明日は明日の風とともに去りぬ

Tomorrow never knows what wind will take me away: from 1 Jan 2002



11月30日

破滅的に多忙な日々が続く。

なんとか仕事はこなしているが、仕事のクオリティがあきらかに下がっている。

ひとつの仕事にかけられる時間が激減しているのだから当たり前である。

いちばん顕著なのが、家事である。

家の中がだんだん汚くなってきた。

ときどき掃除はしているのだが、じっくり片づけている暇がないので、だんだんと「澱」がたまるように、部屋のあちこちに小さなカオスが生成してくる。仕事机の上ももうものを置くスペースが30センチ四方しかないほどにものが積み上げられている。

ばりっと掃除をして、きちんとものを片づけて、すみずみまでぴかぴかに磨きたいのだが、掃除のようなものはさんさんと日の注ぐ朝に、モーツァルトを聴きながらやる、というのがつきづきしいもので、深夜に仕事帰りで疲れ果てた身体にむち打って、ひいひいやるものではない。

しかしその「さんさんモーツァルト午前」というものがいまの私にはなかなかおとずれないのである。

本日も休日なのであるが、出勤である。全学の教職員研修会である。

大学の危機について「認識を共有する」ための集まりなのである。

大学の危機を「なんとかする」ための方策を相談するための集まりではない。

そういう集まりをしないと、大学の危機についてまるで認識がない教職員がやまのようにいる、ということそのものがほんとうに問題である。

私は自己評価委員長として、教育の品質管理ということを申し上げている。その中には授業改善も学生指導の緻密化も教員の勤務考課もすべてふくまれる。それが向かう方向は「管理の強化」である。

ウチダは気質的に管理の強化が大嫌いな人間である。

そのウチダが「管理の強化」の喫緊なることを言い出すというのであるから、本学の窮状も知れるというものである。

システムが機能不全になる場合にはふたつの場合がある。それぞれに対処法が違う。

システムが「タイトすぎる」場合がある。(日本の政治や教育やメディアはそういうケースである)

そういう場合は、システムの「あそび」をもう少しとって、ノイズやバグを発生させるほうがシステム全体のアウトプットは質的にも量的にも向上する。

システムが「ルースすぎる」場合がある。

そういう場合は、システムの「あそび」を取って、芯を一本通す必要がある。

システムの機能不全には、「ゆるめる」対応と「しめあげる」対応がある。

本学のシステム不全は誰が見ても「ルースすぎる」ことに起因している。そうである以上、システムの改善は、「どうやって締め上げるか」というふうに立てるのが本筋だろう。

誤解してほしくないが、私は「ルースである」とか「レイドバックである」とかいうことが嫌いな人間ではない。どちらかといえば、大好きな人間である。

末端が自律的に機能していて、現場の判断でどんどん問題が処理されてゆき、中枢は昼寝していても大丈夫、というシステムが私自身は大好きである。

しかし、ものには程度というものがあり、いまの本学は末端が自律的になりすぎて、パート間の有機的連携が損なわれているし、中枢からの指示も届かない。

「締め上げ」策の一つとして、私はこのところ「教育活動の品質管理」ということをうるさく申し上げているのである。


11月29日

あと15冊と書いたら、さっそく柏書房から「遠州、森の石松」という件名のメールが届いた。

清水一家の子分衆といったら、大政、小政に、法印大五郎、桶屋の鬼吉・・・

「誰か忘れちゃいませんか」

はい、忘れておりました。もう一冊ありました。柏書房刊『おじさんの光』。

あと16冊でした。

と書いているところにまた電話が鳴って・・・

「あの・・うちのがリストにないんですけど・・・」

青春出版の『哲学のレッスン』を失念しておりました。

あと17冊でした。

失礼いたしました。(実は文春の二冊も忘れていたのだが、嶋津さんから別件で電話があったついでに、「あのー、文春でぼく何か書く予定ありましたっけ?」とお尋ねしたら、「二冊企画が出てますけど」とのお答え)

こうなるともう笑うしかない。

そこに筑摩書房の編集のY野さんが登場。

筑摩は5月にオッファーがあって、そのまま企画未定のままきたのだが、今回の打ち合わせで、「葬制論」ということになる。

「弔う」儀礼の意味は加藤典洋さんの『敗戦後論』からあと、ずっと考えてきたテーマなのだが、ここにきて白川静先生のご本を読んで、「そ、そうか、そうだったのか。すべてが繋がった!」と一気に構想が成ったのである。

人間とは本質的に「弔う」存在である。

旧石器時代に死者を弔う習慣を獲得したことによって、人類はサルからテイクオフした。

「弔う」というのは、「かっこに入れる」こと(einklammern) であり、「ニッチを異にする」ということである。

「そこにいるけれど、そこにはいない」というありかた、あるいは「そこにいない、という指標を立てることで、そこにある」というありかたのことである。

死者を棄てて顧みないことも、腐乱した屍体を生活空間に放置しておくことも、死せるものを「かっこに入れ」て敬意をもって遇するというやり方を知らないという点で、いずれも「サル的」である。

あらゆる人間的事象には誕生があり、成長があり、停滞があり、死がある。

生体としての人間がそうであるし、集団もそうであるし、イデオロギーや科学的理説や、芸術や表象や記号もそうである。

そのひとつひとつについて、その死に臨んで、正しく弔うこと、それがとてもたいせつだと私は思っている。

『女は何を欲望するか?』というのは、フェミニズムを「弔う」本であった。

フェミニズムはイデオロギーとしてその歴史的使命を終えた。

そのときに、死体に唾し、鞭打つのは不敬な行為だし、死体に化粧をさせて踊らせるのも冒涜的であることに変わりはない。

ただしく弔うというのは、その歴史的功績を称え、成し遂げた偉業を数え上げ、その上で、しずかに棺に蓋をするということである。

そうすればフェミニズムは歴史的経験として記憶されると同時に、私たち全員にとってアクセス可能な「知的リソース」として開かれる。

しかしフェミニズムが瀕死のまま私たちの社会でのたうちまわっていれば、それはもたらすものより破壊するものの方が多い。

死ぬことによって、善きものを後代にもたらしきたす、というのがすべての人間的事象の宿命である。

オレは死にたくない。永遠不変の真理であり続けたい、とわめき騒ぐのは「さもしい」ふるまいである。

どのような理論もどのような学説も、かならずいつかは死期を迎える。

そのときに「正しく弔われた思想」はそのあとも長期にわたって人間社会に恩恵を注ぎ続ける。

弔われなかった思想は、やがて腐臭を放つようになり、ついには野辺に棄てられる。

それがかつてどれほどの輝きをもち、どれほどの「善きこと」を地上にもたらしたかをもう思い出す人は誰もいなくなる。

だから、死んだものは正しく葬らねばならない。

例えば、徳川幕府は300年間の政治的安定を日本に贈ったあと、血なまぐさい内戦を経由して、ゴミのように棄てられた。そのあと数十万の士族もその職を失った。

しかし、明治の人々は、この政治体制の死はただしく弔わなければ近代日本は呪われたまま船出することになるだろうということを直感していた。

だから、徳川時代は、「物語」的な水準で手厚く葬られたのである。

維新の死者たち、戊辰の死者たちについては膨大な「物語」が書き継がれ、語り継がれた。

私たちは幕末の京都で横死した若者たちについて、いまだにそのひとりひとりについて、長い物語を知っている。明治維新からあと130年間、休みなくその「鎮魂のための物語」が語り続けられたからである。

『暴れん坊将軍』も『水戸黄門』も『大岡越前』も『銭形平次』も『遠山の金さん』もすべては江戸幕府の統治機構が「成功していた」事例を賞讃する物語で埋め尽くされている。

だから滅びた政治体制とその殉職者は「祟らない」のである。

それと対照的なのが、大日本帝国と第二次大戦の死者たちである。

この政治体制と戦士たちはやはり血なまぐさい経験の中で死に絶えた。

しかし、戦後日本社会はこの政治体制と死者たちを弔うことを怠った。

死者たちのひとりひとりについて、その肖像をていねいに描き、敬慕するという仕事をした語り手は(吉田満の『戦艦大和ノ最期』のような例外をのぞくと)ほんとうに少数であった。

だから、死者たちはいまだに「祟る」のである。だから、戦後60年、いまだに「戦後は終わらない」のである。傷口がひらいたままだからだ。大日本帝国の屍体が日本社会の真ん中で腐っているからだ。

日本国憲法は足下がおぼつかないままだし、自衛隊は「非嫡出子」扱いのままだし、中国や韓国は「軍国主義」への批判を止めないし、アメリカは日本の「宗主国」であることを止めない。

それは大日本帝国と死者たちの弔いが終わっていないからである。

もっとも典型的な例はノモンハンである。

このまったく非道で無意味な死についての正しい弔いはいまだに果たせていない。

戦後を代表する二人の作家がノモンハンを物語的水準で「弔う」ことを企てた。

司馬遼太郎と村上春樹である。

しかし、この二人の大作家をしてさえ、ノモンハンの鎮魂は果たせなかったのである。それほどにこの事件のトラウマは深いのである。

第二次世界大戦の喪の儀礼をやりとげるためにはおそらく数十年にわたる国民的規模での「物語」の語り継ぎが必要である。

死者たちの経験を物語的水準に「移送する」ことが必要である。

死者のひとりひとりについて、その痛みをその後悔をその欲望をその邪悪さを、複数の語り口で、複数の文脈で、繰り返し物語的に語り抜くことが「弔う」という営みなのである。

そのようにして、死者たちを「別のニッチ」に送り込むことで、死者たちは災いをなすことを止め、「善きもの」を贈る存在となる。

夜行性生物と昼行性生物は、同一の生活空間におり、同一の食物を捕食していても、「共生」することができる。それは「エコロジカル・ニッチ」を異にしているからである。

この生物を、むりやり同じニッチに置いたら、殺し合いを始めるだろう。

限定的なリソースの分配のためには、同一の場所を複数のニッチに切り分けて、棲み分けをすることが必要なのだ。

死者たちには死者たちのニッチがある。生者たちのニッチとのあいだには「幽明の境」がある。それは超えてはならないボーダーだ。

そのボーダーを適切に機能させるということ、それが「呪鎮」ということである。

煎じ詰めれば、私たちの仕事というのは、死臭を放ち始めているものを片づけ、それが災禍をもたらさないように丁重に「あちらのニッチ」に送り込むということだけなのである。

相手が個人であれ、イデオロギーであれ、科学的仮説であれ、会社であれ、国家であれ、私たちがしなければならない仕事は本質的には変わらないのである。


11月27日

終日原稿書き。

『ミーツ』の原稿が遅れている。

「いつもニコニコ守る締め切り」のウチダであるが、さすがに物理的に書く「時間」がないと原稿は書けないものである。

ふだん、原稿は一気に書いてしまう。でもすぐには送らないで、しばらく寝かせておく。

寝かせておいて、すこし頭をクールダウンしてから読み返すと、「よけいなこと」や「書き足りないこと」が見えてくるので、それを書き直して原稿を送る。

今回も原稿は締め切り前に書き上げたのだが、ぎりぎりだったので、寝かせる時間をいつもどおりにとったら、締め切りに間に合わなかった。

しかし、寝かさないで原稿を送ってしまうと、仕事が荒れてくる。(『女は何を欲望するか?』は寝かせる時間が短すぎたので、いま読み返すとアラが目立つ)

いまある原稿の中でいちばん寝かせている時間がながいのは晶文社の『映画の構造分析』である。これはもう1年以上寝かして、ときどき取り出しては書き足しているので、だんだん「いい味」に仕上がってきた。「藪そば」のたれみたいなものである。もうぼちぼち出荷してもよい時分である。

角川の幸福論(昨日いきなり題名を思いついた。『疲れすぎて眠れぬ夜のために』 For a hard day's sleepless night)もだいぶ書き進んだので、夜明けは近いのだが、これもそのまま出荷するわけにはゆかない。しばらく寝かせる時間が必要だ。

PHPの「今月の原稿」も先方で設定した締め切りが来ているはずなのだが、まだ何も書いてない。

そこにまたどんどこ仕事が入る。

インタビューとか短いエッセイとか、ひとつひとつは簡単な仕事なのだが、それが毎日のようにあると、「塵も積もれば」で、ほんらいの仕事のための時間が取れない。

卒論や修論の指導にはっぱをかけないといけない時期なのだが、そちらにもまったく手が回らない。ウチダは悪い先生である。ごめんね、みんな。

年末期間限定にしておいて、ほんとうによかった。あのままオッファーされた連載仕事を次々引き受けていたら、もうとっくに破綻していたであろう。

あと一ヶ月、なんとか生きて2003年を迎えたい。

それにしても、この先私はいったい何冊本を書かなければいけないのか。

忘れそうなので、書き出しておこう。

(1)レヴィナス『困難な自由』全面改訳(あと250頁)来年中にはなんとかします中根さん・・・

(2)晶文社、『映画の構造分析』(ようやく完成)

(3)新曜社『身体論』(ありものコンピレーションなのであと50枚くらい書き足せばできあがり)

(4)角川書店『幸福論』(口述筆記にあと100枚書き足し)

(5)PHP新書(往復書簡形式で進行中、あと200枚くらい)

(6)洋泉社、(ホームページありものコンピレーション)あと100枚書き下ろし

(7)講談社メチエ 『道徳論』(まだ一枚も書いてない)

(8)文春新書『寝ながら学べるレヴィナス』(これはあれこれありものが少しは使えそう)

(9)文藝春秋『おじさんの系譜学』(まだ一枚も書いてない)

(10)新潮新書、書き下ろし(もちろんまだ一枚も・・・)

(11)冬弓舎、『邪悪なものの鎮め方』(もう一度鼎談しないと)

(12)『寝ながら学べる浄土真宗』(ホームページでそろそろ連載開始しないと)

(13)ちくま新書、(企画未定)

(14)角川書店『性愛論』

(15)晶文社『おじさん的思考パート3』

あと15冊か・・・(どこかの出版社の企画を失念していなければ、だけれど)

(1)から(6)までと(11)(15)は来年のうちに出せそうである。(これで8冊)

残り7冊はいったい書き上がるまでに何年を要するのであろうか。

1年2冊ペースでも、3年半かかる。もちろんそんな調子よくゆくはずない。

リストからすべての仕事が消えるまで、あと5,6年はかかる勘定だ。

2009年・・・果たして、私は生きているであろうか。


11月26日

昨日は甲野先生の第四回目の講習会。

学外からたくさんの方が参加して下さった。

前回からのおなじみの赤星君と京大合気道部の諸君、今回初参加の神戸大学合気道部の諸君、街レヴィ派「武闘派」のみなさん、そして、凛塾はじめ各流派各武術のみなさん、ほんとうにどうもありがとう。

