夜霧世今夜もクロコダイル

Another Crocodile in the night mist: from 1 Jan 2001



9月30日

51歳の誕生日。

いろいろな方からグリーティングをいただく。どうもありがとうございました。

フランスからブルーノくん、ヴィンスくん、コッシーくんから「お誕生日おめでとう」電話をいただいてびっくり。

るんちゃんからもお祝いの電話がある。「誕生祝いにワインを送ったよ」とのこと。落涙。

若い時は、まさか自分が21世紀まで生き延びられるとは思っていなかったし、51歳などという年齢に達することなど想像もしていなかった。

しかるに便々と馬齢を重ねているうちに、昔なら「ご隠居」とか「老人」とか言われる年になってしまった。

たしかに歯は抜けるし、膝は痛むしで、私が肉食獣であれば、もうとっくに餓死している。

さいわい霊長類の一員なので、噛めなくても走れなくても、舌先三寸の話芸でお鳥目を頂戴して口を糊することだけはできる。

加えて物欲もとみに衰えた。いますぐ欲しいものといわれたらジャガーと海岸の別荘くらいしか思いつかない。とはいえ、兄上さまが環境を考えてプリウスを買えとうるさいし、日本海岸はこれから雪が降って寒くなるから、この欲望もあまり切実とはいえない。

老後の生活を想像するのが最近の楽しみである。

基本パターンは定番である海辺の家での「晴耕雨読」の半農生活。

「さつま白波」の宣伝で森本レオがやってるような生活。あれはいまどきの中年男性の欲望をみごとに図像化していると私は思う。古い日本家屋の縁側から海が見えて、そこに日が沈んで行くころ、男一人が膳を用意して、旬の美味しいものをつまみながら、「くい」っとさつま白波のお湯割りを呑むのである。

ああ、これだけでいい、もう何にもいらない、という表情を森本レオがする。

いいね、あれは。

私の場合はそれに「犬」がいる。

雑種の老犬の頭をなでながら、「今日も暑くなりそうだね」とぼそりとつぶやく、というのは前に書いたな。

浴衣の尻をはしょって、麦わら帽子をかぶって、庭でトマトなんか栽培するのもよろしい。

もともとガーデニングなどにはまるで興味がない私であるから、当然、トマトは青いし、茄子は唐辛子みたいだし、キャベツは結球しないのだが、そんなの平気である。

そういう「かっこ」がしたいだけなんだから。

あとは孫が遊びに来る。私にとっては目に入れても痛くない孫であるが、向こうは生意気だから(私の孫でるんの子どもなんだから超絶クソ生意気子どもであるはずである)「バカ爺い、早く死ね」とかいっては乱暴狼藉の限りを尽くし、私の珍重している壺とか掛け軸とか(ないけど)を割ったり破ったりするのである。私はそれを温顔でにこにこして見ているのである。

いいね。

夕方になると海岸に犬とでかけて日没に見入る。

「やっとみつけたよ」

「何を?」(と犬が問うのである。しゃべる犬なのね、うちのは)

「永遠を」

などなど。

こういう晩年を勝手に想像して私は楽しんでいる。

「いかに気分よく老いるか?」

どうせ回避できない問いなら、笑いながら考えた方がいいと私は思う。

 

ひさしぶりのお休みなので、『千と千尋の神隠し』を見に行く。

日本全国で1700万人が見たというのに、映画館はいまだ長蛇の列である。

鈴木晶先生は「宮崎駿は日本の誇りだ」という一行だけの感想をしたためていたけれど、たしかにそうだと思う。

幻想的な世界に、ずっしりしたリアリティがある。

『ファイナル・ファンタジー』には図像的なリアルさはあるが、それは見ている私たちの身体や感覚に肉薄してくる種類のリアリティではない。

「ああ、この図像は現実のある種の断片によく似せているなあ」と感心している「私」は、現実とヴァーチャルリアリティをふたつながら見下ろしている「外の視点」に立っている。

宮崎駿の幻想世界のリアリティはそれとは違う。

図像的はまったく絵空事なのに、ぞくっとするような身体的なリアリティ、感情のひだの奥に触れるような「なまなましさ」がある。私たちは映画の「内側」に引きずり込まれている。

どうしてこういうことが可能なのだろう。

物語がとりわけ深遠であるわけではないし、映像技術が目を見張るほどに高度なわけでもない。

にもかかわらず私たちはアニメの登場人物といっしょに呼吸し、いっしょにどきどきしている。

それはおそらく、宮崎駿という個人を経由することで、物語と技術が完全な調和を見出しているからである。

いわば映画を見ている私たちは宮崎駿の身体に入り込んで、宮崎駿の夢をいっしょに見ているのである。

他人の身体に入り込んで、他人の夢を見る。

それが映画を見るという経験のもたらす最大の愉悦であると私は前に書いたことがある。

宮崎駿が私たちに与えてくれるのはまさしくそのような種類の愉悦である。

そして、その愉悦を観客に提供するために、宮崎駿はほとんど自分の命を削っている。

そのようなフィルムメーカーはたしかに希有である。

私たちが宮崎駿に送るべきなのは、「称賛」ではなく、むしろ「感謝」の言葉であると私は思う。


9月29日

臨時教授会。

理事長からある事件についての「説明」を受ける。

非常に不愉快な話であった。

しかし、ことは「不愉快」というような感情レベルの印象を語って済ませることのできない質のものである。

残念ながら、いまの段階では抽象的な言葉で「一般論」を語るほかないけれど、私の原則的な意見だけ言っておきたい。

「制度疲労」から生じた問題については、情報を開示して、事実関係の究明・責任の追求を公開の場での検証に付すという「透明性の確保」が死活的に重要である。

「組織維持のためには、組織の破綻の事実を公開しない方がいい。責任を追求すると組織の恥が表に出るから、責任は追求しない方がいい」という論法は、一見すると世間の仕組みを熟知した大人の知恵のように見える。

だが、外務省や厚生省や神奈川県警や福岡地検でのどたばた騒ぎから私たちが学んだのは、そのようなロジックの無効性と危険性である。

どのような組織も「組織の破綻は隠蔽するほうが組織の利益になる」という逃げ口上に頼ったとき、内部から酸に冒されるようにモラルハザードに浸食される。

最初は「なんだか、やる気がなくなっちまったな」というようなささやかな愚痴から始まり、そのうちに「あれだけのミスをしても不問で済むのに、これくらいのミスでがたがた言わないでくれよ」という言い訳がはびこるようになり、やがて「どうせ誰も責任をとらないんだから、私もとらないよ」という居直りが常態となる。そうやって組織は腐ってゆくのである。

現に「ドブに棄てる金があるなら、こっちに回せ」という発言を教授会で口にする教員がいた。これはすでにモラルハザードの徴候である。

「パイを分割する係」に明確なポリシーがないことが分かってしまった以上、全員が「われもわれも」と権利を主張するようになり、結局声の大きいものから順番に「パイの取り分」が増えることになる。このまま事態が推移すれば、たぶんそうなる。

そうやって「いちばんエゴイスティックな環」から組織が分断されてゆく。その徴候はすでに見え始めている。

常識的なことだが、もう一度繰り返す。

組織の健全性は、「一見健全に見える」ように見てくれを工作することではなく、「病んでいる」という事実を直視し、それを痛みとともに摘抉する能力と、そのプロセスを公開する誠実さによって計量される。そして、その自己摘抉の作業を透明性の高い機関において、相互信頼に基づいて遂行することを通じて、組織の結束は回復される。

私はそう考える。


9月28日

いろいろな会社からまたぱらぱらとお仕事のオッファーが来る。

もともと八方美人なので、お仕事のオッファーはすぐに「やりますやります」と気楽な返事をしてしまって、あとでゆっくり後悔することになる。

今月にはいってからはLマガジンという関西の情報誌とB芸S秋社からお仕事の打診があった。

情報誌とか雑誌に「新作映画評」というようなものを書かせてくれるのであれば「わんわん」と食いつきそうである。私はいちどでいいから「試写室」というところに「インサイダー面」して入って「よ、山ちゃん、元気?カンヌどうだった?」みたいなことを言ってみたい煩悩の犬なのである。わんわん。

映画のこととか小説のこととかTVのこととかについてよしなしごとを書いてお鳥目がいただけるなんてうれしい仕事は他にない。レヴィナスの翻訳なんか、3年かかっても印税は「おもち代」である。いえ、中根さんべつに少ないって文句言ってるんじゃないんですよ。師匠へのご恩返しでやってる仕事ですから、この上印税もらったらバチが当たりますから。

「じゃ、今年から印税なしということにさせていただきます」

「あ、中根さーん。やだなー。本気にとらないでくださいよ。修辞的誇張ですよ。」

あとは「でたらめ時評」だな。

私の「でたらめ時評」は「前から思っていたことであるが」とか「あまり知られていないことであるが」とかいう前ふりで始まることが多いが、あれはほとんどがその場で思いついたことを書いているのである。

その場で思いついたことを言うとき、なぜか人間は「前からおもってたんだけどさ」というマクラをふるのである。

「おまえのためをおもっていうんだけどさ」で始まる言葉がほとんどの場合いやがらせのために言われるように、「客観的に言えばさ」というのが偏見の隠れ蓑であるように、「わたし的にはー」というマクラのあとには必ず誰でも言いそうな俗見が開陳されるように。

私に「政治評論」とか「社会時評」を書かせようという怖いもの知らずのエディターがどこかにいないものであろうか。

あとはなんだろうな。

あ、そうだ「人生相談」だ。

これは橋本治先生のすばらしいお仕事があるが、私もぜひやってみたい仕事のひとつである。

私は「人間は自分の人生を台無しにする権利がある」という立場をとっているので、どんどん不幸にはまってゆく人々に対して、たいへんに友好的であり、どちらかというと、がけっぷちでためらっている人の背中をやさしく押してあげたいというタイプである。そういう悪意あふれる人生相談というのは、あまり先例がないようなので、一度やってみたいと思う。

ということで関係各方面のみなさまいかがでしょうか。


9月27日

大学院の秋季入試。

総文は来年度から大学院博士課程が増設されることがほぼ決まっている。ご祝儀で倍率が高くなるかと思ったら、あまり受験者がいない。どういうことであろう。

不況で就職状況が悪いので、大学院進学率が上がると思っていたが、単純にそういうものでもないようだ。

学生たちの進路決定のメカニズムはなかなか複雑で、予測がつきにくい。

戦後についてだけ言えば「社会的適応力がないから、とりあえずモラトリアムで大学院にでも行くか」とういような動機の薄弱な人々が院生の支配的な率を占めていたころ、大学院はたいへんに多様な人材をかかえこんでおり、わけのわからない研究を始める人間が多く、結果的になかなか生産的であった。

