夜霧世今夜もクロコダイル

Another Crocodile in the night mist: from 1 Jan 2001



4月28日

風邪が治らない。

木曜日の午後いっぱいと金曜一日寝ていたのであるが、土曜になっても熱が引かない。身体の芯が熱っぽくて、どうもいけない。

活字を読む気力がないので、延々と『パタリロ!』を読み続ける。

古典落語と少年愛と昭和30年代のTV番組と密室殺人トリックについてトリヴィアルな知識に支えられたギャグマンガが『花とゆめ』という少女漫画誌に数十年にわたって連載されていることの社会史的意味を解明したひとはどこかにいるのだろうか。(関川夏央さんが書いているかも)

『パタリロ!』のせいで古典落語が聴きたくなる。

熱があってぼおっと寝ているときに志ん生なんか聴いていると生きているのか死んでいるのか分からなくなって酔生夢死の境地を楽しめそうだ。

ちょうどそこで「古典落語名演40席」という企画ものの広告にでくわしたので、よほど買ってしまおうかと思ったけれど、玉置宏が「解説」をしているというので最後の理性を発揮して止める。

魔夜峰央が終わってしまったので、次は桑田乃梨子全作品読破にかかる。

るんちゃんが置いていってくれたマンガのおかげで病床の父は余命をつないでいる。

げほげほ。いつもすまねーな。おれさえ、こんな身体でなけりゃ・・・

おとっつぁん、それは言わない約束でしょ。

これはハナ肇とザ・ピーナッツの『シャボン玉ホリデー』の定番ギャグだ。

年のせいか、最近小中学生の頃見たTV番組やそのころ読んだ本のことをよく思い出す。

石坂洋次郎とか獅子文六とか源氏鶏太とか石川達三とか、当時愛読していた中間小説がむしょうに読みたいのであるが(変なものを読む小学生である)、もう文庫本は絶版みたいである。

そのころの愛読書でいまでも読めるのは吉川英治と山田風太郎だけ。

『シャボン玉ホリデー』のヴィデオが出たら私は絶対買う。日テレにはもう映像は残ってないのだろうか?

『寅さん』全48巻の広告にもかなり心が動く。

ほんとに買ってしまいそうである。

ああ、誰か止めてくれ。「ウチダ、気を確かに持て!」と誰かが言ってくれないと、ほんとうに買っちゃかもしれない、寅さん。


4月26日

新学期がはじまってそろそろ一ヶ月。ちょっと「飛ばし気味」だったので、さすがに連休を前にして疲れがでてきた。

一昨日から歯茎が腫れてきた。(これは体調低下のサイン)

案の定、夕べから寒気がして、風邪の前兆。少し熱っぽい。

風邪のひきはじめに、一日ベッドでごろごろしているのは至福の時間なのであるが、今日は休めない。

一時間目から講義があるからである

一時間目にいきなり休講すると学生が怒り狂うのである。

遠い学生は2時間ほどかけて学校まで来る。朝6時に起きてラッシュアワーに揺られて学校までたどりついたら「休講」というのでは、「朝寝できた2時間を返せ!」というのもむりからぬことである。

だから、1時間目の授業は、その日になって休講というのはできない。熱があろうとバイクで事故ろうと、這ってでも教室まで行くのである。

ぼおっとしながら授業をする。午後の授業を休講にしてこれで帰りたいのだが、昼休みにフランス語海外研修の説明会があって、私が説明する係りなので、それが終わるまでは帰れない。

はやく片づけて家に帰って風邪薬をのんで、パジャマに着替えて、『パタリロ!』を読みながら寝よう。

というわけで明日は一日寝てますから、起こさないでね。


4月25日

ゼミの三回生たちをお招きしての「顔見せ」大宴会。

12名がわが家に集まる。

私はいつもの「颱風カレー」と「ベトナム風ビーフン」を供するが、ニョクマムがなくてオイスターソースで味付けしたので「ベトナム風」ではなく「広東風」になってしまった。「颱風カレー」は辛いもの好きの一部には好評だったが、泣いたり、鼻水を啜りながら我慢して食べている学生もいた。すまない。

みんなまだ三回しか教室で顔を合わせていないのであるが、たちまち仲良くなって、わいわい大騒ぎが始まる。

若い女の子たちの「いきなり仲良くなっちゃう」能力の高さにはいつも驚かされる。

「若い男の子」たちも仲良くなるのは速いけれど、女性には勝てない。

これはおそらく彼女たちが一種の「身体言語」でコミュニケートするからではないか、と思う。

「身体言語」といっても、「ボディ・ランゲージ」(みぶりとか目配せとか)という準−記号的なものではなく、もうすこし音楽的な、「語りのリズム」とか「笑い声のハーモニー」のような、「身体が共振する」感覚をつかまえるのがすごく巧妙だ、ということである。

私たち男の場合でも、たしかにはじめて会う人同士のあいだでは、それぞれが「なにを考えているか、なにを感じているか」という「話の内容」よりも、むしろ「語り口」のリズムやトーンで「ノリが合う」かどうかということがまず意識される。

しかし、どうも女の子同士はそれとも違うようだ。

彼女たちは「話の内容」にはほとんど重要性を置かない。

それどころか「語り口」の「ノリが合う」か「合わないか」にさえ、それほどの重要性を認めていない。

彼女たちの関心事は、なによりも、「すでに始まった会話を何が何でも継続する」という共通目的に全員一丸となって協力しあうことにある。

一人一人が瞬時のうちに「自分のパート」を探り当て、そこで期待される「音」を期待通りに「発する」ことにきわだった技巧と勘の良さを示す。

すでにバンドは演奏を始めているが、譜面も指揮者も存在しない。

誰かが「テーマ」を提出すると、誰かがそれを受けて「ヴァリエーション」を返す。同じようなフレーズが続いて手詰まりになると、誰かがまったく違う曲想で展開を試みる。

みごとなものである。

コミュニケーションの本義は有意なメッセージの往還にではなく、コミュニケーションをなしうる人々がそこにいるということを明らかにすることに存するというのは、レヴィナスとレヴィ=ストロースの洞見であるが、彼女たちのコミュニケーション・パフォーマンスはそれをみごとに裏書きしていた。

どうして「戦争」を始めるのがいつも男で、「女の子たち」は決して「戦争」を始めないのか、その理由が分かった気がした。

上野千鶴子さんから「献本のお礼状」が届く。

私はもちろん「虎の尾を踏む」ような恐ろしいことを思いつくはずもないので、献本したのは冬弓舎の内浦さんの「しわざ」に違いない。

上野千鶴子さんが書評で取り上げてめちゃめちゃにけなした場合、「ウエノチヅコがこれほど罵倒する本ならぜひ読んでみたい」という「まずいもの食いたさ」読者が獲得できるのでは・・・と内浦さんが悪魔のような狡知を発揮したのであろう。(内浦さんてけっこう「アキンド」)

メールボックスに「東京大学文学部社会学研究室・上野千鶴子」差出人のはがきを発見したときは「げげっ」と心臓が止まりそうになったが、文面はとっても「フレンドリー」(?)

「こんなありあまる洒脱な才能とバランスのよい大人の知恵とを、たかがフェミニズム批判ごときに使うとは、なんともったいないという感想を持ちました。(笑)」

あれほど悪口雑言を書きつらねたのに、この「受け流し」。

うーむ、やはり上野千鶴子はあなどれないなあ。

しかし、いつ背中から「ばっさり」くるか分からないから、しばらく夜道には気をつけよう。

内浦さん、あまり怖いことしないでくださいよお。


4月22日

忙しい金曜日。

お昼から文学研究科委員会。委員長が出張のため、私が代理で議事進行役。学則変更、学位記規程の変更などを採決する。

むかしは、はたで見ていて、こういう委員会に何の意味があるのか、何を議しているのか、見当もつかなかったけれど、自分が議案を作る立場になってだんだん分かってきた。

それはこういう委員会は「あまり意味がない」ということである。(第一印象はつねに正しい。)

そのあと長い全学教授会。そのあと、さらに第一回自己評価委員会。不吉な予想が的中して、委員長に選ばれてしまった。任期はなんと4年間。とほほほほ。

そのあと、六甲山頂まで車を走らせて「フレッシュマン・キャンプ」。

今回は飯謙先生のおともである。

飯先生は学院チャプレン、旧約聖書学の権威という、お堅い一面とはうらはらに、「ベタなダジャレ」と「一滴もアルコールを飲まずに酔っぱらう特技」などで学生、同僚のあいだにファンが多い。(私もその一人)

以前にアロン、ネエール&マルカの『ユダヤ教 過去と未来』という本を訳したときに、飯先生にヘブライ語の表記と訳語をぜんぶチェックしてもらったことがある。ずいぶん面倒なお願いだったけれど、快く引き受けてくれて、私が誤訳誤記した箇所いくつもみつけてくださった。

学生たちとの交歓の時間が終わってから、私はジャック・ダニエルズの水割りを飲みながら、飯先生はミネラル・ウォーターを飲みながら、深更に至るまで聖書の話、フェミニズム神学の話、大学闘争とトラウマの話など尽きぬ話題で語り合う。

翌朝、学生たちを車で阪急六甲まで送った。徹夜明けで「寝不足ハイ」になっている学生たちは「楽しいね。おともだちになれてうれしいね。これからいっぱい遊ぼうね」とにこにこしている。

この子たちは「るんちゃん」と同じ年である。

18歳であることはなんだか楽しそうだ。18歳で「人生が楽しい」のはそれほどむずかしいことではない。

でも、「50歳で人生が楽しい」のはけっこうむずかしい。(私は楽しいけど)みんなもがんばってね。

そのまま午から合気道のお稽古。膝の痛みはだいぶ消えた。すこし「ひきつる」ような感じが残るだけ。それから夕方まで杖道のお稽古。

そのあと、家にお客を迎えて、ひさしぶりに料理を作る。春巻きと鶏の唐揚げとスープ。ちょっと野菜が足りなかったかも。

来週の火曜日はゼミの3回生をむかえてうちで「一品持ち寄り宴会」である。

私はいつもの「颱風カレー」と「ベトナム風ビーフン」を作る。

夜、共同通信のエッセイを書く。

ネタはいくらもあるのだが、5回でおしまいとは、時給の良いバイトなのに残念。


4月23日

極楽スキーの会&ジェンダー研究会共催の「高橋友子先生のマルコポーロ賞受賞を祝う会ならびにワルモノ先生の入籍を言祝ぐ会ならびに清水先生ご苦労様でした上野先生おつかれさんですそれにつけても新学期ですね」宴会が昨夕、西宮北口「旬彩」において挙行された。

参加者は清水、森永、高橋(友)、三杉、石川、飯田、山本、上野、それに私の9名。清水先生を除くと、全員「極楽な人たち」である(その清水先生も来シーズンからは極楽ツアー参加のご意向を示されている。)

参加者の勢力分布は、フェミニスト5名、歴史学者3名、マルクシスト2名、フィッシャーマン1名、アンチ・フェミニスト体育会系1名で、圧倒的に「フェミニスト」優位の布陣である。

しかしイデオロギー的対立もものかは、「根が極楽な人たち」が一堂に会したわけであるから、「ま、ままま、こまかいことは横へおいて」とさっそく乾杯。

お酒が一滴入るとたちまち全員上機嫌となり、勝手気ままに談論風発3時間。

お店の他の客が全員逃げ出すほどの高歌放吟ぶりでついに店側から泣きが入り、「次回来たら串揚げ12本無料サービスしますから」と撤収を促された。

翌日ジェンダー研の大宴会が予定されているから二日続きの飲み会は困るんだよね、という理由で22日開催に難色を示していたはずのジェンダー研系教員たちは元気良くさらに二次会へ繰り出すべく西北の闇の中に消えていった。

帰り道の阪急の中で生酔いのまま橋本治『宗教なんかこわくない』を読む。『蓮と刀』同様、何度読んでも「メカラウロコ」本である。

昨日読んだなかでいちばん「メウロコ」な箇所は次のところ。

「『どうしてファシズム化して行こうとするあの時代に、国民は国家神道の蔓延を押さえられなかったのか?』ということの問の答は、当然のことながら、『だって、宗教なんかよく分からなかったんだもん』にしかならない。『分かんないものに攻めて来られたって、防ぎようなんてないじゃない』は『日常の中に"武器"というものが存在しないということは、"武器を持って戦う"ということがリアルなものとして迫ってこない』と同じことなのである。」

そ、そうだったのか。「分かんないものに攻めて来られたって、防ぎようがない」んだ。

「なんだかよく分かんないもの」がそのへんにあって、それがうろうろしているときに「なんだかよく分かんないものがうろうろしてるけど、なんだか分かんないから、ほっとこう」というのが「知性なき人々」の致命傷なのである。

