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<title>TFK2</title>
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<description>悪い兄たちが帰ってきた Tokyo Fighting Kids Return</description>
<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2006</copyright>
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<title>悪い兄たちが帰ってゆく</title>
<description><![CDATA[<p>TFK2２</p>

<p>■　「懐かしさ」の幻影<br />
『会社は株主のものではない』（洋泉社）拝受いたしました。<br />
さっそくまず平川君の書いたところをそうだよそうだよと激しく頷きつつ読みました。<br />
功成り名遂げて「ゴールデン・パラシュート」（読者のみなさんへの注：大金を儲けて早々とリタイアしてゴルフやらパーティ三昧の暮らしをすることらしいです）したあとの索漠たる心象風景・・・というところがなかなかいい味でした。<br />
ハリウッド映画には、そういうつまらなそうな引退生活を送っている「元詐欺師」とか「元殺し屋」に昔の仲間が声をかけて「どうだい、また昔取った杵柄で一仕事やらないか」というところから話が始まる・・・というパターン、結構多いんですよ（『オーシャンズ１２』とか『隣のヒットマン』とか）。<br />
面白いのは、そういうオッファーをされた「パラシューター」のみなさんが、内心ではわくわくしているのに、表面は渋い顔をして「やだよ」と一応は断るところ。<br />
ここで「えー、やるやる」というリアクションをしちゃうと、「パラシュートしたこと」そのものが間違った選択であったことを自分で認めることになってしまうので、そこだけは意地を張るんです。<br />
『キル・ビル２』のマイケル・マドセンもそうでした。<br />
また昔の骨折り仕事に戻るのかよ・・・やだなあと言いながら、いきなり「生き生き」してくるんですね、これが。<br />
バーンアウトと死ぬほどの退屈さの間を往復するくらいなら、適度に刺激的で適度に暇な生活を過ごす方策を考えればいいのに・・・<br />
アメリカの人はそういう折衷案みたいなものを考えるのが心底苦手みたいですね。<br />
ま、それはさておき。<br />
どういうシンクロニシティか「昭和３３年の風景」についての映画についてコメントする仕事が来ました。<br />
西岸良平さんの『三丁目の夕日』を映画化した『Always 三丁目の夕日』という作品です。<br />
その映画を見て、とても不思議な気持ちがしました。<br />
この映画のスタッフたちは監督をはじめぼくたちよりもはるかに若い世代で、そのほとんどはリアルタイムの昭和３３年を知らない人たちです。<br />
にもかかわらず、この映画にはディテールの時代考証的精密さに異常なまでの努力が投じられています。<br />
その結果、この映画はリアルタイムで昭和３３年を生きていた子供が、長じて映画を作った場合にも「たぶんこんな映画になったんじゃないか」というような映画に仕上がっています。<br />
この情熱はどこから由来するのか、なんだか不思議です。<br />
不思議と言えば、そもそも西岸良平の原作漫画も不思議なんです。<br />
この漫画が『ビッグコミック』に連載開始されたのは、１９７４年のことです。<br />
漫画の舞台である１９５８年の１６年後。<br />
その漫画を二十四歳のぼくはリアルタイムで読んでいたわけですけれど、そのときに「ああ、懐かしいなあ」と思いました。<br />
それからさらに３１年経って、この映画を見てぼくはまた「ああ、懐かしいなあ」と思いました。<br />
そのときに、「これって、ちょっと変」と思いました。<br />
１９５８年の東京の風景に対してぼくが１９７４年に感じた懐かしさと、２００５年に感じる懐かしさが「同じ」というのは変でしょう。どう考えても。<br />
「懐かしさ」というのが回想された時代との時間差の関数であるとしたら、１９７４年と２００５年では３１年分の経年変化があってしかるべきです。<br />
それがない。<br />
映画評は字数が短いので、十分には分析しきれなかったのですが、そこにぼくはこんなふうに書きました。</p>

<p>「もしかすると私が懐かしんでいるのは実在したものではなく、無時間的に浮遊している『国民的幻影』ではなかったのでしょうか？<br />
そして、それが『幻影』だからこそ、その時代を経験したことのなかった若いフィルムメーカーたちも同じ密度、同じリアリティをもってそれを共有し得たのではないでしょうか？<br />
そう考えなければ、この映画の細部にゆきわたる驚くべき時代考証的正確さを説明することは困難です。<br />
おそらく私たちには『一度として所有したことのない過去を懐かしく思い出す能力』が備わっているのでしょう。この映画はそのような想像力が生み出したものだと私には思われます。」</p>

<p>ぼくは小津安二郎の映画が大好きなんですけれど、小津の映画に出てくる終戦直後の美しい湘南海岸や銀座の「若松」や北鎌倉の竹林なんか、ぼくは見たことがない。<br />
にもかかわらず、ぼくはそこにはげしい「懐かしさ」を感じます。<br />
でも、それがぼく自身の中に根拠をもつ懐旧の情であるはずがない。<br />
おそらくは小津安二郎自身がそのような風景に注いだまなざしの暖かさにぼくが同調していることのこれは効果だと思うんです。<br />
人間は他者の感動に感動することができる。<br />
このことを指摘したのは『悲劇の誕生』のニーチェです。<br />
ニーチェはギリシャ悲劇の「コロス」（合唱隊）の機能の分析を通じて、ギリシャ悲劇が描いている「劇的経験そのもの」には現代人はもう二度と触れることはできないけれど、劇的経験を追体験している古代ギリシャの観客の感動には感動することができるという卓見を述べました。<br />
経験そのものは時代とともに風化し消滅する。けれども、ある経験を生きた人間の感動は無傷で継承することが可能だ、というのが『悲劇の誕生』の重要な主張でした。<br />
ニーチェがいったい何が言いたくてこんなことを書いたのか高校生のぼくにはまったく理解が及びませんでしたが、この年になると「ほんとそうだよな、フリードリヒ」と言いたくなります。</p>

<p>■	模造記憶と共同記憶</p>

<p>平川君は前便でこう書いていました。</p>

<p>「ぼくたちが書く自画像は、無意識ではなく、意識的にトラウマを作っているんじゃないかと思うことがあります。<br />
意識的なトラウマとは形容矛盾ですが、それでも意識的に作った自画像というものがぼくに与える効果は、まさにトラウマと呼んでもいいかもしれません。」</p>

<p>「トラウマ」というのはフロイトの定義を勝手に言い換えると「それを言語化することができないという当の事実が主体を基礎づけている記憶」のことです。<br />
平川君が書いているのは、その「それを言語化することができないトラウマ的記憶」を（それと知らずに）構築したのは実はおのれのトラウマ的基礎づけを渇望していた主体自身ではないか・・・ということだと思います。<br />
これは洞見ですね。<br />
存在しなかった過去の経験は「言語化できない」（当たり前ですよね、存在しなかったんだから）。だからこそ、それは「トラウマ」たりうる（人間というのは「思い出すことのできない過去の記憶を抱えている」というかたちでその人格を成り立たせているわけですから）。<br />
だから、人間は「存在しなかった過去」を「思い出すことのできない過去」として記憶することになる。<br />
なるほど。</p>

<p>大瀧詠一さんが前に言ったことですけれど、１９６０年代のはじめにリアルタイムでビートルズを聴いていた中学生なんかほとんどいなかった。にもかかわらず、ぼくたちの世代は「世代的記憶」として「ラジオから流れるビートルズのヒット曲に心ときめかせた日々」を共有しています。<br />
これはある種の「模造記憶」ですね。<br />
でも、ぼくはそういう「模造記憶」を懐かしむ同世代の人たちに向かって「嘘つけ、お前が聴いてたのは橋幸夫や三田明じゃないか」なんて言うことはないんじゃないかと思うんです。<br />
記憶というのは事後的に選択されるものであり、そこで選択される記憶の中には「私自身は実際には経験していないけれど、同時代の一部の人々が経験していたこと」も含まれると思うのです。<br />
含まれていいいと思うのです。<br />
「潮来笠」と「抱きしめたい」では、後者の与えた世代的感動の総量が大であったために、結果的にぼくたちの世代全体の「感動」はそこに固着した。<br />
ということで「いい」のではないかと思うのです。<br />
自分が身を以て経験していないことであっても、同世代の中に強い感動を残した経験であれば、それをあたかも自分の記憶のように回想することができる。その「共同記憶」の能力が人間の「共同主観的存立構造」（＠廣松渉）を支えているのではないかと思うのです。<br />
「ベル・エポック」というのは事後的な呼称ですよね。<br />
「ベル・エポック」を生きているときは、「今はベル・エポックだなあ」なんて誰も思ってやしません。「最近、けっこう楽しいなあ」と思っていても、人間は欲張りだから「来年はもっと楽しいだろう」と期待していて、今日のその日を感謝とともに生きたなんてことはない。<br />
でも、その「より美しい年」であるべき「来年」に世界大戦とか大恐慌とか全体主義体制とかが出現してきてがっかりしている人間は、回顧的に「今にして思えばあの年こそは『美しい時代』だったな」「ほんとだね」というような共同主観的回想を共有するようになる・・・<br />
そういう仕掛けではなかったのでしょうか。<br />
「現代という時代について、その渦中にいるものが何かを知るということは原理的にできないことかもしれません。」と平川君は書いていますね。<br />
ほんとうにそうだと思います。<br />
でも、渦中にいるときは「現代の意味」がわからないんですけど、今から二十年後（まで生きてる可能性は低いですけど、ぼくたちの場合）の７５歳の自分が回想している２００５年がどんなふうに見えるかということは想像力の範囲だと思うんです。<br />
変な話ですけれど、「現代の意味」はわからないけれど、「想像的に回顧された過去（としての現代）の意味」ならわかる、ということはあるように思います。<br />
「人間の老成と、社会の衰退がパラレルに進行する時代」という平川君の形容は、おそらくそのようにして（今よりもっと老人になったぼくたちが）想像的に回顧している現代の描写じゃないかとぼくは思いました。<br />
その感覚がぼくにはすごくよくわかります。</p>

<p>■	自分たち自身を弔うために</p>

<p>時代を弔うための「作法と礼儀」について平川君は書いていますけれど、ぼくたちが今生きているこの時代を正しく弔うためには、想像的に死ぬ必要がある、そんなふうにぼくは思うんです。<br />
この「想像的に死ぬ」ことでリアルタイムを回想形で語る力をしてぼくたちは「歴史意識」とか「歴史感覚」というふうに呼んでいるのではないでしょうか。<br />
この数日司馬遼太郎のエッセイ『以下、無用のことながら』を寝しなに読んでいるんですけれど、ここに収録された司馬遼太郎の「弔辞」はどれもとてもいい味です。<br />
そのときに司馬遼太郎という人は、そのつどの現在を過去回想形で語る知的習慣を持つ人だったんじゃないかなと不意に思いつきました。<br />
この人の書くものすべてにゆきわたっている広々とした風通しのよさは「想像的に死んだ人間」のエクリチュールに固有のテイストなのかも知れません。<br />
今書いているこのような文章を推敲するときにも、ぼくたちは今書きつつある自分とは別の境位からテクストを読んでいる読者を仮構しているわけですが、その想像的読者は「二十年後のぼくたち」のような気がするのです。<br />
そんな気、しませんか？</p>

<p>この往復書簡のタイトルは「悪い兄たちが帰ってきた」というものです。<br />
この「帰ってきた」という過去形にぼくはつよく惹かれるものを感じます。<br />
英語でタイトルをつけるときにぼくはthe vicious brothers are back と現在完了形の訳語をつけましたけれど、ほんとうは are back　(and gone)  だったのかも知れません。<br />
「悪い兄たち」は「もういない」。<br />
その想像的に先取りされた不在が「悪い兄たちの帰還」に固有のリアリティをもたらすということではなかったのでしょうか。</p>

<p>１１月１日付けで江編集長も『ミーツ』を去りました。<br />
「悪い三兄弟」が来たときと同じように砂塵の彼方に駆け去る時刻がきたようです。<br />
</p>]]></description>
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<pubDate>Sun, 06 Nov 2005 20:26:25 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ＴＦＫ２１　ぼくたちのベルエポック</title>
<description><![CDATA[<p>■　ひとつの時代と自分自身の物語</p>

<p>ウチダくん、先日は一宿一飯失礼しました。<br />
文芸春秋の撮影も、三宮の寿司も、おいしくて、面白い体験でした。<br />
仕事でも、人間関係でも、何か、歳をとればとるほど面白いことが次々に起こってきますね。<br />
気の持ちようってだって、言われそうですが少し違います。<br />
若い頃から積み立ててきたものが満期になって戻ってきているような感じ、といえばいいでしょうか。<br />
ぼくたちはお金を蓄えるってことからは、縁遠かったけれど、(典型的なフロー人間ですからね）功徳を積み立てるってことには案外熱心だったということです。<br />
こうやって、書簡で定期的に意見を交換してはいますが、たまに、ウチダくんに会って、顔を見ながら話すのはまた、別の楽しみがあります。気使わなくていいしね。<br />
「なんだ、ほとんど同じ事を考えているじゃないか」と思ったり、「いや、これは思いつかなかったな」といった発見があったり。<br />
金銭フロー人間にとって、功徳のストックを分けてもらうってことでしょうか。<br />
今日は、その時にお話した、自分自身の物語についてすこし、書いてみたいと思います。<br />
ま、ちょっとまとめに入ろうかと。</p>

<p>ウチダくんもぼくも、ブログで書かれている自画像が、生身のものとはすこし違っていることをよく知っています。<br />
そりゃ、四十年以上も、付き合っているわけだから、相手の生の肖像ってのは、ほとんど感覚的に刷り込まれている。<br />
ブログに書かれている、お互いの自画像は、それぞれが、感覚的に理解しているものよりは、誇張された、戯画的なものになっているわけですね。<br />
人間は誰しも、自分の無意識に影響を受けてものごとに過剰に反応するものだろうと思います。<br />
この無意識の所在を、探りあてるためにフロイトは、心的外傷（トラウマ）という仮説を用いた訳ですね。<br />
しかし、ぼくたちが書く自画像は、無意識ではなく、意識的にトラウマを作っているんじゃないかと思うことがあります。<br />
意識的なトラウマとは形容矛盾ですが、それでも意識的に作った自画像というものがぼくに与える効果は、まさにトラウマと呼んでもいいかもしれません。<br />
ウチダくんがよく言うように、この物語には現実変成力があるからです。</p>

<p>ぼくが作った物語。<br />
それは、復興期の東京の場末の工場で、職工さんたちと油と鉄粉にまみれていた平川少年と、北海道から東京を目指した放浪の新興中産階級の夢の中で育った内田少年の物語です。<br />
この物語の中で、ぼくは、内田少年の演奏するギーコギーコという雑音のバイオリンを懐かしく思い出しています。<br />
ぼくたちが生れたのは、昭和二十五年。敗戦からわずか五年後の東京です。三島由紀夫ではないので、ぼくたちは生れた時のことは覚えていません。（ウチダくんは、ひょっとしたら覚えているかもしれませんが。）<br />
記憶がどのあたりから、残存しているのかについては定かではありませんが、いくつかのシーンは鮮明に蘇ってきます。<br />
もちろん、この記憶はその後の何十年かで修正され、作り直された記憶でもあるということです。</p>

<p>物語としての記憶の中に、とても印象の強いシーンがあります。<br />
それは、子供の時に見た映画の中での台詞です。<br />
ひょっとすると、テレビドラマだったのかも知れません。<br />
高峰秀子だったか、あるいは他の女優さんだったのか、映画のタイトルが何だったのか、ストーリーがどんなものだったのか、つまびらかなことは、何も覚えていないのですが、ひとつのシーンだけは鮮明に覚えています。<br />
それは、爪に火をともしながらも安寧を得た家族が、大正十二年の震災で、ばらばらになって、瓦礫の山の中で立ち尽くしているシーンです。<br />
その時、この女優が勝気な台詞をつぶやくのです。<br />
「これ以上は、悪くなりようがない。だから、案外気楽だ。これからは、よくなるだけだから・・・」</p>

<p>ぼくたちの多くは、昭和三十年代をひとつのベル･エポックとして記憶しています。何故、敗戦から十年を経た、未だ貧しい日本がベル･エポックとしてぼくの中で記憶されているのか。<br />
考えてみると少し、不思議な気持ちがするのです。<br />
ぼくの親父は、埼玉で後妻の子供として生をうけ、東京で一旗上げようとプレス工場をつくりました。<br />
ぼくが生れた年としては、誰も記憶に留めないでしょうが、この年は朝鮮半島の三十八度線で、二つの異なる価値観が火蓋を切った年として、世界史の中に記憶された年でもあります。<br />
ぼくの家は、その朝鮮特需のせいもあって、暮らし向きが見る見るよくなっていきました。<br />
テレビ、自動車、冷蔵庫。<br />
失うものが何もなかった家に、次々と電化製品が揃えられてゆく。でも、それが平川少年にとってのベル･エポックの記憶と結びついているわけではないということに、注意をしたいと思います。<br />
どちらかといえば、持たざるものたちの集まりだった、近所の悪ガキたちが、やがて来るであろう生活格差や、教育格差といったものを想像することもなく、無邪気に平等な貧困を楽しんでいられたという、そのあっけらかんとした向日的な空気が、心地よかったのです。<br />
工場の大人たちは、昼休みの庭で陽を浴びながらよく笑っていました。<br />
粗末な衣服、質素な食事、粗悪な住環境に暮らしながらもその笑いには屈託がなかった。<br />
「これからは、よくなるだけだから・・・」と誰もが思うことが許される時代であったのかも知れません。</p>

<p>人間の成長と、社会の発展がパラレルに進行する時代。<br />
これをぼくは、ベル･エポックといっていいんじゃないかと思います。<br />
ぼくはイタリアの貧しい漁村の不良少年たちを見ているように、自分の育った街の風景を思い出します。<br />
そして、いまさらながら思えることですが、貧しさと、社会システムが健全に機能しているということは実はあまり矛盾しないことなんじゃないかと。<br />
このことの意味を、高度経済成長とともに、自らの立身出世主義を重ね合わせて育った戦後の日本人は、ぼくも含めて看過してきたのではないでしょうか。</p>

<p>翻って見て、現代は、どんな時代なのでしょうか。<br />
現代という時代について、その渦中にいるものが何かを知るということは原理的にできないことかもしれません。<br />
しかし、それでも「これからは、よくなるだけ」という時代にぼくたちが生きているのではないということだけは、確からしく思えるのです。<br />
だからといって、「これからは、悪くなる一方だ」という風にぼくは考えているわけじゃない。</p>

<p>ぼくは、つくづく身勝手な人間だと思うのですが、人間の成長と、社会の発展がパラレルに進行する時代が、ベル･エポックだとするならば、<br />
人間の老成と、社会の衰退がパラレルに進行する時代というのも、大層、味わい深いものではないかと、思っているのです。<br />
いま、成長期にある若い人たちに、これを受け容れよといってもそりゃ無理な相談です。<br />
でも、ぼくは、そう思う。そう思えるように結構、自分の人生をやり繰りしてきたわけです。<br />
じゃ、若い人たちはどのように考えたらいいのか。<br />
ぼくは、それに関しては答えを用意することができません。<br />
また、そのつもりもないのです。<br />
乱暴な言い方かもしれませんが、それこそ自分で考えろよという他はないのです。<br />
自分で考えろよ。</p>

<p>これが、ぼくのベル･エポックの物語です。<br />
しかし、これはぼくとぼくの世代が作ってきた虚構でもあるのです。<br />
市井の碩学、渡辺京二は、日本近代を生き生きと素描した『逝きし世の面影』の中で、<br />
明治六年から四十四年までの長きにわたって日本に滞在したチェンバレンが、明治という近代化の過程のなかで、先行する江戸期の古き良き日本の「文明」に対して愛惜をこめて記した文章を紹介しています。<br />
「古い日本は死んだのである。亡骸を処理する作法はただ一つ、それを埋葬することである。」<br />
チェンバレンの目には、明治は「絵のような美しい」文明の亡骸の上に作られた楼閣として写ったのです。<br />
ぼくたちもまた、戦後の成長期の日本を埋葬してきたのだろうと思います。<br />
ぼくの言いたいのは、こういうことです。つまり、歴史は何度でも繰り返される。<br />
一度目は悲劇であり、二度目は喜劇であるかもしれない。<br />
しかし、どうであれ、埋葬するにはそれなりの「作法と礼儀」というものがある。</p>

<p>社会が成熟しきったあとからやってきたものたちのことをぼくたちは「あらかじめ失われた世代」と形容しました。<br />
しかし、それはあくまでぼくたちが自分と時代の関係を述べてきたような物語として構築してきた文脈から見ての話です。<br />
いつの時代にも、人間は先行する時代と無関係に孤立していることはできません。<br />
ぼくたちがベル･エポックの物語を語るのは、失われた時代に対するぼくたちなりの埋葬の仕方なんだろうと思います。<br />
昨今の「改革｣ブームを見るにつけ、自分たちが関与してきた時代に対して、ただそれを野ざらしにしたまま「改革」を叫ぶ人々に対して、本当に失われたのは、「作法と礼儀」なのだと思わずにはおれないのです。</p>

<p></p>

<p></p>

<p></p>

<p><br />
</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/10/27_2126.html</link>
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<category></category>
<pubDate>Thu, 27 Oct 2005 21:26:15 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>TFK20 負け方と貨幣と時間</title>
<description><![CDATA[<p>■負け方の研究</p>

<p>平川君こんにちは。<br />
ほんとに熱海あたりでのんびりしたいですね・・・って、来月は湯本で温泉麻雀じゃないですか（わーい）。<br />
先般、「甲南麻雀連盟」という組織を立ち上げました（『ミーツ』の江さんも会員なんだな、これが）。<br />
麻雀文化復活のための礎石となってですね、うちでごろごろ定期的に麻雀をやる予定です。<br />
平川君もお断りもせず勝手に「甲南麻雀連盟・参与」に会員登録しておきました。へへへ。<br />
今度大阪に来て一晩ゆっくりできそうなときには江さんも交えて芦屋で麻雀やりましょうね。<br />
とりあえず、僕のほうは『街場のアメリカ論』と『知に働けば蔵が建つ』（それにしても、ひどいタイトルだな・・・）の二つを書き上げたので、年内は論文を二本書いて、校正をあと二冊片付ければいいはずです（希望的観測）。<br />
それにしてもどうしてこんなにいろいろなところから仕事が来るんでしょうね。<br />
先先週は読売新聞からポストフェミニズムについて、先週はＮＨＫラジオから少子化問題についてご意見を訊きたいと言ってきました。<br />
なんで僕に「そんなこと」を訊くんでしょう？<br />
フェミニズムや少子化問題の専門家なんて、「それで飯を食っている」方々がいくらだっているわけです。<br />
素人の僕に意見を訊きたいというのは、「専門的知見」ではなくて、「素人の常識」が訊きたいということだと思うんです。<br />
それだけ「素人の常識」とメディアで語られている言説のあいだに温度差があるということなのでしょうか？<br />
あるいは、僕に何かを言わせに来るメディア関係者は（平川君が言うように）闇の中で「同じ敵に向かって撃っている」らしい遠い銃声を聞き当ててここまで来たのかもしれません。<br />
もしそうだとすると、これまでずいぶん間遠にしか聞き取れなかった「闇夜の銃声」がだんだんかたまってきたのかもしれませんが、まあ、これも希望的観測ですね、きっと。<br />
フェミニズムについてはブログに少し書きましたけれど、「死に水を取る」思想家が名乗り出てこないとまずいんじゃないかということを話しました。<br />
「棺を覆いて定まる」と言いますけれど、思想は最後にその功罪について総括をする当事者が必要です。<br />
「喪主」は当事者じゃないとダメなんです。<br />
評論家みたいな人が「フェミニズムはね・・・」なんて言っても総括にはならない。<br />
イズムの現場でこれまでやってきて、イズムから贈り物も受け取ったし、えらい迷惑も蒙ったけど、そのイズム抜きには今語りつつある自分がありえないようなかたちでコミットした人間しか「喪主」にはなれない。<br />
僕はそう思うんです。<br />
きちんとした「喪の儀礼」を執行しさえすれば、思想の最良の部分は生き残れる。後世の人々がその余沢を受け取ることができるし、いつまでも感謝される。<br />
でも、それを怠ると思想は「生き腐れ」になってしまう。<br />
フェミニズムの「死に水」を取る人がどうして出てこないんだろう、ということをそのときには話しました（記事にはなりませんでしたけれど、当然にも）。<br />
「思想の死に方」についての真剣な吟味って、あまりする人がいないけれど、とてもたいせつなことだと僕は思うんです。<br />
エマニュエル・トッドが『帝国以後』で「アメリカをどう死なせるか」が喫緊の国際社会の課題であると書いていました。<br />
アメリカの没落は世界的な規模の災厄のトリガーになりかねません。でも、アメリカの没落の趨勢はもはやとどめられない。<br />
だとしたら、「どうやったら、アメリカの没落がもたらす災禍を最小化するか」というプラクティカルな問いに焦点化すべきだとトッドは書いていました。<br />
クールな考え方です。<br />
僕はこういう発想は重要だと思います。<br />
「・・・はもう古い」とか「・・・はもう終わった」というように決め付けてなにごとかを語ったつもりでいる人が僕は大嫌いなんですけれど、それは「それまで生きて呼吸してそれなりに生を享受し愉悦していた<もの>が<弔われぬ死>を迎えるときにもたらす災禍」を顧慮していない発言だと思うからです。<br />
フェミニズムについても、「もう古い」とか「終わった」とかいう決め付けをする人たちがこれからわらわらと出てくるでしょうけれど、そういう付和雷同的な断罪の言説には僕はつよい警戒心を抱いています。<br />
思想史に（プラスマイナスいずれであれ）大きな変化をもたらした運動と理説には、それが頽勢の局面のときにこそ、それにふさわしい敬意を示すべきだと僕は思うんです。<br />
ラジオでしゃべった少子化についての僕の意見もそれとたぶん同じ問題設定だったように思います。<br />
日本が縮んでゆくという後退局面で遭遇する可能性のあるリスクをどうやってヘッジするかというプラクティカルな問いを立てる人はほとんどおらず、どうやって「盛り返すか」ばかり議論が集中している。<br />
それはつきつめると、「負け戦をどう戦うか」という問いを真剣に考える知的習慣がなくなってしまったことに起因するのではないでしょうか。<br />
「頽勢」局面というか、「後退戦」というか、そういうしんどい局面をそれなりに生産的かつ愉快にやり過ごすふるまい方についてもう少しまじめに研究した方がいいんじゃないかと僕は思います。<br />
黒澤明の『七人の侍』の最後で、志村喬演じる勘兵衛が生き残った七郎次（加東大介）に向かって「今度も負け戦だったな」とつぶやくシーンがありますね。<br />
あの侍たちは勝四郎（木村功）を除く全員がそれまで仕官できなかったか、仕官した先の主家が滅ぼされたか、いずれにせよ負け続けてきた人々なわけです。<br />
その中でずっと「ていねいに」負け続けてきたこの二人は「負け方」に味があるというか、奥行きがあるんですね。<br />
「敗北の美学」とかそういうものではなくて、節目節目のふるまい方にぴしっと筋が通っているせいで、「負けた」ということが彼らの人間的価値を少しも損なっていない。<br />
「きれいな負け方」とか「勝ちを譲るスマートネス」とか「負けた相手に花道を用意する気遣い」とか、そういう派生的なマナーも含めて、「正しい負け方」の研究というか評価というか、そういう論件への知的リソースの投資について、現代人はもう少し真剣になるべきじゃないかと思います。</p>