逆に、「ぜひ大学院に進学して学問で身を立てたい」という動機のきっちりした院生がふえると、大学院生のクオリティが均質化し、学術的方法も規範順応的になり、結果的に出てくる研究がつまらなくなる。(その結果、大学教員の社会的プレスティージが低下し、その結果、「秀才」が来なくなって、どこの馬の骨とも知れぬ「モラトリアム院生」がふえて、またまた大学院がにぎやかな場となる・・・という循環が繰り返されるのである。)

現在の大学院は研究者育成機関としては、あまり期待できない。(何しろ大学がなくなる時代なんだから)だから、当然、優秀な人は大学院なんか来ない。来るのは、「就職もないし、とりあえずあと何年か学生をやってごろごろしてたい」という態度の悪い人たちばかりである。

私はそういう「態度の悪い学生」をこそ歓迎したいと思っている。理由は上述のとおり。

しかるに、最近の「態度の悪い学生」はみんなSEかフリーターになってしまうらしい。そんなところに人材を集めてどうするのであろうか。まったく困ったものである。

いまからでも遅くはない。「社会性が欠けている点については、ちょっと自信がある」諸君、大学院は君たちを待っておるぞ。春季入試もあるからね。よろしく。


9月26日

学校が始まった。さっそく政策構想委員会(別名「ゆめうつつ」委員会)の提言をうかがう科別教授会ロングヴァージョンが開かれる。

「ゆめうつつ」というわりには、「うつつ」のほうに軸足が乗ったシビアな提言を拝聴する。ブザンソン、バリ、神鍋高原と「ゆめ」のなかで5週間ほど過ごしてきた身は、なかなかうまく「うつつ」に着地できない。(ちなみに「ゆめうつつ」とは「夢現」と書くのだよ)

しかしいやおうなく仕事は始まる。

今日から毎日スーツを着てネクタイを締めて出勤である。とほほ。

10月も忙しい。

10月4日:卒論中間発表会(みんな、がんばってるかい!12時からD-328ね。そのあと打ち上げ宴会。おでんと「炊き込みご飯」を用意して待ってるよ)

10月6日-8日:多田塾合宿

10月12日:教員研修会(私は実行委員長)

10月15日:ビン君講演会『ヴェトナムから見た日本』(4時半よりJD館大会議室)

ともりだくさん。

11月は大学祭、自由が丘道場40周年大会、月末は「ひょうご講座」で構造主義の講演。

12月は7日8日に甲野善紀さんの講演会・稽古会があって、年末は名古屋大学で映画論の集中講義。

そのあいだに『レヴィナス論』と『メル友交換日記』の校正をして、晶文社の「おじさんの系譜学」を書き上げて、『困難な自由』の翻訳も進めなければいけない・・・

あああ、考えただけで気が遠くなる。考えるのはやめよう。しかし、講演とか講義とかはノートを作らないといけないのであるが、一体、いつそんなものを作る暇があるのであろうか。心配である。

石原郁子さんという方から『女性監督の恋』という本を贈っていただく。

「キネマ旬報社の本とかフィルムアート社のシネ・レッスン・シリーズとかユリイカとかとにかくお金にならず人が読んでもくれないところに映画批評を書いております」

というのが同封のお手紙にあった自己紹介である。すてきな書き出しだ。

とはいえ、私は「アート系」の映画にとことん弱い。『ユリイカ』とかフィルムアート社の本とかがほめる映画というのはほとんど見ないで、『映画秘宝』が薦めるバカ映画ばかり見ている。だから、恐ろしいことに石原さんのご本が論じている映画36本のうち私が見たのは1本しかない。(ひどいね、これは)

この半月ほどのあいだに私が見たのは『ラッシュアワー2』『ファイナル・ファンタジー』『ザ・セル』『プルーフ・オブ・ライフ』『クリムゾン・リバー』『アンブレイカブル』。ゲージツ性とか問題意識とか美学とかいうものを組織的に欠如させたものばかりみているわけであるが、それは私が単にバカ頭の娯楽志向であるというだけでなく、(いいわけさせていただくならば)映画を非常に分析的に見ているためでもある。

私の映画論は「無意識の前景化」「葛藤の物語的解決」のための装置として映画を解釈するという学問的立場を採用しているため、どうしても分析「しやすい」素材を選ぶことになってしまうのである。(ほんとだってば)

しかし、食わず嫌いはいけないね。石原さんの本を読んで、「恋の映画」なんかもちょっとは見てみることにしたい。石原さんどうもありがとうございます。ご住所が書いてなかったので、この場を借りてお礼申し上げます。読んだら感想も書きますね。


9月24日

合気道の合宿から帰ってきました。

フランスから帰ってすぐバリ島で、そこから帰って、その足で合宿。

仕事、休養、そして稽古、という順序でことが進んだのだが、やってみて分かったのは「休養より稽古のほうが楽しい」ということ。

バリ島脳みそじゅるじゅるツアーは「積極的なことは何もしない」という「わしもうどうなってもいいけんね的」受け身のリラクゼーションであった。合気道のお稽古は「積極的に身体をどんどん解体してゆく」という「攻めのリラクゼーション」である。

稽古をすればするほどみんな陽気になってゆき、どんどん笑い声が大きくなってゆき、だんだんハイパーアクティヴになってゆく。

懐疑的な目から見たら集団的な憑依状態のように見えるかもしれない。

でも、当人たちは楽しくて仕方がないのである。

今回はゲストとして、東大気錬会から北澤さんと高雄さん、月窓寺道場から出田さんと石井さんが参加してくれた。同門の友人たちが遠路はるばるお越し下さるというのはありがたいことである。その期待に応えるだけのお稽古メニューを提供できたかどうかいささか心もとないけれど、私はフランスでちょっと気合いが入ってしまったので、最近の技法的テーマである「止まらない動き」を追求してみた。

実は足を止めて踏ん張ると膝が痛い。だから、膝に負担を掛けないように体を捌いて膝をほとんど伸ばしたままの状態で業を遣うようになる。すると、怪我の功名とはこのことか、足があまり居着かないようになったのである。これで「よい」ということはないのだが、「稽古の方便」としてこういう技法を学んでおくことも若い門人諸君にとっては有用なはずである。

多田先生は昔「35歳になったら稽古の仕方を変えないとだめだ」と教えて下さったことがある。その言葉がどういう意味なのか35歳のときはよく分からなかった。でも、たしかに「50歳になったら稽古の仕方を変えないとだめ」ということは骨身に染みてわかった。おそらく65歳になったらまた変えないとだめだろう。

若いときはとにかく体力にものをいわせてぶんぶんやればよろしい。術理とか理合とか言うことはあまり考えなくてもよい。

35歳になったら、体力の衰えを補うために「術」を遣う必要が出てくる。伝書を読んだり、他芸を学んだり、というのはこの頃の仕事である。

50歳になると「術」に批評性を載せる必要が出てくる。

批評性というのは言い換えれば「個性」である。「私の合気道」と言えば聞こえはよいが要するに「私はへたっぴ」なのであるが、この「へたっぴさ」にはある種の個性というか、かけがえのなさというか、余人をもっては代え難いところのオリジナリティが漂うようになるのである。

「独特の仕方で正鵠を逸する」ということが世の中にはある。

あるいは師匠に就くに際しては、「独特の仕方で師匠の教えを誤伝する」ということがある。

これはなかなか大事なことである。

仮に師匠について技芸を学ぶにさいして「正確な学び方」というものがあるとすると、優れた弟子は「正しく師匠の教えを理解し、継承すること」ができる。

仮に、優れた弟子がn人いて、全員が「正しく」師匠について学んだとすると、そのn人の全員が斉一的な仕方で師匠の教えを理解し継承できることになる。

ということは、それらの弟子ひとりの存在価値はn分の1に減じたということである。

換えがいるんだから、一人二人いてもいなくても別に困らない。

正しく学べば学ぶほど弟子の側の主体性やかけがえのなさが損なわれるというのは、なんだか切ない。

そこで、いきおいnの分母を減らすべく、「正しい弟子」同士のあいだで、「正しい正しさ」と「あまり正しくない正しさ」の排他的競合というものが始まってしまう。

師弟関係を通じての技芸の伝承というのはそういうものであってはならないと私は思う。

学ぶことを通じて、弟子のひとりひとりがそのオリジナリティと代替不能性を基礎づけられる、というのが師弟関係の妙諦である。

だから、「師匠の教えを正しく受け継ぐ」ということは原理的にありえないし、ないほうがいい、と私は考えているのである。

弟子の仕事は、「余人を以ては代え難いオリジナルなやり方で、師匠の教えを逸する」ということである。

「オリジナルもの」同士の間では競合は生じない。

弟子たち同士は、Win-Lose ではなくWin-Win の関係を取り結ぶことができる。

私はこれをして「批評性」と呼んでいるのである。

50歳になって私がしなければいけないことは、師の教えを私に固有の仕方で逸することである。

さいわい、私は50歳にして膝が使えなくなるという故障のせいで、私なりに師の教えを逸脱せざるを得なくなった。

だが、私はそれを悪いことだとも悲しいことだとも思わない。

その際に大事なことは、おのれの解釈が「逸脱」であるということをつねに自覚していること。ただし、正系に親しむことなしには決して構想されることのなかった種類の逸脱、「正系によって受洗された逸脱」であるということをつねに自覚している、ということである。

ややこしい話をしてすまない。

合宿二日目に昇段級審査。二回生8名と四回生2名が受審。ごんちゃんと高洲さんが晴れて「ザ・ブラックベルツ」入りを果たした。おめでとう。ごんちゃんは風邪をおしての合宿参加。審査で気力を使い果たしたか、翌日から発熱して寝付いてしまった。お大事に。(さっき会ったらもう蘇っていた。)

誕生日にはまだ1週間早いのであるが、今年も合宿で誕生祝いをして頂いた。

誕生日プレゼントはなんと「古今亭志ん生ベスト集」CD11枚組み。

なんてツボにはまったプレゼントなんだ。

「欲しいなあ・・・でもちょっと買うのが憚られ・・・と思っていたもの」をいただくヨロコビは筆舌に尽くしがたい。(以前には『燃えよドラゴン』のサントラCDを貰ったことがある。これもツボを押さえた選択であった。)

会員のみなさんどうもありがとう。ウチダの余生はこれによって一段と味わい深いものとなりました。

往きも帰りも秋晴れ。

自動車七台を連ねて、初秋の播磨、但馬路を快走。「あさご」では黒豆ソフトもいただいたし、今回もほんとうに愉快な合宿でありました。

身体が武道の激しい稽古に耐えられない状態になっても武道は楽しい。むしろ、いっそう、そのよさが分かってきた。

世の中には失うことでしか手に入れられないものもある。(とレヴィ=ストロースは書いていた)

