明日は明日の風とともに去りぬ

Tomorrow never knows what wind will take me away: from 1 Jan 2002



10月31日

大学自己評価委員会。

今日の議題はGPAの導入と、教員評価システムについて。

どちらも高等教育の「グローバリゼーション」趨向の中での、大学の教育研究活動の「品質管理」を規格化するための制度である。

ウチダはほんらいグローバリゼーションにも、教育のようなあいまいな活動を規格化することの意義についても懐疑的である。

しかし、世の中には「そんなことを言っても始まらない」場合というのがある。

高等教育の規格化とグローバル化は逆らいきれない趨勢である。

それだけ高等教育の質が(教員も学生も)「下がった」という事実がその前提にある。

ほうっておいてもアウトプットの品質が高いときに品質管理の必要を言い立てる人間はいない。

日本の大学が知性あふれるすばらしい学生を量産し、大学教員が堂々たる研究成果をあげて世人の崇敬を一身に集めているなら、誰も品質管理なんてことを言いだしはしない。

品質が下がっているからこそ、品質管理が必要となってきているのである。

学生のできも悪いが、教員のできも相当ひどい、というのが大学自己評価活動の「大前提」である。

そうはっきり言われると全国の大学教員のみなさんはさぞや不愉快であろうが、その否みがたい事実を前にしたところから自己評価は始まっている。

自己評価活動というのは、自分たちの大学でおこなわれている教育研究活動の「問題点」を洗い出し、それをどう改善するのかについて具体的な提言を行うことである。

しかし、なぜかそういうふうに考えている教員はあまり多くない。

多くの教員は、自分の教育研究活動の「問題点」の発見よりも、自分の「美点」をショウオフすることに熱心である。

それって、何か重大な勘違いをしていないだろうか?

私たちはいわば「堤防に空いた穴」を探している。

ほうっておくとそこから堤防が決壊するかもしれない将来的なリスクを発見するのが自己点検・自己評価活動である、というふうに私は考えている。

しかし、どうも教員のみなさんは「堤防の穴」の発見よりも、「穴はともかく、堤防の桜の木は美しい」とか「穴はともかく、堤防から見える富士山はすばらしい」というようなことを言い立てるほうにいそがしい。

ウチダは問題点を洗い出すための考課システム導入をご提案した。

それに対して、教員のみなさんのかなりの方が「問題点が表面化しないような考課システムに作り替えて欲しい」というご提言をされてきた。

あのー。それだと自己点検にならないんですけど。

教員のみなさまもたとえば自動車を車検に出すときに「点検リスト」(オイルの量は、とかVベルトのへたり具合はとか、タイヤのすり減り具合は)というようなものがあって、「問題点」の洗い出しをしていることはご存じであろう。

その場合に「問題点が表面化しないような点検リスト」を作ることはどういうメリットをもたらすのであろうか。

「タイヤがバーストしかけているけど、窓ガラスがきれいだから、問題なし」とか「オイルがなくなっているけれど、カーステレオの音がいいから、パス」というような点検をする整備工場にあなたは車を預けるだろうか?

私はあずけない。

そんなものを私は「点検」とは呼ばないからだ。

自己評価委員会は、うちの大学にはどんな問題点があるのか、個々の教員にはどんな問題点があるのかをリアルかつクールにチェックし、改善努力を要請するための委員会であるとウチダは考えている。

改善努力すべき点が徴候化しないような点検システムをつくることにいったい何の意味があるのか?誰がそれによって利益を得ることになるのか?

ウチダにはよく分からない。


10月30日

東京から編集者があいついで来神。

おとといは柏書房の五十嵐さん。昨日は医学書院から鳥居さんと杉本さん。

五十嵐さんは「源平」から「ジャック・メイヨール」へご案内。

そこに意外や「極楽スキーの会」のM杉先生とI黒先生が登場。やあやあと歓談しているところへステーキハウス国分の国分シェフと「株屋の美女」も登場。

カウンターにずらりと知った顔が並んで、借り切り状態でわいわいと盛り上がる。

いつ行っても誰か知っているひとが止まり木にいて、世俗を離れた清談が出来るバーというのがあるのはよいものである。

村上春樹の初期の小説に出てくる「ジェイズ・バー」みたいな場所をひとつ知っている人間とひとつも知らない人間では、ストレスの逃がし方にずいぶん差がでるように思う。

放歌高吟痛飲して深更に及ぶ。

 

翌日は医学書院から「看護」についてのインタビュー。

私のような医療の門外漢にいったい「なにを聞くねん」と思うのだが、「シロート」の立場からのご意見を拝聴したいというたいそうご丁重なお申し出であるので、口から出任せに「インフォームド・コンセント」とか「患者の自立」とかいうアメリカ発の医療概念についての批判を展開する。

インタビューの準備のためにかなり多量の資料を事前に送っていただいたので、ひととおり、現在の「インフォームド・コンセント」関係の議論は一瞥したのであるが、「病人にそこまで要求するのは酷だろ」というのが私の率直な印象である。

なかには「賢い病人になろう」とか「自己決定し、自己責任をとる自立した患者になろう」というようなことを主張しているひとまでいる。

あのね、こっちは病人なんだけど。

病気になる人間というのは、本人の生き方には何の関係もない遺伝性疾患なんかは別として、基本的に「病気になりそうな生活」をしていながら、それがやめられないでずるずるきちゃって、ついに発症したという点からして、すでにあまり「賢い」とは言えないのである。

その上、病気になると人間というものはもうへろへろに取り乱したり、すっかり気持ちがゆるんだりしていて、すでに健常時の判断力を失っている。

そういう人間に自己決定とか自立とかを求めるのはいかがなものか。

これまでの医療はむしろこの「健常時の判断力を失ってへろへろになっている」心神耗弱状態に陥った患者が「先生、あとはもうお任せします」というように受動的な心理状態にあることを利用して、治療を進めて来た側面がある。

当然のことながら、患者の側に治療者に対する信頼がある場合とない場合では、同じ医療行為を行っても、治療効果はまったく違う。

身体を治すのは最終的には患者自身の気分である。

同じ治療をしても、「治りそうな気がする」患者は治りが早く、「治りそうもない気がする」患者は治りが遅い。

使えるリソースは総動員&結果オーライ、というのが医療の基本原則であるとウチダは思う。

薬物も使う、ハイテク器具も使う、鍼灸も、アロマセラピーも、アニマルセラピーも、音楽療法も、サプリメントも、民間療法も、おまじないも、加持祈祷も、お百度参りも、使えるリソースはすべて動員して治療に当たる、というのが原則である。

どれかが「当たって」治ればそれでよい。

経験的に言って、「この医者についていれば私は治りそうな気がする」という「思いこみ」はよく効く。

医師にある種の全能性の幻想を賦与することで、患者は「自分ひとりで自分の病という宿命と対峙しなければならない」という心理的な負荷をまぬかれることができる。

私は単純な人間なので、具合が悪くなって病院に行っても、医師に病名を診断されて、「よくある病気なんだよ、これは(なんだ、つまんねえ)」というふうな横着な対応をされると、なんだかぐっと気分が楽になって、半分くらい治った気になってしまう。

つまり「私の病気」というプライヴェートな事件が、病院に行き、カルテにデータが書き込まれ、診療券のカードなんか発行されて、「オフィシャルな出来事」に類別されると、「なんだかこの病気に私はもう責任がない」ような気分になって、肩の荷がおりてしまうのである。

このあとどれほど病状が悪化しても、それはその横着な医者のせいであって、私のせいではない。

そう思うと、すっかり気分がよくなる。

責任の「丸投げ」によるストレスの回避、これは医療の呪術的側面である。

このように従来、医療では、「治療者」に自分を委ねて、完全に受動的な状態になるという「主体性の放棄」を活用してきた。

医師が白衣をきているのも、大きな肘かけ椅子に腰掛けて、ドイツ語でカルテに書き物をしていて、丸椅子にすわって裸で震えている患者の方をなかなか見ようとしないのも、聴診器で「こちらには聞こえず、先方にだけ聞こえる私の身体情報」を摂取している「ふり」をしたりするのも、すべては「呪術的」なふるまいである。

「ああ、この治療者は私よりも上の視座に立つ人であり、私について私よりも多くを知っているのだ」というカフカ的勘違いを患者にさせることによって、治療効果を高めようという人類学的知恵があのような「大げさな芝居」を要請するのである。

だから「お医者さんごっこ」という遊びあれほどはやるのである。

「医者」というのは本質的に「医者役を演じている」者だということを、子供だって感知しているから簡単に「ごっこ」ができるのだ。

総じて、「魚屋さん」とか「お寿司やさん」というような「演劇性のまさった商行為」は「ごっこ」化されやすい。(現に「JRのみどりの窓口ごっこ」とか「TSUTAYA の店員ごっこ」というようなものを子どもはやらない。働く人間が「素」を出している職業は「ごっこ」化されにくいのである)

閑話休題。

「インフォームド・コンセント」理論は医師と患者を同等の人間とみなす。治療方針について話し合い、最終的な決断は患者が下す。決定を下し、リスクを取るのは患者である。

こういう発想は「自己決定」とか「主体性」とかいう概念が神話的オーラをはなつような文化圏からしか出てこない。

「自己決定権を獲得できるなら、そのためには命も惜しくない」というような倒錯した考え方が支配的である社会でのみ有用な概念である。

というのは、そういう特殊な信憑が支配している社会では、「医師が決定した適切な治療」より、「患者が自己決定した不適切な治療」の方が高い治療効果を上げるということが起こりうるからである。

「私は自己決定した」という事実が、患者に「自分の生きていることの確かさ、自分の存在の有用性、自分のアイデンティティ」を力強く保証し、その心理的効果を支えとして患者はぐいぐい治癒するということがアメリカなら起こるだろう。

きっとそういうことってある、と私は思う。

しかし、「そういうこと」が可能なのは、アメリカみたいな「自己決定すること・自己責任をとること」を最高の人間的美質とみなすような特殊な民族誌的奇習を有する社会においてのみである。

日本は「そういう社会」ではない。

日本はむしろ「医師の全能性についての呪術的信憑」という民族誌的奇習を最大限利用して医療が効果をあげてきた社会である。

そのへんのところをよくよく考えないで、すぐに「グローバリゼーション」とか言うのはいかがなものか

というようなことを延々2時間話す。

若い編集者たちは、私の暴論奇論に深くうなずいていたけれど、こんなものを記事にしちゃって、果たしてよろしいのであろうか。

 

前夜、「ジャック」で国分さんからよい神戸ビーフがはいりましたから、ぜひステーキハウスのほうにも来て下さいとお誘いをうけたので、夕方から神戸の近代美術館で「ゴッホ展」を見てから、その足で三宮へ。

さすが神戸ビーフ。

感動的なおいしさである。

ワインもうまい。

ガーリックライスも絶品。

鉄板で焼いた淡路島のタマネギをからし醤油でからめて食べる。

う、うまい。


10月28日

昨日怪しいビデオを見たせいで、あれもこれも実地に試してみたいと、頭のなかに妄想がわき上がる。

矢も楯もたまらず、道衣に着替えてばたばたと体育館に一番乗りして、杖や剣を振る。

そ、そうか、この形は「こういうこと」を気づかせようとしていたのか・・・といろいろと年来の疑問がたばになって「腑に落ちる」。

多田先生はしばしば薩摩示現流の東郷重位の逸話を語ってくれる。

こんな話である。

近隣に野犬が出て危険なので、東郷の子弟らが連れだって野犬を斬りに行った。白刃をきらめかせて何匹かを斬り倒し、家に戻って、東郷重位の前で、「あれだけ斬ったのに、刀がいちども地面に触れなかった」と自慢した。

それを聞き咎めた東郷が、「太刀が止まったというようなことを誇ってはいかん。斬るというのはこういうものだ」と言うや、いきなりかたわらの脇差しを取って、目の前の碁盤を両断してみせた。その刃はそのまま畳をまっぷたつにして、根太まで斬った。

