夜霧世今夜もクロコダイル

Another Crocodile in the night mist: from 1 Jan 2001



10月29日

健康診断で心臓に怪しい波動が発見されたので、精密検査にゆく。

エコーというものをして検査してもらったが、「なんもありませんなあ」ということになる。

やれやれ。

私は健康にぜんぜん配慮していない人間であるが、持病(痛風と高血圧ね。もう年だから)があるので、定期的に内科の検診を受けに行く。そこの先生は非常に細心な方で、眼を皿のようにして、私の血液や尿成分の微妙な変化をチェックし、異常が発見されると、ほとんど「嬉々として」私を専門医に送り込むのである。そんなことを10年も続けている。

おかげで、私は内科的にはかなり整備良好である。

病院のあと、下川先生のところに能のお稽古にゆく。

先生とおしゃべりしているときの話題はほとんどつねに「技芸の伝承」と、「技芸の査定」についてである。

「プロとアマの違い」について、これほど厳密な基準を課す人を私は下川先生の他には多田先生しか知らない。

自分の力量について正確な査定を下し、かつそうやって査定した自分の力量には100%の信頼を置く。それがプロである。

アマチュアというのは、自分の力量を不正確にしか査定できず(ほとんどつねにオーバーレイトし)、かつ自分の力量を信じ切れない人間のことである。

なるほど。

「あなたがたはアマチュアだから、まあ、のんびり楽しんで下さい」と下川先生は静かに笑う。

「あなたがたはアマチュアだから」という言葉に、まったく貶下的なニュアンスがないということは、「プロとアマ」のあいだにはそもそも「比較」が成立する余地がないほどの力の差がある、ということを意味している。

おそらく下川先生の眼に、私は「能楽を趣味でやりたがっている奇妙なサル」というようなものとして映っているのであろう。

不思議なことだが、下川先生のこの問答無用の「差別」は、アマチュアである私に少しも屈辱感を与えるない。それどころか、私を非常に見通しのよい、風通しのよい場所に連れだしてくれるのである。

「なるほど、私はサルだ」という自己認識が私に深い解放感と、さらなる精進へのモチヴェーションをもたらすのである。

それはプロとしての圧倒的な自信をもつ人が私たちに与えてくれる「贈り物」である。


10月28日

よく眠る。

昨日は午前10時に起きて、ぼやーっとしているうちに合気道の時間になり、お昼から4時まで稽古したり遊んだりして、家に戻ったらもう6時近く。メールをチェックして、ご返事を書いていたら、もう7時。あわててお風呂に入って、ビールを呑んで、ご飯を食べて、映画を見ているうちにまぶたが重くなってきて、ベッドにもぐったのが10時半。ついに一行の原稿も書かず、一頁の本も読まずに貴重な休日が終わってしまった。

そして今朝目が醒めたら、午前10時。

10時就寝10時起床では、一日が12時間しかない。

これで学者と言えるだろうか。

言えない。

その証拠に日仏哲学会から『フランス哲学思想研究』を送ってきたので、それを読むが、むずかしいことがたくさん書いてあって、ほとんど理解できない。

ただし、言い訳をさせていただくと、私の知解能力が低調なのは、そこに書いてあることをちゃんと理解することによって、私の人生が劇的に愉快になるとか、そういうことが期待できないせいもある。

私の知解能力はイタチボリのアキンドのように計算高い。

私が高校生のころにも分からない本はたくさんあった。ニーチェもマルクスもフロイトもよく分からなかった。でも「これがわかると、いいことがありそうだ」という確信はあった。

大学生になってレヴィ=ストロースをはじめて読んだときも、これが分かると「世界の成り立ち方」がいきなり分かるぞという直観があった。

はじめてデリダを読んだときには、この人の語法を習得すると「批評」の必勝法が分かるはずだと確信できた。

レヴィナス先生のものを読んだときは、ほとんど一行とて理解できなかったが、「この人のあとについていこう」と決意した。

理解できないものには、「理解できないけど、どうせ私には関係ないから、どうでもいいもの」と、「理解できないけれど、私にすごく関係がありそうなので、とにかく食らいついてゆきたいもの」の二種類がある。

理解できなくても、「私の人生に関係があるか、ないか」は理解できる。

だから、理解できないし、「私とは関係ないみたい」なものは、どうも読む気になれないのである。

『フランス哲学思想研究』の中では、自分の書いた書評だけはさすがによく理解できた。なかなかよいことが書いてあるので、何度も読み返す。

そしたら書評されている当のSさんからお葉書を頂いた。

「本書で私が目指そうとしたことを(おそらく本人が意識していた以上に)的確に表現して下さった達意の文章に接し、一瞬のとまどいと、つづいて本書をこうした眼で見て下さった読者の存在に心から感謝の念を抱きました」というご過分の言葉が書かれている。これには書いた本人がびっくり。

Sさんが本当は何を目指していたのか、私にはもちろん分からない。分からないから、「こういうことを目指して書かれた本だったとしたら、すてきだろうな」と想像したことを書いたのである。それが「当たり」だったわけである。

佳話である。

書評においては、「その本の蔵しているいちばん豊かな可能性にピンポイントする」というのが私のポリシーである。「いちばん豊かな可能性」をめぐる議論がいちばん生産的だし、いちばん愉快である。

それに「いちばん豊かな可能性」をポイントする読み方は、それなりに大変なのである。

悪口をいうとき、私たちはいくら主観的な論拠から自説を展開しても少しも構わない。もとから相手を説得する気なんかないからだ。

でもほめるときには、ほめた相手が「ああ、分かってくれたんだね」とにっこりするという応接が期待できなければ、まるで空しい。

「おめって、ほんとにセンスねーな」という罵倒は、相手が「自分はすごくセンスがいい」と確信している場合でも十分に罵倒として機能する。

けれども、「おお、旦那、そのジャケットとセーターのカラーコーディネイト、ぐっと秋っぽいでげすな」などという言葉は、「はずした」場合、まったく「ほめ言葉」として機能しない。ただ「あ、センス悪いわ、こいつ」と内心で見下されるだけである。

つまり悪口をいうときより、ほめるときの方がはるかに射程の遠い想像力が要求されるし、対象への適切な理解が求められるのである。

自己陶冶としての「ヨイショ」。

よい言葉である。

私は「ヨイショのウチダ」としてひろく業界では知られているが、この技法を私に授けてくださったのは、教育哲学の碩学、S藤先生である。

先生は不肖ウチダが駆け出しのころ、訳書に「絶賛の手紙」を送ってくれた方である。

その鄭重な文言と漢語まじりの賛辞は若手の研究者に対するものとしてはほとんど異例のもので、私は喜悦のあまり手の舞い足の踏むところを知らなかった。

そして、以後、仕事で苦しいときに遭遇するたびにS藤先生の書を取り出し、「ウチダ先生の天馬空を行く達意の名文に触れ・・・」といった箇所を舐めるように読み返した。

90年代の私の仕事を支えてくれたのは、新刊が出るたびにどんどん「白髪三千丈」的にスケールアップするS藤先生の「ヨイショ」であった。

そして、私自身が他人の仕事を査定するような年回りになったときに、改めてS藤先生の教育的配慮の深さに思い至ったのである。

私のような若造の半端仕事にS藤先生が感激したはずがないのである。

にもかかわらず、「うん、ちょっといいね、この子は。育てようによっては伸びるかも知れない」と思われたときに先生は、「よし、ひとつヨイショで育ててやろう」と決意されたのである。

現に、先生のもくろみ通り、私はすっかり気をよくして、つねに絶賛してくれるS藤先生からの長文の感想文を楽しみに、他の誰にも相手にされない論文や訳書を出し続けてきたのである。

そして、この学恩に報いるべく、やがて私はみずからS藤先生の学統を継ぐ、「ヨイショの教育哲学」の道を進むことになるのである。

佳話である。

学生院生諸君の中はこの一文を読んでウチダの成績査定の客観性について疑惑を抱かれた向きもあろうがが、ご懸念には及ばない。ウチダが「ヨイショ」するのは見込みのありそうな若者だけである。

「えー、私、ウチダ先生に『ヨイショ』されたことなんか、ないよ」

あら、それは残念。


10月26日

長い教授会。

というか、教授会はつねに「長く感じる」。

1・教授会で重要な決定がなされるときは、いろいろ意見が飛び交うので長く感じる。

2・教授会が始まる以前にすでに決定ずみの重要な事案を教授会で承認するときは、儀礼的にそこにいるだけなので、すごく長く感じる。

3・教授会で何も重要な決定がなされないときは、むなしく消えた時間が哀しくて長く感じる。

今日は、その2である。(実際は2時間ほどだったから、いつもに比べると短いくらいだ。)

今日は一回だけ動議を提出する。

***問題調査委員会に組合代表も入れるべきだということを元・組合執行委員長という「立場」から提起した。(動議は可決)

現執行部は、私の動議に反対した。

しかし、学院の経営に関する調査に、経営に深い利害関係をもち、その機能不全に対するチェック機能を期待されている教職員組合が参与することになぜ反対するのか、理由が私には理解できなかった。

現執行部のみなさんがこの問題について個人的にどういう意見をもっていたにせよ、組合執行部は組合員全体の利害を代表する「義務」を負っている。

私は執行委員長だったとき、常務委員会との交渉(うちでは「懇談」というソフィスティケートされた表現をする)の席で、「なんでおれがこんな杓子定規なこといわないかんのやろ」と内心で泣きながら、「理事会は労働者の立場をどーかんがえておるのであるか。なめんとあかんど、こら」というような啖呵を切っていた。

気が乗らないけど、それが「付託された仕事」だと思っていたのだから仕方がない。

私にさんざんとげのある言い方をされて、がっくり気落ちして暗い夜道を帰る理事長の背中に向かって「ごめんね、意地悪で」と手を合わせたこともある。

因果な仕事だ。

私は執行委員長のときはすべての職員の生活権を擁護すべく必死の論陣を張り、委員長を降りたあとは「ろくなはたらきもせん職員はリストラじゃい」というような暴言を教授会で吐いた。

それを「二枚舌」と怒る人もいるだろう。

私は二枚舌どころか、「n枚舌」である。

社会人であるということはネットワークの中の結節点としてしか存在しないという自己限定を受け容れることである。私はそう考えている。

「じゃあ、ウチダの本音はどこにあるんだ」

と詰問する人もいるだろう。

「私の本音」なんかどうだっていい。(集団の運営について議論しているときに、個人の「本音」なんてカウントしても始まらない。)

自分に付託された社会的機能をできる限り適切に果たし、それによって集団が得られるベネフィットを最大化すること、それが社会人の仕事である。

「ベネフィットの最大化」はどういう手段で達成されるかについての計量的な判断にさまざまな異論があるのは当然である。そもそも「ベネフィット」とは何か、についてだって色々な考え方があって当然だ。

だから「ウチダのやり方じゃなくて、こっちのの方が、もっと多くの良質のベネフィットが得られるよ」という異論に私はつねに謙虚に耳を傾ける。

そういう点において、私は「negotiable」な人間である。

組合が調査委員会に参与しない方が組合員全体のベネフィットが大きいという考え方があり、相応の根拠が示されれば、私は全身を算盤にしてその損得を比較考量する。

 

家に帰って名古屋大学の講義のために『大脱走』を見る。

大好きな場面、スティーヴ・マックイーンが鉄条網によじのぼる相棒のアイブスに銃を擬したドイツ兵にきれいなジャンプで「腰をぶつける」場面に見惚れる。このときのスティーヴ・マックイーンの助走からジャンプまでの身体の運動の線は、『荒野の七人』の中で、銃撃を避けてバーのカウンターを飛び越すときのジャンプの線と同じくらい美しい。

