<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0">
<channel>
<title>TFK2</title>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/</link>
<description>悪い兄たちが帰ってきた Tokyo Fighting Kids Return</description>
<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2006</copyright>
<lastBuildDate>Sun, 06 Nov 2005 20:26:25 +0900</lastBuildDate>
<generator>http://www.movabletype.org/?v=3.15-ja</generator>
<docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs> 

<item>
<title>悪い兄たちが帰ってゆく</title>
<description><![CDATA[<p>TFK2２</p>

<p>■　「懐かしさ」の幻影<br />
『会社は株主のものではない』（洋泉社）拝受いたしました。<br />
さっそくまず平川君の書いたところをそうだよそうだよと激しく頷きつつ読みました。<br />
功成り名遂げて「ゴールデン・パラシュート」（読者のみなさんへの注：大金を儲けて早々とリタイアしてゴルフやらパーティ三昧の暮らしをすることらしいです）したあとの索漠たる心象風景・・・というところがなかなかいい味でした。<br />
ハリウッド映画には、そういうつまらなそうな引退生活を送っている「元詐欺師」とか「元殺し屋」に昔の仲間が声をかけて「どうだい、また昔取った杵柄で一仕事やらないか」というところから話が始まる・・・というパターン、結構多いんですよ（『オーシャンズ１２』とか『隣のヒットマン』とか）。<br />
面白いのは、そういうオッファーをされた「パラシューター」のみなさんが、内心ではわくわくしているのに、表面は渋い顔をして「やだよ」と一応は断るところ。<br />
ここで「えー、やるやる」というリアクションをしちゃうと、「パラシュートしたこと」そのものが間違った選択であったことを自分で認めることになってしまうので、そこだけは意地を張るんです。<br />
『キル・ビル２』のマイケル・マドセンもそうでした。<br />
また昔の骨折り仕事に戻るのかよ・・・やだなあと言いながら、いきなり「生き生き」してくるんですね、これが。<br />
バーンアウトと死ぬほどの退屈さの間を往復するくらいなら、適度に刺激的で適度に暇な生活を過ごす方策を考えればいいのに・・・<br />
アメリカの人はそういう折衷案みたいなものを考えるのが心底苦手みたいですね。<br />
ま、それはさておき。<br />
どういうシンクロニシティか「昭和３３年の風景」についての映画についてコメントする仕事が来ました。<br />
西岸良平さんの『三丁目の夕日』を映画化した『Always 三丁目の夕日』という作品です。<br />
その映画を見て、とても不思議な気持ちがしました。<br />
この映画のスタッフたちは監督をはじめぼくたちよりもはるかに若い世代で、そのほとんどはリアルタイムの昭和３３年を知らない人たちです。<br />
にもかかわらず、この映画にはディテールの時代考証的精密さに異常なまでの努力が投じられています。<br />
その結果、この映画はリアルタイムで昭和３３年を生きていた子供が、長じて映画を作った場合にも「たぶんこんな映画になったんじゃないか」というような映画に仕上がっています。<br />
この情熱はどこから由来するのか、なんだか不思議です。<br />
不思議と言えば、そもそも西岸良平の原作漫画も不思議なんです。<br />
この漫画が『ビッグコミック』に連載開始されたのは、１９７４年のことです。<br />
漫画の舞台である１９５８年の１６年後。<br />
その漫画を二十四歳のぼくはリアルタイムで読んでいたわけですけれど、そのときに「ああ、懐かしいなあ」と思いました。<br />
それからさらに３１年経って、この映画を見てぼくはまた「ああ、懐かしいなあ」と思いました。<br />
そのときに、「これって、ちょっと変」と思いました。<br />
１９５８年の東京の風景に対してぼくが１９７４年に感じた懐かしさと、２００５年に感じる懐かしさが「同じ」というのは変でしょう。どう考えても。<br />
「懐かしさ」というのが回想された時代との時間差の関数であるとしたら、１９７４年と２００５年では３１年分の経年変化があってしかるべきです。<br />
それがない。<br />
映画評は字数が短いので、十分には分析しきれなかったのですが、そこにぼくはこんなふうに書きました。</p>

<p>「もしかすると私が懐かしんでいるのは実在したものではなく、無時間的に浮遊している『国民的幻影』ではなかったのでしょうか？<br />
そして、それが『幻影』だからこそ、その時代を経験したことのなかった若いフィルムメーカーたちも同じ密度、同じリアリティをもってそれを共有し得たのではないでしょうか？<br />
そう考えなければ、この映画の細部にゆきわたる驚くべき時代考証的正確さを説明することは困難です。<br />
おそらく私たちには『一度として所有したことのない過去を懐かしく思い出す能力』が備わっているのでしょう。この映画はそのような想像力が生み出したものだと私には思われます。」</p>

<p>ぼくは小津安二郎の映画が大好きなんですけれど、小津の映画に出てくる終戦直後の美しい湘南海岸や銀座の「若松」や北鎌倉の竹林なんか、ぼくは見たことがない。<br />
にもかかわらず、ぼくはそこにはげしい「懐かしさ」を感じます。<br />
でも、それがぼく自身の中に根拠をもつ懐旧の情であるはずがない。<br />
おそらくは小津安二郎自身がそのような風景に注いだまなざしの暖かさにぼくが同調していることのこれは効果だと思うんです。<br />
人間は他者の感動に感動することができる。<br />
このことを指摘したのは『悲劇の誕生』のニーチェです。<br />
ニーチェはギリシャ悲劇の「コロス」（合唱隊）の機能の分析を通じて、ギリシャ悲劇が描いている「劇的経験そのもの」には現代人はもう二度と触れることはできないけれど、劇的経験を追体験している古代ギリシャの観客の感動には感動することができるという卓見を述べました。<br />
経験そのものは時代とともに風化し消滅する。けれども、ある経験を生きた人間の感動は無傷で継承することが可能だ、というのが『悲劇の誕生』の重要な主張でした。<br />
ニーチェがいったい何が言いたくてこんなことを書いたのか高校生のぼくにはまったく理解が及びませんでしたが、この年になると「ほんとそうだよな、フリードリヒ」と言いたくなります。</p>

<p>■	模造記憶と共同記憶</p>

<p>平川君は前便でこう書いていました。</p>

<p>「ぼくたちが書く自画像は、無意識ではなく、意識的にトラウマを作っているんじゃないかと思うことがあります。<br />
意識的なトラウマとは形容矛盾ですが、それでも意識的に作った自画像というものがぼくに与える効果は、まさにトラウマと呼んでもいいかもしれません。」</p>

<p>「トラウマ」というのはフロイトの定義を勝手に言い換えると「それを言語化することができないという当の事実が主体を基礎づけている記憶」のことです。<br />
平川君が書いているのは、その「それを言語化することができないトラウマ的記憶」を（それと知らずに）構築したのは実はおのれのトラウマ的基礎づけを渇望していた主体自身ではないか・・・ということだと思います。<br />
これは洞見ですね。<br />
存在しなかった過去の経験は「言語化できない」（当たり前ですよね、存在しなかったんだから）。だからこそ、それは「トラウマ」たりうる（人間というのは「思い出すことのできない過去の記憶を抱えている」というかたちでその人格を成り立たせているわけですから）。<br />
だから、人間は「存在しなかった過去」を「思い出すことのできない過去」として記憶することになる。<br />
なるほど。</p>

<p>大瀧詠一さんが前に言ったことですけれど、１９６０年代のはじめにリアルタイムでビートルズを聴いていた中学生なんかほとんどいなかった。にもかかわらず、ぼくたちの世代は「世代的記憶」として「ラジオから流れるビートルズのヒット曲に心ときめかせた日々」を共有しています。<br />
これはある種の「模造記憶」ですね。<br />
でも、ぼくはそういう「模造記憶」を懐かしむ同世代の人たちに向かって「嘘つけ、お前が聴いてたのは橋幸夫や三田明じゃないか」なんて言うことはないんじゃないかと思うんです。<br />
記憶というのは事後的に選択されるものであり、そこで選択される記憶の中には「私自身は実際には経験していないけれど、同時代の一部の人々が経験していたこと」も含まれると思うのです。<br />
含まれていいいと思うのです。<br />
「潮来笠」と「抱きしめたい」では、後者の与えた世代的感動の総量が大であったために、結果的にぼくたちの世代全体の「感動」はそこに固着した。<br />
ということで「いい」のではないかと思うのです。<br />
自分が身を以て経験していないことであっても、同世代の中に強い感動を残した経験であれば、それをあたかも自分の記憶のように回想することができる。その「共同記憶」の能力が人間の「共同主観的存立構造」（＠廣松渉）を支えているのではないかと思うのです。<br />
「ベル・エポック」というのは事後的な呼称ですよね。<br />
「ベル・エポック」を生きているときは、「今はベル・エポックだなあ」なんて誰も思ってやしません。「最近、けっこう楽しいなあ」と思っていても、人間は欲張りだから「来年はもっと楽しいだろう」と期待していて、今日のその日を感謝とともに生きたなんてことはない。<br />
でも、その「より美しい年」であるべき「来年」に世界大戦とか大恐慌とか全体主義体制とかが出現してきてがっかりしている人間は、回顧的に「今にして思えばあの年こそは『美しい時代』だったな」「ほんとだね」というような共同主観的回想を共有するようになる・・・<br />
そういう仕掛けではなかったのでしょうか。<br />
「現代という時代について、その渦中にいるものが何かを知るということは原理的にできないことかもしれません。」と平川君は書いていますね。<br />
ほんとうにそうだと思います。<br />
でも、渦中にいるときは「現代の意味」がわからないんですけど、今から二十年後（まで生きてる可能性は低いですけど、ぼくたちの場合）の７５歳の自分が回想している２００５年がどんなふうに見えるかということは想像力の範囲だと思うんです。<br />
変な話ですけれど、「現代の意味」はわからないけれど、「想像的に回顧された過去（としての現代）の意味」ならわかる、ということはあるように思います。<br />
「人間の老成と、社会の衰退がパラレルに進行する時代」という平川君の形容は、おそらくそのようにして（今よりもっと老人になったぼくたちが）想像的に回顧している現代の描写じゃないかとぼくは思いました。<br />
その感覚がぼくにはすごくよくわかります。</p>

<p>■	自分たち自身を弔うために</p>

<p>時代を弔うための「作法と礼儀」について平川君は書いていますけれど、ぼくたちが今生きているこの時代を正しく弔うためには、想像的に死ぬ必要がある、そんなふうにぼくは思うんです。<br />
この「想像的に死ぬ」ことでリアルタイムを回想形で語る力をしてぼくたちは「歴史意識」とか「歴史感覚」というふうに呼んでいるのではないでしょうか。<br />
この数日司馬遼太郎のエッセイ『以下、無用のことながら』を寝しなに読んでいるんですけれど、ここに収録された司馬遼太郎の「弔辞」はどれもとてもいい味です。<br />
そのときに司馬遼太郎という人は、そのつどの現在を過去回想形で語る知的習慣を持つ人だったんじゃないかなと不意に思いつきました。<br />
この人の書くものすべてにゆきわたっている広々とした風通しのよさは「想像的に死んだ人間」のエクリチュールに固有のテイストなのかも知れません。<br />
今書いているこのような文章を推敲するときにも、ぼくたちは今書きつつある自分とは別の境位からテクストを読んでいる読者を仮構しているわけですが、その想像的読者は「二十年後のぼくたち」のような気がするのです。<br />
そんな気、しませんか？</p>

<p>この往復書簡のタイトルは「悪い兄たちが帰ってきた」というものです。<br />
この「帰ってきた」という過去形にぼくはつよく惹かれるものを感じます。<br />
英語でタイトルをつけるときにぼくはthe vicious brothers are back と現在完了形の訳語をつけましたけれど、ほんとうは are back　(and gone)  だったのかも知れません。<br />
「悪い兄たち」は「もういない」。<br />
その想像的に先取りされた不在が「悪い兄たちの帰還」に固有のリアリティをもたらすということではなかったのでしょうか。</p>

<p>１１月１日付けで江編集長も『ミーツ』を去りました。<br />
「悪い三兄弟」が来たときと同じように砂塵の彼方に駆け去る時刻がきたようです。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/11/06_2026.html</link>
<guid>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/11/06_2026.html</guid>
<category></category>
<pubDate>Sun, 06 Nov 2005 20:26:25 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ＴＦＫ２１　ぼくたちのベルエポック</title>
<description><![CDATA[<p>■　ひとつの時代と自分自身の物語</p>