橋本治というのは徹底的に知的な人であるから、この「なんだかよく分かんないもの」が目先をちらちらしていることに耐えることができない。

「なんだかよく分かんないもの」(いまの文脈では「宗教」)は「ほんとのところ何なのか」ということを橋本は問う。

「なんだかよく分かんないもの」を、リアルな触感をともなって「日常の中に存在させる」こと、それが橋本治の基本戦略である。

あるものが「なんだかよく分かんないけど、別にいいや」で済ませられるのは、それが「見慣れないもの」だからではない。「あまりに」日常化しているがゆえに、対象として主題化されないものを私たちは「なんだかよく分かんない」ものとみなして平気でほおっておけるのである。

オウム真理教の分析を試みた橋本のこの本の洞見は、「オウム真理教」は「みなさんが毎日通っているあの『会社』とまったく同じものだ」という断定のうちにある。

「会社に通う」ということが無意識的な宗教的行為であることに「気づかない」でいるから、宗教が「分からない」のだ。

「資本とは何か」「市場とは何か」「貨幣とは何か」「欲望とは何か」「交換とは何か」「共同体とは何か」・・・といった、おのれ自身の「日常」の基底をなしているはずのものについてのラディカルな問いかけをネグレクトしているサラリーマンには当然にも「宗教は分からない」。逆に言えば、そのような「おのれ自身の基底をなしているものへのラディカルな問いかけ」を怠らないものは、なんであれ「なんだかわかんないもの」の跳梁跋扈に平気でいられることはできない。

「よく分からなくても平気でいられる変なもの」とは、「自分の日常生活のなかにどかんとあるのに、それについて考え出すと面倒だから見ない振りをしている変なもの」のことなのである。

知とは、その「変なもの」を自分に分かる言葉で語りきろうとする意志のことである。

橋本治の書くものはときどき「よく分からない」。

よく分からないけど「平気」ではいられない種類の「わからなさ」がそこにある。

だから、さらに橋本治の本を読む。

こりこり。


4月19日

「均質的であることが嫌いで、多様性が好きだ」とほんの数日前に書いたあとにすぐに前言を撤回するのは定見がなくて恥ずかしいが、よく考えてみたら、私はそれほど「均質的であること」が嫌いではないことに気がついた。

それは今日の朝日新聞の夕刊に青木保さんが「文化の多様性の危機」について書いているのを読んで、「なんか、ちがうな」と思ったからである。

青木さんの書くものはいつも平明かつ独創的で私は好きなのだが、この記事はなんだか消化が悪い。

ここで青木さんは「グローバリゼーションのかけ声の下に急速に世界を席巻しつつある『ファストフード化』の波」を批判している。

こんなふうに。

「これは単に食品のことだけでなく、文化の簡易化・単純化と画一化のことを指す。

グローバル文化なるいい方で世界にひろがってきた文化現象は、コカ・コーラ化、ディズニー現象、マクドナルド化などと称されながら、Tシャツ、ジーンズ、スニーカーに多機能携帯電話にTVゲームとアニメといったポピュラー文化複合としてアメリカを発信源としている。(・・・)世界中どこでも『同じ』にしてしまうグローバル化の激風は、人間の生活文化をマニュアル化し人間存在そのものさえ機械化する。」

これはごく「常識的」な知見であり、中学生くらいでも書きそうなことで、それだけ読めば「あ、そうですか、はいはい、なるほどね」で済みそうだが(TVゲームとアニメの「発信源」がアメリカだというのは違うと思うけど)私がひっかかるのは、この文章に「マクドナルド理論」なるものを批判する言葉が含まれていたからである。

「マクドナルド理論」(なんてものがあることを寡聞な私はもちろん知らなかったが)とは、青木さんの解説によると

「『ニューヨークタイムズ』のトマス・フリードマンのように『マクドナルド理論』なるものを立て、『マクドナルド店のある任意の二国は戦争をしない』と主張するものも現れた。マクドナルドのハンバーガーを食べることが平和のシンボルであり、人権・民主化のバロメーターである、とさえいいたいようである。」

これに私は「かちん」ときた。

私はもちろんトマス・フリードマンなんていうひとのことは知らないし、どういう文脈で出てきた言葉か知らないけれど「マクドナルド店のある任意の二国は戦争をしない」というアイディアには「おおおおお」と胸を衝かれた。

私もなんとなくそんな気がするからである。

およそどのような「おまじない」であれ、「げんかつぎ」であれ、「戦争をしない」ことに役立つ可能性のあるすべてのものに対して私は好意的である。

仮にマクドナルドのライセンス契約のせいで、「あそこと国交断絶すると、チキンナゲットの揚げ粉が輸入できなくなる」とか「フライドポテトの温度計のメンテが来なくなる」とかいう「しばり」があって、マクドを常食したいと切望する国民の圧力に屈して、「マクド関連諸国」とは友好関係を維持せざるを得ないというような国際関係文脈がわずか一筋でもありうるなら、「マクドナルド」の世界平和への貢献はグロティウス、カントのそれに劣るまいと思う。

ま、それほどのことはないにせよ、人間というのは「同じものを食べている」人間に対して、少なからず好意的になる傾向がある。

「同じものを食べる」というのは、単に栄養学的に同種の養分を摂取するから、身体的組成が似てくるというだけでなく、「食べるマナー」全般、すなわち「食べるときの服装」、「食べるときの身体運用」、「食べるときの表情」、「食事中の話題」、「ともに食事をする相手との人間関係のあり方」などなど、無数の領域において「同一化」の影響を及ぼすからである。

だからこそ、人間たちは、「仲間」になるときに「会食」というものをするのである。

それは「同じ言語」でしゃべったり、「同じ音楽」で歌ったり踊ったり、「同じ服装」をしたりするのと類似の効果を持つ。

「会食」が孤立した人間同士の間にある種の「間主観的領域」を形成し、それが「共同体」を基礎づけるひとつの重要なファクターである、というのは人類学上の「常識」である。

文化人類学者である青木さんがそのことを知らないはずはない。

世界の「マクドナルド化」は、別の言い方をすれば、「世界の人々の会食」機会の爆発的増大を意味する。

そこに身体を媒介とした「間主観的領域」が形成されるのは当然である。

だとすれば、それが「二国間の戦争」をドライブする培地となる身体的な違和感をいささかでも減殺するのは論理的には自明のことである。

その心理的メカニズムは、例えば「納豆と、豆腐とワカメの味噌汁と、白いご飯に海苔なんかあると、朝御飯最高ですね」というようなフランス人に私がかぎりない親近感を覚え,「エラース!腐った豆の汁と腐った豆そのものを日本人は毎朝食べるのですか。気持ち悪いですね。げろはきそうですね」の言うフランス人に殺意を感じるのとどこも変わらない。

だとすれば、食文化の「均質性」が確保されることは近代的な国民国家=民族文化の排他性を中和するためには「けっこういいこと」のように私には思える。

もちろん、私とて「じゃあ、世界中の人間は三食マクドだ」というような過激なことを言っているわけではない。(私自身、昨日の晩に「ビッグマックとてりやきバーガーとチキンナゲットとフライドポテト」を食べて胸焼けがしたので、もう当分マクドの顔はみたくない。)

食文化の均質化によって食文化の多様性は傷つけられる、それはたしかだ。

しかし、「食文化の多様性」がもたらす「プラス価値」と「食文化の均質化」がもたらす「プラス価値」を比較計量する、という発想はあってもよい、と私は思う。

「マクドナルド理論」を唱えたフリードマンさんが「マクドナルドのハンバーガーを食べることが平和のシンボルであり、人権・民主化のバロメーターである」とほんとうに言っているのかどうか私は知らない。(言っているとすればバカである。)

しかし、「同じ食物」を共有することは世界の平和にちょっとだけ貢献するかもしれない、という論旨であれば、私にはそれを否定するいかなる理由もない。

青木さんは、いったいどうしてそれが「いけない」と思うのだろう。

マクドナルドのてりやきバーガーを常食したくらいのことで「人間の生活文化」が「マニュアル化・機械化」されると本当に思っているのだろうか。

それが本当であれば、1971年のマクドナルド代々木店開店以来の熱狂的マクド喰いである私はいったいどうなるのであろう。

すでに30年である。

私の身体細胞のかなりの部分はマクドナルドから摂取された栄養素で構築されている。そのせいで、私の思考と感受性はすでにきわだった仕方で「マニュアル化・機械化」されてしまっているのだろうか。

もちろん、その可能性は否定できない。

「マクドナルドを食べたら戦争が回避できるかも」というようなアイディアに共感してしまうことはすでにしてそうとうに「マニュアル化・機械化」が進行した果ての痴呆状態なのかも知れない。

しかし、そういう発想法って、「文化の多様性」を護持せよ、というような「誰も反対しない大義名分」に比べると、どちらかというと「奇矯」だと思う。

「奇矯」というのは、「少数派」のことである。

「少数派」というのは、その知見が「グローバル化していない」ひとたちのことである。

「食文化の均質化のせいでマニュアル化した精神が誰も相手にしない変痴奇論を口走るようになる」という命題は前段と後段が矛盾している。

問題の立て方のどこかに無理があるのだ。

「食文化を均質化すると、人々の思考や感受性にある程度の均質化の影響が出る」けれど、「何から何まで同じになるわけでもない」。私はそう考える。

だから、「均質化によるプラス」の最大値と「均質化によるマイナス」の最小値を計量して、「ま、このへんだわな」というあたりで手を打つというのが心ある大人の態度であろうかと思うのである。

それに、世界各国のマクドナルド食べ歩きを趣味としているウチダに言わせると、それぞれの国で、マクドナルドの味は微妙に違う。

私が食べたいちばん美味しいマックバーガーはバルセロナのそれであった。

パン粉といい牛肉といい焼き方の温度といい、西宮北口の駅構内のバーガーの100倍くらい美味しかった。これをして「食文化の多様性」といったらいいすぎだろうか?(「いいすぎ」だけど)

というところまで書いていたら電話が鳴って「ピーヒョロ」とファックスが届いた。

冬弓舎の内浦さんからで、「信濃毎日新聞」に出た『ためらいの倫理学』の書評のコピーだった。

なんと書評者は加藤典洋さんである。

『ため倫』(@葉柳和則)は加藤さんと高橋哲哉さんの「歴史主体論争」についてのコメントにずいぶん頁数を割いているので、論評された当のご本人がそれをどう思ったかというのは、書いた本人としてはすごく興味がある。

その部分だけを引用すると

「いっておかなければ不当だろうからいうが、わたしの『敗戦後論』にふれた文もある。これほど深く読み込んだ論考に、わたしははじめて出会った。」

こ、これは。なんということであろうか。

書いた本人もびっくり。

そ、そうだったんですか。

そのほか過分なお言葉を頂いてしまったが、恥ずかしいので引用しない。

しかし、本というのは出してみるものである。

ほんとに。


4月18日

朝日新聞の取材があった。

新聞の取材を受けるというのは生まれてはじめてである。カメラでばしばし写真を撮られながら、学芸部の記者の方のインタビューを受ける。

この記者さんは「著者に会いたい」というコラムを担当されていて「どこかに会いたくなるような著者はいないか」と怪しい本を渉猟していたら、「変わった本ばかり置いてある本屋」で『ためらいの倫理学』と目が合って、ことここに至ったそうである。

ありがたい話である。「変わった本ばかり置いてある本屋さん」ありがとう。

たいへんフレンドリーな取材であったが、調子にのっていろいろしゃべり散らしたので、どんな記事になるのかちょっと心配である。

そのときにその記者の方が『アエラ』にいたころ、フェミニズムに批判的な論調の記事を書いたら、社内外でかなりのバッシングを受けたという話をしてくれた。(この記者は女性である。)

とくに「やさしい男性」からの批判が激しかったとのこと。

「ウチダさんは、こういうことを書いて、いろいろ人から嫌われたり(失礼!)することが多いと思うんですけれど、どうして平気なんですか?」という質問を受けた。

そうきかれて、そういえばどうして私は人から嫌われても平気なのか考えたら理由は簡単だった。

「ぼくはとても愛情豊かな家庭で育てられ、両親と兄から『掌中の珠』のようにかわいがられてきました。そして、幼いときに自分のことをまるごと受け容れてくれる親友に出会い、初恋の人に告白したら、向こうからも『好きよ』といってもらったという、たいへんに『めでたい』こども時代を送ってきたのです。つまり『君はこの世にいてよいんだよ。君はみんなに受け容れられているんだよ』ということを生まれたときからずっときかされて育ってきたので、いまさら『他者からの承認』を受けないと存在感が揺らぐ、というようなことはないのです。それは村上龍や橋本治もいっしょで、周囲からたっぷり愛されて育った子どもはオープンハーテッドで『いくら他人に嫌われても平気』なおとなになるのだと思います。だからマジョリティにくっついていかないと『はじき出される』んじゃないか、というような不安をいだいたことがありません。もしぼく一人がみんなと違う意見でも、『ふーん、違うんだ』と思うだけで、それで困ったり不安になったりすることはぜんぜんないのです。」

