明日は明日の風とともに去りぬ

Tomorrow never knows what wind will take me away: from 1 Jan 2002



9月30日

Happy birthday to me

毎年同じことを書いているようだが、今年も誕生日がやってきた。

もちろん誰も祝いに来るわけではない。

しかたがないので、能楽鑑賞で個人的に誕生日を祝う。

宝生の「乱能」。

これは実に愉しいイベントである。

乱能というのは、能楽師のみなさんがいつもと違う役を演じる一種の「遊び」である。

いつも謡と舞を担当しているシテ方が囃子や狂言をやり、囃子方が謡や舞をやり、狂言方がシテや囃子をやり、ワキ方が囃子や狂言をやる。

自分の担当以外のパートをさせてもすごくうまいひとがいるし、もうめちゃくちゃな人もいる。

本業以外のことをさせてもすごい人がいるのを見て感心するたのしみと、本職じゃないことをやってぼろぼろになる人を見て大笑いするたのしみとが同時に味わえる。

乱能では、「まあまあ並の出来」でまばらな拍手をもらうよりは、「ぼろぼろ」になって客にバカ受けする方が出る方は「おいしい」。能楽師といえども、やはり「関西人は関西人」であるから、みなさん「おいしいとこどり」を狙うことになる。その競り合いが面白い。

『翁』(小鼓の成田達志さんの千歳がとてもよかった。あとは大鼓の野村くんのボケぶりが大受け)『船弁慶』(これも小鼓の久田舜一郎さんが弁慶役を実に楽しそうに演じて、静御前の茂山七五三さんとのやりとりで笑いをとっていた)『猩々』(これは七人猩々がでてくるという小書きで、もうなにがなんだか分からない状態)

しかし圧巻は茂山ファミリーと善竹ファミリーがどかどか出てきた仕舞『田村』&『橋弁慶』。茂山一門のパフォーマーとしての底力を見せつけられた。

ぜひ神戸観世会でも乱能をやって欲しいものである。

というわけで、ひとり秋の日を浴びながら、能楽堂に行き、ひとりで日暮れの道を帰り、シャンペンのハーフボトルを抜いて、昼間、大阪能楽会館でいただいたお弁当を食べる。宝生流の辰巳孝さんの米寿の祝の会の「おみやげ」弁当なので、ちゃんとかまぼこに「寿」と書いてあるのがつきづきしい。

ひとりで冷たくなった赤飯をぼりぼり囓っていると、シャンペンの酔いが回ってきて、実によい加減に気が滅入ってくる。

いいなあ、この「もの悲しさ」。

齢知命を過ぎると、こういう切なさがたいへん心身にフィットする。

若い頃はそうではなかった。

誕生日というと、いろいろと計画をして、友だちやガールフレンドを集めてずいぶん賑やかに騒いだものだ。

その頃にもし誰も祝ってくれない誕生日があったら、きっと切実に寂しかっただろう。

いまは別に何とも思わない。

インターネットメールや携帯メールに「ハッピーバースデイ」コールがいくつか来たり、るんちゃんから電話で「おめでとう」と言ってもらったりすると、うれしいけれど、うーむ何がめでたいのであろうか、とちょっと考え込んでしまう。

「誕生日、冥土の旅の一里塚」という感じなんですけどね、本人は。


9月29日

だいぶむかしのことだが、8月5日にマックのパワーブックを衝動買いした。

さっそくインターネットに接続しようとしたら、「ISDN回線につなぐと壊れます」と書いてあったので、そのまま静かにフタを閉めた。

それから六週間ほど放置してあったのだが、わがパソコン道のお師匠さまであるジロー先生がフランスからお帰りになり、「パワーブックの調子はどうかね」とご下問されたので、事情をお話したら、さすがお師匠さま、「なら、先生が設定してあげよう」というありがたいお言葉。

先生のオススメはPHSにつないでコードレスでインターネットを使う方法。

さっそくご多用中の先生を煩わせて日曜の午後に神戸に周辺機器の購入にでかける。

DDIのAirH”というのをのっけて、Office for Mac とAtok14を買い入れ、ばしばしと設定をすると、またたくうちに夏の間ずっとわが書斎の一隅で洗濯物の下で寝ていたパワーブックがなんだか賢そうなコミュニケーションツールに変容した。

コンピュータ、ソフトなければただのハコとはよく言ったものである。

これで私が所有し、稼働中のパソコンは5台となった。(マックG3、エプソン、IBM、シグマリオンそしてマックG4)。

電話回線も大学ではLANと電話、自宅ではISDN、PHSがDDIとdocomoの二回線、それにdocomoの携帯。

LAN がダウンしようと電信柱に雷が落ちようと、私のインターネットは二重三重にセーフティネットがかかっているわけである。

どうして私のようなメカにとことん弱い人間がこのように大量の通信機器を駆使することになったのか、それを考えるとまことに不思議なことである。

私はほんとうにメカに弱い。

私にできるのは、スクリュードライバーを回すくらいのことで、それ以上になるともうお手上げである。(半田づけとか、テスターを使って断線を探すとか、オイル交換をするとか、タイヤチェーンをはめるとかいうことさえできない)

はじめてマイバイクを買ったときは、これではいけない。私の自分のバイクくらい自分で手入れができるようになろうと一大決心して、バイクをばらしたことがある。

部品をばらばらにして磨いたあと、もう一度作り直そうとしたら、タイヤがはまらなくなった。

しかたなくそのままずるずるとバイク屋へひきずってゆき「ばらしたら、もとにもどらなくなっちって・・・」と説明したときに、「こいつバカか」といわんばかりのめつきでバイク屋の兄ちゃんにみつめられ、それ以後、メカには手を出さないことにして今日に至っている。

しかし、メカに弱いがメカ好き、ということもある。

家にはAV関係ではDVDとLDとCD(三台)MD(3台)。デジカメに一眼レフに8ミリビデオ二台。自動車一台(四駆でターボ)、バイク一台(TW200)がごろんとしている。

しかしメカの機能が好きなのであって(たとえば、バイクは歩くより楽に遠くまでいける)、メカそのものに物神崇拝的な関心がない。

だからメカをなめるように磨き上げるとか、そういうことは何もしない。

パソコンも同じようなものである。

パソコンがあると便利なので使っているが、「どうしてこんなに便利なのだろう?」というような疑問はまったく浮かばないのである。だからいまだにインターネットの設定ができない。

「DNSアドレスって何?」

「おれのユーザー名?え、ウチダじゃないの?」

「PHSと携帯って何が違うの?え?どっちも携帯電話でしょ?」

というようなことを言って、ジロー先生に深いため息をつかせている。

 

『期間限定の思想』の二校が来たので、ばりばりと校正をする。

読み返すと、ずいぶん偉そうなことが書いてある。

どうしてこんなに他人に批判的なことが書けるのか考えたら、書いたときは「悪口を書かれている本人が読むわけないよな」と思って書いたからである。

本人が読まないだろうと思って書くと、私はずいぶんイヤミなやつになれるのである。

前に『ためらいの倫理学』にA藤Y子さんのことをかなり手厳しく書いたことがあるけれど、それはまさかご本人がよむわけないよなと思って書いたのである。

ところが、そのご本人がある雑誌で『おじさん的思考』をほめてくれて、「私の最近の愛読書です」とご紹介してくれていたので、青ざめてしまった。

あらー。

悪口なんか書くんじゃなかった。

悪いことしちゃったなあ。

いい人なんじゃん安D優Kさんて。

でもこういうことがあると、この先は、「ご本人が読むかも知れない」ということを考えて書かないといけない。

ただ、こういう自主規制がいいことなのか、悪いことなのか、よく分からない。

さいわい私は「期間限定物書き」で、どちらにせよ、この先はメディアには顔を出さないで、静かに「山場のひと」として余生を送る予定なので、どこかで「ご本人に会う」という可能性はほとんどないから、まあいいけど。


9月26日

朝日新聞の学芸部から「合気道」について取材がある。

身体論についての特集記事の一環として、武道が取り上げられ、神戸女学院合気道会での稽古の理念と実際についてお知りになりたいというお申し出である。

私のような半ちくな人間が武道について偉そうに語るというのは汗顔の至りではあるが、どういう機会であれ、合気道の素晴らしさについて語らせていただくことができるのであれば、ウチダはいくらでも語る用意がある。

それにこの時期、新聞に「神戸女学院大学」の記事が出るというのは、受験生獲得のためのパブリシティとして悪いことではない。

記者の方のお話では、同じテーマでこのあと甲野善紀先生のところに次に取材にゆかれるそうである。

朝日の記者の方は私と甲野先生がどういうつながりなのかということはご存知なかったらしい。(目の前に研究室の壁に私と甲野先生の「ツーショット」の写真が貼ってあったのだが、気づかれなかったようである。)

こういうのはやはり「シンクロニシティ」というのであろうか。

武道の現代的意義についてわいわいしゃべりまくったあと、道場に来ていただいて、実際の稽古風景を見て写真も撮っていただく。

同じ時間帯に広報誌VISTASの表紙撮影隊も来ていたので、道場はときならぬ取材ラッシュ。煌々とライトに照らされて、ときどき「はい、そこでポーズ」みたいな感じでかっこつけながら稽古をする。

残念ながら、稽古参加者が少なくてちょっと寂しかった。

「世間がこのように合気道に注目しているのに、なぜ合気道部員は合気道に注目しないのであろうか」とウッキー相手にぐちる。

みんな稽古に来いよ。ほんとに。

松田先生、岸田主将、ウッキー、森川さん、吉永さん。どうもご協力ありがとうございました。

広報誌の表紙写真や朝日新聞の記事を見て「よおし、神戸女学院に行って合気道やろう」というような受験生が続々と来てくれることを祈念する。


9月25日

昨日は大学院の秋季入試があって、今日は臨時教授会。

もうすっかり「on duty」モードになってしまった。

『ミーツ』の江さんから「岸和田のだんじりが終わると関西は秋になります」というしみじみとした一節が届いた。

夏休みが終わると、散文的な秋が来る。

もう来週からは授業が始まる。

授業すること自体は大好きだし、学生さんたちと再会するのは嬉しいんだけれど、やはり夏が終わると悲しい。

今年の夏は実によく仕事をした。

なにしろ、6冊本を仕上げたのである。

『ラカン/ヒッチコック』、『有馬温泉本』、『口述筆記本』、『おじさん2』、『フェミニズム論』、『映画の構造分析』。

「ありものコンピレーション」や「口からでまかせ本」を含めてとはいえ、よく書いたものである。

どうもエクリチュールの「たが」がはずれてしまったらしい。

『映画の構造分析』の最終章の「第四の壁・第四の客」は三日で書いた。

書き出したら止まらない。

『裏窓』と『秋刀魚の味』のカメラワークの共通性について論じて、フーコーの『言葉と物』の「侍女たち」の分析につなげるという仕掛けである。

もとネタは『ラカン/ヒッチコック』で訳したミシェル・シオンの『第四の側面』。(自分で翻訳した箇所をそのまま次の仕事の原稿にごっそり使うんだから、効率のよいことである。こういうのって、何て言うんだろう?「マッチポンプ」じゃなくて・・・「手前味噌」か。)