<p>ウチダくん、先日は一宿一飯失礼しました。<br />
文芸春秋の撮影も、三宮の寿司も、おいしくて、面白い体験でした。<br />
仕事でも、人間関係でも、何か、歳をとればとるほど面白いことが次々に起こってきますね。<br />
気の持ちようってだって、言われそうですが少し違います。<br />
若い頃から積み立ててきたものが満期になって戻ってきているような感じ、といえばいいでしょうか。<br />
ぼくたちはお金を蓄えるってことからは、縁遠かったけれど、(典型的なフロー人間ですからね）功徳を積み立てるってことには案外熱心だったということです。<br />
こうやって、書簡で定期的に意見を交換してはいますが、たまに、ウチダくんに会って、顔を見ながら話すのはまた、別の楽しみがあります。気使わなくていいしね。<br />
「なんだ、ほとんど同じ事を考えているじゃないか」と思ったり、「いや、これは思いつかなかったな」といった発見があったり。<br />
金銭フロー人間にとって、功徳のストックを分けてもらうってことでしょうか。<br />
今日は、その時にお話した、自分自身の物語についてすこし、書いてみたいと思います。<br />
ま、ちょっとまとめに入ろうかと。</p>

<p>ウチダくんもぼくも、ブログで書かれている自画像が、生身のものとはすこし違っていることをよく知っています。<br />
そりゃ、四十年以上も、付き合っているわけだから、相手の生の肖像ってのは、ほとんど感覚的に刷り込まれている。<br />
ブログに書かれている、お互いの自画像は、それぞれが、感覚的に理解しているものよりは、誇張された、戯画的なものになっているわけですね。<br />
人間は誰しも、自分の無意識に影響を受けてものごとに過剰に反応するものだろうと思います。<br />
この無意識の所在を、探りあてるためにフロイトは、心的外傷（トラウマ）という仮説を用いた訳ですね。<br />
しかし、ぼくたちが書く自画像は、無意識ではなく、意識的にトラウマを作っているんじゃないかと思うことがあります。<br />
意識的なトラウマとは形容矛盾ですが、それでも意識的に作った自画像というものがぼくに与える効果は、まさにトラウマと呼んでもいいかもしれません。<br />
ウチダくんがよく言うように、この物語には現実変成力があるからです。</p>

<p>ぼくが作った物語。<br />
それは、復興期の東京の場末の工場で、職工さんたちと油と鉄粉にまみれていた平川少年と、北海道から東京を目指した放浪の新興中産階級の夢の中で育った内田少年の物語です。<br />
この物語の中で、ぼくは、内田少年の演奏するギーコギーコという雑音のバイオリンを懐かしく思い出しています。<br />
ぼくたちが生れたのは、昭和二十五年。敗戦からわずか五年後の東京です。三島由紀夫ではないので、ぼくたちは生れた時のことは覚えていません。（ウチダくんは、ひょっとしたら覚えているかもしれませんが。）<br />
記憶がどのあたりから、残存しているのかについては定かではありませんが、いくつかのシーンは鮮明に蘇ってきます。<br />
もちろん、この記憶はその後の何十年かで修正され、作り直された記憶でもあるということです。</p>

<p>物語としての記憶の中に、とても印象の強いシーンがあります。<br />
それは、子供の時に見た映画の中での台詞です。<br />
ひょっとすると、テレビドラマだったのかも知れません。<br />
高峰秀子だったか、あるいは他の女優さんだったのか、映画のタイトルが何だったのか、ストーリーがどんなものだったのか、つまびらかなことは、何も覚えていないのですが、ひとつのシーンだけは鮮明に覚えています。<br />
それは、爪に火をともしながらも安寧を得た家族が、大正十二年の震災で、ばらばらになって、瓦礫の山の中で立ち尽くしているシーンです。<br />
その時、この女優が勝気な台詞をつぶやくのです。<br />
「これ以上は、悪くなりようがない。だから、案外気楽だ。これからは、よくなるだけだから・・・」</p>

<p>ぼくたちの多くは、昭和三十年代をひとつのベル･エポックとして記憶しています。何故、敗戦から十年を経た、未だ貧しい日本がベル･エポックとしてぼくの中で記憶されているのか。<br />
考えてみると少し、不思議な気持ちがするのです。<br />
ぼくの親父は、埼玉で後妻の子供として生をうけ、東京で一旗上げようとプレス工場をつくりました。<br />
ぼくが生れた年としては、誰も記憶に留めないでしょうが、この年は朝鮮半島の三十八度線で、二つの異なる価値観が火蓋を切った年として、世界史の中に記憶された年でもあります。<br />
ぼくの家は、その朝鮮特需のせいもあって、暮らし向きが見る見るよくなっていきました。<br />
テレビ、自動車、冷蔵庫。<br />
失うものが何もなかった家に、次々と電化製品が揃えられてゆく。でも、それが平川少年にとってのベル･エポックの記憶と結びついているわけではないということに、注意をしたいと思います。<br />
どちらかといえば、持たざるものたちの集まりだった、近所の悪ガキたちが、やがて来るであろう生活格差や、教育格差といったものを想像することもなく、無邪気に平等な貧困を楽しんでいられたという、そのあっけらかんとした向日的な空気が、心地よかったのです。<br />
工場の大人たちは、昼休みの庭で陽を浴びながらよく笑っていました。<br />
粗末な衣服、質素な食事、粗悪な住環境に暮らしながらもその笑いには屈託がなかった。<br />
「これからは、よくなるだけだから・・・」と誰もが思うことが許される時代であったのかも知れません。</p>

<p>人間の成長と、社会の発展がパラレルに進行する時代。<br />
これをぼくは、ベル･エポックといっていいんじゃないかと思います。<br />
ぼくはイタリアの貧しい漁村の不良少年たちを見ているように、自分の育った街の風景を思い出します。<br />
そして、いまさらながら思えることですが、貧しさと、社会システムが健全に機能しているということは実はあまり矛盾しないことなんじゃないかと。<br />
このことの意味を、高度経済成長とともに、自らの立身出世主義を重ね合わせて育った戦後の日本人は、ぼくも含めて看過してきたのではないでしょうか。</p>

<p>翻って見て、現代は、どんな時代なのでしょうか。<br />
現代という時代について、その渦中にいるものが何かを知るということは原理的にできないことかもしれません。<br />
しかし、それでも「これからは、よくなるだけ」という時代にぼくたちが生きているのではないということだけは、確からしく思えるのです。<br />
だからといって、「これからは、悪くなる一方だ」という風にぼくは考えているわけじゃない。</p>

<p>ぼくは、つくづく身勝手な人間だと思うのですが、人間の成長と、社会の発展がパラレルに進行する時代が、ベル･エポックだとするならば、<br />
人間の老成と、社会の衰退がパラレルに進行する時代というのも、大層、味わい深いものではないかと、思っているのです。<br />
いま、成長期にある若い人たちに、これを受け容れよといってもそりゃ無理な相談です。<br />
でも、ぼくは、そう思う。そう思えるように結構、自分の人生をやり繰りしてきたわけです。<br />
じゃ、若い人たちはどのように考えたらいいのか。<br />
ぼくは、それに関しては答えを用意することができません。<br />
また、そのつもりもないのです。<br />
乱暴な言い方かもしれませんが、それこそ自分で考えろよという他はないのです。<br />
自分で考えろよ。</p>

<p>これが、ぼくのベル･エポックの物語です。<br />
しかし、これはぼくとぼくの世代が作ってきた虚構でもあるのです。<br />
市井の碩学、渡辺京二は、日本近代を生き生きと素描した『逝きし世の面影』の中で、<br />
明治六年から四十四年までの長きにわたって日本に滞在したチェンバレンが、明治という近代化の過程のなかで、先行する江戸期の古き良き日本の「文明」に対して愛惜をこめて記した文章を紹介しています。<br />
「古い日本は死んだのである。亡骸を処理する作法はただ一つ、それを埋葬することである。」<br />
チェンバレンの目には、明治は「絵のような美しい」文明の亡骸の上に作られた楼閣として写ったのです。<br />
ぼくたちもまた、戦後の成長期の日本を埋葬してきたのだろうと思います。<br />
ぼくの言いたいのは、こういうことです。つまり、歴史は何度でも繰り返される。<br />
一度目は悲劇であり、二度目は喜劇であるかもしれない。<br />
しかし、どうであれ、埋葬するにはそれなりの「作法と礼儀」というものがある。</p>

<p>社会が成熟しきったあとからやってきたものたちのことをぼくたちは「あらかじめ失われた世代」と形容しました。<br />
しかし、それはあくまでぼくたちが自分と時代の関係を述べてきたような物語として構築してきた文脈から見ての話です。<br />
いつの時代にも、人間は先行する時代と無関係に孤立していることはできません。<br />
ぼくたちがベル･エポックの物語を語るのは、失われた時代に対するぼくたちなりの埋葬の仕方なんだろうと思います。<br />
昨今の「改革｣ブームを見るにつけ、自分たちが関与してきた時代に対して、ただそれを野ざらしにしたまま「改革」を叫ぶ人々に対して、本当に失われたのは、「作法と礼儀」なのだと思わずにはおれないのです。</p>

<p></p>

<p></p>

<p></p>

<p><br />
</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/10/27_2126.html</link>
<guid>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/10/27_2126.html</guid>
<category></category>
<pubDate>Thu, 27 Oct 2005 21:26:15 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>TFK20 負け方と貨幣と時間</title>
<description><![CDATA[<p>■負け方の研究</p>

<p>平川君こんにちは。<br />
ほんとに熱海あたりでのんびりしたいですね・・・って、来月は湯本で温泉麻雀じゃないですか（わーい）。<br />
先般、「甲南麻雀連盟」という組織を立ち上げました（『ミーツ』の江さんも会員なんだな、これが）。<br />
麻雀文化復活のための礎石となってですね、うちでごろごろ定期的に麻雀をやる予定です。<br />
平川君もお断りもせず勝手に「甲南麻雀連盟・参与」に会員登録しておきました。へへへ。<br />
今度大阪に来て一晩ゆっくりできそうなときには江さんも交えて芦屋で麻雀やりましょうね。<br />
とりあえず、僕のほうは『街場のアメリカ論』と『知に働けば蔵が建つ』（それにしても、ひどいタイトルだな・・・）の二つを書き上げたので、年内は論文を二本書いて、校正をあと二冊片付ければいいはずです（希望的観測）。<br />
それにしてもどうしてこんなにいろいろなところから仕事が来るんでしょうね。<br />
先先週は読売新聞からポストフェミニズムについて、先週はＮＨＫラジオから少子化問題についてご意見を訊きたいと言ってきました。<br />
なんで僕に「そんなこと」を訊くんでしょう？<br />
フェミニズムや少子化問題の専門家なんて、「それで飯を食っている」方々がいくらだっているわけです。<br />
素人の僕に意見を訊きたいというのは、「専門的知見」ではなくて、「素人の常識」が訊きたいということだと思うんです。<br />
それだけ「素人の常識」とメディアで語られている言説のあいだに温度差があるということなのでしょうか？<br />
あるいは、僕に何かを言わせに来るメディア関係者は（平川君が言うように）闇の中で「同じ敵に向かって撃っている」らしい遠い銃声を聞き当ててここまで来たのかもしれません。<br />
もしそうだとすると、これまでずいぶん間遠にしか聞き取れなかった「闇夜の銃声」がだんだんかたまってきたのかもしれませんが、まあ、これも希望的観測ですね、きっと。<br />
フェミニズムについてはブログに少し書きましたけれど、「死に水を取る」思想家が名乗り出てこないとまずいんじゃないかということを話しました。<br />
「棺を覆いて定まる」と言いますけれど、思想は最後にその功罪について総括をする当事者が必要です。<br />
「喪主」は当事者じゃないとダメなんです。<br />
評論家みたいな人が「フェミニズムはね・・・」なんて言っても総括にはならない。<br />
イズムの現場でこれまでやってきて、イズムから贈り物も受け取ったし、えらい迷惑も蒙ったけど、そのイズム抜きには今語りつつある自分がありえないようなかたちでコミットした人間しか「喪主」にはなれない。<br />
僕はそう思うんです。<br />
きちんとした「喪の儀礼」を執行しさえすれば、思想の最良の部分は生き残れる。後世の人々がその余沢を受け取ることができるし、いつまでも感謝される。<br />
でも、それを怠ると思想は「生き腐れ」になってしまう。<br />
フェミニズムの「死に水」を取る人がどうして出てこないんだろう、ということをそのときには話しました（記事にはなりませんでしたけれど、当然にも）。<br />
「思想の死に方」についての真剣な吟味って、あまりする人がいないけれど、とてもたいせつなことだと僕は思うんです。<br />
エマニュエル・トッドが『帝国以後』で「アメリカをどう死なせるか」が喫緊の国際社会の課題であると書いていました。<br />
アメリカの没落は世界的な規模の災厄のトリガーになりかねません。でも、アメリカの没落の趨勢はもはやとどめられない。<br />
だとしたら、「どうやったら、アメリカの没落がもたらす災禍を最小化するか」というプラクティカルな問いに焦点化すべきだとトッドは書いていました。<br />
クールな考え方です。<br />
僕はこういう発想は重要だと思います。<br />
「・・・はもう古い」とか「・・・はもう終わった」というように決め付けてなにごとかを語ったつもりでいる人が僕は大嫌いなんですけれど、それは「それまで生きて呼吸してそれなりに生を享受し愉悦していた<もの>が<弔われぬ死>を迎えるときにもたらす災禍」を顧慮していない発言だと思うからです。<br />
フェミニズムについても、「もう古い」とか「終わった」とかいう決め付けをする人たちがこれからわらわらと出てくるでしょうけれど、そういう付和雷同的な断罪の言説には僕はつよい警戒心を抱いています。<br />
思想史に（プラスマイナスいずれであれ）大きな変化をもたらした運動と理説には、それが頽勢の局面のときにこそ、それにふさわしい敬意を示すべきだと僕は思うんです。<br />
ラジオでしゃべった少子化についての僕の意見もそれとたぶん同じ問題設定だったように思います。<br />
日本が縮んでゆくという後退局面で遭遇する可能性のあるリスクをどうやってヘッジするかというプラクティカルな問いを立てる人はほとんどおらず、どうやって「盛り返すか」ばかり議論が集中している。<br />
それはつきつめると、「負け戦をどう戦うか」という問いを真剣に考える知的習慣がなくなってしまったことに起因するのではないでしょうか。<br />
「頽勢」局面というか、「後退戦」というか、そういうしんどい局面をそれなりに生産的かつ愉快にやり過ごすふるまい方についてもう少しまじめに研究した方がいいんじゃないかと僕は思います。<br />
黒澤明の『七人の侍』の最後で、志村喬演じる勘兵衛が生き残った七郎次（加東大介）に向かって「今度も負け戦だったな」とつぶやくシーンがありますね。<br />
あの侍たちは勝四郎（木村功）を除く全員がそれまで仕官できなかったか、仕官した先の主家が滅ぼされたか、いずれにせよ負け続けてきた人々なわけです。<br />
その中でずっと「ていねいに」負け続けてきたこの二人は「負け方」に味があるというか、奥行きがあるんですね。<br />
「敗北の美学」とかそういうものではなくて、節目節目のふるまい方にぴしっと筋が通っているせいで、「負けた」ということが彼らの人間的価値を少しも損なっていない。<br />
「きれいな負け方」とか「勝ちを譲るスマートネス」とか「負けた相手に花道を用意する気遣い」とか、そういう派生的なマナーも含めて、「正しい負け方」の研究というか評価というか、そういう論件への知的リソースの投資について、現代人はもう少し真剣になるべきじゃないかと思います。</p>

