夜霧世今夜もクロコダイル

Another Crocodile in the night mist: from 1 Jan 2001



11月30日

人事教授会のあと会議を二つフケて、神戸こくさいホールのシルヴィ・ギエムさま(本日より敬称つき)を見に行く。

鈴木晶先生よりギエムさまは「女房を質に置いても」見に行くように言われていたのであるが、ウチダの場合は肝心の質草がない上に、「チケットを取る」ということが生理的にどうしてもできない体質なので、実はギエムさまとの出会いも泣く泣く諦めていたのである。(私はとことん「列をつくる」とか「順番を待つ」ということが嫌いなのである。それがどれほど必要なものであろうとも、列を作るくらいなら、そんなもの要らないと思ってしまうのである。ブレジネフ時代のソ連に生まれていたら、とうに餓死していたであろう。)

しかるに大学院生のF田くんから、いかなる天の配剤か「先生、チケット一枚あるんだけど、買います?」と思いがけないお申し出。(チケットが「余る」には涙なしには聴けない悲話があるのだが、それはさておき)

もちろん買います。

ギエムさまの本日のだしものは「ボレロ」と「ラシーヌ・キュービック」。

贅言は要すまい。

ギエムさまは凄かった。

私がこれまでに見たどのようなダンスとも違う、まるで異次元の身体運用であった。

「ボレロ」のあとホール全員がスタンディング・オヴェーション。

「お義理」の拍手ではなく、観客がほんとうに感動したときだけに聴かれる種類の熱い拍手であった。これほど熱い拍手を聴いたのは、私の記憶する限り、90年の東京ドームのローリング・ストーンズ以来である。

ギエムさまの神戸公演は一回だけなので、まあ、知り合いの多いこと。

びわ湖ホールのピナ・バウシュもそこらじゅうに学生がいたけれど、今日会った院生がF田くんを含めて4名。分母の小さい女学院文学研究科についていえば、「シルヴィ・ギエム率」は10%に近い。

これも鈴木晶先生の「ご伝道」と小林昌廣先生の「ご指導」の成果であろう。(小林先生は昨日の授業でジョルジュ・ドンの「ボレロ」を学生たちに見せて、ギエムさまへの期待度をいやが上にも高められていたようである。)

ホールにつくや否や、「ジャック・メイヨール」の橘さんに「あ、先生」と呼びかけられてしまった。明後日『ミーツ』の打ち合わせで橘さんのお店にうかがう予定であったのであるが、神戸は狭い。

橘さんも私と同じく「遅咲きのバレエ・ファン」だそうである。

きっと明後日の夜は江さんを置き去りにして二人で「シルヴィ・ギエムさまはすげーだな」「んだんだ、シルヴィさまは女神さまじゃ」という話で盛り上がるのであろう。

会議を二つもフケた甲斐があった。

それに値する眼福の一夜でありました。

 

ジョージ・ハリソンが死んだ。

先週の新聞で危篤だとは知っていたけれど、やはり古い友人が死んだような虚脱感がある。

今夜は『ア・ハード・デイズ・ナイト』を見ながらお通夜をしよう。

All things must pass.

合掌。

 


11月28日

とりあえず半日がかりでシグマリオンIIはねじ伏せた。

昨日の夜のうちにインターネットには繋がった。昨夕大学で繋がらなかったのは設定は正しかったのだが、岡田山の上にはPHSの電波が届かなかったせいである。

場所を替えて公衆電話の近くで再試行してみたら、ちゃんと繋がって、自分のホームページが読めた。

ハードル一つクリアである。

しかし、メールが難物であった。

私はシグマリオンというのはドコモが扱っている商品なんだし、データカード型PHSを差し込んで送受信するんだから、てっきりメール設定なんか自動的にしてあるものと思っていた。

ところが、してないのね。これが。

まずメール使用の申し込みをドコモにするところから始めなければいけない。

電話をしたら出てきたサービスのお姉ちゃんがシグマリオンIIのことを全く知らない人だった。(先月新発売なんだから仕方がないかもしれないけど)

「とりあえずダイヤラーをダウンロードしてください」ととんちんかんな指示を出される。

言われるままにダウンロードしてみたが、出てくる画面が先方の指示するものとまるで違う。まったく意味不明の指示と、「そんなのこっちには出てないです」というやりとりで1時間費やしたあと、お互いに無言になって電話を切る。

販売店に電話をすると新型シグマリオンはダイヤラーがプレインストールされているからダウンロードなんか必要なくて、「メールやります」と電話一本で済みますと教えてくれる。

さっそく電話をしなおして「メールやります」と言うと、「30分後から使えます」という。

なんだ簡単じゃん。

しかしマニュアル通りに設定してみたが、繋がらない。

サービスに三度目の電話。

「それは電波が微弱なせいです。電波の強いところに移動して再試行してみてください」と言われる。

御影の山をおりて、ふもとで再試行。

しかし繋がらない。

サービスに四度目の電話。

電話の指示に従ってはじめから通信の設定をし直す。マニュアルに書いてない設定指示をされる。

「そんなことマニュアルには書いてないですけど」

「・・・そうですね」

書いとけよ。

とりあえず一つだけ先の段階に進むが、「暗証番号を入力せよ」という指示でまた停滞。

「暗証番号?そんなもの設定したかな?」

覚えがない。

サービスに五度目の電話。

「私の暗証番号って?何?」

「それはお教えできません」

そうだろうね。

とりあえず自分が四桁の暗証番号にしそうな数字を片端から打ち込むがすべて拒否される。

販売店に三度目の電話。

「契約のときに四桁の暗証番号って登録しましたっけ?」

「暗証番号ですか?してませんよ。だって、PHSの暗証番号はぜんぶ1111ですから・・・・」

「・・・・・」

そういうことはブツを渡すときに教えてくれよ。

サービスに電話すること5回、販売店に3回、トータル半日を電話で潰して、ようやく私のシグマリオンIIは最初のメール(新幹線の中で書いた11月23日の日記)を自宅のPC宛てに送信することができた。

「寸暇」を貯め込むためのデバイスを起動させるために膨大な「寸暇」を投じてしまったわけである。

どうしてパソコンの通信設定はこんなにややこしいんだろう。

私はただ携帯だと指一本でメールを打つのがめんどくさいから両手で打ちたいということと、携帯だと画面が小さいのでもう少し大きい画面でウェブ・サイトを読みたいというだけのことしか望んでいない。

要するに「画面とキーボードの大きい携帯電話」が欲しいというだけのことなのである。

携帯は買って30分後に使えるようになったのに、モバイル・パソコンは使えるまでに半日かかった。添付書類が総計27点。マニュアルの厚さは6センチもある。(測ってみた)

これを全部読んであとは自分で何とかして下さいといって売りつける側はいくら何でも「ユーザー・フレンドリー」度が低いのではないかね。

しかし、とにかく「石の上にも半日」の苦労の甲斐あって、私は宿願のモバイル・ギヤを手に入れた。

いたずらに空費された半日分の「寸暇」を回収すべく、私はこれを酷使する予定である。


11月27日

重度のマニュアル失読症であり、かつ重度のメカ音痴であるにもかかわらず、新しいメカに弱いウチダは、先日新聞の折り込み広告で見たPDA の「シグマリオンII」に一目惚れして、いきなり購入してしまった。

購入に際して、パソコン屋のお兄ちゃんに電話して「PDAって何です?」と聞くところからとりあえず始めたのであるが、先方も要領を得ない。

「両手でワードで文書が打てて、その原稿を出先からメールを送ったりできる小さいモバイル?」と尋ねたら、たぶんそういうものだろうと答えてくれた。

だとすれば、それこそまさに私が欲している当のものである。

いま私は「寸暇を惜しんで」原稿を書いている。

なにしろ、私には「寸暇」というかたちでしか自由時間が与えられないのである。

トイレの中とか駅のホームとか歯医者の待合室とか信号待ちの車の中とか長い会議のあいだとかにかすめとった「寸暇」を寄せ集めてかろうじて私の研究活動は成立しているのである。

しかるに、そのたびにごついノートパソコンを取り出しているわけにはゆかない。

しかしいまや私はパソコンなしには思考することも執筆することもできない「重度PC依存症」になっている。

かくしてPDA(って何の略なの、ところで?)の購入に踏み切ったのである。

もしこれが私の願い通りに、インターネットに接続でき、原稿をばりばり打てて、信号待ちの車の中からメールを送れる機械であるのなら、私の動員しうるすべての「寸暇」は研究活動、執筆活動に統合されるであろう。

しかし当然にも私の手元に届けられたシグマリオンIIは例によってどこにも繋がらなかった。

製品を持ち込んだ営業のお兄ちゃんは「いや・・・私もこの機種ははじめてで・・・」とつぶやきつつ、厚さ10センチほどのマニュアルを私に託して、ずるずるとドアのかなたに消えていった。

そうして、私は「小さいワープロ」(でもそこで作った原稿はFDにも落とせないし、印字もできないし、メールでも送れない)とふたりきりで取り残されたのである。

いいだろう。

これまでもそうやって私はおのれのコンピュータリテラシーを顧みず、無謀にもさまざまな新鋭機器に挑戦してきた。で、結局、なんとか使いこなして来たのである。

(押入の奥で眠っているリブレットとかは別にして)

シグマリオンIIもいずれ私の足下にひれ伏し、私の「手帖」と化すときが来るであろう。メイビー。

 

