもりである。

このホームページを読んでいる本学ならびに全国の大学生のみなさん!

神戸女学院大学院比較文化学専攻(博士前期・後期課程)はみなさんを熱烈歓迎します。

 

二週間ぶりにまる一日ネクタイを締めてスーツを着ていたので肩が凝る。

遅刻して合気道の稽古に駆けつけ、甲野先生から先日の稽古会で教えて頂いたわざをいろいろとやってみる。

みんな素直だから、すぐに「ふしぎな」わざを使い出し、「あやしい」動きをし始める。

膝を柔らかく使うといろいろなことができるということは分かっているのだが、悔しいことにウチダは右膝を痛めているので、思い切って膝を抜く技が使えない。

トカゲの回復力も膝にまでは及ばないのか。

コバヤシ先生もオススメの永沢哲『野生の哲学』を読む。

私が「トカゲの生命力」とか「ワニの無意識」と呼んでその解放にこれつとめているものを永沢は「夢見の体」(Dream body) と名づけている。(ウチダの語彙よりずっと詩的だ)

それは単純にはあくびをしたり、足を組み替えたり、寝相が悪い寝方をしたり、冷や汗をかいたり、顔が火照ったり・・・という無意識の身体反応のことを指すのだが、この無意識な運動を野口晴哉(のぐち・はるちか)は体に蓄積された疲労や歪みや偏りを修正する生命の根源的な現象として重要視したのである。

野口の思想の大胆なところでウチダが深く共感するのは「病いもまた一種の癒しである」という疾病観を示したところである。

病気になるのは、限界を超えた疲労や歪みや偏りやこわばりを修正するための「シャッフル」である。あらゆる治癒プロセスにおいて、回復期の前には必ず大きく体のバランスが崩れるときが来る。発熱や痛みや腫れや発疹がある。これは体が深い弛緩に入る前の徴候である。

深い弛緩が訪れると、全身から膨大な老廃物が排泄される。

大量の糞便、汗、ふけ、尿、結石、鼻汁、臭気・・・そして、そのあと「脱皮した」ような新しい身体に転生するのである。

何と気持よさそうではありませんか。

私の膝痛もあるいは、そのような「歪み」の修正の一つのサインなのかも知れない。

そう考えるとなんとなく愉快な気分になる。

ひさしぶりに仕事をしたので、午後10時にはまぶたが重くなる。

矢作俊彦の『ツーダン満塁』をベッドに携えて、読みつつ眠る。(この題名を見て、「ツーダン満塁、それチャンス」という『ホームラン教室』の主題歌が頭の中で響き出すのは同世代の人間だけである。)

枕元にはこれと橋本治『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』の二冊が置いてある。

もったいないのでちょっとずつ読んでいる。

鈴木先生から「シンクロニシティ」を確認するメールが届く。

「ピンポーン(英語だとビンゴ!)

ピーター・ゲイの『フロイト』の残りを早急に仕上げなければならず(あと1章)、調子を出すために上巻を読み直しておりました。

「ヒステリーの病因」について講演し、ウィーンの医師たちにさんざんバカにされて、「あいつら、みんな、地獄に堕ちろ」と罵ったのは、1897年4月21日でしたが、同年の夏から秋にかけて、考えがだんだん変わっていったのでした。これを証拠づけるのは、フリース宛ての書簡です。変化の主要な原因は自己分析です。」

ほらね。

言った通りでしょ。

私が「ヒステリーの病因」についてフロイトの考え方が変わったのはいつだろうと考えていたまさにそのときに、鈴木先生はその当該箇所を読んでいたのである。

シンクロニシティは「あったりまえ」のことである。

これを「異常なこと」だと思うから、逆に「科学的な説明ができない」といって否定にかかるバカと、「超常現象だ」といってありがたがるバカとが出てくるのである。

「あったりまえ」の日常茶飯事なのであるから、説明なんか要らないのである。

ふつうに「使えばいい」のである。

「鈴木先生は、当然いまこの瞬間にもフロイトの当該箇所を読んでいるはずだ」というのは、よくよく考えればものすごく高度の蓋然性推理の上に成立しているのである。

(だってそうでしょ?私の知り合いのなかでいちばんフロイトの著作に通じているのは鈴木先生だし、それだけフロイトの著作を繰り返し読み返している頻度が高いし、『ラカン/ヒッチコック』の訳の仕事をかかえているから、「マクガフィン」関連項目(「抑圧された記憶」もその一つだ)については最近はとくに深い注意を払っているはずだし、いま春休みで本読む時間がたくさんあるし・・・)

そういうさまざまなファクターを総合した合理的推論をした上で、確認のために「フロイトの著作の当該箇所を教えて下さい」というメッセージを託して鎌倉方面に「生き霊」を送れば、シンクロニシティはちゃんと成り立つのである。

ね、簡単でしょ?

「生き霊の送り方」にちょっとコツがあるけどね。


2月26日

文春新書の『いきなり始める構造主義』(仮題)が完成。(こんどはほんと)

しかし「仮題」といいながら、これほど何度も書いていると、だんだん「情が移ってくる」ね。

この題名はそのむかし、九品仏のアパートでごろごろしていたときに、竹信悦夫くんが発案したものである。

ただしそのときは、竹信くんの大学院受験のためのフランス語特訓合宿中のことであったので、彼がつぶやいたのは「『いきなり始めるフランス語』とか『寝ながら学べるフランス語』とかいう参考書が、どこかにないかなあ」という悲痛なことばであった。(そして、ウチダにフランス語の特訓を受けるという無謀な選択が災いして、日本の西洋史学界は有為の学者を一人失い、朝日新聞社は卓越したジャーナリストを一人獲得することになったのである。)

爾来30年、いつかはこの題名で本を書こうと思っていた。

二年前、『現代思想のパフォーマンス』のときに、おずおずと難波江先生に「『いきなり始める現代思想』とか『サルにも分かる現代思想』とかじゃダメ?」とお伺いを立てたのであるが、私のアーシーな言語感覚が都会派ナバちゃんのセンスに受け容れられるはずもなく、無言のうちに却下されたのである。

苦節二年、『いきなり始める・・・』にもう一度チャンスが来た。

あとは文春の嶋津さんが笑って許してくれるかどうかである。

というわけで、昨日は一日、最後の「詰め」の書き直しとラカンの書き加えをして過ごした。

そして、またまた悲しい誤訳を発見したのである。

『エクリ』の誤訳をあげつらうのは「阪神タイガースが優勝しない」ことを本気で怒るようなもので、まともな大人のすることではないということはウチダも重々承知はしているが、それにしても・・・である。

ラカンのローマ講演「精神分析における言葉と言語活動の様態と領野」は、精神分析における「語ること」の重要性を論じた、ラカンの分析技法と自我論の基礎的文典である。

その一節をまず現行の竹内迪也訳で読む

「私は、私自身を、言語活動において同一のものとしているが、そうすることは、私自身を一個の対象物として失うことに過ぎない。私の話す歴史の中で現実化されることは、実際にそうであったことによって限定された過去ではない。というのは、そのような過去は、もはや現在ではないのであり、そうであったことについての完璧な内容でもないからである。しかし私がやがて或る時までにはそうなっているであろうこと、そのような前未来、つまり現在、私がそれになりつつある未来にとってのそれ以前の未来が、私の話す歴史の中で現実化されるのである。」

むずかしい文章である。これを一読して「あ、なるほど、そういうことね」と思えた人はいないだろう。

私も断片的には理解できたが、なかほどは全然意味が分からなかった。

しかし、ラカンとはそれほどデタラメなことを書くひとなのだろうか。

私はフランス語の『エクリ』を取り出して該当個所を読み、一驚を喫した。

「前未来」というキーワードから分かるように、ラカンはここで分析的対話において分析主体が語ることばは動詞の時制に「たとえて」言えば、前未来形で語られているのだ、ということを述べているのである。

分析的対話で主体が語るのは、「それまで誰にも語ったことのない過去の出来事」である。それまで、ずっと忘れていた過去の記憶が、忍耐強く、好意的な聞き手を得たせいで、次々と甦ってくる。

そのとき思い出された過去は、「ほんとうにあったこと」なのか、とラカンは問うているのである。

そうじゃないだろ、とラカンは言う。

私たちは選択的に過去を思い出している。

ラカンはいま問題にしている箇所の直前にこう書いている。

「私がことばを語りつつ求めているのは、他者からの応答である。私を主体として構成するのは、私の問いかけである。私を他者に認知してもらうためには、私は『かつてあったこと』を『これから生起すること』めざして語る他ないのである。」

私が自分の過去の出来事を「思い出す」のは、いま私の回想に耳を傾けている聞き手に、「私はこのような人間である」と思って欲しいからである。

私は「これから起きて欲しいこと」−つまり他者による私の自己同一性の承認−をめざして、過去を思い出しているのである。

それは別にラカンに教えてもらわなくても、私たちはみんな知ってる経験的事実だ。(知らないのはアメリカのフロイト派の分析医くらいである。)

そういう文脈で問題の訳文が出てくるのだ。話題が過去、現在、未来という「時制」にかかわっていることはすぐに分かる。

原文を載せよう。(アクサンは省略)

Je m'identifie dans le langage, mais seulement a m'y perdre comme un objet. Ce qui se realise dans mon histoire, n'est pas le passe defini de ce qui fut puisqu'il n'est plus, ni meme le parfait de ce qui a ete dans ce que je suis, mais le futur anterieur de ce que j'aurai ete pour ce que je suis en train de devenir.