ほんとうにそう思う。


9月21日

バリ島から帰ってきた。

バリ島では新聞も読まず、TVも見ず。ひたすら「水生昆虫」化して「脳みそじゅるじゅる路線」をひた走っていたので、日本に帰ってたまった新聞をぱらぱら通読してなんとなく気が重い。

どうやら日本はこのテロを奇貨として、自衛隊の海外派兵にはずみをつけたいらしい。

きっと、ニューヨークのテロの報を聞いて「しめた」と小躍りしたbelliciste もどこかにいただろう。

私は海外派兵にはもちろん反対である。

「そういうことをしない非常識な国」というのが国際社会における日本の「奇妙なポジション」なのである。その奇妙なポジションを日本は戦後56年かけてようやく獲得したのである。

「まあ、日本はあーだからさ。あいつは蚊帳の外においといて、こっちだけで話決めようぜ」と欧米列強やロシアや中国が頭の上で談合するのであれば、多少は腹立たしいかも知れないけれど、それはそれで「どーぞご勝手に」でよいではないか。

G8のなかで「かっこがつかない」ことなんかどうだってよいではないか。

国の「かっこがつかない」ことより、どこかの国の「怨みを買わない」ことのほうがずっと大事だと私は思う。

大義名分を立てて戦争することより、大義名分のない平和にしがみつく方がずっとむずかしい。

それについて、ちょっと古い話をしたい。

1950年に黒澤明は『羅生門』でベネチア映画祭のグランプリを取った。1953年に衣笠貞之助は『地獄門』でカンヌ映画祭でグランプリを取った。1958年に今井正は『純愛物語』でベルリン映画祭監督賞を取った。

日本映画の戦後の復興はこの三大映画祭制覇によって象徴的に記されたことは贅言を要すまい。

さて、敗戦国である日本映画への再評価の動きはこのヨーロッパ三大映画祭を起爆点にして始まったわけであるが、「ベネチア、カンヌ、ベルリン」という三つの都市名を見て、みなさんは何かを連想しないだろうか。

お分かりになったかな?

そう、この三都市は「日本と第二次世界大戦で同盟した国の都市」なのである。

「ベルリンとベネチアはそうだけど、カンヌは違うよ。何いってんだよ。フランスは連合国じゃないか」という人がいるかも知れない。

それは歴史認識がやや甘いと言わねばならない。

というのは、フランスの憲法上正統的な政権は1945年5月のナチスドイツ瓦解まで、対独協力のヴィシー政権だったからである。

ドゴールが国外で「フランス共和国臨時政府」を宣言したのは44年6月。だから、開戦初期の半年間と戦争最後の三ヶ月を除く全期間、フランスは「日本の同盟国」だったのである。

第二次大戦でフランスの正規軍と日本軍が遭遇する可能性があったは仏領インドシナだが、このときヴィシー政府は日本政府と「インドシナ共同防衛協定」を結んで、インドシナ半島への日本軍の駐留を合法化している。フランスは戦後、ヴィシーに関するあらゆる記憶を隠蔽したために、インドシナ半島への日本軍の進出が(少なくとも国際法上は)「枢軸側の二国による植民地共同支配」であったという事実は忘れさられている。この日仏の「結託」による東アジア支配に危機感を抱いたために、アメリカはやがて日本との敵対を決意することになるのである。

歴史の話はさておき。

私が言いたいのは、血腥い戦争が終わってわずか数年しか経たないうちに、日本映画に栄誉ある賞を贈ったのは、もちろん日本映画のクオリティの高さもあるのだけれど、やはりそれらの映画祭の主催地の人々のうち「近親者を日本人に殺されたので、日本という字を見るだけで怒りで身体がわなわな震える」というようなルサンチマンを抱く人がいなかった、ということが影響しているに違いない、ということである。

仮に「北京映画祭」とか「ソウル映画祭」といったものがあったとして、それらの映画祭で『羅生門』が1950年にグランプリを取るというようなことがありえるだろうか?

私はないと思う。

第二次世界大戦でフランスは連合国側として、すなわち日本の敵国として戦争を終えた。しかし、日仏の戦闘は行われなかったために、フランス人の対日感情は深く損なわれることがなかった。

問題は、形式上、国際法上、「敵か味方か」にあるのではない。

その国の軍隊が、別の国へ行って、そこで人を殺すかどうか、というごくごくリアルなことである。

そこで人さえ殺さなければ、たとえ国際法上の敵国であろうとも、憎しみの対象とはならないのである。何世代にもわたるルサンチマンの虜囚になることはないのである。

結論を言う。

私は対テロで日本政府がアメリカ政府を支援するぞと「口だけで言う」ことには賛成である。「金も出すぞ」というのもどうかご勝手に。戦艦を空母の護衛につけるくらいのことは目をつぶってもいい。

しかし、兵士を戦地に送り込むことには絶対に反対である。

「人的貢献」がうるさく言われるのは、「そこで一人でも日本兵が血を流せばアメリカ国民は日本が味方だということを決して忘れないような仕方で記憶する」というふうにみんな考えているからである。

それは逆に言えば「そこで日本兵が一人でも敵国人を殺せば、敵国の国民は日本が敵だということを決して忘れないような仕方で記憶する」ということである。

なぜ、そのことを言わないのか。

おそらく日本政府の偉い人々は日本の自衛官が「死ぬ」だけで、「殺さない」というような理想的局面を夢見ているのであろう。

それならアメリカに「貸し」だけ作れて、アラブ諸国に「借り」はできないから。しかし、そうはいかない。

派兵されれば、「死ぬ」だけでなく、必ず「殺す」ことになる。

日本政府の人々がそこから目をそらそうとしているのは、一度でも一人でもその国の人間を軍事的行動の中で殺せば、日本はその国の全員から、何世代にもわたって、深い憎しみを引き受けることになる、ということへの見通しである。

私はG8の体面なんかよりも大事なものがあると思う。

国際社会における威信よりもっと大事なものがあると思う。

日本の国際戦略の大義は、国際社会において「蔑み」の対象となっても、「憎しみ」の対象とは決してならないことに存する。私はそう信じる。


9月16日

テロ事件がアメリカ国民に与えた衝撃はずいぶん深いようである。

鈴木晶先生はこれを「去勢」であると書いていたが、たしかにWTC の崩落はあらわに「去勢」の図像であるし、ペンタゴンへの攻撃は図像的には「レイプ」を連想させる。(なんとなく前から「ペンタゴン」の上空写真が図像的に「いかがわしい」感じがすると思っていたが、あれはアメリカの「ワギナ」だったんだ。)

だとすると、アメリカは精神分析的な仕方で去勢され、レイプされたということになる。

現にフランスでは、事件直後、最重点警備対象となったのはルーブル美術館とエッフェル塔だそうである。

なるほど。

誰でも分かるとおり、図像的にいうと、ルーブル宮はフランスのワギナであり、エッフェル塔はフランスのファロスである。(ルーブル宮は、凱旋門に向けて両足を拡げて横たわっている。ちょうど下腹部に当たるあたりがコンコルド広場であり、そこにはエッフェル塔に次ぐ「パリのファロス」であるコンコルドの石柱が突き刺さっている。)

そこがテロの標的になるのでは、と予測したフランス人の想像力はおそらく的確なものである。(私がテロリストでも、たぶんその二つを狙う。)

死者数や物質的被害も大きいけれど、象徴的なトラウマもまたアメリカ人の今後のメンタリティーに大きな影響を残すだろう。

何度も書いたことだが、アメリカという国は自国領内で他国軍に攻撃されて大きな被害を受けた経験が歴史上二度しかない。(シッティング・ブル率いるスー族にカスター将軍の第七騎兵隊が全滅させられたときと、真珠湾である。)もちろん独立戦争や南北戦争では国内が戦場となったけれど、独立戦争のとき「アメリカはまだ存在しなかった」し、南北戦争は身内同士のCivil War である。

「世界のスーパーパワー」が象徴的に敗北した。

そのことがどういうふうなトラウマを形成し、今後のアメリカ人の国際社会での政策決定にどのような影響を及ぼすことになるのか、私にはうまく予測できない。

ブッシュ大統領はあいかわらず「世界の警察官」としてがんがん行くというマッチョな路線を示しており、気分的にはそういう言葉遣いが支持されるだろうけれど、保守層や知識人たちは、むしろ伝統的な「モンロー主義」(アメリカ流の「鎖国」)に回帰する可能性が高いように思う。(プロ野球やバスケットボールの試合が自粛されたのは、好戦的な気分というよりは暗い厭戦感をむしろ表現している。)

好戦的になりにくい理由の一つは、今回のテロはまさに「アメリカを戦争に引きずり込む」ことを目的として行われたものだからである。アメリカ国民を好戦的にさせることそのものがテロの目的であるとすれば、いきり立つほどテロリストの思うつぼということになる。

アメリカがアフガニスタンを攻撃すれば、パキスタン、イラク、イランといった周辺国からアラブ全域には激しい反米気運が高まるだろう。無数のテロが行われ、中東和平構想は致命的に破綻するだろう。

ハンチントンの描いた「文明の衝突」の図式のままに、「コーランのカーテン」で世界が仕切り直されること、ある種の「停滞」と「硬直化」のうちに歴史が静止することをテロリストは目指している。

そして、皮肉なことに、おそらくアメリカ国民のかなりの部分も「共生とグローバリズム」の限界を感じ、ある種の「停滞」を受け容れてもいい気分にいまやなりつつある。

パレスチナ問題についても「もう共生はあきらめて、完全にユダヤ人だけの国とパレスチナ人だけの国に二分割して、没交渉になった方がお互いのためだ」という声がイスラエル内でも高まりつつある。これはかなり本音だろう。

これから先どうなるのか予測はつかないけれど、この「戦争」には「共生とグローバリズム」のイデオロギーと「孤立と自尊」のイデオロギーのあいだの理念の戦いという側面があることは確かだ。

それは言い換えれば、レヴィ=ストロースの言う「熱い社会」と「冷たい社会」のあいだの戦い、「歴史の進歩」を信じる人々と、「人間は変化しない」というという見解に与する人たちの戦いでもある。

そして、21世紀になって私たちのあいだで支配的な「気分」はあきらかに「人間たちはそれほど理解しあえるわけではない。共生することが背を向け合うことより多くの暴力を生み出すような関係というものがたしかに存在する」というグルーミーなものなのである。


9月15日

時差ボケは三日目がピーク、というのが私の経験則であるが、今日がその三日目。

昨夜は午前2時就寝。午前6時に覚醒。半睡状態で8時起床。朝御飯を頂いて、新聞を読んでいたら眠気が深まり、ベッドへ戻って12時まで眠る。

ずいぶんイレギュラーな睡眠の取り方である。

時間的には睡眠は足りているのだが、なんだか「眠りの深さ」がふつうではない。目覚める直前に「ぐん」と眠りが深くなって、そのまま「目が醒める」のである。脳の一部は完全に眠っている状態で、脳の別の一部だけが醒める。

