« 2005年04月 | メイン | 2005年06月 »

2005年05月26日

その13・蕩尽的時間論とことばの「後ろめたさ」について

■ 年齢とともに変容する時間の重み

ウチダくん、こんにちは。
東奔西走、忙しかったんですよ、というのは言い訳で、連休からこっち、ぼくは休みになるとオートバイを転がしては遊び呆けていました。
今年のゴールデンウイークは、勤労者にとってはまさに「黄金」でした。間に挟まった二日間の通常日を休日にすることで、何と十連休になったのですからね。
ぼくは、大学を出てからずっと社長業をやっているからかもしれませんが、売上の上がらない「休日がちっともうれしくない病」に長いこと侵されていました。
ワーカホリックってやつですね。
いや、憧れていたのかもしれませんね。フィリップ・マーロウのようなハードボイルドなハードワーカーに。ぼろぼろになるまで働いて、深夜のオフィスで机に足を乗っけて、しんみりとバーボンを流し込む。「うむ。いい一日だった。くそみたいな仕事でも仕事が無いよりはましだ」なんて。

ところが、最近になってこのワーカホリックがすっかり快癒した。そしたら今度は遊び病になってしまって、休みになるとそわそわして、前日の夜からインターネットで、日帰り温泉だ、映画だ、寄席だとネットサーフィンをして遊びの計画を練っている。
どうした風の吹き回しなんでしょうか。
犬を飼ったからかな。年をとって残りが見えてきたからか。それとも年食ってバイクに乗る楽しみを覚えたからなのか。まあ、その原因は良く分からないのですが、あるときから休日がとても貴重なものとして輝きだしたのです。
これはガキの頃に休みがうれしいってのとはちょっと違った感覚です。

むかし、テレビのコマーシャルで、「できる男は休日、仕事を忘れる」なんてコピーが流れて、テニスだとかスカッシュなんかやって、月曜日になるとシャキっとスーツを着てアタシュケースを持って仕事をするのがかっこいい男みたいなのがありましたよね。何のコマーシャルだったかは忘れちゃいましたけど。
ぼくは、あのコマーシャルが大嫌いでした。仕事と遊びをふたつに割って、人間がその間を行ったり来たりするのが「けじめ」であるなんていう合理主義的な生き方に、何故あれほど反発したのかあの頃はうまく説明できませんでした。
あの男、仕事できないんじゃねぇか。いや、親の財産食いつぶしているケツの青いぼんくらか、口先稼業で、ぼったくった金で遊んでるんじゃねぇのか。
そんな気持ちで見ていたわけです。

このコマーシャルのいやらしさは、稼いだ金を、酒や博打で浪費するっていうほほえましい駄目男ではなく、遊んで英気を養って、しっかり稼ぐといった計算高さが見えることです。これって遊びに対する冒涜じゃないの。いや、こんな生き方には人生に対するつつしみ深さというものが欠如していると思った、ということかもしれません。
ぼくには、この感覚をもうすこし敷衍すると、そこには「時間」というものに対する傲慢があるということになります。
これは、ブログでも書いたことですが、「時間」というものは人間が作り出した合理性という物語(虚構といった方がいいかな)の外側を流れてゆくものです。誰にも平等に与えられるものでありながら、誰もこれを引き留めることも操ることもできない。どんな高価なモノをもってしても、それを引き留めるための取り引きに応じてくれない。
コマーシャルの男は、「時間」を操ったつもりでいたのかもしれませんが、その実ほんのかすかにでも、「時間」というものに手を触れることができていない。かれが操ったのは、時計の中の「時間」であって、その意味では「時間」に補足されているに過ぎない。

これは誤解を招きやすい言い方ですが、、この貴重な「時間」というものに対する最も敬虔な態度は、それを「浪費」してやるということなのではないかと思うのです。殺生した魚は食べ尽くすことが最大の供養であるように、蕩尽というかたちでしか、この貴重な「時間」は汲み尽くせない。
いや、もっと、生産的な生き方があるだろうとは思いますが、そこには将来の何かのために今の「時間」を使うといった未来と現在の取引する功利的な計算が入り込んでしまう。まあ、ちょっと抹香くさい屁理屈になってしまいました。でも、歳を重ねるというのは、すこしづつ鬼籍に足を突っ込んでいくということで、こんなぼくたちでも、坊主の境位にすこしは近づけるんじゃないでしょうか。