「自分が苦手なものに激しく惹き付けられる」のは私の気質の奥深くに根をおろした本質的傾向である。

この傾向に私の悟性は抵抗することができない。

それを「ウチダくんは、向上心が旺盛なんじゃないの」というふうにやさしく総括してくれる友もいるが、そうではないことは本人がいちばんよく知っている。

これは「向上心」などという明るく建設的なものではない。

だって、「苦手なもの」を相手にするんだから。ただ苦しいだけである。

苦しいことを必死にやると、やがてそれが楽しさに転化するということはたしかにある。

しかし、それは「石の上にも三年」してからである。

石の上の三年間はとっても苦しいのである。お尻が冷たいのである。

にもかかわらず、私は「冷たい石」をみると「その上に三年坐りたい」という欲望で身震いがしてくるのである。

どうしてなのか。

たぶん人間たちすべてにこの傾向は程度の差はあれ備わっているのではないかと思う。

「好きなことをやれよ」

と私は気楽に学生たちに言う。

でも、それが不可能であることを、そう言っている私自身は身にしみて知っている。

「好きじゃないこと」をやらずにはいられない、やらずにはいたたまれない、というような欲望の疼きが私たちの中にはたしかにある。

おそらく欲望がすごく強い人間は「好きなこと」だけでなく、「好きじゃないこと」にまで欲望を感じてしまうのだ。

疲れるのよね、これは。


11月24日

合気道自由が丘道場40周年記念の稽古会、演武会。

合気道本部道場に同門の諸君たちが一堂に会する。

20周年のときは私は演武会の司会や懇親会の仕切りなんかをしていた。

1981年、私はまだ31歳でまだ二段だった。

歳月の過ぎることの何と早きことか。

 

道主を迎えた演武会では林佳奈ちゃんと気錬会の中野哲くんに受けをお願いする。

かつての自由が丘の大先輩に立ち混じって、私も「のれん分け」をさせて頂いた身として、自分の「弟子」をつれて多田先生と同門のみなさまの前で拙い演武をご披露する機会を与えて頂いたのである。

ありがたいことである。

よき師よき先輩よき道友に恵まれ、ウチダの合気道人生は本当にハッピーである。

 

懇親会は三井ビルに移動。200人近くが集まる。

久しぶりに根本匠さんの顔を拝見。

自由が丘時代によく稽古した仲間であるが、いまは衆院議員。小泉首相のメッセージを携えてきた。

聞いてびっくり、小泉さんはなんと自由が丘道場の会員だったのである。

昭和38年の入門というから、私より12年先輩にあたる。

当時ごいっしょだったはずの山田、亀井、窪田先輩に「ご存知でしたか」と尋ねてみたけれど、みなさん「うーん、どんな人だったかね」といささか心もとない。

小泉さんは、どうやらあまり熱心にお稽古されたわけではないようだが、ウチダにすれば道場の大先輩である。

私は人を人とも思わない無作法野郎であるが、合気道の先輩には腰が低い。小泉さんの祝電も形式的なものではなく、道場への敬意の感じられるよいものだったので、ウチダの中における対コイズミ感情は大幅に好転した。

海部元首相は本部道場出身であるが、町道場で首相を出したのは、日本では自由が丘道場が唯一であろう。

根本さんは「改革四銃士」のお一人であり、将来を嘱望されている若手政治家。「50周年のときには大臣になって来賓で来てね」とお願いしておく。

 

久しぶりの同門のみなさんと美味しいお酒と中華を頂きつつ、わいわい騒ぐ。

「ウチダくん、今日は酒はいくらでもあるよ」というのが昨日お会いした時の多田先生から私への最初のお言葉であった。

「72リットルあるから」

「先生、そんなには呑めません」

 

そう言われただけあって、実に潤沢な宴会であった。

合気道関係の宴会はとにかく「さっぱり」しており、一通り祝辞があったあとは、もうただ食べて飲んでおしゃべりするだけ。余興もないし祝辞も形式的なものではなく、「身内」によるしみじみとした昔話ばかりである。

 

さまざまのお土産品をいただいて帰途につく。

聞けば今回の会の原資の一部は、私が道場の会計をしていた時代に貯め込んだ預金を当てたとのこと。別に裏金というほどたいそうなものではなくではなく、月々せこせこと月謝の「あまり」を貯めておいたのに利子がついて、そこそこの額になったのだそうである。そのことで、自由が丘の幹事諸君君に「利殖の才」をほめていただく。

なぜ、同じことが自分ちの家計についてはできないのか不思議である。

 

二次会は新宿西口の居酒屋。

窪田先輩と亀井先輩が「ウチダくん、ちょっとこっちへおいで」とうれしそうに私を差し招くので、隣に座らせて頂き、たっぷりと説教を拝聴する。

先輩の厳しくそして愛情あふれる「説教」を聞いていると、なんだか「熱いお風呂」にはいっているような爽快感がある。

よき先輩に兄事できること、これまた多田門下であることの得がたい贈り物である。

すっかり愉快になってよろめきつつ相模原の実家に帰る。

今回は家に二泊する予定。

るんちゃんが神戸に来ているあいだ私は東京に来ているのである。

別にそれほど嫌い合っているというのではありませんので、誤解のないように。

 

今日は散髪しに近所の床屋さんへゆく。

この床屋さんはモロタくんという人で、私とはちょっと因縁がある。

むかし都立大の助手のころに校門のまえに床屋があって昼休みによく散髪に行った。

そのときの担当が修業中のモロタくんで、ふたりでバイクや車の話ばかりしていた。

そのうちに私は神戸に移ることになって、床屋とも縁がなくなった。

何年かして、ある日、実家に戻ってごろごろしているとき、ひまだから散髪に行こうと思い、うちの二軒となりに最近開業したという床屋のドアを押したらモロタくんがいた。

「あれ、先生どうして、ここが・・・」

「モロタくんこそ、どうしてここに・・・」

以来、実家にいるときに暇になるとモロタくんのお店にいって、昔話をしながら散髪をしてもらうのである。

What a small world!

 

夜、兄ちゃんと甥のユータが来る。

ユータは高校中退のあと大検、とタツル叔父さんと同じボンクラ・コースを順調にたどっている。頭は金髪、身長は186センチもあって、兄ちゃんも私も上から見下ろされる。

さっそく兄ちゃんと二人でひとしきり「説教」大会。

ユータはしおらしくご意見を拝聴している。

どうしても説教は「わしらの若いころはのう」的な話に堕してしまうのであるが、実のところ兄ちゃんも私も18歳時点でのボンクラ度ではユ−タと変わらない。

 

そのうちに父が「おお、そうだ。みんなそろったところで遺影を撮ろう」と提案して、父の葬儀用に兄ちゃんと私が父と肩を組んでピースサインを出して笑っている写真を撮る。

 

父は夏に気胸で倒れてから、「年齢相応に老衰して」(@父)だいぶお痩せになった。視覚はよいのだが、聴覚、嗅覚、味覚が鈍くなって、「何を食べてもあまりおいしくないんだよね」ということである。

いま美味しく感じるのは「とうもろこし」と「さつまいも」の二品。

どういう理由なのかは不明。

最近の読書についてお尋ねすると、「どうも最近の日本文学は、よくわからん」とのことであった。

しかたなく、「紅楼夢」と塩野七生さんの本を繰り返し読んでいるそうである。 

長生きしていると知り合いがだんだん減ってゆくのがつらいとのお言葉であるが、まあ、そういわずにご長寿を保たれて、末永くボンクラ息子たちの範とならんことを祈念したい。

 


11月21日

ひょうご講座。三宮の駅の中のビルの4Fというとんでもなく便利なところに、神戸学院大学の「社会人大学院」とならんで生涯学習のための教室が並んでいる。

私の担当クラスの受講生は48人。平均年齢60歳以上。(最高齢は80歳、最年少が22歳)

私の父母のような世代のみなさまに教壇からご進講申し上げるわけである。

こういう方々に「噛んで含める」ようにお聞かせするというのは、なんだか失礼である。そこで、もう「がんがんゆく」ことにする。「抑圧」と「記号の恣意性」が主なテーマ。

最初は「なんだ、この若僧は?何をしゃべっとるんだ?」という感じであったが、終わり頃は、けっこうみなさん大口をあけて笑いまくっていた。

こういう生涯学習のような場は、思想についての自分の消化度をはかるよい機会である。

市井の好学者たちにご理解頂けないような思弁をこねまわしていてもしかたがない。

今回の試練で、ウチダ的にはだいぶ自信がついた。私のトンデモ話はご老人たちにもご理解頂けたようである。

これ、けっこうたのしい。

これから先の大学は、こういうかたちで開かれて行くことになるし、そうしなければ経営的にも維持が難しいと思うけれど、悪くない試みだと思う。

 

るんちゃんが8ヶ月ぶりに神戸に帰ってきた。

おっしょに、おでんと鯵の干物を食べる。

「お父さん、ちゃんとご飯食べてるの?」

「食べてるよ、一日、二食は食べてる」

「顔色悪いよ。栄養足りないんじゃないの。マクドとかホカ弁とかですませてるんじゃないの?」

「ジャンクあんまり食べてないよ。ご飯毎日炊いて、納豆と厚揚げ毎日食べてるよ。大丈夫だよ」

来る前に電話で「ハリー・ポッター」のシリーズをもっているかどうか聞いてきた。持ってないと言ったら、一巻読んだけど面白いから続き買ってというので、二巻と三巻を買っておく。夕食がおわったら、そのまま寝室に二冊を持ち込んで消えてしまった。

どうも朝まで読んでいたらしい。

半年ぶりにあったの、「団欒」とか「親子のしみじみ対話」とか、あんまりない。

「何してんの、最近?」という問いに、るんちゃんのお答えは

「寝てる」であった。

「あ、そう。父ちゃんも」


11月20日

組合の臨時総会がある。学内某重大事件への組合としての取り組みについて議論する。

私の「仕事」は例によって「突撃隊長」である。(今回は、山本先生が最初に「きつーい」のを入れたので、私は二番隊)

私がぎゃあぎゃあがなり立てて、なんとなく反論しにく雰囲気をつくっておいてから、「長老」が登場して、「まあまあ、お若いの。そういきりたたんと。どうかね、皆さん、こういうはねっかえりな意見もあることだし、ナカとって・・・」と落とし所を探るのである。

こういうのはもう「阿吽の呼吸」という他ないのだが、それにしても「ウチダがアオって、ワルモノがサバく」というこの予定調和的な進行にウチダはいささか不満である。

だって、これだと私はただの「わがままな、うるさいやつ」である。(事実そうだけど)