<p>■時間が貨幣なら・・・</p>

<p>平川君のインタビュー本、すごくおもしろそうですね。楽しみにしています。<br />
それについて平川君が書いてくれた中で、松本大さんという人についてのコメントに強く興味を惹かれました。<br />
平川君はこう書いていました。<br />
「ぼくのいうわからなさは、そのコンテンツのわからなさとすこし違う。<br />
金融の世界での日本的なしがらみに対して、いろいろ批判を加えているのだけど、そういった批判を通して、何がおっしゃりたいのかという、メタレベルのメッセージがよく見えてこない。<br />
それは、たとえば理想的なシステムキッチンについて詳細に論じられた論文を読んでいるような分からなさなんです。語られている内容は理解できても、それで、著者が何を言いたいのかがよくわからない。」<br />
言いたいこと、すごくわかります。<br />
その「わからなさ」は「時間の概念から解き放たれ」た無時間モデルに基づく「常識」から語りだされることばに固有の「わからなさ」だという平川君のフレーズが「どきん」と来ました。<br />
ほんとにそうですよね。<br />
資本主義について、最近面白いことを発見したんですけど、それに関係するかもしれないので、ちょっと書きますね。<br />
「資本主義の精神」と言えばマックス・ウェーバーですけれど、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を最近読み直してみたら、ウェーバーがベンジャミン・フランクリンの著作から次のような箇所を引用していることに気づきました。<br />
「時は貨幣であるということを忘れてはいけない。一日の労働で十シリングをもうけられる者が、散歩のためだとか、室内で懶惰に過ごすために半日を費やすとすれば(･･･)五シリングの貨幣を支出、というよりは抛棄したのだということを考えねばならない。」<br />
「貨幣は生来繁殖力と結実力をもつものであることを忘れてはいけない。貨幣は貨幣を生むことができ、またその生まれた貨幣は一層多くの貨幣を生むことができ、さらに次々と同じことが行われる。(･･･)一頭の親豚を殺すものは、それから生まれる一千頭を殺し尽くすものだ。」<br />
「支払いのよい者は万人の財布の主人であることを忘れてはいけない。約束の時期に正確に支払うことが評判になっている者は、友人がさしあたって必要としていない貨幣をすべて何時でも借りることができる。」<br />
「信用に影響を及ぼすなら、どんな些細な行いにも注意しなければいけない。午前五時か夜の八時に君の鎚の音が債権者の耳に聞こえるならば、彼はあと六ヶ月構わないでおくだろう。」<br />
僕が気がついたのは、この引用箇所がすべて「貨幣と時間」の関係にかかわるものだということです。<br />
「時は貨幣である」というのは、時間には資本主義的な尺度に照らして大きな価値があるのだからその価値を最大化せよという教えであるわけですが、それは裏返して言えば、「時間には時間固有の価値はない」と宣言しているということです。<br />
「時は金である」というのは、「時間は貨幣を度量衡にして計量できる」ということですよね。<br />
この時間の「他者性」をすっぱり捨象したという点にこそ「資本主義の精神」の精髄はあったのではないでしょうか。<br />
ウェーバーはこの引用を受けて「資本主義の精神」を次のように描き出します。<br />
「われわれがこの『吝嗇の哲学』に接してその顕著な特徴として感ずるものは、信用のできる正直な人という理想であり、わけても自分の資本を増加させることを自己目的と考えることが各人の義務であるとの思想である。」（マックス・ウェーバー、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、梶山力他訳、岩波文庫）<br />
ウェーバーは「貨幣と時間」に関する箇所だけを選択的に引用しておきながら、「時間には時間固有の価値がない」こと、つまり資本主義は時間の未知性・他者性を捨象したところに成立するということは言い落としています。<br />
ウェーバーの代わりに、ウェーバーの「言いたかったこと」を僕が言うというのもちょっと態度がでかいですけれど、ウェーバーが言いたかったのは、そのことじゃないかなと思うんですよ。<br />
でも、アメリカ的資本主義はどうして無時間的かについて、ウェーバーはちゃんとヒントをくれています。<br />
アメリカの資本主義は「無時間的」というよりはむしろ「無歴史的」なんです。<br />
というのは、フランクリンがこんなお金のことばかり気遣う文章を書いていた十八世紀のペンシルヴァニアは(ウェーバーによると)「貨幣の不足のためだけでややもすれば物々交換に逆転する恐れさえあり、大規模な産業的経営はほとんど影もなく、銀行といえば僅かにその萌芽しかみられなかった」くらいに資本主義が未発達だったからです。<br />
これって、変でしょう？<br />
資本主義が未発達である場所に、それどころか貨幣さえあまりゆきわたっていない社会で、「貨幣の哲学」が体系化され、「資本主義の純粋精神」が理念的完成を見たんですよ。<br />
もちろん、それ以前も有史以来商業も商人たちも存在しました。<br />
でも、彼らは「資本主義の精神」を体現してはいませんでした。<br />
「資本主義の精神」は単なる「金儲けの思想」とは違います。<br />
ひさしくローマ教会はキリスト教徒には利子を取ることを禁じていましたし、そもそも営利を自己目的とする生き方は「恥ずかしい」ことであるという意識は商人たちの中にも伏流していました。<br />
ですから、富裕な人々は死んだときに莫大な寄進を教会にして、来世の平安を購おうとしたのです。<br />
「このことはまさしく当事者自身が自分たちの行為を道徳外的な、或いはむしろ反道徳的なものと考えていたことを明白に示している。」とウェーバーは書いています。<br />
お金をもうけるのは「いいことだ」というあっけらかんとした資本主義の「精神」はかなり日付の新しいもの（もしかすると１８世紀末あたりの生まれ）だということになります。<br />
ウェーバーを信じるなら、そういうことです。<br />
どうしてそういうメンタリティが１８世紀のアメリカに登場したのか、どうしてそれが今やあまねく世界を席捲するものとなったのか、これについては時間をかけて考える必要があると思います。<br />
ひとつ思いつくのは、「時は金である」というのは、平川君が書いていた「円周率は３でいいじゃないか」という切り捨て方に深いところで通じているのではないかということです。<br />
アメリカという社会の特徴は、「私たちがいまその中で生きている制度はどのような起源をもつものか私たちは知ることができないし、この制度がいつどのような仕方で終わるのかを予測することもできない」という過去と未来の不可知性を認めようとしない点にきわだっているように思います。<br />
僕たちがその中に投じられ、その中で生きているシステムは「とりあえず」のものに過ぎません。<br />
資本主義は「とりあえず」時間的表象形式の中でだけ存在するものを認めようとしない。<br />
岩井克人さんが書いていたように、貨幣は必ずいつかは紙くずになります。それは「とりあえず」流通しているという事実以外にいかなる担保も持っていない。<br />
でも、誰もそのことに気づかないふりをすることで市場経済は機能している。<br />
「とりあえず」って英語ではfor the time being って言うんですよね。<br />
「資本主義の精神」は　for the time being 「時間が存在する限り」をfor the money being　「貨幣が流通する限り」と言い換えることによって、時間をみごとに捨象したのではないでしょうか？</p>]]></description>
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<category></category>
<pubDate>Thu, 13 Oct 2005 22:32:12 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ＴＦＫ１９　非同期的なむすびつきと見えない時間</title>
<description><![CDATA[<p>■見えないものが見えてきた</p>

<p>ウチダくん、こんにちは。<br />
なんだか、お互いに随分オーバーアチーブしてますね。<br />
ぼくは、今、一週間に一回から二回は大阪に通っているのですが、<br />
ブログを見ていると、ウチダくんもそのくらいの頻度で東京へ来ているみたいですね。いつも、熱海あたりで、すれ違っているんですかね。<br />
熱海で下車して、温泉にでもつかりたいですよね。<br />
もっとも、ぼくは秘湯めぐりじじいですから、毎月どこかの<br />
露天風呂に沈んでいるのですが。<br />
ウチダくんが、「ためらいの倫理学」を書いてから、なんか<br />
凄いことになりましたよね。<br />
その様子が、よく分かります。<br />
ブログ見てるからだろうけど、それにしてもこのブログってものは<br />
おもしろいものですね。<br />
全く会っていなくともお互いの近況が筒抜けになっている。</p>

<p>先日も、ミーツの青山さんを介して、<br />
一度もお会いしたことのない方にお会いしたんだけれど、<br />
お互いはブログを読んでいるんですね。<br />
だから全然初対面の感じがしなかった。<br />
そして、なんか、見えなかったものが、見えてきたという感じがしました。<br />
それをすこしご説明します。<br />
ブログにも書いたんですけど、<br />
ここのところ、シリコンバレーで一緒に仕事をしていた仲間だとか、<br />
お隣で事務所を開いていた方が、同じ時期にぼくのブログにコメントをくれて<br />
それじゃ、会おうかってことになった。<br />
お二人とも、それっきりの一期一会でも不思議はなかったのですが、<br />
何かが「会ってみたら」と命じたわけです。<br />
そのとき、なんとなく、ぼくも彼らのことを思い出していたのですが、<br />
かつてなら、や、これはシンクロニシティってもんだと思ったはずです。<br />
ところが、彼らはぼくのブログを読んでいたんですね。<br />
そして、頃合をみて、シグナルを送ってきた。それも同時に。<br />
もうひとつあります。<br />
ウチダくんの先輩の田島先生からもコメントがきた。<br />
以前に、偶然見つけた田島さんの文章を読んでぼくの中の何かが揺れ動いた。<br />
そうしたら、そこにウチダくんのコメントがあった。<br />
この話、ウチダくんにしましたよね。<br />
それを、ブログに書いておいたら、インターネットつながりで、<br />
彼もぼくのブログを読んでくれているということらしい。<br />
こうやって、情報の尻尾みたいなものが時間を隔てて繋がってくる。<br />
以前なら、「そりゃ、偶然だよ」って言っていたものが、実は<br />
よく見えない時間の中で、必然の糸で繋がっている。<br />
これは、実に不思議な感覚を運んでくれるものです。<br />
ウチダくんは、若い頃こんな気持ちを持ちませんでしたか。<br />
つまり、自分は、闇夜に強大な敵に向かって鉄砲を撃っている。<br />
隣には誰もいないんです。しかし、どこか遠いところで、かすかに銃声がきこえる。<br />
いや、聞こえないんだけれど、たぶん誰かが俺と同じように撃っているのがわかる。<br />
ああ、自分の知らないところで、知らないやつが、同じ敵に向かって撃っているんだ。まあ、荒唐無稽な夢なのですが、最近、そういうことなのかと<br />
思ったわけです。<br />
思わぬところで。<br />
電子メールが何でこんなに発達したのかご存知ですか。<br />
いや、勿論いろいろな利便性があるからなのですが、<br />
一番の理由は、それが非同期通信だってことらしいのです。<br />
非同期って、英語にするとasynchronous、<br />
つまりシンクロしていないってことなんですよ。<br />
電話なんかは、相手と同じ時刻にお話するわけですが、<br />
メールは、時間を隔てて、相手と繋がる。<br />
電話だと、相手が留守だと、じゃ今度またかけ直そうというわけで、<br />
いったん自分のメッセージを留保するのですが、メールの場合には、<br />
相手がいようがいまいが、送信する。<br />
そうして、一定の時間差の後に、返事が返ってくる。<br />
この話、ウチダくんが以前にまったく別の文脈で書いていましたよね。<br />
韓国映画『ラブストーリー』について書いてくれたことです。</p>

<p>ウチダくんはこんなことを書いていました。</p>

<p>─　『ラブストーリー』はある「贈り物」が世代をまたがって交換され続ける、という話です。<br />
その贈りものは、はじめある男が少女に贈り、少女が少年に贈り、少年が少女に差し戻し、少女（もう大人の女）が少年（もう青年になっている）に贈り、そして、青年の息子が女の娘に返す、というしかたで一巡します。<br />
やりとりされるものそれ自体はたいして価値のあるものではないのですが、それが手から手へと交換されるにつれて、そこには「物語」が付加されてゆき、しだいにその意味が深まってゆきます。</p>

<p>メールやブログが発達した理由がこれで分かるような気がしませんか。<br />
ウチダくんは、マリノフスキーが報告した、トロブリアントの「クラ」の儀礼になぞらえて、ここに文化人類学的な真理を見たと書いていましたが、メールや、ブログって<br />
それ自体は、つまらないコンテンツであっても、それが非同期であるが故に、<br />
時間を経過する毎に「物語」が付加されて、思わぬときに返ってくるという「時間の秘密」をうまく内包したコミュニケーションツールだったという訳です。</p>

<p>シンクロニシティは、実はア･シンクロニシティによって引き起こされていたっていうのが、大変興味深い点です。ぼくたちは、シンクロニシティに驚き、その「一致」に<br />
神秘を感じていると思っていたのですが、本当は「一致」が成就するまでの「時間の秘密」に、驚いていたんじゃないでしょうか。</p>

<p>■　見えていたものが見えなくなる</p>

<p>ここのところ「会社はだれのものか」という、岩井克人さんの著書をめぐって、<br />
インタビュー形式で一冊の本（洋泉社）をつくっています。<br />
で、共著者としてマイクロソフトの社長だった成毛眞さんや、吉本興業でやすきよのマネージャーだった木村政雄さんらを、巻き込んで、やっている。<br />
かなり面白いものができそうです。<br />
この本の出版と同時期に、この成毛さん、木村さん、それからジョージ･ソロスのアドバイザーだった、藤巻健史さんらとシンポジウムをやるんですが、<br />
成毛、藤巻両氏は、ちょっと強面なので、すこし勉強しておこうかということで、<br />
お二人と、もうひとり話題のマネックス証券の松本大さんによる『トーキョー金融道』を読みました。<br />
そしたら、いや、よくわからないんですね。これが。<br />
いや、確かに金融のプロのお話ですから、難しいタームがたくさん出てきて、<br />
話も専門的でなかなかついてゆくのに苦労したんです。<br />
でも、ぼくのいうわからなさは、そのコンテンツのわからなさとすこし違う。<br />
金融の世界での日本的なしがらみに対して、いろいろ批判を加えているのだけれど<br />
そういった批判を通して、何がおっしゃりたいのかという、<br />
メタレベルのメッセージがよく見えてこない。<br />
それは、たとえば理想的なシステムキッチンについて詳細に論じられた論文を<br />
読んでいるような分からなさなんです。語られている内容は理解できても、<br />
それで、著者が何を言いたいのかがよくわからない。<br />
これは、ぼくが頭が悪いせいもあるんだろうけれど、日本語ってこんなに難しかったっけといった感じがしてしまう。<br />
でも、あるところで、すこし分かってきた。</p>

<p>今話題の村上ファンドの村上さんが、東京スタイルという会社に要求をつきつけたとき、世論も新聞も、急に出てきて何でそんなこと言うんだと批判した。<br />
これを受けて松本さんが<br />
「それって、でも、資本主義を完全に知らない人間の言葉ですよ。なんのための株式会社か、と。株式って、時間の概念から解き放たれて、誰もがいつでも所有したり売ったりできるもんでしょ。」(98頁）<br />
と言うわけです。</p>

<p>ぼくは、ああそういうことなのかと思ったのです。ぼくたちが、無時間モデルといって批判してきた、アメリカ流のビジネススタイルを、松本さんは、これこそが資本主義の常識なんだって言っている。そういうわけで、ぼくたちは、資本主義を「完全に知らない人間」なんだなと納得したわけです。松本さんという人は、一度お会いしたことがあるのですが、礼儀正しい感じのよい方です。ぼくは、この本を読んで、彼の膨大な知識とクリスプな言語感覚に圧倒されました。<br />
でもね、ぼくはやはり、松本さんはずっと金融の勉強をしてきて、金融サイドの見方しかしていないと思うのです。<br />
クリスプに見えるものしか見ようとしていない。<br />
金融にとっては、時間という概念は最も無駄なもの、唾棄すべきものにならざるを得ない。でもぼくは、ビジネスってのは、「最初の贈与」からはじまって、時間の中を潜り抜けて、プラスアルファが返礼されるというプロセスの中に面白さも、スリルもあるんだと思っているわけです。ファジーであるから、面白いんですね。ぼくたちが苦労しているのは、このファジーなところを言語化しようとしているわけですから。</p>

<p>ウチダくんの前便の言葉を借りるなら、松本さんはまさに、アメリカという「エゴイスティックな親に育てられた子供」のひとりなんでしょうが、ぼくたちが自らの身体的な反応と、自らの立ち位置との間で、「ゆっくり発狂する」人間であるのに対して、そういったソリューションを必要としない、天才児が日本にも出現してきたという印象です。堀江さんや、村上さんなんかも、その一人かもしれません。こういったことは、これまではあまり感じませんでしたが、やはり戦後60年もたつと、ぼくたちとは頭も身体も使い方の異なる、若い人たちが出てきたんだなと思います。これを、進化というか、劣化というかの判断は差し控えたいと思いますが、それでも合理性を追求する過程で、「見えているもの」をあえて見ないようにしていると、ほんとにそれが無かったことのように見えてきてしまうということになるような気がしています。<br />
これも、喩えは穏当ではないのですが、やはりアメリカは、ハリケーンに襲われたニューオリンズの人々は、アメリカには存在しないという立ち位置を採っていたんじゃないかと思えるのです。<br />
それは、見えていても見えないものとして扱っていいんだと。<br />
確かに、ビジネスでも政治のプロセスでもそういうことってありそうな気がします。3.14じゃなくて、３でいいんだということです。確かにそれで、世界はソリッドに形成してゆくことはできるかも知れない。しかし、ぼくはビジネスにおいても、政治プロセスにおいてもこの0.14が見えなくなったら、やる意味がないんじゃないかと思っているのです。ちょっと、いやかなり乱暴な議論ですが。<br />
でも、やはり割り切れない世界を見る必要があるとぼくは思う。そういった意味でも、見えているアメリカだけを見て、アメリカはうまくいっているんだといった思考法を解体してゆく必要があるんだと思います。</p>]]></description>
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<category></category>
<pubDate>Thu, 13 Oct 2005 09:13:04 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>アメリカの光、日本の影</title>
<description><![CDATA[<p>■	アメリカの構造的「正しさ」について</p>

<p>『街場のアメリカ論』、やっと脱稿しました。<br />
やれやれ。<br />
ぼくはアメリカ論の専門家じゃないし、だいたいアメリカだってたこと二回しかないんです（サンフランシスコに１０日、ハワイに７日）。そんな人間がアメリカ論を書いてよろしいのか、という疑問は当の本人にもあるんです。<br />
唯一の強みは、ぼくが「自分の欲望を勘定に入れる」ということについてはずいぶん年季を積んできたということです。<br />
ぼくのアメリカに対する感情で、ある意味きわめて日本人に典型的なしかたで「アンビバレント」なんです。「憧れ」と「嫌悪」がわかちがたく縒りあわさっている。<br />
今日はちょっとその話をしたいと思います。<br />
ぼくたちの世代にとってのアメリカは何よりもまず世界最強国、そして世界一豊かな国として映現しました。アメリカの音楽を聴き、アメリカ映画を見て、アメリカン・ウェイ・オブ・リビングへの素直な憧れの中でぼくたちは育ってきたわけです。<br />
キューバ危機のときのことを覚えていますか？ニュース映画をみながら、ぼくはもちろんJFKに１００％肩入れしていました。フルシチョフはどうみても「悪相」ですからね。<br />
平川君もたぶん同じような印象を持ったんじゃないでしょうか？<br />
第一、あのころ『少年サンデー』か『少年マガジン』で「ケネディ大統領物語」っていう伝記マンガが連載されていたんですよ！「長嶋茂雄物語」や「若乃花物語」と同じようなカテゴリーに属する少年たちのヒーローだったんですね、１９６２年のアメリカ大統領は。<br />
ケネディ・コインというのもありましたね。大統領就任を祝って鋳造された記念貨幣。そんなノベルティを日本の子供たちは宝物にしていたんですよね（村上春樹もケネディ・コイン作ったペンダントをたいせつにしていたという話をエッセイに書いてました）。<br />
そういうアメリカへの一方的な支持の気分が翳ったのは、やはりベトナム戦争が始まってからです。<br />
ぼくたちから見ると、「どうしてアメリカがあんなひどいことを・・・」という意外感をともなった出来事だったわけですけれど、別に特に「ひどいこと」をしたわけではなくて、ずっと「ああいうこと」をやってきたんです。ぼくたちが歴史を知らなかっただけのことです。だいぶ経ってからそのことがわかりました。<br />
考えてみたら、ぼくたちが使った歴史教科書ではアメリカ史の「暗部」はほとんど構造的に削除されていたんですから。<br />
米西戦争でキューバやフィリピンを属国化したことも、米墨戦争でカリフォルニアを奪ったことも、アラモ砦の戦いがテキサス併合のためのマヌーヴァーだったことも、武力によるハワイ併合のことも、ウーンデッド・ニーのネイティヴの虐殺のことも、アジア人差別のことも、日系移民の強制収容のことも、アメリカの２０世紀の世界戦略を理解する助けとなるような歴史的事実を知る機会がほとんどないままにベトナム戦争に遭遇したので、たぶんぼくたちは「びっくり」しちゃって、「アメリカは変わった」というようなとんちんかんな印象を抱いてしまったのだと思います。<br />
どうして、「そういうこと」を知らないでいたのかというと、それはもちろんそんな年号は「入試に出ない」からですからね。<br />
選抜制の教育制度の難点のひとつは「入試に出ない」ことについてはほとんど組織的に「情報として無価値である」と判定する習慣が幼児期から定着してしまうことです。<br />
ぼくたちは「アメリカについてはあれこれ詮索立てしない方が有利である」ということをほとんど無意識的に刷り込まれてしまったのですが、ぼくたち自身はそのような刷り込みがあったこと自体意識化することがありませんでした。<br />
そういうもんですよね。<br />
中国史なんかだと、それこそ則天武后が後宮でどんな拷問をしたのかとか景徳鎮ではどんな釉薬を使っていたのかというようなえらくトリヴィアルなことが教科書には出ていたのに、アメリカがどうやってカリフォルニアやハワイを手に入れたかというような政治上の当然の常識については教えられなかったことを「変だ」と思うべきなのに。そう思わなかったことの方が不思議です。</p>

