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2005年04月13日

「忘れられた」ブリコルールたち

TFK11

2005年4月13日


第11便面白く読ませていただきました。
相変わらずというかいつにも増してというか、かっとんでますね。
このところのウチダくんの書き物を読んでいると、オートマ車のトランスミッション
みたいに思考速度自体が思考の次元を競り上げる様子が見えて、いや、すげえも
んだと素直に感動を覚えてしまいます。
でもさ、いくらなんでも今回のは長すぎません?
編集者泣かせもいい加減にしないと、岸和田のダンナが湯気を立ててだんじりを引き回しちゃいますよ。

■町工場のブリコルールたち

さて、本題ですが、「ののちゃん」とブリコラージュのお話、おもしろいですね。
ウチダくんもご存知のようにぼくのうちは「町工場」だったので、最初にレヴィ・ストロースを読んでブリコラージュって語を知ったときに、なんとなくなつかしい心持ちになりました。
「町工場」てぇのは、まさに職人の寄合いですからね。
ぼくは、ガキの頃から工場に出入りしていて、そこの職人さんたちにいろいろと教えてもらいました。
ついでに、母親から聞いた話をしますと、ぼくは両親が働く工場の二階の柱に、犬ころみたいに腰紐で繋がれてひとりで遊んで育ったんだそうです。
職人さんにはまるで、ペットの犬のように可愛がられました。
そして、いろいろな機械の使い方を見よう見まねで覚えたわけです。
かれらの道具の使い方っていうのは、それこそ「これ」って「あれ」にも使えるよ
というリソースの使いまわしの宝庫のようでした。

中学校のとき、「技術課程」という授業がありましたよね。
今は無いのかもしれませんが。
ぼくたちの学校では文鎮をつくりました。錘の部分をやすりで加工して、
ネジを切ってそこに手持ちを付ける。この手持ち部分もやすりで加工するなんて
ことをやったのですが、ぼくはそれを「工場」に持ち込んで、職人さんに教えて
もらいながら作っちゃいました。そのときの、道具の使い方なんていうのは、学
校で教わるのとはまるで違っていました。部材に寸法を入れる作業では、ケガキ
針を使うのですが、「工場」では先のとがったメジャーで寸法をとり、そのまま
部材を平行移動させてメジャーのとがった部分をケガキ針のように使っていまし
た。(用具のイメージが掴めないと、この説明じゃわからないかもしれませんが。)
要するに、あるものは何でも使うわけです。
なければ、作っちゃうわけです。
この現場感覚っていうのは、長じてからのぼくに大いに影響を与えていると思います。
なければ作っちゃおうということで、無謀な企画をやって顰蹙も買ったし、苦労もしてきたわけです。

ぼくが驚いたのは、そのあと作った文鎮に「クロムメッキ」を施して、それこそ一級の商品にまで仕立て上げてしまったことです。
技術屋ってのは、中途で止められないんですね。
この文鎮を学校にもっていって、酒乱気味の先生に見せたところ、もうびっくりしちゃいまして、
しばらくは見本ということで学校に展示されていました。
職人仕事っていうのは、中途半端がないんですね。
これは今から見ると驚異的なことです。
今は分業ですから、あるところから先は関与しなくなっているでしょ。
ところが職人仕事は、最後にそれが市場に出てどういう使われ方をするかってところまで気にかけるわけです。
それこそ、自分がこさえたものを通して「どこかの誰かさん」とコミュニケーションしているわけです。

空手の先輩に、青森から出てきた優秀な大工さんがいまして、あるとき道場の会長が犬小屋の制作を彼にたのんだんですよ。
このときこの人は、すいすいと立派な犬小屋を作ったのですが、しばらくそれを眺めていて、
全部壊しちゃうんですね。気に入らないっていうのです。
何か、映画に出てくる癇癪持ちの芸術家みたいな感じですが、こういった責任の取り方というのも、ブリコラージュって言うものかもしれません。

ブリコルールってのは、ぼくの言葉で言えば「折り合い」と「やり繰り」の世界の住人てことです。
繰り返しになりますが、そこではあるものは何でも使う。無ければ作っちゃう。
こういった問題解決の方法は、今の合理的な問題解決手法とはかなり趣を異にしています。
今なら、精密な設計があり、作業手順書があり、必要な用具があり、無ければそれを注文し、といった具合に作業が進んでいきます。何が違うのかといえば、今は別に職人でなくとも誰でもある程度の訓練を受ければ、標準的なアウトプットを導き出せるようになってきているわけです。
もちろんこういった業務の標準化というものが、コストダウン、分業、大量生産を可能にしたわけなんですけど。
しかし、市場ニーズさえあれば大量に、いくらでも生産されるってのは、そのまま「ものを作るということの中心的な課題」を破壊してしまったように思えます。破壊したというのが言いすぎだというなら、見えなくしてしまったといってもよいのですが。

経営学的には、ブリコラージュってのは「暗黙知」というもので、これをメンバーで共有できる「形式知」に変えなければならないなんてことが言われたりします。
この背景には、効率化とかコストダウン、そして知の共有化といった市場からの要請があるというわけです。
結果として、これが技術の継続や進歩というものに繋がる。
個人の身体に刻印された技能は、一代限りで再現性のないものだから、これをマニュアル化し形式化することで多くの人に共有できる技能に生まれ変わるってことでしょう。でも、ぼくはちょっと違うんじゃないかと思っているのです。

