明日は明日の風とともに去りぬ

Tomorrow never knows what wind will take me away: from 1 Jan 2002



8月31日

あっというまに、8月も終わってしまった。結局、遊んだのはキャンプに行った三日間だけで、あとはずっと仕事をしていた。仕事をしなかったのは東京大阪間の移動日だけである。

おかげで五冊本を仕上げた。

もちろん1ヶ月のあいだに五冊書いたわけではない。(いくらなんでも無理だよ)

でもずいぶん書いた。

『ラカン/ヒッチコック』の翻訳が50頁、『おじさん2』の加筆訂正、『有馬温泉本』と『口述筆記本』の録音、『フェミニスト本』の書き下ろし100枚、『映画の構造分析』の「アメリカン・ミソジニー」が書き下ろし40枚。その他あちこちに雑文エッセイを数十枚。その間にTVに出て、ラジオに出て、週刊誌と新聞にコメントをして、インタビューを二つ。これだけ見るとなんだかプロの物書きのような仕事ぶりである。

しかし、誤解している方が多いようだが、こういう外交的な生活態度はほんらいウチダの好むところではない。

私はどこにもゆかず誰にも会わず、ひとり静かにこりこり本を読み、論文を書くのが心底好きなのである。ただ、根が「お調子者」なので、呼び出されるとほいほい出ていって、言わなくてもよいことを言って、ますます泥沼にはまるのである。

はやくこのような浮ついた物書き仕事から足を洗って、地に足のついた、地道な学究生活に戻りたい。

 

というわけで、八月最後の日は仕事をはやめに切り上げて、夕方から『オースティン・パワーズ・ゴールドメンバー』を見に行く。

マイク・マイヤーズ映画は日本では「受けない」「受けるはずがない」というのが私の年来の確信である。

メディアの一部が「おバカ映画」などと称してMM映画を流行現象のように扱おうとしているが、あれは流行したりするものではない。正味ただの「ボンクラ映画」なんだから。

予想通り封切り一週間後の土曜の午後というのに、国際松竹は三分の入りである。

ほらね。客なんて入らないでしょう。

第一作は渋谷西武シネセゾンでの単館ロードショー。柳下毅一郎と『映画秘宝』がすごく力を入れて宣伝していたので、客はそこそこ入っていたけれど、前作『私をシャグしたスパイ』のときは塚口の寂しい封切館で客は五人。最後のクレジットまでげらげら笑いながら見て、席を立ったら、客は私とM杉先生の二人だけだった。

だんだんと映画の予算規模も大きくなり、その分宣伝も大がかりになっているけれど、しょせんはMM映画ですよ。

映画が終わって振り返ると、暗い顔をしたカップルが気まずそうに席を立つ姿ばかりが目についた。

そりゃそうだよ。

見終わったあとに、お酒が美味しく感じるとか、会話が弾むとか、そういう映画じゃないんだから。

「パクリ」と「下ネタ」だけのMM映画が好きで好きでしょうがないという「しょうがない人たち」のための映画なんだから。期待しちゃダメよ。

もちろん、私は楽しみましたよ。堪能させていただきました。

しかし、ベルギー・ギャグとオランダ・ギャグが分からなかった。(「ベルギー人に育てられると邪悪な人間になる」というところで一同深く納得するのはどういう下地があってのギャグなんでしょう。カナ姫はご存じでしょうか?)

こういうエスニック・ギャグというのは完全にアメリカ・プロパーのネタなので、アメリカ人じゃないと分からないんだろうな。(誰か知ってたら教えて下さい。「かさぶた」ギャグとか「パンケーキと煙草」ギャグも、「本歌」が分かりませんでした。)

しかし、いろんな映画ネタがあった。

ウチダに分かったのは『M−2』と『ゴールド・フィンガー』(これと『007は二度死ぬ』がメインのネタ元ですね)と『ハリー・ポッター』と『ウェストサイド物語』と『雨に歌えば』と『サタデー・ナイト・フィーバー』と『国際諜報局』(このハリー・パーマーとジェームズ・ボンドを合わせたのがマイケル・ケインの役どころ)と『羊たちの沈黙』と『スーパーフライ』と『カイロの紫のバラ』・・・

ほかにもいろいろな映画からの引用があったと思いますので、お気づきになった方は

「KCMMFC・『Austin Powers Gold member』ネタもと当てクイズ係までどんどんお知らせ下さい。

でも、トム・クルーズのパワーズとケヴィン・スペイシーのDr.イーヴィルの『オースティン・パワーズ実写版』もこうなると見たくなってきましたね。


8月30日

終日さくさくと原稿書き。

「アメリカン・ミソジニー」を『映画の構造分析』用に書き直す。

『映画の構造分析』(これは自分でいうのも何ですが、面白いです)は晶文社から来春刊行予定なのだが、枚数が少し足りないので、あと100枚ほど書き足すことになっている。

『ミソジニー』で50枚書いたので、残り50枚。

これは、『ライアンを探して』Looking for Ryan "Privately" という題名で『史上最大の作戦』と『プライヴェート・ライアン』の比較論を書く予定。

『カイエ・ドュ・シネマ』派の諸君のいうところの「第四の側面」とか「縫合」とかいうわっかりにくーい(ジャック=アラン・ミレールが言い出したことだそうである。さもありなん)話を、噛み砕いてご説明して、「なーんだ、そんなことだったのか」とご得心いただこうという趣向である。

『史上最大の作戦』の原作者はコーネリアス・ライアン。たぶんスピルバーグの映画はこれを意識したんだと思う。スピルバーグはオマハビーチまで「個人的にライアンを探しに」行ったのだ。こう質問しに。

「ねえ、ほんとうの戦争って、どんなものなの?」

 

原稿を書き終えたら、『北の国から』の総集編をやっていたので、それを見て、もらい泣きをする。

岩城滉一の突然の死にともに涙。(私はこのシリーズでは、この「草太兄ちゃん」という粗忽でワイルドで情の濃いキャラクターがいちばん好きであった)それにしても吉岡秀隆くんも中島朋子さんも田中邦衛さん宮沢りえちゃんも、実にみごとに泣くものである。うるうる。

大学のAVライブラリーに全巻揃いであったから来週から「一挙上映」しようかな。

しかし、「ヒッチコック一挙上映」の次が「『北の国から』一挙上映」というのも、なんだかとりとめのないレパートリーではある。

 

もらい泣きをしつつ机の上の手紙類を整理していたら、文藝春秋臨時増刊のT中さんから原稿依頼の手紙が来ている。(メールじゃなくて、直筆の手紙を書いてくるところが、若いに似ず礼儀正しい。そういえば風貌もどことなく「明治の青年」風)

原稿のお題は「日本人の肖像 このすがすがしい生き方・いかに生きたか いかに生きるか」。

ウチダのような「すがすがしい」というよりは「暑苦しい」人間に向かって、「いかに生きたか いかに生きるか」の指針を求めてくるというのも、実に果敢というか無謀というか。しかも対象読者層は50代から60代の「おじさん」たちである。私のような若造にいかなる説教をせよというのであろうか。

しかし、あらゆるオッファーに即座に笑顔をもってお答えするのは、「期間限定」期間内におけるウチダのプリンシプルである。

ただちに筆を執り、さくさくと六枚の原稿を書く。

所要時間40分。

「期間限定物書き」を廃業してしまうと、こういう類の「時給10万円バイト」がなくなってしまうのが惜しい。

だが、ウィスキー片手にキーボードを叩いて、時給750円のバイトの子たちが80時間かけて得る金額を40分で稼いでしまうというような「でへへ」な生き方は、人間として「いかがなものか」とウチダは思う。

そういうことを続けていると、人間はだんだん「世間を舐めた」態度をとるようになってくる。

ウチダはただでさえもともと「世間を舐めた」生き方をしており、その点についてはすでに関係各方面からきびしいご批判を頂いている。

そこへきて、このような「でへへ」が続けば、遠からず「世間を舐めきった」人間になることは必定であり、その際には「きびしいご批判」どころか、「たいへんきびしいご批判」の十字砲火を浴びて、私ひとりのみならず親子兄弟親族一同、世間の眼をはばかってどぶ板を這って歩かなければならない仕儀に至ることは火を見るより明らかである。

というわけで、「らくちんバイト」で荒稼ぎすることについては吝かではないのであるが、これ以上「世間を舐めた」生き方をして天罰のあたることをウチダは恐れるのである。

(とかいいながら、年末までは高額時給バイトに励むのである。「『世間を舐めている』といっても、期間限定なんですから、そこはお奉行さま、ひとつオメコボシを・・・」という「越後屋」的態度そのものがまことに「世間を舐めている」という他ない)


8月29日

終日がりがりと原稿を書く。

フェミニズム言語理論をがりがりと批判するたいへんに性格の悪い論考を書いているのであるが、ウチダは「邪悪なエクリチュール」を選択すると、思考速度が加速されて、「よくこれほどまでに、底意地の悪いことが書けるなあ」と読んでいる本人が感動するほど邪悪なフレーズがわき出てくるのである。

自分の性格の根本にある抑制しがたい攻撃性を確認するのはこういうときである。

しかしこれを押さえ込もうとしてはならない。

こうやって適宜攻撃性を発散させてゆくことで、ウチダはかろうじて「市民」としての日常をまっとうしているのである。

どうせ、日本語で書かれたフェミニズム批判なんかイリガライもフェッタリーも読むはずないんだから、私の悪口の直接の被害者というのは、存在しないのである。

もちろんイリガライやフェッタリーのファンの方は「むかっ」とするであろうが、それくらいは我慢してもらわねばならぬ。

私だってイリガライにレヴィナス老師が「非倫理的」と罵倒されたときにはずいぶん「むかっ」としたが、べつに本人のところにまで文句を言いにいったりはしなかった。ただ機会あるごとに「イリガライはほんまアホでっせ」とあちこちで陰口をしまくるという陰湿な仕返しをしているだけである。それくらいは勘弁してほしい。

今日は一日、ジュディス・フェッタリーの『抵抗する読者』というフェミニスト批評理論の本を批判している。

この本がどれくらい重要なものなのか寡聞にして知らないけれど、私が尊敬するただ一人フェミニストであるショシャーナ・フェルマンが「フェミニストの愚かさの恥ずべき典型」として紹介していたので、興味を引かれて買ったのである。

フェッタリーの悪口は今日一日書きすぎたのでもう書かないが(読みたい方は『フェミニズムについて私の知っている二三の事柄』(仮題)をお買い上げ下さい)、たいへん気になったのは、この人がフランスにおける1950年代以降のテクスト理論の展開をまったく気にかけていないということである。

どうもブランショもバルトもラカンもレヴィナスもフェッタリーは読んでいないようである。(読んでいたとしたら、何が書いてあったのか理解できなかったのだ)

この本で彼女が理論的根拠として引用するのは、アメリカの「業界人」だけである。

アメリカの大学のアメリカ文学研究者たちのコミュニティだけが「世界」だとこの人は思っている。(その点で、彼女はジョージ・ブッシュとよく似ている。)