おかげでたいへん愉快で有意義な稽古ができました。

体術、手裏剣、剣術、杖術のもりだくさんの講習のあとに、甲野先生と松聲館高弟「謎の医学生」白石さんを囲んで、発勁、練功、推手、シラット、魔術の飛び交う爆笑懇親会。

22日の朝日カルチャーセンター、23日の光岡先生を迎えての「站椿功」の講習に続いて、三日間にわたって甲野善紀先生とご一緒させて頂いたことになる。

甲野先生とはまだ知り合って一年にしかならないのに、この一年間に私が先生から受けた恩恵は言葉では尽くせない。

それは単に術技の上のことだけではない。(甲野先生に頂いたさまざまなヒントにかかわらず、私は相変わらずへたっぴな武道家である)

それより悦ばしいのは、甲野先生のネットワークに加えて頂いたことで広がった知友の拡がりである。

名越先生、守さん、白石さんら、松聲館門人の人格的な暖かさとその存在感の厚みは、なかなかうまく言葉にならない。

私は狭い了見の人間であるから、教育という視点に限定して言うことになるけれど、甲野先生の「教育者」としての器量は実に宏大なものである。

甲野門下の人々は実にのびのびと、それぞれの「体癖」に合わせて、その才能をぞんぶんに発揮している。

人間の蔵しているポテンシャルの最大化が教育の目的であるとすれば、甲野先生は実にすぐれあ「教育者」であると私は思う。

願わくば、私もまたその余沢に浴し、なけなしのポテンシャルを最大化して、なんとか世のお役にたちたいものである。

その甲野先生と「ご縁」にからんだ仕事がこのあと続く。

晶文社の安藤さんの肝いりで「田口ランディさんと鼎談夕食会」。

そして、1月はラジオのトーク番組で先生のお話の相手をするという仕事が決まりそうである。


11月25日

新聞の投書欄というところはまず読まない。

当然ながら、そこには「誰でも言いそうな意見」しか掲載されないからである。投書者の中にはずいぶんな奇論暴論を述べる人もいるはずだが、それはおそらく検閲ではじき出されてしまうのであろう。だから、私たちがそこから新たな情報や知見を汲み出す可能性はほぼゼロである。

しかし、それでもときどき読むのは、「メディアによる世論操作」の症例研究としてである。

今日目に止まったのは兵庫県15歳のドラフト制度批判。

こんな文章である。

「今のドラフトだと、有能な選手がある球団に偏ってしまう。そんなことをしていると、ある球団が毎年優勝し、数球団だけが人気を保つ。そしてファンはだんだん興味がなくなり、野球の人気はなくなる。/また、選手は職場を選ぶ権利があるのだから、球団も選ぶ権利があると、ある雑誌に書いてあったが、選手はプロ野球という職場を選んだのだから、どこの球団に入団しようと、そこでベストを尽くすべきだ。/勝つことは大事なことである。しかし、どこの球団にもファンはいて、スターを心待ちにしている。」

まったく何の問題もない作文である。

しかし、この「何の問題もない」というところに私はこの15歳を毒している深い病症を感知するのである。

まず第一に、この子どもは(たぶん少年だと思うけど、もしかすると少女かもしれない)「ナベツネ」と「讀賣」巨人軍の悪口は、『朝日新聞』的にはたいへん耳に快いものであるということを知っている。

そして、「15歳の子どもでさえ、ナベツネと巨人の罪業を憎んでいる」という「衝撃度の高さ」によって、大人が書けば採用されない程度の内容でも、掲載されて記念品を貰える確率が高いということを無意識に察知している。

つまり、この子どもはたぶん自身では「ほんとうに言いたいこと」を書いているつもりで、「まわりの大人が喜びそうなこと」を選択的に書いているのである。

いちばん危険なのは、このような意識のあり方である。

人間は「自分固有の意見だ」と思って、「他人の意見」を大声で語る。

というか、人間が大声で語れるのは、「他人の意見」だけなのである。

というのも、「自分の意見」というのは、なにしろ自分だけの意見なのだから、定義からして、他人に承認されたり、同意されたりする可能性が低いのである。だから、「自分の意見」を口にするとき、人間は決して大きい声を出さない。(例えば、自らの性的嗜癖を語るときに大声を出す人間はいない。もし大声でおのれの性的嗜癖を語るものがいたら、それは自分の嗜癖は「みんなとおんなじだ」と確信している人間だけである)

これが「朝日なんてちょろいからよ。無垢な子どものふりしてナベツネの批判書いたら、ぜったいころっとダマされて投書掲載しちゃうぞ。どう、賭ける?」というようなたちの悪いあんちゃんの知的悪戯であるなら、私もほっと一安心なのだが、いまどきそこまで知恵が回る「悪戯好きのあんちゃん」というのも絶滅寸前種であるから、たぶんその可能性はないだろう。

第二に、ここには「自明のこと」として、いくつかの社会的な取り決めについて言及があるが、それははたして「自明」なのか。それについては何も問われてない。

「ファンはだんだん興味がなくなり、野球の人気はなくなる」ということをこの子どもは「困ったことだ」というふうに思っているようだし、その判断に読者全員が同意してくれると思っているらしい。

だが、どうしてそう思えるのであろう。

「ファンがどんどん興味を失い、野球の人気がなくなる」ことがどうしていけないことなのだろう。

だって、君は野球が好きなんだろう?

他の「ファン」のことなんかどうだっていいじゃないか。

ドラフトの運用に失敗して、球団間の戦力が不均衡になってしまったくらいのことで「野球に興味がなくなる」ような人間ははじめから「野球ファン」などではない。

全球団が勢力均衡して、シリーズ最後までハラハラドキドキさせてくれないならプロ野球なんか見ない、というような贅沢なことを言う「ファン」なんか消えたっていいじゃないか。

私が野球ファンなら、そういうふうに考える。

もともとそういう奴は「自分がどきどきする」ことが好きなだけで、野球が好きなわけじゃないんだから。

自分が地上最後の野球ファンになっても、野球を支持することを止めないぞ、というのがファンの心意気というものではないだろうか?

それとも「みんな一緒」じゃないと、野球を見ても面白くないのかな?

だとしたら、君はどっちが好きなんだ?

野球なのか、それとも「みんなと一緒であること」か?

「みんなと一緒であること」が好きなら、別にそれがプロ野球じゃなくてもいいじゃないか。私はそう思うよ。

 

この子どもの「均質性志向」はしかしここにとどまらず文章の全体に横溢している。

二段の、「選手はプロ野球という職場を選んだのだから、どこの球団に入団しようと、そこでベストを尽くすべきだ」という主張はどう考えても論理的ではない。

この子だって、自分がサラリーマンになったときに、「君はサラリーマンという職場を選んだのだから、どこの企業に配属されようと、そこでベストを尽くすべきだ」と言われたら、びっくりするだろう。

なぜ、サラリーマンや寿司屋や医者や俳優には許される職場の選択が野球選手には許されてはならないのか。

そのことをこの子は踏み込んでは考えない。

一秒考えれば分かるはずなのに。

それはそうするほうがプロ野球機構が儲かるからだ。

それ以外に理由はない。

ドラフトという制度の導入には「その方がプロ野球に客が来る」という以外に何の根拠もない。それは剥き出しのビジネス優先ルールである。

しかし、わが国では、このビジネス優先のルールが「勢力均衡をもたらすよい原理」というふうに誤解されている。(現にこの子も誤解している)

なぜ、勢力均衡であること、「みんなが同じ」であることが無条件に「よいこと」とみなされるのか。

それは「みんなが同じ」であることが無条件に「よいこと」である、とするのが日本社会の民族誌的奇習だからである。

最後の、「勝つことは大事なことである。しかし、どこの球団にもファンはいて、スターを心待ちにしている」というのもその意味ではまったく同じメッセージを繰り返している。

この子にが何よりも優先的に配慮しているのは、「日本中、どこも同じ」であることなのである。

すべての日本人がプロ野球を愛し、すべての市民が地元球団に声援を送り、すべての球団が12年に一度ずつ日本シリーズを制覇するのが、おそらくこの子の夢見る理想社会なのだ。

15歳のおそらくは利発な子どもが、勇を鼓して「自分の意見」を語りだしたそのときに、「誰でも言いそうなこと」を一言一句違えずに繰り返してしまうというこの事実のうちに、私は「日本のイデオロギー教育のみごとな成功の実例」を見出すのである。


11月24日

OECDの学習到達度調査によると、日本の15歳が宿題や予習復習に割く時間は1日25分で、調査に参加した32カ国中最低で、「先進国のなかで突出して短かった」と朝日新聞が伝えている。

子どもの学力が落ちていること、学習意欲が減退していることについては、ちがう印象を持つひともいるだろうが、学習時間が減っているということはまちがいのない統計的事実である。

教育学者の佐藤学は、「日本の子どもはいまや、世界一学ばない子どもたちだ」と語っている。

その理由として、新聞は「学歴信仰が弱まったからだ」としている。

大学を出てもステータスもないし、就職のあてもない。だから子どもたちは受験勉強をしなくなった、というのである。もう一度昔みたいに景気がよくなれば、また勉強し出すだろうというなんだかとんちんかんなコメントをしている人もいた。

しかし、(まだ連載記事の一回目だから批評的コメントは早すぎるが)、それにしても、話がずいぶん単純化されていないか。

私が知る限り、今どきの子どもたちは私たちの子ども時代と比較にならないくらい勉強「させられている」ように見える。

うちの娘が小学6年生のとき、クラス38人のうち学習塾に通っていないのはうちの子ひとりだった。(私が小学校6年生のとき、クラスで学習塾に通っていたのは、たぶん私の他に数人もいなかったのではないだろうか。だいたい、そのころ「塾」と言えば、「そろばん塾」のことだったし)

学習塾というところに子どもたちはずいぶん遅くまで通っているようである。現に、午後10時過ぎに阪急の車内で塾帰りの子どもたちに出会うことがよくある。(あれで一日25分ということはありえないだろう)

小学校六年生をサンプルにとれば、その年齢の日本の子どもの学習時間が先進国最低ということはありえないと私は思う。

しかし、この12歳時点での受験勉強は、この子どもたちの中に「学習意欲」とか「知的好奇心」とかいうものを涵養することにはまったく資すところがなかった。

むしろこの「いやいややらされた勉強」の反動で、子どもたちは以後坂道を転げ落ちるように勉強しなくなり、ついに15歳時点で世界最低になる、というのが日本の実状ではないのだろうか。

問題は子どもたちの側の学習意欲の消長にあるのではなく、ほとんど子どもたちから学習意欲を組織的に奪い去るように「のみ」機能している家庭と学校の側の問題なのではないか。

ただし、私が現行の教育システムに問題ありという時のスタンスは、「教育が崩壊している」と主張する諸賢とはかなり意見を異にしている。

日本の「教育」は実に徹底しており、これほど効率的にひとつの規格化された人格を生み出すことに成功している教育システムはおそらく世界に類例を見ない、と私は考えている。

日本では教育が失敗しているのではなく、「成功しすぎている」のである。

子どもというのは生来かなり資質や気質や能力や関心にばらつきがある。

植物と同じで、子どもたちも適当に水をやり、適当に日に当て、適当に肥料をばらまき、あとは放置しておくと、それぞれの「体癖」のようなものにしたがって、それぞれいちばん「気持ちのいい生き方」を見つけるようになる。

私は原理的に教育というのはそういうものだと考えている。

しかるに日本の教育はそういうものではない。

日本の教育の最優先の目的は「子どもたちを均質化すること」にあり、その目的のために、おそるべき量の時間と金とエネルギーが、この「均質化」事業のために投じられている。

「みんなと同じであること最優先に配慮し、みんなと違うことを心から恐怖する子ども」を作り出すシステムを徹底的に精緻化高度化してきた長年の努力の成果が今日のこの「世界一勉強しない子どもたち」なのである。

だからこれを教育制度の「失敗」ととらえるのはまちがいである、と申し上げているのである。

これは「全国民を均質化したい」という近代日本の揺るぎなき志向の最大の成果なのである。拍手をもって迎える人がいないのが不思議なくらいである。

国民の均質化・知性徳性身体能力イデオロギー価値観の均質化は明治国家の最大目標であった。その基本方針は以後130年揺らいだことがない。

システムがみごとに機能した結果、こうなったのである。

だから、これはシステムの「破綻」ではなく、システムの「大成功」なのである。

問題があるとすれば、「成功しすぎた」ということである。

いくら子どもを均質的にするシステムを作っても、必ずそこから脱落したり逃亡したりするものがいる。システムというのは、そういうふうに「うまくゆかない」ものである。

そして、その少数の「はぐれもの」をある程度ゆるやかに包み込むことによって、システムのアウトプットはむしろ最大化する、というのが人類の経験が教えていることである。

しかるに日本の教育システムは、あまりに「うまくゆきすぎた」ために、システムからドロップアウトするものは網羅的に「排除」されて、病気になったり引きこもったり自殺したりて、文字通り「姿を消し」、彼らがシステムの活性化に関与する機会がなくなってしまった。

それが今日の停滞の原因であると私は考えている。

これは教育システムの失敗なのではなく、成功しすぎなのであるから、もしこれに対処を講ずるのだとしたら、システムを「よくする」のではなく、そこにもっとバグやノイズを注入してシステムの効率を「下げる」ことを考えた方がいい。私はそう思う。

最悪なのは、(おそらく文部科学省や教育学者や朝日の記者が考えているように)全国一斉一律に「勉強する子ども」はどうやったら作り出せるかの「模範解答」を処方しようとすることである。

現に、ある心理学者は「子どもというのは、勉強させるような負の圧力をかけないとぜったいに勉強しないものであるから、強制したほうがよいのだ」というような意見を具申している。おそらくこれに唱和する人も少なくないだろう。

まさに教育システムを「さらに効率化させる」ことで危機を回避しようとするこの発想そのものが、日本の教育システムをさらに悪化させる他ないということにこの人々は気づかないのである。

「ゆとり教育」も「スパルタ教育」も、「愛国教育」も「民主教育」も、「教育というのは、全級一斉に、ある仕方で効率的に子どもを方向づけするものである」という了解においては双生児のように似ている。

そういうことを唱道する人間には「全級一斉」教育というものについての疑念がひとかけらもない。

「全級一斉で何かを教える」ということが教育の形態としては、きわめて特殊なものであり、「大衆社会」の出現後(すなわちニーチェとオルテガとハイデガーが口をきわめて罵倒した「均質的な人間たち」の支配の時代)のものにすぎない、という平明な歴史観が彼らには欠如している。

