: updated 19 May 1999
Simple man simple dream -26
メディアからメタ・メディアへ - 当世芸能長者事情

国税庁が98年度の確定申告にもとづいた「長者番付」を公表した。バブル大尽土地成金は姿を消し、サラ金長者とゲーム長者と美容医療系長者たちがわが世を謳歌している。(いちばん謳歌しているはずの宗教系長者は税金を払わないひとたちなので、ここには絶対登場しない。)

今回の発表で非常に興味深かったのは芸能部門である。

歌手の部、第一位は河村隆一君(Luna Sea)である。タレントの部、第一位は石橋貴明君(とんねるず)。石橋君は居並ぶスターたちを抑えて、2年続いての堂々の第一位である。

さて、この二人の名前を見て、みなさんはどう思われただろう。変な感じがしたでしょう。私もした。

正直に言おう。それは河村君の「歌を聴いたことがない」ということであり、身分を示す欄に(とんねるず)とある以上本業は漫才師であるはずの石橋君の「漫才を見たことがない」ということである。

以前に私は「正月番組」について書いたときに、「本業をもたないタレントさん」たちについてちょっといじわるく言及したことがある。しかし、そのときは、そのような人々がなぜもてはやされるのか、そのような人々に視聴者は何を期待しているのか、(いささか大仰に言えば)そのような人々はどのような社会的機能を果たしているのかについてまで考察を深めることはしなかった。

今回は、その宿題に取り組んでみたい。

手がかりになるのは「なぜ、(けっこうテレビっ子である私)が河村隆一君の歌を知らないのか?」そして、「なぜ漫才をしない漫才師、石橋貴明が当代一の売れっ子なのか?」という二つの問いである。これは私の見るところ、あるひとつの現象の二つの側面であるように思われる。いかなる現象であるか?

これを知るためには、日本テレビ芸能史を少し遡ってみる必要がある。

よく知られているとおり、1980年代に黒柳徹子と久米宏が司会をつとめた『ザ・ベストテン』という超人気音楽番組があった。同時期には、堺正章が司会をしていた『歌のトップテン』や前田武彦と芳村真理が司会の『夜のヒットスタジオ』など、リアルタイムでポップスの新曲を紹介し、音楽トレンドをフォローする音楽番組がいくつも存在した。いくたのアイドルがこの番組を通じて日本全国に知られるようになり、一方で、中島みゆきや松任谷由美や井上陽水や忌野清志郎のようにこの種の番組に「出ない」ことでその音楽の商品価値を高めるミュージシャンたちもいた。音楽シーン全体がテレビの音楽番組を中心にまわっているような、テレビにとっては幸福な時代だった。

しかし幸福な時代はながくは続かない。音楽番組は視聴率の低下を理由に次々と打ち切られ、90年代はじめには、ゴールデンタイムに放映されていた音楽番組はタモリ司会の、あまりぱっとしない『ミュージック・ステーション』ただひとつという「音楽番組冬の時代」に突入した。いまどんなミュージシャンがどんな音楽活動をしているのか、テレビをみているだけでは全然情報が入ってこない時代がしばらく続いた。

そんな「音楽番組冬の時代」のまっただなかの1993年、非常に奇妙な音楽番組が始まった。吉本興業の毒舌漫才コンビ、ダウンタウンが司会する『Hey!Hey!Hey!』である。この番組は『ザ・ベストテン』をひとつの定型とするそれまでの歌番組とまったく別のコンセプトでつくられていた。

それまでの音楽番組は局のアナウンサーと好感度の高いタレントがペアになって「流れ作業」的に次々と音楽を流して行くというスタイルをとっていた。演奏前には、短時間の演目紹介とプロフィール紹介があるが、それはほとんどミュージシャン側が曲の宣伝のために用意したプロモーション用の原稿をそのまま読み上げるような内容のものにすぎなかった。司会者の仕事は新曲のコンセプトを尋ね、アルバムの発売日やコンサートの日程を確認し、多少時間の余裕があれば「最近、どんなことに凝ってるの?」というようなあたりさわりのない質問を通じて、(熱意の差はあれ)セールス・プロモーションに「協力する」ことにあった。このような番組においては、画面に出てくる全員が、ある種の利害を共有する「インサイダー」たちだったのである。

『Hey!x3』はその常識を覆した。この番組の売り物は音楽を流すことではなく、ミュージシャンとダウンタウンの「トーク」と呼ばれる即興の話芸にあり、そのなかで、ダウンタウンは「音楽業界とぜんぜん利害を共有しないひと」というスタンスに徹したからである。

彼らは「業界の常識」を平然と踏みにじった。よほどの有名人以外、出演するミュージシャンについて何も知らないまま彼らはトークを始めた。名前も知らないし、音楽も聴いたことがないし、どういうコンセプトで音楽をやっているのかも、事務所サイドがどういう「イメージ」で売ろうとしているのかについても、全然情報をもたない。そして、そういう用意された情報をミュージシャンたちがテレビというメディアを通じて伝えようとするのを妨害して、まるで音楽と無関係な意表を衝く質問を発し、彼らが混乱したり、答えに窮したりするのを見て、わらいものにしたのである。

