Another Crocodile in the night mist: from 1 Jan 2001
2月27日
友成純一『暴力 猟奇 名画座』(洋泉社)を読む。
映画秘宝コレクションの一冊。このコレクションでは柳下毅一郎の『愛は死よりも冷たい』と、みうらじゅんの『いつも心にジージャンを』を読んだ。どちらも面白い。
友成の本もよい本である。
私は「ふつうの」映画批評というものをほとんど読まない。
しかし、バカ映画批評は目を凝らして読む。
「バカ映画批評」は「バカ映画」批評と、「バカ」映画批評の両義を含意している。
「バカ映画」批評とは、「バカ映画」についての批評である。
「バカ映画」がどのような映画であるかについては、『映画秘宝』創刊号の『エド・ウッドとサイテー映画の世界』(洋泉社)に書いてある。
「バカ」映画批評とは、「バカ」宛ての映画批評のことである。
文章が「誰に宛てて」書かれているかということは、たいへん大事なことである。
学術論文などで、「周知のように」という挿入句の続きに、「私の知らないこと」が書いてある場合、私はためらわずその論文をゴミ箱に投げ込むことにしている。
だって、その論文は「私の知らないこと」が「周知」であるような世界のみなさんへ宛てた論文だからである。私はその論文の読者として想定されておらず、そうである以上、そこに私あてのメッセージが含まれていようはずもない。それをしまいまで読むのは時間の無駄である。
ときには、論文がいきなり「周知のように」ではじまるものがあり、この場合は、読み始めて3秒くらいでゴミ箱行きになることもあって、たいへん時間の節約になる。
であるから、若い研究者の諸君は、なるべく「周知のように」から論文を書き始めていただけると、ゴミ分別のための時間が少なくすんで、私としてはありがたい。
閑話休題。
「よい文章」とは「宛先のはっきりしている文章」である。
ふつうの映画批評は「宛先」があいまいである。
全国紙の映画評の場合などは800万読者を想定しているわけである。その全員に宛てて書くなら「天声人語」みたいな書き方以外にありえない。
私は「天声人語」の文体で書かれた映画評なんて読みたくない。
「バカ」映画批評は「バカ」宛てに書かれた映画批評であるから、宛先だけははっきりしている。
その前提からして「よい文章」になる条件を備えている。
なにしろ相手が「バカ」なのであるから、「周知のように」といったこざかしい台詞は絶対に出てこない。
「例の・・・」とか「マニア垂涎の・・・」とか「ご存じ・・・」とかいった「身内」向けの語法も厳しく自制されている。(若い「映画批評家」のなかには、このルールを知らないで、「映画批評」を「おたく」的な知識の店開きの場と勘違いしている人がいるが、これは間違いである。)
なにしろ、読者は「バカ」なのであるから、「当然見ているはずのバカ映画」を組織的かつ網羅的に見ているというようなことはありえない。(そういう組織立った思考や行動が取れないから「バカ」なんだから。)
だから、「バカ」映画批評をしようとするものは、どんな有名な映画についても(それこそ『戦艦ポチョムムキン』とか『市民ケーン』でも)、ちゃんと「たぶん、ご存じないと思うんですけどね」というスタンスを貫かなくてはいけない。
「あ、でもいいです。見てなくても。見てなくても分かる話ですから」
読者が無知であるばかりではない。
友成の場合など、ご自身が『反撥』を見ておらず、『水の中のナイフ』は中学生のときに見ただけなので、内容を忘れてしまった状態で、「ロマン・ポランスキー論」を書いているのである。
見てなくても書いちゃうのである。
にもかかわらず、友成のポランスキー論は。ポランスキー映画が彼にとって、どういうふうに面白いのか、ということについてはていねいに書いてあるので、彼自身が見てなかったり、内容を忘れてしまっている二本の映画についても、批評がきちんとあてはまる、という不思議なことが起こるのである。
映画史的情報の欠如は批評的知性の運用を妨げない。
「バカ」映画批評家は、「なぜ、この映画は面白いのか?」という問いに答えるに際して、読者に、「当然知っておくべき」映画史的知識や批評的言説への参照を求めないからである。
彼らは読者と共有されているはずのわずかばかりの情報を最大限駆使して、なぜある映画が「私」にとって、そして「あなた」にとって、見るに値するのかということを熱く語る。
わが「不詳の弟子」フジイ君もまたそのような禁欲的知性の持ち主であり、(禁欲が過ぎて、餓死が心配だが)その映画評には刮目すべきものがある。
「『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』を観た。ネタばれ激しい恩師レビューにて『低予算=××は最後まで出てこない』予備知識を備えていたので怖くないこと白昼の墓の如し。無能だしケンカするしで、ただただ疲れる。出てこなくても最終的に『いる』ってのが興醒めだね。いない方が怖いでしょう。」
しまった。「この映画は私にとって面白かった」という理由をこまごまと書いたせいで、映画が「つまらなくなって」しまったということもあるのを忘れていたよ。
すまない。
2月26日
冬弓舎の内浦さんから、ホームページで『ためらいの倫理学』の予約受付を始めたというご連絡を受ける。
冬弓舎のホームページで、本の表紙のヴィジュアルだけでなく、鈴木晶先生の「帯文」や、増田さんと山本画伯の「推薦文」も読めるし、22編のテクストの「解題」も読める。(本文は読めません。当たり前ですけど)
内浦さんから「予約が一冊入りました」とうれしそうなメールが来た。
予約一冊で喜んでくれる編集者なんて、なかなか探してもいないぞ。
日曜日は一日レヴィナス論を書き続ける。
途中でラグビーの日本選手権をやっていたので、休憩。
私はほとんどどのようなスポーツ中継も見ない。野球も大相撲もゴルフもマラソンもサッカーも、もちろんオリンピックにも興味がない。
だがラグビーだけは例外である。
ラグビーは私が実際にその場に行って一度だけ見たことがある、数少ないスポーツである。(あとは川崎球場に一度行ったことがあるだけ)
行ったのは、国立競技場での早稲田-明治戦である。
30年くらい前、明治のスタンドオフが松尾雄治君で、早稲田のウィングに藤原優君がいた時代の話である。
私は松尾君の華麗なステップと、藤原君の突進力にけっこう興奮したことを覚えている。
それからあと私は冬になると、こたつにはいってミカンを囓りながらTVのラグビー中継を見ることを「人生における小さいけれど確実な幸福」(村上春樹いうところの「確小幸」ね)の一つに数えるようになった。
だいたいこの季節の日曜日の午後というのはからっと晴れ上がってぴうぴう北風が吹き、なんだか街へ出るのもおっくうだし、お酒をのむにはまだ早くて、気の利いたミステリーを読みながらごろ寝するとかラグビー中継を見るというのに絶好の季節感である。
ラグビー中継はだいたいNHKでやるので、CMが入らないし、実況のアナウンサーもあまりよけいなことを言わない。(「ゴールゴールゴルゴルゴルゴル・・・」みたいなことは言わない。)解説者も宿沢さんとか大西さんとか平尾さんとか大八木さんとか林さんとか、そういう「ぼそっ」と専門的なことを言うタイプのひとばかりで、音声が静かなのがよい。それに解説者が選手の名前を「伊藤くん、いまブラインドを衝いたのは、いい判断でしたね」というふうに、「くん」づけで呼ぶのも私は好きだ。
それにほかのプロスポーツには、「ひいきのチーム」というものがない私であるが、ラグビーははっきりと「ひいき」がある。
それは早稲田大学と神戸製鋼である。
早稲田と私は深い関係がある。お兄ちゃんが在学したことがある、とか私自身が1970年に法学部と政経学部を受けたことがあるとかいうような通り一遍の関係ではない。
私はなんとひさしく早稲田大学所属の研究者でもあったからである。(早稲田の社会学研究所の特別研究員という資格を1990年から去年まで保持していたのである。)
神戸製鋼はいわずもがな。私は神戸市民である。
神戸は平尾、大八木、林、細川、堀越といった綺羅星のごときプレイヤーを輩出したが、現在もすばらしいチームである。
いまはもちろんセンター大畑大介くんの大ファンである。同じ「ダイスケ」でも、松坂大輔より大畑大介くんのほうが圧倒的にかっこいいと私は思う。(お正月の番組ではケイン・コスギに勝ったし)
昨日はサントリーに競られて危ないところであったが、きっちりと同点優勝を決めてサントリーのスクラムハーフ永友くんを泣かせていた。
というわけで、私は意外なことに、ラグビー好きだったのである。
ラグビーのいいところは、ラグビー好きのひとがぜんぜん周りにいないので、決して酒の上の話題にならないということである。おじさんたちが居酒屋で口角泡を飛ばしてスポーツの話をしてもりあがる、というのが私は大嫌いなのである。
2月25日
快晴。ベランダから見える海が輝いている。
海の見える部屋に暮らすのは、これが生まれて始めてだけれど、なかなかよいものである。
ここにはあと2年いる予定である。
その次は「駅の近く」に越す。(マンションの一階にツタヤとローソンがあるようなところ)
しかし、駅の近くは人も多いし、騒音もうるさいだろうから、そこも2、3年で引き払って、次は「山の中の一軒家」に移動する。
そこで犬を飼う。
私は人も知る「犬好き」であって、とくに柴犬を見ると、のどもとに迫り上がる「愛情」で身体が火照るほどである。
スーパーの入り口などにつながれて、ご主人が買い物を終えるのを待って、ちょこんと座っている犬をみたりすると、そのまま小走りにかけよって、抱きしめたいという欲望を制御することができない。
犬も「犬好き」を識別するので、どれほど性格の悪い犬も、だいたい私の抱擁と「すりすり」には抵抗しない。
この「犬への愛」はおそらく遺伝子的に私に根づいているものであろう。(猫にはぜんぜん興味がない。)
私は生まれてから、11歳まで、二匹の犬とともに生きてきた。
最初の犬はシェパードで、次の犬は柴犬である。
シェパードは私より巨大であり、その犬小屋は私の背丈よりもずいぶん大きかったので、私は子犬たちと犬小屋でごろごろして遊んだ。
柴犬の小屋は私のベッドの横にあって、夏の朝は窓を開けて寝ているので、6時になると、窓から鼻面をつっこんできて、私の頬をぺろぺろ舐めて「はやくお散歩行きましょうよ」とせかした。
自分では気がつかなかったが、子ども時代の私はすごく「犬臭い」子どもだっただろうと思う。
しかし、東京のアパート暮らしでは犬を飼うのは不可能である。
11歳で柴犬の死を看取ってからあと40年、私は「犬なし」の人生を送ってきた。
しかし、四月からは晴れて独居老人となるわけである。
孤独な老人と犬はたいへんにつきづきしいものである。(ホームレスのおじさんには犬と仲良しの人が多い。)
というわけで、私は次の次の引越先では「犬を飼う」と決めたのである。
もちろん柴犬である。
そして、ひまわりとか、カンナとかが見苦しく咲いている手入れの悪い庭に面した縁側に座って、私の顔を所在なげに見上げる犬の頭をなでながら、ぼそっと「今日も、暑くなりそうだね」と呟くのである。
2月23日
村上龍の『アウェーで戦うために』を読む。
私は村上龍の小説は大好きだが、エッセイはそれほど好きではない。なんとなく、「むりして怒っている」感じがするからだ。
村上龍は、心の底から愛国者で、日本を死ぬほど愛し、その未来を身悶えするほど心配しているのだが、そのままでは「根の善良さ」ぶりが丸見えになってしまうので、わざと暴力的な口調で書いている。
その表層の辛辣さを「おお、痛快」と消費している読者もいるのかも知れない。
私はなんとなく、「泣いて馬謖を斬る」というような、愛情を押し隠した暴力性を感じてしまう。(えーと、このホームページはうちの学生さんも読んでいるので、ちょっと解説するね。「泣いて馬謖を斬る」というのは『三国志』の故事。諸葛孔明が、愛する部下の馬謖が自分の命令にそむき戦争に負けたのを罰した話です。「馬謖」は「ばしょく」を読むのだよ。)
とにかく、私は「戦う」という言葉が嫌いである。(意外かもしれませんが)
私が好きなのは「折り合う」という動詞である。
『アウェーで折り合うために』では、なんだか在外大使館の下働きの心得みたいだけど。
その『アウェーで戦うために』にフリーターについて書かれた一文があった。
「長崎通信」で葉柳先生もちょっと書かれていたが、フリーター問題については私も一言ある。(というのはうちのるんちゃんが春から「フリーター」になるからである。というか、もう「なってる」のね。これが。)
まず村上龍のご意見を拝聴しよう。