驚くべきことに、このフェッタリーの本は、日本のアメリカ文学研究者のあいだでは一種の「教科書」のようなものとして読まれているらしい。(その点で、この諸君は日本政府とよく似ている)

モーリス・ブランショが「文学と死の権利」を書いたのは1949年のことである。

ロラン・バルトが「作者の死」を書いたのは1968年のことである。

どちらもずいぶん昔のものであるが、いまだに私は読むたびに新しい発見がある。

フェッタリーにこの二つのテクスト論を超えるものを書けとはいわない。(そんな贅沢なことを言っているわけではない)

でも、せめて理解しようと努めてはもらえないだろうか?(両方合わせても50頁程度のものなんだから)

理解がむりなら、せめて、「そういう理論がある」ということを知っておいてはもらえないだろうか。

知っていたら、「抵抗する読者」などという「近代的な」読解装置を思いつくはずがない。

 

そうやってぷりぷり怒っているうちに本が一冊書き上がってしまった。

『ラカン/ヒッチコック』、『おじさん的思考2』、『口述筆記本』に続いて、この夏休みに入って本を4冊仕上げてしまった。

われながらハイペースである。

おかげで、来週からはいよいよレヴィナスの『困難な自由』の翻訳である。

私にとってレヴィナス老師のフランス語を日本語にするのは、心安らぐ、それでいて高揚する至福の時間なのである。

今週の私はかなり「剣呑な人物」であったが、来週私に会うひとは温良な笑顔でをうかべている「他者に優しい」ウチダを見出すであろう。老師の恩徳である。


8月28日

角川書店の「口述筆記本」のために、終日神戸のシーガル神戸会議室に「カンヅメ」になる。

要するにふだんゼミ生や合気道の諸君を相手に話しているようなことをしゃべり続けたのをテープ起こしするということなのであるが、時間がハンパではない。

午後2時半スタートで、最終的にテープを止めたのが、午後11時半。「グリルみやこ」での夕食中も、ジャック・メイヨールでの打ち上げ中もずっとテープが回っていたので、その間9時間しゃべりっぱなしだったわけである。

さすがに最後の頃は「唾液」が不足してきて、舌の回転が「焼け付いて」きた。

しかし、どうして「いま思いついたばかりのこと」をこれほどの確信を込めて「前から考えていたことですが・・・」などと前置きして縷々語ることができるのであろうか。

この術だけは、自分で駆使しておきながらいうのも変だが、どうして使えるのか本人にも分からない。

「口先で考えている」ということなのであろう。

私のそのような「口から出任せエクリチュール」の本質を看破し、「ウチダは書かせてもしゃべらせても、どうせ同じだ」と気づいてこの本の企画を立てた編集者はけだし具眼の士と言わねばならない。

しかし、口から出任せの中になかなか面白いアイディアもあり、家に戻ってからさっそく机に向かって「アメリカン・ミソジニー」なる一文を草する。

これはアメリカ文学アメリカ映画に横溢する女性嫌悪(misogyny)のよってきたるところを、遠く西部開拓時代の「男女比率の不均衡」に求めた変痴奇論である。

生涯一度も「女にパートナーとして選ばれる」という幸運に浴すことなく、そのDNAを地上に残さぬまま死んだ無数の開拓者(おそらく数百万に達するであろう)の「怨念」を鎮めるためにアメリカ文化が創り出した「喪の儀礼」、それが「女性嫌悪神話」である、という解釈である。

男ばかり何百人もいる場所(フロンティアの砦とか、金鉱とか)に女性がひとり来た場合、彼女をめぐって、男たちははげしい競合を展開したはずである。

すごい高倍率である。

一人の女性の「性的リソースの継続的かつ全面的占有権」はほとんど絶望的に困難な夢であり、ひとにぎりの超ラッキー男以外のすべての男は「女に選ばれなかった」というトラウマを抱え込むことになる。

これはきつい。

男だけで暮らしていたらこういうトラウマはない。男だけで支え合いながら、辺境で静かに死んでゆくことができる。(ジェームズ・フェニモア・クーパーの描いたレザーストッキングのようなフロンティア開拓者たちは、男だけの世界に完全に自閉しているから、こういうトラウマとは無縁だ)

しかし、男だけの世界に女が一人でも入ってきて、それが「男を選ぶ」ということになると話はがらりと変わってしまう。

選ばれた男と選ばれなかった男のあいだ差は決定的かつ致命的だ。

それまでの男たちの世界における「価値のものさし」であった諸能力(腕力、剛胆、狩猟の才、動植物についての知識、技術、酒量、リテラシーなどなど)は無視され、男たちには理解しがたい基準によって、男たちは差別化される。

「女に選ばれなかった」ということは、それまでの開拓者として孜孜としてその獲得につとめてきた人間的価値が否定されたということを意味する。

このような事態を放置しておけば、西部開拓をドライブしているエートスそのものにひびが入るおそれがある。

もちろん適正数の女性を継続的にフロンティアに送り出すことが出来ればまるで問題はないのであるが、それが「できない」からこういうことになっているのである。

そこで人々はとりあえずひとつの物語を創り出す必要に迫られたのである。

それは次のような物語である。

「女は必ず男の選択を誤ってクズ男を選ぶ」

「それゆえ女は必ず不幸になる(ザマミロ)」

「あんなバカ女のために仲間を棄てたりしなくて、ほんとうによかったぜ」

「やっぱ、男は男同士でいるのが一番だよな、な」

という一連の話型なのである。

このような定型的な説話原型を私は「アメリカン・ミソジニー話型」と名づけようと思う。

ハリウッド映画は、その出発の時から、この話型をほとんど強迫的に反復してきた。

「男たちの集団に一人の女が現れる。彼女は男を『選ぶ』権利を与えられている。男たちは彼女をめぐって競合する。最終的に一番利己的で、ワイルドで、色欲過多の男が彼女をゲットする。その男は(利己的でワイルドで色欲過多なので)当然ながら、やがて彼女を棄てて、男たちのもとに戻ってくる。女は不幸になり、男たちの共同体は原初の秩序を回復する。めでたしめでたし」

これが「アメリカン・ミソジニー物語」の定型である。

その代表作が『私を野球に連れてって』。(これは私の見るところ、「アメリカ映画史上最悪の女性嫌悪映画」である。)

『カサブランカ』から『明日に向かって撃て』まで、『ウェストサイド物語』から『バンディッツ』まで、同じ話型の物語は枚挙に暇がない。

しかし、これを咎めてはいけない。

物語にはそれなりの歴史的淵源というものがあって生まれてくるのである。

これらの女性嫌悪物語は、「『女に選ばれなかった』というトラウマを抱えて死んだ」無数のフロンティアの男たちの「怨霊」を鎮めるための物語装置だからである。

女性に恨みがあるわけではなく、怨みを残して死んだ男たちの「祟り」が怖くてこういう話をでっち上げているのである。

これは巨大な「墓碑」なのである。

アメリカのフェミニスト批評理論は、ひさしく「アメリカ文学は骨の髄まで女性嫌悪的である」と主張している。

私はこの主張に100%同意する。

ただ、フェミニストたちが「なぜ、アメリカ人の作る物語はこれほどまで女性嫌悪的なのであろうか?」という問いを自分に向けないことを不思議に思うのである。

彼女たちは「男たちの作る物語はすべて女性嫌悪的である」というかたちで「アメリカの問題」を一挙に「人類全体の問題」にすり替えてしまう。

そして、ご存知のとおり、「アメリカ・ローカルの問題」を「世界全体の問題」であると組織的に錯認するあの国の人々の民族誌的奇習のことを私たちは「グローバリズム」と呼んでいるわけなんだけれど。

アメリカ男性はアメリカ女性が嫌いである(これは真実である)

ゆえに、すべての男性は女性が嫌いである(これは真実ではない)

このような推論のしかたをアリストテレスは「特殊例を一般化する虚偽」と呼んでいる。

ジュディス・フェッタリーは平然とこのfallacia accidentis を犯すが、それは「アメリカ国民はサダム・フセインが嫌いである」という命題と「世界中のひとはサダム・フセインが嫌いである」という命題とのあいだに「飛躍」があるということを、いくら教えても理解できないジョージ・ブッシュの頭の悪さと本質的なところで深く通底するもののように私には思えるのである。

というようなことを私は書いたわけだが、これをもしフェッタリーが読んだら色をなして怒るであろう。

「私をジョージ・ブッシュといっしょにしないでよ!アメリカ人といったって、いろいろあるんですからね!」

ね、頭に来るでしょ?そういうふうに乱暴に「ひとくくり」にされると。

でもさ、そういうふうに「ひとくくり」にされるのがいやで、「オレを、ほかの男をいっしょにしないでくれよ、男といったって、いろいろあるんだからさ!」と抗議したのに、ぜんぜん耳を傾けてくれなかったんだよ、キミたちは。これまで。ずっと。

やなもんでしょ?

自分が同じことされると。

という趣旨の論考である(全部書いてしまったが)

この「鎮魂論」はわりと「いける」のでは、と思っているのだが、もしかするともう誰かアメリカ史の方が指摘していることなのかもしれないので、知っている人がいたらご教示下さいね。


8月25日

朝夕涼しくなったので、眠りが深い。昨日、今日と久しぶりに8時間ノンストップで爆睡した。(夏の間はいつも明け方に寝苦しくなって眼が醒めた)

しかし、よく寝るよな。(昼飯のあとは、必ず昼寝してるし)

そのせいか、一日が非常に短い。

起きて、朝飯を食べて、原稿を書いて、昼飯を食べて、昼寝して、原稿を書いて、晩飯を食べて、映画を見て、本を読みながら寝る・・・という恐ろしく単純なルーティン。

一昨日からフェミニズム言語論についての論文を書き続けている。

前にも少し書いたけれど、英米のフェミニズム言語論はボーヴォワールの女性解放理論とラカンの分析的対話の理論を重要なファクターとしている。その、ボーヴォワールとラカンはいずれも1930年代にコジェーヴのヘーゲル講義に強い影響を受けてその思想の骨格を形成した。だから、現代のフェミニズム言語論にはヘーゲルのスキームがほとんどそのまま継承されているのであるが、どうもそのことに当のフェミニストたちはあまり自覚がないようである。

ヘーゲルの人間学というのは、「疎外の弁証法的揚棄」についてかなり楽観的な考え方をするのだけれど、その楽観性は現代フェミニズム批評理論にも継承されていて、「女として語る語法の奪還」とか「わたしたち固有の領土を取り戻すために」とかいうヘーゲル的タームが随所に見受けられる。

フェミニスト諸君は、「家父長的文化」ということをよく言うけれど、「家父長」の代表格であるヘーゲルの人間学を自身が復唱していることについてはどのようにお考えなのであろうか。まさか、その事実を知らない・・・ということはないよね。