完全に身体の力が抜けた状態でスティーヴ・マックイーンは空に浮く。空中を飛ぶ姿勢がこれほど美しい俳優を私はスティーヴ・マックイーンの他に知らない。

『大脱走』では、停止した状態から、何の「タメ」もなく、いきなり歩き出すジェームス・コバーンのすばらしい歩き方を何度も見ることができる。武道的に言うとまったく「起こりのない」動作である。同じ動作は『荒野の七人』でのナイフでの決闘の場面でも見られる。これもまた何度見ても惚れ惚れする。

どうして映画批評は起こりのない歩き方とか馬から降りるときの体軸の立ち方とか長椅子を飛び越すときの肩の力の抜け方といったことを主題的に論じないのだろう。私たちが「スター」に感じる魅力のほとんどは彼らの身体運用の天才性から発しているのに。

 

スティーヴ・マックイーンに見惚れていたら電話がかかってくる。

松聲館の甲野善紀先生からであった。ちょっとびっくりしたが、先日梅田の講演のときに名刺をお渡ししてあったから、12月の講演会と稽古会の打ち合わせかな、と思って話し始めたら、いきなり武道の話になってしまった。

甲野先生は前にも書いたけれど「間の取り方」の達人である。だから、電話に出たとたんに「さっきの話の続きなんだけどさ」という感じでコアな会話が始まる。こちらもなんだかずっと前からの知り合いみたいな気分になって、「ほんと、そうですよねー」というような気楽な受け答えをしてしまう。気がついたら一時間近く話し込んでしまった。

ほとんど初対面の人に旧知の人のように話しかけるというのは、達人の芸である。

「間」が読めて、相手の周波数と瞬間的にチューニングできる人でないとそういうことはできない。この間の梅田での「お手合わせ」で私の周波数は甲野先生の知るところとなってしまったらしい。

前田英樹さんとの共著の新刊を贈って下さるそうである。楽しみである。


10月25日

名古屋大学での集中講義のためのノート作りを始める。5日間連続でくらいやるわけだから30時間分くらいのネタを仕込まないといけない。

予定では、「今日はヒッチコックの映画の話をします。なに?『北北西に進路を取れ』も『鳥』も『サイコ』も見てないひとがいる?こまったなあ、それではぜんぜん講義にならないなあ。しかたがない、全三作品一挙上映といこう」というようなずっこい手をつかって1日浮かせるということも考えたのだが(かなり真剣に考え、いまも考えている)そんなことをしてお鳥目をいただくと天罰が当たりそうである。

今回のテーマは「映画の解釈学」。

映画はあらゆる物語装置とおなじく、「意味の亀裂」を含んでいる。

私たちを挑発するのは、その「意味の亀裂」である。

その断層に架橋するために、私たちは「解釈」というものを試みる。

解釈というのは、要するに「なんだか話のつじつまが合わない」ところでむりやり「つじつまを合わせる」ことである。

これが楽しいのね。

つじつまのあった話というのは実は面白くも何ともない。

つじつまの合わない話で、最後までつじつまが合わないままで終わる話は無性に腹が立つ。

つじつまの合わないところがあちこちにあるのだが、ある「解釈」の導入によって、一気にすべてのつじつまが合うという時、私たちは深い愉悦を覚えるのである。

よい物語の条件がこれでだいたい分かる。

(1)つじつまの合わない部分が散見される

(2)ある解釈を導入するとそれが劇的に繋がる

(3)でもまだ「繋がらないところ」が残る

(4)ある解釈を導入するとそれが劇的に繋がる

(5)でもまだ・・・・(以下無限につづく)

つまり不整合が「劇的に繋がる」という愉悦を定期的に提供しながら、決してそれが「品切れ」にならないように「謎」が構造化されている物語が「よい物語」なのである。

映画の場合もそれと同じである。

「ん?なんだろ、これは?」というような「怪しい」ファクターがあちこちに散乱しており、ある解釈によって、それがみごとな「意味」に一度は編成される。しかし、決して一義的な解釈に収斂することなく、一度編み上げられた「意味のテクスチュア」がほうっておくと、すぐにほころびてくるような結構になっている作物がよろしいのである。

ここまでは分かるね。

では、映画における「怪しいファクター」とはどんなファクターであろうか。

何かが「怪しい」あり方には二通りある。

(1)みるからに怪しい

(2)あまりにも怪しくない

精神分析が教えるように、「抑圧」はたいていの場合、あまりにもうるさく「ここには抑圧なんかありませんよ」とアナウンスされる場所にひそんでいる。

「ちょっとは怪しくてもいいはずなの、なぜかぜんぜん怪しくない」ものはかえって「怪しい」。

解釈学的センスというのは、この(2)の「あまりに怪しくないもの」に抵抗を感じる感性のことである。あまりになめらかに意味がつながるときに、「なめらかすぎないか?これは」というふうに懐疑するのが解釈学者のだいじな仕事である。

ほとんどの批評家は「目立つもの」に焦点化して作品を批評する。

べつにそれは悪いことではない。でも、それだけでは退屈だ。

あまりに「目立たないもの」、ほんとうは「そこにあってもいいはずなのに、なぜか、ないもの」を想像的に感知するのが解釈学的センスである。

「そこにあるもの」に基づいて、「そこ」の意味を探り当てるのはむずかしいことではない。

「そこにあってもいいのに、ないもの」に基づいて、「そこ」が何を抑圧して成立した場所であるかを探り当てるのは、けっこうむずかしい。

天安門には中国共産党の元勲たちの群像が描かれている壁画がある。途中で失墜した政治家たちは、その絵から消される。消されて、まるでもとからそこにいなかったように、なめらかに絵は修復される。北京市民はにこにこと絵を眺めている。

抑圧というのは、こういう機制である。

絵をその「構図の妙」やら「筆遣いの巧みさ」やら「色彩の華麗さ」といった芸術学的水準でながめているひとには、その絵が何を抑圧するための装置なのかということがついに分からない。なぜなら、彼らは「そこにあるもの」から発想し、それが何かを欠いているという可能性を決して吟味しないからである。

映画を見る場合も文学を読む場合も、事情は同じである。

物語を経由して人間たちは何を愉悦し、どんな嘘をつくのか。そのことについての年期の入った知見に支えられない限り、物語についての解釈が真の批評性をもつことはできないと私は思っている。

というわけで、『大脱走』なんか見ながら、私の講義は「解釈学的知性とはいかなるものか」というふうに展開してゆく予定なのである。乞う、ご期待。


10月23日

起きたらなんだか風邪気味で熱っぽい。でも学校があるので、ふらふらと出かける。

昨日に続いて「自立」について考える。

「自立するためにはどうしたらいいのでしょう」と問いかけてきた人がいる。

それは「借金を返したいので、お金貸して下さい」と言っているのと同じことだよと言って聞かせる。

自分のことは自分で決めて、そのリスクは自分で引き受ける。

自立というのは、煎じ詰めればそれだけのことだ。

リスクは自分ひとりで引き受け、そこから得られたベネフィットは他人と分かち合う。

社会性というのは煎じ詰めればそれだけのことだ。

自立していない人間は当たり前だが社会性がない。

社会性がなければ、人間が社会で生きてゆくためにいちばん必要な資源が得られない。

人間が社会で愉快にかつ威信をもって生きて行くためにいちばん必要なのはお金でもないし、愛でもない。

敬意である。

他者からの敬意だけではない。大切なのは「自分に対する敬意」だ。

そのことをアナウンスする人がほんとうに少ない。

「私は愛が欲しい」「私はお金が欲しい」と言い立てることが人間として正直なことで、よいことだと思っているひとがいる。

その人は正直であることによって、その人の値打ちが下がることもある、という当たり前のことに気づいていない。そのような言葉を一回口にする毎に、その人は大切なものをドブに棄てているのである。

「誰にもめーわくかけてないから、いいじゃないか。ほっといてくれよ」

というようなエクスキューズで、売春したり、コンビニの前の道路にへたりこんでいる高校生がいる。

彼らは「自分は社会人として最低のラインだけはクリアーしているから、それでいいじゃないか」と言う。

別にいいよ。

でも、自分自身に「社会人として最低のライン」しか要求しない人間は、当然だが他人からも「社会人として最低の扱い」しか受けない。そのことはわきまえていた方がいい。

自分の弱さや愚かさを「大目に見てくれ」と言って甘える人間は、自分の持っている最も高価なもの-自尊心-を捨て値で売り払っているのである。

一度失った金を取り返すのはたいしてむずかしいことではない。

一度失った愛を取り返すのも不可能ではない。

でも、一度失ったら、「自分に対する敬意」は二度と取り返すことができない。

 

家にもどって「早めのパブロン」を呑んで1時間ほど寝る。汗が出て、熱が下がる。

夕方から元町で『ミーツ』の江さん主催の「ウチダを肴にお酒を呑む会」が開かれているので参上する。

参加者は江さんの他にワイン・バー『ジャック・メイヨール』の橘さん、博報堂の土屋さんと永峰さん、「ミーツ」編集部の塩飽さん、イラストレイターのアジサカ・コウジさんの六人。

塩飽さんは三重から、アジサカさんは福岡からわざわざウチダの顔をみるために来神されたのである。(アジサカさんにはサイン入りご高著『ププの生活』を頂く。「シティ情報フクオカ」に連載されている四コママンガ集。おもしろいぞー。)

年齢は20代から40代まで。『ためらいの倫理学』を読んで、「このオッチャンと酒のも」という趣旨のもとにお集まりになった愛読者の皆さんである。江さんが精選したメンバーだけあって、談論風発、実に愉快痛快な方々であった。

元町の牡丹園別館で広東料理をごちそうになり(博報堂さまの奢り)、旧居留地のバーでワインとシーバスをごちそうになり(江さんの奢り)、さらに高架線北側のバー「キム」に繰り出す。

「ウチダさん、レヴィナスの***というのはどういう意味でしょう?」という種類の専門的なご下問が多い。私はレヴィナス思想の伝道師というよりは老師のお墓を洗ったり、落ち葉を掃いたりしている遺徳顕彰会の下働きなので、「顔って言うたら、ま、顔のことですわな」というような頼りない応接しかできない。美味しいものをばりばり食べて、お酒を頂くばかりである。

しかし、レヴィナス老師の書き物がこのように広い領域の読者に読まれているということは一翻訳者としては実にうれしいことである。それぞれの読者が単なる知識や情報としてではなく、自分の生き方に切実にかかわりをもつ叡智として、自分の言葉に言い換えながらレヴィナス老師のテクストを読んでいる。

このような読まれ方をこそ老師は切望していたのである。

『ミーツ』の連載は「町場の現代思想」(仮題)というものになるそうである。

「町場」という言葉に江さんはこだわりがあるみたいだ。

「町場」というのは、ただの消費空間ではなく、生活と歴史の厚みを持つリアルな現場のことらしい。

挿し絵はアジサカさんが描いてくれる。挿し絵つきの連載エッセイのお仕事なんて生まれてはじめてである。


10月22日

村上龍の『最後の家族』と『すべての男は消耗品であるVol.6』を同時に読み終わる。村上の主張はどちらにも一貫している。

しかし、考えてみると、小説を媒介にして何かを「主張する」roman a these というような作物をいまごろ生産している作家って、村上龍くらいしかいない。

「ロマン・ア・テーズ」すなわち「テーゼをもった小説」とは、あるテーゼを立体的に理解させるために物語を媒介させるという書き物のことである。小説の「意味」は作家がそこにこめた「メッセージ」にある、という考え方は19世紀的な「作家主義」としてとっくの昔に葬り去られてしまったはずなのだが、そのような文学史的常識もものかは、村上龍はまるでバルザックのように、スタンダールのように、サルトルのように、ごりごりと「自分のメッセージ」を物語にのっけて、私たちに差し出してみせる。

こういう「常識だの文学史だのが何ご託をならべようと、おいらはおいらだい」というあたりが村上龍の真骨頂である。人がなんと言おうと、私はやりたいようにやる、というこの村上龍の姿勢に私は深い敬意を払うものである。

 

村上龍はインタビューで「この小説は何を言いたいんですか?」という質問をしりぞけて、この小説が言いたいことはこの小説に書いてあります。ひとことで言えるなら小説なんぞ書きません、としごくまっとうな答をしている。

ある概念をべつの概念で言い換えても、理解は進まない。

とりわけ難解な概念の場合は物語を媒介させないと、理解が及ばないことがある。

例えば、フッサールの「間接的呈示」という概念は、ほかのどんな単語に置き換えてもそれで意味が分かるようになるというものではない。その場合には「たとえ話」を聞かせるほかない。

あのね、君の前に一軒の家があるとするね。

君には家のドアのある前面しか見えない。脇へ回り込むと家の側面があり、裏側に回ると裏面があるんだけれど、家の前にいる君には前面しか見えないよね?

