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質問40・兄が17年間戻ってきません

Q:

はじめまして。
長い間途方にくれています。こちらでなら、相談できるかと思いました。
私の兄の事なのですが、旧オウム真理教の出家信者で、もう17年帰ってきません。
私も18年前は在家信者でした。ヨガで超能力開発とか、胡散臭さが面白かったのです。でも、教団で学校病院、国(コミューン)を作ろうという話が出て、それは気持ちの悪い話で付いていけないと感じて辞めました。
しかし兄にとっては、理想が一致してしまいました。その後家族はぐちゃぐちゃです。
父は勤め先に露呈するのを恐れ怯えて、暴れ、母はもしや人様に迷惑をと体調を崩し、
私は兄を止められなかったのを責められ続けています。確かに責任を感じています。
95年の事件でさらに、でした。
初めの頃は支部や道場に家族で直接探しに行ったりもしていましたが、今では、両親も歳を取り、警察への捜索人届けも取り下げただ、信じてじっと待っています。
脱会信者をサポートする会にコンタクトするなりなんらかの手立てはあるかとも考えるのですが、事件当時の警察、公安の取り調べや支部でのやり取りなどの恐怖が今だに甦り立ちすくんだままです。
だから、これはもう本人から出てくるよりどうしようもないと思う事にして、自分の仕事に打ち込もう、脱会してきたら面倒みられるよう準備だ、と自分をむりむり納得させています。
最近私の仕事を正当に評価して下さる方が現れその方のためにも自分のためにもベストを尽くしたいのです。
そう思う一方また教団がバカしでかしたら、兄が実行犯になったら全て水の泡だという考えが払拭しきれず、どうせ無駄になるいや、でも、といった、アクセル全開しつつブレーキおもいきり踏んでるような状態です。
世間様に対して申し訳ないというより自分と家族でいっぱいいっぱいなところがまた、自分の弱さ力の無さが悔しいです。何をどうしたらいいのか堂堂巡りです。

匿名希望・34才・女性(言うたもん勝ちですがガラス工芸家です)

A:
釈先生から

出家はもともと脱社会的存在です。だから、ご家族とは生きる方向性が大きく異なってしまうのは当然の帰結だと言えます。しかし、問題は高いハザード性をもつ旧オウム真理教の出家者になってしまったところですね。出家という特殊な生の形態には、文化的土壌と歴史に鍛えられた体系が必要です。
宗教研究者の中には、現在のアーレフはそれほどリスクの高い宗教教団ではない、と報告する人もいますが、私は密接に関わって調査したことがないので、そのあたりはわかりません。
以前、「カナリアの詩」というオウム真理教脱退者たちの機関紙を読んだことがあります。一冊読んだだけなので、どのような会なのかはよく知らないのですが、家族の方たちの手記を見て心をうたれました。また、脱会通知の書き方なども掲載されていました。一度こちらの活動なども参考にしながら、地域の大学や自治体の「カルト宗教相談窓口」に行かれることをお勧めします。
「カナリアの詩」

内田からも一言。
これは本人生相談コラム始まって以来のヘビーなご質問ですね。
私は出家というのがどういうものかよくわかりませんが、あり方としては1970年代の「極左過激派闘士」の地下運動潜入後のメンタリティに通じるものがあるような気がします。
こちらのほうならなんとなく想像つきます。
私の知人にもう30年近く地下に潜行したままの旧過激派の人がいます。
この人の場合、警察が追っている事件(殺人謀議)はもうとっくに時効ですし、彼をテロの標的に掲げていた敵対党派ももう組織的実力を失っています。
ですから、もう出てきてもいいわけです。
でも、出てこられない。
それはたぶん「潜行」とか「失踪」というのは、どこかに「ポイント・オブ・ノー・リターン」のようなものがあって、その手前であれば、それなりに「出てき方」を本人もわかっているのだけれど、ある時点を超えてしまうと、「出方がわからなくなる」というようなことじゃないかと思います。
不眠症の人が「どうやって眠るのか、眠り方を忘れる」ように、こういう人たちは「やあ、どうも。心配かけて済まなかった」ということばの「言い方」を忘れてしまっているような気がします。
小野田寛郎少尉は南洋のジャングルに29年も潜伏していました。
彼も戦争が終わったことや、時代の変化は知っていたわけですし、マスコミの大々的な捜索活動も知っていました。
でも、出てくることができなかった。
彼が出てこられたのは、鈴木紀夫さんという奇特な青年が逃亡兵のリアリティと29年後の世界のリアリティを架橋してくれたからです。
最後は当時の直属の上官がフィリピンまで行って、旧軍の規定通り文語体の命令書を奉読して、はじめて彼は残置諜者としての任務を解除されたという(法理上はナンセンスな)「彼の文法」で逃亡生活のセンテンスを語り切ることができたのでした。
この事例が教えてくれるのは、地下生活している人を呼び戻すためには、「地下生活の語法」と「地上の語法」の間の架橋が必要だということです。
そのふたつの言語が通訳を媒介しないと了解不能の「外国語」のような関係になってしまうというのが「出てこられない」ということだろうと思います。
彼が今世界を記述している語法(それはまことに奇々怪々なものでしょうけれど、彼はもうそれ以外の言葉づかいをできなくなっています)を語れる人が架橋の仕事を引き受けることがなければ、彼が自力で「戻り道」を見つけ出すことはたいへんに困難でしょう。
小野田さんはその後の言動をみればわかる通り、たいへんに矜持が高く、頭のよい人でした。
それは、プライドが高く、頭のいい人ほど、自分の「言語」をさまざまに駆使して、自分のありようを正当化することができるために、一層「出る」機会を遅らせてしまうということです。
非人情な言い方ですが、自分の知的威信をかけて「出てこない」人間を引き戻すことは絶望的に困難だと私は思います。

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2006年05月10日 10:57に投稿されたエントリーのページです。

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