なんとロジカルな文章ではないか。ウチダはこのテクストをこう訳した。

「私は言語活動を通じて自己同定を果たす。それと同時に、対象としては姿を消す。私が語る歴史=物語の中に現れるのは、実際にあったことを語る単純過去ではない。それはもう存在しないからだ。いま現在の私のうちで起きたことを語る複合過去でさえない。歴史=物語のうちに現れるのは、私がそれになりつつあるものを、未来のある時点においてすでになされたこととして語る前未来なのである。」

le passe defini は「限定された過去」ではなく、文法用語では「定過去」。「単純過去」と呼ばれる時制の別称である。le parfait は「完璧な内容」ではなく、「完了時制」、つまりここでは「複合過去」のことである。

同じ愚痴を繰り返すが、このような簡単な所で誤訳が生じるのは、訳者の語学力の問題ではない。(辞書を引く手間を惜しむのは若干問題だが)

誤訳が起こるのは、訳者が心のどこかでラカンの言っていることは「難解すぎて常人には理解の及ばないことだ」とはじめから理解を断念しているからである。(偉そうだが、これはウチダ自身への自戒をこめてあえて言うのである。)

だから、訳者はラカンが「誰でも知っている当たり前のこと」を書くと、無意識にそこから目を逸らそうとする。

「ラカンのような偉い人がそんな簡単な話をしているわけがない」と思ってしまうのだ。

誤訳は訳者の怠惰の徴ではなく、努力の成果なのである。

この誤訳そのものが「無知とは何かから目を逸らそうとする無意識の努力の成果である」というラカン理論の正しさを証明しているようにウチダには思われる。

不思議なことだが、ラカンはつねに正しい。その誤訳を通じてさえ。


2月25日

とうとう一度も見ないうちにオリンピックが終わってしまった。

TVを昼間ザッピングしているときに数分間見たことはあるが、競技の「結果」が出るまで見たものはひとつもないから、まあ「見てない」と言って過言ではない。

審判の不正とかドーピングとかいろいろあって、後味の悪い五輪だったようだ。

オリンピック競技自体は嫌いではないし、スキー競技とかはけっこう好きだけれど、日本のTVの情緒的な報道姿勢が大嫌いなので、結局見ない。

サッカーのWカップも愛国的なアナウンサーの絶叫が入るようなら見たくない。

だいたい国別対抗戦という仕様がウチダは嫌いだ。

こういうものは個人対個人の水準で見るのが筋目だろう。

日本の獲得メダルがいくつ、とかいうのは、「合気道六段、居合三段、杖道三段、珠算四段、書道五段、囲碁六段、足して二七段」というようなもので何の意味もない足し算だと私は思う。

ドーピングがなぜいけないのかもよく分からない。

ドーピングは身体能力を一時的に高めるわけだが、こういうのはシャブと同じで、未来を担保にして現在の身体能力を「買っている」わけである。そういうのは「やりたければやれば」と思う。

内臓がぼろぼろになっても、骨が腐っても、命を縮めてもいま勝ちたいというのは、人間の狂気のありようとしてはしごく「まっとうな狂い方」である。

だいたいスポーツは身体に悪いんだから、いくら身体を悪くしてもとにかく勝ちたいというのは、発想としては順当なのである。

五輪選手がみんなわけのわからない薬物で異常に肥大した筋肉や超人的な心肺能力を競う「サイボーグ合戦」なったらなったら、なったでよいではないか。

そういうフリークス・ショーなら私はTVを見るかもしれない。

こういう憎まれ口をきいているウチダであるが、ローマでオリンピックをしていたころは熱心な五輪ウオッチャー(ていってもTVがないから新聞のね)であり、「山中、ローズ、コンラッド」などという名前をつけたコマを並べて「100メートル自由形すごろく」などを自作していたのである。

ウチダも幼く、オリンピックもまだ若かった。

36年のベルリン・オリンピックでのナチ・プロパガンダの後味の悪さがまだ各国のスポーツ関係者に残っていたので、「質実剛健」の雰囲気があったのかもしれない。

何年か前にローザンヌで数日のバカンスを過ごしたことがあった。

シックな街であったが、することがないので、ひまつぶしにオリンピック・ミュージアムに行った。

そのとき地下の図書館を徘徊していたら、書棚の片隅に「東京オリンピック計画書」というフランス語の文献をみつけた。

私はそれを手にとって、つい二時間ほど読みふけってしまった。(ひまだったからね)

1964年の東京オリンピックではない。(そんなもの読むわけがない)

IOCに提出された1940年の「幻の東京オリンピック」の実施計画書である。

これはほんとうに面白いドキュメントであった。

会場や選手村の設計図や写真を見ると、まだ東京が空襲で破壊される前の、「帝都」の透明で穏やかな空気と、当時の日本のオリンピック関係者の「スポーツの祭典の端然とした成功を通じて日本の国際的認知の向上」への情熱が行間から伝わってくる文書であった。

このオリンピックに出場するはずだったアスリートの多くはそのあと戦死した。

たぶん日本にはもう何部も残っていないだろうローザンヌの地下書庫に埃にまみれて置いてあるこの本を誰か覆刻してくれないだろうか。

「オリンピックとは何か」ということを日本人がもう一度考えるよい機会になるとウチダは思う。


2月24日

ハードな二日間であった。

23日は合気道のお稽古に甲野善紀先生と松聲館のお弟子さまたち、守伸二郎さん(四国丸亀の呉服屋の旦那でありかつ異才の武道家)と多田容子さん(時代劇作家でありかつ手裏剣術の達人)がお見えになる。

甲野先生が来る、というので大阪教育大の原くんと東大気錬会の糟谷くんも参加。

例の如く、爆笑続きのにぎやかな稽古となった。

みんな思う存分甲野先生にわざを掛けてもらって、「一こま消える」甲野先生の超常的な技法を堪能する。

稽古終了後、芦屋のロイヤルホストに移動して、3時間近く先生を囲んでわいわいおしゃべり。

ウチダはそのあと甲野先生のご紹介で、「関西最強の精神科医」名越康文先生とのバトルトークがあるので、森ノ宮の名越クリニックに移動。

「神出鬼没」のかなぴょんと、今回たいへん柔らかい受けを取るので甲野先生にすっかり「愛用」された飯田先生も甲野先生のお誘いで、そのまま乱入。

名越先生とウチダ先生は、ぜったい話が合いますよ、と甲野先生が断言されていたので、すごく楽しみにして、『スプリット』を熟読玩味して臨んだのであるが、ほんとうに最高に楽しい人であった。

五分も話しているうちに、もうなんだかずいぶん前からの知り合いみたいな気分になってきた。

クリニックのアシスタントの方と朝日カルチャーセンターの宮永さんという「甲野・名越ファミリー」の女性二人が宴会のセッティングをしてくださったので、私たちはただばりばり食べて、ごくごく飲んで、笑うだけ。

このまま朝まで宴会をつづけたかったけれど、甲野先生は明日の稽古会があり、名越先生は診療があり、ウチダは下川正謡会の会があるので、名残を惜しみつつ終電ぎりぎりの11時半にお暇する。

「これはオフレコなんですけど・・・」という精神科の現場秘話ほど面白い話というのはなかなかないが、名越先生はクライエントばかりでなく、あらゆる種類の「怪しい人々」を惹き付ける異常な磁力がある人なので(甲野先生もその点では現代日本屈指の人だから、二人いっしょにいるとたいへんだ)、お二人が出会った「怪しいひとびと」の話を聞くだけで、時間がいくらあっても足りない。

「畸人」というのはウチダにとっては深い敬意を込めた尊称なのであるが、このお二人には謹んで「当世畸人列伝」の二章を割きたいと思う。

この三人でわいわいしゃべったのを冬弓舎の内浦さんに本にして出してもらうという企画がるのであるが、このままではウチダのパートはほとんど「(笑)」だけになりそうである。

ゆうべは武道の話はまったく出ないで、最初から最後まで「変人」「怪人」の逸話と、超常現象と幽霊の話。

ウチダは日本の大学の教師にしては珍しく「UFOを見たことがある」と「悪霊に取り憑かれたことがある」二大経験ホルダーである。この話、学生は喜んで聞いてくれるが、なかなかご同輩で真に受けてくれる人がいない。

今回、名越先生が岡山から大阪に帰る新幹線で見たUFOと私が尾山台で見たUFOが同一のものらしいということが確認できたのは、だから望外の収穫であった。

ゆうべ甲野先生がお話しになった昭和の霊能者ユイ・マサゴの話は、後から考えたら多田先生からも聞いたことがある。(そういえば多田先生も好きなんだ、この手の話は。)

甲野先生は気を飛ばすだけでなく、式神もアシスタントに使っているそうである。(安倍晴明みたい)。

私が「生き霊」を飛ばすという話をしても、ふたりともぜんぜん驚かないで、それどころか「生き霊」のコントロールの仕方についての技術的助言までいただいてしまった。(そんなこと教えてくれる人なかなかいない。)

今年のゼミ生には「幽体離脱」と「除霊」が特技というひとも入ったし、甲野−名越ラインとのネットワークもできたし、いよいよ「ウチダ超常現象研究所・除霊します(無料)」という看板を研究室のドアにかける日も近い。(「となりのマルクス主義者」上野先生がそれを見て、どれほど怒るであろう。)

明けて24日は下川正謡会。

朝からきりりと紋付き袴姿で、『安宅』、『竹生島』と素謡二番のあと、舞囃子『養老』。

『養老』は山神の舞なので、ウチダとしては、昨日の今日なので、神さまに憑依してもらって舞おうかしらと思ったのであるが、邪念がわざわいしてか、ただ「恐い顔」をして舞うだけに終わり、下川先生に叱られた。

そのあとも『弱法師』、『鉢木』、『松風』、『紅葉狩』と下川先生の隣で、先生に「共鳴」しながら何番か謡をやらせていただく。これはほんとうに気持がよい。

舞はだいぶ辛い点をつけられたが、謡の方は「ずいぶん上達しましたね」と褒めていただく。

下川先生が謡の技術として「強く謡うと、大きな声で謡うは違う」ということを繰り返し忠告してくださった。「声を抑えると謡いが強くなる」という下川先生の発声法の機微は、昨日甲野先生からうかがった「身体を止めて、エネルギーだけ送る」という体術の技法と通じるものがあるのでは、とウチダはひとり沈思する。

実に学ぶことの多い楽しい二日間であった。


2月22日

ラカンとフロイトを読み続ける。

両方読み比べると、フロイトの訳文はじつによく練れている。

やはり、「じっくり熟成」させて、私たちの身体にしみこんだ思想は、私たちの使うふつうのことばに置き換えることがそれほどにはむずかしくない、ということであろうか。

『セミネール』の訳文は、『エクリ』よりもはるかに読みやすいけれど、これは訳者の功ももちろんあるが、いくぶんかは「熟成度」の違いによるのだろう。

フロイトを読んでいるのは、いったいどの段階で、フロイトが「抑圧された記憶」を実体的なものと考えるのを止めて、「空想」的なものだと思うようになったのかについて文献上の典拠をさがしているからである。(ウチダは手抜きの「フロイト読み」なので、後期のものはほとんど読んでいない。)

「ヒステリーの病因について」(1896)の註(1924年に書き込んだもの)には、「私は当時まだ、現実を過大評価し、空想を過小評価する考えから自分を切り離していなかった」とある。その1924年のフロイトが「空想」の適正な評価を記した文典を探しているのだが、なかなかみつからない。(鈴木晶先生に教えてもらう方が早いんだけど、たまには身銭を切って勉強もしないとね)

しかし、私の経験では、こういう時には往々にして鈴木先生も「フロイトのちょうどその箇所」をなにかのはずみで読み返したりしているものである。

何年か前に、英文のW部先生から、レヴィナスの英語訳の数行を示されて、「これ、出典分かりますか?」と訊かれたことがあった。

何と、それはその前の夜に私が読んでいた箇所だったのである。

私は言下に、それはレヴィナスのしかじかの書物の何頁あたりにある文言です、ときっぱりお答えした。

そのとき、日頃ものに動じないW部先生が、「おおおお」と感動されたのを記憶している。

「一見遊んでばかりいるように見えるウチダ先生だが、さすがに本業のレヴィナス研究になると、数十冊の著作の何処に何が書いてあるのか掌を指すように熟知しているのだ・・・」という激しい勘違いをW部先生がしつつあることをウチダは知りつつ、「ふふふ」と笑ってその誤解を誤解のままに放置したのである。

