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その18

2004年2月9日

内田 樹から平川克美くんへ

 

■引越しに嗜癖する人間と「冷たい社会」 

 

引越し準備でがたがたしています。

この芦屋の業平町のマンションはまだ住み始めて1年にならないんです(引越してきたのが去年の2月17日で、引っ越して出てゆくのが2月10日だから在住期間わずか51週間)。

南側の空き地にマンションが建つことになっていて、その工事が先週から始まりました。

工事の騒音と振動を1年間がまんして、そのあと部屋に日当たらなくなってしまうんですから、いまのうちに引っ越すのもしかたないですよね。

ぼくのいるマンションも、どんどん住人が逃げ出して、空き室が増えています。

南側にマンションが建つせいで、結果的に、このマンションの資産価値は激減したわけですが、この工事って、「新しい価値を創造した」のではなく、「ほんらい別の人に属していた資産を、あとから来たひとが簒奪した」ということですよね、ありていに言えば。

経済活動って、本質的にゼロサムなんじゃないかなとときどき思います。

誰かががんばって資産を形成するたびに、どこかで誰かがその分だけ貧窮化している、という。

いいかげんに、こういうスクラップ&ビルド型の経済活動は止めて、もうすこし静かにゆっくり暮らす方がいいんじゃないかなあと思いますけど、耳を貸してくれる人はあんまりいません。

まあ、ぼくに「ゆっくり」と言われたって、

「ウチダのどこが『ゆっくり』なんだ!おまえこそ『歩く環境破壊』じゃないか」

と叱られそうですけれど。

 

ところで、「引越し」でふと思ったんですけれど、ぼくの「引越し好き」ってあきらかに「症候的」ですよね。

何かの代償行為にはずなんだけれど、何の代償行為なんだろう?

と思っていたら、先日三砂ちづるさん(こんど機会があったら平川くんにもご紹介しますね、すてきな人ですよ)と話しているときに、ふと思い至りました。

「変わらない人間」であることに対するフラストレーションの代償行為なんですよ。これが。

ご存じのとおり、ぼくって「友だちになると、やめない」人です。

平川くんがその代表ですけれど(小学校5年から数えて、もう40年超しちゃいましたよ)、ふつう、人間て、成長過程でそれまでの人間関係を「リセット」するじゃないですか。

「むかしのオレを知っている人間とはあいたくねーよ」

というふうに。

それがふつうだと思うんです。

ところが、ぼくは「リセットしない人間」なんです。

離婚したあとも分かれた妻の実家には引き続き年賀のご挨拶に通っていましたし、義父の葬儀のときも裏方で働きました。

理屈としては「一度は『お父さん、お母さん』と呼んだ人であるから、一片の離婚届ごときでその関係が消失してよいはずはない」ということだったんですけれど、どうもそれだけではない。

たぶん「一度袖ふれあった人」とはいつまでもkeep contact していたい、という強い欲望があるのです。

でも、人間は変わります。

容貌も変わるし、住居も変わるし、仕事も変わるし、名前も変わるし、政治的立場も、信仰も、趣味も、何もかも変わる。幽明境を異にすることだってあります。

両方ともがそういうふうにはげしく変わってしまうと、コンタクトは維持できませんよね。

でも、一方が、「ぼくはここにいて、いつでも君を見てるよ」Please keep in touch with me というアナウンスメントをしていると、事情はすこし変わります。

村上春樹の初期の小説に出てくる「ジェイズ・バー」の「ジェイ」さんなんかは、そういう人間的なファンクションを担っていたんじゃないかなと思います。

そういう「定点」というか、自分がどういうふうに変わったのか、その経年変化を視認するための「定点観測点」があると人間てうれしいじゃないですか。

ぼくは若いときのある段階で「自分は『冒険家』じゃない」ということがわかりました。

少年にとって自分に「冒険家」の資質がないと知るというのはけっこうショックなことなんですよ。

それは想像してもらえますよね(むずかしいかな。平川くんはパーフェクトな「冒険少年」ですから)。

ともかく、『宝島』に出発する人間と、港で見送る人間て、やっぱりどこかで資質の違いがあるんですよ。

その資質の違いというのは、もう本人の努力ではどうしようもない。

で、二十代のどこかで、ぼくは自分が「港で見送る人間」だ、ということが分かったのです。

そして、「港で見送る人間」も「冒険譚」には不可欠の登場人物なんだ、と自分に言い聞かせました。

「冒険者」が危機的状況で、死力を振り絞るときや、ぼろぼろになって帰途につくとき、「帰るべき港」のイメージというのは、最後のよりどころなんだと自分に納得させたんです。

「よし、私はすべての冒険する少年少女のための『ハーバーライト』になろう

と決意したわけです。

ぼくのホームページの構成というのが徴候的だと思うんですけれど、ここにはぼくの知人や教え子たちでさまざまな世界に「冒険の旅」に出かけた人たちの日記が「長屋」という形式で掲載されています。

