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2006年07月 アーカイブ

2006年07月16日

質問43:魂は進化するのか?

Q:
内田先生、釈先生こんにちは

朝日カルチャーの現代霊性論、毎回深く心に響くものがあって、たいへん興味深く拝
聴いたしました。 ありがとうございました。

最終回で内田先生が、「霊性」というものを、「何かと繋がっている感覚」と表現さ
れたのが強く印象に残りました。
たとえば愛情にしろ、その他のいろんな徳にしろ、心の奥底にあらかじめ備わってい
るわけではなくて、人や社会や自然との関係性のなかで立ち上がってくるものなので
すね。
予めあるものを発揮しようとする限りほんものではありませんね。役割に没しきって
いる時初めて立ち現れてくる。
霊性の向上というものを考える時、心の奥底にある玉みたいなものをシコシコ磨くよ
うなイメージを抱いていましたが、そうではなくて持たされていたのは目の詰まった網で、それをどれだけ透過性のよいものにしていくかということなのですね。
ところで、その網を持っている当体というものはあるのですか? 
霊魂の魂の方です。
霊性の向上があるのなら、魂も進化するということですか?
                                    
ポチ  (54歳、主婦)

A:

おっ、朝日カルチャーセンター大阪の「現代霊性論」参加者からだ。毎度、ご贔屓、ありがとうございます。しかも、霊性論で語られた「霊性」のイメージをよく表現してくださっています。

ご質問は内田先生の発言に関するものなので、担当を先生にお譲りするといたしまして、私のほうからも一言。 

何を「魂」と呼ぶのかで話が変わってくると思いますが、ご存知のように仏教では不滅の魂が存在するとは考えません。ですから(ポチさんの表現で言えば)網が関係によって一時的に構成されているように、当体も一時的状態です。どちらも、条件や関係性によって変化します。ですから、「魂の進化」という表現よりも、「チッタ・プラサーダ(心的澄浄化)」という言い方をします。当体のほうも、どれだけ透過性のよいものにしていくか、というイメージです。

こんにちは。
内田樹です。
うーん、むずかしい質問ですね。
霊性というのは、「つながっている感覚」だというのは私の基本的な理解です。
時間的にも空間的にもどこまで広がっているネットワークの中に自分がいて、自分がいることで「何か」と「何か」がつながっている。
自分がいなくなってしまうと、その「つながり」が途絶えてしまうかもしれないから、生きている間にがんばって、その「つながり」を自分抜きでも機能するようにしておく・・・というのが「霊的成長」ということではないかと思います。

私たちはみんないつかは現実的には「いなくなってしまう」わけです。
「執着」というのは「死にたくない」ということですけれど、それだけではなく「私が死んだら、みんなが困る」というかたちをとることもあります。
「死んで化けて出る」という場合は「みんなが困ります」。
だから、幽霊というのが霊的に質の悪い死に方の典型ですけれど、ほかにも「莫大な遺産と強欲な子どもたち」を残して死んだというような場合も、そうですね。
その人が死んだら「みんなが困る」ことになるので、効果としては悪霊と同じです。
よく仕事場で、「あの人が休んじゃうと仕事にならない」ということがありますよね。
そういうふうに、ひとりで仕事を抱え込んでしまう人は「私がいないとみんなが困る」ということで、自分の存在理由を確証しようとします。
でも、これって質の悪い執着ですよね。
自分の存在の確かさを、「自分が不在の時に他者が感じる欠落感」で計量しようとするのは人間的誘惑ですけれど、それはなんだか間違っているように私は思います。
霊的成長というものがあるとしたら、それは「私がいなくても、みんな大丈夫。だって、もう『つないで』おいたから」というかたちをとるんじゃないかと思います。