でもね、家の前面しか見えない君はどうしてそれが「家の前面」だということが「分かる」んだろう?なぜ側面や裏面がある、と「分かる」んだろう?

でも、なぜか分かっちゃうんだよね。

だって、君は家の前にいながら、同時に、想像的には、家の横にも、家の裏にも「いる」んだから。

ただし、そこにいる「君」は現実の「君」じゃない。君の分身だ。これを「他我」と呼ぶことにしよう。

「他我」っていうのは、君じゃないけど、君を基礎づけている。だって、家の違うアスペクトを見ているこの分身があってはじめて「家の前面に立っている意識」である「君」のリアリティは確保されているんだから。

彼らはつねにそこにいる。だけど、実はそこにはいない。

だってもしペストがはやって世界中の人が君を残して全部死んだと想定してみても、そのときも依然として家の前面は「家の前面」として君の意識に現前するはずだから・・・

というふうに、延々と「お話」は続く。こういう長いお話をしてあげないと、「間接的呈示」という概念はまず理解不能だ。

 

村上龍がやっていることも、これと同じである。

『最後の家族』で村上は「自立とは何か?」という問いを立てて、それをめぐって物語を紡いでいる。

四人の家族と、それをめぐる人々が、それぞれの立場から「自立とは何か?」という問いに自分の生き方を通じて答えを出そうとする。

村上の小説のよいところは、この「自立とは何か?」という問いが抽象的な議論に陥ることなく、まっすぐに「何をして生計を立てるか?」というえらく具体的な問いにリンクするところである。

「自立とは何か?」という問いに答えるのは簡単だ。

自己決定すること、依存しないこと、おのれの欲望を知ること、模倣しないこと、権威に屈しないこと、自分の言葉で語ること、クリエイティヴに生きること・・・誰でも何とでも答えられる。

村上はそんな答に興味がない。

「では、それを実現するために、君は何で生計を立てるつもりなのか?」

自己決定が可能であるためには、その人の「決定」が熟慮された合理的決断であり、かつ誰にも阻止介入することのできぬ実力的な裏付けをもつものであり、かつその事実が関係者全員に熟知されていることが必要だ。

自己決定が可能であるためには、それ以前に、その人の判断が「ほぼつねに適切であった」という事実と、その人がいったん「やる」と決断したことは「ほぼつねに実現されてきた」という事実の蓄積が必要だ。

自己決定というのは「よーし、今日からおれは自己決定するぞ」というようなお気楽なものではなく、長期にわたる実践を通じて獲得され蓄積された社会的な敬意と信用の上にはじめて可能なものなのである。

村上がいちばん嫌っているのはその事実を直視せずに、おのれがすでに自立を達成しているかに錯覚している若者たちである。

 

「戦略的に十年後のことを考えたときに、フリーターという地位は非合理的だ。三十五歳でマクドナルドのアルバイトをすることを考えればわかることだ。あるいは四十歳でガソリンスタンドで働くことを考えればわかりやすい。そういった職場で、年下の上役に命令され、こき使われることを想像すれば、ほとんどのフリーターの未来が見える。(・・・)ほとんどのフリーターは『有利に生きられる』ということを誤解しているのではないだろうか。有利に生きるというのは、アドバンテージを持つ、というような曖昧なことではない。それは高価で美味しいイタリアンレストランで食事ができるとか、広い家に住めるとか、他人からこき使われずに済むとか、そういったミもフタもないことである。

 どうしてそういったアナウンスがないのだろうか。二十歳を過ぎて、専門的な技術や知識の習得もないまま、十年、二十年が過ぎると、低いランクの職業に就くしか選択肢がなくなり、しかもそれは他人にこき使われることを意味する、というようなことをフリーターに向かって言う大人が誰もいない。」

 

私の周囲の若者たちの中にも「無為に、無目的に」十代、二十代を過ごしてしまったものはいくらもいる。

本人は主観的には「目的をもって」生きたのかもしれないし、「専門的な技術や知識の習得」をめざしたのかもしれない。だが、その努力も「他人にこき使われずに生きられるような社会的アドバンテージ」と具体的にどうリンクするのかという切実な問いをネグレクトしたままのものであったら、結果的には「無為」に過ごしたのと同じことだ。

卒業後、外国に留学する学生が多い。しかし、二年や三年漫然とアメリカやフランスにいたくらいで習得できる「技術や知識」にはほとんど「値札」がつかない。それは大学や専門学校にしても同じことだ。どこであれ漫然と過ごした時間に獲得できる社会的リソースの価値は「ゼロ」である。

自立というのは、単純なことだ。

それは要するに「バカな他人にこき使われないですむ」ことである。

「あら、あたしは何も社会的能力ないけど、金持ちの男つかまえるから、いいわよ」というような不埒なことを言う女もいる。

だが夫に稼ぎがあって、「高価で美味しいイタリアンレストラン」や「広い家」が確保されていたとしても、夫が「バカな他人」であるかぎり、自己決定の道は構造的に閉ざされている。だって、何の社会的能力もない女を喜んで妻に迎えるような男は、家事労働者と性的愛玩物として「こき使う」ことしか配偶者に求めていないからだ。

「どうしたらバカな他人にこき使われずにすむか?」という問いを切実なものとして引き受け、クールでリアルな努力を継続した人間だけが、他人にこき使われずに済む。

そんな単純なことが分からないでいる若者があまりに多い。

 


10月20日

秋晴れ。空が高く、雲が細くたなびいている。

よい季節である。

お洗濯をして、お布団を干して、合気道のお稽古に出かける。

気候がよいので、門人たちがぞろぞろやってくる。わいわい騒ぎながら、学祭の演武会の稽古をしているうちに正午から始めて4時近くになってしまった。

多田塾合宿以来、みんなすっかり合気道好きになってしまった。(もとから好きだったけれど、一層)

稽古が終わって家に帰って、夕ごはんを食べたら猛烈に眠くなってくる。3時間ほど爆睡して、もっそり起き上がって、約束の原稿を一つ書く。

保坂和志の『明け方の猫』という小説の書評である。

私は日本の純文学というものを読まなくなって久しい。

新作がでるたびにきちんと買って読んでいるのは、村上春樹と村上龍と高橋源一郎と橋本治と矢作俊彦の五人だけである。あとのひとのものは読まない。なんだか、むずかしそうだから。

保坂和志というひとは芥川賞や平林たい子賞や谷崎潤一郎賞をもらっている若手ではメジャーな作家みたいだが、私は書評を頼まれるまでその名前を知らなかった。

そういう純文学にまるで無知な人間に書評を頼んでくるメディアの方もなかなか無謀である。しかし本を読んで感想文を書いてお小遣いが頂けるというのは、バイトとしては最高であるから、こちらが無知であろうと先様が無謀であろうとお断わりする筋のものではない。

「明け方見た夢の中で彼は猫になっていた。」

なかなか素敵な書き出しである。

猫になった主人公が散歩しながら、猫の四肢や嗅覚や聴覚の新鮮な経験を記述してゆくところはなかなか楽しい。猫になったら、なんだか気分がよさそうである。

猫が語り手である物語というと漱石の『猫』と大島弓子の『綿の国星』を思い出す。犬だとジャック・ロンドンの『荒野の呼び声』、ライオンだと手塚治虫の『ジャングル大帝』、ゴキブリだとカフカの『変身』。物語作家はいろいろなものに憑依する。

かりにこれを「憑依文学」と名づける。

憑依文学の元祖は、文学史を繙くとモンテスキューの『ペルシャ人の手紙』だと書いてある。

これはルイ十四世の治下のパリにやってきた二人のペルシャ人が「なんとフランス人は奇態な人々であろう」と驚きあきれて故国の知友に見聞を書き送るという結構の作物である。(ペルシャ人は17世紀のフランス人にとっては「猫」並みの異類だったということである。)

「異類の目線」で自分たちの日常を描写するというところに憑依文学の批評性は存する。

どうして異類の目線での描写が批評性を獲得できるかというと、異類の目線は「すべて」を記述するからである。

フッサールの教えるところによれば、私たちの意識は「何ものかについての意識」である。それを逆から言い換えると、私たちの意識は「その『何ものか』以外のすべてを無視すること」によって成り立っている。

猫とかペルシャ人は私たちが無視しているものを逐条的に記述する。

だからふつうなら「歩く」と書いて済ますところを、「右足を前方に振り出し、踵から着地すると同時に、体軸を前方に傾け、重心を左足から右足に移しつつ左足踵を宙に浮かせ股関節を支点にやや膝関節の屈伸も加えて当該左足を右足のさらに前方肩幅の半分くらいの地点に降り出す。その際、あまり時間を要すると均衡を失して横転することもある、また視線は全方位にとくに焦点化することなく送るが、その際、後方視認に過度に時間を要すると前方の障害物(壁、ドブ、ヤクザ)などに衝突する危険が増大する」というような網羅的な記述となるのである。

異類憑依文学の妙味は、この「私たちがふだん意識していないこと」を細かく記述し、それによって私たちにとっての「自然」が、重層的な「虚構」でしかないことを暴露することに存する。

保坂和志の『明け方の猫』は憑依文学の系列に加えられるべき作品だと私は思うが、やや批評性において淡泊にすぎるという印象が残った。

とはいえ、あるいはこれは私が知らないだけで、保坂には他に『夕暮れの犬』とか『夜更けのアカイエカ』といったシリーズがあって、「本作ではとくに猫の淡泊さとノンシャランスにポイントを置いてみました」というさらにコアな異類文学の一部である可能性もあり、うかつな批評は許されないことである。

もちろん、ほんとの書評にはもっと「ちゃんとしたこと」を書いた。

しかし、私に原稿を頼んでくるメディアは「ちゃんとしたこと」を書いて欲しいのか、「でたらめなこと」を書いて欲しいのか、そのへんの判断がつきかねて困る。

発注に際してはその点を分明にしていただけるとありがたい。

 

今朝の新聞に「団塊世代の自殺の予防を図れ」という吉川武彦という精神医学者の寄稿があった。いま自殺者は年間3万人を超えているが、その中でも50代前半の団塊の世代の自殺者が急増している。それについて吉川さんはこう書いている。

「団塊の世代は小さいときから競い合いをしたから精神力が強いという見方もあるが、同世代の勝者として会社などに生き残っている場合でも、負けを許されるリーグ戦でしか戦った経験がない。いま戦っているのは、一度も負けが許されない決勝リーグのトーナメントの場だ。負けたときの心の訓練や準備が十分でないのに、トーナメントで精神をすり減らし、疲れ切っている姿が私には見えてしまう。」

これはなかなかよいところを衝いていると思う。

ただし私は意見をいささか異にする。それについて述べる。

私は人も知る「負けず嫌い」である。

私の「負けず嫌い」は常軌を逸したもので、私以上の「負けず嫌い」の人に私は会ったことがない。(お、もう始まったな)

しかし、多くの人が誤解しているので、この機会に明らかにしておきたいことがある。それは、「負けず嫌い」は「負けるのが嫌い」なのであって「勝つのが好き」なわけではない、ということである。