こんなお話をしたのは、ウチダくんが「遊び心」について書いてくれたからです。

─ そのときに驚いたのは400年前に建てられたこの建造物がすばらしいクラフトマンシップの傑作だったことです。障壁画天井画あるいは欄間の彫り物にほとばしるような「遊び心」が感じられました。この建物をつくったクラフトマンたちはずいぶん愉しい気分でこの仕事をしたんだろうな、そう思いました。

結局、人間の功利的な思考や言葉と行動が届くのは、せいぜい目の前にいる人、「大向こう」までなんですね。そこから先に行こうと思ったら、功利的な思考から自由にならなければならない。つまり、ただ楽しいから、おもしろいからやっているのであって、何かのためにやっているのではないという「方法」を発見する必要があるんだってことなんじゃないかということです。たぶん、時間を本当に「忘れる」という仕方でしか、時間を越えたメッセージを届けることはできないのだろうと思います。

■ 「誰に見しょとて、紅金つきょぞ」

俗世の話にもどりましょう。
ぼくが遊び呆けていた間に、NEETが話題になり、独立行政法人となった大学が変貌をはじめ、憲法改正の議論がかまびすしくマスコミを賑わしました。加えて悲惨な鉄道事故です。これらの問題をひとつひとつ論じる余裕はありませんが、なんか世知辛い世の中になったという気がします。この間、特に顕著な姿でマスコミやブログに現れてきた言葉づかいを見ていると、一方的というか、ただ他者を攻め立てる言葉だったり、意味も無く雷同する言葉ばかりが目立ってきているよう思えます。でも、ぼくが聞きたいのは中間で揺れ動く言葉なんですけどね。

インターネット以前は、こういった問題が出ると必ず、評論家や大学の教授といった専門家の社会批評的なコメントが新聞やテレビで公表されていました。それらはいつも、定番的な見解でどこか事の本質とずれているといった違和感を伴ってお茶の間に入り込んできていました。しかし、いまやこういった専門家だけではなく、多くの一般ウォッチャーから様々な言葉が涌出されてきています。特にブログの増殖には目を見張るものがあります。
では、かつて感じていた違和感が緩和されたかというと、なんか一層の息苦しさを感じるようになりました。これって、ぼくだけかな。
確かに、多くの人々が自由に発言しているという意味では民主的な光景であるとは言えるのでしょう。そして、それは一見、自由に発せられた「声なき声」なのですが、インターネットの時代に、集中的に、乱雑に振り撒かれる匿名性の言葉は、同じ言葉を共有できないものをパージするといった党派性に簡単に回収されていく危うさがあるように思えてなりません。これらの党派的な言葉について、その言葉づかいについてすこし考えて見たいのです。

ブログって、いまや三百万サイトもあると聞きましたが、インターネットがこんな使われ方をするなんて、ぼくは想像も出来ませんでした。三百万人の人が、日々日記を公開している光景なんて、誰も想像できなかったことだろうと思います。
でも、これって人間の習性っていうか、在りようというか、これまで隠されていた本性が見えてきたということなんじゃないかと思っています。
それは、まさに、ウチダくんが常々言っている、人間というものは「他者の承認」を必要とする動物であるということです。もし、「他者の承認」ということが無ければ、これだけ多くの人が日記というかたちで自分の考えや意見を公表するということがうまく説明できません。
でも、この「他者の承認」ってちょっと曲者なんじゃないかと思っているのです。
いや、確かに人間にとっては「他者の承認」こそが、生きている実感を得るための必須の条件であり、同時にそれなしでは社会化してゆくことができないだろうと思います。
それでも、いったい人間はどのような身振りで他者にかかわり、その承認をもとめるべきなのかというのは案外難しい問題であるように思えます。その難しさは、たとえばぼくが日記をつけるというときに感じるちょっとした違和感をどのようにしたら説明できるのかといった難しさと同じです。
これだけじゃ何のことか分かりにくいですね。

ちょっと説明しますと、ぼくは過去に何十冊もノオトをつけていました。そして、そのとき誰に向けてそれを書くのかということは、ぼくにとっては結構重要なことであったように思います。しかし、日記の中でさえ、ぼくは正直にありのままを書くということには躊躇を覚えたものです。それは、どこかでいつか、誰かがこの日記を読むはずだという確信に近い信仰があったからではないかと思っていたからです。だから、どこかで日記はそれ自体ひとつの作品として書いているといったところがありました。同時にそれは不純なことではないか、何か自分に対して嘘があるのではないかといった後ろめたさのようなものもあったと思います。これは、ぼくたちの年代の人間にとっては誰もが青年期に経験していた自意識の葛藤ではなかったでしょうか。そして、それは漠然とした違和感としてぼくは認識していたわけです。