勉強ついでに、ジュディス・フェッタリーの『抵抗する読者』というフェミニスト批評理論の本を読む。

いろいろアメリカの男性作家の作品が俎上に載せられて、それらがいかにエゴイスティックで不誠実で権力的で性差別的な男性を描いているかをあざやかに分析し、アメリカ文学のカノンとされているものが、いかにイデオロギー的なものであるかを告発している。

だが、ちょっと、待って欲しい。

フェッタリーさんによれば、これらの作品(『武器よさらば』とか『グレート・ギャツビィ』とか)は「エゴイスティックで権力的で性差別的な男性」を描いている。

もしも、小説に出てくる男性主人公が、全員死ぬほどいい人で、献身的で愛情深くて性差別意識のかけらもない人であるかのように描かれているというのなら、そういう「嘘」を書いた小説が「不誠実」だという断罪はありだと思う。

だけど、現実はそうではない。

小説に出てくる男はみんな「ゴミ」男で、その欠点をさらしまくっている。

で、現実にアメリカの男はみんな「ゴミ」男なのである。

たしかこの本はそう主張していた。

だったら、これらの作品は正しくアメリカ的現実の実相を描いた「誠実な作品」だということにはならないのだろうか。

例えば、ジェイ・ギャツビィはご指摘のとおり、成熟することを拒否しているし、生身のデイジーではなく、自分で勝手に作り上げた幻想のデイジーを愛しているバカ男である。

でも、『グレート・ギャツビィ』は、どう読んでも、そういうギャツビィの性幻想をほめたたえている本じゃなくて、「ギャツビィはバカです」ということを淡々と書いている本である。

例えば、この本の中のクライマックス、ギャツビィとデイジーが緑の燈火をいっしょに眺めるところをフィッツジェラルドはどう書いているか。

 

「霧がなければ、湾の向こうに君の家が見えるよ」とギャツビィは言った。「君の家の桟橋の突端のところに、いつでも緑の燈火を一晩中つけとくだろう」

 デイジーはいきなりギャツビィの腕に手をかけたけれども、彼は今口にしたことに気を取られているらしかった。あの燈火がもっていたとてつもなく大きな意味は、いま永遠に消え失せてしまったという考えが浮かんだのだろう。おれをデイジーから引き離していた大きな距離にくらべれば、あの燈火こそ、彼女の身近にいられるもの、もう少しで彼女に触るくらいに近いところにいるものと思われたのだ。たとえてみれば、月にいちばん近い星のように羨ましいものに思われたのだ。いまはそれもただの桟橋の上にかかった緑の燈火にすぎないものとなった。魔力をもっていたものが、その数をひとつ減じたわけだ。」(大貫三郎訳)

 

フィッツジェラルドはここではっきりとギャツビィがほんとうに望んでいたのは「欲望の成就」ではなく、「欲望の永遠の不充足」であると記している。

誰が読んでもそう書いてある。

欲望は満たされないときがいちばん活性化する、というのがこの小説の全編を貫く知見であり、フィッツジェラルドはそのことをよく知っていた。

「ふたりのあいだには描写すべき情緒的繋がりなどない。あるのは、ギャツビィと彼の『ことばで言い表しようのないほどの夢想』との情緒的繋がりだけである。デイジーは、その夢想の中の意識されない象徴でしかない」とフェッタリーは書いて、鬼の首でも取ったようにこれこそ「抵抗する読み」であるといばっているけれど、フィッツジェラルドが書こうとしていたのは、まさに「そのこと」ではなかったのだろうか。

触れるすべての人間を「限りなく欲望の対象に近づきながら、なお不充足のままに足踏みする」という欲望の戦略のために利用し尽くす人間のエゴイズムをみごとに活写したのがこの作品のカノンとしての価値なのではないだろうか。

まさか、ギャツビィを「全員が範とすべきアメリカン・ヒーロー」として描いたわけじゃないでしょう。フィッツジェラルドだって。

 

あらためて言うまでもないけれど、すぐれた文学作品というのは、欠点の多い登場人物を立体的に描くことで成功している。

でも、その登場人物は必ずしも、作家が読者に強要しようとしている「理想的人間像」であるわけではない。ほとんどの場合、そうではない。

人間はなぜ、こんなに多くの欠点をかかえていながら、それでもこんなに愛すべき存在でありうるのか。

たいていの文学作品は私たちにそういう反省の手がかりを与えてくれる。

スメルジャコフとかニコライ・スタブローギンとかテリー・レノックスとかをロールモデルに自己造型する人間なんか、どこにもいない。

けれども彼らは人間について実に多くを教えてくれる。だから作家はそういう人物を丹念に、ほとんど愛情を込めて描く。

それをして家父長的イデオロギーの生み出したプロパガンダ的な作物であって、作家はそのような人物を崇敬することを読者に強いているのだ、というような読解って、いくらなんでも「あんまり」だと私は思う。


8月22日

19日から四日間の「東京ツァー」を終えて帰神。

TVに出たり、渋谷駅前で写真のポーズを取ったり、なんだか慣れないことをしたせいで、疲れた。

東京という街は、そこにいるだけでかなり疲労する。

先日も書いたけれど、あそこで疲労しないで暮らすためには、いろいろな情報を遮断する能力(気に入らないものは見ない、聴かない、感じない)が必要だ。

しかし、情報を遮断して、感覚を意図的に鈍磨させるというのは、かなり危険なことである。

だって、美しいものや豊かなものであっても、あらかじめ「自分が好きなもの」リストに登録してあるものにしか選択的に反応しなくなるし、「危険なもの」についても、既知の危険物にしか反応できなくなるからである。

でも、ほんとうに危険なものも、既存のフレームワークを打ち破る生産的契機も、つねに最初は「リスト外」のものとして登場する。

「でも、いちばん新しいものは東京にしかないでしょ?」

あのね、「新しい」というのと「未知」というのはまるで別の概念なのだよ。

「不気味なもの」(unheimlich) とは「慣れ親しんだ既知のもの」(heimisch) 「親密なもの」(heimlich) が不意に示す「見知らぬ相貌」のことである。

ほんとうに危険なもの、真のブレークスルーをもたらすものは、この「不気味なもの」であり、それは私たちの「かたわら」に、まるで私たちに熟知されたもののように、親しげに存在しているのである。(だから怖いんだよ)

 

とはいえ、東京に来ないと会えない師匠友人知人ビジネスパートナーがいるので、ときどき東京に来る。

今回は、竹信君から始まって、“アーバン仲間”の石川君、松下君。お兄ちゃんとシンペー。ゆり@横浜さんと自由が丘道場の道友諸君。そして締めに昨日は平川君と会った。

旧友たちも知命を超えて、だんだん貫禄がついてきて、語ることばの一言一言がけっこうしみじみと重く心に届くようになった。

仕事関係は晶文社と『婦人公論』と文藝春秋。

晶文社は『おじさん的思考パート2』の打ち合わせ。

突発的に『期間限定の思考』というのを思いつく。

『婦人公論』は少女マンガについてのインタビュー。

「私は『エースをねらえ!』から人生のすべてを学んだ」というタイトルになるらしい。(いくらなんでも、「人生のすべて」を学んだわけではないですけど)

「無限の叡智を蔵した師は、有限の生命しか有さない」とか「人間の可能性には限界がないが、人間はおのれの可能性の限界を知らなければならない」とか、同時にまったく矛盾するメッセージを発信しつつ、その矛盾そのものを物語の推力とする山本鈴美香先生の力業には、改めて感動するばかりである。

文藝春秋では編集者と気分よくしゃべっているうちに、また「悪い癖」が出て、次々と本の企画を自分から言い出してしまう。(『寝ながら学べるエマニュエル・レヴィナス』と『柳北・漱石・百間』)

自縄自縛とはこのことである。とほほ。

なんだか眼が回るような四日間であった。

御影に戻ると、ファックスやメールや郵便で、「次の仕事」が待ち受けていた。

毎日新聞から電話があり、「例の件ですが」とふられてどぎまぎする。

「例の件って、何だっけ?」

締め切りを忘れた原稿でもあったのであろうかと思ってよく聞いたら、ゲラの直しをファックスで送りますというご連絡であった。

しかし、いったいいかなる原稿のゲラであるのか思い出せない。

ファックスがきゅるきゅる言って、のぞきこんでみたら、なんだか「いかにも私が書きそうなこと」が書かれた文章が登場してきた。

けれども、いつ書いて、いつ送稿したのか。何も覚えていない。

FM東京からはラジオ出演(電話インタビュー)のオッファーがある。TVにも出たし、もう「毒を食らわば皿まで」の心境である。

朝日のe−メール時評の次の原稿をメールで送る。

こういうどたばたしたやり方を続けているとそのうちなんだか大きなトラブルを巻き起こしそうな気がする。

しかし、12月末までは「すべての原稿注文を受ける」と宣言してしまったから、いまさら引っ込みもつかない。

困ったことです。何事も起こりませんように。


8月19日

東京へ。今回はお仕事関係ツァーである。

12時東京駅着。タクシーで朝日新聞本社へ。

竹信くんと久闊を叙しつつ、とりあえず築地場外の食堂にて「まぐろ・ねぎとろ定食・深川飯」というものをごちそうになる。

ウチダは東京に40年もくらしていて、築地場外というところにくるのはこれがはじめてである。ほんとうにどこにいても、どこにも行かない人間である。

さすがに旨い。

ビールをのみたくなったが、これから「おつとめ」があるので、そうもゆかない。

社にもどってお茶をしてから、打ち合わせ。

朝日ニュースター「記者の視点」という竹信くんがホストをしているトーク番組のゲストとしてお招きいただいたのである。

TVというものに出るのはこれが始めてである。(たぶん最後であろう)

さすがに竹信くんはレギュラー番組をもっているだけあって、手際よく「ニュース解説」をこなし、そのあとゲストコーナー13分間。

「エルプリュスの夜会」と同じで、いつもおしゃべりをしている友だちと、いつものようなおしゃべりをする。違うのはTVカメラが前にあって、「あと3分」というような指示があることだけである。

いろいろとスクリプトをつくってご用意いただいたのであるが、結局、その場で思いついた話をしてしまう。

「かねて用意ののストックフレーズを語る」というのはコミュニケーションの作法としては、よろしくないよね、という話をしているので、「かねて用意の話」をするわけにはゆかない。

だんだん舌のまわりがよくなってきたと思ったら、もうおしまい。

なんだか変な番組になってしまった。申し訳ない。

とりあえず無事TV初出演を終えて、ふたたびお茶。

お茶のときの方が圧倒的に話が盛り上がって面白いのであるが、まるでTV放映向きの話題ではないので放映できないのが残念である。

 

