2004年05月10日

アメリカン・フェミニズムの最後の形姿

その30
2004年5月10日

内田 樹から平川克美へ

平川君こんにちは

その29から30まで間をあけちゃってすみません。

イラクの情勢がどうなるのかなと少し眺めていたのです。
ほかの人が言いそうなことを、ここで繰り返してもしかたがないですけど、あまりに一方的な事態の展開に、「これでは、誰でも同じ感想持つよね・・・」ということで、やる気をなくしていたのでした。

今日は、ちょっと「やる気」の出る出来事があったので、イラク戦争「余話」ということで、ひとつ書かせてもらいます。 

イラク戦争がもたらしているとどめがたい精神的な退廃は、イラク人囚人に対する米兵たちの拷問というかたちで露出してきました。この事件はおそらく今後アメリカが中東において維持できる政治的影響力に取り返しのつかないダメージを与えることになると思います。
イラクの囚人たちが受けた身体的ダメージを、単に定量的に見ただけなら、「敵性分子」である囚人たちを裸にして殴打したり、マスターベーションをさせたりしたことは、非戦闘員である女性や子どもたちに無差別爆撃を加えた虐殺に比べると、ずっと「まし」なものに思えるかもしれません。
しかし、軍事行動の中でなされた殺人と、治安維持の大義のもとになされた拷問では、「汚さ」の質が違います。
おそらくこの「汚さ」に傷ついたアラブの民衆は、今後長期にわたってアメリカに対するぬぐいがたい生理的な嫌悪感を持ち続けることになるでしょう。
この数名の兵士による愚行が、どれほどアメリカの長期的な国益を損なったかは、ほとんど計量不能です。彼らによって今後アメリカが失うはずのものをドルに換算して「自己責任論」を問う人がいたら(まさかアメリカにはいないでしょうが)、きっと一人あたり天文学的な数字の「賠償金」を要求されることになるでしょうね。

今さらブッシュ大統領が謝罪しても、ラムズフェルド長官が辞任しても、アメリカは「ポイント・オブ・ノー・リターン」を超してしまったという気がします。
それは、このような露骨なアラブ人蔑視が、ヒステリー状態の兵士の暴発としてではなく、むしろ練度の低い兵士の「鼻歌まじり」の暇つぶしにおいて露出したからです。
フロイトを引くまでもなく、人間の「抑圧された欲望」は、どうでもよいような「失錯」において顕在化します。
 「イラク人民をアメリカ的民主主義の恩恵に浴せしめるための人道復興支援」という普遍主義的な大義名分のもとになされた軍事行動が、「アラブ人は自分たちと同じ種族に属さない『人間以下』の生物だ」という生理的な嫌悪感を情緒的な基盤のうちに含んでいたことを、この事件ははしなくも露呈してしまいました。

この事件の国際政治的な意味については、これから多くの人が分析をしてくれるでしょうから、それは専門家に任せておくとして、ぼくが興味を持ったのは、この拷問の犯人に二人の女性兵士が含まれていたことです。
占領軍の女性兵士による被占領民男性の性的虐待というのは、少なくとも近代以降においてはきわめて例外的な事例だろうと思います。しかし、それが他ならぬアメリカ軍の女性兵士によってなされたということに、ぼく自身は深く納得しました。
デミ・ムーアの『GIジェーン』という、きわめて後味の映画を見たときに、いずれ「こんなこと」になるだろうなと思っていましたので、「やっぱりね」という感じです。
ぼくはですからこの事件はアメリカ覇権主義の終焉であると同時に、アメリカン・フェミニズムの終焉をも実は意味していると思っています。

