Tomorrow never knows what wind will take me away: from 1 Jan 2002
7月29日
暑い。眠い。
10時間寝ていて、眠いというのは、変なのであるが、どうも「ノンレム睡眠」が十分に取れていないようである。
ご存知のように睡眠はレム(Rem=rapid eye movement) 睡眠とノンレム睡眠の二種類から構成されており、これが交互に訪れて、ワンセットが70分ないし90分、ということになっている。
レム睡眠時はまぶたの下で目が忙しく動き、大脳は活発に活動して、夢を見ている。
ノンレム時はブラックアウト的に眠り込み、大脳は休息している。
ノンレム睡眠が十分にとれないと、睡眠時間が長くても、「たっぷり眠って、気分爽快」というふうにならずに、終日「ぼー」っとしている。
私の場合も、どうも10時間の睡眠時間のほとんどが気ぜわしいレム睡眠で、ゴールデン・スランバーのニルヴァーナのうちに静かに安んじるということが行われていないように思われる。
おそらく大脳が興奮したままで就寝するからであろう。
たしかに、寝る前に『ジーパーズ・クリーパー』を見て、ウイスキーを呑み、寝しなに『大地の母』を読み、夢の中では確定申告してるんだから、大脳が休まるはずもない。
やはり夜8時以降は、昼間の興奮がクールダウンするような平静な活動をするように心がけないといけない。
今日は、『東京物語』を見て、ジャスミンティーを呑み、寝しなには村上春樹を読むことにしよう。
7月28日
金曜日は「エルプリュスの夜会2」。
京都河原町の「リバーサイド・オリエンタル」という船宿のような不思議な建物でのイベントである。
夏の京都に行くのは久しぶりである。
やっぱり暑い。
午後6時ころに現地着。小林先生は先着している。
なんだかたいへんな数のスタッフが右往左往して準備をしていて、次々と控え室に来て名刺を差し出す。途中で名刺が切れたので、あとはもう「はいはい」と笑顔を振りまくだけ。
出場者4名、客100名というこじんまりしたイベントなのに、当日の「関係者」だけで50人くらいいる。準備にかかわった人間はのべ数百人になるだろう。
私がもらうギャラは10万だが、たぶんイベント全体ではその200倍くらいかけているのではないか。誰の懐から出たお金が誰の懐に移動していて、誰が損して誰が儲けているのか、私にはまるで理解できないビジネスの世界である。
しかし、ウィスキーを呑み、葉巻をくゆらしながら、小林先生と「いつもの話」を人前で1時間するだけでお鳥目が頂けるというありがたいバイトであるから、もちろん私に文句のあろうはずもない。
頂いたお題は「大人のすすめ」。
二人で「大人ってなんだろうね」という話を1時間する。
最近、いくつもの媒体からこのネタでのお仕事が来る。
いつの頃からかウチダは「大人になるとはどういうことか問題」の専門家というものとなってしまったようである。
もちろんこんな問題に一般解のあろうはずもないので、何を言っても誰からも文句を言われる筋合いではない。
だいたい、「大人問題」については、「大人になるってのはな、そんなことじゃないんだよ。ウチダは黙れよ」みたいなことを青筋立てて言い出す人間は、ただちに満座の失笑を買うという構造になっているので、たいへんにお気楽にして平和な論件なのである。
トークショーのあとはフリーのウィスキーやシガーを頂きながら、お客さまたちと歓談。
田川先生と沖合さん、フルタくんとウッキー、増本、永本、西岡のゼミ生トリオ、山本画伯の集中講義帰りの菊池さん、卒業生の江田さんなど女学院関係者がたくさん来ている。パーティで江さんに『ミーツ』系「街のお兄さん」であるバッキー井上さんや堀埜さんをご紹介頂いてしばし歓談。
そこに、見知らぬご婦人たちがやってきて次々とご挨拶を頂く。
みなさん『おじさん的思考』と「街場の現代思想」の愛読者の方々である。どうか次の本も買って下さいね、と販促活動に邁進する。
なぜか、私の読者であると称されるご婦人方は総じて「知的な美貌」の方々ばかりである。これは事実そうであるのか、ウチダ自身の「私の書く物を読むような女性は知的な美人であるに違いない」と主観的な願望が世界分節を致命的な仕方で損なっているのか、にわかには判じがたいのである。
ヴォーカルのオバタ・ミナコさんとコントラバスの斎藤徹さんのデュオでのジャズ演奏が終わってめでたくおひらき。
引き続き同じ建物の一階で打ち上げ宴会。JTとサントリーが協賛なので、シガーとお酒はいくらでも出てくる。
そこで斎藤徹さん小林さんと歓談。世界中を回っている斎藤さんの話がたいそう面白い。一度うちの大学に来て講義と演奏をして下さい、という話になる。これはぜひ実現させたい。
午前1時となり、さすがに6時から飲み続けなので疲れて、主催者側にご用意頂いた、京都駅横のリーガロイヤルに投宿。小林先生はタクシーで帰るというので、空いたツインの部屋を終電を逃して終夜宴会モードになっていた古田・古橋コンビが占拠する。(彼女たちは田川先生ともども「関係者の関係者」として打ち上げに潜入していたのである。)
愉快な一夕でありました。
翌27日は、合気道前期最終稽古日&飯田祐子先生渡米送別会。
全員濡れ雑巾のように汗を掻いて、「暑いよー、ノド渇いたよー」と叫びつつ御影のわが家にどどどと乱入。
まずはモエ・エ・シャンドンで乾杯。
そのままビール、シャンペン、ウイスキーなどを鯨飲しつつ、各自持ち寄りの珍味美味を堪能。
4時に始まった宴会は、のべ17名が参加。全員ヒートアップして午後11時まで爆笑また爆笑の渦。
「7月11日事件」について、次々と告白される人々の思いがけないリアクションに、一同涙が出るほど笑い転げる。
二日連続の宴会だが、二夜とも、じつによく笑ったので、今日も朝の目覚めは爽やか。
笑うと二日酔いにならない、というのはほんとうである。
さあ、今日から仕事だ(って三日ほど前にも書いたな・・・)
7月25日
夏休み第一日。
なぜか、夏休み第一日目は「朝から出勤」である。
山本浩二画伯による「比較文化特殊研究」の集中講義の初日だからである。
集中講義の初日には担当の専任教員が「お出迎え」をして、いっしょにお昼ご飯を食べるという美風がある。
午前9時半に文学部事務室に行かなければならない。
そのためには午前8時には起床せねばならない。
午前8時!
それって、ウチダの夏休み時間では「のそのそ起きて、朝飯食って、朝刊読んでいるうちに睡魔に襲われ・・・」の二度寝のインターバル時間である。
というわけではげしい睡魔と戦いながら登校。
あくびをしながら画伯と朝の珈琲などを頂く。
画伯は講義の準備万端整えて朝から意気軒昂である。
芸術実技系の科目を総文でもっとたくさん展開したいというのはウチダの悲願である。(増田聡くんや田川とも子さんのような若くてアトラクティヴな先生に大活躍していただきたいものである)それがどれほど生存戦略的にクレバーな選択であるかを理解している教員は残念ながら本学にはほとんどいない。
それでも画伯のような「生のクリエーター」に非常勤で来て貰うというのは、オプションとしては新機軸。とりあえずの一歩、というところである。
画伯を教室までお送りしてから、自己評価委員会関係の雑務処理、研究室のお掃除(といっても「読まずに机の上に積んであった書類を、今日まで読まずにいても誰からも文句が来ないので、たぶんこのまま読まずにいても大過ないであろう」と判断して棄てる、というだけのことであるが)書類5キロほどをゴミ箱に抱えていって棄てる。
ホームページの更新をしていたらもうお昼。
画伯とお寿司をご相伴。
学生たちは熱心に実技に取り組んでいるようである。
何をやってんの?と聞くとなかなか面白そうなので、のこのこついて午後の授業を参観。(授業参観は自己評価委員長としてのたいせつな「責務」の一つであるからして)
「紙をつかった立体」というエチュードに参加する。
ひさしぶりに画用紙に色鉛筆で画など描いているうちに、むらむらと「絵心」が蘇ってきて、学生さんから画材を借りてばりばりと「夢のおうち」などを描いてしまう。
は、しまった。午後は研究室で粛々と論文の続きを書く予定だったのだ。
一時間で退散。
東北の某大学にこの春から勤めたイサコくんから「救命メール」が来る。
教師たちのあまりにアグレッシヴなセクハラに我慢の限界を超えたので辞職して関西に戻りたいけれど女学院に仕事ありませんか、というお尋ねである。
さっそく情報処理センターに出かけて嘱託職員の求人があることを教えてもらって返信。
どうも大学におけるセクハラというのは、私の想像を超えた事態になっているようである。
芦屋市の市民講座から出講の依頼が来る。
「おじさん的思考」という演題で90分。
芦屋市は久しく私のホームタウンであり、市の国際交流協会の委員も長くやっていたので、(北村市長とご歓談したことだってあるし)こういうイベントにはご協力を惜しむものではない。
ようやく一段落ついて、フロイトの「女性について」を読んでいるうちに、はや合気道の稽古の時間となる。
ひさしぶりに岡田山の道場でばりばり稽古をして、よい汗をかく。
夏休み一日目は、いろいろなことがあったけれど、まるで仕事になりませんでした。
7月24日
今日はるんちゃんの誕生日。
二十歳になったんだね。
Happy Birthday
花と「だんご」を贈っておきました。ご笑納下さい。
もう、あれから20年か・・・
1982年の7月24日の夕方に日赤産院でお初にお目にかかったのである。ラマーズ法での出産だったので、母親よりさきに、まず私が産道からしずしずとご出生されたるんちゃんの「アタマ」を拝見したのであった。
「おお、毛が濃い」
というのが最初の印象であった。
全身が登場すると、背中にも黒々と毛が生えていて、司馬遼太郎の『龍馬がゆく』には坂本龍馬も生まれたときに背中に馬のたてがみのように毛が生えていたという記述を読んでいたので、
「この子もいずれは龍馬のように日本を変える大人物になるのでは・・・」
と期待したのであった。(背中の毛はしばらくしたら脱けてしまった)
看護婦さんに「はい」といきなり手渡されて、あわてて抱き上げたのであるが、もしここで「するっ」と落として、分娩室の床で「かちゃん」と頭蓋骨が割れたりしたら、医者や看護婦や妻が「点眼」になるだろうなと思って、背中に汗をかいたのを覚えている。
さいわい、落とさずに数秒間キープできたが、全身があれほど硬直したのはあとにもさきにも、あのときくらいである。
自分の子供が生まれるというのはどういう感じだろうといろいろ想像していたが、どれとも違っていて、営業マンが得意先に挨拶にいって、名刺を出しながら
「あ、どうも、ウチダです。以後よろしくお見知りおきを」
というような感じであった。
以後、さまざまな歴史的風雪に耐えつつ、今日、幸いにも二十歳の誕生日をつつがなく迎えることができた。
二十年間がんばって生きてくれたるんちゃんご本人と、それなりにいろいろとご配慮頂いた「別れた妻」と、関係者各位に「旧親権者」としてお礼申し上げます。みなさん、どうもありがとう。
娘が二十歳になりました。(涙)
7月23日
スーツを着て「出勤」するのも今日が最後の夏休み。
ひさしぶりにカルヴァン・クラインの黒のスーツを着用。
半年ぶりくらいに着られた。