次は渋谷で松下、石川両君と待ち合わせ。内輪の株主総会。

ビジネスの現況についていろいろと情報をお聞きする。

巨額の創業者利益を得る予定であったが、ITバブルもはじけ、アメリカ型ビジネスモデルもほころびが目立つ昨今、われわれの「富豪化計画」もいささか微妙な風向きだ。

両君にはがんばっていただいて、ウチダにスーパーリッチな老後をもたらしていただきたいものである。頼むよ。

いずれにせよ、全員そろそろ「リタイア」について真剣に考える年回りになった。

「隠居」というのは、なかなか難事業である。

これはある意味で、社会的なプレスティージが一気に下がるということである。

社会からの評価と自己評価のあいだに「ずれ」があると、「人々はどうも私に対する敬意が足りない」というODS症候群(「おれを・だれだとおもってるんだ・症候群」@竹信悦夫)というものが発症することになる。

ODS症候を発症すると、てきめんに「ボケ」が始まる。

というのは、「ボケ」というのは、一面から言うと、「コミュニケーションにおける情報摂取の選択の偏り」のことだからである。

ご説明しよう。

私たちはふだんでも「自分の判断と背馳する情報」を過小評価する傾向にある。

昨今の企業不祥事のすべてに共通するのは、経営陣が「自分たちの情勢判断に反する情報を過小評価、場合によっては否認した」ということである。

これは「ボケ」の典型的な徴候である。

同じことは、若い人にでも起こる。

自分が聴きたくない言葉については、私たちの耳は選択的に「難聴」になり、自分が見たくないものについては、私たちの目は選択的に「盲目」になる。

これはある意味では自我防衛上の自然なのであり、心身がへたっているときには、誰でもおそうやってディフェンスするのであるが、外界の情報を選択的にオフにする自己防衛は、自分自身が「そういうことをしている」という意識を保っていないと、すぐに習慣化し、自動化する。

それが高じると、周囲の人みんなに聞こえていることが聞こえず、みんなが見えているものが見えないということがしだいに頻発するようになる。

これは若くても立派な「ボケ」である。

しかし「ボケ」が一種の自己防衛である以上、教条主義的に「ボケるな」と言われても困る。

私たちにできるのは「生存戦略上、意図的にボケをかましている」ということを本人がつねに意識しているということである。

私は自分に対する批判にはいっさい耳を傾けず、私に好意的な人々にのみ選択的に愛想をふりまくという典型的な「ボケ老人」であるが、唯一の救いは、「そのことを知っている」ということである。

ボケない秘訣というものがあるかどうか定かにしないが、ひとつだけ分かるのは「批判の音量」が高すぎると自己防衛の必要上、どうしても「ボケ」の進行がすすむということである。

だから、できるだけ温良なる人々とにこにこ暮らしている方がいいと思う。

そうすれば、感受性の回路をオフにしていなくても大丈夫だからね。


8月16日

翻訳は順調に進んで、担当の6篇のうち5篇が終わった。

映画の分析というのは、「映画のあらすじ」とか画面の細部についての説明が全体の半分以上あるので、映画を見ているとすらすら訳せてらくちんである。

しかし、その逆に、「見ていない映画」についての説明を読んでいると、「いったい、これってどんなシーンなんだろう?」といろいろと想像がめぐらされて、それはそれで愉快なものである。

昨日は一日『知りすぎていた男』についての論考を訳していた。この映画は未見であったが、さいわいツタヤにビデオがあった。

映画を先に見ようかどうか、しばらく考えてから、「先に翻訳、映画はそのあと」という順番で仕事をすることにした。

やり方としてはもちろん邪道であるが、映画についての文章を読みながら映像を想像して、それから映画を見て、私自身の想像と現実の映像の「落差」を味わうというのは、愉しいものである。だって、同じ映画について「二つの映像的記憶」を持つことができるのである。

同じことは小説の映画化についても言える。

小説を読んで想像が思い描いた登場人物のたたずまいと、映画にでてくるそれとのあいだにはずいぶん落差がある。

先に小説を読んだ場合は、どれほど映画を繰り返し見ても、小説的記憶(つまりウチダ・オリジナルの人物造型や風景)の方が印象深い。(たまには、私の想像と映画俳優のイメージがぴったりということもあるけれど。ロバート・レッドフォードのギャッビーとかショーン・コネリーのバスカヴィルのウィリアムとか)

でも先に映画を見てしまうと、映像の印象が強すぎて、オリジナルの想像が成り立つ余地がない。それはちょっと惜しい気がする。

というわけで、翻訳を先に片づけてから、いそいそと『知りすぎていた男』を見た。

あらかじめ炯眼の批評家にヒッチコックのさまざまな「仕掛け」について解説を受けてから映画を見るわけであるから、これはたしかに面白い。映画を先に見るより、ぜったい面白かった。

私は映画批評というものの存在理由について、あまり確信が持てない人間であるが、少なくとも「よい映画批評」は映画を見る快楽を倍加するということは言えそうである。

なんであれ、快楽を増進するものに対してウチダは好意的である。

今回訳しているのはいずれも『カイエ・デュ・シネマ』に載った二人の論客によるヒッチコック論である。ここまで訳した五篇は、どれもたいへん面白い。

ただ、読んで分かったのは、お二人ともラカンにはあまり興味がないらしいということである。(『ラカン/ヒッチコック』本とうたっておいて、ちょっとまずいすよ、ジジェクさん)

だから、(ありがたいことに)「大文字の他者」とか「ファロス」とか「象徴界」とかいう術語は一つも出てこない。

彼らが分析に利用しているのはラカンではなく、フーコーである。

フーコーは『言葉と物』の第一章で、ヴェラスケスの『侍女たち』を図像学的に分析して「〈王〉の場所」を導き出すというtour de force を演じている。

フランスの映画批評家たちは、これがずいぶんお気に召したらしく、映画的視点が「何を」見ているかではなく、この視点は「誰の視点」なのか、ということを繰り返し問いかける。

当たり前だけれど、「見ているもの」は画面には映り込まない。(自分の眼では自分の眼を見ることができない)

というわけで、フーコー主義者たちはヒッチコック映画について、こう問うことになる。

見ているのは〈誰〉だ?「見ているのは誰だ?」という問いを組織的に言い落とすことによって、隠蔽されているのは何か?隠蔽されつつ、すべてを統御している〈王の場所〉には〈誰〉がいて、何をしようとしているのか?

みなさんもいっしょに考えて下さいね。

 

朝日新聞の夕刊に浅野潜という人の『チョコレート』の映画評が載っていた。

同じ話を蒸し返すようで、心苦しいのだが、またハル・ベリーでひっかかってしまった。

こういう文章。

「今年のアカデミー賞で、黒人の父、白人の母を両親に持つハル・ベリーが黒人女性として初めて主演女優賞を受けて話題になった作品。」

しつこいようだけれど、こういうのって「おかしい」と思いません?

もし、「山形県人の父、兵庫県人の母を両親に持つヤマダは、山形県人として初めて全米オープンを制した」という記事を読んだら、私は「変なの」と思う。

「兵庫県はどうなったんだろ?」

それから、たぶんこう思う。

「全米オープンと、何県人であるかってことのあいだに、何か関係あるの?」

アメリカでは「黒人の父と白人の母を両親に持つ子供」は「黒人」にカテゴライズされるのが「ふつう」である、だから別にこれはイデオロギッシュな言明ではなく、単に客観的事実を記述しているにすぎない、というふうにも言えるかもしれない。

なるほど。だとするとハル・ベリーはたしかに「黒人」だ。

彼女が白人男性と結婚しても、その子どもたちは「黒人」だ。

その子どもたちが白人と結婚しても、孫たちは「黒人」だ。

ということでよろしいのかな。

透明の水に一滴の墨汁が垂れたのと同じで、いくら「希釈」しても、「原初の透明」には決して帰ることができない。

と、そういうわけですね。

しかし、それなら、逆に、「白い絵の具」を水に垂らすと、透明な水が「白濁」して、いくら「希釈」しても、「原初の透明」には帰ることができない、という「白人汚染源」論があってもよいはずである。

でも、「黒人の父と白人の母を両親に持つ、白人女性」ということは誰も言わない。

なぜ言わないのか。

あるいは、先住民との混血の俳優たち(マーロン・ブランド、バート・レイノルズ、ケヴィン・コスナーなど、たくさんいる)については「白人の父親とインディアンの母親を両親にもつインディアン俳優」というふうなプレゼンテーションのしかたはされない。

彼らは、どれほど濃厚にネイティヴ・アメリカンの「血」がまじっていようと、「白人」なのである。

つまり「白人」というカテゴリーは存在しないのである。

「黒人」というカテゴリーだけが存在しているのである。

それは、アメリカでは、「白い」ということが無徴的・無垢的という意味であり、「黒い」ということだけが有徴的=汚れを意味しているからである。

ゲシュタルト心理学でよく使われる「向き合った二人の女の白い横顔」と「黒い花瓶」の絵がある。

女の横顔を見つめると花瓶は背景にかき消える。

花瓶を見つめると女たちは背景にかき消える。

図と地の反転を決定するのは、「見る側」がどちらを「有徴」なものとして見るか、その主体の側の「決意」にかかっている。

「黒人」「白人」問題というのは、要するに「どちらを有徴項(汚れ)として見るか」という純粋に「見る側」の決断の問題である。

「黒人の父と白人の母を両親に持つ」ものは「黒人」であるとする「一般見解」を「客観的事実」として受け容れるというのは、その人に自覚があろうとなかろうと、その人が白人であろうと黒人であろうと、KKKであろうと公民権運動のミリタンであろうと、本質的なところで「レイシストの視線」で世界を眺めている。

 

「被差別者の解放」という事業が、ある段階まで「被差別者の有徴化」を戦略としてとらざるをえない、ということを私は理解できる。

「黒人」であれ「ユダヤ人」であれ「在日コリアン」であれ「部落民」であれ、その人が現に受けている差別をはね返すために、「被差別有徴者」としてのポジションをはっきりと示すということは必要なプロセスだろう。

しかし、差別の解消ということが、「有徴化するまなざし」そのものの廃絶をめざすものであろうとするなら、「有徴化」の戦略は「どこか」で廃棄されなければならない。

私は「今すぐ」廃棄しろと申し上げているのではない。

それが無理であることくらいは承知している。

ただ、「いつか、どこかで」廃棄されなければならない戦略である、ということは頭のすみに置いておきましょう、と申し上げているのである。

「黒人の父と白人の母の子どもは黒人である」というような有徴化の言説は、いま現在は「常識」として通用している。

しかし、これは「とりあえずは通用しているが、いずれ廃棄されるべき常識」であると私は考えている。

私がしているのは、いうなれば「常識」に「賞味期限」を刻印するような仕事である。

「これはいまは『常識』で通用してますけど、賞味期限がそのうち切れますから、切れたら棄てて下さいね」ということを申し上げているのである。

こういう地味な仕事の意義を理解してくれる人は少ない。

「常識は永遠に常識である」とするか、「棄てるべきものは、いますぐ棄てろ」とするか、どちらかに決めてすっきりしようぜ、といらつく人ばかりである。

常識の多くは、賞味期限が来たら「腐る」。

しかし、賞味期限のあいだは「食べられる」。

そういうものである。

「いずれ腐るものなら棄ててしまえ」ということを言う人もいるが、それを棄てると、とりあえずほかに食べるものがない、という場合もある。(民主主義とか国民国家とか一夫一婦制というのは、そういう「もの」だ)

