夜霧世今夜もクロコダイル

Another Crocodile in the night mist: from 1 Jan 2001



8月31日

今日も雨が降ったり止んだりの肌寒い一日である。

午前中はレヴィナス論の直し。昼は街で買ったサンドイッチをドゥ川を眺めながら齧る。雨が降ってきたので散歩を切り上げて、部屋で夏目漱石の文芸論集を読む。あまりに面白いので仕事にならない。

レヴィナス論を書いているうちに時間となって合気道のお稽古に出かける。

今日の受講生はブルーノくん、越くん、祐里さんの経験者組と、木綿子さん、里果さんの新人二人。それにガルシエ道場で柔術をやっているマクシムくんの六人。それに見学者がイワン・ガルシエさんほか二名。

昨夜、モナコを呑みながら、三教の極め方についてカフェで話をしていたら、みんなそれをやりたいというので、極め技を教えることにする。ほんとうは初日は礼法と呼吸法と体捌きくらいしか教えないのであるが、滞在期間が短いので、速成コースである。

体の転換、呼吸投げ、四方投げ、それから一教、二教、三教を順番に教える。力をつかわずに正しい線を効かせて技を遣う、という基本だけを繰り返し注意する。みんな非常に熱心に稽古している。

どうしてこんなに熱心なのであろう不思議であると昨日書いたが、稽古のあとカフェで美味しいビールをのんでいるときに、学生の一人が「日本にもすばらしいものがあるということが分かって、うれしい」とぽつりとつぶやいているので、得心がいった。

フランスに来た若い人にとって、自分たちの本国のもので、フランス人に誇れるものがとりあえず思いつかないということはけっこうショックな経験である。

政治はまったく話しにならないし、経済だってバブル崩壊以後ぼろぼろだし、文化的ソフトといっても自慢できるのは宮崎駿のアニメと『ファイナル・ファンタジー』くらいしかない。あとはせいぜいパリではお寿司がブーム。

なんだかずいぶん貧しい国から来た人間なんだ…とちょっとさびしくなっているところで、フランス人のあいだでが日本の武道に対する関心と敬意が非常に高いということを知る。

日本のもので、フランス人が目を輝かせて「すばらしい」と賛嘆するものがある、というのは心強いものである。

そして実際にやってみると、道衣を着付ける、正座する、礼をする、身体を極めて刀を振る、といった基本的な動作については、未経験の日本人学生でも、フランス人に対してあきらかに一日の長がある。

それは『暴れん坊将軍』とか『水戸黄門』とかを横目で見ながら育ってきた十数年の「蓄積」というものが利いていて、「武道的にきれいな体の運用」についての美的な判断力がある程度は備わっているからなのである。

それはモンゴル人であれば「馬の乗り方」についてそのよしあしがある程度は分かるとか、スペイン人であれば「フラメンコ」については出来不出来をかなり適切に判定できる、というのと同じことである。

日本人である、というだけである程度のアドヴァンテージのある分野というものはめったにあるものではない。

武道はそのきわめてレアなひとつである。

それがフランスで敬意をもって遇されている文化であるとすれば、かの地の日本人たちが「ちょっとやってみようかしら…」となるのにいささかも不思議はなかったのである。

私はそれはとてもよいことだと思う。

自国の文化に誇りを持てるというのは、ほんとうによいことである。それが夜郎自大に膨れ上がった妄想的な誇りではなく、外国の人々の真率なる敬意にうらづけられた誇りであるなら、それにすぐるものはないと私は思う。

稽古のあと、ブルーノくん、越くん、祐里さんとLe Coucou というお店へ。ブルーノくんご推奨のGratin Morteau を試みる。モルトーというのはフラン・コントワのソーセージ。おいもとチーズとソーセージのグラタンである。これが美味。思わず無言になって食べ続ける。うーん、これはうまい。41F で大満足。


8月30日

いい気になって飲みすぎたせいで、二日酔い。最後に呑んだ「中国焼酎」がいけなかったようである。

昼近くまで寝て、ふらふらと起き出して新聞を読み、水を飲む。しかし、さすがに肝臓がアセトアルデヒド分解のために活躍中であるので、他の身体部位に血が回らない。

今日は論文を読む仕事があったのであるが、知能指数が5割方落ちているので、頭が使いものにならず、そのまま昼寝。

夕方、ブルーノくんがお迎えに来て、いっしょにGrotte という鍾乳洞へドライブ。数年前に一度訪れたことがあるが、ブザンソン近郊の名所である。越くん、ゆりさん、サトカさん(独協の女子学生さん)と5人でおでかけ。

のんびりとしたブザンソン郊外の田園風景を眺めてぼんやり時間を過ごす。

帰りに越くんのアパルトマンに立ち寄って、パソコンをお借りして、フジイくんに日記を送付する。

越くんはこのPCでご自分のホームページをつくって、ブザンソン便りを日本の知人友人に発信している。PCで日本のTVニュースを見せてもらう。もう「小泉包囲網」が始まっているそうである。大丈夫かね、こんなことで。

日本のことは台風が3年ぶりに東京を襲ったというニュースを最後に『リベラシオン』には一行も報道されない。

こちらで大きなニュースはジョスパンとシラクの毟り合いと、パレスチナとイスラエルの殺し合いと、Harkis がフランス政府を「人類に対する犯罪」で告訴したことである。アルキというのはなんであるか、私ははじめて知ったが、アルジェリア独立戦争のときにフランス側で戦ったイスラム教徒たちのことである。彼らはアルジェリア独立後、「裏切り者」として数十万が虐殺された。

そのアルキの生き残りのみなさんが、虐殺されると分かっていながら、同盟者を敵地に無防備で捨て去り、フランスへの入国を禁じたフランス政府の不人情を「人類に対する犯罪」で告発しているのである。

フランスの新聞を読んでいると、ほんとうに世界は殺伐としていると思う。

お気楽な「読者の声」なんかで一面を埋めている『朝日新聞』の腰の砕け方がなんとなく懐かしくなる。

いったんホテルにもどって入浴。少しレヴィナス論の手直しをして、夜の10時にまた街へ繰り出してブルーノくんたちご一行(『ジュラシック・パーク3』に行かれたのである)と合流。雨のせいで、気温が20度以下に下がって、街のカフェ・テラスはどこも店じまい。静かなカフェを探して、モナコを二杯頂く。今日はちょっと控えめ。

独協の女子学生お二人(ユウコ&サトカ)が明日の合気道の稽古に参加することになる。ブザンソンで日本人学生に合気道の講習をするというのも、なんだか不思議な話である。いったい、私はここに何をしにきたのであろう。


8月29日

朝夕の気温がぐんと低くなる。すでに秋の気配。うれしいことである。

二日酔い気味の頭をゆすりながらどろどろ起き上がり、街のサイバー・カフェなるところへ赴き、わがホームページを検索してみる。

当たり前であるが、すべて文字化けしていて、まったく読めない。

メールで日記を送ろうと思ったのであるが,そもそもFDドライブがついていない。

仕方がないので、とりあえずBBS にフランス語でメールを送っておく。でも誰も読めないだろうなあ。

部屋にもどってラーメンを食べたら、ちょっとしあわせな気分になってそのままどろんと昼寝。

今日は合気道のお稽古の初日であるので、2時ごろ起き上がって、フランス語で合気道の説明をどうやるか原稿を作成する。

「体を割る」とか「浮き身をかける」とか「手の内を締める」とかいうのをどうやってフランス語で言うのであろうかとあれこれ考えているうちに、ブルーノくんと越くんがお迎えんくる。

4年ぶりのサントル・ガルシエ。道場長のイワン・ガルシエさんと久闊を叙す。イワンさんはすごく感じのよい武道家である。イワンさんのような親子二代にわたる草の根武道家の精進のおかげでヨーロッパにおける日本武道の普及が果たされているわけで、ほんとうにありがたいことである。自分の道場を東洋からやってきたどこの馬の骨とも知れぬ無頼の武道家に明渡して、「好きに使ってください」というようなことはなかなか言えるものではない。

今日のお稽古のお弟子さまは、ブルーノ君、越君、ゆりさんの三人。別にフランス語で説明する必要はなかったのである。

体操と呼吸法をやってから、体捌き、転換、呼吸投げ、天地投げ,四方投げを、わりと細かく説明する。

私はもともとが凡庸な武道家ではあるし、膝にガタがきているので、あまり使い物にならないのであるが、さいわい25年間みっちり稽古だけはしてきているので、術理を体系的に説明することについては、そこそこのことはできる。

しかし、かつてこれほどの集中をもって私の稽古につきあってくれた人はいないくらいに三人の受講生は熱心であった。

この人たちに自分のできる最高の技を見せてあげたい。いまこの膝の痛みを去ってくれて、ふだんのように身体を使えたら、その代償に寿命が多少縮まっても構わないと念じた祈りが届いたのか、稽古の間は膝はあまり文句を言わなかった。

ブザンソン滞在中にあと三四回稽古の機会がある。どうかそのあいだだけでも膝が痛み出しませんように。

3週間ぶりの合気道ですっかりよい気分になって、見学に来ていた二人の日本人女子学生とイワンくんもまじえて街に繰り出す。

このお二人は独協大学の仏語科の学生さんで、なんとお一人は一戸とおるくんのゼミのひとであり、お一人は鈴木道彦先生をご存知であった。

昨日の吉国さんも大学の最初のフランス語の先生が鈴木道彦先生。

鈴木先生の痛快なるお人柄について昨日につづいて今日もまたビールをのみつつ談じることになろうとは。ワッタスモールワールド。

そのまま7人で私のブザンソンにおける restaurant favori である Lotus d'or へ繰り出す。

ここのカンボジア風味の「ラーメン」にかつてどれほど多くのスタジエールが感激の涙をこぼしたことであろうか。

さっそく、「ラーメン」と海老ギョーザと揚げ春巻きを賞味する。美味也。

なんだかやたらのりのよい会食者たちばかりで、8時から12時まで、痛飲。

日本の若い女の子たちは海外でもほんとうに元気である。

フランスにくるのは女の子ばかりで、男子はさっぱりこないね、とイワンさんに言われたが、ほんとうにそうである。

日本の未来は君たちのものである。がんばって欲しい。


8月28日

学生諸君を送り出してへやで仕事をしていたらCLA から呼び出しの電話。

コーディネイターのジャック・モンディさんとクラス分けについて相談する。やはりスタジエールのなかに多少の学力差があるようである。

時間割の変更や学食の使い方についてご注意をうけてから、学生をつれて市内の学食へ。17F でなかなか美味しいお昼を食べる。

午後の授業に出る学生さんと別れて、市内で少し買い物。ホテルに戻ると、バーゼルから吉国さんが到着している。

17歳以来、34年ぶりのご対面である。先方はホームページで私の写真を見ているので、いまこんな顔をしていることはご承知おきなのであるが、私はまったく分からない。廊下ですれ違っても気がつかないであろう。高校生のときの顔を思い出そうとするのであるが、どうしても浮かんでこない。