総会のあとも、なんとなくみんなの目が冷たい。

「ウチダって、ほんと、やなヤツね」という批判的視線を背中に感じる。

私だって、ほんとうは「まあまあ、そういきりたたんと。たまには老人の言うこともお聞きよ」というような余裕のサバキをしてみたい。

とはいえ、ワルモノ先生はサバキの責任をとって、調査委員という重責を負うことになった。

アオリの罪は「白眼視」として、サバキの責任は「さらなる責務」として、それぞれに重くのしかかるのでありました。

ワルモノ先生の健闘を祈る。

 

ゼミが二つ。

午前中はウッキーが「人間はなぜロボットをつくるのか?」という興味深い論題を振ってくれた。

私の解釈は、「人間とは何かを知るため」である。

ゴーレム、フランケンシュタインから『メトロポリス』、『ブレードランナー』、『ターミネイター』のアンドロイドたち、そしてわが鉄腕アトムに至るすべての人造人間は、人間たちが作ったものでありながら、必ず人間たちと確執する。それは彼らが人間性の「一面」だけを拡大したものだからだ。

アトムは人間の限りない善性を、あとの諸君はどちらかというと人間性の暗部を拡大しする場合が多い。

けれども、どちらも人間そのものではない。

人間は天使的なところと悪魔的なところを併せ持っているからだ。(あ、そういう意味では『ターミネイター』は1、2で悪魔と天使を演じ分けたわけか。なるほど。)

どちらにしても、一体のロボットには、その二つの要素は「同時」には決して共存できない。「たいへん善良」であるか「たいへん邪悪」であるか、いっときにはどちらか一方でしかありえない。

あらゆる物語の意味は「逆に読まないと分からない」というのがニーチェの卓見である。

「非人間的なもの」を造型する目的は「人間的なもの」とは何かを知るためである。

「不死」の不幸を描くのは、「死ぬことの至福」を語るためである。

「性のない人間」を描くのは、「性」とは何かを知るためである。

 

午後のゼミは「ウミガメ」について。

たしか私のゼミは「現代文化論」だったはずだが・・・

なぜウミガメかというと、そのゼミ生がこの夏メキシコの海岸で「ウミガメの産卵を介助するボランティア」に行ってたからである。

夜の太平洋岸に横になって、ウミガメがとことこ上陸してきて産卵するのをじっと見てから、穴から卵を掘り出して、「養育所」のようなところに移す仕事だそうである。それを数週間毎晩やるのである。

そうやって卵を守らないと、他の動物に捕食されたり、人間に掘り出されて食べられてしまうからである。

というわけで、ウミガメの生態について、みんなでお話をうかがう。たいへんに面白くかつ有意義なお話であった。

うちのゼミは不思議な人ばかりだ。

このゼミは「公開授業」だったが、誰も聞きに来なかった。

来られてもちょっと説明に困るけど。


11月19日

ひょうご講座の「構造主義:以前と以後」のノートを書き続ける。

昨日からずっと書き続けなので、肩がばりばりに凝ってしまった。

ようやくラカンまで書き終わったけど、読み上げたら3時間くらいになりそうな分量なので、実際の講座ではソシュールだけで話が終わりそうである。(せっかく久しぶりにフーコーやアルチュセールまで読み返したのに)

それにしても90分の講義のためにもう30時間くらいノート作りをしている。

でもきっと講義は「早口で何言ってるんだか、わかんなかった」とか言われるんだろうな。

でもおかげで、マルクスからラカンまでの「つながりぐあい」がウチダ的には整理ができた。

問題は「整理する」ことがいいことかどうかだな。

「早い話が」というのが私のパフォーマンスの基本であるが、話は早くすればよいというものではない。

「早い話」をしながら、かつオープンエンドで謎は謎として残しておくというのは、むずかしい。

本を読むことのむずかしさは、ある程度「分かったつもり」で読まないとそもそも話にならないということと、「分かったつもり」で読むと、自分のフレームワークではとらえきれない深い部分を見落としてしまうということのバランスを取ることである。

「分かっちゃいるけど、分からない」という理解のあり方を伝えるのはほんとうにむずかしい。それは要するに、自分の「頭の悪さ」をできる限り正確に、かつ雄弁に語るということに等しい。

でもね、「自分の頭の悪さ」を正確かつ雄弁に語るのは大変だよ。

だって、そうでしょ。「自分の頭の悪さを正確かつ雄弁に語ることが出来る」というかたちでたちまちそれは権能の語法に転化しちゃうんだから。

私はこのように自分の知性の不能を言語化できるんだ、偉いだろ、というのはマナーとして最低だ。(だって不敗の語法じゃないか)

方法としては有効だろうけれど、マナーとしてはよろしくない。

ほんとうに大事なのはマナーだ。

これは原理原則があるわけではないから、むずかしい。

「読み手になんとなく信じられる」文体というものを探し出す他ない。

たぶん、その人の人間性の厚み以外に頼るものがない。

だけど、私にはどう考えても、他人に信頼されるような人間性の厚みなんかないしね。(だって、私はほんとうに「やな奴」なんだから)

困る。

ろくでもない人間が、偉そうなことを言いたいという本質的な矛盾に逢着しているわけですよ。

でも「ろくでもない人間でも、偉そうなことを言いたい」というところに人間性の希望はあるんではないかしら。たぶん。

ややこしい話ですまない。

 

鈴木晶先生が『文芸春秋』の「同級生交歓」に四方田犬彦さんといっしょに出ていると聞いて、さっそく書店で買い求める。

いいなあ。

文春の「同級生交歓」に出るのは、私の小学校時代の夢だった。現に、中学校の卒業文集の「将来の夢」というところに「『文芸春秋』の「同級生交歓」に出ること」と書いたくらいである。

私も出たい。

相方はもちろん大田区立東調布第三小学校の同級生、平川克美君である。

日比谷や東大の同期だと著名人が多すぎて文春のグラビア一頁にはとても収まらない。(それに、文春にオッファーされたやつが私のことを忘れている可能性もある。これは悔しいだろうな。)

来年の目標はそれにしておこう。

 

鈴木先生のホームページを見ると、せりか書房の船橋さんと「ふぐ」などを食べているらしい。船橋さんは私には「はやく校正してください」と言うだけなのに。楽しそうでうらやましい。

そういえば、もうすぐ山本浩二画伯や難波江さんと「ほそかわでふぐを食べる会」のシーズンである。今年はせりかの装幀を画伯にお願いしたので、ふぐは私の奢りである。

ううう、ふぐ。

ドクター北之園と美々卯の「うどんすき」を食べる会というのもしばらくやっていないなあ。また行きたいなあ。うどんすき。


11月16日

語学ゼミでマシュー・カソヴィッツと北野武の対談を読んでいる。(フランス語ね)

これがなかなか面白い。

だいたい、日本人が外国のインタビュアーに質問されて答えるときは、あまりごちゃごちゃいわないで、わりとストレートにものを言う。(英語やフランス語だと、主語、目的語をはっきりさせた文型で語ることを強いられるからである。)

その中で北野武が自分の方法として、「図像で断片だけ呈示して、あとは観客に考えさせる」「それによって観客自身に物語を作らせる」と言明していた。

おお、やはりね。

「観客に自分で話を作らせる」という方法は狙いとしてはたいへんに正しいと私は思う。

おそらく、そのせいで日本では北野作品はあまり客が入らないのだろう。(観客に知的負荷を与えるわけだから。)

しかし、この方法のよいところは、「人間は自分で作った話は、どれほどでたらめな話でも頭から信じ込む」という心理の弱点を衝いている点である。

私たちは他人の語る理路整然とした話より、自分で作ったデタラメ話の方を信じる。

必ず信じる。

だって、それこそ「私が聞きたかった話」だからである。

チャールズ・ダーウィンの名言に「研究者は自分にとって都合の悪いデータを記憶できない」というものがある。(ダーウィンはそれゆえ、自説と背馳するデータは必ずノートに記録した。)

逆に言えば、私たちは「自分が聞きたい話だけを選択的に聞く」。

それをさらに進めれば、「適当な断片を与えられれば、私たちは必ずそれを素材にして、自分が聞きたい話を作り出す」ということになる。

つまり北野作品は「何がいいたいのかよく分からない」映画なのであるが、それゆえ、観客はそこに「自分の好きな物語」を読み込むことができるのである。

つまり理想的には、全観客にとって、北野武の映画は「自分の好きな映画」になるという仕掛けである。(なかなか理想通りにはゆきませんが)

それにしても、何というサービス精神であろう。

万人に「自分の好きな物語」を提供しようというのである。

これをほんとうの「芸人根性」というのであろう。

たけしくんは偉い。

 

F田くんが修論の相談にやってくる。そろそろそういう季節である。

今年は三人の修論の主査をしている。テーマは手塚治虫とバレエと平家物語。(いったい何の専門なんだ、私は)

手塚治虫論は「鼻の大きな男=手塚治虫=母」という領域横断垂直統合型の図式をウッキーと二人で車のなかでしゃべっているときに思いついた。これで結論まで行けそうである。

平家物語論はK中先生が実質的な主査なので、私は気楽である。

バレエは鈴木晶先生に専門的アドバイスをお願いしたのだが、その後、F田くんは沈没したまま浮上してこない。昨日はひさしぶりに顔を出したが、とっかかりが分からないと言う。

思いつくままに、1970年以降の脱中心化、非人間化、性差の解消、デジタル化、といったパラダイムシフトの趨勢とコレオグラフィーのあいだには深い関係がある。

とりわけ、人間存在を機械とか装置とかサイボーグとかいうメタファーで語る語法が流行した。それがシルヴィ・ギエムの奇形的ターンアウトを美的達成とみなす審美的風土を生み出したのではないか、というでたらめ話をする。

しかし、いま思いついた話なので、すっかり気に入る。

今月末、神戸にそのギエムが来て『ボレロ』をやる。F田くんといっしょに見に行くことになった。私ははじめて見る。どきどき。

たぶんギエムを見たあと、「分かった!いま、すべての円環が音を立てて繋がった!」と私は叫ぶのであろう。どうせ。


11月14日

オフだけど、ものすごい量の書類書き。

昨日の夕方、事務室のメールボックスから取り出してきた書類だけれど、朝の10時から始めて、すべての書類を書き終えたのが午後4時。(昼飯抜きで)