「フリーターと呼ばれる人たちがいる。フリーターという言葉ができてから、就職しないでアルバイトをしながらチャンスを待つ、という若い人たちはおそらく増えたのだろうと思う。援助交際などもそうだったが、便利な言葉はあっという間に流通し、しっかり定着する。
フリーターという便利な言葉がなかったころは、就職しないでアルバイトすることに後ろめたさがあった。誤解されると困るが、わたしは就職しない人たちを非難しようと思っているわけではない。就職は絶対ではない。チャンスを待つことも選択肢の一つだろう。ただし、それはその人に何か専門的な技術か知識がある場合だ。
『好きなことがみつかるまで、こうやってフリーターをやりながら、チャンスを待つつもりです』
と言うようなフリーターにはきっと専門的な知識や技術がないのだろう。専門的な知識や技術、特に今市場で求められているような金融やコンピュータ関係のプロフェッショナルは数が足りないのでフリーターでいることのほうがむずかしい。
だが、考えるとすぐに分かることだが、二十歳を過ぎて、好きなことが見つからないと学校にも行かず、これといって訓練も受けていない人間に、どういうチャンスが訪れるというのだろうか。そういう人が二十五歳になって、例えば自分の好きなことが医学だったと分かったとき、その時点で勉強を始めても極めて大きいハンディを背負うことになる。
残念ながらほとんどのフリーターに未来はない、というアナウンスがないのはどうしてなのだろうか。」(村上龍、『アウェーで戦うために』、光文社、2001、127−8頁)
私はこの村上の意見におおむね賛成である。
ただ、言葉を言い添えておくと、経験的に言って、職業選択というのは「好きなことをやる」のではなく、「できないこと」「やりたくないこと」を消去していったはてに「残ったことをやる」ものだと私は考えている。
つまり、はたからみて「好きなことをやっている」ように見える人間は、「好きなこと」がはっきりしている人間ではなく、「嫌いなこと」「できないこと」がはっきりしている人間なのである。
自分が何かを「やりたくない」「できない」という場合、自分にそれを納得させるためには、そのような倦厭のあり方、不能の構造をきちんと言語化することが必要だ。
「やりたくないこと」の言語化はむずかしい。(「できないこと」の言語化はもっとむずかしい。)
「だって、たるいじゃんか」とか「きれーなんだよ、きれーなの。そゆの」
とか言っていると一生バカのままで終わってしまう。
自分がなぜ、ある種の社会的活動について、嫌悪や脱力感を感じるか、ということを丁寧に言葉にしてゆく作業は自分の「個性」の輪郭を知るためのほとんど唯一の、きわめて有効な方法である。(「ほとんど唯一の」というのは、もう一つ方法があるからなのであるが、これは「死ぬ前」にならないと分からない。これについては、『アメリカン・ビューティ』の批評にちょっとだけ書いてある。)
ひとは「好きなもの」について語るときよりも、「嫌いなもの」について語るときのほうが雄弁になる。
そのときこそ、自分について語る精密な語彙を獲得するチャンスである。
だから、「だっせー」とか「くっせー」とか「さぶー」とかいう単純な語彙でおのれの嫌悪を語ってすませることができる人間には、そもそもおのれの「個性」についての意識が希薄なのである。だから、そのような人間が「好きなこと」を見出して、個性を実現をする、というようなことは起こり得ないのである。
「二十歳を過ぎて、好きなことが見つからないと学校にも行かず、これといって訓練も受けていない人間に、どういうチャンスが訪れるというのだろうか」
という村上の疑問は私にも共有されている。
「学校に行く」ことがどれほど専門的な知識と技術の習得に役立つか、教師として、いまひとつ自信がないが、「訓練を受ける」ということの大事さは骨身にしみている。
それは「自分に出来ないことを言語化する」ことを要求するからである。
「訓練を受ける」というのは、ある情報とスキルの習得のために、限定的な場面で、限定的な期間ではあるが、見知らぬ人間に対して、「100%の恭順」という構えをとることを意味する。
「他者に100%の恭順をもって臨む」という経験の意義は、その訓練を通じて獲得される情報やスキルの「内容」よりもずっと重い。
私たちはほとんど無防備に見知らぬ人間に自分の心身を委ねるのである。
これは容易ならざることである。
うかつに変な「尊師」みたいなものにつかまったら、そのまま地獄落ちである。
「訓練を受ける」ということは、「まだ訓練を受けていない段階」であるにもかかわらず、自分が受けようとしている訓練について、「どの師、どのシステムがもっとも優れているか」を判定しなくてはいけない、ということを意味している。
自分がまだ習っていないことについて、自分が出来ないことについて、何も知らない段階で、「誰が師事するに足る人であり、誰が師として不適であるか」を見切らなくてはならないのである。(それが「おのれの不能を言語化する」ということのひとつの実践的なかたちである。)
「十分なデータがないところで死活的に重要な決定をする」というのが「訓練を受ける」ということの最初の、そして一番重い意味である。
「十分なデータ」があれば、誰だって正しい決定ができる。(できない人もいるが)
「十分なデータ」がないのに、選択をしなければならないとき、私たちの五感は非日常的に鋭敏になる。わずかな情報の断片から、私たちがその一部にしかアクセスできない「もの」のクオリティと深みを探り当てるのである。
そのような五感の錬磨を「訓練を受ける」という動作は前提にしているのである。
適当に「訓練を受けて」みたあとで、「あ、おれ、これぜんぜん向いてなかったわ。」などとへらへらできる人間は致命的に感覚が鈍いのであるから、それからあと、どのような「学校」へ通おうとも、どのような「訓練」を受けようとも、決してプロフェッショナルになることはできないのである。
「ほとんどのフリーターに未来はない」と私も思う。
それは社会の責任ではない。
自分が「何を嫌いか」「何ができないのか」をきちんと言語化することを怠った人間の、「限定的なデータ」から優れたシステムとそうでないシステムを判別することのできなかった人間の自己責任である。
2月22日
アーバンから「株の配当」がくる。
不労所得というのはありがたいものである。
東のほうを向いて、一礼。
平川君、ごちそうさま。
第24期の売り上げ報告も添付されていた。
業務報告の「1・概要」のところにはこう書いてある。
「株式会社アーバン・トランスレーションは1977年に、翻訳・通訳を主業務とし、代表取締役の平川克美、現在神戸女学院大学教授の内田樹(現監査役)らによって設立された。2000年10月をもって24決算期を終了しており、総収入は7億5200万円、従業員数は45名。」
1977年に創業したときの第一期の売り上げが1640万円であるから24年間で45倍になった計算である。
一月の売り上げが500万円くらいのときは、自分のやっている仕事と売り上げと給料の関係が非常に分かり易かった。
仕事をする、お金をもらう、山分けにする、おしまい、である。
7億5千万円というようなオーダーになると、会社のしくみはたぶんそれほど単純ではないだろう。
数年のちには上場の予定らしい。
1962年に小学校で二人で遊んでいるころは、こんなことになるなんて想像もしていなかった。77年に道玄坂のおんぼろビルで創業したときも、こんなことになるなんて、想像もしていなかった。
なんだか夢のようである。
村上春樹の『羊をめぐる冒険』の主人公は私たちとだいたい同い年で、同じ頃、渋谷のオフィスビルで友人と翻訳会社をやっている。その中に会社を創業した二人の男がオフィスで話している場面がある。「1978年の9月」のことだ。
「『いろんなものが変わっちゃったよ』と相棒が言った。『生活のペースやら考え方がさ。だいいち俺たちが本当にどれだけもうけているのか、俺たち自身にさえわからないんだぜ。税理士が来てわけのわからない書類を作って、なんとか控除だとか減価償却だとか税金対策だとか、そんなことばかりやってるんだ』
『どこでもやってることだよ』
『わかってる。そうしなきゃいけないことだってわかってるし、実際にやってるよ。でも昔の方が楽しかった』」
私はこの小説を読んだときに既視感で目の前がくらくらした。
「なんで村上春樹はアーバンのことを知ってるんだろう?」
すぐれた作家というのは、誰でも読者に「なんで、私のことを書くんだろう?」という錯覚を起こさせる力をもっているが、それにしても、ね。
だって、私たちは「1978年の9月」に渋谷のオフィスビルで翻訳会社をやっていて、事業がどんどん拡大してゆくことにたいして、私は平川君にときどき「昔の方が楽しかったね」とこぼしていたのである。
もちろん、資本主義社会は企業が牧歌的に「昔のままであり続ける」ことを許してくれない。この社会では、事業は拡大するか、倒産するか、どちらかの選択肢しかないのである。
それはしかたのないことだ。
でも、ときどきむかしのことを思い出す。
1977年から1979年まで、平川君とコンビで仕事をしていた三年間はほんとうに楽しかった。
ニュース・ステーションを見てたら「日比谷高校復活?」という特集をやっていた。
都立高校の長期低落傾向に歯止めをかけるために、都立日比谷高校が今年から独自入試を試み、「知識的」ではなく、「知的な」高校生を集める積極戦略を展開するというお話である。
受験生には好感されていて、それなりに成果をあげているようだ。
嬉しいことである。
日比谷高校は私の母校である。
私のみならず、夏目漱石や谷崎潤一郎や加藤周一やルパン三世の母校でもある。(ほかにも有名人はいろいろいらっしゃるけど、割愛)
私は二年で放り出されたけれど、今思い出しても、ほんとうによい学校であった。
私が入った1966年には制服がなくて、大学と同じ100分授業移動教室前後期二期制でおまけに土曜が自宅学習日だった。
ちょうどその年に東大入学者日本一の座を灘校に譲って、入学式ではそんなことが話題になっていた。
だいたい二人に一人が東大に入るので、クラスでまんなかくらいまでにいれば「東大当確」という大変に分かり易い構造になっていた。
私は入学時にクラスで一番だったので、(カメラ目小僧だから当然だけど)自動的に「東大入学予定者」に区分されていた。
しかし、「予定」はあくまで「予定」であり、世の中にはいろいろと不随意なことがおこるものである。
びっくりしたのは、私より勉強が出来るひとがごろごろいるということであった。
おまけに、彼らは私のように一日中勉強しているわけではないのである。
世の中は広い。
私は入学してすぐに新井啓右君と塩谷安男君と橋本昇二君という超高校級の秀才と知り合いになり、どっとやる気をなくしてしまった。
16歳なのに、新井君は財界人とため口をきいていたし、塩谷君は国政のさきゆきについて総理大臣のような口調で語っていたし、橋本君は万巻の書を読んで人生に飽き果てていた。
加えて、「小口のかっちゃん」と知り合うに及んで、私は完全にやる気を無くしてしまったのである。(彼の超高校級のボンクラ菌の感染力は、私のような無菌状態で育った「よい子」にとっては致死的であった。)
私の成績はほぼ75度の角度で急降下し、高校二年の中間試験で学年最下位に達し、そこで水平飛行に戻り、そのまま学校から横に飛び出してしまったのである。
しかし、これはまったく日比谷高校の教育のせいではなく、私一人の責任であり、多少は「小口のかっちゃん」のせいである。
ともあれ、私は日比谷高校で実に多くの個性的で魅力的な秀才たちと出会った。(おお、ドクター北之園もそうだ。)そして、彼らから実に多くを学んだ。
1966年入学の日比谷高校生たちは同世代集団としては、私がこれまで出会った中でもっとも愉快で刺激的な人々たちであった。
そういう学校をもう一度作り直すことができるかどうか分からないけれど、日比谷高校のみなさんにはぜひがんばって欲しいと思う。
2月21日
スキャナーを買ったので、さっそくいろいろなもの「スキャン」して遊んでいる。
とりあえず、スキャナー購入と同時に出現した30年前のアルバムをヴィジュアル素材として、ついでに、前からフジイ君に頼まれていた「本の表紙」をどんどんスキャンする。
国文社から出ている本は装幀が凝っている。(装幀は宮迫千鶴さん)
松下正己画伯と山本浩二画伯の装幀競作もたのしめる。
とりあえず「著書」だけ表紙を「研究業績」のファイルにアップしておいた。お暇な方はご一覧ください。
これから合気道と杖道のお稽古。時計はもう4時。わ、たいへんだ。
さいなら!