あらゆる社会制度には「前史」があり「後史」(という言葉は存在しないけど)がある。それが生まれるには生まれるだけの歴史的条件というものがあり、それが消滅し、別の何かによってその社会的機能が代替されるためには、それなりの歴史的条件の熟成というものが必要なのである。

私たちの世界に「絶対に、未来永劫に正しい制度」などというものは存在しないし、同じように、「存在すること自体が人間性にもとるような、本質的に邪悪な制度」というものも存在しない。

それぞれの制度やイデオロギーや慣習は、果たすべき歴史的使命があって登場し、その使命を終えたら退場する。

ただ、それだけのことである。

知性の行使というのは、「歴史的使命の賞味期限」をチェックして、「腐ったものを食べない」、「まだ食べられるものを棄てない」という、ただそれだけのことである。

けれども、そういう考え方をする人は、ほんとうに驚くほど少ない。


8月15日

57年目の終戦記念日。

それはつまり57年間、日本は戦争をしていないということである。家族の誰一人、銃をとって戦争に行ったことがなく、誰からも戦争経験を一人称で聞いたことがないという人々があとしばらくすると国民のほとんどになるだろう。

それがどういうことか、私にはうまく想像できない。

だって、1648年のウェストファリア条約以来、そんな国はほとんど存在しないからだ。

戦争の記憶はつねに物語化される。

うろ覚えだけれどサリンジャーの短編にそんな話があった。

第二次世界大戦に従軍して、精神がぼろぼろになって帰郷した青年が、父親と祖父に向かって、

「あなたたちが自分の戦争経験を『物語』として語ったせいで、戦争はそのリアリティを失ってしまった。私はあなたたちの『物語』を聞いて、戦争というのは浪漫的な要素のあるものだろうと思って、実際に戦場に行ったけれど、あなたたちの『物語』は全部嘘だった」

と静かに告発する、というお話である。

戦争経験を語り継ごうという主張する人がいる。

それはたしかにある意味では有意義なことかもしれない。

でもあらゆる記憶はよかれあしかれ「物語」化される。

私たちの理解できる「意味」の網目に登録されて、「理解」される。

そういうことが誰によっても不可能になるということも、戦争についてはたいせつなのではないか、と私は思う。

戦争が理解不能なものになること、既存のどんな「物語」にも収まらないものになること。

その方が戦争の意味について(否定的であれ、肯定的であれ)断定的なことを言えるよりも、戦争を非現実化する上では有効ではないのだろうか。

私の父は戦争経験について一度も語らなかった。

死んだあと残されたノートに、父の中国人の友人がほとんど全員そのあと同胞によって殺されたことについて、「私との友誼が彼らを殺した」と淡々と書き残していた。

私の岳父は(七年大陸で転戦したが)、戦争については「階級の上のものから先に死にます。終戦のとき私の上官は全員死んでいました。私は要領のよい兵隊だったので、生き残りました」と二度(いずれもずいぶん酔ったときに)話してくれただけだった。

彼らが戦争について何も語らなかったのは、「物語」として処理するにはあまりに非現実的な経験だったからではないかと思う。

そういう種類の沈黙にも、私は意味があると思う。

私の二人の「父たち」は、戦後の長い期間、戦争について語る代わりに、日中友好のための草の根的な運動と国政レベルの具体的な運動に汗を流す方を選んだ。

私は彼らがいつかは彼らの戦争経験の「ほんとうの意味」について私たちに語るのかと思って待っていた。

でも、結局、二人とも死ぬまでそれについては何も語らず、いくつかの断片的なエピソードを残しただけで、墓に入ってしまった。

私は彼らの「沈黙」に敬意を表したい。

戦争について何も語らない、というのは戦争を経験して、それをほんとうに苦しんだ人々の一つの「節度」のあり方ではないかと思う。


8月14日

新聞を見たら、ニコラス・ケイジとリサ・マリー・プレスリーが結婚という記事があった。

そういえばケイジくんの出世作『ワイルド・アット・ハート』はプレスリーに憑依されたあんちゃんの話だった。

なるほど、ご縁があったのだ。

しかし、このお二人はハリウッド的「セレブ」の代表格のような方々である。

ケイジ君はご存知のとおりフランシス・フォード・コッポラの甥である。(本名はニコラス・キム・コッポラ)

ということはタリア・シャイアの甥であり、ソフィア・コッポラの従兄である。

元彼女はユマ・サーマン。

ということはゲイリー・オールドマンとイーサン・ホークとは「元彼クラブ」の会員同士。

元妻はパトリシア・アークエット。

ということはロザンナ・アークエットは元義姉。

一方のリサ・マリー・プレスリーは父はもちろん“キング”・エルヴィル、母はプリシラ・プレスリーというこれまた「ハリウッド的梨園」のお育ちであり、結婚は二回しているが、最初のお相手はかのマイケル・ジャクソンさまである。(マイケル・ジャクソンって、「エルヴィスの婿」だったんだよな)

こういう「ハリウッド・セレブたちのお付き合いの狭さ」というのは、ジョルジュ・バタイユとジャック・ラカンがシルビア・バタイユの「夫クラブ」の会員同士。レヴィ=ストロースとメルロー=ポンティとボーヴォワールがアグレガシオンの同期生。カール・ポッパーとコンラート・ローレンツが隣組。西郷隆盛と大久保利通と大山巌が同じ町内会といった「セレブたちのお付き合いの狭さ」にどこか通じるものがある。

そういう「狭い」ところに潜在的に才能ある人がひしめいていると、スタンドアローンでいる場合よりも、才能の開花が劇的に促進される、ということはやはりあるのだろうか。

 

引き続き、「ラカン/ヒッチコック」本の翻訳をさくさくと進める。

文章は明快、話題は大好きなヒッチコック映画だし、ペースは快調である。

問題はラカンの「ら」の字も出てこない、ということだけである。

あるいは「マクガフィン」は「それが意味するものの取り消しを宿命づけられたシニフィアン」である、という「オチ」で収めてしまうのかも知れない。(それで「ラカン本」を名乗るのはいかがかという気がしないでもないが。まあ、私が書いた本じゃないんだから)

私の担当は論文六本であるが、すでに二本(サスペンス論と『バルカン超特急』論)が終わって、いま三本目(『汚名』論)。これも今日のうちに終わるだろうから、来週東京に出る前に全部片づきそうである。

そして残る八月九月は一気にレヴィナス『困難な自由』を訳し倒す。その勢いを借りて、講談社の書き下ろしを書き上げて(上げたり下げたり忙しい)、『おじさん・パート2』の校正を仕上げて、さらに『フェミニズムについて私が知っている二三の事柄』(仮題)も書き上げてしまうのである。

計画通りにゆけば、年内にあと五冊本(うち翻訳二冊)が出る。既刊の『おじさん』と『寝ながら』と『メル友交換日記』を入れると8冊。

これが実現すれば、2002年は私にとっての「生涯最多出版年」として記憶されることであろう。

世間さまは「お盆」とか盛夏休業とかで静まっているようであるが、私は朝から晩まで、だれとも口もきかずにお仕事である。


8月12日

お盆で、るんちゃんが「里帰り」している。

そうはいっても、先方はお昼過ぎに起きだして、明け方眠りにつくというライフサイクルであるので、なかなかお会いする機会がない。

狭い家だから、「夜行性」のるんちゃんと「昼行性」の私がエコロジカル・ニッチをずらして同一のリソース(TVとかステレオとかパソコンとか)を分有するというのは、ある意味で合理的な生き方である。

お会いする機会が少ないので、「父の威徳」を印象づけるために、すれ違いざまに一万円札を鷲掴みにして(話半分)「少ないけど、オコズカイね」とすっと手渡す、ということをしている。

どれほど反抗的な子どもであっても、無条件でオコズカイを渡されると、思わず頬がゆるむものである。

ウチダはるんちゃんの頬がゆるむ瞬間の表情が好きである。

あの顔を見るためならいくらでも金を出す。

ウチダは何であれ「金で買えるものは、金で買う」主義である。

ヒマは金で買う。

情報は金で買う。

技術は金で買う。

愛も信頼も(買えるものなら)金で買いたい。

ウチダが困っている友人にまず告げる言葉は「金なら貸すぞ」である。

その意味では私は(増田君と同じく)根っからの「資本主義者」である。資本が大好きで、「キミが欲しい」ので、どんどん私の手元に集中して、群生して頂きたいとつねづね念じている。

その私がそれでも資本主義をなかなか全局面で貫徹できないのは、私が資本を愛しているようには資本が私を愛してくれないからであって、私の資本主義そのものへの忠誠心に揺らぎがあるからではない。

そのような資本主義者であるウチダが、金で買えるものは金で買ってすませようとするのは、「金で買えないもの」にこそ、できれば私のリソースを集中させたいからである。

しかし、当然ながら、「金で買えないもの」が何であるかは、「金で買えるもの」をリストから「除去」してゆかないと分からない。

私はこれまでの経験で、世の中のかなりのものは「金で買える」。

その中には通常は「金で買えないもの」とみなされているものも相当数含まれている。

では、「金で買える」ものと「金では買えない」ものの差は奈辺にあるのか。

それは「もののも価値」そのものには関係しない。

古典派経済学が教える通り、「ものそれ自体の使用価値」は市場においてほとんど意味を持たない。

私たちが「価値」と呼んでいるのは、「交換価値」のことである。

私があるものを「ぜひ、金で買いたい」と思うのは、私が支払う金と、それを対価として得ることのできるものの価値を比較したとき、私自身が「これは、お得な取引だぜ、ふふふ」と思うからである。

何かを金で買おうとするのは、その取引が「有利なレート」での交換だと私が思っているからである。

そのへんにころがっている木の葉っぱを持っていったら、お店であんパンと交換してくれた、というような「おお、なんだよ、丸儲けじゃん」感というものがあるときにのみ、人は「金で買いたい」という気分になる。

だから、私が「愛は金で買える」と思うのは、私が支出する金額と、その対価として提供されるものを比較したとき、「圧倒的に後者の方に価値がある」と私には思えたからである。

お分かりだろうか。

逆に言えば、「金で愛は買えない」と主張する人間は、彼が支払うことつもりでいる金額と、その対価として得られる愛情表現を比較したときに、それが「不利な取引」に思える人間である。