芸のない美少女アイドルや美少年ミュージシャンやヴィジュアル系のかっこつけバンドは彼らの好餌となった。ダウンタウンはゲストの髪型や服装をぼろくそにけなし、音楽コンセプトをあざ笑い、頭をどついた。この試練のトークでダウンタウンの悪意に屈して、頭の悪さを露呈したミュージシャンたちは人気を失う一方、彼らの悪意にさらなる邪悪さをもって応接した及川光博や、ボケまくってダウンタウンを食ったパフィーや、ヴィジュアル系の仮面を脱いで関西弁で反撃を試みたT・M・Rは、そのあと人気が急上昇するという意外な恩恵に浴した。

ダウンタウンは「音楽業界のアウトサイダー」として、「音楽商品」を猜疑心の強い消費者の視点から吟味するという司会ぶりで音楽番組のあり方を一変させたのである。

『Hey!x3』ではトークの時間が長く取ってあるために、音楽はあまり流されない。のちに同じコンセプトで作られた石橋貴明と中居正広の『うたばん』でもそれは同じである。これらの「音楽番組」では、トークをしているときのほうが曲を流しているときより視聴率が高いからである。(だから私は河村隆一君の歌を聴いたことがないのに、彼が昔原宿のロッテリアでバイトをしていたことなどだけは知っているのである。)

こうして1990年代後半にいたって、音楽番組はミュージシャン側から一方的に発信される「情報を提供する」メディアから、ミュージシャンが「なんぼのもの」であるかを消費者サイドが吟味する「提供される情報の信頼度を査定する」メディアへと移行したのである。

別の言い方をすれば、このときテレビは「情報を構成し、発信し、消費に供する」メディアの段階から、「情報がどのようにして構成され、発信され、商品化されるのかについての情報」を伝えるメタ・メディアの段階に「進化」したのである。

それが石橋貴明君のいかなる社会的機能とかかわるのかは、すごく長い話になるので、また来週。

テレビが「情報を伝える」メディアから「情報を伝えるしかたについての情報を伝える」メディアに進化したという話の続き。

ダウンタウンが『Hey!x3』で音楽番組の常識を突き崩したのよりも何年かはやく、とんねるずは「テレビの常識」を覆そうとしていた。80年代末から始まった『みなさんのおかげです』でとんねるずが試みたのは「お笑い番組の製作過程そのものを番組として見せる」というコンセプトであった。

「見切れる」というのは業界の用語で、カメラにセットの「外」(スタジオの暗がりや機材やスタッフ)が映りこんでしまうことである。これはテレビ放映開始以来半世紀近く、絶対不可侵のタブーであった。「つくりものがつくりものであること」は前景化させてはならないという暗黙の掟が存在したのである。それをとんねるずが「出し物」にしてしまった。

カメラはすぐに反転して、いま番組をつくっている当のスタジオやスタッフを映し出す。スタッフの笑い声はそのまま収録される。出演者とスタッフだけしか知らない業界用語や固有名詞や事件をたねにした「内輪のギャグ」が(ぜんぜん事情を知らない全国の視聴者に向けて)放送された。コントではしばしば『みなさんのおかげです』の製作過程そのものが戯画化され、実在のプロデューサーを石橋貴明が演じ、この番組そのものがどのような仕組みによって、どのような利害や思惑の調整の末に、いまこうして作られてつつあるのかについて自嘲的な自己言及がなされた。実験的な試みだ。

とはいえ、これは秋元康やとんねるずの独創ではない。

テレビに限らず、映画であれ、演劇であれ、そこに展開するすべては「嘘」である。私たちはその「嘘」を「嘘」と知りながら楽しんできた。これに最初にいちゃもんをつけたのはドイツの劇作家ブレヒトである。

ブレヒトによれば、芝居を見ている観客は、舞台の上の出来事に無防備に感情移入し、それが現実であるかに錯誤してしまう。そして自分が居心地のよい椅子に座って、つくりものの「お話」を聞かされてぼうっとしているだけだということをすぐに忘れてしまう。観客をそんな無反省的な状態に安住させてはならない。ブレヒトは「あなたたちが見ているのは、ただのつくりものなんだ」とさまざまな手法で観客に知らせ、観客が「われを忘れて」舞台に没入することを妨害しようとした。(けっこう、おせっかいな人である。)

というのは、ブレヒトはこの観客と舞台の関係は私たちと階級社会の関係と類比的であると考えたからである。かわいそうなプロレタリアはブルジョワジーがおのれの利益のために作り上げた人為的な「制度」を「自然」と錯認し、自分を収奪している制度そのものの存続に加担していることに気づいていない。それでは革命ができないではないか、というのである。(かなり、おせっかいな人である。)