<p>■時間が貨幣なら・・・</p>

<p>平川君のインタビュー本、すごくおもしろそうですね。楽しみにしています。<br />
それについて平川君が書いてくれた中で、松本大さんという人についてのコメントに強く興味を惹かれました。<br />
平川君はこう書いていました。<br />
「ぼくのいうわからなさは、そのコンテンツのわからなさとすこし違う。<br />
金融の世界での日本的なしがらみに対して、いろいろ批判を加えているのだけど、そういった批判を通して、何がおっしゃりたいのかという、メタレベルのメッセージがよく見えてこない。<br />
それは、たとえば理想的なシステムキッチンについて詳細に論じられた論文を読んでいるような分からなさなんです。語られている内容は理解できても、それで、著者が何を言いたいのかがよくわからない。」<br />
言いたいこと、すごくわかります。<br />
その「わからなさ」は「時間の概念から解き放たれ」た無時間モデルに基づく「常識」から語りだされることばに固有の「わからなさ」だという平川君のフレーズが「どきん」と来ました。<br />
ほんとにそうですよね。<br />
資本主義について、最近面白いことを発見したんですけど、それに関係するかもしれないので、ちょっと書きますね。<br />
「資本主義の精神」と言えばマックス・ウェーバーですけれど、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を最近読み直してみたら、ウェーバーがベンジャミン・フランクリンの著作から次のような箇所を引用していることに気づきました。<br />
「時は貨幣であるということを忘れてはいけない。一日の労働で十シリングをもうけられる者が、散歩のためだとか、室内で懶惰に過ごすために半日を費やすとすれば(･･･)五シリングの貨幣を支出、というよりは抛棄したのだということを考えねばならない。」<br />
「貨幣は生来繁殖力と結実力をもつものであることを忘れてはいけない。貨幣は貨幣を生むことができ、またその生まれた貨幣は一層多くの貨幣を生むことができ、さらに次々と同じことが行われる。(･･･)一頭の親豚を殺すものは、それから生まれる一千頭を殺し尽くすものだ。」<br />
「支払いのよい者は万人の財布の主人であることを忘れてはいけない。約束の時期に正確に支払うことが評判になっている者は、友人がさしあたって必要としていない貨幣をすべて何時でも借りることができる。」<br />
「信用に影響を及ぼすなら、どんな些細な行いにも注意しなければいけない。午前五時か夜の八時に君の鎚の音が債権者の耳に聞こえるならば、彼はあと六ヶ月構わないでおくだろう。」<br />
僕が気がついたのは、この引用箇所がすべて「貨幣と時間」の関係にかかわるものだということです。<br />
「時は貨幣である」というのは、時間には資本主義的な尺度に照らして大きな価値があるのだからその価値を最大化せよという教えであるわけですが、それは裏返して言えば、「時間には時間固有の価値はない」と宣言しているということです。<br />
「時は金である」というのは、「時間は貨幣を度量衡にして計量できる」ということですよね。<br />
この時間の「他者性」をすっぱり捨象したという点にこそ「資本主義の精神」の精髄はあったのではないでしょうか。<br />
ウェーバーはこの引用を受けて「資本主義の精神」を次のように描き出します。<br />
「われわれがこの『吝嗇の哲学』に接してその顕著な特徴として感ずるものは、信用のできる正直な人という理想であり、わけても自分の資本を増加させることを自己目的と考えることが各人の義務であるとの思想である。」（マックス・ウェーバー、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、梶山力他訳、岩波文庫）<br />
ウェーバーは「貨幣と時間」に関する箇所だけを選択的に引用しておきながら、「時間には時間固有の価値がない」こと、つまり資本主義は時間の未知性・他者性を捨象したところに成立するということは言い落としています。<br />
ウェーバーの代わりに、ウェーバーの「言いたかったこと」を僕が言うというのもちょっと態度がでかいですけれど、ウェーバーが言いたかったのは、そのことじゃないかなと思うんですよ。<br />
でも、アメリカ的資本主義はどうして無時間的かについて、ウェーバーはちゃんとヒントをくれています。<br />
アメリカの資本主義は「無時間的」というよりはむしろ「無歴史的」なんです。<br />
というのは、フランクリンがこんなお金のことばかり気遣う文章を書いていた十八世紀のペンシルヴァニアは(ウェーバーによると)「貨幣の不足のためだけでややもすれば物々交換に逆転する恐れさえあり、大規模な産業的経営はほとんど影もなく、銀行といえば僅かにその萌芽しかみられなかった」くらいに資本主義が未発達だったからです。<br />
これって、変でしょう？<br />
資本主義が未発達である場所に、それどころか貨幣さえあまりゆきわたっていない社会で、「貨幣の哲学」が体系化され、「資本主義の純粋精神」が理念的完成を見たんですよ。<br />
もちろん、それ以前も有史以来商業も商人たちも存在しました。<br />
でも、彼らは「資本主義の精神」を体現してはいませんでした。<br />
「資本主義の精神」は単なる「金儲けの思想」とは違います。<br />
ひさしくローマ教会はキリスト教徒には利子を取ることを禁じていましたし、そもそも営利を自己目的とする生き方は「恥ずかしい」ことであるという意識は商人たちの中にも伏流していました。<br />
ですから、富裕な人々は死んだときに莫大な寄進を教会にして、来世の平安を購おうとしたのです。<br />
「このことはまさしく当事者自身が自分たちの行為を道徳外的な、或いはむしろ反道徳的なものと考えていたことを明白に示している。」とウェーバーは書いています。<br />
お金をもうけるのは「いいことだ」というあっけらかんとした資本主義の「精神」はかなり日付の新しいもの（もしかすると１８世紀末あたりの生まれ）だということになります。<br />
ウェーバーを信じるなら、そういうことです。<br />
どうしてそういうメンタリティが１８世紀のアメリカに登場したのか、どうしてそれが今やあまねく世界を席捲するものとなったのか、これについては時間をかけて考える必要があると思います。<br />
ひとつ思いつくのは、「時は金である」というのは、平川君が書いていた「円周率は３でいいじゃないか」という切り捨て方に深いところで通じているのではないかということです。<br />
アメリカという社会の特徴は、「私たちがいまその中で生きている制度はどのような起源をもつものか私たちは知ることができないし、この制度がいつどのような仕方で終わるのかを予測することもできない」という過去と未来の不可知性を認めようとしない点にきわだっているように思います。<br />
僕たちがその中に投じられ、その中で生きているシステムは「とりあえず」のものに過ぎません。<br />
資本主義は「とりあえず」時間的表象形式の中でだけ存在するものを認めようとしない。<br />
岩井克人さんが書いていたように、貨幣は必ずいつかは紙くずになります。それは「とりあえず」流通しているという事実以外にいかなる担保も持っていない。<br />
でも、誰もそのことに気づかないふりをすることで市場経済は機能している。<br />
「とりあえず」って英語ではfor the time being って言うんですよね。<br />
「資本主義の精神」は　for the time being 「時間が存在する限り」をfor the money being　「貨幣が流通する限り」と言い換えることによって、時間をみごとに捨象したのではないでしょうか？</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/10/13_2232.html</link>
<guid>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/10/13_2232.html</guid>
<category></category>
<pubDate>Thu, 13 Oct 2005 22:32:12 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ＴＦＫ１９　非同期的なむすびつきと見えない時間</title>
<description><![CDATA[<p>■見えないものが見えてきた</p>

<p>ウチダくん、こんにちは。<br />
なんだか、お互いに随分オーバーアチーブしてますね。<br />
ぼくは、今、一週間に一回から二回は大阪に通っているのですが、<br />
ブログを見ていると、ウチダくんもそのくらいの頻度で東京へ来ているみたいですね。いつも、熱海あたりで、すれ違っているんですかね。<br />
熱海で下車して、温泉にでもつかりたいですよね。<br />
もっとも、ぼくは秘湯めぐりじじいですから、毎月どこかの<br />
露天風呂に沈んでいるのですが。<br />
ウチダくんが、「ためらいの倫理学」を書いてから、なんか<br />
凄いことになりましたよね。<br />
その様子が、よく分かります。<br />
ブログ見てるからだろうけど、それにしてもこのブログってものは<br />
おもしろいものですね。<br />
全く会っていなくともお互いの近況が筒抜けになっている。</p>

<p>先日も、ミーツの青山さんを介して、<br />
一度もお会いしたことのない方にお会いしたんだけれど、<br />
お互いはブログを読んでいるんですね。<br />
だから全然初対面の感じがしなかった。<br />
そして、なんか、見えなかったものが、見えてきたという感じがしました。<br />
それをすこしご説明します。<br />
ブログにも書いたんですけど、<br />
ここのところ、シリコンバレーで一緒に仕事をしていた仲間だとか、<br />
お隣で事務所を開いていた方が、同じ時期にぼくのブログにコメントをくれて<br />
それじゃ、会おうかってことになった。<br />
お二人とも、それっきりの一期一会でも不思議はなかったのですが、<br />
何かが「会ってみたら」と命じたわけです。<br />
そのとき、なんとなく、ぼくも彼らのことを思い出していたのですが、<br />
かつてなら、や、これはシンクロニシティってもんだと思ったはずです。<br />
ところが、彼らはぼくのブログを読んでいたんですね。<br />
そして、頃合をみて、シグナルを送ってきた。それも同時に。<br />
もうひとつあります。<br />
ウチダくんの先輩の田島先生からもコメントがきた。<br />
以前に、偶然見つけた田島さんの文章を読んでぼくの中の何かが揺れ動いた。<br />
そうしたら、そこにウチダくんのコメントがあった。<br />
この話、ウチダくんにしましたよね。<br />
それを、ブログに書いておいたら、インターネットつながりで、<br />
彼もぼくのブログを読んでくれているということらしい。<br />
こうやって、情報の尻尾みたいなものが時間を隔てて繋がってくる。<br />
以前なら、「そりゃ、偶然だよ」って言っていたものが、実は<br />
よく見えない時間の中で、必然の糸で繋がっている。<br />
これは、実に不思議な感覚を運んでくれるものです。<br />
ウチダくんは、若い頃こんな気持ちを持ちませんでしたか。<br />
つまり、自分は、闇夜に強大な敵に向かって鉄砲を撃っている。<br />
隣には誰もいないんです。しかし、どこか遠いところで、かすかに銃声がきこえる。<br />
いや、聞こえないんだけれど、たぶん誰かが俺と同じように撃っているのがわかる。<br />
ああ、自分の知らないところで、知らないやつが、同じ敵に向かって撃っているんだ。まあ、荒唐無稽な夢なのですが、最近、そういうことなのかと<br />
思ったわけです。<br />
思わぬところで。<br />
電子メールが何でこんなに発達したのかご存知ですか。<br />
いや、勿論いろいろな利便性があるからなのですが、<br />
一番の理由は、それが非同期通信だってことらしいのです。<br />
非同期って、英語にするとasynchronous、<br />
つまりシンクロしていないってことなんですよ。<br />
電話なんかは、相手と同じ時刻にお話するわけですが、<br />
メールは、時間を隔てて、相手と繋がる。<br />
電話だと、相手が留守だと、じゃ今度またかけ直そうというわけで、<br />
いったん自分のメッセージを留保するのですが、メールの場合には、<br />
相手がいようがいまいが、送信する。<br />
そうして、一定の時間差の後に、返事が返ってくる。<br />
この話、ウチダくんが以前にまったく別の文脈で書いていましたよね。<br />
韓国映画『ラブストーリー』について書いてくれたことです。</p>