まあ、話の内容が内容であるから、よもや人違いということはない。

さっそくビールをのみつつ、高校時代の旧友たちの消息について情報交換。

新井啓右、橋本昇二、塩谷安男、吉田城、山崎順といった吉国さんと私がともに親交のあった日比谷高校の逸材たちの逸話で盛り上がり、「ブザンソン如蘭会」気分になってくる。(吉国さんは大学のとき私の同級だった漆間くんの同僚でもあったことも判明。世間は狭い。)

街へ出てカフェでパスティスとキール、レストランでワイン、部屋に戻ってシーバスと、どんどん呑みつづけながら、深更に至るまでインターネットの効用、ユダヤ人の思考方法、日本の教育問題、金融構造改革の展望などについて、国際金融専門家と有意義かつ愉快な意見の交換をする。

最後は、こんな異郷のホテルの部屋で、おめにかかって楽しい時間をすごせるのも、すべては亡き新井啓右くんのお引き合わせであるなあ、と感慨無量となる。

もうすぐかの天才が没して25年となる。

帰国したら、供養のために、新井くんの遺業を追悼するためのホームページ、「ウェブ・墓碑」というものをつくることにしよう。


8月27日

CLA の初日。8時半から開校の手続きがあるので、早起きしてでかける。

今日からのスタージュの参加者は150 名くらい。半分近くが日本人である。CLA の提携校である青山学院のほか慶応の藤沢、千葉大からもグループが参加している。以前の日本人学生は個人参加がほとんどであったが、近年は大学単位で学生を送り込んで、単位認定もするシステムが定着しつつあるようである。

うちは正規の4週間のスタージュのうちの最初の半分だけの参加なので、特別クラス。前に一度4週間まるまるやったことがあるが、さすがに緊張感が持続せず、途中から脱落する学生も何人かいたので、2週間に戻したのである。

学力をみるための筆記と口頭の試験がある。

授業はさっそく午後から始まる。

担任の先生にご挨拶をして、学生を託して、「ボン・クラージュ」と言い残して、とりあえず私の任務はあらかた終了する。

あとは学生が問題を起こさないかぎり、私は自由の身である。やっほー。

朝からフル・アテンダンスで学生の面倒を見てくれたブルーノくん、越くんとお昼を食べてご好意に感謝申し上げる。(しかし、ほんとうによくお世話してくださった。ありがたいことである。)

ギャラリー・ラファイエットでキャンピング・ガスとラーメンどんぶりを買って、これで自炊の準備が整う。さっそく地下の食料品売り場で、水、ビール、ラーメン、シュークルートの缶詰などを購入。シュークルート(酢漬けキャベツ)缶詰はジロー先生の大好物。95年のスタージュのときにはじめて食べた。日本ではなかなか売ってないものなので、珍しいので買っておく。

ホテルにもどって洗濯と仕事。

暑くて、クーラーのない部屋では、さすがに仕事にならない。

たまらず冷水シャワーを浴びて、昼寝。

夕方のろのろ起き出して、Nouille asiatique crevette saveur (海老風味ラーメン)をブルーノくんから借りた鍋とキャンピングガスで作成。ホテルの部屋でごうごうガスなんか使うのはルール違反なのであるが、まあ生きて行くためには仕方がない。

ラーメンどんぶりに注いでずるずると啜る。なかなか腰があって美味である。これはけっこう癖になりそう。

7時半にブルーノくん、越くんがお迎えにきて、一緒に『ラッシュアワー2』を見に行く。

「先行ロードショー」なので、ブザンソン中の「カンフー映画好き」が集まってくる。クーラーのない映画館(なんですよ、フランスって)は蒸し風呂状態であるが、ノリのよいお客たちと見る映画は愉しい。

映画はversion fran?aise (フランス語吹き替え。広東語部分のみsous-titre)なので、クリス・タッカーとジャッキー・チェンのテンポのよい掛け合いは半分も聞き取れないが、それでも十分に愉しめた。

ジョン・ローンが「おじさん顔」になっていたのに、ちょっとショック。『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』や『ラスト・エンペラー』のときは、あんなにきれいだったのに…諸行無常である。

その点、ジャッキー・チェンは偉い。『シャンハイ・ヌーン』につづいて大健闘である。

中国人と黒人が主人公のハリウッド映画は(『ロミオ・マスト・ダイ』もそうだったけれど)今後の「売れ線」となるであろう。

映画館でゆりさん、本田くんに会う。そのまま日本人4人プラスブルーノ君というメンバーでカフェでMonaco, Demi-p6che などという日本では飲んだことのないビール・カクテルを本田くん差し入れのフライドポテトを齧りつつ喫す。美味である。

さすが夜の10時ともなると涼しい。

フランス人が日本語をしゃべり、日本人がフランス語で返すという不思議なバイリンガル会話を展開しつつブザンソンの夜は静かにふけて行くのであった。


8月26日

日曜日なので、ごろごろしている。(日曜でなくても同じであるが)

ブザンソンはもう5回目なので、いまさら観光をする気分にもならない。(暑いし)

しかしお部屋の掃除があるので、午前中はしばらく部屋を空けないといけない。

めんどうだがDoubs の川沿いにすこし散歩をする。(le Doubs は「ル・ドゥ」と読む。最初は「ドブ川」と読むのかと思ったが違うらしい。)

それから市内をくるっと回って、サン・ジュリアン教会で5フランのお灯明をあげて旅の無事を祈る。私はこの「もよりの教会でマリア様にお灯明を上げて旅の無事を祈る」ということを、スタージュでは毎回やっている。地元の神様に一応ご挨拶をするのである。

「いまから9月8日まで当地に滞在させていただきますので、その間、一行のものがみな無事でありますように、ご加護をお願いします」とお祈りする。(むろんフランス語でお祈りしたのであるが、考えてみたらマリアさまは古代ヘブライ語しか解さないはずであるのに、どこでもお祈りを聞き届けてくださるわけであるから日本語でもよかったのだ。)

お祈りの甲斐あってか、これまでのところスタージュでは一度も深刻なトラブルに逢着したことがない。だから、こういうことは一度始めると、なかなか止められない。

パリでもとりあえずホテル最寄の教会に駆け込んで、お灯明を上げてきた。

日曜なので、店はほとんど休み。Quick というハンバーガー屋でテイクアウトのベーコンドッグ(22F)を買ってホテルに帰る。

途中で美術館にゆくという学生さまご一行とすれ違う。恒川さんが発熱というので、あわててホテルにもどって様子をうかがう。体温計とPL顆粒を渡して、「お大事に」。

そのまま部屋で夕方まで仕事。

調子に乗ってレヴィナス論をがりがり書きなおしていたら、だんだんパソコンが熱くなってきて、いきなり「ぶちん」とダウンする。

おおおおおおお。これはどうしたことか。

たたいてもゆすってもなだめてもすかしてもパソコンが動かない。

フランスの田舎町でパソコンが壊れたのでは、修理どころではない。

日本語フォントが乗っているパソコンなんかブザンソンに売ってるはずないし…

これではあと17日間、まるで仕事にならないではないか。

今日からは原稿用紙に鉛筆で翻訳をするのであろうか。最後に手書きで原稿を書いたのは『タルムード四講話』だから、15年くらいやってない。とほほ。

まあ、考えてみれば消えた原稿は今日書いた分だけで、あとはFDに落としてあるし、要するに「文房具」が壊れたというにすぎない。まあ、おおさわぎするほどのことでもないか、とあきらめて、そのままベッドにひっくり返って、『猫』を読む。

ときおりがばと起き上がって「もしや」とパソコンをいじりまわすがうんともすんとも言わない。

こりゃだめだ、大の字になってぷふーとため息をつく。

ふと、気づいて変圧器をひっくり返してみると、「異常温度になると通電がとまります」と注意書きがしてある。

ずいぶんパソコンも熱くなっていたから、変圧器も異常温度になっていたのかもしれない。

ふうふうと変圧器を吹いて、熱をさましてから、おもむろに電源を入れると、あらうれしや今度はちゃんと「ぶいん」という懐かしい音がして、パソコンが起動した。壁紙の「けろっぴ」が画面に出たときはおもわずうれし泣き。

ああ、よかった。

変圧器が熱くなるほど仕事をするのはもうやめようとおとなしく本を読んで、ブルーノくんのご来訪を待つ。

今日は中華。学生諸君もぞろぞろとご同行。今夜はフルコースではなく、アラカルトで「野菜ヤキソバ」(Nouille saut1 2 l1gumes)とか「蒸し海老ギョーザ」(Ravioli crevette 2 vapeur)とか「焼き飯」(riz cantonais) などというなつかしの「中華料理のフランス語」を思い出しつつ注文する。

たしか「ラーメン」に類した食物もあって、それは「ヴェルミセルなんたらからんたら」であったと記憶しているのだが、残念ながらそれはなかった。

フランス四日目であるが、学生諸君はすっかり「フランス化」しており、もう何週間も前からいるように、堂々とフランス語でブルーノくんとおしゃべりをして、デザートなんか勝手に選んでいる。まったくすばらしい適応力である。明日から学校は始まるのであるが、頼もしい限りである。

今日のご会食にはブルーノくんのほかに、越くん、ゆりさん、という二人の合気道家と、熊本大学から土木史というめずらしい研究のためにベルフォール大学へ来ている本田くんという大学院生も参加してくれた。