「勝負」というくらいであるから、「勝ったり負けたり」するのが「勝負」である。

ところが私は負けるのが大嫌いなので、「勝ったり負けたり」というような悠長な話にはまるでつきあうことができない。

「負けるかも知れない」と考えただけで、総身肌に粟を生じ、体液がどす黒く沸騰する。

だから、私はできる限り「ゲーム」を遠ざけ、「競争」を辞退し、「ギャンブル」に手を出さないようにしている。(世間の義理で、いやいや「試合」や「競争」に参加させられることがあるが、ろくなことがあったためしがない。)

しかるに、世の中には「勝負」が好きな人がいる。

この人たちは私に言わせれば、負けることがそれほど苦にならない人たちである。あるいはたまに勝つと、そのヨロコビでそれまでの負けの苦しみがチャラになる人たちである。

勝ち抜きのトーナメントに参加する人は1人以外全員負ける。1万人が参加するトーナメントなら9999人は「敗者」になる。

つまり「勝負をする」ということは、確率的には「負けに行く」ということとほとんど同義なのである。(競馬場というところに行けばすぐ分かる。)

「負けるのが大好き」とまではいわなくても「負けるのが平気」で「負け慣れている」人たちだけが勝負に臨む。

オリンピックの開会式なんか見ていると、ここに集ったひとの99%が「負けに来ている」ということを考えただけで頭がくらくらしてくる。そういう人たちがどういう精神構造をもっているのか、私にはうまく想像することができない。

私は競馬というものを30年ほど前に一回だけしたことがある。

一回馬券を勝ったら、当たった。「なんだ、簡単じゃん」と思って次のレースを買ったら今度ははずれた。私は怒り狂って二度と競馬なんかするものかと席を蹴った。そのまま席を蹴ったきりである。

こういうのを「負けず嫌い」というのである。

「負けず嫌い」は勝負をしない。

およそ「負ける」可能性のあるあらゆる機会をシステマティックに回避するのが「真の負けず嫌い」である。それは同時に勝つ可能性のある機会をも回避し続けてきたということである。

別に勝つことなんかどうだっていいのである、私は。

私にとって負けることは塗炭の苦しみだが、勝つことはせいぜい美味しいあんパンを食べた程度の満足しかもたらさない。負けないためにはいかなる努力も惜しまない私であるが、勝つための努力に時間を割くほど暇ではない。

話をもとに戻すけれど、吉川さんが言うように「団塊の世代は小さいときから競い合いに慣れている」というふうに私は思わない。

単に「負け慣れている」にすぎないのだと思う。

「負け慣れた人間」は負けることの意味について省察しない。なぜ負けたのか、どうやったら負けずに済むかを熟慮することもしない。だから「負ける可能性の高い機会」を回避するために知力と体力を総動員する、というようなシステムを構築することもしない。

どんなに負けても、どこかに「セーフティネット」が張ってあると思っている。

だから勝負がだんだんシビアになって、「負ける」ことによって失うものが大きくなり、どこにもセーフティネットがないと知ると、恐怖で呆然自失してしまうのである。

「負け慣れた人間」は一生かけて「負けるための心の準備」に精を出して、「いくら負けても平気な体質」に自己造型してきた果てに、ある日「心の準備」が間に合わないほどのハードな「負け」に遭遇して死ぬのである。

バカだと思う。

吉川さんは団塊の世代に向かって「いまからでも遅くない、負けることに慣れろ」と忠告しているが、私はむしろ「負けることに慣れすぎた」せいで彼らはいま苦しんでいるのだと思う。だからもう手遅れだと思う。気の毒だけど。


10月19日

長い教授会。

「学内某重大事件」の決着をめぐる議論であるが、私の言いたいことはだいたい他の人が言ってくれるので、黙っている。

そしたら、休憩のときに廊下で三人の先生から「ウチダさん、今日はおとなしいですね」と言われた。

うーむ、私はそれほど日頃「やかましい」男だと思われていたのか。

私は自分の言いたいことは必ず言うけれど、どこかで一回言ってしまうと、同じことを別の場所でもう一度繰り返すことはあまりしない。だって、同じことを言うと、飽きるから。

だからといって、前と違うことを言うと人々は「前と違うじゃないか」と言って怒るし。

しかたがないので、黙っているのである。

黙っていても、ちゃんと話は落ち着くところに落ち着くからよいのである。

 

今日は平川くんが大阪に来ているので、人事教授会をフケて、西宮北口で待ち合わせ。携帯を導入したので、「いま、どこ?」「階段あがってるとこ」「階段のどのへん?」「パン屋がみえるとこ」というようなピンポイント・ランデブーが可能になる。これは便利だわ。

「花ゆう」にて久闊を叙す。

平川くんのビジネス・カフェはすっかり大企業になってしまって、なんと資本金5億円の大企業。私はその創業者であり監査役であるので、平川社長から業務内容の報告などをおもむろに伺いつつ、お刺身などを頂く。

五億集めたけれど、とりあえず使い道がないので、余った二億で資産運用したら、株が下がって1000万円損しちゃったというお話を聞く。

「差損が出たらどうするの?」

「『ごめんね』って土下座するの」

「ごめんね、で済むの?」

「うん」

なるほど。相変わらず平川くんの出処進退は分かりやすい。

リナスさん(リナックスのリナスさんね)やブッシュさん(あのブッシュさんじゃなくて、その弟さんの方)と丁々発止とサンノゼで仕事をしている平川くんの卓越した資質は、儲かるかどうか分かんないけど、とにかくこの人とビジネスしてると、なんだかわくわくするな、という気分を醸成することである。

平川くんといると、いつでもわくわくする。

ともだちになって、もう40年になるけれど、「5年5組」のときにふたりで悪戯をしまくってわくわくしていたときと、気分は少しも変わらない。

「花ゆう」のカウンターのとなりに、なんだかじゃかましい酔っぱらいのおじさんが二人いたので、ちょっとムカついてきて、立ち上がっていきなりしばきたおしたろかと思ったけれど、ぼくが立ち上がって、「こら、えーかげんに、おとなしくのまんかい」とどなりつけたら、平川くんも間髪を容れずに立ち上がって、スパコーンと回し蹴りとか出るんだろうなと思ったら、なんだか愉快になって、おじさんのわめき声も気にならなくなった。(平川くんは松濤館空手五段なのだ。)

こういう「どんな状況でも絶対に自分の味方である友だちがかたわらにいる」ことの安心感というのは、なんとも形容のしようがない。

ぼくたちは40年間、ほとんど同じことを考え、同じことを感じてきた。

そんなことって、あるんだろうか?

ぼくも平川くんも自分のなかにある「あいまいな感覚」や「なんだかわけのわかんない観念」を言語化することについては、相当に熟練している。それなのに、自分の中にある非常に言語化しにくい「思い」をようやく言葉にしたとき、相手から来る反応はいつでも「そう!それこそ、ぼくが言いたかったことなんだよ!」なのである。

そんなことって、あるんだろうか?

たぶんそんなことはありはしない。

ぼくと平川くんが完全に同意しているのは、ぼくたちが「自分が前々から思っていたこと」より「自分がいま発見したこと」により大きな価値を見出す人間だということである。

ぼくはずっと変化し続けているし、平川くんも変化し続けている。変わらないのは、二人とも「変化することが大好き」なので、相手が「自分では思いつかなかったこと」を口にした瞬間に、「わ、面白そう。それいただき!」とばかりに、自分を相手に合わせて「変化」させてしまうというスタイルを共有していることである。

ひとは永遠に同じではないから、気質や価値観に基づいて、友だちでい続けることはできない。でも「友だちである仕方」は本質的には変わらない。

人は変化する。しかし「変化する仕方」は変化しない。

同じ価値観を共有する人と出会うことはむずかしくない。

けれども、ある価値観から別の価値観へ「シフトする」マナーが同じ人と出会うことはレアである。

「友だちである」というのはそういうことではないかとぼくは思う。


10月19日

合気道のお稽古。今日から合気杖の稽古を週一でやることにした。多田塾合宿で組杖を二種類習ったので、これをぜひみなさんに覚えて頂こうというわけである。

「一の杖」の方はできるのだが、「二の杖」の方は、私がむかし習ったのと型が変わっている。多田先生によると、これは「2001年ヴァージョン」であって、「次のときは変わっているかもしれないよ(笑)」ということである。急いで覚えないと、ご縁がないままになってしまう。「二の杖」はさいわい合宿中に工藤くんと鍵和田くんにビデオ出演して頂いたので、これを「ビデオ教本」としてお稽古する。

体育館で1時間杖の稽古をして、ロッジへ移動して体術の稽古。

四年生が「帰ってきた」ので、道場の人口密度がぐっと上がって、なんだかわんわんしている。稽古はこういう過密状態の方がテンションが上がるし、「集団憑依状態」になりやすい。誰かが笑うと、その笑いがすぐそばの人に伝染る。

空間的には狭くてちょっと不自由だが、その分気の練れたよい稽古ができた。

みんなで笑いながら帰途につく。

家に帰るといろいろな人から電話がかかってくる。

せりか書房の船橋さんから「レヴィナス論」読みました。面白かったので、何度も読んじゃいましたというご連絡を頂く。これまで読んだレヴィナス論の中でいちばん分かりやすかった、というありがたいご感想である。

ただイリガライとボーヴォワールの悪口をいくらなんでも書きすぎなので、も少し控えて頂けないか、というご要望である。

ごもっともである。私だってそう思う。

しかし、イリガライとボーヴォワールはあろうことかあるまいことか老師を名指しで「ワルモノ」よばわりしたのである。私が前後を忘れて取り乱すのもやむを得ない。だが、原稿が戻ってきたら、少し冷静になって書き直そう。

ところでこのレヴィナス論はせりかの企画した現代思想家総覧シリーズの一巻であって、全部で25人くらいの書き手が20世紀を代表する思想家論を書き下ろす予定であった。

私は話を頂いてから原稿を出すまで6、7年もかかってしまったので、きっとシリーズ執筆者の中のびりっけつだろうと思ってい。そしたら、何と、私が「原稿提出第一号」なのだそうである。これにはびっくり。うちの業界のみなさんも、けっこう、あれですね。

そのあと都立大の菅野賢治先生からお電話。科研の申請の仲間に入りませんかというお誘いである。

菅野先生は19世紀20世紀フランスの「変な人たち」のことをよくご存じのコアな研究者である。私もむかしその筋の「変な人たち」についていろいろ調べていたことがある。こういう「オタク」な領域で袖すり合うと「おや、旦那はんも、こっちの方がご趣味でっか?」的に親密な気分になるものである。

私はもう「そっちの世界」からは足を洗って、いまはカタギな市民生活をしているのだが、こういう誘いにはついふらふらしてしまう。

タオカさんからお電話。合気道部史に名をとどめる「泣き上戸のタオカさん」である。マンチェスター大学で学業を修められていたが、このたびめでたく博士号をおとりになって帰朝されたのである。ご専門は認知言語学。さっそくお稽古とお仕事のご案内をする。

そのあと上野先生からお電話。「学内某重大事件」についてのご相談である。

例によって子細にわたることができないので、一般論を述べる。

私は経営者にはモラルを求めない。「ワルモノ」だって、ぜんぜん構わない。

ただ「クレバー」ではあって欲しいと思う。ふつうに「損得の算盤」が弾ける人であって欲しいと思う。

「意地」とか「メンツ」とか「世間体」というものも「損得の算盤」にのせて数値化できるファクターであると私は思っている。自分のメンツを組織の解体的危機よりも優先させるというような算盤のはじき方をする経営者は人格をうんぬんする以前に「頭が悪すぎる」と私は思う。