<p>ウチダくんはこんなことを書いていました。</p>

<p>─　『ラブストーリー』はある「贈り物」が世代をまたがって交換され続ける、という話です。<br />
その贈りものは、はじめある男が少女に贈り、少女が少年に贈り、少年が少女に差し戻し、少女（もう大人の女）が少年（もう青年になっている）に贈り、そして、青年の息子が女の娘に返す、というしかたで一巡します。<br />
やりとりされるものそれ自体はたいして価値のあるものではないのですが、それが手から手へと交換されるにつれて、そこには「物語」が付加されてゆき、しだいにその意味が深まってゆきます。</p>

<p>メールやブログが発達した理由がこれで分かるような気がしませんか。<br />
ウチダくんは、マリノフスキーが報告した、トロブリアントの「クラ」の儀礼になぞらえて、ここに文化人類学的な真理を見たと書いていましたが、メールや、ブログって<br />
それ自体は、つまらないコンテンツであっても、それが非同期であるが故に、<br />
時間を経過する毎に「物語」が付加されて、思わぬときに返ってくるという「時間の秘密」をうまく内包したコミュニケーションツールだったという訳です。</p>

<p>シンクロニシティは、実はア･シンクロニシティによって引き起こされていたっていうのが、大変興味深い点です。ぼくたちは、シンクロニシティに驚き、その「一致」に<br />
神秘を感じていると思っていたのですが、本当は「一致」が成就するまでの「時間の秘密」に、驚いていたんじゃないでしょうか。</p>

<p>■　見えていたものが見えなくなる</p>

<p>ここのところ「会社はだれのものか」という、岩井克人さんの著書をめぐって、<br />
インタビュー形式で一冊の本（洋泉社）をつくっています。<br />
で、共著者としてマイクロソフトの社長だった成毛眞さんや、吉本興業でやすきよのマネージャーだった木村政雄さんらを、巻き込んで、やっている。<br />
かなり面白いものができそうです。<br />
この本の出版と同時期に、この成毛さん、木村さん、それからジョージ･ソロスのアドバイザーだった、藤巻健史さんらとシンポジウムをやるんですが、<br />
成毛、藤巻両氏は、ちょっと強面なので、すこし勉強しておこうかということで、<br />
お二人と、もうひとり話題のマネックス証券の松本大さんによる『トーキョー金融道』を読みました。<br />
そしたら、いや、よくわからないんですね。これが。<br />
いや、確かに金融のプロのお話ですから、難しいタームがたくさん出てきて、<br />
話も専門的でなかなかついてゆくのに苦労したんです。<br />
でも、ぼくのいうわからなさは、そのコンテンツのわからなさとすこし違う。<br />
金融の世界での日本的なしがらみに対して、いろいろ批判を加えているのだけれど<br />
そういった批判を通して、何がおっしゃりたいのかという、<br />
メタレベルのメッセージがよく見えてこない。<br />
それは、たとえば理想的なシステムキッチンについて詳細に論じられた論文を<br />
読んでいるような分からなさなんです。語られている内容は理解できても、<br />
それで、著者が何を言いたいのかがよくわからない。<br />
これは、ぼくが頭が悪いせいもあるんだろうけれど、日本語ってこんなに難しかったっけといった感じがしてしまう。<br />
でも、あるところで、すこし分かってきた。</p>

<p>今話題の村上ファンドの村上さんが、東京スタイルという会社に要求をつきつけたとき、世論も新聞も、急に出てきて何でそんなこと言うんだと批判した。<br />
これを受けて松本さんが<br />
「それって、でも、資本主義を完全に知らない人間の言葉ですよ。なんのための株式会社か、と。株式って、時間の概念から解き放たれて、誰もがいつでも所有したり売ったりできるもんでしょ。」(98頁）<br />
と言うわけです。</p>

<p>ぼくは、ああそういうことなのかと思ったのです。ぼくたちが、無時間モデルといって批判してきた、アメリカ流のビジネススタイルを、松本さんは、これこそが資本主義の常識なんだって言っている。そういうわけで、ぼくたちは、資本主義を「完全に知らない人間」なんだなと納得したわけです。松本さんという人は、一度お会いしたことがあるのですが、礼儀正しい感じのよい方です。ぼくは、この本を読んで、彼の膨大な知識とクリスプな言語感覚に圧倒されました。<br />
でもね、ぼくはやはり、松本さんはずっと金融の勉強をしてきて、金融サイドの見方しかしていないと思うのです。<br />
クリスプに見えるものしか見ようとしていない。<br />
金融にとっては、時間という概念は最も無駄なもの、唾棄すべきものにならざるを得ない。でもぼくは、ビジネスってのは、「最初の贈与」からはじまって、時間の中を潜り抜けて、プラスアルファが返礼されるというプロセスの中に面白さも、スリルもあるんだと思っているわけです。ファジーであるから、面白いんですね。ぼくたちが苦労しているのは、このファジーなところを言語化しようとしているわけですから。</p>

<p>ウチダくんの前便の言葉を借りるなら、松本さんはまさに、アメリカという「エゴイスティックな親に育てられた子供」のひとりなんでしょうが、ぼくたちが自らの身体的な反応と、自らの立ち位置との間で、「ゆっくり発狂する」人間であるのに対して、そういったソリューションを必要としない、天才児が日本にも出現してきたという印象です。堀江さんや、村上さんなんかも、その一人かもしれません。こういったことは、これまではあまり感じませんでしたが、やはり戦後60年もたつと、ぼくたちとは頭も身体も使い方の異なる、若い人たちが出てきたんだなと思います。これを、進化というか、劣化というかの判断は差し控えたいと思いますが、それでも合理性を追求する過程で、「見えているもの」をあえて見ないようにしていると、ほんとにそれが無かったことのように見えてきてしまうということになるような気がしています。<br />
これも、喩えは穏当ではないのですが、やはりアメリカは、ハリケーンに襲われたニューオリンズの人々は、アメリカには存在しないという立ち位置を採っていたんじゃないかと思えるのです。<br />
それは、見えていても見えないものとして扱っていいんだと。<br />
確かに、ビジネスでも政治のプロセスでもそういうことってありそうな気がします。3.14じゃなくて、３でいいんだということです。確かにそれで、世界はソリッドに形成してゆくことはできるかも知れない。しかし、ぼくはビジネスにおいても、政治プロセスにおいてもこの0.14が見えなくなったら、やる意味がないんじゃないかと思っているのです。ちょっと、いやかなり乱暴な議論ですが。<br />
でも、やはり割り切れない世界を見る必要があるとぼくは思う。そういった意味でも、見えているアメリカだけを見て、アメリカはうまくいっているんだといった思考法を解体してゆく必要があるんだと思います。</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/10/13_0913.html</link>
<guid>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/10/13_0913.html</guid>
<category></category>
<pubDate>Thu, 13 Oct 2005 09:13:04 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>アメリカの光、日本の影</title>
<description><![CDATA[<p>■	アメリカの構造的「正しさ」について</p>

<p>『街場のアメリカ論』、やっと脱稿しました。<br />
やれやれ。<br />
ぼくはアメリカ論の専門家じゃないし、だいたいアメリカだってたこと二回しかないんです（サンフランシスコに１０日、ハワイに７日）。そんな人間がアメリカ論を書いてよろしいのか、という疑問は当の本人にもあるんです。<br />
唯一の強みは、ぼくが「自分の欲望を勘定に入れる」ということについてはずいぶん年季を積んできたということです。<br />
ぼくのアメリカに対する感情で、ある意味きわめて日本人に典型的なしかたで「アンビバレント」なんです。「憧れ」と「嫌悪」がわかちがたく縒りあわさっている。<br />
今日はちょっとその話をしたいと思います。<br />
ぼくたちの世代にとってのアメリカは何よりもまず世界最強国、そして世界一豊かな国として映現しました。アメリカの音楽を聴き、アメリカ映画を見て、アメリカン・ウェイ・オブ・リビングへの素直な憧れの中でぼくたちは育ってきたわけです。<br />
キューバ危機のときのことを覚えていますか？ニュース映画をみながら、ぼくはもちろんJFKに１００％肩入れしていました。フルシチョフはどうみても「悪相」ですからね。<br />
平川君もたぶん同じような印象を持ったんじゃないでしょうか？<br />
第一、あのころ『少年サンデー』か『少年マガジン』で「ケネディ大統領物語」っていう伝記マンガが連載されていたんですよ！「長嶋茂雄物語」や「若乃花物語」と同じようなカテゴリーに属する少年たちのヒーローだったんですね、１９６２年のアメリカ大統領は。<br />
ケネディ・コインというのもありましたね。大統領就任を祝って鋳造された記念貨幣。そんなノベルティを日本の子供たちは宝物にしていたんですよね（村上春樹もケネディ・コイン作ったペンダントをたいせつにしていたという話をエッセイに書いてました）。<br />
そういうアメリカへの一方的な支持の気分が翳ったのは、やはりベトナム戦争が始まってからです。<br />
ぼくたちから見ると、「どうしてアメリカがあんなひどいことを・・・」という意外感をともなった出来事だったわけですけれど、別に特に「ひどいこと」をしたわけではなくて、ずっと「ああいうこと」をやってきたんです。ぼくたちが歴史を知らなかっただけのことです。だいぶ経ってからそのことがわかりました。<br />
考えてみたら、ぼくたちが使った歴史教科書ではアメリカ史の「暗部」はほとんど構造的に削除されていたんですから。<br />
米西戦争でキューバやフィリピンを属国化したことも、米墨戦争でカリフォルニアを奪ったことも、アラモ砦の戦いがテキサス併合のためのマヌーヴァーだったことも、武力によるハワイ併合のことも、ウーンデッド・ニーのネイティヴの虐殺のことも、アジア人差別のことも、日系移民の強制収容のことも、アメリカの２０世紀の世界戦略を理解する助けとなるような歴史的事実を知る機会がほとんどないままにベトナム戦争に遭遇したので、たぶんぼくたちは「びっくり」しちゃって、「アメリカは変わった」というようなとんちんかんな印象を抱いてしまったのだと思います。<br />
どうして、「そういうこと」を知らないでいたのかというと、それはもちろんそんな年号は「入試に出ない」からですからね。<br />
選抜制の教育制度の難点のひとつは「入試に出ない」ことについてはほとんど組織的に「情報として無価値である」と判定する習慣が幼児期から定着してしまうことです。<br />
ぼくたちは「アメリカについてはあれこれ詮索立てしない方が有利である」ということをほとんど無意識的に刷り込まれてしまったのですが、ぼくたち自身はそのような刷り込みがあったこと自体意識化することがありませんでした。<br />
そういうもんですよね。<br />
中国史なんかだと、それこそ則天武后が後宮でどんな拷問をしたのかとか景徳鎮ではどんな釉薬を使っていたのかというようなえらくトリヴィアルなことが教科書には出ていたのに、アメリカがどうやってカリフォルニアやハワイを手に入れたかというような政治上の当然の常識については教えられなかったことを「変だ」と思うべきなのに。そう思わなかったことの方が不思議です。</p>