<p>■	発狂ソリューション</p>

<p>こういうアメリカ史の「暗部」についての隠蔽は無意識的かつ組織的に、日本人自身の手で戦後ずっと行われていたんじゃないかと思います。<br />
１９４０－５０年代の敗戦国民日本人がまず求めたのは物質的な繁栄ではなくて、何よりも「倫理的な正統性」だったとぼくは思うんです。<br />
どうしてかというと、ほかに存在理由がなかったから。<br />
生きる目的をほとんど見失っていた敗戦国民たちは「私たちには存在する権利がある。なぜなら私たち日本人には日本人にしか果たしえない世界史的使命があるから・・・」という語形で存在の基礎づけをしようとしました（たぶん）。平和憲法というのはその倫理性の目に見えるかたちだったと思うのです。日本が世界に倫理的な意味で誇りうる唯一のことは、平和憲法の護持と「被爆国だけれど核兵器を持たない」という自制（というよりは「非力」なんですけれど）にあったのではないでしょうか。<br />
どちらにしても日本の倫理的正統性は日本に平和憲法と非核自衛隊を同時に与えたアメリカの世界戦略の「正しさ」が担保していたわけです。アメリカの「政治的正しさ」が日本の「倫理的正しさ」を担保するという依存の構造になっていた。そういう場合に、日本人がアメリカ史におけるアメリカの政治的判断を否定的に論じることには強い心理的な抑圧がかかっていたということはなかったのでしょうか？だって、「アメリカの政治的判断はしばしば間違う」ということがわかってしまうと、「日本人がここにこうしていること（九条があって、自衛隊があって、従属国であること）の必然性」というものを基礎づけられなくなってしまいますから。<br />
これはエゴイスティックな親に育てられた子供のアイデンティティの混乱の仕方に似ているような気がします。<br />
親はそのつどの自分のつごうで支離滅裂なことを子供に要求します。それは「親の都合」という以外には何の理由もなくて、子供に首尾一貫した指示を与える気なんかないのだけれど、子供の側は「あれをしろ、次はこれをしろ」という親の錯綜した指示をある「隠された教育的意図」によるものだと考えて、必死に首尾一貫性を探し出そうとする。でも、結局は親の全行動を説明を包括できるようなスキームを発見できない（「子供のことをぜんぜん配慮していない」というのが親の行動についての唯一合理的な説明なんですけれど、それはつらくて意識化できないから）。そして、ゆっくり狂ってゆくわけです。<br />
ぼくはいささか不穏当な言い方を許して頂ければ、日本人はアメリカに対して集団的に「発狂している」という考え方をしているんです。</p>

<p>■	日本人はどうして英語ができないのか？</p>

<p>そう考えると、「どうして日本人は英語ができないか」という長年の疑問にも解答の手がかりが見えそうに思うんです。「日本人は」なんて一般論にしないで、端的に「ぼくは」と言い換えてもいいです。<br />
ぼくが英語ができない。<br />
「英語ができない」という言い方は不正確ですね。<br />
読み書きに関して言えば、英語はできます。かなり、できます。リテラシーに関して言えば、たぶんアメリカ市民の平均よりも高いでしょう。<br />
でも、話すのは苦手です。<br />
なんていうのかな「自分の声」で話すことができないんですよ、英語だと。<br />
英語で文章を書くと、時間はかかるけれど、それはまちがいなく「ぼくの文章」なんです。ふだん日本語で書いている感じとかなり近いものが書ける。<br />
でも、しゃべるとだめなんだな、これが。<br />
何て言ったらいいんでしょう。日本人の話す英語って、「等身大」じゃないでしょう？<br />
その人の年齢や社会的立場やそれまでの人生経験や教養や美意識や世界観や・・・そういうものが全部込みでにじみ出るものですよね。語ることばというのは。でも、日本人が話す英語だとそういう「その人なりの固有性の厚み」みたいなものが出ないんです。<br />
英語を話す人というのは「まるでアメリカ人みたいにぺらぺらしゃべる人」と「みぶりてぶりでめちゃくちゃに話す人」の二極に分化して、その中間に存在するはずの無数の「等身大」がない。いかにもその人らしい味のある英語を話す人というのがほとんどいないんです。<br />
いてもいいと思いません？<br />
その人の専門領域についての必要な語彙だけは備わっていて、そのエリアの話題についてなら、基礎的なことについてはきちんと語り合えるというようなプラグマティックな言語運用。ナースの英語とか、タクシー運転手の英語とか、寿司職人の英語とか、コンビニ店員の英語とか。<br />
そういうふうにオーラル･コミュニケーションの英語力を道具的・限定的に利用するという発想がなかなか根づかない。<br />
むしろ「誰にでも使える汎用性の高い英語」の習得が勧奨される。でも、「誰にでも使える汎用性の高い英語」はかなりのレベルに達するまで「現場」では使いものにならないものでしょう。<br />
そういうプログラムの構築の仕方って語学力の問題じゃなくて、ある種の政治の効果ではないかとぼくは思うんです。<br />
植民地の宗主国が植民地の人間に語学教育をしますね。コミュニケーションができないと不便だから。<br />
でも、そのときの語学教育の中心は必ずオーラルなんです。文法や修辞学はあまり教えようとしない。<br />
理由は簡単です。<br />
「読み書き」をきちんと教えると、植民地原住民の中から植民者人よりもリテラシーの高い人間が出現してしまうからです。原住民の秀才の中から、宗主国出身の教師を知的に凌駕するもが出てきかねない。<br />
知的な非対称性を維持することは権力関係の基本ですから、そのような事態は決してあってはならない。<br />
ですから、植民地における語学教育は必ずオーラル中心になります。<br />
宗主国からきた教師の文法の誤謬を指摘できる生徒はすぐに出現しますが、教師の発音の誤りを指摘できる生徒は原理的にありえないからです。母国語話者が語る限り、どのような発音もその国語の「コーパス」に登録される権利があります。発音に関しては母国語話者には「間違い」ということがありません。逆に母国語話者である教師は生徒の発音のうちに無限の誤謬を指摘することができます。<br />
ですから、オーラル･コミュニケーションを語学教育の中心にすえているかぎり、宗主国民の知的優位は構造的に揺るがないのです。<br />
どのような堂々たるコンテンツであっても、オーラルレベルにある限り、原住民が語ることばをさえぎって発音の間違いを指摘したり、「聞き取れないふり」をすることが母国語話者には許されています。<br />
日本の英語教育は戦前までは旧制高校での集中的な語学教育に見られるように、かなりの水準のものでした。けれども、それは徹底的に「道具的」な発想に貫かれていました。<br />
例えば、夏目漱石の英語力は驚嘆すべきもので、漱石は十代の途中で漢学を棄てて英語に転じるのですが、英語を始めてわずか数年で『方丈記』を英訳しています。<br />
これは彼の英語学習の努力のほぼ１００％がリテラシーの向上に集中されていたことを示していると思います。<br />
もちろん大学の英語教師にはたくさんのお雇い外国人がいましたから、漱石は英会話能力も高かったはずですが、それは別に日常の用を弁ずるに足りればいいことでした。<br />
漱石の漢詩もまたご存知のとおり、高い水準のものでした。じゃあ漱石が当時の中国人とオーラル･コミュニケーションができたかというと、たぶんできなかったと思います。そして、そのことを漱石はたぶん「語学力の不足」だとは考えていなかったはずです。必要があれば筆談すれば済むことですし、そもそも自国語の文字を解せないような中国人には彼のほうからは特段の用事がなかったから。<br />
この「教養のない母国語話者には用がない」という「傲慢さ」が戦前までの日本の知的エリートの外国語習得の感覚には伏流していたように思います。<br />
オーラル・コミュニケーション中心の英語教育はこの伝統を転倒しました。それは「教養のない母国語話者たち」（日本を支配しにやってきたアメリカの「有象無象」諸君）に知的威信を担保するための教育制度だったようにぼくには思われるのです。<br />
それ以後、コミュニケーションのコンテンツは副次的で、英単語をいかに「それらしく」発音し、表情やみぶりを「それらしく」演じるかということに日本人の語学学習の関心は集中してしまいました。<br />
たとえ非ネイティヴ･スピーカーの語るコンテンツが高度すぎて理解が及ばない場合でも、母国語話者は「わからないことを言うな」とそれを棄却することができるようになったということです。<br />
いま漱石のような高校生が登場して、『方丈記』を英訳してみせても、ネイティヴの英語教師はあまり感心しないでしょう。そんな無駄なことをする暇があったら、ラップでも聴いて早口英語の聞き取り練習をしなさいというようなとんちんかんなことを言うかもしれない。<br />
非ネイティヴである限り、どんな局面でも知的に劣位におかれるという政治的な構造は、半世紀かけて日本人の英語力を根本的に損なってしまったのではないかとぼくは思っています。</p>

<p>またも話がとんでもない方向に逸れてしまいました。<br />
文化的相対主義の話、靖国の話。ぼくもいろいろ書きたいことがあったんです。次回にまた。<br />
</p>]]></description>
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<category></category>
<pubDate>Sun, 02 Oct 2005 12:10:07 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>さようならアメリカ、さようならニッポン</title>
<description><![CDATA[<p>TFK17</p>

<p>■　変われないアメリカと、ありえたかもしれないドイツ</p>

<p>「街場のアメリカ論」面白そうですね。<br />
もっとも、ぼくの場合は、「職場のアメリカ論」になっちゃうんですが。<br />
「アメリカ論」って、随分いろいろな人が書いているんでしょうね。ぼくは不勉強であまり読んでいないのですが。<br />
アメリカの一般的なイメージって、どうなんでしょうか。<br />
経済的な超大国であると同時に失業と貧困を抱えた国であり、様々な民族の集合体であり、先端技術の担い手であると同時に古臭いプロテスタンチズムの価値観を信奉し、世界の平和を謳いながら軍事的なヘゲモニーを手放さないといったように、非常に多様ですよね。<br />
なんか逆説的ですが、アメリカ論はいつもこの多様さという紋切り型へ収斂していってしまうように思えます。まさに群盲象で、アメリカの多面性を論じ始めると、論じる人の数だけの、アメリカ像が出現します。それがアメリカだといってしまえばそれまでですが、それでは何も言ったことになりませんよね。</p>

<p>ウチダくんが書いていたように、アメリカを論ずる人たちがほとんどプロ・アメリカの人たちで、アメリカ追従、アメリカ礼賛の視点ばかりが目立って、本当の意味でのアメリカ批判というものには、なかなかお目にかかれません。ぼくが不勉強なだけかも知れませんが。</p>

<p>ウチダくんは、「欲望」というキーワードでこれを説明しています。<br />
『アメリカ問題の専門家って、アメリカ文学研究者にしても、アメリカ外交の専門家でも、アメリカ史の専門家でも、アメリカン・ビジネスの専門家でも・・・要するに「アメリカを欲望している人」ですよね』<br />
これは大変面白いご指摘だと思います。そして、ウチダくんの語法に倣って付け加えるなら彼らは自分の欲望については無意識的に見落とす。</p>

<p>批判という意味は、アンチということではなくて、自分の欲望を「こみ」でアメリカ的なものに向き合えるのかということだろうと思います。いや、社会や政治的な課題について考えるときに、自分の欲望といったものを勘定に入れなければ、それはどんなに詳細に論じようと、事実の羅列に過ぎないということです。歴史を学ぶということは、まさに「今ある歴史」が、なぜ「ありえたかもしれない歴史」に取って替わられたのかということについて学ぶことだろうと思います。それはまさに、自分の欲望の在り処を知るということに繋がるはずです。</p>

<p>ウチダくんはこれを、「歴史には無数の転轍点があり、そこでしばしば取り返し不能の分岐がなされるのですが、決定的局面で「キャスティング・ボート」を投じる人は、自分が決定のトリガーを引いたことをたぶん死ぬまで知りません」と書いています。ぼくは、この意見に深く同意します。ぼくたちは歴史を選択することはできない。しかし、ぼくたちの存在なしには、歴史もまたありえないわけです。そしてぼくたちの存在が否応無しに加担しているのが歴史であるわけです。</p>

<p>先日、ちょっとタイトルが気になって、「グッバイ・レーニン」を見ました。これが、大変面白い映画でした。ストーリーが秀抜なんですね。主人公は、アレックスと言う青年とちょうど東西のドイツ統一の時に意識を喪失していて、ベルリンの壁の崩壊を知らずに意識を回復した東ドイツの社会主義者であるお母さんです。息子は、母親がショックを受けないように、東ドイツの旧体制が、いまも続いているように画策し、演じ切ろうとする。そのお母さんが「あのピクルスが食べたい」なんて東ドイツにしかなかった瓶詰めを所望すると、息子はゴミを漁っても、それを手に入れようとしたりする。どこにでも、孝行息子はいるものです。しかし、街のいたるところに西側の影が現れる。窓からコカコーラの看板が見える。テレビからは否応なく、今のドイツが流れ込んでくる。そこで、息子は方針を変更して、西に東が糾合されたのではなく、逆に東側に、西側の住民が大量亡命してきたという一芝居を打つわけです。嘘のテレビ放送からのナレーションが秀逸でした。「人生には車やテレビなんかよりも大事なものがある、それに気付いた人々が陸続と東ドイツに流入してきています。」ありえたかもしれない、しかしありえなかったドイツは、滑稽ですが何か奇妙な魅力がありました。そして、このありえたかもしれなかったドイツを想像することで、ひとは自分の欲望が、どのような現実を選択したのかということに気付くのかもしれない。<br />
しかし、自分の欲望が試されないところでは、ありえたかもしれないアメリカについて想像するのは、難しい。</p>

<p>一般論では言えないのですが、アメリカについて語る人って、何かやはり、自分の欲望を無条件に肯定している人が多いですよね。無条件に肯定するということは、それが見えていないということと同義です。そして自分の欲望を棚に上げて、「アメリカではこうなっているんだ」みたいな説教を垂れるでしょ。アカデミアでもビジネスでも案外多いですよね。ぼくも時々やっちゃうんですよ。ちょっとばかり見知っているアメリカを例にとってね。でもこれはアメリカに名を借りた恫喝みたいなもので、この時点でこの言説は指南力を喪失していますね。</p>

<p>たとえば、インドとの関係で言うと、インドのすべてに耽溺してほとんどインド人みたいになっちゃう人っていますよね。ぼくらの友人の庄司くんなんかも、現地に棲みついて、バグワンの料理人みたいなことやっていましたけど、一度帰ってきたときに会ったら、こりゃもうインド人だよと思ったものです。それはもう、身体ごとインド人になっちゃってる。この手のひとたちは、インドについてあまり積極的に語りませんね。インドを欲望することの根底には、日本の消費文化、経済市場主義みたいなものに対する嫌悪というか絶望というか、日本の価値観に批判的なバイアスがかかる。そして、それ（消費文化）に加担している自己を変えるといったところから入る人が多いんじゃないかと思います。</p>

<p>このバイアスのかかり方が、アメリカの場合は反対になっているわけですね。日本は中途半端なアメリカで、もっとアメリカ化しなければ世界に乗り遅れると。<br />
ある人は自らの欲望を捨てるためにインドへ渡る。そしてある人は自分の欲望に無自覚にアメリカを語るといったら、あまりに図式的すぎるでしょうか。<br />
でも、ぼくは勝者としてのアメリカ礼賛者を見るといつもこんな気持ちになります。アメリカは経済、文化、科学、軍事の勝者であるから、アメリカ的なシステムは正しいんだよというふうに、聞こえるわけです。でも、これって論理的にはひとつ媒介功が抜け落ちていますよね。ひとり勝ちのシステムが正しいかどうかを判断するのは、自分たちの価値観だっていう。この媒介項に自分の欲望がすっぽり入ってしまえば、アメリカを礼賛するしかなくなるわけです。</p>

<p>■　文化コンプレックスと経済ダーウィニズム</p>

<p>先だって、サン・マイクロシステムズというアメリカ西海岸の代表的なコンピュータ企業の日本法人の役員の方と、米国に本社をもつベンチャー企業が日本に進出する場合に、彼らが選ぶ日本人社長はみな似ているというお話をしました。<br />
米国の会社は、日本側の代表を選ぶときに、所謂ヘッドハンターに依頼を出すわけです。そうすると、現地法人（この場合は日本法人ですが）の社長候補リストが作成され、そこから米国本社が書類選考するなり、面接するなりして社長を決定する。<br />
ぼくは、この辺りの事情にはわりと詳しいのですが、米国本社が選ぶ日本の社長っていうのは、決まって英語がうまくて、プレゼンテーションの巧みな人間です。あ、それからMBAとか東大、東工大といった高学歴がこれに加わります。<br />
これを揶揄して、「社長屋さん」なんて言っています。<br />
アメリカ人経営者ってのは、日本のローカルオフィスの代表は、英語がうまくてプレゼンテーションがうまければ務まると思ってしまう。<br />
日本で長くベンチャー企業をやっているぼくから見ると、この二つの能力は、営業部長、あるいはマーケティング部長には必須の能力かも知れませんが、社長に必要な能力とはとても思えない。</p>

<p>でも、そうはいっても、法人の代表であり、ローカルスタッフを雇い入れ、顧客と信頼関係を築き、持続的なビジネスを展開することがなければ、支社といえどもうまくいくわけはありません。ここのところを、アメリカ人は意図的と思えるほど簡単に見落としてしまいます。</p>

<p>これは、アメリカにとっても日本にとっても不幸なことだと思います。郷に入れば郷に従えってことわざないんでしょうかね。Do as the Romans do なんてアメリカで通じるんでしょうか。勿論、使う人はいるんでしょうが、イスラムの国に侵入して、アメリカの民主主義を植えつけようなんて考えるアメリカ人には似合わない言葉ですよね。<br />
アメリカは、確かに多様性の国ですが、多様なものの存在は否定しないけれど、それらはあくまでも、「その他いろいろ」の範囲であって、それが主流になるのは許せない。それが強者であってはならないという思い込みがあるような気がします。なぜなら、自分達こそが強者であるという強迫観念から抜け出すのは、簡単ではないからです。だって彼らは、強者であること以外のふるまい方を経験していないわけです。</p>

<p>さて、ここから先が問題なのですが、ヨーロッパの知性が自分達の知性そのもののあり方を否定して辿り着いたのが、文化相対主義だったと思います。この文化相対主義をやはりアメリカという国は認めたくない。フランス人やイギリス人もあまり認めているとは思えませんが、それでもその認めなさがアメリカの場合にはすこし異なっているように思えます。端的に言ってしまえば、ヨーロッパは築き上げた文化を否定しきれないという意味で、アメリカは文化がもともと「ない」という意味で、それを相対化することができない。いや、「ない」ことはないでしょうがそれは、本当の意味で相対的なものに過ぎない。しかし、覇権国家としては、文化は多様だが等価であるとは思いたくない。これは、アメリカにいるとよく理解できるような気がします。アメリカは自由の国で、世界の情報に誰でも自由にアクセスできるといいますが、実際にはテレビも新聞も、アメリカほど国外のニューズに無関心な国はないように思えます。ひとつには「アメリカ諸国連合＠内田樹」がそれだけで閉じたひとつの世界になっているということもあります。同時にアメリカの持つ文化的優位性への信仰が、大陸にあまねくいきわたっているのかもしれません。この文化的優位性には何ら根拠はありませんよね。<br />
アメリカは二十世紀で最も成功した国家なわけです。その帰結として、二十世紀を通じて、アメリカ人の心理に強く働いていたのは、社会ダーウィニズムだったと思います。適者生存です。これは論理的には原因と結果が逆さまになった思考ですが、最も成功した国家は、強者の論理が貫徹した結果であると信じたいわけです。<br />
しかし、煎じ詰めてゆくとここに、アメリカの最大の弱点があって、その裏返しとしての経済、科学技術、軍事の優位性を強調しているように見えます。そういった意味では、情報の国家統制を行っている共産主義ととても似ていると言わざるを得ないのです。アメリカの場合は、自主規制っていうか、自分達が世界の中心だっていうバイアスが強くかかった結果としての自主規制ですが。<br />
先だって、テレビで堺屋太一さんが、こんなことを言っていました。<br />
「中国が近い将来、アジアの覇権を握り、米国の脅威になることは間違いのない事実かも知れませんが、それは経済的、軍事的な脅威になるということを意味しません。わたしは、中国はアメリカにとって文化的な脅威になるんじゃないかと思っています。」<br />
まあ、だいたいこんなことを言っていたのですが、ぼくは面白い見方だなあと感心しました。</p>