そう考えてみると、まったく私の育った環境というのはありがたい家庭であった。「しっかりもののお父さん」「やさしいお母さん」「フレンドリーでクレイジーなお兄ちゃん」に囲まれて、私は思い切りわがままに育てていただいたせいで、このような「はた迷惑ではあるが、本人はすごく気楽な」人格になってしまったのである。私がご迷惑をかけているみなさんにはすまないとは思うが、もう取り返しがつかない。

そのあと合気道と杖道のお稽古を終えて、家にもどり、「てりやきマックバーガー」を囓りながらメールを開いたら、驚いたことに二つの出版社から「お会いして出版についてご相談したい」というオッファーが来ていた。

なんだか急に「人気者」になってしまった。

さっそく『おとぼけ映画批評』を本にするというのはどうでしょうかと図々しい「オッファー返し」をかます。

図々しいのは百も承知の上であるが、こんなチャンスは二度とない。

「なんか売り物ないですか?」

「ほい、あるよ。そこの持ってって!まけとくよ!ふたつで50円!」

商売は気合いである。

これもあれもすべては内浦さんという奇特なエディターの冒険的企画のおかげであり、もとをただせば鳴門のロック少年増田聡さんの過激なコピーのおかげである。そして関係各方面にぐいぐいとプッシュしてくださった鈴木晶先生のおかげであり、はっと目を引く華麗なブックデザインをしてくれた山本浩二画伯のおかげである。

ベランダに出て、鎌倉方面、京都方面、武庫之荘方面および鳴門方面に深々と礼拝をする。印税入ったらこんどは画伯もまじえて「バトル宴会」をやりましょうね。


4月18日

新学期早々に配られた女性学インスティチュートのニューズレターに頼藤先生が短いエッセイを書いていた。

「われらの内なるセクシズム」と題されたその文章の中で、頼藤先生はフェミニストにすりよる男たちを「曲学阿世」というずいぶんと大時代的な形容詞で罵倒していた。

うちの大学の男性教員で「アンチ・フェミニズム」を公言しているのは私だけだと思っていたら、頼藤先生も同志だったわけである。すっかりうれしくなって、今度会ったら「頼藤先生も命知らずですねえ」と連帯の挨拶を送ろうと思っていたら、突然の訃報に接した。

このエッセイが先生の「絶筆」かも知れない。

ご冥福を祈りつつ、再録させていただくことにする。

「公の場で書いたり喋ったりする時、ラディカルないしリベラルで、人権至上主義的で、事実上の性差さえ認めたがらない平等主義者の論客というのがいる。それが女性の場合は、まあよくあるフェミニストなんであって、彼女の立場として納得できてしまう。組合員が賃上げを要求したり、電力会社が原発は安全だと主張したりするのと似たようなものだからである。問題は、男性が同様の論旨を言い募り書き散らす場合で、これに二通りある。

ひとつは比較的若い男性に多く、私生活はおろか夢の中まで、およそ性別役割分業感覚がない。仕事・家事・育児・趣味その他、すべて男女平等というより男女等質である。どちらかというと本人自身も、第一次性徴と性染色体以外は男性らしさが顕著でない。これだと首尾一貫しているし裏表がないので、いっそ好感がもてる。いまひとつが曲者で、やや年配に多く、私的なテリトリーに帰ると君子豹変して、『めし、ふろ、灰皿』とか『だれに食わせてもらってるんだ』とかが出る。これは許せん。

誤解しないでいただきたいのだが、このオッサンの正体が男尊女卑のショービニストだから許せないのではない。それならそれで公の場でも呉智英みたいに『わしは封建主義者や』と表明すればいいのである。それをなんぞや、巧言令色、世に阿って学を曲げる。曲げるなら曲げるで、私生活でも女房の下着を洗濯し、隣家の主婦と談笑しながら、それを干すべきである。

さて、わたしはというと、明治生まれと大正生まれに育てられたせいか、古典的なセクシズムが染み込んでしまっている。家内も元帝国陸軍軍曹の娘で、けっきょく専業主婦をつづけている。ずいぶん古めかしい夫婦ということになる。だから口先だけでフェミニズムもどきの言説を吐くのを潔くしない。そして内心ひそかに『男尊女卑思想は、おとこをおだてて木に登らせる女性陣の陰謀イデオロギーではなかったか』と疑っている。家内に問いただしたことがないのは、『ばれたか』と言われたらショックだからである。」

頼藤先生の諧謔にはきびしい批評性がにじんでいる。

それは敗戦の直後に、それまでの軍国主義の旗振りから一夜にして宗旨替えして、「民主主義」の旗振りになった「世渡り上手」な知識人たちに太宰治や大岡昇平や小林秀雄が向けた批評の視線に似ている。

ことの深刻さはずいぶん違うけれど、「世渡り上手」にドミナントなイデオロギーによりそってゆく人々のエートスは変わらない。

功利的な動機からフェミニズムによりそい、「セクシスト」退治のキャンペーンにぞとぞろつきしたがっている人々は、スターリン主義の時代に隣人を密告し、文化大革命のときに隣人に「三角帽子」をかぶせて唾をはきかけ、軍国主義の時代に隣人を「非国民」と罵った人々とエートスにおいて同類である。

私や頼藤先生が嫌悪しているのは、フェミニズムではない。「勝ち」のイデオロギーに便乗して一稼ぎしようとする貧乏くさい「曲学阿世」の人々である。

その心根の卑しさは彼らがフェミニズムが衰退する日にどれほど素晴らしい逃げ足でフェミニズムを棄てるか、どれほど憎々しげにフェミニズムを罵倒するか、それを見ればあきらかになるだろう。(その日はじきに来る。)

そして、私はそのときにこそ「フェミニズム断固支持」の旗をかざすことになるだろう。

頼藤先生が生きておられたら、そのときにはきっと先生も「フェミニズム?いいじゃないですか。すばらしい思想ですよ」と潔く言い放ったに違いない。なぜなら、そのエッセイの最後のパラグラフで頼藤先生は「古めかしい夫婦」のあいだにも不可視の権力関係が潜在すること、そして配偶者のなかにわだかまる他者性について、「男」は「問うことができない」ということを正しく言い当てているからだ。そして、この二つこそフェミニズムがもたらした真に価値ある知見だからである。


4月12日の日記のはなしのつづき(長いから興味がないひとはとばしてね)

先日小谷真理vs山形浩生の裁判について短いコメントをしたら、やはり各方面から「ちょっと」というご注意のメールが届いた。

まず最初は情報源の鈴木先生から、この裁判は単なるペンネーム云々の問題ではなく、性差別の問題にかかわるものですから、そのところをきちんとしていただかないと、というご注意を頂いた。

そしたら、次は被告の山形浩生さんご本人から、裁判の経緯についてちゃんと調べてから書いていただかないと、というご注意を頂いた。(これはびっくり。まったくどこで誰が読んでいるか分からない。うかつなことはできません。)

当事者からまでご注意頂くということになると、あまり適当なことを言い散らして逃げ出すわけにもゆかなくなった。

これは少し腰を据えて考えてみよう。

さっそく鈴木先生と山形さんにご教示頂いたあちこちのウェブサイトを渡り歩いて、この裁判についての記事を読む。

まずことの経緯を説明しておこう。(以下、登場するみなさんの敬称は略させていただきます。ご了承下さい。)

1997年11月、メディア・ワークス社は「オルタナカルチャー」についてのレフェランスブックを編集したが、その中で小谷真理の書いたエヴァンゲリオン論を山形が厳しく批判したのである。まあ批判というよりはほとんど「罵倒」である。ことの発端になったテクストだから、それをまず読んでみよう。

「そもそも小谷真理が巽孝之のペンネームなのは周知で、 ペンネームを使うなら少しは書き方を変えればよさそうなもんだが、そのセンスのなさといい (名前が似ているとか年代が同じとか、くだらない偶然の一致を深読みしようとして何も出てこないとか)、引用まみれで人を煙に巻こうとする文の下手さといい、まったく同じなのが情けないんだが、まあこれはこの種の現実から遊離した似非アカデミズムに共通した傾向ではある。

似非アカデミズムというのを説明すると、たとえばフェミニズムはそれなりにパワーを持っていた。それは社会を変えるという意味でのパワーね。だからこれは本物。でも、フェミニズム「批評」なんかに何の力もないのだ。だからこれは似非なの。具体的にいえばだね、もしエバゲ (『エヴァンゲリオン』) を云々したいなら (でも、何が悲しくて?)、そこに西洋文明が隠蔽した二項対立構造が存在していることを指摘したってしょうがないのよ。だってそれは、もし存在するならあらゆるところに存在するはずのものなんですもの。それがエバゲにあってどうだっての? 社会はそんなことをしてほしくてあんたらを飼っているわけじゃないんだ。

そもそも「二項対立」云々なんて議論の価値は、それが現実の人間のありようを整理できるとか、説明できるとかいう部分にしかない。そのための知的枠組みなのだもの。

検討するなら、「この理論はここまで現実に適用できます」「こういう条件では適用できません」というのを、定量的にとは言わないまでも、何らかの形で示さないと。さもないと他人のふんどしで相撲の真似ごとをするだけの痴話饒舌にすぎない。

エバゲを論じたっていいんだ。二項対立でも別にいいや。 でも、くだんないのがそのやり方なのよ。二項対立がエバゲにあることを指摘したってダメなの。それがエバゲを通じて、現実にどのようなインパクトを与えているか示さないと。またもや具体的に言えばだね、価値があるとすれば、その「二項対立」とやらをどう料理することによって大衆的な人気が生じているのか、という部分の分析なわけ。それをどうすれば移植できるのか、というのを分析しなきゃ。

これは現実的に価値と力を持つ分析になる。経済的にも社会的にも。」(以下略)

 

ずいぶんと痛烈な罵倒である。

私は小谷のエヴァンゲリオン論を読んでいないから、この批評の当否については論じられないけれど、この口調でどやしつけられては、ふつう誰でも怒るだろう。(私なら歯ぎしりして、ただちに呪殺を試みるであろう。)

しかし、この文を読む限りでは、「そもそも小谷真理が巽孝之のペンネームなのは周知で」という冒頭の振りは「意地の悪いジョーク」以上のものではないように思う。

「そもそも」と「周知」というのは、「読者を限定するためのツール」である。

それについては前に日記に書いたからもう繰り返さないけれど、テクストは必ずその冒頭に「そのテクストが誰に宛てたものか」を明記する。この「ジョーク」は「小谷真理の書くものに対しての山形の批判を共有するであろう一部の読者」を選別するために機能している。

だから、「何言ってんだ、この人?」と思った読者(例えば私)は、「ああ、このテクストの宛先は私ではない」ということがすぐに分かる。(だから、たぶんその後の文章も読まない。)

もちろん小谷真理の名も巽孝之の名も知らない読者が読んだら「へー、そうなのか」と思う可能性はあるけれど、そのような知的準備を欠いた上で「オルタナティヴ・カルチャー」などという本に手を出すほど身の程知らずな読者はあまりいないと思う。(いるのかも知れないけれど、いたとしたら相当に情報感知力とファイリング能力に欠けた人だから、きっと一分後には二人の名前を失念しているだろう。)

この「ジョーク」を除くと、あとの批判は「口調がひどくきつい」というだけで、別に際立って反社会的な言辞だとは思えない。

それに対して、小谷を含む人々は次のようなロジックでその行為の犯罪性を批判した。原告側の「マニフェスト」は英語で書いてあるので、肝心なところだけ翻訳してみる。

マニフェストの主体はAssociation for Defending Female Authorship (女性著作権擁護協会)という組織である。

「『小谷真理』とはその夫の仮面であると誤記し、女性である書き手が男性であるかのように故意に誤伝することによって、被告はその女性差別を露呈し、原告からその固有名と同時に発言の権利をも奪い去ったのである。この訴訟はまさしく女性差別の文化的な歴史をみごとに際立たせている。その歴史の中で、超反動的な家父長制は多くの女性アーティストとその芸術作品を執拗に抑圧し、侮辱し、過小評価してきたからである。ファロス中心主義的ヘゲモニーはこの種の差別を実に巧妙に自然化しているので、被告を含む一部の人々は彼らの個人的な偏見がセクシスト的言説の完全にステレオタイプであることを認識できなくなっているのである。