2月20日
「非日常写真館」を開設すべくフジイ君にファイルを送ったら、すばやくアップロードしてくれた。銀行勤めでお疲れさまのところ、残業させてしまってすまない。どうもありがとね。
フジイ君の感想は「まあ、利発そうなおぼっちゃまで」という「近所のおばさん」的なものであったが、たしかに、いかにも「勉強してるよ、こりこり」という感じの童顔である。
じっさいによく勉強していたのである。
私は1965年当時、「日本でもっともよく勉強している中学生」のベストテンに入るくらいよく勉強していた。
中学三年の夏休みにトラホームになって、まぶたの裏側のつぶつぶをメスでごりごり削ぎ落とすという激痛の手術を終えたその足で、眼帯を鮮血で染めたまま、残った片目で受験勉強を始めたくらいである。正気の沙汰ではない。
高校受験の科目は9科目あったが、私は中学生の夏休みのあいだに履修範囲を全部記憶してしまったので、(その当時私が「カメラ目小僧」という特異体質であったことはかつて書いたことがあるね)秋からあとはすることがなくなった。
しかたなく、同じ問題集を何度も何度もくりかえしやっていた。カメラ目で問題も解答も全部覚えているのであるから、何回やっても満点である。
真夜中に、こりこりと赤鉛筆で際限なく円を書きつつ問題集の自己採点をしていると、お兄ちゃんが通りかかって不思議そうに、「なんで、答を知っている問題をやるんだよ?」とたずねたことがある。
考えてみたら不思議だ。答がわかってしまったクロスワードパズルを何回もやって、何が楽しいだろう。
答に窮しているとお兄ちゃんは、
「まあ、一服すっぺや」
とあやしげな笑みとともにお誘い下さり、お兄ちゃんの部屋で私たちはリー・モーガンを聴きながらハイライトを吸ったりしていたのである。
私が受験勉強をして分かったことは、それが決定的にくだらないものである、ということと、そのようなもので社会が階層化されることはまったく間違っているということであった。
その程度のことは勉強しなくたって分からなければいけないのだけれど、とにかく、私は15歳の冬に、現代社会においてドミナントな「査定システム」は、まるで信用できない、ということを学んだのである。
2月19日
るんちゃんが「はい、プレゼント」と言って、ふるいアルバムを渡してくれた。
おお、これは。私の子供時代のアルバムである。
どうしたの?と訊いたら、東京のエックスワイフのところから持たされたのだそうである。
離婚のときに、相手の写真をアルバムからぜんぶ剥がして棄ててしまった、というのは聞いたことがあるけれど、別れた夫の子供時代のアルバムをこっそり持っていってしまうとは、変わったご婦人である。
アルバムがなくなったらさぞや私が悲しむだろうざまみろと思ってやったのか、それとも「あのバカ男も小さいころはけっこうかわいかったのね、ふん」と時々思い出して眺める愉しみとかがあったのか、そのへんの事情は分からないし、分かりたくもないが、私は自分の10歳くらいから22歳までの写真全部を貼っておいたこのアルバムがなくなっていることに過去12年間気がつかなかった。
私がまったく「過去を振り返らない男」であることがよく分かるね。
しかし、あらためて十数年ぶりにアルバムを眺めてみたら、なんとなく「じーん」としてしまった。
だって、こどもなんだもん。
16歳の頃、自分ではもう「おとな」になったつもりで、こりこりマルクスとかサドとか吉本とか読んでいたのであるが、写真を見たら、まるで「こども」である。
高校一年生のときの学生証の写真と大学一年生のときの学生証の写真が並べて貼ってあって、「この四年間の風雪が少年の容貌をここまで変えてしまった」とことごとしいキャプションが書いてあったが、50男となった私から見ると、16歳のウチダくんは「かわいいこども」で、19歳のウチダくんは「ひねくれたこども」という程度の違いしかない。
せっかくスキャナーを購入したので、このアルバムの「子供時代のウチダの写真」をスキャンして、みなさんにお目にかけようと思う。
さっそく「フォト・デラックス」というソフトをインストールした。これで写真を読み込んでと・・・おお、読み込めた。拡大とかもできるのね。
それを「アルバム」にファイルして、と・・・
よし、できた。これをフジイ君のところに送りつけて、「新たに『非日常写真館』というものをつくることにしたから、よろしくね」とメールを書けばおしまいだ。
このアルバムには、私の子供時代の写真ばかりでなく、バカ不良高校生時代の貴重なポートレートや、これはびっくりガールフレンドとのツーショットや、これってまるで1970年代じゃん(現にそうなのであるが)的な「ロングヘアー、ベルボトムジーン、コットンキャップ、サングラス、皮サンダル」で決めたバカ大学生たち(伊藤君や澤田君や浜田君やいまは亡き久保山君とか)が一堂に会している貴重映像などもある。
みているうちに思わず落涙。
しかし感傷にふけっている暇はない。
さあ、諸君、「非日常写真館」第一弾は「あのときぼくは12歳」である。
わが兄、徹くんの14歳とのほほえましいツーショットもあるぞ。
とりあえず、前口上だけ、先にアップしておくことにする。
フジイ君、というわけだからなるべくはやくアップロードしてね。よろしくね。
2月18日
小林昌廣先生の日記を見ていたら、「バロン吉元先生とご会食」という記事があった。
えー。バロン先生とですかあ。いいなあ。
実はバロン吉元先生は私の少年時代の「アイドル」なのである。
1969年は『週刊漫画アクション』の黄金時代であった。春にモンキー・パンチの『ルパン三世』の連載が終わると同時くらいに、長谷川法世の『博多っ子純情』とバロン吉元の『柔侠伝』がブレークしはじめた。
漫画史的には『あしたのジョー』と『天才バカボン』と『巨人の星』と『やすじのメッタメタガキ道講座』を擁した伝説的な1970年の『週刊少年マガジン』ばかりが語られるが、前年の『週刊漫画アクション』の方が個人的には印象が深い。
特に『柔侠伝』はそのストーリーテリングの巧みさと考証の精密さと圧倒的な画力で18歳のウチダを魅了した。
『柔侠伝』は『昭和柔侠伝』『現代柔侠伝』と、近代日本の暗黒面を歩き続けた武道家三代を描いた大長編マンガである。ショーロホフの『静かなるドン』よりも面白い。(当たり前か)
『柔侠伝』のクライマックスは全日本柔道選士権大会での、講道館白帯五段柳勘九郎と「陸奥のタカ」朝比奈剛蔵との決勝戦。
1969年の冬、予備校生をとりまく世界はあまりにも索漠としており、未来に何の展望もなかった私の胸を熱くしてくれるのは柳勘九郎の破天荒な生き方だけであった。私はこの時期ほとんど『漫画アクション』の発売日だけを支えに一週間を過ごしていた。
『柔侠伝』は関川夏央の『坊ちゃんの時代』シリーズに少なからぬインスピレーションを与えたもの、と私は見ている。柔道の試合をクライマックスにもってきたのは、あきらかに『柔侠伝』を踏まえた鮮やかな本歌取りだと思う。
「明治時代の武道」を素材にした物語が例外なく成功するのは『姿三四郎』という素晴らしい説話原型が存在するからかも知れない。富田常雄の『姿三四郎』は何度読んでも素晴らしいが、合気道家には読んでいる人が意外に少ない。みんな、読みなさいね。(何しろ、『猫の妙術』が全文掲載されているんだから。『猫の妙術』の全文を掲載しているのは、たぶん山田次朗吉先生の『心身修養剣道叢書』と平凡社の『日本哲学思想全書・武術兵法篇』(絶版)だけだが、新潮文庫『姿三四郎』でも読めるのである。)
さて、本題に戻るが、私が『週刊漫画アクション』にこだわりがあるのは、もう一つ理由がある。
それは、1969年当時「ダディ・グース」こと矢作俊彦が、私が知る限り二回、「マンガ」を描いていたからである。
矢作俊彦のマンガはアメリカン・コミック風の画風で、そのあきらかにゴダールに影響された映画的なカット割りは手塚治虫以来のマンガ文法を一変させた。
だが、それだけではない。このマンガがそれほど印象深かったかのは、矢作俊彦こそ私がマスメディアをとおして触れた最初の「同世代作家」だったからである。
そのときの衝撃はなかなか言葉には尽くせない。
矢作のマンガは、自分と同じような感性で「いま」を生きていて、自分と同じ語彙でしゃべり、自分と同じような服を着て、同じようなものを食べ、いま自分が歩いている同じ街を歩いている主人公に出会った、最初の経験だった。
69年の暮れに庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』が出て、これはまさに私と同年齢の日比谷高校生が主人公だった。その既視感はめまいがするほどであったが、庄司自身が私たちより10歳以上年長で、その経験のフィルターが利いているせいで、矢作の作品ほどに生々しい「同時代感覚」はなかった。
矢作の漫画家としての(たぶん)絶筆である『ばかばかしさのまっただなかで犬死にしないための方法叙説』の全コマはいまだ私の脳裏に焼き付いている。それほどの衝撃だったのである。
以来30年余、私は矢作俊彦の忠実なファンである。
矢作の小説は出た瞬間に絶版になるので、全作品を揃えるのはたいへんである。(全三巻のはずが「中」まで出て途絶した『コルテスの収穫』まで持っている。これはレア。)
なぜか私の旧友たち三人(松下正己、山本浩二、佐藤昇)が矢作俊彦の知り合いであって、私が「矢作って、いいよね」というと不思議そうな顔をする。
個人的につきあうと、それなりに困った人であるらしい。(まあ、そんな気もするけど)
しかし、私とって矢作俊彦は1969年以来、その小説も、エッセイも、一度として期待を裏切ったことのない「完璧な作家」なのである。(今日の朝日新聞にも外務省の悪口を書いていたが、私は100%矢作に同意する。32年前からずっとそうであったように。)
2月17日
森首相がなかなか辞任しない。
はやく辞めて欲しいと、本人以外のほとんど人が思っているのであるが、本人はその気がない。
まさにこの「みんなが・・・して欲しがっているのに、本人にその気がない」というコミュニケーション感度の異常な低さが、この人の適格性の最大の問題点であるので、辞任しないのは当然である。
カフカ的不条理だ。
しかし、これほどまでに「公人としての論理」と「私人としての論理」の位相の違い、ということに無自覚な政治家は日本憲政史上はじめてではないだろうか。
この人は、「日本の総理大臣としてカバーすべき責任範囲」「森喜朗が個人的にカバーすべき責任範囲」を完全に同じサイズにしている。
ゴルフ場で原潜事故の第一報を聴いたあとに、まだしつこくプレーしていて、その理由が「停まっていると、うしろから来るプレイヤーに悪いから」というのには驚いた。
ゴルフのゲームの円滑な進行に優先的に配慮するのは、私人として大事なことである。
外交関係の適切な処置についてすみやかな指示を出すのもまた、公人として大事なことである。
この人は自分が「適切な政治的判断を下すこと」を期待されているのか、「マナーのよいゴルファーであること」を期待されているのか、こういうときにどちらを優先させるべきであるのかが「分からなくなっちゃう」人なのである。
同じような場面を何日か前の予算委員会での質疑応答でも見た。
共産党の書記長が、KSD千葉支部の問題で首相に質問したときに、彼はこう答えた。
「あんた、それ自分で見てきたんですか?」
まさかね。
しかるに、自分で行って見たこと、聴いたこと以外は「信用できない」と首相は言うのである。
では、というので、共産党の書記長が政府による事実の解明を要求すると、首相は答えた。
「私に行って調べろというんですか?私ね、いま国会会期中で、忙しいんですよ」
とつっぱねたのである。
すごいロジックだ。
この二つの語り口に共通するのは、「公人としての政治責任」を問われるごとに、彼が「私人としてできることの範囲」にそれを矮小化してみせる、というパターンである。
たしかに首相個人が「どこでもドア」でホノルル沖に飛んでいけるわけではないし、日本中の行政や党組織の不祥事をそのつど自分で「探偵」できるわけもない。だから、「私には責任がない」と彼は言う。
自分が任命した大臣の不祥事にしても、彼を首相の座に据えた自民党実力者の収賄疑惑にしても、彼は「私自身が悪いことをしたわけじゃない」からと責任を拒否している。
こんなことを一国の総理大臣に教えてあげなくてはいけないのはほんとうに悲しいことだけれど、「公人としての責任範囲」と「私人としての責任範囲」は「違う」。
公人は私人ではカバーできないことについても有責でありうる。
だれも森個人に責任を取れと言っているのではない。
役人や大臣が収賄したお金を森喜朗個人に「立て替えて返せ」と言っているわけではない。森喜朗個人に「探偵」をしろと言っているわけでもない。
公人としての責任とは、統治システムのどこかに問題があれば全容を解明し、情報を公開し、責任者に(場合によっては森首相ご本人にも)適正な処分を課するように「指示する」ということである。
そんな「指示」は「私人」にはできない。
したいけれど、そんな指示に従って動いてくれる人間なんかどこにもいないからである。(いれば私だってやるよ。)
「私人にはできないこと」を代行するための「公的システム」をつくり、それを維持するために、私たちは膨大なエネルギーと税金を費やしているのである。
公人としての責任とは、その「システム」を、つねに迅速に、効率よく、適切に作動させること。ただ、それだけである。
「李下に冠を正さず、瓜田に沓を納れず」という古諺はみんな知っている。
「すももの木の下では冠のひもがほどけても直さないほうがいい(すももを盗んでいると疑われるから)、瓜の田の中では、沓が脱げても拾わないほうがいい〔瓜を盗んでいると疑われるから)」という役人の心得である。
「冠がほどけたら直せばいいじゃないか、沓が脱げたらはき直せばいいじゃないか。何の遠慮があるものか」というのは「私人の論理」である。
「公人の論理」というのは、そのふるまいが「誤解された場合、統治システムの効率的な運用にネガティヴな影響が出るかもしれないこと」を自制し、「冠がほどけたり」や「沓が脱げたり」という個人的な不快の解消よりも公的システムの効率的な運行を優先する、という気遣いのことである。
「健康管理にゴルフをしながら危機管理もする」というのは、たしかに森首相が言うとおり、物理的には可能であるだろう。
パターを片手に携帯を片手に国家危機を救うことだってできないことではない。(ジェームス・ボンドなら得意芸だ。)
けれども、それは「すももを盗まないで冠のひもをなおすことは可能である」と言い張っているのと同じロジックである。
「だから、おれは断固としてすももの下でも冠のひもをなおすぜ。文句あっか」
でもね。「可能ではあるが、まあ、しないほうがいいんじゃない」ということもある。
現に、森首相は、ゴルフのあといったん私邸にもどってスーツに着替えて官邸入りしている。
ゴルフをしながらでも適切な政治的判断ができるなら、ゴルフウェアを着たままで適切な政治的判断がでないはずはない。
それをどうして着替えたのか?