シオンのもとネタがラカンではなくフーコーであることを発見したという話は前に書いたけれど、よくよくフーコーを読んでみたら、フーコーとラカンは同じことを言っていたのだった。

それは「表象秩序を制定しているものは、表象の外部からみつめる不可視の視点であるが、その『不可視の視点』は表象の中に『生気のない、みすぼらしい像』として必ず反映している」という知見である。

分かりやすく言うと、ある画面の「意味」を最終的に決定しているのは、「そこに何が映し出されているか?」ではなく、「誰が見ているか?」である。(これはわかるよね)

とうぜんながら、私たちが何かを見ている当の自分の眼を見ることができないとの同じように、「見ているものの視線の起源」は知覚上の「盲点」であるから、見えるはずがない。

ところが、見えるはずのないものがなぜか画面の中には映り込んでいるのである。

(ベラスケスの「侍女たち」では、すべての視線を支配するスペイン国王夫妻の像は、絵のいちばん奥の鏡に「ぼんやり」映っている)

フーコーはその事実を発見した。

ほんとうは見えないはずのもの、至上の権力の座、視野の絶対的「外部」にとどまっているはずのものが、なぜか画面の「内部」にみすぼらしいなりで入り込んでいる。

理由は不明。

こういう発見は、それを説明する理屈がどうこういうよりさきに、とにかく気がついた、というだけで「すごい」と思う。

それは自分である程度つじつまのあった仮説を立てておいて、その仮説にひっかかる事例を検索するという知的作業とは質が違うものだ。

「自分にうまく説明できないもの」、自分の視野から少しだけ足早に遠ざかろうとするもの、「解釈に抵抗するもの」が気になって仕方がないこと。

それが人間的知性のいちばんすぐれた機能だと私は思う。

ラカンにしてもフーコーにしてもデリダにしても、あれだけ「わかりにくい」のは、たぶん、自分でも何を言っているのかよく分かっていないからだ。

にもかかわらず、言っている本人も、自分でも何を言っているんだかよくわからない言葉で言おうとしていることが、「前代未聞のこと」であることについての確信だけは揺るがないというのが彼らのエクリチュールの魅力なのだ。

でも、どうしてなんだろう。

どうして、ベラスケスは「侍女たち」で鏡に国王夫妻の像を描き込んだのだろう。

どうして、ヒッチコックは『裏窓』で「第四の壁」をジェフが窓から落ちるシーンで、「うすぐらく、生気のない像」として映し出してしまったのだろう。

どうして『秋刀魚の味』の「若松」の場面で、中村伸郎の前の「誰もいない席」を小津は撮してしまったのだろう。

うーむ。

わからん。

それを「表象秩序の虚構性についての自己言及」というふうにまとめるのはたやすい。(って実際に私はそうやってまとめちゃったんだけど)

でも、そんな簡単な話とは違うはずだ。

なぜ、言説編制の「クッションの結び目」は、「クッションの結び目」でしかないことを言説の中でばらしてしまうのか。

どうして「底なしの欲望」は、「みすぼらしい」欲望の対象に固着してしまうのだろう。

「底なしの欲望」を「みすぼらしい欲望の対象に固着させることができた」ことによって人間は人間になったということなのだろうか。

・・・・わからん。

しかし、「・・・わからん」という問題に取り憑かれるというのって、ほんとうに「小さいけれど、確実な、幸福」(@村上春樹)のひとつではある。


9月22日

下川正謡会の「歌仙会」が無事終了。

歌仙会というのは、私も原義はよく知らないのであるが、「浴衣会」というか「ガラ・コンサート」というか、「格式張らない」能楽の発表会のことである。会場も能楽堂ではなく、先生のご自宅の舞台である。ここで来年の6月の大会でついた役の最初のおさらいをするのである。

私は来年は舞囃子『船弁慶』がついているので、今回は『船弁慶』の仕舞と独吟。そのほかに素謡『羽衣』のワキ、素謡『俊寛』、『摂待』、『盛久』の地謡、そして仕舞の地謡。ほとんど一日の半分くらいの時間舞台に出ていた。

とりあえず仕事は無事に終わり、下川先生からも「よくお稽古してますね」と過分のお言葉を頂く。

 

歌仙会で、四国の守さんの「いかりや呉服店」ご謹製の塩沢紬のグレーの着物をおろす。

これは私がはじめて自分の「趣味」でつくった着物である。

今年は印税収入がいくらかあったが、結局自分のために使ったのはこの塩沢の着物とアルマーニのスーツだけ。あとすべては甲野先生のいうところの「人生の税金」の支払いに当てた。

これだけ「税金」を納めておけば、とりあえずしばらくのあいだ、私の周囲に不幸な人間は出てこないはずである。

 

ご存知ない方のために甲野先生の「人生の税金」説というものをご紹介しておこう。

甲野先生によると、非常に運気の強い人間というものは、必ずその反作用として、周囲に救いがたく不幸な人間を生み出す。

天才的な芸術家や不世出の武道家は、例外なしに愛するものを失い、天涯孤独の老境を迎えることになっている。

別に、それほど例外的な存在でなくても、ちょっとした風向きで濡れ手で粟の金儲けをしたりした場合でも同じである。そのたまさかの幸運の分だけ、周囲の誰かが不運の「トレードオフ」を引き受けている。

「日の当たるところにいる」人間は、必ず「日陰」をつくりだすのと同じである。

それを防ぐためには、「よいこと」があったら、それを独占せずに、それをどんどん「パスする」ことが必要なのである。

日が当たるところにたまたま来たひとは、自分のうしろにいる人が日陰になっていると分かったら、「ぼく、もう十分あったまったから、場所、替わろう」と言ってあげるでしょ?

甲野先生の場合は、自分が営々と努力して獲得した身体技法上の知見を惜しげもなく一般公開してしまう。

以前に「なぜ、それほどまでにディスクロージャーにこだわるのですか」と訊ねたら、先生のお答えが「税金を払っているのです」というものだったのである。

この税金を滞納すると、どこかで誰かが(それも甲野先生の愛する人が)その分の支払いを要求されることになるので、あらかじめ自分で払っておくというのである。

私はこの説を聞いたときに、はたと膝を打った。

「税金」とか「幸運不運」というような功利的なワーディングで語られているけれど、それは表層的なことだ。

ここで先生は「倫理的に生きるとはどういうことか」をあやまたず指示しているのである。

つねに自分は「受益者」であるという仮定から発想し、どのような利益を自分は「不当に」賦与されており、誰にそれを「パス」すればよいのか、というふうに問いを立てること。

これはまず自分を「被害者」であると想定するところから出発し、どのような権利が自分から「不当に」剥奪されているのかを探り当て、その「不当な簒奪者」からいかにして「私の権利」を奪還するか、を問うすべての「社会改革理論」(マルクス主義もフェミニズムもその点では変わらない)のちょうど対極にある考え方である。

倫理性というのは、最終的には「私は不当に幸運を享受している」という考え方をするかしないか、という一点にかかっていると私は思う。

どれほど才能豊かでも、どれほど権力や威信を備えていても、それを「当然のこと」と思っている人間や、「まだまだ不足」と思っている人間は決して倫理的にはなれない。

その人は結局、世界中の価値あるものを見るたびに、それは本来「自分のもの」に帰すべきだと思う欲望から逃れることができない。

おそらくこれがもっとも非倫理的な考え方である。

逆に、どれほど才能がスカスカでも、どれほど非力で吹けば飛ぶような存在であっても、それを「なんだか私ばっかりずいぶんと幸運に恵まれちゃって、・・・スミマセン。困っている人に申し訳ないです」というふうに受け止めることのできる人は、「自分のもの」を求めない。

そういう人は、結局、自分がもっているものを洗いざらい(最後のパンの一切れまで)「私にほんとうは帰属すべきものではない」ものと思って「返納」しようとするようになるだろう。

「人生の税金」を払うのは、高額の所得がある人間ではない。(いくら高額の所得があっても、びた一文払わない人間はいくらもいる。)そうではなくて、自分の身の丈に合わない幸運に恵まれたと思う人間である。

 

不思議なところから原稿の依頼が来た。

本願寺出版社というところである。

依頼の内容は『寝ながら学べる浄土真宗』という趣旨の本を書いて貰いたいというものである。

びっくり。

もちろん私は浄土真宗について何も知らない。

親鸞も蓮如も読んだことがない。

「そこがだいじなんです」と先方はおっしゃる。

何にも知らないウチダが、『歎異抄』から読み出して、「えー、なんなのこれー?わっかんねーよ」と読み進んでゆくプロセスをリアルタイムでご報告してゆくうちに、だんだんとご宗旨のめざすところが見えてくる、という「現場からの同時中継」的な本を書いて欲しいという企画である。

浄土真宗をウチダごときが「寝ながら学んで」よいものであろうかと煩悶しつつ、ウチダは若い編集者が立てるこういう無謀な企画には基本的にたいへん好意的であるので、さっそく「いっすよー」と返事をする。

すると、クロネコヤマトの宅急便で本願寺出版社から参考文献が送られてきた。

『歎異抄』、『やさしい正信偈講座』(何て読むんだろ)、『浄土真宗必携』といった本がざざざと出てきた。はたしてどうなることであろうか。続報を待て。

 

NHKBS−2の日曜の朝の番組で『寝ながら』が紹介されたらしい。(うちはBSが入らないので、見てない)

荻野アンナさんが「オススメ」の一冊としてご紹介下さるということを製作会社からうかがった。荻野さんは考えてみると仏文の「同業者」である。(お会いしたことはないが)

どんなふうに紹介して頂いたのであろう。どきどき。

この製作会社(テレビマン・ユニオン)もそうだったが、このところ私に仕事の連絡を入れてくるのは若い女性が多い。

私のようなマイナー物書きを「発見」するということは、彼女たちがメディア業界の中で、「何か新しいこと」を探してとりわけ活発にアンテナを動かしているということの証拠だろう。

若い女性がそういう情報を送受信する最前線に立っているというのは、とても健全なことだと私は思う。経験的に言って、若い男性より若い女性の方が「へんてこなもの」に対する拒否反応が少ないからだ。

そういうインターフェイスの領域に若い女性がわんわん集まっているというのは、メディアのあり方が「社会を教導する」というトップダウンの権威的なものから、それとはかなり異質なモノにシフトしつつあることを意味しているのではないかと思う。

どういう方向に向かっているのかはっきりとは言えないけれど、何となく「よいほう」に変わりつつあるような気がする。


9月20日

掲示板では「大阪弁変換」につづいて「幼児語変換」のご紹介がなされ、これにはもう「鼻から牛乳」状態である。

ご存じない方のために、ご紹介しておくと、これはあるテクストを自動変換にかけると、文章がまるごと変容するというオソロシイ装置なのである。

どういうものがあるかというと、いまのところは「大阪弁」となんでも「ニャ」になる猫語変換とか「幼児語変換」、なんでも「漢字変換」がご紹介されている。

いくつについての機能を実際に演じてご覧に入れよう。

まずみずから実験台となって、9月17日の私の日記を順次変換しておめにかけよう。

まずオリジナルは次のようなものであった。

 