1980年代から90年代にかけて、アメリカのフェミニスト批評はこのようなセクシュアル/テクスチュアル・ハラスメントにかかわる理論を練り上げてきた。例えば、高名なフェミニスト批評家であるジョアンナ・ロスの『女性のエクリチュールはいかにして抑圧されているか?』の第三章はつぎのように始まる。『女が何かを書いたらどうすればいいのか?最初の防衛線は彼女がそれを書いたことを否定することだ。女には書けないはずだから、それを書いたのは他の人間(男性)に決まっている。』

ロスの本は小谷真理の90年代の経験を先取りしているばかりか、男性性の文化的政治にどっぷり浸かっているセクシュアル/テクスチュアル・ハラスメントの歴史を活写している。」

 

山形の書いたものについての直接的な言及は最初の一行だけである。あとは、テクストの「内容」ではなく、そのようなテクストを(おそらくは無意識に)書いている山形(をふくむ some people)の「超保守的な家父長制」的思考と「セクシスト的言説」と「ほとんど不可視の家父長的偏見」に照準している。

この「マニフェスト」はフェミニズムの「プロパガンダ」としては標準的なものであるけれど、民事事件の裁判の基礎資料としてはきわめて奇異なものであるように私には思われた。

その理由を述べる。

第一は、ここでは二つの別の問題がひとまとめに扱われているからである。

「小谷真理は巽孝之のペンネーム」という「誤記」の訂正を求めるというのは「事実関係」の問題である。

「誤記」というかたちで「定型的な罵倒」を山形を書かしめた(と小谷たちが考えている)「家父長制」というイデオロギーとの戦いは「思想」の問題である。

このふたつは水準の違う問題であり、同日に論じることができない。

名誉毀損というのは基本的に「事実関係」に即して議されるものであろう、と私は解釈している。(どれほどひどい罵倒であろうとも、それが「事実」に即しているのであれば、「名誉毀損」は成立しない。)

だから、小谷が「小谷真理は巽孝之のペンネームではない」という事実について「誤記」をした山形に「訂正して謝れ」と訴えるのは民事裁判になじむ論件だろうと思う。

けれども、山形をしてそのように書かしめた「無意識的な構造」についての批判は法廷で論じることはできないだろう。

それはすぐれてイデオロギー的な論件だからである。どれほど悪辣なイデオロギーであろうとも、「イデオロギーそのもの」を法廷に引き出すことはできない。法廷で審理されるのは、「違法行為」だけである。

かりにナチズムの熱狂的な支持者がいたとして、彼が「ユダヤ人の大量虐殺」を「心から切望していた」というだけでは罪に問うことができないのと同様である。

セクシズムはひとつのイデオロギーである。それがどの程度「犯罪的」であるにせよ、「セクシストであること」それ自体は犯罪を構成しない。

私はそのように法律というものを理解している。

もし法律が「ひとの心の中」まで裁けるということになったら、「心の中」を判定し制裁する国家権力装置が存在することになったら、私たちの世界はたいへん住み難くなるだろうと私は思う。

これが第一点。

これについては被告側の方ははっきりと事実関係だけに争点を限定しているように見える。というのは、この訴えに対して被告側はすぐにあっさりと「謝罪」しているからである。

謝罪文は次のようなものである。

「小谷真理氏と巽孝之氏が私生活においては夫婦であるが、全くの別人物であるにもかかわらず、小谷真理氏の文章からは、あたかも両者が同一人格であるかのような、巽氏との類似性が感じられる、という認識(この認識は、ひとり山形だけのものではなく、ある程度広まった認識であるとも考えています)を誇張するため、執筆者・山形浩生があえて文章上のレトリックとして書いたものです。

もちろん、山形浩生及び『オルタカルチャー日本版』編集部は、「小谷氏と巽氏が別人である」ことを承知しており、このことが広く『オルタカルチャー日本版』の読者諸氏にとっても周知のことであるという前提の基に、指摘を受けた箇所は当然レトリックあるいは諧謔的な表現として読者に理解されるであろうと考えておりました。

しかしながら、指摘された文章を読んだ読者が「小谷氏と巽氏が同一人物である」と誤解する恐れがあるという小谷氏の指摘に対し、確かに、その可能性は否定できません。すべての読者があの文章をレトリックと取るとは限らない、というところまで配慮が至らなかったのは私たちの不注意でありました。

小谷氏より指摘を受けた時点で、当WEBに掲載していた「小谷真理、およびそれを泡沫とするニューアカ残党似非アカデミズム」の項の全文及び「SF」の項の一部を削除し、また『オルタカルチャー日本版』の出荷を停止するなど(現在、指摘を受けた問題箇所を差し替えた改訂版を出荷しています)順次可能な限りの対応策を取りながら、小谷氏と和解すべく交渉を続けてきました。

しかし、今般、新聞等で報じられたように、和解条件で合意にいたらず、小谷氏は損害賠償等を求める提訴を行われ、現在係争中です。

私たちは、今後も和解を求めて交渉を続けたいと考えていますが、まずは当WEB上において、ご迷惑をおかけした小谷真理氏をはじめとする関係者並びに読者諸氏に対し、お詫び申しあげると共に、これまでの顛末を報告する次第であります。」

 

この謝罪がどれほど「衷心からのもの」かどうかはよく分からないけれど、とにかく「事実と異なること」を書いてしまったことについては謝罪して、本も回収していた以上、これ以上問責することは法律には不可能であるように私には思われる。

そのような「迷惑な行為」を「氷山の一角」とする巨大なイデオロギーの鉱脈を摘抉しようと望むのであれば、それは「言論の仕事」であって、「法律の仕事」ではない。

あるいは原告側は、「法廷闘争」という世間の耳目を集める場を設定することで、「言論」の水準で展開されたのでは看過されてしまうおそれのある重要な論戦にむけて、社会的関心を高めることを狙ったのかも知れない。しかし、私は法律の「功利的利用」という発想はあまりよいことだと思わない。

私が「マニフェスト」を受け容れられない第二の理由は、これが私には熟知された「構文」で書かれているからである。

このマニフェストの中の「女性」を「プロレタリア」に、「家父長制」を「ブルジョワジー」と書き換えれば、これはスターリンや毛沢東の文化官僚たちが1950年−60代に書き散らしていたマルクス主義文化論とまったく同一の構文である。

「女性」を「植民地の被抑圧者」に、「家父長制」を「植民地主義」に書き換えれば、60−70年代の第三世界論と同一の構文である。

そのような文化論・歴史観がどれほど多くの暴力の培地になったのかということとはとりあえず措くとして、「実に巧妙な仕方で差別を隠蔽しているファロス中心主義的ヘゲモニー」を告発している当の文章が、「無垢なるものたちと邪悪なるものたち」の二元論(それを私は「差別」discrimination という語の本来の意味だと思う)というほとんど「古代的」な政治文法に領されていることに「気づいていない」ことに驚くのである。

他者の思考の「イデオロギー性」や「定型性」をあばくことは決してむずかしいことではない。困難なのは、おのれの思考のプロセスを領している、おのれの「条理」にまぎれこんでいる欲望とドクサを検出することである。

その基準に照らしたとき、この「マニフェスト」の執筆者たちは、「イデオロギーを検出するときのみぶりのイデオロギー性」「定型的思考を批判するときの語法の定型性」というものの危険性にあまりに無自覚でありすぎるように私には思える。

それでは「堂々巡り」にしかならない、ということにどうして気がつかないのだろう。

そこから脱出することがどれほどむずかしいか私にはよく分かる。(私だって、同じことばかり何百回も書いている「自分の思考の定型性」にはうんざりしているから)

だから、「できない」ことを難じているのではない。

「できない」のは仕方がない。ものすごくむずかしいことなんだから。

でも、「しようとしない」のは問題だと思う。

長くなったので結論をつける。

個人的には山形の書くものに共感を覚え、「マニフェスト」には鳥肌が立った。

もちろんそういう私を「セクシスト」に分類して、山形と「ひとからげ」に批判するひともいるだろうが、しかたがない。私は「セクシスト」ではないけれど、そう呼びたければどうぞ。


4月16日

ひさしぶりの「まるオフ」日曜日。

ゆっくり朝寝をして、メールチェック。共同通信用のエッセイを一つ書く。(700字書くのって、ほとんどコーヒー一杯飲むあいだの仕事である。こういう仕事が毎日あったら、左うちわで暮らせるのであるが)

朝日新聞の学芸部から電話。読書欄の「著者に会いたい」の取材をしたいというオッファーがある。

おお、ついに『ためらいの倫理学』が朝日の読書欄に登場だ。

全国紙の書評にでると、売れ行きがぐんと違いますと冬弓舎の内浦さんが前から言っていたので、これはありがたい。

しかし「書評」ではなく「著者インタビュー」というのは、どういうことであろう。

「この本を読みたい」ではなく「この著者に会いたい」というのは、「こういう本を書くのはどのような怪しい人物であろうか」という猟奇的関心が書物のメッセージよりも優先的に配慮されているということを意味しているのであろうか。

しかし、ここで断言しておかなければならないが、私はけっして「怪しいもの」ではありません。

私は「フツーの人」である。

私がいささか標準から逸脱している点があるとすれば、それは私が「過度にふつうの人」だということである。

読者の方から送られてくるメールには、『ためらいの倫理学』はごく「まっとうな」ことを書いた本だ、という感想が多い。

「内田氏の考え方に、多く得心いたします。カミュやレヴィナスも含め、私にとっては、『ためらい』が言葉になっていた初めての本です。」(読者の大庭さんから)

こういう感想はうれしい。

というのは、私は「ふつうの市井のひとのふつうの感覚」のもつ批評性を信じているからである。

「それって、ちょっとおかしいくない?理屈はそうかもしれないけど、なんか腑に落ちないよ」という身体的な批評性を私は大事にしている。

その「ひっかかり」が何に由来するのか、その抵抗感には何らかの汎通的な根拠があることなのか。それについてごちゃごちゃ考えている私の思考のプロセスそのものを言語化すること。

私がやっているのは、それだけのことである。

そこにはほとんど「オリジナル」な要素はない。

だって、そのような懐疑をも含めて、私の思考や感受性はまるごと歴史的に規定されているからである。

私はおよそ「オリジナリティ」と縁遠い人間である。

私の読む本も、聴く音楽も、愛でる芸術作品も、美味しく思う料理も、お洒落に感じるファッションも、乗りたい車も、尊敬する哲学者も、一つとして「私だけ」のものなんかない。すべてはしかるべきサイズの「マーケット」で、しかるべき代価を支払えば、どなたでも手に入れることのできる「定番」グッズである。

私は頭からしっぽまで「ふつうのひと」である。

だから、「ふつうの人」である私の偏見や好悪を腑分けすれば、私にそのように「感じさせ」「思考することを強いている」汎通的な構造が逆照されるはずである、というふうに私は推論するのである。

もしも、「私はかわりもんである」という前提から出発し、「トラウマ」とか「階級性」とか「エスニシティ」とかによる説明をぜんぶ排除した場合、そこからは、「私の偏見や好悪はオリジナルなものであって、それ以上の分析や解釈を受けつけない」という終点に直行するほかない。

「いやなものはいやなの」

と言われたら、「あ、そう」としか言いようがない。

しかし、汎通性を持たない好悪や嗜癖は批評性を獲得できない、と私は思う。

というわけで、(長い話になってしまってすまない)私は「ふつうの人」であり、「著者に会いたい」と言われるのはありがたいが、会ってもあまり面白くないですよ。


4月15日

金曜日に授業がないという時間割はこの11年間ではじめてである。(ずっと金曜日の1限に語学ゼミというコマが入っていた。)

午後は教授会があるので、金曜日というのは、ときによると朝8時半から夜9時まで学校にいないといけない日だったのである。

授業がなくなったので、夕方教授会にだけ行けばいいことになった。

さっそくのんびりとお掃除、洗濯、アイロンかけ。そして講義ノートなどを作る。

ともだちが遊びに来たのでいっしょにお昼を食べに行き「トンカツとラーメン」を食べる。げふ。

その足で教授会に直行。

新学科長の上野先生は「会議は短いのがよい」というたいへんに素晴らしいご意見の持ち主で、午後6時には必ず終わらせると開会宣言をした。

たいへんよいことである。

繰り返し書いているとおり、会議が長引くのは「長く話す人」がマイクを離さないからである。

なぜ「長く話す」かというと、「自分の言っていることの趣旨が聞き手にちゃんと伝わっていない」というふうに感じているからである。

それゆえ委曲をつくし、レトリックの限りを動員して、聴衆の「啓蒙」にこれつとめるのである。

しかるに、その人の意見に対して嵐のような同意の拍手がわき上がらないのは、たいていの場合、聴衆がその意見の内容を「理解できない」からではなく、その意見に「反対」だからである。