しかし、これは実は偶然ではない。

かのユング先生のおっしゃっておられる「シンクロニシティ」というものなのである。

いまだって私が甲野善紀/名越康文/カルメン・マキの鼎談『スプリット』を読んで、なるほど甲野先生は「ひよこがギュー」がトラウマとなって畜産の道を棄てられたのであるかと納得していたら当の甲野先生から電話がかかってきた。

ご用は、明晩の名越先生との鼎談の打ち合わせである。

これをしてシンクロニシティと言わずに・・・

この例ではかえって信憑性を失うかもしれないので、いまの話は忘れて頂いきたい。

しかし、シンクロニシティというか偶然の一致というか思いもかけない「え、どうして!」ということはたしかにある。

おとといの夜は「あー、ひまだなー」と思って適当にTVをつけたら見逃してなるかの『ガチンコ・ファイトクラブ』の最終回だったし、昨日の夜は「能の足捌きってなんだろなー」と悩みながらTVをつけたら野村萬斎さんがたっぷり1時間もそれ関係の話をしてくれて、最後に「三番叟」まで見せてくれた。その萬斎さんの足の運びをイメージして今朝のお稽古でくるくる舞ってみたら、下川先生に「おや、だいぶよくなったね、歩き方は」とほめてもらった。

どうもいくら列挙してもなかなかユング先生の挙げるほどに説得力のある事例が思いつかない。

とにかく、時間というのは別に過去から未来にむけて流れているものではなくて、あちこちで入り組んで、行ったり来たりしているのである。

私はそう信じている。

何言ってんだか、という人に私は問いたい。

じゃ、時間が始まる「前」って何があったの?

時間が終わった「あと」ってどうなるの?


2月21日

『ミーツ』の塩飽さんからのメールにご返事を書いているうちに、「橋本治共和国」というアイディアが浮かんだので、それについて書く。

日本人全員にアンケートをして「橋本治は賢い」というグループと「柄谷行人は賢い」というグループに二分して、関ヶ原で東西に分けて、国境線を引いてしまうのである。

「柄谷共和国」(それとも「帝国」になるのかも)はもちろんNAM原理が貫徹する共産主義社会である。

『批評空間』とか『群像』とかを定期購読しているひとはそちらに行っていただく。(村上龍や坂本龍一はそっちに行くので、すこし寂しくなる。)

「橋本治共和国」は橋本大先生を「永世大統領」と「魂の導師」にいただく共和国である。

公用語はもちろん「桃尻語」である。

日常会話は簡単だけれど、法律とか大学の授業とかを全部「桃尻語」でやるためには、相応の「桃尻語」運用能力が要求される。

哲学用語なんかもぜんぶ「桃尻語訳」になる。

「他者」なんてダメ。すなおに「となりのひと」である。

「有責性」も意のあるところを汲んで、「いいものあげる」(@渥美マリ)に書き換え。

入試科目は、「和文・桃尻語訳」である。

ま、高校入試くらいは「天声人語」の「桃尻語訳」程度でよろしいが、大学入試になると「マルクス」とか「ニーチェ」とか「フロイト」の訳ができないといけない。(でもね、これはけっこう簡単なの、じつは。偉大な思想家たちはきわめて「肉声」に近い文体で深遠な思想を語ることができる人なのである)

どういう内閣にしようかいま考慮中であるが、とりあえず私は「文部大臣」に立候補しようと思う。なにしろ、「ラカンの桃尻語訳」という先駆的偉業があるんだから。(ないけど)この領域においては、余人の追随を許さないといってよいであろう。

問題は「橋本治?柄谷行人?それだーれ?」という1億2千万ほどの「難民」たちの処遇だ。

だいいち、肝腎の橋本先生が「共和国?ばっかじゃないの」と言下にこの提案を足蹴にされてしまうであろう。残念である。


2月19日

一日のうちにものすごい勢いで、バルトとレヴィ=ストロースとラカンについての解説文40枚を書いて、『いきなり始める構造主義』(仮題)を脱稿。

一度しゃべったネタとは言いながら、よくもまあこれだけ書くなあ。

さすがにラカンのところではもう息切れがしてきて、ほとんど引用はなし。

ラカンは、一行引用すると解説が一頁必要だから。

ほかの思想家たちの場合は、うまい引用箇所を探し当てれば、それで話がぴしっと決まるのだが、ラカンだと、数行の引用では「なぞなぞ」を読まされているみたいな気分になる。

困ったお人である。

今回分かったのは、ラカンがコジェーヴ経由でレヴィナスとけっこう似たスタンスを採用した人だいうこと。

「確信犯的なおとな」というのか、「父」というのがどういう機能であるかを承知の上で、わざと「父」を演じて見せた人、というのか。

これまでずいぶんラカンの悪口を書いてきたが、「なんだかずいぶんと人知れぬご苦労された人だった」ということが分かった。

今回のもう一つの発見は、構造主義者の主著の邦訳にかなり問題がある、ということ。

例えばフーコー。

おお、ここが「キモ」だな、というので引用したところがひどく分かりにくい。

まあ、誤訳についてひとの揚げ足を取る資格はないウチダであるが、(なにしろ、一行飛ばしたこともあるし、「とんぼ返り」(salto mortale) を「有限性の舞踏」と訳したことだってあるんだから)これはどうか、というのを一つ取り上げる。

『監獄の誕生』の中の、「王の二つの身体」をめぐる部分である。

まず原文から

A l’autre pole, on pourrait imaginer de placer le corps du condamne; il a lui aussi statut juridique; il suscite son ceremonial et il appelle tout un >discours theorique, non point de pour fonder le "plus du pouvoir" qui affectait la personne du souverain, mais pour coder le "moin du pouvoir" dont sont marques ceux qu'on soumet a une punition. (Surveiller et punir, p.33)(アクサンは省略)

たしかに一読したくらいでは意味が分からないこの文、田村さんの訳ではこうだ。

「その反対の極に、死刑囚の身体を置いてみようと考えたらどうだろう、その身体もやはり法律上の地位を持っている、それは儀式を営ませ、理論上の言説を生み出させる、がその目的は、君主の人格に割り振られていた『最大限の権力』に根拠を与えるためではなく、処罰に服する人々が押される刻印たる『最小限の権力』を記号体系化するためである。」

うーん、むずかしいね。

ウチダの訳はこうだ。

「この対極に死刑囚の身体を位置づけてみることができるかも知れない。この身体もまた一つの法制的身分を有していて、固有の儀礼を持ち、ある種の理論的言説を要求する。ただし、こんどの儀礼や言説は、君主に付ける『プラスの権力記号』を根拠づけるためのものではなく、処罰を受ける罪人に『マイナスの権力記号』を刻印するためのものである。」

文脈からして、「国王」と「大逆罪の死刑囚」は絶対値は同じだけれど、正逆反対、という話だから、affecter は「割り振る」じゃなくて「数字にプラスまたはマイナスの符号をつける」という数学用語だろうし、coder も「記号体系化する」より「符号化する」の方が適切だろう。

私が困るなあと思ったのは、実は邦訳をむかし読んだときにこの「最大限の権力」と「最小限の権力」というところにごりごり赤線をひっぱって、「おお、なんだか意味わかんないけど、かっこいいなあ。さっすがフーコーゃ」と決めてかかっていたからである。

そして、今回、この赤線箇所をぜひ「決めのフレーズ」に使おうと思って原文に当たったら、le plus/le moins は「最大/最小」ではなく、ただの「プラス符号/マイナス符号」のことだったので「あれー」とがっかりしちゃったのである。

きっとこれまでフランス語に当たらないで、「フーコー曰く、『最大限の権力』とは・・・」みたいなことを書いた学者さんがけっこういるんだろうなあと思ったら、その人たちが気の毒になったのである。

誤訳が発生する理由はいくつかあるが、そのうちのひとつは相手を「怖れ」すぎて、「何いってんだかわかんない」ところを、「ああ、これはすごく深遠なことを言っているにちがいない」と思い込んでしまって、むずかしく訳してしまう、という「畏怖ゆえの勘違い」がある。(私の「有限性の舞踏」などがその恥ずべき典型だ。)

『こんにゃく問答』みたいなものである。

そのむかし、わが敬愛する故・沢崎浩平先生がバルトの翻訳で、draguer の訳語に窮して「浚渫する」と訳したら、蓮實重彦に「上品なサワザキ氏は draguer をあえて『浚渫する』とあいまいに訳しておられるが、やはりこれはずばり『ナンパする』でよろしいのでは」と書評で書かれたといって苦笑しておられたことを思い出した。

そのころ助手だった大平具彦氏がそれを聞いて、「フランスに留学したとき、まっさきに覚えた動詞ですけどね、ふふふ」と笑っていた顔も懐かしい。

爾来私は「よくわからないところ」については、「もしかすると、すんごく簡単な話をしているじゃないかなと疑う」というチェックを翻訳にさいして必ず行うことにしている。

橋本治先生の「桃尻語訳」も、基本的には同じ「疑い」に動機づけられた作業ではないだろうか。

ウチダの野望はいずれ「桃尻語訳・エクリ」を刊行することである。

たとえば、「〈私〉の機能を形成するものとしての鏡像段階」の一文を現行の佐々木孝次訳で読むと、

「主体が幻影のなかでその能力を先取りするのは身体の全体的形態によってなのだが、この形態はゲシュタルトとしてのみ、すなわち外在性としてのみ主体に与えられるものであって・・・」

とある箇所は、「桃尻語訳」だと

「だからさー、子どもが鏡みてっとさー、『自分はもう大人よ、人間なのよっ』ていう思い込みがさ、かんじんの『自分』より先に来ちゃうわけよ。鏡に身体がまるっと映ってっから。できあいの『かたち』、つうか要するに自分の外にあるものをとおして、身体が見えちゃうからね・・・」

これで全編通すのは、たしかにちょっとたいへんそうだけど、ラカンの読者を女子高校生にまで拡大しようと望むのであれば(誰が?)やりがいのある仕事ではある。

(まあ、どの出版社からもオッファーはないであろうが)

今回の『いきなりはじめる構造主義』は橋本先生の「桃尻語訳」には及びもつかないが、とりあえず「ウチダ語訳」にはなっている。

もうすぐ出るから、買って下さいね。


2月19日

終日ごりごりと原稿を書く。

文春新書の「いきなり始める構造主義」(仮題)の第三章・フーコーのところを書いているうちにどんどん長くなってしまって(いつものことですけど)、収拾がつかなくなってしまった。