学報の原稿が二本、来年のシラバスの原稿が三本、ゼミ紹介一本、自己評価委員会宛アンケートの回答が一件、修士論文のチェックが一件、その他。

私は官僚的作文の達人であり、字数は多いが内容のない官僚の答弁みたいのを書かせるとわれながら惚れ惚れするほど手際がよい。(内閣法制局のようなところに勤務したらきっとたいそうな出世を遂げたであろう)。その手際のよさをもってしても、疲れた。

やはり官僚的作文はつまらん。

これから「ひょうご講座」のノート作りの続きである。(これは楽しい仕事)

ソシュールとレヴィ=ストロースとバルトとラカンとアルチュセールについて、ひとり400字詰め原稿用紙5枚くらいにまとめるのである。

これはけっこう大変だ。

すでにこのノート作りで10時間くらいかけている。このあとまだ15時間くらいかかるだろう。

実際に講義をするのは1時間半。ギャラは15800円。でも、準備の時間を込みでならしたら時給600円くらいにしかならない。(時給10万円の『ミーツ』のバイトとえらい違いだ)

もったいないので、このノートをそのまま『論集』の原稿にすることにした。

「いきなり始める構造主義」(@竹信悦夫)である。

学術的には無価値であるが、(だってただの「要約」なんだから)、学生さんが参考書にするにはお手頃な内容である。

さらにここに「寝ながら学べる」デリダ論と「サルにも分かる」レヴィナス論を書き加えれば、新書一冊分くらいの原稿量になる。

どこかの出版社から仕事のオッファーがあったら、「おや、お客さん、運がえーわ。ちょうど今お手頃な物件が出たとこでっせ」といってこれを差し出すことにしよう。

おお、これはいい考えだ。

新書一冊600円として、印税が60円のとりあえず5000部として・・・おっし、30万円のバイトだ。まかりまちがって、1万部も売れた日には・・・・

おお、なんだか元気がでてきた。

こういうふうに何でも前向きに考えて、すぐにその気になれるというのが私の特技である。

半年ほど前に芦屋川のわきをにたにたして歩いているところを江口さんにみつかって、「先生、うれしそうですね。何考えてたんですか」と尋ねられたことがあった。

あのときは『ためらいの倫理学』が何万部売れたら5億円になるだろうと計算していたのである。(そしたら、芦屋川のかわべりに豪邸でも建てっかなと考えてほくそ笑んでいたのである。)

フツウの人は宝くじを買ったり、馬券を買ったりして、こういう夢を見るわけだが、

私は原稿を書きながら見るのである。

宝くじや馬券はこっちがお金を出して買うわけだが、原稿を書いて夢を見ているときはバイト代までいただける。

なんとお得な道楽であろうか。


11月12日

終日原稿書き。レヴィナス論の校正が終わったので、宅急便で送る。奥付を見たら、2001年12月15日発行となっている。あと1月でほんとに出るんだろうか。

 

引き続き、さ来週の「ひょうご講座」のノート作り。

これは兵庫県が主宰しているカルチャーセンターみたいなものらしく、今期のテーマは独仏中心のヨーロッパ近代文化史。私の担当は「構造主義の以前と以後」。

聴講生のみなさんはリタイアしたあとの悠々自適のシルバー世代らしい。

すでにドイツ文学で講義をされたM先生に「どんな感じですか」とお聞きしたら、たいへんまじめに聴講されているけれど、文学史や思想史についての予備知識は「ないもの」と想定してお話ししたほうがいい、というアドバイスであった。

思想史についての予備知識が「ない」人たちを相手に90分間で構造主義についてそれなりに「うむ、分かった」というところまでご理解頂くというのはなかなか大仕事である。どこから始めたものかね。

定番ではソシュールから説き起こす決まりであるが、『一般言語学講義』の引用から始めたのでは、たちまち全員眠り込んでしまうであろうから、そういう正攻法は無理だ。

「つかみ」はやはりアフガン空爆だな。

アフガン空爆についての連日の報道にまじって、必ず見られるのが「いま爆撃を受けているアフガンの罪のない市民たちの痛みに想像力を届かせて下さい」という訴えである。

それを読んで、「もっともなことだ」、と私たちは思う。

しかし、私たちが忘れているのは、こういう投書を読んで「もっともなことだ」と思うようになったのは、実はものすごく最近のことだ、ということである。

同一の事象が、見る人が違うと別の風景に見えるということが「常識」として受容されるようになったのは、実はごくごく最近になってからなのである。

もちろん、その前にもそう訴えていた人はいた。ギリシャ以来山のようにいた。

けれども、ふつうの生活者たちは誰もそんなことを本気では取り合わなかったのである。

それが今は小学生でさえもが、「アフガニスタンの人たちは情報を遮断されていて、WTCのテロの映像さえ見てないんだから、どうして空爆されるのかそのの意味が分からないでいる」ということを知っている。

メディア・リテラシーの違い、産業構造の違い、国民所得の違い、宗教の違い、国民国家の形成のされかたの違い、そういったものによって、それぞれの社会集団の「世界観」はまったく違うものになっている。そして、それはある「標準」からの偏差であるのではなく、どこにも「標準」なんか存在しないということ、アメリカ人が「グローバル・スタンダード」と呼ぶものは他の国から見れば「民族誌的偏見」にすぎないということ、そういうことをいまでは気の利いた中学生なら誰でも「知っている」。

しかし、これが「中学生も知ってる常識」になったのは、せいぜいこの30年のことなのである。

「あらゆる社会集団は自分の判断の客観性を過大評価する」と看破したのはレヴィ=ストロースである。

『野生の思考』の最終章で、レヴィ=ストロースはジャン=ポール・サルトルの『弁証法的理性批判』を取り上げ、その書物がヨーロッパのある社会の、ある社会階級に属する知識人に固有の偏見を無反省的に吐露したものであり、「この時代の知識人の頭の内容を知る上での一級の民族誌的資料」ではあるが、人間一般について妥当するような真理を語っているものではないと言い切った。

それが1962年のことである。

レヴィ=ストロースのこのサルトル批判はまさに思想史上における「青天の霹靂」であった。私はそのときリアルタイムで「ひとつのパラダイムが壊れてゆく」風景を、「実存主義の王朝」が瓦解してゆくさまを目の当たりにしたのである。

「アメリカ人の目に見える国際政治の風景は、ベトナム人の目から見えるそれとは違う」という平明な事実がひろく受け容れられるようになったのは、それからしばらくしてからのことである。

例えば、『野生の思考』の出版の20年前まで、「中国人から見える満州の風景は、日本人の目から見えるそれとは違う」ということを事実として知っていた人間はいくらもいた。けれども、それを知的誠実さの証として、メディアを通じて主題的に展開したり、国際政治の方向転換の論拠として提言した人間はいなかった。(いたかもしれないけれど、みんな特高につかまってしまった。)

『野生の思考』より5年前にも「アルジェリア人の目から見えるアルジェリアの風景と、フランス人の目から見えるそれは違う」ということを事実として知っていたフランス人はいくらもいた。けれども、それを適切な仕方で語った人間はいなかった。(サルトルはアルジェリアについて多くを語ったけれど、要するに「アルジェリア人の目から見えるアルジェリアの風景こそ真実の風景だ」と言ったにすぎない。それはただ視点を「こっちからあっちに」移しただけで、ある特権的に視点に立てば一望俯瞰的な客観的眺望が得られるという信憑は維持されたのである。)

私たちの視野に映じているものは、誰の視点から見ようと、すべて「民族誌的偏見」によって(あるいはイデオロギーによって、あるいは無意識によって、あるいは言説編成によって、あるいは記号の神話作用によって)選択的に「見させられているもの」である、ということを「常識」にしてくれたのは、レヴィ=ストロース、ラカン、フーコー、バルトら構造主義者たちの功績である。

この構造主義的知見がいまや私たちの常識となっている。

ある特定の思想史的条件のもとに発生した特殊なものの見方、考え方が、いまでは、ふつうの中学生にとっても「自明」なものと映じている。いまの子どもたちはレヴィ=ストロースもラカンも読まないが、彼らが言おうとしたことを「知っている」。

それがある思想が「ドミナントなもの」になる、ということの意味である。

そのような意味で私たちはいま「ポスト構造主義の時代」にいる。

「ポスト構造主義時代」とは構造主義が「もう古くなった」時代という意味ではなく、構造主義的知見が「常識」として共有されてしまったので、もう「勉強する」必要がなくなった時代という意味なのである。

いうような話を「つかみ」にして進めて行く予定なのであるが、なんだか「つかみ」だけで半分くらい終わっていそうだな。

 

アフガンついでということでツタヤに行って『ランボーIII 怒りのアフガン』を借りてくる。

もちろん今のアメリカでは『怒りのアフガン』は発禁状態だろう。シルべスター・スタローン自身も自分のフィルモグラフィーから削除しているかもしれない。

わずか18年前にレーガン大統領以下の愛国的市民が万雷の拍手を送った映画がいまやハリウッドの「恥部」である。

娯楽映画が経験した運命の激変としては、これは例外的なものといってよいだろう。

(あ、見てない人のために説明しますけど、これはソ連軍がアフガニスタンに進攻したとき、それに死力を尽くして抵抗するアフガン・ゲリラ(聖なる戦士たち、ね)とジョン・ランボーが「侠気」で結ばれて共闘するという反ソ、親アフガンのプロパガンダ映画なの。)

大笑いなのは、ソ連軍につかまったリチャード・クレンナの「大佐」が、拷問するソ連軍の士官にむかって「アフガンにいくら大軍を投入しても、君たちは決して勝てないよ。アフガンの戦士たちは死を恐れない。死を恐れない戦士たちの前に近代の軍隊は無力だ。私たちはそれをベトナムで学んだ。」という大演説をぶつところ。

『怒りのアフガン』をいまのアメリカでゴールデンアワーに放映したら、アメリカ人はどう反応するだろう。

この映画の中でランボーがソ連兵を虐殺してまわるときに、当時のアメリカの観客は狂喜して喝采を送った。そのソ連兵の役割をいまアメリカ兵が引き継いでいる。

この映画を、ソ連兵をアメリカ兵に入れ替えて見ることのできる想像力がいまのアメリカ市民には必要だろう。

そして、そのときはじめて、自分たちに向けられている憎悪がどのような種類のものであるかを、アメリカの観客たちはかつて自分たちがこの映画の中のソ連兵に向けた憎悪を想起することで実感できるはずである。