「こんなに金を出したのに、見返りがこれだけかよ。なんだよ、損こいちまったぜ」というふうに考える人間が「愛は金で買えない」と言い出すのである。

「お金なんて、木の葉っぱみたいなもんでしょ」と思っている人間にとってみると、この葉っぱと交換が成立するものはすべて「葉っぱよりずっと価値あるもの」である。

「お金はたいへん価値のあるものである」と思っている人間にとってみると、それと交換できるほどに価値のあるものはこの世にほとんど存在しない。

吝嗇というのは、貨幣と商品の交換をつねに「不利な交換」であると感じる人間のことである。

お金使いの荒い人というのは、貨幣と商品の交換をつねに「有利な交換」であると感じる人間のことである。

私は「お金使いの荒い人間」であるが、それはお金のような「しょーもないもの」の対価として、実に多くの価値あるものが気前よく提供されるので、うれしくなっちゃうからなのである。

るんちゃんの「頬がゆるむ一瞬」にいくらの値をつけるか。

私はそのためなら、財布にあるだけ出す。

それは「その一瞬」の価値と金の価値が比較にならないからだ。

私が資本が好きなのは、資本が無価値だからである。無価値であるにもかかわらず、価値あるものとの交換を可能にしてくれるからである。

というわけなので、資本くん、キミが好きだ。キミが欲しい。(@増田聡)


8月11日

甲野善紀(全方位開放系武術家)・名越康文(“Around The Border”系精神科医)・飯田祐子(フェミニスト系日本文学者)&ウチダ(お笑い系武道家)の四酔人経綸問答(produced by 内浦亨@冬弓舎)というものが、有馬温泉において挙行された。

午後4時にJR芦屋駅前竹園ホテルに集合。ただちに芦有道路を疾走して有馬温泉へ。

午後6時着予定の名越先生を待ちかねて軽くウォーミングアップ。

名越先生が到着して、とりあえず温泉へ。

湯上がりのビールが回ったところで、トーク・スタート。

3時間かけて夕食を飽食し、さらにシャンペン、ワインなどの酒杯を傾けつつ、トークはがんがん加速。

もともとの企画は『邪悪なものの鎮め方−わしらは怪しい探検隊:霊界篇』と題して、オカルト話を全面展開する予定であったが、話題はあちらへ飛びこちらをさまよい、オフレコ実話の応酬は奇を極めてとどまるところを知らない。

私は途中で睡魔に襲われ、午前3時過ぎにばったり倒れてしまったが、残るみなさん午前6時までオフレコトーク。わずか二時間の睡眠ののち、朝食をとりつつ寝不足気味のハイテンションでがトーク再スタート。

午後1時過ぎに録音機の残り時間6分というところで、甲野先生が「挙句」を詠まれて、録音時間合計10時間のデスマッチ・トーク歌仙は終了した。

そのあとも、昼食に繰り出し、ご飯を食べつつさらに爆笑オフレコトークは続き、午後2時半に解散。

実に連続22時間におよぶ「しゃべり倒し温泉旅行」であった。

いろいろなことを話したけれど、ほぼ全時間、対話は「身体的コミュニケーション」、「物語による自己治癒」、「教育(師弟・親子)」をめぐって展開していた。

考えてみたら、おそらくはそれがこの四人に共通する、もっとも切迫したテーマなのであった。

これほど高い知的大気圧下でことばのやりとりを続けたことは、さすがのウチダも未経験である。

この膨大な録音を内浦さんがどうやって一冊の本にまとめることができるのか、その作業量を考えるだけで頭がくらくらするが、なんとかがんばって年内に出して欲しいものである。

いずれにせよ、「前代未聞の本」となることは間違いないであろう。刮目して待たれよ。


8月9日

スケジュール表に何もない日というのはうれしい。

さっそく早起きしてお仕事。

まず宅急便で届いた『おじさん的思考パート2』のゲラの校正。

『ミーツ』の「街場の現代思想」に書いたもの、自主ボツにしたものなどをさくさくと加筆訂正してゆく。(「さくさく」というのは、ワルモノ先生ご愛用の「仕事の副詞」であるが、ひとり「雪かき」をしているような、なんとなくシンプルにして「けなげ」な感じがいいね)

お昼になったので、「書き書きモード」から「翻訳モード」にシフト。

パスカル君のヒッチコック論を訳してゆく。

パスカル君の議論は論旨鮮明でたいへん面白い。

「視線」(gaze) の導入によってリュミエール的な「エデンの映画のイノセンス」が、「邪悪なもの」に汚されてゆき、映画の中の「染み」がだんだん広がってフレーム全体を汚れが覆い尽くすという論旨なのである。

ロジックは単純だが、強記博覧の映画史的知識に支えられて非常に説得力がある。

そうか『カイエ・デュ・シネマ』というところには、こういうシンプルでタフな論文も掲載されていたのか。どーせ「外道インテリお洒落小僧」たちの巣窟だろうと思い込んでいたウチダの無知は猛省せねばならない。

なかなか面白い本である。

題名はEvery thing you always wanted to know about Lacan (but were afraid to ask Hitchcock) 。フランス語ではTout ce que vous avez toujours voulu savoir sur Lacan sans jamais oser le demander a Hitchcock

「あなたがラカンについて知ろうと思っていて、ついヒッチコックに聞きそびれてしまったすべてのこと」という「寿限無」みたいな題名である。

ラカンについて知りたければ、ヒッチコックが全部映画で語っているから、ヒッチコックを見ればラカンのことは分かっちゃうんだよ。なんだよ、楽勝じゃん、という「寝ながら学べる」主義的な怠慢な姿勢に好感がもてる。

同じジジェクの編著で『ヒッチコックによるラカン』という1994年に露崎俊和先生たち(露崎先生はこっしー君たちの先生なのだ)が訳した本がある。

これまたたいそう面白い本で私はずいぶん利用させていただいた。

仏語題名だけ見ると同じ本のようであるが、目次を見るとまるで違う。

私がいま訳しているパスカル君の論文は仏語版には収録されていない。

どういう経緯でこんなことになったのか私には見当もつかないが、同じ題名の本が仏語版と英語版でまるっきり内容が違うというのも人騒がせな話ではある。

ひとさまが先に訳した本を間をおかずにもう一度訳すということになると、これは「喧嘩を売っている」のと同じであるが、この本は別ものであるので、露崎先生ほか訳者のみなさんはどうかお気を悪くされませぬよう。

改訳といえば、以前にはレヴィ=ストロースの室淳介訳『悲しき南回帰線』と川田順造訳『悲しき熱帯』の例がある。

誤訳が多いとされた室淳介訳であるが、冒頭の「旅といい、冒険といい、私の意には添わぬものだ。だが、私はいまそれらについて語ろうとしている」は二十歳のころの私たちにとっては、ニザンの『アデンアラビア』の「ぼくは二十歳だった。それが人生でいちばんすばらしい季節だなどと、誰に言わせまい」と並んで、忘れることのできぬ同時代的キャッチコピーであった。

私のレヴィナスの訳もいくつか「改訳」が出ている。

誤訳については申し開きのできぬウチダであるが、訳文の「味」というのはおのずと訳者によって違うもので、これは読者の「好み」に委ねたいものである。

最近はなかなか訳文の妙というものに出会うことはない。

齋藤磯雄訳のヴィリエ・ド・リラダンなどは、感動的なまでの達意の訳文であり、もとがフランス語ということが想像できないが、この水準の漢語的教養をもつ翻訳者はもうどこを探してもいなくなった。

ついでに勝手な希望を言わせてもらえば、村上春樹にはできればフィッツジェラルドの全作品を訳して欲しいものである。村上訳の『グレード・ギャツビー』はきっと素晴らしいだろう。

ウチダが生きている間にやりたいのはカミュの『異邦人』とチャンドラーの『ロング・グッドバイ』の翻訳である。

こういう傑作はいろいろな訳者がいろいろなヴァージョンを発表して、読者が自分の好みを選ぶ、というのでよいと思う。(山形浩生さんの「杉田玄白プロジェクト」というのも、たしかそのような趣旨のものであったかに記憶しているが、その後順調に推移しているのであろうか)

そういえば、『エクリ』の桃尻語訳というのもあったな。これもぜひ実現させたいものである。

ウチダはまるで不勉強な人間であるが、英語とフランス語を日本語に訳すという技術については、例外的にずいぶんと修業を積んだ。

鈴木晶先生もそうだけれど、私も心底翻訳という仕事が好きなのである。(最初のビジネスは平川くんと始めた翻訳会社だったし)

この能力は足腰が立たなくなっても、それほど急激に衰えることはないようであるので、耳順を過ぎて引退して、『東京物語』の笠智衆状態になったときに、「今日も、暑くなるぞ・・・」などとつぶやきつつ、蜜柑箱の上のパソコンの蓋を開けて、「汚れた街の騎士」の物語などをこりこりと訳すなどという仕事はぜひ「老後の楽しみ」に取っておきたいものである。

外国語ができるという能力を当世の諸君はビジネス・ユースのみに限定してその効能をお考えのようであるが、翻訳こそは、実は外国語を学んだものだけが堪能できる最上の愉悦の一つなのである。

若い諸君には、つねづね外国語の習得をお薦めしているが、それは外国語を翻訳できる能力が身に付くと、「遠い国の知らない人、幽明境を隔てた人に憑依して、その思考と感情を追体験する」という特権的な快楽を享受できるからなのである。TOEFLで何点取ったとか、そういうことでばたばたしているだけでは、つまらんぞ。


8月8日

早起きしてばりばりと翻訳。

パスカル・ボニツェル君は読んでみたら、「賢い人」だった。

ソ連の実験工房とか、マック・セネットのスラップスティックとか、テックス・エイヴァリーのアニメとか、いかにも『カイエ』派好みの固有名詞が出てくるのが困るけど、今ではIMDBのおかげでクリック一つで、そういう固有名詞についてもすぐ調べがつく。

科学の進歩はほんとうにありがたい。

とりあえず4頁ほど訳して、大学でお仕事。

津田塾とICUを「視察」してきた東松事務長からいろいろと有意義な情報を聞き込む。

『船弁慶』の独吟があるので、車の中で大音量で「そのとき義経少しも騒がず」と絶叫する。だんだん頭蓋骨の共振がよくなってきて、倍音に近い音がときどき出るようになった。

最近、斎藤孝さんという人が「日本語を声に出して読もう」という運動を提唱されているが、それなら、いちばんのオススメは謡を習うことである。

「歌舞伎の声色をつかう」というのも酒席のだしものとしては愉しそうだが、教養ある人士が素面で人前でやることではあるまい。

「詩吟をうなる」というのも悪くはないが、内容のイデオロギー性にひっかかりを覚える人もあるやもしれぬ。

となると、大声を出して日本語の名文句を読み上げるとなると、謡がいちばん、ということになる。

私もいまここに来る車中、大声でお稽古していた。

「そもそもこれは桓武天皇九代の後胤平知盛幽霊なり。あらいかに義経、思いも寄らぬ浦波の。声をしるべに出船の、知盛が沈みしその有様にまた義経をも海に沈めんと夕波に浮かめる長刀取り直し巴波の紋辺りを払い。潮を蹴立てて悪風を吹きかけ眼も眩み心も乱れて前後を忘ずるばかりなり」