アメリカ女性が「銃を取る権利」を主張したのは、もちろんあらゆる場面における男女平等を要求したフェミニズムの社会的「正しさ」をアメリカ国民が承認したからです。ひさしく女子禁制であったウェストポイント陸軍士官学校とアナポリスの海軍士官学校が女性の入学を認めたのは1976年のことでした。
ぼくは男女共同参画社会とか、男女同権というイデオロギーに対してはつねに懐疑的です(そのせいでフェミニストからは男権主義的セクシストの権化のように忌み嫌われているのはご案内のとおりですが)。
「女性も兵士になる権利がある」というこのフェミニストの要求も、深い違和感をもって受け止めた記憶があります。それは60年代に高級官僚養成校であるENA(国立行政院)が女性学生の受入れを決めたときのボーヴォワールの発言に感じた違和感と同質のものです。
ボーヴォワールは「男性の占有している社会的リソースを女性にも配分せよ」というフェミニストの立場から女性エリートの出現を歓迎しました。けれども、そのとき、女性エリートに拍手を送ることが同時に「エリートは偉い」という通俗的な価値観に同意署名していることには彼女はあえて目をつぶりました。
もしこの社会がフェミニストの言うとおり、男性中心主義的に編成されるというのがほんとうなら(これはたしかにほんとうです)、その社会で高い地位や大きな権力やたくさんの情報を手に入れるためには、出世を望む女性たちは既存の男性中心主義的な原理を内面化し、進んで「男性化」する他ありません。けれども、女性が「男性化」し、パワーエリートとして社会的リソースを独占することを勧奨することのどこかすばらしい社会理論なのか、ぼくにはじつはさっぱり腑に落ちないのです。
権力とか威信とか情報とか名誉とか、そんなものにいかほどの価値があるんでしょう。
そういうことを言うと、「そんな気楽なことが言えるのは、あなたが男性で、社会的リソースを占有しているからだ」という反論をされます。
でも、ぼくはこの反論には納得がいきません。仮にぼくがいささかでも社会的リソースを所有しているとしても、それはぼくが「男性だから」手に入れたものとは思われないからです。
だって、ぼくが誇れるほぼ唯一の社会的リソースは「誰に向かっても、好きなだけ悪口を言う自由」ですけれど、それは多くの男性は所有していませんし、そもそも所有することを望みさえしないものですからね。

ボーヴォワールはこの社会ではすべて価値あるものには「男性性の印が刻印されている」と言い切りましたけれども、それを変えることよりも、それを「分配する」ことを優先させました。ぼくはこれが現代フェミニズムの「最初のボタンの掛け違い」じゃないかと思っています。
女性には女性固有の「対抗文化」があり、それがこのばかばかしい男性中心主義社会の中で人間たちが傷つき壊れてゆくのをなんとか防止する社会的に重要な役割を果たしているとぼくは考えています。
フェミニストのいうとおり、この社会は男性中心主義的なくだらない制度を山のように含んでいます。それなのに、それらの制度を無害化するために、その男性中心主義社会の価値観に同意して、その中で競争相手を蹴落としても出世して、権力を握って、決定権を奪還して、その上で、制度そのものを改善する・・・というのは、やっぱりことの順序が変です。
だって、そうですよね。
どんな組織においても、その組織の中で出世を果たした人間は、その組織が本質的に「正しく機能している」という信憑をぬぐい棄てることができません。
「私を入会させるようなクラブには入りたくない」と言い切ったのはグルーチョ・マルクスですが、こんなことを言えるのはグルーチョだけです。ふつうの人は「私を入会させるクラブだけが入るに値するクラブだ」というふうに考えてしまうものです。
ですから、女性エリート志願者が、とりあえず男性中心主義社会の価値観への同意署名と引き替えに出世を果たして、その社会で枢要な地位を占めることができるようになった場合、当の枢要なる女性は彼女をそこへと導いた社会プロセスについて、ラディカルな批判をすることに強い心理的抵抗を感じることになるでしょう。
仕方ないですよね。

ろくでもない制度のもたらす災厄を無害化しようと思ったら、その制度を統制できる立場になるまでその制度を温存し、機能させることよりも、「あれはよくないから、みんなコミットしない方がいいよ」と説得する方がずっと「まっとう」なやり方のようにぼくは思います。
けれども、ほんとうに不思議なことに、こういう考え方に賛成してくれる人は(グルーチョ・マルクスを除いては)ほとんどいません。

