明日は明日の風とともに去りぬ

Tomorrow never knows what wind will take me away: from 1 Jan 2002



6月30日

ほんとうに、ほんとうにひさしぶりの「休日」。

死んだように眠り続ける。

2時から8時まで寝て、いちど起きて、朝御飯を食べて、そのままベッドにもどり、また爆睡。目が醒めたら正午をだいぶ回っていた。

ひさしぶりに家のお掃除をする。家の中がきれいになると単純にうれしい。

ラーメンを食べてからまた昼寝。

6時になって起き出して大丸へお中元の発送とお買い物。

お中元お歳暮を出す相手が年々減ってくる。

ついに今回は二人。

おひとりはもちろん多田先生。もうおひとりは神戸女学院大学への就職を斡旋してくださった(ウチダが永久に足を向けて寝られない)関東学院の山口俊章先生。(能の下川宜長先生には社中合同でお中元を差し上げる)

私が「先生」と敬して長者の礼をとる相手が、年々減ってくるというのは、なんだか困ったことである。

これって、私が年々生意気な野郎になって来て、ますます人を人とも思わなくなったということの徴候ではないかと「承りカウンター」でしばし沈吟する。

もちろん個人的に「先生」と敬慕している方はほかにもたくさんいるのであるが、私からお中元を受け取って「あ、ウチダくん、どうも。どう、がんばっとるかね、その後」というような感じで応接してくれる長者というのはなかなか探すといないものなのである。

ひさしぶりに「街場」に出たのをさいわい、夏のスーツを購入。

例年ボーナスが出るとスーツを一着買うのだけれど、今年は「むははの印税生活」の余得でGiorgio Armani をゲット。

試着室の鏡を見ると、「まるで村上龍」である。

「おお、まるで村上龍みたいだ」

と私が喜悦の声をあげると、店員さんが「えー、そうですかー。そんなことないですよ」と暗い顔をする。

どうやらジオルジオ・アルマーニでは「村上龍」は禁句らしい。

でも、そんな態度ってないだろと思う。

村上龍のおかげで、どれくらいアルマーニの需要がふえたことか。もっと感謝しなさい。

 

ところで、これほど私がへろへろになったのはもちろん二日にわたって甲野先生と行動を共にしたからである。

あれほどパワーと観察力のあるひとといっしょにいると、「なんとか、ちゃんとした人間に思われたい」と力が入るので、ウチダでさえ緊張してしまうのである。

昨日の夜は名越康文先生のクリニックに乱入して、飯田先生、うっきー、冬弓舎の内浦さんはじめ十数名の宴会でのバトルトークである。

バトルというのは違う。

甲野先生、名越先生とも、人の話に反論したり、遮ったりということを絶対にしない。にこにこ応対しながら、前の話者の話題を引き取って「さらに見晴らしのよい」ところにすっと話をすすめてゆく。

どんどん話は破天荒な方向に逸脱してゆく。

今回のメインの話題は「鎮魂」について。

名越先生が先月沖縄の「ひめゆりの塔」で遭遇した壮絶霊体験の話。アフガン進攻のとき、甲野先生が国東半島の宇佐八幡で見た、そこに蝟集して(アメリカ滅亡orアフガン滅亡を祈祷する)全国の「裏神道」行者たちの話。精神科に来院する思春期の患者が負う母親の圧倒的に邪悪なエネルギーの話。

昨日いちばん受けたのは「狂いすぎている人間は発症しないんです」という名越先生の至言。

その場にいる全員がしばらく絶句。

そして、「ははは、そういうことって、ありますよね、ははは」と快活に笑っている私を人々は遠い目をしてみつめていたのでありました。

果たして甲野・名越・ウチダ鼎談本、21世紀の奇書、冬弓舎刊『実用マニュアル・〈邪悪なもの〉の鎮め方』(仮題)(って、ウチダが勝手に仮題を考えてよいものだろうか)は日の目を見るか。

刮目して待つ可し。

出たら必読。これはほんとに「実用本」だよ。


6月28日

超多忙の週末が始まる。

第一日目の本日は授業→学科集会→授業→会議(ふたつ)→大学院入試問題作成→甲野先生講演会→懇親会という、イベントとイベントのあいだの「休憩時間」が五分くらいしかないタイトなスケジュール。

あたまがくるくるする。

しかたがないので授業をしながら休憩する。

一時間目の「フランス語で村上春樹を読む」演習では村上春樹の書く男女の会話がいかに巧妙な作物であるかを論じる。(文法を教えているより、こっちのほうがずっとらくちんである。)

今日は接続法大過去の誤植を発見。アクサン・シルコンフレクスが抜けていたのである。フランス人が書いた文章に接続法の誤用を見つけたときのヨロコビというのは、他に類を見ないものである。

来週からは太宰治の『桜桃』をフランス語で読む。太宰のあるグルーヴ感のある日本語がどういうフランス語になるのか、楽しみである。

二時間目のゼミはNHK大河ドラマ『利家とまつ』の文化論的考察。

ウチダが大河ドラマを熱心に見ていたのは『赤穂浪士』のころのことであるが、聞けばそれは大河ドラマ第二回の由。(第一回は『花の生涯』だそうである。おお、そう言えばたしか尾上松緑と佐田啓二が出ていた)

あのころ、長谷川一夫の「おのおのがた」と宇野重吉の「堀田さん・・・」というのがはやったね、という話をしたかったのだが、おそらくそれは私がこどものころに「たっちゃん、『あのねのオッサン』タカセミノルを知らないの?」と言われて困惑したのと同様の困惑を彼女たちにもたらすであろうと自粛。

どたばたと会議をこなして、甲野先生のご来学を待つ。

3時半に朝日新聞の石井晃さんと、武庫川女子大の四回生のお二人と甲野先生登場。

研究室でわいわいおしゃべりをしているうちに時間となり、会場へ。

本日の聴衆は約40人。ガタイのでかい若者たちが前列に陣取って、甲野先生の「誰か、やりたいひといますか?」の誘いに「はいはいはい」と手を挙げる。

聞けば京都大学合気道部の猛者連。噂の甲野先生の超絶技巧を体験せんと長駆京都からいらしたのである。

たっぷり術理のお話をうかがい、「止めて、どーん」という甲野先生の新展開技法の実験台になって、元気な聴衆諸君も満足そうであった。

そのあと例によって聴衆のみなさんとともに「いちぜんや」での懇親会に繰り出す。

会食はさておき、みんな列を作って甲野先生に技をかけてもらい、「ぐふ」とか「おひょ」とか笑いながら悲鳴を上げている。

甲野先生のわざをかけられても別に痛かったり、苦しかったりということはない。何か「とんでもないもの」に触れて、崩れ落ちたり、弾き飛ばされたりするような感覚がするばかりである。

明日はこれを満喫できる。

楽しみである。


6月27日

ゆうべおそくまでわいわい飲んでいたので、今週も木曜の朝は寝ぼけマナコである。

しかし、そのボケ頭で、大学院の演習では「90分二回でラカン丸囓り」という難行に挑まねばならない。

しかし二日酔いなので、ぜんぜん「ラカンあたま」に切り替えることができず、院生たちを前にして、

「院生心得その1:よほど体力とヒマがあるとき以外は反省してはならない」

「その2:論文を書く前には決して計画を立ててはならない」

「その3:いかなる人間からの批判であれ、批判に耳を傾けて人生が愉快になるということはないので、すべての批判は聞き流さねばならない」

「その4:教師が『・・・しなければならない』というようなことを言い出したら、まじめに取り合ってはならない」

などという実用的説教を延々とする。

しかし、院生諸君はみんな、ニコニコしながら耳を傾けている。

よい人たちである。

45分間もヨタをとばしていたので、残り時間は45分。

その45分間で、「鏡像段階理論とはどういうものか」と「現実界とは何か」について超特急で演説をする。(来週は90分で「象徴界」と「父の名」をやっつけないといけないから、忙しい)

現実界といったら、まあ「現実」のことだわな。

んでね、人間つうのは「現実」には決して触れることができんのよ。これが。

人間が触れることができるのは「物語」だけだ。

たとえばさー、「愛してる」って言うじゃない。

そのときに自分が口にしている「愛してる」っていうことばってすっごくそらぞらしいじゃない。

だからさ、ガキは「オレは『愛してる』なんていわねーぜ」って突っ張るわけよ。

それはガキが「愛という現実」がどこかにあると思ってるからなのね。

「愛してる」ということばが自然にこみあげてくるような、「核になるような現実」、「すみからすみまで豊かな愛で満たされているような感情の実質」があって、それを実感できる人間だけがそのことばを口にすべきだ、というふうに考えるわけよ。ガキだから。

でも「実体としての愛」なんて、考えれば分かるけれど、実在するものじゃない。

「愛」っていうのはさ、「愛している」ということばを口にしたあとの「事後的効果」として生じる人間関係のあり方のことなんだから。

「愛してる」って言ったことで、「愛」が生まれてくる。

だって、そう言われたらさ、言われた方はなんだか気分がよくなって、それとなく愛想がよくなったりするじゃない。

気分がよくて愛想がいい人といると、こっちも何となく気分がいいじゃない。

それが「愛」なのよ。

「ケルン」なんか探しちゃ、ダメなのよ。

原因と結果はいつだって逆なんだから。

人間は未来に向けて過去を思い出す。

人間の語る物語はすべて「前未来形」で語られる。

感情というのは「こういう感情を私は抱いている」と言った「後に」なって「あったような気がしてくる」というもんなの。

「私」というのも、それと同じで、「私」をふくむコミュニケーションのネットワークの中にしかないの。

「私」のケルンなんか探しちゃダメなの。

ハヤシさんがある日みんなから「モリさん」て呼ばれたとするじゃない。

最初のうちは「私はハヤシです。モリじゃないです!」ってがんばっててもさ、みんなが「モリさん」て呼ぶし、家に帰ると表札が「モリ」になってるし、戸籍謄本取り寄せても「モリ・カナ」になっていたら、もう仕方がないじゃない。

「モリ・カナ」とよばれる以外には社会生活に何にも支障がないなら、三日もすればハヤシさんも「モリさん」て呼ばれたら、「はい」と返事するようになるでしょ。

そして、何年か経ったら「ハヤシ・カナ」っていうのは私の見た夢だったのかしら・・と思うようになる。

その「モリ・カナ」がラカンのいう「私」。

で、「ハヤシ・カナ」が「自我」。

で、「えーっと私って、『ハヤシ・カナ』なの、それとも『モリ・カナ』なの、うーん、なんだか分かんなくなっちゃったよ」とおろおろしているのが「主体」。

これがラカンの「私/自我/主体」の三極構造。

ところが、ある日このカナぴょんが神経症になる。

そして、分析家のカウチに横になって、カナぴょんが語り出す。

「私、誰も認めてくれないんですけど・・・ほんとは『ハヤシ・カナ』なんです」

「ほうほう」

「先生、信じてくれますよね?」

「もちろんですとも、ハヤシ・カナさん」

「カナぴょん、うれしー」

「ははは、ハヤシさんが元気になって、私もうれしいよ」

というのが、分析的対話というものなのだよ。

だけどさ、このときに分析家という名の「他者」によって承認された「ハヤシ・カナ」って、「ほんとうに」存在するわけじゃないでしょ?

分析家と分析主体のコミュニケーション・ネットワークの中に新しく誕生した「ヴァーチャル・キャラクター」でしょ?

それでいいの。

他者の承認を得た「ヴァーチャル・キャラクター」に同一性を感じる、ということが「正気」のあかしなんだから。

みんなが「モリ・カナ」と呼ぶ人間と、分析家が「ハヤシ・カナ」と呼ぶ人間は、同一の「物語」マトリックスから生まれている。

私たちは「マトリックス」の世界に棲んでいる。

「物語」の世界を「ついの棲み家」と思い定めたものを私たちは「人間」と名づけるのだよ。

おお、ちょうど時間となったようだ。

では、先生は寝が足りないので、「みどりのたぬき」を食したあと、研究室でお昼寝をするからね。また来週。

 

午後はVIAのための演武会がある。

VIAというのはスタンフォード大学がアジアに送り込んでくるヴォランティアの学生諸君のこと。アジア各地での活動に先だって、日本に立ち寄り、関学とうちのESSの諸君の仕切りで「日本の伝統芸能」をお見せするのである。

本学では例年、茶道部、華道部、能楽部、箏曲部、合気道部&杖道会が芸をお見せすることになっている。

まずは道場で松田先生、かなぴょん、ウッキー、岸田主将、森島くん&私が合気道の演武をご覧にいれる。

それから体育館に移動して(道場は天井が低いので、杖や剣は使えないのだ)、かなぴょんが仕杖、私が打太刀で制定形12本をご披露する。

月曜日に特訓しておいた甲斐があって、乱合まで間違えずに出来た。

けっこう上出来。

みなさんお疲れさまでした。

スタンフォードの引率の先生はいつも同じ方であるが、去年はちょうど膝の痛みがひどくて演武できず、その先生から「どうしたんですか?今年はやらないんですか?」と心配顔をされたが、今年は元気に演武が出来たのでにこにこして握手してくれる。

I'm very happy to see you again.