実は、デブになって腹回りがきつくてズボンが入らなかったのであるが、この数日、病み衰えていたら、ウエストが何センチが縮んだらしく、ズボンがするりと入った。
しかし暑い。
何もこんな暑い日に黒のスーツにネクタイで出勤することもないのであるが、私は原則として教壇に立つときはスーツにネクタイ着用と決めている。
大学の教師はサラリーマンに比べるとドレスコードは非常にゆるい。ポロシャツにジーンズ、開襟シャツに綿パンというようなカジュアルな格好でキャンパスを闊歩している先生方も少なくない。
もちろんこういうのはその人の好きずきである。みなさん、お好きになさればよいと思う。
人民服に毛沢東バッジとか、ルパシカにレーニン帽とか、ソンブレロにローハイドとか、そういう格好で大学の教壇に立つ教師がいたら、ウチダは素直に脱帽する。
しかし、そこまで勇猛な同僚はおられない。
なんとなく、「この方が、楽だから」と、そのへんにあったものをじゃらっと適当に着てきたという感じがするのである。
よれたシャツにチョークのついたズボンに、申し訳のようなへろへろネクタイの教師を見ると、ウチダは「ジャージーを着て授業をする中学教師」を連想して、少し悲しくなるのである。
服装は「気合い」が肝腎だ。
人民服やルパシカをまとう人への畏怖の念は、その格好で衆人環視の中、阪急神戸線を乗り継いで大学まで来た、その「わし、これ好きやねんけど、何か問題でも?」的徹底性にある種の威厳が備わっているからである。
というわけで、それほどの蛮勇に恵まれぬウチダはあえて「定型」を貫徹すべく、「戦闘服」と称して、イタリアンスーツを着て、きりきりとネクタイを締め上げ、靴を磨き立てて出勤するのである。
めちゃ暑い。
「我慢」というのは、刺青の別名であるが、真夏のネクタイもまたそのような意味では「男の紋章」なのだと思いたい。
夕方から自己評価委員会。
教員にずいぶん欠席者が多い。
自己評価活動に対する意気込みが萎んでいるのだろうか。
ウチダのこめかみに青筋がぴしぴしと走る。
教員の教育研究活動考課システムについての委員長私案を説明。
要するに100点満点の「教員ランキング」をつけるということである。
その点数を予算配分、身分、給与に反映させる。
民間企業ではどこでもやっている単純な勤務考課である。
大学の教師も「給料分の仕事をしているかどうか」査定される時代になったということである。
せちがらい話であるが、仕方がない。
放っておいても、いずれ第三者機関が乗り込んできて教員を査定するようになるのは時間の問題なのだから、それより早くに、自己の能力をみずから査定できるだけの自己点検能力があることを内外に示しておくほうが大学の生き延びるチャンスは高くなる、と私は思う。
ウチダは長い会議が嫌いなので1時間半で終了。
びびっと家に帰り、スーツを脱ぐ。
これで秋まで仕事でスーツを着ることはない。(金曜日に「エルプリュスの夜会」があるが、たぶんそれが10月までの最後のスーツだ)
半ズボンとTシャツとゴム草履の二ヶ月間が始まる。
さ、仕事だ。
7月22日
暑い。
はんぱでなく暑い。
鈴木晶先生は暑いのが大好きで、さっそくプールへ行ってこんがり小麦色らしい。さぞや夕刻のシャンペンも美味しいことであろう。
私ももともと夏が大好きで、少年のころは毎日のように泳ぎまくって黒々とした健康なお肌をしていたのであるが、四十をいくつか過ぎたころに、不意に「憑き物」が落ちたように「水に浸かる」ことへのやけつくような欲望を失ってしまった。
それまでは海に行くと、もうずっと海に入ったまま。肌がふやけるほど水生動物化していたのであるが、それ以後は、どちらかというと「椰子の木陰でピナコラーダを飲みながら昼寝」志向のおじさんとなってしまった。
真夏の午後、ベランダに出てじりじりと日に灼かれたとき、「ああ、いまからプールに行って冷たい水の中にどぶんと飛び込んだら気持ちがいいだろうな」と思う気持ちと、「ああ、いまからシャワーを浴びて、冷房がきいた部屋で、きんきんに冷えたビールを飲んだら気持ちがいいだろうな」と思う気持ちが拮抗した場合に、ためらいなく後者が勝つようになった。
だって、思ってから、実現するまで5分しかかからないんだもん。
欲望と欲望の充足のあいだの「タイムラグ」に長く耐えることができなくなったのかも知れない。
少年のころはそんなことはなかった。
冷房の利いていない混んだ電車に揺られて、汗びっしょりになって列を作って、ようやくプールにたどりつくというようなことが「何よりの愉しみ」であったということは、電車に乗っている時間も、順番待ちの列を作っている時間も、押し合いへし合いして狭い更衣室で水着に着替える時間もこみで、きっと愉しかったのだろう。
いまは、そういう時間がぜんぜん愉しくない。
人がまばらで、快適なプールというと、近場では芦屋の市営プールと、女学院のプールがあるのだが、そこまでゆく時間を考えると「ま、いいか。暑いし」ということになってしまうのである。
いままでいちばん気持ちのよかったのは、クアラルンプールのとある五つ星ホテルの屋上のプールである。
たった一人貸し切り状態で泳いで、ときどき水から上がってウオークマンでモーツァルトを聴きながら、冷たいキールを啜りつつ、数百メートル下の都会の喧噪を見下ろして、「がははは、アリどもは汗をたらして働いておるわ。がはは、がはは、がはがは、がははははは」と植民地主義者の本性をまるだしにしていた。
リゾートにおける愉悦の本質とは植民地主義的メンタリティだということをそのときに知った。
私たちがほんとうに快楽を感じるのは、ただ美しい自然がある場所ではなく、ヴァカンシエたちが笑い集う美しい砂浜の向こうに、黒々と「現地人のスラム」が密集しているようなところである。
自分が現地の人間には立ち入ることのできない「オフ・リミットの内側」にいると感じるときに、「ある場所」を不当に占有していることの疚しさが逆説的な「快楽」をもたらすのだ。
たぶんアメリカ人が世界中に基地を持っているのは、「現地の人間が立ち入ることのできないオフ・リミットの内側にいる」ことの快楽を手放せないからだろう。
在外基地というのは、彼らにとって、本質的に「リゾート」なのだ。
7月21日
週末二日間を徹底的にだらだらしていたら、ようやく少し体調が回復してきた。
だらだらしたと言っても、もちろんばりばり原稿は書いているのであるが、誰とも話しをせずに過ごしているのでコミュニケーションを調整するための心理的負荷がほとんどかからない。
ひとりで書斎と居間と台所と寝室を右往左往しながら、「げふ」とか「ぼほ」とか低くつぶやくだけの、スタンドアローン人生である。
ひとあくびしたら不意にベッドに倒れて昼寝をする。
起き上がって、なんとなく風呂に入る。
風呂から出て、さりげなくビールを呑む。
酔いが回ったので、興に乗って原稿を書く。
酔いすぎたので、バーボンに換えて『スパイ・ゲーム』を見る。
というような「行き当たりばったり」生活をしていると、全身の「凝り」がゆっくり溶けて行く。
定期的に「だらだらする」というのはたいへんにたいせつなことである。
世の中には休日になると気ぜわしく遊ぶ人がいるが、あれはいかがなものかと思う。
せっかく神さまが一週間に一日設けられた聖なる「安息日」である。
安息しようではありませんか。
私はこの二日間深く安息した。
そして原稿を三本書いた。
「私の好きな詩歌」(私の好きな歌はいろいろ考えたが、他の書き手とかぶると困るので、意外な線狙いで「ワルシャワ労働歌」)
「ミーツ」の原稿「What does a woman want?」(女は何を望んでいるか?)10枚
甲野善紀先生の『武術の新・人間学』の「文庫版あとがき」「ご縁の人・甲野先生」という題名で10枚。
その前の日には「兵庫教育」というところから「読書の薦め」のエッセイを、ということで10枚ほど書き、その前の日には『論点・2003』にやはり10枚ほど書いた。
本格的な「物書き」のごとき執筆ペースである。
もちろんこんなことを続けていた日には、私の「ひきだし」はたちまちカラとなり、「また同じ話じゃねーか。使い回しすんじゃねーぞ、こら。」という編集者からの電話に怯える日が訪れることは火を見るより明らかであるので、ぼちぼち「店じまい」の支度をしないといけない。
とりあえず、夏休み中に締め切りのある原稿は(連載以外は)なくなった。ほっと一安心。
いよいよ今週から夏休みである。
たまった仕事にとりかからないといけない。
まずは「ラカン/ヒッチコック」からである。
7月21日
昨日はけっきょく家から一歩も外へ出ず、一日原稿を書いて過ごした。
夜になると微熱が出てきて、寒気がする。
夕食を作ったが、サラダくらいしか食べる気がしない。
サラダをもそもそ食べて、ワインを呑む。
ワインは体調が悪いと不味い。
しばらくころがって映画を見ていたが、どんどんだるくなるので、のそのそと寝室に這っていって寝る。
あー、具合が悪い。
一人で暮らしていると「病気のときに心細くて困る」ということを言う人がいる。
私はそう思わない。
病気のとき、機嫌の悪いとき、憂鬱なときこそ、一人でいてほんとうによかったと思う。
このダルでダメな状態にいる自分を誰かに見て貰いたくないし、暗い気分を誰かに伝染させたくもない。
かつて結婚していたころの私の妻たる人は「病気になるのは生き方が間違っているから」という実にきぱりとした正論をお持ちの方であった。
それゆえ、私が病気になると、それがどのような人格的欠陥に由来するものであるかを容赦なく、徹底的に指弾してくれた。
もちろん「看病」などということはなされるはずもない。
なにしろ、病気はおのれの生き方の間違いに気づき、「二度と病気にはならないぞ」という反省をするための機会なのであるからして、徹底的に不快な経験として記憶されねばならぬのである。
おお、なんという教化的なご配慮であろうか。
妻の献身的な教化の功あってか、現に私は「病気になると、病気になって具合が悪い上に、妻に死ぬほど説教されて、いっそう具合が悪化するという二重苦が待っているから、死んでも健康だけは維持せねば」と懸命の努力で体調を保ったのであった。
そのような鬼軍曹的看護者を失ったあと、12年間は私は主夫をしていたので、娘の世話をするために一日たりと家事を休むわけにゆかなかったので、これまためったなことでは病気になることができなかった。
そして、ようやく娘が去り、私一人になって、思う存分病気になれる身分となったのである。
だから私はこの一年間、ほとんど毎月のように風邪をひき、熱を出し、歯茎を腫らし、膝を痛め、腹を下し、二日酔いで苦しみ・・・長年「がまんしてきた」病気のストックを一気に吐き出している。
今の私には、どれほど病に苦しんでいても、それで怒る人も、それで悲しむ人も、それで傷つく人もいない。
だから、私は心おきなく病気になれる。
思う存分病気になれることの幸福を今私は噛みしめているのである。
うう、具合が悪いぜ。
7月20日
昨日も会議の一日。
教授会の最後に、松澤新院長が登場して、本学の危機的状況について長いお話をした。
私学の危機はメディアで報じられている以上に深刻である。
本学の場合は財政的な問題がそれにからんでくる。
財政的な問題の解決法は論理的には簡単である。
「支出を減らし、収入を増やす」ということに尽きる。