ブルーノくんというすぐれた現地オルガナイザーの奮闘努力のおかげで、ブザンソンには着々と日本人ネットワークが形成されているようである。日本政府はこのグラスルーツの親日家に勲章を差し上げてもよいのではないかと思う。

学生さんたちが帰ったあと、ブザンソン組四人と私でさらにもう一軒。今度は武道の話で盛り上がる。愉快愉快。

また明晩、いっしょにジャッキー・チェンの『ラッシュ・アワー2』を見に行こうと約しつつお別れする。

ウチダ的には実に楽勝のバカンスである。これで日当をもらっているのが申し訳ない。


8月25日

ブザンソンへの移動日。朝9時にホテルを出て、リヨン駅へ。いつもどおりTrain Bleu で『リベラシオン』を読みながらコーヒーを飲んで発車時間を待つ。TGV はあいかわらずいいかげんな時刻に適当に発車する。

車内でも『リベラシオン』を読み続ける。実に面白い。いわゆる「ストレート・ニュース」はほとんどなく、すべての記事に署名者の明快なオピニオンが述べられている。偽装された中立性よりも、こういう堂々たる党派性の方が、論じている主題のどこにどういう問題があるのかがはっきり教えてくれる。どうしてこういう感じの新聞が日本には存在しないのであろう。

オーギュスタン・ベルクのインタビューが二頁。和辻哲郎の風土論についてけっこう詳しい解説をしている。和辻哲郎について書かれたフランス語の文章は、当たり前であるが、よく分かる。「知っていること」は何語で書かれていても分かるが、「知らないこと」は何語で書かれていても分からないのである。

午後1時過ぎにブザンソン着。ブルーノ君が日本人留学生の越くんといっしょに駅までお出迎えに来てくれる。二人の若者がてきぱきとみんなのスーツケースを運んでくれるし、ガイドさんが手続きを全部してくれるので、私はぼけっと立っているだけでよい。

バスで Relais Mercure へ。川沿いのきれいな三つ星ホテルである。クーラーがついていないので、さすがに暑いが、これまでの学生寮にくらべれば夢のような快適さである。

部屋に荷物を置いて、ブルーノくん、越くん、ガイドの大場さんと四人でカフェに行って、とりあえずビール。四年ぶりの久闊を叙す。

昼酒であたまがくるくるしてきたので、いったんホテルに戻ってシャワーを浴びて、ベッドにころがって、だらだらと『猫』を読む。なんというグルーヴィな文章であろうか。語彙が豊かであるということは、要するに「使える音符」の数が多いということである。うねるような、畳み込むような、滑空するようなエクリチュール。その文章を読むことそのものがが身体的な快感をもたらす漱石のような作家はこの先もう出てくることはないだろう。

バーゼルの吉国さんから電話があって、火曜日にブザンソンで二人だけで日比谷の同窓会をすることになる。バーゼルからは100 キロ。車なら2時間足らずの行程である。17歳以来であるから、果たしてお互いにアイデンティファイできるかしら。

午後7時にふたたびお迎えが来て、体調のわるい一人を残して、全員で郷土料理を食べに行く。ブルーノくんにあらかじめ「15名程度ぞろぞろ入れるようなレストランを予約しておくように。あまり高いとこはだめよ」と言ってあるので、ただついてゆくだけでよい。

年をとると、めんどくさいことはもうやりたくないし、やりたくてもその根気も体力もないが、なぜかそのめんどうなことを一手に引き受けようという若い人が出てきて、尻の重い爺いの世話を焼いてくれる。まことにありがたいことである。

ブルーノくん、越くんのほかにブザンソンの合気道仲間であるマルレヌくん、ユリさんも来て、なんだかずいぶんにぎやかな会食となる。

合気道のおかげで、フランスの地方都市で、いきなり初めて会う道友たちと年来の知己のごとく交歓できるわけである。合気道をやっていて本当によかったと思う。

美味しいフラノ・コントワ料理を頂いて、酔眼朦朧とホテルに戻る。

明日は日曜。ゆっくり休養して、月曜からはいよいよスタージュの始まりである。私も最初だけはいろいろと交渉ごとにあたらないといけない。月曜にどこにいって何をすればいいのか、日本からメールで問い合わせたのであるが、返事がないから、いきあたりばったりである。青学からの留学生である越くんが、月曜早朝にいっしょに来て、手続きのお手伝いをしましょうと申し出てくれる。まったく好青年たちばかりである。

というふうに、めんどうなことはすべて好青年たちに任せて、おじさんは『猫』を読んでごろごろしているだけである。よいね、こういうのは。


8月24日

パリ三日目。今日も暑い。37度くらいあるのではないか。

単に気温が高いというだけでなく、やたらに車が多く、観光客も多く、全体に立て込んでいる。よく知らないが、フランスは日本よりはだいぶ景気がいいらしい。そのせいで、なんとなく町を行くフランス人には「ぐいぐい押しまくる」という感じがする。

それに加えて、社会全体の中産階級化と、グローバリゼーションによる生活様式の均質化のせいで、ひとつところに人間がぐちゃっとたまっている。

というわけで街は暑苦しいし、人は多いし、とりあえず切手と新聞を買いに町に出たら、それ以上歩行する気力がなくなって、U ターンして涼しいホテルの部屋に戻り、半ズボンにT シャツ、ゴムゾーリ姿に着替えて、ノートパソコンを前にばりばり仕事をすることにした。

ヴィラ・ボーマルシェは静かなホテルで、宿泊客もあまりいないし、その方たちもなんとなく「世間をはばかる不倫カップル」みたいでたいへんもの静かである。朝ご飯の食堂でも誰も大きな声で話す人などおらず、かちゃかちゃと食器がふれる音がするばかり。

部屋にこもって仕事をしていても廊下を歩く足音さえ聞こえない。

その静かな部屋でがんがんにクーラーをかけて、こりこりと原稿のなおしをする。

いわゆる「ホテルに缶詰」状態であるから、なかなか効率がよろしい。

訪ねてくる人もいないし、電話もかかってこない。

『メル友交換日記』を仕上げて、次は『レヴィナス論』の校正にかかる。今日一日で第一章の校正が終了。好調なペースである。

5時になったので、ジローくんのところへ行って、二日分の日記をメールでフジイくんに送る。

マダムが暑気あたりでダウンしているので、早々に退散して、学生4人をつれてサンタンヌ通りの「ひぐま」に味噌ラーメンを食べに行く。

ハイネケンにラーメンにギョーザで、幸せな気分になる。

学生諸君もパリの暑さと時差ぼけと毎日の強行軍のせいで、食欲がないらしく、聞けば着いてからろくに食事をしていないらしい。

「野菜が美味しいです」といいながら、みんなラーメンのモヤシをばりばり食べている。

私はフランス語の語彙がきわめて乏しいのであるが、その中でもレストランのメニューのフランス語はもっとも苦手で、料理法も食材もまるで見当がつかない。適当に頼んで食べるのであるが、基本的に勘のよい人間なので、まず「はずれ」はない。

しかし、結果オーライで美味しいものが食べられたにしても、食事の満足感というのはそういう「結果オーライ」では得られるものではない。

あまり知られていないことだが、ご飯の満足度というのは「期待した食感」と「実際の食感」のあいだの一致度の高さの関数である。

「何だか分からないまま注文して、食べてみたら美味しかった」という経験のもたらす満足感と、「こういう味のもの」が来ると予測していたら,その通りのものがきた、という経験のもたらす満足感では、圧倒的に後者のほうが高いのである。

よく「パリまできてマクドナルドでハンバーガーを食べるやつの気が知れない」というような訳知りのことを言う人がいるが、これはパリであろうが、クアラルンプールであろうが、「期待したもの」が食べられる満足感は、「おもいもかけない珍味」のもたらす満足感を凌駕するということを知らない愚者の言である。

つねづね述べていることであるが、例えば「トンカツが食べたい」と深く念じていると、「胃袋がトンカツ状にへこむ」ということが起こる。「トンカツ状にへこんだ」胃袋に、ジャストフィットでトンカツが嚥下されるときの快感は言葉には尽くせない。

内田百鬼園先生はこれを「味が決まる」という言葉で表現しておられた。

あまり美味しくないものであっても、「味が決まれば」それは深い満足感をもたらすのである。

これは食事とは別種の快楽についても言えるのであるが、これについて詳述することは私の立場もあることなので控えさせて頂きたいと思う。

「ひぐま」から戻って、ジローくんとバスチーユのCafe des Phares で「お別れの一献」を傾ける。

ここは例の「ビストロ・フィロ」の発祥地である。

ご存知ないかたもおられるかもしれないが、数年前、このカフェ・デ・ファールに善男善女が集まって、「人生って何?」みたいなことを議論し合って、それが全世界に報道されたことがあったのである。

カフェで人々が哲学するのはまったく悪いことではないが、そういう二三年であとかたもなく消えてしまうようなムーヴメントに真顔でコミットするのって、ちょっと恥ずかしいと私は思う。

そんなことをいいつつ、「le premier bistrot philo cafe des phares」という「かんにんしてくださいよ」的なロゴを眺めながら、ジロー先生と二人で哲学についてつい熱の入った議論をしてしまった。

私はこれまで8回パリに来ているのであるが、そのうち3回(74年、95年、01年)はジローくんとご一緒である。(最初のときはジローくんのアパルトマンに3週間も居候させていただいた。)

だからジローくんといっしょにパリのカフェでビールなんかのみながら、だらだらおしゃべりをしていると不意に既視感のようなものにとらわれて、いまがいつで、自分が何歳で、自分が何ものなのか、混乱してくることがある。

なんだか23歳のときの私たちと、しゃべっている内容はあんまり変わっていないようである。

角で「じゃあ、また秋に」と言って別れたときに、「くそ爺い」になった二人が、「まったく最近のフランスのわけーもんには困ったもんじゃよ」と愚痴をこぼしながら、サン・ミシェルあたりのカフェで昼酒を呑んでいる二十年後の姿が脳裏をかすめた。