に対して

Me too.

と応じる。

もう少し英会話勉強しないとまずいかな。

 

演武が終わってからあわてて着替えて大阪へ。

能楽養成会の公演を見る。

能『経正』と狂言『牛馬』と舞囃子二番『安宅』『三輪』。

『経正』の小鼓は合気道会OGの高橋奈王子さん。毎回拝見しているが、一回ごとにぐいぐいと上達されている。

むかしは舞台に出ると、肩ががちがちになっているのが分かるほどに緊張していたが、さすがにプロになってからは貫禄の舞台である。

『三輪』の大鼓の大倉慶乃助くんと『牛馬』の善竹忠亮くんは、このあいだの湊川の下川正謡会の楽屋でおしゃべりした、私がおおいに将来を嘱望している能楽系アイドルである。

慶乃助くんは汗をほとばしらせつつ「パコーン」と例によってグルーヴ感のある大鼓を打っている。

びっくりしたのは忠亮くん。途中で絶句してしまったのである。

ちょうどこの前下川正謡会の楽屋でお弁当を食べている忠亮くんの隣に座り込んで、「ねえねえ、あのさー、シテ方って、絶句しても後見とか地謡の誰かがつけてくれるけど、狂言方って、舞台で詞章忘れたら、だれがつけてくれるの?」とトンデモナイ質問をしたのである。

忠亮くんはしずかに弁当を食しつつ、「誰もつけてくれないです・・・」と答えたのであった。

そんなことを訊いたのがいけなかったのか、養成会の舞台でよもやの絶句。


6月27日

東京から行方くんが遊びに来る。(行方と書いて「なめかた」と読むのだ)

行方くんは大学の同級生。久保山、伊藤、浜田、竹信くんらとつるんでさんざん悪さをした「蛍雪友の会」のお仲間であるが、いまはカタギの銀行員。

93年のゼミ旅行のときに北京駐在だったので、そのときにはずいぶんお世話になった。(学生たちの「故宮に行って、天檀みて、万里の長城に行って、パンダ見て、京劇見て、市場に行って、美味しいものたべたい」というような過激な要求を苦もなくさばいてくれた。

今回は某銀行の検査のための来神である。

そごうで待ち合わせをして、せっかくそごうまで来たので、増田聡さんへ結婚祝いの「リーデル」のワイングラスペアセット(てんとう虫の模様入り)を送る。

結婚されたのは5月中旬なのに、忙しくて「デパート」というところに来る時間がなかったのである。ようやく贈り物ができて、ほっとする。

「てんとう虫の模様入りワイングラス」というのもずいぶんなチョイスだとお思いになられるであろうが、なかなかかわいいの、これが。

「どう、キミ、もういっぱい」

「ふふふ、女房酔わせてどうするつもり・・・」

というような展開をぜひ増田ご夫妻には愉んでいただきたいものである。

 

行方くんとまずは寿司の「源平」へ。

ここは『ミーツ』の江さんのご案内で来た店である。美味くて、早くて、安い。

二人で牛飲馬食してひとり6500円。

つづいて、いつもどおり、ハンター坂をのぼって『ジャック・メイヨール』へ。

カウンターにすわって橘さんを相手に、ふたりでおしゃべりしているうちにだんだん店が混んでくる。

「街レヴィ派」のみなさんがどんどん来られるので、著書にサインなどする。

さらに座がにぎやかになってきて、行方くんの「オチまでが長い英語駄洒落」や、「銀行は賤業である」という「潜水艦乗り」のコバヤシさんと行方くんのバトルトークを「株屋さん」の美女二人と笑って聞いているうちに、北野の夜はしんしんとふけてゆくのでありました。


6月26日

オフだけれど、会議があるので、学校にゆかなくてはならない。

ついでにホームページの更新をする。

韓国の大学院に行って、韓国男性と結婚したもとゼミ生の華チャンがときどきおもしろいメールをくれる。

今回はW杯話が面白かった。

読んでいるうちに、「おお、そうだ。こんなおもしろいものを一人で読んでいるのは勿体ない。ちょうど、井原さんの『梨花の丘から』も終わってしまったことだし、今月から『華チャンの韓国インサイド・レポート』を不定期掲載することにしよう」と決める。

日韓ヨメシュウトメバトルとか、日韓激烈夫婦喧嘩とか、なかなか迫力のあるものが読めそうである。

というわけで華チャンの新連載、みなさんよろしく。彼女のホームページもよろしくね。

これで海外・遠隔地レポートものは『高雄啓三のボストンのお茶会』『長崎通信』とあわせて三本。なかなかこのホームページも執筆陣が充実してきた。(『不眠日記』もコアな読者がいるし)

「どこかの編集者の目に止まって、私のエッセイが本にならないかな」というような虫のいいことを考えている方、本ホームページではあなたの「コーナー」をご用意しております。ジャンル不問、家賃無料。ご寄稿歓迎いたします。ただし条件は「ウチダが読んで笑えるもの」に限ります。


6月25日

続けて本が出たせいで、どどどと出版社からのオッファーが続いている。

「本を出しませんか」というお申し出はたいへんたいへんうれしいのであるが、すでにバックオーダーが滞貨している。

いま「書き下ろしを・・」と言っていただいても、果たしてウチダの存命中に原稿をお渡しできるかどうかさえおぼつかない。

この場を借りまして業界関係のみなさまには、ウチダの受注状況をご告知しておきますので、現在心秘かにウチダ本を企画中の編集関係のみなさまは、ただちに企画書を最寄りのゴミ箱に投じられますようご案内申し上げます。

 

(1) 国文社、レヴィナス『困難な自由』改訳(まだ280頁残っている。今年中には必ず出版しますと中根さんと「男の約束」をしたので、ともかくこれが最優先)

(2) 鈴木晶先生と共訳のジジェク『ヒッチコック/ラカン』。締め切りがもう来ているらしいが、まだ一行も訳していない。ひえー。夏休みはまずこれから片づけなければ。

(3) 講談社、レヴィナス論書き下ろし。もう三年くらい前にお約束した本。せりか書房のレヴィナス論を書き上げたら、すぐに取りかかりますと、これも「男の約束」をしてしまった。

(4) 晶文社、『おじさん的思考パートII』。「街場の現代思想」など、既発注文原稿のコンピレーション。これがいちばん早く本になりそうだ。

(5) 新曜社、身体論。原稿はもうだいたい揃っているので、あとは書き整えるだけ。でもその時間がなかなか・・・しかし年内には原稿お渡しします渦岡さん。

(6) 冬弓舎、甲野善紀・名越康文両巨頭との鼎談(企画中)。ただしこの企画は三人が揃ってしゃべりはじめると一日で一冊分の原稿ができるはず。

(7) ちくま新書(企画中)

(8) 洋泉社新書(企画中)これはコンピレーション本なので、案外早く出るかもしれない。

(9) 新潮新書、「大人になるための本」(企画進行中)

(10) 径書房、フェミニズム批判論集。これは既発のフェミニズム批判論と、例の引き取り手のない原稿。『フェミニズムについて私が知っている二三のことがら』(仮題)

(11) 角川書店(企画中)

(12) 文藝春秋(企画中)

(13) 青春出版、『哲学のレッスン』(企画中)

 

と、ご覧の通り、本日までのバックオーダーが13冊。

これが全部ハケて、私が「あー、ひまだ。どこから仕事がこないかなあ」とつぶやくような日が存命中に訪れるということがあるのだろうか。

ヒマでヒマで困っていたときには、誰も私に仕事を頼みに来ず、忙しくて忙しくて困っていると、どかどか仕事が来る。

ヒマなときも、忙しいときも、私が書いていることはまるで同じなのに。

世の中、なかなかうまくゆかないものである。

 

今日はこれから『ミーツ』の原稿を書かないといけない。

はじめて締め切りに遅れてしまった。

「大人になること」というムズカシイ主題なので、考え込んでしまったのである。

江さんは「直球ど真ん中」をご所望のようだが、はたしてご要望にお応えできるかどうか。

8時半になったらサッカーが始まるから、それまでに仕上げて送らないと。

うう、たいへん。


6月24日

ひさしぶりに下川先生のお稽古へ。

謡は『蝉丸』。

下川先生の謡に耳を傾けていたら、やはり「倍音」が出ている。

モンゴルの「ホーミー」の発声法とどこかで通じるところがあるような気がしていたが、なるほど。

いかにして倍音を出すか、それを工夫してみるが、なかなかむずかしい。

どうも骨格の固有振動数を関係があるようである。

息を丹田に収めて、背骨を上昇させて頭蓋骨の百会のツボあたりから「抜く」と倍音が出やすい。

これは錬丹の呼吸法とほぼ同じである。

つまり謡の稽古はそのまま呼吸法の鍛錬になっていたということである。

むかしの人というのは、現代人よりよほど合理的である。

愉しみと稽古が一体となっていたんだから。

遊びと本業を一体化する、というのはウチダの生存戦略であるが、これはべつに私の創見でもなんでもなくて、実はものすごく伝統的な作法だったのである。

 

来年の大会の演目が決まる。

私の舞囃子は『船弁慶』。

平知盛の亡霊が義経相手に長刀を振り回すというダイナミックな舞である。

足腰が立つうちにやっておかないと、長刀ものなんかできないから、よい機会である。

武道と能楽の身体運用の共通点についても得るところが多いだろう。

うまくすると、「能楽と武術」という主題で論文が一本書けるかもしれない。(武道と能楽を同時に稽古していてかつ身体論研究者という人間はおそらく日本に五人くらいしかいない。)

その論文をどこぞの出版社に売りつければ「お役料」分くらいの印税がはいるかもしれない。

おお、これはよい考えだ。

遊んで、稽古して、研究して、お金を稼ぐ、という四つが同時に果たせるではないか。

 

ゼミでは「美人コンテスト」の話で盛り上がる。

みんなでわいわいと「なぜ、最近の女の子は美人ばかりなのか。不美人はどうやって短期的に淘汰されてしまったのか」という根源的問題について、とても世間さまにはお聞かせできないようなトンデモナイ話をしているうちに時間が過ぎてしまう。

なんだか遊んでお給料をもらっているようで、申し訳がない。

 

雨の中、体育館で杖のお稽古。

杖の遣い方についてこのところ「気づき」があって、それをずっと稽古している。

とりあえずは「身体を割って遣う」ということの大切さしか分からない。

身体を「捻らない」で「割る」ということが、どうして大事なのか。なぜ、そうすると杖の「刃筋」が生きるのか。まだ断片的なデータしかないけれど、いずれ、それらを統合する術理も分かってくるだろう。

 

今日、下川先生に能の構えにおける「胸を落とす」ということの意味をお尋ねしたら、そういう言い方はしないけれど「なで肩」ということは大切だ、と教えていただいた。

能楽師の最良の体型は「肩がない」というものだそうである。

体幹からじかに手が生えていて、肩のジョイントがない状態を理想的体型とするのである。

私が体術の稽古を通じて分かったことは、肩は「起こり」の指標であるだけでなく、「気の流れ」の障害でもある、ということである。

武道的な「胸を落とす」身体操作は、身体の内側に張りを作り、「肩を消す」ことで両腕の「斬りの冴え」を出す効果がある。

今日、下川先生に立って頂いて、先生が「肩を消す」瞬間の胸の筋肉がどうなっているか見たら、やはり、がばっと「胸が落ちて」いた。

なるほど。なるほど。

 

木曜日にスタンフォード大学のお客さまに武道の演武をお見せするイベントが予定されているので、稽古のあと、体育館でカナぴょんを相手に久しぶりに杖の制定型を十二本まで遣ってみる。

たっぷり形を遣ったら、いい汗をかけた。

武道の形稽古はほんとうに愉しい。

形稽古はほんとうにセッション・コミュニケーションだと思う。

だからこそ、なぜ、このようなセッション・コミュニケーションで「試合」などというものを行うのか、私にはそれがうまく理解できないのである。

それって、恋人同士が二組出てきて、審査員の前で「どっちのペアがより愛し合っているか」を競って、判定してもらうようなものではないだろうか。

「キミたちの方が、あっちのペアより仲良しみたいだから、キミたちの勝ちだ。さあ、次は全国大会だ。めざせベスト4」とか言われても・・・

そんなこと他人と比較しても仕方がないと思うんだけど。


6月23日

父の遺言に従って、散骨のために三浦半島の小網代湾なるシーボニアというヨットハーバーまで赴く。

モーターボートで30分ほど沖に出て、相模湾の中央、北緯35度09分、東経139度29分の海上に遺骨と花束を撒き、ついでに父の好きなビールとシーバルリーガルを注いで黙祷。