もちろん「李下に冠」の古諺を一瞬だけ思い出したからである。
「まあ、止めといた方が無難かな」と思ったのであろう。
この配慮は正しい。
スーツに着替えたからといって、それで森首相の政治判断の的確性が増すということはない。ただ「他人の目からは」まじめに仕事をしているように見える可能性が増す、というだけのことである。
それでよいのである。
「これは脱税じゃないんだけれど、他人の目からは脱税にみえるかもしれないから、やめておこう」とか
「これは収賄じゃないんだけれど、他人の目からは収賄にみえるかもしれないから、やめておこう」
というような「気遣い」を公人としての「全行動」に貫徹すること、それが「役人のモラル」ということである。
森首相はゴルフ会員権について、これは「贈与ではない」と言い張っている。
言い張るのは、私人としては当然かもしれない。
できるだけ税金を払わずに済ませたい、というのは「私人の本音」だからである。
しかし、首相は「税金を徴収している側」の最高責任者である。
その人が他人からはびしびし税金を取り立てておいて、自分はできるだけ税金を払わずにすませたい、ということになると、「納税意欲」にかかわってくる。
私はおそらくこの一件によって、今年度大蔵省が徴税できる額は有意な減少を記録するだろうと思う。
首相が率先垂範で「税金はできるだけ払わないほういい」ということを実践しているのである。贈与税なんか誰が払うものか。
だから国庫が失ったのは、本来国庫に収まるべきだった個人の1200万円ではなく、彼がそれを怠った「ように見えた」ために納税者が払うのをやめた膨大な税金なのである。
「私人としては」まあ仕方がない(問題あるけど)、「公人としては」非常に広範囲に、ネガティヴな影響を与える行為というものがある。
そのことを政治家を数十年やってきて「知らなかった」というのが哀しい。
そういう人を首相にしてしまった日本人(私を含めてだけれど)の危機感の希薄さが哀しい。
日本人全員に「こんな国、潰れてしまえばいいんだ」というやけっぱちな「亡国願望」でもあるのだろうか?
そうかも知れない。
それ以外に理由がみつからない。
2月16日
この一週間、るんちゃんが東京に行っていたので、朝から晩まで、こりこりとレヴィナス論を書いていた。
毎日毎日フッサールばかり読んでいたら、寝ているあいだも頭の中を「必当然的明証性」とか「諸主観共存世界」とかいうきわめて渡辺二郎的な七文字漢熟語が飛び交っている。(そういえば、渡辺二郎という日本拳法出身のボクサーがいたね、むかし。同名異人ですど)
渡辺二郎先生の「哲学」講義は一度だけ聴いたことがある。
私が教室に入ったときに、ヤコブ・ベーメのことを話しているセンテンスの途中で、私が椅子に腰掛けて、ノートを取り出して、鉛筆を構えても、まだそのセンテンスが終わっていなかったので、そのまま聴講を断念した。
そのときに「この人とは一生縁がないだろう」と思ったけれど、意外にも『イデーン』で再会。翻訳はとても分かり易い。
「訳者あとがき」に最近(といっても1984年)の哲学研究の風潮が軽きにながれていることを嘆じておられた。あまりに名文なので再録する。
「昔からもあったことだが、真の哲学的探求を阻む退廃的諸現象も、相変わらずその根を絶っていないのは残念である。奇矯な言辞を弄し何やら才気走った論評をものにすれば、それでもう一廉の哲学者なりと自他ともに許しうるかに錯覚する軽佻浮薄は、いぜんとして存続しているように思われるし、また一方、おのが偏狭固陋に固執して、他説を曲解しまたこれに的外れな駁撃を加えてその裏でおのが皮相な立場については都合のいい文献引証に拠ってこれを糊塗する衒学趣味も、やはり依然として幅を利かせているようでもあり、さらに困ったことには、現今の学問諸領域の流動化と慌ただしい変貌にも眩惑されて、基本的な研究思索や文献精査を等閑に付し、境界的学際的な場面や諸潮流間の迫間に身を置いて、四分五裂の討議応酬に明け暮れすれば、何やら最先端の哲学に与り得たかに思い込む躁病的狂気が、真の哲学と混同されるという風潮も、時折見受けられる。」
うーむ。すごい。
これだけの長さで句点が二コしかない。
「渡辺二郎先生は一センテンスが長い」という私の証言が嘘ではないことがこれでおわかり頂けるであろう。
さて、私もまた「退廃的諸現象」と名指されると後ろめたくなる人間なので、ついどきどきしてしまうのであるが、とりあえず「一廉の哲学者なりと自他ともに許し」たことがないので(これは自信をもって断言できる)、第一の嫌疑はパスである。
また「偏狭固陋」は多少あるが、「衒学趣味」とはおおむね無縁なはずなので、第二の嫌疑も(たぶん)パスである。
しかし、「基本的な研究思索や文献精査を等閑に付し、境界的学際的な場面や諸潮流間の迫間に身を置いて」というところはびしびしと思い当たる。
私は何しろ自ら「ニッチビジネス」を看板に掲げて、「境界的学際的・諸潮流間の迫間」で「だけ」商売をさせていただいており、これを「あかん」と言われては飯の食い上げとなる。
ニッチビジネス的研究というのがどういうものかご存じない方のために、ここで簡単にご紹介しておこう。
私は「日本でフランス語がちゃんと訳せる翻訳者」ランキングの200位くらいのところにいる。これはまあ「圏外」と言ってよい。この程度の翻訳者のところにはまずまっとうな仕事は回ってこない。
さらにまた「日本でユダヤ教のことが分かっている研究者」ランキングでは、350位くらいのところにいる。これはさらに「圏外」であって、「この人にユダヤ教のことを訊いたら何か分かるのでは」と期待するのはよほど世間知らずである。
さらにまた「現代思想の専門家」ということになると、順位は一気に1395位くらいにまで下がる。これは、私の上位には大学院生どころかちょっと気の利いた学部学生もごろごろいるという順位であり、『現代思想』とか『批評空間』とかいうメディアからはまず原稿依頼が来ないと考えてよい。
なんだ、ひどいなあ。どうしてそんな人が大学の先生やってられるんです?と不思議に思われたでしょう。
べつに詐欺を働いているわけではない。ちゃんと秘密があるのです。
私はそれぞれの専門領域では三流以下的なポジションにいるわけであるが、これが「現代思想研究者で、ユダヤ教研究者で、フランス語が訳せる」という三つの条件をかけて検索すると、たちまち全日本ランキングのベストテン入りを果たしてしまうからである。
レヴィナス老師のタルムード論を訳すというようなお仕事に手を出す人は日本に二人しかいない。したがって、一方の人が風邪をひいたりすると、「じゃ、ウチダに頼むしかないか」という圧倒的な「希少性」がここに生じるわけである。
これをして私は「ニッチビジネス」と称しているわけである。
同じように、私は「武道研究家」とか「能楽研究家」とか「主夫評論家」とか、いろいろなランキングの下位に顔を出しているが、これがまた「修羅ものにユダヤ教が及ぼした影響」とか「武道修業における主夫業の効用」といった論件が浮上した場合には、その希少性が際立つて仕掛けになっているのである。(あまりニーズのない複合種目ばかり、というのが残念であるが)
というわけで、私は学生諸君には、「得意科目一つ」でもがんがんいける人はそれで結構、しかし、「得意科目一つでは勝負にならない」人の場合は、「意外な裏技」を身につけニッチで小商いをする、という手があるぞ、といつも言い聞かせているのである。
ニッチビジネス系研究の基本スタイルは「表」と「裏」に「抑え」のパッケージである。
私の場合であれば「表」が「フランス現代思想」で、「裏」に「ユダヤ」と「武道」と「バカ映画」が入って、「フランス語と英語」が一応「抑え」になっている。
鈴木晶先生も年季のはいった「ニッチビジネス」系研究者であるが、先生の場合は「表」が「精神分析理論」で、「裏」に「グリム」と「バレエ」が入って、「ロシア語、英語、フランス語」が抑えを利かしている。
しかし、そうはいっても、ニッチビジネス稼業の修業はいうほどたやすいものではない。「抑えの外国語」の締まりが利かないとあんまり使いものにならないからである。
というわけで、学生さんには、若いときはまず「外国語」をきちんと身につけるように、と言い聞かせている。
外国語の習得は本質的に「力仕事」であるから、「時間」さえかければ、なんとかなる。そして、時間がいくらでも余っている時期というのは人生においてあまりないのである。(おお、意外に常識的な結論)
2月15日
野崎次郎先生の「ボケ作日記」に1967年の2月11日、つまり建国記念日が最初に施行された日に戸山高校に「同盟登校」した話が出ていた。
当然のように、私も同じ日に日比谷高校に「同盟登校」していた。
私の場合はジロー先生と違って「よい子の中学生」から「民主的高校生」を経て「バカ大学生」という正規の成熟ルートではなく、「よい子の中学生」から(「民主」を中抜きして)ダイレクトに「革命的不良高校生」というものになってしまったので、このあたりの政治的行動については、まったく論理的根拠とか政治的言い分とかいうものはない。単に「国家が国家の起源を自己定立するなんて、変」と思っただけである。
どこの世界に自分の誕生日を自分で決める奴がいるものか。
しかるに、私は何であれ「他人が決めたことに従う」ことができない高校生であったので、「同盟登校」にしても、それが行政委員会の主導であるとか社研の仕切りであるとかいうことであれば、もうそれだけで「いや」になってしまうのであった。
したがって、この「同盟登校」は、「ひとに仕切られるのがいやなんだよおれは的非同盟高校生たちの同盟登校」であったために、当日学校へ行ってみたら、誰も来ていなかったのであった。(当たり前だね)
そのあとどうしたかしかとは覚えていないが、グラウンドで所在なげにしていた数名の非同盟的バカ高校生たちとつれだって麻雀でもしにいったような気がする。(かっちゃん、覚えてる?)