剣をつかう稽古の前に多田先生はかならずこの話をされる。

多田先生が剣をつかった打ち込みの目的をどこに置いているのか、それをこの逸話から私たちは推察しなければならない。

東郷重位が咎めたのは、刀での斬撃が対象にとどまったことである。

ということは、斬撃は対象を突き抜け、とどまるところを知らず突き進むような質のものでなければならないというのが示現流の教えだということになる。

刀を「ものを斬るための武具」というふうに考えていると、この意味が分からない。

「もの」が目の前にあると、それに心がとどまる。

その「もの」を斬ろうとして、そこに固着する。

「斬る対象がある」という事実そのものが人間のもつほんらいの力を減殺させる。

目の前に碁盤があって、それを脇差しで両断しようというときに、「ここに碁盤があり、その下には畳があり、その下には床板があり、その下には根太があり、その下には地面があり・・」というふうに斬るべき「もの」を想定していたら、おそらく斬ることはできない。最初の碁盤で刀ははね返されてしまうだろう。

斬ろうとする「りきみ」が人間の出せる力を大きく殺ぐのである。それが「居着き」となる。

そこに何も無いかのように、刃筋を立てて、すばらしい速度で、一気に対象の彼方にまで透徹することができなければ、単なる力をもって、碁盤を斬るとか兜を割るとかいうことはできるものではない。

昨日は杖道の形を遣いながら、なぜ中段に擬した剣を打ち落とすという形がこれほど多いのか、その理由が少し分かってきた。

そこに「剣がある」と思って振り下ろすと、そこに杖がとどまる。その打ちは床を打ち抜き、根太までうち割るような斬撃にはならない。

そこに剣はあるのだが、それに心を止めないために、あえて剣を擬していると考えると、納得がゆく。

剣は「ネガティヴな条件づけ」としてそこに想定されている。剣に応じようとしては杖は必ず遅れる。だから剣は「見えてはいるが、見てはいないもの」としてそこにあると考えなければならない。

そのような心の使い方を多田先生は「安定打坐」と呼んでいるではないだろうかというようなことを考える。

杖の稽古をするほどに、体術と剣術、杖術の技法的な連関がだんだんと薄皮を剥ぐように見えてくる。

もちろん私にわかるのは理屈だけで、術技は遠くそれに追いつかない。(合宿の青竹斬りでも一回失敗しちゃったし)

しかし、「こっちの方を目指して稽古をすればよい」ということを確信してやるのと、ぼんやりしているのでは、日々の稽古の密度が違う。

私のように週に三日程度、二三時間の稽古時間しかもてない上に資質凡庸な武道家は、一人稽古において「何のためにこれをするのか」という明確なプログラムを立ててゆかないと、とても生きているあいだにめざす境地にはとどかないのである。

ああ、もっとお稽古がしたい。


10月27日

丸亀から帰ってきたら、気楽な講演旅行とはいえ、旅の疲れが出て、そのまま日没まで爆睡。

爆睡したあと、不意に「おでん」が食べたくなり(丸亀のうどんやには必ず「おでん」と「いなり寿司」が常備してあって、セルフサービスでうどんが来るのを待ちながら食べられるのである)、思い立っておでんを作成する。

昆布、大根、ひろうす、厚揚げ、蒟蒻、糸蒟蒻、うずらの卵、鶏卵、蛸などを放り込んでぐつぐつ煮込む。

非常に旨い。

一人暮らしのよいところは、好きな食べ物を好きな時間に好きなだけ食べられるということである。

一般に主婦が亭主よりも平均寿命が長いのは、自分の食べたいものを作って出しているから、という説がある。

結婚したあと、ほとんどの男は「新婚ぶとり」というものをするが、あれは食べたくないものを「おいしいおいしい」と言って大量に食べることを義務づけられているからである。

なんだか身体に悪そうだ。

「おでん」を飽食して、(しまった、またダイエットのことを忘れていた)ごろごろテレビのニュースを見る。

モスクワのテロ、ワシントンの狙撃事件、バリ島のテロ、日本でも衆議院議員が刺殺された。

血腥い事件ばかり続く。

 

気分転換に守さんからいただいた秘蔵ビデオを見る。

おお、こ、これは凄い。人間の身体がこんなふうになるなんて・・・えええ、そ、そんなあ。

うっそー。

という感じで2時間どきどき。

うーむこれを今後の人生にどのように活用すべきか・・・

何のビデオかって?

そんなこと、こんな場所で言えますかいな。


10月26日

講演会のために四国は讃岐丸亀に行った。

ピンの講演会というのは生まれてはじめての経験である。(エルプリュスの夜会は小林昌廣先生との「かけあい漫才」であったから、いわばいつもの宴会の延長戦のようなものである)

教場でマイクをもってよしなしごとをしゃべるのは本業であるが、「丸亀市中央商店街」の自営業のみなさんを前に、それも聴衆の8割方はご婦人たちという状況で、何を講演すればよろしいのであろうか。

何を話そうか、瀬戸大橋を渡りながら考えていたが、丸亀駅で「いかりや呉服店」の若旦那であり甲野先生門下の逸材である守さんにお迎えいただき、そのままうどんやに連れていって頂いて美味絶佳のうどんを賞味しつつ歓談しているうちに、まあなんとかなるでしょ、といういつものはげしく楽観的な気分が支配的となる。

商店街関係のみなさまと名刺交換などをして、さっそく講演。

演題は「これで日本は大丈夫?」。

せっかく高額の会費をはらって参加されている聴衆のみなさまに「これでは日本はダメになる。まあ丸亀中央商店街にも明るい未来はないでしょう」というような悲観的なことを申し上げて、飯をまずくさせるわけにはゆかない。

あれこれあってこの先日本はゆっくりと衰えてはゆくけれども、それほどドラスティックな変化はないだろうし、それなりによいこともあるし、若い人たちはけっこう賢いんだから、私ら中高年のものはにこやかに次世代の成長を支援いたしましょう、というようなお話をする。

持ち時間50分間を5分オーバーして、無事終演。

1時間弱の仕事にしては法外な金額の謝礼を頂く。

こんなことを続けていてはたちまち人間がダメになりそうな金額であるので、詳細は秘密である。

講演はあと二回。高砂と芦屋でやる。それで「期間限定物書き」店じまいであるので、もう講演はおしまい。

生涯三回こっきりの講演であるから、多少のことは目をつぶって頂きたい。

そのあとの懇親会で守さんと懇談。

守さんとは今年の二月に甲野先生と芦屋の稽古に遊びに来て頂いて以来のおつきあいであるが、豪放にして繊細、ノンシャランスと気配りがみごとにブレンドされた一陣の春風のように気持ちのよい方である。名越先生といい守さんといい、甲野門下の傑物に辱知の栄を賜ったことは、今年の大収穫であった。よいご縁をつくって下さった甲野先生にはほんとうに感謝しなければならない。

 

翌日曜は朝から丸亀市内を車でご案内頂き、美味しいコーヒーをごちそうになり、さらに当地自慢のうどんを食す。

実にうまい。

昨日に食べたのは「古典派」(てんぷらぶっかけ)、本日のは讃岐うどんの「ヌーヴェル・キィイジーヌ」(釜しっぽく)である。牛蒡、人参、里芋などがうどんの上にごろりの載っているのであるが、その丹精した野菜の甘みといい、ゆで具合といい、うどんとのからみといい、絶妙である。

ともあれ、讃岐人のうどんによせる情熱は実にひとをして感動せしめるものを含んでいる。

丸亀は静かで温かくて、自然がきれいで、うどんがうまくて、ほんとによい街である。

また遊びに来ますね。


10月24日

白川静+梅原猛『呪の思想』を読む。

礼も楽も詩も、その起源は「呪鎮」であるという白川説を読んでいるうちに、どうして最近の若い人たちにあれほど「ミュージシャン志望」が多いのか、なんとなく分かったような気がしてきた。

ロックは呪であるという説は何年か前に唱えたことがある。

『ウッドストック』のヴィデオで10 Years after のアルヴィン・リーの神懸かり的なギタープレイを見ているうちに、不意に「あ、ギターは呪具か、あれは破邪顕正の弓弦の響きだったのか」ということが腑に落ちたのである。

ロックコンサートは宗教儀礼だ、アイドルは教祖だ、というようなことはもうとっくから社会学者が言っていることだから珍しい話ではないが、バンドブームというのは、言い換えると、若者たちが呪鎮の「受益者」たる「信徒」であることにあきたらず、みずから呪を行う「巫祝」になろうとしているということである、という事実については、まだ十分吟味されていないようである。

俳優志望、ダンサー志望の若者も多い。

これらも起源はすべて宗教的なものであり、その本義は「共同体をことほぎ、そこに災いをなすものを鎮めること」にある。

つまり、いまの若者たちにひろく見られる「エンターテインメント志向」は言い換えれば「原初的形態における呪の実践志向」である、ということになる。

なぜ、若者たちはみずからすすんで「呪」を行おうという気になったのであろうか。

私はそこに興味をひかれる。

白川静先生によると「詩」には「賦」というものとがある。(ほんとは六義と称して六つのカテゴリー分けがあるらしいけれど、それはさておき)

「賦」というのは「ことほぐ歌」である。それはわが目に見えるものを微に入り細を穿って描写する「国ほめ」の歌である。

目の前にある自然の風景をぐいぐいと読み込むというのは、別に写実的再生そのものを目的としているのではなく、それによって、そこに写生された風物を「祝」しているのである。

ユーミンの『中央フリーウェイ』なんかは「右に見える競馬場、左はビール工場」っていうふうに中央高速から見える景色が読み込まれてゆくし、相模線に乗って八王子から江ノ島のサーフショップまでゆく車窓の気色を歌ったのもある。立川あたりの米軍基地のランドリーゲイトの風景を歌い込んだのもあった。(たとえがふるくてすまぬ)

あれは「国ほめ」だったんだ。

サザンの『勝手にシンドバッド』の「江ノ島が見えてきた、オレの家も近い」というのも湘南風物を読み込んだ「賦」なんだろうな。(これもたとえがふるくてすまぬ)

もちろん詩には「賦」ばかりではなく、事物にふれて感興を綴る「興」という詩体もある。

いずれにせよ、今の若い人たちの歌う歌はべつに大上段にふりかぶった「反体制ソング」とか「革命歌」とか、そういうものではなく、彼らのなにげない日常生活や日々の感興を歌ったものであり、その限りでは、彼ら自身による彼らの日常の「聖化」のこころみであると言える。

そのささやかな日常を破壊しかねないものから、せめてそれだけは「守りたい」という思いが、彼らをして「巫祝」に向かわせるのではあるまいか。

若者の世界はもともと狭いものだが、いまの若者の世界はどんどん狭隘なものになっている。

狭い世界なら「呪」が届く。というより、ある程度以上広い世界では「呪」は効かない。

たぶん、これは21世紀の世界が「グローバル化」という全体的な趨勢と並行して、あらわな「部族化」が進行しつつあることの徴候のひとつであるような気がする。

「2ちゃんねる」なんかも、規模はでかいけれど、「貴船神社」とほとんど人類学的機能を同じくしている。

あそこで人々がやっているのは「電子版・子の刻参り」である。

私たちはどうやら新しい「巫祝の時代」に入り込んだようである。


10月22日

西宮市の大学交流センターで授業。

本学のほか、関西学院、聖和、武庫川、夙川学院、甲子園、大手前、兵庫医科など、市内の八学校法人から教員が出て、単位互換の授業をやるという試みである。

京都ではかなり成功していると伺っているが、西宮市はまだ二年目。科目数も少ない。

こういうところで一席ぶつのはウチダの得意芸であるから、「いきなりはじめる映画記号論」や「寝ながら上達する武道技法論」のような講義をやってみたら愉しそうな気もするけれど、別に誰からもそういうオッファーがない。

「女性学」の講義なので、フェミニズムについて語る。(フェミニストが聞いたら気絶しそうな内容のこと)

学生たちは最初のうちこそ顔を青ざめさせて話を聞いているが、そのうちに精神の緊張に耐えきれなくなったらしくばたばたと昏睡してしまった。

なるほど人間というのは、こうやって「仮死状態」を擬態することによって限界を超える精神的ストレスを回避するものなのであるということがよく分かる。

現に私のほかの授業でもしばしば「仮死状態」のものが散見されるが、あれは私が教壇から吐き散らす毒息に気息奄々となりながら、なんとか生き延びようと懸命の努力をしている姿なのである。

まことに涙を誘うほど可憐な姿ではないか。

 