インターネットの時代になって、おおっびらに公開されるブログと、ぼくたちがノオトに書き綴っていた日記との違いがあるとすれば、それはこの「後ろめたさ」なのかなと思います。そして、かつてぼくはこの「後ろめたさ」をネガティブな自意識としか捉えていませんでした。でも、いまはこの「後ろめたさ」が案外、人間の倣岸や不遜といったものを引き止めていたのではないかと考えたくなっています。

人間は確かに他者の承認を欲望しています。しかし、ぼくたちにとって、それは誰も見えないところでの善行を隠し見られたり、人づてに伝わったりといった具合に迂回的にしか実現されないものでなければならなかったのです。今の時代になって、人々は長年懐中に隠し持っていた他者からの承認をもらうという欲望を公然とストレートに掲げ始めたといったところかも知れません。それを失ってみて、あの頃感じた「後ろめたさ」が妙になつかしくもあり、また重要なものであったのではないかと気づいたわけです。

この「後ろめたさ」というものが何処から来ていたのかというと、日記というものは独りになるための手段であるといった思いがぼくの中にあったからだと言えるのではないか。つまり、単独に耐えるということです。自分の心の中を、単独に耐えながらどこまで深くのぞき込めるかなんていえばちょっと大げさなのですが、まあ時代の空気としてもそういった「他者を恃む」ことをいさぎよしとしないことに価値観を認めるといった空気があったように思います。承認は、与えられるものであるかもしれないが、求めるものではないといった倫理観(ですよね)がこの時代の規矩としてありえた。
だから、交換日記なんていうと、「よせやい。気持ち悪い。」という反応が自分の中で沸き起こる。

余談ですが、吉永小百合と浜田光男で大評判になった「愛と死を見つめて」なんて、ちょっとこっぱずかしくて見ていられないといった気持ちだったわけですね。そのこっぱずかしさってのが、何なのかといえば、歌にもなった「甘えてばかりで、ごめんね」なんていう台詞に象徴的に現れた、憚りのなさだったように思います。
本来、密室の中でしか囁かれることのなかった言葉が、公の場所で聞こえてきてしまった。

日記を書くというときに、感じる「後ろめたさ」というのは、要するに誰かに分かってもらいたい、承認してもらいたいといったことを心のどこかに隠し持っているというところから呼び起こされる感情なのかも知れません。そして、他者に喜んでもらえそうなこと、他者に受け入れられそうな厚化粧が自分の言葉の中に紛れ込んでくることに対する、やましさといつも抗がいながら、それでも書かずにはおれない。そして、こういった欲望と自制の緊張の中で、言葉というものは鍛えられていったのではないかということです。

で、ぼくは、だからといって日記を公開したり、ブログで匿名で何か言上げすることは怯懦であるとか破廉恥であるなんていうつもりはありません。
ただ、ぼくたちは自分の発している言葉がつねに、単独で孤独に耐えるということと、他者に架橋するということの間で引き裂かれているということを「後ろめたさ」という感覚で対象化していたのではないのか。そして、この対象化がないと言葉というものは、どんなに精緻に用いようが、倣岸と不遜から自由になれないのではないかと思います。
そして、そういった「後ろめたさ」が経済合理性や政治的な正当性といった当面の要請の前に閑却されるようになってから、随分とやせ細った、面白みの無いものになっていったような気がします。

なんか、言葉について言葉で語っていると、トートロジーに陥ってしまいますが、そこはひとつご容赦下さい。
自省の念も含めて、あっけらかんといい気になっている夜郎自大な言葉の使い手に、そんなんでいいのかよと言っておきたかったのです。

投稿者 uchida : 09:28 | コメント (0)