眠い。

合気道合宿から戻ってきたら全身へろへろで、もう一日使い物にならない。

こういうときは「とりあえずその場所にいっていれば、身体がきかなくても、頭がぼけていても仕事になる」というような種類のことしかできない。

というわけで、免許の更新にでかける。

どういう理由か知らないけれど、免許の更新というのはぜんぜん楽しくない仕事である。

新しい身分証明書がもらえるのだから、何となく「うれしい」気分になってもよいはずなのであるが、免許更新センターにいる人たちは、これ以上ないというくらい無表>情であり、むしろ積極的に不機嫌である。

同じ状況にいる人間が数百人いあわせているというのに、隣にいる人間に話しかけて「視力検査って、めちゃいい加減ですな」とか「この交通安全協会の会費を免許の手料の窓口でさりげなく徴収するというのは一種の詐欺ですな」というようなことを言う人もひとりとしていない。

何となく「強制収容所」で順番待ちしているときというのはこういう感じなのであろうかと想像する。

別に対応する職員が非常に感じが悪いということではない。

むしろ、愛想がいいと言ってもよい。

しかし、その愛想の良さの背後に「立場上、愛想よくしてるけど、わしら警察じゃけんね」という威圧感がじりじりとにじんでいて、「気分が変わったら、いきなり怒鳴りつけたりすることもあるかもしれんけん、おとなしくしとき」という声が勝手に聞こえてくるのである。

 

まず最初にこれを「大阪弁変換」にかけてみると・・・

 

眠いちうわけや。

合気道合宿から戻ってきたら全身へろへろで、もう一日使い物にならへん。

こないなときは「とりあえずその場所にいていれば、身体がきかんと、頭がぼけてても仕事になる」ちうような種類のことしかでけへん。

ちうわけで、免許の更新にでかけるちうわけや。

どないな理由か知らんんやけど、免許の更新ちうんはサラサラ楽しない仕事なんや。

新しい身分証明書がもらえるんやから、何となく「うれしい」気分になってもよいはずやからあるが、免許更新センターにおるヤカラは、これ以上んというくらい無表情なんやし、むしろ積極的に不機嫌なんや。

同じ状況におる人間が数百人いあわせとるちうんやけど、隣におる人間に話しかけて「視力検査ちう、めちゃええ加減やな」とか「この交通安全協会の会費を免許の手数料の窓口でさりげなく徴収するゆうんは一種の詐欺だね」ちうようなことをぬかす人もひとりとしておらへん。

何となく「強制収容所」で順番待ちしてんときちうんはこないな感じやからあろうかと想像するちうわけや。

別に対応する職員がどエライ感じが悪いゆうこととちゃうんや。

むしろ、愛想がええとぬかしてもよいちうわけや。

せやけどダンさん、その愛想の良さの背後に「立場上、愛想ようしとるけど、わしら警察やったらけんね」ちう威圧感がじりじりとにじんでいて、「気分が変わったら、いきなり怒鳴りつけたりするっちうこともあるかもしれんけん、おとなしくしとき」ちう声が勝手に聞こえてくるのなんや。

 

「眠いちうわけや」から始まるのがど迫力だね。

では次は「にゃんにゃん語変換」

 

眠い。

合気道合宿から戻ってきたら全身へろへろで、もう一日使ぅ縫礫にニャらニャい。

こういうときは「とりあえずその場所にいっていれば、身体がきかニャくても、頭がぼけていても仕事にニャる」というようニャ種類のことしかできニャい。

というわけで、免許の更新にでかける。

どういう理由か知らニャいけれど、免許の更新というのはぜんぜん楽しくニャい仕事である。

新しい身分証明書がもらえるのだから、何とニャく「うれしい」気分にニャってもよいはずニャのであるが、免許更新センターにいる人たちは、これ以上ニャいというくらい無表情であり、むしろ積極的に不機嫌である。

同じ状況にいる人間が数百人いあわせているというのに、隣にいる人間に話しかけて「視力検査って、めちゃいい加減ですニャ」とか「この交通安全協会の会費を免許の手数料の窓口でさりげニャく徴収するというのは一種の詐欺だね」というようニャことを言う人もひとりとしていニャい。

何とニャく「強制収容所」で順番待ちしているときというのはこういう感じニャのであろうかと想像する。

別に対応する職員が非常に感じが悪いということではニャい。

むしろ、愛想がいいと言ってもよい。

しかし、その愛想の良さの背後に「立場上、愛想よくしてるけど、わしら警察じゃけんね」という威圧感がじりじりとにじんでいて、「気分が変わったら、いきニャり怒鳴りつけたりすることもあるかもしれんけん、おとニャしくしとき」という声が勝手に聞こえてくるのである

 

なるほど「猫化」するとこうなるのね。

さて、壮絶なのは「幼児語化変換」である。

これはすごいよ。

 

眠いでちゅ。でもママといっしょじゃなきゃ、やだ〜〜。

合気道合宿から戻ってきたら全身へろへろで、もう一日使い物にならないでちゅ。

こういうときは「とりあえちゅちょの場所にいっていれば、身体がきかなくても、頭がぼけていても仕事になる」というような種類のことちかできないでちゅ。うえ〜〜ん。

というわけで、免許の更新にでかけるでちゅ。ばー。

どういう理由か知らないけれど、免許の更新というのはちぇんちぇん楽ちくない仕事でちゅ。

新ちい身分証明書がもらえるのだから、何となく「うれちい」気分になってもよいはちゅなのであるが、免許更新チェンターにいる人たちは、これ以上ないというくらい無表情であり、むちろ積極的に不機嫌でちゅ。

同ち状況にいる人間が数百人いあわちぇているというのに、隣にいる人間に話ちかけて「視力検査って、めちゃいい加減でちゅな」とか「この交通安全協会の会費を免許の手数料の窓口でちゃりげなく徴収しゅるというのは一種の詐欺だね」というようなことを言う人もひとりとちていないでちゅ。はーい。

何となく「強制収容所」で順番待ちちているときというのはこういう感ちなのであろうかと想像しゅるでちゅ。

別に対応しゅる職員が非常に感ちが悪いということではないでちゅ。えらいでしょっ!誉めて、誉めて〜。

むちろ、愛想がいいと言ってもよいでちゅ。はーい。

ちかち、ちょの愛想の良ちゃの背後に「立場上、愛想よくちてるけど、わちら警察ちゃけんね」という威圧感がちりちりとにちんでいて、「気分が変わったら、いきなり怒鳴りつけたりしゅることもあるかもちれんけん、おとなちくちとき」という声が勝手に聞こえてくるのでちゅ。ネコたんも。

 

「ネコたんも」がいいね。

というわけで、この変換なかなか油断のならないものなのであるが、それは幼児語変換すると、そのテクストの「構造」が透けて見えてくるということである。

そこで、誰に書いたものがいちばん「自然」かチェックしてみた。

とりあえず、実例としてお二人にご登場ねがおう。

まずはうっきーの「浮き憂き日録」。

 

9月1日(日)

昨晩から妹が遊びに来たので、翌日の今日は一緒に三宮に出かけたでちゅ。ぼく一人でお留守番できたよ。お昼ごはんに、妹がテレビ出演をちた店に連れてってもらい、オムライチュを食べるでちゅ。とてもおいちかったでちゅ。ばぶー。場所は、神戸市の加納町、「グルメ末松」というところでちゅ。三宮から少ち歩きまちゅ。お時間があればどうちょでちゅ。明日の遠足、晴れるかな?

なかなかに良い休日でちゅ。

 

9月2日(月)

朝から神戸ファッチョン美術館に「鉄腕アトムの軌跡展」を見に行くでちゅ。ロボットの日本で歴史や変遷、大阪万博の展示物、早稲田の研究の成果、ロボット漫画の流れなどについての展示があり、全体におもちろい展覧会だったでちゅ。お注射いたいよ〜。

とくに、万博のとき、手塚治虫がプロデューチュちた「フジパン館」のロボットを生身で見たときは、ちゅごく不思議な感覚がちたでちゅ。にんじんきらい。万博の時代にタイムチュリップちた気分だでちゅ。ママー。「ジャンケンゲーム」の機械にも、実際に触れて遊んでみたときもちょうだったでちゅ。

当時のどれだけのこどもやおとながこれに触れたのだろうと思うと、やっぱりどこか不思議な気分になるでちゅ。はーい。

ちょうどいま連載ちゃれている浦沢直樹の『20世紀少年』では、この万博の時代が関わる話が多くあることも影響ちていると思うでちゅ。ユカちゃんち引っ越しちゃうって、ホントかな?ほんとうは生まれていないワタチも、いくらか想像ちやちゅく、近づきやちゅい時代となっているでちゅ。いいなあ70年代でちゅ。

ロボットについて知らなかった流れがいっぱいあったでちゅ。ママ抱っこして。ちょれは現代のアイボにまでつながるものだでちゅ。やっぱりロボットはおもちろいでちゅ。ママー。

 

うっきー怒らないでね、オレが書いたんじゃないんだからね。

「幼児語変換」にかけたらこうなったしまったんだから。

「不眠日記」もかなりすごいことになっている。

 

9月17日

朝4時半頃から頭痛で目が覚めるでちゅ。ぼく3つなの。

5時なっても動けないでちゅ。体がだるいのだでちゅ。

案の定、外は雨でちゅ。ぼく一人でお留守番できたよ。

用意は全部出来て、あとは家を出るだけ、という段階なのに、ちょこからが動けないでちゅ。

悪い病気がまた復活ちてきたかでちゅ。だからもうユカちゃんとは遊ばない!

通勤拒否でちゅ。

次のバチュ、次のバチュ、次のバチュとのばちて行くが動けないものは動かないでちゅ。ママ。

もう分かったでちゅ。今日はお休みでちゅ。

家で読書ちようでちゅ。今日のママ、何だかキレイだよ。資料はまだいっぱいあるのだからでちゅ。

今日は家で1日お勉強でちゅ。

夕方になって、ゆっくりとお風呂に入るでちゅ。ぼく3つなの。

気がつけば、今日も朝から何も食べていないなの。

お風呂から上がって、どうちようかなあと迷っていたでちゅ。ママがおこりんぼなの〜。

別に空腹感はないのだでちゅ。あのオジさん変だよ!

ちかち、このところ、主治医のOKが出て以来、ちゅっと1日1食を続けているでちゅ。

たまには夕食を抜いてもいいか、面倒くちゃいち、おなか空いていないちでちゅ。どうしてなの、ママ?