こういう葬儀の仕方があるということを風聞に聞いてはいたが、実際にやってみると、なかなか風情のある儀式である。

参列者は母と兄と甥の裕太の四人。

帰路、新横浜で精進落としをして、ひとり新幹線で爆睡しながら神戸に戻る。

五月の第二週からずっと「週末」のない生活が続いていたが、ようやくこれで「死のロード」が終わった。

来週からはちゃんと日曜日には朝寝をして、古いロックを聴きながらアイロンかけをしたり、スパゲッティを茹でながら小説を読んだりできる。

ふう。

 

21日は温情会。

今年は神戸オリエンタルホテル。メリケンパークにある三方が海というすてきなロケーションのホテルである。

早めに着いたので、飯田先生と海の見えるバーでハーパーのソーダ割りなどを呑んで日没を眺めつつ清談。

妙齢のご婦人と海の見えるバーにいるわけだから、状況的にはもう少し違う展開になってもよさそうなのであるが、日本近代文学史における「断絶」のヴァーチャル性について、という非情緒的話題に終始する。

生酔いで会場にたどりつくと、今回は自由席とのこと。

松澤員子新院長がひとりぽつんと坐っている。

みんな遠慮してそばにゆかないのである。先生がこちらに手を振って「こっちにきてよ」と合図をされるので、お誘いに応じてお隣へ。

そのままワインなど酌み交わしつつ、飯先生、橘先生もまじえて、松澤先生と私の年来の持論である「ライトサイジング」論を語り合って盛り上がる。

うちのサイズの大学だと、こういうふうに学院長と膝詰めで話す機会がぽんとあるのが、ほんとうにありがたい。

 

新聞に『寝ながら学べる構造主義』の広告が出る。

コピーは「『そうか、そうなのか』の連続です」のひとこと。

嶋津さんが考えたのか、実に簡にして要を得たコピーである。

その下に「おじさん」の写真が二葉。

ふつうの読者は誰だか分からないだろう。

ご説明しておこう。

向かって左のハゲ頭で笑っているおじさんがウチダで、右側の怖い顔をした白髪のおじさんがウチダの兄である。

「えー、ウチダってハゲてたの」

と驚かれた読者の方もおられたであろう。

裏表紙の「著者近影」とぜんぜん似ていないぞ、というご指摘があるやもしれぬが、著者近影は実は10年前のものなのである。あれから急速に脱毛が進み、老眼の度も進んだのである。少年易老、学難成。まことにせつないことである。

 

『寝な構』の読後の評判はなかなかよい。

一気に読んでしまった、というメールが続々と届く。

ぜひ学生に読ませたい、というお便りもあったが、他大学の諸君が読むのは結構であるが、うちの学生は読まないようにお願いしたい。

あのネタであと三年くらい講義をする予定なので、「先生、その話、もう読みました。違うネタ、ないんですか?」と言われると困る。

この間、大学院の演習のときにフルタ君に、「先生、その話聞くの、学部のころから数えて三回目です」と笑いながら指摘されてしまった。

いんだよ。志ん生の落語と同じなんだから。

ちょっとずつマクラも変えてるし。


6月21日

『寝ながら学べる構造主義』が出た。

私がこれまでに出した「いちばん廉価な本」である。(690円+tax)(ちなみにウチダ関連本でいちばんの高額物件はベルナール=アンリ・レヴィの『フランス・イデオロギー』。お値段4326円。高いなー。それだけの価値のある本ではありますけれど)

今回の本は廉価なので、みんな気楽に買ってくれる。

どんどん買って「署名」を求めてくるので、ネコマンガを描き続ける。

読んでくださった方からさっそく感想メールが届く。(中根さん、江さん、松田さん、どうもはやばやとメールをありがとうございました。)

いまのところ、なかなか好評である。

「寝ながら学べる」というタイトルに偽りはない。(何人かはそのまま熟睡したらしい)

夕べもソファーに寝ころんでウイスキーを飲みながら読み出したらとまらなくなって午前2時まで読みふけってしまった。

内容を熟知している書いた本人でさえ読み出すと面白くって止まらないくらいなのだから、はじめて読む人にとってはどれほど面白いであろう。(それほど面白くない場合には熟睡できるし)

あらゆる意味で間然するところのない書物であるといって過言でないといって大きくは当を失すまい。

いいから買って。

おねがひ。

 

合気道の稽古をしていたら、どうも膝が痛い。

よく見ると膝にぎちぎちに巻き付けてあるサポーターが膝をしめつけて痛いのである。

膝の関節の痛みよりも、サポーターの痛みの方が強く感じられるということは、膝の関節がもうあまり痛くないということである。

1年前に外科医から半月板損傷、ナントカ膿腫で「運動厳禁・再起不能」を宣告されたのであるが、「まあ、人生、そういうものだよ」と思ってあまり気にせず、ふつうに稽古をして、ふつうに暮らしていたら治ってしまった。

さすがに「トカゲの再生力」をほこるウチダの肉体である。

 

村上春樹の『羊をめぐる冒険』の仏訳を読むというゼミをしている。

仏語訳と原文を照合して、フランス語話者が村上春樹の日本語をどんなふうにフランス語にするのか、その微妙な差異から、彼我の世界分節の違いを比較文化論的観点から検証しようではないか、というなかなかに野心的なゼミである。

パトリック・デ・ヴォスさんというひとがフランス語訳をしている。

なかなかみごとな訳である。

どうして「みごと」かというと、私がパトリックくんのフランス語だけを見て和訳をすると、ときどき村上春樹の原文と文ひとつまるまる一言一句違わないということが起こるからである。

これはなかなかたいしたものである。

しかし、ところどころに誤訳も散見される。

今日、すごい誤訳を見つけた。

"J'irai jusqu'a trente-cinq ans, dit-elle. Puis je mourrai."

Elle mourut en juillet 1978, a vingt-six ans.

このフランス語をそのまま訳すと

「『私は三十五歳まで生きる』と彼女は言った。『そして死ぬ』

一九七八年の七月、彼女は二十六歳で死んだ。」

このどこが誤訳なのか、と疑問の方もあろう。

村上さんの原文は

「『二十五まで生きるの』と彼女は言った。『そして死ぬの』

一九七八年七月、彼女は二十六で死んだ。」

翻訳のいちばんむずかしい山場を訳し終えた第一章の最後のフレーズだから、パトリックくんも一瞬気を抜いたのであろう。誤訳というのはこんなふうに、ふだんなら絶対間違えないようなところで起こったりする。

でも、「25歳で死ぬ」と予告しておいて26歳で死んだ娘と、「35歳で死ぬ」と予告して26歳で死んだ娘とでは、文学的な「たたずまい」がちょっと違うような気もするけどね。

 

何でもホームページには書いておくもので、「引き取り手のない原稿が発生しました」という業務連絡を昨日書いておいたら、さっそく二社から「よければ引き取ってよいです。委細面談」というオッファーが届いた。

こういうのを「青田買い」というのであろうか。

ありがたいことである。

しかし、それにつけても売れないのが映画の本である。

こうなったら調子に乗ってさらに業務連絡を続けよう。

えー、業務連絡です。

引き取り手のない映画の原稿がさらに二つあります。

ひとつは私の「おとぼけ映画批評」ひとつは松下正己くんの「映画の音楽」です。

私の方はホームページのエッセイを編集しなければいけませんが、松下くんのブツはもう完成稿ですから、すぐに本にできます。

マツシタくんの映画音楽論、おもろいですよー。

というわけで、優良物件二種類、ただいま超格安価格にてご奉仕中です。委細面談。早いもの勝ち。待ってまーす。


6月20日

ひさしぶりのオフ。お掃除、洗濯、アイロンかけをしてから、『ミーツ』の原稿書き。

江さんからは「大人になるとはどういうことか」、または「女は何を望んでいるのか」を主題に書いて欲しいということを重ねてリクエストされている。

でも、こういう大議論というのはやはりほいほいと書き飛ばすわけにはゆかない。

「大人になる」「成熟する」とはどういうことか。

むずかしいよね。

だって、こういう問いにストレートに答えようとする、ということ自体けっこう「子どもっぽい」ふるまいだからだ。

「大人になるってどういうことですか?」

ときかれたら

「さあねえ。で、昨日、阪神勝ったの?」

というような「受け流し」が「大人」の本領ということってあるし。

と同時に「いきなりまじめになる」という「予断を許さぬ意外性」もまた「大人」の本領だし。

うんうんうなりながら書くが、あまり出来がよろしくない。

仕方がない。

ウチダ自身がまだ「大人」じゃないんだから。

とにかく指定の枚数仕上げたので、締め切りまで「塩漬け」にしておいて、次は『女性学評論』の原稿にとりかかる。

どんどん長くなってもう120枚。

まだまだ長くなる予定。とうに『女性学評論』の指定枚数50枚を超えてしまった。

年一回刊行のジャーナルだから、このままでは分載ということになる。

誰がこんなものを三年越しで読んでくれるであろう。

どうしたらよいのか。

さまざまな原稿を依頼されているのに、それを放って置いて、誰からも依頼されない原稿に没頭するというのも考えてみると不経済な話である。

だいたいショシャーナ・フェルマンにいちゃもんをつけていったいどういう「いいこと」があるのか、私にもさっぱり分からないが、「他人にいちゃもんをつける」ためにがりがり原稿を書いていると、ほんとうに時間のたつのを忘れるほど楽しいのだから仕方がない。

というわけで業務連絡です。

出版社のみなさま。

引き取り手のない原稿が一つ発生しました。「フェミニズム言語論」批判のごりごり硬い学術論文です。

「なんなら引き取ってもよいぞ」という太っ腹なエディターさまがおられましたら、ご一報下さい。格安で勉強させていただきます。


6月19日

昨日は一日サッカーを見てしまった。

日本−トルコ戦は「あれよあれよ」と言っている間に終わってしまった。

レベルの高い試合ではあったんだろうけれど、「メークドラマ」がなかったのかも。

それに比べて夜の韓国−イタリア戦は興奮した。

この一試合だけでも、2002年のW杯は開催した甲斐があったというものである。

ウチダの予測では前半1−0でイタリアがリード。後半開始直後に韓国が守備に入ったイタリアの「かんぬき」をこじあけて1点返して、イタリアがむきになって攻撃に出て、死闘を展開。終了直前にトッティからデル−ピエロへの芸術的なパスがつながって劇的なゴール。

というのが予定調和的な展開だったのであるが、こんな結末になろうとは。

しかし、世界最高のプレイヤーを揃えたイタリアが死にものぐるいになってかかってくるのに勝ったんだから、韓国サッカーはえらい。

決勝ゴールを決めた安”市川染五郎”貞桓くんなんかセリエA・ペルージャの控えの選手だというではないか。おそらく年俸がトッティのスタイリスト代にもならないような若手に真っ向勝負を挑まれて負けちゃったんだから、イタリアのショックは深いだろう。(それにしても絶好調のデル−ピエロを引っ込めたトラパットーニ監督の交替は疑問だな。新聞によると監督は敗戦を審判のミスジャッジのせいにしていたけれど、あんたのせいだよ)

フランス、アルゼンチン、ポルトガル、イタリアと敗退して、あと残るのはブラジル、スペイン、イングランドか・・・どうなるのだろう。

決勝はイングランド−ドイツか、ブラジル−スペインか、それとも・・・

6月一杯はまだまだW杯で愉しめそうだ。


6月18日

今日の午後四時に新潮社の編集のかたと約束があったのだが、3時半キックオフということで、急遽待ち合わせ時刻を午後2時に変更。(私がしたんじゃないよ、先方から「そんな時間に仕事の話ができるでしょうか?」という打診があったのである。たしかに喫茶店にはいっても、従業員全員が厨房でテレビをみていて、誰一人注文を取りに来ない、というようなことになるやもしれず、時間変更は正解だったかも)

ともあれ、本日のトルコ戦はどうなるのであろうか。

打ち合わせを早々に終えて、うちに帰って見なくちゃ。

 