長くなるには訳がある。

私はむずかしい思想を祖述するときには、必ず「たとえ話」や「ぴったりの実例」というものを出してきて、読者のみなさまに「ああ、そのことね。ふんふん。なら、分かるわ」というふうにご納得頂く、という手順を踏むことにしている。(ユーザー・フレンドリーはウチダ家の家風である)

そして、ひさしく「だっからさー。たとえば、こういうことって、あんじゃんか」的な事例の列挙をもって「思想のパラフレーズ」と称してきたのである。

ところが、その結果、ついに私はある重大な真理を発見したのである。

それは、「すぐれた思想からはほとんど無限に『たとえ話』が引き出せる」ということである。

逆に言えば、「それってさ、要するに、あのことよ」というときの「あのこと」が思いつかない思想というのは、たいていの場合、スカな思想だ、ということである。

今回はフーコーの「あのこと」をあれこれと列挙しているうちに、最終的にはフーコーが「権力」と名指しているものについての批判は、いま世に流通しているすべての「フーコー本」に当てはまるという、実に分かりやすい「あのこと」に思い至ったのである。

あ、そうか。

だって、そうだよね。

フーコーが「権力」と名づけたのは、狂気であれ性的逸脱であれ、それを「排除」したり「抑圧」したりする実体的な制度のことではなく、あらゆる人間的事象を「一つ一つを、特定の場所で特徴づけ、そこに確固たるものとして存在させること」、つまり分類学的な知の欲望のことだったんだから。

そのフーコーの著作が全世界の社会科学・人文科学の大学院生の必読文献に指定されている。

院生たちはみんなフーコーを「勉強」する。

彼らは、フーコーの用語を使い、フーコーのフレームワークに準拠して、さまざまな人間的事象を分類し、命名し、カタログ化するお仕事に孜孜として励んでいる。

そして、紀要論文に「周知のように、権力=知とは人間の身体と精神を標準化させようとする不可視の装置の謂である」なんてこりこり書いてるのである。

「権力的に標準化されている」のは自分の硬直した身体と精神の方ではないか、という疑問は彼らの頭には決して浮かばない。(バカだから)

フーコーはべつに権力論を書いているわけではない。

「私はバカが嫌いだ」ということ「だけ」を延々と書いているのである。(よく飽きないと思うくらい、延々と。)

自分の本を読みながら赤線引いたり、ノート取ったり、「フーコー曰く」なんて得々と語るやつはみんな「バカだ」と書いているのである。(書いてないけど)

まったく底意地の悪いオヤジである。

だから、フーコーは「勉強する」ものではないと、ウチダは思う。

寝ころんで読みながら「このオヤジ、ほんと性格わりーなー」とゲラゲラ笑う、というのが正しいフーコーの読み方であると思う。

そう言ってるウチダ自身は机に向かって、赤線引きながらフーコーを読み、「フーコー曰く」と書いては原稿料を稼いでいる。

ウチダもワルモノではあるが、あまり賢くはないことがここから知れるのである。


2月17日

久しぶりに何の用もない日曜日。

用がないというのは制度的な用事ということであって、やらなければならない用事は山のようにある。

晶文社から『〈おじさん〉的思考』(仮題)の初校ゲラが届く。

一気に読む。

おおお、なんて面白いんだ。

自分が書いたものを読んで「ほお」とか「ああ」と言うのは私の悪癖であるが、それにしても面白い。

私だったら絶対買う。

だって、私が言いたいことが私の生理にぴったりの文体で書いてあるんだもん。(これ、前にも書いたな)

しかし、つまらないところも散見される。

私ほど「ウチダの書き物」に対して好意的な読者が読んで「つまらない」というのは、相当に「つまらない」ということである。

さっそくそこを全面削除する。

削除すると頁数が減るので、書き足す。

ばりばり書き足して、頁数を合わせる。

夕食(ダイエット中だからいつものとおり「厚揚げとコンニャク」)を食べながら、もう一度読み返す。

二度読んでも面白い。

「おお、このあとどうやってこのデタラメ話を着地させるんだ?」とどきどきしながら読む。(さっき読んだばかりなのに)

まったく幸福な人間である。

自分の書いた本を自分で読んでわくわくできるんだから。

しかし、これほど面白い本を読んだのは小田嶋隆の『仏の顔もサンドバッグ』以来である。

自画自賛のあいまを縫って『ミーツ』の五月号の原稿を書く。

「仕事について」という論題が決まっている。

編集長の江さんからは「若い連中に一つばーんと説教かまして下さい」と言われているので、そのご趣旨に添わないといけない。

「ばーん」ね。

仕事の本質は「パス」することだ、という最近の持論を展開する。

「パス」とは何かということを書くにはいろいろなアプローチがある。

レヴィナス老師の場合だと師弟論になる。フロイト=ラカンだと転移論になる。もちろんサッカー論にもなる。

でも今回は岩井克人の『貨幣論』と三浦雅士の「クロマニヨン人論」をネタにする。

「貨幣の本質は、それが貨幣であるということだ」という岩井の貨幣論は実に爽快である。

「クロマニヨン人の本質は『交易が好き』ということだ」という三浦の洞見には身が震える。

まったく世の中には「頭のいい人」がいるものである。

私は「頭のいい人」には無条件に敬意を抱き、「バカ」には無条件で敵意を抱くという度し難い「主知主義者」である。

「頭のよしあし」を私ほど無批判に査定の基準にする人間を私はほかに知らない。

他の人たちは「性格がよい」とか「やさしい」とか「思いやりがある」とか「想像力が豊か」とかいろいろな基準を設けて多面的に人物評価をしているが、私はそのようなことをまるでしない。

私に言わせれば、そういうのは全部「頭がいい」という本性のそのつどの表出にすぎないからである。

「頭がいい」人は、社会関係の中でどういうポジションを取ればいいかは熟知しているはずである。

自分の欲望をすみやかにかつ全面的に実現するためには、回りの人から「性格がよくて、やさしくて、思いやりがあって、想像力が豊か・・・」と思われていることはきわめて有用である。だから「頭のいい人」は必ずや「人間的にもよい人」(に見えるはず)である。

ところが、私自身は「性格が悪く」「イヂワルで」「思いやりに欠け」「想像力がない」。

だから私自身が設定する基準によれば、ウチダは「頭が悪い」。

では、「頭の悪い」ウチダがなぜ、他人については、「あいつはバカだ」などと高飛車に論評できるのであろうか。

ここには意外な秘密が隠されている。

それは「ウチダの頭」は「頭が悪い」のだが、「ウチダの身体」は「頭がよい」からなのである。

「ウチダの身体」は「ウチダの頭」よりはるかに賢い。

恐ろしいほど賢い。

これは自信をもって断言できる。

頭が理解できないことでも身体が理解できる、というの私の特技である。

だからウチダ本人は「バカ」のくせにウチダがつねに自信をもって「あいつはバカだ」と断言することができるのは、私が他者の知性をつねに「身体」で判断しているからである。

そいつのそばにゆくと、私の身体が「ぴっ、ぴっ。こいつバカですよ、ぴっ」と信号を発するのである。(ほんとである。)

私の「頭」はただそれに耳を傾けるだけでよい。

半世紀生きてきて、身体によるバカ診断が誤ったことはただの一度もない。

私の「頭」が、「この人は立派な人だ。尊敬に値する人だ」といくら主張しても、私の「身体」は「ぴっ、ぴっ。こいつバカだよ、ぴっ」と信号を発するのである。

そうはいっても、私もいちおうは社会人であるから、とりあえずは「頭」に従うことが多い。

だけど「身体」は執拗に文句を言い立てる。

その人のそばにゆくと鳥肌が立ち、じんましんが出て、夢の中で殴り殺したりする。

どうして、あんな「いい人」を夢の中で殺したりするのだろう、とわが無意識のあまりの野獣性に胸が痛むこともしばしばなのだが、これが驚いたことに、「頭」が保証したはずの「いい人」がやっぱり「致死的なバカ」であることがやがて現実の局面であらわに実証されるのである。

身体の方が正しく人物を見抜いていたのである。

そういうことを私はこれまでに何度も繰り返してきた。

「私の身体は頭がいい」というのは橋本治先生の至言である。

私はこの一言で、橋本先生が20世紀を代表する世界思想家であることの証左として十分であると思う。

何だか訳の分からない話になってしまったが、話を戻すと、『ミーツ』の原稿を書いた、という話であった。

例によって1時間ほどでばりばりと書き上げる。

こういうものは、何日もかけて推敲すればよいというものではない。

一気呵成に「ばーん」といかないと、自分自身の思考の壁をブレークスルーできない。

編集者からは「これこれこういう感じで」というアウトラインのサジェッションがあるのだが、先方が「書いて欲しいこと」を書こうとすると、いまひとつ勢いがつかない。

「こんなことを書かれると困るだろうな・・・」と先方が困惑するであろうものを書きだすと、あら不思議、どんどん書ける。

原稿を読んで「納得の笑顔」をしている江さんよりも、さくら・ももこ描くところの「顔の縦線」が無数に走った江さんの顔を想像する方が筆のすべりがよろしい。

ウチダは心底性格が悪いということである。

冗談抜きで、ウチダはほんとうに「邪悪」な人間である。

「頭」の方はそれほど邪悪ではなく、どちらかというと「いい人」に分類して頂いても構わないほどである。(「頭が悪い」のが唯一の欠点だが)。

しかし、ウチダの「身体」は本人も思わず目をそむけたくなるほどに「邪悪」である。

人を傷つけ、困らせ、損ない、罵倒し、苦しめ、哄笑している自分の姿を想像すると、アドレナリンが「ばーん」と分泌される。

頬が紅潮し、肌にはりが出て、肩の力が抜け、呼吸が深くなり、お腹が空いてくる。

この体質をなんとかしたいのだが、どうにもならない。

いくら偉大なお師匠さまたちに就いて修業を積んできても、「根がワルモノ」という体質は一朝一夕では治らない。

自分が「ワルモノ」である、ということをこうやって公言して、周辺の被害を未然に防止できるようになったのだけがせめてもの修業の甲斐である。

日本沈没の日までに、ウチダが「よい人」とよばれるようになる可能性はあるのだろうか。

刮目して待て。


2月14日

修士論文の口頭試問。私は三人の修論の担当なので、午前中から夕方まで連続で試問につきあう。

『平家物語』長門本における平重衡像について・手塚治虫マンガにおける「鼻の大きな男」について・民族性の記号としてのキムチについてという、不思議な取り合わせの論文である。

いずれも修論としてはそれなりの水準のもので、私としては楽しく読ませてもらったが、ウッキーの「手塚治虫論」が私自身の個人的なテーマ(男はどうやったら「母」になれるのか?)と重複しているので、私には切実なものであった。

口頭試問なのに、ウッキーそっちのけ、副査の飯田先生とでああでもないこうでもないと話し込んでしまった。

男はどうやったら母になれるのか?