あくまで一般論ですけど。

電話が終わってようやくワインを呑む。

『姿三四郎』を見てから、村上龍の『最後の家族』を読み、志ん生の『五人回し』を聴きながら寝る。なんだかもりだくさんな一日でありました。ふう。


10月18日

後期は水曜日がオフになったので、週休5日というとんでもない勤務形態になってしまった。月オフ、火3コマ出勤、水オフ、木2コマ出勤、金・会議、土日オフというシフトである。金曜に会議がないと、金土日月の四連休である。

世間のサラリーマンが聞いたら、怒りで目が赤くなるであろうが、週5コマというのは、本学の教員の「義務時間」であり、これを超えると「超勤手当」が頂けるのである。

もとからそういう仕組みになっているので、怒られても困る。

しかし、オフの日だからといって遊んでいるわけではない。昨日も終日お仕事である。

晶文社のホームページ用に「おじさんの系譜学」の原稿を書く。

これは毎月月末締め切り、枚数自由(稿料は枚数に無関係に定額)という気楽な原稿なのであるが、いざ始めてみると、月刊連載というのはけっこうタイトである。一本書いてやれやれとおもっていると、すぐ次の原稿の締め切りが来る。

週刊誌とかに連載を書いている人はどれほどの思いで日々をすごしているのであろうか。ましてや日刊紙に連載マンガをかいている、いしいひさいちや長谷川町子先生のご苦労は想像するだに頭が下がる。

漱石の『虞美人草』論を書くつもりでいるのだが、さっぱり本題にはいらないで、うろうろしている。結論はもうできているのだが、私自身が知っている結論を書いてもあまり面白くない。できれば、書いているうちに、予定とぜんぜん違う話になってくれるとありがたい。

『虞美人草』には三人の青年が登場する。甲野欽吾くんと宗近一くんと小野清三くんである。甲野くんと小野くんは哲学者と文学者であるので、いろいろとむつかしいことを考える。宗近くんは、まあお気楽なボンクラ青年であり、あまりものを考えないで、遊んでばかりいる。

この二組の「考える青年」と「考えない青年」違いは、文学史の用語でいえば、甲野くんと小野くんには「内面があり」、宗近くんには「内面がない」ということである。

「内面」というのは明治文学の発明品である。

では小説のテーマは「内面のある青年たちの葛藤」かというと、そうではないのである。

ここが漱石の食えないところである。

この小説の真の主人公は「内面のない」宗近くんであり、この心やさしく、行動力抜群のボンクラ青年のうちに漱石は「近代日本人」の理想を見たのである。

「内面なんかブタに食わせろ」

これが明治40年において夏目漱石が満都の読者に投げつけた挑発の言葉であった。

「内面」を(あるいは「主体性」といってもいい、「自我」といってもいい)持ちたがるものは、必ずその担保を「他者」に求める。甲野くんにとってそれは審美的生活の原理であり、小野くんにとっては博士号と恒産である。そのような象徴秩序に全身を仮託することで、青年たちはせこい自我を成り立たせている。

宗近くんは違う。彼は象徴的水準のものをまるで信じていない。「信じていない」というより、そんなもの「食べたことがない」ので知らないのである。彼が信じるのは妹の糸子ちゃんが裁縫するときのしぐさが「かっわいー」とか、そういうレヴェルのことである。

えー、自我ですか?いいですよ、そんなの。ぼく、要らないし。

というのが宗近くんの真骨頂であり、漱石はこのノンシャランスのうちに「真の人間的成熟」の可能性を見出したのである。

そう、近代的自我なんか要らなかったのである。内面なんかなくたって、人間立派に、やさしく生きられるのである。

お金もちであることのよいことは、お金があるとで私たちはお金のことを考えないですむ、ということである。健康であることのよいことは、健康であると私たちは健康のことを考えないですむ、ということである。

それと同じように、「おとなである」ことのよいことは、「おとなになるってどういうことなの?」なんて考えずにすむ、ということである。

漱石はほんとうに深い。


10月17日

人間がナチュラルな状態にあると、環境の微細な変化にこまめに反応するようになる。

私は最近ナチュラルな人間になりつつあるらしく、環境の変化に対する感度が高まっている。

気圧の変化によって体調が激変するのもその一つである。

昨日から気圧が下がって「秋雨」が降り続いている。

すると、右膝が疼痛を発する。

むかしのTVドラマでは、よくお爺さんが「おお、膝が痛んできたから、もうすぐ雨が降るぞ」と言っていた。「ほんとかしら」と子どもの私は半信半疑であったが、あれはほんとうである。

気圧が下がると膝がじくじく痛み出す。からりと晴れ上がると痛みが消える。

そればかりではない、「気圧同調体質」になってしまったせいか、雨が降り出すと猛烈な眠気が襲ってくる。昨日は日没とともに壮絶な眠気にとらえられ、やっとの思いで家まではたどりついたが、夕食までが限界で、台所を散らかしたまま午後7時にベッドに潜り込み、目が醒めたら午前8時。13時間眠り続けていた勘定である。

うまく言えないけれど、先々週の多田塾合宿で、何か「憑き物」が落ちたのか(あるいは「憑き物」が取り憑いたのか)、体質が変わったような感じがする。

肩の力が抜けて、ディフェンスが下がり、「わし、もうどーでもえーけんね」状態になりつつある。いろいろな懸念や心配事がぜんぶ遠景に退き、「ま、じたばたしても、なるようにしか、ならんわな」という脱力ぶりである。

「リラックス」している状態と、していない状態の差というのを、私はこれまで個人の対社会的な「構え方」の差というふうに考えてきた。

だが、どうもそうではないらしい。

「構え」の差、ということになると、「よし、今日から私は世界に対して開放的に生きよう。ごりごり」というような「決意」の水準でリラックスが達成されることになる。しかしご案内のとおり、実際には「さあ、リラックスするぞ」というような意気込みは、「こわばり」としてしか徴候化しない。

リラックスというのは、「構える」というよりはむしろ「投げる」という感じである。「生きる」というよりは「生かしていただている」という感じである。

多田塾合宿で私が得たのは、「burden sharing」という考え方である。(リストラに抗して「work sharing」ということをしている人たちがいるが、あれにちょっと似ている。)

私たちが一個人として世界に対峙しているという「モナド」主義的な発想をしている場合、「私の重荷」は私一個のものである。私がリラックスしていようとしていまいと、私が絶好調であろうと絶不調であろうと、それはすべて「私の荷物」である。

これを分割してしまうのである。

「分割」というよりむしろ「リンクをはってしまう」のである。

いろいろなリンクの結節点として、私をとりまくネットワークの総合的効果として「私の重荷」というものが「たまたま」徴候化しているわけで、別に「私ひとりの責任」ではない。

だからといって「他の誰かの責任」でもない。

いわば「みんなの責任」である。

これが「重荷をシェア」するということである。

私の失敗や私の不幸は、私個人のせいではない。無数のファクターの効果である。

同じように、私の幸福や私の成功もまた、私個人に淵源を持つわけではなく、無数の人々の参与の効果である。

村上龍がこりこり怒っている「日本型システム」は、こういうふうにすべての問題を個人が引き受けることを拒否して、集団に解消してしまう「everybody's responsibility is nobody's responsibility」(みんなの責任、無責任)体質にあるわけだが、私は個を解消して、集団にリンクする、という発想そのものは実は悪くないと思っている。

大事なのは、その「あと」に、そのようなリンケージの確保に基づいて、「私」をきちんと造り上げてゆくということである。

つまり「my responsibility is everybody's responsibility」 (私の責任はみんなの責任)と言い募って肩の荷をおろしたあと、「everybody's responsibility is my responsibility」(みんなの責任は私の責任)という発想に切り替えて、こんどは人の荷物をかついであげるのである。

私の荷物は他人にかついでもらい、他人の荷物は私がかつぐ。これがburden sharingである。

多くの人々は、他人の荷物は重たく、自分の荷物は軽いと思っている。

それは違う。

逆である。

自分の荷物は重たいが、他人の荷物は軽い。

私が言っているのではない。レヴィ=ストロースがそう言っているのである。

「人間は自分の望むものを他人に与えることによってしか手に入れることができない。」(レヴィ=ストロース先生はつねに明晰だ。)

だから、楽になりたかったら、自分の荷物を放り出して、他人の荷物を担げばいいのである。

別に「同じ重さの荷物を担げ」とは誰も言ってない。

自分の荷物を放り出すくらいだから、相当「お疲れ」に決まっている。

自分の肩から荷物をおろしたら、そこらの誰かの、てごろな荷物(風呂敷一つとか、筆箱一つとか)を持って歩けばよろしい。軽いのでよいのである。

そんなことをしたら、重い荷物ばかり担いでる人と、軽い荷物ばかり担いでる人が出てきて、不公平になるんじゃないかとご心配の方もおられるだろう。

あのねー。そういう発想そのものが「モナド」主義的なのよ。

「荷物の重さ」というのは、「幻想」なの。

そんなもの「実体」としては存在しないの。

「重い」と思えば「重く」、「軽い」と思えば「軽い」。「軽い荷物」はいくらかついでも「軽い」。

レヴィナス先生は「世界の重みを一人で担うものが『私』である」とおっしゃったが、それは別に汗水たらしてうんうん唸ってがんばれというような体育会的なことをおっしゃっておられるわけではない。

「世界の重み」は「他人の幻想」だから、「私」の身には少しも重くはない、嘘だと思ったらかついでごらん、気持いいぞー、とおっしゃっているのである。

リラックスできない人というのは、こういうレヴィナス老師のありがたいお言葉を聞いても、「何気楽なこと、言ってんのよ!あたしなんか自分の荷物が重すぎて、他人のことまで気が回らないわよ!きー」というようなことを言っている人である。

自分の荷物の重みは、その人が「他人の荷物を代わって担ぐ」という決断をした瞬間に消えるのである。だが、自分の荷物の重さに囚われている人は、そのことになかなか気がつかない。

多田塾合宿から帰ってから、私はだらだらにリラックスしているけれど、それは「自分の荷物」をぜんぶ放り出してしまったからである。

代わりにいろいろな人たちの荷物をちょっとずつ担いでいる。(軽いし)

ただし、「自分の重荷」にしがみついて手放さない人の荷物は私だって担げない。

人の荷物を代わって持ってあげる人の荷物は誰かが代わって持ってくれるけれど、人の荷物を代わって持ってあげない人の荷物は誰も代わって持ってくれないのである。

当たり前だけど。


10月15日

ベトナムの友人、ファム・デュク・ビン君の『ベトナムから見た日本』の講演会。

周到な準備をした上に、実に明晰な日本語によるプレゼンテーションであった。ビン君は若輩わずか25歳。すでにフランスで修士号を取ってダナン大学文学部講師というエリートであるけれど、何より、いささかの気負いもなく、一国を代表して21世紀の越日関係を視野に収めた堂々たるスピーチを日本語でこなし、質疑応答に適切に答えるその成熟度にウチダは感動した。

いまの日本の25歳の青年のうちに、ベトナムに単身赴いて現地の言語で越日関係の過去と未来を論じて私や難波江さんのような劫を経た「おじさん」を含む聴衆を感動させることのできる者が何人いるだろう。

ビン君とはじめて会ったのは96年のブザンソンである。そのときビン君は二十歳で、私は四十五歳であった。親子ほど年の違う私たちが「友人」になったのは、彼がそのときすでに堂々たる紳士だったからである。

ビン君はおそらく例外的人物ではない。

ベトナムという国は、そのような堂々たる青年を組織的に生み出すような「成熟のためのシステム」を有しており、わが国にはそのようなシステムがない、ということが教育者として私には痛みとして感じられる。

講演の準備のあいまに二人で「ビゴの店」でお茶を呑んだときに、こんな話を聞いた。

アメリカのベトナム従軍兵士たちは深いトラウマをかかえて70年代以降を生きた。

ティム・オブライエンの小説に描かれたような兵士たちは自分たちがベトナムで犯した破壊と暴虐の記憶をかかえこんで、何十年にわたる不眠の夜を過ごしてきた。その「ベテラン」たちが90年代になって続々とベトナムのかつての戦地を訪れるようになった。