8月23日

ほんとうならもう初秋の気配のはずなのだが、パリは残暑が厳しい。

今日は35度。

パリにくると必ずオランジュリを訪れてモネの「睡蓮」を眺めながら昼寝をするというのが私の愉しみのひとつである。(オランジュリの「睡蓮」の部屋は非常にエアコンがよく利いているので、真夏でも快適。おまけに昼寝向きのソファがある。昼寝から目覚めたぼんやりとした視野いっぱいにモネのあの「とろん」とした睡蓮が広がっているのは極上の快感である。)

入り口までいったのに、残念ながら今年は改装工事中で、2004年まで「睡蓮」は見られない。

ではモネの別の画を見に行こうかしらとオルセーに向かったが、あまりの炎天に頭がくらくらして、涼しいホテルに戻ることにした。

途中で気が変わって、サン・ポールで下車して、ピカソ美術館に行く。ピカソは見ているだけで元気がでるので、通常は旅の終わりごろの体力気力とも尽き果てたころに訪れることにしている。今回は、初日に来てしまった。

いつ見てもピカソはすごい。

すべての形象がどっしりと大地から立ち上がっている。大地のエネルギーを吸い上げているみたいだ。

芸術にはほとんど物理的な力がある。

はじめてオルセーに行った時、印象派の部屋にはいった瞬間にうしろから強い視線を感じて振り返ったらゴッホの画だった。

セザンヌ、モネ、ルノワール、マチス、みんな身体にびしびしと何かが伝わってくる。どんなに巧く描けていても、まったく「力」のない画というのもあるし。

これはいったいどういう仕掛けになっているのか。私にはうまく説明できない。

ピカソで元気になったので、そのまま部屋にもどって『メル友交換日記』の校正をする。どんどん進んで、とりあえず校正は終了。

夕方はジローさんご夫妻とカルチェ・ラタンの St. Julien-Le Pauvre 教会で Herbert du Plessis というピアニストのショパンの演奏会に行く。150 フラン。ピアノのまん前の第一列で一時間半たっぷりショパンを聴く。ショパンもなかなか過激であるが、曲想が似ているので、途中で旅の疲れもあって眠気が襲ってくる。

アンコールはリストの la Campnella これはお得意のレパートリーらしく、超絶技巧をご披露頂いて、観客はおおよろこび。

そのあとジローさんちで夕食。(カレーライス。ちゃんとカレールーを日本から持ってきたそうである。用意周到)

暑さと酔いと眠気でとりとめもない話をしているうちに11時となり、歩いて3分のホテルに戻る。さすが四つ星だけあって、快適にエアコンが利いている。お風呂に入って,ベッドで漱石の『猫』を読んでいるうちに5分で睡魔が襲ってくる。ぐー。


8月22日

フランス語語学研修の第一日目。

台風11号も無事に東海地方にそれて、前夜までの風雨も収まり、無事に出発できることになった。

午前9時50分、定刻に全員集合。国際交流センターの川村さんと日本旅行の下山さんに見送られて出国ゲートをくぐる。ブルーノ君へのお土産の杖と木刀は機内持込を禁じられて取り上げられてしまったが、その他はこともなし。

いきなり気分がだらけて早速昼から生ビールで一人で祝杯。そのままずるずると機内へ。ただちにシャンペンを頼んで気分がよくなる。そのまま昼飯で赤ワインをいただき,さらに気分がよくなる。

山本周五郎の一『樅の木は残った』を読み終える。なんだか気の滅入る話であったが、山本周五郎ファンのお兄ちゃんによると、原田甲斐は「日本男児の範例」であるそうである。

「何を考えているのかよく分からない人」が実は忠烈の士であり、全員に誤解されつつ一身に責任を引き受けて死ぬ、というところに『忠臣蔵』の大石蔵之助に通じるものがある。こういうタイプが「日本人がもっと好きな男のタイプ」であるというのはがなんとなく分かるような、分からないような。

ひまなので隣の席に座った三菱電機のレンヌ工場のお兄さんと携帯電話市場の展望と生産拠点の海外移転にともなう日本の産業構造の変化について意見の交換を行う。

私は異業種の人の話を聞くのが大好きなのであるが、このお兄さんは三浦友和に雰囲気のよく似た非常にクレバーかつフレンドリーな方で、きわめて適切にヨーロッパにおける携帯電話市場の問題点について説明してくれた。

ワインの酔いがまわってぐーすか寝ているうちに、フランスに到着。

すばやく荷物を拾い上げて、バスでパリへ。

ホテルはバスチーユ近くのヴィラ・ボーマルシェ。四つ星の豪華プチホテルである。

部屋割りをすませて、荷物をほどいていたら、約束の刻限となり、ジャン=リュック・ジローご夫妻が登場。増本、田積、豊田の三人の学生さんをともなってバスチーユ広場近くのビストロで夕食。

私はイワシと七面鳥を食べてロゼをごくごく飲む。

ジロー君を相手に与太を飛ばしながらワインを飲んでいると、ここがパリであるという気がぜんぜんしない。西宮北口あたりで学生を引き連れて宴会をしているような気分である。せっかくパリまで来て、北口気分というのも気楽なようなもったいないような。

ブールヴァール・ボーマルシェのカフェでアルマニャックを頂きつつ、パリの第一夜を満喫する。

今回のパリ滞在は用事らしい用事はなにもないので、まったく気楽である。

美術館をいくつか回るだけで、あとは公園に寝転んで、ノートパソコン相手に原稿の手直しのお仕事をするばかりである。

明日はジロー夫妻とサン・ミシェルにショパンを聴きに行くことになった。

もうすっかりバカンス気分である。


8月21日

台風がぴうぴう吹いているので、ひさしぶりに涼しい日が二日続いた。

私のマンションは高台の6階にあるので、晴れた日には大阪湾の彼方にくっきりと生駒金剛の稜線が見えるほど見晴らしがよろしいのであるが、今日は南の海岸線も白く霧がかかっている。もうすぐ台風が上陸する。

明日からフランス。荷造りはだいたい終わった。あとは持ってゆく文庫本の選択である。ヨーロッパで仕事のあいまに読むのに明治文学が「美味しい」というのが私の持論である。今回は荷風と漱石を持ってゆくことに決めている。荷風は評論集と『断腸亭日乗』で決まりなのであるが、漱石が『猫』のほかにどれにするかなかなか決まらない。

漱石を読み直そうと思っている理由にはほかにも理由がある。

「おじさんの系譜学」というエッセイを晶文社のホームページに秋から連載することになった。成島柳北、夏目漱石、永井荷風、内田百鬼園などを順次論じる予定であるが、そこでの主題は、近代文学は「おじさん」と「お兄さん」のあいだのヘゲモニー闘争として展開したのではないか、という仮説の検証である。

漱石の小説には男が二人出てきて対話する、という構図がよく使われる。『野分』や『二百十日』はそれだけだし、『虞美人草』の冒頭も同じ結構である。この二人こそ漱石が明治近代をいずれに託すべきかを逡巡した二つの「自我モデル」である、というのが私の仮説である。

ここで対話しているのは「おじさん」と「お兄さん」である。

年はだいたいいっしょだから、ことは実年齢とはかんけいない。問題は世界に対する彼らのスタンスである。

「あの烟るような島は何だろう」
「あの島か、いやに縹渺としているね。大方竹生島だろう。」
「本当かい」
「なあに、好い加減さ。雅号なんざ、どうだって、質さえ確かなら構わない主義だ」

よくできているね。『虞美人草』のわずか四行を抜き書きしただけで、この対話が「おじさん」と「お兄さん」のあいだのものであること、そして漱石が「おじさん」に深く感情移入していることが一目瞭然である。

私の「おじさん」論のテーマは明治の知識人たちが渾身の力を込めて造型した「近代日本を支える男性的エートス」が「おじさん」であったというものである。

近代以前に「おじさん」は存在しない。

日本文学史は明治近代は「お兄さん」を発明した、と論じてきた。高橋源一郎までそう書いている。

私はそれはちょっと違うんじゃないかと思う。

明治が発明したのは実は「近代的自我」ではなくて、「近代的自我」を生活者に鍛え直す機能、「近代的自我」にむやみな内省をさせない機能なのではないか。

これまでの文学史だと、『虞美人草』なら、主人公小野君(典型的な「お兄さん」だね、こいつは)の煩悶に焦点を宛てて来たけれど、私はむしろ宗近君(『猫』の苦沙彌先生と並ぶ漱石的「おじさん」のプロトタイプである)の造型に興味がある。だって、そっちの方がだんぜん私は好きなんだもん。

漱石の「則天去私」は漱石の「転回(ケーレ)」ではなく、「おじさんの王道」の帰結ではないか、私はかように考えるのである。

で、この手の「おじさん」的お兄さんの原点を成島柳北にまで遡及して、そこから明治文学史の読み直しを試みて見ようではないか、という壮大な企図なのである。

しかし、あれだね。

私も。

レヴィナス論を書き終わって「ライフワークが終わって虚脱している」とか一昨日書いておきながら、その翌々日には「明治以来の日本文学史の読み直し」計画を嬉々として語っているわけで、ほんとに「懲りないひと」なんだ。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の「いくら失敗しても懲りない科学者」ドクター・エメット・ブラウンみたいだ。


8月18日

昨日書いたとおり、一昨日の午後、レヴィナス論を書き上げた。まだ手直しは必要だが、大筋のところはもう終わった。

レヴィナス論というのは私の「ライフワーク」だったわけで、それを書いてしまったということは私のライフワークが終わったということである。

今年の春にるんちゃんが家を出ていって、18年間におよぶ私の「父親」としての仕事が終わった。

同じ頃に膝に膿腫が発見されて外科医から「運動禁止」を言い渡され、四半世紀に及ぶ私の武道家人生にも事実上終わりが宣告された。

「父親」と「武道家」と「研究者」の三つの「ライフワーク」がばたばたとほとんど同時に終わってしまったわけである。

というわけで、昨日は山本浩二画伯と、難波江和英先生と三人で「上川南店でハモや鯖のきずしや秋刀魚などを食べる会」が開催されたのであるが、期せずして、難波江さんの「人生心機一転祝い」と私の「ライフワーク終了あとは余生だ祝い」をかねることとなった。

ナバちゃんの「心機一転」はたいへんに夢に溢れた未来志向的ものなのであるのに対して、私の「ライフワーク終了」は肩の重荷がおりて気分は爽快なのであるが、どちらかというと、地平線まで何一つない広漠たる雪景色を見る爽快さというか、長旅の果てにオホーツクにどどおーんと打ち寄せる波を見て「おお、旅もこれで終わりか」的な解放感をともなったものである。