クラスの大半が仮死状態と死後硬直状態になってしまったので、やむなく授業を終わりにして、夕食の買い物をして帰宅。

これは便利。

教室からエレベーターで降りるとcoopの食品売場で、その下が駐車場。

もやしとキャベツと鶏ボールとラーメン玉を買って、「キムチ・ラーメン」を作り鍋からじかに食べる。冷たいビールとよく合う。

このところ橘さんのオススメの「煮込み野菜大量摂取ダイエット」というものを実施している。

ほんとうは野菜だけで、固形物はせいぜい厚揚げとコンニャクくらいで、肉や麺類を入れるのは邪道なのだが、ウチダとしては動物性蛋白質とデンプン質を摂取しないと生きている気がしないので、なかなかダイエットの効果があがらない。

でもやっと1キロ痩せた。

目標は71キロ。あと3キロ痩せる。

キムチ・ラーメンで満腹して、シーバス・リーガルの水割りをのんでいるうちに強烈な睡魔に襲われ、そのまま午後10時就寝。

爆睡していたら、真夜中すぎに松聲館の甲野善紀先生からお電話。

半分眠りながらお話する。

甲野先生のところはジャイアンツの桑田君の件でマスコミ取材が殺到し、なにがなんだかすごいことになっているらしい。

こういうふうなかたちで武術の身体技法の合理性と深みが知られることはたいへん悦ばしいことである。でも、野球の専門家からは当然バックラッシュがあるだろう。

そりゃそうだ。

プロ野球のピッチャーたちが「ぼくも桑田さんみたいに、肩にも肘にも負担のかからない投球法をマスターしたい」と言い出し、野手たちも「あのフットワークをマスターしたい」と言い出したら、現在のプロ野球のコーチングスタッフは真っ青である。

彼らには、ためない、ねじらない動きの合理性はたぶん理解できないだろう。

しかし、桑田君の実績は否定しようがない。

となると、おそらく「あれは桑田という天才投手の超人的な身体能力によるものであって、武術とは関係ない」というかたちで話を矮小化しようとする人が出てくるだろう。

その過程で甲野先生に対する非難ややっかみも(プロ野球界と武道界と両方から)出てきそうな気がする。

甲野先生が、桑田君の件はうれしいけど、これからちょっとたいへんかな・・・とやや微妙な口ぶりをされるのは、そんな予想が先生にもあるからだろう。

これが「パイオニアの受難」というものかもしれない。

甲野先生にはますますがんばって頂きたいものである。

かげながら応援してますからね。


10月21日

関西電力のメールマガジンからお仕事依頼がある。

ぴーちゃんのお勤め先であるから、よろこんでお受けする。

今度は600字で5並び。一字80円の高額バイトである。

「私が思うに」と書くだけで400円である。

コンビニでおにぎり二つとウーロン茶を買ってもお釣りが来る。

原稿依頼があるたびに、こんなふうに「一字あたりいくらか」という計算を電卓でこちょこちょ勘定する姿を見て、読者諸氏は「ウチダはせこい」とお思いであろうが、しばしご海容願いたい。

ウチダのバイト人生は1966年の春休み、銀座の「東京園」という中華料理屋での「皿洗い」バイト(時給100円)から始まった。

時給100円から「瞬間最大風速時給」20万円までの有為転変を想起すると、うたた感慨に堪えないのである。

・・・・・・・

はい、感慨に堪える時間は終わりました。この話はこれでおしまい。

「レヴィナスとラカン」という論文を発作的に書き始める。

これは来年のR谷大学での研究会発表の演題なのであるが、12月の九州で頼まれているレヴィナスについての研究発表も同じネタにしよう、ということに勝手に決めて、その準備を開始したのである。

九州の方はたしか「レヴィナスと女性性」というようなご依頼であったが、エロスの問題ということになるとやはり精神分析におでまし願うしかないし、そうなるとフロイト=ラカンとレヴィナスの関連ということに話が及ぶは必定であり、しかるにその関連について私はいままでいちどもまじめに考察したことがないので、質疑応答の場でうろたえて「また勉強してまいります。はい」といって高座を降りるのもなんだか申し訳ない。

というわけで「レヴィナスとラカン」。

両者の共通点については、すでに指摘する人が少なくない。

はっきりしているのは「他者による主体の基礎づけ」という基本的な構図と、「他者の欲望を欲望する欲望」の概念である。

これはいずれもヘーゲルの考想であるから、レヴィナスとラカンを結びつける事実とは彼らがいずれも「ヘーゲリアン」だということになる。

ほんとかしら。

デリダは『暴力と形而上学』でレヴィナスはヘーゲリアンだと何度も何度書いていた。はじめて読んだときは何のことかよく分からなかったが、言われると、なんとなくそんな気もしてきた。

というわけで年来の気がかりであったこの問題に取り組んでみようということで発作的に論文を書き出したのである。

はたして、レヴィナスとラカンを包括的に一望する俯瞰的視座をウチダは構築することができるであろうか。

刮目して待て。


10月19日

久しぶりのまるオフ日曜日なので、たまった仕事を片づける。

まず女性学のノート作成。

後期は西北の「アクタ」(芥?いったいどういうネーミングなんだろう。ゴミ捨て場の跡地利用かなんかだったのかな)で西宮六大学の単位互換授業である。

フェミニズムの言語論を紹介してから論駁するという忙しいプログラムなので、とても90分三回では収まらないだろう。

フェミニズム批評理論の批判の前提となるバルトやラカンの理説を解説しているだけで終わってしまうかもしれない。

まあ、それはそれでも多くの学生さんにとっては耳新しい知識だろうから、無駄ではないと思うけど。

講義ノートを作るが、こういう作業はほんとうにパソコンの登場によって革命的に簡単になった。

これまで書いたペーパーのあちこちをカット&ペーストすればあっというまに一冊分できてしまう。

ひさしぶりにジュディス・フェッタリーやリュス・イリガライの文章を読み返したが、あらためて本当に頭の悪い人たちだと思う。

どうしてこれほど頭の悪い人間たちがある程度の知的威信をかちえているのか、ウチダにはうまく理解できない。

フェッタリーは「アメリカ文学は男の文学だ」というところからはじまって、アメリカ文学を女性読者が読むという経験は、男性的なものの見方(「よい女とは死んだ女である」)に自己同定することであると書いている。

フェッタリーがそう思うのは彼女の自由であるが、でもそれなら、アメリカの女性読者にとってベストの選択は「抵抗する読者」になることではなく、「アメリカ文学なんか読まない」ということではないのだろうか?

違うだろうか?

フェッタリーの理屈で言えば、例えば、北朝鮮文学(なんてものがあるかどうか知らないけど)が「金王朝の独裁支配を正当化するイデオロギー装置」である場合、そのような思想に同化されないためには、「これはヘンだ、これはプロパガンダだ」と必死に抵抗しながら読むべきである、ということになる。

でも、ほんとうにテクストに横溢するイデオロギーに毒されたくないのなら、どう考えても、いちばん適切な選択は「読まずに、まっすぐゴミ箱に棄てる」ということである。

私ならそうする。

あるいは通俗的なポルノグラフィーは「女性蔑視的な男性の性幻想が横溢している」。これは紛れもない事実である。

そのような有害な性幻想の悪影響をのがれたいと思うなら、とりあえず適切な対処法は、そんなものは読まない、ということである。読んでいる人がいたら、「やめなよ」と言うことである。そのへんに落ちていたらゴミ箱に棄てるということである。

だが、フェッタリーの理屈でいうと、「女性蔑視的な男性の性幻想が横溢しているポルノグラフィー」のイデオロギー的影響からのがれるためには、「その性幻想を批判しつつなめるように読みまくるべきだということになる。

「うんちはきたない」

その場合、「なぜ、うんちはこんなにきたなく、臭いのだろう」とうんちに鼻をつっこんだり、嗅いだり、なめたりすると、ますます気分が悪くなる。

フェッタリーが推奨しているのは、そういうことのように私には思える。

フェッタリーはアメリカ文学は有害なイデオロギー装置である。だからこそ、「なめるように読め」という。

これって、どこか倒錯していないだろうか?

この倒錯を説明することのできる理由を私は一つしか思いつかない。

それはすべての女性読者がアメリカ文学を読むのを止めたら、アメリカ文学者であるフェッタリーが失業するということである。

フロイトが教えてくれているように、私たちは構造的に自分の欲望を勘定に入れ忘れる。その点については、私だって同様であるから偉そうなことは言えない。

でもフェッタリーほどあからさまに自分の欲望を勘定に入れ忘れるケースはいささか珍しいのではなかろうか。

 

ノートがあっというまにできたので、(怒りながら仕事をするとなんでも捗る)次は『週刊文春』から頼まれた四回分のエッセイを書く。

これはJTの広告の中のエッセイで、「大人の愉悦」的なテーマで書いて下さいというもの。

どうもJTさんは「エルプリュスの夜会」でもそうだったけれど、その路線で迂回的に「喫煙文化の再評価」というふうに話をもっていきたいらしい。

禁煙運動家のS井先生が聞いたら、一発で「非国民」扱いされそうだが、さいわいS井先生は留学中なので、正義の鉄槌は回避できそうである。

700字の原稿で5並びという高額バイトである。

なんと割のよい仕事であろうか。

一字70円。

「そこで私は・・・」と書いたら、もう500円。

「そこで私はこう考えたのである。」でもう1050円。

ヨシオカくんがマクドでハンバーガーを1時間売りまくって得るバイト代を3秒で稼ぐことができる。

こういうのを「濡れ手で粟」という。

もちろん、こんなことをしていては、たちまち私の金銭感覚は狂ってしまう。

私が「メディアに書くのを止める」というのは、こういうデタラメな金銭感覚になじむと人間ろくなことにならないからである。

ろくなことにはならないが、とりあえず「どういうふうに」ろくなことにならないのかについては、身を以て人体実験を試みたくなるのもまた学者の「業」である。

というわけで、狂った金銭感覚がどのように私の心身を腐らせるのかを身を以て経験すべく、まなじりを決して、あらよっと1時間で四本のエッセイを書き上げる。

時給20万円。

ああ、いけない。

なんと罪深いことをしてしまったのだろう。

もうちょっとだけダメになったら、きっぱりとこういうヤクザな仕事からは足を洗い、また大根の値段に一喜一憂する健全な小市民に戻らねば。(何が「ねば」だか)


10月19日

合気道のお稽古にいったら、いつもよりたくさん来ている。

昨日の夕刊を見て、「おお、そうだ。たまにはウチダの顔も見に行こう」と思ったようである。部員のご家庭でも、親御さんが「あら、ウッチーが新聞に出てるわよ」と話題になったそうである。

新しく入会したいという方も来たし。

新聞に出ると、こういう「よいこと」もある。

男子がたくさん来たので、調子にのってばんばん稽古していたら、終わり頃にまた背筋が痛んできた。

よろよろと帰宅。熱いシャワーを浴びて昼寝をしてから、鍼へゆく。

合宿から帰ってから通い始めた阪急六甲の駅近くの鍼医。芳香四方に薫じ、「癒し系」音楽などもかかっているところでぷすぷすと鍼を打たれて、背中をほぐほぐしていただく。

筋肉の痛みがすうっと消えて行く。さすが中国四千年。

 

もう店じまいだと言うのに、今度は『中央公論』から連載書評の依頼が来る。

来年からもう仕事はしない旨を書き送り、丁重にお断りする。

いま締め切りのある原稿が月間数本。この年末はもっとふえる。

原稿を書くのは別に苦にならないが、その分、あきらかに眼に見えないところで「本業」を怠っている。

例えば、去年まで私はゼミ生たちのレポートのすべてに長い感想文を添付して返していた。それは私にとって、家で夜、お酒を呑みながらパソコンを叩く、とても愉しい時間だった。

その時間が今は取れない。その暇があったら、締め切りの迫った原稿を書かないといけないからだ。

だから、今年はゼミ生にきちんとした個人指導ができていない。

授業のためのノート作りのための時間もずいぶん短くなってしまった。十分な下調べができないまま教場に出かけるので、結果的に「その場で思いついたこと」をしゃべって盛り上げて・・・という「パフォーマンス技」で凌いでいる。

しかし、こういう「芸」だけで凌ぐスタイルだけでは、どこかにひずみが来る。

大学のさまざまな戦略的課題についても、ほんとうは職務上要請されている研究調査をすすめてゆかなければいけないのだが、オフの日は疲れて倒れているので、その種のシンポジウムや報告会への出席もままならない。提言のとりまとめもいつも時間ぎりぎりに殴り書きのようなものを出して済ませている。