このアンチクライマックスな「最初の建国記念日」を私はなんとなく記憶していて、毎年この休日になると、そのことをちょっとだけ思い出して「おれって、ほんとに昔からぜんぜん変わってないな」と思うのである。
2月14日
石川康宏先生の「ワルモノ」サイトを毎日拝見しているのであるが、先生の東奔西走の講演旅行ぶりにびっくり。先日などは北海道日帰りである。今週は島根。そのあいだに古代史研究までしている。なんと活動的な方なのであろう。
小林昌廣先生の超多忙研究生活もすごい。私ならスケジュールを覚えることさえできぬであろう。
飯田祐子先生もいつ会っても「ああ、締め切りが・・」と小走りに駆け抜けて行く。締め切りを過ぎる前に仕事を済ませればよいのではないかと思うが、よけいなお世話なので黙っている。
そのようなご多忙な先生がたとわが身を引き比べたとき、「おれはいったいなにをしているんだ・・・」と自責の言葉が思わず洩れるのである。
一日10時間爆睡。一日三食爆食。お三時のあとは「ワイドショー」を見ながらうとうと。日が暮れるととりあえずワイン。バカ映画を見ながらウイスキーを爆飲。仕上げはマンガを読んでから落語を聴きつつ眠りにつく、というような生活をしていて、よいのであろうか。
よいはずがありません。
これではまずい。
これではまずい、と分かっているのであるが、「レヴィナスがフッサール現象学のどこに限界を見たか」という重い主題を考えているので、すぐに頭がオーバーヒートして「ぷすん」と止まってしまうのである。
止まるととりあえず「甘いもの」を補給する。
あまり知られていないことだが、人間の身体臓器のうちで、もっともカロリー消費の高い器官は「脳」である。
脳を働かせるためには高カロリーの補給が必要である。
ダイエットをするとバカになる、というのは本当である。
カロリーが不足すると、まっさきに活動を止めるのが脳なんだから。
思考が停滞すると、私はとりあえず甘いものを食べる。(「あんこもの」ね)
私が研究室で「あんドーナツ」などをぱくぱく食べているのを見て、不意を襲った学生などが「あ、先生って甘いもの好きなんですね」というような気楽な印象を語っているが、それは違うのである。あれは、「思考が活動停止したので、必死になってカロリーを補給している」という、ガス欠の自動車にガソリンを給油しているにも似たたいへんに壮絶な光景なのである。
それから尾籠な話であるが、(これは前にも書いたことがあるが)私は論文執筆中に頻繁に「排○」を行う。これはもう想像を絶した回数(午前中だけで七回、といったペースで)にのぼるのであるが、とくに論文の「やまば」を迎え、脳にターボチャージャーがかかってきな臭い匂いが鼻腔の奥を刺激するような状態になると、かならず○意が訪れるのである。そして、そのたびに大量の○を体外に放出するのである。
これはいったいどういうことなのであろうか。
本屋で書棚をみているうちに○意を催すという人はたくさんおられるのであるが、論文執筆中や翻訳中に脳がレッドゾーンに入ると○意を催すという事例を私は寡聞にして知らない。
ともあれ、そのせいで、論文執筆中には体重がどんどん減る。
脂肪が減るのであるから、カロリーの補給がさらに必要である。
それゆえ、「あんドーナツ」や「クリームパン」のようなものが大量に消費せらるるのである。
しかるに、甘いものとはいいながら、侮れないもので、これを大量に摂取したのちには必ず睡魔というものが襲ってくるのである。
かくして、論文執筆→排○→カロリー補給→昼寝という四行程をサイクルとして、私の研究時間というものは回転しているわけである。これを一日に3セットほど繰り返すと、ときはすでに夕闇迫るころとなり、心身はその疲労の極限に達し、息も絶え絶えとなっているわけである。
そのような人間がひとときの安らぎを求めて湯上がりにビールを頂いたり、暮れなずむ大阪湾を見下ろしながらワインをきこしめしたりすることを誰が止められよう。
少なくとも私には止められない。
かくして晩冬の一日は暮れて行くのである。
2月10日
鈴木晶先生の誹謗メールに私への言及があったため、つい逆上して長い日記を昨日書いてしまったけれど、この誹謗メールは鈴木先生あてのものであって、私が勝手にコピーして公開したりする権利がないということにアップロードしてしばらくしてから気がついた。
ブラックメールが今回のもののようにたいへん「興味深い」内容のものである場合、これが数十通たまると、それを本にして出版して印税収入を得るということだって可能性としてはありえないことではない。その場合、当然、コピーライトはブラックメールを受け取った鈴木先生かあるいは「犯人」のどちらかに帰属するわけでで私が勝手に「コピーフリーです」と公言している私のサイトで先行公開してしまっては、お二方のお立場というものがない。
先生にはすぐにお詫びを入れたが、「犯人」にはわびようがないので、仕方なくこの場を借りてお詫びしたい。深謝。ごめんね。
やれやれ。
いろいろとはためいわくな事件であった。(まだ終わったわけではないが)
同じはなしをしつこく引きずってまことに申し訳ないのであるが、私は昨日、誹謗メールの文面を解読する際に、致命的な誤読をしていることをその後読み返して発見した。
それは次の箇所である。
「あなたの日記こそ誹謗中傷そのものではないですか。
今から読もうと思っていた本、今から買おうと思っていた商品、せっかく買ったチケット、などなど・・・。
WEB上の日記という多弁・能弁なメディアで好き勝手に誹謗されて、どれだけ傷ついた人間がいるのか考えないのでしょうか。
日記だから何を書いても良いというのは、「日記」は秘匿性を持っているからこそではないですか。」
私はうかつにも「今から読もうと思っていた本、今から買おうと思っていた商品、せっかく買ったチケット、などなど」というのを日記の中での鈴木先生のことだと思ってしまって、そのように分析してしまったのだが、これはよく読めば中傷子本人が「読もうと思っていた本、買おうと思っていた商品、せっかく買ったチケット」のことなのである。
私のまったくの読み間違いだった。
つまり、この方が「読もうと思っていた本」を鈴木先生が先に読み、「買おうと思っていた商品」は先に買われてしまい、「せっかく買ったチケット」は先に見に行かれて「バレエ評」を書かれてしまい、どの場合でも「無垢な気持で」モノに接することができなくなってしまったと、こういう事態について、この人は抗議していたのであった。
なるほど。そういう可能性は吟味しなかった。
吟味しなかった私も悪いが、そういう可能性を私の「常識」はとりあえず排除していたのである。
というのは、もしそれがほんとうであるとすると、話は「誹謗中傷」という水準を超えて、いきなり深刻なものになるからである。
もしこの人の言うとおりであるとすると、鈴木先生はつねにこの人の「先回り」をしていることになる。
そんなことがほんとうにありうるのだろうか?
AさんとBさんが「読みたい本が同じで、買いたいモノが同じで、行きたいバレエが同じであるような人」であるというようなことはそれほど頻繁に起こることなのだろうか?
かりにそうであるとしたら、この二人が非常に気質や価値観が似ているということを意味しており、ふつうは「わーい、私と同じことを考えているひとがいる(うれしいな。おともだちになりたいな)」というふうに発想は展開してゆくはずである。
しかるに、それがここでは逆転している。
AさんがつねにBさんの「先回り」をして、欲しいモノをつぎつぎとかっさらってゆき、夢見たモノをつぎつぎとスポイルしているのである。
このBさんの経験がご本人にとって心理的事実であるとすれば、精神分析を少し勉強したことがあるひとはなら、だれでもあの症例を思い出すはずである。
そう、ラカンの「症例エメ」、あの「二人であることの病」(mal d'etre deux) である。
エメは有名な女優のZ夫人が、彼女の「コピー」であり、本来エメに属すべき名声や社会的地位や美貌のすべてを「先回りして騙し取っている」という妄想にとらえられ、二人に分裂した自我を統一しようと試みる。
Z夫人はエメの理想我である。
だとすると、「鈴木晶」は「犯人」にとっての「理想我」だということになる。
つまり、彼に(もう「彼」と断定してよいでしょう)本来属すべきであった、さまざまの社会的なリソース(高学歴、高収入、愉快な家族、鎌倉の豪邸、はなやかな交友関係、知的威信、などなど)を、彼にそっくりの人物である鈴木先生が、彼から根こそぎ奪ってしまった、というふうに彼は妄想しているのである。
だから、許すことができないのである。
彼は「自分のものを返せ」と要求しているのである。
だから、鈴木先生が「ある本を読んだ」と書いたのを見ただけで、「それこそ私がこれから読もうと思っていた本だ」と思い込み、先生が「買った品物」を「それこそ私がこれから買おうとしていた品物だ」と思い込み、先生が見に行ったバレエが「それこそ私がこれkら見に行くはずだったバレエだ」と思い込む、という前後関係の逆転が生じるのである。
どうして、この男が鈴木先生の日記を丹念に読むのか、その理由が私にはよく分からなかった。(だって、自分とものの考え方がまるで違う人の日記なんて読んでもちっとも楽しくないのに。)
しかし、彼は読むのを止めることができなかった。
なぜなら、そこには「彼がするはずだったこと」が書いてあるからなのである。
つのだ・じろうの『恐怖新聞』と同じである。
「電悩日記」を読むと、そこには「彼がするはずだったこと」はすべて鈴木先生に先回りされてなされてしまっていることが記載してある。彼はもうそれをすることが許されない。
彼の「未来」は日記において失われているのである。
だから「電悩日記」を読むと、彼は未来を失う。
しかし、いったい誰がクリックさえすれば、「自分の未来」が知れるときに、好奇心を抑え切ることができるだろう。
それゆえ、彼の叫びは「お願いだから日記を書くのを止めてくれ」という悲痛な要求のかたちをとるほかないのである。
私は深刻な気分である。
この人物の心はかなり深く病んでいる。
適切な治療が早急に必要だと私は思う。
「エメ」が最後に理想我とのあいだの「どちらがほんもので、どちらが鏡像か」の葛藤に決着をつけようとしたか、私たちはラカンを読んだので知っている。
それに類することが鈴木先生の身に絶対に起こらないとは限らない。
問題の解決は緊急を要すると私は思う。
「犯人」もこれを読んでいたら、その足で精神科に行くことをお薦めしたい。
(その後、今日(13日)まで、メールは鈴木先生のところにも私のところにも届いていない。これで終わりとなってくれればよいのだが)
2月9日
鈴木晶先生のHPが再開されるようである。
さすが鈴木先生、誹謗中傷メールに対して、泣き寝入りどころか、名誉毀損と業務妨害として法的に対処するということである。
匿名メールとはいっても発信元を探り当てることはいまではたやすいことである。発信者が特定されたら告訴ということになるらしい。有罪となれば、学内の教職員やふつうの会社員であれば、懲戒免職ということになる。
おそらく、メールを出した本人はまさかそれほどのおおごとになるとは思ってもいないで、気楽に「いやがらせをしてやろう」と思っただけなのだろうが、「喧嘩をするなら相手を見てしろ」という常識を欠いた報いである。失職して路頭に迷うことになるかもしれないが、身から出た錆、気の毒だけれど、しかたがない。
鈴木先生が身銭をきって法的に対応することでインターネット・コミュニケーションにおけるルールの確立に向けて貴重な一歩が踏み出されると思う。だから、内田は先生の法廷闘争を応援するつもりである。
しかし、わが身を省みるに、ホームページを開いてそろそろ二年、その間、言いたいことを書きまくってきたわけで、中には読んでずいぶん腹を立てた人もいたことであろう。(もちろん、「読んだら怒るだろうなあ」と思いつつ書いているので、それを読んだ人が怒るのは当然である。ごめんね。)
しかし、さいわいにも匿名の誹謗メールのようなものは、一度も来たことがない。
なぜだろうと考えていたら、答えが見えた。
鈴木先生のプロファイリングによると、誹謗中傷メールの発信者のいちばんの動機は「嫉妬」であるらしい。
それで、腑に落ちた。
おそらく、私のホームページの読者たちは、私の態度の悪さに「怒り」を感じることはあっても、私の優雅な生活ぶりに「妬み」を覚える、ということはなかったのである。
なるほど
考えて見れば、そうだわ。
私の一日というのは、掃除して、洗濯して、講義をして、本を読んで、原稿を書いて、お稽古をして、ご飯をつくって、バカ映画を見て、ウイスキーを呑んで、おしまいである。
ドレスアップして「おでかけ」というようなことは年に何度もない。美食にも美酒にもご縁がない。旅行もほとんどいかない。映画も年に3、4回しか見に行かないし、劇場にも行かないし、展覧会にも、コンサートにも、カクテルパーティにも、海にも山にも行かない。編集者と打ち合わせで文壇バーをはしごするとか、「吉兆」で対談するとか、ホテル・オークラにカンヅメになるとか、印税でカンヌに別荘を建てるとか、出版記念パーティで知り合った女流作家と浮き名を流すとか、そういう「売れっ子学者」にありがちな出来事は私の身には決して起こらないのである。
私の一日を『トゥルーマン・ショー』みたいに24時間放映しても、たぶんおおかたの視聴者は最初の30分だけで退屈さに耐えきれずチャンネルを変えてしまうだろう。
それほどよそさまからすれば退屈な日々である。
こんな生活を「妬ましく」思う人がいるはずがない。
というわけですので、私の書いたものでお怒りになった皆様、どうか「こんなに索漠とした生活をしている独居老人の三流学者なんかと喧嘩しても時間のむだだわ」とよくよくご賢察されて、ここはひとつご本業ますますのご発展を心より祈念させていただきます。はい。
と、書いて筆をおいたところに当の鈴木先生からメールが来て、なんと、誹謗中傷の火の粉が私の身にまでふりかかってきたことを知らされた。
私なんか誹謗しても、誹謗するまえよりずっと気分が悪くなるだけなんだから。よせばいいのに。
とりいそぎ、ここでみなさまにかさねてご警告申し上げておきます。
ウチダを誹謗することはあなたの健康を損なう可能性があります。(できれば一日五分程度にとどめておきましょう。また、週に一度は「ウチダのことを考えない日」を設けておかれることをお薦めします。)
ま、まじめな助言はさておき、鈴木先生からコピーさせていただいた誹謗メールはなかなか興味深い内容を含んでいる。「ほんもの」ならではの迫力とかいうものがおのずとただよっており、味わい深い。
せっかくであるから、三通順番にご紹介しましょう。(こういうのはコピーフリーですよね?たぶん?)