「母」というのは「男」「女」という意味でのジェンダー概念とは水準を異にする別の社会的機能である。

「父になるとはどういうことか」という問いをめぐって西欧文明は人間の造型を構想してきた。「母になるとはどういうことか」を誰も真剣に議論しなかったのは、「母」には女は誰でも、特段の努力なしになれる。そういう「本能」がビルトインされているのだ、という考え方がひろく定着していたからだ。

もちろん、妊娠させたら男は「父」になり、出産したら女は「母」になるというものではない。

それはセックスやジェンダーとは別水準にある社会的機能であり、ある種のリソースを準備しえたものだけが主体的にそれを引き受けることができる。

母になるために必要なリソースとは何か?

私は父子家庭の父親として娘と暮らした12年間そのことをずっと考えてきた。

ぼんやりと分かったのは、母の本質的なみぶりが「子供が欲するものを与える」ということであり、父の本質的なみぶりが「子供の欲望にブレーキをかける」ということ。母の本質が「赦す」ことであり、父の本質が「査定すること」だ、ということである。(まあ、それくらいのことは誰にでも分かるけど)

そして、子供にとってまず優先的に必要なのは母であって父ではない、ということも分かった。

母がいなければ何も始まらないが、父がいなくても何とかなる。

「いなければ何も始まらない母」はもう「いる」から、「父とは何か」という問題だけが前景化する。

子供が育ってゆく過程では、もうだれも、「それなしには何も始まらなかったものとは何か」を問おうとしない。

このお正月に多田先生のお宅にお年賀に伺ったときに、多田先生がいつものように私たちにお雑煮をごちそうしてくれた。先生が台所でエプロンをかけて菜箸を握っているので、カメラを向けたら、先生が照れくさそうな笑顔をした。(ぱちり)

先生は、私がお宅にうかがったときに、ご自分の席を立って、その場を私に明け渡して、私たちに「食べ物を与えるために」台所に立たれたのである。

ウチダは考えた。

もしやあの「女性的なるものの超越はここより他の場所に身を引くことに存する」というレヴィナス老師の言葉がさしていたのは、このような事況ではなかったのだろうか。

15年前、レヴィナス先生のお宅に伺ったとき、レヴィナス先生がコワントローをごちそうしてくれた。短い足をちょこちょこ運んで先生が「ごめんね、妻が入院しちゃってさ、何もないんだよ。お持たせのコワントローを頂きましょう」と台所に立つ後ろ姿を見ながら「今日から『お師匠さま』と呼ばせて頂きます」とウチダは心につぶやいた。

お師匠さまたちは、私の「母」である。

私からは何ひとつ求めず。無償で、何の見返りも求めず、私にご自身がもっているいちばん素晴らしいものを贈ってくれた。

そして、なぜかウチダが「お師匠さま!」と胸を熱くした、その決定的な局面において、師たちはそのつどある種の濃密に「女性的」な図像的記号をその身にまといつかせていたのである。

思い起こせば、二年前、私の50歳の誕生パーティでヤベッチが演じた「ウンパンマン」の主人公は、前後ろ反対にかぶった野球帽にサングラス、Tシャツにエプロンをした「戯画化されたウチダ」であった。

上半身が男性ジェンダー化され、下半身が「母」化され、暴力的だが礼儀正しい「ウンパンマン」をキュートな少女が演じる、というあの「アンドロギュノス的造型」のうちには、もしかすると師弟関係と母性とエロスの秘密のすべてが蔵されていたのではないか。

ウッキーの修論の結論は手塚治虫は「マンガの神様」ではなく「マンガの母」である、というものであった。

ウッキーの直観は正しい。

自分がどれほど正しいかウッキー本人が気づいていないくらいに正しい。


2月13日

8日のセクハラ講演のとき、講演後、「何かご意見は」と会場に振られたときに、発言する気はなかったのだが、手が勝手にあがってしまった。(こういうときの身体反応は頭より速い。)

そのときは時間の制約もあったし、考え考え、ながながと持説を展開するような場でもないので、セクハラ概念の拡大解釈は大学教育にとって危険なことであるということを断片的に言って終わってしまった。

ここで改めてじっくりと所見を述べさせて頂くことにする。(すごく長い話なので、エロスと師弟関係と知と欲望の関係についての話題に興味がない人はここで止めて、どこかよそに遊びに行って下さい。では、さようなら)

 

大学という場で、教師が学生に対して権力的な地位にあること、その権力は教師が院生学生にとってある種の「欲望の対象」であることを基盤として成立していること、これは先日の講師の方(甲南女子大の牟田和恵先生)もただしく指摘していた。

私もそれにはまったく異存がない。

大学に限らず、「教えの場・学びの場」は必然的に権力の場でもある。

ただしここでいう「権力」というのは、成績査定や単位認定や入試の合否判定といった学生院生の身分についての制度的な権限だけを指しているのではない。

教師は制度的な権力が与えられている「から」、学生たちはそれに隷属しているという言い方は事態を正確には言い当てていない。

より厳密には、「学生たちが教育されることを望んでいるという事実に教師の権力は基礎づけられている」というのが学校における権力の「起源」なのである。

教師に成績査定や単位認定の権利が与えられているのは、ほんらい教師が「知ある者」の座に位置するものとみなされているからであって、その逆ではない。

間違えないでほしいが、私はあくまで「起源」のことを言ってるのであって、現実に「制度的権限」以外にいかなる権威にも支えられていない無能な教師がいることを否定しているわけではない。(できるはずがない)

しかし、あくまで学校の「本旨」に即して語るならば、学生たちは、「知ある者」から「学ぶに値する知恵」を求めて大学に来るのであって、「無知だが権威のあるひと」に隷属することを求めて大学に来るわけではない。

もし、教師の本質を構成するのは権力であるというのがほんとうであれば、制度的に成績査定権や単位認定権を賦与されれば、「誰でも」教師として働けることになるし、大学はそれで十分機能することになる。

しかし、現実にはそうなっていない。

私たちは同僚の人事を行うときに、その人が「知ある者」を求める学生のニーズに応えうる人かどうかを基準に人選を行っているが、そのときの基準は、その人が「ビジネスマインドがある」とか「板書がきれい」とか「声がとおる」とかいうことではない。

その人自身が「知ある者を求める」人であったかどうか、いまも求め続けているのかどうか、である。

「知ある者」と学術的な価値に対する畏敬の念に領されていること、それが大学の教師になるためのぎりぎりの最低条件である。

すべての教師のうちには「知ある者」への欲望は骨の髄までしみこんでいる。

だから、どれほどグータラでバカな教師であっても、自分が「知的な人間」に見られたいという欲望から自由になることはできないのである。そして、そのような欲望に身を灼かれているかぎり、その人には教師としての最低条件は備わっている、と私は判断する。

学校というところは、すべての制度的虚飾を削ぎ落とせば、「知ある者」に対する欲望を持つ者(=教師)の欲望が、「知ある者」に対する欲望をもつ者(=学生)の欲望の対象となる、という「欲望の欲望」構造に帰着する。

「欲望の欲望」というのは『精神現象学』のヘーゲルの言葉であり、「人間性」についてのおそらく最終的な定義である。

コジェーヴはそれをこう解釈する。

「人間的欲望は他者の欲望に向かわねばならない。(・・・)例えば、男女間の関係において、欲望は相互に相手の肉体ではなく、相手の欲望を望むのでないならば、また相手の欲望を欲望としてとらえ、この欲望を『占有』し、『同化』したいと望むのでないならば、すなわち相互に『欲せられ』、『愛され』ること、或いはまた自己の人間的な価値、個人としての実在性において『承認される』ことを望むのではないならば、その欲望は人間的ではない。」

人間の欲望が照準するのは、モノやヒトではなく、「他者の欲望」である。

私たちは「他者そのもの」を占有したり、「他者と一体化」することを望んでいるわけではない。(少しは望んでいるが、それはヘーゲルに言わせれば「動物的欲望」の準位に存するものであって、人間は動物的欲望の充足「だけ」では決して充足されることがない。)

そうではなく、「他者の欲望の対象となること」「他者に欲され、愛され、承認されること」を欲望するのが人間的欲望なのである。

この「他者の欲望を欲望する」構造がもっともあらわになるのはコジェーヴの引いているように性愛の場である。

レヴィナス老師によれば、官能において私たちが照準しているのは他者の肉体ではなく、他者の官能である。そして、他者の官能はそれを照準している私の官能によって賦活されている。つまり性愛の局面において、求め合っている両者の官能はそれぞれが相互に賦活し合い、承認し合っており、ウロボロスの蛇のように、いかなる実体的な基礎をも要さない純粋な「循環性」の中に自閉している。

学びの場もまたそれが「他者の欲望についての欲望」に賦活されて始めて起動するであるという点において、つまり「人間的な場」であるという点において、官能の経験と深いところで通じている

学生たちが大学に来るのは、そこにゆけば「自分に欠けているもの」を満たしてくれる「知ある者」に出会えるだろうという期待を(満たされるかどうかは別として)持っているからだ。

そして、現実にはそうでなくても、教師が「知的であること」(少なくとも「知的に見えること」)に命がけであるような特異な性向を刻印された社会的存在者である限り、教師は「知者であろうと熱望するもの」たちの欲望の対象となりうる。

なぜなら学生たちの欲望が照準するのは「教師そのひと」ではなく「教師が欲望しているもの」だからである。

経験的にはよく知られていることだが、学生たちの欲望は「すべてを知っている教師」に対してでも、「あまりにも少なくしか知らないことを恥じている教師」に対してもひとしく昂進する。

だから、極論すれば、大学教師であるためには「バカであること」はほとんど障害にならない。

「自分がバカである」ことに鋭い痛みと欠落感を覚えているだけで十分なのだ。

なぜなら、そのような教師は、「他者の蔵する知への欲望」の激しさにおいて、「『他者の蔵する知への欲望』を欲望する」学生に強い学びの動機づけを与えることになるからである。

学ぶものの欲望の強度は、教師における欲望の強度に比例する。

学びの場を駆動しているのは、「知そのもの」ではなく「知への愛」である。

知とエロスの本質的な親和について語ったのはヘーゲルばかりではない。古代にまで遡っても、私たちはいま私が語ったのとほとんど同じ言葉を見出すことができる。

およそ欲求する者は、「自分の手もとにないもの、げんにないもの、自分の持っていないもの、現在の自分とは違ったもの、自分に欠けているもの」を欲求する。

そのような欲求のことを古代の文典は「エロス」と呼んだ。

「知はもっとも美しいものの一つであり、美しいものへの欲求をエロスと言います。ですからエロスは必然的に知を愛する者であり、知を愛する者であるがゆえに、必然的に知ある者と無知なる者との中間にある者なのです。」