<p>■	発狂ソリューション</p>

<p>こういうアメリカ史の「暗部」についての隠蔽は無意識的かつ組織的に、日本人自身の手で戦後ずっと行われていたんじゃないかと思います。<br />
１９４０－５０年代の敗戦国民日本人がまず求めたのは物質的な繁栄ではなくて、何よりも「倫理的な正統性」だったとぼくは思うんです。<br />
どうしてかというと、ほかに存在理由がなかったから。<br />
生きる目的をほとんど見失っていた敗戦国民たちは「私たちには存在する権利がある。なぜなら私たち日本人には日本人にしか果たしえない世界史的使命があるから・・・」という語形で存在の基礎づけをしようとしました（たぶん）。平和憲法というのはその倫理性の目に見えるかたちだったと思うのです。日本が世界に倫理的な意味で誇りうる唯一のことは、平和憲法の護持と「被爆国だけれど核兵器を持たない」という自制（というよりは「非力」なんですけれど）にあったのではないでしょうか。<br />
どちらにしても日本の倫理的正統性は日本に平和憲法と非核自衛隊を同時に与えたアメリカの世界戦略の「正しさ」が担保していたわけです。アメリカの「政治的正しさ」が日本の「倫理的正しさ」を担保するという依存の構造になっていた。そういう場合に、日本人がアメリカ史におけるアメリカの政治的判断を否定的に論じることには強い心理的な抑圧がかかっていたということはなかったのでしょうか？だって、「アメリカの政治的判断はしばしば間違う」ということがわかってしまうと、「日本人がここにこうしていること（九条があって、自衛隊があって、従属国であること）の必然性」というものを基礎づけられなくなってしまいますから。<br />
これはエゴイスティックな親に育てられた子供のアイデンティティの混乱の仕方に似ているような気がします。<br />
親はそのつどの自分のつごうで支離滅裂なことを子供に要求します。それは「親の都合」という以外には何の理由もなくて、子供に首尾一貫した指示を与える気なんかないのだけれど、子供の側は「あれをしろ、次はこれをしろ」という親の錯綜した指示をある「隠された教育的意図」によるものだと考えて、必死に首尾一貫性を探し出そうとする。でも、結局は親の全行動を説明を包括できるようなスキームを発見できない（「子供のことをぜんぜん配慮していない」というのが親の行動についての唯一合理的な説明なんですけれど、それはつらくて意識化できないから）。そして、ゆっくり狂ってゆくわけです。<br />
ぼくはいささか不穏当な言い方を許して頂ければ、日本人はアメリカに対して集団的に「発狂している」という考え方をしているんです。</p>

<p>■	日本人はどうして英語ができないのか？</p>

<p>そう考えると、「どうして日本人は英語ができないか」という長年の疑問にも解答の手がかりが見えそうに思うんです。「日本人は」なんて一般論にしないで、端的に「ぼくは」と言い換えてもいいです。<br />
ぼくが英語ができない。<br />
「英語ができない」という言い方は不正確ですね。<br />
読み書きに関して言えば、英語はできます。かなり、できます。リテラシーに関して言えば、たぶんアメリカ市民の平均よりも高いでしょう。<br />
でも、話すのは苦手です。<br />
なんていうのかな「自分の声」で話すことができないんですよ、英語だと。<br />
英語で文章を書くと、時間はかかるけれど、それはまちがいなく「ぼくの文章」なんです。ふだん日本語で書いている感じとかなり近いものが書ける。<br />
でも、しゃべるとだめなんだな、これが。<br />
何て言ったらいいんでしょう。日本人の話す英語って、「等身大」じゃないでしょう？<br />
その人の年齢や社会的立場やそれまでの人生経験や教養や美意識や世界観や・・・そういうものが全部込みでにじみ出るものですよね。語ることばというのは。でも、日本人が話す英語だとそういう「その人なりの固有性の厚み」みたいなものが出ないんです。<br />
英語を話す人というのは「まるでアメリカ人みたいにぺらぺらしゃべる人」と「みぶりてぶりでめちゃくちゃに話す人」の二極に分化して、その中間に存在するはずの無数の「等身大」がない。いかにもその人らしい味のある英語を話す人というのがほとんどいないんです。<br />
いてもいいと思いません？<br />
その人の専門領域についての必要な語彙だけは備わっていて、そのエリアの話題についてなら、基礎的なことについてはきちんと語り合えるというようなプラグマティックな言語運用。ナースの英語とか、タクシー運転手の英語とか、寿司職人の英語とか、コンビニ店員の英語とか。<br />
そういうふうにオーラル･コミュニケーションの英語力を道具的・限定的に利用するという発想がなかなか根づかない。<br />
むしろ「誰にでも使える汎用性の高い英語」の習得が勧奨される。でも、「誰にでも使える汎用性の高い英語」はかなりのレベルに達するまで「現場」では使いものにならないものでしょう。<br />
そういうプログラムの構築の仕方って語学力の問題じゃなくて、ある種の政治の効果ではないかとぼくは思うんです。<br />
植民地の宗主国が植民地の人間に語学教育をしますね。コミュニケーションができないと不便だから。<br />
でも、そのときの語学教育の中心は必ずオーラルなんです。文法や修辞学はあまり教えようとしない。<br />
理由は簡単です。<br />
「読み書き」をきちんと教えると、植民地原住民の中から植民者人よりもリテラシーの高い人間が出現してしまうからです。原住民の秀才の中から、宗主国出身の教師を知的に凌駕するもが出てきかねない。<br />
知的な非対称性を維持することは権力関係の基本ですから、そのような事態は決してあってはならない。<br />
ですから、植民地における語学教育は必ずオーラル中心になります。<br />
宗主国からきた教師の文法の誤謬を指摘できる生徒はすぐに出現しますが、教師の発音の誤りを指摘できる生徒は原理的にありえないからです。母国語話者が語る限り、どのような発音もその国語の「コーパス」に登録される権利があります。発音に関しては母国語話者には「間違い」ということがありません。逆に母国語話者である教師は生徒の発音のうちに無限の誤謬を指摘することができます。<br />
ですから、オーラル･コミュニケーションを語学教育の中心にすえているかぎり、宗主国民の知的優位は構造的に揺るがないのです。<br />
どのような堂々たるコンテンツであっても、オーラルレベルにある限り、原住民が語ることばをさえぎって発音の間違いを指摘したり、「聞き取れないふり」をすることが母国語話者には許されています。<br />
日本の英語教育は戦前までは旧制高校での集中的な語学教育に見られるように、かなりの水準のものでした。けれども、それは徹底的に「道具的」な発想に貫かれていました。<br />
例えば、夏目漱石の英語力は驚嘆すべきもので、漱石は十代の途中で漢学を棄てて英語に転じるのですが、英語を始めてわずか数年で『方丈記』を英訳しています。<br />
これは彼の英語学習の努力のほぼ１００％がリテラシーの向上に集中されていたことを示していると思います。<br />
もちろん大学の英語教師にはたくさんのお雇い外国人がいましたから、漱石は英会話能力も高かったはずですが、それは別に日常の用を弁ずるに足りればいいことでした。<br />
漱石の漢詩もまたご存知のとおり、高い水準のものでした。じゃあ漱石が当時の中国人とオーラル･コミュニケーションができたかというと、たぶんできなかったと思います。そして、そのことを漱石はたぶん「語学力の不足」だとは考えていなかったはずです。必要があれば筆談すれば済むことですし、そもそも自国語の文字を解せないような中国人には彼のほうからは特段の用事がなかったから。<br />
この「教養のない母国語話者には用がない」という「傲慢さ」が戦前までの日本の知的エリートの外国語習得の感覚には伏流していたように思います。<br />
オーラル・コミュニケーション中心の英語教育はこの伝統を転倒しました。それは「教養のない母国語話者たち」（日本を支配しにやってきたアメリカの「有象無象」諸君）に知的威信を担保するための教育制度だったようにぼくには思われるのです。<br />
それ以後、コミュニケーションのコンテンツは副次的で、英単語をいかに「それらしく」発音し、表情やみぶりを「それらしく」演じるかということに日本人の語学学習の関心は集中してしまいました。<br />
たとえ非ネイティヴ･スピーカーの語るコンテンツが高度すぎて理解が及ばない場合でも、母国語話者は「わからないことを言うな」とそれを棄却することができるようになったということです。<br />
いま漱石のような高校生が登場して、『方丈記』を英訳してみせても、ネイティヴの英語教師はあまり感心しないでしょう。そんな無駄なことをする暇があったら、ラップでも聴いて早口英語の聞き取り練習をしなさいというようなとんちんかんなことを言うかもしれない。<br />
非ネイティヴである限り、どんな局面でも知的に劣位におかれるという政治的な構造は、半世紀かけて日本人の英語力を根本的に損なってしまったのではないかとぼくは思っています。</p>

<p>またも話がとんでもない方向に逸れてしまいました。<br />
文化的相対主義の話、靖国の話。ぼくもいろいろ書きたいことがあったんです。次回にまた。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/10/02_1210.html</link>
<guid>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/10/02_1210.html</guid>
<category></category>
<pubDate>Sun, 02 Oct 2005 12:10:07 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>さようならアメリカ、さようならニッポン</title>
<description><![CDATA[<p>TFK17</p>

<p>■　変われないアメリカと、ありえたかもしれないドイツ</p>

<p>「街場のアメリカ論」面白そうですね。<br />
もっとも、ぼくの場合は、「職場のアメリカ論」になっちゃうんですが。<br />
「アメリカ論」って、随分いろいろな人が書いているんでしょうね。ぼくは不勉強であまり読んでいないのですが。<br />
アメリカの一般的なイメージって、どうなんでしょうか。<br />
経済的な超大国であると同時に失業と貧困を抱えた国であり、様々な民族の集合体であり、先端技術の担い手であると同時に古臭いプロテスタンチズムの価値観を信奉し、世界の平和を謳いながら軍事的なヘゲモニーを手放さないといったように、非常に多様ですよね。<br />
なんか逆説的ですが、アメリカ論はいつもこの多様さという紋切り型へ収斂していってしまうように思えます。まさに群盲象で、アメリカの多面性を論じ始めると、論じる人の数だけの、アメリカ像が出現します。それがアメリカだといってしまえばそれまでですが、それでは何も言ったことになりませんよね。</p>

<p>ウチダくんが書いていたように、アメリカを論ずる人たちがほとんどプロ・アメリカの人たちで、アメリカ追従、アメリカ礼賛の視点ばかりが目立って、本当の意味でのアメリカ批判というものには、なかなかお目にかかれません。ぼくが不勉強なだけかも知れませんが。</p>

<p>ウチダくんは、「欲望」というキーワードでこれを説明しています。<br />
『アメリカ問題の専門家って、アメリカ文学研究者にしても、アメリカ外交の専門家でも、アメリカ史の専門家でも、アメリカン・ビジネスの専門家でも・・・要するに「アメリカを欲望している人」ですよね』<br />
これは大変面白いご指摘だと思います。そして、ウチダくんの語法に倣って付け加えるなら彼らは自分の欲望については無意識的に見落とす。</p>

<p>批判という意味は、アンチということではなくて、自分の欲望を「こみ」でアメリカ的なものに向き合えるのかということだろうと思います。いや、社会や政治的な課題について考えるときに、自分の欲望といったものを勘定に入れなければ、それはどんなに詳細に論じようと、事実の羅列に過ぎないということです。歴史を学ぶということは、まさに「今ある歴史」が、なぜ「ありえたかもしれない歴史」に取って替わられたのかということについて学ぶことだろうと思います。それはまさに、自分の欲望の在り処を知るということに繋がるはずです。</p>

<p>ウチダくんはこれを、「歴史には無数の転轍点があり、そこでしばしば取り返し不能の分岐がなされるのですが、決定的局面で「キャスティング・ボート」を投じる人は、自分が決定のトリガーを引いたことをたぶん死ぬまで知りません」と書いています。ぼくは、この意見に深く同意します。ぼくたちは歴史を選択することはできない。しかし、ぼくたちの存在なしには、歴史もまたありえないわけです。そしてぼくたちの存在が否応無しに加担しているのが歴史であるわけです。</p>

<p>先日、ちょっとタイトルが気になって、「グッバイ・レーニン」を見ました。これが、大変面白い映画でした。ストーリーが秀抜なんですね。主人公は、アレックスと言う青年とちょうど東西のドイツ統一の時に意識を喪失していて、ベルリンの壁の崩壊を知らずに意識を回復した東ドイツの社会主義者であるお母さんです。息子は、母親がショックを受けないように、東ドイツの旧体制が、いまも続いているように画策し、演じ切ろうとする。そのお母さんが「あのピクルスが食べたい」なんて東ドイツにしかなかった瓶詰めを所望すると、息子はゴミを漁っても、それを手に入れようとしたりする。どこにでも、孝行息子はいるものです。しかし、街のいたるところに西側の影が現れる。窓からコカコーラの看板が見える。テレビからは否応なく、今のドイツが流れ込んでくる。そこで、息子は方針を変更して、西に東が糾合されたのではなく、逆に東側に、西側の住民が大量亡命してきたという一芝居を打つわけです。嘘のテレビ放送からのナレーションが秀逸でした。「人生には車やテレビなんかよりも大事なものがある、それに気付いた人々が陸続と東ドイツに流入してきています。」ありえたかもしれない、しかしありえなかったドイツは、滑稽ですが何か奇妙な魅力がありました。そして、このありえたかもしれなかったドイツを想像することで、ひとは自分の欲望が、どのような現実を選択したのかということに気付くのかもしれない。<br />
しかし、自分の欲望が試されないところでは、ありえたかもしれないアメリカについて想像するのは、難しい。</p>