<p>■　それで靖国なんだけど</p>

<p>どうも、最近、日本にもこの文化的な相対性といったことを理解できない、したくない人間が増えてきているように思えてしかたがありません。経済ダーウィニズムに毒されちゃったっていうか、勝ったやつが正しかったと短絡してしまう。<br />
文明化された国と野蛮な国がある。善人と悪人がいる。正義のための戦いを断固として進める必要がある。テロリストと、テロリストを容認するならずもの国家がある。<br />
こういった紋切り型のキャッチフレーズの根っこには、文化的な相対性への否定があります。これはある種の合理性なのですが、本当の意味では作為的な合理性というべきでしょう。そして、こういった作為的な合理性が決定的に、あるいは意図的に見落とすのは自分たちの合理性の前提は果たして合理的なものなのかという「前提への省察」です。つまり、文明とは何を意味するのか。善悪とは何か。こういったものがはじめからあることにして、議論するというのはある意味で宗教だといってもいいように思います。<br />
実は、高橋哲哉も小林やすのりもぼくは読んでいません。いや、読む気がしないんですよ。靖国の問題は、すぐれて政治的な課題だと思います。政治的という意味は、起源や本質よりも、遂行性や効果に比重を持つ問題だということです。<br />
勿論、宗教儀礼であるわけですから、その起源、本質といったものが問題にならないわけはありませんよね。<br />
でも、問題の比重はやはり政治的なところにあるだろうと思います。<br />
ぼくは、毎日靖国神社の前を通って会社に通っています。そして、この神社の前を通るときに、他の神社の前を通るときとどんな心理的な違いがあるのかを自分で考えて見るのです。そうすると、不思議なことに、靖国にはあまり宗教的な、あるいは古代的なものを感じないんですね。何かそれは作られたもの、作為なんだと思えてしまう。反対に、家の近くに浅間神社があるんですが、その前を通るときは何となく敬虔な気持ちがわいてきます。そこに何が祀られているのかについて、委細を知るわけではないのですが、なにか古代的なものに触れたような気持ちになるのです。<br />
だから何なんだと言われると困るんで、すこし丁寧に説明したいんですが、紙幅が尽きちゃいました。だから、今度。<br />
では。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/09/01_1003.html</link>
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<pubDate>Thu, 01 Sep 2005 10:03:40 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>歴史の中のif と「ナカとって主義者」</title>
<description><![CDATA[<p>TFK2　その１６<br />
■歴史にifがあって何か問題でも？<br />
やっと夏休みになりました。<br />
朝起きて、今日は何をするんだっけ？と考えたときに、どこにも行かなくていい、誰にも会わなくていいと思うと、ほんとうに「ありがたい」と思います。<br />
で、この数日はずっと『街場のアメリカ論』の書き直しをしています。これは前にお話ししましたけれど、去年大学院の演習でやったものです。その前の年に『現代日本論』という演習を担当しました。もともとぼくが担当するような科目じゃないんですけど、担当の先生が一年間留学でいなくなったので、一年だけぼくがピンチヒッターをやったのです。<br />
そのときに、現代日本のいろいろなトピックを取り上げて、自由気ままなディスカッションをしたのですけれど、一年やってわかったのは、日本は「アメリカの影」だ、ということでした。<br />
「アメリカの影」だけじゃ意味不明ですけど、言い換えると、現代日本人が国際社会の中で「日本人は何ものであるか」を考えるときに、「アメリカ人から日本人はどんなふうに見えるだろうか」という問いを経由したかたちでしかナショナル・アイデンティティを立ち上げられないのだということです。<br />
そのことがが骨身にしみて実感されたのです。ペリーの浦賀来航以来、実に１５０年間にわたってそうなんですよね。<br />
なぜ、日本はナショナル・アイデンティティの隣接項としてアメリカを選ぶことになったのか？それはいつまで続くのか？そのことが気になって「アメリカ論」をやることにしました。アメリカ論といっても、教師も院生も聴講生も、アメリカ問題の専門家なんて一人もいないんです。でも、それでいいというか、「それが」いいんじゃないかと思いました。<br />
というのは、今回のテーマは「なぜ日本人はアメリカを欲望するか？」という問いが中心になっているからです。<br />
アメリカ問題の専門家って、アメリカ文学研究者にしても、アメリカ外交の専門家でも、アメリカ史の専門家でも、アメリカン・ビジネスの専門家でも・・・要するに「アメリカを欲望している人」ですよね。彼ら自身が「アメリカを欲望して」おり、かつ英語運用能力が高かったり、アメリカの大学院で学位を取っていたり、アメリカのエスタブリッシュメントの中に友人知己が多くいたりというかたちで「アメリカを欲望したことの効果として受益している」としたら、彼らは「日本人がアメリカを見る目にはどのような心理的バイアスがかかっているか？」という問いはあまり意識したくないんじゃないでしょうか？<br />
「日本人はなぜアメリカを欲望するのか？」という問いに適切な回答が与えられた場合、それによって欲望がさらに亢進するということはあまりないですね。ふつうは、「なるほどね」と納得しちゃうと、「憑きもの」が落ちたように、やけつくような欲望が霧散してしまう・・・ということが起きたりするものです。でも、仮にそのように適切に欲望の構造が解明されてしまった場合にアメリカ問題専門家は、彼らが現在享受している社会的威信や影響力にいささかの翳りが生じることになります。アメリカ問題を論じるシンポジウムとかセミナーとか、あるいは大学教員のポストとか、アメリカ問題本の執筆依頼とか・・・そういう切ないくらいにリアルな特権が歴然と減少する。自分がある問題を適切に解明すると、自分自身が今書きつつあるようなテクストに対する社会的需要がなくなるという場合、そこに知的リソースを惜しみなく注ぎ込む人がいるでしょうか？<br />
そんな人はあまりいないような気がします。<br />
だから、ほかのことならいくらでもお任せしていいんですけれど、「なぜ日本人はアメリカを欲望するのか？」という論題はできたらアメリカ問題の非専門家がやる方がいいんじゃないかなとぼくは考えたわけです。もちろん、ぼく自身を含めて今の日本にアメリカに対する欲望や、アメリカとの利害関係をまったく持たない人間なんかいるはずがないので（例えばぼくの場合なら、「フランス語履修者の激減」というかたちでけっこうリアルに英語帝国主義に苦しめられているわけで）、「中立的な第三者」というような視点を不当前提するわけにはゆきません。でもまあ、自分の思考や感覚に入り込んでいる「対アメリカ欲望」の腑分けに興味をもっている人間の方が、そうでない人間よりはこういう仕事には向いているのかなと考えて、不肖ウチダが大ネタで「アメリカ論」を展開したわけであります。<br />
　最近はそんな仕事をしてます。<br />
そのときに平川君のヴァレリーの引用を拝読して、けっこう「来ました」。<br />
「人間の手になる作品についての判断を損なう多くの誤りは、それらの発生状態に対する奇妙な忘却によるものである。人はしばしば、作品が前から存在していたわけではないことを忘れてしまう。」<br />
歴史というのはほんとうにそういうものだと思うんです。<br />
ぼくたちはいまある制度や文物を「それが今存在する以上は、存在すべき必然性があったのであろう」というふうに必ず「必然性」を上積みして評価してしまいます。でも、この「上積み」の値幅がどうも大きすぎるような気がするんですよ。<br />
「たまたま」ということってあるでしょう？ほんとに「たまたま」ということって。<br />
「歴史にイフはない」というのはよく口にされる言葉です。<br />
ぼくが歴史の話を始めて、勝手な思弁を暴走させているとしばしばこの言葉で饒舌を遮られます。<br />
もし慶応三年に坂本龍馬が京都近江屋で横死していなかったら、明治のエートスというのはずいぶん違うものになっていたであろう、とか高杉晋作が明治末年まで生きていたら、山県有朋が長州閥を仕切って日本陸軍をあのようなものにすることはできなかったのでは・・・というようなことを口走ると、「ウチダくん、歴史に『if』はないよ」と話を切り上げられてしまう。<br />
でも、平川君、「if」というのは、ひとりの人間がその場にいるかいないかで状況は変わるということについて、つまり個人に託された現実変成能力を信じる人間にとってはつい口を衝いて出る言葉じゃないかと思うんです。<br />
「誰がやっても同じだ」とか「オレなんかいなくても、何も変わりゃしないよ」とかいう言葉がぼくは嫌いです。そういうことを言う人間は、自分の歴史への干渉力を控えめに評価しているように見えますけれど、実は「責任」を負う気がないんだと思うんです。<br />
道路にゴミが落ちていますね。そういうときに、「オレがこんなところで空き缶一個拾ったって、世界のゴミが減る訳じゃない」というようなことをいう人間て、ぼく嫌いなんです。<br />
いいから、黙って拾えよ。キミが一個拾えば、確実にゴミは一個減るんだから。<br />
ゴミの話じゃなくて、例えば政治的にカタストロフィックな状況で、「オレ一人が正論吐いたって、もうどうにもならんよ」と言ってシニカルに頬をひきつらせるやつがいますね。あれも嫌いなんです、ぼくは。<br />
「まず隗より始めよ」という言葉があるじゃないですか。<br />
いま、与えられた状況でできることから始めるというかたちでしか歴史にはコミットできないし、自分のなしていることの有限性を熟知している人間のコミットメントだけが有限性の枠を超えてゆく。ぼくはそんなふうに思っています。<br />
歴史には無数の転轍点があり、そこでしばしば取り返し不能の分岐がなされるのですが、決定的局面で「キャスティング・ボート」を投じる人は、自分が決定のトリガーを引いたことをたぶん死ぬまで知りません。<br />
「歴史におけるif」を語るというのは、今ここにあるように世界があるのとは違う仕方でも世界はありえたという想像力の使い方です。その「起こりえたけれど、起こらなかった出来事」について、「それはどうして起こらなかったのか？」ということを考えるのはたいせつなことだと思います（これは「白銀号事件」のときのシャーロック・ホームズの推理法ですね。「あの晩、なぜ犬は鳴かなかったのか？」）<br />
そういう推理を一度もしたことのない人間が「世界は今あるようになるべきだったのである」とまるで永遠の真理であるかのように言うのを聞くと、ぼくは深い違和感を覚えるのです。</p>

<p>■極論の人、ナカ取る人<br />
　このところ平川君がブログ日記で郵政民営化について書いていることを読んで、いつも深く納得しています。特に先日のブログ日記にはわが意を得た感がしました。平川君はこう書いています。<br />
「大きな政府と小さな政府のどちらを選ぶんだと問われれば、俺は、『そうねぇ、中ぐらいがいいんじゃないの』とあいまいに答えるしかない。<br />
　とぼけているわけではない。<br />
　大きな政府は息苦しいだろうし、小さな政府は弱肉強食のゼロサム社会を加速させるに違いないと思うからである。」<br />
政治的言説は必ず「極論」になります。これはぼくたちは骨身にしみて知っていることですね。ある個別的論点について具体的なある政策的提言をしたとします。その提言そのものは、「まあ、そういう考え方もありかな」というような妥当性の範囲内にあったとしても、その提言を論理的に無矛盾的に展開してゆくと、どこかで「それは無理筋でしょう」というところまで突き抜けてしまいます。<br />
例えば、身体加工はどこまで許されるかというときに、ピアッシングやタトゥーくらいは「まあ、許容範囲かな（オレはやんないけど）」という判断を下せるとしても、「では」というので、「おしゃれ」のために指を切り落とすとか、舌を二枚におろすとか、ワイヤーを口の端からつきだして「猫顔」にするとか（これ全部ほんとうの話です）いう身体加工も「あり」か、と問われると、「それは『やりすぎ』でしょう・・・」と言わざるを得ません。性器切除や造膣手術で性転換する人の自己決定権を認めるのが政治的に正しいとすごまれても、「そういうのは、ちょっとどうかと思うんですけど・・・」と歯切れが悪くなる。<br />
この「いや、理屈ではそうだけどさ、ちょっと、それは・・・」という感覚ってけっこうたいせつなんじゃないかとぼくは思うんですが、その「理屈ではそうだけど・・・ちょっと」という言葉がなかなか聞き届けられない。<br />
オール・オア・ナッシングってそんなにいいものなんでしょうか？ぼくにはどうもそんなふうに思えません。<br />
「郵政民営化によるメリットはこのへんで、デメリットはこのへん・・・じゃ、ナカとって」というのが「三方一両損」の大岡裁き以来の日本の「調停の王道」だったと思うんです。この「ナカとり名人」のような人がまあ日本では伝統的に「保守本流」というところに居座っていたわけですね。<br />
「ナカを取る」ということは言い換えると「達成すべき理想像がない」ということです。「ヴィジョンがない」ということは（平川君の言葉を使えば）「指南力がない」ということですし、武道的に言えばつねに「後手に回る」ということです。だから、左右両翼の「理想論」の間で、「ナカ取って」主義者たちは「理念がない」「政治哲学がない」「国際社会にむけて発信すべきメッセージがない」という嘲罵を浴びてきた。でもその代償として、彼らは戦後６０年間、権力と財貨と情報をそれなりに占有してきたわけです。<br />
刻下の日本の危機というのは、ある視点から言うと、この「ナカ取って主義」の没落というかたちを取っているのではないでしょうか。「ヴィジョンなきナカ取って論者」よりも、「クリアーカットな極論」を語る人間の方が旗色がよいんです。「わけのわからないことをもごもご言う人間」には、昔はそれなりの「芸」というか存在感というか迫力があったと思うんです。だいたい調停役の人は「これからオレが言うことを、黙って『うん』と呑んでくれるとまず約束して欲しい」というようなめちゃくちゃな交渉をするわけですが、そういうやり方がそれなりに有効であったということは、論理の不整合を人格的な厚みが補償していたからだと思うんです。<br />
その「人格的厚みによる論理的不整合の補填」という戦略が、どこかで機能しなくなってきた。今はもう「国士」とか「フィクサー」とか「キング・メーカー」といわれるような人はいなくなりましたね。それは政策決定プロセスが合理化されて、そういう政治的機能が必要なくなったということではなく、そういう政治的機能を担えるだけの度量のある人間が払底しつつあるということではないかと思うんです。体系的な政治思想に準拠してではなく、「そんへんは許容できるけれど、このへんはちょっとなあ・・・」というようなアバウトな身体感覚を規矩として政治判断をすることのできる「太い」人間がいなくなってしまったような気がするんです。<br />
そのことを最近ホットな論件である靖国問題でもすごく感じるんです。高橋哲哉の『靖国問題』と小林よしのりの『靖國論』を読み比べてみて、どうしてこの人たちは「対立者をもふくめて日本を代表しうるような論」の水準を探そうとしないのだろう・・・とちょっと暗い気持ちになってしまいました。<br />
この件について、ちょっと平川君のご意見も聴いてみたいと思っています（来月の朝日新聞に書くことになってるんで）。ご意見お聞かせください。<br />
ではでは<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/08/22_1131.html</link>
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<category></category>
<pubDate>Mon, 22 Aug 2005 11:31:14 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ＴＦＫその１５・党派を遠くはなれて</title>
<description><![CDATA[<p><br />
■　方法としての「謎」</p>

<p>鬱陶しい梅雨が明けたと思ったら、今度は灼熱の地獄ですね。<br />
毎年の事ながら、齢知命の体調を維持してゆくのは大変です。<br />
ぼくは、数年前から梅雨時になると、長年の下段回し蹴りを受けた古傷の膝が痛み、歩くのも難儀になります。<br />
お互いあまり、無理をしないようにしないといけませんね。といいながら、先だっては箱根でのエンドレス講演なんていう、無謀な仕事を増やしてしまって申し訳ありませんでした。</p>

<p>実は、ウチダくんのお話が、経営者の皆さんと「手が合う」のかどうか、すこし心配していたんですよ。<br />
通常経営者が使用しているタームは、サプライチェーンだとか、ベストプラクティスなんていう短期的な利益確保と事業効率化に配慮したものが多いわけです。<br />
最近では、コミュニケーションとかＣＳＲ＝企業の社会的責任といった話題が出るようになりましたが、まあこういった話題は、四半期収益を確保した上で、お茶でも飲みながらといった感じで、本音のところは「そんなきれい事で、競争に勝てるか」というところから変わっていないんじゃないかと思えます。</p>

<p>今回のウチダくんのお話のテーマに伏流する「交換」「贈与」「応答」といった原理的な言葉を、果たして先進的な経営者はどのような形で咀嚼するんだろうか。<br />
「なんか、抽象的な理想論なんじゃないの。で、結局何がいいたいのよ。」なんて、声が上がるんじゃないかと、ちょっと心配していたのです。</p>

<p>しかし、杞憂でしたね。いや、想像以上の盛り上がりで、五時間もぶっ続けで、場が白熱して飽きることがなかった。「で、それは儲かるんでっか。」なんていう野暮な反応もありませんでした。勿論、経営者ですからあしたの米びつの心配は常にしているわけだし、利潤を確保してゆくことが最大の関心事であるわけですが、それでもウチダくんの振ってくれた原理的な話題が、必ずビジネスに繋がってゆくという直感を皆さんが感じ取っていたのだろうと思います。同時に行き過ぎた市場至上過ぎに対する違和感もまた、経営者が共通に持っているものだと、あらためて思いました。</p>

<p>馬鹿な経営者というのは、「本質的な言葉」というものを、緊急性のない、空理空論だと勘違いしている。なんか、あしたの経営数字を一ポイントでも上げられないような言葉に対して、侮蔑感を持っている。成果に直結しないような観念に対しては、青臭い議論のための議論であると切り捨てる。<br />
これは、実際にビジネスの現場にいるとよく分かるんです。実際そういう自分がタフなビジネスマンだと思っている連中が多いですから。<br />
でも、それは、自らが運営する世界に対しての構成力の欠如である、ということに思い至らないだけじゃないのかと思いますね。もっとも、最近のデジタル思考の経営者には、そんな問題が、経営課題であるとすら思い浮かばない人が増えているようですが。</p>

<p>それでも、有能な経営者というものはいるもので、「本質的な言葉」と、「プラクティカルな言葉」というものをいつもひと続きのセットで考えている。<br />
それは、利潤を生み出すリソースであるところの労働者、社員が、賃金だけではなく、「理由」を求めていることをよく知っているからでしょう。労働力というものは、ただ搾れば水滴をしたたらせる雑巾のようなものであるとは考えていない。<br />
あたりまえですけどね。<br />
先日の箱根に集まった経営者の方々は、ウチダくんの言葉を真正面から受け止めて、それをご自分たちの言葉に置き換えるとどうなるのかというように、考えておられたように思えます。</p>

<p>ウチダくんの講演の趣旨は、前便で書かれていた「同一であるけれど同一でないものが時間差をはさんでつながること。それが交換ということの本質ではないかとぼくは思うのです。」というところに集約されるだろうと思います。ビジネスというものを商品を媒介としたコミュニケーションであると考えるなら、このコミュニケーションとは何かを相手に差し出せば、ストレートに応答が返ってくるというようなものではなく、様々なものを迂回して返礼されるということだろうと思います。<br />
ぼくは、ここにビジネスの最も本質的なものが、隠されていると思っています。<br />
しかし、それは必ずしも、明示的に表現されうるものではない。原因と結果がリニアに繋がっているわけではない。それだけではなく、原因と結果の間には、よく分からない迂回路があるわけです。でも、迂回路があるということだけはわかる。<br />
つまり「謎」としてそこにあると思っています。<br />
「謎」であるが故に、それは<br />
ぼくたちが嬉々として働く原動力にもなりうるのだということだろうと思うのです。<br />
「謎」なんていうと、誤解されそうですが、答えがどこかに書かれているようなＱ＆Ａ形式というものではないということだろうと思います。<br />
それは、そうしようと思えば、そこから、無限の意味を汲みだせるという意味で、一つの答えを拒む問いです。だから、「謎」なんですね。</p>

<p>今あるものや、今進行している事柄について、それが好ましいと感ずるか、違和として受け取るかは、それぞれ個々の立ち位置と感受性によって異なるでしょう。現実的なものは、その意味を深く詮索しない限り、あたりまえのように見えるものだろうとおもいます。ヘーゲルじゃないですが、現実的なものは、必然であると意ってもいいかも知れません。歴史にイフはないといってもいい。しかし、今のこの現実には、いつくかある選択を積み重ねた結果であり、ありえたかも知れない現実もまた、今の現実に含まれていると考えることも可能です。ぼくは、こういう想像力を本質的な想像力であるといいたいと思います。そして本質的な言葉というのは、必ず物や事柄に対してその起源を尋ねることになります。それは、あたりまえの事柄の相の下に、ひとつの謎を見出すという方法でもあるということです。</p>

<p>─　人間の手になる作品についての判断を損なう多くの誤りは、それらの発生状態に対する奇妙な忘却によるものである。人はしばしば、作品が前から存在していたわけではないことを忘れてしまう。<br />
（「序説」渡辺広士訳）</p>

<p>これは、レオナルド・ダ・ヴィンチに関してのポール・ヴァレリーの省察ですが、ヴァレリーの方法的な知性には、何度読んでも新鮮な発見があります。それに、かっこいい。<br />
考えて見れば、この間、ウチダくんとずっと交わしてきた議論はいつも、この事物の発生状態に関するものでしたよね。勿論、この起源は歴史の霧の中に霞んでいて、誰もそれを<br />
見てはいないし、証明もできないものだと思います。ただ、それはウチダくんの言葉を借りるなら、無限の解釈可能性として、ぼくたちのまえに開かれているわけです。</p>

<p>■　自分と自分の言葉との距離</p>

<p>この間、ぼくたちの目の前で、ニートの問題、靖国、憲法などの政治的な問題に関して、マスコミでも、ブログでも随分かまびすしい議論が展開されました。ぼくたちも、これらの論件に対して、考えてきたと思います。<br />
そして、護憲であるか、改憲であるか、あるいは靖国参拝が是であるか非であるか。こういった問題に対して、あたかもそれが「前から存在していた」かのような二項対立の議論へと収斂してゆくのを見てきました。<br />
護憲か改憲かといった選択の問題は、政治過程の課題としては重要な問題かも知れません。しかし、政治家でもない一般人が、この選択をめぐって口汚くののしり合い、相手を決めつけ、唾を吐きかけるような幼児的な議論をしているのを見ていると、このパターンは以前から繰り返されてきた、憎悪や不信の応酬に過ぎないよなと思ってしまいます。<br />
なんていうんでしょうかね。<br />
政治的な発言というものと、それを発言しているご自身との距離に対する自覚のない発言を見ていると、これはただのディベートに過ぎない。ここには何もない。<br />
もし自分の問題として、自分の言葉で結論までもってきたのなら、護憲なのか、改憲なのかはまさに自分自身の生き方にかかわる問題になります。しかし、単に論理あわせみたいなものであれば、そんなものは、かれの生き方と触れ合うことはありません。ただ、とっちが論理的な整合性があるかなんてことを争っているだけですからね。<br />
でも、こういった論争には、論理の整合性なんてひとつの思考の枠組みの中だけでしか担保されないという単純な事実が、抜け落ちてしまいます。しょーもない喩えで、申し訳ないのですが、動物愛護を唱えながら、血の滴るステーキを食うのが人間てもんだろと、言いたくなります。よく、ヒューマニズムでは、国際紛争を解決できないなんていいますが、リアルポリティクスだって何ひとつ解決できちゃいません。リアルポリティクスも、ひとつの物語に過ぎないわけです。外交とは力と力の駆け引きであるなんていうことを、さも国際常識みたいに言う人がいますが、それこそ前から存在していたわけではない国際常識という物語だろうと思います。もし、人間に進歩というものがあるとするならば、それはこういった国際常識を解体する常識をどうやったら打ち立てられるのかと考えることの中にしかないと言っておきたいと思います。</p>

<p>先日、ウチダくんも登場する、文芸春秋のアンケートを読んだのですが、ぼくがその中で、「お、これは面白い」と思ったのは、政治家でも評論家でも、大学教授でもないひとりのおばちゃんの意見でした。これ、ブログでも書いたんですけど、ぼくが感心したのは、料理評論家の小林カツ代さんの意見でした。<br />
「他国が嫌がることで、すぐやめられることならやめましょうよ。誰も損をしないんですから。」<br />
「はいはい、そんなところで、意地張って喧嘩していないで、はやくお家に帰って、おかあさんのお手伝いをしなさい。」<br />
後段は、ぼくの創作ですが、このおばちゃんは、問題の本質が別のところにあることをこんな言い方でぼくに気付かせてくれました。<br />
勿論、こういった認識が国際政治に通用するかどうかというのは、別な問題です。ただ、自分の意見を言えと言われたら、やはりぼくはこれに近い答え方をするしかないだろうと思うのです。政治的な問題の前に立つと、人間というのはどうしても党派的な意見しか言えなくなります。自分で意識していなくとも、どこかしら規定の党派的な見解の中でものを考えてしまう。実際に、アンケートを読んで見ると、人はいかに党派性から自由になるのが難しいのかということを知らされるばかりです。口汚く中国人をののしる類いの言説にはいい加減、「早くお家に帰って、お手伝いでもしなさい」と言いたくなります。<br />
小林さんの意見のおもしろいところは、彼女がそういった党派性というものをどうやったら脱却できるのかということを、おばちゃんの語り口のなかにさりげなく溶かし込んだということだと思います。<br />
池上本門寺のある池上駅の近くに小林さんのやっている定食屋さんがあって、そこではご飯、味噌汁、シャケの焼き物、お新香、玉子焼き、コロッケと何でも自分で選べるようになっています。そして、それらの料理が、まったくおっかさんの手作り風になっているんです。<br />
それはまさしく隣のおばちゃんであるカツ代さんの手料理であって、彼女の心づくしをいただけるといった格好になっている。<br />
彼女の意見を読んで、ぼくは、これは隣のおばちゃんの実感だなと思いました。<br />
隣には、勿論、無知ゆえに、中国人や、朝鮮人を口汚くののしっているおばちゃんや、おっさんもいるわけです。でも、そういった無知蒙昧を開くのも、やはりどこぞのお偉いさんの意見ではなく、隣のまっとうな感覚をもったおばちゃんなんですね。</p>

<p>お、いけねぇ。つらつら書いていたらまた終わらなくなってしまいそうです。<br />
前便でウチダくんにふられた論件とは、まったく違った場所に出てきてしまいましたが、同一でないものが、時間を潜ってつながるということにどこかで、接続できればと思います。<br />
では。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/07/26_1109.html</link>
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<pubDate>Tue, 26 Jul 2005 11:09:01 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>その１４・労働と豊穣性</title>
<description><![CDATA[<p>言葉と爆発<br />
　<br />
前便での平川くんの言葉でとくに印象的だったのは、次のところです。<br />
「マスコミやブログに現れてきた言葉づかいを見ていると、一方的というか、ただ他者を攻め立てる言葉だったり、意味も無く雷同する言葉ばかりが目立ってきているよう思えます。でも、ぼくが聞きたいのは中間で揺れ動く言葉なんですけどね。」<br />
この「中間で揺れ動く言葉」という表現はぼくにはとても肌触りのよいものでした。そういう言葉こそ「党派的な言葉づかい」の対極にあるものだろうと思います。<br />
先週奥湯元のセミナーに講師として呼んでいただいて、｢学びからの逃走、労働からの逃走｣と題した講演を行いましたが、そのときに思ったことは、学びと労働について、ここでいわれたような「中間で揺れ動く」言葉で語ってみたいということでした。<br />
結果的には何が言いたいんだかよくわからない支離滅裂なレクチャーになってしまってみなさんにご迷惑をかけてしまいましたけれど、この「わけのわからなさ」は「中間で揺れ動く言葉」の「税金」みたいなものですから、ご勘弁いただくしかありません。</p>

