Tomorrow never knows what wind will take me away: from 1 Jan 2002
4月30日
選挙があったり、幹事長の愛人疑惑があったり、石原慎太郎の「出馬」宣言もどきがあったり、有事法制、メディア規制、郵政民営化と国会もごたごたしたり、政局はなんだか混迷の度を加えているようである。
内田家のみなさんと政局について意見交換を行う。
結論は小泉首相は国会解散して、新党結成して構造改革を公約にして最後の勝負に賭けるしかないでしょう、ということになった。
有事法制にしてもメディア規制法案にしても、法案の条項そのものに整合性がないわけではない。
その整備の必要であることを説くロジックに大きな瑕疵があるとも思えない。
にもかかわらずこれらの法案への反対の声が大きいのは、これらの法律が、それを実質的に運用する内閣、国会、官公庁に高度にデリケートで適切な政治判断が求められる「運用依存的」な法律であるからである。
条文がどれほど整合的でも、運用当事者の運用能力に疑義があれば、「運用依存的」な法律に賛成することはむずかしい。
希代の悪法である治安維持法であれ、運用者の政治的判断が適切であれば、あれほどの災厄をもたらすことはなかっただろう。
その反省があればこそ、条文に整合性があっても、運用者の弾力的運用の範囲が広い法律に対して、戦後日本社会は一貫して懐疑的だったのである。
有事法制についてもメディア規制法案にしても、その趣旨に反対するものはいない。
しかし、連日の報道を徴するかぎり、政治家、官僚、警察官、検察官など、法律運用に当たるべき当事者たちは、それを適用されて摘発されることになる一般国民よりも、どうみても遵法精神において高いとはみなしがたい。そのような人々に、私権の制限や、報道の自由を規制しかねない法律運用権を委託することに同意してほしいと言われても、軽々に肯うことはできないだろう。
だから、これらの法律をめぐって、条文の整合性や、他国の同種法律との異同を軸に論じることはほとんど意味がないと私は思う。
法律を守ることより私利私欲を優先しかねない人間たち、自分たちの私権の擁護を公共の福利より優先する人々に、国民の私権の制限の範囲を判断を委ねることに同意してくれ、と言われても、それは無理である。
もし、これらの法案を通したいのであれば、政治中枢にいる人々は、高度の政治判断ができるできないという政治的識見を論じる以前に、「ふつうの国民以上に法律と人倫を守る」人であることを証示できなければならないだろう。
まず税金を払ってね。ちゃんと。あとの話はそれからだ。
4月29日
連休が始まったが、金曜から先週に引き続きまたまた発熱。
ほんとうに「蒲柳の質」とは私のことである。
体温計ではかってみたら37度。これくらいの微熱がいちばん困る。寝付くほどではなし、さりとて起きて仕事をするにはつらい。
金曜は大学までふらふらしながら行って授業を二つと会議を一つ。
家に帰って、そのままベッドへ。
土曜は合気道のお稽古。休むほどではないが、身体がだるく、背中や腰の関節がぴりぴり痛む。
そのままウッキーの「独立祝い」の祝宴に。
生来の「宴会体質」なので、ビールやシャンペンを飲みながらわいわい騒いでいる限り、なんでもない。
9時においとま、家ににもどってそのままベッドへ。目が覚めたら午前11時。たっぷり眠ったのだが、依然として熱は引かない。
東京へ父の見舞いにゆく予定であるが、どうしようかとベッドの中でうつらうつらする。
午後1時をまわったころ、ようやく腹を決めて出かけることにする。
新幹線の中で爆睡しているうちに新横浜着。
ヘッドフォンで志ん生の『寝床』を聴きながらよろよろと自宅へたどりつく。
熱があるので、遅くなったと言い訳をするのだが、概してひとびとは病人に対してあまりフレンドリーではない。
「だいたいタツルは、すぐに病気になりすぎる」
「ろくなものを食べないで不規則な生活をしているからにちがいない」
「生き方をただちに改めるように」
といった、病人を勇気づけるというよりはむしろ猛省をもとめるコメントを頂く。
こっちも弱っているので、「私はむかしから病弱な人間なんだってば」と弱々しい抗弁を試みるばかりである。
しかし内田家のみなさんは口は悪いが気のよい人たちなので、小言のあと3000円のユンケル(が特売で1980円)などを勧めてくれる。
兄上をまじえて、一時帰宅の父親を囲んで「一家水入らず」の夕食。
ふつうの家では、息子たちが結婚して子どもができたりすると、配偶者や孫たちがぞろぞろ集まるのを会食の基本とするようであるが、内田家では、配偶者や孫たちは「ファミリー」の正規メンバーには算入されていない。
両親と兄と私の四人で会食したり旅行したりするのが「基本型」なのである。
これはかなり特殊な家族のあり方と言ってよいであろう。
というのは、この「親族の基本構造」というのは、かなり幻想的なものだからなのである。
このメンバーで家族が実際に営まれていた期間は1950年から1969年までにすぎない。
60年代中期からは中学生高校生の生意気兄弟をまじえた会食はしだいに「なごやかな一家団欒」から「説教と言い訳と居直り」の場と変じ、家族で会食することは家族の誰にとっても次第に苦痛なものとなっていった。
67年には半年私が家を出ていたし、69年には兄が、70年には私が家を離れた。
つまり、「内田家水入らず」幻想の原型となった家族関係とは、私がものごころのついた1954年くらいから、兄が反抗期に入った1963年くらいまでの、わずか8,9年のことにすぎないのである。
しかし、内田家のみなさんにとって、この1954−63年の「内田家の黄金時代」はそれぞれにとって生涯最良の日々のひとつであった。
父親の会社は順調に業績をのばし、生活は一年ごとに楽になっていた。家庭は電化がすすみ、毎年のように冷蔵庫、洗濯機、掃除機、テレビ、ステレオ・・・と家具が充実し、母は家事の終わりなき苦役から解放され始めていた。息子二人は次男が病弱であったことを除けば、おおむね順調に育ち、父も母も断念した大学にまで進学できそうであった。
東京はまだオリンピックの狂騒的な乱開発の前で、家の前は麦畑とネギ畑が広がり、春には菜の花が咲き、冬は霜柱を踏み砕きながら学校に通っていた。
ラジオではシナトラやベラフォンテやキングコールにまじって、若きエルヴィス・プレスリーの曲がしだいにひんぱんにかかるようになってきて、子どもたちは『赤胴鈴之助』や『昨日の続き』のあいまに、どきどきしながら「ハウンドドッグ」に耳を傾けていた。
安保闘争も三井三池争議も、私たちには遠い出来事だった。
それは小津安二郎の『お早う』が描いた多摩川べりの住宅地の日常のままの、ずいぶんのんびりした生活であった。
内田家の人々が「水入らず」で集まることにこだわるのは、たぶんあの50年代終わりから60年代はじめの、「日本はこれからも平和で、民主的で、住み良い国であるだろう」という気楽な見通しのうちに日本人の大多数が安んじていた時代へのノスタルジーを、暗黙のうちにみなさんが共有しているからではないか、と私は考えるのである。
4月24日
共同通信に書いた「天皇と芸能」についてのエッセイが『沖縄タイムズ』に掲載されたらしい。真栄平先生から「読みましたよ、ふふふ」というご挨拶を頂いた。
真栄平先生は沖縄のご出身である。ちゃんと故郷の新聞を定期購読しているのである。
仙台在住だが名古屋出身なので「中日新聞」を取り寄せているとか、福岡在住だが北海道出身なので「北海道新聞」をとっている、とかいうひとがいることを寡聞にして知らない。
おそらく、どこの土地の新聞を読んでも別にかわりばえがしないからだろう。
しかし、真栄平先生があえて『沖縄タイムズ』をご講読であるということは、沖縄の新聞と本土の新聞のあいだには報道の「温度差」があるということである。
考えてみたら、沖縄は天皇制について論じるときにタブーがいちばん少ない土地である。
だって、つい江戸時代までは天皇、将軍のほかに琉球王というものが存在して、少なくとも形式的には三権が並立していたわけだから。(そういえば、第二次世界大戦後の全国行幸のときも、昭和天皇は沖縄にだけは足を踏み入れていない。日本政府のがわに軍政への政治的配慮があったのかもしれないし、沖縄は伝統的には「豊芦原瑞穂国」の一部としては観念されていなかったからかもしれない。)
憲法記念日用の原稿として書いたのだから、『沖縄タイムズ』はずいぶんはやく配信記事を掲載してくれたことになる。
沖縄のひとにとっては「面白い」記事に思えたのだろうか。
そうだったら、うれしい。
3年生のゼミは、「幽体離脱」のできる池田さんによる「霊魂」のお話。
こういう話を大学のゼミで扱うと「ウチダさん、ちょっとまずいんじゃないの、そーゆーヨタ話は・・」というようなことを言う人がいるが、それはいかがなものかと思う。
うちの大学はキリスト教を建学の精神とする大学である。
キリスト教は霊魂の存在を認めている。というか宗教体系の全体が霊的なものの運動を軸に成立している。『聖書』をよめば、そこらじゅうに「霊」がわんわん出てくる。族長や預言者たちに主の栄光が臨むのは当然としても、新約の使徒たちにもすぐに霊は下るし、パウロだって「霊の賜物」を全世界にわかちあたえるために伝道しているのである。
その大学で「霊魂の話はちょっと・・・」というのは筋が通るまい。
私のお師匠さまはお二人とも信仰をもつ方である。
レヴィナス先生は篤信のユダヤ教徒であったし、多田先生は密教と神道の行法を修めている。
ただしお二人とも、その信仰のあり方はある意味非常に「近代的」である。
「近代的」というのが悪ければ「ヒューマン」な信仰である。
レヴィナス先生は神秘主義やオカルトが大嫌いである。それが人間を霊的に高め**ないからである。
多田先生にとって霊的なものはつねに人間のポテンシャルを開化させる契機との関連で語られる。
信仰は、人を「高める」ためにある。人を「成熟させる」ためにある。
信仰を得たことによって安心したり、うぬぼれたり、他人を見下したり、「超越的なもの」と直取引ができたように気になったり、世界の秘密が分かったような気になったりするのは、信仰による「幼児化」である。
そんな信仰を持ってはならない、というのがわが師たちの教えである。
信仰は人を不安にさせ、謙虚にさせ、他人を敬愛する方法を教えるものである。
科学信仰や歴史信仰も、それと同じである。
世界の成り立ちについての「一元的説明」を信じ込み、それによって「安心」している人間は「鰯のアタマ」を拝んでこれで現世の御利益の来世の安寧も保証されたわと「安心」している信者と、素朴さと幼児性において選ぶところがない。
私はレヴィナス先生には叱られそうだが、オカルト話も大好きである。
それは「おお、ホレーショよ、世の中にはおよそ哲学の及びもつかぬことがあるわい」という感嘆の声をあげることが好きだからである。
ウチダは「びっくりする」のが好きなのである。
さいわい、ゼミ生たちはみんなそれぞれ「びっくり話」のネタに事欠かず、「おおお」とか「わわわ」とかいう感嘆の声がゼミ室にいつまでも響きわたったのである。
4月23日
火曜日は「半ドン」である。お昼に仕事が終わって、ぱたぱたと家に帰る。昼御飯を食べて、掃除洗濯をしてから、夕食の支度まですませて、能のお稽古へ。
下川宜長先生のお宅は私の家から坂道を転げ落ちて五分のところにある。素謡『竹生島』と舞囃子『養老』のお稽古一時間で一汗かく。
謡はだいぶバイブレーションがよくなってきた。
謡曲もほかの歌謡も同じはずだが、声は「前に」出してはいけない。内側に引き取って巻き上げる。すると頭頂部の百会のあたりに「穴」が開いて、そこからバイブレーションが天へ抜けて行くのである。
うまく抜けるとたいへん気分のよいものである。
舞はまだ「歩く」ところで難渋している。
いろいろ工夫をしているのだが、「これだ!」という原理を見出せない。
やり方をかえると、体感が微妙に変化するのは分かるし、先生の動きを見ていると、どういうふうになれば「よい」のかは分かるのだが、「よい」動きをしているとき、シテの身体の内側ではどういう「感じ」がしているのか、それがまだ想像的に追体験できない。
私はどちらかというと「ことば」から身体運用に入る人間なので、身体の外側を見ていると同時に「内側ではこういう感じがしている」ということを「ことば」で言ってもらえるとありがたいのである。(「天井から糸で吊り下げられている感じ」とか「膝から下が液化して崩れる感じ」とか・・・そういう土方巽的なメタファーが好きだ。)
ひさしぶりにカレーを作る。
茄子、ニンジン、ピーマン、マイタケなどを大量に入れた極辛チキンカレーである。