いまの問題を「システムの失敗」ととらえるなら、当然、その処方箋は、システムの点検整備、管理の徹底、夾雑物の排除、誤差の修正、異論の排除・・・という方向に向かうだろう。

そして、官民一体産学協同挙国一致の同意に基づいて史上最強の「完璧な教育システム」が創出されることを彼らは夢見ているのである。

そんなことをしてもよいことは何もないよ、と私は申し上げたい。

そんなことをしたら、ますますいまの教育が成功してしまうではないか。

「こういうのを止めよう」と思うなら、「こういうの」を作り出してきた「やり方」そのものを懐疑しなければならない。

同じやり方で繰り返す限り、出てくるのは「こういうの」だけである。

「昔の子どもはもっと勉強した。あの時代に戻そう」という説を唱える人がいる。

それほど戻したいのなら、別に戻してもいいけれど、やり方は一つしかない。

非常に簡単だから、たぶんそれを採用することを主張するひとがいずれ出てくると思うけれど。

それは勉強しない子どもに回復不能の傷を与えるということだ。

いちばん簡単なのは、ある学年から、勉強できない最低ラインの子どもたちを「組織的に排除し、みんなでいじめる」という教育方針を採ることである。

クラスで下位5%の子どもは胸に「黄色いダビデの星」をつけた「賤民」に類別し、ほかの「市民」たちと差別待遇する。(暖冷房のない教室をあてがうとか、朝礼のときに、一番最後まで校庭に立たせるとか)

子どもたちは必死で勉強するであろうし、親だって額に青筋立てて勉強させるであろう。

むろん学力はぐいぐい上がる。

だって、日本人にとって何より大切なのは「みんなと同じであること」だからである。

「マークされること」、「群から抜けること」を日本人は怖れる。ほとんど存在論的に怖れる。

群から離れることを恐怖する教育を徹底してきたおかげで、上から下まで、老若男女全員がそういう人間になったのである。

よく私たちの上の世代のひとびとが、「私らが学生のころは、みんな西田幾多郎の『善の研究』や三木清の『哲学ノード』や阿部次郎の『三太郎の日記』を読んだもんだ。それにくらべていまどきの若いもんは本を読まん。困ったものだ」というのを聞く。

この慨嘆おじさんたちは自分たちが「いまどきの若いもん」とそのエートスにおいてまったく同一であるということに気づいていない。

おじさんも「自分のとなりにいるやつ」と同じ本を読んでいないと大勢から脱落しそうで怖いという点において、今どきの若者とまったく同一の思考の生理に律されていたということに気づいていない。

「成員が均質的であることを望む」という点において、日本のシステムは上から下まで中央から末端まで、すべて「均質的」である。

15歳の子どもたちが一日25分しか勉強しないのは、30年前の15歳の子どもたちが一日2時間勉強したのと、同じ理由である。

みんながそうしているからである。

みんなと同じじゃないと怖いからである。

みんなが塾にゆくなら、自分も行く。みんなが勉強して大学にゆくなら、自分もゆく。みんなが欲しいものは、自分も欲しい。

そういう社会なんだから、みんなが勉強しないなら、自分もしない。みんなが欲しがらないものは、自分も欲しくない、というふうになるのはあったり前田のクラッカーである。

そういう骨の髄まで他者志向の子どもたちを日本社会は作り出してきた。

「そういう人間」を「みんなで」一生懸命に作り出そうとして作り出してきたのであるから誰に対してであれ、いまさら文句を言うのは筋違いというものである。

そういう子どもをこれ以上量産するのを止めたいということを本気で考えている人間がいるなら、その人はまず自分の子どもが「みんなと同じでいなければ、生きていけないのではないか」という恐怖を感じずに生きて行けるように、ただ一人でも「均質化の圧力」に抗して私が子の独自性を愛し、育み、守る、というところから始める他ないだろう。

「世間」のことはどうでもよろしい。

「世間」は「ほっとく」というところから始めないと始まらない。

親や教育者自身が、「みんなと同じであること」にはたいした意味がない、ということを身を以て子どもに示すしかない。(もちろん「たいした意味がない」だけであって「まったく意味がない」わけではない。若い人はそのへんを勘違いしないようにね)

「全級一斉に個性を開花させよう」とか「均質化の圧力にみんなで抵抗しましょう」というような主張をして、「ねえ、みなさんもそう思いますよね?じゃ、みなさんご一緒に教育を改革して、個性豊かな子どもを作りましょう!」というような発想そのものが「日本的システム」の再生産にすぎないのだということに日本のメディアはいつ気づくのだろうか。

たぶん死ぬまで気づかないだろうな。


11月23日

金曜は甲野善紀先生の朝日カルチャーセンターの講演、土曜は難波の講習会。

すでに甲野先生のホームページの「随感録」では「岡山のM氏」という名で何度も紹介されていた「生きる伝説」内家武学研究会の光岡英稔師範の超人技を生で拝見し、身体で実感することになった。

思えば一年前のこのカルチャーセンターの講演で私ははじめて甲野先生にお目にかかったのであるが、それから一年間に「あれよあれよ」という間に「甲野ワールド」に魅入られ、謎の医学生白石さん、スーパー精神科医名越先生、丸亀の「地上最強の呉服屋」守さん、剣豪作家の手裏剣レディ多田さんといった甲野門下の逸材のみなさんに辱知の栄を賜ることになった。

そのご縁には改めて感謝しなければならない。

前回の丸亀「うどん」ツァーのおみやげに守さんから頂いた「光岡ビデオ」に仰天して、この日のくるのを楽しみに待っていた。

甲野先生をして「人間技ではありません」と言わしめた光岡さんの壮絶な発勁と、その南風のような温かく包容力あふれる「太平洋的風貌」に接して、しみじみとご縁のありがたさを感じたのである。(あやうく「むち打ち症」になるところであったが)

甲野先生にしても光岡さんにしても、私がその教えに感動するのは、「まったく知らないもの」を開示されたというよりは、私がこれまで多田先生から学んできた合気道の術技について、「ああ、そういうことだったのか!」という深い理解を与えてくれるからである。

光岡さんは、武術とは、人間が本来持っているはかりしれないポテンシャルを開花させるための「よりよく生きる技術」であり、その修業は外側から何かを付け加えるのではなく、人の蔵する潜在能力の開花を妨害するさまざまの夾雑物を、薄皮を剥ぐように一枚一枚取り去ることに尽きると語っていた。

すてきな考え方だ。

私はそれとほとんど一言一句違わないことばを多田先生から何度もお聞きした。

光岡さんの稽古の基本は、站椿功(たんとうこう)である。

站椿功とは「ただ立つ」、それだけである。

じっと立って、身体の「内側」をみつめる。

じっと立っているうちに、身体が自律的な運動を始める。それを見つめ、感知する。

ただそれだけである。

そうやって筋繊維のひとつひとつ、骨格のひとつひとつ、細胞のひとつひとつを無数の「セグメント」にばらして、全身の勁道を通す。そして、無限のひろがりをもつ体軸が身体を貫くのである。

微笑むように口元を緩めて、自然に呼吸する。目付は遥か太平洋の水平線を望み、耳は遠くの鳥の音や葉音のそよぎを聴く。

これは私たちが多田先生から学んだ「安定打坐」の原理とほとんど変わらない。

その練功の身体技法も私たちが学んだ呼吸法(呼吸合わせ、阿吽の呼吸)のかたちと似たものをいくつも含んでいる。

光岡さんは、「私がやってきた稽古とはこれに尽きる」と断言されていた。

発力発勁は、功によってどれくらい気が練れたのかを「チェックする」ためのものであって、それが目的ではない。外からの加撃を無数のセグメントに分散する技法が推手であり、無数のセグメントの力を一つにまとめるのが発力発勁であり、それは同じプロセスの裏表であるという説明に私は「そ、そうだったのか、やはり」と深く深く腑に落ちたのである。

站椿功を光岡さんは15歳から今日まで15年間欠かさず稽古され、ハワイにいるときは一日八時間されていたという。それを苦行としてされていたのではなく、愉しくて時間のたつのを忘れてそうなってしまうのだそうである。(光岡さんはまだ30歳なのだ!甲野先生が、「これから先どれくらい強くなるのか想像もできない」と言われるのもうなずける)

光岡さんは王向斎の意拳をベースにして、カリをはじめとするさまざまな格闘技術をミックスしたオリジナルな武術の体系を創出しつつある。

その哲学的で精緻な武術理論とリアルでクールな技法が温顔の青年のうちに矛盾なく同居しているという大洋的なスケールに、私は圧倒された。

甲野先生は昨日の講演会で、このような達人が若い世代から出てきたという事実に驚き、さらに、その人が現代日本の武道界においてまったく無名であるという事実に重ねて驚いておられた。

甲野先生のご縁で、いま、この機会に光岡さんに出会えたことはほんとうに幸運であった。これをして「武運」と称するのである。(ウチダは武道は弱いが、武運は強い)

さて、明後日はその甲野先生の講習会。

学外からも京大合気道部の「天才赤星」はじめいろいろな方が参加されるようである。

不思議なもので、こちらの身体にガタがきて、武道家として「終わり」になりかかってきたころに、武道上のご縁がどんどん広がってくる。

ほんとうに不思議なものである。


11月21日

あまりに用が多くて、何が何だか分からない。

いろいろなところから電話やメールやファックスや手紙が来る。

いろいろな人と仕事の打ち合わせや待ち合わせやらをしているらしいが、もうまるで覚えていない。

完全に、記憶容量の限界を超えたようである。

もうこうなったら、記憶喪失のふりをするしかない。

仕事の約束を忘れて、「ウチダのやろー、なめやがって、もう二度と仕事を頼まないからな」というような展開になれば、とりあえず「やれやれ仕事が一つ減った」ということである。

「二度とこの業界で仕事ができないようにしてやる」というようなことになったら、もう一生安泰である。

ここまで自虐的になるのも仕方がない。

いま書かなければいけない原稿が何本あるのかもう数える気がしない。

「ウチダさん、約束ばっかりで一行も書いてないじゃないですか!」という罵倒が近未来的に確実に予想されているものだけで数社ある。

それなのに、ウチダは夜六時以降は仕事をしないで、ウィスキーを呑みながら『日本侠客伝』を見ているのである。

明日は甲野先生の朝日カルチャーセンターの講演に出かけて、名越先生とひさしぶりにお会いする予定なので、きっと「どどど」になるだろうし。翌日は甲野先生と光岡英稔氏の講習会。月曜締め切りの『ミーツ』の原稿を私はいつ書くのであろうか・・・


11月20日

高砂公民館にて「対話するスキル」と題しての講演。

なかなか盛況で、橘さん国分さんはじめ街レヴィ派のみなさんも応援に駆けつけてくれる。

遠く金沢や京都からも参会してくれた聴衆もおられた。(どうも遠いところをありがとうございました)加賀銘茶、京都銘菓などのおみやげもいただく。

講演のネタは「身体的信号のコミュニケーション」について。

同じネタを、たぶん新曜社の「身体論本」に書くことになると思うので、興味のある方はそちらを買って下さい。

神戸新聞の取材があったので、なぜか高砂の川べりと神社の境内で「落日に見入るニーチェ」のようなポーズで写真を撮る。

帰りの車中でもインタビューが続き、記者の仲井さんと京都から来た「自称弟子」の宮武さんを相手にがんがんしゃべっているうちにお腹が減ってきて、そのまま「上海料理」に雪崩込み、ビールをのみつつさらに談論風発。

講演をしたせいで、「しゃべり癖」がついてしまったらしい。

帰ってきたら、長崎のハヤナギ先生からゼミの学生諸君の感想文を添えて「ウチダ本」を送ってきた。10冊ほどの自著にサインしてネコマンガを描く。

今日はなんだかずいぶんたくさんネコマンガを描いた日であった。


11月19日

こんな夢を見た。

フランク永井の『有楽町で逢いましょう』の歌詞をソシュール理論をもちいて解析したら、一番の歌詞に「雨」と「水」にかかわるアナグラムが埋め込まれていることを発見した、という夢である。(ややこしい夢をみるものである)

『有楽町で逢いましょう』の歌詞は次の通り。

「あなたを待てば雨が降る

濡れて来ぬかと気にかかる

ああ、ビルのほとりのティールーム

雨も愛しや歌ってる甘いブルース

あなたと私の合い言葉

有楽町で逢いましょう」

「雨」が二回出てくるのだから、雨がらみの歌詞であるのは当たり前であるが、その他に水を連想させるいろいろなアナグラムがある。

「こぬか」(→小糠)

「気にかかる」(→木にかかる)

「あ、ビル」(→浴びる)

「ほとり」(→畔)

「ティー」(→茶)

「ゆ」(→湯)

「うら」(→浦)

なるほど、この歌を聴くときなんとなく「じめっ」とした湿気を感じるのは、このアナグラムの効果であったのか。さすが佐伯孝夫は天才だ。

ということを夢の中で考えた。

夢の中では「大発見」したと喜んでいたのであるが、起きてから書き出してみると、あまり大したことない。

しかし、寝ているあいだもソシュール理論の応用について考えているというのがわれながら立派である。

そのけなげさに免じて、ここに記すのである。


11月17日

今週はわりと規則的な一週間だった。授業も稽古も予定通りやったし、ちゃんと週末は「お休み」になった。

鍼で腰を見て貰う。

すごく「凝っている」という。ちょうど肩がばりばりに凝るように、右腰の内側の奥の方の筋肉がばりばりに凝っているのである。

使わなければ治りますというはごもっともであるが、どうしてこんなところが凝るのか分からないような部位であるので、当然ながら、どうやったら「使わないですむ」のかも分からない。

とりあえず、「歩かない、立たない、起き上がらない、背中をまげない」ということをすればよいらしい。(つまり背中をすっと伸ばした状態で、ごろごろ寝ていればよいのである。たいへん楽そうでウチダ的には大歓迎なのだが、その上でどうやって社会人として生きてゆけばよいのであろう)

家に戻って、「レヴィナスとラカン」の原稿をばりばり書く。

レヴィナスのテクスト・パフォーマンスのねらいは「呪鎮」である、という白川静先生にインスパイアされたアイディアが浮かび、フロイトの呪詛論をどんどん読む。

おお、こ、これは面白い。

しかし、白川静に影響されて、フロイトの「喪」の概念を使って、レヴィナスの「他者」を読み込み、それをラカンの〈現実界〉に結びつけるというようなデタラメな読み方をする研究者はなかなかいないであろう。(いたらお友だちになれそうだが)

