その17

2004年2月9日

平川克美くんから内田 樹へ

 

返信遅くなりました。

東奔西走の日々が続いていました。

2004年劈頭から「いやー、なんか疲れちゃったね」とぼやいています。

今月は、まだ、シリコンバレー2泊4日の強行スケジュールが残っています。でもまあ、北カリフォルニアは気候がいいので元気が回復してくるかも知れません。

「カリフォルニアの青い馬鹿」@みうらじゅん で、ゆるい海外出張と行きたいところですが。だめだろうな。

むかし、あまり無理して仕事をしていたら、疲れがたまって帯状疱疹に罹ってしまい、往生したことがありました。ウチダくんもあまり無理をしないで下さい。

ほんと、53年も動き続けたぼくたちの臓器や関節は、限界すれすれのところで喘いでいるのかも知れませんね。どうも、ぼくたちにはその自覚が根本的に欠如しているように思います。

 

■ ネオ反知性主義の台頭

 

さて、本題ですが、「アジールとしての大学」ってすごくいいですね。

いまの時代のある種の息苦しさは、日本中が物理的にも精神的にも開発され尽くして「アジール」が何処を探しても見つからなくなったということかもしれません。「逃れの町」って、知性が生きてゆくためには死活的に重要な場所だと思うのですが、この10年間で国を挙げ、産業を挙げてこういった真空地帯を塞いでしまったといった感じがします。

アジールが重要なのは、そこが免罪を保障してくれるからではなく、まさに脛に傷を持ったひとびとが生息できる場所であるからなのでしょう。

そして、その場所は「何ごとも思い通りにならない」「意図していたのとは別の結果を招いてしまった」という敗残兵、禁治産者、負け犬、犯罪者たちに、再生の物語を語ることを許す場所でもあるわけですね。

「雨の日もあるわさ」という認識があればこそ、「学ぶ」ということも、意味を持つのだということだと思うわけです。

現在ぼくは、意図したわけではないのですが、行き掛り上、秋葉原というおもしろい場所の街づくりなんていう「お題」をもらっているので、この諭件に関しては、いつか掘り下げてみたいと思っていました。

 

大学にもどります。

大隈講堂の階段には、昼間っから多くの学生が日向ぼっこをしながら無聊をかこっている光景が日常だった時代もありました。

時間が止まったようなカフェがあって、そこに行くと朝の陽光を浴びながら新聞を読んでいる老人がいて、その隣では原稿用紙を広げた白皙の青年が嘆息し、パイプをくゆらせている痩躯の苦労人マスター(中島みゆきだな)は、隣町から逃げてきた女給さんの人生相談にのっていて、、、

なんて余裕は、人にも町にも無くなってしまったのかもしれません。

町から頽廃が消え、物語が消え、機能的なだけのオフィスととこしらえものの広場が出現しました。

ひとり大学がアジールとして生き残るなんていう贅沢は許されないのかもしれません。

 

先日、「学術研究と市民知をつなぐ出版社」というキャッチフレーズを持つひつじ書房の松本さんから依頼を受けて図書新聞に書評を書きました。その中で

「国立大学の独立行政法人化や私学の推進する専門大学院構想など、一連の大学改革プログラムは従来の大学のイメージを大きく変容させようとしている。

もはや大学には、無為と倦怠の中で思想や文学に惑溺する学生に場を与えるなんていう猶予は許されていない。

荒っぽい言い方をすれば、現実的で、ショートタームに結果を出せる、喫緊の課題に対して大学は成果を出さなくてはならない。

ひとつの「目的」を持ち、ひとつの「役割」を演ずることが要請されるようになった。まあ、ひとことでいえば、ビジネス系、理科系、実学優先で行くぞ、「大学の自治」とか「学の独立」などというお題目の下で遊んでいるひまはねーぞ、というビジネスの論理が大学に導入されたということだ。

アメリカングローバリズムが世界を席巻し、「知」の役割、「商」の倫理、「人」のふるまいを、世界レベルで比較可能、交換可能なものに書き換えようとしている、、、」

 

なんてことを書きました。本題は地方都市に図書館を建設するというプロジェクトを推進している人の「図書館を遊ぶ」という好著の書評なのですが、最近のぼくの関心に引き付けて思わず大学のことに触れてしまいました。

ここで、書いたこと、つまり知というものに対して、「理解可能」「比較可能」「交換可能」であることを要求するということについて、実はぼくはよくわかっていないところがあったのですが、ある本を読んで、ああぼくの言いたかったのはこれなのかなと思ったわけです。