18歳人口の激減を受けて受験生マーケットは急速にシュリンクしている。だから、受験料収入や定員増や学費値上げによって「収入を増やす」ということは逆立ちしても不可能である。
ならば「支出を減らす」しかない。
しかし学生サービスのための支出を減らすことはできない。(学生サービスが低下したら、受験生はもっと減る)
施設、メディア環境、福利厚生などは一層の充実が求められる。
となると削るところは一つしかない。
人件費である。(本学の人件費比率は他の私学に比べて異常に高い。どれくらい高いか書きたいが、たぶん誰も信じないだろう)
人件費を減らす方法は二つしかない。
人間を減らすか、人間はそのままに賃金を減らすか、どちらかである。
私はリストラには原則反対である。
短期的には実効があるだろうが、長い眼で見たときには「社会的に不要とされた人間」を構造的に生み出すことは社会政策としてたいへんに危険なことである。
「不要とされた人々」の発信する「ネガティヴなオーラ」が社会をどれくらい暗くするか。こういうものは実測できないけれど、ボディブローのようにじわじわと社会を腐らせてゆく。
だから私は「賃金カット」を支持する。
全員一律25%もカットすれば、本学の財政難は5年くらいで解決できるだろう。
なに、生活を25%切り下げればよいだけのことだ。
賃金カットで困るのは右肩上がりの定収入をあてにして生活設計してきた人間だけである。
バブルのあとも日本経済が右肩上がりで「ずっと」推移するだろうと思って生活設計を立てていたとしたら、そいつはよほどのバカである。
これからもずっと収入は増え続けるだろうという無根拠な思い込みに基づいて家を買ったり、子供を医学部にやったりした人間が、賃金カットされたらローンや学費が払えないといって泣き言を言い出しても、それは自分の愚かな楽観主義のせいであって、誰の責任でもない。
私は自分がこの先ずっと定収入があるだろうと思ったことなど一度もない。
勤め先が潰れるかもしれないし、いきなりクビになるかもしれないし、ふいに漂泊の旅に出たくなるかもしれない。
どうなっても困らないようにするためには、「一寸先は闇」という自戒を貫徹することである。
だから、私は借金をしない。
返す「あて」がないからだ。
毎月収入の範囲で暮らしており、残った分は貯金する。
収入が減ったら減ったで、生活水準を落として、その範囲内で暮らすだけのことだ。
ウチダ家の財政は単純にして健全である。
25%カットされたら、家賃12万円くらいのところに引っ越す。ジャガーを買うのを先に延ばしてもうしばらくWRXに乗る。アルマーニを我慢してカルヴァン・クラインを着る。
それくらいのことで十分対応できる。
どうして、こういう「単純」な経済生活を世の人々はなされないのであろうか、ウチダにはよく分からない。
松澤院長には、ぜひ大胆なる賃金カット計画をご進言したいと思う。
よろよろと帰途につき、11時間爆睡したら、ようやく少し真人間らしくなってきた。
この一週間ほどのあいだに短い原稿の依頼が次々と舞い込む。
「ジェンダーフリー論」の他に「私の好きな詩歌」、「読書の薦め」、「家族論」、そして甲野善紀先生の『武術の新・人間学』の文庫版あとがき。
「来る仕事は拒まず」という原則で受けてしっているが、どんどん片づけないと、次の仕事に進めない。
とりあえず、この週末に溜まった原稿を「在庫一掃」で、一気に書き上げることにする。
ウチダはこれまで締め切りというものに遅れたことがない。(締め切りを「忘れていた」ことは何度かあるが)
そういう点では律儀な書き手である。
今日は夕方までに「詩歌」と「家族論」を書き上げて、それからカマンベールを囓りながらシャンペンを呑んで、『トレーニングデイ』を見る予定である。
と書いてから半日経って、夕方になった。(ただいま午後七時半)
「私の好きな詩歌」という2500字のエッセイを書いてから、昼飯。軽く昼寝してから、午後5時にのそのそ起きだし、『ミーツ』の原稿「女は何を望んでいるか?」11枚を書き終える。
「女は何を望んでいるか?」というのは「女性性について」でフロイトが立てた「永遠の問い」であるが、私の「答え」は簡単である。
「女は『女が何を望んでいるか?』という問いに男が答えることができないことを望んでいる」
これは女の欲望についてこれまで提唱された無数の答えの中で唯一、例外的な「正解」である。
なぜなら、この答案についてのすべての「採点」はそれが正解であることを証明してしまうからである。
だってそうでしょ。
「ウチダくん、おっしゃるとおり、それが女の欲望なの」と採点していただければ、当然これは「正解」ということになる。
逆に「何言ってんのよ、ウチダくんは女の欲望について何も分かってないわよ」という「採点」がなされた場合もまた、採点者は私の解答が予告したとおりのことを述べられているので、私の解答は「正解」ということになる。
このような「不敗の構造」をもつ全方位的「正解」に対しての女性の側からのポリティカリーにコレクトな対応は限定的なものとならざるを得ない。
「いきなりはり倒す」
というのがもっとも効果的であるが、できれば
「いきなり唇を塞ぐ」
などという対応もウチダ的には歓迎したいと考えている。
7月19日
だるい。
あまりにだるくて昨日は午後10時にはもうすでに就寝したのであるが、12時間眠ってめざめても、依然としてだるい。
微熱があり、生あくびが出る。
風邪のひきはじめかもしれない。歯茎も腫れてきた。
これは、私の場合、「失調」の徴候である。
疲労で免疫システムが機能低下している。
それなのに次々と仕事が舞い込む。
今日はすでに会議が二つ。このあとまた二つ。
参会者もみんな疲れているらしく、発言する声に力がない。
ぼうっとした頭のままで、あちこちにふらふらしているだけである。
海から潮風が吹き抜けるような部屋で、午後の光をブラインドで遮って、心ゆくまで昼寝がしたい。
7月17日
「花ゆう」にて非常勤講師懇談会。
ここ何年か、フランス語の非常勤の先生方のところに小林先生と田川先生にも加わってもらって合同開催していたのであるが、今年は山本浩二画伯、難波江さん、三杉さんも参加してもらったら人数がだいぶ増えてきた。
来年からは現代国際文化コースの非常勤講師だけで独自に懇親会を開かないと収まりそうもない。
二次会は難波江、三杉、野崎、田川、画伯でワインバー。三次会は画伯と女性二人と「並木屋」へ。(難波江+次郎は例によってカラオケ)
小林先生は、お疲れ気味のようで、珍しく一次会だけで帰ってしまわれた。
エルプリュスの夜会でその分しゃべりましょうね。
真夜中すぎに帰宅して、そのまま爆睡。
9時半に起きて朝食。新聞を読んでいるうちに睡魔に襲われ、例によって二度寝。
11時半、のろのろと起床。
本来であれば、ここで昼食・三度寝という黄金の必勝パターンが展開するはずなのであるが、12時に講談社の編集者の山崎さんと会談の予定なので、ぼうぼうあくびをしながら御影駅へ。
例によって高杉にて珈琲を喫しつつ商談。
講談社は3年前に川島さんにレヴィナス論の書き下ろしを約束したので、優先順位3位という若い「整理券番号」をゲットしている。
今回、講談社から二つ目の出版企画が来たので、先様で「談合」をして頂いて、選書メチエの方の仕事に一本化してもらった。整理券番号3が生きているから、これが書き下ろしの最優先となる。
お題は『徳について』という、なんだかセネカかマルクス・アウレリウスあたりが書きそうな本である。
もちろん私のような不道徳な人間がひとさまに「徳」について説教できるはずもない。
『デリバティヴ商品で一財産』とか『競馬必勝法』とかを私に書かせよう、というのにも似た無謀なる企画なのである。
果たしてどうなるのであろうか。
芦屋の「すみれ」で髪を刈ってもらいながら三たび爆睡。
家に戻るとまだ日が高いのに、もう四度目の眠気が襲ってきた。
これから「マーボー茄子」を作成する予定なのであるが、当然、「マーボー茄子」には冷えたビールというものが添付される。そのような危険な飲料を服用した場合、それ以後に何か生産的な仕事というものを実現する可能性は限りなくゼロに近づくであろう。
しかし、それにしてもどうしてこんなに眠いのであろうか。
おそらく今年度前半の疲れが夏休み前ということで一気に噴出してきているのであろう。五月、六月はほとんど休みがなかったし。
予定としては、いまから1週間ほど「一日五度寝」体制で推移し、そのあと「蘇る勤労者」と化して「夏休み・物書きマシーン化」状態に突入することになる。
例年のことであるが、「物書きマシーン」となると、みるみるうちに体重が減る。
書斎にこもってひたすら原稿を書き、本を読んでいるだけであるのに、ぐいぐいと体重が減るのである。
原因は二つあり、一つは、はげしく活動している脳がカロリーを大量消費するためであり、いま一つは、「あ、そうか!」とアイディアが一つ浮かぶたびに大量の排便がなされるせいである。
前者はともかくとして、なぜ学術上のアイディアが浮かぶたびにトイレに駆け込まなければならないのか、その因果関係がいまだに私には分からない。
頭が何かを「出す」と、身体も「負けじ」と何かを「出す」ということなのであろうか。
誰か科学的な説明をしていただけるとありがたい。
ともあれ、これは「勉強ダイエット」と言って、まったく費用もかからず、用具もいらず、わが家にいながらにして、どんどん痩せられるたいへんに効果的なダイエット法なのである。
ぜひ学生諸君も私にならって、この夏は「勉強ダイエット」でスレンダー・バディをゲットしていただきたいものである。
マーボー茄子を食したのち、生酔いでパソコンに向かい、文春から頼まれた『論点2003』の「ジェンダーフリー」の項目を執筆する。
この本は同一項目について「賛成派」と「反対派」のふたりが執筆する、というなかなか民主的な構成になっている。
「ジェンダーフリー」については、なんと私は「どちらかというとフェミニストの言い分も分かるわな」的な発言をご期待されている、という編集者からのご注文であった。
うーむ困ったな。
私は「ジェンダー」というのは「操作概念」であると考えている。
リビドーとか「もののあはれ」とかブラックホールとかと同じで、別にどこかに実体があるわけではなく、「そういうものが、ある」ということにしておくと、「話が便利」なのでみんなが使っている概念である。
集団的合意のうえで成立している「ただの概念」であるからして、これを「使わない」ようにするということはできるけれど、「打倒」したり「止揚」したりすることはできない。(モノじゃないんだからね)
ましてやそのような概念から「フリー」になるというのは「屋上屋を架す」というか、「概念からの派生概念」というか「夢の中で見ている夢」というか、なんだかずいぶん実体のないふるまいである。
そのようなものについて語れといわれてもねえ。
ウチダの意見は、性差別というのは、「性差」が過剰に言及される場でのみ起こることであるので、社会的な場では性差について言及するのはもうやめようよ、ということである。
男だろうが女だろうが、そんなことどうでもいいじゃない、という「なげやり」な態度をあらゆる場面で貫徹することこそ、性差別撤廃の王道である、とウチダは信じている。
だから、もうジェンダーについて話すのは止めない?