夕方まで原稿を書き、街へ出る。

今日は文春のT中さんが神戸に来る。とりあえず仕事の話ではないのでだいぶ気楽である。

「グリルみやこ」で神戸牛カツレツとビール。そのあとハンター坂を上がって、ジャック・メイヨールへ。もう国分さん、小林さん(これまで「株屋の美女」と通称されておりましたが、今回本名を伺いました)、野村さんなど「街レヴィ派」のみなさんが、著書を持ってカウンターでスタンバイしておられるので、「まいどおーきに」とお礼をしつつ、さらさらとサインとネコマンガを書く。

橘さんと国分さんは昨日の合気道のお稽古でさすがに腰や太股の筋肉がばりばりになってしまって、今日は仕事がたいへんだったそうである。

入門するなり即日稽古の通常プログラムに放り込んだのであるから、考えて見れば過酷なしうちであった。

しかし、ふたりとも武道経験者で、基礎的な身体の出来がしっかりしているので、筋肉痛くらいで済むからよいのである。

エアサロンパスとバンテリンがよく効きますよ、という話をしているところに『ミーツ』の江さんが、学生スタッフ(『子どもミーツ』という特集号の編集スタッフたち)八人を引き連れて登場。編集の青山さんも途中から参加して、たちまちジャックの店内は、「街レヴィ派総決起集会」状態となる。

総決起集会なので、江さんもT中さんウチダが順番に学生諸君を相手にばんばん説教をかまし、檄を飛ばす。これで最後に「インターナショナル」を唱和すれば、もう60年代の学生集会に党派の中央委員が「空気を入れに来た」のと見まごうばかりの風景である。

しかし、ジャックもほんとうに変わった店である。(黙ってカウンターに座っていると、橘さんが「せんせ、これちょっと呑んでみて下さい」とワインや日本酒のデギュスタシオンをさせてくれる。「おお、こ、これはうまい」というともう一杯注いでくれる)

数時間にわたって大騒ぎ。

T中さんに「ウチダさんはここに毎晩いらしてるんですか」と訊ねられる。

まさかね。私にそれほどの体力はありません。街へ出るのは、月一です。

日曜はそのひさしぶりの休日でした。ああ、楽しかった。

次は12月22日に、鈴木晶先生がジャックに登場の予定です。

街レヴィ派のみなさん、そのときまた会いましょう。


11月16日

芦屋の合気道のお稽古場がなんだかずいぶんにぎやかになってきた。

地元の少年少女たち(これはかなぴょんのお弟子さんたち)に加えて、本日から「ジャック」の橘さんと「ステーキハウス国分」の国分さんも入門。大東流をお稽古していた方も先週から入ってきた。気錬会OBのぴーちゃんに、大阪教育大の合気道部の諸君もいるから、だんだんかつての「自由が丘道場」みたいなわいわいした感じになってきた。

こういうのは好きだ。

ウチダは均質的なものと教条的なものが嫌いである。

そういうことをいうと、「ああ、ウチダさんは文化的多元主義者なんですね」というような括り方をする人がいる。

勘違いしてもらっては困る。

私はそもそも「・・・主義」というのが大嫌いなのである。

たしかに私は均質的なものと教条的なものが大嫌いである。

だが、「均質的なものと教条的なものが嫌い主義」というようなかたちで私の主張を「教条」化し、その教条に同意する「均質的な人々」を集めて、均質的集団を作ることはもっと嫌いなのである。

私を「レヴィナス主義者」であるというふうに思い込んで、「なぜ、ウチダはレヴィナス主義者なのに、他者との対話に開かれず、平気でひとのことを『バカ』などと罵って、応答責任を果たさないのか」と詰問したりする人がいるが、私は「レヴィナス主義者」であるなどと名乗ったことはない。

固定化された主義に殉じるというようなことは、レヴィナス老師がもっとも嫌ったことであり、私はその点において老師の弟子なのである。

「いかなる主義も立てない」ということがレヴィナス老師の示した「他者への回路」である。

相手が賢者であれ阿呆であれ、等しく胸襟を開いて受け容れねばならぬというようなことを言う人間は、その段階ですでにあたまごりごりの「教条の人」である。

レディメイドの教条を立てて他者に向き合う人間は、すでにして他者に向かって自分を閉じているということにさえ気づかない人間は「エゴサントリックな人間」であるのではなく、ただの「バカ」である。

私は主義としてバカを相手にしない。

しかるに、私は何事かを「主義にする」ということが嫌いなので、気が向くと、念入りにバカの相手をすることもある。

そういうどっちつかずでは困る、どっちかに片づけろ、と言う人がいる。

いやです。

いかなる論件についても、「すべからく・・・すべし」というような定見をウチダは持たない。

すべてその場の気分で決める。

そして、「すべてその場の気分で決める」という決め方が教条化することも嫌いなので、「その場の気分で決める」というスタイルをとるかとらないかも「その場の気分」で決めるのである。

というような生き方をすべからく人々は規範としてすべきである、というようなことは、だから言うはずもないのであるが、ときどき平気で言うこともある。

何しろ定見がないから。


11月14日

上野千鶴子さんからお葉書を頂く。

なぜか『女は何を欲望するか』のお礼状である。

私はもちろんフェミニズムの悪口を書いた本の献本リストに上野千鶴子の名前を載せるほど命知らずではない。

径書房のO庭くんが「気を利かせた」のかもしれない。

「ハブとマングースが戦ったらどうなるか」というような種類の興味を人間はなかなか自制することができないものである。

本を読んで上野千鶴子が「むかっ」となって、あちこちのメディアでこの本を批判的に論及すれば、出版社的にはたいへんにありがたい展開である。

「上野千鶴子をそれほど怒らせる本であれば、これはぜひ読まねば」という人は日本にゴマンといるからだ。

それにしても、とウチダは思う。

私もずいぶん酷いことを書いたけれど、考えてみると、上野千鶴子というひとがいま受けている「敵意」の風圧というのはすさまじいものであろう。

経験的に言って、敵意というのは、「生き霊」と同じで、一定量を超えると、ある種の物理的実体を持つようになる。

「邪眼」が人を傷つけるように、敵意は、それが自分に向けられていると気づいていない人間にさえ、突き刺さり、その生命力を少しずつ殺いでゆく。

あれだけの敵意にいまなお耐えられるということを説明できる理由を私は二つしか思いつかない。

一つは上野千鶴子がアクマのようにタフな人間であるということ。

一つは「上野千鶴子」というのが、彼女が作り出したヴァーチャル・キャラクターであり、プライヴェートのご本人は別のキャラクターを温存していて、敵意がダイレクトに刺さるのをぎりぎりのところで回避しているということ。

何となく可能性としては後の方がありそうな気がする。

どちらの場合にしても、ウチダはこれ以上のフェミニズムへの敵意の備給をすることには、気が進まなくなった。

『ためらいの倫理学』にも書いたように、私は自分が女性であれば、(そしてフェミニストであれば)、上野の理説を支持しただろうと思っている。

いろいろ問題はあるにせよ、最優先の課題である「社会的・文化的リソースの性間での公平な分配」ということについては彼女はたしかに大きな貢献を果たしたし、「女性である私」はそれによって恩恵をこうむっている可能性が少なくないからだ。

立場が違えば「味方」だと思ったはずの人間を、立場上攻撃するというのは、あまり気分のよいことではない。

こういうふうに考えるようになったのは、ひとつには私がフェミニズムの悪口を書くと、「いやー、爽快でした。胸のつかえがおりました」というリアクションをしてくる人が想像よりはるかに多かったからである。

私は自分の意見は少数意見であろうと思って書いていた。

「ドミナントなイデオロギー」に対して少数意見の立場から、「そこまでおっしゃるのは、いかがなものか」と申し上げたのであって、まさかフェミニズムがこれほど多数の人々から蛇蠍のごとく嫌われているイデオロギーであるとは知らなかった。

もしかすると、フェミニズムというのは、実はすごく支持者の少ない、マイナーで脆弱なイデオロギー的立場なのかもしれない。

ウチダは子どものころから、「落ち目の人には親切」で、「弱いものには味方する」ことをとりあえずの信条としている。(『月光仮面』で幼児的正義感を涵養された世代なので)

それに、賛同する人が「たくさん」いると、私は自分の書いていることに対してさえ疑念を抱くような猜疑心の強い人間である。

私のフェミニズム批判は、(わかりにくいかもしれないけれど)いくぶんかの「敬意」を帯同している。

その「敬意」の部分を読み飛ばして、「いやー、爽快でした」と言われると、私は困る。

私がマスメディアではこの先もう時評的な発言しないと宣言しているのは、そういう「ニュアンス」がマスメディア経由ではなかなか伝わらない、ということがあるからだ。

あの本の「まえがき」に記したように、たぶんこれから先、私はもうフェミニズムの「悪口」は書かないと思う。

書きたいことは書いた。

あとは、フェミニズムの「遺産」のうちの「善きもの」を敵意の怒濤から守ることの方が優先順位の高い仕事のような気がしてきた。

『ため倫』で高橋哲哉さんのことを批判したときも、私は「言っていることは正論だけど、言い方がいまいち」という「限定的批判」にとどめたつもりだったけれど、「全否定」として読んだ読者が少なくなかった。

でも、それは私の本意ではない。

あの中で私が書いた「高橋哲哉の言っていることを私は原則的に支持する」という文言は一種の「論争的な修辞」だと取られた。

でも、それは違う。

私が「支持する」というのは、「支持する」ということだ。

全面的には支持しないが、原則的には支持する、という立場の取り方があるということが私たちの社会ではなかなか理解されない。

高橋哲哉を批判したらしいというだけで「なんだ、ウチダは右翼なのか」と簡単にくくってし、それで済ませる人がいる。

知的負荷のすくない分類法だから、ものを考えるのが億劫という人がそういうカテゴライズを採用するのは仕方がない。でもいやしくも、学術情報を発信しているつもりの人が、そういう雑な(血液型人間類型学にも劣る-あれは少なくとも四通りに人間を分類しているからね)バカ分類に安住することは許されないとウチダは思う。

私が要求しているのは、「曖昧な立場にも市民権を」ということである。

「そのような立場」をとりたいという人間がいるんだから、そのような立場を認めてほしいという、ただそれ「だけ」のために私は書いている。

そういう私の考え方を理解してくれるひとは、ほんとうに少ない。ほんとうに、泣けてくるほど少ない。


11月12日

大学の帰り道に芦屋のリージョン・ハウスに寄る。

御影のマンションの契約更改の季節なので、引越しすることを知らせるためである。

ここのA木さんという営業マンには90年に最初に芦屋の山手山荘を紹介してもらって以来二度お世話になっている。

「るんちゃんはもう大きくなったでしょうね?」

もう二十歳になって、いま東京ですとお答えする。

「じゃあ、先生はいまお一人で?」

贅沢だけど、一人で3LDK80平米のところで暮らしているわけで、これがいきなり2LDK50平米ということになると、いくら「家財のないウチダ」でも本と家具に埋まってしまう。

加えて、母親が「歩いていけるところにデパートがあるところに引っ越せ」というむずかしい注文をつけてきている。

でも、こういうスペシフィックな条件をつけると物件の検索は逆に簡単である。

条件を満たすものはとりあえず芦屋に5件。

国道二号線の近くとJRのきわは騒音と震動があるのでオミット。残る阪急北側に1件よいのがある。

芦屋神社の下の方で、イカリ・スーパーから歩いて三分。(ということはかなぴょんの家からも歩いて3分)。飯田先生も宴会のあと歩いて夙川のおうちまで帰れる。芦屋の大丸まで徒歩でいける。

このマンションにはいま3LDKの空きがないので、出たら連絡してくださいとお願いする。

引越のことを考えるとなんだかワクワクしてくる。

どうして、世間の人は家なんか買ってしまって、住みかを固定することにあれほどいそしむのであろうか。ウチダにはその心情がまったく理解できない。

住むところなんて、洋服と同じである。

趣味も変わるし、サイズも変わし、懐具合も変わる。

それに合わせてどんどん変える、というのが住みかに対する正しいマナーではないのだろうか。

前にも書いたが、私は19歳からあと13回引っ越しをした。(こんどが14回目)

1カ所の平均滞在期間は2年半である。(芦屋の山手町に8年いたのが最長記録。いちばん短いのは久品仏と武庫之荘で、半年)

楽しいんだけどなあ、引っ越し。

 

家に帰って、『映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇』の書評を書き上げる。

これはたいへんにおもしろい本ですので、「オススメ」。

『仁義なき戦い』の次はオルテガ。イ・ガセーの『大衆の反逆』の書評にとりかかる。

新聞社の書評担当デスクのファイルに、私はいったい「何の専門家」として分類されているのであろうと考え込んでしまう。

むかし英仏語の翻訳バイトをやっていたころ、翻訳会社の「翻訳者リスト」を覗き見たことがある。翻訳者ひとりずつの「専門」と「相場」が記してある。

私のファイルを見ると、「専門」は「なんでもやる」、「備考」に「仕事は粗いが、速い」、「相場」は「最安値」であった。

あれから30年間たったが、相場が上がっただけで、あとは何も変わっていない。

『大衆の反逆』をひさしぶりに読み返す。

実に面白い本である。

1920年代に「大衆」がそれまで「貴族」のmember's only だった場所(ホテル、ヴァカンス地、劇場など)に大挙して繰り出してくる。

「なんだよ、こいつら。どこから湧いて来たんだよ。なんで、おれらのまねすんだよ」

という「貴族たち」の困惑と怒りが『大衆の反逆』の原体験にはある。

その「みんな同じ顔つきして、雪崩打つように同じ方向に駆け出して行くこの連中は、いったい何を考えてるんだろう?」という恐怖と嫌悪は、その3年前のハイデガーの『存在と時間』にも横溢していた。

オルテガがだいきらいなのは「社会が均質化してゆくこと」である。

異質なものが共生する社会、「敵と、それどころか弱い敵とさえ共存する最高に寛大な制度」のために、自己犠牲を厭わず、対話と礼節をまもる「市民」(civis) たち、それがオルテガの「貴族」なのである。

すてきな考え方だとウチダは思う。


11月11日

こりこりと原稿書き。

午後、大学に行って四年生のゼミ。

この四年生諸君と毎週顔を合わせてわいわいおしゃべりするのも、あとわずかである。ゼミは12月いっぱいで終わりだから、もうカウントダウンだ。

二年間毎週やっていたゼミがなくなり、当然のように毎週あっていた学生たちともう会えなくなる、というのは、寂しいものである。

学生たちも同じような気分らしく、なんとなく「しんみり」した風情が漂っている。

でも学校というのは、こういうふうにひとびとが不可逆的に流れ去ってゆくというところがよろしいのである。ゼミ生同士が仲良くなって、だんだん盛り上がったきたところで「残念ながら、はいおしまい」というのがせつなくて、そこがよいのである。