ありとあらゆる「辛い」調味料を見境なく放り込む。
てきとうに作ったのだが、けっこう美味しかった。
飽食したので、そのままずるずる寝ころんでDVDで『ダーティハリー5』を見る。
おととい3、4、5とまとめ買いしたので、これで三夜連続の『ダーティハリー大会』である。
作品の出来としては、クリント・イーストウッド自身が監督した不条理劇的な『4』がいちばんよかった。
台詞は『3』の Go ahead, make my day. にトドメを刺す。
コーヒーショップにはいった強盗が女性を人質にとって、彼女に銃をつきつけて、
「近寄るとこいつを殺すぞ」と脅すのだが、キャラハン刑事はまるで気にしないでマグナム44を強盗の顔面につきつけたままどんどん間合いを狭めて、この台詞を吐くのである。
なんて訳したらいいんだろうね。
「いいからやれよ。俺を楽しませてくれ」
うーむ。
「やれよ。派手なパーティにしようじゃないか」
なんてのはどうかね。
村上春樹によると、この場面ではアメリカの観客は「おおおー」とどよめて満場総立ち大喝采になるのだそうである。
『昭和残侠伝』における健さんの「死んで貰います」みたいなものであろう。
ゆうべ見た『5』では、開巻早々殺されてしまうジャンキー・ロッカーの「死に方」にあまり気合いが入っていたのに感心して、死に顔をつくづく眺めたらジム・キャリーだった。(クレジットではJames Carrey)
ジム・キャリーさんてば、売れない頃はこんなところでけっこうまじめな芝居をしてたんだ。
ハリー・キャラハン刑事について分かったこと
(1) コートを着ない(寒いときはジャケットの下にセーターを重ね着する)
(2) 飲むのはビール(バドとかクアーズとかいう庶民派銘柄)
(3) マグナムを抜き撃ちする前に一回まばたきをする
(4) いかなる銃弾も彼には当たらない
4月22日
フランスの大統領選挙で国民戦線のジャン=マリ・ルペン候補が17.5%の得票でジョスパンを抑えて二位になってしまった。近来の椿事である。
左翼が四分五裂して社会党のジョスパンへの票が割れたのが原因だというのが新聞の分析だが、一位のシラクが19%というのだから、それにしてもの既成政党の凋落のはげしさである。
国民戦線 Front National の歴史認識と国際理解はおそろしく単純であり、「世の中、そんなに簡単なら、誰も苦労はしねーよ」と泣きたくなるほどアタマの悪い政党なのであるが、それが有権者二割近い支持を集めたということは、「フランス人も、ほんとにアタマが悪くなった」ということである。
フランスというと「啓蒙と革命の国」というふうなイメージがひろく流布されているが、その裏面には反ユダヤ主義と排外主義とファシズムの連綿たる伝統がつねに伏流している。
それを歴史家は La France profonde (深層のフランス)と呼んできた。
都会的でコスモポリタンで開放的なフランスの裏側には、土着的で閉鎖的で暴力的なフランスがつねに隠れている。
19世紀の王政復古から第二帝政、ブーランジスム、ドリュモンとモレス侯爵の反ユダヤ主義、モーリス・バレスの田園ナショナリズム、シャルル・ペギーのジャンヌ・ダルク賛歌、シャルル・モーラスのアクション・フランセーズ、ジョルジュ・ソレルの『暴力論』、セルクル・プルードン、火の十字団、ペタン元帥、マルセル・デアのフランス・ファシズム、ドリュ・ラ・ロシェルのNRF、ティエリ・モーニエとモーリス・ブランショのテロリスム文学論・・・と続く滔々たる流れは、「左翼思想史」に比べて遜色がないどころか、むしろはるかに役者が揃っている。
しかし対独協力ヴィシー政府が大コケして、戦後フランスがその恥ずべき記憶をぐちゃぐちゃに隠蔽したことによって、この伝統は暴力的に抑圧されてしまった。
そしてフランスにおける「正当なる右翼思想」の伝統は断絶してしまったのである。
「私は王党派だが、それが何か問題でも?」ということをばりばり言うような論客はモーリス・ブランショの「転向」を最後にひとりとして出ていない。
こうして、フランスにおいては右翼思想の深化と洗練がまったく顧みられないままに戦後半世紀が過ぎてしまったのである。
つまり戦後フランスには三島由紀夫がいなかったのである。
誰が見ても、国民戦線は、フランス右翼史上最悪に「頭の悪い」政党である。(ティエリ・モーニエの「国民革命」綱領と国民戦線のプロパガンダを読み比べると、「大学生と幼稚園児」の作文くらいの知能差がある。)
しかるに、その史上最悪のバカ政党が、あろうことか戦後右翼運動史上最大の政治的勝利を収めたのである。
これをしてフランス人の「バカ化」という以外にどう説明しろというのであろうか。
もっと「ましな右翼」はフランスにはいないのだろうか?
フランスこそがファシズムと反ユダヤ主義と排外主義の「本家本元」なんだからさ、頼むよ。もう少しまともな「思想家」を出してきてよ。
4月21日
土曜日はフレッシュマンキャンプ。
今回は難波江さんのクラスにまぜてもらう。
一年生21名と懇談する。
私がフレッシュマンキャンプを主宰しているころは、懇談というより宴会という雰囲気のうちにだらだらと一夜が過ぎたのであるが、難波江さんはさすがに「きちきち」した人であるので、みんなぴちっと椅子に座ってぱしぱし質問する難波江さんにてきぱきと答えている。(という全体に「ぱ行」の多く感じられるミーティングであった。)
有用な情報多数が得られ、さっそくそれを「ゆめうつつ」メーリングリストに書き送って総文教員全員に周知する。
総じて、今年の一年生は「なかなかできる」という印象である。
一時期(震災のあと)、ずいぶん入学者偏差値が落ちたことがあり、ある年、四月の最初、新入生のいる教室に入ったら、それまで聞き慣れない「発声法」で学生たちが話すのでびっくりしたことがある。(破裂音と擦過音の多い、「がりがりきいきい」いう声なのである。)
そのときに私は「破裂音・擦過音の多さと学力の相関」について直観を得たのであるが、その後数ヶ月たつうちに、学生たちは「ふつうの声」で話すようになってしまったので、理論の進化はなされなかったのである。
ことしのこの一年生たちはたいへん「声がよい」。
耳障りな「音」を出すものがいない。21人もいてわいわいご飯を食べているのだが、気持のよいざわめきである。
これはウチダ理論によれば、学力が高いことの指標である。
総文の偏差値は今年前年比で2.5ポイントほど上がったはずである。(予備校が出す数値だから、多少ばらつきはあるが)
このままポイントがあがってゆくと、あとちょっとで「全国大学ランキング」の「A級校」に入れる。(これは偏差値56以上。「超A級校」は慶応・早稲田・上智・ICUの四校だから、その一コ下のカテゴリー)ここに入れれば、「ほっと一安心」である。
よし、来年の目標は「A級入り」だ。
おじさんたちも学生に触発されて、いきなり教育的情熱に駆られ、食卓で隣にすわった学生たちをつかまえて、朝からギリシャ神話やシェークスピアについての基礎的教養がいかに必要であるかについて滔々と論じ立てる。
朝からやかましくて、ごめんね。
家に戻るが、なんだか朝から一仕事終えたような気分なので、そのままずるずる昼寝。
昼過ぎにのそのそ起き出してから、『メル友交換日記』(仮題)のゲラ校正をする。
「在日と共生」という主題で書いた部分が、他に比べてどうも「生硬」である、という指摘を編集の内浦さんから頂いたので、手直しをすることにする。
どうもこの問題になると、私のようなおしゃべりでも、口調が「硬くなる」。
どんなことを書いても、必ず誰かが「熱くなる」からである。
私はだいたい何を書いても人を怒らせてしまうのであるが、この論件については「怒り」方がはんぱではない。
天皇制と在日コリアン問題と憲法九条と自衛隊はそういう意味でたいへん危険な論件である。
これらの問題については、なぜか人は異論に対して暴力的なまでに非寛容になるからである。
「ぜったいこうでなきゃダメ。私に反対するやつは非国民(または「帝国主義者」または「人種差別主義者」)である」
というような言い方になる。
英国王制や在フランス・モロッコ人問題やアメリカ憲法修正四条問題や人民解放軍についての議論においては、「ふむふむ」と異論に耳を傾ける人たちも、なぜかこの問題になるとやおら甲高い声をあげて、相手のことばを制するようになる。
これらの論件については、異論を聞くだけでアイデンティティの危機を感じるようになるということは、そこで選択される政治的立場がそのひとの個人的なアイデンティティの成否にふかくかかわっているからである。
そのほかの論件については、政治的立場と個人のアイデンティティはこれほど深くはつながっていない。
私はもともと、その人が奉じている社会理論と、その人の人間的クオリティのあいだにはあまり関係がない、という考え方をしている。
だから、「マルクス主義者だからダメ」とか「フェミニストだからバカ」とか「天皇主義者だから人種差別主義者」とかいうような短絡的な判定には与さない。賢明なるマルクス主義者もいるし、思慮深いフェミニストもいるし、他者に親和的な天皇主義者もいる。ひとはいろいろだ。
しかし、そういう考え方をする人はあまりいない。
ある種の政治的立場をとることと、個人の知的・倫理的資質のあいだには切り離せないリンケージがある、というのが現在、左翼右翼を問わず、言論を事とする人たちの間で支配的なイデオロギーである。
私はそういうふうに思っていない。
だから、どんな政治的事件についても、てきとうに、その場で思いついたことをだらだら書く。
私があれこれ発言するのは、べつにその意見にこだわりがあるからではない。(私は持説を撤回すること風のごとく疾い。)
ある意見を言うのはキャッチボールのようなもので、それを受けとめて、他の人たちがどんなボールを返してくるか知りたいだけである。
だから、「ストライクゾーンはここだけだから、このゾーンに入らない球はキャッチしてあげない」とか、「このゾーンからはずしたら殴る」とかいうようなことを言われるとすごく困る。
4月17日
天皇制についての原稿を書いたということを書いたら、いろいろな人からご意見が寄せられた。
それについてさらにあれこれと答えている。
上野千鶴子の定義によると、「王権制」とは「共同体の内部と外部を架橋する媒介者のポジションに特権が集中する」という権力制度のことである。
常識的に考えると、そういうたいせつな仕事は、その集団において、いちばん知性的で、いちばんものの事理がわかっていて、いちばん成熟しいる「まっとうなおとな」が担当するのが筋だろう。
だが、じっさいにはそうではない。
日本の場合、どうもこの「媒介者」のポジションをむしろ「きわだって変なひと」が占めるということが構造化されているんじゃないかと思うことがある。
例えば、アメリカではロナルド・レーガンは大統領になったし、クリント・イーストウッドだってカーメルの市長をしたことがある。グレゴリー・ペックとかヘンリー・フォンダとかマーロン・ブランドとかジョン・トラヴォルタとかは機会があるごとに政治的発言をして、「成熟した政治意識をもつ市民」であることを示そうとする。
彼の地の映画スターたちは「変なひと」であることではなく、「すごくまっとうなひと」でありたがるのである。
だからケーブルTVのインタビュー番組にでてくるハリウッドスターたちのいうことはさっぱり面白くない。まるで「道徳の先生」みたいなネムイことばかりしゃべっている。
ひるがえって、日本の映画俳優で「成熟した市民」であることをことさらに誇示する人はいない。むしろ、いかに自分が幼児的であり、世間知らずであり、掟破りであり、逸脱者であるかを嬉々として語る。
それと関係があるかどうか知らないけど、我が国では、映画俳優が政治家になった例というのを寡聞にして知らない。
じゃあ、その政治家はどうかというと、これもどう見ても「成熟したおとな」を選び出しているようには思われない。
田中真紀子とか鈴木宗男とか辻元清美とか、さいきん話題になった政治家たちを思い浮かべて、その中に「成熟したおとな」「共同体の利害を体現する知者」というようなたたずまいをもつ人はいない。
みんな「きいきい」叫ぶばかりの「変なひとたち」である。
だいたいいまの最高権力者御大ご自身が、かつて田中真紀子が「軍人凡人変人」という絶妙のコピーを詠んだときの「変人」宰相そのひとである。
あるいはまた、タレントから政治家になった方々を拝見すると、田嶋陽子、栗本慎一郎、桝添要一、野坂昭如、大橋巨泉、田中康夫、立川談志・・・
どうみても「それぞれの職能集団を代表する長老」とか「賢者」というよりは、「それぞれの集団において、メインストリームからはぐれたひと」である。