鈴木宗男がようやく捕まりそうである。

TVのアナウンサーも「も、どーでもいーよ」というような投げやりな口調でこのニュースを伝えていた。

こんどの国会は有事法制、個人情報保護法案、郵政民営化などなど重要案件が目白押しであったし、そもそも「小泉構造改革」の正念場となるはずであったが、何ひとつ「新しいこと」が始まらないまま、何一つ「日本再生」の指針が示されないまま、そこらじゅうにガタの来た「古いシステム」がただきしみをあげてぼろぼろと壊れてゆくさまをみせつけるだけで閉幕しようとしている。

その原因のひとつはまちがないなくこの鈴木にある。

この男の下品な顔付きと威圧的な語り口は「日本の政治システムの未来には何の希望もない」という「事実」そのものの記号であった。

TV画面を通じて、半年にわたってその記号をあまりに繰り返し見せつけられたせいで、私たちは全員が「日本の政治には希望がない」ということを骨の髄まで刷り込まれてしまった。

すでに述べたけれど、有事法制も個人情報保護法案も、法案の合理性や条文の整合性に致命的な問題があって廃案にされたのではない。

そのいずれもが「法律を運用する者に大きな自由裁量権を与える」法律であったために、国民に忌避されたのである。

いま、私たちは法律の制定者(国会議員)と法律の執行者(官僚)が大きな自由裁量権を持つことを望んでいない。

だって、バカなんだもん。

法案が、論理的整備ゆえにではなく、「法律はそのものはつじつまがあっているんだけれど、それを運用する政治家と官僚がバカだから、どうせろくなことにはならないだろう」という理由で廃案になったというのはおそらく日本憲政史上はじめてのことである。

政治中枢これほど知的倫理的レヴェルの低い人間が蝟集したのも、おそらく日本史上はじめてのことである。

すごい時代になったものである。

その「すごい時代」をみごとに図像的に表象するが鈴木宗男の顔なのである。

ひとりの人間がこれだけの政治的影響力を行使できるというのも、考えてみたらたいしたものである。

そこでウチダから提案。

鈴木宗男の顔を福沢諭吉に替えて一万円紙幣に印刷する。

強制的新札切り替えで、すべての一万円紙幣は鈴木宗男紙幣に切り替えられねばならない。退蔵は禁止。

これによって驚くべき経済効果が生じる。

だって、私たちは財布をあけるたびにそこに鈴木宗男の顔を見出すことになるからだ。

誰がそのようなものを財布のうちに久しくとどめ置こうとするだろうか。

一瞥するや、「げっ」となって、それを棄てるように使ってでも、釣り銭の夏目漱石の知的温顔と交換しようとすることは火を見るより明らかである。

かくして人々はムネオ一万円紙幣を「こども銀行券」のようにばらまき、受け取った人々も、受け取るや否や「げっ」と言って棄てるように不要不急のゴミ商品を買いあさって、一万円を手元からなくそうとする。

これによってどれほど流通が加速するであろう。

すばらしい経済効果ではないか。

日本経済再生の奇手とウチダはひそかに自負しているのであるが、問題は、どんなに労働をしてもムネオ紙幣で賃金が支払われるということになると、国民全員がどっと勤労意欲を失ってしまう可能性がある、ということである。


6月17日

いそがしい週末。

金曜の夜、教授会終了と同時にどたばたとタクシーを飛ばして新幹線で東京へ。

旅の道連れは飯田先生とウッキー。

さっそく新幹線内を居酒屋化して宴会モードのまま渋谷へ。

日本-チュニジア戦の夜であったので、渋谷の街は真夜中というのに警官隊と大騒ぎする若者たちの群れ。

渋谷の街にこれだけ警官がいるのを見たのは、1970年以来である。

なんとなく既視感にとらわれながらも、若者たちを高揚させるものの質は「ずいぶん違うよなあ」と感慨にふける。

渋谷東武ホテルに投宿して、みんなでビールをのみながらサッカーのニュースを見る。(試合時間のときはちょうど教授会だったのである。一部の先生たちは会議中、机の下で携帯のiモードで試合経過をチェックして、会議中にスコアを回していたらしいが)

雨模様の朝、渋谷から駒場東大前へ。

ひさしぶりの第一体育館で、東京大学気錬会の10周年記念演武会。

ごんちゃん、タカスさんなど、在京メンバーも参加して、たいそうにぎやかなことになった。

演武会後に駒場エミナースにて祝賀会。

植芝守央道主をゲストにお迎えして、ウチダもちんまりと来賓席にすわる。

演武会、祝賀会ともに東大気錬会のエートスがひしひしと伝わってくるじつにフレンドリーなイベントであった。

気錬会は多田先生がわが「掌中の珠」のようにていねいに育ててこられた道場であるが、それと同時に、創立者雑賀さんの底抜けに明るいパーソナリティがすみずみにまでしみ込んだ、ほんとうに愉快で元気な組織である。

こういう若者たちが輩出する限り、日本の未来は安泰である。(前に「東大本郷バリ島化」とか書いたけど、気錬会は「バリ島化」してないからね、だいじょうぶだよ)

土曜は相模原実家泊まり。

兄ちゃんとふたりでぼーっとサッカー観戦。(どうもワールドカップ開催中は「家族の会話」が少なくなるな)

日曜は正午にリクルート本社でインタビュー。

Worksという企業の人事担当者が読んで、これからどういう人間を採用し、育成してゆこうかを考察するための雑誌らしい。(違うかも知れない)

しかし、私は企業の人事担当者というものにあまり好意的な人間ではないので、「日本の企業組織は人を見る目も人を育てる能力もない」毒づくだけである。

しかし、日本の企業組織や官僚組織がこれだけダメなのは人事がなってないからだ、アメリカのグローバリズムは民族誌的奇習にすぎない、日本は遠からず中進国にまで国力を落として行くであろう、とさんざんに悪口を言うにつけ、ふしぎなことにインタビュアーのお二人の顔が(しだいに曇ってゆくと思いきや)しだいに晴れやかになってゆくのであった。

なんだ、みなさんもそう思っていたのか。でも、「それは言ってはいけない約束」なんだね。

インタビューを終えて、走って抜弁天の合気会本部道場へ。

二日連続の多田先生の講習会。

山田、坪井、今崎の諸先輩にご挨拶。

工藤くん、内古閑くん、土屋くんの気錬会メンバーが今日も来ている。

前日につづき、道衣が重たいほどに汗をかく。

そのままばたばたと東京駅まで駆け込み、行きと同じくウッキー相手におわりなき駄弁を弄しつつ、新幹線を居酒屋化して帰神。

ああ、疲れた。

でも楽しかった。

みなさんまた会いましょう。


6月14日

るんちゃんが風のように来たり、去った。

滞在中、一回だけ水曜の夜に夕食をともにする。

「グリルみやこ」でビーフシチューをたべてから、「ジャック・メイヨール」でワインを飲む予定であったが、「みやこ」は改装中でおやすみ。

そこでお向かいのチリ料理に入るが、これが「大当たり」でおいしいことおいしいこと。

しかしメインの肉料理とパエリアのあいだに20分ほど時間があったために、膨満感が訪れ、さいごのパエリアには四苦八苦。

苦しい苦しいと腹を突き出しながらハンター坂をのぼって、ジャックへ。

るんちゃんは橘さんに挨拶だけして、そのまま次なるランデブーへ走り去る。

カウンターでワインをのんでお腹がおさまるのを待っていたら、『ミーツ』の江さんと青山さんがどどどと登場。

そこに街レヴィ派のみなさんも次々と登場して、たちまち瀟洒なワインバーは哲学する人々の激論の場となる。(なにしろ、ステーキハウス「K分」のK分さんなんか、自己紹介即レヴィナス『実存から実存者へ』についての話)

しかし、ウチダもこういう雰囲気は大好きであるから、もうがんがんゆく。

たちまち時計は十二時をまわり、はっと気づくともう午前2時半。

五時間しゃべりまくっていたことになる。

あわててローズガーデンをころげおちて、タクシーで帰宅。

おかげで、翌日の大学院の演習が眠かった。

 

文春新書の『寝ながら学べる構造主義』の見本刷りが到着。

さっそくソファーにごろ寝しながら読んでみる。

おお、これは具合がよろしい。

われながら面白い。

読んで分かったことは、「前から思っていたこと」を文章化した箇所はあまり面白くないが、「書いている最中にふと思いついて書いたこと」は変に面白い、ということである。

「ふと思いついて書いたこと」は、書いている本人にもなんだかよく分からない情報を含んでいる。

その「なんだかよく分からないこと」をそれからずっと「あーでもない、こーでもない」といじりまわしているうちに、それがだんだん整理されてきて、そこからいくつかの学術的知見が引き出される。

たぶんその「書いている本人もなんだかよく分からないもの」をいつのまにか自分が書いているという経験を求めて、私たちはものを書くのである。


6月12日

半日がかりで「女性学」のレポートを読む。

テーマは「女として読む・女として書く」

講義では、ショシャーナ・フェルマンとリュス・イリガライの主張を簡単に紹介して、それをネタに「性差と言語」の関係についてお話をした。

レポートには「性差と言語」について、具体的な経験に基づいて、自分の思うところを書いて下さい、とお願いした。

レポートはなかなか面白かった。というか、すごく面白かった。

女性差別については、ほぼ全員が現実に不愉快な経験をしたことがあるとしているが、相当数のレポートがその一方で、「女性であることで得をしている事例」「女であることをたてに苦役を回避している事例」の多いことをも指摘していた。

たいへん興味深かったのは、女子学生を標的にした「女らしくしろ」キャンペーンの「加害者」が「母親」と「バイトの店長」に集中していたこと。(まれに父親やボーイフレンドが「女らしくしろ」という意見を言うこともあるが、レポートを読むかぎり、彼女たちはそんな説教は歯牙にもかけていないようすである。)

だが、「母親」と「店長」からの「女らしくふるまえ」プレッシャーは抵抗するのが困難らしい。というのは、いずれも「非常に執拗」であり、反抗に対しては「制裁」をちらつかせるからである。

たぶん「母親」と「バイトの店長」たちは、女子学生が「ただ生物学的に女性である」だけでは「売り物」にならないということを知っているのだ。

彼らは、「女である」というのは、一種の「社会的な演技」であり、それを「演じてみせる」女性に対してのみ市場は「性的」値札を付ける、というジェンダー・リアリズムの信奉者である。

それゆえ、彼らは彼らの「管理している商品」であるところの女子学生諸君に執拗に「女らしくふるまう」ことを強要するのである。(そのように「女らしくふるまう」ことを学習した女子学生はその後「店長」のセクハラ攻撃の標的になる。)

女子学生たちはどうやらこの「セクハラ店長」を「日本の企業社会」というもの矮小化された戯画として見ているようである。

なるほど。

情け無い話である。

レポートのもう一つの特徴は、女子学生たちの、フェミニズムに対する共感の低さである。

私は教壇でずいぶんフェミニズムの悪口を言ったのだが、100枚近いレポートの中で、「ウチダ先生のフェミニズム批判はききずてなりません」というふうに咎めてきたものが一人もいなかった。(これは教師に反論して低い点数をつけられたらかなわんし、という計算もあるかもしれないから、そのままには受け取れないが)

しかし、「女らしさ」そのものの可否についてははっきり意見が分かれた。

だいたい三分の一「原則反対」、三分の二「原則賛成」。

つまり、人間には個体差しかなく、性差によって人間はその社会的なふるまい方を変えるべきではない、という「ジェンダー・フリー論」に与するものが、三分の一。いや、「女ならでは」の社会的なふるまい方を規定するジェンダー・コードには有用性がある、という議論に与するものが三分の二。

ジェンダー・フリー論は教科書的な通り一遍の記述が多かったが、ジェンダー・コード再評価論者の多くは彼女たち自身の経験に基づいて、「女らしくふるまう」ことの意義と生産性についてを語っていた。

そして、フェルマン=イリガライの主張する「女として語る言語の創出」については、賛成したものがひとりもなかった。

ことばなんか新しく作っても仕方がない。そうではなくて、いまあることばをどのように「使うか」が、どのように「レディメイドのことば」をもちいて「オリジナルな意味」を生成してゆくか、それが私たちの課題だ、という正論を書いた学生が何人かいた。

なかなか大したものである。

ウチダも感心。

これまで私たちは「セックス」と「ジェンダー」と二つの概念の切り分けでことを済ませてきたが、どうも「ジェンダー」概念もひとすじなわではゆきそうもない。

ジェンダー概念そのもののうちに「抑圧的・繋縛的」な契機と、「開放的・生成的」な契機がともに含まれている、と考えた方が合理的だろう。

ジェンダー概念そのものをまるごと否定したり肯定したりするのではなく、その中のネガティヴなファクターを抑制し、ポジティヴなファクターを支援する、というかたちで性差の問題は論じるべきではないか、ということをレポートを読んで感じた。