飽きたし。
というのが私からのご提案である。
ところがフェミニストのみなさんは「そのような提言はいったい、どのような性的存在者からなされているのか?」ということを問題にする。
「何?男が言ってるの?冗談じゃないわよ。そんなの。性差別という事実を隠蔽して、父権制社会を温存しようとするセクシストのたわごとにきまってんじゃない!」
というふうに私のご提言は一蹴されてしまうのである。
ある社会的発言を評価するに際して、その発言者が男性であるか女性であるかをたえず参照することで「ポリティカリー・コレクトネス」を査定するという発想そのものを私は「もうやめようぜ」とご提案しているのである。
それこそ性差別を再生産する装置そのものであると私は思う。
フーコーが『性の歴史』で書いたとおり、「ここに抑圧があるのよ!ここよ、みなさん。これこそが問題なのよ!」という終わりなき問題提起と、抑圧機制は「同じ一つの生地で出来ている」
ある性的立場なり、民族なり、人種なり、信仰なりに本人が固執していて、絶えず「私は・・・人として、申し上げるが」というようなことを言い立てている限り、そのような差異を有徴的なものとみなす社会構造はひたすら強化されるだけだからである。
性差別であれ、民族差別であれ、人種差別であれ、宗教差別であれ、出身地差別であれ、そのようなバカな差別をなくすもっとも効率的な方法は「そんなの、どーでもいいじゃん」という「なげやりな」構えを崩さないことである。
もしジェンダー構造というような幻想が実体的に機能しており、それを廃絶する必要があるとジェンダー・フリー論者がほんとうに望んでいるなら、その方たちがとるべき道は、あらゆる場面において、「ジェンダー?何ですか、それは?」と驚いてみせることに尽きるであろう。
フェミニスト諸君にはぜひその方向でがんばっていただきたいと思う。
7月15日
高温多湿。日本の夏はほんとうに亜熱帯である。
こんな地域、こんな環境で、ネクタイをしめて労働をしようというのであるから、日本人というのはずいぶん勤勉な人々である。
本日はゼミ集合写真を撮るのであるが、全員「浴衣」着用ということになった。
学生諸君は社交館の和室を借りて着付けをし、私は家から持ってきた浴衣に研究室で着替えて、雪駄履きで扇子をつかいながらキャンパス内を歩く。
道行く学生たち教師たちが私の異様な風体を見て「ぎくっ」とする。
ふだんから道衣すがたで学内を闊歩している様にはもうだいぶ見慣れているようだが、浴衣の着流しで文学館内をぺたぺた歩いているとさすがに人々の視線は険しい。
「温泉旅館じゃないんだけ」
という半畳が入る。
私も決してふまじめな意図でこのような風体をしているわけではないのであります。
ゼミ指導の一環としてですね、学生たちと同じ目の高さで、同じ物を眺め、同じ感覚を共有したい、と。かような教育的配慮に基づいた私なりの教化的努力というものをご理解いただけないものでしょうか。
足もと涼しいし。
写真撮影後、一同そのままの浴衣姿で教室にもどって演習。
なんとなくフレンドリーな雰囲気である。
浴衣の効用。
そのあと8月からフランスに言ってしまう増本さんの送別会を御影で行う。
本日のテーマは「フランス料理」ということであったが、出てきたのはカナッペとピザとスパゲッティとゼリーとプリンとアップルパイ。のみものはワインとビールと「どなん」。
増本さんが帰ってきたときにはゼミ生たちはもう卒業してしまっているので、このメンバーでこんなふうに宴会をやるのはこれが最後かもしれないね、ということでゼミ生たちはしくしく泣き出してしまった。
よい子たちである。
みんな、がんばれ。
7月14日
って、何の日だっけ?7月4日がアメリカの独立記念日だから、14日はフランスの革命記念日かな。(仏文学者がそういうデタラメな記憶でよいのだろうか)
ま、私がしらんでも誰も困らないから。
目が腐るまで寝て、11時ころのそのそ起き出してお茶漬けを食べて朝刊を読んでいるうちに睡魔に襲われ、二度寝。2時ころ起き出して日清のチキンラーメンを食べて村上龍x中田英寿の『文体とパスの精度』を読んでいるうちに再度睡魔に襲われ、三度寝。5時ころ起き出して『術語集』のために「抑圧」「映画」「記号」の三項目、各3200字を書き飛ばす。
同じネタで何度もしゃべっているので、なんだか既視感にとらわれる。
違うことを書きたいのだが、そうそう新ネタは出てこない。
どれもみな「世界の本質的無根拠性」というオチになる。
大学に入ったばかりの学生さんに向かって「世界には根拠なんかねーんだよ、けっ」みたいな話しをいきなりかますというのも、情操教育上どうかと思うが、ほんとうなのだから仕方がない。
今日の唯一の新ネタは『史上最大の作戦』と『プライヴェート・ライアン』では、より「リアル」に思える『プライヴェート・ライアン』の方が「つくりもの」で、実際に上陸作戦に参加した兵士たちをスタッフ、キャストに揃えて作ったはずの『史上最大の作戦』の方が「嘘っぽい」という不思議な順逆の転倒の話。
ほんとうの戦闘の経験というのは、あるいはそれを生きた本人によっては言語化も映像化もできないほどアモルファスなものであって、記憶を掘り起こして回想するときには、「神の視点」からビーチに転がって音もなく死んでゆく兵士たちや戦闘機械となって銃を打ち続ける兵士たちを冷たく見下ろす、というような「模造記憶」が甦るのかもしれない・・・などと考える。
そういえば、私自身の身に起きた「強烈な出来事」を思い出してみても、不思議なことに、その映像にはつねに「私」が含まれている。
私が最後に他人に暴力をふるった場面を思い出してみると、ちゃんと「私」が若い男を殴り倒している「画」が出てくる。
「私の目」から見た出来事であれば、「私」自身がその場面に映り込んでいるはずはないのだが、「私」を含む風景を少し引いたカメラが捉えているような画を記憶は「私の経験」として呼び起こすのである。
いったい、この視線は「誰の」視線なのだろう?
私自身の経験を「私を含んだ風景」として図像的に回想するこの「誰か」がラカンのいう「大文字の他者」というものなのだろうか?
ということはスティーヴン・スピルバーグは「誰によっても回想されないはずの記憶」を映像化しようとしたということになる。
そうか・・・映画って、「そういうこと」ができる装置なんだ。
現実の記憶より、映像の記憶の方が「懐かしい」という倒錯はそこから生じるのかも知れない。
7月13日
ひさしぶりの週末。
週末とはいいながら、合気道のお稽古のあと、「カリキュラム検討委員会・ゼミ改革案答申」と「大学自己評価委員会・教員の教育研究活動考課システムについての委員長案」を書き上げなければならない。
こういう官僚的作文を書かせると私はアクマのように筆が早いのであるが、それでも二つ書き上げるとすでに夜の9時。
約5時間、みじろぎもしないで書類を書いていたことになる。
疲れた。
頭がぷすぷすとガス欠になってきたので、ワインを呑んで、ひとりほっこりしつつ、大学から借りてきたDVDでブルース・ウィリス&ビリー・ボブ・ソーントンの『バンディッツ』を見る。
よい映画である。
いかにもハリウッド映画的な「とってつけた」ようなハッピーエンドも悪くない。
ビリー・ボブ・ソーントンは『シンプル・プラン』もよかった。
ブルース・ウィリスと並ぶと、圧倒的に存在感がある。
だんだん頭がとろくなってきたので、ベッドに倒れ込む。
明日はひさしぶりの日曜。
目が腐るまで寝ることにしよう。
7月11日
『寝ながら学べる構造主義』の売れ行きが順調だと文春の嶋津さんからヨロコビのお電話が来た。
神田の三省堂では「新書売り上げベスト10」で先週が5位、今週が6位だそうである。
主題からして、まるで「時事的」なものではなく、むしろどちらかというと積極的に「時代遅れ」の本なのであるが、それを買う人がいる、というのが不思議である。
私が書いているのは主観的には「ふつう、誰でも心で思っていること」である。
誰でも何となくそう思っているけれども、それを語り出す機会がなかったり、うまいことばがみつからなかったり、「立場上」言えなかったりすることがある。
私はそれを気ままに書いているだけである。
私がそれをだらだらと書ける一番の理由は、一昨日書いたように、私には「上司」も「妻」もいないということに尽きる、と私は考えている。
「上司」はある程度つっぱれば、はね返せるけれど、「妻」は難物である。
結婚しているときも私はいまとほとんど同じ思想の持ち主であったけれど、その所見を語る機会はいまの30分の1くらいしかなかった。
なぜなら、私の考えていたことのほとんどすべてが「妻」のゲキリンに触れるような内容を含んでいたからである。
「妻」の逆鱗に触れると、日常生活には多大の支障が生じる。
こちらが「ごめんなさい」と泣いてワビを入れるまで、エンドレスで論争が続くからである。
もちろん私が自説を「正しい」と確信していたら、エンドレスの論争も辞さなかったであろう。
しかし、私は持論を別に「正しい」とは思っていなかった。
私の考えは単に「私の考え」であるにすぎない。
私は万人がすべからく私の思想に同調すべきであるなどとまったく考えていない。(そんなことになったら煩わしいだけである)まして「妻」においておや。
みなさまにはみなさまのお考えがあり、私には私の考えがある。東は東、西は西、ピース。とという私の宥和的な姿勢はしかしながら「とことん正否を問う」論争家の気迫の前につねにこっぱみじんに打ち砕かれた。
でれでれした私見をクリアカットな正論によって打ち砕かれるというのはせつないものである。
「妻」が去ると同時に「大審問官」もいなくなり、私は誰にも邪魔されずにだれもとりあわない私見をひたすらぐちゃぐちゃと牛が涎を繰るように語る人間になった。
私が書いていることの多くは、「妻」がいたころに「私が言うとカドが立つから、誰かが私に代わってそのようなことを言ってくれないかしら」と願っていたことである。
それがいくばくかの共感を得ているという話を聞くと、私はなんとなく胸が詰まるような気分になる。
夫婦であれ、親子であれ、恋人同士であれ、親友たちであれ、お互いの考えや感じ方が違っていることをそれほど苦痛に感じることはないのではないかと私は思う。