「目覚めよう」とする生理現象と「眠り続けよう」とする生理現象が相剋状態にある。

ここで意識主体である私が決然と「目覚める」なり「眠り続ける」なりを決定すれば、それで黒白は決するのであろうが、私としてもなにしろ半睡状態であるので、「截然となにごとかを決する」ということができにくい立場にある。

「目覚める」ヴェクトルと「眠る」ヴェクトルのあいだで優柔不断におろおろしているうちに対立が限界を超えて、生理過程にきしみが生じ、それで目が醒めるのである。

「死んだショックで目が醒める」ということがあるとすれば、それに似たいやな感じである。

なるほど、分かった。

「時差ボケ」というのは、「フランス時間で生きている生理過程」と「日本時間で生きている生理過程」のあいだの弁証法的な相剋という二項対立図式において了解すればよろしいわけである。いわば、「日本時間で眠り続けようとする生理過程」と「フランス時間で起きようとする生理過程」のあいだのヘゲモニー闘争が私の体内で展開しているわけである。「身体に割拠する地域モード間の対立」として私のいまの生理状態は把握されるべきだったのである。

だが、なぜ私はそのような身体過程の知的把握を試みることなく、呆然と「ねむいよー」などとつぶやくだけに終わっていたのであろう。

それは、「ボケ」というようなとらまえどころのない症候名称をうかつに使用したためである。私がこの生理現象を正しく把握することができなかった原因のすべてはこの日本語にある。

「時差ボケ」という名詞は、「ボケ」の一語の挿入ゆえに、「この事態は知的把握になじみません」という価値判断をすでに含んでいる。

jet lag や decalage horaire など英仏語における表現は、二つのもののあいだに「ずれ」があるという客観的事実だけを述べており、その結果「ボケ」が生じるというようなことは一言だに語られていない。

「ボケ」の一語を挿入することで、日本文化は、ある客観的事実と、それから帰結する主観的状態を癒着させている。

これはたとえて言えば「骨折激痛」とか「高熱朦朧」とかいうのに等しい。

「骨折したんだから痛いはずである」「熱があるから意識朦朧であるはずである」という「はずである」部分が想像的に挿入されているのである。実際には骨折したが痛みがないとか高熱であるが意識は明瞭ということだってあるのに。

「時差」を経験した以上「あなたはボケているべきである」という社会的な態度決定をこの語は私たちに無意識的に強要してきたのである。

これは日本文化のある側面をきわめてみごとに示す用語法であると言わねばならぬであろう。

それは社会が私たちの身体反応に「制式性」「均質性」を要求している、ということである。

そういえば、『リベラシオン』の日本関係記事でどうも腑に落ちない用語法が一つあったのを思い出した。

「イジメ」である。

小中学校での「イジメ」について報道していた記者はあきらかに「イジメ」というのを「集団的に迫害されている子ども」scapegoat のことだと思い込んでいた。

日本語の「イジメ」にはそのような語義はない。

その語は「集団的な排除と迫害」という現象一般を漠然と指しており、加害者であれ被害者であれ「人間」を指示していない。

この用語法は「イジメる子どもも実は別の子にイジメられている」とか「イジメられる側にもなんらかの責任はある」「子どもたちはすべてが教育制度によるイジメの被害者である」とかいう表現に端的に見られるような「加害被害の因果関係をごちゃごちゃにして、責任の所在をうやむやにしたい」というマジョリティの暗黙の同意に基づいて採用されている。

フランス人記者はこのような「暗黙の同意」を共有していないので、「イジメ」とは「集団的迫害の被害者」を指称する名詞であると誤解したのである。

「イジメ問題」と「イジメ被害者問題」では意味が違う。

「イジメ被害者問題」であれば、私たちはただちに「被害者の救済と加害者責任の追及」に進まなければならない。

「イジメ問題」であれば私たちは苦い顔をして腕組みしているだけで済む。

事態を記述するにさいして、包括的な名称のみを用い、「被害者」だけを指す固有のネオロジスムを作らない、という仕方で私たちの社会は、被害者の救済と加害責任の追及をネグレクトする方向を「すでに」選んでいるのである。


9月14日

といってもまだ朝の6時半なんですけど。

時差ぼけを一日で直そうなどと無謀なことを考えて、昨日の朝の8時半に関空に着いた後、ぼんやり頭で一日過ごし。そのままビデオ屋で借りてきた『アンブレイカブル』を半分眠りながら見て、12時までがんばった。もう意識は朦朧。

よーし、これで朝まで眠ればばっちりだ、と思ってふとんに入ったけれど、午前4時にぱっちり目が開いてしまった。

ブランデーを飲んでも、『軟弱者の言い分』を読んでも、さっぱり眠くならない。

仕方がないので起き出して朝御飯を作ることにする。

ひさしぶりのご飯、味噌汁(わかめ)、納豆、卵、漬け物(昨日の夜自分で漬けた浅漬け)という「日本人なら涙なしには食べられない朝御飯」めにうである。

しかし、この48時間のあいだに6時間しか眠っていないのであるから、意識はなかば混濁状態である。(目がちかちかする)

パリでは毎日9時間から11時間くらい爆睡していたので、週計くらいでトータルすれば睡眠時間は足りているのであろうが、睡眠時間て週計とかするもんじゃないよね。

とりあえず腹一杯朝御飯を食べて、そのあと「朝御飯を食べると眠くなる」という私のスーパーお気楽体質を利用してもう一度寝てみたいと思う。

ではまた午後に。

はい、午後になりました。

7時頃ベッドにもぐりこんで、うまいこと寝付いたけれど8時半、9時、9時半、12時と四回電話が鳴ってそのたびに起こされた。

なんとか昼時まで寝られたので、午後からは「半・日常モード」に戻す。

車検の手配、レヴィナス論のFD郵送、大学院の報告受領と今後の打ち合わせ、納品されてきた本の処理、人事の論文読み、などたまっていた仕事をどどどと片づける。

大学で6月25日京都駅頭での泣き別れ以来の上野先生とお会いする。もうすっかりお元気そうである。お会いしないうちに上野先生は「ロンゲ」になっていた。

東松事務長からうれしい報告を聞き、上野先生、通りがかった山本先生(ほんとうにお世話になりました)、古庄先生とそのヨロコビを分かち合う。

ご協力いただきました教職員のすべてのみなさんにこの場を借りまして、心からお礼申し上げます。やっと総文にもドクターコースが出来ました。

帰ってきていきなり「大学教師の日常」が戻ってきてしまった。ふう。

しかし、散文的日常に戻る前に、フランスで思ったことをもう一つだけ書きとめておこう。

今回のフランス滞在で私が深い確信を持てたことが一つある。

それは「私には外国語会話の才能がない」ということである。

フランス語の教師を20年以上やってきて、今さらそれはないでしょうといわれそうだが、才能がないものは仕方がない。

「語学」の才能がないわけではない。

英語やフランス語を日本語に翻訳する能力はけっこう高い。

だが「しゃべる」のはダメなのである。

パリの最終日にテレビをベッドから落っことして(なぜテレビがベッドの上にあるかという話は長くなるので割愛)アンテナの接続が悪くなってしまった。工具がないので、直せない。そこでフロントにいって「あのー、テレビの配線ひっかけちゃって、アンテナのとこの、あれなんていうの、あれがゆるんじゃって、画面映らないんで、直してほしいんですけど・・・」と言おうとしたのであるが、テレビの後ろから出ている「アンテナの接続コード」というのを何というのか思いつかないので、いきなり「フリーズ」してしまった。(経験者はお分かりになるだろうけれど、キーワードが出てこないので、口を開いたはいいが、話がまったく始められない状態ってあるでしょ)

結局「テレビ、アンテナ、ひも、緩む、テレビ機能しない、誰か来てくれ」というようなピジン・フランセをしゃべって用を弁じることになった。

さすがにフランス語教師を20年やってこれではほとほと困じ果てる。

村上春樹は、「外国人に外国語で自分の気持を正確に伝えるコツ」というのを三箇条挙げている。

(1)自分が何を言いたいのか、まず自分がはっきり把握すること。そしてそのポイントをなるべく早い機会にまず短い言葉で明確にすること。
(2) 自分がきちんと理解しているシンプルな言葉で語ること。
(3)大事な部分はできるだけパラフレーズすること。ゆっくりとしゃべること。できれば簡単な比喩を入れること。

これを一読して私は自分に外国語会話の才能がないことの理由が判明となった。それは日本語で話しているときの私の特性が次の三点だからである。

(1)自分が何を言いたいのか把握していないうちに話しを始める。
(2) 自分が理解していない単語を使いたがる。
(3)相手が乗ってこないといきなり話題を変える。早口でしゃべる。わけのわからない比喩を使う。

日本語の場合これで済んでいるのは、「話しているうちに、自分が何を話したいのかだんだん分かってくる」ということがあるからである。(「舌」が「頭」に先行するわけですね。)

日本語のリズムや語感にひっぱられて、即興的に言葉を発するのが私の語法である。

私のダジャレ好きは、言語音を「楽音」として聴く傾向がある証拠であり、学術論文でも論理的整合性よりも「畳みかけるようなグルーヴ感」を重視する偏向を有することは知友の熟知する通りである。

そのような仕方で母国語をしゃべっている人間が、「同じ語法」で外国語をしゃべろうとするのである。

できるはずがない。(単語知らないし)

それはギターをぶんぶん弾いている人間に「その調子でヒチリキ吹いて」と言っているようなものである。

外国語を村上方式で話そうとしたら、語法を変える他ない。

しかし、それは私にとって、「人格を変える」というのとほとんど同義である。

フランス人と会話する程度のことのために人格を変えるわけにはゆかないではないか。

外国語を活字で読むことを深く愛する私が、なぜ外国語をしゃべることにこれほどの抵抗を覚えるのか、その理由はこうして明らかになったのである。


9月13日

無事にシャルル・ドゴール空港を後にして、一路日本へ。所要時間11時間ちょっとで行きとあまり変わらないのだが、時差の関係があって、帰りはうまく寝られない。

パリに着く時は夜着くので、そのままちょっとがんばって寝てしまうと、翌日からはふつうに暮らせるが、日本に着く時は朝つくので、そのまま夜までがんばるのが大変である。

いま午後4時である。あと6時間くらいは起きてないといけない。

しかし、あたまがぐるぐるして、仕事なんかできない。

メールを空けてみると79通たまっている。

これを読んで返事をしているうちに夜になるかも。

返事が必要なものから順番にメールを送っておく。

大学に無事到着の報告をしたら、折り返し大学院の博士課程の申請が「補正条項なし」で、受理された由、上京していた東松事務長から事務室に連絡が入っていた。

念願の博士課程がついに予定通り来年開設の運びとなったわけである。

今日文部省の補正条項を承って、それに応じるべく、人事やら作文の手直しやらを短期間のうちにしなければならない。下手をすると来年の二月ころまで持ち越すか・・・と覚悟を決めていた仕事が全部なくなったのである。「終わった」のである。