みなさん、どうもありがとう。刺激的なレポートでした。


6月11日

某広告代理店でスポンサーと主宰の『ミーツ』関係者などと小林昌廣先生とともに「エルプリュスの夜会」の打ち合わせというものを行う。

広告代理店というものが社会的にいかなる機能を果たしているのか、世事に疎いウチダはまるで分かっていないのであるが、十名を越す関係者のみなさんとごいっしょし、さらに堂島の瀟洒な割烹で一席設けて頂いたにもかかわらず、依然として謎のままであった。

今回のイベントは代理店さんの仕切りなので、はじめてそのビジネス習慣というものを拝見したのであるが、シロートであるウチダが驚いたのは、「やたらに関係者の数が多い」ということであった。

あるいは広告代理店というのはきわめて洗練された「ワークシェアリング」の一形態なのかもしれない。

『ミーツ』の江さんが途中から合流したので、宴席はまたたくうちに「岸和田だんじり」の話になる。(江さんの「あらゆる話題をだんじりに繋げてしまう」論理統合能力は「感動的」という以外に形容のしようがない)

ひさしぶりにるんちゃんが東京から帰神してくるというので、ひとりだけ早めに切り上げてお先にご無礼する。

そういえば「北新地」というようなところでお酒を呑んだのは生まれてはじめてのことである。

今年は『ミーツ』のおかげでいろいろな経験が出来る。


6月9日

『週刊SPA!』のインタビューがある。

私は定期刊行物をまったく読まない人間であるので、『週刊SPA!』がどんなメディアであるかぜんぜん知らないのだが、倉田真由美の『だめんず・うぉーかー』の掲載誌であるということだけは知っている。(『だめんず・うぉーかー』は先般、単行本全三巻をアマゾンで購入した。このマンガの重要さについては、いずれ稿を改めて本格的に論じなければなるまい)

くらたま先生と同じメディアに出られるとは光栄である。

「小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』も『SPA!』ですよね?」

というウチダの不用意なひとことに、インタビューに来た編集者のI田さんの顔に「ちびまる子ちゃんの顔の縦線」が走った。(そういえば、数年前、小林よしのりは『SPA!』と大喧嘩して掲載誌を『サピオ』に換えたのだった)

すまない。

ウチダは世俗のことに疎いのである。

『SPA!』には猫十字社先生もマンガを連載されている。

猫十字社といえば「カリタ」と「メリタ」と「トラジャ」の三人組が活躍する超現実主義的なマンガの作者である。

ウチダが25年前くらいの青年時代に愛読していたのであるから、猫十字社先生ももう知命を越えられたであろう。まだ現役とは偉いものである。

きけば『SPA!』は25歳から35歳くらいまでの男性読者を想定している雑誌だそうである。

ウチダはあまりその年齢の男性を知らない。(大学の合気道関係者だけしかまわりにいない。彼らがどういう雑誌を読んでいるのか訊ねたことがないが、見た感じでは、『司法試験対策』とか『ル・モンド・エブドマデール』とか『月刊基礎工・道路橋示方書特集』とかいうコアなものを読んでいそうな感じがする)

しかし、「知らないことについても一家言ある」ウチダとしては、どのようなメディアからのどのような問いかけにもただちにお答えする用意ができている。

今回のテーマは「日本のダメな若者をどうやって更正させるか」というような趣旨のものであったかに記憶している。

 

私はべつにいまの日本の若者が「ダメ」だと思っていない。

たしかに「向上心」はない(知的にも、政治的にも、経済的にも)。

しかし、それは「脱亜入欧富国強兵立身出世」に一元化していた価値観がばらけたきたことの表れであって、「ダメだなー、おれは」といってへらへらしている諸君のおかげで社会的リソースの競合的争奪は緩和されており、マーケットがシュリンクしている時代においては「ダメである」ことは総体としてはクレバーな選択であるとも言える。

そういえば先日訪れた五月祭の東京大学本郷キャンパスの屋台村は、エイジアンフードの店が立ち並び、だらっとした格好をした若者たちが、でれんこと地べたに座り込み、強烈なアジア的香辛料の香りのなかで、つれづれなるままに昼酒を呷っていた。

この風景、どこかで見たことありますね、と同行の飯田先生が言って、ふたりで同時に思い出した。

これは香港のバンコクの台北の街路の、あの懐かしいアジアの街路の「たたずまい」そのままである。

明治維新から150年、ついに日本は進化の方向を逆転させて、「脱欧入亜」へのシフトを果たしたのである。

これでよいのだ、と私と飯田先生はうなずきあったのである。

日本のエリートと目される諸君が、女子学生は肌もあらわに、男子学生はとらえどころなき間抜け面をさらして、なすこともなく地べたに座り込み、どよんと酔いしれている図柄こそ、明治以来150年かけてようやく我が国がたどりついた「エルドラド」なのだ。

これでよいのだ。

わが国はこれから香港やタイやバリ島のような「エイジアンな」とした国になってゆくのである。それがひそやかな国民的合意なのである。

私は好きだぞ、バリ島。

東大生諸君も「本郷バリ島化」にますます邁進していただきたいものである。

それはさておき。

自分のことを「ダメ人間だ」とおもう日本の若者は統計によると73%である。

中国は38%、アメリカが40%ちょっとであるから、これはずいぶん高い数値だ。

だが、「ダメ」といっても、たいしてダメなことをしているわけではない。

朝、起きられないとか、同じ仕事が続けられないとか、部屋の掃除ができないとか、約束の時間に遅刻してしまう、とかそういうことである。

しかし、「私はダメ人間であると思う」と断言できる、ということは、二つの意味で健全であると私は思う。

(1) 自分の社会的能力について客観的自己評価ができている

(2) 私を「ダメ」であると規定する評価基準に対して(それに従っているようにみせながら)、やんわりと不信感を表明している

たしかに、「私はすぐれた人間である。それを認めて、私をもっと尊敬しろ」というようなことを言い立てる人間ばかりでは、世の中住み難くて困る。

お金があって権力があって情報があってアメリカでMBAとってきて英語がぺらぺらで外資系企業のヤングエグゼクティヴで・・・というような人間が汎通的な「理想像」とされるのは、社会全体にとってはあまりよいことではない。

だって、そんな条件を達成できるのは一握りの人間だけだからだ。

残る圧倒的多数は、条件を満たせずに、フラストレーションを抱え込むことになる。

集団的なフラストレーションを癒すための社会的コストは高くつく。

場合によってはものすごく高くつく。

アメリカがよい例である。

アメリカ社会が「人間の価値は年収で判定される」という価値観のせいで、どれほど成員たちをを傷つけているか。傷つけられた人々が渇望する「癒し」のために、どれほどの社会的リソースが蕩尽されているか。

この社会的コストのバランスシートはいまはかろうじて「黒字」になっているが、「赤字」に転じるのは時間の問題である。だが、このことに気づいている人間は少ない。これもまた稿を改めて論じなければならぬ重大な論件である。

それはさておき。

だから、私は社会的な達成目標はできるだけ低く設定したほうがよい、と考えている。

ほとんどの成員が「それなりに」社会成員としての資格条件を満たしており、「それなりに」余人をもっては代え難い社会的使命を果たしている、というふうに「思い込む」ことができるように社会は設計されるべきであると考えている。

みんなが何となく自足してにこにこほっこりしている社会の方が、一握りの人間がスペクタキュラーなサクセスを収め、大多数の人間がよだれを垂らしてその姿を羨望する社会より間違いなく住み易い。

だから、「私はダメな人間」と言う若者を叱咤し、「それではいかん」と圧力をかけることに私は反対である。

むしろ、そういう成員が一定数存在することは社会の安定のために必要なのである。

彼らは「役に立っている」のである。

彼らは「それと気づかずに」80年代のバブル期の「金がすべて」という歪んだ価値観を補正するために「そーゆーものは、オレはどーでもいいよ」というカウンターパートを提示しているのである。

どちらかといえば、日本社会は伝統的に「金とか名誉とか権力とかは、どーでもいーよ」という生き方に対して親和的である。「競争から降りる」人間に対して欧米社会は日本ほどには寛容ではない。

そのせいもあって、この世代には「向上心」をもたないダメ人間が大量発生した。

デートはラーメン屋、ふたりで六畳一間のアパートのTVで発泡酒を呑みながらサッカーを見て、休みの日には甲子園球場の外野席で阪神戦を見るだけで「ほっこりしあわせ」というような人々がマジョリティになりつつある。

六畳一間のアパートに住みながら、車はBMW、時計はロレックス、クリスマスには4万円のディナー・・・というような無意味な消費行動を繰り返しては、社会的上昇にむけて空しく疾走したバブル世代の金の使い方とは好対照である。

これはある種の「歴史的補正」の動きであって、その世代の個人の発意や意思にはあまり関係がない。

だから、若者個人をつかまえて「何やってんだよ。生き方改めて、もっと向上心を持て」と叱りつけてもどうしようもないのである。

世代というのはそういうマッスである。

ただ、話はこれだけでは終わらない。

この世代の歴史的機能は「ゆきすぎた蕩尽とアリヴィスムと競争の補正」であるので、ある程度修正がきいて、社会システムがうまく動きだしたら、(つまり「パイのぶんどり合い」から、ある世代がごっそり脱落することで競争が緩和され、シュリンクしたマーケットの中でのリソースの分配はそれなりに秩序を回復した場合)、この世代は次にはまるごと「棄てられる」ことになるからである。

彼らより若い世代とアジアからチャンスを求めて日本のマーケットに参入してくる若者たちは、彼らより高い地位、高い賃金、大きな権力、多くの情報を(彼らがスペースを空けてくれたおかげで)はるかに容易に手にすることができる。そして、後進に「スペースを譲った」ダメ世代は晴れて日本社会の最下層を構成することになる。

これは残念ながら避けられない。

いま15歳から35歳までの「ダメ人間」世代はあと20年後くらいには「スキルもないし、購買力もないし、知的生産力もないし、情報発信力もないし、政治的主張もないし・・・ひとことでいえば『どーでもいーひとたち』」として年下の世代から、ずいぶんぞんざいに取り扱われることになるだろう。

自分の世代が歴史的にどういうポジションにあり、どのようなミッションを委ねられているのか、ということをみきわめるのはたいせつなことである。

しかし、そういう時間軸でものを見る訓練ができている人間は非常に少ない。

「若者たち」は自分たちが先行する世代とは違っており、先行世代の価値観やマナーを批判し、その最弱の環を打ち砕き、のりこえるような趨向性をもっている、ということについては十分に自覚的である。

しかし、自分のあとから来る世代もまた彼らとは違ったしかたで、彼らの世代の価値観を否定し、かるがると彼らを乗り超えてゆくであろうということについて想像力を働かせることのできる「若者」はきわめて少ない。

その「きわめて少ない」若者だけが21世紀を生き残ることができるとウチダは思う。

経験的に言って、そのような平明な歴史感覚をもった若者が同世代の中に7%くらいいれば、とりあえず社会秩序は維持される。

7%を切ると、ちょっと危ない。

るんちゃんや多田塾の若いみなさんは、ぜひこの「7%変人群」に踏みとどまって、21世紀を生き残れるように、がんばっていただきたいものである。


6月8日

久しぶりに「何もない」週末。

何もないと言っても、もちろん合気道の稽古はあるし、能は見に行かないといけないし、『週刊SPA!』の取材はあるし、入試問題を二種類作らないといけないし、女性学のレポートを100枚読んで点を付けるというような仕事はしないといけない。

それでも、ひさしぶりにたいへん暇な週末である。

これで「暇」なんだから、私が「忙しい」というとき、それがどれくらい忙しいものであるか、ご想像いただけるであろう。

暇なので、ショシャーナ・フェルマンがWhat does woman want? (邦訳は『女が読むとき、女が書くとき』)で展開している言語論を批判する論文を書いている。

フェルマンは私が知る限りもっとも知的節度のあるフェミニストである。(「知的節度のあるフェミニスト」というのは、「ダイエットにはげむワニ」というほどにレアな存在である。)

私はフェルマン好きである。(美人だし)

しかし、ウチダはフェミニストと戦うことを本務の一つとしているので、そんなフェルマンの書き物を心苦しくも批判しなければならない。

因果な商売である。

論件は「女として書く」parler-femme という理説の本質的な誤謬を徹底批判することである。

言語運用にジェンダーが関与することは誰にも明らかである。

「おれ」とか「ぼく」とかいう人称代名詞は男性に特化しているし、「わらわ」とか「あちし」とかいうのは、女性に特化している。(「おれ」を使う女子中学生などもいるが、あれは「おれ」が男性に特化された語法であるからこそ効果的なのである)