その「世界」は外国の場合もあるし、地理的には近いけれど、「異境」であるような場合もあります。

そのような「人外魔境」で悪戦の日々を送る少年少女に「エール」を送り、彼ら彼女らが冒険の旅から帰ってくるときに「そこをめざして航行すれば、かならず懐かしい場所に帰ってこられる」「ハーバーライト」の役割をぼくはたぶん無意識に引き受けようとしているのです。

佳話ですね。

でも、「おいら岬の灯台守さ」にも冒険の旅にでかけることができないことへのフラストレーションは蓄積されるわけで、それを解消するのが・・・

そう、お分かりですね。

ぼくの病的な「引越し癖」(なにしろ今度の引越しなんか、水平移動わずか300メートルなんですからね)は、身動きならない「ハーバーライト」が試みる、ささやかな「疑似冒険の旅」なのでした。

 

でも、これって、何かに似てません?

レヴィ=ストロースは「どこにも出発しない人間」たちの社会を「冷たい社会」と名づけました。

「冷たい社会」は歴史的にはまったく変化しませんが、「年変化」はすごく劇的なんです。

決まった日に決まった祭礼を行う。それはもう、ことこまかにルールが規定された実に精密で多様なお祭り騒ぎを行う。

レヴィ=ストロースはそれが「歴史の変化」(「進歩」ですね)をトレードオフするための「循環する時間」であると看破しています。

ぼくはレヴィ=ストロース的に言うと歴史の進歩を信じる「熱い社会」の住人ではなくて、循環する暦の中に住む「冷たい社会」の住人なんですよ、きっと。

なるほど(と自分のへ理屈に感心している)。

というわけで、ぼくは引越しが好きで、宴会が好きで、毎年決まった日に決まった行事をするのが好きで、関係をリセットするのが苦手で、「冒険少年冒険少女たちのハーバーライト」であることをみずからの召命と考えている「野生の思考」のひとだということにが分かったわけです(なことが分かったからと言って、べつに何かが始まるというわけではないのですが、そもそも「何かが始まる」ということにとりたてて意味を見出さないというところが「野生の思考」の「野生の思考」たる所以ですから、これはご勘弁を)

 

■反知性主義について

どうも、ながい「まえおき」ですみません。

平川くんオススメの『アメリカの反知性主義』は朝日新聞で書評を読んですぐに紀伊国屋に注文をしました(いまはインターネットで本が発注できて、代金は大学の研究費から自動引き落としなんです。これはほんとに便利)。まだ本は届いていません。これは楽しみです。

マッカーシズムについては書かれたものがたしかに少ないですね。

ぼくはアーウィン・ショーの『乱れた大気』という小説でこの時代の暗鬱な雰囲気と、メディアと学術の世界に横行した「裏切り」のすさまじさを知りました。

エリア・カザンやウォルト・ディズニーがマッカシーズムの尖兵として「左翼知識人」を密告したということが暴露されたのはずいぶんあとになってからでしたね。

そういえば、ほんとうに不思議なことですが、アメリカにも「左翼」がいたんですよね、昔は。

「アメリカ共産党」だってあったんですから(片山潜が創立に参加したりして)

三十年代にはハーヴァード大学では学生同士が「スターリニスト」と「トロツキスト」にわかれて本邦と同じような論争なんかしているし。

マルクス主義の知的伝統が50年代に根絶された、というのがアメリカという国がヨーロッパとも、アジアの諸国(日本とも中国ともベトナムとも)基本的に「話が通じない」ということの一因にあるような気がします。

もちろんマルクスを読む文化的伝統が根絶されたということは、反知性主義の原因ではなく、むしろ結果なのでしょうけれど、それでもアメリカの高校生のかりに5%でもマルクスのフランス三部作を読むような知的習慣をもつ人々がいれば、あの国も今とはずいぶん違う様相を呈したような気がします。

レヴィ=ストロースの話がこのところ続きますけれど、『悲しき熱帯』の中にマルクスについて書かれた部分があります。有名な箇所なので覚えているかもしれないけれど、引用しておきますね。

十七歳のころ、私は、休暇中に知り合ったある若いベルギー人の社会主義者の手引きで、マルクシズムを知りはじめていた。この偉大な思想を通して、私はカントからヘーゲルに至る哲学の流れとも初めて接したが、それだけにいっそう、私はマルクスの本を読むことに夢中になった。一つの新しい世界が、私の前にひらけたのであった。そのとき以来、この熱中は一度も変質したことはなく、私は、なにかある社会学が民族学の問題にとりくむときには、ほとんどいつも、あらかじめ『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』や『経済学批判』の何ページかを読んで、私の思考に活気を与えてから、その問題の解明にとりかかるのである(『悲しき熱帯』、川田順造訳、中央公論世界の名著59,1967年、403頁)

このレヴィ=ストロースのことばに少年時代のぼくはずいぶん影響されました。

そ、そうなのか。マルクスって「勉強する」ものじゃなくて、「思考に活気を与える」ものなんだ、ということがえらく腑に落ちたのです。

そういわれてみると、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』はたしかに「名探偵による階級闘争の真犯人探し」として読むと、どきどきするほどスリリングな知的緊張にみちていますからね。