夕方から杖の稽古。

誰も来ないので、一人稽古。

一人稽古は楽しい。ふだん考えていたことをいろいろ試してみる。

背中の使い方、肩の消し方をいろいろ工夫する。剣を振り下ろすという、ただそれだけの単純な行程がどれほど複雑な身体操作を要求するのか。

そのうち二人やってきて、ようやく形稽古ができる。

学生さんがちっとも来ないのは、どうしてなんだろ、杖、面白いのになあ。

合気道うまくなりたいのなら、すごく勉強になると思うんだけど。

というわけで、業務連絡:

神戸女学院大学杖道会はただいま「会員募集中」であります。

入会随時。稽古は毎週月曜の5時-7時、大学体育館にて

ただしい剣、杖の操作法を習得することを通じて、武道的な身体運用とはどういうものかを考究しています。

全剣連の制定形のほかに、合気剣、合気杖も併せて稽古しています。

関心のある方はどうか見学に来て下さい。(学生、院生、中高生、教職員、どなたでも参加できます)

 

夕食のあと、昨日に引き続き笠原一夫『昭和の劇』を読む。

角川書店のY本さんから電話。昨日の日記に「校正がまだ半分しか終わってない」と書いたのを読んで、「気が気でなくなって」お電話をしてきたようである。

なんとか年内には原稿をお渡ししますとへこへこ約束する。

角川書店からは来春に『ためらいの倫理学』の文庫本を出して頂くという話になっているので、ひごろ傍若無人のウチダもやや腰が低いのである。

Y本さんから「受注期間内にもう一本注文入れていいですか?『性愛論』をひとつお願いしたいんですけど」という次なる仕事のオッファー。

もうバックオーダーが不良在庫化していて、はたして生きているあいだに原稿を渡せるかどうかさえわからないような状態なのである。

仕事が一つ二つ増えたってもう関係ない。

へいへい、なんでもお受けしますよ。はい、まいどおおきにとご返事しておく。

キックがはいったので、そのままパソコンに向かって角川の校正を続ける。

興に乗ってばりばり原稿を書いているうちに気がつけば午前1時。

おお、たいへんだとばたばたとベッドに潜り込み、さらに小倉鉄樹の『おれの師匠』を読んでいるうちに、いつのまにか爆睡。

ほんとに忙しい毎日だな。


11月10日

日曜の朝刊をひろげて「ぎくり」とした。

一面下段の書籍広告にこんなのがあったからである。

「早稲田の『今』が分かるスペシャルマガジン登場!!/だから早稲田はトクなんです。/話題の講義に潜入リポート/鴻上尚史客員教授の演劇ワークショップ/小泉首相も講義した!豪華ゲストが話題の大隈塾/イマドキ早大生の日常に密着!/写真でつづる早大生日記/法科大学院、スポーツ科学部、国際教養学部・・・注目集める最新の動きをリポート!・・・・」

という具合に続いている。

版元を見ると「日経ホーム出版社」とある。しかし、まさか民間の一出版社がわざわざ早稲田の宣伝をするはずがないから、これはおそらく早稲田の公式パブリシティなのだろうと思う。

だが、これがもし大学主導のパブリシティなら、早稲田も末期症状と言わねばならない。

誤解してはもらいたくないが、ウチダは早稲田大学が好きである。

受験のときも、私立は早稲田の法学部と政経学部だけしか受けなかったし、そのあとも長く早稲田のユダヤ研の特別研究員をしていたし、ラグビーは藤原優以来の早稲田びいきだし、うちのお兄ちゃんも師匠の多田先生も早稲田だし、同門の早稲田大学合気道会とは仲良しである。

その上で、きっぱりと「これでは早稲田も終わりだ」と告げねばならぬ。

このパブリシティはあきらかに私たちが大学教育を再建しようとしている方向とは「逆」を向いているからである。

大学教育の再建は、「イマドキの受験生」の学力と知力のリアルかつクールな査定から始まらなければならない。

早稲田は「イマドキの受験生はバカだ」という査定を採用した。

この査定そのものは間違っていない。

「バカ」といってはあんまりだが、「イマドキの受験生」の教養は限りなくゼロに近く、学力は半世紀前の中学三年生程度である、というのは大学教員予備校関係者衆目の一致するところである。

しかし、その査定をふまえて、どういう大学生存戦略を立てるかということになると、私と早稲田のパブリシティ担当者では考え方がまるで違う。

私見によれば、受験生に「どの大学を選ぶべきかを熟考させること」はすでに大学の教育的機能の第一歩である。

大学広報は、「本学はこれこれこのような教育を行い、このような学生を送り出したいと願っている。みなさんはそれについてどう思うか」ということを天下に問うものである。

それがかなり幻想的なものであれ、ひとつのモデルを指し示すことは、すでにして「教育活動」の始まりである、と私は思う。

実際に受験しなくても、そのようなパブリシティを一読して、「なるほど、この大学はこのような教育理念をもつのであるか。はたしてこの理念はどのような人間を作りだし、どのような社会を理想と考えた上で策定されたのだろうか。私はここで想定されているモデルに共感できるだろうか」というふうに問いが深められるなら、総じて、「私は大学に何を求めて進学しようとしているのか?」という問いを受験生が自分に向ける機会を提供できるのであれば、「大学のパブリシティ」はすでに教育的に機能していることになる。

しかるに、早稲田のこの広告は広告屋のアオリに乗って、「バカをおだてて商品を買わせる」戦略を採用している。

この「スペシャル・マガジン」の広告文面に横溢するのは、誰が見ても「バカな受験生はこういうコマーシャル乗りのキャッチに簡単にひっかかるんだよな、バカだから」という受験生を「なめた」姿勢である。

このような姿勢がどのように教育的に機能すると思っておられるのか。ウチダは早稲田大学の要路の方にそれをお聞きしたいと思う。

それは独り早稲田大学の延命にとってはあるいは短期的には有意な選択であるのかもしれない。だが、日本の将来を考えればいやしくも高等教育機関が採用してはならないものである。

イマドキの受験生はたしかにこのパブリシティにほいほいひっかかるほどバカかも知れない。しかし、ビジネス優先で、大学人がその知的判断力を「見下している」受験生を迎え入れ続けていたら、その大学はもう教育機関としては「終わり」である。

人は、自分を「見下している」人間から何か「善きもの」を教わることはできない。

いま現在の学力知力がいくら低くても、学生の知的ポテンシャルの開花に有り金を賭けることのできる教育機関だけが、教育的に機能する、とウチダは信じている。

教える側が教わる側の知的ポテンシャルに対する期待と敬意を失ったら、教育はもう立ち行かない。

だからむしろ、私たちが若い世代において涵養すべきなのは、こういう愚民化的パブリシティを採用するような大学には「絶対行きたくない」と感じる知的センサーではないのか。

 

イマドキの受験生はたしかに教養はなく、学力も驚異的に低い。(中学三年までの学習内容を完全に理解している大学生はほとんどいない)

だから、それに対応して教育プログラムを下方修正することは避けがたい。

しかし、それは大学を高校「並み」にするということではないはずだ。

だって、これまでの大学の教育的機能は依然として大学が担わなければならないからだ。それを代替してくれる教育機関はいまのところまだ存在しない。

である以上、これからしばらくの期間、大学は四年間で「中等教育と高等教育」を同時に行うという、空前絶後前代未聞の教育機関としての歴史的使命を(願わくば暫定的に)担ってゆかなければならないのである。

私学経営に逆風が吹き荒れているおりもおり、明日の日本の知的インフラを整備するために教育機関としてこれまでの二倍の仕事をしなければならないという、とんでもない試練のうちに日本の大学はある。

私たちには模倣すべきモデルがなく、にもかかわらず、なしとげなければならない仕事は山積している。

明治以来、日本の大学がこれほどまでにおのれの社会的機能について熟慮しなければならない時期、日本の大学の歴史的使命がこれほどまでに重い時代はなかったと私は思う。

そういうときにこういうパブリシティを見ると、ウチダは足元ががらがら崩れるような虚脱感を感じてしまうのである。

目を覚ませ、早稲田。


11月10日

休みなので必死に原稿を書く。

あと7週間足らずで「物書き廃業」であるので、土壇場に注文がどかどか入る。

「年内は休まず営業しています」という看板を出してしまった以上、アキンドのマナーとして、「いま忙しいからダメ」とは言えない。

共同通信から笠原和夫の『昭和の劇』(太田出版)の書評を頼まれる。笠原は私のフィルム・ファヴォリである『仁義なき戦い』のシナリオライターであるから、喜んでお受けする。

讀賣新聞からはオルテガ・イ・ガセットの『大衆の叛乱』についてのエッセイを頼まれる。私がオルテガについて書く機会なんかもう一生こないだろうから、これも記念に書くことにする。

角川書店の「口述筆記本」はホームページで「今秋刊行!」と銘打っておきながら、まだ直しが半分しか終わっていない。角川のY本さんはさぞや気が気でないであろう。これもはやいところ完成させないといけない。

そこへもってきて、12月7日は福岡でレヴィナスについての研究発表をしないといけないのだが、この草稿もまだ三分の一くらいしか書き上がっていない。

たぶんここに、今週末には『ミーツ』と『朝日新聞』から「次の原稿、そろそろ締め切りです」というキックが入るはずである。

今年の末には原稿をお渡ししますときっぱり約束したはずのレヴィナス『困難な自由』の改稿は200頁を残したまま店晒しである。

もうぐじゃぐじゃであって、いったいどういう順序で仕事をしたらいいのか分からない。

とりあえず12月25日締め切りの関西電力のメールマガジン『Insight』の原稿3枚を書く。(なんで、締め切りの遅い原稿から書き始めるんだ)

そのあと『角川本』の直し。

こりこり原稿に直しを入れていたらとっぷり日が暮れている。

肩がばりばりになったので、風呂に入って、ワインを飲みながら書評を頼まれた笠原和夫の本を読み始める。

これが600頁もあるので、片手では持てないくらい重い。しかし、めちゃめちゃ面白い。

夕食の支度も忘れて読みふける。

話の中に出てくる映画が全部見たくなったので、Amazon.com で検索をかけるが、笠原和夫の1974年以降の作品はほとんど「在庫切れ」である。

かろうじて『日本侠客伝』と『緋牡丹博徒』と『総長賭博』だけが在庫があったので、ゲット。(これで11月後半は連夜「60年代東映やくざ映画」鑑賞会である)

しかし、本を読んで「これは、是が非でも観たい」と思った映画は結局一つも手に入らず。(『日本暗殺秘録』、『女渡世人おたの申します』、『あゝ決戦航空隊』、『県警対組織暴力』『暴力金脈』・・)

『仁義なき戦い』だけは全巻DVDで揃えている。

笠原は実際に美能幸三(映画では広能昌三=菅原文太)や服部武(映画では武田明=小林旭)に会って、広島抗争事件の詳細を聞き出したのだが、二人の話によると実際の内紛密通裏切りは「あんなもの」ではなかったらしい。『頂上作戦』のあの複雑怪奇な「盃外交」もあれでずいぶん単純化されているそうである。ふーむ。

しかし、いちばん面白かったのは、天皇と右翼と総会屋の話。

笠原自身が取材した二・二六事件秘話にはびっくり仰天。(これはぜひ笠原の本を読んでご確認いただきたいです。とてもここには書けない。本文240−46頁)

「すごいこと」が書いてあります。

あと、笠原のシナリオ秘話で面白いのは、「ボツ」になったホンの話。

東映では共産党と銀行の話が映画化できない。(当たり前だけど、東映にも労働組合があって、現場には共産党系の組合員が入っているから。東映にもメインバンクがあって、銀行家が金の出入りを抑えているから)

それは、「取り次ぎ」についての暴露本が決して「取り次ぎ」を経由して流通できない。「紙問屋」の寡占体制について、新聞「紙」は報道できないというのと構造は同じである。

結局、こういうホームページに書きたいことを書いているのが、誰にも遠慮がなくて、いちばん気楽である。(そうはいっても、けっこう「自主規制」しているトピックはあるんだけど)


11月9日

晶文社の安藤さんと電話でお話しているときに、ふいに私が「なにもの」であるかが分かった。

私は「葬儀屋」だったのである。

私がやろうとしているのは、「死んだ人」に向かって「あなたはもう死んだのです」と告げて、その霊を弔うことである、ということが分かった。

『ためらいの倫理学』の「戦争論の構造」で私は「死者を弔う」という加藤典洋さんの主張に深く共感したということを書いた。

弔うというのは、生きているものを殺すことでもないし、死体に死に化粧を施すことでもない。

そうではなくて、その「遺徳」をただしく顕彰し、しずかに「幽界」にお引き取り願うことである。

「もう死んでいるもの」が現世にとどまっていると、災禍をなす。

ただしく鎮魂し、気持ちよく幽界にお引き取り願うことによってはじめて現世に「善きもの」をもたらすような「もの」が存在する。

戦争の死者はそういうものだ、と私は思った。

同じように、『おじさん的思考』という本は、「おじさん」に対する「鎮魂の書」である。

朝日ニュースターで竹信くんを相手に本の話をしたときに、「あれは同世代の若くして死んだ友だちに対する、私なりの鎮魂の儀礼なんです」とぽろっと語ったことがある。

そのときは不意にそういう言葉が口をついて出たのだけれど、よくよく考えてみたら、たぶんそれはかなり正解だったのだ。

「おじさん」というのは(『期間限定の思想』の最後のインタビューで語っているけれど)、私の父親をモデルにしたヴァーチャル・キャラクターである。

私は父親の「喪の儀礼」をしたかったのだ。

あなたたちの世代はほんとうによくやってくれた。どうも、ありがとう。でも、あなたがたの歴史的使命はもう果たされ、もう誰によってもそれを代替することはできなくなった。

あなたたちは「かつて存在したが、もう存在しない」というかたちで回顧的に語られることで「善きもの」をもたらし来すであろう何ものかである。

その場合は、「ちゃんと死んでもらう」というのがただしい慰霊の作法なのである。

「家庭をたいせつにし、仕事にはげみ、平和を愛し、民主主義を守る」人々はもう「存在しない」。それを「歴史のごみ箱」に放り込むことも、蘇生手術をして甦らせようとすることも、どちらも死者に対しては礼を失している。

「かつて存在したが、もう存在しないもの」に対しては、それにふさわしい礼儀があるだろう。

それは「正しく弔う」ことである。

おそらく私はおなじ礼節をフェミニズムに対しても試みようとして『女性は何を欲望するか?』という本を書いたように思う。

(ただし、「早すぎた埋葬」というのは、ポウが繰り返し書いたように、考え得る最も恐ろしい刑罰であるから、もしかするとフェミニズムに対しては、私はその非人間的暴力を行使しているのかもしれない。どんなに善意の動機からでも、生きながら埋められたら、ふつうは怒るな)

