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東京ファイティングキッズ

 

その22

 

2004年2月26日

 

内田 樹から平川克美へ

 

■カレー市民

 

カレーうどん、ぼくも大好きで、定期的に「マルちゃんのカレーうどんの素」を購入して、豚肉とネギを強化して、自宅でずるずる食べてます。うまいです、あれは。

 

それにしても、日本人は考えられるあらゆる食物とカレーの組み合わせを試みていますね。

カレー丼、カレーパン、カレーうどん、カレーそば、カレースパゲッティ(これはあまり見かけませんが、私の高校時代には赤坂一つ木通りの「こずえ」というスパゲッティ専門店のメニューにありました)、カレーハンバーグ、ポテチカレー味・・・

カレーに限らず、およそ日本人ほど、食材の「順列組み合わせ」について大胆な実験を行う民族は他にはいないんじゃないでしょうか。

 

平川くんが挙げた「牛丼」もそうですよね。

これは「牛肉とタマネギ」を醤油と味醂と出し汁で煮込んだわけで、食材は明治以降になって食膳に乗るようになったものですが、味付けは伝統的。それをご飯に載せて、さらに生卵を投じ、さらに紅ショーガを冠する。

組み合わせ、実に大胆ですよね(カレーライスに「福神漬け」や「ラッキョ」を配した先人の勇猛さに匹敵するものです)。

 

食材に限らず、日本人て、変なものを組み合わせることがとにかく好きですね。

シャープペンシルに電卓をつけたり、携帯電話にカメラをつけたり、炊飯器にマイコンをつけたり、エアコンにマイナスイオンをつけたり、即席ラーメンにカップをつけたり、グリコに「おまけ」をつけたり・・・

おそらくさまざまな商品開発の過程で、「これに何をくっつけたらいいか?」ということが重要な論件とされているからでしょう。

ふしぎな関心のあり方です。

日本人の民族的特性(加藤周一のいうところの「雑種性」)を示す特徴の一つなのかも知れません。

手術台の上でミシンと日傘だか何かが出会うのがシュールレアリスムであるとブルトンか誰かがどこかで書いていましたが(いい加減な仏文学者だこと)、その伝でいけば、日本人は「民族集団としてシュールレアリストである」と申し上げてもよろしいのではないでしょうか。

ぼくの「合気道とレヴィナス」だって、「カレーにうどん」みたいな取り合わせといえば、そうですし。

そういう「ミスマッチ狙い」って、欧米の学者はあまりやりません。

『ヘーゲルとラシーヌ』とか『切り裂きジャックとデイビー・クロケット』とか、聞いたことないですけど(ぼくが知らないだけかも知れませんが)、『バルザックと西鶴』とか『ナポレオンと織田信長』なら、出版目録にいかにもありそうじゃないですか。

 

■ヒスパニック

 

アメリカにおけるヒスパニックの歴史というのをぼくは寡聞にして知りません。たぶん、それは「アメリカ史」としてぼくらが習ったのが、「メイフラワー号」と「ピルグリム・ファーザーズ」から始まる「正史」であって、それ以前の、あるいはそれ以後でも「アメリカ合衆国国民以外のアメリカ大陸在住者」についての「外史的」記述は極端に少ないせいではなかったかと思います。

 

例えば、ルイジアナはもともとフランスの植民地で、ナポレオンから二束三文で買い上げたわけですけれど(「ルイジアナ」という地名そのものがルイ14世由来することはご存じのとおり)、それ以前のフランス植民地時代のことについて、ぼくは学校では何ひとつ習った記憶がありません。

New Orleans が「新オルレアン」(Nouvelle Oreans)であるとうことは知っていましたが、南部に多い「なんとかヴィル」(ナッシュヴィルとかルイヴィルとか)の「ヴィル」がフランス語のville (街)だということはフランス語を習うまで気がつきませんでした。

(でも、「ルイジアナ購入」って、安い買い物ですよね。1500万ドルで、アーカンソー、ミズーリ、アイオワ、ミネソタ、ノースダコタ、サウスダコタ、ネブラスカ、オクラホマ、カンザス、モンタナ、ワイオミング、コロラド、ルイジアナにまたがる地域を獲得したんですから。いったい坪単価いくらなんだろう。売っちゃう、ナポレオンも豪快ですけど。まあ、もともとラサールというおっさんがミシシッピ河を下ったところで、勝手に「ここはフランス領」って宣言して誰の断りもなしに領有したわけですから、売る方も買う方も、どっちもどっちかな)。

 

でも、カリフォルニアやニューメキシコはスペインの植民地だったということは、なぜか子どものころから知ってましたね。

これはむかしTVでやっていた『怪傑ゾロ』を見てたから。

ですから、ロス・アンジェルス が「天使たち」というのも サンフランシスコが「聖フランシスコ」だというのも何となく想像がつきます。

アメリカがこの二州を獲得したのはアメリカ・メキシコ戦争のときのことで、これもアメリカが宣戦布告してメキシコ領内に進撃して、国境線を勝手に書き換えて、割譲させたのでした(ほんとにひどい国ですね)。

 

話が脱線しちゃいましたけれど、アメリカ合衆国は「移民たち」がアメリカ市民になる歴史は好んで詳述しますけれど、アメリカ合衆国民以外のアメリカ大陸在住者の歴史については、大胆に「無視!」ですね(無視どころか『アラモ』みたいな侵略戦争合理化キャンペーン映画作ったりして)。

 