そうソクラテスに教えたのは巫女ディオティマである。

学びの場とは「知ある者と無知なる者の中間にあるもの」である。「中間性そのもの」を本質規定とする場である。だから、ディオティマを信じるならば、「学びの場」とは必ずや「エロスの場」となる。

学校では教師は構造的に欲望の対象になる。

「エロスの場」であるということが学校を学校たらしめているからだ。

だから学校でセクハラ事件が起こるのは、そこが「エロティックな場であるから」からではない。そうではなくて、人々が学校が本質的にエロティックな場であるということに「気づいていない」ことに起因するのである。

「知ある者」という機能的立場ゆえに、教師は学生にとって必然的にエロス的欲望の対象になる。その欲望を駆動力としてはじめて教育は成立する。

いわば、私たち教師は毎日「エロティックな火薬」の中で仕事をしている花火師のようなものである。その引火性の強い「火薬」を適切に統御しながら、小爆発を繰り返させることで、学生たちはおのれ自身の「無知の殻」を爆砕して、一歩ずつ進んで行く。

セクハラ教師というのは、自分が「火薬」のど真中で仕事をしていることを「知らない」人間のことである。学校を非エロス的な場であると、(あるいは「あるべきだ」と)思い込んでいる無知な教師たちは、そこに「火薬」が充満していることを知らないので、平然と「火薬」の中で煙草を吸い、焚き火をする。そして、学生といっしょに吹き飛ばされてしまうのである。

セクハラ教師に欠けているのは自制心ではなく、知性である。

勉強が足りなくて(おそらく『饗宴』も『精神現象学』も『全体性と無限』も『精神分析入門』もまじめに読んだことがなく)教育の本質がエロティックなものだということを「知らない」教師のことである。(だからそれは男性教員に限られるわけではない。)

もちろん、そのような知性を欠いた教師を罰することは理にかなったことである。

しかし、その罰を基礎づけるのは、「学びの場とは本質的にエロティックなものであることをよくわきまえてプロの仕事をしなさい」という実践的訓戒であって、「学びの場はエロティックなものであってはならない」という禁則ではない。

セクハラについての議論で私が誤っていると思うのは、セクハラの現実を憂う言説が「学びの場はエロティックなものであるはずがないし、あってはならない」という政治的判断に短絡することである。

「師弟関係にエロス的なものが含まれているから、セクハラが生じるのだ」という推論は、「師弟関係がエロス的なものであるはずがないから、学生が自分に示す欲望は純粋に私的な欲望なのだ」と思い込むセクハラ教師の推論と、順逆を逆転しただけで、実は同型的な思考なのである。

師弟間には学術情報の授受以外の関係があるはずもないし、あるべきでもない思い込んでいる教師だけが、学生の欲望を読み違える。

師弟関係とは本質的にエロティックなものであるということを熟知していたソクラテスは、『饗宴』において、弟子の欲望を正しく読み当てるとはどういうことかのお手本を示してくれている。

『饗宴』の終盤、アガトンの祝宴への泥酔したアルキビアデスの乱入によって、清談の場は、師ソクラテスの愛を争う二人の若者による三角関係劇と化す。その一歩誤ればぐちゃぐちゃの修羅場のただなかで、ソクラテスはふたりの若い弟子たちが自分に向けるエロス的欲望をみごとに制御して、彼らをたくみに成熟の回路へと導く。

ソクラテスがこの導きに成功するのは、若者たちが欲望しているのが、「ソクラテスその人」ではなく、「ソクラテスが蔵していると想定されている知」、より厳密には「ソクラテスが欲望している知」、つまり「ソクラテス自身が蔵していない知」にたいする欲望であるということを熟知していたからである。

他者の欲望が照準している先が、「私自身」や「私の蔵する知」ではなく、「私が所有しておらず、私が欲望しているもの」−「私の欲望が照準している他者の欲望」であることを知っているものだけが自分に向けられた欲望の統御に成功することができる。

学生の欲望が「私自身」や「私が所有しているもの」に向かっていると勘違いする教師だけがおのれ自身と学生の欲望のカオスの中に巻き込まれてしまうのである。

セクハラはそのあらわれ方の一つにすぎない。

構造的に賦与された知的威信をおのれ自身への人格的尊敬と勘違いして、学生や弟子にえばりちらすアカハラ教師もまた、欲望を読み違えているという点では、セクハラ教師とその愚鈍さにおいて選ぶところはないのである。

学びの場におけるエロティックな欲望の統御の方法とは、「研究室のドアをあけておく」とか「学生とコンフィデンシャルな話をしない」とかいう下世話なレヴェルの問題ではなく、欲望の構造について「何を知っているか」という徹底的に知的な水準において議されるべき問題である。そのことを当の大学人たちが理解しない限り、セクハラ問題について何万時間議論しても問題は決して本質的な解決に至ることはないだろう。

しかし、誤解を防ぐためにもうひとこと言い添えておく。

師弟関係はエロティックな関係である、と私は書いた。

しかし、それは本質的なところで官能の関係とまったく異質な構造を持っている。

その構造の違いさえただしく踏まえていれば、師弟関係を領するエロスはゆたかな教育的資源となるし、その構造をしらなければ、師弟関係のエロスはいまわしいものとして抑圧されるだけだ。

コジェーヴとレヴィナスの欲望論はほとんど同じ言葉遣いで官能について語っている。それは「私の官能は他者の官能をめざし」「他者の官能は私の官能をめざす」という仕方で、それぞれを基礎づけあっている、ということである。

欲望は二者間を循環している。

たしかにこの比喩を用いると「欲望を喚起するのは実体的ななにものかではない」ということはよく分かるし、主体の根拠が「主体の内部」にはない、私は私自身を基礎づけることができない、という事況も見て取れるが、「他者の外部」への回路は保証されていない。

エロスの比喩だけでは私とあなたのあいだの「非相称性」という観点が抜け落ちてしまうからである。

エロス的関係において、「他者の外部」への回路を担保し、二者間の永遠の「ピンポン」を終結させるのは、エロス的な欲望のうちに向き合っている二人のあいだに「有責性の水位差」があるという事実である。(もちろんここでいう「有責性」とは、「教師は本来的に権力的な存在なのだから、それを恥じ入りなさい」というようなイリガライ的なレヴェルの話ではない。)

「私」はつねに「あなた」より有責である、という倫理性が主体の主体性を基礎づける、というのがレヴィナスの理説である。

そのような「有責性の先取権の主張」はたんに主体性を基礎づけるだけでなく、「私」と「あなた」のあいだに社会性(「他者たち」との回路)を導き入れるために必須のものだ。

この「私はあなたより有責である」ということを多くのレヴィナスの読者は法制的な含意に即して理解して、「おのれの有罪性を恥じる」とか「いやなこと、苦しいことを引き受ける」というような意味に解するが、私はそうは解さない。

有責性とは、何よりも「あなたが私に贈るに先んじて、私はあなたに『贈り物』をする」ということである。

師弟関係における「贈り物」とは何だろう。

ふつうの人は、それは「学術情報」や「学術的スキル」ということだと信じているのだろうが、そのような「かたちあるもの」が学びと教えの場に賭けられている唯一のものだと信じるひとには師弟関係というのは永遠に理解できないだろう。

師が弟子に贈るのは「師の師へ対する欲望」である。

師が弟子に先んじているのは、師が「師となるより以前に」は誰かの弟子であったという事実である。

もちろん経験的な師をもたないまま師になりえたひともいる。だから、ここでは師という概念をもう少し拡大して、「その人の蔵する知に欲望を感じたひと」というより包括的なカテゴリーと定義する。(どれほど独学的に自己形成した教師でも、かつて一度として他者の蔵する知に対して欲望を感じなかったということはありえないからだ。)

私は合気道の門人たちに、繰り返し「私を見ずに、私が見ているものを見なさい」と教えている。

私なんかを模範にしていたってまるで修業にはならない。

しかし、私が仰ぎ見、私が欲望しているものは、見る価値、欲望する価値のあるものである。それは多田先生が「見ているもの」であり、多田先生を通じて植芝先生が「見ていたもの」であり、そして植芝先生を通じて出口王仁三郎師や武田惣角師が「見ていた」ものであり・・・

師弟関係で継承されるものは実定的なものではなく、師を仰ぎ見るときの首の「仰角」である。これは師弟のあいだにどれほどの知識や情報量の差異があろうとも、変わることがない。

師弟関係における「外部への回路」は、「師の師への欲望」を「パスする」ことによって担保される。(「パス」という言葉はラカン派においては教育分析をつうじての「転移」を指する。もちろんサッカーやラグビーの「パス」も本質的に同じ機能を果たしている。)

師弟関係において「欲望のパス」をしない人間−つまり弟子の欲望を「私自身へのエロス的欲望」だと勘違いする人間−は、ラグビーにおいてボールにしがみついて、試合が終わってもまだボールを離さないでいるプレイヤーのような存在である。彼は自分の仕事が「ボールを所有すること」ではなく、「ボールをパスすること」であり、「ボールそのもの」には何の価値もないということを知らない。

「師の師への欲望」として「顔の彼方」へとパスされてゆくはずの欲望が、二者間で循環することの息苦しさに気づかない師弟たちだけが、出口のない官能的なエロス的な関係のなかで息を詰まらせて行くのである。

真の師弟関係には必ず外部へ吹き抜ける「風の通り道」が確保されている。あらゆる欲望はその「通り道」を吹き抜けて、外へ、他者へ、未知なるものへ、終わりなく、滔々と流れて行く。

師弟関係とはなによりこの「風の通り道」を穿つことである。

この「欲望の流れ」を方向づけるのが師の仕事である。

師はまず先に「贈り物」をする。

その贈り物とは「師の師への欲望」である。

その場合の師とは、さきほども書いたように、必ずしも人格的な師である必要はない。「私が知るべることを知っていると想定される他者」は−遠い時代の異国の賢者であれ−定義上「師」の機能を果たしうる。

そして、師から「欲望の贈り物」を受け取った弟子は、それを師に返すのではなく、自分の弟子に贈る。

その永遠の「パス」によって師弟関係の「非相称性」は確保される。

『饗宴』はエロスと知とめぐる対論だが、その中で、ソクラテス以外の全員は、「私はエロスについて・・・を知っている」という仕方で語る。

ソクラテスひとりが、「私はエロスについて、ディオティマからこんなことを教わった」という「師から伝えられた言葉」を「贈り物」にして差し出す。

ほかの論者たちが「自分の知的所有物」を誇示して敬意の返礼を求めた中で、ソクラテスひとりは「師からの贈り物」をひとびとに無償で贈るのである。

ソクラテスの「師性」は、彼がその叡智をディオティマから授かり、それを次世代の若ものたちへの贈り物にしたという「パッサー」としての仕事の精密さによって基礎づけられている。