人々が自分の意見に「反対」である、という事態はたしかに受け容れにくい。

それを受け容れるためには、自分の意見が「誤っている可能性」を吟味しなければならないからである。

自分が誤っているる可能性を吟味するよりも、「人々は自分の意見を理解できないほどに愚劣である」という解釈を採択するほうが知的負荷ははるかに少ない。

おのれの知的負荷を軽減するために、この人たちはえんえんと語り続ける。

困ったものである。

会議を速く進めるのはむずかしいことではない。

(1) 質問・疑義に答弁する場合を除いて、議事一件につき、一人の発言機会は一回に限定する。

(2) 一事不再理。(少なくとも過去2年以内に同一機関で採決された案件は蒸し返さない。)

(3) 自分が欠席した会議での議決事項について趣旨説明を求めたり、異議を唱えたりすることはしない。(自分で欠席しておいて「私はそんな話は聞いてない」といって会議の席で怒り出す人がいるのである。そりゃ「聞いてない」だろうよ。いなかったんだから。)

この三箇条だけでもきちんと守れば、会議は劇的に短縮されると私は思う。

言い換えると、会議を長くする秘訣は、

「自分が欠席した会議で決定されたことを蒸し返して、ながながとしゃべる」

ことなのである。だが、これを得意技とする人がうちの大学には何人もいるのよね。とほほ。

土曜日は「お稽古三連荘」。

午前中外科で膝の様子を見てもらう。

まだ痛みが引かないので、来週精密検査を受けることになる。

その足をひきずりながら合気道、杖道、能のお稽古。

連続6時間。さすがに、だんだん膝が腫れて痛んでくる。

「むりして稽古することないじゃないですか」

とみなさんおっしゃる。

そうですね。はい。反省してます。

舞囃子のお稽古を終えて家にもどり、お風呂に入り、冷たい白ワインを飲んでようやく「ほっこり」する。

ふう。忙しい一週間でした。

明日はお休み。ゆっくり眠って、それから梅田に買い物。芦屋川で散髪。夜は村上龍の新作でも読もう。

4月12日

鈴木晶先生のホームページに小谷真理が山形浩生を名誉毀損で訴えた裁判の話が出ていた。

なかなか興味深い裁判である。

鈴木先生の解説をそのままペーストさせていただくと。

「どういう裁判かというと、山形氏がある本に、おふざけで『小谷真理というのは巽孝之(小谷さんのご主人)のペンネームなのだ』と書いたのだ。それで小谷さんが名誉毀損で告訴したのである。

ジョークというのは、面白くなくてはならない。『小谷真理の文章は旦那さんの文章とよく似ているねえ』と書いたのでは面白くないから、『じつは二人は同一人物なのだ』というジョークを書いたのであろう。たぶん書いた本人は『ふふ、われながら、なかなか気の利いたジョークだ』とご満悦だったにちがいない。小谷さんが読んだとしても、『笑って許して』くれると思ったのだろう。でも、それは甘かった。

ネタにされた小谷さんは『笑ってすませられる問題ではない』と思った。これもよく理解できる。自分の名前がご主人のペンネームだと言われてしまったということは、つまり自分の存在を抹殺されてしまったわけである。笑い事では済まされない。」

興味深い裁判だ、というのは、実は私にはどうしてこの人が「笑い事で済ませて」くれなかったのか、よく分からなかったからである。

人はどういう場合に、自分の名が誰かのペンネームだと言われることが「自分の存在の否定である」というふうに感じるのであろうか。

ちょっと、それを考えてみよう。

もし私が「内田樹というのは、エマニュエル・レヴィナスのペンネームだ」と言われたら、どう感じるであろうか?

私は欣喜雀躍手の舞足の踏むところを知らぬであろう。

あるいは「内田樹というのは、橋本治のペンネームである」でもいい。

私は決して、「名誉を毀損された」というふうにとらないであろう。

なぜか。

だって、私より「才能のある人間」と同一視された、ということは、私の書き物にもけっこう「みどころ」がある、ということだからだ。

私が怒るとしたら、それは「私よりバカなやつ」と同一視された場合だけである。

その場合であれば、私は「自分の存在が否定された」と思うだろう。

小谷真理さんが巽孝之さんを「自分よりはるかに才能のある人」と思って畏敬していた場合、彼女は名誉を毀損されたと思ったであろうか。

考えてみたが、よく分からない。よその夫婦の話だからね。わかんないよ。

ただ、なんとなく、夫のことを深く畏敬していた場合、夫と自分が同一視されたことが「名誉毀損」に当たる、というふうな言葉使いは出てこないのではないか、という気がする。

まあ、いまの世の中で、夫のことを畏敬している妻などというものはほとんど「佐渡の朱鷺」くらいに珍しい生物だから、小谷さんがそうでなくても、別に不思議はない。

だが、逆の場合はどうであろう。

「巽孝之というのは小谷真理のペンネームである」と書かれた場合、彼女は名誉毀損で訴え出るのであろうか。

そういうことはしなさそうな気がする。

というのは、その場合、「小谷真理」は「小谷真理」名義と「巽孝之」名義の双方のテクストの著者として認定されるわけだから、その存在は単に同一視されたのではなく、ちゃんと固有名として(オーヴァーレイト気味に)認知されたことになるからである。

オーヴァーレイトされて怒る人はあまりいない。

ところで、その場合、「存在を消された」巽さんはどう出たであろうか。

やはり名誉毀損で訴え出ただろうか。

なんとなく「ま、いいんじゃないの。はは。なんだよ、おれはヴァーチャル・キャラクターか。ははは」というようななげやりな態度をとったのではないか、というような気がする。

「気がする」だけですけど。

その場合、巽さんの「ははは」を支えるのは何なのであろう?

彼が自分の社会的プレスティージは「たちのわるいジョーク」くらいではまるで「毀損」されないほどの堅牢である、と信じることのできる根拠は何なのであろう?

おそらくここに「性差」の問題が出てくるのであろう。

ややこしい問題である。

しかし、これ以上書くと、関係各方面から罵声が寄せられそうなので、話題を変えよう。

一般論をしよう。

「夫」とセットで扱われること、「・・・さんの奥さん」と呼ばれたりすることに、「自立した女性としての存在」を否定されたと感じて、名誉を毀損されたと受け取る女性は多い。(だから「ミズ」というような敬称が使われたり、夫婦別姓が行われたりするのである。)

自分は誰かの「付属物」ではない。私は私だ。

なるほど。そうだね。

しかし、私はときどき「誰かの付属物」として呼称されることがあり、それは場合によっては、私の社会的立場を示す上でたいへん有用な情報を含んでいる。

私は「るんちゃんのおとうさん」と呼ばれることがある。(私はるんちゃんの通っていた保育園の「保護者代表」として創立以来はじめて「答辞を読んだ父親」であるが、父母たちはひとりとして私のほんとうの名前をしらなかった。)

「卓爾さんとこの次男さん」(卓爾というのは私の父親の名前である)というような紹介のされかたを親族のあいだでされることもある。

「多田宏先生の弟子」というのは武道界においては私が自分の名前をなのるより、はるかに武道家としての私について多くの情報を伝える。

「レヴィナス先生の弟子」という自称もしているが、もちろんこれも「虎の威を借る」タイプの名乗りの一種である。

そのほか、さまざまな場面で、私は固有名よりもむしろ、「・・・の・・・」という帰属関係を称している。

その方が「話が速い」ことが多いからである。

だから、話がそれで速く片づくなら、どう呼ばれようと、私はまるで構わない。

しかし、私のかつての妻は私の知人たちから「ウチダくんの奥さん」と呼ばれるとこまめに訂正を求めた。しばしばその訂正要求は怒気をふくんでいた。

「私にはちゃんとした名前があるんだから、それを呼んでください!」

でも、私が彼女の友人たちから「サエコさんのだんなさん」と呼ばれるときには一度も訂正をもとめたことがなかった。

どうしてなのであろう。

よく分からない。まあ、すんでしまったことだ。どうでもいいや。

とにかく世の中には「配偶者とユニットで扱われること」「配偶者との帰属関係で呼称されること」に対して激しい怒りを感じる女性が多いということ、その怒りには歴史的正統性があるという主張がひろく受け容れられていること、これは事実である。

そのような怒りは当然にも「夫婦以外のひとびと」に向けられているわけであるが、その怒りでいちばん深く傷ついているのは、実は「となりにいる人」だ、ということにご本人は無自覚であることが多いということ、これもまた事実である。


4月11日

夜更かしなので、朝がつらい。

朝がつらいといっても8時間は寝ているのである。

どうして夜10時に寝て、朝6時に起きるのと、夜1時に寝て朝9時に起きるのでは、起きたときの頭の冴え方にこれほど違いがあるのだろうかとしみじみ考えたが、当たり前であった。だって10時から1時までずっと飲んでるんだもの。

今日から、私は午後11時にはおとなしく就寝することにした。そして朝7時におきて、朝飯前にレヴィナス論を毎日5枚書くのである。

約束したからね。Vous avez ma parole.(おっと、新学期になってフランス語の授業がはじまったので、フランス語思いだしちゃったよ。せっかく忘れていたのに)

昨夜はポール・トーマス・アンダーソンの『マグノリア』を満喫。レビューはこちら


4月10日

いよいよ新学期が始まった。

初日は大学院、フランス語初級、専攻ゼミ(I)。

大学院への新入生たちと、大学への新入生たちと、ゼミへの新入生たちを迎える。

いずれも「期待に胸をふくらませて」いる若い人たちであり、最初の授業は、彼女たちにとってしばしばその後の教育期間を通じての態度を決定する「刷り込み」の機会である。

ここで「なんだ、大学ってくだらない」と思われたら一巻の終わりである。

それは私一人の範囲を超えて、他のすべての先生たちの授業にまで色濃く批判的な気分を投げかけてしまう。ひいては、大学の声望を損ない、志願者の減少をもたらし、大学の危機を招来しかねないのである。

というわけで、今日はねじをきりきりと巻き上げて、ハイテンションで教場に臨む。気分はマジソン・スクエア・ガーデンの袖から舞台に駆け上がるミック・ジャガーの「つもり」である。

大学院は「戦う身体・舞う身体」。

武道的な身体技法については、私ひとりでも話したいことが50時間分くらいあるし、鬼木先生をお呼びすれば話は尽きないから、ネタに不足はしないのであるが、舞踊についてはほとんど何も知らない。

しかし、「秘密兵器」として、鈴木晶先生と小林昌廣先生という「舞踊」系に強いおともだちがいるので、彼らに「ゲストスピーカー」として来て頂いて、バレエや舞踏についてはお話しいただくことができる。これで一安心。

というわけで、「助っ人」が控えているので、気楽なものである。

今日はイントロダクションとして「身体論の基礎」について話す。

「基礎」と言ってもべつにきちんと体系づけた知見があるわけではない。

「お、明日から授業か。しまった、何も準備していない。」

というので、昨日の晩にカティサークを呑みながら、あわてて打ったのである。

しかし、呑みながら書いたにしては、なかなか面白いので、再録することにした。

 

1・身体技法にはいくつものシステムがある。宗教儀礼のための、労働のための、遊戯のための、闘争のための、社会的態度や社会集団への帰属を示す身体記号としての、そして表象芸術としての・・・

あえて区分を試みれば、身体が単純にその使用価値に即して功利的に利用される場合と、身体運用が差別化の指標として使われる場合に区分されるだろう。

あるいは「モノとしての身体」と「記号としての身体」の区分と言い換えてもいい。

2・身体をその使用価値に即して利用する局面として私たちが思いつくのは、「戦争」と「売春」と「カニバリズム」である。

そこで、身体は「消耗品」として、「代替可能なもの」として、「消費」される。

私たちはそれを「身体のモノ的使用」と名づける。

3・その対極に身体の「象徴価値」が主であるような局面というものも存在する。

それは身体「そのもの」ではなく、それと他の身体(運用)とは、あるシステムのうちでどのように示差的か、という問いがきわだって前景化するような局面である。

身体そのものではなく、ある身体と別の身体の「差異」が第一次的に重要であるような局面である。

私たちはそれを「身体の記号的使用」と名づける。

4・宗教儀礼や礼法や日常の社会的な場で要求される規範的な身体操作は「記号的」な身体運用である。

そのうちでもっとも身近なのは、ある種の社会集団への帰属を示す身体運用である。

ある社会集団に固有の身体の形態や、身体操作の作法が存在する。(ヤクザにはヤクザの、営業マンには営業マンの、おばさんにはおばさんの)

それはソシオレクト(社会的方言)や、モードと同じく「差異化」の機能のためのものである。

5・私たちがしつけや学校教育をつうじて受ける身体運用の訓練は、「身体そのもの」の器質的な強化や効率化だけではなく、むしろ「身体の記号的な使用」の習得、つまり「社会的身体」の形成をめざしている。

6・身体訓練の最初は「排便のしつけ」である。

なぜ、人間はあらゆる身体訓練の最初に「排便のしつけ」を行うのか?