マルクスの最良のところは、うまくあてはまる事例を選択的に探し出して仮説を証明するのではなく、むしろ「誰にもうまく説明できない事例」を拾い集めながら、そのすべてを解決できる「たった一本のストーリーライン」をあぶり出してゆく、オーギュスト・デュパンやシャーロック・ホームズにも通じる知的な tour de force (力業)にあるんじゃないでしょうか。

それは「既知への還元」ではなくむしろ「未知への投企」に近い知性の使い方なわけで、マルクスというのは「そういうひと」なんだ、ということがマルクス「主義者」たちには十分には理解されなかったというのが残念です。

反知性主義というのは、ひとことでいえば「既知の、すでに検印済みの度量衡」にあてはめてものを考える姿勢のことではないかと思います。

計量できるものしか信じない。

「なぜ、あるものは計量でき、あるものは計量できないのか。そもそも『計量できる』というのはどういうことなのか」

というふうに決して問いが深化させられない、というのが反知性主義=知能主義というものの限界なのでしょうね、きっと。

ただ、ハックルベリー・フィンについては、ちょっとここで反知性主義の淵源として名前を出すのは気の毒な気がします。

トム・ソーヤーはたしかに知能主義的ですけれど、(「あいつはきっとハーヴァードとか、そういうところに行って、出世するんだろうな」とハックは予言しています)、ハックはトムとはかなり違うんじゃないかな。

ハックは「異端審問的」エートスからはかなり遠いところにあるアメリカの知的資質だとぼくは思います。

むしろ、「ハックルベリー・フィン的なもの」が1910−30年代のアメリカの共産主義運動の底流にあって、それが反知性主義の流れの中で根絶されていったんじゃないでしょうか。

ハックはきっと成長したあと、1920年ごろには「アメリカ共産党ミシシッピ支部」の第一書記かなんかに選ばれていたと思いますよ。

「おいらは、いやだって言ったんだけれど、ジムのやつが死ぬほど大きな声で『それはならねえだ、ハックさん。あんたがやらねで、だれがやるだ。あんたのオヤジみてえな人があんたみてえなこどもを殴ったりする世の中をなくさねばなんねだ』というもんだからさ。おやじの話をされると、おいらがいまでも怖くてぶるぶる震えるってことをジムのやつはよく知ってるからね。まあ、そういうわけでジムじいさんの頼みなんで、おいらミシシッピ支部の書記選挙にちょっくら出さしてもらうことにしたんだ」

なんてね。

平川くんはちょうど吉本隆明を引いて「現場=フィールド」のたいせつさということを指摘されていますけれど、「知力による世界認識」をつきつめたとき、それが洗練され、反論に対して鉄壁の防御を備えた「不敗の仮説」になると同時に「現実」的には無効になります。

ふしぎなものですが、机上の議論で「不敗」の思想は、一歩表に出ると「ボロ負け」の思想なんですよね。

机の上でも、街頭でも、どちらでも「そこそこ使い物になる」ような思想だけが、結局最後に残る思想だとぼくは思います。

この「そこそこ使い物になる」というときの「そこそこ」とはどの程度であるのか、とか「使い物」とは何を基準に判定するのか、ということになると答えにつまりますけれど、まあ、そういうふうにしか言いようがないことって、ありますよね。

「宙づりになった状態」というのかな。

学校という場所のほんらいの機能は「家庭という想像界」と「市場社会という象徴界」のあいだを架橋する「ちゅうとはんぱな場所」じゃないかなと思います。

そのふたつの界域のそれぞれの価値観や度量衡が「生きて」いるけれど、完全には一元化していない場所。

そこで子どもたちは「あなたは個であり、かつ何かの一部である」「あなたは記号であり、かつ肉である」「あなたは無限に叱責され、かつ無限に許される」「あなたは序列化のルールと、序列化の無意味さを教えられる」・・・というような仕方で、「宙づり」にされます。

知性というのは、「最終的にそれに準拠しさえすれば、なんでも判断できる」ような審級は「存在しない」というこの「宙づり」的事況を一度は生きたことのある人間にしかアクセスできない境位ではないかと思うのです。

ですから、極端な話、学校の社会的機能というものがあるとすれば、それは「子どもを一度でも宙づりにすること」に存するのかもしれません。

ところが、今日の学校教育は全力を尽くして「子どもをすっきりした一元的な価値観に添わせよう」としていますね。

これは「宙づり」のまさに逆方向への努力です。

そんなことをすればするほど学校はその機能を喪失してゆくんじゃないでしょうか・・・

「学校をカオスに」というのが「荒れる子どもたち」に共通する志向ですが、あるいは、このふるまい方は、学校を「政治的に正しい場」にしようとするすべての社会的努力がその「対旋律」として必然的に呼び寄せている、それ自身の「陰画」なのかも知れません。

 

なんだか、さらに収拾のつかない話になってしまいました。

あとよろしくつないでください!

では

 

 

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ではまた。