なんだか拍子抜けしてしまう。

苦節何年だかもう忘れてしまったけれど、とにかく、喜ばねば。(あまりに長期にわたる作業だったので、なんだか実感がわかない。)

それにしても、2001年は、娘の旅立ち、ライフワークの完成、武道家引退、といろいろなことが「終わる」年であったが、懸案の博士課程申請も終わってしまった。

帰国早々、朗報で迎えられかたちである。今夜はブザンソンの諸君にいただおた、お土産のカルバドスでひとりで乾杯だ。


9月12日

などということを書いたあとレヴィナスの翻訳をしていたら、学生さんがやってきて「なんだか大変な事件が起きたみたいで、テレビのまえに街の人がたかってました」というのでさっそく部屋のテレビをつける。おお、なんということであろう。マンハッタンに「カミカゼ」である。(「カミカゼ」は vocabulaire international に登録されており、イスラエルにおける自爆テロはこちらではすべて「カミカゼ」と呼ばれている。)

フランス語聞き取り能力を120 %に上げてテレビに見入る。

四機のハイジャック機のうち二機がWTC ビルに、一機がペンタゴンに、一機がピッツバーグでそれぞれ爆発したと言うこと以上は分からない。死者は数万に及ぶかも、というだけで被害の規模も分からず、犯行声明もない。大統領のコメントがあって「国家機能は何が何でも機能させる」と力んでいる。大統領が国家をコントロールできなくなっていると国民が不安を感じているのではないかと大統領が思うほどのパニックだということである。

テレビのコメンテイターも「アメリカやNATOがこのように軍事経済の中枢をピンポイントでアタックできるポテンシャルをもったテロリストがいることをまったく予期できなかったということは、情報戦における敗北である」ときつい。

シラクとジョスパンは悲痛な顔でアメリカ国民への連帯とテロリスムへの戦いを宣言している。

フランスのテレビでは、アナウンサーが興奮して、「第二次世界大戦以来」とか「パールハーバー以来」と言っている。(今朝の『フィガロ』の一面は「戦争始まる」であった。)

午前1時近くまでテレビを見つづけるが、まったく新しい情報が入らず、WTC ビルの崩壊と逃げ惑うニューヨーク市民の映像だけを繰り返している。

今朝のフランスのTVは通常番組に戻っているのでCNN を見る。

廃墟と化したマンハッタンの映像はすごく既視感がある。(最近『ファイナル・ファンタジー』で見た映像とそっくり。)

KUONI に電話してシャルルドゴール空港に混乱はないかどうか尋ねる。とくに問題はないそうだが、昨日から荷物の検査が厳しくなっているそうである。(当然だけど)

学生たちは日本に無事に帰れるかしらと心配顔である。

『フィガロ』にはアンマンで「広島の仇だ」と日本赤軍が犯行声明をしたという記事を載せている。どうしてこういうバカなことを言うやつがいるんだろう。

もうすぐバスが来る。

パリ最後の日はこんな感じです。


9月11日

パリ最後の一日。学生諸君は最後のエネルギーを振り絞って観光と買い物に奔走している。私は欲しいものも、見たいものもないので、なすこともなくホテルの部屋にこもりパソコンに向かっている。

お掃除の時間になったので、とりあえずホテルから出てバスチーユのカフェまで歩いていって、お昼を食べる。(Croque madame とdemiとcafeで75F)そのままカフェの端っこの席に陣取って新聞をすみからすみまで読む。

フランスにいると、とにかく動作のひとつひとつが緩慢になる。というか、緩慢に動いていないと「間が持たない」。

カフェにしても、座ってから注文をとりにギャルソンが来るまで、うっかりすると15分くら待たなければならない。注文をしてからものが来るまでの時間もあちら任せである。あせっても始まらない。

レストランの場合はもっとすごい。いちおう、夕食は2時間から3時間を予定しておかないといけない。Entree(前菜)とplat(主菜)のあいだが1時間というようなことだってある。

しかたがないから、レストランではワインをお代わりしながら、おしゃべりをしてひまをつぶすのである。(ワインの注文への反応は意外に俊敏である。)

しかしひとりではおしゃべりの相手がいない。

日本にいるときはひとりでレストランやカフェに入るということは、私の場合まずない。(だいたい外出しないし)せいぜい「もっこす」か「マクド」で食べるくらいである。(これだと10分で食事が終わる。)その場合でも活字なしでは一分といられない。(活字を持たずに入ったときは、しかたがないので、メニューの文字をすみからすみまで繰り返し読んでいる。)

しかるに、「ひとりでレストランで食事をしていて、そこにいささかも『間が持たない』という感じがしないこと」というのは、私がひそかに「紳士の条件」のひとつに定めたものである。

これはそのむかし、何人かで連れ立って浅草の「駒形」に「どぜう」を食べに行ったとき、私のかたわらの席にいた中年の紳士の堂々たる食べ方に感動したことによる。

この紳士はただ一人で「どぜう」鍋に向かっていたのであるが、その「ねぎ」の入れ方、七味の加減、「どぜう」を食しつつ熱燗の徳利から猪口に酒を注ぐ間合い。そのいずれもが間然するところがないものであった。

私は当時27歳くらいの若造であったが、その紳士がきれいに鍋を食べ終えると同時に、最後の猪口の酒を呷り、ゆるりと立ち上がるさまを見て、「おおおお」と深い感動を覚えたのである。

一人で食事をしていて、そこにいささかの破綻もない、というのは「一つの芸」である。

一人でいても、本を読んだり、新聞を読んだり、テレビを見たり、窓の外の景色を見たり、店員に話し掛けたりし「ながら」の食事では「芸」とは言えない。

まっすぐに料理に対峙し、それを満喫し、かつそのたたずまいが端然としていること。これはむずかしい。

ところが、フランスに行くと、これがいるのですね。

そういう黙然とひとり食事を楽しむじいさんばあさんが。

老残、孤独、哀愁というスパイスが利きすぎというときもあるが、昼日中から、高価なスーツに身を包んだ紳士が、一人カフェの奥で、虚空をみつめつつワインを味わい静かにランチをいただいている絵柄というのは、悪くないものである。

日本の政治家の名前が新聞に出ないと書いたら、今日は le nouvea Premier ministre Koizumi の名が出ていた。不況のせいで、自衛隊の入隊希望者が増えているという記事の中。

自衛隊は世界第二の経済大国が誇る22万人の軍隊で、2001年度の防衛費500 億ユーロは世界第二位。(それでもGNP のわずか1%)その装備は世界最高水準。その次なる目標は憲法改定であり、新首相コイズミは「憲法九条改定運動の推進役」という紹介である。7語だけ。フランス人は日本の政治家にはまるで関心がないらしい。アフガニスタンのゲリラ指導者アハメッド・シャー・マスッドの爆殺事件は2面を使ってその動静を詳しく報道しているのに。

これはやはり日本の政治家というのが純粋にローカルな存在であって、そこには国際社会の状況を主体的に変化させてゆこうとするような「大きな政治理念」がごっそり欠落しているので、そもそも世界情勢に少しでも関係することを「するはずも、言うはずもない」というふうにみなさんに思われている、ということでしょうね。


9月10日

秋深し。気温は昼間で15度というところ。日本の季節感ではもう晩秋である。

9時間半ほど爆睡して(しかし、よく寝る)ホテルの豪華な朝飯を食べる。(もう飽きた。ごはん、納豆、生卵、お漬物、お味噌汁、という朝ご飯がはやく食べたい。)

ホテルのロビーで『フィガロ』を読む。

フランスも社会の高齢化が問題になっている。2030年には人口の30%が65歳以上になるという完全な老人国である。フランス人は勤め人の半分が55歳で引退してしまうので、年金も老人医療も危機的である。

政府から国民へのお願いは(1)あと10年働いてください(2)もっと子供を産んでくださいの二点である。

新聞を読んで分かったのは、日本もフランスもどちらも「国が抱えている問題」というのはそれほどは違わないということである。つまりどこでも「これは、という解決策のない問題」だけが残る、ということである。

いまフランスが抱えている深刻な問題は(1)暴力化(2)老齢化(少子化・未婚者の激増)(3)バカ化の三つである。「暴力的でバカな少年たち」と「へろへろへの老人たち」が人口の支配的な比率を占めるとき、フランスの栄光は終わるであろう。まあ、どこの国でもそうだわな。

昼過ぎまでレヴィナスの翻訳。そのあと昼食を取りに街へ。

サン・ミシェルまで出て、ギリシャ料理のファーストフードで「ギリシャ風サンドイッチ」を食べる。肉とイモがぎっちり詰まって25F。

腹ごなしに秋風にふかれてホテルまで散歩。ノートルダムの前を通ったので、旅の無事の「お礼参り」に立ち寄って10F のお灯明を上げる。ブザンソンの大聖堂だと10F 出すと高さ30センチくらいの豪快なろうそくが買えるが、ここではアルミの筒に入った1センチくらいのもの。やはり土地の神様に寄進する方がコスト・パフォーマンスがよい。

ぷらぷらとサン・ルイ島を抜けてバスチーユまで歩き、一休みして Cafe des phares でお茶をして、『リベラシオン』を読む。

南アのダーバンでやっていた Conference mondiale sur le racisme が先週末に閉会した。共同声明の文言で最後までもめていたらしいがヨーロッパ連合の斡旋でなんとか終結したというやや自画自賛の記事。

アメリカは早々に離脱してしまい、ジョージ・ブッシュは中東和平をはじめ外交上の完全な無策のせいで『リベラシオン』ではすでにバカ扱いされはじめている。(ブッシュ治下のアメリカがもたついているあいだに、ヨーロッパ連合が一気に国際政治の舵取り役になるぞ、という野心が行間ににじんでいる。)

それにしても『リベラシオン』では、「政治欄」にも「外交欄」にも、わずか3週間とはいえ、私の滞仏中、日本の政治家の名前がついに一度も(!)載らなかった。

これってけっこう「恥ずかしい」ことではないのだろうか。

ヨーロッパの街角でアンケートしたら、日本の首相が誰であるか知っている人はおそらく1%にも達しないであろう。

日本の新聞では「日米欧の三極構造」などというおめでたい国際政治図式が語られているけれども、これは夜郎自大もいいところで、国際政治における日本のプレザンスは少なくともフランスのメディアにおいてはかぎりなく「ゼロ」に近い。

これについて日本の外交関係者はどうお考えなのであろうか。たぶんなんにも考えていないのであろう。

8時にサン・ミシェルの噴水前で越くんご一行(ケイイチくん、アユさん、モモさん)と「最後の晩餐」。

ご同行は昨日と同じ三人。

サン・ミシェルのレストラン街で「とりあえず中華」ということで、最初に目についた「西湖」というレストランに入る。味はまあまあ。ヤキソバ、チャーハン、餃子、ワンタン、エビチリ、ホイコーローなどを食し、値段は一人57F とリーズナブル。