つまり、日本というのは、それぞれの集団における「模範的な個体」ではなく、むしろ積極的に「異形のもの」を「媒介者」として析出し、彼らが共同体の外部との媒介者の地位を占め、ある種の差別とある種の特権を同時に享受するという構造を持つ社会のようにウチダには思われるのである。
いうなれば「トリックスターがスター」社会である。
このような社会を支えている心性というのは、かなり「変」だと思う。
こういうことって、ヨーロッパのような「階級社会」にも、あるいはアメリカのような「グローバル・スタンダード」社会にもありえないことだと思います。
そういう社会では、その社会において「これは価値がある」と公共的に認知されているものの所有とご本人の権力のあいだには、あきらかにプラスの相関がある。
しかし、日本にはなんだかそれが「ない」とまではいわないけど、微弱なような気がする。
日本において「成熟すること」への動機づけが弱いのは、もしかすると「成熟したおとな」になることと権力や威信のあいだにさっぱりリンケージがないからかも知れない。
そのような権力構造と古代王権制のあいだには、なにか深いむすびつきがあるのではないか。ウチダはそう愚考するのである。
4月16日
人はしばしば「主観的願望」と「客観的情勢判断」をとりちがえる。
「・・・であったらいいな」という欲望が「・・・である」という事実認知に置き換わってしまうのである。
いまから30年前、まだ学生運動のさかんだったころ、私たちが読まされたアジビラはまず「情勢判断」から始まるのがつねであったが、そこには例外なく、「いまや階級情勢は革命前夜のクリティカルな局面にあり、いま、ここでのほんのわずかな政治的行動の成否が以後の階級関係を決定的に規定するであろう」というふうな文言が並んでいた。
私はそういう文章を読みながら、「ほんとかなー」と疑問を感じていた。
たしかにそのころ、東西冷戦はまだ継続中だったし、ベトナム戦争は泥沼化していたし、中国は文化大革命の大混乱のうちにあったし、先進国の政治情勢はどこも不安定だった。
しかし、60年代末の反体制運動の全世界的な高揚期は去り、少数の突出した集団だけが過激化・テロリスト化したせいで、かえって社会変革の全社会的な気運は急速にしぼみつつあるように私には思えたからである。
そして、不思議なことに、階級情勢がどんどん「不活性化」してゆくにつれ、アジビラの「危機」を煽る文言はますます饒舌になっていったのである。
1960年代の終わりに、廣松渉はあと数年で日本は革命前夜的状況に突入するときっぱり「予言」し、革命戦線構築の急務であることを力説していた。
いったい何を根拠に廣松はこんな未来を予測できるのか、そのときの私には見当がつかなかった。
そのあと廣松は東大の哲学科の教授になって、「世界の共同主観的存立構造」について深遠な思弁を展開していたけれど、あの「予言」の「おとしまえ」がどうなったのかは寡聞にして知らない。
私はべつに廣松に文句があるわけではない。(愛読してたし)
そうではなくて、廣松渉ほどの知性でさえ、「主観的願望」と「客観的情勢判断」を混同することがある、ということを指摘しておきたいのである。
何が言いたいかというと「有事法制」である。
昨日の閣議で武力攻撃事態法案をはじめとする「有事関連三法案」が決定され、今国会での成立にむけて与党の合意が成った。
これについてはすでに賛否両論がメディアをにぎわしており、私が諸賢に付け加えるべき新奇なる情報は何もない。
ただ、新聞記事を読んでいて「ふーん」と思ったのは、有事法制の推進者たちの「主観的願望」のあり方についてである。
福田内閣のときに有事法制研究が始まって25年も「タブー視」されてきた有事法制がここにきて一気に国会日程にのってきたのは、ご存知のように98年の北朝鮮によるテポドンの発射、01年9月11日のテロ、12月の不審船事件、そして中東で日常化しているテロと戦闘の映像に日本の有権者が「慣れて」きたからである。
「そういう事態がもうそこまで来てるんですよ」
というアオリ方をされると「ふーん、そうか」と思うのは凡人のつねである。
またぞろで申し訳ないが、弘兼憲史が朝日のコメントにこう書いている。
「日本が有事に直面した時にどうするのか、できるだけ早く法制化すべきだと考えてきた。法制化に反対する人たちは、何のために必要なのかと言うかもしれない。国際情勢が変化したとはいえ、私は、日本を武力攻撃する可能性のある国は、今でも周辺に複数あると思っている。いざという時のための準備をしておくのは当然である。」
これだけ読むと「ふむふむもっともだ」と思う人も多いであろう。
私も「ふむふむ」と読んだ。
そして、「あ、これはむかしの『あれ』に似てるなあ」と思ったのである。
そう、60−70年代にうんざりするほど読まされたアジビラと弘兼のコメントは、文脈こそ違え、伏流している思考パターンは酷似しているのである。
弘兼は「外国からの武力攻撃」の可能性を「客観的判断」として書いているが、実はここには弘兼の(無意識の)「主観的願望」のバイアスがつよくかかっている。
外国勢力が、「平和ボケ」して、何の「危機管理」の備えもない日本社会を急襲し、その社会システムがいかに脆弱であるかがあきらかとなり、国民全員がわが身大事と私利私欲に走って、まともな抵抗活動が組織できないこと、市民運動や人権派の運動がどれほど深く国益を損なうものであったかが事後的に暴露されること、それをこそ弘兼は「それとしらずに」切望しているのである。
だって、弘兼の「正しさ」を論証する最良の方法は、まさに「何の備えもない日本が外国にぼろぼろに蹂躙されること」にほかならないからだ。
誰だって気がついたと思うけれど、「テポドン」や「テロ」のときにTVを見ると、国防の急務であることを説く保守派の政治家が勢いづいて、元気いっぱいであるのに対して、非戦派・護憲派・人権派の政治家は気合いの入らない「暗い顔」をしている。
それも当然。「国防の急務である」という彼らの主張が条理にかなったものであり、先見性を備えたものであることが論証されるためには、日本が外国の武力勢力によって侵攻されることがいちばん有効だからである。
変な話だけれど、まさに現実はそうなのだ。
有事法制についてのありうる未来は次の六通りしかない。
(1) 法制化をしなかったが、どこからも武力侵攻がなかった
(2) 法制化をしないままに外武力侵攻にあったが、効果的に国防活動がはたされた
(3) 法制化をしないままに武力侵攻にあって、ぼろぼろに蹂躙された
(4) 法制を整えたが、どこからも武力侵攻がなかった
(5) 法制を整えたあとに武力侵攻があったが、効果的に国防活動が果たされた
(6) 法制を整えたが、武力侵攻にあって、ぼろぼろに蹂躙された
この六通りである。
この六通りの未来のうち、事後的に有事法制の緊急な整備を正当化してくれるのは(3)と(5)の場合だけである。
しかし、(5)の場合は、法制化のおかげで勝利し、法制化がなされなければ敗北した、ということが証明されなければならない。それは不可能である。というのは、何かが失敗したときに単一の有責者を指定すること(「あいつのせいだ」)には集団的な同意がとりつけやすいが、何かが成功したときに、単一の成功因を指定することは事実上不可能だからである。(全員が「私のおかげだ」と言い出すからである。)
つまり(3)以外はすべて有事法制をいまここでおおいそぎで制定することの必要性に論拠を提供しない未来なのである。
繰り返し言うが、国防の喫緊であることを説く理説を宣布するいちばん効果的な方法は「危機をあおる」ことであり、その正しさを証明するいちばん確実な方法は「侵略されること」である。
だから、どこの国でも、ナショナリストは、戦争を防ぐため、国民と国益を守るために必死に論陣を張っているおのれの努力が正当に評価されていないというフラストレーションをかかえこむうちに、いつのまにか、戦争が起こること、国民が殺され、国益が損なわれることを無意識に待望するようになる。
倒錯した欲望だ。
けれども、彼らの洞見が称えられ、彼らのの社会的威信とポピュラリティを高めるためには、外国の侵略が不可欠なのである。
だとすれば、心弱い人間が、どうしてそのような「非常時」を切望することを抑圧できようか。
だから私は弘兼を責めているのではない。
9月11日のニューヨークのテロのとき、アメリカでも日本でも躍り上がって喜んだ人々がたくさんいたはずである。
「これで軍事予算がつくぞ。これで国論が統一できるぞ。これで有事法制にはずみがつくぞ」
はずかしいことだが、人間は弱いものだ。そう思うのはしかたがない。
だから私は弘兼がかりにそれと知らずに「外国の工作員が侵入してきて原子力発電所が破壊された」り、「不審船が領海内でミサイルで攻撃をしかけて」くるような事態を心待ちにしていたとしても、それを咎めようとは思わない。
ここで話はもとに戻るのだが、主観的願望、それも本人がそれを意識することに抑圧が働くような主観的願望は、その人の情勢判断に深く、決定的な影響を与える。
「有事への備えが必要である」という判断をするひとは、目に入るあらゆる情報の中から、彼のその判断を支持するような論拠だけを選択的に拾い集めるようになる。十分な論拠がない場合は、自説を支える論拠−「有事の発生」−を切望するようになる。
これは自然科学者の場合だって同じである。(ダーウィンは、自分の仮説に反する研究データはすべてノートに記載する習慣を持っていた。「自分の仮説に反する研究データ」を研究者は組織的に失念することをダーウィンは知っていたからである。)
政治家が自分の政治的判断になじまない情報やデータを意識から排除すること、それは人間である以上しかたがない。
しかたがないけれど、「人間は自身の主張になじまない情報を排除して、つごうのよい情報だけを拾い集め、総じて客観的情勢判断のつもりで主観的願望を語る生き物であり、私もその例外ではない」ということは、クールになりさえすれば意識できることなんだから、意識しておいて欲しいと思う。
いまいちばん必要なのは、「日本が武力攻撃される可能性とパターンとリスクヘッジとコストパフォーマンス」についての、いかなる「主観的願望」とも無縁な、クールでリアルで計量的な議論であると私は思う。
しかし、メディアを徴するかぎり、この論件について、主観的願望を自制し、クールダウンする努力をはらっている論者に私は出会ったことがない。
みんな「熱い」のだ。
それは弘兼と同じコラムに「有事法制反対」の議論を寄せている辺見庸もその典型である。
辺見のコメントは「全身が震えるほど強い怒りを感じる。」という一文から始まっている。私はそれだけでもうこの人の書くものの続きを読む気がしなくなった。
「全身が震えるほど強い怒り」に基礎づけられて社会が住み良くなる、というような社会的論件もたしかにある。
しかし、戦争はそのような論件ではない。
クラウゼヴィッツが指摘したように、国民国家の遂行する戦争機械に駆動力を供与するのは「怒りと憎しみ」である。
国民国家内部に蓄積される怒りと憎しみは、どのような形態のものであれ-戦争の成り立ちを説明する言説のかたちをとろうと、戦争抑止のための言説のかたちをとろうと-戦争機械に(少なくともその一部分は)収奪され、戦争機械を前に進める動力を提供する。
そのことはもう2世紀前から分かっていることだ。
ぜったいに「怒らないこと」。
クールになること。
それが戦争へのコミットメントを、戦争による災禍の到来を一秒でも先送りするための最良の方法であると私は信じている。
だから、軍事や戦争や侵略について語るときには、危機を望む主観的願望に身を任せることも、ベリシストへの怒りに身を任せることも、ともに自制しなければならないと私は思う。
外国に武力侵略されるのは誰だっていやだ。
そのことについては国民の意志は一致しているはずである。
だったら、根本的な利害は一致しているんだから、みんなもっと「ふつうの声」で話し合うほうがいいし、それができないはずはない、とウチダは思う。
4月15日
ゼミと杖道会の稽古。
かなぴょんしか来てないので、ふたりで制定型をひさしぶりにおさらいする。(去年の6月以来くらいである)
かなぴょんもながく稽古していないので、あちこち間違えて、そのたびに『杖道入門』をとりだしてチェックする。
「霞」の捌きを確認しようとしてみたら、松井健二さんの本は写真が一頁ずれていた。困るよ。
とりあえず十二本目乱合まで思い出して、喜んでいたら、合気道部の若手二人と、新入生が見学に来たので、急にまじめな顔になってばしばしと形を遣う。すると、見学者が「私もやりたい」と言い出した。
よい傾向である。