と思っていると、電話がかかってきて、知人が夕食まだなら一緒に食べようというでちゅ。

拾う神とでも言おうかでちゅ。パパとママには内緒だよ。

近くで簡単に済まちぇたが、帰ってから、どうも調子が悪いでちゅ。

ちょんなにたくしゃん食べていないんだけどなあでちゅ。ぶーぶー。

明日は日文献でちゅ。そんなのずる〜い。

明日こちょ出勤ちぇねば、バイトがたまるでちゅ。

今日1日家にいたおかげで、本が一冊読めたでちゅ。良かった。

少ちづつ前進ちぇねばでちゅ。

 

うーむすごい。

マスモト・サチコの「とほほ留学生日記」もけっこう「いけそう」だ。

では実験開始。

 

le 14 Septembre

昨日の夜は、日本人だけのパーティーでちたでちゅ。おねいちゃんがぶったあ!!(号泣)

始まったのは、5時半ぐらいだと思うんでちゅけど、家に帰ったのは0時でちゅ。ぼく、おねむなの。でも、あっという間でちたでちゅ。

集まったのは17人ぐらいでちゅ。ほっぺた、ぷにぷに〜。

主催ちてくれたパン職人のタカしゃんには、ほんと感謝感謝でちゅ。

一応持ち寄りパーティーだったんでちゅけど、タカしゃん始め3人の人が一緒に「おでん」を作ってくれてたのと、「ちょうめん」を持ってきてくれてる人がいたのとで、日本の味を味わえて幸ちぇでちた!めちゃくちゃおいちかったんででちゅ。ママ、おしっこ〜!

あと、ケーキ職人の人がデジャート作ってくれたりもちて、ほんと最高でちゅ。このコーラっていう飲み物、お口の中が「しょわしょわ」するよ〜。

 

えー、どうもすみません。トンデモ変換のせいで、お口の中が「しょわしょわ」したみたいですね。

しかし、以上の実験から分かったことは、幼児語変換ソフトにかけられるとなんだか大変なことになるのは、「食についてのコメントの多い文章」「喜怒哀楽の感情表現の多い文章」であるということを知ることができるのである。

逆に言えば、主観的な感情や判断をまじえずに、淡々と客観的事実だけを書き記してゆくと、うまく幼児語にならない。

だから、この「幼児語変換」を逆用すれば、私たちの書くテクストの中の「主観的判断」と「客観的記述」の割合を吟味する上では、非常に有効なツールとなりうるということである。

ちなみに文学作品はどうだろうか?

カミュの『異邦人』で試してみよう。

 

今日ママンが死んだでちゅ。もちかしゅると昨日かもちれないでちゅ。ほっぺに「チュッ!!」あたちには分からないでちゅ。どうしてなの、ママ?養老院から電報を貰ったでちゅ。「ママ上の死を悼むでちゅ。埋葬は明日」でちゅ。これではなんのことだか分からないでちゅ。恐らく昨日だったのだろうでちゅ。

養老院はアルジェから80キロのマランゴにあるでちゅ。そんなの、やだ〜〜。二時のバチュに乗れば、午後のうちにつくだろうでちゅ。ちょうちゅれば、お通夜をちて、明くる日の夕方帰って来られるでちゅ。あたちは支配人に二日間の休暇を願い出たでちゅ。こんな理由では休暇を断るわけにはゆかないが、彼は不満ちょうな様子だったでちゅ。

「あたちのちぇいではないんでちゅ」と言ったが、彼は返事をちなかったでちゅ。ママー。ちょんなことを言わなければよかったと思ったでちゅ。ユカちゃんち引っ越しちゃうって、ホントかな?とにかくいいわけめいたことを言うべきではなかったでちゅ。ばぶー。むちろあたちにお悔やみを言わなければならないのは彼のほうではないかでちゅ。ママ、おしっこ〜

 

うーーーーむ。こ、これはすごい。


9月19日

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との国交正常化に向けて一歩が踏み出されることになった。

拉致問題、不審船問題など「喉に刺さった骨」のような案件は残っているが、そういった問題の包括的解決のための方向へとにかく一歩を踏み出した、ということで今回の平壌での首脳会談は、歴史的な評価に値するだろう。

しかし、一抹の不安は残る。

それは、今回の日朝国交正常化に際して、1965年の日韓国交正常化に際しての政治的「失敗」からどれほどの反省材料を政府が汲み出しているか、いまひとつ信用できない、という点である。

 

日韓の国交正常化も、今回と同じように、北東アジア情勢の安定化を求めるアメリカの世界戦略の一環として、その積極的な介入を受けて進められた。日本と韓国のあいだの国交が正常化され、外交使節が交換され、通商条約が締結され、過去の侵略行為によって侵害された被害の補償と経済協力の取り決めがなされた。

おそらく、今後の日朝正常化プロセスはこの37年前の日韓国交正常化とほとんど同じラインをたどることになるだろう。

しかし、この日韓条約締結に際して、日韓両国で、どれほどの反対運動があったかをある程度以上の年齢の方ならご記憶だろう。日本では65年11月の統一行動には数十万人が参加した。

日韓闘争は60年代末の学生運動の「前奏曲」となった。

韓国の反対運動はさらに激しく、学生運動の鎮圧のために軍隊まで出動した。

なぜ、国交正常化という、誰が考えても「よいこと」にこれほどの反対があったのか。

それは、その条約の歴史的意義についても、その条約制定についていたるプロセスについての情報開示もなく、国民的理解が得られないままに、政略優先、とりわけアメリカの東アジア戦略の一プロセスとして、一部当局者だけのあいだで、秘密裏に水面下で交渉が進められたことに原因があるように私には思われる。

その結果、わが国から韓国への経済協力によって、条約上は韓国への補償は済んだはずなのに、それは現実の韓国国民の実感とは隔たること遠いものとなった。

現に経済協力という名目で韓国に注ぎ込まれた資金は、両国のノーメンクラツーラたちを潤し、一部は日本の企業に環流した。

日本が補償のために出したはずの資金が日本の企業の懐に戻るような算段をしておいて、韓国の国民から「日本からの謝罪と補償」が十分になされたという信義を得られると思っていたとしたらよほど虫のよい話だ。

結局、日韓の対立感情が緩和し、映画や音楽などの領域での「雪解け」と文化的交流が草の根レベルで根づき出したのは1990年代のことであり、ワールドカップ共催で日韓の一体感が(一時的に、また幻想的な水準においてではあれ)経験されるに至るまで、日韓基本条約から実に37年の歳月を要したのである。

この37年は日韓の真の「正常化」にとって、あまりに長すぎる歳月だったと思う。

もっとずっと短い期間で「一衣帯水」の両国のあいだの親和と信頼の関係は基礎づけられたはずである。

なぜ、ここまで時間がかかったのか。

なぜ、国民的交流の扉が開くまでに、その当時の日韓の外交当事者が一世代まるごと死に絶えるまでの歳月を要したのか。

その理由を私たちはもっと真剣に考える必要がある。

結果的に日韓の和解を象徴したのは、「ワールドカップ共催」という「お祭り」や『シュリ』や『JSA』のような映画であった。宥和を牽引したのは、政治でも外交でもない。両国民の「ふつうの生活感覚」である。

最終的に二つの国のあいだの「壁」を崩すのは、政治家の演説でも、外交官の根回しでも、メディアのアオリでも、超大国の天上的介入でもない。「ふつうの国民のふつうの生活感覚」での「親しみ」と「敬意」の醸成である。

国民感情のレベルにおける親和と敬意。それが真に外交関係を基礎づけるものだと私は思う。

 

例えば、私はアメリカという国が大嫌いである。

超大国でありながら、国際社会におけるあのマナーの悪さはほとんど「幼児」の等しい。

しかし、私はこれまで多くのアメリカ人と個人的に知り合ったが、そのほとんど全員に対して親しみと敬意を持つことが出来た。その結果、私が「アメリカ」という字を見るとき、そこには強権的な「国家」の像と、具体的な顔を持つ「アメリカの友人たち」の像が同時に浮かび上がる。具体的な「アメリカの友人たち」の思い出が、私がアメリカの施策を嫌いつつ、その国を全体として憎むことを妨げている。

日米関係は現在友好的に推移しているが、その最大の理由はアメリカの世界戦略と日本の国益のあいだに密接なリンケージがあるよりむしろ、日本国民のかなりの数が、実際に「ふつうの生活」の中でアメリカ人と知り合い、そこで親しくかかわった経験を持っていることにあると私は思う。

まさにその意味で、日韓の国交正常化は「失敗」だった。

在日朝鮮人の差別問題や、従軍慰安婦問題を考えると、無為に流れた年月はあまりに長い。この「失敗」は両国の政官財トップレベルでの合意と、アメリカの積極的仲介があったにもかかわらず、国民的レベルにおける「親しみと敬意」の醸成のためには、誰ひとり指一本動かそうとしなかったことに起因する。

それと同じことを日朝国交正常化において繰り返してはならない。

今回の日朝首脳会談は外交史的には前段があるようだが、ここ数ヶ月の根回しは、秘密裏に、一部外務官僚たちだけの主導で行われたと報道されている。首脳会談がとりあえず共同声明発表に至ったことで、政官の間には「政治的成功」を祝う者もいるだろう。だが、本当の正常化はまだ一歩も進んでいない。一片の外交文書のやりとりや、軍事行動の自制の約束などによって国交の正常化は基礎づけることができない。

それを基礎づけるのは、両国のあいだに開かれた外交関係を築くことが、両国民にとって「よいこと」であるということについての、「ふつうの国民の生活感覚からの同意」である。

私たちになによりも必要なのは、「親しみが感じられ、敬意をいだくことのできる北朝鮮の人」と個人的に出会う経験である。一方、北朝鮮の国民にとって何よりも必要なのは「親しみが感じられ、敬意をいだくことのできる日本人」と個人的に出会う経験である。そのような国民的共感の上に立たない限り、どれほど文飾華麗な外交的取り決めも、どれほど巨額の経済協力も、両国の関係のために資するところはほとんどないだろう。

そのような「風通しのよさ」だけが真の意味での「安全保障」を担保すると私は考える。

その意味では、今般の拉致事件について外務省がとった「秘密主義」や情報の「小出し」(この間のあらゆる政官財の不祥事に典型的なスタイルだ)や、あるいは多くのメディアが呼号した「屈辱外交」キャンペーンほど流れに逆らうものはないだろう。(こう書いたあとにメディアは小泉内閣の支持率が75%に急反転したことを知らせた。右から左まで、ほとんどのメディアが拉致問題での「政府の弱腰」を罵倒しているなかで、「ふつうの国民のふつうの生活感覚」は、小泉訪朝によって「扉」が開き、そこに「風がとおること」をとりあえず歓迎したのである。私はこの常識に与する。)


9月18日

秋らしい日よりである。

朝は風がひうひう吹き込んできて、ちょっと寒い。

ゆうべは遅くまでウィスキーをのみながら仕事をしていたので、二日酔い気味。

げふ。

しかし今日は健康診断の日なので、のろのろと起き出して大学へ。

あらま。

男子教職員の健康診断は明日で、今日は女子の日だった。

なんだ、もっと寝てればよかったぜとジダンダ踏んだが、そこはそれ「へこへこ謝って状況をどうにかする」というのはウチダの数少ない特技の一つである。

あのー、実は明日はどうしても抜けられない用事があって・・・今日診察受けちゃだめでしょうか?