理由は簡単である。「排便のしつけ」は「自我」と「自我の一部であるが、自我ならざるもの」を分節する最初の営みだからである。

私と私の排泄した便は「べつもの」である、という認識を媒介として、幼児は「自我/非自我」「コスモス/カオス」「内部/外部」という「世界の分節」を了解することになる。

7・汗、髪の毛、唾、贅肉、体臭といったものはすべて「自我と非自我」、「身体と非身体」の臨界に出現するものである。これらに私たちは異常な嫌悪感を示すのは、それらが即自的に「不潔である」からではない。(私たちはそれが身体から剥離する直前までそれらを「汚い」というふうには意識していない。それらが「汚い」ものとして認識されるのは、質的な変化によってではなく、それがもはや「自我」に属さないものだからである。それらが「境界の指標」だからである。

境界の指標の機能は一つしかない。それは「過剰に意識される」ということである。

8・ダニエル・ブーン、ポール・バニヤン、デビー・クロケットなどアメリカ開拓時代の伝説的巨人たちは、単に物理的に巨大であっただけでなく、けたはずれの「パーソナルスペース」を保持していた。ダニエル・ブーンは彼のミシシッピの家から100マイル離れたところに「ヤンキー」がやってきたとき、「人が多すぎる」といってさらに奥地に逃げてしまった。つまり、ブーンのパーソナルスペースは半径100マイルの円だったのである。

9・「体臭の届く範囲=パーソナルスペース」と考えると、私たちが人を罵倒するときに「臭い」という言い方をする意味が理解できる。それは物理的に臭覚が刺激されているのではなく、「おまえはおまえに割り当てられたパーソナルスペースからはみだしている」という、社会的態度の「侵犯性」に対する非難なのである。

10・だとすると「デオドラント」社会がなにを目指しているのかも自明である。それは「パーソナルスペースの縮減」を私たちに要求しているのである。

「もっと自我の領域を狭隘にしろ」と要求しているのである。

11・それは贅肉が敵視される「ダイエット社会」にも通じている。「贅肉」とはその語義からして「自我の一部として認知されなくなった身体部位」のことである。つまり、贅肉は、確かに物理的には私の一部を構成しているにもかかわらず、文化的には「非自我」として、私の「外部」に(脱落した髪の毛や、糞便や、唾や、垢や、体臭と同じように)カテゴライズされているのである。

12・「身体そのもの」というのは即自的には存在しない。というのは、身体と非身体の境界は歴史的、場所的な擬制だからである。

13・かかる擬制に基づいて、私たちは世界を分節している。「身体的に分節されないもの」は、私たちの世界経験に「事象」としては認識されない。そして、その分節の原基となる「身体」は物理的実在ではなく、「歴史的概念」なのである。

14・「肩凝り」というのは、日本独自の「病気」であるとは小林昌廣先生の研究の結論である。

それは二つのことを意味している。

一つは「肩が凝る」という病識が有意でない社会集団では、「肩凝り」というものは出現しない、ということ。(もし「肩」という身体部位を言語的に分節しない社会があれば、その社会には「肩凝り」は存在しない。それと同じ身体的苦痛は別の表現をとるだろう。「首が痛い」とか「背中が痛い」とか)

第二に、「肩凝り」は「身体的痛み」にとどまらず、「社会的な圧力を受けて、それに耐えている自分の立場の苦しさ」を表明することができる。

それは、身体的な痛みの表白であると同時に、「過剰な社会的責任を負わされていること」への不満の表明である。だから「ああ、肩が凝った」という発言は、「たいへんですね」「ご苦労様」といった、「いたわりと感謝のリアクション」を暗黙のうちに要求しており、期待されているリアクションは「じゃあ、整形外科に行ったら?」ではない。

15・日本人は「肩に重荷を負う」。だから、「重荷」の重圧へひとびとの意識を集中させるためには「肩が凝っている」という病識の表明は有意である。

アメリカ人は「背中に重荷を負う」(carry a burden on the back) 。だから、彼らは社会的重圧に耐えているとき「背中が折れる」(break my back) と言う。

16・キューバ危機のとき、ニュース映画で、私は戦争で受けた背中の古傷が痛みだして、杖につかまって歩いているケネディ大統領がヨットから下りてくる映像を見た記憶がある。

私はそれを単に「痛そうだ」としか思わなかったが、アメリカの視聴者たちは、大統領がその過大な政治的責任に「耐えかねている」というメッセージをおそらくはその画面から受け取り、単に「痛そうだ」と思うだけでなく、「がんばれ大統領」という励ましのメッセージを送ったのではないか。

というところまでしゃべってところで時間になってしまった。

来週はどうなるのであろう。(まだ分からない)


4月8日

大学のクラブ紹介がある。

合気道部はもう11回目だから慣れているけれど、杖道会は新入生を「あっ」と驚かすべく、鬼木先生にご登場願う。

私が打太刀、先生が仕杖で、「鍔割」、「一禮」、「乱合」の三本を演武する。

ほんとうは高段者が打太刀をするのであるが、鬼木先生の打太刀は速すぎて、私では杖が遣えないので、無理を言って逆にしてもらうのである。

それでも鬼木先生の「怪鳥」のような気勢に、講堂中の学生は身体をすくめ、私の背中にも冷や汗が流れる。あとは形を間違えて先生に打ち込まれないように体を捌くのに必死で、細部の記憶がない。

学生諸君にも古流、制定の形を遣ってもらう。みんななかなか堂々としている。

わずか創部2年だが、鬼木先生の懇切なご指導のおかげで立派なクラブになった。

新入生たちはどう思ってくれただろう。

それから合気道部の諸君に集まってもらって5月の多田先生講習会の打ち合わせ。

苦節10年。ついに恩師多田宏先生をわが道場にお迎えすることができる。

弟子として、これほど嬉しいことはない。

窓の外の満開の桜を眺めながら、よき師よき友よき弟子たちを私に配して恵んでくださった天意に感謝する。

右膝は整形外科の見立てによると「半月板の軽い損傷」だということである。

膝の骨に変形もみられるという。

「原因は何でしょう?」

とたずねたら

「年齢でしょう」

とあっさり言われた。

あ、そう。

「膝を酷使するようなことしてませんか?」

とも訊かれるが、ほとんど「膝」で商いをしているようなものである。

いずれ二週間くらいで痛みは引きますよと言われて、湿布薬をもらって帰る。

私の身体は「トカゲのような治癒力」を誇っているということはすでに書いたが、それに加えて私の精神は「ワニの無意識」に満たされているので、白衣を着た医者が診察室でレントゲンをみながら、「あ、これは・・・だな」と病名を確定し、治療法を指示た瞬間にほとんど治癒してしまうのである。

橋本治の本を集中的に読む。

私の読書傾向はきわめて偏頗であり、現代の作家で私がまじめに読んでいるのは、村上春樹、村上龍、高橋源一郎、橋本治、矢作俊彦の五人だけである。(と列挙してから、いったいどういう基準で今この五人を並べたのかしら、と考えたら、「物語作家としての才能」についてのウチダ的ランキング順であった。ごめんね矢作君)

私は彼らの書く時評も大好きであり、つねに深い共感をもって読んでいる。

しかし、橋本治の書くものには「共感」というよりむしろ「いずまいをただして聴き入る」というような姿勢をとる。

文体的にはおそらくいちばんひらがなが多くて、「だからさー」とか「で、なんなの」とか、ずいぶん平たい表現で書かれているにもかかわらず、事態の「本質」へ肉薄してゆくときの知性の冴えは、ときに寒気がするほど鋭い。

橋本治の方法は「自分で納得のいかないことは、納得がゆくまで考える」という単純なプリンシプルに貫かれている。

その「納得がゆくまでの思考のプロセス」を橋本はぜんぶ言葉にする。

だから、それはとてつもなく「長い」。

ふつうの人が一行で書いてしまうことを「でも、どうしてそういうことが言えるの?」と橋本は懐疑する。

懐疑すると止まらない。

「当たり前だと思われていることに違和感を覚える。」

「その違和感はどうして自分の内部に発生してきたのかを省察する。」

「それを言葉にする。」

「『当たり前だと思われていること』は『ちっとも当たり前じゃない』ことを論証する。」

それが橋本治の批評のスタイルであり、私はこれは「哲学的知性」のあり方そのものだと信じる。

でも橋本治は「哲学者」というような一般化は笑い飛ばすだろう。

彼は「橋本治」なのだ。

「私が『不自由』を感じるのは、自分とは違う他人の価値体系に侵される時である。

私は『自分とはなんだ?』とか、そういう哲学的な悩みをしたことがない。根本で、自分のことをかけらも疑っていない。『自分が存在している以上、自分は確固としている』−そう考えてなんの不自由もない。

『根本で確固としている自分を展開するために必要なのは、能力の獲得である』としか思っていない。だから私は、とても達成効率がいい。

そういう私の価値観が揺るがされる時はたった一つ。他人にやいのやいのと言われる時だけである。

『俺のどこがおかしいの?』と思って、呆然とする。

違う価値観からの攻撃が激しくなると、自己存亡の危機に立たされる。

自分の根本が確固としているわりには、いとも簡単に『存亡の危機』に立たされてしまったりもするが、それは単純に『数の問題』である。

私は自分の価値観に従って生きているが、『橋本治の価値観』で生きているのは橋本治だけなので、『その価値観はへんだ』という争いになったら、『多勢に無勢』は簡単に実感されて、すぐに負けてしまうのである。」(『さらに、ああでもなく、こうでもなく』)

私はこの箇所を読んだときに「呆然」とした。

「自分が存在している以上、自分は確固としている」というのは哲学的「禁句」である。「それをいったらおしまい」の窮極の「バカ台詞」である。

「自分は存在しているが、その根拠は不確かである」という誠実な告白からプラトン以後のすべての哲学は展開される。そして、「そのような誠実な自己懐疑に基礎づけられているがゆえに、私の価値観はどのような世俗的臆断によっても揺るがないのである」という結論に落ち着くのである。

橋本治の推論はまるでその逆である。

「私の価値観は確固としている。けれどもそれは他人にやいのやいの言われると、容易に揺るがされてしまう。それって、すごく気分が悪い。」と橋本は言う。

おっしゃるとおりである。

私もまた自分の価値観に従って生きているが、『内田樹の価値観』で生きているのは内田樹だけなので、『その価値観はへんだ』という争いになったら、『多勢に無勢』で、すぐに負けてしまうのである。そして、当然にも、負けると非常に気分が悪い。

だから、なんとかこの劣勢を挽回して、「内田樹の価値観」を世間の人々に「承認」してもらうべく、こうやってこりこり文章を書いているわけである。

私も、哲学的な文章を書くときは、「私は私の価値観そのものが制度的に媒介されたものではないかと疑っている」というようなことをマクラに振るが、よく考えてみたら、それは「嘘」であった。

だって、私は自分の価値観を一度だって疑ったことなんかないからである。

「私の価値観そのものが制度的に媒介されたものではないかと疑っている」ことは「たいへんによいことである」というのがそもそも私の価値観なんだから。

「自分の価値観そのものの被媒介性を遡及的に考察できる知性こそ優れた知性であり、それはこの世の何よりも価値がある」と言う私の価値観は一度だって揺らいだことはないし、これからも誰がなんと言おうと揺るがないであろう。