2005年05月04日

インビジブル・アセット

TFK12

■ アセットと兄弟仁義

第11便からだいぶ間をあけてしまってすみません。

もう四月から忙しくて、たいへんなんですよ。
管理職って、考えてみたらちゃんとした仕事としてやるのはこれがはじめてなんです(アーバン時代も「管理職」だったけど、「管理される人」がいない「管理職」でしたからね)。
一月やってわかったのは、管理職の仕事は、何かを「する」ということ以上に何かを「させない」ことに配慮することだ、ということでした。
一月くらいで軽々に結論を出すと、社長業だけ30年やってる平川くんに笑われそうですけど、うちみたいな200人くらいの中企業規模の「専務」(なんですよ、これが)のメインの仕事って、「どうやってアクティヴィティを高めるか?」というより「どうやってアクティヴィティを損なうファクターを〈無害化〉するか?」なんです。
つまり、「謝罪」と「調整」と「慰撫」と「激励」。
ビジネスマンというよりはスクール・カウンセラーですね。
ほんとに。
でもね、平川くん。これくらいの規模の組織だったら、水準以上の仕事をしてくれる人が20%くらいいれば、残り80%は「邪魔をしない」でいてくれるだけで、十分機能するんじゃないでしょうか?
ですから、この「邪魔」(ってよく見ると「すごい字」ですね)が巨大化する前に、「芽」の段階で摘み取る、というのが組織防衛上の急務となるわけです(なんか「地球防衛軍」みたい)。
ぼくは武道家ですから、そういう「邪魔芽」の気配のようなものについての感度は悪くはないんです。
そして、どこでも同じですけれど、基本は「情報」ですね。
何が起こりつつあるのか、事態が危険なレベルに達する前に、その徴候を察知して、手だてを講じること。
ほとんどそれだけがぼくの管理職としての仕事みたいです。

そのためにたいせつなのは何よりもまず「アセット」です。
「アセット」というのは、大学の場合だとあちこちの学科学部や職域に散らばっている「仲間」のことです。
ぼくはこのことばを「そういう意味」で使うというのをロバート・レッドフォードとブラッド・ピットの『スパイ・ゲーム』という映画で知ったのです。
「アセット」(資産)というのは情報機関の用語では「情報提供者」「敵地におけるコーディネイター」のことです。
スパイの世界では、ひとりひとりのスパイが固有のルートでリクルートしてきた「アセット」を擁していて、同じスパイ組織の上司同僚に対してでさえ、その存在を明かさないんだそうです。
この「アセット」はもちろん買収したり、脅したり、あるいは何らかの対価を支払ってやってもらう場合もあるんですけれど、どうも「アセット」であること「それ自体」に人を惹きつけるある種の「磁力」のようなものがあるようにぼくには思われるのです。
別に「アセット」になっても何の利益もないのに、「アセット」になってしまう。そういう人がどうもけっこういるみたいなんです。

例えば、『昭和残侠伝』における花田秀次郎(高倉健)と風間重吉(池部良)の関係なんかそうですよね。
花田くんと風間くんはそれぞれ属する組が違っていて、組同士は仇敵同士なんですけど、二人は「兄弟盃」で結ばれている。そして、ときどき中立地帯の飲み屋の二階なんかでふすまを締め切って「うちのおやじはオレがなんとか抑えてみせるから、そっちはお前が抑えてくれるな」「おお、若いもんにこれ以上血を流させちゃならねえよ」というような密談をしているわけですね。
『仁義なき戦い』の第一部における広能昌三(菅原文太)と若杉寛(梅宮辰夫)もそうでした。広能は山守組の幹部、若杉は土居組の若頭。組長同士はいがみあっているけれど、二人は獄中で血を啜りあった兄弟盃。そして、なんとか組同士の抗争を防ごうと…(以下同文)
別に彼らは、そのようなネットワークを有していることで政治的にも経済的にもとくに「利益」を得ているわけではありません。
もちろん、それぞれの組のはね返り分子がテロに走ろうとするときなんかにブレーキとして働くことはありますけれど、むしろご本人たちは「板挟み」になって苦しむことの方が多いだけなんです。
でも、日本の伝統的なドラマツルギーはこの「兄弟関係」と「上下関係」の葛藤を描くのが大好きなんです。そして、東映ヤクザ映画を徴する限り、より純良でより根源的なのはいつだって「兄弟関係」の方なのです。
このへんに「アセット」の人類学的起源があるんじゃないかなと思います。