新入生は剣道二段だそうである。さすがに、杖を持っても、手の内や体軸がしっかりしている。
さっそくふだんぎのままで稽古にまじってもらう。
ひさしぶりの杖の稽古なので、初心者に教えるときの手順を思い出せなくて、いささか段取りが前後するが、だんだんと思い出す。体術でずいぶん杖の足捌きを応用したので、ひさしぶりに形を遣ってもあまり違和感がない。やはり武道的な身体運用の基本は同じである。
来月からは居合と制定型をやって、最後に合気杖でやわらかく杖を遣ってからだをほぐしておしまい、というプログラムでやることにする。手裏剣の稽古も始めないといけないし、松聲館の甲野先生の杖の形(「影踏み」というかっこいい名前がついている)もぜひ習得して稽古してみたいものである。
そういえば、その甲野善紀先生から先週の木曜の夜にお電話をいただいた。
『「おじさん」的思考』をお送りしたので、その感想をお知らせいただいたのである。気に入っていただけたようで、「やあ、あれは面白い」と電話口で大笑いされていた。(ホームページの随感録にも感想を書いていただいた。ありがとうございます。)
そのときに「次はいつ遊びに来てくれますか」という話になり、6月下旬から7月にかけてがよいだろうということになって、そのころにまた講演会と稽古会をセッティングすることにした。こんども稽古のあとに、どどどと名越先生のところに雪崩れ込んでみんなで大騒ぎしたいものである。
朝日新聞の『e-メール時評』もイレギュラーだけれど今日二回目が出た。
ほんとうは三週間に一回のはずなのだが、執筆者でいきなり「落とした」人がいて、「書き助」(@江弘毅)の私におはちが回ってきたのである。それにしても、新年度開始二週目でいきなり600字の原稿を「落とす」というのもなかなか剛胆な執筆者がいるものである。そういうひとの剛胆さにくらべれば、私なんてほんとうにかわいいものである。
今回の原稿は「OK」であった。
「ウチダさん、これですよ。こういうのがいいんですよ」
と喜ばれた。
あ、こういうのが、よかったのか。なんだ、はじめから、そう言って下さいよ。
なーんだ、「この手」だったのか。はいはい。こんなのでよければ、いくらでも。
4月13日
共同通信から憲法記念日のための「憲法についての」エッセイを頼まれたので、天皇制について書こうと思って、送っていただいたいろいろな資料を読んでいる。
この論件については、大塚英志がひとりでがんばってあちこちで論陣を張っているのが印象的だった。
大塚英志の仕事は、そのむかし『本の雑誌』で連載していたマンガ論以来つねに敬意と関心をもって読んでいるが、憲法論議においても、イデオロギー的な対立図式に持ち込まずに、何とかして対立者と生産的な対話を行おうという基本的な構えを貫いているのが偉い。
憲法九条や自衛隊や天皇制については、どの党派的立場からであれ、「正しいのはこの意見だけ」というような主張の仕方をする限り、国民的合意は得られない。
この三つの論件は、「共同体とは何か」、「共同体にとって『外』とは何か」、「『外』と『内』を媒介する機能は『誰』が担うのか」という人間社会の存立についての根源的な問いにかかわっている。
根源的な問いというのは、一般解のない問いのことである。
できあいの図式にあてはめて「すっきりした」答えを出して、「ほら、こんなにすっきりした答えが出たんだから、みんなこれを受け容れなさい」と言い張ってもまず国民的合意は得られない。
だって、根源的な問いというのは、そもそも「すっきりした答え」が出ないから「根源的」なのである。
その問いについて吟味する知性のはたらきそのものの構造や規則性が、その「問い」のうちにすでに含まれているような問いだけが「根源的」といわれるのだ。
ややこしい言い方をしてすまない。
つまり、日本語で思考し、日本語で記述するだけでほかの外国語をまるで知らない人間には「日本語の文法構造」とか「日本語の音韻体系」というようなものを析出する方法がない、ということである。
憲法九条、天皇制、自衛隊の問題というのは「日本とはどんな共同体なのか」「日本の『外部』とは何か」「日本の『外部』と『内部』を媒介するのは誰の仕事か」ということにかかわっている。
さしあたりいちばん重要なのは最後の問いである。
すべての集団において「外部と内部を媒介するもの」、外部を専一的にコントロールするものが特権的なポジションを占める。これが「王権」というものの本質である。
現在のすべての言論の構造だってその意味では「王権」の覇権闘争と言えるのである。
「アメリカではみんなこうなんだよ」とか「ヨーロッパではこんなの常識」とか「専門家のあいだでは笑い話」とかいうようなワーディングはすべて「おれは『外部』との通路をもってるぜ」ということを誇示して、権力性をかせごうとするみぶりにほかならない。(だから前にNAMの本をよんだとき、私は柄谷行人は彼の作りだそうとしている理想社会における「天皇」になりたがっているのだと思ったのである。自分が天皇になりたがっている人間に天皇制の批判ができるだろうか、というのが「問いは根源的だ」というときに私が言おうとしていることである。)
閑話休題。話をもどすね。
社会制度については、「どうして今あるような不合理な制度が出来て、もっと合理的な制度にならなかったのか」と問うことは、「どうして日本語は英語ではないのか」というのと同じくらいに無意味な問いである。
レヴィ=ストロースはきっぱりとこう書いている。
「さまざまな信憑や習慣の起源について、私たちは何も知らないし、この先も知ることができないだろう。なぜなら、その根は遠い過去の中に消えているからだ。」
社会制度についての問いかけは、二種類の自制を要求する。
一つは、レヴィ=ストロースが言うように、「その起源について知ることは出来ない」という知的限界の自覚である。
もう一つは、「その起源を探求する」おのれの知性の中立性を不当前提することの自制である。レヴィ=ストロースはこう続けている。
「習慣は内発的な感情が生まれるより先に、外在的規範として与えられている。そして、この不可知の規範が個人の感情と、その感情がどういう局面で表出され得るかあるいは表出されるべきかを決定しているのである。」(『今日のトーテミスム』)
国民国家とか天皇制とか軍隊とかいうものについて、「きっぱりした意見」を持っている人々は、そういう政治的制度は「外」にあり、自分のそれに対する「感情」(共感や反感、親愛や嫌悪)は「内」にあると思って切り分けているのかも知れない。
しかし、社会制度から独立して、確固として存在する個人的感情や個人的意見などというものを想定してよいのだろうか。
親族構造が「母方の伯叔父と甥の親和」をファクターとして採用している集団では、必ず「父親と息子」は疎遠となる。父子が親密なら、伯叔父と甥は感情的に対立する。人類学はそう教えている。
親子の親疎の感情は、純粋に個人的なものだと信じている人がいるかも知れないが、人類学の教える限りでは、それは親族制度の「効果」にすぎないのである。
まず「親しみ」の感情があって親族が形成されるのではない。
親族が形成されてから、親族間ではどういう感情をもつべきかを制度が指定するのである。
私たちはそのつどすでにある社会制度の「内部」に投じられている。
私たちが「素朴な感情」や「自然な価値観」や「こころの奧からふつふつとわき上がる情念」だと思い込んでいるものは多かれ少なかれ社会制度によって媒介されている「つくられた心性」にすぎない。
私たち自身の「ものの見方、感じ方」を制度化している当の社会制度に対して、私たちが客観的、批評的な視座から、中立的な仕方で、その功罪を吟味しうると考えるのは、よほど自己中心的で愚鈍な知性だけである。
制度についての批判は、私たちが自分を含む制度を批判的に検証しようとするときに、どのようなデータをシステマティックに「見落とす」か、という問いから始める他ない。
「私たちは何を見ているか」ではなく「何から目をそらしているか」、「何を知っているか」ではなく「何を知りたがらないか」に焦点化するところから始めない限り、制度内的な知性が、当の知性の運用規則を定めている制度そのものを批判することは不可能である。
だから制度についての批判的対話とは、それぞれ「見えているもの」や「知っていること」について異同のある論者のあいだで、「ところで、私たちがともにそこから目を逸らしているもの、ともに知るのをためらっていることがあるとしたら、それは何だろう?」と問い交わしあうことからはじめるしかない、というのが私の持論なのである。
天皇制についての議論について、私たちがまじめに問おうとしないのは、「21世紀の高度情報社会において、なお太古的な王権制度が残存しており、その存続を70%以上の国民が支持している」というのは「どう考えても、変だけど現実だ」という事実である。
どうして、「こんなもの」がまだ残っているのか、どうして廃絶されないのか、廃絶どころかますます強固な基盤を獲得しつつあるように見えるのか、誰も納得のゆく説明をしてくれないのである。
左翼的な人たちは、簡単に「日本国民がバカだから」だと言ってすませている。
バカだからこそ、マッカーサーの陰謀とアメリカの世界戦略にのせられて、何の価値もない太古的遺制に、イデオロギー的、情緒的にしがみついているのだ、と。
これはあんまりだよ。
説明できない制度に出会うと、「誰かが陰謀で仕組んだのだ」と「それに気づかず、制度を維持している人間たちがバカなのだ」で済ませていればたしかに知的負荷はゼロである。
言う方は頭をぜんぜん使わなくていいんだからお気楽だろうが、それはただの思考停止、判断放棄にすぎないと私は思う。
「陰謀史観」と「衆愚説」を組み合わせれば、世界史上のすべての出来事は説明できる。
しかし、世界史上のすべての出来事が説明できる図式というのは、今、目の前にある出来事は、なぜこのように起こり、べつのようには起こらなかったのか、なぜこのように「特殊な」ありかたをとることになったのかを説明できない。というか、説明する気がない。
一方、右翼的立場の人たちは、天皇制は世界に誇る文化的政治的構築物であり、日本人の賢明さと志操の高さの証拠であると持ち上げる。だが、これも左翼の言説をまんま裏返してにすぎない。だって、要するに「日本国民はもともとはすごく賢い(いまはバカだが)」と言ってるだけなんだから。
どちらも「いまの日本国民はバカである」という前提を共有した上で、
「むかしは賢かったのでむかしのレベルに戻ろう=右翼」
「これから賢くなるので、未来に希望をつなごう=左翼」
と過去と未来に「丸投げ」して仕事を済ませた気になっている。
そんなのでいいのだろうか。
「どう考えても、こんな変な制度が現実にちゃんと機能しているのって、不思議だよな」という実感から始めて、「ま、日本人はバカなんだから、しかたないか」と安直に総括するのではなく、「どうしてなんだろう?」と素朴に受け止め、身の回りの出来事や自分自身の実感に基づいて、「どうしてなんだろう?」に自力で答えを処方するほかないと私は思う。
三島由紀夫は『文化防衛論』で日本人にとっての「美」の起源には天皇制がある、という議論を展開したが、これは論拠としてはずいぶん弱いと思う。
だって、「美しいもの」は(三島とは違って)私たち、ふつうの人間の行動にそれほど決定的には関与しないからだ。
私はむしろ「ふつうの日本人」が「享楽するもの」のうちに起源的に天皇制にかかわるものが非常に多く、天皇制を廃絶してしまうと、その「享楽」の淵源が枯渇することを日本人は無意識的に恐れているのではないか、という仮説を立てている。
その最大のものは「芸能」である。
網野義彦によれば、日本伝統文化のほとんどすべては天皇直属の「聖なる賤民」たちによって担われていた。(非人、婆娑羅、遊行者、河原者、遊女、傀儡師、工人、悪党、山伏・・・)
その人々が「後醍醐ルネッサンス」の失敗によって表から消えて、「裏社会」に入り込んだあとも、「芸能のはらむ本質的な異形性=魅惑は天皇制によって担保されている」という無意識の刷り込みが私たちには引き続きなされている。
それはたしかだ。
だからこそ、「聖なる賤民」が私たちの共同体とその「外部」とのあいだの特権的な通路を確保している、という説話原型を私たちは飽きることなく再生産しているのである。(例えば「ロックミュージシャン=遊行芸能者」という神話のあくなき再生産。「性産業=遊女」は秩序紊乱的快楽を提供するという性幻想、などなど)
私の仮説は、「異形性・異類性」とまったく無縁の「芸能」が愉悦の支配的形態になることによってしか、天皇制を畏怖する心性は克服できない、というものである。
天皇制的な異形性とまったく無縁な芸能とは何か?