他人なんだから、意見が違うのが当たり前だ。
意見が違う人がそれでも「仲良しである」と言うことの方が、意見は一致しているが、別に仲良くないということより、ずっとすてきなことだと私は思う。
意見が違っても仲良しのひとたちというのは、「お互いの考えや感じ方が違ってもいいじゃないか」という点についてだけは「考え」が一致している。
私はこの水準で意見が一致することの方が、具体的な個別の政治的意見や審美的評価が一致することより、ずっと本質的なことだと思う。
意見の違う人とはあえて意見の一致を求めない、というのはウチダの「合意形成」における原則である。
意見が違っていたら即両論併記。
異論が出たらたちまち原案修正。
採決した事案がスカだったと分かったらすかさず前言撤回。
私の意見はだいたいがその場の思いつきである。
思いつきに固執する義理はない。
だから、私はにこやかに原案修正に応じ、審議で否決されても次の瞬間にはそんな案を自分が出したことさえ忘れるているし、可決されて実施してみたら間抜けな案だったと知れたら誰よりも先に「誰だ、こんなバカな事案を提案したやつは」と怒りだす(ウチダさん、あんただよ)。
ところが、これに反して「正しい」案を出す人間は、修正や妥協に応じないし、採択され、実施されて不調に終わった場合でもなかなか失敗を認めない。
私はこれがよく理解できないのである。
どうして「正しい」ことや「成功する」ことにそんなにこだわるのだろう。
いいじゃないか、ときどき間違えたり、失敗するくらいのことは。
人間は間違える生き物なんだから。
そんなことは歴史を繙けば一目瞭然だと思う。
過去数千年、人間は歴史的決断の局面においてたぶん九割くらい「誤答」している。(もっとかもしれない)
それでも、なんとか種としては生き延びてこられたタフな生き物である。
正解を引いたら「ラッキー」、ということではいけないのだろうか。
「つねに勝つ」とか「つねに成功する」とかいうことを願うのは「不老長寿」を望むのと同じで人間としては「さもしい」ことだと私は思う。
世の中には「成功の秘訣」とか「勝ち組になるために」とかいうバカ本が氾濫しているけれど、ほんとうに必要なのは「感じのいい負け方」「誰よりも早く失敗するために」というような、真に実用的なハウツー本だと私は思う。
7月11日
「不愉快な出来事」があったと日記に書いたら、さっそく江さんから電話があって「空き巣にでもはいられましたか?」と心配そうな声でお尋ねがあった。
空き巣ではありません。
それに空き巣だったら、別に詳細を語ることが憚られるような話柄ではないしね。
リレー式講義女性学の最終回は四人の講師が一堂に会して、それぞれに意見を述べるという形式で行った。
学生からの「主婦は職業でしょうか?」という質問に四人の講師が全員まるで違う私見を語り出して、俄然面白くなった。
講義終了後、学生たちにお願いした感想文でも「先生たちの言うことがみんな違っているので、たいへん面白かった」という感想をたくさんの学生が書いていた。
やはり学生さんたちも教壇からの一方通行の情報提供を受けるよりも、教師たちのバトルロワイヤルを眺める方が愉しいらしい。
四人の講師というのは、経済学の石川先生、体育の谷先生、英文学の風呂本先生、そして私である。
私は久しく主夫をしてきた人間であるから、主婦という仕事がどれほど人間に創造的、主体的そして献身的であることを求める仕事であるかはよくわきまえているつもりである。
そして、主婦の仕事を適切にこなしながら、同時に経済活動に参加してお金を稼ぎ、社会的プレスティージを獲得してゆく、ということがどれほど困難であるかも骨身にしみている。
その上で、私が言いたかったことは二つある。
一つは主婦というのは、堂々たる社会的活動であり、その重要性にふさわしい社会的レスペクトを受けるべきだ、ということ。
一つは主婦でありつつ、かつ経済活動に参与して、しかるべき社会的地位を得ている女性を全員が到達すべき「サクセスモデル」として軽々に提示すべきではない、ということである。
この二つの主張は、表裏一体をなしている。
もちろん、現に主婦業をこなしつつ、十分な経済活動をしている人間もたくさんいる。しかし、それは例外的にパワフルな人間に限られる。
「例外的にパワフルな人間」をロールモデルにして、その「標準」に自分が達していないことをネガティヴに査定する、という評価方法はあまり合理的ではない、と私は考えている。
人間の手持ちのリソースには限りがある。
自分の能力以上の理想を掲げ、きつい負荷を自分にかけることは、たしかに「人格陶冶」の王道ではあるけれど、その負荷の設定は非常にむずかしい。
負荷の設定を誤って、過剰な負荷をかけ続けると、いずれ人間は壊れる。
必ず壊れる。
私はいまの日本の若い女性たちの中には、負荷過剰によって「壊れ」かけているひとが非常に多いように思う。
職業人としてのサクセス、恋愛のサクセス、クリエイターとしてのサクセス、ファッション・リーダーとしてのサクセス、家庭人としてのサクセス・・・それらを「同時に」達成した女性をメディアは「女性のロールモデル」として掲げているが、このような人間を理想にすることには利よりも害の方が多いと私は思う。
よほどの天稟とよほどの幸運に恵まれないかぎり、そのように同時多発的にサクセスできる人間はいない。
そもそも「サクセス」というものを「全員の達成目標」に掲げるということ自体おかしいと思う。
「サクセス」というのは他人との比較考量を介してしか意味を持たない。
たとえば35年前の日本においては「3C」すなわち「カー、クーラー、カラーテレビ」の所有は「庶民」のサクセスモデルであった。
いまの日本でそのようなものを所有していることはいかなる社会的差異化にも関与しない。
その少し前には「腹一杯食べられる」ことが人間的幸福の必要十分条件であった時代があった。
いまの日本で腹一杯ものを食べるのは「自己管理のできない」デブだけである。
つまり、そのつどの時代において「大多数の人間には手が届かないもの」を所有することをもって「サクセス」と呼んだのである。
要するに「サクセス」とは「欲望の満たされなさ」の別称にすぎない。実体なんかないし、誰が決めたものでもない。
誰が決めたものでもないが、それでも「誰か」が決めたのである。
だったら、少しはそれについて注文をつけることだってできるはずだ。
私はつねづね「サクセス」の標準値は「低く」設定する方がよい、ということを申し上げている。
ふつうに暮らしていて、ほんのちょっと努力すれば、だいたい必要なものは達成できて、ほとんどのひとが「幸福な人」にカテゴライズされるような社会は「住み易い」社会だと私は思っている。
いまの若い女性を見ていると、決してこの社会は彼女たちにとって「住み易い」ようには思われない。
それは性差別とか家父長制とか女性解放の不徹底とかいう制度実体の問題というよりは、若い女性たちが置かれている現状と、彼女たちに示されている「理想」のあいだに、あまりに深い乖離がある、ということに起因しているように私には見える。
私の周囲にいる若い女性の中で、いまの生活に「十分満足している」ということを言うひとは驚くほど少ない。
「満足している人間」よりもむしろ「満足していない人間」の方が人間として「上等」であるような言説がメディアには飛び交っている。
「非達成感」に苦しんで額に青筋たてている女性の方が、「鼓腹撃壌」のハッピー・ゴー・ラッキー・ガールよりも「いまふう」なのだ。
仕事に打ち込み、それなりの評価を得た女性は、理想的な家庭人でないことを「欠如」として意識する。
安定した家庭を得た女性は、社会的な活動に参与していないことを「欠如」として意識する。
自分の力で手に入る「程度」の幸福は幸福のうちに入らない。
そういうふうにメディアは焚き付けているし、女性たちもそう思いこんでいる。
現代日本は歴史上例をみないほどに女性の「欲望」が肥大した社会であるが、それは逆から言えば、歴史上類例を見ないほどに女性のあいだに「非達成感」が蔓延している社会でもある。
なぜ、欲望をもう少し制御し、飢餓感をコントロールしようとしないのだろう。
自分のリソースの範囲内に達成目標を設定し、それに手が届いたら、にっこりと満足し、そのようなささやかな達成を繰り返すことで、ゆっくり距離をゲインすることが、結果的にはいちばん「遠くまで」ゆく方法だと私は思う。
「欲望の慎ましさ」こそが幸福の鍵だ、と古来多くの人々が語ってきたのに、今それを顧みる人は驚くほど少ない。
女性学のレポートを読んで、もう一つ気づいたことは、主婦業について感想を書いた63人の学生の中で、この女性の自己実現の困難さというややこしい問題を解決する方法の一つは「召使いを雇うことだ」という「功利的」な提言をした学生が一人しかいなかった、ということである。
どうしてみんなこの解決策を思いつかないのだろう。
家の中を清潔に管理しておきたい。家族には美味しいご飯を食べさせたい。アイロンのぱりっとかかったシーツとほかほかの布団で寝たい。
しかし主婦はいやだ、外へ出てばりばり仕事をしたいというなら、「召使い」を雇うというのが次善の策である。
むかしはある程度以上の家庭には「女中」や「書生」がいて、「そういう仕事」を担当してきた。
もちろん今ではなかなか「なり手」がいない、ということもある。
しかし、ある程度以上の賃金を提供すれば、「やります」と手を挙げる人は必ずいるはずだ。
多くの家庭が、雇い人に払うだけの収入があり、受け容れるだけの空間があり、主婦一人では担いきれないほどの量の家事労働があって、その分担をめぐって家族同士がせめぎ合いながら、なお「女中」や「書生」の導入をためらうのはなぜか。
それは、家事労働のアウトソーシングを求める気持以上に、「家の中に他人が入ってくるのはイヤだ」という気持が強いからである
これこそ「核家族」幻想がもたらした最もネガティヴな結果の一つであると私は思っている。
なぜ、家の中に「他人」が入り込むのがイヤなのか。
それは家の中にいるのは「他人」ではない、と家族たちが思っているからである。
どうして、そんなふうに考えるのだろう。
家族は「他人」ではないのか?