彼らがそこで見出したのは破壊した原野が青々とした水田になり、焼き尽くされた村落が都会となり、虐殺した人々の生き残りが笑顔で彼らを歓待する風景であった。その光景に触れて、ベトナム帰還兵たちは「救い」を得たという。

もちろん彼らの犯した罪には弁護の余地がない。

けれども、弁護の余地のない罪をかかえて、どのような罵倒をも甘受する覚悟でベトナムの地を訪れた「ベテラン」たちが、暖かいベトナムの農民の笑顔に触れたとき、その心に兆したであろう深い悔悟と感謝の気持を想像することはできる。

おそらく、多くの旧兵士たちは、膝を屈して、熱い涙をこぼしたであろうと思う。

「ごめんなさい」という言葉が、30年前には決して口にすることができなかった言葉が、彼らの口から洩れただろうと思う。

謝って済まないことがある。ベトナムにおける米軍の破壊は謝って済むものではない。けれどもビン君はベトナムの人々はアメリカ人を「許す」と断言してくれた。

過去は過去、現在は現在、未来は未来であると言ってくれた。

アメリカ人は多くを破壊した。当時のベトナム国民の10%を殺戮した。

「でも、もうすんだことだから、いいよ」とビン君は言う。「これから仲良くしましょう」

あるいはビン君の意見は、ベトナム人の中では少数意見なのかも知れない。けれども、ベトナムの戦後25年の歴史は、「フランスも日本もアメリカも中国も私たちの国土を蹂躙したけれど、それはもう済んだことです。これからは仲良くしましょう」という言葉を微笑みながら語れる一人の青年を生み出すような厚みを持っていたのである。

その一事をもって、私はベトナムという国に対して、その国の成熟度に対して、深い敬意を抱く。

一人の国民は、その国を代表する。

その国を代表して、他国民を糾弾する権利があり、他国民を許す権利があり、他国民の前にうなだれる権利がある。私は国民国家というものは、そのような一人の国民の「代表権」の幻想の上においてのみはじめて健全に機能すると考えている。(そのことについては、すでに何度か書いた。)

私は日本人を代表して、日本がベトナムに対して犯した罪過についてビン君に謝罪し、ビン君はベトナム人を代表して、それに微笑みをもって応えてくれた。

そんな権利はウチダにはないぞ、という人がいるかもしれない。ビン君にもそんな権利はないのかもしれない。

けれども、顔と顔を向き合わせたこのような水準で、「ごめんね」「まあ、いいですよ」という言葉が交わされることを無数に積み重ねることによってしか国民国家のあいだのコミュニケーションは構築されてゆかないのではないかと私は思う。

今日の講演を通じて私はいろいろなことを考えた。

ベトナムは21世紀の日本にとって大事なアジアの盟友である。

日本とベトナムのあいだには深い友好と信頼の関係が築かれるべきであると思う。

私はベトナムの人はビン君しか知らない。

でも私がビン君に感じる敬意は、ビン君のような堂々たる青年紳士を生み出したベトナムの固有の知的・文化的風土に対する敬意に直接つながっている。


10月14日

ついに節を屈して携帯電話を購入してしまった。

私は人も知る「電話嫌い」であり、私が電話に出るときのあまりの不機嫌な声に傷ついて深いトラウマを抱えた人は十指に余る。だから友人のほとんどは私には急用があっても電話をしてこない。(メールまたはファックスまたは委細面談)

おかげで月の電話料金は(るんがいなくなってからはずっと)基本料金である。

ところが、最近の人々はみんな携帯というものを所有しており、それで連絡をとりあっている。取り合うのは先方のご自由であるが、所有者が増えすぎたために、「携帯をもっていることを前提として」社会システムが構築されるにいたって私のような非所持者ははなはだ迷惑を蒙るようになってきた。

先般、知人と芦屋駅「のあたり」で待ち合わせした。芦屋駅「のあたり」に着いたら、先方の携帯に連絡を入れて、それからランデブーポイントを特定するという段取りであった。芦屋駅「のあたり」に約定の時刻に到着して、「さて」と公衆電話を探したが、公衆電話なるものがかつてあった場所に存在しない。

あちらに走り、こちらに駆け寄るのだが、いっかな公衆電話に出会えない。私は人も知る「パンクチュアル」男であって、待ち合わせの時刻に遅刻するということは私の場合あってはならぬことである。だが、公衆電話を探して右往左往しているうちに時は刻々と定刻を過ぎようとしている。わわわ。

ようやくビルの中の一台の公衆電話を探し当て、先方に電話をして「いまラポルテ本館、本屋の横の公衆電話ですう」と息も絶え絶えに告げたら、先方はなんとその本屋で電話を待ちつつ気楽に立ち読みしていて、「はいほー」と電話口の私の背中を叩いたのであった。

悔しい。

待ち合わせという同一目的を達成するために、私は何百メートルも痛む膝をひきずって走り回り、そのあいだ、先方は楽しく立ち読みをしていたのである。

理不尽である。

それもこれも私が携帯電話所持をベースとする社会構造のシフトにキャッチアップできないがために起こったことである。

こういう場合、ふつうの「おじさん」は「公衆電話を勝手に撤去するなバカヤロ」的な退行的リアクションを取るのであるが、私はそういう「JRと呼ぶな省線と呼べ」的なためにする懐古趣味は持ち合わせていない。

だが、「悔しい」ことにはこだわるタイプである。

悔しい思いを二度するのはいやである。

そのままだだだと六甲道のセイデンに駆け込んで、お店の気弱そうなお兄ちゃんをつかまえて「ただちに私のための携帯をセレクトするように」と厳命したのである。

お兄ちゃんはいろいろな機種を示しつつ、私には理解できないなんたらかんたらのサービスが蜂の頭というようなことを説明するので、「私は持ち運びのできる電話が欲しいのである。ザッツオール」と口を塞ぎ、いちばん手元にあった機種を指さしてこれをただちに梱包するように厳命したのである。

しかるに私が携帯を鞄に入れて持ち帰ろうとすると、くだんの店員が私の袖をつかんで「持って帰っちゃだめです」と理不尽なことを言う。

ひとが金を出して買ったモノを持ち帰ることのどこが悪い、と私は理路整然と反論を試みたのであるが、携帯とは言い条、どこぞに接続して「開通式」のようなものをしておかないと電話としては使えないのだそうである。なるほど、言われればもっともである。

仕方なくとなりのツタヤで30分ほど暇をつぶしたのち、すばやく家に持ち帰る。

3センチほどのマニュアルがついているが、もちろん私は重度の「マニュアル失読症」であるので、そのようなものは読まない。そこらへんのボタンをおしたり、引いたりしているうちに全体の構造はおのずと理解された。なるほど、電話だけでなく、メールを発信したり、インターネットに接続したりもできるし・・・なんと国語辞典としても使えるじゃないの。おおおお、これは便利だ。

というわけで本日はウチダの携帯事始め4日目である。

ただし、電話番号とメールアドレスは「身内」にしか教えないし、自分で使うとき以外は電源を切っているので、携帯を持ったからといって、私が捕捉しやすくなったということはないのである。


10月13日

昨日は大学教員研修会。自己評価活動の一環として98年から始まって、今年で4回目。

私は自己評価委員長なので、自動的に教員研修会の実行委員長というものになり、会のプログラムを考えたり、講演の講師を探したり、全体会議の議長をしたり・・・といろいろと用事が多い。

これが終わって、今年後期の大仕事のうちの一つがまず片づいたことになる。ほっ。

今回の研修会は参加者も多く、講演の楠原彰先生の話もまことにインスパイアリングであったし、分科会での討議も盛り上がったし、全体会議での審議採決も予想以上に順調に行き、おかげで懇親会のビールも二次会の「マルコ・ポーロ」のワインも美味だった。

楠原先生、原田学長をはじめご協力をたまわりました関係者のみなさまに心より感謝致します。ありがとうございました。

 

楠原彰先生は教育人類学の碩学であるが、知る人ぞ知る日本におけるFD活動の草分け的存在である。その話は実に含蓄深いものであった。

FDというのをご存じない方もおられであろうから、簡単にご説明しておこう。

FDとは Faculty Development すなわち「大学教授団の資質開発」のことである。

大学の先生というのは「教員免状」をもたない。

小中高の先生は教育学の基礎を学び、教育実習を経験した上でなければ教壇には立てないが、大学の教師は論文の出来だけで採用されて、そのまま教壇に立たされるから、教育スキルを組織的に開発された経験がない。だから発声とか板書というような最低レヴェルにおいてさえ教育スキルの標準をクリアできない先生がいる。

教授たちの教育スキルを開発する組織的訓練の場をどのように保障するか、これが大学教育がかかえている第一の問題である。

第二の問題は大学の「大衆化」である。

都市部の大学進学率はとっくに50%を超えている。

二人に一人が大学に行く以上、大学はもはやエリート養成の場でも、高度専門職の養成の場でもない。ふつうの、そこらのにーちゃん、ねーちゃんが「ハナコも行くし、タローもいくから、おいらも行くべよ」という程度のモチベーションでやってくる。

そういう人たちの知的ニーズに答える教育サービスを提供しなければ、彼らだって教室では私語したり歩き回ったり携帯でメールを打ったりしていないと間が持たない。

そうしてほしくなかったら、学生たちが充分な関心と興味をもって臨める授業を行う他ない。そのためには、学生の知的情緒的な「成熟度」(というより「未成熟度」だな)を正確に把握した上で、その学生たちが「さしあたりもっとも必要としている知的技術と学術情報」とは何かについて真剣に考慮しなければならない。

ことは単にOHPやAV資料やコンピュータを駆使したらどうこうなるという水準の問題ではない。もっとデリケートで人間的な問題だ。学生と教師、学生と学生のあいだにインタラクティヴで暖かいコミュニケーションが保障された「学習の場」の立ち上げがなされなければならない。

そのためには、どうすればよいのか。それが第二の問題である。

FDとはこの二つの問題に対処するために提起された。

FDには私見によれば矛盾する二つのモメントが含まれている。

ひとつは「蛸壺」にこもって大学の社会的機能の変化にも学生の知的成熟度の変化にも気づかないで十年一日の授業をしている「個性的な教師」たちをいちど強引に日の当たるところにひきずりだして、現況についての了解を共有していただく、という仕事である。

ここでいう「現況」とは単に大学の大衆化というような客観的現実のみならず、そのような現実に対応できていない教員ご本人の教育能力の「欠如」という現実をも含んでいる。

教員たちを「グローバル・スタンダード」において「査定」し、教師としてのクオリティがどの程度のものなのか、教育マーケットにおける彼ら一人一人の流通価値がどの程度のものなのかを知らしめること、これがFDのとっかかりである。

場合によっては市場価値の低い教師には研究費の削減、降格、減俸、免職といったペナルティが科されることもあるだろう。

いまの日本の大学では一度専任教員になってしまったものは、どれほど研究教育実績が貧弱でも停年まで身分保障されている。これが大学教員のモラル・ハザードの原因であることは誰にでも分かる。

80年代の文部省調査によれば、過去5年間に一本の学術論文も書いていない大学教員は全体の25%に及んでいた。(いまはもっとひどいことになっているかもしれない。)研究をしない教員は別に学生の教育に熱心なわけではない。たいていは単にだらけているだけである。

しかし、教員を査定するだけでは、単に大学に市場原理を導入した、というだけのことで、あまり気分がよろしくない。

大学がまるごと市場原理に呑み込まれて、あらゆる教育研究活動がデジタルに数値化され、活動の一つ一つに値札がつくというのは、考えてみるとずいぶんストレスフルな職場環境だ。そういう場が独創的な研究や暖かい人間的交流にとって有利な環境だとは思えない。私だって、そんなところではあまり仕事をしたくない。