その本とはみすずから出ている「アメリカの反知性主義」byリチャード・ホーフスタッターです。

随分と分厚い本なのでまだ途中なのですが、読み進めるうちに随分と目の前が開けたような気持ちになりました。

ホーフスタッターはコロンビア大学の歴史学の教授で、本書は1964年のピューリツァー賞を受賞しているということなので、一昔前のものですが、今の日本を読み解く鍵が隠されています。

つまり、ポスト産業資本主義が行き着くところでは、反知性主義は、世界競争力とか、競争優位とか、産学の連携とかいうかたちをとるのではないかということなのです。

ぼくは、これまでほとんどまじめにアメリカ史を読んだことがなかったので、浅学を恥じるべきなのでしょうが、この本を読んで「ヘぇー」「ふーん」「なるほどね」といった感じで随分と勉強されられました。ウチダくんは読まれましたか。

「反知性主義」という用語がアメリカ社会の日常語になったのは1950年代で、それに大きな力を貸したのは異端審問官のマーカーシーであったという指摘には思わず、うなりました。

ぼくはマーカーシズムといえば、「アカ狩り」の異名であると理解していましたし、ほとんどの日本人もそのように理解しているのではないでしょうか。流行の言葉でいえば、マッカーシーの大儀は米国を共産主義者から守り、反共の砦を守るということなのでしょうが、実際に生起したことは、公職からのリベラル派の放逐、知識人たちに対する恫喝、知性そのものに対する全国民的な嫌悪感の醸成といったものでした。

反共をスローガンにしているけれど、政治的にはもっと重要な課題であった国際共産主義勢力に対する対抗というところには、全く関心を示さなかったという指摘にははっとしますね。

つまりマーカーシズムとは単なる反共イデオローグによる運動ではなく、もっと広汎で根が深い、ピューリタニズムや西部開拓のフロンティアスピリットに根を持つアメリカの反知性主義というものと直接間接に結びついていたというのが著者の指摘するところです。

では、なぜアメリカは知性を否定するような風土を作り上げてきたのか、そもそも反知性主義って何なのかが問題になります。そもそも知性主義なんてものはないと思うのですが、反知性主義は、アメリカのいたるところに息づいています。

この時期(1952)アメリカの大統領選挙があって、これがまさに知性VS大衆性の戦いの様相を呈し、結局大衆派、ビジネス派のアイゼンハワーが非凡な知性の持主であったアンドレイ・スチーブンソンを打ち負かすことになります。

アイゼンハワーの圧勝は米国内のマスコミによればアメリカが知識人を否認したものだと受け取られたようです。

知性主義、反知性主義というような二項分布的なアプローチそのものが、反知性的なものだということはできますし、現実的にはそれぞれの要素は入り組んで複雑な価値体系として構造化されてきておりもはや明確な反知性主義は存在しないと指摘することは可能ですが、それでも、この、反知性主義というタームは、昨今の日本の大学をめぐる状況や、ビジネス界の状況を説明するのになかなかおもしろい分節線を提供してくれるように思います。

今日、反知性主義とは、勿論単なる「ばか」擁護の論陣ではなく、功利性の追求や、実用性、民主主義、実践優位の思考といったものの総体であるわけです。ハックルベリー・フィンに代表される「現実に地道に取り組む」というアメリカ的な美風が、現実には異端審問のバックボーンを支えたりするというわけです。

当時、反知性主義の特徴を示す最も顕著なものは、知能主義とでもいうべきものです。

ちょっと引用しますと。

「知能は、限定され明確に定められた目標の枠内ではたらき、そのために用をなさない考え方は、さっさと切り捨てる。そして、知能は世間一般で広く用いられるため、そのはたらきは日常的に観察でき、単純・複雑、双方の考え方からおなじように評価できる。」

これって、まさに現在の大学改革の中身そのものじゃないのかと思ったわけです。

知性とは、ウチダくんの言うように「難問にアンダーラインを引く」ことであり、それはある意味で属人的なものであり、容易に交換したり、比較したり、計量したりすることを拒むものだと思います。

容易には理解できない。

なぜなら「知性」はいつもフィジカルな思考、慣習的な思考、コモンセンス、信仰、社会正義からの批判に晒されており、知性的であるということはこれらを疑うことから始まるからです。

「なんか訳のわからんことをぐだぐだ言っているよ」

「まあ、俺には関係ないね」

「所詮は負け犬の遠吠えじゃねぇか」

という反応が必ず帰ってくるものだと思ったほうが良いようです。

 