いずれもいまはまだ破綻は表面化していないが、いまのような仕事の仕方を続けていれば、(あるいは今以上に「物書き」に時間を割いていたら)遠からず大学のメンバーとして周囲に迷惑をかけるような事態になることは火を見るより明らかである。

ウチダは給料取りであり、そうである以上、本務を最優先することは当然である。

そもそも私の本はそういう「当たり前のサラリーマンの常識」があまりに軽んじられている当今の風潮を嘆いたものである。

「ほんとうの自分らしさ」とか「クリエイティヴな生き方」とかいう薄っぺらな幻想を追いかけるのを止めて、きちんと地に足の着いた、自分の「分際」をわきまえた生き方をしましょうと提言している夫子ご自身が本業をさぼって浮かれていては話にならない。

 

メディアに名前が出ることを私が嫌うもう一つの理由は、それが不特定多数の人間の「敵意」を呼び寄せることにある。

メディア上で名を知る人について、私たちは勝手なイメージを作り上げ、ときには「仮想師」や「仮想友」に、ときには「仮想敵」に仕立て上げて、感情移入を行う。

そういう幻想を作り出すのは私たちの「業」のようなものだから、やめろというわけにはゆかない。私自身だって、これまでいろいろな思想家や作家について、勝手に「師」にまつりあげて拝んだり、一転して「敵」とみなして足蹴にしたり、そういうことを繰り返してきた。

しかし、勝手を申し上げるならば、自分はそういうことをしてきたくせに、自分自身がそのような幻想的な感情移入の対象になるのはいやなのである。

気持ちが悪いのである。

とくに「仮想敵」とみなされて、知らない人から幻想的な敵意を送られるのはすごく気分が悪い。

敵意というのはある種の物質的実体を持っている。

敵意のもたらすある種の「憎しみの波動」のようなものは、空中を飛来する小石の礫程度には「ターゲット」を破壊することができる。

見知らぬ他人からのものとはいえ、悪意や邪眼というものを侮ってはいけない。

 

物書き商売を始めたら、知らない人からいろいろなメッセージが送られてくるようになった。ほとんどは好意的なものだったが、中には敵意を含むものもある。

敵意にもいろいろな段階があるが、いちばん妄想的なものは「ウチダが私をつけ回して、あちこちで私の自己実現を妨害している」という『症例エメ』のような敵意である。

今のところそういうのは二三人しかいないが、潜在的にはもっといるはずだし、いまのようなペースで仕事をしてたら、これからもっと増えてくるだろう。

そんな悪意からわが身を守るために時間やエネルギーを割くのは純粋な消耗である。

だいたい、今だって、顔見知りの人間たちから送られてくる悪意や怨念への対応で手一杯なのである。(こちらは全面的に私の不徳のいたすところなので、言い訳できませんが)


10月18日

毎日新聞のインタビューがある。

今回のテーマは「変人畸人」。

ノーベル賞を、博士号をもたない民間の技術者である「変人」の田中さんが受賞したのを「変人宰相」が言祝ぐという、実にメディア向きな図像のせいで、おそらくはこのあと「変人を歓迎する風潮」というものが安直にメディアに横溢するのではないか、と危惧された毎日新聞の記者さんが、「変人」ウチダに、「こういう風潮、どう思います?」とお訊ねに来たのである。

私もいろいろなことの専門家として「ご意見拝聴」の皆さんをお迎えするのであるが、「変人として」意見を聞かれたのははじめてである。まったく人間というのはいろいろな分野の専門家になれるものである。

7月のエルプリュスの夜会は「煙草を吸う人間として」のご招待だったし、8月の『婦人公論』の取材は「『エースをねらえ!』の愛読者として」のインタビューだったし、先日の朝日新聞は「武道家として」の取材であった。「レヴィナス思想の専門家として」のお座敷も二つほどかかっているし、冬は鹿児島大学で「バカ映画解釈の専門家」として集中講義を担当することになっている。

そう考えてみると、この先私は「父子家庭における子育ての専門家として」、あるいは「口からでまかせをいくらでも言える技術の専門家として」、あるいは「1のインプットで5のアウトプットを産出する知的生産の技術の専門家として」などいろいろな切り口からの専門家に擬される可能性がある。

というわけで、謹んで「変人」として、「変人畸人論」を2時間ほど滔々と語る。

ウチダの論によれば、「変人」とは同時代のマジョリティからの偏差の関数であり、単に量的に「少数派」であるという数量的なことしか意味しない。

しかるに「畸人」とは、「古人」を範にとり、その学統、道統など「時間軸上」の系列のうちにわが身を位置づけ、同時代における自分のポジションというのを二次的なデータとしてしか顧慮しない人間のことである。

「畸人」は時間軸上においては、私淑する先賢と「いかに同一化するか」を課題として生きており、同時代人との差別化を主要な関心とする「変人」とは標準とするものが違う。

だから、「畸人」はときに「変人」であるが、「変人」必ずしも「畸人」ではない。

その意味では、私は「畸人」であって、厳密な意味での「変人」ではない。

「変人」は放っておいても生まれてくるが、「畸人」は継承すべき「道統」というものを措定しなければ生まれない。

私は多田宏先生とエマニュエル・レヴィナス先生を師として敬慕し、その道統を継承して次代に伝えることを生涯の課題としている。

さいわい多田先生とレヴィナス先生は、現在お二人ともに同世代のみなさんから、その卓越性に相応しい敬意を受けておられるので、私は畸人ではあるが、変人であるかどうかは私には分からない。(その判定は私の管轄ではない)

学校教育はその本旨からして「変人」を育成することはできないし、そもそも「変人を適正量育てる」ということは、ドミナントなシステムにおさまらないもの、という「変人」の定義に悖る。

そうではなくて、学校教育がめざすのは「畸人」の育成である。

「畸人」とは同時代の揺れ動く価値観を顧慮することなく、ひたすら敬慕する「先賢」に私淑するものの謂いである。だから江戸文化を追慕する成島柳北や「漱石先生」をアイドルとした内田百鬼園や「鴎外先生」と「先考」を敬慕する永井荷風は「畸人」と呼ばれるのである。

学校教育とは帰する所「先賢の教え」を継承することの意義を講ずるにあり、自余のことは論ずるに足りない。

教育の本義とは学生をして「ブレークスルー」を経験させることにあり、真の「ブレークスルー」は師に仕えることによってしか果たせないとウチダは考えるからである。

というようなことを語ったのであるが、なんだかあまり「夕刊」向きの話じゃなかったかも。

 

本日の朝日新聞の夕刊に甲野先生とご一緒に、武術の現代的意義について語る記事が出た。

甲野先生と同じ記事の中で扱って頂くというのはまことに光栄なことではあるが、講習会で甲野先生に笑いながら投げ飛ばされているウチダとしては汗顔の至りである。

おまけに女学院の道場で岸田さんを投げている瞬間の私の凶相をきっちりとらえた写真まで出てしまった。うう、世間が狭くなるよ。

甲野善紀先生は11月25日に本学で四回目講習会を持たれる予定である。

去年の12月に最初の講演会と講習会があって、そのあと2月に稽古に遊びに来られて、6月に講演会と講習会。そして11月。一年間に四回である。

この間の電話で「私は神戸女学院大学の非常勤講師みたいなものですね」と笑っておられたけれど、たしかにトータルでは集中講義に来ている非常勤講師と同じくらいの時間数になりそうである。

朝日の記事はこの間の甲野先生と本学合気道部の「ご縁」ができての一周年記念として読んで頂きたいと思う。(天下の公器を使って、私的な「ご縁」を奉祝するというのも、ちょっと図々しいですけど)


10月18日

木曜と金曜は朝が早く、夜が遅い。金曜日はときどき大学に12時間いることがある。

ふつうのおつとめ人諸氏が聞いたら、そんなのふつうじゃんかとお怒りになられるだろうが、ウチダのような人間は大学キャンパス内に12時間もいると、とっても疲れちゃうのである。

木曜は夕方から会議があって終わったのが8時過ぎ。家にたどりついて、やれやれとネクタイをほどいたところに電話があって、1時間半ほど大学の問題について議論をすることになった。

先方の先生には先生なりのお考えがあり、私にはまた別の考えがある。

私はその先生の判断に与しないけれど、それはその先生の判断が間違っていると思っているからではない。私とその先生では、それぞれに判断の基礎になっている情報とその評価が違うということにすぎない。

どちらがより適切に現状を見ているのかはふたりのどちらにも決定できない。

だから「うーん、なんだか意見が違うみたいだね。じゃあとりあえず意見交換をした、ということでまたね」とお別れしたいのであるが、先方はしぶとく私の翻意をもとめるのである。

ウチダはたいていのことについては翻意すること風のごとくはやい。しかし、ときにはロバのごとく頑固である。

ロバくんになってがんばっているうちに先方も根負けしてようやく受話器から解放され、お風呂に入り、遅い夕食をとるともう11時を回っていた。

議論の内容は大学の内情にかかわることなのでここには書けないが、選択肢は「崩れかかったシステムのテコ入れ」と「うまく運転しているシステムのさらなるクオリティの向上」のどちらに優先的に資源を配置するか、という政治的判断の問題である。

この優先順位の決定はむずかしい。

ことはほとんどそのひとの人生観にかかわるからだ。

プロジェクトの優先順位が決定できない場合、次善の判断基準は「投下するリソースに対するリターンの確実性」であると私は思う。

だが、この場合も、危機的状況だからこそ「起死回生の一発勝負」に出たがる人もいる。

ウチダは気質的に「一発勝負」というものを好まない。そもそも「勝負」というものを好まない。

しかし、これもつきつめれば気質の問題、好みの問題である。

人間たちのあいだの政治的判断の違いのかなりの部分は「好みの問題」に帰着すると私は思っている。

客観的な情勢判断を一方が完全に見誤っており、一方が完全に洞察している、というような理想的な「当否」の差というものはまず存在しない。

少なくとも私は「状況を完全に洞察していたので、正しい政治判断を下した」ことが一度もない。

結果的に正し判断をしたらしく思われたケースはいくつもある。

でも、それは状況を完全に洞察していたからではない。たぶんに、気質的なものに左右されて「やなものはやなの」というあまり説得力のない理由で選択はなされたのである。

だから、世間では誤解している人が多いが、ウチダはまるで議論好きの人間ではない。

むしろ議論の嫌いな人間である。

どうでもいいことについては、ほとんどシステマティックに譲歩し翻意し謝罪する。

どうでもよくないことについては決して譲らないし、まげないし、謝らない。

ひとの話しを聞いているうちに「しだいに自分のあやまちに気づいた」というような悠長なことは私の身には起こらないし、逆に、諄々と説得しているうちに相手に自分の過ちに気づかせたというようなことに成功したためしもない。

話というのは通じるときは一発で通じるし、通じないときは永遠に通じない。

そういうものである。

そういうものだ、と思っている人と話をすると、なぜだか意見がどれほど違っていても、話が早い。

「話が早い」人との議論では、どれほど意見が違っても、その食い違いが致命的になることはない。

「話が早い」人というのは、「相手と意見が違う」ことと「『相手と意見が違う』という事実について相手と合意すること」のどちらが双方に利益をもたらすか、計算がすぐに立つ人である。

対立点ではなく、合意点を拾いながら話を先に進める人、それが「話の早い人」である。

だから、「話の早い人」はこちらにとっては「いちばん自分の非を認め易い人」である。

なぜなら、「自分の非を認める」ということが新たな合意点になって、その事実が二人の計算表の上では、プラス点にカウントされるからである。

「話の早い人」同士の会話はだから端から見ていると両者が争って「自分の非を認め合う」ふしぎな譲り合いの場になる。

だって、相手に非を認めさせることよりも、自分の非を認める方が、手間がかからないからだ。

私はそういう「話の早い人」と話すのが好きだ。

でもそう言う風に考える人って、ほんとうに少ないんだよね。


10月15日

困ったことになった。

上野千鶴子さんからお葉書を頂いたのである。

お葉書を頂くのはこれが二度目。

先回は『ためらいの倫理学』の読後感として「フェミニズムごときを相手にするのは時間のムダですから、もっとその知能を善用するように」というちょっとシニカルな評がしたためてあった。