それを探し当てることが私たちに課せられた「宿題」であると私は思う。(おお、今日は最後までまじめに書いてしまった。)
4月12日
なんだかのどが痛いなと思っていたら、熱が出てきた。
また風邪だ。
あたまがぼやっとしているので、ウッキーにメールして「今日の稽古はお休みします」と伝言。夕方から東京に行く予定にしていたが、それもキャンセル。
母に「風邪なの」と電話をしたら、「野菜を食べないからだ」と電話で説教される。
「ユンケル黄帝液」と風邪薬を併用するといいよ、というので、パジャマのうえにコートをはおって薬局に行って風邪薬とユンケルを買い、ついでにスーパーに寄ってミルクと苺と伊予カンを購入。
薬をのんでベッドで橋本治の『古事記』を読んでいるうちに爆睡。
夜に入って目が醒めたら熱は下がって、のどの痛みもなくなっていた。
やれやれ。
私はほんとうによく風邪をひく。
「蒲柳の質」というのはおそらく私のような人間のことを言うのであろう。
しかし、病気に罹りやすいというのは決して悪いことではない。
「病気になる」というのはシステムが健全に機能している証拠である。
たとえば、痛覚のない人間はすぐに死んでしまう。
だって、内臓が壊れかけていても、肋骨が折れていても、手足がちぎれかけていても、痛くないんだから。
痛くなければ、何の手当もしないし、破壊された箇所に強い負荷をかけ続けることも止めないのだから、痛んだところはそのまま壊死してしまう。
病気だって機能はそれと同じである。
風邪はシステム不調の「パイロットランプ」のようなものである。
「お疲れでっせ、ぴっぴっ」
という貴重なサインなのである。
せっかくのサインなんだから、これをむりやり抑え込んだり、黙らせたりしてはいけない。
しずかに指示に従って、おとなしくお休みするのである。
今日は一日パジャマのままごろごろして、食べたいものだけ食べ、寝たいだけ寝て、読みたい本を読む。
ベッドで、魯迅『阿Q正伝』、『古事記』(橋本治訳)、『徒然草』(オリジナル版)を読む。(なんだか中学生の課題図書みたいな選書である)
『徒然草』はほんとうに面白い。
受験生のころに読んだときは「こうるせーおやじだ」と思っていたが、知命を超して読むと、兼好法師って「理念的におやじ化している、ほんとはミーハーな青年」だということがよく分かる。(「ヴァーチャルおじい」というのはこのことだね)
だけどこの人の「一回ひねり」のロジックと、「変な出来事についての逸話収集癖」は好きだ。
鉄の鼎を頭にかぶって興に乗って舞ったのはいいが、抜けなくなって、力任せに引き抜いたら、結局耳も鼻ももげてしまったと法師の話は、わが身を顧みて切々と胸に迫るものがある。
寝ころんで読んだなかでいちばん気に入ったフレーズはこれ。
「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥を学ばば驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばば、賢といふべし。」
驥(き)とは千里を走る名馬のこと。
700年前に兼好法師は「実存は本質に先行する」というサルトルを先取りしていたわけである。
あと、好きなのは八十八段。
「或る者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、ある人、『四条大納言撰ばれたるものを、道風書かん事、時代や違い侍らん。おぼつかなくこそ』といひければ、『さ候へばこそ、世に有り難きものには侍りけれ』とていよいよ秘蔵しけり。」
和漢朗詠集の撰者四条大納言藤原公任は997年生まれ。三蹟の一人小野道風の没年は996年であるから、「小野道風の書ける和漢朗詠集」というのは、『火焔太鼓』の「小野小町が鎮西八郎為朝に送った手紙」の類である。
「『さ候へばこそ、世に有り難きものには侍りけれ』とていよいよ秘蔵しけり」というふうにさらっと落とすところもまるで落語である。
こういう「語り」のパターンというのは、千年くらい前からぜんぜん変わっていないのである。
ほかにもいろいろと面白いところがある。
百十五段は敵討ちの話。
武蔵国宿河原で「ぼろ」という人たちが暮らしている。そこに同じ仲間の「しら梵字」という人が「いろをし房」という人を訪ねてくる。
「私がいろおし房だが、何か用か」と問うと、
「己が師、なにがしと申しし人、東国にていろをし房と申すぼろに殺されけりと、承りしかば、その人に遭ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言う。
これに対して「いろをし房」は「ゆゆしくも尋ねおはしたり。さること侍りき」とて、前の河原に出てふたりで存分に斬り合い、ともに果てたというエピソードを紹介したあと、こう書き加えている。
「ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。近き世に、ぼろんじ、梵字、漢字などいひける者、その始めなりけるとかや。世を棄てたるに似て我執深く、仏道を願ふに似て闘争を事とす。放逸、無慙の有様なれども、死を軽くして、少しもなづまざるかたのいさぎよく覚えて、人の語りしままに書き付け侍るなり。」
兼好の生きた南北朝のころは、網野善彦によれば「後醍醐ルネッサンス」の時代で、非人、海賊、山伏、悪党、河原者、遊女など、「異類異形」の「婆娑羅」たちが津々浦々にわらわらと叢生したと言われている。その実体について知られるところは少ないのであるが、『徒然草』に出てくるこの「ぼろぼろ」は、そのエートス(「死を軽く見て、すこしも固執しない様子の潔さ」)が何となく近世の「渡世人」を思わせる。
もし『昭和残侠伝』的なエートスは13世紀ごろに始まったのだとすれば、それはどういう経路をたどって今日まで継承されたのであろう。
また網野のよれば、これらの「異類異形の人々」は「天皇の直属民」という不思議な社会的地位を占めていたとされる。(後醍醐天皇がこれらの「異類」を総動員した一大権力闘争を仕掛けたのが、いわゆる「建武の中興」である。)
だとすれば、「やくざ」は「天皇直属の聖なる賤民」という始原の刻印をいまだにどこかにとどめていても不思議はない。そういう研究もきっと誰かがやっているのだろう。
『昭和残侠伝』の再発見以来、なんとなく、このところそういう「遊行者の系譜」のようなものに興味が出てきて、関連文献をいろいろと買い込んでぱらぱらと読んでいる。
というわけで、今日はこれから寝ころんで青山光二の『極道者』を読む。
4月11日
いよいよ授業開始。
最初は大学院の『映画の構造分析』。このネタはもう大学でやるのは三度目である。
フルタくんもアキエダくんもたぶんこれで三度目の聴講なのであるが、同じネタを毎度聴きに来る。きっと志ん生の『三軒長屋』を聴きに来るような気分のものなのであろう。
映画論に入る前に、まず「物語論」をまとめてしまおう、というのが今回の課題である。
今週、T摩書房から新書の依頼があった。なんのあてもないままに「はいはい」とお引き受けしてしまってから、ネタがないので困っていたが、「物語論」というのはまだ一度も主題的に書いたことがないことを思い出した。(『映画は死んだ』でちょこっと触れたし、『映画の構造分析』(昭文社からそのうち刊行予定)では一章を割いているけれど)
おお、これはよい考えだ。
私のナラトロジーは、ジュネットのやるような数理的な「ハイテク・ナラトロジー」ではなく、もっとずっと手作業的でアーシーな手法なのであるが、いちおう系譜学、神話学、記号学、精神分析などを動員した、「それなりに」学術的なものなのである。(『「おじさん」的思考』の漱石論とか、『ため倫』のカミュ論とかをお読みいただければ、ウチダ的ナラトロジーというものがどんな感じかはお分かりいただけると思う。)
大学院のノートがそのまま次の本の資料に使える。
ウチダはなにごともムダにしない。
天皇制について書くので最近の天皇制をめぐる議論について資料を送って下さいとお願いしたら、共同通信の片岡さんが、関連資料として島田雅彦の『美しい魂』の出版延期についての文章をファックスで送ってくれた。
島田の小説の内容がどういうものだか知らないけれど、天皇家を題材にした恋愛小説であるらしく、これについて右翼の出版妨害やテロを想定して、出版が延期されたのである。この事件について、出版社と作者の緊張しているようすが行間からうかがえる文章であった。
島田によると、深沢七郎の『風流夢譚』に発した嶋中事件、大江健三郎の『セブンティーン』事件、朝日新聞阪神支局襲撃事件などの右翼テロ以後、メディアの側が天皇制にかかわる言説に対しては過敏になっており、表現の「自粛」というかたちでの言論弾圧が無言のうちに制度化されているそうである。
島田が書いていることはやや興奮ぎみで論旨が乱れていてよく意味がとれないのだが、右翼のテロは、作品そのものの内容にダイレクトに触発されて起こるのではなく、皇室問題という「虎の尾を踏んだ」作品が出たことを「女性週刊誌」やスポーツ新聞やTVのワイドショーのようなメディアがおもしろおかしく取り上げて、スキャンダル的に話題に乗せると、その話題に反応して右翼が動き出すことになる、という予測にはなるほどと思った。
どのような党派的な立場にあるひとでも、自説に反対する意見を探して、まさか日本中の出版物を全部チェックするわけではない。
メディアが「話題」にして、わいわい騒ぎ出したときにはじめて敵対する陣営はそこに標的があることを知るのである。
私がこんなところで何を書こうと誰を批判しようと、誰ひとり反論もしてこないのも理由はそれである。
だって、私の議論をばしっと反論して、「私はウチダを批判し切った」なんていばってみて、周りの人々が「ウチダ?誰、それ?」というのでは、まるでむなしいからである。
逆に、私が何者であれ、ひとたびメジャーなメディアで「承認」されてしまうと、とたんに自薦他薦、無数の論敵による反論の嵐にさらされることになる。
「首に懸賞がかかる」からである。
島田雅彦がほかのメディアにむかって言っていることは、自分の首に懸賞をかけるような報道をしないでほしい、あくまで作品の文学的価値に即した議論にとどめていただきたい、ということである。
なるほど。気持ちはよく分かる。
しかし、それはやはり無理なお願いだという気がする。
マスメディアの効果とは、要するに「ひとの首に懸賞をかける」ということだからである。
メディアが誰かを「高みに押し上げる」のは、そうすれば「そのひとの没落を切望するひと」が大量に発生し、その没落を正当化し加速する種類の情報の値が高騰する、ということを知っているからである。
島田雅彦は「メディア的に話題になりたいが、首に懸賞はつけられたくない」と言う。
それは「やせたい、でも食べたい」と同じ無理なお願いのような気がする。
4月10日
毎日のようにいろいろなところからお仕事の依頼がある。
2年前の夏にはじめて鈴木晶先生と三宮でお会いしたときに、先生から「ウチダ先生、じきに仕事の依頼がどかどか来るようになりますよ」と断定的に予言されて、「ほんとすかー」と半信半疑のマナザシを向けたウチダであるが、鈴木先生の予言はほんとうに当たってしまった。
ウチダは長いことまったく仕事の依頼がない「日干し状態」にあり、「このまま無名の一研究者として死ぬのね」と諦観していたので、仕事のオッファーがあると、その人の顔が「天使」に見えて、うれしくてなんでも「はいはい」と受けてしまう。
去年からこちら断ったしごとは日程があわなかったシンポジウム一つだけである。
原稿ものはすべて受けている。
だから、なんだかすごいことになっているが、別にそれほど困っているわけではない。
どうせ、こんなのが長く続くはずはないからである。
今年一年は受けるだけ仕事を受けるが、来年になったらすべてお断りする方針である。(もう新しい仕事なんか来ないかもしれないし)
私の書いているものの内容は「全部、同じ」である。