とにかく、そうやって自分の仕事を俯瞰すると、これはびっくり、ほとんど全部が「鎮魂」の儀礼というカテゴリーにあてはまるのである。

その代表的なものは老師の墓前に捧げた『レヴィナスと愛の現象学』である。

なにしろこの領域におけるウチダの肩書きは「レヴィナス研究者」ではなく、「レヴィナス先生遺徳顕彰会会長」なのだから。

そういえば、若い頃からフランス・ファシズムの研究や反ユダヤ主義の研究をしてきたのも、考えてみたら、それを断罪するためではなく、「そういうイデオロギーも、それなりに当時の人たちは、世界をよりよくするためのものだと思って作り出したんだよね。結果はひどいことになったけれど、動機そのものは純粋だったことは認めて上げるよ」という「理解」を示すためにやっていたように思われる。

直感が教えるのは、ほんとうにそういう邪悪なイデオロギーを根絶しようと思ったら、あたまごなしに否定することよりも、「正しく弔う」ことのほうがたぶん有効なのだ。

「ぜんぶダメ」というような包括的な拒否はかえってその「死んだ」イデオロギーがゾンビー化して跳梁跋扈することを許してしまうのではないか。

そのことをたぶんウチダは怖れているのである。(「怖いもの」に対する私のセンサーはたいへん感度がよい)


11月8日

今朝の朝日新聞に興味深い記事が出ていた。

「16歳の家出少女が、出会い系サイトを利用したワルモノにダマされて、売春を強要されて一日六人ノルマで一年間に約800人を相手に売春をさせられていた」という記事である。

そのどこに興味を覚えたかというと、それによって得られたのが「約1200万円」だったちというところである。

1万5千円なんだ。

これがおそらく当今の「相場」なのであろう。

ウチダはこういうことには疎い人間であるが、たしか数年前は「援交」の相場は2万円とものの本に書いてあったかに記憶している。

だとすると、知らないあいだに25%の価格切り下げがなされていたことになる。

まあ、マクドのハンバーガーが59円の時代だから、デフレの趨勢からしてこれが適正な価格設定なのかもしれない。

もし売春価格が下落しているとするならば、その理由は一に「消費者の消費意欲の減退」であろうが、他の理由としては「供給の過剰」もあげられるのではないかとウチダは推察する。

上野千鶴子が先般より「性の自己決定・売春の自由化」を督励し、それに対して私が「そういうことはあんまりしないほうがいいと思うけど・・・」と弱々しく抗議したが、世間から一顧だにされなかったのはまだ記憶に新しい。

あるいは上野たちの督励が奏功して、大量の高校生売春婦が市場に参入することになり、結果としてこの低価格が実現したのかもしれない。だとしたら、「消費者サイド」としては「フェミニストさまさま」であろう。

 

フェミニストへの悪口全開の『女性は何を欲望するか?』は来週の金曜あたりから書店に並ぶけれど、試し刷りを頂いたら、あとから書き足した「解題」が印刷されていないことに気がついた。(再校のときは気が急いていたせいで、ブロック一つが欠落していることに気がつかなかった)

「解題」がないので、いったいこれらの論考はどういう経緯で書かれたものか、初出はどこか、ということが分からない。

重版からは直すけれど、初版はこのまま「解題ぬき」での出版となる。

『姦淫聖書』みたいなものだと考えて、「お、これはレアだ」と収集してくれる愛書家がいるとよいのだが。

とりあえず、ホームページに「解題」を掲載しておきますので、この部分をコピー、プリントして、本の最後に貼り付けて置いて下さい。

 

解題

 本書には私がこれまでにフェミニズムについて書いた二篇の論考が収録されている。

 「フェミニスト映画論」と題された第二章はこれまでにずいぶんあちこちで「使い回し」てきた原稿である。原型は神戸女学院大学女性学インスティチュート刊行の『女性学評論』の1996年、1998年号に掲載された二本の論文(「エイリアン・フェミニズム」、「ジェンダー・ハイブリッド・モンスター」)である。その後、映画記号論の部分だけを取り出したショート・ヴァージョンを『映画は死んだ』(松下正己のとの共著、いなほ書房、1999年)に、さらに短いヴァージョンを記号学的方法の実践例として『現代思想のパフォーマンス』(難波江和英との共著、松柏社、2000年)に収録した。

 つまり、オリジナルから数えて今回が四回目の「おつとめ」ということになる。

 一つネタを四回使い回すというのも、なんとも芸のないことではあるが、オリジナルは「読んでくれる人は五人」といわれる紀要論文であり、ショート・ヴァージョンの『映画は死んだ』は部数わずかな自費出版物。『現代思想のパフォーマンス』のショート・ショート・ヴァージョンではフェミニズム関係の記述は大幅にカットされた。だから、「フェミニズムと物語」ということに焦点化したオリジナル論文が全文再録されたのは、実はこれがはじめてなのである。「これはもう前に読んだぞ」とお怒りの読者も一部におられるかと思うけれど、同一のテクストをいろいろなヴァージョンに改作するということについては古賀政男や村上春樹といった偉大な先達の例もあることだし、拝して読者諸氏のご海容を懇請する次第である。

 

 第一章の「フェミニズム言語論」の方は書き下ろしである。

 大学で「女性学」という連続講義を担当したとき、「女性として語る」というテーマで90分の講義三回分のノートを作った。この機会に『レヴィナスと愛の現象学』で触れたフェミニズム言語論についてもう少し考察をすすめてみようと思ったのである。

 フランスや英米ではフェミニズムの言語論や批評理論はたしかに効果的な学術的ツールであるが、それをそのまま日本語や日本文学に適用することにはややむりがあるのではないかと私は思っている。

 理由の一つは日本語では「言語は性化されている」ということは、べつに学者に教えられなくても、誰もが熟知しているからである。日本語には「男性語」「女性語」という区別があり、男女それぞれが性的に特化された言語を有している。そういう言語的風土で「女性にのみ特化した語法を奪還せよ」という主張が根づくということは、どう考えてもありえそうもないように私には思える。

 もう一つの理由は、「女性は男性として読み、男性として書くことを制度的に強制されている」とフェミニスト批評理論は主張するが、森鴎外や内田百間や深沢七郎や小田嶋隆のように書く女性作家というものを私はどうしてもうまく想像することができないのである。「女性が制度的に男性として書かされた文章」というがどういうものなのか、実例を見せていただければ得心できるのだが、誰も「はい、これだよ」と言って見せてくれない。私は経験主義者なので、「現物」を見せて貰わないと、どんな話もなかなか信用することができないのである。

 この論文の方は『女性学評論』の2002年号に寄稿する予定であったのだが、書いているうちに規定の枚数をはるかに越えてしまった。困じ果てて、ホームページに「引き取り手のない原稿がありますが、どなたか引き取っていただけませんか」という広告を出したら、径書房の大庭さんが引き取って下さったのである。おかげで、断章をあちこちで「使い回し」されていた映画論と、「引き取り手のない」言語論がここに「終の棲家」を得ることができた。フェミニズムのさまざまな理説について考え、意見を述べる機会を最初に提供してくれた神戸女学院大学女性学インスティチュートのご厚情と、「虎の尾を踏む」ような本の出版を快く引き受けて下さった径書房の大庭雄策さんの決断にこの場を借りて謝意を表したい。

 

 本書の二篇と『ためらいの倫理学』所収の「男性学」と、『映画の構造分析』(仮題・晶文社から刊行予定)所収の「アメリカン・ミソジニー」の計四篇の論文で、私のフェミニズム論「四部作」は完結する。これでだいたい書きたいことは書き尽くした。「まえがき」にも書いたように、私がフェミニズムについて書くのはこれが最後になるだろうと思う。だから、仮にこの本を読んで、きびしい反撃を試みられるフェミニストの方がおられても(当然いらっしゃると思うが)、私からの反批判はない、ということをあらかじめ申し上げておきたい。もちろん、これからも「ジェンダー」や「エロス」や「家族」については考え続けるだろうけれど、社会理論および学術的方法としてのフェミニズムに対する私の興味はもうほとんど失われてしまったからである。

 

というのが「解題」である。これだけ読むと「おお、なかなか面白そうな本ではないか、買って読もうかな」という気分になる方がいるかもしれないが、意外なことに実際に「なかなか面白い」本なのである。

フェミニストからは猛反撃が期待されるが、もちろん私はフェミニストと論争して勝てないことを熟知しているので、お約束通り、反論はしない。

私が反論の労を避けるのは、つねづね申し上げている通り、私は「フェミニズムは基本的には正しい思想だ」と思っているからである。

私が注文をつけているのは、その「過剰適用」についてである。

フェミニズムが「うまく」適用できる領域について(政治・経済的な領域の一部)私はフェミニズムを支持し、「うまく」適用できない場合(学術の領域−例えば私の専門である文学研究の領域)では自制を求めることにしている。

ウチダは「ケースバイケース・フェミニスト」なのである。

しかし、私を批判するフェミニストは私が彼女たちの「正しさ」を部分的に認めているという事実をなかなか認めてくれない。

私はこれまで主に学術分野におけるフェミニズムの過剰適用を論難しているのであるが、それに対する批判はおおかた「そのような主観的には学術的領域に限定された批判が、客観的には政治的なフェミニズムの貴重な達成を妨害し、父権制の延命を利することになっているのにお前は気づかないのか」というものである。

いや、気づいているのです。

そういう反論の構成は論争ではよく用いられる。

限定的な領域においては妥当する批判といえども、より広範な領域における「真理」の現実化を妨害する場合は、「偽」として退けられねばらない、という論法である。

かりにフェミニズム批評理論に瑕疵があるとしても、それをことさらに言あげすることで、政治的フェミニズムによる「善きもの」の実現を妨害するのであれば、その瑕疵を論じてはならないというのである。

これはなかなか反論するのがむずかしい。

革命的正義のために一人を殺すことが一万人を救うという状況はたしかにあるだろう。

その場合に「人を殺すのはどんな場合もいけない」というような倫理的原則を語る人間はは政治的準位では観想的ブルジョワとして吹き飛ばされてしまう。

私はあえてそれをやっているわけである。

「殺すことが必要だ」という現実的要請と、「殺すのはいけない」という一般的理念は「同時に」語られなければならないと、と私は考えている。

その二つの「真理」に引き裂かれて、政治的準位では殺人に同意し、倫理的準位では殺人に反対する、ということは人間の場合には起こりうる。

その矛盾を生きることが人間の「ふつうの」あり方であろうと私は思っている。

それを「ふらふらして気分が悪いからどっちかに片づけろ」といわれても困る。

私はフェミニズムは政治的には生産的な理論であるが、学術的にはあまり生産的な理論ではないと思っている。

それはラカン派の精神分析理論が学術的には生産的だが、政治理論としては(あまりにシニカルすぎて)使えないというのと図式的には似ている。

どのような理説も、それぞれの「最適ニッチ」にとどまる節度を持つといいね、ということを私は申し上げているのである。

でも、こういう考え方を理解してくれる人は少ない。

「君の言い分ももっともなところあるよね」と言っている人間と、「あなたのいうことはすべて間違っている」と言っている人間が論争して、前者に勝ち目のあろうはずがない。

だから、私は肩をすくめるだけで、反論をあきらめているのである。

でも、私はフェミニストからいくら罵倒されても、フェミニズムの政治的主張のいくつかについては、それを支持することを止めない。

ウチダはそういう点についてはほんとに頑固な人間なのである。


11月7日

そういえば、先週の大学院委員会で、文学研究科への「男子聴講生」の受け入れが決まった。来年度から、男子でも大学院の授業が聴講できることになる。

というわけで業務連絡です。

えー、全国の(というのはオーバーですね、近畿一円の)男子諸君、神戸女学院大学は諸君の聴講に門戸を開いております。

ウチダは来年は「日本文化論」というのを担当します。何をやるかまだ未定ですが、どうも「日本というシステム」全体にガタが来ているようなので、「ニッポンの没落」というお題で、「日本はこれからどうなっちゃうの?このままで日本は大丈夫なの?」という問題について、さまざまな視点から、あーでもないこーでもないとあれこれ考える演習をしてみたいと考えております。

興味のあるみなさん、ぜひ女学院に聴講にきてください。

聴講の申し込みについての詳細は年明けに入試課から要項が出ます。

 

『おじさん2』が品切れという話が掲示板にあったけれど、どうやら売れ行き順調のようで、重版のお知らせが晶文社から届いた。

理由の一つは朝日新聞の「e−メール時評」の先回のエッセイらしい。

時評に対して「はげましのお便り」が来たのは、前々回の上野千鶴子さんがはじめてだったが、先回は「学歴なんかどーだっていいじゃん」という態度の悪いエッセイを書いたら、「我が意を得たり」というハガキが今日二通届いた。

ひとりは大学のご近所で小児科の医院をひらいている方。

「とくに『人間がその潜在能力を爆発的に開花させるのはやりたいことをやっている場合だけである』には我が意を得たりと思いました。私のクリニックにくるこどもたちに君達の好きな道をみつけようとはげましつづけています。小生老人ですが、内田先生の友達の一人に加えて下さい」という感動的なお手紙。

小生も老人ですからもうどんどんお友だちになりましょう。

もうおひとりは神奈川県の主婦の方。

「こういう先生のもとでこそのうちの子達を教育させたいとしみじみ思ったものの、ああ、残念です。全員男の子なんです。そこでせめてもと、このご意見を切り抜いてトイレに貼りました。(失礼)朝な夕なに拝読し拳拳服膺してくれることを願って」

全員男の子とはほんとうに残念です。ぜひ親戚や近所の女の子に神戸女学院大学をお薦め下さい。

というわけで、お読みになっていない方もいると思われるので、そのe−メール時評をここに再録させていただきます。

 

小学校低学年から塾に通わせ、中学校から私立にあげないと、まともな大学には行けない、ということが「常識」になっているらしい。その結果、家庭の経済力がそのまま子どもの学力差に反映し、新たな「身分制」が形成されつつあるのではないかという懸念を語る人がいる。

ご心配には及ばない、と私は思う。

たしかに巨額の教育投資を行えばに受験技術は習得できるし、短期的に学力は向上するかに見える。しかし、失礼を顧みずに申し上げるが、人間の「知的資源」には、先天的個人差というものがあって、いかに巨額の教育投資をしようと、周囲の支援や強制によって開発できる人間の能力はそのうちのごく一部にすぎない。人間がその潜在能力を爆発的に開花させるのは、「やりたいことをやっている」場合だけである。

親の経済格差が子供の学歴格差に結びついているという現実はたしかにあるだろう。だが、「学歴は金で買うもの」ということについて社会的合意が形成されれば、別に実害はない。

そのとき、学歴は家具や車やワインと同じただの高額商品になるからだ。

「高学歴」が「高級車」と同じようなものであるということになれば、それを羨む人はいても、それを「知性の指標」だと思う人はいなくなるだろう。

それで誰か困る人が出てくるのだろうか。いったい誰が?