終助詞「ね」「わ」などの使い方も日本語の場合はきびしく男性語、女性語の違いがある。(欧米の言語にはそういうものはない。)

しかし、だからといって、「女性は女性を主語として語る言語を持っていない。だから女性がその内面を正確に記述し、その経験を適切に表現することのできるような女性にのみ特化した有性化された新しい語法を創出しなければならない」と主張するのは、まるでお門違いである。

このロジックには何の説得力もないと私は思っている。

前提が間違っているからである。

誰であれ、自分を主語として「その内面を過不足なく表現できる言語」などというものを持つことはできない。

誰であれ、自分の経験や内面を過不足なく語ることができないという事実は人類一般に妥当することであって、ジェンダーとは関係ない。

「男性は自分を主語として語ることができるが、女性はそれができない」といイリガライやフェルマンは主張するが、これは間違いである。

男性も自分を主語にして語ることができない、という点において女性と少しも変わらない。

「オレは男だからよ・・・」みたいなことを繰り返し断言している男は、できあいのストックフレーズを垂れ流しているだけであって、そこには内面も主体性もユニークさも、何もない。

ただのバカである。

そういうバカが「女性には許されない主体性を享受している」とお考えなら、そんなスカスカな主体性なんか、いくらでも差し上げますから、どうぞご自由にお持ち帰り下さいと申し上げる他ない。

私も男と同じようにバカになりたいというフェミニストを私は止めない。

しつこく言うが、自分を主語にして、自分の経験を完璧に、すみずみまでくまなく語りきれるクリアカットな言語、というものは理念としても現実としてもありえない。

そもそも言語というのは、それを語っている人間を根源的に疎外する、というかたちでしか機能しないものである。

例えば、私は「私は嘘つきでワルモノである」と自己規定している。

もちろん、これは私の内面のカオティックな心的状態について、ほとんど何も正確には伝えていない。

しかし、何か言わないと話が始まらないから、しかたなく、そういうことを言うのである。

「しかたなく言ったこと」について責任を取りつつ、話者自身をある事況に繋縛するいう仕方で私たちはコミュニケーションを起動させる。

とりあえず何か言わないとコミュニケーションは始まらない。だから何か言う。

その「何か」が100%ピュアな自己表現でなければならない、などという無体な条件をつけられては困る。

コミュニケーションのためのことばはそれ自体が「贈り物」なんだから、内容なんか何でもよいのである。

「ハイホー」で十分だし、「ふふふ」でも大丈夫。

「どちらまで」「ちょいと西銀座まで」なら、もう上出来である。

自己規定だって、それと同じだ。

私は自分のことを「嘘つきのワルモノ」である、と自己規定しているが、もちろんそう「思っている」わけではない。

私の「内面」にわだかまる無数の妄念をふたつの形容詞で包括できると考えるほど私は脳天気な人間ではない。

しかし、この形容詞の選択にはそれなりの意味がある。

少なくとも、「私は正直者の善人です」というのを私は忌避した。

この忌避については何らかの理由があったはずである。

その選択の意味は、私には分からない。

だからとりあえず口に出す。

すると、誰かが「ほんとにウチダって悪人だよね。現にこのあいだ・・」というふうにケーススタディを始めてくれる。

私はそれに耳を傾ける。

とりあえず何か言ってみて、それに対する応答を導き出すというかたちしか、自分の「内面」などというとらまえどころのないものを相手にする手段はない。

人間はつねに記号を使い過ぎる、とラカンは言った。

ラカンはつねに正しい。

人間はつねに言い過ぎるか言い足りないかどちらかであって、「言ったこと」が「言いたいこと」と過不足なくシンクロするということは絶対に起こらない。

必ず「言い損なう」という事実は万人に共通である。

しかし、「言い損なう」仕方は、ひとりひとり違う。

私は子どものころから、嘘ばかりついてきたが、その嘘のつきかたには、パターンがある。そのパターンを検知すれば、私がつく嘘から、私の思考形式を近似的に言い当てることもできる。

これを「嘘から出たまこと」と言う。

自分についての言及は、「必ず的を外す」。

だが、「的を外す仕方」は一定している。

その「自分について言及するときに、つねに失敗する仕方の同一性」という微分的な水準にひとりひとりの個性は定位される。

私はそういうふうに考えている。

だから、「女として語る語法」なんていう実定的な「モノ」を想定する必要なんかないと思うのである。

「女としてさっぱりうまく語れない語法」でも、「失敗する仕方の同一性」を検知するためには十分有用だ。

女であれ、男であれ、どのような言語を発明しても、自分の「内面」を過不足なく表現できる、というような事態は起こらない。

イリガライは「女として語る言語」なるものを提言して、じっさいに運用してみせたが、それは自意識過剰の女子高生の書いた現代詩みたいな気持の悪いものであった。

すべての女性があんなことばづかいで話し出したら、世界は地獄となるであろう。

ショシャーナ・フェルマンはイリガライほどバカじゃないから、それが空しい企図であることは重々承知のはずだ。

しかし、空しい企図と分かっていてなおフェルマンはその必要性を主張する。

ムダだと分かっていることをあえてなす場合、その理由は何か?

「あなたはそう言うことで、ほんとうは何を言いたいのですか?」というのはラカンによれば「子どもの質問」である。

私はその「子どもの質問」をフェルマンに向けているのである。

「フェルマンさん、あなたはほんとうは何が言いたいの?」

もちろんフェルマンも自分がほんとうは何が言いたいのか分からないので答えることができない。(自分が何を言いたいのか分かっているなら、フェルマンだってこんな本書かない)

だから、この問いにフェルマンは決して答えてくれない。

「女が何を欲しているのか、私には分からない」と言ったのはフロイトである。

フロイトはつねに正しい。(つねに正しい人が世の中にいるのは、実にたいへんにありがたいことである)

「女は何を欲しているのか、ウチダにも分からない」

もちろん、女性自身も「自分が何を欲しているのか」は分からない。

What does woman want? というのは男たちだけが発する問いかけであり、その答えも男たちが自分で考えないといけない。

そして、当然ながら、男たちの出す答えは、つねに間違っているのである。

でも、間違っていてもまるで構わないのである。

というのは、女が望んでいるのは、「自分が何を望んでいるか」を言い当ててもらうことではなく、「彼女は何を望んでいるのか」と自問して、さまざまな贈り物をするのだが、そのたびに「あたしが欲しいのはこれじゃないの」とつれなく拒まれて、呆然と立ち尽くす男の瞳に浮かぶ「女が何を欲しているのか、私にはどうしても分からない」という底無しの無力感の色を見て取ることだからである。

「女が何を望んでいるのか、男は決して分からない」ということが分かった男の絶望。

間違いなく女はそれを欲している。

ウチダが半世紀生きてきて、女について分かったのはそれだけだ。


6月7日

真栄平(まえひら)先生とお昼をご一緒したので、日本史についてレクチャーしていただく。

真栄平房昭先生はすでにこの日記にも何度かご登場頂いているが、私が敬愛してやまない同僚であり、私の発するどのようなシロート的質問にもたちどころに答えてくれる、「歩く歴史事典」のような日本史の泰斗である。

今回は、有事法制についての中日新聞への投稿の中で「歴史上、日本が有事を経験したのは五回だけである」などと思いつきで断言してしまったが、ほんとうにそうなのだろうかと(中学生のときの日本史の教科書と司馬遼太郎から得た知識だけで書いてしまったのので)不安になってお尋ねしたのである。

幸いなことに、「それでいいのです」と真栄平先生からのご確認をいただくことができた。

そのついで元寇のときの高麗であった「三別抄の反乱」の話を教えていただいて、

びっくりした。

あまりびっくりしたので、ホームページでその話をご紹介したい。

私はばくぜんと「元寇」というのは、元と高麗の「同盟軍」が手に手を取って日本に攻めてきたとばかり思っていたが、実は朝鮮半島で、それに先だって高麗は元の進攻によって長い苦しみを味わっていたのである。

北方からの契丹の進攻に苦しんでいた高麗は、元からの「同盟しない」というオッファーに苦し紛れに飛びついて、その結果、モンゴル人の巧みな外交術と武装侵入に翻弄されて、1260年屈辱的な講和条約を締結することになる。

元の次の標的は日本だということで、征東行省という日本侵略の軍事本部が高麗に設営される。

この「日本侵略の出撃基地」としての高麗の地政学的な規定が1368年の元滅亡まで、元が高麗を植民地的に支配することを正当化することになる。(どこかの国のどこぞの基地の話と似ているね)

ところがここに1270年、三別抄という武人が登場して、反モンゴル・ゲリラ政権を立てて、猛然とパルチザン的な戦闘を開始する。

高麗全土がこの反乱に呼応し、一時期は攻勢に出るが、モンゴルに内通するものが出て、内部分裂。三別抄は済州島に拠って、海賊行為を展開した。

結局、1273年にモンゴル軍、漢軍、高麗軍の連合軍による総攻撃で、済州島は陥落して反乱は鎮圧されてしまった。

この反乱には注目すべきことが二点ある。

一つは1270年から73年にわたる三別抄の乱によって、元の日本侵攻が三年遅れたこと。(文永の役は1274年、つまり済州城陥落の翌年)そして、三別抄の反乱を鎮圧するために元軍が大きな軍事的な代償を支払い、そのせいで74年段階では、征東作戦に当初のエネルギーがなくなっていたこと。

もう一つは、三別抄が1271年に日本に使者を送って、援軍を求めていたこと。(これは1980年代に発見された歴史的新事実だ)

三別抄は朝鮮半島の正統政権として、日本と平等互恵の外交関係を結び、兵糧と「援兵」の提供を求めた。つまり、1271年の段階で、高麗の三別抄は日本の北条政権に対して、対モンゴル軍事同盟を締結しないか、というダイナミックな外交的選択をオファーしてきたのである。

しかし、日本側は評定でぐずぐずするばかかりで、結局、この申し出の真意を理解できず、「どうもモンゴルが来るらしいから、九州の防衛を固めよう」という内向きの指示を出すだけで、三別抄を孤立無援のうちに棄てたのである。

 

以上が、真栄平先生から教えていただいた元寇秘話である。

そこで、私と真栄平先生のおしゃべりは、「もし、三別抄の乱のときに、北条政権に国際政治を理解するセンスがあって、済州島に援軍を送っていたらどうなっていただろう」というSF的展開を見ることになった。

元に勝っても負けても、その後の日朝関係はずいぶん違う展開を見ることになっただろう。

世界最強帝国の武力侵攻に、二つの国が力を合わせて抵抗したという「共闘の記憶」は、半島と列島のあいだに、おそらく私たちが知らないような種類の信頼と尊敬の感情を形成することになっただろう。

ほんのわずかな外交的判断の誤りが、その後数世紀にわたって国際関係を損なうことの、これは一つの見本のような話である。

日韓共催のワールドカップで人々は盛り上がっているようであるが、私たちのあいだにどんな歴史があったのかだけでなく、どんな歴史が「ありえたのか」についても、たまには想像してみることも必要ではないかと私は思う。


6月6日

暑い。

ウチダは暑いのと寒いのに弱い。

あとネムイのと空腹にも弱い。

しかし、暑がったり寒がったりしている人間に対しては強い。

疲労し消耗している人間にも強い。

「人間に強い」という言い方がサッカー用語であるが、そういう意味でいえば、ウチダは「自然に弱く、人間に強い」。

現代社会向きのキャラであるといえよう。

 

ジャック・メイヨールの橘真さんと「街レヴィ」派のみなさんから、父への供物とてワインとシャンペンを贈っていただいた。(ありがとうございます)

「街レヴィ」というのは、「街のレヴィナシアン」の略称であって、夜な夜な北野のワインバーに集まっては談論風発、放歌高吟痛飲しつつレヴィナス老師の叡智を称えて夜更かしをするという、世界にもその類を見ない奇特な非営利哲学愛好者たちのサークルである。

どういう方たちなのか、ウチダは直接はほとんど存じ上げないのであるが、今回橘さんから詳細なる会員リストのご提示があったので、はじめてその実像に触れることになったのである。

以下は橘さんによる会員紹介。(晴れて廃案となった「個人情報保護法案」への手向けとして、一部伏せ字とさせていただきました。)

K弘毅  /岸和田代表

A山ゆみこ/ミーツ代表

K吉直人 /修行中の身代表

Tチバナ真   /山本通2代表

M前まさなお/「グリルM」のまー坊

T可仁  /ワインショップ「Bリエ」橘の相棒

O槻よしこ/ワインショップ「Bリエ」修行が足りないけど美人

K井貴子 /ワインショップ「Bリエ」K戸女学院卒 綺麗でよい子

N川正一 /ポートピアの「A.C」の元シェフ・ソムリエで現本山のラーメン屋自営

K林興一郎/海上自衛隊の元潜水艦乗りでジャックの一番古くからの常連の方

T浩輔  /F士通のプログラム、デザイナー、プランナー

I丸弓子 /「B薇と薔R」という神戸のクラブの一番の売れっ子(らしい)

K古拓央 /ビストロ「Eスパス」のシェフ

I井つばさ/造園植木職人、元W-ルド、美人姉

I井みずほ/神戸市職員、元レストラン「中国人みたい」美人妹

N野智香子/社会保険の仕事、街レヴィ山岳部部員

K林和子 /N村証券、KさんのK大の後輩

Y岡順子 /ソフトの仕事、BMWのねえさんと呼ばれています

Y本健二 /キュイジニエで在仏3年で帰ってきたばかりで、梅田の店のシェフ

Y岡賀子 /カラーコーディネイトの姉さん、京都Gホテル

K分徳彦 /神戸牛ステーキ「K分」Tチバナの同級生

N村奈津子/乗馬インストラクター、御影在住

など、錚々たるみなさまでした。

ワインありがたく拝受いたしました。Merci mille fois.