<p>「中間」という言葉は誤解を招くかもしれませんが、これは｢ある党派的立場と別の党派的立場の中間｣という意味ではありません。そうではなくて、｢『語っている私』と『それを聴いている私』のあいだのなじみの悪さ｣というようなものです。<br />
党派的な言葉づかいの特徴は、語っている本人が自分自身の言葉をまるで切れ味の良い道具のようにすらすらと使っていることだと前に書いたことがありました。もちろん、道具と使用者のあいだにも「うまく使いこなせない」｢手になじまない｣というような齟齬はあるかも知れません。でも、そのときでも「道具を使いつつある私」の自己同一性が懐疑されているわけではありません。<br />
それは「こんなポストにいたんじゃ私の本領は発揮できない」とか「こんなくだらない仕事では私の才能は実現できない」と思っている「私」が、自分の潜在可能性が「１００％私のもの」であることを一瞬も疑っていないのと似ています。<br />
ぼくが｢中間｣という言葉に託しているのは、そういうことではありません。<br />
「道具と使用者」という二項対立だと、道具（言葉）も使用者（言葉を語る私）もあらかじめ実在物としてそこにあることになります。だから、問題はその二項間の「なじみの悪さ」の技術的な解消であり、「うまい言葉の使い方」さえ習得すれば道具は気持ちよく使いこなせる、ということになります。<br />
でも、ほんとうはそういうんじゃないと思うんですよ。<br />
先行的に存在するのは「なじみの悪さ」の方であって、その「なじみの悪さ」のもたらす運動が事後的に「道具」や「使用者」という項を仮象として結像するんじゃないか。<br />
そんなふうにぼくは考えているわけです。<br />
ああ、こんな説明じゃまるでわからないですよね。もうすこし続けます。<br />
「なじみが悪い」状態は「なじみがよい」状態を志向します、絶対。｢不安定な状態｣が｢安定状態｣を志向するのと同じで。<br />
このとき重要なのは「不安定な状態」が｢安定した状態｣を志向するのは安定状態を経験的に知っているからではない、ということです。「安定って、まだ経験したことがないけど、『そういうもの』があるような気がする・・・」というしかたで「不安定状態」は「安定状態」を志向する。そういうもんだと思うんです。<br />
化学の現象で｢爆発｣というのがありますね。これをふつうの人は「安定した秩序が突如崩落して無秩序なカオスに陥ること」というふうに理解しているんじゃないかと思います。でも、逆なんですね。これが。<br />
「爆発」というのは「化学的に非常に不安定な状態が一気に安定状態に回帰すること」なんです。<br />
爆発現象を「爆発するもの」(爆薬)と「爆発させるもの」（工兵）の二項関係で考えると、どんな薬剤を何グラム使ったかとか、どういう機械的メカニズムを利用したかということが問題になります。<br />
薬剤と機械に焦点化するわけです。<br />
でも、化学的な意味での「爆発」からすれば、そんなことはどうでもいいことで（薬剤も機械も、爆発と同時にこっぱみじんに飛び散ってしまうんだから）。爆発にとっての問題は「非常な不安定な状態が一気に安定状態に回帰する」という現象そのものである以上、爆薬や爆破装置は、爆発さえすれば「なんでもいい」わけです。<br />
言葉を使うというのも、それに似たことじゃないかと思うんです。　<br />
「なじみの悪さ」ということを言いましたけれど、「なじみの悪さ」は必ず「なじみのよさ」を志向し、臨界点まで達すると絶えられなくなって、爆発的な仕方で「なじみのよさ」を成就する（それもごく一時的なことにすぎないわけですが）。<br />
言葉をもって語るというのは、そういう「小爆発」を絶えず繰り返してゆくプロセスじゃないか、と思うんです。<br />
ぼくたちが言葉を連ねてこういうテクストを書いているのも、「みなさんにお伝えしたい教化的メッセージ」があらかじめ用意されていて、それを「メディア」を通じて宣布したいということではなく、むしろ、「自分が何をいいたいのかわからない」からこそ、言葉と自分のあいだの「不安定」や「不均衡」を臨界点までじりじりと押していって、どこかで「一気に安定状態に回帰する」ような「爆発」に巻き込まれるのを待望している…そういうことのように思えるんです。</p>

<p>オーバーアチーブとしての労働<br />
　<br />
講演で話そうとしたのは、「労働の本質は何か？」ということでした（また欲張ったテーマでしたね）。そのことをここしばらくずっと考えていたからです。<br />
少し前のブログ日記に「仕事というのは本質的にオーバーアチーブである」と書いたら、サラリーマンたち（だと思うんですけど）からずいぶん反論が寄せられました。<br />
ふざけるな、お前はこの資本主義の収奪システムを肯定するのか、<br />
働いても働いても報われない不条理に死ぬまで耐えろというのか、というような古典的な言葉づかいでの批判だったので、ちょっと驚きました。<br />
ぼくが書いたのはある意味常識的なことで、「労働者が創出する労働価値は原則として賃金より大である」というものです。<br />
当たり前ですよね。そんなの『資本論』以来の常識ですから。<br />
サラリーマンが働いて受け取る給料は「本質的に」彼が創り出したもろもろの財貨やサービスよりも少ない。<br />
そうじゃないと、株主への配当とか、自社ビル建設とか、次なるプロジェクトへの先行投資とかできませんから。<br />
創り出しただけのものを全部労働者に還元してしまったら、たしかに「収奪」はなくなります。けれども、それと同時に市場も交換も貨幣も、そもそも社会がなくなってしまいます。<br />
支払われる賃金以上の価値を生み出す行為、それが「労働」の定義です。<br />
そして、労働をするのは人間だけなんです。<br />
動物は労働しません。だから剰余価値を生み出しません。<br />
ライオンはお腹いっぱいになったら、横にトムソンガゼルの群れが来ても、どよんとした昼寝眼で眺めるだけで「おお、この機会にもう二三頭殺して、『取り置き』しておこう」なんて殊勝なことは考えません。<br />
ビーバーは「なんだか今日は牙はキレがいいから、もう１個よけいにダム作って、となりのヤマダさんちにあげよう」と考えたりしません。<br />
そういう「よけいなこと」をするのは人間だけです。<br />
「よけいなこと」をして、「よけいなもの」を生み出すもの、それが人間です。<br />
前に沈黙交易について書きましたけれど、交換の起源を、「海辺のひとたちは魚をたくさん獲りすぎ、山の人たちは野菜をたくさん採りすぎたので、それぞれ『あまりもの』を取り替えることにしました」というふうに説明するのはことの順逆が違っているように思います。<br />
その説明だと、「とりすぎる」という行為がまるで「自然なこと」のように書かれているからです。<br />
「自然にとりすぎる」ということは動物の場合には決してありません。資源が潤沢にある場合に、個体の生存に必要な以上の資源を環境から取り出すというような「変なこと」をするのは人間だけです。<br />
「とりすぎ」というのは「生物の自然」ではなくて、「人間の異常さ」の指標なんです。<br />
この「剰余労働」を動機づける内発的な動因はひとつしか考えられません。<br />
「交換への欲望」です。<br />
とりすぎた「から」交換するのではありません。交換したい「から」とりすぎたのです。<br />
「とりあえず個体の生存にいますぐ必要ではないけれど手元にあるあまりもの」(例えば獲りすぎた魚)は、別の人が所有している、それとは別種の「あまりもの」(例えば採りすぎた野菜)と交換することができます。<br />
「いずれ要るかもしれないけれど、とりあえず今は要らないもの」、<br />
それが交換されるものの条件です。<br />
この条件にはとてもたいせつな言葉が含まれています。<br />
それは「とりあえず」という副詞です。<br />
この副詞と同時に人類社会は未聞の概念を手に入れました。<br />
それは「時間」です。<br />
「とりあえず」というのは英語だとfor the time being ですね。語義通りに読むと、「時間が存在するために」。</p>

<p>時間と交換</p>

<p>ぼくはいまレヴィナス三部作の仕上げに「レヴィナスの時間論」というものをぽつぽつと書いているところなんですけれど、レヴィナスには「時間とは主体と他者の関係である」という有名なテーゼがあります。<br />
「有名」だけど、いったい何を言っているんだか誰もうまく説明できない。<br />
ぼくは最近このテーゼの意味がちょっとわかりかけてきたような気がしてるんです。<br />
むずかしい問題を解く場合は、なんでもそうですけど、「話を逆にしてみる」わけです（「対偶証明法」というやつですね）。<br />
つまり、「主体と他者の関係が成り立たないところに時間は存在しない」というテーゼを吟味して、それが成り立てば対偶が証明できるわけです。<br />
いま話しているのは剰余価値と交換という話ですが、これは時間というファクターがないと成立しません。<br />
「いずれ要るかもしれないけれど、とりあえず今は要らないもの」、<br />
それが交換されるものの条件である、と上に書きました。<br />
ここでは「いずれ」と「とりあえず」という時間にかかわる副詞が決定的な重要性を持っています。<br />
このタイムラグの隙間に「交換」のただひとつの可能性が棲まっているからです。<br />
無時間モデルだと「いずれ」とか「とりあえず今は」というような時間にかかわる副詞は存在しません。「要るもの」は需要がいつ発生するかにかかわらず「要るもの」です。<br />
「要るもの」を他人に与えてしまうというのは、どう考えても理不尽です。<br />
だから動物はそんなことをしません。<br />
動物にないのは愛他主義や博愛精神ではなく、「時間」という概念なのです。<br />
「とりすぎ」という行為は無時間モデルで考えた場合には起こりえないものです。<br />
でも、人間はここに「時間」というファクターを介入させることによって他の霊長類と分岐しました。<br />
時間的な表象形式を用いると、「とりあえず今は要らないもの」は「要らないもの」にカテゴライズすることが可能になるからです。<br />
「とりあえず今は要らないもの」は一時的に誰かに貸し与えることができます。<br />
例えば、ぼくの普通預金口座に現金が１億円あったとします。<br />
一日家で原稿書きをしているとしたら、手元に置いておく必要があるのは食費と雑費でまあ３０００円くらいで十分。クリーニング屋さんや新聞の集金が来ると困るから、予備にもう１万円くらいあった方がいいかもしれません。<br />
一年のほとんどはその程度の手元資金で生きていけるわけです。<br />
ということは、１億の預金のうち９６００万円くらいは「とりあえず要らない」。これを誰かに貸して上げてもさしあたり困らない。<br />
もちろん、「そのうち要るようになる」可能性はあります。でも、「いつまでたっても要るようにならない」という可能性もあります（ぽっくり死んでしまうとかすると）。<br />
とりあえず今は要らない。<br />
その貨幣は誰かに「与えられ」、交換の場に投じられます。<br />
「与える」は「失う」とは違います。<br />
「与える」というのは、人間的な意味においては、「そのうち別のかたちで戻ってくる」ということを意味しています。<br />
「同じもの」が少したつとそのまま戻ってくるというのではありません。<br />
そんなことじゃ面白くもなんともありませんからね。<br />
そうではなくて、人間が剰余価値を作りだして、交換を行ったのは、「与えたもの」が「別のかたち」で戻ってくるということのもたらす「わくわく感」に感応したからではないかと思うのです。<br />
あるものを「与える」。それに「応答」するものがある。それは「与えたもの」とは違うものである。違うのだけれど、「応答」である以上は、つながりがある。<br />
「生み出したもの」と「生み出されたもの」の間に「へその緒」のようなものがある。<br />
同一であるけれど同一でないものが時間差をはさんでつながること。<br />
それが交換ということの本質ではないかとぼくは思うのです。</p>

<p>応答と繁殖性</p>

<p>レヴィナスは「豊穣性」(fécondité)という言葉を使って、親子関係を説明したことがあります。すごくわかりにくい概念で、これまでさまざまな誤解曲解を受けてきたのですが、ぼくはこれはもしかすると労働と時間のことを述べているのではないかと思っているのです。<br />
レヴィナスはこう書いています。<br />
「子どもとの関係、つまり〈他者〉との関係は権力性ではなく、豊穣性であり、絶対的な未来あるいは無限の時間とかかわりを持つことである。(…)豊穣性において、同一物の反復という不快は停止し、私は他のものとなり若返るにもかかわらず私の意味、私の歩む方向を決める自体性はこの自己放棄のうちで失われることはないのである。」（『全体性と無限』）<br />
すごい。これだけじゃ、ぜんぜんわからないですね。<br />
ぼくなりに言い直します。<br />
親子関係というのは「親である私」が子どもを（道具のように）所有するということではなく、また親が「私の代理物」である子どものうちに自分が果たせなかった希望を託すというようなことでもなく、子は親と「別のものだけれど同じもの」として無限に継続されてゆく。<br />
親は子どもを生み出します。その意味で子どもは親の「生まれ変わり」です。親の目から見ると、子の中にはまぎれもなく「私」がいます。それは私の子どもであり、他の誰かが「私の子どもだ」と言ってきても、きっぱりと「違うよ、私の子どもだよ」と言うことができるくらいに「私」とむすびついている。<br />
でも、それは「私の変容態」（「子どものときもっと勉強していたら…の私」とか「あのとき酒さえ呑んでいなければ…の私」とかいうもの）とはまるで違います。<br />
子どもは私がこの世に「与えた」何かが「別のかたち」をとって回帰してきたものです。<br />
それは私とは別のものなんだけれど、それがここまで戻ってきたのは、最初に私がその生成の「きっかけ」を与えたからです。<br />
親子関係というのはそういう意味で「交換」の原型じゃないかとぼくには思われるのです。<br />
それはジャズのインプロヴィゼーションで、「ピアノであるフレーズを出したら、サックスから別のフレーズが戻ってきた」というのとたぶん本質的には同じものだと思うんです。<br />
これらのすべてに共通するのは「私が与えたものがいささかの時間差をともなって別のかたちで戻ってくる」という構造です。<br />
この「交換の構造」がおそらくすべての人間的営為の根本にあるんではないかと思うんです。それによって、人間は時間とか他者とかエロスとか記号とか貨幣とかいったもろもろの「人間的なもの」を手に入れた。<br />
そんなふうに思うんです。<br />
ずいぶん大風呂敷になってしまいましたが、だから無時間モデルの等価交換形式で労働や学びについて語る人は人間の本性について致命的な誤解をしているのである、という話をしたかったんですよ、セミナーでは。<br />
でも、無理ですよね。こんなわかりにくい話を「揺れ動く言葉」でいきなり振ったんでは。<br />
江さんだって泣いてるだろうな、こんなわけのわからない話を長々とされて。<br />
平川くん、このあとをなんとか軟着陸させてください。</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/06/29_1706.html</link>
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<category></category>
<pubDate>Wed, 29 Jun 2005 17:06:51 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>その１３・蕩尽的時間論とことばの「後ろめたさ」について</title>
<description><![CDATA[<p>■　年齢とともに変容する時間の重み</p>

<p>ウチダくん、こんにちは。<br />
東奔西走、忙しかったんですよ、というのは言い訳で、連休からこっち、ぼくは休みになるとオートバイを転がしては遊び呆けていました。<br />
今年のゴールデンウイークは、勤労者にとってはまさに「黄金」でした。間に挟まった二日間の通常日を休日にすることで、何と十連休になったのですからね。<br />
ぼくは、大学を出てからずっと社長業をやっているからかもしれませんが、売上の上がらない「休日がちっともうれしくない病」に長いこと侵されていました。<br />
ワーカホリックってやつですね。<br />
いや、憧れていたのかもしれませんね。フィリップ・マーロウのようなハードボイルドなハードワーカーに。ぼろぼろになるまで働いて、深夜のオフィスで机に足を乗っけて、しんみりとバーボンを流し込む。「うむ。いい一日だった。くそみたいな仕事でも仕事が無いよりはましだ」なんて。</p>

<p>ところが、最近になってこのワーカホリックがすっかり快癒した。そしたら今度は遊び病になってしまって、休みになるとそわそわして、前日の夜からインターネットで、日帰り温泉だ、映画だ、寄席だとネットサーフィンをして遊びの計画を練っている。<br />
どうした風の吹き回しなんでしょうか。<br />
犬を飼ったからかな。年をとって残りが見えてきたからか。それとも年食ってバイクに乗る楽しみを覚えたからなのか。まあ、その原因は良く分からないのですが、あるときから休日がとても貴重なものとして輝きだしたのです。<br />
これはガキの頃に休みがうれしいってのとはちょっと違った感覚です。</p>

<p>むかし、テレビのコマーシャルで、「できる男は休日、仕事を忘れる」なんてコピーが流れて、テニスだとかスカッシュなんかやって、月曜日になるとシャキっとスーツを着てアタシュケースを持って仕事をするのがかっこいい男みたいなのがありましたよね。何のコマーシャルだったかは忘れちゃいましたけど。<br />
ぼくは、あのコマーシャルが大嫌いでした。仕事と遊びをふたつに割って、人間がその間を行ったり来たりするのが「けじめ」であるなんていう合理主義的な生き方に、何故あれほど反発したのかあの頃はうまく説明できませんでした。<br />
あの男、仕事できないんじゃねぇか。いや、親の財産食いつぶしているケツの青いぼんくらか、口先稼業で、ぼったくった金で遊んでるんじゃねぇのか。<br />
そんな気持ちで見ていたわけです。</p>

<p>このコマーシャルのいやらしさは、稼いだ金を、酒や博打で浪費するっていうほほえましい駄目男ではなく、遊んで英気を養って、しっかり稼ぐといった計算高さが見えることです。これって遊びに対する冒涜じゃないの。いや、こんな生き方には人生に対するつつしみ深さというものが欠如していると思った、ということかもしれません。<br />
ぼくには、この感覚をもうすこし敷衍すると、そこには「時間」というものに対する傲慢があるということになります。<br />
これは、ブログでも書いたことですが、「時間」というものは人間が作り出した合理性という物語（虚構といった方がいいかな）の外側を流れてゆくものです。誰にも平等に与えられるものでありながら、誰もこれを引き留めることも操ることもできない。どんな高価なモノをもってしても、それを引き留めるための取り引きに応じてくれない。<br />
コマーシャルの男は、「時間」を操ったつもりでいたのかもしれませんが、その実ほんのかすかにでも、「時間」というものに手を触れることができていない。かれが操ったのは、時計の中の「時間」であって、その意味では「時間」に補足されているに過ぎない。</p>

<p>これは誤解を招きやすい言い方ですが、、この貴重な「時間」というものに対する最も敬虔な態度は、それを「浪費」してやるということなのではないかと思うのです。殺生した魚は食べ尽くすことが最大の供養であるように、蕩尽というかたちでしか、この貴重な「時間」は汲み尽くせない。<br />
いや、もっと、生産的な生き方があるだろうとは思いますが、そこには将来の何かのために今の「時間」を使うといった未来と現在の取引する功利的な計算が入り込んでしまう。まあ、ちょっと抹香くさい屁理屈になってしまいました。でも、歳を重ねるというのは、すこしづつ鬼籍に足を突っ込んでいくということで、こんなぼくたちでも、坊主の境位にすこしは近づけるんじゃないでしょうか。</p>

<p>こんなお話をしたのは、ウチダくんが「遊び心」について書いてくれたからです。</p>

<p>─　そのときに驚いたのは４００年前に建てられたこの建造物がすばらしいクラフトマンシップの傑作だったことです。障壁画天井画あるいは欄間の彫り物にほとばしるような「遊び心」が感じられました。この建物をつくったクラフトマンたちはずいぶん愉しい気分でこの仕事をしたんだろうな、そう思いました。</p>

<p>結局、人間の功利的な思考や言葉と行動が届くのは、せいぜい目の前にいる人、「大向こう」までなんですね。そこから先に行こうと思ったら、功利的な思考から自由にならなければならない。つまり、ただ楽しいから、おもしろいからやっているのであって、何かのためにやっているのではないという「方法」を発見する必要があるんだってことなんじゃないかということです。たぶん、時間を本当に「忘れる」という仕方でしか、時間を越えたメッセージを届けることはできないのだろうと思います。</p>

<p>■　「誰に見しょとて、紅金つきょぞ」</p>

<p>俗世の話にもどりましょう。<br />
ぼくが遊び呆けていた間に、ＮＥＥＴが話題になり、独立行政法人となった大学が変貌をはじめ、憲法改正の議論がかまびすしくマスコミを賑わしました。加えて悲惨な鉄道事故です。これらの問題をひとつひとつ論じる余裕はありませんが、なんか世知辛い世の中になったという気がします。この間、特に顕著な姿でマスコミやブログに現れてきた言葉づかいを見ていると、一方的というか、ただ他者を攻め立てる言葉だったり、意味も無く雷同する言葉ばかりが目立ってきているよう思えます。でも、ぼくが聞きたいのは中間で揺れ動く言葉なんですけどね。</p>

<p>インターネット以前は、こういった問題が出ると必ず、評論家や大学の教授といった専門家の社会批評的なコメントが新聞やテレビで公表されていました。それらはいつも、定番的な見解でどこか事の本質とずれているといった違和感を伴ってお茶の間に入り込んできていました。しかし、いまやこういった専門家だけではなく、多くの一般ウォッチャーから様々な言葉が涌出されてきています。特にブログの増殖には目を見張るものがあります。<br />
では、かつて感じていた違和感が緩和されたかというと、なんか一層の息苦しさを感じるようになりました。これって、ぼくだけかな。<br />
確かに、多くの人々が自由に発言しているという意味では民主的な光景であるとは言えるのでしょう。そして、それは一見、自由に発せられた「声なき声」なのですが、インターネットの時代に、集中的に、乱雑に振り撒かれる匿名性の言葉は、同じ言葉を共有できないものをパージするといった党派性に簡単に回収されていく危うさがあるように思えてなりません。これらの党派的な言葉について、その言葉づかいについてすこし考えて見たいのです。</p>

<p>ブログって、いまや三百万サイトもあると聞きましたが、インターネットがこんな使われ方をするなんて、ぼくは想像も出来ませんでした。三百万人の人が、日々日記を公開している光景なんて、誰も想像できなかったことだろうと思います。<br />
でも、これって人間の習性っていうか、在りようというか、これまで隠されていた本性が見えてきたということなんじゃないかと思っています。<br />
それは、まさに、ウチダくんが常々言っている、人間というものは「他者の承認」を必要とする動物であるということです。もし、「他者の承認」ということが無ければ、これだけ多くの人が日記というかたちで自分の考えや意見を公表するということがうまく説明できません。<br />
でも、この「他者の承認」ってちょっと曲者なんじゃないかと思っているのです。<br />
いや、確かに人間にとっては「他者の承認」こそが、生きている実感を得るための必須の条件であり、同時にそれなしでは社会化してゆくことができないだろうと思います。<br />
それでも、いったい人間はどのような身振りで他者にかかわり、その承認をもとめるべきなのかというのは案外難しい問題であるように思えます。その難しさは、たとえばぼくが日記をつけるというときに感じるちょっとした違和感をどのようにしたら説明できるのかといった難しさと同じです。<br />
これだけじゃ何のことか分かりにくいですね。</p>

<p>ちょっと説明しますと、ぼくは過去に何十冊もノオトをつけていました。そして、そのとき誰に向けてそれを書くのかということは、ぼくにとっては結構重要なことであったように思います。しかし、日記の中でさえ、ぼくは正直にありのままを書くということには躊躇を覚えたものです。それは、どこかでいつか、誰かがこの日記を読むはずだという確信に近い信仰があったからではないかと思っていたからです。だから、どこかで日記はそれ自体ひとつの作品として書いているといったところがありました。同時にそれは不純なことではないか、何か自分に対して嘘があるのではないかといった後ろめたさのようなものもあったと思います。これは、ぼくたちの年代の人間にとっては誰もが青年期に経験していた自意識の葛藤ではなかったでしょうか。そして、それは漠然とした違和感としてぼくは認識していたわけです。</p>

<p>インターネットの時代になって、おおっびらに公開されるブログと、ぼくたちがノオトに書き綴っていた日記との違いがあるとすれば、それはこの「後ろめたさ」なのかなと思います。そして、かつてぼくはこの「後ろめたさ」をネガティブな自意識としか捉えていませんでした。でも、いまはこの「後ろめたさ」が案外、人間の倣岸や不遜といったものを引き止めていたのではないかと考えたくなっています。</p>

<p>人間は確かに他者の承認を欲望しています。しかし、ぼくたちにとって、それは誰も見えないところでの善行を隠し見られたり、人づてに伝わったりといった具合に迂回的にしか実現されないものでなければならなかったのです。今の時代になって、人々は長年懐中に隠し持っていた他者からの承認をもらうという欲望を公然とストレートに掲げ始めたといったところかも知れません。それを失ってみて、あの頃感じた「後ろめたさ」が妙になつかしくもあり、また重要なものであったのではないかと気づいたわけです。</p>

<p>この「後ろめたさ」というものが何処から来ていたのかというと、日記というものは独りになるための手段であるといった思いがぼくの中にあったからだと言えるのではないか。つまり、単独に耐えるということです。自分の心の中を、単独に耐えながらどこまで深くのぞき込めるかなんていえばちょっと大げさなのですが、まあ時代の空気としてもそういった「他者を恃む」ことをいさぎよしとしないことに価値観を認めるといった空気があったように思います。承認は、与えられるものであるかもしれないが、求めるものではないといった倫理観（ですよね）がこの時代の規矩としてありえた。<br />
だから、交換日記なんていうと、「よせやい。気持ち悪い。」という反応が自分の中で沸き起こる。</p>