その意味では実に「啓蒙的」な映画である。

「『ランボーIII 怒りのアフガン』をアメリカのTVで放映させる運動」というのを誰か提唱しないかしら。

『ニューヨーク・タイムズ』に反戦広告出すより、アメリカ人の好戦気分に対する「冷や水」としては効果的だと思うけど。

(なんてことを書いて朝起きたらニューヨークでまた飛行機が墜落していた。なんだか「泥沼」化してきたみたいである。)


11月11日

快晴。洗濯、掃除、アイロンかけをしてからレヴィナス論の校正に取りかかる。

読んでいて意味が通らない箇所が散見される。

たぶん書いているときは頭の中の思考回路では通電していたのだろうが、時間がたったので、その回路が切れてしまって、あるパラグラフから次のパラグラフに「だから」で繋がる理由が書いた本人にも分からない。

しかたがないので、「そのときの自分」に戻るべく「感情移入」を試みる。

フッサール論を書いている今年3月ころのときの私の頭の中身というのは、フッサール風に言うと「私の自我の志向的変容態」である。

そのときの私の頭の中身はいまの私には間接的、想起的にしか与えられない。

つまり過去の私の意識というのは、いまの私からすれば定義上「他我」ということになる。

「他我」とは言い条、まあ「他人」である。

校正するというのは、いわば仮想的に、「他人」になって、その思考の道筋をたどり直す作業である。

私は原稿を書くのも好きだが、自分の書いたものを校正するのも好きである。

それはたぶん、「他人になって、考える」という仕事が私の性に合っているからであろうと思う。

 

世の中の多くのひとが勘違いしていることの一つは、ものを書くというのが「自分の中にあって、いまだ言葉にならない思いを言葉にすること」だと考えていることである。

これは小学校の国語の時間に刷り込まれた嘘である。

ものを書くというのは、「自分以外の何かにペンを仮託する」ということである。

「ミューズ」でも「ダイモン」でも「霊感」でも「エクリチュール」でも「大文字の他者」でも、好きに呼んでもらって構わないのであるが、どちらにせよ私の中で語っているのは「自分以外の何か」である。

書くとは、畢竟するところ降霊術である。

ただ、その「霊」にも位格というものがあって、バカにはバカの霊が、半可通には野狐の霊が、イナバの白兎の頭上には大黒さまが降霊するのである。

エクリチュールの霊が選択するのは、書き手という「導管」の「口径の差」である。

品格が高くスケールの大きい「ダイモン」は、導管の径が大きい精神に来臨する。セコい精神には、それなりのセコ霊が降りて来る。

だからもし書くことについての訓練というものがありうるとしたら、それは「導管の径をボアアップする」ということに尽きるだろう。

「ボアアップする」というのは要するに「びっくりする」ことである。

人間はびっくりするたびに精神の容量を拡大してゆく。

驚かない人間、感動できない人間、何を経験しても既存の感覚に還元してしまう人間、どんな異他的なものに触れてもそこに既知の意味しか見出せない人間、何に出会っても見慣れた風景を見てしまう人間・・・それは要するに「びっくりすることができない」人間である。

そのような精神は、外部から到来するものを受け容れることがない。

そして、その受容能力の欠如を「無知」と呼ぶのである。

「無知とは目詰まりしている精神のことである」(@ロラン・バルト)


11月10日

本学のセクハラ防止委員会から新しいガイドラインの改定案が送られてくる。

私は自己評価委員長なので、職責上コメントを求められたのである。

ガイドラインをつくったのはI田先生。

さまざまな事例を踏まえた網羅的なガイドラインであり、そのねらいは、調停や調査のために複数の審級を設けて、申立人と被申立人が話のはじめからいきなりガチンコのWin-Lose ゲームに巻き込まれてしまうことを防ごうというところにある。

教員と学生生徒のあいだのセクハラ問題は、公然化してしまうと、もう「退職」しかない。失業と家庭崩壊という苛烈な社会的サンクションが教員の側に課せられるだけに、セクハラ疑惑は逆にタブー化するおそれがある。管理者が事実関係を問わないまま不問に付したり、疑惑の教員が反省の色も示さず居直ったり、という逆効果も出かねない。(現に出ている。)

それを避けるために、今度のガイドラインは「懲戒」にデリケートなグラデーションをつけたのだろうと拝察する。

「それって、セクハラになりますよ」「あ、すみません。もうしません」という「訓告」のレヴェルでとりあえずの問題が回避されるなら、そのへんで手を打てるものは手を打った方が実質的だろう。賢明な考え方だと思う。

ただ、I田先生のご苦労を多としつつも、それでも何となく考え込んでしまった。

それはこのガイドラインに問題があるということではなく、、「セクシャル・ハラスメント」の「定義」そのもののはらむ問題についてである。

このガイドラインでは「セクシャル・ハラスメント」は「修学・就労の関係における、相手を不快にさせる性的な言動」というふうに定義されている。

おそらくそれが一般的な定義なのだろうけれど、この定義には何かが「足りない」気がするのだ。

英語のハラスメントという語は、フランス語のharassement から由来する。

原語の語義は「深い、極端な疲労」である。

もとの動詞はharasser 。これは猟犬をけしかけるときの叫び声harace から作られた言葉である。原義は「猟犬をけしかけること」。つまりハラスメントとは、本来は猟犬に追われた獲物が感じるであろう絶望的な疲労感を指すのである。だから、「ハラスメント」は広義には「強者が弱者を」「傷つけ、いたぶるために」「執拗に攻撃すること」を意味する。

ここには単に「相手を不快にさせること」というのでは足りない、もっと邪悪な意味が込められている。

それは何だろうと考えていたら、いちばん近い日本語を教えてもらった。

「呪い」である。

「呪い」というと大仰に聞こえるかも知れないけれど、田口ランディさんによると、それはごく日常的に行われていることだ。

「呪いというのは、口という字が入っているとおり、口で行う。もともと呪いは相手を縛ってがんじがらめにして生気を奪い取ることなのだそうだ。いかにもおどろおどろしいが、こんなことは誰でもやっている。特に、男と女の間、親と子の間でよく見かける。

(・・・)呪いの特徴は、まず『意味不明の反復』に始まる。

呪いの言葉というのは明瞭ではおかしい。相手を縛るためにはまず不明瞭であることが重要なのだ。よって人は呪いをかけるために、不明瞭な反復を行う。理解不能だ。

なぜなら呪いは理解を嫌うからだ。理解されては呪いにならない。

『あなたのためだけを思っているのよ』『なにが気に入らないのかはっきり言ってよ』『おまえ俺をナメてんのか』『お願いだから私のことも分かって』『俺はお前のことだけを思ってやってるんだ』などは典型的な意味不明の呪いの言葉だ。この言葉を繰り返されても、相手は答えることができない。相手の答を封印しつつ、答えられない質問を繰り返すことで相手を呪いにかけているのだ。呪いの言葉をかけられた相手は沈黙するしかない。答えは最初から封印されているのだ。(・・・)呪いの目的は相手を遠ざけるためではなく、相手を縛るためなのだ。呪いを操る者は必ず相手のそばにいる。」(『根をもつこと、翼をもつこと』)

私はこれを読んで胸を衝かれた。

コミュニケーションできない人間関係というのは、ほとんどの場合、そういうかたちで展開する。答えることのできない質問を執拗に受けるという仕方で沈黙を強いられるときの不快感と疲労感はうまく言葉では言えないものだが、あれは「呪い」をかけられていたのである。

「ハラスメント」というのも、おそらく本来は「それにきっぱりと答えきることのできない種類の問いかけや要求を、身近にいる人間から執拗に繰り返されることによって、生気を奪われ、深い疲労を覚えること」という事況を指していたのではないだろうか。

「呪い」を受けたものの徴候とは「生気を失うこと」であるという「呪い」の定義は「深い疲労」という「ハラスメント」の原義と通じている。

だとすれば、「セクシャル・ハラスメント」という言葉の本質的な定義は、やはり単に「性的に不快な言動」というだけでは足りないだろう。

「立場上はっきりと『ノー』と言うことが憚られるような身近な人から性的な誘いや性的ないやがらせを執拗に受ける」ことが「不快」であるほんとうの理由は、その曖昧で意味不明の執拗な「問いかけ」に答えることができずに沈黙を強いられることで、どんどん生気を失ってゆく「生命の枯渇」にあるのではないのだろうか。

逆に言えば、「性的いやがらせ」をする人間がほんとうに求めているのは、具体的な性的関係を取り結ぶことなんかではなくて、相手の生命力を萎えさせ、縛り付け、身動きできない状態にすること、「呪いをかけること」ではないのだろうか。

ランディさんはさらに「呪いの言葉」を列挙している。

「そんなことをしてたらあんたはきっとダメになる」「うまくいかなかったら戻ってくればいい」「そういうことじゃ病気は治らないよ」「あんたは何をやってもダメな人ね」「おまえは男運が悪いな」「そんなことじゃ誰も友だちになんかなってくれないよ」「将来ロクなことはないわよ」

これらはすべて効果的な「呪いの言葉」である。

それは心のひだに食い込み、ずっと後になってさえ、決定的な状況のときに不意に意識にせりあがってきて、その人の決断を食い荒らす。

若い女性に対する典型的な「性的いやがらせ」は「結婚しないの?」「子どもはできないの?」のふたつの質問である。

この問いかけは単なる質問のかたちをとっているし、場合によっては「親身になって心配している」ような偽装さえするけれど、そのねらいは「絶句させる」ことにある。

ひとは結婚する相手がいれば結婚するし、子どもができるなら子どもは生まれる。それがそうなっていないのには複雑な理由がある。心の奥の方にあって、誰かれ構わず説明できるようなものではない理由がある。それをあえて問いかけることの本当のねらいは、答えを封印した上で問いかけ、沈黙を強いることにある。