■クラとアセット

マリノフスキーの研究で知られるトロブリアンド島の「クラ」の儀礼も本質的にはたぶん同じものだと思います。
平川くんはご存じでしょうけれど、改めて読者のみなさんのためにご紹介すると、「クラ」というのは閉じた環をなす部族間で行われる交換儀礼です。
交換されるのは「ソウラヴァ」と呼ばれる赤い貝の首飾り(これは時計回りに交換されます)と「ムワリ」と呼ばれる白い貝の腕輪(これは反時計回り)。この二つはぐるぐる回りながら、そのつど種類の違ういろいろな品ものと出会い、それと交換されます。どの部族でも、「クラ」儀礼に参加できるのは限られた成人男性だけです。彼らは交換品を受け取り、短期間所有したのち、それを次に送ります。つまり、交換に参加した人は隣接する部族に何人かの「クラ仲間」を持つことになるわけです。
彼らの関係についてマリノフスキーはこう書いています。

「この共同関係(パートナーシップ)は(…)終生の関係をつくりあげる。一人の男がもつ相手(パートナー)の数は、その身分と重要度によって異なる。トロブリアンドの平民は、ほんの数人しか相手がいないが、首長は何百人も相手がある。」(マリノフスキー、『西太平洋の遠洋航海者』)

このパートナー同士は「贈与と奉仕の相互交換」の関係(「二人の男のあいだに作る特殊な絆」)を長期にわたって取り結びます。
遠洋航海者であるトロブリアンド諸島の男たちにとって、渡航先の「不安で危険な土地」において、クラ仲間は「彼を客人としてもてなす主人であり、保護者、味方」であり、「クラの仲間が、安全を保証してくれる頼みの綱」なのです。
「クラ仲間」と「兄弟盃」と「アセット」はたぶん同一の人類学的機能を果たしているんじゃないか、ぼくにはそんなふうに思えます。

■交易という倒錯

ぼくが大学の管理職に任じられて一ヶ月経って、しみじみ実感じたのは管理職というのがほんとに「アセット勝負」の仕事だな、ということでした。
電話一本、メール一通、あるいは廊下での立ち話において、「あ、ちょっと、いい?」というコールサインだけで貴重な情報を提供してくれる「アセット」を、どれだけ情報レベルの高いところに何人確保しているかということが先に述べた「地球防衛軍」的活動においては死活的に重要になります。
もちろんこちらはその「見返り」にこちらからの情報を供与するわけですから、彼らから見れば、ぼくもまた彼らにとっての「アセット」なんです。この相互的な関係こそが組織の中の人間にとっては、「安全を保証してくれる頼みの綱」であるわけです。
でも、ぼくはこういうネットワークをあまり功利的なことばづかいで説明したくはないんです。
ぼくは別に「アセット」を「利用している」わけじゃないから。
そもそも、「いつか便利に使ってやろう」というようなつもりで信頼関係を築くなんてことはできやしません。
そうじゃなくて、いろいろな学科のいろいろな立場の人たちと「ネットワークすること」それ自体がぼくにとっては年来の楽しみの一つであったわけです。
そうやってできたネットワークが今となっては、情報収集上も、学内合意の形成上も、あるいは学内政治における安全保障上も有効に生きているわけです。
でも、別にそれを目的にして形成した信頼関係じゃないんです。

原因と結果を逆転して考える人が多いと思うんですけれど、こういう「交易」的関係が形成されるのは、それによって「利益」を上げるためではありません。そうではなくて、交易している人間は「交易すること」それ自体のうちに尽きせぬ愉悦を見いだしているんだと思うんです(これは平川くんの「一回半ひねりのコミュニケーション」という持論を繰り返しているだけなんですけど)。
この愉悦そのものは「不可視」ですよね。
「気持ちがいい」という心的状態そのものは外形的には表示できませんから。
でも、気持ちがいいので交易をしていると、それに付随して、いろいろな「目に見えること」が起きる。
例えば、クラ儀礼における二つの装飾品はいずれもサイズが小さすぎて成人男性は装着することができません。つまり使用価値はゼロなんです。それはあくまでクラ仲間の「絆」の記号にすぎない。
でも、この「無価値なもの」の交換であるクラ儀礼を遂行するためには船を仕立てて、遠洋に航海に出かけなくてはならない。だから、遠洋カヌーの建造技術や航海技術が洗練されることになります。せっかく船を仕立てて遠くまで行くんだからということで、それぞれの島では手に入らない日用品もついでに積載して、これもやりとりされます。
結果的に(あくまで「結果的に」ですけれど)、「絆の象徴的な確認」のための儀礼がこうして経済行為とみなされるようなダイナミックな活動を生み出してゆくことになる。
そういうものだと思うんです。
「アセット」はスパイ用語で「敵地にビルトインされた味方」だという話をしましたね。
それは当然にも「不可視のもの」でなければならない。
インビジブル・アセット。
『スパイゲーム』はこの「アセット」との信頼関係を国益よりも優先させるスパイの物語でした。ブラピは中国官憲に囚われて、広州の牢獄に幽閉されてしまいます。捕らえられたスパイを見捨てることをCIA首脳は決定するのですが、ロバート・レッドフォードは彼自身がリクルートしてスパイに仕立てたブラピを奪還しようと、他の「アセット」たちを駆使して、驚くべき作戦を立てるのです…
この行為はあきらかに論理的には「倒錯」しています。
国家的大義のためのスパイ活動であるはずなのに、スパイとアセットの間の「絆」を護ることがそれよりも優先するというのは「公務員としてのスパイ」にはあってはならない重大な就業規則違反です。でも、映画を見ているぼくたちは、この「倒錯」をむしろ人性の自然であると感じています。
たぶん、この映画は人間的コミュニケーション活動の根本にある「倒錯」を描いていて、ぼくたちにはそれがとても自然なもののように思われるということなのでしょう。