学びの場、教えの場にその本来の機能を回復させるために必要なのは、「パスするものとしての師の機能」についての平明な省察だと私は思う。

私たちの中には、「私は教育者ではなく、研究者である」と言い放つものがあり、「教師と学生は人間として対等である」と言い放つものがあり、それどころか「教育が成り立たないのは学生がバカだからだ」とさえ言うものがおり、「私には師とよべるような人間は誰もいないし、誰かに師だとも思われたくない」と背を向けるものもいる。

これらはひとしく「師とは欲望のパッサーである」という基本的定義を知らない発言である。

ある種の人格的な条件(賢明であるとか、高潔であるとか、博識であるとか・・・)を満たした個人が「師」となる、という発想そのものが間違っていることに多くの人は気づかない。

その誤解は、「私は賢明でも高潔でも博識でもないので、ひとから『先生』と呼ばれる資格がない」と謙遜する人間と、「学生が私を『先生』と呼ぶのは、私が賢明で高潔で博識であるからだ」と思い違いをする人間の双方に共有されている。

師とは、人格的な機能ではなく、欲望論的な布置のなかで、どういうポジションを占めているか、という純粋に力学的な機能なのである。

話がくどくてすまない。


2月10日

肝腎の「学内某重大事件」の調査委員会報告について、ご尽力下さった上野先生、山本先生、石川先生、そして松澤先生にお礼を言うのを忘れてしまった。

ご苦労さまでした。

いろいろと人には言えず、「黙して墓場まで持って行くしかないかこれは」的な陰のご苦労があったと思いますが、ご努力に感謝いたします。ありがとうございました。

とにかくこれで学内某重大事件も一件落着。

これを機に、松澤新院長のもとで学院組織の新規まき直しを期したいものである。

 

土曜日は合気道のお稽古。

今週も二人新人が登場。おひとりは自由が丘道場の後輩である。(毎日新聞のパイロット、鳥山希さん)

自由が丘を去ってはや12年。その間に私の後輩たちが指導員となって育てた門人がこうして道場に来てくれるのである。歳月の流れるのははやい。

鳥山さんは多田先生の直門であるから、私の弟弟子であり、うちの門人からすると「叔父貴筋」に当たる。きっちり筋目を通した応接を門人諸君にはお願いしたいものだが、そういえば、北澤さんも高雄くんも「叔父貴筋」だったし、常田くんもそうそうなんだ。でも、「ぴーちゃん」だもんな。もうちょっと敬意がないとまずいかも。

もう一人は「凛道」という糸東流空手系の武道を嗜んでいる木下さんという女性。

杖の稽古に来ている小西さんや曽我くんの後輩だそうである。

かなぴょんがその謎の全国ネットワークを利してリクルートしてきたのである。

かなぴょん神出鬼没。

 

お稽古のあとは下川先生のところで能の稽古。

私一人だったので、ヨーカンなどをつまみつつ先生ご夫妻といろいろおしゃべりをする。

こういうときにぽろぽろと先生がお話ししてくれる芸談が私にはいちばん面白い。

帯刀さん(私の50年先輩の兄弟子)が登場されたので、二人で『安宅』の素謡のお浚い。

帯刀さんのシテ(弁慶ね)は横に坐っているとヴァイブレーションで身体が震える。

合気道ではさすがに50年先輩という人はいない。(多田先生の植芝道場入門25年目に私が多田先生に入門したのだからね)

帯刀さんは下川先生が生まれた年に先代に入門されたのである。

私が70歳のときにあれだけの声が出て、あれだけの舞ができるようになるだろうか。(ていうか、70まで生きてられるだろうか)

 

家に帰ってからセクハラ問題のネタさらいにヘーゲルの『精神現象学』とプラトンの『饗宴』と岩井克人の『貨幣論』を読む。

 

日曜は従兄のツグちゃんと「にしむら珈琲」の三階でステーキを食べる。

ツグちゃんはものすごい「へそまがり」で、狂牛病問題で牛肉を食べる人が減ったと聞くともうステーキを食べたくてがまんできない、というタイプの人である。(「へそまがり」は内田家、河合家双方に通じる家風なのである)

昼からゴージャス但馬牛のレアをばりばりと食べる。

おいしー。

先週はじめに「78キロ」という「テラ・インコグニタ(未知の領域)」に踏み込んだウチダは、「ダイエット」宣言をして、それから毎日「厚揚げとコンニャクと素うどん」という質素な食生活をしていた。(おかげでとりあえず74キロにまで落とした。)

肉を食べるのはひさしぶりである。

おいしー。

おまけにツグちゃんのおごりである。

らっきい。

この年になってもまだ従兄からは「ま、いいよ、たっちゃんは」とおごってもらえる。親族というのはありがたいものである。

ツグちゃんの本日の「へそまがり」語録は

(1) 牛肉より豚鶏のほうがずっと危険である

(2) ガンの手術はしないほうがいい(「うちのじいさんの前立腺ガンは誤診、モリモトの従兄の食道ガンは医療ミス。医者にかかると死ぬよ」)(ツグちゃんは歯医者さん)

(3) 抗ガン剤は血液のガン以外はまったく効かない。あれは製薬会社の治験のために人体実験をしてデータをとっているだけである

(4) 医者も歯医者ももう供給過剰なので投資した莫大な学費はドブにすてているのと同じである

(5) あらゆるスポーツは身体に悪い

(6) 通勤時間はできるだけ長い方がよい

(7) 長女のアカリちゃんは今年北大の歯学部に入ったが、工学部に転部させる

(8) 娘といっしょに開業するなんてまっぴらごめん

(9) ついの住みかは京都がいい(人が悪くて、気候が悪いから)

(10) 大学はカルチャーセンターに衣替えしてジーサンバーサンを相手にしなさい

などなど。

ツグちゃんは一見すると温良な紳士である(若い頃はものすごい美形で、二十歳くらいのとき、私と二人で並んで歩いているとき、街行く女の子が次々と振り返ってため息をついていたのを私は苦々しい思いで記憶している)が、性格はごらんのとおりのワルモノである。

ツグちゃんの兄のヤッチャンも劣らぬワルモノで、家産を一代で使い切った親族中随一の浪費家である。

私はこの二人の従兄が大好きである。

彼らと話していると、「私もまだまだ修業が足りない」と思う。


2月8日

会議室で起居する一日。

合否判定教授会、大学院委員会、セクハラ講演会、そして「学内某重大事件」調査委員会報告会。午後1時から8時まで、7時間大会議室の椅子の上にいた。

合否判定教授会は、総文は受験生137%増というありがたい受験状況なので、かなり好成績の学生たちを取ることができた。

これで本年度の総文の偏差値は52.5まで上がるだろう、という入試部長の力強いお言葉。大学冬の時代のうそ寒いご時世に、偏差値が上がるというのはまことにありがたいことである。

 

大学院委員会ではPD制度の実施規則についてやや議論がもつれる。

PD制度というのはドクターを取ったあとの院生に博士研究員という待遇で最長3年間、研究員としての給与を支給して研究活動をサポートしようという心温まる制度である。

この4月から実施するはずなのだが、文学研究科は内規が整わないので、実施を一年延期したいという提案があった。卒業生の研究活動をサポートする制度を、委員会で内規を議論する時間が足りないからという教師側の勝手な都合で遅滞させることは教育的配慮からして許されないことであると抗議するが容れられない。ぷんぷん。

 

つぎは飯田先生仕切りのセクハラ講演会(講師は甲南女子大の牟田和恵先生)に出る。

大学セクハラ裁判事情など、有意義なお話をいろいろ拝聴するが、なんとなくしっくりこない。これについてはいろいろと書きたいことがあるので、いずれまとめて書くことにする。


2月6日

鈴木晶先生は眠り続けておられるそうであるが、鈴木先生にかぎらず、二月の第一週になると大学教師が短期の冬眠に入るというのはほんとうである。

入試が終わり、「ああ、もう学校にゆかなくてもいいのね」と思って気が緩んだ瞬間に、一年間の疲れが「どっと」押し寄せてきて、そのまま倒れてしまうのである。

私も二月に入ってからは眠っても眠っても眠り足りない。

午前八時には起きるのだが、ゴミ出しをして新聞を読んで、あくびをしながら朝御飯を食べ、満腹になると、またふとんに潜り込んで「二度寝」に入ってしてしまう。

おひる少し前にのそのそ起き出してお昼ご飯を食べ、満腹になると、またふとんに潜り込んで「お昼寝」に入る。

夕方近くになってようやく起き出して、お風呂に入って少し目が醒めて、多少仕事などをするのだが、8時になるとお腹が空いてくるので仕事を止めてワインなんか呑みながら晩御飯を作る。そのままのったりとホットカーペットのうえに横になってバカ映画などを見ているうちに居眠りをしはじめ、そのままずるずるとベッドにはいずってゆく・・・というような生活をしている。(7キロ太るのも当たり前か)

だが、これを怠惰であるとかプチブル的退廃であるとか難詰されては困る。

私は自然治癒の力に身を任せて、痛んだ身体を内側からゆっくりと癒しているのである。

今日はだいぶ体力が戻ってきたので、午前10時半に起きて、お掃除と洗濯をする。(快晴で最高のお洗濯日和だ。)

このあとは一気に『いきなり始める構造主義』のフーコー論を仕上げてしまうのである。

今回思ったんだけれど、フランス構造主義のなかで日本の学者にいちばん方法論的な影響を与えたのは、フーコーだろう。

私自身はフーコーはあまり好きではない。

アイディアはほんとうに素晴らしいのだが、あの透明な考想がどうしてあんなぐちゃぐちゃした悪文で表現されなければならないのか、それが分からない。

私がフーコーくらい頭がよかったら(無意味な仮定ですけど)、もっとシンプルに書くけどなあ。


2月5日

山本画伯の個展が開かれるので、淀屋橋の番画廊まででかける。

私が関西に来た1991年から毎年欠かさず通っている。

個展のオープニング・パーティというのはなかなか楽しい。

絵の前でワインを飲み、チーズやパンを囓りながら、アートな話をするのである。

私はアートな話はぜんぜんだめなので、いつも話題に窮するのであるが、今回は画伯の装幀した本二冊(『ためらいの倫理学』と『レヴィナスと愛の現象学』)も作品の一部として陳列されていたので、私も「コラボレーション」の一員として個展に部分的には参加していることになる。

画伯のパーティのとき「だけ」出会うので、年に一回しか会わないみなさんと久闊を叙し、そのまま画伯の案内で梅田の「亀すし」へ。狭いカウンターに14人がずらりと並んでお寿司をばりばり食べる。