あの本では『男性学』をかなりきびしく批評したから怒っているかと思ったけれど、余裕をかましていたので、おお、ウエノチヅコはやはり大物だ。一筋縄ではゆかないな。月のない晩は外出を控えよう、と心したのであった。

それから一年余。また来てしまった。

先週書いた朝日新聞のe-メール時評が気に入られたらしく、「誰も言わなかったこと(誰も言えなかったこと)をよくぞ言って下さいました。こういう目配りは貴重です。」

そんなこと言われても・・・困ったなあ。

さらに、「ご高著『寝ながら学べる構造主義』も拝読。決して易しくはありませんが、『あ、そうだったのか』と膝を打つことが多く、これはこれで内田流構造主義だと得心」

そ、そうかなあ。

あ、にやついている場合じゃないんだ。

なにしろこのあとばたばたと出る『期間限定の思想』と『女は何を欲望するか?』はどちらも上野千鶴子の悪口満載なのである。

こちらが悪口満載の本を準備しているときに、こういう葉書をもらうと立場がない。

私の書き物をちゃんと読んで評価してくれている人に向かって、悪口雑言の限りを尽くすとは、なんと極悪非道鬼畜のふるまいであろう。

上野さん、ごめん。

本読まないでね。

安藤さん、大庭さん、間違っても上野千鶴子に献本なんかしないでくださいね。読んだ彼女が激怒して「あの、恩知らずの腐れ外道が!」とあちこちの書評で「史上最悪の駄本」というような悪口をばんばん書いてくれたら、最高のパブリシティになって、これは売れるぞお、というような邪悪な算盤ははじいちゃダメですよ。ほんとに。

このあいだはA藤Y子さんに同じことしちゃったし・・・

あれも悪いことしたよなあ。

もう物故者と外国人以外、ひとの悪口書くのやめようかな。

と、ちょっと弱気な今日のウチダでした。


10月14日

多田塾合宿から無事生還。

今年の参加者は、溝口さん、吉永さん、かなぴょん、くー、おいちゃん、ウッキー、セトッチ、計8名。

私は今回が合宿参加三回目だが、五体満足で参加したのは一年目だけ。

去年は膝を痛めていて、ほとんど力を入れて踏ん張れない状態で、なんとかだましだまし稽古をした。

今年は8月に背中の筋肉を痛めて、受け身が取れない。

ふだんの稽古はなんとかごましていたが、合宿ではそうもゆかない。

結局、受け身をとる体術の大半をパスするという情け無い状態での稽古となった。

さいわい、気の錬磨の稽古と剣、杖の稽古が全体の半分以上だったので、そちらはちゃんとこなすことができた。

背中をおさえてふうふうしていたら、自由が丘道場の日本初のコスモセラピスト狩野さんが二晩にわたって治療してくれて、その驚異のハンドパワーのおかげでずいぶん痛みがやわらいだ。(狩野さん、ほんとにありがとうございました)

狩野さんのおみたてでは、首筋から下半身まで背中がばりばりに凝っていて、そのひずみがいちばんよわい右背筋に出て、筋肉に炎症を生じたらしい。

しばらく稽古をお休みして、おとなしく背中を伸ばすようにと忠告される。

夏にパソコンの前にすわって仕事をしすぎたのと(なにしろ6冊分やったんだものね)年が年だけに筋肉がずいぶんしなやかさを失ってきているようである。

同室の小堀さん(も、自由が丘の大田さんも、聞けばおふたりともしばらく前に私と同じ症状を経験された由)ともども「そろそろ年相応に爺っぽい合気道にシフトせんと、あかんわな」と嘆息。

かつて20代30代のみぎりに自由が丘道でどんじゃかどんじゃか暴れ回っても、少しも疲れを知らなかった悪童二人も老いが身に浸みる年回りとなったのである。感無量。

しばらくおとなしくして、来年のシンガポール合気会の講習会と春の気の錬磨の国際大会までには、まともな身体に戻しておきたいものである。

ともあれ、なんとかはいずりながら三日の合宿を生き延び、全国各地世界各国(今回はシンガポール合気会、香港合気会からも多数が参加した)から集散した同門の諸兄諸姉と再会を約して、帰途に就く。

今回は新機軸で伊丹から飛行機で新潟、新潟からレンタカーで北陸道、関越道を群馬までというコースを採用したが、これが当たりで、お金は多少かかったけれど、体力的にも時間的にもこれまでよりずっと楽な旅となった。

アレンジしてくれたウッキーに深謝。

レンタカーを返してから、一同と新潟空港で生ビールで乾杯。

年に一回の多田塾合宿で多田先生に親しく教えを受け、同門のみなさんと久闊を叙し、また新たな道友の辱知の栄を賜ることの喜びはなにものにも代え難い。

ひたすら稽古と武道談義に明け暮れた実に愉しい三日間でありました。

また来年も元気でここに来られますように神に祈る。


10月11日

「ボーイズラブ」とか「やおい」とか「萌え」とかいうのはウチダにはわからんと書いたばかりで舌の根も乾かぬうちにこんなことを言うのは恐縮だが、突然、一家言を得た。

H大のドクターで私の映画論を聴講に来ている院生さんとその話をしているうちに、ふと腑に落ちたのである。

なぜ、少女たちは「男性同士の同性愛のマンガ」を好むのか。

それは、「男性同士の同性愛」がエロスの形態として、きわだって非功利的なものだからである。

問題はエロスと主体の関係にある。

近代的な枠組みでは、「私」が「私の性的リソース」を「所有」し「統御」しているというふうに考える。

だとすれば、私の性的リソースは「私」の利益を最大化する方向で「使用される」べきである。

したがって、「私」がある種の性的逸脱を犯した場合、それは「私」にとっては性的リソースの有効利用であるに違いない。

近代主義者はそういうふうに考える。

だから上野千鶴子のような人が「売春する女子高校生は、自分が自分の性的リソースの独占的な使用者であることを宣言するために売春しているのだ。自己決定できる主体であることを確認するために売春しているのだ」というようなとんちんかんなことを言い出すことになる。

だって、どう考えても話は逆だからである。

女子高生が自分の性的リソースの主人であることを宣言するために、売春を「している」のではない。

エロスが女子高校生の主人であることを宣言するために、売春を「させている」のである。

近代主義者は最終的には「私」を究極の参照枠にしてしか人間の行動を理解することができないから、この簡単な理屈が分からない。

人間の行動をコントロールしているのは「私」じゃない。

「私」というのは、「現実界」の圧倒的な支配から「人間」を守るために人間が作り出した「虚構」である。

そんなものにエロスがコントロールできるはずがないではないか。

「売春は効率のよい職業である」とか「援交は癒しである」とか「フリーセックスは自己決定のしるしである」とかいう、人間的中心にひきつけた功利的説明をしてうなずいている社会学者は悪いけれど人間のことを何も分かっていないと思う。

これらの説明はすべて「自己決定」とか「癒し」とか「主体性の確立」とか「個の自由」とかいう「近代的価値」を最終的な審級に擬している。

だが、どうしてエロスがつねに人間的価値に従属するというようなめでたいことを考えられるのであろう。

自分自身の欲望のあり方をみればすぐに分かるはずだ。

人間がエロスを使用しているのではない。

エロスが人間を駆動しているのだ。

だからこそ、この「邪神」のような怪異なるエロスを鎮めるために人間は数十万年にわたってさまざまな制度を工夫してきた。

しかし、近代人はそれらの制度がなんのためのものであるか、その起源を忘れてしまった。

そして「性的抑圧からの解放」というようなおめでたいことを言い始めたのである。

性的禁忌を否定することは人間そのものを否定することだ。

性的抑圧から人間的自由を回復し、どのような性的行動をとるかは主体の自己決定に委ねられるべきだというような主張は、致命的なまでに人間主義的な本末転倒を犯している。

人間は性的抑圧の効果として成立したものである。

「人間を性的抑圧から解放する」というのは、「ドーナツの穴をドーナツから解放する」とか「『どか』を『長閑』から解放する」と言っているのと同じことである。

システムを壊せば、システム内の記号でしかないものは雲散霧消するほかない。

しかし、解放論者たちは人間の「主体性」というようなかよわい虚構に不可能な仕事を背負わせて、平然としている。

私たちは性にかかわる抑圧的な諸制度をつうじて、絶えず「性的行動を人間的価値の形成とリンクさせる」というしかたで、性的エネルギーを収奪し、性的自由を抑圧し、そうやって「主体性」とか「意識」とか「自我」とかいう概念を維持してきた。

しかし、「性的抑圧からの解放」が人間的価値の形成とリンクされれば、もう性にかかわる抑圧的諸制度は支えきれない。

 

人間たちはながいあいだ、いかにしてエロスと人間的価値を折り合わせるか、工夫に工夫を重ねてきた。

最初の功利的説明は「エロスは種の再生産のためのもの」という「生殖価値説」である。

生殖のために必要なエロスだけを「人間的なもの」として承認しようということを考えた知恵者がいた。(しかし、もちろんこん作り話を信じない人間もたくさんいた。ソクラテスとか)

そのあと、エロスは「人間同士をむすびつける聖なるコミュニケーション・リソースだ」という「恋愛価値説」が大受けして、長い間支配的なイデオロギーとなった。

このイデオロギーでは「愛しているもの同士がセックスするのはよいが、愛のないセックスはダメ」というきびしいルールを課した。

ところが、そのうちに人々は「愛のないセックス」の方が往々にして「愛している同士のセックス」より快適であることに気づいた。

それも当然である。

「愛のないセックス」の方がずっとエロティックだからだ。

それは生殖にも関係しないし、人間同士の魂のふれあいにも関係しない。

人々は「人間中心主義」から「エロス中心主義」に移行しはじめた。

人親族の維持のとか、金儲けとか、「永遠の愛」とか、そういう幻想的な人間的諸価値にエロスがリンクしている場合と、人間がただエロスの自己実現のために利用されている道具的存在である場合とどっちがエロティックな意味で「純粋」であるかは言うまでもない。

私たちの性の歴史は「エロスが人間的コントロールをはなれ、エロスが人間をコントロールする局面」に踏み込みつつある。

そこで、いかなる人間的価値ともリンクしないような、「その純粋形態におけるエロス」が概念として、業態として、物語として、あるいは図像として要請されることになる。

とりあえず私たちが想像できる範囲で、人間的価値を脱ぎ捨てた「純粋形態におけるエロス」の形態はつぎのようなものとなるだろう。

(1)種の存続に関与しない

(2)愛に関与しない

(3)市場価値に関与しない

(4)総じて、現在の人間的諸価値(共同体原理、倫理、品格、美、コミュニケーションなど)に関与しない

不倫とか援交とかはこれらの条件のいくつかをクリアーしている。

しかし、うっかり避妊に失敗すると(1)という最大の「人間的価値」の生成に貢献してしまうという点で致命的なリスクをかかえている。

その点では、「同性愛」「幼児姦」「獣姦」「屍姦」などのほうがずっと「エロス純度」が高い。(種の再生産が回避できる)

異性愛でも、「結婚を前提にしたセックス」よりは「知らない人とのゆきずりのセックス」の方がエロス純度が高い。(親族の形成が回避できる)

知っている同士でも、「愛のあるセックス」より「愛のないセックス」の方がエロス純度が高い(恋愛の形成が回避できる)

愛のないセックスでも、「売春」より「ただ」の方がエロス純度が高い。(市場価値の形成が回避できる)

つまり私たちの時代における人々の性行動は「エロス純度がより高く、人間的価値を形成する可能性のより低いもの」を優先的に選択する傾向があるのである。

結果的に、ボーイズラブ漫画にみられるような、「ゆきずり」で、「愛がなくて」、「無料でなされる」「同性愛」者同士のセックスがきわだって非人間的で、エロス純度の高い性行動形態として好んで選択されることになるのは、趨勢からして避けがたいのである。

 

