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質問35・老師、麻雀の極意を教えて下さい!

Q:
さて、実は今、悩んでいることがあり「インターネット持仏堂」に、つまり釈先生にそのことを相談したいと思います。
ただ、今後、悩みが続出することと思いますので採用・不採用は、ぜ~んぜん気にしません(笑)。
麻雀をはじめたばかりのウルトラ初心者ですが、ようやく「手が揃う」楽しさを知り、その場が上がれそうな状況になるやあたかも思春期の青年のようにいっていっていきまくってやれ~!
という節操のない状況です。
とりわけ、一番にリーチをかけられる状況になった時は胸はどきどき、声はうわずり完全に舞い上がっています。
「リ、リ、リーチ!」と必要以上に声をはりあげ捨て牌を叩きつける。う~。気持ちいい~!
と、その瞬間。
「あ、ロン」。
リーチをかけると、その瞬間にあたられる。それが世の、いや、麻雀の無常(違うか)。ともあれ、上がりをはやり、欲をかくと落とし穴が待っている。まるで実人生…という思いにとらわれ、今度は、必要以上に猜疑心にとらわれリーチをかけなきゃいけないのにあたられるのが怖くて遠回りしてツモ狙い。
しかし、それがまた裏目にでて、役なし(ドラのみ)でロンできずいつまでも上がれなかったり、あせってチョンボ(ロン! と叫んで)したり…。長くなりました。
つまりですね、麻雀って恋の駆け引きのように、いや、それ以上にお相手が多くて難しく、我が心に正直にいくも地獄。いかぬも地獄。そのまた逆もしかり。ココロ裏腹、あ~無情。と思うわけです。
私が憧れる打ち手でもある釈先生はいったいどんなお心で打っておられるのでしょうか。喜怒哀楽が激しく、それもまたいい流れをつくる江さんや内田先生にくらべて釈先生は「麻雀」を達観したようなその牌への姿勢。まるで、牌の川の流れに身を任せるような柔らかさ。実はわたしが憧れ、目指すのは、釈老師のような雀士なのです。

A:
文章が達者なので、つい読み入ってしまいました。笑わせていただきました。
あのね、私を目指すって…。私、昨年の甲南麻雀連盟のケツ二(どん尻から二番目)ですよ!そんなやつを目指してはいけません。
麻雀の人間学は内田先生が壮大な体系を完成させつつあるので、ご登場願うと致しまして(内田先生、どうぞよろしくお願いします。それとも壮大すぎてここではちょっと無理でしょうか)、え~、それでは私の麻雀への姿勢を一言。
もちろん、達観して打っているわけではありません。普通に、勝とうとして打ってます。でも、甲南麻雀連盟にお誘いいただいて、二十数年ぶりに麻雀をやってみると、学生時代とは違って、本筋とは別のところでの面白さにいろいろと気づいたりしております。ご相談者も気づいておられるように、「流れを楽しむ」などというのもそのひとつですよねぇ。あるいは「マン・ウォッチング」。麻雀やっている人って、見ているとすごく面白いでしょ。人間性も性格も垣間見えますよね。だから、ちょっとした相手の仕草や言動がツボにはまってしまったときなど、一人でくすくす笑いながら打っているときがあります。
なにしろ、今は私も「麻雀コミュニケーション」を楽しんでる真っ最中ですので(甲南連盟はほんっとに面白い人が多いんですよ)、心持ちはご相談者とまったく変わらないと思います。ご相談者がこれほどリアルに初心者の心理描写ができるということは、充分に麻雀の楽しさを満喫されている証拠です。この情熱ぶりでは、遠くない将来、J1に昇格間違いなし。

こんにちは。甲南麻雀連盟会長のウチダです。
なぜ麻雀はこんなにおもしろいのか。
これは常住坐臥私の念頭を去らぬ問いであります。
いずれそれに答えを与えることこそ甲南麻雀連盟における「スラッカンのチェゴサングン」であるところの不肖ウチダの職責を全うする道であると痛感しております。
さて、麻雀道においてはいくつかの忘れがたい決めの台詞がございます。
近年私の心に深く残ったことばを再録して、お答えに代えさせて頂きたいと思います。
「麻雀は運だよ」(平川克美)
「人生は麻雀の縮図です」(釈老師)
「振り込むというのはね、タツル、人に幸福を贈るということなのだよ」(兄ちゃん)
味わい深い言葉であります。
拳々服膺していっそう麻雀道に精進されますように祈念致しております。

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2006年02月16日 10:18に投稿されたエントリーのページです。

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