しかるに、その「揺るがぬ確信」はまわりから「やいのやいの」言われると、簡単に「存亡の危機」に立たされる。

そして、そこからの脱出の方位は「多勢に無勢」状況の転覆、すなわち「説得」による「多数派工作」しかないのである。

「説得」と「教化」は違う。

「説得」とは、まず相手に同調して、そこから同調帯域をだんだん拡げて行くことである。抵抗に会えばせこく迂回し、反撃に遭遇すればずるずると撤退する。

「説得」は相手と自分の「異他性」を前提にしたコミュニケーションである。

それに対して、「教化」は「教化される側」に「丸呑み」を求める。

「同化せよ、さもなくば去れ」というのが教化の言説の本質である。

「説得する言葉」と「教化する言葉」は少し似ている。

だから若い読者の中には、それを混同してしまう人もいるかも知れない。

でも、その違いを見きわめるコツはある。

それは、言葉の中に「読者に対する敬意」が含まれているのかどうかを見ればよいのである。

落ち着いて考えれば、自分が「表敬」されているのか、「威圧」されているのかは、誰にでも分かるはずだ。自分が「賓客」として遇されているのか、「手下」になることを求められているのか分かるはずだ。

橋本治の文章は私をつねに暖かい気持にしてくれるけれど、それは彼が四方からの旅人に扉を開いている、「歓待の幕屋」の主だからである。


4月6日

昨日のオリエンテーションで不思議なことがあった。

10人くらいの新入生の小グループに別れていろいろおしゃべりをするのであるが、私の担当グループの中に在日韓国人の人がいた。

その女子学生が自己紹介のときに、自分の韓国名(戸籍上の姓)にはまるでなじみがないので、どうか通称名(日本の姓)で呼んで欲しいと言った。

つい、先日、朝日新聞で在日の人たちの「名前」についてのこだわりが連載記事になっていた。(今日も同じ趣旨のコラムがあった。)

そこで好意的にとりあげられていたのは、すべて「戸籍上の姓」で暮らすことを選んだ人たちの事例であった。

「日本人のような名前」で生まれ育ち、そのまま「日本人のように」日本で生きて行く道を選んだ人たちもたくさんいる。その人たちのことを特に批判しているわけではないが、「戸籍上の名を名乗ることは」「誇り高いことだ」と言う記事の流れを汲めば、「日本人のような名前」で生きて行く在日の人は「誇りのない人だ」というふうに解釈されてもしかたがない。

現に、私が会った学生は、高校の担任の教師に「在日としての誇りをもって生きろ」と言われて、卒業式の日にみんなの前で「私は実は在日韓国人です」とカムアウトすることを促されたそうである。彼女のくちぶりからはそれが不本意な選択であったことが窺い知れた。

私は彼女につきそって大学事務に行き、交渉のお手伝いをして、通称名で公式書類をすべて作り替える、という約束をとりつけた。(事務当局者の対応はとてもすみやかで、フレンドリーだった。)

そこで私は少し彼女と話をした。

「民族の誇りをもって生きる」というような言い方というのは誰が使うにしろ、ちょっとやだね、ということで私たちは意見の一致を見た。

以前、ここに書いて、ずいぶん反論を頂いた同じ主張を繰り返すが、私は「自分は・・・民族である」とか「自分は・・・人種である」とか言うことを、声高に言い立てる人が好きではない。

どのような場面で、どのような判断をするときでも、つねに「民族として」とか「人種として」とかいう判断基準が優先的に意識化される人のことを、私は「ナショナリティ・コンシャスネス」や「レイス・コンシャスネス」が高い人、というふうに呼んでいる。

「・・・民族である以上、・・・でなければならない」というふうな発想法をとるひとは、「ナショナリティ・コンシャスネス」の高い人である。

それが日常のなんと言うことのないようなオプションの選択に際していちいち意識化される思考の不自由さを私はよいことだと思わない。

多文化共生というのは、そのようにぎすぎすしたものでなければならないのだろうか。

『朝日新聞』の記者はこう書いている

「日本社会はなぜ『ちょっとだけ異なる存在』を自然に受け止められないのか。(・・・)この国に住むのは『日本人らしい名前』を持つ『日本人』だけ−私たちはそんな固定観念を振り払い、もっと社会の構成員の多様性に気づき、慣れる必要がある。」

構成員が多様であることに対して寛容な社会を求めることに私はまったく異議がない。

「私一人『変』で、あとは全員『ふつう』」という状況では、人々がどれほど不寛容になるか、私は経験的に熟知している。

そのような経験をしてきた人間として、私は構成員に「変わり者」がいてもとやかくいわず「均質化」することに過剰な価値賦与をしない社会に、ぜひ日本はなってほしいと願っている。

その上で、この記者の議論には違和感を感じるのである。

私は、この記事そのもののうちに「多様性を抑圧し、均質化を求める」きわめて「日本的」な隠微な圧力を感じるのである。子どもの頃から繰り返し強要され、私がそれに反抗しつづけてきた口ぶりを聞き取るのである。

この記者は「在日韓国・朝鮮人」は「本名」を名乗るべきだ、と主張している。

言いかえれば、「日本人らしい名前」で生きるのは日本社会の排他的な固定観念に屈服することで、人として恥ずかしいことだ、と言っているのである。(うちの学生がカムアウトを求める高校の教師に感じたのは、この無言の抑圧である。)

このような主張は、「在日韓国・朝鮮人は日本社会において、『日本社会の均質化圧力』に異議申し立てをし、『多様性の混在』を求めるべきである。それこそただしい在日韓国・朝鮮人のあり方である」というポリティカリーにコレクトな「当為」を前提としている。

その前提がそこから導かれる結論を否定していることにどうしてこの記者や高校教師は気がつかないのだろう。

この文言の中の「在日韓国・朝鮮人」を「日本人」に変え、「日本社会」を「国際社会」に変えれば、これは石原慎太郎や藤岡信勝や小沢一郎の主張と同一である。

私は石原たちの主張が嫌いである。

それは彼らが私を勝手に「日本人」という集団に括り込んで、「日本人なんだから・・・するのが当然だ」という義務を私の同意抜きにかってに押しつけてくるからである。

私は私である。

日本人として何をなすべきかは私が自分で判断して自分で決める。よけいなお節介はしないで欲しい。

だから、在日韓国・朝鮮人は多様性を主張すべきである、と説くこの記者が(おそらくは主観的にはリベラルな人が、それと気づかずに)、石原や藤岡と同じ抑圧的なロジックを操っていることに私は直観的に不快感を覚えるのである。

在日韓国・朝鮮人の中にも、在日アメリカ人の中にも、在日ユダヤ人の中にも、在日アイスランド人の中にも、私と同じように、「在日**人なんだから、おまえは・・・すべきだ」という語法を嫌っている人もいると思う。(おそらく私と同じように少数派であろうが)

民族や人種で集団を一括りにして、その集団を「当為」で律するという発想そのものを根絶しない限り、ほんとうの意味で多様性に対して寛大な社会などというものは実現できない。私はそう確信している。しかし、それに同意する人は驚くほど少ない。

朝日の記者はさらに続けて、文化的多様性の実例として、こんな話を紹介している。

「大阪で郵便配達の仕事をしている青年はこんな話をしていた。配達先が不在のとき、郵便受けに入れる通知に、必ずハングルで自分の本名を書き、読み仮名を振る。

『それを見た人が、自然な形で在日の存在を理解してくれたらいい』と言う。

名前はかくも雄弁だ。だから、大事にしたい。」

私はこの記者の意見にまったく同意できない。

もし自分の家の郵便受けに読めない文字の通知が入っていたら、私は困るし、不愉快になる。それがハングルであろうと、ロシア語であろうと、ギリシャ語であろうと、同じである。

この記者は、もし「在日イスラエル人」の郵便配達人が「自然なかたちで在日イスラエル人の存在を理解してほしい」と言う気持から、彼の扱う公文書にヘブライ語で署名することにも同意するのだろうか?

私は同意しない。

そういうことは私的領域でやってほしいと思う。公私の別ができない人間は困ると思う。

ナショナリティというのは歴史的に形成された幻想的な「帰属意識」にすぎないと私は思っている。それがどれほど強固なものであるかは骨身にしみているが、それでも「幻想は幻想だ」と私は言い切りたい。

その帰属先として、どこが優先的に意識されるかというのは個々の事情で決まる。その意味では、「在日韓国人」と「在神戸福岡県人」のあいだに帰属意識のあり方において、原理的な違いはないと私は思っている。(これは笑い事ではない。現にいまから120年ほど前、西南戦争のときには、「薩摩人」に対する「会津人」の憎悪というものが政治的に有意なファクターであった時代がある。「薩摩人は殺してもいい」と確信している人々が集団として存在したのである。)

そのような濃密なアイデンティティを持っている「福岡県人の郵便配達人」が「神戸市にも福岡県人が自然なかたちで存在することを理解してほしい」という気持から不在通知に「不在やったけん、また来るばい」といちいち書いてくれたとしても、私はこの愛郷意識にまったく感心しない。

「よほど福岡が好きなんだね。それは分かるよ。めんたいこも美味しいし、長浜ラーメンも美味しいからね。ま、でも、そういうのは君の個人的なことなんだから、公的な場面には持ち込むなよ」と思うだけである。

繰り返し言うが、集団は均質的であるべきであり、その構成員はその集団に固有の作法で判断し、行動すべきだ、という議論の立て方が私は生まれてからずっと嫌いである。

朝日の記者が(そして、うちの学生にカミングアウトを促した高校の教師)はどうして「日本社会」が均質的であることを否定しながら、「在日社会」が均質的であることを当為とするおのれの論理矛盾に気づかないでいられるのであろう。

私に思いつく説明は一つしかない。

それは、彼らが骨の髄まで「均質化」されているせいで、「多様性」とはどういうものか、想像できない、ということである。もっと率直な言い方をしてもいいが、角が立つからやめておく。(私とて、これ以上日本社会で「孤立」するのは避けたいから)


4月5日

昨日は膝の痛みがひどくて、ついに杖のお稽古をお休みする。

お休みついでに三宮で『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を見る。(レビューは「おとぼけ映画批評」を)

「ふーむ」とうなずきつつ「がんこのトンカツ」を買って帰宅。

るんちゃんがいなくなったので、外食と「ほか弁当系」の食べ放題である。

娘がいる間は、主夫としての責任感から、毎晩それなりに美味しいものを作っていたが、この一週間はさすがに一度も料理らしいものをしていない。(みそ汁を作ったのと、冷凍の餃子を焼いただけ)

朝はトーストと目玉焼きと果物。昼は「緑のたぬき」。夜はマクドのてりやきバーガーというようなジャンクな食生活を長く続けていてよいものであろうか。

でも、一人でご飯食べるときは、どうしても「ちゃっちゃっ」と作って、ぱっと片づけることが優先してしまう。(ほか弁やバーガーものはそのままゴミ箱に放り投げておしまいである。らくちんだ)

ひとりでご飯を食べるときにいつも思い浮かべる曲がある。

クレージーキャッツの『これが男の生きる道』である。

こんな歌詞。

♪帰りに買った福神漬けで、一人寂しく冷や飯喰えば、古い虫歯がまたうずく。愚痴は言うまいこぼすまい。これが男の生きる道。(作詞・青島幸男)

それほど流行したという記憶がない。それどころか私自身一二回しか聴いたことがないと思う。(こんな歌をTVでやっても盛り上がらない。)

にもかかわらず、私は一番の歌詞をまだ覚えていた。

おそらく中学生の私はこの歌を聴いたときに「これは私の老後のすがたを活写したものにちがいない」という直観に貫かれたのである。

同じ直観を共有した人に橋本治がいる。

去年の暮れに「ちくま文庫」で出た橋本のエッセーの題名は『これも男の生きる道』。

男の自立について書かれたこの本のすべての文に私は共感する。

もっとも共感した箇所を抜き書きしておこう。

30年ほどまえある女性記者が家事をなにもしない新聞記者の夫と離婚した。

「そこで彼女は『女の仕事を認めると言っておきながら、一方的な家事負担を押し付けてなんいもしないままの男』を非難している。

読んでもちろん、この私は怒った。『悪いけどオレは、自分で自分の洗濯くらいしてるぞ。自分の部屋の掃除だってしてるぞ」と。なんでそんな怒り方をしたおかというと、『何にもしない夫』を非難する彼女の文章は、『元夫に代表される世間一般の男のあり方』を非難する文章だったからですね。学生だった私は、自分のことを『世間一般の男の一人』だと思っていましたから、その文章の中にある『一般化のしかた』に腹を立てたんです。『おまえの前の亭主が能なしだったことと、このオレとは関係ねーだろうが」と。

(・・・)昔から不思議な腹の立て方をする私は、『そんなバカな亭主の正体を見抜けないで結婚なんかしたおまえがバカなんだよ」と、とんでもない怒り方をしている。

私は昔から『女にゴチャゴチャとケチをつけられるのはいやだ』という誇り高い男ですから『やだなー、この女』と思ったら、『どうしていやなのか』をきちんとさせようとする。