これらの行動はべつに人間の側に深い考えがあって、決然と主体的に選択されているわけではぜんぜんない。

人々が人間的価値の形成よりも、エロスの専横に屈服することを選んだ結果である。

そういうことを「したい」という欲望のあり方を「人間的」と形容するということが人間中心主義者の最後の「善意」なんだろうけれど。

もうそういうことばをつかって説明するのは止めたい。

私たちは「人間であることを止める」という方向に向かって、あるいは「人間」ということばにまったく違う定義を与える方向に歩んでいるのである。

私はそういうだいじなことをあまり軽々に決断すべきではないと思っている。

しかし、こういう考え方をするひとはほんとうに、ほんとうに悲しいほどに少数派なのである。


10月10日

秋深し。

『映画の構造分析』の決定稿が書き上がる。

あたまをクールダウンすべく、ウィスキーをのみつつ『北の国から・89帰郷』を見る。

かれこれ10日ほど毎日『北の国から』漬けなので、ベッドにはいったあとも、あたまのなかでさだまさしの「ふにゃーにゃふにゃふにゃらー」というハミングが残響している。

今回、81年のシリーズから通して見て、ほとんどリアルタイムで見ていたことが判明した。

そのころは、けっこういそがしく論文書いたり予備校で教えたりるんちゃんのおむつを換えたりしていたはずなのだが、ちゃんと『北の国から』の放映のときはテレビの前にすわっていたわけである。

さすがに89年は見ていない。

1989年は、ソ連が崩壊し、昭和が終わり、ウチダは離婚した。

ソ連の崩壊も昭和天皇の死もまったく記憶にないところをみると、テレビなんか見る気分ではなかったのであろう。

その年から以後のシリーズは見ていない。

先般、『総集編』と『2002・遺書』を続けて見て、ぼろぼろ泣いて、はじめから全部見たくなってしまったのである。

昨日の『89・帰郷』でも、蛍ちゃんが富良野の駅で、緒形直人の乗った列車を追いかけるシーンで不覚の涙をもらしてしまった。

こういう正攻法でとにかくがんがん泣かせるドラマはもうこれからは作られないのであろうか。ウチダはけっこう好きなんですけど。


10月9日

借金について考える。

私は借金をしない。

ウチダ家の家計は無借金経営である。

「収入より少ない支出で暮らす」主義であるから、誰かにお金を借りるとか、月々の生活費が足りないという事態は私の人生には起こらない。

しかし、「困っているから」と乞われれば金は貸す。

いまどきの低金利なら銀行に預けても、ひとに貸しても変わらない。

乞われるままに金を貸し続けていたら、ウチダの方がずいぶん貧乏になってしまった。

でも、当面まとまったお金を使うあてもないし(ジャガーを買うのは止めたから)、生活には特段の支障はない。

出ていったお金は家出娘のように、いったきりなかなか返ってこない。

先日、むかしの知人から借金の申し込みがあった。

つまらない借金が雪だるま式にふくれて、あがきがつかない。このままでは仕事も失うし、家庭も崩壊してしまうから、借金をきれいにして、人生をやり直したいというお申し出である。

子どものころから知っている子であるから、言われるままに貸した。

電話口では、何年かけても毎月分割で返済しますと律儀な約束をしていたのだが、最初の返済日が過ぎたが何の音沙汰もない。

まあ、そういうものである。

これは貸したウチダが悪い。

お金を借りた人間というのは、お金を貸してくれた人間に対して、そのときだけは感謝の気持ちをいだくが、それが「債権者」というものとして観念されると、あまり感謝とか敬愛とか、そういうポジティヴな感情とともに回想されることがないのである。

「債鬼」なんていうくらいだからね。

「鬼」を喜ばせるために奮励努力する人間はいない。

だから、多くのひとびとはこつこつお金を返すよりは、むしろ「借りた金を返さないことで、債鬼に罰を与える」という前向きの生き方を選ぶことになる。

人間の心理としては、これはごく自然なことであろうと私は思う。

 

刻下の経済危機の原因のひとつは、銀行のかかえる不良債権であるが、これは要するに「金を借りたが、返さない」という膨大な数のひとびとが存在するということである。

なぜ、これほど多くのひとが借りた金を返さないかというと、彼らは「返せない」というより、「返したくない」からである。

それは、「借りた金を返さないことで、銀行に罰を与えること」の方が、「借りた金を返して、銀行を喜ばせること」よりも快感原則にかなっているからである。

経済行為の根本にあるのは合理的判断ではない。人間のそういう「業」のようなものである。

公的資金を投入しての不良債権処理を「理不尽」だと怒る人がいるが、人間というのはもともとそういうものなのである。それをなじっても始まらない。

 

ものを贈られると人間はそれに対して心理的負債感を感じる。

贈られたもの以上のものを返さなければならないと思いこむ。

これを「反対給付」という。

この「本能」は人間の歴史と同じだけ古い。(反対給付の義務を感じないものは「人間」ではない)

だから、借金を返さないやつは人間ではない、というようなせこいことをウチダは申し上げているのではない。そうではなくて、借金を返さないことこそが人間的な行為なのだ、ということを申し上げたいのである。

他者から何かを贈られた場合、それによって生じる「反対給付」の心理的負債感の厄介なところは、「同じものを、同じ人に返す」ことでは義務感が癒されない、という点にある。

この反対給付義務の解消のために、人間は、「同じ人に別のものを贈り」かつ「別の人に同じものを贈る」ことになる。

なぜそういうことになっているのか、理由は知らない。

しかし、大昔からそういうことになっているのである。

あるものを贈られた場合、私たちは与えた人にそれと同じものを返すことができない。

それとは違うもので、かつ受け取った方が心理的負債感を覚えるようなものを贈り返そうとするか、(交換というのは、そういう儀礼である)あるいは、それと同じものを別のひとに贈るのである。(婚姻というのは、そういう儀礼である)

この反対給付システムが機能しているせいで、「交換」が始まり、「市場」が立ち上がり、「貨幣」ができ、「商品」が流通し、「ことば」が生成し、「親族制度」ができあがるのである。

すべての根元にあるのは、「反対給付」である。

だから私が貸したお金についても同じことが起こる。

私が貸したお金は私ではない別の人間のところに「パス」される。(今回の場合は「サラ金」業者に)

そして、「お金とは違うもので、かつ私に心理的な威圧感をあたえるようなもの」が私には「反対給付」されることになる。

これが交換の王道というものであり、私が文句を言っても始まらない。

だからこそ、お金を借りた場合は、ふつう「利息」というものをつけるのである。

「利息がついたお金」ということで、これは「貸した金」とは「別のもの」ということになる。

「別のもの」は返し易いが、「同じもの」は返しにくい。

これは人間の本能である。

「こんにちは」という呼びかけに「こんにちは」と答えるのはすでにして非礼のはじまりである。

「こんにちは」に対しては「こんにちは、いい天気ですね」というふうに「利息」をつけて返さないといけない。

それに対してはさらに「ほんとに、いいお天気ですね。みなさんお元気?」というふうにさらに「利息」をつけた返答が返される。

原理的にはこれが無限に続く。

「こんにちは」

「こんにちは」

「元気?」

「元気」

「どこゆくの?」

「キミと同じとこ」

「なんで?」

「キミと同じ理由」

というような「利息のつかない応答」は喧嘩を売っているのと同じである。

だから「利息を高く付ける方がお金は返されやすい」という法則が存在する。

銀行から借りた低金利の借金はいくらでも踏み倒すが、マチ金から借りた「トイチ」のカラス金は命に替えても返すというひとが多い。

別にヤクザの追い込みが恐ろしいからではなく、利息が高い金は「借りた金」とはまったく別物(ある種の「具現化された不幸」のようなもの)になってしまっているので、返すときに、「別のものと交換した」という気分になって、返し易いのである。

利息をつけるというのは、別に近代的な合理主義の発想ではなく、利息をつければつけるほど貨幣の往還は加速し、利息がつかない金では経済活動が停滞してしまうという人間の本性にねざした制度なのである。

さて、反対給付は、「別の人に同じものを贈る」「同じ人に別のものを贈る」というふたつの形態をとる、ということをさきに申し上げたが、「利息をつけてお金を返す」ということができない場合、債務者は「金とは別の形態をもち、かつ贈り主に心理的威圧感をあたえるようなもの」をやむなく選ぶことになる。

すでに見たように、多くの場合、それは心理的には「憎悪」として、形態的には「罰」として現れる。

『ヴェニスの商人』という話はよくよく考えると不条理な物語である。

アントニオは高利貸しのシャイロックからお金を借りるが船の難破で返せなくなる。

借金のかたに「肉一ポンド」を差し上げますと書いてしまったのだから債務は履行せねばならない。(そういう契約にサインするアントニオがバカなのであるが、こいつは根が商人だからこういうリスキーなことが三度の飯より好きなのである。それに、そういうことが「三度の飯より好き」というような奴でないと生き馬の目を抜くベニスでは商人の看板を上げてられない)

さて、アントニオはシャイロックにやまのような利息をつけて返して、「ぐうの音もでない」ような心理的威圧感を与えてやろうとたくらんで借金をするのであるが、当然のように船は沈没し、借金は返せなくなる。

「返せない借金」のその負債感は当然のようにシャイロックへの満場一致の憎悪として結実する。

シャイロックは「お金を貸し、契約を取り交わし、契約の条文通りの履行を求め」たその結果、罰を受けてすべてを失うのである。

一見、不条理な話である。

しかし、これこそ「借金」をめぐる人間の本性を鋭く活写した物語と言わねばならない。

シャイロックに借りた金への「反対給付」として、アントニオやポーシャら全員が同意した結論は「シャイロックの破滅」という「罰」だったのである。

これは人間の発想としてはたいへん条理にかなっている。

そもそもアントニオがめちゃくちゃな高利の借金をするのは、シャイロックと「対等」になりたくないからである。同じ金額を返したのでは、反対給付にならない。借りた金の二倍三倍を叩き返してシャイロックをあざ笑ってやりたいという欲望がアントニオをほとんど必要もない借金に駆り立てるのである。

だから、金が返せなければ、シャイロックを破滅させることで、それと同じような「心理的勝利」を収めようとするのはアントニオ的には首尾一貫したことなのである。

 

私はうっかりして「利息」をつけずにお金を貸してしまったので、債務者は「お金以外の形態」での反対給付を案出せねばならなくなった。

彼をそこに追い込んだのはウチダの無知である。

「トイチ」とはいわぬまでも、年利50%くらいで貸しておけば、ばんばん回収できたであろうし、人間関係も深い愛情と敬意のうちに推移したであろうに、惜しいことをした。(『ミナミの帝王』を見たとき、それに気づくべきであった)

それにつけても、人間の行動というのはじつにみごとに構造法則にしたがっているものである。

 

お金というのは実に奥の深いものである。

ウチダとしては、今後さらにお金についての研究と省察を深めたいと思っている。

そのためにも、「実験材料」をできるだけ大量かつ長期的にストックしておきたいものだと思っておりますので、拝して関係各方面のご協力を乞う次第でございます。はい。


10月8日

 

「さる週刊誌」のお仕事をお断りしたら、掲載は来年発行の号だけれど、原稿は年内締め切り、というのではどうですかという「おっと、それがあったか」的オッファーに代替される。

そう言われると「年内は休まず営業します」という看板を出している以上、断るわけにはゆかない。

さすが生き馬の目を抜く出版業界の荒事師たちである。

ウチダごときアマチュア物書きに仕事をさせるのは赤子の手をひねるようなものである。

 

『赤旗』に『寝ながら・・・』の書評が掲載される。

文春の嶋津さんからファックスで送られてきて「小社の新書が『赤旗』で書評されるのはまことに珍しいのですが・・・」と付記されていた。

書評を拝見すると、どうやら『寝ながら』でヘーゲルとマルクスが構造主義の祖であると論じたあたりが『赤旗』書評子の琴線に触れたらしい。

たしかに構造主義がでてきたときは、サルトルの激烈な批判もあって、アンチ・マルクス主義の思潮だというふうに理解する傾向があったのは事実である。

でも、レヴィ=ストロースは青年期にはフランスのマルクス主義ムーヴメントの旗手のひとりだったし、バルトだって初期の書き物はまるごとマルクス主義だし、ラカンはコジェーヴのヘーゲル講義をヒントにその欲望論を構築したんだから、構造主義=アンチ・マルクス主義というのは見当違いである。

構造主義はマルクス主義のいわば正系の子孫である。

だから、『寝ながら』に書いたとおり、マルクスの知見はこれまでもこれからもつねに生産的である。いまマルクスがはやらないのは、「マルクスがはやっていない」からであって、別にマルクスの知見に致命的な欠陥があるからではない。(ソクラテスやセネカだって、べつに「はやっていない」けれど、それは彼らの思想のどこかに破滅的な理論的瑕疵があるからではない。単に「はやっていない」だけのことである。)