ここにFDの第二の仕事がある。

すなわち、斉一的な規格化・数値化に抗して、規格にはずれ、数値化になじまない生身の人間の深みや重みを擁護してゆくこと、斉一的な査定になじまない真にオリジナルなものの存在権を保障すること、これもまたFDの大事な仕事なのである。

教員の活動を網羅的に規格化・数値化することと同時に、規格化・数値化になじまない「人間的価値」を徹底的に擁護すること、その二つの矛盾するみぶりを同時に行うこと、そこにFDの妙諦がある。またこの二つは同時に行われなければ意味がないのである。

規格化・数値化を回避しつづけて、「査定されない特権」に安住して大学教員のモラルハザードは進行している。だから査定は必要なのだ。

だが査定するだけでは大学という空間が持っているある種の「逃れの町」としての「いいかげんさ」は圧殺される。だから、規格化の試練を経て、なお生き延びるだけパワフルな「非規格性」は断固として擁護されなければならない。

楠原先生は、FDとはこの矛盾した二つのことを同時に遂行することである、という卓見を語っていた。

これは先夜甲野善紀先生が語っていた「『あちらが立てばこちらが立たず』というのが通常の論理だが、『術』というのは、ある限定的な条件では『あちらもこちらも立つ』ということである」というお話と深いところで通じている。

逆説的なことだが、「規格化・数値化になじまない真に独創的な仕事」を際立たせるためには、規格化・数値化のプレッシャーをかけて、そこに厳しいフリクションが生じさせることが必要だ。

小田嶋隆が言うように、個性とは「個性的な子どもを育てましょう」などというふにゃらけた環境で育つものではなく、個性をあたまごなしに圧殺する環境にあって、それにもかかわらず、どうしても際立ってしまうというかたちで発現するものなのである。個性がつぶされる環境で簡単につぶされるような個性はもとから個性と呼ぶに値しない。

第三次自己評価委員会はそういうわけで、真に個性的な教育研究活動を断固擁護するために、とりあえずデジタル路線を突っ走る予定である。教員諸氏はさぞやご不満であろうが、堪忍してね。


10月10日

二月ぶりの下川先生のお稽古。

声ががらがらなので(合宿で気合いを出しすぎたせい)謡はぼろぼろ。仕舞の方も二ヶ月ぶりなので、全部忘れてしまっていて、先生にこってり絞られた。

でも能のヴァイブレーションで身体がぶるぶるしてよい気持である。

 

大学に行ってビンくんの「ベトナムから見た日本」のポスターをあちこちに貼る。

なかなか見られない貴重な講演会なんだから、みんな来てね。

 

龍谷大学の玉本くんという博士課程の院生さんがレヴィナスについてお話を聞きたいといってやってくる。白面のさわやか青年であるが、いきなり、レヴィナスのいう「他者」というのはどこまでの範囲を含むのでしょうか、という本質的な問いを振られる。

なるほど、人間性というものをあらかじめ定立された「実体」として考えると、「人間だか人間でないんだか、よくわからない境界事例」に対する構えが決まらない。

玉本君は「例えば遺伝子操作で生まれた、手が三本、肌が鮫肌みたいな人間は『他者』として認知可能なのでしょうか?」という過激な質問をする。

過激な質問には、さらに途方もない答を以て応じる、というのが応答の極意である。

「ま、とりあえず『エイリアン』と『霊』は『他者』に入るわな」

レヴィナス先生の教えによれば、人間性の定義とは、「他者とのコミュニケーションを媒介にして、主体性を基礎づけるもの」である。この定義を逆から読めば、「コミュニケーションを介して私の主体性を基礎づけてくれるもの」はとりあえず「他者」と呼んでもいいはずである。

言うと私の学者生命を失う可能性があるので(「失う」ほどの学者生命が私にあったのかという問題はさておき)業界内的には秘密にしているのであるが、私は1980年くらいに「地球外生命体」とのコンタクトをしたことがあり、1992年には「猫の霊」に憑依されたことがある。

そのときに考えたのは、「こういうのも『あり』」ということを前提にして「私の生き方」というものを設定しておかないと、ただ「ぶったまげる」か、「これは夢だ」と無視するかどちらかで、現に起きていることに対してクールかつリアルな態度のとりようがない、ということであった。

「クールかつリアルな態度」というのはさしあたり「ハイホー」というような弱々しい呼びかけにすぎず、それに先方が好意的なご返事をすぐに下さるというものでもないが、とりあえず私なりに「コミュニケーションの回路は立ち上げた」わけである。

ヘーゲルもラカンもレヴィナスも、「自己は非−自己を経由して自己を根拠づける」という点については合意形成できているわけで、相手が「エイリアン」であろうと「猫の霊」であろうと、非−自己である「それ」を経由して、自己同一性が確定できる存在であれば、それは「他者」と呼んで構わないと私は思う。

現に「彼ら」との遭遇によって、私は「多少のことでは動じない」人間に自己形成を遂げたわけであるから、「彼ら」が私の主体性の基礎づけに深く与ったことは間違いない。

私の主体性を基礎づけるものは定義上「他者」である。

いかがであろうか。

ともあれ、若い研究者とお話しするのは楽しい。

 

というようなことを話したあと、朝日カルチャーセンターの甲野善紀先生の講演を聞きに梅田へ行く。甲野先生は12月に本学で講演会と稽古会をしてくださるので、そのご挨拶をかねてうかがったのである。

講演は実に面白かった。私は笑いっぱなし。

面白かった話題を二つだけご紹介しよう。

(1) 先生は街でときどき酔漢にからまれる。(甲野先生は和服で日本刀を下げて街を歩いているから、そういうこともあるのである。)そういうときは喧嘩してもはじまらないし、無視してもますますしつこくからんでくるので、いきなり「お母さんはお元気ですか?」と笑いかけて「躱す」のだそうである。人間は「意味が明瞭であり、フレンドリーであり、かつ文脈が理解不能の語りかけ」に接すると呆然として何もできなくなるそうである。なるほどー。

(2) 「爆弾テロのようなものにたいしてどうやって身を守ったらよいのでしょうか」という困った質問に、先生は「三脈って知ってます?」と答えた。三脈というのは、頸動脈の両側と手首の三ヶ所の脈のことであるが、これは当然にも「ドックン、ドックン」と同一のリズムで脈動している。ところが、危険なことが起こる前にはこのリズムが狂って頸動脈と手首の脈動が「ずれる」のだそうである。昔の人はよくこれをやっていて、三脈に狂いが生じると、「とりあえずその場から逃げる」。先生が紹介していた事例では、朝廷から江戸に行く途中の公家がある陣屋に宿泊して、いつもの習慣で自分の三脈を見たらずれている。同行の随臣たちの三脈も見てみると全員ずれている。「すわこそ」ととるものもとりあえず陣屋を逃れ出ると、そのとたんに裏山が崩れて陣屋は壊滅。もう一つは、戦中の東京で、防空壕の中である人が三脈を見たらずれている。「ここは危ないから出ろ」と言ったが、聞く人がいない。とりあえず二、三人が半信半疑で防空壕を出たら、そのあと焼夷弾が入り口に落下して、全員蒸し焼き。甲野先生自身も一度三脈がずれたことがあり、その日のスケジュールを全部キャンセルして家でじっとしていたそうである。「脈がずれると、すごく気持が悪いです。」

その他にもいろいろ深い話、面白い話が満載であったのだが、今度たっぷり聴けるから、お楽しみに。

講演のあとにご挨拶にいったら、いきなりその場で「ちょっとやってみます?」と言われたので、これ幸いとお手合わせを願う。

「支点を消して動く」という理屈は充分勉強しているので、「来るな」と思っているのだが、どうしても「起こり」が取れない。

甲野先生が動く瞬間だけ現実感覚が微妙にずれて、一瞬「記憶喪失」になって「あれ?おれはこんなところで何してるんだろ?」と頭が白くなったときに、間合いが切られて体軸が崩されている。映画のフィルムの1コマだけが抜けたような感じである。

すっかり面白くなって、言われるままに入身投げ、小手返し、三教、一教といろいろかけたりかけられたりしてみたが、いつも同じで「1コマ抜ける」。かなりゆっくり突かれても、起こりのない中段突きがどうしてもかわせない。

ビデオで見るだけでは分からなかったが、なるほど「こういう感じなのね」と深く納得。

実に愉快な一夕でありました。

甲野善紀先生の講演会は12月7日、午後4時半から6時半まで本学であります。会場が決定したらこのホームページで詳細を告知します。学外の方もどうぞお越し下さい。


10月9日

10月6日から8日まで、恒例の群馬県片品村での多田塾合宿。今年で4回目。

ふだんは時間がなくてあまりできない、集中力を要する「気の錬磨」を中心とした稽古メニューである。

三日間、外界とまったく遮断された状態で、ホテルと道場を往復するだけ。いわば、多田先生の「結界」の中に120人がすっぽり包まれているのである。

そういうふうに書くと、なんだか「自己啓発セミナー」みたいな怪しげなものを想像する人がいるかもしれないけれど、そういうものとは、まったく違う。

多田先生の「コクーン」のなかで、ぬくぬく暖められているうちに、みんな栄養が回ってきて、幼虫から成虫にすくすくと脱皮する、そんな感じである。

稽古では多田先生の導きに従って、全員が軽いトランス状態に入り、身体と魂の「アルタード・ステイツ」を経験する。多田先生の呼吸に合わせて呼吸し、体術や杖では先生の体感を自分のなかで想像的に生き、講話や技の説明を聞いているときは先生の笑いをいっしょに笑っている。

そうやって擬似的に多田先生に同調しているうちに、120人がゆっくりと一つに結ばれてくる。そして最終日の別れのときには、120人全員が親を同じくする大家族のような、親しく懐かしい気分にみたされる。

実際にやっていることは厳しい武術の稽古なのだが、その目的は他人を殺傷するための技術の獲得ではなく、自分の中にゆたかに蔵されている先天的なポテンシャルを解放すると、どれほどの力を私たちは出せるのかということを実感させるためのひとつの「実験」なのである。

私たちは三日間の稽古を通じて、「自分の身体が思うように動かない」というフラストレーションを抱え込むのではなく、自分の身体が蔵しているポテンシャルがどれほど大きく深いかということを学び知る。自分にどれほどの可能性があり、自分の存在にどれほどの必然性があるかということを知る。

だから、稽古が終わったときに、「うまくできなかった」といって哀しげな顔をしている人間はひとりもいない。みんな笑っている。

そして、みんな来たときより自信に満たされ、来たときより優しくなって、それぞれの家とそれぞれの道場に帰ってゆく。

そのような武道は希有である。

武道に限らず、私は多田先生の合気道の他にこのような深い喜びをもたらす技芸の体系のあることを知らない。

このような卓越した教育者に出会えたことをどうやって感謝したらよいのだろう。

いまから26年前,自由が丘道場の扉をおずおずと押し開けたとき、私にむかって丁寧に話しかけてくれた笹本猛さんのフレンドリーな応接がなければ、私は入門していたかどうか分からない。小堀秋さんという愉快で豪快な同輩がいなければ、稽古を続けていたかどうか分からない。

亡き樋浦先輩をはじめ、亀井先輩、山田先輩、窪田先輩、坪井先輩、岡田さん、田村さん、小野寺さん、百瀬さん、清水さん、原くん、北澤さん、高雄くん、工藤くん、ブルーノくん ・・・無数の先輩後輩とのつながりのなかにいまの私はあり、そのつながりがなければ、いまの私はない。