それはもう「呪い」という他にないだろうと私は思う。

「セクシャル・ハラスメント」の本義はおそらく「セクシャル・カース」である。それはひとのいちばん深いところにあるものを傷つけるために発動する邪悪なものだ。

そして、その「呪い」を解除するいちばん効果的な方法は、「これは呪いだ」ということを理解することにある。

呪いは理解を嫌う。

おそらく私もまたさまざまな場面で人々に「呪い」をかけている。

私の問いかけに絶句して青ざめている人々は私の「呪い」を受けて生気を失っているのである。

だから、この場を借りて、「ウチダといると、なんだか疲れるんだよね」と思っているすべての人々にアナウンスしておきたい。

それは「呪い」です。

解決法はただ一つ。

「ウチダから逃げろ」です。

はい、これでもう「呪い」は消えました。よかったね。


11月9日

『ミーツ』の原稿の書き直し。

「街場の現代思想」という題だけあって、辛口の「現代思想」的なスパイスも必要、というご注文なのでフーコーの話とラカンの話を付け足す。

ただラカンの「大文字の他者」というような概念はエッセイ一回分に収まるような話ではないので、「さわり」だけ。

でも、こういう場所で、自分が読んできたものの理解度を試されるというのは、とてもよい経験である。

何となくわかりかけているんだけれど、「あ、それはね」というふうには言えないこともある。

深遠な思想家の頭に浮かぶアイディアは、なかなか「平たく言えば」というふうな言い換えがきかない。

簡単に言い換えがきくようなら、そもそも「深遠な思想」とは言えないだろう。

私たちの日常の根源的な問題に深くかかわっているのだけれど、私たちの手持ちの概念には言い換えがきかない。だから、それを理解するためには、私たちの日常的なものの考え方の枠組みそのものを壊し、言葉遣いから変えていかないといけないような思想、それを私たちは「深遠な思想」と呼ぶのである。

 

芦屋市民病院で月曜のCTの結果を聞く。予想通り、「何でもないです」という結果であった。血管がぐちゃぐちゃ絡み合っているところが「影」になっていて、それが正面から撮ったレントゲンにひっかかっただけでありました。

ちゃんちゃん。

 

教授会に出て、そのあと石川ゼミ主宰の「ハロウィン仮装パーティ」へ。

私の仮装は「ヤクザなデーク」。魁会の半纏と「江戸一」のダボシャツにコハゼが10個もついている紺の足袋。

ひさしぶりに魁会(さきがけかい)の半纏に袖を通す。これを着てあちこちの神輿を担いで歩いたのはもう25年も前のことである。均坊という実にイナセな兄ちゃんの仕切りで、族上がりのワルや鳶の兄ちゃんたちと面白おかしく遊んだ。

仮装パーティは学生よりも教員の方が圧倒的に過激で、去年に続いて「マダム」に扮たナバエちゃんの迫力が圧倒的。

笑ったのは飯田先生の「サザエさん」。江利チエミのサザエさんよりサザエさんらしかった。

仮装大賞は風邪をおして半ズボンで登場した石川先生の「ゲゲゲの鬼太郎」。去年の「食い倒れ人形」をどう乗り超えるのか期待されていたけれど、満座の期待に応えるすばらしいパフォーマンスだった。

高橋友子先生は二晩かけて縫った「アラブの女」。三杉先生は可愛い「フラッパー」。渡部先生は「アエロスミス」。ウッキーはサザエさんの「お魚くわえたドラネコ」に合わせた「魚屋さん」。ゴムのエプロンまで用意した気合いに脱帽。

初参加の吉本先生は教師たちのあまりのはめのはずしかたの激しさにびっくりしていた。

でも、こういう遊びに一生懸命になる教師たちは、みんなそれぞれの領域でも一生懸命「はめをはずして」いる過激な研究者でもあるんだよね。

すてきな仲間たちと遊べて、実に愉快な一夜でした。写真はたぶんワルモノサイトに掲載されるはずですから、そちらをチェックして下さい。


11月8日

大学の情報処理センターのサーバーにハッキング(だかクラッキング)の痕跡があって、LANにつないであるパソコンのプロキシなんたらを設定し直して下さいという指示が来たの。もちろん、私にそのような高等なことができるはずもなく、自然治癒を待っていたのであるが、なかなか治らない。

更新できないままどんどん日記がたまってゆくので、困っていたら、ちょうどお向かいの渡部先生の部屋の電気が点いていたので、ほとほととドアを叩いて「なおして」とお願いする。渡部先生はブレーク研究の英文学者であるが、もとをただせば由緒正しい阪大数学科のご卒業であるので、コンピュータについては私の理解の遠く及ばない境位にお住まいである。

「あ、マックなの?マックのことはよく分かんないんだけど」と言いながら、あっさりと設定を直してくれた。叩頭して深謝する。

私は死ぬほど態度の悪い人間であるが、自分に出来ないことが出来る人には素朴な崇敬の念を抱く点が唯一の救いである。

私のことを自分のことばかりしゃべっている人間だと思っている人も多いようだが、実は私は異業種異専門の人の話を聞くのが三度の飯より好きなのである。

パリにゆく飛行機の中では隣に坐っていた三菱電機の技術者の方に2時間くらい携帯電話業界の今後についてレクチャーをして頂いた。そういうときの私は小学生のような顔をしている。

卒論の面接で三人のゼミ生とおしゃべりをする。尊厳死の話と祇園祭の話とミュージカルの話。いずれも私のぜんぜん知らない話題であるので、たいへんに面白い。

そのあと合気道のお稽古。お弟子さまたちがたくさん来ているのでわいわい騒ぎながら愉快な稽古をする。

家に帰ったら、ファックスで『ミーツ』の江さんからロールペーパー状の原稿チェックが届いている。字数がまだ1000字足りないそうである。さっそくウィスキーの水割りを片手にばりばり直す。なにしろ時給10万円のバイトであるから、ぐふふと含み笑いしながら仕事をする。

晶文社の安藤さんから田口ランディの新刊『根をもつこと、翼をもつこと』を送って貰ったのでさっそく読む。

『コンセント』と『アンテナ』というちょっとヘビーな小説を読んだだけなので、そういうちょっと「グルーミー」な感じの人なのかなと思っていたら、ぜんぜん違っていた。

すごくライトで、それでいて深い。

家族についての考え方も、インターネット・テクストについての考え方も、書くことの愉悦についての考え方も、「本当の私なんていないぞ」という考え方も、すべてに共感する。

なるほど、こういう「フレンドリー」なエクリチュールの持ち主だからこそ、メールマガジンに8万人の読者がいるのかと納得する。

とくに共感したのは、ヴァーチャルな社会的人格を統合する中心にある「本当の私」は「ボケナス」であるのがよい、という議論。

「多重人格障害を統合するとき、中心になる人格というのはボケナスがいいのです」という精神科医の話を聞いて深く納得したランディさんはこう書く。

「そういえば、世に八面六臂の大活躍をしている人はたくさんいるけれど、そういう人ほど『おおらかな人柄』と言われる。おおらかとは言い方を変えれば『ボケ』ということである。活躍している人ほど、お会いするとフツーすぎるくらいフツーの人であり、どっかぬけていてチャーミングだったりする。

ようするに『本当の私はボケナスであるほどいい』という訳で、私は心から安心してしまう。そうだ、私はボケナスでよいのだ。これでいいのだ。アホを恥じることはない。」

同じことを司馬遼太郎は大山巌元帥について書いていたし、ロラン・バルトは東京について書いていた。

中心は空虚である。それは個人の場合も、組織の場合も、都市の場合も同じである。

虚をおのれの中心に据えること、これはヨーロッパ人にはすごく理解しにくい考え方だろう。だからヨーロッパの人はラカンを読んでびっくりするのだ。(ラカンの言ってることって、平たく言えば、要するに「自我の中心にあるのはボケナスである」ということだものね)。

しかし、日本もなんだかすごいことになってるなあ。

 

というところまで書いたら、甲野善紀先生から電話がかかってきた。

12月の日程をもう一度確認し合って、そのまま甲野先生の最近の「気づき」である「斬り」のお話になる。

私は甲野先生の武術的な気づきの真価を理解できるほどの水準の武道家ではないから、「なんだかすごそうですね」というような寝ぼけた相づちをうつばかりであるが、甲野先生は愉快そうに熱を込めて話してくれる。こちらはそういう話を聞くのは大好きだから、さっき書いたように「小学生のような顔」で目をきらきらさせて話をうかがう。(「目のきらきら」が電話の向こうには見えないのが残念である。)

前にも書いたけれど、自分の術技の進化のプロセスをリアルタイムでレポートするという甲野先生のスタンスに私は深い敬意を抱いているのだが、そのリアルタイムのお話を本で読むのではなく、ご本人から直でお聞きするというのは、分からないなりに、実に光栄というかどきどきする経験である。

そしたら、甲野先生が「田口ランディさんにこの間会って・・・」という話になる。

こういうのをシンクロニシティというのであろうか。

田口ランディって、どんな人なんですか?え?ええええ!えええ!というような展開になる。

甲野先生から「内田先生は話し方が関大の植島啓司先生によく似てますね、間違えそうだ」と言われた。

植島先生とはお会いしたことがないけれど、何となくいつかどこかで出会いそうな予感のする方である。聞けば植島先生は10月10日の朝日カルチャーセンターの講演のときもいらしていたそうである。私より三歳年長で、育ちは私と同じ東京大田区。幼児期の原風景を共有しているとどこか似てくるのだろうか。

電話を終えてから、教えてもらった甲野先生のホームページを見る。

そしたら、先生の日記に私もちょっとだけ登場していた。その部分をコピーさせて頂くことにする。(ふふ、有名人の日記に名前が出るのはうれしいね)

「そして10日。昼過ぎまで寝て、医学生S君に迎えに来てもらい、夕方6時半からの朝日カルチャーセンターの講座へ。

講座には朝日新聞論説委員の石井晃氏や植島啓司先生もみえ、少し元気が出る。しかし、いざ講座が始まると頭がフラついているため、なかなか言葉が出てこない。まあ休んで講座に穴をあけるよりはマシだったかも知れないが、何か戸の向こうで誰かが喋っているような感じだった。来ていただいた方には本当に申し訳なかった。ただ、大変興味深く面白かったと感想を言って下さった方もあったので、慰め八分としても有り難かった。