私は「・・・はもう古い。これからは・・・の時代だ」という広告代理店的なアオリをする思想家がだい嫌いである。

賢いひとは時代にかかわらず賢い。バカはどんな時代でもバカである。

マルクスやヘーゲルは賢者である。

だから、いつ読んでも得るところはやまのようにある。

ポストモダンの思潮の中にマルクス、ヘーゲルに及ぶ思想家はいない。

だから、そんなセコ思想家の本を読む暇があったら、マルクスやヘーゲルを読むほうがよっぽど時間の有効利用である。

そんな「あたりまえのこと」をアナウンスするひとがあまりいないということが問題だ。

 

浄土真宗本の企画者である女性編集者が登場。

うちのゼミの二、三期生たちとほぼ同年代である。

聞けばD志社在学中に非常勤講師で来ていたK林M廣先生のお導きで現代思想に開眼された由。(T川T子先生ともごいっしょに聴講していたのだそうである)

世間は狭い。

さまざまの「本願寺グッズ」をいただき、「ここだけの話」的インサイドストーリーをうかがって「おおお」とか「そ、それは」というような声をあげる。たいへんおもしろいお話であったのだが、話の性質上こういうところにばんばん書けないのが残念である。

仕事の話はさておいて、K林先生を悩ませた「2ちゃんねる」事件について続報をうかがう。

「2ちゃんねる」のスレッドは閉鎖されたそうである。さいごのころは、ずいぶんひどいことが書いてあってもうめちゃくちゃになっていたとのこと。

人間の悪意というのは底が知れない。

聞けば、「内田樹」でも、Yahoo! に検索をかけると1200件くらいヒットするそうである。

その中にはさぞやオソロシイ内容のものがあるのであろうが、ウチダは「ウチダに対する批判」を一顧だにしない主義なので、決してそのようなものを覗き見たりはしない。

 

「批判を一顧だにしない」主義であるなどというと、対話の思想、コミュニケーションの哲学などというものを宣布しておきながら、どういう了見だと怒る人がいるかもしれないが、私がそのような思想を宣布して啓蒙活動に相勤めているのは、誰のためでもない、私のためである。

私は「自分がより快適な人生を送れるように」、レヴィナス先生の思想を顕彰しているのである。余人のためではない。

間違えないでほしいが、私は「批判を一顧だにしない」と申し上げているのであって、「異論を一顧だにしない」とは言っていない。

私の考え方に対する異論があるのは当然である。

私は異論には耳を傾ける。

それも、かなり熱心に耳を傾ける。

というのは、「異論」の中には「私とはものの見方が違う」というだけで、私の耳に快いものも含まれているからだ。(たとえば、「ウチダさんは、ほんとうは心のやさしい人だよ」というようなご意見は、私の自己評価にはまったく反しているが、そのまま指摘し続けていただいて、ウチダとしてはとくに差し支えがない)

また、「異論」の中には、「私がぜんぜん知らないソース」からの情報を伝えるものがある。

そういう「知らないこと」について、自慢じゃないが、私はたいへん謙虚な聞き手である。

私は異業種のひとの「業界話」の類には実に好奇心旺盛である。(今日も本願寺の組織問題について、実に熱心に拝聴してしまったし、甲野先生の「武道界秘話」や名越先生の「精神科医の業界秘話」なども耳を「ダンボ」にして聞いている)

ときどき、話している当人から「こんな話、ほんとに面白いんですか?」と不思議な顔をされることがある。

面白いんですよ。知らないことを教えてもらうの、大好きだから。

もうお分かりであろうが、私が批判を「一顧だにしない」のは、それが「私がもう知っていること」しか情報として含んでいないからである。

ウチダがあまり賢くないとか、ウチダがエゴイストであるとか、ウチダが性悪であるとか、ウチダが暴力的であるとか、そういうことはウチダと52年つきあっているウチダ自身が世界中のだれよりもよく存じ上げているといって過言でない。

だから、「ウチダに対する悪口」というものは、私には新たな情報を何一つもたらさない。

「さあ、そろそろテレビを見るのをやめて、ためた宿題でもやっか」と思っているときに、狙いすましたように母親から「いい加減にテレビ消しなさい!たまった宿題はどうなったの!」と怒鳴られたら、「うっせー!糞ババー」(バタン!)というふうになることは避けがたいであろう。

「批判」に対して人が激怒するのは、「そんなことを言われるとは思っていなかったこと」を言われるからではなく、「そんなことを言われたらやだなあ」と思っていることを言われるからである。

本人が熟知していて、にもかかわらず改めようがなく、それゆえ「それだけは言ってくれるな」と念じていることを肺腑を抉るような仕方で指摘するのが「批判」というものである。

そんなものに耳を傾けても、腹は立つし、新しい情報はないし、役に立つことは何もない。

それゆえ、私は「批判は一顧だにしないこと」を主義としており、かつ世の人々にもそれを「福音」として宣べ伝えているのである。

しかし、世の人々の多くは「他者の批判にうなだれて、自己嫌悪を契機に人格陶冶をめざす」ことをよしとしており、私がいくら熱弁をふるっても、なかなか私の主張にうなずいてくれないのである。

あるいは、私のそのような「異論」は彼らとは「ものの見方が違う」のだけれど、そう指摘されると彼らとしてもとくに不快ではないので、「オレはそうは思わないけどなあ・・・でも、もっと続けて・・・」ということになっているのかもしれない。


10月7日

卒論中間発表会。

ひさしぶりにゼミ生たちが集まる。

午後1時から6時前まで11名のゼミ生たちの卒論の概要を拝聴する。

みんな実に面白いテーマで研究をしている。

私の専門分野に少しでもひっかかるテーマを選ぶゼミ生がみごとに「一人もいない」というのがいかにも内田ゼミらしい。

個人的にちょっとどきどきしたのは「インディアン」、「萌え」、「遊女」。

「インディアン」はそのうち論文を書こうかなとひそかに思っていたテーマ。

「遊女」は網野善彦さんを読んでから、「やっぱりオレは売春という制度の本質についてぜんぜん分かってないな」と反省していたテーマ。

「萌え」とか「やおい」とかいうのはなんでこんなものに人だかりがするのか、いまだに理解が届かず、知らないことにも一家言あるウチダにして手も足もでないテーマ。

さすがわがゼミ生たち、ウチダの「弱いところ」をぐりぐりと衝いてくる。本人たちにはそんな意識はないのかも知れないけれど、やはり無意識のどこかに、「『それは、さ。こういうことなんだよ。キミたちは若いから知らんだろうけどさ、ふふふ』というようなしたり顔をウチダ先生にはさせたくない」という気分があるのであろう。

まことに頼もしくもしたたかなゼミ生たちである。

そのあと御影のわが家にて、打ち上げ宴会。

準備の時間がなかったので、フライドチキンと焼きそばとお好み焼きという「ジャンク」宴会である。

お酒だけは潤沢にある。

パリにいる「とほほ留学生」の増本さんから途中で電話がつながり、全員で順番におしゃべりをする。

増本さんから今日の宴会のためにわざわざフランスからアルマニャックを送っていただいた。みんなでありがたくご賞味する。

聞けばゼミ生たちの何人かがすでに「ジャック・メイヨール」にこっそりおじゃましているらしい。

「ウチダゼミのゼミ生でーす」と言えば、タチバナさんはワインの一杯くらいサービスしてくれたかもしれない。惜しいことをしたね。

 

さる週刊誌から連載コラムの依頼が来る。

「新聞雑誌にはもう書きません」と言うと、なぜか立て続けに注文が来る。

不思議なものである。

泣く泣くお断りを入れる。

しかたがない。

毎日のようにいろいろと書いているが、私の「期間限定」の、考えてみたら最大の理由は「本業が忙しい」からであった。

私はサラリーマンである。

月々のお手当を神戸女学院大学から頂いている。

神戸女学院大学は、教員公募を三十数回落ち続けたウチダを拾ってくれた大恩ある大学である。

その大学がいろいろ大変で、そこでウチダもいつのまにかいろいろと責任をとらねばならぬ立場となった。

すべての教員がもてるリソースをできる限り大学のために傾注することを私は職務上要請する立場にある。

その私が締め切りのある原稿を毎月毎週かかえて、「次のネタ」を考えてぼうっとしていたのでは示しがつかない。本業が忙しいときには、時給がいいからといってバイトに精出すわけにはゆかないではありませんか。

私はやはりサラリーマンとして、サラリーマンの「本道」を歩みたいと思うのである。(というふうにウチダは「根っから」のおじさんなのである)


10月6日

ひさしぶりの休日。

何も予定がないので、一日中原稿を書く。

PHP新書の原稿を書いて送稿。(これは毎回一つずつ「お題」を頂いて、それについてお答えするという形式。今回は二回目)

朝日新聞のe−メール時評の改訂版を送稿。

角川書店の『幸福論』(すごい題名だなあ)の校正。

それから『映画の構造分析』の書き直し。

「さる通信社」のデスクの方からメールが届く。

「期間限定物書き」宣言の微志をご了察頂いたようで、ほっとする。

メディアにはもう書かないというのには理由がある。

「どういう理由だかよく分からないけど、なんだかいやだ」ということである。

私の場合、「なんだかよくわかんないけど、いやだ」ということが人生の岐路における選択の基準になることが多い(というか、全部そうだな)。

私は自分のこの「なんだかよくわかんないけど、やだな」という感覚を信用している。

「なんか、これやだなあ」と感じるのだけれど、自分を納得させられる理由が思いつかない。(自分を納得させられないくらいだから、他人を納得させられるはずがない)

理由がおもいつかなくても、やなものはやなのである。

メディアに書かないもうひとつの(もうすこし説得力のある)理由は、自分の書くことにさして一般性があると思えないからである。

メディアで発言する人は(「私の視点」というような投稿記事を読んでいると思うけれど)自分の言っていることには普遍性があると信じている。

自分の考えは公共の福利を代表しているというふうに思えなければ、なかなかああいうことは書けるものではない。

でも、私はどう考えても、まったく公共の福利を代表していない。

私は「私」しか代表していない。

私が主張していることは、「そういうふうになると、私としてはたいへんに都合がいいんだけど」ということ「だけ」である。

他の皆さんにとってもそれが同じように都合のよいことかどうかは分からない。

いや、ほんとうは分かっているのだ。

私の提言していることは、私にとっては都合がよいが、私以外のほとんどの人にとってはあまり都合も良くないし、聞いて楽しくもない話である。

そういう話は「ときどき」聞くなら我慢できる。

我慢できるというか、場合によっては刺激的で面白かったりする。

でも、毎日聞かされたら、だんだん腹が立ってくる。

人を怒らせることについては(自慢じゃないが)私は天才的な人間である。

ありとあらゆる機会に、あらゆる話題について、私は必ず誰かの「虎の尾」を思い切り踏みつける。(その誘惑を私は我慢することができない)

そういう機会を無制限に拡大するべきではないという私の考え方って、そんなに「変」じゃないでしょ?


10月5日

径書房のO庭さんがご挨拶と校正に神戸まで来る。

メールのやりとりだけで最終校まで来てしまったが、いくらなんでも書き手と編集者が一度も顔をあわさずに本を出すというのもちょっとどうかしら、というので、わざわざ遠路東京から見えたのである。

角川のY本さんや、PHPのM島さんや、文春のT中さんと同じくらいの年頃のお若い編集者である。

こういう20代なかばのポップでクールでシティボーイな編集者が、ウチダのような、彼らの父親の世代に属する、反時代的なへそ曲がり糞オヤジの書いたものを読んで、面白がって仕事を頼みに来るというのが不思議と言えば不思議である。

今日のO庭さんは、加藤典洋さんと竹田青嗣さんの教え子さんだそうである。

その加藤さん、竹田さんに加えて橋爪大三郎さん、関川夏央さん、西研さんたちの私的な研究会があって、そこにゆくと、そのおじさん世代にはなんとなく「共通性」があるような気がするとO庭さんは言う。

ご指摘の通り。

この世代はね、領域は違っても、何となく似ているの。(西さんはもう少しお若いけれど)

それはかの「シクスティーズ」の時代に、もろにその時代の息吹にむせかえりながら自己形成を遂げたということである。

実際に政治的活動にコミットしたとか、コルトレーンを聴きながら別れ話をしたとか、新宿ゴールデン街でげろを吐いたとか、下北沢の下宿でマリワナを吸飲したとか、吉本隆明を読んだあと「私(たち)」と書くようになったとか、土方巽のどてらにコーラをこぼしたとか、そういう具体的なことが共通していなくても、なんとなく、その時代の「空気」を吸ってしまったことによって、どうしようもなくある種のエートスを共有してしまったのである。

私はそれをとりあえず「Street Fighting Kids のエートス」と呼ぼうと思う。

1967年から72年くらいまでの5年間というのは、少年たちの眼に、一瞬「世界の成り立ちが一望できた」ような気がした時代である。

別に見えたわけじゃない。

「見えたような気がした」だけである。

でもその「世界が一望できたような気がした」瞬間が、その世代にとっては、その後のさまざまな経験の中で、行き詰まり、選ぶべき道が分からなくなったときに、そのつど立ち帰る「観測定点」のようなものとなった。

その時代の自分だったら、今の私を見て、何と言うだろう?