サン・ミシェルのカフェで歓談してのち、Chatelet の駅でお別れする。

越くんにはブザンソン到着の瞬間から最後まで、ほんとうにご親切にしていただいた。私は近年日本の若い男性については期待度がひくいのであるが、今回、ブザンソンで堂々といきいきと活躍している彼の姿を見て、ずいぶんと楽観的になった。日本男児も捨てたもんじゃない。


9月9日

秋晴れ。肌寒いが日差しは暖かい。

11時過ぎまで爆睡したら、少し体調がもどってきたので、はじめて左岸へ出かける。

サン・ミシェルでブランチを食べて、旧跡めぐりをする。

1974年に極貧パリの夏を過ごしたオデオンの Hotel Delavigne は三ツ星ホテルに昇格している。ここで竹信くんが「もつ煮込み定食ごはん大盛り」を食べたのも、いまは昔のできごとである。その界隈には「私はパリに嫉妬する」と歌った女流詩人が住んでいたスラムのごとき Hotel Stella がある。(埼玉でスナックを開いて大成功した余勢をかってパリ進出を企てたあの女傑はその後どうされたのであろう)

レヴィナスのインタビューを終えて興奮したまま三井さんや松本くんとFruit de mer を食べた La Mediterranneeはオデオンの角にある。

毎日ごろごろと本を読んでいたリュクサンブール公園もあいかわらず。前回の在仏中はリュクサンブールの木陰で土佐先生のインドネシア政治分析の論文を読んでいた。

「マックシェイク」の発音を直されてトラウマになった角のマクドナルドも健在。

87年に松本くんやトシコ夫妻としばらく過ごしたrue de Champolion の Hotel Champolion は廃業してしまったらしいが、二人で毎晩ビールをのんだ Cafe de la Sorbonne は盛業である。Livrairie J. Vrin はこの犬の糞だらけの小路の中ほどにある。ウインドウには埃をかぶったレヴィナスの『フッサールとハイデガー』が飾ってあった。『実存から実存者へ』も『フッサール現象学における直観理論』もこの小さな本屋から出た。老師が原稿の束をかかえてソルボンヌの門を出て、角を曲がり、短い足をぱたぱた運びながら、「おっととと」と犬の糞をよけて、この汚い本屋の入り口のドアをあけて「やあ、ブランさん、原稿できたよ」と挨拶している70年くらい前の風景を想像する。

左岸はあちこちの街角にそのときどきの記憶がずいぶん残っている。

今回、ほんとうはカルチェ・ラタンのまんなかの三つ星ホテルに投宿するはずだったのが、ドタキャンされてバスチーユの四ツ星ホテルに変更になった。このホテルもわるくはないけれど、ホテルから一歩出ると、レストランとカフェと本屋が並んでいて、セーヌまで徒歩1分というカルチェ・ラタンのホテルの方がやっぱりよい。

サン・ミシェル通りを下ると96番のバスが来たので、それに飛びのってホテルまで帰る。今回のパリではジロー先生のご教示のおかげでバスの使いよさがよく分かった。メトロは乗り換えでやたらに歩かされるし、階段の上り下りが多いが、バスはほとんどdoor to door で運んでくれる。

ホテルにもどって昼寝。今日の晩御飯は「うどん」とおにぎりとキリンラガー。学生三名サチコ、ジュンコ et イツカがご同行。

もうフランス料理もワインも少しも欲しくない。

「カツどん」「ヤキソバ」「冷麦」「親子丼」「かつカレー」「お好み焼き」といった「でんぷん」ものを身体はひたすら求めている。

「浪速や」というこのうどん屋にはさすがにフランス人客はあまりいない。「ずるずる」と汁を飛び散らかしながらものを食すのが彼らの美意識には耐えがたいのかも知れない。こちらは委細構わず「ずずずずず」とうどんつゆを啜りまくる。

帰国まであと三日。

帰心矢の如し。


9月8日

いよいよブザンソンを去る日が来た。うす曇の朝、ブルーノくん、ヴィンスくん、ユリさん、がホテルまでてくれ来る。そのままバスでSNCFの駅へ。そこへサトカさんと、私たちと同じTGV でパリへ発つ越くんご一行4名も合流。駅は写真をとるひとたちで大賑わいである。

同じ日に、私たち13名と越くんのお友達3名とマルレンが一斉にブザンソンからいなくなってしまう。

バカンスが終わり、祝祭の夏が終わる。

動き出したTGV の窓からブルーノくんとユリさんの泣き顔を見ていたら、ちょっと切なくなってしまった。

うす曇のパリへ到着。リヨン駅で再会を約して越くんたちご一行と別れる。

ホテルに着いてもなんだか気力が出ないで、そのまま寝入ってしまう。

学生諸君も「どっと」疲れが出たらしく、ばたばたと病みついてしまった。

私もお腹がぐるぐる言って、少し熱っぽい。

7時に起き出して学生6人とバスでオペラへ。オペラ座前で越くんたちと待ち合わせをして、「ひぐま」へ出かける。

味噌ラーメンと餃子を食べたらなんだか元気になってきた。

しかし、お酒をつきあってくれる人がいないので digestif はあきらめて、「夜のルーブル」を散策する越くんたちと別れてホテルへ戻る。

熱いお風呂にはいって、少し人間らしくなり、そのままベッドに横になってフランスに来て二度目のテレビを見る。「全部できたら100 万ユーロ」という番組をやっている。司会のおじさんが「C'est votre dernier mot?」とたずねると「Oui, c'est mon dernier mot」と答える。分からないと知り合いに電話をしたり、会場の客にアンケートをとったりする。みのもんたがやってるのとおなんじである。

日本のテレビ屋さんはこうやって海外の高視聴率番組をチェックして、まるごとぱくっているわけである。

ケーブルテレビでは「Xファイル」や「バフィー」をやっている。

パリに来た外国の「おのぼりさん」用に、イタリア語とドイツ語の低俗番組も放映している。バカのバカさは世界共通である。


9月7日

学生さんが次々と「お見舞い」に来るが、もう大丈夫である。

午前中に少し仕事をしてから、CLAに最後のご挨拶に出かける。ながながお世話になりました、また再来年もよろしく。

午前の授業が終わって出てきた諸君と学食でご飯。

フランシュ=コンテ料理は「いも&チーズ・ベース」の超ハイカロリーめにうであるが、学生諸君は2週間のあいだにすっかり「フラノ=コントワ腹」になってしまって、山のようなおいもをぺろりと平らげている。

この「学食めにう」に一度腹がなじんでしまうと、日本に帰ってから「ああ、あれが食べたい」と切実に願うようになる。私も学生のときにはじめはぜんぜん口に合わなかったへんてこな「酢漬けのレタス」を学食で毎日食べているうちに「レタスとパンと安ワイン」の織り成す絶妙の和音に魅了されてしまい、日本に帰るのがつらくなったことがある。

バスの中で『リベラシオン』を読む。

面白い記事があったのでご紹介しよう。(新聞記事ばかり紹介しているが、ブザンソンでは何の事件も起こらないし、日本ではこういうハードでかつ面白い記事はなかなか読めない。日本でも『リベラシオン』はインターネットで読めるのだが、読む気分にならないのが不思議。)

(1) 移民問題について、国連難民高等弁務官のRuud Lubbers さんの発言。

「ヨーロッパでは移民の問題を政治的ポーズで一律に処理したがる人が多くてこまる。『全部受け容れるべきだ』というのも『全部追い返せ』というのも現実的には無理なんだよ。必要なのは『統制のとれた移民受け容れシステム』(un systeme d 'immigration contorolee) をヨーロッパ規模で統一的に整合させること。合法的な受け容れ基準を定めなければ、非合法入国が増えるだけなんだから。だから、どうか選挙の人気とりや、みんなの前でいいかっこしたいばかりに、難民問題を一般論で語るのは止めて欲しい。政治的難民は受け容れるべきだが、経済的な理由での移民の流入は制限しなければならない。できることとできないことがあるんだ。移民問題に総論的解決はない。」

(2) 社説も同意見。

「人間の流動は世界的現象であり、だれもこれをとどめることはできない。最後の聖域だったオーストラリアと日本もいまや移民の流入を食い止めることができなくなっている。この問題についての『よい選択』(bon choix) はない。あるのは『より悪くない選択』(moins mauvais choix) だけだ。可能なのは移民希望者の一定数を合法的に受け容れるということである。それでもなお、逃れの町を求める人間の権利は貴重だということは繰り返し強調する必要がある。持たざるもののために隙間を空けてあげるのは、持てるものの責務なのである。」(こういう言葉が力まずに「さらり」と出るところがさすが文化の成熟である。日本だと「責務」なんていうとみんな気色ばむからねえ)

(3) メキシコからの非合法入国者の身分保全につてのメキシコ大統領からの訴えに対しての、アメリカの学者の発言。

「不法入国者を合法化して誰が得をするの? 議会がうんというわけないよ。アメリカ国民の大多数の同意がなければ無理だよ。みんな勘違いしてるけど、アメリカ人ていうのはけっこう移民排斥的だよ。大戦間期やKKK を思い出してごらん。」

世論調査では不法滞在者の特赦に反対のアメリカ人は55%(賛成は34%)

おまけにたぶん日本のマスメディアでは紹介されないだろう記事をひとつ。

「ジャック=アラン・ミレール逆上」。

フロイト派の学術誌Revue Francaise de psychanalyse で揶揄され、反論の掲載を拒否されたミレールさんは反論15頁を2000部刷って配り、プレスを前にして「今度という今度は最終戦争だ。私は怒った。頭にきた。私をこんなふうに扱ったらどんなめにあうか、目にものみせたる」と熱弁をふるっている。

記事は事実だけを淡々と報じていたけれど、行間には皮肉がにじんでいる。

「まさかと思われたところから火がついた。というのは、もめごとがあるとしたら、どうせラカン派同士のあいだだろうとみんな思っていたからである。」

レヴィナス論が片付いたので、さっそく中根さんがのどから手を出して待っている『困難な自由』の翻訳にかかる。

この二週間ほど「レヴィナスに憑依されている」状態であったので、すらすらすいすいと訳が進む。3時間で10頁訳す。こりゃ早いや。でも全部で400 頁もある本のやっと100 頁。パリにいるあいだにホテルにこもってあと100 頁くらい稼ごう。

夕方になって、「最後の晩餐」にブルーノくん、ヴィンスくん、サトカッチ、祐理さんが登場。こちらはサチコ、トモ、マキコ、マユの四人。(あとのみなさんはテアトルにダンスを見に行ったりいろいろ)