村上春樹の小説にはときどき「配電盤」が出てきます。
例えば、『1973年のピンボール』

「配電盤?」
「なあに、それ?」
「電話の回線を司る機械だよ。」
わからない、と二人は言った。そこで僕は残りの説明を工事人に引き渡した。
「ん・・・・、つまりね、電話の回線が何本もそこに集まってるわけです。なんていうかね、お母さん犬が一匹いてね、その下に仔犬が何匹もいるわけですよ。ほら、わかるでしょ?」
「?」
「わかんないわ。」
「ええ・・・、それでそのお母さん犬が仔犬たちを養っているわけです。・・・・お母さん犬が死ぬと仔犬たちも死ぬ。だもんで、お母さん犬が死にかけるとあたしたちが新しいお母さん犬に取り替えにやってくるわけなんです。」
「素敵ね。」
「すごい。」
僕も感心した。

うーん、ウチダも感心しました。
これはやはり「霊的生活」の比喩じゃないかなと思います。村上春樹って、「そういうはなし」ばかりしている人ですからね。
霊的成長というのは、配電盤としての機能を全うするということじゃないか、と。私はそんなふうに思っています。
私がいなくなっても、誰も困らないようにきちんと「つないで」おいたせいで、回りの人たちが、私がいなくなった翌日からも私がいるときと同じように愉快に暮らせるように配慮すること。
そういう人に私はなりたいと思っています。

2006年07月24日

質問44・髪の毛二題

Q:

Q1)「天才」と言われるひとに髪がくしゃくしゃなひとが多いのはなぜでしょう?

Q2)髪が癖毛のひとがいますが、なぜ直毛(縮毛矯正)したがるのでしょう。いつから直毛が正しい髪であるかのようになったのでしょうか。たしかに一時期であれ「天パー」といわれた時代をすごした人にとっては、重力に逆らうことなく髪がまっすぐある※ことは、ある種の憧れを抱くものかもしれません。しかし誰でも似合うというものでもないように思います。罰当たりな例えで申し訳ないですが、仏様がストレートな髪はちょっといただけないものもありますし、ありがたみもうせます。(仏様は直毛を巻いておられるのでしたでしょうか)。

(ペンネーム:しゃごしゃご)

A:

A1)
えっ、そうなんですか? 気がつきませんでした。誰が当てはまるんでしょうか?

アインシュタイン? 手塚治虫? あ、この話は内田先生発信でしょ! 新・内田理論のひとつとして、ぜひ語っていただきたいところです。

こんにちは、内田樹です。

茂木健一郎さんもそうですね。
茂木さんもみごとな「爆発あたま」です。
ほとんど幾何学的な原則性があるのでは・・・と思わせるほどに四方八方に自由自在に毛髪が飛び出しています。
あれは脳内に飛び交っている「電気量」と絶対に関係があるとぼくは思います。

A2)それは単に直毛の人が多い社会だからだと思いますが…。

落語に「一眼国」という噺があります。一つ目小僧をつかまえて見世物にしようとたくらんだ男が、一眼国という一つ目の人ばかりの国に行きます。そしたら、つかまって見世物にされるという際どい噺です。これと似たようなものじゃないでしょうか。同調していたい、同じような形態でつながっていたい、というメンタリティはかなり生理的なものですから。 

私たちの「同調へと傾斜する力」はあんがい強くて、美人コンテストでも自分が美人だと思う人に投票するよりは、無意識に「おそらく大部分の人はこの女性を支持するだろう」という人を選ぶ傾向にあるらしいです。

だから、直毛の人が多い社会の中でも、ウェーブヘアーが流行したら、みんなパーマをあて出すんですねぇ。

※ははあ、なるほど、直毛は重力に逆らっていないんですか…。ウェーブヘアーが重力に逆らっているとも思えませんが…。もしかしたら曲線の美に対抗する直線の美という価値観があるのかもしれませんねぇ(応答もかなりいい加減…)。

仏像が螺毛(らほつ:渦巻き貝のように縮れている毛髪。必ず右回りで巻いている。インド文化では右回りは聖性を表す)で表現されるのは、釈尊が縮れ毛であったためと言われています。釈尊は完全に剃髪せず、指の関節二つ分くらいの短髪だったようです。しかも縮れ毛なので、あのような天然パンチパーマ状態になっていたんですね。

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