 

『女性セブン』の襲来によって「悪い予感」がしていたのであるが、毎日のように「不思議な仕事依頼」が舞い込む。

本日は三件。

ひとつは『週刊SPA!』からのインタビュー申し込み。ひとつはリクルートが出している『Works』という雑誌からの取材申し込み。ひとつは高砂市の市役所からの市民講座の出講依頼。

来る仕事は拒まず、というのがウチダの方針であるので、すべてお受けする。

考えてみると、この仕事は受ける、この仕事は断るという是々非々主義でやろうとしても、どういう種類の仕事ならOKで、何が悪いのかということについて私に基準があるわけではない。結果的には「メジャーからの原稿は受けるが、マイナーな仕事は断る」「ギャラのよい仕事はするが、安い仕事は蹴る」というような非常に通俗的な基準で仕事を選ぶようになる。

私はそういう「せこい」ことをしたくないので(しかし、放っておけば必ずしてしまうであろうから)年内は「あらゆるオッファーをお受け」し、本年末をもって「すべてお断りする」ことにしているのである。

しかし、「あらゆるオッファーをお受けする」というのは、口で言うのは簡単であるが、けっこうくたびれるものである。すでに青息吐息。

そこに晶文社の安藤さんから電話で、『「おじさん」的思考』がいよいよ五刷り11000部というお知らせが届く。

一週間ごとにちょっとずつ刷り増ししているので、こんなふうに刷り数だけが増えて行くである。(もっといっぺんにどかーんと刷ればよいのだが、営業は不良在庫の発生を危惧されているのである。ごもっとも)

こうなったら、「目標10万部」ということにしましょう、と景気のよい話をしてもりあがる。


6月5日

鷲田清一さんの『時代のきしみ−〈わたし〉と国家のあいだ』(TBSブリタニカ)を読む。

書評を頼まれたのである。

書評というのは、割のよいバイトである。

タダで本が読めて、読書感想文を書くとお鳥目がいただけるのである。

つねづね申し上げているように、私は書評ではけっしてひとの本をけなさない。

調子に乗ってけなした場合、あとで著者本人とお会いしたときに、ドブを這って逃げなければいけないからである。(ウチダの世間は、もうこれ以上狭くするわけにはゆかないほどすでに狭い)

さいわい、鷲田さんの本は読みやすい。

内容はかなりむずかしいし、ことばづかいも独特であるのだが、「いいたいこと」がはっきりしているので、読みやすいのである。

鷲田さんが「いいたいこと」は、要するに、「〈わたし〉の言っていること、〈あなた〉には聞こえてますか?」ということである。

なんだ、簡単な話じゃん、と思われた方もいるだろう。

そうでもないんだよ。

このひとことを「わたし」とは誰か、「あなた」とは何ものか、「〈わたし〉が言っていること」とはどんなことばなのか、「あなた」に「ことばが届く」とはどういうことか・・・というふうにぐいぐいと問い詰めてゆくと、私たちはいつのまにか哲学の根本問題に触れてしまうことになるのである。

鷲田さんの「他者論」の構制は、レヴィナス老師の「他者論」と通じている。

ただ、鷲田さんは、レヴィナスの他者論=倫理論の基本にある「選び」という概念をあまり気にしていないように思われた。

「選び」という概念装置を参加させないと、「他者の歓待」を「それぞれの傷つきやすさの相互承認」によって基礎づけるしか手がない。

相互承認というのは、つまり、「あなたは私にとって他者であり、私はあなたにとって他者である。おたがい、相手に承認され、受け容れられないと、つらいことばかりだから、ここはひとつ承認し合うことにしません?」という功利的な計算を前提としている。(現に、ロックやホッブスの市民社会論はそのような「不快の相称性」にもとづいて道徳を構想している)

それは言い換えると、すでにして価値観なり度量衡なりを「共有」している〈わたし〉と〈あなた〉のあいだでしか、相互承認ということは起こらない、ということである。

しかし、ほんらい「他者」というのは、私と度量衡を共有しないものの謂いである。

ここにアポリアが生じる。

レヴィナス老師はこのアポリアを解くために、他者と私の関係は「非対称」だという理説を立てた。

「私はあなたを歓待する」ということばを「私」は何があっても「先に」発しなければならない。

有責性は「あなた」を押しのけて、「わたし」が先取しなければならない。

「せーの」でお互いに同時に言おうね、という話ではない。

(相手がそれに応えようと、無視しようと)「先に」歓待すること−それが「私」の主体性を基礎づける、というのがレヴィナス老師の創見なのである。

この「選び」と「自他の非相称性」の理説に言及しないでレヴィナスの他者論を祖述することはたぶんできない。

その点については、鷲田さんがレヴィナスを祖述した本書の87頁から93頁にかけて、ウチダはちょっと不満を感じたのである。

もちろん書評にはそういうことは書かない。(レヴィナスの他者論と鷲田さんのレヴィナスの祖述のあいだにどういう齟齬があるかを800字以内で論証する、などという芸当は誰にもできない)

ま、それはさておき。

鷲田さんは(廣松渉とならぶ)「ネオロジスム」(新語)の名人なのだが、この本の中にもかっこいいネオロジスムが散見された。

ウチダがいちばん気に入ったネオロジスムは「オートタナトグラフィ」である。

次のような文中に出てくる。

「同一的なものとしてのこのわたしとは、つねにすでに後から記憶として綴られるもの、つまりオートバイオグラフィ(自伝)ではなくオートタナトグラフィなのである。」(166頁)

autothanatographie 「自死誌」というのは、「自伝」の反対に、「自分がどんなふうに死んだか」を「私」を主語にして記述するテクストのことだ(と思う)。

これは刺激的な概念だ。

私はブランショの『文学と死の権利』を思い出した。

「作家は書くことによって自分自身が虚無だということを体験し、書いたあとでは自分の作品が消え失せるものだということを体験する。作品は消える。しかし、消えるという事実は残り、本質的なものとして立ち現れる。」

まったくいつ読んでも、ブランショの決めの台詞は鳥肌が立つほどかっこいい。

作品は消える。しかし、「作品が消えた」という事実は残る。

死誌とは(私の理解が正しければ)「私は死んだ」と書き記されたテクストのことだ。

「私は死んだ」と宣告することによって、「私が死ぬ」前には「私が生きていた」ことが(証明抜きで)滑り込んでくる。

文学とは、そこになかった何かを「そこに何かがあった」と唱えて呼び出す魔術ではない。

「そこから何かが消えた」と告げることによって、そこになかったものをあらしめる魔術なのだ。

「私は死んだ」というのは、「私が存在した」ことをどのような存在証明よりも堅牢に支えることばなのだ。

そう考えると松下くんが『映画は死んだ』というタイトルに固執した理由も分かるね。


6月4日

ウチダは前言を撤回すること風のごとく疾い。

本日付けの「e−メール時評」には、偉そうに「私はサッカーには何の関心もない」などと書いてあるので恥ずかしいのだが、実は夜毎、ウィスキー片手にW杯サッカー中継をわくわくしながら見ている。

実はサッカー見るの、けっこう好きなのである。

何を隠そう、村上龍の『フィジカル・インテンシティ』は全巻揃えているし、小田嶋隆のホームページのサッカー評もすみからすみまで丹念に読み込んでいる。

私は、ただ、サッカーであれ野球であれラグビーであれ、それについて人と話すのが嫌いなのである。

とくに居酒屋のカウンターのようなところで、スポーツを話題にするのが嫌いである。

ひとりで黙ってTVを見て、ひとりでどきどきして、ひとりで笑ったり、怒ったりして、そのまま黙って寝る。

私はそういうのが好きだ。

なぜ、誰ともスポーツの話をしないかというと、誰も興味がなさそうなことばかり考えているからである。

私が深く沈吟してしまうのは、「どうして人間はボールゲームが好きなのか」という種類の抽象的思弁である。

星野の投手交代がどうであるとか、トルシエのディフェンス構想がどうであるとかいうことにはぜんぜん興味がない。

野球監督の選手起用を「会社経営」や「人心掌握術」のレベルで語るのは、ボールゲームの愉悦を、「日常の水準」に貶めることである。

「遊び」というのは、それに基づいて「日常生活の改鋳」が始まるような劇的な契機であって、「日常生活の価値観」をノベタンで「遊び」に適用して分かったつもりになってしまうのでは、そもそも何のために「遊び」を享楽するのか分からない。

いしかわじゅんのマンガに「麻雀は人生の縮図だよな」という台詞を言うサラリーマンたちの雀卓をひっくり返して、「そういうことをいうやつが、俺は一番嫌いなんだ!」という男が出てくるけれど、私はその気持がよく分かる。

麻雀は「人生の縮図」なのではない、むしろ人生の方が「麻雀の縮図」なのだ。

「遊び」は、私たちが孜孜として営んでいる「日常生活」より遥かに太古的な起源を有する、ずっとディープで摩訶不思議な活動である。

私たちが愉しんでいる「遊び」の方が、私たちがしている「仕事」より、はるかに歴史が長く、はるかに人類学的な必然性がある。(「金を儲けたい」とか「有名になりたい」とか「自分らしく生きたい」などということを人間が言い出したのは、ほんの最近のことであるが、サッカーを始めたのは数十万年前である)

私はスポーツ新聞というものが嫌いで一度も自分で買ったことがないが、それはこのメディアが「遊び」の非日常性を愛しているかに見えて、その実「遊び」を日常的な価値観の枠組みに縮減することをその使命としているからである。

それは私が芸能メディアに対してもつ嫌悪感と同質である。

芸能というのは、スポーツ同様、非常に奧の深いものだ。

私たちがそれに惹かれるのには近代的な価値観では決して律しきることのできない「何か」がそこにあるからだ。

それを「色と金」という、哀しいほど現世的な価値の枠組みの中で読み換える、というのが芸能=スポーツ・メディアの本質である。

私はそこに芸能やスポーツというもののはらむ呪術性や祝祭性に魅了される、人間の心性への敬意や好奇心を認めることができない。

年俸がいくらであるとか、家庭の事情がどうであるとか、そういう「せこい話」を「遊び」については語って欲しくない。

そんな取材をする暇とエネルギーがあるなら、そのひとのプレーの「どこが」美しいのか、そのひとの動きの、声の、オーラの「何が」私たちを魅了するのか、そういう本来的な主題のために時間を使ってはくれまいか。

あらゆる問題についてつねに炯眼なロラン・バルトはボールゲームの本質についてこう書いている。

「多くの物語においては、ある一つの獲得目標をめぐって、二人の対立者が競い合っている。彼らの〈行動〉はそれゆえ等格的である。主体とは本質的に二重化されたものなのだ。おそらくこれが古代における物語の一般的形態なのである。この〈決闘的=双数的関係〉に私が興味を惹かれるのは、それが(きわめて現代的な)ゲームと物語とが近親関係にあることを教えてくれるからである。これらの現代的なゲームでも、やはり二組の等格的敵対者がある目標を獲得しようと競い合っており、その目標物は審判によってコントロールされているからである。」(『物語の構造分析序説』)

もちろんフランス人であるバルトがここで言っている「きわめて現代的なゲーム」とはサッカーのことである。

バルトはこの論考のなかで、構造主義物語論の古典、ウラジミール・プロップの『昔話の形態学』の知見を祖述しながら、「物語」が私たちの生活のあらゆる場面を構造化していることを解明してみせた。

バルトの主張は簡単である。

私たちが「物語」を消費し利用しているのではなく、「物語」が私たちを存在させているのである。

サッカーは人生の縮図なのではない。

逆に人生がサッカーの縮図であるわけでもない。

私たちの人生もサッカーも、いずれもが、同じある「根源的な物語」の変奏曲なのだ。

あらゆる人間的事象に伏流する物語。

私はそれが何だかを知りたくて、サッカーを見ている。

その「起源的な物語」については、とりあえず二つだけ分かったことがある。(さすが長年、TVを見ながら抽象的思弁に沈吟してきただけのことはあるでしょ)

一つは「人間は神聖不可侵の審判者を設定しない限り人間であることができない」ということであり、もう一つは「人間はパスしない限り人間であることができない」ということである。

ことばを換えて言えば、人間とは「神を信じ」、「他者に贈与する」ものだ、ということである。

私たちはこれと同じ原理をさまざまな場面で繰り返し聞かされている。

「イエスは彼に言われた。『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』。これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(『マタイによる福音書』、22:37−40)

ほらね。

マタイ伝のことばをそのまま借りれば、「『審判に従え』、『ボールを占有するな、贈与せよ』、サッカーゲーム全体はこの二つの戒めにかかっている」のである。

サッカーがなぜ宗教的な「遊び」なのかといえば、それは「ゴール」というものが「自分のゴールに球を奪い取る」のではなく、「他者のゴールに球を贈り届ける」というかたちをとってるからである。

「ゴール」とは無償の贈り物なのだ。

できるだけ多くの「贈り物」を相手のゴールネット内に贈り届けたものが、圧倒的な心理的優位を味わうことができる。

逆に相手に贈り物を届けることのできなかったもの、自陣のゴールにボールを「回収」してしまったものは、深い屈辱を味わうことになる。

ほらね、これって「ポトラッチ」とおんなじでしょ?