というような詞章を謡い上げ、最後の方はだんだんテンポがアップしてきて、グルーヴィーなラップ状態となり「また引く潮に揺られ流れて、あと白波とぞなりにける」で、ぴっと終わるのである。

この謡の快感というものは、カラオケで同じメロディで一番から三番まで繰り返し歌うというときの快感とはまったく異質のものであろうかと思われる。

なにしろ、謡っているあいだに、どんどんメロディもテンポも声色も人間も世界観も変わるのである。

幽霊となって登場して、長刀を振り回す大立ち回りを義経相手に演じて、ついで弁慶となって悪霊を祓い、最後に亡霊たちが波間に没するところで終わるさまをナレーターとして叙述するといういそがしさである。

ウチダは何であれ、「モード変換」というものを頻繁に行うことがたいへんに好きであり、それが人間にとってたいへん重要なことであると信じている。

その点において、漱石の時代に知識人の基礎的教養であった謡曲というものを嗜む男性がいなくなったことを悲しむのである。

 

帰ってからまた8時まで翻訳。

このペースなら一週間くらいで私の担当箇所は終わりそうである。

それが終わると半年ぶりにレヴィナス先生の翻訳にかかることができる。

晶文社の安藤さんから『おじさん的思考』パート2のデジタル原稿を送稿しますという連絡が入る。

そろそろ本の題名を決めないといけない。

『説教値千金−Ojisan-esque thinking Episode 2』というのを発作的に思いついた。

毎日一つずつ仮題を考えて、そこから選ぶことにしよう。

 

というところで鈴木晶先生の日記を見たら、私の日記が引用してあって「スロット」と「スレッド」の書き間違いをご訂正してくれていた。(ご叱正ありがとうございます)

実は私も昨日日記を書いているときに、はじめはちゃんと「スレッド」と書いたのである。(これはほんとうである。私がいつも嘘をついていると思っている人間はアクマに食われるであろう)

ところが、根が詮索好きなせいで、つい「スレッド」とは何のことであろうと英和辞典を引いてしまったのである。

そこには sled「小型のそり、綿摘み機械」という訳語がある。

うーむ、これでは何のことだかわからん。

じゃthread かな。「縫い糸、筋道」。

うーむ、それらしい気もするが。

似たような発音をする英語をあれこれ探しているうちに、覚え間違いではないかという気がしてきた。

「あれ、スロットだっけ?」

とslot を引いたら、「細長い穴、溝」とある。(スロットマシンのスロットね)

その瞬間、私の脳裏には「王様の耳は驢馬の耳!」と「2ちゃんねる」上の「細長い溝」に向けて叫んでいる匿名野郎たちのイメージが鮮明に浮かび上がったのである。

おお、だから「スロット」なのか。なるほどなるほど。

というわけで、フロイト先生が教えられたように、あらゆる失錯行為には、それなりの「前史」というものがある、ということがこの一事をもって知れるのである。

(で、ほんとうは「スレッド」って何なの?誰か綴りを教えて下さい)


8月7日

増田聡くんから「2ちゃんねる」にはちゃんと「ウチダの悪口スロット」があったというお話を伺った。

しかし、書き込む人があまりいなくて、盛り上がらないまま、そのうちに自然消滅してしまったそうである。

私は自分の名前で検索をかけて他人が私のことを何と言っているのかチェックする、というような命知らずなことをしないので、他人が私のことを何と言っているのか、ぜんぜん知らないのでたいへんに心穏やかである。

褒められればただ「がははは」と増上漫につけあがるだけだし、けなされればただちに生き霊を送って呪殺を企てる私のような人間は、そういうところには足を踏み入れないほうがどなたにとってもよいことである。

村上春樹は「批評にぜったい反論しない」ということを原則にしているそうである。

批評とは「馬糞のびっしり詰まった小屋」のようなものだ、と村上は書いている。

「どうして馬糞はこんなに臭いのだろう」というような種類の好奇心で小屋の扉を開いても、ただ「臭い」思いをするだけで、得るところはない。

だから「馬糞小屋」が見えたら、風上を遠回りするのが適切な作法である、というのが村上の意見であった。

私はこのスタンスを正しいと思う。

私自身も他人の悪口をたくさん書いているが、本人にはできれば読んでもらいたくない。

批評というのは、その批判で「溜飲が下がる」読者にとっては知的美食であるが、批判される本人(とかそのファン)にとってはただの「馬糞」だからである。

「美味しい」と思う人だけが食べて、「げっ」と思う人は敬遠する、というのがよろしいのではないかと思う。

「ゴルゴンゾーラ」とか「くさや」とかと同じである。

レヴィナス老師はさまざまな人から論争を挑まれたが、ついに生涯に一度として「反論」ということをされなかった。

それは老師が「論争に決着をつける」ということを忌避されていたからである。

「こっちが正しくてこっちはペケ」

という発想法を老師は取らない。

その作法を先生は、タルムードの博士たちの聖句解釈をめぐる終わりなき議論(「マハロケット」)から学んだのである。

マハロケットにおいてたいせつなのは、最終的な「正解」に到達することではなく、ある根本的に重要な問題について、能う限り多くのアプローチを試みることである。

レヴィナス老師の哲学的言明はひとつの「解釈」であり、それに対する批評も、(おなじ論件を正しく照準してさえいれば)別の「解釈」だということになる。

それらはとりあえずは等権利的なものだ。

いずれの解釈が「より正しい」のかを判定する審級は存在しない。

当人たちに代わって「正否」を判定してくれる「上位審級」がどこかに存在する、という信憑を持つものは「マハロケット」には参加することが許されない。(まだ「子ども」だからだ)

ありうるとしたら、いずれの解釈が「より豊かだったか」という後世の採点だけである。

「より豊か」であったかどうかは、それに後続する解釈者の世代が、どちらの解釈からより多くの「手がかり」を汲み出したのかをひとつの基準に査定される。

解釈の豊かさはその「完結性」ではなく、その「開放性」「多産性」によって査定されるのである。

だから、レヴィナス老師にとって「反論して、相手の息の根を止める」というようなことは慮外のことであった。

といいながら、老師も人の子。ちょっと屈折した仕方でリアクションしたこともある。

例えば老師はジャック・デリダから「暴力と形而上学」で痛烈な批判を浴びた。

これにはひとことも反論しなかったけれど、ずいぶんあとになってデリダに仕返しをした。

デリダがリセでの哲学教育カリキュラムの改訂に反対して、フランス中の哲学者を糾合して、「子どもに哲学をする権利を保証せよ」というキャンペーンをしたときに、老師はたった一人「子どもに哲学なんかさせることないですよ。それは赤ん坊にステーキを食べさせるようなものですから。哲学は大人のものです。子どもはマンガでも読んでなさい」と書いて人々を仰天させたのであった。

私はこれを読んで「レヴィナス先生、やっぱりデリダのこと怒ってたんだ」と涙がでるほど笑ったのであった。

 

いよいよジジェク本「ラカン/ヒッチコック」の翻訳にとりかかる。

翻訳というのは「他人がもうすでに考えたこと」をトレースしてゆく作業なので、必要なのは語学力というよりは「憑依能力」である。

私は他人の痛みや傷に対する共感能力のまるでない「人非人」であるが、他人の思考回路を追体験する憑依能力には長じている。

ひさしぶりの翻訳なので、「憑依」エンジンをちょっと空ぶかししてみる。

グイングイン。

おお、なかなかエンジン音は好調だ。

「憑依」のつらいところは、作者がバカだと「バカが感染」してしまうので、そのあともしばらくこちらの知能程度が下がってしまうことである。

逆に賢い人の本を訳していると、「賢さが感染」してしまい、並行して論文などを書いていると、ふだんの私では決して思いつかないような堂々たるフレーズが湧き出てくるのである。

それゆえ、私はできるだけ「賢い人」の本だけを選択的に訳してきた。

だが、一度だけ商売っ気を出して、あまり賢くはないが、「当世風売れ筋」のさるアメリカの学者の本を訳して、えらい目にあったことがある。

このJ・Mという学者はラカンだのハイデガーだのいろいろなものを引用してくるのだが、どれもわけのわからない断片の引用で、読者をケムにまくための小道具として使っているとしか思えない。

自分自身の論述でも、論理の流れが怪しくなると、ごにょごにょと「ごまかし」をして、意味不明の文章にする。

「自分が何を言っているのか本人も分かっていない文章」を訳す翻訳者というのはせつないものである。

爾後、「バカ」の書いた本の翻訳はしないことにしている。

今回担当のパスカル君とミシェル君はどうであろうか。

見れば『カイエ・ドュ・シネマ』の常連寄稿者らしい。

なんだか悪い予感がする。

もしかすると私のもっとも苦手とする「ディープな知識をひけらかす外道インテリお洒落小僧」だったら、どうしよう・・・(この顛末については続報を待て)

 

そこで甲野善紀先生からお電話。

いよいよ讀賣新聞が甲野先生とジャイアンツの桑田君の師弟関係を公開することになったそうである。

明日の夕刊に出る記事の掲載予定稿を甲野先生が校正したものをファックスで送っていただく。

今朝の『婦人公論』の広告には、多田容子さんの名があって、「手裏剣」の話を書かれていた。当然、甲野先生の話も出てくるはず。

甲野先生もいよいよ「時の人」となりつつある気配である。

そういえば、私も『婦人公論』からインタビュー依頼を受けた。

主題は「少女マンガ」。

『エースをねらえ!』から私は人生のすべてを学んだ、という件についていろいろお聞きになりたいそうである。インタビューは再来週。

東京にいろいろと仕事がたまってきたので、再来週上京して一気に片づけるのである。

TV出演というのもある。

ただし、私はひとさまに顔を知られたくないので、「誰も見ない番組なら・・」という条件付き。生放送である上に、番組名も放映日も教えないから、どなたも私のTV初出演の姿を見ることはできないのである。ごめんね。意地悪で。


8月6日

あ、もう8月が6日も経ってしまった。この間に原稿は600字しか書いていない。

これはまずい。

しかし、今日は身体の芯が二日酔いで、仕事をする気分ではない。

5日は大学に行って雑用を片づけ、ついでにVistasの「うちの大学にはこんな教師がいまっせ」コラム用インタビューを受け、猛暑の体育館で杖の稽古。

稽古を一時間で切り上げて、汗でずぶぬれで帰宅。

汗を流してから三宮へ出撃。

駅前のバー・ローハイドでパスティスを飲みつつ江弘毅さんと増田聡くんの登場を待つ。

そのまま三人で上海料理「R」で夕食。

これがものすごく旨くて安い。

まだ上海から日本に来たばかりのシェフの店だそうで、価格設定や店構えにおいて「中国が抜けていない」のである。

豆腐とピータン、塩卵、スペアリブの唐揚げ、冬瓜のスープ、セロリと百合根の炒め物(これが絶品)、上海風炒飯、それとビール。腹一杯で一人3500円。(『ミーツ』の奢りでした。ご馳走様!)