<p>余談ですが、吉永小百合と浜田光男で大評判になった「愛と死を見つめて」なんて、ちょっとこっぱずかしくて見ていられないといった気持ちだったわけですね。そのこっぱずかしさってのが、何なのかといえば、歌にもなった「甘えてばかりで、ごめんね」なんていう台詞に象徴的に現れた、憚りのなさだったように思います。<br />
本来、密室の中でしか囁かれることのなかった言葉が、公の場所で聞こえてきてしまった。</p>

<p>日記を書くというときに、感じる「後ろめたさ」というのは、要するに誰かに分かってもらいたい、承認してもらいたいといったことを心のどこかに隠し持っているというところから呼び起こされる感情なのかも知れません。そして、他者に喜んでもらえそうなこと、他者に受け入れられそうな厚化粧が自分の言葉の中に紛れ込んでくることに対する、やましさといつも抗がいながら、それでも書かずにはおれない。そして、こういった欲望と自制の緊張の中で、言葉というものは鍛えられていったのではないかということです。</p>

<p>で、ぼくは、だからといって日記を公開したり、ブログで匿名で何か言上げすることは怯懦であるとか破廉恥であるなんていうつもりはありません。<br />
ただ、ぼくたちは自分の発している言葉がつねに、単独で孤独に耐えるということと、他者に架橋するということの間で引き裂かれているということを「後ろめたさ」という感覚で対象化していたのではないのか。そして、この対象化がないと言葉というものは、どんなに精緻に用いようが、倣岸と不遜から自由になれないのではないかと思います。<br />
そして、そういった「後ろめたさ」が経済合理性や政治的な正当性といった当面の要請の前に閑却されるようになってから、随分とやせ細った、面白みの無いものになっていったような気がします。</p>

<p>なんか、言葉について言葉で語っていると、トートロジーに陥ってしまいますが、そこはひとつご容赦下さい。<br />
自省の念も含めて、あっけらかんといい気になっている夜郎自大な言葉の使い手に、そんなんでいいのかよと言っておきたかったのです。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/05/26_0928.html</link>
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<category></category>
<pubDate>Thu, 26 May 2005 09:28:39 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>インビジブル・アセット</title>
<description><![CDATA[<p>TFK12</p>

<p>■　アセットと兄弟仁義</p>

<p>第１１便からだいぶ間をあけてしまってすみません。</p>

<p>もう四月から忙しくて、たいへんなんですよ。<br />
管理職って、考えてみたらちゃんとした仕事としてやるのはこれがはじめてなんです（アーバン時代も「管理職」だったけど、「管理される人」がいない「管理職」でしたからね）。<br />
一月やってわかったのは、管理職の仕事は、何かを「する」ということ以上に何かを「させない」ことに配慮することだ、ということでした。<br />
一月くらいで軽々に結論を出すと、社長業だけ３０年やってる平川くんに笑われそうですけど、うちみたいな２００人くらいの中企業規模の「専務」（なんですよ、これが）のメインの仕事って、「どうやってアクティヴィティを高めるか？」というより「どうやってアクティヴィティを損なうファクターを〈無害化〉するか？」なんです。<br />
つまり、「謝罪」と「調整」と「慰撫」と「激励」。<br />
ビジネスマンというよりはスクール・カウンセラーですね。<br />
ほんとに。<br />
でもね、平川くん。これくらいの規模の組織だったら、水準以上の仕事をしてくれる人が２０％くらいいれば、残り８０％は「邪魔をしない」でいてくれるだけで、十分機能するんじゃないでしょうか？<br />
ですから、この「邪魔」（ってよく見ると「すごい字」ですね）が巨大化する前に、「芽」の段階で摘み取る、というのが組織防衛上の急務となるわけです（なんか「地球防衛軍」みたい）。<br />
ぼくは武道家ですから、そういう「邪魔芽」の気配のようなものについての感度は悪くはないんです。<br />
そして、どこでも同じですけれど、基本は「情報」ですね。<br />
何が起こりつつあるのか、事態が危険なレベルに達する前に、その徴候を察知して、手だてを講じること。<br />
ほとんどそれだけがぼくの管理職としての仕事みたいです。</p>

<p>そのためにたいせつなのは何よりもまず「アセット」です。<br />
「アセット」というのは、大学の場合だとあちこちの学科学部や職域に散らばっている「仲間」のことです。<br />
ぼくはこのことばを「そういう意味」で使うというのをロバート・レッドフォードとブラッド・ピットの『スパイ・ゲーム』という映画で知ったのです。<br />
「アセット」（資産）というのは情報機関の用語では「情報提供者」「敵地におけるコーディネイター」のことです。<br />
スパイの世界では、ひとりひとりのスパイが固有のルートでリクルートしてきた「アセット」を擁していて、同じスパイ組織の上司同僚に対してでさえ、その存在を明かさないんだそうです。<br />
この「アセット」はもちろん買収したり、脅したり、あるいは何らかの対価を支払ってやってもらう場合もあるんですけれど、どうも「アセット」であること「それ自体」に人を惹きつけるある種の「磁力」のようなものがあるようにぼくには思われるのです。<br />
別に「アセット」になっても何の利益もないのに、「アセット」になってしまう。そういう人がどうもけっこういるみたいなんです。</p>

<p>例えば、『昭和残侠伝』における花田秀次郎（高倉健）と風間重吉（池部良）の関係なんかそうですよね。<br />
花田くんと風間くんはそれぞれ属する組が違っていて、組同士は仇敵同士なんですけど、二人は「兄弟盃」で結ばれている。そして、ときどき中立地帯の飲み屋の二階なんかでふすまを締め切って「うちのおやじはオレがなんとか抑えてみせるから、そっちはお前が抑えてくれるな」「おお、若いもんにこれ以上血を流させちゃならねえよ」というような密談をしているわけですね。<br />
『仁義なき戦い』の第一部における広能昌三（菅原文太）と若杉寛（梅宮辰夫）もそうでした。広能は山守組の幹部、若杉は土居組の若頭。組長同士はいがみあっているけれど、二人は獄中で血を啜りあった兄弟盃。そして、なんとか組同士の抗争を防ごうと…（以下同文）<br />
別に彼らは、そのようなネットワークを有していることで政治的にも経済的にもとくに「利益」を得ているわけではありません。<br />
もちろん、それぞれの組のはね返り分子がテロに走ろうとするときなんかにブレーキとして働くことはありますけれど、むしろご本人たちは「板挟み」になって苦しむことの方が多いだけなんです。<br />
でも、日本の伝統的なドラマツルギーはこの「兄弟関係」と「上下関係」の葛藤を描くのが大好きなんです。そして、東映ヤクザ映画を徴する限り、より純良でより根源的なのはいつだって「兄弟関係」の方なのです。<br />
このへんに「アセット」の人類学的起源があるんじゃないかなと思います。</p>

<p>■クラとアセット</p>

<p>マリノフスキーの研究で知られるトロブリアンド島の「クラ」の儀礼も本質的にはたぶん同じものだと思います。<br />
平川くんはご存じでしょうけれど、改めて読者のみなさんのためにご紹介すると、「クラ」というのは閉じた環をなす部族間で行われる交換儀礼です。<br />
交換されるのは「ソウラヴァ」と呼ばれる赤い貝の首飾り（これは時計回りに交換されます）と「ムワリ」と呼ばれる白い貝の腕輪（これは反時計回り）。この二つはぐるぐる回りながら、そのつど種類の違ういろいろな品ものと出会い、それと交換されます。どの部族でも、「クラ」儀礼に参加できるのは限られた成人男性だけです。彼らは交換品を受け取り、短期間所有したのち、それを次に送ります。つまり、交換に参加した人は隣接する部族に何人かの「クラ仲間」を持つことになるわけです。<br />
彼らの関係についてマリノフスキーはこう書いています。</p>

<p>「この共同関係（パートナーシップ）は(…)終生の関係をつくりあげる。一人の男がもつ相手（パートナー）の数は、その身分と重要度によって異なる。トロブリアンドの平民は、ほんの数人しか相手がいないが、首長は何百人も相手がある。」（マリノフスキー、『西太平洋の遠洋航海者』）</p>

<p>このパートナー同士は「贈与と奉仕の相互交換」の関係（「二人の男のあいだに作る特殊な絆」）を長期にわたって取り結びます。<br />
遠洋航海者であるトロブリアンド諸島の男たちにとって、渡航先の「不安で危険な土地」において、クラ仲間は「彼を客人としてもてなす主人であり、保護者、味方」であり、「クラの仲間が、安全を保証してくれる頼みの綱」なのです。<br />
「クラ仲間」と「兄弟盃」と「アセット」はたぶん同一の人類学的機能を果たしているんじゃないか、ぼくにはそんなふうに思えます。</p>

<p>■交易という倒錯</p>

<p>ぼくが大学の管理職に任じられて一ヶ月経って、しみじみ実感じたのは管理職というのがほんとに「アセット勝負」の仕事だな、ということでした。<br />
電話一本、メール一通、あるいは廊下での立ち話において、「あ、ちょっと、いい？」というコールサインだけで貴重な情報を提供してくれる「アセット」を、どれだけ情報レベルの高いところに何人確保しているかということが先に述べた「地球防衛軍」的活動においては死活的に重要になります。<br />
もちろんこちらはその「見返り」にこちらからの情報を供与するわけですから、彼らから見れば、ぼくもまた彼らにとっての「アセット」なんです。この相互的な関係こそが組織の中の人間にとっては、「安全を保証してくれる頼みの綱」であるわけです。<br />
でも、ぼくはこういうネットワークをあまり功利的なことばづかいで説明したくはないんです。<br />
ぼくは別に「アセット」を「利用している」わけじゃないから。<br />
そもそも、「いつか便利に使ってやろう」というようなつもりで信頼関係を築くなんてことはできやしません。<br />
そうじゃなくて、いろいろな学科のいろいろな立場の人たちと「ネットワークすること」それ自体がぼくにとっては年来の楽しみの一つであったわけです。<br />
そうやってできたネットワークが今となっては、情報収集上も、学内合意の形成上も、あるいは学内政治における安全保障上も有効に生きているわけです。<br />
でも、別にそれを目的にして形成した信頼関係じゃないんです。</p>

<p>原因と結果を逆転して考える人が多いと思うんですけれど、こういう「交易」的関係が形成されるのは、それによって「利益」を上げるためではありません。そうではなくて、交易している人間は「交易すること」それ自体のうちに尽きせぬ愉悦を見いだしているんだと思うんです（これは平川くんの「一回半ひねりのコミュニケーション」という持論を繰り返しているだけなんですけど）。<br />
この愉悦そのものは「不可視」ですよね。<br />
「気持ちがいい」という心的状態そのものは外形的には表示できませんから。<br />
でも、気持ちがいいので交易をしていると、それに付随して、いろいろな「目に見えること」が起きる。<br />
例えば、クラ儀礼における二つの装飾品はいずれもサイズが小さすぎて成人男性は装着することができません。つまり使用価値はゼロなんです。それはあくまでクラ仲間の「絆」の記号にすぎない。<br />
でも、この「無価値なもの」の交換であるクラ儀礼を遂行するためには船を仕立てて、遠洋に航海に出かけなくてはならない。だから、遠洋カヌーの建造技術や航海技術が洗練されることになります。せっかく船を仕立てて遠くまで行くんだからということで、それぞれの島では手に入らない日用品もついでに積載して、これもやりとりされます。<br />
結果的に（あくまで「結果的に」ですけれど）、「絆の象徴的な確認」のための儀礼がこうして経済行為とみなされるようなダイナミックな活動を生み出してゆくことになる。<br />
そういうものだと思うんです。<br />
「アセット」はスパイ用語で「敵地にビルトインされた味方」だという話をしましたね。<br />
それは当然にも「不可視のもの」でなければならない。<br />
インビジブル・アセット。<br />
『スパイゲーム』はこの「アセット」との信頼関係を国益よりも優先させるスパイの物語でした。ブラピは中国官憲に囚われて、広州の牢獄に幽閉されてしまいます。捕らえられたスパイを見捨てることをＣＩＡ首脳は決定するのですが、ロバート・レッドフォードは彼自身がリクルートしてスパイに仕立てたブラピを奪還しようと、他の「アセット」たちを駆使して、驚くべき作戦を立てるのです…<br />
この行為はあきらかに論理的には「倒錯」しています。<br />
国家的大義のためのスパイ活動であるはずなのに、スパイとアセットの間の「絆」を護ることがそれよりも優先するというのは「公務員としてのスパイ」にはあってはならない重大な就業規則違反です。でも、映画を見ているぼくたちは、この「倒錯」をむしろ人性の自然であると感じています。<br />
たぶん、この映画は人間的コミュニケーション活動の根本にある「倒錯」を描いていて、ぼくたちにはそれがとても自然なもののように思われるということなのでしょう。</p>

<p>■西本願寺のクラフトマン</p>

<p>管理職の愚痴から話が飛んじゃってすみません。<br />
でも、これは前回の平川くんが引いた宮本常一（いいですよね、この人）の「贈与と時間」にかかわる言及に触発されて書いているんです。<br />
平川くんはこう書いてましたね。</p>

<p>「見えない誰かとの意思の受け渡しといったものが、どんな仕事に対しても手を抜かないという職人の倫理を育んでいるのだろうということです。ぼくは贈与ということの深い意味もこの中に潜んでいるんだろうと思います。」</p>

<p>ぼくが先に挙げた例に共通するのは、いずれも相手が「見えない」ような仕方で「隔絶」しているという点だと思うんです。<br />
トロブリアンド島の航海者たちの前には地理的な「隔絶」としての西太平洋の海が広がっています。彼らは自分たちのクラ仲間との絆を確かめるために、木を切り出し、帆布を織って、遠洋航海用のカヌーを建造するところから始めなければなりません。<br />
花田くんと風間くんの間には「渡世の義理」が強いる血腥い暴力的な対立が政治的隔絶として介在して、彼らの交易を阻んでいます。<br />
『スパイゲーム』では、ブラピは広州の牢獄に幽閉されており、彼の奪還を企てるロバート・レッドフォードはラングレーのＣＩＡ本部の会議室から一歩も出ることが出来ません。<br />
どこでも「隔絶」が「見えない誰か」との「交易」を阻んでいます。<br />
しかし、そのことは交易者を萎縮させるどころか、彼らに例外的に高度な情報感知能力と行動力を賦与することになります。<br />
つまり、交易の相手が「見えない」ということがむしろ交易へ人間を差し向ける欲望と情熱を強化する、そういうことじゃないかと思うのです。<br />
いつでも会える身近な誰かに贈るときと、会うことの困難な相手に贈るときとでは、どちらがより良質のものをぼくたちは差し出すことになるのか？<br />
これはあまり語られることのない問いですけれども、もしかすると、人間というのは「出会うことの困難な相手」を受け取り手に擬したときの方がものを作り出すパフォーマンスが高くなる、そういう不思議な生き物なのではないでしょうか？</p>

<p>ぼくは『インターネット持仏堂』のための写真撮影で、秋に西本願寺の書院を拝見させてもらう機会がありました。<br />
そのときに驚いたのは４００年前に建てられたこの建造物がすばらしいクラフトマンシップの傑作だったことです。障壁画天井画あるいは欄間の彫り物にほとばしるような「遊び心」が感じられました。この建物をつくったクラフトマンたちはずいぶん愉しい気分でこの仕事をしたんだろうな、そう思いました。<br />
いまの建築家やインテリアデザイナーの中に、自分の作品が４００年後になお見る人を感動させるほどのクオリティを保っているかどうかを自問しながら仕事をしている人が何人いるでしょう？<br />
そもそも４００年後も建っていられるような工学的配慮をして建物を設計する建築家が何人いるでしょう？<br />
ぼくは安土桃山時代の大工や指物師や障壁画家たちの仕事が世界史的なクオリティに達しているのは、「彼らに才能があったから」とか「パトロンが大金持ちだったから」というようなことではないんじゃないかと思います。<br />
そうではなくて、彼らは見えない相手（例えば数百年後の人間）に向けてその贈り物を差し出そうとしていたからだ。<br />
ぼくにはそんなふうに思われるのです。</p>

<p>あらま、まためちゃくちゃ長くなってしまいました。<br />
『ミーツ』も困るでしょうね。<br />
ではまた。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/05/04_1307.html</link>
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<category></category>
<pubDate>Wed, 04 May 2005 13:07:39 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>「忘れられた」ブリコルールたち</title>
<description><![CDATA[<p>TFK11</p>

<p>2005年4月13日</p>

<p><br />
第11便面白く読ませていただきました。<br />
相変わらずというかいつにも増してというか、かっとんでますね。<br />
このところのウチダくんの書き物を読んでいると、オートマ車のトランスミッション<br />
みたいに思考速度自体が思考の次元を競り上げる様子が見えて、いや、すげえも<br />
んだと素直に感動を覚えてしまいます。<br />
でもさ、いくらなんでも今回のは長すぎません？<br />
編集者泣かせもいい加減にしないと、岸和田のダンナが湯気を立ててだんじりを引き回しちゃいますよ。</p>

<p>■町工場のブリコルールたち</p>

<p>さて、本題ですが、「ののちゃん」とブリコラージュのお話、おもしろいですね。<br />
ウチダくんもご存知のようにぼくのうちは「町工場」だったので、最初にレヴィ・ストロースを読んでブリコラージュって語を知ったときに、なんとなくなつかしい心持ちになりました。<br />
「町工場」てぇのは、まさに職人の寄合いですからね。<br />
ぼくは、ガキの頃から工場に出入りしていて、そこの職人さんたちにいろいろと教えてもらいました。<br />
ついでに、母親から聞いた話をしますと、ぼくは両親が働く工場の二階の柱に、犬ころみたいに腰紐で繋がれてひとりで遊んで育ったんだそうです。<br />
職人さんにはまるで、ペットの犬のように可愛がられました。<br />
そして、いろいろな機械の使い方を見よう見まねで覚えたわけです。<br />
かれらの道具の使い方っていうのは、それこそ「これ」って「あれ」にも使えるよ<br />
というリソースの使いまわしの宝庫のようでした。</p>

<p>中学校のとき、「技術課程」という授業がありましたよね。<br />
今は無いのかもしれませんが。<br />
ぼくたちの学校では文鎮をつくりました。錘の部分をやすりで加工して、<br />
ネジを切ってそこに手持ちを付ける。この手持ち部分もやすりで加工するなんて<br />
ことをやったのですが、ぼくはそれを「工場」に持ち込んで、職人さんに教えて<br />
もらいながら作っちゃいました。そのときの、道具の使い方なんていうのは、学<br />
校で教わるのとはまるで違っていました。部材に寸法を入れる作業では、ケガキ<br />
針を使うのですが、「工場」では先のとがったメジャーで寸法をとり、そのまま<br />
部材を平行移動させてメジャーのとがった部分をケガキ針のように使っていまし<br />
た。（用具のイメージが掴めないと、この説明じゃわからないかもしれませんが。）<br />
要するに、あるものは何でも使うわけです。<br />
なければ、作っちゃうわけです。<br />
この現場感覚っていうのは、長じてからのぼくに大いに影響を与えていると思います。<br />
なければ作っちゃおうということで、無謀な企画をやって顰蹙も買ったし、苦労もしてきたわけです。</p>

<p>ぼくが驚いたのは、そのあと作った文鎮に「クロムメッキ」を施して、それこそ一級の商品にまで仕立て上げてしまったことです。<br />
技術屋ってのは、中途で止められないんですね。<br />
この文鎮を学校にもっていって、酒乱気味の先生に見せたところ、もうびっくりしちゃいまして、<br />
しばらくは見本ということで学校に展示されていました。<br />
職人仕事っていうのは、中途半端がないんですね。<br />
これは今から見ると驚異的なことです。<br />
今は分業ですから、あるところから先は関与しなくなっているでしょ。<br />
ところが職人仕事は、最後にそれが市場に出てどういう使われ方をするかってところまで気にかけるわけです。<br />
それこそ、自分がこさえたものを通して「どこかの誰かさん」とコミュニケーションしているわけです。</p>

<p>空手の先輩に、青森から出てきた優秀な大工さんがいまして、あるとき道場の会長が犬小屋の制作を彼にたのんだんですよ。<br />
このときこの人は、すいすいと立派な犬小屋を作ったのですが、しばらくそれを眺めていて、<br />
全部壊しちゃうんですね。気に入らないっていうのです。<br />
何か、映画に出てくる癇癪持ちの芸術家みたいな感じですが、こういった責任の取り方というのも、ブリコラージュって言うものかもしれません。</p>

<p>ブリコルールってのは、ぼくの言葉で言えば「折り合い」と「やり繰り」の世界の住人てことです。<br />
繰り返しになりますが、そこではあるものは何でも使う。無ければ作っちゃう。<br />
こういった問題解決の方法は、今の合理的な問題解決手法とはかなり趣を異にしています。<br />
今なら、精密な設計があり、作業手順書があり、必要な用具があり、無ければそれを注文し、といった具合に作業が進んでいきます。何が違うのかといえば、今は別に職人でなくとも誰でもある程度の訓練を受ければ、標準的なアウトプットを導き出せるようになってきているわけです。<br />
もちろんこういった業務の標準化というものが、コストダウン、分業、大量生産を可能にしたわけなんですけど。<br />
しかし、市場ニーズさえあれば大量に、いくらでも生産されるってのは、そのまま「ものを作るということの中心的な課題」を破壊してしまったように思えます。破壊したというのが言いすぎだというなら、見えなくしてしまったといってもよいのですが。</p>

<p>経営学的には、ブリコラージュってのは「暗黙知」というもので、これをメンバーで共有できる「形式知」に変えなければならないなんてことが言われたりします。<br />
この背景には、効率化とかコストダウン、そして知の共有化といった市場からの要請があるというわけです。<br />
結果として、これが技術の継続や進歩というものに繋がる。<br />
個人の身体に刻印された技能は、一代限りで再現性のないものだから、これをマニュアル化し形式化することで多くの人に共有できる技能に生まれ変わるってことでしょう。でも、ぼくはちょっと違うんじゃないかと思っているのです。</p>

<p>確かに「暗黙知」というものを「形式知」に変えて、計量し、数値化し、マニュアル化することで、個人的な「勘」や「ひらめき」や「呼吸」といったものが、誰でもが共有できる<br />
「技術」に分解されて、それが製品の大量生産やコストダウンに結びつきました。<br />
しかし、ここで行われた取引（暗黙知と形式知のトレード）は、技術と人間の関係の堕落でしかないのではないかと疑っているのです。<br />
別の言い方をするなら、「暗黙知」は「形式知」に変換されたわけではない。<br />
「あやふやな形式」が数量化された「確かな形式」に変換されただけであって、「暗黙知」というものが持っていたエッセンスは、切り捨てられたってことだろうと思います。じゃあ「暗黙知」って何だということになります。</p>

<p>ややこしいですが、これをちょっと説明します。</p>

<p>■　職人と「みえないネットワーク」</p>

<p>ウチダくんはレヴイ・ストロースはブリコルールだったと言いましたが、ぼくは、ブリコルールという言葉からすぐに職人さんの手を連想します。<br />
東北の大工さんもそうですが、かれらの手は、ぼくたちの手とまるで違うものです。<br />
肉厚というか、骨太というか。<br />
ブリコルールってのは、自然に働きかける人であるわけですが、同時に自然から影響を受け、身体まで変容して初めて一人前になるわけです。<br />
「暗黙知」とは、頭で考えたことではない。身体が覚え、身体に伝承されるものです。<br />
ぼくたちは武道を長い間やっているので、このあたりの事情はいわずもがなのこととして体感できますよね。</p>

<p>身体まで変容させてもやる仕事なんて、随分凄まじい話ですが、簡単に言えば「それで生きてゆく」といった覚悟みたいなものなんじゃないかと思います。いや、戦後二十年あたりまでの日本では、これは当たり前のことだったんじゃないでしょうか。<br />
近代化のプロセスのどこかで仕事をつきつめてゆくと身体の変容に行き着くといった発想は、前近代的なものとして唾棄されたのでしょうね。<br />
つまり仕事というのはもっと合理的な労働と賃金の取引であり、人はより合理的かつ<br />
効率的な方向へ向かって動いてゆくものである、と。<br />
仕事がそのまま生活であるといった考え方が否定されて、仕事は生活の手段であるというように、仕事が生活から分離されてきたように思えます。<br />
労働資本の流動化なんて言葉が称揚されるくらいですから。<br />
でもぼくは、仕事と生活、仕事と生き方というのは、ひとつのものの別の側面であるという風に考えたいのです。</p>