では最初のメール。
「先生。
いいかげんにしたらどうですか。
事務局職員はみんな笑っています。
先生は、脳タリンなバレエ少年少女を相手にしていればよいのです。
3流の学者が2流の大学にはもったいない。
バレエのバカ娘の親たちにチヤホヤされているのがお似合いです。
学内でカッコつけるのはやめてください。
そんなに品もないのに。
オッホホホ〜。」
このメールで鈴木先生は発信者は学内のひとかな、と想像されたわけである。なんとなく、そんな感じがする。最後の「オッホホホー」というサゲがちょっと怖いけど。こんなこと書く大学の教職員がほんとうにいるのだろうか・・・いたとすると、法政大学もなかなかディープだ。
さて二通目。
「先生そろそろくだらないHPやめられたらどうですか?
単なる自己顕示・自己PRではないですか。
あるいは、シャープの液晶技術の独占を非難しながらアップルは擁護する。
矛盾だらけの立派なご意見。
専門外のことに関しては良く研究してからものを言ってくださいよ。
そうでなければ、自分だけでなく家族までの自慢。
とても、まともな感覚とは思えません。
学内で評判ですよ!
最高におかしいのは、茶髪は良くて、黒髪きらい。
あきらかな、西洋人に対する劣等感の裏返しに、哀れささえ感じます。
バレエを趣味にするとそうなるのですかね。
黄色い顔でやったって大体が日本人には似合いませんよ。」
あまり迫力ないですね。でも「先生」というよびかけや「学内」という言い方は一通目と共通。
さて、三通目は、なんと女性の名前で、封書で来たそうである。それも熊本県人吉から?同一人物か、それとも市ヶ谷と人吉をむすぶユングもびっくりのシンクロニシティ?
「鈴木様
かなり早い時期からの貴殿のホームページ(以下HPと略します)の読者ですが、
最近の貴殿のHPについて一言。
バレエの世界に一応の足場を築いたのは偉いと思いますが、マイナーな世界では多少の研究家になれるという意図のもとにしているのでしょう。(それなりに先見の明はあると言うべきか?)
それに、文章の内容の矛盾に気をつけた方が良いのではないですか。たれ流しはしていないと言いつつ、本当は見て欲しい気持ちがミエミエですよ。
また、出自や家庭の自慢をするのはみっともないです。結局、劣等感のなせるわざではないのですか。あなたよりすぐれた人はたくさんいます。世の中は広いですよ。
事象をさまざまに解釈し、思い込みに満ちた妄想を意味付けし、読者に誤った情報を流すのはやめてもらいたいです。
専門の精神分析で自分自身を分析してみたら、よろしいかと思います。偏見に満ちた意見で、認められない欲求不満を解消する事はやめてもらいたいと思います。あなたの心奥に潜む劣等感は何なのでしょう。
くだらないHPはやめて、本業に専念したら少しはまともな論文が書けるのではないですか。あなたの講義を受ける学生がかわいそうです。
はっきり言って、二流(三流)の学者のくせに一流ぶるのはやめてほしいと思います。」
文章の感じがよくにているので、おそらく同一人物の筆になるものであろう。
自分を「庶民」のポジションに設定して、「エリート」である鈴木先生がなにかと際立つことにたいして、「ワイドショーのコメンテイター」的な感覚で「やーねー。自分のことなにさまだと思ってるのかしら、ばっかみたい」というような「下から上を見下す」視線(オスギみたいだね)が三つのテクストには共通している。
こういうのは、その人の「思考の指紋」みたいなものである。
さて、ここまではよいのであるが(よくもないけど)、なんと四通目のメールでは私が批判の俎上にのせられてしまったのである。(オーマイガ)
「「ホームページやめないでください」 と言うメールがたくさん来るのではないですか?
しかし、あなたの「無責任」な放言に傷つけられた声無き人々の方が、 数はずっと多いと思いますよ。
先日の日記にあった、「あなたのためにまだまだできることはある」は、あなたたちを萎えさせることは、まだまだある」と理解しております。
あなたの日記こそ誹謗中傷そのものではないですか。
今から読もうと思っていた本、今から買おうと思っていた商品、せっかく買ったチケット、などなど・・・。
WEB上の日記という多弁・能弁なメディアで好き勝手に誹謗されて、どれだけ傷ついた人間がいるのか考えないのでしょうか。
日記だから何を書いても良いというのは、「日記」は秘匿性を持っているからこそではないですか。
「自己宣伝」のためにHPを作っているのだが、それが何か?」だそうですが、 開き直りにすらなっていません。
しかも、気持ちの悪い友達の「元少女おじさん」の口を借りるなんて。
内田先生も自分のことを結構自慢されますが、そこには割と「やぶれかぶれ」の「偽悪」と「稚気」が感じられるのに対して、あなたの自慢は、いかに自分がエリートかということを、これでもかこれでもかと、自分や家族や母親までも持ち出して、まさに「偽善」のにおい。自分のエクセレンシーを発揮するなら専門分野でされたらどうですか。
匿名で誹謗中傷されたと言われますが、それこそ「名も無き」人々にとって「匿名性」と通信の秘密」が担保されていなければ、自由にかつ安全に「もの申す」ことができないではないですか。この「安全」という保証こそが「表現の自由」と表裏一体をなすものですよ。 これを世間では「常識」と言うのです。
また、ホームページを持つ以上、開設するものにとって、それが自己宣伝であることも常識でしょう。
あなたのHPの中身は「自己宣伝」ではなく「お家自慢」以外の何物でもありません。
たとえば、母上が踊りの先生だったの一言で「良家」を演出したつもりですか?
上流家庭のご婦人は「教える」ことを業とはしませんよ。
そんなことをやるのは割と「下層」な家ではないですか。
「良家」の人々はほかに収入の道があって「バレエ」を含めた「娯楽の対象」を「習う」か「鑑賞」する側ですよ。
あなたの日記は奥さんの料理の自慢にはじまり、奥さんの「お育ち」の自慢、娘の自慢の
あれこれ、あげくの果ては猫の自慢。
もちろん自分の自慢については枚挙にいとまがないですね。
「鈴木姓」の自慢、食べ物の自慢、お友達の自慢、母親の自慢まで、次はどんな「自慢」が出てくるのか学内で話題だそうではないですか。
次の日記が待ち遠しいです。(ワクワク!)