■西本願寺のクラフトマン

管理職の愚痴から話が飛んじゃってすみません。
でも、これは前回の平川くんが引いた宮本常一(いいですよね、この人)の「贈与と時間」にかかわる言及に触発されて書いているんです。
平川くんはこう書いてましたね。

「見えない誰かとの意思の受け渡しといったものが、どんな仕事に対しても手を抜かないという職人の倫理を育んでいるのだろうということです。ぼくは贈与ということの深い意味もこの中に潜んでいるんだろうと思います。」

ぼくが先に挙げた例に共通するのは、いずれも相手が「見えない」ような仕方で「隔絶」しているという点だと思うんです。
トロブリアンド島の航海者たちの前には地理的な「隔絶」としての西太平洋の海が広がっています。彼らは自分たちのクラ仲間との絆を確かめるために、木を切り出し、帆布を織って、遠洋航海用のカヌーを建造するところから始めなければなりません。
花田くんと風間くんの間には「渡世の義理」が強いる血腥い暴力的な対立が政治的隔絶として介在して、彼らの交易を阻んでいます。
『スパイゲーム』では、ブラピは広州の牢獄に幽閉されており、彼の奪還を企てるロバート・レッドフォードはラングレーのCIA本部の会議室から一歩も出ることが出来ません。
どこでも「隔絶」が「見えない誰か」との「交易」を阻んでいます。
しかし、そのことは交易者を萎縮させるどころか、彼らに例外的に高度な情報感知能力と行動力を賦与することになります。
つまり、交易の相手が「見えない」ということがむしろ交易へ人間を差し向ける欲望と情熱を強化する、そういうことじゃないかと思うのです。
いつでも会える身近な誰かに贈るときと、会うことの困難な相手に贈るときとでは、どちらがより良質のものをぼくたちは差し出すことになるのか?
これはあまり語られることのない問いですけれども、もしかすると、人間というのは「出会うことの困難な相手」を受け取り手に擬したときの方がものを作り出すパフォーマンスが高くなる、そういう不思議な生き物なのではないでしょうか?

ぼくは『インターネット持仏堂』のための写真撮影で、秋に西本願寺の書院を拝見させてもらう機会がありました。
そのときに驚いたのは400年前に建てられたこの建造物がすばらしいクラフトマンシップの傑作だったことです。障壁画天井画あるいは欄間の彫り物にほとばしるような「遊び心」が感じられました。この建物をつくったクラフトマンたちはずいぶん愉しい気分でこの仕事をしたんだろうな、そう思いました。
いまの建築家やインテリアデザイナーの中に、自分の作品が400年後になお見る人を感動させるほどのクオリティを保っているかどうかを自問しながら仕事をしている人が何人いるでしょう?
そもそも400年後も建っていられるような工学的配慮をして建物を設計する建築家が何人いるでしょう?
ぼくは安土桃山時代の大工や指物師や障壁画家たちの仕事が世界史的なクオリティに達しているのは、「彼らに才能があったから」とか「パトロンが大金持ちだったから」というようなことではないんじゃないかと思います。
そうではなくて、彼らは見えない相手(例えば数百年後の人間)に向けてその贈り物を差し出そうとしていたからだ。
ぼくにはそんなふうに思われるのです。

あらま、まためちゃくちゃ長くなってしまいました。
『ミーツ』も困るでしょうね。
ではまた。

投稿者 uchida : 13:07 | コメント (0)