と人畜無害な笑みをふりまいて、診察時間の最後の誰もいない時間帯にもぐり込む。

血圧は148の87。おお、けっこうまともだ。

でも体重が・・・なんと77・5キロ。

うちの体重計では75キロなんですけどお・・・・

いきなり「ダイエット」を決意する。

痩せるぞ、みとれよ。70キロまで落としてみせる。骨と皮になったる。

あとで泣いても知らんからな。(誰が泣くのか知らないけど)

しかし、デブる道は愉しく、やせる道は哀しい。

私が劇的に痩せたのは89年の離婚直後のことであるが、このときは何と2週間で7キロ痩せた。

2週間で7キロというのは、生理学的にはほとんど不可能な数値である。

何もものが食べられずに煙草と珈琲とウィスキーだけで生きていた。なけなしの気力を振り絞って、るんちゃんを毎日小学校に送り出し、家を掃除し、洗濯をし、夕食を作り、(そのあいまにおつとめにでかけ)・・・つまり「生きている」だけで大量のエネルギーが必要だったわけだ。

それくらい急に痩せると、減量と身体操作がシンクロしない。

ビルの角をまがっていきなり風に吹かれると、よろけてしまう。

鉄棒で「逆上がり」をしようとしたら、顎が鉄棒にぶつかりそうになった。身体は軽いのに筋肉は落ちていないからコントロールがきかないのだ。

ジーンズがぜんぶぶかぶかになって、うっかりすると腰の下までずり下がってしまった。

それに比べると、いまは朝飯後に満腹して「二度寝」。昼飯後に「昼寝」。うっかりすると夕食後に「夕寝」までしてしまう。

これではデブになるのも当然である。

これではいかん。

痩せるぞ。みとれー。


9月17日

眠い。

合気道合宿から戻ってきたら全身へろへろで、もう一日使い物にならない。

こういうときは「とりあえずその場所にいっていれば、身体がきかなくても、頭がぼけていても仕事になる」というような種類のことしかできない。

というわけで、免許の更新にでかける。

どういう理由か知らないけれど、免許の更新というのはぜんぜん楽しくない仕事である。

新しい身分証明書がもらえるのだから、何となく「うれしい」気分になってもよいはずなのであるが、免許更新センターにいる人たちは、これ以上ないというくらい無表情であり、むしろ積極的に不機嫌である。

同じ状況にいる人間が数百人いあわせているというのに、隣にいる人間に話しかけて「視力検査って、めちゃいい加減ですな」とか「この交通安全協会の会費を免許の手数料の窓口でさりげなく徴収するというのは一種の詐欺だね」というようなことを言う人もひとりとしていない。

何となく「強制収容所」で順番待ちしているときというのはこういう感じなのであろうかと想像する。

別に対応する職員が非常に感じが悪いということではない。

むしろ、愛想がいいと言ってもよい。

しかし、その愛想の良さの背後に「立場上、愛想よくしてるけど、わしら警察じゃけんね」という威圧感がじりじりとにじんでいて、「気分が変わったら、いきなり怒鳴りつけたりすることもあるかもしれんけん、おとなしくしとき」という声が勝手に聞こえてくるのである。

たぶん問題はこの「怒声が勝手に聞こえてくる」という私たちの側の「卑屈さ」にある。

免許更新センターにいる「一般市民」の全員に共通するのは、この「自発的な卑屈さ」である。

私がもし「東京でいちばん嫌いな駅」を訊ねられたら、「鮫津」と答えるだろう。

別に鮫津での免許更新に際して個人的に非常に不快な経験をしたわけではない。

しかし、あの駅を降りてぞろぞろと歩いて行く群衆の中に紛れているときの「屠殺場にひかれてゆく家畜」になったような気分はどうしても忘れられない。

自分が非常に矮小で、利己的な人間になったような気がするのである。

そんなの考えすぎだよ、と言われてもそういう気がしちゃうものは仕方がない。

無言で列をつくって、何かを査定され、そこで「摘発」されて列から引き出されて行く人間をみんなが無言で見送る、という状況が私は心底嫌いなのである。

そのトラウマの原点の一つに1974年の羽田空港での事件がある。

その年、私は生まれた始めて海外旅行をした。

夏休みを使ってフランスに卒業旅行にでかけたのである。

そのころ、連続して各国でハイジャックがあり、そのせいで羽田の出国審査の荷物チェックはヒステリックなまでに厳しかった。

そのときトランクをずるずるひきずって出国審査の列にならんだとき、私の前にいたのが誰あろう、あの「モリ・ハナエ」さんだったのである。

わあ、きれいな人だなと思って眺めていた。

そのときに出国審査の若い職員が彼女に向かって「トランクを開けて、中身を全部見せろ」と命じたのである。

私はびっくりした。

だって、モリ・ハナエだぜ。

パリコレに行く人がハイジャックするわけないじゃん。

モリ・ハナエさんもそれを聞いて青ざめていた。

しかし職員はトランクを容赦なく開いた。

私が目をまんまるくしている前でモリ・ハナエさんの瀟洒なトランクががばっと開かれて、夢のように美しい彼女の衣類が溢れ出てきた。

空港職員はその衣類を手づかみでかきわけた。

そして私は「モリ・ハナエさんの下着の趣味」がどういうものであるかを目撃するというきわめてレアな機会に浴したのである。(もちろん私がこれまでに見た中で最高にシックで品のよいアンダーウェアでありましたが)

彼女は屈辱感でわなわなと震えていた。

彼女の屈辱感は私にも伝わった。

そして、彼女の屈辱感が私のトラウマとなったのである。

こういうのはよくない、すごくよくないぞ、と私は思った。

あれから30年経つが、いまでもそのときの胸の痛みを思い出す。『シンドラーのリスト』みたいな映画を見ると、そのときの動悸が蘇ることがある。

それと同じ種類の痛ましさを免許更新のたびに感じる。

列を作って何かを審査されるということを私がこれほど嫌うのは、たぶんその原体験(といっても私の体験じゃないんだけど)のせいではないかと思う。

明石の免許更新センターのみなさんには何の罪もないんですけどね。


9月16日

三日間にわたる神鍋高原での合気道部合宿が無事終了。

今回は、「畳止めラバーおよび部旗紛失事件」から始まり、ウチダの「中国道ガス欠JAF呼び事件」と続き、さらに現地入りしたのち「武産合気掛け軸持ってくるの忘れた事件」とあきらかに不注意による小事件が連発したため、「これは凶事の前兆かも」と不安が胸をよぎる。

「こういうときはけが人が出る可能性があるから、いつも以上に細心の注意を払って稽古するようにね」と最初に念押ししてスタート。さいわい、三日の日程は、けが人も病人も貴重品の紛失もなく、無事に終わった。(名色高原ホテルの飼い犬が右足骨折という気の毒な事故があったが、あれは私たちの「凶運」がわんちゃんに転嫁されたのではないかと胸を痛めるウチダである)

東京からゴンちゃん、タカスさんが駆けつけてくれ、ユリさん@横浜もブザンソンから来日中のお友だちエリーズさんと共に合流。ピーちゃん@気錬会OB、石井さん@月窓寺OB、原君@大阪教育大ら「ゲスト男子組」も充実。例年通りのにぎやかな合宿となった。

宴会の話題の中心は当然ながら「かなぴょん婚約事件」であるが、これについてはあまりよけいなことをホームページ上でコメントしてはならないという関係筋からのお達しがあるので、自粛させていただききます。(なにはともあれ、おめでとう)

ウチダは右膝の痛みはだいぶおさまったものの、膝をかばって動いたせいで右腰から右背中にかけての筋肉痛がひどく、また学生OG諸君も相当数が準備不足のまま合宿に突入したため、ホテルの全室における大気成分比率中にエアーサロンパスからの放出ガスが5%ほどを占め、もし引火性があれば、ホテル爆発のおそれもあるほどにメントールが充満していた。

昇級審査は森川直さん一名。無事に5級審査に合格、晴れて「ザ・ハカマーズ」入りを果たした。(ぱちぱち)

今回の合宿の技術課題は「肩を消し、胸を落とす」、「体を割る」、「支点を消す」、「ピンポイント気発動」などこのところのウチダの研究テーマ。これらの技法には昨年末以来の甲野善紀先生との出会いによって気づいたところが多い。(というか全部そうだ)おかげで、多田先生のおっしゃっていた「打ち込み」ということの意味も少し分かってきたような気がする。

術理がだんだん分かってくるにつれて、当の本人の足腰が立たなくなるというのも切ないものではあるが、まあ世の中とはえてしてそういうものである。あとは「口だけ合気道」の方法論的純化に邁進する他ない。

「いけのや」におけるめにうの点検、「うさ餅」購入、「黒豆ソフト」賞味など、ルーティンも無事にこなした「いつもと同じ合気道合宿」であった。

それにしてもどうして私は「いつもと同じこと」をするのがこんなに好きなのであろうか。

向上心とか冒険心というものが構造的に欠如しているのかも知れない。

へろへろになって帰宅して、とりあえずヒルネ。

たまったファックスとメールチェックをしたら、「紀伊国屋Book Web8月月刊ベストセラー」の第一位に『寝ながら・・・』がチャートインしていたという母親からの連絡があった。さっそく新聞を拡げてみたら、おおほんとうである。

二位がいしいひさいちの『現代思想の遭難者たち』、三位が柄谷行人『日本精神分析』。その他、中沢新一、養老孟司、福田和也など錚々たるみなさまを抑えての快挙である。

たしかに『寝ながら・・・』は私の書いたもののなかでは読みやすい本ではあるけれど、元ネタは一週間くらいでほいほいと書いた神戸市の市民講座の一回分の講義ノートである。編集の嶋津さんのきびしい注文でずいぶん書き足したり書き換えたりしたので、仕上がりはずいぶんきちんとしたけれど、内容的にはいつも学生さん相手にでれでれしゃべってることのまんまである。

こんなことでよいのであろうか。

こういうことで「ウチダ最近本が売れたとかで態度でかくなったな、一度ガツンとお灸すえてやらんとまずいんでないの」的なご教導ご叱正が同時多発的に訪れることになったらいったいどうすればよいのであろうか。

みなさん、ウチダはもともと態度の悪い男なのです。昨日今日のことではないのです。だからどうぞご勘弁、という言い訳が通るはずないし。

ああ、困った。


9月13日

『ミーツ』の江弘毅編集長は「岸和田だんじり」のさる町内の若頭というダイハードな知識人であり、あらゆる思想的問題をすべて「だんじり」のターミノロジーで語りきるという特技を持っている。この特技の社会的意義については毀誉褒貶があるが、それは今は論じない。

とにかく、去年の秋に電撃的に岡田山に、「ジャック・メイヨール」の「哲学するソムリエ」橘真さんとともに登場して以来、ウチダの中には「岸和田だんじり」というものがなぜかくもひとりの人間を根底的に捉えて放さないのか、という問いが答えを求めて存在したのである。

そこで、「山場の思想家」であり、買い物以外には街へ出ない人間であるウチダも、江さんの思想的ルーツを確認すべく遠く泉州岸和田へ足を運んだのである。

今回のガイドは「エルプリュスの夜会」で辱知の栄をたまわった江さんの朋友ホリノコウジさん。関西に来て12年になるのにはじめて行った「南海なんば」駅からはじめて乗った南海電車で岸和田へ。現地で橘さん率いる「街レヴィ派」のみなさんと合流。