(・・・)私の言い分は間違ってなんかいないんだけれども、ちっとも他人の支持を受けない。だからしようがない。『ともかく、この女性評論家はバカなのである』と決めてしまった三十年前の私は、黙って一人で『しょうがねー。めんどくさがらずに、やっぱり自分の洗濯は自分でしよう』と決心をして、その決断に従う。そこで洗濯を止めてしまったら、その女性評論家のバカな元亭主と同じレベルになってしまう。『そんなバカな男と結婚するおまえがバカだ』という『真実』は通らなくなってしまう。『道はたった一つ、”まともになってやろう”という決心をするだけだ』というのは、こんなことなんです。」

私はこの文章のすべての言葉に共感する。

私もまた、35年間、自分のパンツを自分で洗い、自分の部屋を掃除し、自分の洋服のアイロンをかけ、自分のご飯は自分でつくり、自分の着物の半襟を自分で縫いつけるような生活をしている。

「家事をしない男はバカよ」と「バカな女」たちにひとくくりにされるのがたまらないからやっているのである。

世の中には、そういう一般化に耐えられない人間がいる。それが「まともなひと」であると私は思う。

「まともになる」ということの基本にあるのは、「バカにゴチャゴチャとケチをつけられる」ような生き方はぜったいにしたくない、という嫌悪だという橋本治の知見に私は100%賛成である。

というわけで、帰りにファミリーマートで買った「キューリのQちゃん」で冷や飯を食べると、膝の古傷が痛み出すとき、私は小さな声で「これが男の生きる道」を口ずさむのである。

私がこれこそ誇り高い男の歌だと思う。

キューリのQちゃん、好きだし。

4月4日

いきなり「破滅的な」忙しさのなかに突入。

忙しさの原因の第一は大学院博士後期課程の申請書類の準備。

文部科学省に出す書類なので、フォーマットと前例を参照しながら、作文をする。作文だけならいいのだが、みなさんから集められたさまざまのドキュメントの整理と、その欠落箇所の修正が大仕事である。

ほんとうはこれだけに専従の職員が必要な仕事なのだが、4月に人事異動があって、担当者がいなくなってしまい、仕事の続きを知っている私のところにどんどんどんどん書類が回ってくる羽目になった。

おかげで連日十時過ぎまで大学で残業である。

加えて、5月には合気道会創立10周年の大イベントがある。

東京から多田先生をお迎えするのである。

苦節10年、ついにお師匠さまをお迎えする日がきた。

案内状を発送し、先生の新幹線のチケットを買いに走り、懇親会、記念品、講習会の段取りその他の準備でだんだん殺気立ってきた。

そこに3月末日締め切りのレポート24本がどどどど押し寄せてきた。

合気道と杖道の稽古日程がだんだんタイトになってきて、今週からはいよいよ週5日お稽古である。自ら撒いた種とはいいながら、さすがにこれはきつい。それに今週は「新入部員ゲット週間」であり、私も陣頭に立って走り回らないといけない。

5月は10周年記念講習会、広島での講習会、全日本演武大会、五月祭と合気道がらみのイベントが四つ。それに大津の杖道全国大会。その間にご両親とお兄ちゃんと「内田家のルーツを探る旅」で山形に三日おでかけ。その間に文部科学省への出張。6月の最初の週末は東京で仏文学会に行って、とんぼ返りで四日が下川正謡会の本番。

そのあいだにもちろん授業がある。

新学期が始まる前日に、「生きて夏休みが迎えられるだろうか」とすでに不安である。

加えて合宿で痛めた右膝がなかなか治らない。

日常生活にはそれほど支障はないのだが、膝をぐっと曲げて体重をかけると角度によって激痛が走る。(階段を下りるのがちょっと危ない)

杖の稽古はともかく、合気道は立ったり座ったり膝を効かせて浮き身をかけたりと酷使するので、結局なかなか腫れが引かない。それに道衣に着替えると身体モードが変わるので、痛みが消えてしまう。だから、何となく稽古中は「治った」ような気になって、終わるとまた痛み出すのである。

困ったね。

私の身体はだいたい「トカゲのような治癒力」を誇っているのであるが、今回は少し長い。

松田先生は「ひごろ車ばかり使って歩いていないからですよ」と冷たいことを言うが、それはないでしょ、それは。

最近の出来事だけ忘れないうちに記録しておこう。

ベルギーのK井K奈姫から電話。ベルギー政府給費留学生に合格した由。倉庫に潜り込んで卒論を探し出し、フランス語レジュメを書いた甲斐があったわけだ。

「せんせー。恩に着ます」という姫からの謝辞をねぼけて受け取る。

『ためらいの倫理学』に好意的な書評を寄せてくれた共同通信から原稿依頼。身辺雑記の短期連載。

メジャーからの原稿依頼は『現代思想』以来7年ぶりくらいである。(『ジャパン・クオータリー』があるけれど、あれは旧友竹信くんからの原稿依頼だから同日には論じられない。)

さっそく大喜びで第一回分750字を5分で書く。(なにしろ身辺雑記だからね。この日記を書くのとおんなじ速度で書けちゃう)

これで3万円。

5分で3万。

これって時給に換算したら、ええと・・36万じゃない。

時給36万だと、一日8時間働くだけで288万円。すげー。

10日で3000万円だ。やほー。あとの355日寝て暮らせる。

でも、連載5回しかないんだよね。

時給36万円だけど労働時間は25分でおしまいのお仕事でした。

ちゃんちゃん。

でもさっそくまだ入らない原稿料をあてにして「うなぎ」を食べる。

竹内敏晴先生からお手紙をもらう。レヴィナスの『暴力と聖性』のなかで Bonjourを「おはよう」と訳しているけれど、「こんにちは」のほうがいいんじゃない?というご指摘である。(これだけでは何のことか分からないけれど、もちろん竹内先生が正しい。私が誤訳したのである。)

私は竹内先生のファンなので、さっそく「いかにして私は Bonjour を『おはよう』と条件反射的に訳すようなトンデモ体質になってしまったのか」について長いご返事を書く。(ご賢察のとおり、これは小津安二郎による「刷り込み」である。)


4月3日

いよいよ明日から新学期だ。

春休みの間にレヴィナス論を仕上げるという大それた望みを1月頃までは抱いていたのであるが、それもむなしく潰えてしまった。

それでもなんとか「レヴィナスとフェミニズム」のとっかかりまでたどりついた。

レヴィナスのエロス論は徹底的に男性的な視点から書かれており、これをデリダは「形而上学の歴史で前代未聞」の出来事であると評した。

イリガライは「レヴィナスに限らず男の哲学者はみんな無自覚なセクシストだ」という絨毯爆撃的な批判をしたが、デリダのいう「レヴィナスのように書いた人はこれまでにいない」という指摘と、イリガライの言う「男はみんなそういう風に書く」という指摘のあいだには、埋めがたい溝がある。

私はもちろんデリダを信じる。

ではなぜレヴィナスは「哲学的主体とはすなわち男のことである」というようなことを書いたのであろう。

私にはわからない。

わからないからレヴィナス論を書く。

知っていることを書くのではなく、知りたいから書く。

だから私がディスプレイに向かっているとき、私は自分の指がもののけにつかれたようにキーボードを叩いて打ちだす文字を見て「あわわ、そうだったのか」と驚くことになる。

いったいこの場合、思考しているのは「誰」なんだろう。

たぶんホメロスが「ダイモン」と呼んだもの、ラカンが「大文字の他者」と呼んだもの、三浦友和が「スーパー部長」と呼んでいるものなどのお仲間なのだろう。


4月1日

エイプリル・フールであるが、誰も私に嘘をつきに来ない。

つまらない。

私は生来の嘘つきであるが、あまりに各方面で「私は嘘つきである」と喧伝したせいで、最近は、「自己申告が正直なひと」と思われている。

これでは逆効果だ。

以前ウッキーに「男をころりとダマす秘訣」として「とにかくまめに嘘をつきつづける」という知恵を授けてあげたことがある。

するとウッキーは青ざめて「ええ!いつも嘘をつかないといけないんですか?」と悲痛な表情を浮かべた。(よい子である)

あのね、言うことが全部嘘だったら、ただの「裏返しの正直者」でしょうが。

嘘というのは、「虚実とりまぜ」ないと嘘にならないのだよ。

配分としては真実8の嘘2くらいが絶妙のブレンドである。よく覚えておくように。

「先生、それは本当ですか?」

嘘に決まってるだろうが、ほんとうに信じやすい子だね。

カミュ研究会の稲田晴年先生から長い『ためらいの倫理学』の読後感想文を頂いた。とても心暖まる手紙だったので、一日気分が晴れやかである。

そこで「読後感想文」の「感想文」を書いてお送りした。(「クロヤギさんからお手紙ついた」状態である。)

『ためらいの倫理学』の「あとがきのあとがき」のようなものなので、個人的なメッセージ部分を除いて以下に掲載する。

 

稲田先生

長文の感想をありがとうございました。

あの本で私が何とか決着をつけようとしてことはやはり「政治へのひっかかり」でしょう、と先日、年若い友人に指摘されました。

そういわれると、原体験にあるのは大学生のころに、二人の友人を党派闘争で殺されたことへの執拗な怨みであるように思います。いまでも、そのことを思い出して、話し始めると怒りで腸が煮えくり返るほどですから。

二人ともとても聡明で愉快な人物でしたが、悲惨な仕方で殺されました。

一方の殺人者たちは結局不起訴になりました。そのあとはふつうの市民として暮らしているのでしょう。彼らを煽った党派指導者のうちの何人かはそのあと中央省庁や一流企業に就職していきました。

私はこういう人間をどうしても許すことができないのです。

それは、「あのとき殺されたのは私である可能性もあった」からです。

死んだのが私でなく、友人であったのは偶然に過ぎません。

高橋哲哉さんはだいぶ若い方ですから、知的大衆諸君がふるう「正義の鉄槌」が文字通り「バール」として頭上に下されて頭蓋骨が砕かれる、ということの可能性をあまりリアルには感じられないのかも知れません。

でも、誰かが、二十歳少しで人生の楽しみもほとんど知らずに死んだ若者たちの鎮魂のために、「審問の語法で語るものはいつか〈正義の暴力〉を制御できない局面に立ち至ることになる」と言い続けなければならないと私は思います。

ただ、その鎮魂の作法が、「友人たちに政治的暴力をふるった人間たちを召喚しての、真相の究明と断罪」という方向には私の場合は向かわないのです。それでは「正義の暴力」を反復し、増殖することにしかならないからです。

私が選択したのは、私の友人たちを殺した「党派の連中」にも「三分の理」を認め、くやし泣きしながら彼らを赦し、けれども、今しているように、執拗に30年にわたって彼らを批判しつづける、というなんとも中途半端な道です。

それは、「ものすごく腹が立つけど、すんじまったことは仕方がないよ。だけど、これからはぜったいやめてくれよな!」と言い続けるということです。

私はそれを(学生運動当時の主張とほとんど変わらないというのが情けないですが)「さまざまな違和を含み、対立的立場をも代表できるような多数派の形成」という政治的戦略として展望しています。

政治的暴力は「根絶」することのできるものではありません。(そのためには「政治的暴力を根絶するための政治的暴力」が必要になるからです)

政治的暴力は「飼い慣らし」、「なだめすかし」、「折り合って行く」ことしかできません。

どのようにしてそのような混質的な多数派を形成してゆくのか、それについては、どこにもロールモデルが見当たりません。もしも、アルベール・カミュが存命していたら、どういう指針を出してくれただろうかと、ときどき想像してみることがあります。

「裏と表のあいだ」「ウイとノンのあいだ」で本質的な決定が下されるような社会システムとははたしてどのようなものでありうるのでしょうか。(・・・)

私の思考の「外傷」は70年代の学生運動に遡及するものではないか、ということを指摘してくれた年若い友人とは増田聡さんである。

もう30年も昔のことなので忘れていたけれど、増田さんに問われるままに昔話をしているあいだに、どうしても消化しきれないどす黒い怒りの記憶が蘇ってきた。

私はなんでもすぐに忘れてしまう人間のように見られることがあるが、ほんとうはけっこう執念深い。(「選択的に執念深い」というほうが正確かも知れない。忘れるときは三歩歩くうちに忘れてしまうから。)

嘘つきで、執念深く、向上心がない。

ほんとに困った性格である。

内田ゼミ98年卒の荒木都さんが3月10日、かねて白血病入院加療中のところ肺炎を併発して亡くなられました。彼女の魂の天上での平安をお祈りします。