精神分析、心理学の領域において本を出している割には、他人の心理をわからないみたいですね。
調査不足ゆえの矛盾と思い違いによる空疎・無神経な言葉で人を傷つけないでください。
それこそ、うんざりです。
なお、念のため申し添えますが、このメールはあなたを誹謗中傷するものではなくて、日記に傷つけられている多数のバレエ愛好家の意見を代弁するものです。」
これには私も驚いた。
うーむ。言葉もない。
「あなたの日記こそ誹謗中傷そのものではないですか。今から読もうと思っていた本、今から買おうと思っていた商品、せっかく買ったチケット、などなど・・・。」
って・・・この人は、鈴木先生の日記を読んで、これから先生が読むつもりの本や、買うつもりの品物や、見に行く予定のバレエのプログラムなどを空想するだけで傷ついてしまうのでああろうか・・・
たしかにその点では鈴木先生が「罪作り」なお人であることは私もみとめる。
鈴木先生の日記を読んでいて、とくに美味しい魚が手に入ったので、それをさばいてシャンペンなどを召されている場面などの微に入り細を穿つ描写に触れて、悶絶しない読者はいないであろうし、バレリーナたちとのパーティの場面で「草刈民代ちゃんと懇談」などという一行を読むと「なんでなんでこのおじさんばっかりえーおもいして」と輾転反側する若者もあろう。私にもそれはよく分かる。悔しいであろう。(私だって悔しい)
しかし、それは単に鈴木先生がハッピーな人生を送っておられるということであって、「私」とは何の関係もない。鈴木先生はべつに私に不愉快な思いをさせるためにご本人の幸福を追求しているわけではない。
それを「私への誹謗中傷」と理解するのはかなり重篤な関係妄想と断ぜねばならぬであろう。しかし、この人はさらに続ける。
「WEB上の日記という多弁・能弁なメディアで好き勝手に誹謗されて、どれだけ傷ついた人間がいるのか考えないのでしょうか。日記だから何を書いても良いというのは、「日記」は秘匿性を持っているからこそではないですか。」
うん、わかった。
この人は「誹謗」という漢語に新しい意味を加えたのである。
「ヒボウ」の語義はこの方の解釈では「自分の幸せを誇示することで他人を落ち込ませること」なのである。
これで、すべてのつじつまが合う。
だって、鈴木先生は「好き勝手に」自分の幸せな生活を克明に記述しはしているけれど、人の悪口はほとんど書いていないからである。(私とはそこがおおいに違う。)
そうだったのか。それなら分かる。
たしかに、それなら鈴木先生はインターネットを駆使して「好き勝手にヒボウしている」。それを読んで悔し涙にくれた人も決して少なくないであろう。それなら分かる。同情します。
「匿名で誹謗中傷されたと言われますが、それこそ「名も無き」人々にとって「匿名性」と通信の秘密」が担保されていなければ、自由にかつ安全に「もの申す」ことができないではないですか。この「安全」という保証こそが「表現の自由」と表裏一体をなすものですよ。 これを世間では「常識」と言うのです。」
これはまったく間違っている。
インターネットのホームページで私たちが書いたことについて、読者は全員「自由かつ安全に」反論する権利が確保されている。
私たちはそれがどれほど当を失した反論であろうとも、それに対して言論で反撃するだけである。家を探しに行って、えりくびつかまえて締め上げるとか、無言電話をかけるとか、そういう刑事事件になるようなことはしない。
言論による反撃(現在私や鈴木先生がホームページでしているようなこと)によって、文句をつけた読者が失うのは、最大限インターネット上での「知的威信」と「ポピュラリティ」だけである。個人間のメールのやりとりであれば、それさえ失うことはない。(言いこめられていやな気分になる、ということはあるだろうけれど、それくらい我慢しなさい。)
それくらいのことで「表現の自由」というような重い言葉を使ってはいけない。そのような言葉はもっと本気の場面のためにとっておくものだ。
ほんとうに権力を持ち、ほんとうに言論を封殺することのできる人間に対して真剣なたたかいを挑まなければならないときには「自由と安全」のために匿名性を利用することは政治的判断として正しい。
けれども、私や鈴木先生のような何の権力もない人間(せいぜい学生の成績査定権くらいしか持っていない人間)を相手にするときにさえ、匿名性に逃げ込むようなふやけた人間が「ほんとうの権力」と対峙するという可能性は限りなくゼロに近いだろう。
ほかにもいろいろと逐語的に分析したいことはあるけれど、もうちょっと飽きた。バカのタクシノミーに熱中するのもなんだか不毛である。
本日の教訓:「賢さの様態はだいたいどれも同じであるが、バカの様態には限りがない。」
2月7日
早朝(といっても午前8時半、私にとっては早朝)ベルギーの笠井さんから電話がかかってくる。
いつもの調子で「あーら、先生、起こしちゃいました。ふふふ」
まさか国際電話で世間話でもあるまいと思ったが、ついつられてだらだらとよしなしごとを話してしまう。
笠井さんはなんと離婚しちゃっていたのである。
「あら、先生ご存じなかったんですか?」
ご存じなかったよ。
これで私が結婚式でスピーチをしたもとゼミ生たちは三組中二組が離婚したことになる。離婚率67%。(伊藤君、だいじょうぶか、きみんとこは)
あまり「ゲン」がよくないから、私を結婚式に呼ぶのはよいが、スピーチはさせないほうがいいぞ、ゼミ生諸君。
やはり奔放な女王様ピアニストに世間並みの幸福は似つかわしくないということであろうか。ともかくベルギーでピアノ三昧でほんとうにハッピーだそうである。よかったね。
その笠井さんからの用件は、こんどベルギー政府給費留学生にアプライするのであるが、その提出書類に「卒論のレジュメ(日本語およびフランス語)」というのがあり、もちろん卒論なんかベルギーなる笠井姫の手元にあるはずもなく、必然的に、私が
(1)大学の倉庫に行って、95年度卒業生の卒論のなかから笠井さんのを探し出す。
(2)それを読む。
(3)その要約を日本語、およびフランス語に訳したものをただちに笠井家に送付する。
ということのようである。
「せんせー、恩にきます。ふふふ」
へいへい。万事お任せ下さい。
どうも姫を相手にしていると、いつのまにかこちらが三太夫になってしまう。
こういうのを人徳というのであろうか。
2月6日
歯茎が痛い。
私は口腔右側の歯茎と左膝に身体的「弱点」をかかえている。
定期的に歯茎は炎症を起こし、膝は疼痛を発する。
先週は膝の痛い週で、今週は歯茎の痛い週である。
膝の痛みは静止状態では感知されないので、私の奔放な哲学的思弁をいささかも妨げないが、歯茎の痛みは論理的思考が一定以上の深度に達することを執拗に妨害する。
フッサールの『イデーン』によれば、「体験の中で与えられているものは、志向的客観であり、志向の働きそのものに実的に内在しており、かりにそれに対応する『現実的客観』が現実のうちに存在しなくても、それにかかわりなしに、その志向の働きによって思向され表象される」そうである。
こういう文章を読んでも、昨日までの私であれば「ふむふむ、なるほどね」と対象のノエマ的存立構造についての思索を深めていたのであるが、今日は歯茎が痛いので、「この痛みは現実的客観からは相対的に独立した志向的客観であり、私が『あ、痛い』と志向的に認識すると同時にいわばその思量に随伴するかたちで志向的に構成されているのであろうか(だったら、私が志向的思向を停止すれば、この痛みは消えるのだろうか?)」というような雑念に思念が集中してさっぱり思弁が奔放にならない。
「身体がある」ということが精神の運動を規制するというのはほんとうである。
私がデブだったとき(って、いまでもけっこうデブだけど)、脂肪のかたまりが机と私のあいだに介在して、私が原稿書きに熱中することをしばしば妨害した。(「腹が見える」というのは人が形而上学的気分になる上で、あまりプラスのインセンティヴにはならない。)
肥満以外にも、眠気、空腹、肩凝り、頭痛、泥酔、なども効果的にコギトの活動を妨害する。
ああ、身体がなければどれほど自由に思考できるであろうか、と私は慨嘆したのであるが、皮肉なもので「身体がないような感じがする」というのは「身体が健康である」ということの別の表現なのである。
というのも、「身体の健康」というのは積極的に「身体の具合がよい状態」のことではなく、「とりあえず有意な不調が前景化しない状態」のことだからである。
私たちは髪の毛が抜け出してはじめて自分が髪の毛を有していたことに気づき、心臓が止まってはじめて心臓が動いていたことに気がつくような仕方で身体にかかわっている。(心臓が止まった場合は「心臓が動いていたことに気がつかない」こともある。)
ともあれ、健康であるとは、健康であることがまるで意識されない状態のことであり、健康でないとは、健康でないことがたえず意識される状態のことなのである。そして、健康であるためには、絶えず健康のために気を使ってないといけないのである。
めんどくさいけど、仕方がない。
「子を持って知る親の恩」とか「墓にふとんはきせられず」とか「幸せの青い鳥」とか、いろいろなことが言われるが、要するに、私たちにとって「よいもの」はたいてい「失ったのちに、欠性的に意識される」というかたちでそれが「あった」ことが知られるのであり、それがあるときには、それがあることを意識しておらず、当然にも少しも感謝の気持なんか持っていなかったのである。
あるときには気がつかず、失ったあとになって胸をかきむしるほどの欠落感を覚えるものを「いま」想像できて、それを確保するために全力を尽くせる人はたぶん人生においてそれほどひどい目に合わないですむだろうと思う。
さて、私にとって、「いまあって、失ったら死ぬほど苦しむもの」は何だろう?
何となく分かるような気がする。
たぶんそれは「自由」である。
2月5日
「最後の春休み」(@ユーミン)なので、るんちゃんは毎日家でごろごろしている。そして、「試験もなんにも、ない!」と『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌をたのしげに歌っている。
よかったね、「試験もなんにもなく」て。
しかし、いつ起きるか、いつ寝るか、いつご飯を食べるのか、ぜんぜん予測不能なので、しかたなく、主夫として「ご飯その他については自己管理、自己責任とする」ことを宣言した。
基本的に自分でつくって自分で食べる。材料費は実費をこちらが負担する。もちろん、私がご飯をつくっているときに近隣を通りかかった場合などは、シェアするにやぶさかではない。というかおおいに歓迎である。一緒に食べる方が楽しいからね。
というわけで、「定時にご飯を作る」という桎梏から解放された。
これでほとんど主夫の仕事はなくなったに等しい。
さっそく夕方から映画を見に三宮にでかける。
ひさしぶりの都会である。
映画は北野武の『ブラザー』。
とてもおもしろかったです。うん。
しかし、映画館というところはあまり愉快ではなかった。
だって、ほぼ全員が「ペア」なんだもの。
それも「仲良しペア」というのなら私も許そうではないか。仲のよい男女というのは、見ていてほほえましいものであるから。
それがなんか違うんだよ。
仲、悪そうなんだな。どいつもこいつも。
何が嫌いといって、仲の悪い男女を見ることほど嫌いなものはない。
とくに、一方がいかにもおもねるような口調でいるのに、他方が横柄な返答をしているのを見ると、むかむかしてそのまましばき倒したくなる。
そんな横柄な態度をとるくらいなら、いっしょに来るなよ。バーロー。
一緒に来るなら仲良くしろよな。
じっとみつめあって、ほほえみあってろよ。いいから。黙って。
などと怒りつつ、映画を見る。
私が核家族嫌いなのもたぶん同じ理由である。
仲が悪いのにいっしょにいる、ということが不愉快なのである。
旅先のドライブインみたいなところで、家族がご飯をたべているところに出くわすと、ほとんどの場合、家族の誰かが「私はこんなバカな旅行なんか来たくなかったんだからね、そこらへんの通りがかりの人たちも、私をこいつらと同類だと思わないでよね」という信号を全身から発信している。
それは子供である場合もあるし、妻である場合もある。
日曜にスーパーの駐車場なんかにいくと、おじさんが黙って車の中でみんなの買い物がすむのを待っていることがある。それほどまでにみんなといっしょにいたくないなら、止めろよ。そういう生き方そのものを。
私はそういうのを見るといたたまれなくなる。
仲が悪いなら、いっしょにいるなよ。頼むから。
どうして、この人たちは「私はいっしょにいるこいつらと決して仲良しではないのである」というようなメッセージをなんの関係もない私たちに発信し続けているのであろうか。
私には分からない。
もしかすると、誰かが(上野千鶴子とか筑紫哲也とかが)「不機嫌でいる」ことは「上機嫌でいる」ことよりクールで、知的に見える、というような不埒な幻想をまきちらしているのではないか。
「メッセージボード」にもちょっと書いたけれど、鈴木晶先生のホームページがしばらくお休みになってしまった。先生のホームページは「自己宣伝」の場にすぎない、けしからんというような誹謗メールが集中的に送りつけられてうんざりしたそうである。
私は自己宣伝のためにホームページをつくっているのだが、それが何か?
とは鈴木先生のお言葉であるが、まったくこれほどクリアカットなスタンスでいる鈴木先生に向かって匿名で誹謗中傷をするような奴は、その一点で人間のクズである。
批判は固有名でする。
そんなのは常識である。
おのれの固有名において発信できないような言葉にいったい人は「何を」託そうというのか?