「全部、同じ」なんだけれど、他の人の言うこととはちょっと違うので、今は珍しがられている。
でも、いずれ飽きられる。
他人に飽きられるより先に、自分が飽きる。
そんな日が来る前に、さっさと自分から店を畳んで、また「売れない翻訳」と、「誰も読まない身辺雑記」のお気楽な書き手に戻るのである。
そういう「期間限定もの書き」なので、いまのところは「この一行は唯一無二の一行なり」と宗方コーチの呪文を唱えつつ、来る限りの注文原稿をすべて「ほいほい」引き受けばりばり書く。
共同通信から「憲法記念日」のために憲法についてのエッセイを求められたので、天皇制について書きますとご返事をする。
「天皇制」についての私見を新聞に書くというのは、ほとんど自殺行為である。
何を書いても、ぜったいに怒る人や傷つく人がいるからである。
でも書く。
物書きとして息長く仕事をしたければ、そういうリスキーなことはしない。
しかし、私は「私の言いたいこと」を言うために書いているのであって、別にそれでご飯を食べているのではない。(ご飯は、学生相手に豆知識をご披露して、フランス語と合気道を教えていると食べられる)
物議をかもすようなことを書いて、それで原稿がボツになったり、どこからも原稿依頼が来なくなっても別に困らない。
どうせ来年になったら「隠居」しちゃう「期間限定もの書き」なんだから。
というわけで、私はいま日本の「論客」諸氏の中でも例外的に「さきのことを考えない」でものを書いている人間である。
妻子がいたらなかなかそうもいかない。
「父ちゃんがバカなことを新聞に書くから、学校でいじめられた」
というようなことになると子どもに会わせる顔がないが、さいわいるんちゃんはもう遠くで楽しくやっている。
幸運にも妻は存在しない。(妻なんかいたら、HPにこんな日記を書くこと自体、毎日が命がけだ。)
業界的に守るべき「立場」やら「メンツ」というようなものは、もともとない。
学内的には「ウチダさん?あの人のこと話題にするのやめません?」ということについてはただしく学内合意が形成されている。
私がその人の逆鱗に触れることを畏れ憚る老師のうち、レヴィナス先生はすでに幽冥境を異にされているし(第一、日本語読めない)、多田先生は私の書いたものを読むほどお暇ではない。
あと畏れ多いのは父親であるが、父は私を善導することをすでに36年前にあきらめているので、小さなため息をつくくらいで済む。
というわけで、今のウチダは日本言論界にもレアな「怖いものなしの人」なのである。
4月8日
大学の新学期最初の行事であるオリエンテーションにいきなり遅刻する。
遅刻したというか、忘れていたのである。忘れたというより、そもそも記憶に入力されていなかったのである。
物忘れには複数の水準がある。
(1) 約束したことを忘れる
(2) 約束したことをスケジュール表に転記し忘れる
(3) スケジュール表を見忘れる
私の場合は、口頭での約束は三歩あるくと忘れてしまうニワトリ頭なので、三歩以内に携帯のスケジュール表に転記するように心がけている。だが、そのスケジュール表そのものをチェックし忘れて一日の活動を始めてしまうと、「思い出す」ためのよすがはもうどこにも存在しないのである。
どうしてこうも物忘れが激しいかというと、もちろん老衰で頭がボケているからなのであるが、そればかりではない。
ずっと「いちずに思い詰めている」からなのである。
これはもうすごいよ。
朝から晩まで、車を運転しながらもトイレに入っているあいだもエレベーターに乗っているあいだも教授会のあいだも・・・つねに目の前の事態とぜんぜん関係ないことを「考えている」のである。
エマニュエル・カントはたいへんパンクチュアルなひとで、街の人々は散歩するカントが家の前を通ると、「あ、いまカントさんが通ったから、3時43分だ」などと言って、家の時計を合わせたといわれている。
これは別にカントが時間に正確で偉いとかそういう話ではなく、カントが壮絶な「物忘れ」の人であったということを伝える挿話であると私は理解している。
だって、そうでしょ。かりにもカントといえども人の子である。会食の約束もあるだろうし、訪ね人だってあるはずである。それが毎日同じ時刻に同じ場所を通過するということがあってよいだろうか。
ありえないね。
ということは、彼がすべての「約束」をレギュラーな仕方で処理していた、ということを意味しているからである。
つまり、カントは「仕事関係の面会は毎週水曜午前11時より午後2時までオフィスで」「会食は毎週火曜日午後6時より7時半まで、三丁目の『やぶそば』で」とか決めていたということである。
それ以外の約束は受け付けない。
そうしておけば、毎週決められた時間に、決められた場所に行きさえすれば、すべての約束は例外なく履行される。
こうやってカントは、生活スケジュールを管理するためには、一切「頭脳を使わない」という断固たる決意に基づいて生きていたのである。(と、思う)
お分かりかな。だからカントは「物忘れの激しい人」だったという結論がここから導かれるのである。
何、まだこの推論の理路が分からない?
困ったね。
カントがすべての日常活動を時間通りに実行したということは、イレギュラーなスケジュールが入ることを忌み嫌ったということだよね。
なぜか。
それは「イレギュラーなスケジュールを管理するために使用される大脳部位」が「哲学する部位」と「かぶる」からなのである。
深く哲学的に思惟すること、イレギュラーなスケジュールを暗記することは、脳の同じ部位を使うのである。だからこそ、カントはすべてのスケジュールをレギュラーにすることでこの難題を乗り切ったのである。
逆に言えば、イレギュラーなスケジュールを構造的に忘れる人間は、おおくの場合、深い哲学的思惟によって当該大脳部位が占領されているのである。
これを「カントの法則」としてここに定式化しておきたいと思う。
ご存知のように私は「研究室−道場−自宅」の三点間をくるくる動き回るだけの自動人形のようなスケジュールで動いており、基本的にあらゆる面会の約束は「講義と講義のあいまに研究室にいてキーボードを叩いている時間」にセットしてある。こうしておけば約束を忘れても約束を破らないですむからである。
だから、面会の約束をして時間通りに研究室のドアをノックした来客は、かならず私の意外そうな顔に出会うことになるのであるが、それは、私がその約束をころっと忘れていたからなのである。
4月8日
「ゆとり教育」で、公立学校の土曜日が休みになった。
休みがふえるのはよいことである。(私が子どもだったら大喜びしたであろう。)
しかし、それについて「学力低下が心配」とか、「土曜日に子どもに何をさせたらよいか分からない」と悩んでいる親御さんがおられるかに聞いている。
その結果、毎週土曜日に子どもたちは、ピアノや水泳や英語教室や書道教室やら学習塾やらに通うことになって、「休みになっても友だちはみんな習い事をしているので、遊び相手がいない」と嘆いているそうである。
楽しい習い事の例として、朝日新聞はブレイキングダンスの教室に通っている二人の小学生の事例を伝えている。さらに、児童館のなかには遊びのメニューを充実させて「児童館を子どもが群れる拠点にしたい」ということで、工作、オセロ、ローラースケート・・と設備の拡充に励んでいるところもあるらしい。
でも、何だか「変」と思いませんか?
私は「変」だと思う。
どこが「変」かというと、「大人が子どもを構い過ぎる」からである。
「児童館を子どもが群れる拠点にしたい。群の中から自然に遊びが生まれ、友だちの輪が広がれば」という担当者の善意を私は疑わない。しかし、「自然に」遊びが生まれるための場をこのように「人為的に」しつらえなければならないとする発想そのものがはらむ矛盾に、語っている当人はどれくらい自覚的なのか。
私が子どもだったころ(1950年代から60年代なかばにかけて)、大人たちは「日本再建」に必死で、子どもにかまっている暇なんかなかった。だから、子どもたちは基本的に放って置かれた。
先日も書いたように、私は小さい頃は女の子の家にいりびたって、ずっと遊んでいたけれど、その家の親がでてきて「遊び」を監督したり、統制したりするということはまったくなかった。そのころの主婦はものすごく忙しかったので(だって、洗濯だけで午前中いっぱいかかるという電化以前期なんだから)きっとよその子どものことなんか構ってられなかったのであろう。
がさつな少年となったあとも、毎朝剣道の稽古に通っていたのを除くと、おとなが関与する「遊び」や「習い事」をした記憶がない。
子ども同士で「探検」をしたり、「軍事訓練」をしたり、「秘密結社」をつくって学内支配を企てたり、「新聞」をつくって学内世論支配を試みたり、そういう基本的に「コンフィデンシャル」な遊びばかりしていた。(子どものころから「秘密」と「支配」が好きだったんだ、私は。)
あとは小説を読むか、広告の裏にマンガを書いていた。
私が読んでいた小説本は親の書棚からそのまま持ち出したものや、近所のお兄ちゃんから借りてきたものであり、そのうちのかなりの部分は「禁書」であった。『チャタレイ夫人の恋人』とか『人間の条件』とか『眠狂四郎無頼控』とか『甲賀忍法帖』とかを小学五年生がむさぼり読んでいたら、親としては「ちょっと待ってね」と言うであろう。(私が親でも止める)したがって本を読んでいるところをおとなに見られるのは基本的にまずいことであった。
また私が描いていた冒険マンガのなかには、しばしば血しぶきとびかう残虐シーンや女性のヌードが登場していたので、これもまた親の目には触れさせるわけにはゆかぬ種類のものであった。(私が親でも眉を曇らせる)
というわけで、私がこどものころに熱中した「遊び」のほとんどは「おとなには関わりのないもの」ものであり、むしろ「おとなには関わって欲しくない」種類のものであった。
でも、「子どもの遊び」というのは、ほんらいそういうものではないのだろうか。
子どもが自然にのびのび遊べるように環境を整備する、という発想そのものは悪いことだとは思わない。
しかし、「子どもが自然にのびのび遊ぶ」ことを許すという以上、反秩序的で、反道徳的で、どちらかというと「邪悪な遊び」をすることをも許すということでなければ筋が通るまい。そこまでの覚悟がさきの児童館の職員にあるだろうか。
「子どもが何をしているのかおとなは知らないので、干渉してこない」というのが子どもだったころの私にとってはもっとも快適な状態であった。そうやって子どもたちは「おとなにみつかったら死ぬほど怒られるであろう遊び」に深く激しく熱中したのである。(このホームページは私の親族や学生たちも読むので、詳細は控えさせていただくが、実はもっともっと「悪いこと」もしていたのである。)
私はそのような危険で快適な遊びをすべての子どもに提供してあげればいいのにと思う。
満腹するだけご飯を食べさせ、たっぷり眠らせ、さっぱりした衣服を着せるという最低限の生理的欲求だけを満たしてあげたら、あとは子どもなんかほっとこうよ。
それが子どもへの最良の贈り物だと私は思う。
そのせいで私が「こんなおとなになっちゃった」ことでご迷惑をかけている幾多の方々にはまことに申し訳のない話ですけど。
4月7日
阪神タイガースが連夜の勝利で、プロ野球に何の興味もないウチダもついに日曜の午後はTVでスワローズ戦を最初からしまいまで見てしまった。
残念ながら連勝は7でストップしてしまったが、ひさしぶりに3時間余プロ野球中継を注視し、7回の阪神の攻撃になるとフーセンを飛ばして「六甲おろし」を歌うとか、新ストライクゾーンは打者の胸元までとか、新たなさまざまの習俗が私の知らないあいだに慣例化していたことを知れたのはよろこばしいことである。
なにしろ、私がプロ野球の試合を熱い思いで注視していたのは、西鉄ライオンズの全盛期(稲尾、豊田、中西、大下、仰木、高倉・・・の時代ね)や立教のスラッガー長嶋茂雄が巨人に入団したころであるから、ほとんど半世紀前のことである。