親子兄弟といえども、本心では考えているか分からないし、分かりようもない。
その上できちんとお互いのプライヴァシーを尊重して暮らす、という人間の共生の基本ルールが守られてさえいれば、そこに親戚がいようと、下宿人がいようと、女中や書生や召使いや執事や庭師や森番がいようと、すこしも気に障ることではない。
それが「気に障る」のは、家族は「他人」じゃない、と人々が思っているからである。
家族は他人じゃないから、お互いの「醜悪な内面」をさらしあっても平気である
でも他人にはそれは見られたくない。他人が入り込むと、それが見られてしまう。だから困る。
これは変でしょ。
「醜悪な内面」なんて、身内、他人を問わず、誰に対しても「じゃらじゃら」見せるものではない。
TVの前で下着いっちょでごろ寝してビール飲みながらオナラをするような生活は家の中に他人がいたらできないからイヤだ、だから女中はノー・サンキューという人間は、彼が気を許している当の身内が彼のそのふるまいによってどれほどの不快に耐えているのか想像できないのである。
家族に対して、他人としての適切な距離をとる訓練をしている人間は家の中に血縁のない人間がいても、それによって当惑するということはない。
家事労働者の受難の遠因は「核家族」にある、私はそう思っている。
私の理想は繰り返し書いているように「拡大家族」(@カート・ヴォネガット)である。
家事労働というのは、いろいろな種類の人間がにぎやかに「大家族」を構成しているところでは限りなく「社会活動・経済活動」に近い。
それがどれほど合理的思考力や計画立案能力や調整能力を要するものであるかが誰の目にも分かるからである。
そのような場では家事労働の担当者に向けられる敬愛は核家族におけるそれとは比較にならないくらい高い。
現に学生のレポートでも、家事労働の重要性に気づいた契機は、家族のメンバーが増えた場合と欠損した場合(「他人」を受け容れたとき、主婦が不在のとき、つまり「身内だけで過不足なく充足した核家族」という幻想が破綻したとき)に集中していた。
「主婦問題」を解決する王道は、とにかく、いろいろな他人が出入りする、風通しのよい、複素的な親族空間を創出することにある。
私はそう考えているけれど、たぶん賛成してくれる人はほとんどいないだろうなあ。
7月9日
今日、非常に不愉快な出来事があった。
非常に不愉快な出来事であるので、それがどのように不愉快であるのかを詳細をきわめ微細にわたって記述し、読者諸氏と怒りを共有したいのであるが、それをすることが許されない種類の不愉快事であるので、たいへん腹膨るる心地がする。
不愉快な事件というのは、私の身には近年ほとんど起こらない。
不愉快な事件というのは「立場上、気に入らない人間とネゴシエーションしたり、共同作業をしたりしなければならない」ときに起こる。
だから通常は「職場」と「家庭」で不愉快な出来事が集中的に発生することになる。
しかるに私は「職場」というものも「家庭」というものも持たない。
学者というのは本質的に自営業であり、上司も部下もいない。
クライアントはいるが、これは「学生さん」であって、私ども教師は成績査定権、単位認定権などでクライアントの首根っこをおさえているから、通常のビジネスとちがって、クライアントに対して教師は「売り手」の立場にありながら、えらそうにしていられるのである。
困った同僚というものはいることはいるが、出講日をずらしたり、廊下を迂回したり、委員会をさぼったりしていれば、うまくすると一年くらいは顔を合わさないですごすことができる。
さらにくわえて、私には「家庭」というものがない。
父はすでになく、母と兄は遠方にあり、妻は離別し、娘は去った。
だから、かりに私がある日自宅で急死しても、腐乱死体が発見されるまでには旬日を要するであろう。
「最近、ウチダ先生、学校きませんね」
「無責任なやつだな。休講の電話もしてこないの?」
「病気で寝てるとか、そういうことはないですかね」
「あのワニが病気になるわけないでしょ」
「ふいに旅に出た、とかいうことはないですかね?」
「あの人の場合は、急に思い立って『もっこす』のラーメンを食いに行ったとか、そのくらいだよ」
「老いらくの恋が燃えさかって、シベリア逃避行に旅だったとかいうことはないですか?」
「だからあいつは遠出しないんだってば。『ミーツ』に『街場の現代思想』とか書いてるけど、ほんとは岡田山の研究室と天神山の自宅を往復するだけの『山場の現代思想家』で街のことなんか何にも知らないんだよ」
「じゃあ、いよいよ、自宅で変死体、という可能性しかないですよ」
「誰が見に行くの?おれはやだよ。イ○○○さん行ってくれない?」
「ぼくだっていやですよ。ただでさえ不眠症気味なのに、そんなえげつないものを見たら、しばらく寝られなくなりますから。ヨーグルトも食べられなくなっちゃうし」
「じゃ、ナ○○さん行ってよ、ともだちでしょ?」
「仮にウチダさんが変死したとしてもですね、彼の死を公共的なフレームワークの中に回収し、名づけるというかたちで、その本質的な他者性を毀損することを、はたしてウチダさん自身は望んでいたかどうか。ぼくはそれが気になるわけです」
「なんだ、誰も行ってくれないのか・・・じゃ、ま、本人が出てくるまでもうしばらくほっとくか」
ということで、腐乱死体が白骨化するまで、ウチダは放置されるのである。
家庭を持たない人間は不愉快な出来事を回避する代償として、その程度のことは我慢しなければならないのである。
というわけで、けなげにも腐乱死体としての末路まで我慢しようというのに、それでもなお不愉快な出来事から完全に逃れきることはなかなかできぬのである。
外道の力、げに恐るべし。
7月7日
あ、今日は七夕だったのか。
午前9時に起床。香川の守さんから頂いたうどんをずるずる食べ、深く満足して新聞を読み、こみあげる眠気に耐えきれず「二度寝」。
11時に従兄のツグチャンから電話。従兄の長女のアカリちゃんは北大歯学部の一年生であるのだが、フランス語がむずかしくて困っていて、何かよい独習書を教えて欲しいというご依頼。
さっそく札幌のアカリちゃんと「子ども電話相談室」状態に入る。
神戸にいたアカリちゃんのご一家とは私たち父子が芦屋に来た90年代のはじめには、よくいっしょに遊んだ。るんちゃんとアカリちゃんは一つ違いだったので、仲良しだった。
そのアカリちゃんがいつのまにやらもう大学生である。
困ったことがあったら、何でも聞いておくれ。フランス語の宿題とか分からないところがあったら、メールで送ってね、やってあげるから。とひさしぶりに「おじさん」顔をする。(従兄の娘だから、正式には親族名称がないのだけれど、何となく「姪」のような気分がする)
親戚の若い子と話をすると、なんとなく「ほっこり」した気分になる。
そのまま一仕事。
腹が減ってきたので「さっぽろ一番味噌ラーメン」を食してから腹ごなしにコーエン兄弟のOh brother, where are thou? を見る。
原作ホメロス『オデュッセイア』という極上のお笑いロードムーヴィである。
これがセイレンで、これがサイプロスかと「ネタあて」クイズをしながら眺める。
それにしてもコーエン兄弟。訳が分からないけどめちゃめちゃおかしい映画を作ることに関してはほんとうに天才的である。
いろいろな映画からの「引用」がある。
ベビーフェイス・ネルソンの銀行強盗シーンは『俺たちに明日はない』へのオマージュ。トウモロコシ畑のまんなかの十字路で悪魔に魂を売ったギタリストを拾うシーンはウォウルター・ヒルの『クロスロード』へのオマージュである。
『クロスロード』は話題にする人の非常に少ない映画であるけれど、同じ監督の『ストリート・オブ・ファイヤー』とともにウチダのmes filme favoris の一つである。
『クロスロード』ではラルフ・マッチオくん(最近見ないけど、元気にしてるのかしら)がモーツァルトとロバート・ジョンソン(伝説的なブルーズマン)に同時に憑依されて超絶的ギターテクニックを披露するというバカ映画史上類を見ないお笑いギターバトル場面がある。
その昔、渋谷から乗った東横線の車内で、一人の若者が友人にこの映画のストーリーラインを絶妙の語り口で要約していたのを立ち聞きして、あまりに面白そうなので駅から降りてそのままビデオ屋に借りに行ってしまったという逸品である。
みなさんにはコーエン兄弟の『オー、ブラザー』とヒルの『クロスロード』を「二本立て」で見られることをオススメするです。
映画を見たら眠くなったので、「三度寝」の昼寝へ。
夕方起き出して試験問題をぱこぱこ作る。
日が暮れるころ先週に続いて三宮にお買い物に出る。
「香典返し」の品を送りついでに靴を新調。
三宮でスパゲッティを食べる。朝、昼、夜と「麺づくし」の一日。
よい日曜であった。
そういえば、昨日は合気道の新歓コンパ。
合気道部の新人は二名だけなのであるが、東大気錬会からのピーちゃん、武庫川女子大の四年生のフナツさん、京大合気道部の“天才”赤星恵照(「えしょう」と読むのだよ)くんもみんな「合気道部の新入部員」であるので、まとめて歓迎する。
赤星くんは先週土曜の甲野先生の講習会のときからの道友である。
二教の裏がぜんぜんかからないので、「座技呼吸法」のときに汚名雪辱とばかりぐいっと気を送って彼我の力量の差を示そうとしたら、「ぬりかべ」みたいにゴツンとはねかえされて、一瞬のうちにこっちの両足の甲の皮が真皮まで剥けたという剛の者である。
おかげで一週間靴を履くのも痛いし、もちろん合気道で正座をすることもままならない。グヤジー(@東海林さだお)のだが、何しろ好青年であるから生き霊を送って呪殺する気にもなれない。
その赤星くんが土曜の稽古に登場。彼も私と同じく両足の甲がズル剥けで、座技ができないと言う。
なんだそうだったのか。君もあれで剥けちゃったのね。
わはは、赤星くん、君はいいヤツだな。
というわけで、赤星くんと、彼と「東大vs京大」呼吸法死闘を演じて薄氷の勝利を収め東大気錬会の面目を保ったたピーちゃんと三人で、互いの健闘をたたえ合いつつ、橘さんと街レヴィ派のみなさんからの供物のシャンペンを痛飲。
聞けば赤星くんは熊本のお寺のご長男で、行く末は坊主になるやも、というホーリーな青年なのであった。
合気道をしていると、このように現代には見ることの希な武道系好青年たちと辱知の栄を賜ることができることがまことに悦ばしい限りである。
そこへわらわらと部員たちが乱入。
たちまち酒池肉林阿鼻叫喚の「いつもの宴会」が展開する。
話は途中から「愛って、何?」という「いつもの話題」に収斂する。
「好きな異性の条件」というクイズに全員がおおまじめに回答する。
ウチダはいつも述べている通り「美人でエゴイスト」が好きである。
なぜ、そのようなものが好きであるかについての分析をみなさんにしていただいたら、それはウチダが「セクシーでエゴイスト」な青年であったことが(信じられないであろうが、さような事実がたしかにかつてあったのである)遠因となっていることが解明された。
なるほど。
みんな「自分みたい」な異性が好きなのだ。
その他にも部員諸君の率直な告白から多くの驚くべき真理が明らかになったのであるが、泥酔していたので、あとのことは何一つ覚えていないのだ。
7月6日
寝転がって『ミーツ』の山本慎二さんの映画評コラムを読んでいたら「内田樹」という文字が目に入ってきたのでギクっとして読み直す。(『ミーツ』はソウル・レコード評に「レヴィナス」の名が出てきたりするまことに油断のならぬメディアなのである。)
5月のはじめに朝日の「e−メール時評」に書いたハル・ベリーの話である。
『ミーツ』の記事を再録すると
「朝日の朝刊に、本誌でもおなじみの内田樹センセイが女優ハル・ベリーについて書かれていた。それは彼女がアカデミー賞を受賞した際のスピーチで『アフリカ系』であることの誇りやルサンチマンを語ったことへの疑義であり、短いコラムながらもセンセイ一流のレトリックが冴え渡り・・・ただ、いくら彼女の母親が『白人』だったにしろ、だからこそ自分が『黒人』であると分類(ヤな言葉・・・)されることの複雑な立場は、より切実なものだったはず。と思うんですけど・・・」
うーむ、そうか。
そういう感想を持つ人もいたか。
アイロンをかけながら、「たしかに、おっしゃる通りなんだけどさ、ご自身『複雑』で『切実』な事情を骨身にしみていればこそ、ハル・ベリーはある人種的『立場』を取ることをあえて自制すべきだったのじゃないかな・・・」と考えた。
600字のコラムでは意を尽くせなかった憾みがあるので、微志をご理解いただくべく、もう少し言葉を書き足そうと思う。
このe−メール時評を読まれていない方もいるだろうから、まずそれをもう一度読んでいただこう。
アカデミー主演男優賞はデンゼル・ワシントン、女優賞はハル・ベリーというふたりの「黒人」俳優が受けた。このニュースを知って「アメリカの人種差別はずいぶん解消したな」と思う人もいただろう。だが、私は「なんだか変」と思った。
というのは、これまで出演映画を何本も見ていながら、ハル・ベリーが「黒人」女優だと思ったことがなかったからである。「ベリーって『黒人』だったの?」と私はびっくりしたのである。肌色の濃いハリウッド美女だとばかり思っていた。
ベリーはその顔かたちから分かるように、白人種の血が濃く流れている(母親は白人である)。
その彼女をなぜ「アフリカ系」に区分し、ご本人も「アフリカ系」であることの誇りやルサンチマンについて語るのか、祖先に含まれた「ヨーロッパ系」のみなさんの立場はどうなるのか、そこがよく分からない。
それに考えようによっては、「アフリカのイブ」を共通の祖先とするとされる現世人類は、全員が「アフリカ系」といえるのかもしれない。
こういう恣意的な人種区分が社会にどういう利益をもたらすことになるのか、私にはうまく想像できない。
区分について知る限り、いちばんまっとうなことを述べたのはレヴィ=ストロースである。彼は「いかなる分類もカオスにはまさる」と書いた。私も同感である。
だが、混乱を増大させるような分類は、誰のために、何のために存在するのだろう?