女性文化は一種の対抗文化だと思うのには個人的な理由もあります。

ぼく自身は子育てのあいだ、とくに「主夫」をしていた12年間は、まるで「女性ジェンダー化」していました。しかたがないですよね。ご飯作ったり、お風呂に入れたり、つくろいものをしたり、寝かせたり起こしたりするときには、「お母さん」的なエートスにどっぷり浸かっていないと、ひとこと発することさえできません。「ご飯よ!」とか「いつまで、寝てるの。もう、しかたのない子ねえ」とか、ね。
でも、そういうふうに「お母さん」をやって分かったこともたくさんあります。
いちばん大きな収穫はジェンダーが本質的に「演技」だということだけでなく、その「演技」をしていると、その性役割が「内面化する」ということです。
ぼくはわりと野心的な青年で、30代はじめまで、けっこう学問的なサクセスを志向していたのですが、「お母さん」になろうと決意したときに、ついでに学界的な立身出世もあきらめました。だって、学界的サクセスというのは、ほとんど憑かれたように寝食を忘れて学問に打ち込むことなしには不可能なんですけれど、私が「寝食を忘れ」たら、子どもは餓死しちゃいますからね。
ところが、不思議なもので、「お母さん」演技をしていると、ついこのあいだまで身を灼くように切実だった「学問的サクセスの欲望」があとかたもなくかき消えてしまうんですね。
「なんで、あんなことに夢中だったんだろう?バカみたい。さ、それより今日の晩ご飯」
ふーむ、なるほど、こういう鮮やかな世界像の切り替えが世に言うジェンダー・マジックなのか・・・と感動したことを覚えています。

ということは、ぼくがいきなり「お母さん」になれたように、若い女性が「お父さん」や「おじさん」になることも少しもむずかしいことではない、ということです。現に、「おじさん」化しちゃった女性って、どんどん増えてますよね。でも、「女性がみんな男性化した社会」なんか、ぼくには少しも愉しいものには思えません。

「女性が男性化した社会」の先駆はやっぱりアメリカだ、とぼくは思っています。
アメリカでは多くの女性パワーエリートが生まれましたが、もちろん女性のエリートが男性のエリートより倫理的であったり、女性の資産家が男性の資産家より博愛主義的であったりするということはありません。
というか、女性エリートは男性エリートよりも倫理的であるべきだというような発言ほど性差別的なものはないわけですから。
ですから、アメリカの女性エリートたちは、「男性と同程度に非倫理的」になることを性差別の撤廃という大義のためには、ほとんど当為とせざるを得なかったのです。
 
こんどのイラクでの女性兵士が囚人に対して行った非人道的な行為は、その意味でアメリカン・フェミニズムの1世紀の努力の「最終的達成」を示したものとぼくには見えます。
この女性兵士は二百年にわたってアメリカでは男性兵士たちだけが占有してきた「小国の民衆を圧倒的な軍事力で踏みつぶす権力」、「非倫理的にふるまう自由」の「分配」にただしく与ったのですから。

ただ、公正を期すために言い添えれば、「男性化」傾向がこれほど劇的に進行しているのは、アメリカだけだろうと思います。というのは、これもまた、80年代以降のアメリカ社会に伏流している滔々たる「グローバリゼーション」のひとつの露頭のように思われるからです。
グローバリゼーションは、多様な文化、多様な価値観の一元化の流れのことですけれど、そこに一元化されて消えたもののなかに、もしかするとアメリカ固有の対抗文化としての「女性文化」もまた含まれていたのかも知れません。

アラブ・イスラム世界へのアメリカの軍事的進出にフェミニズムが情緒的な動機づけを与えたということをエマニュエル・トッドが皮肉な口調で書いていました。

「アフガニスタン戦争をきっかけとして、アフガン女性の地位をめぐって風俗習慣の改革を要求する文化戦争の言説が、ヨーロッパ大陸では多少、アングロ・サクソン世界では大量に出現した。ほとんどアメリカのB52爆撃機は、イスラムの女性蔑視を爆撃していると言わんばかりの報道がなされた。」(『帝国以後』、石井晴巳訳、藤原書店、2003年、193頁)

おそらく虐待に加担したアメリカの女性兵士たちは、心のどこかでアラブ・イスラム世界の父権的な男性たちに性的屈辱を与えることこそ、先進国女性の政治的義務であると感じていたのでしょう。そういう意味で、薄笑いして男性の股間を指さすこの女性兵士の図像は、アメリカン・フェミニズムがそのプロテウス的変身の果てに最後にたどりついた形姿であるようにぼくには思えました。

アメリカ的な意味における「ポリティカリー・コレクトネス」が二つの相で同時に破綻した歴史的な事件として、この出来事は長く語り伝えられることになるんじゃないかと思います。


さて、そろそろ本一冊分がたまりましたので、このへんでいったん「第一部」の筆を収めて、柏書房の本のためにこれまでの原稿に加筆修正をするという作業に入りませんか?

「まえがき」をぼくが、「あとがき」を平川くんが書く、という手順になっています。

第二部はまた夏休みあけにでも再開しましょう。そのころはイラク情勢も国内の事情もずいぶん変わっているでしょうね。

ではまた

投稿者 uchida : 14:31 | コメント (2)