こういう感じはこれまで経験したことがない。

このあと私はどうなってしまうのか、自分でもよく分からない。

来週からフランスであるので、初秋のパリの街角で、静かにコーヒーなど喫しつつ、来し方行く末についてたまには静かに内省してみることにしよう。

ベルギーからK井K奈姫が一時帰国されたので、赤澤(旧姓尾川)牧子さんともども岡山で会食。姫と会うのはご本人の結婚式以来である。

「あーら、先生、お元気でしたー」と悠然と姫は登場。赤澤さんは岡山駅前交番のお巡りさんの「ここに車停めちゃだめだよ」というご注意をシカトしながら登場。

イタリアンレストランで昼食ののち、赤澤清和さんのガラス・スタジオに遊びに行く。

いつかガラス工房にグラスを作りにきませんかというお誘いを前から頂いていたので、その約束を果たしに来たのである。

インスタント吹きガラス講座を受講したのち、ただちに製作にとりかかる。

高温でねとねとしているガラスを鏝でこねこねするのはたいへんにむずかしく、それでも赤澤さんに手取り足取り助けて貰って、なんとかガラス器が二つできた。

一つはビールグラス、一つは冷や麦用のお椀に使わせて頂く予定である。ついでに、転がっていたガラスの「ひょうたん」を頂いて帰る。(これは箸置きに使う)

赤澤さんどうもありがとうございました。また行きますね。

そのあと再び岡山市内にもどり、三人でしばし歓談。

この子たちと語学研修のあとに寄ったヴェニスでワインを飲んでわいわい騒いだのがつい昨日のことのように思われる。

みんなしっかりと大人になってゆく。

うれしくもあり、ちょっと切なくもある。


8月17日

ようやくレヴィナス論が書き上がった。

構想5年、執筆1年(正味は夏休み二回と春休み一回)。

感慨無量である。

1985年に『困難な自由』の翻訳をしてから16年。ついに「お師匠さまに捧げる本」を書き上げた。

内容を簡単にご紹介すると

(1) 私はレヴィナス先生の「自称弟子」であり、本書はひたすら老師の完璧なる叡智を称えるだけの目的で書かれているので、学術的厳密性とか中立性とか実証性とか要求されても困る。

(2) レヴィナス先生のテクストは「謎」であり、これを解読するためには、「謎のテクストの解読法」というものを知らないと歯が立たないのであるが、「謎のテクストの解読法」こそがそもそもレヴィナス先生ご自身のテクストの主要論件なのである。つまり、私たちは「レヴィナスの読み方をレヴィナスから読みとる」あるいは「レヴィナスの学び方をレヴィナスから学ぶ」という無限ループ構造にここで跳び込むことになる。

(3) いわば自分の髪の毛をつかんで宙空に浮くようなもので、そんな読み方をすれば、実証性とか客観性はたしかに望むべくもない。だが、「なにがなんだかわけのわからないサスペンス」を味わえることは確実である。

(4) レヴィナス思想とは要するに「自前のバカ頭」(これをレヴィナスは「自己同一者」とか「主権的自我」とか名づける)が「他者」にひっかきまわされて解体する経験そのものを「バカ頭」をもって記述することはできるか、という問いをめぐる思考である。

(5) したがってレヴィナス思想について語るという経験はそのままレヴィナス思想の実践になってしまうのである。

(6) しかし、目がくるくる回るのはけっこう気持がいいし、「目がくるくる回りつつあるおのれの経験」について客観的かつ適切に記述するためにはけっこう頭も使う。

(7) 気持がよい上に勉強もはかどって、一粒で二度美味しい。

などという話から始まって、第一章では、レヴィナス哲学を概説、第二章は懸案の「サルにも分かる現象学」。第三章はフェミニストによるレヴィナス批判への反批判という、なんだかでたらめな構成になっている。

しかし、読み返してみると、われながら面白い。

私は「面白いレヴィナス論」というのを読んだ記憶がないが、多少すべった笑いにせよ、レヴィナス論に笑える箇所がある、というのはレアである。

やたら長くなってしまったのは、出てくる固有名や哲学思想については原則として「読者は予備知識がない」という前提で書いているからである。

テクスト論は「タルムードとはどういう本か」という話から、フッサール批判は「現象学とは何か」という問いからし、ボーヴォワール批判は実存主義の説明からし、イリガライ批判はフェミニズムの解説から入るのである。これではたしかに手間ひまがかかる。

手間ひまがかかるが仕方がない。

「大学生にも分かるレヴィナス論」を書く、と心に決めて書き始めたのである。(「大学生にも」という限定がなんだか哀しい。要するに「ものを知らない人」の代名詞なんだよね、いまでは「大学生」というのが)

ともかく、そういうわけで草稿は書き上がった。あとはこれを切り縮めるだけである。600枚くらい書いてしまったので、これを半分近くに刈り込まないといけない。その作業を夏休みの残り期間に『困難な自由』の改訳の片手間にするのである。

秋風の吹くころに出版社に原稿を渡して、年末か年明け早々くらいには本にしたい。

この本が出ると、私が生きているあいだに書かなければいけないと思っていた本はとりあえず書き終えたことになる。ライフワークが終わってしまったということである。

あとは余生である。

遊んで暮らせる。らりほー。


8月16日

フランス出発まであと1週間を切った。ぜんぜん支度をしていないが大丈夫であろうか。

けっこう大荷物である。パソコンと翻訳道具一式(辞書と変圧器が重い)。ブルーノくんとの稽古があるので道衣一式。着替えとカセットと文庫本(漱石と荷風)。インスタント味噌汁とダシの素も必携である。

通説によると、日本人はお醤油から必須アミノ酸の過半を摂取しておるので、お醤油をとらないでいると大変疲れやすくなるという。

これは実感としてよく分かる。

87年にフランスに行ったとき、3週目くらいになると同行の松本くんも私も肉とパンの食生活に消化器が疲れて、さっぱり食欲がなくなったことがあった。そのとき青い顔でカルチエ・ラタンの食堂街まで這って行って、中華料理屋で「ラーメン」状のものを食べておつゆをごくごく飲んだら、ほとんど瞬間的に蘇生した記憶がある。

以来海外旅行には必ず「お醤油パックとシマヤだしの素とわかめ」を持参することにしている。朝はまずホテルの部屋でお湯を沸かして「わかめのおつゆ」を飲むのである。

ほっこりとしあわせな気分になる。

パリにいるあいだほぼ隔日でオペラ横の日本食街に通って「札幌味噌ラーメン」を食べている私を見て「なんでパリまで来て・・・」と咎める人が多いが、こればかりはやめられない。趣味嗜好の問題というよりは栄養学的なバランスを配慮しての行動ということでご海容願いたいと思う。いいじゃないか、日本にいるときは牛肉とパスタをいつも食べてるんだから。

今日は一日ひとさまの論文を読んで過ごした。数百頁読んだが、それほどには疲れなかった。たぶん私の知らない話ばかりだからであろう。

異業種のひとの書く論文を読むのは、基本的に楽である。

学会誌の編集委員をしていたときもずいぶんたくさんひとの論文を読まされたが、これは読むのがたいへんに苦痛であった。というのは、同業者が書いたものなのに、私には理解できないことばかり書いてあるからである。一頁読むたびに「おまえはほんと無知だな」と頭をどづかれているようで、あまり気分がよろしくない。

その点、異業種論文の場合は、私の知らないことや分からないことがいくら出てきてもそれは私のせいではない。「ふーん、そういうもんなんだ」で済ませてどんどん読み進むことができる。

不思議なことだが、どれほど知らないことばかり書いてあっても、「知らないことばかり書いてある論文」同士の優劣は何のためらいもなく判定できる。

なぜそのようなことが可能であるのかというと、「かゆいところに手が届くかどうか」という規準で私が判定をしているからなのである。

説明しよう。

学術論文というのは、要するに「問いを立て、作業仮説を示し、論証する」というだけのものである。

「問いを立てる」というのは「かゆいところを示す」ということである。

「作業仮説」というのは「孫の手」である。

「論証する」というのは、「かゆいところを掻く」ということである。

よい論文というのは、「ほどよくかゆいところ」というものがたいへん実感的に提示され、ついで「孫の手」の構造と機能について、簡潔にして要を得た説明がある。しかるのちに、「ごりごり、さわさわ、くいくい」と「かゆいところをかきまくる」論証作業が行われるわけである。

よい論文ではこのプロセスが過不足なく進行し、読み終えたときに身体的な爽快感が残る。

だから、どれほど私の知らない学術領域のものであっても、「かゆみ」と「掻かれたあとの爽快感」の一致という点に焦点化して論文を読めば、基本的には論文完成度は査定できるのである。

ただしこれだけでは、当該学術領域におけるその知見の独創性や先端性までは査定できない。だから、そのへんは「孫の手」の新機軸を説明するときの「得意げな様子」とか、がりがり掻くときの「鼻息の荒さ」というようなものから推察するのである。

以上が私の年来の持説であるところの「孫の手・論文査定術」である。

卒論、修論の査定も同一基準だから、学生院生諸君は熟読玩味しておくように。


8月15日

今日も暑いが、なんとなく太陽の光にいまいち「力がない」感じがする。

こうやってゆっくり「ひとこそみえね秋はきにけり」なのであろうか。

NTT フレッツというものに入った。よく分からないのであるが、インターネット常時接続でお値段なんと定額月3300円という口上に乗せられて、またまたISDNに続いてNTT にご奉仕してしまった。次郎先生ごめんなさい。KDDIの新入社員のお二人さんもごめんね。裏切り者で。

私は「しつこいおばさんの営業」に弱い。

むかし生命保険に入ったときもそうであった。甲高い声で耳元でまくしたてられるのに耐えきれず、ついふらふらと「はいはい好きにしてください」と答えてしまったのである。

ISDNも今回のフレッツも、おばさんの電話営業にあっというまに屈服してしまった。このあたりに私の致命的弱点がある。

ISDNのときはダイアルアップまでずいぶん手間暇をかけたので、今回も新サービスへの切り替えで、しばらくインターネットが使えなくなって困惑することになるのだろうなとはなからあきらめていた。