「創氏改名」ということが日本の植民地的暴政としてよく批判されますけれど、アメリカだって移民がエリス島で入国手続きするときに、勝手に「アメリカ風」の名前にじゃんじゃん変えてますね。(『ゴッド・ファーザー2』でエリス島についたヴィト少年は出身の村の名前を姓と取り違えられて「じゃ、君はヴィト・コルレオーネだ」と創氏改名されてましたね)。

李小龍はブルース・リー、成龍はジャッキー・チェン、リー・リンチェイだって、ハリウッドに行くと「ジェット・リー」ですよ。何が哀しくて四十男が「ジェット」なんて呼ばれないといけないんでしょう(「少年ジェット」じゃないんだから)。

真田弘之なんか、ハリウッド映画では「ハリー・サナダ」「デューク・サナダ」に「ヘンリー・サナダ」ですからね。

なんで「弘之」が「ヘンリー」なんだよ。

しかし、これらの行動をして「自民族中心主義」と批判する人はあまりいません。 

 

■ アメリカと多様性

 

なんだかとても長い前置きになってしまいましたが(って平川くんと同じことを書いていますが、ぼくたちは脱線すると止まらないね)。

 

アメリカの上下院議員の14%しかパスポートを持っていないということが先日報道されて、「外国になんか行かない」ということがむしろ政治家としての見識の高さを担保するアメリカの不思議な風土について教えてくれました。

これは平川くんがおっしゃる通り、アメリカがそれ自体50のStateに分かれているせいだと思います。(Stateはどう訳しても「国家」でしょう。「州」という訳語を誰がいつ付けたのか、ぼくは寡聞にして知りませんが、意図的な「誤訳」じゃないんですか?)

アメリカは「合衆国」でも「合州国」でもなく、アメリカ人自身の理解としては、「アメリカ諸国連合」ではないでしょうか?

ですから、アメリカはいながらにしてすでに「国際社会」であり、アメリカ人であることはすでにして「国際人」であり、英語はすでにして「国際語」であるということになります。

だから、アメリカ人は「国際社会」のさらに外側にある「国際社会」というものを想像するのに困難を覚えるということはないのでしょうか?

ぼくがアメリカの学齢期前の子どもだったら、United States と United Nations が「どう違う」のか、パパに説明してもらっても、なかなか納得できなかったのではないかと思いますよ。

 

いま大統領予備選挙をしていますが、候補者にとっては、インターステートを走って、「アイオワ」や「ニューハンプシャー」から「テキサス」や「カリフォルニア」に飛ぶことをぼくたちの感覚で「東京」から「福岡」や「青森」に飛ぶこととはかなり印象に違う経験なのではないでしょうか。

なにしろステートごとに法律が違っていて、ステートごとに軍隊を持っているんですから。

 

そういえば、ジョージ・ブッシュの「徴兵逃れ」問題がいまメディアをにぎわしていますね。

彼は「合衆国軍」のドラフトを逃れるために「テキサス州兵」に志願したと言われています。

「州兵」というとなんだか「県警」みたいに聞こえますけれども、現地の感覚で言えば、立派な「テキサス国軍」でしょう。

テキサスを守ることはアメリカ「合衆国」を守ることに優先するという選挙民の実感に担保されていなければ、こんなチョイスを、いずれ議員知事大統領を狙おうというエリート青年がするはずがありません。

だから、これを惰弱な人間の「徴兵逃れ」と決めつけることはむずかしいんじゃないかとぼくは思います。むしろ、テキサスを足場に政治的栄達をねらうジョージ・ブッシュの「内向き」姿勢が端的に現れた、計算づくの選択ではなかったのかなとさえ思います。

 

そういうアメリカ市民の「ふつうの生活実感」を実はぼくたちはなかなかうまく追体験することができません。

ぼくが今年は大学院でアメリカ論をやろうかなと思ったおそらくいちばん大きな理由は「結局、アメリカのふつうの市民のふつうの世界認識のスキームが、ぼくにはよく分かっていない」ということに思い当たったからです。

 

平川くんが書いているように、子ども時代からアメリカのTVドラマや映画やポップスの「オーヴァードーズ」の中で育ってきたせいで、ぼくたちは「アメリカのことなら、よく分かってるよ」というわりとイージーな前提に立ってしまっているような気がします。

ぼくらがたっぷりと飽食してきたのは、アメリカが「アメリカというのはこんな国です」ということを世界にアナウンスするために作り出した「250年にわたる長期的で巨大なシリーズ広告」であって、その広告を企画制作している「代理店」の諸君の「戦略」については、あまり知らないままである、というような気がぼくにはしているのです。

 

今平川くんお奨めのホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』を面白く読んでいます。知らないことばかりで、「へえー」とびっくりしながら、「なるほど、そういうわけで、今のアメリカがあるのか」とひとり納得しています。

こういうまっとうなアメリカ研究の本が40年も翻訳されずに放置されていたなんてもったいないことですね。

全部通読したら、またこの本の感想も書くことにします。

 

今、東京から帰りの新幹線の中です。パワーブックでばりばりとこの原稿を書いています。

昨日は養老孟司先生との対談という「おいしい」仕事でした。

「掟破り」というか「恐いもの知らず」というかとにかく、無法ぶりが痛快でした。

ときどき、「養老先生って、もしかすると、世間舐めてません?」と言いたくなりましたが(まさか口にはしませんでしたが)、まさにわれらが範とすべき偉大なる「悪童」の先輩でありましょう。養老先生に比べると、ぼくらもまだまだ「毒」が足りません。

こういう痛快無比な先達がいて大活躍していると、なんだかほっとします。

 

ではまた。

 

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