<p>最近ではよく、リスクをとるなんて言い方をしますが、金を出したからリスクをとったとか、出処進退をかけて仕事に就くなんていうようなことを言うわけです。<br />
でも、それだけだとやはりダメなんです。ギブアンドテイクみたいな風になってしまって結局思考の浅瀬を歩いているに過ぎない。<br />
いや、この往復書簡でよく引き合いにだされる「無時間モデル」を逸脱してゆくことができない。<br />
AをインプットすればBが出てくるみたいな思考法から抜け出られないように思えます。<br />
ぼくは、標準化、大量生産、分業生産といったものが、ものづくりの中心的な課題を破壊させたと書きましたが、それは別な言い方をすれば、ものづくりのなかに脈々と流れている時間といったものが消失してしまったということだろうと思います。</p>

<p>ぼくは、ビジネスや仕事の中に在る時間って何かということをづっと考えていたのですが、宮本常一の「庶民の発見」（講談社学術文庫）に、そのひとつの答えを見たように思いました。なんか、とってもいいんですよ。</p>

<p>「田舎をあるいていて何でもない田の岸などに見事な石のつみ方をしてあるのを見ると、心をうたれることがある。こんなところにこの石垣をついた石工は、どんなつもりでこんなに心をこめた仕事をしたのだろうと思って見る。村の人以外には見てくれる人もないのに・・・・」と。</p>

<p>ぼくは、こういうことなんだろうと思います。いい仕事をしていれば、どこかで誰かがそれを見る。<br />
どこかで誰かが見るって言ったって、それは村長さんや、ご近所の田吾作がきっと見るだろうということではなく、自分の知らない誰かが、自分がこの世におさらばした後でもというような長い時間と空間の中での話なんです。そして自分の知らない誰かがその気持ちを受け継いでくれる。こういった見えない誰かとの意思の受け渡しといったものが、どんな仕事に対しても手を抜かないという職人の倫理を育んでいるのだろうということです。ぼくは贈与ということの深い意味もこの中に潜んでいるんだろうと思います。<br />
贈与って、見えない誰かさんとのコミュニケーションなんじゃないかって。</p>

<p>それともう一つ宮本さんはこんなことを言っています。</p>

<p>「百姓は農業に生涯をかけている。だからまた農業に生涯をかけるような人の言葉でないと、本当に耳をかたむけない。そうでない人たちの言葉に耳をかたむけていると、思わぬところで足をさらわれる。」</p>

<p>ぼくもよく、「これで生きていこう」と思わなければ結局何もできないんだということを実感しているわけです。これで生きていく。なんと申しましょうか、これは職業の選択みたいに取られると困ってしまうのですが、そうではなくて、生き方の選択なんですね。こういった生き方を俺はするというそこのところが今は見えなくなってしまいましたねぇ。<br />
最近は誰もがネットワークなんてことを言いますが、単に隣人と繋がるといったものは違う、自分の知らない誰かさんと、自分が作って残しておいたものを通して、自分の知らないところで繋がっているというような「見えない繋がり」こそが、ネットワー<br />
クというものの真髄じゃないかって思います。</p>

<p>いや、ぼくのも長くなっちゃいましたね。<br />
では。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/04/13_2003.html</link>
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<category></category>
<pubDate>Wed, 13 Apr 2005 20:03:36 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ブリコラージュ的知性について</title>
<description><![CDATA[<p>■　自我とオムレツ</p>

<p>平川くん、どうも９からあと、間を空けてしまってすみませんでした。<br />
極楽麻雀でご一緒でさんざんしゃべったせいで、「間をあけた」という実感はないんですけどね。<br />
しかし、三月は忙しかったです。<br />
極楽スキーに極楽麻雀に極楽合気道の「極楽三連荘」でしょう。<br />
その間に「死のロード」（二日間に講演１、対談２、インタビュー２、宴会２…）がありましたし。<br />
中旬には二週続けて橋本治さんと高橋源一郎さんと対談したのがヘビーでした。<br />
最大限まで知的テンションを上げないとあの方たちの超高速で展開するお話にはついていけませんから。対談が終わったあと、脳の緊張が解けて「じゅるじゅる」と音を出して崩れてゆくのがわかりました。<br />
ほんとに。<br />
平川くんも日本のトップマネジメントの方々とお付き合いがあるからわかると思いますけれど、あのレベルの方たちと話すときって、「手持ちのカード」を並べて見せただけではまるで「勝負にならない」んですよね。<br />
「相手がいま切ったばかりのカード」に、こちらの手札から使えそうなカードを抜き出して作った｢別の手｣で「切り返す」というような感じのことをしないと、対話的コミュニケーションにならない。<br />
こちらにどれほど知的な「ストック」があって、博覧強記を誇っても、「かねて用意のストックフレーズ」を独白するかぎりでは、まるで対話にはなりません。<br />
でも、こちらの｢ストック｣が多少貧弱でも、そのストックの「使い回し」ができると対話はなんとか続けられる。<br />
つまり、相手が振ってきた論件について、「あ、そういえば『それ』って、『あれ』ですよね？」というふうに受けているとなんとかなる、ということです。<br />
相手の振った「それ」がぼくにとっては未知の情報であっても、文脈からこちらにとっては既知の「あれ」との関連性が浮かび上がる…ということってありますでしょ？<br />
ぼくが今回の二回の対談でしみじみ感じたのはこの「ストックの使いまわし」ということの大切さでした。<br />
日本の最近の小説をどうカテゴライズしたらいいのかという話のときに国際関係論のスキームを思い出し、コピーとオリジナルの位階差を論じているときにキャロル･キングと大瀧詠一の関係を思い出し…と、まあ、その程度のことなんですけど。<br />
そんなの、相手の差し出す「未知」をそのつど手前の「既知」に回収しているだけだから、ぜんぜん対話的な自己超克がなされてないじゃないか、というような異議をさしはさむ方がいるかもしれません。<br />
でも、そうでもないんですよ。<br />
「『それ』って、『あれ』ですよね」のときの「あれ」はもうぼくにとって既知の「あれ」ではなくて、新しい文脈に置かれ直して、ぼくの知らなかった別の相面を示している「あれ」なわけですから。<br />
「〈自我〉って、まあ言ってみれば、〈オムレツ〉みたいなものです」というような言い方をしたときに（これはぼくのでまかせじゃなくて、ラカンのことばなんですけど）、ひとたびそういう言い方がなされたあとは「自我」も「オムレツ」もそれまでとはもう「別の概念」ですよね。<br />
だって、これから先はオムレツをみるたんびに「あ、これがラカンの言う〈自我〉なのか…で、どのへんが〈自我〉なの？」と思わざるを得ないし、逆に、〈自我〉という字を見るたびに〈オムレツ〉を思い出すわけで。</p>

<p>■『ののちゃん』とレヴィ=ストロース</p>

<p>この間、朝日新聞の朝の四コマ漫画の『ののちゃん』で、お母さんが「非常持ち出し品」としてきゅうすと下駄と殺虫剤と枕カバーと割り箸を並べてみせる、というのがありました（平川くんち朝日新聞じゃないの？）。<br />
それを見て、おばあさんが「なんやコレ、火事であわてて火鉢かかえて逃げるんと同じやで」となじるのですが、お母さんは「よーく考えたら、こうなるのヨ」と答えます。そういわれたおばあさんが五つのオブジェをじっと見つめているうちに、「ほんまや、なんでも役に立つ気がする！」というオチなんです。<br />
ぼくは新聞をぱらりと取り落として、思わず「おお、これってまるでレヴィ=ストロース…」とつぶやいてしまいました。<br />
そうなんですよ。<br />
これって、レヴィ＝ストロースのいうところの「ブリコラージュ」(bricolage) そのものだから。<br />
こういうところに、ぼくはいしいひさいちの天才を感じました。<br />
平川くんには説明不要ですけれど、読者のみなさんのためにちょっとご説明しますね。<br />
フランス語に「ブリコルール」(bricoleur) ということばがあります。<br />
これは「専門家よりも遠回りなやり方で、自分の手で物を作る人」のことです。<br />
レヴィ＝ストロースは『野生の思考』の第一章「具体の科学」で、このような「ありあわせの道具材料を使いまわしして技術的要請に応える態度」を近代人の｢科学的思考｣に対して、「神話的思考」と名づけました（｢野生の思考｣とはこのことです）。</p>

<p>「神話的思考の特徴とは、構成要素が雑多で、広範囲にわたってはいるが有限の語彙を使って自己を表現することにある。どんな仕事の場合でも、それを使用するしかない。というのは手元にそれしかないからだ。」（Claude Lévi-Strauss, La Pensée sauvage,<br />
Plon, 1962,p.26）</p>

<p>｢ブリコルール｣の仕事ぶりはこんなふうに進みます。</p>

<p>「計画を立てると彼はわくわくする。でも、彼が最初にやるのは回顧的な手続きである。これまでに集めたり作ったりしてきた道具と素材の全部を彼はじっとみつめる。そして、その一覧表を作るか、あるいは新しく作り直す。そして、ここが肝心なところなのだが、彼はそれらの道具材料を選び取る前に、彼の抱える問題にこれらすべての素材と道具がどんな応答をなし得るのかを数え上げるために、それらと対話を始めるのである。彼の〈宝庫〉を構成するこれらの雑多なオブジェに彼は問いかけ、それらのひとつひとつが何を〈意味する〉ことができるのかを知ろうとするのである。」（Ibid., p.28）</p>

<p>ブリコルールの野心は「有限のリソース」から「無限の意味」を引きだそうとするところにあります。<br />
ですから、彼はどんなものを見ても、どんな役に立ちそうもないものを見ても、「でも、これにも何か使い道があるんじゃないかな？」(Ça peut toujours servir)と自問することを止めません。<br />
彼は一本の木の枝を、あるときは「土を掘る道具」として使い、あるときは布と組み合わせて「テントの支柱」として使い、あるときはボートと組み合わせて「舟の櫂」として使い、あるときは皿と組み合わせて「すりこぎ」として使い、あるときはそのままで「孫の手」として使う…というふうな「使い回し」するわけです。<br />
ブリコルールの知的努力は「一つの道具・素材が適用しうる限りの使途」の発見に集中されます。<br />
『ののちゃん』のおばあさんが五つのオブジェに注ぐまなざしは、その意味でまさしくブリコルールのものでした。</p>

<p>ぼくは長いあいだ、どうしてサルトルの『弁証法的理性批判』を徹底的に批判したレヴィ=ストロースのこの書物が「ブリコラージュ」の話から始まるのか意味がわからなかったのです。<br />
それが『ののちゃん』を見て、「あ、そうか！」と腑に落ちたんですよ。<br />
レヴィ＝ストロース自身が「ブリコルール」だったからなんですね。<br />
レヴィ＝ストロースが「野生の思考」に「科学的思考」に対するのと同等の威信を求めたのは、べつにレヴィ＝ストロースが「第三世界の抑圧されたサバルタン」にポストコロニアリズム的な共感を寄せていたからではなく（それもあったでしょうけれど）、レヴィ＝ストロース自身が「野生の思考」の人だったからなんです。<br />
それが最初に『野生の思考』を読んでから３０年経って、やっとわかりました(「年をとらないとわからないことがある」というのはほんとうにそうですね）。<br />
レヴィ＝ストロースの最初の大仕事は「親族組織の構造法則は音韻の構造法則と同じである」というアイディアから出てきた『親族の基本構造』です。<br />
言語学者のローマン・ヤコブソンからニューヨークに行く船の中で音韻論の話を聞いているうちに（ふたりともユダヤ人だったので、ヨーロッパから亡命するところでした）、レヴィ＝ストロースは「あ、『それ』って、『あれ』じゃないか！」と膝を叩いたわけです。<br />
この「『これ』って、『あれ』じゃないか」的な発想法をレヴィ=ストロースは「ブリコルール的思考＝野生の思考」と呼んだのでした。<br />
言語学の概念は専一的に言語現象の分析にしか適用できないという硬直した発想をとらないレヴィ=ストロースは、音韻論のアイディアを「親族組織」や「婚姻規則」というぜんぜん別のカテゴリーの現象にあてはめてみて、「同一規則がぴたりと当てはまる」ことを発見しました。<br />
これこそ「ブリコラージュ」そのものです。</p>

<p>サルトルという人は、レヴィ＝ストロースからは、たぶん「科学的思考」の権化に見えたんでしょうね。<br />
｢科学的思考｣というのは、過度に「脳化」した思考法だと思います。<br />
脳というのは、たいへんにすぐれた臓器で、膨大な量の情報を詰め込むことができます。脳にはいくら詰め込んでもそれでも一人の人間が集積できる程度の情報では「メモリー」がいっぱいになるということはありません。<br />
ですから脳化した思考は「明晰判明にして一義的」な概念をとにかくたくさん揃えてきます。<br />
新しい語、新しい概念、新しい理論、そういうものがいくらでも詰め込めるわけですから、当然古い術語や古い概念や古い理論は「使い捨て」にしてよいということになります。<br />
サルトルはそういう「概念の大量生産・大量流通・大量消費・大量投棄」という近代的な趨勢のある種の先導者のようにレヴィ=ストロースの目には見えていたんでしょう。<br />
たしかにサルトルにはそういう傾向がありました。<br />
それは52年の「サルトル=カミュ論争」のときに、サルトルがカミュを批判したロジックから伺うことができます。<br />
サルトルの批判はレジスタンスを領導したときのカミュは歴史的に正しかったが、階級情勢の変化に即応することを怠り、いままさに階級的急務であるところの第三世界の民族解放闘争への全面的コミットをためらうとき歴史的に過っている、というものでした。</p>

<p>「君が君自身であり続けたいのなら、君は変化しなければならない。しかし君は変化することを恐れた。」（『革命か反抗か』）</p>

<p>サルトルはこう言って、カミュに思想家としての死を宣告したのでした。<br />
政治思想も芸術的前衛性もわずか数年で陳腐化し、「歴史のゴミ箱」に投じられる。だから、絶えず「最新情報」にアンテナを張り巡らせ、「最新流行」にキャッチアップし、「最新の理説」を「最新の術語」で語り、ついてこられない人々を「反歴史的」と一刀両断する。<br />
このサルトルのスタイルはその頃すでに現代人の「ふるまい方の自明」として共有されかけていたわけですが、レヴィ=ストロースはおそらくそれにきっぱりと「ノン」をつきつけようとしたのです。<br />
人間にとってたいせつなのは「新しい状況」にそのつど「新しいスキーム」をあてはめるせわしない知のアクロバシーを演じ続けることではない。そうではなくて、人間がこれまで拾い集め、蓄え、作り上げてきたすべてのものに向かって、「でも、これにも何か使い道があるんじゃないかな？」と問いかけることではないのか。<br />
レヴィ=ストロースはそういうことが言いたかったんじゃないか。<br />
ぼくにはそんなふうに思えます。</p>

<p>■	自分の身体を勘定に入れる</p>

<p>そして、ここからぼくの思弁の暴走が始まるのですが、レヴィ=ストロースの言う「神話的思考」をぼくは「身体的思考」と言い換えることができるんじゃないかと思うのです。<br />
どうしてかというと、脳はさきほどいいましたように「情報の大量摂取・大量廃棄」をまったく苦にしない臓器です。苦にしないどころから、それこそが脳の本性と言ってもよいと思います。脳はいくらでもストックをふやすことができます。<br />
でも、身体はそうはゆきません。身体的リソースは「有限」だからです。<br />
細胞の数は決まっているし、臓器だって、骨だって、血管だって、神経だって…「手元にあるだけ」しかありません。<br />
身体を使うというのは、畢竟するところ、有限数の「ありもの」をどう「使い回し」して、新しいパフォーマンスを達成するか、という「ブリコラージュ問題」です。<br />
ぼくたちは長く武道をやってきたわけですから、身体機能を上げるということは何か外部的な要素を「付加する」のではなく、「すでに持っている身体要素」の「これまでそんな用途で使ったことのない使い方」を探り当てるということだということは身に染みてわかっているはずです。<br />
「術」というのは端的に言えば、「そういうふうには使わない」関節を使い、「そういうふうには使わない」筋肉や腱を使うということですよね。<br />
それは武道に限らず、舞踊や演劇でも変らないと思います。<br />
だから、自分の身体的なパフォーマンスを高めることに強い興味を持続的に抱いていた人間は、多かれ少なかれ「ブリコルール」的になるように思うんです。<br />
ものの考え方までが。<br />
ぼくの場合は間違いなくそうでした。<br />
ぼくは合気道を稽古し始める前は、かなり「脳的」な少年でした。<br />
それは「情報を片っ端から詰め込み、片っ端から棄てる」ということを正統的な知的活動だと信じていたということです。<br />
でも、身体的なパフォーマンスの向上をめざすにつれて、そういう考え方がだんだんなじまなくなりました。<br />
腕を上げるというような動作ひとつにしても、そのために使っていない身体の部分があると、「もったいない」という気がしてきたんです。<br />
腕をつかまれて、それをふりほどくように相手を投げるときでも、「腕だけ」で仕事をするわけにはゆきません。正中線も体重の移動も腰の回転も呼吸も目付も内臓の筋肉も、もう使えるものは総動員します。<br />
だから、ふだん自分の身体をチェックしているときにぼくが何を考えているかというと、「これにも何か使い道があるんじゃないかな？」ということです。<br />
ね、身体技法って、本質的に「ブリコラージュ問題」でしょ？<br />
「心身一如」とか「文武両道」ということばをただのご託宣だと思っている人が多いと思うんですけれど、ぼくの「暴走的」解釈によれば、これは「有限のリソースの使い回しによる意味の創出」という「非-脳的な情報戦略」を活用しなさいという教えではないか、と。そんなことを考えています。</p>

<p>どうしてこんな話をしてきたかというと、平川くんのいう「自分を勘定に入れる」「自分を勘定に入れない」というのは、自分の身体をどういうものとみなすかで分岐するような気がしたからです。<br />
「自分」というものを「純粋な機能」と考える人にとって、自分の身体はできるだけ「勘定に入れたくないもの」です。<br />
一方に身体を豊かな「宝庫」とみなし、そこから無限の意味を汲み出そうと望む人にとって、身体は「対話」の相手です。敬意と好奇心を抱いて自分の身体とかかわる人間にとって、「自分を勘定に入れる」ことは自明のことです。<br />
自分の身体も、無数の過去の記憶も体験も、さまざまなネットワークの中で演じている社会的機能も…すべては「ブリコラージュ」における「手元にそれしかない」ところの道具であり素材である。ぼくはそんなふうに考えています。</p>

<p>ぼくはよく「ウチダくんは『たとえ話』がうまいですね」と言われますけれど、それは「『これ』って、『あれ』じゃない」という発想をいつもしているということですよね。<br />
「抑圧」って『ぶす』じゃない？とか「去勢」って『こぶとり爺さん』じゃない？とか「他者」って「死者」じゃない？とか「沈黙交易」って「アマゾン・ドットコム」じゃない？とか、さっきやったばかりの『ののちゃん』てレヴィ=ストロースじゃない？とか…<br />
手元の「ありもの」情報をいろいろな文脈で、そのつど違う機能の素材として、くるくると「使い回す」こと。<br />
ぼくはこの技法を武道の修業をつうじて学んだような気がします。</p>

<p>ぼくたちはかつての政治の季節に「自分の拳に託すことのできないような思想は語るな」というフレーズをずいぶん愛用しましたね。<br />
そのことばを口走っていたときのぼくたちは「拳」＝身体というものを思想の有効範囲を限定するものというふうに観念していたように思うのですが、あれから30年経ってわかったことのひとつは、「拳」はそのころ考えていたよりもはるかに奥深く、滋養あふれる思想の培養基であったということです。<br />
だから、いまぼくがあのフレーズにことばを付け足すことを許されたとしたら、「自分の拳の蔵する豊かさを知らない人間の語る思想はあまりに痩せている」と書き足すことでしょう。</p>

<p>話がますますとりとめもない方向に暴走してしまいましたが、続きをよろしく！</p>

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</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/04/02_2356.html</link>
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<category></category>
<pubDate>Sat, 02 Apr 2005 23:56:17 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>非決定問題について</title>
<description><![CDATA[<p>■　年をとらないとわからないこと</p>

<p>ウチダくん、いそがしそうだけど元気ですか。<br />
ちょっと間を空けちゃいましたね。<br />
先週、箱根の雪の中で、ソニーの元常務で、プロジェクトXにも出ていた郡山さんを<br />
囲んでセミナーをやっていたのですが、そのとき、彼がとてもおもしろいことを言っていました。<br />
「年をとらないとわからないこともある」ということです。<br />
で、ぼくが、それは何ですかと問うと<br />
「年をとるとどうなるかってことは、年をとらないとわからないってことです」<br />
っていう答えが返ってくる。<br />
まあ、あたりまえって言えばあたりまえのことですが、<br />
ぼくは自分も五十も半ばになって、この答えに妙に納得してしまいました。<br />
この答えの妙味はそれこそ年をとらないとわからない。</p>

<p>ぼくは、自分のイマジネーションというものが結構使えるツールで人間にとって最も大切な能力の一つだと日ごろから思っているのですが、それでも、年をとったときの感覚ってところまでは、若いときのイマジネーションはとても届かないですね。<br />
年寄りからは若さがなんであるかというのは経験済みのことですからよくわかる。しかし若さをそのままどんなに引き伸ばしても年寄りにはなれない。年をとるってことは、若さそのものへの否定なわけです。</p>

<p>若いってことは自分がやがて年をとるってことに思い至らないってことです。<br />
まあ、ぼくたちは結構年寄りに憧れがあってはやくじじいになれないもんかなんて思っていたので例外かもしれませんね。<br />
でも、普通は今日若ければ明日も若いと思っている。<br />
そうじゃありませんでした？<br />
これを何回繰り返すと自分が年寄りになるなんて誰も思わない。<br />
ぼくはこういった問いを「非決定問題」って呼びたいんです。<br />
マルクスではないですが、さなぎはそのままでは蝶にはなれない。<br />
だけれどもある日、年をとるということがどういうことかが一瞬にして了解できる。</p>

<p>これは屁理屈ですが、実際、年をとってはじめて若さというものに対するイマジネーションが描けるわけです。<br />
どんな若者もやがて年をとるということは頭ではわかっていても、自分が年をとるってことの意味は、そこまで行って見ないとわからない。<br />
今日のお話は実はこのことと深い関係にあるとぼくは思っているのです。</p>

<p>■　自分を勘定に入れるということ</p>

<p>せっかくウチダくんが具体的かつ緊急のビジネスの課題の方へ舵を切ってくれようと<br />
しているのに、ぼくがまたここで前段のややこしい話に戻しちゃうかもしれません。</p>

<p>というのは先回のウチダくんのお手紙（とは言ってもメールですが）の言葉に思わず<br />
反応してしまったからです。どこに反応したのかというと。</p>

<p>＞「あなたのいう『言論の自由』の定義って、ちょっと違うんじゃないのかなあ」という<br />
「原理」そのものについての批判や検証も「あり」ということじゃないと、「言論の自由」にはならないのじゃないかと思うんです。</p>

<p>というところです。<br />
これは、チョムスキーにしてもサイードにしても、正しき人々に対して、ぼくがつねに<br />
感じるちょっとした違和感の在り処を示唆してくれます。<br />
「正しい言説」にはもれなく、「違和感」がついてくるというわけです。<br />
で、この違和感がどこからくるのかについて、考えたいと思うのです。</p>

<p>「言論の自由」は人類最強の理念の一つだろうと思います。<br />
これは「人間の平等」とか「人権」とか「環境」といったものと並ぶ、人類最強の理想であり、攻略不能な倫理でもあるわけです。<br />
例えばアンケートで「あなたは言論の自由に賛成ですか。」と問えば百人が百人「そりゃ賛成だがね」と答えるしかないということです。<br />
あのコクドの堤さんだって、社員は自由に発言していて、それが直接わたしのところへ届くなんて言っていましたからねぇ。</p>

<p>面白いのは、(と言っちゃ語弊があるでしょうが）そうであるにもかかわらず、言論はしばしばコントロールされているし（あるいは何となく自らコントロールしちゃうし、人類は結果においても機会においても平等であったためしはない。<br />
人権は世界中のいたるところで踏みにじられており、環境は日々汚染と破壊の脅<br />
威に晒されています。</p>