70万人が集まるだんじりの本番は14、15日であり、今日は2時間だけの「試験曳き」。

観客は地元のみなさんだけ。その分目の当たりで「だんじり」のエッセンスだけ拝見できる。本番前に今年だけですでに死者2名という壮絶なお祭りであるからうかつなコメントはできないが、江さんがあれだけ没入することの理由は分かった。

「共同体」というのが、個体の契約的集合体ではなく、ある種の「巨大な魚」のような、固有の生理を有した独自の「生き物」になるということを私は経験的に知っているが、そのようなものを現物で見たのは30年ぶりのことであった。

そうか、「あれ」は「だんじり」みたいなもんだったのか。なるほど。

(その夜の夕刊には、私たちが去ったあとの「カンカン場」でだんじりが横転して三人目の死者が出たことが報じられていた。お祭りというのはなるほど命がけで遊ぶものである)


9月11日

ゼミのY岡さんの教育実習の「お礼参り」に、奈良の県立畝傍高校へ。

御影の家からバス→六甲道→大阪→鶴橋→八木→タクシーで現地、という長旅。所要時間2時間半。

畝傍高校は創立100年を越す奈良の名門校で、昭和初年の不思議な建築物である。(朝鮮総督府や神奈川県庁にちょっと似ている)校長室にはまだ「ご真影」を収める金庫があってびっくり。

校長先生と懇談してから、Y岡くんの日本史の授業を見学。なかなかみごとなものである。すっかり感心して聞き入ってしまったので、「延喜天暦の治」についてウチダはいまけっこう詳しい。

そうか高校の授業というのも、こうやっておとなしく聞いていれば、別にあとから勉強しなくても、するすると頭に入るのだ。

私はいったい高校時代何をしていたのだろう。

そのあと進路指導の先生とお会いして、受験生の動向について最新情報を拝聴。

長引く不況で、受験生も大学のブランド信仰は薄れつつある。(一流大学を出ても、就職がむずかしい時代だから)むしろ、就職は就職と割り切って、大学では自分の好きなことをやりたいという傾向が強いそうである。

文科系でいま人気があるのは、政治学と国際関係。

ふーん。そうですか。

若い人たちもやっぱり「理解したい」んだ。自分たちの社会がこれからどうなるのか。

なるほど。

古い家並みの並ぶ八木の街を歩いて駅まで戻る。

久しぶりにスーツを着てきたので全身汗びっしょりとなって大学へ戻る。いったい夏はいつまで続くのか。

学長と教員の評価システムについてのご相談。

この夏休みに全国の大学の担当理事を集めたシンポジウムがあって、学長はそれに参加してこられたのである。

よその大学の「うちではこんなふうにやってます」という評価システムについての報告を聞かれたそうであるが、お話をきくと本学のシステムの方がだいぶリファインされている。

ともあれ、本学がこの作業では全国の私学の中でもかなり先進的であることが分かった。

「自己評価トップ100校」があれば、けっこういいランクにチャートインできそうだ。

今後の作業の進め方について学長からいろいろとアドバイスを頂く。

夕方からは大阪能楽会館で養成会公演。

能『花月』と舞囃子『松虫』、『賀茂』。

日曜も観世会で能『卒塔婆小町』と観世の家元の『融』を見たから、今週にはいって二日目の観能。大倉慶乃助くんが例のごとくぱこーんぱこーんとグルーヴ感のある大鼓を打っている。パフォーマンスとしては『賀茂』がいちばんバランスがよかった。

しかし、狂言方囃子方に着実若手が育っているのに、シテ方でオーラのある若手が出ないのは困ったことである。観客層はどんどん高齢化するし(湊川の会なんか、平均年齢70歳くらい)、能楽界の明日は大丈夫だろうか。

梅田の書店で村上春樹の新作『海辺のカフカ』を買って、さっそく読みながら帰宅。

そのままスパゲッティを作りながら、ワインを呑みながら、ウィスキーを啜りながら、読み続ける。

さまざまなの場所、さまざまな人間の身の上におきる出来事がストーリーが進むにつれて、ゆっくりと一つに繋がってゆく。(というと『マグノリア』みたいだけど。そういえば「空から異物が降ってくる」というのも『マグノリア』ぽい)

構成もみごとだけれど、ひとつひとつの出来事の記述がほんとうによく練れていて、ストーリーラインがもたらすドラマ性もさることながら、描写や会話を読むことが愉悦をもたらす。

数時間で一気に上巻を読み終わる。もったいないので下巻はちびちび読むことにする。

「頁をめくるのが惜しい本」を読むのは実にひさしぶりのことである。

とりあえず、村上春樹には長生きしてほしいものである。


9月10日

ニューヨークのテロ事件から一年。

去年はパリのホテルの一室でニュースを聞いた。翌日の新聞(フィガロ紙)の見出しはNouvelle Guerre (新たな戦争)であった。

あれから一年、ずいぶんメディアの論調が変わった。だいたい日本のメディアは「雪崩打て」同じ方向にゆくことが多いが、テロ事件についても、ほとんど「国民的合意」が出来てしまったようだ。

それは「テロリストも悪いが、そもそもテロルの原因を作り出したのはアメリカの世界戦略ではないのか」という「嫌米」気分の伏流である。

私がものごころついてから、これほどまでに国民全体に「嫌米」気分がみなぎり、彼の国の大統領の知能程度がこれほど疑われたことは過去に前例がない。(ジョンソンもニクソンも日本人には嫌われたし、ジミー・カーターもフォードもずいぶん政治センスのなさを指摘されたけれど、ジョージ・ブッシュほど嫌われ、かつバカにされたアメリカ大統領はいない)

こういうのはマルクス主義の最後と同じで、別にアメリカ政府が決定的に何か政治的オプションをミスったとか、アメリカの世界戦略の本質的な誤謬が証明されたというのではなく、アメリカという国がこれまで発していた「オーラ」のようなものがゆっくり消えつつある、ということを意味している。

「何となくすごそうな国」から「何となくバカそうな国」への「イメージ」のシフトというのは、別に個別的な原因があるわけではない。

あくまで「何となく」なのである。

「アメリカでは、こうなんだよ、だから・・」という物言いに対して、「アメリカではそうだからって、だから何なんだよ」という口答えをされると、絶句してしまうということがいろいろな局面で起こりつつある。

いままでは、そういう「口答え」はあまりする人がいなかった。言ってもだれも耳も貸さなかった。

アメリカは万人にとってのサクセスモデルだということに「なっていた」からである。

90年代の議論でよく使われた「普通の国」ということばは要するに「アメリカみたいな国」ということを意味していた。

「アメリカ的」であることが「ふつう」であることだと言い募っても誰からも文句が出ない時代が「パックス・アメリカーナ」の時代である。

「アメリカ的って、ことは要するにアメリカ的ってことだろ?」という当たり前の定義が違和感なく共有されるとき、「アメリカの価値観がドミナントな時代」は終わる。

いまアメリカが世界の超大国である時代が終わりつつある。

もちろん、基本的な軍事的、経済的、文化的リソースの膨大なストックがあるから、もうしばらくは持つだろうが、すでに「落ち目」にかかっていることはわが邦と変わらない。

アメリカは先進国ではレアな「多産の国」である。特別出生率は2・0を超えている。それは「移民たちが多産」だからである。ということはあと数十年でアメリカは「白人の国」ではなくなるということを意味している。

ヒスパニックとブラザー&シスターたちとエイジアンが支配的なエスニックグループになるからである。

彼らがメイフラワー号的なエートスと、フロンティア・スピリットを継承すると私は思わない。

グリフィスの『国民の創生』を見ると分かる。

1916年製作のこの映画は当時のアメリカ人の「国民的統合」への意欲をみごとに図像化しているが、その意欲をドライブしているのは「ニグロにアメリカを渡すな」というルサンチマンだ。

ハリウッドはほんの80年前まで「クー・クラックス・クラン」が「怪傑白頭巾」である映画を作っていたのである。

そのあとさすがにあまりに差別的だというので、「騎兵隊がインディアンを殺す」映画にシフトした。そのうちに先住民を虐殺にするのもいかがなものかというので「米兵がナチを殺す」映画を大量に作った。「米兵が日本人を殺す映画」は国内の反日感情が高まるといまでも作られる。80年代からは「アメリカ人のヒーローがアラブ系テロリストを殺す」映画が主流である。

そういう国なのである。

もうそろそろ「そういうこと」を止めた方がよいのではないかと私は思う。

いつまでも「メイフラワー号」とジョージ・ワシントンで国民的統合を維持することはできないだろう。

だが、アメリカにはそれに代わる統合軸が存在しない。

だから、遠からず国民国家としては解体するだろう。

あまり遠い先のことではないように私は思う。


9月9日

少子化傾向が止まらない。

89年に「1・57ショック」と言われたが、その後も出生率の下げは止まらず、ついに2001年で1・33と過去最低を記録した。(これは合計特殊出生率の数値。一人の女性が生涯に産む子供の数のこと。)

たぶんこの傾向はこれからも止まらず、21世紀中に1・0を切るだろう。

私のまわりを見回してみても、30代の入っても、結婚もしないし、子供も産んでいない女性の数がどんどん増えている。

もちろん理由は「一夫一婦制がダメになった」ことに尽きる。

結婚して幸福な人生を送りましたとさ、めでたしめでたし人たちというのがまわりにぜんぜんいないんだから、あとが続くはずがない。

「亭主は要らないから、子供だけ欲しい」ということを言う女性は多い。逆に「結婚はしたくないけど、子供はほしいっすね」というようなことをほざく若者もいたりする。

だが、いずれも私は実例を身近に知らない。

「タネだけちょうだい」「腹だけ貸して」といわれて、「うん、いいよ」と気楽に応じるような人はあまりいない。

自分の子供は自分で育てる。

これがいまのところの基本である。

とりあえず「タネだけ」「腹だけ」の単機能のマーケットはいまだ成熟していない、と言わなければならない。(今後も成熟するかどうか)

となると、「タネ」と「腹」のユニットで子供を産み育てるというのが基本型になるわけだが、これが「一夫一婦制」といわれるものである。

その一夫一婦制が現在、みごとに崩壊過程にある。

幸せそうな夫婦、愛し合い尊敬し合っている夫婦、若い人たちが結婚生活の指針としたがるような夫婦、そんなものはもう「天然記念物」的にレアである。

むかしだって相性の悪さは似たようなものだったかもしれない。

だが、昔の人は結婚生活にあまり多くを期待していなかった。

だから、多少問題があっても「ま、こんなもんだわな」でやり過ごしてきたのである。

いまは違う。

意見の合わない夫婦、趣味の合わない夫婦、性格の合わない夫婦は、いくら憎み合ってもよいし、人前でどれほど相手に対する嫌悪感を表情に(お望みなら言葉に)出してもよい、むしろ「そうするほうが人間として誠実な生き方である」ということが常識となっている。

当然のことだが、人間、おたがいに本音のところを包み隠さず公開し合ってしまえば、この世に「愛するに値する人間」「尊敬するに値する人間」などほとんどいなくなってしまう。