<p>一般論では言えないのですが、アメリカについて語る人って、何かやはり、自分の欲望を無条件に肯定している人が多いですよね。無条件に肯定するということは、それが見えていないということと同義です。そして自分の欲望を棚に上げて、「アメリカではこうなっているんだ」みたいな説教を垂れるでしょ。アカデミアでもビジネスでも案外多いですよね。ぼくも時々やっちゃうんですよ。ちょっとばかり見知っているアメリカを例にとってね。でもこれはアメリカに名を借りた恫喝みたいなもので、この時点でこの言説は指南力を喪失していますね。</p>

<p>たとえば、インドとの関係で言うと、インドのすべてに耽溺してほとんどインド人みたいになっちゃう人っていますよね。ぼくらの友人の庄司くんなんかも、現地に棲みついて、バグワンの料理人みたいなことやっていましたけど、一度帰ってきたときに会ったら、こりゃもうインド人だよと思ったものです。それはもう、身体ごとインド人になっちゃってる。この手のひとたちは、インドについてあまり積極的に語りませんね。インドを欲望することの根底には、日本の消費文化、経済市場主義みたいなものに対する嫌悪というか絶望というか、日本の価値観に批判的なバイアスがかかる。そして、それ（消費文化）に加担している自己を変えるといったところから入る人が多いんじゃないかと思います。</p>

<p>このバイアスのかかり方が、アメリカの場合は反対になっているわけですね。日本は中途半端なアメリカで、もっとアメリカ化しなければ世界に乗り遅れると。<br />
ある人は自らの欲望を捨てるためにインドへ渡る。そしてある人は自分の欲望に無自覚にアメリカを語るといったら、あまりに図式的すぎるでしょうか。<br />
でも、ぼくは勝者としてのアメリカ礼賛者を見るといつもこんな気持ちになります。アメリカは経済、文化、科学、軍事の勝者であるから、アメリカ的なシステムは正しいんだよというふうに、聞こえるわけです。でも、これって論理的にはひとつ媒介功が抜け落ちていますよね。ひとり勝ちのシステムが正しいかどうかを判断するのは、自分たちの価値観だっていう。この媒介項に自分の欲望がすっぽり入ってしまえば、アメリカを礼賛するしかなくなるわけです。</p>

<p>■　文化コンプレックスと経済ダーウィニズム</p>

<p>先だって、サン・マイクロシステムズというアメリカ西海岸の代表的なコンピュータ企業の日本法人の役員の方と、米国に本社をもつベンチャー企業が日本に進出する場合に、彼らが選ぶ日本人社長はみな似ているというお話をしました。<br />
米国の会社は、日本側の代表を選ぶときに、所謂ヘッドハンターに依頼を出すわけです。そうすると、現地法人（この場合は日本法人ですが）の社長候補リストが作成され、そこから米国本社が書類選考するなり、面接するなりして社長を決定する。<br />
ぼくは、この辺りの事情にはわりと詳しいのですが、米国本社が選ぶ日本の社長っていうのは、決まって英語がうまくて、プレゼンテーションの巧みな人間です。あ、それからMBAとか東大、東工大といった高学歴がこれに加わります。<br />
これを揶揄して、「社長屋さん」なんて言っています。<br />
アメリカ人経営者ってのは、日本のローカルオフィスの代表は、英語がうまくてプレゼンテーションがうまければ務まると思ってしまう。<br />
日本で長くベンチャー企業をやっているぼくから見ると、この二つの能力は、営業部長、あるいはマーケティング部長には必須の能力かも知れませんが、社長に必要な能力とはとても思えない。</p>

<p>でも、そうはいっても、法人の代表であり、ローカルスタッフを雇い入れ、顧客と信頼関係を築き、持続的なビジネスを展開することがなければ、支社といえどもうまくいくわけはありません。ここのところを、アメリカ人は意図的と思えるほど簡単に見落としてしまいます。</p>

<p>これは、アメリカにとっても日本にとっても不幸なことだと思います。郷に入れば郷に従えってことわざないんでしょうかね。Do as the Romans do なんてアメリカで通じるんでしょうか。勿論、使う人はいるんでしょうが、イスラムの国に侵入して、アメリカの民主主義を植えつけようなんて考えるアメリカ人には似合わない言葉ですよね。<br />
アメリカは、確かに多様性の国ですが、多様なものの存在は否定しないけれど、それらはあくまでも、「その他いろいろ」の範囲であって、それが主流になるのは許せない。それが強者であってはならないという思い込みがあるような気がします。なぜなら、自分達こそが強者であるという強迫観念から抜け出すのは、簡単ではないからです。だって彼らは、強者であること以外のふるまい方を経験していないわけです。</p>

<p>さて、ここから先が問題なのですが、ヨーロッパの知性が自分達の知性そのもののあり方を否定して辿り着いたのが、文化相対主義だったと思います。この文化相対主義をやはりアメリカという国は認めたくない。フランス人やイギリス人もあまり認めているとは思えませんが、それでもその認めなさがアメリカの場合にはすこし異なっているように思えます。端的に言ってしまえば、ヨーロッパは築き上げた文化を否定しきれないという意味で、アメリカは文化がもともと「ない」という意味で、それを相対化することができない。いや、「ない」ことはないでしょうがそれは、本当の意味で相対的なものに過ぎない。しかし、覇権国家としては、文化は多様だが等価であるとは思いたくない。これは、アメリカにいるとよく理解できるような気がします。アメリカは自由の国で、世界の情報に誰でも自由にアクセスできるといいますが、実際にはテレビも新聞も、アメリカほど国外のニューズに無関心な国はないように思えます。ひとつには「アメリカ諸国連合＠内田樹」がそれだけで閉じたひとつの世界になっているということもあります。同時にアメリカの持つ文化的優位性への信仰が、大陸にあまねくいきわたっているのかもしれません。この文化的優位性には何ら根拠はありませんよね。<br />
アメリカは二十世紀で最も成功した国家なわけです。その帰結として、二十世紀を通じて、アメリカ人の心理に強く働いていたのは、社会ダーウィニズムだったと思います。適者生存です。これは論理的には原因と結果が逆さまになった思考ですが、最も成功した国家は、強者の論理が貫徹した結果であると信じたいわけです。<br />
しかし、煎じ詰めてゆくとここに、アメリカの最大の弱点があって、その裏返しとしての経済、科学技術、軍事の優位性を強調しているように見えます。そういった意味では、情報の国家統制を行っている共産主義ととても似ていると言わざるを得ないのです。アメリカの場合は、自主規制っていうか、自分達が世界の中心だっていうバイアスが強くかかった結果としての自主規制ですが。<br />
先だって、テレビで堺屋太一さんが、こんなことを言っていました。<br />
「中国が近い将来、アジアの覇権を握り、米国の脅威になることは間違いのない事実かも知れませんが、それは経済的、軍事的な脅威になるということを意味しません。わたしは、中国はアメリカにとって文化的な脅威になるんじゃないかと思っています。」<br />
まあ、だいたいこんなことを言っていたのですが、ぼくは面白い見方だなあと感心しました。</p>

<p>■　それで靖国なんだけど</p>

<p>どうも、最近、日本にもこの文化的な相対性といったことを理解できない、したくない人間が増えてきているように思えてしかたがありません。経済ダーウィニズムに毒されちゃったっていうか、勝ったやつが正しかったと短絡してしまう。<br />
文明化された国と野蛮な国がある。善人と悪人がいる。正義のための戦いを断固として進める必要がある。テロリストと、テロリストを容認するならずもの国家がある。<br />
こういった紋切り型のキャッチフレーズの根っこには、文化的な相対性への否定があります。これはある種の合理性なのですが、本当の意味では作為的な合理性というべきでしょう。そして、こういった作為的な合理性が決定的に、あるいは意図的に見落とすのは自分たちの合理性の前提は果たして合理的なものなのかという「前提への省察」です。つまり、文明とは何を意味するのか。善悪とは何か。こういったものがはじめからあることにして、議論するというのはある意味で宗教だといってもいいように思います。<br />
実は、高橋哲哉も小林やすのりもぼくは読んでいません。いや、読む気がしないんですよ。靖国の問題は、すぐれて政治的な課題だと思います。政治的という意味は、起源や本質よりも、遂行性や効果に比重を持つ問題だということです。<br />
勿論、宗教儀礼であるわけですから、その起源、本質といったものが問題にならないわけはありませんよね。<br />
でも、問題の比重はやはり政治的なところにあるだろうと思います。<br />
ぼくは、毎日靖国神社の前を通って会社に通っています。そして、この神社の前を通るときに、他の神社の前を通るときとどんな心理的な違いがあるのかを自分で考えて見るのです。そうすると、不思議なことに、靖国にはあまり宗教的な、あるいは古代的なものを感じないんですね。何かそれは作られたもの、作為なんだと思えてしまう。反対に、家の近くに浅間神社があるんですが、その前を通るときは何となく敬虔な気持ちがわいてきます。そこに何が祀られているのかについて、委細を知るわけではないのですが、なにか古代的なものに触れたような気持ちになるのです。<br />
だから何なんだと言われると困るんで、すこし丁寧に説明したいんですが、紙幅が尽きちゃいました。だから、今度。<br />
では。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/09/01_1003.html</link>
<guid>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/09/01_1003.html</guid>
<category></category>
<pubDate>Thu, 01 Sep 2005 10:03:40 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>歴史の中のif と「ナカとって主義者」</title>
<description><![CDATA[<p>TFK2　その１６<br />
■歴史にifがあって何か問題でも？<br />
やっと夏休みになりました。<br />
朝起きて、今日は何をするんだっけ？と考えたときに、どこにも行かなくていい、誰にも会わなくていいと思うと、ほんとうに「ありがたい」と思います。<br />
で、この数日はずっと『街場のアメリカ論』の書き直しをしています。これは前にお話ししましたけれど、去年大学院の演習でやったものです。その前の年に『現代日本論』という演習を担当しました。もともとぼくが担当するような科目じゃないんですけど、担当の先生が一年間留学でいなくなったので、一年だけぼくがピンチヒッターをやったのです。<br />
そのときに、現代日本のいろいろなトピックを取り上げて、自由気ままなディスカッションをしたのですけれど、一年やってわかったのは、日本は「アメリカの影」だ、ということでした。<br />
「アメリカの影」だけじゃ意味不明ですけど、言い換えると、現代日本人が国際社会の中で「日本人は何ものであるか」を考えるときに、「アメリカ人から日本人はどんなふうに見えるだろうか」という問いを経由したかたちでしかナショナル・アイデンティティを立ち上げられないのだということです。<br />
そのことがが骨身にしみて実感されたのです。ペリーの浦賀来航以来、実に１５０年間にわたってそうなんですよね。<br />
なぜ、日本はナショナル・アイデンティティの隣接項としてアメリカを選ぶことになったのか？それはいつまで続くのか？そのことが気になって「アメリカ論」をやることにしました。アメリカ論といっても、教師も院生も聴講生も、アメリカ問題の専門家なんて一人もいないんです。でも、それでいいというか、「それが」いいんじゃないかと思いました。<br />
というのは、今回のテーマは「なぜ日本人はアメリカを欲望するか？」という問いが中心になっているからです。<br />
アメリカ問題の専門家って、アメリカ文学研究者にしても、アメリカ外交の専門家でも、アメリカ史の専門家でも、アメリカン・ビジネスの専門家でも・・・要するに「アメリカを欲望している人」ですよね。彼ら自身が「アメリカを欲望して」おり、かつ英語運用能力が高かったり、アメリカの大学院で学位を取っていたり、アメリカのエスタブリッシュメントの中に友人知己が多くいたりというかたちで「アメリカを欲望したことの効果として受益している」としたら、彼らは「日本人がアメリカを見る目にはどのような心理的バイアスがかかっているか？」という問いはあまり意識したくないんじゃないでしょうか？<br />
「日本人はなぜアメリカを欲望するのか？」という問いに適切な回答が与えられた場合、それによって欲望がさらに亢進するということはあまりないですね。ふつうは、「なるほどね」と納得しちゃうと、「憑きもの」が落ちたように、やけつくような欲望が霧散してしまう・・・ということが起きたりするものです。でも、仮にそのように適切に欲望の構造が解明されてしまった場合にアメリカ問題専門家は、彼らが現在享受している社会的威信や影響力にいささかの翳りが生じることになります。アメリカ問題を論じるシンポジウムとかセミナーとか、あるいは大学教員のポストとか、アメリカ問題本の執筆依頼とか・・・そういう切ないくらいにリアルな特権が歴然と減少する。自分がある問題を適切に解明すると、自分自身が今書きつつあるようなテクストに対する社会的需要がなくなるという場合、そこに知的リソースを惜しみなく注ぎ込む人がいるでしょうか？<br />
そんな人はあまりいないような気がします。<br />
だから、ほかのことならいくらでもお任せしていいんですけれど、「なぜ日本人はアメリカを欲望するのか？」という論題はできたらアメリカ問題の非専門家がやる方がいいんじゃないかなとぼくは考えたわけです。もちろん、ぼく自身を含めて今の日本にアメリカに対する欲望や、アメリカとの利害関係をまったく持たない人間なんかいるはずがないので（例えばぼくの場合なら、「フランス語履修者の激減」というかたちでけっこうリアルに英語帝国主義に苦しめられているわけで）、「中立的な第三者」というような視点を不当前提するわけにはゆきません。でもまあ、自分の思考や感覚に入り込んでいる「対アメリカ欲望」の腑分けに興味をもっている人間の方が、そうでない人間よりはこういう仕事には向いているのかなと考えて、不肖ウチダが大ネタで「アメリカ論」を展開したわけであります。<br />
　最近はそんな仕事をしてます。<br />
そのときに平川君のヴァレリーの引用を拝読して、けっこう「来ました」。<br />
「人間の手になる作品についての判断を損なう多くの誤りは、それらの発生状態に対する奇妙な忘却によるものである。人はしばしば、作品が前から存在していたわけではないことを忘れてしまう。」<br />
歴史というのはほんとうにそういうものだと思うんです。<br />
ぼくたちはいまある制度や文物を「それが今存在する以上は、存在すべき必然性があったのであろう」というふうに必ず「必然性」を上積みして評価してしまいます。でも、この「上積み」の値幅がどうも大きすぎるような気がするんですよ。<br />
「たまたま」ということってあるでしょう？ほんとに「たまたま」ということって。<br />
「歴史にイフはない」というのはよく口にされる言葉です。<br />
ぼくが歴史の話を始めて、勝手な思弁を暴走させているとしばしばこの言葉で饒舌を遮られます。<br />
もし慶応三年に坂本龍馬が京都近江屋で横死していなかったら、明治のエートスというのはずいぶん違うものになっていたであろう、とか高杉晋作が明治末年まで生きていたら、山県有朋が長州閥を仕切って日本陸軍をあのようなものにすることはできなかったのでは・・・というようなことを口走ると、「ウチダくん、歴史に『if』はないよ」と話を切り上げられてしまう。<br />
でも、平川君、「if」というのは、ひとりの人間がその場にいるかいないかで状況は変わるということについて、つまり個人に託された現実変成能力を信じる人間にとってはつい口を衝いて出る言葉じゃないかと思うんです。<br />
「誰がやっても同じだ」とか「オレなんかいなくても、何も変わりゃしないよ」とかいう言葉がぼくは嫌いです。そういうことを言う人間は、自分の歴史への干渉力を控えめに評価しているように見えますけれど、実は「責任」を負う気がないんだと思うんです。<br />
道路にゴミが落ちていますね。そういうときに、「オレがこんなところで空き缶一個拾ったって、世界のゴミが減る訳じゃない」というようなことをいう人間て、ぼく嫌いなんです。<br />
いいから、黙って拾えよ。キミが一個拾えば、確実にゴミは一個減るんだから。<br />
ゴミの話じゃなくて、例えば政治的にカタストロフィックな状況で、「オレ一人が正論吐いたって、もうどうにもならんよ」と言ってシニカルに頬をひきつらせるやつがいますね。あれも嫌いなんです、ぼくは。<br />
「まず隗より始めよ」という言葉があるじゃないですか。<br />
いま、与えられた状況でできることから始めるというかたちでしか歴史にはコミットできないし、自分のなしていることの有限性を熟知している人間のコミットメントだけが有限性の枠を超えてゆく。ぼくはそんなふうに思っています。<br />
歴史には無数の転轍点があり、そこでしばしば取り返し不能の分岐がなされるのですが、決定的局面で「キャスティング・ボート」を投じる人は、自分が決定のトリガーを引いたことをたぶん死ぬまで知りません。<br />
「歴史におけるif」を語るというのは、今ここにあるように世界があるのとは違う仕方でも世界はありえたという想像力の使い方です。その「起こりえたけれど、起こらなかった出来事」について、「それはどうして起こらなかったのか？」ということを考えるのはたいせつなことだと思います（これは「白銀号事件」のときのシャーロック・ホームズの推理法ですね。「あの晩、なぜ犬は鳴かなかったのか？」）<br />
そういう推理を一度もしたことのない人間が「世界は今あるようになるべきだったのである」とまるで永遠の真理であるかのように言うのを聞くと、ぼくは深い違和感を覚えるのです。</p>