きっと、「何やってんだよ、おじさん。こっちの道に行くのがいいに決まってんだろ?なんでここで逡巡するわけ?信じらんねーよ」というような無慈悲でクリアカットな批評を一発で下しただろう。

実際に、私たちの世代の人間の多くは、中年からあと、さまざまなためらいの岐路において、「19歳の自分だったら、どうしただろう?」という問いを自分に向けた。

そして、そのつど、「ああ、あの時代のオレだったら、こんなことで絶対に迷ってないよな」ということを思い知らされたのである。

そういうような観測定点を持っている世代は、決定的岐路においてどうしても「シクスティーズ風の」選択を繰り返すことになる。

その結果、私たちの世代が「似たような雰囲気のおじさん」になるのは避けがたいのである。

私は加藤さんも竹田さんも関川さんも、どなたも直接には存じ上げないが、その著書を徴する限り、「同世代だなあ」と思うことが多い。

そういう「おじさん」たちの薫陶を受けて育った若い人が、私の書いたものを読んで、「あ、ウチダって人もあの世代の人なんだ」と感じるのは、考えて見れば、当たり前である。

O庭さんと話していて、いちばん驚いたのは、フェミニズム批判の本を出してくれるというのに、彼自身はフェミニズム「みたいなもの」をどうして私がごりごり批判するのか、そのモチヴェーションがよく見えないと正直に言ってくれたことである。

フェミニズムって、そんなに必死に批判しなきゃいけないようなものなんですか?

これにはいささか答えに窮した。

そのときにはうまく答えることができなかったので、ここに書いておくことにする。

フェミニズムはね、トラウマなんだよ、おじさんたちの世代の。

おじさんたちが若い頃、「いい女」はだいたいみんなフェミニストだった。

だからもちろんおじさんたちはフェミニズムを断固支持した。

当たり前だよね。

「いい女」と仲良くするというのは「ストリート・ファイティング・キッズ」にとって人生における最大の目標なんだから、自余のことは論ずるに足りない。

そうやっておじさんたちは「いい女」とわりない仲になった。

しかし、おじさんたちはフェミニストと「家庭を持つ」ということがどのようなカタストロフをもたらすのかを知らなかった。

そして、ほとんど例外なく、ぼろぼろになって中年を迎えることになった。

どうして、刺激的で知的でエロティックで幸福な前代未聞の開放的な男女関係をもたらすはずの「イズム」がおじさんたちにこんな酷いしうちをしたのか、その理由がどうしても分からなかった。

オレたちが何をしたっていうの?

おじさんたちはその癒されぬトラウマを抱えていま老年期を迎えようとしている。

ぼちぼち誰かが「あれはさー、実はこうゆうことだったんじゃないかなあ?」と説明しないといけないと思う。

私たちが少年だったときに、輝くように「いい女」だったあのフェミニストの少女たちがそのあとこれほどまでに私たちを痛めつけることになったのはなぜなのか。

それは私たちが、言われるように、骨の髄まで、回復不能なほどに「父権制的」だったからなのか。

それともあの「イズム」には、「期間限定」とか「地域限定」とかいう条件がついていて、それを適用するとあまりいいことが起きないような人間的活動(結婚とか)があったからなのか。

私はそれを知りたいと思って、この本を書いた。

もちろん、たいした説明はできなかった。

でも、こういう試みは私たちの世代が担うしかないと思う。

もっと若い世代がいずれすぱっとフェミニズムを一刀両断にしてしまうだろうけれど、私たちはそれにはおいそれと同調するわけにはゆかない。

だって、フェミニストたちはかつてはほんとうに輝くように魅力的な存在だったんだから。

そのことをきちんと抑えておいて、その上で、「どうして?」という問いは発せられねばならない。

若い世代にとって、フェミニズムはマルクス主義と同じようにもう「20世紀の遺物」とみなされ始めている。

でも、どちらのイズムも、そういうふうにあっさり括って済ませることが私たちの世代にはできない。

そこにあまりに多くの夢を託したから。

少年の夢を託したものによって深く傷つけられたという経験の意味は、その経験をしたものが語る他はない。


10月2日

さる通信社から原稿依頼が来る。

大沢真幸さんの「あとがま」で来年から「思想エッセイ」の連載をどうか、というありがたいオッファーである。

でも、「期限」が過ぎているので、泣く泣くお断りを入れる。

「連載をもたせてやろうというのに、『賞味期限』がどうたらこうたらと勝手をほざきおって、ウチダというのはなんと、ナマイキな野郎だ。二度と仕事はたのまん」と先方ははさぞやご立腹かもしれない。

まことに申し訳ないが、決めたことだから仕方がない。

「期間限定物書き」というのは、ウチダなりの節度の示し方である。

私は自分がどの程度の人間か熟知している。

私はろくにものを知らない。

知らないくせに、おしゃべりなので、知らないことについてもぺらぺらあることないことをしゃべりまくる。

ホームページで「そういうでまかせを聞くのが好き」という「内輪の読者」に向けて「笑いネタ」を提供しているかぎりは人畜無害だが、高所から一般読者に教えを垂れたり、しかり飛ばしたり、煽ったりするような格の人間では私はない。

もちろん、私のような無内容な人間の「ぺらぺら話」がある種の「いろもの」として、一時的にメディア市場で面白がられるという事情は、理解できないわけではない。

マーケットはいつでも「目新しいもの」を求めているからね。

しかし、内容のないものはいずれ飽きられる。

自分がどれほど無内容な人間であるかは、私本人が誰よりもよく知っている。

こういう人間が知識人面をしてメディアに顔を出し、有名人になったような錯覚に陥るさまというのは、端から見ていて、たいそう見苦しいものである。

ウチダは「かっこわるいこと」が嫌いな人間であるが、だが、このままほうっておくと、ウチダは間違いなくそういう見苦しいさまをさらすようになる。

そういう自分を見たくないのである。

別にお金はいらない。(いまのお給料で十分足りている)

名前も顔も知られたくない。(TSUTAYA でビデオを借りるときに、「ねえねえ、ウチダ・タツルってさ、さっき『団鬼六・花と蛇』なんか借りよったで。書いてることはかっこつけてっけど、ただのオッサンやん」なんてバイトの店員に噂されたりするのはまっぴらごめんである)

もちろんいいたいことはいろいろある。

でも、声を届かせるのは、言ったことに私自身が責任をもてる範囲にとどめたい。

同意を得るにせよ、異論を聞くにせよ、私に責任がとれる範囲の人間とのコミュニケーションにとどめたい。

いや、厳密に言えば、「私に責任がとれる範囲」ではなく、「私が責任を取る必要がない」範囲だな。

とりあえず、ウチダが書いた、と著者名が明らかにしてある本を買った場合には、読者には購入を決断したことについての自己責任がある。

この書籍の購入するかしないかの決断は100%読者に属し、書いた側はその決定に関与することができない。(私に関与ができるなら、すでに私はミリオンセラー作家となっているであろう)

「くそ、バカな本を買ってしまった」とゴミ箱に投げ捨てても、それは私の責任ではない。まるっとそちらの責任である。お金は返さない。

バカ本とよい本を見分けるための授業料と思えば安いものだ。

また私のホームページを見て、自分と意見が違うとか、あまりたいしたことを言ってないと評価したとても、それも私の責任ではない。

だったら、はじめから読まなければいいのである。

閲読するのに課金しているわけじゃないんだし、私の方から「読んで下さい」とお願いしているわけでもないのだから、因縁をつけられても困る。

「幼児向け絵本」を広げて、「ここには老人読者へのメッセージがない」と怒られたって、責任のとりようがないのと同じである。

しかし、新聞や雑誌に書くというのは、そういうわけにはゆかない。

そこはそれを定期購読しているすべての読者に課金している。読者にはそのリターンを求める権利がある。

朝、何気なく新聞を開いて、私の書いたものを読んで、一日気分が悪かったという読者に対しては率直に「すまない」と思う。

こういうものを公器を使って報道してよいのか、と怒られたら、私には返す言葉がない。

というのが「期間限定」の理由なのである。

もう何度も繰り返し書いているので、いくらなんでもいまさら仕事を頼んでくる出版社はないと思うけれど(「浄土真宗」くらいで打ち止めにしたいものである)、そういう事情ですので、ひとつご勘弁を。


10月1日

いよいよ後期の授業が始まる。

いきなり二日酔い。(前夜誕生日をひとりで祝って、シャンペン、ウィスキー、ビールを飲んで、最後に日本酒で締めたのが敗因)

夏休み後半は涼しくなったので気分がよく一日10時間爆睡していたので、8時間睡眠ではまるで寝不足である。

ふらふらと大学へ。

私の講義時間は「アカデミック・フィフティーン」体制であるから、授業開始のベルがなってから、おもむろにコーヒーなど飲み、いあわせた学長と懇談。10分ほどしてから教場へ向かうが、前期と同じ教室へ行くと、誰もいない。

「あれ?曜日を間違えたかしら?明日からだっけ?」

と教務課で訊ねると、別の部屋を教えてくれた。

さっそくテストをやるが、学生たちもぼろぼろである。そりゃそうだ。三ヶ月ぶりのフランス語だからね。私だってフランス語を口にするのは三ヶ月ぶりくらいである。

合気道の合宿にユリさん@横浜が連れてきたフランスの女の子が来たので、ちょっとしゃべったけど「どこから来たの?」「いつまでいるの?」くらいしか言ってないし。

しかしひさしぶりのフランス語の授業は楽しい。

学生諸君もひさしぶりの勉強なので、けっこうまじめにこりこりとノートをとっている。

「半ドン」なので家に戻り、仕事。(校正が同時に三つ来ている)

朝日新聞から「e−メール時評」に「拉致問題について」書いて欲しいという依頼がきているので、ぱらぱらと書く。でも、こういう問題について「世論」と反対のことを書くと、猛然と抗議の電話とか投書とかが朝日に殺到するんだろうな。

というわけで、これはボツになる可能性がある。その場合は本ホームページに掲載しますね。

文春から『寝ながら』が5刷28000部になりました、というご連絡。よく売れるなあ。編集の嶋津さんは「目標5万部」だそうである。

五万部だと印税でBMWが買える。(ジャガーは止めた。このあいだインプレッサの左鼻先を駐車場でバックするときこすってしまったから。私の運転技術は「鼻の長い車」に向かないようである)

テレビマンユニオンからこのあいだのBSでやった荻野アンナさんの『寝ながら』書評のビデオを送ってくれるので見る。なんだかずいぶんほめていただいたので、床を転げ回ってよろこぶ。わんわん。

バイクを飛ばして神戸へ。

薪能に下川宜長先生が出るのである。

台風が接近していたため会場が変更になって、屋内の神戸国際ホールへ。

下川先生は『船弁慶』の前シテ。

先生の声がホールにぴしぴしっと響きわたる。

能楽堂ではなく、こういうホールに置くと、能楽というものがもつ本質的な「呪術性」のようなものが却って際立ってくる。

能楽堂の明かりを落として、ろうそくの灯りだけで上演したら、ほんとに能舞台の上に、「西海にて滅びし平家の一門」の亡霊が浮かび上がってくるだろう。 

バイクを飛ばして帰宅。

Four Roses を呑みながら『北の国から』一挙上映シリーズ7夜め。

これがあとまだ5日続く。