確かに「暗黙知」というものを「形式知」に変えて、計量し、数値化し、マニュアル化することで、個人的な「勘」や「ひらめき」や「呼吸」といったものが、誰でもが共有できる
「技術」に分解されて、それが製品の大量生産やコストダウンに結びつきました。
しかし、ここで行われた取引(暗黙知と形式知のトレード)は、技術と人間の関係の堕落でしかないのではないかと疑っているのです。
別の言い方をするなら、「暗黙知」は「形式知」に変換されたわけではない。
「あやふやな形式」が数量化された「確かな形式」に変換されただけであって、「暗黙知」というものが持っていたエッセンスは、切り捨てられたってことだろうと思います。じゃあ「暗黙知」って何だということになります。

ややこしいですが、これをちょっと説明します。

■ 職人と「みえないネットワーク」

ウチダくんはレヴイ・ストロースはブリコルールだったと言いましたが、ぼくは、ブリコルールという言葉からすぐに職人さんの手を連想します。
東北の大工さんもそうですが、かれらの手は、ぼくたちの手とまるで違うものです。
肉厚というか、骨太というか。
ブリコルールってのは、自然に働きかける人であるわけですが、同時に自然から影響を受け、身体まで変容して初めて一人前になるわけです。
「暗黙知」とは、頭で考えたことではない。身体が覚え、身体に伝承されるものです。
ぼくたちは武道を長い間やっているので、このあたりの事情はいわずもがなのこととして体感できますよね。

身体まで変容させてもやる仕事なんて、随分凄まじい話ですが、簡単に言えば「それで生きてゆく」といった覚悟みたいなものなんじゃないかと思います。いや、戦後二十年あたりまでの日本では、これは当たり前のことだったんじゃないでしょうか。
近代化のプロセスのどこかで仕事をつきつめてゆくと身体の変容に行き着くといった発想は、前近代的なものとして唾棄されたのでしょうね。
つまり仕事というのはもっと合理的な労働と賃金の取引であり、人はより合理的かつ
効率的な方向へ向かって動いてゆくものである、と。
仕事がそのまま生活であるといった考え方が否定されて、仕事は生活の手段であるというように、仕事が生活から分離されてきたように思えます。
労働資本の流動化なんて言葉が称揚されるくらいですから。
でもぼくは、仕事と生活、仕事と生き方というのは、ひとつのものの別の側面であるという風に考えたいのです。

最近ではよく、リスクをとるなんて言い方をしますが、金を出したからリスクをとったとか、出処進退をかけて仕事に就くなんていうようなことを言うわけです。
でも、それだけだとやはりダメなんです。ギブアンドテイクみたいな風になってしまって結局思考の浅瀬を歩いているに過ぎない。
いや、この往復書簡でよく引き合いにだされる「無時間モデル」を逸脱してゆくことができない。
AをインプットすればBが出てくるみたいな思考法から抜け出られないように思えます。
ぼくは、標準化、大量生産、分業生産といったものが、ものづくりの中心的な課題を破壊させたと書きましたが、それは別な言い方をすれば、ものづくりのなかに脈々と流れている時間といったものが消失してしまったということだろうと思います。

ぼくは、ビジネスや仕事の中に在る時間って何かということをづっと考えていたのですが、宮本常一の「庶民の発見」(講談社学術文庫)に、そのひとつの答えを見たように思いました。なんか、とってもいいんですよ。

「田舎をあるいていて何でもない田の岸などに見事な石のつみ方をしてあるのを見ると、心をうたれることがある。こんなところにこの石垣をついた石工は、どんなつもりでこんなに心をこめた仕事をしたのだろうと思って見る。村の人以外には見てくれる人もないのに・・・・」と。

ぼくは、こういうことなんだろうと思います。いい仕事をしていれば、どこかで誰かがそれを見る。
どこかで誰かが見るって言ったって、それは村長さんや、ご近所の田吾作がきっと見るだろうということではなく、自分の知らない誰かが、自分がこの世におさらばした後でもというような長い時間と空間の中での話なんです。そして自分の知らない誰かがその気持ちを受け継いでくれる。こういった見えない誰かとの意思の受け渡しといったものが、どんな仕事に対しても手を抜かないという職人の倫理を育んでいるのだろうということです。ぼくは贈与ということの深い意味もこの中に潜んでいるんだろうと思います。
贈与って、見えない誰かさんとのコミュニケーションなんじゃないかって。

それともう一つ宮本さんはこんなことを言っています。

「百姓は農業に生涯をかけている。だからまた農業に生涯をかけるような人の言葉でないと、本当に耳をかたむけない。そうでない人たちの言葉に耳をかたむけていると、思わぬところで足をさらわれる。」

ぼくもよく、「これで生きていこう」と思わなければ結局何もできないんだということを実感しているわけです。これで生きていく。なんと申しましょうか、これは職業の選択みたいに取られると困ってしまうのですが、そうではなくて、生き方の選択なんですね。こういった生き方を俺はするというそこのところが今は見えなくなってしまいましたねぇ。
最近は誰もがネットワークなんてことを言いますが、単に隣人と繋がるといったものは違う、自分の知らない誰かさんと、自分が作って残しておいたものを通して、自分の知らないところで繋がっているというような「見えない繋がり」こそが、ネットワー
クというものの真髄じゃないかって思います。

いや、ぼくのも長くなっちゃいましたね。
では。

投稿者 uchida : 2005年04月13日 20:03

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