ご案内のとおり、ブレヒトのこの「異化理論」は60年代にわがアンダーグラウンド演劇運動の金科玉条となった。寺山修司や唐十郎や佐藤信は観客が安楽な鑑賞者であることを許さなかった。観客は自分が今見ているものは何なのかを自力で判断することを求められた。客席に向けて撒かれる水を避け、駆け回る役者にどつかれながら、観客は演劇の生成に当事者として参加しなければならなかった。(ただし、これは仕掛ける方も、見る方も、相当にガッツと体力がないとできないので、そのうちみんな疲れて、沙汰やみになってしまった。)

そして、それから20年経って、とんねるずが登場したのである。(意外にも彼らはブレヒトと寺山修司の嫡流だったのである。)

彼らはテレビの「お笑い商品」の製造プロセスそのものを見せて笑いをとるところから始めて、つぎにさらに巨大なマーケットをもつ「音楽商品」の製造プロセスそのものを見せるという仕事に取り組んだ。

最初にレコードを出したり、紅白に出たころは、彼らはまだ音楽業界のルールの「内側」に踏みとどまっていた。しかし、山本譲二と木梨憲武のデュエットや、お笑い番組のスタッフだけのユニット「野猿」を結成してマスセールスを記録するに及んで、彼らの戦略は明確に非−音楽業界的になってきた。つまり作詞作曲衣装振付宣伝営業さえ手順とおりやれば、「誰でも」ヒットチャートのトップに立てるという音楽業界の商品生産メカニズムをまるごと衆目の前にさらしてみせたのである。

同じコンセプトによる音楽業界のメカニズムの暴露は、小室哲哉に曲を作らせて200万枚売ったダウンタウンの浜田雅功や、二組の漫才コンビに少女シンガーをからめたユニットでチャートの上位の常連となったウッチャン・ナンチャンによっても行われている。彼らはいわば「捨て身」の芸で、音楽業界の虚構性を笑い飛ばしてみせたわけである。

興味深いのは、これらの「異化効果」芸でテレビのゴールデンタイムを独占し、長者番付に君臨しているのが、みなさん「元・漫才師」だということである。

石橋貴明君にはただひとつの芸しかない。それが彼をタレント長者のトップに押し上げた。それは「領域侵犯」芸である。

彼はあらゆる場所に平然と土足で踏み込んで行く。そして「無頼のアウトサイダー」の特権で、「その領域では、当然すぎて誰もそれを意識化していないこと」を言語化する。そうすることで、その「裸の王様」的な発言が巻き起こす波瀾や混乱を通じて、「その領域」がどういうメカニズムで機能しているのか、そのなりたちを暴露してゆくのである。

石橋君の生命線は、この「どこにいってもアウトサイダー」というところにある。

彼は『うたばん』という音楽番組の司会をしているが、そこでは徹底的に「音楽業界と利害を共有しない人間」というスタンスを取り続けている。(一方、あいかたの中居正広君は「インサイダー」あるいは「セールスプロモーションの協力者」という立場に徹している。)

これまでの音楽活動のキャリアやセールス実績から言って、石橋貴明君が自分はミュージシャンだという自己認識をもっていても別に不思議ではない。(中居君でさえ自分のことを「歌手」!だと思っているのに)

しかし、石橋君はミュージシャンに分類されることをきっぱりと拒絶している。おそらく同じことは俳優業や司会業やその他いかなる専門業種についても言えるだろう。もちろん「プロの漫才師」というアイデンティティなどは全力をあげて拒絶するであろう。

石橋貴明君はけっして「何かの専門家」であってはなるまいとしている。それは、彼以外の誰かに「専門家であるがゆえに、当然すぎて石橋君本人が意識化していないこと」を痛撃するチャンスを与えてしまうからである。その瞬間に「領域侵犯芸」のチャンピオンは王位を明渡さなければならない。

全方位に隙を作らないために、守るべきものを持たないために、ただ攻撃するだけのポジションにあり続けるために、石橋君は「私は何でもできるが、何ものでもない」と言い続けなければならないのである。厳しい仕事だと思う。しかし、これだけの心理的負荷を負いながらなお走り続けている石橋貴明君に私は好意的だ。

「『情報を伝えるしかた』についての情報を伝えるメタ情報」の送り手であろうとするその野心によって石橋君は芸能長者の地位を得た。地位を得てなお領域侵犯的であり続けることは絶望的に困難だ。だから、いつか「石橋的であること」がひとつの「お約束」として嘲弄の対象となる日がくるだろう。

そのとき彼に代わって「領域侵犯芸」の王位を引き継ぐのは誰だろう。そしてそのとき「領域侵犯芸」はどのようにして革命されるのであろう。ちょっと楽しみ。

(なお、この原稿のもとネタ提供は専攻ゼミでの鶴崎さんの発表「音楽番組の形態と司会者の変遷にみる情報化社会」でした。いつも面白い話をありがとね)


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