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質問60・死んだ子どもの魂の行く先は?

Q:
釈先生、内田先生はじめまして。お世話になります。
結婚して半年。初めての妊娠で喜んでいたのもつかの間、10週前に自然に完全流産してしまいました。 私のせいではないかと不安になり、申し訳なくなります。
流産してしまった魂はどうなるのですか? また、原因は何なのでしょうか。
お忙しいとは思いますが、御回答いただければ幸いです。
(ペンネーム うたこ・25歳・女性)

A:
妊娠の喜びから一転、流産の悲しみへと突き落とされたお気持ち、お察しします。本当に悲しいですよね、私も身近な方が数人同様の体験していますので、少しはわかります。初めての妊娠であれば、ショックも大きいでしょう。
現代人は自然流産しやすくなっているそうです。一昔前に比べて、アレルギー体質の人が増えていることと関係があるという説もあります。でも、そのかわり生殖技術が発達していますので、次回妊娠される機会があれば、よくお医者さんと相談してください。ほとんどの場合、流産を防ぐことができますから。
さて「流産した魂はどうなるのか」という質問に対して、すべての人が納得する答えはありません。宗教・文化・科学・コミュニティ、いろんなものがいろんな「生と死の意味」を提示してくれますが、それはその価値体系へコミットする人にのみ機能する「意味」なのです。当然、「ただひとつの正解」などありません。ある生命倫理の研究者に言わせれば「自己意識のないモノはパーソン(人格)ではない」といった理屈であっさり切り捨てるでしょうし、「水子の魂は、これこれこうなっていますよ~」と語る民間宗教者もいるでしょう。
さて、ここでは仏教の体系に沿ってお話します。仏教において、水子は特別な存在ではありません。すべての生命は網の目のようにつながり相互依存して成立していると考えるので、流産による胎児の死だって、成人の死だって、他のいかなる生命の死だって等価です。死によって、ひとつの生命体を構成していた要素(肉体や精神)は分離してしまい、また別の生命体を構成する、と仏教では考えます(ただ、「意識の連鎖」は止まらないとします。これを「相続」と言います。この説明はまた別に機会で)。
私たちは「生」も「死」も、思い通りコントロールできません(仏教ではこれを「苦」と呼びます)。そのことを自覚して、「私はどのように生きるべきか」という実践へと転換します。このあたり、仏教は少々プラグマティックです。ですから、もし面と向かって「 流産してしまった魂はどうなるのですか?」「また原因は何なんでしょうか?」と問われれば、私は「神でも仏でもない私にはわかりません。あなたがご自身で背負っていってください」とか「そんなの全部ひっくるめて仏様におまかせしてはどうでしょう」などと応答する可能性が高いです。
つまり、流産の痛みや苦悩をごまかすことなく、思い通りにならない人生と向き合い、この際じっくりと生命のつながりについて思考することが仏教的態度です。「私のせいではないかと不安になり、申し訳なくなります」というお気持ちに胸が痛くなりますが、「生命ある存在は必ず死に帰する」という事実を受けとめ、自らがいかに無力な存在であることを自覚し、他者の生命に繊細になる、このあたりがキモです。
でも、そうはいっても私たちはなかなかそんな風に転換することはできません。だからさまざまな人に助けを求めたり、宗教儀礼の力を借りたりします。人間って一筋縄ではいきません。人生って、しんどいですねぇ…。
とにかく、流産した生命は、間違いなくあなたの身心に連鎖反応を起こしています。それが生命のつながりです。そのつながりに思いを馳せつつ、あなた自身の人生を大切になさってください。

さて、ここでキリスト教の牧師さまにもご登場をお願いしましょう。当山「インターネット持仏堂」初登場!川上盾(かわかみ・じゅん)牧師です!
川上牧師は日本基督教教団・東神戸教会の牧師さんで、現在は内田樹先生の大学院ゼミにも参加されています。釈とは、内田樹先生宅における「麻雀を媒体とした宗教間の対話」を実践する間柄です。また、「歌う牧師」としても有名で、各地でライブ活動を行っておられます。http://higashikobech.org/bokushi.htm

【お知らせ】
12月8日に朝日カルチャーセンター大阪で、釈住職と川上牧師とのトークセッション『宗教の<救い>とは? ―なぜ真宗とプロテスタントは似ているのか―』が開催予定です。
ずいぶん以前から、浄土真宗とプロテスタントとの思想が似ていることは指摘されていましたが、「今回は、そのあたりの謎についても探ってみたい」と意欲的なお二人です。
僧侶と牧師による、宗教の<救い>についての語り合い。これは聞き逃せません!みなさまお誘いあわせのうえ、ぜひご来場を!!


A:
by川上盾牧師
釈先生の友人で、「歌う牧師」川上と申します。聖書のお話と共に、歌(賛美歌に限らず)を通してメッセージを届けることを「天命」と信じて活動しております。
さて、広大な果て知れぬ広がりを持つ宇宙の中で、生命(いのち)を抱いた星、それは私たちの知る限り、この地球だけです。大きな宇宙の中の塵のような星にこれだけのいのちが存在すること自体、ひとつの奇跡です。一方で、ひとつひとつのいのちは、大きな宇宙にとっては本当にちっぽけなものであり、その生涯はほんの一瞬の出来事です。僕は常々、「このいのちは決して偶然ではない。また当たり前のものとして存在しているのでもない。『大いなる存在』によって与えられた一瞬の奇跡なのだ」「ちっぽけだけど、かけがえのないいのち。それを感謝して、心豊かに生きよう」ということを語っています。
お子さんを流産された悲しみは、さぞ辛いものがあったことと思います。でも、私たちも自分で自分の寿命を決めることはできず、ただ運命(さだめ)にまかせるしかないことがあるように、流産した赤ちゃんにとっては、それが定められた「時」であったのかも知れません。でも、たとえ数週間でも、この星のかけらとして与えられたいのちには、祝福があり、意味があったのだと思うのです。
すべてのいのちは神のもとから来て、時が来れば神のもとに帰る。そう信じてます。

 「瞬きもせず」  中島みゆき
 瞬きひとつのあいだの一生 僕たちはみんな一瞬の星
 瞬きもせずに息をすることさえ 惜しむかのように求め合う
 ああ 人はけもの 牙も毒も、とげもなく
 ただ痛むだけの心だけを持って生まれた 裸すぎるけものたちだ
 君を映す鏡の中 君を誉める歌はなくても
 ぼくは誉める 君の知らぬ 君についていくつでも
 あのささやかな人生を 良くは言わぬ人もあるだろう
 あのささやかな人生を 無駄となじる人もあるだろう
 でも ぼくは誉める 君の知らぬ 君についていくつでも

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2007年08月25日 11:12に投稿されたエントリーのページです。

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