ところが講座が終ってから、12月に伺う予定の神戸女学院の内田樹先生が挨拶に来て下さり、いくつかの技を体験していただいたのだが、その間に体がフッと楽になり、技を使うということの心身に与える影響の大きさに驚いた。お蔭で私は遠慮して引き上げようかと思っていた打ち上げにも参加出来た。ただし、食欲は殆どなく、この夜も名越氏宅で前夜同様の大汗をかいた。」

思いがけなくも、私は甲野先生の記憶には「ウチダ=手を合わせたら、なんだか気分がよくなった人」としてインプットされたらしい。こういう記憶のされ方はまことにうれしい。


11月7日

『ミーツ』の「街場の現代思想」の第一回分の原稿を送る。

昨日の朝の大学院の演習でしゃべった話をそのまま原稿に起こしたので、30分で書けてしまった。

授業でしゃべった話を家に帰ってから思い出してホームページに書くようになってから、私の原稿産出量は幾何級数的に増大した。(もっともホームページに書くのは無料の原稿だから何万枚書いても一円にもならない)

聞き手がいるときにしゃべる話と、ひとりでディスプレイを前にして書いているときの話はかなり質が違う。

べつにひとりでいるときは自閉的で、聞き手がいるときは開放的である、というような単純な違いではない。

ひとりで書いているときの方があきらかに「変なこと」を書いている。

たぶん誰にも理解できそうもないような怪しげな考想が頭の中をぐるぐる駆け巡る。

その怪しげな考想(いったい、どこから湧いて来るんだろう?)のシッポをつかまえて、ぐいぐいと手繰り寄せて、「自分がいったい何を考えているのかを知る」というのが、私にとっての「書く」という仕事である。

聞き手がいるときは、それほど怪しい話はしない。

最後の「サゲ」だけは考えてから話しを始めることにしている。

ただ、「サゲ」は決まっているけれど、途中でどんどん脱線する。別の噺に一時的に乗り移ってしまうこともある。(これは「つかみこみ」と言って芸の世界では禁じ手だそうであるが、志ん生はこれが大好き。)

昨日の大学院のテーマは「じべたりあん」。

愉快な話題を振って貰ったので、興に乗ってひとりで30分くらいしゃべり、それを

家に帰ってそのまま原稿に起こした。

一回分5万円の原稿が30分で書けた。

比率でいえば時給10万円のバイトである。なんとよいバイトであろうか。

一日8時間仕事があれば、日給80万円。週5日勤務として、月給1600万円である。

一月働けば二年遊んで暮らせる。

残念なのは、月に一回分しか原稿の注文が来ないことである。

 

オフの日なので、神戸にいっていろいろと用事を片づける。

ひとつは外国送金。

私は卒業生に無利子無担保でお金を貸している。才能への「先行投資」である。これまでに三名の卒業生から借金の申し込みがあった。全員、才能豊かな若者たちであったので、必要なだけお貸しした。

私は収入以下のビンボー生活をしているので、お金をあまり使わない。

だから小銭が貯まる。貯まった小銭の使い道も別に思いつかない。

だからお兄ちゃんや平川くんが「出資しない」と言ってくると、いいよと差し出す。

有利な利回りで資産運用しようなどということを考えていると面倒が多いけれど、「才能への投資」や「友情への投資」はそのこと自体が愉快なことなので、別に失っても惜しくない。

いまのところ学生さんたちへ貸したお金は順調に返還されている。

こんなことを書くと、「じゃあ、貸して」とどやどや学生さんが来るんじゃないですか、とご心配の向きもあろうが、そういうことは「ない」と断言できる。

「才能に投資する」以上、融資に際して私は「才能を査定する」。

ご承知のとおり、この種の査定において、私は悪魔のように非情な人間である。

私に「悪いけど、君には貸せない」と言われたら、それはその人には未来がないということを意味している。

生きる希望を失うリスクを冒してもなお私に「査定されたい」と望む人がどれだけいるだろうか?


11月5日

2時過ぎまで漱石論をごりごり書いていたので、起きたら10時。

起きてそのままごりごり続きを書く。考えてみたら日本文学について長い原稿を書くのははじめてのことである。だいたい文学を論じること自体が久しぶりである。(映画のことばかり書いていたからね)

楽しくて、つい時間を忘れてしまう。

お昼になったので、芦屋市民病院に肺のCTを撮りにゆく。

はじめてCTというものをやってもらう。ちょっとどきどきするが、すぐ終わる。

せりか書房からレヴィナス論のゲラが届いたので、さっそく車の中や病院の廊下で読み始める。

第一章『レヴィナスと出会いの経験』はすらすら読めたが、第二章『非−観照的現象学』は苦労した。これはフッサールを毎日読んでいたときに書いたので、文体がフッサール風になっている。フッサールがフッサール的な文体で書けば当然にも明晰なのだが、ウチダがフッサールぽく書いているだけなので、まったく明晰でない。第三章『愛の現象学』は論敵がはっきりしているポレミックな文章なので、読みやすい。ずいぶん熱くなって書いたので、案の定ところどころで筆が滑って、「おおお、そこまで書くか。フェミニストに闇討ちされないかなあ」とどきどきする。

私は論文というのは、自分の頭の中身できるだけ包み隠さず満天下にご披露するために書くものである、という主義である。だから、出来の悪い本だが、あれこれいじらずに、このまま出すことにする。

だって、出来の悪いのは本ではなくて、私の頭なのであるから、それを包み隠そうとしたって始まらない。こちらの知能程度がすぐに分かる書き方をする方が読者にとっては時間の節約になるし、出版社は紙代の節約になる。

そのままソファに寝ころんでゲラを読み続ける。読み出すと止まらない。

これがもし私でなく、他の誰かが書いたものであったら、私はどう評価するだろうかと考える。たぶんこんなふうに書評するだろう。

「この著者は自分が知っていることを書いているのではなく、書きながら考えている。だから、話が同じ所をぐるぐるまわって、どうもくどくてかなわない。

しかし、著者がうまい具合に論理の隘路を抜ける路を見つけだして、見通しのよいところに突き抜けたときは、読んでる方もいっしょに『ほっ』とする。『や、お疲れさん』と肩のひとつも叩きたくなる。

レヴィナス思想という難所への先導者としては、あまり頼りにならないが、読者を置いて、どんどん先へゆくということだけはしない。それをリーダー・フレンドリーということもできるが、考えてみたら、遭難するときは読者も一緒なわけだから、その点がちょっと困るね。」

晩御飯は「みぞれ鍋」。野菜をたくさん食べないといけないよ、と石井内科の先生に叱られたので、水菜と大根を山のように食べる。美味しい。


11月4日

終日書き物。

晶文社の『おじさんの系譜学』の「漱石論」がどんどん長くなってしまったので、もうこれだけで単独の論文にしてしまおうということにする。(そんなのばっかだな)

『虞美人草』という小説はあまり評価するひとがいないみたいだが、すごく面白いと私は思う。

新潮文庫のあとがきでは柄谷行人がこの作品の文学史的な位置づけをしている。文学史的には徴候的な作品だが、内容的には論じるに足りないといった感じの低い評価である。

そうだろうか。

柄谷は主人公の宗近君について一行も書かないで、脇役である小野君と甲野君にしか言及していない。

私の考えでは、宗近君は東京帝大出の「坊ちゃん」であり、漱石が文学的虚構を介して、造型しようとしていた「理想の日本青年」像そのものである。

小野くんやら甲野くんの類は明治40年の巷にはすでにごろごろしていた。(だからこそ漱石はその「内面」を見てきたように活写することができたのである。)

いまだ現実に存在しないのは「内面のない青年」宗近一君である。存在しない青年をあたかも生身の存在であるかのように描き出すことが漱石にとっては喫緊の歴史的使命であり、文学者としてのtour de force の見せ所であった、というのが私の『虞美人草』論である。

こういうフレームワークで読むと、『坊ちゃん』や『こゝろ』や『三四郎』の結構も「おお、なるほどなるほど」とするする分かってしまうから、お得な読み方だと思うんですけどね。どうでしょうか。

とにかく、ごりごりと終日漱石論を書く。

漱石のような作家の場合、読むこと自体が快楽であるだけでなく、それについて書くこともまた深い愉悦の感覚をもたらす。

というのは、漱石の文章を一定時間読んだあとにパソコンのキーを叩くと、あら不思議、私の指は漱石に憑依されてしまって、文体が「漱石化」してしまうからなのである。

もちろん漱石の名文には遠く及ばないが、私の中に死蔵されていた古典的語彙が墓場のゾンビのように甦って、「畢竟するところ」とか「高楼大厦も灰燼に帰し」とか云った大時代な文句がむくむくと湧き出てくる。

こんなふうに自分にとっての「自然な言葉遣い」が揺らぎ、「誰だか知らない人が書いてるみたい」な文章を書く経験はとても愉快である。

今日もこのあとは「漱石に憑依されてエクリチュールの絶頂を経験する」時間である。

この「恐山イタコ状態」は一度味をしめると、なかなかやめられない。


11月3日

学祭二日目。早稲田大学合気道会OBの武藤雅幸さんと、東大気錬会OBの北澤尚登さんが駆けつけて招待演武をして下さった。(北澤さんは長駆東京から)

ありがとうございました。

部員諸君は昨日よりいちだんとテンションが上がって、気迫のこもったよい演武会に仕上がった。

演武会が終わった後のみんなのはじけるような笑顔を見ているときが教える者としていちばん喜びが深い。

君たちの笑顔の理由の半分は君たち自身の努力であり、残りの半分は私からの、そして私をとおして多田宏先生からの、そしてさらには多田先生をとおして植芝盛平先生からの贈り物である。

このような素晴らしい武道を創り出し、それを継承し、それを稽古する機会を私たちに与えてくれた、すべての人に感謝したい。

 

演武会の後かたづけが終わってから雨の中を御影のわが家にみんな集まる。七年ぶりにイギリスから帰ってきた田岡千明さんと、東京からお越しの北澤さんを主賓に、打ち上げ大宴会。