<p>■極論の人、ナカ取る人<br />
　このところ平川君がブログ日記で郵政民営化について書いていることを読んで、いつも深く納得しています。特に先日のブログ日記にはわが意を得た感がしました。平川君はこう書いています。<br />
「大きな政府と小さな政府のどちらを選ぶんだと問われれば、俺は、『そうねぇ、中ぐらいがいいんじゃないの』とあいまいに答えるしかない。<br />
　とぼけているわけではない。<br />
　大きな政府は息苦しいだろうし、小さな政府は弱肉強食のゼロサム社会を加速させるに違いないと思うからである。」<br />
政治的言説は必ず「極論」になります。これはぼくたちは骨身にしみて知っていることですね。ある個別的論点について具体的なある政策的提言をしたとします。その提言そのものは、「まあ、そういう考え方もありかな」というような妥当性の範囲内にあったとしても、その提言を論理的に無矛盾的に展開してゆくと、どこかで「それは無理筋でしょう」というところまで突き抜けてしまいます。<br />
例えば、身体加工はどこまで許されるかというときに、ピアッシングやタトゥーくらいは「まあ、許容範囲かな（オレはやんないけど）」という判断を下せるとしても、「では」というので、「おしゃれ」のために指を切り落とすとか、舌を二枚におろすとか、ワイヤーを口の端からつきだして「猫顔」にするとか（これ全部ほんとうの話です）いう身体加工も「あり」か、と問われると、「それは『やりすぎ』でしょう・・・」と言わざるを得ません。性器切除や造膣手術で性転換する人の自己決定権を認めるのが政治的に正しいとすごまれても、「そういうのは、ちょっとどうかと思うんですけど・・・」と歯切れが悪くなる。<br />
この「いや、理屈ではそうだけどさ、ちょっと、それは・・・」という感覚ってけっこうたいせつなんじゃないかとぼくは思うんですが、その「理屈ではそうだけど・・・ちょっと」という言葉がなかなか聞き届けられない。<br />
オール・オア・ナッシングってそんなにいいものなんでしょうか？ぼくにはどうもそんなふうに思えません。<br />
「郵政民営化によるメリットはこのへんで、デメリットはこのへん・・・じゃ、ナカとって」というのが「三方一両損」の大岡裁き以来の日本の「調停の王道」だったと思うんです。この「ナカとり名人」のような人がまあ日本では伝統的に「保守本流」というところに居座っていたわけですね。<br />
「ナカを取る」ということは言い換えると「達成すべき理想像がない」ということです。「ヴィジョンがない」ということは（平川君の言葉を使えば）「指南力がない」ということですし、武道的に言えばつねに「後手に回る」ということです。だから、左右両翼の「理想論」の間で、「ナカ取って」主義者たちは「理念がない」「政治哲学がない」「国際社会にむけて発信すべきメッセージがない」という嘲罵を浴びてきた。でもその代償として、彼らは戦後６０年間、権力と財貨と情報をそれなりに占有してきたわけです。<br />
刻下の日本の危機というのは、ある視点から言うと、この「ナカ取って主義」の没落というかたちを取っているのではないでしょうか。「ヴィジョンなきナカ取って論者」よりも、「クリアーカットな極論」を語る人間の方が旗色がよいんです。「わけのわからないことをもごもご言う人間」には、昔はそれなりの「芸」というか存在感というか迫力があったと思うんです。だいたい調停役の人は「これからオレが言うことを、黙って『うん』と呑んでくれるとまず約束して欲しい」というようなめちゃくちゃな交渉をするわけですが、そういうやり方がそれなりに有効であったということは、論理の不整合を人格的な厚みが補償していたからだと思うんです。<br />
その「人格的厚みによる論理的不整合の補填」という戦略が、どこかで機能しなくなってきた。今はもう「国士」とか「フィクサー」とか「キング・メーカー」といわれるような人はいなくなりましたね。それは政策決定プロセスが合理化されて、そういう政治的機能が必要なくなったということではなく、そういう政治的機能を担えるだけの度量のある人間が払底しつつあるということではないかと思うんです。体系的な政治思想に準拠してではなく、「そんへんは許容できるけれど、このへんはちょっとなあ・・・」というようなアバウトな身体感覚を規矩として政治判断をすることのできる「太い」人間がいなくなってしまったような気がするんです。<br />
そのことを最近ホットな論件である靖国問題でもすごく感じるんです。高橋哲哉の『靖国問題』と小林よしのりの『靖國論』を読み比べてみて、どうしてこの人たちは「対立者をもふくめて日本を代表しうるような論」の水準を探そうとしないのだろう・・・とちょっと暗い気持ちになってしまいました。<br />
この件について、ちょっと平川君のご意見も聴いてみたいと思っています（来月の朝日新聞に書くことになってるんで）。ご意見お聞かせください。<br />
ではでは<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/08/22_1131.html</link>
<guid>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/08/22_1131.html</guid>
<category></category>
<pubDate>Mon, 22 Aug 2005 11:31:14 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ＴＦＫその１５・党派を遠くはなれて</title>
<description><![CDATA[<p><br />
■　方法としての「謎」</p>

<p>鬱陶しい梅雨が明けたと思ったら、今度は灼熱の地獄ですね。<br />
毎年の事ながら、齢知命の体調を維持してゆくのは大変です。<br />
ぼくは、数年前から梅雨時になると、長年の下段回し蹴りを受けた古傷の膝が痛み、歩くのも難儀になります。<br />
お互いあまり、無理をしないようにしないといけませんね。といいながら、先だっては箱根でのエンドレス講演なんていう、無謀な仕事を増やしてしまって申し訳ありませんでした。</p>

<p>実は、ウチダくんのお話が、経営者の皆さんと「手が合う」のかどうか、すこし心配していたんですよ。<br />
通常経営者が使用しているタームは、サプライチェーンだとか、ベストプラクティスなんていう短期的な利益確保と事業効率化に配慮したものが多いわけです。<br />
最近では、コミュニケーションとかＣＳＲ＝企業の社会的責任といった話題が出るようになりましたが、まあこういった話題は、四半期収益を確保した上で、お茶でも飲みながらといった感じで、本音のところは「そんなきれい事で、競争に勝てるか」というところから変わっていないんじゃないかと思えます。</p>

<p>今回のウチダくんのお話のテーマに伏流する「交換」「贈与」「応答」といった原理的な言葉を、果たして先進的な経営者はどのような形で咀嚼するんだろうか。<br />
「なんか、抽象的な理想論なんじゃないの。で、結局何がいいたいのよ。」なんて、声が上がるんじゃないかと、ちょっと心配していたのです。</p>

<p>しかし、杞憂でしたね。いや、想像以上の盛り上がりで、五時間もぶっ続けで、場が白熱して飽きることがなかった。「で、それは儲かるんでっか。」なんていう野暮な反応もありませんでした。勿論、経営者ですからあしたの米びつの心配は常にしているわけだし、利潤を確保してゆくことが最大の関心事であるわけですが、それでもウチダくんの振ってくれた原理的な話題が、必ずビジネスに繋がってゆくという直感を皆さんが感じ取っていたのだろうと思います。同時に行き過ぎた市場至上過ぎに対する違和感もまた、経営者が共通に持っているものだと、あらためて思いました。</p>

<p>馬鹿な経営者というのは、「本質的な言葉」というものを、緊急性のない、空理空論だと勘違いしている。なんか、あしたの経営数字を一ポイントでも上げられないような言葉に対して、侮蔑感を持っている。成果に直結しないような観念に対しては、青臭い議論のための議論であると切り捨てる。<br />
これは、実際にビジネスの現場にいるとよく分かるんです。実際そういう自分がタフなビジネスマンだと思っている連中が多いですから。<br />
でも、それは、自らが運営する世界に対しての構成力の欠如である、ということに思い至らないだけじゃないのかと思いますね。もっとも、最近のデジタル思考の経営者には、そんな問題が、経営課題であるとすら思い浮かばない人が増えているようですが。</p>

<p>それでも、有能な経営者というものはいるもので、「本質的な言葉」と、「プラクティカルな言葉」というものをいつもひと続きのセットで考えている。<br />
それは、利潤を生み出すリソースであるところの労働者、社員が、賃金だけではなく、「理由」を求めていることをよく知っているからでしょう。労働力というものは、ただ搾れば水滴をしたたらせる雑巾のようなものであるとは考えていない。<br />
あたりまえですけどね。<br />
先日の箱根に集まった経営者の方々は、ウチダくんの言葉を真正面から受け止めて、それをご自分たちの言葉に置き換えるとどうなるのかというように、考えておられたように思えます。</p>