一度決めたらゴールめざして男らしくまっしぐらにつべこべ言わずに突き進む。議論より、実践、結果に責任を持つのが男だ、というわけです。ここでは難問の中で呻吟しているものは、そのまま非効率、役に立たないものとして、唾棄されることになります。

そしてそれは、確かに物事を前に進めるためには必要な態度でもあるわけです。

それでも、「知性的であること」が人間にとってもっとも枢要な態度であり続けるためには、「知性」そのものが「知性」の脆弱性を超えてゆく、つまりは知性の再定義が必要になります。そして、それはコラボレーションによるのではなく、むしろひとりひとりがそれぞれの場所で単独に耐えるということの中で、初めて知性の共有ということが意味をもつのだと思います。

なかなか難しい問題です。

 

■ 往相と環相

こういった問題を自覚的に取り出して、見事に分析したのは吉本隆明でした。

カールマスクスや親鸞を論じるにあたって、かれは次のような前提を記しました。

要約するとこうなります。

「知識について関与せずに生き死にした市井の無数の人物よりも、知識に関与した人間には価値があり、なみはずれて関与したものは、なみはずれて価値があるというようにひとびとが幻想することは、自然なことであるが、これはあくまでも幻想の領域に属していることだ。 

幻想の領域から現実の領域へとはせくだってくると、この判断はなりたたない。

市井の片隅に生き死にした人間のほうが、判断の蓄積や体験の重さに関して単純でも劣っているわけでもない。千年に一度しかあらわれない巨匠と、市井の片隅で生き死にする無数の大衆のこの「等しさ」を歴史はひとつの時代性として描き出す。」

最初吉本のこういった認識に触れたとき、まさに目からうろこが落ちたわけです。

いまでも、ぼくは吉本のこのような認識や、幻想論は見事な思想的な達成であると思っています。

親鸞は、知力による世界認識では最高のレベルまで到達してしまった。ここまでは、「たいしたもんだね」という往相の世界だというわけです。

ここで、大抵の思想家や研究者というものは年をとって一丁上がりとなるのわけです。

ここでは、「たいしたもんだね」は、簡単に「偉そうなこと言ったって、それが何の役に立つんだ」といった知への侮蔑に転化する可能性を残しています。

親鸞はそういったところで、もう一度「愚者」というものをどうやってとらえるのかという課題を自らに課してそれを実践してゆく。これを環相という仏教概念で説明しているわけです。

現代風に言えば、コンスタティブな態度とパフォーマティブな態度という背反する課題をどのようにして、超えてゆくのかということになります。

ぼくはビジネスの世界に身をおいていますので、このもんだいのむずかしさが身に染みるわけです。

どんな崇高なビジネス哲学も、結局は「で、儲かるの?」というような身もふたも無い結論に集約され、その結果に責任を持たなくては何も発言することはできないのが、ビジネスの世界です。

政治の世界でも、物事をしっかり考えようという態度は、すぐに「神学論争」というような形容で侮蔑の対象になることは最近のイラク問題の事例を見ても明らかですよね。

かつて、ぼくたちはどのような崇高な思想も一人の人間の頭の中に宿っており、それはもっともつまらない鉄槌という暴力で簡単に破壊されてしまう。現実とはそういったものだという認識をもったとおもいます。なんか、ウチダくんと飲み屋でそんな話をした記憶があります。

こういったアポリアをどのようにして解決してゆくのかというのは、この間ぼくたちが、大学や企業といった場所で、ずっと考えていたように思います。

ひとまず、ぼくたちがたどり着いた場所が、「知性は、知性そのものの限界を知るという場所で最も指南力を発揮できる」「現実は、その背後に起源に対する考察や、採用されなかった理論や、運動を捉えようとする努力というものがただひとつの歴史性として表出される他はない」といった認識であろうと思います。これをぼくは「自己否定の契機」といい、ウチダくんは「自己の知性の限界への配慮」という言葉で説明しようとしたのだと思います。

 

かつて、ぼくは言葉というものは、言葉が通じないところでしか鍛えることができないと書きました。

知性ということに対しても同じことを言っておきたいと思います。

知性が鍛えられるのは、知性を必要としない人々の間で孤立するしかないような場所であり、知性とは無縁の功利性や、遂行性を問題にしなければならない場所でしかないということ。そして、それはなかなかつらいことなのだろうと思います。

なんか、重たい問題をとりとめも無く書いてしまいましたが、

ウチダくん、もう一ひねりしてください。

 

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ではまた。