Planoise の Le Phare というお洒落な海鮮レストランへ。現地でサリックくんと美人の奥様が合流。最後というのでちょっと張り込んで Muscadet とBeaujolais を奢ったが(いつもは Pichet)、結構お値段リーズナブルであった。

合気道のお弟子さまたちに囲まれてウチダはちょっと上気してしまって、フランス語で演説をしてしまう。

というのも先日書いたように、サリックくんとヴィンスくんが「これから合気道をやる」と決意してくれたからなのである。ヴィンスくんは日本の柔術をやっていて、サリックくんはカンフーを2年、空手を10年という武道青年であるが、私の合気道の稽古でcoup de foudre「電撃的衝撃」を受けたとおっしゃるのである。話半分としても過分なお言葉である。(奥様の証言によると、「その晩、興奮して帰ってきて『合気道はすごい』って大騒ぎ。私をつかまえて『こんなんだぞ』と技をかけようとするんですから。」)

そうだったのか、そんなに感動しちゃったのかサリック君。

ワインの酔いも手伝って、武道における師弟関係とはいかなるものかについて論じる。

諸君が私を「メートル」と尊称してくださるのはたいへんうれしく、光栄であるのだが、私はへっぽこ武道家にすぎない。そのことは私がいちばんよくわきまえている。しかし、私はその尊称をあえて受けようと思う。というのは武道にかぎらず師弟関係でいちばん大事なのは師を「過大評価する」ことだからである。師とはある意味で、単なる機能、単なるきっかけにすぎない。おのれを高めるのは畢竟おのれ自身である。誰もあなたを高めてはくれない。だが、その自己陶冶において、もっとも堅固で持続的なモチヴェーションとなるのは、「卓越した師に私は出会った。その師に私は選ばれた」という「幸福な誤解」なのである。私は諸君の「幸福な誤解」を尊重する。諸君はいずれ私を超えて堂々たる武道家になる可能性にあふれている。私はそのきっかけを作ったことを誇りとするであろう。諸君は私の弟子であり、私を通じて多田宏先生の弟子であり、多田先生を通じて植芝盛平先生の弟子である。めざせシリウス。

同じことを何度も書くが、武道をやっていてほんとうによかった。膝が砕けようと、腰が抜けようと、おいら武道はやめないよ。


9月6日

『リベラシオン』に珍しく日本関係の記事が二つ出ている。

ひとつは「いじめ」(Ijime)。日本固有の現象ということで「イジメ」はvocabulaire international に登録されている。

昨年一年で不登校児童が26000人に達したことに驚きつつ、フランス人記者は次のように分析している。

「この問題の真の責任は日本の教育システムにある。学業の厳しさでは好評だが、組織的な詰めこみ教育が生み出すストレスで不評な日本の学校は人間関係を無視している。システムの頂点にいる教師たちが問題だ。彼らは自分たちの専門に閉じこもり、生徒のことを見ようとしない。子供たちが心の中で何を感じているか知ろうとしていない。」

なるほど。

その反対側には宮崎駿の『千と千尋の神隠し』が1000万人を超える観客動員を記録し、『パールハーバー』と『A.I.』に圧勝、Naucicaa と Princesse Mononoke の巨匠の新作は日本人観客を魅了した、と記者は伝えている。

「その意志の力で困難を克服する千尋のイメージが経済危機と社会的分裂に苦しむ時代に受け容れられた。千尋はその魂を失いつつある日本のいわば解毒剤である。」

誠実と優しさと勇気が人間のもっとも大切なものだ、という宮崎駿のまっとうすぎるメッセージが日本で支持されたことを、フランス人特派員はわがことのように喜んでいる。

私も帰ったら見に行かなくちゃ。

急に温度が下がったせいか、なんだか寒気がする。

いろいろのお誘いをお断りして、風邪薬をのんで、今日は一日おとなしく部屋でじっとしていることにする。ときどき原稿を書き、漱石の『文芸論集』を読む。

お昼にちょっとだけ街へ出て、サンドイッチと水と『リベラシオン』を買い、すぐに部屋に戻って、またパジャマに着替えてごろごろ昼寝をする。夕食は「出前一丁」。やはり日本のラーメンは「腰」がある。

明日はいよいよブザンソン最後の一日である。


9月5日

本日も曇り。肌寒い。

午前中はずっとパソコンにむかってレヴィナス論の直し。一応最後まで通読して、話のつじつまは合った。あとは細かい語句の統一など。

昼に街に出て(と言っても五分歩くだけなんだけど)Galeries Lafayette (があるんですよ、ブザンソンにも、4年前は違う名前だったけど)でセーターを買う。470F。

サンドイッチを買って広場で『リベラシオン』を読みながら食べる。なんだか殺伐とした記事ばかりである。

あまりに寒いので、ホテルに戻って仕事を続ける。

「エロスの現象学」についてのマルク=アラン・ウアクナンの『エロス的瞑想』を読んで、何かとんでもない勘違いがないかどうかチェックする。ウアクナンくんはフィンケルクロートと並んで、レヴィナスのそれはそれは忠実なお弟子さまである。哲学にも詳しいしおまけにラビであるので、ユダヤ教についても間違いがない。「勘違い」を探すためのプルーフ・リーディングのつもりであったが、困ったことに、私が書いていることとウアクナンくんの書いていることがやたらに似ている。

まあ、お弟子さん同士なのであるから、老師を称えるスタンスが似てくるのはやむをえないが、「これはおいらのオリジナルだな」と思っていたことをウアクナンくんがばりばり書いているのは困る。これでは知らない人が私の本を読んで「あ、ウアクナンをぱくってる」と思うのではないかと心配である。しかし、断っておくが、ぱくったわけではないのだよ。この本を私が翻訳したら、よい訳文になりそうである。中根さん、こんどこれやりませんか。Meditation erotique - essai sur Emmanuel Levinas, Balland, 1992 です。

午後はじめて日本に電話をする。この間日本で起きた重大事件は新宿のキャバクラ火災と参院選の選挙違反の摘発と稲垣吾郎の刑事事件くらい。日本は平和のようである。

夕方になったので、ブザンソン合気道会最後のお稽古に出かける。今日のお弟子さまはブルーノくん、サトカッチ、ヴィンスくん、サリックくんの四人。(越君は日本からお友達が3人やってきたので、今日はお休み)

せっかく日本からめんどうな思いをして運んできたので、合気杖を少し教えることにする。ガルシエ道場にも杖らしきものはあるのだけれど、ストレッチ体操で使うバトンのようなもので、長さも重さもだいぶ違う。しかし贅沢は言ってられない。

まず杖の持ち方から教えて、合気杖の基本形二種類を教えて、杖をつかって気を練る稽古をする。みんな汗をかいて必死に体捌きをする。

それから転換を入れての四方投げ、入り身投げ、小手返し、肩取り二教、呼吸投げ。

あっというまに二時間が経つ。

この四日間、右膝をかばって右の下半身にほとんど力が入らない状態であったが、ごまかしごまかし最後までなんとか持たせた。正直言うと、日本を出る直前まで、膝の痛みがひどくて、フランスに道衣や杖を持ってゆくのもやめて、ブルーノくんに会ったら「ごめんね、今回はお稽古なしね」と因果を含めようと一度は心に決めたのであるが、私との稽古を心待ちにしているブルーノくんの切ない表情を想像するとそれもかなわず、びっこをひきひきでもいいし、身体を動かさなくて口だけの指導でもいいから、一応道衣だけは持っていこうと、出発前日に意を決したのである。さいわい、ブザンソンについて数日してから膝の痛みが軽減して、なんとか稽古の格好がついた。神に感謝。

これまで四日間快く道場をお貸しくださったイワンさんに三拝九拝お礼をしてガルシエ道場をあとにする。イワンさんはほんとうによい人である。武道の友はほんとうによい。

わずかな期間の稽古であったが、これをきっかけに合気道を本格的に稽古したいというひとが出来たのは嬉しい限りである。サリックくんは10年空手をやっていて、「なんか違う…」と思っていたのが、わずか二度の稽古で「求めていたのはこれだ」と腑に落ちたそうである。ヴィンスくんもこれをきっかけに合気道を始めるそうである。こういう話をきくと、ちょっと「ほろり」としてしまう。無理をしてでも合気道の稽古をしてよかったと思う。

ブザンソンではレジスさんという方がすでに道場を開いている。(ブルーノ君も越君も祐里さんももともとそこのお弟子さんである)。今回の「合気道スタージュ」がブザンソンにおける合気道の隆盛の一助となることができたのであれば、これにすぐる喜びはない。

稽古を終えて街へ出て、越くんご一行と合流。ブルーノくん、ヴィンスくん、サトカッチ、マルレンくん、それに越くんご一行四名。都合9名でどどどと Chez Alain というレストランに繰り出す。越くんたちはテーブルを押さえに、Le Coucou に先に行ってくれたのであるが、うちの学生6名がすでにテーブルを占拠しており、われわれのスペースがなかったので、河岸を変えることにしたのである。昨日は三人が越くんのマンションに上がりこんで騒いだらしいし、うちの学生諸君も着々とたくましく「ビゾンティーヌ」化を遂げている。

でも、とりあえず入ったシェ・アランは「当たり」。私は鴨を頂いたが、なかなか美味。フランス語英語日本語が飛び交うマルチリンガルな会話のうちにブザンソンの夜は静かに更けて行くのでありました。

ブザンソンもあと残すところ二夜。


9月4日

曇り。肌寒い。日本でいうと10月半ばから11月くらいの寒さである。街行く人はもう皮のコートや厚手のジャケットを羽織っている。つい先週30度以上あったなんて信じられない。

これくらいに早く夏が終わってしまうのであれば、たしかに真夏の太陽が照りつけるときに、こちらの人々があれほど嬉々として肌を露出して太陽の光を全身に浴びたがる気持ちもよく分かるというものである。

暑い日にはプールでもいこうかしらと思って海水パンツまで用意してきたのであるが、それどころではない。もう長袖を二枚重ね着してもおいつかないくらいに寒い。

その代わり頭はすっきりして仕事は捗る。

午前中ずっと部屋にこもってレヴィナス論の最終章を仕上げる。

ブルーノくん、越くん、祐里さん、サトカッチといっしょにCLAのすぐ裏の「ブザンソンの公務員のための食堂」というところでお昼。なかなか立派なレストランで、テリーヌとスズキの煮付けにフリットとチーズがついて31F。ブルーノくんがご馳走してくれた。

雨模様の中を越君のマンションまで行って、パソコンをお借りして3日までの日記をフジイくんに送る。これがフランス滞在中、最後の送信である。

たぶん次に来るときは、第三世代携帯電話の時代となっていて、ノートパソコンに持参の携帯をつなぐだけでいきなりインターネットに接続できるようになっているだろう。今回のフランス通信だって4年前には想像もできなかった。