<p>ウチダくんの講演の趣旨は、前便で書かれていた「同一であるけれど同一でないものが時間差をはさんでつながること。それが交換ということの本質ではないかとぼくは思うのです。」というところに集約されるだろうと思います。ビジネスというものを商品を媒介としたコミュニケーションであると考えるなら、このコミュニケーションとは何かを相手に差し出せば、ストレートに応答が返ってくるというようなものではなく、様々なものを迂回して返礼されるということだろうと思います。<br />
ぼくは、ここにビジネスの最も本質的なものが、隠されていると思っています。<br />
しかし、それは必ずしも、明示的に表現されうるものではない。原因と結果がリニアに繋がっているわけではない。それだけではなく、原因と結果の間には、よく分からない迂回路があるわけです。でも、迂回路があるということだけはわかる。<br />
つまり「謎」としてそこにあると思っています。<br />
「謎」であるが故に、それは<br />
ぼくたちが嬉々として働く原動力にもなりうるのだということだろうと思うのです。<br />
「謎」なんていうと、誤解されそうですが、答えがどこかに書かれているようなＱ＆Ａ形式というものではないということだろうと思います。<br />
それは、そうしようと思えば、そこから、無限の意味を汲みだせるという意味で、一つの答えを拒む問いです。だから、「謎」なんですね。</p>

<p>今あるものや、今進行している事柄について、それが好ましいと感ずるか、違和として受け取るかは、それぞれ個々の立ち位置と感受性によって異なるでしょう。現実的なものは、その意味を深く詮索しない限り、あたりまえのように見えるものだろうとおもいます。ヘーゲルじゃないですが、現実的なものは、必然であると意ってもいいかも知れません。歴史にイフはないといってもいい。しかし、今のこの現実には、いつくかある選択を積み重ねた結果であり、ありえたかも知れない現実もまた、今の現実に含まれていると考えることも可能です。ぼくは、こういう想像力を本質的な想像力であるといいたいと思います。そして本質的な言葉というのは、必ず物や事柄に対してその起源を尋ねることになります。それは、あたりまえの事柄の相の下に、ひとつの謎を見出すという方法でもあるということです。</p>

<p>─　人間の手になる作品についての判断を損なう多くの誤りは、それらの発生状態に対する奇妙な忘却によるものである。人はしばしば、作品が前から存在していたわけではないことを忘れてしまう。<br />
（「序説」渡辺広士訳）</p>

<p>これは、レオナルド・ダ・ヴィンチに関してのポール・ヴァレリーの省察ですが、ヴァレリーの方法的な知性には、何度読んでも新鮮な発見があります。それに、かっこいい。<br />
考えて見れば、この間、ウチダくんとずっと交わしてきた議論はいつも、この事物の発生状態に関するものでしたよね。勿論、この起源は歴史の霧の中に霞んでいて、誰もそれを<br />
見てはいないし、証明もできないものだと思います。ただ、それはウチダくんの言葉を借りるなら、無限の解釈可能性として、ぼくたちのまえに開かれているわけです。</p>

<p>■　自分と自分の言葉との距離</p>

<p>この間、ぼくたちの目の前で、ニートの問題、靖国、憲法などの政治的な問題に関して、マスコミでも、ブログでも随分かまびすしい議論が展開されました。ぼくたちも、これらの論件に対して、考えてきたと思います。<br />
そして、護憲であるか、改憲であるか、あるいは靖国参拝が是であるか非であるか。こういった問題に対して、あたかもそれが「前から存在していた」かのような二項対立の議論へと収斂してゆくのを見てきました。<br />
護憲か改憲かといった選択の問題は、政治過程の課題としては重要な問題かも知れません。しかし、政治家でもない一般人が、この選択をめぐって口汚くののしり合い、相手を決めつけ、唾を吐きかけるような幼児的な議論をしているのを見ていると、このパターンは以前から繰り返されてきた、憎悪や不信の応酬に過ぎないよなと思ってしまいます。<br />
なんていうんでしょうかね。<br />
政治的な発言というものと、それを発言しているご自身との距離に対する自覚のない発言を見ていると、これはただのディベートに過ぎない。ここには何もない。<br />
もし自分の問題として、自分の言葉で結論までもってきたのなら、護憲なのか、改憲なのかはまさに自分自身の生き方にかかわる問題になります。しかし、単に論理あわせみたいなものであれば、そんなものは、かれの生き方と触れ合うことはありません。ただ、とっちが論理的な整合性があるかなんてことを争っているだけですからね。<br />
でも、こういった論争には、論理の整合性なんてひとつの思考の枠組みの中だけでしか担保されないという単純な事実が、抜け落ちてしまいます。しょーもない喩えで、申し訳ないのですが、動物愛護を唱えながら、血の滴るステーキを食うのが人間てもんだろと、言いたくなります。よく、ヒューマニズムでは、国際紛争を解決できないなんていいますが、リアルポリティクスだって何ひとつ解決できちゃいません。リアルポリティクスも、ひとつの物語に過ぎないわけです。外交とは力と力の駆け引きであるなんていうことを、さも国際常識みたいに言う人がいますが、それこそ前から存在していたわけではない国際常識という物語だろうと思います。もし、人間に進歩というものがあるとするならば、それはこういった国際常識を解体する常識をどうやったら打ち立てられるのかと考えることの中にしかないと言っておきたいと思います。</p>

<p>先日、ウチダくんも登場する、文芸春秋のアンケートを読んだのですが、ぼくがその中で、「お、これは面白い」と思ったのは、政治家でも評論家でも、大学教授でもないひとりのおばちゃんの意見でした。これ、ブログでも書いたんですけど、ぼくが感心したのは、料理評論家の小林カツ代さんの意見でした。<br />
「他国が嫌がることで、すぐやめられることならやめましょうよ。誰も損をしないんですから。」<br />
「はいはい、そんなところで、意地張って喧嘩していないで、はやくお家に帰って、おかあさんのお手伝いをしなさい。」<br />
後段は、ぼくの創作ですが、このおばちゃんは、問題の本質が別のところにあることをこんな言い方でぼくに気付かせてくれました。<br />
勿論、こういった認識が国際政治に通用するかどうかというのは、別な問題です。ただ、自分の意見を言えと言われたら、やはりぼくはこれに近い答え方をするしかないだろうと思うのです。政治的な問題の前に立つと、人間というのはどうしても党派的な意見しか言えなくなります。自分で意識していなくとも、どこかしら規定の党派的な見解の中でものを考えてしまう。実際に、アンケートを読んで見ると、人はいかに党派性から自由になるのが難しいのかということを知らされるばかりです。口汚く中国人をののしる類いの言説にはいい加減、「早くお家に帰って、お手伝いでもしなさい」と言いたくなります。<br />
小林さんの意見のおもしろいところは、彼女がそういった党派性というものをどうやったら脱却できるのかということを、おばちゃんの語り口のなかにさりげなく溶かし込んだということだと思います。<br />
池上本門寺のある池上駅の近くに小林さんのやっている定食屋さんがあって、そこではご飯、味噌汁、シャケの焼き物、お新香、玉子焼き、コロッケと何でも自分で選べるようになっています。そして、それらの料理が、まったくおっかさんの手作り風になっているんです。<br />
それはまさしく隣のおばちゃんであるカツ代さんの手料理であって、彼女の心づくしをいただけるといった格好になっている。<br />
彼女の意見を読んで、ぼくは、これは隣のおばちゃんの実感だなと思いました。<br />
隣には、勿論、無知ゆえに、中国人や、朝鮮人を口汚くののしっているおばちゃんや、おっさんもいるわけです。でも、そういった無知蒙昧を開くのも、やはりどこぞのお偉いさんの意見ではなく、隣のまっとうな感覚をもったおばちゃんなんですね。</p>

<p>お、いけねぇ。つらつら書いていたらまた終わらなくなってしまいそうです。<br />
前便でウチダくんにふられた論件とは、まったく違った場所に出てきてしまいましたが、同一でないものが、時間を潜ってつながるということにどこかで、接続できればと思います。<br />
では。<br />
</p>]]></description>
<link>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/07/26_1109.html</link>
<guid>http://www.tatsuru.com/tokyo/2/archives/2005/07/26_1109.html</guid>
<category></category>
<pubDate>Tue, 26 Jul 2005 11:09:01 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>その１４・労働と豊穣性</title>
<description><![CDATA[<p>言葉と爆発<br />
　<br />
前便での平川くんの言葉でとくに印象的だったのは、次のところです。<br />
「マスコミやブログに現れてきた言葉づかいを見ていると、一方的というか、ただ他者を攻め立てる言葉だったり、意味も無く雷同する言葉ばかりが目立ってきているよう思えます。でも、ぼくが聞きたいのは中間で揺れ動く言葉なんですけどね。」<br />
この「中間で揺れ動く言葉」という表現はぼくにはとても肌触りのよいものでした。そういう言葉こそ「党派的な言葉づかい」の対極にあるものだろうと思います。<br />
先週奥湯元のセミナーに講師として呼んでいただいて、｢学びからの逃走、労働からの逃走｣と題した講演を行いましたが、そのときに思ったことは、学びと労働について、ここでいわれたような「中間で揺れ動く」言葉で語ってみたいということでした。<br />
結果的には何が言いたいんだかよくわからない支離滅裂なレクチャーになってしまってみなさんにご迷惑をかけてしまいましたけれど、この「わけのわからなさ」は「中間で揺れ動く言葉」の「税金」みたいなものですから、ご勘弁いただくしかありません。</p>

<p>「中間」という言葉は誤解を招くかもしれませんが、これは｢ある党派的立場と別の党派的立場の中間｣という意味ではありません。そうではなくて、｢『語っている私』と『それを聴いている私』のあいだのなじみの悪さ｣というようなものです。<br />
党派的な言葉づかいの特徴は、語っている本人が自分自身の言葉をまるで切れ味の良い道具のようにすらすらと使っていることだと前に書いたことがありました。もちろん、道具と使用者のあいだにも「うまく使いこなせない」｢手になじまない｣というような齟齬はあるかも知れません。でも、そのときでも「道具を使いつつある私」の自己同一性が懐疑されているわけではありません。<br />
それは「こんなポストにいたんじゃ私の本領は発揮できない」とか「こんなくだらない仕事では私の才能は実現できない」と思っている「私」が、自分の潜在可能性が「１００％私のもの」であることを一瞬も疑っていないのと似ています。<br />
ぼくが｢中間｣という言葉に託しているのは、そういうことではありません。<br />
「道具と使用者」という二項対立だと、道具（言葉）も使用者（言葉を語る私）もあらかじめ実在物としてそこにあることになります。だから、問題はその二項間の「なじみの悪さ」の技術的な解消であり、「うまい言葉の使い方」さえ習得すれば道具は気持ちよく使いこなせる、ということになります。<br />
でも、ほんとうはそういうんじゃないと思うんですよ。<br />
先行的に存在するのは「なじみの悪さ」の方であって、その「なじみの悪さ」のもたらす運動が事後的に「道具」や「使用者」という項を仮象として結像するんじゃないか。<br />
そんなふうにぼくは考えているわけです。<br />
ああ、こんな説明じゃまるでわからないですよね。もうすこし続けます。<br />
「なじみが悪い」状態は「なじみがよい」状態を志向します、絶対。｢不安定な状態｣が｢安定状態｣を志向するのと同じで。<br />
このとき重要なのは「不安定な状態」が｢安定した状態｣を志向するのは安定状態を経験的に知っているからではない、ということです。「安定って、まだ経験したことがないけど、『そういうもの』があるような気がする・・・」というしかたで「不安定状態」は「安定状態」を志向する。そういうもんだと思うんです。<br />
化学の現象で｢爆発｣というのがありますね。これをふつうの人は「安定した秩序が突如崩落して無秩序なカオスに陥ること」というふうに理解しているんじゃないかと思います。でも、逆なんですね。これが。<br />
「爆発」というのは「化学的に非常に不安定な状態が一気に安定状態に回帰すること」なんです。<br />
爆発現象を「爆発するもの」(爆薬)と「爆発させるもの」（工兵）の二項関係で考えると、どんな薬剤を何グラム使ったかとか、どういう機械的メカニズムを利用したかということが問題になります。<br />
薬剤と機械に焦点化するわけです。<br />
でも、化学的な意味での「爆発」からすれば、そんなことはどうでもいいことで（薬剤も機械も、爆発と同時にこっぱみじんに飛び散ってしまうんだから）。爆発にとっての問題は「非常な不安定な状態が一気に安定状態に回帰する」という現象そのものである以上、爆薬や爆破装置