多田塾につらなるすべての人々に対して感謝を新たにし、私がこれまで多田先生から学んできたことを一人でも多くの後輩に伝えることで師恩にわずかなりとも報いたいと思う。

合気道はほんとにいいなあ。


10月3日

京阪神エルマガジン社の江さんと、お友だちの橘さん(Bar Jacques Mayol ご主人)がおみやげを持って研究室に「遊びに」来た。

仕事の話かと思っていたら、(それもあったけれど)メインは『ためらいの倫理学』が面白かったので、それをわざわざ伝えに来てくれたのである。

若い女の子が「私、先生のファンなんですう」とか甘ったらしい声で言うのは珍しくもない風景だが、髭面のお兄さんが「や、先生の前なんで、あがっちゃっいました」と汗をかく図というのはウチダもびっくり初体験である。

朝日新聞に「30代を中心にじわじわと売れている」という記事があったが、あれは内浦さんや増田さんのことを念頭に、私が主観的願望を語ったにすぎないのである。

ところが、強く念じたせいか、願望が現実となり、実際に30代の「おじさん/お兄さん」を中心に口コミでちょっとずつ売れているらしい。

江さんが友人からのお手紙というのを見せてくれたが、そこに私の文体を評して「河原でアイスをなめなめ兄ちゃんが語っているような口調」という一行があり、いたく胸を打たれた。

いいなあ、「河原でアイス」というのが。

お二人ともずいぶん熱心に『ため倫』を読み通しておられたが、意外にも「戦争論の構造」と「ためらいの倫理学」という二編の学術論文がいちばん面白かったという。

「戦争論」は大学の紀要に、「ためらい」は『カミュ研究』という学会誌に発表したもので、いずれも発表当時はほとんど反響がなかったものである。

ふーむ。

では、これまで学術誌に発表してまったく反響がなく、そのまま打ち捨てられた私の過去の学術論文も、一般読者が読んだら「河原でアイス」的に面白いということもありえない話ではない。

そういえば「ブランショ論」や「モレス侯爵」や「ドリュモン」の話も、読み返してみるとなかなか面白い。(その当時のキャッチコピーは「おもしろくってためになる思想史講談」というのであった。手本にしていたのは大佛次郎。)

よし、今度どこかの出版社から仕事のオッファーがあったら、これを押し付けよう。

江さんから『ミーツ』誌で来年から連載をというお話があったので、「わんわん」と食いつく。

ただし「身辺雑記」ではなく、江さんたちが持ち込んでくる「何なんでしょ、これは?」的な論件について、私が「ふむふむ、お若い衆は知らんことじゃろうがのう。ま、爺が答えて進ぜよう」と一刀両断にするという「ゴルディオンの結び目」(というよりむしろ「千早ふる」)のような企画であるらしい。(よくわかんないけど)

ご存じのとおり、私の特技は「千早ふる」のご隠居の芸である。

つまり、熊さんが「ご隠居さん、よくわかんねーことがあんだけど、教えてくれませんか」とやってくる。ご隠居さんだって知りゃしない。でも、いちおう体面というものがあるから、知ったかぶりをする。

その、なんだな。竜田川というのは、相撲だよ。むかしの。大関までなった。

これがね、相撲一途に精進して。煙草なんて吸いやしないよ。それがだ。ある日、ご贔屓に連れられて、吉原あ行ったね。その敵娼というのがお職をはってた千早太夫・・・

牛が涎をくるように、ずるずるとどこまでもでたらめを言い募り、最後に「『とは』は千早の本名」で話の帳尻を合わせる、このご隠居の芸こそ、実は私のもっとも得意とするところである。

江さんが私のその隠れた天分に着目されたのであれば、けだし具眼の士と言わねばならぬ。

 

テロ事件とアフガン問題でいろいろな人がメディアで発言しているが、どれを読んでもいまひとつぴんとこない。

今日の朝日新聞に漫画家の弘兼憲史が軍隊の保有を認めるように憲法を改正すべきだという議論をしていた。議論自体には何の新味もないのだが、ちょっとひっかかるところがあった。

最後のパラグラフで弘兼はこう述べている。

「米国に協力したら日本もテロ集団に狙われる。だから協力はやめようという考え方がある。そういう考え方だけは避けるべきだ。自分の国だけが助かればいい、という発想法は卑怯である。」

このロジックに「ふーんそうか」とうなずいてしまう人もいるかもしれないが、ちょっと待って欲しい。

「米国に協力したら日本もテロ集団に狙われる。だから協力はやめよう」という発想は、「あり」である。とりあえずの国際関係論的文脈では物議をかもす発想だろうが、長い目で人間社会をみれば、むしろ「正しい」選択であると私は思う。

なぜか。

ちょっと生物学の話に寄り道してみよう。

なぜ生物にはこれほど多くの「種」があるのか、という生命の本質について考えた生物学者はこれを「エコロジカル・ニッチ」つまり「生態学的な棲み分け」という概念で説明しようとした。

例えば、アフリカのサバンナにはウマとシマウマがいる。ウマとシマウマは生態系における地位が微妙に違う。行動パターンもちょっと違うし、食物の嗜好もちょっと違う。

ここに、ウマだけが好んで食べる草から罹患する伝染病があったとする。そのせいである地域のウマが全滅してしまった。

一方、シマウマはその草を食べなかった。「食べてもいいけど、あんま好きじゃないのね」というわけで罹患をまぬかれたのである。

さて、ライオンのような肉食獣にしてみたら、「今日の晩御飯はウマかシマウマか」の違いは「今日の晩御飯はラーメンかチャーシュー麺か」くらいの違いしかない。だからウマが腹下しで全滅してもシマウマがいればご飯には事欠かず、とりあえず生態系はバランスを維持することができるのである。

生物学者は種の多様性の根拠を、「生命システムでは、似たような機能を果たすファクターの性質や行動にはある程度のばらつきがあったほうが、システム・ダウンのリスクを回避する可能性が高い」という事実のうちに見ている。

同じ話を国際社会に当てはめてみよう。

なぜ、全世界的な規模のグローバリゼーションの圧力にもかかわらず、これほど多くの国民国家や種族や宗教共同体が地球上にはあふれかえり、それぞれの差異を言い立てているのか?

それは「エコロジカル・ニッチの多様性」が人類の存続にとって必須である、ということを人々がどこか身体の深いところで直観しているからである。

ひとびとが世界共通語を語り、世界共通普遍宗教に帰依し、世界共通法を遵守するようになったら、地球は平和で安定した状態になるだろうか。

もちろんならない。むしろ、世界システムの安定性と永続性は危殆に瀕することになる。

システム全体が均質化し、構成要素がすべてシミラーになるというのは、シマウマにむかって「おまえだけ縞模様なのは不自然だからよ、みんなと同じ茶色の無地になれよ」と言うのと同じである。

そうなると、ライオンの食べ物が「ウマだけ」になり、ウマだけがかかる伝染病のウイルスによってサバンナの生態系は致命的に破壊される恐れがある。

「ウマ」の仲間に、そのウイルスが跳梁跋扈する場所に「なんとなく好きじゃないんだよね」と言って寄りつかない「シマウマ」がいることで、システムの危険分散は成り立っている。

生物界では、そういうふうに「ばらけている」ことがシステム全体の安定には必要なのである。

すぐれた国際感覚をもつ政治家や外交官はそのことを直観的に知っている。

だから、ある外交的な危険については(例えば、でたらめな行動を示すある国民国家=ウイルスに対しては)諸国が同盟国から仮想敵国まで、微妙なグラデーションを示してずらりと並んで見せることがリスク分散上効果的だと考えるのである。

それシステムが生き延びるための知恵である。

覚えておられるだろうが、中東和平にはさまざまな調停役が出現したが、記憶に残る功績の一つは北欧の一外交官によって担われた。それはこの外交官個人の能力のみに帰せられるべきではないだろう。そのときにその北欧の一国が、国際関係論的な「エコロジカル・ニッチ」の中で、「たまたま」調停役としていちばん適切なポジション-イスラエルとパレスチナのあいだの「どこらへん」か-にいたことが調停の有効性に深く与っている。

さて、話をもどすけれど、「自分の国だけが助かればいい」というのは、行動の水準では要するに「自分の国は他の国とは違う行動をとる」ということである。

「ゴジラが神戸に上陸」したと想定してみよう。

みんなが大阪方面に2号線を走って逃げるときに、「自分だけ助かろう」と思ったやつが「こういうときはね、灯台もと暗しといって、ゴジラの足下が安全なんだよ」と須磨海岸のゴジラにむかって突進したとする。

こういう人間は必ずいる。

そういう人間がいてもいいのである。むしろ必要なのだと私は思う。(ふつうはこいつがまっさきに踏みつぶされてしまうんだけど、ゴジラだって気が変わることもある。)

「自分の国だけが助かればいい、という発想は卑怯である」という弘兼の発言は、要するに、みんながゴジラを避けて大阪に逃げるときに、いっしょに大阪方面に逃げないやつは卑怯だ、と言っているのと同じである。ゴジラが「おお、これは束になっていて、つぶしやすいわ」と二号線をどかどか驀進した場合には、「仕方がない。いっしょに踏みつぶされるのが名誉ある死に方であるから、いさぎよく死のう」と弘兼は言っているのである。

これはなかなか男らしい考え方であるとも言える。

これを国際関係論的文脈で言い換えると、弘兼は「日本はアメリカといっしょに生き、いっしょに死ぬ」べきであり、それが国民国家としての「名誉である」と言っているのである。

アメリカといっしょに生き、いっしょに死ぬべきだと弘兼が思うなら、いちばん論理的な対応は「日本はアメリカの51番目の州になろう」と提言することだろう。

それはそれで一つの見識だし、論理的な考え方だと私も思う。

おそらくアメリカ合衆国の51番目の州になって、二名の上院議員と10名程度の下院議員を出す方が、ときどき外相や首相が訪米して適当にあしらわれて追い返されるより「日本州」が国際政治に参与する割合は高まるだろう。

英語を公用語にしたがっている学校や企業もあることだし。ミナミには「アメリカ村」なんてところもあって、若い人たちは「おれのことをジョニーと呼んでくれ」なんて言ってるし。本学の英文科教員などにも、けっこう支持者がいるかも知れない。

だが、私はそういうふうには考えない。

私は「自分の国だけが助かればいい」というのが、(動物の世界と同じく)国際社会における国民国家の基本的な、「正しい」マナーであると考えているからである。

それは少しもエゴイスティックな発想ではない。

むしろ、倫理的には禁欲的な選択であると私は思う。

だって、「自分の国だけが助かる」ためには、他の国との差別化をはからなければならないからだ。(場合によっては、泣きながら須磨海岸のゴジラのあしもとに突っ込んでゆかなければならない。)

そして、そのように「他国を持っては代え難い国」になることを通じて、その国は国際社会における固有のエコロジカル・ニッチを確保し、システム・ダウンのリスクを回避する一つのオプションを提供することができるのである。

システムを支えるために個体は、「他の個体をもっては代え難い」というきわだった特性を持つ必要がある。それは「おのれひとりが助かればいい」という利己主義ではなく、実は「システムの延命のために、個性的であることを貫徹する」という「滅私奉公」の精神に貫かれた倫理的選択なのである。

日本は不思議な憲法をもっており、不思議な軍隊を持っていて、その二つは不思議な「ねじれ」関係をとりむすんでいる。そして、その不思議なシステムが半世紀にわたって日本の政治的安定を支えてきた。

前に書いた通り、そのことは少しも恥ずかしいことではないし、少しも困ることではないと私は思っている。

「普通じゃない」というのが、日本の国際社会における最大の「強み」なのである。

どうして、弘兼は「普通」になりたがるのか?

どうして「他と同じ」になりたがるのか?

「他と同じ」になろうというその提言が「半世紀の平和と繁栄」と引き替えにしてもいいようなどのようなメリットをもたらすことを予測した上でなされているのか?

私にはよく分からない。

きっと弘兼は「均質的」であることが好きなのであろう。

均質的な集団が好きなのは、弘兼の個人的好悪であるから、そう思うことは彼の権利である。

ただ、他人にむかって「自分と同じように考えろ」というのだけは、よして欲しい。