かほどにまるで野球に興味のない私であるが、10年ほど前、阪神間の住民となったのをしおに、ラグビーは神鋼スティーラーズ、野球は阪神タイガースを「ひいきチーム」にすることに決めたのである。
本学随一の阪神ファンは学院チャプレンのI先生である。研究室の壁には1985年の阪神優勝の日のスポーツ新聞が貼ってある。
先生は、この間までは「20世紀のうちに優勝シーンをもう一度見たい」と力なくつぶやいておられたが、その後は「死ぬ前にもう一度だけ・・」と要求水準の下方修正をなされていたやにうかがっている。
そのI先生も、いまや文字通り「我が世の春」を奉祝されていることであろう。ひとごとながら悦ばしい限りである。
このまま7月まで阪神が大勝していると、W杯の中継と阪神−横浜戦がTV視聴率を競い合うというような、年頭には誰ひとり予想できなかった事態が現出するかも知れない。
日本プロ野球はもうダメだと思っていたが、「阪神が優勝すれば、すべてがうまくゆく」という「秘策中の秘策」があったのを忘れていた。(あまりにありえない「秘策」だったので、プロ野球関係者の誰一人思いつかなかったのである)
サンフランシスコで、15打数1安打で低迷中の新庄も、いまとなっては、「阪神で四番を打ってる方がよかったかも・・・」と心乱れているであろう。気の毒なことであるが、世の中えてしてそういうものである。
4月5日
入学式。桜はもう葉桜になってしまったが、好天にめぐまれた。
合気道部の諸君は道衣姿で、入部勧誘パンフレットをいっしょうけんめい配っている。
今年の新入部員獲得目標は5名。(毎年そうなんだけど)
「金の卵」をゲットすべく「部室にはこたつがある」とか「部室でヒルネができる」とか「部室でマンガが読める」とか「宴会が多い」とか「袴がはける」とか、あまり武道の本質にかかわりがあるように思えない惹句がビラには書かれている。
しかし、惹句などはどうでもよいのである。
一度「合気道アディクト」の味を知ったものはもう一生、この快楽から逃れることはできないからである。学業をなおざりにし、仕事の手を抜き、家庭を顧みない「合気道バカ一代」になってしまうのである。
学業と業務の遅滞については、いささか問題なしとしないが、さいわいなことに現在のアディクトたちは結婚している人間をのぞくと全員独身であり、顧みなければならないような家庭がないことが不幸中の幸いである。
「宴会が多い」については、ウッキーからクレームがあり、女子学生はふつう「コンパ」と言うのであって、「宴会」というのは、「おじさんターム」であるとの指摘を受けた。
もっともである。
しかし、つとに指摘されているように、わが合気道部員は、外見的には少女であるが、その本質は「おじさん」なのである。
それに照応するかのように、合気道部の師範も師範代も、外見は「おじさん」であるが、その本質は「おばさん」なのである。
ウチダは昔「少女」であった、というはなしは前にしたことがあったね。
小学生一年生のころ、私は毎日同級生の女の子とばかり遊んでいた。男の子がキライだったからである。だって、乱暴でがさつでバカなんだもん。
クラスでいちばんかわいい五人の女の子と毎日手をつないで帰り、誰かの家に集まって、いっしょにゲームをしたりお菓子をたべたりおしゃべりをしたりしていた。
わが人生至福のときであった。
しかし、幸福は長くは続かない。
女の子たちはやがてがさつでバカだけど足が速かったり野球がうまかったりする「男の子」たちが好きになり、私を棄てて去っていったのである。
なんで、あんなバカがいいんだよお、とウチダは泣いた。
しかし、女の子と仲良くするために他に選ぶ道はない。
ウチダは泣く泣く「乱暴でがさつでバカ」な少年への変身をはかり、苦心の末に、本日あるような「おじさん」への人格陶冶を成し遂げたのである。
むなしい迂回であった。
しかし、女子大に職を得、かわいい女の子たちに囲まれて、酔生夢死の日々を送っているうちに、ウチダの中に冷凍保存されていた「少女」が蘇ったのである。
残念ながら、保存状態が悪く、脱水がすすみ、もはや「少女」というよりは「おばさん」と化していたのが悔やまれるが。
合気道部員について言えば、私とは逆の行程をたどって「おじさんへの道」を歩まれかに推察する。
彼女たちは実は幼いときには「少年」だったのである。
そして、隣の席の気弱な男の子たちをしばいたり、背中に毛虫を入れたり、弁当を盗み食いしたりして、豪快な愛情表現をしていたのである。しかし、鈍感な少年たちは、それが愛とは気づかず、くるくるカールにピンクのスカートの色白少女にあこがれの視線を送るばかりで、隣の席から「がはは」と蹴りを入れる少女のうちに燃えさかる熱い思いを知ることがついになかったのである。
こうして愛をうしなった部員たちは、これでは「やばい」ということに思い至り、かつて私が心ならずも「乱暴でがさつでバカな少年」への自己変身を試みたように、「しとやかで繊細で知的な少女」に化けたのである。
しかし、だからといって、その内奥に眠る「がはは少年」は死んだ訳ではない。
合気道部に来合わせ、そこに無数の「同類」を見出した少女たちのうちで、冷凍保存されていた「がはは少年」が蘇生したのである。しかし、すでにてのつけようがないまでに細胞破壊された「冷凍少年」は蘇った瞬間に「がははおじさん」と化したのである。(おお、テリブル。ポウの『ヴァルドマアル氏の病状の真相』くらいにこわい話である。)
これが「宴会」の一文字の背後に隠された、身の毛もよだつ物語なのである。
嘘のようだが、これはほんとうのことなのである。
4月4日
ときどき「リンクを張ってもいいですか?」というお問い合わせをいただく。
ホームページに「リンクフリー」と書いてないので、ごていねいに許可を求めてこられているのである。
もちろんこのサイトは「リンクフリー」である。
リンクフリーどころかコピーフリー、「転載転用複製」フリーである。
私の書いたものを勝手に切ったり貼ったりして「私の意見です」と言ってホームページで開陳していただいたもまったく構わない。
だって、私は「自分の意見」をあらゆる機会にできるだけ多くの人に伝えたくて、このサイトを開いているわけなのであるから、私に代わって「私の意見」を宣伝してくれる人々がいることは心から歓迎すべきことであって、それに対して「盗用するな」とか、「コピーライトを尊重しろ」とか、セコイことを言うすじのものではない。
それどころか、「私のホームページのコンテンツを勝手に切り貼りして、それで本を作って、その人の名前で出版していただいて、印税収入を得られても、ぜんぜん構いません」とまで豪語しているのである。
しかるに、このような大言壮語にも限界があるようだ。
晶文社から「出版契約書」なるものが送付されてきたのであるが、その第4条(排他的使用の禁止)には
「甲は(私のことね)、この契約の有効期間中に、本著作物の全部もしくは一部を転載ないし出版せず、あるいは他人をして転載ないし出版させない」とあり、
第五条には
「本著作物と明らかに類似すると認められる内容の著作物もしくは本著作物と同一書名の著作物を出版せず、あるいは他人をして出版させない」と規定されている。
つまり、『「おじさん」的思考』掲載分およびそれに類似のテクストについては、「転載出版盗用剽窃」フリーではなくなってしまったのである。
考えて見れば、もっともである。私は誰の名においてであれ、「私の意見」が流布すればOKなのであるが、出版社は「私の意見」ではなく、「私の本」が流布しないと利益がない。
というわけなので、別の人が本サイトのコンテンツだけを流用して、その人の名前で本にして出す、ということはどうやら法的にはむずかしいようである。
すまない。
だが、私としてはぜひ誰かに「そういうこと」をして頂きたいのである。
そして、その「事件」がひろくメディアに取り上げられて、「コピーライトなんて豚に喰わせろ」というような私の意見が大々的に開陳され、それに対して識者から猛反論が来て・・・というようなわくわくする展開を期待しているのである。
しかし、まだ誰もやってくれない。
四日ぶりに家に戻ったら、メールが45通たまっていた。
うち20余通が「卒論計画」と「春休みの宿題」。
ウイスキーを傾けながら、学生さんたちの作文を読む。
なかなか面白い。
着眼点はつねに面白い。センスのよい子たちだからね。
しかし、この「面白い着眼点」から「深みのある考察」へ進むためには、まだまだ大きな障害を乗り超えなければならない。
それは大きくふたつにわけると「資料的基礎づけ」を行うことと、「論理的に思考する」ことである。
自分の日常的な知見(TVで見たこと、雑誌で読んだこと、友だちから聞いたこと・・・)だけを資料的基礎にして学術論文を書くことはたいへんにむずかしい。(私くらい劫を経たおじさんになるとそれも可能だが、それも半世紀分の「雑学・豆知識」のストックがあればこそ)
いちおう、選択した主題については「調べもの」という作業を行わないといけない。
文献を読む、インターネットで検索する、というのがお手軽な資料検索であるが、「お手軽」には「お手軽」の限界がある。
これらはすべて「第二次資料」とよばれる。それは、ある主題「について」の言説であり、主題「そのもの」ではない。
主題「そのもの」についての研究は、研究者本人が「現場にゆく、現物を見る、本人に会う、実際に経験する・・・」というフィールドワークをしないと始まらない。(刺青の研究をしたゼミ生は日本各地の彫師を訪れてインタビューをとってきた。ホームレスの研究をしたゼミ生は二人のホームレスに長期間同行取材を敢行した。花火の研究をしたゼミ生は寝袋かついで日本縦断花火の旅に出かけた・・・うちの子たちは代々フットワークがいい)
そこで得られた情報は「第一次資料」と呼ばれる。これこそ、その研究者が「研究共同体」に「贈り物」として提供することのできる貴重な学術データである。
データ収集に限って言えば、駆け出しの学生であっても、着眼点とフットワークさえよければ、斯界の大学者に負けない仕事をすることができる。
しかし、それだけでは済まない。
そのあとに、収集された資料を分析し、理論を立てるという「論理的思考」という仕事が要請される。
学生さんたちはこれが苦手である。
論理的に思考する、というのは簡単に言ってしまえば、「いまの自分の考え方」を「かっこに入れ」て、機能を停止させる、ということである。
「いまの自分の考え方」というのは、自分にとって「ごく自然な」経験や思考の様式のことである。
目の前に「問題」があって、それがうまく取り扱えない、というのは、要するに、その問題の解決のためには「いまの自分の考え方」は使いものにならない、ということである。
ペーパーナイフでは魚を三枚におろすことはできないのと同じである。
使いものにならない道具をいじり回していても始まらない。そういうものはあっさり棄てて、「出刃」に持ち替えないといけない。
「論理的に思考する」というのは、煎じ詰めれば、「ペーパーナイフを棄てて、出刃に持ち替える」ことにすぎない。
しかし、ほとんどの学生はその貧弱なペーパーナイフを固く握りしめて手放そうとしない。あくまで自分の「常識」だけで、料理をなしとげようとする。
自分の道具にこだわりを持つ、というのはそれ自体悪いことではない。
しかし、それでは「三枚におろす」どころか、ウロコの二三枚を剥がすのが精一杯である。
論理的に思考できる人というのは、「手持ちのペーパーナイフは使えない」ということが分かったあと、すぐに頭を切り替えて、手に入るすべての道具を試してみることのできる人である。
金ダワシでウロコを剥ぎ落とし、柳刃で身を削ぎ、とげ抜きで小骨を取り出し、骨に当たって刃が通らなければ、カナヅチで出刃をぶん殴るような大業を繰り出すことさえ恐れないような、「縦横無尽、融通無碍」な道具の使い方ができる人を「論理的な人」、というのである。
よく「論理的な人」を「理屈っぽい人」と勘違いすることがある。