この店はオススメだけれど、お客が増えると混むし、店の方も「なんだ、いくらでも客が来るじゃないか。じゃ、ちょっと値上げしても平気かな、料理も手抜きしちゃおかな・・・」というふうになるといやだから、教えて上げないのだ。(知りたい人はウチダ宛に個人的にお尋ね下さい)

満腹してジャック・メイヨールへ雪崩れ込む。

増田くんの結婚を祝ってまずシャンペンで乾杯。

増田くんの『ミーツ』連載のビジネストークはエディターとライターのあいだで構想にいささかずれがあるらしく、音楽批評のディスクールをめぐってむずかしい問答が続いていた。

そうこうしているうちにジャック常連の街レヴィ派の人々がどんどんやって来る。

みなさんが持ちよる『寝な構』や『おじ的』に次々サインをしてネコマンガを描く。

ジャックには私のことを知っている人が多い。

にこにこ挨拶されるのであるが、こちらはつねに泥酔した状態でカウンターにいるので、どなたがどなたであるかの記憶が定かでない。

潜水艦乗り、株屋の美女、摂津本山のラーメン屋さん(このあいだ食べに行ったら、デザートをおごってくれた。ごちそうさまでした)、ステーキハウスの国分さんなど、すでに二度以上会っているのでお顔は存じ上げているのだが、どの方が誰だったかが判然としないので、何となくあいまいな笑顔をもって応じる。

午前二時まで大騒ぎしてタクシーで帰宅。

増田くんとさらにワインを飲みながら午前四時までおしゃべり。

さすがに今日は頭がぼんやりしている。

起きるとファックスから紙がどよーんと垂れ下がっている。手に取ると文春の嶋津さんと晶文社の安藤さんから。

嶋津さんのファックスは毎日新聞の『寝ながら学べる構造主義』の書評。

渡辺保さんという方が書いているのだが、これが「前代未聞の入門書」という絶賛書評。「感動的な、ほとんど美しいといってもいい文章」という評語にはウチダもびっくり。

嶋津さんによると、この書評が一昨日出てから書店からの買い注文が入って一気に増刷決定となったそうである。

安藤さんからのファックスは『ヘラルドトリュビューン/朝日』の『おじさん的思考』の書評。

書評の題名はSpeaking up for dirty old men「オジサン擁護論」。

書名の翻訳はOjisan-esque thinking となっていた。

「オジサネスク」か。なるほど。

ところどころ本文からの引用があるが、自分が書いた文章を英語で読むのは不思議な気分のものである。


8月5日

発作的にマックのパワーブックを購入する。

マックG3がいまいち具合がよろしくないので、修理に来てもらったときに、なんとなく「ぼちぼち買い換えようかな・・・」と口走ったら、その念がそのまま凝固して、現実となってしまった。

パワーブックがあると、休み中や海外からでもホームページの更新ができる。

いまは研究室のG3でアップロードしているので、休み中は長期にわたって更新されないことがある。クラリス・ホームページというソフトでホームページを作っているので、家のウィンドウズマシンからホームページをいじるとなぜか文字化けしてしまう。理由は不明。

マックだとわがパソコン道の師匠であるマック派の次郎先生にインターネットの設定とか、そういう面倒くさいこともお任せできるし。

しかしウインドウズとマックを併用するという人は、非常に少ない。

私のまわりには一人もいない。

なぜなのであろう。

両方使える方が便利だと思うんだけど。

ウィンドウズだけがかかるウィルスが流行ってもマックは無事、ということもあるし。その逆だってあるだろう。

パソコンの使用機種を多様化したほうがいろいろな意味でリスクの分散ができてよいと私は思うのだが、私の意見に同意する人はほとんどいない。

みんなウィンドウズ派かマック派か、どちらかである。

私はなんであれ党派性というものにどうしてもなじむことのできないたちの人間である。

そんなのどっちだっていいじゃないか。

その全方位外向的「どっちだっていいじゃないか」主義を全局面において貫徹するために、ウチダは人の二倍の台数のパソコンを所有しているのである。

研究室にはマックとウィンドウズが並んで置いてある。

どちらで仕事をしようかな・・・というのはその日の気分で決める。

マックはLANにつないであるので、インターネットでの仕事が早い。

でもワープロがしょぼいのと、すぐにフリーズするという難点がある。

ウィンドウズ(EpsonType-FR) はワードとアウトルックが使い易いので、物書き仕事はおもにこちらで片づける。

電話回線でインターネットにつないであるので作動はどんくさいけれど、大学のサーバがダウンしたときも(けっこうよくダウンするのだ)電話回線は生きているから、仕事に支障はない。

キーボードの配列が違うから、困るでしょうという人がいるが、椅子を右から左へごろごろと動かす間に私の身体の「キーボード身体図式」は「マック仕様」から「ウィンドウズ仕様」に一瞬のうちに変化する。

こんなモード変換くらい鼻歌まじりでできないようでは武道の形稽古なんてできやしない。

「多様性の混在」とか「文化的多元主義」とかを唱道されている方が「オレはマックじゃなきゃやだもんね」とか、そういう党派的なことを無反省的に口にされるのはいかがなものか、とウチダは思う。


8月4日

7月31日から恒例の久保山裕司メモリアル・キャンプのために中禅寺湖へ。

キャンプ自体は8月1、2、3の二泊なのだが、ウチダひとりは神戸から日光まで行くので、行きに一泊、帰りに一泊という四泊五日の大旅行である。

東京での泊まりは学士会館。いつ予約しても空き室があり、駐車スペースががら空きだし、朝の集合場所である新宿の伊藤家まで10分でいける。

午前10時に神戸を出て、酷暑の東名を疾走して、大渋滞の首都高をよろよろと降りて、夕方6時に学士会館にたどりつく。風呂を浴びてから、よろよろと「すずらん通り」を歩いて、「キッチン南海」でカツカレーとビール。

南海でカレーを食べるのは25年ぶりくらいであるが、店の構えもカレーの味もまったく変わっていない。

私はここ南海のカレーと渋谷全線座横の「インディラ」のカレーが好物であった。(味が少し似ている)インディラのチキンカレーをもう一度食べたいがもう店がない。

来年も南海でカツカレーを食べることにしよう。

午後8時から午前6時まで爆睡するが、数日来の暑さによる寝不足で、いくら眠っても身体の芯の疲れが抜けない。

鼻水は垂れるし、歯茎は腫れるし、偏頭痛はするし、キャンプ初日としては最低の体調である。

鼻水をたらしながら、シグマリオンでe-メール時評の原稿を書いて送稿。

元気を奮い起こして集合場所へ。

今回の参加者はいつもの伊藤茂敏、澤田潔の両君に、初参加の松本順一くん。

もう妻たちも子どもたちも来てくれない「おじさん」たちだけのキャンプである・・・(と思ったら、キャンプ二日目の夜になって実は幹事役の伊藤くんが女性メンバーの参加申請を無断で却下していたことが判明、激しい糾弾を浴びることになった)

私は今回colemanの巨大テントを購入。(床シート付きで19800円!)

なんと「テントの中で立って着替えができる」のである。

ダンロップの二人用テント(とは名ばかりの一人でも狭い土牢タイプテント)で苦節15年過ごしたあとであるので、巨大テントの生活は豪邸気分である。

いつもの中禅寺湖畔菖蒲ヶ浜キャンプ場は、日にちが早いせいと、アウトドアそのものの流行がすたれたせいもあって、15年ほど前の人口密度に戻っていて、実にすがすがしい。

巨額の投資を行って大量のぴかぴかのキャンピング・グッズと巨大テントと巨大タープで「ここはわしの地所じゃけんね、入るんじゃねーぞ」的にキャンプ場を占拠していた、悪辣非道の核家族軍団が一掃されたからである。

よろこばしいことである。

私たちのキャンプはそのような「日常生活の延長めざすコンビーニエントな」キャンプではなく、あくまで心身の限界に挑むハードボイルドな「塹壕生活」であり、その拠って立つエートスというものをかの外道どもとはきっぱり異にするのである。

のろのろだらだらと設営をし、設営後、ただちに日も中天にあるうちからビール。

たちまち生酔いとなり、全員昼寝。

のろのろ起きだして、再びビール。

つまみが欲しいなーとコールマンのガソリンストーブの上に鉄板に置いて、キャベツ、もやし、ウインナ、餃子、豚肉、焼きそばなどを適当に焼いて、ある者は地べたで、ある者は立ったままむさぼり食う。

息を呑むほど美しい真夏の星空の下、さらにウィスキーで加速しつつ、おじさんたちの清談は果てしなく続くのであった。

 

三日にわたる清談の日々で、駆使しうる限りの豆知識を動員して、まだ話の終わらないおじさんたちは再びのろのろとテントを撤収。恒例により湯元温泉の露天風呂で旅の汚れを落とし、無精ひげをそり落とし、泥で汚れた髪の毛を洗い、こざっぱりとしたなりになって、帰京。いきがけに訪問できなかった久保山家を訪れ、一同で故・久保山裕司“隊長”の遺影に焼香。無事、解散。

しかし、このキャンプで過ごす数十時間の会話から得るものはほんとうに多い。

ウチダは「象牙の塔」の人なので、この数日は「世間」の実相に触れる貴重な機会である。

彼らの壮絶なる日々の報告を聞くにつれ、「危機」にあるとは言え、大学というところがいかに「浮き世離れ」した楽園であるか、毎度、深く反省させられるのである。

今回は、体調不良でのスタートだったが、友人諸兄とのウオームハーテッドな清談と、湖面をわたる涼風と、星空の効果で、二晩、死んだように深い眠りを貪り、三日目には全身の疲れがぬぐい去るように消えていた。

 

実家を訪れると、兄上と甥のシンペーが待っている。

シンペーは先週から合気道自由が丘道場に入門。晴れて多田塾門下となり、私の「弟弟子」というものになったのである。

ゆり@横浜さん、コッシーくんに続いての快挙である。

どうか末永く合気道に親しみ、ともに武道について語る日が来ることを祈念する。

 

母上のご機嫌を伺い、二週間後の再訪を約して、再び長駆、神戸へ。

東名は珍しく空いていて、6時間余で神戸着。

名神高速から六甲の山影が見えると、「ああ、わが家に帰ってきた」と深く安堵する。

やっぱりわが家はいいなあ。

明日は鳴門から増田聡くんが怒濤の登場。『ミーツ』の江さんとの「しゃべくりデスマッチ」を砂かぶりで観戦という愉悦の時間が待っている。

増田くんに『ミーツ』で連載音楽エッセイを書いてもらったら、という企画を私が江さんに持ちかけたので、その初顔合わせなのである。

どのような激しいバトルが展開することになるのであろうか。「ジャック」に集う街レヴィ派のみなさんはどのようにこのバトルにからむのであろうか。楽しみ。