楠本さんご夫妻は画伯が装幀した本のCG部分を担当してくださったデザイナー事務所の方である。この会で毎年会うのだが、ご夫妻とも年々アーティストというよりはアスリート的に純化していておられる。この冬のさなかに黒々と日焼けして、100キロマラソンを走るとどういうふうに苦しいかという話をうれしそうにしてくれる。

オナガさんはバイク事故で肺臓を潰したそうであるが、元気いっぱいでいつものように宴会を仕切っている。

そのオナガさんは、会うなり私をじっと見て、「ウチダ先生、太りすぎです。むかしはかっこよかったんですけどね・・・」と嘆息する。意外な指摘にかたわらの友人に「ほんと?」と訊ねたら、無言でうなずかれてしまった。(えええ!家に帰って体重を量ったら、なななんと78キロ。私のベスト体重は71キロであるから、7キロオーバーである。いつのまにこんなに肉がついてしまったのかしら。さっそく今日からダイエットだ。)

この宴会は山本浩二画伯の知友の会なのでアートな人たちばかりなのであるが、なぜか全員がラグビー、バスケット、ランニングのアスリートなので、短髪色黒肩幅もりもり系の体育会系OB会の二次会にしか見えない。


2月2日

一週間ぶりの合気道のお稽古。

試験も終わり、卒論も出し終えて、せいせいした顔の学生さんたちがどかどかやってきて、金曜の子供教室のお子さまたちや新顔の人間科学部のドクターの土井さんも加わり、総勢19名のにぎやかさ。

経験的に言うと、合気道の稽古はマジックナンバーが8人。

8人を超えると稽古の密度がぐんと深くなる。どうしてなんだろう。

稽古する人が8人ということは、ひとりひとりからすると、稽古の相手が7人いる。

それがくるくる入れ替わる。1時間半の稽古で、7人相手だと、その日の稽古中には一度しか組めない相手が出てくる。

この稽古における「一期一会」度というものが、心理的に快適な緊張感をもたらすのではないだろうか。

つまり、わずか数分だけのテンポラリーなペアの相手だから、一回うかつなやりとりをすると、とりあえずその日は「とりかえしがつかない」。相手の体感を「読み違え」て、うまく身体的なコミュニケーションがとれないと、何となく「いがいが」した感じをお互いに残してしまう。

それを避けようとすれば、最初の接触から、全身の身体感受性の感度を高めた状態でわざを始めないといけない。

身体感受性が高まり、皮膚感覚が鋭くなると、身体の「透明度」が高くなる。自分の身体の「内部」がどういうふうになっているのかが少し見えてくる。同時に相手の身体の「内部」が、どうなっているのかも。どこに体軸があって、どういう角度であり、どこに力の支点があり、どこに重心が寄っていて、どこに「凝り」があるのかが、微妙に感じ取れるようになる。

そうなると、技を遣うことよりも、おたがいにその「情報のとりあい」に夢中になってくる。身体が「中枢的に統御されて」いる状態から、身体の各部が自立的に、「現場で」いろいろな仕事をするようになる。

不思議なもので、身体が主で、身体各所に「前線司令部」みたいなものが展開していて、それが自立的に働いているときは、あっというまに時間が経って、ほとんど疲れを覚えない。反対に意識が主になって、そこが中枢的に身体を「使う」モードで動いていると、時間の経つのは遅く、筋肉や関節の疲労感が強い。

昨日の稽古はそういう意味ではとてもよい稽古だった。

合気道はほんとうに愉しい。

 

稽古のあといったん家にもどって仕事をしてから、夜は塚口のナバエさん宅の「おひろめパーティ」。

飯田先生とソプラノ歌手の森永一衣さんとご一緒に四人でまず「うどんすき」を食べて、熱燗などを呑む。(森永さんとナバエさんは「防寒グッズについての情報交換仲間」である。)

それからナバエ邸にうかがう。

前の家もすごかったけれど、今度の新居もすごい。

インテリア雑誌のグラビアにあるようなお部屋である。

生活感が絶無なのである。

生活感のある家具がなに一つない。

ぴかぴかに磨き上げられたガスレンジの横(ウチダの家の場合だと、ラー油胡麻油塩胡椒醤油ニョクマムなどが林立しているあたり)になんと「英和辞典」が置いてある。

うちの台所だとまな板、ざる、缶切り、メジャーカップ、調理はさみ、ジフ、キッチンハイターなどが並んでいるところには、スコッチ、バーボンなどの美しい瓶がずらりと並んでいる。

「料理って、しないの?」

「サラダくらいは作りますけど」

なるほど。

英和辞典はサラダを作りながら、「エンダイブ」とか「クレッソン」とかの綴りを確認したりするときに使うのかもしれない。

LDKをぐるりと見渡して驚いたことに本が一冊もない。

そういえば書斎の本棚にも英語の本しかなかった。(きっとどこかに隠してあるのだろう)

うちは玄関を入った瞬間にもう本棚があり、そこには井上雄彦のマンガや高橋源一郎の小説や田口ランディのエッセイなどがデタラメに放り込んである。(トイレに入る前に、好きな本を選べるようにしてあるのである。)

とにかく、ここまで生活臭を完全排除した家というのを私は見たことがない。

もちろんたいへん居心地はよいし、家具の趣味も最高である。

だから、ナバエさんが「しばらく留守をするから、ちょっと住んでてもらえますか」と私に頼んだとしたら(ぜったいに頼まないと思うが)、一月後くらいにはウチダ的には最高に居心地のよい空間になりそうである。(帰ってきたナバエさんは玄関で蒼白となって立ち尽くすばかりであろうけれど)

10時過ぎに山本浩二画伯が登場。(画伯は森永さんのご夫君でもある。)

ワインもだんだん回ってきて、全員の高笑いのインターバルがだんだん短くなってきたころ、ピンポンとチャイムがなって、ご近所から苦情が入る。(ごめんね、ナバエさん)

それにもめげずにさらに午前2時すぎまで宴会は盛り上がり続けた。

おかげで日曜は夕方まで二日酔い。

お茶をのみながら神鋼vsサントリーのラグビー日本選手権決勝戦を見る。神鋼は大畑くんの目の醒めるような3トライにもかかわらず惜敗。(とくに最後の四つ目の「幻のトライ」は惜しかった。)

すっかり元気をなくして、またベッドにもどって爆睡。

年のせいで、だんだんお酒に弱くなってきた。

むかしはお昼には前日の酔いは完全に消えたのだが、最近は日が暮れても前夜の酒が残っていることがよくある。

あるいはむかしより酒に弱くなったのではなく、呑む量がむかしより増えているのかも知れない。

たしか昨日は私ひとりでビール一本半、熱燗二合、シャンペンを半瓶、ワインを二本近くあけているはずである。節度のない飲み方だなあ。

少し反省して、今夜はウイスキーのコーラ割りなどという軟弱なものを飲んでいる。

二日酔いの日の夜でも、やっぱりJ&Bはうまい。


2月1日

忙しいぞ、今日は。

午前10時、西宮北口駅の南口に集合して、西宮警察署の「術科始め式」へ。

総勢10名。(飯田、吉永、林、矢部、ウッキー、江口、澤、大西、右田)

お忙しい中、よく集まってくれました。どうもありがとう。

二台の車をつらねて警察署へ。入り口ですでに刑事さんみたいな人が待っていて、「神戸女学院のウチダ先生ですね?」と二台分の駐車スペースにご案内いただく。

おまわりさんたちにご案内されて気分はVIP。

警察署というのはできれば行かずにすませて一生を終えたいところであるが、今回は「ゲスト」であり、堂々と裏口から(変なの)署内に入る。

柔剣道の試合を拝見してから、式の最後に20分ほど時間をいただき、合気道とはどういう武道かをご説明したあと、一同の演武をご覧いただく。

むくつけきおのこたちの格闘のあとに、武道系少女たちが出てきてすらすらすいすいと合気道をやるわけで、このコントラストがなかなか美味しい。おかげで会場は拍手喝采。

講評では「名門中の名門女子大のお嬢さんたちがこのようにきちんと伝統的な武道を習練されているとは、まことにうれしい限りです。日本の未来は明るい」というようなありがたいお言葉を賜る。

カナちゃんが代表で、署長さんから記念品をいただく。(なんと包丁二本組・・・ちょっと意図を計りかねるが、とにかく実用的なものであることはまちがいない)

そればかりか朝日新聞の地方版の記者にインタビューしていただき、さらに署長さんから「みなさんでお茶でも」と法外な金額のお茶代をいただく。(お茶どころか10人で昼飯腹一杯食べてデザートにストロベリーサンデーを食べてコーヒーのんで、まだお釣りがきた。署長さんてば、太っ腹。)

合気道の演武をさせていただいて感謝されて記念品いただいてお茶代までもらっちゃって、もう申し訳ないくらいである。

しかし、先方は私たちがほいほいと演武に来るとは予想されていなかったらしく、「まず断られるだろうけれど、ダメもとでいちおう電話入れてみよう」と電話したら、二つ返事で「いきますいきます」と私がせきこんで返事したので驚いたそうである。

なにはともあれ、西宮警察の署長、副署長、警務部長など、地元警察の偉い方たちとお知り合いになれた。

人生にはいろいろなことが起こるものであるが、まさか自分が警察で「お話と演武」をするようなことがあるとは19歳のウチダには想像もできなかったであろう。

ともあれ、「合気道普及ならびに『地域に愛される神戸女学院大学イメージアップ大作戦』」を標榜した今回の出張演武はかくして無事終了。

署長さまなの豪毅なお茶代を使ってデニーズで爆食したあと、大学で英語の採点の続き。

答案については面白い話がたくさんあるのだが、まだ合否判定前なので秘密。

650人分の答案の採点、集計は夕方に無事終了。

こういう共同作業というのは、何だか文化祭の準備をしているときみたいで、なんとなくうきうきしてしまう。入試の採点でうきうきした気分になるなんて私一人だろうか。

その足で下川先生のお稽古へ。

『竹生島』と『安宅』と『養老』のお謡を稽古してから、舞囃子『養老』の稽古。新年会まであと3週間ほどまで迫って、ようやく全曲通して舞っても間違えないようになった。(けっこう長いのだ)

『養老』は神舞(かみまい)というアップテンポの舞なのだが、あまりほいほい走り回ると山神の威容が損なわれるし、かといってあまりのったりしていると野生の凄みが出ない。速く動くと間が抜けるし、遅く動くと間に合わない。スピードと重々しさという矛盾するものを同時に身体で表現しないといけない。

なるほど。

甲野先生のおっしゃっている「多要素同時進行」という武術的身体運用と舞はやはり深いところで通じているようである。