案の定、NTT から送ってきたマニュアル通りに設定をしたがプロバイダには繋がらない。はははは。

どうして「一発OK」ということが私のパソコンライフにはついぞ起こらないのであろうか。もう怒る気にもならない。

6年前のマニュアルを引っぱり出してinfoweb のサービスに電話をする。もちろんそのようなものはもうこの世に存在しない。一応私の身に何が起こったのかを確認するために電話しただけである。

番号案内で聞いてみると、infoweb はnifty に化けたのであると教えてくれる。実はそんなことではないかとうすうす疑ってはいたのであるが、一応確認したのである。nifty のサービスに電話をするがもちろん繋がらない。「ただいまたいへんこみあっておりますので、おかけなおしください」と言うのを無視して10分間繋いだ待つ。

やっと繋がったのでフレッツISDNの設定の仕方を教えて下さいと頼む。

繋がらないのは当たり前で私は二つのミスを犯していたのである。

(1) プロバイダにフレッツを使うよとあらかじめ登録しておかないと使えない

(2) infoweb がnifty に化ける際に私のIDも別のIDに化けており、私はそれを知らなかった

ひとの知らないうちにプロバイダが勝手にアクセスポイントの電話番号を変えたり、IDを変えたりするのは困ったものである。

そういうことを連絡するメールが来てるでしょうというが、そんなDMみたいなクズメールなどを私がことこまかに読むはずがないではないか。

そういうときは「旦那、これを読んでおかないとインターネットが使えなくなりますぜ」という標題のメールにしておいてほしいものである。

ともかく奇跡的に今回は設定を開始して1時間で新しいインターネットサービスが機能しはじめた。

指定通りに設定してもコンピュータが動かないときにもすこしもあわてず、「そういうもんなのよ、コンピュータつうのは」といってコーヒーを一服して、いまや存在しないプロバイダのサービスに電話するところから始めるというクールというにはあまりに自暴自棄な態度が今回の短時間での機能回復につながったわけであるが、これをして「コンピュータ・リテラシーの向上」ということがはたしてできるであろうか。

私はできないと思う。

首相の靖国参拝と同じ大きさで新聞は尼崎の小学生死体遺棄事件を報じている。

私にはこの二つは「同一の潮流」の露頭であるように思える。

昨日書いたように、日本はいまはっきりと分裂に向かっている。分裂の中心になっているのはかつて私が「日本社会のもっとも弱い環」と呼んだ「子どもたち」である。今回の事件の容疑者である24歳の夫婦もこの「子どもたち」に類別してよいだろう。

この「子どもたち」に共通しているのは、「未来がない」「希望がない」(@村上龍)ということである。

「未来がない」というのは歴史的なパースペクティヴに即したものいいだが、これを個人的なレヴェルで見ると「ヒトのネコ化」ということになる。

ご存じのように「ネコに未来はない」。

それは別にネコは立身出世を望まないとかマルクス主義的でないとかそういうことではなく、ネコには「未来」という時間の観念がないということである。

「いまがよければそれでいーじゃん、にゃお」

というのがネコの生き方である。

これはこれである種の動物の人生(獣生だな)哲学としては、なかなか実利的であると思う。

ネコをゆすって、「そんなことじゃだめだよ。老後に備えて、貯金とかしたほうがいいぜ」などと説教するのはまったく無駄なことである。

私が「さいきんのわけーもん」について感じるのは、彼らが一様に「ネコ化」しつつあることである。

ネコ型若者の特徴は、彼らにとっての「いま」の時間幅が劇的に短縮していることである。

「若いんだから、いま人生を楽しまなくちゃ」というような場合、「楽しめる」期間はいちおう数年から十数年くらいのスパンを持っている。それだけあると、その中には仕事をする時間とか、世間とのお付き合いの時間とか、身体を鍛える時間とか、本を読む時間とか先祖の供養をする時間とかがごちゃごちゃと含まれている。

ほんらい、若者が「先のことはわかんねーよ」という場合の「先」というのは、実はずいぶん先のことであり、それまでの数年から十数年は「いま」に繰り込まれていたわけである。

それくらいのスパンがあれば、「いま」を楽しみつつも、手の空いているあいだに、人格陶冶とかスキルの習得とかいろいろなことができる。

ところが、最近のネコ化した若者において、「いま」は数時間から数日程度にまで短縮しているように思われる。

例えば、「むかついて」人を殺した場合、たいていは逮捕されて有罪になる。

「人を殺してむかつきがすっきりした」快感が持続する「いま」は数秒から数分程度であるが、逮捕拘禁裁判服役前科者に世間の風はつめてーぜ場合によっては死刑な一連の「未来」は数年から数十年ときには死ぬまで続く。

そのような「未来」と「いま」を引き替えにするのはどう考えても間尺に合わないように思うが、その「間尺に合わない」という発想法そのものが「未来」という概念を持たない人間には備わっていないのである。

あるいはまた、いきなり学校を止めて、家を出て、売春で生計を立てたり、おじさんの囲われ者になったりする中学生がいる。

学校に行かなくてよいというのはとりあえず「快」であろうし、ばんばんセックスするのもとりあえず「快」であるのかもしれない。

だが、そういうことをしている限り、誰からもレスペクトを得ることができない。

若い人はご存じないかもしれないが、人はパンのみにて生くるに非ず。実は他者からの敬意がないと社会的には生きていけないのである。(生物的には生きていけるけどね)

身体的快感とレスペクトの交換は、殺人と刑務所暮らしの交換ほど極端ではないけれど、ほんとうは致命的に不利なレートによる「いま」と「未来」の交換なのである。

「未来」をほとんど捨て値で「いま」と交換することがどれほど不利な取り引きなのか、若者たちは気づこうとしない。

というのも、、「いまがよければいーじゃん」思想自体は、若者のあいだではいまや圧倒的にドミナントなイデオロギーとなっているからである。

だから、「将来のことを考えて」こりこり勉強している高校生は、よほどの逸材でないかぎり「けっ、せこい野郎だぜ」という周囲の蔑みに効果的に返す言葉を持たない。(まさか「アリとキリギリス」の話をして聞かせるわけにもいかないし。だいたい「なんで、キリギリスがいけねんだよー。いーじゃねーか。シド・ビシャスみてーで。シブイじゃんか」と言われたら返す言葉がない)

人間が単にネコ化するだけであれば、実害はまだ少ない。

物置に放り込んで、マタタビでも舐めさせておけばさしあたりはおとなしくしているからね。

だが、「未来のない」人間はご覧の通りどんどん「いま」が短縮化してゆく傾向にある。

未来はないわ、現在は短いわではご本人の居場所というものがない。

行く先は一つしかない。

そう、「過去」に向かうのである。

「未来のない若者」たちは「過去」を住みかとするようになる。

それが昔のアニメ番組やC級ホラー映画や昔のロック音楽についてのトリヴィアクイズのだしっこ程度におさまっているうちはよろしいが、ふつうはそのあと「トラウマ探し」に踏み込むようになる。

「私の現在の不幸」は過去のある忌まわしい出来事によってすべて説明されるというのは未来がない若者にとってはたいへんにありがたいエクスキューズである。この先、どのようなぱっとしない未来が訪れようとも、それはすべて「トラウマ」のせいなのである。知的負荷が激減する。

知的負荷を減少させる説明が彼らの「マタタビ」である。

近年のTVドラマに「幼児期の精神外傷によって深く傷つき、(暴力衝動、過剰性欲、貪欲、不信、などなどが)自己統御できない登場人物」というのが続々と出てきていることにお気づきであろうか?

そのようなトラウマ的人間を「社会は暖かく受け容れなければいけないよ」というメッセージをTVはだらだら垂れ流している。もちろん人道的見地からではなく、そういう状況設定が「ネコ型若者」の「マタタビ」であることをあざといTV屋さんは熟知しているからである。

しかし、「むかし」志向はトリヴィアクイズとトラウマ探しだけではおさまらない。

さらに「起源の物語」というものにはまりこむものが出現する。

「原初の清浄」が「異物の侵入」によって汚され、それによって「本来私に所属するはずであったさまざまのリソース(社会的威信、財貨、情報、エロス的愉悦などなど)」が、「異物」によって簒奪された・・・それを「奪還せよ」、という「物語」が次の段階での「知的マタタビ」となる。

私が恐れているのは実はこれである。

歴史上の血腥い事件はそのほとんどがこの「原初の清浄」についての物語から始まっている。

「未来のない若者」はそれぞれの知的感性的資質にしたがって、「ネコ化」「トリヴィア・クイズ好き」「トラウマ探し」「原初の清浄説話」のいずれか(あるいはすべて)の道へ進んでゆく。

昨日も書いたとおり、私が真に恐れているのは最後のものだけである。

それがどのようなかたちをとることになるのか、私にはいまの段階では的確には予想できない。しかし、それが出現するであろうことはたしかである。

悪い予言はよく当たる。


8月14日

小泉首相が靖国神社に「前倒し」参拝した、という記事が出ていた。

この件についてはいままで何も書いていないので、ちょっとだけコメントしておく。

キャンプのときの清談で、「自民党は政党ではなく、ミニ日本である」という話が出た。

統一的な綱領も理念もなく、日本各地のさまざまな地域や業界の利益を代表しているひとたちの集団であるから、たしかにどちらかというと政党というより「日本の縮図」である。

その日本の縮図である自民党が世界に誇るのはその「合意形成システム」である。

これについては小泉ご本人が「加藤政局」のときに「わが党の合意形成システムはなかなかすごいよ」と自慢していた。「しかるべき落とし所にちゃんと落ち着くよ」

その「しかるべき落とし所」が小泉総理だったわけである。

私は去年の加藤政局のときに、小泉純一郎は「存外策士である」と書いた。

この人は日本社会ではどうやってものごとが決まってゆくのかについて、動物的な直観を持っている。(その点、ちょっと長嶋茂雄的)そして、それをコントロールする術もある程度持っている。

小泉首相の刻下の政治的課題は次のようなものである。

「構造改革による経済的体力の回復・国際社会での政治的威信の回復」。

構造改革とは「市場原理・自然淘汰」の導入である。マーケットが必要を認めない人間や組織は淘汰される。「全国民の市場価値に基づく差別化」である。「一億総中流」時代が終わり、「価値のある人間」と「ない人間」がきれいなグラデーションで並び、新たな階級分化が始まることになる。

構造改革は、あらわに「国民の差異化」「国民の分裂」を志向している。

その一方では、対米関係、対アジア関係をはじめ日本が国際社会の中でどのようにクレバーなパフォーマンスをするか、ということが切迫した課題となっている。

外交において適切かつ大胆にふるまうためには、政権担当者に対する国民の信認が必要である。すなわち国民の一体感と国論の統一が必要である。

しかるに、構造改革による国民の差別化・分断化は避けがたい。

ここに深刻な矛盾がある。

国民を分断しつつ、なお国民に一体感を抱かせるにはどうすればよいか?