「相手にあまり嫌われたくない」ので、本音を呑み込み、正体を隠し、人格の改造にこれ努めてきたからこそ、私たちは何とか愛し合い、信じ合ってこられたのである。

それを止めてしまって、その上でいっしょに仲良く暮らすなんて不可能である。

結婚生活の基盤は夫婦の愛情と信頼である、というのは「きれいごと」である。

愛情と信頼ほど頼りにならないものはない。

だからこそ「制度的枠組み」でぎりぎり締め上げておいて、愛情も信頼もなくなっても、「愛しているふり」「信じているふり」をしていれば、なんとか結婚生活が維持できるように工夫されていたのである。

その「締め付け」をみんなでよってたかって壊してしまった。

「純粋な愛情と信頼だけが夫婦を結びつけているべきであって、打算や世間体で結びついているべきではない」というのは正論だけれど、純粋な愛情と信頼「だけ」を条件にしたら、まず銀婚式を迎えられるカップルは存在しない。

夫婦の絆を「打算」から「愛情」に、「夫婦でいること」の理由を「わりと便利だから」から「宿命的な愛で結ばれているから」にシフトしたことによって、一夫一婦制は崩壊してしまった。

仕方がない。誰の責任でもない、ロマンティックな夢を見た私たち全員の責任である。

しかし、私たちは一夫一婦制以外に子供を適切に産み育むシステムというのをまだ有していない。

それゆえに出生率がどんどん下がるのである。

となると出生率回復のために、打つ手は二つしかない。

(1) 壊れかけた一夫一婦制をなんとか支える

(2) 一夫一婦制はあきらめて、それ以外の出産育児システムを創造する

このどちらかだ。

メディアの論調は、まだどっちつかずである。

朝日新聞生活面的な常識は「夫が仕事に没頭し、妻がひとりで家事全般を担当するという分業体制が育児を困難にしているのだから、男性がもっと家事労働を手伝えるように、日本社会が意識を変えるべきだ」というものである。これは(1)の選択肢から派生する提案のひとつである。

しかるに、そう言う一方で、同じメディアがとなりの紙面では女性の社会進出、雇用機会の拡大を要求しているわけだから、これを総合すると、「夫婦の両方が等しく賃労働し、両方が等しく家事労働をする」というのが当今の一夫一婦制の「理想」だということになる。

しかし、「夫婦の両方が等しく賃労働し、両方が等しく家事労働をする」協業夫婦は、どう考えてみても、「夫が働き、妻が家事をする」分業夫婦よりも「子供を産み育てる」ユニットとしては機能的ではない。それは、「社員全員が午前中は現場でものを作り、午後は営業に回り、夕方から経理をやる」企業と、「製造と営業と総務を、別々の社員が担当する」企業では、どちらが業務の効率がよいかを考えればすぐに分かる。

どんな種類の仕事であれ、全員が「同じこと」をするより、「手分け」してやる方が効率的だ。

自分の担当の「割り前」は自分向きじゃないから、そっちの仕事と替えてくれないか、という発想はありうる。だから、妻が外で働き、夫が家で子守りをするというのは、双方が適性をただしく判断した上でのことならば、クレバーなオプションである。

しかし、それを実践している夫婦は非常に少ない。

なぜなら、女性の職場進出の理由は、ほとんどの場合、妻の方が「稼ぎが多くて」、夫の方が「家の切り盛りがうまい」という合理的な理由による担当の「入れ替え」のためのものではなく、「夫の仕事の方が楽で面白そうだから、そっちの仕事をやりたい」という感情的理由によるからである。

メディアはそのような要求に理ありとした。

ということは、賃労働を「愉しい仕事」、家事労働を「苦しい仕事」と差別化することについての社会的合意が成り立ったということである。

そのような合意があるところで、誰が好きこのんで「苦役」を選ぶだろうか。

家事労働、育児は「苦役」である、ということについての社会的合意はすでに根づいている。問題はこの「苦役の押しつけ合い」をどう調整するか、ということに限定されている。

そこで、メディアは、男性労働者がもっと家事に専念できるように企業が労働環境と意識を変えるべきだと主張する、だが、そんなことをしても何も変わらないことはみなさん先刻ご承知のはずだ。

単純な話、ではサラリーマンの賃金を引き上げたら、彼らは残業するのを止めて、家事労働に従事すべく午後五時になったらまっすぐ家に帰るだろうか?

そんなことはありえない。

彼らは残業を止めないだろうし、仕事のあとに居酒屋で同僚相手に悲憤慷慨することも、土日はゴルフ通いをすることを止めないだろう。

それは彼らの給料を5倍にしても10倍にしても変わらない。

給料を上げれば、彼らはますます「会社好き」になるだけである。

サラリーマンを家に戻して家事をさせる方法は一つしかない。

労働条件を下げることである。

賃金が大幅にカットされ、残業代もつかず、帰途に酒を呑む小遣い、パチンコ代もゴルフ代ももなくなれば、いかほど仕事好きなサラリーマンも仕方なくまっすぐ定時になったら家に帰るだろう。

他にも「不公平な勤務考課を行う」とか「みんなでいじめる」とか「仕事を与えない」とか、サラリーマンを「会社嫌い」にさせる方法はいろいろある。

だが、そんなことをすべての企業が実践していたら、サラリーマンが家に帰りつく前に、日本経済が崩壊してしまうだろう。

育児休業を取る男性は0・42%。

この低さは育児休業を取ると、そのあと出世できないという企業の側の意識の低さが原因だとメディアは非難する。北欧なんかでは、男性がどんどん育児休業をとっているではないか、と「あちらでは」的論議がかまびすしい。

だが、それ以前に、「出世することがよいことだ」と思っている人間たち(メディアで正論を吐いている方々も含めて)の「意識の低さ」は問題にしなくてよいのだろうか?

要するに、いまの日本人は(サラリーマンも主婦もメディアも)全員が「金を稼ぐことは快楽だ」、「家事労働は苦役だ」という点については合意しているのである。

私はこのような合意を覆し、「金を稼ぐことは苦役であり、家事労働は愉悦だ」というふうに発想を切り替えることこそが問題解決のためのもっとも効果的なプロパガンダだとと思っているが、私に同意してくれる人はほどんどいない。(私の知る限りでは、村上春樹だけである)

だからいまの議論というのは、両性どちらもやりたくない苦役をどうやって押しつけ合うか、という少しも楽しくない主題をめぐっているわけである。議論が盛り上がらないのもうなずける。

 

そこでオプションの(2)である。

つまり、いままでの議論はすべて「一夫一婦制」の家族において育児がなされるべきであるということを前提としている。

「もう、一夫一婦制はあきらめよう」という本音は当然あがってよい。

ほかの方法で子供を産み育てようじゃないのというのは頭の切り替え方としては悪くない。

この場合、いちばん確実に出生率を上げる方法は「育児という苦役の相当部分を国家が担当する」ということである。

みなさんどんどん好き放題に子供を産んで頂く。育てるのがたいへん、めんどう、嫌いという人の子供はどんどん公立の施設で受け容れて、国費で育てる。

育児の苦役から男女を開放し、全員が「金を稼ぐ快楽」にフルタイム没頭することのできる夢の「サラリーマン社会」が実現するわけである。その分税収もふえるから、公立の託児所や保育園、養護施設、孤児院などもばっちり充実できて、みなさん「こころおきなく子供を生んで、『あとはよろしく』と放り出す」ことができるようになる。

こうすれば、出生率はあるいは上向きになるかもしれない。きっとなるだろう。

すばらしい未来社会だ。

でも、私はこんな社会にはまったく住みたくない。

いずれにせよ、刻下の事態を回避する抜本的名案というものは存在しない。

「ダメ」なものは「ダメ」なのである。

唯一私が可能性を見るのは、「一夫一婦制の古典的再編」である。

「愛し合っているふりをすること」と「愛し合っていること」は実は制度的には同じ意味なのだということに気づいて、「穏やかで睦まじい夫婦」を「偕老同穴」のその最後まで、本気で「演じ切る」ことに有り金を賭ける若い人たちがこの先出てくるかも知れない。

とりあえず、そういうカップルなら、この破綻しかかった制度をなんとかやりくりして、しばらくの間だけ、まっとうな家庭を作り、まっとうな子供を産み育てていけるだろう。

そのようなリアルでクールな若者の出現に期待するしかないと私は思っている。

それ以外の少子化傾向阻止政策はことごとく烏有に帰すであろう。


9月8日

『期間限定の思想』の初校が上がってくる。晶文社の安藤さんは仕事が早い。

ゲラを読むと我ながら面白い。「おお、それでどうなるのだ」と書いた本人もどきどきしながら頁をめくり、たちまち二回通読してしまった。何が書いてあるかを熟知している書いた本人が読んでもこれだけ面白いのだから、何が書いてあるか知らない余人にとっては興趣はいかほどであろう。

PHP出版の若い編集者がやってくる。

またまた新書の企画である。持ち込んでくるテーマはみなさんよく似ている。

この世の中はいったいこのあとどうなってしまうんですか?

私たちはこれからどういうふうに生きていったらよいのでしょう?

というご下問である。

若い編集者がそれだけ同じことを訊きたがるということは、たぶん、そういう問いに対する納得のゆく答えがなかなか見出せないということなのだろう。

それを私のところに訊きに来るというのが不思議である。

もちろん口から出任せでよろしいのであれば、いくらでもお答えしてさしあげる。

ほんとうに、そんなのでいいの?と訊くのだが、どうも「そんなんでいい」らしい。

よほど現代日本には「現代日本について納得のゆくこと」を語る人が少ないということなのであろうか。

評論家はそれこそ掃いて捨てるほどいるのに、メディアに流布している言説がみんな似たり寄ったりであることに、若い人たちは、あるいはいらだっているのかも知れない。


9月6日

スピノザの『神学・政治論』を読む。

レヴィナスの『困難な自由』にかなり長文の『神学・政治論』批判があるので、そのための調べものである。(私が何も調べずにほいほい翻訳をしていると思っている人は悪魔に喰われるであろう)

岩波文庫のスピノザはもう絶版なので、図書館から借り出す。

奥付を見ると1960年に図書館が購入した本である。後ろの貸し出し票を見ると、これまでの貸し出し回数は三回。

昭和1980年に当時総文の二年生であったK元佐江子さんが借りたのが最初。

その次に1996年に一人借り出しているがこれは私であるので、この本は過去42年間に二人しか読む人がいなかったのである。

K元さんはもう卒業されて二十年。お元気にしてますかー。(知らない人だけど、なんとなく気になりますね)

42年間に二人ということは、スピノザ、あまり人気ないのだ。

面白いんだけどなあ。

だいたい哲学史に名を残すほどの人は非常に頭の良い人であるので、(当たり前だけど)その文章の滋味や切れ味を楽しむだけで、(内容があんまりよく分からなくても)けっこう愉しめるものである。

スピノザのこの本は17世紀後半のオランダの貴族派と国王派の政治対立と、カルヴァン正統派とレモンストラント派の宗派的対立の複雑な言説編制の中で書かれているものなので、そういう思想史的文脈をおさえておいた上でさらにスピノザ自身が内面化しているユダヤ教とキリスト教の確執を知らないと意味がよくわからないのであるが、それでも「ぐいぐい読ませる」というところがさすがである。