 

「学歴を金で買う」という趨勢は現にある。

今日の夕刊では医学部の受験生から一億三千万円を受け取った帝京大学の元幹部が逮捕されたという記事があった。総計じゃなくて「一人」から一億三千万円である。

こういうふうにして学歴を売る大学があり、そういうふうにして医者になろうとする人間がいるんだから、大学に対する信用も医療に対する信用も下落するはずである。

しかし、そういう事態を冷笑してすませることはできない。

こういう大学があり、こういう医者がいるから、学歴も医師免許も、いまの日本では知性の指標とはみなされなくなった。

私はこれを悲しむべきことだと思う。(「それで誰か困る人が出てくるのだろうか?」と自分で喧嘩を売っておいて情け無い話しだが、実は困っているのはこの私なのだ)

ほんとうを言えば、それらは知性の指標として有意なものであるべきだからだ。

大学にその本来の社会的機能を果たさせるように努力すべきなのはこの私たちなのだ。だからこそ、「高等教育の品質管理」ということをウチダは申し上げているのである。

なんとかせねば。

 

ところで、掲示板にmkogaのハンドルネームでブラジル便りを送ってくれている古賀先生がご自分のホームページのURLを紹介してくださったので、さっそく覗いてみた。

とりあえず、古賀先生の経歴を拝見したら、まあ面白いこと。

これコピーフリーですよね?古賀先生?

というわけで、本ホームページでもご紹介させていただくことにします。

 

庵主の別名:古賀雅人(想如あるいはmkoga)

職業:ブラジル連邦マット・グロッソ州立大学社会科学部経済学科準教授

 

1959年福岡県生まれ。高校中退と同時に宗教的啓示や深い内省に根ざした動機に突き動かされることもなく出家(家出ともいう)、直後に大検合格。その後、ウォーター・ビジネス、ディスコのDJ、ヘビメタバンドのヴォーカル、花屋店員、運送屋助手等をへて、世界が単純明快だった古き良き8ビット時代のプログラマとして平穏な余生を送るはずだった。しかし、ある日、ふと魔がさして、近所の北九州大学に通いはじめ、組織論にはまってしまう(呪縛時代)。その後、幸か不幸か、いまはなき某大手証券会社の執拗な内定拘束を振りきって、筑波大学大学院修士課程経営政策科学研究科に駆け込む。鬼のような指導教官(丹羽富士雄先生。大恩師です)による地獄の特訓が待ち受けているとも知らずにである。真冬の寒い明け方、F棟端末室の窓の外に目をやり、ここから身を投げてしまえば楽になれるかもしれないという誘惑と何度も何度も闘いながら、多変量解析に明け暮れる毎日を送っていた(とても幸せな時代)。ちなみに端末室は1階である。

 

政策システムをだらだらと分析しながら過ごしたほんとうに幸せな2年間の修士生活は、瞬く間に終わりを告げ、国際協力事業団長期派遣専門家として高等教育開発プロジェクトに3年間派遣されて、スハルト独裁下のインドネシアで血税を湯水のように浪費する生活に身を窶す。このとき華人や東チモール人と仲良しになり、日本の対外援助がめぐりめぐって彼らマイノリティに対する抑圧装置として働いていることに憤然としながら、東チモール解放運動を陰でこそこそと手伝い始めたりした(内部告発に満ちた最終報告書行方不明事件勃発)。帰国後は民間のシンクタンクや海外援助関係の政府系財団で政策分析の渡り職人として働き、年季が明けた95年、柳行李(うそ)を担いでブラジルに渡航。陽気なサンバのリズムと徹底した個人主義の国で、開発地域における教育政策の現状と形成過程を分析すべく、最果ての地マット・グロッソをめざした。連邦大学教育研究所にてD4まで研究生活をおくった後、州立大学に教職を得、現在に至る。

 

居留地から研究室までの道のりは長く険しい。ワニたちの頭数を数えてやる振りをして大河を渡り、祖父の形見の日本刀でジャングルを切り開きながら道なき道を進まねばならない。途中、未接触先住部族に出会いスープにされかかったりするが、いつも族長の娘さんが機転を利かせて助けてくれる。しかし、手を取り合って逃げる道中、娘さんに恋心を抱く部族の若者とジャングルで死闘を繰り広げ、いつしかライバル同士の友情が芽生えたりするのである。研究棟の入り口で、何度も何度も振り返っては手を振りながらジャングルに消えていく娘さんと若者の後ろ姿を暖かいまなざしで見送りながら、研究室へと通う毎日である、というのはうそ。けっこう都会である。職場までは片道500キロ強。バスで毎週8時間かけて通っている。通勤地獄だ。真剣に引っ越しを考える毎日である。

 

高校中退大検出身、世間の裏街道を歩んでいるうちに気がついたら大学の教師という古賀先生のキャリアはウチダに通じるものがある。世間は広いしブラジルは日本の対蹠点とはいえ、やはり波長の合う人とはひょんなことから知り合うものである。


11月6日

西宮アクタでの「ジェンダー論」三回分が終わる。

やはり、知らない会場で、知らない学生さんたち相手の講義というのは、ちょっと緊張する。

三回目は、「女として語る」理論の致命的瑕疵についてしゃべる。

繰り返し述べているように、ジェンダー論というのは、やればやるほどジェンダー・ボーダーを強化する仕掛けになっている。

それも当然だ。

だって、ジェンダー論においては、「性中立的言明」というものはありえないからだ。

「女性にもっと社会的リソースの配分を」という主張は、男性がすれば「懺悔」であり、女性がすれば「権利請求」である。

「社会的リソースの配分は、このままでよい」という主張は、男性がすれば「既得権益の死守」であり、女性がすれば「『男性がしがみついている社会的リソースには価値がある』という前提そのものへの根底的批判」である。

「懺悔」と「権利請求」、「既得権益の死守」と「『既得権益』は幻想だという知見」はまったく別種の言明であるから、これを同列に扱うことはできない。

あるステートメントがなされるたびに、それを発語したのは「男か、女か」を問わずにはいられない、というのがジェンダー論の宿命である。

だって、男がいった場合と、女がいった場合では、同一のステートメントについての「評価」が(場合によっては「真偽」が)違うんだから、しかたがない。

さて、「同じ言動を男性がした場合と女性がした場合では、評価が異なる」ような二重標準を設定することを私は「性差別」と呼んでいる。

だって、そうでしょ?

「男の子は木登りするのは『勇敢』な行為なので称賛されるけれど、女の子が同じことをすると『おてんば』だから非難される」というようなのが「性差別」でしょ?

私は「性差別」には反対である。

男が言おうと、女が言おうと、言明の真偽は発話者の性別にかかわらないと私は考えている。

よい行為は誰がしようとよい行為であるし、誤った言明は誰がしようと誤っている。

そのような社会をこそ私は「ジェンダー・フリー社会」と呼びたいと思う。

そうであるからこそ、「ジェンダー・フリー社会」をめざすすべての人々は、まず最初に、自分が男性であるか女性であるかを明らかにしないで発言する、というところから始めたらいかがであろうか、ということを私はつねづねご提言しているのである。

しかるに、私の提言に応じるフェミニストはひとりもおられない。

まことに不思議なことであると言わねばならない。

あらゆる言動について、逐一「それをしたのは男か女か」をチェックし、男である場合と女である場合で、その評価を一変させることを習性とされている方々がこれから創出されようとしている社会が、どういうふうに「ジェンダー・フリー」になるのか、ウチダはうまく想像することができないのである。

ひとつたとえ話しをしよう。

ここに「学歴によるあらゆる社会的差別に反対する運動」というものがあったとする。(現にあるけど)

この運動では、その運動の参加者の学歴が、その人の運動にかかわる真摯さを計量する上で、非常に重要な指標になる。

それも当然。

「あ、オレいちおう東大だけど」という「学歴差別反対論者」と、「あ、中卒す」という「学歴差別反対論者」では、学歴による差別に反対する動機も違うし、その運動を通じて求めているものも失うものも違うからだ。

「東大卒」のひとの場合、彼の学歴差別反対論は「権利の放棄」であり、「中卒」のひとの場合は「権利の請求」である。

「東大卒」のひとは、これまでさんざん学歴の恩恵をこうむり、その利得を貪ってきたわけであるから、いまさら「学歴差別、よくないよ」などと言い出しても、その誠実さははなはだ疑わしいと言わねばならぬ。

他方、「中卒」のひとは学歴ではつらい思いをしてきたであろうし、その痛みは「東大卒」には想像も及ばない。

諸般の事情を鑑みて、この会においては、「オレ、いちおう東大だけど」くんの発言よりも、「あ、中卒す」くんの発言の方が重く配慮されねばならぬということが不文律となっている。

とういわけで、この「学歴によるすべての差別に反対するぞ」の会のメンバーは、全員がそれぞれ「どういう立場から反対している」のかが分かるように、またその行動の真摯さについて判定ができるように、胸に「最終学歴」を黒々としるしたワッペンをつけて会合に臨むことが義務づけられたのである。

おしまい。

変な話だね。

でも、ジェンダー・フリー論者というのは、まさにこの不思議な会のみなさんと同じことをしているように私には見える。

 

世界の見え方や記述の仕方が男女で違うのは事実である。

でも、男女で違うだけでなく、世界の見え方は、人間ひとりひとり全部違う。

性別以外にも、人種、国籍、ローカリティ、家庭環境、学歴、健康、宗教、政治イデオロギー、美意識、性的嗜癖・・・さまざまな要素がそのひとの「世界の見え方」に関与する。

まったく同じように世界を見ている人間というのは一人もいない。

それをある基準で「集団分け」するのは、社会のできごとを説明する上で有効だから、便宜的にやるだけのことである。

だからもちろん「男女」二種類で分けて、いろいろなことを説明するのは便利である。(私だってよくやっている)

けれど、私が「男女二種類」に分けて説明する「いろいろなこと」はエロスにかかわる事象「だけ」である。

それ以外のことについては、「男女ではものの見方が決定的に違う」というようなことは私は言わないように心がけている。

例えば、対イラク戦についての考え方については、日本人男性とアメリカ人男性のあいだよりも、アメリカ人男性とアメリカ人女性の方に多くの共通点があるだろう。

戦争の可否というような国民国家水準の出来事の判断においては「性差」よりも「国籍差」の方が優先的に配慮されるのはある意味当然のことだからだ。

私は「そういうこと」が他にもたくさんあるだろうと思う。

「物語」の解釈もまた、「性差による説明になじまない」領域のひとつである。

もちろん、イリガライやフェッタリーやフェルマンがしているように、性差に焦点化した作品解釈というのは「あり」である。

でも、それは「そういうのもありね」というだけのことである。

対イラク戦についてだって、「アメリカの女性も日本の女性も、女性はみんな戦争に反対してます」というようなアバウトなくくりかたをするのも「あり」であるのと同じように。

そういう世界の切り分け方もある。けれど、そうじゃない切り分け方もある。

セグメンテーションの作法として、どれが適切であるかは、やってみないと分からない。

性差で切り分けることがつねに適切であるわけではない。

ジェンダーを関与させてものごとの説明をすると「うまくゆく」場合と「あまりうまくゆかない」場合がある。「あまりうまくゆかない場合」は、ジェンダー論の枠組みでは論じない、という節度はたいせつだとウチダは思う。

しかし、この宥和的な姿勢を理解してくれるフェミニストはなかなかいない。

 

授業では、こんなことを言おうとしたけれど、時間がなかったので、ここに書いておくのである。

 

アクタの授業を終えてソッコーで御影に戻り、下川先生のところで能楽のお稽古。

このところお稽古の時間があまり取れなかったので、『船弁慶』の舞働のところでさんざん絞られる。謡は『頼政』。なんだかいきなり謡が難しくなる。

汗をかいて帰宅。

守さんにもらったおうどんと厚揚げを食べながら、『ガチンコ』を見る。

「梅宮―。プロテストに受かってくれ!」と両手をあわせて祈るが、祈り届かず。

ファイトクラブ四期生は後楽園ホールを去っていったのである。(もらい泣き)

しかし、あれだね。

このさき梅宮くんが街を歩いているとき、「あ、梅宮だ」と思った通行人の耳には「そのとき突然、梅宮が思いも寄らぬ行動に!」というナレーションがかぶってしまうんだろうね。


11月4日

ようやくの連休。鍼で背中をほぐしてもらってから、三宮のジュンク堂に謡本(『井筒』、『鵺』、『通小町』、『正尊』)を買いに行く。

謡本のコーナーのとなりがコミック売場なので、ひさしぶりにマンガ本をチェック。『バカボンド』の新刊が出ていたので購入。それと諸星大二郎の『碁娘』。

くらたま先生、二ノ宮知子先生、佐々木倫子先生の新刊にもかなり食指がうごいたけれど、買い出すと全部買ってしまいそうなので、がまん。(ビンボー症なのではなく、マンガの増殖を怖れているのである)

定点観測で「西洋現代思想」のコーナーを覗くと、なんと『期間限定の思想』が『おじさん的思考』、『大人は愉しい』と並んで平積みしてある。

これって「西洋現代思想」にカテゴライズされるような本なのだろうか。

まあジュンク堂さんがそうお考えであるのなら、ウチダ的には文句はないですけど。

2階3階の新刊コーナーにも「ばーん」と平積み。

隣は西谷修先輩の新刊。都立大学の足立和浩門下のふたりが「こんなところで、こんにちは」状態である。

草葉の陰の足立先生も「なんだよ、ニシタニとウチダの本が平積み?どうなってんだよオレが死んだあとの日本はよお」とさぞや驚きであろう。合掌。

売場のおねーちゃんに「この本売れてます?」と聞きたくなったが、変なおじさんだと思われるとイヤなので、黙って帰る。

寒空をバイクを飛ばして、芦屋川のいつもの床屋でカット。

TSUTAYAでビデオを借りようと思ったが、うちにDVDがだいぶたまっているので、そちらを先に見ることにする。

そういえば、TSUTAYAは最近システムが変わって、借りたビデオの題名がレジのところにカタカナ表記される。このあいだ『北の国から』を借りようと列をつくっていたら、前のおじさんがビデオを差し出し、店員さんがそのバーコードを読みとったらいきなり画面に「ドスケ*オクサン」という文字が飛び出して、思わずよろけてしまった。