今回は「おでん」と「マイタケご飯」と「キムチ鍋」。

これでもか、というほど仕込んだのであるが、すべて平らげられた。

みんながいろいろとおみやげを持ってきてくれたので、お酒がだいぶ残ってしまったが、残ったお酒は私が毎日ちょっとずつ頂き、さらに残れば納会と鏡開きで呑むことにするのでご心配なく。

 

このところ大学で武道を教えることの意味について繰り返し考えている。

多田先生は大学生に対する教え方と社会人に対する教え方に微妙に違いをつけられているように私には思われたからである。

社会人に対しては「武道にはいろいろな取り組み方がある。それぞれが自分の信じる方向で武道に取り組めばよろしい」というふうにちょっと「放し飼い」的な教え方を先生はされてきた。

だから、合気道は健康法としてやってもいいし、護身術と考えてもいいし、人格陶冶の修業と思ってもいい。単にどたばた運動して汗をかいてビールが美味しいというためだけにやってもいい。それらのどれかを先生が「いけない」と言われたことはない。

ただし、「京都にゆくつもりで間違えて東北新幹線に乗ってしまって盛岡に着いちゃったというひとは・・・まあ、ご縁がなかったものとあきらめなさい。」

私は先生のご海容に甘えて、入門当時は、「喧嘩に強くなる」というのと、「美味しいビールを呑む」を二大目標に合気道の稽古に励んだバカ弟子であるが、そのような不明な弟子でさえ多田先生は見捨てることがなかった。

それは門人たちが稽古のあとに示す「はじけるような笑顔」の意味に、いつか自分で気づくときがくると思われていたからだろう。

学生たちに対しては、もっと直截かつ明確に先生は合気道の意義を説かれているように思う。それは、合気道が、若者ひとりひとりが蔵しているほとんど無限のポテンシャルの「気づき」への手がかりだ、ということである。

それはある完成型なり理想型なりを示して、それに比べて、修業者の技術や力量が「どれほど劣っているか」を気づかせる、という「ネガティヴ」な査定のちょうど正反対の考え方である。

多田先生が自在に利用しているのと等質等量の力が私たち自身の中にも、未開発の資源として潜在していることを「実感させる」ための稽古法、それがつよく意識されていたように私には思われた。

だから先生は、合気道を通じて獲得された「力」は単に武道という領域においてのみ開花するべきものではなく、研究者として、芸術家として、企業家として、アルチザンとして、あるいは家庭人として、あらゆる人間的活動においてひとしく成果をもたらすのである、と言われているのではないだろうか。

多田先生の合気道において、武道は武道のために修業されるのではなく、「私」の可能性の開花のための効果的な一方法として修業される。

「完全な武道の体系」が一方にあり、その前に「卑小な私」が立ち尽くしているのではない。宇宙と一体となった「私」、無限のエネルギーが湧出する場であるような「私」に至り着くための方法的迂回として、武道の体系があるのである。

もちろん、そのことは武道の体系の精密性や厳密性をいささかも軽んじることではない。

いまここにいる「私」を固定化し、それを中心として、その狭隘な枠組みで武道の術技を理解し、恣意的に解釈し変えてゆけば、それはそもそも「方法的迂回」としてさえ機能し得ないからである。

武道の体系は「私は私でしかない」という悲劇的な繋縛性を断ち切る「ブレークスルー」として「外部」から到来しなければならない。

だから、武道の体系の「外部性」を担保するためにも、そこに私的・恣意的な解釈や変更を加えて、「私物化」することは許されない。

しかし、その「私物化」のきびしい自制は、「私」をもっと豊かで、もっと力強く、もっと善良なるものものたらしめることを目的としているのである。

武道の体系は外部から到来し、それが「私」の主体性を本質的な仕方で基礎づける。

注意深い人は、このような言葉遣いが、ほとんどレヴィナスの他者論と同型的であることに気づかれただろう。

多田先生は合気道を通じて、レヴィナス老師はタルムードを通じて、私のふたりの「お師匠さま」は「同じひとつのこと」を語っているように私には思われる。

「私」を基礎づけるためには、「外部的体系」を迂回する「私のブレークスルー」を経験する必要があり、その自己解体と自己再生のプロセスにおいては、先導する「師」が必須である。

お二人はともにそう教えていられる。

そしてこの旅程において私たちの歩みを動機づけるのは、それが人間として正しいことだという当為の意識でもないし、それが私たちに何らかの利益をもたらすという打算でもない。

要するに、それが「愉快」だからなのである。

植芝先生が書かれた本部道場の道場訓のなかで私がいちばん好きなのは「稽古は愉快を以て旨とすべし」という一条である。

「師に仕えて修業することは愉快だ」

このあっけないほど透明な真理を私は二人の師に就いて学んだのである。


11月2日

まだ少し熱っぽい。

夕べは午後7時に寝た。9時半ごろ、せりかの船橋さんから電話があって、『レヴィナス論』を年内に出すことにしたから1週間で校正をしてくれという。

イリガライの悪口を削る話はいいんですかと聞いたら、もういいです、ということである。

レヴィナスとイリガライの両方とも好きという読者は私の本を読むと傷つくだろうが、それはビンラディンとブッシュの両方とも好きというようなものであるから(たぶん)、あまり多くはいないと思う。

私が人の悪口を書くときどれほど執拗で底意地の悪い人間になるかを知りたい方はぜひご購入下さい。(そんなこと別に誰も知りたくないでしょうけど)

 

山本画伯から「非常勤講師の話はどーなっておるのか」という督促の手紙がくる。

げ。忘れていた。

難波江さんとご一緒の「ライフワークが終わったので、あとは余生だ」パーティのときに「来年、非常勤に来てね」と頼んでおいて、そのまま忘れていたのである。

山本画伯については数年前も一度、非常勤講師を頼んでおいて、ころっと忘れて別の人に頼んでしまったという忌まわしい前科が私にはある。(そのときにおよびしたのが実は小林昌廣先生である。世の中不思議な巡り合わせである。)

そのときは土下座して謝って事なきを得たのであるが、同じミスを二度続けては温顔の画伯との35年の友情も危うい。

熱でぼけた頭で必死に「空きコマ」を思い浮かべ、「比較文化特殊研究」という科目があることを思い出した。やれうれしや。

さっそく造り声で「あ、画伯、ごめんね連絡が遅れて。至急、業績書と履歴書送って下さい。君にぴったりの科目をご用意しておいたよ、ふふふ。やだなー。忘れてませんてば」

画伯は炯眼の人士であり、通常、私の嘘は一発で見破るのであるが、私も必死である。何となく不得要領のまま「あ、そう。ふーん。じゃ、いまからファックスするから」と納得してくれた。

しかし、二度までも同じ約束を忘れるというのはどういうことであろう。

画伯が画壇にとどまらず学界にまで進出して、私の存在が霞むようなブリリアントな仕事を成し遂げることを私の無意識がひそかに嫉妬しているのであろうか。

それ以外に説明がつかない。

 

今日は学祭演武会。

熱をおして大学へ。なんだかふらふらする。

学生諸君の演武はすごく、よい。

みんなテンションの高い、端正な演武をしてくれた。

「うまいなあ、この子たち、みんなオレの弟子なの?ほんとに?何か、オレよりうまくない?」と一人で不思議な感心の仕方をする。

しかしこれこそ指導者冥利に尽きるというものである。

私の演武はへろへろ。なんだか、このところ二日酔いで演武したり、そんなのばっかりである。今日は熱があって何も考えられないので、身体が動くままに好き勝手に「酔拳」的な技を繰り出すうちに終わる。

終わってから記念撮影。四回生は学生生活最後の演武会なので、感激ひとしおらしく写真をとり合っている。

とはいえ、うちの合気道部は「勇退」というものを認めない。卒業しても道場から離れることは許されぬのである。これからだよ、面白くなるのは。

 

畳の上にぶっ倒れていると、飯田先生が「葛根湯」ドリンクをプレゼントしてくれる。ごくごく。ありがとうございます。

ウッキーの買ってきたたこ焼きと焼きそばを食べているうちに教授会の時間となり、あわてて駆け出して会議室へ。

寝ているうちに会議が終わる。

やれうれしや、家に帰ってちゃんと寝ようと思っていたら、U野先生に拉致され「***問題調査委員会」のあり方並びに今後の本学はどうあるべきかについての戦略会議に呼び出される。(これも忘れていた。大事な約束はほとんど忘れている。)

U野先生とI川先生は実に卓越したオルガナイザーであり、てきぱきと話をまとめる。マルクシストはこういう分野では惚れ惚れするほど手際がよい。

私はこういう会議ではいつも役回りは同じで、「がんがん行こうぜ、がおー」的なことを言って「落としどころ」をラッチ一つ分過激化させるボケ役である。

ときどき自分でも、ほんとうに「がおー」と思っているのか、みんなが「がおー」を期待しているから政治判断でそうしているだけなのか分からなくなる。

高校のとき、教師が生徒に対して挑発的なことを言うと、クラスのみんなが私の方を見た。「ウチダ、出番だぜ」

「え?またオレがやるの?」と私はしぶしぶ立ち上がって「先生、いまのお言葉、撤回して頂きましょう」というようなことを言わされた。

因果な性分である。

その昔、S和総研というシンクタンクのめちゃくちゃな答申を聞いているときに教授会の席で「こら、大学の教師、世間知らんと思って、なめたらあかんど。調査料2000万返せ」とどなったことがある。

総研の研究員のみなさんは青い顔をしていた。世の中にはずいぶんガラの悪い大学教師がいるんだなあと思ったことであろう。

そんなにガラ悪くないんですよ、ほんとうは。そういう役がきちゃうんですよ。なぜか。


11月1日

なんだかまた熱っぽい。

保健室にいって風邪薬をもらう。

はやく家に帰って寝ればいいのだが、これから卒論の面接が二人、会議が一つあるので、帰れない。

一昨日は大学以来の友人、竹信くん@朝日新聞社が遊びに来た。

面白い話がいろいろあるのだが、熱っぽいので、今日は書かない。またこんどね。