まったく。
あ、いけね、不機嫌になっちゃった。これでは知的に見えてしまう。何か言わねば。
「とは」は千早の本名で。
おあとのしたくがよろしいようで。ちゃんちゃん。(原君、志ん生のMDありがとうございました。でもこのサゲじゃないのね志ん生の『千早振る』は)
2月2日
一般入試前期日程。
こういうことを言うのはすごく失礼だけれど、今年の受験生は「賢そう」だった。
実は何年か前(いつかは言いませんけど)、試験監督に行って、教室で受験生の顔をみたとき「ぎくり」としたことがあった。
「なんか・・・ワイルド」
それに比べると、今年の受験生は10年くらい前の受験生に感じが似てきた。
もしかすると神戸女学院は「復活」しつつあるのかも知れない。
入試のあとに6時から科別教授会。
議題そのものは10分で終わるような話なんだけれど、それが二時間半を要した。
長くなるのはもちろん「長く話す」人がいるからである。
会議で長く話すには理由がある。
「自分の言っていることをみんなが受け容れてくれない」からである。
ひとは熱い同意のうなずきを目にした場合、贅言を割愛するものである。
しかるに、話が長くなるのは、聴衆の表情に「同感」と「喜悦」の感情が読みとれないからである。
その人の話を「みんなが熱烈に受け容れてくれない」場合、理由は二つしかない。
「言っていることが変」なのか、「みんなの理解力が低い」のか、どっちかである。
「聴衆の理解力が低い」ということは大いにありうる。その場合、さらに雄弁をふるうのはたいへんに理に適ったことである。
しかし、「言ってることが変」である可能性も吟味すべきである。
「みんなが自分の演説に深い同意のうなずきをもって反応しない」場合は、当該発言者に「えーと・・・もしかして、バカなのはこっち?」という哲学的省察が兆すことを列席者は期待してもよい、ということになっている。いちおう。常識的には。
しかして、その期待は多くの場合むなしいものに終わる。しばしば。ほぼ、つねに。
(って、小津安二郎の映画の見すぎなんですけど)
人間は誤りを犯す。
誤りを犯すことは少しも恥ずかしいことではない。
かつてクレージーキャッツのコントで植木等は繰り返し誤りを犯し、そのたびに周囲の人々の冷たい視線を感知して、
「あ、お呼びでない?こりゃまた失礼致しました」
とすずしげに去っていった。
知性とは「お呼びでない?」という前言撤回の言葉を、どんな場面でも、どのような機会においても発しうる能力のことであると私は思う。
私が知る限り「前言撤回」に知性の有り金を賭けたのはレヴィナス老師である。
老師は、ひとこと語るごとに、それを疑い、相対化し、撤回した。
「権能の哲学である存在論は、同一者を審問することがないがゆえに、不正の哲学である」と断言したすぐそのあとにも、老師の脳裏には宿命的な懐疑が兆すのであった。だから、老師はしばしばこう付け加えることを忘れなかった。「と言うのはほんとうだろうか?」
先日「エゴの会」(「もと少女おじさんの会」ね)の発足をたからかにうたい上げたところたちまち鈴木晶先生からカミングアウトの言葉が寄せられた。
さっそく先生のホームページからその部分をペーストさせて頂きます。
「そうそう、先日、内田先生が日記に「EGOの会」を結成すると書いておられた。
EGOというのはEx-Girl Ojisan、つまり「もとは少女であったおじさん」のことである。世間から見たら、相当に気持ち悪いイメージだが、もと少女おじさんは意外に多いのではないか。カミングアウトできなくて悩んでいるんじゃなかろうか。
内田先生ご自身が「もと少女」なのだが、じつは私もそうである。会員第一号にしていただこう。
私の実家は大井町線の「戸越公園」という駅が最寄り駅だが、そこから電車を二駅のると終点の大井町である。大井町の駅周辺は、最近でこそ再開発のせいでかつての面影はないが、つい20年くらい前までは「戦後はまだ終わらない」みたいな雰囲気があったので、小学校のころは、大井町まで行くことは学校で禁止されていた。3年くらいのときだったろうか、それを承知で、友だちと二人で大井町のデパートまで探険に出かけた。その友だちはおもちゃ売り場でプラモデルをあれこれ見たかったのだが、私はフランス人形をみたがったので、友だちは気味悪がり、あとで学校で「鈴木君はスケベだ」と言いふらした。
高学年の家庭科で刺繍をやったときは楽しかった。一生の仕事にしたいとすら思った。
中学生の時の座右の書は「赤毛のアン」であったし、高校時代は「ジュニア文芸」と「小説ジュニア」を読みふけっていた。
その後、「男性化」したのは、「体質」が変化したのではなく、たんに世間の圧力のせいである。
だから、じゅうぶん入会資格があると思う。」
もちろん鈴木先生は会員第一号である。(当然、私が会長である。こういうのは「カミングアウトのプライオリティ」で決めてよいのである。いいですよね、鈴木先生?)
それに対する私の熱い返信もペーストしましょう。
「鈴木先生
さっそく先生を「エゴの会」の第一号会員に認定させていただきます。カミングアウトありがとうございました。
実は私も「刺繍」が好きで、小学校の五年生の家庭科で刺繍をやるときにあまりに夢中になってしまって、母親から「ふーん、そういうの好きなんだ」と言われて、ちょっとたじろいだ記憶があります。(いまでも裁縫はだいすきです。ウイスキーなんかのみながら合気道の道衣のほころびなんか繕っていると、なんだかしあわせです。)
人形はさすがに家にはなかったのですけれど、紙でできた「着せ替え人形」が好きで、女の子の紙型にいろいろな服を着せたり靴を履かせたりしてるんるんしていましたが、これも無言の抑圧によりいつのまにか止めてしまいました。
小学校のころの愛読書は『赤毛のアン』と『若草物語』と『小公女』。とくに『若草物語』が大好きで、ローリーにすごく感情移入して読んだ記憶があります。(だからいまでも「誕生日のプレゼント何がいい?」と聞かれると反射的に「靴の紐」と答えてしまうのです。これはローリーが質問するほうなんですけどね)
ローリーは女の子にかこまれて、ほとんど「少女化して」暮らしているわけですが、これが私にとっては「至福の少年期」のすがたでした。
だから私の最初のロールモデルは彼です。(『アン』のギルバートはちょっとワイルドすぎますから)
でもぜんぜんいないんですよ、少年時代のアイドルが『若草物語』のローリーだったなんてやつが。(どうしてなんでしょうね・・・)
ともあれ、「もと少女おじさん」という新たなカテゴリーはかならずや硬直化したジェンダー言説に風穴をあけてくれることでしょう。
私たちが「男装した少女」であるとすれば、上野千鶴子は「女装したおっさん」ですね。
あら、「女装した家父長制」ってあんたのことやん!」
ま、それはさておき。
というわけで、「エゴの会」は発足と同時にいきなり強力な会員を獲得したのである。
喜ばしいことである。
今後、石川先生が「実は、リカちゃん人形のコレクターで」とか、難波江先生が「ふふふ、私のワードローブはヨシエ・イナバ」とか(これはちょっと別傾向であるが)続々とカミングアウトしてくれると私としてはすごく心強いのである。
ただ、悲しいことは、おじさんになって、「わし、も、どーでもえーけんね」の境地に達しないと「ぼく、子どもの時に少女だったんです」みたいなことをカミングアウトできない、ということである。
私たちはいつだって、決定的な仕方で失ったあとになってしか「失われたもの」について語れないのである。
というようなことをダイエーで買ってきたジャージ(¥3.980)の上に「どてら」を羽織って、「焼酎のお湯割り」を呑みつつ書いているわけですよ。「もと少女」は。
2月1日
あ、もう二月になってしまった。早いなあ。
最近、新聞の折り込み広告の不動産のチラシをよく読む。
べつに家を買う予定があるわけではない。(私は賃貸主義者である)
安いから、おどろいて見ているのである。
うちのマンション(3LDK、80平米、築10年)が売りに出ていた。2480万円である。
私はバブルの全盛期に東京で暮らしていたので、そのころの相場をまだおぼえているが、2500万円というのは都心のワンルームの価格であった。いま私が住んでいる程度のマンションだと新築で6000万円くらいした。
広告を見ると、ちょっと古い2DKだと、もう980万円とかそういう値段である。
うちは来月で娘が東京に去り、私はこれからどんどん家具、書籍、衣類などを捨てて、「草庵」暮らしになる予定なので、次に引っ越すときは2DKか大きめの1LDKで十分である。
これくらいの値段なら私にも買えそうである。
でも買わない。
私は家を持たない主義である。
というのは、家というのは自動車と同じで一種の「拡大自我」だからである。
私はこれ以上自我を拡大したくないのである。
それはなぜか。
自分の自動車を傷つけられると「むかっ」とするでしょう?
でも自分の「耕耘機」に多少のスクラッチが入っても別に気にならない。(たぶんね、耕耘機を所有したことがないので想像であるが)
それは自動車は「自我の延長」だけれど、耕耘機は「自我の延長」ではないからである。
私たちは自動車とかバイクを選ぶときに、けっこう真剣になる。
それはそこに自分の「対外的イメージ」を託しているからである。
私はこれまで自動車はホンダ・シティ、ローバー・ミニ、スバル・レガシー、スバル・インプレッサWRXという遍歴をしてきた。
バイクはヤマハRD50、ヤマハDT125、ヤマハGX250、ホンダGL400ゴールドウイング、ヤマハXT250、ホンダGB250クラブマン、ヤマハTW200という車歴である。
ご覧になると分かるように(バイクはちょっと分かりにくいかも知れないけれど)、ここには明らかにある種の傾向が見て取れる。(ちょっと「ラインから外れてる」のはレガシーとゴールドウイングであるが、これはどちらも事情があって引き取ったもので、私が自分で選んで買ったわけではない。)
それ以外のラインナップを一瞥すれば、私の「理想我」がこの選択に反映している、ということがよくわかる。
それは「タイニイで、お洒落で、機敏」ということである。
「重厚で、ゴージャスで、シック」(私とは無縁の自我像)とか「軽薄で、チープで、凶暴」(私がそこから目を逸らそうとしている自我像)は周到にここから排除されている。
ことほどさように、私たちは「自分のもちもの」に自我の理想を託している。
だから、自動車やバイクに傷をつけられると、わがことのように逆上するのである。
しかるに、私はそういうことにそろそろうんざりしてきた。
自我の拡大なんか止めよう、と思うようになったのである。
自我の拡大の最たるものは「子ども」であるが、私は育児の過程のどこかで、「子どもは私の一部分であり、私の夢であり、未来である」という考え方を棄てた。
別に深い思索の末にそうなったのではない。
ある日、急に「あ、もうやめよう、そういうのは」と思ったのである。
自分以外の何かを所有し、所有したもので自我の存在証明をさせたり、欲望充足を願ったりするのはもう止めよう、と思ったのである。
「だって、他人だし」
そうであれば、自動車やバイクだって当然「他人」である。
多少傷がいっても、「あら、お気の毒」とは思うけれど、自分の身体がきしむような痛みを感じることはもうない。
で、家の話。
家は「子ども」とともに拡大自我を最もあらわに表象する。
だから、壁が結露すれば、「ああ、家が痛む」と涙を流し、床に煙草の焼けこげをつくれば「ああ、家が痛む」と身もだえする、というようなことがおきるのである。
私はそれがいやなのである。
どうせ家は痛むに決まっている。
住んでいるうちに家がどんどんきれいになって、ますます整理整頓されてゆく、ということはエントロピーの法則からしてありえない。
つまり、家を持つということは、どんどん壊れ、どんどん汚れてゆく「自我」と直面して生きて行く、ということである。
なんか気分悪そうである。
私はだから賃貸主義者である。
もちろん、きちんと掃除をしてけっこうきれいに使ってはいるが、それでも家は痛むし、汚れる。でも、私はそれを何とも思わない。
「だって、他人のものだし」
自我はできるだけコンパクトな方がいい、と私は思う。
守るべきものや気遣いしなければいけないものをたくさん抱え込むことによって、私たちは結局、「ほんとうに」守るべきものや気遣いしなければならないものに出会ったときに、身動きならないことになっている、ということはないのだろうか。
そんな気がする。
ついでに言うと、私は「資産」というものはすべからく「ポータブル」である方がいいと思っている。
「ポータブル」というのは別にダイヤモンドとか株券とかなら「持ち運びに便利」というような意味ではない。(そんなものはすぐになくしたり、騙し取られたりする。)
なくしようがないし、盗まれようがない「資産」とは「スキル」と「情報」と「ネットワーク」のことである。
「魚」は食べればなくなるし、食べなければ腐ってしまうが、「魚を獲る技術」と「魚のありかについての情報」と「人的つながり」があれば「魚」はいつでも繰り返し資産化される。
哲学的な言い方をすれば「魚」とは資産の「ノエマ的側面」であり、「魚を獲る技術」とは資産の「ノエシス的側面」である。「であること」と「すること」と言いかえてもいい。「痕跡」と「生成」と言ったっていい。
私はなんであれ、ものごとの「生成的側面」が好きなのであるが、それはべつにたいそうな理由があるわけではなく、単にそっちのほうが「軽くて持ち運びに便利」だからなのである。
そういう点で私はウェブサイトというのは資産の形態としてたいへんすぐれたものであると思っている。賃貸どころか、「ブツ」そのものがデジタルな幻想なんだから。
2メガバイトのこのテクストファイルも、ファイルマネージャーでキーを一回押せば、一瞬で全部消えて跡形もなくなる。
それに、「こびとさん」がいつもお掃除してくれているので、エントロピーの法則に反して、どんどんきれいになって、どんどん整理整頓されてゆく。
今のところ、これが私の文字通りの「ホーム」なのである。