これが「小泉純一郎の問題」である。

ほんらい政治過程には二つのファクターがある。「合意形成・利害調整」と「理念統合」である。

戦後日本では一貫して「合意形成・利害調整システム」だけが「リカルポリティーク」と呼ばれてきた。その「竹下型政治手法」に限界が来て、今日の危機的状況がある。

ということは、これまでないがしろにされてきた第二のファクター「国家的理念による国民の統合」が前景化することになる。

まず大胆な政策を実施し、その効用で事後的に国民的同意を確保する、という「理念先行」型政治家が輩出することになったのは、そのような流れのなかに位置づけられるだろう。(メディアが「ポピュリスト」と呼ぶのはこのタイプの人々のことである。)

さて、日本の政治プロセスにおいては、「合意形成・利害調整システム」と「理念統合システム」は伝統的に別の政治単位が分担してきた。

ご存じのように、それは「アマテラス」と「スサノオ」から、「卑弥呼」と「弟君」を経て、「藤原氏」と「朝廷」、「歴代幕府」と「朝廷」、「代議制民主主義」と「天皇制」というかたちで、連綿と受け継がれている。

合意形成と利害調整のシステムが破綻し、理念先導型で危機を乗り切る、ということになると、これは敗戦以来56年ぶりに「アマテラス」的政治単位の出番である。

小泉首相は直観的に、戦後半世紀にして「天皇制」を効果的に政治利用する機会が来たことを察知したのである。

天皇のために殉じた軍人を祀る靖国神社に参拝するというパフォーマンスのねらいは政治的には一つしかない。

それは天皇への忠誠と崇敬を示すということである。

小泉純一郎自身がどのような天皇観をもっているかは知らないけれど、「存外策士」であるこの政治家が、「天皇カード」の使いどきということを考えていることはまちがいない。

「天皇カード」は130 年前の明治維新では効果的に使われたが、その次は大失敗した。小泉首相はおそらく明治維新のときの「天皇カード」の使い方を念頭にして、「現実には分断され差別化されている人々が、それにもかかわらず公共的利害を共有しているという幻想を抱く」ようにするにはどうしたらよいのか、ということを考えているはずである。

私はこのような政治的発想そのものは間違っているとは思わない。

「天皇カード」が政治的に有意なファクターであるかぎり、誰かがどこかで使う気になるのは止めることはできないと思う。

ただこれは非常に危険なカードであり、使い方を間違えると大変なことになる。

いまの政権担当者たちが考えているのは、

(1) 日本はあらゆる水準で(政治的・経済的・文化的・人種的)国民の分断化に向かっており、それは構造改革でさらに加速される

(2) 国家として国際社会で生き延びるためには、国民的統一が喫緊である

(3) 国民的統合という幻想を効果的に担いうる政治的機能を日本は経験的に一つ持っている。

ということである。

しかし、そのもう少し「先」までできたら想像力を働かせて欲しいと思う。

国民の分断化は若い世代の知性とモラル低下と、多民族化の進行のために予想以上にはやく進行している。

構造改革の進行はいずれ若い世代から大量の失業者を生み出すだろう。そのとき、アジアからの移民(それも高学歴の)が中間管理職や流通の末端を押さえ、日本の低学歴・低職能の若者が、その下で未熟練労働に従事するようになる。(だってバカなんだもん)

つまり、社会の最上層に「日本人」、なかほどに「アジア移民」、最下層に「日本人」という「サンドイッチ型」の階級構成になることが予測されるのである。

遠い先のことではない。

ここに当然「移民問題」というものが発生する。

若いバカ日本人の未熟練労働者や失業者が新しい暴力的なナショナリズムの培地となり、天皇制イデオロギーの信奉者として登場してくる可能性は非常に高い。というか、ほとんど確実であると私は思っている。

だから、問題はいかにしてそのような事態を阻止するか、である。

狂信的ナショナリズムに基づくテロリズムこそは、私たちがどんな代価を払っても回避しなければならないものである。それこそがほんとうは構造改革より国際社会での威信回復よりも「急務」なのである。

そのへんの先のことまで、ぜひ考慮にいれて小泉首相には「熟慮」して頂きたかったと思う。


8月13日

恒例の中禅寺湖での久保山裕司メモリアル・キャンプを終えて、帰ってきた。

キャンプは20年ほど前に久保山、伊藤ご夫妻4人で始まった。15年ほど前に私がそれに加わり、以後、浜田、澤田、太田、竹信と蛍雪友の会のお歴々が順次参加するようになり、家族を含めて10名以上の大所帯キャンプを張っていた。

癌を発症したあとも、キャンプにだけは参加していた久保山隊長が96年の12月に亡くなり、翌年から「法事」として続けていたが、子どもたちは成長あそばして、もうキャンプなんかには関心を示さず、奥様たちも姿を消し、ついに今年から「純正おじさんキャンプ」になってしまった。

そのおじさんたちのうち、太田くんは精密検査にひっかかり、竹信くんは引っ越し騒ぎにとりまぎれ、参加したのは伊藤“コスモ石油”茂敏くんと、澤田“コニカ”潔くんと私の三人だけ。キャンプ史上最小の規模になってしまった。

それでも、相変わらず、無精ひげを生やしたおじさん三人が泥にまみれてずるずるとカップラーメンを啜り、スカッチを汲む。なりと食事はみすぼらしいが話題だけは世界史、世界経済、国際政治分析と妙にカタイ。

私は年に一度このキャンプでじべたにごろごろしながら、日本経済の激動の渦中にあるサラリーマンのおじさんたちから世間のナマ話を聴いて、いろいろとご教示いただくことをこの上ない愉しみとしている。今回も日本経済の危機的状況や、青少年ととりまく亡国的文化状況をはじめ、実に多くの有意義なお話を拝聴した。

恒例通り、しっかり雨に濡れてどろどろになって二泊のキャンプを終え、湯元の温泉寺へ上る。薬師湯で三日分の垢を洗い流し、さっぱりしてから煙雨の中を帰京。

その足で相模原の両親宅へ。

お兄ちゃんが甥のヨータンを連れてサイクリングの途中で実家に来ていた。山形以来の父、兄とウィスキーを啜りながら歓談。

季節柄、恐い話をききたいというヨータンのリクエストで、母が「相模台・恐怖の心霊スポット」を、私が「香港・猫茶器の祟り」と「九品仏UFO事件」の超常現象二席を演じる。

あまり知られていないことであるが、私は心霊のたたり、とUFOとのコンタクトを実地に経験しているレアな大学教師である。「霊界は存在する」と「地球外生命体は存在する」は私の経験的確信である。私の実証科学に対する姿勢にどこかなめた態度が散見されるのはおそらくそのせいである。

翌日は兄たちを送り出したあと、母とお茶を呑みながら世間話。

私は小学生のころから、母と台所のテーブルをはさんでお茶をしながら世間(といっても親戚と近所の人たちのことですけど)の家庭内事情について「あることないこと」詮索するのがたいへんに好きであった。今回も話題は奇をきわめ、二時間ほどふたりでしゃべりまくる。

今回の母の結論は「さっさと離婚して、さっさと子離れしておいて、あんたはよかったよ」というものであった。聞けば聞くほど世上の夫婦親子の葛藤は昨日の怪談を超えるオソロシサであった。

帰省ラッシュを避けて夕方相模原を発ち、たらたらと東名を下り、午後11時に無事御影着。行きも帰りも車内はずっと大瀧詠一と山下達郎の「新春放談」(97年から01年まで)と大瀧詠一の「日本ポップス伝2」を聴き続ける。もう何十回も聴いているので、テープがそろそろすり切れてきた。これはどちらも活字にするかCD化して頂きたいものである。ラジオ関東でやっていた「ゴーゴー・ナイアガラ」をテープから起こしてCD化するとかそういうことはできないのであろうか。ワンセット5万円でもうれし泣きして買うというナイアガラーが日本に1000人はいると思うけど。だめでしょうか。


8月6日

あさってからいよいよ「難民キャンプ」である。というわけで、このホームページも8月13日までは更新されません。そのあとすぐにフランスに行くので、場合によったら、そのまま10月まで更新されないかもしれません。

ではみなさん、Bonnes Vacances!