サッカーは人間たちに「人間とは何か」という根源的な問いについて省察する機会を提供するために存在する「遊び」なのである。

その点で、「プレイヤーがホームに戻る」というかたちでゲームが終わるアメリカン・ベースボールは哀しいほど近代的な遊びだと私は思う。

このゲームが150年かけてアメリカの外では、日本と韓国と台湾とキューバとメキシコ以外の国にはまるで根付かなかった理由が私にはなんとなく分かるような気がする。

最後に「プレイヤーがアウェーに去る」ことでゲームが終わるベースボールがあれば、私はもっと熱心にナイターを見ているかもしれない。


6月3日

洋泉社からのオッファーにつづいて、こんどは新潮社からもオッファーをいただく。

いずれも『「おじさん」的思考』をお読み頂いて、「こういう感じの時評的なものを・・・」ということでの企画のご提案である。

私もどんどこ本を出すにまるでやぶさかではないのであるが、すでにバックオーダーが7冊たまっているので、ここで気楽にお受けしても、私が生きているうちに原稿をお渡しできるかどうかが分からない。

というわけで事情を懇々とお話しして、他の出版社と同じく、「ありもの」原稿でよければ、いくらでも・・・とご返事するが、とりあえず新潮社とは委細面談ということになった。

「おとぼけ映画批評」をお薦めさせていただこうと考えている。

「おとぼけ・・・」は文春と晶文社には売り込んだのであるが、「映画批評は売れません」ということで却下されてしまったのである。愛着のあるコラムなので、ぜひどこかで新書化していただきたいものである。

 

二週間ほどまえに『中日新聞』から有事法制関連法案についてのエッセイを頼まれた。

有事法制について、私には別に何の「定見」もないのだが、お座敷がかかれば、どこへでも顔出しする「文化芸者」稼業の年期明けまでは(あと指折り数えて六ヶ月)、どんな主題であれ、にっこり笑ってほいほいお受けする。

これも、電話を切って、そのまま何の準備もせずにさらさらと書いてお送りした。

5月末の中日新聞と東京新聞に掲載されたはずである。

このサイトの読者の中にはその新聞をお読みになっていない方が多いだろうから、再録することにする。(原文は字数制限があったので、ちょっと改行、加筆してある)

 

「有事法案について」 

現在、議論されている「有事」法案は、わが国にとっての「有事」とはどういう事態であるかを真剣には考慮しておらず、それゆえ、「国家危急存亡の秋」に際会したときに、たぶん何の役にも立たない。私はそう思っている。以下にその所以を述べる。

「有事」とは何か。まず、その根本のところから考えてみよう。

日本史を繙くと、わが国が「有事」の呼称にふさわしい武力攻撃を経験したことはそれほど多くない。まじめに数えると、二度の元寇と薩英戦争と馬関戦争と沖縄戦、この五回だけである。

728年間に五回。薩英戦争と馬関戦争では、鹿児島は市街の一部を焼かれ、長州藩は砲台全部を壊されたが、戦死者は数名にとどまり、戦闘期間も三日にすぎなかった。

この二つの象徴的攘夷戦をとりあえず除外し、さらに元寇を「あわせて一回」と数えると、わが国が「大侵略」を経験する歴史的インターバルは364年という数値が得られる。

これを単純に当てはめると、「次の有事」の訪れは、確率的には2309年ということになる。(そのころまで日本があれば、の話であるが)

もちろん、「有事」の時間的間隔の平均値そのものには何の意味もない。しかし、それから知れることもある。それは、「真の有事」というのがきわめて例外的な事例であるということである。

日本が経験したそれ以外の「外患」は、実はほとんどが「日本が他国を侵略した」ことに端を発しているのである。(あらかじめ侵略準備を進め、自分の方から仕掛けておいて、「一朝有事」はないだろう。)

もう一つ気づくことがある。それは、わが国がこれまで経験した五回の「有事」については、その相手方がすべて世界の「スーパー・パワー」だということである。

モンゴル帝国、大英帝国、フランス帝国、そしてアメリカ合衆国。なんと堂々たるラインナップではないか。

つまり、日本史上における「有事」とは、同盟者のいない孤立無援の局面で、世界に冠絶する超大国による武装侵略を受けることだったのである。

歴史的基準をあてはめて言うことが許されるなら、それ以外の戦闘はおよそ「有事」の名に値しない。

だからこそ「有事」への「備え」がますます必要となるなのではないか、とさらに反論する人がいるかもしれない。

本気でそんなことを言っているのだろうか。

そうおっしゃる夫子ご自身、本気で「孤立無援」で「世界最強国」と戦うだけの「備え」をする覚悟がおありなのだろうか。

私は懐疑的である。

というのは、現在の世界最強国はアメリカ合衆国であり、そのアメリカはわが国の「軍事同盟国」だからである。そうである以上、論理的に考えれば、この国際関係論的文脈において、「有事」と呼ばれる事態は次の二つの場合しかありえない。

アメリカが日本を侵略する。

他国が日本を侵略するのを、アメリカが黙許する。

この二つの事態だけが真に「有事」の名に値する危機的事況である。

しかるに、現在の「有事」法案議論では、誰一人この危機の可能性には論及していない。

「在日米軍が攻撃されたらどうするのか?」という問いかけはあるが、「在日米軍が攻撃してきたらどうするのか?」という問いかけは誰も口にしない。

たぶんその問い自体を思いつかないのだろう。

つまり、「有事」を熱く語る有事法制推進派の政治家諸氏こそ、それと知らぬうちに骨の髄まで「平和ボケ」してしまったせいで、「真の有事」とは何かを想像することさえできなくなっているのである。

そのような人々が「リアリズム」の名において反対派の平和主義を嗤うのは、天に向かって唾を吐くに等しい所業である。

「真の有事」は決して到来しない、世界最強国は忠実な同盟国として永遠に日本の安全を保障してくれる、というゆるぎない主観的願望の上に策定された「有事法案」、私はそのようなものを「有事」法案と呼ぼうとは思わない。

ぜひ「無事」法案と呼ばせて頂きたいと思う。


6月2日

下川正謡会大会が無事終了。

今回は素謡『竹生島』のツレと舞囃子『養老』で湊川神社神能殿の舞台を踏ませて頂きました。

ご多用中、早朝から最後まで長時間にわたっておつきあい下さいましたみなさんに心から感謝申し上げます。

また、心づくしの部屋見舞いの数々にもお礼申し上げます。

守さん、香川からはるばるビールをお届け下さいましてありがとうございました。(重かったでしょ)ウッキー、「きんつば」ありがとう。溝口、平山、川村の「おっかけ」三人組のみなさん、「お茶漬けの素」ありがとうございます。飯田先生、お花をありがとうございました。

 

「舞台を踏む」というのは、文字通り「舞台」をばーんと「踏む」わけで、足で大地を踏むというのは、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)以来の神事ですから、あれはある種の破邪顕正の呪法なのであります。

「神懸かり」した人物を演じつつ、朗々と謡い上げ、ばーんと舞台を踏むという所作のもつ本質的な呪術性が「どういう感じ」であるかは、なかなかうまくことばに出来ませんが、とりあえずたいへん「よい気分」のものであることは確かです。

能楽は中世の芸能であると言われておりますが、ウチダの感覚では、さらに古代的な芸能であるような気がします。

あの独特のグルーヴ感のある音楽とα波ばりばりの謡の中で遊弋していると、現代社会の生活では、めったに目覚めることのない、身体深層の「太古的形質」がざわざわと蠢動するような気がします。

能楽は面白いですよ。

武道と同じで、見ているより、やる方が100倍面白いです。

大蔵慶乃助くんや善竹忠亮くんとも楽屋でふつうにおしゃべりできるし。(ふつうの人は知らないだろうけど、彼らは能楽界におけるSMAPとかTOKIOみたいなアイドルなのです。そういう子たちが、横でお弁当なんか食べてるので、「こんど何やるの?」とか世間話できるのです。)

私が還暦を無事に迎えて初能をやるときには、是非大鼓は慶乃助くんに、間狂言は忠亮くんにやってほしいものです。

とにかく、この三ヶ月くらいは、大会のことがいつも頭にあって、けっこうストレスでしたし、直前に父親の危篤、葬儀と立て込んで稽古が十分に出来なくて心配でしたが、それも終わって、いま深い解放感に浸っております。

あー。ほっとした。

来て下さったみなさん、ほんとうにありがとう。


6月1日

兄ちゃんがやってくる。

兄ちゃんからはビジネスの世界の話を聞く。

先日聞いた平川くんの話とほんとうによく似ている。

兄ちゃん曰く。

ビジネスで金を儲けようとするのは愚かなことだ。

お金もうけはビジネスの目的ではない。

ビジネスというのは音楽を演奏したり、美術作品を作ったり、小説を書いたり、哲学をしたりするのと同じように、「贈り物」をすることだ。

その対価としてお金が入ってくることはあるけれど、それはただの「結果」にすぎない。

ビジネスとは他者とのコミュニケーションであり、さらに言えば「他者への愛」なのだ。

私は「善きこと」を為したいのだよ、タツル。

ところが、驚くじゃないか、「お金なんか儲ける気がない」でビジネスをすると、なぜかじゃんじゃんお金が入ってくるのだ。

おおこれはありがたい、ということで、それをじゃぶじゃぶ使って、さらに人々にステキな「贈り物」をする。

すると、さらにじゃんじゃんお金が入ってくる。

悪循環だな。

とはいえ、もちろん私には恒産などというものはない。

ほとんど無一物であるといって過言でない。

だって、入ってくるお金はどんどんつぎのビジネスモデルに投資しちゃうからね。

にもかかわらず、いや、そうだからこそ、私の手もと通り過ぎてゆくお金、つまり私に「使い道を考えて欲しいといっって託される」お金は毎日どんどん増え続けるのだ。

 

兄ちゃんのビジネス講話は先般の平川くんの話とまるでそっくりだ。

彼らがふたりともワールドワイドな成功を収めたのは、基本的に「成功するために」何かをするのではなく、「他人のために何かをしてあげたい」とまず考えてきたからだ。

少なくとも、彼らはそう説明している。

彼らが求めたのは、他者の喜びを通じて、それを「もたらしたもの」としての自己承認を果たすことである。

このビジネス戦略は驚くまいことか、ほとんど「キリスト教」の教えそのままなのである。

だとすると、「愛神愛隣」を建学の理念とするわが大学など、それと気づかぬうちに、ビジネス的には大成功してよいはずである。

よい「はずである」。(しつこく強調)

もしなっていないとするならば、それは「キリスト教主義」が経営面・教学面において徹底されていない、ということにはならないだろうか?

「学生の喜び」を見て、それを「もたらしたもの」として自己承認を達成することを職業的エートスの基礎づけとしている経営者・教職員が十分には存在しない、ということにはならないのだろうか?