以上である。
すでにこのHPで何度も書いているように、「人種」とか「民族」という概念をたえず帰趨的に参照しながら、自分のなすべき行動を決定したり、他人の反応を解釈したりすることを私は少しもよいことだと思わない。
それは自分の「性」に基づいて自分の身に起こるすべての(不幸な)出来事を説明するフェミニストの発想に対して私が懐疑的なのと同じ理由による。(彼女たちは自分の身に起こる「幸運な出来事」については、そのすべてを彼女自身の才能と努力に帰するのに、どうしてそれと同じ基準をわが身に起きる「不幸な出来事」については適用しないのだろう)
私はこのような人々のことを「レイス・コンシャスネスの高い人」「ジェンダー・コンシャスネスの高い人」と呼んでいる。
これは「すべる」とか「ひかる」とかいうことばをすべて自分の頭髪の状態への揶揄だと聞き咎めて落ち込む「ハゲ・コンシャスネスの高い人」と、その解釈学的態度において深く共通するところを持っている。
自分をとりまく社会環境は本質的に「ただ一つの変数」(人種、あるいは性、あるいは国籍、あるいは階級、あるいは宗教、あるいは頭髪の有無・・・)によって決定されており、その変数さえ「いじれば」、システムは根源的に刷新され、自分の生き方も一変する、という考え方をすること、それがこの「・・・コンシャス」な方々の共通点である。
私はそういうふうな考え方を採用しない。
私たちをとりまく社会環境は無数のファクターの複合的な効果が絡み合う「複雑なシステム」であり、一つの変数の動きですべてを説明できるほど単純な「一次方程式」的システムではないと思っているからである。
ハル・ベリーに話をもどそう。
今回のアカデミー賞受賞に際しては、受賞した二人が「黒人」であることばかりがメディアによって繰り返し報道され、二人がどのようにすぐれた俳優としてのパフォーマンスをしたのか、ということにはほとんど言及されなかったことを私は「変なの」と思った。
アカデミー賞は演劇のパフォーマンスのクオリティに対して贈呈されるものであり、そこに「肌の色」は何の関係もないはずである。
しかし、受賞者もメディアも、なんだかそのこと「ばかり」を論じているように私には思われた。その手の記事を読んでいるうちに、
「そんなこと、どうだって、いいじゃないか。もうやめろよ、そういう話は」
と私は思ったのである。
しかしね、ウチダくん。現にハリウッドではこれまで露骨な人種差別が行われてきていたんだぜ。そのハンディを背負って、なお俳優としての頂点を究めたということは、『片足のハンディを乗り越えてアイガー北壁登頂したアルピニスト』なんかと同じで、やはり彼らの卓越性を傍証するデータとして優先的に言及されてもいいんじゃないか?
なるほど。そういう考え方もあるか。
でもさ、「人種」は「身体的ハンディ」とは別ものだと私は思う。
だって、「片足がない」というのは解剖学的現実だけれど、「人種」なんてものは人間の妄想の中にしか存在しないんだから。
「人種」を根拠に他人を差別する人間も、差別される人間も、ぜんぶ含めて、「私は・・・人である」という名乗りをできる人間なんてこの世界に一人もいない。
みんな「作り話」をしているだけである。
人間のする「作り話」のなかには、愉快なものや生産的なものもあるが、そうでないものもある。
そういうときは「もう、やめろよ、それは」というのがまっとうな対応であると私は思う。
「作り話」のもたらす害悪を抑止するいちばんいい方法は、「作り話」をやめることだ。
「人種」概念が消え失せても、誰も困らない。
だって、そんなの、結局ただの「物語」なんだから。
考えて見ればすぐ分かるはずなのに。
私には両親がいる。父はウチダで母は旧姓カワイである。
両親にはその両親がいる。(祖父はウチダとカワイ、祖母は旧姓ハットリとエノモトである)
その祖父母たちにはさらに両親がいる。(二人の曾祖父と四人の曾祖母たちについては、私はその名さえ知らない)四代遡ると十六人・・・(そのうち一人しか私は名前を知らない)
その計算で10代前までたどると、(江戸時代のはじめくらいかな)私の祖先は2の10乗、つまり1024人いることになる。
私はこの1000人余のご先祖たちについては、一人としてその名前を知らない。
どこに棲んで何をしていた人なのか、まるで知らない。この全員が「日本人」であるなんてことをどうして私が確言できるであろうか。
そのあとさらに代を遡ると祖先はどんどんふえてくる。
計算では25代先(平安時代のはじめくらいだろうか)で私の祖先は一億三千万人にまで膨れ上がる。
これはすでに当時の日本の人口をはるかに超えている。
これを説明できる方法は二つしかない。
一つは、私の祖先たちの相当数は重複していて,同一人物が私の「血統樹」に何度も何度もちがう立場で登場してくる、ということ。
もう一つは、私の祖先には「日本人」ではない人が大量に含まれている、ということである。
たぶん、その両方だろう。
だから私が「私は純血日本人である」と名乗るのは、ほぼ確実に「経歴詐称」なのである。
「私は・・・人である」という名乗りは祖先の相当数を血統から排除することによってしか成り立たない。
『寝ながら学べる構造主義』にはブラック・セミノール族のことを書いたので、もう一度それを繰り返すけれど、アフリカ系逃亡奴隷と先住民逃亡奴隷の混血であるセミノール族は、ライフ・スタイルは「インディアン」風であり、肌の色はブラックである。そして、彼らは自分たちがアフリカから来たということを認めていない。「私たちは白人たちより早くからこの大陸に居住していた」と主張している。
彼らはそうやって祖先の半数を血統幻想から排除している。
エスニック・アイデンティティというのはそういうものだ。
それは「存在したもの」を「排除」し、そこから目をそむけることではじめて成り立つ種類の幻想である。
「人種」が「作り話」であるということは私たち全員が「知っている」。
「知っている」のに、「知らない」ふりをしている。
ほんとうに「知らない」ほどにバカなら仕方がない。
だけど、かけ算ができる人間であれば、誰だって分かるはずだ。
自分のn代前の祖先数が2のn乗であり、その数字は必ずどこかで当時の世界人口総数を「超えてしまう」ということは小学生にも分かる。
その上でなお「純血・・・人」とか「純粋・・・人種」とかいうことを口にするのは、「嘘と知って、嘘を語っている」ということである。
そういうのはよくないよ、と私は言っているのである。
ラカンが発見したのは、私たちはつねに自分の過去について「前未来形」において語る、ということである。
私たちは未来に向けて(他者からの「承認」を獲得するために)、過去を想起する。
私たちがおのれの起源を語るのは、「真実」を告知するためではなく、ある「物語」のうちに自分と聴き手をともに「絡み入れる」ためである。
「起源」や「種別」というのは、そのような「生存戦略」のひとつである。
ハル・ベリーについて私が問おうとしたのは「アフリカ系」であるという名乗りを通じて、母をおのれの「起源」から排除したとき、彼女は何を「しようとしていたか」ということである。
「あなたは、そうすることによって、何をしようとしているのか」
これはラカンが「子供の問い」と呼んだものである。
私はこの「子供の問い」を「変なの」と思ったものに向けたのである。
仮に、彼女が「黒人」である彼女の父を「起源」から排除し、「私は白人です」と名乗っていた場合、何が起こっただろう。
その「嘘」を咎める人がきっといただろう。
「どうして、あなたは自分の中のアフリカ系の血を恥じるのだ。堂々とカミング・アウトすればよいではないか」と忠告をする人がきっといただろう。
ではなぜ、彼女が自分の母を「起源」から排除して、人種としての帰属先を「詐称」したことについては、(私の知る限り)その「嘘」を咎めた人が一人もいなかったのだろう。
理由は簡単だ。
それが「ポリティカリーにコレクト」な選択だったからだ。
だって、アフリカ系はアメリカ社会では「被抑圧人種」なんだから。
私はあえて被抑圧人種の側に立つ、と彼女は宣言したのである。
彼女は「コレクト」な選択をした。
そしてメディアはその選択をしなかった場合よりも多くの拍手を彼女に送った。
私はそのことを咎めているのではない。
だって「正しい選択」をしたんだから。咎める筋はない。
「正しい選択」をするために彼女は「物語」を語ることを辞さなかった。
よいも悪いもなく、人間とは「そういうことをする」生き物なのである。
けれども、ハル・ベリーが「みずからの起源について、〈物語〉を語っている」ということについて、関係者全員が「知っていながら」、「知らぬ」顔を決め込んだ、のは「いかがなものか」と私は言っているのである。
「どうして、彼女はこういう『作り話』をするんだろう?」
という問いを「覚醒」させておくことは、知性にとってたいせつなしごとである。
「人種」というのは、彼女がしたように、ある種のイデオロギー的な、場合によっては功利的な判断によって「どちらに帰属するか」を選べるような、あるいは選ぶことを強いられるような「虚構」にすぎない。
そのことを私たちは、こういう機会にときどき思い出しておく必要があると思って私はあのコラムを書いたのである。
人間たちの社会はさまざまな「作り話」によって「分節」化されている。
レヴィ=ストロースによれば、それはカオスに切れ目を入れ、差異を作りだし、そうすることで「差異を乗り超えるためのコミュニケーション」、つまり贈与と友愛を動機づけるためである。
人間と人間のあいだのコミュニケーションを活性化させること、それがさまざまなレベルにおける「差異」の人類学的効果である。
人間が作った制度には「人間が作りだした」なりの意味がある。
それをきちんと見据えた上で、社会制度については考えたい。
「昔からある制度だから、死守しよう」という人も、「昔からある制度だから、廃絶しよう」という人も、どちらもどうかと思う。
「昔からある制度なんだけど、これって、もともと『何のために』作ったの?」
という「子供の問い」を大切にしましょう。
ということを私は申し上げたかったのである。
7月5日
毎日、同じことばかり書いていて、「もう、いいよ」と言われそうだが、「暑い」「忙しい」「仕事の注文が多い」。
本日は讀賣新聞からインタビューの申し込み、毎日新聞から原稿の依頼、朝日新聞から原稿の催促。講演会の依頼が二件。講談社から選書メチエの原稿依頼。
三大新聞から同日オッファーというのは、物書きにとっては商売繁昌めでたい限りであるが、本人は研究室の電話が鳴ると、びくっとして「ああ、また仕事の依頼だったらどうしよう」と震えるばかりである。
そんなに書くネタないし。
昨夜は、舞台に出たのはいいが、ひとことも台詞を覚えていなくて、適当な台詞を言ってごまかしていたら、(時代劇だったので)まわりの人に刀斬り付けられて、必死に合気道の技で投げ飛ばしているうちに舞台がめちゃくちゃになって逃げ出して、演出家に「コノヤロー」と追いかけられる夢を見た。(これはほんとうである。私はいつも嘘ばかりついているわけではない)
なんだか正夢になりそうである。
それにしても、舞台に出て「適当な台詞を言って」いたらけっこう客には受けていたり、合気道の技がびしっと決まって役者が舞台からころげ落ちて拍手喝采というあたりに私の反省のなさが如実に現れている。
こんないい加減な仕事の受け方をしていれば、私のバカ頭の内実はいずれ広く天下の知るところとなり、ぱたりと注文も止まるのであろう。
だが、無内容な人間であることがばれて仕事がなくなることを切望するというのも情け無い話である。
しかし、約束は守るウチダは、大学で11時間仕事をしてへろへろになって家に戻り、J&Bを啜りながら、30分で朝日と毎日の原稿を書き上げる。
そうやってほほほいのほいと書いたバカエッセイが、読んでみると、われながら面白い。
「われながら面白い」というふうにこの状況でなお「思える」という底知れぬめでたさが、私の野生動物的な(というより、ほとんど爬虫類的な)前頭葉のもたらす強みである。
村上春樹を読み終えて、次は太宰治の『桜桃』を読む。
村上春樹の仏語訳はじつにすらすらと読めて、フランス語の向こうにちゃんと村上春樹の文体が透けて見えた。
それに対して、太宰治の仏語訳はまったく太宰的でない。
ぜんぜん面白くもおかしくもないのだ。
有名な冒頭の一節はこうだ。
J'aimerais croire que les parents passent avant les enfants.