「レモンストラント派」については、その昔、それについての18世紀のテクストを大学院の演習で読まされた記憶がある。

「ああ、あのレモンストラント派ね」とうなずいてはみたものの、それがいったいどういう教理を説いていた宗派であり、その後どうなってしまったのかというようなことは何一つ覚えていない。大学院に行ってもあまり役に立つ知識は身に付かないものである。


9月5日

湯郷温泉での「七回忌」ツァーを終えて、岡山に戻る伯母を送ってから、母、叔母、従兄といっしょに中国道を神戸へ戻る。

母と叔母は今夜は六甲山ホテル泊まり。ふたりとも摩耶小学校出身の「もと神戸娘」なので、このあたりはいろいろと懐かしいらしい。

母たちの旧宅は私が今住んでいる御影から少し西、六甲と王子公園のあいだの北側にあったそうである。私は不動産屋に案内されてうろうろちしているうちに、70年前に母がいた場所の近くに引越してきてしまったわけである。

こういうふうに気がつくと「何となく縁のあるところ」に住んでしまうというのが人間の不思議な感覚である。

「次はどこに住もうかな」というふうにアンテナを立てていると、「何となく」呼び寄せられるように、ある土地にたどりついてしまう。

私が賃貸を好む理由の一つはそれである。

人間はそのときどきに「そこに住むとよい」場所というものがある。

それは一定しない。

ご縁のある場所に、ご縁のある期間だけとどまるというのが適切な「住む」作法であると私は考えている。(比較するのもおこがましいが、漱石山房も観潮楼も「借家」である。そもそも漱石と鴎外は「同じ借家」をそれと知らずに相前後して借りたことまである。それってやっぱり「傑作を書くのにふさわしい家相」というものを文豪たちが感知したということではあるまいか)

だから、一箇所に根を下ろして・・・という生き方をする人が何を求めてそうするのか私にはよく理解できない。

親子代々の田畑があるとか、山林があるとかいうなら分かるけれど、せっかくどこに住んでも自由な身の「自由民」がわざわざローンを組んで、定住したがるのはどうしてなのだろう。

飽きない?

私は一箇所に数年いると飽きてくる。

だからこれまでに引越しをずいぶんした。

下丸子(家出)→東武練馬(出戻り)→下丸子(一家で引越し)→相模原(大学入学)→駒場東大前(寮から追放)→野沢(夜逃げ)→お茶の水(コミューン崩壊)→平間(同居人が逃亡)→自由が丘(1)(兄と同居)→九品仏(兄が出奔)→自由が丘(2)(結婚)→尾山台(出産)→上野毛(転勤)→芦屋(震災)→武庫之荘(マンション改築)→芦屋(大家さんのご都合で)→御影

こうやってリスト化すると、なかなかせわしない人生である。

最初の家出先の東武練馬の四畳半が流しとガス付きで7、500円(月収15000円、よく生きていられたなあ)。大学時代の自由が丘が6畳、台所トイレ付き(自作シャワー付き・ただし水しか出ないので夏のみ)16000円。尾山台のマンションが2Kで75、000円。上野毛が3Kで120、000円。(バブルのころだからやたらに高かった)。いまの御影が155、000円(3LDK、地下駐車場、トランクルーム付き)

こう見ると、家賃というものはあまり上がらないものである。(80年代に比べて、家賃は月額3万上がっただけ。給与の方はもう少し上がっている。)

いまの御影も来年の3月で契約更改なので引っ越す予定である。

静かだし、海も見えるし、まわりの住民はフレンドリーだし、言うことはないのだが、山の上なので、車がないと身動きならない。

母をときどき招きたいのだが、「平地じゃないと膝が痛いからダメ、歩いていけるところにデパートがあるのが望ましい」というむずかしい条件をお出しになっている。阪神間で条件があうところというと、芦屋しかない。

というわけでまた90年4月から8年半暮らした芦屋に戻る予定である。

17回目の引越。

一生で見ても、定住期間の平均が3年。20歳からあとだけとると、平均2年である。

すごいペースだ。

私が引っ越しを厭わない理由の一つは「家財が少ない」ことである。

るんちゃんが出て行ってからは、棄てるばかりで、ほとんど新規に購入しないので、家の中はさらに一段と「スカスカ」になってきた。

加えて私は学者としては異常なのだが、本を持たない人間である。

ふつう私くらいの年齢の同業者は「書庫問題」というもので頭を悩ませるのがつねであるが、(コンクリート作りの地下室を作ったりする人もいる)私の蔵書数は「そのへんの大学生程度」である。

商売柄、朝から晩まで本を読んでいるにもかかわらずこれほど蔵書が少ないのは、実は「同じ本を繰り返し読んでいる」からなのである。

古今千人の賢者の書いた本が揃っていれば、それを繰り返し読んでいるだけで、おおかたの問題については人間がどの程度までものごとが分かっているかは分かる、というのが私の持説である。

座右において再読三読昧読耽読に値する書物を書く人は、東西を通じて大目に見てまず一年に一人。(それでも多すぎるくらいだ)

だから、十年で十人、一世紀で百人。むかしの本は散逸しているから、有史以来で千人。

司馬遷からフィッツジェラルドまで、プラトンからレヴィナスまで入れても、まあ、そんなものであろう。

その千人について代表作を一冊読んでいれば、およそ人事にかかわることのほとんどについて基本的な知見は学べる。そう私は考えている。

これらの賢者が言及しなかったような論件は、まあ「どうでもいい」ことである。

「新潮文庫の100冊」でCD一枚。なら「古今の賢者の1000冊」はCD十枚に収まる勘定である。

服はどんどん棄てる。

一シーズン着なかった服は、翌シーズンも以降着ないデッドストックになる確率が90%以上なので、シーズンに一度も袖を通さなかった服はそのまま棄てる。

また私は「コレクション」というものをしない人間なので、そういうものは何もない。

さらにウチダは過去を振り返らない人間なので、写真も手紙も大掃除のときになると、まとめて棄ててしまう。(私に手紙を書いたり、写真の焼き増しをくれたりする人がいるが、そういうものは年末に古新聞といっしょに「廃品」となって回収されてしまうのである)

というふうに「ものを持たない」主義であるがゆえに、引越はあまりウチダにとって面倒な仕事ではないのである。

次回の引越では、過去4年間、御影居住期間内に利用しなかったすべてのものを棄ててゆく方針である。

この調子でゆけば次の次に引越をするときは2トントラック一台まで家財を絞り込めるであろう。

私が二十歳で駒場寮を出て野沢に移ったとき、荷物一式がカローラの後部シートに収まった。

でも、それだけで毎日を愉快に暮らすには十分だった。

六十歳までかけて、なんとか二十歳のレヴェルにまで「戻し」たい。


9月4日

母方の祖母の七回忌で、岡山の妙林寺というところまででかける。

真夏日の法事ということで、集まったのは娘三人(「娘」というのは親族名称上の呼称であって、「そこの娘さん」という場合のそれではない)と孫二人(「容貌は温良だが、言うことはきつい」従兄のツグちゃんと私)

孫は総計6人いるのであるが、四人は東京なので、神戸在住の二人が「孫代表」。

お寺で法要をすませ、お墓参りをして卒塔婆を立ててから、「暑いよう暑いよう」と苦しみつつ湯郷温泉へ。

露天風呂に浸かり、冷たいビールなどいただくうちによい機嫌となって、河合家の来歴について、伯母、叔母たちからいろいろとお話をうかがう。

この年になると、なぜだか祖先の来歴というものがだんだんと気になり出すもののようである。

むかしはぜんぜん興味がなかったのに。

祖父の家系、河合家は岡山池田藩のそこそこの家格の武士。

祖母の出た榎本家は東京の拝島で製糸業を営む豪商の家。

明治の末年のことで、東大の経済を出た祖父を前途有為と見込んで榎本貞子さんが嫁入りしたのであるが、蓋を開けてみたら、祖父は「飲む・打つ・買う」と道楽が三拍子揃ったスーパーC調サラリーマン。人柄が好かれてけっこう出世はしたし、娘たちもみなさん父親好きなのであるが、祖母にしてみると、あまりよいご亭主ではなかったようである。

話を聞くと、祖父は遊郭から六高に通ったそうだし、祖母はスーパーリッチなお嬢様育ちであったそうである。

母たちの代でも、神戸で過ごした娘時代はなかなかに優雅な暮らしぶりであったようだが、代が下がるにつれて、だんだんと昔日の勢いを失い、われわれ孫の代に至って、蕩尽すべき家産などというものは薬にしたくてもなくなってしまった。(あれば私が蕩尽してさしあげたのだが・・・)

「貸し家と唐様で書く三代目」

maison a louer とフランス語は出る三代目

唐様って、どーゆー意味と訊く四代目(字余り)


9月2日

ウチダは無数の人間的欠点の集積がそのまま人格化したような人物であるが、一つだけよいところがある。

それは「嫉妬心」というものを持たないということである。

持たないというよりは「欠落している」というべきだろうか。

他人の持ち物を見て「ああ、私もあれが欲しいなあ」とか、他人の幸福そうなありさまを見て、「私もあんなふうにハッピイな生活がしたい」と思ったことがない。

別に私自身が欲しいものはすべて手に入るほどにパワフルでリッチな人間であったからではない。(そんなはずがない)

欲しいものはたしかにあるのだが、それは「他人が持っているのを見て」欲しくなるのではなく、端的に「それ」が欲しいのである。

ことは単純に「それ」を私の関係であり、他の人は関係ない。

通常、人間的欲望は模倣欲望であり、人間は「もの」ではなく、他者の欲望を模倣するとコジェーヴもラカンもルネ・ジラールも言っているが、たまに私のように他者の欲望にぜんぜん興味がない人間もいたりするのである。

なぜそういうことになるのか。理由をご説明しよう。

嫉妬や羨望というのは、通常、「同類」を対象とする感情である。

つまり、私と同じような年齢で、同じな社会的立場で、同じような仕事をして、同じような生活をしている「均質的集団」の中から、比較対象を見つけて、その人と自分を比較して、「彼はあれ(権力、名声、プール付きの邸宅、美人妻、ジャガーなどなど)を持っているのに、私は持っていない(うう、くやしい)」というふうに感情が動くのが嫉妬や羨望である。

だから自分と「同じグループ」に算入される可能性のない人間に対しては、決して嫉妬や羨望の情というものは起こらないのである。

彼らがどれほどゴージャスな生活をしていようと、私がブルネイ国王とかビル・ゲイツとか村上龍とかを羨ましく思うようになるということはありえない。

ということは、嫉妬心が希薄な人間というのは、この比較対象を含む集団が「小さい」人間である、と言い換えることができる。

私が嫉妬心を持たないということは、私が「私の同類」と思いなしている人間が非常に少ないということを意味している。

私も人の子、もちろん権力、名声、プール付きの邸宅、美人妻、ジャガーなどなど「差し上げる」と言えば「頂くにやぶさかではない」一介の煩悩の犬である(「美人妻」に関してはとりあえず熟慮させていただくが)ただ、「私の同類」のみなさんは、誰一人そのようなものをお持ちではないで、嫉妬心の起こりようがないのである。