インターネットは世界を劇的に狭くしているということが外国に来てよく分かった。

だいたい越くんが私のようなどこの馬の骨とも知れぬ人間にはいどうぞとパソコンを使わせてくれるのも、彼が私のホームページを見て、私が何ものであり、いかなる研究をしており、家族構成がどうなっていて、子供のときどんな顔をしていたかまで熟知しているからである。名刺の交換も自己紹介もほとんど不要なのである。

吉国さんとの「オフ会」だって、インターネットがなければ考えられないことである。

ホテルにもどって、そのまま仕事を続ける。夕食はパソコンに向かいながら、奇妙なアジアティック食品店で買った「うどん」を啜る。日本製と書いてあるが、なんだか不思議な味。

8時になったので、ブルーノくんと雨の中を『ファイナル・ファンタジー』を見に行く。見に行くといっても、映画館までホテルから歩いて5分。ロードショーなのに値段は45F(900 円弱)。月曜日は割り引きデーなのでこれが30F になる。この狭いブザンソンに軒を接して映画館が3軒あって、それぞれがさらに数室に分かれているから、ざっと20本くらいの映画を同時上映していることになる。画面も音質も悪くないし、シートはふかふかである。これなら貸しビデオ屋はいらない。

『ファイナル・ファンタジー』はこちらに来る前、日本のTVでさかんに前評判をあおっていたが、いやー。すごい。びっくり。

ただフランス語吹き替えなので、議論しているところとか、細かい科学的な説明みたいのがぜんぜん分からない。

日本に帰ってもう一回ビデオで確認してみるが、まるで違う話だったら二度楽しめる。

筋が分からないので、批評のしようがないが、とにかくみごとな映像であったことだけは確かである。特に主人公の女の子が「はっ」としたり、ほろりとしたり、すねたり、「きっ」としたりという、台詞がなくて表情のわずかな変化や肩の動きや首の角度だけで感情表現するところが実に芸が細かい。とにかく「こんな映画はこれまでなかった」という点で、私の評価は五つ星。


9月2日

本日はブルーノくんの主催の「遠足」、自動車3台に15人が分乗しての大所帯である。運転手はフォード・フェスティバがブルーノくん、マツダ・ファミリアがイワンさん、ルノー・クリオがヴィンスくんである。そこにわれわれ11名+サトカッチ。常連の越くん、祐里さんは手配した車が一台不足のためドタキャンの悲哀をなめることとなった。申し訳ない。

本日はフランシュ・コンテ地方の観光名所めぐり。Ch5teau de Joux (ここには95年のCLA の遠足でジローくんたちと行ったことがある)を見物して、そこでお昼。そのあと Le Lac Saint Point というきれいな湖に寄って、白鳥などを眺めつつ湖畔を散歩。それから La Source de la Loue という奇勝で、地下水脈から涌き出る川を眺める。そのあとはそのルー川に沿って峡谷を一気に下り、それはそれは美しいフランシュ・コンテの田園風景を堪能する。

盛りだくさんのドライブで、朝の九時に出発して、ブザンソンに帰着したのが午後6時半。9時間余の大旅行であった。貴重な休日をつぶして一日おつきあいくださった三人のビゾンタンにはお礼の申し上げようもない。

さすがに全員疲れ果てて、夕食に街に出る元気があったのは6名のみ。

スパゲッティが食べたいというリクエストにおこたえして、イタリアンに行く。

そこでサトカッチ、越くん、マルレンくんが合流して、モラッツェラとトマトのサラダとカルボナーラ・スパゲッティを食べて、赤ワインのピシェを頂く。食後に別件の夕食に招かれていたブルーノくんも合流してモナコを一杯。

どうしてこのように頻繁に「合流」がなされるのであるか、読者のみなさんにはご不審であろうと思うのでここで理由をご説明しておこう。

理由のひとつはブザンソンという街では、食事をしたりビールをのんだり場所がだいたい徒歩10分以内のところに固まっているということ(ホテルから5分くらいのところがレストラン街なのである。レストラン街といっても15軒くらいなんだけど)。

加えてフランスは「外食文化」の地なので、夜になるととりあえず街へ繰り出て食事をすることが多い。

つまり外食する人は同じ時刻に同じ地域でうろうろしているので、遭遇する可能性がきわめて高いのである。

かてて加えて携帯電話の普及のせいで、「いまどこ?」「そこから歩いて1分のとこ」というような会話が頻繁になされるので、ピンポイントで「合流」することがたいへんに容易である。

どうせ外食するなら、どうせカフェでビールを飲むなら、一人よりたくさんのほうが楽しいというのは人情の自然である。

かくして一夜に何度となく「合流」が果たされることになるのである。

しかし、さすがに今日は疲れたので、そうそうにお暇する。

いよいよブザンソン滞在も半分を切り、残り6日となった。残る日々を学生諸君が有意義に過ごしてくれることを祈る。


9月1日

二度目の土曜日。肌寒いけれど天気はよくなりつつある。

午前中に買い物に出かける。るんちゃんのお土産を求めに祐里さんお薦めのNAFNAFへ。

お店のお姉ちゃんが、「汝は何を求むるのであるか」と尋ねてくるので、「娘のために贈り物を求めんとしているのである」と答える。
「汝の求めるものはスカートであるか、セーターであるか、上着であるか、パンタロンであるか、ただちに明らかにせよ」と詰問される。
「ちょっとかわいいもんなんかあるといっかなとおもったりして」というような日本語は翻訳不能であるばかりか、たとえ翻訳してもフランス人にはまるで理解不能である。このあたりが比較文化論的落差を感じるところである。

かの地では、目的もなくふにゃらと店をのぞくようなことはなかなか許容されないのである。やむなく「セーターである」と答える。「これはどうか」とただちにいちばん手近にある商品を提示する。それはねーだろ。

お姉ちゃんを捨て置いて、じろじろと商品を検分して、皮のハーフコートを選ぶ。

「汝の娘のサイズはいかほどであるか」
「汝と同程度であると思われる」
「ではMである。汝が手に持っているのはLであるから、ただちに棚に戻すように」
「いや、娘は大きいサイズのものをゆるゆる着るのが好きなのである」がフランス語にならない。

「彼女は大なるサイズのものをより好むのである」と説明するが、不可解な表情は去らない。たしかに不可解であろう。「汝の娘のサイズはいくつであるか」「Mである」「ではこれを求めるべし」「MではなくてLを買いたい」というのでは、どう考えても論理的問答になっていない。

「サイズが合わなかったら、ただちに取り替えるから、このレシートをかならず保存しておくように」と念を押される。よほどいい加減な人間だと思われたのであろう。

買い物を終えてHuit Septembre 広場で『リベラシオン』を買っていたら、サトカッチ出会う。ロシア人のような名前であるが、さいわいなことに妙齢の日本人女性で、昨日の合気道の稽古に参加してくれた新人のうちの一人である。

買い物で疲れたのでカフェでカフェ・オレを喫する。

フランスではコートひとつ買うのも骨であると愚痴をこぼすうち、教師癖が出て、そのまま昼のサイレンがなるまで調子に乗って日仏比較文化論についてながながと一席講じる。どうもすみませんでした。

ホテルに戻って、今日は論文を読む。面白いものがいくつかある。

とくに母国語話者と非母国語話者のあいだのコミュニケーションがうまくゆかないのはおもに母国語話者の側の責任であるという論文に膝を打って同意する。そーだそーだ。

外国語におけるコミュニケーションがうまくゆかないおもなる理由は

(1)コンテクストが分からないでいきなり話しをふられる
(2)知らない単語がキーワードである、という二つの場合である。

コンテクストが分かっている場合は、だいたいこのような領域の語彙で談話が構成されるであろうという予期がなされるので、大きな誤解は起こらない。

キーワードが固有名詞や専門用語で、音をきいても字を見せられても意味がわからない場合は、文脈が分かっていてもてんで話しにならない。迷亭先生の「トチメンボー」と一般である。

いずれの場合もコミュニケーションの不調は、談話のコントローラーである母国語話者の側の問題である。専門家にそう断定していただけると心強いこと限りがない。やあ、よい話を聞いた。

7時に学生全員とロータス・ドールへ繰り出す。本日のご会食者は、ブルーノくん、越くん、祐里さん、サトカッチ、イワンさん、そして新顔のヴィンスくんである。ヴィンスくんは4年前にご紹介しましたよね、とブルーノくんが言うので、「センセイおひさしぶりです」という挨拶に、あいまいにへらへら笑ってごまかす。たしか4年前にはずいぶんたくさんのビゾンタン(ブザンソンの住人は男性はビゾンタン、女性はビゾンティーヌと称するのである)に合気道をご指導したのであるが、みんな顔も名前も忘れてしまった。不人情なセンセイですまない。

総員19名でばりばりとカンボジア風中華料理を食す。美味である。

恒川さんがコリアンダーに弱いので、「コリアンダー風味ラーメン」と「海老やきそば」を交換する。(海老ヤキソバはほんとうはサトカッチのものであり、私が注文したのは豚ヤキソバであり、ひとのものを勝手に交換してしまったのである。たびたびすまない)

「コリアンダー、こりはなんだー」と小声でつぶやきつつラーメンを食していたら、きびしい視線をホッタさんから送られてしまった。

そういえば、「フランス語だじゃれ」を一昨日のグロットでいきなり思い出した。

鍾乳洞の中で、「この洞窟には冬になるとこうもりが冬眠に来ます」という話を聞いているうちに、思い出したのである。

「こうもり」はchauve-souris すなわち「禿げネズミ」とフランス語では言う。私の「フランス語だじゃれシリーズ」は「コウモリと勝負する?」というのが採用されなかった時点で停止したのであるが、それを思い出した。

さっそくグロット同行の諸氏に、シリーズをご紹介する。すなわち「犬が思案」「猫が斜に構え」「羊さんは無頓着」「馬を縛る」「おんどりのコックさん」(@ウッキー)の連作である。それに「コウモリは…」を加えてみたところ、これが日本人留学生に思いのほか好評で、気をよくした私はさっそく洞窟を出たところで牛を見つけて「牛は場所ふさぎ」という新作を提案したのであるが、いきなり却下された。

しかるに本日は「もやし」系の料理が多かったために、突如として「大豆だそーじゃ」を思いつき、おそるおそるご紹介したところ望外の好評で、前回却下の「牛は場所ふさぎ」も復活を許された。

さっそく学生全員にフランス滞在中に一人いっこずつ「フランス語だじゃれ」を作成するように厳命したのである。題材は動物に限らない。

「チーズの風呂?まーずいぶんべとべとしているね」とか「ハムってうまいじゃん、ボン」(近くで爆弾が破裂した)などといったシュールなだじゃれを集積して一冊の本にすれば、フランス語修学者の語彙力は飛躍的に向上するであろう。