<p>理念としては最強だし、誰もがそれが何であるかわかったつもりになれるが、現実にはなかなかそれが実現できていない。<br />
これっていったいどういうことなんでしょうかねということだと思います。<br />
案外ここらに、人間と言葉の関係に潜む陥穽といったものがあるんじゃないかと思うのですが、なかなか難しい問題なんですね、これが。</p>

<p>丹頂鶴は、今や世界で二〇〇〇羽位しか生息していないそうです。<br />
このままいくと朱鷺と同じように、この地球上からひとつの「種」が消滅するわけです。<br />
これは非常に大変な、重要なことではありますが、さしあたりぼくには関係が無いとしかいいようがありません。<br />
絶滅しないように、お祈りするだけです。<br />
人類の平和、人権の尊重、人間の平等、言論の自由。これらは皆、そうありたいねと、希うことはできても、ではどこまで人間の欲望を制限してゆけば、これらのもの<br />
を手に入れられるかということはよくわからない。<br />
京都議定書を批准しない論理に、テクノロジーがこれらの問題を解決するというのがありましたが、ぼくには問題の捉え方が根本的に違うとしか思えませんでした。</p>

<p>いま、世界を見渡してみればいたるところに非平和、人権の蹂躙、絶対的不平等、<br />
言論の弾圧が横行していることがわかります。<br />
しかし、こういったものをどうやって解除していくか、どこからどこまでが戦争で、どこからが平和なのか、どこまでが言論の自由で、どこからが作法やしきたりなのか、なかなか簡単には分別できないやっかいなものであることもすぐにわかるはずです。</p>

<p>世界をうんと単純化したければ、世界にはこういった理念を毀損したいという邪悪な<br />
意思が働いており、いまのところそういった加害勢力が優勢であるがために理想<br />
が実現できないといえばいいわけです。つまりよき人々と邪悪な人々が戦ってい<br />
るという構図ですね。何か、世界には「ならずもの国家」と「フリーダムの伝道国」があるというおなじみの構図です。<br />
でも、世界は百人の村じゃないわけです。</p>

<p>もうひとつは、もともとこういった理念は、実現できないものであり、実現不可能であるがゆえに、欠損的理想としてのポジションを保持できているのだというものです。<br />
この場合ぼくたちが要請されているのは、最強の理念というものが、ぼくたちの個人的な欲望や理念といったものとどういった関係にあるのかということを知るというこ<br />
とだろうと思います。</p>

<p>ぼくは後者の考え方でいいのではないかと思っているのです。<br />
いや、世界を正邪の対立と考える宗教的な世界観そのものを解体してゆかない限り、世界から紛争や戦争は無くならないといってもいいんじゃないかと思っています。<br />
あるいはウチダくんも書いていたように、複雑系の中では、このボタンを押せば自由が出てくるなんていうリニアな世界は何処にもないということかもしれません。<br />
そういった偏狭なナショナリズムを解体するには、迂遠なようですが、ぼくたちじしんが決定不可能性とか、実現不可能性といった場所に立つ必要があると言うことだろ<br />
うと思います。</p>

<p>そこでもう一度百人が百人賛成の理念は何故実現できないのかと問うてみたいのです。<br />
答えは、結論から言ってしまえば、それはこういった理念は「自分を勘定にいれない」理念だからということになります。<br />
自分を勘定に入れないところでは、人間は何でも言うことが可能です。しかしその言説は遂行的なレベルでは何の指南力ももたない。以前書いたことがあるのですが、人は自分でそれを信じていなくても信仰を告白することが可能だし、自分を勘定に<br />
入れることは、言葉と社会を繋ぐ蝶番のような役割であるとぼくは思っているのです。</p>

<p>正義の理念は、一見遂行的な課題のように見えるのですが、自分を勘定に入れない限りそれが、遂行的な課題には成りえませんよね。<br />
腹の底では、なんだこのやろうと思いながら、「俺を批判するのは自由だ」なんて言っても、ただの欺瞞としか響かないわけです。<br />
自分を勘定に入れた言葉が、普遍的な正義の言葉へ成長してゆくにはまさに、そこに「命がけの跳躍」があると言えるのかもしれません。</p>

<p>ぼくは、人間というものはだれもが他者の自由をコントロールしたい、他者を差別したい、他者より優位に立ちたいといった欲望を自分の内部に棲まわせている存在だと思います。あたりまえですよね。欲望ってそういったものですから。<br />
そして、そういった欲望を無化しようとして努力するとすればそれは、出家するか、あるいは自殺するかしかないわけです。しかし、こういった欲望を自らのうちに飼ってい<br />
るからこそ、それとは反対の概念も立ち上がってくることができるとぼくは考えています。</p>

<p>「言論の自由」「人権の尊重」といった理想的な理念を単なる理想的な原理から、現実変容の力に変えてゆくという発想には、こういったことに対してイノセントである自分をつくりあげるという前提が必要になります。しかし、イノセントからファンタジーは作れても、リアリティのある世界を作り上げることはできない。<br />
なぜなら、社会の負担すべき有責性の一端が自分の内部にも存在している、あるいは自分はその有責に対する加担者のひとりであるという自覚のないところでは、自<br />
由を弾圧したり、尊厳を毀損したりすることのリアリティーは、存在しようが無いという他はないからです。</p>

<p>ちょっといい加減な、観念的な言い方になるかもしれませんが、理念というものが現実的であるためには、その理念に対立する欲望が込みになったかたちでのメタ理念を作り上げなくてはならないのじゃないかと思うのです。<br />
（わかりにくいでしょ。でも、ウチダくんにはわかっちゃいますよね。）<br />
それは今のところ、ぼくたちには決定不能のこと、非決定の場というものがあるということを知るという以外には無いというしかないのですが。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/03/10_1033.html</link>
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<category></category>
<pubDate>Thu, 10 Mar 2005 10:33:50 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>常識と陰謀</title>
<description><![CDATA[<p>■　天下無敵のブロガー</p>

<p>こんにちは。<br />
平川ブログ、アクセス増えましたね。<br />
ぼくもそうですけれど、ポリティカルな話題について書くといきなりアクセス数が増えるんですよね。<br />
たぶん「ミツバチのダンス」みたいに、「あそこのサイトでポリティカルな話題についての言及があります。ぶんぶん」というようなシグナルが発信されていて、それに感応して人々がやってくるんでしょうね。<br />
それにしても、人間て「政治」がほんとうに好きなんだなあと思います。<br />
どんな話題よりも「熱く」なりますからね。<br />
正直言って、ぼくは政治的なブログって、左右を問わずあんまり好きじゃないんです。<br />
なんていうのかな、「党派性」が嫌いなんです。<br />
ぼくのいう「党派性」というのは「政治的に偏っている」という意味ではなくて（政治的に偏ってない人間なんてこの世いいませんから）、「衆を恃んで」、数で押してくるというやり口のことです。<br />
政治って集団的なものなんだから「衆を恃む」のは当たり前だろうという人がいるかも知れませんが、ぼくはちょっと違うと思うんです。<br />
ぼくも政治的は発言をときどきしますけれど、それは「衆を恃んで」の発言ではなくて、どちらかというと「衆を結集する」ための発言だと思っています。<br />
私はこの政治的論件についてこう思います、その論拠はこれこれしかじか。同意見の方、いらっしゃいますか？意見が合う人がいるとうれしいです。<br />
というのがぼくの政治的オピニオンの提示の仕方です。<br />
「衆を恃む」政論家はこれとは語り口が違います。<br />
彼らは自分と同意見の人間が（潜在的にではあれ）多数派であることを「自明」の前提として発言しますから、そこには「説得」というモメントが存在しません。<br />
そんなことないよ、彼らだって典拠を示したり、数値を挙げたり、データを羅列したりしてるじゃないか、と言う人がいるかもしれませんが、それは論敵を「論破する」ためのもの、相手を追いつめ、孤立させ、叩き潰すために功利的に利用されているにすぎません。意見の違う人、立場の違う人を説得して、同意を取り付けるためにそれらの言葉は動員されているのではありません。<br />
相手を黙らせるために動員されている言葉。<br />
そういうのって、言葉の使い方としていちばん哀しいと思いませんか？<br />
ぼくはそういう言葉の使い方をしている人を見ると、気分が重くなってしまうんです。<br />
そういうことしているとほんと身体に悪いぜ、と思って。</p>

<p>とにかく、政治的発言には「仲間を糾合するための言葉」と「敵を殲滅するための言葉」の二種類があります。<br />
どちらも「敵をなくす」というのが最終的な目標なわけで、その点では「同じ」と言ってもいいんですけど、アプローチが違う。<br />
「天下無敵」という言葉がありますよね。<br />
これを「天下のすべての敵を私は殲滅する」という挑発的な宣言だと思っている人が多いと思うんですけれど、本旨はそうじゃないとぼくは思っています。<br />
「天下に敵なし」というのは、むしろ「みんな仲間」という意味だろうと思うんですよ。<br />
そんなことできっこないだろうと怒る人がいると思いますけど、「主体」と「他者」という概念そのものを書き換えればできないことはないと思うんです。<br />
まあ、これは話し始めちゃうとやたらに長い話になるので、始めたとたんに切り上げますけれど、ぼくはそういう意味で「天下無敵のブロガー」をめざしているわけです。<br />
もちろん、ぼくのサイトにも批判的な書き込みやトラックバックをしてくる人はあまたいるわけですけれど、ぼくはそういう「反対者」を排除したり黙らせたりする気はないんです。<br />
前に書きましたけれど、ぼくの解釈する「言論の自由」というのは<br />
「言う人」は好きなことを言いたいように言う。<br />
その適否については「聞く人」に判断してもらう。<br />
おしまい。<br />
というものです。<br />
ほとんどの人は「言論の自由」というと前段だけを強調しますけれど、ほんとうにたいせつなのは、「その適否を聞く人が判断できる」ような場を確保するという後段の方だと思うんです。</p>

<p>■「言論の自由」が損なうもの</p>

<p>十年ほど前に、フランスやドイツで「歴史修正主義論争」というのがあったのを覚えていますか？<br />
ロベール・フォーリソンというフランスの歴史家（と言っていいのかな）が「アウシュビッツにガス室は存在しなかった。ユダヤ人たちはチフスで死んだのである」という「学説」を発表して大騒ぎになりました。日本でも、それを翻案した書き物を『マルコポーロ』という雑誌が掲載して、国際的なユダヤ人団体の圧力で雑誌そのものがつぶれたことがありましたね。<br />
ぼくはフォーリソンの本を読んだんですけれど、序文を寄せていたのがあのノーム・チョムスキーでした。<br />
チョムスキー曰く。<br />
「このフォーリソンという人物の主張が正しいか間違っているか、私にはわからない。なんだか間違っているような気もするが、『それは間違っているんじゃないの』と思う言説についても、それを公刊する権利を私はあえて擁護したいと思う。」<br />
なるほどね、と思いました。<br />
仮に自分自身がそれに反対する理説であっても、それが自由に公刊され読者に提示される権利を私は保護したいという態度は政治的にはたいへんに正しいのでしょう。<br />
「私は私に反対する人間の言論の自由を擁護する」というのは、たしかに美しい言葉です。<br />
でも、この場合は「ちょっと待ってね。いくらなんでも…」という気がぼくはしたんですね。<br />
チョムスキーさん、ちょっとそれ「言い過ぎ」なんじゃないですかって。<br />
「ユダヤ人の絶滅収容所は存在しない。なぜならユダヤ人の殺害を記録したナチスドイツの公文書が存在しないからだ」という議論の立て方は、「常識的に判断して」無理筋だと思うんです。<br />
ぼくがチョムスキーに感じたのは、「いくらなんでも非常識な…」という感覚だったんですけれど、「理屈としては正しいけれど、なんか非常識」ということってありますよね。ぼくはこの「常識的に考えて…」という「行き過ぎた原理性に対する違和感」もまた言論の自由を生き残らせるためには不可欠のファクターではないかと思うんです。<br />
チョムスキーの発言はたしかに「言論の自由」の原理に忠実なものです。でも、この「言論の自由についての原理主義」というのは、「言論の自由」の本質的な豊かさを蝕むもののようにぼくには思えたのです。<br />
「言論の自由」というのは、ほんとうはチョムスキーが考えているほどに原理的・固定的なものではないと思うんです。<br />
「あなたのいう『言論の自由』の定義って、ちょっと違うんじゃないのかなあ」という「原理」そのものについての批判や検証も「あり」ということじゃないと、「言論の自由」にはならないのじゃないかと思うんです。<br />
チョムスキーの理屈で言えば、「私たちは言いたいことは、なんでも言う権利がある。それによって傷つく魂があろうと、破壊される美があろうと、踏みにじられる条理があろうと、言いたいことを言う権利は万人にある」ということになると思うんですけど、言論の自由のめざしていることって、そういうもんじゃないでしょう？<br />
言論の自由っていうのは、そんなふうな硬直したごりごりしたストレスフルな原理じゃないと思うんです。もっと、風通しのよいものでしょう？<br />
自由というのは、「自由でなければならない」というような拘束的な語法で語られるものじゃないと思うんです。<br />
何て言うのかな。<br />
チョムスキーは非常識じゃないかとぼくが思ったのは、たぶん彼の言葉に「愛」がないからなんですよ。<br />
言葉に「愛がある」か「ない」かって、わかるじゃないですか。なんとなく。<br />
チョムスキーの序文には「原理に対する誠実さ」はあるんですけれど、彼が擁護している当のフォーリソンや彼が適否の判断を委ねている当の読者たちに対する敬意や愛情は感じられないんです。<br />
言論の自由の第二原則の「適否は聞く人に判断してもらう」という言葉づかいからもわかると思うんですけど、これは「判断してもらう」という語の「もらう」という敬語部分が実はたいせつなんですよね。<br />
「もらう」は「言葉を差し向ける当の相手に対する敬意」の表れです。<br />
読者に対する敬意が込められていないなら、いくら形式的に読者に適否の判断を委ねるかたちにしてあったも、それだけでは「言論の自由」は立ちゆかない。<br />
ぼくはそう思うんです。<br />
例えば、こういうテクストを書いているときに、ぼくはこれを読む人に対して、どれほどの敬意と信頼を寄せているだろうか…とときどき筆を止めて（キーボードの上に指を泳がせ、かな）考えるんです。<br />
「慇懃無礼」という言葉がありますね。<br />
でも、「愚見の当否のご判断は読者諸賢に委ねたい」というような言い方は形式的には敬意の表現なんだけれど、読者を愚弄するような薄ら笑いを浮かべながらそう書くことだってできるわけです。<br />
だから敬意って、ことばの表層にあるものじゃないということはわかるんです。<br />
じゃあ、どこにあるかというと…<br />
対話性っていうのかな。<br />
「ぼくにはよくわからないんだけど、あなたは、どう思いますか？」という問いかけが、外形的な修辞としてではなく、言葉の底流に、書き手の息づかいというか、立ち姿勢みたいなものとして存在する、ということがたいせつなんじゃないかと思うんですね。</p>

<p>ぼくは「対話の原理主義」とか「他者性の原理主義」みたいな風儀にどうもなじめないんです。<br />
あるじゃないですか、ポストコロニアル批評とかポストモダン批評とか。「対話せねばならない」とか「他者と向き合わねばならない」とかいう口吻で説教するやつ。<br />
あれって、何か「常識的に考えて」変でしょ？<br />
「さあ、対話をしましょう。対話によって、私たちの個別的な言説のイデオロギー性や臆断を乗り越えようではありませんか」というような言い方って、何か「常識的じゃないよ」ということですね。ふつうはそんなふうに言わないから。セックスする前に女の子に「さあ、エロス的合一めざして愛し合おうじゃないか」なんて言わないでしょう。ふつう。<br />
相手に向かって言葉を発するときって、別に準備していた「正しい」台詞を読み上げるわけじゃなくて、その場でその場の空気に触発されて生成してきた言葉が口を衝いて出てくるわけじゃないですか。それが対話性というものだと思うんですよ。「対話とはかくあらねばならない」というような決めつけをして臨んでも、対話は少しも豊かにならないし、愉快にもならない。<br />
じゃあどうするんだと凄まれても、こちらも正解を知っているわけじゃない。「だから、ま、常識的にね、総合的に判断をしてですね…もごもご」ということになるわけです。<br />
「言論の自由」のいちばん根本にある知見というのは、「何が正しいのかわからない」ということですよね。<br />
「そもそも『言論の自由』ということ自体、正しいのか正しくないのか、よくわからない」という「メタ・わからない」性が言論の自由の最良の質を担保しているんじゃないか、と。ぼくはまあそんなふうに思うわけです。</p>

<p>■複雑系としての人間社会</p>

<p>さて、ややこしい話はいずれまた蒸し返すとして、ビジネス論に行きましょう。<br />
サラリーマンたちの愚痴の構造って、平川くんの言うとおりですね。<br />
「現実はもっと悲惨で、救いがない」という現状認識があって、その現状は「自分は〈被害者〉である。どこかに自分の苦しみから受益している〈加害者〉がいるはずだ」というかたちで説明される。<br />
ご指摘のとおり、この論法はマルクス主義的思考のうちに典型的に見られたものでした。<br />
「社会の矛盾を一身に集成しており、そのせいで社会全体を解放することなしには自己解放しえぬもの」というのが「理想的被害者」としての「プロレタリアート」の定義ですが、その対極には当然のように「自分以外のすべての社会集団を利用し収奪することで受益している理想的加害者」が想定されていました。<br />
この「被害者」の対極にはその陰画として「加害者」が存在するというのはある種の宗教的信憑にすぎないということは、十年ほど前に「複雑系」という概念が普及したあたりでみなさんも一応納得してもらえたと思うんです。<br />
もとより平川くんには説明する必要なんかないんですけれど、「複雑系」というのは単純に言ってしまえば「入力と出力が一対一的に対応しているわけではない」システムのことです。<br />
プリゴジーヌの「バタフライ効果」（北京で蝶が羽ばたきすると、それによって生じた空気圧の変化が太平洋を越えてカリフォルニアにハリケーンを起こす、というあれです）という絵画的な比喩で知られるように、「わずかな入力の変化が劇的な出力の変化を結果することがある」のが複雑系の特徴です。株式市場における投資家の行動から鳥の渡りまで、現実世界のほとんどすべての事象は複雑系です。<br />
だから、「自分が悲惨な人生を送っている」という事実からは「その悲惨な人生から受益している人間がいる」という事実は演繹できない、というのが二十世紀以降科学的な「常識」に登録されたはずなんです。にもかかわらず、あたりを見渡して見ると、これを「常識」として日々ものごとを判断している社会人て、ほとんどいないんですね。ほんとに、こういうことこそ「常識だろ」と思うんですけど、「常識」って意外に「常識」とされてないんですね。<br />
「受益者」というのを（むかしのマルクス主義が「ブルジョワジー」という概念に託していたように）人格的なものとしてイメージするのはさすがにいくらなんでももう無理なので、人々は「自分の苦しみから受益している〈社会構造〉」というものをイメージして、それをなんとかしろ、というふうに問題を整理しているわけですね。<br />
でも、それって「人格」を「構造」と言い換えただけで、発想の本質はぜんぜん変ってないんじゃないかな。</p>

<p>「陰謀史観」というものをご存じだと思います。<br />
フランス革命がありましたね、１７８９年に。そのとき特権を剥奪された貴族や僧侶たちの一部はイギリスに亡命するのですが、亡命先のロンドンのサロンに集まっては「どうしてあんなことが起きたんだ？」という議論に日々を費やしました。<br />
どうして「あんなこと」が起きたのか分からなかったんです。<br />
あれよあれよという間に、ブルボン王朝の瓦解というような「大事件」が起きたわけです。<br />
古典的な線形方程式な思考をする人間は「出力としての大事件」には「入力としての大事件」が一対一的に対応しているに違いないというふうに推論します。<br />
ブルボン王朝は巨大な権力システムですから、それを瓦解せしめるものは当然にもそれ以上の巨大な権力システムでなければなりません。<br />
しかし、そんなものはフランス国内のどこを見渡しても存在しない。<br />
たしかにジャコバン派は革命後に一時的に権力を掌握したけれど、革命以前には王朝を転覆せしめるような実力も組織力も有していなかったし、その〈恐怖政治〉もきわめて脆弱な政治的基盤しか現に持っていなかった。<br />
となるとそこから導き出される結論は論理的には一つしかありません。<br />
それは、革命を起こしたのは、王政と同程度の実力と組織力を有する「不可視の政治組織」である、ということです。<br />
ジャコバン派もプロテスタントもフリーメーソンもババリアの啓明結社も聖堂騎士団も、すべてはこの「不可視の政治組織」がコントロールしている。<br />
という「物語」を作り上げることで、論理的には一件落着したわけです。<br />
そして、この「〈表〉の統治が及ばない全世界のすべての個別的政治活動を〈裏〉で統御している不可視の政治組織＝闇の世界政府」についてありとあらゆる流言飛語が飛び交うことになったわけです。<br />
この発想法は〈ユダヤ人の世界政府〉から始まって、００７号の仇敵〈スペクター〉、レーガン大統領の〈悪の帝国〉、ジョージ・ブッシュの〈ならずもの国家〉と連綿と語り継がれて今日に至っているわけです。<br />
オレはこんなに必死に働いているのに、ちっとも愉しくない…という事実から出発して、直線的に「ということは誰かがオレの労働を収奪し、オレの苦しみから快楽を得ているということになる」という推論のレールの上を進んでゆく人間は今でも決して少なくありません。<br />
でも、そういう人は「フランス革命のときの陰謀史観論者」から実はほとんど進化していない。<br />
このような思考類型をとりあえず「線形的思考」というふうに呼んでみることにします。<br />
平川くんがキャリアについて書いているように、キャリアというのは「事前には存在できない」ものですね。<br />
まさに「ぼくの前に道はない」。<br />
「社会が免許や学歴でわたってゆけると考える人の前に開けている社会ってのは、免許や学歴が幅を利かせている社会でしかない」という指摘はほんとうにその通りだよなと思います。<br />
線形的思考をする人間は「未知」というファクターを排除します。<br />
線形的思考の代表選手は「ラプラスの魔」です。<br />
「私に宇宙の初期条件を開示せよ、さらば、この宇宙で未来に起こるすべてのことを私は言い当ててみせよう」と豪語したあの近代科学主義の悪魔です。<br />
システムの初期条件が開示されれば、それから後に起こるすべてのことは予見可能である、というのがニュートン=デカルト的な静止的宇宙観でした。<br />
でも、量子物理学以後、私たちはそのモデルがもう使えないということを理論的にも実験的にも熟知しているはずです。<br />
線形的思考の根本的な難点は、「これから起こる変化」について精密な予測を立てる人は、その予測が精密であればあるほど、「これから起こる変化によって〈予見者〉自身も変化する」というファクターを勘定に入れ忘れるということです。<br />
坂本九の『悲しき６０歳』という歌を覚えていますか？<br />
「見初めた彼女は奴隷の身、だけれどぼくには金がない…」というあれです。<br />
で一念発起して「マネービル」（古いねえ）をしたムスターファ青年は刻苦勉励ついに奴隷の彼女を買い戻すだけの資産を蓄えるのですが、そのときは「今や悲しき６０歳」になっていたわけです。<br />
でも、この歌の悲劇性は、いつのまにか６０歳になってしまって素敵な彼女ももう６０歳の老婆となっていた…という種類の悔いに存するのではありません。<br />
そうではなくて、若いときの欲望にドライブされて６０歳までの人生を単線的に律したムスターファくんが、「６０歳のガキ」になってしまったという悲惨さのうちにあります。<br />
キャリアパス的思考のピットフォールというのはここだと思います。<br />
１８歳や２０歳のときの幼い想像力が描いた「アチーブメント」とか「サクセス」の呪縛に未来をまるごと投じることのリスクを過小評価してしまうこと。<br />
これに尽きると思います。<br />
それは自分の未来の未知性、「自分がこの先どんな人間になるのかを今の自分は言うことができない」という目のくらむような可能性を捨て値で売り払うということに等しいのです。<br />
複雑系としての社会には二つの側面があります。<br />
「先がどうなるか正確に予見することはできない」ということ。<br />
これはぼくたちにある種の無能感をもたらす場合があります。<br />
もう一つは「わずかな入力の変化で劇的な出力の変化が生じることがある」ということ。<br />
これは「レバレッジ」に行き当たりさえすれば、一人の力で宇宙全体さえ動かせるという多幸感をもたらす場合があります。<br />
この無能感と多幸感の「あわい」を遊弋すること、それが複雑系としての社会を生きる人間のマナーだとぼくは思うのです。<br />
と、話は唐突に終わりますが、続きをよろしく。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/02/21_1225.html</link>
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<pubDate>Mon, 21 Feb 2005 12:25:29 +0900</pubDate>
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