そのまま素直に訳すと
「両親は子どもに優先する、というふうに私は思いたい」
なんということもない。
太宰のオリジナルは
「子どもより親がだいじと、思いたい」
いきなり五・七・五で始まる。
このフレーズがそのままがつんと身体にしみこみ、骨にからみつく。
だから、高校一年のときに読んだこの一節を、私は40年間忘れることができなかった。
ことばの力というのは、そういうものだ。
「あなたを待てば、雨が降る」
でも
「砂混じりの茅ヶ崎」
でも
「あなたのリードで島田も揺れる」
でも
I wanna hold your hand
でも。とにかく心に残るフレーズというのは、聴いたその瞬間に身体に刻み込まれるものなのだ。
意味なんか関係ない。いきなり「がつん」とくるのである。
太宰の文章はそういう身体的な切迫感をともなっている。
その「しかけ」はフランス語で読むとむしろいっそう際だってくる。
第二フレーズはこうだ
J'ai beau me dire, comme les philosophes de l'Antiquite, qu'il faut penser d'abord aux enfants, eh bien non, croyez-moi, les parents sont plus vulnerables que les enfants.
直訳すると
「古代の哲学者たちのように、まず子どものことを考えるべきだ、と私も思ってはみたけれど、そうもゆかない。両親は子どもより傷つきやすいからね」
つまらん。
太宰の原文はこうだ
「子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、なに、子供よりも、その親の方が弱いのだ。」
原文の「なに」を仏語訳者は苦心して eh bien non, croyez-moi と訳した。
croyez-moi は「私を信じなさい」の意で、断定を強調するための挿入句である。
この訳は正しい。
というのは、現に太宰はここでいきなり話を「読者」に振っているからである。
croyez というのは「信じる」という動詞の二人称複数命令形である。つまりいきなりここに「あなたたち」というものが呼び出されているのである。
このように挿入されることばの機能をローマン・ヤコブソンは「交話的機能」(fonction phatique) と名づけた。
電話で「もしもし」といったり、教師が生徒たちに「いいかな」と言ったりするときのことばのはたらきのことである。
これはそれ自体にはメッセージが含まれていない。
「このコンタクトは維持されていますか?」
という「コミュニケーションが成り立っていることを確認するための合図」なのである。
太宰治は冒頭ふたつめのフレーズで、いきなり読者を物語に巻き込む。
「そう思うよね、あなたも」
太宰はそういうメッセージを発信している。けれど、フランス人のようには書かない。
彼はただひとこと「なに」と書くだけだ。
しかし、この「なに」で読者はいきなり太宰との対面状況に巻き込まれる。
こういう交話的なフレーズをさりげなく、かつ適切に使うことができる作家だけが、読者を物語のうちにまたたくうちに拉致し去るのである。すぐれた作家の多くはこの種の「めくばせ」の巧者である。太宰治はとくにその点において傑出していたと私は思う。
これからしばらくのあいだ、太宰治のテクストを、それこそ逐語的に解読してゆくことになるけれど、きっと多くの文学創造にかかわる発見があることだろう。
日本文学の古典をフランス語で読む、というのは「大当たり」のアイディアであった。
全国のフランス語の先生方、このやり方、上級フランス語の授業にはオススメですよ。
7月3日
なんだか忙しい。
スケジュール表を見ると三つくらいしか用件が書いてないから、「おお、今日はヒマかしら」とぬか喜びするのであるが、一つ一つの用事がけっこうたいへんなのである。
月曜は授業は一こまであるが、午前中が能の稽古、夕方から杖の稽古で、そのあいだにもろもろの雑務があり、落ち着いてご飯を食べるヒマもない。
火曜も授業は一こまだが、終わると同時に音楽館ホールでピアノ・リサイタルにかけつけ(合気道を受講している音楽学部の学生さんからご招待されたのである。リストをばりばり弾いていた。うまいものである)、おにぎり二つ食べて、そのまま入試問題検討委員会で英語の試験問題をめぐって3時間近く議論をして、だだだと走って帰宅して合同セミナーの夕食の仕込み(餃子と唐揚げ)をしてから六甲セミナーハウスへ。
今年はじめてセミナーハウスでの「泊まり込み三年生四年生合同セミナー」というものを企画した。
うちで夕食会をしてもよいのであるが、家が遠い人は8時頃に帰らないといけないし、全員が帰った「宴のあと」に、深夜ひとり家を掃除して食器を洗う、というのもそろそろ疲れたので、「では、このへんで先生は失礼します。あとは若い人たちだけでごゆっくり」と早寝できるセミナーハウスでの「餃子パーティ&エンドレス宴会」に切り替えたのである。
みんな色々な食材を持ち寄り、大きな台所でいっしょにご飯を作る。
この作業がキャンプみたいで愉しい。
それから二階に会場を移しての大宴会。
私は十二時ごろにリタイアしたが、三年生諸君は午前6時まで大いに盛り上がって話し込んでいたそうである。
ぼけっとした頭で麓に戻り、朝ご飯を食べてから(今回のお泊まりセミナーは「晩飯自前・朝食抜き」の「素泊まり1000円コース」)、取りあえず寝直し。
二度寝で12時まで寝てしまった。(よく寝るなあ)
午後2時に御影で角川書店のお二人と待ち合わせして「高杉」でお茶をしながらビジネストーク。
例によって「3秒前に思いついた」持論を2時間滔々と展開。
その場で思いついた話なので、しゃべった端から忘れてゆく。
途中で、「ああこんなことならこれを録音して、そのまま本にしてもらえばよかった・・・」と後悔。
角川書店さんは「バックオーダー」の順位12番目なので、書き下ろしだと原稿をお渡しできるのは5年後くらいになりそうである。その頃にはもう私の本なんか読む人は誰もいないであろうから、早めに出しておきたいという双方の利害が一致して、こんな感じのおしゃべりを「口述筆記」で一冊に、ということに話がまとまる。
梶山季之や松本清張ではあるまいし、口述筆記を本にする、というのも私のような無名の物書きがナマイキなことではあるが、なにしろ「期間限定物書き」であるからして、スケジュールがタイトなのである。ご海容願うほかない。
それよりうれしいオッファーは既発のエッセイの「文庫化」である。
どこかの出版社から『ため倫』や『おじ的』の文庫化の申し出は来てますか、と訊かれたので、来てないですよ、とお答えしたら、「では、ぜひウチで」という話になった。
まだオリジナル単行本刊行中なので、「じゃあ、買うの止めて文庫化を待とう」というような勘定高い読者が続出されては困るが、お手頃価格の文庫本で若い人たちに読んで貰えるのは書いた当人としてはたいへんにありがたいことである。
というところで業務連絡です。
えーと業界のみなさま。『映画は死んだ』(松下正己くんとの共著)『現代思想のパフォーマンス』(難波江和英さんとの共著)『レヴィナスと愛の現象学』など、文庫化「予定なし」の単行本在庫多数ございます。高額物件のために発行部数が伸び悩んでおりますが、いずれも良い本です。格安価格にてご奉仕致しますので、文庫化につきましてご一考下されば幸いです。
お二人を住吉までお送りしてから下川先生の稽古場へ。
謡の拍子について先生を囲んでいろいろと面白い話を聞いて、先生に『謡稽古の基本知識』という本をお借りする。
ウチダのアプローチは「思想には身体から入り、身体技法には理屈から入る」というものである。
そのため、武道の場合「理屈は一人前だが、技術が追い付かない」という難点を抱えており、本業の方は「話は分かりやすいが、ものを知らない」という難点を抱えている。
なかなかうまくゆかないものである。
というところまで書いていたら、甲野先生からお電話。
『邪悪なものの鎮め方』(仮題)の企画が先生にもたいそうお気に召したらしく、夏休みがはじまったら、有馬温泉あたりに繰り出して、夜を徹して甲野・名越・ウチダ鼎談でわいわい盛り上がっているところをテープに録音して、それを内浦さんに起こして貰って本一冊仕上げましょうということに話がまとまる。
甲野先生からはぜひ飯田先生を「聞き手」に呼んで下さい、というご希望である。
たしかにこういう話は打てば響くようなリアクションのよい聞き手がいるのといないのでは盛り上がり方がまるで違う。
というわけで、名越先生、飯田先生、八月の初旬に予定空けて置いて下さいね。(なんだか業務連絡ばかりの日記だな)