8月5日

毎日同じ日課。これで六日目。

毎朝8時に起きて、同じめにうの朝御飯を食べて、そのままパソコンに向かって、

ずっと原稿を書いている。家を出るのは一日一回NOVAに行って一時間半フランス語をしゃべって帰ってくるだけ。(帰りに買い物して、ツタヤでヴィデオを借りる。)また机に向かって、夜の9時になったら切り上げて晩御飯を食べて、ワインかウイスキーを呑みながら映画を見て、12時になったら寝る。

こういう生活こそ私にとって「最高に充実した夢の生活」なのであるが、なかなかそのあたりの消息がご理解頂けない。

「ええー、よくそれで退屈じゃないですね」

ぜんぜん退屈じゃないよ。

夏休みだからこそ実現できる「夢の単調生活」なんだよ、これが。

世の中には「変化」を求める人がいる。

毎日毎日祝祭的に愉しいことが手を変え品を変えて変化することを望む人がいる。

こういう人こそ変わり者だと私は思う。

私は「変化」が嫌いである。

いちど始めたことはやめない主義であるし、ご飯のめにうだって一度気に入ると毎日同じものを食べる。(このあたりは敬愛する内田百鬼園先生と同じ)自動車のコースだって変えないし、大学に来て行くスーツのローテーションも決まっている。

というのも、「生物の本質は変化である」から(@ドクター北之園)私たちがいくら「変化」をいやがっても、先方が勝手に私たちを訪れてくるからである。

私は「変化」の嫌いな少年だった。できるだけ「今日は昨日の続き、明日は今日の続き」であってほしいと切望していた。そこで、「私は私のペースでやりたいようにやらせていただきます」と宣言したら、あっというまにシステムから叩き出されて、目も眩むようなばたばたした少年期を過ごすことになってしまった。

結婚したあとはせめて身を落ち着けてと思ったのであるが、結婚が「身を固める」というのは大嘘で、私の「身」はこなごなに「砕けて」しまった。

大学に定職を得てようやく「夢の単調生活」を期待していたのであるが、次々と難題続出で次々と新しいことをしないと生きのびていけない。

私は16歳からいままで30年間に16回引っ越している。(そのたびに生活形態が変わり、毎回同居人の顔ぶれも変わった。)だから、16歳からあと私の身に起きた「変化」の数々を思うと、思い出すだけで目が回りそうである。ほうっておいても、そういうことになってしまうのである。だからこそ、私はできるだけ自分にコントロールできる範囲では、変化をしないように心がけているのである。

しかし、すべてが同じ状態にとどまっているようにコントロールするのはたいへんな仕事である。(エントロピーの増大を阻止するわけなんだから)

毎日同じご飯のおかずをキープするのは、出たとこ勝負で好きなものを好きな時間に食べるより、消費エネルギーが多い。

というわけで、ふだんの生活では、外的変化に屈服して、「もう好きにしてくれ」というなげやりな状態になって変化を受け容れている私も、夏休みは持てるエネルギーのすべてを投じて、「昨日と全く変わらない今日」を孜孜として貫徹しているのである。


8月4日

世界的にめちゃくちゃ暑い夏のようである。

ヨーロッパは全体に緯度が高いので、冬が長く、夏は短い。

だからイギリス、フランス、ドイツあたりの建物は暖房は完備しているが、冷房の備えはほとんどない。30度を超えるような日など一年に2週間くらいしかない。そんなわずかな期間のために冷房装置を備えるのは費用対効果が悪いし、第一その時期はバカンス中だからふつうは家になんかいない。

しかし、ここ数年の夏の暑さに、ヨーロッパのみなさんもそうおっとり構えてはいられなくなったようである。

バッキンガム宮殿には冷房がない。あまりの暑さに皇太后が熱中症で倒れたそうである。ベルリンでも人々が遊泳禁止の池にどんどん飛び込んでいるという報道である。

7年ほど前にもずいぶん暑い夏があって、そのときちょうどパリにいた。シャイヨー宮の前の大噴水に何十人も人々が裸になって泳いでいた。涼しそうだなあと思ったが、気後れがして噴水には飛び込まなかった。

25年ほど前のパリはセーヌ川に「プール船」というのが浮かんでいた。このプールは水深が深く、ミネラル・ウォーターに浸かっているようで実に気分がよろしい。

プールサイドはバーになっていて、冷たいカクテルなんかのめるので、いよいよ快適である。

その夏も、ふと思い出して「プール船」を探したのだが、見つからなかった。

今年のヨーロッパは9月まで暑さが続くであろうという予報である。今年の夏は語学研修のつきそいで、8月22日から9月13日までフランスに滞在する。

ふつうなら9月になるとパリは爽やかな初秋である。私は前回の滞在のときには、パリで革のコートを買った。今年はどうもそういうわけにはいかないようである。

今年はパリに野崎くんがいる。いちどくらいはご飯を食べる機会があるだろう。

ブルターニュには梁川くんがいるが、ちょっとブルターニュまで足を伸ばす余裕がない。

ベルギーにはK井さんがいるので、ぜひパリでお会いしたい。

バーゼルの吉国さんとはブザンソンで同窓会ができるかもしれない。

ブザンソンのブルーノくんは腕を撫して私の到来をお待ちかねである。何とか現地で合気道の指導ができるように膝を治しておきたいものである。


8月3日

朝から晩まで机にむかってレヴィナス論を書いている。

家から出るのは、夕方から一日一回NOVAに行くだけ。

そこでフランス語を80分間話して、家に戻って、お風呂にはいって、ワインを呑んで、バカ映画を見て、一日が終わる。

口を開いて話している言語は、この四日間はフランス語の方が多い。

22日にフランスに出発なので、錆び付いたフランス語をなんとか使える水準に戻すためにとにかく毎日通うことにした。

考えてみると、私は三宮のNOVAが開校したころからの生徒である。もう10年生だ。そのあいだずっと同じレヴェルをキープしている。一度だけレヴェルアップの話があったのだが、講師の一人が「こいつは小学生が知っているような単語を知らない」という理由で反対したので、沙汰やみとなった。

15ヶ月ぶりのNOVAであるが、四日連続して通ったら、今日あたりちょっと調子が出てきて相手の話の90% くらいが分かるようになった。

分かるといっても、それはオーラル的に分かるというのとはちょっと違う。

しゃべっている相手の顔の下にフランス語字幕が出るので、それを読んでいるのである。調子がいいときは、この字幕の出方が順調で、音声の前に「次の台詞」の字幕が出たりする。その場合は、「字幕」の文字を順番に音声がたどって行く「カラオケの歌詞」状態になる。

逆にしゃべるときは頭の中にフランス語字幕が浮かぶので、それを読み上げる。

調子が悪いときは字幕が出ない。しかたがないので、「かねて用意の」ストックフレーズとストック小咄を小出しにしてお茶を濁すことになる。

これまで何度もしゃべったことのある2、3分程度の「ストック小咄」を二つ三つつなげていると、場つなぎにはなるが、なんだか情けない気分になる。

こういう「ずるずると芋づる式に」繰り出してくるストックフレーズをあらかじめ300 とか500 とか仕込んでおいて、それを繰り返す、というのは外国語学習法としては効果的なのであろうが、個人的にはいまひとつ納得がいかない。

ひとと話す以上は一期一会なのであるから、その瞬間に頭に浮かんだオリジナルかつユニークなアイディアをフランス語にしてみたいと欲張ってしまう。その場で思いついたことであるから、当然日本語でさえうまく言えない。それをフランス語で言おうというのであるから、まあ、無理である。

今日言おうとしてうまく言えなかったのはこんな話。

「武道における師弟関係の本質は、弟子が師を選ぶ自由をもっているという点に存する。

しかるに、弟子は、定義上、師が何者であり、どの程度の技量をもち、どの程度の格の人物であるかを判定できない。

判定できないにもかかわらず、それを判定しなければ弟子入りできない、という不条理のうちに師弟関係の緊張はある。

しかし、この判定による弟子入りの成否はしばしば師が『ほんとうはなにものであるか』にはかかわらない。

というのは、弟子の仕事とは師を『完全な人物』と思いこみ、その一挙手一投足のうちに叡智の徴を見出すことだからである。

弟子はそうやってしばしば師が教えようとしていたこと以上のことを学び知ることができる。

師弟関係とはほんらい純粋に機能的な関係であり、師弟それぞれの人間的資質とは無関係なのである。」

これは私の持論だから、なんとかフランス語でもたどたどしくは言えるのであるが、調子にのって、これをいきなり敷衍して、「そもそも日本社会は師弟関係を軸として作られた社会である」とでまかせを言ってしまったもので収拾がつかなくなってしまった。

幸い時間切りとなったが、次に「続きをきかせろ」といわれらどうやってつなげたらよいのであろうか。


8月1日

夏休み3日目。順調に「お仕事マシン」と化して、レヴィナス論を書きまくる。

いつも書いていることだが、こういうものは「その世界」に入り込んでしまわないとどうしてもある程度以上の深度に達しない。

かつて竹信くんに聞いた名言に「数学の問題は肘で解け」というのがある(これは灘校の伝統的な教育的箴言らしい)。それと同じで、哲学的な著作というようなものの場合は「身体で読む」ということが必要となる。

こちらの自前の頭で読んでいたのではどうしても理解の届かない境位というものがある。(なければ困るし。)しかし、こちらとしては手持ちのバカ頭以外にものを考える装置というものを持ち合わせていない。となると、とにかく「自前の頭では理解できないことを、むりやり理解させる」という不可能に挑戦することになる。

「身体で読む」のである。

レヴィナスならレヴィナスを毎日5時間1ヶ月間読み続けていると、身体が(文を読むときのリズム感が)「レヴィナス化」してくる。あののたくるような「・・・・ではないのだろうか?」という否定疑問文の列挙が「快感」になってくる瞬間が訪れる。どこにも着地できずに空中を遊泳するような思考の不安が「心地よいスリル」であるような瞬間が訪れる。そのとき、ふいに「次にレヴィナスが何を言い出すか」がわかる、という奇蹟が起こる。

これが「その世界に入り込む」ということである。

私がこういうことが可能であるというのを知ったのは25年ほど前にハイデガーの『存在と時間』を読んだときのことである。このときは1ヶ月間、朝から晩までハイデガーを読んでいた。一月後に私は「ハイデガー」に憑依された状態になっていた。

これでよいのである。

いま書いているレヴィナス論は、第二章でフッサール現象学について言及しているのであるが、そのころ(今年の3月ごろ)は何週間か連続してフッサールばかり読んでいたので、第二章だけ文体がまるで違っている。(「フッサール」に憑依されていたのである。)

身体で読むことの不便な点は、

(1)「身体で読む」段階に達するまでのウォームアップにたいへん時間がかかる。

(2)「憑依」されている時期が過ぎると、文字通り「憑きものが落ちたように」なってしまって、そこで書いたり読んだりしたことはすべて忘れてしまう。

なかなかうまくゆかないものである。

しかし、その代わりに自分が書いたものをあとになって読んで、「ふーん、そういうことだったのか」と感心するという「アルジャーノン」的感覚を味わうこともできる。

身体で読んだものはなにしろ一度は自分の身体を通過しているわけだから、私にはたいへんなじみやすい「味付け」になっている。だから、自分で書いた「・・・論」はほかの誰が書いたものよりも読みやすいのである。