こ、これは恥ずかしいね。

AV業界の方もこういう事態を考慮して、もう少し題名に工夫をしていただけると、顧客満足度が高まるのではと一瞬考える。その点アルバトロスなどは『肉屋』とか『郵便屋』とか、きわめて価値中立的なタイトルであるあたり、こまかな配慮に感心。

家でごろごろと買い置きのリー・リンチェイのカンフー映画のDVDを見る。

この人もまあ玉石混淆だな。続けてふたつ「石」でしたけど。

ホットカーペットを出したので、床にごろごろしながら『バカボンド』を読む。

うーむ、すごい。

いよいよ佐々木小次郎が登場するんだけど、このキャラクター設定が実に意外。(中條流の鐘巻自斎の人物設定もよく練れている)

佐々木小次郎はこれまで誰が描いても、高倉健と鶴田浩二の演じた伝説的な小次郎キャラを超えることができなかったけれど、井上雄彦はそういうものにまったくとらわれていない。

ほんとに天才だ。。

草薙天鬼、伊藤一刀斎も出てきたし、きっとこのあとは御子神天膳とか、上泉伊勢守とかもぞろぞろ出て来るんだろう。吉川武蔵の世界を離れて、五味康祐や山田風太郎の剣術小説の世界も取り込んできて、とんでもないスケールのものになるのであろう。

 

本日は天気がよいので、山下達郎の新しいCDをかけながら、お掃除お洗濯。

『看護学雑誌』のインタビューの校正をしてから、『レヴィナスとラカン』の原稿書き。

原稿依頼がたまっているというのに、どうして私は誰からも頼まれない原稿書きに熱中してしまうのであろう。

しかし、おかげでレヴィナスとラカンの共通点を私は今日発見した。

それは二人とも「死者を弔う」ということをその営みの根本的な動機づけとしている、ということなのであった。(ネタの提供はスチュアート・シュナイダーマンさん。どうもありがとね)

というわけで、これからホットカーペットに寝ころんで、ワインをのみつつ、フロイトを読み返すことにする。

フロイトを読んでいると甲野先生からお電話。『期間限定の思想』の献本のお礼のお電話である。そのままいろいろおしゃべりする。

甲野先生はなんだかすさまじい取材攻勢にあっているらしい。

「私のような『裏の人間』が表に出るようになるというのは、社会が危機的なときなんですよね」と甲野先生がぽつりとつぶやく。

そういえば、私もみたいな人間にお座敷がじゃんじゃんかかるというのも、「表」の方では、もう間に合わなくなったということなんだから、それだけ日本が危ないことになっているのかも知れない。

困ったものである。


11月3日

大学祭演武会が無事に終わる。

こういう「恒例の行事」を毎年同じようにやる、というのがウチダは大好きである。

理由は前に書いたけれど、毎年「同じこと」を繰り返すのが、「時の移ろい」をもっとも深く実感する方法だからである。

毎年同じことをしているのに、そこに居合わせる人々の顔ぶれが変わる。新しく加わる人がおり、消えて行く人がいる。こどもは大人になり、大人はもっと大人になる。

今年の学祭演武会は、ヤベッチとカナピョンが現役として演武する最後の機会である。

来年になると、ヤベッチはアメリカへ旅立ち、カナピョンは東京へ去る。

六年間にわたって合気道部の屋台骨を支えてくれた「中興の祖」世代のうち二人がいなくなる。

これまでずっと「そこにいるのが当然」であった二人がいなくなる。そのあと合気道部がどんな感じになるのか、うまく想像できない。

でも、いまはまだ二人ともいるから、いるあいだは、気にせずわいわいと騒ぐ。気にすると泣けてくるからね。

 

先週自己評価委員会のことを書いたら、南米の一読者からコメントが届いた。

掲示板を見ている方はお読みになったと思うけれど、なかなか日本のメディアには報じられないブラジル大学事情がレポートされていたので、改めてホームページ紙上でご紹介したい。

 

ご参考になるかどうか…

2002年11月2日(土)06時26分 -mkoga

 

申し遅れましたが、ブラジルの州立大学で経済学の教官をしています。大学の人事考課や改革に関するこの国の現状について書いてみます。日本とはかなり事情が違うので、どこまでご参考になるかわかりませんが……。

 

学生に対する成績評価は「すごく厳しい」の一言に尽きます。本学の経済学科では、入学者50名に対する卒業可能者は多くて5、6人、数学科にいたっては「そういえば3年前にひとり卒業したな」と学科長が嘯いていました。なぜここまで厳しいのかというと、世間さま(労働市場)に不良品を供給するわけにはいかない、という「職人の論理」が教官に働くためだと思います。私もあまりの厳しさに最初は戸惑い、甘い評価を与えそうになりました。日本人としてのなにやら怪しいモノが意識に働いたのか、できの悪い教え子が「不憫」に思えたからです。しかし、今では「不出来な茶碗を叩き破る職人気質」のようなものが身につき、「ウチの大学の暖簾にかかわる」とまで思うようになりました。

 

学生に対する評価は、25%以上欠席すれば無条件にアウト、評価は試験のみ、試験内容は各教官の工夫にもよりますが、私はエコノミストとしての知的社会人に要求されると考えられる「知識」「問題解決能力」「論理的思考」「問題発見能力」をある程度測定できるように工夫し、試験を実施しています。知的社会人に要求される、と書いた理由は、自分が理想とする知的エリートを基準にしているということです。つまり、学生は最低でも教官の理想とする「出来映え」以下ではダメ、少なくとも私が学生だった頃「このくらい理解していたら良かったのにな」と思う以上の能力を持つように要求しています。この基準を70%に設定して、それをクリアしなければ、即、アウト。いわゆる「下駄を履かせる」という行為は「欠けた茶碗を売りに出す」ような職人として不名誉極まりない行為だと思っています。

 

評価される学生側も製品(日本では素材としてなのかもしれませんが、この国では製品としての品質が要求されます)として市場に出されることを前提に加工されている、と同時に、「知」の顧客でもあるわけですから、教官の工程を監視する必要があると考えました。そこで、着任早々、学生による評価法を提案してみたところ、最初は他の教官群にもの凄く嫌がられたものの、学生たちを焚き付けて(私は教官として貴方たちの知的能力を評価する権力を握っている。貴方たちは納税者として、また、「知の顧客」として私たちを評価する権力を握らねばならない。対等な立場を確立した上でお互いに権力を行使しよう。)なし崩し的に実施し、今ではすっかり定着しています。「教授法」「勤勉さ」「社会性」「興味の喚起」「専門知識」の各項目について教官たちを学生が10段階で評価し、毎学期末に総合ランキングを張り出しています。経済学科では今まで2人の教官が学生たちの実施した「人事考課」と学科教授会で独自にカウントする研究業績評価により「契約事項不履行につき」という理由を以て契約半ばで暇を出されました。本校では、正教授ではない限り、つまり準教授以下はすべて期限付き契約なのでこういうことも可能です。また、学科長、学部長、学長等管理職選挙についても学生には教官と同じウェイトで投票権があるため、経済学科では、能力がないと学生に評価された正教授が他学科の閑職に押し出され、30代の若い準教授が学科長をしています。つい先々月実施された学長・副学長選挙についても能力を見込まれた30代の準教授たちが圧倒的多数の票を獲得して選出されました。

 

加えて、第三者機関による公的評価が毎年実施されます。連邦政府の教育文化省からある程度独立している公的学術審査機関が学生の全国試験を実施しています。この試験結果と教官や学生の研究業績が点数化され、各大学の順位が付けられます。このランクを基にして各公立大学の財団(連邦立、州立等の公立大学はすべて独立行政法人です)に対する公的補助金配分が決まってくるため、弱小大学が淘汰されてしまうのでは、と危惧されています。しかし、予算と定員たっぷりの大学院で訓練された修了生たちが地方へ移動しているため、将来的にはそんなに酷い格差は生じないとの予測もあります。

 

さて、私立大学について。ブラジルでも近年、大学設置基準に関する規制緩和のおかげで雨後の筍の如く私立大学が乱立しました。興味深いのは、多くの私立大学において第4セメスターまで甘く進級させ、そのあとはなかなか進級させない、という戦略を採用していることです。半分まで授業料を払って通ったのだから、ドロップアウトする踏ん切りもつかずに進級できなくてもそのまま残る可能性が大である、つまり、授業料収入確保の確率が高くなるわけです。ついでに卒業生の質の確保もある程度可能になります。最初からあまり落第させると、さっさと退学したり比較的容易に単位取得可能な他の大学に移ってしまうことから、このような「経営戦略」を採るようになったと聞きました。しかし、あまり卒業させないと学生が集まらないので、一部の有名私立大を除き、公立大学の品質管理基準よりも少々甘いのが現状です。それでも品質管理を実施しなければ生き残ることはできません。卒業基準が甘すぎて学位授与機関としての認可を取り消された、つまりただの塾になってしまった私立大学もあります。

 

大学人の意識の違いに驚いてしまい、つい長々と書いてしまいました。すみません。

 

というのがブラジルにおける大学教育の「品質管理」事情である。

これが世界全体の実状であると断じるのは気が早すぎるだろうけれど、遠からず、このような品質管理システム(「学位」の実質の規格化、教員の学生・第三者機関による評価と業績の「点数化」、第三者機関による大学の評価と淘汰)が「グローバル・スタンダード」になることは避けがたい世の趨勢であるとウチダは思う。

教育の品質管理システムに反対している教員は、「あんなのはアメリカだけのことだ」というふうに考えているのかも知れないけれど、いずれ、「こんなのは日本だけだ」ということになると私は思う。

教育の規格化はすでに原理としては存在している。

しかし、日本の大学ではだれもそんなことを気にしていないというだけのことである。

例えば、文部科学省の定めた大学卒業資格は124単位であるが、この「単位」というのがどういう学習内容を指す「規格」であるか知っている教員が何人いるだろうか。

「単位」というくらいであるから、これは当然「世界標準規格」である。

だからこそ、日本の大学の学士号は外国の大学でも学士号として通用するのである。

「単位」の規格が日本と外国で違っていたらこんな「換算」はできない。

1単位とは何のことか。

1単位は「1週間の労働時間分すなわち45時間の学習」を指す規格である。

ただし大学の学生は、1時間の教室での授業に対して、1時間の予習、1時間の復習を行うものと「想定」されているので、(この点ですでに「規格」は水増しされている)1単位は教場における15時間の授業に同定されている。

本学では専門教育科目には、90分半期14週の授業で2単位が与えられている。

1・5 時間x 14週 =21時間 

15時間で1単位なら、21時間はどう計算しても1・4単位にしかならない。

これを2単位と「みなす」というのはすでに「水増し」である。14週授業しない教員もいるし、14週出席しない学生もいるので、さらなる「水増し」がなされる。

さらに、試験の代わりにレポートを代筆してもらったり、超低空飛行の試験の点数に「下駄を履かせて」合格を出しているケースもあるので、さらなる「水増し」がなされる。

つまり「単位」というのは世界標準規格であるのだが、日本の大学はローカルルールの弾力的運用によって、これをほとんど「標準」としては使えないものにして授与しているのである。

日本の大学教育の質は欧米諸国に比べてあきらかに低い。

それを学生がバカだからとか、教員の質が悪いからとかいう個人の責任の問題にすりかえてうやむやにしている人が多いが、たぶん最大の理由は、「規格通りに大学の単位認定をしていない」ことにある。

規格通りにやったら、ブラジルのように、大学生の90%は卒業できないだろう。

「世界標準規格」に照らして「大学生ではない」人々を、規格の方をまげて大学生として認定しているから、結果として「高等教育の品質が悪い」ということになる。

理屈としては簡単な話だ。

学生を「りこうにしろ」とか、教員は「襟をただせ」というような観念的な議論を語るよりさきに、数値的な語法で、「規格通りに教育をしよう」ということが語られるべきではないのか。

「教育サービスに関する品質規格の遵守」というところから高等教育の立て直しをはかるというのは、ここまで日本の大学教育が「低品質」になってしまった以上、たいへん「まっとう」なオプションであるとウチダは思う。

しかるに日本の大学教員の多くは依然として教育サービス規格の「厳密な適用」に消極的である。

反対するのは結構である。

だが、反対する以上は、その場合、どういうふうに高等教育を立て直し、「世界標準規格」との折り合わせるつもりなのか、その方途を示してもらわなければならない。

いまのようなお手盛りの教育規格で大学教育を続けて、単位を濫発し、卒業資格をばらまいておいた上で、なお「教育の世界標準規格」をクリアーし得るためには、いったいどういう「魔法」を使えばよいのであろうか。

たとえば、日本の「大学卒業資格」を諸外国の「高校卒業資格」と「みなす」というご提案をされるのであれば、私はそれは一考に値すると思う。

日本ローカル規格の「修士号」を世界規格の「学士号」に読み替える。

現在の日本の大学生の学力を見ると、この程度の査定は「適正」であろうかと思う。

私自身の見るところ、いまの平均的大学1年生は50年前の平均的高校一年生程度の学力しかない。(中には中学生程度のものもいる)

そのような学生に学士号を出し続けていれば、いずれ日本の大学教育についての国際的「信認」は失われるだろう。

そういう信用危機が迫っているということについて、わが国の大学教員の中にはあまり危機感がない。

それは何か起死回生の妙案が腹にあっての安心感ではなく、先のことを何も考えていないことがもたらす多幸感のようにウチダには見える。

繰り返し言うように、私自身は、教育のようなアナログな活動を厳密に数値化することは不可能だと考えている。

しかし、「できない」という原則論を掲げて「何もしない」でいることによって招来されるリスクの大きさを考えると、「とりあえず、やれるだけやってみよう」という現実的選択をせざるを得ないのである。

長い話になってすまない。

 

甲野善紀先生の『武術の新・人間学』(PHP文庫)が出た。

95年に単行本で出た本の文庫化である。

文庫化に際して、「文庫版あとがき」というものを甲野先生にお願いされたので、よろこんで寄稿させていただく。調子に乗って、甲野先生と私の「ご縁」をめぐって、ずいぶん長いものを書いてしまった。でもほんとうに「不思議なご縁」なのだ。くわしくは「あとがき」をご覧下さい。

この本は甲野先生のお得意の「座談」の口調で全編貫かれていて、たいへんに読みやすい。でも取り上げられている逸話の中にはなかなか一回読んだだけではその意味するところが解けない「奇妙な話」が多い。

甲野先生の座談にはこういう「奇妙な話」がよく出てくる。

聞いているときは「ふーん、そうなんですか」と聞き入っているのだが、あとあと考えると、「なんだか不思議な話」であって、いったいその話のどこにどんな教訓があるのか、考えれば考えるほど分からなくなる。

でも、気になるので、ずっと考え込んでしまう。

甲野先生にとって、先人の「逸話」は禅の「公案」に類するものなのかもしれない。