「理屈っぽい人」と「論理的な人」はまったく違う。
「理屈っぽい人」はひとつの包丁で全部料理を済ませようとする人のことである。
「論理的な人」は使えるものならドライバーだってホッチキスだって料理に使ってしまう人のことである。(レヴィ=ストロースはこれを「ブリコラージュ」と称した。)
そのつどの技術的難問に対して、それにもっともふさわしいアプローチを探し出すことができるためには、身の回りにある、ありとあらゆる「道具」について、「それが潜在的に蔵している、本来の使い方とは違う使い方」につねに配慮していなくてはならない。
「いまの自分の考え方」は「自前の道具」のことである。
ということは、「そのつどの技術的課題にふさわしい道具」とは、「他人の考え方」のことである。
「自分の考え方」で考えるのを停止させて、「他人の考え方」に想像的に同調することのできる能力、これを「論理性」と呼ぶのである。
論理性とは、言い換えれば、どんな「檻」にもとどまらない、思考の「自由さ」のことである。
そして、学生諸君が大学において身につけなければならないのは、ほとんど「それだけ」なのである。
健闘を祈る。
4月3日
朝日の「e−メール時評」の第一回が出る。
一読した家族の顔が曇る。
「つまらんな・・・」と兄が低くつぶやき、母もうなずく。
こんなものを書いていると、朝日の読者は「あ、ウチダって、こんなつまらないこと書くやつなんだ。じゃ、本買うのやめよう」と思ってしまうであろうから、これでは逆効果だ。なぜ『ミーツ』に書くように書かないのか、無根拠な暴論をばんばん断言して、屁理屈をこねて言いくるめるというのがおまえの書き物のただ一つの取り柄なんだから、それを放棄してどうするんだ、といたくご立腹である。
青くなって、600字で「800万人が納得する」ものを書くのはたいへんなんですよ兄上と言い訳をするが、800万人に受け容れてもらおうという心根が卑しい、と言っていっかな許してもらえない。
好き放題に書くか、やめるかどちらかにしろ、と決断を迫られる。
めんどうなことになった。
やむなく次からはみなさんのご期待に添うべく、好き放題に書くと約束する。
しかし「みなさんの期待に添うべく、好き放題に書く」というのも考えてみれば変な話だ。
じゃあ、いったい今回の時評の原稿は誰のために書いたのだろう。
書いている本人は相次ぐクレームにうんざりし、熱心な愛読者には大不評、新聞社だって出来の悪さにはしごく不満であるに違いない。
喜んでいる人がひとりもいない。
これまで私が書いたものについては、最低一人は喜んでいる人間がいた。(私だ)
その最後の読者も失ってしまった。
昨日のエッセイはわずか600字とはいえ、誰にも祝福されない不幸せな原稿であった。
ごめんよ。
二度とこんなことはしません。
4月2日
引き続き実家でごろごろしている。
実家にいると「仕事」ができないので、それをよいことにぐだぐだしている。
やろうと思えば、レヴィナスの翻訳くらいできるのであるが、やる気にならない。
ダイニングのテーブルが私の指定席である。そこに座って本を読んでいると、20分に一回くらい母親が「まんじゅう食べる?」とか「コーヒーいれる?」とか「トンカツ食べる?」とか「ビール飲む?」とか訊いてくる。
それに「あ、結構です」とか「どうか、おかまいなく」とか「うっせーよ」とかいちいち応接しているとので、なかなか集中できない。
父親が治療を終えて退院してくる。
一週間ほどの入院だったが、だいぶやつれてしまった。
もともと寒がりの人であったが、いっそう寒がりになったため、桜の満開の候というのに、家の中はがんがんにストーブが炊かれていて、ほとんど温室状態である。
ますます頭がぼーっとして少しも知的なモードに切り替わらない。
甲野先生ご推奨、出口和明の『大地の母』を読む。こ、これは面白い。
お孫さんによる出口王仁三郎の伝記なのだが、聖と俗が同一人物内に同居する祝祭型の人格が魅力的に描かれている。
こういう同一人物内にエンジェリックなものとデモーニッシュなもの、天上的なものと地上的なものが混在するということの重要性を現代社会はあまりに見落としていないだろうか。
「天使か悪魔か、どっちかに単純化しろ」
という簡単派と、
「天使と悪魔をこきまぜて凡人にしろ」
という折衷派は、どちらも「単彩」であることに固執している点で精神の双生児である。
どうして人間の人格は「単一的」でなければならないのか。
だれがそんなことを決めたのか。
私はこれは「内面」とか「ほんとうの私」とかという近代的なイデオロギーの弊害であると思っている。
人間の多面的な活動を統合する中枢的な自我が「なくてはすまされない」という考えが支配的になったのは、ほんとうにごく最近のことだ。
例えば江戸時代の侍には「内面」なんかなかった。
そもそもそんなものを吐露する言語もなかったし、コミュニケーションしようにもそれを受信し読解してくれるような相手がいなかった。
コミュニケーションできない「メッセージ」というのは、真空の中の叫び声のようなものだ。
誰にも聞こえないし、もちろん自分にも聞こえない。だったら「ない」と同じである。
山本周五郎の『樅の木は残った』の主人公、原田甲斐という人物が「ほんとうは何を考えていたのか」は、この小説を眼光紙背に徹するまで読んでも分からない。だって、原田甲斐自身は、そのときどきで伊達藩にとって最適と思われる政治的選択をしているにすぎないからだ。状況が変われば言うこともどんどん変わる。
だから、端から見ると「天使か悪魔か、バカか利口か、忠臣か佞臣か」分からない。
政治的状況において、「私」を固定的なもの、定数にとってしまえば、選択しうるオプションは減少する。
だから、「おとな」は、システムにとっての最適選択をするために「私」を決して固定化しない。アイデンティティの維持よりシステムの維持のほうが、自分にとっても「みんな」にとってたいせつである、ということを知っている「おとな」にとって、アイデンティティなんていうものにはほとんど何の意味もない。
これをして古人は「君子豹変す」と言ったのである。
このあいだ昼間『暴れん坊将軍』の再放送を見ていたら、ある藩の重臣の子息が「自分らしい生き方をしたいので、侍をやめて町人になります」と宣言して、みんなが「えらいえらい」とほめているという場面にでくわした。
木村拓哉が堀部安兵衛を演じた暮れの「忠臣蔵」では、キムタクが浅野の殿様や大石内蔵助に「ためぐち」を聞いて、「おれにおれの生き方があるわけよ」というようなことをほざいていた。
どうも脚本を書いた人間はこれを「ジョーク」だと思っているのではないらしい。
もしかして、昔のひともアイデンティティ神話を生きていたと思っているのかも知れない。
いまの自分たちが考えたり感じたりしているように、外つ国の人も、昔の人も考えたり感じたりしているに違いないと想定して怪しまないというのは、いくらなんでも無知の度がすぎる。
もちろん江戸時代の侍が場所がらも相手もかかわりなく、つねに「同一性」を貫徹すべく「おれがおれが」というようなことを言うはずがない。だって、「侍である」というのは「公的である」ということ、つまり「わたくしがない」ということをもって本質とするような存在様態のことなんだから。
彼らが殿様に向かって「おれにはおれの生きざまってのだあんだかんさ、それへのこだわりってゆーのをさ、分かって欲しいわけよ」というようなふざけたことを言うはずがない。そういうことを決して言わないというか、心に思いもしないというのが「侍」という生き方なんだから。
「一力茶屋」で女の子と遊んで、それから吉良邸に討ち入りをするのは大石内蔵助にとって少しも「不整合」ではないのである。
それが「公私の別」ということなんだから。
『忠臣蔵』の例を続けるけれど、最終的に吉良邸討ち入り作戦にとって死活的に重要なすべての情報は「平気で周囲を偽り、別人になりおおせた」義士たちからもたらされた。
「つねにおれは自分らしく生きたい」なんてふざけたことを言っている人間に、こんな大がかりな陰謀が実現できるわけない。
相手により、場所により、立場により、複数の人格を使い分け、そのつど「別人」であることは、ほんの半世紀前まで、日本の「おじさん」にとってごく自然なふるまいだった。「自然」というより「生き延びるために必須」だったのである。だって、ある種の政治的信条を明かすことが生命の危険をともなうような状況にあるときに、「私はあらゆる局面で、自分らしさを貫徹することが何よりも大事だと思う」というような暢気なことを言う人間はすぐに死んでしまうからである。
出口王仁三郎の伝記によると、少年期の王仁三郎は極貧のうちに育ち、さまざまな局面で不当な侮りを受け、屈辱に甘んじ、おのれの欲望の実現を阻まれた。しかし、同時にいたずらの限りを尽くし、猛然と学問に励み、芸術にかぶれ、ナンパの帝王となり、篤い信仰心を抱いていた。
もしアイデンティティや「自分らしさ」をありがたがる現代の若者が王仁三郎的な境涯におかれたら、まず例外なしにいじけてくじけてうらみがましく卑屈な人間として一生を終えるほかなかっただろう。
4月1日
父親が入院したので見舞いがてら、多田塾研修会へ。
武者修行中のかなぴょんと、NECに就職して上京したごんちゃんも来ている。
坪井、山田、今崎の諸先輩にご挨拶。
諸先輩が三人ということは、この日私が四番目の古参門人だということである。
いつのまにかずいぶん古株になってしまったのである。
しかし、膝が痛いとか腰が重いとか学生は投げても投げてもぴょんぴょん起きあがってくるので疲れてかないませんとか泣きを入れているのはいちばん若いはずの私一人である。
帰りに新宿の居酒屋に、うちの二人と、若手の気錬会の工藤くんや早稲田の宮内くんを誘ってビールを飲み、年と共に技術的にはどんどん向上しているのだが、体力がそれを上回る速度で減退しているので、若い諸君に私の真の実力をごらん頂けないことはたいへんに残念なことであると言い訳をするが、みな礼儀正しい若者たちなのでにこにこ笑って聞き流している。
自由が丘の大先輩である亡き樋浦直久翁が、「わたしのような『ムカシ人間』がウチダくんのような前途ある若者といっしょにビールをのんでおしゃべりしていただけのも、合気道ならではのこと。ありがたいことです」と温顔をほころばせながら片手で私の手を三教で決めて私の額をテーブルにごんごん打ち付けながら、わははと笑っていたことを思い出す。樋浦先輩にはまだまだ及ばないが、私のような因業なオヤジが若い合気道家にこうしてつきあって頂けるのも同門のよしみである。翁のひそみにならって工藤くんの手を三教で決めながら、笑って説教をかまそうかしらと思ったが、逆に返し技をかけられて土間に投げ飛ばされたりすると立場がないので自制する。
しかし刮目すべき後輩が続々と輩出し、まことに多田塾の未来は明るいことである。
小田急線でいっしょに帰る工藤くんと合気道談義に花を咲かせつつ相模原の実家に。
兄ちゃんが来ているので、さらにワインなどいただきつつ、ひとしきり歓談。
朝日新聞にコラムを連載することになったが、好き勝手なことを書いたら、クレームがついて、何度も書き直しをした、という話をする。
うかつなことを書くと、「投書マニア」の読者から「朝日の良識を疑う」という趣旨の批判が殺到するのだそうである。
ご案内のとおり、私は「うかつなこと」だけを選択的に書き、世の「良識ある人々」の憤激を買って、それをもって操觚の資とするという営業方針を採択しているので、朝日新聞の読者が読んでにっこり微笑むようなものを書くのはほんとうはマズイのである。
しかし、病床にある父親こそ、この「世の良識ある朝日読者」の代表格のような方であり、その父が、「ついに、あのバカ息子も、ようやく世間の良識というもののたいせつさが分かってきたようだ」というふうにはげしく誤解されている。
誤解されたままでは私も困るのであるが、病父にすれば「誤解も良薬」。
親孝行のためには、多少のわがままは自制しなければならない。